相州の、ほぼ週刊、1:1250 Scale 艦船模型ブログ

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

禁断のモデル・ヴァージョンアップ事情:ドイツ帝国海軍前弩級戦艦の場合

前回お知らせした通り、多分「ピカード :シーズン2」が終わるまで、「空母機動部隊小史」をお休みします。

気分のままに、新着モデルのご紹介を中心に本稿を進めていきたいな、と思い、前回からそのようにお話を組み立てたいと思っているのですが、今回は筆者のようなコレクターにとって大変悩ましいモデルメーカーによるヴァージョンアップの実例をご紹介します。

基調としては「禁断の」と記したように、モデルメーカーによるモデルのヴァージョンアップはディテイルの精度を上げるなど、モデルコレクターの関心を大きく惹きつけるのですが、これにお付き合いするには当然、大きな出費を伴います。どこまでの範囲でお付き合いするのか、大変難しい、という一種の「愚痴」のようなお話です。

ドレッドノート」の登場が一夜でそれ以前の主力艦を二線級の戦力にしてしまった(=見劣りのする戦力にしてしまった)というのと、もちろん規模は異なりますが、その当時の海軍軍政の担当者の気持ちをある種「体感」させてくれるような・・・(ちょっと大袈裟すぎか?)

このお話を共有するには、実際どの程度の差異が新旧モデル間で生じるのか、見ていただいた方が早いでしょう。

今回はそういうお話です。

 

・・・と言うことなのですが、本論のその前に、例によって。

スター・トレック ピカード  シーズン2」Episord 7

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(ネタバレの禁忌は大いに冒してしまったので、もう気にしません。ネタバレ、あります、きっと)

***(ネタバレ嫌な人の自己責任撤退ラインはここ:ネタバレ回避したい人は、次の青い大文字見出しに「engage!」)***

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Star Trek: Picard - Engage! - Episode 3 finale - YouTube

 

前回に引き続きピカード という人間を深く理解するには重要なエピソードでしたね。と言いつつ、やや掘り下げが浅いような気はしました。でも、タリスが寄り添ってくれた(嬉しかった)。ロミュランの耳を見せてくれた(ものすごく嬉しかった。ピカード はもっと嬉しかったはず)。・・・と、きっと掘り下げるよりはロマンスを語るエピソードを目指したのかな、などど考えながら見ていました。にせよ、ピカード 家の、特にピカード の両親のストーリーは気になります。

それにしてもジュラティは(ボーグ・クイーンは、というべきでしょうか)どこへ行くのか?

ガイナン(エルオーリアン)とQ(連続体)の関係の新たな側面、新しい謎が出てきました。ガイナンの言葉「何かがおかしくなってるんだよ」。これらを回収してあと3話でおさまるんでしょうか。シーズン3はあるようなので、そんな心配はしなくてもいいのでしょうかね?それなら、お願いだからあまり待たせずに、すぐにやってね。

 

今週のピカード 話はこの辺で。

 

今週の本論です。

モデル・ヴァージョンアップの話

モデルのヴァージョンアップの話の前に、少し本稿で扱っている1:1250スケールの艦船モデルのおさらいを。

 

1:1250スケールの艦船模型という世界(おさらいです)

本稿では日本ではマイナーな1:1250というスケールのモデルのご紹介をしていますが、特にヨーロッパではこのスケールはメジャーで、数多くのメーカーがひしめき合っています。その品質は正直に申し上げて玉石混交、つまり大変大きな差がメーカー間にある、と言わざるを得ません。筆者もコレクションの当初はその辺りをあまり理解しておらず、ebayへの出品の中から「手頃な設定価格」で選んでいたものだから、相当ひどいモデルを入手することも度々。それはそれで、ディテイルアップの工夫をして手を入れることを覚えたので(スケールが小さいので気が楽だった、ということも大きいですが)、新たな楽しみではあったのですが。

 

メーカー事情

そうした数々のラーニングを通じて(高い「授業料」を支払ったかも)、筆者の現状を整理すると、モデルを調達するメーカーは、一社しか製作していない等の事情を除き、ほぼ次に挙げるものに絞っています。

Neptun・Navis1:1250スケールの最高峰。NeptunがWW2の艦船を中心としたラインナップで、NavisはWW1周辺をラインナップとしたブランドネームです。最近のコレクションの基軸はこの両ブランドに集中しています。

上記の両ブランドが筆者の艦船模型のメインストリームを形成しているのに対し、Hai, Rhenania, Hansa, Delphin, Mercatorといったメーカーはメインストリームを少しはずれた大変ユニーク(マニアック)なラインナップで楽しませてくれます。ああ、もう一つ重要なメーカーがありました。それは小西製作所、日本で多分唯一の(といっていいかな?)1:1250スケールモデルを出していらっしゃる老舗メーカーさんですね。

最近ではこれに加えてPoseidonタイ王国海軍のラインナップ充実)や Anker(未成艦・計画艦のモデル化が得意?)なども、かなり注目しています。

 

さらにShapewaysで調達可能な3D printing modelがこれに加わっています。

Tiny Thingamajigs:Tiny Thingamajigs by matt_atknsn - Shapeways Shops

C.O.B. Constructs and Miniatures C.O.B. Constructs and Miniatures by squint181 - Shapeways Shops

Mini and beyond:Mini and beyond by pinkus12001 - Shapeways Shops

Amatuer Wargame Figures:Amatuer Wargame Figures by Nomadier - Shapeways Shops

Masters of Military:Masters of Military by MastersofMilitary - Shapeways Shops

Desktop Fleet:Desktop Fleet by tmakunouchi - Shapeways Shops

Brown Water Navy Miniatures:Brown Water Navy Miniatures by MG_Lawson - Shapeways Shops

この辺りの製作者が現時点での筆者のおすすめです。それぞれ解釈やこだわりポイントが違ったり、もちろん価格やラインナップも相当な差があるので、見ているだけでも楽しいかも。さらにどんどんデータの提供者が増えていますので、目が離せません。

もう一つ、Shapewaysではなく、独自のShopを持っていらっしゃるのが

The Water Times Journal:WTJ Store - WTJ Store 

ここのStoreでもレジンや3D printing modelを調達することができます。(筆者の大好きなフランス海軍の前弩級戦艦周辺の艦船は大半をここから調達しています。フランス海軍の前弩級戦艦などについては、詳しくは下のURLをご覧ください。筆者のメモ的なまとめサイトです)

French Navy /フランス海軍 - Encyclopedia of 1:1250 scale model ship

3D printing modelは何より価格が魅力で、筆者のように網羅的なコレクターに場合には、この「価格」要因は大変重要なのでついつい多くを頼ってしまいがちなのですが、樹脂製であることから、しばしばディテイルに甘さが目立つ場合があります。そうした際に、上述のHansa, Delphinは、そのモデルのコレクションのユニークさもさることながら、パーツへの分解が比較的容易で、例えばブリッジ周りのディテイルアップであったり武装パーツの入れ替えなどの際のストックパーツ用にもお世話になっています。

さらに日本の食玩F-toys海上自衛隊艦船もebayでは多くの出品を見つけることができるようになってきています。日本人としての贔い屓目と言われるかもしれませんが、ディテイルなど、素晴らしいと思います。何より、インジェクションモデルですので(食玩ですからね)価格がオークションでプレミアムがついても、前出の既存メーカー等(真鍮やメタル製)と比べると大変リーズナブルになっています。(注記:ここで挙げているメーカー名は「軍艦」関連に絞ってあげた名前です。「商船」だとかなり事情は変わると思います。「商船」の領域は筆者は現在ほとんど手をつけていないので、どなたか詳しい方がいらっしゃるのではないかな、と)

 

モデル検索について

筆者が本稿を書いている目的の一つに、1:1250というスケールに関心を持っていただき、いわゆるマーケットを広げ、その波及でもっと日本でも手に入りやすくなればいいなあ、というのがあるので、少しでも関心を持っていただくためにちょうど良い「モデルの検索」サイトをご紹介しておきます。

sammelhafen.de

このサイトはebayで結構いいラインナップのモデルを毎週出品なさっているsarge 2012氏(お世話になっています)のお父上が主催していらっしゃるサイトで、いわゆる1:1250スケールモデルのラインナップ検索サイトです。

サイト中央上にあるserachのボタンで「検索機能」が使えます。既に探したい艦名が英文ではっきりしている場合には「Search by ship name」で探せば、どのメーカーが作成しているか等を調べることができますし、逆に「メーカー名:manifacturer」「艦種:type」「国籍:county of origin」「建造時期:era」で検索することもできます。もちろん複数の項目での検索もできるので、是非お試しあれ。

ちなみに今回の本論でご紹介するNavis社製(manufacturer=Navis)+第一次世界大戦期(era=1st WW)+ドイツ帝国(country of origin=germany)+戦艦(type=Battleship)の検索結果はこちら。(ちょっと、これあとで使うかも)

sammelhafen.de

 

禁断のモデル・ヴァージョンアップ

発端:課題の浮上

3月27日の投稿「新着モデル(だけではないけれど)のご紹介」で、第一次世界大戦の敗戦で海軍の保有に厳しい制約を課せられた再生ドイツ海軍(ワイマール共和国海軍)の発足時の主力艦のご紹介をしました。

fw688i.hatenablog.com

第一次大戦前には英国に次ぐ世界第2位の規模の大海軍を誇っていたドイツは、敗戦後のヴェルサイユ条約で装甲を持つ軍艦としては旧式の前弩級戦艦6隻(予備艦を入れて8隻)しか保有を許されず、沿岸警備海軍へと転落しました。

その際に保有を許されたのがブラウンシュヴァイク級」戦艦5隻(「ブラウンシュヴァイク」「エルザス」「ヘッセン」そして予備艦として「プロイセン」「ロートリンゲン」)とドイッチュラント級」戦艦3隻(「ハノーファー」「シュレージェン」「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」)でした。

上掲の稿ではそれらのモデルをご紹介したのですが、その際に「ドイッチュラント級」戦艦についてはワイマール共和国会軍所属後、近代化改装後のモデル(Hansa社製)をご紹介できたのですが、「ブラウンシュバイク級」については就役時のモデルのご紹介に留まっていました。

コレクターの常としてこういう状況は少し心地が悪いので(普段は気にしないのですが、こうしてまとめると急に気になってきたりします)、例によって「そんなモデルは流石に出てないよね」と上掲のsammelhafen.deで調べ始めました。上掲の結果ではそのようなモデルは見当たらなかったのですが(先程のsammelhafen.deの検索結果を見てみてください)、その後、いつものように(筆者の寝る前の習慣です)ebayで何かいい出物はないかな、と探していると、見つけてしまいました!「-Hessen manufacturer Navis 11R, 1:1250 Ship Model- 」(下はebay出品時の掲載写真)

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見慣れぬ「Navis 11R」の商品ナンバーと、さらに出品者の出品物の紹介として、Name : Hessen /Hersteller: NM 11R /Typ : Schlachtschiff / battleship /Jahr : 1932 /Land : Deutschland/Germany と記されています。これはNavis社の戦艦Hessenの1932年次の再現モデルであることを表しています。

写真の外観から見た感じでは前檣と後檣が低く切り詰められており、後檣周辺に対空砲らしきものが配置されているように見えます。

これは値打ちあり、早速入手、ということになるのですが、送料節約のため、筆者の常として同一出品者の他の出品物も検索してみることにしています。すると「Hessen manufacturer Navis 11N, 1:1250 Ship Model」も見つけてしまいました。(下はebay出品時の掲載写真)

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こちらも商品紹介を見ると、Name : Hessen /Hersteller: NM 11N /Typ : Schlachtschiff / battleship /Jahr : 1905 /Land : Deutschland/Germany とあります。こちらは1905年の状態を再現した、ということなので就役時のモデルのようです。ただしナンバーがNM 11Nとなっていて、新たなモデルであることを示しています。

これらを購入して改めて比較してみたい、という誘惑に駆られるわけですが、これは同時に際限のないヴァージョンアップに付き合っていくという、個人コレクターにとって(特にその財布にとって)大きな禁忌を犯すことにもなる決断をしなくてはならない(なんと大袈裟な)ということでもあるわけです。

更に考えるべきは、これをどの範囲に止めるのか。

状況を整理すると、筆者はドイツ帝国海軍前弩級戦艦ヘッセン」のNavis社の旧モデルをすでに保有しています。これに「ヘッセン」の1932年形態のNavis社製モデルが新たに加わります。そのついでにNavis社製の「ヘッセン」の新モデルも入手することになるわけです。

しかしドイツ帝国海軍の他の前弩級戦艦のモデルはNavis社製の旧モデルのままでいいのだろうか、更に他の保有しているNavis社のモデルも旧モデルでいいのか、と。筆者は前述したように、第一次世界大戦期の艦船モデルの主要な調達先としてNavis社を指定しているので、これは大変大きな財政負担を伴う判断になるわけです。

暫定的な結論

モデルの再現性等を考えると、新モデルが旧モデルに勝ることは自明の理で(そうでなければ製作者の姿勢に瑕疵があると言わねばなりません)、コレクターとしては当然新モデルで揃えたくなるのですが、これはキリがないので、どこかで線を引かねばなりません。(「財政の成り立つはずがない」と、どこかで聞いたことのあるフレーズです)

結局、永続的な結論が出せるはずもなく、今回の暫定的な結論としては、ドイツ帝国海軍の前弩級戦艦に限り、新モデルへの切り替えを行う、ということにしました。

こうして「めでたく、二隻お買い上げ」という運びになり、他のドイツ帝国海軍の前弩級戦艦についても調達可能なものが見つかった場合に調達、ということになったわけです。

 

ドイツ帝国海軍前弩級戦艦の新旧モデル対比

筆者の苦悩を共有したかったので、長々と、多分読者諸氏にはくだらない経緯を書いてしまいましたが、一応、ドイツ帝国海軍の前弩級戦艦の全艦級について、Navis社の新モデルが揃いましたので、旧モデルとの対比を含め、以下でご紹介します。

 

ドイツ帝国海軍の前弩級戦艦

ドイツ帝国海軍の戦艦は、元々がバルト海向けの沿岸用海防戦艦から始まっていることと、キール運河の通行、港湾施設での運用等から、ライバル国のイギリス、フランスに比べひと回り小型の艦級で揃えらていました。前弩級戦艦の時代に入り、以下の5クラス24隻を建造しました。

 

ブランデンブルク級」戦艦(1894- 同型艦4隻)

ja.wikipedia.org

(1894-, 10013t, 17knot, 11in/L40*2*2 & 11in/L35*2, 4 ships)

Navis新モデル(NM 14N)

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(「ブランデンブルク級」戦艦の概観:92mm inn1:1250 by Navis: 高い船首楼が外洋での活動を想定しているということを表しているように見えますが、実際には過渡期的な設計だったようです)

同級はそれまでバルト海沿岸の警備行動を想定して設計された海防戦艦しか持たなかったドイツ帝国海軍が洋上戦闘を想定して建造した戦艦の艦級でした。英海軍を仮想敵と想定していたため、フランス海軍の支援を仰いだフランス式の船体設計となっていました。

列強の当時の戦艦が連装主砲塔2基装備を標準としていた時代に、主砲として11インチ連装砲塔(装甲を施した本格的な砲塔ではなく露砲塔にカバーを施したものでした)を3基装備していましたが、のちのドレッドノートの設計のように大口径砲の一斉射撃を想定した先進的な思想に基づくものではなく、それまでの海防戦艦の基本設計であった中央砲塔艦の主砲配置の延長にあったようです。したがって主砲の口径こそ11インチで統一されていたものの、砲身長は艦首・艦尾が40口径であったのに対し間の中央部は35口径で、斉射には不向きでした(もっとも建造時期には斉射法は未成立でした)。

第一次世界大戦期には既に旧式艦とみなされていましたが同級のうち2隻は当時同盟国であったオスマントルコ海軍に売却され、黒海で活躍しました。

 

旧モデルとの比較

Navis旧モデル(NM 14)

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Navis新旧モデル比較(左が旧モデル)

(新モデルではディテイルの再現性が高いのは一目瞭然です。こうやって比較すると、旧モデルが全体にあっさりしている、というのが実感していただけるかと)

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「カイザー・フリードリヒ3世級」戦艦(1898- 同型艦5隻)

ja.wikipedia.org

(1898-, 11097t, 17.5knot, 9.4in*2*2, 5 ships)

Navis新モデル(NM 13N)

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(「カイザー・ウィルヘルム3世級」戦艦の概観:96mm inn1:1250 by Navis: 重い主砲塔を船体より一段上に配置するなど、穏やかなバルト海での運用を主眼に置いているように思われます)

同級はドイツ帝国海軍が建造した初の本格的な近代戦艦(前弩級戦艦)の艦級です。基本的に穏やかなバルト海での行動を想定して設計されたため、高い位置に主砲塔をおく設計となっています。主砲としては前級よりも一回り小さな9.4インチ砲を連装砲塔2基に搭載していました。主砲の口径は下がった形でしたが同砲は新設計の速射砲で単位時間当たりの射撃砲弾量は増えています。速射砲の特性を活かすためにどの角度でも装填が可能な装填機構が採用されていました。第一次世界大戦期には既に二線級の戦力と見做され、限定的な任務についていました。

 

旧モデルとの比較

Navis旧モデル(NM 13)

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Navis新旧モデル比較(左が旧モデル)

(新モデルではディテイルの再現性が高いのは一目瞭然です。煙突のモールドや艦載艇の再現などに差が顕著です))

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ヴィッテルスバッハ級」戦艦(1902- 同型艦5隻)

ja.wikipedia.org

(1902-, 12798t, 18knot, 9.4in*2*2, 5 ships) 

Navis新モデル(NM 12N)

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(「ヴィッテルスバッハ級」戦艦の概観:100mm in 1:1250 by Navis: 前級に比べ、重心を下げ安定感を増すことに配慮された設計となっています)

同級は基本的に前級「カイザー・ウィルヘルム3世級」と同一船体を構成し活動することを想定して設計されています。防御力の強化、安定性の強化などを目指した「カイザー・ウィルヘルム3世級」の拡大改良型です。同一行動を想定したため搭載砲、配置等は前級を踏襲していますが、副砲は片舷6基から8基に強化されています。

第一次世界大戦期には主としてバルト海で運用されていましたが1917年に全艦が補助艦艇に種別変更されました。ベルサイユ条約では同級は予備艦として保有が認められましたが、後述の「ツェーリンゲン」を除く全艦が1921年前後にスクラップとして売却されました。

「ツェーリンゲン」のみは1944年まで標的艦として運用されました。

 

旧モデルとの比較

Navis旧モデル(NM 12)

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Navis新旧モデル比較(左が旧モデル)

(新モデルではディテイルの再現性が高いのは一目瞭然です。煙突のモールドや艦載艇、原則の副砲の再現などに差が顕著です))

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ヴァリエーション・モデルのご紹介

標的艦「ツェーリンゲン」

1921年頃相次いて同型艦が解体される中で、「ツェーリンゲン」のみは標的艦に改装され、1944年まで運用されていました。

標的艦となった「ツェーリンゲン」の概観:by Mercator(?))

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標的艦「ツェーリンゲン」(奥)と「ヴィッテルスバッハ級」戦艦の比較

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ブラウンシュヴァイク級」戦艦(1904- 同型艦5隻)

ja.wikipedia.org

(1904-, 14394t, 18knots, 11in *2*2, 5 ships)

Navis新モデル(NM 11N)

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(「ブラウンシュヴァイク級」戦艦の概観:102mm in 1:1250 by Navis: ようやく実用化がかなった11インチ速射砲を主砲として採用したため、大型の主砲塔を搭載しています)

同級は英海軍との戦闘、つまりバルト海だけではなく北海での運用を想定して設計された艦級です。最大の特徴は実用化された速射砲としては当時最大口径の新開発11インチ速射砲を主砲として採用したことで、さらに副砲の一部を砲塔形式で搭載し、射界を大きくしています。

第一次世界大戦期には、既に二線級戦力と見做され、主として沿岸防備任務につきました。「ヘッセン」のみは英独の決戦であったユトランド沖海戦に参加しています。1917年に補助艦艇に艦種が変更となりましたが、敗戦後、ベルサイユ条約で同級の「ブラウンシュヴァイク」「エルザース」「ヘッセン」の3隻保有が認められ、ワイマール共和国海軍では主力艦とされました。

 

旧モデルとの比較

Navis旧モデル(NM 11)

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Navis新旧モデル比較(左が旧モデル)

(新モデルではディテイルの再現性が高いのは一目瞭然です。新モデルでは副砲以下の中口径砲の配置等がかなり細かく再現されています))

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ヴァリエーション・モデルのご紹介 その1

ワイマール共和国海軍時代:1932年の「ヘッセン」Navis新モデル(NM 11R)

このお話の発端ともなった新たなNavis社のモデルです。

前述のようにベルサイユ条約で、同級は保有を認められましたが、既に第一次世界大戦期にあっても旧式艦であったので、いずれは沿岸警備艦として近代化改装される計画がありましたが、やがてナチスの台頭と再軍備宣言で新型主力艦の建造に注力されたため、大々的な改装は行われませんでした。

下の写真は1932年次にワイマール共和国海軍の主力艦であった当時を再現したモデルで、艦橋構造が変更されているのが分かります。

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1905年次モデル(左列)と1932年次モデルの比較

(艦橋と前檣・後檣の構造の差異が目立ちます)

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ヴァリエーション・モデルのご紹介 その2

標的艦ヘッセン

同級はナチスの台頭と共に再軍備宣言が行われると新型艦の就役に伴い順次退役し1930年代に解体されました。「ヘッセン」のみは標的艦として残され、第二次世界大戦では砕氷船としても運用されました。

標的艦となった「ヘッセン」の概観:by Mercator)

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ドイッチュラント級」戦艦(1906- 同型艦5隻)

ja.wikipedia.org

(1906-, 13200t, 18.5knots, 11in*2*2, 5 ships)

Navis新モデル(NM 10N)

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(「ドイッチュラント級」戦艦の概観:106mm inn1:1250 by Navis: ようやく実用化がかなった11インチ速射砲を主砲として採用したため、大型の主砲塔を搭載しています)

同級はドイツ帝国海軍が建造した最後の前弩級戦艦です。前級「ブラウンシュヴァイツ級」と同一戦隊を組むという前提で建造された前級の拡大改良版です。前級が武装過多から安定性に欠けるという課題を指摘されたため、同級では艦橋の簡素化や副砲塔の廃止を行われました。

1906年から1908年にかけて就役し、前弩級戦艦としては最新の艦級でしたが、就役時には既に弩級戦艦の時代が到来して旧式艦と見做されていました。

第一次世界大戦の最大の海戦であったユトランド沖海戦には第二戦艦戦隊として同級の5隻と「ブラウンシュバイク級」の「ヘッセン」が序列され、英戦艦隊の追撃を受け苦戦していたヒッパー指揮のドイツ巡洋戦艦戦隊の救援に出撃しています。この救援戦闘で同級の「ポンメルン」が英艦隊の砲撃で損傷し、その後英駆逐艦の雷撃で撃沈されました。

前級と同様に1917年には戦艦籍から除かれました。ネームシップの「ドイッチュラント」は宿泊艦となり状態不良のまま1922年に解体されました。

残る「ハノーファー」「シュレージェン」「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」が新生ドイツ海軍で保有を許され、その主力艦となったわけですが、1930年代に上部構造や煙突の改修などの近代化改装を受けて、艦容が一変しています。

 

旧モデルとの比較

Navis旧モデル(NM 10)

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Navis新旧モデル比較(左が旧モデル)

(新モデルではディテイルの再現性が高いのは一目瞭然です。新モデルでは艦橋や煙突部の作り込み、副砲以下の中口径砲の配置等がかなり細かく再現されています))

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ヴァリエーション・モデルのご紹介 

ワイマール共和国海軍時代の「シュレージエン級」戦艦(Neptun製)

(今回入手したNeptun製の「シュレージエン」(手前、下段右)と「シュレスヴィヒ・ホルスタイン」:NeptunとNavisはいわゆる姉妹銘柄で、原則として第一次世界大戦期周辺のモデルをNavis銘柄で、第二次世界大戦期周辺をNeptun銘柄がカバーしています)

前述のように、同級はヴェルサイユ条約保有を認められ、第一次大戦で戦没した「ポンメルン」と状態不良の「ドイッチュラント」を除く「ハノーファー」「シュレージエン」「シュレスヴィヒ・ホルスタイン」の3隻がワイマール共和国海軍(新生ドイツ海軍)に編入されました。

ネームシップの「ドイッチュラント」が上述のように状態不良により既に除籍されていたため、この3隻を「シュレージエン級」と呼ぶことが多いようです。

その後ヒトラー再軍備を宣言し新造艦艇が就役し始めると同級は練習艦に艦種変更されました。

同級のうち「ハノーファー」は1931年に除籍され無線誘導式の標的艦への改造が計画されましたが実行はされず、爆弾の実験等に使用された後、1944年頃に解体されました。

 

近代化改装後の「シュレージエン」(Neptun製モデル)

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(近代化改装後の「シュレージエン」の概観 by Neptun):

「シュレージエン級:ドイッチュラント級」の残る2隻「シュレージエン」と「シュレスヴィヒ・ホルスタイン」は、第二次世界大戦期には練習艦として就役していて、主としてバルト海方面で主砲を活かした艦砲射撃任務等に従事し、緒戦のドイツ軍のポーランド侵攻では「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」のポーランド軍のヴェステルブラッテ要塞への砲撃が第二次世界大戦開戦の第一撃となったとされています。その後も主砲力を活かした地上砲撃等の任務に運用され、東部戦線での退却戦の支援艦砲射撃等を行っています。大戦末期には「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」は空襲で、「シュレージエン」は触雷でそれぞれ損傷し、自沈処分とされました。

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(上の写真はこれまで本稿でご紹介した際の同艦のHansa製モデル)

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(直上の写真は「シュレージェン」のNeptun製モデルとHansa製モデルの比較)

細部の再現性には両者でかなり差があるようです。Hansa製のモデルももちろん標準以上のディテイルを備えているモデルだとは思いますが、やや骨太に表現されすぎているように思います。Neptun製はそれを凌駕した繊細なディテイルで表現されているように感じます。下に紹介する「シュレスヴィヒ・ホルスタイン」も同様です。

 

近代化改装後の「シュレスヴィヒ・ホルスタイン」(Neptun製モデル)

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(近代化改装後の「シュレスヴィヒ・ホルスタイン」の概観 by Neptun:「シュレージエン」と異なり一番煙突に誘導路が設けられ2番煙突との集合煙突になったことがわかります)f:id:fw688i:20220515091834p:image

(上の写真はこれまで本稿でご紹介した際の同艦のHansa製モデル)

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(直上の写真は「シュレスヴィヒ・ホルスタイン」のNeptun製モデルとHansa製モデルの比較:ディテイルの繊細さではNeptun製モデルに「一日の長」が)

 

標的艦への改装後の「ハノーファー(Neptun製:モデル未入手)

(直下の写真は「ハノーファー」の標的艦仕様のモデルの概観(筆者は保有していません):実際にこの形態になったのかどうかは、不明です。こちらいつもモデル検索でお世話になっているsammelhafen.deから拝借しています。by Neptun:Neptunからモデルが出ているということは、実艦が存在したということかな?)

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というわけで、今回はNavisのドイツ前弩級戦艦を例に、モデルの新旧比較をご紹介いたしました。新旧のディテイルの差異のレベルがご理解いただけたでしょうか?

正直にお話しすると、実は筆者は上述の「ブラウンシュヴァイク級」の1932年モデル(NM 11R)の情報がなければドイツ帝国弩級戦艦の新モデルへの更新は全く行う気がありませんでした。旧モデルでディテイル等に不満があったわけではなかった、ということです。しかしこうして比較してしまうと・・・。

むしろNavisのラインナップでは、英海軍の前弩級戦艦弩級戦艦超弩級戦艦、装甲巡洋艦巡洋戦艦等のモデルのディテイルの簡素さが、特にドイツ帝国海軍の旧モデルとの比較の時点で気にはなっていたのです。

しかし英海軍の前弩級戦艦弩級戦艦超弩級戦艦、装甲巡洋艦巡洋戦艦となるとあまりにも揃えるべき(更新すべき)モデルの数が多く、それこそ「財政の成り立つはずがない」と、半ば諦めています。まあ、今回の整理でかなりその差異がはっきりと明示されてきたので、これからも意識のどこかに引っかかり続けるんでしょうが。

表題の「禁断の」というのはそういう自戒の意味もこめられた言葉でもあるわけです。

 

ということで、今回はこの辺りで。

 

次回は、新着モデルを中心にお話をしたいと思っています。以前、少し中途半端になった(と筆者が思っている)近代戦艦(前弩級戦艦)登場以前の主力艦の発達を、最近入手したA=H海軍艦艇のモデルを交えてご紹介できれば・・・。予告編はあまり当てになりませんが。

 もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

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Rhenania製スウェーデン海軍巡洋艦「ゴトランド」を入手:モデル比較など

本稿前回で「空母機動部隊小史」を少しお休みします、と言う宣言をして気が楽になった、と言うか、しばらくは(多分「ピカード :シーズン2」が終わるまで?)気分のままに、新着モデルのご紹介を中心に本稿を進めていきたいな、と思っています。(とはいえ、全く行き当たりばったりなので、突如「空母機動部隊小史」の一節を挟むかも。そこは何卒、ご容赦を)

 

と言うわけで、今回は、筆者が絶賛してやまない、長らく探していた1:1250スケールモデルの「Rhenania」社製のスウェーデン海軍航空巡洋艦「ゴトラント」が到着したので、こちらを、これまで筆者のコレクションにあった3D Printing Modelとの比較などと併せてご紹介。

加えてRhenania社の素晴らしさを少しご紹介。

今回はそう言うお話です。

 

・・・と言うことなのですが、本論のその前に、例によって。

スター・トレック ピカード  シーズン2」Episord 6

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(ネタバレの禁忌は大いに冒してしまったので、もう気にしません。ネタバレ、あります、きっと)

***(ネタバレ嫌な人の自己責任撤退ラインはここ:ネタバレ回避したい人は、次の青い大文字見出しに「engage!」)***

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Star Trek: Picard - Engage! - Episode 3 finale - YouTube

 

 

 

Episord 6は、全編「やはりピカード の物語なのだ」と思わせるエピソードでした。

二人のピカード の交わす「闇」と「光」、「恐怖」と「勇気? 」を巡る対話は、おそらくこの物語を愛する全てのファンが求めている「何か」が凝縮されているようで、圧巻の一幕でした。

そしてそれは形を変えジュラティとボーグ・クイーンの物語でもあり、アダム・スンの内なるエピソードとしても次第に形を表してゆくのです。

いくつかの「真実」が一つの「事実」を紡ぎ出す。

「昼の光に闇の深さがわかるものか」。あるいは逆もまた然り。

ピカード の真骨頂、とでも言うべきエピソードだったなあ、と言うのが筆者の感想でした。

こう書くとなんだかずいぶん難しい話のように聞こえてしまうかもしれませんが、そこをいたるところで繰り出されるジョーク(その多くがトレッキーにしか通じないんじゃないかと、気にはなっっているのですが)が彩り、タリスとピカード の(ロミュラン女性で25世紀(24世紀?)に残してきたラリスとの微妙な関係をピカード だけが意識しているもどかしさ)ぎこちなさがユーモアを添え、リオスとテレサ(21世紀のドクター)のこれまた不器用なコンタクトがくすぐったさを醸し、なんとも言えない暖かさを感じる話になっているように思います。

もう6話まで来ちゃったからあと残すところ4話。筆者にとって大切な時間になることは間違いない。すでに名残惜しいような酸っぱい気持ちになりつつあります。

でも、金曜日が待ち遠しい。

 

いつものことながら、オープニング曲を楽しんでください。

Star Trek Picard Season 2 Intro Opening Sequence Version #1 ► 4K ◄ (Teaser Trailer Clip Promo) - YouTube

是非ともシーズン1も併せて。

www.youtube.com

 

さて、ここから今回の本編。新着モデルのご紹介。

Rhenania製:航空巡洋艦「ゴトランド」を入手

以前から懸案だったRhenania社製のスウェーデン航空巡洋艦「ゴトランド」をようやく入手しました。

この入手には紆余曲折あり、本来ならRhenania社のオーナーが筆者に直接調達してくださる予定だったのですが、その相談をしている矢先に(搭載する適当な水上機を見繕ってあげる、と言うような話でした)例のライン川の大洪水が発生。しばらく連絡がとれなくなっていたのでした。

(ちなみにRhenaniaと言う社名はライン川のローマ時代の名前からもらったブランドネーム」なのだそうです。下の写真は住所から辿ったRhenania社の所在地の航空写真(Google Map)です。本当にライン川のすぐそば、と言うのがわかります)

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こちらもライン川の水害のニュースに接し、あまり暢気な話をするのも気が引けてしまい、この話はそのままになってしまったのですが、最近になってebayでいつも筆者が大変お世話になっているcroschwig(Roger Roschwig)さんから彼の他の出品物を落札した際に「そう言えば、前にあなたがRhenania製の「ゴトランド」を探しているって聞いてたけど、まだ探しているの?ちょうど今手元に入ってきたんだけど、まだ探しているならそちらに優先して回すけど」と連絡をいただき入手に至ったのでした。

その際に「Rhenaniaと連絡が取れてないんだけど、何か情報ありますか?」と聞いたところ、直ぐにRhenaniaのオーナーから「Rogerから、あなたに連絡とれって言われたんだけど、「こっちは大丈夫だから」と連絡をいただきました。何はともあれ一安心。

ちょっと話がそれましたが、ともあれ入手したモデルはやはり素晴らしいものでした。

 

航空巡洋艦「ゴトランド」(1934年就役:同型艦なし)

すこし「ゴトランド」についておさらいを。

ja.wikipedia.org 

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航空巡洋艦「ゴトランド」の概観:109mm in 1:1250 by Rhenania:下の写真では、「ゴトランド」の特徴である艦首部の連装砲塔、中央部の上甲板下の魚雷発射管、艦尾部の航空甲板の拡大)

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 スウェーデン海軍は1929年代から艦載機による防空を目的とした巡洋艦の建造を計画しました。

本稿でも「スウェーデン海軍の海防戦艦」の回にご紹介した海防戦艦「ドリスへティン」が水上機母艦に改造されたのも、この構想の一環です。

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(「ドリスへティン」の水上機母艦への改装後の概観:72mm in 1:1250 by C.O.B. Construvts and Miniature in Shapewaysからのセミ・スクラッチ)f:id:fw688i:20210228113324j:image

fw688i.hatenablog.com

 

この水上艦艇に航空索敵能力を持たせる構想は「4500トン級の水上機母艦案」や「5500トンの航空巡洋艦案」等の検討を経て、本艦は世界初の航空巡洋艦として建造され、4700トンの船体に、6インチ連装砲塔2基、同単装砲2基(ケースメート形式)計6門の主砲を有し、重油専焼缶とタービンの組み合わせで速力27.5ノットを発揮しました。航空艤装としては艦尾部に広い飛行整備甲板を持ち、搭載機6機を定数とし、最大12機まで搭載できる設計でした。(甲板係止:10機・ハンガー収容:2機)搭載機は飛行整備甲板と艦上部構造の間に据えられた回転式のカタパルトから射出される構造でした。

三連装魚雷発射管を両舷に装備し、機雷敷設能力も兼ね備えていました。

巡洋艦という目で見ると、やや速力が物足りないと思われるかもしれませんが、バルト海という主要な行動領域と設計が大戦間の航空機の発達途上の時期であることを考えると、当時としては十分な機動性を持っていたといえるかもしれません。

 

ドイツ戦艦「ビスマルク」の出撃を通報

スウェーデンは永く中立を保ったため、大半の艦艇には目立った戦歴がないのですが、同艦はドイツ戦艦「ビスマルク」の最初で最後の戦闘行動である「ライン演習」への出撃に遭遇し、カテガット海峡通過に随伴する形で行動したことでも有名です。結果的にその接触の通報は海軍司令部を経てイギリスに伝達されました。

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(上の写真:ライン演習作戦に参加した「ビスマルク」と「プリンツ・オイゲン」:本来、このライン演習作戦はドイツ本国から「ビスマルク」「プリンツ・オイゲン」が、占領下にあったフランスのブレストから「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」が出撃する、と言う強力な水上兵力を集中する作戦となる予定でしたが、「シャルンホルスト」は機関の故障、「グナイゼナウ」は英軍機の空襲での損傷で作戦に参加できませんでした。この結果、ドイツ本国から出撃した「ビスマルク」戦隊を英本国艦隊のほぼ全兵力が追跡する形となり、デンマーク海峡での英巡洋戦艦「フッド」との砲撃戦と「フッド」の轟沈、新戦艦「プリンス・オブ・ウエールズ」の撃破、その後の「ビスマルク」への集中攻撃による撃沈、と「ビスマルク」に実態以上の「伝説」を産むこととなりました)

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(「ライン演習」参加時のドイツ戦艦「ビスマルク」随伴重巡洋艦プリンツ・オイゲン」と「ゴトランド」の大きさ比較。カテガット海峡を哨戒中の「ゴトランド」の通報から、「ビスマルク」部隊の出撃の情報がもたらされました。参考までに「ビスマルク」:202mm in 1:1250 by Neptun、「プリンツ・オイゲン」:170mm in 1:1250 by Neptun、「ゴトランド」:109mm in 1:1250 by Rhenania)

 

その後、艦載機種更新にあたって、後継予定機種が機体重量の関係で現有のカタパルトでは射出できないことが判明すると、同艦は航空艤装を廃止し、艦尾部の飛行整備甲板に対空兵装を増強するなどして防空巡洋艦に変更されました。

1956年まで現役に留まり、1963年に解体されました。

 

「ゴトランド」モデル比較(Rhenania vs Amature Wargame Figures)

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(上の写真は今回入手したRhenenia製の「ゴトランド」、下の写真は3D Printing Model Amature Wargame Figures製の「ゴトランド」)f:id:fw688i:20210124174227j:image

www.shapeways.com

流石にRheneniaのモデルのディテイルの繊細さが目立ちます。さらに下では細部の比較も。 f:id:fw688i:20220410102441p:image

(「ゴトランド」の細部:上がRhenania製、下がAmature Wargame Figures製:艦首部の連装主砲(上段)、艦中央部の対空砲群(中段)、艦尾部の連装砲塔と回転式のカタパルト、飛行整備甲板(下段):Amature Wargame Figures製の方は、出力されたモデルそのままではなく、主砲塔、対空砲等は筆者の手持ちのストックパーツからどれらしいものを転用してディテイルアップを試みてはいます。いずれにせよ差は歴然かと)

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いずれの視点でも、今回の比較ではRhenaniaの優位は明らかなのですが、価格差をどう考えるか、これは結構大きな問題です、特に筆者のようにコレクションを目的とした場合には。ちなみに今回入手したRhenaniaモデルは62€、一方、Amature Wargame Figuresモデルは3D Printing Modelとしては標準よりも少し安めの15€です(いずれも送料別)。「ゴトランド」は同型艦のない船の場合にはいいのでしょうが、ある程度数を揃えたい(1:1250という小スケールの場合にはこう言った欲求も湧き上がってくることは間違いありません)場合には、この差は掛け算になって効いてきます。

3D Printing Modelとしては今回ご紹介したものは標準的な品質であると言っていいと思います。しかし製作者によってはいわゆるメタルのモデルにも負けないディテイルを再現している場合もあるので(その場合、費用もそれなりに)、個別ケースでの比較にはなってきます。

まあ、結論としては、いろんな選択肢があるのは、「選ぶ」という過程も楽しめるので、さらに「いいですね」としておきましょう(結構、本音です)。

 

Rhenania モデルの楽しみ方:その1

もう少しRhenaniaのモデルの素晴らしさを理解していただく例を挙げてみましょう。

と言っても、筆者もそれほど多くのRhenaniaのモデルを保有しているわけではないので、それなりの範囲で。

その一例が「アラン級」海防戦艦の近代化改装後のモデルかと。これまで筆者はネームシップの「アラン」と4番艦の「マンリゲーテン」の2隻のモデルを所有していたのですが、最近、さらに1隻、3番艦「タッパレーテン」を新たに入手できました。

