相州の、1:1250スケール艦船模型ブログ 主力艦の変遷を追って

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

日本海軍 空母機動部隊小史 (番外編):空母艦載機の話(その1)

最初にお詫びと言い訳を。

またまた「ミッドウェー海戦」の本論には入りません(入れません、が正確ですね)。どうも切り口が見つからないのです。で、色々と迷っているうちに、艦載機が気になり始め、そちらの情報整理とコレクションの整理を始めてしまった、という訳です。

それで今回は空母機動部隊の太平洋戦争開戦当初の搭載機のご紹介、今回はそういうお話です。

 

と、ちょっとその前に、本稿前回でご紹介した「機雷敷設艦艇」関連でアップデートがありますので、そちらをまずご紹介(今回はこれ以外に艦船模型、出てこないので)。

 

「神島級」敷設艇の制作

本稿前回では「測天級」敷設艇のセミ・スクラッチのお話を紹介しています。

 「測天級」敷設艇(同型15隻:1938-終戦時4隻残存)  f:id:fw688i:20211205144448p:image

(上の写真は「測天級」敷設艇の概観:59mm in 1:1250 by Tremoの水雷艇モデルをベースにしたセミ・スクラッチ:「測天級」は40mm連装機関砲を主兵装としていましたが、同機関砲は特に対潜水艦戦で有効ではなく、6番間以降、8センチ高角砲を主砲として搭載しています。この艦級は「平島級」とされることもありますが、ここでは「測天級」の第二グループとしています)

「測天級」敷設艇には市販モデルがなさそうなので、ではストックしているモデルをベースに作ってみましょう、というお話だったのですが、その最後に、同型の水雷艇のモデルがストックとして残っているので「測天級」の次級である「神島級」敷設艇も作ってみようか、と結んでいました。

「神島級」敷設艇にはOceanic社からモデルが出ている、という情報はあるのですが、これまでお目にかかったことはありません(日本海軍の700トン級の敷設艇ですから、おそらく生産量もごく少数でしょうし、流通もしていない、というのは納得できますね)。

ということで、やはりセミ・スクラッチにトライしました。

 

 「神島級」敷設艇(同型2隻:1945-終戦時に2隻とも残存) 

ja.wikipedia.org

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(上の写真は「神島級」敷設艇の概観:59mm in 1:1250 by Tremoの水雷艇モデルをベースにしたセミ・スクラッチ:「神島級」はいわゆる戦時急造艦であるため、直線的な艦首形状等、建造工程の簡素化に留意された設計となっています。主兵装は40mm単装機関砲2基でした)

本土防衛のために「測天級」の簡易版として急遽建造された艦級です。計画では9隻の建造が予定されましたが、実際には3隻が着工し、1隻が建造中止、「神島」のみ1945年7月に就役しました。「粟島」は艤装中に終戦を迎え、終戦後に復員輸送船として就役しました。戦時急造艦であったため、海防艦に似た直線的な艦首形状を持ち、機関にも海防艦と共通のディーゼルが採用されています。(766トン、16.5ノット、主兵装:40mm単装機関砲×2・25mm連装機銃×3他)

 

少しだけ制作過程の話

前回ご紹介した「測天級」も今回の「神島級」も、同一の水雷艇のモデルをベースにしています。

ベースに利用したモデルがこちら。f:id:fw688i:20211205140758p:image

全長68mmの水雷艇のモデルです。おそらくアメリカのSuperior社製です。Superior社のモデルはスケールが1:1200とされています。従って1:1250のコレクションに混ぜてしまうと少し寸法が大きく見えてしまいますので要注意です。しかし第二次世界大戦期の艦艇を中心にラインナップが充実しており、特に未成艦・計画艦などのいわゆる「IFモデル」が豊富に揃っています。筆者がクオリティで一押ししているNeptun社などヨーロッパの1:1250モデルのほとんどは彩色済みの完成モデルで供給されているのですが、同社のモデルはダイキャストの地色のまま未彩色のモデルで入手することができ、そういう意味では制作する(と言っても彩色がその中心になりますが)楽しみを味わうことができ、実は筆者もコレクションの初期はSuperior社のモデルからのスタートでした。しかも未彩色である分、安い価格で入手できます。

