相州の、1:1250スケール艦船模型ブログ 主力艦の変遷を追って

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

模型製作Weekにつき:製作中モデル雑感

本当にすみません。

前回、「次はいよいよ「小沢機動部隊」(本当か?)」(一応、こうなる予感があり「か?」とつけてのですが)と予告したのですが、その前にちょっと見つけた「脇道」に入り込んでいます(シルバーウィークで、時間がありそうなので、模型も触りたいなあ、ということなんですが)。

さらに言い訳ですが、予定していた日本海軍の空母機動部隊の終焉である「レイテ沖海戦時の小沢機動部隊」から遡る形で「機動部隊小史」の形で、手付かずの日本海軍の空母の総覧ミニ・シリーズについては、展開する構想が纏まって来つつあります。

 

このミニ・シリーズ、こんな形の章立てかな、と。(タイトルは全て「仮」です)

レイテ沖海戦:小沢艦隊(第三艦隊:空母機動部隊)日本海軍、空母機動部隊の終焉

真珠湾からインド洋作戦:南雲機動部隊:空母機動部隊構想と栄光

珊瑚海海戦とミッドウェー海戦:初の空母機動部隊戦と続いて訪れた挫折

南太平洋の激戦:勝利と課題、そして消耗

護衛戦力としての空母

マリアナ沖海戦:最後の機動部隊

 

初回の現在準備中のこのミニ・シリーズの初回レイテ沖海戦:小沢艦隊(第三艦隊:空母機動部隊)日本海軍、空母機動部隊の終焉」の冒頭を少し紹介しておくと、こんな感じです。

 

(以下、現在書きかけの原稿のママ)

マリアナ沖海戦以降の日本の機動部隊事情

マリアナの敗北:「マリアナ七面鳥撃ち」

日本海軍はマリアナ諸島攻略を目的に来攻した米機動部隊相手に1944年6月、「あ」号作戦の名のもとに、空母機動部隊による決戦を挑み、大敗します。

詳細はこのミニシリーズのどこかで触れるとして、概略のみをまとめておくと日本海軍は「あ」号作戦に向けて、日本海軍史上初となる空母を中核戦力に正式に据えた第一機動艦隊という艦隊編成を行い、艦隊空母3隻、商船改造中型空母2隻、補助空母4隻という、当時の日本海軍としてはありったけの空母を投入し、これに500機あまり(諸説あるようですが)の艦載機を満載して決戦を挑み、艦隊空母2隻、商船改造中型空母1隻を失い、さらに重大なことは約400機の艦載機とそのパイロットを失ってしまいます。

加えて、「あ」号作戦では空母機動部隊と共に決戦の両輪と目されてマリアナ諸島に展開していた基地航空部隊(第一航空艦隊・第十四航空艦隊)は、この時期までに「見敵必戦」の号令の下、戦力を諸方面に逐次抽出しその都度消耗してしまっており、肝心の「あ」号作戦ではまとまった戦力としては期待できない状況に陥ったまま投入され、そのわずかな残存兵力も壊滅してしまいました。

なぜこのような状況になったかというと、「決戦」構想を立てつつも、その時期、展開地域等については主導権を取れず、つまり来攻する米軍の計画次第、これに対応する、という状況に陥ってしまっていた、ということだと考えています。

元々の日本海軍のアメリカを仮想的とした場合の「艦隊決戦構想」が、太平洋を押し渡ってくる米艦隊を決戦海面に達する以前に捉え、これを暫時減殺しながら主力対決で決着をつける、というものだったので、この原則は変わっていないのですが、航空戦力が海軍戦術の中核となった時点で(そうしたのは日本海軍だったはずなのですが)展開海面の広さ(=索敵海面の広さ)、スピード(=暫時が意味をなすのかどうか)が異なる意味を持ってしまっていました。さらにこれに戦術的な根幹となる航空戦力が「消耗」に、異なる意味を持たせてしまっていた、という事にどれだけ対処できていたか、ということかと考えています。

(今回ご紹介するのは、ここまで)

 

まあ、こんなふうに始まり、この後、「機動部隊再建計画」が続きます。

第一航空戦隊:「雲龍」「天城」(やがて同型艦の「葛城」が加わります):第601海軍航空隊294機(再建目標12月:なぜ雲龍級3隻でこの計画定数なのか、ちょっと不明です) 

第三航空戦隊:「瑞鶴」「千歳」「千代田」「瑞鳳」:第653海軍航空隊182機(再建目標10月) 

第四航空戦隊:航空戦艦「伊勢」「日向」・空母「隼鷹」「龍鳳」:第634海軍航空隊132機(再建目標8月末)

 

そしてレイテ沖海戦への小沢機動部隊投入戦力とその作戦行動」に話が移り、本稿の主題である参加艦艇の模型のご紹介に話が移ってゆきます。f:id:fw688i:20210912132742j:image

(レイテ海戦当時の小沢機動部隊の基幹戦力、第三航空戦隊の空母:「瑞鶴」(艦隊旗艦:左上)、「瑞鳳」(右上)、「千歳」と「千代田」(下段):迷彩塗装は筆者の妄想と未熟な塗装技術の制約が多いですので鵜呑みにしないでください)

で、もちろんこの後個別の艦、艦級のご紹介をするわけですが、この上記の4隻を見るだけでも、4隻のうち3隻が改造空母であり、つまりその母型となった艦船を今、鋭意、整理中、そのご紹介が今回のタイトルにつながって来ます。

以上、例によって「脇道」に逸れる長〜い言い訳です。今回はこんなお話、というか中間報告、でご容赦を。

 

製作中あるいは整理中のモデルのご紹介

実は日本海軍の空母には、艦隊空母として最初から設計されたものは、多くはありません。最初の空母である「鳳翔」、中型空母の「飛龍級」、その量産系である「雲龍級」、大型艦隊空母である「翔鶴級」、重装甲空母である「大鳳」くらいです。

そしてそれらを補助する補助空母は、全て他の艦種からの改造艦、もしくは商船改造であるため、やっぱり母型となった艦もちょっと触れてみたい、というわけです。(多分、商船改造、までは手が回らない、かも)

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(母型の概観:上から「千代田級」水上機母艦潜水母艦「大鯨」、「剣崎級」潜水母艦


水上機母艦「千歳」「千代田」

ja.wikipedia.org

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(「千代田級」水上機母艦の概観:by Delphin)

ロンドン軍縮条約では各国海軍に保有空母についても制限がかけられます。

一方で一万トン以下、速力20ノット以下の補助艦艇については制限対象ではなく、日本海軍は戦時に空母への改造を前提とした設計の補助艦艇の整備を進めて行く事になります。

「千代田級」水上機母艦はその構想の元、設計されました。

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(「千代田級」:空母形態(上)by C.O.B. Constructs and Miniatures と水上機母艦形態の比較)

概ね全体の外観は元のモデルのままでいいと考えていますが、もう少し塗装に手を入れましょうかね。

 

潜水母艦「大鯨」

ja.wikipedia.org

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潜水母艦「大鯨」の外観:by Masters of Military)

上掲の「千代田」「千歳」と同様の構想で設計された、戦時の空母への改装を前提とした潜水母艦です。「千歳」「千代田」よりももっと露骨に空母への転用意図が伺える艦型ですね。

モデルはいつもお世話になっているShapewaysで入手したものです。

www.shapeways.com

このモデル、潜水母艦「大鯨」と工作艦「明石」、給兵艦「樫野」の3隻セットという大変マニアックなセレクションです。ちなみに「樫野」は給兵艦と呼称されていましたが、実際には「大和級」戦艦の砲塔運送艦で、「大和級」戦艦の46センチ主砲の砲身や砲塔を運ぶために専用に造られた「重量物運搬艦」でした。「大和級」の主砲は呼称を「九四式四十糎砲」として口径が46センチであることは最高機密扱いでしたので、同趣旨から本艦も機密保持の一環から「給兵艦」と分類され他という裏話があったようです。

「大鯨」に話を戻すと、ほぼモデル原型のまま、マストと武装(主兵装である40口径八九式12.7cm連装高角砲)に少し手を入れ、塗装を施しています。

まあ、ほぼ完成、かな?

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(空母「龍鳳」(上)と母型となった潜水母艦「大鯨』の比較:いずれもMaster of Military製:またの機会に詳しく)

改造後、空母「龍鳳」となるわけですが、こちらも同じくShapewaysで調達したモデルを作成しています。

 

「剣埼級」潜水母艦(高速給油艦

こちらは「瑞鳳」の母体となった艦級です。

ja.wikipedia.org

同級の構想は上記の潜水母艦「大鯨」とほぼ同一設計で、ただし「大鯨」のような空母転用の構想が露わになる上部構造を持つ潜水母艦ではなく、上部構造を持たない高速給油艦として設計されました。しかしその後、建造着手が条約失効後(日本は条約の延長に応じず、破棄を予定していました)となることが明らかとなったため、空母改造への布石を先行させ「大鯨」と同様の上部構造を持つ「潜水母艦」として設計変更され着工しました。

ネームシップの「剣埼」と同型艦の「高崎」が建造されましたが、「剣埼」のみ潜水母艦として完成し、後に空母「祥鳳:へ改造されました。一方「高崎」は潜水母艦として完成を見ることなく建造途中から「空母」へ設計変更され、空母「瑞鳳」として完成されています。f:id:fw688i:20210919125920j:image

(「剣崎級」潜水母艦の外観:Delphin製「千代田」級水上機母艦をベースとしたセミ・スクラッチ:製作中)

この艦級(「剣埼級」潜水母艦)は筆者の知る限り市販モデルがなく(手作りの木製モデルがebayに出品されているのを見たことがあります。これまでに見たのはその程度)、結局、筆者のストックモデルから若干の船体延長などサイズ変更などすれば使えそうなDelphin製の水上機母艦「千歳」の船体を流用し(上掲の写真の乾舷中央、艦橋やや後ろの白い部分が船体延長のために挿入されたプラ板です)、上部構造をプラロッドで製作するなどして、セミ・スクラッチの途上です。

実はネット上で外観把握できるような図面が見当たらず、書籍を入手するなど、概要を把握するのに、少し時間がかかってしまいました。

この後、もう少しディテイルを補足したのち、塗装を施して完成です(手順としては、塗装をしたのちに細部の補足、ですね)。

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(「祥鳳級」空母(上)と母型となった「剣埼級」潜水母艦の比較:またの機会に詳しく)

 

というわけで、今回はさくっとここまで。

次回は、いよいよ「小沢機動部隊」(今度こそ本当か?)。

日本海軍の空母機動部隊の終焉、ということで、冒頭に構想を長々書いた「日本海軍の機動部隊小史」としてのミニ・シリーズ、日本海軍の空母の総覧を開始する予定です。

 

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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米海軍:護衛空母;レイテ沖海戦・第七艦隊第77任務部隊・第4群から

予告ではレイテ沖海戦に参加した日本海軍の中で唯一残った「小沢機動部隊」のご紹介となっていましたが、やはりもう少し準備が必要です。

そこで今回は「繋」的に、前回レイテ沖海戦のサマール沖海戦で第一遊撃部隊に追い回された米第七艦隊の護衛空母の関連で、米海軍の護衛空母を簡単にご紹介します。

 

米第七艦隊 第77任務部隊(Task Force 77)

米第七艦隊は、マッカーサーの率いる米南西太平洋方面軍の指揮下にあって、侵攻軍の輸送ととその護衛、さらに侵攻軍の作戦を海空から支援する役割を負っていた艦隊で、トーマス・キンケイド中将が率いていました。

同艦隊は、第70任務部隊、第77任務部隊、第78任務部隊、第79任務部隊の4つの任務部隊(Task Force)を基幹に構成されていましたが、このうち第70任務部隊は、マッカーサー司令部直属部隊で第78、第79の両任務部隊は上陸軍の輸送船団とその直衛のあたる護衛艦艇で編成された部隊でした。そして第77任務部隊が上陸軍に対する砲撃支援や航空支援を与えるいわゆる水上艦隊でした。

第77任務部隊は6つの戦闘群(Task Group)で構成され、第1群は前哨の潜水艦部隊、第2群が支援射撃部隊で旧式戦艦6隻に巡洋艦9隻・駆逐艦29隻で構成される水上戦闘部隊で、スリガオ海峡で西村艦隊、志摩艦隊を迎え撃ったのは第七艦隊本隊から魚雷艇部隊の補強を受けて強化されたこの部隊でした。

第77任務部隊 第2群(Task Group 77.2)の戦艦群

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(直上の写真:戦艦ニューメキシコレイテ沖海戦時の概観:152mm in 1:1250 by Neptun)

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(直上の写真: テネシー・カリフォルニア(テネシー級)のレイテ沖海戦時の概観:152mm in 1:1250 by Neptun)

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(直上の写真:戦艦ペンシルバニアののレイテ沖海戦時の概観:147mm in 1:1250 by Superior)

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(直上の写真:戦艦メリーランドののレイテ沖海戦時の概観:152mm in 1:1250 by Neptun)

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(直上の写真:戦艦ウエスト・バージニアののレイテ沖海戦時の概観:152mm in 1:1250 by Neptun)

 

第77任務部隊第2群(Task Group 77.2)の巡洋艦

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(直上の写真:重巡洋艦ルイビルノーザンプトン級)の概観:146mm in 1:1250 by Neptun)

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(直上の写真:重巡洋艦ポートランドポートランド級)の概観:148mm in 1:1250 by Neptun)

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(直上の写真:重巡洋艦ミネアポリスニューオーリンズ級)の概観:142mm in 1:1250 by Neptun)f:id:fw688i:20200509234555j:image

(直上の写真:オーストラリア海軍重巡洋艦オーストラリア(ケント級)の概観:152mm in 1:1250 by Neptun)f:id:fw688i:20210425110936j:image

(直上の写真:オーストラリア海軍重巡洋艦シュロップシャー(ロンドン級)の概観:152mm in 1:1250 by Neptun)f:id:fw688i:20200607144055j:image

(直上の写真:軽巡洋艦デンバー・コロンビア(クリーブランド級)の概観:150mm in 1:1250 by Neptun)f:id:fw688i:20200607144028j:image

(直上の写真:軽巡洋艦ボイシ・フェニックス(ブルックリン級)の概観:150mm in 1:1250 by Neptun)

オルデンドルフ少将が率いていたため、オルデンドルフ部隊として紹介されることが多いようです。栗田艦隊が作戦通りにレイテ湾に突入していたら、まずこの部隊と砲火を交えたことでしょう。

 

これに続く第4群がこれから紹介する上陸軍に航空支援を提供する護衛空母部隊、第5群は輸送艦隊に進入路を開く掃海部隊、第6群は対潜水艦部隊、第7群は補給・修理・救護等の支援部隊

 

第77任務部隊 第4群(Task Group 77.4)

同戦闘群は、上陸軍に直接航空支援を行うことを任務に編成された部隊です。群指揮官はトーマス・スプレイグ少将で指揮下の部隊はさらに三つの護衛空母集団に分かれていました。

第1集団:タフィ1(Task Unit 77.4.1:Taffi 1)トーマス・スプレイグ少将直卒:護衛空母6隻、駆逐艦3隻、護衛駆逐艦6隻

第2集団:タフィ2(Task Unit 77.4.2:Taffi 2)フェリックス・スタンプ少将:護衛空母6隻、駆逐艦3隻、護衛駆逐艦6隻

第3集団:タフィ3(Task Unit 77.4.3:Taffi3)クリフトン・スプレイグ少将:護衛空母6隻、駆逐艦3隻、護衛駆逐艦4隻

これら18隻の護衛空母のうち4隻が「サンガモン級」、残りは「カサブランカ級」でした。

 

サンガモン級護衛空母

ja.wikipedia.org

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(モデルは未入手ですが、直上の写真は「サンガモン級」のベースとなったT2型油槽船をベースとして建造された「コメンスメント・ベイ級」のモデル。大体の大きさはこんな感じかと。by Hansa or Dejphin?
)

同級は、「ボーグ級」護衛空母の建造計画に対し改造の母体となるC3型貨物船の船体が不足したため急遽T2型油槽船(シマロン級給油艦)を4隻護衛空母として転用、完成させた艦級です。このため前級「ボーグ級」次級の「カサブランカ級」よりも船体が大きく、飛行甲板が広く取れたため、唯一F6Fヘルキャットをカタパルト無しで発艦できる護衛空母となりました。

また元々が給油艦の改装であるため給油能力を備えた艦級でした。速力は19knotを発揮することができました。

搭載機は当初戦闘機12機、艦上爆撃機9機、艦上攻撃機9機という構成でしたが、後に戦闘機18機、艦上攻撃機12機を定数としていました。

4隻すべてが上記のタフィー1に所属しており、補充航空機の受け取りに出向いていた「シェナンゴ」以外はレイテ沖海戦に参加しています。

 

カサブランカ級護衛空母

ja.wikipedia.org 

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 (「カサブランカ級」護衛航空母艦の概観。123mm in 1:1250 by Last Square) 

 同級は前級までの護衛空母が既存の商船を転用改造して建造されたのに対し、戦時標準貨物船の設計をベースに護衛空母として改設計され完成された艦級です。設計の見直しにより19.25knotの速力を発揮することができました。

50隻が量産され、サマール島沖海戦で1隻が日本海軍の第一遊撃艦隊との交戦で失われ、1隻が神風特攻を同じくレイテ湾で受け失われています。

前級「サンガモン級」に比べやや船体が小さくなったため、搭載機波28基となりました。

 

サマール沖海戦

前回ご紹介したように、レイテ沖海戦の期間中に、サマール島沖を航海中のタフィ3をレイテ湾突入直前の栗田艦隊が発見し、攻撃しました。

栗田艦隊ではこの小さな護衛空母群を正規空母機動部隊の一部と誤認し、全力でこれを追撃し砲撃の末、「ガムビア・ベイ」と駆逐艦2隻、護衛駆逐艦1隻を撃沈する成果を出しますが、一方でタフィ3から発信した搭載機の反撃で重巡洋艦4隻が戦列から離脱する損害を受けました(うち3隻が沈没)。この結果、サマール沖海戦後の戦闘可能な重巡洋艦はわずか2隻となってしまいました。

正規空母部隊の一部との誤認と、この損害(大きな損害が出たことも、正規空母部隊との認識の「証左」と捉えられたかもしれません)から、栗田艦隊はレイテ湾突入から米機動部隊捕捉撃滅へと作戦目標を改め、進路を北へと反転するわけです(有名な「栗田艦隊の謎の反転」ですね)。

こうして、レイテ沖海戦は当初の目的であった「レイテ侵攻軍への攻撃」というクライマックスのないまま、終末を迎えるのですが、改めてタフィ3という小さな部隊の果たした大きな役割に想いを致したわけです。

 

この海戦で失われた護衛空母「ガムビア・ベイ」を主人公とした書籍が出ています。Amazon等で文庫本であれば比較的簡単に中古書籍を入手できます。大変興味深い一説、お勧めです。

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というわけで、米海軍の量産型護衛空母をこの機会にご紹介してしまいましょう。

米海軍の量産型護衛空母

量産型護衛空母の第一陣

ボーグ級護衛空母

ja.wikipedia.org

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(「ボーグ級」護衛空母の概観:119mm in 1:1250 by Neptun)

そもそも同級はドイツ海軍のUボートの跳梁に苦しむイギリスの救済目的で量産された護衛空母です。同級に先立ち、米国はイギリスに「チャージャー級」護衛空母(イギリス名は「アヴェンジャー級」)を貸与していましたが、同級はC3型貨物船を完成後に空母に改装したもので、3隻が改造されイギリス海軍に貸与されました

アヴェンジャー級航空母艦 - Wikipedia

貨物船からの改装であったため、装備は十分とが言えず搭載機も15機に止まりました。

それでも輸送船団にエア・カバーを提供することは有効で、対潜水艦戦用の護衛空母という構想がさらに進められることになりました。そして「チャージャー級」での実績から、同じ建造途上のC3型貨物船(「チャージャー級」は建造後の改装)の船体を利用して格納庫の配置やエレベータの増設など、より空母の機能を充実した設計へと改造された「ボーグ級」が建造されました。

短い飛行甲板のハンディを補うためにカタパルトを装備しているところは「チャージャー級」と同様でしたが、エレベータは1基増設され、搭載機の運用効率を上げることができ、搭載機も24機と大幅に増やされました。速力は18.5knotを出すことができました。

45隻が建造され、うち34隻が英海軍に貸与されました(英海軍での呼称は「アタッカー級」)。

 

最後の護衛空母

コメンスメント・ベイ級護衛空母

ja.wikipedia.org

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(「コメンスメント・ベイ級」護衛空母の概観:135mm in 1:1250 by Neptun)

同級は米海軍が建造した最後の護衛空母の艦級です。前級「カサブランカ級」が「ボーグ級」の改造母体となったC3型貨物船の船体設計を空母に適するように設計図面から見直して建造されたのに対し、同級は「サンガモン級」の母体となったT2型油槽船の船体設計図をベースにして設計を見直して建造されました。

搭載機の発艦能力を向上させるためにカタパルトを従来の1基に加え、大型カタパルト1基を増設しています。速力は19.25knotを発揮することができました。

搭載機は戦闘機18機と艦上攻撃機12機を定数としていました。

35隻の建造が計画されていましたが、第二次世界大戦に間に合ったのは10隻だけで、16隻が戦争終結に伴いキャンセルされました。

建造された艦は大型カタパルトを搭載したことで、長く現役に止まることができました。

 

米海軍の量産型護衛空母、まとめとしては、基本はC3型貨物船かT2型油槽船の船体自体を流用、もしくは設計図面を流用して建造されました。

小さな船体のハンディを克服するためにカタパルトを搭載しています。設計当初は対潜水艦哨戒、あるいは対潜水艦戦の担当艦船でしたが、後には航空機輸送や上空部隊への航空支援等の幅広い任務に活躍しました。「海のジープ」と呼ばれたとか。

開発順を見ておくと、

「ボーグ級」45隻(うち34隻が英海軍に貸与)

「サンガモン級」4隻

カサブランカ級」50隻

コメンスメント・ベイ級」19隻(計画35隻:16隻が戦争終結時にキャンセル)

という順序になります。

多岐の任務に従事しながらも、就役数に対し損害は意外に小さく、「ボーグ級」が1隻、「カサブランカ級」が5隻、それぞれ大戦中に失われました。

 

というわけで、今回はさくっとここまで。

次回は、いよいよ「小沢機動部隊」(本当か?)。日本海軍の空母機動部隊の終焉、ということで、「レイテ沖海戦での小沢機動部隊」から、時間を遡る形で「日本海軍の機動部隊小史」として複数回のミニシリーズにしてしまいましょうかね。「日本海軍の空母」やるやる、と言いながら実現できていないので、こういう形で総覧するのも「あり」かと。次回はまずその一回目、ということで「レイテ沖海戦時の小沢機動部隊」を。

 

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

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特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

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レイテ沖海戦:栗田艦隊(その2):第一遊撃部隊 第二部隊とレイテ沖海戦の概要(経緯)

今回は前回に引き続き、第一遊撃部隊 第二部隊のお話です。

 

第一遊撃部隊は第二艦隊を基幹部隊とし、第十戦隊他を加えて編成されていました。

少しおさらい。最終的なレイテ突入部隊の戦闘序列は以下の通り。

 

第一遊撃部隊(第二艦隊を基幹に第三艦隊所属の第十戦隊で編成):  司令長官:栗田健男中将     

第一部隊(指揮官:栗田健男中将直率)

        第四戦隊(司令長官直率)重巡洋艦 愛宕、高雄、摩耶、鳥海

        第一戦隊(司令官:宇垣纏中将)戦艦 大和、武蔵、長門

        第五戦隊(司令官:橋本信太郎中将)重巡洋艦 妙高、羽黒

        第二水雷戦隊(司令官:早川幹夫少将)軽巡洋艦 能代駆逐艦島風

            第二駆逐隊 駆逐艦 早霜、秋霜:夕雲級駆逐艦

            第三十一駆逐隊 駆逐艦 岸波、沖波、朝霜、長波:夕雲級駆逐艦

            第三十二駆逐隊 駆逐艦 浜波、藤波:夕雲級駆逐艦

 

第二部隊( 指揮官:鈴木義尾第三戦隊司令官

        第三戦隊(司令官:鈴木義尾中将)戦艦 金剛、榛名

        第七戦隊(司令官:白石萬隆中将)重巡洋艦 鈴谷、熊野、利根、筑摩

        第十戦隊(司令官:木村進少将)軽巡洋艦 矢矧

            第十七駆逐隊 駆逐艦 浦風、磯風、雪風、浜風陽炎級駆逐艦

            第三隊※臨時編成 駆逐艦 清霜:夕雲級駆逐艦、野分陽炎級駆逐艦

 

第三部隊(指揮官:西村祥治第二戦隊司令官

        第二戦隊(司令官:西村祥治中将)戦艦 山城、扶桑

         第二戦隊直掩:重巡洋艦 最上  駆逐艦 時雨:白露級駆逐艦

           第四駆逐隊 駆逐艦 山雲、満潮、朝雲朝潮駆逐艦

 

第二遊撃部隊(第五艦隊基幹:志摩艦隊)司令長官:志摩清英中将

第二十一戦隊(第五艦隊司令長官直率)重巡洋艦 那智、足柄

第一水雷戦隊司令官:木村昌福少将)軽巡洋艦 阿武隈

   第七駆逐隊 駆逐艦 曙、潮

   第十八駆逐隊 駆逐艦 霞、不知火

 

第一遊撃部隊 第二部隊

このうち第一遊撃部隊 第二部隊を再録しておくと

第二部隊( 指揮官:鈴木義尾第三戦隊司令官

        第三戦隊(司令官:鈴木義尾中将)戦艦 金剛、榛名

        第七戦隊(司令官:白石萬隆中将)重巡洋艦 鈴谷、熊野、利根、筑摩

        第十戦隊(司令官:木村進少将)軽巡洋艦 矢矧

            第十七駆逐隊 駆逐艦 浦風、磯風、雪風、浜風陽炎級駆逐艦

            第三隊※臨時編成 駆逐艦 清霜:夕雲級駆逐艦、野分陽炎級駆逐艦

となります。速度30ノット以上の高速艦艇を揃えた艦隊ですね。

 

部隊指揮官は第三戦隊司令官の鈴木義尾中将が兼任しています。鈴木義尾中将は海兵40期卒で、同期生にはレイテ沖海戦時の第一航空艦隊司令長官の大西滝次郎(神風特攻の生みの親とされている人物です)、同時期の第二航空艦隊司令長官福留繁(古賀連合艦隊司令部参謀長)や、第一戦隊司令官宇垣纏(山本連合艦隊司令部参謀長)がいます。ミッドウェーで飛竜を率いて奮戦した山口多門も同期生ですね。

鈴木中将自身は、太平洋開戦時には軍令部第二部長(戦備・兵站担当)を務めていました。1943年5月に大西らと同時期に中将に進級し、その後、1943年7月から第3戦隊司令官を務めました。資料によっては第三戦隊司令官(つまり第二部隊指揮官)当時には少将とするものもありますが、本稿では上記に従うことにします。

(それにしても、第一遊撃部隊には「中将」がたくさんいます。司令長官の栗田さん:海兵38期、第一戦隊司令官の宇垣さん:海兵40期、第二戦隊司令官の西村さん:海兵39期、そして上記の第三戦隊司令官、鈴木さん:海兵40期、さらに第五戦隊司令官の橋本さん:海兵41期、第七戦隊司令官の白石さん:海兵42期。つまり重巡洋艦以上の艦艇で構成されていた部隊指揮官は全員「中将」だったということになります)

 

第一遊撃部隊 第二部隊の各艦艇

今回は上記のうち、第二部隊の各艦艇をご紹介します。

第二部隊   第三戦隊(指揮官:鈴木義尾中将直卒)戦艦 金剛、榛名

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金剛級第一次世界大戦期に建造された巡洋戦艦で、日本海軍の主力艦としては最古参ですが高い機動性と優れた基本設計により、数次の改装を経て、太平洋戦争では唯一、高速空母機動部隊に帯同できる主力艦でした。

その改装要目は多岐にわたり、バルジ等の装着による防御力向上、対空兵装の強化、艦橋構造の変更、航空艤装の装備等による重量の増加を、機関の換装、艦尾の延長等により、速度をより優速の30ノットに向上させていました。

他の主力艦群が長く内地に留置されている時期も、第一線にあり続けていました。ソロモン会の激戦で同型艦の「比叡」「霧島」は失われましたが、「金剛」「榛名」はなお、1941年次にあっても高速戦艦として 現役にとどまることができていました。

(1941-, 32,000t, 30knot, 14in *2*4, 4 ships)(178mm in 1:1250 by Neptun) 

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(直上:1941年当時の「金剛」直下は「榛名」:レイテ沖海戦時にはいずれも対空兵装を格段に強化されていました)

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(「榛名」は「霧島」同様、丸みを帯びた主砲等を装備し、傾斜のない後檣を装備していました(直下の写真))

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「金剛」

レイテ沖海戦には第一遊撃部隊(栗田艦隊)第二部隊の旗艦(第三戦隊旗艦)として参加しています。数次の空襲でもほとんど損害はないまま、米護衛空母部隊とのサマール島沖海戦では高速を生かし重巡部隊とともに護衛空母郡追撃の先頭に立っています。

栗田艦隊の反転、戦場離脱後、集結地として指定されたブルネイへの帰投途中、米機動部隊の艦載機の急降下爆撃機の集中攻撃を受け、損傷しています。

1944年11月、「大和」「長門」とともにブルネイから本土への回航が決定され、回航途上、台湾沖で米潜水艦の雷撃を受け、魚雷二発が命中、引き続き退避を続けますが、それまでの損傷箇所などからも浸水が誘発され、被雷から約2時間後、傾斜を復旧できず航行不能になり傾斜増加により弾薬庫が爆発を起こし沈没しています。この際、期間にとどまり復旧指揮を取っていた鈴木中将も戦死しています。

 

「榛名」

レイテ沖海戦には前出の「金剛」とともに参加しますが、機関の不調を抱えたままの出撃となりました。第二部隊は米機動部隊の空襲が第一部隊に集中したため、大きな損害なく、サマール沖の米護衛空母(栗田艦隊は、護衛空母とは認識せず、正規空母機動部隊の一部と誤認していました)追撃戦でも全速が発揮できませんでした。

栗田艦隊の反転、戦場離脱後、米艦載機の空襲で至近弾により損傷を負いますが、大きな損害ではありませんでした。

海戦後、「榛名」は「金剛」と別れ、第二遊撃部隊(志摩中将指揮:南方残置艦隊)に編入され、ブルネイからリンガ泊地(スマトラ東方)に移動します。その途上、座礁し、現地修復が不可能とされたため、やがて内地に回航されました。

1944年12月呉に帰投し修復を受けますが、内地に燃料はなく出撃機会に恵まれることなく、呉に係留されたまま1945年7月の呉大空襲で20発以上の命中弾を受け大破着底し、そのまま終戦を迎えました。

 

竣工時の「金剛級巡洋戦艦

金剛級」の建造経緯を少し、これもおさらい。

(1913-, 26,330t, 27.5knot, 14in *2*4, 4 ships)(173mm in 1:1250 by Navis) 

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日清、日露の戦訓から、欧米列強に対し基本的な国力が劣る状況が改善されることは想定しにくく、物量で凌駕できない条件の元でも、機動力において常に仮想敵を上回ることができれば、勝利を見いだせることが、日本海軍の確信となっていました。

これらの背景から、超弩級巡洋戦艦「金剛」級は生まれました。

海外技術の導入の必要性から、1番艦「金剛」は英ビッカース社で建造されましたが、2番艦以降は、「比叡」横須賀海軍工廠、「榛名」神戸川崎造船所、「霧島」三菱長崎造船所、と、国内で生産され、特に民間への技術扶植がおこなわれ、ひいては造船技術の底上げが図られました。4隻は1913年「金剛」、14年「比叡、」15年「榛名」「霧島」と相次いで就役しています。

英海軍のライオン級巡洋戦艦タイプシップとして、27.5ノットを発揮し、主砲口径は当初は50口径30.5センチ砲連装砲塔5基を予定していましたが、候補となった英国製のこの砲には命中精度、砲身寿命に課題があ利、本家の英海軍もより大口径の砲へ時給の手法を切り替えたため、「金剛級」では当時としては他に例を見ない45口径35.6センチの巨砲連装砲塔4基に装備することになりました。

強力な砲兵装と機関により、排水量27,000トンを超える巨艦となり、第一次大戦当時、金剛級4隻は世界最強の戦隊、と歌われ、諸列強、垂涎の的でした(英国は同戦隊の貸与を日本海軍に申し入れたと言われています)

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八四艦隊の前衛を務める金剛級4隻(手前から、金剛、比叡、榛名、霧島)


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(写真は1927年ごろの霧島。前檣の構造がやや複雑化しつつあるのが分かります)

 

第七戦隊(司令官:白石萬隆中将)重巡洋艦 鈴谷、熊野、利根、筑摩

第七戦隊は、「最上級」重巡洋艦二隻と「利根級重巡巡洋艦二隻で編成されていました。

 

「熊野」「鈴谷」:最上級巡洋艦 

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(直上の写真:「最上級」の外観:163mm in 1:1250 by  Neptun)

 

開戦時の 第七戦隊

第七戦隊は太平洋戦争開戦当時、「最上級」重巡洋艦四隻で編成されていました。緒戦はマレー・蘭印攻略戦闘に帯同し活躍しましたが、ミッドウェー海戦でミッドウェー攻略部隊主体(第二艦隊基幹)の前衛として参加しましたが、海戦の敗北を受けて退避中に「三隈」は空襲で失われ、「最上」は同海戦での損傷回復中に航空巡洋艦に改装されました。(レイテ沖海戦時には「西村艦隊」に所属し、沈没しています)

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(直上の写真:第7戦隊の勢揃い。手前から、「最上」「熊野」「鈴谷」「三隈』)

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(直上の写真:ミッドウェー海戦での損傷修復後、航空巡洋艦となった「最上」:by Konishi。艦後部に11機の水上偵察機の繋留ができる航空甲板を設置しました)

「熊野」

レイテ沖海戦では第一遊撃部隊(栗田艦隊)第二部隊所属の第7戦隊の旗艦を務めました。

シブヤン海では米機動部隊の艦載機の空襲を受け、艦隊は戦艦「武蔵」を失うほどの損害を受けました。「熊野」も被弾しますが、幸いにも不発弾で、その後も作戦参加を続行しました。その後の米護衛空母部隊と交戦したサマール島沖海戦では、空母部隊直衛の駆逐艦から雷撃を艦首に受け、艦首を喪失して戦列から脱落しています。

マニラ帰着後、11月に損傷の修復のため本土帰還を目指したが、度重なる空爆で失われました。

「鈴谷」

レイテ沖海戦に第一遊撃部隊(栗田艦隊)第二部隊の一員として参加しました。サマール島沖海戦で、米護衛空母部隊と交戦し、同空母部隊艦載機の爆撃を受け至近弾により魚雷が誘爆し航行不能となってしまいます。その後も火災が収まらず、さらに魚雷と高角砲弾の誘爆も始まり、やがて沈没してしまいました。

 

「最上級」建造の経緯

「最上級」は当初、ワシントン・ロンドン体制の重巡洋艦保有枠の保有上限から、6インチ砲装備の軽巡洋艦として建造されました。ただし、重巡洋艦とも十分に対抗できるよう、それまでの日本海軍の軽巡洋艦とは異なり、37ノットのずば抜けた機動性に加え、十分な防御力を備えた大型の船体を持ち、これにそれまでの軽巡洋艦の倍以上の火力を搭載して敵を圧倒する、と言う設計思想で建造されました。

また軽巡洋艦であるため、艦名には「川」の名前が冠されました。

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(直上の写真は、「最上級」の就役時の概観。163mm in 1:1250 by Konishi)

採用された主砲は、3年式60口径15.5cm砲で、この砲をを3連装砲塔5基に搭載することが計画されました。

(直下の写真:竣工時に搭載していた3年式60口径15.5cm砲の3連装砲塔郡の配置)f:id:fw688i:20200607140653j:image

この砲は27000mという長大な射程を持ち(「阿賀野級」に搭載された50口径四十一年式15センチ砲の最大射程の1.3倍)、また60口径の長砲身から打ち出される弾丸は散布界も小さく、弾丸重量も「阿賀野級」搭載砲の1.2倍と強力で、高い評価の砲でした。

75度までの仰角が与えられ、一応、対空戦闘にも適応できる、という設計ではありましたが、毎分5発程度の射撃速度では、対空砲としての実用性には限界がありました。

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主砲の換装、そして名実ともに重巡洋艦

ワシントン・ロンドン体制は、1936年に失効し、保有制限がなくなったこの機会に「最上級」各艦は主砲を50口径20.3cm連装砲に換装しました。こうして重巡洋艦を越えるべく建造された「最上級」は、名実共に重巡洋艦となりました。

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(直上の写真:主砲を20.3cm連装主砲塔に換装した「最上級」の外観:by Neptune)

主砲換装の是非

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(直上の写真:竣工時に搭載していた3年式60口径15.5cm砲の3連装砲塔(上段)と20.3cm連装砲塔への換装後(下段)の比較。換装後の2番砲塔の砲身は、1番砲塔と干渉するため、正正面で繋止する際には一定の仰角をかける必要がありました(下段))

本来、「最上級」に搭載されていた3年式60口径15.5cm砲は、重巡洋艦との砲戦でも撃ち負けない様に設計されただけに、射程も重巡洋艦が搭載する20.3cm砲に遜色はなく、砲弾一発当たりの威力では劣るものの、「最上級」はこれを3連装砲塔5基、15門搭載し、その高い速射性も相まって、1分あたりの投射弾量の総量では、20.3cm連装砲塔5基を上回っていました。さらに60口径の長砲身を持ち散布界が小さい射撃精度の高い砲として、用兵側には高い評価を得ていました。

これを本当に換装する必要があったのかどうか、やや疑問です。

筆者の漁った限りの情報では、貫徹力でどうしても劣る、というのが主な換装理由ですが、その後のソロモン周辺での戦闘を見ると、あるいはこれまでの日本海軍の戦歴を見ると、速射性の高い砲での薙射で上部構造を破壊し戦闘不能に陥れる、という戦い方も十分にあり得たのではないかな、と。

あるいは、米海軍を仮想敵として想定した場合に、その艦艇の生存性の高さ、あるいは後方の修復能力の段違いの高さから、必殺性が求められた、ということでしょうか?(日本海軍の場合、損傷艦の自沈、あるいは海没処分、というのが目立つのですが、米海軍では、そのような例はあまり見かけません)

また、前述の様に米海軍も英海軍も同様の設計の巡洋艦を建造していますが、いずれも換装した例はありません。

主砲換装は計画されていたのか?

「最上級」の主砲塔配置は、それまでの「妙高級」「高雄級」重巡洋艦の砲塔配置とは少し異なっています。「妙高級」「高雄級」では艦首部の3砲塔を中央が高い「ピラミッド型の配置としていました。これは砲塔間の間隔を短くし弾庫の防御装甲範囲を小さくし重量を削減するのに有効でしたが、一方で3番砲塔の射角が左右方向のみに大きく制限されました。

「最上級」の主砲塔配置は、砲身の短い15.5cm砲に合わせた設計になっており、20.3cm砲に換装した際に2番砲塔の砲身が1番砲塔に干渉してしまい、正正面で固定する場合、砲身に一定の仰角をかける必要がありました。このことから、従来定説であった条約失効後の換装計画が設計当初から決定されていたか、と少し疑問に思ってしまいます。

一方で、15.5cm3連装主砲塔の重量は、20.3cm連装主砲塔よりも重く、第4艦隊事件などで、重武装を目指すあまりに全般にトップヘビーの傾向が見られた艦船設計に対する改善策としては、理にかなった選択だった、とも言えるのではないでしょうか?

