相州の、ほぼ週刊、1:1250 Scale 艦船模型ブログ

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

日本海軍 空母機動部隊小史 7:艦隊決戦構想の崩壊:ミッドウェー海戦(その2)

ミッドウェー海戦の二回目。いよいよ日米の空母機動部隊が激突します。

 

ちょっとおさらい。

MI作戦の概要

繰り返しになることを恐れずに記すと、この作戦(MI作戦)は、長期の総力戦では勝機を見いだせない日本海軍が、一時的に現出できた数的(多分、質的にも)優位の状況に乗じて艦隊決戦(この場合は空母機動部隊戦)を実施し、米海軍の戦闘力の残された片腕もへし折ってしまい、戦争継続を困難にすることを狙った作戦でした。

ja.wikipedia.org

その主役たる両軍の機動部隊と航空戦力を大雑把に比較しておくと、日本海軍が空母4隻に搭載機263機であるのに対し、米海軍は空母3隻に搭載機235機を搭載し、これにミッドウェー島の基地航空部隊137機をあわせて372機が戦闘海域に展開していました。つまり、もちろん戦闘当事者たちは正確に知る由もなかったのですが、そもそも米海軍の残存兵力(真珠湾で戦艦部隊は動けなくしたので、残るは空母部隊)の一掃を企図して実施された同作戦が日本海軍が実施前提として現出できていると信じていた「局地的(数的・質的)優位」が必ずしも実現できていなかった、ということなのです。

 

さらに言うと、日本の機動部隊は6隻の空母の集中運用(当時、これだけの空母を集中運用できたのは、可能性としては日本海軍と米海軍だけで、運用構想を持っていたのは日本海軍だけでした)による打撃力の確保を目指し編成されたもので、本来は空母2隻を含むもう一つの航空戦隊(第五航空戦隊)が編成に加わっているはずでした。つまり、MI作戦立案時点では空母6隻と搭載機約400機を根幹戦力とする編成の機動部隊が作戦に投入される予定だったわけです。しかし、先行して実施されたMO作戦に第五航空戦隊が派出され、受けた損害でMI作戦への参加が不可能になってしまっていたのでした。

 

日本海軍の作戦の「精緻」さ

この艦隊決戦構想を軸に、しかし日本海軍特有の「精緻」さが、これにいくつも枝葉をつけてしまったように見えています。

MI作戦自体ですら、そもそもが本格的なミッドウェー島攻略が付帯しています。このために南方資源地域の攻略戦を一手に担ってきた歴戦の第二艦隊(近藤中将)が動員され、陸軍の上陸部隊さえ手配されます。

さらに大きな枝葉として、AL作戦(アリューシャン攻略)が付加されます。これは東京空襲の再発を防ぐ、という狙いがあったとされますが、早期講和への道筋をつけるための「艦隊決戦」の「ついで」に実施する作戦だったのかどうか、疑問に思えます。

作戦全体の戦力配置を見ておくと、

1)潜水艦部隊(第六艦隊):米艦隊の行動への索敵線を展開します。

2)MI空母機動部隊(第一航空艦隊:南雲機動部隊):ミッドウェー島への空爆と、それに誘引され反撃に出現するであろう米空母部隊の撃滅に任じます。

3)MI攻略部隊(第二艦隊):陸軍一個連隊基幹のミッドウェー島への上陸部隊の輸送護衛、上陸作戦支援にあたります。

4)AL作戦部隊(第五艦隊、第四航空戦隊基幹の第二機動部隊):ミッドウェー島攻略に伴い、日本の前哨線は大きく前進しますのでその側方線の確保に向けて、北方アリューシャン列島方面でも前線を押し上げる作戦が展開され(陸軍一個連隊基幹)、これを支援することが任務です。

5)連合艦隊本隊(第一艦隊基幹):全作戦を総覧・指揮するために連合艦隊司令部が出撃します。(機動部隊から550キロの後方)

一見、「精緻」で重厚な配置に見えますが、実は作戦主力となるMI機動部隊(南雲機動部隊)を比較的近くから支援できる艦隊はMI攻略部隊(第二艦隊)しかありませんでした。実際に南雲機動部隊が危機に陥った際にも、即応して駆けつけられる部隊はなく、投入された戦力間の連携に対する思慮があったのか疑問です。

 

「精緻」の要件として、上記の作戦地域への艦隊の多方面展開に加え、作戦立案におけるタイムテーブルの「精緻」さ、も見ておくべきかもしれません。

例えばMI作戦の本筋であるミッドウェー島攻略を取り上げても、南雲機動部隊がミッドウェー島への空襲で同島の防御を無力化し、その二日後に同島への上陸作戦が展開されるようなタイムテーブルが組まれ、南雲機動部隊と攻略部隊本隊の距離が割り出されていました。更にこれを支援すべく、連合艦隊本隊(第一艦隊+連合艦隊司令部部隊)が続いて出撃しているのですが、このような精緻な進行計画が有効だったのかどうか、甚だ疑問です。相手が想定通りに行動してくれる、あるいは相手の力量がこちらの思惑を超えていた場合には、この予定表はすぐに齟齬をきたすわけです。