 

モデルのお話の前に少し「アラン級」のおさらいを。

アラン級(同型艦4隻:1902年から就役)

ja.wikipedia.org

「アラン級」海防戦艦は前級「ドリスへティン」の改良型として建造されました。3600トン級と、やや前級を拡大した船体を持ち、前級と同じ44口径8.2インチ単装砲を主砲として2基装備していました。副砲も同様に6インチ単装速射砲を6基、魚雷発射管を2基装備していました。

石炭専焼缶とレシプロ主機の組み合わせで、17ノットの速力を出すことが出来ました。

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海防戦艦「アラン級」の概観:70mm in 1:1250 by Brown Water Navy Miniature in Shapeways:竣工時の姿)

 

近代化改装 (Rhenanaモデルの比較)

同級の同型艦ネームシップの「アラン」と「ヴァーサ」「タッパレーテン」「マンリゲーテン」です。

各艦は1910年ごろから順次、前部マストを3脚化し射撃指揮所を設置したのを皮切りに、機関の重油専焼缶への換装、魚雷発射管の撤去、対空兵装の強化など近代化改装が行われました。改装のレベルは艦によって異なり、外観にも差異が生じました。

今回、記述のようにRhenania製の3番艦「タッパレーテン」を入手しました。

「アラン級」三番艦:「タッパレーテン」

f:id:fw688i:20220410110040p:image

海防戦艦「アラン級」三番艦「タッパレーテン」近代化改装後の概観:by Rhenania)

 

「アラン級」ネームシップ:「アラン」

こちらは以前から保有していた「アラン級」のネームシップです。f:id:fw688i:20220410110030p:image

海防戦艦「アラン」の近代化改装後の概観:by Rhenania)

 

「アラン級」4番艦「マンリゲーテン」

同級4番艦の「マンリゲーテン」は1941年に艦首をクリッパー型に改装されています。スェーデン海軍の海防戦艦の中で唯一、クリッパー型艦首を持つ艦となりました。f:id:fw688i:20220410110035p:image

(「アラン級」4番艦「マンリゲーテン」の近代化改装後の概観:by Rhenania:艦首形状のクリッパー型への変更にと同時にボイラーが新型に換装され、対空火器の配置変更等も行われています)

 

3隻の比較

3隻の細部を比較したものが下のカット。

(およそ70mm程度の小さなモデルで、なかなかお伝えしにくいのですが、煙突まわりなど全て造作が異なっているのがわかっていただけるでしょうか?
f:id:fw688i:20220410110026p:image

上段がネームシップ「アラン」、中段が「タッパレーテン」、そして下段が「マンリゲーテン」の順です。大きな差異は左列の艦首形状と右列の対空兵装の配置でしょうか。そしてよく見ると中列でも「マンリゲーテン」では異なる煙突形状(ファンネルキャップが取り付けられているのかな?)、さらにやや艦橋が後方にシフトしていることがわかります(元の艦級の情報があまりないので、どこまで正確のなのか、検証をすることは筆者には現時点では難しいですが、製作者に細部へのこだわりがあることは理解していただけるかと)。

モデルの細部を信じる限りでは一番建造年次の若い「マンリゲーテン」は、当然、近代化改装の時期も後だったはずで(大きな故障や損傷でもあると、一概にそうは言えないかもしれませんが、一般的には建造年次の古いものから改装は受けますよね)、その改装にあたってはいろいろな新基軸がとり入れられたようです。

こうなると残りの1隻「ヴァーサ」も入手したくなりますよね(ならない?)。

しかし、筆者の調べる限り、Rhenaniaからは出ていないし、他社彼出ているという情報も今のところ見当たりません。スウェーデン海防戦艦なんて、そんなに需要もないでしょうから。

また製作者に直当たりですかね。「アラン」と大きな差異はあるのか、と聞いてはみましょうか。意外と「アラン」とほとんど差異はないから、というようん返事だったりして。

 

Rhenania モデルの楽しみ方:その2

スウェーデン海軍の艦隊駆逐艦「クラース・ホルン級」の・・・

スウェーデン海軍の第二次世界大戦期の駆逐艦事情を少しおさらいしておくと、大戦期に同海軍は6クラス18隻の艦隊駆逐艦(うち1クラスはイタリアからの輸入)、2クラス6隻の沿岸警備駆逐艦(Coastal Destroyer:こちらも1クラスはイタリアからの輸入)を第一線兵力として運用し、その他、第一次世界大戦型の駆逐艦4クラス9隻を、2等駆逐艦(2nd class destroyer)

として保有していました。

このうちイタリアからの二つの輸入艦級を除いて艦隊駆逐艦の5艦級中2艦級、沿岸警備駆逐艦1艦級についてはRhenania社はモデルを出しています。

これからご紹介する「エレンスコルド級」2隻と「ヨーテボリ級」6隻、沿岸警備駆逐艦の「モージ級」4隻がそれです。

さらに少々乱暴になることを恐れず同海軍の駆逐艦の特徴を整理しておくと、中立の立場から基本自国の沿岸を警備することを念頭に置かれた設計で、かつバルト海という地政学的な条件からも、同時期の列強の艦隊駆逐艦に比べると小型なものが中心でした。

 

「エレンスコルド級:Ehrenskold-class」級駆逐艦:2隻:1927年より就役

en.wikipedia.org

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(「エレンスコルド級駆逐艦の概観:73mm in 1:1250 by Rhenania :下の写真は「エレンスコルド級駆逐艦の主砲等の配置を拡大したもの) 

同級はスウェーデン海軍が「第一次世界大戦型」の駆逐艦からの脱却を図り設計した駆逐艦の艦級です。

それまでの第一次世界大戦型の駆逐艦と比較するとほぼ倍程度の900トン級の大きな平甲板型の船体に、12cm(4.7インチ)主砲を3基搭載していました。21インチ級の三連装魚雷発射管2基を搭載し、36ノットの速力を発揮することができました。

同級の搭載兵装、武装配置等は、以降の駆逐艦の標準となりました。

Spec: 974 tons. /36 knots in operation./3 x 120mm, 2 x 2-pdr AA,  2x3TLT 533 mm /Crew 120. from Swedish Navy in WW2

 

ヨーテボリ級:Goteborg-class」駆逐艦:6隻:1936年より就役
en.wikipedia.org

f:id:fw688i:20220410104816p:image

(「ヨーテボリ級」駆逐艦の概観;76mm in 1:1250 by Rhenania)

同級は、「エレンスコルド級駆逐艦の系譜の最終形と言えるでしょう。船体は1040トンに拡大され、39ノットの高速を発揮することができました。兵装等は、「エレンスコルド級」「クラス・ホルン級」と同等のものを継承しています。

駆逐艦勢力の中核として6隻が建造され、後にフリゲート艦に改装されて、1960年代まで活躍しました。

Spec: 1040 tons. /39 knots in operation./3 x 120mm, 6x 25mm AA, 2x3TLT 533 mm /Crew 135from Swedish Navy in WW2

 

上述の艦隊駆逐艦2艦級の他に、沿岸警備駆逐艦(Coastal Desroyer)「モージ級:Mode class」がRhenania社から発売されています。

「モージ級:Mode -class」沿岸警備駆逐艦(Coastal Desroyer):4隻:1942年より就役

en.wikipedia.org

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(「モージ級」沿岸警備駆逐艦の概観:62mm in 1:1250 by Rhenania)

同級はイタリアから輸入した「ロムラス級」警備駆逐艦(イタリア海軍の「スピカ級」水雷艇を輸入したもの)を母体として設計された沿岸警備用の小型駆逐艦で、750トンの船体に105mm砲(4インチ砲)3基、21インチの三連装魚雷発射管1基を搭載し、30ノットの速力を発揮することができる設計でした。4隻が建造されました。

Spec: 750 tons. /30 knots in operation./3 x 105mm, 2x 40mm AA,  2x 20mm AA, 1x3TLT 533 mm/Crew 100from Swedish Navy in WW2f:id:fw688i:20220410165206p:image

(上の写真は「モージ級」沿岸警備駆逐艦とそのタイプシップとなったイタリアから輸入された「ロムラス級」の比較:排水量では「モージ級」が上回っていましたが、長さでは「ロムラス級」が上回っていました)

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(上の写真は「モージ級」沿岸警備駆逐艦と同時期の主力駆逐艦であった「ヨーテボリ級」の比較:「モージ級」がかなり小型の駆逐艦であったことがわかります) 

参考)「ロムルス級:Romulus class」沿岸警備駆逐艦:Coastal Destroyer

スウェーデン海軍は、1920年代後半にイタリアから「スピカ級」水雷艇を2隻購入し、これを「ロムルス級」沿岸警備駆逐艦(小型駆逐艦)として就役させています。

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(「ロムルス級」沿岸警備駆逐艦の概観:66mm in 1:1250 by XP Forge)

Spec: 620 tons. /34 knots /3 x 100mm, 3 x 20 mm AA, 4 TLT 450 mm, 2 ASM mortars and 18 mines. /Crew 100. from Swedish Navy in WW2

ja.wikipedia.org

「スピカ級」水雷艇は、1930年代に32隻が建造されました。軍縮条約の制限を受けない600トン級の船体を持ち、これに10cm単装砲3基と魚雷発射管4基を搭載し、34ノットの速力を発揮することができました。

 スウェーデン海軍はその1番艦と2番艦を購入し、寒冷地仕様に改造し就役させています。同級もイタリアからの回航途上、英海軍に1ヶ月間抑留されています。

同級は1958年まで、在籍していました。

(使用したモデルはこちら)https://xpforge.com/listing/765979483/destroyer-spica-class-italian-navy

 

Rhenania社のスウェーデン海軍の駆逐艦としては今のところ以上なのですが、実際には前述の「エレンすコルド級」と「ヨーテボリ級」の間に「クラス・ホルン級」という艦級があります。

 

「クラース・ホルン級:Klas Horn-class」駆逐艦:2隻:1932年より就役

en.wikipedia.org

f:id:fw688i:20220410104811p:image

(「クラス・ホルン級」駆逐艦の概観:74mm in 1:1250 by  semi-scratch from Rhenania:Rhenania 社製の「エレンスコルド級駆逐艦のモデルを使用し、備砲を盾付のストックパーツに変更してあります)

同級は前級「エレンスコルド級」の改良型です。やや船体を拡大し、搭載兵装等はほとんど同じでした。準同型艦とみなす場合もあるようです。

1941年に原因不明の爆発により両艦とも大きな損傷を受けましたが、「クラス・ホルン」のみ修復され増した(「クラス・ウグラ」は「クラス・ホルン」の再建のために部品供給し、再建されませんでした)。

Spec: 1020 tons. /36 knots in operation./3 x 120mm, 2 x 40mm AA, 2x3TLT 533 mm /Crew 130from Swedish Navy in WW2

 

制作の裏話(小さい字で書いているのは意味があります。大きな声では話せない)

Rhenania社の「とあるリスト」には既に「クラス・ホルン級」が制作品として載っています。これを入手したくて、以前、直接Rhenania社のオーナーに入手意向を伝えたところ「To doリストには入れてあるが、まだ制作していない」とのお返事で、かつ艦艇に関する情報を漁ったところ、上述のように「時に「エレンスコルド級」の準同型艦として扱われることもある」というような記述を見つけました。ただし同型艦といいきるには、少し大きかったりします。

実は筆者の手元には「エレンスコルド級」のモデルが4隻あり、何気なく見ていると、その中の1隻が明らかにやや寸法が大きいことを発見しました。皆さんもお気づきのように筆者の常として、ないのならそれらしく作ってみてはどうか、と考えるので、「これは作りなさい、というお告げ?」とばかり改造に着手し制作したものが今回ご紹介したものです。

 

かなり以前のお話になりますが、Rhenania社のオーナーさんにこのセミクラッチ構想をお伝えし、改装用に「ヨーテボリ級」の盾付単装砲のパーツを分けてくれなか、とお願いしたところ、「いずれやるから、ちょっと待ってよ」とストップをかけられたことがあります。ハッキリとはおっしゃいませんでしたが「素人仕事で品質を落としてくれるな」というところでしょうか?(仕事じゃなくて趣味なんですけどね)

このオーナーさんは多くのディテイルの甘い3D Printing modelが安価に普及し(ごく一部のモデルを除いては「ごみ」だろう、とおっしゃっていました)、その反面1:1250スケールの品質感を損なうのではないかということに強い懸念を持たれていて、「日本でも高い品質を示してくれよ。そうしたらこのスケールは普及するんだから」とおっしゃっていました。

ドイツらしい「クラフトマンシップ」を垣間見た気がしました。

でも、やっちゃったよ。(Norbeltには内緒にしておこう)

 

というような次第(⬆️)で、いつかRhenaniaのオーナー(Norbelt)からは叱られるかもしれませんが、少し「エレンスコルド級」と「クラス・ホルン級」の比較を。f:id:fw688i:20220410104824p:image

(上の写真:「エレンスコルド級」(奥:艦番号1)と「クラス:ホルン級」(セミクラッチ)の大きさ比較:「クラス・ホルン級」が少しだけ大きいでしょう。下の写真:両級の細部比較:単装砲の形状が異なる程度)

f:id:fw688i:20220410104803p:image

合わせて「ヨーテボリ級」との比較も。

f:id:fw688i:20220410165103p:image

(上の写真:「ヨーテボリ級」(奥:艦番号5)と「クラス:ホルン級」(セミクラッチ)の大きさ比較:下の写真:両級の細部比較)

f:id:fw688i:20220410104807p:image

今回は最近入手したRhenania社製のモデルぼご紹介を中心にお話ししてきましたが、Rhenania社のモデルの素晴らしさ、製作者のこだわりの深さの一部分だけでもお伝えできたでしょうか?かええらのカバーしている領域は決して広いものではありませんが、見ているだけで嬉しくなるようなリストになっています。

長く充実したお仕事をそていただけるように、感謝と祈念の気持ちを送りたいと思います。

 

というわけで今回はここまで。

 

次回は、新着モデルを中心にお話をしたいと思っています。以前、少し中途半端になった(と筆者が思っている)近代戦艦(前弩級戦艦)登場以前の主力艦の発達を、最近入手したA=H海軍艦艇のモデルを交えてご紹介できれば・・・。予告編はあまり当てになりませんが。

 もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

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特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

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新着海防戦艦モデルのご紹介:スウェーデン海軍の未成艦とオランダ海軍の海防戦艦

やはり危惧の通りというか、想定通りというか、申し訳ありませんが「空母機動部隊小史」またまたスキップです。

いっそ「ピカード ・シーズン2」が終了するまではお休み、と言ってしまった方が良さそうです。というもの「ピカード ・シーズン2」の配信が金曜日の夕方で、これに関心が持っていかれている、ということですね(もちろん言い訳ですが)。

あわせて本稿前回で、「空母機動部隊小史」の今後の展開を、まずはガダルカナル攻防のフェイズでほぼ下記のように計画しました。

「第二次ソロモン海戦

「魚雷交差点:日本海軍の艦隊潜水艦」(これは結構大きなテーマになりそう)

「南太平洋海戦」

「第三次ソロモン海戦」(以前にも本稿で少し触れてはいます。かつ、空母機動部隊は出てきませんが、主力艦同士の海戦、と言うことで本稿としてはやはり触れねば、と)

やはり、ちょっとまとまって取り組まないと・・・。

 

今回はさらにそれに加えて筆者の関心領域である「海防戦艦」の新着モデルが。

 

という訳で、今回は「海防戦艦」の新着モデルのご紹介です。

 

・・・・ですが、本論に入るその前に。

スター・トレック ピカード  シーズン2」Episord 5

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(前回、ネタバレの禁忌は大いに冒してしまったので、もう気にしません。ネタバレ、あります、きっと)

**(ネタバレ嫌な人の自己責任撤退ラインはここ:次の青い大文字見出しに進め!)**

 

 

いやあ、次から次へと出てきますね。驚きと嬉しさと、ちょっと呆れる感じもしていますが。しかも全てが「ああ、そうなのか」「そうくるのか」と膝を打ちたくなるような過去との(いやこのエピソードの場合には「未来との」が正しいのかな)関連の糸を紡ぎながら。

やはり「Q」のやっていることがわからない。単に子供っぽいお遊びなのか、しかも彼自身が(これは以前からそうなのですが)「制限下」に置かれていて、これも(経緯はわかっているつもりですが)意味がやはり腹落ちしません。いずれにせよ物語を面白くするためだけのトリック・スターなのか・・・。ジョン・デ・ランシーと羽佐間道夫の吹き替え以外ではもう考えられないほど馴染んでしまっっているのが、ちょっと悔しい。

アダム・スンの登場も驚きでした。「スン博士」が出てくるとは聞いてたけど、ご先祖の方だとは。そりゃそうですよね約400年ほど遡るわけだから、我らの「スン博士」のはずがない。しかも娘が(コレー・スン)・・・。そういう事だったのか、と(エピソード1でわかってたっけ?見直さなきゃ。彼の記憶はどうやってデータに繋がっているのか。

もう一つ「スン博士」のほっぺはメイクですかね、それともブレント・スナイパーは太ったのか、どっち?

アグネスの物語はどこへ行くんだろうか?これはいわゆるボーグの「同化」ではない、新たな「同化」の物語なんだろうか。ボーグの運命が変わるのかも。アグネスからは目が離せません。

・・・と語るべきことは多いのですが。Season 2も5エピソードまで来ました。ちょうど折り返し点(今回も10エピソードですよね?)。本当にあと5話で終わるのか(終われるのか)?

終わらない、と言う展開があるとすれば、それは個人的には大歓迎ですが、主幹のストーリーがようやく見えてきた、そんなEpisord 5でした。

ちょっとお約束っぽくなってきたけど、

Star Trek Picard Season 2 Intro Opening Sequence Version #1 ► 4K ◄ (Teaser Trailer Clip Promo) - YouTube

(オープニング曲はこちら⬆️でどうぞ)

筆者は実はSeason 1のオープニングの方が好きですね。こちらも再録。

Star Trek Picard : Season 1 - Official Opening Credits / Intro (2020) - YouTube

 

金曜日、待ち遠しいなあ。

 

ドラマ繋がりでもう一つ。

「ミステリと言う勿れ」、どハマりしてしまいました。そして終わってしまった(終わってしまった?終わったと見るのかどうか???:ら、もうネタバレだ!)。

f:id:fw688i:20220402232933j:plain大変上質な物語が、ほぼ何も回収されずに手付かずの布石の痕跡だけ残して、最終回を迎えました。どのエピソードもキラキラとガラス細工のように美しかった。原作ファンの方々の中では賛否が大きく分かれているようですが、原作との関連はさておき、ドラマとしては完成度が高かった、と思っています。しかも何も終わらず、シーズン1を終えてしまった。コレはいい事なんでしょうか?続きがあるんだろうなあ、と言うのは「どハマり」した筆者にとっては「この世界が終わらない」と言う意味ではとても嬉しい事です。

しかし、こんなに何も回収せずに最終回を謳った勇気には、ある種清々しさをおぼえますが、視聴者としてのストレスを「早く」解決してほしいとも思っています。「早く」がいつなのか、実は誰も何も語っていない。これも大変新しい手法だとは思いますが、ドラマとはいえ「公器」で展開する上では、やや丁寧さに欠ける、と言うべきでしょうね。

ともあれ、続編に、できるだけ早い時期の続編に、期待、です。

 

さて、ここから、今回の本題です。

新着モデル:スウェーデン海軍の未成海防戦艦:Project 1939

本稿ではこれまでスウェーデン海軍の海防戦艦をかなり細かく追いかけてきています。

少しおさらいをしておくと、同海軍は第二次世界大戦期に以下の3つの艦級、8隻の海防戦艦保有していました。

アラン級(同型艦4隻:1902年から就役)

オスカー2世(同型艦無し:1907年から就役)

スヴァリイェ級(同型艦3隻:1921年から就役)

これらについては最近では2021年11月の下記の回でご紹介しています。

fw688i.hatenablog.com

 

この回では上記の各艦級に続けて、計画されていた海防戦艦の艦級についても紹介しています。

未成海防戦艦:Project 1934

1933年(34年?)に設計された未成の海防戦艦がありました。

ヴァイキング級(仮称)」と命名される予定だった同級は、それまでの「海防戦艦」と異なり、塔形状の前部マストやコンパクトにまとめられた上部構造など、フィンランド海軍の「イルマリネン級」にやや似た近代的(?)な外観をしています。7500トン級の船体に、武装は10インチ連装砲2基と、4.5インチ両用連装砲4-6基を予定していたようです。速力は22−23ノット程度。

"Viking class" (1934/36): Dimensions: 133m x 19,5m x 6,85m, Displacement: 7.150tons standard, Populsion: 20.000shp, 4 shafts, 22 knots, protected by a belt 254mm thick and 50 mm decks, four 254mm Guns (2x2) and 2x3 120m DP-AA Guns, 4x2 40m AA Guns.

https://naval-encyclopedia.com/ww2/swedish-navy.php

f:id:fw688i:20220402175324j:plain

(直上の写真と直下の写真:未成海防戦艦「Project 1934」の概観:103mm in 1:1250 by Anker: 対空砲塔を艦の左右舷側に配置し、対空砲を強化したデザインになっています) 

f:id:fw688i:20220402175341j:plain

上の写真、再アップしてみてちょっと気になるのは特に下段の写真でよくわかるともうのですが、舷側部の副砲塔と艦尾方向の副砲塔のデザインの差。この副砲塔は対空砲(あるいは両用砲?)でかつスウェーデン海軍ということを考慮すればボフォース社製でしょうから、艦尾部の副砲塔の方がしっくりきますね。

併せて、前出の図面では主砲は明らかに通常の主砲塔(平射砲塔というべきか?)形状をしていますが、モデルではいずれも両用砲に見えます。この辺りも実際には計画時には平射砲塔の設計だったが、第二次世界大戦が発生し、航空機の著しい発達に合わせて両用砲となった、というような経緯が盛り込まれているとしたら、などと想像すると、結構楽しいですね。

 

副砲配置のデザインバリエーションも出ています。

f:id:fw688i:20220402175557j:plain

こちらはボフォース社らしい副砲塔の形状をしています。

下の写真は両案の比較:上掲の資料が確かだとすると、「Project1934]には「ヴァイキング級」という名前が予定されていたようですね)

f:id:fw688i:20220402175524j:plain

(下の写真は、未成の海防戦艦「Project1934=ヴァイキング」と「グスタフ5世」の外観の比較:主兵装や上部構造の配置から、集中防御等への意識が高い設計であったことが推測されます)

f:id:fw688i:20211128104929j:image

こんなスペック情報も。

f:id:fw688i:20220402181613g:plainYear: 1934
Type: Monitor
Displacement: 8000t
Dimensions: 120x 24x 2,6m
Speed:12<<12ノットってことはない、と思います
Arnament: 2x 380mm, 6x 100mm, 8x 25mm

 

今回の一連の新たなスペック情報やイラストは下記から引用させていただいています。

Swedish Coastal Warship Projects - Warship Projects - World of Warships official forum

 

今回の新着モデルが、未成海防戦艦:Project 1939

前出のProject 1934は結局建造されませんでしたが、1939年に再度、新たな海防戦艦のデザインの提案を受けています。今回到着したのはこの1939年モデル。

f:id:fw688i:20220403125426p:image

(直上の写真:未成海防戦艦「Project 1939」の概観:106mm in 1:1250 by Anker: /直下の写真:「Project 1939」の特長細部:主砲塔のすぐ後ろに3連装両用砲、特長的な艦橋(イタリア艦風?)、艦中央部の対空機関砲、艦尾部の両用砲塔と主砲塔)

) f:id:fw688i:20220403125430p:image

 

同艦にはこんなスペック情報があります。

f:id:fw688i:20220402181721g:plainYear: 1939
Type: armored ship
Displacement: 8000t
Dimensions: 130m
Speed:22,8
Arnament:2x2 254mm, 4x 152mm, (6x 120mm), 40mm AA
モデルは三連装120mm高角砲を2基搭載した案を具体化したもの、ということになります。これはあまりはっきりとした情報がないのですが、前檣の形状から見て、1934年案とはデザイナーが異なるのではないかと思っています。どちらかというと、後で紹介するイタリア海軍の設計の影響を受けているように思います。もしかすると後述の、アンサルド社のデザインに近い?

もしそうだとすると、戦時中にも関わらず、積極的に海外にデザイン提案をするイタリア企業のなんとたくましいことか。

また、前述の1934年モデルでは主砲は両用砲想定かも、と書きましたが、今回のモデルは見慣れた平射砲塔になっています。(まあ、実際に25センチの両用砲は、発射速度など考えるとあまり現実的ではないかもしれません)

前述の「イタリアデザイン」かもという想像や、主砲塔のデザインなども、これも未成艦について考える際の醍醐味の一つかもしれません。

 

結局、このデザイン提案も採用はされませんでした。

 

そしてもう一回(あるいはもう2回?)、スウェーデン海軍は海防戦艦のデザイン提案を受けています。それがこちら。

海防戦艦「アンサルド社」提案(未成艦)

Coastal Battleship projects:

f:id:fw688i:20220205111039j:plain

Ansaldo Project 1 (1941): 173 m x 20m x 7m and 17.000 tons standard, propelled by 90.000shp on 4 shafts, and a top speed of 23 knots, protected by a belt of 200 mm, Decks of 120 mm and armed with six (3x2) 280 mm, 4x2 120 DP, 5x2 57 AA, 2x2 40 AA, 6x 20 mm AA Guns. The latter could have been in effect too large and costly for Sweden's needs.
Coastal Battleship projects

出典元:Swedish Navy in WW2

f:id:fw688i:20220206101635p:image

(海防戦艦「アンサルド社1941年提案」の概観:129mm in 1:1250 by Anker)

f:id:fw688i:20220206101643p:image
(直上の写真は、11インチ主砲の配置の拡大)

同艦はイタリアのアンサルド社が1941年(!)にスウェーデン海軍に新しい海防戦艦として提案したものです。上述のように17000トンの船体を持ち23ノットの速力を発揮する設計で、11インチ(28センチ)主砲を連装砲塔で3基、さらに12センチ両用連装砲4基搭載する強力な兵装を有する設計でした。スウェーデン海軍の艦船としては大きすぎ、かつ高価すぎるということで採用されなかったようです。

f:id:fw688i:20220402234036g:plainこんなスペックが情報としては残っています。

Designer: Ansaldo yard
Year: 1942(1942年になっていますね)
Type: armored ship
Displacement: 17000t
Dimensions: 170x 20x
Speed:23
Arnament:2x3 283mm, 8x 120mm, 57mm, 30mm, 20mm AA

f:id:fw688i:20220206101640p:image

(「アンサルド社提案海防戦艦」と実在の海防戦艦「グスタフ5世」との比較:アンサルド社提案がかなり大型であることがわかります)

さらに1945年提案デザインもある

アンサルド社は1945年にもこれをややコンパクトにした設計案(13900トン、37ノット、21センチ連装砲塔3基、という設計なので、海防戦艦というよりは巡洋艦ですね)を提案していますが、こちらも採用には至りませんでした。(こちらはモデルを未入手です)

> Ansaldo Project 2 (1945): Displacement of 13.900 tons (unknown dimensions), propelled by 56.000 shp on 2 shafts, top speed of 37 km/h or 20 knots, protected by a 300 mm belt and 120 mm deck. Armed with 2x3 210 mm, 2x2 120mm DP, 6x2 57mm and 16x1 25mm AA Guns.  

流石に1945年ではなく1943年だという情報も。

Year: 1943
Type: Monitor
Displacement: 10500t
Dimensions: 170x 20x
Speed:10<<<流石に10ノットは何かの間違い?
Arnament:3x 210mm, 8x 57mm

こちらはさらにコンパクトです。

 

f:id:fw688i:20220403130105p:image

スウェーデン海軍海防戦艦「Projectシリーズ」の一覧:手前からProject 1934a, Project 1934b, Project 1939, Project 1941の順)

 

これらの計画は、いずれも第二次世界大戦の勃発と大戦期中の航空主兵化により計画は中止となり、その後海防戦艦は建造されませんでした。以降、スエーデン海軍は潜水艦と高速艦艇中心の編成に変わっていくことになります。

 

ということで、ここまでスウェーデン海軍の未成海防戦艦のデザイン案を見てきましたが、「海防戦艦」繋がりで、オランダ海軍の海防戦艦もいくつか入手ができましたので、そちらを次にご紹介しておきます。(またまた次の「おもちゃ箱」を見つけてしまったかも、なんて?)

オランダ海軍の海防戦艦

これまたマニアックな、というお話ですが、オランダは16世紀、17世紀あたりには世界を股にかけた海洋国家でしたが、その後、近代海軍の建設時には沿岸警備と一部の植民地管理に特化した海軍となっていました。

その主力艦保有の事情を簡単に見ておくと、第一次世界大戦直前に前弩級戦艦の建造計画があり、それが超弩級戦艦の計画に発展しましたが、建造には至らず、さらに第二次世界大戦期にはドイツ海軍の装甲艦(ポケット戦艦)の就役に刺激されて28000トン級の巡洋戦艦高速戦艦)の建造が承認されましたが、ドイツ軍の侵攻を受け占領されたため、これも立ち消えになっています。

その中で唯一「海防戦艦」については6艦級、10隻の建造実績がありました。

建造年次の古い順にまとめておくと以下のようになります。

 

Reinier Claeszen(1894-)

nl.wikipedia.org

f:id:fw688i:20220403104557g:plain

海防戦艦」と言うよりも「モニター艦」といった趣の艦です。一隻だけ建造されました。舷側が低く、外洋での行動はほとんど考慮されていなかったように思われます。

 

Evertsen級(1896- :同型艦3隻)

en.wikipedia.org

f:id:fw688i:20220403105913g:plain

3500トン級の船体で、外洋での運用を意識した船体設計になっています。21センチ連装砲塔1基を艦首部に、同砲の単装砲塔を艦尾部に搭載した、モニター艦から海防戦艦への過渡期的な艦級です。(2022年4月3日現在、モデルを物色中)

 

コーニンギン・レゲンテス級 (HNLMS Koningin Regentes class):(1902- 同型艦3隻:準同型艦2隻)

(下記でご紹介)

f:id:fw688i:20220403110411g:plain

 

マールテン・ハーペルソン・トロンプ (HNLMS Maarten Harpertszoon Tromp):(1906- 同型艦なし コーニンギン・レゲンテス級の準同型艦と見做されることも)

ja.wikipedia.org

次級の「ヤコブ・ヴァン・ヘームスケルク」も併せて上掲の「コーニンギン・レゲンテス級」の準同型艦とまとめられることもあります。5200トンの船体に24センチ単装砲塔を2基、15センチ単装砲4基を搭載しています。

 

ヤコブ・ヴァン・ヘームスケルク (Hr. Ms. Jacob van Heemskerck) (1908- 同型艦なし

 コーニンギン・レゲンテス級の準同型艦と見做されることも)

(下記でご紹介)

 

デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン (Hr.Ms. De Zeven Provinciën) (1910- 同型艦なし)

ja.wikipedia.org

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船体を5600トン級まで拡大し主砲口径を28センチまで強化、これを単装砲塔2基搭載しています。

 

これら10隻のうち、2艦級を入手したのでご紹介しておきます。

 

コーニンギン・レゲンテス級 (HNLMS Koningin Regentes class):1902年から順次就役、同型艦3隻、準同型艦2隻

ja.wikipedia.org

f:id:fw688i:20220403130543p:image

(直上の写真:オランダ海軍海防戦艦コーニンギン・レゲンテス級」の概観:77mm in 1:1250 by Hai: /直下の写真:「コーニンギン・レゲンテス級」の主砲塔の拡大:艦首部、完備部ともに、単装主砲塔のすぐ両脇に15センチ副砲が配置され、首尾線上の方力を意識した設計だったようです)

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第一次世界大戦前に就役させた自国沿岸や植民地沿岸警備のために建造した海防戦艦です。5000トン級の船体に主砲として24センチ単装砲塔を2基、15センチ単装砲4基を搭載し、16.5ノットn速力を出すことができました。

持久の

3番艦の「ヘルトーグ・ヘンドリック」のみは第二次世界大戦期まで現役で、オランダに進攻し占領したドイツ軍に接収され防空砲台「アリアドネ」となりました。

 

ヤコブ・ヴァン・ヘームスケル (Hr. Ms. Jacob van Heemskerck):1908年就役 同型艦なし

ja.wikipedia.org

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(直上の写真:オランダ海軍海防戦艦ヤコブ・ヴァン・ヘームスケル級」の概観:77mm in 1:1250 by Hai: /直下の写真:「ヤコブ・ヴァン・ヘームスケルク」の主砲塔の拡大:艦首部、完備部ともに、単装主砲塔のすぐ両脇に15センチ副砲が配置され、首尾線上の方力を意識した設計だったようです。同艦は前出の「コーニンギン・レゲンテス級」の準同型艦でしたので貴保的なレイアウトは踏襲していますが、15センチ単装砲を両舷側に1基づつ追加装備しています)

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同艦はオランダ海軍が建造した海防戦艦で、1908年に就役、5000トン級の船体に24センチ単装砲2基を単装砲等形式で搭載、副砲として15センチ砲を6門装備していました。16.5ノットの速力を発揮することができました。

第二次世界大戦期には浮き砲台として再就役しましたが、ドイツ軍の侵攻に際し、鹵獲を避けるために自沈しました。ドイツ軍はこれを浮揚して対空浮き砲台に改装し「ウンディーネ」と名付けました。

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(直上の写真:「ヤコブ・ヴァン・ヘームスケルのドイツ海軍対空浮き砲台「ウンディーネ」への改装後の概観:艦容が一変しています。/直下の写真:「ウンディーネ」の対空砲配置の拡大)

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(直上の写真:海防戦艦時代の「ヤコブ・ヴァン・ヘームスケル」とドイツ海軍対空浮き砲台「ウンディーネ」の概観比較:ドイツ軍による改装がかなり大掛かりだったのが、よくわかります)

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大戦後、オランダに返還されオランダ海軍で再就役しています。宿泊艦等で活用されたのち1975年に解体されています。

 

前述のようにオランダ海軍は「ヤコブ・ヴァン・ヘームスケルク」と同時期に「マールテン・ハーペルソン・トロンプ」(1906年就役)と「デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン」(1910年就役)を建造しています。

このうち「デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン」は当時オランダ領であったインドネシアに配置され、「スラバヤ」と改名され太平洋戦争の開戦を迎え、日本軍の侵攻を妨害するために自沈処理されています。

 

という訳で今回はこの辺りで。

 

次回も、冒頭に述べたような次第で、簡単な新着モデルのお話をさせていただく予定です。あるいは一回スキップも。

 

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。「以前に少し話が出ていた、アレはどうなったの?」というようなリマインダーもいただければ。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

 

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

 

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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新着モデル(だけではないけど)のご紹介

どうも「第二次ソロモン海戦」と「南太平洋海戦」のまとめ方で迷っています。短めに2回、もしくはその他のガダルカナル周辺での攻防を含め3回で行くのか、それとも中編1回で行くのか、その辺り、まとめて考える時間が取れないまま、資料を集めている、そんな状況です。いずれにせよ、あまり新しいモデルが出てこないので、あまり気合が入らない、と言う言うべきでしょうかね。新登場は米海軍の「ワスプ」くらい?本音はそんなところかも。

あるいは、この戦局で重要な働きをする日本海軍の潜水艦について、これまでちゃんと触れてきていないなあ、などと気付きがありながら、時間が過ぎています。余談ですが「魚雷交差点」なんてお聞きになったことがあるかもしれません。いつも思うのですが、アメリカ人(と言い切っていいのかな?)は命のかかった局面でも、上手いこと言いますね。アメリカの刑事ドラマなど見ていても、この場面でもジョークいうか、という場面が何度も出てきます。あれはもちろん演出面はありながらも本質なのかも、などと考えてしまいます。(と書いていると「魚雷交差点」で一回は書きたくなってきました。日本の空母機動部隊は出てきませんが、日本の潜水艦の紹介もサクッと)

ああ、何がお伝えしたいかと言うと、頭の中がとっ散らかっているので、今回も「空母機動部隊小史」は少し先延ばしさせていただきます、と言うことです。

少し整理するとこんなところでしょうか?

まず「第二次ソロモン海戦」サクッと。

「魚雷交差点:日本海軍の艦隊潜水艦」(上記でサクッとと書きましたが、これは結構大きなテーマになりそう)

「南太平洋海戦」

「第三次ソロモン海戦」(以前にも本稿で少し触れてはいます。かつ、空母機動部隊は出てきませんが、主力艦同士の海戦、と言うことで本稿としてはやはり触れねば、と)

こんな感じの展開でしょうか。4回から5回でガダルカナル攻防戦をご紹介、と言う予定です。

「第一次ソロモン海戦」は?と思われた方は、本稿では既に日本巡洋艦の開発史で一度触れているので、そちらをご覧いただければ、と思います。

fw688i.hatenablog.com

と言うことで今回は本論ではなく、最近の新着(必ずしも最近の新着モデルではなく、これまでご紹介機会のなかったモデルの一部)をご紹介します。

 

そして今回も、少し恒例になってきた感もありますが、本論の前に

スター・トレック ピカード  シーズン2」Episord 4

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(見方によってはネタバレあるかも:できるだけ気をつけますが。いや、今回はネタバレを避けるのは難しいでしょうね)

**(ネタバレ嫌な人の自己責任撤退ラインはここ:次の青い大文字見出しに進め!)**

 

 

「どこへ行くんだ?」「我が家へ」という前回のやりとりの意味が明確になりました。「我が家」、本当に「シャトー」だったんですね。しかも廃屋だったとは。廃屋の中で暖炉に薪をくべて暖を取るシーンがあるのですが、こう言うのを見るたびに「暖炉」が欲しくなります。火がある、火を見つめている、と言うのは本当に心地良さそうですね。

実は筆者のご近所に数年前にロッジ風の小さな住宅が建てられ、夫婦お二人が住んでいらっしゃるのですが、どうやら「薪ストーブ」を据えていらっしゃるようで、冬になると薪を燃やす匂いが周辺に漂ってきます。「煙っぽい」と嫌な方ももちろんいらっしゃるでしょうが、なかなかいいなあ、と羨ましく思っています。もう一歩進んで「暖炉」がいいなあ。(もちろんうちは無理ですけどね)

その暖炉で語られる「シャトー」の歴史、さりげないシーンですが、大好きです。

前エピソードで始まった、今回のシーズンの鍵を握るであろう「ウォッチャー」探しでしたが、二つのチームで話が進むのかと思いきや、やはりピカード が乗り出すんですね。しかも中継に若きガイナンが登場するなんて(ああ、もうネタバレばっかりじゃないか!)

