相州の、ほぼ週刊、1:1250 Scale 艦船模型ブログ

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

オーストリア=ハンガリー帝国海軍:近代海軍の戦艦総覧

本稿では前回、オーストリア=ハンガリー帝国(以下、前回に倣いA=H帝国と表記します)の近代海軍の巡洋艦以下の艦艇をご紹介したのですが、最後に本稿の姉妹ブログ(と言っても筆者の保管庫のようなブログなんですが)で先行して脱稿していた主力艦の一覧がやや貧弱に見えてきた、と結んでいました。

気になりだすと放っておけない悲しい性と言うべきか、早速、今回少し手を入れて改めて同海軍の近代主力艦のご紹介をしておきます。今回はそう言うお話。

 

オーストリア=ハンガリー帝国と近代海軍(おさらい)

A=H帝国の成り立ちなどは前回簡単にまとめているので、少しだけおさらいをしておくと、同帝国は長くドイツ語圏(中央ヨーロッパ)の覇権争いの主役であり、その重心は中央ヨーロッパにありました。併せて、その版図を東方に広げ、モンゴル勢力やイスラム勢力に対するキリスト教圏の東の防波堤的な役割を、その成立過程に大きく含んでいました。

普墺戦争(1866年)に敗れ、中央ヨーロッパでのドイツ統一の主導権争いから脱落すると、版図拡大過程から生じた多民族国家的な性格が濃厚に現れます。一方、産業革命以降のヨーロッパ列強の海外進出が進むにつれ、相対的に東方からの脅威が低下し、次第に帝国の存在意義が希薄化してゆきます。代わりに他民族帝国に内在していた矛盾や誤謬が顕在化し、独立運動に発展し、やがては第一次世界大戦の直接的な引き金役を担ってしまいました。

A=H帝国の近代海軍はまさにそうした帝国の末期に建設された海軍で、第一次世界大戦後、帝国は解体され、同時に海軍も一部の河川警備海軍を除いて解体されました。

 

同帝国海軍を地政学的な視点で見てみると、その活動海面は同帝国が直接接続するアドリア海とそれに続く地中海、と言うことになり、比較的穏やかで多くの島嶼を含む海面での紛争に対応する迅速な警備行動などを想定した艦艇設計が見受けられます。

 

主力艦の開発系譜を見ても、比較的穏やかな内海で島嶼が多く狭い水道が多い、と言えば、当然浅海面と言うことになりますね。そうするとそうです、まずは海防戦艦ですね。

 

と言うことで第一弾は、

モナルヒ級海防戦艦(1898年~就役近代戦艦:同型艦3隻) 

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(1898-, 5878t, 15.5knot, 9in *2*2, 3 ships)

f:id:fw688i:20220116133937p:image
(「モナルヒ」級海防戦艦の概観:76mm in 1:1250 by Navis: 大洋での活動を意識せず長い航続距離を必要としないから(?)、比較的重武装でコンパクトな艦型をしています)

同級はアドリア海の沿岸警備を主目的として設計された艦級です。島嶼地域の狭い水路でも取り回しの良さそうな5500トン級の船体を持ち、船体の大きさの割には強力な24センチ連装砲塔2基を主砲として搭載しています。同海軍で主砲を砲塔形式で搭載したのは同艦級が最初でした。他には15センチ単装砲を6基、副砲として搭載していました。同時期の戦艦としては高速の17.5ノットを発揮することができました。2隻が建造され「モナルヒ」「ブタペスト」「ウィーンと命名されました。(「モナルヒ」は君主を意味し、その他はオーストリアハンガリーの首都名を冠されています)

第一次世界大戦では同級の「ウィーン」が1917年トリエステ沖でイタリア海運の魚雷艇により撃沈されています。他の二艦は大戦後、賠償艦として英国に引き渡され解体されました。

 

ハプスブルグ級戦艦(1902年~就役:同型艦3隻) 

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(1902-, 8232t, 19knot, 9.4in *2+1, 3 ships)f:id:fw688i:20220116133817p:image

