相州の、ほぼ週刊、1:1250 Scale 艦船模型ブログ

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

新着モデルのご紹介:おそらく艦艇史上最も重要な船「ドレッドノート」の話

本稿ではこのところモデルのアップデート・ヴァージョンをどう扱うかが、一つのトピックとなっているのは、ご承知のことと思います。

かいつまんで言うと、筆者がコレクションしている1:1250スケールモデルの制作各社で行われるモデル品質向上に対し、コレクションのヴァージョン・アップもそれにどこまで付き合うべきか、経済的にもこれまで使ってきた時間的にも大変悩ましい、と言う話題です。

ヴァージョン・アップの前後を比べると、その差は歴然(当然、各制作会社が努力されているわけですので)としているので、本当に頭を抱え込んでしまいます。「ああ、これまで揃えて来たのは、何だったんだ」と言うわけです。特に筆者のように各国海軍の主力艦の体系的なコレクションを目指している場合、一つヴァージョン・アップするとその周辺の艦級が気になってしょうがなくなる、と言うような問題にも発展し、結局大ごとになる、と言う体験を身をもってしているわけです。これまでにドイツ帝国海軍の前弩級戦艦装甲巡洋艦、英海軍の装甲巡洋艦で、歯抜け状態ながらこのヴァージョン・アップが行われ、今週、ほぼドイツ帝国海軍の弩級巡洋戦艦もほぼ入れ替えが完了、と言う状態です。

その辺りの「ドタバタ」は本稿以下の回で、ご紹介していますので、新旧モデルの差異がどの程度かも含め、興味のある方はご一読いただければ、と思います。(一番最後のドイツ帝国弩級巡洋戦艦のヴァージョン・アップについては、ようやくモデルが手元に揃ったところなので、また改めてご紹介します)

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 上記の投稿でも度々触れているのですが、筆者の認識では新旧モデルの差異が最も著しいのは実は第一次世界大戦期の英海軍のNavisモデルで、この系譜のモデルのヴァージョン・アップは一部の装甲巡洋艦を除いてほとんど未着手の状態なのです。さすがに近代海軍の家元と言っていい英海軍だけに、その艦級の数も多く、従ってヴァージョン・アップすべきモデル数も多く、筆者は主に経済的な理由から尻込みしている、と言うのが実情です。

併せて、筆者が主としてモデル調達に利用しているeBayでの英海軍のNavisの新モデル(Navis Nシリーズと仮称しています)の出品が極端に少ない、と言うのも入れ替えが進まない理由になっています。

どの程度進んでいないかというと、ドイツ帝国海軍の入れ替え進捗が、前弩級戦艦:5艦級中5艦級完了、装甲巡洋艦:6級中4艦級完了、弩級巡洋戦艦:未成も含め6艦級中5艦級完了、弩級戦艦超弩級戦艦:5艦級未着手、であるのに対し、英海軍では前弩級戦艦:9艦級中1艦級完了、準弩級戦艦:2艦級中1艦級完了、装甲巡洋艦::7艦級中5艦級完了:弩級戦艦超弩級戦艦・巡洋戦艦:17艦級未着手と言う状況でした。

 

と言うことで、なかなか進まない英海軍のNavisモデルヴァージョン・アップだったのですが、今週、ようやく手元に「ドレッドノート」とその最初の量産型とも言うべき「べレロフォン級」の新モデルが届いたので、ご紹介しておきます。

かなり前置きが長くなりましたが、今回はそう言うお話。

 

戦艦「ドレッドノート」(1906年就役:同型艦なし)Navis新モデルの入手

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(「ドレッドノート」の概観:128mm in 1:1250 by Navis(新モデル  Nシリーズ))

同艦は近代海軍の発達史を語る上で、間違いなく最も重要な「艦」の一つと言っていいと思います。この船の登場で、前弩級戦艦・準弩級戦艦弩級戦艦以降、と言う分類が生まれました。

さらに言うなら同艦の登場で、それまで二国標準主義(二カ国の海軍軍備の合計を上回る戦力を維持する方針)をとり、他の列強海軍に対し圧倒的とも言える戦力を保持し続けてきた英海軍の戦備に綻びが生じ、この機に乗じ英国の圧倒的優位に一石を投じようとするドイツ帝国海軍、あるいは米海軍との間に大建艦競争が始まるきっかけが作られた、と言ってもいいと考えています。

