相州の、ほぼ週刊、1:1250 Scale 艦船模型ブログ

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

再録:(妄想満載)日本海軍22インチ主砲搭載艦「播磨」の完成とその周辺の計画艦・架空艦など

筆者は本稿の投稿を原則週末を使って行っているのですが、この週末、来客などであまり時間が取れません。さらにこのところ本稿で力を入れている機帆併装の装甲艦のディテイルアップのも時間を使いたいので、今回は過去投稿の再掲をさせていただきます。アクセス回数と閲覧上位ということで今回選んだのは「日本海軍の22インチ主砲搭載艦」です。

もちろん架空艦ですし、ここに到達するまでの周辺の計画も、いわゆる計画艦としてご紹介しています。こうなると筆者自身もどこまでが史実に基づく話で、どこからが筆者の妄想なのか、なかなか区分が難しくなっています。まあ、ほとんどが史実にはない架空のお話、筆者の妄想だと思って読んでいただくのが無難だと思うのですが、架空戦記などがお好きな方にとってはきっと面白いんじゃないかな、と思っています。

 

本稿では下記の投稿回で、ナチス・ドイツ海軍再建計画の主力艦の到達点である「H級 44型」戦艦のモデルご紹介に関連し、架空戦記的に「これに対抗するべく日本海軍が22インチ砲搭載艦の建造に着手」として、「22インチ砲搭載艦」の仮組みまで漕ぎ着けました、というお話をしました。

fw688i.hatenablog.com

ますはこれが一応の完成を見たので、このご紹介。

今回はそういうお話です。

 

日本海軍:22インチ(56センチ)主砲搭載戦艦「播磨」建造の経緯

「播磨」は今回の妄想モデル建造のトリガーとなった佐藤大輔氏の著作「レッドサン・ブラッククロス」からそのまま艦名をいただいています。(実は筆者的にはちょっとした齟齬が生じるのですが。併せて記しておくと、佐藤氏の著作「レッドサン・ブラッククロス」に登場する「播磨」は基準排水量21万トン・ 全長380メートル:1:1250スケールでは304mm:の巨大戦艦と記述されていますが、筆者版「播磨」はそこまで大きな船ではありません)

20インチ主砲搭載艦の建造

少しおさらい的に建造背景等を整理しておくと(繰り返しますが、以降は現実と相半ばした筆者の創作(妄想)ですのでくれぐれもご注意を)、18インチ(46センチ)主砲搭載の「大和級」を建造し個艦性能で一歩先んじた日本海軍は、いずれは建造されるであろう米海軍の18インチ砲搭載艦への対応として20インチ(51センチ)砲搭載艦の設計に着手します。これが「A-150計画艦」、「超大和級」戦艦の設計案として知られているモノです。

A -150計画艦=「伊予級」戦艦

ja.wikipedia.org

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(日本海軍のA-150計画艦の概観:217mm in 1:1250 by semi-scratched based on Neptun:下の写真はA-150計画艦の最大の特徴である51センチ連装主砲塔の拡大。兵装配置、基本設計は「大和級」をベースにしたものだと言うことがよくわかります)

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当初は新設計で20インチ三連装砲塔3基を搭載する計画もあったようですが、当時の日本の技術力では20インチ三連装砲塔を駆動する方法の開発に時間がかかり、これに対応する巨大艦の建造にも施設から準備せなばならないということで、「大和級」の設計をベースに「大和級」とほぼ同寸の船体に連装砲塔3基搭載し(連装砲塔であれば「大和級」の砲塔とほぼ同じ重量で駆動系も既存のものが使えたようです)防御力等を強化した80000トン級の戦艦として設計されました。

ちなみにほぼ同級に匹敵する戦艦が佐藤大輔氏の仮想戦記小説「レッドサン・ブラッククロス」には「紀伊」「尾張」という名で登場しています。

 

**余談)筆者の世界では「もう一つの」ワシントン・ロンドン両軍縮条約の制限下で「八八艦隊計画」が一部実現されており、「紀伊」「尾張」は40センチ主砲搭載戦艦の第三世代として建造されていますので、「A-150計画艦」は「伊予」「播磨」と命名していました。冒頭に記述した「ちょっとした齟齬」というのはこのことで、22インチ主砲搭載艦に「播磨」に名をつけるなら、これは変更しなくてはなりません。ということで以後、同級は「伊予」と「常陸」に変更します。

少し艦名の整理

この機会に少し艦名を整理しておきます。

八八艦隊計画以降の戦艦

長門級」:「長門」「陸奥

「土佐級」:「土佐」「加賀」

紀伊級」:「紀伊」「尾張(ここまでが40センチ主砲艦)

「改紀伊級=相模級」:「相模」「近江」(初の46センチ砲搭載艦:4隻建造する予定だった上述の「紀伊級」を2隻で切り上げ、条約明けの無制限状況を想定し「改紀伊級」の公式名称の下に、全く異なる46センチ主砲搭載戦艦として設計されました。史実の八八艦隊計画では「十三号巡洋戦艦」として知られる設計を防御力を強化して戦艦として建造した、という設定です。建造当時はまだ少し史実から改変された(だから八八艦隊計画の一部が実現できたのですが)ワシントン・ロンドン軍縮体制が生きていたため、その主砲は「2年式55口径41センチ砲」と命名され、その真実の口径は最高機密だった、というような設定です。この辺り興味のあるかたは、以下の回を)

fw688i.hatenablog.com

ここまでが、いわゆる条約時代の戦艦です。

そして軍縮条約が継続されなくなり、「新戦艦」の時代を迎えます。

その一番手が「大和級」:「大和」「武蔵」「信濃」(他の欧州列強の条約明けの新戦艦が、半ば条約の継続を期待してそのレギュレーションを意識した設計だったのに対し、同級はこれに全く拘らない他を圧倒した設計だったと言っていいでしょう)

「A -150計画艦(超大和級)=伊予級」:「伊予」「常陸(51センチ砲搭載艦)

「改A -150計画艦=駿河(当初46センチ砲搭載艦でしたが、後に新設計の51センチ主砲に換装しています。後ほどこちらはご紹介します)

この辺りまで「もう少し詳しく」とおっしゃる方は、下記の回をお読みいただければ。

(細かいことを言うと、いずれにせよ多くが架空の話をしているので、登場する年次等は矛盾するかもしれません。そこはできるだけ寛容な心を持っていただけると)

fw688i.hatenablog.com

そして今回の「56センチ砲搭載艦=播磨」(今回ご紹介)

 

改A-150計画艦=戦艦「駿河

前出の「伊予級:A -150計画艦」は、米海軍が「相模級」「大和級」の登場に刺激されいずれは18インチ(46センチ砲)搭載艦を建造するであろうという予想の元に設計された戦艦で、特に「伊予級」として実現したものは、この51センチ主砲という口径を軸に、早急に建造できる、つまり既存の技術で建造できるという、実現を優先した設計でした。このためその船体の大きさは「大和級」とほぼ同等でなくてはならず、かつ主砲搭載形式も特に砲塔の駆動系の技術的な当時の限界から連装砲塔とされました。このため単艦での射撃で十分な命中精度を得るにはやや心許ない6門という搭載数にとどまらざるを得ませんでした。

この点を改めて検討した上で設計されたのが「改A-150設計艦=駿河」でした。同艦では単艦での行動を想定した際に必要数とされる主砲搭載数8門を設計の主軸に置き、駆動系の改良と軽量化を実現した新設計の51センチ連装砲塔4基の搭載を設計に織り込んでいました。

この軽量化高機動砲塔の実現が、船体の大きさにも好影響として現れ、なんとか当時の造船施設でも建造可能な90000トン級の主砲口径の割にはコンパクトな戦艦として起工されることとなりました。

しかし着工後、新設計の連装砲塔の開発には種々の障害が発生し、結局、当初は「大和級」と同じ3連装46センチ主砲塔4基を搭載する戦艦として完成されました(「伊予級」の51センチ主砲塔は重すぎて搭載できませんでした)。f:id:fw688i:20221127110147p:image

(戦艦「駿河」就役時の概観:220mm in 1:1250 by 3D printing: Tiny Thingajigs:就役時には「駿河」は46センチ主砲12門を搭載していました:下の写真は「駿河」就役時の兵装関連の拡大)f:id:fw688i:20221127110152p:image

新型51センチ連装主砲塔への換装
一旦は46センチ主砲の搭載数を強化した形で就役した「駿河」でしたが、その就役後も新砲塔の製造は継続され、新型主砲塔の完成後、「駿河」の主砲は51センチ砲に換装されています。f:id:fw688i:20221127110138p:image

(上の写真は、主砲を新設計の51センチ連装主砲塔に換装した後の戦艦「駿河」就役時の概観:下の写真は、主要兵装の拡大)

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新型51センチ連想主砲塔について

下の写真は「駿河」が就役時に搭載していた46センチ三連装主砲塔(「大和級」の主砲等と同じものです)と新開発の51センチ連想主砲塔の比較です。基本設計や構造は「大和級」の46センチ三連装主砲塔をベースにしたものであったことがなんとなく想像できるかと。f:id:fw688i:20221127110156p:image

そして次の写真は「伊予級」に搭載されていた51センチ連装主砲塔と新砲塔の比較。「伊予級」の砲塔が開発を急いだため旧来の連装主砲塔の拡大型であったことがよくわかります。防御力を向上させながら軽量化を目指し、結果、高機動性を獲得した新砲塔の完成で、「駿河」の船体は「大和級」「伊予級」をわずかに拡大した程度のコンパクトなサイズに収まり、51センチ砲は格段の威力を発揮するわけです。f:id:fw688i:20221127110623p:image

 

ナチス・ドイツ海軍20インチ主砲搭載艦の登場

これまでに見てきたように日本海軍の20インチ主砲搭載艦の建造目的は主として米海軍の18インチ(46センチ)級主砲搭載艦の登場に対する対抗策でした。

しかし一方で第一次世界大戦の敗北で一時は沿岸警備海軍の規模に縮小していたドイツ海軍が、ナチスの台頭と共に再軍備を宣言し、特に海軍は英独海軍協定の締結と共に「Z計画」と言われる大建艦計画を実現しつつありました。

その主力艦群は40000トン級の「ビスマルク」級(40000トン級:38センチ主砲搭載)の建造にはじまり、「H39型」(55000トン級:41センチ主砲搭載)、「H41型」(68000トン級:42センチ主砲搭載)と次々と巨艦を建造し、ついに130000トン級の「H44型」に至りました。

「H44型」

(「H44型」の概観:293mm in 1:1250 by Albert: 破格の大きさで、いつも筆者が使っている海面背景には収まりません。仕方なくやや味気のない背景で。下の写真は「H44型」の兵装配置を主とした拡大カット:巨大な20インチ連装主砲塔(上段)から艦中央部には比較的見慣れた副砲塔や高角砲塔群が比較的オーソドックスな配置で(中段)。そして再び艦尾部の巨大な20インチ連装主砲塔へ(下段))

ビスマルク級」から「H44型」までの、いわゆるZ計画の開発系譜一覧

下の写真は、再生ドイツ海軍の「Z計画」での主力艦整備計画の総覧的なカットです。下から「ビスマルク級(40000トン級:38センチ主砲)、「H39型」(55000トン級:40.6センチ主砲)、「H41型」(64000トン級:42センチ主砲)そして「H44型」(130000トン級:50.6センチ主砲)の順です。

「H44型」は上述の日本海軍の「伊予級」「駿河」等と同じ20インチ(51センチ)主砲搭載艦でしたが、日本海軍の20インチ砲が45口径であるのに対し52口径の長砲身で、長射程、高初速、高射撃精度を持つ格段に強力な主砲でした。

つまり日本海軍の「伊予級」や「駿河」が「H44型」と砲戦を交わした場合、アウトレンジからの射撃を受けたり、同砲に装甲を貫通されたりする恐れがありました。「伊予級」「駿河」は共に上述のように米海軍の新戦艦の登場編対抗策として建造を急いだがゆえに18インチ(46センチ)砲搭載の「大和級」をベースにした設計で、防御を強化したとはいえ、その砲戦の結果にはかなり危惧を抱かざるを得ない状況でした。

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(本文で既述のように、同じ51センチ主砲搭載艦といいながらも、「H44型」は52口径の長砲身砲で、45口径の「駿河」に対し格段に強力な打撃力を持っていました。船体の大きさも格段に異なり、射撃時の安定性にもかなり差が出たかもしれません)

こうした経緯から、日本海軍の22インチ(56センチ)主砲搭載艦の建造が急がれたわけです。

 

22インチ(56センチ)主砲搭載戦艦「播磨」の誕生

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(「播磨」の概観:262mm in 1:1250 by semi-scratched modek based on 1:1000 scale Yamato, Gunze-sangyo : 下の写真は「播磨」の細部。副砲としては新型3連装砲塔5基に搭載された長砲身の15センチ砲を採用し、広角砲等は「大和級」に準じています。上甲板に設置された機関砲座は、主砲斉射時の強烈な爆風から砲座の要員を守るため、全周防御の砲塔になっています)f:id:fw688i:20221127111247p:image

全体的な構造、配置等は「大和級」に準じるような設計となっていることがわかっていただけるかと思います。特に次に掲げる写真をご覧いただけると、よりその理解が進むかも。それが良いことか、悪いことかは、さておき。

大和級」から「播磨」まで:いわゆる日本海軍の「新戦艦」の開発系譜一覧

下の写真は、日本海軍の条約開け後の「新戦艦」の総覧的なカットです。下から「大和級(64000トン級:46センチ主砲)、「伊予級」(80000トン級:51センチ主砲)、「駿河(90000トン級:51センチ主砲)、そして「播磨」(120000トン級:56センチ主砲)の順。

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ライバル対比:「H44型」と「播磨」

下の写真は「播磨」建造のトリガーとなった「H44型」との対比。

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ドイツ海軍の「H44型」が旧来のオーソドックスな兵装配置や上部構造物の設計を色濃く継承している感があるのに対し、「播磨」は船体のみならず上部構造も「大和級」以来受け継がれた設計思想によりコンパクトに仕上げられており、このあたりに、第一次世界大戦の敗戦で一旦主力艦建造の技術に中断期があるドイツ海軍と、主力艦建造を継続できた日本海軍の蓄積技術の差が現れているように思われます。

 

さて対決の結果は?

佐藤大輔氏の「レッドサン・ブラッククロス」の外伝に収録された「戦艦ヒンデンブルク号の最期」でも読んでみてください。

ja.wikipedia.org

それ以外にもそれぞれが空想を逞しくしていただくのも一興かと。筆者としては、対決など永遠に訪れず、お互い睨み合っていると言う状況が「最も心地よい」かもしれません。

 

ということで今回はこの辺りで。

 

次回は再び最近の路線に戻って装甲艦のモデルアップデート関連を予定しています。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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リッサ海戦時のイタリア艦隊の艦艇群:マスト周りのアップデートを終えて

今回は、前回の史上初の蒸気装甲艦同士の本格的な海戦として有名な「リッサ海戦」時(1866年)のオーストリア艦隊の艦艇に引き続き、イタリア艦隊の艦艇群(装甲艦)のご紹介を、モデルの帆装部分のディテイルアップを中心に。

 

「リッサ海戦」とイタリア海軍

少しおさらいを。

リッサ海戦は、1866年に勃発した普墺戦争の一環として戦われた海戦でした。

普墺戦争は、統一ドイツの方向性を定める覇権争いで、産業革命推進の必須条件である一定規模の経済圏の確立範囲をめぐりプロイセン王国(小ドイツ主義=ドイツ民族経済圏)とオーストリア帝国(大ドイツ主義=中央ヨーロッパ経済圏)の間で争われた戦争でした。この戦争に、オーストリア帝国との間に領土問題を抱える統一間もないイタリア王国1861年成立)がプロイセン陣営側に立って参戦したわけです。

イタリア王国の参戦の狙いはイタリア北部に隣接するロンバルディアの支配権獲得と、併せてアドリア海での覇権確立、加えて、あわよくばアドリア海対岸であるダルマシアへの領土拡大でした。

そのアドリア海のほぼ中央にオーストリア帝国によって要塞化されたリッサ島(現クロアチア、ヴィス島)があり、この島の攻略がアドリア海制海権獲得に重要であることは明白であり、この攻略戦の一環として起こった海戦が「リッサ海戦」として後に呼称されるようになります。

 

イタリア海軍とその艦艇群の状況

前述のようにイタリア王国は、1840年代後半から機運の高まりを見せたイタリア統一運動を経て、1861年にサボイア家の統治する北西部のサルデーニャ王国を中心に統一されました。

同時期にイタリア海軍も成立したわけですが、成立当初は統一以前の各地方勢力(サルデーニャ王国ナポリ王国トスカーナ大公国教皇領)の抱える各海軍を統合したものでした。この辺りは明治維新後の日本海軍の成立過程によく似ています。

この成立したての海軍は規模としてはそこそこのもの(戦列艦1隻、フリゲート艦9隻、コルベット4隻、その他の帆走艦7隻)でしたが、もとより建造年次はまちまちで、設計思想には統一感など臨むべくもなく、一元化した運用には大きな困難がありました。

人材面でも状況は同様で、それぞれの地方勢力が母体となった旧所属海軍の教育・昇進制度等を経歴として引きずっており、それぞれは派閥を形成し、統一海軍の成立には大きな障害となりました。

併せて成立したてのイタリア王国には海軍の艦艇を建造する工業力も未整備で、海軍装備の整備は短期的には外国からの購入に頼らざるを得ませんでした。

当時の海軍大臣カルロ・ベルサーノは積極的に海外からの艦艇購入を進め、1866年の「リッサ海戦」時の艦隊主力(黎明期の装甲艦)はこうした輸入艦艇で構成されていました。

「リッサ海戦」にはベルサーノ自らが、艦隊を率いて出撃しています。

 

海戦経緯(ここはほとんど前回東欧の再録です)

1866年7月16日夕刻、ベルサーノの指揮するイタリア艦隊はリッサ島上陸部隊を伴いリッサ島に向かい出撃します。18日にはリッサ島に対する攻撃を開始しますが、断崖絶壁を利用して建設された要塞砲台への有効な砲撃が叶わず、また19日、リッサ湾からの上陸も悪天候などが原因で予定通りには進みませんでした。

19日、オーストリア帝国側からはこれを阻止するために艦隊が出撃、20日には両艦隊がリッサ島沖で激突(文字通り=これは後で種明かし)するわけです。

艦隊の構成を見ておくと、イタリア艦隊が装甲艦(木造鉄皮)12隻、非装甲14隻、その他の非戦闘艦9隻で構成され、オーストリア艦隊は装甲艦(木造鉄皮)7隻、非装甲艦14隻、非戦闘艦4隻からなっていました。海戦での主力戦闘力となるであろう装甲艦の数ではイタリアが優勢で、かつ同海軍の装甲艦は王国成立後に購入(一部国内で建造)されたものばかりで艦齢が若く(どの時代でもそうですが、兵器の製造年が新しいというのは、著しい性能の進歩を意味します)、併せて総砲門数でもイタリア艦隊の641門に対しオーストリア艦隊532門と、スペック上でのイタリア艦隊の優位は明らかでした。

しかしテゲトフ提督に率いられたオーストリア艦隊の士気は高く、イタリア人をダルマシアに対する侵略者と見做していたのに対し、イタリア艦隊は艦艇はともかく、乗員や指揮系統は前述のように母体となる旧所属海軍の寄せ集め、派閥が色濃く残されていて、統一指揮を難しくしていました。

 

イタリア艦隊は舷側砲門を有効に生かすべく装甲艦9隻(3隻は要塞攻撃に分派)のみによる単縦陣隊形を取り、3隻づつ3グループに分けてオーストリア艦隊の包囲を目指します。一方のオーストリア艦隊は7隻の装甲艦を第一列に、木造戦闘艦を第二列、第三列に並べた1000メートル間隔の3列からなる楔形陣形をとり、イタリア艦隊の横腹をつく隊形を取りました。

オーストリア艦隊の指揮官テゲトフ提督にはいくつか確信があったようで、前述のように自艦隊の士気の高さに加え、当時の砲撃が、静止目標に対してはともかく、移動目標に対し命中させることが著しく困難であること、併せて命中弾が与える損害がそれほど大きなものではないことなどから、楔形陣形による突撃と体当たりという戦法を目指す決断をしたようです。

これに加え、以下でも再度記述することになると思いますが、戦闘直前の旗艦変更による隊形と指揮系統の混乱などがイタリア艦隊側に加わり、イタリア艦隊の第一グループと第二グループ以降に大きな間隔が生じてしまい、装甲艦の数の優位性がイタリア艦隊からは失われました。

戦闘は楔形体系で突撃をかけたオーストリア艦隊の装甲艦7隻によるイタリア艦隊の第二グループ3隻への攻撃、イタリア艦隊の装甲艦第三グループ以降(4隻)とオーストリア艦隊の非装甲艦14隻の戦闘という様相を呈し、結果、イタリア艦隊は主力装甲艦「レ・ディタリア」を集中砲火とオーストリア艦隊の旗艦「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス」の衝角攻撃で、装甲砲艦「パレストロ」を衝角攻撃による損傷とその後の集中砲火で失い、オーストリア艦隊には喪失艦はなく、オーストリア艦隊の勝利となりました。

 

オーストリア帝国イタリア王国との戦いでは陸戦でも、この海戦でも勝利を挙げますが、これらの勝利は戦争そのものへの寄与はほとんどなく、ケーニヒグレーツの戦いでプロイセン軍に大敗し、8月23日に休戦条約が結ばれます。結果統一ドイツからオーストリア帝国の影響力は排除され、以降、ドイツはプロイセン中心で統一へと向かうことになります。

 

「リッサ海戦」のイタリア王国艦隊装甲艦

リッサ海戦に投入されたイタリア艦隊の装甲艦を見ておきましょう。繰り返しになりますが、海戦に投入された装甲艦は9隻、以下にご紹介する5つの艦級で構成されていました。

 

「プリンチペ・ディ・カリニャーノ級」装甲艦(1863年から就役:同型艦3隻)

ja.wikipedia.orgPrincipe di Carignano-class ironclad - Wikipedia

(モデル未保有:Hai社からモデルは出ているようですが、筆者はまだ見たことがありません。写真はWikipediaに掲載されているもの:現在Spithead Miniatures に発注しているセットの中には含まれているはずです。下の図面はNaval Encyclopediaに掲載されているもの。同級の全体配置等がよくわかります)

Principe di Carignano class ironclads (1862)

同級は草創期のイタリア海軍が国産した木造鉄皮の装甲艦の艦級で3隻が建造されました。3500トン級の船体に20.3センチライフル砲16門、16.4センチライフル砲12門を搭載する舷側砲門艦で、11ノットの速力を発揮することができました(2番艦、3番艦は国産鉄製装甲の製造の遅れから、就役までに時間を要し、建造中に備砲についても見直しが行われ、25.4センチライフル砲を搭載して就役しました)。

上記のように就役に時間がかかったことから、リッサ海戦には1番艦「プリンチペ・ディ・カリニャーノ」のみ参加し、前衛部隊の先頭艦を努めました。しかしオーストリア帝国艦隊がイタリア艦隊の前衛部隊をやり過ごしてから攻撃をかけたため、海戦には寄与できませんでした。

 

「レ・ディタリア級」装甲艦(1864年就役:同型艦2隻)

ja.wikipedia.orgRe d'Italia-class ironclad - Wikipedia

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(「レ・ディタリア級」装甲艦の概観:75mm in 1:1250 by Hai:マスト周りの仕上げを少し変えています)

同級はイタリア海軍がアメリカから購入した装甲艦の艦級です。

木製鉄皮の構造で、5700トン級の船体に20.3センチライフル単装砲2基、20.3センチ滑空単装砲4基、16.4センチ単装ライフル砲30基を搭載する舷側砲門装甲艦でした。12ノットの速力を発揮することができました

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(「レ・ディタリア級」装甲艦の主要兵装の拡大:典型的な舷側砲門艦形でした)

リッサ海戦には同級の2隻はイタリア艦隊の主力として参加しました。同級のネームシップの「レ・ディタリア」はイタリア艦隊の旗艦を務めていましたが、直前に新鋭艦「アフォンダトーレ」に旗艦は変更されました。

海戦では旗艦の「アフォンダトーレ」が縦列外に位置したため、第二梯団の先頭に位置した「レ・ディタリア」は旗艦と誤認されて集中砲火を受け、操舵不能になったところをオーストリア艦隊の旗艦「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス」の衝角攻撃を受けて数分で転覆沈没してしまいました。

同級のもう一隻「レ・ディ・ポルトガッロ」は第三梯団の先頭に位置していましたが、オーストリア艦隊の第二列の非装甲木造艦部隊の標的となり、その旗艦であった「カイザー」の衝角攻撃を受けました。しかし木造艦である「カイザー」の衝角攻撃は装甲艦には効果が少なく、逆に艦首を大破した「カイザー」に「レ・ディ・ポルトガッロ」は近距離から砲撃を加え大損害を与えています。

 

「レ・ディ・ポルトガッロ」に衝角攻撃をかけたオーストリア艦隊の木造機帆併装戦列艦「カイザー」

SMS Kaiser (1858) - Wikipedia

(木造機帆併装戦列艦「カイザー」の概観(上段):モデルはHai製です。筆者は未保有:写真は。例によってsammelhafen.de,より拝借:5200トン級の木造艦で、砲を92門搭載していました。リッサ海戦には非装甲艦部隊の旗艦をつとめ、「レ・ディ・ポルトガッロ」に衝角攻撃をかけますが、装甲に弾かれ損傷。そこに集中砲火を浴びてしまいます。下段写真は、リッサ海戦直後の即称した姿:写真はWikipediaより拝借しています)

1869年、装甲艦への大改造を受けた「カイザー」

普墺戦争に敗れたオーストリアは統一ドイツの覇権争いからは脱落し、ハンガリーとの二重帝国を設立し中央ヨーロッパの大国となったものの、産業革命からは一歩遅れを取り、財政難に直面します。新造艦の建造は難しいため、既存艦の近代化を図ります。

「カイザー」は5700トン級の装甲艦として生まれ変わり、1902年まで在籍していました。

(大改造で装甲艦となった「カイザー」の概観:モデルはHai製です。筆者は未保有:喫水線以上はほとんど作り替えられ、艦首形状をはじめ艦尾形状までも、全く艦容が一変しています:写真は。例によってsammelhafen.de,より拝借しています)

 

模型的な話を少し:シュラウドの仕上げスタンダードの話

今回、マスト周りの仕上げを少し手を入れていることは記述の通りです。では前後で何が変わったのか、今後のこともあるので比較をしておきたいと思います。

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(写真は「レ・ディタリア」のマスト周りの比較:上段が以前のもの、下段が今回手を入れたのちのもの)

帆装船のマスト周りの構造をざっくり整理すると、風を受ける帆、帆を固定するヤード、帆とヤードを固定するマスト、マストを固定したり帆を操作するロープ、大体このような部材で構成されています。

推進力を生み出す帆を抱えたマストには大きな力がかかりますので、これらを船体に固定するために補強のためのロープがたくさん貼られており、これをリグ(索具)と呼んだりします。このリグは一般的には受ける風力に対しマストが安定して固定されるように、船首方向と両舷方向に貼られるのですが、この両舷方向にはられるリグには横方向にロープを通し乗員がマストに登れるようになっています。これをシュラウド(shroud)と呼びます。

大スケールの帆船モデルではこのリグやシュラウドの再現が見所になるのですが、筆者のような小スケールではなかなかそこまで手を入れられず、市販のモデルもマストまでの再現が一般的です。

(下の写真は以前本稿でも掲載したことのある上掲の「レ・ディタリア」のHai製モデルのオリジナルです。マストのみの再現で、リグやシュラウドは再現されていません)

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しかし何か少しでも工夫できることはないだろうか、ということで、今回シュラウドの再現について、本稿でもかなりの期間をかけて、試行錯誤してきています。

再掲しておくと・・・。

**マスト周りの処理の話**

今回のモデルの仕上げでもマスト周りにかなり手を入れています。

このスケール(1:1250)での仕上げ用のディテイルアップ部材として、リグを一本づつ張り巡らせて、というわけにはいかないので(情けないですが筆者に耐えられる作業ではない、といいほどの意味です)、どんなことができるんだろうか、といくつか試行錯誤をしてきた、というようなお話を投稿してもいます。

少し過去の投稿を再掲しておくと・・・。

マスト周りのディテイルアップのアプローチ(その2:その1は下の写真の模型用ネット素材の流用)

下の写真は以前本稿でご紹介したイタリア海軍装甲砲艦「パレストロ」のマスト周りのディテイルアップと称した加工のアップです。模型用の樹脂製のネットを使っていて、それなりに気に入っているのですが、一点、実は網目の向きが気になっていました。

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同スケールの帆船モデル用には、帆船模型の老舗ブランドLangton Miniatureからエッチングパーツなどが市販されいます(下の写真)。

それなりに高価(送料入れると1500円くらい?)ですし、小さなエッチングパーツということで、サイズに合わせたカットや接着なども難しく、さらに色を塗らねばなりません。この方法は経済的な側面からも、手間的な側面からも、今流行りの「持続可能性」に難あり、と考えました。

以前は建築模型用のネット材なども使ってみたことがあったのですが、基本は透明で塗料で着色して使用しても、塗料は樹脂素材内部には浸透しませんので切断面が白く目立ってしまい、あまり使わなくなりました。

今回は模索の中で黒の網戸用のネットそのものなども試してみましたが、そもそも編まれたネットは小さくカットした時点で縦糸と横糸がほぐれてしまい、これはダメ。

そして今回行き着いたのが、網戸の補修用のシールの接着剤を取り除いて使用する、という方法でした。筆者の不明から、補修用シールについてなんの認識もなくその形態だけ見て、「ああ、これ使えるかも」と購入したのですが、「補修用のシール」なのでシート全面にすぐに貼って使えるように接着剤が塗布されています。それも、屋外で風雨の中で使用する網戸ですから、かなり強力な接着力を持っているのです。製品が届いたのち、色付きの樹脂を打ち出し成形したネットで、つまり編まれたネットではないのでほぐれることはなく、これは狙い通りだったのですが、問題はその強力な接着力で、とてもこの接着面を残したままでは小さく切ったり、モデルに使用したりできるものじゃないと、これはすぐに判明し、流用を断念しかけました。

しかし「強力接着と書いてあるじゃん」と自分の軽薄さが口惜しくて少し意地になって、この接着剤除去の方法について手元の溶剤系で実験しました。その結果、Mr. Colorのシンナーに浸したのち丁寧にブラッシングすればこの接着剤は除去できることがわかりました。こんな使い方をして、メーカーの方には本当に申し訳ないと今は思っています。

出来上がりは・・・。

やはり形態に大きな齟齬はあるという認識はあるのですが、雰囲気は出せてるかも、と思っています(この辺り、その1のネット素材の時も同じですが、自画自賛をするしかないかと)。

 

というような経緯で、一応、網戸修復用のシールから接着剤を洗い流して、という方法で仕上げていこうとしていたのですが、ややこのスケールで見ると上掲の写真でも明らかなように「網目」が荒いような気がしていました。

一方で「自動車模型用のパーツでは「網の目」の向きにかなり違和感が残り・・・」というようなコメントも上の再掲部分にはあるのですが、冷静になってよく考えると、このパーツを45度回転させれば筆者の求める「網目」の向きで使えるじゃないか、といことにようやく気がつきました。もちろんそれでかなり「無駄になる部分」もあるのですが、なぜこんなことに気が付かなかったんだろうかと、自身の頭の悪さをあらためて痛感しました。

(上が45度回転する前で下が回転後:これで網目の大きさと向きの問題は一気に解決。なんでこんな事に気がつくのに時間がかかったんだろう、と・・・)

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ということで、今回のモデルはこの方法でマスト周りを仕上げてあります。

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(上の写真は、「網戸補修用シート」を用いたディテイルアップ(「ドラッヘ級」のモデル)と、今回のディテイルアップ方法(「オセアン級」のモデル)の比較:「網目」の大きさの違いがはっきりすると思います)

これから少し時間をかけて、これまで仕上げたモデルをアップデートしてゆこうと考えています。

(再掲ここまで)

整理すると、自動車模型用のネットパーツや、網戸の網、その補修用シールから接着用剤を取り除いて、などいくつかの試行の末、自動車模型用のネットパーツを制作角度を考慮して、という形でのディテイルアップ・スタンダード・ヴァージョン1(Dup SD Vr.1)が設定された、ということにしたいと思います。

Vr.1としたのは、利用パーツにもまだまだ新しいものの応用が効くんじゃないか、とか、できれば簡易的にでもリグの再現にもチャレンジしたいと考えている、というほどの意味です。

例えば同じスケールでも下記のようなリグの再現を実現されているケースもあります。

(写真はSpithead MiniaturesのFBに掲載されている作例:リッサ海戦シリーズの「レ・ディタリア」のモデルです)

製作者はJohn Cookという方です。非常に良いお手本だと思いますが、筆者の根気(と目!肩こり!!)がどこまでついて行けるかどうか、課題はそんなところでしょうか。シュラウド部分はやはり切断面はそのままの状態ですので、後はリグ貼りへの挑戦ですね。

しかし、まあ第一歩は踏み出せたかと。当面は「それでよし」と自分を甘やかすことにします。

***今回の試行錯誤の副産物として、家庭用網戸の網が手に入りました。上の再掲部分でも記述していますが、この編みは本当に縦糸と横糸で編まれたもので、今回のようなディテイルアップには小さく切った部分からほぐれてしまうので、全く用をなさなかったのですが、リグ用の素材としては、ある意味もってこいかと考えています。

 

「レジナ・マリア・ピア級」装甲艦(1864年就役:同型艦4隻)

ja.wikipedia.org Regina Maria Pia-class ironclad - Wikipedia

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(「レジナ・マリア・ピア級」装甲艦の概観:65mm in 1:1250 by Sextant)

同級はイタリア海軍がフランスに4隻を発注した装甲艦で、4300トン級の船体に20.3センチライフル単装砲4基、16.4センチ単装滑空砲22基を舷側に搭載した舷側砲門艦でした。速力は13ノットを発揮できました。

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(「レジナ・マリア・ピア級」装甲艦の主要兵装の拡大:同級は就役当初は舷側砲門艦形態でした)

リッサ海戦には4隻全てが投入され、ネームシップの「レジナ・マリア・ピア」は大火災を起こす損傷を負いましたが、他の3隻には深刻な損害はありませんでした。

リッサ海戦時には左右舷側方向への射撃しかできませんでしたが、その後、艦首尾方向への砲撃もできるように改造を受けました。1890年台には寛容を一変するほどの近代化改造を受け、長く海軍に在籍しました。

 

「パレストロ級」装甲砲艦(1866年就役:同型艦2隻)

ja.wikipedia.or

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(「パレストロ級」装甲砲艦の概観:49mm(水線長) in 1:1250 by Sextant:小さなモデルです。Sextantモデルはマストが気になるので真鍮線等で手を入れています。前回投稿から少しトライしているマスト周りのシュラウド仕上げも取り入れてみました:下の写真は同級の細部の拡大:舷側砲門形式の美砲配置など、同級の特徴がわかっていただけるかと)

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同級はイタリアがフランスに発注した2隻の装甲砲艦の艦級で、アドリア海での戦闘行動を想定して設計されました。2000トン級の小さな船体ながら20.3センチライフル単装砲2基、20.3センチ滑空砲2基を主要砲兵装とした強力な火力を搭載していました。

リッサ海戦では同級2隻(「パレストロ」「ヴァレーぜ」)は小艦ながら主力部隊に加わり、集中砲撃を受けたイタリア艦隊第二梯団の先頭艦「レ・ディタリア」に後続する位置にいた「パレストロ」はオーストリア艦隊の装甲艦に囲まれる形となり、集中砲撃を受けて撃沈されました。

 

装甲艦「アフォンダトーレ」(1866年就役:同型艦なし)

ja.wikipedia.org

Italian ironclad Affondatore - Wikipedia

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(装甲艦「アフォンダトーレ」の概観:72mm in 1:1250 by Sextant)

同艦はイタリア海軍がイギリスに発注した装甲砲塔艦です。同型艦はありません。

4100トン級の船体を持ち12ノットの速力を出すことができました。イタリア海軍唯一の帆装を備えた砲塔艦でした。2基の砲塔には22センチライフル単装砲が収められ、主砲の他に80mm砲2門を搭載していました。

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(装甲艦「アフォンダトーレ」の主要兵装の拡大:同艦はそれまで舷側砲門艦のみだったイタリア艦隊で初めて砲塔形式で主砲を搭載した最新鋭艦でした。)

就役からわずか1ヶ月でリッサ海戦に投入されますが、海戦の直前に戦場に到着し、その直後、既述のように旗艦となりました。一説ではこの旗艦変更が隊列に乱れを生じさせ、先頭縦列の3隻と後続部隊に大きな隙間を生じさせ、さらには旗艦変更の通知が自艦隊内にも徹底されず、旗艦からの指令が認識されず、これが敗因の一つでもあったとも言われています。海戦の乱戦で砲撃を受け損傷し、それが遠因となり1ヶ月後の嵐でアンコナ港内で沈没しました。その後浮揚され、3度改装を受け最後は水雷練習艦となり、1907年に除籍されました。

水雷練習艦に改造後の「アフォンダトーレ」:ほとんど原型をとどめていませんね。モデルはHai製;写真は例によってsammelhafen.de,より拝借)