そして「ウォッチャー」は、なんと驚きの・・・。そんな伏線で・・・。筆者はすっかり取り込まれていました。多分、この投稿にもはっきりと出てしまっています。(これ以上はやめておきます。さらに驚きの展開が次回以降あるかも)

 

ところで、最近、「事実」と「真実」についての話を耳にしました。「真実」は人の数だけあるが「事実」は一つだけ、とそこでは語られていました。ピカード の今回のエピソードでは「真実は人の都合次第、事実は幾つでも作れる」と、より絶望感に満ちた表現がされていました。これはガイナンが語った言葉なのですが、こんなガイナンは見たことがない。ガイナンといえば全てを受け入れてくれる存在。エル・オーリアンでも若い時があったんだなあ、と言うことでしょうか。

Star Trek Picard Season 2 Intro Opening Sequence Version #1 ► 4K ◄ (Teaser Trailer Clip Promo) - YouTube

(オープニング曲はこちら⬆️でどうぞ)

ネタバレを恐れずに語り出すと、どれだけ時間があっても足りなくなりそうなので、この辺で。

 

新着モデル、ご紹介機会のなかったモデルのご紹介

 

伊勢級」戦艦の空母改造案の完成

以前本稿で触れたように、ミッドウェー海戦で艦隊主力空母4隻を失った日本海軍は、喪失空母戦力の早期の補完に迫られますが、建造中の艦隊空母は2隻に過ぎず、既成軍艦から改造中、または改造可能な小型空母が併せて3隻、商船からの改造中型空母が完成間際の状態で1隻、これらも戦列に加われるのは、上記の商船からの改造中型空母を除いて早くて1944年と言う状況でした。急遽艦隊中型空母の戦時急増計画を組んだりするわけですが、これとて1944年後半にならねば戦力化できず、このため、建造途上の戦艦・巡洋艦の空母転用、既成の戦艦・重巡洋艦等大型軍艦の艦隊空母への改造が検討されました。結局、大和級戦艦3番艦の「信濃」、改鈴谷級重巡洋艦「伊吹」の空母転用での建造継続が決定され、他の既成大型軍艦の空母転用は資材の手当と改造に必要な工数・時間を考慮して検討のみで見送られます。

その中で「伊勢級」戦艦の航空戦艦への改造のみが実現するのですが、航空戦艦への改造案が検討される過程で検討された本格空母への改造案の図面から空母形態の完成形を作ってみた、と言うのが下のモデルです。

f:id:fw688i:20220327105009p:image

(「伊勢級」の本格空母への改造案の概観:163mm in 1:1250 by semi-scratched model based on Delphin model : 右下のカットでは、一体型の環境を。直下の写真は、「伊勢級」の本格空母改造案(奥)と実現した航空戦艦案(Delphin)の比較)

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同級の「日向」がミッドウェー海戦直前に砲塔爆発事故で5番主砲塔を欠いており、いずれにせよ修復工事を行わねばならなかったという事情も働いていたようです。

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(資料:申し訳ありません。原典が不明です。上記の画像では、上から「伊勢級」航空戦艦(実現案)、「伊勢級」全通飛行甲板空母改造案、「伊勢級」航空戦艦別案が示されているようです、どなたかご存知なら:大内健二氏の著作「航空戦艦 伊勢・日向」(光人社NF文庫)にも参考図面とスペックに関する記述があり、以下の記述はそれを参考にさせていただいています

 

具体的な改造案としては、「赤城」「加賀」の転用工程に倣い、主砲・前檣等も含むすべての上部構造物を一旦撤去して機関部等のみ残した船体に格納庫を追加し、その上に飛行甲板を設けるというものでした。

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(直上の写真は、「伊勢級」を本格空母化した場合に、どの程度の空母たり得たのかを把握するための「隼鷹級」空母(奥)との比較:船体規模はほぼ同等で、「伊勢級」を改造した場合、構造から見て一段半の格納庫を設定できそうですから、個有の搭載機数も、おそらくほぼ同等になり得たのではないかと想像します。速力も「伊勢級」は25ー26ノットで、ほぼ同等。戦艦出自ですので、防御力の備わった「隼鷹級」と考えるべきかも。しかし、標準的な艦隊空母としての運用は可能だったのではないでしょうか?)

 

完成すれば216メートル級の飛行甲板を持ち、搭載機54機を運用できる「雲龍級」空母、上掲の「隼鷹級」空母に匹敵する規模を持つ艦隊空母になることが期待できました。機関の換装は計画しないため速力は25ノットでしたが、これも「隼鷹級」中型空母と同程度ですが、戦艦出自から来る防御性能は商船改造の「隼鷹級」を遥かに凌駕するものになるはずでした。

計画図面では「隼鷹級」と同様の煙突一体型のアイランド艦橋を持った案が残されています。

結論としてはこの案では改造工期が一年半ほどかかり、その間、資材の分配等から他の新造空母の建造工事にも影響が出るとして見送られ、結果的には「伊勢級」戦艦は航空戦艦としての改造を受けることなったのです。

 

航空戦艦「 伊勢」「日向」

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(直上の写真は伊勢級航空戦艦の概観:172mm in 1:1250 by Delphin)

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(直上の写真は伊勢級航空戦艦2隻:伊勢(奥)、日向) 

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模型制作的な視点から

下の写真は今回「伊勢級」本格空母改造にあたって準備したパーツ類です。写真に撮ったパーツ類は、未使用のセットですので、もう一隻の製作が可能ではあります(いずれ作るのかな)。

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メインはDelphi社製の航空戦艦「伊勢(日向?)」のモデル(写真のほぼ中央:上掲の航空戦艦のモデルがまさに「それ」)で、Delphin社のモデルはebayで比較的安価で入手できるので、ストックパーツとしては最適で、筆者は数隻をストックパーツとして保有しています。そのうちの1隻を分解し、上部構造を実際の改造のように可能な限り除去します(除去したパーツは、もちろんストックパーツとして収納しておきます)

この平たくなった船体上にプラロッドで格納庫スペースを立ち上げ、その上に飛行甲板を乗せる。あとは細部をプラロッドなどで整えて、最後に煙突一体型アイランド艦橋を右舷に設置。と言うような手順です。

今回、煙突一体型アイランド艦橋は実は大小二種を作成し、結局、最終的には「大」(ほぼ「隼鷹級」に等しい大きさ)を採用しています。

飛行甲板は、今回は古い「飛龍」のストックモデルを使っています。船体に合わせた長さ調節、形状等の整形が必要です。写真に写っている飛行甲板にはまだ除去前の艦橋が写っていますね。(写真の上部部中央に写っている航空戦艦「伊勢」の船体後部の飛行甲板は、今回のモデルには使いません。ただ写っているだけ)

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(上掲の各パーツを組み上げ、さらに対空砲等の艤装を終えた状態。あとは細部を少し整え(艦橋上の電探の設置とか、艦橋周辺の対空砲座の追加など)塗装をして仕上げ、です)

 

ロシア海軍ソビエト海軍?)「ガングート級」弩級戦艦の近代化改装

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「ガングート級」戦艦はロシア帝国海軍が初めて建造した弩級戦艦です。バルト海での運用を想定した設計で、国内のみならず、イタリア、ドイツ、イギリス、アメリカに広く設計案を求めたものでした。外観から、イタリア海軍の弩級戦艦「ダンテ・アリギエリ」に範をとったとされることが多いですが、実際にはドイツ式の戦艦でした。

(直下の写真:「ガングート級」戦艦の竣工時の概観:143mm in 1:1250 by Navis:三連装主砲塔の配置等から「ダンテ・アリギエリ」との類似性が語られるkとがいいのですが、実際にはドイツのブローム・ウント・フォス社の設計案を採用したものでした)

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23000トン級の船体に12インチ三連装主砲塔4基を搭載するという、弩級戦艦としては最強クラスの武装を誇る戦艦でした。速力は23.4ノットを発揮することができました。同型艦は4隻が建造されました。

同級の先進性の表れでもある三連装砲塔は艦体全体に満遍なく配置され、一見バランスの取れた配置に見えますが、日本海軍の「扶桑級」でもこの配置が大きな課題となったように、防御配置、重量配置、機関部と弾薬庫の配置、その拡張の困難さから、同級でも課題となりました。船体の強度計算でも建造途中で問題が見つかり、設計がやり直されるなど、建造工期が延長されています。結局、この船体強度の不足は完全に解消されず、主砲の斉射はできない状況でした。

全て第一次世界大戦中に完成しましたが、戦局にはほとんど寄与できまえんでした。その後ロシア革命が起こり、船内火災で座礁し半ば放棄された一隻を除いてはソビエト海軍に引き継がれました。

第二次近代化改装

1920年代後半から第二次近代化改装に着手され、外観的には艦首形状がクリッパー式に改められ、「セバストーポリ:改名後バリジスカヤ・コンムナ」ではバルジが増設されたりしています。艦橋はは露天式の簡素なものから塔構造のものに改められ、頂上に測距儀と射撃方位盤が設置されました。前方の煙突は大型化した艦橋との関係から煤煙の流入防止のために誘導煙突に変更され、主砲の仰角引き上げによる遠距離射撃対応の強化、対空兵装の強化などが行われました。

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(直上の写真:「ガングート級」戦艦の第二次近代化改装後のの概観:148mm in 1:1250 by Neptun)f:id:fw688i:20220327130230p:image

(直上の写真:第二次近代化改装の目玉である環境構造の大型化、複雑化、誘導式の煙突などの拡大)f:id:fw688i:20220327130514p:image

(直上の写真:クリッパー型の艦首形状の改良の際に凌浪性の向上を狙い艦首甲板が嵩上げされましたが、錨位置が変更されなかったので、少し不思議な位置に錨鎖穴が設定されています。上段が就役時、下段が改装後。)

ソビエト海軍は上述のように同級の3隻を引き継ぎましたが、「ガングート:改名後オクチャブルスカヤ・レボルチャ」と「ペトロパヴロフスク:改名後マラート、のち旧名に復帰」をバルト海で、「セバストーポリ:改名後パリジスカヤ・コンムナ、のち旧名に復帰」を黒海で運用しました。

「ペトロパヴロフスク」は爆撃で大破着底する損害を受け、のちに浮き砲台とされましたが、3隻とも最終的には練習艦となり1950年代まで運用されました。

 

ヴェルサイユ条約下のドイツ海軍の主力艦とその後

第一次世界大戦の敗戦で当時世界第2位の規模を誇っていたドイツ帝国海軍は解体され、その後、戦勝国への賠償艦となることを忌避したドイツ帝国海軍は抑留地のスカパ・フローでほぼ全ての主力艦を巻き込む大自沈を遂げ、文字通りこの世から消え去りました。

その後締結されたヴェルサイユ条約により、新生のドイツ海軍は沿岸警備に限定された保有戦力となるべく、制限を受けることになります。

少しおさらいをしておくと、その海軍の戦力は以下のような保有制限下におかれていました。

保有艦艇の制限:前弩級戦艦6隻(予備艦を含め8隻) 軽巡洋艦6隻(予備艦を含め8隻) 駆逐艦水雷艇各12隻

潜水艦・航空母艦保有禁止

戦闘艦の新造にも勿論厳格な制限があり、上記の保有艦艇のうち前弩級戦艦のうち艦齢が20年を超えるものに限って、1921年以降、「基準排水量1万トン以下で主砲口径も28cmまで」の“装甲を施した軍艦”の建造が認められていました。

この前弩級戦艦の代艦枠の規定を逆手にとり、ドイツ海軍はやがて「ポケット戦艦」と称される画期的な通商破壊戦に特化した水上戦闘艦を建造し、そのことが列強海軍を刺激し新型戦艦の嫌韓競争に発展するわけですが、そのあたりの経緯は本稿の下記の回の周辺をご覧ください。

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ワイマール共和国海軍の発足時の主力艦

今回は新生ドイツ海軍(ワイマール共和国海軍)発足時の主力艦についてのお話です。

新生海軍の発足時に保有が認められていたのは、6隻の前弩級戦艦で、予備艦を含め「ブラウンシュヴァイク級」戦艦5隻(「ブラウンシュヴァイク」「エルザス」「ヘッセン」そして予備艦として「プロイセン」「ロートリンゲン」)とドイッチュラント級」戦艦3隻(「ハノーファー」「シュレージェン」「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」)でした。

 

ブラウンシュヴァイク級」前弩級戦艦(「ブラウンシュヴァイク」「エルザス」「ヘッセン」の3隻「プロイセン」「ロートリンゲン」は予備艦)

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 f:id:fw688i:20220327125234p:image(直上の写真:「ブラウンシュヴァイク級」戦艦の概観:98mm in 1:1250 by Navis:副砲の口径が17センチと大きく、前弩級戦艦と準弩級戦艦の中間的存在と言ってもいいかもしれません)

同級はバルト海での運用を想定して設計された海防戦艦的な ドイツ帝国海軍の戦艦の性格を残した前弩級戦艦でした。

13000トンの船体を持ち、18ノットの速力を発揮することができました。1904年から順次就役し、第一次世界大戦期にはすでに主戦力が弩級戦艦世代に移っていたため沿岸防衛的な任務に割り当てられていました。1917年には戦闘任務を解かれ補助艦艇に類別され、訓練艦、掃海艇母艦として大戦中は運用されていました。

設計の特徴としては、主砲を射撃速度の速い新開発の28センチ速射砲として連装砲塔2基を装備していました。副砲には17センチ速射砲を採用し、これを単装砲塔形式とケースメート方式の混載で14門装備していました。この17センチ副砲はそれまでの15センチ速射砲よりも破壊力が大きく長射程でしたが、人力での砲弾装填等には弾丸が重く速射性に齟齬が出るなどの課題があったようです。

第一次世界大戦後、ヴェルサイユ条約下の新生ドイツ海軍の主力艦として復帰しましたが、代艦としての「ポケット戦艦」の就役に伴い。1931年から1932年に順次退役しています。「エッセン」のみは標的艦に艦種変更し、第二次世界大戦には砕氷艦として運用されていました。

(直下の写真は標的艦として使用された「エッセン」の概観:モデルは多分h素有しているはずなのですが、どこにあるのか不明なのでいつもお世話になっているsammelhafen.deから拝借しています。by Mercator)

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(代わりに、と言うわけではないのですが、同様に第二次世界大戦期に標的艦として使用された「ツェーリンゲン」の手持ちモデルをご紹介しておきます。同艦は前述の「エッセン」の一つ前の前弩級戦艦の艦級である「ヴィッテルスバッハ級」戦艦の一隻で、1915年に座礁し退役した「ヴィッテルスバッハ」以外の艦は1917年には老朽化で戦艦から補助艦艇に艦種変更し1920年前後に解体されています。その中で、一隻だけ標的艦に改造され新生ドイツ海軍に引き継がれたものでした。96mm in 1:1250 by Mercator)

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(直下の写真:「ヴィッテルスバッハ級」戦艦の概観:99mm in 1;1250 by Navis: 外洋に比べ比較的波の穏やかなバルト海での運用を想定し、主砲塔を一段高い位置に装備するなど海防戦艦的な設計の艦級でした)

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ドイッチュラント級」前弩級戦艦(「ハノーファー」「シュレージェン」「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」の3隻)

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(直上の写真:「ドイッチュラント級」戦艦の概観:100mm in 1:1250 by Navis: ドイツ帝国海軍最後の前弩級戦艦の艦級でした。前級の「ブラウンシュヴァイク級」と同様、副砲の口径が17センチと大きく、前弩級戦艦と準弩級戦艦の中間的存在と言ってもいいかもしれません。就役時には、既に弩級戦艦の時代が始まっており、生まれながら二線級の戦力と見做されました)

同級はドイツ帝国海軍が建造した最後の前弩級戦艦(準弩級戦艦?)で、前述の「ブラウンシュバイク級」戦艦と同一戦隊を構成することを想定した、前級の改良型的な設計の艦級でした。13000トン級の船体を持ち19ノットの速力を発揮することができました。

前級からの改善点としては、武装過多からくる安定性の課題を解消するために艦橋構造を簡素化したことと、副砲を一部の砲塔形式をやめて全てケースメート方式の搭載としたことで、搭載武装等は前級との同一戦隊での運用を想定していたため、前級と同じものを踏襲していました。

1906年から1908年にかけて就役し、前弩級戦艦としては最新の艦級でしたが、既に弩級戦艦の時代が到来して旧式艦と見做されていましたが、第一次世界大戦の最大の海戦であったユトランド沖海戦には第二戦艦戦隊として同級の5隻と「ブラウンシュバイク級」の「ヘッセン」が序列され、英戦艦隊の追撃を受け苦戦していたヒッパー指揮のドイツ巡洋戦艦戦隊の救援に出撃しています。この救援戦闘で同級の「ポンメルン」が英艦隊の砲撃で損傷し、その後英駆逐艦の雷撃で撃沈されました。

前級と同様に1917年には戦艦籍から除かれました。ネームシップの「ドイッチュラント」は宿泊艦となり状態不良のまま1922年に解体されました。

残る「ハノーファー」「シュレージェン」「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」が新生ドイツ海軍の主力艦となったわけですが、1930年代に上部構造や煙突の改修などの近代化改装を受けて、艦容が一変しています。

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(近代化改装後の「ドイッチュラント級」戦艦:ネームシップの「ドイッチュラント」が既に解体されていたため「シュレージェン級」と呼ばれることが多いかも。:下の写真では近代化により外観に変更の目立つ艦橋部と煙突を拡大して比較:(上段が就役時))

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その後ヒトラー再軍備を宣言し新造艦艇が就役し始めると同級は練習艦に艦種変更されました。

第二次世界大戦には、主としてバルト海方面で主砲を活かした艦砲射撃任務等に従事し、緒戦のドイツ軍のポーランド侵攻では「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」のポーランド軍のヴェステルブラッテ要塞への砲撃が第二次世界大戦開戦の第一撃となったとされています。その後も主砲力を活かした地上砲撃等の任務に運用され、東部戦線での退却戦の支援艦砲射撃等を行っています。大戦末期には「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」は空襲で、「シュレージエン」は触雷でそれぞれ損傷し、自沈処分とされました。

ハノーファー」は標的艦への改造計画がありながらも実行はされず、爆弾の実験等に使用された後解体されました。

(直下の写真は「ハノーファー」の標的艦仕様のモデルの概観(筆者は保有していません):実際にこの形態になったのかどうかは、不明です。こちらいつもモデル検索でお世話になっているsammelhafen.deから拝借しています。by Neptun:Neptunからモデルが出ているということは、実艦が存在したということかな?)

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以上、ドイツ帝国海軍解体から、ナチス・ドイツによる再軍備宣言までの間のワイマール共和国時代の新生ドイツ海軍の主力艦のご紹介、でした。これらの艦は、もちろん時代物の旧式でしたが、大変長期に渡り軍籍にあってそれなりの役割を果たした功労艦と言って良いと考えています。

(下の写真はドイツ帝国海軍の前弩級戦艦・準弩級戦艦の5つの艦級:手前から古い順で「ブランデンブルグ級」「カイザー・フリードリヒ3世級」「ヴィッテルスバッハ級」「ブラウンシュヴァイク級」「ドイッチュラント級」の順:このうち秋雨駅の比較的新しい「ブラウンシュヴァイク級」と「ドイッチュラント級」の残存巻から6隻が申請ドイツ海軍(ワイマール共和国海軍)に引き継がれました。いずれも既に二線級戦力で、戦勝国のドイツ海軍を沿岸警備海軍として留めておきたいという意図が現れていました)

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という訳で今回はこの辺りで。

 

次回は「第二次ソロモン海戦」のお話を、と思っていますが、冒頭に述べたような次第でどうなることか。簡単な新着モデルのお話を挟ませていただくかも。あるいは一回スキップも。

 

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。「以前に少し話が出ていた、アレはどうなったの?」というようなリマインダーもいただければ。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

 

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

 

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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第一次世界大戦期のオスマン・トルコ帝国海軍の巡洋艦

空母機動部隊小史、またまた、少しお休みです。ちょっと頭を整理中。

今回は趣向を少し変えて、本稿で断続的にご紹介しているオーストリア=ハンガリー帝国海軍の絡みで、東地中海・アドリア海でのライバルである第一次世界大戦期のオスマン・トルコ帝国海軍の巡洋艦が入手できたので、ご紹介を。

 

本論の前に

スター・トレック ピカード  シーズン2」Episord 3

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(見方によってはネタバレあるかも:できるだけ気をつけますが)

****(嫌な人の撤退ラインはここ:次の青い大文字見出しに進め!)*****

 

第3話になって、お話そのものはかなり落ち着いてきたと思います(こちらが慣れてきただけかな?)。スタートレックらしいエピソード、という感じがします。

それにしても、というか、筆者にとっては「思っていた通り」というか「懸念通り」というべきか、「タイムワープ」ものは緊張します。どうしても「未来に影響が出ないはずがないじゃない」と思ってしまう。

第3話ではQは影を潜め、ボーグ・クイーンがクローズアップされてきます(こういうのが、「ネタバレ」なんだな、きっと)。ボーグ・クイーンはお馴染みの感じになってきましたが、単独だとやはり迫力がイマイチかも。ボーグ集合体の「集合体」たる所以、というべきでしょうか?

失われた仲間、新たな時代での魅力的な登場人物、とますますこれからの展開が楽しみ、でも、どことなく全体のトーンは馴染みのある展開、と、安心してなおかつsomthingを期待できそうな・・・。目が離せません。(・・・とここまで書いて、これじゃ、ますます「仲間内」(自称トレッキーの皆さん:世界中に沢山いるのですが。トレッキー集合体?)にしか通じないドラマだよな、と、ちょっと心配になってきました。まあ、筆者が楽しめればいいんですが、でも、作り続けて欲しいので)

 

ということで、今回の本題に。

オスマン・トルコ帝国海軍

オスマン・トルコ帝国海軍はスレイマン1世の時代、16世紀に最盛期を迎えています。当時はアドリア海・東地中海の覇権をめぐりヴェネツィア共和国と競い合っていました。海軍史と言う視点で見ると、1499年のゾンキオ海戦では史上初の砲撃戦でヴェネツィア海軍を破っていますしかし18世紀に入り帝国自体が停滞期を迎えると独立したギリシア黒海で対峙したロシアに敗北を重ね、特にギリシアの独立によって海軍軍人の多くをギリシア下士官、水兵に依存していた海軍は大きな打撃を受けることになります。

これらの要因も重なり、特に軍艦の蒸気化時代を迎えた近代海軍の建設にあたっては外国技術への依存度が高まり、一時期は世界3位の戦列艦保有数を誇った海軍は、大きく列強海軍に後塵を拝することとなりました。

軍艦建造においての海外技術依存は第一次世界大戦前まで続き、英国、また同盟名立後はドイツ帝国がその依存先となりました。

 

オスマン帝国海軍の第一次世界大戦期の巡洋艦

防護巡洋艦「メジディイェ」(1903年就役ー1947年退役)

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(防護巡洋艦「メジディイェ」の概観:91mm in 1:1250 by York :標準的な防護巡洋艦の形態をしています)

アメリカに発注された防護巡洋艦ですが、後述の英国へ発注された防護巡洋艦「ハミディイェ」と準同型艦として対となって行動することを目指したため、武装等は英国式のものを搭載し、外観も類似したものになっていました。

3500トン級の船体を持ち、6インチ単装速射砲2基と12センチ単装速射砲8基を主要武装としていました。22ノットの速力を有していました。

第一次世界大戦では黒海で活動しましたが1915年に触雷し沈没し、これをサルベージしたロシア海軍が復旧して艦隊に編入しロシア巡洋艦「プルート」となりました。その後のロシア革命の混乱期には所属が度々変わりましたが、1918年にオスマン海軍に返還されています。その後オスマン帝国が崩壊しトルコ共和国が成立すると共和国海軍所属の軽巡洋艦として再就役しています。その後練習艦となり1947年に退役しています。

 

防護巡洋艦「ハミディイェ」(1904年就役ー1947年退役)

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(防護巡洋艦「ハミディイェ」の概観:96mm in 1:1250 by York :ほぼ同時に建造された「メジディイェ」よりも一回り大きな船体をしていますが、標準的な防護巡洋艦の形態をしています)

本艦は1901年度計画で英国に発注された防護巡洋艦です。前述の準同型艦としてみなされた「メジディティ」よりは一回り大きな3800トン級の船体に6インチ単装速射砲2基と12センチ単装速射砲8基を主要武装として搭載し、22.5ノットの速力を発揮することができました。

前述の数奇な運命を辿った「メジディティ」と異なり、一貫してオスマン帝国とその継承者であるトルコ共和国海軍に所属し第二次世界大戦当時は練習艦として運用されていました。1945年に除籍されましたがその後もハルク(浮施設)として活用され1947年に退役しています。

 

「ペイキ・シェヴケト級」水雷巡洋艦(1907年から就役ー1944年退役)

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(水雷巡洋艦「ペイキ・シュヴケト級」の概観:66mm in 1:1250 by York :艦種名的には「水雷巡洋艦」とされていますが、後述のように後の駆逐艦に相当する=外洋での敵主力艦への水雷攻撃と、敵水雷艇からの味方主力艦の護衛、の両用を目的として建造されました)

同級はオスマン帝国海軍がドイツに発注した水雷巡洋艦です。「ペイキ・シュヴケト」と「ペイキ・サトヴェト」の2隻が建造されました。800トン級の小さな船体に105mm単装速射砲2基、57mm単装速射砲6基、47mm単装魚雷発射管3基を搭載する船体の割には重武装艦でした。速力は18ノットを発揮しました。

第一次世界大戦では両艦は主に黒海で哨戒、船団護衛等に活躍しました。1915年に「ペイキ・サトヴェト」が触雷で、「ペイキ・シュヴケト」が英海軍の潜水艦の雷撃で相次いで損傷しました。両艦は損傷回復後も活動を続け、オスマン帝国の解体後はトルコ共和国海軍に引き継がれ、近代化改装を受けたのち1944年に退役しています。

水雷巡洋艦について

あまり聞きなれない艦種だと思います。19世紀の後半から主力艦の攻撃兵器として性能の向上が著しい魚雷が注目されてゆきます。この背景には主力艦の装甲防御が向上し、艦砲ではなかなか有効な打撃を与えることが難しいと言う認識がありました。

こうして各国海軍は水雷兵器を搭載した小型の高速艦艇、つまり水雷艇を整備するわけですが、水雷艇では航洋性不足から外洋での活動に限界があることから外洋での行動が可能な大型の艦種の設計が模索されます。これが外洋で行動可能な水雷攻撃専任艦、水雷巡洋艦です。しかし、当時の魚雷性能を考慮すると近距離への肉薄が必要で、機動性等の要求に対しては十分ではなくあまりその後発展しませんでした。

一方で主力艦を水雷艇の攻撃から護衛する目的で、機動性で水雷艇に劣らない水雷砲艦が開発されるようになります。目安としては、500トン以下の小型のものを水雷砲艦、それ以上の大型のものを水雷巡洋艦と呼称しています。

この議論は結論としては、水雷艇の駆逐を行うには大型の水雷艇が最適、と言う結論に落ち着き水雷艇駆逐艦、いわゆる駆逐艦に集約されてゆきます。

 

軽巡洋艦「ミディッリ」(1914年編入−1918)(旧ドイツ帝国巡洋艦「ブラスレウ」(マグデブルク級))

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(巡洋艦「ミディッリ」(旧「ブラスレウ」)の概観:112mm in 1:1250 by Navis :やや砲力は控えめですが、攻撃力、機動性から見ればオスマン帝国海軍で最良の巡洋艦と言って良いでしょう)

同艦は後述の弩級巡洋戦艦「ゲーベン」と共にドイツ帝国地中海艦隊に配備されたドイツ帝国海軍軽巡洋艦「ブラスレウ」です。両艦は英仏海軍の追撃を掻い潜りオスマン帝国に回航され、そのままオスマン海軍に編入され「ミディッリ」と命名されました。

4500トン級の船体に102mm単装速射砲12基を搭載し27.5ノットという高速を発揮することができました。

大戦中は主に黒海で当時、同海域で両軍の最高速巡洋艦として活躍しました。大戦末期(1918年)に地中海に進出し英海軍と交戦し同海軍のモニター2隻を撃沈しましたが、触雷して沈没しました。

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(オスマン帝国海軍の第一次世界大戦期の巡洋艦一覧:手前から「ペイキ・シュヴケト級」水雷巡洋艦2隻、防護巡洋艦「メジディイェ」、防護巡洋艦「ハミディイェ」、巡洋艦「ミディッリ」(旧「ブラスレウ」)」の順。オスマン帝国海軍はこの5隻の巡洋艦第一次世界大戦期に運用していました)

 

付録:オスマン帝国海軍の第一次世界大戦期の主力艦状況

これまで新着モデルを中心にオスマン帝国海軍の巡洋艦を見てきましたが、同海軍の第一次世界大戦期の主力艦についてもまとめておきましょう。と言ってもそれほど多くご紹介する内容はなく、計画を含め以下の5艦級、6隻に過ぎず、実際に保有されたものは3隻にすぎませんでした。

 

 弩級戦艦「アブデュル・カーディル」オスマン帝国初の国産戦艦:前弩級戦艦、建造途上で中止)

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(起工されながら、キールを据えた程度で建造が中断されそのまま中止に至ったので、実艦がなく、従ってモデルもありません)

同艦は前述のように大型艦の建造はほぼ外国に依存していたオスマン帝国海軍が計画した唯一の国産戦艦でした。1892年に起工されましたが、建造が中止されています。

計画では8000トン級の列強の同時期の前弩級戦艦と比較するとやや小型の船体に、11インチ連装砲塔2基を主砲、6インチ単装速射砲6基を副砲として搭載し、18ノットを発揮できる設計でした。

 

「トゥルグート・レイス級」装甲艦(2隻:1910年ドイツ帝国から購入「ブランデンブルク級」前弩級戦艦

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(「トゥルグルート・レイス」級装甲艦(ドイツ帝国戦艦「ブランデンブルク級」)の概観:1894-, 10013t, 17knot, 11in/L40*2*2 & 11in/L35*2, 同型艦4隻 90mm in 1:1250 by Navis11インチ主砲を、前中後部の3基の連装砲塔に搭載しています。しかしこの艦の設計時期には未だ斉射法は導入されておらず、のちの弩級艦的発想からの配置ではなく、さらにその前時代の砲塔艦(ターレット艦)の名残での発想のようです。搭載している11インチ砲も艦首・艦尾の砲塔は40口径で、中央部は35口径で、正確には二種の主砲の混載艦と言っていいでしょう)

同級はドイツ帝国海軍の「ブランデンブルグ級」前弩級戦艦の「ヴァイセンベルク」と「クルフュルスト・フリードリヒ・ヴィルヘルム」をオスマン帝国海軍が買い取ったもので、「トゥルグルート・レイス」「バルバロス・ハイレッデイン」と命名されました。

ドイツ帝国の前弩級戦艦としては最も旧式のもので、1万トン級の船体に40口径11インチ連装砲塔2基と35口径11インチ連装砲塔1基と、砲身長の異なる主砲を混載していました。16ノットと前弩級戦艦としてはやや速力が見劣りしました。しかし、購入時にはすでに近代化改装を受けており、かつ前弩級戦艦ということで比較的安価に購入することができました。

第一次世界大戦期には同級は後述の、これもドイツ帝国から購入された弩級巡洋戦艦「ヤブス・スルタン・セリム」(旧「ゲーベン」)と並んでわずか3隻の大口径砲搭載主力艦でしたが、機関の老朽化のため10ノット程度の速度しか出せず、沿岸部の哨戒警備活動に主に運用されました。

1915年「バルバロス・ハイレッデイン」は英潜水艦の雷撃で撃沈されましたが、「トゥルグルート・レイス」は大戦を生き抜き、新生のトルコ共和国海軍にも主力艦として継承されました。1933年まで現役で、その後も1950年代まで練習艦として使用されました。

 

弩級戦艦「スルタン・オスマン1世(英海軍が接収、オスマン帝国海軍としては就役せず)

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(英戦艦「エジンコート」の概観:1914-, 27,500t, 22knot, 12in *2*7:163mm in 1:1250 by Navis:ブラジル海軍が英国に発注し、途中オスマン帝国海軍が買い取った艦を、敵国になる可能性の高いオスマン帝国海軍が強化されることを避けるために(もちろん自国強化も併せて)英海軍が接収したものです。主砲塔7基14門、副砲20門は、戦艦の搭載数としては最大です)

同艦は元々は、当時アルゼンチン・チリ両海軍と激しい嫌韓競争を繰り広げていたブラジル海軍が英国に発注した弩級戦艦リオデジャネイロ」(命名予定?)でした。27500トンの船体に12インチ連装砲塔7基(14問)を搭載する最強弩級戦艦を目指した設計で、22ノットの速力を発揮することができました。しかし建造途上でブラジル海軍が超弩級戦艦保有に方針を変えたため、急遽、オスマン帝国海軍が買い取ることとなったのでした。

しかしその後英独間の緊張が高まり、ドイツ帝国寄りの立場のオスマン帝国海軍への売却がmk直され、英国が接収して最終的には英戦艦「エジンコート」として収益したため、オスマン帝国戦艦「スルタン・オスマン1世」は幻になりました。

 

弩級巡洋戦艦ヤウズ・スルタン・セリム」ドイツ帝国弩級巡洋戦艦「ゲーベン」を購入) 

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f:id:fw688i:20181117132559j:plain弩級巡洋戦艦「ヤウズ・スルタン・セリム」の概観:ドイツ帝国海軍の弩級巡洋戦艦モルトケ級」の二番艦をオスマン帝国海軍が自国海軍に編入しました。オスマン帝国海軍最強の艦艇でした。「モルトケ級」弩級巡洋戦艦は実験的な性格の強かった前級「フォン・デア・タン」の改良型で、主砲を50口径に強化し、主砲塔も1基追加して砲力を強化しています。 前部乾舷が低く、やや波をかぶりやすい課題がありました:1910-, 22,979t, 25.5knot, 11in *2*5, 2 ships:151mm in 1:1250 by Navis)

同艦は弩級巡洋戦艦モルトケ」級の2番艦として建造され、第一次世界大戦前に地中海艦隊(戦隊?)として前述の巡洋艦「ブラスレウ」を従えて地中海に派遣されていました。その後、大戦の勃発後、西地中海で交通路妨害などの行動に出たのち、英仏艦隊の追撃を交わし同盟国であったオスマン帝国に到達しています。その後、弩級戦艦保有しないオスマン帝国海軍に編入され同海軍の戦力を著しく強化しました。その際に艦名を「ゲーベン」から「ヤウズ・スルタン・セリム」に改めています。両艦の運用は引き続きドイツ人乗組員によって継続され、彼らはオスマン帝国海軍に移籍しています。

編入後は黒海で主として活動しましたが、戦闘での被弾、触雷等の損害を受けつつも、オスマン帝国には同艦を入渠できる修理設備がなく、応急的な措置で修復しながら、オスマン帝国海軍が黒海で運用できる最強の存在として戦闘を継続しなくてはなりませんでした。

ロシア海軍黒海に「インペラトリッツァ・マリーヤ級」弩級戦艦を2隻就役させると、同艦の黒海での優位は崩れますが、その後も戦闘を継続し、大戦を生き抜きました。

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(「インペラトリッツァ・マリーヤ級」弩級戦艦の外観:1915年、22,600トン: 30.5cm3連装4基、21ノット:同型艦3隻:134mm in 1:1250 by Navis :ロシア海軍黒海向けに建造した弩級戦艦で、前述のガングート級の改良型。改良点としては、速力をやや抑え、防御力を高めています)

その後、トルコ共和国海軍に継承され艦名を「ヤウズ」に改め、数次の近代化改装を受け1957年に退役しています。

 

少し遡りますが、同艦の購入に伴いドイツ帝国海軍軍人がオスマン帝国海軍の中枢を握ることとなります。ドイツ帝国地中海艦隊司令官ヴィルヘルム・ゾーヒョン少将がオスマン帝国海軍の司令長官に就任します。

この就任に伴い、オスマン帝国海軍はやや暴走気味にロシア沿岸を砲撃し、ロシアはオスマン帝国に宣戦布告し、オスマン帝国は中央同盟(ドイツ帝国を中心とした同盟)に参加してゆきます。やや陰謀めいた話になりますが、そんな側面も垣間見える、ということで。

 

超弩級戦艦「レシャディエ(英海軍が接収、オスマン帝国海軍では就役せず)

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(英戦艦「エリン」の概観:オスマン帝国海軍が発注した同艦を、英海軍が押収し、艦隊に編入しもの。 キング・ジョージ5世級を基本設計としていました:1914-, 22,780t, 21knot, 13.5in *2*5:126mm in 1:1250 by Navis)

同艦はオスマン帝国海軍がロシア海軍弩級戦艦に対抗するために英国に発注した超弩級戦艦です。英海軍の「キング・ジョージV世級」超弩級戦艦をタイプシップとして、22000トン級の船体に45口径34.3センチ連装砲塔を搭載し、21ノットの速力を発揮する設計でした。

完成間近に第一次世界大戦が勃発したため、英海軍が接収しオスマン帝国海軍には引き渡されませんでした。

英海軍編入後は「エリン」と命名されました。

 

繰り返しになりますが、上記の一覧は計画艦を多く含んでいます。オスマン帝国海軍が第一次世界大戦に投入したのは上記のうち「トゥルグート・レイス級」装甲艦2隻(ドイツ帝国海軍「ブランデンブルク級」前弩級戦艦)と、弩級巡洋戦艦「ヤウズ・スルタン・セリム」(ドイツ帝国海軍弩級巡洋戦艦「ゲーベン」)の3隻に過ぎませんでした。

 

という訳で、今回はこの辺りで。

 

次回は今度こそ「第二次ソロモン海戦」のお話を、と思っていますが、どうなることか。簡単な新着モデルのお話を挟ませていただくかも。あるいは一回スキップも。

 

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。「以前に少し話が出ていた、アレはどうなったの?」というようなリマインダーもいただければ。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

 

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

 

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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補足:資料入手:扶桑級戦艦の改装:41センチ砲搭載案

本稿前々回で「再録」という形式でご紹介した「扶桑級」戦艦の改装案、特に41センチ砲搭載案ですが、これまでのご紹介で、この主砲換装案を知るきっかけとなった資料をようやく入手したので、今回はそのご紹介です。

また焼き直しかよ、その通りなんですが、「扶桑級」戦艦はとても気になる存在なのです。ご容赦を。

 

空母機動部隊小史 今後の展開

というわけで、空母機動部隊小史は少しお休み。こちらの方はソロモン諸島をめぐる攻防戦に日本海軍の空母機動部隊がどのように関わったのか、というフェイズに差し掛かっていて、「第二次ソロモン海戦」「南太平洋海戦」をどのようにご紹介していくか、この辺りを構成中、ということで、今少し、時間をかけたいと思っています。

ご承知のようにミッドウェー海戦で機動部隊の基幹空母戦力を一気に失い、新造空母の早期投入もめどが立たず、開戦時の優位から一気に先細り状態に転じた日本海軍の機動部隊と、開戦時の保有空母の消耗と新型空母の量産が具現化するちょうどその境目にある米海軍機動部隊の双方が、一瞬の不思議な戦力均衡状態を見せた最後の戦場でもありました。

ある意味では日本海軍にとって局地的な優位を獲得できる最後の戦場だった、と言ってもいいかも、というような思いでまとめていこうかな、などと考えているとことです(ああ、書いちゃったよ)。

 

その前に、今回は全く別のお話。ある意味では本稿の表題の通り「主力艦の変遷」を追う、という主題に戻って、少しお付き合いいただければ、そういうお話です。

 

本論の前に

スター・トレック ピカード  シーズン2」Episord 2

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(ネタバレあるかも:そこまで深くはないけど)

*****(嫌な人の撤退ラインはここ:次の青い大文字見出しに進め*****

 

最後のフロンティアは実は時間だった。

ということで、ボーグ・クイーン(Borg Qween)の出現(前話で出現した時には「なんか思ってたクイーンと違う」と違和感を訴えた友人がいたのですが、第二話では見慣れたクイーンに戻ってました。過去の話だから当然なのか)とQの登場(カッコよかったねえ。大嫌いなキャラクターですが、ちょっと好きになりました)で、いよいよパラレル・ワールドへの彷徨の始まりです。(筆者が1番苦手な世界の開幕、と言っておきましょうか)

ある種、「歴史改変物」の様相を呈してきていますが、通常の「歴史改変」と異なるのは改変される歴史が視聴者にとって未来史であることでしょうか?「スター・トレック・ワールド」への理解度と想像力が試される、というか、あるいは未来史なので知らなくて当たり前、なんでもあるがままに、くらいの気持ちでみればいいのかも。

金曜日が待ち遠しい。つまり大変楽しんでいる、ということです。

 

「歴史改変」物といえば

ピカード 」を観ていらっしゃる、という前提で考えると、Amazon Primeがご覧になれるということです。

であればお薦めは「高い城の男」。(おお、ドラマ化されてるの、と今、言った貴方はきっとSF大好きですね。そう、フィリップ・K・ディックの名作小説(彼にしては珍しく破綻しない)のドラマ化、です。ただし、原作はあまり原形をとどめていません(と筆者は思います)ので、ドラマとして楽しんでほしい)

第二次世界大戦で米国が敗れ、大日本帝国の占領地とナチスドイツの占領地に分割統治されている、そんな設定のお話です。

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すでにシーズン4まで見れるので、時間のある時に、是非。まだ完結していないので、これからもまだ楽しめます。

原作小説が気になる方はこちら。

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そしてもう一つは「SSGB」。これらも第二次世界大戦ものの小説をたくさん書いているレン・デイトンの原作を下敷きにしたドラマです。第二次世界大戦でドイツが英国侵攻に成功し、占領下に置いている、そういう設定です。

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レン・デイトンはスパイ小説の大家でもあるので、エスピオナージとしても楽しんでいただけるかと。

原作はこちら。(文庫本、高か!)

