相州の、ほぼ週刊、1:1250 Scale 艦船模型ブログ

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

宝箱のようなフランス海軍: 新戦艦の系譜

今回は「宝箱のようなフランス海軍」の主力艦ミニ・シリーズの最終回。ワシントン条約の制約下での設計、そして条約以降の新造主力艦、いわゆる「新戦艦」の系譜のお話です。

 

第一次世界大戦終結から「新戦艦」の時代へ

これまでお話ししてきたように、かつて帆船の時代にはイギリスと並ぶ世界の2大海軍国の名をほしいままにしていたフランス海軍だったのですが、19世紀の装甲蒸気船の登場から近代戦艦の開発時期に、遠く極東で起こった日清・日露両戦争等の実戦データをめぐり主力艦のあり方についての議論が起こります。この議論は海軍戦略のあり方、さらには海軍艦艇の整備方針にも及び、激しい議論の末「新生学派」と言われる「主力艦」懐疑派、列強、特に隣国である英独が鎬を削って整備に注力し始めた「大艦巨砲主義」の対局をいく派閥が一時期海軍中枢を握る結果となり、以降、建艦政策において長きにわたり迷走の時代を迎え、主力艦の整備・建造競争から、フランスは脱落してゆきました。

かなり乱暴に整理しているので、もっと本格的に当時の背景が知りたい方は、下のURLを。(素晴らしくまとめてくださっています)

フランス艦艇に興味のある方、必読です。

軍艦たちのベル・エポック(前編)

軍艦たちのベル・エポック(後編)

第一次世界大戦の直前には列強(英独)に準じて、弩級戦艦超弩級戦艦の整備に努めてきましたが、母国が大戦の戦場となり戦禍の当事国となったこともあり、計画は全て中止となり、実際に装備した主力艦は7隻余りでした。

第一次世界大戦ドイツ帝国海軍が消滅し、世界の海軍の趨勢は以降、英米を中心に動いてゆくのですが、戦禍からの復興と戦争の終結による景気の大幅な減退から経済状況の回復に列強の政策重点が移り、ワシントン・ロンドン両条約下での建艦競争の休止期を迎えることになるのです。いわゆる「ネーバル・ホリディ」ですね。

 

こうして軍縮条約の制限下で、列強は膨れ上がった海軍戦備を旧式主力艦を中心に整理する機会を手に入れます。併せて一定の枠組み、秩序めいたの中での勢力均衡を実現するのですが、このある種安定した状況に一石を投じたのが、第一次世界大戦の敗戦の結果、事実上消滅し小さな沿岸警備海軍に姿を変えたはずのドイツ海軍でした。

 

ドイッチュラント級ポケット戦艦の登場

先述の通り、かつて世界の二大海軍であったドイツ帝国海軍は、ドイツ帝国自体の崩壊と第一次世界大戦敗戦により、ヴェルサイユ条約下で厳しく保有戦力を限定されました。その戦力は装甲を持つ軍艦としては旧式の前弩級戦艦6隻(予備艦を入れて8隻)しか保有を許されず、沿岸警備海軍へと転落しました。

(この時期の保有戦力について興味をお持ちの方は、本稿の以下の回を読んでみてください)

fw688i.hatenablog.com

この条約下で保有を許された旧式の前弩級戦艦には、1922年以降、代艦建造年数に到達した艦から順次代艦に置き換えられるという代艦建造規定が付加されており、この規定に則り代艦艦齢に到達した戦艦「プロイセン」(「ブラウンシュヴァイク級」)の代艦として「新生ドイツ海軍は「ドイッチュラント級」装甲艦の一番艦「ドイッチュラント」を建造するわけです。

代艦の建造にももちろん一定の規制があり、装甲を施した艦艇については「基準排水量10000トンを超えず、主砲口径も28センチ以下」というものでした。この規定は代替装甲艦艇を、前弩級戦艦レベルの沿岸警備装甲艦、つまり沿岸防備のための海防戦艦程度の艦艇に止める、という狙いがあったのは明らかですが、新生ドイツ海軍はこの規定を逆手にとった新たな概念の装甲艦「ドイッチュラント級」を建造したわけです。

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(「ドイッチュラント級」装甲艦の概観: 148mm in 1:1250 by Neptun)