 

リッサ海戦に参加したイタリア海軍装甲艦

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(リッサ海戦に投入されたイタリア艦隊の装甲艦4艦級:手前から「パレストロ級」装甲砲艦、装甲艦「アフォンダトーレ」、「レジナ・マリア・ピア級」装甲艦、「レ・ディタリア級」装甲艦の順)

 

分派され海戦に参加しなかった装甲艦

リッサ島攻略戦には、当時イタリア海軍が保有していた装甲艦の大半が参加していました。攻略戦に参加しながらも、リッサ島方面に分派され、あるいは要塞との砲撃戦での損傷により海戦に参加しなかった3隻は、「フォルミダビーレ級」装甲艦の2隻と「パレストロ級」装甲砲艦の1隻「ヴァーレーぜ」でした。

「フォルミダビーレ級」装甲艦(1861年就役:同型艦2隻)

ja.wikipedia.orgFormidabile-class ironclad - Wikipedia

(「フォルミダビーレ級」装甲艦の概観:「フォルミダビーレ」と「テリビーレ」:モデルはHai製:筆者は未保有です。写真は例によってsammelhafen.de,より拝借:現在、Spirhead Miniaturesへ発注中のセットの中には両艦とも含まれているはずです)

同級はフランスに発注されたイタリア海軍初の航洋型装甲艦の艦級です。フランス海軍が建造した世界初の装甲艦「グロアール」に刺激を受けています。

2700トン級の船体に20.3センチ砲4門と16.4センチ前装ライフル砲16門を搭載し、10ノットの速力を発揮できる設計でした。

「フォルミダビーレ」はリッサ島要塞との砲撃戦で損傷しており、僚艦「テリビーレ」は上陸作戦に備えてリッサ島周辺に留まっていたため、海戦には参加していません。

 

その他、蒸気推進フリゲート艦等

装甲艦以外のイタリア艦についてはあまり情報がありません。モデルは時折ebayで見かけたりしていたのですが、その当時はあまり関心がなく、ebayへの出品を小まめにチェックしておけばよかったなあ、と反省するばかりです。ともあれ手元に写真等のデータが残っているものfだけでも、少しご紹介しておきます。

 

蒸気推進木造フリゲート艦「プリンチペ・ウンベルト:Principe Umberto」

(Principe Umberto by FK ;写真はebayに掲載れていたものを拝借しています)

1861年、旧サルデーニャ王国海軍で就役した同艦は、3446トンの船体を持つスクリュー推進の木造(非装甲)フリゲート艦でした。160mm前装ライフル砲8門、109ポンド砲10門、72ポンド砲32門、その他小火器を装備していました。

蒸気推進木造フリゲート艦「ヴィットリオ・エマヌエレ:Vittorio Emanuele」

(Vittorio Emanuele by FK: 写真はebayに掲載れていたものを拝借しています)

1856年、旧サルデーニャ王国海軍で就役した同艦は、3201トンの船体を持つスクリュー推進の木造(非装甲)フリゲート艦でした。160mm前装ライフル砲8門、109ポンド砲10門、72ポンド砲32門、その他小火器を装備していました。

 

同艦隊には、このような3000トン級の木造蒸気推進のフリゲートが7隻(上記の2隻を含む)、1000トン級の木造蒸気推進コルベットが1隻、外輪推進式の木造コルベットが2隻含まれていました。

 

また、以下で紹介するような小型艦艇10隻(木造砲艦など4隻、通報艦2隻(下記)、商船4隻を含む)が帯同していました。

外輪推進式通報艦エスプロレトーレ:Esploratore」

(Esploratore by Hai? :写真はebayに掲載れていたものを拝借しています)

1863年、就役した同艦は、981トンの船体を持つ外輪推進の通報艦(?)で、17ノットの速力を発揮できました。2門の30ポンド滑空砲を搭載していました。

外輪推進式通報艦「メッサジェッロ:Messagero」

(Messaggero by Hermann :写真はebayに掲載れていたものを拝借しています)

同艦は1863年に就役した外輪推進式の通報艦ですが、それ以上の情報は見つけられていません。

 

「リッサ海戦」が残したもの

前回と今回の2回で、モデルのアップデートを中心に「リッサ海戦」に参加したオーストリア・イタリア両艦隊の艦艇を見てきましたが、この海戦がその後の艦艇開発にどのような影響を与えたのか、少しまとめておきます。

既述のようにこの海戦は蒸気機関搭載の装甲艦同志の初めての本格的な海戦だったと言われています。

戦訓としては、まず、それまで列強が整備してきた木造戦闘艦は、装甲戦闘艦(と言っても木造鉄皮=木造艦に装甲を貼り付けた戦闘艦)には歯がたたないということが明らかになりました。

併せて、それまでの木造艦の主兵装であったレベルの艦砲では、まず当たらず、当たっても装甲艦に(木造艦にも?)致命傷が与えられないことも明らかになりました。装甲艦といえども当時の装甲艦が搭載していた砲兵装は木造艦と同じレベルで、そのために逆に見出されたのが衝角戦法の有効さでした。

この戦訓から、以降の艦砲については、より大きな破壊力を目指すということが最大の命題となり、具体的には、初速の速い大口径砲、つまり長砲身を持つ貫徹力の強い艦砲の搭載を目指すことになってゆきます。これは艦砲の大型化と砲の搭載重量の増大を伴い、舷側砲門形式のような多くの砲を舷側に並べる搭載法では対応できなくなってゆくことを意味します。すなわち少数の強力な砲に最大限の射界を与えるための搭載法が工夫されてゆくこととなるわけです。

さらに有効と実証された衝角戦法の実行においては、敵艦を自艦の正面に捉えおくことが求められ、従って艦砲も正面への射界確保が重要となってゆきます。

一方で、搭載砲の大型化は自艦が被弾した場合の弾薬類の誘爆への防御の重要性をも顕在化させることとなります。こうした射界の確保、防御の強化という視点から、舷側砲門形式は主力艦の主砲搭載形式として終焉を迎え、やがて砲郭・砲塔という形式の艦砲の搭載法が生み出され、中央砲郭艦、中央砲塔艦などが世に問われることとなり、やがて航洋型近代戦艦(いわゆる前弩級戦艦)として一定の結実を迎える事となるのですが、これはまた別の機会に。

・・・と言いつつ、オーストリア海軍(実は普墺戦争の敗戦後、統一ドイツの盟主への道を断念したオーストリア帝国ハンガリーと統合しオーストリア=ハンガリー帝国となり中央ヨーロッパに帝国圏を築くのですが)、改めオーストリア=ハンガリー帝国の主力艦については、既に以下の回でご紹介しています。

fw688i.hatenablog.com

また、一方のイタリア王国海軍についてはごく最近、以下の投稿でモデルをご紹介しています。

fw688i.hatenablog.com

ということで、今回はこの辺で。

 

次回は同じくマスト周りのアップデートを実行したその他の鑑定のモデルのご紹介を、と考えています。

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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リッサ海戦時のオーストリア艦隊の艦艇群:マスト周りのアップデートを終えて

今回は、このところ筆者が注力している機帆併装期の装甲艦の帆装部分のディテイルアップを中心に、史上初の蒸気装甲艦同士の本格的な海戦として有名な「リッサ海戦」時のオーストリア艦隊の艦艇群のモデルのまとめ、です。

まだまだ未保有のモデルが多く、かつ本稿で何度かご紹介しているSpithead Miniaturesからのモデル調達の経緯もあり(モデルの入手時期等は未確定です)、ちょっと中途半端なまとめではあるのですが。

 

「リッサ海戦」とは

上記のような経緯で本稿ではしばしばすでに触れていますが、再度、「リッサ海戦」について。

リッサ海戦は、1866年に勃発した普墺戦争の一環として戦われた海戦でした。

普墺戦争は、統一ドイツの方向性を定める覇権争いで、産業革命推進の必須条件である一定規模の経済圏の確立範囲をめぐりプロイセン王国(小ドイツ主義=ドイツ民族経済圏)とオーストリア帝国(大ドイツ主義=中央ヨーロッパ経済圏)の間で争われた戦争でした。この戦争に、オーストリア帝国との間に領土問題を抱える統一間もないイタリア王国1861年成立)がプロイセン陣営側に立って参戦したわけです。

イタリア王国の参戦の狙いはイタリア北部に隣接するロンバルディアの支配権獲得と、併せてアドリア海での覇権確立、加えて、あわよくばアドリア海対岸であるダルマシアへの領土拡大でした。

そのアドリア海のほぼ中央にオーストリア帝国によって要塞化されたリッサ島(現クロアチア、ヴィス島)があり、この島の攻略がアドリア海制海権獲得に重要であることは明白であり、この攻略戦の一環として起こった海戦が「リッサ海戦」として後に呼称されるようになります。

 

オーストリア帝国イタリア王国との戦いでは、陸戦でも、この海戦でも勝利を挙げますが、これらの勝利は普墺戦争そのものへの寄与はほとんどなく、ケーニヒグレーツの戦いでプロイセン軍に大敗し、8月23日に休戦条約が結ばれます。結果統一ドイツからオーストリア帝国の影響力は排除され、以降、ドイツはプロイセン中心で統一へと向かうことになります。

 

「リッサ海戦」の意義

艦艇の発達史的な側面から見ると、この海戦時期、各国の主力艦はそれまでの帆装軍艦から蒸気機関を搭載した機帆併装軍艦へと移行していきました。

当初、船舶用の蒸気機関は外輪推進が主流であったため、舷側に多くの砲門を有していた戦列艦(当時の主力艦)では大型の外輪が砲門設置を妨げるため馴染まず、蒸気機関の普及は小型軍艦や商船から始まりました。

あわせて運用する海軍軍人側にも、当初の蒸気機関は故障が多く安定せず、また効率の悪さから燃料(石炭)切れによる推進力の喪失を極端に恐れる傾向があり、蒸気船の普及に対する抵抗が根強くあったとか。

しかし、やがてスクリュー推進の実用化が進むと、自立した機動性を有する軍艦に対する優位性の認識は高まり、まず英海軍の既存の帆走74門戦列艦「エイジャックス」が1846年に汽帆走戦列艦に改装されます。これを追う形でフランス海軍も初の蒸気機関搭載の新造艦として90門戦列艦「ナポレオン」を1850年に就役させ、やがて英海軍も1852年に91門蒸気機関戦列艦アガメムノン」を就役させました。これを皮切りに英仏を中心に汽帆走軍艦の建艦競走が始まりました。

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(上の写真は英海軍が1852年に就役させた91門搭載蒸気機関戦列艦アガメムノン」の同型艦「ヒーロー」(上段)と、フランス海軍の90門搭載蒸気機関戦列艦「ナポレオン」(1850年就役)。いずれもTriton製モデル:構造的には従来の帆装戦列艦そのままの設計で、複数層の砲甲板を設置し、そこにずらりと砲門を並べた構造です。写真からはいずれも4層の甲板に砲門を並べていることがわかると思います:写真は例によってsammelhafen.deから拝借しています)

そして蒸気機関の性能の向上は、帆装のみでは機動の自立性、帆装のみでは推進力不足から実現できなかった重量物「舷側装甲」の装着を可能にします。こうして木造艦は船の要所に装甲帯を装備する「木造鉄皮」艦へと生まれ変わってゆきます。

こうした新たな構造の軍艦で構成された艦隊同士の初の激突が「リッサ海戦」として具現化したわけです。

 

そして少し先走って海戦後のお話をしてしまうと、海戦の戦訓として、まず、それまで列強が整備してきた木造戦闘艦(主として蒸気機関搭載の戦列艦)は、装甲戦闘艦(と言っても木造鉄皮=木造艦に装甲を貼り付けた戦闘艦)には歯がたたないということが明らかになりました。

併せて、それまでの木造艦の主兵装であったレベルの艦砲では、まず機動している敵艦に当たらず(当たらないというのはその後もずっと続くのですが)、当たっても装甲艦には(木造艦にも?)致命傷が与えられないことも明らかになりました。装甲艦といえども当時の装甲艦が搭載していた砲兵装は木造艦と同じレベルで、そのために逆に見出されたのが衝角戦法の有効さでした。

この戦訓から、以降の艦砲については、より大きな破壊力を目指すということが最大の命題となり、具体的には、初速の速い大口径砲、つまり長砲身を持つ貫徹力の強い艦砲の搭載を目指すことになってゆきます。これは艦砲の大型化と砲の搭載重量の増大を伴い、舷側砲門形式のような多くの砲を舷側に並べる搭載法が敵わなくなってゆくことを意味します。すなわち少数の強力な砲に最大限の射界を与えるための搭載法が工夫されてゆくこととなるわけです。

さらに有効と実証された衝角戦法の実行においては、敵艦を自艦の正面に捉えおくことが求められ、従って艦砲も正面への射界確保が重要となってゆきます。

一方で、搭載砲の大型化は弾薬類の誘爆への防御の重要性をも顕在化させることとなります。こうした射界の確保、防御の強化という視点から、舷側砲門形式は主力艦の主砲搭載形式として終焉を迎え、やがて砲郭・砲塔という形式の艦砲の搭載法が生み出され、中央砲郭艦、中央砲塔艦、そしてやがては航洋型近代戦艦(いわゆる前弩級戦艦)へと発達してゆくのです。この間、およそ25年間(「リッサ海戦」(1866年)から英海軍の「ロイヤル・サブリン級」戦艦の就役(1892年))、その変化の始点となったという意味で、「リッサ海戦」は重要な転換点として位置付けられています。

 

「リッサ海戦」海戦経緯

1866年7月16日夕刻、イタリア艦隊はリッサ島上陸部隊を伴いリッサ島に向かい出撃します。18日にはリッサ島に対する攻撃を開始しますが、断崖絶壁を利用して建設された要塞砲台への有効な砲撃が叶わず、また19日、リッサ湾からの上陸も悪天候などが原因で予定通りには進みませんでした。

19日オーストリア帝国側からはこれを阻止するために艦隊が出撃、20日には両艦隊がリッサ島沖で激突(文字通り=これは後で種明かし)するわけです。

艦隊の構成を見ておくと、イタリア艦隊が装甲艦(木造鉄皮)12隻、木造戦列艦11隻、木造フリゲート艦5隻で、オーストリア艦隊は装甲艦(木造鉄皮)7隻、木造戦列艦7隻、木造フリゲート艦12隻で、海戦での主力戦闘力となるであろう装甲艦・木造戦列艦の数ではイタリアが優勢で、併せて総砲門数でもイタリア艦隊の641門に対しオーストリア艦隊532門と、イタリア艦隊の優位は明らかでした。

しかしテゲトフ提督に率いられたオーストリア艦隊の士気は高く、イタリア人をダルマシアに対する侵略者と見做していたのに対し、イタリア艦隊は艦艇はともかく、乗員や指揮系統は統一間もない国家という背景から、各地方領主から提供された兵員の寄せ集めの感が残されていました。

イタリア艦隊は舷側砲門を有効に生かすべく装甲艦9隻(3隻は要塞攻撃に分派)のみによる単縦陣隊形を取り、3隻づつ3グループに分けてオーストリア艦隊の包囲を目指します。一方のオーストリア艦隊は7隻の装甲艦を第一列に、木造艦を第二列以降に並べた1000メートル間隔の3列からなる楔形陣形をとり、イタリア艦隊の横腹をつく隊形を取りました。

オーストリア艦隊の指揮官テゲトフ提督にはいくつか確信があったようで、前述のように自艦隊の士気の高さに加え、当時の砲撃が、静止目標に対してはともかく、移動目標に対し命中させることが著しく困難であること、併せて命中弾が与える損害がそれほど大きなものではないことなどから、楔形陣形による突撃という戦法を目指す決断をしたようです。

これに加え、以下でも再度記述することになると思いますが、戦闘直前の旗艦変更による隊形と指揮系統の混乱などがイタリア艦隊側に加わり、イタリア艦隊の第一グループと第二グループ以降に大きな間隔が生じてしまい、装甲艦の数の優位性がイタリア艦隊からは失われました。

戦闘は楔形体系で突撃をかけたオーストリア艦隊の装甲艦7隻によるイタリア艦隊の第二グループ3隻への攻撃、イタリア艦隊の装甲艦第三グループ以降(4隻)とオーストリア艦隊の非装甲艦14隻の戦闘という様相を呈し、結果、イタリア艦隊は主力装甲艦「レ・ディタリア」を集中砲火とオーストリア艦隊の旗艦「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス」の衝角攻撃で、装甲砲艦「パレストロ」を衝角攻撃による損傷とその後の集中砲火で失い、オーストリア艦隊には喪失艦はなく、オーストリア艦隊の勝利となりました。

 

「リッサ海戦」のオーストリア帝国艦隊

上記に従って、海戦時のオーストリア艦隊の編成をまとめておきます。

第一戦隊

「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス級」装甲艦」2隻、「カイザー・マックス級」装甲艦3隻、「ドラッヘ級」装甲艦2隻からなる装甲艦7隻に通報艦「カイゼリン・エリザベート」を加えた戦隊で、当時のオーストリア艦隊の艦隊主力としての第一列を構成しました。テゲトフ提督が直卒していました。

 

「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス級:Erzherzog Ferdinand Max Class」装甲艦(1866年就役:同型艦2隻)

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(「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス級」」装甲艦の概観:64mm in 1:1250 by Sextant:マスト周りを真鍮線で作り直して、「ドラッヘ級」と同様の仕上げをしています)

同級はオーストリア帝国海軍が建造した最後の舷側砲門形式の装甲艦の艦級です。

「リッサ海戦」ではネームシップエルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス」がテゲトフの座乗艦となり旗艦を務めました。

5100トン級の当時のオーストリア艦隊では最大の装甲艦で、12.5ノットの速力を発揮できました。18センチ前装式カノン砲16門を主兵装として、その他中口径砲を装備していました。

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(「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス級」」装甲艦の主要兵装の拡大:舷側に装甲を貼り砲門を並べた舷側砲門形式の装甲艦の特徴がよくわかります)

海戦では旗艦自らイタリア艦隊の主力艦「レ・ティタリア」に衝角攻撃をかけ見事に撃沈しています。

 

リッサ海戦の後には、1880年代後半から90年代にかけて備砲を新型砲に換装するなど近代化改装を受けましたが、すでに旧式で二線級の戦力とみなされていました。その後補給艦や宿泊艦としての任務を経て1910年代に解体されました。

 

「カイザー・マックス級:Kaiser Max Class」装甲艦(1863年就役:同型艦3隻)

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Kaiser Max-class ironclad (1862) - Wikipedia

(上の写真は「カイザー・マックス級」装甲艦の概観:モデルは未保有です。SextantとHaiからモデルが出ています。上の写真はSextant製モデル:例によってsammelhafen.de,より拝借)

同級は後述の「ドラッヘ級」装甲艦の強化改良型として1863年から就役した装甲艦の艦級です。

3600トン級の船体を持ち11.4ノットの速力を有していました。前級同様の舷側砲門形式で18センチ前装式カノン砲16門と15センチ単装砲15門を舷側にずらりと並べていました。リッサ海戦には同型艦3隻全てが参加しオーストリア艦隊装甲艦戦列のの主力を構成していました。

 

オーストリア=ハンガリー帝国には、1876年ごろに同名の3隻の装甲艦が就役しますが、これは財政難の中、同海軍が旧式艦の近代化の名目で議会から予算を獲得し、実態は全く新しい装甲艦3隻を全くの同名で建造するという一種の偽装が行われたためで、実態は全く別の艦級でした。この新たな「カイザー・マックス級」3隻には、旧「カイザー・マックス級」(今回ご紹介している艦級のことです)から、機関、装甲。その他装備の転用が行われました。

 

「ドラッヘ級:Drache Class」装甲艦(1862年就役:同型艦2隻)

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Drache-class ironclad - Wikipedia

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(上の写真は「ドラッヘ級」装甲艦の概観:53mm in 1:1250 by Sextant)

同級は1862年から就役したオーストリア帝国海軍の最初の蒸気装甲艦の艦級です。

木造の船体に装甲をはった2750トンの船体を持ち、搭載した1800馬力の機関から11ノットの速力を発揮できました。18センチ前装式カノン砲10門と15センチ前装式ライフル砲18門を舷側にずらりと並べた、いわゆる舷側砲門形式の装甲艦です。

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(「ドラッヘ級」」装甲艦の主要兵装の拡大:舷側に装甲を貼り砲門を並べた舷側砲門形式の装甲艦の特徴がよくわかります)

リッサ海戦には2隻共(「ドラッヘ」「サラマンダー」)装甲艦戦列の一員として参加し、ていました。

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(「ドラッヘ級」」装甲艦の艦首部の変遷?上段はモデルの艦首形状で、衝角戦法を意識した(?)特異な形状をしています。下段はWikipediaでは1867年の改装後以降となっていますので、衝角戦法から航洋性へと、用兵側の要請が移行したことが想像できます。モデルが正しければ、ですが。この辺りあまり資料がありません)

リッサ海戦後、1870年代に近代化改装を受け、1885年前後に除籍されています。

 

通報艦「カイゼリン・エリザベート:Kaiserin Elisabeth」(1854年就役?)

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通報艦「カイぜリン・エリザベート:Kaiserin Elisabeth」の概観:51mm(水線長) in 1:1250 by Hai?)

同艦は1470トンの比較的大きな外輪蒸気船で、外輪推進式フリゲート艦として建造されました。リッサ海戦時には装甲艦で構成される第一戦隊に通報艦として帯同していたようです。12ポンド前装滑空砲を4門搭載していました。

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(「カイぜリン・エリザベート」の主要部分の拡大:外輪推進式の蒸気船は、構造上、船体中央部に大きな外輪を装備するため、それまでの帆装戦闘艦の兵装の主要配備位置であった舷側が使えませんでした。そのため、蒸気機関の軍艦への装備は見送られ、スクリュー推進の発達を待たねばなりませんでした。上の写真ではその意味することがよくわかるのではないかと。同感の主砲は舷側ではなく艦中央に配置されています)

第一戦隊の一覧

手前から第一戦隊の旗艦を務めたエルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス級」装甲艦、「ドラッヘ級」装甲艦、通報艦「カイぜリン・エリザベート」の順。同戦隊はエルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス級」装甲艦2隻、「ドラッヘ級」装甲艦2隻に加え「カイザー・マックス級」装甲艦3隻、これに通報艦「カイぜリン・エリザベート」が帯同していました。

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第二戦隊

蒸気推進戦列艦「カイザー」、スクリュー推進フリゲートノヴァーラ」、同「シュバルツェンベルグ」、「ラデツキー級」スクリュー推進フリゲート3隻、スクリュー推進コルベット「エルツヘルツォーク・フリードリヒ」の7隻で構成された舷側に装甲帯を持たない木造非装甲軍艦7隻で構成された戦隊で、第二列を構成し、アントン・フォン・ペッツ准将(Commodore)が指揮をしていました。

スクリュー推進戦列艦「カイザー:Kaiser」(1859年就役:同型艦なし)

en.wikipedia.org

SMS Kaiser (1858) - Wikipedia

(木造機帆併装戦列艦「カイザー」の概観(上段):モデルはHai製です。筆者は未保有:写真は。例によってsammelhafen.de,より拝借)

5200トン級の木造艦で、二段の砲甲板に60ポンド砲16門、30ポンド砲74門、24ポンド砲2門、計92門搭載するいわゆる蒸気推進式戦列艦でした。リッサ海戦にはアントン・フォン・ペッツ代将の座乗する第二戦隊(非装甲艦部隊)の旗艦を務めました。

同艦はテゲトフ提督の戦闘方針に倣いイタリア海軍装甲艦「レ・ディ・ポルトガッロ」に衝角攻撃をかけますが、装甲に弾かれ損傷。そこに集中砲火を浴びてしまいます。

上掲の写真下段は、リッサ海戦直後の損傷した姿(写真はWikipediaより拝借しています)です。

1869年、装甲艦への大改造を受けた「カイザー」

普墺戦争に敗れたオーストリアは統一ドイツの覇権争いからは脱落し、ハンガリーとの二重帝国を設立し中央ヨーロッパの大国となったものの、産業革命からは一歩遅れを取り、財政難に直面します。新造艦の建造は難しいため、既存艦の近代化を図ります。

「カイザー」は5700トン級の装甲艦として生まれ変わり、1902年まで在籍していました。

(大改造で装甲艦となった「カイザー」の概観:モデルはHai製です。筆者は未保有:喫水線以上はほとんど作り替えられ、艦首形状をはじめ艦尾形状までも、全く艦容が一変しています:写真は。例によってsammelhafen.de,より拝借しています)

 

スクリュー推進フリゲートノヴァーラ:Novara」(1850年就役)

military-history.fandom.com

(写真はフリゲート艦「ノヴァーラ」の概観: FK=Friedrich Kermauner製と記載されています。筆者未保有なので、ebay出品中のものの写真を拝借しています)

同艦は2615トンの船体を持つ1850年に就役した非装甲の木造艦で、1等フリゲート艦に分類されていました。12ノットの速力を発揮することができました。4門の60ポンド砲、30ポンド前装滑空砲28門、2門の24ポンド後装ライフル砲を装備していました。

 

スクリュー推進フリゲート「シュバルツェンベルク:Schwarzenberg」(1853年就役)

(モデルはHai製:筆者未保有につき、写真は、例によってsammelhafen.de,より拝借しています)

同艦は2614トンの船体を持つ1853年に就役した非装甲の木造艦で、1等フリゲート艦に分類されていました。11ノットの速力を発揮することができました。6門の60ポンド砲、30ポンド前装滑空砲40門(2種搭載していたかも)、4門の24ポンド後装ライフル砲を装備していました。

 

「ラデツキー級:Radetzky Class」スクリュー推進フリゲート1854年ごろから就役:同型艦3隻?)

en.wikipedia.org

(「ラデツキー級」2等フリゲート艦の概観: FK=Friedrich Kermauner製と記載されています。筆者未保有なので、ebay出品中のものの写真を拝借しています)

同級は1854年から56年にかけて建造された2等フリゲートです。2165トン級の船体を持ち、9ノットの速力を発揮する設計でした。6門の60ポンド砲、24ポンド前装滑空砲40門、4門の24ポンド後装ライフル砲を装備していました。

「リッサ海戦」には3隻の同型艦(「ラデツキー」「ドナウ」「アドリア」)の全てが参加しています。

 

スクリュー推進コルベット「エルツヘルツォーク・フリードリヒ:Erzherzog Friedrich」(1857年就役)

(写真はコルベット艦「エルツヘルツォーク・フリードリヒ」の概観: FK=Friedrich Kermauner製と記載されています。筆者未保有なので、ebay出品中のものの写真を拝借しています)

同艦は1857年に就役したスクリュー推進コルベットで、1697トンの船体を持ち9ノットの速力を発揮する設計でした。備砲としては4門の60ポンド砲と16門の30ポンド前装滑空砲、24ポンド後装ライフル砲2門を装備していました。

 

通報艦「グライフ:Greif」(就役年次不明)

(写真は通報艦「グライフ」の概観: FK=Friedrich Kermauner製と記載されています。筆者未保有なので、ebay出品中のものの写真を拝借しています)

同艦は1260トンの船体を持つ外輪推進式蒸気船で、「リッサ海戦」時には第二戦隊に通報艦として帯同していました。12ポンド前装滑空砲2門を搭載していました。

 

第三戦隊

第三戦隊は小型のスクリュー推進式の砲艦を中心に編成された部隊で、第三列を構成していました。「ダルマト級」木造砲艦3隻、「レカ級」木造砲艦4隻、「ケルカ級」木造砲艦2隻、これに外輪推進式の武装商船「アンドレアス・ホーファー」を通報艦として加えた10隻で編成され、ルートヴィヒ・エベーレ(Ludwig Eberle) 少佐(Lieutenant-Commander)が指揮していました。

本稿ではこれまで何度か記述していますが、オーストリア海軍の主要任務が同帝国が唯一の接続海面を持つアドリア海島嶼地域での警備・治安活動であったことを考えると、こうした小型で取り回しの良さそうな艦種をある程度の数を揃えることは、同海軍の艦隊整備計画にとって重要な検討項目の一つだったと言えると考えています。第三戦隊はこうした艦種で構成された戦隊でした。

 

「ダルマト級:Dalmat class」砲艦(1861年ごろ就役:同型艦3隻)

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(「ダルマト級:Dalmat class」砲艦の概観:57mm(水線長) in 1:1250 by Sextant:こちらも同様にマストが気になるので真鍮線等で手を入れています。前回投稿から少しトライしているマスト周りのシュラウドの仕上げも取り入れてみました:下の写真は同級の細部の拡大:備砲の搭載形式など、同級の特徴がわかっていただけるかと)

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同級は1861年ごろに3隻が建造された木造蒸気推進砲艦です。2等砲艦に分類され、869トンの船体に、48ポンド前装滑空砲(SB)2門と24ポンド後装ライフル砲(RBL)2門を船体中央の首尾線上に装備し、11ノット強の速力を発揮する設計でした。

「リッサ海戦」には「ハム:Hum」「ダルマト:Dalmat」「ヴェレビッチ:Velebich」の同型艦3隻全てが投入され、「ハム:Hum」は第三戦隊の旗艦を務めました。

 

「レカ級:Reka class」砲艦(1861年ごろ就役:同型艦4隻)

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(「レカ級:Reka class」砲艦の概観:45mm(水線長) in 1:1250 by Sextant:Sextantモデルの共通課題だと筆者は考えていますが、マストが気になるので真鍮線等で手を入れています。前回投稿から少しトライしているマスト周りのシュラウドの仕上げも取り入れてみました:下の写真は同級の細部の拡大:備砲の搭載形式など、同級の特徴がわかっていただけるかと)

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同級は18561年ごろに4隻が建造された木造蒸気推進砲艦です。2等砲艦に区分され、852トンの船体に、48ポンド前装滑空砲(SB)2門と24ポンド後装ライフル砲(RBL)2門を船体中央の首尾線上に装備し、11ノットの速力を発揮する設計でした。

「リッサ海戦」には「レカ:Reka」「ゼーフント:Seehund」「ヴァル:Wall」「ストレイター:Streiter」の同型艦4隻全てが、第3戦隊として参加しました。

 

「ケルカ級:Kerka class」砲艦1860年ごろ就役:同型艦2隻)

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(「ケルカ級:Kerka class」砲艦の概観:42mm(水線長) in 1:1250 by FK=Friedrich Kermauner:マストが気になるので真鍮線等で手を入れています。マスト周りのシュラウドの仕上げも最近の筆者の標準的なものを施しました。下の写真は同級の細部の拡大)

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同級は501トンの船体を持つ木造砲艦でした。手元の資料では48ポンド前装滑空砲(SB)2門と24ポンド後装ライフル砲2門を装備していた、とありますが、少しこの情報は怪しい気がします。モデルを見ても上甲板状には2門の大砲しか見えません。建造年次は前出の2級よりも1年古く、この「ケルカ級」がベースとなって砲艦の各艦級へと発展したと考える方がしっくりくるのですが。

 

通報艦アンドレアス・ホーファー:Andreas Hofer 」(1851年就役?)

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通報艦アンドレアス・ホーファ:Andreas Hofer」の概観:44mm(水線長) in 1:1250 by Hai?:リッサ海戦時には小型の木造砲艦で編成された第三戦隊に通報艦として帯同したようです。下述のようにどうやら武装商船と考えた方がよさそうです。上掲の写真でも上段写真の艦首部に小さな大砲を積んでいるような表現になっているかと)

第三戦隊には通報艦として外輪推進式蒸気船「アンドレアス・ホーファ」が帯同していました。

同艦は770トンの船体に30ポンド前装滑空砲3門を搭載していました。Sextant社のカタログでは客船と分類されていますが、一方、Hai社では武装外輪船(armed paddle wheeler)「元プリンツ・オイゲン」という紹介もあり、前身が同船であれば1851年に建造されたことになります。いずれにせよ、外輪推進式のいわゆる武装商船だったのではないかと思います。この頃の蒸気推進の船は、軍艦・商船に搭載期間や速力等の大差がなく、手頃な商船に武装を搭載して代用軍艦として使用することはそれほど得意な例ではありませんでした。

 

第三戦隊の一覧

手前から第三戦隊の旗艦を務めた「ハム」を含む「ダルマト級」砲艦、「レカ級」砲艦、「ケルカ級」砲艦、通報艦アンドレアス・ホーファー」の順。同戦隊は「ダルマト級」砲艦3隻、「レカ級」砲艦4隻、「ケルカ級」砲艦2隻、通報艦アンドレアス・ホーファー」が帯同していました。

 

****これもこれまでに何度か記述しているように記憶するのですが、オーストリア海軍のこれらの艦級についての情報があまり見当たりません。どなたか詳しい方がいらっしゃったら、参考情報のありか、あるいはお持ちの情報をシェアしていただけないでしょうか?