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どちらもお勧めです。

 

というわけで、さて、今回の本論。

扶桑級」戦艦 41センチ砲換装案

扶桑級」戦艦の就役と課題

扶桑級」戦艦は、ご存じのように日本海軍が初めて建造した超弩級戦艦の艦級です。

日露戦争の戦費消費(しかも日本はロシアとの講和会議で、中国東北部における利権、朝鮮半島での主導権、一部領土割譲などは手にしたものの賠償金の獲得ができませんでした)と、日露戦争の鹵獲艦の修復と艦隊編入などにその後の10年を消費し欧米の列強海軍を一新させた「弩級戦艦」時代の潮流に大きく乗り遅れた、いわば旧式装備の大海軍となりつつあった日本海軍にとっては、「扶桑級」戦艦は一気挽回の嘱望の新型戦艦として登場しました。世界で初めて3万トンを超えた巨艦で最大口径であった14インチ砲を12門搭載し、就役当時は当時世界最大最強と謳われての登場でした。

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(1915年、30,600トン: 35.6cm連装砲6基、22.5ノット) 同型艦2隻(計画では4隻建造予定) (165mm in 1:1250 by Navis)

 日本海軍は先んじて就役していた、これも世界最強の巡洋戦艦戦隊と称され、第一次世界大戦では「海軍本家」の英海軍から「借り受けたい」という要望が入るほどの「金剛級巡洋戦艦4隻と「扶桑級」戦艦4隻を保有することで、一気に列強海軍の主力艦勢力図の一角に「旧装備海軍」からの返り咲きを狙っていました。

 

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(1913-, 26,330t, 27.5knot, 14in *2*4, 4 ships)(173mm in 1:1250 by Navis) 

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(日清、日露の戦訓(特に日露戦争黄海海戦日本海海戦)から、欧米列強に対し基本的な国力が劣り物量で凌駕できない状況下でも、機動力において常に仮想敵を上回ることができれば、勝機を見いだせることが、日本海軍の戦略の基礎となった感があります。これらの背景から超弩級巡洋戦艦「金剛」級は生まれました。

英海軍のライオン級巡洋戦艦タイプシップとして、27.5ノットを発揮し、主砲口径は当初は50口径30.5センチ砲連装砲塔5基を当初予定していましたが、お手本とすべき英国製のこの砲には命中精度、砲身寿命に課題があったため、当時としては他に例を見ない45口径35.6センチの巨砲連装砲塔4基に装備することにしました。この強力な主砲装備と高速は、他に追随できるものがなく 第一次大戦当時、金剛級4隻は世界最強の戦隊、と歌われ、諸列強、垂涎の的でした)

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金剛級4隻:手前から、金剛、比叡、榛名、霧島。日本海軍はこの4隻と新造の「扶桑級」戦艦4隻(当初予定)を保有することで、旧式海軍の汚名を一気に払拭しようとしていました)

 

しかし「扶桑級」戦艦級には完成後、多くの課題が現れてきます。

例えば、一見バランス良く艦全体に配置されているように見える6基の砲塔は、同時に艦の弱点ともなる弾庫の配置が広範囲にわたることを意味しています。これを防御するには広範囲に防御装甲を巡らせねばなりません。また、斉射時に爆風の影響が艦上部構造全体に及び、重大な弊害を生じることがわかりました。さらに罐室を挟んで砲塔が配置されたため、出力向上のための余地を生み出しにくいことも、機関・機器類の進歩への対応力の低さとして現れました。

加えて第一次世界大戦ユトランド海戦で行われた長距離砲戦(砲戦距離が長くなればなるほど、主砲の仰角が上がり、結果垂直に砲弾が落下する弾道が描かれ、垂直防御の重要性がクローズアップされます)への対策としては、艦全体に配置された装甲の重量の割には水平防御が不足していることが判明するなど、一時は世界最大最強を歌われながら、一方では生まれながらの欠陥戦艦と言わざるを得ない状況でした。

このため当初計画では4隻建造予定だった同級は「扶桑」「山城」の2隻で建造が打ち切られ、残りの2隻は設計を一新した「伊勢級」戦艦として生まれることになりました。

以降、「扶桑級」の2隻は、就役直後、短期間連合艦隊旗艦の任務に就いたのち「艦隊に配置されているよりも、ドックに入っている期間の方が長い」と揶揄されるほど、改装に明け暮れる事になるのですが、その果てに現わされた改装案の一つが、主砲の改装案だったのでしょう。

てなことを、書いたオリジナルがこちら。(ほとんど同じことを書くことになるだろうから、下記は読まなくていいですよ。ただスクラッチモデルの制作の話は今回はしないので、それを読みたい方はこちらを見てください。どうして筆者が「扶桑級」に思い入れがあるのか、も少しわかっていただけるかも)

fw688i.hatenablog.com

この回ではネットでの以下のご投稿のご紹介から始まり、関連情報に関する一連の投稿を拝見させていただき、例によって「おお1:1250スケールでもやってみよう」と飛びつきながら、結局、この投稿の大元となった月刊「丸」の入手できず、孫びきでお茶を濁していた、という経緯がありました。(お世話になりました。改めて感謝いたします)

ameblo.jp

blog.goo.ne.jp

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やっと月刊「丸」2013年8月号を入手

ようやく上記の一連のご投稿の大元を入手しました。

(月刊「丸」2013年8月号:希少なのかどうか、ちょっと手の出にくい価格の古書の出品等はあったのですが、ようやく入手しやすい古書(862円税込送料別)を発見:下の写真:どの稿も興味深そうです)

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で、お目当てがこちら。「扶桑級」戦艦41センチ主砲換装案、ですね。
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図面を形にしてみると。
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扶桑級改装案:41センチ砲搭載案の概観:165mm in 1:1250 by semi-scratchied besed on C. O. B. Constracts and Miniatures) 

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扶桑級改装案:41センチ砲搭載案の特徴細部:特徴的な混載されている連装砲塔と三連装砲塔:上掲の図面と比較して発見が。3番砲塔上に搭載機の射出施設があるのですが、カタパルトではなく滑走台、ですね。ああこれは大きな発見かも)

改装の背景

ワシントン会議で、主力艦の保有数等について、列強は制約を設けることに同意するわけですが、この同意で、建造中の新造主力艦の建造は、基本的に全てストップさせられることになりました。

この制約の議論の発端の一つは日本海軍が建造中の「長門級」戦艦がこれまでに類を見ない16インチ砲を主砲として搭載したことでした。同級の登場で、それまで列強(特に米英)が整備してきた主力艦の多くが第一線戦力から脱落することが強く懸念されたわけです。同じようなことは、よりドラスティックに「ドレッドノート」の登場で経験済みだったわけですね。それまで営々として建造し整備してきた主力艦が同艦の登場で全て「旧式」のレッテルを貼られたわけですから。同様のことが「長門級」の登場で起こる可能性があったのです。ならば16インチ主砲搭載艦の数を限定してしまえばいい、という発想が、ワシントン体制以降のいわゆる「ビッグ・セブン」(世界七大戦艦)によるネーバル・ホリディにつながってゆきます。

一方で「長門級」を皮切りに、16インチ主砲搭載の戦艦・巡洋戦艦で艦隊を整備する八八艦隊計画に基づく大建艦計画を実行中であった日本海軍は、その計画の腰を折られて大いに不満だったわけですが(不満の一方で自国をはるかに凌ぐ大きな生産力を有する米海軍も同じ制約を受けるなら、いいかな、という思いもあったのでは、と思いますが)、新造艦の建造を諦めねばならないなら、既存艦の戦闘力向上でこれを補おう、ということになるのですが、当時の日本海軍の主力艦事情を考えると、設計年次から見て「長門級」を除く全ての主力艦が第一次世界大戦の戦訓を十分に取り入れた物ではなかった、という点で、かなり深刻な状況がありました。

具体的には第一次大戦の海戦では主力艦同士の砲戦距離が著しく長距離になり、したがって大口径の主砲弾の落下角度が垂直に近くなる傾向が出てきていました。つまり砲弾は真上から落ちてくるので、従来の舷側装甲に重点を置いて設計された主力艦は水平防御に著しい弱点を持ってしまうことになったわけです。実際にジュットランド 沖海戦では水平防御の不足する英巡洋戦艦が相次いで轟沈するという事象が発生しています。こうして列強はポスト・ジュットランド型と言われる主力艦を設計し始めるわけですが、日本海軍の「長門級」はこれにあたります。

一方で「長門級」以前の日本海軍の主力艦はいずれも水平防御に課題を抱えている、ということになるわけです。こうして各主力艦の水平防御強化の改造が始まるわけですが、「扶桑級」はさらに前述の砲塔配置で別の(水平防御という意味では一緒なのですが)課題を抱えていました(繰り返しを恐れずに記述すると6基の砲塔が艦全体に均等配置されており、砲塔の下方にある弾薬庫も全艦に均等に配置されているために、防御範囲が大変広範囲になる、ということです)。

この砲塔の均等配置は、併せて機関部スペースの限定をも意味しており、機動力強化のための機関更新などを検討する際にも障害となっていました。

 

主砲塔の配置が課題の諸原なら、いっそ41センチ主砲換装案へ

つまり、何をするにも「扶桑級」の主砲塔の配置に手を入れないと、有効な強化(防御にせよ、機動性にせよ)ができない、ということでした。

月刊「丸」2013年8月号によると、改造案にはA案,B案の2種類があり、A案は防御力の強化案(水平防御のための装甲強化、舷側装甲の傾斜装甲化、水中防御の強化)で4000トンの重量増加をバルジ装着で喫水低下を補う、としたものです。この場合、機関換装は計画では検討されながらも最終的には盛り込まれなかったようで、若干の速力低下を見込んだものになています。

B案が本稿で取り上げている「41センチ主砲への換装」案です。奇しくもB案には藤本造船少将(大佐かな、当時は)のメモと、平賀造船中将のメモの2種類が残っているようですが、いずれも「扶桑級」の主砲を「長門級」と同じ41センチ(16インチ)とし連装砲塔と三連装砲塔の混載で10門を搭載する「長門級」を上回る砲力を持った戦艦に再生しようとするものでした。(八八艦隊計画では、「長門級」の次級として計画されすでに進水していた「加賀級」戦艦が16インチ砲10門搭載艦でした)

A案では機関の強化は検討されながら見送られる、というように、「扶桑級」では主砲の配置変更までを含まねば本格的な戦力強化はできない、ということだったのでしょうね。そしてそこまで大規模な改装を実施するなら(つまり新造戦艦は建造できないので、これを実施するしか戦力強化の方法はないのです)、「長門級」以降で整備する予定だった16インチ主砲(41センチ砲)の搭載艦に改造してしまってはいかが、という発想に至ったのでしょう。ある意味、これは就役以来、改造を重ねながらも、なかなか戦力化の目処が立たなかった「扶桑級」の根本的な改造案として、上がってくることは、ある種必然だったといえるかもしれません。

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扶桑級就役時と改装案の比較:やはり砲塔の大きさの差異が目立ちますが、Navis製のモデルのフォルムは少し大柄なのかな?Navisのモデルは精度が高いのですが) 

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扶桑級就役時(上段)と改装案(下段)の比較その2:前檣の構造と、砲塔と機関配置の差異に注目、ですかね?) 

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(41センチ砲搭載案(手前)と長門級(奥)の比較:制作メーカーの異なる模型での比較なので、あまり当てにはならないですが、艦幅に大きな差異はないですね。しかし一回り小さな船体に「長門級」より2門多い主砲を搭載して、大丈夫でしょうかね) 

 

前提は既存艦の改造には一切の制限がないこと

このB案には平賀造船中将のメモとしてワシントン軍縮体制が「既存艦の改造には一切の制限がないことを利用しよう」という一文が残っているらしいのですが、結局は前述の「ビッグ・セブン」体制に見るように搭載主砲にも制限かかかり、既存艦の改装範囲にも制約が課せられたため、この改装案は全て見送られました。

結局、「扶桑級」は根本的な課題を解決されないまま近代化改装を受け、太平洋戦争中盤までは戦力として積極的な活用は検討されませんでした。

 

「丸」2013年8月号の他の記事からf:id:fw688i:20220312160806p:image

上の記事は興味深い内容です。「扶桑級」の主砲を題材に、砲戦距離、砲撃術の変化とそれに伴う主砲塔機能の改造と射撃装置、測距装置とそれを搭載する構造物としての前檣楼(艦橋構造物の変遷)の話など、大口径砲のプラットフォームとしての本来の戦艦のあり方をどう考えればいいのか、そんなことを考える上でいろいろなヒントになりそうな話が展開されています。

 

扶桑級」戦艦 航空戦艦への改造案・空母改造案

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少し気を良くして、他にも何冊か月刊「丸」を入手しました。その中から「扶桑級」の改装案で多いのは、航空戦艦への改装案、とミッドウエー海鮮の主力空母喪失で検討された全通飛行甲板をもった空母への改装案でしょう。

航空戦艦への改造案

本稿でも、航空戦艦への改造案は既にモデル化しています。

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(直上の写真は扶桑級海防戦艦:170mm in 1:1250 by semi-scratched with Superior model)

この図面はどこかで目にしたことはあったのかもしれませんが、偶然、筆者も主砲塔は3基に半減させていました。しかし筆者は空母戦力の補完的な意味合いではなく、対潜水艦戦の司令塔的な機能を持たせては、という発想でした。ですので主砲は対潜弾(史実の三式弾のように目標上空で小さな爆雷を広範囲に放つ)を30キロ先の敵潜水艦に投射する機能を有しているのです(にわかに架空戦記っぽくなってきましたが)。搭載する対潜哨戒機(水偵)で敵潜水艦を捕捉し、その位置に対潜弾を投射する、そういうイメージです。

 

全通飛行甲板空母への改造案(「扶桑級」は速力不足で改造は見送り、「伊勢級」のみ改造対象)

そして全通飛行甲板空母は、「伊勢級」戦艦を改造、という設定で鋭意改造中です。外観はほぼ出来上がっているのですが、対空砲、対空機関砲等の艤装途中です。なんとなく形になってきましたかね。

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(「伊勢級」の本格空母への改造案の概観:163mm in 1:1250 by semi-scratched model based on Delphin model : ご覧のように本格空母案の方は最終艤装途上です。ほぼ対空砲等の配置は終わったので、あとは塗装をして仕上げ、という感じですね。実は本稿で、この「伊勢級」空母改装案については「空母機動部隊小史 その9-2:機動部隊の再建(喪失空母の補填計画)」の回で中間報告をしています。その際、ご紹介した写真がこちら:直下)

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(前回のご紹介から最も大きく変わったところは艦橋部です。当初案では煙突一体型の小さな艦橋を搭載していましたが、もう少し大型の艦橋の方がいいかな、と大型の艦橋を作って入れ替えてみました。より「隼鷹級」に近い概観になったかも。下の写真で艦橋構造の比較を載せています:上が大型艦橋、下が小型艦橋

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(直下の写真は、「伊勢級」を本格空母化した場合に、どの程度の空母たり得たのかを把握するための「隼鷹級」空母との比較:船体規模はほぼ同等で、構造から見て一段半の格納庫を設定できそうですから、個有の搭載機数も、おそらくほぼ同等になり得たのではないかと想像します。速力も「伊勢級」は25ー26ノットで、ほぼ同等。戦艦出自ですので、防御力の備わった「隼鷹級」と考えるべきかも。しかし、標準的な艦隊空母としての運用は可能だったのではないでしょうか?)

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完成すれば216メートル級の飛行甲板を持ち、一段半の格納庫甲板を持ち搭載機54機を運用できる「雲龍級」「隼鷹級」空母に匹敵する規模を持つ艦隊空母になることが期待できました。機関の換装は計画しないため速力は25ノットで、これも「隼鷹級」中型空母と同程度ですが、戦艦出自から来る防御性能は「隼鷹級」を遥かに凌駕するものになるはずでした。

まあこれも改造期間が1.5年かかると見積もられ、早急な艦隊空母の補完には間に合わないとされ、結局航空戦艦へ改造されたのです。

 

やはりこう考えると30000トンの「エセックス級」艦隊空母を、起工から就役まで約1年半で、しかも16隻(15隻?17隻?)を戦時中(太平洋戦争中)に戦場に投入したアメリカという国の生産能力は本当にすざまじいのだな、と改めて認識しますね。

 

という訳で、今回はこの辺りで。

 

次回は今度こそ「第二次ソロモン海戦」のお話を、と思っていますが、どうなることか。簡単な新着モデルのお話を挟ませていただくかも。あるいは一回スキップも。

 

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。「以前に少し話が出ていた、アレはどうなったの?」というようなリマインダーもいただければ。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

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日本海軍 空母機動部隊小史 10-1:ソロモン諸島の風雲:ガダルカナルをめぐる戦い

今回は「空母機動部隊小史」と銘打ちながらも、「機動部隊」の活躍のお話の前に、これから始まるソロモン諸島での激戦にはどのような背景があったのか、その辺りの整理をしておきたいと考えています。今回はそう言うお話。

新しい模型は、多分、出てきません。悪しからず。

 

しかし、本論の前に。

何よりも「スター・トレック ピカード  シーズン2」放送開始

本稿本論のその前に、お待ちかね(ごく一部の人かもしれませんが)、始まりましたね。(実は本論が一気に「空母機動部隊」の次の戦場、「第二次ソロモン海戦」の話に進まない理由の一端がここにあるかもしれません)

Amazon Primeで3月4日から「スター・トレック ピカード  シーズン2」。(ちょっとネタバレ的な内容もあるかも、気になる方は、本文(次の青文字タイトル)へ進んでください)

 

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すでにそのエピソード1で、シーズン1の登場人物はほぼフルメンバーで登場。加えて、連邦艦隊航宙艦「スターゲイザー」、時空の歪みの発生と、その中からボーグの新型船と彼らのメッセージ、ガイナン、Qと、目一杯詰め込まれています。どの名前を見ただけでも、見ずにはいられないでしょう?

少し心配なのは「そう言う人」向けのドラマでしかない、と言えるのかも、と感じてしまう辺りでしょうか。上述の「スターゲイザー」にせよ「ガイナン」「Q」など、全て「わかる人にはわかる」という名称ばかりです。筆者はいわゆる「そう言う人」なので、涎ダラダラ状態ですが。「そう言う人」、世の中にどのくらいいるんでしょうね?

 

エピソード1で少し感じたこと。ラリスはあんなに魅力的なロミュラン女性だったんですね。シーズン1でも最初から夫ジャバンと共にピカード の身の回りの世話をする役割(かつ、元タルシアー=ロミュランの諜報機関なので、護衛役としても活躍)で登場していたのですが、シーズン2では夫が亡くなっており、ちょっとピカード との接近が微妙に描かれたりしています。ロミュラン女性が魅力的、と言う辺り自体がとても新鮮かも。

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そして音楽。オープニングタイトルはこちら。

Star Trek Picard Season 2 Intro Opening Sequence Version #1 ► 4K ◄ (Teaser Trailer Clip Promo) - YouTube

モチーフはシーズン1を継承しながら、思索的だった(と筆者は思っているのですが)前作から、一転、アクティブにアレンジされているように思いました。

聴き比べてみるのも良いかも。

www.youtube.com

「あなたが好きなのは、シーズン1、シーズン2、どっち?」

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この話題、話は尽きないので、エピソードの展開に従って順次おり混ぜさせていただくとして、今回はとにかく毎週金曜日が忙しくなる、そして待ち遠しくなる、と言うことだけをお伝えしておきたいと思います。(多分その煽りで、本稿の一回あたりの投稿量の少なくなるかも)

 

ソロモン諸島をめぐる情勢と戦いの推移

さて、日本軍は開戦時の大目的であった南方資源地帯の攻略戦(第一段作戦)を成功裡に終えたのち、陸海軍で次の主要攻勢軸について、方針が統合できないままに、それぞれが第二段作戦に着手しました。少し乱暴に整理しておくと、第一弾作戦で制圧したビルマを起点に英米蒋介石中国への支援路遮断を目的に「インド侵攻」を検討し始めた陸軍に対し、海軍は南方からの反抗拠点になると想定されるオーストラリアの無力化を狙い主眼を「米豪遮断」においた、このような相違が生じていたわけです。さらに少しややこしいのは、海軍部内でも艦隊首脳はさらに短期での米海軍の一時的な無力化を狙い、艦隊決戦の完結に向けて艦隊の整備・集結を行なっていました。

最後の艦隊決戦構想は1942年6月のMI作戦(ミッドウェー作戦)として具体化し、その結果はすでに本稿でも見てきたように、日本海軍の主力4艦隊空母喪失という大敗北で幕を引くこととなりました。

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このMI作戦に先立ち、「米豪遮断」作戦については着手され、1942年5月にはポートモレスビー攻略作戦、ソロモン諸島進出(ツラギ攻略)、ナウル島・オーシャン島攻略が実施され、ポートモレスビー以外の目標の制圧には成功していました。

このうちポートモレスビー攻略は、当初、海路からの侵攻が実施され、この前哨戦ともいうべき史上初の空母機動部隊同士の海戦「珊瑚海海戦」の結果、日本軍は海路侵攻を断念させられ、山岳越えの作戦に変更。しかし険路で補給が続かず併せて重装備も運べず、ポートモレスビーを視認するところまで迫りながら、敗退せざるを得ませんでした。

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 ちなみにこの「珊瑚海海戦」には空母機動部隊の一翼を担ってきた第五航空戦隊(大型艦隊空母2隻、小型空母1隻)が作戦主力として参加したのですが、米空母機動部隊を撃破する戦果を上げながらも自軍も打撃を受け、特に搭載航空隊の損耗が激しく、次の艦隊決戦(MI作戦)には参加できず、このことも「ミッドウェー海戦」での日本海軍機動部隊の大きな敗因の一つとなったことは、これまで本稿でも記述してきた通りです。

 

ツラギ泊地の制圧とガダルカナル基地の建設

話が少し遡ってしまったので、元に戻しましょう。海軍が掲げた重要攻略目標の一つ、ツラギはソロモン諸島のフロリダ島の入江に浮かぶ小島の一つで、オーストラリアのソロモン政庁が置かれていました。日本海軍は前述のように第二段作戦の一環として1942年5月同地に横浜海軍航空隊と陸戦隊約800名で進出し、同地の警戒と周辺哨戒を実施していましたが、日本軍のこの方面での主要拠点であるラバウルから約1000キロの距離があり、中間に有力な航空拠点がないこともあり(ソロモン諸島は基本的に火山諸島であり、飛行場に適する平地が少なく、併せてそれ以前に航空輸送に対する本格的な需要もなかったため、陸上航空基地は建設されていませんでした)、この突出した新たな拠点には、占領維持を続ける上で、防備に課題がありました。

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ソロモン諸島の概略図:Wikipediaより)

一方で進出した海軍部隊からは、この課題解決に向けて対岸のガダルカナル島に陸上飛行場適地の発見が報告され、俄に拠点としての機能強化のため1942年7月から海軍の設営隊が投入され飛行場建設が着手されました。この時点では、ガダルカナル島の名は、一部の基地工事の関係者以外には全く知られていませんでした。

 

海兵隊の上陸とツラギ・ガダルカナルの占領

8月に飛行場の第1期工事が終了し、海軍航空隊の先遣隊のラバウルからの進出が検討されている最中に、米海兵隊(3000名)が同島に上陸。対岸のツラギとあわせて建設中の飛行場も占領してしまいました。(1942年8月7日)

これによりそれまで誰も名前も知らなかった小さな南太平洋の島の名「ガダルカナル島」が急遽クローズアップされ、以降、約半年にわたり同島をめぐる攻防戦が展開され、後世の私達は太平洋戦争の勝敗の帰趨を決定づけた戦場として知ることになるわけです。

 

日本海軍の反撃

日本海軍は直ちに反撃作戦を実施します。

ラバウルの基地航空部隊(一式陸上攻撃機27機、零式艦上戦闘機17機、99式艦上爆撃機9機)による航空攻撃(対象は上陸部隊に付随する空母機動部隊)と、ラバウル本拠の第八艦隊を基幹にこれに周辺に行動中の巡洋艦を寄せ集めた巡洋艦部隊による輸送船団攻撃が企図されました。

航空部隊は空母機動部隊こそ発見できませんでしたが出撃は翌日も続けられ、大戦果(輸送船9、巡洋艦2、駆逐艦1撃沈等:実際は駆逐艦2隻大破、輸送船1隻放棄)が報じられましが、陸攻23機、戦闘機3機、艦爆9機を失うという損害を出しています。緒戦から、大消耗戦の兆しがあったわけです。

一方、第八艦隊基幹の水上部隊は8月9日にガダルカナル島沖に突入し、こちらは米重巡洋艦3隻、豪重巡洋艦1隻、を撃沈し米重巡洋艦1隻、駆逐艦3隻に損害を与えるという大戦果を上げています、(第1次ソロモン海戦

fw688i.hatenablog.com

しかしこの大戦果にも関わらず出撃時の主目標であったはずの輸送船団攻撃は実施せずに戦場を遺脱し、指揮官の三川中将は「米海兵隊ガダルカナル占領の基盤策定を妨げる絶好の機会がありながら、これを逸した」とのちに大きな批判を受けています。

この判断については既に作戦の実施部隊でも議論があり、旗艦「鳥海」の艦長は反転し輸送船団を再攻撃することを進言し、一方で艦隊の参謀長、艦隊先任参謀は敵航空攻撃の圏外への早期撤退を進言しています。「鳥海」艦長は艦隊首脳が反対すると旗艦を他の艦に移してでも単艦での再攻撃の許可まで申し出ています。

ちなみに早期離脱論を唱えたこの時の第八艦隊先任参謀は神重篤大佐で、この作戦での大戦果から「作戦の”神”様」ともてはやされた、とか。一方、後にレイテ沖海戦時には連合艦隊参謀で、栗田艦隊参謀長とのマニラでのレイテ作戦の作戦会議で、栗田艦隊の突入目標をマッカーサーの上陸部隊と指定しながら、参謀長からの「敵機動部隊との遭遇機会があれば目標を切り替えても良いか」との質問に対し「差し支えない」と回答し、栗田艦隊の「謎の反転」のきっかけを作っています。さらに戦艦「大和」の沖縄海上特攻作戦については「大和」の出撃に慎重な連合艦隊参謀長の不在をついて連合艦隊司令長官の直裁を取り付け「天号作戦」を実施に持ち込むなど、ちょっと謎の多い人物です。この人、最後は第10航空艦隊の参謀長を務めていましたが、終戦後に連絡機で移動中の遭難事故で着水し行方不明になっています。

少し話が逸れてしまいましたが、ガダルカナル島を巡って、このラバウル航空隊の航空攻撃と第八艦隊のガダルカナル突入(第1次ソロモン海戦)を皮切りに以降半年間に行われた主要な戦闘を、年表風に一覧しておきます。

1942年(昭和17年

    8月7日 : 米海兵隊ガダルカナル島とフロリダ諸島に上陸

    8月7日・8日:ラバウル基地航空隊による空襲(前述)

    8月9日 :  第一次ソロモン海戦

    8月21日 : イル川渡河戦:ガダルカナル島に上陸した陸軍一木支隊先遣隊、渡河時の際の戦闘で全滅

    8月24日 : 第二次ソロモン海戦

    9月12日~14日 :  陸軍川口支隊によるガダルカナル島飛行場の奪回作戦:失敗

    10月11日~12日 : サボ島沖夜戦

    10月13日~14日 : ヘンダーソン基地艦砲射撃

    10月24日~26日 : 陸軍第2師団によるはガダルカナル島飛行場の奪回作戦:失敗

    10月26日 : 南太平洋海戦

    11月12日~15日 : 第三次ソロモン海戦

    11月30日 :  ルンガ沖夜戦

1943年(昭和18年

  1月29日~30日 : レンネル島沖海戦

    2月1日~7日 : ケ号作戦:日本軍がガダルカナル島から撤退

上記のうち、空母機動部隊が出撃し米機動部隊との間で生じた戦闘は1942年8月24日の「第二次ソロモン海戦」と10月26日の「南太平洋海戦」の二つでした。この二つについては次回以降でご紹介するとして、残りの海戦を大雑把にまとめておきましょう。

8月7日・8日:ラバウル基地航空隊による空襲 と 8月9日 :  第一次ソロモン海戦

この2件は、今回前述した米海兵隊ガダルカナル島上陸に関連する一連の日本海軍の反撃です(前述)。

そして次の3件

10月11日~12日 : サボ島沖夜戦、10月13日~14日 : ヘンダーソン基地艦砲射撃、11月12日~15日 : 第三次ソロモン海戦

当時、日本軍はガダルカナル島ヘンダーソン基地によってガダルカナル島周辺の制空権を失っており、昼間の輸送部隊の接近は阻止されるため、同島の日本陸軍部隊への補給、補充が重大な脅威にさらされていました。代替の補給手段として、夜間の駆逐艦、潜水艦による少量の物資輸送に頼らざるを得ず、十分な補給が継続できず、戦闘に支障をきたしていました。そこで、「ヘンダーソン基地」への夜間艦砲射撃による一時的な無力化を行い、昼間の輸送船による補給を成功させ陸軍部隊の戦力の充実を狙ろうとする作戦が日本海軍により実行されます。当然、米艦隊はこれを阻止するために迎撃し、両艦隊の間で夜間の海戦が発生しました。日本海軍は10月13日~14日の砲撃のみ成功し(高速戦艦「金剛」「榛名」による)、10月11日~12日(「古鷹」喪失、「青葉」大破)、11月12日~15日(高速戦艦「比叡」「霧島」喪失)は米艦隊が飛行場砲撃阻止に成功しています。

10月11日~12日 : サボ島沖夜戦で失われた「古鷹」と大破した「青葉」

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(直上の写真は、大改装後の「古鷹級」の概観)

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(直上の写真は、「青葉級」:大改装後の概観)

 

10月13日~14日 :ヘンダーソン基地砲撃を成功させた高速戦艦「金剛」と「榛名」

(1941-, 32,000t, 30knot, 14in *2*4, 4 ships)(178mm in 1:1250 by Neptun) 

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(直上:Kongo:1941)

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(直上:Haruna 1941)

 

11月12日~15日 : 第三次ソロモン海戦で失われた高速戦艦「比叡」と「霧島」

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(直上:Hiei:1941)

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(直上:Kirishima:1941)

 

 11月30日 :  ルンガ沖夜戦は、昼間の補給を絶たれたガダルカナル島に展開する陸軍部隊への夜間輸送を実施した日本海軍の駆逐艦部隊(第二水雷戦隊:駆逐艦8隻)とこれを阻止するための米警戒艦隊(重巡洋艦4隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦6隻)の間で戦われた海戦で、両艦隊の遭遇の結果、日本の駆逐艦部隊は米重巡洋艦1隻を撃沈し3隻を大破する戦果を上げていますが、出撃の主目的である輸送任務は放棄せざるを得ませんでした。(自軍は駆逐艦1隻を失っています)

第二水雷戦隊は海戦当時「陽炎級駆逐艦3隻、「夕雲級」駆逐艦3隻、「白露級」駆逐艦2隻で編成されていました。

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(直上の写真:「陽炎級」の概観。94mm in 1:1250 by Neptune)

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(直上の写真:「夕雲級」の概観。95mm in 1:1250 by Neptune)

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(直上の写真:「白露級」の概観。88mm in 1:1250 by Neptune)

 

最後の 1月29日~30日 : レンネル島沖海戦は、ガダルカナル島からの撤退(ケ号作戦)を援護するために行われた海軍基地航空部隊の米巡洋艦部隊への攻撃で、陸上攻撃機31機の雷撃で米重巡洋艦1隻を撃沈し駆逐艦1隻を大破させています。(自軍は陸上攻撃機10機を失っています)

 

駆逐艦による補給活動:鼠輸送

これらのいわゆる「海戦」として記録されているもの以外にも、駆逐艦による夜間補給(いわゆる「鼠輸送」)は日々行われていました(上述の「ルンガ沖夜戦」はこの「鼠輸送」の過程で発生した海戦です)。昼間はガダルカナル島の米基地航空部隊の警戒空域外に止まり、夜間、高速で一気にガダルカナル島沿岸に接近、ドラム缶に詰めた補給物資を流し、これを現地部隊が舟艇で回収、あるいは内火艇により折畳艇と呼ばれる組み立て式の小型舟艇を曳航して増援部隊や装備を届ける、このような方式での輸送任務でした。

しかし艦隊駆逐艦にはそもそもそうした輸送用の装備はなく、艦隊駆逐艦の主要兵器である魚雷を半分降ろして代わりに搭載できるのはせいぜい20トン程度の物資か、150名(一個中隊強)の兵員、分解できる砲程度で、戦車や重砲などは輸送ができませんでした。

上述のようにガダルカナル攻防戦は1942年の8月から1943年2月までの期間行われており、かつ日本陸軍が同地に投入した部隊は、実に40000人(一木支隊:連隊基幹、川口支隊:旅団規模、第2師団、第38師団)にのぼるのですが、この間、驚くべきことに船団輸送はわずか二回しか行われていません。物資搭載能力の大きな水上機母艦を利用した高速艦艇による輸送はあるものの、他は、ほぼこの「鼠輸送」に頼っており、期間中に延べ350隻(この中にはガダルカナル島からの撤退作戦である「ケ号作戦」参加艦艇も含まれています)の駆逐艦が投入され、14隻が失われ、63隻が損傷した(同島周辺までは昼間接近するわけですから、その間は航空攻撃を受ける可能性があります)、と言われています。元々、日本海軍は大型・高速高性能の艦隊駆逐艦を太平洋戦争開戦時には120隻余りしか装備しておらず(「艦隊決戦」用の海軍でしたので)、その多くがこのような任務に投入され損害を出していたわけです。

戦争中に建造された戦時急造の「松級」駆逐艦などは、最初からこうした輸送任務への適応を考慮して中型の上陸用舟艇(小発)の搭載能力などが盛り込まれています。さらには揚陸任務に特化した輸送艦(一等、二等)などが建造されています。

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(直上の写真:「松級」の概観。79mm in 1:1250 by Neptune)

 

少し長々とソロモン諸島、特にガダルカナル島をめぐる日米海軍の攻防を見てきました。ガダルカナル島の米軍ヘンダーソン基地が周辺の制空権を掌握していたため、水上艦艇の戦闘は航空機の脅威の及ばない夜間に全て夜戦で行われていた、という戦いの様相を見ていただけたらと思います。

という訳で、今回はこの辺りで。

 

次回はいよいよ「第二次ソロモン海戦」のお話を、と思っていますが、「ピカード  シーズン2」も始まってしまったし、簡単な新着モデルのお話を挟ませていただくかも。

 

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。「以前に少し話が出ていた、アレはどうなったの?」というようなリマインダーもいただければ。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

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再録:扶桑級戦艦の改装:41センチ砲搭載案

前回、少し予告した通り、今週末は本業が立て込んでいます。

新着モデルが間に合うかな、などと考えていたのですが、そちらに手を入れる余裕もあまりなく、過去の投稿の再録、と言うことで少しお茶を濁させて頂きます。

 

本稿へのアクセスを状況を見てみると、過去に一度ご報告させていただいたことはあるのですが、かなり長い期間にわたり、2019年11月に投稿した「護衛艦いそかぜ」その三形態(「亡国のイージス」から「空母いぶき」へ」と言う投稿へ多くのアクセスをいただいていました。

fw688i.hatenablog.com

これは「いそかぜ」と言うかつて海上自衛隊に存在したことのない(しかし映画や小説ではしばしば見かける)架空護衛艦をめぐり、自作のセミ・スクラッチモデルを交えて海上自衛隊の「艦名」や「艦番号」にまつわるお話をご紹介させていただいた回でした。

現在でもこの回は、ありがたいことに常にアクセス上位にあるのですが、最近はこれに変わって2021年8月投稿の「レイテ沖海戦:西村艦隊:第二艦隊(第一遊撃部隊)第三部隊の話」が長らくアクセス数トップをいただいています。

fw688i.hatenablog.com

この回は奇しくも「レイテ沖海戦」について一連の投稿を開始する一回目となった回です。そしてアクセス3位に「レイテ沖海戦:志摩艦隊:第五艦隊(第二遊撃部隊)の話」が入っていますので、この辺りに興味を持っていただけているのかなあ、と考えています。ありがたいことです。

 

今回は、この「レイテ沖海戦」ミニ・シリーズの開始のきっかけとなったその前回の投稿「扶桑級戦艦の改装:41センチ砲搭載案」を再録させて頂きます。

 

この回では、就役時に日本海軍待望の初の超弩級戦艦、世界で初めて3万トンを超えた巨艦で当時世界最大最強と謳われながら、実情は就役以来、何かと欠陥が目立ち、「海上にあるよりドックに入っている方が長い」と揶揄された不遇の「扶桑級」戦艦に、実は平賀造船中将による41センチ主砲への換装案があった、と言うお話を例によって自作モデル制作を絡めながらご紹介させていただいています。

本当にこんな船が実現できたんだろうか、とか、この船が実現していたら「長門級」の設計はどうなっていたんだろう(=その後の八八艦隊計画は?)とか、結構刺激の強い設計案のスケッチがきっかけになっています。

皆さんへの良い刺激になれば、と、再録しておきます。

 

(ここから、再録。です)

扶桑級」戦艦:41センチ砲搭載案の製作

発端は本稿では実は「扶桑級」「伊勢級」の戦艦をまともに紹介していないという事にはたと気づいたこと。

背景には、本稿がそもそも「八八艦隊計画」の諸戦艦のモデルが揃った(その後、実は何度かアップグレードしたりしているので、全然揃ってなんかいなかったのですが)ことをきっかけに「まあ少しまとめておくか」くらいの気持ちでスタートしていて、「八八艦隊計画」を成立させる為に「ワシントン・ロンドン軍縮体制」が(筆者に都合よく、あるいは八八艦隊の模型を作成するのに都合よく、ですかね)改変されていること、その中で「扶桑級」「伊勢級」が比較的早期に一旦主力艦の座を退役してしまい(つまり、その代艦として、八八艦隊の「紀伊級」以降の艦が建造される、という設定なわけです)、その為に、史実を紹介する機会がなかったことが挙げられます。

一方で、筆者の模型原体験は、実は筆者の父がまだ小学生の低学年だった筆者に作ってくれた戦艦「長門」のプラモデル(今にして思うと、多分、ニチモの1:500スケールだったんじゃないかな)でした。

f:id:fw688i:20210808120428j:plainそしてこのモデルで艦船模型に目覚めた小学生(多分、3年生くらい)の筆者が、最初に「スケール」を意識してお小遣いで購入したプラモデルが、「山城」だったのです。もう、メーカーは忘れてしまいました(多分、大滝製作所、かな?)、確かモータライズの当時よく見かけた船体が上下に分割されたモデルだったのですが、なぜかハルを接着せず、今でいう「ウォータライン」モデル風に仕上げ(いわゆる「ウォーターラインシリーズ」が静岡の模型4社殻発売されたのが1971年ですので、実はそれよりも2-3年前のお話です)、遊んでいた記憶が残っています。もう50年以上前の話です。子供心に「なんてたくさん砲塔を積んでいるんだろう、凄いなあ」と、実は大好きな船なのです。

 

で、チラチラと調べ始めて、以下の投稿に巡り合いました。

ameblo.jp

 へえ、そんな計画があったんだなあ、というわけです。

早速、ご紹介記載に従い「月刊 丸」2013年8月号を入手しようとしますが、これが見当たりません(入手不能?どなたか情報をお持ちでしょうか)。

その過程で下記の投稿に遭遇。なんと図面の画像があるではないですか。さらにここではご自身で1:700スケールの模型まで作っていらっしゃいます。

blog.goo.ne.jp

blog.goo.ne.jp

blog.goo.ne.jp

既に2013年にやっていらっしゃったとは・・・。

制作編を拝見すると、かなり41センチ砲の3連装砲塔で苦戦していらっしゃるようですが、以前、実はドイツ海軍の架空艦を製作する際に11インチ砲の連装砲塔が欲しくて、ドイツ海軍色を出すためにタミヤシャルンホルストの三連装砲塔の真中を切除して、作ったことがあった、というのを思い出しました。同様に今回の連装砲塔の三連装砲塔かの場合には、連装砲塔と連装砲塔の中央切除の貼り合わせでなんとかなるかも、とか、筆者の場合には1:1250スケールの「金剛代艦級」の砲塔構成がこの3連装砲塔と連装砲塔の混載で、そこから砲塔を引っ張ってこれるので・・・、などと考えながら、楽しく拝見させていただきました。

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(掲載された改装案の図面がこちら。月刊「丸」が入手できないので、まずはお借りします)

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(上図を参考に、3D printing modelをベースに、上部構造物をほとんど撤去し、新たにレイアウトするほどのかなり大掛かりな改装に、モデルでもなっています。こういう時にはメタルのモデルより、樹脂製の3D printing modelの方がいいかも。ベースとなったのは下記のモデル

www.shapeways.com

記載によると、この改装案はワシントン条約交渉中に平賀中将から提出された「扶桑級」改装案の一つでした。
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扶桑級改装案:41センチ砲搭載案の概観:165mm in 1:1250 by semi-scratchied besed on C. O. B. Constracts and Miniatures) 

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扶桑級改装案:41センチ砲搭載案の特徴細部:特徴的な混載されている連装砲塔と三連装砲塔はSuperior製の金剛代艦級から拝借しています。前檣は基部だけを残し周りと上部はストック部品とプラロッドで。煙突は少し高かったかも。後檣と煙突の間隔はこんな感じかな?もう少し詰めても良かったのか?) 