    

「利根」「筑摩」:利根級巡洋艦 

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Tone-class cruiser - Wikipedia

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(直上の写真は、「利根級」の概観。162mm in 1:1250 by Konishi)

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(直上の写真は、第8戦隊の「利根」(手前)「筑摩」:by Neptune

「利根」

レイテ沖海戦に第一遊撃部隊(栗田艦隊)の一員として参加。サマール沖海戦では米護衛空母を追撃し、砲撃で一隻を撃沈しています。一方で、米護衛空母の艦載機の反撃で艦後部に被弾し損傷しました。

作戦終了後、ブルネイに一旦退避後、輸送任務と修理のために内地に帰還。海軍兵学校練習艦として呉に停泊中に空襲により被弾損傷。さらに数次にわたる空襲で被弾が相次ぎ、大破着底状態で終戦を迎えました。

 

「筑摩」

レイテ沖海戦に、第一遊撃部隊(栗田艦隊)第7戦隊(旗艦「熊野」)の一員として参加します。

サマール島沖海戦では米護衛空部部隊を追撃し砲撃を加えますが、護衛空母艦載機の雷撃攻撃で艦尾に避雷し、舵故障と速度低下で部隊から落伍してしまいました。その後、再度米軍機の空襲を受け、艦中央部に複数の命中弾を受け、味方駆逐艦「野分」により雷撃処分されました。

「筑摩」乗組員は雷撃処分に当たった駆逐艦「野分」に収容されましたが、「野分」も後に米艦隊に撃沈され、生存者は海戦時には索敵発進し、そのまま地上基地に向かった水上偵察機の搭乗員を除くと、「野分」に救助されず、米艦隊に救助された1名と撃沈された「野分」から救助された「野分」「筑摩」の生き残り1名、計2名と言われています。

 

利根級」建造の経緯

日本海軍は早くから航空機による索敵に注目していました。すでに5500トン級軽巡洋艦から、航空索敵の能力付与についての模索は始まっていました。

しかし、具現化については米海軍が常に一歩先をゆき、例えば5500トン級と同時代の「オマハ級」軽巡洋艦はすでにカタパルトを2基搭載し、水上偵察機も2機搭載していました。その後も米海軍お優位は続き、米海軍の条約型重巡洋艦は4機の水上偵察機搭載を標準としていたのに対し、日本海軍の重巡洋艦は2機乃至3機の搭載に甘んじていました。

一方で、常に劣勢に置かれる主力艦事情を覆すべく構想された空母の集中運用、いわゆる空母機動部隊の構想においては、航空索敵の必要性はさらに高まり、「利根級巡洋艦は、それを具現すべく設計された、と言って良いと思います。

利根級巡洋艦は今回の冒頭でも触れた様に、設計時点では、ワシントン・ロンドン体制の制限下で、すでにカテゴリーA(重巡洋艦)の保有枠を使い切っており、8500トンの船体をもち、15.5cm砲を主砲として搭載したカテゴリーB(軽巡洋艦)として計画され、艦名も「川」の名前を与えられていました。

その艦型は大変ユニークで、「最上級」と同じ3年式60口径15.5cm砲を主砲としてその3連装砲塔を「最上級」よりも1基減らして4基、12門をすべて艦首部に搭載し、艦尾部は水上偵察機の発艦・整備甲板として開放されていました。水上偵察機を6機搭載する能力を持ち、日本海軍は念願の空母機動部隊の目として運用することになります。

(直下の写真は、「利根級」の特徴のクローズアップ。前部主砲塔群(上段)と艦後部の水上偵察機の発艦・整備甲板)) 

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着工後の1936年に軍縮条約が失効したことを受けて、建造途中から主砲を重巡洋艦の標準主砲であった50口径3年式20.3cm砲に変更、完成時には重巡洋艦として就役しました。

主砲塔をすべて艦首部に集中したことで、集中防御の範囲を狭め十分な装甲を施すことができ、また航続力も巡洋艦の中で最長で、高い航空索敵能力も併せて、最優秀巡洋艦の評価も聞かれたようです。

もっとも、速度の遅い水上偵察機による敵機動部隊索敵は、比較的早い時期に効果に疑問がもたれ、米海軍などは一部の空母搭載の艦上爆撃機を索敵機として部署し運用し始めていました。

 

第十戦隊(司令官:木村進少将)軽巡洋艦 矢矧

第十戦隊は、阿賀野級軽巡洋艦「矢矧」を旗艦とし、五隻の陽炎級駆逐艦(浦風、磯風、雪風、浜風、野分)と清霜(夕雲級駆逐艦)で構成されていました。

司令官は木村進少将(海兵40期)で、第二部隊指揮官の鈴木中将とは海兵同期でした。

第十戦隊は元々が空母機動部隊(第一航空艦隊、ミッドウエー海戦後第三艦隊)の直衛部隊として編成された部隊でしたが、マリアナ沖海戦で空母機動部隊を主戦力とする作戦が立案困難になった時点で、水上決戦部隊の直衛にその任務が変更され、第一遊撃部隊に編入されました。

 

「矢矧」

「矢矧」は太平洋戦争開戦後の1943年12月に就役した最新鋭の軽巡洋艦阿賀野級」の三番艦でした。

レイテ沖海戦に第一遊撃部隊(栗田艦隊)第二部隊第十戦隊の旗艦として参加。「武蔵」が撃沈されたシブヤン海での米機動部隊の空襲で損傷しましたが、その後も艦隊に帯同しサマール沖海戦(米護衛空母追撃戦:栗田艦隊は正規空母部隊と誤認していました)にも参加しています。

作戦中止後、帰投途上で、米機動部隊の艦載機の攻撃を受け、同型艦の第二水雷戦隊旗艦「能代」は魚雷1発を被雷し、その後の米艦載機の集中攻撃を受け撃沈されましたが、「矢矧」はし至近弾等による損傷を受けながらブルネイに帰投しました。海戦後、「大和」「長門」「金剛」を護衛し内地に帰投(この途上「金剛」は米潜水艦の攻撃で沈没しています)。損傷の回復後、第二水雷戦隊旗艦とされ、「大和」に従い天号作戦(沖縄海上特攻)に同行し米艦載機の攻撃で沈没しています。

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(直上の写真は、「阿賀野級」の就役時の概観。138mm in 1:1250 by Neptune)

 

阿賀野級巡洋艦 -Agano class cruiser-    

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日本海軍では、高速化する駆逐艦と、その搭載する強力な魚雷に大きな期待を寄せ、 水雷戦隊をその中核戦力の一環に組み入れてきました。そしてこの戦隊を統括し指揮する役目を軽巡洋艦に期待してきたわけです。

その趣旨に沿って建造されたのが、一連の「5500トン級」軽巡洋艦でした。この艦級は初期型5隻(1917年から順次就役)、中期型6隻(1922年から順次就役)、後期型3隻(1924年から順次就役)、計14隻が建造されその適応力の高さから種々の改装等を受け適宜近代化に対応してきましたが、1930年代後半に入るとさすがに特に初期型の老朽化は否めず、艦隊の尖兵を構成する部隊の旗艦としては、砲力、索敵能力に課題が見られるようになりました。

 そこで計画されたのが、「阿賀野級軽巡洋艦でした。

 

阿賀野級」は、それまでの「5500トン級」とは全く異なる設計で、6650トンの船体に、軽巡洋艦としては初となる15.2cm砲を主砲として採用し連装砲塔を3基搭載していました。この砲自体の設計は古く、名称を「41式15.2cm 50口径速射砲」といい、「金剛級巡洋戦艦、「扶桑級」戦艦の副砲として採用された砲でした。

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同砲は、主砲を単装砲架での搭載を予定していた「5500トン級」軽巡洋艦では人力装填となるため日本人には砲弾が重すぎるとして、少し小さな14cm砲が採用されたという、曰く付きの砲でもあります。しかし。列強の軽巡洋艦は全て6インチ砲を採用しており、明らかに砲戦能力での劣後を避けたい日本海軍は、新造の「阿賀野級」では、この砲を新設計の機装式の連装砲塔で搭載することにしました。

同砲は21000メートルの射程を持ち、砲弾重量45.5kg (14cm砲は射程19000メートル、砲弾重量38kg)。連装砲塔では毎分6発の射撃が可能でした。さらに新設計のこの連装砲塔では主砲仰角が55度まで可能で、一応、対空射撃にも対応できる、とされていました。

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(直上の写真は、「阿賀野級」の細部。主砲として採用された41式15.2cm 50口径速射砲の連装砲塔(上段)。高角砲として搭載した長8cm連装高角砲(左下):この砲は最優秀高角砲の呼び声高い長10cm高角砲のダウンサイズですが、口径が小さいため被害範囲が小さく、あまり評価は良くなかったようです。水上偵察機の整備運用甲板とカタパルト(右下))

 

対空兵装としては優秀砲の呼び声の高い長10cm高角砲を小型化した新型の長8cm連装高角砲2基搭載していました。

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雷装としては61cm四連装魚雷発射管2基、艦中央部に縦列に装備し、両舷方向に8射線を確保する設計でした。

航空偵察能力は「5500トン級」よりも充実し、水上偵察機2機を搭載し射出用のカタパルト1基を装備していました。

最大速力は、水雷戦隊旗艦として駆逐艦と行動を共にできる35ノットを発揮しました。

 

第十七駆逐隊 駆逐艦 浦風、磯風、雪風、浜風:陽炎級駆逐艦

第十戦隊直属:臨時編成 駆逐艦 清霜:夕雲級駆逐艦、野分:陽炎級駆逐艦

 

陽炎級駆逐艦(19隻)

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(直上の写真:「陽炎級」の概観。94mm in 1:1250 by Neptune)

 

陽炎級駆逐艦は、前級「朝潮級」の船体強度改修後をタイプシップとして、設計されました。兵装は「朝潮級」の継承し、2000トン級の船体に、4連装魚雷発射管2基を搭載し8射線を確保、次発装填装置を備え魚雷16本を搭載、主砲には「50口径3年式12.7cm砲」を仰角55度の平射型C型連装砲塔3基6門搭載とされました。

朝潮級」の課題とされた速度と航続距離に関しては、機関や缶の改良により改善はされましたが、特に速力については、以前課題を残したままとなり、推進器形状の改良を待たねばなりませんでした。

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(直上の写真:「陽炎級」では、次発装填装置の配置が変更されました。左列が「朝潮級」、右列が「陽炎級」。「陽炎級」の場合、1番魚雷発射管の前部の次発装填装置に搭載された予備魚雷を、装填する際には発射管をくるりと180°回転させて発射管後部から。魚雷の搭載位置を分散することで、被弾時の誘爆リスクを低減する狙いがありました)

 

太平洋戦争開戦時には、最新鋭の駆逐艦として常に第一線に投入されますが、想定されていた主力艦艦隊の艦隊決戦の機会はなく、その主要な任務は艦隊護衛、船団護衛や輸送任務であり、その目的のためには対空戦闘能力、対潜戦闘能力ともに十分とは言えず、常に悪先駆との末、同型艦19隻中、「雪風」を除く18隻が戦没しました。

 

「夕雲級」駆逐艦(19隻)

ja.wikipedia.or 「夕雲級」駆逐艦は、「陽炎級」の改良型と言えます。就役は1番艦「夕雲」(1941年12月5日就役)を除いて全て太平洋戦争開戦後で、最終艦「清霜」(1944年5月15日就役)まで、19隻が建造されました。

その特徴としては、前級の速力不足を補うために、船体が延長され、やや艦型は大きくなりますが、所定の35ノットを発揮することができました。兵装は「陽炎級」の搭載兵器を基本的には踏襲しますが、対空戦闘能力の必要性から、主砲は再び仰角75度まで対応可能なD型連装砲塔3基となりました。しかし、装填機構は改修されず、依然、射撃速度は毎分4発程度と、実用性を欠いたままの状態でした。

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(直上の写真:「陽炎級」(上段)と「夕雲級」(下段)の艦橋の構造比較。やや大型化し、基部が台形形状をしています)

陽炎級」と同様、就役順に第一線に常に投入されますが、その主要な任務は、設計に力点の置かれた艦隊決戦での雷撃能力ではなく、艦隊護衛、船団護衛や輸送任務であり、その目的のためには対空戦闘能力、対潜戦闘能力ともに十分とは言えず、全て戦没しました。

 

第十戦隊の駆逐艦六隻(浦風、磯風、雪風、浜風、野分、清霜)のうちレイテ沖海戦では「野分」のみが失われました。

 

第一遊撃部隊 第二部隊の捷一号作戦(レイテ沖海戦とその後のフィリピン攻防)での損害状況

以下に第一遊撃部隊 第一部隊の作戦回りでの損害をまとめておきましょう。赤字レイテ沖海戦(10月20日から28日にかけて)で失われた艦船を、緑字レイテ沖海戦後のフィリピン攻防に関連して失われた艦(海戦後の内地への回航途上での損害も含んでいます)を表しています。

第二部隊
 
レイテ沖海戦の経緯と喪失・損傷艦

レイテ沖海戦は1944年10月20日から25日にかけてレイテ島に来攻した米上陸軍の侵攻阻止を目論んで出撃した日本海軍の艦隊・基地航空部隊と、これを護衛する米空母機動部隊との間で戦われた一連の海空戦の総称です。

総称と書いたのは、戦闘期間が長く、かつ広範囲に渡り、いくつかの段階に分けて整理されることが多いからで、以下にその経緯とその段階での日本海軍の損害艦を一覧してみると、より全体の様相を把握する助けになると考えています。

パラワン水道での戦い(米潜水艦による攻撃):10月23日

22日栗田艦隊は集結地であるブルネイを出航し、第一遊撃部隊はパラワン水道を通過するコースをとります。23火未明、これを発見した米潜水艦二隻がこれを攻撃し、第一遊撃部隊指揮官(栗田中将)直卒の第四戦隊の重巡二隻が撃沈され、一隻が大損害を得て離脱します。

喪失:重巡洋艦愛宕」「麻耶」 離脱:重巡洋艦「高雄」(「駆逐艦朝潮」「長波」が「高雄」退避を護衛して離脱)

シブヤン海海戦(米機動部隊による空襲:5回に及ぶ):10月24日

シブヤン海を航行中の栗田艦隊(第一遊撃部隊主力)が米第三艦隊(ハルゼイ大将指揮)の米空母機動部隊の攻撃を受けます。米艦載機の空襲は5次に渡り、この戦いで「武蔵」が撃沈されます。

喪失:戦艦「武蔵」 離脱:重巡洋艦妙高

栗田艦隊の反転と再反転

この海戦で主力「武蔵」以外にも損害が続出した栗田艦隊は一旦反転し、米機動部隊の攻撃から退避、艦載機の空襲が終了した約1時間半後、再度反転しレイテ湾を目指すコースに戻りました。

基地航空部隊・空母機動部隊(小沢艦隊艦載機)による米機動部隊攻撃

この間、基地航空部隊、空母航空部隊も米機動部隊に対し攻撃をかけています。(米軽空母「プリンストン」大破、のち魚雷処分されています)

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 (直上の写真:「インディペンデンス級航空母艦の概観。151mm in 1:1250 by Neptun) 

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 (「インディペンデンス級」空母は「クリーブランド級」軽巡洋艦の船体をベースに建造されたいわゆる戦時急造艦です。直上の写真:「インディペンデンス級航空母艦と「クリーブランド級」軽巡洋艦の比較。空母「プリンストン」が日本軍機の空襲で被弾した際に、消化活動と防空支援にあったたのが、軽巡洋艦バーミンガム」で「従姉妹(叔母と言うべき?)」に当たる「クリーブランド級」の一隻でした。「バーミンガム」は「プリンストン」が魚雷庫への引火で大爆発を起こした際に隣接して消化活動に当たっていた「バーミンガム」は巻き込まれ大損害を出しています)

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(直上の写真:「クリーブランド級」の概観。150mm in 1:1250 by Neptune。主砲塔を1基減らし、対空兵装として、連装5インチ両用砲を6基に増やしし、対空戦闘能力を高めています )

スリガオ海峡海戦(「西村艦隊」と後続する「志摩艦隊」によるレイテ湾突入):10月24日深夜ー25日未明

作戦計画では、第一遊撃部隊はレイテ湾南北から25日黎明時にレイテ湾に突入することになっていました。実際には主力の栗田艦隊は上記のシブヤン海で米機動部隊の空襲を受け、一旦退避、一方別動隊の西村艦隊は予期していた空襲をほとんど受けなかったため、順調に航海し、ややスリガオ海峡に早くさしかかっていました。このため西村艦隊は栗田艦隊を待たず単独突入を決意、これに後続する第二遊撃部隊(志摩艦隊)が相次いでレイテ湾に突入を試み、レイテ上陸軍を護衛する米第七艦隊との間で戦闘が行われました。

喪失:戦艦「山城」「扶桑」、重巡洋艦「最上」、駆逐艦山雲」「満潮」「朝雲

エンガノ岬沖海戦(米機動部隊の小沢艦隊:空母機動部隊に対する攻撃):10月25日

いずれ本稿でも扱いますが、栗田艦隊のレイテ湾突入を支援すべく北方で活動した小沢空母機動部隊に対し、ハルゼイの空母機動部隊が攻撃をかけました。

喪失:空母「瑞鶴」「瑞鳳」「千歳」「千代田」、軽巡洋艦「多摩」、駆逐艦秋月」「初月」

サマール沖海戦(第一遊撃部隊と米護衛空母部隊との遭遇戦):10月25日

レイテ上陸軍を護衛する米第七艦隊は、上記のスリガオ海峡海戦で西村艦隊他と交戦した水上戦闘部隊の他、上陸部隊の空中支援兵力として三つの護衛空母グループ(タフィ1、タフィ2、タフィ3)を含んでいました。これら三つのグループはいずれも六隻の護衛空母を基幹戦力として編成されており、レイテ島空中支援のため、レイテ島周辺を遊弋していました。

このうちの一群(タフィ3)を栗田艦隊が発見し、全力で攻撃をかけた戦いがサマール沖海戦です。

護衛空母はいずれも1万トン級の戦時急造貨物船をベースとして設計された補助的な役割の空母で、最大速力19ノット程度、搭載機30機程度でした。主として上陸軍の輸送船団の護衛と、上陸後の航空支援が主任務でした。

タフィ3は、このような護衛空母六隻とこれを護衛するフレッチャー級艦隊駆逐艦三隻、対潜水艦・対空戦闘用のジョン・C・バトラー級護衛駆逐艦四隻で編成されている小さな艦隊でした。

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 (直上の写真:「カサブランカ級」護衛航空母艦の概観。123mm in 1:1250 by Last Square) 

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 (直上の写真:「フレッチャー級駆逐艦の概観。92mm in 1:1250 by Neptun) 

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 (直上の写真:「ジョン・C・バトラー級」護衛駆逐艦の概観。74mm in 1:1250 by Neptun)f:id:fw688i:20210905131502j:image 

(直上の写真:タフィ3の諸艦)

これに対し第一遊撃部隊が全力で襲いかかったのですから、砲雷戦自体は一方的なものになるはずだったのですが、護衛駆逐艦部隊が艦隊駆逐艦二隻、護衛駆逐艦一隻の損害を出しながら奮戦し、護衛空母の損害は一隻のみに止まりました。さらにこれに母艦搭載機ん反撃が加わり、第一遊撃部隊は重巡3、駆逐艦1を失っています。

喪失:重巡洋艦「鳥海」「鈴谷」「筑摩」、駆逐艦「早霜」 離脱:重巡洋艦「熊野」

 

レイテ沖海戦終結

このサマール沖海戦ののち、栗田艦隊はレイテ湾を目の前にして、攻撃目標を「米機動部隊主力」に変更し、これを求めていわゆる「謎の反転」を行います。

結果的に「米機動部隊主力」は発見できず、栗田艦隊は作戦海域から去るのですが、このサマール沖海戦海戦で遭遇した護衛空母群「タフィ3」を正規空母機動部隊の一部と誤認したことが反転に大きな影響があったと考えられているようです。つまり、米機動部隊の主力は非常に近いところにいる、という錯覚ですね。

22日の艦隊集結地出航以来、23日の旗艦喪失(艦隊参謀長は「愛宕」喪失時に負傷しています)、24日のほぼ終日の対空戦闘、その後の反転・再反転の判断と、疲労の極にあり、かつ旗艦喪失による栗田艦隊司令部付きの通信要員の欠如からくる情報収集能力の低下、これに作戦目的に対する潜在的な不信感と付帯された目的変更に対する自由裁量の条件が、この「誤認」に後押しされて「反転の判断」につながった、というのは、あまりにも短絡と叱られそうですが。

 

結局、この4日間の海戦に、日本海軍は戦艦七隻、航空戦艦二隻、空母四隻、重巡洋艦十三隻、軽巡洋艦六隻、駆逐艦三十一隻を投入し、戦艦三隻、空母四隻、重巡洋艦六隻、軽巡洋艦三隻、駆逐艦八隻を失ったのでした。

 

というわけで、今回はここまで。

次回は、ここまでくるとやはり「小沢機動部隊」でしょうかね。もしかすると、一回お休みをして、あるいは二回に分けて、レイテ沖海戦の総括も含めて、ということになるかもしれません。敵役の「米第三艦隊」というテーマもあるかもしれませんが、ちょっと手に余る感じがしています。

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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レイテ沖海戦:栗田艦隊(その1):第二艦隊(第一遊撃部隊 第一部隊)

今回は珍しく予告通りレイテ沖海戦当時の「栗田艦隊:第二艦隊(第一遊撃部隊)第一部隊(栗田長官直卒)」のお話です。

 

第一遊撃部隊

マリアナ沖海戦に際し、日本海軍はその主戦力のほぼ全力を投入して空母機動部隊を中心戦力とした第一機動艦隊を編成し、米空母機動部隊との決戦を想定し出撃しますが、敗北します。この戦いで特に空母戦力はその搭載機部隊に壊滅的な打撃を受け、以降、戦力としての空母機動部隊が再建されることはありませんでした

一方、水上戦闘艦艇部隊には大きな損害はなく健在でした。

マリアナ沖海戦の敗北後、日本はサイパンテニアン・グアムを失陥し、日本本土と南方資源地域との輸送路の防衛ラインを失います。つまり、マリアナ諸島の失陥は、日本本土を含め資源輸送路が米軍機の攻撃圏内に入ったことを意味した訳です。

そして米軍の次の侵攻は、その目標がどこであれ、輸送路の直接的な喪失を意味し、この対応として、特に日本海軍は、好むと好まざるとに関わらず残存する戦闘力である水上戦闘部隊をどのように使っていくのか、この選択肢一択になってしまっていました。

こうして、それまでの空母機動部隊中心の視点から水上戦闘部隊中心の視点への切り替えが行われ、第一遊撃部隊が設立されました。戦力としては、第一機動艦隊の隷下にある水上戦闘部隊である第二艦隊と第十戦隊がその中核となりました。

 

第二艦隊

第一遊撃部隊の中核となった第二艦隊について少し振り返っておきましょう。

第二艦隊は、日露戦争以降、長く海軍戦力の中核であった主力艦部隊(戦艦中心の第一艦隊)の前衛部隊として設立された艦隊でした。日露戦争以降、仮想敵を米海軍と定めた後は、太平洋を越えて来航する米艦隊に対し夜戦・魚雷戦等でその戦力を削ぎ取って最終的な主力艦同士の決戦を有利に導く、という漸減戦略の要の部隊として、高速の巡洋艦駆逐艦を中心に編成されていました。

太平洋戦争開戦時(1941年)には、米主力艦部隊は空母機動部隊の奇襲で無力化するという前提で、第二艦隊はその機動性を存分に発揮し、第三艦隊(フィリピン侵攻部隊)、南遣艦隊(マレー侵攻部隊)などを隷下に置き、南方資源地帯への浸透作戦の中核戦力となりました。この役割はミッドウェー海戦でも同様で、第二艦隊はミッドウェー攻略部隊主体として参加しています。

ミッドウェーの敗戦後、ソロモン諸島方面での戦局が激化すると、この方面での主戦力として投入されますが、多くの場合、ミッドウェー海戦以降編成された新編空母機動部隊である第三艦隊と共に戦場に臨むことが多くなっていました。この状況から、空母機動部隊を中心とした艦隊編成強化の構想が、やがて第一機動艦隊の誕生に結びつきます。

1944年3月に第一機動艦隊が編成されると、前述の戦艦部隊(第一艦隊)が解隊され、第二艦隊は戦艦部隊も統合した水上戦闘部隊となります。

マリアナ海戦以降、つまり第一機動艦隊としての出撃と、マリアナ沖海戦の敗戦での第一機動艦隊の決戦空母機動部隊としての機能喪失以降については、既述の通りです。

指揮官は、太平洋戦争開戦以降1943年8月までは近藤信竹中将が務め、以降、栗田健男中将が就任しました。

 

捷号作戦と第一遊撃部隊、その誤謬

マリアナ沖海戦の敗北により、次の米軍の侵攻が目標のいずれに関わらず本土と南方資源地域の連絡路切断を意味する、という判断の上で、捷号作戦を計画します。

捷号作戦は米軍の侵攻地域により1号(フィリピン方面)から4号(北海道方面)まで準備されましたが、その作戦骨子の大きな特徴は、特に海軍に関する部分では、作戦目的をそれまでの「米機動部隊撃滅=艦隊決戦」から「侵攻主戦力撃滅=総力戦」に移したことにあると言っていいと思います。

具体的には、これまでの米軍の侵攻手法から想定される上陸軍の侵攻に先駆けて航空撃滅戦を実施するために来攻するであろう「米機動部隊」に対しては手当て程度の反撃にとどめて戦力を温存し、その後来襲する「侵攻軍=上陸部隊」攻撃に全力を投入する、という方針を陸海軍が共有したことでした。

この作戦方針の元、第一遊撃部隊の攻撃目標も米上陸部隊、ということになりました。

これは、これまで海軍設立以来、「艦隊決戦」での勝利を国防における存在意義としてきた日本海軍にとっては、大変大きな変更でした。

 

しかし、この作戦方針が、第一遊撃部隊に徹底して伝えられたか、というとやや疑問が残ると言わざるを得ません。

まずこれは海軍首脳にとっても大きな変更でした。しかもマリアナ沖海戦の敗戦後の変更で、部隊運用にどのように具体化するのかなど、咀嚼には時間を要しました。

作戦は本土の連合艦隊司令部、軍令部で建てられる訳ですが、当の水上決戦兵力(空母機動部隊が艦載機を失った時点では、決戦兵力はこの水上兵力しか無くなった訳なのですが)は、燃料の十分の供給できるリンガ泊地(スマトラ島東部:リンガ諸島)にあって、連合艦隊の作戦説明には参加できませんでした(説明は内地に在泊する連合艦隊旗艦「大淀」で行われました)。

後に連合艦隊作戦参謀がフィリピンで第一遊撃部隊(第二艦隊)参謀長と会談し作戦内容を伝えるのですが、この際に第二艦隊参謀長が「上陸軍への攻撃の際には、当然、これを阻止しようとする米空母機動部隊との交戦が予想される。その場合、状況次第で攻撃目標を米機動部隊(敵主力)に変更することは差し支えないか」と質問したのに対し、フィリピンに派遣された連合艦隊作戦参謀は「差し支えない」と回答しています。つまりせっかく作戦主旨を「総力戦目標の実行=上陸軍攻撃=侵攻阻止=南方との資源輸送路確保」とし、実施部隊に大きな目標変革、意識変革(「艦隊決戦から総力戦遂行」へ)を要求したにも関わらず、この回答で従来路線への回帰の可能性(選択肢)を容認してしまった訳です。

 

捷号作戦と連合艦隊司令部

では連合艦隊司令部が、この大転換とも言うべき変更に適応できていたかと言うと、実はそこに大きな疑問が浮かんできます。

その一端がこのレイテ沖海戦に先んじて実施された「台湾沖航空戦」で露呈しているように思います。

「台湾沖航空戦」は1944年10月12日から16日にかけて、沖縄・台湾に来襲した米機動部隊に対し同地域に展開していた日本の基地航空部隊(1200基規模)が反撃した戦闘です。折りから同地域には台風が発生しており、日本軍(陸海合同の航空部隊)は悪天候下でも出撃できる当時の最精鋭とも言うべき部隊まで投入します。

参加部隊からは大戦果(空母11隻撃沈等)が報告されますが、この戦闘の直後、レイテ島への上陸作戦が実行されていることからも明らかなように、全くの誤認で、一方、せっかくの精鋭部隊はこの戦闘で消耗し、レイテ沖海戦本番では活動できませんでした。

既述のように捷号作戦の基本主旨が、それまでの「米機動部隊撃滅=艦隊決戦」から「侵攻主戦力撃滅=総力戦」に大転換され、来攻する「米機動部隊」に対しては手当て程度の反撃にとどめて戦力を温存し、その後来襲する「侵攻軍=上陸部隊」攻撃に全力を投入する、という方針が立てられたにも関わらず、いざ「米機動部隊」が現れるとこれに全力を投入し消耗してしまったわけです。

さらにこの投入された部隊の中には、マリアナ沖海戦以降、ようやく再建の端緒についたばかり(母艦航空隊は、狭い母艦への離着艦や機動する母艦への帰還航法の習得等、錬成に時間がかかるのです。マリアナ沖海戦では、この母艦航空部隊の約八割を失うと言う壊滅的な損害を、空母機動部隊=第三艦隊は出していました)の母艦搭載機部隊(小沢機動部隊搭載機)も含まれていました。

この戦力抽出の連合艦隊司令部からの下令に対し、捷号作戦の主旨説明を受けていた第三艦隊司令部(小沢艦隊司令部)は、基本方針と異なるのではないか、として強硬な反対があったのですが、「次の海戦では母艦機動部隊は使わない」と連合艦隊は説明し、この反対を退けています。

結局はレイテ沖海戦(=次の海戦)には「小沢艦隊」は、ほぼ搭載機なしの「裸の空母機動部隊」として投入され、壊滅するのですが。

どうもこの辺りの連合艦隊司令部の意識のブレに、第一遊撃部隊参謀長の質問に対する「目標変更」まで容認するような回答の背景があったように思われてなりません。

 

第一遊撃部隊の戦闘序列

このように作戦当初から、いろいろと火種の多いレイテ沖海戦(捷一号作戦)ですが、第一遊撃部隊は最終寄港地であるブルネイに集結し、以下のような戦闘序列で出撃します。

第三部隊(西村艦隊)については本項で既にご紹介しています。今回と次回の二回(予定)で、第一部隊、第二部隊をご紹介し、併せて戦闘経緯おwご紹介して行く予定です。

 

 

 第一遊撃部隊 第一部隊の各艦艇

今回は上記のうち、第一部隊の各艦艇をご紹介します。

 

第四戦隊(司令長官直率)重巡洋艦 愛宕高雄摩耶鳥海f:id:fw688i:20200510000607j:image

(直上の写真は、太平洋戦争開戦時の第4戦隊。手前から「愛宕」「高雄」「鳥海」「摩耶」。舷側のバルジの有無と、後檣の位置で判別できます。同級は、その設計時に旗艦設備を組み込んだ大型艦橋をもたされていたため、他の艦隊への派出が相次ぎ、なかなか4隻揃って出撃する、と言う機会がありませんでした。1944年10月のレイテ沖海戦には、第2艦隊の旗艦戦隊として、4隻揃って出撃しましたが、出航翌日、うち3隻が米潜水艦の攻撃で被雷。2隻が沈没し、1隻が戦列を離れてしまいます)

第四戦隊は、太平洋戦争開戦以来、第二艦隊の基幹部隊を務めてきた部隊で、「高雄級」重巡洋艦四隻で構成されていました。 

レイテ沖海戦時には第二艦隊司令長官直卒部隊となっており、第四戦隊旗艦である「愛宕」が第二艦隊(第一遊撃部隊)の総旗艦を務めていました。

四隻は同型艦でしたが、改装の時期、度合いによってレイテ沖海戦時には大きな相違が見られました。

少し乱暴に整理すると、「鳥海」はほぼ就役時のまま、対空機関砲と電探装備(レーダー等)の増強を行なった程度でした。「愛宕」と「高雄」は太平洋戦争開戦前に大改装を行い、さらに対空機関砲と電探装備(レーダー等)の増設を行っていました。「麻耶」は「鳥海」同様、就役時の状態で太平洋戦争に臨みましたが、ラバウル空襲で受けた大損害復旧の際に、対空兵装を大幅に増強し、合わせて電探兵器などを追加し、重装備の防空巡洋艦に生まれ変わりました。

 

愛宕」「高雄」の太平洋戦争開戦前の大改装

両艦は太平洋戦争開戦前の1939年ごろから数次の改装を受けています。

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(直上の写真は、「高雄級」:大改装後の概観。by Konishi )

課題であった艦橋の若干の小型化と大型バルジの装着による復原性(安定性)の改善、航空艤の変更(格納庫を廃止し、基本、搭載機の甲板係留としました。整備甲板を増設し、配置を変更、水上偵察機の搭載定数を2機から3機に増加しています)、魚雷発射管の連装発射管4基から4連装発射管4基への換装、高角砲を正12cm単装砲4基から5インチ連装砲4基8門に強化したことなどが挙げられます。 

この最後の高角砲の強化については、竣工時の設計では既述のように新砲塔の採用で主砲に対空射撃能力を付与することによって高角砲の搭載数を前級「妙高級」よりも減じた同級だったのですが、8インチ主砲での対空射撃では射撃間隔が実用に耐えず、結局高角砲を強化せざるを得なかった、という背景がありました。

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(直上の写真は、「高雄級」:竣工時(上段)と大改装後の概観比較。舷側の大きなバルジの追加が目立ちます。さらに、航空艤装の構造が変更され、後檣の位置が変わっています)

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(直上の写真は、「高雄級」:竣工時(上段)と大改装後の変化をもう少し詳細に見たもの。左列:艦橋が小型化してます。写真ではちょっとわかりにくいのですが、かなり大幅な小型化です。一段低くし、同時に簡素化が行われた、と言う表現がいいでしょうか?時折「最上級」に倣って、と言うような表現も目にしますが、それはちょっと言い過ぎかと。右列:高角砲は連装に変更されています。主砲での対空射撃は、構想としては両用砲的な活用の発想で、意欲的ではありましたが、射撃速度と弾速が航空機の速度を勘案すると実用的ではなかったようです。そのため、高角砲自体を強化する必要があったようです。高角砲甲板の下の魚雷発射管については、配置自体には変更は見られませんが、発射管を連装から4連装に強化しています)

 

愛宕

開戦以来、一貫して第二艦隊旗艦を務め、第一遊撃部隊でも総旗艦となっています。

レイテ沖海戦では、総旗艦として栗田艦隊司令部を乗せて出撃しますが、最終寄港地であるブルネイ出撃の翌日、パラワン水道を航行中、米潜水艦の雷撃を受けて米潜水艦の放った6本の魚雷のうち4発が命中し、沈没してしまいました。

栗田艦隊司令部は、出撃第一日目で旗艦を失い、栗田司令長官以下、艦隊首脳は「大和」に移乗して指揮をとりますが、艦隊通信部員の多くが同行できなくなり、後の指揮に大きな影響が出たと言われています。

 

「高雄」

愛宕」と同じレベルの改装を受けて太平洋戦争開戦を迎えています。

ミッドウェー海戦では、僚艦「麻耶」と共に第二機動部隊(北方部隊)に編入され、アリューシャ攻略戦に参加、これを成功させています。

パラワン水道を航行中に旗艦「愛宕」と同様、米潜水艦の攻撃を受けます。第一撃で「愛宕」に命中しなかった残りの2本の魚雷を回避しましたが、同じ潜水の放った魚雷のうち2本が命中して一時期航行不能に陥りました。その後機関を修復して航行が可能になりましたが、艦隊に追随できず、護衛に残された駆逐艦「朝霧」を伴いブルネイ引き返しました。

海戦後、ブルネイからシンガポール回航され、内地での本格修理に向けた修復が試みられますが、修復は断念されシンガポール防衛のため残留が決定し、そのまま同地で終戦を迎えました。シンガポール残留中に同港に小型潜水艦で潜入した英国特殊部隊の時限爆弾で損傷して離しています。

 

「麻耶」

「麻耶」は「愛宕」「高雄」と異なり、改装を受けることなく就役時の装備で開戦を迎えました。

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(直上の写真は、「高雄級」:竣工時の概観:「麻耶」は太平洋戦争の海戦からマリアナ沖海戦前まで、対空機関砲の増設を除いて、ほぼこの姿でした。 165mm in 1:1250 by Konishi )

緒戦は第四戦隊の「愛宕」「高雄」と行動を共にしましたが、ミッドウェー海戦では、僚艦「高雄」と共に第二機動部隊(北方部隊)に編入され、アリューシャ攻略戦に参加、これを成功させています。

ソロモン方面での活動、再びの北方部隊(第五艦隊)への分派(アッツ島沖海戦)を経て再び南方戦線に復帰しましたが、復帰直後、ラバウル空襲で一時は艦放棄も検討されるほどの損害を受け、内地に回航後修復と共に大規模な対空火器の増強を受け防空巡洋艦となりました。

改装の要目は、単装対空砲の連装砲への換装と、3番主砲塔を撤去して連装対空砲2基を搭載(都合、搭載対空砲は従来の4門から12門に飛躍的に強化されています)、対空機関砲の大幅増強、魚雷発射管の連装から四連装への換装、復原性改善と浮力確保のためのバルジ装着などでした(艦橋のコンパクト化は行われなかったようです)。

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(大改装後の「麻耶」by Konishi: 三番砲塔を撤去して対空砲を強化し、本格的な防空巡洋艦に変身しました。安定性と浮力確保のためにバルジが装着されました)


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(改装前と改装後(左列)の細部比較:対空砲を3倍に強化しています)

この修復後第二艦隊に復帰し、マリアナ沖海戦には対空砲増強の防空巡洋艦の姿で参加し空襲で至近弾数発を受け若干の損害を出しています。修復後、第一遊撃部隊に合流し出撃しますが、「愛宕」避雷の約30分後、同じくパラワン水道で別の米潜水艦の放った魚雷4本を受けて、被雷後わずか8分ほどで沈んでいます。

 

「鳥海」

「鳥海」も「麻耶」同様、「愛宕」「高雄」と異なり、改装を受けることなく就役時の装備で開戦を迎えました。

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(直上の写真は、「高雄級」:竣工時の概観:「鳥海」は太平洋戦争期間中、対空機関砲の増強を除けば、ほぼこの姿でした。 165mm in 1:1250 by Konishi )

その旗艦設備を重宝され、緒戦では南遣艦隊旗艦として派出され、続いて新設された第八艦隊(外南洋部隊)旗艦として運用されたため、他艦と異なり第四戦隊の隊列にはなかなか復帰できませんでした。

レイテ沖海戦では、第四戦隊の一員として参加。他の三隻がパラワン水道で相次いで雷撃を受け、二隻が沈み、一隻が戦線を離脱する中、第五戦隊(「妙高」「羽黒」)に編入されて航行を続けました。その後「妙高」が空襲の損傷で脱落した後も「羽黒」と第五戦隊を組み、戦闘を継続しました。

その後、サマール沖で米護衛空母部隊を追撃中に、米護衛空母艦載機の空爆にさらされ被弾しこれによって魚雷が誘爆、戦線を離脱しました。更に数次の空襲で被弾後、大火災を発生し、味方駆逐艦によって雷撃処分されています。

 

このように、日本海軍最後の一等巡洋艦「高雄級」は、ネームシップの「高雄」を除いて全てレイテ沖海戦で失われました。前級である「妙高級」も併せて、いわゆる諸列強が羨望した条約型重巡洋艦である「妙高級」「高雄級」は、奇しくも両級のネームシップが、シンガポールで、行動不能の状態で残存する、という状況で終戦を迎えることとなりました。

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レイテ沖海戦時の第四戦隊:奥から「高雄」「愛宕」「麻耶」「鳥海」:実際には対空機関砲を増設、電探装置が増設されています)


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(「高雄級」の細部比較:艦橋構造の差異や、デリックの位置に差異が見られます)

 

重巡洋艦の集大成

高雄級重巡洋艦 -Takao class heavy cruiser-(高雄:1932-終戦時残存/愛宕:1932-1944/鳥海:1932-1944/摩耶:1932-1944)   

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Takao-class cruiser - Wikipedia

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(直上の写真は、「高雄級」:竣工時の概観。 165mm in 1:1250 by Konishi )

 

「高雄級」重巡洋艦は、基本的に前級「妙高級」の改良型として設計されました。しかし設計は平賀譲の手を離れ、その後継者と目される藤本喜久雄(当時造船大佐)によるものでした。前回「妙高級」でも触れましたが、平賀譲は造船家として優れた設計思想をもち、その設計した軽巡洋艦「夕張」、「古鷹級」巡洋艦、「妙高級」重巡洋艦など、海外から大きな脅威として見られたシリーズ(この一連のシリーズに対する脅威から、主力艦に保有制限を設けたワシントン体制から、補助艦艇にも保有制限を設けるロンドン条約が生まれたほどです)を生み出した反面、「不譲=譲らず」の異名をつけられるほど自説に対する自信が強く、時に用兵者の要求も一顧だにせずはねつける、あるいは「完成形」を求めるあまり工数、費用、量産性などを考慮しないなど、毀誉褒貶の激しい人物でした。この為、海軍の造船中枢からは外されてしまいました。 

前級との主な差異は、主砲口径を最初から条約制限上限の8インチ(20.3cm)とし、連装主砲砲塔5基の配置形態はそのままにして、前後の配置間隔を詰めることにより集中防御を強化したこと、新砲塔の採用により主砲の仰角をあげ、対空射撃能力を主砲にも持たせ、これにより高角砲の搭載数を減じたこと、そして何より被弾時の誘爆損害が大きな懸案だった船体内に装備された魚雷発射管を上甲板上に装備する配置に変更したことが挙げられるでしょう。

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(直上の写真は、「高雄級」:竣工時の特徴をクローズアップしたもの。巨大な艦橋(下段左)。単装高角砲と、設計時から上甲板上に設置された魚雷発射管:新型砲塔の採用で主砲の仰角を上げることで対空射撃にも対応できる設計として、単装高角砲は前級の6基から4基に減じられています(上段)。拡充された航空艤装:設計当初からカタパルトを2基搭載していました(下段右))

 

航空艤装も強化され、前級までは1基だったカタパルトを2基装備にすることにより、水上偵察機の運用能力の向上が図られました。

一方で、上記の「平賀はずし」の経緯の反動で、用兵側の要求に対する異論が唱えにくい空気が醸成されたことも事実で、それが戦隊(艦隊)旗艦業務などに対応する為の艦橋の著しい大型化などとなって現れ、高い重心から「妙高級」に対しやや安定性と速力で劣る仕上がりとなりました。

 

 

第一戦隊(司令官:宇垣纏中将)戦艦 大和武蔵長門

第一遊撃部隊第一戦隊は戦艦「大和」「武蔵」「長門」で構成されていました。

レイテ沖海戦当時の「大和」と「武蔵」

大和級戦艦の改装:「大和」「武藏」の対空兵装改装

大和級戦艦はその新造時の設計では、6インチ三連装副砲塔を4基、上部構造の前後左右に配置した設計でしたが、一連の既存戦艦の近代化改装の方針である対空戦闘能力の向上に則り、両舷の副砲塔を撤去し、対空兵装に換装しました。

「大和」「武藏」は1944年に上記の両舷の副砲塔を撤去し、対空兵装を充実し、電探装備を追加する改装を受けました。その際に「大和」は12.7センチ連装高角砲を従来の6基から12基に増強しましたが、「武藏」は高角砲の砲台までは準備できたのですが、高角砲の準備が間に合わず、代わりに25ミリ3連装対空機関砲を増加搭載して、マリアナ沖海戦に臨むことになりました。

「武藏」は、結局、マリアナ海戦後も連装高角砲の増設を受けることなく、引き続きレイテ沖海戦に向かい出撃しています。

(直下の写真は対空兵装増強後の「大和」。両舷の副砲塔が撤去され、12.7センチ連装高角砲が左右両舷に各3基、増強された。但し、18インチ主砲のブラスト防止用のシールドは下部の砲台にしか装備されていない)

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(直下の写真は対空兵装増強後の「武藏」。両舷の副砲塔は撤去され、高角砲台は設置されたが、12.7 センチ連装高角砲が間に合わず、代わりに25mm三連装対空機関砲が設置されている)

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(直下の写真は、対空兵装増強後の「大和」「武藏」 のそれぞれの上部構造の拡大。上:「大和」、下:「武藏」。連装高角砲の増設の有無がよくわかる)

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 「大和」

レイテ沖海戦には第一戦隊旗艦として参加しています。その後、旗艦「愛宕」を失った第一遊撃部隊司令部を移乗させて、艦隊旗艦となっています。

第一遊撃部隊設立時に、第一遊撃部隊司令部は旗艦を従来の「愛宕」から艦隊の中で最も生存性が高く活通信機能の高い「大和」に変更した旨の希望を海軍上層部に打診しましたが、「第二艦隊は本来前衛部隊で、その旗艦は伝統的に機動性に優れた重巡洋艦であるべき」という不思議な理由で、その希望を却下されています。

僚艦「武蔵」が失われたシブヤン海での海空戦で「大和」も被弾しますが、損害は軽微で、その後、サマール島沖海戦で米護衛空母群に対し初めて主砲での対艦射撃を行なっています。主砲射撃は全部主砲6門を用いた104発で、「正規空母一隻を撃破」と記録されていますが、戦果は定かではないようです(米側記録では、危険回避のために護衛空母が煙幕をはった、とあるようです。この煙幕の黒煙を命中と誤認したかも。さらに、もちろん射撃目標は護衛空母正規空母ではなかったのですが、32000メートルの遠距離射撃でもあり、誤認はやむを得ないかと。しかしこの誤認が後の判断に大きく影響しているような気もするのですが)

その後、「大和」以下の第一遊撃部隊は有名な「謎の反転」を行い、レイテ湾突入のコースから米機動部隊を求め反転します。結局、米機動部隊発見することはできず、そのまま帰投するのですが、その帰途、複数の空襲を受け、さらに4発 お爆弾を被弾しています。

こうしてレイテ沖海戦から生還した「大和」でしたが、本土帰投後、天一号作戦(いわゆる沖縄海上特攻)の投入され、目標の沖縄のはるか手前、鹿児島県坊ノ岬沖で、米艦載機の集中攻撃で撃沈されました。

 

「武蔵」

レイテ沖海戦には、損害担当艦として、目立つ塗装(明るい銀鼠色)をして臨んだ、と言われていますが、海戦後「大和」も同色に塗り直す計画があったともいわれ、「損害担当艦」塗装であったかどうか定かではありません。シブヤン海で多数の米空母艦載機の約5時間、6回にわたる集中攻撃を受け、そのうち5回の空襲で魚雷20本(?)、爆弾17発、至近弾多数(20発以上?)を被弾して、空襲の都度、被害箇所への対応の注水などにより復旧を試み、かつ最後まで戦闘力を維持しましたが、最初の被弾から約9時間後、転覆し沈みました。

 

 大和級戦艦

大和型戦艦 - Wikipedia

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同級の計画時にはまだワシントン海軍軍縮条約が有効であったために、その主砲は前級である相模級と同様、新型55口径16インチと公承されていましたが、実は条約の制限を超える18インチ砲でした。

集中防御方式を推進し、艦型そのものは大変コンパクトに仕上げられました。設計の細部には塔式の前檣や、集合式の新設計の通信アンテナ、強烈な主砲爆風対策のための格納式航空兵像、内火艇収納庫、シールド付きの対空砲座など、新機軸が意欲的に多数採用されています。

主砲はこれまでの航洋型の艦船では例のない(一部モニター艦などでは搭載例がありましたが)18インチ砲で、新設計の砲を新設計の三連装砲塔に搭載していました。さらに27ノットの高速で機動性にも優れる戦艦として設計され、高い機動性と強力な砲力で常に相手に対し優位な位置からのアウトレンジを実施し、相手を圧倒することを実現できることが目指されていました。

(1941-: 64,000t, 27 knot, 18in *3*3, 3 ships, 215mm in 1:1250 by Konishi/Neptun) 

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大和級の2隻:武蔵(手前)、大和。就役時には、副砲塔を上部構造の前後左右に4基配置した) 

 

長門

レイテ沖海戦には第一遊撃部隊、第一戦隊の一員として参加し米艦載機の攻撃を受け少なくとも8発の爆弾を被弾しています。

レイテ沖海戦前に第一遊撃艦隊に第二戦隊が編入された際、軍令部案では「長門」が「山城」に変わり第二戦隊旗艦となる予定でした。結局、第一戦隊司令官(宇垣中将)の反対で、この案は成立しませんでしたが、「長門」が旗艦となった西村艦隊がどのように戦ったのか、みてみたかったような気がします。