「Superior派」は一大勢力を形成しています。

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少し話がそれましたが、このSuperior社製の水雷艇をベースに、セミ・スクラッチを行います。

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まず、船体上部構造物を全て撤去(中段)。次に艦首形状の修正(ベースのモデルはダブルカーブドバウ的な船首形状をしているので、直線的な形状に修正しています)。そして全体の長さの調整と艦首楼を短くする加工を行います(中断写真の墨入れラインが艦尾部のものは全体の長さ調整の目標ライン、艦首楼の墨入れラインが艦首楼長の調整目標のラインです)。全体の長さ調整は単に切断し、艦尾形状を若干調整する比較的単純な作業ですが、艦首楼長の調整は、筆者の場合にはひたすら「ヤスリがけ」を行うのみです。船体は正確な名称がわからないのですが、ホワイトメタル的な比較的柔らかい素材ですので、金属用のやすりで容易に整形ができます。上部構造物の撤去も仕上げはやはり「ヤスリがけ」です。作業自体は単純で難しくはないのですが、長さ70ミリ弱、幅10ミリ程度の小さな物を対象とするので、結構指が疲れる作業です。

で、完成したのが下段の写真。これに新たに設定してゆく上部構造物の位置を墨入れしてゆきます(下段写真は墨入れ後の状態)

あとはこの上部構造物に使えそうなパーツをストックから探し、見当たらないものはプラパーツなどで製作し、最後に彩色をして完成です。

注意点:金属片が飛んだり散らばったりするので、作業スペースを大きめの箱などで区切っておいたほうが良いですね。そうしないと・・・。

というような工程で、冒頭の「神島級」敷設艇の完成です。

(下は「測天級」敷設艇と「神島級」敷設艇の『比較:ほぼ同じ大きさの2艦級でしたが、上部構造の配置や艦首の形状が異なっていました。)f:id:fw688i:20211212141044p:image

 

空母艦載機の話

空母機動部隊小史を書いていると、やはり搭載している航空機の話が気になってきます。特に、「珊瑚海海戦」の頃から、未帰還機の数が増え、運用方法、武装などに思いを及ばせる機会が増えると、どうしてもその機体そのものについて情報が欲しくなってきてしまいます。

幸い、筆者は1:144スケールでの航空機の一部にはコレクションを持っているので、少しこちらをご紹介しつつ、空母搭載機の話を。

 

太平洋戦争初期の空母搭載機

太平洋戦争開戦時の空母艦載機の主力は以下の3機種でした。

零式海上戦闘機21型

99式艦上爆撃機

97式艦上攻撃機

これらの他に96式艦上戦闘機、96式艦上爆撃機、96式艦上攻撃機等も使用されてはいましたがごく少数でした。

このうち零式艦上戦闘機については、後継機が実用化できず、太平洋戦争全期を通じて主力艦上戦闘機として使われ続けたため、形式が多岐に渡ります。そこで敢えて21型と形式を記載しています。

 

零式艦上戦闘機(21型)

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正式名称からも明らかなように、太平洋戦争開戦(1941年=昭和16年皇紀2601年)の前年(1940年=昭和15年)に正式採用された戦闘機です。3000キロを超える航続距離を持ち、重武装(20ミリ機関砲)と優れた運動性で、おそらく開戦当時は最優秀の戦闘機の一つと言っても良い存在でした。

21型は、中国戦線で中国空軍を相手に鮮烈なデビューを果たした試作型ともいうべき11型をベースに空母への着艦装備など付帯して、本格的な艦上戦闘機として量産されたものです。空母での運用を考慮して翼端を折り畳めるようになりました。3500機余が生産されました。

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(上の写真は「零式艦上戦闘機」21型の概観:空母搭載を想定し、翼端が折りたためるようになっていました:余談ですが写真はエース坂井三郎氏の愛機を再現したもの:1:144 全幅83mm 全長62mm:ちなみに下の写真は21型のベースとなった11型:空母搭載用の装備は搭載されておらず、中国戦線で活躍しました。64機が生産されました)