同艦はでそれまで各国が営々と建造してきた、あるいはその時点で建造途上の主力艦を、一夜で全て旧式設計の第二戦戦力に格下げするほどの革命的な「艦」でした。つまり同艦の登場は、世界に英国の技術的、戦術的思考の優位を示すと同時に、英国がそれまで維持してきた主力艦における数的な優位を、一気に消し去ってしまう「両刃の刃」でもあったわけです。

強大な海軍力を誇る英海軍が、同艦の登場で一気に大量の二線級戦力を抱えた海軍に転じてしまった、この機を捉え特にドイツ帝国弩級戦艦の量産に着手し英国の優位を脅かします。前弩級戦艦の数では永遠に追いつけないけど、弩級戦艦はこれからみんな一斉スタートだから、追いつけるんじゃない、ドイツ皇帝が垣間見たのは、そんな感じの光景だったんじゃないでしょうか?

 

その設計思想

蒸気装甲艦の登場以来、さまざまな試行錯誤を経て、19世紀半ばに主力艦の標準形の第一世代が登場します。おおむね1万トンの船体に、12インチ砲を主砲として旋回能力のある装甲連装砲塔2基に搭載し、18ノット程度の速力を発揮する、こういう前弩級戦艦の標準が定まるわけです。

そして、ヨーロッパの列強から遠く離れた極東で俄に勃興した日本海軍を中心に実戦データが得られる戦争が勃発しました(日清・日露)。特に日露戦争は前出の前弩級戦艦同士が戦った複数の海戦が行われ、大口径砲がその存在感、存在意義を存分に示せるはずの長距離砲戦でいかに命中しないか、あるいは命中しても単発での命中では十分に装甲された戦艦に対しては致命的な損害を与えられないこと、などの戦訓が示されたわけです。

こうした戦訓から例えばフランス海軍などでは「主力艦懐疑派」が海軍中枢を支配し「主力艦不要論」、あるいは高速小型艦艇に搭載した水雷兵器への傾斜を強めたりするわけですが、英海軍や戦争当事者の日本海軍では長射程を持つ大口径砲の命中率を上げる射撃法の確立へと動きが発生します。

こうしてそれまで一般的だった砲側照準による独立撃ち方から、多数の同一大口径砲が同一のデータに基づく照準で同時に弾丸を発射し、着弾の水柱を見ながら照準を修正してゆく「斉射」法が生み出されてゆきます。実際に日本海軍では日露戦争の末期には旗艦砲術長の指示・号令で複数艦の主砲を放つ「斉射」に近い方式が取られていたようです。

まあ、それでも主砲はほとんど当たらず、中口径速射砲の薙射により敵艦の戦闘力を奪い火災を発生させ、あるいは敵艦の設計上の欠陥から装甲帯以外の場所への命中弾の破口からの浸水で転覆を誘う、そんなところが海戦の実相だったようですが。特に日露戦争のクライマックスとも言うべき「日本海海戦」を語る際に必ず言及される「東郷ターン」は、筆者の理解の限りではよく言われる「敵艦隊の縦列にT字を切って集中砲火を浴びせる」と言うよりも、戦艦の数で劣る日本海軍が自艦隊の優速を活かして「日本艦隊が優位に立てる中口径砲以下の射程に距離を詰める機動」だったのではないかな、と考えたほうが腹落ちがいい、と考えています。(この辺り、興味のある方は本稿の下記の回あたり、読んでみてください)

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こうした背景で、大口径砲を多数搭載し単艦での「斉射」を展開する「長距離砲戦に強い主力艦」の設計が第一海軍卿ジョン・アーバスノット・フィッシャー提督の号令下、始まったわけです。

 

その設計

ドレッドノート」は英国の前弩級戦艦のある種到達点ともいうべき「ダンカン級」(1903年から就役)に対して2割増、「キング・エドワード7世級」(1905年から就役)に対し1割増の船体を持っています。

最大の特徴は、なんと言ってもそれまでの標準的な主力艦(いわゆる前弩級戦艦:もちろん前弩級戦艦という言葉はまだなかったのですが)の2.5倍の主砲を装備していたことです。同砲は「1908年型 Mark X 30.5cm(45口径)砲」と呼ばれる砲で従来の標準的な戦艦(前弩級戦艦)の搭載砲でもありました。386kgの砲弾を15000mまで届かせることができました。

