相州の、ほぼ週刊、1:1250 Scale 艦船模型ブログ

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

ドイツ海軍の第二次世界大戦での通商破壊戦:偽装商船

復活ドイツ海軍のZ計画

第一次世界大戦の敗戦で、ドイツはかつては世界第2位を誇った海軍を失い、さらにベルサイユ条約下の制限で、その保有海軍力に大きな制限を課されることになりました。1万トン以上の排水量の艦を建造することが禁じられ、その建造も代替艦に限定されました。戦勝国側の概ねの主旨は、ドイツ海軍を沿岸警備の軍備以上を持たせず、外洋進出を企図させない、というところだったでしょう。

しかし、戦後賠償等の混乱の中で、ドイツにはナチス政権が成立し、1935年に再軍備を宣言、海軍力についても、同年に締結された英独海軍協定で、事実上の制限撤廃が行われました。

その海軍の再建については大きな二つの柱がありました

一つは通商破壊戦を実施する戦力の整備でした。即ち英国を仮想敵とした場合、通商破壊戦を展開することが有効であることは、第一次世界大戦の戦訓で明らかでしたし、再建に着手したとは言え、英海軍との戦力差を埋める事は事実上不可能で、その意味からも通商破壊戦以外にとりうる戦略がない事は明らかだったと言えるでしょう。

これを潜水艦(Uボート)と装甲艦(ポケット戦艦)のような中型軍艦 、あるいは偽装商船のような艦船で行うにあたり、その前提として、英海軍による北海封鎖を打破することは必須であり、そのためには強力な決戦用の水上戦力が必要でした。従って通商破壊戦の展開の前提を創造するための英海軍主力を打破できる水上戦力の整備が2番目の柱となり、この実現計画はZ計画と呼ばれました。

この決戦用水上戦力の整備にについては、まさに主力艦の整備計画であり、本稿では下記の回で既にご紹介しています。

fw688i.hatenablog.com

この計画は史実では1939年のドイツのポーランド侵攻と共に、英仏がドイツに対し宣戦布告し、第二次世界大戦が始まったため、中止となリましたが、海軍の対英国戦略は他に取るべき選択肢はなく、通商破壊戦の3つの柱(潜水艦による、水上戦闘艦による、偽装商船による)は実行されました。

 

今回は上記のうち偽装商船のご紹介。そういうお話です。

 

偽装商船による通商破壊戦

古くから商船に砲を搭載し補助的な軍艦として使用する例は多くみられました。特に蒸気機関を用いた軍艦の黎明期から日清・日露戦争期までの時期には、軍艦と商船の速力の差が顕著ではなく、高速の商船が補助的な軍艦(仮装巡洋艦)として索敵・護衛などの任務を果たす事は十分に可能だったと言えるでしょう。

その後、特に両者の速度差と武装差が顕著になると、補助戦闘艦としての任務よりも通商破壊戦の担当艦として利用されるようになります。

多くの場合、中立国の民間船舶を装い標的に接近し、十分に接近したのち国籍を明らかにし軍艦旗を掲げ襲撃するなどの戦法がとられました。このため搭載武装などは巧妙に隠蔽されており、乗組員も乗客や民間船員の服装を装うなどの偽装が施されていました。本稿のタイトルがあえて「偽装商船」となっているのは、実はそういう理由があります。

f:id:fw688i:20201115111421j:image

(偽装商船は、各種の武装を舷側下(上段)や船倉(下段左)に隠蔽していました。時にはキャンバス製ので偽装煙突で、船の外観を変えるようなことまでしていました(下段右))

襲撃と言っても多くの場合には十分に接近してからの停船を求めるための威嚇射撃であり、あるいは搭載する水上偵察機の低空飛行により、標的の無線用の通信線を切断し通報能力を奪った上で接近するなどの戦法がとられたそうです。標的の商船は投降後はいったん拿捕され乗員を捕虜とされた後、爆薬により撃沈、もしくは拿捕船とし母国に回航されるといういずれかの処置を取られました。

ドイツ海軍は第一次世界大戦で既にこの戦法を実施しており、実際の拿捕・撃沈の戦果もさることながら、英海軍は通報を受ける都度、その出現に対応せねばならず、通商路保護への戦力の抽出・分派を強いる効果がありました。

fw688i.hatenablog.com

 

第二次世界大戦のドイツ偽装商船

第二次世界大戦でも、ドイツ海軍は以下にご紹介する9隻の偽装商船を通商破壊戦に送り出しました。

 

「オリオン」(秘匿名:軍艦36号/Shiff 36・英海軍のコードネーム:襲撃艦A/Raider A)

ja.wikipedia.org

Orion (HSK 1)

f:id:fw688i:20201115101943j:image

(HSK 1「オリオン」の概観:119mm in 1:1250 bu Neptune: 7,021トン、主砲:155mm*6門、魚雷発射管6門、 水偵2機搭載、機雷228個 14ノット)