これに関連した例をもう一つ挙げるとすると、連合艦隊の指示で、南雲機動部隊はミッドウェー島空襲部隊を出撃した後、敵機動部隊の出現へに備えて対艦装備(雷装)の第二次攻撃隊を空母に待機させることになっていました。本当にこの指示が必要だったのでしょうか?二日以内のミッドウェー島基地無力化の目標を与えられながら、基地には反復攻撃を出せない状況を、この指示は作り出してしまったわけです。

ミッドウェー島攻撃隊からの「第二次攻撃の要あり」の一報により、南雲機動部隊司令部の対応の迷走が始まるわけですが、その根底には、この一見「艦隊決戦」を主眼とした「精緻」な作戦構想に基づく兵装配備に至るまでの指示があったと言えるでしょう。

史実を知る我々から見れば、この連合艦隊の兵装指示は「正しかった」と見え、一般的にはこの指示を守らなかった南雲機動部隊の指揮の不手際が責められることが多いように見受けますが、その大本がどこにあったのか、考えるべきだと思っています。

二日間という期限を切られた「ミッドウェー基地の無力化」という目標を課せられている以上、南雲機動部隊としては兵装転換を行うしかなかった、と筆者は考えます(対艦装備=魚雷で、陸上施設は攻撃できませんからね。或いは、基地攻撃は一撃だけ、という指示が合わせて出されていれば、とは思いますが、この場合には基地は放置しておくことになり、それはそれで問題がありそうです)。やはりこちらのタイムテーブル通りに敵が出現してくれる都合の良いシナリオに合わせた指示には弊害が多いと言えるでしょうね。

複数の目標を抱き合わせた、場合によっては戦力の分散までも選択肢に含む作戦立案、目標優先度の意図共有の徹底の欠如、これらは本稿でも「レイテ沖海戦」等で見てきた通り、日本海軍が内包していた構造的な、そして致命的な課題であるように考えるのですが。

 

いずれにせよ、作戦立案段階で「艦隊決戦」に向けて本来集中されるべきであった戦力が分散されます。もう少し踏み込むと、本来は作戦目標を絞り込んででも優先目標に集中投下されるべきではないのかと。

 

ミッドウェー海戦の経緯概略ja.wikipedia.orgいつもなら「経緯等は優れた記述にお任せするとして」と始めるのですが、あらあらにでも経緯を見ておいたほうが良いかと。(青字小見出し日本海軍の動き、赤字小見出しは米海軍の動きを示しています)

 

ミッドウェー島攻撃隊発進(現地時間4:30):以後()内は現地時間f:id:fw688i:20211226130903p:image

(MI作戦時の南雲機動部隊の空母群:「赤城」(上段左)「加賀」(上段右)「蒼龍」(下段左)「飛龍」(下段右))

日本時間65日午前130(4:30)、南雲機動部隊はミッドウェー空襲隊(友永丈市大尉指揮:零式艦上戦闘機36機、九九式艦上爆撃機36機、九七式艦上攻撃機36機、合計108機)を発進:攻略部隊(第二艦隊)がミッドウェー島に上陸する日は6月7日の予定で、南雲機動部隊はそれまでにミッドウェー基地の戦闘力を奪うことが求められていました。

各空母からの発艦機数は、赤城から零戦9機、九九艦爆18機、加賀から零戦9機、九九艦爆18機、蒼龍から零戦9機、艦攻18機(800キロ爆弾装備)、飛龍から零戦9機、艦攻18機。このうち、この時点で四空母に残った戦力は、零戦36(各艦9)、艦爆36(飛龍18、蒼龍18)、艦攻41(赤城17、加賀26)。艦攻には航空機用魚雷、艦爆には250キロの通常爆弾が装着:つまり米機動部隊が出現した際の対応として、対艦攻撃装備で待機していました。これは連合艦隊司令部の作戦指示だったようですね。

上記の攻撃隊発進に前後して米機動部隊に対する索敵機が発進しています(4:35-5:00)

九七式艦攻2機、重巡洋艦、戦艦から水上偵察機計5機が発信する予定でしたが、対潜哨戒機の発進が優先され、索敵機の発進には微妙なズレが生じていました。

 

日本海軍機動部隊発見される(5:15)

米ミッドウェー基地の飛行艇は日本軍索敵機を発見。この索敵機の位置からたどり、5:15に南雲機動部隊を発見しました。「日本空母1、ミッドウェーの320度、150浬」と平文で報告しています。

米軍基地航空隊攻撃隊発進・母艦攻撃隊準備(6:00)

ミッドウェー基地では午前3時(06:00)に迎撃の戦闘機26機(バッファロー20機、ワイルドキャット6機)が出撃し、続いてTBFアベンジャー雷撃機6機、B-26マローダー爆撃機4機、SB2Uビンジゲーター急降下爆撃機12機、SBDドーントレス急降下爆撃機16機という混成攻撃隊が南雲部隊へ向けて発進しました。

 

ちょっと航空機のご紹介

(脱線しちゃってすみません。艦船模型のご紹介のブログなんですが、今回のお話では新しい艦船模型が見当たりません。せめて飛行機の模型でも、と、これは言い訳です。例によって紹介する航空機模型はすべて1:144スケールです)

F2A艦上戦闘機

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(直上の写真:筆者の手持ちストックから1:144のF2Aフィンランド空軍仕様。米海軍仕様は持っていません。F-toys ウイング・キット・コレクション Vol.9から。全長55mm 翼端長74mmの可愛いモデルです。太平洋戦争当時には既に旧式とみなされ、海兵隊等で使用されていました。一部は輸出仕様で生産され、特に写真のフィンランド空軍では大活躍)