同級は、列強が軍縮条約下で競って整備した条約型重巡洋艦並みの1万トン級の船体に、重巡洋艦を圧倒する28センチ砲6門を搭載し、ディーゼル機関の採用により当時の標準的な戦艦には捕捉できない27-28ノットの速力と長大な航続力を保有する画期的な軍艦で、小さな船体に搭載した強力な武装から「ポケット戦艦」の通称で名声を馳せることになりました。「戦艦」の名を受け継ぎながらも、その実情は、可能な限り戦闘艦との戦闘を避け神出鬼没に通商路を襲う、理想的な通商破壊艦を目指したもので、通商路を保護する列強の巡洋艦に対しては巡洋艦の備砲に耐える装甲とアウトレンジで攻撃を加えることのできる大口径砲でこれを駆逐し、一方で敵性主力艦との戦闘は優速で回避するという運用を想定したものでした。 

実際に当時、速力でこれを補足できる主力艦は英海軍の巡洋戦艦3隻(「フッド」「レナウン級」の2隻)と日本海軍の「金剛級巡洋戦艦4隻しかありませんでした。

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(「ドイッチュラント級」装甲艦の総覧:手前から「アドミラル・グラーフ・シュペー」「ドイッチュラント=後にリュッツォに改名」「アドミラル・シェーア」)

この画期的な戦闘艦の建造は、周辺諸国に対し大きな刺激を与えました。特にフランスは、その長大な航続距離に自国の植民地との通商路に対する重大な脅威を覚え、これに対抗するため「ダンケルク級」戦艦を建造するに至ったわけです。

 

「新戦艦」時代の幕を開けた

ダンケルク級高速戦艦(1936年より就役:同型艦2隻)

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(「ダンケルク級」戦艦の概観:170mm in 1:1250 by Hansa)

本級の建造に当たっては、確かに前述の「ドイッチュラント級」装甲艦への即効性のある対抗策としての側面も強く求められてもいたのですが、第一次世界大戦前の「プロヴァンス級」超弩級戦艦以来、久々の新造戦艦の建造にあたり、攻撃力、防御力、機動力をどのようにバランスをとりながら具現化するかと言う命題に対する、フランス海軍の次期本格主力艦建造への実験艦的な性格が強いものでした。

武装としては、新設計の13インチ(33センチ)砲を、未完に終わったノルマンディー級戦艦以来のフランス海軍悲願の4連装砲塔2基に、艦首部に集中的に搭載し、集中防御思想を推進する設計としていました。あわせて発展著しい航空機の脅威に備えて、世界初となる水上戦闘にも対空戦闘にも使用できる13センチ両用砲16門を、連装砲塔2基、4連装砲塔3基の形で搭載していました。

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(「ダンケルク級」戦艦の主要武装:33センチ4連装主砲塔(上段)、13センチ連装両用砲塔(中段)と4連装両用砲塔(下段))

艦種名に正式に「高速戦艦」の分類が割り当てられ、公称30ノット、実際には31.5ノットの、従来のフランス海軍の主力艦群と同一戦列を組むことを想定しない、レベルの異なる高速を発揮することができました。

本艦はこの後に列強が建造する戦艦群に比べると結果的には過渡期的と言ってもいいかもしれないやや小ぶりの船体でありましたが、それを除けば(それでもフランス海軍がそれまでに建造した最大の戦艦なのです)、高い機動性、集中防御の思想、対空戦闘への対応力、ダメージコントロールへの新たな工夫など、それまでの戦艦の概念を一新するものでした。

実は同級がそれ以前の主力艦の基本概念を一新し「新戦艦」嫌韓競争の幕開けとなった戦艦であると言っていい、つまりは第二の「ドレッドノート」的な存在となった艦級であると、筆者は考えています。

 

第二次世界大戦期には、その当初の設計通りドイツ装甲艦(ポケット戦艦)の追撃作戦に参加したり、船団護衛にあたったりしていましたが、独仏休戦協定で実質上フランスが連合国から脱落するとヴィシー政権の指揮下に入りました。ヴィシー政権は同級がドイツの接収を受けることを懸念し、アルジェリアに留め置きましたが、ここで、やはりドイツによる接収、あるいは同盟国側での参戦を懸念する英艦隊の砲撃を受け、損傷しました。損傷回復のために本国に帰港しますが、1942年、ドイツがアントン作戦(全仏の占領)を実施した際に、接収を嫌い両艦はトゥーロン港で自沈しています。自沈による損傷の軽かった「ストラスブール」はイタリア軍に浮揚されますが、連合国の爆撃を受け再度沈没、後に解体されました。