1930年建造の貨物船を改造し1939年に通商破壊艦1号(Hilfskreuzer 1:HSK 1)として就役しました。1940年4月から1941年8月にかけて通商破壊活動に従事し、その間、共同戦果も含め10隻、約84,000トンの連合国船舶を撃沈しました。

f:id:fw688i:20201115102001j:image

(「オリオン」の武装は船倉や遮蔽板を多用して隠蔽されていました)

以降は練習艦あるいは輸送艦として運用され、1945年5月に爆撃で沈没しました。

 

アトランティス」(秘匿名:軍艦16号/Shiff 16・英海軍のコードネーム:襲撃艦C/Raider C)

ja.wikipedia.org

Atlantis (HSK2)

f:id:fw688i:20201115102600j:image

(HSK 2「アトランティス」の概観:122mm in 1:1250 by Neptune: 7,862トン、 主砲:155mm*6門、魚雷発射管4門、 水偵2機搭載、機雷92個、16ノット)

1937年竣工の商船を改造し1939年に通商破壊艦2号(HSK 2)として就役しました。1940年3月に出撃、1941年11月に南大西洋で英巡洋艦「デボンシャー」と交戦、撃沈されました。

f:id:fw688i:20201115115039j:image

(「アトランティス」の武装は舷側下に偽装板を設け隠蔽されていました(写真上段と中段:遮蔽板の開閉)。後甲板には船倉を利用して水偵が収納されていました)

その間、22隻、約145,000トンの連合国商船を撃沈しています。

 

f:id:fw688i:20201115222307j:image

(「アトランティス」と交戦し撃沈した重巡洋艦「デボンシャー」(「ロンドン級」155mm in 1:1250 by Neptune)

 

アトランティス」の戦闘航海については下記の書籍があります。実に興味深い。

f:id:fw688i:20201114164253j:plain

この本は比較的手に入りやすい!

海の狩人・アトランティス (航空戦史シリーズ) | フランク, ウォルフガング, ローゲ, ベルンハルト, 茂, 杉野 |本 | 通販 | Amazon

 

ウィダー(秘匿名:軍艦21号/Shiff 21・英海軍のコードネーム:襲撃艦D/Raider D)

ja.wikipedia.org

Widder (HSK 3)

f:id:fw688i:20201115102845j:image

(HSK 3「ウィダー」の概観:122mm in 1:1250 by ???: 7,851トン、 主砲:155mm*6門、魚雷発射管4門、 水偵2機搭載、14ノット) 

1929年建造の客船を改造したもので、1939年に通商破壊館3号(HSK 3)として就役しました。以降、大西洋で通商破壊活動を行い、1940年10月までの間に10隻、約58,000トンの連合国商船を撃沈、もしくは拿捕する戦果をあげました。

戦争を生き残り、戦後、本来の商船として英国船、ドイツ船として運用され、1955年座礁して失われました。

 

「トール」(秘匿名:軍艦45号/Shiff 45・英海軍のコードネーム:襲撃艦E /Raider E)

ja.wikipedia.org

Thor (HSK 4)

f:id:fw688i:20201115103136j:image

(HSK 4「トール」の概観:98mm in 1:1250 by Delphin?: 3,862トン、主砲:155mm*6門、魚雷発射管4門、 水偵1機搭載、小型魚雷艇1隻搭載、18ノット)

1938年に建造された商船を改造した船で、1940年通商破壊艦4号(HSK 4)として就役しました。1940年4月までに1回目の出撃を行い、更に1941年11月から1942年1月まで2回目の出撃を行いました。その間に22隻、約155,000トンの連合国船舶を拿捕、もしくは撃沈する戦果を上げました。

f:id:fw688i:20201115103149j:plain

(「トール」の主砲や魚雷発射管は舷側下に偽装板を設け隠蔽されていました)

1回目の出撃中には、3隻の英海軍の商船改造の特設巡洋艦との戦闘を行い、1隻を撃沈し2隻を戦闘不能にするという戦果も上げています。

2度目の戦闘航海の最後の襲撃で自艦の位置を通報されたため、航海を切り上げ同盟国日本の横浜に寄港。その地で隣接して停泊中のドイツタンカーの爆発に巻き込まれ沈没しました。(1942年11月)

 

「ピングイン」(秘匿名:軍艦33号/Shiff 33・英海軍のコードネーム:襲撃艦F/Raider F)

www.german-navy.de

f:id:fw688i:20201115222110j:image

(HSK 5「ピングイン」の概観:125mm in 1:1250 by Sextant: 7,766トン、主砲:155mm*6門、魚雷発射管2門、 水偵2機搭載、機雷300個、17ノット)

 1936年に建造された商船を改造した船で、1940年2月に通商破壊艦5号(HSK 5)として就役しました。1940年6月から1941年5月まで、大西洋からインド洋、南極海にかけて戦闘航海を行い、捕鯨船や鯨油加工船を14隻含む32隻、約155,000トンの連合国船舶を撃沈、また拿捕しました。

f:id:fw688i:20201115222128j:image

(「ピングイン」の武装は舷側下に偽装板を設け隠蔽されていました。後甲板には船倉を利用して水偵や小型魚雷艇が収納されていました)