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フィンランド軍の話はこちらでも。

fw688i.hatenablog.com

 F4F艦上戦闘機

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(F4F艦上戦闘機の概観:1:144スケールのモデルです。全幅:80mm  全長:63mm:太平洋戦争開戦当時の米海軍の主力艦上戦闘機でした。元々は海軍の次期艦上戦闘機の競争試作段階で上掲のF2Aバッファローに敗れた機体でしたが、構造の強靭さと量産性の高さから、開戦時には海軍の主力戦闘機の座に収まっていました。12.7mm機関砲を4門という強力な火力を有していましたが、航続距離と上昇力では零戦21型に大きく及びませんでした)

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(ライバル:零式艦上戦闘機21型とF4Fワイルドキャットの比較:F4Fはずんぐりしたフォルムですので随分小さいなあという印象だったのですが、こうして比較するとほとんど大きさに大差がないことがわかります)。

 

TBF艦上攻撃機

 f:id:fw688i:20211226154155p:image(TBF艦上攻撃機の概観:全幅:113mm  全長:86mm:海軍、海兵隊の太平洋戦争時の主力雷撃機です。実はミッドウェー海戦が実質上の初陣で、わすかですが基地航空隊に配備されていました。大型の燃料タンクを装備し、航続距離を伸ばすとともに、防弾性に優れた機体設計になっています。魚雷は腹部の格納槽に収納する構造でした(右下)。やがて日本海軍にとっては重大な脅威となってゆきます)

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SBD艦上爆撃機

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(SBD艦上爆撃機の概観:全幅:86mm  全長:71mm:海軍、海兵隊の太平洋戦争時の主力艦上爆撃機です。以下の経緯で次第に明らかになりますが、ミッドウェー海戦のMVPです。艦爆としては十分な爆弾積載能力と、良好な運動性能を保有していました)

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SB2U艦上爆撃機

(模型は所有していません。1:144スケールでもレジンキットは出ているようです。日本の安芸製作所というメーカーさんです。二翅プロペラがいい感じの時代感を表していますね。絶版状態?入手できるかな)

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(前出のSBDの先代の米海軍の艦上爆撃機でした。ミッドウェー海戦当時には既に旧式とみなされ、海軍の陸上基地部隊、海兵隊等の装備となっていました。後継機のSBDに比べ、爆弾の搭載量が少なく、航続距離が短い機体でした)

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B-26陸上爆撃機

(模型は所有していません。ミニクラフトから模型が出ていますね。これは比較的入手しやすそうですね。このメーカー、モデルによっては当たり外れがありそうなので、どなたか内容ご存知の方、いらっしゃれば教えてください。作り手の腕次第だろう、って?その通りなのです。だからこそ、うかがっているのですが

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(陸軍が保有した高速双発爆撃機です。高速の反面、操縦は難しく事故が多発したとも言われています。陸軍機としては珍しく胴体下に魚雷を懸架することが可能で、ミッドウェー海戦でも雷撃機として参加しています。日本海軍の一式陸上攻撃機より一回り小さい機体ですが、爆弾の搭載量などでは、約1.5倍の搭載が可能でした)

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同時に、基地経由で日本軍空母発見の報告を受けたフレッチャー少将は、エンタープライズスプルーアンスに対して攻撃を命令しました。アメリカ海軍の3空母は直ちに出撃準備を開始、スプルーアンスエンタープライズとホーネットの攻撃隊発進を午前4時(07:00)と指定しています。

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(米機動部隊は「ヨークタウン級」空母三隻で編成されていました。航空母艦「ヨークタウン」の概観:198mm in 1:1250 by Neptun:「ヨークタウン」は艦番号「5」、「エンタープライズ」は艦番号「6」、一番就役の遅かった「ホーネット」は艦番号「8」が付与されていました)

 

ミッドウェー島空襲(6:30)

午前316分(06:16、ミッドウェー基地上空に舞い上がり日本軍空襲部隊を待ち構えていた米軍戦闘機隊は日本軍攻撃隊(友永隊)107機を発見。このため戦闘は、当初、米軍戦闘機の奇襲で始まり、先頭を飛行中の艦攻多数が被弾しました。攻撃隊護衛の零戦隊が逆襲に転じて戦闘機同士の約15分の空中戦の結果、バッファロー戦闘機20機のうち13機、F4Fワイルドキャット戦闘機6機のうち2機が撃墜され、帰還したバッファロー5機、ワイルドキャット2機が使用不能となり、残存する使用可能機は2機になっていました。

日本軍攻撃隊は午前330分(06:30)から午前410(07:10)にかけて空襲を実施しました。ただし、前述のように基地航空機は全て上空戦闘、あるいは南雲機動部隊攻撃に発進していたため、基地はほぼ空で、基地機能を奪ったという実感は得られませんでした。

このため攻撃隊隊長(友永大尉)は午前4時(07:00)、南雲機動部隊に対し「カワ・カワ・カワ(第二次攻撃の要あり)」と打電しています。

この空襲で、日本軍攻撃隊は、艦攻5機(水平爆撃)、艦爆1機、零戦2機を失い、隊長機(友永大尉機)を含め艦攻16、艦爆4、戦闘機12(修理不能2)が損傷していました。

 

