相州の、1:1250 Scale の艦船模型ブログ 主力艦の変遷を追って

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

宝箱のようなフランス海軍: 近代巡洋艦の系譜(軽巡洋艦その他)

今回は珍しく予告通り「宝箱のような」フランス海軍の第二次世界大戦期の軽巡洋艦敷設巡洋艦、練習巡洋艦などをご紹介します。前回の予告では「同海軍の弩級戦艦以降の開発」についてのお話を良営しています、と述べているのですが、前回、「ジャンヌ・ダルク」のモデルについて触れたこともあり、まずは巡洋艦から、というわけです。今回は、まず軽巡洋艦とその周辺。そういうお話。

 

フランス海軍の巡洋艦開発

フランス海軍は、多くの海外植民地を抱える状況を背景として、一連の防護巡洋艦、その発展形である装甲巡洋艦の開発にいち早く着手した国でありながら、第一次世界大戦中に、英独のように軽巡洋艦防護巡洋艦からの移行形態としての軽(装甲)巡洋艦)の建造には出遅れた感がありました。長らく沈黙を守ったフランス海軍は、「デュケイ・トルーアン級」軽巡洋艦で、艦艇開発を再開しました。

長らくイタリア海軍を仮想敵とした背景もあり、高速性を重視し、防御力には目を瞑った形での設計でスタートしました。併せて機雷敷設能力をも視野に入れた万能艦への指向も見られ、この辺りは第二次世界大戦期のドイツ巡洋艦にも通じるところがあるように感じています。バルト海と地中海という、内海での警備活動を想定した共通点、ということでしょうか。

母国フランスがいち早く第二次世界大戦から離脱してしまったため、戦歴としてはあまり華々しいものはありませんが、一早い砲塔形式での砲装備の搭載や、三連装砲塔の導入等、意欲的な設計への試みは健在だと思っているのですが、筆者の贔屓目でしょうか。

 

「デュゲイ・トルーアン級」軽巡洋艦(1926年-同型艦3隻)

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(「デュケイ・トルーアン級」軽巡洋艦の概観:144mm in 1:1250 by Neptun )

第一次世界大戦の戦禍の直接の被災国という背景もあってか、英独海軍が同大戦中に相次いで投入した軽(装甲)巡洋艦を、同海軍は大戦中には建造していませんでしたので、同級はフランス海軍が建造した初めての軽巡洋艦で、かつ大戦後初めて建造した大型艦船ということになります。

列強が相次いで建造した軽巡洋艦の中で初めて主砲を砲塔形式で搭載した艦級です。7500トン、15.5センチ連装砲4基、55センチ連装魚雷発射管4基を主兵装として搭載していましたが、装甲は軽く速力重視の設計でした。比較的高い乾舷を有し、航洋性の良好な巡洋艦でした。

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(「デュケイ・トルーアン級」軽巡洋艦の兵装の拡大:雷装が重視されていることがよくわかります(中段)。船体には軽装区を施しただけで、高速で軽快な機動を重視した設計でした )

第二次世界大戦では、独仏休戦協定で連合国を離脱した後、2隻が米海軍と交戦し撃沈、あるいは擱座して放棄されています。

 

フランス海軍インドシナ駐留艦隊旗艦 軽巡洋艦「ラモット・ピケ」の戦闘

1940年11月、タイ王国とフランス領インドシナの間に紛争が勃発します。

背景には1940年6月に締結された独仏休戦協定(実質上のナチスドイツに対するフランスの降伏)の成立がありました。この協定でフランスは第二次世界大戦から脱落し、軍事的にも弱体化します。併せて日本によるによるインドシナ進駐の気配なども受けて、タイ王国は19世紀の戦争でフランスに割譲した領土の返還の交渉を開始しました。ヴィシー政権がこれを拒否すると、タイ王国は軍事行動に移り両国間の紛争に発展しました。

この紛争は、当時、両国と友好関係にあった日本が仲介し、東京条約でタイ王国が19世紀にフランスへ割譲した領土のほとんどを回復する形で決着しました。

(この紛争はそのような決着に終わったのですが、ここからは後日談。第二次世界大戦後、フランスはこの領土割譲の無効を主張して、今度はフランスが侵攻する形で再び紛争が起き、タイ王国国際連合に提訴します。しかし常任理事国であるフランスが拒否権を発動する構えを見せたため、紛争の早期解決を図ったタイ王国は提訴を断念し、領土を返還しました。その後、第一次インドシナ戦争でフランスが敗れ、これらの領土は戦争後独立したラオス王国カンボジア王国の一部となりました)