同航海では、副次的な任務として、Uボートへの補給も行いました。1941年5月8日、セイシェル諸島付近で英海軍巡洋艦コーンウォール」の襲撃を受け、機雷庫に被弾、爆沈しました。

f:id:fw688i:20200509234555j:image

(「ピングイン」と交戦し撃沈した重巡洋艦コーンウォール」(「ケント級」)152mm in 1:1250 by Neptune)

f:id:fw688i:20201114163915j:plain

「ピングイン」は、この小説に登場する敵役のモデル?なんで鯨油加工船や捕鯨船なの、と思った方は、是非。

南極海の死闘 (Best sea adventures) | W.R.D. マクロクリン, 力, 尾坂 |本 | 通販 | Amazon

 

「シュティーア」(秘匿名:軍艦23号/Shiff 23・英海軍のコードネーム:襲撃艦J/Raider J)

www.german-navy.de

f:id:fw688i:20201115103924j:image

(HSK 6「シュティーア」の概観:108mm in 1:1250 by Neptune: 6,376トン、主砲:155mm*6門、魚雷発射管6門、 水偵2機搭載、小型魚雷艇1隻搭載、14ノット)

 1936年建造の商船を改造したもので、1939年11月に通商破壊艦6号(HSK 6)として就役しました。当初バルト海での通商破壊船を展開後、機雷敷設船に改造され英国本土上陸作戦に使用される予定でしたが、同作戦の中止とともに、本来の通商破壊作戦に戻りました。

f:id:fw688i:20201115103941j:image

(「シュティー」の主砲は船倉(上段写真)や貨物を装って(写真下段)隠蔽されていました)

1942年5月に出撃し、1942年9月に米国貨物船との戦闘で沈没するまでの大西洋での戦闘航海で、4隻、約29,000トンの連合国船舶を撃沈しました。

 

コメート(秘匿名:軍艦45号/Shiff 45・英海軍のコードネーム:襲撃艦B/Raider B)

ja.wikipedia.org

Komet (HSK7)

f:id:fw688i:20201115105106j:image

(HSK 7「コメート」の概観:97mm in 1:1250 by Neptune: 3,287トン、主砲:155mm*6門、魚雷発射管6門、 水偵2機搭載、小型魚雷艇1隻搭載、機雷30個、14.8ノット)

 1937年の建造された商船を改造した船で、1940年2月に通商破壊艦7号(HSK 7)として就役しました。偽装商船としては最小です。

2度の戦闘航海を行い、1度目は1940年7月から1941年1月までの間に北極海から太平洋に進出し、その後、地球を一周してフランスに帰着しました。

f:id:fw688i:20201115105518j:image

(「コメート」の主砲や魚雷発射管は舷側の遮蔽板内に隠蔽されていました。後甲板部には船倉内に水偵や小型魚雷艇が収納されていました)

2度目は1942年10月ル・アーブルを出航しましたが、出撃の翌日10月14日、駆逐艦部隊と交戦し、被弾、爆沈しました。

8隻、約52,000トンの連合国船舶を拿捕・撃沈しました。

 

「コルモラン」(秘匿名:軍艦41号/Shiff 41・英海軍のコードネーム:襲撃艦G/Raider G)

ja.wikipedia.org

Kormoran (HSK 8)

f:id:fw688i:20201115110014j:image

(HSK 8「コルモラン」の概観:131mm in 1:1250 by Neptune: 8,736トン、主砲:155mm*6門、魚雷発射管6門、 水偵2機搭載、小型魚雷艇1隻搭載、機雷360個、18ノット)

1938年の建造された商船を改造した船で、1940年10月に通商破壊艦8号(HSK 8)tosite就役しました。通商破壊艦としては最大の船で、1940年12月から1941年11月までの戦闘航海で 大西洋、インド洋で11隻、約69,000トンの連合国船舶を拿捕・撃沈しました。

f:id:fw688i:20201115110025j:image

(「コルモラン」の主砲や魚雷発射管は舷側の遮蔽板内や船倉に隠蔽されていました。後甲板部には船倉内に水偵や小型魚雷艇が収納されていました)

 

1941年11月29日、オーストラリア海軍の巡洋艦シドニー」と遭遇し、オランダ船を偽装して接近した後、近距離砲戦の結果、複数の命中弾を与え、加えて魚雷も命中さるなど「シドニー」を大破(後、沈没。生存者なし)させましたが、自艦も被弾し大火災を起こし乗組員は艦を放棄せざるを得ませんでした。こうして、「コルモラン」はドイツの偽装商船の中で唯一、連合国軍艦を沈める戦果を挙げた艦となりました。

f:id:fw688i:20200507225141j:image

(「コルモラン」と交戦したオーストラリア海軍軽巡洋艦シドニー」(「パース級」):135mm in 1:1250 by Neptune)

 

「ミヒェル」(秘匿名:軍艦28/Shiff 28・英海軍のコードネーム:襲撃艦H/Raider H)

ja.wikipedia.org

Michel (HSK 9)

f:id:fw688i:20201115110508j:image

(HSK 9「ミヒェル」の概観:106mm in 1:1250 by Neptune: 4,740t, 主砲:155mm*6門、魚雷発射管6門、 水偵2機搭載、小型魚雷艇1隻搭載、16ノット)