(「ハプスブルグ」級戦艦の概観:84mm in 1:1250 by Navis)

同級は20世紀に入ってA=H帝国海軍が初めて就役させた戦艦です。前級「モナルヒ」級海防戦艦と同様、島嶼地域と狭水道の多いアドリア海での行動に適した列強の同時期の戦艦に比べるとやや小ぶりな艦型でした。「モナルヒ」級に比べると航洋性を重視した艦型を有していました。8500トン級の船体に新型のクルップ社製の24センチ主砲を艦首部に連装砲塔で、艦尾部に単装砲塔で搭載していました。同時期の戦艦(いわゆる「前弩級戦艦」)としては高速の19.5ノットを超える速力を発揮することができました。f:id:fw688i:20220116133829p:image

(直上の写真は同級の特徴である主砲塔の配置。艦首部に連装砲塔、艦尾部に単装砲塔で配置しています)

「ハプスブルグ」「バベンベルグ」「アルパード」の3隻が建造されました。(いずれもオーストリアハンガリーの名門家の名前を冠しています)

第一次世界大戦期には3隻で戦隊を構成していましたが、海軍の主力艦は既に砲力・速力で格段に強化された「弩級戦艦超弩級戦艦」の時代に入っており、旧式(前弩級戦艦)の同級の活躍の場は多くはありませんでした。

大戦前期には、当時同盟国であったトルコ海軍の強化のためにドイツ帝国からトルコ海軍に編入されることになったドイツ弩級巡洋戦艦「ゲーベン」の回航作戦の支援や、イタリア沿岸への砲撃作戦等に参加しました。大戦後半は既に旧式であったことに加え、A=H帝国海軍の基本戦略であった「現存艦隊主義」に則り港湾で保全され、乗員を潜水艦や航空機に転属させられ港湾警備や練習艦任務についていました。

大戦終結後は英国への賠償艦となり、1921年に解体されています。

 

エルツヘルツォーク・カール級戦艦(1906年~就役:同型艦3隻) 

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(1906-, 10472t, 20.5knot, 9.4in *2*2, 3 ships)f:id:fw688i:20220116133833p:image

(「エルツヘルツォーク・カール」級戦艦の概観:100mm in 1:1250 by Navis)

同級はA=H帝国海軍の最初の航洋型近代戦艦として建造された「ハプスブルグ」級戦艦の強化型です。列強の同時期の戦艦なみの1万トンを少し超える大きさの船体を持ち、24センチ連装砲塔を艦首・艦尾に2基装備していました。さらに副砲を従来の同海軍の戦艦の標準的な装備であった15センチ砲から19センチ砲に変更し、12門を両舷にケースメート形式で搭載し、砲力の格段の強化を図った艦級となりました。速力は前弩級戦艦(副砲の口径から見て準弩級戦艦のはしりと見てもいいのかも)としては高速の20ノットを発揮することができました。f:id:fw688i:20220116133934p:image

(同級から、主砲は連装主砲塔での装備となりました)

上記のように強化された兵装を持ち高速を発揮できる優れた設計(前弩級戦艦としては最後の世代)ながら、前級同様、列強海軍の主力艦は既に砲力・速力で格段に強化された「弩級戦艦超弩級戦艦」の時代に入っており、旧式(前弩級戦艦)の同級の活躍の場は多くはありませんでした。

「エルツヘルツォーク_カール」「エルツヘルツォーク・フリードリヒ」「エルツヘルツォーク・フェルディナント・マックス」の3隻が建造されました。(艦名はいずれも「オーストリア大公」の名前:この爵位はハプスブルグ家の成員のみが名乗ることができました)

第一次世界大戦では、前級同様、ドイツ巡洋戦艦「ゲーベン」のトルコへの回航作戦を支援したのち、イタリア沿岸部の砲撃などに参加しています。さらに連合国のオトラント海峡封鎖作戦への対抗措置としてオーストリア軽巡洋艦部隊が出撃した際には、支援艦隊の一員として出撃しています。

大戦後は2隻がフランスへ、1隻が英国へ賠償艦として引き渡され、1隻は回航途中に座礁してそのバッで解体され、残りも1921年に解体されています。

 