海軍の戦い:コーチャン島沖海戦

この紛争では、陸・海・空で双方の戦闘が発生します。そのうちタイ海軍とインドシナ駐留フランス海軍の間で「コーチャン島沖海戦」が発生しました。

ja.wikipedia.orgこの海戦は2隻の海防戦艦を中心に編成されたタイ王国海軍のうち、海防戦艦1隻と数隻の水雷艇で編成された艦隊(第3戦隊)とと軽巡洋艦1隻と通報艦数隻を中心に編成されたフランス・インドシナ駐留艦隊(臨時第7戦隊)の間で戦われました。その際のフランス艦隊の旗艦が「デュケイ・トルーアン級」軽巡洋艦の二番艦「ラモット・ピケ」でした。

海戦は火力で圧倒的に優位に立つフランス艦隊の「ワンサイド・ゲーム」の様相を呈し、タイ王国海軍の旗艦「トンブリ」(海防戦艦)は行動不能となりやがて横転・擱座し、3隻の水雷艇も撃沈・撃破されてしまいました。フランス艦隊に損害はほとんどありませんでした。

 

「ブーゲンヴィル級」通報艦

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(「ブーゲンヴィル級」通報艦の概観:83mm in 1:1250 by Rhenania )

同級はフランス海軍が海外植民地や保護国の警備や権益確保を担う専任艦種として整備した艦級です。

同海軍は従来は、商船型の船体設計で「通報艦」という艦種を整備してきましたが、同級で初めて船首楼型の軍艦形式の設計を採用しました。2000トン級の船体に駆逐艦を凌駕できる13.8センチ単装砲を3基搭載し(条約で巡洋艦に分類されないように選択した主砲口径でした)、機雷敷設機能も有していました。小型ディーセルエンジンを主機として搭載し速力は少し抑えめの17ノットでしたが、海外植民地までの航海を意識した長い航続距離を有していました。出先での索敵能力を高めるために、水上偵察機を搭載していました。

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(「ブーゲンヴィル級」通報艦の細部拡大:植民地での長期滞在を想定し、プロムナードデッキ形式の船体などに、居住性への配慮が見てとれます。上述のように小型ディーセルエンジンを搭載し、長い航続距離を持っていました。水偵は後部煙突と後橋の間ん搭載されていました(写真下段) )

同級の「デュモン・デュルヴィル」と「アミラル・シャルネ」がインドシナ紛争時のインドシナ駐留艦隊に配置されていて、「コーチャン島沖海戦」でタイ海軍と砲火を交えました。

 

インドシナ駐留艦隊には「アラ級」通報艦も2隻含まれています。(「タウール」「マルヌ」)

「アラ級」通報艦

(「アラ級」通報艦の概観:モデル未入手です。写真はいつものsammelhafen.deから拝借しています。「商船型の船体設計」という言葉の意味がわかるかと)

同級は第一次世界大戦期に30隻余り建造された通報艦の艦級です。650トン級の船体に、13.8センチ単装砲を2基装備し、19ノットの速力を出すことができました。第二次世界大戦にも11隻が参加していました。

 

タイ王国海軍の艦艇紹介

いい機会なので、ほとんど紹介の機会がないタイ王国海軍の艦艇についても紹介しておきましょう。

トンブリ級」海防戦艦(1938- 同型艦2隻)

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(タイ王国海軍海防戦艦トンブリ級」の概観:62mm in 1:1250 by Poseidon:筆者自身もあまり馴染みのないメーカーですが、結構面白い=マニアックなラインナップを持っていそう。軍艦はタイ海軍に集中しています。日本海軍の「氷川丸」モデルも。ああ、これ持っているかも。フォルム的にはこれ「氷川丸」かな?と、ちょっと首を傾げる感じだったかもなあ。でもPoseidon社、面白いぞ、ちょっと注目です)

タイ王国は日本と並びアジア圏でヨーロッパ列強の植民地支配を受けずに独立を保持した数少ない国です。同王国海軍はお隣のインドシナに侵攻し領有したフランス海軍を仮想敵としており、1930年代に海軍の拡張を実施しました。