この案が提出された時期は、世界初の16インチ砲搭載戦艦「長門級」を巡り、戦艦の建造に制限をいかにかけるかが議論されていた時期であり、その後に続く「八八艦隊計画」と併せて考えると、既存戦艦の改装でおそらく制限の対象となるであろう「八八艦隊計画」を補完する構想があったのかな、などと想像してしまいます。

 

 改装案の背景:課題満載の扶桑級戦艦

改装案を提出された「扶桑級」戦艦は、日露戦争の莫大な戦費消費(結局、日本は日露戦争では領土と中国・朝鮮半島での利権・発言権強化は手にしたものの、賠償金は獲得できませんでした)、その後の鹵獲艦整備等で、弩級戦艦時代に出遅れた感のあった日本海軍が建造した初の超弩級戦艦で、初期計画では4隻が建造され、先行し就役していた「金剛級巡洋戦艦と一対で艦隊の根幹戦力を形成する予定でした。

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扶桑級就役時の概観:163mm in 1:1250 by Navis)

主砲は金剛級と同じ14インチ砲で、これを連装砲塔6基12門搭載。艦首部と艦尾部は背負い式配置として、残り2基を罐室を挟んで前後に振り分けていました。世界の軍艦史上初めて30,000トンを超える大鑑で、日本海軍の念願の超弩級戦艦は、一番艦の扶桑完成の時点では、世界最大、最強装備の艦と言われた、まさに日本海軍嘱望の艦級として完成されたわけです。

 

しかし、完成後、多くの課題が現れてきます。

例えば、一見バランス良く艦全体に配置されているように見える6基の砲塔は、同時に艦の弱点ともなる弾庫の配置が広範囲にわたることを意味しています。これを防御するには広範囲に防御装甲を巡らせねばなりません。また、斉射時に爆風の影響が艦上部構造全体に及び、重大な弊害を生じることがわかりました。さらに罐室を挟んで砲塔が配置されたため、出力向上のための余地を生み出しにくいことも、機関・機器類の進歩への対応力の低さとして現れました。

加えて第一次世界大戦ユトランド海戦で行われた長距離砲戦(砲戦距離が長くなればなるほど、主砲の仰角が上がり、結果垂直に砲弾が落下する弾道が描かれ、垂直防御の重要性がクローズアップされます)への対策としては、艦全体に配置された装甲の重量の割には水平防御が不足していることが判明するなど、一時は世界最大最強を歌われながら、一方では生まれながらの欠陥戦艦と言わざるを得ない状況でした。

こうした結果、「扶桑級」戦艦の建造は2隻で打ち切られ、3番艦、4番艦となる予定であった「伊勢」「日向」は新たな設計により生まれることとなりました。

以降、「扶桑級」の2隻は、就役直後、短期間連合艦隊旗艦の任務に就いたのち「艦隊に配置されているよりも、ドックに入っている期間の方が長い」と揶揄されるほど、改装に明け暮れる事になるのですが、その果てに現わされた改装案の一つが、主砲の改装案だったのでしょう(月刊「丸」自体を読んでいないので、先の紹介した投稿からの又聞きの上の推測ですので、本当のところはどうも)。f:id:fw688i:20210801103403j:plain

 

図面を見ると主砲の換装に伴い、課題の諸源と言ってもいいであろう主砲の配置が変更されています。さらにそれに伴って機関の配置にも変更があるようです。この機会に「扶桑級」の抱えている課題を全部一気に解決してしまおうじゃないか、と平賀造船中将の腕まくりが目に見えるようです。

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扶桑級就役時と改装案の比較:やはり砲塔の大きさの差異が目立ちますが、Navis製のモデルのフォルムは少し大柄なのかな?Navisのモデルは精度が高いのですが) 

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扶桑級就役時(上段)と改装案(下段)の比較その2:前檣の構造と、砲塔と機関配置の差異に注目、ですかね?) 

一方で、「長門級」よりもかなり小さな船体に、「長門級」を上回る16インチ砲10門を装備するわけで、主砲斉射の反動等、今度は射撃精度に課題が発生しそうな気もしますが、水中に大きな バルジを装着することで安定性と重量増に対する浮力の確保には手が打たれる、そういう理屈のようですね。

 

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(41センチ砲搭載案(手前)と長門級(奥)の比較:模型での比較なので、あまり当てにはならないですが、艦幅に大きな差異はないですね。しかし小さな船体に「長門級」より2門多い主砲を搭載して、大丈夫でしょうかね) 

 

この案は、ワシントン条約の制限対象が新造艦に対するもので、既存艦については制限がないということを前提に提出されたものでした。さらにこの後、ワシントン条約で代艦を建造できる艦齢の上限を迎える「金剛級」に対して、平賀は有名な「金剛代艦級」の建造試案を提出するのですが、それに先駆けてこの改装案を足がかりに日本海軍には製造経験のない大口径砲の3連装砲塔の製造技術、駆動系の技術に対して、なんらか試行を行っておこうという思いがあったのかも(というのは、ちょっと意地悪に考えすぎでしょうかね)。

しかしもしこの技術が導入されれば「長門級」も16インチ砲10門搭載艦として(つまり、三連装砲塔と連装砲塔の混載艦として、)生まれ変わっていたのでしょうか?

・・・・などど、いろいろな想像がかき立てられます。

 

扶桑級戦艦の大改装(史実は・・・)

先述のように度重なる改装を受けた「扶桑級」戦艦でしたが、太平洋戦争開戦前に受けた第二次改装時で対空兵装の強化、機関の重油専焼缶への換装などを行い、速力も24ノット代まで向上させていました。この改装の際に、「扶桑」は3番砲塔を前向き装備に改めています(「扶桑」ファン一押しの特異な艦橋の形態は、この時に生まれました)。

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(二次大改装後の「扶桑」の概観:168mm in 1:1250 by Superior? 「扶桑」の最大の魅力は変則的な前檣構造。3番砲塔の向きにも注目)

 

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(二次大改装後の「山城」の概観:168mm in 1:1250 by Superior? 2番砲塔と前檣基部、前檣上部、3番砲塔、艦尾の航空艤装を、上掲の「扶桑」をベースに手を入れています。直下の写真は「扶桑」と「山城」の比較) 

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(41センチ砲搭載案と二次大改装後の「山城」との比較:少しわかりにくいですが、第二次改装で、「山城」の艦尾部は延長されています) 

 

太平洋戦争時にはほとんどの期間を内地で過ごし、一時期は練習戦艦としての業務についていました。

しかし、いよいよ戦局が押し迫る中、同級も現戦力として再浮上し、サイパン攻防戦では、サイパンへの殴り込み作戦の実施部隊として計画に挙げられました(「無謀」として実現しませんでした)。

その後、両艦は第二戦隊として第二艦隊(第一遊撃部隊)に編入され、レイテ海戦には第一遊撃部隊(栗田艦隊)別働隊(第三部隊:西村艦隊)として、第一遊撃部隊主力とは別行動を取り、幸運にも空からの攻撃をほとんど受けることなく、主力に先行してレイテ湾に突入し、米第七艦隊オルデンドルフ部隊と交戦し、相次いで撃沈されました。

第一遊撃部隊第三部隊(西村艦隊)は、単独でレイテ湾に突入し、部隊指揮官の西村中将初め司令部以下、ほとんど全滅していますので、その最後がよくわかっていません。

 

もう一つ、航空戦艦改装案

前述の通り、同ブログでは、「八八艦隊計画」が一部実現しますので、「扶桑級」は「伊勢級」と並んで早期に現役を退いてしまっています。しかし、太平洋戦争開戦にあたり、両級は海防戦艦(通商路確保のための対潜・対空哨戒を専任とする海防艦の拠点となる母艦)として復活しています。一応、そちらもご紹介しておきます。

(直下の写真は扶桑級海防戦艦:33,200t, 21 knot, 14 in *2*3, 2 ships, 搭載機15機:水上戦闘機3機、水上偵察機・水上哨戒機12機, 170mm in 1:1250 by semi-scratched with Superior model)f:id:fw688i:20190511165046j:image

 史実の「伊勢級」航空戦艦を参考にしつつ、ミッドウェーでの空母機動部隊の喪失を補完する意味で改造された「伊勢級」「扶桑級」ではなく、日本の通商路周辺で跳梁が予測される米潜水艦対策として設立された「海防戦隊」の中核戦力として、旧式戦艦が活用されたとしたら、というようなお話になっています(一種の「架空戦記」ですね)。

もしよろしければ、下記の回をご覧ください。

fw688i.hatenablog.co

史実でも、前述のようにミッドウェー海戦敗北の後(1942年)、失われた空母戦力の補完のために巡洋艦(最上級、利根級妙高級、高雄級)、戦艦(金剛級扶桑級伊勢級長門級)の全通飛行甲板空母への改造が実際に検討されたようです、結局、工期がかかりすぎる(巡洋艦9ヶ月、戦艦1.5年)、という点でこれらは実現しませんでしたが、ご存知のように「伊勢級」のみは「航空戦艦」に改造されています。そして同級の改装完了後、「扶桑級」も同様の改装工事を受ける予定であり、6ヶ月の工程表が組まれていたという記録があるようです。

 

というわけで、今回はここまで。

個人的に幼少期から思い入れがありながら、置き去りにしてきた感の強かった「扶桑級」でしたが、ようやくスッキリした感じがします。

(再録、ここまで)

 

いかがでしたか?

次回は本業が少し落ち着いていれば「空母機動部隊小史」も戻り、いよいよソロモン方面での激戦についてご紹介できれば、と。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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日本海軍 空母機動部隊小史 その9-2:機動部隊の再建(喪失空母の補填計画)

1942年6月のミッドウェー海戦日本海軍は主力空母4隻を一機に喪失し、早急な空母機動部隊再建の必要に迫られます。

本稿前回では、残存空母の再編による機動部隊再編について触れましたが、一方で喪失空母をいかに補填するのかに対する検討も、もちろん行われています。

今回はそういうお話。

 

1942年6月時点での建造中(改造中)空母

1942年6月のミッドウェー海戦での4空母喪失時点で、日本海軍が建造中の空母は、1939年の第4次充実計画(マル四計画)で建造が決定され1941年7月に起工された「大鳳」と、有事には空母に改造することを前提にした優良船舶建造助成施設で建造され、1941年6月に進水し艤装中の商船改造中型空母「飛鷹」の2隻でした。

これに潜水母艦から空母への改造工事を受けている「龍鳳」を加え、船台に載っている損失補填と言える空母はわずか3隻で、しかも本格的な艦隊空母は「大鳳」一隻という、実に「お寒い」状況でした。

 

空母「飛鷹」(優良船舶建造助成施設(補助金)対象:1942年7月就役)

このうち「飛鷹」は海戦直後の1942年7月に就役し新生空母機動部隊である第三艦隊に編入されています。(本稿前回でご紹介)

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(特設航空母艦「隼鷹」の概観:175mm in 1:1250 by Neptun: 下段右のカットは、「隼鷹」で導入された煙突と一体化されたアイランド形式の艦橋を持っていました。同級での知見は、後に建造される「大鳳」「信濃」に受け継がれてゆきます)

 

空母「龍鳳(1941年12月改造に着手:1942年11月就役)

更に有事には短期間で艦隊用補助空母に改造される前提で建造されていた潜水母艦「大鯨」が1941年12月から空母への改造工事を受けていました。

当初の計画では空母への改造は3ヶ月で完成する予定でしたが、潜水母艦当時から不調の多かったディーゼルエンジンをタービンへ換装、更に1942年4月のドーリットル空襲の際の被弾による損傷回復等により計画遅延が発生し、結局、空母としての就役は1942年11月でした。

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潜水母艦改造空母「龍鳳」の概観:173mm in 1:1250 by Master of Military(3D printing model): 下の写真は、改造母体となった潜水母艦「大鯨」(手前)と改造後の「龍鳳」(いずれもMaster of Military制作)の比較:上空からのカットでは、空母への改造意図が露骨に示されています。「大鯨」は電気溶接の導入や、主機に大型ディーゼルを選定するなど、かなり意欲的な技術導入が図られました。しかし意に反してディーゼルは不調が続き、結局最終的にはタービンへの機関換装が行われ、その後のドゥーリットル空襲で受けた損傷回復と合わせ、空母への改造には時間がかかってしまいました)

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(下の写真は、同様の経緯で「龍鳳」に先行して空母への改造を受けた「瑞鳳」との比較:「龍鳳」は「瑞鳳」よりもやや大きな船体をしていたことがわかります。「瑞鳳」は特にミッドウェー海戦以降、機動部隊主力の第一航空戦隊に序列され、ミッドウェー以降日本海軍唯一の本格艦隊空母であった「瑞鶴」「翔鶴」の上空直衛を担当する補助空母として活躍しました。「龍鳳」は登場の経緯に時間を要し、機動部隊である第一機動艦隊、第二航空戦隊(「隼鷹」「飛鷹」「龍鳳」)に所属しましたが、搭載機部隊の技量低下や定数不足などで、十分な活躍の場が与えられませんでした)

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空母「大鳳(第4次充実計画(通称マル四計画:1939年)での計画艦:1941年7月起工:1944年3月就役)

大鳳」についてはこの後、就役後の活躍など、触れる機会があると思いますので、今回は建造経緯とミッドウェー海戦での影響についてだけ触れておきたいと思います。

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日本海軍が太平洋戦争開戦当時建造に着手していた唯一の艦隊空母「大鳳」の概観:207mm in 1:1250 by Neptun: 下の写真は、「大鳳」の外観的な特徴である煙突一体型のアイランド艦橋(上段)とエンクローズド・バウ:煙突一体型のアイランド艦橋は「隼鷹級」空母で先行して実験され、良好な結果を得ていましたが、元来は飛行甲板の装甲化で、甲板位置が低くなることが想定された「大鳳」では従来型の舷側煙突が設定しにくいために考案されたものでした。同様にエンクローズド・バウの導入も低い乾舷対策として導入されています)

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大鳳」は結果的に日本海軍が建造した最初の、そして唯一の新造装甲空母でした。

そもそも日本海軍における装甲空母の発想は、母艦部隊の前進拠点として、前線に進出し近距離から標的に反復攻撃をかける、という構想に基づくもので、前線進出に際し想定される敵水上艦艇との砲戦等を想定した「装甲」であったということのようです。ですので、マル四計画次の「大鳳」の当初の設計案では本稿でもご紹介したことのある「蒼龍原案」(下の写真)のように敵艦艇との砲戦も想定した主砲搭載(6インチ砲6門)の空母を想定していたようです。

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(「蒼龍原案」の概観:未成艦ですので、筆者の想像の産物ですからご注意を)

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(上の写真は「蒼龍原案」の最大の特徴である艦首部の主砲塔配置を示したもの。「蒼龍原案」では飛行甲板下に6インチ主砲塔を搭載する想定でした)

 

しかし、その後の艦載機の高性能化と特に航続距離の増大に伴い、前進拠点としての意義は薄れ、一方でミッドウェー海戦の戦訓(特に海戦で4空母全てが飛行甲板への被弾から生じた艦内での誘爆や燃料火災により喪失したという事象)に基づき飛行甲板への被弾に対する防御力向上という視点で装甲化の有効性が再浮上しました。一方で重い装甲飛行甲板の搭載は、これに伴い生じるトップヘビー傾向の対策との綱引きでもありました。

このトップヘビー傾向を抑えるには、飛行甲板の位置は低く制限せざるを得ず、このことが格納庫スペースのの縮小につながり搭載機数は制限されることになりました。艦そのものの規模は「赤城」「加賀」や「瑞鶴級」の大型空母をさらに凌駕するものでありながら、搭載機数が中型空母「飛龍級」と同等(52-54機程度)にとどまっている理由はここにあります。

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上の写真は「大鳳」と「瑞鶴」の概観比較:船体自体は「大鳳」がひと回り大きいにも関わらず、装甲甲板の重量対策で格納庫スペースを一層しか設定できず、個有の搭載機数は「瑞鶴」や「赤城」等よりも少なくなっていました)

しかし用兵側としては、装甲甲板による高い生存性から、空母機動部隊での戦闘で他の母艦が損傷した後も他艦の搭載機も収容しつつ戦場に留まり戦闘を継続することを期待しており、そのため、個艦の搭載機数に対し余力の大きな爆弾・魚雷、航空機燃料の搭載能力が与えられていました。

ミッドウェー海戦の敗北で得たこうした戦訓の取り入れ等に伴い、就役は1944年3月まで待たねばなりませんでした。

 

更に建造計画中というところまで範囲を広げれば、日米開戦を想定して「昭和16年度戦時急増計画」(マル急計画)で建造が決定された中型空母「雲龍」がありました。

雲龍級」「改雲龍級」空母(マル急計画で「雲龍」・マル五計画で追加2隻、改マル五計画で追加13隻がそれぞれ新造)

雲龍」は「飛龍級」艦隊空母の拡充として一隻だけ建造が計画されていた艦でしたが。その後の第5次充実計画(マル五計画:1941年1月)で更に2隻が建造されることが決まっていました。このマル五計画はミッドウェー海戦での主力空母喪失を受け改マル五計画に改められ、建造数には紆余曲折がありながら、最終的には14隻(?ちょっと怪しい)の建造が計画されることになりました。

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日本海軍が戦時量産型空母の決定版とした「雲龍級」の概観:181mm in 1:1250 by Neptun:  直下の写真は、「雲龍級」の現設計となった「飛龍」との比較。「雲龍級」は「飛龍」の基本設計を踏襲しながら、エレベーター機数の削減等簡素化等が図られました)

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(下の写真は「雲龍級」(上段)と「飛龍」の艦橋の比較:まず艦橋の設置位置が「飛龍」の左舷中央から右舷やや前方に改められました。排煙路との混雑を避けるために「飛龍」では艦橋は左舷に設置されたのですが、当時の艦載機の左指向性(プロペラの回転から機体が左へ流れる傾向がある)から、母艦搭乗員にはあまり好評ではなく、左舷艦橋は「赤城」と「飛龍」の2隻のみにとどめられ、全て右舷艦橋となりました。更に、電探装置の搭載、対空機銃座の設置などにより艦橋自体はやや大型化しています)

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雲龍級(改雲龍級も含め)」空母については前述の「大鳳」同様、本稿でまた後に取り上げる機会があると思います。簡単に紹介しておくと「飛龍級」中型空母の設計を流用しこれを戦時急造に向けて簡素化(エレベータの設置数の削減等)したものでした。

終戦までに6隻が進水し、うち3隻(「雲龍」「天城」「葛城」)が就役しています(1944年8月〜10月)。

 

改マル五計画での「改大鳳級」空母の計画

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(改マル五計画で設計された「改大鳳級」空母の概観 210mm in 1:1250 by Mini and Beyond(3D printing model):基本的には「大鳳」の拡大版の装甲空母で、対空砲の増強、水中防御の強化等が盛り込まれ、全長がやや大きくなっています(4メートル延長:1600トン増加):通常なら、「大鳳」との比較のカットを示したいところですが、3D printing modelのためやや細部が甘く(Neptunの「大鳳」が素晴らしいと言うことでもあるのですが)、あえて比較はしないでおこうと思います)

改マル五計画では、「大鳳」の強化型である「改大鳳級」空母5隻の新造も盛り込まれていました。「大鳳」からの強化の要目は対空砲の増強、飛行甲板の装甲範囲の拡大、水中防御の強化等で、より防御、生存性に注力した設計となる予定でした。

戦時を意識して工程の簡素化等にも配慮されましたが「急造」目的には程遠く、工期の短い「雲龍級」に建造を注力すべく、全て建造計画が取り消されています。

 

空母転用計画の既成艦の空母改造

以上のようにミッドウェー海戦敗北時の喪失空母の補填への対応状況を見てきましたが、「飛鷹」と「龍鳳」が即応性があるのみで、計画が具体化している(しつつあった)「大鳳」にせよ「雲龍」にせよ、就役は早くても1944年で、これからの新造艦については1944年後半からの就役がやっと、という状況でした。

このため、急遽、既成艦の空母への改造が検討されることとなった訳です。

 

千歳級」空母(「千歳級水上機母艦からの改造:1943年2月改造に着工、8月「千歳」、10月「千代田」空母として就役)

まず、空母「龍鳳」への改造工事が進捗中の潜水母艦「大鯨」同様、設計当初から短期間での工事での空母転用が予定されていた「千歳級水上機母艦の改造が決定されます。

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f:id:fw688i:20210926102714j:imageレイテ沖海戦時の「千歳級」空母の概観:迷彩塗装は筆者によるもので、全く参考になりませんのでご注意を。ああ、迷彩塗装していたんだな、程度に:154mm by C.O.B. Constructs & Miniatures: 3D printing model)

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(水上機母艦時代の「千歳級」の概観:by Delphin: 下のカットは、水上機母艦時代と空母改造後の比較:水上機母艦時代の中央部の特設上甲板は、強度試験等の目的だったとか?)
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千歳級水上機母艦は前述の潜水母艦「大鯨」同様、戦時には短期間で空母に改造できるよう設計され建造された水上機母艦でした。計画時にはワシントン・ロンドン条約体制で航空母艦保有制限がかけられていたために取られた措置でした。

 

千歳級水上機母艦には準同型艦として水上機母艦「瑞穂」、高速敷設艦「日進」があり、「千歳」「千代田」とともに戦時には短期間での空母への改造が予定されていましたが、4隻共に開戦以来、第一線で活動中で、そのうち「瑞穂」はミッドウェー海戦への参加のために内地への回航中に米潜水艦の攻撃で失われ(1942年5月)、「日進」はミッドウェー海戦後もソロモン諸島方面でその高速性と戦闘力を活かした強行輸送任務に奔走しており、改造のための内地回航の機会のないままに1943年7月にブーゲンビル島沖で米軍機の攻撃で撃沈されてしまいました。

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水上機母艦「瑞穂」
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水上機母艦「瑞穂」の概観:143mm in 1:1250 by Neptun:)

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「瑞穂」の大きな特徴は主機をディーゼルとしたことで、煙突がありません(上掲の写真右下には小さな排気管が見えています)。同艦のカタログデータを見ると速力は22ノットと記されており、空母として運用するためには全く速力不足でした。元々、「千歳級水上機母艦はワシントン・ロンドン条約では、補助艦艇の速力は20ノットを上限とすると言う制約があり、この制約の範囲で短期間に空母に転用できる艦艇を保有しておこう、と言う主旨で建造された艦級でしたので、設計段階での速度は問題ない(その段階での「瑞穂」の速度表記は18ノットでした)のですが、実際には建造途中で条約が失効を迎え延長されなかったため、「千歳級」の2隻は29ノットの速力を持つ水上機母艦として誕生しています。ディーゼルを試験的に導入したため、と想定しても、同様にディーゼルを主機とした準同型艦の「日進」は28ノットのカタログデータとなっているので、この「瑞穂」の数値は謎なのです。空母への改造時に機関をそっくり換装するようなことが決められていたのかどうか。

同様に同モデルでは、この「千歳級」と準同型艦である「瑞穂」「日進」に共通したマルチタスクに適応できるような艦尾形状が示されています(上掲写真の下段中央)。これらの艦は船体内の広いペイロードを活用し、時に水上機の格納スペースとして水上機母艦となり、あるいは特殊潜航艇(甲標的)の搭載格納スペースとして甲標的母艦となり、あるいは機雷庫として活用する高速敷設艦となり、さらに物資の強行輸送の可能な高速輸送艦として、マルチタスクをこなすことのできる艦級で、実際にも開戦以降、南進作戦や第二段階のソロモン方面での輸送任務などに奔走しました。

 

「千歳」「千代田」は1943年8月に「千歳」、11月に「千代田」が空母として就役しています。(両艦については、本稿の「レイテ沖海戦」等の回でもご紹介しています。上掲の写真は同じです)

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建造途上艦の空母転用

上述のように既成艦の空母転用に加えて建造途上にあった大型水上艦も空母への転用が決定され、空母仕様に改造されています。

背景には、これら既存艦の建造施設をできるだけ速やかに空母建造に向けて明け渡し、その後の完成した船体をどのように活用するか、検討が行われた、という事情があります。

 

大和級戦艦 3番艦「信濃」の空母転用

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(「大和級」戦艦の3番艦を空母化した「信濃」の概観:210mm in 1:1250 by Trident:  直下の写真は、「信濃」と同時期の日本海軍の標準空母となる予定の「雲龍級」との比較。大和級戦艦の血を引く「信濃」がいかに大きいか、何より広大な飛行甲板を有する空母であったことがわかります。Trident社製のモデルの飛行甲板の白線はやや誇張が過ぎるかと思います

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信濃」は「大和級」戦艦の3番艦として、1940年5月に起工され、ミッドウェー海戦での敗北時(1942年6月)には船体の70%が完成している状態でした。一方で「信濃大和級戦艦)」に主砲塔を供給するための専任艦である「樫野」が米潜水艦により撃沈され(1942年9月)工事の推進に大きな障害がでてきていました。ミッドウェー海戦の敗戦により急遽浮上した艦隊空母の急速な補填要求に加え、こうした事情もあり、「信濃」は空母への転用が決定されました。

大和級」戦艦が母体だけに、前述の「大鳳」同様、高い生存性を活かし戦場に長く留まり活動することが期待されました。飛行甲板は800キロ爆弾の命中に耐えられる装甲を貼り、トップヘビー傾向を抑えるために格納庫甲板は一層として、固有の搭載機数は47機と少なめでしたが、他空母の搭載機に対する補給も担当できるよう、大きな弾薬庫、航空機燃料庫を備えた「大鳳」に類似した設計でした。速力は母体である「大和級」戦艦同様、27ノットを発揮する予定でした。

1944年11月に就役し、最終艤装を呉海軍工廠で行うため横須賀から呉への航海に出ますが、回航途上、米潜水艦の魚雷攻撃を受け撃沈されました。就役からわずか10日後の沈没でした。

 

「改鈴谷級」重巡洋艦 1番艦「伊吹」の空母転用

ja.wikipedia.org

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(「改鈴谷級」重巡洋艦を転用した空母「伊吹」の概観:163mm in 1:1250 by Mini and Beyond(3D printing model): 直下の写真は、「伊吹」(手前)と雲龍級」の比較。重巡洋艦をベースとした「伊吹」はかなり小型の空母だったことがわかります

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「改鈴谷級」重巡洋艦はマル急計画(「昭和16年度戦時急増計画」)で建造が決定した重巡洋艦の艦級です。その1番艦である「伊吹」は1942年に起工されましたが、ミッドウェー海戦での敗北で空母建造が急務となったため、早急に船体のみ完成させ船台を空母建造に転用する旨、決定が下されました。1943年4月に進水し、呉海軍工廠に係留されていましたが、船体転用についての検討の結果、1943年8月、軽空母への転用が決定されました。

改造工事は佐世保で行うことも決定し、1945年3月の完成予定を見込んだ計画が推進されることとなり、佐世保に回航されましたが、すでに重巡洋艦としてある程度完成された船体であるために改造工事の工数が余計にかかり、工事はなかなか進展しませんでした。結局、80%までの進捗状況で1945年3月、工事は中止され、完成には至りませんでした。

 

既成大型艦の空母転用の検討

これまでに見てきたように喪失空母の補填については、建造計画中の空母の建造推進と計画の拡張、戦時での空母改装を盛り込まれた設計の既成艦の改造、建造進行中の他艦種の空母転用、と様々な方向での推進が図られますが、「千歳級水上機母艦の空母改造以外には、短期で実効性のある対策は見出せんでした。

これらの検討と併せて既成大型艦の空母転用も検討されています。

 

具体的には「大和級」戦艦を除くすべての戦艦がその検討の俎上に上がり、「長門級」2隻は「大和級」戦艦に次ぐ有力艦であるとの理由で、また「金剛級」4隻も高速警戒艦として空母機動部隊構想からは除外できないとの理由で転用候補から外されました。一方「扶桑級」2隻は艦隊空母として必要な25ノットの速度が満たせないとして除外され、結局、「伊勢級」2隻のみが転用候補として改造計画の対象となりました。

伊勢級」戦艦の空母改造の検討

同級の「日向」が檻からの砲塔爆発事故で5番主砲塔を欠いており、いずれにせよ修復工事を行わねばならなかったという事情も働いていたようです。

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(資料:申し訳ありません。原典が不明です。上記の画像では、上から「伊勢級」航空戦艦(実現案)、「伊勢級」全通飛行甲板空母改造案、「伊勢級」航空戦艦別案が示されているようです、どなたかご存知なら:大内健二氏の著作「航空戦艦 伊勢・日向」(光人社NF文庫)にも参考図面とスペックに関する記述があり、以下の記述はそれを参考にさせていただいています

具体的な改造案としては、「赤城」「加賀」の転用工程に倣い、主砲・前檣等も含むすべての上部構造物を一旦撤去して機関部等のみ残した船体に格納庫を追加し、その上に飛行甲板を設けるというものでした。

実際には航空戦艦への改造が行われた計画のみの存在で、もちろん既成のモデルあありません。では、形にしてしまおう、と言うわけで・・・。

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(「伊勢級」の本格空母への改造案の概観:163mm in 1:1250 by semi-scratched model based on Delphin model : 直下の写真は、「伊勢級」の本格空母改造案(奥)と実現した航空戦艦案(Delphin)の比較:申し訳ありませんが、ご覧のように本格空母案の方は最終艤装(特に対空砲一式)が未完の状態です。対空砲装備のベースとなる部品取りモデルを調達中で、これが到着次第完成し、またお披露目します。今回はなんとなくこんな形だったかも、と言うのがわかっていただけたら、と)

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(直下の写真は、「伊勢級」を本格空母化した場合に、どの程度の空母たり得たのかを把握するための「雲龍級」空母との比較:船体規模はほぼ同等で、構造から見て一段半の格納庫を設定できそうですから、個有の搭載機数も、おそらくほぼ同等になり得たのではないかと想像します。ただし速力は「伊勢級」は25ー26ノットで、「雲龍級」には及ばなかったでしょうね。防御力の備わった「隼鷹級」と考えるべきかも。しかし、標準的な艦隊空母としての運用は可能だったのではないでしょうか?)

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完成すれば216メートル級の飛行甲板を持ち、搭載機54機を運用できる「雲龍級」空母に匹敵する規模を持つ艦隊空母になることが期待できました。機関の換装は計画しないため速力は25ノットでしたが、これも「隼鷹級」中型空母と同程度ですが、戦艦出自から来る防御性能は「隼鷹級」を遥かに凌駕するものになるはずでした。

計画図面では「隼鷹級」と同様の煙突一体型のアイランド艦橋を持った案が残されています。

結論としてはこの案では改造工期が一年半ほどかかり、その間、資材の分配等から他の新造空母の建造工事にも影響が出るとして見送られ、結果的には「伊勢級」戦艦は航空戦艦としての改造を受けることなったのです。

航空戦艦「 伊勢」「日向」

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(直上の写真は伊勢級航空戦艦の概観:172mm in 1:1250 by Delphin)

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(直上の写真は伊勢級航空戦艦2隻:伊勢(奥)、日向) 

ja.wikipedia.org

 

模型制作的な視点から

下の写真は今回「伊勢級」本格空母改造にあたって準備したパーツ類です。写真に撮ったパーツ類は、未使用のセットですので、もう一隻の製作が可能ではあります(いずれ作るのかな)。f:id:fw688i:20220219211825j:image

メインはDelphi社製の航空戦艦「伊勢(日向?)」のモデル(写真のほぼ中央:上掲の航空戦艦のモデルがまさに「それ」で、Delphin社のモデルはebayで比較的安価で入手できるので、ストックパーツとしては最適で、筆者は数隻をストックパーツとして保有しています。そのうちの1隻を分解し、上部構造を実際の改造のように可能な限り除去します(除去したパーツは、もちろんストックパーツとして収納しておきます)。

この平たくなった船体上にプラロッドで格納庫スペースを立ち上げ、その上に飛行甲板を乗せる。あとは細部をプラロッドなどで整えて、最後に煙突一体型アイランド艦橋を右舷に設置。と言うような手順です。

今回、煙突一体型アイランド艦橋は実は大小二種を作成し、前出のモデルには小(ほぼ「隼鷹級」に等しい大きさ)を採用しています。下の写真には残った「大」の方が写っています。(「本格空母」感を出すのであれば、「大」を使うべきだったかも知れません。「ああ、速度といい、規模といい、「隼鷹級」等しい空母になるんだなあ、と言う一人合点が、多分「小」を選ばせたんだと思います)

飛行甲板は、今回は古い「飛龍」のストックモデルを使っています。船体に合わせた長さ調節、形状等の整形が必要です。写真に写っている飛行甲板にはまだ除去前の艦橋が写っていますね。(写真の上部部中央に写っている航空戦艦「伊勢」の船体後部の飛行甲板は、今回のモデルには使いません。ただ写っているだけ)

 

重巡洋艦「筑摩」空母改造案

前述の「伊勢級」戦艦の空母転用と同様に、損傷を負った重巡洋艦についても空母への転用が検討されたようです

ミッドウェー海戦で損傷を負った「最上」は「伊勢級」戦艦と同様な検討ののち、航空巡洋艦に改造されています。

その中で、「南太平洋海戦」で損傷した重巡「筑摩」の損傷回復の際に、一気に空母へ改造しようと検討がなされた痕跡が残されています。同型艦の「利根」についてはこんな情報は出てきませんね。うまくいけばと言うことだったんでしょうか)f:id:fw688i:20211106125154j:plain

艦首がエンクローズド・バウですね。図面ではエレベータが1基しかないのは、何故でしょうかね。搭載予定の艦載機が「烈風」や「流星」で大型化しているので、「伊吹」でも「筑摩」でも、甲板繋止が当たり前のように予定されていたようです。改造空母では格納庫スペースが十分には取れない、エレベータのスペースもできれば格納スペースに。と言うようなことと関係があるかもしれません。それにしても前部エレベータのみ設置、というのはちょっと理解できません。

発艦距離の短い艦上戦闘機のみの搭載として艦隊防空の専任担当艦ということでしょうか?それならば、燃料と弾薬の頻繁な補給のために後部に着艦スペースを取り、飛行甲板上で補給を行い速やかに発艦し上空直衛の任務に戻る、格納庫収容は修理の必要な場合のみ、というような運用が想定されるかもしれません。これならば前部エレベータのみで事足りるかも。

 

1:1250スケールでは、モデルは流石に出ていません。(1:700スケールではガレージキットが出ていたようです。やっぱり凄いな)

となると、筆者の常として、なんとか形にしてみようと言う想いがむくむくと。手近なところから使えそうなモデルを探し始めるのですが、そういえば「改鈴谷級」と「利根級」は寸法は大きく変わらないので、では空母形態の「伊吹」をベースにトライしてみよう、ということで。

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(「重巡「筑摩」改造空母の概観:上述のように空母「伊吹」のモデルをベースの改装しています。艦首部のエンクローズド・バウ化が外観的な目玉かも)

結論は「伊勢級」戦艦の改造においての議論と変わらず、期待するほど短期間での工事は不可、かつ1万トン級の重巡洋艦では、船体の形状等から搭載機数に限度があり(せいぜい30機)、小型空母以上にはなりにくいなどの要件で、いずれも見合わされました。

 

空母「筑摩」制作雑記

本稿では、以前、下記の工作をご紹介しています。そのほぼ再録。

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前出の空母「伊吹」のモデルをベースにして、前部飛行甲板のトラスを撤去。最大の特徴であるエンクローズド・バウをプラパーツとエポキシ・パテで再現します。これが最大の作業(上掲の写真の右下)。図面では右舷に煙突が二本突き出ていますので、これもプラパーツでそれらしく追加(左下)。なんとなくそれらしくなってきたかな。エレベーターが1基と言うのは少し考えものですね。架空艦なので、2基装備でもいいようにも思います。

後は下地処理をして塗装をして完成です。

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重巡洋艦形態の「筑摩」と空母形態の艦型比較:少なくともサイズ的には「伊吹」のモデルの流用には大きな問題はなさそうですね)

 

以上のように、日本海軍はミッドウェー海戦での空母損失をなんとか補填しようと種々模索しています。しかし、結論としては早、いずれの方法も早急な対策とはなり得ず、当面は前回ご紹介した新星第三艦隊の体制で望む他にありませんでした。

上記の記述で出てきた各対応は、いくつかは途中で断念され、あるいは空母として完成したものも、すでに時期が1944年に入ってからで、その時期には搭載する航空機部隊、特に空母搭載機の搭乗員の手当がつかず、艦載機のない「空空母」に甘んじざるを得ませんでした。

やはり、いかにミッドウェー海戦の打撃が大きかったか、改めて実感できますね。

 

という訳で、今回はこの辺りで。

 

次回は「第二次ソロモン海戦」のお話を、と思っていますが、今週から次週にかけて週末も含めかなり本業が多忙です。簡単な新着モデルのお話を挟ませていただくかも。あるいは一回スキップも。

 

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。「以前に少し話が出ていた、アレはどうなったの?」というようなリマインダーもいただければ。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

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日本海軍 空母機動部隊小史 その9-1:機動部隊の再建(新生第三艦隊)

ミッドウェー海戦(1942年6月)で主力艦隊空母4隻を一機に失った日本海軍は、早急な空母機動部隊の再建に迫られます。

とは言え、即応できる空母戦力は限られており、大型艦隊空母2隻(「瑞鶴」と7月に珊瑚海海戦での損傷を回復した「翔鶴」)、商船改造中型空母2隻(「隼鷹」1942年5月就役、「飛鷹」1942年7月就役)、艦隊小型空母「龍驤」、艦隊補助空母「瑞鳳」の6隻でした。

これらの空母を軸に、これまでの戦訓を盛り込んで、機動部隊が再建されてゆくのですが・・・。

今回はそういうお話。

 

機動部隊再建の「柱」

再建機動部隊の編成にあたっては、これまでの海戦の戦訓から、大きくは、建制艦隊への移行による艦隊全体の作戦能力強化、そして搭載航空戦力の見直し、の二つの視点で改変が加えられました。

 

第一航空艦隊から第三艦隊へ:臨時編成から建制艦隊編成に

太平洋戦争開戦以来、空母機動部隊は第一航空艦隊(空母部隊)を中心とする臨時編成の艦隊として運用されてきました。これは空母があくまで補助戦力で、「水上艦艇部隊に航空支援を与える」という運用構想に根ざした艦隊編成からスタートしたためで、「航空主兵」が明らかになった(実は日本海軍が明らかにしたのですが)太平洋戦争の諸相に対応するはこれを改める必要がありました。

このため、第一航空艦隊は解隊され、に新生第三艦隊が編成されることになりました(第一航空艦隊は後に、基地航空部隊として復活することになります)。

この編成変えにより、機動部隊司令部は艦隊運用に柔軟性を持たせることができ、特に警戒体制強化が期待されました。この点、「戦時に悠長な」と聞こえるかもしれませんが、仮の編成ではなく、一つの組織になる、ということは目的の共有等については結構重要なことだと、筆者は思います。実際に我々の今の社会でも、特に会社組織などでは柔軟に編成したつもりの臨時組織が、主体性、主導性などの視点で「どっちがやるの?」「そっちがやると思っていた」とか「指示をくれないと」といった齟齬でかえって本来狙っていたはずの行動の柔軟性を失い、時には致命的な空白が生まれる、などの事例には事欠きません。それが生死をかけた戦時であればなおのこと、ではないでしょうか?

