相州の、ほぼ週刊、1:1250 Scale 艦船模型ブログ

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

日本海軍 空母機動部隊小史 その9-1:機動部隊の再建(新生第三艦隊)

ミッドウェー海戦(1942年6月)で主力艦隊空母4隻を一機に失った日本海軍は、早急な空母機動部隊の再建に迫られます。

とは言え、即応できる空母戦力は限られており、大型艦隊空母2隻(「瑞鶴」と7月に珊瑚海海戦での損傷を回復した「翔鶴」)、商船改造中型空母2隻(「隼鷹」1942年5月就役、「飛鷹」1942年7月就役)、艦隊小型空母「龍驤」、艦隊補助空母「瑞鳳」の6隻でした。

これらの空母を軸に、これまでの戦訓を盛り込んで、機動部隊が再建されてゆくのですが・・・。

今回はそういうお話。

 

機動部隊再建の「柱」

再建機動部隊の編成にあたっては、これまでの海戦の戦訓から、大きくは、建制艦隊への移行による艦隊全体の作戦能力強化、そして搭載航空戦力の見直し、の二つの視点で改変が加えられました。

 

第一航空艦隊から第三艦隊へ:臨時編成から建制艦隊編成に

太平洋戦争開戦以来、空母機動部隊は第一航空艦隊(空母部隊)を中心とする臨時編成の艦隊として運用されてきました。これは空母があくまで補助戦力で、「水上艦艇部隊に航空支援を与える」という運用構想に根ざした艦隊編成からスタートしたためで、「航空主兵」が明らかになった(実は日本海軍が明らかにしたのですが)太平洋戦争の諸相に対応するはこれを改める必要がありました。

このため、第一航空艦隊は解隊され、に新生第三艦隊が編成されることになりました(第一航空艦隊は後に、基地航空部隊として復活することになります)。

この編成変えにより、機動部隊司令部は艦隊運用に柔軟性を持たせることができ、特に警戒体制強化が期待されました。この点、「戦時に悠長な」と聞こえるかもしれませんが、仮の編成ではなく、一つの組織になる、ということは目的の共有等については結構重要なことだと、筆者は思います。実際に我々の今の社会でも、特に会社組織などでは柔軟に編成したつもりの臨時組織が、主体性、主導性などの視点で「どっちがやるの?」「そっちがやると思っていた」とか「指示をくれないと」といった齟齬でかえって本来狙っていたはずの行動の柔軟性を失い、時には致命的な空白が生まれる、などの事例には事欠きません。それが生死をかけた戦時であればなおのこと、ではないでしょうか?

特に太平洋戦争開戦からのこの時期、まだ個艦の対空戦闘力は未整備で十分ではなく、それをめいっぱい活用するためには、こうした編成に対する変革が必要だったのでしょうね。ある意味、成熟した官僚機構(ハンモックナンバーが重視されるなどが象徴的です)であった日本海軍においては、こうした建前での指揮系統の明確化は重要だったかも(「建制」とはそういう事も字面に内包されているのかなあ、と変な感心をしてしまいます)。

こうしたことによって、空母駆動部隊は文字通り「一つの艦隊」として新生した訳です。

 

新生第三艦隊の編成

日本海軍における第三艦隊の歴史は古く、その初代編成は日露戦争時に遡ります。しかし第一艦隊、第二艦隊が常に「主力艦による艦隊決戦」を想定して整備されたのに対し、いわゆる「それ以外の艦隊業務」を担う部隊として運用されてきました。つまり戦線の警戒や警備、陸軍の輸送路の護衛等の支援業務がそれで、太平洋戦争開戦前の日中戦争では沿岸部の邦人権益の保護、擁護がその目的とされ、開戦後には南方へ侵攻する陸軍部隊の輸送護衛、侵攻支援などに当たってきました。

ある意味、この新生第三艦隊で、初めて海軍の主戦力となった訳ですが、ではなぜ「航空主兵」の時代の主戦力として認識を得つつありながらも、第一艦隊でも第二艦隊でもないのか、という辺りには日本海軍が「艦隊決戦」に向けて設計され整備されてきた、そうした「血統」的なものの根深さがあるような気がしています。

これ以降のソロモン方面で展開される空母機動部隊の関係する戦闘でも、第三艦隊の南雲中将よりも第二艦隊の近藤中将の方が先任で、つまり指揮ができませんでした。これが改められるには、小沢中将の就任を待たねばならず、さらにその実質を見出すには統一指揮に向けて第一機動艦隊の編成を待たねばなりませんでした。(この間、約2年。官僚の変化としては異例に短かさで実現できた、というべきかも)