1939年のされた商船を改造した船で、1941年9月に通商破壊艦9号(HSK 9)として就役しました。1942年3月に出撃し、大西洋からインド洋で通商破壊活動を行い、1943年3月、同盟国の日本(神戸)に寄港。その後、5月にインド洋から太平洋で通商破壊戦を展開しますが、日本への帰港途上、1943年10月父島沖で米潜水艦の雷撃により撃沈されました。

f:id:fw688i:20201115110522j:image

(「ミヒェル」の武装は船倉に隠蔽されていました。後甲板部には船倉内に水偵や小型魚雷艇が収納されていました)

上記の戦闘航海を通じ、18隻、約127,000トンの連合国船舶を沈めました。

 

以上のように、ドイツ海軍の通商破壊艦を見てきましたが、その活躍の時期は1942年の初頭までで、つまり有力な海軍航空兵力を備えた米国の参戦後は、ほとんど活動の場を見出せなくなってしまいました。

それはさておき、商船ならではの長い航続距離を活かして神出鬼没を狙い通商路を脅かす偽装商船と、それを追う英艦隊の物語は、実に興味がつきません。しかし実はあまり物語化されておらず、昔はYoutubeで偽装商船の登場する古いモノクロの映画など観れたような記憶があるのですが、著作権から制限がかかったのか今では探すことができません。

ガラガラと舷側の偽装板が降ろされて、ヌッと砲身が現れる、そんな映画だった記憶があるのですが・・。

どなたか、お勧めの書籍(できれば小説がいいかなあ)や、映画があれば教えていただけるとありがたいです。

 

偽装商船というと記憶に新しいところで、こんなのもありましたね。

www.gundam-unicorn.ne

ガンダムUC  ネオ・ジオン軍 偽装貨物船「ガランシェール

f:id:fw688i:20201114215749j:image

(上記の写真はコスモフリート・コレクションから。ノンスケールモデルですが、全長60mm程のモデルです。おおよそ1:2500かと)

ガランシェール」は固有の武装を持っていません。船倉に4機のモビルスーツを搭載し、これがこの船の主戦力を構成しています。ストーリーの最初から「偽装貨物船」なんて出てくるものだから、あっという間にストーリーに引き込まれてしまいました。もう少し活躍して欲しかったなあ。

 

ということで、今回はここまで。

 

次回は(多分)通商破壊戦つながりで、Uボートのお話をしましょうかね。こっちは映画もたくさんあるし・・・。

 

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

ブログランキングに参加しました。クリック していただけると励みになります。


艦船ランキング

 

 

 

 


 

 

 

 

第二次世界大戦下のドイツ海軍巡洋艦(軽巡洋艦・重巡洋艦)

今回は、前回の陽光あふれるような、ちょとはしゃいだ地中海(アドリア海)から一転して、鈍色のバルト海、北海に視点を移して、どちらかというと本稿の本筋に近い艦船群のご紹介です。

とは言え、アドリア海編も着々と準備が進行中で、前回の主人公であった「アドリア海の真珠号」も少しディテイルアップなど進んでいます。

f:id:fw688i:20201108115348j:image

(遊覧飛行母船「アドリア海の真珠」号の概観。103mm in 1:1250 by C.O.B. Constructs and Miniatures:下の写真は、少しデリック部分をディテイル・アップ)

f:id:fw688i:20201108115357j:image

さらに、ほら、飛行艇ダボハゼ」らしきものも・・・。

f:id:fw688i:20201108154017j:image

(「ダボハゼ」は、ちょっと迷彩を間違ったかも。もう一回やり直しかな?でもまだ尾翼部分は塗装できていないんだな?空賊連合も飛行船、手に入れたのか?)

 

でも「今回は、浮き立つ心を押さえて、少し真面目に」、そんなお話し。

 

本稿でもご紹介しましたが。第一次世界大戦に敗れたドイツ帝国は、大戦前には主力艦の保有数で英国に次いで世界第二位の規模を誇っていた海軍をほぼ失います。

fw688i.hatenablog.com

大戦後のベルサイユ条約で認められた海軍の保有艦艇は日本海軍で言えば日露戦争当時の主力艦であった前弩級戦艦8隻と同時代の旧式の防護巡洋艦8隻、駆逐艦水雷艇魚雷艇が各14隻という規模で、潜水艦・航空母艦保有は認めない、という明らかに沿岸警備の機能しか持たせないことを狙った制限が課せられました。

fw688i.hatenablog.com

 

条項には保有を許された艦艇については、戦艦と巡洋艦については艦齢20年に達したものについて代艦の建造が認められていましたが、戦艦については排水量10000トン以下、主砲口径28センチ以下に、巡洋艦も6000トン以下という制限が設けられていました。

その制限下で、「ドイッチュラント級」装甲艦の設計構想が生まれ、これを機にヨーロッパでは新たな世代の主力艦とでも言うべき「新戦艦」の時代が到来するのですが、これは既に本稿でも上記の回でご紹介したところです。