特に太平洋戦争開戦からのこの時期、まだ個艦の対空戦闘力は未整備で十分ではなく、それをめいっぱい活用するためには、こうした編成に対する変革が必要だったのでしょうね。ある意味、成熟した官僚機構(ハンモックナンバーが重視されるなどが象徴的です)であった日本海軍においては、こうした建前での指揮系統の明確化は重要だったかも(「建制」とはそういう事も字面に内包されているのかなあ、と変な感心をしてしまいます)。

こうしたことによって、空母駆動部隊は文字通り「一つの艦隊」として新生した訳です。

 

新生第三艦隊の編成

日本海軍における第三艦隊の歴史は古く、その初代編成は日露戦争時に遡ります。しかし第一艦隊、第二艦隊が常に「主力艦による艦隊決戦」を想定して整備されたのに対し、いわゆる「それ以外の艦隊業務」を担う部隊として運用されてきました。つまり戦線の警戒や警備、陸軍の輸送路の護衛等の支援業務がそれで、太平洋戦争開戦前の日中戦争では沿岸部の邦人権益の保護、擁護がその目的とされ、開戦後には南方へ侵攻する陸軍部隊の輸送護衛、侵攻支援などに当たってきました。

ある意味、この新生第三艦隊で、初めて海軍の主戦力となった訳ですが、ではなぜ「航空主兵」の時代の主戦力として認識を得つつありながらも、第一艦隊でも第二艦隊でもないのか、という辺りには日本海軍が「艦隊決戦」に向けて設計され整備されてきた、そうした「血統」的なものの根深さがあるような気がしています。

これ以降のソロモン方面で展開される空母機動部隊の関係する戦闘でも、第三艦隊の南雲中将よりも第二艦隊の近藤中将の方が先任で、つまり指揮ができませんでした。これが改められるには、小沢中将の就任を待たねばならず、さらにその実質を見出すには統一指揮に向けて第一機動艦隊の編成を待たねばなりませんでした。(この間、約2年。官僚の変化としては異例に短かさで実現できた、というべきかも)

 

新生第三艦隊の1942年7月時点での編成は以下の通りです。

主戦力である空母部隊は旧第五航空戦隊を母体とした新編成の第一航空戦隊と旧第四航空戦隊を拡充した第二航空戦隊から構成されています

第一航空戦隊(「瑞鶴」「翔鶴」「瑞鳳」)

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(第一航空戦隊の3隻:「瑞鶴」「翔鶴」(上段)「瑞鳳」(下段))

同航空戦隊は、ミッドウェー海戦で「赤城」「加賀」を失い壊滅しましたが、「珊瑚海海戦」に参加しMI作戦に参加できなかった(「翔鶴」が米機動部隊の攻撃で被弾損傷、さらに搭載機部隊に大損害が出ていました)第五航空戦隊を母体に、空母「瑞鳳」を加えて新たに編成されました。

 

第二航空戦隊(「飛鷹」「隼鷹」「龍驤」)f:id:fw688i:20220212125653p:image

(第二航空戦隊の3隻:「隼鷹」「飛鷹」(上段)「龍驤」(下段))

同航空戦隊は、ミッドウェー海戦で「飛龍」「蒼龍」を失い壊滅しますが、MI作戦(ミッドウェー攻略作戦)に並行されて実施されたAI作戦に主力として参加した「隼鷹」「龍驤」で編成された第三航空戦隊が繰り上がり再編成されました。ミッドウェー海戦後の7月に「隼鷹」の同型艦「飛鷹」が就役し、同航空戦隊に編入されました。

 

この両航空戦隊を主軸とし、警戒部隊として以下の各戦隊が編入されました。

第十一戦隊(「比叡」「霧島」)

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(第十一戦隊の2隻:「比叡」「霧島」(下段):「比叡」は艦橋に特徴があり、「霧島」は丸みを帯びた主砲塔が特徴になっています)

同戦隊は、開戦時には第三戦隊として「金剛級高速戦艦4隻で戦隊を編成していましたが、持ち前の高速力を活かして空母機動部隊に帯同できる唯一の戦艦部隊として、機動部隊と行動を共にすることが多くありました。新生第三艦隊の編成にあたり、空母機動部隊の直衛艦部隊として新たに第三戦隊と第十一戦隊に改組されました。

 

第七戦隊(「熊野」「鈴谷」「最上」)f:id:fw688i:20220212165239p:image

(第七戦隊の2隻:「鈴谷」「熊野」(下段))

同戦隊はミッドウェー海戦では同島攻略部隊本隊の第二艦隊に所属していましたが、上陸に先駆けた艦砲射撃と機動部隊壊滅後の夜戦に備え前衛に進出中に反転帰投命令を受けています。その後、米潜水艦の回避行動中に「三隈」と「最上」が衝突し両艦は一時行動不能になりました。翌朝の米軍機の襲撃で「三隈」が撃沈され、「最上」は大損害を受けました。その後。「最上」は損傷回復時に航空巡洋艦への大改装を受けることとなり、この新生第三艦隊編成の時期には改造工事の途上にあり、序列はされたものの、工廠にあって戦線にはありませんでした。

 

第八戦隊(「利根」「筑摩」)f:id:fw688i:20200607142735j:image

(第八戦隊の2隻:「利根」「筑摩」(奥))

同戦隊は太平洋戦争開戦以来、持ち前の航空索敵能力を活かし空母機動部隊に帯同してきました。今回の新生第三艦隊編成時にも引き続き、機動部隊に残りました。

ミッドウェー海戦時には同戦隊の搭載水上偵察機による索敵は重要な要件でしたが、諸般の事情で発進が遅れるなどの状況が生じ、米機動部隊の発見が遅れる要因の一つとなりました。少し穿った見方をすると、この発進の遅れ等も、前述の第一航空艦隊の編成上の課題(臨時編成による指揮系統の曖昧さ)が大きく作用していた可能性があります。具体的には搭載機の故障等による発進の遅れもありましたが、それ以外にも警戒部隊指揮官による敵機動部隊の索敵機の発進よりも機動部隊周辺の対潜哨戒を優先した判断があったようです。

 

第十戦隊(「長良」「陽炎級駆逐艦16隻)

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(第十戦隊:旗艦「長良」と「陽炎級駆逐艦

同戦隊は軽巡洋艦「長良」を旗艦とし、「陽炎級駆逐艦16隻で編成されています。第十戦隊自体はミッドウエー海戦でも空母機動部隊の警戒部隊を務めています。「陽炎級駆逐艦を従来の3個駆逐隊12隻から4個駆逐隊16隻に強化した編成となりました。

 

航空戦隊の改編:搭載機兵力の見直し

開戦依頼、破竹の進撃を続けてきた空母機動でしたが、以前から、空母部隊の直衛戦闘機の不足は課題になっていました。これを補うために、「珊瑚海海戦」では試験的に小型空母「祥鳳」を第五航空戦隊に編入し、「祥鳳」の艦載機部隊に機動部隊の上空直衛を担当させ、「瑞鶴」「翔鶴」には敵艦隊への攻撃に比重を置く、という運用をテストする予定でした。しかし、ポート・モレスビー攻略の役割を負った陸軍部隊からの輸送船団への直掩航空支援の要請等のために、「祥鳳」は輸送船団直衛の任務にあたったため、この構想は実現できませんでした。

続くミッドウェー海戦では、さらにこの空母上空の直衛部隊の不足が露呈し、攻撃隊の護衛機を減らしてまでも実施した空母上空の防衛戦であったにもかかわらず、結局、この防衛の空白をついた攻撃で4空母が被弾、喪失するという結果となりました。

この戦訓から、新編成の航空戦隊はこれまでの2隻編成を改め、大型(中型)攻撃空母2隻と、小型上空直衛専任空母1隻、都合3隻編成として、上空警戒能力を充実させました。

 

一方で、攻撃空母の艦載機構成も見直しが行われました。それまでの艦隊決戦構想における「漸減戦術」の骨子に沿った主力艦に対する魚雷攻撃重視の艦載機構成から、制空権確保のための航空決戦に第一義を置いた戦闘機、艦爆重視の艦載機構成への変更が行われました。

制空戦闘機による突入路確保に続き艦上爆撃機による空襲で飛行甲板を撃破し敵空母の航空戦闘力を奪い、その後、雷撃機が止めを指す、そのような手順を目指す搭載機構成が行われた訳です。例えば、「瑞鶴級」の搭載機の定数構成を見ると、開戦時には艦上戦闘機18機、艦上爆撃機27機、艦上攻撃機24機であったものが、艦上戦闘機27機、艦上爆撃機27機、艦上攻撃機18機に改められました。

第二航空戦隊の「隼鷹級」ではさらにこの傾向が顕著で、新編の第二航空戦隊編入時の艦載機の定数構成は艦上戦闘機21機、艦上爆撃機18機、艦上攻撃機9機でした。

 

空母自体の改良

こうした上述の部隊構成に関する改変の他に、特に旧第五航空戦隊の二空母(「瑞鶴」「翔鶴」)については、珊瑚海海戦後の損傷回復時に、いくつかの改良が行われました。

その大きなものは出火対策の強化と索敵能力の強化であり、前者については可燃物の排除が徹底され(壁面のペンキを剥がし、素材剥き出しとする、とか)、移動式消火ポンプの増設、煙突冷却装置の火災時転用の具体化などが挙げられて、その後の同級の生存性を高める効果がありました。

後者については、電探装置(レーダー)の装備による対空見張りの強化が目指され、まず「翔鶴」がこれを装備したのでした。

 

さらに対空兵装(対空機関砲)の増設が行われました。

 

一方で課題もあり、その大きなものは損失航空機の補充の難しさと、それに伴う搭乗員練度の低下が挙げられるでしょう。

特に戦闘機の補充が難しく、当時の月間100機に満たない生産能力では、機動部隊以外の部隊の損害補充等も考慮すれば、「珊瑚海海戦」「ミッドウェー海戦」での損失機の補充は容易ではありませんでした。

搭載機が揃わねば当然練度上昇の訓練などは行えず、就役したての「飛鷹」を加えた第二航空戦隊では出撃の準備が整わず、編成としての六空母体制が取れないまま、次に発生する空母決戦「第二次ソロモン海戦」を迎えることとなります。

 

この後、「第二次ソロモン海戦」のお話に入っていくのですが、この海戦を語るには「ガダルカナル攻防」の意義に触れねばならず、あまり簡単なお話ではなくなると思いますので、今回はこの辺りで。

 

という訳で次回は「第二次ソロモン海戦」のお話を。

あるいは今回は機動部隊再建を既存艦艇の視点でご紹介しましたが、一方で空母戦力の補充についての検討も行われましたので、その辺りのお話を先にするかも。

 

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。「以前に少し話が出ていた、アレはどうなったの?」というようなリマインダーもいただければ。

 

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特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

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新着モデルのご紹介: A=H帝国中央砲郭艦、SW海軍計画海防戦艦、タイ海軍海防戦艦と超甲巡のモデル素材比較

またまた予告に反して「機動部隊小史」には戻りません。

言い訳をすると、日本海軍の軍制の話に興味が向いていってしまっています。本稿どれだけ関連してくるのか、筆者自身もわからないのですが、しばらく手探りが続くのかも。「ミッドウェー」で第一航空艦隊から第三艦隊に空母機動部隊は編成替えされるのですが、これがどういう意味を持つのか、もう少し掘り下げてみたい、そんなところです。

 

というわけで今回は最近の新着モデルのご紹介。

1)年明けにご紹介したオーストリア=ハンガリー帝国海軍の近代海軍以前の軍艦のジャンクモデルを仕上げてみたので、そのご紹介をまず。

2)ついで本稿で何度かご紹介してきているスウェーデン海軍の海防戦艦の未成艦のモデルを入手したので、こちらもご紹介。

3)かなりマニアックなところで、太平洋戦争期のタイ海軍の海防戦艦トンブリ」級のご紹介。(小さな可愛い戦艦ですが、なんと日本製です)

4)そして、「超甲巡(B-65というべきか)」のモデルのご紹介。こちらは以前、3D printing modelのご紹介をしているのですが、今回、ダイキャスト製モデルが手に入ったので、両者比較を少ししてみたいと思います。

と今回はそういうお話。

 

本題に入る前に・・・

本稿前回で、大変重要な情報をお伝えし忘れていた事に気がつきました。なぜ、前回、急に「スター・トレック ピカード 」を再録したのか。

その理由は3月4日からセカンド・シーズンが始まるから。こんな重要なことをお伝えしないなんて。(スター・トレック大好き仲間からの「日本で見れるんかい」という問合せで、すっかりその情報が抜けているのに気がつきました。ちょっと2年前の気持ちに浸りすぎてしまっていた!)

というわけで、予告編をどうぞ。

www.youtube.com

お話は「タイムトラベル」的な要素が大きく働くようです。Q連続体も出てくるとか。(ジョン・デ・ランシー:ちょっと歳とってますが。実は筆者は「Q」という存在が大変苦手です。話が大変ややこしくなる・・・・もっと書きたいけど、書き始めるとこれで終わっちゃうので、このへんにしておきます)そしてガイナン(ウーピー・ゴールドバーグ)も(こちらはひたすら懐かしい)。もちろんお馴染みの仲間たちもきっと。こう書くと初めて見る人にはちょっとハードルが高いかも、などと、心配になりますが。

Amazon Primeにて3月4日から(また、放送事故とかあると、いいな。ちょっとびっくりしたけど、一種の時系列のゆがみだと思えば、それはそれで)

 

さて、本編:新着モデルのご紹介

A=H帝国海軍 中央砲郭艦「テゲトフ」(1878)

en.wikipedia.org

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(装甲艦「テゲトフ」の概観:83mm in 1:1250 by Sextant: マスト等を失った船体のみのジャンクモデルとして入手したものを、少し修復しています)
「テゲトフ」はA=H帝国海軍が建造した装甲艦で、いわゆる「中央砲郭艦」という形式に属しています。

同艦は1882年に就役しています。7400トンの船体を持ち、その中央砲郭にに11インチ(28センチ)砲を主砲として6門搭載し、13ノットの速力を発揮することができました。就役当時はA=H帝国海軍最大、最強の艦船でしたが、アドリア海での運用が主目的であったため、同時期の他の列強の同種の装甲艦に比較すると小振でした。ちなみに艦名は1866年のA=H帝国海軍の栄光の戦いである「リッサ海戦」でA=H帝国海軍を率いた提督の名に由来しています。

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(装甲艦「テゲトフ」の中央砲郭の拡大:11インチ主砲を船体中央の装甲で防護された砲郭に片舷3門、装備しています。それぞれの砲には大きな射角が与えられる配置になっています)

就役以降、機関の不具合に悩まされ続けて、活動は十分ではなかったようです。ようやく1893年に機関が信頼性の高いものに換装され、同時に兵装も一新され、同艦は主力艦としての活動が可能になったようです。

その後、1897年には艦種が警備艦に改められ、一線を退いています。さらに1912年に艦名が「マーズ」に改められ、「テゲトフ」の名はA=H帝国海軍最新の弩級戦艦ネームシップに引き継がれました。「マーズ」は港湾警備艦練習船として第一次世界大戦中も使用され、戦後、イタリアへの賠償艦として引き渡され1920年に解体されました。

 

装甲艦の系譜

少し列強海軍の装甲艦の型式の発達をまとめておくと、まず「舷側砲門艦」が建造されます。

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(舷側砲門艦:このモデル自体の艦名が不明です。まとめて落札したりすると、こういうことがかなりあります:帆船時代の戦列艦と同様、舷側に砲を多数搭載しています。搭載砲の大型化(長射程化というべきか)に伴いこの搭載方法では対応できなくなりました)
これは蒸気機関を搭載し(多くは帆装と機関を併用した機帆船でした)帆船と同様に舷側に主砲をずらりと並べた型式でした。A=H帝国海軍の場合には本稿でご紹介した「リッサ海戦(1866年)」当時の主力艦はこの型式でした。これが1850ー60年代(ちょっと乱暴に区切ると)。

 

次いで現れたのが「中央砲郭艦」という形式。f:id:fw688i:20220206100810p:image

(中央砲郭艦:A=H帝国海軍の「リッサ級」です。A=H帝国海軍が初めて建造した中央砲郭艦です。84mm in 1:1250 by Sextant(多分):中央の砲郭部に9インチ砲を片舷9門ずつ搭載しています。写真下段で、少しわかりにくいですが9インチ砲を張り出し部分に3門、その下段の舷側部に6門搭載しているのが見ていただけるかなあ。シルバーでハイライトしておくんだったなあ。この辺りの配置から、舷側砲門形式からの移行期、模索期の試作艦的な要素が見て取れるかと。艦名は言うまでもなくA=H帝国海軍栄光の「リッサ海戦」に由来しています)

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艦載砲が大型化し強力になるにつれてその弾薬庫をいかに防護するかも大きな課題になってきます。つまり強力な砲弾を被弾時の誘爆から防御する必要が出てきた訳です。重厚な装甲で覆えばいい、のですが限られた機関出力との兼ね合いで装甲をどのように貼れば効率良く機動性を確保できるのか、これに対する一つの解答が「中央砲郭」という考え方でした。艦の中央部に砲と弾薬庫を搭載しその区画を重厚な装甲で覆う、という設計です。A=H帝国海軍はこの型式の装甲艦を8隻建造しています。試行錯誤的で決定版の設計を模索したのでしょうか、同型艦を持たない艦級が5つあります。「テゲトフ」も同型艦を持たない艦級です。これが1870年代から80年代にかけて。

 

この後、砲塔形式で主砲を搭載する「中央砲塔艦」の形式(1890年代)を経て「前弩級戦艦」(1900年以降)へと発展してゆきます。

ちなみに日本海軍の最初の戦艦とされる「扶桑(初代)」もこの「中央砲郭」形式です。

f:id:fw688i:20220205121321j:plain(日本海軍最初の戦艦「扶桑」の概観:55mm in 1;1250 by Hai)

そして日清戦争(1894年)当時の清国北洋艦隊の主力艦「定遠級」は次世代の設計「中央砲塔艦」の一種と言っていいでしょう。

f:id:fw688i:20220205122410p:plain(清国北洋艦隊主力艦「定遠級」の概観:75mm in 1:1250 by Hai) 

興味のある方はこちらも(ああ、かなり初期の投稿ですね。2018年かあ。そうだこの辺りから始めたんだった。ちょっと打ち明け話。当時、NHKで「坂の上の雲」を放映していて、ナレーションの渡辺謙さんの声を想定して本稿を書いていました。だから文章も・・・)

fw688i.hatenablog.com

 

スウェーデン海軍:海防戦艦「アンサルド社」提案(未成艦)

Coastal Battleship projects:

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Ansaldo Project 1 (1941): 173 m x 20m x 7m and 17.000 tons standard, propelled by 90.000shp on 4 shafts, and a top speed of 23 knots, protected by a belt of 200 mm, Decks of 120 mm and armed with six (3x2) 280 mm, 4x2 120 DP, 5x2 57 AA, 2x2 40 AA, 6x 20 mm AA Guns. The latter could have been in effect too large and costly for Sweden's needs.
Coastal Battleship projects

出典元:Swedish Navy in WW2

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(海防戦艦「アンサルド社1941年提案」の概観:129mm in 1:1250 by Anker)

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(直上の写真は、11インチ主砲の配置の拡大)

同艦はイタリアのアンサルド社が1941年にスウェーデン海軍に新しい海防戦艦として提案したものです。上述のように17000トンの船体を持ち23ノットの速力を発揮する設計で、11インチ(28センチ)主砲を連装砲塔で3基、さらに12センチ両用連装砲4基搭載する強力な兵装を有する設計でした。スウェーデン海軍の艦船としては大きすぎ、かつ高価すぎるということで採用されなかったようです。f:id:fw688i:20220206101640p:image

(「アンサルド社提案海防戦艦」と実在の海防戦艦「グスタフ5世」との比較:アンサルド社提案がかなり大型であることがわかります)

 

1945年提案デザインもある

アンサルド社は1945年にもこれをややコンパクトにした設計案(13900トン、37ノット、21センチ連装砲塔3基、という設計なので、海防戦艦というよりは巡洋艦ですね)を提案していますが、こちらも採用には至りませんでした。(こちらはモデルを未入手です)

> Ansaldo Project 2 (1945): Displacement of 13.900 tons (unknown dimensions), propelled by 56.000 shp on 2 shafts, top speed of 37 km/h or 20 knots, protected by a 300 mm belt and 120 mm deck. Armed with 2x3 210 mm, 2x2 120mm DP, 6x2 57mm and 16x1 25mm AA Guns.  

スウェーデン海軍の海防戦艦についてもっと知りたい方は本稿のこちらもどうぞ。(今回ご紹介した内容は、下記にも反映しておきます)

fw688i.hatenablog.com

 

タイ海軍:「トンブリ級」海防戦艦(19381- 同型艦2隻)

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(タイ王国海軍海防戦艦トンブリ級」の概観:62mm in 1:1250 by Poseidon:筆者自身もあまり馴染みのないメーカーですが、結構面白い=マニアックなラインナップを持っていそう。軍艦はタイ海軍に集中しています。日本海軍の「氷川丸」モデルも。ああ、これ持っているかも。フォルム的にはこれ「氷川丸」かな?と、ちょっと首を傾げる感じだったかもなあ。でもPoseidon社、面白いぞ、ちょっと注目です)

タイ王国は日本と並びアジア圏でヨーロッパ列強の植民地支配を受けずに独立を保持した数少ない国です。同王国海軍はお隣のインドシナに侵攻し領有したフランス海軍を仮想敵としており、1930年代に海軍の拡張を実施しました。

トンブリ級」海防戦艦はこの拡張計画の「目玉」ともいうべき艦級で、「トンブリ」「スリ・アユタヤ」の2隻が、同じアジア圏の海軍大国であった日本に発注されました。

同級は2000トン級の船体を有し、日本海軍の重巡洋艦の標準装備砲であった「50口径3年式20.5センチ砲」を連装砲塔で艦の前後に2基搭載していました。

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(タイ王国海軍海防戦艦トンブリ級」の主砲と艦橋のアップ:上述のように同艦は日本で建造され、日本海軍の技術の影響を多く受けています。主砲は日本海軍の重巡洋艦の標準装備砲を搭載しています。今回のモデルでは実は主砲塔が破損した状態で到着しました。そのためNeptun社製の「古鷹」級のストックパーツから主砲塔を転用しています。艦橋も「古鷹級」を参考にして設計されたとか)

同級は速力こそ13.5ノットでしたが、インドシナ駐留のフランス海軍の通報艦に対しての自国沿岸警備の任務には十分だと考えられていました。

1941年にヴィシー政権下のフランス領インドシナとの間に発生した「タイ・フランスインドシナ紛争」ではタイ艦隊の主力艦として軽巡洋艦「ラモット・ピケ」を旗艦とするフランス東洋艦隊(軽巡1、通報艦4基幹)と交戦し(コーチャン島沖海戦)、旗艦「トンブリ」が集中砲火を受け損傷、擱座する損害を受けています。(「トンブリ」はその後、依頼を受けた川崎重工によりサルベージされましたが、損傷が激しく係留状態のまま練習艦として使用され、後に解体されています)

フランス海軍東洋艦隊 軽巡洋艦「ラモット・ピケ」

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(フランス海軍東洋艦隊の旗艦「ラモット・ピケ」(デュケイ・トルーアン級)の概観:144mm in 1:1250 by Neptun: フランス海軍が第一次世界大戦終結後建造した初めての軽巡洋艦です。列強軽巡洋艦の中で初めて主砲を砲塔形式で搭載した艦級です。軽装甲で速力重視の設計でした。7500トン、33ノット、15.5センチ連装砲4基搭載)

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フランス海軍の巡洋艦はまた別の機会にゆっくりと。
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(「トンブリ」(いうまでもなく手前)と「ラモット・ピケ」の比較:両者が交戦した「コーチャン島沖海戦」はワンサイドゲームだったようです)

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同型艦の「スリ・アユタヤ」は第二次世界大戦後の内戦(1951年)でタイ陸軍の砲撃で大破沈没。その後サルベージされて解体されています。

 

タイ王国海軍砲艦「ラタナコシンドラ」級

ちなみに本級はタイ王国海軍砲艦「ラタナコシンドラ」級の拡大強化型として計画されたものでした。「ラタナコシンドラ」級はタイ王国がイギリスに発注した砲艦で、1000トン級の船体に15センチ単装砲塔2基を搭載し12ノットの速力を有していました。

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(一応、模型も出ていますが、落札できなかった。次の機会には是非 :写真はEbayに出品された同級の「スコタイ」by Poseidon:小さな船体、低い乾舷、不釣り合いに大きな砲塔が魅力的)

 

日本海軍:「超甲巡(B -65)」(素材比較)

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本稿では「超甲巡」について、下記の回で取り上げています。

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超甲巡」、簡単にご紹介しておくと、同級はマル五計画で建造が計画されながら、建造されなかった、いわゆる「未成艦」です。3万トン級の船体に30センチクラスの主砲を3連装砲塔で3基搭載し、対空砲は長10センチ高角砲を連装砲塔で8基という強力な火力を誇っています。33ノットの速力を発揮する予定だった、ということだから、完成していれば「金剛級」戦艦等と同じように空母機動部隊の直衛としても活躍できたでしょうね。しかし建造本来の目的は来るべき艦隊決戦でのその前哨戦である漸減作戦での水雷戦隊による雷撃戦を指揮、支援する、そういう役割を期待されていました。

甲型巡洋艦重巡洋艦」を超える設計の巡洋艦だから「超甲巡」の通り名がつけられたとか。

上記の回では、Tiny Thingamajigs社製の3D printing modelをご紹介しています。

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(直上の写真は、「超甲巡」の概観。198mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs:  マストをプラロッドで追加した他は、(珍しく?)ストレートに組み立てました。元々が素晴らしいディテイルで、手をいれるとしたら「65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲):いわゆる長10センチ高角砲」のディテイルアップくらいですが、少し大ごとになりそうなので、そちらはいずれまた)

今回、Anker社製のダイキャストモデルを入手したので、そちらをご紹介します。

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(直上の写真は、Anker社製「超甲巡」の概観:特に手は入れていません。前出の3D printing modelに比べると、やや上部構造などあっさりしすぎていて、ディテイルが甘いなあ、という感じは否めません。下の写真は、両者の艦橋部の比較)f:id:fw688i:20220206093923p:image

(下の写真は全体の比較:全体的には大きな齟齬は両者になさそうです)
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今回入手したモデルはAnker社製です。Anker社は各国海軍の未成艦のモデルを多く手がけており、たとえば筆者が以前紹介したスウェーデン海軍の未成海防戦艦「Project 1935 」などは同社製です。

 

両者比較:ディテイルは3Dだが「手応え」が違う

今回の両モデルを比較すると、寸法等は同スケールですので誤差の範囲である、として、未成艦の場合、細部がどうとかいうことはあまりないのですが、今回の比較では、ディテイルの精度ではどうも3D printing modelに分がありそうです。

しかし概観のマイナス(と敢えて言い切ります)を差し引いても、手に持った際の重量が全く異なるのです。ダイキャストモデルの場合の魅力の一つはこの重量感だと思っています。3D printing modelの場合は樹脂製ですので、この「手応え」が全く違います。

ついつい、ではこの外観をなんとか手を入れてみよう、などと考えてしまうのです。

さらに、敢えてあげるとすると、全体のシルエットとしては艦橋の高さはAnkerモデルの方が「好き」かもしれません。ただし、あまりに艦橋のフォルムがすっきりしすぎているので、いつか手持ちのストックパーツの艦橋と交換しちゃうんだろうなあ、などと妄想が膨らみます。f:id:fw688i:20220206093911p:image

(交換するなら、この辺りかな、などとストックパーツをすでに物色し始めてしまっています)

もしこの艦橋の換装がうまくいったら、3D printing modelのほうの艦橋も交換してしまうかも、などと考えてもみるわけです。(趣味だから、手数は問わない)

コレクションには終わりはないのだなあ、と改めて痛感するのでした。

 

というわけで今回はここまで。

 

次回は「空母機動部隊小史」に戻って、「新生空母機動部隊」の予定です。・・・が、冒頭にお話しした通り、日本海軍の軍制に関する整理がある程度着かないとなかなかその気になれないかもなあ、とちょっと心配です。ですので、もう一回、「小ネタ」を挟むかも。

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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再録:スター・トレック ピカード 

この週末、法要等で、実家に帰省中ということもあって、艦船模型のご紹介は一休みさせていただきます。今回は模型のお話は全く出てきません。ごめんなさい。

 

近況から

実は、ついに先日、Iphoneを更新。ずっとIphone8を使っていたのですが、もう電池が2時間ほどしか保たず、とうとう我慢できなくなって更新しました。

同時にヘッドフォンをワイヤレスに。ノイズ・キャンセラーの凄さに感動する毎日です。まさか電車の中でクラシックが聴ける日がくるとは。もっと早く更新しておけばよかった。携帯ショップで過ごす2時間と、更新した際のPWの更新やなんやかやが面倒に思えて、先延ばしにしてきたのですが、こんなに快適になるなら、もっと早く機種変をすべきでした。(「だから、早く機種変しなさいとずーっと言っているでしょうが」と娘に呆れられています)

 

併せて、昨年の秋頃から、週に2日程、オフィスに出社するようにし始めました。すると、いわゆる通勤時間、という「余白」の時間が復活。往復で2時間半、週に5時間ほどですが、この「余白」時間をどう使おうか、と少し楽しみが増えることも発見。携帯の電池問題があったため、大半を読書に当ててきたのですが、今回の機種変で、読書から音楽鑑賞、映画・ドラマなど幅が広がっています。

 

今週から、Amazon Primeで「スター・トレック ピカード 」を再度見直しているところです。今回は、今からちょうど2年前、2020年1月末ごろに当ブログでご紹介した一連の投稿があるので、それを再録しておきたいと思います。(結構ネタバレも含みますので、もしなまだ見てない、これからみようと思っている、という方は、あくまで自己責任でお願いします)

 

ということで、まずは2020年1月26日の投稿から。

スター・トレック ピカード エンゲージ!(2020-1-26)

 

いよいよ、首を長〜くして待っていた(・・・えっ、私だけ?)「スター・トレック ピカード」がAmazon Primeで配信開始、です。金曜日が来るのが、いつもに増して、一層、楽しみになりそうです。艦船模型とは全く関係ないけど、今回はそんな話です。

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実は我が家の二台の車のナンバーは、代々、いずれも「1701」です。これで、私がどれほど楽しみに待っていたか、どうかお察しを。これでピンと来ない方は、それほど大した話ではないので、引っかからずに読み飛ばしてください。

スター・トレックの話をすると、「最も好きなシリーズは?」という質問をよく受けます。「1701」は出てきませんが、実は「DS9」です。クワークが大好きです。

金儲けの秘訣 | Memory Alpha | Fandom

もちろん「敢えて一つを選べと言われたら」という条件付きではありますが。

・・・とここまで書いて、艦船模型とは関係ない、と言いながら、「艦番号」の話になってきつつあります。やっぱりどこかで関連してるのかも。

 

「実は、」という話をもう一つ。

今回の新シリーズに先立ち、こちらはNetflixで配信された「スター・トレック ディスカバリー」は、実は、ちょっと馴染めませんでした。少し悲しい。

なんだろう、と考えると、その理由は多分、二つほど。

一つは、クリンゴンの特殊メイクと、何もあそこまでクリンゴン語を突き詰めなくてもよかったんじゃないか、と。

最初のクリンゴンの特殊メイクの変遷は、私の大好きなDS9の本編エピソード中でも、クリンゴン人であるウォーフが周りから「なんか、お前たち変わりすぎじゃないの?」的ないじられ方をするほど、オリジナルとその後のシリーズで特殊メイク技術の差異がはっきり出ていたのですが(優生ウィルスによる遺伝子改造、とかなんとか、よく解ったような解らないような、解説があったように記憶します)、時代がオリジナルシリーズ以前に遡ったにも関わらず、一層クリンゴン化(と言うか、非人類化)が進行しているようで、どうなっちゃたの、と言う感じです。

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クリンゴン人の容姿変遷:上段;ディスカバリー時代、下段左;オリジナルシリーズ時代、下段右;ネクスト・ジェネレーション以降の姿。 優生ウイルスの影響で、「人類化」し、その後、その影響が消えつつある、と言うことでしょうか???

 

もう一つは、これは歴史的な流れなので仕方がない、と言うことなのかもしれませんが、「連邦」の価値観(「宇宙艦隊」の価値観、と言うべきかも)が、ディスカバリーの時代には、ちょっとギラギラしすぎているような気がするところでしょうか?

これは、その後の様々な経験を経て洗練されていくのだ、と思えば、違和感とは言えず、単に「あまり好きな時代ではない」と言うだけかもしれません。

 

第一話では、クリンゴンは表立っては出てきませんでしたが、主人公はあの洗練された艦隊士官をそのまま具現化したようなピカードですので、二番目の点は、安心です。

実はこのシリーズについては、あまり予備情報を持っていません。

予告編をいくつか観たのと、第一話を観た限りでは、ピカードが艦隊を離れるきっかけとなった事件を発端として、データへの回顧と深い愛情を縦糸に、懐かしいメンバーとの再会や思い出を横糸に張り巡らせて、やがては事件の背後の(或いはそこから生じた)謎の解明と、もしかすると素晴らしい奇跡へと導いてくれる美しい物語を期待してしまったのでした。

Something wonderful の予感満載の第一話。

 

一点、気になることといえば、ロミュランが出てくるのですが、特殊メイクが少しこれまでよりも濃厚なような。耳の感じって、ヴァルカン人と同じじゃなかったっけ?(気にしすぎ?)

 

ともかく、金曜日が待ち遠しい。

もちろん、主演のパトリック・スチュアートは素晴らしい。ピカードそのもの、です。

 

そしてその次の回(2020年2月3日)にはこんなお題で。(音楽は、すみませんがYoutubeで見る に飛んで鑑賞してください。何箇所か少し追加や修復しています

スター・トレック ピカード テーマ曲雑感(2020-2-3)

ああ、はまってしまった。

前回に引き続き、ピカード話題です。今回は音楽の話。(また、模型はでてきません。ごめんなさい)

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既にご覧になった方もいらっしゃると思いますが、ストーリーは、私の期待をもちろん遥かに超えて、素晴らしいの一言です。

ストーリーももちろんなのですが、音楽がまた素晴らしい。

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いかがです。いいでしょう?

作曲はJeff Russo。ひとつ前のシリーズである「スター・トレック ディスカバリー」と同じ作曲家です。

ちなみに「スター・トレック ディスカバリー」のオープニングタイトルはこちら。

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ピカードの円熟か、マイケルの若さか、と言う感じの二曲、とご紹介しておきます。いずれも僅か1分40秒の小曲ですが、モチーフを忠実に継承しながら、奥深さを感じさせる仕上がりになっています。

このシーンと関係あるのかな?

Picards Flute Duet - YouTube

この曲、ちゃんと聴きたい方は、こちらを。

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モチーフが似ているだけ?

 

ところで、このシリーズ、ドラマシリーズはこれまで7作。そのどれもがドラマそのものはもちろん、テーマも本当に名曲揃いです。

Star Trek: The Original Series (宇宙大作戦なんと、スポックのあの有名なコメント付き!

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Star Trek: The Next Generation (新スター・トレックwww.youtube.com

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Star Trek: Deep Space Nine(スター・トレック ディープ・スペース・ナイン)

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Star Trek: Voyager(スター・トレック ヴォイジャー

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Star Trek: Enterprise(スター・トレック エンタープライズ

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そして

Star Trek:  Discovery(スター・トレック ディスカバリー

Star Trek: Picard(スター・トレック ピカード

と続きます。 

 

個人的には前回も述べましたが、Deep Space Nineが大好きですが、テーマ曲も深みが一層増してきた、と言うか、完成度が上がった、と言うか。贔屓目、ですが。

また、第一シリーズのテーマはAlexander Courageにより作曲されたものですが、あの有名なフレーズはその後の各シリーズに、モチーフとして継承されているのです。

Youtubeにはそれぞれのオープニング動画付きのテーマ曲も公開されていますので、そちらも楽しんでみては?

 

ところで、いろいろと攫っているうちに「スター・トレック ピカード」のCello Coverを発見。これは凄い!ぜひお聞きになってみてください。

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Celloという楽器は時に凄いことをやってのけます。

私のお気に入りを何曲か。

巨匠の演奏を今に伝える・・・。

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そしてCelloと言えばこの曲。

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私の大好きな名曲。Villa-Lobos /ブラジル風バッハ第一番。なんという奥行き!

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ちょっと変わったところで、タンゴの巨匠(?)Piazzollaの珍しい曲。これも生で聞いてみたいなあ。

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ということで、今回は音楽尽の回でした。

でも言いたいのは、「スター・トレック ピカード」を皆んなで見よう、ということです。

 

そして3月8日の投稿では、前半に新着艦船模型を紹介したのち日本海軍の防護巡洋艦「須磨」級と「笠置」級、駆逐艦「海風」級の「海風」「山風」、さらに「磯風」級駆逐艦、の計5隻)、こんなことを書いてます。

艦船模型が気になるかたはこちらをどうぞ。

号外:艦船模型サイトの復活?(でも、「ピカード」も少しだけ) - 相州の、1:1250スケール艦船模型ブログ 主力艦の変遷を追って

スター・トレック ピカード(2020-3-8)

この回、こんな始まり方をしています。

このところ、艦船模型に関係のない話ばかりが続いています。

「いろいろあって時間が無い」とか、言い訳ばっかりしている様な気もしているので(確かに、「スター・トレック ピカード」の放送開始も含め、やや感心事が膨らんで、自分自身でもややその振れ幅を持て余している、そんな感覚もあるのは事実です)、ここで少し、自分への気持ちの引き締めも兼ねて、艦船模型がらみのアップデートです。(何をやっても、言い訳めいてきます。とほほ)

この書き始めが、この回の最後につながっていくので、一応、再録しておきます。筆者以外にはそれほど重要では無いような気がしますが

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みんな、観てますか?観てますよね。(ネタバレは絶対嫌、と言う人は、ここまでで、撤退してください!)