米軍基地雷撃隊の攻撃(7:05)

一方、午前45(07:05)、ミッドウェー基地から発進したTBFアベンジャー雷撃機6機(フィバリング大尉)と、爆弾の代わりに航空魚雷を抱えたB-26マローダー双発爆撃機4機が南雲機動部隊に襲来します。

直掩の零戦10機が迎撃し、アベンジャー6機のうち3機は直掩機により撃墜され、残り2機も投下後に撃墜され、生還したのは一機でした。B-26は2機が撃墜され、生還した2機もひどく損傷して放棄されています。雷撃による損害はありませんでしたが、戦闘による通信空中線の破損で旗艦「赤城」の通信能力に支障が生じています。

 

爆装への転換指示(7:15)

午前415分(07:15、南雲司令部は第一次攻撃隊隊長の「第二次攻撃の要あり」の報告を受け、各艦で対艦装備で待機中の攻撃隊を基地への第二次攻撃に目標を変更することを決定、爆装への兵装転換を命じました。この魚雷から爆弾への転換には1時間半から2時間かかる見込みでした。あわせて燃料補給と弾薬補給を求める直掩戦闘機が着艦するため飛行甲板を開けねばならず、兵装転換作業は各空母格納庫で行われることになりました。

 

米第16任務部隊、攻撃隊発進(7:00)

午前37(06:07)フレッチャー少将はスプルーアンス少将に攻撃命令を出し、これを受けたスプルーアンス少将は午前4時(07:00)過ぎに攻撃隊発進を命令、第16任務部隊は次の117機の攻撃隊を発進させました。

両空母から発進した攻撃隊の詳細は以下のとおりです。

空母エンタープライズ: F4F戦闘機10機(VF-6、指揮官:ジェームズ・グレイ大尉)/ SBD爆撃機33機(指揮官:第6航空群司令クラレンス・マクラスキー少佐、VB-6、指揮官:リチャード・ベスト大尉、VS-6、指揮官:ウィルマー・ギャラハー大尉)/TBD雷撃機14機(VT-6、指揮官:ユージン・リンゼー少佐)

空母ホーネット: F4F戦闘機10機(VF-8、指揮官:サミュエル・ミッチェル少佐)/SBD爆撃機35機(VB-8、指揮官:ロバート・ジョンソン少佐、VS-8、指揮官:ウォルター・ローディ少佐)/TBD雷撃機15機(VT-8、指揮官:ジョン・ウォルドロン少佐)

 

TBD艦上攻撃機

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TBD艦上攻撃機の概観:全幅:106mm  全長:76mm:安芸製作所製のレジンキットです。Mk.13魚雷は、TBFから拝借しています。独特のフォルム、いいですねえ。魚雷の装備角度も独特です(下段)。:海軍、海兵隊の太平洋戦争時の主力艦上爆撃機です。完成当時は世界最高の雷撃機と称賛されていましたが、既に旧式化しており、先述のTBF艦上攻撃機が後継機種として配備され始めていました。特に航続距離が短く(Mk.13魚雷搭載時には700kmしかありませんでした)、かつ速度が遅く(330km)、他機種との連携が難しく、ミッドウェー海戦でも雷撃隊単独での攻撃が行われ、遅い雷撃時の速度(180km程度)も相まって実に被撃墜率83%と言う損害を出しています)

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ちょっと余談:航空魚雷の話

(下の写真は日米の航空魚雷の比較。上は米海軍の代表的なMk.13魚雷(4090mm)。下が日本海軍の91式魚雷(5270mm)。随分、長さが異なります。写真はいずれも1:144スケールのモデルの付属部品ですが、Mk.13はやや縮小し過ぎ、91式はもう少し短くても、と言う感じです。でも、お見せしておきたかったのは、一口に航空魚雷と言っても、随分設計が異なるなあ、と言うところです)

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第17任務部隊、攻撃隊発進(8:30)

さらに第17任務部隊(フレッチャー少将)も、警戒のために出していた偵察機(当日はヨークタウンが警戒担当)の収容を終えた後の午前530分(8:30)に、次からなる35機の攻撃隊を発進しました。

空母ヨークタウン: F4F戦闘機6機(VF-3、指揮官:ジョン・サッチ少佐)/ SBD爆撃機17機(VB-3、指揮官:マクスウェル・レスリー少佐)/ TBD雷撃機12機(VT-3、指揮官:ランス・マッセイ少佐)

 

索敵機の報告「敵らしき物見ゆ」(7:28)

午前428分(7:28、利根の水上偵察機が南雲機動部隊司令部に対して「敵らしきもの10隻見ゆ、ミッドウェーより方位10度、240浬 (南雲機動部隊から200浬)」と米機動部隊に関する最初の情報を発信しています。

 

米基地航空隊の波状攻撃(7:55-)

午前455分(7:55)、前述の通り6:00にミッドウェー基地を発進したアメリ海兵隊所属のSBD ドーントレス爆撃機16機が南雲機動部隊への攻撃を仕掛けました(指揮官:ヘンダーソン少佐)。母艦上空の警戒に当たっていた直衛戦闘機隊により、隊長機以下8機が撃墜され、日本艦隊に損害はありませんでした。ちなみにこの攻撃隊の指揮官の名前が、2ヶ月後、米軍が上陸占領したガダルカナル島の基地につけられています。

