相州の、ほぼ週刊、1:1250 Scale 艦船模型ブログ

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

日本海軍 空母機動部隊小史 その9-2:機動部隊の再建(喪失空母の補填計画)

1942年6月のミッドウェー海戦日本海軍は主力空母4隻を一機に喪失し、早急な空母機動部隊再建の必要に迫られます。

本稿前回では、残存空母の再編による機動部隊再編について触れましたが、一方で喪失空母をいかに補填するのかに対する検討も、もちろん行われています。

今回はそういうお話。

 

1942年6月時点での建造中(改造中)空母

1942年6月のミッドウェー海戦での4空母喪失時点で、日本海軍が建造中の空母は、1939年の第4次充実計画(マル四計画)で建造が決定され1941年7月に起工された「大鳳」と、有事には空母に改造することを前提にした優良船舶建造助成施設で建造され、1941年6月に進水し艤装中の商船改造中型空母「飛鷹」の2隻でした。

これに潜水母艦から空母への改造工事を受けている「龍鳳」を加え、船台に載っている損失補填と言える空母はわずか3隻で、しかも本格的な艦隊空母は「大鳳」一隻という、実に「お寒い」状況でした。

 

空母「飛鷹」(優良船舶建造助成施設(補助金)対象:1942年7月就役)

このうち「飛鷹」は海戦直後の1942年7月に就役し新生空母機動部隊である第三艦隊に編入されています。(本稿前回でご紹介)

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(特設航空母艦「隼鷹」の概観:175mm in 1:1250 by Neptun: 下段右のカットは、「隼鷹」で導入された煙突と一体化されたアイランド形式の艦橋を持っていました。同級での知見は、後に建造される「大鳳」「信濃」に受け継がれてゆきます)

 

空母「龍鳳(1941年12月改造に着手:1942年11月就役)

更に有事には短期間で艦隊用補助空母に改造される前提で建造されていた潜水母艦「大鯨」が1941年12月から空母への改造工事を受けていました。

当初の計画では空母への改造は3ヶ月で完成する予定でしたが、潜水母艦当時から不調の多かったディーゼルエンジンをタービンへ換装、更に1942年4月のドーリットル空襲の際の被弾による損傷回復等により計画遅延が発生し、結局、空母としての就役は1942年11月でした。

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潜水母艦改造空母「龍鳳」の概観:173mm in 1:1250 by Master of Military(3D printing model): 下の写真は、改造母体となった潜水母艦「大鯨」(手前)と改造後の「龍鳳」(いずれもMaster of Military制作)の比較:上空からのカットでは、空母への改造意図が露骨に示されています。「大鯨」は電気溶接の導入や、主機に大型ディーゼルを選定するなど、かなり意欲的な技術導入が図られました。しかし意に反してディーゼルは不調が続き、結局最終的にはタービンへの機関換装が行われ、その後のドゥーリットル空襲で受けた損傷回復と合わせ、空母への改造には時間がかかってしまいました)

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(下の写真は、同様の経緯で「龍鳳」に先行して空母への改造を受けた「瑞鳳」との比較:「龍鳳」は「瑞鳳」よりもやや大きな船体をしていたことがわかります。「瑞鳳」は特にミッドウェー海戦以降、機動部隊主力の第一航空戦隊に序列され、ミッドウェー以降日本海軍唯一の本格艦隊空母であった「瑞鶴」「翔鶴」の上空直衛を担当する補助空母として活躍しました。「龍鳳」は登場の経緯に時間を要し、機動部隊である第一機動艦隊、第二航空戦隊(「隼鷹」「飛鷹」「龍鳳」)に所属しましたが、搭載機部隊の技量低下や定数不足などで、十分な活躍の場が与えられませんでした)

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空母「大鳳(第4次充実計画(通称マル四計画:1939年)での計画艦:1941年7月起工:1944年3月就役)