ラデツキー級戦艦(1910年~就役:同型艦3隻) 

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 (1910-, 14508t, 20.5knot, 12in *2*2 & 9.4in *2*4, 3 ships)f:id:fw688i:20220116133929p:image

(「ラデツキー」級戦艦の概観:109mm in 1:1250 by Navis)

A=H帝国海軍はアドリア海をその主要な行動範囲と想定するために、同海軍の戦艦は、高速を有する反面、他の列強の同時期の戦艦に比較して艦型が小さく、口径の小さな主砲を有しており、やや非力さを感じさせることは否めませんでした

本級は、それを一新し、諸列強の主力艦と遜色のない15,000トン級の船体に、30.5センチ砲を主砲とし、さらにそれまで諸主砲であった24センチ砲を中間砲として連装砲塔4基の形式で搭載し砲力を格段に強化した強化型近代戦艦(準弩級戦艦)となっています。さらに速力は、従来の優速を保持する20.5ノットを発揮することができ、実に有力な艦級でした。f:id:fw688i:20220116133826p:image

(同級に搭載された主砲(30.5センチ)と中間砲(24センチ)の配置。更に舷側には副砲がケースメート形式で搭載されています)

しかし同級の完成時には、「弩級戦艦超弩級戦艦の時代」が始まっており、同級は完成後間もなく、旧式戦艦の部類に類別されることになってしまいます。

「ラデツキー」「ズリーニ」「エルツヘルツォークフランツ・フェルディナンド」の3隻が建造されました。(艦名はいずれも帝国の名家の名前が冠されています)

第一次世界大戦時には、同級は艦隊主力としてモンテネグロ、イタリア沿岸部の砲撃作戦等に従事していましたが、同海軍のとった「現存艦隊主義」の方針から温存策が図られ、海戦等の海上戦力本来の戦闘参加の機会はほとんどありませんでした。

大戦の終結後は紆余曲折の経緯を経てイタリアに賠償艦として引き渡され、1921年に「ラデツキー」以外の2隻が、そして1926年には「ラデツキー」が解体されました。

 

テゲトフ級戦艦(1910年~就役:同型艦3隻) 

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(1912-、21,730, 20.3knot, 12in *3*4, 4 ships) (126mm in 1:1250)f:id:fw688i:20220116133921p:image

(「テゲトフ」級戦艦の概観:125mm in 1:1250 by Navis)

同級はA=H帝国海軍初のそして保有した唯一の弩級戦艦です。

イタリア海軍が弩級戦艦「ダンテ・アリギエリ」を建造することに触発されて、「ラデツキー」級の発展型としてほぼ固まりつつあった準弩級戦艦建造の計画を急遽改めた、とされています。

中間砲を廃止し、主砲を三連装砲塔4基として背負式配置を採用し首尾線上に配置し全ての方面への主砲の社会を最大限確保している等、先進的で意欲的な設計でした。2万トン弱の船体を持ち、機関に蒸気タービンを採用し、20.3ノットの速力を発揮することができました。f:id:fw688i:20220116133925p:image

(同級は30.5センチ三連装主砲塔を全て首尾線上に配置し、全周への火力を確保していました)

「フィリプス・ウニティス」(皇帝ヨーゼフ1世のモットー「力を合わせて」のラテン語表記)「テゲトフ」(リッサ海戦勝利時の指揮官の名)「プリンツ・オイゲン」(対オスマン帝国戦で活躍したオーストリアの名将の名)「シュツェント・イストファン」(中世ハンガリー王国の初代国王の名、いわゆる建国の父?)の4隻が建造されました。

第一次世界大戦期には、4隻で第一戦艦戦隊を編成し文字通り艦隊主力でした。開戦初期には前出のドイツ巡洋戦艦「ゲーベン」のトルコ回航作戦の支援、アドリア海沿岸でのイタリア・モンテネグロ砲撃等の作戦に参加します。が以降は「現存艦隊主義」をとったため、あまり目立った働きはありませんでした。

