相州の、1:1250 Scale の艦船模型ブログ 主力艦の変遷を追って

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

ワイマール共和国海軍の創設と代艦建造(1918-1933):前編:創設時の主要艦船

本稿ではこのところ(ご承知のように)モデル製作会社のヴァージョン・アップへのコレクションの対応が筆者の関心事である、というような基調の投稿が続いています。このきっかけになったのが、ドイツ帝国海軍の前弩級戦艦のモデルのヴァーション・アップだったのですが、この件に関連してヴァーション・アップの実態を調べるうちに、自然にモデルのヴァリエーション(実艦の改装に伴うヴァリエーション、と言うべきですかね)についても触れる機会があり、ヴァリエーションの整理・理解を進めるうちに、第一次世界大戦後のドイツ帝国海軍の消滅と新生ワイマール共和国海軍の装備艦艇について多くの情報に触れる機会がありました。

ご承知のようにワイマール共和国は第一次世界大戦の敗戦でドイツ帝国が解体した後のヴェルサイユ条約によって成立し、やがてナチスドイツの台頭と共に消えていったドイツの過渡的な政体です。(だいたい1918年から1933年ごろまで)

ドイツ海軍史的な視点で見ると、世界第2位の規模を誇ったドイツ帝国海軍が第一次世界大戦の敗北とスカパ・フローでの大自沈で文字通り「消滅」し、ヴェルサイユ条約下の厳しい軍備制限の下で小規模な沿岸防備海軍として再生、その後ナチスドイツによる再軍備に至る、その過程、ということになるかと考えています。

今回は、まずその「前編」として、前述の「小規模な沿岸防備海軍」としてスタートしたワイマール共和国海軍がどのような海軍だったのか、その辺りを見てみたいと考えています。

 

ワイマール共和国の成立とその海軍

繰り返しになることを恐れずに書くと、第一次世界大戦ドイツ帝国は敗北し、帝政ドイツ自体が崩壊します。海軍について見ると、大戦前に英国との激しい軍備拡大競争の下で主力艦の保有数では世界第2位の規模を誇っていた帝国海軍だったのですが、その主要艦艇群は講和成立後の抑留地スカパ・フローで「大自沈作戦」を実施し、文字通り姿を消してしまいました。

併せて、大戦後に結ばれたヴェルサイユ条約下で厳しい軍備制限が課せられます。

海軍について見ると、兵員数は15000人以下(参考までにこれからご紹介する前弩級戦艦の乗員定数が700名から800名です)、潜水艦の保有が禁じられ、バルト海諸国への脅威軽減という名目で、自国沿岸部の要塞化、砲台設置などは認めない、現有のものは破壊する、というものでした。

保有艦艇についての制約

保有艦艇についてももちろん制約があり、装甲戦闘艦6隻(予備艦2隻)、巡洋艦6隻(予備艦2隻)、駆逐艦12隻(予備艦4隻)、沿岸用水雷艇12隻(予備艇4隻)その他若干の補助艦艇というものであり、規模的にはかつてのドイツ帝国海軍とは比べるべくもない小規模なものでした。併せて保有艦艇の質的な側面を見ても、実際に保有を許された艦艇は、上述の装甲戦闘艦として保有が認められたものは「前弩級戦艦」でしたし、巡洋艦も石炭専焼機関を搭載した防護巡洋艦であるなど、すべて第一次世界大戦期においてすら旧式艦、第一線戦力とは見做されないものばかりでした。

代艦建造についての制約

条約で当初保有が認めらた艦艇に関しては、一定の艦齢に達したものについて代艦の建造が認められていました。保有装甲戦闘艦・巡洋艦については艦齢20年を超えた場合、駆逐艦水雷艇については艦齢15年を超えた場合についてを建造する事ができましたが、代艦の建造については制限が課されていました。

装甲戦闘艦の代艦は一万トン以下の排水量巡洋艦は6000トン以下、駆逐艦は800トン以下、水雷艇は200トン以下という制約があり、上掲の保有数の制限と併せて、沿岸防備海軍以上の規模の海軍をドイツが保有することを認めないものでした。

 

これらの制約をある意味逆手に取るような形で、ドイツ海軍は代艦建造に創意を巡らせるわけですが、それは「後編」次回に譲るとして、今回は保有を許された艦艇について整理を試みることにしましょう。