(1941 43,500 t, 26.5 knot, 16in *2*4, 2 ships, 182mm in 1:1250 by Neptun:レイテ沖海戦当時には、さらに対空火器が強化されていたはずです)
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レイテ沖海戦後は日本本土への航海が最終の行動となりました。深刻な燃料不足でその後は航行機会を得られず終戦を迎え、米軍に接収後、ビキニ環礁での核実験で標的艦とされ、沈没しているのは大変有名です。

 

世界初の16インチ主砲搭載の高速戦艦 長門級の誕生

扶桑級伊勢級、ともにその計画は第一次世界大戦前に遡り、一部大戦の戦訓を盛り込んだとはいえ、十分なものではありませんでした。併せて当時、列強は次々にこれらを凌駕する強力な戦艦を建造しており、日本海軍としては、さらにこれを上回る艦の建造が求められていました。 

その結果、「長門級」は、列強の諸艦に対しては、世界初の16インチ砲を採用しこれを圧倒することとし、この巨砲群の射撃管制のための巨大な望楼構造の前檣を採用し、その最頂部に大型の測距儀を設置しました。併せてユトランド沖海戦からの戦訓として、防御力の拡充はもちろん、高速力の獲得も目指されました。計画当初は24.5ノットの速力が予定されていましたが、ユトランド沖海戦から、機動性に劣る艦は戦場で敵艦をとらえられず、結果、戦力足り得ない、との知見を得て、26.5ノットの高速戦艦に設計変更されました。

長門型戦艦 - Wikipedia

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(竣工時の長門級。当初、前部 煙突は直立型であったが、前檣への排煙の流入に悩まされました。煙突頂部にフードをつけるなど工夫がされましたが、1924年から1925年にかけて、下の写真のように前部煙突を湾曲型のものに換装しています)

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(1920-, 33,800t, 41cm *2*4, 26.5knot, 2 ships: 176mm in 1:1250 by Hai)

 

最終改装時(1941年次)の長門級戦艦

その改装はバルジの装備、装甲の強化、対空兵装の強化などの重量増加に対し、速度低下を招かないような機関換装が行われましたが、結果的にはやや速度が低下しています。

 

第五戦隊(司令官:橋本信太郎中将)重巡洋艦 妙高羽黒

第五戦隊は「妙高」「羽黒」二隻の妙高重巡洋艦で構成されていました。

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(直上の写真は、「妙高級」重巡洋艦の大改装後の概観。166mm in 1:1250 by Neptune) 

妙高

レイテ沖海戦には、第2艦隊(栗田艦隊)第5戦隊の旗艦として僚艦「羽黒」を率いて参加しますが、シブヤン海で米機動部隊の空襲で避雷し、艦隊から落伍してしまいました。海戦後、損傷修理のために内地への回航中に米潜水艦の雷撃により、艦尾部を切断、内地回航を諦めシンガポールに曳航され、航行不能状態のまま同地で防空艦として終戦を迎えました。

「羽黒」

レイテ沖海戦では、第一遊撃部隊(第2艦隊主隊:栗田艦隊)に編入され、米艦載機の爆撃で損傷を負いながらサマール沖海戦で米護衛空母艦隊を追撃するなど活躍し、帰投しました。

その後は 南西方面艦隊に所属し、シンガポール方面での輸送任務についていましたが、1945年5月、輸送任務中に英海軍機の攻撃で被弾損傷、その後、英駆逐艦隊と交戦し英駆逐艦の雷撃で沈没しました。

 

「飢えた狼」と呼ばれた艦級(フネ) 

妙高重巡洋艦 -Myoko class heavy cruiser-(妙高:1929-終戦時残存 /那智:1928-1944/足柄:1929-1945/羽黒:1929-1945)   

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Myōkō-class cruiser - Wikipedia

妙高級」巡洋艦は、前述のようにワシントン体制の制約の中で、日本海軍初の条約型巡洋艦として設計・建造されました。すなわち、補助艦艇の上限枠である基準排水量10000トン、主砲口径8インチと言う制約をいっぱいに使って計画された巡洋艦であったわけです。

設計は平賀譲が主導しました。これまで本稿で見てきたように、彼は既に軽巡洋艦「夕張」、強化型偵察巡洋艦「古鷹型」でコンパクトな艦体に重武装を施すと言うコンセプトを具現化してきており、ある意味、本級はその「平賀デザイン」の集大成と言ってもいいでしょう。

後に、1930年のロンドン海軍軍縮条約では、それまで保有上限を設けていなかった補助艦艇にも保有数の制約が設けられました。特に巡洋艦については、艦体上限の基準排水量10000トンについては変更されませんでしたが、主砲口径でクラスが設けられ、8インチ以下6.1インチ以上をカテゴリーA(いわゆる重巡洋艦の定義がこうして生まれたわけです)とし、日本海軍は対米6割の保有上限を課せられました。「妙高級」の竣工が1929年である事を考慮に入れると、「古鷹級」「妙高級」などの登場による日本式コンパクト重装備艦に対する警戒感が背景の一つにあったと言ってもいいでしょう。

これにより、本来は上述のように強化型偵察巡洋艦であった「古鷹級」、その改良型である「青葉級」も、「準主力艦」として建造された「妙高級」も、一括りにカテゴリーA(重巡洋艦)と分類され、その総保有数が制限されることになります。

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(直上の写真は、「妙高級」重巡洋艦の竣工時の概観。166mm in 1:1250 by Konishi) 

 計と建

妙高級」は、その設計は、前級である「古鷹級」「青葉級」の拡大型と言えるでしょう。

しかし、強化型偵察巡洋艦として、5500トン級軽巡と同様に時として駆逐艦隊を率いて前哨戦を行う可能性のある「古鷹級」「青葉級」と異なり、強力な攻撃力と防御力を併せ持つ準主力艦を目指す本級では、平賀は、用兵側が強く要求した魚雷装備を廃止し、20センチ連装主砲塔5基を搭載する、当時の諸列強の巡洋艦を砲力で圧倒する設計を提案しました。

平賀のこの設計の背景には、竣工当時の魚雷に、上甲板からの投射に耐えるだけの強度がなく、一段低い船内に魚雷発射管を設置せねばならなかったと言う事情が強く働いていたようです。平賀は艦体の設計上、被弾時の魚雷の誘爆に対する懸念から、船内への搭載に強く抵抗し、「妙高級」では用兵側の要求であった20センチ砲8門搭載を10門に増強することにより、雷装を廃止した設計を行い、用兵側の反対を受け入れず押し切ったと言われています。 

平賀にすれば、同級は20センチ砲10門に加えて、12センチ高角砲を単装砲架で6基搭載しており、「水雷戦隊を率いる可能性のある偵察巡洋艦ならまだしも、準主力艦である本級にはすでに十分強力な砲兵装が施されており、誘爆が大損害に直結する船体魚雷発射管の装備は見送るべき」と言うわけですね。

この提案は一旦は承認されましたが、軍令部は平賀の外遊中に留守番の藤本造船官に、魚雷発射管を船体内に装備するよう、設計変更を命じました。この時同時に、「青葉級」の主砲搭載形式でも、軍令部の連装砲塔搭載の要望に対し、船体強度の観点から「古鷹級」で採用した単装砲架形式を主張して譲らない平賀の設計を、やはり軍令部は藤本に命じて設計変更をさせています。用兵当事者から見れば、平賀は自説に固執し議論すらできない、融通の効かない設計官と写っており、この後、平賀は海軍の艦艇設計の中枢を追われることになります。

結局、建造された「妙高級」は、正20センチ主砲を連装砲塔で5基、12センチ高角砲を単装砲架で6基、61センチ3連装魚雷発射管を各舷2基、計4基を搭載する強力な軍艦となりました。

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(直上の写真は、「妙高級」重巡洋艦の竣工時の主砲配置と単装高角砲の配置。かなり砲兵装に力を入れた装備ですね)

 さらに、航空艤装としては水上偵察機を2機収納できる格納庫を艦中央部に設置し、当初から射出用のカタパルトを搭載していました。 

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(直上の写真は、「妙高級」重巡洋艦の竣工時の魚雷発射管。「古鷹級」と同様、当時の魚雷の強度を考慮し、船体内に搭載されています。;上段写真/ 下段写真は航空艤装。当初からカタパルトを装備していました。水上偵察機を2機収納できる格納庫はカタパルトの手前の構造物) 

 数値的には列強の同時期の条約型重巡洋艦よりも厚い装甲を持ち、重油専焼缶12機とタービン4基から35.5ノットの最高速度を発揮する設計でした。

すでにこの時期には平賀は海軍建艦の中枢にはいませんでしたが、ある意味「平賀デザイン」の集大成であり、ロンドン軍縮条約の制約項目まで影響を与えるほど、列強から「コンパクト強武装艦」として警戒感を持って迎えられた「妙高級」ではあったわけですが、やはり実現にはいくつかの点で無理が生じていました。一つは制限の10000トンを大きく超えた排水量となったことであり、設計と建造技術の乖離が顕在化する結果となりました。併せて、連装砲塔5基に搭載した主砲だったわけですが、その散布界(着弾範囲=命中精度)が大きく、主砲を6門、同じ連装砲塔形式で搭載した前級「青葉級」よりも低い命中精度しか得られないと言う結果となりました。さらに、上記の経緯で無理をして魚雷発射管を船体内に搭載したため、居住スペースが縮小され、居住性を劣化させることになりました。

こうしたその強兵装に対する畏怖と、一方で、あらゆる兵装を詰め込んだことから生じる劣悪な居住性などへの疑問(嘲笑)から、同級を訪れた外国海軍将校から「飢えた狼」と言う呼称をもらったことは有名な逸話となっています。

 その大改装

1932年からの第一次改装と1938年の第二次改装で、同級は、主砲口径を正20センチから8インチ8(20.3センチ)に拡大しました。これにより、主砲弾重量が110kgから125kgに強化されました。また高角砲を単装砲架6基から連装砲4基へと強化、さらに懸案の魚雷発射管を船内に搭載した3連装発射管4基から、上甲板上に搭載する4連装魚雷発射管4基として、各舷への射線を増やすとともに、より強力な酸素魚雷に対応できるよになりました。

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(直上の写真は、「妙高級」重巡洋艦の竣工時と大改装後の主要な相違点。左列は魚雷発射管の装備位置:大改装後、発射管は上甲板上に装備されました。右列は水上偵察機の搭載位置の変化:大改装後にはカタパルトが2機に増設され、整備甲板が設置されました)

 上甲板上の魚雷発射管を覆う形状で水上偵察機の整備甲板を設置し、カタパルトを増設、搭載水上偵察機数も増やしています。

この大改装で、排水量が増加し、速力が33ノットに低下しています。

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(直上の写真は、「妙高級」重巡洋艦の勢揃い)

 

 

第二水雷戦隊(司令官:早川幹夫少将)軽巡洋艦 能代、

駆逐艦 島風、早霜秋霜、 岸波沖波朝霜長波、 浜波藤波

第二水雷戦隊は、阿賀野級軽巡洋艦能代」を旗艦とし、重雷装高速駆逐艦島風」と九隻の夕雲級駆逐艦で構成されていました。

能代

レイテ沖海戦に第1遊撃部隊(栗田艦隊)の旗艦として参加。作戦を通じ対空戦闘や米護衛空母部隊の追撃戦(サマール島沖海戦)などに従事しますが、作戦中止後、帰投途上で、米機動部隊の艦載機の攻撃を受け、魚雷1発が命中し航行不能となりました。本隊が退避したため、「能代」は米艦載機の集中攻撃を受け、さらに魚雷1本を受け沈没しました。

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(直上の写真は、「阿賀野級」の就役時の概観。138mm in 1:1250 by Neptune)

 

阿賀野級巡洋艦 -Agano class cruiser-    

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Agano-class cruiser - Wikipedia

日本海軍では、高速化する駆逐艦と、その搭載する強力な魚雷に大きな期待を寄せ、 水雷戦隊をその中核戦力の一環に組み入れてきました。そしてこの戦隊を統括し指揮する役目を軽巡洋艦に期待してきたわけです。

その趣旨に沿って建造されたのが、一連の「5500トン級」軽巡洋艦でした。この艦級は初期型5隻(1917年から順次就役)、中期型6隻(1922年から順次就役)、後期型3隻(1924年から順次就役)、計14隻が建造されその適応力の高さから種々の改装等を受け適宜近代化に対応してきましたが、1930年代後半に入るとさすがに特に初期型の老朽化は否めず、艦隊の尖兵を構成する部隊の旗艦としては、砲力、索敵能力に課題が見られるようになりました。

 そこで計画されたのが、「阿賀野級軽巡洋艦でした。

 

阿賀野級」は、それまでの「5500トン級」とは全く異なる設計で、6650トンの船体に、軽巡洋艦としては初となる15.2cm砲を主砲として採用し連装砲塔を3基搭載していました。この砲自体の設計は古く、名称を「41式15.2cm 50口径速射砲」といい、「金剛級巡洋戦艦、「扶桑級」戦艦の副砲として採用された砲でした。

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同砲は、主砲を単装砲架での搭載を予定していた「5500トン級」軽巡洋艦では人力装填となるため日本人には砲弾が重すぎるとして、少し小さな14cm砲が採用されたという、曰く付きの砲でもあります。しかし。列強の軽巡洋艦は全て6インチ砲を採用しており、明らかに砲戦能力での劣後を避けたい日本海軍は、新造の「阿賀野級」では、この砲を新設計の機装式の連装砲塔で搭載することにしました。

同砲は21000メートルの射程を持ち、砲弾重量45.5kg (14cm砲は射程19000メートル、砲弾重量38kg)。連装砲塔では毎分6発の射撃が可能でした。さらに新設計のこの連装砲塔では主砲仰角が55度まで可能で、一応、対空射撃にも対応できる、とされていました。

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(直上の写真は、「阿賀野級」の細部。主砲として採用された41式15.2cm 50口径速射砲の連装砲塔(上段)。高角砲として搭載した長8cm連装高角砲(左下):この砲は最優秀高角砲の呼び声高い長10cm高角砲のダウンサイズですが、口径が小さいため被害範囲が小さく、あまり評価は良くなかったようです。水上偵察機の整備運用甲板とカタパルト(右下))

 

対空兵装としては優秀砲の呼び声の高い長10cm高角砲を小型化した新型の長8cm連装高角砲2基搭載していました。

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雷装としては61cm四連装魚雷発射管2基、艦中央部に縦列に装備し、両舷方向に8射線を確保する設計でした。

航空偵察能力は「5500トン級」よりも充実し、水上偵察機2機を搭載し射出用のカタパルト1基を装備していました。

最大速力は、水雷戦隊旗艦として駆逐艦と行動を共にできる35ノットを発揮しました。

 

島風

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(直上の写真:「島風」の概観。101mm in 1:1250 by Neptune)

島風」は 水雷戦闘に特化した設計の駆逐艦です。ある意味、来るべき総力戦・航空主導下での戦闘の変化等を認識した新・駆逐艦の設計体系の中にありながら、未だに「主力艦艦隊決戦時での肉薄水雷攻撃」の構想を捨てきれなかった日本海軍の「あだ花」的な存在と言えるのではないでしょうか?

レイテ沖海戦には第二水雷戦隊本部付の駆逐艦として参加しています。

サマール島沖の米護衛空母部隊への追撃戦に参加するものの、結局自慢の魚雷発射の機会はありませんでした。

海戦後は、第二水雷戦隊旗艦として、レイテ島への増援輸送作戦に従事し、第三次輸送部隊の一員としてオルモック湾に輸送船とともに突入しますが、米軍機の集中攻撃を受け、輸送部隊は駆逐艦朝潮」を除いて護衛艦船、輸送船ともに全滅し、「島風」も失われまし

 

島風級」駆逐艦(1隻)

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建造中に太平洋戦争が始まり、そこでの海戦のあり方の変化は明らかで、流石に同艦級の活躍の場を想定することは難しく、当初の計画では16隻が整備さえる予定でしたが、建造は「島風」1隻のみにとどまりました。

2500トンの駆逐艦としては大きな船型を持つ「島風」の特徴は、そのずば抜けた高速性能にあります。計画で39ノット、実際には40ノット超の速力を発揮したと言われています。(「夕雲級」が35.5ノット)更に15射線という重雷装を搭載しており(5連装魚雷発射管3基)、一方で予備魚雷は搭載せず、まさに艦隊決戦での「肉薄一撃」に特化した艦であったと言えると思います。

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(直上の写真:「島風」の特徴である高速性を象徴するクリッパー型艦首:上段。5連装魚雷発射管3基。次発装填装置は装備していません:下段)

 

 

第二駆逐隊 駆逐艦 早霜秋霜

第三十一駆逐隊 駆逐艦 岸波沖波朝霜長波

第三十二駆逐隊 駆逐艦 浜波藤波

上記の八隻の駆逐艦は全て「夕雲級」駆逐艦で構成されていました。f:id:fw688i:20200830111012j:image

(直上の写真:「夕雲級」の概観。95mm in 1:1250 by Neptune)

レイテ沖海戦では「早霜」がサマール島沖海戦(米護衛空母軍への攻撃)で護衛空母の艦載機の空襲で損傷を受け、退避中に再度空襲を受け座礁、放棄されました。
その他の艦は当海戦では失われませんでしたが、レイテ島、ルソン島方面の輸送任務等に投入され、「岸波」「沖波」「長波」「浜波」「秋霜」が失われています。

 

「夕雲級」駆逐艦(19隻)

ja.wikipedia.or 「夕雲級」駆逐艦は、「陽炎級」の改良型と言えます。就役は1番艦「夕雲」(1941年12月5日就役)を除いて全て太平洋戦争開戦後で、最終艦「清霜」(1944年5月15日就役)まで、19隻が建造されました。

その特徴としては、前級の速力不足を補うために、船体が延長され、やや艦型は大きくなりますが、所定の35ノットを発揮することができました。兵装は「陽炎級」の搭載兵器を基本的には踏襲しますが、対空戦闘能力の必要性から、主砲は再び仰角75度まで対応可能なD型連装砲塔3基となりました。しかし、装填機構は改修されず、依然、射撃速度は毎分4発程度と、実用性を欠いたままの状態でした。

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(直上の写真:「陽炎級」(上段)と「夕雲級」(下段)の艦橋の構造比較。やや大型化し、基部が台形形状をしています)

陽炎級」と同様、就役順に第一線に常に投入されますが、その主要な任務は、設計に力点の置かれた艦隊決戦での雷撃能力ではなく、艦隊護衛、船団護衛や輸送任務であり、その目的のためには対空戦闘能力、対潜戦闘能力ともに十分とは言えず、全て戦没しました。

 

第一遊撃部隊 第一部隊の捷一号作戦(レイテ沖海戦とその後のフィリピン攻防)での損害状況

以下に第一遊撃部隊 第一部隊の作戦回りでの損害をまとめておきましょう。赤字レイテ沖海戦(10月20日から28日にかけて)で失われた艦船を、緑字レイテ沖海戦後のフィリピン攻防に関連して失われた艦を表しています。

第一部隊[編集]

 

黒字表記の艦船のうちでも、「高雄」「妙高」はその後十分な行動能力を復帰できませんでした。

というわけで、今回はここまで。

 

次回はもちろん「栗田艦隊 第二部隊」をご紹介する予定です。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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レイテ沖海戦:志摩艦隊:第五艦隊(第二遊撃部隊)の話

本稿前回で、「扶桑級」戦艦に関連して「西村艦隊:第二艦隊 第二戦隊基幹の別働部隊(第一遊撃部隊 第三部隊)」についてご紹介した訳ですが、その流れで、今回は「西村艦隊」に後続してレイテ 湾に突入した「志摩艦隊:第二遊撃部隊(第五艦隊)」について触れてみたいと思います。

 

第五艦隊の南方転用と志摩中将

太平洋戦争の開戦直前、「第五艦隊」は、それまでの中国大陸周辺での活動を遣支艦隊に集約し、ヨーロッパでの独ソ戦の開始に伴い、主としてソ連警戒と本土東方警戒を担当とする部隊として、新たに編成されました。

新生第五艦隊の司令長官には細萱中将が就任し、太平洋戦争では、ミッドウェー海戦のサイドメニューともいうべきアリューシャン攻略戦、アッツ島沖海戦などを指揮しています。

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アッツ島沖海戦の不手際で、細萱提督は責任を問われて更迭されますが、変わった河西中将の指揮下で、一転、「奇跡」と言われたキスカ島撤退作戦を成功させます。

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1944年2月に志摩中将が司令長官に就任し、おりから急を告げる戦局に応じ、まずマリアナ沖海戦編投入を計画され、東方警備の任にあたるため、北東方面艦隊に在籍のまま横須賀に進出します。サイパン陥落でマリアナへの投入は見送られますが、大湊に帰投後、今度は空母機動部隊の支援部隊として正式に第一機動艦隊指揮下に入ることが決定され、日本本土内海西部に展開することになりました。この時期、本稿前回でご紹介したように戦艦「山城」「扶桑」で編成される新生第二戦隊を第二遊撃部隊に加えることが検討されていました。

台湾・沖縄に来襲したハルゼー機動部隊(米第三艦隊)と、同地域に展開していた日本陸海軍の基地航空部隊の間に「台湾沖航空戦」が惹起し、基地航空部隊に加えて、マリアナ沖海戦での壊滅的損害からようやく再建の端緒についたばかりのなけなしの母艦航空隊をも投入した航空部隊による米機動部隊撃滅の大戦果が報告されると、連合艦隊司令部は志摩中将麾下の第五艦隊(第二遊撃部隊)に「残敵掃討」を下令し、志摩艦隊はフィリピン東方海域に向け出撃しました。第二遊撃部隊は指定海域への進出途中で戦果誤報に気づき引き返しましたが、台湾海域にとどまるよう命じられ、この時点で北東方面艦隊指揮下から、南西方面艦隊に移籍し、台湾帰投後マニラに移動するよう命じられています。

この時点で連合艦隊も軍令部も、第二遊撃部隊をどのように使うかについては、まだ構想がまとまっておらず、したがって第二遊撃部隊には作戦構想も十分な情報も、あるいは他の部隊との連携についても、何も指示がもたらされませんでした。

 

指揮官となった志摩中将は海軍兵学校39期卒で、この時期の将官としては珍しく通信畑の専門家でした。海兵同期には、テニアンで戦死した第一航空艦隊(基地航空部隊)司令長官の角田中将や、珊瑚海海戦の第五航空戦隊司令官原中将(珊瑚海海戦当時は少将)、さらには新生第二戦隊司令官となった西村中将などがいました。

 

コラム:海軍兵科学校の卒業年次の話

海軍兵学校の卒業年次は、将官のポジションを決める人事配置上で絶対で、例えば卒業年次の後の将官が先輩将官の建成艦隊の上席につき指揮することはあり得ませんでした。例えば大戦末期小沢中将が連合艦隊司令長官に就く際には海兵先輩の将官は、全て予備役に編入されるか、軍事参議官あるいは鎮守府司令官、学校関連の職務に転籍しています。

ちなみに太平洋戦争期の主な将官を一覧しておくと、以下のような感じです。(ちょっと長いですが)

28期:永野修身(開戦時軍令部総長・後元帥)

29期:米内光政(1940年第37代内閣総理大臣陸相辞任により辞職(在職6ヶ月)・終戦海軍大臣

31期:及川古志郎(1940年日独伊三国同盟定形辻海軍大臣レイテ沖海戦軍令部総長

32期:山本五十六(第26代・27代連合艦隊司令長官嶋田繁太郎(開戦時海軍大臣・1944年2月から7月まで軍令部総長を兼任)、堀悌吉(ロンドン軍縮会議時の海軍軍務局長;条約推進派・山本五十六の盟友として有名。艦隊派推進人事により中将で予備役編入

33期:豊田副武(第29代・30代連合艦隊司令長官・海兵後輩の古賀峯一が連合艦隊司令長官時には横須賀鎮守府市営長官でした)

34期:古賀峯一(第28代連合艦隊司令長官

35期:近藤信武(開戦時第二艦隊司令長官)・高須四郎(開戦時第一艦隊司令長官・古賀連合艦隊司令長官遭難時に、一時期連合艦隊司令長官代行)

36期:塚原二四三(開戦時第十一航空艦隊司令長官)、南雲忠一(開戦時第一航空艦隊司令長官)そのほかこの代にはあ清水光美(第六艦隊)・高橋伊望(第三艦隊)・細萱戊子郎(第五艦隊) 等、開戦時の建成艦隊司令長官が並んでいます

37期:井上成美(開戦時第四艦隊司令長官)、小沢治三郎(開戦時南遣艦隊司令長官・レイテ沖海戦時の第一機動艦隊司令長官)、草鹿任一(開戦時海軍兵学校長・南東方面艦隊聖霊長官)

38期:栗田健男(開戦時第七戦隊司令官・レイテ海戦時第二艦隊(第一遊撃部隊)司令長官)、三川軍一(開戦時第三戦隊司令官・第八艦隊司令長官・レイテ海戦時には南西方面艦隊司令長官)

39期:伊藤整一(開戦時軍令部次長・天一号作戦(「大和」沖縄特攻作戦)時第二艦隊司令長官)、角田覚治(開戦時第三航空戦隊(軽空母部隊)司令官・マリアナ沖海戦時第一航空艦隊司令長官)志摩清英(開戦時第四艦隊第十九戦隊(機雷敷設部隊)司令官・レイテ沖海戦時第五艦隊(第二遊撃部隊)司令長官)西村祥治 (開戦時第四水雷戦隊司令官レイテ沖海戦時第二戦隊(第二遊撃部隊第三部隊)司令官、原忠一 (開戦時第五航空戦隊司令官

40期:宇垣 纏(開戦時連合艦隊参謀長・レイテ沖海戦時第二艦隊(第一遊撃部隊)第一戦隊司令官大西滝治郎(開戦時第十一航空艦隊参謀長・レイテ沖海戦時第一航空艦隊司令長官)、左近允尚正(レイテ沖海戦時第五艦隊(第二遊撃部隊)第十六戦隊司令官)、鈴木義尾(レイテ沖沖海戦時第二艦隊(第一遊撃部隊)第三戦隊および第二部隊司令官)、福留繁(レイテ沖海戦時第二航空艦隊司令長官)山口多聞 (開戦時第二航空戦隊司令官・ミッドウェーで戦死)

41期:木村昌福(キスか撤退作戦指揮官(第一水雷戦隊司令官)・レイテ沖海戦時第五艦隊(第二遊撃部隊)第一水雷戦隊司令官)・草鹿龍之介 (開戦時第一航空艦隊参謀長・レイテ沖海戦連合艦隊参謀長)

42期:小柳冨次(開戦時戦艦金剛艦長・レイテ沖海戦時第二艦隊(第一遊撃部隊)参謀長)、白石万隆(開戦時第二艦隊参謀長・レイテ沖海戦時第二艦隊(第一遊撃部隊・第二部隊)第七戦隊司令官

**斜体字は戦死あるいは自決等、赤字レイテ沖海戦への関与者を示しています

 

もちろん前も後ろもまだまだ続きますが、さらに興味のある方は以下のリンクで。

ja.wikipedia.org

 

レイテ沖海戦と「志摩艦隊」

前述のように、「志摩艦隊」は来るべき「捷号作戦」(いわゆるレイテ沖海戦として具現化します)における使用意図等も決まらないまま、取りえあえずマニラへ移動せよと指示されるわけですが、当時の戦闘序列は以下のようなものでした。

志摩艦隊(第五艦隊:第二遊撃部隊)の戦闘序列

第二十一戦隊(第五艦隊司令長官直率)重巡洋艦 那智、足柄

第一水雷戦隊(司令官:木村昌福少将)軽巡洋艦 阿武隈

   第七駆逐隊 駆逐艦 曙、潮

   第十八駆逐隊 駆逐艦 霞、不知火

   第二十一駆逐隊 駆逐艦 初春、若葉、初霜(主隊に合流できず、レイテ湾突入戦には参加せず)

第十六戦隊 (司令官:左近弁尚正少将)重巡洋艦 青葉、軽巡洋艦 鬼怒、駆逐艦 浦波(第二遊撃部隊主隊合流前に「青葉」が損傷、レイテ湾突入戦には参加せず)

その後、結局、レイテ湾への突入を命じられるわけですが、作戦意図の詳しい説明も、協同すべき他の部隊との連絡も、とる機会があったようには見えません。しかも上述のように、全戦力での突入ができたわけではなく、突入に使えた戦力は結局、重巡洋艦二隻、軽巡洋艦一隻、駆逐艦四隻、計七隻という小さなものでした。(奇しくも先行した「西村艦隊」も計七隻の艦隊でした)

「志摩艦隊」は「西村艦隊」に後続する形でレイテ湾に突入(10/25 3:00am)するのですが、「志摩艦隊」の突入時には先行した「西村艦隊」はほぼ壊滅しており、結局、志摩提督は「西村艦隊」の残存兵力(と言っても大火災を起こした「最上」と駆逐艦「時雨」のに席にすぎませんでしたが)を吸収して、旗艦「那智」が「最上」と衝突損傷したこともあり、そのまま突入を断念し撤退しました。

戦術的には第一遊撃部隊と第二遊撃部隊からなる日本海軍の水上戦闘艦隊は、北方から(というより航路的には東方から、と言ったほうが正確かもしれません)その主力(栗田艦隊)が、南方から支隊(西村艦隊・志摩艦隊)がレイテ湾に侵入する形となり、キンケード提督の率いる第七艦隊の水上戦闘部隊(オルデンドルフ部隊)は南方の支隊に誘引される形となり、陽動的な役割を「西村艦隊」「志摩艦隊」は果たせたことになります。しかしこれには「突入タイミングが、あっていれば」という大きな条件が伴います。

そして史実では、突入主隊である「栗田艦隊」は10/24のシブヤン海での海空戦で大きな損害を出し、一旦北方への欺瞞反転を行ったため、「西村艦隊」「志摩艦隊」の突入時点では未だレイテ島の北方にあるサマール島沖合にあり、間に合いませんでした。さらにこの後、サマール島沖で米第七艦隊の護衛空母群と戦闘を行い、その後いわゆる「謎の反転」を行い、レイテ湾には突入しませんでした。

 

「志摩艦隊」が「西村艦隊」と異なり突入を断念し戦場を離脱した背景には、「栗田艦隊」の苦戦と一時反転の情報を得ており、この突入が主力(栗田艦隊)突入の陽動効果を果たし得ないこと、さらに単独突入となった場合に共同すべき「西村艦隊」が既に壊滅しており、「志摩艦隊」単独では効果を発揮できないこと、などへの考慮があったのではないでしょうか?

いずれにせよ「志摩艦隊」は戦場を離脱してしまうのです。この志摩中将の判断は、欧米の戦史研究では、「同海戦での、日本海軍首脳のほぼ唯一の理性的な判断」と評価が高いようです。一見、華々しい「勇戦」(=同海戦ではこの「勇戦」は艦隊をすり潰すことにほぼ等しいのですが)よりも、戦いの粘り強さ、のようなものを評価視点にするのは、文化的な差異でしょうか?それとも、「合目的性」に対する適合性という視点でしょうか?

どうやらこの重大な戦局に面して、初めて日本海軍首脳部(軍令部、連合艦隊司令部、さらに作戦実施艦隊司令部も)は「総力戦」的な作戦目的(上陸部隊の撃滅)をせっかく設定しながら、やはり「艦隊決戦」の思想から脱しきれなかったように思われます。作戦目的の記述が「撃滅目標」よりも「艦隊をすり潰す」という方法論にどうも重きが置かれているように見えるのですが。日本海軍の根源的な課題が、この辺りに見え隠れするような気がしています。

まあ、このテーマは、多分、本稿のどこか(それ程遠くないいつか)で触れることになるであろうレイテ 海戦での「栗田艦隊」あるいは「小沢機動部隊」あたりで、また記述する機会があるでしょう。

 

 「志摩艦隊」の艦船

第二十一戦隊(重巡那智・足柄)

第二遊撃部隊編成当時の第二十一戦隊は、「妙高級」重巡洋艦那智」「足柄」で編成されていました。

妙高重巡洋艦 -Myoko class heavy cruiser-(妙高:1929-終戦時残存 /那智:1928-1944/足柄:1929-1945/羽黒:1929-1945)   

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第二十一戦隊当時の「那智」「足柄」

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(直上の写真は、「妙高級」重巡洋艦の大改装後の概観。166mm in 1:1250 by Neptune) 

 

就役時の妙高重巡洋艦

妙高級」巡洋艦は、ワシントン体制の制約の中で、日本海軍初の条約型巡洋艦として設計・建造されました。すなわち、補助艦艇の上限枠である基準排水量10000トン、主砲口径8インチと言う制約をいっぱいに使って計画された巡洋艦であったわけです。

設計は平賀譲が主導しました。彼は既に軽巡洋艦「夕張」、強化型偵察巡洋艦「古鷹型」でコンパクトな艦体に重武装を施すと言うコンセプトを具現化してきており、ある意味、本級はその「平賀デザイン」の集大成と言ってもいいでしょう。

後に、1930年のロンドン海軍軍縮条約では、それまで保有上限を設けていなかった補助艦艇にも保有数の制約が設けられました。特に巡洋艦については、艦体上限の基準排水量10000トンについては変更されませんでしたが、主砲口径でクラスが設けられ、8インチ以下6.1インチ以上をカテゴリーA(いわゆる重巡洋艦の定義がこうして生まれたわけです)とし、日本海軍は対米6割の保有上限を課せられました。「妙高級」の竣工が1929年である事を考慮に入れると、「古鷹級」「妙高級」などの登場による日本式コンパクト重装備艦に対する警戒感が背景の一つにあったと言ってもいいでしょう。

これにより、本来は上述のように強化型偵察巡洋艦であった「古鷹級」、その改良型である「青葉級」も、「準主力艦」として建造された「妙高級」も、一括りにカテゴリーA(重巡洋艦)と分類され、その総保有数が制限されることになります。

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(直上の写真は、「妙高級」重巡洋艦の竣工時の概観。166mm in 1:1250 by Konishi) 

 

設計と建造

妙高級」は、その設計は、前級である「古鷹級」「青葉級」の拡大型と言えるでしょう。

しかし、強化型偵察巡洋艦として、5500トン級軽巡と同様に時として駆逐艦隊を率いて前哨戦を行う可能性のある「古鷹級」「青葉級」と異なり、強力な攻撃力と防御力を併せ持つ準主力艦を目指す本級では、平賀は、用兵側が強く要求した魚雷装備を廃止し、20センチ連装主砲塔5基を搭載する、当時の諸列強の巡洋艦を砲力で圧倒する設計を提案しました。

平賀のこの設計の背景には、竣工当時の魚雷に、上甲板からの投射に耐えるだけの強度がなく、一段低い船内に魚雷発射管を設置せねばならなかったと言う事情が強く働いていたようです。平賀は艦体の設計上、被弾時の魚雷の誘爆に対する懸念から、船内への搭載に強く抵抗し、「妙高級」では用兵側の要求であった20センチ砲8門搭載を10門に増強することにより、雷装を廃止した設計を行い、用兵側の反対を受け入れず押し切ったと言われています。 

平賀にすれば、同級は20センチ砲10門に加えて、12センチ高角砲を単装砲架で6基搭載しており、「水雷戦隊を率いる可能性のある偵察巡洋艦ならまだしも、準主力艦である本級にはすでに十分強力な砲兵装が施されており、誘爆が大損害に直結する船体魚雷発射管の装備は見送るべき」と言うわけですね。

この提案は一旦は承認されましたが、軍令部は平賀の外遊中に留守番の藤本造船官に、魚雷発射管を船体内に装備するよう、設計変更を命じました。この時同時に、「青葉級」の主砲搭載形式でも、軍令部の連装砲塔搭載の要望に対し、船体強度の観点から「古鷹級」で採用した単装砲架形式を主張して譲らない平賀の設計を、やはり軍令部は藤本に命じて設計変更をさせています。用兵当事者から見れば、平賀は自説に固執し議論すらできない、融通の効かない設計官と写っており、この後、平賀は海軍の艦艇設計の中枢を追われることになります。

結局、建造された「妙高級」は、正20センチ主砲を連装砲塔で5基、12センチ高角砲を単装砲架で6基、61センチ3連装魚雷発射管を各舷2基、計4基を搭載する強力な軍艦となりました。

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(直上の写真は、「妙高級」重巡洋艦の竣工時の主砲配置と単装高角砲の配置。かなり砲兵装に力を入れた装備ですね)

 

さらに、航空艤装としては水上偵察機を2機収納できる格納庫を艦中央部に設置し、当初から射出用のカタパルトを搭載していました。 

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(直上の写真は、「妙高級」重巡洋艦の竣工時の魚雷発射管。「古鷹級」と同様、当時の魚雷の強度を考慮し、船体内に搭載されています。;上段写真/ 下段写真は航空艤装。当初からカタパルトを装備していました。水上偵察機を2機収納できる格納庫はカタパルトの手前の構造物) 

 

数値的には列強の同時期の条約型重巡洋艦よりも厚い装甲を持ち、重油専焼缶12機とタービン4基から35.5ノットの最高速度を発揮する設計でした。

すでにこの時期には平賀は海軍建艦の中枢にはいませんでしたが、ある意味「平賀デザイン」の集大成であり、ロンドン軍縮条約の制約項目まで影響を与えるほど、列強から「コンパクト強武装艦」として警戒感を持って迎えられた「妙高級」ではあったわけですが、やはり実現にはいくつかの点で無理が生じていました。一つは制限の10000トンを大きく超えた排水量となったことであり、設計と建造技術の乖離が顕在化する結果となりました。併せて、連装砲塔5基に搭載した主砲だったわけですが、その散布界(着弾範囲=命中精度)が大きく、主砲を6門、同じ連装砲塔形式で搭載した前級「青葉級」よりも低い命中精度しか得られないと言う結果となりました。さらに、上記の経緯で無理をして魚雷発射管を船体内に搭載したため、居住スペースが縮小され、居住性を劣化させることになりました。

こうしたその強兵装に対する畏怖と、一方で、あらゆる兵装を詰め込んだことから生じる劣悪な居住性などへの疑問(嘲笑)から、同級を訪れた外国海軍将校から「飢えた狼」と言う呼称をもらったことは有名な逸話となっています。

 

1932年からの第一次改装と1938年の第二次改装で、同級は、主砲口径を正20センチから8インチ8(20.3センチ)に拡大しました。これにより、主砲弾重量が110kgから125kgに強化されました。また高角砲を単装砲架6基から連装砲4基へと強化、さらに懸案の魚雷発射管を船内に搭載した3連装発射管4基から、上甲板上に搭載する4連装魚雷発射管4基として、各舷への射線を増やすとともに、より強力な酸素魚雷に対応できるよになりました。

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(直上の写真は、「妙高級」重巡洋艦の竣工時と大改装後の主要な相違点。左列は魚雷発射管の装備位置:大改装後、発射管は上甲板上に装備されました。右列は水上偵察機の搭載位置の変化:大改装後にはカタパルトが2機に増設され、整備甲板が設置されました)

 

上甲板上の魚雷発射管を覆う形状で水上偵察機の整備甲板を設置し、カタパルトを増設、搭載水上偵察機数も増やしています。

この大改装で、排水量が増加し、速力が33ノットに低下しています。

 

那智」:太平洋戦争開戦時、第五戦隊の一員としてフィリピン攻略戦に参加。損傷した「妙高」に代わり第五戦隊旗艦となり、その後のジャワ方面の攻略戦に参加します。スラバヤ沖海戦(後述します)で、連合国艦隊(いわゆるABDA艦隊)に勝利したのち、一転して北方部隊に編入され、北方部隊の基幹部隊である第五艦隊旗艦となります。

第五艦隊旗艦としてミッドウェー作戦と並行して実施されたアリューシャン作戦に参加。アッツ沖海戦、キスカ撤退作戦に参加した後、戦局の悪化に伴い、第五艦隊は北方警備から転じて、本州南部の警備に従事し、台湾沖航空戦での残敵掃討(実は米艦隊はほとんど損傷していなかったので幻の「残敵」を追うことになったわけですが)に出撃しますが、もとより残敵に遭遇することなく南西諸島・台湾方面に待機することになりました。

1944年10月のレイテ沖海戦には、第二遊撃部隊(第五艦隊、志摩部隊)旗艦として、第一遊撃部隊別働隊の西村艦隊(第二戦隊基幹)の後を追って、スリガオ海峡に突入します。が、先行した西村艦隊の壊滅時の混乱に巻き込まれ損傷して退避中の西村艦隊の重巡「最上」と衝突、指揮官の志摩中将は突入を断念し、戦場から退避を下令します。

海戦敗北後、同艦はマニラ周辺での輸送任務に従事しますが、1944年11月初旬の米艦載機のマニラ湾空襲で爆弾と魚雷を多数受け、沈没しました。

 

「足柄」:太平洋戦争開戦時には、第五戦隊の序列を離れフィリピン侵攻作戦の主隊である第十六戦隊旗艦となり、同戦隊の所属する第三艦隊の旗艦も併せて務めます。同戦隊はフィリピン攻略戦、ジャワ方面攻略戦に転戦しました。

ついで第二南遣艦隊旗艦となり、シンガポール方面の警備等に従事しました。その後、第五艦隊に所属し北方警備に従事した後、第五艦隊所属のまま、台湾沖航空戦での「残敵掃討」任務(実際には米艦隊にはほとんど損害がなかったため「残敵」などなく、空振りの出撃となりましたが)に出撃し、台湾方面に遊弋中に、志摩艦隊の一員として僚艦「那智」とともにレイテ沖海戦に参加しました。

海戦敗北後、南西方面艦隊所属となり、「日本海軍の最後の組織的戦闘での勝利」と言われる「礼号作戦」に参加した後、南方に分断された艦艇で編成された第十方面艦隊に所属しました。1945年6月、単艦で陸軍部隊の輸送任務中に英潜水艦の雷撃を受け、沈没しました。

 

 第一水雷戦隊

第一水雷戦隊第は、太平洋戦争緒戦、真珠湾作戦に参加、空母機動部隊の護衛を務めました。その後、同機動部隊に帯同してジャワ攻略戦、インド洋作戦に参加した後、北方部隊である第五艦隊に編入され、以降、第五艦隊の基幹部隊となりました。

軽巡洋艦阿武隈」(旗艦)

第一水雷戦隊の旗艦「阿武隈」は、いわゆる5500トン級軽巡洋艦の第二グループ「長良級」の最終艦です。

日本海軍のワークホース! 