続けて午前510分(8:10、B-17爆撃機17機(スウィニー中佐指揮)による空襲が、そして最後に海兵隊のSB2Uビンディケーター爆撃機11機(ノリス少佐)による空襲が行われました。B-17部隊は高空からの水平爆撃で、爆撃隊に損害はありませんでした。一方、ノリス隊は攻撃時の戦闘で1機を失い、帰途2機が燃料切れで基地に戻れませんでした。

 

南雲機動部隊攻撃隊帰還・米機動部隊発見(8:30)

午前5(08:00)から午前530分(08:30にかけて、ミッドウェー基地を攻撃した日本軍攻撃隊(友永隊)が南雲機動部隊上空に戻ってきています。損傷機も多く、燃料切れのおそれのある機体を多く含んでいました。

午前5時20分(08:20)ごろ、「敵兵力は巡洋艦5隻、駆逐艦5隻(0509発信)」

午前5時30分(08:30)、「敵はその後方に空母らしきもの一隻を伴う。ミッドウェー島より方位8度、250浬(発午前5時20分)」

という索敵機からの敵機動部隊に関する二報が相次いでもたらされ、機動部隊司令部は兵装の選択と、攻撃部隊の発進か、帰還部隊の収容かいずれを選択するかの決断に迫られます。南雲司令部が検討すべき条件は以下のとおりでした。

1. 次の攻撃隊のうち第一航空戦隊(赤城・加賀)に待機中だった九七艦攻には、先の陸用爆弾への兵装転換の命令で陸用爆弾への換装を完了した機が少なく、再転換は比較的短時間で終わる見込み。艦船への攻撃は、水平爆撃では効果が期待できず、魚雷攻撃が望ましい。第二航空戦隊(飛龍、蒼龍)の艦爆の爆装転換は短時間で行える。

2. 上空待機中の日本軍ミッドウェー基地空襲隊(空襲から帰還しつつある約100機)の燃料が尽き掛けており、この収容をしない場合、以後の航空作戦で使用できる機体が少なくなる。

3. 敵艦隊攻撃隊を護衛する戦闘機が、相次ぐ空襲への対応で母艦防御のためほとんど発進しており、弾薬。燃料などを攻撃隊発進前に補給する必要がある。

4. 攻撃隊発進を優先した場合、すぐに出せるのは第二航空戦隊の艦爆隊のみで、かつ、3の条件から現時点では護衛につける戦闘機が間に合わない。

それでも、第二航空戦隊司令官山口少将は、一刻を争う状況(既に基地航空隊らしき部隊からの攻撃を受けており、こちらの位置は把握されており、敵機動部隊の攻撃部隊も、間も無く到達すると判断すべき)として、あらゆることを放棄し、現装備の陸用爆弾のままですぐに攻撃隊を発進させるように、南雲長官に進言しましたが、南雲機動部隊司令部は以下の判断を下しました。

 

帰還攻撃隊の収容後、米機動部隊への攻撃隊準備(8:37-)

午前537分(8:37、各空母は日本軍ミッドウェー基地攻撃隊の収容を開始し、午前555(8:55)、「収容後、敵機動部隊を捕捉撃滅する」と下令しています。この間、格納庫甲板では兵装の再転換、飛行甲板では帰還してくる攻撃隊の収容と格納庫甲板への収納、発進予定の攻撃隊護衛戦闘機の補給等を並行して行わねばならないわけです。

午前630分(9:30)までに完了するであろうとされた帰還部隊の収容は、午前650分(9:50)頃までかかっています。その間、第一航空戦隊(赤城・加賀)の艦攻(雷装)は午前730分(10:30)発進可能との報告、第二航空戦隊(飛龍、蒼龍)は午前730分から午前8時(11:00)に発進可能との報告が挙げられています。

 

「ホーネット」雷撃隊の来襲と壊滅(9:20)

午前620分(9:20)頃にジョン・ウォルドロン少佐率いるホーネット雷撃隊TBDデヴァステイター雷撃機15が日本の機動部隊上空に到達。南雲機動部隊の直掩機が全機が撃墜しています。

一方、全滅した雷撃隊と一緒に発進した「ホーネット」の戦闘機隊と艦爆隊は雲で雷撃隊を見失い、南雲部隊も発見できず、ミッドウェー基地へ向かいましたが、燃料切れでワイルドキャット全機とドーントレス3機が着水、残りのドーントレス20機はホーネットに帰艦しました。

エンタープライズ」雷撃隊の襲来(9:50)

午前650分(09:50、ユージン・リンゼー少佐率いるエンタープライズの雷撃隊14が南雲部隊上空に到達。エンタープライズの雷撃隊は「加賀」を目標にしますが9機を失い、帰還中の1機が着水、1機が損傷のため帰還後投棄されて、残存機は2機のみとなってしまいました。

「ヨークタウン」雷撃隊の攻撃(10:10)

10:10ランス・マッセイ少佐指揮のヨークタウン雷撃隊12が南雲部隊上空に到達。TBDデヴァステイター10機が撃墜され、帰還中の残りの2機も燃料切れで不時着水し全機損失してしまいます。

このように雷撃機41機の襲撃が約1時間にわたり五月雨に続きました。34機が直掩の戦闘機、あるいは対空砲火によって撃墜(83%)され、損傷や燃料切れで母艦に帰還できたものはわずか2機という状況でした。(損耗率95%!)