 

新生第三艦隊の1942年7月時点での編成は以下の通りです。

主戦力である空母部隊は旧第五航空戦隊を母体とした新編成の第一航空戦隊と旧第四航空戦隊を拡充した第二航空戦隊から構成されています

第一航空戦隊(「瑞鶴」「翔鶴」「瑞鳳」)

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(第一航空戦隊の3隻:「瑞鶴」「翔鶴」(上段)「瑞鳳」(下段))

同航空戦隊は、ミッドウェー海戦で「赤城」「加賀」を失い壊滅しましたが、「珊瑚海海戦」に参加しMI作戦に参加できなかった(「翔鶴」が米機動部隊の攻撃で被弾損傷、さらに搭載機部隊に大損害が出ていました)第五航空戦隊を母体に、空母「瑞鳳」を加えて新たに編成されました。

 

第二航空戦隊(「飛鷹」「隼鷹」「龍驤」)f:id:fw688i:20220212125653p:image

(第二航空戦隊の3隻:「隼鷹」「飛鷹」(上段)「龍驤」(下段))

同航空戦隊は、ミッドウェー海戦で「飛龍」「蒼龍」を失い壊滅しますが、MI作戦(ミッドウェー攻略作戦)に並行されて実施されたAI作戦に主力として参加した「隼鷹」「龍驤」で編成された第三航空戦隊が繰り上がり再編成されました。ミッドウェー海戦後の7月に「隼鷹」の同型艦「飛鷹」が就役し、同航空戦隊に編入されました。

 

この両航空戦隊を主軸とし、警戒部隊として以下の各戦隊が編入されました。

第十一戦隊(「比叡」「霧島」)

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(第十一戦隊の2隻:「比叡」「霧島」(下段):「比叡」は艦橋に特徴があり、「霧島」は丸みを帯びた主砲塔が特徴になっています)

同戦隊は、開戦時には第三戦隊として「金剛級高速戦艦4隻で戦隊を編成していましたが、持ち前の高速力を活かして空母機動部隊に帯同できる唯一の戦艦部隊として、機動部隊と行動を共にすることが多くありました。新生第三艦隊の編成にあたり、空母機動部隊の直衛艦部隊として新たに第三戦隊と第十一戦隊に改組されました。

 

第七戦隊(「熊野」「鈴谷」「最上」)f:id:fw688i:20220212165239p:image

(第七戦隊の2隻:「鈴谷」「熊野」(下段))

同戦隊はミッドウェー海戦では同島攻略部隊本隊の第二艦隊に所属していましたが、上陸に先駆けた艦砲射撃と機動部隊壊滅後の夜戦に備え前衛に進出中に反転帰投命令を受けています。その後、米潜水艦の回避行動中に「三隈」と「最上」が衝突し両艦は一時行動不能になりました。翌朝の米軍機の襲撃で「三隈」が撃沈され、「最上」は大損害を受けました。その後。「最上」は損傷回復時に航空巡洋艦への大改装を受けることとなり、この新生第三艦隊編成の時期には改造工事の途上にあり、序列はされたものの、工廠にあって戦線にはありませんでした。

 

第八戦隊(「利根」「筑摩」)f:id:fw688i:20200607142735j:image

(第八戦隊の2隻:「利根」「筑摩」(奥))

同戦隊は太平洋戦争開戦以来、持ち前の航空索敵能力を活かし空母機動部隊に帯同してきました。今回の新生第三艦隊編成時にも引き続き、機動部隊に残りました。

ミッドウェー海戦時には同戦隊の搭載水上偵察機による索敵は重要な要件でしたが、諸般の事情で発進が遅れるなどの状況が生じ、米機動部隊の発見が遅れる要因の一つとなりました。少し穿った見方をすると、この発進の遅れ等も、前述の第一航空艦隊の編成上の課題(臨時編成による指揮系統の曖昧さ)が大きく作用していた可能性があります。具体的には搭載機の故障等による発進の遅れもありましたが、それ以外にも警戒部隊指揮官による敵機動部隊の索敵機の発進よりも機動部隊周辺の対潜哨戒を優先した判断があったようです。

 

第十戦隊(「長良」「陽炎級駆逐艦16隻)

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(第十戦隊:旗艦「長良」と「陽炎級駆逐艦

同戦隊は軽巡洋艦「長良」を旗艦とし、「陽炎級駆逐艦16隻で編成されています。第十戦隊自体はミッドウエー海戦でも空母機動部隊の警戒部隊を務めています。「陽炎級駆逐艦を従来の3個駆逐隊12隻から4個駆逐隊16隻に強化した編成となりました。