現在、筆者が参考としている資料

https://mateinfo.hu/oldmate/a-navy-lissa.htm

https://military-history.fandom.com/wiki/Battle_of_Lissa_(1866)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_ships_of_Austria-Hungary

 

ということで、今回は、基本マスト周りのディテイルアップ後のモデルで、再度、「リッサ海戦」時のオーストリア艦隊を総覧してみました。本稿では何度か触れていますが、このリッサ海戦をテーマにした艦艇群(イタリア艦隊も含め52隻!)をSpithead Miniaturesに発注しています。今回ご紹介している艦艇群も全て含まれています。上掲の特に第二戦隊のフリゲート艦のモデル群が現時点でebayに出品されていますので、通常ならば落札に動くのですが、このSpithead Miniaturesへの発注とダブルので、どうしたものか、思案中です。

ということで今回はこの辺りで。

 

次回は今回に引き続き「リッサ海戦」へのイタリア艦隊の参加鑑定のお話をと考えています。

 

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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新着モデルの完成:フランス海軍 装甲艦の系譜(後編:艦隊装甲艦としての発展)

本稿前回では、Spithead Miniatureからの新着モデルの製作進捗状況をご紹介しました。マスト周りと仕上げを残すのみ、という状況でだったのですが、これが一応の(「一応の」の言い訳は後程)完成を見ましたので、過去投稿のアップデートという形でご紹介します。

fw688i.hatenablog.com

 

19世紀後半の艦艇開発をリードしていたフランス海軍の装甲艦整備の始まり時期のお話をしました。(こちらの投稿も今回の新着モデルに準拠して若干のアップデートをしましたので、アップデート投稿をしておきます)

fw688i.hatenablog.com

 

「艦隊装甲艦(キュイラッセ・デスカトーレル)」登場の背景

海軍主力艦の変遷を見ておくと、19世紀初頭には、舷側砲門をずらりと並べた「ナポレオン期」に全盛を迎えたいわゆる木造帆装戦列艦が海軍の主力でした。そして1850年代にこの木造戦列艦蒸気機関を搭載しスクリュー推進による木造機帆装戦列艦の建艦競争が始まります。そして蒸気機関の搭載により重い舷側装甲の装備が可能となり、世界初の航洋型装甲フリゲート「グロワール」が登場します。

fw688i.hatenablog.com

この舷側装甲の搭載は、一方でそれまでの艦載砲(艦砲)の威力不足を一気に露呈することになります。それまでの艦砲は射程が1000メートル程度の前装砲(先込め砲)で、照準も砲ごとの砲側照準であることもあって、蒸気機関を用いて自律的に移動する目標にはめったに当たらない代物でした。さらにこれが舷側装甲を装備した艦では、当たった砲弾すらはじき返されてしまう訳です。

この様な状況下で、史上初の航洋装甲艦で構成された艦隊同士の戦い、「リッサ海戦」が起きたのですが、この戦いで勝敗の決め手となったのが「衝角戦法」と言う装甲艦同士の文字通りの体当たり戦法であったと言うのは、ある意味「必然」であったと言っていいのかもしれません。

fw688i.hatenablog.com

この海戦の戦訓は、艦砲の大口径化、長砲身化(初速を高め弾道の集束性と貫徹力を高める)への指向に勢いをつけることになり、各列強はその搭載砲を大型化させてゆくことになります。

フランス海軍も同様で、装甲艦はそれまでの「装甲フリゲート艦(フリガイト・キュイラッセ)」から、艦砲を大型化した「艦隊装甲艦(キュイラッセ・デスカトーレル)」へと、進化してゆくのです。

 

砲郭式露砲塔装甲艦

7,580トン級:「オセアン(Ocean)級」艦隊装甲艦(1870年から就役:同型艦3隻)

ja.wikipedia.org

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(「オセアン級」艦隊装甲艦の概観:76mm in 1:1200 by Spirhead Miniatures)

同級はフランス海軍が初めて「艦隊装甲艦(キュイラッセ・デスカトーレル)」と言う艦種呼称を用いた装甲艦の艦級です。世界初の航洋型装甲艦と言われる「グロワール」から量産型の「プロヴァンス級」までの16隻の「装甲フリゲート艦(フリガイト・キュイラッセ)」と一線を画し、新たな呼称としたのは、搭載している艦砲が格段に強化されているところにあります。

船体は前級よりも大きな7600トン級となり、これに3460馬力の蒸気機関を搭載して13.5ノットの速力を発揮する設計でした。

同級の目玉である主砲は、18口径27センチ単装砲4門と19口径24センチ砲4門が搭載され、他に14センチ単装砲8門が副砲として装備されていました。搭載方法はこれまでの舷側砲門方式ではなく砲郭式が取り入れられています。分厚い装甲で覆われた砲郭は艦の中央に八角形で設置され、上甲板の砲郭の4角のバーベット上に24センチ単装砲が単装砲架で搭載されていました。それぞれの単装砲は人力で旋回でき、広い射界がが与えられていました。各バーベット上の単装砲架は基部のみ装甲で覆われた露砲塔でした。

バーベットの一段下の砲郭内には27センチ単装砲4門がレールに乗せた回転可能な砲架上に搭載されており、左右両舷に対し各5ヶ所に設けられた砲門から、砲撃が可能でした。この方式により、少ない搭載主砲を効率よく運用することができました。

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(上の写真では「オセアン級」艦隊装甲艦の主要兵装部分の拡大を。同級の砲兵装は、上甲板上に19口径24センチ砲がバーベット形式で配置されていることがわかります。4つのバーベットを4隅としてその下に砲郭があり、そこに18口径27センチ砲が配置されています。少しわかりにくいですが舷側から突き出している金色の砲口がそれです。ここに搭載された4門の27センチ砲は砲郭内に敷かれたレールに載せられ移動可能で、射撃砲門を選択し効率よく砲撃が可能でした)

 

**マスト周りの処理の話**

今回のモデルの仕上げでもマスト周りにかなり手を入れています。

このスケール(1:1250)での仕上げ用のディテイルアップ部材として、リグを一本づつ張り巡らせて、というわけにはいかないので(情けないですが筆者に耐えられる作業ではない、といいほどの意味です)、どんなことができるんだろうか、といくつか試行錯誤をしてきた、というようなお話を投稿してもいます。

少し過去の投稿を再掲しておくと・・・。

マスト周りのディテイルアップのアプローチ(その2:その1は下の写真の模型用ネット素材の流用)

下の写真は以前本稿でご紹介したイタリア海軍装甲砲艦「パレストロ」のマスト周りのディテイルアップと称した加工のアップです。模型用の樹脂製のネットを使っていて、それなりに気に入っているのですが、一点、実は網目の向きが気になっていました。

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同スケールの帆船モデル用には、帆船模型の老舗ブランドLangton Miniatureからエッチングパーツなどが市販されいます(下の写真)。

それなりに高価(送料入れると1500円くらい?)ですし、小さなエッチングパーツということで、サイズに合わせたカットや接着なども難しく、さらに色を塗らねばなりません。この方法は経済的な側面からも、手間的な側面からも、今流行りの「持続可能性」に難あり、と考えました。

以前は建築模型用のネット材なども使ってみたことがあったのですが、基本は透明で塗料で着色して使用しても、塗料は樹脂素材内部には浸透しませんので切断面が白く目立ってしまい、あまり使わなくなりました。

今回は模索の中で黒の網戸用のネットそのものなども試してみましたが、そもそも編まれたネットは小さくカットした時点で縦糸と横糸がほぐれてしまい、これはダメ。

そして今回行き着いたのが、網戸の補修用のシールの接着剤を取り除いて使用する、という方法でした。筆者の不明から、補修用シールについてなんの認識もなくその形態だけ見て、「ああ、これ使えるかも」と購入したのですが、「補修用のシート」なのでシート全面にすぐに貼って使えるように接着剤が塗布されています。それも、屋外で風雨の中で使用する網戸ですから、かなり強力な接着力を持っているのです。製品が届いたのち、色付きの樹脂を打ち出し成形したネットで、つまり編まれたネットではないのでほぐれることはなく、これは狙い通りだったのですが、問題はその強力な接着力で、とてもこの接着面を残したままでは小さく切ったり、モデルに使用したりできるものじゃないと、これはすぐに判明し、流用を断念しかけました。

しかし「強力接着と書いてあるじゃん」と自分の軽薄さが口惜しくて少し意地になって、この接着剤除去の方法について手元の溶剤系で実験しました。その結果、M r .Colorのシンナーに浸したのち丁寧にブラッシングすればこの接着剤は除去できることがわかりました。こんな使い方をして、メーカーの方には本当に申し訳なく、今は思っています。

出来上がりは・・・。

やはり形態に大きな齟齬はあるという認識はあるのですが、雰囲気は出せてるかも、と思っています(この辺り、その1のネット素材の時も同じですが、自画自賛をするしかないかと)。

(再掲ここまで)

というような経緯で、一応、網戸修復用のシールから接着剤を洗い流して、という方法で仕上げていこうとしていたのですが、ややこのスケールで見ると上掲の写真でも明らかなように「網目」が荒いような気がしていました。

一方で「自動車模型用のパーツでは「網の目」の向きにかなり違和感が残り・・・」というようなコメントも上の再掲部分にはあるのですが、冷静になってよく考えると、このパーツを45度回転させれば筆者の求める「網目」の向きで使えるじゃないか、といことにようやく気がつきました。もちろんそれでかなり「無駄になる部分」もあるのですが、なぜこんなことに気が付かなかったんだろうかと、自身の頭の悪さをあらためて痛感しました。

(上が45度回転する前で下が回転後:これで網目の大きさと向きの問題は一気に解決。なんでこんな事に気がつくのに時間がかかったんだろう、と・・・)

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ということで、今回のモデルはこの方法でマスト周りを仕上げてあります。

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(上の写真は、「網戸補修用シート」を用いたディテイルアップ(「ドラッヘ級」のモデル)と、今回のディテイルアップ方法(「オセアン級」のモデル)の比較:「網目」の大きさの違いがはっきりすると思います)

これから少し時間をかけて、これまで仕上げたモデルをアップデートしてゆこうと考えています。

その第一弾が、今回の投稿の冒頭でリンクを貼らせていただいている「フランス海軍:装甲艦の系譜(前編)」です。

 fw688i.hatenablog.com

今回投稿、冒頭の「一応完成」の意味するところ

Spithead Miniaturesのモデルには、船体や備砲、通風口のパーツ以外にも、マストのパーツ、ボートのパーツセットが付属しています。

マストパーツは他のモデルとの一覧性と仕上がりへの疑問から、使わないことは決めていたのですが、仕上げ段階に入って一旦、付属のボートのパーツも使用しない事にしました。

ボートパーツがやや大柄な気がするのと、Spithead Miniaturesの船体の仕上がりがかなり気に入っていて、これをそのまま楽しみたい、ボリューミィな付属のパーツでは少し違和感が出そう、という想いからの暫定的な結論です。理想は今回次の掲載するHai製の「フリードランド」くらいのボートであればいいかも、と思います。スケール感等で違和感のないボートのパーツ(時々、Ebayなどへの出品が見られます)が見つかれば、アップデートするかもしれません。

・・・というような次第で、「一応、完成」です。

 

8,800トン級艦隊装甲艦「フリードランド (Friedland)」(1877年就役)

ja.wikipedia.org

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(艦隊装甲艦「フリートランド」の概観:80mm in 1:1250 by Hai製改造 :まだ装甲フリゲート艦の名残を残すややスマートな艦型をしています。下の写真は艦隊装甲艦「フリートランド」の兵装の拡大:艦の中央部に砲郭を設けそこに片舷3基の主砲と、中央砲郭部の上のバーベットに主砲1基づつを両舷に搭載しているのがわかります)

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同艦は「オセアン級」艦隊装甲艦の改良型で、全鉄製の船体を持っていました。同型艦はありません。

「オセアン級」をやや拡大した8850トン級の船体を持ち、4500馬力の蒸気機関を搭載し、13.5ノットの速力を発揮することができました。

主砲を27センチ砲のみにして単装砲2門を砲郭上のバーベットに露砲塔形式で搭載し、残り6門は砲郭内に各舷3門づつ配置しました。他に副砲として14センチ単装砲8門を装備していました。

 

近代化改装

今回の上掲モデルのベースとしてものはHai社製のモデルです。

モデルのデータベースでは明記されていませんが、マスト周り等を見ると帆装を簡略化(全廃?)した近代化改装後のモデルだと推測できます。今回のモデル群は基本的に各級の就役直後のモデルですので、その状況に合わせて可能なレベルで手を入れてみました。(前回投稿でもご紹介しましたが、その作業過程を少し再掲しておきます。

Hai製オリジナルモデル(以前、本稿でご紹介しています)

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(艦隊装甲艦「フリートランド」の概観:80mm in 1:1250 by Hai <<<ああ、このモデルに手を入れて潰してしまった!

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今回Spithead Miniatureモデルの影響で「就役時」を想定したモデルに

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(艦隊装甲艦「フリートランド」の概観:80mm in 1:1250 by Hai)

同時期に建造された「リシュリュー」との対比で、やや船体の高さが気になったので、船体そのものを少し低く調整しています(これは船底をメタル用のヤスリでゴリゴリ削る単純な作業です)。

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8,900トン級艦隊装甲艦「リシュリュー (Richelieu)」(1875年就役)

ja.wikipedia.org

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(艦隊装甲艦「リシュリュー」の概観:82mm in 1:1200 by Spithead Miniatures)

同艦は「オセアン級」艦隊装甲艦の改良型で、「フリードランド」が全鉄製の船体を持っていたのに対し、本艦は木造鉄皮構造でした。同型艦はありません。

「オセアン級」をやや拡大した9000トン級の船体を持ち、4200馬力の蒸気機関を搭載し、13ノットの速力を発揮することができました。運動性の向上を狙い、2軸推進でした。

主砲は「オセアン級」同様、18口径27センチ単装砲6門と19口径24センチ砲5門が混載されており、27センチ砲は全て砲郭内に収められ、24センチ砲は砲郭上部4角のバーベットに露砲塔形式で4門、船首楼内に1門が搭載されていました。艦首喫水下には衝角が装備されており、艦首楼内の砲と併せて、艦首方向の攻撃威力が強化されています。他に副砲として当初12センチ単装砲10門を装備していましたが、就役後すぐに14センチ砲6門に換装されました。

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(上の写真は艦隊装甲艦「リシュリュー」の主要兵装部分の拡大したものです。上段写真では船首楼に搭載された19口径24センチ砲が見ていただけます。写真下段:上甲板上に19口径24センチ砲がバーベット形式で配置されていることがわかります。上段写真では艦首楼に配置された24センチ砲。「オセアン級」同様、4つのバーベットを4隅としてその下に砲郭があり、そこに18口径27センチ砲が各に対し3門づつ配置されています。艦首楼と舷側に突き出している砲身は筆者が真鍮線で追加したものです)

 

8,750トン級:「コルベール(Corbert)級」艦隊装甲艦(1877年から就役:同型艦2隻)

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(「コルベール級」艦隊装甲艦の概観:78mm in 1:1200 by Spithead Miniatures)

同級は1865年度計画の最後の艦級で、フランス海軍史上、最後の木造の艦隊装甲艦となりました。

8750トンの船体に4600馬力の蒸気機関を搭載し、14ノットの速力を発揮する設計でした。

主砲は27センチ単装砲8門として、2門は上甲板の砲郭上のバーベットに2基、残る6門は砲郭内に収められています。さらに補助火力として艦首楼内と艦尾に24センチ単装砲各1基が装備され、艦首尾方向の火力が強化されています。他に副砲として14センチ単装砲8門が搭載されました。

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(上の写真は「コルベール級」艦隊装甲艦の主要兵装部分の拡大をしたものです。上段写真では船首楼に搭載された19口径24センチ砲が見ていただけます。写真下段:上甲板上に18口径27センチ砲がバーベット形式で2基、さらに中央砲郭内に6基配置されています。さらに上甲板の艦尾に配置されている24センチ砲が確認できます)

 

9,200トン級艦隊装甲艦「ルドゥタブル (Redoutable)」(1882年就役)

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(艦隊装甲艦「ルドゥタブル」(就役時)の概観:80mm in 1:1200 by Spithead Miniatures)

同艦は普仏戦争に敗れたフランスがナポレオン3世の帝政を廃し第三共和制に移行した後の、1872年度計画で建造された最初の艦隊装甲艦です。普仏戦争に何お貢献もできなかった海軍への強い風当たりの中で設計され、新基軸と回帰主義などが入り混じった設計になっています。(フランス海軍ファンとしては、そこがなんとも言えず「いい感じ」なのですが)

以降、フランス海軍の主力艦の特徴の一つとなる「タンブル・ホーム」型船体の基本形が示された艦と言ってもいいかと。

9200トン級の船体には鉄材に加え鋼材が用いられ、5900馬力の蒸気機関から14ノットの速力を発揮する設計でした。

主砲には20口径27センチ砲が採用され、艦首楼内に1門、艦尾に1門、両舷の砲郭部上部のバーベットに各1門が配置され、さらに砲郭内に4門が搭載され、計8門を搭載していました。副砲として14センチ単装砲6門を装備していました。

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(同艦はそれまでの艦隊装甲艦の標準装備であった27センチと24センチの複数口径の主砲混載を改め、27センチに統一して装備数を単装砲8基の増強しています。上の写真では、船首楼内に装備された1基(写真上段)と上甲板上の残り3基(艦橋両脇の張り出し部分と艦尾)、中央砲郭に納められた4基が見ていただけるかと思います。船首楼から突き出てるものと中央砲郭部分の砲身は筆者が付け足したものです)

 

近代化改装(1894年ごろ)

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(筆者が保有している上の写真のモデルは、近代化改装後のもの。2本マスト形態となり、帆装を全廃しています::85mm in 1:1250 by Hai)

1893年から1894年にかけて、同艦は近代化改装を受けます。

帆装が全廃されて3本マストから2本マスト形態に改められ、水雷艇防備用の機関砲を設置した見張り台が置かれました。

主砲である27センチ砲は長砲身(28口径)砲に換装され、これを4門と、24センチ砲4門に変更されました。副砲も10センチ砲6基に変更されました。

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(艦隊装甲艦「ルドュタブル」の兵装の拡大:艦首楼に前方方を装備し(写真上段)、艦の中央砲郭部に上部に主砲バーベットを設け1門、下部の砲郭部内に2門を搭載しています(写真中段:ちょっとわかりにくいですが、舷側のふくらみと砲身がみえるかな?)。さらに艦尾部に主砲1門を装備していました(写真下段))

 

機関も換装され、6070馬力となり、速力も14.6ノットまで向上しました。

1900年にはフランス東洋艦隊に所属し、そのままハノイ(仏領インドシナ:現在のベトナム)でハルクとなりました。

 

10,450トン級 : 「クールベ(Courbet)級」艦隊装甲艦(1883年から就役:同型艦2隻)

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(「クールベ級」艦隊装甲艦の概観:筆者が保有するモデルは1900年の近代化改装後の姿を再現したものですので、ここでは竣工時の三檣マスト形態の写真をWikipediaから拝借して掲示しておきます:1:1250スケールではこの形態のモデルはないんじゃないかな?少し注釈:上掲の写真を見る限りでは、三檣マスト形態ではありますが、帆装はすでに廃止されているのではないかと推測しています。マストはすでにコンバットマスト形態をとっています。今回投稿でも「フリードランド」ではおそらく同様の形態をご紹介しています)

同級は「ルドゥタブル」の改良型で2隻が建造されました。

船体は10450トンと初めて10000トンを超え、8100馬力の蒸気機関を搭載し15ノットの速力を発揮することができました。

火力がさらに強化され、搭載主砲は21口径34センチ後装砲となりました。これは当時世界最大口径の艦砲でした。これを4基、中央砲郭の4角に配置し、さらに20口径27センチ単装砲を艦首、艦尾、さらに両舷のバーベットに搭載していました。副砲には14センチ単装砲6基が搭載されていました。

1900年に近代化改装を受け、三檣マスト形態は2本のミリタリーマスト形態に変わりました。

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(「クールベ級」艦隊装甲艦の概観 (近代化改装後)::8mm in 1:1250 by Hai:モデルは1900年の近代化改装後の姿)

さらに砲兵装に見直しが入り、27センチ砲は長砲身の45口径砲に換装され、他に3基の30口径24センチ砲、1基の16センチ単装砲、10センチ単装砲16基、多数の水雷艇対策の機関砲が搭載されました。

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(「クールベ級」艦隊装甲艦の兵装の拡大:艦首楼に前方砲を装備し艦橋下部に中央砲角が設けられています(写真上段)、艦の中央砲郭部にじゃ上部に主砲バーベットを設け各舷1門、下部の砲郭部内に各舷2門を搭載しています(写真中段)。さらに艦尾部に1門を装備していました(写真下段))

 

11,000トン級艦隊装甲艦「アミラル・デュプレ (Amiral Duperré)」(1884年就役)

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(艦隊装甲艦「アミラル・デュプレ」の概観::79mm in 1:1250 by Brown Water Navy Miniature)

新興イタリア海軍の中央砲塔艦「カイオ・ドュイリオ級」に対応するために建造されました。前級「クールベ級」をベースとして、拡大した11000トン級の船体に5700馬力の蒸気機関を搭載し15ノットの速度を出すことができました。

主砲には34センチ単装砲を両舷中央付近と艦中央・艦尾のバーベット上に装甲砲塔形式で搭載しました。他に船首楼内の16センチ砲1門、片舷7基づつ14センチ砲を配置し、副砲としています。多数の水雷艇排除用の機関砲を搭載いていました。f:id:fw688i:20240609155804j:image

(艦隊装甲艦「アミラル・デュプレ」の主砲配置の拡大:船首楼に前方砲を装備し艦橋下部のバーベットに単走主砲塔片舷各1基を搭載しています(写真上段)。さらに艦中央部に主砲塔搭載のバーベットに中央砲角が設けられています(写真上段)、艦の中央砲郭部・艦尾部に主砲塔をそれぞれ搭載したバーベットを設けています(写真下段))

 

艦隊装甲艦の一覧

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(フランス海軍の今回ご紹介した艦隊装甲艦モデルの一覧:下から「オセアン級」艦隊装甲艦、艦隊装甲艦「「フリートランド」、艦隊装甲艦「リシュリュー」、「コルベール級」艦隊装甲艦、就役時の艦隊装甲艦「ルドュタブル」、「クールベ級」艦隊装甲艦(近代化改装後)、艦隊装甲艦「アミラル・デュプレ」の順:「ルドュタブル」以降、フランス艦の特徴の一つであるタンブル・ホームの傾向が顕著に現れます。この傾向は前弩級せんかんの時代まで継承されることに)

と言うことで、フランス海軍が建造した艦隊装甲艦の艦級を見てきたわけですが、この後、今回最後にご紹介した艦隊装甲艦「アミラル・デュプレ」に続き、その改良版「アミラル・ボーダン級」へと発展してゆきます。その後は以下の投稿でご紹介済みですので、そちらをお楽しみいただければと考えています。

fw688i.hatenablog.com

そして、さらに前弩級戦艦の諸設計へと続いてゆきます。

fw688i.hatenablog.com

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一応、これでフランス海軍の戦艦の系譜については完了です。ということで、今回はこの辺で。

 

次回は上掲のマスト周りに手を入れたモデル群の逐次ご紹介かなどを予定しています。

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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モデルのアップデート:フランス海軍 装甲艦の系譜(前編:装甲フリゲート艦の登場)

このところ本稿で続けて取り上げている各国の装甲艦(近代戦艦=前弩級戦艦の登場以前の主力艦)を紹介する際に、時折、「フランスが整備している装甲艦への対抗を意識して」と言いようなフレーズが出てきます。

今回はそのフランス海軍の装甲艦のご紹介、その前編。装甲フリゲート艦の艦級のご紹介です。

(マスト周りのディテイルアップなど、モデルをアップデートしています)

 

先駆者としてのフランス海軍

19世紀後半、既に商船では主流になりつつあった蒸気機関に対して、その性能の不安定さと燃料供給への不安から、海軍軍人には根強い帆装への傾斜が残されてはいたのですが、実際に風力に頼らず蒸気機関による自立した機動性を持った軍艦が現れると、その優位性は明らかでした。

当時の主力艦であった木造戦列艦についても、1846年に英海軍が74門戦列艦「エイジャックス」を蒸気機関を搭載する機帆併装戦列艦へ改造したのを皮切りに、1850年にフランス海軍が機帆併装の90門戦列艦「ナポレオン」を、1852年に英海軍が同様に91門蒸気機関戦列艦アガメムノン」を、それそれ新造しました。

(上の写真は英海軍が1852年に就役させた91門搭載蒸気機関戦列艦アガメムノン」の同型艦「ヒーロー」(上段)と、フランス海軍の90門搭載蒸気機関戦列艦「ナポレオン」(1850年就役)。いずれもTriton製モデル:構造的には従来の帆装戦列艦そのままの設計で、舷側に複数層の甲板にずらりと砲門を並べた構造です。従来の木造戦列艦蒸気機関を搭載した、というところですね。写真からはいずれも4層の甲板に砲門を並べていることがわかると思います:写真は例によってsammelhafen.deから拝借しています)

こうして英仏を中心に機帆併装軍艦の建艦競走が始まり、クリミア戦争後の時点で、英海軍24隻、フランス海軍20隻の木造蒸気戦列艦保有していました。

一方、当時のせいぜい1000メートル程度の射程を持つ前装式の砲を主要火器とする戦列艦を中心とした戦いでは、舷側に防御装甲を有することの優位性は明らかで、これも出力の高い蒸気機関の出現により、重い装甲を有しながら自立航行ができる軍艦が実現してゆきます。

さらに蒸気機関は艦上の重量物を、従来の人力による操作だけでなく機械力によって操作することを可能にし、これは軍艦への重砲の搭載、艦砲の大型化を可能にし、艦砲の射程拡大、長砲身砲による射撃精度の向上にもつながってゆくのでした。

このような流れの中で、フランス海軍は前出の機帆併装の90門戦列艦「ナポレオン級」(9隻)の建造と並行して、次に紹介する木造鉄皮の新造艦「グロアール」を建造していました。

 

舷側砲門艦

5,600トン級「ラ・グロワール (La Gloire)級」装甲フリゲート艦 (1860年から就役:同型艦3隻)

en.wikipedia.org

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(「グロワール級」装甲フリゲート艦の概観:64mm in 1:1250 by Helvetia:これは珍しいメーカーのモデルですね。今回まとめてみて、改めて大発見)

同級以前にも木造鉄皮構造の軍艦は建造されていましたが、舷側に11センチの厚みの本格的な装甲を装着した設計から、「装甲フリゲート艦」と自海軍では分類されながらも「戦艦」の始祖と一般には呼ばれています。

5600トン級の船体に36門の16センチ前装ライフル砲を装備し、2500馬力の機関を搭載し12.5ノットの速力を発揮できました。

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(「グロワール級」装甲フリゲート艦の舷側部分の拡大:このモデルでは同級の特徴である厚い舷側装甲帯とずらりと並んだ砲門がモールドされているのがわかると思います)

砲甲板は一層で、全ての砲門を舷側に並べた標準的な舷側砲門艦の構造を持つ木造艦でしたが、同級の最大の特徴は前述の11センチの装甲を舷側のほぼ全面に装備していることで、同級の登場はそれまでの木造戦列艦を全て一晩で陳腐化させ、列強間に新たな建艦競争を起こすことになりました。

フランス海軍の「グロワール級」のスペックを知った英海軍はフリゲート艦という呼称は実態にそぐわず「偽称」と言わざるを得ない、と言い、「ウォリアー級」装甲艦の設計を急いだと言われています(この辺り、第一次世界大戦前の英独海軍を中心とした列強の嫌韓競争の火種となった戦艦「ドレッドノート」の登場と通じるところがあります)。

 

6,400トン級装甲フリゲート艦「クーロンヌ」(La Couronne):(1862年就役:同型艦なし)

en.wikipedia.org

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(装甲フリゲート「クーロンヌ」の概観:65mm in 1:1250 by Brown Water Miniature( Shapeways):実は上掲のWikipediaに掲載されている写真とあまりにも外観が異なるので、やや困惑しています。が「グロワール級」との関係や、その他の記述を見ると、今回ご紹介しているモデルの方がしっくりくるのではないでしょうか?)

同艦はフランス海軍が「グロワール級」に続いて建造した装甲艦で、「グロワール級」の全鉄製のヴァリエーションと見做してもいいかもしれません。フランス海軍としては初の全鉄製の装甲艦となりました。6400トン級の船体に2600馬力の機関を搭載し、一軸推進で12.5ノットの速力を発揮することができました。

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(装甲フリゲート「クーロンヌ」の舷側部分の拡大:「グロワール」級をタイプシップとして、構造の全鉄製化を目指した設計でした。舷側に砲門をほぼ等間隔に並べた舷側砲門艦であることがわかると思います)

12センチの装甲を張り巡らせ、30門の16.5センチ砲を一層の砲甲板に並べて搭載した舷側砲門艦でした。

 

6,700トン級:「マジェンタ(Magenta)級」装甲フリゲート艦 (1862年から就役:同型艦2隻)

ja.wikipedia.org

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(「マジェンタ級」装甲フリゲート艦の概観:75mm in 1:1250 by Toriton:フランス海軍の装甲フリゲート間としては最大で、二層の砲甲板を持つ唯一の緩急です)

同級は6700トン級の船体に3450馬力の機関を搭載し、13ノットの速力を発揮できる装甲艦でした。艦首には衝角が装備されていました。22.3センチ砲2門を主砲として艦首に装備し、他に34門の16.5センチライフル砲を副砲として、さらに16門の19.4センチ滑空砲が搭載され二層の砲甲板に舷側砲門形式で搭載されていました。フランス海軍の装甲フリゲート艦としては唯一の二層の砲甲板を持った艦級となりました。

前二級の砲甲板の位置が低く、荒天時の砲の操作が困難になるとの指摘から、高い乾舷を持った艦型となりました。

艦首に装備された主砲(22.3センチ砲)には一部砲郭式の搭載法が取り入れられ、砲郭内の床に円弧状に敷かれたレール上にそれぞれ単装砲架形式で載せられ、回転と移動が可能で広い射界をとることができました。

船体は109ミリから120ミリの厚い装甲で覆われていました。

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(「マジェンタ級」装甲フリゲート艦の舷側部分の拡大:二層の砲甲板を有していたことがわかると思います。前二級の装甲フリゲート艦の砲甲板位置が生粋に近く、荒天下での作業性に課題があることから、同級では砲甲板が二層になりました。艦首部には追撃砲として22.3センチ砲が装備されましたが、砲門のモールド位置が、モデルでは少し異なるのではないかと考えています)

 

5,700トン級:「プロヴァンス(Provence)級」装甲フリゲート艦 (1863年から就役:同型艦10隻)

en.wikipedia.org

 

(「プロヴァンス級」装甲フリゲート間の概観:モデルはOzel Model Shipsから市販されているようですが、筆者は見たことがありません。もちろん未入手。モデルの写真も探してみたのですが、頼みのsammelhafen.de,でもカタログデータとしては載っているのですが、写真は掲載されていません。上の写真は上掲のWikipediaから拝借しています)

同級はフランス海軍の初めての量産型装甲フリゲート艦で、10隻が建造されました。

乾舷を高くして航洋性を改善した「グロワール級」装甲フリゲート艦の改良版と言っていいと思います。

10隻のうち1隻のみが錬鉄製で、残りの9隻は木造鉄皮でした。

5800トン級の船体に3500馬力の機関を搭載して13ノットを超える速力を発揮できる設計でした。(実際には機関の出力にばらつきがあり、13.2ノットから16.5ノットとかなり速度に幅があったようです)

搭載武装にもばらつきがあり、当初の3隻には16.5センチ滑空砲10門、16.5センチライフル砲22門、22センチ砲2門を搭載していたと言われています。1865年型では19.4センチ砲11門を砲甲板に装備した舷側砲門形式の艦でした。

 

「装甲フリゲート艦」の一覧

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(今回ご紹介したフランス海軍の装甲フリゲート艦の大きさ比較:手前から「グロワール級」装甲フリゲート艦、装甲フリゲート「クーロンヌ」、「マジェンタ級」装甲フリゲート艦の順:最後に10隻が量産された「プロヴァンス級」装甲フリゲート艦は、大きさ的には初代の「グロワール級」にほぼ等しく、船体も木造鉄皮でした)

 

こうしてフランス海軍の装甲艦の最初のグループは、舷側砲門形式の「装甲フリゲート艦」として発展をするわけですが、次級以降ではより大口径砲の搭載が目指され、威力の高い砲に広い射界を与えるための露砲塔形式の導入など、砲兵装面を強化した「艦隊装甲艦」へと発展してゆきます。

ということで、今回はこの辺で。

 

次回は今回の続き、フランス海軍の装甲艦の後編、今回ご紹介した「装甲フリゲート艦」から「艦隊装甲艦」へと大型化し、強力ないわゆる主力艦としての発展を遂げてゆきます。その辺りをご紹介したいと考え英ます。

 

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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Spithead Miniatures:フランス海軍 艦隊装甲艦モデルの製作進捗状況

本稿では下記の投稿でSpithead Miniatures製のモデルのお話をしています。

fw688i.hatenablog.com

モデル到着のご紹介が7月の最終週でしたので、およそ1ヶ月半ほどたちました。なかなかまとまった時間を取れずにいるのですが、少しづつ作業を続けてきてはいます。そこで上記の回でご紹介した各モデルのアップデート(実はまだ完成していないのです)と、その派生で手を入れたモデルのご紹介を、少し前回の投稿、過去の投稿に手を入れながらご報告。今回はそんなお話です。

 

モデル到着時はこんな感じでした。それぞれのモデルは別々の小袋(写真上段)の形状で、そしてそれぞれの小袋の中身はレジン製の船体(最近、3D printingのモデルばっかり見てきたので、少し新鮮です)とホワイトメタル製のマスト、ボート、通気管、砲、上部構造等のパーツがセットされています。組み立て図は入っていないので、自分で資料にあたる必要がありそうですが、多分、この辺りのモデルを探す人ならば、あまり大きな問題にはならなそうです(通気管の位置が少し微妙かも、程度?)。

・・・・というような所感で始めたわけです。

 

続いてそれぞれの現状をご紹介。

7,580トン級:「オセアン(Ocean)級」艦隊装甲艦(1870年から就役:同型艦3隻)

ja.wikipedia.org

新着時のSpithead Miniaturesの「オセアン級」装甲艦のモデル

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(上の写真が今回到着したSpithead Miniatures製「オセアン級」装甲艦のモデル)

レジン製の船体はかなりディテイルがシャープに表現されています。舷側の砲門も綺麗に抜かれています。最も気にしていたスケール違い、ですが、このレベルであれば、1:1250スケールと謳われているモデル間での製作者間の解釈違いと、さほど差異はないかと思いますので、気にしなくてもいいかな、と思っています。

「オセアン級」艦隊装甲艦の進捗現況

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(「オセアン級」艦隊装甲艦の概観:76mm in 1:1200 by Spirhead Miniatures)

現況はご覧のとおりマスト製作の前段階までです(これは今回ご紹介するモデル、全て同じ状況です。

下の写真では「オセアン級」艦隊装甲艦の主要兵装部分の拡大を。同級の砲兵装は、上甲板上に19口径24センチ砲がバーベット形式で配置されていることがわかります。4つのバーベットを4隅としてその下に砲郭があり、そこに18口径27センチ砲が配置されています。少しわかりにくいですが舷側から突き出している金色の砲口がそれです<<<この砲身は筆者が真鍮線で作成したものなので、もう少し長く強調してもいいのかもしれません。

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「オセアン級」艦隊装甲艦の解説(過去投稿よりほぼ引用)

同級はフランス海軍が初めて「艦隊装甲艦(キュイラッセ・デスカトーレル)」と言う艦種呼称を用いた装甲艦の艦級です。世界初の航洋型装甲艦と言われる「グロワール」から量産型の「プロヴァンス級」までの16隻の「装甲フリゲート艦(フリガイト・キュイラッセ)」と一線を画し、新たな呼称としたのは、搭載している艦砲が格段に強化されているところにあります。

船体は前級よりも大きな7600トン級となり、これに3460馬力の蒸気機関を搭載して13.5ノットの速力を発揮する設計でした。

同級の目玉である主砲は、18口径27センチ単装砲4門と19口径24センチ砲4門が搭載され、他に14センチ単装砲8門が副砲として装備されていました。搭載方法はこれまでの舷側砲門方式ではなく砲郭式が取り入れられています。分厚い装甲で覆われた砲郭は艦の中央に八角形で設置され、上甲板の砲郭の4角のバーベット上に24センチ単装砲が単装砲架で搭載されていました。それぞれの単装砲は人力で旋回でき、広い射界がが与えられていました。各バーベット上の単装砲架は基部のみ装甲で覆われた露砲塔でした。

バーベットの一段下の砲郭内には27センチ単装砲4門がレールに乗せた回転可能な砲架上に搭載されており、左右両舷に対し各5ヶ所に設けられた砲門から、砲撃が可能でした。この方式により、少ない搭載主砲を効率よく運用することができました。

***これからのモデル仕上げの話

これは上掲の「オセアン級」に限らず、今回ご紹介するモデルの共通の事項なのですが、全てこれからマスト周りの製作に入ります。その際には他の機帆併装のモデルと共通の仕上げにしたいなあ、と思っています。つまり、マストは真鍮線での自作を第一選択として、キットに付属するマストは使用しないつもりです。

 

8,900トン級艦隊装甲艦「リシュリュー (Richelieu)」(1875年就役)

ja.wikipedia.org

新着時のSpithead Miniatureの装甲艦「リシュリュー」のモデル

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(上の写真は今回到着したSpithead Miniatures製の装甲艦「リシュリュー」のモデル)

艦首部の再現などいい感じなんじゃないでしょうか?レジン製の船体は本当にシャープで、「仕上がりの品質にこだわりたいので、限定したロットしか製造しないのさ」とSpithead Miniaturesの主催が書いていたのを思い出しました。

艦隊装甲艦「リシュリュー」の進捗現況

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(艦隊装甲艦「リシュリュー」の概観:82mm in 1:1200 by Spithead Miniatures)

こちらもマスト周りはこれからです。

下の写真は艦隊装甲艦「リシュリュー」の主要兵装部分の拡大したものです。上甲板上に19口径24センチ砲がバーベット形式で配置されていることがわかります。上段写真では艦首楼に配置された24センチ砲。「オセアン級」同様、4つのバーベットを4隅としてその下に砲郭があり、そこに18口径27センチ砲が格言に対し3門づつ配置されています。艦首楼と舷側に突き出している砲身は筆者が真鍮線で追加したものです。

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装甲艦「リシュリュー」の説明本文(過去投稿よりほぼ引用)

同艦は「オセアン級」艦隊装甲艦の改良型で、「フリードランド」が全鉄製の船体を持っていたのに対し、本艦は木造鉄皮構造でした。同型艦はありません。

「オセアン級」をやや拡大した9000トン級の船体を持ち、4200馬力の蒸気機関を搭載し、13ノットの速力を発揮することができました。運動性の向上を狙い、2軸推進でした。

主砲は「オセアン級」同様、18口径27センチ単装砲6門と19口径24センチ砲5門が混載されており、27センチ砲は全て砲郭内に収められ、24センチ砲は砲郭上部4角のバーベットに露砲塔形式で4門、船首楼内に1門が搭載されていました。艦首喫水下には衝角が装備されており、艦首楼内の砲と併せて、艦首方向の攻撃威力が強化されています。他に副砲として当初12センチ単装砲10門を装備していましたが、就役後すぐに14センチ砲6門に換装されました。

***副砲の扱い

舷側に多くの砲門が開いています。ここに0.3mmの真鍮線で方針を追加するかどうか、少し検討します。多分、追加しないんだろうなあ。

 

8,750トン級:「コルベール(Corbert)級」艦隊装甲艦(1877年から就役:同型艦2隻)

ja.wikipedia.org

新着時のSpithead Miniaturesの「コルベール級」装甲艦のモデル

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(上の写真が今回到着したSpithead Miniatures製の「コルベール級」装甲艦のモデル

上掲の写真では少し分かりにくいかも知れませんが、フランス艦の特徴の一つであるタンブルホーム形状がうまく再現されていると思います。こちらのモデルも実に質の高いレジン製の船体になっています。

「コルベール級」艦隊装甲艦の進捗現況

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(「コルベール級」艦隊装甲艦の概観:78mm in 1:1200 by Spithead Miniatures)

 こちらもマスト周りはこれからです。

下の写真は「コルベール級」艦隊装甲艦の主要兵装部分の拡大をしたものです。上甲板上に18口径27センチ砲がバーベット形式2基、さらに中央砲郭内に6基配置されています。下の写真では船首楼内に配置された19口径24センチ砲(写真上段)と上甲板の艦尾に配置されている24センチ砲が確認できます。

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「コルベール級」装甲艦の説明本文(過去投稿よりほぼ引用)

同級は1865年度計画の最後の艦級で、フランス海軍史上、最後の木造の艦隊装甲艦となりました。

8750トンの船体に4600馬力の蒸気機関を搭載し、14ノットの速力を発揮する設計でした。

主砲は27センチ単装砲8門として、2門は上甲板の砲郭上のバーベットに2基、残る6門は砲郭内に収められています。さらに補助火力として艦首楼内と艦尾に24センチ単装砲各1基が装備され、艦首尾方向の火力が強化されています。他に副砲として14センチ単装砲8門が搭載されました。

***副砲の扱い

前出の各モデルと同様、扱いは要検討ですね。

 

9,200トン級艦隊装甲艦「ルドゥタブル (Redoutable)」(1882年就役)

ja.wikipedia.org

新着時のSpithead Miniaturesの装甲艦「ルドゥタブル」のモデル

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(上の写真が今回到着したSpithead Miniatures製の装甲艦「ルドゥタブル」のモデル)

同艦のこのキットでは、タンブルホーム形状の船体が実にうまく表現されています。

下の写真でも分かるように、筆者が既に保有している近代化改装後のHai社製モデル(1:1250スケール)と比較すると、Spithead Miniatures製モデルは1:1200スケールでありながら、少し小さな仕上がりになっています。「ルドゥタブル」の水線長は97.1メートルですので、近代化改装時に船体を延長したという記録は特にみたことがないので、そうした事実がないとすれば、試算ではHai製モデルの水線長85mmは実艦の水線腸に対して1:1250にせよ1:1200にせよスケールによらず、やや大きすぎ、少なくとも寸法ははSpithead Miniaturesの方が再現性が高い、ということになります。

(装甲艦「ルドゥタブル」のHai製モデル「近代化改装後」(上)とSpithead Miniatures製モデル「就役時」(下)の比較:水線長に大きな差異がありますが、計算上は1:1250スケールで77mm、1:1200スケールで80mmで、Hai製モデルが長すぎることになります)

艦隊装甲艦「ルドゥタブル」の進捗現況

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(艦隊装甲艦「ルドゥタブル」の概観:80mm in 1:1200 by Spithead Miniatures)

 こちらもマスト周りはこれからです。

同艦はそれまでの艦隊装甲艦の標準装備であった27センチと24センチの複数口径の主砲王祭を改め、27センチに統一して装備数を単装砲8基の増強しています。下の写真では、船首楼内に装備された1基(写真上段)と上甲板上の残り3基(艦橋両脇の張り出し部分と艦尾)、中央砲郭に納められた4基が見ていただけるかと思います。船首楼から突き出てるものと中央砲郭部分の砲身は筆者が付け足したものです。

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装甲艦「ルドゥタブル」の説明本文(過去投稿よりほぼ引用)

同艦は普仏戦争に敗れたフランスがナポレオン3世の帝政を廃し第三共和制に移行した後の、1872年度計画で建造された最初の艦隊装甲艦です。普仏戦争に何の貢献もできなかった海軍への強い風当たりの中で設計され、新基軸と回帰主義が入り混じった微妙な設計になっています。(フランス海軍ファンとしては、そこがなんとも言えず「いい感じ」なのですが)

以降、フランス海軍の主力艦の特徴の一つとなる「タンブル・ホーム」型船体の基本形が示された艦と言ってもいいかと。

9200トン級の船体には鉄材に加え鋼材が用いられ、5900馬力の蒸気機関から14ノットの速力を発揮する設計でした。

主砲には20口径27センチ砲が採用され、艦首楼内に1門、艦尾に1門、両舷の砲郭部上部のバーベットに各1門が配置され、さらに砲郭内に4門が搭載され、計8門を搭載していました。副砲として14センチ単装砲6門を装備していました。

***副砲の扱い

扱いは要検討ですね。

 

上掲のモデル製作からの派生作業

・・・と、ここまではSpithead Miniaturesモデルの製作進捗状況のお話だったのですが、フランス海軍の艦隊装甲艦には「オセアン級」と「リシュリュー」の間にもう一隻「フリードランド」が建造されています。

実は筆者はこの艦についてはHai製のモデルを保有しているので、今回のSpithead Miniaturesへの発注には含めませんでした。しかし、他の艦級のモデルが到着するとHai社のモデルがおそらく(実はどこにもその証左がないのですが)近代化改装後(=帆装を補助扱いとしたのち)のものではないかというのが気になってきました。

そこで、竣工時を再現してみよう、と少しHai製モデルに手を入れてみ流という派生作業に至りました。それをご紹介しておきます。

 

8,800トン級艦隊装甲艦「フリードランド (Friedland)」(1877年就役)ー就役時モデルの作成

ja.wikipedia.org

Hai製オリジナルモデル(以前、本稿でご紹介しています)

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(艦隊装甲艦「フリートランド」の概観:80mm in 1:1250 by Hai:まだ装甲フリゲート艦の名残を残すややスマートな艦型をしています。下の写真は艦隊装甲艦「フリートランド」の兵装の拡大:艦の中央部に砲郭を設けそこに片舷3基の主砲と、中央砲郭部の上のバーベットに主砲1基づつを両舷に搭載しているのがわかります。<<<ああ、このモデル手を入れて潰してしまった!

