今回は、「ナチスドイツ海軍の計画のみで終わった艦艇」の第三回目(後編)、ということで、「ドイッチュラント級」装甲艦と強化型装甲艦として設計されながら、ドイツ再軍備宣言、英独海軍協定の締結で新造艦に対する制約がなくなったことから建造中止となった「D級」装甲艦、そしてナチス・ドイツ政権の再軍備化の中でドイツ海軍が立案した大建艦計画「Z計画」の下、設計された航空母艦の紹介です。
「D級」装甲艦は「シャルンホルスト級」戦艦へと発展し、航空母艦は第二次世界大戦の勃発により、建造は断続的に継続されたものの、完成には至りませんでした。
今回は、そういうお話。
「D級」装甲艦(同型艦2隻:1934年起工・同年工事中止)
(「D級」装甲艦の概観:186mm in 1:1230 by D's Ships & Bunkers)
同級は強化型装甲艦、つまり「ドイッチュラント級」装甲艦の強化型という主旨で設計案が検討され、1034年に一旦起工されましたが、この間にヴェルサイユ体制が破棄されたため、より強力な「シャルンホルスト級」の建造に移行した結果、工事は中止、建造には至りませんでした。つまり未成艦、というわけです。(「D級」装甲艦の計画の経緯については、下記の投稿をお読みください。模型的なお話もたっぷりと)
「D級」装甲艦は前述のように強化型装甲艦の名の通り、前級である「ドイッチュラント級」装甲艦(10000トン級)の強化拡大型として設計されたため、20000トン級の船体が想定されました。設計当時、ドイツ・ワイマール共和国はまだヴェルサイユ体制下の軍備制限を受けていましたが、ナチスの台頭等による軍備制限破棄を想定した設計でした。「ドイッチュラント級」装甲艦同様、巡航性に優れた巡洋艦的な船型を持ち、大型のディーゼル機関から長大な航続距離と30ノットの高速を発揮できる性能を兼ね備えていました。
前級「ドイチュラント級」が「ポケット戦艦」の異名を持ちながらも、その実態は10000トンの制約の課せられた船体の条件から戦闘艦としての防御装甲は全く不十分で、その点を「D級」では格段に強化されていました。
武装は「通商破壊艦」という主旨から敵性巡洋艦の撃破、あるいは回避戦闘を想定すればよく、大口径砲は控えめに「ドイッチュラント級」と同様に11インチ3連装砲塔2基を搭載していました。しかし搭載された11インチ砲は長砲身の新設計55口径(ドイッチュラント級」には52口径)で、長射程と高初速を有しており、最長射程は40000メートル、15000メートルの距離であれば英海軍の当時の主力戦艦であった「クイーン・エリザベス級」「リベンジ級」の装甲を打ち抜く事ができるとされていました。
一方で通商破壊戦での商船の制圧、撃破を想定し、副砲として6インチ3連装砲塔2基を搭載し両舷に対し6射線を確保、さらに4インチ連装高角砲8基(片舷8射線)を装備し、中口径砲での戦闘にも重点を置いた砲兵装が想定されていました。さらに4連装魚雷発射管2基と、水上偵察機2機を搭載していました。
(「D級」装甲艦の主要部分の拡大:艦種部に3連装11インチ主砲塔と同じく3連装6インチ副砲塔(写真上段)、艦中央部に対空兵装と魚雷発射管、航空艤装(写真中段)、艦尾に3連装副砲塔と同じく3連装主砲塔(写真下段)、と並走配置は大変オーソドックスです。3連装副砲塔は軽巡洋艦で既に実績があった物を採用し、両舷に対し6射線を確保しています)
「D級」装甲艦の計画は上述のように「シャルンホルスト級」戦艦へと発展してゆきますが、Z計画には有力な二つの柱がありました。一つは強力な決戦艦隊の整備による英海軍主力艦の撃滅であり、それらは本稿前回でご紹介した「H級」戦艦として整備される予定でした。
もう一つは、上記の艦隊決戦により英艦隊による海上の封鎖線を解き、そこから広範囲に向けて浸透した潜水艦・通商破壊艦を用いた通商破壊戦の展開であり、英国を屈服させるには、こちらの有効な展開にこそ、戦争そのものへの勝機を見出すことができるはずでした。