 

さて、上記の「ドイッチュラント級」装甲艦の建造に先立ち、巡洋艦について見ると、ドイツ海軍はベルサイユ条約の制限下で保有を許された旧式防護巡洋艦「ニオべ」の代艦として1921年軽巡洋艦「エムデン」を起工します。

f:id:fw688i:20201108111525j:image

(ベルサイユ条約保有が認められた小型巡洋艦「ニオべ」の概観。81mm in 1:1250 by Navis :1900年頃に10隻が建造された「ガツェレ級」の一隻で、2600トン級の船体に4インチ速射砲を10門搭載していましたが、速力は22ノットで、20年代巡洋艦としてはは第一線の戦力とは言えなくなっていました)

ja.wikipedia.org

 

軽巡洋艦「エムデン」(1921-1945:同型艦なし)

同艦は第一次世界大戦後ドイツ海軍が建造した最初の大型の戦闘艦で、設計は基本的に第一次大戦時のドイツ帝国海軍の軽巡洋艦に準じたもので、兵装配置などはオーソドックスと言え、目だった新機軸は用いられていない手堅い設計でした。ただし、排水量制限を意識して電気溶接を多用した軽量化が計られ、そうした意味では新世代の艦船群の先頭を切るにふさわしいと言っていいかもしれません。

さらに艦名に第一次大戦で神出鬼没の通商破壊戦で英海軍を翻弄した「エムデン」を冠するあたりなど、新生ドイツ海軍の矜持を垣間見ることができるかもしれません。

ja.wikipedia.org

f:id:fw688i:20201108112342j:image

(ベルサイユ条体制下で初めてドイツ海軍が建造した巡洋艦「エムデン」の概観。125mm in 1:1250 by Hansa :5400トンの船体に6インチ単装砲8基を搭載し、30ノットの速力を出すことができました)

 

「エムデン」は第二次世界大戦では、緒戦に機雷敷設作戦に参加、その後ノルウェー侵攻作戦に参加したのちは、主としてバルト海練習艦として運用されました。大戦末期にはソ連軍の侵攻の迫る東部戦線、東プロイセンからの避難・撤収などの従事しました。

1945年4月、キール軍港への空襲で被弾し5月に自沈しています。

 

ケーニヒスベルク級」軽巡洋艦

(「ケーニヒスベルク」1929-40 「カールスルーエ」1929-40 「ケルン」1930-45)

上述の「エムデン」に引き続き、ドイツ海軍はべルサイユ条約制限下での6000トン級軽巡洋艦の新たな艦級を建造します。

ja.wikipedia.org

f:id:fw688i:20201108112356j:image

(「ケーニヒスベルク級」軽巡洋艦の概観。139mm in 1:1250 by Hansa :条約制限一杯の6000トンの船体に6インチ三連装砲塔3基を搭載し、32ノットの速力を出すことができました)

f:id:fw688i:20201108112404j:image

(「ケーニヒスベルク級」軽巡洋艦の特徴である6インチ三連装砲塔。中段の写真では、艦尾部のオフセット配置がよくわかります。このオフセット配置は、艦首部への砲撃に対応するための工夫でしたが、艦構造の中央部を外した砲塔配置となったため、構造上の欠陥となり、次級の「ライプツィヒ級」では、全て中央線上の配置と改められました。写真下段では、新設計の88mm連装高角砲の配置がよく分かります

 

「エムデン」が従来の第一次大戦型の軽巡洋艦タイプシップとした比較的オーソドックスな設計であったのに対し、同級では「エムデン」で導入した電気溶接の多用に加え、上部構造に軽合金を用いるなど、条約制限の6000トン内でより有力な巡洋艦建造が目指されます。砲兵装では「エムデン」が防楯付きの単装砲架で45口径15センチ主砲を8基装備したのに対し、新設計の60口径15センチ速射砲の3連装主砲塔が導入され、この3連装主砲塔を艦首部に1基、艦尾部に2基搭載していました。艦尾部に搭載された2基の主砲塔は、やや左右にオフセットして配置され、左右両舷の艦首方向に対してもどちらかの砲塔が広い射界を得られるように工夫がありました。

しかし、このオフセット配置は結果的には失敗で、中央線からずらせて配置した艦尾部に主砲塔重量により船体に亀裂を生じるなどの課題が生じ、バルト海と北海以外では活動を制限することとなりました。 

f:id:fw688i:20201108112418j:image

(「ケーニヒスベルク級」軽巡洋艦の3隻勢揃い。奥から「ケーニヒスベルク」「カールスルーエ」「ケルン」の順)

 

ケーニヒスベルク:第二次大戦開戦後は北海で機雷敷設に従事したのち、1940年のノルウェー侵攻作戦にベルゲン攻略部隊の一員として参加。ベルゲン占領には成功しますが、ノルウェー軍の陸上砲台との交戦で被弾し、その修復中の4月10日に英軍機の空襲を受け被弾、沈没しました。 