長良級軽巡洋艦 -Nagar class light cruiser-(長良:1922-1944 /五十鈴:1923-1945/名取:1923-1944/由良:1923-1942/鬼怒:1922-1944/阿武隈:1925-1944 )  

ja.wikipedia.or

Nagara-class cruiser - Wikipedia

軽巡洋艦阿武隈

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(直上の写真は、「長良級」6番艦「阿武隈」の概観。カタパルトを搭載した太平洋戦争開戦時の姿を示しています)

 「阿武隈」:「阿武隈」は「長良級」の他艦とはやや異なる外観を有していました。1930年に衝突事故を起こし、艦首の損傷を修復する際に、それまでのスプーン・バウ型から、凌波性に優れたダブル・カーべチュア型に改めました。

1938年には、「長良級」では唯一、太平洋開戦以前に魚雷兵装強化の改装を受け、前部の連装魚雷発射管を撤去して、後部の連装魚雷発射管を4連装魚雷発射管に換装し、強力な酸素魚雷の運用が可能となりました。

この背景には、同艦の建造中に関東大震災があり、工期が長引き就役年次が遅れたため、「長良級」の他艦に比べると艦齢が若く、改装が優先されたという事情があったと、言われています。

(直下の写真は、「長良級」の他艦と「阿武隈」の艦首形状の違いを示したもの。「阿武隈」では、衝突事故による艦首の損傷時に凌波性に優れたダブル・カーブドバウに艦首形状を改めていました

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開戦時には、第一水雷戦隊の旗艦として真珠湾作戦に参加、空母機動部隊の護衛を務めました。その後、同機動部隊に帯同してジャワ攻略戦、インド洋作戦に参加した後、北方部隊である第五艦隊に編入されました。アリューシャン攻略戦、アッツ島沖海戦、キスカ撤退作戦に参加した後、同級の「長良」「名取」「鬼怒」と同様、5番・7番主砲の撤去と高角砲の装備・対空機銃の増設など、対空兵装の強化が行なわれました。

その後、レイテ沖海戦には第五艦隊の一員として志摩中将の指揮下で参加し、スリガオ海峡海戦で米魚雷艇群と交戦し被雷。速力が低下したため戦場を離脱後の翌朝、米艦載機、米陸軍機の数次にわたる空襲を受け損傷を重ね、1944年10月、フィリピン諸島ネグロス島沖で沈没しました。

 

第七駆逐隊 駆逐艦 曙」「潮」

レイテ沖海戦当時、第七駆逐隊は「吹雪級」駆逐艦II型(「綾波級」と呼称されることも)「曙」「潮」の二隻で編成されていました。

「吹雪級」駆逐艦(24隻)

 

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 ワシントン軍縮条約の締結により、日本海軍は進行中の八八艦隊計画を断念、さらに主力艦は保有制限が課せられ、制限外の巡洋艦以下の補助艦艇についても仮想敵国である米国との国力差から、保有数よりも個艦性能で凌駕することをより強く意識するようになります。

こうして海軍が提示した前級「睦月級」を上回る高性能駆逐艦の要求にこたえたものが「吹雪級」駆逐艦です。1700トンの船体に、61cm3連装魚雷発射管を3基(9射線:「睦月級」は6射線)、主砲口径をそれまでの12cmから12.7cmにあげて連装砲等3基6門(「睦月級」は12cm砲4門)、速力37ノット(「睦月級」と同等)と、それまでの駆逐艦とは一線を画する高性能艦となりました。

搭載主砲塔、機関形式の違い等から、Ⅰ型、Ⅱ型、Ⅲ型の3形式があり、それぞれ10隻、10隻、4隻、合計24隻が建造されました。

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(直上の写真:「吹雪級」の各形式。右からI型、II型、Ⅲ型の順。下段写真は各形式の主砲塔と缶室吸気口・煙突形状の比較。右からI型、II型、Ⅲ型の順:詳細は各形式で説明します)

Ⅱ型(10隻):概観上の特徴は、連装主砲塔を仰角75度まで上げた対空射撃も可能としたB型としたことと、缶室吸気口を前出の「改Ⅰ型」で採用された、海水浸水のより少ない「お椀型」としたことです。

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(直上の写真:「吹雪級II型」の概観。94mm in 1:1250 by Trident)

 

曙:レイテ沖海戦では、「曙」は特に大きな損傷を受けることはなく、レイテ湾突入時に米艦隊の砲撃で大破した「西村艦隊」の「最上」を護衛して退避中、米軍機の空襲を受けます。この空襲で航行不能となった「最上」を魚雷で処分しています。

その後、マニラ・レイテ間の陸兵輸送に従事したのち、11月米軍機のマニラ空襲で損傷、桟橋に係留して修復待ちのところを再度空襲されて着底、沈没しました。

 

潮:レイテ沖海戦では損傷した水雷戦隊旗艦「阿武隈」を護衛して退避しますが、退避途中で「阿武隈」は空襲で沈没し、「潮」は「阿武隈」生存者を収容してフィリピン諸島西方のコロン島に帰還しました。

その後、南西方面での輸送任務・護衛任務に活躍しますが、11月マニラ空襲で損傷。主機を損傷して一軸推進となったまま大破した「妙高」の護衛(「妙高」は米潜水艦により撃沈されます)、船団護衛等の任務につきながら1945年1月に横須賀に帰還、主機損傷のまま係留され終戦を迎えました。

 

第十八駆逐隊 駆逐艦 「霞」「不知火」

レイテ沖海戦当時、第十八駆逐隊は 「朝潮級」駆逐艦「霞」と「陽炎級駆逐艦「不知火」の2隻で編成されていました。

朝潮級」駆逐艦(10隻)

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ロンドン条約保有制約から大型駆逐艦保有制限を受けた日本海軍は、「初春級」「白露級」と中型駆逐艦を就役させた日本海軍でしたが、先述の通り、小さな船体に重武装・高性能の意欲的な設計を行ったが故に、無理の多い仕上がりとなり、結果的に期待を満たす性能は得られない結果となりました。

このため、次級の「朝潮級」では「吹雪級」並みの大型駆逐艦の設計を戻されることになりました。設計時期にはまだロンドン条約の制約は生きていましたが、ロンドン条約からの脱退を見込んでいたため、もはや艦型への制限を意識する必要がなくなる、という前提での設計方針の変更でもありました。

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(直上の写真:「朝潮級」の概観。94mm in 1:1250 by Neptune)

 

こうして「朝潮級」は2000トン級の船体に、「白露級」で採用された4連装魚雷発射管2基を搭載し8射線を確保、次発装填装置を備え魚雷16本を搭載、主砲には「50口径3年式12.7cm砲」を仰角55度の平射型C型連装砲塔3基6門搭載したバランスの取れた艦となりました。機関には空気予熱器つきの缶(ボイラー)3基を搭載、35ノットの速力を発揮する設計でした。こうして日本海軍は、ほぼ艦隊駆逐艦の完成形とも言える艦級を手に入れたわけですが、一点、航続距離の点で要求に到達できず、建造は10隻のみとなり、次の「陽炎級」に建造は移行することになりました。

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(直上の写真:「朝潮級」の特徴である次発想定装置付きの4連装魚雷発射管(上段)と、艦尾部に配置された「白露級」と同じC型連装砲塔:仰角55度の平射用砲塔でした)

 

太平洋戦争には10隻が参加し、全て戦没しました。

 

霞:「霞」は、レイテ沖海戦よりコロン島に帰還後、マニラ・レイテ間の輸送護衛任務に就いています。その後、損傷していた戦艦「榛名」の内地帰還を護衛。その後、第二水雷戦隊旗艦として日本海軍最後の戦術的勝利と言われた「礼号作戦」(ミンドロ島攻撃作戦)に参加した後、シンガポールに帰還しました。本土への物資輸送作戦となった「北号作戦」に帯同して本土に帰還後、1945年3月、「天一号作戦」(大和以下、第二艦隊の沖縄特攻)に、第二水雷戦隊の一員として参加、米軍機の空襲で撃沈されました。

 

陽炎級駆逐艦(19隻)

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(直上の写真:「陽炎級」の概観。94mm in 1:1250 by Neptune)

 

陽炎級駆逐艦は、前級「朝潮級」の船体強度改修後をタイプシップとして、その課題として残されていた速力・航続距離を改善すべくされました。兵装は「朝潮級」の継承し、2000トン級の船体に、4連装魚雷発射管2基を搭載し8射線を確保、次発装填装置を備え魚雷16本を搭載、主砲には「50口径3年式12.7cm砲」を仰角55度の平射型C型連装砲塔3基6門搭載とされました。

朝潮級」の課題とされた速度と航続距離に関しては、機関や缶の改良により改善はされましたが、特に速力については、以前課題を残したままとなり、推進器形状の改良を待たねばなりませんでした。

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(直上の写真:「陽炎級」では、次発装填装置の配置が変更されました。左列が「朝潮級」、右列が「陽炎級」。「陽炎級」の場合、1番魚雷発射管の前部の次発装填装置に搭載された予備魚雷を、装填する際には発射管をくるりと180°回転させて発射管後部から。魚雷の搭載位置を分散することで、被弾時の誘爆リスクを低減する狙いがありました)

 

太平洋戦争開戦時には、最新鋭の駆逐艦として常に第一線に投入されますが、想定されていた主力艦艦隊の艦隊決戦の機会はなく、その主要な任務は艦隊護衛、船団護衛や輸送任務であり、その目的のためには対空戦闘能力、対潜戦闘能力ともに十分とは言えず、常に悪先駆との末、同型艦19隻中、「雪風」を除く18隻が戦没しました。

 

不知火:「不知火」は、レイテ湾突入戦での戦闘では大きな損傷はありませんでしたが、西村艦隊残存の「最上」と衝突し損傷した「那智」を護衛して退避、コロン島に帰還した同日、第五艦隊第十六戦隊の損傷した「鬼怒」救出に向かいます。現場に到着した時点ですでに「鬼怒」は沈没しており、「不知火」はその帰途、米機動部隊の空襲で、撃沈されました。

 

第二十一駆逐隊 駆逐艦 「初春」「若葉」「初霜」

 レイテ海戦当時の第二十一駆逐隊は「初春級」中型駆逐艦「初春」「若菜」「初霜」の三隻で編成されていました。第二十一駆逐隊は、マニラへの輸送任務に就いていたため、輸送任務終了後、ミンダナオ島周辺で第二遊撃部隊本隊と合流する計画でした。しかし、合流前に米艦載機の攻撃を受け、「若菜」が撃沈され、合流が果たせず、したがってレイテ湾への突入作戦には参加できませんでした。

 

「初春級」駆逐艦(6隻)

ワシントン条約に続く ロンドン条約では、それまで制限のなかった補助艦艇にも制限が加えられ、駆逐艦にも保有制限枠が設けられました。特に駆逐艦には1500トンを超える艦は総保有量(合計排水量)の16%以内という項目が加えられました。このため1700トン級(公称)の「吹雪級」駆逐艦をこれ以上建造できなくなり(日本としては財政的な視点から、「吹雪級」の増産を継続するよりも、もう少し安価な艦で数を満たす切実な事情もあったのですが)、次の「初春級」では、1400トン級の船体と「吹雪級」と同等の性能の両立という課題に挑戦することになりました。

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結果として、竣工時の「初春級」駆逐艦は、主砲として、艦首部に「吹雪級」と同じ「50口径3年式12.7cm砲」B型連装砲塔とB型連装砲塔と同じく仰角を75度に改めたA型改1単装砲塔を背負い式に装備し、艦尾にB型連装砲塔を配置しました。さらに「吹雪級」と同じ61cm3連装魚雷発射管を3基(9射線)を装備し、予備魚雷も「吹雪級」と同数を搭載。加えて次発装填装置をも初めて装備し、魚雷発射後の再雷撃までの時間短縮を可能としました。機関には「吹雪級Ⅲ型」と同じ空気予熱器付きの缶3基を搭載し、36.5ノットの速力を発揮することができました。

1400トン級のコンパクトな船体に「吹雪級」とほど同等な重武装と機関を搭載し、かつ搭載する強力な主砲と雷装を総覧する艦橋は大型化したことにより、無理を重ねた設計でした。そしてそれは顕著なトップヘビーの傾向として顕在化することになります。

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(直上の写真は「初春級」竣工時の概観:88mm in 1:1250 by Neptuneをベースにセミ・スクラッチ

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(直上の写真は、「初春級」竣工時の特徴のアップ。左上:艦橋部。艦橋部の下層構造を延長し、艦橋の位置をやや後方へ。艦橋部下層構造の前端に2番主砲塔(単装)を、1番主砲塔(連装)と背負い式になるように配置。右上:2番魚雷発射管。下段左と中央:後橋部分と2番・3番発射管の配置状況。3番発射管自体は、船体中心線に対し、やや右にオフセットした位置に追加。細かいこだわりですが、一応、3番発射管用の次発装填装置を後橋部の構造建屋の上に設置。2番発射管用の次発装填装置は後橋部建屋の左側の斜め張り出し部に内蔵されています)

 

既に公試時の10度程度の進路変更時ですら危険な大傾斜傾向が現れ、バルジの追加等で何とか就役しますが、この設計原案での建造は「初春」と「子の日」の2隻のみのとどめられました。さらにその後の発生した友鶴事件により、設計は復原性改善を目指して全面体に見直されました。

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初春:竣工時の艦型概観(「初春」「子の日」のみ)

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このげ初春:復原性改修後の艦型概観

(上のシルエットは次のサイトからお借りしています

http://www.jam.bx.sakura.ne.jp/dd/dd_class_hatsuharu.html

残念ながら、竣工時の「初春級」については 1:1250スケールのモデルがありません。スクラッチにトライするには、やや手持ちの「初春級」のモデルが足りていません。 いずれはトライする予定ですが、今回はご勘弁を<<<セミ・スクラッチによる竣工時モデルを上記に追加投稿しました)

 

その性能改善工事は、61cm3連装魚雷発射管の3基から2基への削減(併せて搭載魚雷数も3分の2に削減)、主砲塔の配置を艦首に連装砲塔1基、艦尾部に単装砲塔と連装砲塔を各1基の配置と搭載方法を変更し、武装重量の削減とバランスの改善を目指します。さらに艦橋・煙突の高さを下げ、艦底にバラストを追加搭載するなど重心の低下をおこなった結果、艦容を一変するほどのものになりました。その結果、復原性の改善には成功しましたが、船体重量は1800トン近くに増加し速度が36.5ノットから33.3ノットに低下してしまいました。

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(直上の写真:復原性改善修復後の「初春級」の概観。88mm in 1:1250 by Neptune)

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(直上の写真:「初春級」の特徴である次発想定装置付きの3連装魚雷発射管(上段)と、艦尾部に背中合わせに配置された単装主砲砲塔と連装砲塔:仰角75度の高角射撃も可能とした砲塔でした。この砲塔は装填機構の問題から装填次に平射1に戻さねばならず、射撃速度が低く対空砲としては実用性に乏しいものでした)

 

復原性修復後のモデルとの比較は以下に。二枚とも、上が「竣工時(今回セミ・スクラッチ製作したモデル)」、下が「復原性修復後」のモデル(Neptune社の現行の市販モデル)。

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「竣工時」の過大な兵装とそれに因る腰高感が表現できているかどうか・・・。できているんじゃないかな(とちょっと自画自賛)。 

 

当初は12隻が建造される予定でしたが、上記のような不具合から6隻で建造が打ち切られ、全て太平洋戦争で失われました。

 

初春:前述のように本隊合流を果たせずレイテ湾突入戦には参加していません。その後、レイテへの輸送作戦(多号作戦)に警戒隊として従事したのち、1944年11月のマニラ空襲で損傷し沈没しました。

 

若菜:前述のように、第二十一駆逐隊は台湾からフィリピンへの輸送任務で第二遊撃部隊主隊と別行動を依っていましたが、ミンダナオ島周辺で本体と合流し、レイテ湾へ突入する計画でした。しかし合流前に米艦載機の空襲有を受け、その際に「若葉」は被弾し沈没しています。(1944年10月)このため第二十一駆逐隊は第二遊撃部隊本体との合流を断念しています。

 

初霜:先述の主隊合流前の米艦載機の空襲で、小型爆弾を被弾し損傷し、泊地に帰還しています。マニラで損傷修復後、レイテ方面への輸送作戦(多号作戦)に従事、前述の「霞」と共に損傷した「榛名」の内地帰還を護衛した後、やはり損傷した「妙高」のシンガポール回航に従事、さらに「礼号作戦」(本土への物資輸送)に従事して本土に帰還しています。

その後、「天一号作戦」に第二水雷戦隊として参加、旗艦「矢作」沈没後、古村戦隊司令官を収容して旗艦となっています。

生還後、舞鶴宮津湾)へ移動し、同地で米軍の機雷封鎖を受けた上で空襲を受け、損傷、さらに触雷して沈没しました。

 

第十六戦隊 重巡洋艦 「青葉」軽巡洋艦 鬼怒」駆逐艦 「浦波」

同戦隊は、第二遊撃部隊の他の部隊と異なり、元来、南方で編成され、南方・インド洋方面での輸送・警備・通商破壊島の任務に就いていました。レイテ戦を控え、当初は第一遊撃部隊(栗田艦隊)に編入されていましたが、直前に第二遊撃部隊(志摩艦隊)に配置換えになりました。リンガ泊地から回航途上(10月23日)旗艦「青葉」が米潜水艦の魚雷攻撃を受け被雷、第二遊撃部隊に合流できませんでした。(合流し、主隊とレイテ湾を目指す予定だったのか、それともレイテへの輸送任務に従事する予定だったのか、あまり判然としません。どなたかご存知であれば)

青葉級重巡洋艦 -Aoba class heavy cruiser-(青葉:1927-1945 /衣笠:1927-1942)   

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Aoba-class cruiser - Wikipediaf:id:fw688i:20200506161108j:image

(直上の写真は、「青葉級」竣工時の概観。 148mm in 1:1250 by Semi-scratched based on Trident : Trident社製「古鷹級:竣工時」のモデルをベースに、主砲搭載形式、高角砲、水上偵察機搭載形式、等をセミクラッチし、「青葉級」の竣工時を再現してみました。実際には艦橋構造、煙突の形状などがもっと異なっていたようです)

 

 

「古鷹級」のいくつかの課題に改訂を加えて生まれたのが「青葉級」です。

本来は「古鷹級」の3番艦、4番艦として建造される計画だったのですが、同級の計画中に次級「妙高級」の基本設計が進められており、この内容を盛り込んだ、いわば「妙高級の縮小型」と言う性格も併せ持つ改訂となりました。

最大の変更点はその主砲を「古鷹級」の単装砲架形式から連装砲塔形式に変更したところで、この変更により、前述のように装弾系が射撃速度の維持等の点で問題のあった人力から機装式となり、格段な戦力強化につながりました。(後年、これに基づいた兵装転換が「古鷹級」にも行われ、同級の運用上の効率が向上した事は、前述の通りです)

 

「連装砲塔」の話

設計者の平賀が船体の設計上の要件から、強いこだわりを持っていた単装砲架形式での主砲搭載であったわけですが、本来同型艦であったはずの「青葉級」での、この連装砲塔形式への改定については、その承認経緯に諸説があります。既に設計が進んでいた平賀自身が携わっていた次級「妙高級」での連装砲塔採用が決まっていたことから、ようやく砲術上の要求を自覚した、とする説や、平賀の外遊中に平賀に無断で用兵側の要求に基づく設計変更が行われ、帰朝後にこれを聞いた平賀が激怒したが、既に変更不能となっていた、など、都市伝説に類するよう話まで、いろいろとあるようです。

 

また、この変更により、船体強度に無理が生じる事はなく、それに伴う重量の増加(300トン程度)にも関わらず速力が低下するような事はありませんでした。(35ノット)

その他の変更箇所としては、設計時からカタパルトの搭載を計画していた事で、これにより水上偵察機による索敵能力の強化されるはずでした。しかし、竣工時には予定していたカタパルトは間に合わず、当面は水上偵察機を水面に下ろして運用することとなりました。さらに対空兵装として、新造時から12センチ単装高角砲(当初はシールドなし)が4門搭載されました。

 

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(直上の写真は、今回製作した「青葉級」の特徴を示したもの。連装主砲塔(上段)、単装12センチ高角砲(中段)、航空艤装(下段)。舷側には「古鷹級」と同様に船体内に装備された魚雷発射管の射出口が見えています)

 

竣工時には間に合わなかったカタパルトは、1928年から29年にかけて順次装備され、水上機の運用はカタパルトからの射出により格段に改善されました。

雷装は、就役当初は「古鷹級」と同様の船内に固定式の魚雷発射管を各舷6門づつ装備していました。後に近代化改装の際に上甲板上の旋回式4連装魚雷発射管2基に改められました。

 

大改装後の「青葉級』

同級の大改装による大きな変更点は、魚雷発射管の装備形式を、竣工以来、被弾時の誘爆によるダメージに憂慮のあった船体内に装備した連装発射管6基から、上甲板上に設置した4連装発射管からの射出に改めたこと、単装高角砲をシールド付きに改めたこと、さらに、魚雷発射管上に水上偵察機の整備・運用甲板を設けたことです。

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(直上の写真は、「青葉級」:大改装後の概観。 148mm in 1:1250 by Neptune : 写真はNeptuneの説明では1944年の「青葉」の姿、ということになっていますが、後述のように同艦は1942年の損傷修復の際に3番砲塔を撤去しており、この姿では復旧していません。併せて僚艦の「衣笠」は1942年に既に失われていますので、この形態の艦は存在しないことになります。模型の世界ですので往々にしてこういうことが・・・。まあ、「青葉」が完全修復していたら、とうことでご容赦を<<<お詫び:と書きましたが、よく調べると、サボ島沖夜戦での損傷後、一旦外されていた3番砲塔は、その後の修復の際に復旧されていました。従って、レイテ沖海戦等には、写真の姿で臨んでいます)

 

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(直上の写真は、「青葉級」(上段)と大改装後の「古鷹級」の航空艤装の比較。整備甲板とカタパルトの配置の相違がよくわかります)。ちょとわかりにくいですが「青葉級」の魚雷発射管は水偵の整備甲板の下に装備されています)

 

青葉:太平洋戦争開戦時からガダルカナル緒戦まで、第6戦隊旗艦として僚艦「古鷹」「加古」「衣笠」と共に内南洋部隊(第四艦隊基幹)に編入されグアム、ウエーク攻略戦に従事します。史上初の空母機動部隊同士の海戦である珊瑚海海戦、ガダルカナル島攻防の緒戦、第1次ソロモン海戦に外南洋部隊(第八艦隊)の一員として参加。その後も、同艦隊所属としてガダルカナル島を巡る輸送作戦の護衛島に活躍しました。

その後、1942年10月の前述の「古鷹」が失われた「サボ島沖夜戦」で、米艦隊の奇襲で、艦橋に被弾し第六戦隊司令官が戦死するなど、大損傷を受けて内地に帰還し修復を受けました。その際に予備砲身のない第3主砲塔を撤去しています。

その後再びラバウルの第八艦隊所属となりますが、再び同方面で空襲により被弾、浅瀬に座礁してしまいます。

内地に帰還して再度修復後(追記:この修復の際に、3番主砲塔を復旧しています)は、第十六戦隊旗艦として戦線に復帰します。速力が28ノットに落ちたこともあり主としてシンガポール方面での輸送任務に従事しました。その後、一時的に第十六戦隊に編入された重巡「利根」「筑摩・などを率いてインド洋方面での通商破壊戦を行います。

レイテ沖海戦では、前述のように作戦直前に米潜水艦の攻撃で被雷し、レイテ湾位への突入戦には参加していません。損傷回復のために内地に帰還しましたが、損傷が大きく呉での修理の見込みの立たないまま、呉軍港で係留状態で浮き砲台となり対空戦闘を行います。1945年7月の米軍機による呉軍港空襲で被弾し、右舷に傾斜して着底してしまい、そのまま終戦を迎えました。

 

 軽巡洋艦「鬼怒」

「鬼怒」は5500トン級軽巡洋艦第二グループ(「長良級」と称されることも)の一隻。 

長良級軽巡洋艦 -Nagar class light cruiser-(長良:1922-1944 /五十鈴:1923-1945/名取:1923-1944/由良:1923-1942/鬼怒:1922-1944/阿武隈:1925-1944 )  

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Nagara-class cruiser - Wikipedia

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(直上の写真は、「長良級」軽巡洋艦の概観。119mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs:3D printing modell :写真の姿は太平洋戦争開戦時の姿。航空機による索敵能力を得るために、後の改装で5番砲塔と6番砲塔の間に、水上偵察機射出用の射出機(カタパルト)を搭載しています)

 

本級は5500トン級軽巡洋艦の第2グループとして、1917年計画 1918年計画で各3隻、合計6隻が建造されました。球磨級軽巡洋艦の改良型であり、基本設計は大きく変わりません。前級である球磨級からの変更点は、 魚雷性能と駆逐艦の発展に応じ搭載魚雷の口径を53センチから61センチに拡大したところと、主力艦隊の前衛としての索敵能力の充実のために、設計時から航空機を羅針艦橋下部の格納庫に収納する構造を、前級最終艦「木曽」にならい艦橋構造に組み込んでいたところにあります。格納庫を組み入れたため、艦橋の形状は箱型となりました。

 

鬼怒:当初第一遊撃部隊(栗田艦隊)の所属していた第十六戦隊は、レイテ沖海戦直前に第二遊撃部隊へと編入され、栗田艦隊と共に訓練地であったリンガ泊地を出港し、マニラを目指しました。この途上、第十六戦隊旗艦の「青葉」が米潜水艦の攻撃で損傷し、レイテ湾突入戦には参加していません(当初から輸送任務従事のため、参加予定がなかったのか、この旗艦損傷のため見送られたのか、はっきりしません)。

その後、「鬼怒」はレイテ方面への輸送任務からの帰還途上で、米軍機の空襲で撃沈されました。(1944年10月26日)

 

駆逐艦「浦波」

「浦波」は「吹雪級」駆逐艦I型(「吹雪級」)の10番艦。「浦波」では、より海水の浸入防止に配慮された「お椀型」の吸気口が採用されており、このため10番艦は「改Ⅰ型」あるいは「ⅡA型」と呼ばれることもあります。

「吹雪級」駆逐艦(24隻)

 

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Ⅰ型(10隻):特徴はA型と呼称される連装主砲塔を採用しています。この主砲塔は、仰角40度までの所謂平射砲塔でした。あわせて、缶室吸気口としてキセル型の吸気口を装備していました。ある程度高さを与え、海水の侵入を防ぐ工夫がされていましたが、十分ではなかったようで、「浦波」では、より海水の浸入防止に配慮された「お椀型」の吸気口が採用されており、このため10番艦は「改Ⅰ型」あるいは「ⅡA型」と呼ばれることもあります。

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(直上の写真:「吹雪級I型」の概観。94mm in 1:1250 by DAMEYA on Shapeways)

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(直上の写真:「吹雪級I型」の特徴。A型連装砲塔:平射用(上段)とキセル型缶室吸気口:「浦波」では吸気口をより海水侵入防止効果の高い「お椀型」に改めていました)

 浦波:レイテ沖海戦時には、第十六戦隊の一員として、前述の「鬼怒」と行動を共にし、「鬼怒」と同じく1944年10月26日、レイテ島への輸送任務の帰途、米艦載機の空襲で撃沈されました。 

 

レイテ沖海戦以降の「志摩艦隊」

レイテ沖海戦の結果、日本海軍はその水上戦闘戦力をほぼ失います。

その後、南西方面艦隊所属の「志摩艦隊」は「第五艦隊」の基幹部隊以外の残存部隊を吸収しつつ局地的反抗作戦(礼号作戦)、兵員輸送、物資輸送作戦(北号作戦)など、南西方面で展開されるほぼ全ての海軍作戦の実施部隊となり、志摩中将は全般指揮を執りました。

1945年2月に第十方面艦隊の設立とともに艦隊は解隊されて、指揮官の志磨中将は台湾の高雄警備府司令長官と第一航空艦隊司令長官を兼務しますが、実質的な戦力は伴わず、そのまま終戦を迎えました。

 

というわけで、今回はここまで。

 

 次回はロイヤル・ネイビー駆逐艦小史に戻りましょうかね。あるいは今回の続きで「栗田艦隊」が先かな。二回くらいには分けないと。この勢いでレイテ沖海戦当時の日本艦隊というミニ・シリーズ化もあるかと思いますが、日本海軍の空母の総覧が終わっていないので、少し先かな?

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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レイテ沖海戦:西村艦隊:第二艦隊(第一遊撃部隊)第三部隊の話

本稿前回で、最近目にした「扶桑級」戦艦の41センチ主砲搭載改装案をセミ・スクラッチ・モデル化してご紹介しましたが、その資料を当たる際に、「扶桑級」戦艦というとそのほとんど最初で最後の戦場であった「レイテ沖海戦」の資料にぶつかるわけで、今回は、その流れで「扶桑級」戦艦を基幹として構成された「西村艦隊」、正式には第二艦隊 第二戦隊基幹の別働部隊(第一遊撃部隊 第三部隊)について、少し触れてみたいと思います。

 

「西村艦隊」配属以前の「扶桑級

第二戦隊

前回でも少し触れていますが、「扶桑級」戦艦2隻(「山城」「扶桑」)は太平洋戦争開戦時には、「伊勢級」戦艦2隻(「伊勢」「日向」)とともに戦艦部隊である第一艦隊第二戦隊に所属していました。しかし巨砲を主兵器とする戦艦には、空母機動部隊を中核とする航空主兵が明らかとなった太平洋戦線での活躍の場は多くはありませんでした。

開戦から約半年後のミッドウェー海戦日本海軍が空母機動部隊の主力を喪失すると、失われた空母戦力の補完のために、第二戦隊の4隻の戦艦は空母への改装を検討されました。紆余曲折あり、結局「伊勢級」の2隻は航空戦艦へと改装されますが、「扶桑級」についてはその工数と期間の長さから改装が行われませんでした。

その間、「扶桑級」の2隻は「扶桑」は爆沈した「陸奥」の代艦として「長門」と行動を共にするべくトラック島に進出、一方「山城」は内地にとどまり射撃訓練、電探(レーダー)の探知訓練等、練習艦任務についていました。やがて「伊勢級」の航空戦艦への改装が完了した時点で一旦第二戦隊は解隊され、「山城」は砲術学校・水雷学校・通信学校の練習艦として就役し、「扶桑」は「大和」以下の主力艦隊と共に南方泊地を移動していました。

 

第二戦隊の復活と西村艦隊の編成

マリアナ沖海戦では、「扶桑」は「長門」と共に空母機動部隊(第一機動艦隊)乙部隊(空母「隼鷹」「飛鷹」「龍鳳」基幹)の直掩として配置される予定でしたが、速力の遅さ(「扶桑級」を語る際に常に付き纏うワードなんですが)、航続力の短さなどを理由に、ダバオに待機させられ、海戦には参加しませんでした。

マリアナ海戦の敗戦後、「山城」「扶桑」両艦は内地で対空兵装・電探設備(レーダー等)強化しました。

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先述のように度重なる改装を受けた「扶桑級」戦艦でしたが、太平洋戦争開戦前に受けた第二次改装時に対空兵装の強化、機関の重油専焼缶への換装などを行い、速力も24ノット代まで向上させていました。

 

扶桑

この改装の際に、「扶桑」は3番砲塔を前向き装備に改めています(「扶桑」ファン一押しの特異な艦橋の形態は、この時に生まれました)。

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(二次大改装後の「扶桑」の概観:168mm in 1:1250 by Superior? 「扶桑」の最大の魅力は変則的な前檣構造。3番砲塔の向きにも注目:レイテ海戦当時は、これらに加え対空装備、電探装備などがさらに強化されていたはずです)

 

「扶桑」は西村艦隊の基幹戦力としてレイテ湾に突入しますが、レイテ 湾入り口あたりで突入時に右舷方向からの米駆逐艦の雷撃にさらされ、4本の魚雷を被雷し機関が停止、停電となったのち火災を発生、やがて弾薬庫に引火して艦体を2分する大爆発を起こし沈没しました。

 

山城

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(二次大改装後の「山城」の概観:168mm in 1:1250 by Superior? 2番砲塔と前檣基部、前檣上部、3番砲塔、艦尾の航空艤装を、上掲の「扶桑」をベースに手を入れています。直下の写真は「扶桑」と「山城」の比較) 

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「山城」は「扶桑」の被雷脱落後も(第二戦隊司令部は気が付いていなかった、とも)、レイテ湾への前進を続けますが、「扶桑」同様、米駆逐艦の放った魚雷を艦尾に受け、艦尾の弾薬庫に注水したため、稼働主砲が8門になってしまいます。

損傷しながらなおも西村艦隊は前進を続けますが、その頃には既に「山城」「最上」「時雨」の3隻のみになっていました。「山城」は加えて魚雷を受け、さらに速力を落としますが、これに米戦艦部隊がレーダー照準で砲撃を加えました。「山城」「最上」「時雨」に向けて発射された16インチ砲弾(「ウエストヴァージニア」「メリーランド」)と14インチ砲弾(「ペンシルバニア」「テネシー」「ミシシッピ」「カリフォルニア」)は300発以上、さらに4000発近い8インチ砲弾、6インチ砲弾が撃ち込まれ、「山城」「最上」は大火災を起こし、さらにこれに魚雷の命中が加わり「山城」は大爆発を起こし沈没しました。

 

幻の第二戦隊旗艦「長門

新第二戦隊序列の際に、 軍令部案では「大和」「武蔵」の機動性を存分に発揮させるため、第一戦隊から「大和」級に対し速力の劣る「長門」を分離し、「長門」「山城」「扶桑」で新生第二戦隊を編成し、これを西村中将に指揮させる予定でした。その際には第二戦隊旗艦は「長門」となる予定でしたので、当時国民に日本海軍の象徴として名高かった「長門」(「大和級」については、高度の軍事機密扱いとされたため、実際には一般国民はその存在をほとんど知らなかったようです)に座乗して西村中将がどのような戦いを行なったのか、見てみたかったような気がします。

第二艦隊の集結地であるブルネイに第二戦隊(この時はまだ「山城」「扶桑」の2隻編成でした)が到着すると、一転してこの軍令部案は第二艦隊司令部の反対(第一戦隊宇垣司令官が「長門」の第二戦隊異動に反対したと言われています)により覆り、第二戦隊旗艦「長門」は幻となったのでした。

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(1941 43,500 t, 26.5 knot, 16in *2*4, 2 ships, 182mm in 1:1250 by Neptun)
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長門」の第二戦隊異動案への反対理由として、速力不足(また出てきた)と航続力不足が挙げられますが、実際には速力では「長門」が大改装後の速力低下で「扶桑級」と遜色はなく、かつ航続距離では「扶桑級」は「長門級」を上回っていたので、これも合理的な説明にはなっていません。実際はこれまで行動を共にしたことのない新編の部隊を帯同することと、何より作戦立案者である軍令部・連合艦隊司令部への反発だったかと。

これ以前にも、第二艦隊司令部(栗田司令部)は第二艦隊で最も通信能力の高い「大和」への旗艦変更を希望したのですが、「第二艦隊は本来前衛部隊で、伝統的に旗艦は軽快に機動できる巡洋艦であるべき」というわかったような分からないような理由で、承認されませんでした。

結果的に栗田司令部を載せた「第二艦隊伝統の旗艦「愛宕」」は出撃直後に米潜水艦に撃沈されてしまい、司令部は本戦以前に海中を泳ぐというような試練に見舞われます。要員も全て無事だった訳ではないでしょうから、作成開始時に瑕疵を負い消耗した司令部が全般指揮を取らざるを得なくなった訳です。(まあ、これは史実を知る立場からの後知恵ではあるのですが)

また、このレイテ沖海戦の作戦全般においても、小沢司令部が、「機動部隊本体(第三艦隊:小沢機動部隊)は囮艦隊として主力(第一遊撃部隊)から、米機動部隊を引き離すことが任務であるから、初期に主戦場から遠ざかる機動を行い、かつ損害多数を想定するため、作戦全般の指揮は無理」との軍令部・連合艦隊首脳への上申に対し、一旦は全般指揮を継続して取るように、と差し戻したりしています。

どうも海軍首脳と前線部隊の間には、意思疎通に齟齬(というか反発の火種)があるように見受けられますね。同じようなことが指揮官の間にもチラチラと。これは、米海軍の第三艦隊(ハルゼー司令部)と第七艦隊(キンケード司令部)の間でも発生しているようですから、日本海軍に限ったことではなさそうですが、日本海軍の場合には戦局全般の敗色濃厚な中、「艦隊を擦り潰しても、この一戦での戦果にかける」と言う切所にありながら、目的の共有等、目的達成の具体策等の検討と共有などの不足という、レベルがもっと深刻なように思われるのですが。

 

西村艦隊(第一遊撃部隊 第三部隊)の編成

上記のような経緯から、第二戦隊とその直営部隊が配置され、第一遊撃部隊 第三部隊(西村艦隊)が編成されたわけです。

以下が戦闘序列です。

第二戦隊(司令官:西村祥治中将)戦艦 山城、扶桑

重巡洋艦 最上

駆逐艦 時雨 (白露級:第二十七駆逐隊所属ながら単艦)

第四駆逐隊 駆逐艦 山雲、満潮、朝雲朝潮級)

 

第二戦隊はすでにご紹介済みですので、他の諸艦を紹介してゆきましょう。

重巡洋艦「最上」

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Mogami-class cruiser - Wikipedia

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(直上の写真は、「最上級」の就役時の概観。6インチ三連装砲塔を5基搭載しています。163mm in 1:1250 by Konishi)

「最上」はいわゆる条約型巡洋艦として設計された「最上級」軽巡洋艦ネームシップです。当初は重巡洋艦保有制限枠を既に使い切っていたため、6インチ主砲搭載の軽巡洋艦として誕生しました。したがって艦名も重巡洋艦の「山」に因んだ名前ではなく、軽巡洋艦の「川」に因んだ名前となっています。

 

主砲の換装、そして名実ともに重巡洋艦

ワシントン・ロンドン体制は、1936年に失効し、保有制限がなくなったこの機会に「最上級」各艦は主砲を50口径8インチ連装砲に換装しました。こうして重巡洋艦を越えるべく建造された「最上級」は、名実共に重巡洋艦となりました。

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(直上の写真:主砲を8インチ連装主砲塔に換装した「最上級」の外観:by Neptun)

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(直上の写真:竣工時に搭載していた3年式60口径6インチ砲の3連装砲塔(上段)と8インチ連装砲塔への換装後(下段)の比較。換装後の2番砲塔の砲身は、1番砲塔と干渉するため、正正面で繋止する際には一定の仰角をかける必要がありました(下段))

 

 主砲換装の是非

本来、「最上級」に搭載されていた3年式60口径15.5cm砲は、重巡洋艦との砲戦でも撃ち負けない様に設計されただけに、射程も重巡洋艦が搭載する20.3cm砲に遜色はなく、砲弾一発当たりの威力では劣るものの、「最上級」はこれを3連装砲塔5基、15門搭載し、その高い速射性も相まって、1分あたりの投射弾量の総量では、20.3cm連装砲塔5基を上回っていました。さらに60口径の長砲身を持ち散布界が小さい射撃精度の高い砲として、用兵側には高い評価を得ていました。

これを本当に換装する必要があったのかどうか、やや疑問です。

筆者の漁った限りの情報では、貫徹力でどうしても劣る、というのが主な換装理由ですが、その後のソロモン周辺での戦闘を見ると、あるいはこれまでの日本海軍の戦歴を見ると、速射性の高い砲での薙射で上部構造を破壊し戦闘不能に陥れる、という戦い方も十分にあり得たのではないかな、と。

あるいは、米海軍を仮想敵として想定した場合に、その艦艇の生存性の高さ、あるいは後方の修復能力の段違いの高さから、必殺性が求められた、ということでしょうか?(日本海軍の場合、損傷艦の自沈、あるいは海没処分、というのが目立つのですが、米海軍では、そのような例はあまり見かけません)

また、前述の様に米海軍も英海軍も同様の設計の巡洋艦を建造していますが、いずれも換装した例はありません。

 

主砲換装は計画されていたのか?

「最上級」の主砲塔配置は、それまでの「妙高級」「高雄級」重巡洋艦の砲塔配置とは少し異なっています。「妙高級」「高雄級」では艦首部の3砲塔を中央が高い「ピラミッド型」の配置としていました。これは砲塔間の間隔を短くし弾庫の防御装甲範囲を小さくし重量を削減するのに有効でしたが、一方で3番砲塔の射角が左右方向のみに大きく制限されました。

「最上級」の主砲塔配置は、砲身の短い15.5cm砲に合わせた設計になっており、20.3cm砲に換装した際に2番砲塔の砲身が1番砲塔に干渉してしまい、正正面で固定する場合、砲身に一定の仰角をかける必要がありました。このことから、従来定説であった条約失効後の換装計画が設計当初から決定されていたか、と少し疑問に思ってしまいます。

一方で、15.5cm3連装主砲塔の重量は、20.3cm連装主砲塔よりも重く、第4艦隊事件などで、重武装を目指すあまりに全般にトップヘビーの傾向が見られた艦船設計に対する改善策としては、理にかなった選択だった、とも言えるのではないでしょうか?