***********(撤退ライン)************

 

Amazon Primeの誤配信騒動などもあって(あんなことって、ある?:実はピカード の第6話配信の際に、誤って第7話が先行されて配信されてしまったのです。そごいことが起きたんだなあ )、先週は、私も皆さん同様「金曜日、返してくれ」と喚いていた一派だったのですが、一転して、Episode 7がもう嬉しくて、ネタバレも気にせず、「下の写真を投稿」、です。f:id:fw688i:20200308155523j:image

もう観た人はもちろん、まだ観てない人(でも、ここまで読んじゃった人)も、説明は要らないと思います。

しかしDiana Troiに再会した際に"I'm fine....., really"と言った際のPicardの表情は・・・。

 

金曜日は、吹替版と字幕版で、至福の2時間を過ごしています。殊に、この週末の2時間は・・・。

 

もう一回、オープニング・テーマを聞いちゃおう。

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こっちも併せて。

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こんなのも、見つけちゃった。(この動画、是非、最後まで聞いてください。小さな奇跡が。ちょっと大げさかな?)

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ああ、少し内省的に分析すると、こう言うのが、前述の「私の最近の関心事の振れ幅」の一つの具現化、ですね。・・・でも、なんだか、豊か、だなあ。

 

そして最終回を迎えた3月28日の投稿では。

ピカード、完結 そして「善き人」という言葉(2020-3-28)

ピカードが完結してしまった。

「・・・しまった」という言葉を思わず書かずにいられない。

終わるのだなあ。f:id:fw688i:20200126184702g:plain

たまらず、オープニングテーマを再録。

www.youtube.com

たかが(お叱りを承知で、言ってしまおう)TV ドラマである。がこの名残惜しさ(では表し切れないのだが)は、何だろう。

ドラマは常に終わる。その中に気に入ったものがあれば、それは「名残惜しい」。

しかし今のこの気持ちは、もっと癒し難い何物かで、敢えて言うと空疎な「喪失感」に近く、日常の「名残惜しさ」の域とは間違いなく異なるものだと言える。

 

ストーリーには、いろいろななところで批判がある。そして、そのどれもがもっともで、 そのいくつかには私も半ば同意する部分がある。「都合のいい展開」「解明しきれない謎」「ロミュランの真の動機は?」「古い仲間うちの物語」「あまりにもスター・トレック的」、いずれも、その通りだと頷いている自分がいるのである。

確かにドラマとしての評価は、手放しで高評価か、と聞かれると、「それほどでも」あるいは「スター・トレック見たことありますか?」と首をかしげ、条件など付けている自分がいる。しかし「今、好きなドラマは?」と聞かれると、迷わずその筆頭にあげることは間違いない。

あるいは「ドラマは?」と聞かれても、頭には浮かばないかも知れない。もっと、密かで大切なもの?

 

これは何だろう?

 

「懐かしいだけで、ピカード が出てきて嬉しいだけで高評価するのは・・・」と、どなたかがどこかで首を傾げていらっしゃったが、これには「まさにこれだ」と膝をたたいた。

そうだ。「面白い」ではなく「嬉しい」なのだ。おそらくこの一文には、本質への手掛かりがありそうだ。

つまり「嬉しい」のは何故?

ピカードに触れること?

即ち、「ピカード」 とは、(私にとって)何者なのか?

 

「善き人」という言葉が浮かんでは消える。

決して間違いのない人、という意味ではない。

常により良い「解」を求めて迷う人、というほどの意味だろうか。迷いが物語を紡ぎ、その本質に迷い、そして探す「善き」魂がある。

「成長」という言葉はあまりに教条的かも知れない。では「探索」という言葉ではどうだろう。「私の大切な物、大好きなものの、さらに深層への探索」。止む事なくそれを続ける「善き」魂に、私は憧れるのである。

そして、私はそのようでありたい、と。

 

エンドタイトル。

www.youtube.com

ともあれこの10週間の、何と豊かだったことか。改めて、この豊かな時間に感謝したい。

ありがとうございました。

しばらくは、「ピカード」のサウンドトラックを聴くのだろうなあ。

****ここまで****

この回をこんなふうに結んでいます。

 

実はこの後、2年間、見直すことはしなかったのです。したくなかった、に近いかな?静かに浸るべき時間、というか。ノイズ・キャンセラーが背中を押してくれたのかも。

誰にでもお薦めできるプログラムでは無い、と思います。あるいは背景を知らずに見た方の感想は是非伺ってみたい、とも思います。どんな風景が見えるんだろうか、とも。

もしいらっしゃたら、教えて下さい。

 

ということで、今回は模型でもなく、新しいお話でもなく。

次回は、ミッドウェー敗戦後の日本海軍空母機動部隊の立て直し策のお話など。

ということで、今回はこの辺りでおしまい。

 

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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日本海軍 空母機動部隊小史 その8:日本海軍の特設空母

さて、今回は「オーストリア=ハンガリー帝国海軍の艦艇」と言う素晴らしい脇道散策から後ろ髪を惹かれつつ、展開中だったミニ・シリーズ「航空母艦小史」に戻り、日本海軍の特設航空母艦のお話を。

 

その前に、少しA=H帝国海軍について

A=H帝国海軍については、引き続きWW1以前に遡ることを目論んではいます。近代戦艦以前のいわゆる「装甲艦」のモデルのコレクションは始めています(既に手元にある古いジャンクモデルに手を入れている、と言う状況です)。そもそもA=H帝国海軍はWW1で解体されたため、主要艦艇はご紹介済みのためこれからコレクションを続けるには、時代を遡るか、小艦艇に踏み込むか、この領域しか残されていないのですが、いずれもモデルがどうしても簡単には揃わないので、系統的な紹介ではなく、モデル個別の紹介になるかと。そう言う事情でこちらはおいおいと。

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(例えば、今、手を入れつつある中央砲郭艦「テゲトフ」: かなり以前にマストなど全くないいわゆるジャンクモデルとして入手したものをリストア中)

この件、予告編的に少し面白い(だろう)打ち明け話をすると、Spithead Miniaturesと言うFacebookのグループがあり、ここで「リッサ海戦」(1866年の普墺戦争での海戦ですね。A=H帝国海軍の栄光の日々、とでも言うか。本稿の前々回でも少しご紹介しています。これでピンと来る人はきっとピンと来るはず)の参加艦艇を作ってしまおう、と言うProjectに出資者として参加しました。「商業的なProjectではない」と言う触れ込みで「10人の出資者が集まったら始めるね」と言うことなので、いつになるのか先行き不透明なのですが、これはこれで楽しみです。今参加者は8人、とか。1:1200スケール、と少しスケール違いではあるのですが、いつになるのかなあ。

 

日本海軍の特設航空母艦

さて、お話を本筋に戻して、日本海軍の特設航空母艦のご紹介です。

太平洋戦争期に、日本海軍は7隻の特設航空母艦保有して運用しています。この7隻は建艦の経緯から以下の2系統、用途による2系統に分類されます。

建艦経緯による2系統

「優秀船舶建造助成施設」精度による特設空母:5隻

日本海軍は有事に短期に空母への改造を条件として、民間の海運会社の新造商船の建造に補助金制度を運用していました(1937年)。1937年にサンフランシスコ航路向けに着工した日本郵船の「橿原丸」級客船の2隻(「橿原丸」「出雲丸」)と、同じく日本郵船が主として欧州航路向けに1938年に着工した「新田丸」級貨客船の3隻(「新田丸」「八幡丸」「春日丸」)がこの助成金の対象として建造され、その後の経緯で特設航空母艦に改造されました。建造経緯から、「新田丸」「八幡丸」は貨客船として完成しましたが、残る3隻は建造途上から航空母艦に改装され、商船としては完成しませんでした。

ミッドウェー海戦での主力空母喪失の補充のための特設空母:2隻

1942年6月のミッドウェー海戦で「赤城」「加賀」「飛龍」「蒼龍」の4主力空母を失った日本海軍は早急な空母補充に迫られ、建造途上の戦艦(「大和級」3番艦)、巡洋艦(伊吹級」、既製の戦艦(「伊勢級」「扶桑級」)、巡洋艦(「筑摩」「最上」)等の空母への改装の検討と併せて優良商船の空母への構造を計画、実行しました。

これが第二次世界大戦の勃発で本国への帰還が困難になったドイツ客船「シャルンホルスト」(1935年竣工)と日本海軍が大阪商船から徴用し特設運送船として運用していた「あるぜんちな丸」級貨客船2隻(「あるぜんちな丸」「ぶらじる丸」:いずれも1939年竣工)でした(注:「ぶらじる丸」は空母への改造決定後、本国への回航途上で米潜水艦により撃沈されたため改造されませんでした)

 

用途による2系統

上記の7隻は、その性能から自ずと用途が異なり、以下の2系統に分類されます。

「艦隊空母」として運用された特設空母:2隻

この区分には「橿原級」客船を改造した「隼鷹級」の2隻が該当します。

この2隻は客船としては破格の高速大型船で、空母改造後は正規艦隊空母「飛龍級」に匹敵する搭載機数を有し、更に軍艦としてのある程度の防御設備を設計に組み込まれた設計となっていました。速力は最高速力こそ正規空母に及ばないものの、巡航速度では艦隊に追随でき、第一線級の艦上機運用が可能な風力を合成できる速力を有していました。就役直後(ミッドウェー海戦時)から機動部隊に組み込まれ、主力空母群の喪失以降は機動部隊の中核として活躍しました。

「航空機輸送・護衛空母」として運用された特設空母:5隻

上記の「隼鷹級」の2隻以外は、商船としては大型(=長い飛行甲板を設定可能)で優良なものでしたが、太平洋戦争期には助成金制度制定時に予定されていた正規空母と同等の運用を行うには、特に速力の点で正規空母には大きく劣り、急速に大型化・高性能化した当時の一線級の艦上機正規空母のように多数同時に運用することは困難でした(飛行甲板を目一杯使用し、少数の艦上機を発着艦させることは可能でした)。このため、就役当初は二線級の旧式艦上機を固有の搭載機として行う艦隊周辺の哨戒任務や、あるいは航空機の南方基地への輸送任務等に用いられることが多く、母艦戦力の逼迫した大戦後期には輸送船団を米潜水艦の攻撃から護衛する対潜哨戒を主任務とした護衛空母として運用されました。

 

「優秀船舶建造助成施設」制度による特設空母

「隼鷹級」特設空母(1942年5月から就役:同型艦2隻)

ja.wikipedia.org

「隼鷹級」空母は、海軍が戦時に空母に改造をすることを前提に民間の海運会社に支給された補助金で建造されたサンフランシスコ航路向けの大型高速客船「橿原丸」と「出雲丸」をベースとした航空母艦です。同船は助成金を活用した船ではありましたが、本来は幻となった「東京オリンピック」への海外客の来日に対応して設計された豪華客船で、完成していれば、それまでの商船を遥かに凌ぐ日本最大の客船となる予定でした。

対米関係の悪化で結局、建造途中から航空母艦として建造されることとなり、客船としては完成していません。

「太平洋の女王」と呼ばれた「浅間丸」との比較

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(「浅間丸級」の概観:144mm in 1:1250 by ???)

「浅間級」客船の三隻は「橿原丸」の計画以前に日本郵船保有した最大の客船でした。「太平洋の女王」という二つ名で呼ばれる豪華客船として知られていました。とはいえ17000トン級の船でしたので「橿原丸級」はこれを遥かに凌ぐ規模になるはずだったわけです(27700トン)。「橿原丸級」については客船としては未完ですので、市販のモデルが、筆者が調べた限りではありません。

(下のショットは、ちょっと興味深いので「隼鷹」と並べてみました)

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実は「浅間丸級」も空母への改造計画があったとか。

姉妹船の「龍田丸」は開戦時、開戦意図を偽装するためにロサンゼルスに向けて出港しています。日付変更線を超えたところで12月7日の開戦を迎え、日本に引き返しています。「浅間丸級」の3隻は結局、空母への改造に着手されることなく、外交官の交換船として活用されたり、輸送船として活用されましたが、いずれも米潜水艦の雷撃で撃沈されています。上の比較から推察すると、「橿原丸」は破格の豪華船だったようですね。

 

「橿原丸」は「隼鷹」、「出雲丸」は「飛鷹」と命名され、それぞれ1942年5月、1942年7月(ミッドウェー海戦後)に就役しています。

原設計の客船が24ノットの速力を有する商船としては高速を発揮する設計だったこともあり、特設艦船としては異例の26ノットの高速を発揮することができました。また27000トン級の大型の船体を持ち、「飛龍級」空母に匹敵する船体規模と搭載機数を有していました。

また当初から空母への転用を念頭に置き、これも商船には異例の防御装甲が配慮された設計となっており、規模と合わせてほぼ「飛龍級」空母に匹敵する戦力となることが期待されていました。

煙突と一体化したアイランド形式の艦橋を日本海軍の空母として初めて採用した艦でもありました。同形式の艦橋は建造途中の「大鳳」、この後空母への転用が決定される「信濃」でも採用されています。

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(特設航空母艦「隼鷹」の概観:175mm in 1:1250 by Neptun: 下段右のカットは、「隼鷹」で導入された煙突と一体化されたアイランド形式の艦橋を持っていました。同級での知見は、後に建造される「大鳳」「信濃」に受け継がれてゆきます)

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(直上の写真は、「隼鷹」(奥)と「飛龍」の比較:「隼鷹」は速度を除けば、ほぼ「飛龍」に匹敵する性能を持っていました。商船を母体とするため、全般にゆったりと余裕のある設計だったとか。日本海軍は新鋭空母就役都度、既存空母の航空隊群から抽出した搭載機部隊で新たに新空母搭載機部隊を編成していました。搭載機数の定数割れには目をつぶり稼働空母数を増やすことを優先指定していたわけですね)

 

「隼鷹」

当初は日本郵船サンフランシスコ航路向けの大型豪華客船「橿原丸」として1939年に起工され、客船形態を経ず1942年5月に航空母艦「隼鷹」として就役しています。就役直後に「珊瑚海海戦」で戦没した「祥鳳」に代わり第四航空戦隊に組み入れられ、MI作戦(ミッドウェー島攻略作戦)と並行して行われたAL作戦(アリューシャン攻略作戦)の中核航空支援戦力として投入されています。

ミッドウェー海戦敗北後は同型艦「飛鷹」と共に第二航空戦隊を編成して、4主力空母の喪失に伴い低下した機動部隊の中核となり、ソロモン方面の作戦に参加しました。

1942年10月の南太平洋海戦では米空母「ホーネット」の撃沈、「エンタープライズ」の撃破に貢献しています。

一方でソロモン方面での航空作戦に陸上基地航空隊の増援に投入された搭載機部隊の損耗は激しく、母艦自体は輸送任務に従事しました。やがてある程度再建の目処が立った搭載機部隊と共にマリアナ沖海戦に「飛鷹」「龍鳳」と共に第二航空戦隊を編成して参加、海戦二日目の米機動部隊による空襲で被弾損傷しています。この攻撃で僚艦「飛鷹」は魚雷1発と爆弾1発を被弾し、炎上、沈没しています。この海戦で第二航空戦隊の搭載飛行隊である652航空隊は戦力を海戦前の135機から33機に低下させる甚大な損害を受けています。

海戦後は第二航空戦隊は解体され、「隼鷹」「龍鳳」は航空戦艦「伊勢」「日向」と共に第四航空戦隊(旗艦「日向」)を編成しました。母艦自体はマリアナ沖海戦での損傷を修復し対空火器等の増強を行いましたが、搭載機部隊の再編成が思うに任せず続くレイテ沖海戦には参加せず、その後も搭載機未了のまま、南方への陸兵や物資の輸送任務等に従事しますが、潜水艦ん攻撃を受け被雷、機関部損傷のまま終戦を迎えています。

終戦後は係留先の佐世保で1947年に解体されました。

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(「隼鷹級」の2隻:「隼鷹」と「飛鷹」)

 

「飛鷹」

日本郵船サンフランシスコ航路向けの大型豪華客船「出雲丸」として1939年に起工され、客船形態を経ずミッドウェー海戦直後の1942年7月に空母「飛鷹」として就役しました。就役直後に第二航空戦隊旗艦となり、トラック方面からソロモン方面にかけての作戦に従事しています。

南太平洋観戦直前に機関部の火災で戦線を離脱、内地で修復を受けました。回復後にトラックに進出し搭載機部隊のみソロモン方面の「い号」作戦に参加、母艦は米潜水艦の攻撃で損傷を受け再び内地に回航されています。

損傷回復後、輸送任務に従事したのち、1944年6月、「隼鷹」「龍鳳」と共に第二航空戦隊を編成してマリアナ沖海戦に参加。海戦二日目の米機動部隊搭載機部隊による空襲で魚雷1発と爆弾1発を受けて炎上、沈没しています。(空襲での損傷後、米潜水艦の雷撃をガソリンタンク付近に受け、これが爆発し沈没した、と言う記録もあるようです)

 

「大鷹級」特設空母(1941年から順次就役:同型艦3隻・準同型艦2隻)

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(直上の写真は、「大鷹級」護衛空母の勢揃い。左から「冲鷹」「雲鷹(竣工時)」「大鷹」「神鷹」「海鷹」の順。いずれもC.O.B. Constructs and Miniatures製の3D printing model)

「大鷹級」特設空母には建艦経緯の異なる2つのグループが含まれています。

一つ目のグループは、日本海軍が有事に短期間での空母への改造を条件として設けた新造商船への補助金制度、「優良船舶建造助成施設」により太平洋戦争以前から計画され建造されたもので、日本郵船の欧州航路向けに設計された「新田級」貨客船をベースとした3隻でした。「新田丸」「八幡丸」「春日丸」がこれで、のちにこれらは特設空母「冲鷹」「雲鷹」「大鷹」として完成しました。

もう一つのグループは、同様に「優良船舶建造助成施設」を受けて建造された大阪商船の「あるぜんちな丸」級貨客船2隻(「あるぜんちな丸」「ぶらじる丸」)で、当初特設運送船として海軍任務に従事していましたが、ミッドウェー海戦での主力空母4隻の喪失による早急な補充空母の必要に迫られて空母に改造されました。同様の理由で神戸に在泊中のドイツ客船「シャルンホルスト」も海軍に買収され空母に改造されています。

両グループとも、いずれも商船としては優良な性能でしたが、商船であるため防御装備を持たず、併せて速力が太平洋戦争時期の一線級艦上機を多数運用するには不足しており、空母機動部隊等での運用は不可能でした。

前述のように、これらの5隻はいずれも就役当初は二線級の旧式艦上機を固有の搭載機として行う艦隊周辺の哨戒任務や、あるいは航空機の南方基地への輸送任務等に用いられることが多く、母艦戦力の逼迫した大戦後期には輸送船団を米潜水艦の攻撃から護衛する対潜哨戒を主任務とした護衛空母として運用されました。

 

特設空母「大鷹」(1941年9月就役)

ja.wikipedia.org

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(直上の写真は:空母「大鷹」の概観。147mm in 1:1250 by C.O.B. Constructs and Miniatures:大戦末期の船団護衛任務従事期の為、迷彩塗装を施しています。迷彩は筆者オリジナル。雰囲気が出れば、という程度の適当です。ご容赦を)

「大鷹」は日本郵船の18000トン級の貨客船「新田丸」級の1隻「春日丸」として設計され、1940年1月に起工されました。3隻の中では起工は一番最後でしたが、建造途中で航空母艦への改造が決定され商船の形態を経ずに航空母艦として完成したため、空母としての就役は最も早く、1941年9月に特設空母「春日丸」として就役しました。その後、1942年8月に「大鷹」と改名されています。就役が最も早かったため、このグループのネームシップとなりました。(当初「春日丸級」特設空母、のちに「大鷹級」特設空母

太平洋戦争開戦時、主として低速による合成風力不足から96式艦上戦闘機、96式艦上爆撃機を固有の搭載機としていましたが、緒戦の南方進出作戦では哨戒等に活躍しています。

その後1943年9月ごろまで、主に南方基地への航空機輸送に従事しています。その間、数度、米潜水艦の攻撃で損傷しています。その間、損傷回復時に飛行甲板の延長などを行っています。

1943年海上護衛総司令部が編成されるとこれに編入され、船団護衛任務についています。海上輸送専任の護衛航空隊として931航空隊が編成され、「大鷹」も対潜哨戒用として97式艦上攻撃機(この当時、機動部隊の一線攻撃機は既に「天山」に変更されていました)を12機搭載し、1944年2月以降、輸送船団の護衛任務に従事しています。

1944年8月、米潜水艦の雷撃により撃沈されました。

 

護衛空母との比較

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(日米の代表的な護衛空母の比較:米海軍の「カサブランカ級」は「大鷹級」に比べるとかなり小さいことが一目瞭然です。にも関わらず、カタパルトの実用化が、両者の戦力化=運用可能な艦上機、を大きく分けました)

米海軍も日本海軍同様、商船改造の護衛空母を大量に運用していました。大きく異なる点、は、日本海軍が既製の商船を空母に改造したのに対し、米海軍は商船をベースとした護衛空母を量産していた点。国力の違い、と言ってしまえばそれまでですが。

母艦自体の装備では、米海軍はカタパルトを装備していたため(日本海軍が開発できなかった、と言ったほうが正確は表現かもしれません)、米護衛空母日本海軍の護衛空母よりもかなり小型な艦型であるにも関わらず重いF6F艦上戦闘機やアヴェンジャー雷撃機などの一線級の艦上機の運用が可能で、日本海軍が護衛空母をせいぜい旧式な艦上攻撃機による対潜哨戒任務にしか使えなかったのに対し、十分な陸上戦闘への支援攻撃や艦船攻撃の能力を持つことができたなど、汎用的な用途に活躍させることができました。

カサブランカ級護衛空母

ja.wikipedia.org 

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 (「カサブランカ級」護衛航空母艦の概観。123mm in 1:1250 by Last Square) 

例えばレイテ沖海戦の一幕、サマール島沖海戦で、日本海軍の第一線級の水上戦闘部隊である第一遊撃部隊(栗田艦隊)に遭遇し一方的に駆り立てられた貧弱な護衛部豚しか持たない米護衛空母群が反撃で搭載機を発進させ、栗田艦隊の重巡洋艦数隻に重大な損害を与えています。

 

特設空母「雲鷹」(1942年5月就役)

ja.wikipedia.org

 

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(直上の写真は:空母「雲鷹」の概観(就役時の飛行甲板延長前に姿を再現したモデルになっています):147mm in 1:1250 by C.O.B. Constructs and Miniatures)

同艦は前出の「大鷹」同様、海軍の「優良船舶建造助成施設」により建造された日本郵船の「新田丸級」大型貨客船「八幡丸」を海軍が徴用し空母に改造したものです。

1938年12月に「八幡丸」は起工され、1940年7月に「八幡丸」として就役、太平洋戦争直前の1941年11月に空母への改造に着手し、1942年5月に特設航空母艦「八幡丸」として就役、1942年8月に「雲鷹」に改名されています。

就役当初は同級の他艦同様、航空機の南方基地への輸送任務に従事していました。

1943年11月に海上護衛総司令部が設立されると、同部隊に編入され海上輸送路の護衛任務に当たることになりました。しかし発足当初、同部隊はまだ態勢不十分で、当面は従来の航空機輸送等の任務についていました。

1944年1月、「雲鷹」はトラック島への航空機輸送任務の帰途、米潜水艦の雷撃を受け3発を被雷。沈没は免れましたがサイパンへ退避し、その後、内地に回航され損傷を飼う復しています。

修復後、1944年8月第一海上護衛隊に編入され、磁気探知機装備機を含む97式艦上攻撃機10機、93式中間練習機6機を搭載し船団護衛任務に従事を開始します。

1944年9月、シンガポールから台湾に向け船団を護衛中に、米潜水艦の雷撃を受け、2発の魚雷が命中、沈没しています。

 

特設空母「冲鷹」(1942年11月就役)

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(直上の写真は:空母「冲鷹」の概観。147mm in 1:1250 by C.O.B. Constructs and Miniatures: 「大鷹級」空母は、商船改造空母のため速力が遅く、かつ飛行甲板の長さも十分でないため、艦隊空母としての運用には難がありました。そのため大戦の中期までは、主として航空機の輸送に使用されていました)

同艦は日本郵船のシアトル航路・豪州航路向け「新田丸級」貨客船のネームシップ「新田丸」を空母に改造したものです。他の2隻同様、海軍の「優良船舶建造助成施設」の対象でした。

「新田丸級」貨客船

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(「新田丸級」の概観:メーカー不明ですが、ややオーバースケールです。1:1200かも。下の写真は一応両者の比較ショット。ご参考に)
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ja.wikipedia.org

 

17000級の船体を持ち、日本郵船としては前出の「浅間丸級」に次ぐ規模を誇る大型船で、東京オリンピック(1940年開催が決定されていましたが、情勢の悪化で中止になった幻の大会です)の観客輸送も視野に入れて建造されました。

 

「新田丸」は1938年に起工され、1940年に完成しています。貨客船としての就役後は第二次世界大戦の勃発で情勢が不安定な欧州航路に投入されることはなく、サンフランシスコ航路に就航していました。

1941年9月に海軍に徴用され運送艦として運用され、日本軍の第一期作戦ではウェーク島への海軍陸戦隊の輸送や、同島からの捕虜の搬送などに従事していました。

1942年6月、空母への改造が決定され、11月に改造を完了しています。改造工事途中で「冲鷹」に改名しています。

空母として就役後は、他の同型艦と同様、航空機の輸送任務についていました。「春日丸」「八幡丸」の建造経験から、「冲鷹」は最初から飛行甲板を延長して就役していたようです。対空砲は他の艦が単装高角砲であったのに対し連装高角砲を装備、他にも機関砲などが強化されていたようです。(モデルはそこまでは反映されていません。あしからず)

「冲鷹」は就役直後から1943年にかけて横須賀とトラック島・ラバウル間の輸送任務にほぼ専従していました。

1943年12月、内地帰港途中、八丈島沖合で米潜水艦により撃沈されています。

 

特設空母「神鷹」(1943年12月就役)

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(直上の写真は:空母「神鷹」の概観。149mm in 1:1250 by C.O.B. Constructs and Miniatures: 本艦は「大鷹級」空母、ということで一括りになっていますが、実は同型艦ではありません。前身はドイツ商船「シャルンホルスト」で、これを海軍が購入し空母に改造したものでした。「大鷹」と同じく、船団護衛任務時の迷彩塗装を施しています

同艦は日本海軍が太平洋戦争開戦後にドイツに帰国できず神戸港に係留されていたドイツ客船「シャルンホルスト」を買収し空母に改造したものです。

ドイツ客船「シャルンホルスト

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(ドイツ客船「シャルンホルスト」の概観:筆者が精度が高いと評価しているMercator製のモデルのなのですが、「新田丸級」同様、1:1250モデルとしては、かなりオーバースケールです。比較のショットは誤解を招きそうなので、ちょっとやめておきます。艦首の形状は面影残っていますね)

シャルンホルスト」はドイツの海運会社北ドイツ・ロイド汽船が太平洋航路に投入した3隻の大型客船(「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」「ポツダム」)の一隻で、18000トン級の船体を持ち21ノットの速力を発揮できる船で、1934年にドイツで起工され、1935年に就役しています。3隻はいずれもブレーメン=横浜間の定期航路に就航していました。

1939年の第二次世界大戦勃発時に横浜からブレーメンへの帰港途上、シンガポールに向かっていた「シャルンホルスト」は開戦の通報を受け、日本に引き返しました。乗員・乗客はソ連経由(当時はまだドイツと同盟状態)で帰国しましたが、同船は神戸港でその後約3年間放置されることになります。

1942年春にドイツ大使館から譲渡の申し入れがあり、1943年6月から日本海軍に買い取られた「シャルンホルスト」の空母改造が始められています。実は先行して空母に改造された「新田級」貨客船は「シャルンホルスト」を参考にして設計されており、空母化の工程には「新田級」改造の経験が生かされたと言われています。

1943年12月、「シャルンホルスト」は「神鷹」と命名されて、空母として就役しました。同月「神鷹」は海上護衛総司令部編入され、1944年6月、97式艦上攻撃機14機を搭載して、主にシンガポール航路の船団護衛任務についています。

1944年11月、マニラに向かう陸軍輸送船とシンガポールに向かう油槽船で構成された輸送船団を護衛中に米潜水艦の雷撃を受け、沈没しています。

 

特設空母「海鷹」(1943年11月就役)

ja.wikipedia.org

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(直上の写真は:空母「海鷹」の概観。135mm in 1:1250 by C.O.B. Constructs and Miniatures: 本艦も前出の「神鷹」同様、同型艦ではなく、「大鷹級」空母の中では最も艦型が小さいものでした。こちらも船団護衛任務時の迷彩塗装を施しています

同艦は1938年に起工された13000トン級の大阪商船の南米航路向け貨客船「あるぜんちな丸」を航空母艦に改造したものです。

母体となった「あるぜんちな丸」は海軍の「優良船舶建造助成施設」を受けて建造されたもので設計時には有事の際のの空母への改造要目を盛り込んだ設計となっていました。当初は航空母艦ではなく特設運送船として海軍に徴用されましたが、ミッドウェー海戦での主力空母喪失を受けて空母へ改造されました。

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(「あるぜんちな丸」のモデルは未入手です。写真は先日e-bayに出品されていた「あるぜんちな丸」の1:1250スケールのモデル:木製のようでした。実に705ユーロ(=90000円?)の落札価格がついていました)

ちなみに「あるぜんちな丸」は同型の「ぶらじる丸」と共にミッドウェー海戦には兵員輸送船として参加しています。

同型の「ぶらじる丸」も空母への改造が決定されましたが、1942年8月、改造に向けて回航中に、米潜水艦の雷撃で撃沈されてしまい、「あるぜんちな丸」のみが空母へ改造されました。

同船は1942年12月に空母改造に着手していますが、この際に機関をディーゼルからタービンに換装するなど、大掛かりな改造を行っています。

空母として就役直前に海上護衛総司令部が設立され「海鷹」はこれに編入されましたが、どう司令部の発足当初は海上輸送路の護衛任務に就く態勢ができておらず、当初は同艦は航空機輸送任務に従事していました。

1944年3月「海鷹」は第一海上護衛隊編入され、97式艦上攻撃機12機を搭載して輸送船団の対戦哨戒護衛任務につきました。数次の護衛任務ののち1945年1月、燃料枯渇のため既に船団運用自体に目処が立たなくなっており、「海鷹」は標的艦して活動中に触雷し座礁、そのまま終戦を迎え、戦後、座礁現地で解体されました。

 

ということで、今回は日本海軍が保有した特設空母のお話でした。

次回は、ミッドウェー敗戦後の日本海軍空母機動部隊の立て直し策のお話など。あるいは・・・。

ということで、今回はこの辺りでおしまい。

 

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

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オーストリア=ハンガリー帝国海軍:近代海軍の戦艦総覧

本稿では前回、オーストリア=ハンガリー帝国(以下、前回に倣いA=H帝国と表記します)の近代海軍の巡洋艦以下の艦艇をご紹介したのですが、最後に本稿の姉妹ブログ(と言っても筆者の保管庫のようなブログなんですが)で先行して脱稿していた主力艦の一覧がやや貧弱に見えてきた、と結んでいました。

気になりだすと放っておけない悲しい性と言うべきか、早速、今回少し手を入れて改めて同海軍の近代主力艦のご紹介をしておきます。今回はそう言うお話。

 

オーストリア=ハンガリー帝国と近代海軍(おさらい)

A=H帝国の成り立ちなどは前回簡単にまとめているので、少しだけおさらいをしておくと、同帝国は長くドイツ語圏(中央ヨーロッパ)の覇権争いの主役であり、その重心は中央ヨーロッパにありました。併せて、その版図を東方に広げ、モンゴル勢力やイスラム勢力に対するキリスト教圏の東の防波堤的な役割を、その成立過程に大きく含んでいました。

普墺戦争(1866年)に敗れ、中央ヨーロッパでのドイツ統一の主導権争いから脱落すると、版図拡大過程から生じた多民族国家的な性格が濃厚に現れます。一方、産業革命以降のヨーロッパ列強の海外進出が進むにつれ、相対的に東方からの脅威が低下し、次第に帝国の存在意義が希薄化してゆきます。代わりに他民族帝国に内在していた矛盾や誤謬が顕在化し、独立運動に発展し、やがては第一次世界大戦の直接的な引き金役を担ってしまいました。

A=H帝国の近代海軍はまさにそうした帝国の末期に建設された海軍で、第一次世界大戦後、帝国は解体され、同時に海軍も一部の河川警備海軍を除いて解体されました。

 

同帝国海軍を地政学的な視点で見てみると、その活動海面は同帝国が直接接続するアドリア海とそれに続く地中海、と言うことになり、比較的穏やかで多くの島嶼を含む海面での紛争に対応する迅速な警備行動などを想定した艦艇設計が見受けられます。

 

主力艦の開発系譜を見ても、比較的穏やかな内海で島嶼が多く狭い水道が多い、と言えば、当然浅海面と言うことになりますね。そうするとそうです、まずは海防戦艦ですね。

 

と言うことで第一弾は、

モナルヒ級海防戦艦(1898年~就役近代戦艦:同型艦3隻) 

ja.wikipedia.org

(1898-, 5878t, 15.5knot, 9in *2*2, 3 ships)

f:id:fw688i:20220116133937p:image
(「モナルヒ」級海防戦艦の概観:76mm in 1:1250 by Navis: 大洋での活動を意識せず長い航続距離を必要としないから(?)、比較的重武装でコンパクトな艦型をしています)

同級はアドリア海の沿岸警備を主目的として設計された艦級です。島嶼地域の狭い水路でも取り回しの良さそうな5500トン級の船体を持ち、船体の大きさの割には強力な24センチ連装砲塔2基を主砲として搭載しています。同海軍で主砲を砲塔形式で搭載したのは同艦級が最初でした。他には15センチ単装砲を6基、副砲として搭載していました。同時期の戦艦としては高速の17.5ノットを発揮することができました。2隻が建造され「モナルヒ」「ブタペスト」「ウィーンと命名されました。(「モナルヒ」は君主を意味し、その他はオーストリアハンガリーの首都名を冠されています)

第一次世界大戦では同級の「ウィーン」が1917年トリエステ沖でイタリア海運の魚雷艇により撃沈されています。他の二艦は大戦後、賠償艦として英国に引き渡され解体されました。

 

ハプスブルグ級戦艦(1902年~就役:同型艦3隻) 

ja.wikipedia.org

(1902-, 8232t, 19knot, 9.4in *2+1, 3 ships)f:id:fw688i:20220116133817p:image

(「ハプスブルグ」級戦艦の概観:84mm in 1:1250 by Navis)

同級は20世紀に入ってA=H帝国海軍が初めて就役させた戦艦です。前級「モナルヒ」級海防戦艦と同様、島嶼地域と狭水道の多いアドリア海での行動に適した列強の同時期の戦艦に比べるとやや小ぶりな艦型でした。「モナルヒ」級に比べると航洋性を重視した艦型を有していました。8500トン級の船体に新型のクルップ社製の24センチ主砲を艦首部に連装砲塔で、艦尾部に単装砲塔で搭載していました。同時期の戦艦(いわゆる「前弩級戦艦」)としては高速の19.5ノットを超える速力を発揮することができました。f:id:fw688i:20220116133829p:image

(直上の写真は同級の特徴である主砲塔の配置。艦首部に連装砲塔、艦尾部に単装砲塔で配置しています)

「ハプスブルグ」「バベンベルグ」「アルパード」の3隻が建造されました。(いずれもオーストリアハンガリーの名門家の名前を冠しています)

第一次世界大戦期には3隻で戦隊を構成していましたが、海軍の主力艦は既に砲力・速力で格段に強化された「弩級戦艦超弩級戦艦」の時代に入っており、旧式(前弩級戦艦)の同級の活躍の場は多くはありませんでした。

大戦前期には、当時同盟国であったトルコ海軍の強化のためにドイツ帝国からトルコ海軍に編入されることになったドイツ弩級巡洋戦艦「ゲーベン」の回航作戦の支援や、イタリア沿岸への砲撃作戦等に参加しました。大戦後半は既に旧式であったことに加え、A=H帝国海軍の基本戦略であった「現存艦隊主義」に則り港湾で保全され、乗員を潜水艦や航空機に転属させられ港湾警備や練習艦任務についていました。

大戦終結後は英国への賠償艦となり、1921年に解体されています。

 

エルツヘルツォーク・カール級戦艦(1906年~就役:同型艦3隻) 

ja.wikipedia.org

(1906-, 10472t, 20.5knot, 9.4in *2*2, 3 ships)f:id:fw688i:20220116133833p:image

(「エルツヘルツォーク・カール」級戦艦の概観:100mm in 1:1250 by Navis)

同級はA=H帝国海軍の最初の航洋型近代戦艦として建造された「ハプスブルグ」級戦艦の強化型です。列強の同時期の戦艦なみの1万トンを少し超える大きさの船体を持ち、24センチ連装砲塔を艦首・艦尾に2基装備していました。さらに副砲を従来の同海軍の戦艦の標準的な装備であった15センチ砲から19センチ砲に変更し、12門を両舷にケースメート形式で搭載し、砲力の格段の強化を図った艦級となりました。速力は前弩級戦艦(副砲の口径から見て準弩級戦艦のはしりと見てもいいのかも)としては高速の20ノットを発揮することができました。f:id:fw688i:20220116133934p:image

(同級から、主砲は連装主砲塔での装備となりました)

上記のように強化された兵装を持ち高速を発揮できる優れた設計(前弩級戦艦としては最後の世代)ながら、前級同様、列強海軍の主力艦は既に砲力・速力で格段に強化された「弩級戦艦超弩級戦艦」の時代に入っており、旧式(前弩級戦艦)の同級の活躍の場は多くはありませんでした。

「エルツヘルツォーク_カール」「エルツヘルツォーク・フリードリヒ」「エルツヘルツォーク・フェルディナント・マックス」の3隻が建造されました。(艦名はいずれも「オーストリア大公」の名前:この爵位はハプスブルグ家の成員のみが名乗ることができました)

第一次世界大戦では、前級同様、ドイツ巡洋戦艦「ゲーベン」のトルコへの回航作戦を支援したのち、イタリア沿岸部の砲撃などに参加しています。さらに連合国のオトラント海峡封鎖作戦への対抗措置としてオーストリア軽巡洋艦部隊が出撃した際には、支援艦隊の一員として出撃しています。

大戦後は2隻がフランスへ、1隻が英国へ賠償艦として引き渡され、1隻は回航途中に座礁してそのバッで解体され、残りも1921年に解体されています。

 

ラデツキー級戦艦(1910年~就役:同型艦3隻) 

ja.wikipedia.org

 (1910-, 14508t, 20.5knot, 12in *2*2 & 9.4in *2*4, 3 ships)f:id:fw688i:20220116133929p:image

(「ラデツキー」級戦艦の概観:109mm in 1:1250 by Navis)

A=H帝国海軍はアドリア海をその主要な行動範囲と想定するために、同海軍の戦艦は、高速を有する反面、他の列強の同時期の戦艦に比較して艦型が小さく、口径の小さな主砲を有しており、やや非力さを感じさせることは否めませんでした

本級は、それを一新し、諸列強の主力艦と遜色のない15,000トン級の船体に、30.5センチ砲を主砲とし、さらにそれまで諸主砲であった24センチ砲を中間砲として連装砲塔4基の形式で搭載し砲力を格段に強化した強化型近代戦艦(準弩級戦艦)となっています。さらに速力は、従来の優速を保持する20.5ノットを発揮することができ、実に有力な艦級でした。f:id:fw688i:20220116133826p:image

(同級に搭載された主砲(30.5センチ)と中間砲(24センチ)の配置。更に舷側には副砲がケースメート形式で搭載されています)

しかし同級の完成時には、「弩級戦艦超弩級戦艦の時代」が始まっており、同級は完成後間もなく、旧式戦艦の部類に類別されることになってしまいます。

「ラデツキー」「ズリーニ」「エルツヘルツォークフランツ・フェルディナンド」の3隻が建造されました。(艦名はいずれも帝国の名家の名前が冠されています)

第一次世界大戦時には、同級は艦隊主力としてモンテネグロ、イタリア沿岸部の砲撃作戦等に従事していましたが、同海軍のとった「現存艦隊主義」の方針から温存策が図られ、海戦等の海上戦力本来の戦闘参加の機会はほとんどありませんでした。