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武装と長い航続距離、高い運動性、これを経験豊富なパイロットが操縦して猛威を振るった21型でしたが、課題もいくつか明らかでした。その主機関砲であった20ミリ砲は装弾数が60発(各砲当たり)しかなく、制空任務でも防空任務でも戦闘が激しくなるにつれ十分ではなくなってきていました。この辺り、「ミッドウェー海戦」でも日本海軍の空母運用の難しさの一因になったと考えています。

 

一応、開戦時のライバルもご紹介。

F4F:グラマン・ワイルドキャット

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太平洋戦争海戦当時の米海軍の主力艦上戦闘機でした。元々は海軍の次期艦上戦闘機の競争試作段階でF2Aバッファローに敗れた期待でしたが、構造の強靭さと量産性の高さから、開戦時には海軍の主力戦闘機の座に収まっていました。12.7mm機関砲を4門という強力な火力を有していましたが、航続距離と上昇力では零戦21型に大きく及びませんでした。

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(F4F艦上戦闘機の概観:全幅:80mm  全長:63mm)f:id:fw688i:20211212110756p:image

零式艦上戦闘機21型とF4Fワイルドキャットの比較:F4Fはずんぐりしたフォルムですので随分小さいなあという印象だったのですが、こうして比較するとほとんど大きさに大差がないことがわかります)。

 

99式艦上爆撃機(11型)ja.wikipedia.org

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(上の写真は「99式艦上爆撃機」の概観:この写真では判然としませんが空母搭載を想定し、折りたたみ式の翼を装備していました。:1:144 全幅**97mm 全長72mm)

1939年(昭和14年)正式採用された海軍初の全金属艦上爆撃機で、開戦時の空母機動部隊の主力艦爆でした。真珠湾攻撃からインド洋作戦等にかけて、熟練した搭乗員が充実している時点では大活躍していました。

しかし、米空母との機動部隊戦が始まると、米海軍のSBD(ドーントレス)に比べ速力が遅く(SBDは約30キロ優速)、爆弾搭載量でもおとり(SBDは500キロまで搭載可能:99式は250キロ+60キロ2発(?))、しかもSBDは装甲防御が施されていて攻撃時の対空砲火に対する生存性がかなり異なりました。

既に開発途上の昭和13年には次期艦上爆撃機の試作が始まられていましたが、採用予定の液冷式エンジンの生産性と洋上整備の課題等から生産が遅れ、長く第一線に留まらねばなりませんでした。加えて、後継となった次期艦上爆撃機「彗星」の着艦速度が速く小型空母での運用ができなかったところから、一部では爆装した零式艦上戦闘機艦爆任務を置き換えざるを得ないなどの状況が発生しました(この辺りはまたいずれ「彗星」のご紹介の際にでも)。

初期量産型の11型が476機(「ミッドウェー海戦」当時空母に搭載されていたのはこちらです)、1943年採用の速度向上型の22型が1036機生産されました。

 

97式艦上攻撃機

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(上の写真は「97式艦上攻撃機」の概観:この写真では判然としませんが空母搭載を想定し、折りたたみ式の翼を装備していました。:1:144 全幅104mm 全長72mm)

「海軍初の実用に耐える艦上攻撃機」と言われた96式艦上攻撃機は、まだ複葉機だったのに対し、速くも翌年、日本海軍は97式艦上攻撃機を採用します。同機は海軍初の低翼単葉全金属航空機で、96式艦上攻撃機の速度よりも100キロ以上の有速を発揮することができました。

この機体を開発できたことと、高速での投下に耐えられる91式魚雷の開発、さらに大型の艦隊空母を6隻揃えることができた、いわゆる3点セットの完成が、空母の集中運用、つまり空母機動部隊構想を実現し、ひいては日本海軍に対米戦開戦を決意させた、とも言われています。

それまで日本海軍の艦隊決戦構想は、「潜水艦による攻撃」「水雷戦隊による夜襲」「基地航空機の攻撃」等、いわゆる前哨戦で来攻する米艦隊主力艦部隊を削り取り主力艦決戦での数的劣勢を少しでも補うという「漸減主義」でしたが、この構想の弱点は「敵艦隊の来航を待たねばならない」という点にあり、戦いのイニシアティブは常に敵方にある、という点でした。これに対し、「三点セット」の成立が積極的な「漸減作戦」をとること(来航を待たずこちらから仕掛ける)を可能にしたわけです。

もう一つ注目すべきは、これら「漸減作戦」の成立要素がいずれも「魚雷」による攻撃、出会ったという点でしょう。つまりこの構想においては、「空母機動部隊」は「機動航空水雷戦隊」であった、と言っても良いのではないかと考えるのです。

そしてこの構想は「真珠湾攻撃」として実現するわけです。

97式艦上攻撃機はそれほど運命的な航空機であった、と筆者は考えるのですが、いかがでしょうか?