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今回Spithead Miniatureモデルの影響で「就役時」を想定したモデルにf:id:fw688i:20240907181932j:image

(艦隊装甲艦「フリートランド」の概観:80mm in 1:1250 by Hai)

今回、上掲のHai製モデルから手を入れようとしているところはマストの作り替えですので、製作自体はこれからが本番です。他のモデルとの一体感を揃えるために塗装は少し合わせています。さらに、実は特に同時期に建造された「リシュリュー」との対比で、やや船体の高さが気になったので、船体そのものを少し低く調整しています(これは船底をメタル用のヤスリでゴリゴリ削る単純な作業です)。

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艦隊装甲艦「フリードランド」の説明本文(過去投稿よりほぼ引用)

同艦は「オセアン級」艦隊装甲艦の改良型で、全鉄製の船体を持っていました。同型艦はありません。

「オセアン級」をやや拡大した8850トン級の船体を持ち、4500馬力の蒸気機関を搭載し、13.5ノットの速力を発揮することができました。

主砲を27センチ砲のみにして単装砲2門を砲郭上のバーベットに露砲塔形式で搭載し、残り6門は砲郭内に各舷3門づつ配置しました。他に副砲として14センチ単装砲8門を装備していました。

 

フランス海軍艦隊装甲艦(キュイラッセ・デスカトーレル)の発展について

少し艦艇発達史的な視点での一般的な補足説明を。

海軍主力艦の変遷を見ておくと、19世紀初頭には、舷側砲門をずらりと並べた「ナポレオン期」に全盛を迎えたいわゆる木造帆装戦列艦が海軍の主力でした。そして1850年代にこの木造戦列艦蒸気機関を搭載しスクリュー推進による木造機帆装戦列艦の建艦競争が始まります。そして蒸気機関の搭載により重い舷側装甲の装備が可能となり、やがて世界初の航洋型装甲フリゲート「グロワール」が登場します。

この舷側装甲の搭載は、一方でそれまでの艦載砲(艦砲)の威力不足を一気に露呈することになります。それまでの艦砲は射程が1000メートル程度の前装砲(先込め砲)で、照準も砲ごとの砲側照準であることもあって、蒸気機関を用いて自律的に移動する目標にはめったに当たらない代物でした。さらにこれが舷側装甲を装備した艦では、当たった砲弾すらはじき返されてしまう訳です。

この様な状況下で、史上初の航洋装甲艦で構成された艦隊同士の戦い、「リッサ海戦」が起きたのですが、この戦いで勝敗の決め手となったのが「衝角戦法」と言う装甲艦同士の文字通りの体当たり戦法であったと言うのは、ある意味「必然」であったと言っていいのかもしれません。

この海戦の戦訓は、艦砲の大口径化、長砲身化(初速を高め弾道と貫徹力を高める)への指向に勢いをつけることになり、各列強はその搭載砲を大型化させてゆくことになります。

フランス海軍も同様で、装甲艦はそれまでの「装甲フリゲート艦(フリガイト・キュイラッセ)」から、艦砲を大型化した「艦隊装甲艦(キュイラッセ・デスカトーレル)」へと、進化してゆくのです。

今回ご紹介したモデルは全て「艦隊装甲艦(キュイラッセ・デスカトーレル)」で、以下がその一覧、ということになります。写真手前から、「オセアン級」、「フリードマン(Hai製)」、「リシュリュー」、「コルベール級」、「ルドゥタブル」の順です。

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フランス海軍の「艦隊装甲艦」はこの後、最後の中央砲郭形式の「クールベ級」を経て「アミラル・デュプレ」へと発展し、主砲の砲塔式搭載形式へと移行してゆきます。

 

ということで今回はこの辺で。

 

次回は今回ご紹介した各モデルの改正形態がお伝えできるといいなあ、と思っているのですが、三連休などあって本業も忙しく、どこまで作業が進捗するか、それ次第で。もしかすると過去投稿の再掲にさせていただいて、その分、製作作業に集中する週末(三連休)ということにさせていただくかも。

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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新着モデルのご紹介:リッサ海戦時のオーストリア海軍砲艦モデルの到着とその周辺

本稿では以前、以下のような投稿をおこなっています。

fw688i.hatenablog.com

上掲の投稿では、蒸気推進装甲艦を主力とした艦隊同士の史上初の海戦と言われる1866年のリッサ海戦に参加したイタリア・オーストリア両海軍の砲艦の艦級をご紹介しています。この海戦に、オーストリア海軍は、装甲艦で編成された第一戦隊、木造戦闘艦で構成された第二戦隊、そして小型艦で構成された第三戦隊の3部隊を投入しており、第三戦隊は「ダルマト級」木造砲艦3隻、「レカ級」木造砲艦4隻、「ケルカ級」木造砲艦2隻、これに外輪推進式の砲艦(武装商船?)1 隻を通報艦として加えた10隻で編成され(序列では4隻の通報艦が含まれている表記もあります)、ルートヴィヒ・エベーレ(Ludwig Eberle) 少佐(Lieutenant-Commander)が指揮していました。

上記の投稿時点では、未保有だった「ケルカ級」砲艦のモデルが入手できたので、ご紹介しておきます。

 

「ケルカ級:Kerka class」砲艦1860年ごろ就役:同型艦2隻)

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(「ケルカ級:Kerka class」砲艦の概観:42mm(水線長) in 1:1250 by FK=Friedrich Kermauner:マストが気になるので真鍮線等で手を入れています。マスト周りのネット仕上げも最近の筆者の標準的なものを施しました。下の写真は同級の細部の拡大)

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同級は501トンの船体を持つ木造砲艦でした。手元の資料では48ポンド前装滑空砲(SB)2門と24ポンド後装ライフル砲2門を装備していた、とありますが、少しこの情報は怪しい気がします。モデルを見ても上甲板状には2門の大砲しか見えません。建造年次は前出の2級よりも1年古く、この「ケルカ級」がベースとなって砲艦の各艦級へと発展したと考える方がしっくりくるのですが。

いずれにせよ、本稿ではこれまで何度か記述していていますがオーストリア海軍の主要任務が同帝国が唯一の接続海面を持つアドリア海島嶼地域での警備・治安活動であったことを考えると、こうした小型で取り回しの良さそうな艦種をある程度の数を揃えることは艦隊整備計画にとって重要な検討項目の一つだったと言えると考えています。

****これもこれまでに何度か記述しているように記憶するのですが、オーストリア海軍のこれらの艦級についての情報があまり見当たりません。どなたか詳しい方がいらっしゃったら、参考情報のありか、あるいはお持ちの情報をシェアしていただけないでしょうか?

現在、筆者が参考としている資料

https://mateinfo.hu/oldmate/a-navy-lissa.htm

https://military-history.fandom.com/wiki/Battle_of_Lissa_(1866)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_ships_of_Austria-Hungary

 

一応、すでに上掲の投稿でもご紹介済みですが、他の二艦級についても再掲しておきます。

「レカ級:Reka class」砲艦(1861年ごろ就役:同型艦4隻)

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(「レカ級:Reka class」砲艦の概観:45mm(水線長) in 1:1250 by Sextant:Sextantモデルの共通課題だと筆者は考えていますが、マストが気になるので真鍮線等で手を入れています。前回投稿から少しトライしているマスト周りのネット仕上げも取り入れてみました:下の写真は同級の細部の拡大:備砲の搭載形式など、同級の特徴がわかっていただけるかと)

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同級は18561年ごろに4隻が建造された木造蒸気推進砲艦です。2等砲艦に区分され、852トンの船体に、48ポンド前装滑空砲(SB)2門と24ポンド後装ライフル砲(RBL)2門を船体中央の首尾線上に装備し、11ノットの速力を発揮する設計でした。

「リッサ海戦」には「レカ:Reka」「ゼーフント:Seehund」「ヴァル:Wall」「ストレイター:Streiter」の同型艦4隻全てが、第3戦隊として参加しました。

 

「ダルマト級:Dalmat class」砲艦(1861年ごろ就役:同型艦3隻)

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(「ダルマト級:Dalmat class」砲艦の概観:57mm(水線長) in 1:1250 by Sextant:こちらも同様にマストが気になるので真鍮線等で手を入れています。前回投稿から少しトライしているマスト周りのネット仕上げも取り入れてみました:下の写真は同級の細部の拡大:備砲の搭載形式など、同級の特徴がわかっていただけるかと)

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同級は18561年ごろに3隻が建造された木造蒸気推進砲艦です。2等砲艦に分類され、869トンの船体に、48ポンド前装滑空砲(SB)2門と24ポンド後装ライフル砲(RBL)2門を船体中央の首尾線上に装備し、11ノット強の速力を発揮する設計でした。

「リッサ海戦」には「ハム:Hum」「ダルマト:Dalmat」「ヴェレビッチ:Velebich」の同型艦3隻全てが投入され、「ハム:Hum」は第三戦隊の旗艦を務めました。

 

リッサ海戦の第三戦隊 通報艦アンドレアス・ホーファー:Andreas Hofer 」(1851年就役?)

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通報艦アンドレアス・ホーファ:Andreas Hofer」の概観:44mm(水線長) in 1:1250 by Hai?:リッサ海戦時には小型の木造砲艦で編成された第三戦隊に通報艦として帯同したようです。下述のようにどうやら武装商船と考えた方がよさそうです。上掲の写真でも上段写真の艦首部に小さな大砲を積んでいるような表現になっているかと)

同艦は770トンの船体に30ポンド前装滑空砲3門を搭載していました。Sextant社のカタログでは客船と分類されていますが、一方、Hai社では武装外輪船(armed paddle wheeler)「元プリンツ・オイゲン」という紹介もあり、前身が同船であれば1851年に建造されたことになります。いずれにせよ、外輪推進式のいわゆる武装商船だったのではないかと思います。この頃の蒸気推進の船は、軍艦・商船に搭載期間や速力等の大差がなく、手頃な商船に武装を搭載して代用軍艦として使用することはそれほど得意な例ではありませんでした。

 

リッサ海戦に参加した通報艦「カイゼリン・エリザベート:Kaiserin Elisabeth」(1854年就役?)

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通報艦「カイぜリン・エリザベート:Kaiserin Elisabeth」の概観:51mm(水線長) in 1:1250 by Hai?)

同艦は1470トンの比較的大きな外輪蒸気船で、上掲の商船転用の「アンドレアス・ホーファ」と異なり、元々、正規の軍艦(外輪式フリゲート?)として建造されました。リッサ海戦時には装甲艦で構成される第一戦隊に通報艦として帯同していたようです。12ポンド前装滑空砲を4門搭載していました。

 

今回登場したモデルの大きさ比較

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(手前から「ケルカ級」砲艦、「レカ級」砲艦、「「ダルマト級」砲艦、通報艦アンドレアス・ホーファ」、通報艦「カイぜリン・エリザベート」の順:砲艦の大型化の経緯がわかります)

 

リッサ海戦ともオーストリア海軍とも関係ないけれども新着モデルのご紹介

プロイセン級:Preussen class」装甲艦(1876年就役:同型艦3隻)

en.wikipedia.org

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(「プロイセン級」装甲フリゲートの概観:74mm in 1:1250 by Mercator:マストは真鍮線で作り直しをし、最近の筆者の標準的なマスト周りの加工をしてあります:参考までに下の写真はMecator製の「プロイセン」モデル。マスト周りがやや単調だと思います。写真は例によってsammelhafen.deから拝借しています)

同級はドイツ帝国海軍が建造した装甲艦で、いわゆる中央砲塔艦の形式の艦級でした。

ドイツ帝国は1867年16隻の装甲艦を中心とした艦隊の整備計画に着手しました。しかし、装甲艦については各列強が様々な試行錯誤を繰り返している状況で、ドイツ帝国海軍も同様でした。例えばその鑑定の大きさは様々で、例えば1865年に整備された「プリンツ・アダルベルト」は、幕末から草創期の日本海軍の主力艦であった「東艦=甲鉄」と同型艦、つまり1500トン級の衝角攻撃に重点を置いた装甲コルベットでした。一方で1868年に計画された「ケーニッヒ・ウィルヘルム」は10000トン近い舷側砲門艦であったりします。

プロイセン級」装甲艦はその計画の中で、初めて整備された同型艦を持ち戦隊での運用も可能な艦級でした。

6800トン級の船体に5400馬力の機関を搭載し14ノットの速力を発揮する設計でした。英海軍の「モナーク級」装甲艦を範にとった船体中央部に26センチ砲を収めた2基の回転式連装砲塔を装備した中央砲塔艦で、17センチ単装砲を艦首と艦尾にそれぞれ補助兵装として装備していました。

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(上の写真は「プロイセン級」装甲フリゲートの主要部の拡大:艦中央部に連装砲塔2基が主要兵装として搭載されています。艦首と艦尾にはh補助兵装として17センチ砲が装備されています。艦首の17センチ砲は少し分かりにくいですが、船首楼内に設置され、モデルでも艦首の砲門から少し方針が突き出ています)

モデルでも分かるように、同艦は艦中央部に連装砲塔2基を搭載した構造から、重心を考慮して艦中央部の乾舷が低く、航洋性に課題がありました。3番艦「グローサー・クルフルスト」では航洋性向上のために舷側に防波板を上げることができる機構が組み込まれました。この気候の組み込みのために「グローサー・クルフルスト」は最も早く着工されたにも関わらず、完成は最も遅くなりました。

3隻の同型艦のうち上記の「グローサー・クルフロスト」は就役直後に衝突事故で失われましたが、残りの2隻は帆装を廃止するなどの近代化改装が施され1890年代まで艦隊で活躍したのち補助艦に移籍し、第一次世界大戦直後に解体されました。

(下の写真は近代化改装後の「プロイセン級」装甲フリゲート:by Mercator写真は例によってsammelhafen.deから拝借しています)

 

ということで、今回は取り止めないモデル紹介になりましたが、この辺で。

 

次回は、進捗次第ではSpithead Miniaturesのフランス艦モデルの進捗状況、あるいは過去投稿の再掲を考えています。

 

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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新着モデルのご紹介:リッサ海戦時のオーストリア海軍装甲艦「ドラッヘ級」とその周辺のディテイルアップ

今回は前回でお知らせしたオーストリア海軍の最初の装甲艦「ドラッヘ級」のモデルが到着したので、そちらをご紹介。

そして数回前から帆装軍艦のマスト周りの処理でのお話をしていると思いますが、今回、別のアプローチを試してみたので、そちらのご紹介もしてみたいと思っています。

このアプローチで「ドラッヘ級」装甲艦周辺の(つまりリッサ海戦に登場するオーストリア海軍、イタリア海軍の装甲艦も少し手を入れてみたので、それらのモデルもご紹介したいと考えています。

 

と言うことなのですが、「ドラッヘ級」装甲艦の登場する時代背景と、初期の蒸気装甲艦同士の史上初の戦いと言われるリッサ海戦については、下記の投稿をご覧ください。

fw688i.hatenablog.com

 

「リッサ海戦」のオーストリア帝国艦隊装甲艦

リッサ海戦に投入されたオーストリア艦隊の装甲艦を見ておきましょう。繰り返しになりますが、海戦に投入された装甲艦は7隻、以下にご紹介する3つの艦級から構成されていました。

「ドラッヘ級」装甲艦(1862年就役:同型艦2隻)

ja.wikipedia.org

Drache-class ironclad - Wikipedia

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(上の写真は「ドラッヘ級」装甲艦の概観:53mm in 1:1250 by Sextant)

同級は1862年から就役したオーストリア帝国海軍の最初の蒸気装甲艦の艦級です。

木造の船体に装甲をはった2750トンの船体を持ち、搭載した1800馬力の機関から11ノットの速力を発揮できました。18センチ前装式カノン砲10門と15センチ前装式ライフル砲18門を舷側にずらりと並べた、いわゆる舷側砲門形式の装甲艦です。

(「ドラッヘ級」」装甲艦の主王兵装の拡大:舷側に装甲を貼り砲門を並べた舷側砲門形式の装甲艦の特徴が良くわかります)

リッサ海戦には2隻共(「ドラッヘ」「サラマンダー」)装甲艦戦列の一員として参加し、ていました。

(「ドラッヘ級」」装甲艦の艦首部の変遷?上段はモデルの艦首形状で、衝角戦法を意識した(?)特異な形状をしています。下段はWikipediaでは1867年の改装後以降となっていますので、衝角戦法から航洋性へと、用兵側の要請が移行したことが想像できます。モデルが正しければ、ですが。この辺りあまり資料がありません)

リッサ海戦後、1870年代に近代化改装を受け、1885年前後に除籍されています。

 

モデルについて

筆者がebayで落札したモデルは下記の写真のような形態でした。2本マストで、帆装は全廃されているように見えます。近代化改装の最終形でしょうか?

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今回ご紹介した上掲のモデルはこの落札品のマスト周りに手を入れたものです。

 

マスト周りのディテイルアップのアプローチ(その2:その1は下の写真の模型用ネット素材の流用)

下の写真は以前本稿でご紹介したイタリア海軍装甲砲艦「パレストロ」のマスト周りのディテイルアップと称した加工のアップです。模型用の樹脂製のネットを使っていて、それなりに気に入っているのですが、一点、実は網目の向きが気になっていました。

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同スケールの帆船モデル用には、帆船模型の老舗ブランドLangton Miniatureからエッチングパーツなどが市販されいます(下の写真)。

それなりに高価(送料入れると1500円くらい?)ですし、小さなエッチングパーツということで、サイズに合わせたカットや接着なども難しく、さらに色を塗らねばなりません。この方法は経済的な側面からも、手間的な側面からも、今流行りの「持続可能性」に難あり、と考えました。

以前は建築模型用のネット材なども使ってみたことがあったのですが、基本は透明で塗料で着色して使用しても、塗料は樹脂素材内部には浸透しませんので切断面が白く目立ってしまい、あまり使わなくなりました。

今回は模索の中で黒の網戸用のネットそのものなども試してみましたが、そもそも編まれたネットは小さくカットした時点で縦糸と横糸がほくれてしまい、これはダメ。

そして今回行き着いたのが、網戸の補修用のシールの接着剤を取り除いて使用する、という方法でした。筆者の不明から、補修用シールについてなんの認識もなくその形態だけ見て、「ああ、これ使えるかも」と購入したのですが、「補修用のシート」なのでシート全面にすぐに貼って使えるように接着剤が塗布されています。それも、屋外で風雨の中で使用する網戸ですから、かなり強力な接着力を持っているのです。製品が届いたのち、色付きの樹脂を打ち出し成形したネットで、つまり編まれたネットではないので解れてしますことはなく、これは狙い通りだったのですが、問題はその強力な接着力で、とてもこの接着面を残したままでは小さく切ったり、モデルに使用したりできるものじゃないと、これはすぐに判明し、流用を断念しかけました。しかし「強力接着と書いてあるじゃん」と自分の軽薄さが口惜しくて少し意地になって、この接着剤除去の方法について手元の溶剤系で実験しました。その結果、M r .Colorのシンナーに浸したのち丁寧にブラッシングすればこの接着剤は除去できることがわかりました。こんな使い方をして、メーカーの方には本当に申し訳なく、今は思っています。

出来上がりは・・・。

やはり形態に大きな齟齬はあるという認識はあるのですが、雰囲気は出せてるかも、と思っています(この辺り、その1のネット素材の時も同じですが、自画自賛をするしかないかと)。

 

ということで、今回の「ドラッヘ級」装甲艦の周辺の艦級から、手を入れてゆくことにしました。

 

「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス級」装甲艦(1866年就役:同型艦2隻)

ja.wikipedia.org

Erzherzog Ferdinand Max-class ironclad - Wikipedia

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(「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス級」」装甲艦の概観:64mm in 1:1250 by Sextant:マスト周りを真鍮線で作り直して、「ドラッヘ級」と同様の仕上げをしています)

同級はオーストリア帝国海軍が建造した最後の舷側砲門形式の装甲艦の艦級です。

船体は5100トン級に拡大され、12.5ノットの速力を発揮できました。18センチ前装式カノン砲16門を主兵装として、その他中口径砲を装備していました。

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(「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス級」」装甲艦の主王兵装の拡大:舷側に装甲を貼り砲門を並べた舷側砲門形式の装甲艦の特徴が良くわかります)

リッサ海戦には同級2隻が参加し、ネームシップの「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス」がテゲトフ提督の旗艦を務めました。海戦では旗艦自らイタリア艦隊の主力艦「レ・ティタリア」に衝角攻撃をかけ見事に撃沈しています。

 

リッサ海戦の後には、1880年代後半から90年代にかけて備砲を新型砲に換装するなど近代化改装を受けましたが、すでに旧式で二線級の戦力とみなされていました。その後補給艦や宿泊艦としての任務を経て1910年代に解体されました。

 

リッサ海戦時のオーストリア艦隊のモデル一覧

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(リッサ海戦に参加したオーストリア艦隊の筆者保有モデル一覧:手前から非装甲の「レカ級」砲艦、「ダルマト級」砲艦、「ドラッヘ級」装甲艦、「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス級」」装甲艦の順:非装甲の砲艦については本稿の下記の投稿でご紹介しています

fw688i.hatenablog.com

 

続いて「リッサ海戦」のイタリア艦隊装甲艦

海戦に参加した装甲艦は9隻で、5つの艦級のうち4つを同じ手法でディテイルアップしています。

 

「レ・ディタリア級」装甲艦(1864年就役:同型艦2隻)

ja.wikipedia.org

Re d'Italia-class ironclad - Wikipedia

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(「レ・ディタリア級」装甲艦の概観:75mm in 1:1250 by Hai)

同級はイタリア海軍がアメリカから購入した装甲艦の艦級です。

木製鉄皮の構造で、5700トン級の船体に20.3センチライフル単装砲2基、20.3センチ滑空単装砲4基、16.4センチ単装ライフル砲30基を搭載する舷側砲門装甲艦でした。12ノットの速力を発揮することができました

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(「レ・ディタリア級」装甲艦の主要兵装の拡大:典型的な舷側砲門艦形でした)

リッサ海戦には同級の2隻はイタリア艦隊の主力として参加しました。同級のネームシップの「レ・ディタリア」はイタリア艦隊の旗艦を務めていましたが、直前に新鋭艦「アフォンダトーレ」に旗艦は変更されました。

海戦では旗艦の「アフォンダトーレ」が縦列外に位置したため、第二梯団の先頭に位置した「レ・ディタリア」は旗艦と誤認されて集中砲火を受け、操舵不能になったところをオーストリア艦隊の旗艦「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス」の衝角攻撃を受けて数分で転覆沈没してしまいました。

同級のもう一隻「レ・ディ・ポルトガッロ」は第三梯団の先頭に位置していましたが、オーストリア艦隊の第二列の非装甲木造艦部隊の標的となり、その旗艦であった「カイザー」の衝角攻撃を受けました。しかし木造艦である「カイザー」の衝角攻撃は装甲艦には効果が少なく、逆に艦首を大破した「カイザー」に「レ・ディ・ポルトガッロ」は近距離から砲撃を加え大損害を与えています。

 

「レジナ・マリア・ピア級」装甲艦(1864年就役:同型艦4隻)

ja.wikipedia.org Regina Maria Pia-class ironclad - Wikipedia

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(「レジナ・マリア・ピア級」装甲艦の概観:65mm in 1:1250 by Sextant)

同級はイタリア海軍がフランスに4隻を発注した装甲艦で、4300トン級の船体に20.3センチライフル単装砲4基、16.4センチ単装滑空砲22基を舷側に搭載した舷側砲門艦でした。速力は13ノットを発揮できました。

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(「レジナ・マリア・ピア級」装甲艦の主要兵装の拡大:同級は就役当初は舷側砲門艦形態でした)

リッサ海戦には4隻全てが投入され、ネームシップの「レジナ・マリア・ピア」は大火災を起こす損傷を負いましたが、他の3隻には深刻な損害はありませんでした。

リッサ海戦時には左右舷側方向への射撃しかできませんでしたが、その後、艦首尾方向への砲撃もできるように改造を受けました。1890年台には寛容を一変するほどの近代化改造を受け、長く海軍に在籍しました。

 

「パレストロ級」装甲砲艦(1866年就役:同型艦2隻)

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(「パレストロ級」装甲砲艦の概観:49mm(水線長) in 1:1250 by Sextant:小さなモデルです。Sextantモデルはマストが気になるので真鍮線等で手を入れています。前回投稿から少しトライしているマスト周りのネット仕上げも取り入れてみました:下の写真は同級の細部の拡大:舷側砲門形式の美砲配置など、同級の特徴がわかっていただけるかと)

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同級はイタリアがフランスに発注した2隻の装甲砲艦の艦級で、アドリア海での戦闘行動を想定して設計されました。2000トン級の小さな船体ながら20.3センチライフル単装砲2基、20.3センチ滑空砲2基を主要砲兵装とした強力な火力を搭載していました。

リッサ海戦では同級2隻(「パレストロ」「ヴァレーぜ」)は小艦ながら主力部隊に加わり、集中砲撃を受けたイタリア艦隊第二梯団の先頭艦「レ・ディタリア」に後続する位置にいた「パレストロ」はオーストリア艦隊の装甲艦に囲まれる形となり、集中砲撃を受けて撃沈されました。

 

マスト周りのリメイクは効果があるのか?

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(上の写真は筆者がマスト周りに手を入れたモデルと市販されているSextant製のオリジナルモデル(下段)の比較;写真は例によってsammelhafen.de,より拝借)

 

装甲艦「アフォンダトーレ」(1866年就役:同型艦なし)

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Italian ironclad Affondatore - Wikipedia

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(装甲艦「アフォンダトーレ」の概観:72mm in 1:1250 by Sextant)

同艦はイタリア海軍がイギリスに発注した装甲砲塔艦です。同型艦はありません。

4100トン級の船体を持ち12ノットの速力を出すことができました。イタリア海軍唯一の帆装を備えた砲塔艦でした。2基の砲塔には22センチライフル単装砲が収められ、主砲の他に80mm砲2門を搭載していました。

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(装甲艦「アフォンダトーレ」の主要兵装の拡大:同艦はそれまで舷側砲門艦のみだったイタリア艦隊で初めて砲塔形式で主砲を搭載した最新鋭艦でした。)

就役からわずか1ヶ月でリッサ海戦に投入されますが、海戦の直前に戦場に到着し、その直後、既述のように旗艦となりました。一説ではこの旗艦変更が隊列に乱れを生じさせ、先頭縦列の3隻と後続部隊に大きな隙間を生じさせ、さらには旗艦変更の通知が自艦隊内にも徹底されず、旗艦からの指令が認識されず、これが敗因の一つでもあったとも言われています。海戦の乱戦で砲撃を受け損傷し、それが遠因となり1ヶ月後の嵐でアンコナ港内で沈没しました。その後浮揚され、3度改装を受け最後は水雷練習艦となり、1907年に除籍されました。

水雷練習艦に改造後の「アフォンダトーレ」:ほとんど原型をとどめていませんね。モデルはHai製;写真は例によってsammelhafen.de,より拝借)

 

リッサ海戦に参加したイタリア海軍装甲艦

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(リッサ海戦に投入されたイタリア艦隊の装甲艦3艦級:手前から「パレストロ級」装甲砲艦、装甲艦「アフォンダトーレ」、「レジナ・マリア・ピア級」装甲艦、「レ・ディタリア級」装甲艦の順)

 

オーストリア=ハンガリー帝国海軍の装甲艦

ついでに、というわけではないですが、リッサ海戦以降のオーストリア=ハンガリー帝国海軍の装甲艦群も同様にアップデートしてみました。

ちなみにリッサ海戦には勝利したオーストリア帝孤高でしたが、普墺戦争そのものはプロシアの勝利に終わり、移行、オーストリア帝国はドイツの覇権争いから脱落し、ハンガリーとの二重帝国形態へと移行します。一見、大帝国の出現に見えるかもしれませんが、実態はポテンシャルの高いドイツ経済圏からの「締め出し」に近く、かつ統治の難しい多民族国家でもあり、多くの課題が、以降顕在化してゆくことになります。

 

装甲艦「リッサ」(1871年就役:同型艦なし)

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(中央砲郭型装甲艦「リッサ」の概観:75mm in 1:1250 by Sextant(バウスプリットを除く寸法): 下の写真は装甲艦「リッサ」の中央砲郭の拡大:中央砲郭は上下二層に別れ、下層は舷側方向への限定された射界をもち、上層のみ広い射界がありました)

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同艦は7000トン級の船体に9インチ砲を12門、片舷6門ずつ搭載し、12.8ノットの速力を出すことができました。片舷6門の9インチ砲は艦中央の喫水のすぐ上の装甲帯部分に5門が配置されていました。この5門の砲は基本的には舷側方向へ向けての射撃のみが可能でした。残る1門は上甲板部分の張り出しに配置され、大きな射界を有していました。

この辺りの配置から、舷側砲門形式からの移行期、模索期の試作艦的な要素が見て取れるかと。艦名は言うまでもなくA=H帝国海軍栄光の「リッサ海戦」に由来しています。

 

装甲艦「クストーザ」(1875年就役:同型艦なし)

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(中央砲郭型装甲艦「クストーザ」の概観:78mm in 1:1250 by Sextant(バウスプリットを除く寸法): 下の写真は装甲艦「クストーザ」の中央砲郭の拡大:中央砲郭は上下二層に別れ、両層とも片舷2門ずつの10インチ砲を配置していました。ちょっとわかりにくいですが、下層の後部砲のみ射界が舷側方向に限定されています)

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同艦は「リッサ」よりは少し大きな7600トン級の船体を持ち、より強力な22口径後装式の26センチ砲(10インチ砲)8門を主砲として搭載していました。主砲は全て中央の厚い装甲で覆われた砲郭部分に上下二段配置で片舷4門づつ配置され、砲郭部分の前後に船体に切り込みなどを入れることにより、各砲には大きな射界が与えられていました。

しかし砲の射撃方向の変更は人力での砲の移動を伴う作業が必要で、特に戦闘中の射撃方向の変更等は大変な労力を伴う作業だったことでしょう。

同艦は第一次世界大戦期まで練習艦として使用され、その後宿泊船となりました。第一次世界大戦後はイタリアへの賠償艦として譲渡され解体されました。

 

装甲艦「テゲトフ」(1882年就役:同型艦なし)

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(中央砲郭型装甲艦「テゲトフ」の概観:71mm in 1:1250 by Sextant(バウスプリットを除いた寸法): マスト等を失った船体のみのジャンクモデルとして入手したものを、少し修復しています:下の写真は「テゲトフ」の中央砲郭の拡大:11インチ主砲を船体中央の装甲で防護された砲郭に片舷3門、装備しています。それぞれの砲には大きな射角が与えられる配置になっています。主砲装備甲板は1層となり、弾庫がその下層甲板に配備されました)

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同艦は1882年に就役しています。7400トンの船体を持ち、その中央砲郭には「クストーザ」よりも更に強力な後装式の11インチ(28センチ)砲を主砲として6門搭載し、13ノットの速力を発揮することができました。主砲は全てマウントに搭載されており、射撃方向の変更等は、砲の移動を人力で行わねばならない前級よりは格段に楽でした。従来の砲郭艦が砲を上下二段の甲板に配置していたのに対し、同艦では砲甲板は一層にまとめられており、弾庫が各砲の下に配置され、砲郭の装甲で保護されていました。就役当時はA=H帝国海軍最大級、最強の艦船でしたが、アドリア海での運用が主目的であったため、同時期の他の列強の同種の装甲艦に比較すると小振でした。ちなみに艦名は1866年のA=H帝国海軍の栄光の戦いである「リッサ海戦」でA=H帝国海軍を率いた提督の名に由来しています。

 

就役以降、機関の不具合に悩まされ続けて、活動は十分ではなかったようです。ようやく1893年に機関が信頼性の高いものに換装され、同時に兵装も一新され、同艦は主力艦としての活動が可能になったようです。

その後、1897年には艦種が警備艦に改められ、一線を退いています。さらに1912年に艦名が「マーズ」に改められ、「テゲトフ」の名はA=H帝国海軍最新の弩級戦艦ネームシップに引き継がれました。「マーズ」は港湾警備艦練習船として第一次世界大戦中も使用され、戦後、イタリアへの賠償艦として引き渡され1920年に解体されました。

 

中央砲郭のヴァリエーション

最初のブロックでご紹介したのは舷側砲門艦でしたが、直上で紹介したのはいずれも中央砲郭艦という形式に分類される艦級で、いずれも1隻づつ建造されたことからも、中央砲郭の在り方自体が模索された様子が伺えます。「リッサ」では舷側砲門型から中央砲郭への移行期(1871年就役)にあることがわかりますし、次の「クストーザ」では中央砲郭への主砲の集中搭載が試みられています(1875年就役)。そして最後の「テゲトフ」では主砲配置と弾庫の配置についての工夫が行われています(1882年就役)。

オーストリア海軍の装甲艦保有モデルの一覧

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オーストリア艦隊の装甲艦保有モデル5艦級一覧:手前から「ドレッサ級」装甲艦、「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス級」」装甲艦(ここまでは舷側砲門艦)。装甲艦「リッサ」、装甲艦「クストーザ」、装甲艦「テゲトフ」(この3隻は中央砲郭艦:1隻づつ剣ぞされたのは、試行錯誤的な要素の強い艦種だから?))