  

最上の戦歴

太平洋戦争海戦時には、同級の僚艦とともに、第七戦隊を編成し、南遣艦隊の基幹部隊として南方作戦に従事しました。マレー作戦、欄印作戦で活躍しました。バタビア沖海戦では、米重巡洋艦「ヒューストン」オーストラリア軽巡洋艦「パース」などの撃沈に参加しています。

ミッドウェー海戦には、ミッドウェー攻略部隊の第二艦隊の前衛支援部隊(第七戦隊基幹)として参加。機動部隊(空母機動部隊)の壊滅後も、機動部隊の残存兵力(水上戦闘艦艇)や、主隊による米艦隊との夜戦の機会を求めて、その支援のため、第7戦隊にはミッドウェー島の飛行場砲撃の任務が与えれました。このため第七戦隊は進撃を継続しましたが、結局、夜戦の戦機なしとの判断から、連合艦隊司令部からの撤収命令に従い反転しました。撤収中に、米潜水艦による接触を受け、回避行動中に僚艦「三隅」と衝突し艦首が圧壊し一時行動不能に陥りました。応急処置により、同じく損傷した「三隅」とともにトラック島へむけての退避航行を開始したものの、翌日、米軍の基地航空機、空母艦載機の空襲により、僚艦「三隅」は沈没、「最上」も5発の爆弾を被弾し、後部の4番・5番両砲塔に大損害を受けました。

なんとか第二艦隊に合流し、内地に帰還後、「最上」はその修復の際に、大損害を受けた艦後部の4・5番砲塔を撤去し、艦後部を全て航空甲板とするという大規模な改造を受け、11機の水上偵察機を搭載可能な航空巡洋艦として生まれ変わりました。

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(直上の写真:ミッドウェー海戦での損傷修復後、航空巡洋艦となった「最上」:by Konishi。艦後部に11機の水上偵察機の繋留ができる航空甲板を設置しました)

 

最上の搭載機

改装時の計画では、ミッドウェーの喪失空母の穴埋め目的から、「瑞雲(水上爆撃機)を11基搭載する予定でしたが、搭載機材開発の遅れから、実際には従来の零式水偵4機と零式水観3機の混載の記録が残されているようです。レイテ沖海戦当時は水偵5機を搭載していました。

 

第七戦隊に復帰後、主として中部太平洋で行動しますが、ラバウルに進出した際に、ラバウル空襲に遭遇し、再び被弾してしまいます。

損傷回復後、マリアナ沖海戦への参加(「長門」と共に空母機動部隊乙部隊直衛)を経て、1944年10月レイテ沖海戦では、第一遊撃部隊の第三部隊(西村艦隊)の一員として戦闘に参加しました。西村艦隊はスリガオ海峡へ突入しますが、米艦隊の砲撃で「最上」は炎上、更に後続の第二遊撃艦隊(志摩艦隊)の旗艦「那智」と衝突し損傷を大きくしてしまいました。

翌朝、米軍機の空襲をうけ、味方駆逐艦の魚雷で処分されました。

 

駆逐艦「時雨」(「白露級」駆逐艦

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(直上の写真:「白露級」の概観。88mm in 1:1250 by Neptun:レイテ沖海戦時には、もっと対空機銃等が強化されていたはず)

 

「時雨」は「白露級」中型駆逐艦の二番艦として建造されました。

「白露級」駆逐艦は前級「初春級」の復原性改善後の設計をベースに建造された準同型艦で、少し船型を拡大し、4連装魚雷発射管2基を搭載し、射線数を「吹雪級」に近づけたものとすることになりました。次発装填装置を搭載し、魚雷搭載数を当初16本として、雷撃能力を向上させています(当初と記載したのは、実際には搭載魚雷数は14本あるいは12本だったようです)。その他の兵装、艦容はほぼ「初春級」に準じるものとなりました。

主砲は「初春級」と同じ「50口径3年式12.7cm砲」でしたが、この砲をC型連装砲塔、B型単装砲塔に搭載しましたが、これらはいずれも仰角を55度に抑えた平射用の主砲塔でした。

速力は改修後の「初春級」とほぼ同等の34ノットでした。

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(直上の写真:「白露級」の特徴である次発想定装置付きの4連装魚雷発射管(上段)と、艦尾部に背中合わせに配置された単装主砲砲塔と連装砲塔:いずれも仰角55度の平射用砲塔でした)

太平洋戦争開戦時には、「時雨」は「白露級」1隻、「初春級」2隻と共に第二十七駆逐隊を編成していました。その後戦局が進み、同駆逐隊も損傷等で構成艦が入れ替わりますが、第一遊撃部隊への編入時点では、相次ぐ喪失、損傷で「時雨」は僚艦を持たない単艦となっていました。

レイテ沖海戦では、西村艦隊の一員としてスリガオ 海峡に突入しましたが、「時雨」は左翼の警戒艦の任を務めました。米艦隊との砲雷戦の結果、命中弾1、至近弾数発で損傷を受けましたが、西村艦隊の唯一の生き残りとなりました。

海戦ののち、船団護衛等の任務に奔走しますが、1945年1月にカムラン湾ベトナム)に向かう船団の護衛中に、潜水艦を探知。対潜水艦戦闘中に潜水艦の魚雷攻撃で撃沈されました。

 

第四駆逐隊 駆逐艦 山雲、満潮、朝雲朝潮級)

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第四駆逐隊の3隻(「山雲」「満ち潮」「朝雲」)は「朝潮級」駆逐艦です。

朝潮級」駆逐艦は、ロンドン条約の大型駆逐艦保有制約への対策として「初春級」「白露級」と中型駆逐艦を就役させた日本海軍が、条約の失効を踏まえて再び建造した大型駆逐艦の第一陣です。「初春級」「白露級」は、小さな船体に重武装を搭載し、高速をも発揮する意欲的な設計でしたが、無理の多い仕上がりとなり、結果的に期待を満たす性能は得られない結果となり、条約失効に伴い大型駆逐艦への回帰となりました。

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(直上の写真:「朝潮級」の概観。94mm in 1:1250 by Neptun:レイテ沖海戦時には、もっと対空機銃等が強化されていたはず)

 

こうして「朝潮級」は2000トン級の船体に、「白露級」で採用された4連装魚雷発射管2基を搭載し8射線を確保、次発装填装置を備え魚雷16本を搭載、主砲には「50口径3年式12.7cm砲」を仰角55度の平射型C型連装砲塔3基6門搭載したバランスの取れた艦となりました。機関には空気予熱器つきの缶(ボイラー)3基を搭載、35ノットの速力を発揮する設計でした。こうして日本海軍は、ほぼ艦隊駆逐艦の完成形とも言える艦級を手に入れたわけですが、一点、航続距離の点で要求に到達できず、建造は10隻のみとなり、次の「陽炎級」に建造は移行することになりました。

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(直上の写真:「朝潮級」の特徴である次発想定装置付きの4連装魚雷発射管(上段)と、艦尾部に配置された「白露級」と同じC型連装砲塔:仰角55度の平射用砲塔でした)

 

3隻はスリガオ海峡突入時、当初は「最上」と共に第二戦隊の前衛として出没する米魚雷艇部隊の掃討に従事し、後に「満潮」「朝雲」が縦列で前衛警戒、「山雲」が右翼警戒にあたりました。(前出の「時雨」が左翼警戒)

これに主隊である第二戦隊の「山城」「扶桑」と「最上」が続く隊形で、西村艦隊はレイテ湾に突入するわけですが、これを左右から米駆逐艦が雷撃し、「扶桑」の被雷、後落に続いて第四駆逐隊の3隻が相次いで被雷し「満潮」「朝雲」は航行不能に、「山雲」は轟沈してしまい、西村艦隊は一気に前衛を失ってしまいます。

 

トピック:「特型駆逐艦」の呼称

少し余談になりますが、「特型駆逐艦」の呼称はそれまでの駆逐艦の概念を超えた「吹雪級」駆逐艦の別称とされることが一般的かと思いますが、軍縮条約制約下の高い個艦性能への要求(制限を受けた艦型と高い重武装要求のせめぎ合い、と言っていいと思います)を満たすべく設計・建造された「吹雪級」「初春級」「白露級」「朝潮級」を一纏めに使われる場合もあるようです。

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(直上の写真:「特型駆逐艦」群の艦型比較。上から「吹雪級」、「初春級」復原性改善後、「白露級」「朝潮級」の順)

これに対し、それ以前の駆逐艦群(「峯風級」「神風級」「睦月級」)には、「並型駆逐艦」という表現が使われることもありました。(まるで「特盛り」「並盛り」ですね)

以上、余談でした。

 

西村艦隊の概観

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(第一遊撃部隊 第三部隊(西村艦隊)の概観:(上段)西村艦隊の基幹部隊である第二戦隊(扶桑・山城)と、(下段)その直衛部隊(航空巡洋艦「最上」と駆逐艦朝雲」「山雲」「満潮」「時雨」(奥から))

やはりこうして見てみると、戦力としては規模が小さいですね。

本稿でも紹介していますが「長門」でもこれに加わっていれば。

 

さらに言うと、第二戦隊の所属については第五艦隊(つまり「第二遊撃部隊」への配属案もあったようです。軍令部は第五艦隊を北方警備から外した時点で第三艦隊(空母機動部隊)の直掩として使用しようとした構想を持っていたようで、第二戦隊の第五艦隊配属については空母機動部隊への帯同だ困難との理由で見送られたようです。(と言っても速度的には「扶桑級」とそれほど大きな差異のない2隻の航空戦艦「伊勢」「日向」で構成される第四航空戦隊が第三艦隊に配置されていたわけですから、第二戦隊の配置にも大きな障害はなかったのでは、と思うのですが)

更に、水上戦闘部隊として第五艦隊を使用する(つまり第二遊撃部隊、ですね)ことが決定された時点で、この空母機動部隊との帯同問題はなくなっていたはずなので、その時点で配属をしても良かったのでは、と思ってしまいます(行動を共にしたことがない、等々は平時であれば大きな障害と考えられるべきかも知れませんが、このレイテ沖海戦の時点ではそのようなことよりももっと大事なことが)。

まあ、第五艦隊配属となれば、おそらく第二戦隊の直衛に第二艦隊が「最上」や第四駆逐隊を割くことはなかったでしょうが。一方で、第五艦隊には第十六戦隊(重巡「青葉」、軽巡「鬼怒」、駆逐艦「浦波」)が付属していましたので、必要であれば(また、行動を共にしたことがない、などの議論はあるのでしょうが)、これを加えるということも考慮できたのでは、等々考えてしまいます。

 

というわけで、今回はここまで。

 

 次回はロイヤル・ネイビー駆逐艦小史に戻りましょうかね。あるいは今回の続きで「志摩艦隊」が先かな。この勢いでレイテ沖海戦当時の日本艦隊というミニ・シリーズ化もあるかと思いますが、日本海軍の空母の総覧が終わっていないので、少し先かな?

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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扶桑級戦艦の改装:41センチ砲搭載案

今回は(筆者としては珍しく)予告のとおり「扶桑級」戦艦の41センチ砲装備大改装案が完成していれば、という計画艦、架空艦の制作中のモデルが完成したのでそちらをご紹介します。

 

扶桑級」戦艦:41センチ搭載案の製作

発端は本稿では実は「扶桑級」「伊勢級」の戦艦をまともに紹介していないという事にはたと気づいたこと。

背景には、本稿がそもそも「八八艦隊計画」の諸戦艦のモデルが揃った(その後、実は何度かアップグレードしたりしているので、全然揃ってなんかいなかったのですが)ことをきっかけに「まあ少しまとめておくか」くらいの気持ちでスタートしていて、「八八艦隊計画」を成立させる為に「ワシントン・ロンドン軍縮体制」が(都合よく)改変されていること、その中で「扶桑級」「伊勢級」が比較的早期に一旦主力艦の座を退役してしまい、その為に、史実を紹介する機会がなかったことが挙げられます。

一方で、筆者の模型原体験は、実は筆者の父がまだ小学生の低学年だった筆者に作ってくれた戦艦「長門」のプラモデル(今にして思うと、多分、ニチモの1:500スケールだったんじゃないかな)でした。

f:id:fw688i:20210808120428j:plainそしてこのモデルで艦船模型に目覚めた小学生(多分、3年生くらい)の筆者が、最初に「スケール」を意識してお小遣いで購入したプラモデルが、「山城」だったのです。もう、メーカーは忘れてしまいました(大滝製作所、かな?)。確かモータライズの当時よく見かけた船体が上下に分割されたモデルだったのですが、なぜかハルを接着せず、今でいう「ウォータライン」モデル(いわゆる「ウォーターラインシリーズ」が静岡の模型4社殻発売されたのが1971年ですので、実はそれよりも2-3年前のお話です)で遊んでいた記憶が残っています。もう50年以上前の話です。子供心に「なんてたくさん砲塔を積んでいるんだろう、凄いなあ」と、実は大好きな船なのです。

 

で、チラチラと調べ始めて、以下の投稿に巡り合いました。

ameblo.jp

 へえ、そんな計画があったんだなあ、というわけです。

早速、ご紹介記載に従い「月刊 丸」2013年8月号を入手しようとしますが、これが見当たりません(入手不能?どなたか情報をお持ちでしょうか)。

その過程で下記の投稿に遭遇。なんと図面の画像があるではないですか。さらにここではご自身で1:700スケールの模型まで作っていらっしゃいます。

blog.goo.ne.jp

blog.goo.ne.jp

blog.goo.ne.jp

既に2013年にやっていらっしゃったとは・・・。

かなり41センチ砲の3連装砲塔で苦戦していらっしゃるようですが、以前、実はドイツ海軍の架空艦を製作する際に11インチ砲の連装砲塔が欲しくて、ドイツ海軍色を出すためにタミヤシャルンホルストの三連装砲塔の真中を切除して、作ったことがあった、というのを思い出しました。同様に今回の連装砲塔の三連装砲塔かの場合には、連装砲塔と連装砲塔の中央切除の貼り合わせでなんとかなるかも、とか、筆者の場合には「金剛代艦級」の砲塔構成がこの3連装砲塔と連装砲塔の混載で、そこから砲塔を引っ張ってこれるので・・・、などと考えながら、楽しく拝見させていただきました。

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(掲載された改装案の図面がこちら。月刊「丸」が入手できないので、まずはお借りします)

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(上図を参考に、3D printing modelをベースに、上部構造物をほとんど撤去し、新たにレイアウトするほどのかなり大掛かりな改装に、モデルでもなっています。こういう時にはメタルのモデルより、樹脂製の3D printing modelの方がいいかも。ベースとなったのは下記のモデル

www.shapeways.com

記載によると、この改装案はワシントン条約交渉中に平賀中将から提出された「扶桑級」改装案の一つでした。
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扶桑級改装案:41センチ砲搭載案の概観:165mm in 1:1250 by semi-scratchied besed on C. O. B. Constracts and Miniatures) 

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扶桑級改装案:41センチ砲搭載案の特徴細部:特徴的な混載されている連装砲塔と三連装砲塔はSuperior製の金剛代艦級から拝借しています。前檣は基部だけを残し周りと上部はストック部品とプラロッドで。煙突は少し高かったかも。後檣と煙突の間隔はこんな感じかな?もう少し詰めても良かったのか?) 

この案が提出された時期は、世界初の16インチ砲搭載戦艦「長門級」を巡り、戦艦の建造に制限をいかにかけるかが議論されていた時期であり、その後に続く「八八艦隊計画」と併せて考えると、既存戦艦の改装でおそらく制限の対象となるであろう「八八艦隊計画」を補完する構想があったのかな、などと想像してしまいます。

 

 改装案の背景:課題満載の扶桑級戦艦

改装案を提出された「扶桑級」戦艦は、日露戦争の莫大な戦費消費(結局、日本は日露戦争では領土と中国・朝鮮半島での利権・発言権強化は手にしたものの、賠償金は獲得できませんでした)、その後の鹵獲艦整備等で、弩級戦艦時代に出遅れた感のあった日本海軍が建造した初の超弩級戦艦で、初期計画では4隻が建造され、先行し就役していた「金剛級巡洋戦艦と一対で艦隊の根幹戦力を形成する予定でした。

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扶桑級就役時の概観:163mm in 1:1250 by Navis)

主砲は金剛級と同じ14インチ砲で、これを連装砲塔6基12門搭載。艦首部と艦尾部は背負い式配置として、残り2基を罐室を挟んで前後に振り分けていました。軍艦史上初めて30,000トンを超える大鑑で、日本海軍の念願の超弩級戦艦は、一番艦の扶桑完成の時点では、世界最大、最強装備の艦と言われた、まさに日本海軍嘱望の艦級として完成されたわけです。

 

しかし、完成後、多くの課題が現れてきます。

例えば、一見バランス良く艦全体に配置されているように見える6基の砲塔は、同時に艦の弱点ともなる弾庫の配置が広範囲にわたることを意味しています。これを防御するには広範囲に防御装甲を巡らせねばな利ません。また、斉射時に爆風の影響が艦上部構造全体に及び、重大な弊害を生じることがわかりました。さらに罐室を挟んで砲塔が配置されたため、出力向上のための余地を生み出しにくいことも、機関・機器類の進歩への対応力の低さとして現れました。

さらに第一次世界大戦ユトランド海戦での長距離砲戦への対策としては、艦全体に配置された装甲の重量の割には水平防御が不足していることが判明するなど、一時は世界最大最強を歌われながら、一方では生まれながらの欠陥戦艦と言わざるを得ない状況でした。

こうした結果、「扶桑級」戦艦の建造は2隻で打ち切られ、3番艦、4番艦となる予定であった「伊勢」「日向」は当たらな設計により生まれることとなりました。

以降、「扶桑級」の2隻は、就役直後、短期間連合艦隊旗艦の任務に就いたのち「艦隊に配置されているよりも、ドックに入っている期間の方が長い」と揶揄されるほど、改装に明け暮れる事になるのですが、その改装案の一つが、主砲の改装案だったのでしょう(月刊「丸」自体を読んでいないので、先の紹介した投稿からの又聞きの上の推測ですので、本当のところはどうも)。f:id:fw688i:20210801103403j:plain

 

図面を見ると主砲の換装に伴い、課題の諸源と言ってもいいであろう主砲の配置が変更されています。さらにそれに伴って機関の配置にも変更があるようです。この機会に「扶桑級」の抱えている課題を全部一気に解決してしまおうじゃないか、と平賀中将の腕まくりが目に見えるようです。

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扶桑級就役時と改装案の比較:やはり砲塔の大きさの差異が目立ちますが、Navis製のモデルのフォルムは少し大柄なのかな?Navisのモデルは精度が高いのですが) 

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扶桑級就役時(上段)と改装案(下段)の比較その2:前檣の構造と、砲塔と機関配置の差異に注目、ですかね?) 

一方で、「長門級」よりもかなり小さな船体に、「長門」を上回る16インチ砲10門を装備するわけで、主砲斉射の反動等、今度は射撃精度に課題が発生しそうな気もしますが、水中に大きな バルジを装着することで安定性と重量増に対する浮力の確保には手が打たれるようですね。

 

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(41センチ砲搭載案(手前)と長門級(奥)の比較:模型での比較なので、あまり当てにはならないですが、艦幅に大きな差異はないですね。しかし小さな船体に「長門級」より2門多い主砲を搭載して、大丈夫でしょうかね) 

 

この案は、ワシントン条約の制限対象が新造艦に対するもので、既存艦については制限がないということを前提に提出されたものでした。さらにこの後、ワシントン条約で代艦を建造できる艦齢の上限を迎える「金剛級」に対して、平賀は有名な「金剛代艦級」の建造試案を提出するのですが、それに先駆けてこの改装案を足がかりに日本海軍には製造経験のない大口径砲の3連装砲塔の製造技術、駆動系の技術に対して、なんらか試行を行っておこうという思いがあったのかも(というのは、ちょっと意地悪に考えすぎでしょうかね)。

しかしもしこの技術が導入されれば「長門級」も16インチ砲10門搭載艦として(つまり、三連装砲塔と連装砲塔の混載艦として、)生まれ変わっていたのでしょうか?

・・・・などど、いろいろな想像がかき立てられます。

 

扶桑級戦艦の大改装(史実は・・・)

先述のように度重なる改装を受けた「扶桑級」戦艦でしたが、太平洋戦争開戦前に受けた第二次改装時に対空兵装の強化、機関の重油専焼缶への換装などを行い、速力も24ノット代まで向上させていました。この改装の際に、「扶桑」は3番砲塔を前向き装備に改めています(「扶桑」ファン一押しの特異な艦橋の形態は、この時に生まれました)。

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(二次大改装後の「扶桑」の概観:168mm in 1:1250 by Superior? 「扶桑」の最大の魅力は変則的な前檣構造。3番砲塔の向きにも注目)

 

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(二次大改装後の「山城」の概観:168mm in 1:1250 by Superior? 2番砲塔と前檣基部、前檣上部、3番砲塔、艦尾の航空艤装を、上掲の「扶桑」をベースに手を入れています。直下の写真は「扶桑」と「山城」の比較) 

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(41センチ砲搭載案と二次大改装後の「山城」との比較:少しわかりにくいですが、第二次改装で、「山城」の艦尾部は延長されています) 

 

太平洋戦争時にはほとんどの期間を内地で過ごし、一時期は練習戦艦としての業務についていました。

しかし、いよいよ戦局が押し迫る中、同級も現戦力として再浮上し、サイパン攻防戦では、サイパンへの殴り込み作戦の実施部隊として計画に挙げられました(「無謀」として実現しませんでした)。

その後、両艦は第二戦隊として第二艦隊(第一遊撃部隊)に編入され、レイテ海戦には第一遊撃部隊(栗田艦隊)別働隊(第三部隊:西村艦隊)として、第一遊撃部隊主力とは別行動を取り、幸運にも空からの攻撃をほとんど受けることなく、主力に先行してレイテ湾に突入し、米第七艦隊オルデンドルフ部隊と交戦し、相次いで撃沈されました。

第一遊撃部隊第三部隊(西村艦隊)は、単独でレイテ湾に突入し、部隊指揮官の西村中将初め司令部以下、ほとんど全滅していますので、その最後がよくわかっていません。

 

もう一つ、航空戦艦改装案

前述の通り、同ブログでは、「八八艦隊計画」が一部実現しますので、「扶桑級」は「伊勢級」と並んで早期に現役を退いてしまっています。しかし、太平洋戦争開戦にあたり、両級は海防戦艦(通商路確保のための対潜・対空哨戒を専任とする海防艦の拠点となる母艦)として復活しています。一応、そちらもご紹介しておきます。

(直下の写真は扶桑級海防戦艦:33,200t, 21 knot, 14 in *2*3, 2 ships, 搭載機15機:水上戦闘機3機、水上偵察機・水上哨戒機12機, 170mm in 1:1250 by semi-scratched with Superior model)f:id:fw688i:20190511165046j:image

 史実の「伊勢級」航空戦艦を参考にしつつ、ミッドウェーでの空母機動部隊の喪失を補完する意味で改造された「伊勢級」「扶桑級」ではなく、日本の通商路周辺で跳梁が予測される米潜水艦対策として設立された「海防戦隊」の中核戦力として、旧式戦艦が活用されたとしたら、というようなお話になっています(一種の「架空戦記」ですね)。

もしよろしければ、下記の回をご覧ください。

fw688i.hatenablog.co

史実でも、前述のようにミッドウェー海戦敗北の後(1942年)、空母戦力の隙の保管のために巡洋艦(最上級、利根級妙高級、高雄級)、戦艦(金剛級扶桑級伊勢級長門級)の全通飛行甲板空母への改造が実際に検討されたようです、結局、工期がかかりすぎる(巡洋艦9ヶ月、戦艦1.5年)、という点でこれらは実現しませんでしたが、ご存知のように「伊勢級」のみは「航空戦艦」に改造されています。そして同級の改装完了後、「扶桑級」も同様の改装工事を受ける予定であり、6ヶ月の工程表が組まれていたという記録があるようです。

 

というわけで、今回はここまで。

個人的に幼少期から思い入れがありながら、置き去りにしてきた感の強かった「扶桑級」でしたが、ようやくスッキリした感じがします。

 

次回はロイヤル・ネイビー駆逐艦小史に戻りましょうかね。あるいは・・・

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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日本海軍:大和級戦艦とその周辺

最近、少し「大和級」戦艦が話題にあがる機会があり、今回はなんと「大和級」戦艦、という結構大きなお題を。

これまでにも数度にわたりこのお題は取り上げてきているのですが、ここら辺りで一度まとめておこう、という訳です。既にご紹介したモデルばかりですが、お付き合いを。

併せて、史実の「大和」「武蔵」以外は実在しません。つまりほとんどが少しの情報から筆者が勝手に膨らませた「妄想」ですので、そこはご容赦ください。

 

その計画

大和級計画案(A-140計画)」から「A-140a」のヴァリエーションを3種

「A-140」計画艦は帝国海軍が140番目に計画した軍艦、という意味であり、aからfまでの枝符号分けがされた上で、さらにそれぞれに機関のバリエーションなどがあり、全部で20数種(23種?)の計画案があったとされています。

そのヴァリエーションは多岐にわたり、例えば排水量では50000トン案から70000トン案、主砲も18インチ砲10門搭載案から16インチ砲9門搭載案等々、種々検討されて、最終案として纏まったのが我々が知る「大和級」ということになります。

 

「A-140a」について

「A-140a」というのは、その枝番が示す通りその最初期の案で、外観的には主砲を全て艦首部に集中配置しており、さらにその特長として計画案の中でオリジナル(A-140)とともに、30ノットを超える速力を有した計画案でした。少し補足すると実際のA-140a計画艦は、実際にはもう少し長い船体を持っていました(今回制作したモデルは、Delphine社製の船体を用いている「筆者事情」から、実在の「大和級」とほぼ同じ長さになっています)。

もう一つ、この20数種の計画案を見て興味深いのは、オリジナル案(A-140)と実在の「大和級」のみがタービン機関搭載艦であるのに対し、他の案は全てタービンとディーゼルの混載艦であったというところだと考えています。つまり日本海軍は機関にディーゼルを採用することにより、なんとか燃料効率を改善し、つまりは搭載燃料に比して長い航続距離を持ち、さらにタービン機関との混載により高速力をも併せ持つ戦艦を作ろうと足掻いた、ということだと思います。このうち高速力という点は比較的早い段階で諦めがついたのか、A-140b案で既に27.5ノットとし、その後、実現案に至るまで30ノットクラスの高速艦の案は提示されませんでした。

しかし残念なことに信頼できるディーゼル機関が間に合わず、実在の「大和級」はタービン機関のみの搭載となっています。

 

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 (A-140a案の資料を示しておきます。諸々、Net上で見つけた資料から)

 

少し裏話

実は「A-140計画艦」についてはHai社から、前出の図面に非常に忠実な1:1250スケールのモデルが出ています。

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しかし、おそらく流通数量が限定されており、従って非常に高価で取引されている傾向があり、なかなか 筆者は入手できずにいます。

そこで、筆者のストックモデルのから他のディテイルの再現はさておき、この「主砲前方集中配置」だけでも再現できないか、というのが筆者のぼんやりとした「想い」だったのですが、今回それを一気に形にすることにした、という事情があります。

 

A-140a1(その1:副砲集中配置案)

実は実際の筆者の作成順とは異なりますが、まずは、上記の図に比較的近い「副砲集中配置」案から。

制作順が1番最後になったのは、副砲の集中配置に対する筆者の違和感から(特に何か具体的な理由があるわけではなく、全く「なんとなく違和感があるなあ」でした)制作を後回しにしただけの話で、出来上がってみると、「なるほどね」という感じでした。

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(A-140a案の副砲艦尾集中配置デザイン:副砲塔の配置位置は原案図面のA-140aに近いものにしてみました。両舷副砲の配置はもう少し後方でも良かったのかも)

 

A-140a2(その2:副砲舷側配置案)

実は筆者が最初に制作したモデルはこちらでした。原案図面の副砲配置に違和感が拭えず、どうせなら実在の「大和級」と同じように、副砲2基を舷側配置(正確には上部構造の両側というべきでしょうか)にしてしまえ、という感じで制作したモデルでした。 

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(A-140a案の副砲両舷配置案の概観:主砲の前部集中配置で防御装甲の配置を効率化し、タービンとディーゼルの混載と共に、日本海軍悲願の高速性と長い航続距離を両立させることを目指しました)

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(直上の写真:「大和」(奥)と「A-140a」の概観比較:「A-140a」がほんの少し小振りで、主砲搭載位置の差異など見ていただけるかと。何故か主砲前部集中配置の方が、機動性が高そうな気がしませんか?写真ではわかりにくいですが、煙突がA-140aの方がやや細く、タービンとディーゼルの混載だから、と無理やり・・・)

 

 

副砲配置案の比較をここで

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(副砲配置の比較です)

副砲塔の配置は意外と違和感がないかも。これはこれでアリかもしれないなと、制作してみて思います。集中防御、考えるなら、設計としての理屈も通りますしね。作った意味があった、ということでしょうかね。どうですか、なかなか「面白い」と思いませんか?作ってみないとわからない!(模型作ってて良かったなあ、と変なところで実感)

 

A-140a3(その3:主砲山形配置案)

そして主砲配置で、日本海軍の場合、いかにもありそうなのが主砲塔の山形配置でしょうね。(妙高級や高雄級重巡洋艦でも実績があります)

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(A-140a案の山形主砲配置デザイン:主砲の配置位置がよりコンパクトになっていることがよくわかります)

この山形配置には、後方への主砲斉射界を広く取ることができると言う点と、主砲弾庫をコンパクトにまとめられる、と言うメリットもあるかも。もしこの後者のメリットがあるとすると、機関に余裕を持たせることができたかもしれません。f:id:fw688i:20210228115632j:image

(直上の写真:主砲配置と副砲配置の拡大カット)

 

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(上の写真は主砲配置案での射角比較:中段は主砲の前方斉射の射角比較。下段は後方斉射の射角比較。かなり両者の斉射射角に差があることがわかります)

「東郷元帥は戦艦の主砲は首尾線の砲力を重視せよ、とおっしゃった」というお言葉が、こういう場合にも影響するのかな?その場合、どちらを選択すべきなんでしょうね?

 

もう一度、模型製作の裏話を 

きっかけは棚の整理。そこで「京商」製の「大和級」のモデルを4隻発見。正確にいうと就役時を再現した、つまり副砲4基搭載時の「武蔵」3隻と対空兵装強化時の「大和」1隻の箱入り在庫を、発見したことでした。実はこの「京商」のモデル、樹脂製でディテイルは素晴らしいのですが、船体の長さが197mmで、いっぽう実艦の長さが263.3mであることから1:1250スケールの場合、210mm程度は欲しいのですが、明らかに小ぶりに再現されています。それに併せて上部構造もやや小さめで、このためNeptune社やDelphin社のモデルと一緒に扱えず「お蔵入り」して、棚の奥にしまっていたのです。

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京商製の「武蔵」立派な台座に乗っています。ディテイルはバッチリです。下段はDelphin社製の船体との大きさ比較。約13mm短い!)

一方で、何度か本稿では触れてきているのですが、Delphin社製の「大和級」は、安価に入手でき部品取り用として大変重宝するため、何隻か船体(ハル)のみストックされています。(ちなみに本稿の表題バックに掲載されている「イージス艦大和」もベースになっているのはこのDelphin社製のモデルです)

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(上の写真:Delphin社製「大和」の船体部分(上段および下段左)と京商製「武蔵」就役時モデルの上部構造と主砲塔(下段右))

これも本稿では何度か触れていることですが、このDelphin 社製のモデルは、構造上パーツの分解が容易で、上部構造を取り払って船体のみを別に使用するなどの用途には大変重宝します。(だから筆者宅のDelphin 社モデルは、たいていバラバラのパーツとして保管されている事が多いのです。ごめんなさい、Delphin社さん)

こうして少し小ぶりな、しかしディテイルのしっかりした「京商」の「大和級」上部構造と、加工のし易いDelphin社製「大和級」ハルの組み合わせで、「主砲前方集中配置案」を作ってみよう、という構想に至ったわけです。

 

大和級」設計案での機関に関する議論

大和級」に至る、つまり「A-140計画艦」の多様な設計案の一つの重要な軸は、主機選択の変遷であったと言ってもいいかもしれません。

資源の乏しい日本にとって、燃料問題は常に重大な課題であり、従って高速力と航続距離を並立させることを考慮すると、燃費に優れるディーゼル機関の導入は重要な目標であったわけです。さらに大型潜水艦用のディーゼル機関の開発の進展など、これを後押しする要素も現れ始めていました。

このため原案はタービン機関のみの搭載案でしたが、その後の案は全てディーゼル機関とタービンの併載案、あるいはディーゼル機関のみの搭載案、でした。

艦隊決戦の想定戦場を、日本海軍はマーシャル諸島辺りとしていたので、航続距離はできるだけ長くしたかった、そういう事ですね。

最終的には、当時のディーゼル機関の故障の多さ、性能不足(潜水艦なら「大型」と言っても2000トン程度、1番大きな潜特型(伊400型)でも3500トン程度だったのですが、10000トン級の潜水母艦「大鯨」のディーゼル機関は所定の性能を発揮できませんでした)から、工期との兼ね合いを考え、結局ダービン機関のみの搭載案が採用されましたが。「大和級」他の戦艦群が大戦中に後方(トラック等)からなかなか前に出れなかった理由の一つは、この辺りにありそうです。

 

そんな背景を改めて振り返ると、「京商大和級」の少し小ぶりな上部構造物、特に少し細身の煙突は、念願のディーゼル機関とタービン機関を併載し長い航続距離と高速性を兼ね備えることが実現できた、というようなカバーストーリーにしてみてもいいかもしれません。「しかし就役後、慢性的な機関の不調に悩まされ、期待通りの活躍はできなかった」的なオチなのかもしれませんが。

 

誕生とその派生形の話(ふんだんに妄想を盛り込んで)

大和級」戦艦の誕生

日本海軍は、 その国力を考えると仮想敵である米国には遠く及ばず、従ってその主力艦状況でも物量的に米海軍を凌ぐことは不可能であることは明白でした。

この数の差を埋めるためには、個艦の性能で米艦を圧倒することが求められ、その設計の帰結が大和級戦艦となって具現化したわけです。

大和型戦艦 - Wikipedia

en.wikipedia.org

「圧倒する」を具現化するための一つが主砲の選択でした。米海軍には大西洋と太平洋の双方に艦隊を展開せねばならない、という大きな条件が課せられていました。この二つの太陽を繋ぐ主要な通路であるパナマ運河の幅は、米海軍の艦船設計に大きな制約を課していたわけです。日本海軍はこの幅の制約から、米海軍は16インチ以上の主砲を持つ戦艦を建造できない、と見込みをつけていました。

そこで16インチ砲を凌駕する18インチ砲を主砲に採択し、この新設計の砲をこれも新設計の三連装砲塔に搭載しました。さらにそれまでの米海軍の主力戦艦群の標準速力が21ノットであることから、機動性においてもこれらを圧倒で切る27ノットの高速を発揮できることが設計に盛り込まれました。高い機動性と強力な砲力で常に相手に対し優位な位置からのアウトレンジを実施し、相手を圧倒することを実現し、数の劣勢をカバーすることが目指すところであった、ということです。

(1941-: 64,000t, 27 knot, 18in *3*3, 3 ships, 215mm in 1:1250 by Konishi/Neptun)

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大和級の2隻:武蔵(手前)、大和。就役時には、副砲塔を上部構造の前戯左右に4基配置していました)

 

大和級戦艦の改装

大和級戦艦はその新造時の設計では、6インチ三連装副砲塔を4基、上部構造の前後左右に配置した設計でしが、一連の既存戦艦の近代化改装の方針である対空戦闘能力の向上に則り、両舷の副砲塔を撤去し、対空兵装に換装しました。f:id:fw688i:20190428133938j:image

(「大和」の最終改装時の概観)

両艦は1944年に上記の両舷の副砲塔を撤去し、対空兵装を充実し、電探装備を追加する改装を受けました。その際に「大和」は12.7センチ連装高角砲を従来の6基から12基に増強しましたが、「武藏」は高角砲の砲台までは準備できたのですが、高角砲の準備が間に合わず、代わりに25ミリ3連装対空機関砲を増加搭載して、マリアナ沖海戦に臨むことになりました。

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(「武蔵」の最終改装時の概観:「武藏」は高角砲の砲台までは準備できたのですが、高角砲の準備が間に合わず、代わりに25ミリ3連装対空機関砲を増加搭載)

「武藏」は、結局、マリアナ海戦後も連装高角砲の増設を受けることなく、引き続きレイテ沖海戦に向かい、損害担当艦として、目立つ塗装をして臨んだ、と言われていますが、多数の航空機の集中攻撃を受け、シブヤン海に沈みました。

 

(直下の写真は対空兵装増強後の「大和」。両舷の副砲塔が撤去され、12.7センチ連装高角砲が左右両舷に各3基、増強されました。但し、18インチ主砲のブラスト防止用のシールドは下部の砲台にしか装備されていません)

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(直下の写真は対空兵装増強後の「武藏」。両舷の副砲塔は撤去され、高角砲台は設置されたが、12.7 センチ連装高角砲が間に合わず、代わりに25mm三連装対空機関砲が設置されている)

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(直下の写真は、対空兵装増強後の「大和」「武藏」 のそれぞれの上部構造の拡大。上:「大和」、下:「武藏」。連装高角砲の増設の有無がよくわかる)

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大和級戦艦:播磨級(播磨・伊予)の建造(計画艦?あるいは部分的には筆者の妄想が入っているので、If艦かも?)

大和級の建造によって、日本海軍は個艦の性能で米戦艦に凌駕する戦力を保有することに成功したわけですが、米海軍が「アイオア級」あるいはそれを超える「モナタナ級」等、16インチ砲搭載の戦艦を量産することは明らかでした。

この予見される脅威への対抗策が、A-150計画でした。

超大和型戦艦 - Wikipedia

en.wikipedia.org

A-150計画では、米海軍が量産するであろう16インチ砲搭載艦、あるいは太平洋での運用のみを想定し建造されるかもしれない18インチ砲搭載艦を打ち破るために更なる大口径砲の20インチ(51センチ)砲を搭載することが計画されました。日本海軍は、2インチ毎の口径拡大を目指すのが常であった。12インチ(前/凖弩級戦艦弩級戦艦)、14インチ(超弩級戦艦)、16インチ(八八艦隊)、18インチ(相模級、大和級)、20インチ(播磨級))

設計にあたっては、時勢の展開を考慮して工期の短縮が目指され、前級である大和級の基本設計を踏襲した強化型、発展型として最終的にはまとめられました。

A-150計画の当初、新設計の20インチ砲を大和級同様、三連装砲塔形式で3基9門を搭載する予定だったのですが、その場合、90,000トンを超える巨艦となることが判明し、当時の日本にはこれを建造する施設がありませんでした。さらに言えば、18インチ砲三連装砲塔以上の重量の砲塔を回転させる技術もなく、短期間での完成を目指す日本海軍はこれを諦めざるを得ませんでした。

さらにいくつかのデザイン案の模索の後、20インチ砲を採用して連装砲塔3基搭載であれば、既存の大和級の艦型をほぼそのまま使用し建造期間を短縮できるということが判明し、同案が採用されました。

(1943-: 66,000t, 27 knot, 20in *2*3, 2 ships, 217mm in 1:1250 by semi-scratched based on Neptune)

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(直上の写真は播磨級戦艦2隻:手前から伊予、播磨の順。両艦ともに、当初から対空兵装強化型として建造され、対空砲として当時最優秀対空砲の呼び声の高かった新型の長10センチ連装砲が採用されました)

 

大和級戦艦:駿河の建造(こちらもIf艦の類だと考えてください)

前級播磨級において、日本海軍は念願の20インチ砲搭載戦艦を建造したわけですが、その設計過程には無理が多く、結局、時勢の流動への対応から、大和級の船体を流用し、建造を急いだことから、主砲射撃時の散布界が大きく、さらには搭載数が6門では 単艦での運用では十分な射撃精度が得られないことは、設計時から明らかでした。

このため米海軍が量産する16インチ砲搭載艦、あるいは今後建造するであろう18インチ砲搭載戦艦の脅威への対応に、大和級の設計をベースとして、18インチ主砲の搭載数を増加させる案が検討されました。

同級では、18インチ主砲を大和級と同様、三連装砲塔に装備し、大和級よりも1基増やし、4基12門搭載としました。砲塔の増設によって船体は大型化し排水量も大幅に増加しましたが、機関を強化し、大和級と同速の27ノットを確保することが可能となりました。射撃管制システムも新型が搭載され、改良された装填機構の採用などにより、発射速度を大和級よりも早めることができました。大和級の運用での知見に基づく種々の改良が加えられ、射撃試験の結果、良好な散布界を得ることなどが検証され、日本海軍の最強艦となりました。

駿河級は計画では2隻が建造される予定でしたが、日米開戦により1隻、駿河のみ建造されました。

(1945-: 71,000t, 27 knot, 18in *3*4, 220mm in 1:1250 by 3D printing: Tiny Thingajigs)

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富士級高速戦艦:富士・劔の建造(こちらは完全に筆者オリジナルのIf艦です)

大和級の建造と併せて、この18インチ砲搭載戦艦の時代にふさわしい前衛支援艦が必要と考えられました。高速で展開するこの前衛艦は、後続する主力艦隊に敵艦隊の速度、運動等の詳細なデータを送信し、射撃管制を高める役割が期待されたわけです。

当初、大和級と同じく18インチ砲を搭載する八八艦隊計画艦の相模級の2隻をこれにあてる予定だったのですが、やはり前衛には敵艦隊に肉薄、あるいは捕捉から逃れる高速力が必要とされることが明らかとなり、この目的のためには相模級を上回る速度を保有し、これに専任する艦が新たに設計されることとなりました。

 

建造期間を短縮するために、ここでも装備類は大和級から流用されることが予め決定されていました。機関には大和級と同じものが使用されることが決められ、33ノットの速力が期待されるところから、船体の大きさが逆算されました。また、同級は大和級と行動を共にすることが想定されるところから、主砲には同じく18インチ三連装砲塔の搭載が決定されました。

これらの要件を満たすために、これまでの主力艦とは一線を画する特異な設計となったわけですが、この際にA-140計画の際の検討材料、特にA-140aのデザイン案が参考とされた、と言われています。

最終的にまとめられた艦型は、艦前部に主砲塔を集中装備し、その後方に機関を配置、後部には副砲塔等と航空装備、というA-140a案に類似したものとなりました。搭載機関、主砲塔等から、奇しくも仏海軍のリシュリュー級に酷似する艦型、装備配置となりました。さらに射撃管制機器、上部構造等を大和級と共通化したために、遠距離からの視認では、大和級に実に似通った外観を示しています。

(1945-: 38,000t, 33 knot, 18in *3*2, 2 ships, 197mm in 1:1250 by semi-scratched based on Hansa) 

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(直上の写真では、船体後部に航空兵装、副砲塔等が集中しているのがよくわかります)

f:id:fw688i:20190503153205j:image

(直上の写真は富士級高速戦艦2隻:手前から「劔」、「富士」の順。両艦は対空兵装で異なる装備を有していました。2番艦の「劔」は、建造時期がジェット航空機の発展期に当たったため、当初から対空兵装強化型として実験的に自動砲を採用していました)

こうして本来は艦隊決戦において日本海軍が誇る18インチ砲戦艦群の露払い的な役割を期待されて 誕生した「富士級」高速戦艦でしたが、ご他聞に漏れず、もはやそのような主力艦同士の艦隊決戦の場はあろうはずがなく、しかしその高速性、強力な対艦戦闘、対空戦闘能力は、空母機動部隊、巡洋艦機動部隊において、その威力を十分に発揮できたと言われています(とか・・)。
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(直上の写真は大和級 18インチ砲搭載艦の系譜:左から富士級高速戦艦大和級、播磨級、駿河の順。大和級の系譜は、18インチ砲の強烈な反動を受け止めるため艦幅を広く取っています。一方で水線長を抑え、装甲を効果的に配置するなど、全体的にコンパクト化に成功していると言っていいでしょう)

 

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(直上の写真は日本海軍の高速戦艦巡洋戦艦)の系譜。:左から、金剛級(比叡)、畝傍級、高千穂級、富士級の順。高速化への模索の取り組みとして、艦幅と水線長の工夫が興味深いものがあります。さらにいうと富士級戦艦の主砲塔はやはり大きい)

 

ここからは、さらに深い妄想の世界へ

海上自衛隊 護衛艦「やまと」 Battleship "YAMATO" in JMSDF

海上自衛隊の発足と自衛艦「やまと」の誕生

太平洋戦争降伏に引き続き、日本は戦争放棄と戦力不保持、交戦権の否認を憲法に掲げる国家となりました。

しかし欧州における米英とソ連の対立に関連する不安定な周辺情勢、殊に日本の共産化を防ぎ、アジア全体の共産化阻止の拠点としたい米英(特に米国)の思惑から、様々は注釈に彩られた憲法解釈が行われ、やがて朝鮮戦争の勃発とともに自衛隊の前身である警察予備隊が発足し(1950年)、日本は再び戦力を保持することとなりました。

 

同時期に旧海軍残存部隊は海上警備隊として組織され、1954年自衛隊法施行とともに海上自衛隊と名称変更されました。

上述のようにその発足時には国共内戦朝鮮戦争等で、米英とソ連のある種代理戦争が極東地域では展開されていたわけで、これら共産勢力、あるいはソ連自身の日本への侵攻に対する抑止力として、当時、武装解除の上で海外に展開していた旧日本軍の復員輸送の従事していた残存する行動可能な主力艦を、再武装の上で戦力に組み入れてはどうかという議論が主として英米間で行われました。

当時、主力艦で行動可能だったものは、「大和」「紀伊」「加賀」「土佐」「長門」でしたが、これらすべてを戦力化することについては強大すぎ旧軍の復活につながるとの懸念があり、さらに「紀伊級」以前の戦艦は近代化改装を施されたとは言え、いわゆる八八艦隊計画の世代の旧式艦で、抑止力としてのプレゼンス、整備のコストという視点から「大和」一隻のみを自衛艦「やまと」として再武装し、自衛艦隊に編入することが決定されました。

 

海上自衛隊黎明期の自衛艦「やまと」

海上自衛隊編入された「やまと」は、艦隊防空艦としての役割を負うべく、再武装と改装を受けました。

 

再武装にあたっては、主砲は従来のままとし、自衛艦隊の艦隊防空艦としての役割期待が大きいところから、対空火器とレーダー装備が一新されました。主要な対空火器として米海軍の38口径Mk 12, 5インチ両用砲を連装砲塔に装備し、14基28門を搭載しました。

この砲は、米海軍の戦艦、巡洋艦に広く採用されている砲で、最大射程21キロ、最大射高11キロ、発射速度15-22発/分とされていました。これに加えて毎分45発の発射速度をもつラピッド・ファイア型のMk 33, 3インチ砲を連装で8基、さらに個艦防衛用に40mm機関砲を装備し、もちろんこれらは全てVT信管を標準仕様としていたため、その対空能力は、旧海軍時代から格段に強化されたものとなりました。

(直下の写真は、自衛艦「やまと」:外観的には、多数の対空機銃が徹去されたことを除けば、旧海軍時代とそれほど大きな違いは見られません。この時期、水上偵察機、観測機等の航空兵装の搭載は廃止されていますが、後部の航空機用の運用装備はそのまま残されています)

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模型視点でのコメントを少し:こちらのモデルも、前出のDelphin社製の「大和」をベースとし、前部艦橋と通信アンテナ、主砲砲塔を換装しています。さらに3D printing makerのSNAFU store製のWeapopn setから、いくつか武装を選択し搭載しています)

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(直上の写真は自衛艦「やまと」の対空兵装:艦の上部構造物周辺にMk 12, 5インチ連装砲塔を配置しています。下段の写真はいずれもMk 33, 3インチ連装砲塔(ラピッド・ファイア)の配置状況。すこし分かりにくいですが上部構造周辺にも、同砲が防楯なしの露出砲架で配置されています)

 

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(直上の写真は自衛艦「やまと」とその僚艦:奥から護衛艦「あきづき(初代)」「やまと」「はるかぜ」「あやなみ」の順。いずれも国産の護衛艦第一世代に属します。この時期の自衛隊は、こうした国産の護衛艦に加え、米海軍からの貸与艦で構成されていました)

 

DDHとDDG時代の護衛艦「やまと」 

海上自衛隊は、領海警備とシーレーン保護がその主要任務であり、従って、対潜戦闘能力を中心に、その活動保護のための艦隊防空を、両軸で発展させてきました。

1970年代に入ると、対潜ヘリを搭載したヘリ搭載型護衛艦(DDH)を中心に、汎用護衛艦を複数配置し、この艦隊の艦隊防空を担う防空ミサイル護衛艦(DDG)から構成される護衛隊群、という構成をその艦隊編成の基幹として設置するようになりました。

海上自衛隊の発足時から艦隊防空をその主任務としてになってきた「やまと」もこの構想に従い、防空ミサイルシステムを搭載することになりました。

主要艦隊防空兵装としてはスタンダードSM-1を2基搭載し、艦隊の周囲30-40キロをその防空圏としました。他の防空兵装としてはMk 42 54口径5インチ砲を6基搭載しています。この砲は23キロの最大射程を持ち、毎分40発の発射できました。個艦防空兵装としては、上記の他にCIWS3基を搭載しています。

さらに対艦兵器として、主砲の他、ハープーン四連装発射筒を2基、搭載していました。

水上機の運用設備を全廃し、ヘリコプターの発着設備を新設しましたが、固有のヘリの搭載能力は付与されませんでした。

改修時には、米海軍から巡航ミサイルの搭載能力も検討するよう要請があったようですが、専守防衛を掲げ、その要求を受け入れなかった、と言われています。

(直下の写真は、1970年代の護衛艦「やまと」(DDG):外観的には、旧海軍の「大和」の上部構造を大幅に改修し、艦容が一新されました。多くのシステムを米海軍と共用し、アイオア級の戦艦等と似た上部構造物となったため旧海軍時代の外観をほとんど残していません)f:id:fw688i:20190609190556j:image

 模型視点でのコメントを少し:こちらのモデルも、前出のDelphin社製の「大和」をベースとし、その船体を利用し主砲塔を換装しています。上部構造は同じくDelphin社製のSouth Dakotaの上構を転用しています。さらに3D printing makerのSNAFU store製のWeapopn setから、いくつか武装を選択し搭載しました)

 

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(直上の写真は70年代DDG「やまと」の対空兵装:艦の上部構造物前後にSM-1の単装ランチャーを2基搭載し、上部構造周辺にMk 42, 54口径5インチ砲を配置しています。近接防空兵器として、上部構造の前部と左右に CIWSを搭載しました。後橋脇にハープーン発射筒が搭載されています。専守防衛を掲げ搭載を拒んだ巡航ミサイルは、下段写真の前部CIWSとMk 42 5インチ砲の間あたりに装甲ボックスランチャー(ABL)形式での搭載を検討するよう要請された、とされています

 
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(直上の写真はDDG「やまと」とその僚艦:奥からヘリ搭載型護衛艦(DDH)「しらね」対潜護衛艦「やまぐも」「やまと」ミサイル護衛艦(DDG)「さわかぜ」の順)

 

イージス時代の護衛艦「やまと」

2000年代に入り、海上自衛隊の艦隊防空システムがイージスシステムとなりました。

同時に長らく海上自衛隊の艦隊防空を担当してきたDDG「やまと」も、イージス艦として生まれ変わります。

艦の上部構造はイージスシステム搭載に対応する巨大なものに改装され、艦の前後左右に全体で240セルのMk 41 VLS(スタンダードSAM、アスロックSUM、シー・スパロー短SAM用)を搭載しました。

その他、近接防空用兵装として23キロの最大射程、毎分45発の発射速度を持つオート・メララ54口径5インチ速射砲4基、CIWS4基を搭載しています。
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 模型視点でのコメントを少し:こちらのモデルも、前出のDelphin社製の「大和」をベースとし、その船体を利用し、あわせて主砲塔を換装しています。上部構造はF-toy社製の現用艦船シリーズからストックしていた何隻かの上構をあわせて転用しています。さらに同じく現用艦船シリーズのストックから、武装を選択して搭載しました。

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(直上の写真はイージス護衛艦「やまと」の上部構造:左右にMk 41 VLS、5インチ速射砲、CIWSなどを搭載しています


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(直上の写真はイージス護衛艦「やまと」とその僚艦:奥から汎用護衛艦(DD)「あきづき」、「やまと」、イージス護衛艦(DDG)「あたご」の順)

 
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 海上自衛隊は初の航空機搭載型護衛艦(DDV)を導入し「いぶき」と名付けました。専守防衛の建前から、あくまで護衛艦と称していますが、空母「いぶき」の通称で通っています。F-35B15機を基幹航空部隊として搭載し、その為、無人機、救難ヘリ等を搭載しています。

このDDV「いぶき」を中心に、第五護衛隊群が編成されるのですが、第五護衛隊群はその機動性から紛争地域周辺に展開されることが多く、イージス艦「やまと」も、持ち前のその戦闘力から、この護衛隊群に組み入れられることが多くなってゆくのです。

 

というわけで今回はここまで。

史実では、わずか2隻が建造されたのみ(空母として完成された「信濃」を含めても3隻です)、しかも設計時のような運用は一切されず、その圧倒的な威力を誇る主砲はほとんど発砲の機会さえ与えられませんでした。にも関わらず(と敢えて言わせてください)結果的には「無用の長物」などと言われながらも、その存在感は依然、圧倒的だ、と思うのは筆者だけでしょうか?