太平洋戦争開戦後も雷撃機としての優秀さは健在で、例えば「ミッドウエー海戦」では米海軍の開戦時の雷撃機TBD(デバステーター)が180キロ程度の速度で雷撃を行ったのに対し、97式は330キロ以上の速度での雷撃を行い、米海軍を驚かせています。

しかし一方で航空雷撃は速度に関わらず高い損耗率を覚悟せねばならないことが、本稿でも「ミッドウェー海戦」で明らかになるでしょう。

97式艦上攻撃機は大戦中に1500機余が生産され、大戦中期以降は速力が劣ることから主役を「天山」等の後継機に譲りますが、小型空母等からの運用が可能で、輸送船団の周辺哨戒等の任務に使われ続けました。

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日本海軍空母機動部隊の開戦時の艦上機トリオ:左から「零式艦上戦闘機21型」「99式艦上爆撃機」「97式艦上攻撃機」の順。それぞれ課題がありながらも、開戦時から6ヶ月は猛威を奮いました)

 

ということで、ざっと太平洋戦争初期の空母艦載機を見てきました。

 

 

以下、ついでに写真を撮ったので、いくつか航空機(今回は日本海軍機に重点を置いて)のモデルをご紹介しておきましょう。

 

零式艦上戦闘機の諸形式

これらはいずれ「空母機動部隊小史」の中でも改めてご紹介することになると思いますので写真のみ。(詳しくお知りになりたい場合には、下のリンクを)

ja.wikipedia.org

 

零式艦上戦闘機32型

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零戦32型の概観:全幅:78mm 全長:63mm: 左下段は、32型の角形翼端と21型の折りたたみ式翼端の比較)

従来の零戦21型の性能向上を狙い、しかし国内では適当なエンジンが見当たらず、かつ後継機種の開発にも難航していた海軍は、零式艦上戦闘機に搭載されていた「栄12型」エンジンの改良型「栄21型」を搭載し、さらに零戦21型の折りたたみ式翼端を切り詰めて速度向上を狙った機体を開発します。さらに課題であった20ミリ機関砲の装弾数を各銃60発から100発に増加しています。速度と運動性(特に横ロール?)は向上しましたが、翼設計の変更で航続距離が減少し、折からガダルカナル戦等、航続力を必要としていた現地部隊からは不評で、383機しか生産されませんでした。

 

零式艦上戦闘機22型

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零戦22型の概観:翼端は再び折りたたみ式に(右下))

32型の航続距離減少が現地部隊で不評であった為、急遽、翼端の形状を21型に戻した形式が開発されました。さらに後期型(22型甲)では20ミリ機関砲を初速の速い長砲身砲に変更し、弾道性を改善しています。560機が生産されました。

 

零式艦上戦闘機52型

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零戦52型の概観::全幅:78mm 全長:63mm: 再び短縮された翼端は32型の角ばった形状と異なり丸みを帯びています。エンジン周りでは、速度向上を狙った「推進式単排気管」が目立ちます)

ガダルカナル戦闘の終結以降、航続力に対する要求は次第に低くなり、一方で高まる速度、運動性に対する要求に対応する為、再び翼端を短縮した形式の機体が採用されました。一方でエンジンは排気を推進力として活用する「推進式単排気管」が採用され速度向上が図られました。

52型には併せて武装強化が検討され派生系が生産されています。52型甲では20ミリ砲の装弾数が125発(各銃)に増やされ、52型乙では非力が課題となった機首の7.7ミリ機銃の片方を13.2ミリ機銃に換装し、火力が強化されています。52型丙では、7.7ミリ機銃を全廃して、代わりに機首に13.2ミリ機銃一丁、左右各翼内に従来の20ミリ超砲身機関砲に加え13.2ミリ機銃を搭載し、火力を大幅に強化しています。

これらの派生系も含め約6000機が生産されています。

 

零式艦上戦闘機53型・54型系統

(写真なし:いずれはセミ・スクラッチか?)