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中央砲郭のヴァリエーションに見られる創意・発展はやがて艦砲の更なる巨大化(長砲身化)に対応して、この後、砲塔形式で主砲を搭載する「中央砲塔艦」の形式(1890年代)を経て「前弩級戦艦」(1900年以降)へと発展してゆきます。

 

ということで、今回はこの辺で。

 

次回も、もう少し今回と同様に機帆兵装の時期の装甲艦等のモデルのアップデートなどを。

 

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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再録、架空艦満載:八八艦隊計画(2023年版)と、計画中止後の戦力補完としての「扶桑級」大改造計画

今回は本業の夏季休暇、帰省等があり、あまり時間が取れません。時間をできるだけ模型製作に当てたいという事情もあり、ほぼ過去投稿の再録です。

 

「本稿の原点回帰」ということで、そもそもの本稿の出発点、開始の動機ともなった「八八艦隊」のお話を。

筆者は、そもそも自身のコレクションに「八八艦隊」のモデル群がある程度揃ったことで、その記録のために2018年に本稿をスタートさせました。「八八艦隊」ご紹介のつもりが、であれば、「いっそ八八艦隊に至る道のりも簡単に(当初は本当に数回の投稿のつもりで)まとめておこう」程度の気持ちで始めたのですが、それが実は27回のシリーズに大化けしてしまいました。その結果、いつの間にか足掛け6年に。

という訳で、「本稿の原点回帰」、そもそもの本稿の出発点、開始の動機ともなった「八八艦隊」のお話を。

その間に、筆者の「八八艦隊」も数度のコレクションのリニューアルが行われ、今回ご紹介するのはその最新版、第三版、つまり2023年版のコレクションです。

今回はそういうお話。

 

第一部:「八八艦隊」(2023年版)の各艦級のモデルのご紹介

史実の八八艦隊計画

史実の八八艦隊計画第一次世界大戦後に列強の軍備拡張に倣い日本海軍が実施しようとした大建艦計画で、「長門級」戦艦2隻、「土佐級」戦艦2隻、「紀伊級」4隻のいずれも41センチ主砲を搭載し26ノット以上の速力を発揮する戦艦8隻で構成される高速戦艦群と、30ノット以上の速力を発揮する「天城級巡洋戦艦4隻(41センチ主砲搭載)、「13号級」巡洋戦艦4隻(46センチ主砲搭載)の8隻の巡洋戦艦で構成される強大な艦隊を建造する、という計画でした。これらの諸主力艦の建造は、「長門級」戦艦2隻を除いて、大鑑の建造競争により国家財政の破綻を恐れた列強各国の間で締結されたワシントン軍縮条約により中止されてしまいます。

 

筆者版八八艦隊計画

一方、筆者版の八八艦隊計画では、史実よりも少し制約の緩いワシントン軍縮条約の下で「長門級」戦艦2隻、「土佐級」戦艦2隻はそのまま、「紀伊級」戦艦は2隻のみ建造され、「13号級」巡洋戦艦が「改紀伊級」戦艦として防御構造を強化され、46センチ主砲搭載の戦艦として建造されています(筆者版ワシントン条約でも主砲口径は16インチを最大とする、という制約はありましたので、条約失効を前提として計画された「改紀伊級」戦艦は条約の制約外の46センチ主砲を搭載する戦艦として建造されるのですが、設計段階では未だ条約は有効であったため同級の搭載する46センチ主砲は新開発の「2年式55口径41センチ砲」と実態を偽った正式名称を与えられていました)。こうして揃えた8隻の戦艦と、既に存在した「金剛級巡洋戦艦4隻を可能な限り改装等により延命させ、加えて条約で認められる「金剛級」の耐用艦齢年次における代艦4隻を加え8隻の巡洋戦艦(この頃には巡洋戦艦の概念はほぼ無くなっており、「高速軽戦艦」的な存在でしたが)を揃える、という計画でした。

 

ということで、「八八艦隊」と言いながらも、今回ご紹介するのは戦艦4艦級のモデルです。但し、史実の通りであれば、「紀伊級」戦艦は4隻建造されましたし、「天城級巡洋戦艦は「紀伊級」戦艦とほぼ同型です。さらに「13号級」巡洋戦艦は今回ご紹介する「改紀伊級」戦艦と同型ですので、模型的にはこれで完結していると言っていいかと思います。

長門級」戦艦(同型艦2隻:就役時1920年頃の形態)

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同級は世界初の16インチ級(41センチ)主砲搭載戦艦で、同級の建造がワシントン海軍軍縮条約の実現化に大いに影響したとされています。この条約の結果、41センチ級の主砲搭載戦艦は同級の2隻(「長門」「陸奥」)を含め世界に7隻しか存在が認められないことになりました。いわゆる「ビッグ7」と言われる7隻(日本2隻、英国2隻、米国3隻)ですね。

長く連合艦隊の旗艦を務めるなど、日本海軍の象徴的な位置にあり続けました。

(「長門級」竣工時のモデル:by Hai: Hai製のモデルは前部煙突が「長門級と言えば湾曲煙突」と言うほど有名な湾曲煙突の状態を再現していますが、上掲のモデルでは就役時を再現したかったので、前部煙突を直立のものに交換しています。下の写真は「長門級」竣工時の細部の拡大:Hai製のモデルの前檣もかなり繊細に再現されています)

 

戦艦「陸奥」変体(by ModelFunShipyard:完成していれば1922年頃に就役していた?)

戦艦「陸奥」は「長門級」戦艦の二番艦ですが、その建造過程でちょうど研究中であった八八艦隊計画の次級「土佐級」の設計案を知った用兵側が、前倒しで「長門級」二番艦にその構想を盛り込み41センチ主砲10門搭載艦として実現できないか、と言う着想をもつに至りました。その構想のもとに強化型「長門級」の計画が動き出しました。これが「陸奥」変体(「変態」じゃないですよ)と呼ばれる設計案でした。

舷側に傾斜装甲を用いるなどして浮いた装甲重量を追加主砲塔に当てる、と言うのが構想の根底にあったとされています。

ワシントン条約の締結時点で「就役している」と言う状態でなければ保有が認められず工事を中止せねばならなかったため、結局、「陸奥」は建造時間等を考慮して「長門」とほぼ同設計で完成されますが、この「陸奥」変体が実現していたら、という「架空艦」のモデルのご紹介です。

オリジナルの「長門級」が従来の日本海軍の戦艦群同様の長船首楼型の船型であるのに対し、同館では平甲板型の線形が採用されているため、日本艦としては新鮮な印象があるかもしれません。

(戦艦「陸奥」変体の概観:173mm in 1:1250 by ModelFunShipyard: 下の写真は同モデルの特徴である前檣付近と、艦尾部の山形配置された連装主砲塔群のアップ・全体として大変すっきりとした、しかし細部は繊細に表現されたモデルです)

 

長門級湾曲煙突形態1924年頃)

(「長門級」湾曲煙突に換装後のモデル:by Hai: 「長門」といえばこの形態、と言うほど有名な形態ですね)

長門級」戦艦は就役後に排煙の前檣への流入に悩まされ、藤本造船大佐(当時?)の湾曲煙突導入の提案を平賀造船中将(当時?)は「威容を損ねる」として退け、当初は一番煙突にキャップを装着するなどの対応を試みますが、効果がなく、結局1924年ごろに一番煙突を湾曲形態にあらためています。結果的にこの形態は長く続き、上述の「ビッグセブン」として国民にも「世界に冠たる日本海軍」の象徴として親しまれました。

 

長門級」最終形態(1934年頃)

その後も小規模な改造は続けられましたが、1934年からの大改装でボイラーの換装に伴い煙突が一本になり、外観的には最終形態に近くなりました。その後も対空火器の強化や、新たな電探設備の追加等を行い、最終形態となっています。

(上の写真は戦艦「長門」の概観:189mm in 1:1250 by neptun:前檣は射撃管制機構の改良に伴い複雑化し、機関の換装により煙突形状が変化しています)

 

下の写真は「長門級」の就役時(上段)と最終時の比較

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「土佐級」戦艦:同型艦2隻(by ModelFunShipyard:就役時(1923年頃)を想定した姿)

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同級は八八艦隊計画の戦艦の二番目の艦級です。「長門級」戦艦の強化改良型、と言っていいと思います。「土佐」と「加賀」が建造される予定でした。

上掲の「陸奥」変体同様、平甲板型の船体を持ち、大変スッキリした印象です。

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(「土佐級」戦艦の概観:188mm in 1:1250 by ModelFunShipyard: 下の写真は同モデルの特徴である前檣付近と、艦尾部の山形配置された連装主砲塔群のアップ・上掲の「陸奥」変体とは副砲の配置、後部の連装砲塔3基の配置が異なります全体として大変すっきりとした、しかし細部は繊細に表現されたモデルです)

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戦艦「加賀」:「土佐級」湾曲煙突装備(by ModelFunShipyard)

長門級」の就役後、前檣直後の煙突が煤煙の逆流で課題が出たように、おそらく「土佐級」の煙突も同じような課題が現れたであろう、と言う前提で、湾曲煙突を装備した二番艦「加賀」を製作してみました。これはこれでなかなかいいかも。

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(湾曲煙突装備の「加賀」の概観: by ModelFunShipyard: 下の写真はオリジナル煙突の「土佐」(上段)と湾曲煙突装備の「加賀」の比較。今回このモデルの最大の魅力である(と筆者が思っている)前檣構造がいずれのモデルでもやはりかなりいい感じではないかと、感心しています)

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土佐級」第一次改装時(1930年頃)

「土佐級」も就役後、順次、射撃指揮系統の近代化、防御構造の強化、対空兵装の増強等が行われました。これにより前檣構造が複雑化し、重ねて重油専焼ボイラーへの換装で煙突形態が改められました。

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(「土佐級」一時改装時の外観(上下):ボイラーの換装で形態が変化した煙突の形態と射撃管制系統の変化等で複雑化した前檣:舷側にに大型バルジが追加されるなど、防御も強化されています。対空兵装も変更され強化されています)
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土佐級」最終形態(太平洋戦争時)

上記のような改装を重ねた「土佐級」でしたが、上述のように同級は「長門級」の設計をもとに集中防御設計を強化したものでした。主砲塔、機関等を集中防御設計によりまとめそこに防御装甲を集中したわけですが、このことは特に機関系統への余白スペースにゆとりがあまりないことも意味していました。このため近代化改装による重量の増加はそのまま速度低下に直結しました。このため最終改装では艦尾の延長、艦首形状の改訂等が行われ、艦型が大きく変わっています。それでも同様の改装により「長門級」があまり大きな速度低下を起こさなかったのに対し、同級は比較的大きな速度低下に見舞われ(26ノットから23ノット)、高速化の進む空母機動部隊を中心とした艦隊構成には編入されず、西部方面艦隊(シンガポール)に配置されました。

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(「土佐級」最終時(太平洋戦争時)の概観 194mm in 1:1250:重量の増加への対応で艦首形状、艦尾の延長などが行われました。集中防御設計により、機関の換装に対する対応力が制限され、八八艦隊の戦艦群の中では最も速度低下が顕著でした。このため太平洋戦争時には機動部隊等には組み入れられず、シンガポールの西部方面艦隊の主力となりました)
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下の写真は「土佐級」就役時と最終時の比較

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改装などによる重量の増加に伴う速力低下への対応策として、艦型が見直され、艦首形状、完備の延長などが行われました。しかし機関の換装余力がスペース的に確保できにくい設計だったため、3ノット程度の速力低下に見舞われました。結局、八八艦隊の中では最も速力の低い環球となりました。

 

紀伊級」戦艦:同型艦2隻(計画当初は4隻)(by ModelFunShipyard:就役時(1925年ごろ?)を想定した姿):「天城級巡洋戦艦もほぼ同型

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紀伊級」戦艦は「土佐級」戦艦に続き4隻が建造される予定でした。(「紀伊」「尾張」「駿河(仮称)」「近江(仮称)」)設計は「土佐級」とは一線を画し、建造期間や予算面から巡洋戦艦天城級」設計をベースとして、これに防御強化を図り本格的な高速戦艦としての完成を目指したものでした。そのため速力は「長門級」「土佐級」の26ノット台から29ノット台へと飛躍しています。

史実では4隻が建造される予定でしたが、筆者版では米海軍の新戦艦「サウスダコタ級(1926年版)」が16インチ主砲を12門搭載する設計であることが判明し、「紀伊級」戦艦ではこれに対抗するには「やや心もとない」と評価されたため、建造は「紀伊」「尾張」の2隻で打ち切られ、次の「改紀伊級=相模級」戦艦(18インチ主砲搭載)の建造へと移行してゆきます。

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(「紀伊級」戦艦の概観:200mm in 1:1250 by ModelFunShipyard: 下の写真は同モデルの特徴である前檣付近と、艦中央部から艦尾部にかけて装備された連装主砲塔群のアップ。全体として、やはり前檣が最大のこのモデルの魅力かと思っています)

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紀伊級」戦艦:集合煙突装備案(by ModelFunShipyard)

紀伊級」の設計図面はかなりの数が残されており、その中には前述したように「長門級」で問題となった排煙の逆流問題への対応策として、設計段階から集合煙突を装備したデザイン案がありました。筆者は元々集合煙突が大好きでもあり、こちらのモデルを作成してみました。(というか筆者版の八八艦隊ではこちらが本命です。もう一隻こちらを作成する予定です。煙突も調達済み!)

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(「紀伊級」戦艦・集合煙突デザイン案の概観:200mm in 1:1250 by ModelFunShipyard: 下の写真はオリジナルの二本煙突(上段)と集合煙突案に比較:やはり個人的には集合煙突案の方が圧倒的に好みですね。前檣の少しクラシックなデザインと集合煙突の先進性のアンバランスというか、妙な調和を感じるのですが。やや日本艦離れした感じがするもの好きな点かも)

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紀伊級」第一次改装時(1934年頃)

紀伊級」も就役後、順次、射撃指揮系統の近代化、防御構造の強化、航空艤装の追加、対空兵装の増強等が行われました。これにより前檣構造が複雑化し、後檣の形態も改められました。

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(「紀伊級」一時改装時の外観(上下):射撃管制系統の変化等で複雑化した前檣と後檣の携帯も近代化され、併せて艦尾部に航空艤装も追加されました。舷側にに大型バルジが追加されるなど、防御も強化されています。対空兵装も変更され強化されています)

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紀伊級」最終形態(太平洋戦争時)

紀伊級」はその後も順次小規模な改装が行われましたが、逐次重量が増え、艦尾の延長や艦首形状の改訂などのより対策がとられました。重油専焼缶への換装の際には当初は煙突形状は改められませんでしたが、最終的には一本煙突の形態に改められました。

紀伊級」は新造戦艦の「大和級」が高度に機密扱いとなったため、「大和級」以降の新戦艦の就役後も長く日本海軍の象徴として連合艦隊旗艦の座にあり続け、国民に親しまれました。

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(「紀伊級」最終時(太平洋戦争時)の概観 210mm in 1:1250:重量の増加への対応で艦首形状、艦尾の延長などが行われました。機関も換装され、速度は就役時と同じレベルを維持することができました。次級「改紀伊級」が高度な機密性で守られたため、長く日本海軍の象徴的存在として存在し続けました)f:id:fw688i:20230409095802p:image

 

下の写真は「紀伊級」就役時と最終時の比較

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改装などによる重量の増加に伴う速力低下への対応策として、艦型が見直され、艦首形状、完備の延長などが行われました。この結果、同級では就役時の速力はほぼ維持することができました。

 

「改紀伊級=相模級」戦艦:「13号級」巡洋戦艦の設計をベースとして:同型艦2隻(巡洋戦艦設計では同型艦4隻)(by ModelFunShipyard:就役時(1930年頃?)を想定した姿)

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同級は筆者版八八艦隊計画の戦艦の最終整備艦級で、元々は巡洋戦艦として30ノットを超える速力を持ちながらも「紀伊級」戦艦を凌駕する強力な砲力も併せ持つ設計であった「13号級」巡洋戦艦の設計がベースとされました。主砲にはそれまでの八八艦隊の戦艦の標準装備であった41センチ主砲を上回る46センチ(18インチ)主砲の搭載が採用されました。しかし計画段階では46センチ主砲については開発に相当な時間がかかることが予想されたため、従来の41センチ主砲を三連装砲塔4基搭載する設計案もあったとされています。

今回はもちろん46センチ主砲装備の方を。

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(「改紀伊級=相模級」戦艦の概観:250mm in 1:1250 by ModelFunShipyard: 下の写真は同モデルの特徴である前檣と煙突付近と、巨大な主砲塔の拡大)f:id:fw688i:20230402101840p:image

今回のモデル製作にあたり、「13号級」の図面を見る限り、その大きな特徴である巨大な煙突(米海軍の「レキシントン級巡洋戦艦でも同じような話がありましたが、高速の巡洋戦艦の搭載する巨大な機関を考えると、排煙は大きな課題なのでしょうね)が、筆者にはどうしても違和感があり、「紀伊級」と同じ集合煙突に換装したモデルを製作しています。46センチ主砲搭載艦ですので長大な射程を想定した一際高い前檣を考えると、もう少し高いものにしないと煤煙の前檣への逆流等に悩まされることになるかもしれませんね。実はオリジナルの煙突はモデルよりも約1センチほど全高が高くなっています(オリジナルも作るべきだったかな。これは作製後の独り言)。

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(上の写真は今回製作したモデル(上段)と、製作の際に切除した煙突をモデルに戻してみた際の比較):オリジナルの煙突が1センチほど高い、というのはこんな感じです。このモデルだけ見るとオリジナルのデザインでもあまり違和感はない(むしろ今回の製作案の煙突の低さが気になるかも)のですが、他のモデルと並べると違和感が出てくるのです(と筆者は感じるのです))

余談ですが、この上掲のカット見ていて、前章の抜けの素晴らしさを、再認識しました。やはりこのモデルのクオリティは、凄い!

 

「改紀伊級」などと言いながらも

筆者版「八八艦隊」では、「改紀伊級」は前述のようにワシントン条約の失効を前提に設計されていました。実態は全く別物の新設計であったにも関わらず、条約の制約を満たした設計であると宣言せねばならず、そうした意味では「改紀伊級」という名称自体が既に欺瞞だったと言っていいでしょう。ワシントン条約では新造戦艦の主砲口径は16インチ以下と制約されていましたので、46センチ主砲は新開発の「2年式55口径41センチ砲」と呼称されていました(フィクションです。史実ではないのでご注意を)。もちろん全体の大きさに関する制約も大きく超えていました。

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(「改紀伊級=相模級」戦艦と「紀伊級」戦艦の比較:船型の大きさも大きく異なりますし、主砲塔の大きさの差異も一目瞭然です。主砲口径の拡大から想定される砲戦距離の延長に対応して、前檣の高さが大きく異なっています)

 

「改紀伊級」最終形態(1939年頃)

同級は他旧と同様に対空火器の増強や船体重量増に対応するための機関の改装などが行われましたが、一方で初の46センチ主砲搭載艦として、当時、建造が計画されていた本格的な46センチ砲搭載艦「大和級」戦艦に搭載される予定の諸機構が試験的に導入されたりしていました。

例えば前檣はその上部に搭載される予定の射撃指揮装置や塔構造が実験的に導入されました。主砲塔も旋回速度を向上させた新設計の駆動装置が盛り込まれ、性能向上が目指されました。

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(「改紀伊級=相模級」最終時(太平洋戦争時)の概観:同級は建造年次が新しいため、他の艦級に比べ改装程度は軽微でした。しかし、次期新戦艦の基本形態となる予定の「大和級」戦艦への導入技術の試験艦的な位置付けに置かれたため、前檣には塔形状が導入されました。併せて他の艦級同様、対空火器、航空艤装の増強が行われています。舷側には大型のバルジが追加されるなど、防御も強化されていることがわかります)f:id:fw688i:20230409100505p:image

 

下の写真は「改紀伊級=相模級」就役時と最終時の比較

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同級は新設計の「大和級」戦艦への導入技術の試験艦的な位置付けとなりました。

 

今回ご紹介した2023年版「八八艦隊」の戦艦の一覧

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(上の写真は今回ご紹介した「八八艦隊計画」の戦艦の艦級の総覧:「陸奥」変体(左上)、「土佐級オリジナル」(左中)、「加賀:湾曲煙突装備」(左下)、「紀伊級オリジナル」(右上)、「紀伊級:集合煙突案」(右中)、「改紀伊級=相模級」(右下)の順:下の写真は「陸奥」変体から「改紀伊級」までの船型の推移を一覧したもの:手前から「陸奥」変体、「土佐級」「紀伊級」「改紀伊級=相模級」の順)

筆者の当初のプランでは、主砲を別のディテイルの整ったものに換装することも考えていたのですが、今回一連を製作してみて、かえって主砲塔にフォーカスしすぎたモデルになることも想定されるなあ、と別の懸念が出てきました。あと数隻は作成したいとは思っているのですが、主砲のモデル換装までは実行しない、という結論に至りそうです。(これまでの筆者の経験では、多くの1:1250スケールの3D printing modelでは、主砲塔の特に主砲砲身の再現が今ひとつ満足がいかず、別のモデルに置き換えるというようなこともあったのですが、今回のモデルの主砲塔周りの再現は十分に満足のいくものでした)

 

太平洋戦争開戦時の八八艦隊戦艦群

下の写真は八八艦隊の戦艦群の最終形態の一覧です。手前から「長門級」「土佐級」「紀伊級」「改紀伊級=相模級」の順です。艦型の大型化も確認していただけるかも。

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第二部:ワシントン海軍軍縮条約による「八八艦隊計画」の中止と16インチ主砲搭載戦艦の補完としての「扶桑級」改造計画

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ワシントン海軍軍縮条約の締結で、すでに完成していた「長門級」の2隻のみが保有を認められ、残る計画艦は既に進水していた「土佐」「加賀」も含め破棄処分されることになります(処分予定だった「加賀」は、建造工事の途中で関東大震災で被災し工事の継続を断念せざるを得なくなった空母「天城」に代わって空母として完成されることになります)。

こうして16インチ主砲搭載艦で質的な優位に立とうとする日本海軍の目論見は頓挫し、新造戦艦の計画が全て白紙化するわけですが、であれば既存艦の更新で一部でも戦力補完を目指そうとする計画が動き始めます。この動向はワシントン条約の制限対象が新造艦に対するもので、既存艦については制限がないということを前提にしたものでした。史実では既存艦の改造についても制限が設けられたため、この計画は実現しませんでした。

 

その計画の俎上に上げられたのが、就役以来多くの欠陥が露呈し「艦隊に配置されているよりも、ドックに入っている期間の方が長い」と揶揄されるほど、改装に明け暮れていた「扶桑級」戦艦でした。

 

日本海軍初の超弩級戦艦「扶桑級」(1915年就役)

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扶桑級就役時の概観:163mm in 1:1250 by Navis)

扶桑級」戦艦は日本海軍が初めて保有した超弩級戦艦でした。

日露戦争での戦費負担(日露戦争で日本は朝鮮半島中国東北部に関する主導権を手に入れましたが、戦後賠償金は獲得できませんでした)、それに続く戦利艦の補修と艦隊への編入により、日本海軍はそれら返球艦艇の修理と既存艦の整備に多くの予算を割かねばならず、世界の主力艦整備の趨勢(いわゆる新造される弩級戦艦超弩級戦艦の整備)に大きく出遅れてしまいました。「主力艦」と名のつく軍艦の保有数は飛躍的に増えましたが(日露開戦前(1904年頃)の保有主力艦6隻(全て前弩級戦艦)に対し、日露戦後(1910年頃)の保有主力艦17隻(前弩級戦艦9隻、準弩級戦艦4隻、前弩級巡洋戦艦2隻、準弩級巡洋戦艦2隻))、その性能は第一線級と呼べるものは数えるほど、と言う状態でした。旧式艦装備の大海軍、そんな感じだったのではないかと。

そのような状態の日本海軍が起死回生を狙って建造したのが「金剛級巡洋戦艦4隻と「扶桑級」戦艦2隻でした。「扶桑級」の一番艦「扶桑」の就役当時は世界で初めて30000トンを超える大鑑で、世界最大・最強の呼び声の高い日本海軍嘱望の艦でした。

しかし、同級には完成後、多くの課題が現れてきます。

例えば、一見バランス良く艦全体の首尾線上に配置されているように見える6基の砲塔は、同時に艦の弱点ともなる弾庫の配置が広範囲にわたることを意味し、これを防御するには広範囲に防御装甲を装備せねばならず、集中防御とは相反するものでした。また、斉射時に爆風の影響が艦上部構造全体に及び、重大な弊害を生じることがわかりました。さらに罐室を挟んで砲塔が配置されたため、出力向上のための機関部改修等に余地を生み出しにくいことも、機関・機器類の進歩への対応力の低さとして現れました。

加えて第一次世界大戦ユトランド海戦で行われた長距離砲戦(砲戦距離が長くなればなるほど、主砲の仰角が上がり、結果垂直に砲弾が落下する弾道が描かれ、垂直防御の重要性がクローズアップされます)への対策としては、艦全体に配置された装甲の重量の割には水平防御が不足していることが判明するなど、一時は世界最大最強を歌われながら、一方では生まれながらの欠陥戦艦と言わざるを得ない状況でした。

こうして露見された種々の課題の結果、「扶桑級」戦艦の建造は2隻で打ち切られ、3番艦、4番艦となる予定であった「伊勢」「日向」は新たな設計により生まれることとなりました。

 

平賀造船中将の「扶桑級」改装計画

改装を重ね、なお、なかなか戦力化の目処をつけられない「扶桑級」戦艦を、一気に戦力化してしまおうと言う改造計画が平賀造船中将から提出されました。これはワシントン条約により頓挫した新造戦艦の建造による海軍軍備の増強を、課題満載の「扶桑級」改造により幾分かでも補完しようというものでした。

具体的には同級の課題の元凶ともいうべき主砲塔配置に大きな変更を加え、併せて機関の配置等についても余裕を持たせ、速力不足・機動性不足等についても一気に解決してしまおう、という意欲的な案でした。

(下の写真は刊「丸」2013年8月号の掲載されている「扶桑級」改装案の図面。平賀案を元に作成されたもの?) 

平賀中将の残したメモによるとこの改装案の眼目は、前述のように課題の元凶であるとされる6基の36センチ主砲塔を全て当時最大口径であった41センチ砲に置き換え、代わりに主砲塔の数は削減し、再配置により改装前よりも弊害を軽減、かつ新たに確保できる艦内スペースを機関等に充てることにより、機動性も高める、いうものでした。これは同時に八八艦隊計画が中止になった場合に、「長門級」の2隻のみとなることが予想された41センチ主砲装備艦を補完することも目的としていました。この改造により「長門級」と同等の機動性を持つ高速戦艦として、「欠陥戦艦」のレッテルの貼られた「扶桑級」を再生しようとするものでした(随所に筆者の妄想的な解釈がかなり入っていることは、ご容赦を。以降はこう言う言い訳めいた注釈はしないので、そこは皆さんの良識でご判断を)。

(上の写真は「改扶桑級」平賀原案完成時の概観:163mm in 1:1250 by semi-scratchied besed on C. O. B. Constracts and Miniatures:下は前檣と41センチ主砲塔。艦首部は連装砲塔2基の背負式配置、前檣直後に三連装砲塔を1基、さらに艦尾部に1基配置した姿:模型ならではの「架空艦」です:でも一応計画はありました。比較的図面に忠実に再現してみたもの。前檣は前出のModelFunShipyard製の「陸奥」変体からいただきました)

条約締結に間に合わせるために、完成したものは・・・「改扶桑級」戦艦の誕生(1922年)

平賀中将の設計案の常として、「コンパクトな船体に最大の攻撃力」とでもいうべき傾向が見られ、結果的にどこかに無理を包含した設計となることが散見されます。残されたメモを見る限り「扶桑級」主砲換装案もこれに違わず、世界初の41センチ主砲搭載艦である「長門級」戦艦が41センチ連装主砲塔4基搭載の設計であるのに対し、より船体の小さな「扶桑級」に連装砲塔と三連装砲塔の混載で、41センチ砲を10門搭載する案となっていました。

この実現のためには、それまで日本海軍には経験のない大口径砲の三連装砲塔を新たに設計せねばならず、特に砲塔の駆動系等の開発や連装砲塔と三連装砲塔の旋回同期の機構を考えると、設計開発にはいくつもの試行が必要で、実装までには相当な時間を要することが予想されました。

一方で、条約締結までに完成していることが保有の前提条件であること(史実では既存艦の大規模な改造は認められず、特に条約の発端ともなった41センチ(16インチ)主砲装備艦については、保有制約が厳しく、いわゆるビッグ7と呼ばれる7隻しか保有が認められませんでした)も明らかになりつつある状況を踏まえ、結局、新たな大規模な開発を伴う三連装主砲塔の搭載は見送られ、「扶桑級」は「長門級」で既に実績のある41センチ連装主砲塔4基の装備艦として大改装を受けることとなりました。

この決断に平賀造船中将は関与せず、後に通知された際に激怒したと言われますが、条約下での保有を認めさせるには、必要な措置でした(全部フィクションですよ)。

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(上の写真は「改扶桑級」完成時の概観:163mm in 1:1250 by semi-scratchied besed on C. O. B. Constracts and Miniatures:下は最終的に連装主砲塔4基搭載でまとまった主砲配置:上記のような経緯で、ワシントン条約締結時に就役していることが保有の大きな条件となるため、開発に研究の必要な平賀原案の三連装砲塔と連装砲塔の混載を諦め、先行する「長門級」建造で実績のある連装砲塔で統一しました。平賀さんは怒っただろうなあ。しかしこの決定で砲塔周りの機構は間違いなく簡略化され、すっきりした外観となるとともに、艦の航洋性も改善されました・・・ということにしておきましょう)

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またこの決定で上部構造の重量が軽減され、かつ砲撃時の反動も軽減されたため(こちらも「長門級」で既にデータが取られていたため、強度の再計算等も容易でした)、艦自体の強度も高められ、かつ航行性、直進性等は、36センチ主砲塔搭載時よりも良好となったと言われています。さらに浮いた重量を機関部整備等にあてられたため、機動性をさらに改善することができたとされています。

模型的には「原案」と「完成案」の2隻を作りたいところでしたが、そこまで手が回っていません。ですので、現時点では「原案」を作成した後「完成案」仕上げています。

 

「改扶桑級」戦艦の近代化改装と太平洋戦争開戦(1935年ー1941年)

「改扶桑級」戦艦の二隻も1930年代に入ると他の主力艦と同様、数次の改装を受け、太平洋戦争開戦時は下の写真のような姿になっていました。

(「改扶桑級」近代化改装後形態:上の写真は戦艦「(改)扶桑」近代化改装後形態の概観:戦艦「(改)扶桑」は近代化改装の際に史実のように三番主砲塔の係止位置を正艦首方向としたため、前檣の構造がかなり特異な物になりました(模型製作的な実情はこの特異な艦橋を再現するために主砲塔の向きを変えたわけですが)。下は「(改)山城」近代化改装後形態の概観:「(改)山城」は近代化改装の際にも主砲塔の係止位置の補正(変更?)を行いませんでした:まさに「架空艦」を筆者の妄想で上書きした、「模型の醍醐味(だと筆者は思うんですが)」のようなモデルです)

 

そしてここからは、架空戦記の類

 

太平洋戦争緒戦:南方部隊(第二艦隊)に配置

(太平洋戦争緒戦では「扶桑」(奥)と「山城」は第一戦隊第二小隊として、南方攻略戦の主力部隊である第二艦隊に派出されました)

「扶桑」と「山城」は英海軍が開戦直前にシンガポールに配置した「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」への対抗戦力として、これらに対峙する南方攻略部隊主力である第二艦隊に派出されました。第二艦隊は南方の資源地域を短期に攻略することを目的として南遣艦隊、第三艦隊等を配下に入れて攻略戦全般を指揮する役割にあたっていましたが、具体的な戦力としては巡洋戦艦出自の高速戦艦「金剛」「榛名」の他は巡洋艦で構成された部隊で、上述の英海軍が配置した「新戦艦」に直接対峙できる艦船を保有していませんでした。

シンガポールに配置された英東洋艦隊の2戦艦:上「プリンス・オブ・ウェールズ」と下の上段「レパルス」(下の写真の下段は「レパルス」の同型艦「リナウン」(近代化改装が進められ、英新戦艦のような艦橋を有していました))

このためこれを危惧した連合艦隊司令部は41センチ主砲装備の戦艦4隻(「長門」「陸奥」「扶桑」「山城」)で構成される第一戦隊から第二小隊の「扶桑」と「山城」を第二艦隊に応援として派出することとしました(「長門」「陸奥」は連合艦隊旗艦とその僚艦として動けませんでした)。

英海軍の主力艦2隻は、海軍基地航空隊の航空攻撃で撃沈されたため(有名なマレー沖海戦ですね)、「扶桑」「山城」が「プリンス・オブ・ウェールズ」「レパルス」と砲火を交わすことはありませんでしたが、「扶桑」「山城」は両英戦艦の撃沈後もそのまま第二艦隊に留まり、南方攻略戦に従事しました。

 

ミッドウェー海戦後、新編成の第二戦隊に移籍(1942年)

新造戦艦「大和」が就役し、第一戦隊に配置されると、「大和級」二番艦「武蔵」の就役も具体化し、第一戦隊がやや大世帯になります。あわせてミッドウェーでの艦隊空母4隻の喪失を受けて、「伊勢級」戦艦の航空戦艦への改造が決定されると、空席となった第二戦隊を「扶桑」「山城」の2隻で構成することとなりました。

両艦はその機動性を評価され、上述のように開戦以来、長く第二艦隊に帯同してきましたが、

この新第二戦隊編成を機に正式に第二艦隊に編入されました。第二艦隊の主戦場がガダルカナル島等を含むソロモン海域に移ると、第二戦隊もこれに帯同し、ソロモン海の戦場に姿を表します。

第二戦隊は41センチ砲を持って夜間のガダルカナル島ヘンダーソン基地への砲撃を数次に渡り展開し、基地に大きな損害を与えました。

 

第三次ソロモン海戦での戦果(1942年11月)

1942年11月、ガダルカナル島奪還に向けて、次期攻撃の主力となる陸軍第38師団の輸送に先立ち、米航空基地の無力化を目的に、第十一戦隊(「比叡」「霧島」)、第二戦隊(「扶桑」「山城」)を主隊とする挺身砲撃作戦が敢行されます。

12日の第一次夜戦では、先行する第十一戦隊とガダルカナル島警備の米巡洋艦部隊との間に遭遇戦が発生し、双方混乱の中で乱戦となり、米巡洋艦2隻を撃沈し、指揮官と次席指揮官を戦死させるなどの戦果を上げながらも、自軍も「比叡」が行動の自由を失い自沈せざるを得なくなるなどの損害を受けます。この結果、基地砲撃は叶いませんでした。第二戦隊は先行する第十一戦隊に続行して、時間差で海域に到達し砲撃の仕上げを自慢の41センチ砲で行う予定でしたので、砲撃の機会を失いました。

15日には再度基地砲撃を期して、第十一戦隊の残存艦「霧島」に同行して、第二戦隊も挺身砲撃に参加することとなりました。

一方で巡洋艦部隊に大損害を出していた米海軍も新鋭の16インチ主砲搭載戦艦2隻(「ワシントン」「サウスダコタ」)を主力とする第64任務部隊を投入して、これに対抗しました。

(第64任務部隊の2戦艦:上は「サウスダコタ」下は「ワシントン」)

双方2隻づつ16インチ級の主砲を持つ戦艦を投入しながらも、戦闘は双方の発見の遅れもあって10000メートル程度の距離での砲撃戦となり、先頭の「霧島」は米艦隊の「サウスダコタ」に砲撃を開始しました。「霧島」は数発の36センチ砲弾を命中させますが、飛行場砲撃目的の出撃であったため、当初砲塔に装弾されていた砲弾は徹甲弾ではありませんでした。このために近距離での砲戦ながら、「サウスダコタ」の上部構造に大損害を与えるに留まりました。そのうちに「ワシントン」が「霧島」に砲撃を開始し「霧島」は16インチ砲弾の命中弾を連続的に受け戦闘不能の大破(のち自沈)、後続の「扶桑」は当初炎上が認められた「サウスダコタ」に砲撃を加えていましたが、やがて目標を変更した「ワシントン」の標的となり、16インチ砲の命中弾を数発受け中破し、戦線を離脱しました。「扶桑」の被弾を見ていた「山城」は主砲塔に装弾されていた飛行場攻撃用の砲弾を早々に斉射し尽くし、徹甲弾に切り替えて「ワシントン」に砲撃を開始し、数発の命中弾を与え同艦を大破、行動不能とさせました(戦場を離脱中に浸水沈没)。

こうして15日の第二夜戦の終了後、戦場には「山城」だけが戦闘を続行できる状態で止まっていましたが、僚艦「扶桑」の離脱を考慮すると、夜戦終了後の「山城」単艦での基地砲撃は効果が想定できず(作戦当初の3戦艦での砲撃の戦果は期待し難い)、夜明け後の航空攻撃を受ける危険性が高く、「霧島」の自沈、「扶桑」の中破に加えてこの上「山城」の喪失は受け入れ難いとして、結局作戦は中止されてしまいました。