大鳳」についてはこの後、就役後の活躍など、触れる機会があると思いますので、今回は建造経緯とミッドウェー海戦での影響についてだけ触れておきたいと思います。

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日本海軍が太平洋戦争開戦当時建造に着手していた唯一の艦隊空母「大鳳」の概観:207mm in 1:1250 by Neptun: 下の写真は、「大鳳」の外観的な特徴である煙突一体型のアイランド艦橋(上段)とエンクローズド・バウ:煙突一体型のアイランド艦橋は「隼鷹級」空母で先行して実験され、良好な結果を得ていましたが、元来は飛行甲板の装甲化で、甲板位置が低くなることが想定された「大鳳」では従来型の舷側煙突が設定しにくいために考案されたものでした。同様にエンクローズド・バウの導入も低い乾舷対策として導入されています)

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大鳳」は結果的に日本海軍が建造した最初の、そして唯一の新造装甲空母でした。

そもそも日本海軍における装甲空母の発想は、母艦部隊の前進拠点として、前線に進出し近距離から標的に反復攻撃をかける、という構想に基づくもので、前線進出に際し想定される敵水上艦艇との砲戦等を想定した「装甲」であったということのようです。ですので、マル四計画次の「大鳳」の当初の設計案では本稿でもご紹介したことのある「蒼龍原案」(下の写真)のように敵艦艇との砲戦も想定した主砲搭載(6インチ砲6門)の空母を想定していたようです。

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(「蒼龍原案」の概観:未成艦ですので、筆者の想像の産物ですからご注意を)

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(上の写真は「蒼龍原案」の最大の特徴である艦首部の主砲塔配置を示したもの。「蒼龍原案」では飛行甲板下に6インチ主砲塔を搭載する想定でした)

 

しかし、その後の艦載機の高性能化と特に航続距離の増大に伴い、前進拠点としての意義は薄れ、一方でミッドウェー海戦の戦訓(特に海戦で4空母全てが飛行甲板への被弾から生じた艦内での誘爆や燃料火災により喪失したという事象)に基づき飛行甲板への被弾に対する防御力向上という視点で装甲化の有効性が再浮上しました。一方で重い装甲飛行甲板の搭載は、これに伴い生じるトップヘビー傾向の対策との綱引きでもありました。

このトップヘビー傾向を抑えるには、飛行甲板の位置は低く制限せざるを得ず、このことが格納庫スペースのの縮小につながり搭載機数は制限されることになりました。艦そのものの規模は「赤城」「加賀」や「瑞鶴級」の大型空母をさらに凌駕するものでありながら、搭載機数が中型空母「飛龍級」と同等(52-54機程度)にとどまっている理由はここにあります。

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上の写真は「大鳳」と「瑞鶴」の概観比較:船体自体は「大鳳」がひと回り大きいにも関わらず、装甲甲板の重量対策で格納庫スペースを一層しか設定できず、個有の搭載機数は「瑞鶴」や「赤城」等よりも少なくなっていました)

しかし用兵側としては、装甲甲板による高い生存性から、空母機動部隊での戦闘で他の母艦が損傷した後も他艦の搭載機も収容しつつ戦場に留まり戦闘を継続することを期待しており、そのため、個艦の搭載機数に対し余力の大きな爆弾・魚雷、航空機燃料の搭載能力が与えられていました。

ミッドウェー海戦の敗北で得たこうした戦訓の取り入れ等に伴い、就役は1944年3月まで待たねばなりませんでした。

 

更に建造計画中というところまで範囲を広げれば、日米開戦を想定して「昭和16年度戦時急増計画」(マル急計画)で建造が決定された中型空母「雲龍」がありました。

雲龍級」「改雲龍級」空母(マル急計画で「雲龍」・マル五計画で追加2隻、改マル五計画で追加13隻がそれぞれ新造)

雲龍」は「飛龍級」艦隊空母の拡充として一隻だけ建造が計画されていた艦でしたが。その後の第5次充実計画(マル五計画:1941年1月)で更に2隻が建造されることが決まっていました。このマル五計画はミッドウェー海戦での主力空母喪失を受け改マル五計画に改められ、建造数には紆余曲折がありながら、最終的には14隻(?ちょっと怪しい)の建造が計画されることになりました。