しかしこの五月雨攻撃の間、南雲機動部隊の各母艦は全速で急な回避行動や対空戦闘を行わねばならず、都度、艦の大きな傾斜等に晒され、格納庫甲板では兵装転換等の攻撃隊発進準備、帰還部隊の収容や補給・修理などを落ち着いて行える状況ではなかったであろうと想像できます。

そして何より、母艦直掩の戦闘機部隊や対空砲が、雷撃機の低い襲撃高度での迎撃戦闘に集中し、母艦上空に大きな防御の空白が生まれていました。

 

艦爆隊の攻撃・加賀、蒼龍、赤城被弾(10:24)

こうして機動部隊上空に防御の空白が生み出されつつある時、相次いで、クラレンス・マクラスキー少佐率いるエンタープライズ艦爆隊SBDドーントレス32機マクスウェル・レスリー少佐率いるヨークタウン艦爆隊17機が南雲機動部隊上空に到達し、攻撃に入りました

まず「加賀」がマクラスキー少佐のエンタープライズ艦爆隊の投下した4発目を被弾し、続けて3発が短時間の内に命中しました。そのうちの一発は艦橋付近に命中し、直掩機の補給用の燃料車が爆発して、艦橋にいた艦長以下、艦首脳を全滅させています。

レスリー少佐のヨークタウンの艦爆隊17機もエンタープライズ艦爆隊に続く形で「蒼龍」へ攻撃を開始し、3発の命中弾を与えています。

エンタープライズ艦爆隊のうちベスト大尉率いる一隊は本隊との連携に失敗したため、ベスト大尉とクルーガー中尉とウェバー中尉、3機のみで旗艦「赤城」に攻撃をかけ、1発を命中させました。

この間、約6分間の攻撃で、いずれも被弾数自体は多くはありませんでしたが(「赤城」はわずか1発です)、機動部隊直掩機への補給中の航空機燃料への引火で火災が発生し、あわせて格納庫甲板での爆発により格納庫に多数散在していた換装作業中の爆弾、魚雷の誘爆が引き起こされ、被弾した3空母は短時間でその戦闘能力を奪われました。

(被弾した3空母:「赤城」(上段)「加賀」(中断)「蒼龍」(下段))f:id:fw688i:20211226130900p:image

 

「どこを見れば、運命の五分間、などと言えるのか」

と、ここまでがいわゆる日本海軍側から見た第一ラウンド、と言っていいと思うのですが、ここまで長々と経緯を辿ってわかる事は、結構一方的な戦いだったのだなあ、という事でしょうか?南雲機動部隊は防戦一方と言っていいのではないかと。

珊瑚海海戦では、これは史上初の空母機動部隊同士の戦い、という事で、両軍、錯誤の連続です。不運の色合いが日本の機動部隊の方が少しだけ薄かった、そんな感じの戦いで、それまでの海戦とは異なり、全くお互いの位置の分からないまま、手探り状態での対戦となる為、索敵情報の取得スピードと質がいかに重要か、さらに互いの攻撃隊のスピードが速いので、時間がいかに重要か、その辺りの戦訓を得たはずの戦いでした。

ところがこのMI作戦では「米海軍に残された空母機動部隊という片腕」をへし折って、有効な戦闘能力を奪ってしまう、という「空母機動部隊同士の艦隊決戦」を目指したにも関わらず、自軍の機動部隊に「ミッドウェー島攻略の地ならし」という任務をも与えた為、早々と自軍機動部隊の位置が暴露されてしまい(つまり、米機動部隊は索敵というステップを省略する事ができたわけです)、一方的な攻撃に晒されるという状況に陥ってしまっていたわけです。

そして防戦に奔命する中で生まれた空白を突かれた、そんな戦いの構造が見えてきます。

さらに時間軸を整理すると、後に「運命の五分間」(=「もう少しでこちらも攻撃隊を出せる状態だった。そうなっていれば、誘爆などで部隊を失う事はなかった」的なニュアンスの込められた言葉だと筆者は理解しています)などという「惜しかった」的な感慨が、どこから出てくるんだろうかと思わずにはいられません。これを言い始めたのは、当の機動部隊の参謀長草鹿少将だったらしいのですが、魚雷をかわすために大回頭を繰り返す母艦の格納庫甲板で、換装中の爆弾や魚雷が転げ回らないように必死で押さえていた兵士達の姿を見ていたのかどうか。

加えて上記の米機動部隊雷撃隊の襲撃前の次期攻撃隊発進準備可能時間(11:00)の報告の時間を見ても、この見込みの報告の直後から約1時間、南雲機動部隊は米雷撃隊の五月雨襲撃を受け、母艦は雷撃回避行動をとるわけですから、回避行動の中で作業の手は止められ、攻撃隊の準備時間が早まる事はあり得ないのです。そして米艦爆隊の攻撃が始まったのが10:25頃ですから、とても「ほとんど攻撃隊が発艦寸前だった。あと5分あればなあ」などとは。

 

飛龍攻撃隊の反撃:艦爆隊発進(11:00)

旗艦「赤城」の被弾で、一時的に南雲機動部隊司令部は機能を失います。次席指揮官である第八戦隊司令官阿部少将が指揮をとり、残存兵力での航空攻撃を第二航空戦隊に下命しました。