トンブリ級」海防戦艦はこの拡張計画の「目玉」ともいうべき艦級で、「トンブリ」「スリ・アユタヤ」の2隻が、同じアジア圏の海軍大国であった日本に発注されました。同級は2000トン級の船体を有し、日本海軍の重巡洋艦の標準装備砲であった「50口径3年式20.5センチ砲」を連装砲塔で艦の前後に2基搭載していました。

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(タイ王国海軍海防戦艦トンブリ級」の主砲と艦橋のアップ:上述のように同艦は日本で建造され、日本海軍の技術の影響を多く受けています。主砲は日本海軍の重巡洋艦の標準装備砲を搭載しています。今回のモデルでは実は主砲塔が破損した状態で到着しました。そのためNeptun社製の「古鷹」級のストックパーツから主砲塔を転用しています。艦橋も「古鷹級」を参考にして設計されたとか)

同級は速力こそ13.5ノットでしたが、インドシナ駐留のフランス海軍の通報艦に対しての自国沿岸警備の任務には十分だと考えられていました。

上述のように1941年にヴィシー政権下のフランス領インドシナとの間に発生した「タイ・フランスインドシナ紛争」ではタイ艦隊の主力艦として軽巡洋艦「ラモット・ピケ」を旗艦とするフランス東洋艦隊(軽巡1、通報艦4基幹)と交戦し(コーチャン島沖海戦)、旗艦「トンブリ」が集中砲火を受け損傷、擱座する損害を受けています。「トンブリ」はその後、依頼を受けた川崎重工によりサルベージされましたが、損傷が激しく係留状態のまま練習艦として使用され、後に解体されています。同型艦の「スリ・アユタヤ」は第二次世界大戦後の内戦(1951年)でタイ陸軍の砲撃で大破沈没。その後サルベージされて解体されています。

(「コーチャン島沖海戦」の主要艦艇:トンブリ」(いうまでもなく手前)と「ブーゲンヴィル級」通報艦(「デュモン・デュルヴィル」「アミラル・シャルネ」)及び軽巡洋艦「ラモット・ピケ」の比較:両者が交戦した「コーチャン島沖海戦」はワンサイドゲームだったようです:すみません、背景手抜きしてしまった)

 

「トラッド級水雷艇(1936年から就役:同型艦9隻)

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(「トラッド級水雷艇の概観:モデル未入手です。こちらもPoseidonモデル製:なかなか目にかかりません。以前入札しましたが落札できませんでした:上掲の写真では連装魚雷発射管2基ではなく、単装魚雷発射管4基を搭載しているように見えますね)
同級はタイ王国海軍がイタリアに発注した近代的な水雷艇です。同時期の「スピカ級」水雷艇を小型にした感じの概観です。300トン級の船体に3インチ単装速射砲3基、45センチ連装魚雷発射管2基と比較的重武装を施しています。31ノットの速度を発揮することができました。(公試では34ノットを発揮したとも)

9隻が発注され、「コーチャン島沖海戦」には同級の「ラヨン」「ソンクラ」「チョンブリ」が海防戦艦トンブリ」と共に参加し、「ソンクラ」「チョンブリ」が撃沈されています。

他の7隻は1975年前後までタイ王国海軍に在籍していました。

(上の写真は「トラッド級水雷艇とおそらく艦型が類似していると思われる600トン級の船体を持つノルウェー海軍の「スレイプニル級」駆逐艦水雷艇):60mm in 1:1250 by Argonaut: 手元での試算によれば「トラッド級」は1:1250スケールでは55mmくらいの大きさになりそうです)

 

ちょっと番外編:タイ王国海軍砲艦「ラタナコシンドラ」級

ちなみに上掲の「トンブリ級」海防戦艦タイ王国海軍砲艦「ラタナコシンドラ」級の拡大強化型として計画されたものでした。「ラタナコシンドラ」級はタイ王国がイギリスに発注した砲艦で、1000トン級の船体に15センチ単装砲塔2基を搭載し12ノットの速力を有していました。

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(一応、模型も出ていますが、落札できなかった。次の機会には是非 :写真はEbayに出品された同級の「スコタイ」by Poseidon:小さな船体、低い乾舷、不釣り合いに大きな砲塔が魅力的)