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日本海軍が戦時量産型空母の決定版とした「雲龍級」の概観:181mm in 1:1250 by Neptun:  直下の写真は、「雲龍級」の現設計となった「飛龍」との比較。「雲龍級」は「飛龍」の基本設計を踏襲しながら、エレベーター機数の削減等簡素化等が図られました)

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(下の写真は「雲龍級」(上段)と「飛龍」の艦橋の比較:まず艦橋の設置位置が「飛龍」の左舷中央から右舷やや前方に改められました。排煙路との混雑を避けるために「飛龍」では艦橋は左舷に設置されたのですが、当時の艦載機の左指向性(プロペラの回転から機体が左へ流れる傾向がある)から、母艦搭乗員にはあまり好評ではなく、左舷艦橋は「赤城」と「飛龍」の2隻のみにとどめられ、全て右舷艦橋となりました。更に、電探装置の搭載、対空機銃座の設置などにより艦橋自体はやや大型化しています)

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雲龍級(改雲龍級も含め)」空母については前述の「大鳳」同様、本稿でまた後に取り上げる機会があると思います。簡単に紹介しておくと「飛龍級」中型空母の設計を流用しこれを戦時急造に向けて簡素化(エレベータの設置数の削減等)したものでした。

終戦までに6隻が進水し、うち3隻(「雲龍」「天城」「葛城」)が就役しています(1944年8月〜10月)。

 

改マル五計画での「改大鳳級」空母の計画

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(改マル五計画で設計された「改大鳳級」空母の概観 210mm in 1:1250 by Mini and Beyond(3D printing model):基本的には「大鳳」の拡大版の装甲空母で、対空砲の増強、水中防御の強化等が盛り込まれ、全長がやや大きくなっています(4メートル延長:1600トン増加):通常なら、「大鳳」との比較のカットを示したいところですが、3D printing modelのためやや細部が甘く(Neptunの「大鳳」が素晴らしいと言うことでもあるのですが)、あえて比較はしないでおこうと思います)

改マル五計画では、「大鳳」の強化型である「改大鳳級」空母5隻の新造も盛り込まれていました。「大鳳」からの強化の要目は対空砲の増強、飛行甲板の装甲範囲の拡大、水中防御の強化等で、より防御、生存性に注力した設計となる予定でした。

戦時を意識して工程の簡素化等にも配慮されましたが「急造」目的には程遠く、工期の短い「雲龍級」に建造を注力すべく、全て建造計画が取り消されています。

 

空母転用計画の既成艦の空母改造

以上のようにミッドウェー海戦敗北時の喪失空母の補填への対応状況を見てきましたが、「飛鷹」と「龍鳳」が即応性があるのみで、計画が具体化している(しつつあった)「大鳳」にせよ「雲龍」にせよ、就役は早くても1944年で、これからの新造艦については1944年後半からの就役がやっと、という状況でした。

このため、急遽、既成艦の空母への改造が検討されることとなった訳です。

 

千歳級」空母(「千歳級水上機母艦からの改造:1943年2月改造に着工、8月「千歳」、10月「千代田」空母として就役)

まず、空母「龍鳳」への改造工事が進捗中の潜水母艦「大鯨」同様、設計当初から短期間での工事での空母転用が予定されていた「千歳級水上機母艦の改造が決定されます。

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f:id:fw688i:20210926102714j:imageレイテ沖海戦時の「千歳級」空母の概観:迷彩塗装は筆者によるもので、全く参考になりませんのでご注意を。ああ、迷彩塗装していたんだな、程度に:154mm by C.O.B. Constructs & Miniatures: 3D printing model)

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(水上機母艦時代の「千歳級」の概観:by Delphin: 下のカットは、水上機母艦時代と空母改造後の比較:水上機母艦時代の中央部の特設上甲板は、強度試験等の目的だったとか?)
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千歳級水上機母艦は前述の潜水母艦「大鯨」同様、戦時には短期間で空母に改造できるよう設計され建造された水上機母艦でした。計画時にはワシントン・ロンドン条約体制で航空母艦保有制限がかけられていたために取られた措置でした。

 