そうした想いが、掘り下げてゆくと「随分広く深いんだなあ」と、今回まとめ直して改めて実感しました。

 

次回は今制作中の「扶桑級」戦艦の41センチ砲装備大改装案が完成していれば、という計画艦。架空艦、そちらをご紹介。

ちょっとだけ予告編。「扶桑級」戦艦には ワシントン会議の開催以前に、その大改装案の一つとして主砲の41センチ砲への換装案が上がっていたようです。現在、こちらを3D prntimg modelをベースに制作中です。

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(上部構造物をほとんど撤去し、新たにレイアウトするほどのかなり大掛かりな改装に、モデルでもなっています。こういう時にはメタルのモデルより、樹脂製の3D printing modelの方がいいかも)

 

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(「丸」で紹介された改装案の図面のようです。この図面が頼り、です)

まあ、そんなあたりで???(まだ、写真のような状態なので、「間に合えば」ということで)

 

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

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スプルーアンス・ファミリー

いよいよオリンピックが始まりました。

「ええ、こんな状況でやるのかよ、なんか盛り上がらない」とか言いながら、開会式を見てしまいました。なんと4時間、前からこんない長かったっけ?なんとか日付が変わる前に終了してましたが、十分に時間をかけるあたり、日本のGlobal 化が現れているのかなあ、と変なことに感心しながら、実は結構楽しんで見ていました。時間を感じなかった、ですね。

ギリシアドラクエで登場!入場行進曲にゲーム音楽を使うなんて、ちょっとビックリ。でもとても日本らしくて素晴らしい。

極め付けは競技のピクトグラムのコント(というと叱られるのかな?)、大好きですね。アニメと、つい「コント」と書いてしまいましたが、お笑い的な要素が絡んで、気がつくと立ち上がって手を叩きながら見ていました。今の日本らしい素晴らしい表現!やるなあ。

www.youtube.com

ね、永久保存ものでしょう。(賛否あるんだろうなあ)

海外メディアも「金メダルもののパフォーマンス」と絶賛しています。

 

という訳で、なんだか直前にいろんなゴタゴタが報道されて(問題発言で辞任したオリンピック組織委員会前会長を名誉会長で復活なんて、話題が出ること自体が意識の低さ、責任感のなさを露呈していて、本当に情けない)、ちょっとマイナスから始まった今回のオリンピックですが、始まったからには素晴らしい各競技でのパフォーマンスを期待せずにはいられません。

ちょっと、楽しみになってきた。

 

という事で、「テレビ観戦で「艦船」どころではない」という訳ではないのですが、「ロイヤル・ネイヴィーの駆逐艦ミニシリーズ」もちょっと中休みをいただいて(1番面白いところ、終っちゃった?)、今回は筆者の大好きな「ヴァリエーション」関連で、アメリカ海軍の「スプルーアンス級駆逐艦」からの派生系、すなわち「スプルーアンス・ファミリー」をお題に。

 

スプルーアンス・ファミリー

米海軍は1970年代になるとFRAM改装でアップデートしてきた駆逐艦の各艦級が限界を迎え、この代艦としてその後の兵器システムの更新に耐えられるよう余裕のある大型駆逐艦を設計します。これが「スプルーアンス級駆逐艦で、その設計思想の通り、その後数次の兵器システムの更新を行い、さらにその余裕のある船体を用いていくつかの派生形を生み出すなど、「ファミリー」を産み出しました。

今回はそういうお話です。

ちなみに、艦級の名前は言わずもがなですが、かのレイモンド・スプルーアンス提督からいただいています。

ja.wikipedia.org

 

 

スプルーアンス級駆逐艦同型艦:31隻)

ja.wikipedia.org

スプルーアンス級原型

既述の通り、米海軍は、1970年代に入り、今後想定される数次の兵器システム等の更新に耐えられるよう余裕のある大型駆逐艦の設計の着手しました。それが本級です。

そのため、その船体は、駆逐艦の艦種でありながら、それまでの4000トン級から、一気に8000トン級へと大型化しています。

機関には、加速性に優れたガス・タービンが採用され32ノットの速力を発揮することができました。

そもそもは空母戦闘群の護衛を主任務と想定した対潜艦として就役したため、原型の就役時のの兵装は2基の5インチ速射砲(Mk 45)とアスロック8連装ランチャー1基、三連装短魚雷発射管2基、対潜ヘリ2機という、6000トンを超える船体の割には極めてシンプルなものでした。

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スプルーアンス級原型の概観:138mm in 1:1250 by Hobby Boss)

 その後、本来の同級設計時の構想の通り、兵装が順次強化され、これに対し余裕のある船体は十分な対応を示すことになります。

まず、個艦防空用の対空兵器としてCIWS2基、シースパロー短SAMランチャー、対艦兵器としてハープーン4連装発射筒2基が追加されました。

 

スプルーアンス級一次兵装強化時

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スプルーアンス級兵装強化時の概観)

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スプルーアンス級原型(左)と兵装強化時の比較:艦橋上部にCIWSを追加。艦中央部にハープーン発射筒と後部構造物上にCIWSを追加装備。後部にシースパローランチャーを追加:これらの追加装備により対艦攻撃能力と個艦防空力が向上しました)

 

さらにトマホーク巡航ミサイルの艦隊配備は始まると、一部の艦にはトマホーク装甲ボックスランチャー(ABL)2基が艦橋前に配備され、同級はそれまでの艦隊防備の任務に加え対地・対艦攻撃力が著しく増強されました。

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スプルーアンス級の一部は、艦橋前のアスロックランチャーの両側にトマホーク装甲ボックスランチャーを追加装備しました(下段)。これにより、空母戦闘群の護衛からスタートした同級に攻撃的な性格が付与されました)

 

スプルーアンス級VLS装備型

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スプルーアンス級VLS装備型の概観)

さらにトマホークの有効性が確認されると、その搭載弾数の増強が試みられ、艦橋前のアスロックランチャーを撤去し、ここにトマホーク・アスロック両用のVLS(61セル)が設置されました。

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スプルーアンス級VLS装備型(右):VLS にはアスロックとトマホークが装弾されていました。その装備弾数は、当初トマホーク45発、アスロック16発でしたが、冷戦終結後の対潜脅威の軽減に準じ、トマホーク57発、アスロック4発とその装弾数は変化しています)

 

このABLの搭載、もしくはVLSへの乾燥による「トマホーク対応」は同級の1隻を除いた全ての艦で行わre、同級の「攻撃的」性格は強化されました。

 

その後、次級の「アーレイ・バーク級」イージス駆逐艦の就役のが進むに伴い、同級は2005年までに全艦が退役しました。

度重なる兵装の追加、システムの更新等で、最終的には同級は9000トンを超える排水量となりましたが、計画時の設計通り、余裕のある船体はこれらに対応することができました。

ちなみに同級の1番艦の「スプルーアンス」の名前は、「アーレイ・バーク級」61番艦に引き継がれています。

 

キッド級ミサイル駆逐艦同型艦:4隻)

ja.wikipedia.org

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(キッド級ミサイル駆逐艦の概観)

同級は元々は帝政イラン海軍がアメリカに発注したミサイル駆逐艦です。

スプルーアンス級駆逐艦には、対潜艦としての基本設計の他に、元々、同級をベースとした防空艦の設計構想があり、当時、親米国であった帝政イラン海軍がこの設計に沿って4隻を発注したものでした。その後、建造途中でイラン革命が起こりキャンセルされたものを、米海軍が引継ぎ完成させました。

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(キッド級ミサイル駆逐艦の主要兵装であるMk26連装ミサイルランチャー:艦橋前と後部に2基装備し、艦橋前に24発、艦尾部には44発のミサイルの装填が可能でした。(艦尾部はアスロックと両用))

 

同級はターターシステムを搭載した本格的なミサイル駆逐艦で、3目標への同時対応が可能でした。その他の兵装は原型である「スプルーアンス級」に準じており、5インチ速射砲(Mk 45)2基、CIWS2基、三連装短魚雷発射管2基、対潜ヘリ2機、ハープーン4連装発射筒2基を装備していました。

米海軍ではイージスシステム搭載艦の就役に伴い、1999年までに全て退役しましたが、その後、台湾(中華民国)海軍に売却され、2005年から同海軍で再就役しています。

 

タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦同型艦:27隻)

ja.wikipedia.org

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タイコンデロガ級イージス巡洋艦1−5番艦の概観:同級の1番艦から5番艦までは、Mk 26連装ミサイルランチャーを搭載していました。装弾数は2基合わせて44発で、イージスシステムの効力を考慮すると十分ではなく、6番艦以降はVLS装備艦となっています。直下の写真は、1-5番艦の兵装配置) 

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同級は米海軍が導入した世界初のイージスシステム艦で、スプルーアンス級の船体をベースとして利用し、高い対空、対潜、対艦、対地攻撃能力を持っています。当初はミサイル駆逐艦として分類されましたが、後にミサイル巡洋艦に再分類されました。

イージスシステムの詳細については、優れた説明がたくさんありますのでそちらに委ねるとして、(例えばこちら)

ja.wikipedia.org

やや乱暴に整理してしまうと、イージスシステム(Aegis Weapon System: AWS)は、ターターシステムなど従来のいわゆる防空システムの枠にとどまらず、レーダー等のセンサーシステム、情報処理システム、武器システムを全て連結した統合的戦闘システムを意味しています。

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タイコンデロガ級イージス巡洋艦の最大の特徴は、なんと言っても巨大な上部構造物にはめ込まれたレーダーパネルでしょう) 

同システムは同時に128目標を補足・追跡し、脅威度の大きい10目標程度を特定し迎撃することが、自動でできるとされています(もしかすると、ここで上げている目標数などは、さらに更新されているかもしれません)。

さらに、このシステムへの接続は、イージスシステム搭載艦にとどまらず、他の機器搭載艦艇とも接続可能で、従って、個艦の武器システムのみでなく、例えば近接する艦隊全体の武器システムによる艦隊防空が可能となるわけです。

と、このように優れた可能性を持つシステムなのですが、一方でシステムを構成する兵器・機器の重量は膨大で、およそ700トンにも達します。そこで余裕のある「スプルーアンス級」の船体が、搭載プラットフォームの候補に上がって来るわけです。

同級の余裕のある船体でも、大きな重量の上部構造を搭載したため1•2番艦の就役時には復元性に課題が生じたため3番艦以降は重量軽減のための船側外板の素材見直しや設計変更が行われています。

機関は基本的に「スプルーアンス級」のものを踏襲しましたが、イージスシステムの搭載により搭載発電機の増設等、電源確保に向けての改修が行われました。

 

VLS装備艦の登場

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タイコンデロガ級イージス巡洋艦6番艦以降の概観:Mk26連装ミサイルランチャーではなく61セルのVLSを艦の前方後方に装備し、装弾数と即応性を向上させています)

兵装面で見ると、5番艦まではMk 26連装ランチャー2基を主兵装とし、その他の砲兵装や対艦兵装、個艦防御兵器については「スプルーアンス級」と同様、5インチ速射砲(Mk 45)2基、CIWS2基、三連装短魚雷発射管2基、対潜ヘリ2機、ハープーン4連装発射筒2基を搭載していました。しかしMk26連装ランチャー2基の装填数が44発しかなく、システムに対し不釣り合いであったため、6番艦以降は61セルのVLSを艦種部、艦尾部に各1基搭載し、装弾数と即応性を高めています。

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余談ですが、確か、トム・クランシーの小説「レッド・ストーム・ライジング」で、主人公の一人の乗艦である「タイコンデロガ」がその装弾数の少なさと即応性の低さから、せっかくイージスシステムが目標を捕捉しながらも撃沈されてしまう(大破だったかも?)というような「くだり」があったのを思い出しました。

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現在、Mk26搭載艦5隻は全て退役済みですが、残りのVLS搭載艦22隻は現役です。

 

 

というわけで今回はここまで。

既述のように「スプルーアンス級」31隻、「キッド級」4隻、「タイコンデロガ級」27隻、合計62隻の総数を誇った「スプルーアンス・ファミリー」でしたが、最初の就役艦から45年以上が経過してもなお、現在「タイコンデロガ級VLSタイプの22隻が現役にとどまっています。さらにいうと、中華民国(台湾)海軍に売却された「キッド級」の4隻も未だ現役です。その基本設計がいかに優れていたことか。

さらに次級である「アーレイ・バーク級」はすでに67隻が就役済みですが、さらにこれからもフライトIIA、フライトIIIが建造されています。軍艦ですらマスプロダクトしてしまう米国の凄さ、というか・・・。基本設計がしっかりいていれば、という事でもあるのでしょうね。

 

次回は、「ロイヤル・ネイヴィーの駆逐艦ミニーシリーズ」に戻ろうか、それとも最近ちょっと力を入れてきているロシア海軍現用艦(第二次世界大戦期以降 )の紹介、あるいはフランス海軍の第二次世界大戦期の巡洋艦、もしくは日本海軍の空母のミニ・シリーズの開始、まあ、そんなあたりで???

 

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

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ロイアル・ネイヴィーの駆逐艦(その1.5=その4:第一次世界大戦期の駆逐艦=アップデート版)

「ああ、「●●●●の箱」を開けてしまったかも」というフレーズから始まった本稿の「ロイアル・ネイヴィーの駆逐艦」発達史のミニ・シリーズですが、初回は下記の通りこのミニ・シリーズが「V/W級駆逐艦のヴァリエーション」に関する筆者の興味からスタートしたこともあって同級が建造された時期、つまり「第一次世界大戦期の駆逐艦」という稿でした。

fw688i.hatenablog.com

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第一次世界大戦中に建造された、いわば戦時急造艦の艦級の整理からのスタートだったのですが、その後、駆逐艦の黎明期、航洋駆逐艦への発展期を経て、再び時系列としては舞い戻った感じです。

さらに、この回の脱稿以降、入手した同時期のモデルがいくつかあるので、今回は時系列整理も含め「改稿」という形で、大幅な加筆版を掲載します。

 

 

第一次世界大戦期の英海軍駆逐艦

第一次世界大戦期の「駆逐艦」の艦級のご紹介を。

今回改めてご紹介するのは「M級」「R級」「S級」と前々回でご紹介した「V/W級」の艦級と、第一次世界大戦の開戦に伴い英海軍が半ば強制的に購入し自国海軍に組み入れた他国海軍向けに建造していたいくつかの艦級をご紹介します。

 

第一次世界大戦が勃発すると、英海軍は駆逐艦の大量建造に入ります。折からライバルのドイツ帝国海軍は両海軍の主戦場である北海での活動を想定し、大型で高性能の駆逐艦水雷艇を建造しつつあり、従来の英海軍が大量に揃えてきた近海行動用の警備艦艇としての駆逐艦はもとより、北海での行動を想定し設計されてきた航洋型駆逐艦の艦級では、必ずしも見劣りはせずとも、圧倒できる状況ではなくなることが想定されました。そこで、特にこれらに対抗する目的から、それまでの航洋型駆逐艦よりも、より高速の駆逐艦群が生み出されることになります。

さらに、この時期は本稿前回でご紹介した「航洋型駆逐艦の模索期」から「完成形の実戦配備:実戦参加」の時期とも言え、この時期の特徴として海軍軍令部(アドミラルティ)の設計による基本形の他に、民間造船所の技術・設計能力を積極的に取り込むべく発注された「特型」というヴァリエーションが多出する時期でもありました。つまり筆者の大好きな「枝分かれ」要素がふんだんにあり、しかもそれらが模型的な視点でいうと「比較的顕著な艦型の差異」に現れた時期、と言っていいと考えています。この現象は、一時期は顕著な外観の差異として現れますが、筆者的には少々残念なことに、あるいは模型コレクションの入手・整理の視点からいうと「ホッとする」と、やや複雑な思いではあるのですが、技術の洗練につれて、「艦型」における差異は小さくなってゆくのです(「差異が小さい」=モデルが作られなくなる、ということです。お財布的には、ちょっと一安心)。

 

と、いつもながら、前置きが長くなりましたが、再掲部分も含め今回のベースとなった「ロイアル・ネイヴィーの駆逐艦(その1:第一次世界大戦期の駆逐艦)」とのご紹介内容の差異を、今回の紹介順も踏まえて、先に整理しておきましょう。

M級(アドミラルティ型):前回ご紹介

M級特型ホーソンM級):新着モデル

M級特型(ヤーロウM級):新着モデル

M級特型(ソーニクロフトM級):新着モデル

R級アドミラルティ型):新着モデル

R級特型(ヤーロー後期M級)モデルが見当たらない=ヤーローM級に外観は類似

R級特型(ソーニクロフトR級)モデルが見当たらない=アドミラルティR級に外観は類似

R級アドミラルティ型):前回ご紹介

S級(アドミラルティ型):前回ご紹介

S級特型(ヤーローS級・ソーニクロフトS級)モデルが見当たらない=アドミラルティS級に外観は類似

V/W級のヴァリエーション(今回はアップデートなし)

 

そして英国で他国海軍向けの駆逐艦をいくつか取得しています。

トルコ海軍からの発注駆逐艦(取得)=タリスマン級:新着モデル

ギリシア海軍からの発注駆逐艦(取得)=メディア級:新着モデル

チリ海軍からの発注駆逐艦(取得)前期型・後期型=フォークナー級前期型・後期型:いずれも新着モデル

 

さらに、駆逐戦隊の旗艦任務にあたる嚮導駆逐艦の幾つかの艦級を建造しています。

マークスマン級嚮導駆逐艦:新着モデル

アンザック級嚮導駆逐艦:モデル入手済み、未着

スコット級嚮導駆逐艦:新着モデル

シェークスピア嚮導駆逐艦:モデル未入手

ということで、新着モデルは前半と後半の他国海軍からの取得駆逐艦嚮導駆逐艦が中心です。今回はそういうお話。

 

高速駆逐艦の第一陣

M級駆逐艦(初代)(同型艦:準同型艦103隻)

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(「アドミラルティM級」の概観:66mm in 1:1250 by Navis)

「M級」駆逐艦(初代)は、第一次世界大戦の勃発直前に建造が開始された駆逐艦の艦級で、上記の北海を巡る英独の駆逐艦の性能向上競争での優位を目指し、特に速力の向上に重点が置かれた設計でした。その結果、それまでの英海軍の駆逐艦の速力が27ノットから31ノットの速力であったのに対し、34ノットの速力を有する高速艦が生まれました。

同級は以下のサブ・クラスを含んでいます。

アドミラリティM級:85隻

ホーソンM級:2隻

ヤーローM級:10隻

ソーニクロフトM級:6隻

 

 

建造時期によって、あるいはサブ・クラスによって少し異なるのですが、概ね900トンから1000トン級の船体に、4インチ単装砲3基、53.3センチ連装魚雷発射管2基を搭載しています。また同級は初めて設計段階から高角機関砲を装備に組み入れた艦級で、当初は37mmポムポム砲、後には40mmポムポム砲を搭載していました。

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(直上の写真は「アドミラルティM級」の武装配置:連装魚雷発射管の間に対空機関砲座が設定されています)

問題の速力は「アドミラルティM級」で34ノット、「ホーソン M級」「ヤーローM級」「ソーニクロフトM級」が標準的に35ノットでした。

 

サブ・クラスの名前の見方

以後、暫く同様のサブ・クラス(準同型艦)は多出しますので、ここで少しこの艦級名の見方を整理しておきましょう。

「アドミラル ティ」型はその名の通り「海軍本部=The Admirality」の設計を採用したサブ・クラスの艦級名で、この艦級の設計の基本形となると考えていただいていいと思います。建造される隻数も、準同型艦内では最も多くなっています。

それ以外のサブ・クラスは「海軍本部=アドミラルティ」型の設計をベースとして、民間造船所に設計委託された「特別発注型」であることを意味しています。

ホーソン M級=ホーソンレスリー社の設計案採用型、ヤーローM級=ヤーロー社の設計案採用型、ソーニクロフトM級=ソーニクロフト社の設計案採用型 をそれぞれ意味している、と読んでいただければ。

 

ホーソンM級特型同型艦:2隻)

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(66mm in 1:1250 by WTJ)

ホーソンM級」は高速を発揮するために缶数を1基多く搭載したため唯一4本煙突となりました。ちなみに英海軍が建造した最後の4本煙突駆逐艦となりました。

 

 ヤーローM級特型同型艦:10隻)

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(66mm in 1:1250 by WTJ)

 「ヤーローM級」は軽量化と縦横比の増大(船幅に対し船長を長く取る)により高速化を狙い、二本煙突のスマートな艦型をしていました。39ノットの高速を記録した艦も建造されています。

 

 ソーニクロフトM級特型同型艦:6隻)

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(66mm in 1:1250 by WTJ)

 「ソーニクロフトM級」はやや高い乾舷を有していました。37ノットの高速を記録した艦もあったようです。

 

M級駆逐艦は、サブ・クラスも含め12隻が戦没、もしくは戦争中に事故で失われましたが、残りのほとんどが第一次世界大戦終結後、1920年代に売却されています。

(ちなみに、第二次世界大戦日本海軍が投入した艦隊駆逐艦(一等駆逐艦)の総数が、開戦後に完成したものなど全て合わせても、手元の粗々の計算で167隻ですので、英海軍がいかに大量の駆逐艦を整備しようとしたか・・・)

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(M級駆逐艦のサブクラス一覧:手前からアドミラルティ型、ホーソン特型、ヤーロー特型、ソーニクロフト特型の順)

 

オール・ギアードタービンの採用

R級駆逐艦(初代)(同型艦:準同型艦62隻)

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(「アドミラルティR級」の概観:69mm in 1:1250 by Hai)

 「R級駆逐艦はオール・ギアードタービンの搭載の2軸艦で、以降の駆逐艦の機関・推進機の原型となった艦級です。

1000トン級の船体に、前級と同様4インチ単装砲3基、40mm対空機関砲(ポムポム砲)1基、53.3cm連装魚雷発射管2基を搭載していました。速力は36ノットを発揮することができました。

このため「アドミラルティR級」の外観は、「アドミラルティM級」に酷似していました。

以下のサブ・クラスを含んでいます。

アドミラルティR級:39隻
アドミラルティR級:11隻

ソーニクロフトR級:5隻
ヤーロウ後期M級:7隻(同サブ・クラスはオール・ギアードタービンではなく、従来の直結タービンを搭載していたため、M級の名称を冠していました)

 

それぞれのサブ・クラスの特徴を以下にまとめておきます。

 

 ソーニクロフトR級特型同型艦:5隻):外観はアドミラルティR級に類似

「ソーニクロフトR級」は排水量をやや小さくした設計で、前期型で37ノット、後期型で40ノットを超える速力を記録しました。

 

 ヤーロー後期M級特型同型艦:6隻):外観はヤーローM級特型に類似

「ヤーロー後期M級」はオール・ギアードタービンではなく、従来の直結タービンを搭載していたため、M級の名称を冠していました。従来型の機関ながらヤーロウ社の設計の特徴である縦横比の大きな船体(つまり細長い)を持ち「R級」と同様の速力を有していました。外観は「ヤーロウM級」同様、、2本煙突でした。

 

アドミラルティR級同型艦:11隻)

アドミラルティR級」はその名の通り特型ではなく「海軍本部」の設計した改良型です。荒天時での航行性の確保に向けて、船首楼を長くした船体設計となり、併せて2本煙突となりました。

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(「アドミラルティR級」の概観:68mm in 1:1250 by Navis: 延長された船首楼が特徴ですね) 

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(「アドミラルティR級」の武装配置:基本的な配置は「M級」と変わりません)

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(「アドミラルティR級」(上段)と「アドミラルティR級」の対比。「アドミラルティR級」は英海軍最後の3本煙突駆逐艦となりました)

9隻が戦没、もしくは事故で失われ、残りのほとんどは1920年台後半に売却されていますが、「アドミラルティR級」の「スケイト」のみ、第二次世界大戦に参加しています。

 

2本煙突駆逐艦時代の到来

S級駆逐艦(初代)(同型艦:準同型艦67隻) 

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(「アドミラルティS級」の概観:67mm in 1:1250 by Navis)

 「S級」駆逐艦は艦数の急速な整備という要求に応えるために、「アドミラルティR級」(2本煙突)をベースに量産された艦級です。艦首形状をシアとフレアを強めたものとして乾舷をより高くし凌波性を高めています。1000トン級の船体を有し、兵装は基本従来艦級のものを継承していましたが、従来の標準装備である53.3cm連装魚雷発射管2基に加え、45cm単装魚雷発射管を艦橋両側に装備していました。

 

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(「アドミラルティS級」の武装配置:基本的な配置は「改R級」と変わりませんが、「S級」の場合は、艦橋脇に45cm単装魚雷発射管を両舷に1基づつ設置していました。艦尾の探照灯台が2番連装発射管上に装備されているのは、実際にはどうなっていたんでしょうか?図面で見てもそうなので、発射管の回転軸上に探照灯台があったのかな?) 

第一次世界大戦終結までに20隻が就役し、47隻が大戦後に就役しました。大半が1930年代に売却されていますが、11隻が第二次世界大戦時に参加、7隻が生き残りました。

 

以下のサブ・クラスが含まれています。

アドミラルティS級:55隻
ヤーローS級:7隻
ソーニクロフトS級:5隻

 

サブ・クラスのそれぞれの特徴を少し。

 

 ヤーローS級特型同型艦:7隻)

(モデルが見当たりません)

「ヤーローS級」はヤーロー社の設計の特徴である縦横比の大きな船体を持ち、機関はヤーロー社の拘りともいうべき直結タービンを搭載していました。36ノット内外の速力を発揮。外観的にはやや低いシルエットだったようです。

 

 ソーニクロフトS級特型同型艦:5隻)

(モデルが見当たりません)

 「ソーニクロフトS級」の最大の外観的な特徴は1番主砲を台座の上に装備したことと、艦橋を後ろにずらせたことでしょう。37ノットから38ノットの速力を発揮しました。

 

  (ここからはちょっと手抜きです。本稿、オリジナルから、ほとんど一緒。なので、既読の方は「他国海軍向け駆逐艦の取得」まで飛ばしても大丈夫です)

最後の第一次世界大戦駆逐艦

V/W級駆逐艦(初代)(同型艦:準同型艦67隻)

ja.wikipedia.org

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 (「V/W級」駆逐艦の概観:写真は「アドミラルティV級」だと思われます:75mm in 1:1250 by Navis)

「V/W級」駆逐艦は、英海軍が第一次世界大戦中に建造した駆逐艦の艦級で、艦名がWまたはVで始まっているところから「V/W級」と総称されています。

同級はドイツ帝国海軍が建造中の大型駆逐艦・大型水雷艇への対抗上から、大型・重武装駆逐艦として設計されました。従来の英駆逐艦の基本装備であった40口径4インチ(10.2cm)砲3門を強化し45口径4インチ(10.2cm)4門とし、さらに連装魚雷発射管2基の標準装備を3連装発射管2基搭載へと、魚雷射線の強化も行われました。(実際には3連装発射管の製造が間に合わず、当初は連装発射管を搭載し就役し、後に三連装に換装されています)

「V/W級」と総称されますが実は大別して下記の5つのサブ・クラス(おお大好きなサブ・クラス!)に分類されます。

アドミラルティV級(28隻:大戦に間に合ったのは25隻)

アドミラルティW級(19隻)

ソーニクロフトV/W級(4隻)

ソーニクロフト改W級(2隻)

アドミラルティ改W級(14隻)

さらに「改W級」では搭載主砲を45口径4インチ(10.2cm)から45口径12センチに強化しています。

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(直上の写真は「V級」の主要武装等の拡大:艦首部・艦尾部に背負い式に主砲(45口径4インチ単装砲)を配置し、3連装魚雷発射管を2基、艦の中央部に搭載しています。艦のほぼ中央部に3インチ対空砲を搭載しています(写真中段))

武装の強化に伴い艦型は大型化(1100トン級)しましたが、機関の見直しは行われなかったため、速力は前級の36ノットから34ノットに低下しています。しかしソーニクロフト社製の「改W級」では機関の強化も併せて行われ36ノットの速力を発揮しています。

就役は1918年からで、この年の11月に第一次世界大戦終結したことから、奇しくも第一次世界大戦型の駆逐艦の最終形となりました。

 

大戦終結後、英海軍は疲弊した国力と、大戦期中に膨大に膨れ上がった大量の艦船の整理に追われるわけですが、最も艦齢の若い同級は多くが残置され、第二次世界大戦でも活用されました。

 

機雷敷設駆逐艦への改造

V級」の一部の艦は、魚雷発射管の連装から3連装への換装を行う代わりに、連装発射管1基を撤去し、さらに主砲1基も撤去、艦尾形状を整形すると共に機雷敷設軌条を設置して、60基程度の機雷敷設能力を持つ敷設駆逐艦に改造されています。

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 (「V級駆逐艦のヴァリエーション機雷敷設駆逐艦の概観 by Navis:下の写真は、「機雷敷設駆逐艦」に改装された艦の細部の拡大:艦首部の主砲配置は変わらず、魚雷発射管は連装のまま1基のみ搭載、艦尾部は主砲1基を撤去して艦尾形状を機雷敷設軌条等の張り出しを追加しています )

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第二次世界大戦時:護衛駆逐艦」への改造

第一次世界大戦駆逐艦としては最も艦齢が若かった「V/W級」は、一部(4隻?)がオーストラリア海軍に供与された他、本稿でも「巡洋艦」の回に見て来たように航空機や潜水艦の脅威の増大を見越して、通商路保護の役割を担う「護衛駆逐艦」への改装に充当されます。

 

WAIR改修艦(14隻・15隻?)

本稿前回・前々回で見たように、航空機の脅威に備えて英海軍は「C級」巡洋艦の数隻を防空艦へと改装しました。WAIR改修は、それと同趣旨で「V/W級」駆逐艦に長射程の対空砲を搭載し、併せて対潜兵装も強化して船団護衛の要として活用しようとする狙いでした。

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 (「V/W級」WAIR改修型駆逐艦の概観 by Argonaut:下の写真は、WAIR改修型の主要武装の拡大:艦首・艦尾に4インチ連装高角砲(QF 4 inch Mk XVI gun)を各1基搭載。魚雷発射管は全て撤去され、対空火器が強化されています。艦尾部には爆雷投射機と投射軌条が搭載され、対潜能力が強化されています)

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改修対象となった艦は全ての主砲・魚雷発射管を撤去し、代わりに4インチ連装高角砲(QF 4 inch Mk XVI gun)2基を搭載、他にも対空機関砲を増設した上で、対潜装備として爆雷投射機、投射軌条を搭載する他、後にはレーダーやソナーなどを装備しています。en.wikipedia.org

主要兵装となった4インチ連装対空砲は、「C級」巡洋艦を改装した防空巡洋艦などにも搭載されていた対空砲で、80度の仰角で11800m、45度の仰角で18000mの範囲をカバすることができました。

***さて、ちょっとこぼれ話。名称の「WAIR」が何に基づくものか、今でははっきりしないようです。「W級」の「対空化(ant-AIRcraft)」ではないか、という説も。

 

 長距離護衛駆逐艦への改装(21隻)

「V/W級」に限らず、「艦隊駆逐艦」は高速をその特徴の一つとするため、実はあまり長い航続距離を持たせる設計にはなっていません。しかし、通商路の保護には経済性を持つ商船で構成される低速の船団の航行に合わせた長い航続距離が必要で、「V/W級」の一部はこれに適応するような改装を受けています。

具体的には機関の一部を撤去し、そのスペースに燃料タンクと居住区画を増設し長い航続距離の獲得と、乗員の居住性を向上させました。当然、速力は落ちましたが、対潜警戒用のソナーの運用等を考慮するとかえって20ノット以上では支障が生じるなどの要件もあり、この目的では25ノット程度の速力があれば十分だったということです。

兵装は主砲を2基減らせて、ヘッジホッグや爆雷投射機・投射軌条を搭載し対潜兵装を充実させ、さらに対空砲・対空機銃等を強化しています。

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(「V/W級」改造長距離護衛駆逐艦の概観 by メーカーは不明:下の写真は、長距離護衛駆逐艦型の主要武装の拡大:艦首1番主砲が撤去されヘッジホッグに換装されています(上段写真)。主砲は45口径4.7インチ(12cm)単装砲を、艦首・艦尾に1基づつ搭載しています。機関搭載数を減らしたため煙突が一本に。魚雷発射管は全て撤去され、4インチ単装高角砲が搭載されています(中段写真)。艦尾部には爆雷投射機と投射軌条が搭載され、対潜能力が強化されています)

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ちょっと余談

以前ご紹介したことのあるニコラス・モンサラットの小説「非常の海:The Cruel Sea」にも、「V/W級」が出て来ます。

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(「非常の海」ちょっと古い本です。古書は今のところそれほど高価ではなく手に入るのですが、本の状態もちょっと不安なので文庫を出してほしいなあ。特に最近、WFHで出勤時にはPC を持ち歩きます。手荷物が重いので、是非、文庫が欲しい! (「光人」文庫あたりにあってもいいかと、お願いしてみてはいるのですが・・・)でも、いい本ですよ。船団護衛とか興味のある方にとっては、ね)

 

この小説、主人公が乗艦しているのは「フラワー級コルベット「コンパス・ローズ」なのですが、「コンパス・ローズ」が属している船団護衛部隊の指揮艦が「旧式のV/W級駆逐艦:ヴァイパラス:Viperous」と表記されています。

「ヴァイパラス」は架空の船ですので、流石に「V/W級」駆逐艦のどのタイプかまでは記述がないのですが、船団護衛部隊はこんな感じかと。

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(左から「V級長距離護衛駆逐艦」、「フラワー級コルベット」(前期型)、「フラワー級コルベット」(改良型)、「対潜型トローラー」の順。船団の規模にもよるでしょうが、ちょっと、重装備すぎるかな。下の編成の方が現実的かもしれません)

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このほかにも、アリステア・マクリーンの「女王陛下のユリシーズ号」にも「V/W級」は登場するようです(ちょっと記憶がないです。「V/W級」が登場するかどうか、というよりも物語そのものの記憶が・・・。読み返してみよう。この小説は、そもそも「ダイドー級」と「ベローナ級」の中間の架空の艦級の防空巡洋艦が舞台でしたよね。大好きな「架空艦」である訳です。作ってみたくなるかも。さらに「シアリーズ級」軽巡洋艦も出てきた記憶があります。読んだ当時には「シアリーズ級」についての認識は旧式の巡洋艦、という程度だったので、今読み返すと、もっと興味深いんだろうなあ、と期待が膨らみます。ああ、話がうんと「V/W級」から外れてしまった)

さらに未邦訳のダグラス・リーマンの「The Destroyer」という小説では「V/W級」で構成される駆逐艦部隊(8隻全部?)が主役(物語の舞台?)のようなのですが、もちろんこれは読んだことがありません。

 

これぞコレクションの醍醐味というカット

(下の写真は「V/W級」駆逐艦のヴァリエーションの贅揃い。手前から第一次世界大戦期の「V級駆逐艦のオリジナル。第一次世界大戦期の「V級」機雷敷設駆逐艦への改造。第二次政界大戦期のWAIR改修護衛駆逐艦への改装。第二次世界大戦期の長距離護衛駆逐艦の順)

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第一次世界大戦期の英海軍駆逐艦総覧

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(今回ご紹介した4艦級:手前からアドミラルティM級、アドミラルティR級アドミラルティS級、V/W級の順) 

 

他国海軍向け駆逐艦の取得

既述のように、第一次世界大戦開戦以降、英海軍は他国海軍から受注していた輸出向け駆逐艦の大半を半ば強制的に購入し、自国海軍に編入しています。

 

トルコ海軍からの取得駆逐艦=タリスマン級(同型艦:4隻)

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(「タリスマン級」の概観:85mm in 1:1250 by WTJ)

 特型ヴァリエーションで何度か登場しているホーソンレスリー社がオスマン・トルコ海軍から受注していた艦級を、英海軍が取得したものです。しかしオスマン・トルコ側には発注記録がなく、かつ当時のオスマン・トルコが親ドイツ色が強かったことから、発注経緯が疑問視されているようです。

同時期のアドミラルティM級駆逐艦よりもやや大きく(1000トン級)、速力はやや低速ながら(32ノット)兵装が強力で4インチ単装砲をM級の3基に対し5基搭載していました。

 (直下の写真は「タリスマン級」の兵装配置。艦首部の主砲は並行配置されていました)

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1隻が戦没しましたが、戦後、オスマン・トルコ帝国の解体とともに、後継のトルコ共和国に引き渡されることはありませんでした。

 

ギリシア海軍からの取得駆逐艦=メディア級(同型艦:4隻)

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(「メディア級」の概観:78mm in 1:1250 by WTJ)

 同級はジョン・ブラウン社とフェアフィールド社がギリシャ海軍から受注し建造中だった駆逐艦を英海軍が取得したものです。アドミラルティM級に準じた性能でしたが、やや、速力は抑えめでした。大戦中に1隻が悪天候で失われ、3隻は戦後ギリシア海軍に引き渡されることなくスクラップになりました。 

 

チリ海軍からの取得駆逐艦=フォークナー級前期型・後期型(同型艦:4隻)

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(「フォークナー級」前期型の概観:78mm in 1:1250 by WTJ:直下の写真は前期型の特徴的な主砲配置。同級の4.7インチ主砲は、艦首部と艦尾部は並列配置、艦橋脇に1基づつ配置されていました)

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(「フォークナー級」後期型の概観:78mm in 1:1250 by Navis:直下の写真は後期型の特徴的な主砲配置。後期型の4.7インチ主砲は、艦首部と艦尾部、いずれも三角形配置されていました)

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 同級はホワイト社がチリ海軍から受注していた6隻の大型駆逐艦のうち4隻を英海軍が取得したものです。

当時の英海軍の標準的な駆逐艦に比較して二回りほど大きな船体を持ち(1700トン級)、4インチ単装砲6基という極めて強力な砲兵装を備えていましたが、英海軍では取得後、主砲を4.7インチ単装砲に置き換え、火力を更に防護巡洋艦並みに強化しました。速力は31ノットとやや控えめでした。

4.7インチ砲の配置の差異から、前期型と後期型に分かれています。

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取得後、英海軍では同級を嚮導駆逐艦として運用していました。1隻が戦没しましたが、大戦後、生き残った3隻はチリ海軍に引き渡されました。

 

 

嚮導駆逐艦の系譜

マークスマン級(同型艦:7隻)

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(「マークスマン級」の概観:79mm in 1:1250 by WTJ)

 英海軍では長年、駆逐艦で構成される水雷戦隊の旗艦任務に偵察巡洋艦を当てていましたが、駆逐艦の高速化に伴い、これに同伴できる嚮導駆逐艦を建造しました。

本稿前回で紹介した「スウィフト」はその先駆けとも言える高速駆逐艦で、やがて嚮導駆逐艦任務への改装が行われ、同艦での知見を得て本級は建造されました。

1600トン級の大きな船体を持ち4インチ単装砲4基、53センチ連装魚雷発射管2基を備え、34ノットの速力を発揮することができました。

英海軍は基本的に性能を同じくする各駆逐艦の艦級ごとに水雷戦隊を組織しており、同級の各艦の艦名には、その率いる水雷戦隊の艦級と同じ頭文字の艦名が与えられました。(ちょっとわかりにくいですね。つまり「マークスマン:Marksman 」はM級駆逐艦で構成される戦隊の旗艦任務につく。同様に「ライトフット:Lightfoot」はL級駆逐艦の戦隊の指揮をとる、という感じです。こういう情報は、英海軍ならではで、ちょっと面白い)

 

アンザック級(同型艦:6隻)

 

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(モデルは取得済み。手元に届き次第、アップデートします)

「マークスマン級」で課題とされた横揺れ対策として、乾舷を増大することにより凌波性を改善した船体を持っています。「後期マークスマン級」と呼ばれることもあったようです。

艦首方向への火力の増強が求められたところから、艦首に主砲が背負い式で配置されました。背景には機関部のコンパクト化の成功があり、これにより艦橋を後方に移動させることができました。

 

スコット級(同型艦:8隻)

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(「スコット級」嚮導駆逐艦の概観:79mm in 1:1250 by Navis)

 同級は、4.7インチ主砲を装備したV/W級駆逐艦の旗艦任務を想定して設計された嚮導駆逐艦の艦級です。

1800トンの大きな船体に4.7インチ単装砲5基、53センチ三連装魚雷発射管2基を装備し、36.5ノットの速力を発揮することができました。

全て大戦末期に就役したため戦没艦はネームシップの「スコット」のみで、第二次世界大戦では船団護衛任務につきました。

 

シェークスピア級(同型艦:5隻)

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 (モデル未入手)

スコット級同様、V/W級駆逐艦で構成される水雷戦隊を指揮する事を想定し設計された駆逐艦の艦級です。

1500トン級の船体に4.7インチ単装砲5基、53センチ三連装魚雷発射管2基を装備し、36ノットの速力を発揮することができました。

第一次世界大戦末期から戦後の就役で、戦没艦はなく、第二次世界大戦には3隻が護衛艦として使用されています。

 

という事で今回はここまでなのですが、上述のように、どうらや全てのサブクラスにモデルが見つかる訳ではないようです。気長に探してはゆきますが、どこまで網羅出来るかどうか。

ようやく第一次世界大戦期の駆逐艦が終わり、これから大戦間の駆逐艦緩急の話に入ってゆく訳ですが、まだまだ先は長いなあ、という実感です。

まあ根気よく、続けてゆきますので、どうか気長にお付き合いください。

 

 

次回は、この続き、つまり大戦間の駆逐艦をやるか、あるいはフランス海軍の第二次世界大戦期の巡洋艦、もしくは日本海軍の空母のミニ・シリーズの開始、あるいは最近、急に取り分けて理由もなく気になってきている第二次世界大戦以降のソ連・ロシアの巡洋艦駆逐艦(大型対潜艦?)あたり???

