ワシントン海軍軍縮条約の失効
ワシントン条約の制限は、1930年のロンドン海軍軍縮条約によって拡張及び修正が行われた。しかしもはや参加諸国に条約を継続する意思はなく、条約は1933年に失効する。(史実では、失効は1936年)
この条約失効には、日本が建造した相模級戦艦の諸元が、実際には公称と異なり大きく条約の制限を超えていたこと、日本がなし崩しに条約継続時の条約制限を相模級戦艦に合わせようと目論んで活動したことが、大きく働いたと言われている。
何れにせよ、この「もうひとつのワシントン条約下」では、日本は、満州に発見した北満州油田と遼河油田の権益確保のために、1932年に満州帝国を建国(史実どおり)、これを認めず満州地域は中国主権下にあるべきとする国際連盟を1933年に脱退した(史実どおり)。
八四艦隊体制から八九艦隊体制に
条約失効時には日本海軍は八四艦隊体制を完成させており、あわせてすでに金剛代艦級と言われる畝傍級巡洋戦艦2隻、巡洋戦艦信貴の建造に着手しており、さらに改畝傍級ともいうべき高千穂級巡洋戦艦2隻の設計も始められていた。
1939年には以下の形で八九艦隊体制が完成した。
相模級戦艦(相模、近江):18インチ砲8門、48,000トン、28.5ノット)
紀伊級戦艦(紀伊、尾張):16インチ砲10門、42,000トン、29.5ノット)
加賀級戦艦(加賀、土佐):16インチ砲10門、40,000トン、26.5ノット)
長門級戦艦(長門、陸奥):16インチ砲8門、33,800トン、26.5ノット)
金剛級(巡洋)戦艦(金剛、比叡、榛名、霧島):14インチ砲8門、27,000トン改装後32,000トン、27.5ノット改装により30ノット)
畝傍級(巡洋)戦艦(畝傍、筑波):16インチ砲10門、40,000トン、30ノット)
(巡洋)戦艦信貴:16インチ砲9門、40,000トン、30ノット)
高千穂級(巡洋)戦艦(高千穂、白根):16インチ砲10門、40,000トン、30ノット)
*1939年 呼称を「戦艦」に統一
各級の近代化改装の計画が進行する一方で、新型戦艦の設計も進めれていた。新型戦艦は、すでにワシントン条約の制限がなく、画期的なものになるはずであった。
こうした動きはまた次回以降に。
再び、軍備拡張への取り組みが進められ、戦雲が動き始める。
ヴェルサイユ条約下のドイツ海軍
ドイツはヴェルサイユ条約によって莫大な賠償金、領土のフランス、ポーランド等への割譲、非武装地域の設定、更に軍備制限を受けていた。
第一次世界大戦前には英国に次ぐ世界第2位の威容を誇っていた海軍は、沿岸警備に限定して保有が認められ、具体的には以下のような制限がかけられていた。
保有艦艇の制限:前弩級戦艦6隻 軽巡洋艦6隻 駆逐艦・水雷艇各12隻
**戦闘艦の新造には制限があったが、上記の前弩級戦艦の代艦に限って、1921年以降「基準排水量1万トン以下で主砲口径も28cmまで」の“装甲を施した軍艦”の建造が認められていた。
この前弩級戦艦の代艦枠を用いて、ドイツ海軍は画期的な戦闘艦を建造する。
条約での代艦建造の際の制限の主旨は、前弩級戦艦以上の強力な戦闘艦を持たせない、というところであったが、ドイツ海軍はこれを逆手にとって、列強の重巡洋艦並みの船体に、重巡洋艦を上回る砲撃力を搭載し、併せてディーゼル機関の搭載により標準的な戦艦を上回る速力を保有し、かつ長大な航続距離を有する戦闘艦を生み出した。
ドイッチュランド級装甲艦である。小さな船体と強力な砲力から、ポケット戦艦の愛称で親しまれた。
ディーゼル機関の採用により長大な航続距離を有するこの艦が通商破壊活動に出た場合、条約の制限内で指定された11インチ主砲は、その迎撃の任に当たる当時の列強の巡洋艦に対しては、アウトレンジでの撃破が可能であり、27−28ノットの速力は、列強、特に英海軍の戦艦を上回った。これを捕捉できる戦艦は、当時は英海軍のフッド、リナウン級の巡洋戦艦、あるいは日本海軍の金剛級巡洋戦艦、紀伊級戦艦、相模級戦艦くらいしか存在しなかった。
(1933-, 10,000t, 27-28 knot, 11in *3*2, 3 ships, 148mm in 1:1250 by Hansa)
ドイッチュラント級装甲艦3隻:手前からグラーフ・シュペー、アドミラル・シェーア、ドイッチュラント)