千歳級水上機母艦には準同型艦として水上機母艦「瑞穂」、高速敷設艦「日進」があり、「千歳」「千代田」とともに戦時には短期間での空母への改造が予定されていましたが、4隻共に開戦以来、第一線で活動中で、そのうち「瑞穂」はミッドウェー海戦への参加のために内地への回航中に米潜水艦の攻撃で失われ(1942年5月)、「日進」はミッドウェー海戦後もソロモン諸島方面でその高速性と戦闘力を活かした強行輸送任務に奔走しており、改造のための内地回航の機会のないままに1943年7月にブーゲンビル島沖で米軍機の攻撃で撃沈されてしまいました。

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水上機母艦「瑞穂」
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水上機母艦「瑞穂」の概観:143mm in 1:1250 by Neptun:)

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「瑞穂」の大きな特徴は主機をディーゼルとしたことで、煙突がありません(上掲の写真右下には小さな排気管が見えています)。同艦のカタログデータを見ると速力は22ノットと記されており、空母として運用するためには全く速力不足でした。元々、「千歳級水上機母艦はワシントン・ロンドン条約では、補助艦艇の速力は20ノットを上限とすると言う制約があり、この制約の範囲で短期間に空母に転用できる艦艇を保有しておこう、と言う主旨で建造された艦級でしたので、設計段階での速度は問題ない(その段階での「瑞穂」の速度表記は18ノットでした)のですが、実際には建造途中で条約が失効を迎え延長されなかったため、「千歳級」の2隻は29ノットの速力を持つ水上機母艦として誕生しています。ディーゼルを試験的に導入したため、と想定しても、同様にディーゼルを主機とした準同型艦の「日進」は28ノットのカタログデータとなっているので、この「瑞穂」の数値は謎なのです。空母への改造時に機関をそっくり換装するようなことが決められていたのかどうか。

同様に同モデルでは、この「千歳級」と準同型艦である「瑞穂」「日進」に共通したマルチタスクに適応できるような艦尾形状が示されています(上掲写真の下段中央)。これらの艦は船体内の広いペイロードを活用し、時に水上機の格納スペースとして水上機母艦となり、あるいは特殊潜航艇(甲標的)の搭載格納スペースとして甲標的母艦となり、あるいは機雷庫として活用する高速敷設艦となり、さらに物資の強行輸送の可能な高速輸送艦として、マルチタスクをこなすことのできる艦級で、実際にも開戦以降、南進作戦や第二段階のソロモン方面での輸送任務などに奔走しました。

 

「千歳」「千代田」は1943年8月に「千歳」、11月に「千代田」が空母として就役しています。(両艦については、本稿の「レイテ沖海戦」等の回でもご紹介しています。上掲の写真は同じです)

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建造途上艦の空母転用

上述のように既成艦の空母転用に加えて建造途上にあった大型水上艦も空母への転用が決定され、空母仕様に改造されています。

背景には、これら既存艦の建造施設をできるだけ速やかに空母建造に向けて明け渡し、その後の完成した船体をどのように活用するか、検討が行われた、という事情があります。

 

大和級戦艦 3番艦「信濃」の空母転用

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(「大和級」戦艦の3番艦を空母化した「信濃」の概観:210mm in 1:1250 by Trident:  直下の写真は、「信濃」と同時期の日本海軍の標準空母となる予定の「雲龍級」との比較。大和級戦艦の血を引く「信濃」がいかに大きいか、何より広大な飛行甲板を有する空母であったことがわかります。Trident社製のモデルの飛行甲板の白線はやや誇張が過ぎるかと思います

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信濃」は「大和級」戦艦の3番艦として、1940年5月に起工され、ミッドウェー海戦での敗北時(1942年6月)には船体の70%が完成している状態でした。一方で「信濃大和級戦艦)」に主砲塔を供給するための専任艦である「樫野」が米潜水艦により撃沈され(1942年9月)工事の推進に大きな障害がでてきていました。ミッドウェー海戦の敗戦により急遽浮上した艦隊空母の急速な補填要求に加え、こうした事情もあり、「信濃」は空母への転用が決定されました。