 

長門」の第二戦隊編入(1943年7月)とトラック泊地での待機、そしてマリアナ沖海戦(1944年6月)

1943年6月に「長門級」戦艦の二番艦「陸奥」が広島柱島泊地で謎の爆沈を遂げます。僚艦を失った「長門」は第三次ソロモン海戦での損傷を回復した第二戦隊に編入され、第二戦隊は41センチ主砲装備戦艦3隻で編成された部隊となります。

(上の写真は戦艦「長門」の概観:189mm in 1:1250 by neptun: おそらく同艦が「幻の第二戦隊」の旗艦を務めていたでしょうね。下の写真は「幻の第二戦隊」基幹部隊の勢揃い:奥から「長門」「(改)扶桑」「(改)山城」の準)

ガダルカナル島から撤退ののち、中部ソロモンでの戦闘に敗れた日本海軍にとって、次の戦場は中部太平洋であることは間違いなく、長く日本海軍が前線に向けての待機根拠地としていたトラック泊地が、最前線として攻撃にさらされることとなります(1944年2月:トラック等空襲)。

日本海軍は根拠地をリンガ泊地に下げて戦力の充実を計っていましたが、米軍のマリアナ諸島来攻に対抗して「あ号」作戦を発動し、ほぼ全ての艦隊をこの作戦に投入します。

第二戦隊は、第二艦隊と第三艦隊を統合指揮する第一機動艦隊の乙部隊に組み入れられました。この部隊は2隻の中型商船改造空母(「隼鷹」「飛鷹」)と潜水母艦改造の軽空母1隻(「竜鳳」)で編成された第二航空戦隊を基幹とした部隊で、搭載機144機を有している部隊でした。第二戦隊の戦艦3隻はこれらの母艦の護衛に、航空巡洋艦「最上」と駆逐艦9隻とともに当たることとなっていました。

「あ号」作戦は日本海軍の艦載機の長い航続距離を生かした「アウトレンジ作戦」、つまり米機動部隊の空母搭載機の行動圏外から攻撃を加える作戦でしたが、それまでのソロモン方面での消耗戦で大きな損害を出していた母艦航空隊を急錬成により数だけは揃えた、と言うのが実情で、搭乗員練度の低下と、圧倒的な数を誇る米機動部隊の迎撃戦闘機の壁、および機動部隊自体の対空砲網を越えられず、ほぼ1日で大半の航空機を失い、作戦は失敗します。

併せて機動部隊主力である甲部隊の基幹部隊である第一航空戦隊(「大鳳」「瑞鶴」「翔鶴」)の3隻の大型艦隊空母(当時日本海軍が保有する全ての艦隊空母)のうち2隻が、潜水艦の雷撃により失われてしまいました。

第二戦隊が参加していた乙部隊については、作戦初日(6月19日)に出撃した搭載機部隊に大きな損害を受け、翌20日にはようやく日本艦隊を発見し夕刻に来襲した米機動部隊艦載機の攻撃で「飛鷹」が撃沈され、「隼鷹」は命中弾を受け中破、「竜鳳」も小破しています。

第二戦隊は第二航空戦隊の母艦を守って対空戦闘を実施しましたが、3隻の戦艦に重大な損害はありませんでした。

 

この「あ号」作戦で日本海軍は空母の艦載機部隊・基地航空部隊の双方に壊滅的な打撃を受け、空母機動部隊は戦力として以降、終戦まで再生することはありませんでした。

第二航空戦隊も残った2隻の空母は損害を回復しますが、その搭載機部隊が再生することはなく、両空母ともその後、出撃の機会はありませんでした。

 

第二戦隊の第五艦隊編入(1944年9月)とレイテ沖海戦(1944年10月)

レイテ沖海戦については本稿でもかなりの回数を割いて記述していますので、史実については、もし興味があればそちらを読んでみてください。

レイテ沖海戦:小沢艦隊(第三艦隊:空母機動部隊)日本海軍、空母機動部隊の終焉(その1) - 相州の、1:1250 Scale の艦船模型ブログ 主力艦の変遷を追って

レイテ沖海戦:小沢艦隊(第三艦隊:空母機動部隊)日本海軍、空母機動部隊の終焉(その2) - 相州の、1:1250 Scale の艦船模型ブログ 主力艦の変遷を追って

レイテ沖海戦:栗田艦隊(その1):第二艦隊(第一遊撃部隊 第一部隊) - 相州の、1:1250 Scale の艦船模型ブログ 主力艦の変遷を追って

レイテ沖海戦:栗田艦隊(その2):第一遊撃部隊 第二部隊とレイテ沖海戦の概要(経緯) - 相州の、1:1250 Scale の艦船模型ブログ 主力艦の変遷を追って

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史実では第二戦隊に「長門」が編入されることは、計画のみで実施には至らず(もちろん、「扶桑級」が41センチ主砲に換装されることなどなく)、第二戦隊が第五艦隊に編入されることも、計画のみで実現はせず、西村中将に率いられてわずか7隻の小部隊として「第二戦隊」はレイテ湾に突入しそこで壊滅します。

しかし、ここで紹介している「改扶桑級」は、主砲を41センチに換装し、機関を換装し機動性を高めた高速戦艦として、太平洋戦争を通じて第一線で活躍してきています。

一方、第五艦隊は開戦以来、北方警備の専従部隊であったのですが、敗色濃厚となった時点で機動艦隊の直掩戦力として配置転換が計画されます。さらにマリアナ沖海戦で機動艦隊の基幹戦力である空母部隊が崩壊し再建の目処すら失うと、海軍はそれまでの「空母機動部隊」を中核戦力とした艦隊決戦構想を、水上戦闘艦隊を中心とした侵攻部隊(上陸軍)撃滅に転換せざるを得ず、第五艦隊はその侵攻部隊撃滅戦の一勢力として戦力の充実を図られることになってゆくわけです。(史実では、この構想の表れが、第二戦隊への「長門編入による強化であったり、それまで巡洋艦を基幹とした戦闘部隊であった第五艦隊への戦艦の編入(第二戦隊の編入)と言う計画となったと考えています。いずれも計画のみで実現はされませんでしたが)

 

しかし今回の「改扶桑級」戦艦の実現した世界では、これらは全て実現されます。

これによりレイテ沖海戦における第二遊撃部隊は、41センチ主砲装備の高速戦艦3隻(「長門」「山城」「扶桑」)、重巡洋艦3隻(「那智」「足柄」「青葉」)、航空巡洋艦1隻(「最上」)、軽巡洋艦2隻(「阿武隈」「鬼怒」)、駆逐艦12隻という強力な艦隊としてレイテ湾を目指すことになります。栗田艦隊との連携を目指すために、おそらくその進路は史実で西村部隊、志摩部隊がたどったものと同じスリガオ海峡を経て南からレイテ湾に突入するコースをとったことでしょう(これにより日本海軍の水上戦闘部隊は南から(第二遊撃部隊:志摩艦隊)と東から(第一遊撃部隊:栗田艦隊)、それぞれが互いを陽動部隊としながら突入することが可能になります)。どちらが先に突入することになっても(あるいは同時に突入することになっても)レイテ侵攻部隊(マッカーサー上陸軍)を護衛する米第七艦隊の水上戦闘の基幹戦力である第77任務部隊第2群(Task Group 77.2 ;オルデンドルフ部隊)は、相当苦戦することになったことでしょう。

オルデンドルフ部隊については下記で。

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もしかすると、オルデンドルフ艦隊は先に突入してきた部隊との交戦で戦力を消耗し、後から突入する日本艦隊によってレイテ侵攻部隊(上陸軍)すら相当の損害を出したかもしれません。侵攻継続に必須な兵站拠点等を破壊されていたら、侵攻そのものが一旦破綻したかもしれません。しかしその代償として、おそらく突入した日本海軍の水上戦闘部隊は、その大半がいずれは駆けつけた(あるいは日本艦隊の脱出中に追撃してきた)ハルゼー機動部隊によって壊滅させられたでしょうが。

 

先に突入するのが第二遊撃部隊だったとしたら、そのような中で41センチ主砲を装備した「山城」「扶桑」がどんな戦いをするのかは、もはや小説の世界になってゆきますので、どなたかに委ねたいと思います。

41センチ主砲24門(「長門」「扶桑」「山城」)対16インチ砲16門(「メリーランド」「ウエスト・ヴァージニア」)プラス14インチ砲48門(「ニューメキシコ」「テネシー」「カリフォルニア」「ペンシルバニア」)、これはどんな戦いになるんでしょうねえ。オルデンドルフ艦隊は展開した6隻の戦艦のうち2隻を失い3隻が損傷、一方の第二遊撃部隊の3戦艦は2隻がレイテ湾内で行動不能に陥り沈没、かろうじて1隻が自力脱出に成功、そんな感じででしょうか?後続して突入した第一遊撃部隊(栗田艦隊)によって残存艦は撃破され、上陸軍も砲撃を受ける・・・。

その時、「武蔵」はやはり沈んでしまっているんだろうか、サマール沖での護衛空母群との遭遇戦がなかったら、栗田艦隊は突入したんだろうか、そもそもこの作戦の何を変えれば破綻しなかったんだろうか、等々、興味は尽きませんが、まあ今回はこの辺りで。

 

ということで今回はここまで。

なのですが、実はここでご紹介したモデルは、例のShapewaysの破産問題で、今のところ再度入手する術がありません。手元に2隻のストックがあるので、もしかすると大変貴重なストックになるかもしれません。

Shapewaysについては生産拠点であったオランダの子会社Shapeways BVのスタッフが資産を買い取りManuevoという新会社として再スタートを切った、というニュースが入ってきています。同社は8月5日からサービスウィ開始した、とのことなのですが、まずは産業向けの業務に焦点を当てるとのことのようで、以前のようなサービスに向かうのかどうか、まだ不透明です。

idarts.co.jp

さて、次回は、現在制作中のモデルのいくつかをご紹介できるかと。このところ連投が続く装甲艦、あるいは非装甲蒸気艦も交えてのご紹介になるかと思います。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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新着モデルのご紹介:リッサ海戦時の砲艦モデルの到着(伊海軍:装甲砲艦/墺海軍:木造砲艦)

まず、個人的なお話ですが、夏休みに突入しました。とはいえ帰省とお盆のお参り等で、なかなか模型三昧というわけにはいきません。自宅を開ける時間が長く、モデルに触れる時間が普段以上に作れないのが実情です。加えて昨今の「南海トラフ注意報」など出ていて、家族の帰省、移動等も考えると、なかなか落ち着かない感じの今年の夏休みになりそうです。

 

と言うような次第で、今回はサクッと新着モデルのご紹介です。

 

その前に、制作15周年ということで「サマー・ウォーズ」を劇場で観てきました(期間限定の記念イベントだったとか)。もう何十回も観ているはずなのですが、実は劇場で見るのはもしかすると初めてかも、と思いながら。

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(実は筆者が観に行った映画館にはこのようなディスプレイはありませんでした。これは娘が観に行った劇場。その代わり(?)、筆者の言った劇場では「花札」が全員に配られていました)

「昨今の家族事情や価値観に合わない」「令和では作れない映画」など巷の批判はあるようですが、夏休みに見る映画だなあ、帰省前に見ておいてよかった、などと、年甲斐もなく涙しました。やっぱりいいものはいい、と思います。親の世代が徐々に姿を消し、なかなかあの映画の世界には戻れないとは思いますが、確かに近い世界に触れていたんですよね、我々は。

縁側、朝顔、スイカ、「ただいま」「お、きたきた」「元気かいな」「大きくなったなあ」「これ、美味しそうやなと思って、みんなで食べへんか」(確かに叔母さんたち、女性陣は忙しく立ち働いて、お世話をしてくださっていましたね、今になって思うと)・・・そんなものが全部詰め込まれた暖かさが。・・・やっぱり涙です。

世代論になっちゃうのは嫌なのでこの辺にします。

中村草田男風にまとめると「ひぐらしや、昭和は遠くなりにけり」この色彩感を体感できた筆者は幸せ者です。何度見ても思うのですが、それを思い出させてくれる映画、でした、やっぱり。

 

さて、本論です。

本稿では5月に「リッサ海戦」について投稿しています。

fw688i.hatenablog.com

表題の通り、「装甲艦の海戦史」として取り上げたもので、本稿はこの辺りからこのところ継続している19世紀後半の蒸気装甲艦の登場以降の艦船発達史的な展開に至っており、その流れの起点となった投稿だったと言ってもいいでしょう。

 

「リッサ海戦」は史上初の蒸気装甲艦同士の本格的な海戦で、1866年に勃発した普墺戦争の一環として戦われた海戦でした。

普墺戦争自体は、統一ドイツの方向性を定める覇権争いで、乱暴に整理してしまうと、産業革命推進の必須条件である一定規模の経済圏の確立範囲をめぐりプロイセン王国(小ドイツ主義=ドイツ民族経済圏構想)とオーストリア帝国(大ドイツ主義=中央ヨーロッパ経済圏構想)の間で争われた戦争でした。この戦争に、オーストリア帝国との間に多年にわたる領土問題を抱える統一間もないイタリア王国が、プロイセン陣営側に立って参戦したわけです。

イタリア王国の参戦の狙いはイタリア北部に隣接するベネツィアロンバルディアの支配権獲得と、併せてアドリア海での覇権確立で、あわよくばイタリア王国にとってアドリア海対岸であるダルマシアへの領土拡大、影響力の強化も視野に入れたものでした。

そのアドリア海のほぼ中央にオーストリア帝国によって要塞化されたリッサ島(現クロアチア、ヴィス島)があり、この島の攻略がアドリア海制海権獲得に重要であることは明白であり、この攻略戦の一環として起こった海戦が「リッサ海戦」として後に呼称されるようになります。

ja.wikipedia.org

上掲の本稿の投稿では、「リッサ海戦」に登場したイタリア海軍の装甲艦とオーストリア海軍の装甲艦のモデル(こちらは全くの未整備)をご紹介しているのですが、イタリア海軍の主要装甲艦のうち、前回投稿時には「パレストロ級」装甲砲艦のモデルが未保有でした。

今回、「パレストロ級」装甲砲艦のSextant製モデルを入手したので、こちらをご紹介します。

 

「パレストロ級」装甲砲艦(1866年就役:同型艦2隻)

ja.wikipedia.org

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(「パレストロ級」装甲砲艦の概観:49mm(水線長) in 1:1250 by Sextant:小さなモデルです。Sextantモデルはマストが気になるので真鍮線等で手を入れています。前回投稿から少しトライしているマスト周りのネット仕上げも取り入れてみました:下の写真は同級の細部の拡大:舷側砲門形式の美砲配置など、同級の特徴がわかっていただけるかと)

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同級はイタリアがフランスに発注した2隻の装甲砲艦の艦級で、アドリア海での戦闘行動を想定して設計されました。2000トン級の小さな船体ながら20.3センチライフル単装砲2基、20.3センチ滑空砲2基を主要砲兵装とした強力な火力を搭載していました。

リッサ海戦では同級2隻(「パレストロ」「ヴァレーぜ」)は小艦ながら舷側装甲を有するということで主力部隊に加わり、旗艦と誤認され(実際、海戦直前までは旗艦でした。旗艦の変更は自艦隊ですら十分に認識されていませんでした)集中砲撃を受けたイタリア艦隊第二梯団の先頭艦「レ・ディタリア」に後続する位置にいた「パレストロ」はオーストリア艦隊の装甲艦に囲まれる形となり、集中砲撃を受けて撃沈されました。

 

マスト周りのリメイクは効果があるのか?

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(上の写真は筆者がマスト周りに手を入れたモデルと市販されているSextant製のオリジナルモデル(下段)の比較;写真は例によってsammelhafen.de,より拝借)

筆者としては他のモデルとの統一感を取ろうとしてマスト周りに手を入れているのですが、いかがですかね?いい感じじゃない、と一応、自画自賛しておきます。こう言う小さな加工は結構、好きなんです。一気に何隻もやると、肩こりは半端ないですが。

**使用する模型用のネットは、実は網目の向きが気になっています。以前、同スケールの帆船のモデルではもっと網目が正位置に見える透明なネット素材を選び、これを着色して使用していたのですが、塗料は樹脂素材内部には浸透しませんので切断面が白く目立ってしまい、あまり使わなくなりました。一番いいのは着色された樹脂で成形されたネット素材なのですが、ちょっと見当たりません(やっと見つけたのが、今使っているものです。多分、自動車模型用のディテイルアップ素材です)。

キッチンのシンクの排水口用のネット素材とか、黒のストッキングなどがこれに近いのですが、今度は少し網目が細かすぎて。

いい素材があったら、是非教えてください。

 

リッサ海戦に参加したイタリア海軍装甲艦

(リッサ海戦に投入されたイタリア艦隊の装甲艦4艦級:手前から「パレストロ」級装甲砲艦、、「レジナ・マリア・ピア級」装甲艦、「レ・ディタリア級」装甲艦、装甲艦「アフォンダトーレ」の順)

「パレストロ級」が小さな艦であることがわかっていただけるかと思います。「パレストロ級」以外のモデルは、まだマスト周りを完成していないので、徐々に実施する予定です。

 

同時に到着したオーストリア海軍の木造砲艦

今回、「パレストロ級」装甲砲艦を入手する過程で、同じ出品者がオーストリア海軍の「リッサ海戦」時の艦船を何隻か出品していらっしゃったので、送料のセーブも考えて同時に落札しています。

ご存じのようにオーストリア帝国は基本的に内陸国家で、わずかにアドリア海への接続海面を持っていました。したがってオーストリア海軍の活動域はこのアドリア海沿岸で、この海域に点在する島嶼地域とそこに張り巡らされた通商路の警備と治安維持がその主任務でした。多民族国家であることもあり、内外問わず紛争域への展開の即応性が求められ、浅海面で小回りのきくある程度足の速い小型艦艇を数多く揃える必要があり、いわゆる「砲艦」級の船が多く作られたようです。

1866年の「リッサ海戦」には装甲戦闘艦でまとめた第一戦隊(1st Division)、木造戦闘艦でまとめた第二戦隊(2nd Division)、につづき、第三戦隊(3rd Division)として9隻の木造砲艦と1隻の外輪式通報艦がまとめられ、戦闘に参加しています。

**しかし困ったことが。実はこれらの艦級についての情報があまり見当たりません。どなたか詳しい方がいらっしゃったら、参考情報のありか、あるいはお持ちの情報をシェアしていただけないでしょうか?

現在、筆者が参考としている資料

https://mateinfo.hu/oldmate/a-navy-lissa.htm

https://military-history.fandom.com/wiki/Battle_of_Lissa_(1866)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_ships_of_Austria-Hungary

 

 

「レカ級:Reka class」砲艦(1861年ごろ就役:同型艦4隻)

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(「レカ級:Reka class」砲艦の概観:42mm(水線長) in 1:1250 by Sextant:Sextantモデルの共通課題だと筆者は考えていますが、マストが気になるので真鍮線等で手を入れています。前回投稿から少しトライしているマスト周りのネット仕上げも取り入れてみました:下の写真は同級の細部の拡大:備砲の搭載形式など、同級の特徴がわかっていただけるかと)

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同級は18561年ごろに4隻が建造された木造蒸気推進砲艦です。2等砲艦に区分され、852トンの船体に、48ポンド前装滑空砲(SB)2門と24ポンド後装ライフル砲(RBL)2門を船体中央の首尾線上に装備し、11ノットの速力を発揮する設計でした。

「リッサ海戦」には「レカ:Reka」「ゼーフント:Seehund」「ヴァル:Wall」「ストレイター:Streiter」の同型艦4隻全てが、第3戦隊として参加しました。

 

「ダルマト級:Dalmat class」砲艦(1861年ごろ就役:同型艦3隻)

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(「ダルマト級:Dalmat class」砲艦の概観:57mm(水線長) in 1:1250 by Sextant:こちらも同様にマストが気になるので真鍮線等で手を入れています。前回投稿から少しトライしているマスト周りのネット仕上げも取り入れてみました:下の写真は同級の細部の拡大:備砲の搭載形式など、同級の特徴がわかっていただけるかと)

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同級は18561年ごろに3隻が建造された木造蒸気推進砲艦です。2等砲艦に分類され、869トンの船体に、48ポンド前装滑空砲(SB)2門と24ポンド後装ライフル砲(RBL)2門を船体中央の首尾線上に装備し、11ノット強の速力を発揮する設計でした。

「リッサ海戦」には「ハム:Hum」「ダルマト:Dalmat」「ヴェレビッチ:Velebich」の同型艦3隻全てが投入され、「ハム:Hum」は第三戦隊の旗艦を務めました。

 

「リッサ海戦」にはもうひとクラス、木造砲艦「ケルカ級」が投入されています。

「ケルカ級:Kerka class」砲艦(1860年ごろ就役:同型艦2隻)

(写真は「ケルカ級:Kerka class」砲艦の概観(Hai製モデル?ebayの出品者情報ではFKというモデルレーベルになっています。F K=Friedrich Kermauner):モデルは未保有です。現在、ebayで入札中です。写真はebayに掲載されている写真を拝借)

同級は前掲の2級の砲艦よりも小ぶりな501トンの船体を持つ木造砲艦でした。手元の資料では上掲の2艦級と同じ48ポンド前装滑空砲(SB)2門と24ポンド後装ライフル砲2門を装備していた、とありますが少しこの情報は怪しい気がします。モデルを見ても上甲板状には2門の大砲しか見えません。建造年次は前出の2級よりも1年古く、「ケルカ級」をベースに砲艦の各艦級へと発展したと考える方がしっくりくるのですが。

「リッサ海戦」には「ケルカ:Kerka」「ナレンタ:Narenta」の2隻が第三戦隊(木造砲艦部隊)参加しています。

モデルは現在、ebayでHai製モデル(FK製?)の出品を見つけ、これに対し入札中です。

 

「リッサ海戦」の砲艦モデル

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(リッサ海戦に投入されたイタリア艦隊の装甲砲艦「パレストロ級」(手前)とオーストリア海軍の木造砲艦「ハム級:Hum class」「ケルカ級:Kerka class」)

 

さらに現在、オーストリア海軍の初めての装甲主力艦であり「リッサ海戦」にも参加した「ドラッヘ級」装甲艦も落札できたので日本に向かっているはずです。

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(上の写真は筆者が落札し到着を待っている「ドラッヘ」(Sextant製:ebay掲載の写真):これを見る限り、マストのテコ入れは必須かと)

このように「リッサ海戦」への参加艦艇についてはかなりモデルが充実してきているのですが、前回、本稿でもお知らせしたようにSpithead Miniatureから、52隻の「リッサ海戦」セット製作へのサポートのお誘いがあり、これに応募しています。当然のことながらご紹介したモデルも含まれているはずで(含まれているどころか、同型艦も全てモデル化されているはず)、これらが2024年から2025年にかけて徐々に到着した際には、また改めてモデル比較などご紹介することになると考えています。

制作の時間をどうしよう、など、課題がなくはないのですが、それはそれで嬉しい楽しみになるでしょう。・・・とこれは少し予告編。

もう一つ、ことらは広告かな?

前掲の5月の投稿では「リッサ海戦」の展開や、「リッサ海戦」がその後の列強の主力艦開発にどのような影響を及ぼしたか、など、記述しています。ある意味、主力艦の概念を一新する戦訓を残した重要な戦いでもあったので、未読の方は是非一読いただければと思います。

fw688i.hatenablog.com

 

ということで、今回はこの辺で。

 

次回は帰省から戻った直後で、何やら予定がありそうですので、過去投稿の再掲が有力です。「ドラッヘ級」装甲艦のモデルはきっと到着しているでしょうが(本当は今回の投稿でご紹介しようと思っていたのですが、間に合いませんでした)。

 

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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日本海軍の装甲艦「扶桑艦」の4形態と黎明期の明治海軍の艦船モデルのご紹介

 パリ・オリンピックと酷暑でなかなか集中力が続きません。

そこで少し軽めのテーマ、というわけではないですが、今回はこのところ本稿で主要なテーマとしている「装甲艦」に関連して、日本海軍が保有した唯一の(と言っていいと思うのですが)装甲艦である「扶桑艦」を取り上げてみたいと思っています。

「軽め」とは書きましたが、一方で、筆者の大好きな枝葉に少しこだわって、就役時(に近い、と言うのが正確な表現です)から最終形まで4形態のモデルの仕上げが揃った、と言うことでもあります。

4形態とは1887年形態(就役時から兵装の一部改変後の形態)、1894年形態(近代化改装時:帆装の簡略化時・日清戦争時)、1896年形態(兵装の近代化改変時)、1900年形態(日露戦争当時:ほぼ最終形)で、この変遷を順に追いかけてゆいたいと考えています。

今回はそう言うお話。

 

装甲艦「扶桑艦」(1878年就役:同型艦なし)

ja.wikipedia.org

同艦は1875年度予算で建造された日本海軍初の鉄製軍艦でした。

日本海軍は明治維新後の1875年の海軍省設立とともに成立したと考えるのが一般的ですが、当時の海軍艦艇は旧幕府海軍、旧諸藩海軍から供出された軍艦の寄せ集めで、数も10隻をようやく超える程度、そのほとんどが「練習艦任務には耐える」、と言う規模と実情でした。

内政的には1874年の佐賀の乱を皮切りに不平士族の反乱が相次ぎ、一方外政では台湾出兵などによって、有力な軍艦による本格的な海軍艦艇の整備の必要性が痛感される時期でもありました。

こうして前述のように1875年度予算で明治政府としては初めての新造艦となる3隻の軍艦が海外に発注されました。

そのうち2隻は木造船体に舷側装甲体を装着した2300トン級の装甲コルベット金剛級」(モデルは近い将来ご紹介することになります)で、残る1隻が同艦「扶桑艦」でした。

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(装甲コルベット「扶桑艦」の概観:55mm in 1:1250 by WTJ:モデルは後述の1887年ごろを再現したものです)

就役時、同艦は3700トン級の船体を持つ、日本海軍初の全鉄製の軍艦で、装甲フリゲートに分類されていました。日本海軍では当時最大の艦船だったのみならず、清国が「定遠級」装甲艦2隻を導入するまでは、アジアでも唯一の近代的装甲艦でもありました。

三檣バーク型のマストを備えた本格的な帆装能力と、イギリス製の3500馬力の機関を搭載し、13ノットの速力を発揮できる設計でした。就役当初は通常航海は主に帆走で行っており、煙突は伸縮式でした。

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(装甲コルベット「扶桑艦」の中央砲郭部の拡大:同艦は装甲艦としては中央砲郭形式の艦で、艦のほぼ中央に主砲とその弾薬(自艦にとっては最大の攻撃力であると同時に、被弾時に最も防御したい対象)を防御する重厚な装甲区画を設けています。ちなみに中央砲郭部の上部に見える煙突は伸縮式で、帆走時には船内に引き込むことができました。排煙は直後の中央マストの帆装を痛めたようで、後に中央マストは撤去されます:余談ですが、Spithead Miniatureモデルの制作に備えて、特に帆装軍艦のマスト周りの仕上げ、少し工夫してみました。模型用のプラスティック製ネットを使ってみたのですが、細かいことを言うと目の向きが違うだろうと言うことになります。が、並行してもっといい素材がないかどうか探しつつ、もう少し続けてみおうと思います)

主砲にはクルップ社製の20口径24センチ後装砲を4門搭載し、これを船体のほぼ中央に設置した装甲艦の形態でお馴染みの中央砲郭の4隅に据えて射界を広く与える工夫がされていました。この中央砲郭部の上には副砲としてクルップ社製25口径17センチ単装砲2門が単装砲架形式で設置されていました。

さらに近接戦闘用の火器として47ミリ機関砲6基が甲板状に装備されていました。

兵装の更新(1886−87)

1886年から87年にかけて、兵装の更新が行われました。

主砲・副砲はそのままでしたが、機関砲の搭載数が増強され、近接火力が格段に強化されました。さらに艦首部に単装魚雷発射管2基が追加されました。

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(装甲コルベット「扶桑艦」の艦首部の拡大:兵装更新時に追加された魚雷発射管の射出口の扉が艦首部の楕円型の突起です)

 

1894年当時の形態:近代化改装:帆装の簡略化(おそらくこの形態で日清戦争に突入)

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(装甲コルベット「扶桑艦」の帆装簡略化後の概観:見張り所を設けた2本マスト形態になりました)

1894年ごろから近代化改装が逐次行われ、まずは帆装が簡略化されます。これにより外観的には肺炎の影響を大きく受ける中央マストが撤去され、二本マスト形態となって見張り所が設置されました。

日清戦争には黄海海戦連合艦隊の主力艦隊の一隻として参加しています。

 

1896年当時の形態:兵装近代化改変:速射砲の搭載

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(装甲コルベット「扶桑艦」の近代化改装後の概観:副砲が速射砲に換装され、艦首・艦尾・中央砲郭上の両舷の4基に強化さレました(下の写真))f:id:fw688i:20240804132230j:image

副砲が40口径12センチ速射砲(アームストロング社製)に改められました。同砲は盾付きの単装砲架形式で、両舷側に各1基、艦首・艦尾に各1基、都合4基が搭載され、中距離での砲戦力が強化されました。

 

筆者保有のHai製モデルもおそらくこの時期を再現しています

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(装甲コルベット「扶桑艦」のHai製モデルのの概観:Hai製はメタルの完成品で4基の副砲以外の兵装もかなり再現されています(下の写真))

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(Hai製モデルには就役時を再現した三檣形態のモデルもあります(下の写真:筆者は未保有:写真は例によってsammelhafen.deより拝借しています))

 

1900年当時の形態:速射砲の強化:二等戦艦への類別と日露戦争への参戦

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(二等戦艦「扶桑艦」(「扶桑艦」最終形態)の概観:副砲が15センチ速射砲2門と12センチ速射砲4門に強化されています(下の写真))

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速射砲が強化され、従来の12センチ速射砲4基は舷側装備となり、艦首・艦尾には40口径15.2センチ単装速射砲(アームストロング社製)が追加され、火力が強化されています。

1898年には二等戦艦に類別され(「扶桑」と日清戦争の戦利艦「鎮遠」の2隻)、日露戦争には第三艦隊に所属して旅順要塞攻撃、対馬海峡警備、さらには日本海海戦直前の索敵警戒時には第三艦隊旗艦の任務に就きました。

その後

1905年に二等海防艦に艦種変更され、1908年に軍艦籍から除籍、1910年に解体されました。

 

「扶桑艦」4形態の一覧

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(「扶桑艦」4形態の概観:手前から1887年形態(就役時から兵装の一部改変後の形態)、1894年形態(近代化改装時:帆装の簡略化時・日清戦争時)、1896年形態(兵装の近代化改変時)、1900年形態(日露戦争当時:ほぼ最終形)の順)

 

黎明期の明治海軍の艦艇

手持ちのモデルから、黎明期(「扶桑鑑」以前)の日本海軍の艦艇をご紹介。

 

装甲ブリッグ「東艦」(1864年竣工:1869年新政府(官軍)が購入:同型艦なし)

ja.wikipedia.org

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(装甲ブリッグ「東艦」の概観:40mm in 1:1250 by Brown Water Navy in Shapeways: 3D printingの繊細なモデルです

ご承知のように同艦の取得経緯には複雑な経緯がありました。

やや乱暴にまとめてしまうと、元々はアメリ南北戦争時に南軍がフランスの造船所に発注した軍艦でした。しかし北軍からの抗議で引き渡しが不調となり、続いてシュレスウィヒ・ホルスタイン戦争下にあったデンマークへの売却話がまとまりますが、デンマークの敗戦でこの話も頓挫してしまいます。再び南軍が買取を成立させ米国への回航中に南北戦争が集結し、最終的には合衆国の所有となりました。しかし米国は海軍には編入せず宙に浮いていたところを徳川幕府の渡米使節が購入したわけです(「させられた」という表現の方がいいかも)。

しかしこの話も、回航時に徳川幕府大政奉還に続く維新の騒乱に遭遇して、結局、購入者の幕府側には引き渡されず、新政府軍(官軍)に引き渡されました。

当時は「甲鉄」と命名され、唯一の装甲艦(もっとも装甲と言っても鋼鉄ではなく鋳造された鉄板を木造船体に貼り付けた構造でしたが)として、もともと海軍勢力では旧幕府に対し劣勢にあった新政府海軍の中核艦と位置付けられました。

1300トン級の船体は、本稿でもご紹介した「リッサ海戦(1866年)」でオーストリア艦隊の勝利の決め手となった「衝角攻撃」に特化した設計がほどこされており、艦首に巨大な衝角を備えた特異な形状をしていました。この艦首の衝角での攻撃をさらに有効にするために艦首楼自体を装甲された砲郭として、内部にはアームストロング社製の25.4センチ前装式ライフル砲(300ポンド砲)が装備されていました。

前装式砲は砲口から装填するため、作業効率から滑空砲(施条=ライフリングのない砲)が一般的なのですが(施条に合わせてある種の捻りを加えながら砲弾を押し込む必要があります)、同砲は砲身内に施条が施されており、砲弾も丸い円弾ではなく先端の尖った尖頭弾を用いたため貫徹性と弾道性に優れ、装填の効率性はさておき(尖頭弾を砲口からねじ込むわけですよね)、先進的な砲でした。(そもそもは前装式滑空砲だったという説もあるようですが)

同砲は「東艦」の艦首楼の正正面向きの砲門を定位置として据えられていましたが、この他に左右にも砲門が切られ、艦首の装甲砲郭から広い射界を得る設計でした。しかし実用的には12トンの砲の向きを人力で(戦闘中に)変えるのは相当困難な作業だったと思われます。

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(「東艦」の艦首楼の拡大と艦首楼構造の図(左)=石橋孝夫氏の著作「日本海軍の大口径艦載砲」から拝借しています:300ポンド砲は上述のように先進的な砲でしたが、実戦での運用は「衝角戦術」がはまった際のみ?きっと運用が難しい砲だったんじゃないかと)

このように同艦は「衝角攻撃」と言う一点に絞って設計された軍艦だったのですが、補助的な火力として、艦のやや後ろ寄りに円形の砲郭が設けられ、ここに12.7センチ前装式ライフル砲(70ポンド砲)2門が収められていました。この砲郭には4箇所の砲門が切られており、砲郭内のレール上に搭載された砲の位置を移動して砲撃を行う設計でした。しかしわずか2門の砲での砲撃が有効だったかどうか。f:id:fw688i:20240804135222j:image

(「東艦」の艦中央後後部の砲郭の拡大と砲郭の構造と砲配置の図(右)=石橋孝夫氏の著作「日本海軍の大口径艦載砲」から拝借しています:砲郭内にはレールがあり、砲口を変えることで広い射界を与えられていました。この砲が活躍する状況は「衝角戦術」が不調、あるいはその突進を防ごうと周辺に敵艦が迫ってきた際で、それらの艦の舷側砲からの射撃に1門(なんとか頑張って2門)の砲の反撃が有効だったかどうか)

1300馬力を発揮する機関を搭載し10.5ノットの速力を発揮できました。「衝角攻撃」の確度を高める試みは推進器にも現れており、この時期としては珍しく2軸推進で、直進性に配慮が払われていました。しかし元々が南北戦争当時の米大陸周辺の浅海面での活動を想定した浅喫水の艦でしたので、戊辰戦争当時の戦闘はまだしも、日本海編入後の日本近海での活動には、課題があったと思われます。

購入した幕府海軍、あるいはそれを引き継いだ新政府海軍に、同艦の設計目的が理解されていたかどうかは不明ですが、いずれにせよ「衝角攻撃」を実践する場面は一度もなく、戊辰戦争では榎本政権下の陸上砲台と砲火を交えたりしていますが、その後は明治海軍の艦隊に在籍したものの実戦場面に遭遇することなどはなく、1888年に除籍されました。

 

徳川幕府初の国産蒸気船

砲艦「千代田形」(1866年竣工:1869年新政府海軍に編入同型艦なし)

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(砲艦「千代田形」の概観:26mm in 1:1250 by Hai: メタル製の小さなモデルです

同艦は1866年に徳川幕府が建造した「幕府初」の国産蒸気砲艦でした。

折からの開国・開港を背景として、東京湾(当時は江戸湾)・大阪湾(当時は大坂湾)の警備を目的として作られた小艦で、名称が「千代田形」となっているのは、量産化計画があったため、とされています。実際には2番艦以降は建造されませんでした。

150トンの小さな船体を持つ2檣のトップスル・スクーナー形式の機帆併装艦で、15センチ砲1門と小型榴弾砲2門を搭載していました。60馬力の機関を据え、5ノットの速力を出す設計でしたが、興味深いことに、機関の製造は先行して実用蒸気船「凌風丸」を完成させていた佐賀藩に委託されたようです。

戊辰戦争では旧幕府艦隊(榎本艦隊)に属し品川沖から脱走して北上し、庄内藩の対新政府戦闘を支援した後、蝦夷箱館に到着。ここで新政府艦隊と交戦しますが、座礁して放棄され、後に新政府に拿捕されました。

1869年に新政府艦隊に編入され、東京湾近辺の警備艦練習艦としての任務を経て、1888年に除籍され民間(日本水産)に貸与され1911年に解体されました。

 

装甲コルベット龍驤」(1869年竣工:1870年熊本藩から新政府に献上:同型艦なし)

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(装甲コルベット龍驤」の概観:57mm in 1:1250 by Brown Water Navy in Shapeways: 3D printingの繊細なモデルです:旧式で性能も平凡でしたが、重厚な外観と当時の海軍の最大艦ということもあって要人の移動や旗艦任務につく機会が多くありました

同艦は、維新前の1865年熊本藩が英国に発注した軍艦で、1869年の竣工後に熊本に回航されましたが、すでに新政府が発足しており、回航とほぼ同時に熊本藩から新政府に献上されました。

2500トンの船体を持つ三檣シップ型コルベットで、木造船体の舷側に装甲帯を持つ木造鉄帯構造の軍艦でした。800馬力の機関を搭載し、6.5ノットの速力を出す設計でした。

100ポンド砲2門、64ポンド砲8門を主兵装として装備していました。f:id:fw688i:20240804134436j:image

(「龍驤」の主要兵装の拡大:主砲である100ポンド砲は艦前方と後方の回転台に吸えられ、左右両舷に発砲が可能でした。射撃時には舷側の扉が開けられる構造でした(写真上段・下段:写真では100ポンド砲両側の舷側の扉は解放された状態になっています。その他の砲は舷側に切られた砲門から射撃可能でした(写真中段))

草創期の日本海軍では前掲の「扶桑艦」の登場まで最大の軍艦で、やや旧式かつ速力に課題はありながらも常に艦隊の中核にあり、旗艦を務める機会が多くありました。佐賀の乱台湾出兵に当たっては征討都督や交渉代表の乗艦となりました。明治天皇の京都・大和行幸では先導供奉艦を務めました。

1880年に航海練習艦に指定され、以降、遠洋練習航海に3回従事します。その2回目では大量の脚気患者が発生し、そのうち25名の死亡という悲劇が生まれました。この事件はその後の海軍の糧食事情の改善につながっています。

1887年の3回目の遠洋練習航海の後、1888年には予備艦とされ、機関を撤去したのち1889年には砲術練習艦となりました。

1893年に除籍され、1908年に売却されました。

草創期の明治海軍の艦船一覧

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(草創期の明治海軍の艦船の一覧:手前から砲艦「千代田形」、装甲ブリッグ「東艦」、装甲コルベット龍驤」の順)

 

とここまで書くと、やはりこの時期の艦船に興味が湧いてきます。

Spthead Miniatureからの誘い

本稿の数回前の投稿でShapewaysの破産に関連して今後のモデル調達先ととしてあげたSpithead Miniaturesからは興味ないか、と誘いを受けています。

上掲の写真はSpithead Miniatureの戊辰戦争関連の完成済みのモデル群の写真で、モデルは完売しているので、欲しかったら予約に名乗りをあげてほしい、と連絡を受けています。予約者が10人ほどになれば追加ロットを作ってもらえるのだそうです。

さらに計画としては新たに5−6ラインの当時の船舶の製作計画があるようです、その下調べで「この中で何か情報を持っている船があれば教えてほしい」などの依頼を受けていたりします(聞いたことない船ばかり、「富士山(丸)」くらいかなあ、聞いたことがあるのは)。

うう、迷いどころです。

同時期の艦船としてはHai社からも上掲の「千代田形」以外にも「咸臨丸」「観光丸」などが上梓されてはいますが、あまり見かけません。

 

Spithead Miniatureと言えば、実は「リッサ海戦」シリーズのモデルに関連して次のロット制作に関する募集を受けて手を上げてしまいました。欲しいのは主要な数隻だったのですが、今回は52隻のシリーズ全体をワンセットとしての募集で、これを4回くらいの製作タームで分納するという計画のようです(なんかジャパネットのグルメ通販、みたい)。「高いなあ、こんなに作れるかなあ」と首を傾げながらも、手を上げてしまいました。結構な人数が手を上げているようですので、多分、計画どおりに動くんじゃないでしょうか?