 

ダンケルク級」登場の余波ードイツ海軍の場合

以下、少し余談めいた話になりますが、本級の登場は諸国海軍の戦艦整備政策に大きな影響を与え、ドイツ海軍は「ドイッチュラント級」4番艦、5番艦を、30,000トンを超える本格的な「シャルンホルスト級」戦艦として設計変更することに着手し、結果的にはドイツの再軍備、英独海軍協定等、ドイツ海軍復活への起点となったと考えています。

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(直上の写真は、「ドイッチュラント級」装甲艦、「ダンケルク級」戦艦、「シャルンホルスト級」戦艦の艦型比較:手前から「ドイッチュラント級」、「ダンケルク級」、「シャルンホルスト級」) 

 

ダンケルク級」登場の余波ーイタリア海軍による弩級戦艦の大改装と本格的新戦艦「ヴィットリオ・ヴェネト級」の建造

またイタリア海軍は地中海をめぐる海上覇権をフランスと争うために、「ダンケルク級」変態向上、1915年建造の弩級戦艦「コンテ・ディ・カブール級」、およびその改良型である「アンドレア・ドリア級」の各2隻の大改装に着手しました。

両級とも、その改装は徹底したもので、主砲砲身のボーリングにより30センチから32センチに大口径化し、一方で21.5ノットから28ノットへの高速化のための機関増設のスペース確保のために3番砲塔を撤去しています。さらに副砲の砲塔化、対空兵装の強化などを行ないました。さらに艦種構造の近代化、密閉式艦橋の導入など、艦型も原型をほぼ留めぬほど手を入れられ、直下の写真のように新造戦艦といっても良いほどに異なる外観となりました。

 

「コンテ・ディ・カブール級」戦艦(1937年大改装:同型艦2隻:就役時には同型艦3隻)

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(直上の写真:「コンテ・ディ・カブール級」戦艦の原形を留めぬほどの改装:上段、改装前:140mm in 1:1250 by navis、下段、改装後:下の写真は改装後の概観:150mm in 1:1250 by Neptun)

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アンドレア・ドリア級」戦艦(1937年大改装:同型艦2隻)

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(直上の写真:「アンドレア・ドリア級=カイオ・ドゥイリオ級」戦艦の原形を留めぬほどの改装:上段、改装前:140mm in 1:1250 by navis、下段、改装後:下の写真は改装後の概観:150mm in 1:1250 by Neptun)f:id:fw688i:20220730192053p:image

(両級の近代化改装後の主要部の拡大(左列「コンテ・ディ・カブール級』/右列「アンドレア・ドリア級」:背負式に配置された三連装主砲塔と連装主砲塔(上段左右と下段左右):副砲等と対空砲の配置形式の差異(中段左右))

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ダンケルク級」とイタリア弩級戦艦の大改装の比較

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(直上の写真は、「コンテ・ディ・カブール級」戦艦、「アンドレア・ドリア級」戦艦、「ダンケルク級」戦艦の艦型比較:手前から「コンテ・ディ・カブール級」、「アンドレア・ドリア級」、「ダンケルク級」の順:イタリア艦は弩級戦艦出自ですので、それなりの大きさであることがよくわかります) 

 

上述のように既存艦の大規模な改装で戦力の保持に努めたイタリア海軍でしたが、新造戦艦の設計にも着手します。

「ヴィットリオ・ヴェネト級」戦艦(1940年就役:同型艦4隻)

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(「ヴィットリオ・ヴェネト級」戦艦の概観:192mm in 1:1250 by Neptun)

同級の設計は条約期間中であったため、設計にはワシントン条約の代替戦艦の規制枠であった35000トン級の船体が採用されています。f:id:fw688i:20220730185207p:image

(「ヴィットリオ・ヴェネト級」戦艦の主要部の拡大:15インチ3連装主砲塔(上段)、6インチ3連装副砲塔(中段)、9センチシールド付き単装高角砲塔)

主砲として採用された15インチ砲は50口径の長砲身砲で、高初速を誇り16インチ砲にも劣らない威力の砲でした。副砲にも高初速の55口径の6インチ砲が採用され、これを3連装砲塔4基に収めていました。対空火器としては9センチ高角砲をシールド付きの単装砲で12基装備していました。4軸推進を採用し30ノットの高速を発揮する設計でした。