大和級」戦艦が母体だけに、前述の「大鳳」同様、高い生存性を活かし戦場に長く留まり活動することが期待されました。飛行甲板は800キロ爆弾の命中に耐えられる装甲を貼り、トップヘビー傾向を抑えるために格納庫甲板は一層として、固有の搭載機数は47機と少なめでしたが、他空母の搭載機に対する補給も担当できるよう、大きな弾薬庫、航空機燃料庫を備えた「大鳳」に類似した設計でした。速力は母体である「大和級」戦艦同様、27ノットを発揮する予定でした。

1944年11月に就役し、最終艤装を呉海軍工廠で行うため横須賀から呉への航海に出ますが、回航途上、米潜水艦の魚雷攻撃を受け撃沈されました。就役からわずか10日後の沈没でした。

 

「改鈴谷級」重巡洋艦 1番艦「伊吹」の空母転用

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(「改鈴谷級」重巡洋艦を転用した空母「伊吹」の概観:163mm in 1:1250 by Mini and Beyond(3D printing model): 直下の写真は、「伊吹」(手前)と雲龍級」の比較。重巡洋艦をベースとした「伊吹」はかなり小型の空母だったことがわかります

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「改鈴谷級」重巡洋艦はマル急計画(「昭和16年度戦時急増計画」)で建造が決定した重巡洋艦の艦級です。その1番艦である「伊吹」は1942年に起工されましたが、ミッドウェー海戦での敗北で空母建造が急務となったため、早急に船体のみ完成させ船台を空母建造に転用する旨、決定が下されました。1943年4月に進水し、呉海軍工廠に係留されていましたが、船体転用についての検討の結果、1943年8月、軽空母への転用が決定されました。

改造工事は佐世保で行うことも決定し、1945年3月の完成予定を見込んだ計画が推進されることとなり、佐世保に回航されましたが、すでに重巡洋艦としてある程度完成された船体であるために改造工事の工数が余計にかかり、工事はなかなか進展しませんでした。結局、80%までの進捗状況で1945年3月、工事は中止され、完成には至りませんでした。

 

既成大型艦の空母転用の検討

これまでに見てきたように喪失空母の補填については、建造計画中の空母の建造推進と計画の拡張、戦時での空母改装を盛り込まれた設計の既成艦の改造、建造進行中の他艦種の空母転用、と様々な方向での推進が図られますが、「千歳級水上機母艦の空母改造以外には、短期で実効性のある対策は見出せんでした。

これらの検討と併せて既成大型艦の空母転用も検討されています。

 

具体的には「大和級」戦艦を除くすべての戦艦がその検討の俎上に上がり、「長門級」2隻は「大和級」戦艦に次ぐ有力艦であるとの理由で、また「金剛級」4隻も高速警戒艦として空母機動部隊構想からは除外できないとの理由で転用候補から外されました。一方「扶桑級」2隻は艦隊空母として必要な25ノットの速度が満たせないとして除外され、結局、「伊勢級」2隻のみが転用候補として改造計画の対象となりました。

伊勢級」戦艦の空母改造の検討

同級の「日向」が檻からの砲塔爆発事故で5番主砲塔を欠いており、いずれにせよ修復工事を行わねばならなかったという事情も働いていたようです。

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(資料:申し訳ありません。原典が不明です。上記の画像では、上から「伊勢級」航空戦艦(実現案)、「伊勢級」全通飛行甲板空母改造案、「伊勢級」航空戦艦別案が示されているようです、どなたかご存知なら:大内健二氏の著作「航空戦艦 伊勢・日向」(光人社NF文庫)にも参考図面とスペックに関する記述があり、以下の記述はそれを参考にさせていただいています

具体的な改造案としては、「赤城」「加賀」の転用工程に倣い、主砲・前檣等も含むすべての上部構造物を一旦撤去して機関部等のみ残した船体に格納庫を追加し、その上に飛行甲板を設けるというものでした。