1918年にホルティ提督(後に第二次世界大戦期のハンガリーを率いてドイツ側で参戦させた人ですね)による、おそらくA=H帝国海軍最大の海上作戦となったオトランド海峡封鎖突破作戦では、同級4隻が前出の「エルツヘルツォーク・カール」級戦艦3隻、「ヘルゴラント」級軽巡洋艦3隻、軽巡洋艦「シュパウン」「タトラ」級駆逐艦などとともに参加しましたが、参加した同級の「シュツェント・イストファン」がイタリア海軍の魚雷艇による魚雷攻撃で失われました。

大戦終了後、A=H帝国の解体に伴い成立したユーゴスラビアに同級の「フィリプス・ウニティス」は譲渡され、艦名も「ユーゴスラビア」に改名されました。「ユーゴスラビア」はイタリア海軍の特殊潜航艇により艦底に吸着機雷を仕掛けられて撃沈されました。

残った同級の「テゲトフ」はイタリアに、「プリンツ・オイゲン」はフランスに、それぞれ賠償艦として引き渡され、「テゲトフ」は解体され、「プリンツ・オイゲン」は標的艦として渋められました。

 

モナルヒ代艦級戦艦(未成艦:同型艦4隻) 

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(計画のみ:24,500t, 21knot, 14in *3*2 + 14in *2*2, 4 ships planned)f:id:fw688i:20220116133821p:image

(「モナルヒ」代艦級の概観:140mm in 1:1250 by C.O.B. Constracts and Miniature)f:id:fw688i:20220116134011p:image

本艦は、その名の示す通り(Elsatzはドイツ語で代替:replaceを意味します)前出の「モナルヒ」級海防戦艦の老朽化に伴いその代替えとして計画されたものです。前級に当たる「テゲトフ級」弩級戦艦を一回り大きくした24,500トンの船体に、これもひとまわり口径の大きい35センチクラスの主砲を、背負い式に三連装砲塔、連装砲塔の組み合わせで、都合10門、艦の前後に振り分けて搭載するいわゆる「超弩級戦艦」とする計画でした。速力は21ノットを発揮する予定でした。前級のテゲトフ級も、三連装砲塔の搭載など、先進性に満ちた設計の強力な戦艦だったのですが、本級はさらにそれを凌駕する設計で、完成していれば強力な戦艦となったことでしょう。

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(「テゲトフ」級と「モナルヒ代艦」級の比較:手前が「テゲトフ」級)

 

A=H帝国海軍の戦艦の系譜

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(A=H帝国海軍の近代戦艦開発の系譜:手前から「モナルヒ」級、「ハプスブルグ級、「エルツヘルツォーク・カール」級、「ラデツキー」級、「テゲトフ」級そして未成艦である「モナルヒ代艦」級の順)

 

さて、ここからは少し模型サイトらしく、「モナルヒ代艦」級の制作について

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写真は、本稿の読者諸氏にはお馴染みShapewaysで求めた同級の3D Printing Model(興味のある方は下記をご参照ください)にサーフェサーを塗布した状態です。

www.shapeways.com

到着時点では上記サイト紹介にあるような、透明なsmooth fine detail plasticで出力された状態で届いたのですが、実は本モデルは、筆者の購入当時は1:1800スケールしかなく、製作者にこちらからリクエストして1:1250スケールにコンバートとしてもらったものでした。3Dプリンターモデルでは、1:1800から1:1250 へのコンバージョンのようなそれほど細部に修正が必要でない場合には(あくまで製作者側の判断なので、必ずしもこちらのリクエストが承認されるとは限らないのですが)、比較的気軽に応じてもらえることが多いのです。(今では、Shapewaysに1:1250スケールでモデルが掲載されていますので、そのようなリクエストは不要です)

3Dプリンターモデルの多くは、砲塔も一体成型されていることが基本形であると考えていただいた方がよく、このモデルもサイトの写真でご覧いただけるように、一体成型でした。もちろん、そのままでも1:1250スケールでは気にならない場合が多く、これまでに本稿でご紹介したモデルの多くではモデルオリジナルの砲塔をそのままにしています。