前回ご紹介したフランス海軍の装甲艦群も塗装などに着手して徐々に作業をしていますが、完成までには少し時間がかかります(塗装工程が長くなるのですが)。本稿でも上記の計画が動き出せば、モデルの制作過程の話が増えることになるかもしれません。

 

このところ参考にさせていただいている書籍に感謝

このところ本稿で取り上げている「装甲艦」の開発史は、密接に艦砲の発達、さらにはその搭載方法の変遷と関係しています。筆者にはその辺りの知識が全く不足していることを感じる日々でもあるわけで、裏返せばいい勉強の機会を与えていただいているとも実感しています。

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(左から新見志郎氏の著作である「巨砲艦」と「軍艦と砲塔」、そして上記でもご紹介した石橋孝夫氏の著作である「日本海軍の大口径艦載砲」:いずれも目から鱗的な知的刺激に溢れた著作です。大砲を積むために軍艦というのは生まれてきたんだなあ、とそんな当たり前のことを改めて教えていただける作品です)

そうした際に色々と知識を与えてくださるのが、上掲の写真にあるような優れた書籍です。

もちろんこれらが全てというわけではなく、いろいろなところから知識を得ているのですが、ともあれ代表的な書籍ということで、皆様に感謝いたします。

 

ということで今回はこの辺りで。

このところの酷暑と本業の方の夏季休暇、それに向けての本業の業務整理等で、投稿の間隔がやや空くかもしれません。なかなか模型に集中する時間と気持ちが持続できません。

ともあれ次回投稿は製作中のモデルのアップデート(清国北洋艦隊?)、あるいは英海軍の装甲艦の開発系譜の続き、いよいよ弩級戦艦編、この辺りを予定しています。

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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Spitheadのモデル到着:Shapewaysの破産後のモデル調達事情の進展 

今回は本稿、前々回(下のリンク)で取り上げた「Shapewaysの破産」という衝撃のニュースに関連し、艦船モデルの調達先として新たに(実際には以前からコンタクトはあったのですが)注目したSpithead Miniatureからのモデル第一陣が早くも到着(少し以下でも紹介しますが、ややこしそうな経緯があったので、本当に期待以上に早い到着でした)したので、そのご紹介です。

fw688i.hatenablog.com

 

Spithead Miniatureからのモデル到着

Spithead Miniatureについては前々回の投稿でもご紹介していますので、その抄録を以下に引用します。(「」内が引用)

「このコンタクトは筆者にとって全く新しいもの、と言うわけではなく、実は数年前に一度コンタクトしていたのですが、それが上掲のShapewaysのグダグダの煽りで再発掘できた、そんな経緯です。

Spithead Miniatureの代表はおそらくUKの人(価格表がポンドで表示されています)で、本稿でこのところ取り上げている前弩級戦艦の登場以前の南北戦争普墺戦争期の、蒸気軍艦、あるいは蒸気装甲艦などに大変力を入れている製作者です。

(中略)

そのモデル供給のスタイルはかなり特殊で、代表が自身の興味領域でモデル製作の計画を開示し、興味のあるメンバーが「サポート」に手を上げます。「サポーター」が二十人ほど集まると、代表はモデル作成に着手、数量を限定したモデルが作成されます。そして完成後は基本「サポーター」として手を挙げたメンバーだけが、モデルの供給を受けられる、と言うシステムで、運営されています。「サポーター」は「サポート」の宣言時点では住所等個人を特定する情報だけを代表に開示し、特にその時点で金銭的なやり取りは発生しません。どの計画を「サポート」するかは自由で、一旦宣言しても必ずしもモデルを購入する必要はないようです。ですので計画によってはいくつかモデルが残り、筆者のような「ゲスト」にも購入希望の順番待ちの列に並ぶ機会が発生するわけです。

現在、筆者は、下記のフランス海軍の装甲艦についての投稿で穴が開いている複数のモデルの順番待ちの列に並んでいます。

(中略)

上の写真は筆者が現在購入希望者として順番待ちの列に並んでいるモデル群です。上段の写真のうち、「オセアン:Ocean」「リシュリュー:Richelieu」「コルベール:Colbert」そして下の吹き出しにある「ルドゥタブル:Redoutable」に希望を出しています。「すでに何人かサポーターから取り消しが来ているし、君が希望ありと言ったのは早かったので、可能性高いんじゃない?」と言うコメントはもらっていますが、どうなることか」

つまり今回到着したのはこの最後の部分の「予約のキャンセル待ちの列に並んで」いる状況だった「オセアン:Ocean」「リシュリュー:Richelieu」「コルベール:Colbert」そして「ルドゥタブル:Redoutable(就役時)」の4隻です。

順番が来たので支払ってほしいと、請求書が来てから手元に届くまで、わずか1週間ほどだったので、昨今の配送事情の含め、本当に早いなあ、という印象でした(筆者の予想より1週間早かった、というところでしょうか)。

 

これらのモデルはいずれも下記の「フランス海軍 装甲艦」の投稿の際に「モデル未所有」というご紹介をしたもので、フランス海軍装甲艦の系譜が一点(「プロヴァンス級」)を除いて揃えることが出来た、という嬉しい到着でもあったのです。

fw688i.hatenablog.com

 

Spithead Miniature製モデルの概観

モデルは下記のような形で到着しました。

それぞれのモデルは別々の小袋(写真上段)の形状で、そしてそれぞれの小袋の中身はレジン製の船体(最近、3D printingのモデルばっかり見てきたので、少し新鮮です)とホワイトメタル製のマスト、ボート、通気管、砲、上部構造等のパーツがセットされています。組み立て図は入っていないので、自分で資料にあたる必要がありそうですが、多分、この辺りのモデルを探す人ならば、あまり大きな問題にはならなそうです(通気管の位置が少し微妙かも、程度?)。

個別に、前々回投稿と重ね併せて見てゆきましょう。

7,580トン級:「オセアン(Ocean)級」艦隊装甲艦(1870年から就役:同型艦3隻)

ja.wikipedia.org

新着のSpithead Miniatureの「オセアン級」装甲艦のモデル

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(上の写真が今回到着したSpithead Miniature製「オセアン級」装甲艦のモデル:75mm in 1:1200 by Spithead Miniature)

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レジン製の船体はかなりディテイルがシャープに表現されています。舷側の砲門も綺麗に抜かれています。最も気にしていたスケール違い、ですが、このレベルであれば、1:1250スケールと謳われているモデル間での製作者間の解釈違いと、さほど差異はないかと思いますので、気にしなくてもいいかな、と思っています。

ホワイトメタル製のパーツは、マストが帆装を強調した表現になっているのが、筆者的には少し気になりますが、まずは一旦モデル通りに仕上げてみてから(少なくとも一隻はこれで仕上げてみましょう)と思っています。

下の写真はFaceBookのSpithead Miniatureにアップされている読者投稿の写真です。

(上掲の写真は、https://www.facebook.com/spitheadminiaturesへの投稿写真:John Cook氏製作:モデルはリッサ海戦時のイタリア海軍の主力艦の一隻「レ・ディタリア」ですが、マスト周りの作り込み処理が凄い。マスト間のロープの再現までは、筆者の手が届かないと思いますが、一応、こんなのを目指してみようかな、などと・・・)

 

「オセアン級」装甲艦の解説(過去投稿より引用)

同級はフランス海軍が初めて「艦隊装甲艦(キュイラッセ・デスカトーレル)」と言う艦種呼称を用いた装甲艦の艦級です。世界初の航洋型装甲艦と言われる「グロワール」から量産型の「プロヴァンス級」までの16隻の「装甲フリゲート艦(フリガイト・キュイラッセ)」と一線を画し、新たな呼称としたのは、搭載している艦砲が格段に強化されているところにあります。

船体は前級よりも大きな7600トン級となり、これに3460馬力の蒸気機関を搭載して13.5ノットの速力を発揮する設計でした。

同級の目玉である主砲としては、18口径27センチ単装砲4門と19口径24センチ砲4門が搭載され、他に14センチ単装砲8門が副砲として装備されていました。搭載方法はこれまでの舷側砲門方式ではなく砲郭式が取り入れられています。分厚い装甲で覆われた砲郭は艦の中央に八角形で設置され、上甲板の砲郭の4角のバーベット上にに24センチ単装砲が単装砲架で搭載されていました。それぞれの単装砲は人力で旋回でき、広い射界がが与えられていました。各バーベット上の単装砲架は基部のみ装甲で覆われた露砲塔でした。

バーベットの一段下の砲郭内には27センチ単装砲4門がレールに乗せた回転可能な砲架上に搭載されており、左右両舷に対し各5ヶ所に設けられた砲門から、砲撃が可能でした。この方式により、少ない搭載主砲を効率よく運用することができました。

 

前々回投稿を読み返して、そういえばモデルの製作をBrown Water Navyにも依頼していたことを思い出しました。

(引用こちら)

Brown Water Navy Miniatureへのモデル制作のリクエス

少し余談になりますが、筆者のコレクションからは同級も含めいくつか未保有のモデルがあります。市販モデルが「ある」艦級については、鋭意、探してはいるのですが、なかなか見つからず、現在3Dモデルで度々お世話になっているBrown Water Navy Miniatureさんにモデルの制作をいくつか依頼しています。

一応、「リストに入れておく」と言う趣旨のお返事をいただいてはいますが、一方で「フランスの軍艦はデザインが独特で、制作が結構難しいんだよなあ」と言う反応ももらっています。だからこそ作ってほしいんですけどね。首を長くして楽しみにいい知らせ(「出来たぜ」の一言)を待ちましょう。

(引用ここまで)

Shapewaysのゴタゴタでこの件がどうなるかわかりませんが、実はこのモデルの到着と前後して、夏のヴァケーション明けからモデル製作を独力で再開するから、リクエストがあったら送っておいてくれ、という連絡をBrown Water Navyから、もらっています。

さて、うれしい悲鳴になるのかなあ。

 

8,900トン級艦隊装甲艦「リシュリュー (Richelieu)」(1875年就役)

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(艦隊装甲艦「リシュリュー」の概観:モデル未保有かつモデルの写真が見つからないため、Wikipediaより拝借しています。:1:1250スケールでは、Hai製のモデルがあるようですが、筆者はみたことがありません)

新着のSpithead Miniatureの装甲艦「リシュリュー」のモデル

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(上の写真が今回到着したSpithead Miniature製の装甲艦「リシュリュー」のモデル:81mm in 1:1200 by Spithead Miniature)

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上掲の写真と見比べても艦首部の再現などいい感じなんじゃないでしょうか?レジン製の船体は本当にシャープで、「仕上がりの品質にこだわりたいので、限定したロットしか製造しないのさ」とSpithead Miniatureの主催が書いていたのを思い出しました。

 

装甲艦「リシュリュー」の説明本文(過去投稿より引用)

同艦は「オセアン級」艦隊装甲艦の改良型で、「フリードランド」が全鉄製の船体を持っていたのに対し、木造鉄皮構造でした。同型艦はありません。

「オセアン級」をやや拡大した9000トン級の船体を持ち、4200馬力の蒸気機関を搭載し、13ノットの速力を発揮することができました。運動性の向上を狙い、2軸推進でした。

主砲は「オセアン級」同様、18口径27センチ単装砲6門と19口径24センチ砲5門が混載されており、27センチ砲は全て砲郭内に収められ、24センチ砲は砲郭上部4角のバーベットに露砲塔形式で4門、艦首楼内に1門が搭載されていました。艦首喫水下には衝角が装備されており、艦首楼内の砲と併せて、艦首方向の攻撃威力が強化されています。他に副砲として当初12センチ単装砲10門を装備していましたが、就役後すぐに14センチ砲6門に換装されました。

 

8,750トン級:「コルベール(Corbert)級」艦隊装甲艦(1877年から就役:同型艦2隻)

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(「コルベール級」艦隊装甲艦の概観:モデル未保有かつモデルの写真が見つからないため、Wikipediaより拝借しています。:1:1250スケールでは、Hai製のモデルがあるようですが、筆者はまだ見たことがありません)

Spithead Miniatureの「コルベール級」装甲艦のモデル

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(上の写真が今回到着したSpithead Miniature製の「コルベール級」装甲艦のモデル:79mm in 1:1200 by Spithead Miniature)

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上掲の写真では少し分かりにくいかも知れませんが、フランス艦の特徴の一つであるタンブルホーム形状がうまく再現されていると思います。こちらのモデルも実に質の高いレジン製の船体になっています。

 

「コルベール級」装甲艦の説明本文(過去投稿より引用)

同級は1865年度計画の最後の艦級で、フランス海軍史上最後の、木造の艦隊装甲艦となりました。

8750トンの船体に4600馬力の蒸気機関を搭載し、14ノットの速力を発揮する設計でした。

主砲は27センチ単装砲8門として、2門は砲郭上のバーベット2基に、残る6門は砲郭内に収められています。さらに艦首楼内と艦尾に24センチ単装砲各1基が装備され、艦首尾方向の火力が強化されています。他に副砲として14センチ単装砲8門が搭載されました。

 

9,200トン級艦隊装甲艦「ルドゥタブル (Redoutable)」(1882年就役)

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(艦隊装甲艦「ルドゥタブル」の概観:モデルはStaffenberg製:見たことないですね。:写真は就役時に近い形態のもので、当初は三檣式の機帆併装艦でした。この時期のモデルは未保有ですので、いつものようにsammelhafen.deから写真を拝借しています)

新着のSpithead Miniatureの装甲艦「ルドゥタブル」のモデル

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(上の写真が今回到着したSpithead Miniature製の装甲艦「ルドゥタブル」のモデル:80mm in 1:1200 by Spithead Miniature)

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同艦のこのキットでは、タンブルホーム形状の船体が実にうまく表現されています。

後掲の近代化改装後のHai社製モデル(1:1250スケール)と比較すると、Spithead Miniature製モデルは1:1200スケールでありながら、少し小さな仕上がりになっています。「ルドゥタブル」の水線長は97.1メートルですので、近代化改装時に船体を延長したという記録は特にみたことがないので、そうした事実がないとすれば、試算ではHai製モデルの水線長85mmは実艦の水線腸に対して1:1250にせよ1:1200にせよスケールによらず、やや大きすぎ、少なくとも寸法ははSpithead Miniatureの方が再現性が高い、ということになります。

(装甲艦「ルドゥタブル」のHai製モデル「近代化改装後」(上)とSpithead Miniature製モデル「就役時」(下)の比較:水線長に大きな差異がありますが、計算上は1:1250スケールで77mm、1:1200スケールで80mmで、Hai製モデルが長すぎることになります)

 

装甲艦「ルドゥタブル」の説明本文(過去投稿より引用)

同艦は普仏戦争に敗れたフランスがナポレオン3世の帝政を廃し第三共和制に移行した後の、1872年度計画で建造された最初の艦隊装甲艦です。普仏戦争に何お貢献もできなかった海軍への強い風当たりの中で設計され、新基軸と回帰主義などが入り混じった設計になっています。(フランス海軍ファンとしては、そこがなんとも言えず「いい感じ」なのですが)

以降、フランス海軍の主力艦の特徴の一つとなる「タンブル・ホーム」型船体の基本形が示された艦と言ってもいいかと。

9200トン級の船体には鉄材に加え鋼材が用いられ、5900馬力の蒸気機関から14ノットの速力を発揮する設計でした。

主砲には20口径27センチ砲が採用され、艦首楼内に1門、艦尾に1門、両舷の砲郭部上部のバーベットに各1門が配置され、さらに砲郭内に4門が搭載され、計8門を搭載していました。副砲として14センチ単装砲6門を装備していました。

近代化改装(1894年ごろ)

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(筆者が保有している上の写真のモデルは、近代化改装後のもの。2本マスト形態となり、帆装を全廃しています::85mm in 1:1250 by Hai)

1893年から1894年にかけて、同艦は近代化改装を受けます。

帆装が全廃されて3本マストから2本マスト形態に改められ、水雷艇防備用の機関砲を設置した見張り台が置かれました。

主砲である27センチ砲は長砲身(28口径)砲に換装され、これを4門と、24センチ砲4門に変更されました。副砲も10センチ砲6基に変更されました。

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(艦隊装甲艦「ルドュタブル」の兵装の拡大:艦首楼に前方方を装備し(写真上段)、艦の中央砲郭部に上部に主砲バーベットを設け1門、下部の砲郭部内に2門を搭載しています(写真中段:ちょっとわかりにくいですが、舷側のふくらみと砲身がみえるかな?)。さらに艦尾部に主砲1門を装備していました(写真下段))

 

機関も換装され、6070馬力となり、速力も14.6ノットまで向上しました。

1900年にはフランス東洋艦隊に所属し、そのままハノイ(仏領インドシナ:現在のベトナム)でハルクとなりました。

 

新着Spithead Miniatureモデルの一覧

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下から、「オセアン級」「リシュリュー」「コルベール級」「ルドゥタブル(就役時)」の順です。

 

こうして一覧すると、やはりフランス海軍の装甲艦の系譜で唯一の欠落モデルとなる「プロヴァンス級」装甲艦のモデルも欲しくなります。Spithead Miniatureには「プロヴァンス級」モデルがリストにあり、Batch 2のサポーターを募集中とあるので、早速、サポーターに名乗りをあげてみました。

Spithead Miniatureの事情

Spithead Miniatureからの最近のFacebookでの投稿では、彼(等)のビジネスモデルである「サポータ制」の精度(信頼度?)が落ちてきていて、「サポート」に名乗りをあげた人のうち30−40%が実購入に至ってくれない、という状況で、なんとか他の人への販売(筆者なんかこれに該当するんでしょうね)でなんとか賄ってきている。これでは今の製作手法を維持出来ない、と泣きが入っています。自身の製作期間が結構かかるので(レジンですからね。しかも今回ご紹介したように精度がかなり高い)、きっと3D printingなどでの調達に移行しちゃってるんだよねえ、と一定の理解を示してはいますが、「危機的な状況」です、と言い切っています。

確かにいつ出来上がるのか、目安が立たない(特に初動の段階では)、というのは筆者のようなコレクターにとっては結構致命的で、今回の投稿でも記述しましたが、筆者もモデル製作をBrown Water Navyにも依頼しながらも、Spithead Miniatureから調達する、なんてことをやっていますので、せめて製作時期を明記する等が必要かな、などと考えています。

と言いつつ、Spithead Miniatureに対しては上掲の「プロヴァンス級」装甲艦やリッサ海戦時のオーストリア海軍の装甲艦、あるいは木造艦の「サポーター」追加募集に名乗りをあげたり、今回の帆装マストのパーツにストックがないかどうか聞いてみたり、コンタクトが増えていきそうな気配です。

 

ということで今回はこの辺りで。

次回は今回のモデルも含め製作中のモデルのアップデート、あるいは英海軍の装甲艦の開発系譜の続き、いよいよ弩級戦艦編、この辺りを予定しています。

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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英海軍の航洋型装甲艦事情(その4):近代戦艦の確立とその開発系譜(前弩級戦艦・準弩級戦艦の時代)

今回は前回までの流れで英海軍の装甲艦の次のステップへ。

英海軍の装甲艦開発は、どちらかというと他国海軍の装甲艦の登場を追う形で進められてきた感があります。その先駆者はフランス海軍であり、あるいはイタリア海軍、そのアドリア海でのライバルであるオーストリア海軍でした。

少し装甲艦の発達経緯を簡単に振り返っておくと、蒸気機関の搭載により帆装軍艦では搭載できなかった重い装甲を装備する事が可能になります。一方で従来の艦砲(作業性を考えると前装式滑空砲が主流でした)では装甲を貫通できなくなり、艦砲の大型化が次の課題となって顕在化します。艦砲の強大化は重量物である艦砲の搭載数に制限を生じ、この有効活用に向けた搭載方法の模索も始まるわけです。

この過程が、装甲艦自体の設計としては、舷側砲門式装甲艦、中央砲郭式装甲艦、砲塔式装甲艦という発達過程を生み出し、搭載艦砲については、前装式滑空砲、前装式ライフル砲、後装式ライフル砲という過程を生み出すこととなりました。

一方で運用が想定される海域を考えると、フランス海軍の装甲艦、イタリア海軍の装甲艦を仮想敵として想定している間は、比較的穏やかな地中海、あるいは英仏海峡等の自国沿岸部だったわけで、ある程度の航洋性があれば十分だったのですが、特に英海軍の場合には世界各地に広がる植民地とそこに至る航路での運用にも耐えられる設計を目指す必要がありました。

こうして近代戦艦(のちの前弩級戦艦)の基本形が形作られ、列強海軍もこれに倣う最初の大嫌韓競争の時代が訪れてゆきます。

今回はその辺りの時期の英海軍のお話を。

 

英海軍の近代戦艦

1890年代の初めに登場した「ロイヤル・サブリン級」によって近代戦艦の基本形が定められ、この時代はその後約14年間ほど続きます。

その間に英海軍は以下の10艦級(数え方によっては11艦級)の近代戦艦を設計し建造しました。

「ロイヤル・サブリン級」戦艦(1892年から就役:同型艦7隻)

「バーフラー級」二等戦艦(1894年から就役:同型艦2隻)

二等戦艦「レナウン」(1897年就役:同型艦なし)

マジェスティック級」戦艦(1895年から就役:同型艦9隻)

「カノーパス級」戦艦(1899年から就役:同型艦6隻)

「フォーミダブル級:ロンドン級」戦艦(1901年から就役:同型艦8隻)

「ダンカン級」戦艦(1901年から就役:同型艦6隻)

「スウィフトシュア級」戦艦(1904年から就役:同型艦2隻)

「キング・エドワード7世級」戦艦(1905年から就役:同型艦8隻)

「ロード・ネルソン級」戦艦(1908年から就役:同型艦2隻)

 

近代戦艦の始祖

「ロイヤル・サブリン級」戦艦(1892年から就役:同型艦7隻)

ja.wikipedia.org

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(「ロイヤル・サブリン級」戦艦の概観:94mm in 1:1250 by WTJ)

同級はそれまで英仏海峡での警備活動や、地中海での行動を想定した設計であった装甲砲塔艦の設計を発展させ、より広く大西洋・北海での運用を想定し、そうした大洋での運用に耐える航洋性を加味した設計でした。

想定海域での荒天時の航洋性を考慮して、これまでの砲塔式装甲艦の基本レイアウトを継承しつつ凌波性を考慮した高い乾舷を得るための代償として、主砲塔は重量の嵩む密閉型装甲砲塔を諦め露砲塔としました。

結果として航洋性は良好で、「強力な火力(30口径34.3センチ連装露砲塔2基)を有し、荒天時の大洋での良好な航洋性を持ち、高速性を備えた、近代戦艦(前弩級戦艦)」の基本設計が同級で確立されたとされています。

以降、各列強も同級を原型として、近代戦艦の建艦競争に鎬を削ることになります。

14100トン級の船体を持ち、11000馬力の期間を搭載、16.5ノットの速力を発揮することができました。

露砲塔形式で搭載された主砲(30口径34.3センチ後装砲)

前述のように同級の主砲は航洋性向上に向けた高い乾舷確保の代償、重心上昇への対策として重量のかさむ密閉砲塔ではなく露砲塔形式で搭載されました。

(下の写真は、同級の露砲塔部分の拡大

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主砲は装甲防御された回転砲台基部の砲架に固定され、13.5度の仰角と3度の俯角を与える事が可能でした。露砲塔は左右各135度の旋回が可能で、旋回、揚弾・装填は蒸気ポンプによる水圧によって行われ、人力での補助が必要でした。

同級では主砲弾の揚弾機構が回転砲台外に固定されていたため(写真では露砲塔の後ろの艦橋・後橋部に円形のくぼみがあります。この辺り)、装填時には砲尾をこの揚弾機構の位置に合わせなければならず、都度、正艦首尾方向に砲身位置を戻す必要がありました。

その他の兵装

搭載された主砲は30口径34.3センチ後装砲で、最大射程は10930m、発射速度は2分に1発でした。揚弾機構が旋回砲台外にあったため、装填時には砲身位置を正艦首尾方向に戻す必要がありました。

その他の兵装としては、副砲には40口径15.2センチ単装速射砲(毎分5-7発)が片舷5基ずつ計10基装備され、さらに水雷艇防御用として57mm単装速射砲16基とフランス・ホチキス社製の47mm単装機関砲(毎分20発)がライセンス生産され、12基搭載されました。

さらに対艦用として魚雷発射管7基も装備していました。

露砲塔形式の課題

前述のように重量軽減策として同級では主砲を露砲塔形式で搭載したのですが、当時は射撃法が未発達な状況で、砲側照準での射撃が行われていました。したがって有効な砲撃距離はせいぜい2000mで、砲弾の弾道も低い直線的なものが想定されていたため、砲台基板の防御装甲のみでも十分、という判断だったのですが、一方で水雷艇の発達から、この対策として小口径砲・中口径砲の速射砲化が促進され、大量に打ち出される小口径弾・中口径弾の弾片による砲身・砲員への損害が無視できなくなってきました。さらに航海時には大洋での高い波浪による露砲塔からの浸水も発生し、次級以降では、密閉式装甲砲塔式での主砲搭載が検討されることになります。

 

二等戦艦という概念

「バーフラー級」二等戦艦(1894年から就役:同型艦2隻)

ja.wikipedia.org

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(「バーフラー級」二等戦艦の概観:89mm in 1:1250 by WTJ)

同級はアジアでの権益確保のための基幹戦力として建造された軽戦艦で、二等戦艦という艦種に分類されました。

中国方面での河川を遡行することを想定した浅吃水、遠方での活動に適した長い航続力、さらに予算面に配慮した10000トン以下の排水量等の要求事項に対応し、「ロイヤル・サブリン級」の縮小版として設計されました。

主砲には25.4センチ砲が採用され、これを連装砲2基として装甲シールド付きで搭載されました。同級のシールドは、天蓋部分は装甲されておらず、合わせて背面は解放されていました。揚弾機構は「ロイヤル・サブリン級」よりも新しく砲台と同軸に組み込まれ、砲塔がどの方向に向いていてもその位置での装弾が可能でした。

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(「バーフラー級」二等戦艦の各部の拡大)

副砲としては12センチ単装速射砲10基を搭載し、57mm単装速射砲8基、47mm単装機関砲12基、魚雷発射管5基が搭載されました。

10500トン級の船体に13000馬力の期間を搭載し、18.5ノットの高速を発揮できました。

 

二等戦艦「レナウン」(1897年就役:同型艦なし)

ja.wikipedia.org

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(二等戦艦「レナウン」の概観:98mm in 1:1250 by WTJ)

同艦は「バーフラー級」二等戦艦と同じ目的で建造された同級の改良型で、12000トン級の船体を持ち18ノットの速力を発揮できる設計でした。中国方面の河川での使用も考慮されたため浅吃水を確保するために船体の長さ・幅が大きくなりました。

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(二等戦艦「レナウン」の各部の拡大:主砲は「バーフラー級」と同じものを搭載し、副砲は全て装甲ケースメート形式で片舷に6基搭載されました)

兵装は副砲が15.2センチ単装速射砲12基に強化され、全ての副砲が舷側の装甲ケースメートに装備されました。

高い機動性、速力が評価され、度々、王室のお召艦となりました。

「バーフラー級」と「レナウン」の比較

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(手前が「バーフラー級」です。奥の「レナウン」が高速の発機に適した艦型であったことがわかるショットかも)

 

近代戦艦基本仕様の確立

マジェスティック級」戦艦(1895年から就役:同型艦9隻)

ja.wikipedia.org

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(「マジェスティック級」戦艦の概観:98mm in 1:1250 by Navis)

同級は「ロイヤル・サブリン級」の改良型で、前級で完成後に課題とされた露砲塔は密閉装甲砲塔に改められました。

ハーヴェイ・ニッケル鋼の採用で装甲厚を前級の半分とできたので、その分でカバー範囲を拡大、さらに前述の主砲の密閉装甲砲塔形式での搭載などが可能となりました。

主砲には新設計の35口径30.5センチ砲を採用して貫徹力をほぼ倍に強化しています。

兵装を見ると、同砲を連装砲塔2基に装備した他、副砲は40口径15.2センチ単装速射砲を12基に増強、さらに水雷艇防御用として76mm単装速射砲16基、40mm単装機関砲12基を装備していました。魚雷発射管も5基搭載していました。

船体の大きさは前級とほぼ同し14500トン級で、17ノットの速力を発揮する設計でした。

当時英国は艦隊編成に二国標準主義(二カ国と同時に対峙できる戦力を整備する)を掲げており、9隻が建造されました。

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(「マジェスティック級」戦艦の各部の拡大:同モデルは7番艦「マース」(前期型)のもので、主砲は装弾時に砲身位置を正艦首尾位置に戻す必要がありました)

主砲塔の改良

ネームシップマジェスティック」から7番艦の「マース」までは、揚弾機構が砲塔外に固定されており、装填時には「ロイヤル・サブリン級」同様、正艦種尾方向に砲身位置を戻す必要がありましたが、8番間以降の「シーザー」と「イラストリアス」では揚弾機構が砲塔内に同軸で内蔵されたため、旋回状態のまま次発装填が可能となり、主砲の射撃効率が格段に向上しました。日本海軍「敷島級」の4隻は、同級の8番艦、9番艦を原型として設計されました。

(「マジェスティック級」前期型(上段)と後期型(下段)の主砲塔形状の違い:砲塔基部の形状が異なり、後期型では砲塔と揚弾機構が同軸で回転できたため、砲塔基部が丸型となり、どの方向に主砲塔が向いていても向きを変えずに次発の装填が可能になりました:写真はWTJから拝借しています)

第一次世界大戦時にはすでに前弩級戦艦の時代は終わり旧式化していましたが、輸送艦砕氷艦警備艦等の補助艦的な役割で全艦が参加しています。

 

「カノーパス級」戦艦(1899年から就役:同型艦6隻)

ja.wikipedia.org

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(「カノ―パス級」戦艦の概観:99mm in 1:1250 by Navis)

同級は「ロイヤル・サブリン級」戦艦に対する「バーフラー級」二等戦艦と同様に、極東地域での運用を想定して設計された「マジェスティック級」戦艦の高速軽量版です。

マジェスティック級」で採用されたハーヴェイ鋼からクルップ鋼への変更で、装甲厚をさらに減じる事ができたので、軽量化(13000トン級)が叶い、高速化(18ノット)を実現しています。

兵装は「マジェスティック級」にほぼ準じて火力は同等、装甲砲塔も揚弾機構を内蔵したものとされたため、砲塔位置をそのままに次発装填が可能でした。加えて軽量化にも関わらほぼ同等の防御力を有していました。

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(「カノーパス級」戦艦の各部の拡大:同級では副砲はケースメート形式で搭載され(写真上中段)、煙突は前後に装備されました(写真下段))

外観的な特徴として、新ボイラーの採用で前級までは2本並列であった煙突が、前後設置に改められました。6隻の同型艦が建造され、主として地中海方面で運用され、2隻が戦没しています。

 

「フォーミダブル級:ロンドン級」戦艦(1901年から就役:同型艦8隻)

ja.wikipedia.org

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(「フォーミダブル級/ロンドン級」戦艦の概観:102mm in 1:1250 by Navis)

同級は前出の日本海軍が建造した「敷島級」戦艦が「マジェスティック級」戦艦を原型としながらも同級を大きく上回った性能を有しているところに刺激を受けて「マジェスティック級」の改良型として設計されました。

主砲にはそれまでの35口径砲に変えて強力な40口径砲が採用され、これを連装装甲砲塔2基に搭載しています。副砲もより長砲身の45口径15.2センチ単装砲に強化され、これを12基搭載していました。

防御方式は「カノーパス級」に準じクルップ鋼を採用して「マジェスティック級」を上回る設計でした。

機関出力が増大され、18ノットの速度を発揮できる設計でした。

4番艦「ロンドン」以降の設計の5隻では、防御装甲の配置が変更され、防御範囲の強化等が行われたため、後期型の5隻を「ロンドン級」と分類する場合もあります。

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(「フォーミダブル級・ロンドン級」戦艦の各部の拡大:この二級は防御方式、装甲配置などでの変更点があり、外観的にはほとんど差異がありませんでした:ちなみにここで掲載したモデルはNavisの新シリーズで、細部の再現性が各段に向上しています)

「フォーミダブル級」3隻と「ロンドン級」5隻の合わせて8隻が建造され、第一次世界大戦では主として地中海方面(対トルコ戦線)で戦い、2隻が戦没し1隻が事故で失われました。

 

「ダンカン級」戦艦(1901年から就役:同型艦6隻)

ja.wikipedia.org

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(「ダンカン級」戦艦の概観:102mm in 1:1250 by Navis)

同級はロシア海軍の「オースラビア級」戦艦(艦隊装甲艦:どちらかというと戦艦からの発展系というよりは装甲巡洋艦の強化型と見るべきかも)の就役に刺激されて、英海軍が設計した軽防御高速戦艦の艦級です。

14000トン級の船体に「フォーミダブル級」と同等の兵装を搭載し、装甲厚をやや減じながら性能を向上させた機関の搭載によって19ノットの高速を発揮できる設計でした。

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(「ダンカン級」高速戦艦の各部の拡大)

同型艦6隻が建造され、事故で失われた1隻を除き5隻が第一次世界大戦に参戦しました。うち1隻はUボートの雷撃で、もう1隻が触雷により失われました。

 

日英同盟の申し子(チリ海軍向け建造艦の編入

「スウィフトシュア級」戦艦(1904年から就役:同型艦2隻)

ja.wikipedia.org

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(「スウィフトシュア級」戦艦の概観:114mm in 1:1250 by Navis)