実際には航空戦艦への改造が行われた計画のみの存在で、もちろん既成のモデルあありません。では、形にしてしまおう、と言うわけで・・・。

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(「伊勢級」の本格空母への改造案の概観:163mm in 1:1250 by semi-scratched model based on Delphin model : 直下の写真は、「伊勢級」の本格空母改造案(奥)と実現した航空戦艦案(Delphin)の比較:申し訳ありませんが、ご覧のように本格空母案の方は最終艤装(特に対空砲一式)が未完の状態です。対空砲装備のベースとなる部品取りモデルを調達中で、これが到着次第完成し、またお披露目します。今回はなんとなくこんな形だったかも、と言うのがわかっていただけたら、と)

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(直下の写真は、「伊勢級」を本格空母化した場合に、どの程度の空母たり得たのかを把握するための「雲龍級」空母との比較:船体規模はほぼ同等で、構造から見て一段半の格納庫を設定できそうですから、個有の搭載機数も、おそらくほぼ同等になり得たのではないかと想像します。ただし速力は「伊勢級」は25ー26ノットで、「雲龍級」には及ばなかったでしょうね。防御力の備わった「隼鷹級」と考えるべきかも。しかし、標準的な艦隊空母としての運用は可能だったのではないでしょうか?)

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完成すれば216メートル級の飛行甲板を持ち、搭載機54機を運用できる「雲龍級」空母に匹敵する規模を持つ艦隊空母になることが期待できました。機関の換装は計画しないため速力は25ノットでしたが、これも「隼鷹級」中型空母と同程度ですが、戦艦出自から来る防御性能は「隼鷹級」を遥かに凌駕するものになるはずでした。

計画図面では「隼鷹級」と同様の煙突一体型のアイランド艦橋を持った案が残されています。

結論としてはこの案では改造工期が一年半ほどかかり、その間、資材の分配等から他の新造空母の建造工事にも影響が出るとして見送られ、結果的には「伊勢級」戦艦は航空戦艦としての改造を受けることなったのです。

航空戦艦「 伊勢」「日向」

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(直上の写真は伊勢級航空戦艦の概観:172mm in 1:1250 by Delphin)

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(直上の写真は伊勢級航空戦艦2隻:伊勢(奥)、日向) 

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模型制作的な視点から

下の写真は今回「伊勢級」本格空母改造にあたって準備したパーツ類です。写真に撮ったパーツ類は、未使用のセットですので、もう一隻の製作が可能ではあります(いずれ作るのかな)。f:id:fw688i:20220219211825j:image

メインはDelphi社製の航空戦艦「伊勢(日向?)」のモデル(写真のほぼ中央:上掲の航空戦艦のモデルがまさに「それ」で、Delphin社のモデルはebayで比較的安価で入手できるので、ストックパーツとしては最適で、筆者は数隻をストックパーツとして保有しています。そのうちの1隻を分解し、上部構造を実際の改造のように可能な限り除去します(除去したパーツは、もちろんストックパーツとして収納しておきます)。

この平たくなった船体上にプラロッドで格納庫スペースを立ち上げ、その上に飛行甲板を乗せる。あとは細部をプラロッドなどで整えて、最後に煙突一体型アイランド艦橋を右舷に設置。と言うような手順です。

今回、煙突一体型アイランド艦橋は実は大小二種を作成し、前出のモデルには小(ほぼ「隼鷹級」に等しい大きさ)を採用しています。下の写真には残った「大」の方が写っています。(「本格空母」感を出すのであれば、「大」を使うべきだったかも知れません。「ああ、速度といい、規模といい、「隼鷹級」等しい空母になるんだなあ、と言う一人合点が、多分「小」を選ばせたんだと思います)

飛行甲板は、今回は古い「飛龍」のストックモデルを使っています。船体に合わせた長さ調節、形状等の整形が必要です。写真に写っている飛行甲板にはまだ除去前の艦橋が写っていますね。(写真の上部部中央に写っている航空戦艦「伊勢」の船体後部の飛行甲板は、今回のモデルには使いません。ただ写っているだけ)

 