これを受けて山口第二航空戦隊司令官は残余機で攻撃隊を編成します。

午前8(11:00)第一波攻撃隊として小林道雄大尉(艦爆)指揮する九九艦爆18機、零戦6機の計24が「飛龍」より発艦しました。 

午前820分(11:20飛龍の第一波攻撃隊は、米機動部隊が迎撃に上げたF4F12機により零戦3機、九九艦爆10機が撃墜され、九九艦爆8機のみがヨークタウンを攻撃しました。急降下中に艦爆3機が撃墜されましたが、5機が投弾に成功し、うち3発が命中しました。

艦爆13機(小林隊長機を含む)と零戦3機を失い、艦爆5機と零戦1機が「飛龍」に帰還しました。修理後使用可能機は、艦爆2・零戦1でした。

 

艦攻隊発進 (13:30)

午前10時30分(13:30)、飛龍から第二波攻撃隊(艦攻10機、零戦6機)が発進しました。うち、零戦2機(山本、坂東)は飛龍に着艦した加賀所属機、艦攻1機は赤城所属機でした。

第二派攻撃隊(友永隊)の発進の直後、午前10時30分(13:45)に帰還した十三試艦爆(近藤機。「蒼龍」搭載)が、母艦(「蒼龍」)が炎上していた為「飛龍」に着艦し、索敵中に三群の米機動部隊に接触したものの、無線機故障で発信できなかったことを報告し、第二航空戦隊司令部を驚かせました。

午前11時30分(14:30)友永攻撃は米機動艦隊を発見しました。発見したのは先行した小林隊が攻撃した「ヨークタウン」だったのですが、既に火災が消し止められ損傷部分を復旧していた為「損傷を受けていない別の空母」と判断し、友永隊はこれを攻撃することにしました。友永隊は友永中隊5機と橋本中隊5機の二隊に分かれ左右から挟撃雷撃を行います。「ヨークタウン」は直掩のF4F戦闘機16で迎撃し、友永中隊5機のうち艦攻4機と護衛の零戦2機を撃墜し、続いて艦攻1機を対空砲火で撃墜しました。一方友永隊とは別方向から橋本中隊の艦攻5機が「ヨークタウン」に雷撃を実施、魚雷2本が左舷に命中した。ボイラー室と発電機を破壊されたヨークタウンは航行不能に陥りました。

飛龍第二波攻撃隊は、艦攻5機(友永大尉の第一中隊全機)と零戦3機を失いました。

 

米攻撃隊発進(14:45)

「午前11時30分(14:30)偵察機が「飛龍」を中心に航行中の日本艦隊を発見し、エンタープライズの爆撃隊10機とヨークタウン爆撃隊11機(エンタープライズに退避中)を戦闘機の護衛なしで発進させました。(14:45)

 

「飛龍」全兵力で薄暮攻撃準備

小林隊と友永隊の残存機からの報告で、第二航空戦隊司令部は米機動部隊の2空母を撃破したと判断しています。司令部は米空母は3隻という情報を把握していましたので、これでようやく一対一に持ち込めた、とおそらく意気が上がったのではないでしょうか?

しかし、その時点で「飛龍」に搭載されている使用可能戦力は戦闘機6、艦爆5、艦攻4、十三試艦偵1機に減少していました。

この戦力ではこれまでと同様の攻撃隊による強襲での戦果を期待する事は難しいとの判断で(搭乗員の疲労への配慮もあったでしょう。生き残って帰ってきた隊員に「もう一回行ってくれ」を言うには、休養も必要でしょう)、薄暮攻撃(これはこれで帰還時間等を考慮すると、困難な作戦ではあるのですが)を準備することになります。

 

艦爆隊の攻撃と「飛龍」の被弾(17:00)

「飛龍」で、薄暮攻撃前の索敵のために13試艦偵に発進命令が出た同時刻、午後2時(17:00)、艦爆のみで編成された米機動部隊の攻撃隊が、「飛龍」上空に到達し攻撃を開始します。直衛の零戦6機の迎撃と「飛龍」の操艦によって最初のエンタープライズ隊6機の攻撃は失敗しましたが、続くヨークタウン隊、エンタープライズ隊の残余の攻撃で「飛龍」は4発の直撃弾を浴び、炎上しました。

こうして、南雲機動部隊は保有空母全てを失うことになりました。f:id:fw688i:20211017142628j:image

(南雲機動部隊、最後の1艦隣奮戦した航空母艦「飛龍」の概観:182mm in 1:1250 by Neptun)

 

4隻の空母の最後

加賀:午後123分(1623:戦死した艦長に代わって鎮火の指揮をとっていた天谷孝久飛行長が総員退去を命じました。午後425分(1925、大爆発が2回起き、加賀は艦首と艦尾が水平になりながら沈みました。

蒼龍:被弾からわずか20分後の午前745分(10:45総員退去が発令されました。午後4時13分(19:13)に沈没しました。

赤城:爆弾、魚雷、航空機の燃料へ次々と誘爆を起こし、大火災が発生、その後午前830分(1130、南雲司令部は長良に旗艦を変更し移乗しました。午後425分(19:25)に総員退艦が発令され、66日午前150分(654:50)に味方駆逐艦による処分命令が出されました。

飛龍:午後11時30分(現地時間6月5日2時30分)、山口少将は南雲司令部に総員退艦させると報告し、飛龍が雷撃処分されたのは日本時間6月6日午前2時10分でした。

 