この砲の連装砲塔を首尾線上に3基、両舷側に各1基搭載し、首尾線上には従来戦艦の3倍の6門、両舷側には倍の8門の主砲を指向する事が出来ました。

一方で主砲搭載量の確保のために副砲は全廃され、水雷艇防御用の近接戦闘火器としてに3インチ単装速射砲27基が搭載されました。水中魚雷発射管も5基装備していました。

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(上の写真は、「ドレッドノート」のディテイルの拡大:できるだけ多くの主砲を搭載する工夫が特に舷側主砲塔の周辺に見て取れるかと。さらに同艦は、主砲搭載を優先するため副砲を全廃し、個艦防衛のための水雷艇撃退用の3インチ速射砲を副兵装として搭載していましたが、その多くは主砲塔上に搭載されていました。射界は広く確保できたでしょうが、主砲発射時には使用できませんでした。実は上部構造上にも3インチ速射砲の砲座がかなり埋め込まれていたはずなのですが、残念ながらモデルでは一部が艦橋周りで確認できるだけです)

もう一つ大きな特徴として、大型艦として初めて蒸気タービンを主機として4軸推進を導入、21ノットの速力を発揮できる高機動性を有していました。それまで18ノットが標準的な主力艦の速力であった時代に、有利な長距離砲戦を展開し続けるためには、このような機動性の確保も重要な要素だったと言えるでしょう。

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(「ドレッドノート」とそれ以前の準弩級戦艦・前弩級戦艦との大きさ比較:手前から前弩級戦艦「ダンカン級」(1903年)、準弩級戦艦「キング・エドワード7世級」(1905年)、「ドレッドノート」(1906年)の順:「ドレッドノート」が極端に大きな船体を持っていたわけではないことがわかるのでは。それでも主砲の搭載数は2.5倍で、それまでの主力艦設計を塗り替えてしまいました)

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(上の写真は参考までに「ドレッドノート」とほぼ同時期に日本海軍が威信をかけて「世界最大」と称して建造していた「薩摩級」準弩級戦艦の「薩摩」(1910年就役)の比較:手前から「薩摩」(1910年)、「ドレッドノート」(1906年)の順:「薩摩」は12インチ主砲4門と10インチ中間砲12門を搭載する強力な火力を搭載したいわゆる準弩級戦艦でしたが、その就役は「ドレッドノート」(1906年就役)とそれに続く次に紹介する「べレロフォン級」の就役後(1909年から就役)であったため、同艦は生まれながらに旧世代の主力艦のレッテルを貼られるという不運に見舞われました。建造途中で「ドレッドノート」の登場の一報に触れた設計担当者はどんな気持ちだったでしょうか)

 

戦歴

ドレッドノート」自体は、先見性のある実験観的な存在として1906年に就役し、前述のように自国海軍も含め一気にそれまでに建造された主力艦を一気に第二戦級戦力に貶めてしまいましたが、その後の列強の建艦競争は激しく、第一次世界大戦期には、既により大きな口径の主砲を装備した超弩級戦艦が現れており、本国艦隊に属しながらもあまり活躍の場は多くはありませんでした。

大戦末期には就役時には高機動性を誇っていた同艦も、いつの間にか低速艦と見做されており、本土防衛等の任務に従事していました。大戦後の1920年の退役し、1921年に解体されています。

 

新旧モデル比較

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(上の写真は「ドレッドノート」Navis旧モデルの概観)
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(「ドレッドノート」のNavis新旧モデルの比較:上の写真では旧モデルが上段:新モデルは全体的にエッジが立っているというか、締まって見えませんか? 旧モデルもそれだけ見ていればそんなに気にはならないのですが、こうして並べてしまうと、その差が歴然。いいものが手に入ったなあ、という満足感と、これからどこまで手を広げようか、という悩みと。これも楽しい悩み、かと。「コレクション」はキリがないなあ)

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(「ドレッドノート」のNavis新旧モデルの比較:上の写真では旧モデルが左列:やはり中央の上部上造物の再現性が格段に進歩しているのがわかると思います。ボートの再現だけでもかなりディテイルが異なって見えるものですね)

 

「べレロフォン級」戦艦(1909年から就役:同型艦3隻)

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(「べレロフォン級」戦艦の概観:128mm in 1:1250 by Navis(新モデル  Nシリーズ):下の写真は、「べレロフォン級」のディテイルの拡大)f:id:fw688i:20220807093448p:image