 

ワイマール共和国海軍の主要保有

主力艦(装甲戦闘艦)(保有枠6隻:予備艦2隻)

ブラウンシュヴァイク級」5隻(2隻は予備艦)と「ドイッチュラント級」3隻

ブラウンシュヴァイク級」戦艦(1904- 同型艦5隻)

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(「ブラウンシュヴァイク級」戦艦の概観:102mm in 1:1250 by Navis: ようやく実用化がかなった11インチ速射砲を主砲として採用したため、大型の主砲塔を搭載しています。

同級は英海軍との戦闘、つまりバルト海だけではなく北海での運用を想定して設計された艦級です。最大の特徴は実用化された速射砲としては当時最大口径の新開発11インチ速射砲を主砲として採用したことでした。併せて同級では砲力の強化がさらに追求され、副砲の口径を前級の15センチから17センチに変更しています。加えて副砲の一部を砲塔形式で搭載し、射界を大きくしています。

第一次世界大戦期には、既に二線級戦力と見做され、主として沿岸防備任務につきました。同級の「ヘッセン」のみは英独の決戦であったユトランド沖海戦に、次にご紹介する「ドイッチュラント級」戦艦と戦隊を組んで参加しています。同級は大戦中の1917年に補助艦艇に艦種が変更となりましたが、敗戦後、ヴェルサイユ条約で同級の「ブラウンシュヴァイク」「エルザース」「ヘッセン」の3隻保有が認められ、ワイマール共和国海軍では主力艦とされました。

 

ワイマール共和国海軍時代の「ブラウンシュヴァイク級」戦艦:「ブラウンシュヴァイク」「エルザース」「ヘッセン」(「プロイセン」「ロートリンゲン」は予備艦として保有

(上のモデルは1932年の「ヘッセン(Navis新モデル(NM 11R) :1932年次にワイマール共和国海軍の主力艦であった当時を再現したモデルで、艦橋構造が変更されているのが分かります)

前述のようにヴェルサイユ条約で、同級は保有を認められましたが、既に第一次世界大戦期にあっても旧式艦であったので、いずれは沿岸警備艦として近代化改装される計画がありましたが、やがてナチスの台頭と再軍備宣言で新型主力艦の建造に注力されたため、大々的な改装は行われませんでした。

同級のネームシップである「ブラウンシュヴァイク」は1932年に、「エルザース」は1936年にそれぞれ破棄され、第二次世界大戦には参加しませんでした。

標的艦ヘッセン

ヘッセン」のみは標的艦として残され、第二次世界大戦では砕氷船としても運用されました

標的艦となった「ヘッセンの概観:by Mercator)

 

ドイッチュラント級」戦艦(1906- 同型艦5隻)

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(「ドイッチュラント級」戦艦の概観:106mm inn1:1250 by Navis: ようやく実用化がかなった11インチ速射砲を主砲として採用したため、大型の主砲塔を搭載しています)

同級はドイツ帝国海軍が建造した最後の前弩級戦艦です。前級「ブラウンシュヴァイツ級」と同一戦隊を組むという前提で建造されたため、基本設計は前級に準じた、拡大改良版です。前級が武装過多から安定性に欠けるという課題を指摘されたため、同級では艦橋の簡素化や副砲塔の廃止が行われました。副砲は全て舷側のケースメートに収められましたが、装薬の改良により射程が22000メートルまで延伸されています。(従来装薬では145000メートル)

1906年から1908年にかけて就役し、前弩級戦艦としては最新の艦級でしたが、就役時には既に弩級戦艦の時代が到来していて、就役時には旧世代艦、旧式艦と見做されていました。

第一次世界大戦の最大の海戦であったユトランド沖海戦には第二戦艦戦隊として同級の5隻と「ブラウンシュバイク級」の「ヘッセン」が序列され、英戦艦隊の追撃を受け苦戦していたヒッパー指揮のドイツ巡洋戦艦戦隊の救援に出撃しています。この救援戦闘で同級の「ポンメルン」が英艦隊の砲撃で損傷し、その後英駆逐艦の雷撃で撃沈されました。