 

さて、お話が気まぐれに「タイ王国海軍」の艦艇の方にそれてしまいましたが、本筋のフランス海軍の巡洋艦に話を戻しましょう。

敷設巡洋艦「プリュトン」(1931- 同型艦なし)

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敷設巡洋艦「プリュトン」の概観:122mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs)

同艦は高速敷設巡洋艦として1隻のみ建造されました。4700トン級の船体に、敵前での機雷敷設を想定し駆逐艦軽巡洋艦と対峙できる13.8センチ単装砲を4基搭載し、290基の機雷を搭載し、艦尾の4条の投下軌条から敷設することができました。30ノットの速力を出すことができました。

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敷設巡洋艦「プリュトン」の主要部分の拡大:敷設巡洋艦らしく艦尾の敷設軌条が目立ちます(下段)。30ノットの高速性を持ち、主砲・対空砲併せて砲兵装も強力ですので、敵前での強行機雷敷設等も想定されていたのでしょうね

1933年から砲術練習艦として運用されていましたが、施設容積を増やすための改造を1939年から受け、士官候補生の遠洋航海練習艦任務につくために艦名も「ラ・トゥール・ドーヴェルニュ」と改められました。第二次世界大戦開戦後、モロッコ沖での機雷敷設作業中に搭載機雷が爆発し沈没しました。

 

練習巡洋艦ジャンヌ・ダルク」(1931年-同型艦なし)

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(練習巡洋艦ジャンヌ・ダルク」の概観:134mm in 1:1250 by Neptun)

ジャンヌ・ダルク」は従来は旧式の装甲巡洋艦を士官候補生の遠洋航海訓練の練習艦として使用してきた仏海軍が、初めて練習艦として設計した船です。「デュケイ・トルーアン級」軽巡洋艦タイプシップとして、魚雷発射管等を減らし士官候補生用の居住施設や訓練施設を追加しています。練習巡洋艦と言いながらも、その兵装は、主砲には新設計の55口径15.5センチ連装砲を採用し、これを4基搭載、そのほかに7.5センチ単装対空砲を8基搭載するなど、従来の軽巡洋艦に匹敵するものでした。上述のように雷装は減じられましたが、水上偵察機2機と射出用のカタパルトを備えるなど、27ノットに抑えられた速力を除けば、ほぼ軽巡洋艦に匹敵する戦力を有していました。

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(練習巡洋艦ジャンヌ・ダルク」の主要部分の拡大:練習巡洋艦らしく居住性に配慮された設計が舷側のプロムナードデッキ等に表れているように思います。練習巡洋艦といいながらも主砲を4基8門、対空砲も8基、魚雷発射管も搭載しています(ちょっとわかりにくいですが、写真上段の前部煙突の下の下層プロムナードデッキ上に設置されています)。射出用のカタパルトこそ装備していませんが、2機の水偵も搭載していますし速力も27ノット出せるので、植民地警備などの任務であれば最適かと。この辺り日本海軍の「香取級」練習巡洋艦とにているかも)

第二次世界大戦勃発時には大西洋での警戒任務にあたり、独仏休戦協定の締結後(フランスの降伏、戦線離脱後)にはヴィシー政権に従いカリブ海で不稼働状態となりました。1943年に連合国の反攻が始まると自由フランス軍に加わり反攻作戦に参加しています。

 

敷設巡洋艦「エミール・ベルタン」(1934年- 同型艦なし)

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敷設巡洋艦「エミール・ベルタン」の概観:141mm in 1:1250 by Neptun)

同艦は、フランス海軍が設計した2隻目の高速機雷敷設巡洋艦です。当初の計画では前出の「プリュトン」の改良型として建造される予定でしたが、「プリュトン」の船体が小さく、搭載火力が十分でないとして、結果的には全く新しい設計の艦となりました。

7000トン級の船体を持ち、34ノットの速力を発揮することができました(公試では39ノットの速力を記録しています)。懸案の火力については、主砲に26000メートルの大射程を持つ新設計の55口径15.5センチ砲を採用し、これを新設計の三連装砲塔3基に搭載しています。他の武装としては、こちらも新設計の9センチ高角砲を採用し、これを連装砲架2基4門装備した他、55センチ3連装魚雷発射管2基も搭載、さらに水上偵察機2機を搭載し、軽巡洋艦に全く引けを取らないものでした。加えて敷設巡洋艦として艦尾に機雷投下軌条を持ち200基の機雷の搭載能力も併せ持った、万能巡洋艦でした。