同級は多分に実験的な性格で建造された「ドレッドノート」に続いて、量産型の実用主力艦として建造された英海軍の2番目の弩級戦艦の艦級です。

1906年に就役し世界の主力艦設計を塗り替えた「ドレッドノート」でしたが、全般的には高評価だったものの、就役後に幾つかの課題が判明したため、同級は基本設計は「ドレッドノート」を踏襲しながらも、それらに対する改良が盛り込まれました。

改良点の一つは「ドレッドノート」では前部煙突直後に設置されたマストとその上部の射撃指揮所が、排煙と熱気に悩まされたため、これを前部煙突の前に設置した設計として、煙突からの排煙の影響を抑えることが試みられました。

今一つの大きな改良点は、水雷艇対応用に搭載された3インチ速射砲が、駆逐艦に対しては威力不足で有効ではないとの指摘から、4インチ速射砲16門に改められた事でした。

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(「ドレッドノート」と「べレロフォン級」の比較:上の写真では「ドレッドノート」が上段:全体の構成は変わりませんが、マストが2本になっているのと、前部マストの位置が煙突からの排煙の流入が不評であったことを受けて、煙突前に移動してるのが目立ちます。後部マストは、結局前後の煙突に挟まれて、やはり排煙と熱気の影響が大きかったとか)

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(「ドレッドノート」と「べレロフォン級」の比較その2:上の写真では「ドレッドノート」が左列:「ドレッドノート」では再現されていなかった(ように筆者には見えます)上部構造物の副兵装(4インチ速射砲)が「べレロフォン級」のモデルでは再現されています(写真中段:こういうのは嬉しい))

 

戦歴

第一次世界大戦期にはあ本国艦隊に配置され、ユトランド沖海戦にも参加しています。その後、東地中海艦隊に派遣され、黒海方面での作戦に参加したりしています。大戦後は練習艦・操砲訓練艦等として運用されたのち、1921年から1923年ごろに解体されています。

 

新旧モデル比較

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(「べレロフォン級」のNavis新旧モデルの比較:上の写真では旧モデルが上段、下の写真では旧モデルは左列:「ドレッドノート」と同じように、全体的に新モデルは「締まった」フォルムになっていると思います。これも比較すれば、ということで旧モデルが「あまあまだったのか」というと、決してそんなことはなかったのですが):下の写真では、やはり中央の上部上造物の再現性が格段に進歩しているのがわかると思います。「ドレッドノート」ではあまり気にならなかったのですが、特に注目するのは副兵装(あえて副砲とは言わないでおきます)。この時期の弩級戦艦は一旦副砲を廃止しているのでちょっと目立たないのですが、副兵装である4インチ速射砲のディテイルなども特に下の写真の中段を拡大して見てもらえると、よくわかると思います)

というわけで、今回は近代主力艦発達史上最も重要な戦艦と言ってもいいであろう「ドレッドノート」とその改良量産型「べレロフォン級」戦艦を、のNavis新モデルの到着を機に、ご紹介しました。

 

ということで、今回はこの辺りで。

少し「ぼやき」、というかため息。このところ筆者がよく取り上げているモデルのヴァージョン・アップ対応を巡る話題、もちろんスケールの違いはありながら歴史上の「ドレッドノート」の登場の状況にしばしば筆者の中ではシンクロしているのです。「それまで営々と築き上げてきたもの(筆者の場合はコレクションですが)が、一気に色褪せて見えてしまう」、「ドレッドノート」登場の衝撃はまさにこれだったんじゃないのか、と。筆者の場合にはNavisのNシリーズを入手した途端、それまでのコレクションが全て「旧世代」に見えてしまう、そういうことです。

今回、上掲の文章にあえてあまり「ドレッドノート」に近しい関係のない「薩摩」の紹介を入れたのは、そんな「共感」めいたものを感じたから、なのです。全くの余談でした・

 

次回は、夏休みと帰省旅行が重なるため、一週、お休みさせていただきます。

実は筆者の大好きなフランス海軍の主力艦黎明期(=前弩級戦艦登場以前の主力艦)のモデルがいくつか手元に到着しています。まだ下地処理段階でご紹介は少し先ですが、いずれはご紹介したいと考えています。いつものように、筆者の予告編は、あまり当てになりませんが。

 もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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