カールスルーエ:1936年にはスペイン内戦に対応してスペイン海域に派遣されています。第二次世界大戦では、1940年のノルウェー攻略作戦にクリスチャンサン・アーレンダール攻略部隊として参加し、陸上砲台と砲火を交えながら、攻略戦の成功に貢献しました。

その帰途、4月9日、英潜水艦の雷撃を受け被雷。味方水雷艇の魚雷で自沈処分されました。 

「ケルン」:第二次大戦緒戦、同艦はバルト海で活動し、その後北海およびイギリス沿岸で機雷敷設作戦に従事しました。1940年のノルウェー攻略戦にはベルゲン攻略部隊に参加しています。その後、バルト海東方で戦艦「ティルピッツ」などと共にソ連海軍の出撃警戒などを行ったのち、1942年にはノルウェー北部に移動し、ソ連向けの輸送船団等に対する警戒に当たります。1942年12月に発生したバレンツ海海戦の結果、ヒトラーが海軍に対し大型戦闘艦の退役命令を出し、その結果、「ケルン」はノルウェー海域を離れドイツ本土のキール軍港に回航され退役しました。

その後、退役命令の撤回と共に再就役しますが、進出先のオスロフィヨルドで英軍機の空襲を受け至近弾で損傷、修理のために移ったヴィルヘルムス・ハーフェンで再び爆撃を受け、大破着底の状態で敗戦を迎えました。

 

ライプツィヒ級」軽巡洋艦

(「ライプツィヒ」1931-敗戦時残存 「ニュルンベルク」1935-敗戦時残存)

同級は前出の「ケーニヒスベルク級」軽巡洋艦の改良型で、ドイツ海軍が建造した最後の軽巡洋艦の艦級です。「ケーニヒスベルク級」で構造上の欠陥となった艦尾部の主砲塔のオフセット配置を改め、全てセンター配置としています。さらに構造を強化したためベルサイユ条約の制限排水量を超えていましたが、公式には制限内と公表されていました。

2番艦の「ニュルンベルク」ではさらに艦橋の大型化、対空兵装の強化などが行われ、「ライプツィヒ」の同型艦として扱われながら、実際には艦型がさらに大型になっています。

ja.wikipedia.org

 

 

ライプツィヒ:第二次大戦緒戦ではポーランド攻略戦に参加、ポーランド海軍艦艇の脱出阻止作戦に従事しましたが、結果的には失敗しています。以下をご参考に。

fw688i.hatenablog.com

その後、北海で機雷敷設を行ったのち、1939年12月、イギリス沿岸で展開中の駆逐艦部隊による機雷敷設作戦に支援部隊として参加しますが、英海軍の潜水艦からの魚雷攻撃で損傷しました。

自力で帰港後にキール軍港で修理されますが、完全に修理されないまま練習艦として再就役します。その後、バルト海方面で活動を続けましたが、1944年10月、重巡洋艦プリンツ・オイゲン」と衝突損傷し、その後完全に修復されることのないまま、東部戦線からの避難民支援、ソ連軍に対する艦砲射撃などに従事、敗戦を迎えています。

f:id:fw688i:20201108113208j:image

(軽巡洋艦ライプツィヒ」の概観。143mm in 1:1250 by Hansa :「ケーニヒスベルク級」で欠点として発見された船体強度の強化のために艦型を大型化し条約制限を超えたの6300トンの船体に6インチ三連装砲塔3基を搭載し、32ノットの速力を出すことができました。下の写真は、「ライプツィヒ」で中央線上の配置に改められた艦尾部の主砲塔配置:左は「カールスルーエ級」右は「ライプツィヒ」)

f:id:fw688i:20201108113218j:image


ニュルンベルク第二次世界大戦緒戦は、北海での機雷敷設に従事、その後、上記の「ライプツィヒ」と共にイギリス沿岸での機雷敷設作戦に両艦の「ライプツィヒ」「ケルン」と共に支援部隊を編成し、その旗艦(ギュンター・リュッチェンス少将座乗:後に戦艦「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」を率いて大西洋で通商破壊作戦で成功、さらに戦艦「ビスマルク」を指揮して最初で最後の戦闘航海に出撃し、同艦と運命を共にしました)として出撃しました。この出撃で英潜水艦から2発の魚雷を被雷し損傷しましたが、自力航行で帰港。

ja.wikipedia.org

修復後、1940年にノルウェー攻略戦に参加。1941年には練習艦とされ、戦艦「ティルピッツ」など共にバルト海で活動。その後1942年にはノルウェー北部で活動しました。f:id:fw688i:20201108113221j:image

(軽巡洋艦ニュルンベルク」の概観。146mm in 1:1250 by Hansa :「ライプツィヒ」の艦橋部を大型化し、更に船体が大型化しています。8300トンの船体に6インチ三連装砲塔3基を搭載し、32ノットの速力を出すことができました。下の写真は、「ライプツィヒ」と「ニュルンベルク」の艦橋の大きさの比較:奥が「ニュルンベルク」手前は「ライプツィヒ」。艦橋の基部の大きさの違いが分かります)

f:id:fw688i:20201108113215j:image

バレンツ海海戦後のヒトラーの大型戦闘艦退役命令で1943年に一旦本国に戻りますが、その後再びバルト海で避難民保護、機雷敷設などに従事しました。敗戦時には燃料不足からコペンハーゲンに留まっていました。