前級と同様に1917年には戦艦籍から除かれました。ネームシップの「ドイッチュラント」は宿泊艦となり状態不良のまま1922年に解体されました。残る「ハノーファー」「シュレージエン」「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」が新生ドイツ海軍で保有を許され、その主力艦となったわけですが、1930年代に上部構造や煙突の改修などの近代化改装を受けて、艦容が一変しています。

 

ワイマール共和国海軍時代の「シュレージエン級」戦艦:「ハノーファー」「シュレージエン」「シュレスヴィヒ・ホルスタイン

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(手前から近代化改装後の「ハノーファー」「シュレージエン」「シュレスヴィヒ・ホルスタイン」)

前述のように、同級はヴェルサイユ条約保有を認められ、第一次大戦で戦没した「ポンメルン」と状態不良の「ドイッチュラント」を除く「ハノーファー」「シュレージエン」「シュレスヴィヒ・ホルスタイン」の3隻がワイマール共和国海軍(新生ドイツ海軍)に編入されました。

ネームシップの「ドイッチュラント」が上述のように状態不良により既に除籍されていたため、この3隻を「シュレージエン級」と呼ぶことが多いようです。

その後ヒトラー再軍備を宣言し(1935年)併せて英独海軍協定が締結され、事実上の海軍装備に関する制約が解除され新造艦艇が就役し始めると、同級は練習艦に艦種変更されました。

 

近代化改装後の「ハノーファー」(Neptun製モデル)

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近代化改装後の「シュレージエン」(Neptun製モデル)

近代化改装後の「シュレスヴィヒ・ホルスタイン」(Neptun製モデル)

「シュレージエン級:ドイッチュラント級」の三艦のうち「ハノーファー」は1931年に除籍され無線誘導式の標的艦への改造が計画されましたが実行はされず、爆弾の実験等に使用された後、1944年頃に解体されました。

残る2隻「シュレージエン」と「シュレスヴィヒ・ホルスタイン」は、第二次世界大戦期には練習艦として就役していて、主としてバルト海方面で主砲を活かした艦砲射撃任務等に従事し、緒戦のドイツ軍のポーランド侵攻では「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」のポーランド軍のヴェステルブラッテ要塞への砲撃が第二次世界大戦開戦の第一撃となったとされています。その後も主砲力を活かした地上砲撃等の任務に運用され、東部戦線での退却戦の支援艦砲射撃等を行っています。大戦末期には「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」は空襲で、「シュレージエン」は触雷でそれぞれ損傷し、自沈処分とされました。

 

巡洋艦保有枠6隻:予備艦2隻)

小型巡洋艦「ガツェレ級」6隻と「ブレーメン級」2隻(8隻のうち2隻は予備艦)

列強の巡洋艦開発史の過程で、巡洋艦本来の重要任務としての海外植民地との通商路警備(と破壊)に適応した戦闘力と高い機動性、長い航続力を兼ね備えた防護巡洋艦が一斉を風靡した時期があったことは、本稿では何度も触れてきています。その時期は19世紀終盤から20世紀の初頭にかけてで、海外植民地を多く持たないドイツ帝国海軍では、これに艦隊前衛の偵察任務にあたる通報艦の要素も兼ね備えて小型巡洋艦として具現化されました。

燃料が石炭から重油に転換される過程で、防護構造として船体の軽量化による高機動性の確保を目的として石炭庫を舷側装甲の代わりに用いる防護巡洋艦は構造的に成り立たなくなり、やがて第一次世界大戦期には舷側に軽装甲を貼った軽装甲巡洋艦(=軽巡洋艦)に航洋型巡洋艦設計の主流は移行していくのですが、ワイマール共和国海軍は、あくまで沿岸警備の補完戦力として一時代前の防護巡洋艦保有が認められました。

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(ワイマール艦隊の巡洋艦の中核となった「ガツェレ級』」(手前)と「ブレーメン級」:いずれも3000トン級の防護巡洋艦です:既に列強海軍は軽巡洋艦の整備に注力しており、石炭を主要燃料とする防護巡洋艦は時代遅れでした

 

「ガツェレ級」小型巡洋艦(1898- 同型艦10隻)

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(写真は「ガツェレ級」小型巡洋艦ネームシップ「ガツェレ」の就役時の姿:81mm in 1:1230 by Navis:  艦の中央部に指揮艦橋があるなど、旧式の印象があります)