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敷設巡洋艦「エミール・ベルダン」の兵装配置の拡大:艦影だけでは軽巡洋艦としか思えないのでは?バランスの取れた兵装配置が見てとれます。艦尾の形状がややそれらしいかと)

第二次世界大戦では当初、金塊輸送やノルウェー派兵の護衛任務等についたのち、休戦協定でカリブ海マルティニーク島で係留状態となりました。その後、戦況の推移に伴い自由フランス軍に参加し、米国で近代化改装を受けた後、南フランス上陸作戦等に参加しています。機雷敷設能力も併せもった万能軽巡洋艦でしたが、実戦では一度も機雷敷設の機会は巡ってきませんでした。

大戦後はインドシナに派遣された後に練習艦となり、1959年に除籍されスクラップとなりました。

 

余談ですが艦名は、日本でも三景艦(防護巡洋艦「松島級」)の設計者として親しまれているルネ=エミール・ベルダンに因んでいます。

 

「ラ・ガリソニエール級」軽巡洋艦(1936年- 同型艦6隻)

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(「ラ・ガリソニエール級」軽巡洋艦の概観:144mm in 1:1250 by Neptun)

同級は前出の敷設巡洋艦「エミール・ベルタン」を本格的な防備を施した軽巡洋艦として拡大改良したもので、船体も7600トン級まで拡大し、これに「エミール・ベルダン」に搭載した大射程の55口径15.5センチ砲の三連装砲塔3基、新設計の9センチ高角砲を連装砲架4基8門、水上偵察機4機(!)を搭載しています。代わりに魚雷発射管は連装2基とし、計画速力も31ノットに抑えていました(公試では35−36ノットを発揮しています)。

攻守に渡り全体にバランスの取れた設計で、高速性、航洋性にも優れた列強の中でも最優秀軽巡洋艦といわれています。

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(「ラ・ガリソニエール級」軽巡洋艦の兵装配置の拡大:低い艦影から安定性の高い良好な航洋性が想像できます。兵装的には雷装を控え、対空砲等に力点を置いた装備ですが、1936年当時にこの形が完成していたとは、先進性に驚きです。モデルはおそらく第二次世界大戦末期の姿だろうと想像しますが、オリジナルでは艦尾部は航空艤装に当てられていました。艦尾主砲塔上にカタパルトが装備され、スターン・バウ形式の艦尾には搭載機回収用にハイン・マット=完備方向にマットを流しその上に着水した艦載機を載せて巻き取る装備、が搭載されていました:筆者の大好きなスウェーデン海軍の航空巡洋艦「ゴトランド」のハイン・マットの解説を見つけたので、下に掲示しておきます。拝借隻はこちら)

S_ink on Twitter: "航空軽巡ゴトランドのハインマットという物が分かったのです。 https://t.co/d1Achph4vv" / Twitter

第二次世界大戦では3隻がドイツ軍のヴィシー政権下のフランス海軍の艦艇接収計画への反抗として1942年11月にトゥーロン港で自沈し、残りの3隻は自由フランス海軍に参加して大戦を生き残った後、1958年から59年まで海軍に在籍していました。

 

フランス海軍軽巡洋艦敷設巡洋艦の一覧

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(今回ご紹介したフランス海軍の巡洋艦群の総覧:手前から建造年代順に「デュケイ・トルーアン」級軽巡洋艦敷設巡洋艦「プリュトン」、練習巡洋艦ジャンヌ・ダルク」、敷設巡洋艦「エミール・ベルタン」、「ラ・ガリソニエール級」軽巡洋艦の順)

ということで、ここまでフランス海軍の第二次世界大戦期の軽巡洋艦敷設巡洋艦等の系譜を見てきました。それぞれの艦級に何かしらの新機軸が取り込まれるなど、やはりフランス海軍の艦艇はユニークですね。

 

ということで、今回はこの辺りで。

次回はこの流れでフランス海軍の重巡洋艦を見ていきましょう

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

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