敗戦後、賠償艦としてソ連に引き渡され、「アドミラル・マカロフ」として就役しています。(1961年解体)

f:id:fw688i:20201108113211j:image

(ドイツ海軍が第二次世界大戦に投入した軽巡洋艦4艦級の比較。手前から「エムデン」「ケーニヒスベルク級」「ライプツィヒ」「ニュルンベルク」の順。次第に艦形が大型化しています

 

アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦

(「アドミラル・ヒッパー」1939-45 「ブリュッヒャー」1939-40 「プリンツ・オイゲン」1940-敗戦時残存 他に未成艦2隻「ザイトリッツ」「リュッツォー」)

同級は第一次世界大戦後、ドイツ海軍が建造した唯一の重巡洋艦の艦級です。

f:id:fw688i:20201108113827j:image

(「アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦の概観。163mm in 1:1250 by Hansa :十分な防御力と有力な砲兵装を有していましたが、ワシントン条約制限を超えたの14000トンの船体となりました(公称は10000トン)。新設計の60口径8インチ連装砲塔4基を搭載し、32ノットの速力を出すことができました)

 

ベルサイユ条約の制限を破棄する再軍備計画の一環として設計され、当初は列強の条約型重巡洋艦と同等の 10000トン級の重巡洋艦として構想されましたが、高速性能と防御力への要求からワシントン・ロンドン条約重巡洋艦の制約を大きく超える14000トン級の艦として設計がまとめられました。(公称は10000トンのまま)

ja.wikipedia.org

 英独海軍協定でドイツ海軍の大型艦建造が可能になるとすぐに2隻が起工されましたが、性能上は列強の重巡洋艦に引けを取らないながらも、ドイツ海軍の用兵構想から見ると設計を大型化した割には航続距離などの点で、先行して整備されていた「ドイッチュラント級」装甲艦や「シャルンホルスト級」戦艦などに追随できず、通商破壊戦への適性等の視点からは用途が限られる「やや残念」な艦級となってしまいました。(参考:航続距離:アドミラル・ヒッパー級:20ノットで6800海里、シャルンホルスト級:19ノットで8800海里、ドイッチュラント級:20ノットで10000海里)

しかし個艦としては32ノットの速力を有し、強力な兵装と十分な防御力を兼ね備えた有力な軍艦でした。

特に砲兵装は強力で、主砲としては新設計の60口径20.3センチ砲を連装砲塔で4基搭載していました。同砲は122kgの砲弾を33500m届かせる性能があり、戦艦並みの射程距離があるのですが、実戦ではそれよりも60口径の長砲身により高初速で中近距離での貫徹力が高く、散布界も良好で、中近距離での戦闘に最大の効果を発揮する砲でした。

さらに高角砲を連装砲架で6基搭載しており、同砲は毎分15−18発の射撃速度を有する優秀な砲でした。

f:id:fw688i:20201108113857j:image

(「アドミラル・ヒッパー」(手前)と「ブリュッヒャー」)

 

アドミラル・ヒッパー:1940年にノルウェー侵攻作戦に参加。トロンヘイム沖海戦では、英駆逐艦グローウォームと交戦、体当たりにより損傷を負いながらもこれを撃沈しています。

その損傷を修理した後、同艦は1941年の3月まで数度にわたり大西洋での通商破壊戦に従事します。同艦は機関に問題を抱えていたためしばしば帰港し修理を余儀なくされますが、それでも1941年2月にはSLS-64船団を襲撃し同船団の7隻を撃沈する戦果をあげています。

1942年からはノルウェー海域に進出し、装甲艦「ドイッチュラント」「アドミラル・シェーア」戦艦「ティルピッツ」などと共に対ソ連向けの輸送船団PQ船団の襲撃機会を求めますが、水上艦部隊による戦果はなかなか上がりませんでした。(主な戦果は航空機と潜水艦により挙げられました)

1942年12月31日、JW51B船団の襲撃戦にクメッツ艦隊の旗艦として参加。同船団の直衛駆逐艦部隊、これを支援する英巡洋艦部隊と交戦します(バレンツ海海戦)。駆逐艦数隻を撃沈、撃破したものの、船団自体には損害を与えることができず、逆に英巡洋艦の攻撃で「アドミラル・ヒッパー」は被弾し損傷してしまいます。

ja.wikipedia.org

同海戦は、ドイツ海軍の水上戦闘艦部隊が臨んだ最後の海戦と言ってよく、しかしこの海戦での戦果に失望したヒトラーは、海軍司令長官レーダー元帥を解任し、大型水上艦艇の退役を命じる(後にこの命令は撤回されますが)というおまけがつきます。