「装甲艦=通商破壊艦」の後裔
ドイツ海軍の大増強計画「Z計画」の中で、「ドイッチュラント級」装甲艦のコンセプト=大航続力と高速を備えた通商破壊艦は「O級巡洋戦艦」としてより発展的に復活しますが、こちらは第二次世界大戦の勃発により、未成に終わりました。
(未成艦:O 級巡洋戦艦:207mm in 1:1250 by Hansa)
同級はZ計画で建造が予定されていたいわば通商破壊専任戦闘艦でした。
本級は、通報破壊を専任とする為に、前出の「ドイッチュラント級」装甲艦と同様、通商路の防備に当たる巡洋艦以上の艦種との戦闘を想定していませんでした。従ってこの規模の戦闘艦としては、非常に軽い防御装甲しか保有していませんでした。機関には次第に安定感を増してきたディーゼルを採用し、長大な航続距離と35ノットの速力を活かして、極力戦闘艦との戦闘を回避し、神出鬼没に敵の通商路を襲撃することを企図して設計されていました。
計画では32000トンの船体を持ち、主砲にはビスマルク級と同じ15インチ砲を採用し、これを連装砲塔3基に収めていました。
基本、単艦での行動を想定し、複数の巡洋艦との交戦を避けることができるだけの速力を持ち、あるいは運用面では、その強力な火砲で敵艦隊の射程外から、アウトレンジによる撃退を試みる計画でした。
(「O級」巡洋戦艦の主要部分の拡大:艦種部に連装15インチ主砲塔2基(写真上段)、艦中央部に6インチ連想副砲と4インチ連装対空砲、航空艤装など(中段)、艦尾部には15インチ連装主砲塔が装備されています。2本の煙突の配置から大きなディーゼル機関を搭載していることがわかります。高速と長大な航続距離、通商破壊戦に特化した設計です)
同級は3隻の建造が計画されており、計画時の仮称が「O」「P」「Q」であるために、一番艦の名称をとって「O級」巡洋戦艦と称されました。
1940年には計画は承認されましたが、第二次世界大戦により資材を手当てできず、通商破壊戦の遂行には潜水艦建造の優先度が高いとされ、建造されることはありませんでした。
ドイツ海軍最初にして最後の航空母艦
「グラーフ・ツェッペリン級」航空母艦(同型艦4隻:うち2隻は1936年・1940年、それぞれに起工・のち工事中止)
(「グラーフ・ツェッペリン級」航空母艦の概観:***mm in 1:1250 by Hansa: 上部構造物のファンネルキャップ付きの煙突や、レーダー等を搭載した前檣など、完成後、しかも少し近代化改装など手が入った後を想定したモデルかと)
「グラーフ・ツェッペリン級」航空母艦はドイツ海軍が「Z計画」で設計した航空母艦の艦級です。
ドイツ海軍の航空母艦の設計案は当初案では22000トン級の船体を持ち50機の艦載機を運用する設計でしたが、設計案は種々に及び、最終的には33000トン級の船体を持ち、「アドミラル・ヒッパー級」重巡洋艦と同じ機関を搭載し35ノットの速力を発揮できる設計でした。
搭載兵装
単艦での通商破壊任務をも想定した設計としたため、敵性水上戦闘艦との戦闘も可能な巡洋艦なみの主砲(6インチ砲)を連装で8基、16門搭載した設計で、水上砲戦を想定した防御装甲を有していました。
(「グラーフ・ツェッペリン級」航空母艦の6インチ連装砲:4基の舷側にケースメート形式で搭載していました。通商破壊戦での敵性巡洋艦との交戦を想定した設計でした)
さらに4インチ連装対空砲を6基12門、37mm対空機関砲22基、20mm対空機関砲28基など、充実した対空火器を搭載する設計でした。
(「グラーフ・ツェッペリン級」航空母艦の4インチ連装対空砲の配置と艦橋の拡大:対空砲は艦橋の前後に3位づつ配置され英ます。ファネルキャップを装着した煙突などは、大戦後期のポケット戦艦や重巡洋艦に準じる改装を想定したものかと)