重巡洋艦「筑摩」空母改造案

前述の「伊勢級」戦艦の空母転用と同様に、損傷を負った重巡洋艦についても空母への転用が検討されたようです

ミッドウェー海戦で損傷を負った「最上」は「伊勢級」戦艦と同様な検討ののち、航空巡洋艦に改造されています。

その中で、「南太平洋海戦」で損傷した重巡「筑摩」の損傷回復の際に、一気に空母へ改造しようと検討がなされた痕跡が残されています。同型艦の「利根」についてはこんな情報は出てきませんね。うまくいけばと言うことだったんでしょうか)f:id:fw688i:20211106125154j:plain

艦首がエンクローズド・バウですね。図面ではエレベータが1基しかないのは、何故でしょうかね。搭載予定の艦載機が「烈風」や「流星」で大型化しているので、「伊吹」でも「筑摩」でも、甲板繋止が当たり前のように予定されていたようです。改造空母では格納庫スペースが十分には取れない、エレベータのスペースもできれば格納スペースに。と言うようなことと関係があるかもしれません。それにしても前部エレベータのみ設置、というのはちょっと理解できません。

発艦距離の短い艦上戦闘機のみの搭載として艦隊防空の専任担当艦ということでしょうか?それならば、燃料と弾薬の頻繁な補給のために後部に着艦スペースを取り、飛行甲板上で補給を行い速やかに発艦し上空直衛の任務に戻る、格納庫収容は修理の必要な場合のみ、というような運用が想定されるかもしれません。これならば前部エレベータのみで事足りるかも。

 

1:1250スケールでは、モデルは流石に出ていません。(1:700スケールではガレージキットが出ていたようです。やっぱり凄いな)

となると、筆者の常として、なんとか形にしてみようと言う想いがむくむくと。手近なところから使えそうなモデルを探し始めるのですが、そういえば「改鈴谷級」と「利根級」は寸法は大きく変わらないので、では空母形態の「伊吹」をベースにトライしてみよう、ということで。

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(「重巡「筑摩」改造空母の概観:上述のように空母「伊吹」のモデルをベースの改装しています。艦首部のエンクローズド・バウ化が外観的な目玉かも)

結論は「伊勢級」戦艦の改造においての議論と変わらず、期待するほど短期間での工事は不可、かつ1万トン級の重巡洋艦では、船体の形状等から搭載機数に限度があり(せいぜい30機)、小型空母以上にはなりにくいなどの要件で、いずれも見合わされました。

 

空母「筑摩」制作雑記

本稿では、以前、下記の工作をご紹介しています。そのほぼ再録。

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前出の空母「伊吹」のモデルをベースにして、前部飛行甲板のトラスを撤去。最大の特徴であるエンクローズド・バウをプラパーツとエポキシ・パテで再現します。これが最大の作業(上掲の写真の右下)。図面では右舷に煙突が二本突き出ていますので、これもプラパーツでそれらしく追加(左下)。なんとなくそれらしくなってきたかな。エレベーターが1基と言うのは少し考えものですね。架空艦なので、2基装備でもいいようにも思います。

後は下地処理をして塗装をして完成です。

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重巡洋艦形態の「筑摩」と空母形態の艦型比較:少なくともサイズ的には「伊吹」のモデルの流用には大きな問題はなさそうですね)

 

以上のように、日本海軍はミッドウェー海戦での空母損失をなんとか補填しようと種々模索しています。しかし、結論としては早、いずれの方法も早急な対策とはなり得ず、当面は前回ご紹介した新星第三艦隊の体制で望む他にありませんでした。

上記の記述で出てきた各対応は、いくつかは途中で断念され、あるいは空母として完成したものも、すでに時期が1944年に入ってからで、その時期には搭載する航空機部隊、特に空母搭載機の搭乗員の手当がつかず、艦載機のない「空空母」に甘んじざるを得ませんでした。

やはり、いかにミッドウェー海戦の打撃が大きかったか、改めて実感できますね。

 

という訳で、今回はこの辺りで。

 

次回は「第二次ソロモン海戦」のお話を、と思っていますが、今週から次週にかけて週末も含めかなり本業が多忙です。簡単な新着モデルのお話を挟ませていただくかも。あるいは一回スキップも。

 

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。「以前に少し話が出ていた、アレはどうなったの?」というようなリマインダーもいただければ。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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