今回はどうも少し気に入りません。それでは換装、と言うことになるのですが、この代替砲塔がなかなかの難物です。しかも三連装砲塔と連装砲塔の組み合わせという難度の高い条件でもあるわけで。長くストックモデルをさらった挙句、ようやく1:1200スケールのイタリア戦艦の砲塔が流用できそうだったため、リプレイスを試みることにしたのでした。

冒頭の写真は、一体成型された砲塔を切り落とした状態でです。(手を加える前の状態については、やはりサイトの写真を見てください)砲塔基部に開いた穴は、筆者がメタル製の1:1200スケールの砲塔の位置決めに加工したものです。

お目当のイタリア戦艦からの流用予定の砲塔をはめてみる。(下の写真)

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 なかなか、いい感じ、でしょ?(ああ、これで1隻アンドレア・ドリア級の1:1200スケールのモデルが廃艦になっってしまいましたが):下の写真:前級に当たるテゲトフ級戦艦の1:1250スケールモデル(Navis社)と並べてましょう。おお、なかなかいい感じ。

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あとは塗装を施し、0.5mm径か0.3mm径のプラスティックロッドか真鍮線でマスト等を整えて、完成です。

 

「モナルヒ代艦」級戦艦の別設計案の話

同級の設計について経緯等を調べるうちに、前級のテゲトフ級は三連装砲塔の採用で艦型をコンパクトにまとめるなど、先進的な技術が意欲的に盛り込まれた一方で、、採用された三連装砲塔には実は発砲時の強烈な爆風や、作動不良など、いくつかの課題があったと言うような記載が目に止まりました。

そのため、「テゲトフ」級の発展系で、さらに口径の大きな主砲を搭載することを計画していた本級では、ドイツ弩級戦艦の砲塔配置の採用が検討されていた、と、どうやら別案があったらしいこともわかってきました。「ドイツ弩級戦艦を参考にして」と言うことならば連装砲塔5基を装備したデザインになったいたかもしれないわけですね。じゃあどんな形だったのか作ってみようか、と。

再びストックモデルの棚をゴソゴソと。すると、幸い、1:1000スケール(かどうか不確ですが、1:1250スケールのモデルとしては明らかにオーバースケールな)のドイツ帝国海軍ケーニヒ級戦艦のモデルが手元にあるではないですか、例によって砲塔をストックにある、あまりドイツ色の強く出ない適当なものに置き換えてみると。こんな感じ(下の写真)。

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更に、 作成中の前出モデルと並列し大きさを比較してみましょう。大きさもまずまず同等?ちょっと大きいけど、なるほどドイツ艦を参考にした別案は、まあこんな感じでしょうか、と言うわけで、こちらも仕上げに。

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と言うわけで、別案も完成です。

(下の写真は、当時のドイツ戦艦ケーニヒ級の主砲塔配置案を採用した想定でのその別配置案の概観)f:id:fw688i:20220116133838p:image

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(「テゲトフ」級で首尾線上に三連装砲塔を配置したほどのA=H帝国海軍ならば、きっと連装砲塔での装備に変更したににしてもきっと首尾線上配置は踏襲したはず。もしかすると、主砲配置は英国式に艦首部に2基、艦尾部に3基と言うような配置案もあり得たかも。うーん、これは少し要検討ですね)

いずれにせよ、計画は第一次世界大戦の勃発によりキャンセルされました。

そして第一次世界大戦終結後、A=H帝国自体が解体されてしまったため、海軍も消滅し、A=H帝国海軍の戦艦開発も終了を迎えました。

 

と言うことで、A=H帝国海軍の戦艦開発の系譜の話はここまで。

2週にわたってA=H帝国海軍の艦艇開発を見てきたわけですが、次回からは本稿の本流に戻って、日本海軍の空母開発小史のお話を。ミッドウェー海戦での主力喪失以降、日本海運の空母機動部隊はどのように戦ったのか、あるいはどのように再建を期したのか、そんなお話を、と考えています。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

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