攻撃力と防御力、機動力を備えた、まさに新設計と言えるバランスの良い艦でした。

こうして「ネーバル・ホリディ」は終焉を迎え、主力艦の最終世代ともいうべき「新戦艦」の時代が本格的に始まったのです。

 

第二次世界大戦期のイタリア海軍戦艦

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(イタリア海軍の第二次世界大戦期の戦艦一覧:下から「コンテ・ディ・カブール級:大改装後」「アンドレア・ドリア級:大改装後」「ヴィットリオ・ヴェネト級」の順)

 

欧州列強の新戦艦

前出のイタリア海軍の新戦艦「ヴィットリオ・ヴェネト級」を皮切りに、ワシントン海軍軍縮条約開けに向けて、各国はそろって新型戦艦を起工しました

起工は条約明け後のではあったですが、ヨーロッパ諸国は条約の継続を深く期待していたため、設計時点では条約の制約を強く意識し、加えて、さらに他国をいたずらに刺激しないようにと、条約の代艦建造条件の枠を意識した数字の上ではやや控えめな設計が揃いました。

一方で、ユトランド沖海戦から得られた、機動性に劣る戦艦は戦場で役に立たないとする戦訓、戦場での生存性を高めるための防御力に対する配慮、さらには高度に発達する航空機等を意識して、いずれも27ノット以上の速力を持ち、多くの対空兵装を装備するなど、共通した設計上の特徴を持っていました。

 

リシュリュー級」戦艦(1940年より就役:同型艦3隻)

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ダンケルク級の建造によりイタリア海軍が15インチ砲装備の高速新型戦艦を建造を開始し、また英独海軍協定によりヴェルサイユ条約の制約から解放されたドイツ海軍も、「シャルンホルスト級」戦艦に続き、やはり15インチ砲搭載の新型戦艦を建造するという情報を得るに至り、フランス海軍も新型戦艦の建造に着手しました。これが「リシュリュー級」戦艦です。

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(「リシュリュー級」戦艦の概観:197mm in 1:1250 by Hansa)

同級は基本形は前級「ダンケルク級」の拡大版であり、主砲口径を列強と同じ15インチに拡大し、これをフランス海軍自慢の4連装砲塔2基に、「ダンケルク級」と同様前甲板に搭載していました。この15インチ砲は非常に優秀な砲で、20,000メートル台の砲戦距離ならば、日本海軍が後日建造する大和級を除くすべての戦艦の装甲を打ち抜くことができたとされている砲です。

前級では対艦・対空の両用砲を搭載しましたが、本級では対空射撃の可能な6インチ砲を副砲として採用し、これを3連装砲等3基に搭載しました。そして副法とは別に高角砲としては10センチ砲を連装砲塔で6基搭載していました。

また本級では煙突と後檣を合体させたMACK構造が採用されており、その特徴的な主砲配置と合わせて非常に近代的なフォルムとなりました。f:id:fw688i:20220730185805p:image

(「リシュリュー級」戦艦の主要部の拡大:優秀砲の呼び声の高い正38センチ4連装主砲塔(上段)、MACK構造を採用した煙突と鋼橋(中段)、6インチ3連装副砲塔(下段))

速力は30ノットを発揮し、4連装砲塔の採用で実現した集中防御設計から、浮いた重量を防御装甲に回すなど、機動性と攻守を兼ね備えた強力艦となりました。

 

同級は1935年から着工されましたが、第二次世界大戦でフランスが独仏休戦協定で脱落した時点で未完成でした。「リシュリュー」と「ジャン・バール」の両艦共に未完成のままヴィシー政権に属し、その状態で当初連合国と交戦し損傷してしまいます。

損傷状態のまま自由フランス海軍に編入され、「リシュリュー」は米国へ回航され完成し、1943年に自由フランス海軍艦艇として連合国側として参戦しました。ノルウェー海域での作戦に参加したのち、英国の東洋艦隊所属となり、インド洋での対日本海軍の作戦等に従事しました。

戦後は第一次インドシナ戦争でアジアへの派遣を経て本国に帰還し、1958年に予備役、1968年に解体されました。

「ジャン・バール」は1942年、北アフリカで「トーチ作戦(連合国の北アフリカへの上陸反抗作戦)」で連合国と交戦し損傷。着底状態のまま第二次世界大戦終了まで放置され、母国フランスの領土回復後、フランスに回航され1949年に就役しています。同艦は史上最後に就役した「戦艦」となりました。就役後は地中海艦隊所属となり、第二次中東戦争アルジェリア戦争等の参加したのち、1967年に解体されています。