大戦の終結後は紆余曲折の経緯を経てイタリアに賠償艦として引き渡され、1921年に「ラデツキー」以外の2隻が、そして1926年には「ラデツキー」が解体されました。

 

テゲトフ級戦艦(1910年~就役:同型艦3隻) 

ja.wikipedia.org

(1912-、21,730, 20.3knot, 12in *3*4, 4 ships) (126mm in 1:1250)f:id:fw688i:20220116133921p:image

(「テゲトフ」級戦艦の概観:125mm in 1:1250 by Navis)

同級はA=H帝国海軍初のそして保有した唯一の弩級戦艦です。

イタリア海軍が弩級戦艦「ダンテ・アリギエリ」を建造することに触発されて、「ラデツキー」級の発展型としてほぼ固まりつつあった準弩級戦艦建造の計画を急遽改めた、とされています。

中間砲を廃止し、主砲を三連装砲塔4基として背負式配置を採用し首尾線上に配置し全ての方面への主砲の社会を最大限確保している等、先進的で意欲的な設計でした。2万トン弱の船体を持ち、機関に蒸気タービンを採用し、20.3ノットの速力を発揮することができました。f:id:fw688i:20220116133925p:image

(同級は30.5センチ三連装主砲塔を全て首尾線上に配置し、全周への火力を確保していました)

「フィリプス・ウニティス」(皇帝ヨーゼフ1世のモットー「力を合わせて」のラテン語表記)「テゲトフ」(リッサ海戦勝利時の指揮官の名)「プリンツ・オイゲン」(対オスマン帝国戦で活躍したオーストリアの名将の名)「シュツェント・イストファン」(中世ハンガリー王国の初代国王の名、いわゆる建国の父?)の4隻が建造されました。

第一次世界大戦期には、4隻で第一戦艦戦隊を編成し文字通り艦隊主力でした。開戦初期には前出のドイツ巡洋戦艦「ゲーベン」のトルコ回航作戦の支援、アドリア海沿岸でのイタリア・モンテネグロ砲撃等の作戦に参加します。が以降は「現存艦隊主義」をとったため、あまり目立った働きはありませんでした。

1918年にホルティ提督(後に第二次世界大戦期のハンガリーを率いてドイツ側で参戦させた人ですね)による、おそらくA=H帝国海軍最大の海上作戦となったオトランド海峡封鎖突破作戦では、同級4隻が前出の「エルツヘルツォーク・カール」級戦艦3隻、「ヘルゴラント」級軽巡洋艦3隻、軽巡洋艦「シュパウン」「タトラ」級駆逐艦などとともに参加しましたが、参加した同級の「シュツェント・イストファン」がイタリア海軍の魚雷艇による魚雷攻撃で失われました。

大戦終了後、A=H帝国の解体に伴い成立したユーゴスラビアに同級の「フィリプス・ウニティス」は譲渡され、艦名も「ユーゴスラビア」に改名されました。「ユーゴスラビア」はイタリア海軍の特殊潜航艇により艦底に吸着機雷を仕掛けられて撃沈されました。

残った同級の「テゲトフ」はイタリアに、「プリンツ・オイゲン」はフランスに、それぞれ賠償艦として引き渡され、「テゲトフ」は解体され、「プリンツ・オイゲン」は標的艦として渋められました。

 

モナルヒ代艦級戦艦(未成艦:同型艦4隻) 

ja.wikipedia.org

(計画のみ:24,500t, 21knot, 14in *3*2 + 14in *2*2, 4 ships planned)f:id:fw688i:20220116133821p:image

(「モナルヒ」代艦級の概観:140mm in 1:1250 by C.O.B. Constracts and Miniature)f:id:fw688i:20220116134011p:image

本艦は、その名の示す通り(Elsatzはドイツ語で代替:replaceを意味します)前出の「モナルヒ」級海防戦艦の老朽化に伴いその代替えとして計画されたものです。前級に当たる「テゲトフ級」弩級戦艦を一回り大きくした24,500トンの船体に、これもひとまわり口径の大きい35センチクラスの主砲を、背負い式に三連装砲塔、連装砲塔の組み合わせで、都合10門、艦の前後に振り分けて搭載するいわゆる「超弩級戦艦」とする計画でした。速力は21ノットを発揮する予定でした。前級のテゲトフ級も、三連装砲塔の搭載など、先進性に満ちた設計の強力な戦艦だったのですが、本級はさらにそれを凌駕する設計で、完成していれば強力な戦艦となったことでしょう。

f:id:fw688i:20220116133917p:image

(「テゲトフ」級と「モナルヒ代艦」級の比較:手前が「テゲトフ」級)

 

A=H帝国海軍の戦艦の系譜

f:id:fw688i:20220116133842p:image

(A=H帝国海軍の近代戦艦開発の系譜:手前から「モナルヒ」級、「ハプスブルグ級、「エルツヘルツォーク・カール」級、「ラデツキー」級、「テゲトフ」級そして未成艦である「モナルヒ代艦」級の順)

 

さて、ここからは少し模型サイトらしく、「モナルヒ代艦」級の制作について

f:id:fw688i:20181222120624j:image

写真は、本稿の読者諸氏にはお馴染みShapewaysで求めた同級の3D Printing Model(興味のある方は下記をご参照ください)にサーフェサーを塗布した状態です。

www.shapeways.com

到着時点では上記サイト紹介にあるような、透明なsmooth fine detail plasticで出力された状態で届いたのですが、実は本モデルは、筆者の購入当時は1:1800スケールしかなく、製作者にこちらからリクエストして1:1250スケールにコンバートとしてもらったものでした。3Dプリンターモデルでは、1:1800から1:1250 へのコンバージョンのようなそれほど細部に修正が必要でない場合には(あくまで製作者側の判断なので、必ずしもこちらのリクエストが承認されるとは限らないのですが)、比較的気軽に応じてもらえることが多いのです。(今では、Shapewaysに1:1250スケールでモデルが掲載されていますので、そのようなリクエストは不要です)

3Dプリンターモデルの多くは、砲塔も一体成型されていることが基本形であると考えていただいた方がよく、このモデルもサイトの写真でご覧いただけるように、一体成型でした。もちろん、そのままでも1:1250スケールでは気にならない場合が多く、これまでに本稿でご紹介したモデルの多くではモデルオリジナルの砲塔をそのままにしています。

今回はどうも少し気に入りません。それでは換装、と言うことになるのですが、この代替砲塔がなかなかの難物です。しかも三連装砲塔と連装砲塔の組み合わせという難度の高い条件でもあるわけで。長くストックモデルをさらった挙句、ようやく1:1200スケールのイタリア戦艦の砲塔が流用できそうだったため、リプレイスを試みることにしたのでした。

冒頭の写真は、一体成型された砲塔を切り落とした状態でです。(手を加える前の状態については、やはりサイトの写真を見てください)砲塔基部に開いた穴は、筆者がメタル製の1:1200スケールの砲塔の位置決めに加工したものです。

お目当のイタリア戦艦からの流用予定の砲塔をはめてみる。(下の写真)

 f:id:fw688i:20181222120631j:image

 なかなか、いい感じ、でしょ?(ああ、これで1隻アンドレア・ドリア級の1:1200スケールのモデルが廃艦になっってしまいましたが):下の写真:前級に当たるテゲトフ級戦艦の1:1250スケールモデル(Navis社)と並べてましょう。おお、なかなかいい感じ。

f:id:fw688i:20181222120705j:image

あとは塗装を施し、0.5mm径か0.3mm径のプラスティックロッドか真鍮線でマスト等を整えて、完成です。

 

「モナルヒ代艦」級戦艦の別設計案の話

同級の設計について経緯等を調べるうちに、前級のテゲトフ級は三連装砲塔の採用で艦型をコンパクトにまとめるなど、先進的な技術が意欲的に盛り込まれた一方で、、採用された三連装砲塔には実は発砲時の強烈な爆風や、作動不良など、いくつかの課題があったと言うような記載が目に止まりました。

そのため、「テゲトフ」級の発展系で、さらに口径の大きな主砲を搭載することを計画していた本級では、ドイツ弩級戦艦の砲塔配置の採用が検討されていた、と、どうやら別案があったらしいこともわかってきました。「ドイツ弩級戦艦を参考にして」と言うことならば連装砲塔5基を装備したデザインになったいたかもしれないわけですね。じゃあどんな形だったのか作ってみようか、と。

再びストックモデルの棚をゴソゴソと。すると、幸い、1:1000スケール(かどうか不確ですが、1:1250スケールのモデルとしては明らかにオーバースケールな)のドイツ帝国海軍ケーニヒ級戦艦のモデルが手元にあるではないですか、例によって砲塔をストックにある、あまりドイツ色の強く出ない適当なものに置き換えてみると。こんな感じ(下の写真)。

f:id:fw688i:20181222145123j:image

更に、 作成中の前出モデルと並列し大きさを比較してみましょう。大きさもまずまず同等?ちょっと大きいけど、なるほどドイツ艦を参考にした別案は、まあこんな感じでしょうか、と言うわけで、こちらも仕上げに。

f:id:fw688i:20181222145139j:image

と言うわけで、別案も完成です。

(下の写真は、当時のドイツ戦艦ケーニヒ級の主砲塔配置案を採用した想定でのその別配置案の概観)f:id:fw688i:20220116133838p:image

f:id:fw688i:20220116133845p:image

(「テゲトフ」級で首尾線上に三連装砲塔を配置したほどのA=H帝国海軍ならば、きっと連装砲塔での装備に変更したににしてもきっと首尾線上配置は踏襲したはず。もしかすると、主砲配置は英国式に艦首部に2基、艦尾部に3基と言うような配置案もあり得たかも。うーん、これは少し要検討ですね)

いずれにせよ、計画は第一次世界大戦の勃発によりキャンセルされました。

そして第一次世界大戦終結後、A=H帝国自体が解体されてしまったため、海軍も消滅し、A=H帝国海軍の戦艦開発も終了を迎えました。

 

と言うことで、A=H帝国海軍の戦艦開発の系譜の話はここまで。

2週にわたってA=H帝国海軍の艦艇開発を見てきたわけですが、次回からは本稿の本流に戻って、日本海軍の空母開発小史のお話を。ミッドウェー海戦での主力喪失以降、日本海運の空母機動部隊はどのように戦ったのか、あるいはどのように再建を期したのか、そんなお話を、と考えています。

 

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オーストリア=ハンガリー帝国海軍:巡洋艦総覧その他

あけましておめでとうございます。今年もどうかよろしくお付き合いください。

皆さん、良いお正月をお過ごしでしたか?筆者は2年ぶりに帰省して来ました。皆さんおそらくご同様だと思いますが、新幹線は大変混み合っていました。その中で「第六波か」と言う情報もちらほら出始めています。「年末・年始の大移動」のせいかどうかはさておき、なかなか「はい、これで収束です」というわけには行かないようですね。

いよいよWith Coronaを真剣に考えねばならないようです。

・・・と書いているうちに感染者数は1週間前の15倍だとか。東京も1000人を超える数字が出ています。

 

さて、ご挨拶はこのくらいにして、2022年の初回は、かなりマニアックにオーストリア=ハンガリー帝国海軍の艦艇群を巡洋艦駆逐艦河川砲艦を中心にご紹介します。

 

オーストリア=ハンガリー帝国海軍

オーストリア=ハンガリー帝国

19世紀、あるいは20世紀初頭の列強のうち、オーストリア=ハンガリー帝国(以降、A=H帝国と表記します)ほど、我々日本人との関わりが見出しにくい存在はないといって良いでしょう。(筆者はクラシックが好きなので、文化面では多くの恩恵をみなさんも得ていると思ってはいるのですが)

少し乱暴に整理すると、この帝国は、基本、ヨーロッパの内陸の大国で、その国の成り立ちが既にその名称が二重帝国であることからも明らかなように、多民族国家でした。歴史的には東方あるいは南方からのモンゴルやイスラム勢力の侵攻からヨーロッパ(キリスト教圏?)を守る一種の防波堤的な機能を果たすべく成立して来た巨大国家であったわけですが、両者の圧力が弱まるにつれ、対外的な存在意義が薄れ、今度は内部に抱えた齟齬が顕在化し、やがては第一次世界大戦の直接の引き金となっていった、という歴史が見えて来ます。産業革命以降のヨーロッパ諸国の海外進出に伴って役目を終えた、そういう国家だったのではないでしょうか。

帝国自体は第一次世界大戦終結後に解体されてしまいます。

そのような背景で成立し消えていった帝国ですので、「近代海軍」という視点で見ると、第一次世界大戦期のみを語る、ということになるわけです。

 

オーストリア=ハンガリー帝国海軍

海軍、という側面を見ると、国家そのものは内陸国家で、わずかにアドリア海に接続海面を持っていました。従ってその海軍はアドリア海、その延長として地中海での行動を想定して設計されていました。

仮想敵は主にイタリア海軍、あるいはトルコ海軍であり、この両大国との境界警備、あるいは境界域での紛争への対処がその主要な任務と想定していたといって良いと考えています。

1918年(のあたりで?)、A=H帝国が解体されると、その母体であったオーストリアハンガリーが共に内陸国家であったため、海軍は解体され艦艇は戦勝国への戦後賠償として分与され、あるいは一部は分裂独立した諸国に引き取られました。

 

オーストリア海軍といえば「リッサ海戦」

少し本題とはずれますが、同海軍を語る際に、というよりも近代海軍の成立過程を見る際にこの「リッサ海戦」はどこかで耳にされるのではないでしょうか?

ja.wikipedia.org

この海戦は普墺戦争の過程で、プロイセン側に立って参戦したイタリア王国海軍がリッサ島に侵攻した際に迎え撃ったオーストリア帝国海軍との間で発生したものです。

そもそも普墺戦争は、1966年6月~8月の間に、ドイツ語圏連邦の主導権を巡ってプロイセン王国オーストリア帝国(ハプスブルグ帝国)の間で戦われた戦争です。この戦争の結果、ドイツ統一は勝者のプロイセンによって行われることになりました。この戦争の敗北でオーストリアを中心としたドイツ圏での中央帝国樹立の構想が立ち行かなくなり、1867年、ドイツ語圏外でのハプスブルグ家の支配を確立すべくオーストリア=ハンガリー帝国(二重帝国)が発足しています。

海戦自体は、装甲艦9隻を主力に横陣を張るイタリア艦隊に対し、オーストリア海軍は装甲艦7隻を先頭に、非装甲艦14隻を後続させて三重列の陣形で戦いを挑み、イタリア海軍は旗艦を含む装甲艦2隻を失い、オーストリア海軍は装甲艦に衝角攻撃をかけた非装甲艦1隻が攻撃に成功しながらも逆に衝突の衝撃で大破した、と言うような戦いでした。

f:id:fw688i:20220108200006p:image

(上の写真は、リッサ海戦当時の両軍の主力装甲艦。雰囲気だけ感じていただけたら、というカットです:左列がイタリア海軍:上から旗艦「Affodatore」「Re d'italia」「Maria Pia」(同型艦3隻「Ancona」「Castelfidardo」「S Martino」が艦隊に参加していました)。 右列がオーストリア艦隊:上から旗艦「Ferdinando Max」「Kaiser Max」「Drache」:筆者はSextant製の「Maria Pia」(65mm in 1:1250)と「Affordantore」を保有していますが、マストの破損が激しく「航行不能」なので今回はその他も含め本稿でも、模型探しのお話で何度か紹介している1:1250スケールモデルのデータベースsamelhaffen.comから写真を拝借しています。Sextantのモデルは近代海軍の黎明期のラインナップに特徴があり、いかにもマニアックなモデルが多いのですが、マストが華奢な樹脂製でそのあたり少し課題だなあ、と感じています)

https://sammelhafen.de/en/index.php

 

この戦いは蒸気装甲艦同士の初めての戦いで、列強各国海軍に大きな影響を与えました。改めて装甲艦の優位性が確認され、更に装甲艦への衝角攻撃が有効との戦訓が示され(イタリア艦隊の縦列先頭艦「レ・ディタリア」(旗艦は海戦直前に「アフォンダトーレ」に変更されていました)はオーストリア艦隊旗艦「フェルディナント・マックス」の衝角攻撃で艦腹を破られて数分で沈没し、先頭艦喪失により隊形の乱れたイタリア艦隊をオーストリア艦隊が包囲し砲撃を加え「パレストロ」を撃沈しています)、その後の一時期の主力艦設計に大きな影響を与えました。第一次世界大戦期まで、主要海軍の主力艦が艦首に衝角を備えていた事は、この戦いの戦訓が大いに働いていた証左です。

実は日清戦争黄海海戦において、清国北洋艦隊は、このリッサ海戦の再現を目指した編成の艦隊を揃え、小規模ながら再現を狙った戦い方をしていたと思われます。「鎮遠」「定遠」の二堅艦を中心に北洋艦隊は一列横隊で日本艦隊の横陣(実は単縦陣)の中央突破を狙いましたが、「リッサ海戦」以降の艦艇が機関の向上により機動性が著しく増した事と速射砲の発展で、既に黄海海戦当時には「リッサ海戦の再現」による勝利は覚束なくなっていました。

ちなみにこの戦いでオーストリア艦隊を率いた指揮官がヴィルヘルム・フォン・テゲトフ提督で、彼の名前はその後A=H帝国海軍初の弩級戦艦に冠されています。

 

近代海軍(第一次世界大戦期)としてのオーストリア=ハンガリー帝国海軍

その行動領域であるアドリア海には多くの島が連なり、狭水路の多くあるところから、比較的小振りな艦体と、紛争現場でいち早く主導権を取るべく機動性、すなわち速力が求めらていました。

 

上記のご紹介で、地中海の奥、アドリア海の小海軍的な印象を与えてしまったかもしれませんが、規模的には内陸国家としては決して海軍の規模は小さくなく、第一次世界大戦期(帝国の終末期、ですね)には以下のような艦艇群を揃えていました。

戦艦:海防戦艦(1クラス3隻)前弩級戦艦(2クラス6隻)準弩級戦艦(1クラス3隻)弩級戦艦(1クラス4隻)超弩級戦艦(計画のみ1クラス)

巡洋艦装甲巡洋艦(3クラス3隻)防護巡洋艦(4クラス8隻)偵察巡洋艦(2クラス4隻)

駆逐艦:27隻 水雷艇:79隻 潜水艦:27隻

更に内陸帝国ならでは、ドナウ河警備用の河川モニター(4クラス8隻)

その他補助艦艇多数。

実は、1:1250スケールのモデルシップはドイツ・オーストリアのメーカーが多く、それなりに充実したラインナップを見出すことができます。あとはどこまで熱心に追いかけるか、なのです。筆者は流石に小艦艇までは網羅できてはいないのですが、巡洋艦駆逐艦のレベルではある程度揃って来た、ということもあり、今回ご紹介します。

 

A=H帝国海軍の戦艦群については、筆者のメモ的なまとめ方をしているので、あまりご覧いただく機会はないようなのですが、本稿の姉妹サイトで簡単にご紹介しています。こちらをご覧いただければ。(いずれ今回ご紹介する艦艇もこちらにも追加掲載する予定です)

fw688i.hatenadiary.jp

 

オーストリア=ハンガリー帝国海軍の巡洋艦

装甲巡洋艦

A=H帝国海軍は3隻の装甲巡洋艦を建造しました。いずれも単艦の建造で、同型艦を持ちませんでした。

カイゼリン・ウント・ケーニギン・マリア・テレジア(1895年就役:同型艦なし)

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(「カイゼリン・ウント・ケーニギン・マリア・テレジア」の概観:87mm in 1:1250 by Harman:ほぼ就役時の姿を再現しています)

同艦はA=H帝国海軍が初めて建造した装甲巡洋艦です。フランス海軍の装甲巡洋艦建造に触発されたもので、後述の防護巡洋艦「カイザー・フランツ・ヨーゼフ1世」級を拡大した設計でした。間の前後に24センチ単装砲を一基づつ主砲としてフード付きの露砲塔とて搭載し、19ノットを発揮できました。

1906年の近代化改装で旧式化していた主砲は長砲身でより長射程、射撃速度の速いの19センチ砲に換装されています。やはり間の前後にフード付きの露砲塔形式で搭載されました。

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(「カイゼリン・ウント・ケーニギン・マリア・テレジア」の近代化改装後の概観:下は就役時と改装後の比較。ますとが簡素化され、主砲が換装されています)

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第一次世界大戦時には既に旧式艦として扱われ、アドリア海に面したクロアチア港湾都市ゼニベコ(現在シニベク)の警備艦とされていました。後に武装を撤去して潜水艦乗員の宿泊艦とされ、戦争終結後は英国編賠償艦として1920年解体されました。

 

カイザー・カール6世(1900年就役:同型艦なし)

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(装甲巡洋艦「カイザー・カール6世」の概観:94mm in 1:1250 by Navis)

同艦はA=H帝国海軍が建造した2隻目の装甲巡洋艦です。主砲をドイツ・クルップ社製の24センチ砲とし、単装砲塔で艦の前後に搭載しています。速力は20.8ノットを発揮することができました。

第一次大戦初期、同艦はアドリア海の南部の要港カッタロ(現在コトル)の防衛戦ののち、同港に長く止まっていました。これはA=H帝国海軍のとった「現存艦隊主義」の一環で、これは艦隊を温存することで敵艦隊に対し潜在的な脅威を与え続け敵国の艦隊の活動を妨げることを狙ったものでした。

大戦後は英国への賠償艦とされ、1922年に解体されました。

 

ザンクト・ゲオルグ(1905年就役:同型艦なし)

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(装甲巡洋艦「ザンクト・ゲオルグ」の概観:99mm in 1:1250 by Navis)

A=H帝国海軍が最後に建造した装甲巡洋艦です。イタリア海軍の「ジュゼッペ・ガリバルディ」級装甲巡洋艦に対抗するために設計されました。

ジュゼッペ・ガリバルディ」級装甲巡洋艦は、準戦艦として機能しうるように攻守にバランスが取れ、併せて機動性も優れた準主力艦として設計された装甲巡洋艦で、日本海軍も日露戦争で主力艦隊に属して戦った「日進」「春日」がこの姉妹艦として建造されたものでした。

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(「ジュゼッペ・ガリバルディ」級の一隻である日本海軍が購入した装甲巡洋艦「日進」の概観:同型艦「春日」は前部主砲に40口径25.4センチ砲を採用しています。この砲は、日露戦争当時の連合艦隊の艦載砲の中で最も射程が長く、旅順要塞の要塞砲の射程外から港内に砲撃が可能でした。日本海軍は旅順沖で機雷により喪失した戦艦「初瀬」「八島」の代わりに、同級装甲巡洋艦2隻を第一艦隊、第一戦隊に編入し、設計通り準主力艦として使用しました)

 

同級を意識したため、それまでの装甲巡洋艦よりも一回り大きな7000トンを超える船体にクルップ社製の24センチ砲を連装砲塔で艦首に、更に艦尾に19センチ砲を単装砲塔で搭載していました。速力は22ノットを発揮することができました。舷側装甲も強化されていました。

第一次世界大戦期には、イタリアの沿岸部への砲撃作戦や、アドリア海最大の海戦とされるオトラント海峡海戦へも支援部隊として出撃するなどの戦績を残しています。

1920年に英国への賠償艦に指定され、イタリアのタラントで解体されました。

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(A=H帝国海軍の装甲巡洋艦:手前から「カイゼリン・ウント・ケーニギン・マリア・テレジア」「カイザー・カール6世」「ザンクト・ゲオルグ」の順)

 

防護巡洋艦水雷巡洋艦

A=H帝国海軍は4艦級8隻の防護巡洋艦を建造しました。

建艦の時系列で言うと、先に紹介した装甲巡洋艦よりもこちらの方が先でした(どの国でもそうなんですが)

同海軍の主要な任務が狭水道の多いアドリア海の哨戒・警備、紛争解決であったことからも、こうした取り回しがよく高速で機動性の高い艦船への要求は大きなものがありました。

第一次世界大戦期には、一般的に防護巡洋艦の概念が既に旧式化し、特に機関の目覚ましい発展により後の設計された巡洋艦との間に、機動性の点で大きな差が生じ行動を共にできませんでした。

 

パンター」級防護巡洋艦(1885年就役:同型艦2隻)

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(「パンター」級防護巡洋艦の概観:58mm in 1:1250 by Sextant:水雷巡洋艦として設計された小型の巡洋艦でした):

同級はA=H帝国海軍が建造した最初の防護巡洋艦でした。水雷巡洋艦として雷装に力が入れられた設計で英国に発注されました。1500トン級の船体を持ち、これに12センチ単装速射砲を2基、35センチ水中魚雷発射管を2基、装備していました。20ノットを超える速力を出すことができました。

就役後は様々な業務に従事しましたが、第一次世界大戦ではモンテネグロ軍への艦砲射撃のほか、目立った働きはありませんでした。

戦後、賠償艦として英国に引き渡され、1920年に解体されています。

 

防護巡洋艦ティーガー」(1888年就役:同型艦なし)

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防護巡洋艦ティーガー」の概観 :59mm in 1:1250 by Sextant :「パンター」級の拡大型で、初めての自国建造の防護巡洋艦でした):

同艦はA=H帝国海軍が建造した2番目の防護巡洋艦の艦級です。「パンター」級の拡大改良型として1隻のみ建造されました。「パンター」級は前述の通り英国製でしたが、同級から取得した技術を基盤として自国で建造されました。2000トン弱に拡大された船体に12センチ単装砲を4基装備、水長魚雷発射管を前級と同様に4基搭載していました。20ノット弱の速力を発揮することができました。

大戦前の1906年に同艦は12センチ主砲を撤去して将官用ヨットに艦首変更され、艦名も「ラクロマ」に改名されました。

大戦後はイタリアに賠償艦として提供され、1921年に解体されました。

 

「カイザー・フランツ・ヨーゼフ1世」級防護巡洋艦(1890年就役:同型艦2隻)

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(「カイザー・フランツ・ヨーゼフ」級防護巡洋艦の概観:81mm in 1;1250 by Harman :大型の防護巡洋艦で、砲力に重点を置いた設計でした):

それまでにA=H帝国海軍が建造した「パンター」級、その改良型である「ティーガー」がいずれも軽快な水雷巡洋艦であったのに対し、同級は最初の本格的防護巡洋艦として建造されました。4000トン級の船体に24センチ単装砲2基と15センチ単装砲6基と強力な砲力をもち、20ノットの速力を発揮することが出来ました。就役当初は石炭専焼窯を搭載していましたが、1914年に2隻とも石炭・重油混焼缶に換装して機動性を高めています。(余談ですが、日本海軍の「浪速」級によくにスペックですね)

第一次世界大戦期には、既に防護巡洋艦の設計思想そのものが旧式化していましたが、同艦級はA=H帝国海軍の重要な戦力として活用されました。

「カイザー・フランツ・ヨーザフ1世」は、第一次世界大戦期にはモンテネグロ軍編艦砲射撃等を行い、モンテネグロ軍を降伏させるなどに貢献しています。

戦後はフランスへの賠償艦として割り当てられ、フランスへの回航途上、悪天候座礁、沈没しました。その後浮揚され、1922年に解体されました。

「カイゼリン・エリザベート」は同盟国であったドイツ帝国の極東根拠地であった青島に派遣され、同地で日本海軍と戦っています。青島要塞陥落の直前に日本軍による鹵獲を防ぐため自沈しています。

 

「ツェンタ」級防護巡洋艦(1899年就役:同型艦3隻)

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(「ツェンタ」級防護巡洋艦の概観:77mm in 1:1250 by Navis : 列強の防護巡洋艦と比較するとやや小ぶりですが、アドリア海での運用には最適だったのではないでしょうか?)

同級は偵察と主力艦隊の護衛を主任務として設計された艦級です。2500トン級の船体に12センチ速射砲8基を搭載し、21ノットを発揮することができました。

第一次世界大戦期にネームシップである「ツェンタ」はモンテネグロ封鎖任務についていましたが、これを阻止するために出撃した戦艦を中心とした強力なフランス艦隊と単艦で交戦し撃沈されました。

同級の残りの2艦は大戦後英国への賠償艦となり、1920年にイタリアに売却され解体されました。

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(A=H帝国海軍の防護巡洋艦:手前から「パンター」級、「ティーガー」、「カイザー・フランツ・ヨーゼフ」級、「ツェンタ」級)

 

軽巡洋艦偵察巡洋艦

前述のように第一次世界大戦期には列強海軍は機関の著しい発展、燃料の石油化を進め、従来の装甲巡洋艦防護巡洋艦とはレベルの異なる新たな機動性もった巡洋艦の建造に着手していました。A=H帝国海軍も同様の艦種の建造に着手し、2艦級4隻が建造されました。

 

軽巡洋艦「アドミラル・シュパウン」(1910年就役:同型艦なし)

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軽巡洋艦「アドミラル・シュパウン」の概観:103mm in 1:1250 by Navis: A=H帝国海軍もようやく近代的な巡洋艦を建造できました) 

同艦はA=H 海軍が建造した最初のタービン機関搭載巡洋艦です。3500トンの船体に10センチ単装砲7基を主兵装として搭載し、27ノットの高速を発揮することができました。次級の「ヘルゴラント」級と並び、機動性を買われ同海軍の最良の巡洋艦と言われました。

第一次世界大戦ではアドリア海、イタリア沿岸での作戦の多くに従事しました。

大戦後は英国への賠償艦とされ、イタリアで解体されました。

 

「ヘルゴラント」級軽巡洋艦(1914年就役:同型艦3隻)

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(「ヘルゴラント」級軽巡洋艦の概観:104mm in 1;1250 by Navis: 前出の「アドミラル・シュパウン」と合わせて、A=H帝国海軍の最良j巡洋艦と言われました)

前級「アドミラル・シュパウン」の改良型として3隻が建造されました。前級とほぼ同じ3500トン級の船体に10センチ単装砲を9基に強化していました。雷装も前級の45センチ魚雷単装発射管4基から53.3センチ魚雷連装発射管2基(就役時には45センチ連装発射管3基)に強化され、高角砲も第一次大戦時に追加されました。速力は前級と同様、27ノットを発揮することができました。前級で記述した通りA=H帝国海軍の「最良の巡洋艦」としてアドリア海での多くの作戦に参加しました。

3隻ともに大戦を生き抜き、「ヘルゴラント」と「サイダ」はイタリアに賠償艦として引き渡されそれぞれ「ブリンディシ」「ヴェネツィア」と改名されて再就役し、1930年ゴロに解体されました。「ノヴァラ」はフランスへの賠償艦となり、「ティオンヴィル」に改名し再就役。1932年に解体されました。

 

オーストリア=ハンガリー帝国海軍の駆逐艦

本稿、今回の冒頭でご紹介したようにA=H 帝国海軍は第一次世界大戦に27隻の駆逐艦保有して臨みました。

 

水雷砲艦7隻

そのうち7隻は水雷砲艦と呼ばれる、ある種水雷艇を排除する艦種の開発の試行過程に生まれた艦級群で、6艦級7隻がこれに該当します。

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(試行錯誤期のA=H帝国海軍の駆逐艦:「ブリッツ」級駆逐艦水雷砲艦と言ったほうがいいのかな)の概観:48mm in 1:1250 by Hai? : A=H帝国海軍はこうした駆逐艦を7隻保有していました)

 

「フサール」級駆逐艦(1905年より就役:同型艦13隻(前期型・後期型を含む))

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(「フサール」級駆逐艦の概観:55mm in 1:1250 by Navis

同級はA=H 帝国海軍が最初に建造した航洋型駆逐艦の艦級で、英国で建造された最初の1隻を除いて、全て帝国の造船所で建造されました。

当時の駆逐艦の標準的なタートルバック構造の艦首を持ち、400トン級の船体に66mm砲1門、47mm砲7門、43センチ単装魚雷発射管2基を搭載し、28ノットの速力を出すことができました。後期型は武装を強化し、47mm砲は66m砲5基に変更されました。

1908年のネームシップ座礁で失われ、第一次世界大戦で2隻が失われました。

大戦後は賠償艦として1隻がギリシア海軍に編入され、8隻がイタリア海軍に、2隻がフランス海軍に引き渡され、全て解体されました。

 

駆逐艦「ワラスディナー」(1914年就役:同型艦なし・中国向けに建造された駆逐艦を接収)

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(モデルはありません:Trident社から出てはいるのですが、少し眠たいモデルのように写真を見た限りでは感じます。「フサール級」の準同型艦なので・・・)

同艦は中国向けに建造された駆逐艦で「フサール」級駆逐艦タイプシップとしていました。1913年に進水し、第一次世界大戦が勃発した時点でほぼ完成していた同艦はA=H 帝国海軍に接収され、艦隊に編入されました。45口径66mm 砲2基と30口径66mm砲4基、45センチ魚雷発射管4基を搭載していました。

大戦中はイタリア沿岸部の砲撃、フランス潜水艦の撃沈などに戦果を上げています。

戦後は賠償艦としてイタリアに引き渡され、解体されています。

 

「タトラ」級駆逐艦(1913年より就役:同型艦6隻)

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(「タトラ」級駆逐艦の概観:67mm in 1:1250 by Navis: A=H帝国海軍初の(そして最後の)本格的な航洋型駆逐艦です)

同級はA=H 帝国海軍が建造した最初の航洋型駆逐艦の艦級で、結果的に最後の艦級となりました。英国の「トライバル」級駆逐艦を範として前級のタートルバック構造の艦首から、船首楼形式の船首構造へ移行して凌波性を高めています。f:id:fw688i:20220109160912p:image

(前級「フサール」級との艦首形状の比較:上が「フサール」級のタートルバック形状の艦首、下が「タトラ」級の船首楼式艦首形状)

850トン級の大型化した船体を持ち、タービン機関を搭載して32ノットの高速を得ることができました。武装としては10センチ単装砲2基、7センチ単装砲6基を搭載し、45センチ単装魚雷発射管を2基装備していました。

第一次世界大戦期には高速を生かしてアドリア海での機動作戦の多くに参加、2隻が戦没しています。

大戦後は残る4隻が全てイタリアに賠償艦として引き渡され、同国海軍に編入されました。f:id:fw688i:20220109161103p:image

(A=H帝国海軍の駆逐艦:手前から「ブリッツ」級、「フサール」級、「タトラ」級の順)

 

河川砲艦(河川モニター)

A=H 帝国海軍の大きな特徴として、内陸帝国ならではの艦種があります。河川砲艦、もしくは河川モニターと呼ばれる艦種で、ドナウ川流域の権益確保のための哨戒、警備、沿岸部での戦闘を担当していました。

A=H 海軍は第一次世界大戦期にこれからご紹介する4艦級8隻の河川モニターを保有しており、第一次世界大戦期にはドナウ川を下り黒海に達する広い流域で、A=H 帝国陸軍の作戦を支援しました。その一部は帝国の解体後も流域諸国で継承、使用されました。各艦級2隻が建造され、いずれの艦級も、二重帝国の母体であるオーストリアハンガリーの河川の名前をペアで与えられたようです。(と書きましたが、河川砲艦、というとモーターボートに大型の機関砲を搭載したものまでの含んで、流域警備の多くの艦級を含んでしまうので、河川モニターという呼称に拘ったほうがいいかもしれません。実のところあまり資料が収集できておらず、モデルのコレクションが先行している、そんな状況です。ちょっと打ち明け話)

 

Maros級:「マロス」級(1871年就役:同型艦2隻)

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(「マロス」級河川モニターの概観:41mm in 1:1250 by Trident: 浅い河川での運用を想定した船体形状がよくわかります)

A=H 帝国海軍が建造した最初の河川モニターの艦級です。

河川用ですので、浅い喫水(1.3m)を持った平らなフォルムの艦型をし、9.6ノットの速度を出すことができました。

第一次世界大戦期には12センチ砲1門、66mm砲2基、37mm砲2基を主兵装として搭載していました。既にかなり旧式で現役解除も検討されていたようですが、大戦勃発で現役にとどまり、ベオグラード方面での作戦等に参加しています。

 

Kores級:「ケレス」級(1892年就役:同型艦2隻)

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(「ケレス」級河川モニターの概観:45mm in 1:1250 by Trident)

同級は448トンの船体を持ち10ノットの速力を出すことができました。

12センチ単装砲塔2基を艦の前後に装備し、66mm対空砲2基を主兵装として装備していました。

第一次世界大戦期には他の河川モニターと同様にドナウ川を降り黒海に至る種々の作戦に従事しています。

同級のネームシップ「ケロス」はA=H 帝国解体後、流域諸国で所有権が点々としたのちユーゴスラビア軍に編入され「Morava:モラバ」と改名され、第二次世界大戦ではドイツの侵攻軍と戦っています。更に占領後に成立した枢軸側政府軍に組み入れられ、1944年頃まで運用されていました。

 

Temes級:「テメシュ」級(1914年就役:同型艦2隻)

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Temes-class monitor - Wikipedia

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(「テメッシュ」級河川モニターの概観:48mm in 1:1250 by Trident: 搭載された2基の12センチ主砲塔は艦首部に並列配置されていました):

442トンの船体を持ち13ノットの速力を出すことができました。第一次世界大戦期には12センチ単装砲塔2基、9センチ速射砲1基、47mm単装速射砲2基などを備えていました。

 大戦期には他の河川モニターと同様にドナウ川流域での作戦に従事していました。

大戦後、「テメシュ」はルーマニア海軍に譲渡され「アルデアル」と改名して第二次世界大戦でも活動しています。1946年に解体されました。

同型間の「ボドログ」はユーゴスラビアに譲渡され「サヴァ」と改名され、1941年第二次世界大戦のドイツ軍のユーゴスラニア侵攻戦で自沈、その後浮揚して枢軸側で参戦したクロアチア軍で運用され1944年再度自沈、1962年に解体されました

 

Sava級:「サヴァ」級(1915年就役:同型艦2隻)

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(「サヴァ」級河川モニターの概観:50mm in 1:1250 by Trident:同級はA=H 帝国海軍の最後の河川モニターとなりました。下の写真は艦の前後に踏査された連装砲塔の拡大)

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同級は結果的にはA=H 帝国海軍が建造した最後の河川モニターとなりました。

船体は580トンまで拡大し、13.5ノットまで速力を出すことができました。艦首に15キロの最大射程を持つ12センチ連装砲塔を1基、艦尾に12センチ榴弾砲の連装砲塔を1基搭載し、加えて66mm対空砲1門、47ミリ砲2基を搭載する重武装艦でした。

第一次世界大戦では他の河川モニター同様、ドナウ川沿岸での作戦に参加しました。

戦後はルーマニアユーゴスラビアに譲渡されています。ルーマニアに譲渡された「サヴァ」は「Bucovina:ブコヴィナ」と改名され、長い航続距離を生かして黒海での対戦作戦に従事するべく、機銃の一部を爆雷投射機に換装しました。

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(A=H帝国海軍の河川モニター:手前から「マロス」級、「ケレス」級、「テメッシュ」級、「サヴァ」級の順)

 

少し駆け足でオーストリア=ハンガリー帝国海軍の主力艦以外の艦艇を見てきましたが、実はA=H 帝国海軍を語る際に外してはいけない重要な艦種が手付かずなのです。それは、そうです、潜水艦です。潜水艦という艦種は1:1250スケールではなかなか満足のいくディテイルに至らず、これまで本稿でも潜水艦はできるだけもう少し大きなスケールのもの(例えば1:350や1:700)のモデルで補足しつつご紹介してきているのですが、A=H 海軍ではそうもいかず、悩ましいところです。しかし、水上艦艇の多くが現存艦隊主義で温存されたのに対し、潜水艦はかなり活発に活動しています。今、実のところ1:1250スケールのA=H海軍潜水艦は保有していませんが、今後少し目配りして行こうかと考えています。

 

というわけで今回はここまで。振り返ると少し肝心の主力艦のご紹介が手薄だったような気がしてきました。こちらは折を見て。(気になると放っておけないからなあ。近々に手を入れちゃうかも。しかし、実はあまり資料が手元にないのです)

一応、次回は「機動部隊小史」に戻る予定です、が・・・。

 

ともあれ本年もよろしくお願いいたします。くれぐれもお体に気をつけて・・。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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