同級は前述の「小型巡洋艦」の艦種名称がドイツ帝国海軍が1898年計画で初めて用いた艦級で、1900年から1904年にかけて10隻が就役しました。

3000トン級の船体に4インチ速射砲10基と18インチ水中魚雷発射管2基を主要兵装として搭載し、20ノットから22ノット程度の速力を発揮する事ができました。

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(同級の最終艦「アルコナ」の概観:艦橋は艦首部に設置されていますが、マストの位置などが、やはりひと世代前の印象を与えます)

第一次世界大戦期には既に旧式艦と見做され第一線戦力からは外れ沿岸防備艦、母艦、係留施設などとして使用されていましたが、3隻の戦没艦と1隻の損傷艦を除く6隻がワイマール共和国の新生海軍に再び巡洋艦として序列されることになりました。

ワイマール共和国海軍時代の「ガツェレ級」巡洋艦5隻:「ニオべ」「ニンフェ」「テーティス」「アマツォーネ」「メドゥーサ」:予備艦1隻「アルコナ」(当初北海での掃海艦業務に従事、のち巡洋艦に復帰?)

 

ブレーメン級」小型巡洋艦(1903- 同型艦7隻)

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(「ブレーメン級」小型巡洋艦の概観:88mm in 1:1230 by Navis: 機関の増強等により煙突が3本になっています)

同級は前述の「ガツェレ級」小型巡洋艦に続き1903年計画で建造された艦級で、7隻が建造されました。ドイツ帝国巡洋艦として、初めて艦名に都市名が採用されました。

基本的な兵装等は前級「ガツェレ級」を踏襲しましたが、防護甲板の装甲厚強化、缶数の増加、石炭積載量の増加等により、船体は3500トン級に拡大されました。機関の増強により22ノットから23ノット程度の速力を発揮する事ができました。

第一次世界大戦で2隻が戦没し3隻が戦後解体されました。残る2隻が新生ワイマール艦隊に残ることとなりました。

ワイマール共和国海軍時代の「ブレーメン級」巡洋艦1隻:「ハンブルグ」:予備艦1隻「ベルリン」(練習艦のち宿泊艦)

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(「ブレーメン級」の「ベルリン」(右)は艦首の衝角を撤去して艦首形状を改めています)

 

駆逐艦保有枠12隻:予備艦4隻)

「V -1級」大型水雷艇12隻と「S -138級」大型水雷艇4隻(?)

ドイツ帝国海軍では「駆逐艦」と「水雷艇」の艦種定義が明確ではありませんでした。そもそも「駆逐艦」は19世紀後半に大型装甲艦への攻撃手段として性能の上がりつつあった魚雷を積んで高速で肉薄する「水雷艇」への対抗艦種として生みだされたものでした。当初、列強は「水雷砲艦」等、高速で接近する「水雷艇」を火力で撃攘する専任艦種を模索しますが、結局は高機動性に対抗するにはそれを上回る高機動性が必要という結論に至り、大型の水雷艇をこの用途に当てることが定着しましたので、明確な定義づけ自体が不要だった、ということだったのかもしれません。

ワイマール共和国海軍はドイツ帝国海軍の大型水雷艇の1911年型(V-1級)12隻を引き続き使用することを認められました。加えて「S-138級」水雷艇4隻も駆逐艦としての保有が認められました。(定数12隻と予備艦4隻)

 

「V -1級」(1911年型)大型水雷艇(1912- 同型艦26隻)

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(ワイマール共和国の発足時駆逐艦の主力を構成した「V 1級」大型水雷艇の概観:59mm in 1:1250 by Navis)

同級は1911年計画で建造された大型水雷艇の艦級です。600トン弱の船体に3.5インチ砲(88ミリ砲)を主砲として2基、20インチ魚雷発射管を4基装備しています。3基の石炭専焼缶と1基の重油専焼缶を搭載し、初めて蒸気タービンを装備した艦級で、32ノットを発揮する事ができました。1912年から1913年にかけて26隻が就役し、8隻が戦没しています。

ワイマール共和国海軍にはV1、V2、V3、V5、V6、G7、G8、G10、G11、S18、S19、S23の12隻が継承されました。

 

「S-138級」(1906年型)大型水雷艇(1907- 同型艦65隻)