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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ロイアル・ネイヴィーの駆逐艦(その3:航洋型駆逐艦の模索)

今回はイギリス海軍駆逐艦発達史の3回目。

このミニ・シリーズの2回目では、英海軍における駆逐艦という艦種の誕生期のお話をしましたが、少しおさらいをしておくと、駆逐艦という艦種は19世紀の半ばに、高い破壊力を持つ魚雷を抱いて高速で主力艦に向けて突っ込んでくる「水雷艇」に対し、駆けつけて追い払う=駆逐する艦種、「水雷艇駆逐艦」として成立しました。

水雷艇」駆逐の目的で実は種々の艦種が開発されたのですが、主として当時の機関の出力とそこから生み出せの速度の問題から、結局、「水雷艇」の設計を拡大したある種「大型水雷艇」的な発想の設計に帰結する事になりました。

 

こうして生まれた「駆逐艦」という艦種だったのですが、その護衛すべき艦隊、特に大きな大砲を搭載した主力艦が沿岸で行動する砲塔艦から、航洋性を兼ね備えた戦艦へと移行し、その行動範囲が沿岸から大洋に広がると、当然のことながら随伴しこれら主力艦を護衛すべき「駆逐艦」にも高い航洋性が求められるようになります。こうして、黎明期の「水雷艇駆逐艦」の時代は終わり、「航洋型駆逐艦」の模索が始まるのです。

今回は、その「航洋型駆逐艦」の登場とその発展のお話です。

 

英海軍の航洋型駆逐艦、模索の背景

英海軍(ロイヤル・ネイビー)が「航洋型駆逐艦」の開発に向かった背景には、当時、大艦隊の整備に着手したドイツ帝国海軍の存在がありました。つまりこの著しい成長を見せる仮想敵の浮上により、想定される戦場が北海となり、その波の高い海面での戦闘を想定すると、従来の近海での対水雷艇戦を想定され設計された従来の「水雷艇駆逐艦」では行動に制限が大きく(従来の「水雷艇駆逐艦」時代の仮想敵はフランス海軍でした)、より航洋性の高い駆逐艦が必要になった訳です。

 

こうして設計に対する模索が始まった「航洋型駆逐艦」はライバルであるドイツ帝国海軍が開発した高速水雷艇・高速駆逐艦との性能競争の要素も加わり、開発に拍車がかかります。就役年次で区切ればおおよそ1904年から第一次世界大戦が始まる1913年までの間に8艦級、約150隻が建造され、この間に航洋型駆逐艦の基本形が定まっていくことになります。

 

E級駆逐艦:(同型艦 36隻:1904年より竣工)

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ドイツ帝国海軍との主戦場を北海と想定し、従来の「30ノッター型」駆逐艦の「亀甲型」の船首形状から、航洋性を重視した画期的な「船首楼型」船首形状を持った、初めての艦級です。

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(艦首形状の変遷:初期の水雷艇駆逐艦の艦首形状=亀甲型(上段)と航洋型駆逐艦艦首形状=船首楼型の対比:中段写真は最初の航洋型駆逐艦「E級駆逐艦」・下段「G級駆逐艦」)

速力(25.5ノット)と武装(45センチ単装魚雷発射管を2基、7.6センチ単装砲1基、5.7センチ単装砲5基)は従来の「30ノッター型」水雷艇駆逐艦を継承しましたが、船首楼形状の導入による凌波性の向上を目指し、艦型はそれまでの350トン級から、550トンへと大型化しています。

機関はボイラー4基とレシプロ蒸気機関の組み合わせで構成されており、2本煙突と4本煙突の二つの形状がありました。

2本煙突型(21隻)

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(E級駆逐艦2本煙突型の概観:56mm in 1:1259 by Hai: ホーソンレスリー社、キャメル・レアード社、ソーニクロフト社、ホワイト社で建造された艦はこの形状をしています)

 

4本煙突型(15隻)

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(E級駆逐艦4本煙突型の概観: in 1:1259 by Hai: 社、ヤーロー社で建造された艦はこの形状をしています)

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(E級駆逐艦の概観特徴の煙突のアップ:よく見ると武装配置にも差異が)

 

 

F級駆逐艦:(同型艦 12隻:1907年より竣工)

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タービンと重油専焼方式の採用を機軸とし、ある程度長期の行動にも耐えうる居住性を備えた、まさに「北海」海面での艦隊随伴行動を想定して設計され、後の航洋型駆逐艦の基本設計の基礎を形作ったと言ってもいい大型駆逐艦の艦級です。

蒸気タービンと重油専焼缶の採用で、33ノットの高速を発揮することができました。

艦型は1000トンに少し足りないレベルまで拡大され、45センチ単装魚雷発射管2基の雷装は前級と同じながら、砲戦能力を重視し、備砲を3インチ単装砲3基(一部5基)あるいは4インチ単装砲2基に強化しています。

民間7社で建造されたため、外見には3本煙突、4本煙突、6本煙突などのヴァリエーションが見られています。

3本煙突型(6隻)

(モデルは入手手配済み:入手次第、アップデートします)

 

4本煙突型(5隻)

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(F級駆逐艦4本煙突型の概観:66mm in 1:1259 by Hai)

 

6本煙突型(1隻)f:id:fw688i:20210711123753j:image

(F級駆逐艦6本煙突型の概観: in 1:1259 by Hai:6本煙突って、そういう意味か、と思わせるカット:下のカットも併せて)

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駆逐艦「スウィフト」:(1908年)

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(駆逐艦「スウィフト」の概観:87mm in 1:1259 by Navis)

北海での主力艦隊(特に「ドレッドノート 」以降の主力艦)に帯同する高速駆逐艦として設計されました。速度目標を36ノットとしたため、大出力の機関を搭載する必要があったため、2000トンを超える大型艦となりました。しかし速力は35ノットに留まり、かつ建造費が従来駆逐艦の3倍となるために1隻の試作に留まりました。

武装は4インチ単装砲4基(のちに6インチ単装砲塔2基に換装:小型巡洋艦ですね)と45センチ単装魚雷発射管2基を搭載していました。

大きな艦型を生かし、通信設備の充実等の改装が行われ、初の嚮導駆逐艦水雷戦隊旗艦用駆逐艦)となりました。

 

G級駆逐艦:(同型艦 16隻:1909年より竣工)

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(G級駆逐艦の概観:65mm in 1:1259 by Navis)

F級の後継艦として、建造費をやや抑え、海軍全般での機関の重油専焼化傾向から予測される重油消費の増加を考慮して、再び石炭専焼式の機関に回帰しています。このため速力は27ノットに甘んじましたが、砲力の増強を目指して備砲を4インチ単装砲1基と3インチ単装砲3基とし、雷装も口径をあげて53センチ単装発射管2基と強化しています。

同級は英海軍が建造した最後の石炭専焼機関を搭載した駆逐艦となりました。

 

H級駆逐艦:(同型艦 20隻:1910年より竣工) 

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(H級駆逐艦の概観:62mm in 1:1259 by Hai)

G級に引き続き、建造費削減が志向され艦型を750トン級に小型化した設計となっています。

艦型の小型化に伴い、搭載機関にも制限が出ますが、タービンと重油専焼式の組み合わせを採用して、27ノットの速力を維持しています。以降の駆逐艦の機関はこの方式が定着します。

艦型は小型化しましたが、武装は強化され、4インチ単装砲2基、3インチ単装砲2基、53センチ単装魚雷発射管2基を装備していました。

 

I級駆逐艦:(同型艦特型をふくみ 23隻:1911年より竣工

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(I級駆逐艦アドミラルティ型の概観58mm in 1:1259 by Navis)

 H級の改良型で武装はH級を継承しつつ、機関区画の短縮が図られました。搭載機関を現じながら、27ノットの速力は維持しています。

コスト削減という志向での改良は、ある意味成功しながらも、一方でドイツ帝国の建造しつつあった速力30ノットを超えると言われた高速水雷艇への対抗上、速度改善の打開策として、この艦級から海軍本部設計により建造された14隻(アドミラルティ型)とは別に、民間造船所の技術力に期待し艦型や機関出力に自由裁量を与えた特型設計(同級の場合、ヤーロー特型、ソーニクロフト特型パーソンズ特型、ファイアドレーク特型の4タイプ9隻)を依頼することによる性能向上への模索が始まります。

同級では、ファイアドレーク特型で32ノットの最高速力を公試で記録するなど、一定の成果が現れました。このため以降、同様の試みが継続されることになってゆきます。

特型については、外観のヴァリエーションが少ないのか、モデルが見当たりません)

 

K級駆逐艦:(同型艦特型をふくみ 20隻:1912年より竣工

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(K級駆逐艦アドミラルティ型の概観:64mm in 1:1259 by Navis)

G級、H級、I 級と、建造コストを制限してきた英海軍でしたが、著しい性能向上を謳う仮想敵ドイツ帝国海軍の大型水雷艇に対抗する必要から、本級は再び大型化した艦型を与えられます。950トンクラスの船体にタービンと重油専焼式の組み合わせの機関を搭載し 31ノットの速力を発揮しました。

兵装も強化され、前級までの4インチ砲と3インチ砲の混載から、4インチ単装砲3基に改められました。雷装は前級同等の53センチ単装発射管2基としていました。

艦型の大型化から重油搭載量を増やし、仮想戦場である北海全域での行動に十分な航続距離を備えていました。

I級から始められた民間造船所への委託による特型建造の試みは継続され、基本形であるアドミラルティ(海軍本部設計)型12隻に加え、特型4タイプ8隻が建造されています。 

ソーニクロフト特型(5隻:3本煙突)

(モデルは入手手配済み:入手次第、アップデートします)

 

デニー特型(1隻:2本煙突)

(モデルは入手手配済み:入手次第、アップデートします)

 

フェアフィールド特型(1隻:3本煙突)

(モデルは入手手配済み:入手次第、アップデートします)

 

パーソンズ特型(1隻:3本煙突)

(モデル見当たらず)

 

L級駆逐艦:(同型艦特型をふくみ 22隻:1913年より竣工

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(L級駆逐艦アドミラルティ型の概観:67mm in 1:1259 by Hai)

本級は前級K級同様、大型化路線を継承して建造された駆逐艦の艦級です。

艦型は前級が高速性能を重視した細長い船型を持っているのん対し、同級ではやや艦幅を増して凌波性の向上を目指しています。タービンと重油専焼式の組み合わせは変わらず、29ノットの速度を発揮することができました。

兵装は、3基の4インチ単装砲は射撃速度の早い速射砲(に改められ、53センチ魚雷発射管は連装を2基搭載し射線を倍にするなど、著しい強化が図られています。

(下の写真は本級で初めて搭載された連装魚雷発射管:本級では兵装が強化されています)

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本級でも民間造船所への委託による特型建造の試みは継続され、基本形であるアドミラルティ(海軍本部設計)前期型12隻、後期型2隻に加え、特型3タイプ8隻が建造されています。

 

ホワイト特型(2隻:2本煙突)

(モデルは入手手配済み:入手次第、アップデートします)

 

ヤーロー特型(4隻:2本煙突)

(モデル見当たらず:外観的には、ホワイト特型と似ているかと)

 

パーソンズ特型(2隻:3本煙突)

(モデル見当たらず)

 

ということで今回は第一次世界大戦に突入する前のロイヤル・ネイヴィーの「航洋型駆逐艦」の設計を巡る模索の系譜を見てきました。

英海軍の常として、二カ国標準をテーマとした海軍建設を意識せねばならず、そのためには数を揃える必要があり、これは現実面では常に性能と予算の天秤ばかりを横目で見ながら海軍整備を考えてゆく、ということを意味しています(駆逐艦にかぎたことではないのですが)。

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(手前から、E級、F級、G級、H級、I級、K級 L級の順:当時世界一を誇る栄光の英海軍ならではの、強力な駆逐艦への要望と、世界の海を支配するために数を揃えることを想定した予算との兼ね合いの苦悩がその艦型の変遷に伺えるように思います)

 

そして、これは既に本稿で触れたことですが、この後、英海軍は第一次世界大戦に突入し、ドイツ帝国海軍に対し実戦での優位を目指し、34ノットの速力を発揮する高速航洋型駆逐艦の建造に移行してゆくことになるのですが、これは戦時ならではの決断、と言えるのかもしれません。

 

ということで今回はここまで。

 

次回は、再び第一次世界大戦期の「ロイヤル・ネイヴィーの駆逐艦」に戻ろうかと考えています。というのも、前回ご紹介した際には手元になかったモデルが、相当数、手元に揃ってきたからです。現在、鋭意、塗装等、整備中。

ということでおそらく次回は「ロイアル・ネイヴィーの駆逐艦(その1.5:第一次世界大戦期の駆逐艦)」(加筆改訂版)を予定しています。(あくまで予定です。これまでにも予定した途端、他の事に関心が向いてしまう厄介な性格は、ご承知の方も多いかと)

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

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新着モデルのご紹介:久々の日本海軍:八八艦隊計画:加賀級戦艦・最終改装時のご紹介とその周辺

久々の日本海軍の主力艦の新着モデルです。

なんと八八艦隊計画の「加賀級戦艦」の近代化改装(最終改装)時のモデルです。もし「加賀級」が建造されて、太平洋戦争に参加していたら、という想定ですね。

ご承知のように「加賀級」はワシントン軍縮条約により建造中止となりましたので、未成艦です。ですので、最終改装も何もあったものではないのですが、そこは模型ならでは、ということで、なんでもあり、です。

 

八八艦隊計画の概要

八八艦隊計画については、筆者の妄想も含め、本稿以下の回(相当前ですね。我ながら驚きです)でご紹介しています。

読んでもらうのも恐縮なので、少し乱暴にまとめておくと、八八艦隊計画とは、1920年大正9年)就役の「長門級」戦艦を起点として、艦隊決戦用の兵力として16インチ砲装備の戦艦8隻と、その前衛を務める巡洋戦艦8隻を、向こう8年以内に整備するという計画でした。

fw688i.hatenablog.com

fw688i.hatenablog.com

具体的に計画された各艦級の要目を示しておきます。

長門級戦艦:33,800t, 26.5knot, 16インチ連装砲塔4基 同型艦2隻(長門陸奥1920年就役。ワシントン条約下でも保有が認められた。

加賀級戦艦:39.979t, 26.5knot, 16インチ連装砲塔5基 同型艦2隻(加賀、土佐)条約締結時点ですでに両艦ともに進水完了。関東大震災で被災し転用が断念された下記の「天城」に変わり「加賀」のみ空母に転用され完成

天城級巡洋戦艦:42,200t, 30knot, 16インチ連装砲塔5基 同型艦4隻(天城、赤城、愛宕、高雄)天城、赤城は条約締結時点で起工済み。「天城」「赤城」は空母に転用されたが、関東大震災で被災し「赤城」のみ完成

紀伊級戦艦:42.600t, 29.5knot, 16インチ連装砲塔5基 同型艦4隻(紀伊尾張、他は未命名3番艦・4番艦については主砲、艦型などについて見直し計画あり。

13号型巡洋戦艦:47.500t, 30knot, 18インチ連装砲塔4基 同型艦4隻(未命名

 

 

上記の回でも、もちろん「加賀級」の竣工時、近代化改装時についてはご紹介しているのですが、最近になって「最終改装時」のモデルが3D printingモデルで上梓され、入手して製作(と言っても塗装だけですが)しました。これをご紹介。

www.shapeways.co

 

加賀級戦艦(最終改装時:1938年頃?)

ja.wikipedia.org

上述の通り、「加賀級」戦艦は八八艦隊計画の第二陣として設計された戦艦です。基本的には「長門級」の拡大改良型で、特に集中防御方式を強化しています。

下の写真は、「加賀級」の最終改装時を想定したモデルで、「長門級」の近代化改装に準じ、巨大なバルジを両舷に装着し、その為の速度劣化を防ぐために艦首形状や缶の長さを延長したりしています。さらに対空兵装の強化、機関の改良等に併せて、上部構造が一新されています。

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(「加賀級」戦艦最終改装時の概観:193mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs)
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(「加賀級」戦艦最終改装時の細部:「長門級」同様、構造が複雑になった艦橋と艦尾部の主砲塔配置) 

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(「加賀」と「土佐」)

 

就役時(1923年頃?)

就役時「加賀級」は直立型の煙突を装備していましたが、「長門級」でも課題であった艦橋への煤煙の逆流が想定され、二番艦「土佐」では湾曲煙突を装備していました。(筆者が模型を触った言い訳で、史実ではないので、ご注意を)

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(「加賀級」戦艦就役時の概観:185mm in 1:1250 semi-scratched based on C.O.B. Constructs and Miniatures /3D printing model)

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(「加賀級」二番艦「土佐」は湾曲煙突を装備していました:という筆者の妄想モデル。ちょっと曲げ過ぎ?これでは今度は後橋が煤煙まみれに。いずれもう少し調整してみようかな)

 

コラム:使用したモデルについて

同級の就役時のモデルについては、下のリンクのC.O.B. Constracts and Miniature製のモデルをベースに、直立煙突を湾曲煙突に換装したり、艦橋の構造に手を入れたりしています。

www.shapeways.com

 

第一次改装時(1933年頃?)

加賀級」は対空兵装の強化、舷側へのバルジ装着などの改装を受けました。艦橋の構造が変更され、煤煙の逆流が課題とされた煙突の構造が変更され、さらにトップにキャップが装着されました。

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(「加賀級」一次改装時の概観:「土佐」の湾曲煙突は廃止され、「加賀」「土佐」ほぼ同様の外観となりました) 

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(近代化改装時に構造が変更された環境と煙突、舷側にバルジを装着しています) 

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(「加賀」と「土佐」)

 

コラム:使用したモデルについて

同級の一次改装時のモデルについては、下のリンクのC.O.B. Constracts and Miniature製のモデルをベースに、他のモデルから艦橋のストック・パーツを流用しています。

www.shapeways.com

 

加賀級」三態比較

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(奥から、就役時、一次改装時、最終改装時の比較)



ここまで来ると、やはり八八艦隊の起点となり、かつ「加賀級」の原型ともなった「長門級」も紹介しておきましょう。こちらは就役時から順を追って。

長門級戦艦

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就役時(1920年

同級は世界初の16インチ主砲搭載艦として建造されました。ユトランド沖海戦の戦訓を反映した防御装甲をもち、25ノットの速力と合わせて、ポスト・ジュットランド型の画期的な高速戦艦でした。しかも史実ではワシントン条約で新造戦艦の建造が全て中止されたため、世界最大最強の戦艦の一隻として長く「ビッグ・セブン」の名で親しまれました。

就役時には二本の直立型の煙突を装備していましたが、1番煙突から艦橋への煤煙の逆流が課題となり、湾曲煙突への換装が行われました。

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(就役時の「長門級」の概観: 176mm in 1:1250 by semi-scratched based on Hai model:市販されているHai社製のモデルは下の湾曲煙突を装着したタイプですので、筆者が直立煙突に交換する工作を行いました)


改装時(湾曲煙突装備時:1924年

上記の事情で、同級は1番煙突を湾曲型に変更しました。同級は長く世界最大最強の戦艦として国民に日本海軍の象徴として親しまれましたが、湾曲煙突は同級の象徴としてあわせて親しまれました。

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(湾曲煙突装着時の「長門級」の概観: by Hai)

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 (「長門」と「陸奥」:長らく連合艦隊の象徴的存在でした)

 

最終改装時(1936年頃)

1934年(昭和9年)から、同級は最終改装を受けました。機関は重油専焼に換装され、舷側に巨大なバルジを装着しています。速度低下を防ぐために艦型を延長するなどの改修が行われました。対空兵装の強化と艦橋の構造を変更しています。
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 (長門級の最終改装時の概観:180mm in 1:1250 by Neptun :下の写真は最終改装時の細部。特に中段の艦橋の構造と煙突の構造に注目)
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(最終改装時の「長門」と「陸奥」)

 

長門級」三態比較f:id:fw688i:20210703164621j:image

(手前から、就役時、湾曲煙突装着時、最終改装時の比較)

 

紀伊級戦艦

加賀級」の次の「紀伊級」はどうなっていたかというと、実は同級については、米海軍の海軍軍備拡張計画である「ダニエルズ・プラン」で予定されていた「サウスダコタ級(1920)」の要目が「加賀級」を上回ることが明らかとなり、これに対抗する設計への議論等があり起工すらされていません。しかし、この米計画戦艦を上回る兵装の開発には時間がかかりすぎるところから、基本デザインは既に起工済みの「天城級巡洋戦艦に準じた設計として、速力を少し抑える代わりに戦艦としての十分な防御力を保有した設計するということでようやく計画が決定されたところで、ワシントン条約締結により計画中止となりました。従って、艦型は「天城級巡洋戦艦にほぼ同じ、ということになります。

もちろん「紀伊級」も紹介しておきましょう。こちらも就役時から順を追って。

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就役時(1927年頃?)

同級は、設計に紆余曲折がありながらも、最終的には前述の通り「天城級巡洋戦艦の基本設計をベースとして、装甲の強化等が盛り込まれることで設計が決定されました。兵装は前級「加賀級」に準じていますが、巡洋戦艦向けの強力な機関と高速性に留意した艦型で29ノットの速力を発揮する、これまで以上に機動性に優れた強力な高速戦艦となる予定でした。

天城級巡洋戦艦は、人気があるのか、進水までしているので比較的資料が豊富なのか、1:700スケール等でもモデルがあったりするのですが、多くは「長門級」の就役時の様な直立二本煙突、あるいは1番煙突が湾曲している様なモデルが一般的かもしれません。とは言え、直立煙突は、「長門級」「加賀級」を通じて煤煙の艦橋への逆流等、課題が洗い出されていましたので、筆者は集合煙突のスケッチ(実際に残っているのです)案を採用し、モデルに手を入れてみました

コラム:集合煙突について

1:1250スケールの世界は裾野が広いということもあるのか、なんと「天城級」用の集合煙突というパーツが販売されていたりします。(探してみるもんですね)

www.shapeways.com

 

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(「紀伊級」就役時の概観(集合煙突採用案):202mm in 1:1250 semi-scratched based on Team Blue Games  with funnel by Digital Sprue /3D printing model:下の写真は前述のように同級で採用された集合煙突と、「加賀級」とは異なる艦尾部の主砲配置の拡大 )

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 (「紀伊」と「尾張」就役時)

 

コラム:使用したモデルについて

同級の就役時と一次改装時のモデルについては、下のリンクのTeam Blue Games製のモデルをベースに、直立煙突を集合煙突に換装したり、艦橋や後橋の構造に手を入れたり(一次改装時については、他のモデルからのストック・パーツを流用)しています。

www.shapeways.com

 

第一次改装時(1935年頃?)

紀伊級」は対空兵装の強化、航空艤装の刷新、指揮・通信能力の向上などを盛り込んだ艦橋・後橋の改装などを受け、艦容を一新しました。

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(「紀伊級」一次改装時の概観(集合煙突採用案):下の写真は通信能力や指揮能力の向上を目指し構造を改めた艦級と後橋の拡大)

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(一次改装時の「紀伊」と「尾張』)

 

最終改装時(1939年頃?)

太平洋戦争直前に、「紀伊級」は最終改装を受けたという想定です。「長門級」に倣い、機関を重油専焼に換装し、機関の変更に伴い、それまで同級の大きな特徴だった集合煙突から少し後ろに傾斜した煙突に、改ています。指揮系統の充実により、艦橋構造はさらに複雑化しています。
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(「紀伊級」最終改装時の概観:207mm in 1:1250 by Tiny thongamajigs:下の写真は通信能力や指揮能力の向上を目指し構造を改めた艦級と形状が変更された煙突の拡大)

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(最終改装時の「紀伊」と「尾張」)

 

コラム:使用したモデルについて

同級の最終改装時のモデルについては、今回の冒頭でご紹介した「加賀級」と同様、下のリンクのTiny Thingamajigs製のモデルをそのまま塗装して使用しています。

www.shapeways.com

Tiny Thingamajigs社は、WW2関連のモデルのラインナップが充実しています。本稿前回でご紹介した「サウスダコタ級(1920)」や、「レキシントン級」などについては就役時と最終改装時のモデルを準備してあったり、日本海軍関連では「超甲巡」や「超大和級:A 150」などのモデルもあったりしています。もちろんディテイルも素晴らしく、WW2関連の艦船モデルを比較的安価で探したいときには、大変重宝します。

筆者のコレクションでも、上記以外にも重巡「青葉」や5500トン級軽巡洋艦のヴァリエーションなどは、同社のモデルに多く頼っています。

ちょっと残念なことは、同社のラインナップは欲しいモデルをセレクトしてスケールを設定する方式での発注が主流なのですが(例えば「天城級」をセレクトすると、出力素材とスケールを聞いてくる、という感じです)、このスケールのラインナップに1:1250が設定されていないことが多いのです。1:1800あるいはもう少し小さいスケールが主流でしょうか?

そこで「1:1250にコンバートしてよ」というお願いをするわけですが、以前は気楽に「いいよ」としかも比較的短時間で(例えば翌日、とか)対応してもらえていたのですが、最近は返事をもらえないことが多くなってきました。ちょっとしつこく頼みすぎたかな、とか、スケールアップ(あれ、スケールダウン?つまり 1:1800から1:1250への変更)はディテイルの再現などの調整が結構難しいのかな(以前筆者がお願いしたモデルは、何の問題もありませんでしたが)とか、「分かってるよ、順番にやるから、いちいちせっつくな」ということかな、など、いろいろと考えるのですが・・・。しかし、モデルのラインナップは本当に素晴らしい。筆者としては1番最後のケースだといいなあ、と思っているのですが。

 

紀伊級」三態比較f:id:fw688i:20210703164617j:image

(手前から、就役時、一次改装時、最終改装時の比較)


相模級戦艦:改紀伊級戦艦(参考:十三号型巡洋戦艦

(注意:ここからは史実とはかなり異なります。筆者の妄想の類ですので、ご容赦ください。ほとんど架空戦記ものだと思って付き合ってください。兵装の年式呼称なんか調べても、どこにもありませんからね)

当初、「紀伊級」戦艦は4隻が建造される予定でしたが、既述の様に米海軍の「ダニエルズ・プラン」で計画された「サウスダコタ級戦艦(1920)」が16インチ砲12門装備艦で、こと砲力では「加賀級」、さらに従来の「紀伊級」の設計を大きく凌駕していることがわかり、大きな不安要素となりました。

このような背景から、「紀伊級」はその設計時点から、この「サウスダコタ級(1920)」の情報に振り回された形で設計案の議論が再開します。結局は建造の大幅な遅れを避けるために、「天城級巡洋戦艦の基本設計の手直しという結論に至り建造が認可されたという経緯をへることとなった訳です。

これらの事情により、当初4隻の同型艦での建造を予定していた同級は、「紀伊級=改天城級」の設計での建造は2隻にとどめ、同級3番艦・4番艦は、「改紀伊級」と呼称されながらも、実際には全く別の設計となりました。

まず「サウスダコタ級(1920)」に対応できる砲力(16インチ砲12門以上装備)が検討されるのですが、16インチ3連装砲塔、4連装砲塔、あるいは連装砲塔との混載など、種々の案が検討の俎上に挙げられます。が、当時の日本には3連装砲塔、4連装砲塔の製造実績がなく(特に砲塔の駆動系等)、開発には時間がかかるところから、八八艦隊計画にあった「十三号型巡洋戦艦」向けに開発されていた「2年式55口径41センチ砲」の搭載が現実的な解決案として採用されました。この砲は機密保持の視点から呼称こそ「41センチ砲=16インチ砲」でしたが、実際には18インチ砲であり、射程と口径で、「サウスダコタ級(1920)」を圧倒する、という設計でした。

船体の設計も「十三号型巡洋戦艦」がベースとして用いられ、戦艦としての防御強化等の設計変更が行われました。

ja.wikipedia.org

 

 就役時(1930年頃?)

同級は18インチ砲搭載艦として建造されました。18インチという類を見ない巨砲を搭載しこれの射撃プラットフォームとなるために船体は「紀伊級」よりも大型化しています。これに強力な機関を搭載し「紀伊級」並の29ノットを発揮する設計でした。

紀伊級」と同様の集合煙突を採用していました。

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(「相模級」就役時の概観:219mm in 1:1250 semi-scratched based onTeam Blue Games with funnel by Digital Sprue /3D printing model:下の写真は「紀伊級」の流れを受け継いだ艦橋と集合煙突と、艦尾部の18インチ連装砲の拡大)

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 (就役時の「相模」と「近江」)

 

コラム:使用したモデルについて

同級の就役時のモデルについては、下のリンクのTeam Blue Games製のモデルをベースに、直立煙突を集合煙突に換装したり、艦橋の構造に手を入れたりしています。 

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 近代化改装時(1940年頃?)

太平洋戦争直前に、同級は大規模な改装を受けました。両舷に大型のバルジを装着し、対空兵装の強化、航空艤装の強化に加え、当時建造が始まっていた「大和級」戦艦向けに試作された塔構造の艦橋が試験的に搭載されています。このため遠景は大和級に類似するものとなりました。機関は重油専焼に換装されましたが、特徴であった集合煙突はそのまま残されました。全般的な装備増、重量増により、速力は27ノットに低下しています。「大和級」と行動を共にすることが勘案され、この速力をあえて容認したとも(架空艦の話なので、鵜呑みにしないでください)。

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(「相模級」近代化改装時の概観:219mm in 1:1250 semi-scratched based onTeam Blue Games with funnel by Digital Sprue /3D printing model:下の写真は試験的に搭載された「大和級」向け試作艦橋と、残された集合煙突。さらに下段では艦中央部に設けられた水上偵察機整備甲板の拡大)

 

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(近代化改装時の「相模」と「近江」)

 

コラム:使用したモデルについて

同級の近代化改装時のモデルについては、下のリンクのC.O.B. Constracts and Miniature製のモデルをベースに、直立煙突を集合煙突に換装したり、艦橋や後橋の構造に手を入れたりしています(ストックパーツから転用)。 

www.shapeways.com

 

「相模級」二態比較

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(手前から、就役時と近代化l改装時)

 

八八艦隊計画:戦艦群の推移(最終形態)

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( 今回ご紹介した八八艦隊計画の戦艦群の一覧。下から、「長門級」「加賀級」「紀伊級」「相模級」の順。艦型が巨大化していることがよくわかります。「長門級」「加賀級」「紀伊級」は16インチ砲装備艦ですが、「相模級」は「50口径41センチ砲」と称しながら、実は18インチ砲装備艦でした)

 

八八艦隊計画ではなかったのか?

筆者の模型の世界では、「八八艦隊計画と言いながら、結局、計画に従い建造されたのは8隻の戦艦でした」という話なのですが、実は8隻の巡洋戦艦については(もう。巡洋戦艦という概念ではなく、空母機動部隊、夜戦等で前哨戦を実施する巡洋艦部隊に帯同できる「高機動戦艦」という概念になるのですが)「金剛級」の近代化改装による「高速戦艦化」(史実と同じ)と、「金剛代艦計画」で生まれた16インチ砲装備の高速戦艦により、少し時期を遅らせて実現する、というお話を、本稿下記の回で準備しています。興味のある方は是非。

fw688i.hatenablog.com

 

ということで、今回はワシントン・ロンドン体制で幻となった八八艦隊計画の一角「加賀級」戦艦の最終改装時のモデルに端を発し、八八艦隊のうち8隻の戦艦について、まとめてみました、

この仮想世界での日本海軍は、この後、主力艦として「大和級」にまつわる幾つかの戦艦の艦級を建造し、やがて対米戦争に突入していくことになるのですが、それはよろしければ、上記の回の続きを訪れてみてください。

 

ということで、今回はここまで。

前回もそうだったんですが、やはり未成艦、架空艦などをお話しするのは、模型ならではということもあり、とても楽しい。特に「八八艦隊計画」周りのモデルのご紹介などは、特に楽しいのです。そもそもこのブログを始めたきっかけが、「ああ、とりあえず八八艦隊、揃っちゃったよ」でしたので。重要なのは、聞いている方も楽しいのかどうかなんですが、どうでしょうか?楽しんで貰えてるんじゃないか、と信じて。

 

 次回は、ロイヤル・ネイヴィーの駆逐艦に戻りましょうかね。あるいは新着モデルのご紹介を。

これら以外に、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、いつでも大歓迎です。是非、お知らせください。

 

併せて模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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第二次世界大戦期のアメリカ戦艦(その2):レキシントン 級の懸案のデザイン案追加:未成艦・架空艦満載!

前回に続いて、今回はアメリカ海軍の第二次世界大戦期の戦艦のお話。

ついでに言っておくと、前回・今回は一種の「まとめ」なので、本稿の長い「読者」の方にとっては(そんな人がいらっしゃるのかどうか、分かりませんが)、基本、新しいお話はあまりありません。一点だけ、あるとすると、「レキシントン級」の懸案だった巨大集合煙突デザイン案に、煙突の高さ修正を行なったデザイン案が追加されています。(そこだけでも見ていって!)その他にも、未成艦、架空艦(とも言い切れないものも)を含め、米戦艦の終末期までご紹介、そういうお話です。

 

第二次世界大戦期のアメリカ戦艦

少し前回の冒頭部分のおさらいを。

アメリカ海軍は第二次世界大戦に、日本海軍の真珠湾奇襲攻撃以降、参加するわけですが、参戦当時の艦級としては、以下の通りでした。

 

ワイオミング級:2隻:12インチ砲12門装備(参加緩急の中では唯一の弩級戦艦ですね)

ニューヨーク級:2隻:14インチ砲10門装備(米海軍初の超弩級戦艦ですね)

ネバダ級:2隻:14インチ砲10門装備(いわゆる標準型戦艦の基本スペックが決まった艦、と言ってもいいのでは?)

ペンシルバニア級:2隻:14インチ砲12門装備

ミシシッピ級:3隻:14インチ砲12門装備

カリフォルニア級:2隻:14インチ砲12門装備

コロラド級:3隻:16インチ砲8門装備(いわゆるビッグセブンの一角)

そして大戦中に、以下の艦級が就役し戦列に加わります。

ノースカロライナ級:2隻:16インチ砲9門装備(速力が27ノットに)

サウスダコタ級:4隻:16インチ砲9門装備

アイオア級:4隻:16インチ砲9門装備(速力は空母機動部隊への帯同を想定して、なんと33ノットと巡洋艦なみに)

そしてこれら以外に、未成艦・IF艦として、以下の艦級をご紹介。

サウスダコタ級(1920年計画):16インチ砲12門(ワシントン条約で建造中止)

レキシントン級:16インチ砲8門(ワシントン条約で建造中止、2隻のみ航空母艦として完成。アメリカ海軍唯一の巡洋戦艦です)

ノースカロライナ級14インチ砲搭載計画:14インチ砲12門

改アイオア級:アイオア級の改良版

モンタナ級:16インチ砲12門搭載(アイオア級の拡大型ですね)

 

今回は、後半の大戦中に就役した戦艦の艦級と、未成艦・派生的な架空艦のご紹介を。

 

一応、時系列を追うと、最初に「ダニエルズプラン」の未成戦艦のご紹介から、ということになりますかね。第二次世界大戦にはもちろん参加していないので、ちょっと話がややこしくなるのかなあ、と少し懸念はありながらも、模型的には面白い展開にできるのかな、と。

 

ダニエルズ・プランの未成戦艦

ダニエルズ・プラン 

米海軍は、1917年から3カ年で戦艦10隻、巡洋戦艦6隻を建造する 計画を持っていました。当時の海軍長官ジョセファス・ダニエルズの名前から、ダニエルズ・プランと呼ばれています。

奇しくも日本海軍がほぼ同時期に準備していた「八八艦隊計画」に着手しており、その整備目標数等から、対比して語られる事が多いように思います。(偶然、両計画とも16隻の主力艦建造を目指していたのです)

第一次大戦への参戦で、やや年次にはずれは生じましたが、ほぼ下記の要目で、建造が着手されていました。

コロラド級戦艦:32,600t, 21knot, 16インチ連装砲塔4基 同型艦4隻(コロラド、メリーランド、ウェストバージニア、ワシントン)ワシントン海軍軍縮条約コロラド、メリーランド、ウェストバージニア保有が認められた。ワシントンのみ建造中止。:こちらは本稿前回で紹介

サウスダコタ級戦艦:43,200t, 23knot, 16インチ三連装砲塔4基 同型艦6隻(サウスダコタインディアナ、モンタナ、ノースカロライナアイオワマサチューセッツ3番艦ノースカロライナ以降の3隻は、改サウスダコタ級には18インチ連装砲塔4基の搭載が検討されていたとする説もあります。

レキシントン級巡洋戦艦:43,500t, 33.3knot, 16インチ連装砲塔4基 同型艦6隻(レキシントン、コンスティチューション、サラトガコンステレーション、レンジャー、ユナイテッド・ステイツ)米海軍初の巡洋戦艦ですね。

 

ワシントン海軍軍縮条約締結の結果、すでに完成していた長門級の2隻、コロラド級の3隻を除き、これらすべての建造計画が中止されました。特に米海軍のサウスダコタ級、レキシントン級の各艦はすべて着工済みだったのですが、キャンセルさre、レキシントン級の「レキシントン」「サラトガ」のみが航空母艦として完成されたのは有名なお話です。(同様の経緯で、日本海軍の空母「赤城」「加賀」が誕生しています。(当初、その速度を生かして巡洋戦艦の「赤城」と「天城」が転用予定だったのですが、「天城」が関東大震災で被災し損害を受けたため、急遽、進水済みで廃艦予定であった戦艦「加賀」が空母に転用され、完成されました。このため、「加賀」はその他の艦隊空母に比べ、やや速度が遅く、かつ航続距離が短いなどの課題を持っていたようです。まあ、これはまた別の会に詳細を)

 

未成艦

サウスダコタ級:1920年計画(同型艦:6隻(計画))

ja.wikipedia.org

前級のコロラド級戦艦は、既述のように日本海軍の長門級が16インチ砲を搭載しているという情報に基づき、本来はテネシー級の改良型として14インチ砲搭載艦として建造される予定であった同級を、急遽16インチ砲搭載艦に改めて建造したものでした。このため、備砲のみ16インチでその防御は16インチ砲に対するものとしては設計されていませでした。(元々、米戦艦の設計は堅牢で、特に目立った弱点があった、というわけでもなさそうですが、まあ、間に合わせの設計だった、ということです)

従って、「サウスダコタ級(1920):後に出てくる「サウスダコタ級」特別するためにあえて(1920)をつけることにします」は、初めて当初から16インチ砲を搭載することを念頭に設計された戦艦だったといことになります。パナマ運河航行を考慮して、艦型に大きな変化を与えず、従来のいわゆる米海軍の標準的戦艦の設計を踏襲した上で、機関、備砲(16インチ12門)と16インチ砲に見合う防御を兼ね備えた艦として設計されました。備砲と防御はもちろん最強であったが、あわせて速力もこれまでの米戦艦を上回るものとなりました。

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(42,000t, 23knot, 16in *3*4, 3 ships, 176mm in 1:1250 by Superior)

 

 

 サウスダコタ級(1920)の近代化改装後

他級の近代化改装同様、射撃システムの変更、副砲撤去、両用砲を砲塔形式で装備、上部構造物の一新、等々を受けた場合という想定で製作されたものです。ポスト真珠湾型の近代化改装艦と同様、新造時と全く異なる艦容に一変しています。

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(直上の写真は、ケンタッキー級の新造時(上)と最終改装後(下)の艦様の比較)

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(直上の写真は、いずれも近代化改装後の既存戦艦各級の比較。右下から、ネバダ級、テネシー級、ケンタッキー級。上部構造物の配置と、その周辺の対空火器の強化が興味深い。さらに、米海軍としては初めて設計当初から16インチ主砲搭載艦として設計されたケンタッキー級の大きさがよくわかる)

 

コラム:本級の近代化改装時のモデルをめぐり、模型製作にまつわる小ネタを少し。

サウスダコタ級(1920)、レキシントン級:この後紹介、の近代化改装後のモデルについて

両級は未成艦であるため新造時の模型は製造されていますが、近代化改装後の模型までは存在せず(多分、筆者の知る限り)、筆者は、両級の近代化改装後の3Dプリンティングモデルを発見し、その製作者Tiny Thingajigsに発注をかけ、模型の到着を心待ちにしていました。

直下の写真が到着した未塗装の模型です。

今回、筆者は、比較的柔らかい樹脂であるWhite Natural Versatile Plasticという素材でのプリントアウトを依頼しました。柔らかい素材である分、ややフォルムが甘く、もし原型に忠実なシャープな模型を期待する場合には、Smooth Fine Detail Plasticという素材で製作依頼をした方が良いかもしれません。ただし、その場合には、約2.3倍の費用を覚悟する必要があるのでご注意を。

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(直上の写真は、到着時の両モデル。上:ケンタッキー級(サウスダコタ1920級)、下:コンステレーション級(レキシントン級

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超弩級巡洋戦艦(未成艦のみ)

レキシントン級:1916年計画(同型艦:6隻(計画)) 

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レキシントン級巡洋戦艦は、ダニエルズ・プランで建造に着手された、米海軍初の巡洋戦艦の艦級です。元々、米海軍は、戦艦の高速化には淡白で、21ノットを標準速度としてかたくなに固守しつづけ、巡洋戦艦には触手延ばしてきませんでした。

しかし本稿でも既述のとおり、第一次世界大戦の英独両海軍主力艦による「ドッカー・バンク海戦」や「ユトランド沖海戦」の戦訓から、機動性に劣る艦隊は決戦において戦力化することは難しいという情況が露見し、米海軍も遅ればせながら(と敢えて言っておきます)高速艦(巡洋戦艦)の設計に着手した、というわけです。

(背景情報は下記を)

fw688i.hatenablog.com

 

同級の設計は紆余曲折を極めました。そもそもは当時の米海軍の「標準型戦艦」と同じく、14インチ砲搭載艦として設計が着手されましたが、その後の経緯(日本海軍の16インチ砲搭載新戦艦の情報等)を経て、着工時には設計では16インチ砲搭載艦となっていました。しかし、備砲(16インチ8門)と速力は強力ながら(当初設計では33.3ノット)、その装甲は極めて薄く、ユトランド沖海戦以降に、防御に対策を施した諸列強の高速艦には十分に対抗できるものではありませんでした。

この為、さらに装甲の強化を中心とした防御力に対する見直しが行われ、代わりに速力を30ノットに抑える、という設計変更が行われるなど、数次にわたり設計が見直されています。
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(42,000t, 30knot, 16in *2*4, 2 ships, 213mm in 1:1250 by Hai)

 

レキシントン級巡洋戦艦 近代化改装

同級も前出の「サウスダコタ級(1920)」に準じた、射撃システムの変更、副砲撤去、両用砲を砲塔形式で装備、上部構造物の一新、等々の近代化改装を受けたという想定で、近代化改装モデルを仕上げてみました。

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(直上の写真:舷側に迷彩塗装を施してみた)

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(直上の写真は、レキシントン級の新造時(上)と最終改装後(下)の艦容の比較)

 

レキシントン級巡洋戦艦(デザインバリエーション)

上記のように、同級の設計には長い時間をかけた「紆余曲折」があり、しかも結論はその高速性と長大な艦形を活かして大型の艦隊空母として完成し、本来の巡洋戦艦として完成した艦は一隻もない、ということなのです。

つまり巡洋戦艦としては、同級はいわゆる「未成艦」に分類されるわけですが、その「未成」故に、完成時の姿を想像することは、大変楽しいことです。

 

筆者もご他聞に漏れず想像の羽を伸ばしたがるタイプですので、これからご紹介する「オリジナル・デザイン案」の完成に勢いづいて、筆者の想定するバリエーションの完結を目指してみました。

肝は「煙突」かな?