搭載機
2層の格納庫甲板に艦上戦闘機10機、艦上爆撃機13機、艦上雷撃機20機、計43機を搭載する予定でした。格納庫甲板から飛行甲板へは3基のエレベータで航空機を昇降させる設計でした。
同級はドイツ海軍史上ほぼ初の本格的な航空母艦ということで、艦載機開発の経験のないドイツでもあり、搭載機には名機メッサーシュミットMe109を艦上戦闘機仕様に改造したMe109T艦上戦闘機と、Ju87T艦上爆撃機(こちらもシュツーカ急降下爆撃機を艦上爆撃機に改造したもの。両機種の形式番号の末尾のTは空母を表しています)、さらに複葉のフィーゼラーFi167を艦上雷撃機として搭載する予定でした。
(「グラーフ・ツェッペリン級」航空母艦の搭載機:Bf-109T、Ju-87Tなど、当時の主力陸用機を艦載機に改造したものが搭載される予定でした。下の写真は艦上雷撃機候補とされていたF i-167: 英国のソードフィッシュ同様の古風な複葉機でした:モデルはAE modelsの3D Printing modelです:Shapewaysで購入可能:筆者は持っていません。車h写真はShapewaysから拝借しています)
後述しますが、建造工事の長期化に伴い、艦載機については新型戦闘機の開発や、Ju87をベースにした雷撃機の開発などの動きも出てきますが、いずれも航空母艦事態の工事が進まないために、全て中止となりました。
カタパルト装備
飛行甲板の先端に艦載機の発進用にカタパルト2基を搭載していました。このカタパルトは圧縮空気式のもので、圧縮空気の満充填時には30秒毎に18回の発進が可能でした。2基のカタパルトをフル稼働させれば、理論的には9分間で36機の艦載機の発艦が可能だった、ということになります。
(「グラーフ・ツェッペリン級」航空母艦の4艦首のカタパルト2基:同級では艦載機の発艦は原則カタパルトによって行う予定でした。圧縮空気式のカタパルトで満充填状態であれば30秒間隔で18機の連続射出が可能だったとされています)
当初4隻の建造計画がありましたが、一番艦「グラーフ・ツェッペリン」が1936年に、二番艦が1939年に起工されました。
一番艦「グラーフ・ツェッペリン」は1939年12月に浸水しましたが、同年9月にドイツがポーランドに侵攻し、そのまま第二次世界大戦に発展すると以降工事が断続的になり、第二次世界大戦における航空機の発達により航空母艦の有用性は顕著になったものの、単艦による通商破壊戦の戦術としての有効性の低下も生じ、1943年には工事は中止が決定され、未完のままバルト海の港湾に係留されていました。1945年の降伏にあたって自沈処分が施されましたが、ソ連によって浮揚され標的として射撃訓練に使用され1947年に沈没しました。
二番艦仮称空母「B」は起工直後の1939年9月に工事が中断し、そのまま1940年に解体破棄命令が出され、両艦ともに完成することはありませんでした。
さて、3回に渡り、ドイツ海軍(ナチス・ドイツ海軍)の未成艦を整理してみました。「Z計画」に着手したばかりのドイツ海軍に関する限り、第二次世界大戦の勃発は全くの時期尚早で、こうした多くの未成艦を出してしまう結果になったとも言えなくはないと思います。
時期尚早、と言えば、ヒトラー政権自体の見立てでも、それまでオーストリアやチェコの併合が看過されてきた状況下で、ポーランド侵攻が大戦の口火になるとは考えていなかったかもしれないと考えています。
ということで、今回はここまで。
次回は、新着モデルのご紹介、もしくは新たなミニ・シリーズの開始を検討しています。
もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。
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