 

航空戦隊の改編:搭載機兵力の見直し

開戦依頼、破竹の進撃を続けてきた空母機動でしたが、以前から、空母部隊の直衛戦闘機の不足は課題になっていました。これを補うために、「珊瑚海海戦」では試験的に小型空母「祥鳳」を第五航空戦隊に編入し、「祥鳳」の艦載機部隊に機動部隊の上空直衛を担当させ、「瑞鶴」「翔鶴」には敵艦隊への攻撃に比重を置く、という運用をテストする予定でした。しかし、ポート・モレスビー攻略の役割を負った陸軍部隊からの輸送船団への直掩航空支援の要請等のために、「祥鳳」は輸送船団直衛の任務にあたったため、この構想は実現できませんでした。

続くミッドウェー海戦では、さらにこの空母上空の直衛部隊の不足が露呈し、攻撃隊の護衛機を減らしてまでも実施した空母上空の防衛戦であったにもかかわらず、結局、この防衛の空白をついた攻撃で4空母が被弾、喪失するという結果となりました。

この戦訓から、新編成の航空戦隊はこれまでの2隻編成を改め、大型(中型)攻撃空母2隻と、小型上空直衛専任空母1隻、都合3隻編成として、上空警戒能力を充実させました。

 

一方で、攻撃空母の艦載機構成も見直しが行われました。それまでの艦隊決戦構想における「漸減戦術」の骨子に沿った主力艦に対する魚雷攻撃重視の艦載機構成から、制空権確保のための航空決戦に第一義を置いた戦闘機、艦爆重視の艦載機構成への変更が行われました。

制空戦闘機による突入路確保に続き艦上爆撃機による空襲で飛行甲板を撃破し敵空母の航空戦闘力を奪い、その後、雷撃機が止めを指す、そのような手順を目指す搭載機構成が行われた訳です。例えば、「瑞鶴級」の搭載機の定数構成を見ると、開戦時には艦上戦闘機18機、艦上爆撃機27機、艦上攻撃機24機であったものが、艦上戦闘機27機、艦上爆撃機27機、艦上攻撃機18機に改められました。

第二航空戦隊の「隼鷹級」ではさらにこの傾向が顕著で、新編の第二航空戦隊編入時の艦載機の定数構成は艦上戦闘機21機、艦上爆撃機18機、艦上攻撃機9機でした。

 

空母自体の改良

こうした上述の部隊構成に関する改変の他に、特に旧第五航空戦隊の二空母(「瑞鶴」「翔鶴」)については、珊瑚海海戦後の損傷回復時に、いくつかの改良が行われました。

その大きなものは出火対策の強化と索敵能力の強化であり、前者については可燃物の排除が徹底され(壁面のペンキを剥がし、素材剥き出しとする、とか)、移動式消火ポンプの増設、煙突冷却装置の火災時転用の具体化などが挙げられて、その後の同級の生存性を高める効果がありました。

後者については、電探装置(レーダー)の装備による対空見張りの強化が目指され、まず「翔鶴」がこれを装備したのでした。

 

さらに対空兵装(対空機関砲)の増設が行われました。

 

一方で課題もあり、その大きなものは損失航空機の補充の難しさと、それに伴う搭乗員練度の低下が挙げられるでしょう。

特に戦闘機の補充が難しく、当時の月間100機に満たない生産能力では、機動部隊以外の部隊の損害補充等も考慮すれば、「珊瑚海海戦」「ミッドウェー海戦」での損失機の補充は容易ではありませんでした。

搭載機が揃わねば当然練度上昇の訓練などは行えず、就役したての「飛鷹」を加えた第二航空戦隊では出撃の準備が整わず、編成としての六空母体制が取れないまま、次に発生する空母決戦「第二次ソロモン海戦」を迎えることとなります。

 

この後、「第二次ソロモン海戦」のお話に入っていくのですが、この海戦を語るには「ガダルカナル攻防」の意義に触れねばならず、あまり簡単なお話ではなくなると思いますので、今回はこの辺りで。

 

という訳で次回は「第二次ソロモン海戦」のお話を。

あるいは今回は機動部隊再建を既存艦艇の視点でご紹介しましたが、一方で空母戦力の補充についての検討も行われましたので、その辺りのお話を先にするかも。

 

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。「以前に少し話が出ていた、アレはどうなったの?」というようなリマインダーもいただければ。

 

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