これまで紹介した形式以外にも、防弾タンク装備の試作型53型、エンジンを長らく出力不足を課題とされていた1000馬力級の「栄」系列から1500馬力級の「金星」に換装した試作型54型/64型等がありました。

この中で最後の量産型と言えるものが、62型/63型で、これは250キロあるいは500キロ爆弾の搭載能力を持った戦闘爆撃機型でした。急降下時に対応する機体強化や対空砲に対する装甲強化等が盛り込まれた機体でした。

前述のように99式艦爆の後継機である「彗星」以降の新型機体が高速化するとともに、海軍が多く保有する小型空母からの運用が不可能となる為、これを補完する意味合いで、早くから量産され残機数が手当てできた21型を用いた爆装零戦による敵艦船への攻撃が行われていましたが、これをさらに本格化した形式と言って良いでしょう。

62型は合計で数百機が生産されたと言われています。

 

ついでに、というわけではないですが、

零式艦上戦闘機の幻の後継機「烈風」

ja.wikipedia.org

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(「烈風」の概観:全幅97mm 全長77mm:(右下)零戦52型との比較:かなり大きな機体であることがわかります)

零式艦上戦闘機後継機については、制式採用の翌年に16試艦上戦闘機、翌々年に17試艦上戦闘機として計画が提示され試作等が検討されていました。用兵側の速度と運動性の両立に対する過度な要求等が障害となり、やや乱暴に整理すると、主として所定の要求を満たすエンジンの手当がつかず開発が遅れ、終戦時にようやく8機の試作機を完成したにとどまり、「幻」となりました。この遅れの影響で零式艦上戦闘機の実働年数が長期にわたる結果となりました。(この辺りはいずれ「空母機動部隊小史」の本編でもまたいずれ)

 

そしておまけ、IFもの(?)

零式艦上戦闘機 液冷エンジン搭載型(41型?)

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(全幅:83mm 全長:68mm)

零式艦上戦闘機に液冷エンジンを搭載したら、という多分、架空の機体です(どこかで計画はあった、という話を耳にしたことがあったような。零式じゃなくて96式艦戦の開発時だったかなあ)。

液冷エンジンは表面積を小さくできるので空気抵抗が少なく高速を期待できます。一方でエンジンへの被弾に弱く、つまりエンジンへの被弾で冷却水が抜けてしまうとすぐにエンジンが焼け付いて止まってしまうので、不時着が可能な陸上ならばまだしも、生存性を要求される洋上での行動を期待される艦上戦闘機にはあまり採用されませんでした。が、まあ、速力不足の零式艦上戦闘機の課題解決の一案として。使える液冷エンジンとしてはダイムラーベンツの「DB601系」をライセンス生産した「アツタ系」のエンジンでしょうね。多分これしかなかったんじゃないでしょうか?機種形状を見ると「晴嵐」の機種の移植のように見えるので(かなり前なので記憶が曖昧)「アツタ32型」かなあ。だとすると1400馬力程度の出力でしょうから、1000馬力級の「栄」よりはかなり強力かと。

あるいは、もしかすると零戦とは別の陸上戦闘機(局地戦闘機というよりも長距離を進出して制空する陸上制空戦闘機?零戦のデビュー時のような)としては、あり得るのかも。いずれにせよ、日本はその当時、満足のいく液冷エンジンを開発できず、何より整備技術も空冷エンジンは中心だったので経験が浅く、ついて行っていませんでしたからね。無理があるんだろうなあ、と思いつつ、ちょっと面白いのでご紹介。

独言:「エンジン」の話を始めると結構深いものがありますよね。


ということで、「ミッドウェー海戦」から少しおかしな方向に今回の話材は向かいましたが、筆者的にはどうしても整理しておきたかった、今回はそういう回でした。次回こそ、いよいよ「ミッドウェー海戦」を。

大戦後期の空母搭載機の話は、またいずれ。「彗星」「天山」「流星」「烈風」「艦載型紫電」と、こちらはこちらで色々とありそうです。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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