 

レキシントン級巡洋戦艦(オリジナルデザイン) 

上述のように、レキシントン級巡洋戦艦の設計当初のオリジナル・デザインでは、34300トンの船体に、当時、米海軍主力艦の標準主砲口径だった14インチ砲を、3連装砲塔と連装砲塔を背負式で艦首部と艦尾部に搭載し、35ノットの速力を発揮する設計でした。

その外観的な特徴は、なんと言ってもその高速力を生み出す巨大な機関から生じる7本煙突という構造でしょう。

モデルは、Masters of Miitaly社製で、White Natural Versatile Plasticでの出力を依頼していました。

(直下の写真は、到着したレキシントン級巡洋戦艦のモデル概観。Masters of Miitaly社製。素材はWhite Natural Versatile Plastic)

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www.shapeways.com

 

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モデルは非常にバランスの取れたスッキリとしたプロポーションを示しています。どこか手を入れるとしたら、当時の米主力艦の特徴である「籠マスト」をもう少しリアルな感じに、かなあ、とは思いますが、今回は手を入れずに仕上げることにしました。あるいは方位版施設を籠マストの上部に載せるのかな?(ああ、だんだん手を入れたくなってきた)

 

なんかいいアイディアあれば、是非お聞かせください。

 

 

バリエーション1:二本煙突シリーズ

竣工時:籠マスト+二本煙突

en.wikipedia.org

上記リンクにあるように、実際に16インチ砲搭載巡洋戦艦として起工されたものが、完成していたら、と言う想定ですね。(こちらは既にモデルとしては、上記でご紹介済みです)

起工当時の米主力艦の標準デザインであった籠マストと、さすがに7本煙突という嬉しいほどユニークではあるけれど何かと問題のありそうなデザインは、実現しなかったんだろうなあ、と、その合理性には一定の納得感がありながら、一方では若干の落胆の混じる(かなり正直なところ)デザインですね。アメリカの兵器は時として、量産性や合理性にともすれば走り、デザインは置き去りになったりします。あくまで筆者の好みですが、「デザイン置き去り」が、「無骨さ」として前に出るときは、言葉にできないような「バランス感の無さ」につながり、それはそれで「大好き」なのですが(M3グラント戦車、M4シャーマン、F4Fワイルドキャット、ニューオーリンズ重巡洋艦等がこれに当たるかなあ)、正直今回の「レキシントン・二本煙突デザイン」これは「味気なさ」が先に立つと言うか・・・)
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(42,000t, 30knot, 16in *2*4, 2 ships, 213mm in 1:1250 by Delphin :こちらはDelphin社のモデルに少しだけ色を入れた程度です)

 

最終改装時:塔状艦橋+二本煙突

こちらも既に前出ですね

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(直上の写真:舷側に迷彩塗装を施しています。筆者のオリジナルですので、ご容赦を) 

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(直上の写真は、上)と最終改装後(下)の艦様の比較)

 

バリエーション2:巨大集合煙突シリーズ(こちらは筆者の妄想デザインです)

竣工時:籠マスト+巨大集合煙突

そもそも発端は、ワシントン・ロンドン体制で、巡洋戦艦から空母に転用された「レキシントン」の巨大な煙突からの妄想でした。

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この煙突がついている主力艦は、どんな感じだったろうか、作っちゃおうか、という訳です。で、その巨大な煙突の背景には大きな機関があり、元々は7本の煙突が初期の設計段階では予定されていたことを知る訳です。おそらくは転用されたのが「空母」なので、高く排気を誘導する必要があったんでしょうが、まあ、今回はそれはそれで少し置いておきましょう。

完成後に改めて見ると、ああ、半分くらいの高さ、と言うデザインもあったなあ、と。(うう、こんな事に気が付いてしまうと、いつか手を付けるんだろうなあ)

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 直上の写真は、今回急遽製作した竣工時の「レキシントン級巡洋戦艦」で、籠マストと「レキシントン級」空母譲りの巨大集合煙突が特徴です。

本稿でも以前ご紹介しましたが、本来は下記のTiny Thingajigs製の3D Printing Modelをベースに制作する予定だったのです。

www.shapeways.com

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しかしShapeways側のデータ不備とかの理由で入手できず、この計画が頓挫。では、ということで、ebay等で、これも前出のDelphin社製のダイキャストモデルを新たに入手しそれを改造しようかと計画変更。しかし少し古いレアモデルだけに新たに入手が叶わず(ebayで、格好の出品を発見。入札するも、落札できず:ebayは1:1250スケールの艦船モデルの場合、当然ですが多くがヨーロッパの出品者で、終了時間が日本時間の明け方であることが多く、寝るまでは最高入札者だったのに、目が覚めると「ダメだった」というケースが多いのです)、結局、手持ちのDelphinモデルをつぶす事にしました。(つまり、これ↓を潰す事に・・・)f:id:fw688i:20190310173715j:image

Delphin社のモデルは、こうした改造にはうってつけで、パーツが構造化されており、その構造が比較的把握しやすいのです。従って、少し注意深く作業をすればかなりきれいに分解することができます。今回は上部構造のうち、前後の煙突部と中央のボート甲板を外し、少し整形したのち、Deagostini社の空母「サラトガ」の完成模型(プラスティックとダイキャストのハイブリッドモデル)から拝借した巨大な集合煙突(プラスティック製)を装着する、という作業を行いました。

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で、出来上がりがこちら。設計の合理性は爪の先ほども感じませんが、なんかいいなあ、と自画自賛。この巨大な煙突は格好の標的になるでしょうから、まず、この設計案は採用されないでしょうねえ。

或いは、上掲の2本煙突デザインでは、7本煙突からこのデザインへの変更の際には機関そのものの見直しが必須のように思うのですが、それが何らかの要因で困難だった(あまりに時間がかかる、とか、費用が膨れ上がる、或いは新型の機関を搭載するには一から設計し直したほうが早い、とか)というような状況で、ともあれ完成を早めた、というような条件なら、有りかもしれませんね。

(やっぱり、煙突の高さ、半分でも良かったかもしれません。ああ、気になってきた!

 

最終改装時:塔状艦橋+巨大集合煙突

そして、巨大集合煙突のまま、近代化改装が行われます。米海軍が主力艦に対し行なった、射撃システムの変更、副砲撤去、両用砲をこの場合には単装砲架で装備、上部構造物の一新、等々の近代化改装を受けた後の姿、と言う想定です。

この場合でも、やはり篭マストが、塔状の構造物に置き換えられました。煙突の中央に太い縦線が入れられ、2本煙突への偽装が施されています。

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こちらは下記の3Dプリンティングモデルをベースとしています。

www.shapeways.com

このモデルの煙突をゴリゴリと除去し、Deagostini社の空母「サラトガ」の完成模型(プラスティックとダイキャストのハイブリッドモデル)から拝借した巨大な集合煙突(プラスティック製)を移植したものが、下の写真です。f:id:fw688i:20200328161044j:image

 この後、下地処理をして、少し手を加え塗装を施し完成です。

  (直下の写真は、巨大煙突デザインの竣工時(上)と最終改装時(下)の艦様の比較)

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レキシントン級巡洋戦艦」デザインバリエーションの一覧

上から・・・もう説明はいいですかね。

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こうやって一覧すると、「どれが好きですか?」と聞きたくなるのですが・・・。また、アンケートかよ、という声が聞こえてきそうなので、今回はやめておきます。 

ともあれ、合理性はさておき、やはり巨大煙突、いいと思うんですがねえ。

 

バリエーション2.5:修正巨大集合煙突シリーズv2

これまで上記には何度か「煙突の高さ、半分でもいいかも」という筆者の心の声が出てきています。では、この機会にやってしまえ、というのが「バリエーション2.5: 修正巨大集合煙突シリーズv2」です。

竣工時:籠マスト+巨大集合煙突

単純に煙突を60%くらいの高さに調節してみた、ということです。模型製作的には、煙突をゴリゴリ短く切断して換装する、と言って仕舞えば味気ない作業です。が、その効果の程は・・・。


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(就役時の姿を想定したモデル:下の写真は、煙突の高さを修正した前と後の対比/修正前が上段。ちょっとなんとなく落ち着いた感じでしょうか?)

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最終改装時:塔状艦橋+巨大集合煙突

基本的に使用した煙突の高さは、ほぼ前出の就役時と同じくらいに調整しました。

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そして同じく、煙突高の調整前と後の対比。

(上段が調整前=空母「レキシントン」と同じ高さの煙突を使用/下段は調整後)

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就役時、最終改装時、いずれも煙突の高さ修正後の方が、少し説得力が上がったような気がしませんか?この写真ではわからないけど、特に後ろからのカットを見ると・・・。

 

そして、一応、下の写真で、バリエーションの一覧を。

(上から原案(7本煙突)、二本煙突就役時、二本煙突近代化改装後、集合煙突就役時、集合煙突近代化改装後)f:id:fw688i:20210627144229j:image

・・・と、これで気になっていた「煙突高」の調整問題が一応筆者の中では一段落。ああ、すっきりしました。

 と、ちょっとはしゃいだ「レキシントン 級」のお話はひとまず終了し、本論に。

米海軍の新型戦艦

米海軍はワシントン軍縮条約明けに向けて、これまでの標準的なアメリカ海軍の戦艦とは大きく異なる設計思想を持つ新型戦艦を設計しました。

これまで、アメリカ海軍は、常に圧倒的な物量を展開することを念頭に、個艦の性能、速度などの優位性よりも、戦艦戦隊の戦闘単位としての威力に重点を置いた艦隊構想を持っていました。いわゆる「標準型戦艦」ですね。(詳しくは前回を)

しかし、ユトランド沖海戦の戦訓(機動性に劣る艦隊は先頭にさえ参加できない)と、さらには発展著しい航空機と新たなその運用戦術となるであろう航空母艦等との連携には、従来の「標準型戦艦」の速度(21ノット)では不十分であることは明白でした。米海軍は従来の「標準型戦艦」構想のもとでは、他の列強海軍が強い関心を示していた巡洋戦艦には、全く関心を払ってきませんでしたが、新型戦艦はこれまでの標準速力を一新する、高速戦艦案が俎上にあげられました。

 

この新型戦艦の搭載主砲は、当初、従来の「標準型戦艦」と同じく14インチ砲を四連装砲塔3基12門と想定された時期もありましたが、最終的には仮想敵である日本海軍の「長門級」に倣い、またその対抗のために建造された「コロラド級」に準じ、16インチ砲とされました。

ノースカロライナ級(1941年 16インチ砲搭載) 2隻

サウスダコタ級(1942年 16インチ砲搭載) 4隻

アイオア級(1943年 16インチ砲搭載) 4隻

の合計10隻が日米開戦後に就役しました。

 

ノースカロライナ級(同型艦:2隻)

ja.wikipedia.org

米海軍の新型戦艦の第一弾。

元々はワシントン条約下で艦齢定年を迎える「フロリダ級」の代艦として設計された戦艦の艦級です。元々の設計では14インチ4連装主砲塔3基(12門)搭載艦として設計されていましたが、日本海軍が計画中の新型戦艦が16インチ砲装備であるということが判明し(実は18インチだったのですが)、設計を急遽16インチ主砲装備艦として再設計したという経緯がありました。このため、その防御力は14インチ主砲対応をその基本構想としていたため、やや課題を抱えた設計となってしまいました。

(1941-: 36,600t, 27 knot, 16in *3*3, 2 ships, 178mm in 1:1250 by Neptun)

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(ノースカロライナ級の2隻:ワシントン(手前)、ノースカロライナ

一方で、前述のようにユトランド海戦での戦訓から、これまでの航続性能を重視した「標準型戦艦」の21ノットでは、以降の海戦での対応力が著しく劣る恐れがあるという結果を垣間見た米海軍は、航続力と速力を兼ね備えた機関の開発に成功し、この新型戦艦は27ノットの速力を発揮することができました。

また、主砲以外の兵装面では、既に1920年代に設計された駆逐艦から、米海軍は対空戦闘・体感先頭の両方に対応できる両用法の導入を始めており、本級でも副砲を廃止し両用砲を搭載しています。こうした優れた対空戦闘能力と、高速力から、本級は空母機動部隊に帯同して有力な護衛戦力として行動することができました。

 

両艦は第二次世界大戦を生き抜き、特に「ワシントン」は第三次ソロモン海戦で、次の艦級でご紹介する戦艦「サウスダコタ」とともに、日本艦隊と遭遇戦を展開、日本海軍の戦艦「霧島」に対しレーダー管制砲撃を加え、「霧島」に9発の命中弾を与え、航行不能に陥れています。(「霧島」はその後沈没しています)この戦いは第二次世界大戦では珍しい主力艦同士が砲火を交わした海戦でもあります。

しかし、「霧島」は第一次世界大戦期に完成した14インチ砲装備の巡洋戦艦を近代化したものであるのに対し、米艦隊の戦艦は当時最新鋭の16インチ砲搭載艦2隻で、しかも両艦隊の遭遇時に、「霧島」の任務がガダルカナル島ヘンダーソン飛行場の無力化を狙った艦砲射撃であったため、砲塔装弾されていたのが対艦用の徹甲弾ではなく三式弾(焼夷榴散弾)であったため、その主砲斉射が「サウスダコタ」を捉え大火災を起こさせ上部構造に大損害を与えながらも致命傷を負わせることができなかったのに対し、「ワシントン」のレーダー照準による16インチ砲射撃は75発中9発の命中弾という高い射撃精度を示し、「霧島」を圧倒しました。

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(178mm in 1:1250 by Neptun:上掲の写真は第三次ソロモン海戦で「ワシントン」「サウスダコタ」と交戦し損傷、沈没した「霧島」の概観)

 

サウスダコタ級(同型艦:4隻)

ja.wikipedia.org

本級は当初から16インチ主砲搭載艦として設計され、ノースカロライナ級では課題の残った対16インチ砲防御を施した設計としています。さらに集中防御を徹底し、コンパクトな上部構造を実現した堅艦として完成されました。

(1942-: 38,266t, 27 knot, 16in *3*3, 4 ships, 166mm in 1:1250 by Neptun)

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 同級の就役で、米海軍は16インチ主砲装備で27ノットの高速戦艦を6隻保有し、機動性の点でも仮想敵である日本艦隊を圧倒できると考えられましたが、 やがて日本海軍の新型戦艦が18インチ主砲装備艦であることが判明し、さらなる対応を検討する必要性が浮上することなりました。

 

再び模型的な妄想の時間-14インチ砲搭載新型戦艦の制作

既述のように「ノースカロライナ級」「サウスダコタ級」と米海軍の「新戦艦」時代を象徴する艦級を見てきたわけですが、「模型的視点」「コレクター視点」に立つと、実現されなかった14インチ砲搭載の新型戦艦というのはどのようなものだったのか、少し気になってきます。

もちろん既存のモデルがないわけではなく、さらに言うと図面等の資料も比較的簡単に目にすることができます。

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(from wilipedia)

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(from ALVANCO: BB1937XVI(12-14") Never-was SPR by Superior 1:1200 scale: 筆者もこのモデルを保有してはいるのですが、まずスケールが1:1200で、少し大柄であること、後の「ノースカロライナ級」の実艦との連携についての違和感(全く個人的な心象ですが)などで、今はコレクションに入れていません。やっぱりここでも「煙突」?)

http://www.alnavco.com/1200WW2.asp

ということで、「こんな感じ?」というのを制作してみました。結構落ち着いた感じ?ありそう?(ちょっと自画自賛ですが)

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(14インチ砲搭載新型戦艦案の概観:178mm in 1:1250 )

ベースにはDelphin社製の「ノースカロライナ級」のモデルを利用し、特徴的な2本煙突を除去して3D printing製の集合煙突(何と日本海軍の「天城級巡洋戦艦用!)に換装しています。上の図面に従い少し両用砲の数を6基に削減しています(他の対空兵装の配置をそのままにしたので、対空兵装強化時ということでそのまま10基装備にしても良かったんですが)。

主砲には四連装主砲塔が必要なのですが、手持ちが、仏海軍の「リシュリュー級」のものか、英海軍の「キング・ジョージ5世級」のものしかなく、14インチ砲ということを考慮すると、「リシュリュー級」のものでは大きすぎるということで、「キング・ジョージ5世級」(DeaGostini製のハイブリッドモデル)のものを拝借しています。

(下の写真は、14インチ搭載新型戦艦の特徴的な四連装砲塔と煙突部分の拡大 ) 

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(下の写真は、「ノースカロライナ級」の実艦(奥)との比較:基本、「ノースカロライナ級」をベースに用いていますので、もちろんレイアウト等は変わりませんが、なんとなくこんな感じだったのかなあ、と。両用砲を2期減らした後が、ポツンと穴が空くので、対空機関砲座を置いてみました。ちょっと多すぎたかな?)

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 アイオア級(同型艦:4隻)

ja.wikipedia.org

アイオア級戦艦は、当初から空母機動部隊との帯同を前提に建造された高速戦艦でした。

米海軍は、来るべき太平洋における艦隊決戦が、単に主力艦同士の砲撃戦のみではなく、その前哨戦として、発展著しい航空戦力の激突が起きることを想定していました。1920年代に設計された駆逐艦の主砲を既に対空戦闘を意識した両用砲とするなど、その先見性には驚かざるを得ません。

そして、その勝者がその制空権の元で有利に砲撃戦を展開できるのだ、というのが基本的な構想であったように思われます。そのためには前哨戦を制せねばならず、同様の思考を展開すれば日本海軍はその空母機動部隊に、これと帯同しうる高い機動性を誇る金剛級巡洋(高速)戦艦をその護衛としてつけるであろうと想定していました。

しかしながら、当時の米海軍には、同様の高機動性を備えた主力艦(戦艦・巡洋戦艦)がなく、巡洋艦以下の護衛艦隊では、日本海軍の高速戦艦群により砲撃戦で敗北することが懸念されたわけです。

このため、これら日本海軍の高速戦艦群を上回る機動性と砲力を備えた主力艦建造を急ぎました。こうしてアイオア級は誕生しました。

主砲には、それまでのサウスダコタ級を上回る50口径16インチ砲を三連装砲塔3基に装備し、33ノットの戦艦史上最高速度を有する高性能艦となりました。

(1943-: 55,000t, 33 knot, 16in *3*3, 4 ships (6 ships planned), 217mm in 1:1250 by Neptun)

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架空艦?模型的妄想なのか、計画があったのか?

 改アイオア級(イリノイ級):18インチ砲搭載艦の建造(この話は必要か?)

アイオア級建造中に、日本海軍の新型戦艦が18インチ砲搭載艦であることが判明したため、急遽、建造される予定であったアイオア級5番艦、6番艦を18インチ砲搭載艦として建造することが決定し、さらに、2隻を同級に追加し、4隻の18インチ砲搭載艦を建造することとなりました(というような構想があったのか、なかったのか?)。

(あったという前提で)一方で、パナマ運河の通行を可能とするために、艦幅はアイオア級に準ぜねばならず、33ノットの速力を保持した上で、18インチ砲搭載による重量増加、さらには同砲射撃時の砲撃精度をこの艦幅でどのように担保するか、難しい課題に対する設計見直しが行われた。

結果、上部構造をコンパクトにすることにより浮いた重量分を主砲関係の重量増加と、18インチ砲装備による防御力向上に向けられることとなった。結果、機関出力に対する余裕が前級よりも少なくなり、30ノットの速度に甘んじる結果となりました(てな感じでしょうか?)。

(1944, 55,000 t, 30 knot, 18in *3*3, 4 ships, (6 ships planned), 223mm in 1:1250  by Superior)

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(イリノイ級:イリノイネブラスカデラウェアジョージア

架空艦(?)と書いたのは、実は写真にもキャプションをつけましたがSuperior社からモデルが出ているのです。これが架空艦として製作されたものか、それとも何らか資料があったのか、申し訳ありませんが筆者には判然としません。そういう意味で「架空艦?」と。

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(B65(I) by Superior: モデル名がB65ですので、これはアイオア級5番艦の番号ですね。しかもこのモデルのキャプションには9-18":つまり18インチ砲9門とありますので、18インチ砲装備艦という想定ではあるわけです)

http://www.alnavco.com/1200WW2.asp

 

もう一つ架空艦?

改アイオア級 v2(バーモント級)の建造:16インチ砲への回帰

上述のように艦幅と排水量の上限が課せられた条件で、様々な工夫が盛り込まれたイリノイ級の設計ではあったのですが、そもそもが18インチ砲対応の防御力が予定されていないこと(日本海軍の長門級に対応したコロラド級の設計変更、条約明け後のノースカロライナ級の設計変更時にも、主砲口径のアップとその防御力のアンバランスという同様の事象が発生しています)、併せて18インチ砲搭載には不十分な艦幅からくる射撃時の精度不足が判明したことから、イリノイ級5番艦(バーモント)・6番艦(ロードアイランド)は、16インチ砲搭載艦として建造することが決定しました。

(1945, 55,000 t, 34 knot, 16in *3*3, 2 ships, 223mm in 1:1250  by Superior:モデルは前出の「イリノイ級」の主砲を16インチ砲に換装しています)

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この設計変更は非常に成功で、コンパクトでバランスの取れた艦型となったことから、速度はタイプシップであるアイオア級を上回る34ノットとなったし、その射撃精度も、米国の戦艦史上最高を記録することになりました(なんてね)。

 

未成艦

モンタナ級(同型艦:5隻(計画)) 

ja.wikipedia.org

「アイオア級」の項で記述したように、米海軍では来るべき日米の艦隊決戦では、空母機動部隊を中心とした前哨戦で制空権を握った後に、主力艦同士の砲撃戦を行う、という構想を持っていました。これも前述のようにアイオア級はその前哨戦を制するべく設計された空母部隊との帯同を想定した高速戦艦として建造されましたが、「モンタナ級」は、前哨戦の後、主力艦同士の砲撃戦を想定して設計、建造されたいわゆる「低速戦艦」でした。低速といっても、28ノットを発揮でき、サウスダコタ級、ノースカロライナ級などとは同等に行動でき、もちろん空母機動部隊との帯同も可能で、いわゆる「標準型戦艦」とは一線を画する機動力も兼ね備えた艦級として計画されました。

主力艦同士の砲撃戦を制すべく、アイオア級と同じ、新開発の55口径16インチ砲を三連装砲塔4基16門を搭載する強力な戦艦となりました。

(1946, 60,500 t, 28 knot, 16in *3*4, 4 ships, 237mm in 1:1250  by Superior) 

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モンタナ級が搭載した主砲は、アイオア級以降の戦艦が搭載していたMk.7 50口径16インチ砲でしたが、この砲はサウスダコタ級やノースカロライナ級が搭載したMk.6に比較して、発砲初速が速く、長い射程を誇る高性能な艦砲でした。早い初速から風等の影響を受けにくく、散布界(斉射時の砲弾のばらつき)が小さくなり高い射撃精度を得ることができ、遠距離砲戦に適していました。

1940年に予算承認が降りましたが、米国の第二次世界大戦参戦後、1943年に計画は中止されました。

 

こうして2回にわたって第二次世界大戦期のアメリカ海軍の戦艦を見てきましたが、未成艦や架空艦が盛り沢山で少しはしゃいでしまいました。前回の近代化改装や、ポスト・パールハーバー改装でも、原型をほとんど留めないほどの変化を取り入れる柔軟さには目を見張ります。そして、その方針の統一感に、強い意志を感じてしまうのですが、いかがでしょうか?

 

ということで今回はここまで。

 

次回は、再び「ロイヤル・ネイヴィーの駆逐艦」に戻ろうかと。あるいは新着モデルもそこそこありそうなので、そちらのご紹介を。

これら以外に、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、いつでも大歓迎です。是非、お知らせください。

 

併せて模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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第二次世界大戦期のアメリカ戦艦(その1)

本稿では、主力艦の変遷を追う、と言いつつも、肝心の各国「主力艦」について、表題のようなまとめを行なってこなかった事に、はたと気がつきました。

これも最近の興味領域である「ロイアル・ネイヴィーの駆逐艦」発達史のミニコーナーを行なっている波及効果かと。併せて件の「ロイアル・ネイヴィーの駆逐艦」については、未だにモデル収集を並行して行なっているので、少し「箸休め」的におさらいをする事にします。

 

第二次世界大戦期のアメリカ戦艦

今更ながら、大きなタイトルですね。

アメリカ海軍は第二次世界大戦に、日本海軍の真珠湾奇襲攻撃以降、参加するわけですが、参戦当時の艦級としては、以下の通りでした。

 

ワイオミング級:2隻:12インチ砲12門装備(参加緩急の中では唯一の弩級戦艦ですね)

ニューヨーク級:2隻:14インチ砲10門装備(米海軍初の超弩級戦艦ですね)

ネバダ級:2隻:14インチ砲10門装備(いわゆる標準型戦艦の基本スペックが決まった艦、と言ってもいいのでは?)

ペンシルバニア級:2隻:14インチ砲12門装備

ミシシッピ級:3隻:14インチ砲12門装備

カリフォルニア級:2隻:14インチ砲12門装備

コロラド級:3隻:16インチ砲8門装備(いわゆるビッグセブンの一角)

そして大戦中に、以下の艦級が就役し戦列に加わります。

ノースカロライナ級:2隻:16インチ砲9門装備(速力が27ノットに)

サウスダコタ級:4隻:16インチ砲9門装備

アイオア級:4隻:16インチ砲9門装備(速力は空母機動部隊への帯同を想定して、なんと33ノットと巡洋艦なみに)

そしてこれら以外に、未成艦・IF艦として、以下の艦級をご紹介。

サウスダコタ級(1920年計画):16インチ砲12門(ワシントン条約で建造中止)

レキシントン級:16インチ砲8門(ワシントン条約で建造中止、2隻のみ航空母艦として完成。アメリカ海軍唯一の巡洋戦艦です)

ノースカロライナ級14インチ砲搭載計画:14インチ砲12門

改アイオア級:アイオア級の改良版

モンタナ級:16インチ砲12門搭載(アイオア級の拡大型ですね)

 

とこうして改めてリストにしてみると、やはりその数の多さに圧倒されます。特に大戦中、つまり戦時に就役した艦が10隻もある、と言うことが驚きで、改めて国力の強大さを感じます。

これらの戦艦群を2回に分けてご紹介してゆきます。

今回は、前半の「標準型戦艦」のお話を。

 

標準型戦艦の時代

アメリカ海軍は艦隊決戦に臨み、主力艦の性能を標準化しています。具体的には主砲の口径は14インチ砲、速力は21ノットで統一し、会戦にあたり統一指揮のもとに行動できる、と言うことを目指しています。当時、列強では主力艦の機動性を高めた巡洋戦艦を併用し、有力な補助戦力として活用する傾向がありましたが、米海軍は巡洋戦艦の設計にはほとんど関心を持たなかったようです。統一スペックで標準化された船を数多く揃えれば、最終的には勝利を得られる、と言う思想が窺え、これは艦船に限らず、その他の兵器でも(戦車や、航空機、火器)色濃く見られる傾向ではないかと考えています。

かと言って、各艦級が平凡な性能だったかと言うと、決してそうではなく、常に設計当時の最新技術が常に盛り込まれる努力が行われていたことは、間違いありません。ただ、設計に大きな飛躍がなく、物量的な劣勢から常に数的劣性を想定せねばならず、個艦性能で他国を凌駕することで、この劣勢への対応を目指さざるを得なかった日本海軍とは、ある意味対局の構想を持っていたと言えるかと考えています。どちらが設計の王道かと言えば、答えば明らかかも。

 

ワイオミング級(同型艦:2隻)

ja.wikipedia.org

Wyoming-class battleship - Wikipedia

(1912-,  27,243t, 20.5knot, 12in *2*6, 2 ships)(137mm in 1:1250) 

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 第二次世界大戦に参加した唯一の弩級戦艦の艦級です。米海軍の弩級戦艦としては最終形にあたり、12インチ連装砲塔を6基装備していました。速力は就役時には石炭・重油混焼缶と直結タービンの組み合わせで20.5ノットでしたが、その後の近代化改装で21ノットの標準速度となりました。

ロンドン条約ではワイオミングは練習戦艦として保有が認められ、主砲搭載数の削減、舷側装甲の撤去などが行われました。真珠湾奇襲攻撃で、太平洋艦隊の戦艦群に大きな損害が出て、急遽太平洋に回航されましたが、ワイオミングは兵装撤去等が進行していて、戦艦としての復帰には工数が掛かるため、アーカンソーのみ、第二次近代化改装を受け戦艦として戦列に復帰し、大戦を戦い抜きました。

(近代化改装後のモデルは未保有です。どこかで調達できればアップします)

 

ニューヨーク級同型艦:2隻)

ja.wikipedia.org

New York-class battleship - Wikipedia

(1914-, 27,000t, 21knot, 16in *2*5, 2 ships)

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米海軍初の超弩級戦艦で、前級ワイオミング級の設計をベースに45口径14インチ連装砲塔を5基搭載していました。機関は燃費と航続距離(西海岸からフィリピンまで航行できる)への考察からレシプロ機関を採用し、21ノットを発揮しました。

第一次世界大戦期には、米海軍最新・最強の戦艦でありながら、ややコンパクトに纏め過ぎた設計と、海面近くの開口部の多さから、凌波性に課題があるとされ、余り活躍できませんでした。第二次世界大戦期には対空火器の大幅な増強と、レーダーの搭載により、船団護衛や火力支援任務で活躍しました。

両艦とも大戦を生き抜き、テキサスは記念艦として保存されています。

(近代化改装後のモデルは調達中。なかなかうまく入手できません。入手次第、アップします)

 

 ネバダ級(同型艦:2隻)

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Nevada-class battleship - Wikipedia

(1916-, 27,500t, 20.5knot, 14in *3*2 + 14in *2*2, 2 ships)(142mm in 1:12501 by Navis)

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前級で 採用した14インチ砲を新開発の3連装砲塔と連装砲塔の組み合わせで艦首と艦尾に背負い式で搭載し、前級「ニューヨーク級」と同様主砲10門の搭載としました。背負い指揮配置により、集中防御方式を採用した最初艦級です。本来なら3連装砲塔4基12門の搭載艦とする希望もあったようですが、予算面で3連装と連装の混載となったようです。

主機の燃料を初めて重油のみとし、機関はレシプロ(オクラホマ)とタービン(ネバダ)を1隻づつに搭載し、ある種の実用実験を行っています。

米海軍は同級から「標準型戦艦」(長距離射撃・21ノットの速力・700ヤードの行動半径・ダメージコントロールの改善)の展開を開始しています。

 

第一次改装(1927-29)

射撃システムの更新に伴い、艦橋構造が籠マスト方式から三脚式に改められ、射撃方位盤室がそれぞれの頂上に設けられました。
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 (by Neptun:「オクラホマ」は上記の姿で真珠湾攻撃を受け横転沈没しました)

 同級の両艦は、ともに日本海軍の真珠湾奇襲の際に攻撃を受け、「オクラホマ」は転覆沈没し、「ネバダ」は損傷しましたが故意に座礁し、損害の拡大を防ぐことができました。

オクラホマ」は復旧が断念されましたが、「ネバダ」は損傷回復の際に大規模な改装を受け、艦容を一変させました。

 

ネバダ」最終改装時(1942)

舷側の副砲を廃止し、対空・対艦射撃の可能な砲塔式の両用砲に換装しています。更に、上部構造物をコンパクトにまとめています。この姿でノルマンディー上陸作戦の支援砲撃に参加し、後に太平洋戦線で硫黄島・沖縄の上陸作戦に参加しました。沖縄戦では、日本陸軍の特攻攻撃を受け損傷しました。
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 (by Neptun:「ネバダ」最終改装時の姿)

 

ペンシルバニア級(同型艦:2隻)

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Pennsylvania-class battleship - Wikipedia

(1916, 31,400t, 21knot, 14in *3*4, 2 ships)(147mm in 1:1250 by Navis)

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「標準型戦艦」の第二弾。主砲塔を全て前級からの懸案であった3連装砲塔とし、12門の主砲をコンパクトに搭載し集中防御を進めています。この主砲兵装の強化に伴い、艦型が拡大し、初めて30000トンを超えた大型艦となり、就役当時は世界最大の戦艦でした。前級での比較実証実験の成果から、この艦以降、機関は直結タービンを採用し、4軸推進から21ノットの速力を得ています。

 

第一次改装(1927-29)

射撃システムの更新に伴い、艦橋構造を三脚式に改められ、射撃方位盤室がそれぞれの頂上に設けられました。同級は太平洋戦争開戦時、太平洋艦隊に所属し、「ペンシルバニア」は同艦隊の旗艦を務めていました。両艦ともに日本海軍の真珠湾攻撃にさらされました。

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 (by Neptun:「アリゾナ」はこの姿で真珠湾攻撃の際に爆沈しました)

アリゾナ」がその際に爆沈したことはあまりにも有名ですが。「ペンシルバニア」も損傷を受け、その後、修復に伴い大規模な改修を受けましたが、損傷程度が他の艦ほどには大きくなく、ある程度原型を留めて形で戦線に戻されました。

 

ペンシルバニア最終改装時(1942)

舷側の副砲を廃止し、対空・対艦射撃の可能な砲塔式の両用砲に換装しました。前部の三脚マスト構造等は残されています。

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 (by Superior)

 

ニューメキシコ 級(同型艦:3隻)

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New Mexico-class battleship - Wikipedia

(1918-,  32,000t, 21knot, 14in L50 *3*4, 3 ships)(152mm in 1:1250 by Navis)

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「標準型戦艦」の第三弾。主砲は前級同様3連装砲塔4基を艦首・艦尾に背負い式に配置した形式を継承していますが、口径を50口径に強化し、併せて主砲塔の設計も一新されています。艦首の形状を凌波性に優れたクリッパー形式とし、艦型が洗練されています。機関は前級同様、直結蒸気タービンの4軸推進としましたが、「ニューメキシコ」 のみ、ターボ電気推進(タービンにより発電し、その発生電気で推進モーターを回す)の試験艦とされました。速力は両形式とも「標準型戦艦」の21ノットでした。

採用された50口径14インチ砲は、高初速により射程距離と高い貫徹力を得た一方で、3連装砲塔の狭い砲身間隔の影響で散布界に課題が残りました。

 

第一次改装(1931-33)

改装時に主砲が散布界改善のためにやや初速を抑え、一方で射程距離確保のために仰角を上げたMk7の50口径14インチ砲に換装されました。射撃システムの更新に伴い、籠マストが撤去され、艦橋構造が塔構造に改められました。このため、他の米戦艦とは大きく艦容が異なっています。これは同時に遠方からの視認性を低める効果を狙ったともされています。 

機関はこの改装の際に、全てタービンに統一されました。タービンも換装され、出力の向上に伴い速力は21.8ノットに向上し、航続距離が伸びています。

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 (by Neptun)

同級は、太平洋戦争開戦時には大西洋に配置されており、真珠湾奇襲での損害は受けませんでした。その後ダメージを受けた太平洋艦隊の戦力回復のために太平洋戦線に回されました。

同級の「ミシシッピ」は、レイテ沖海戦においてオルデンドルフ部隊に所属し、史上最後のし主力艦同士の砲撃さんに参加しました。同級は三隻とも第二次世界大戦を生き抜いています。

 

テネシー級(同型艦:2隻)

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Tennessee-class battleship - Wikipedia

(1919-, 32,600t, 21knot, 14in L50*3*4,2 ships)(152mm in 1:1250 by Navis) 

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「標準型戦艦」の第四弾。「ニューメキシコ 級」の改良型で、就役時から籠マスト上に射撃指揮装置が設置され、火器管制システムが強化されていました。機関には前級「ニューメキシコ」 でテストされていた電気推進式タービンを採用し、「標準型戦艦」の21ノットを確保ています。

太平洋戦争開戦時には同級の両艦ともに太平洋艦隊に所属し、共に日本海軍の真珠湾攻撃を受けました。両艦ともに損傷し、「カリフォルニア」は大破着底する程の損害を受けています。両艦は「カリフォルニア」の修復に合わせて大改装を受け、艦容が一変しています。

 

最終改装時(1942)

水雷防御強化の一環と、安定性の強化を目的として巨大なバルジを両舷に追加しています。舷側の副砲を廃止し、対空・対艦射撃の可能な砲塔式の両用砲に換装されたほか、多数の対空火器が搭載され、対空火器の管制システムの搭載等のため上部構造はほとんど全て作り替えられ、コンパクトで洗練された姿になりました。

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 (by Neptun)

 前述の「ミシシッピ」同様、「カリフォルニア」「テネシー」共にレイテ沖海戦のスリガオ海峡海戦で、日本海軍の西村艦隊との史上最後の主力艦同士の砲撃戦に参加しています。

2隻ともに、特攻機の攻撃等で損傷を受けたものの、太平洋戦争を戦い抜きました。

 

コロラド級同型艦:3隻)

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Colorado-class battleship - Wikipedia

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(1921-, 32,600t, 21knot, 16in *2*4, 3 ships, 152mm in 1:1250 by Navis)

「標準型戦艦」の最終形。米海軍は、日本海軍の長門級建造の詳報を得ると、テネシー級改良型として建造する予定であったコロラド級戦艦の搭載砲を急遽16インチ砲に変更し建造しました。ワシントン条約では、この3隻は保有を認められ、英海軍の「ネルソン級」2隻、日本海軍の「長門級」2隻と合わせ、16インチ砲を搭載した世界で最も強力な7隻の戦艦、「ビック・セブン」として知られる存在となりました。

上記仕様に明らかなように主砲口径を長門級に同等にした以外は、速力、装甲の厚さなどの防御力は基本仕様はテネシー級と変わらず14インチ砲搭載艦と同等のままではありましたが、米戦艦は設計の基本が堅牢性に配慮されたものになっており、特に大きな課題ではなかったと考えてもいいのかもしれません。

前級同様、ターボ戦記推進を採用した機関は「標準型戦艦」の指定速度21ノットを発揮しました。

 

コロラド・メリーランド最終改装時(1942)

ネームシップの「コロラド」は1941年夏に大規模な改修を行い、後部の籠ますとを撤去し塔状の構造物に改めるなどしています。

太平洋戦争開戦時、「ウエスト・バージニア」と「メリーランド」は共に太平洋艦隊所属で真珠湾日本海軍の攻撃を受けました。

損傷復旧にあたり、比較的損害の軽微だった「メリーランド」は「コロラド」に準じた改装を受けています。

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 (by Neptun: 前部の籠マストは面影が残っていますね。二本煙突もそのままですので、比較的、変わらなかった方ですね)

 

 エスト・バージニア最終改装時(1944) 

「ウエスト・バージニア」は魚雷を複数受け、着底していますが、その後浮揚され、「カリフォルニア級」の2隻同様の大規模な復旧を受けました。両舷に大型のバルジをつけ安定性の向上と雷撃に対する防御を充実させ、兵装面では舷側の副砲を廃止し、対空・対艦射撃の可能な砲塔式の両用砲に換装したほか、上部構造物をほぼ全面的に作り替えるなどして、コンパクトな艦容に改められました。

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 (by Neptun:艦容一変。サウスダコタ級に似ていますね)

 本級の「メリーランド」「ウエスト・バージニア」は、レイテ沖海戦にレイテ上陸部隊支援任務のオルデンドルフ部隊に参加し、スリガオ海峡海戦で、日本海軍の西村艦隊との史上最後の主力艦同士の砲撃戦に参加しています。

特攻機などによる小さな損傷は受けたものの、3隻とも大戦を生き抜きました。

 

と、こうして米海軍のいわゆる「標準型戦艦」を見てきたわけですが、このグループは、大西洋艦隊に所属していた「ニューメキシコ 級」の3隻を除き、大半が太平洋艦隊に所属していました。緒戦、日本海軍がその大戦果を華々しく謳った真珠湾攻撃で大損害を受けたにもかかわらず、最終的には、喪失艦はわずか2隻に過ぎませんでした。しかもその2隻はいずれも真珠湾で沈没した艦で、つまりその後の海戦では一隻も失われていないわけです。 

設計から来る生存性の高さ、なのか、ダメージ・コントロールなどの人的要件も含め技術的な基礎力の高さ、なのか。

あるいは日本海軍が諦めが良すぎるのか・・・。

 

ということで今回はここまで。

 

次回は、多分、この続きをやります。新戦艦の時代に建造された艦級と、計画のみに終わった未成艦、そこから着想を得た架空艦のご紹介をおさらいする予定です。

これら以外に、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、いつでも大歓迎です。是非、お知らせください。

 

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特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

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ロイアル・ネイヴィーの駆逐艦(その2:黎明期の駆逐艦)

今回は、ロイアル・ネイヴィーの駆逐艦の成立期のお話です。

 

駆逐艦という艦種

駆逐艦という艦種は19世紀の半ばに誕生します。そもそもは高い破壊力を持つ魚雷を抱いて高速で主力艦に向けて突っ込んでくる「水雷艇」に対し、駆けつけて追い払う=駆逐する艦種、「水雷艇駆逐艦」として成立しました。この目的のために、新たな艦種開発としての模索があったわけで、それは「水雷砲艦(Torpedo gunboat)」や「水雷艇捕捉艦(Torpedo boat catcher)」などの「打ち払う」的な発想の艦種として試行されますが、いずれも速度の面で十分な成果が得られず、結局、「水雷艇」の設計を拡大したある種「大型水雷艇」的な発想の設計に帰結する事になりました。

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(各国が装備した水雷艇ドイツ帝国海軍の小型水雷艇(黒)と、日本海軍の水雷艇(白2タイプ))

水雷艇よりも少し大きな船体に高い出力の機関を搭載し、高い運動性の水雷艇に追随できる速射性の高い艦砲を多く搭載する、というわけですね。ならばついでに魚雷も搭載して仕舞えば、水雷艇としても使用できるじゃないかということで、やがて大型水雷艇駆逐艦は、実質的に「駆逐艦」という艦種に統合されてゆきます。船体が大きいので、「水雷艇」よりも航洋性が高く、かつ航続距離も長くでき、主力艦隊への随伴も可能で・・・。と利用目的がどんどん広がってゆく大変便利な汎用軍艦の艦種が誕生したわけです。

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水雷艇駆逐艦の対比:ドイツ帝国海軍の小型水雷艇(黒)と、日本海軍の水雷艇(白2タイプ)と下記で紹介する英海軍の27ノッタータイプの水雷艇駆逐艦(1番奥))

このように護衛にも攻撃にも使え、かつ主力艦などよりははるかに安価なため、数を揃えることができるということもあって、新興海軍(当時の日本海軍など)もこぞってこれを装備してゆきました。

 

200トン前後の小さな船体で荒天では活動できなくなるような「水雷艇」を巡り、何故こんな騒ぎが起きたかということについて、さらに少し背景を考察すると、当時の主力艦が砲戦だけでは非常に沈めるのが困難だった、ということが挙げられます。

当時列強は(列強以外の国も)、こぞって装甲を持った軍艦をそろえてゆきます。艦型は大型化し、同時に搭載される艦砲も強力なものに発展してゆくのですが、陸上の固定された目標を破壊するならまだしも、航行中の軍艦同士の砲撃戦では、まず砲弾を命中させることが大変難しいのです。さらに十分に装甲防御を施された主力艦を少ない命中弾で行動