夜戦による作戦継続の検討と中止の決断

4空母を失った後、連合艦隊司令部は残存する巡洋艦・戦艦での夜戦による敵艦隊撃破と、ミッドウェー島攻略の継続を検討しますが、その後、索敵機が新たに4空母の発見等を報じ(誤認でしたが)、作戦は最終的に中止となりました。

第二艦隊第七戦隊の重巡4隻(最上級)は、空母部隊の壊滅後、ミッドウェー島攻略部隊の上陸に先駆けて艦砲射撃を行う命令を新たに受け、先行していましたが、作戦の全面中止を受けて反転、その際に米潜水艦と接触し回避行動中に「最上」と「三隈」が衝突し、両艦は速力低下を起こしました。翌朝、まずミッドウェー島基地の航空部隊から、ついで日本艦隊の夜襲を警戒して一旦東方に退避していた第16任務部隊の「エンタープライズ」「ホーネット」艦載機の攻撃を受け、「三隈」が撃沈されました。

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(直上の写真は、失われた「三隈」の属する「最上級」の概観。163mm in 1:1250 by Neptun)

 

こうして、MI作戦は終了するわけですが、今回の4空母の喪失により、空母の集中投入、つまりは6空母に搭載された雷撃機部隊を主力とし、一時的に現出できていた対米艦隊への優位な状況が崩れ、「航空水雷戦隊」による積極的な漸減戦術での「艦隊決戦構想」が立ち行かなくなってしまいます。

日本海軍が主導する「早期講和」へのシナリオが前途を閉ざされた、と言っても良いでしょう。以降の日本海軍は作戦の主導権を失い、日に日に充実してゆく米海軍の物量的優位の状況で、全く構想をしていなかった「総力戦」「消耗線」に入っていかざるを得なくなってゆくのです。

 

こうしたことに加えて、珊瑚海海戦よミッドウェー海戦の二つの本格的な海空戦を通じて空母機動部隊の運用面での課題もいくつか出てきています。

いくつか挙げておくと。

索敵面での航空機運用:これまでは主に巡洋艦等に搭載した水上偵察機による索敵が中心でしたが、速度の遅い水上機での索敵、その後の長時間の接敵には無理があることがわかってきていました。

護衛戦闘機の運用・直掩戦闘機の運用:戦闘機の役割は、前者の場合には迎撃する敵戦闘機から自軍の攻撃隊を守ことであり、後者の場合には守る対象が母艦等になるわけですが、一様に戦闘機が自身の空中戦に集中し過ぎ、ともすれば帯同する攻撃機部隊や母艦の援護位置を離れ、全体の防御に穴が生じることが多発しています。戦闘機との、あるいは戦闘機間の空中での通信と指揮系統を確立することが急務となります。

戦闘機の適性:日本海軍の艦上戦闘機零式艦上戦闘機で、その主武装である20mm機関砲の携行弾数の少なさは、当初から課題でした。加えて副武装(7.7mm機銃)の非力さも課題でした。長い航続距離がありながら、すぐに弾切れを起こしてしまう、あるいは戦いに有効な打撃力を示せない状況を起こしてしまう場面が多く見られるようになるわけです。これは敵地上空の制空でも、自軍直掩でも同様でした。特に機動部隊直掩の際には弾薬補給のための頻繁な発着艦に結びつき、母艦の飛行甲板運用とも強い関連性が生まれてくることが明らかになってきました。

航空雷撃の限界:雷撃機は雷撃時に目標に対する射線を定める運動をせねばならず、必然的に行動の自由が狭められ、敵の警戒戦闘機、対空砲火による損害が増大しています。そのリスクに見合った命中率を得られるのか、これは日本海軍が着想した「航空水雷戦隊」による漸減作戦(艦隊決戦)を成立させる上では大きな課題となってゆきます。

その他にも母艦の運用とダメージコントロールなど、空母機動部隊を運用してこその課題が現れてきていました。何せ、史上初の取り組みなので、当たり前なのですがね。さてこれらに柔軟に対応できる組織だったかどうかと言うと・・・。

さらにこれも繰り返しになりますが、日本海軍には作戦立案の過程とその実施について、目的の十分な共有や役割の認識の徹底などについて、あまりにも大きな課題が露呈していたように考えています。

それらについて解決できないうちに、あるいは課題認識さえ共有されることなく、「早期講和」による戦争終結の機会が失われていった、そのような意味で、まさにミッドウェー海戦は「転換点」であったと言えるのではないでしょうか。

 

と言うことで、今回はここまで。

今回は新しい艦船模型、全く紹介できませんでした。平にお許しを。

 

2021年はこれが多分最後です。

一年、大変、お世話になりました。「こんの面白いのかなあ」と思いつつ、読者がいてくださっているようなので、それを励みにしつつ、模型紹介の都度、いろいろな情報を取り込み勉強をさせていただいた一年でした。改めて、お礼を申し上げます。

「オミクロン」などと言う聴き慣れない用語が当たり前のように日常で使われるようになり、それに不安や違和感すら感じなくなるような、まだまだ先行き、大変不透明な状況ですが、大袈裟に言うととにかく生きてゆかねばなりません。

来年もまた元気に続けてゆきたいと考えていますので、どうかよろしくお願いします。

良いお正月をお迎えください。そして皆さんにとって良い年が明けますように。

ではまた年明けに。

 

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