(ライバルとの艦型比較:上からドイッチュラント、英重巡洋艦ケント、英重巡洋艦エクゼター)
ポケット戦艦と言われながらも、当然、戦艦等の能力には及ばず、特に1万トンの制限内で11インチ主砲、ディーゼル機関等を搭載したため、防御装甲に割ける重量は相当に限定され、例えば8インチ主砲を有する重巡洋艦との戦闘の場合、28,000メートル以下の中距離では、貫通されるおぞれがあった。
が、その主要任務が通商破壊である限りでは、戦闘を伴う危険は可能な限り回避すべきであり、その運用の限りでは重大な問題ではなかったと言ってもいい。
この画期的な戦闘艦の建造は、周辺諸国を大いに刺激した。特にフランスは、その長大な航続距離に脅威を覚え、これに対抗するためと称して、ダンケルク級戦艦を起工した。さらにダンケルク級起工に刺激され、この新戦艦に対応するためにイタリア海軍がコンテ・ディ・カブール級とアンドレア・ドリア級の近代化大改装を、英海軍がリナウン級巡洋戦艦、巡洋戦艦フッドを改装する予算を獲得するなど、新戦艦時代到来の火付け役となったと言ってもいい。
また、一方でドイツ海軍の視点に立てば、ダンケルク級戦艦の建造は、まさにドイッチュラント級装甲艦の存在を脅かすものであり、ドイツ海軍はこれに対抗するべく、次級シャルンホルスト級に着手する。
ドイツ再軍備宣言と英独海軍協定、そして新戦艦時代の開幕
ヴェルサイユ体制による重度の賠償責任等により、ドイツ経済は疲弊の極みにあり、その混乱の中で1934年、ヒトラーが首相と大統領の両機能を統合し国家元首に就任し政権を握る。
1935年、ヒトラーはヴェルサイユ条約の軍事制限条項を破棄し再軍備を宣言する。
同年、再軍備は受け入れざるを得ないとしながらも、その拡張に歯止めをかけるべく英独海軍協定が結ばれ、総トン数で英海軍の35%、潜水艦保有も英海軍の45 %まで保有が認められた。
これにより戦闘艦の建造制約が名実ともになくなり、ドイッチュラント級装甲艦の強化型として建造される予定で、フランスのダンケルク級戦艦への対抗上から設計を大幅に見直されていたシャルンホルスト級は、30,000トンを超える本格的な戦艦として起工された。
(1939-, 31.500t, 31.5 knot, 11in *3*3, 3 ships, 191mm in 1:1250 by Hansa)
シャルンホルスト級戦艦は当初、前述のように、フランス海軍によって建造されたダンケルク級戦艦に対抗するべく誕生した。この為、主砲は、当初15インチ砲の搭載を想定したが、建造時間を考慮しドイッチュラント級と同様の11インチ砲3連装砲塔を1基増やし9門に増強するにとどめた。一方でその装甲はダンケルク級の33センチ砲弾にも耐えられるものとし、ドイツ海軍伝統の防御力に重点を置いた艦となった。
速力は重油燃焼高圧缶と蒸気タービンの組合せにより、31.5ノットの高速を発揮した。
(シャルンホルスト級3隻:手前からグナイゼナウ、マッケンゼン、シャルンホルスト)手前味噌的な記述になることを恐れずに言うと、本級はバランスのとれた美しい外観をしている、と感じている。
15インチ主砲への換装により、本格的戦艦に
のちに、11インチ主砲はビスマルク級戦艦と同様の15インチ連装砲に置き換えられ、攻守にバランスのとれた、加えて31.5ノットの高速力を持つ優秀艦となった。
特に31.5ノットの高速性能は、当時、ヨーロッパにはこれを捕捉できる戦艦がなく、ヨーロッパ諸国の危機感を強く刺激した。
(主砲を15インチ連装砲塔に換装後のシャルンホルスト級3隻:手前からシャルンホルスト、グナイゼナウ、マッケンゼン)
さて、次回はいよいよビスマルク級戦艦とその発展形であるZ計画。さらにこれに対抗する英仏伊などヨーロッパの主列強の新戦艦建造などを、2回程度に分けてお送りしたい。
そしてその後、いよいよ舞台を太平洋に移し日米の新戦艦建造、保有戦艦の近代化大改装などを。
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これまで本稿に登場した各艦の情報を下記に国別にまとめました。
内容は当ブログの内容と同様ですが、詳しい情報をご覧になりたい時などに、辞書がわりに使っていただければ幸いです。