同級はチリ海軍がアルゼンチン海軍の装甲巡洋艦への対抗策として英国に発注していた2隻の高速戦艦です。

11800トン級の船体に、明らかに装甲巡洋艦に対する抑止力的な位置付けを想定したと思われる45口径25.4センチ砲を連装砲塔2基形態で搭載し、さらに長砲身の50口径19センチ単装速射砲14基を装備する設計でした。19ノットの高速を発揮する設計で、これも装甲巡洋艦への対抗を想定したものでした。

英海軍による同級の取得経緯

同級の英海軍への編入にはやや複雑な経緯があり、当時、同級の発注元であるチリとアルゼンチンの間の緊張関係を好まない英国の介入で協定が結ばれ、両海軍が英国とイタリアにそれぞれ発注していた軍艦の売却が決定されました。折からロシア帝国との関係悪化から海軍の強化に努めていた日本海軍から購入の打診があったものの不調に終わり(日本海軍はアルゼンチン海軍がイタリアに発注していた2隻の装甲巡洋艦を購入しました。この2隻が後の装甲巡洋艦「日進」「春日」となります)、この2隻がロシア帝国へ売却されることを懸念した、当時ロシアの極東での勢力拡張を警戒して日本と日英同盟を結んでいた英国が買い取ることになりました。

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(「スイフトシュア級」高速戦艦の各部の拡大:同級はチリ本国の港湾事情に合わせて、艦幅を細身にし、高速発機に適した形状として長い船体を持っています。英海軍の主力艦としてはやや構造が弱いとみなされ、主力艦隊には組み込まれませんでした:ちなみにこのモデルもNavisの新シリーズで、細部の再現性が向上しています)

元々の発注国であるチリ海軍の事情に合わせて設計されたため、船体の形状が縦長(ドックへの入渠を考慮したため船幅が狭い設計でした)で、高速航行には適した形状でしたが、構造的にはやや強固さが損なわれていました。

英国海軍内ではやや異質な設計であるため、他の戦艦との戦隊が組めないなど、運用面で困難がありましたので、主として海外派遣任務に用いられました。

第一次世界大戦では他の旧式艦と同様に地中海方面(トルコ戦線)で活動し、1隻が戦没しています。

 

弩級戦艦の登場

「キング・エドワード7世級」戦艦(1905年から就役:同型艦8隻)

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(「キング・エドワード7世級」戦艦の概観:110mm in 1:1250 by Navis)

同級の設計にあたり、英海軍はそれまでの近代戦艦の基本兵装の構成を大きく見直しました。

米海軍、イタリア海軍で先行して試行された副砲の口径の強化に刺激されて、同級ではそれまでの戦艦の標準主砲(40口径30.5センチ砲)と副砲(50口径15.2センチ単装速射砲:50口径の長砲身砲に強化されています)の間に47口径23.4センチ単装速射砲を中間砲として単装砲塔形式で4基搭載し、火力は格段に強化されています。しかし理論上の火力強化はともかく、実戦では主砲と中間砲の異なる口径の砲の射撃を管制することは困難でした。

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(「キング・エドワード7世級」戦艦の各部の拡大:同級はいわゆる準弩級戦艦で、主砲を補助する中間砲を搭載していました。写真下段の2点は、同級の搭載する中間砲である23.4センチ単装砲塔を拡大したものです:ちなみにこのモデルもNavisの新シリーズで、細部の再現性が著しく向上しています)

船体は15500トン級まで拡大され、英海軍で初めての石炭と重油の混焼缶の採用を含む新型機関の搭載で加速性が高まり、速力も18.5ノットを発揮する設計でした。一方で中間砲、強化された副砲などの影響で重量がかさみ乾舷が低く、荒天時には揺れが大きいなどの課題も抱えていました。

1905年から7年にかけて8隻が就役しましたが、1906年に単一口径主砲装備の革命的な戦艦「ドレッドノート」が就役したことで、一気に同級は(中間砲という概念自体が)陳腐化してしまいました。

第一次世界大戦では2隻が戦没し、残りの艦についても1920年前後に解体されており、短命な艦級でした。

 

「ロード・ネルソン級」戦艦(1908年から就役:同型艦2隻)

ja.wikipedia.org

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(「ロード・ネルソン級」戦艦の概観:108mm in 1:1250 by Navis)

同級は「キング・エドワード7世級」で試みられた中間砲搭載による火力強化をさらに進めて設計で、副砲を全廃し、搭載火力を主砲と多数の準主砲(中間砲)の2種構成としています。

主砲には新設計の45口径30.5センチ砲が採用され、同砲は「ドレッドノート」の主砲としても採用されています。「ロード・ネルソン級」では同砲を連装砲塔2基で搭載しています。準主砲には50口径23.4センチ速射砲が採用され、同砲を各舷に連装砲塔2基と単装砲塔1基で混載していました。同砲は速射性も良好で、水雷艇追尾も可能だったと言われています。

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(「ロード・ネルソン級」戦艦の各部の拡大:同級は片舷に対し30.5センチ主砲4門、23.4センチ中間砲5門を指向することが出来ました。しかし異なる口径(主砲と中間砲)さらに異なる搭載形式(連装砲塔と単装砲塔)の巨砲群を統一して射撃完成することは大変難しかったでしょう。さらに同級の就役時にはすでに単一主砲搭載の「ドレッドノート」が完成済みで、新造時に既に大二線級のレッテルを貼られることになりました)

 

これらの巨砲の多砲塔搭載のために船体は17800トン級となり、防御装甲の一部の増厚など防御の強化策も盛り込まれた設計でしたが、それでも18ノットの速力を発揮できました。

新型主砲の「ドレッドノート」への供給が優先されるなどの影響で、完成と就役が「ドレッドノート」完成後になってしまい、新造艦でありながら二線級戦力という烙印を押されるという状況に甘んじなければなりませんでした。

 

ということで、今回は英海軍の航洋型装甲艦の到達点ともいうべき前弩級戦艦・準弩級戦艦の発達経緯を見てきました。今回ご紹介した艦級の整備中に、極東では日本海軍とロシア海軍の間に「黄海海戦」「日本海海戦」が戦われており、その戦訓(特に「黄海海戦」)から、射撃法、さらに射撃管制法等が模索され、他ならぬ英海軍によって単一口径多主砲搭載の新しい主力艦の形式が生み出されます。そうして主力艦の新たな形式「弩級戦艦」の時代が幕を開けることになるのです。

 

次回はこの続きで英海軍の弩級戦艦の開発系譜のお話、あるいは諸々整備中の新着モデルのお話、いずれかを予定しています

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

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緊急特集:衝撃のShapewaysの破産申請と今後のモデル調達事情について

今回は衝撃のニュースをめぐり、予定を変更してこのお話を。

Shapewaysの破産申請

7月頭に、表題の衝撃のニュースが発信されました。

idarts.co.jp

実はこのニュースの少し前からShapewaysのサイトの挙動が不安定で、外部から攻撃でも受けているのかな、などと首を傾げていたのですが、筆者が上記のニュースに接したのは先週末のことでした。あまりに急な情報でしたので、理解が追いつかず、しかも発表後はあっという間にサイトのMy Pageにためた情報源にも安定的に触れられなくなってしまっていました。

今回はこのお話を中心に、その後の各モデル製作者との対話とか、その辺りお話を。モデル自体のお話はあまり出てきませんので、ご容赦を。

 

重要なモデル調達ルートの喪失

ご承知のように(?)、筆者のコレクションはNavis, Neptune, Rhenania, Hai, Tridentなどの伝統的な金属製モデルの製作者の作品(製品?)と、3D printing modelで公開されるモデルで構成されています。大雑把にいうと主要海軍国のWW1やWW2などのメジャーな時期・国のモデルは伝統的な製作会社の金属製モデルで、そこから外れる未成艦や架空艦、あるいはもっとマイナーな国・時代のモデルは3D printing modelで、というような棲み分けが筆者側に、もしかすると製作者側(特に3D printing modelの製作者の皆さんには既存のモデル製作会社の領域とできるだけ被らないように、と言う意識がチラチラ見えたりします)にもあるように、この状況になって改めて気がついたりしています。この3D printing modelの最大の調達先がShapewaysに出展(出品?)されているモデル製作者の皆さんでした。

それぞれの製作者のページを見ることも筆者にとっては大きな楽しみで、「おお、こういうモデルまであるのか」「ああ、この時代に手をつけ始めたんだなあ」「あれ、このモデルはどの系譜に属するんだ?」「なんでこんな船が設計されたんだろう」などの刺激を受けることが多く、本稿でもそこから脱稿した回も、振り返ると結構あるのです。

 

最近では、筆者の下記の投稿に端を発して、英海軍の装甲艦「ネプチューン」を入手できないかと考えていました。(これが6/30の投稿ですね)

fw688i.hatenablog.com

上掲の投稿のうち、装甲艦「ネプチューン」に関する記述を抜粋しておきます。

装甲艦「ネプチューン」(1883年就役:同型艦なし)

ja.wikipedia.org

(モデルが見当たらず:Hai製のモデルがあるかもしれませんが、見たことはないし、写真も見つけられず:代わりに上のイラストは全体の配置がわかって結構面白い。それにしても、煙突直後以外は帆装が全面展開、ですね)

1881 Year HMS Neptune 5168 Poster 1881 - 1903 | HMS Neptune … | Flickr から拝借しています)

同艦はブラジル海軍向けに建造されていたものを英海軍が完成させたもので、三檣形式・二本煙突の機帆併装艦でした。9100トン級の船体を持ち、14.2ノットの速力を発揮できました。

船体中央部に設けかれた装甲部に主砲塔2基を搭載し、航洋性に配慮した高い艦首楼・艦尾楼が設けられていました。

主砲には31.8センチ前装ライフル砲が採用され、これを連装砲塔形式で艦中央部の装甲部に2基、搭載していました。

(上の図は装甲艦「ネプチューン」の主砲と主要構造物の配置:Wikipediaより拝借)

上掲の図でも明らかなように、主砲塔は両舷側方向への射撃のみが可能で、このため艦首楼には副砲として22.9センチ前装ライフル単装砲が2基収められ、艦首方向への火力を補っていました。

就役後、煙突からの排煙で痛みの激しい中央マストの帆装は廃止され、1886年には中央マスト自体が撤去され、帆装が全廃されました。

閑話休題日本海軍も同艦購入を検討していた(らしい)

同艦は前述のように元々はブラジル海軍向けの装甲艦として建造されたものでした。しかし資金難から工事が進まず、折りからの英海軍の対露戦備として英海軍が購入したのですが、同時期に日本海軍は清国への対抗上の一策として購入を検討していたようです。「高千穂」の艦名が準備されていたとか。

同時期の日本海軍は「扶桑」以外には装甲艦を保有していませんでしたので、もし購入されていれば30センチ級主砲を持つ最大の主力艦として日清戦争に臨んでいたでしょうね。やっぱりモデルが欲しいなあ。どこかにないかな。

****抜粋:ここまで****

 

特に「日本海軍が購入を検討していた」らしい、というあたりが筆者の琴線をいたくくすぐりました。というわけで、どこかにないかな、とまずはいつも頼りのsammelhafen.deで検索。するとそれらしいモデルがHaiから出てはいるのです。

sammelhafen.de

HAI 941, HAI 946:このあたりが1883年(おそらく就役時)、1887年(おそらく搬送撤去後)の姿を再現したモデルのようですので該当するかと。

 

が、これまでみた事はないし、写真も掲載されていません。ebayの友人(出品者)に聞いてみても「ちょっと心当たりがないなあ」という事でした。

では、ということで、次にShapewaysを探ってみたのですが、ここにもそれらしいモデルは見当たりません(今から思えば、この検索のあたりから、やたらサイトが重いなあ、と感じていた記憶があります)。

いずれ、このところ本稿で続けている装甲艦(近代戦艦への過渡期に当たる時期の主力艦)のモデルでお世話になっているBrown Water Navy Miniatureに制作リストに入れてくれ、というお願いはするとして(この方はいつも気持ちよく引き受けてくださいます。しかしいつになるかもあでは?)、まずは類似モデルから自前で似たものを製作してみる、という手順をとることにします。この時代のモデルのラインナップが手厚い、ということで引き続きBrown Water Navy Miniatureのサイトでモデルにあたりをつけていくと、英海軍の「Monarch」がベースとしては使えるんじゃないかと。

寸法は艦幅はほぼピッタリ、しかし全長が「Monarch」が5mmほど長い。

(下の写真はShapewaysに掲載されている「Monarch」のモデルの写真です。上段がデータ販売の仕上がり図、で下段がShapewaysで出力した際の仕上がり見本です)

上掲の「Monarch」のモデルの写真を見ると、煙突から艦首方向の天蓋部分は切除する必要があるでしょうし、煙突もモデルのものを撤去してもう少し細身の2本に換装してやる必要がありそうです。「5mmの全長の調整は切った貼ったで、なんとかなるか?諦めてモデルの寸法そのままでも雰囲気は何とか出せるかも。あるいは思い切ってデータ購入してデータを触ってオリジナルを作ってみようか、その時はあの人に相談すれば」などと検討(妄想?)しながら、上掲の写真を見ていたわけです。

そしていざ購入、という段階でShapewaysのサイトが動かず、やがて冒頭のニュースに触れた、という経緯です。

少し苦言的なことを言うと、実は今日に至るまで、筆者の知る限りではShapewaysからの公式な破産告知はなく、自力で調べなければ、未だに「サイトがおかしいなあ」と思っているかもしれません。発注の仕掛かり等がなかったので、筆者は実害はありませんでしたが、こう言うことは公式になんらかのコメントを出すべきなんじゃないでしょうか?会社としてはそれどころじゃないよ、と言うことなのかもしれませんが。

 

モデル製作者とのコンタクトの再開

さて、これからどうすればいいかな、と考えた際に、大変困ったことに気がついたのです。Shapewaysに出品されているモデル製作者の皆さんとは、一部の例外的なケースを除いてはShapewaysのMy Pageを通じて常にコンタクトしていましたので、サイトへのアクセスが機能しない状況になると(今でも限定的に繋がります。すごく時間がかかるけど)コンタクトの方法を失った形となることに気付いたのでした。

慌ててShapewaysの限定的な接続を見返したり、その他の情報を元にコンタクト探ったりした結果、現時点ではBrown Water Navy MiniatureとModelFunShipyardの2者(社?)とコンタクトをつけることができました。

Brown Water Navy Miniatureの代表からの返信がこちら。

「こっちも寝耳に水でびっくりしているよ。継続してモデルを楽しんでもらいたいので、何か方法を考える時間が欲しいと思っています」と言うコメントをもらいました。「これまでも自前でPrintもしてきているので、そこは独力でもなんとかなるんだが、Shapewaysの発送サービスが使えないのが痛いなあ。特にUSの発送事情が高価でその上ひどいので、継続的に使ってもらえるかどうか、不安です」と言う主旨のコメントが追記されていました。

Shapewaysはオランダに製作拠点(Printの拠点)があり、製作過程、配送過程が全てこちらでもモニターできるようになっていて大変安心だったのです。発送過程に入るとUPSのサービスに引き継がれ、どこまで荷物が来ているのか、通過点での記録が全て開示されます。「ああ、今日、深圳で荷物が引き継がれているから、大体あと2日だな」と言う感じでですね。確かにebayでもドイツやUKの出品者の荷物は大体10日くらい、長くて2週間、と目安がつくのですが、USの出品者からの荷物はいつ届くんだろう、と目処が経他ないのが通常かもしれません。時にはびっくりするくらい早く着くこともあるのですが、10日経ってもまだUS内に荷物が止まっている、なんてこともありましたね。それと配送料が確かに高い。Euro圏のほぼ倍はかかる、と言うのが筆者の認識です。きっとBWNMの代表はこの辺りのことを気にしているんでしょうね。

ModelFunShipyardの方とはFaceBookでコンタクトをつけようとしています。こちらは筆者としては日本海軍の八八艦隊のモデルではShapeways内で最も精度の高いモデルを提供してくださっている、と評価している製作者さんです。fw688i.hatenablog.com

他にも戦艦「陸奥変体」のモデルがラインナップにあったりして、コンタクトを続けていきたいなあと思いコンタクトをとったのですが、ちょうど、先ほど「こっちもびっくりしたよ。とりあえずどう継続してゆくか検討中なので、何か決まり次第、連絡を入れますよ」と言う返事をもらいました。なんとかこちらも継続できそうです。

fw688i.hatenablog.com

 

少し余談:War Time JournalとShapeways

そう言えば、以前、本稿でもエピソードとしてご紹介した記憶があるのですが、筆者にとって別の重要なモデル供給源であったWar Time Journal(WTJ:フランス海軍の前弩級戦艦や、明治海軍の巡洋艦など、随分とお世話になっています)が、彼らのモデルのプリントアウトの依頼先が健康上の理由で廃業すると言う状況に陥り、その際にWTJがモデルの供給ではなくCADデータの供給に切り替えた際、つまりデータ供給は続けるので自前でプリントアウトしてほしいと思っているだが、君は大丈夫か、と言う問い合わせを筆者にしてきたことがあります。その際に、筆者からプリントアウトの受け皿としてShapewaysへの委託を勧めたことがあったのを思い出しました。

その際には、それも検討したがShapewaysとは品質とビジネスモデルのポリシーが異なるので、それは選択できない、と言う回答だったのですが、結果的にWTJにとってはきっと正しい選択だったんだろうなあ、と思っています。結果的にWTJは複数のプリントアウト業者にモデルの製作を移管し、自社はデータ供給に特化しているようなので、筆者としては最近の英国海軍の装甲艦のモデルの大半など、新たなルートで入手できています。おそらくそう遠くない時期に清国海軍の北洋艦隊のご紹介の際などには、その一部のモデルはこのWTJのモデルになると思います。

結果的には、WTJの慧眼、とも言えますので、どこかでこのShapewaysの件、少し彼らと話をしてみてもいいのかもしれません。

 

新たなモデル供給源(Spithead Miniature)とのコンタクト

とまあ、上述のような大きな動きのあった7月前半だったのですが、一方で、新たなモデルの供給元とのコンタクトもありました。

www.facebook.com

上掲のFaceBookのリンクからSpithead Miniatureにアクセスが可能です。

このコンタクトは筆者にとって全く新しいもの、と言うわけではなく、実は数年前に一度コンタクトしていたのですが、それが上掲のShapewaysのグダグダの煽りで再発掘できた、そんな経緯です。

Spithead Miniatureの代表はおそらくUKの人(価格表がポンドで表示されています)で、本稿でこのところ取り上げている前弩級戦艦の登場以前の南北戦争普墺戦争期の、蒸気軍艦、あるいは蒸気装甲艦などに大変力を入れている製作者です。代表はことある毎に「これは私のビジネスではなく趣味なのだ」と言うことを強調しています。

そのモデル供給のスタイルはかなり特殊で、代表が自身の興味領域でモデル製作の計画を開示し、興味のあるメンバーが「サポート」に手を上げます。「サポーター」が二十人ほど集まると、代表はモデル作成に着手、数量を限定したモデルが作成されます。そして完成後は基本「サポーター」として手を挙げたメンバーだけが、モデルの供給を受けられる、と言うシステムで、運営されています。「サポーター」は「サポート」の宣言時点では住所等個人を特定する情報だけを代表に開示し、特にその時点で金銭的なやり取りは発生しません。どの計画を「サポート」するかは自由で、一旦宣言しても必ずしもモデルを購入する必要はないようです。ですので計画によってはいくつかモデルが残り、筆者のような「ゲスト」にも購入希望の順番待ちの列に並ぶ機会が発生するわけです。

現在、筆者は、下記のフランス海軍の装甲艦についての投稿で穴が開いている複数のモデルの順番待ちの列に並んでいます。

fw688i.hatenablog.com

上の写真は筆者が現在購入希望者として順番待ちの列に並んでいるモデル群です。上段の写真のうち、「オセアン:Ocean」「リシュリュー:Richelieu」「コルベール:Colbert」そして下の吹き出しにある「ルドゥタブル:Redoutable」に希望を出しています。「すでに何人かサポーターから取り消しが来ているし、君が希望ありと言ったのは早かったので、可能性高いんじゃない?」と言うコメントはもらっていますが、どうなることか。一点気になっているのはスケールが1:1200なんですよね。多分前回もあまり話を進めなかったのは、このスケールの点と、上記の「サポート」を具体的にどうすればいいのか、あまり理解できなかった、と言うのがあったような。

しかし「サポート」を取り消していいのなら、取り敢えずは手を上げておけばいいじゃないかと思ったのですが、「「サポート」の宣言の取り消しには正当な理由がない限りは、以降他の計画への「サポート」の誘いをかけなくなるので、欲しいものがあった際には順番待ちに並んでもらうことになる。だから「サポート」には慎重に手を上げて欲しい」と言われました。やっぱり何かペナルティがあるんですね。

戊辰戦争の幕府艦隊と官軍艦隊:なんとマニアックな

などと釘を刺しつつも代表は「戊辰戦争には興味があるんじゃなかな、と思っているんだけど」といきなり北越戦線(司馬遼太郎の「峠」で脚光を浴びた河合継之助率いる長岡藩と官軍の戦争)の寺泊海戦(聞いたことなかった!)の参加艦艇の一覧を送ってきて、「何か情報があったらシェアして頂戴」と言われました。取り敢えず少しは情報が手に入った「摂津艦」についての情報を機械翻訳して送っておきました。

確かに代表が送ってくれた計画一覧には「戊辰戦争:Boshin」の項があり、上掲のFaceBookでは下記のような写真を見ることができます。

(上掲の写真は、Spithead Miniatureの戊辰戦争時の幕府艦隊(上段)と官軍艦隊のセット一覧)

別途送られてきた計画表では「もし興味があたら、その旨お知らせを。バッチ2を作成する計画あり」だそうです。「サポーター」募集中、と言うことでしょうね。その表ではここれらは幕府艦隊(写真の7隻:30ポンド)と官軍艦隊(写真の7隻:28ポンド)のそれぞれセットで販売されることになるようです。どちらか一方と言うわけにもいかず両方で送料まで入れると15000円ほどでしょうか。いい値付けだなあ。

まあ手を上げるのは慎重に、と言ってくださっていることでもあるし、もう少し考えてみましょう。

この他にも本稿でも取り上げた「リッサ海戦」なども全部で8セットが記載されています(装甲艦だけでなく、周辺の戦闘も含め木造艦なども含まれています)。こちらはバッチ2の販売を終了、バッチ3のサポーターを募集中、と記載されています。リストを見ているだけでもワクワクします。

 

ということで、今回はShapewaysの破産という衝撃的なニュースが筆者のコレクションにどれだけ影響があるか、というお話でした。

次回はモデルのお話に戻って、前回の続きで英海軍の近代戦艦(前弩級戦艦)のお話、あるいは現在制作中のモデルの完成状況のお話でも、と考えています。

 

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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英海軍の航洋型装甲艦事情(その3):砲塔式装甲艦の系譜(近代戦艦への過渡的設計)

今回は英海軍の航洋型装甲艦の3回目。

英海軍は、砲塔の重量化に伴い、砲塔を中央部に配置する装甲艦「インフレキシブル」に始まり「エイジャックス級」「コロッサス級」と中央砲塔艦を建造してきましたが、この形式では、折角強力な主砲を搭載しながらも舷側方向を中心とした射界しか得ることができず、そのような中央砲塔艦の限界を踏まえて、以下でご紹介する「アドミラル級」装甲艦では上部構造物の前後に砲塔を配置する形式に回帰(この形式は既に中央砲塔艦の艦級群の前に建造した「デヴァステーション級」装甲艦と、それに続く「ドレッドノート」(五代目)で経験済みでした)する形式が採用され、次第に近代戦艦(前弩級戦艦)の基本形が形作られてゆきます。

今回はそういうお話です。

 

露砲塔式装甲艦(後装式主砲搭載)

「アドミラル級」装甲艦(1882年から就役:3形式6隻)

ja.wikipedia.org

(「アドミラル級」装甲艦の3形態:右から「コリンウッド」「ロドネー級」「ベンボウ」の順)

同級では強力な主砲に広い射界を確保するために、主砲は上部構造物の前後、中心線上に配置されています。同級では「デヴァステーション級」や「ドレッドノート」(5代目)では中央砲郭形式の流れから砲塔が中央砲郭内に配置され十分な上部構造物のスペースが確保できなかった反省を踏まえ、砲塔間に十分なスペースが与えられる設計となりました。ここに副砲・艦橋・司令塔・煙突・吸気筒などを配置した広い上部構造物が設置されました。

主砲は25口径から30口径のこれまでよりも長砲身の後装ライフル砲が選択され、火力が充実しています。これらの主砲は波浪等を避けるために上甲板から一段高い位置に置かれましたが、一方で全周囲型の砲塔形式は重量が大きくなり復元性への影響も配慮されて、十分に防御された砲台基盤に砲身を剥き出しのまま載せる露砲塔形式で搭載されました。この形式は波浪や敵弾による損傷のリスクは孕んでいましたが、一方で俯仰角に制限がなく、あわせて後装砲の装填の際の砲尾から放出される砲煙やガスを解放できる利点もありました。

搭載主砲の口径の違いから3種の準同型艦を含む6隻が建造されました。

船体は10600トン級が基本形で、16ノットから17.5ノットの速力を発揮することができました。機関や武装、上部構造物などの基本配置は後の近代戦艦(前弩級戦艦)の基礎となるものでしたが、前後甲板の乾舷が十分ではなく、荒天時の運用には困難がありました。

 

装甲艦「コリンウッド」(1882年就役:同型艦なし)

ja.wikipedia.org

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(装甲艦「コリンウッド」の概観:84mm in 1:1250 by WTJ)

「アドミラル級」装甲艦の一番艦で、25口径30.5センチライフル後装砲を主砲として連装露砲塔2基の形式で搭載していました。副砲として15.2センチ単装砲がケースメート形式で片舷3基づつ装備され、他に水雷艇防御用の速射砲多数を搭載していました。

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(装甲艦「コリンウッド」の主要部の拡大:目立つのはやはり上部構造物の前後に配置された露砲塔ですね。防御の施された砲台基板の上に砲身が剥き出しのまま配置されています。次発装填は写真では砲台基板の外側の突起部分から行われる構造でしたので、装填時には砲身を正艦首尾方向に戻す必要がありました。モデルで目立ちませんが、副砲は上部構造物の舷側中段に搭載されていました)

「アドミラル級」の中では最も小柄な9600トン級の船体を持ち、9600馬力の機関を搭載し16.8ノットの速力を出すことができました。

 

閑話休題:ライフル砲と滑空砲

ライフル砲は、いわゆるライフル銃と同様に砲身の内部に螺旋状のスジを刻み(ライフリング)砲弾に回転を与え射程の延伸と弾道の安定を狙って開発されました。しかし前装砲全盛の時代には、装填時の作業性が劣る(溝に沿って砲弾を砲口から押し込める作業が必要)、かつ砲弾の製造過程も複雑になる(丸い砲弾に鋲などを埋め込んで溝を拾う仕掛けを盛り込む必要がある)などの要因から、一部にしか使用されず、普及は後装砲の開発を待たねばなりませんでした。

ナポレオン期の戦列艦(いわゆる我々が帆船模型として良く知る軍艦)ではその搭載砲のほとんどは前装式の滑空砲だったわけです。

原理的な理解で言えば、ライフル砲は滑空砲に比べ長い射程での命中精度が高くなるのですが、この当時は艦砲は未だ砲側照準の時代で、せいぜい2000メートル程度が有効射程でした。まあそういう射撃法が主流の時代でもあったので、被弾に対しても低い弾道を想定しておけばよく、露砲塔が採用されていたのではあるのですが。

一方、近年の戦車砲など射程の比較的短い火砲では、砲弾の回転が砲弾性能を減衰させるケース(HEAT弾などはメタルジェットの噴出で装甲を貫通するのですが、砲弾に回転を与えるとメタルジェットの収束を弱めて、威力が減衰してしまいます)があり、滑空砲が主流になっています。

 

「ロドニー級」装甲艦(1884年から就役:同型艦4隻)

ja.wikipedia.org

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(「ロドニー級」装甲艦の概観:84mm in 1:1250 by WTJ)

「アドミラル級」装甲艦の2番艦から5番艦で、主砲が強化され30口径34.3センチライフル後装砲とされ、砲弾の威力はもちろん最大射程も延伸されてます。これを主砲として連装露砲塔2基の形式で搭載していました。副砲には「コリンウッド」と同じ15.2センチ単装砲6基がケースメート形式で片舷3基づつ装備され、他に水雷艇防御用の速射砲多数を搭載していました。f:id:fw688i:20240707105856j:image

(「ロドニー級」装甲艦の主要部の拡大:搭載砲の口径が「コリンウッド」より大きな34.3センチに強化されていルコとを除けば、装填法などは同じ機構です

10300トンから10600トンの船体を持ち、11500馬力の機関を搭載し17ノットの速力を出すことができました。

 

装甲艦「ベンボウ」(1885年就役:同型艦なし)

ja.wikipedia.org

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(装甲艦「ベンボウ」の概観:84mm in 1:1250 by WTJ)

同艦は「アドミラル級」装甲艦の6番艦で、搭載予定の30口径34.3センチライフル後装砲が間に合わず、41.3センチ後装砲を単装露砲塔2基の形式で搭載していました。単装砲となった露砲塔の影響でやや搭載主砲の重量減を受けて、副砲には「コリンウッド」と同じ15.2センチ単装砲が各舷ケースメート形式で5きづつ、計10基搭載され、他に水雷艇防御用の速射砲(57ミリ、47ミリ)が多数搭載されました。f:id:fw688i:20240707110207j:image

(装甲艦「ベンボウ」の主要部の拡大:「ベンボウ」は上部構造物の前後の露砲塔に41.3センチ単装砲を搭載していました)

10600トンの船体を持ち、11860馬力の機関を搭載し17.5ノットの速力を出すことができました。

 

露砲塔:バーベットと揚弾筒:次発装填の話

直下に示した図は「アドミラル級」の「ベンボウ」の搭載主砲と露砲塔の構造を示したものです。(Wikipediaより拝借しています)

上図からわかるように、次発装填の際には主砲砲身が載せられている旋回砲台(図の円形の台)外にある揚弾筒(四角いハッチ)の位置に砲身位置を戻し、さらに仰角をかけて砲尾を装填口に合わせる必要がありました。これは「アドミラル級」装甲艦の他の口径主砲を搭載した艦でもほぼ同じ機構で、装填作業は蒸気ポンプによる水圧によって行われ、人力の補助が必要でした。この次発装填に有する時間は2−3分であったと言われています。

 

再び装甲砲塔式装甲艦

「ヴィクトリア級」装甲艦(1887年から就役:同型艦2隻)

ja.wikipedia.org

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(「ヴィクトリア級」装甲艦の概観:89mm in 1:1250 by WTJ:艦首部に装甲主砲塔1基を装備するという特徴的なフォルムをしています)

同級は「アドミラル級」装甲艦の防御が十分ではないとの反省に基づき、改良型として設計されました。装甲範囲の拡大や装甲厚事態の見直しが行われ、さらに当時急速に発達しつつあった速射砲の被弾防御のため、全周囲型装甲砲塔が復活しています。

比較的波浪の穏やかな地中海での運用を想定して設計され、10500トン級の船体に14200馬力級の機関を搭載して17.3ノットの速度を発揮することができました。

主砲には「ベンボウ」と同じ30口径41.3センチ砲が採用され、これを連装砲塔1基に収めて搭載しています。同砲は当時の最強砲でしたが、前出のように旋回砲塔外での装填機構を有しており、装填時には砲身位置を揚弾筒位置に戻し仰角をかけるなどの作業が必要で、次発の装填に4−5分を要しました。

また同砲を連装砲塔1基にまとめて艦首部に搭載したため、後方への射撃ができず、副兵装として 25.4センチ単装砲を艦尾甲板に搭載していました。さらに副砲には15.2センチ単装砲を12基装備していましたが、同級から、これら副砲は速射砲が採用されました。加えて水雷艇防御用の速射砲多数を搭載していました。f:id:fw688i:20240707110532j:image

(「ヴィクトリア級」装甲艦の主要部の拡大:低い乾舷の艦首部に大きな全周囲装甲の連装主砲塔を搭載しています。主砲塔は艦尾方向に向ける事がかなわないので、その補完を狙って艦尾には防楯付きの25.4センチ単装砲が搭載されています(写真下段))

強力な火力を持つ同級は地中海艦隊の旗艦など主軸を務めましたが、装甲重量等の増加、装甲砲塔の復活等もあって、同級の乾舷は3メートルしかなく、波浪時には主砲の射撃に支障があったとされています。さらに1893年に地中海艦隊旗艦を務めていた「ヴィクトリア」は戦艦「キャンパータウン」(前出の「ロドネー級」2番艦)と衝突しわずか15分で沈没、乗員の半数を失うという事故に遭遇するのですが、この沈没までの時間の短さも、この乾舷の低さに一要因があったと言われています。

 

「トラファルガー級」装甲艦(1887年から就役:同型艦2隻)

ja.wikipedia.org

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(「トラファルガー級」装甲艦の概観:85mm in 1:1250 by WTJ:「ドレッドノート」(5代目)に先祖帰りしたような平甲板型の世帯を持っています)

同級は「アドミラル級」「ヴィクトリア級」の防御設計をさらに強化した艦級です。装甲範囲の拡大、装甲厚の向上などが行われ12000トン級に増大した排水量に対する防御重量は35%に達しています。

船体の構造は平甲板型で、沿岸装甲砲艦的な性格の強い装甲艦「ドレッドノート」(5代目)に近い構造でした。

主砲には「ロドネー級」と同じ30口径34.3センチ後装ライフル砲が採用され、これを連装装甲砲塔2基の形式で上部構造物の前後に搭載しました。副砲には12センチ単装速射砲が片舷3基づつ、これに加えて従来の速射砲(57mm, 47mm)が搭載され、より水雷艇防御に力点を入れた火力構成となりました。f:id:fw688i:20240707110927j:image

(「トラファルガー級」装甲艦の主要部の拡大:低い乾舷の艦首部、艦尾部に設置された装甲連装主砲塔と舷側のケースメート式で搭載された副砲は、のちに開発される近代戦艦の基本装備となりました)

速力は16.8ノットを発揮する設計でしたが、乾舷が5メートルしかない低乾舷の平甲板型の船体で凌波性には課題があり、13ノットに制限がかかる場面もあったようです。しかし本来が地中海での運用を想定して設計された同級でしたので、それほど大きな問題にはなりませんでした。

 

装甲艦「フッド」(1893年就役:「ロイヤル・サブリン級」戦艦の8番艦)

en.wikipedia.org

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(装甲艦「フッド」の概観:96mm in 1:1250 by WTJ:上部構造物の前後に大きな装甲連装砲塔を搭載しています)

同艦は近代戦艦(前弩級戦艦)の基本形となったと言われる「ロイヤル・サブリン級」戦艦の8番艦として設計されました。しかし当時の英海軍軍令部長であったフッド大将の強い要望で主砲塔が原設計の露砲塔形式(1番艦から7番艦)から密閉式装甲砲塔に改められ、この重量増に伴い低乾舷艦となって完成しました。

f:id:fw688i:20240707111234j:image

(装甲艦「フッド」の主要部の拡大:装甲連装主砲塔の搭載による重量増で、低い乾舷を持つ艦となりました)

結果的にこの試みは失敗で、航洋性・安定性が原型(「ロイヤル・サブリン級」)に対して不良で、速力も所定で0.5ノット遅く、さらに荒天時には13ノット程度の制限がかかるなど弊害が出てしましました。

このため同艦は近代戦艦の分類に入れられず、この項で紹介しています。

 

原型である「ロイヤル・サブリン級」戦艦との比較

f:id:fw688i:20240707111727j:image

(装甲艦「フッド」と原型となった「ロイヤル・サブリン級」戦艦(写真奥)との比較:左下の写真では、乾舷にどの程度の差が生じたのか、わかると思います)

 

参考)近代戦艦の始祖

「ロイヤル・サブリン級」戦艦(1892年から就役:同型艦7隻)

ja.wikipedia.org

f:id:fw688i:20240707111740j:image

(「ロイヤル・サブリン級」戦艦の概観:94mm in 1:1250 by WTJ)

同級は大西洋・北海での運用を想定して高い乾舷を持つ凌波性に考慮が払われた設計でした。

代償として主砲塔は密閉型装甲砲塔を諦め露砲塔としましたが、航洋性は良好で、「強力な火力(30口径34.3センチ連装露砲塔2基)を有し、良好な航洋性を持ち、高速性(16.5ノット)を備えた、近代戦艦(前弩級戦艦)」の基本設計が同級で確立されたとされています。

14100トン級の船体を持ち17.5ノットの速力を発揮することができました。

(詳しくは、本稿でおそらくそう遠くない時期に紹介する「英海軍の近代戦艦の系譜」の回でご紹介するでしょう)

 

ということで、今回は英海軍の航洋型装甲艦の最終形式ともいうべき砲塔式装甲艦の各艦級について見てきました。こうした試行錯誤の中から、次第に近代戦艦の基本形が構成されてゆきます。次は英海軍の航洋型装甲艦はいわゆる近代戦艦(前弩級戦艦)の時代に入ってゆきます。・・・とここまで書いて、これまで英海軍のこの時代、という視点では投稿がないかもしれない、ということに気がつきました。

次回はこの続きで英海軍の近代戦艦(前弩級戦艦)のお話をするか、ちょっと視点を変えて、現在制作中のモデルのお話をするか。どうするか思案中です。

 

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

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