三番艦「クレマンソー」は工事進捗10%の状態で工事が中止され、ドイツ軍に接収されブレスト港の閉塞船として使われました。1948年に浮揚されて解体されました。

 

ここからは未成艦をご紹介。

戦艦「ガスコーニュ」(改「リシュリュー級」:未完成)

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(戦艦「ガスコーニュ」の概観:197mm in 1:1250 by Hansa)

同艦は「リシュリュー級」の改良型として一隻のみ建造される予定でした。そのため基本的なスペックは、ほぼ「リシュリュー級」に準じています。大きな変更点としては、主砲塔の配置を「リシュリュー級」の前甲板への集中装備から、上部構造の前後への振り分け配置とした事でした。

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(「ガスコーニュ級」戦艦の主要部の拡大:優秀砲の呼び声の高い正38センチ4連装主砲塔は艦首部と艦尾部に1基づつ配置されています。基本的な配置は「リシュリュー級」に準じているのがよくわかります:このモデルの主砲塔の概観から、同4連装主砲塔が、連装主砲塔を連結したものであることがよくわかると思います。4連装主砲塔は全体での重量軽減には効果がありましたが、単体の重量は重くなるわけで駆動系に大きな負担がかかります。機構の簡略化等、軽量化への工夫が求められるわけです)

この主砲塔の配置の変更については、「リシュリュー級」の着工後に、同級の真艦尾方向への火力不足への懸念が、運用現場から強力に挙げられたことによるとされています。

資材集積中に第二次世界大戦が勃発し、母国が戦争から脱落し起工されることはありませんでした。

 

アルザス級」戦艦(計画のみ:同型艦4隻)

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(「アルザス級」戦艦の概観:214mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs under Shapways)

本級は「リシュリュー級」をタイプシップとして、これを改良・拡大したものであったとされています。計画段階で数案があったとされていますが、そのうちの一案の完成を予想したものです。

45000トン級に拡大された船体を持ち、主砲は「リシュリュー級」と同じ優秀砲の呼び声の高い1935年型正38センチ砲として、これを4連装砲塔3基(艦首部に2基、艦尾部に1基)計12門を搭載する非常に強力な火力を持つ艦となる予定でした。副砲。高角砲についても「リシュリュー級」に準じる計画であったとされています。f:id:fw688i:20220730190507p:image

(「アルザス級」戦艦の主要部の拡大:優秀砲の呼び声の高い正38センチ4連装主砲塔と6インチ3連装副砲塔(上段・下段)、MACK構造を採用した煙突と鋼橋と連装高角砲群(中段))

速力は「リシュリュー級」と同じ30ノットとされています。

その他の構造的な特徴は、ほぼ「リシュリュー級」を踏襲し、近代的で美しいフォルムを持つ艦となる予定でした。4隻が建造される計画でした。

 

フランス海軍:新戦艦の系譜一覧

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(フランス海軍新戦艦の艦型比較:下から、「ダンケルク級」、「リシュリュー級」、「ガスコーニュ級」、「アルザス級」の順。 艦型の大型化の推移と、主砲等の配置の変化が興味深い)

 

ということで「宝箱のようなフランス海軍」の主力艦シリーズ、一旦終了です。過去回はこちら。

fw688i.hatenablog.com

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 海軍首脳部での「新生学派」の台頭から始まった主力艦の開発史、まだまだ奥深いものがあります。「サンプル艦隊」と揶揄されるような迷走的なデザイン・ヴァリエーションから始まり、最終的には洗練された機能美を持った強力艦に行き着くあたり(と筆者は感じているのですが)、もっと理解を深めてゆきたいと考えています。

実は、「宝箱のようなフランス海軍」の今回のミニシリーズではほとんど触れられなかった前弩級戦艦以前の、いわば揺籃期の同海軍の艦艇のモデルが手元に到着しつつあります。いずれはこれらもご紹介の機会があると思います。

 

次回は・・・。全く未定です。少し夏休み、という思いもありますが。到着しつつあるモデルも作りたいしなあ、などと考えています。

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

 

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

 

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

 

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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