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(「S-138級」大型水雷艇の概観:59mm in 1:1250 by Navis)

同級は1906年計画で建造された大型水雷艇の艦級です。1906年から1911年のかけて65隻が就役しています。建造期間が長く搭載機関は石炭専焼缶4基とレシプロエンジンの組み合わせ(S138-160 )、石炭専焼缶3基と重油専焼缶1基と蒸気タービンの組み合わせがあり、30ノットから32ノットの速力を発揮する事ができました。兵装にもヴァリエーションがあり3.5インチ砲1基と2インチ砲2基もしくは3基の組み合わせか、3.5インチ砲2基のいずれかの砲兵装に魚雷発射管3基を装備していました。これらのヴァリエーションにより船体は番号が進むにつれ大型化しています。

12隻が戦没し、第一次世界大戦後、多くが賠償艦として戦勝国に引き渡されています。日本もV181を受領しています。ワイマール共和国海軍には駆逐艦として4隻(G175、V185、V190、V196)が継承されました。

**記録を見る限り、上記の4隻を含め18隻がワイマール共和国海軍に引き継がれているようです。無線操縦の標的艦として使用されたものもあれば測距訓練艦、高速曳航船として使用されたものもあり、多岐に渡り使用されていたようです。

(上の写真はワイマール共和国海軍草創期の駆逐艦「V−1級」と「S-138級」の比較)

 

沿岸水雷艇保有枠12隻:予備艦4隻)

ヴェルサイユ体制では、沿岸水雷艇(coastal torpedo boat)に200トンという排水量制限を設け12隻の保有を認めていました。しかし筆者はこの艦種についてはあまり資料が見つけられていません。

ドイツ帝国海軍は「A級」という名称で100トンから350トン前後の同艦種を92隻を建造しています。おおむね3.5インチ砲(88ミリ砲)を1基乃至2基搭載し、18インチ魚雷発射管1基を装備していました。サイズの差は機関の際によるところが大きく、20ノットから28ノット程度の速力を発揮できたようです。

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(当初沿岸水雷艇の候補と目していた「A級」水雷艇の概観:50mm in 1:1250 by Rhenania: 実際にはこの比較的艦齢の若い小型水雷艇群は戦後の周辺国への賠償に充てられ、新生ドイツ海軍=ワイマール共和国海軍には、残りませんでした。下の写真は、ワイマール共和国海軍の駆逐艦となった「V 1級」大型水雷艇との大きさの比較)

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しかし資料をあたった限りではこのクラスの残存艇の多くは、第一次世界大戦後、賠償艦として供出されており、新生海軍に残留したという記録を見つけるに至っていません。このクラスを含めそれ以前も含め多くの同種の沿岸水雷艇ドイツ帝国海軍は運用していたのですが、どの艦級(あるいはどの艦)が継続して運用されたのか、今しばらく調べてみたいと考えています。条約の制約からくる兵員不足も深刻だったようですので、あまり積極的に運用されなかったのかもしれません。

 

番外:標的艦「ツェーリンゲン」

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(上の写真:標的艦「ツェーリンゲン」の概観 bt Mercator:下の写真は標的艦「ツェーリンゲン」(奥)と「ヴィッテルスバッハ級」戦艦の比較)

同艦はヴェルサイユ条約で廃艦されることとなった「ヴィッテルスバッハ級」前弩級戦艦の1隻ですが、1920年にハルクとして使用するために武装解除されたのち、1926年に無線誘導式の標的艦として運用される事が決まりました。この誘導艦が「ブリッツ」と改名された前出の「S-138級」水雷艇の一隻「S141」でした。

 

ということで、今回は第一次世界大戦敗戦の結果、ヴェルサイユ条約の厳しい制約のもとで誕生したワイマール共和国海軍の主要艦艇を一覧してみました。前弩級戦艦防護巡洋艦、大型水雷艇の組み合わせで、ヴェルサイユ体制の制約下で、戦勝国列強はドイツ海軍を沿岸警備海軍にとどめておく意図をはっきりと示していた感があります。

次回はその狙いを掻い潜るかのように展開された「代艦建造」の経緯をまとめてみたいと考えています。

 

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。「以前に少し話が出ていた、アレはどうなったの?」というようなリマインダーもいただければ。

 

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