「アドミラル・ヒッパー」も上記の総統命令で一旦退役させられますが、後に復帰し戦争末期にはバルト海での陸上砲撃や避難民の待避支援・輸送等に従事しました。

1945年5月にはキールのドックで空襲により大破着底して敗戦を迎えました。

ブリュッヒャー1940年のノルウェー侵攻作戦に参加し、オスロ攻略部隊の旗艦として参加します。1940年4月4日、オスロフィヨルドに侵入したドイツ艦隊に対しオシカシボルグ要塞の28センチ砲が射撃を開始し、「ブリュッヒャー」は被弾して炎上、さらにカホルム島の魚雷発射管から至近距離で魚雷攻撃を受け、同艦は航行不能に陥り、翌日の早朝、転覆沈没しました。

プリンツ・オイゲン:同艦は「アドミラル・ヒッパー級」の3番艦ではありますが、艦首形状をクリッパー型に変更して設計され、航空艤装にも変更が加えられ、更に艦型が大型化しています。

f:id:fw688i:20201108113917j:image

(「アドミラル・ヒッパー級」を更に大型化した「プリンツ・オイゲン」の概観:172mm in 1:1250 by Hansa)

就役直後に第二次世界大戦の開戦を迎え、最初の作戦参加は1941年5月の戦艦「ビスマルク」に帯同した「ライン演習」でした。この出撃中にデンマーク海峡で英戦艦「プリンス・オブ・ウエールズ」「フッド」と交戦し、「フッド」を轟沈、「プリンス・オブ・ウェールズ」にも損害を与える砲戦に「プリンツ・オイゲン」も参加し、命中弾を与えました。一方で、「ビスマルク」も命中弾を受け損傷したため、2隻での作戦は中止となり、「ビスマルク」はブレストへの回航を目指し、「プリンツ・オイゲン」は単艦で通商破壊戦を継続することになりました。しかしその後、機関の不調を生じ、6月にブレストに帰還しました。

ja.wikipedia.org

1942年2月、英空軍の空襲に晒されるブレスト軍港から戦艦「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」と重巡洋艦プリンツ・オイゲン」をドイツ本国に回航する「ツェルベルス作戦」が発動され、「プリンツ・オイゲン」は無事ドイツに帰還しました。

ja.wikipedia.org

その後、ノルウェー海域への移動途上で英潜水艦の雷撃で艦尾を失う大損害を受け、1942年10月までを修復に費やしました。

その後、バルト海練習艦任務に従事した後、バルト海での対ソ連作戦での李k城への支援砲撃任務に従事することになります。

1945年4月にコペンハーゲンに移動し、その地で敗戦を迎えています。

f:id:fw688i:20201108113957j:image

(「アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦の勢揃い。手前から「アドミラル・ヒッパー」「ブリュッヒャー」「プリンツ・オイゲン」の順)

 

こうして第二次世界大戦を生き残った「プリンツ・オイゲン」でしたが、アメリカ軍のビキニ環礁での原爆実験に日本海軍の戦艦「長門」などと共に供されます。実験後も沈没しなかった同艦はその後クェゼリン環礁に運ばれ、同地で座礁、現在でも同地で残骸を確認することができます。

ザイトリッツ:同艦は1942年8月に80%程度完成した時点で空母への改装が決定されましたが、完成する事はありませんでした。

リュッツオウ:1939年に進水、艤装中に第二次世界大戦の開戦を迎えました。その後、艦橋の基部と1番砲塔、4番砲塔を設置した状態で、当時はドイツと同盟関係にあったソ連に売却され、レニングラードに回航され「ペトロパブロフスク」と改名されました。独ソ戦開戦後は同地でドイツの侵攻部隊に対し砲撃を加えています。

その後「タリン」「ドニエプル」と改名ののち1958年に除籍されました。

 

6インチ砲搭載の軽巡洋艦

1936年どの計画では、同級の設計を基にした6インチ砲搭載の軽巡用艦の建造が計画されていました。

f:id:fw688i:20201108114422j:image

(「アドミラル・ヒッパー級」の3番艦以降は当初は6インチ砲装備の軽巡洋艦として完成させる計画がありました。170mm in 1:1250 by Hansa :下の写真は、同艦級の特徴。6インチ三連装砲塔の配置と強化された航空艤装。このモデルを見ると通商破壊戦を展開させる際、有力な航空偵察能力を発揮して敵船団を捜索するような用途が推測されます 

f:id:fw688i:20201108114430j:image

 

偵察巡洋艦計画 

大西洋での通商破壊戦を海軍戦略の重要な要件の一つとしていたドイツ海軍は、標的となる船団を発見し追跡するt「偵察艦」の建造を計画していました。36ノットの高速を発揮する大型の駆逐艦というような形状の艦で、1943年に計画は中止されています。

f:id:fw688i:20201108114443j:image

(偵察巡洋艦の概観。122mm in 1:1250 by Hansa:7500トン級の船体に、6インチ連装砲塔3基を搭載し、36ノットの高速を発揮することができました。 

military.sakura.ne.jp

 

 第二次世界大戦におけるドイツ海軍は、なんと言っても再建途上であり、量的には英海軍と正面を切って対決する事はできませんでした。その為、当初から戦略的な重点を置くことが予定されていた通商破壊戦に、より重点を置くことになるわけですが、特に後半、圧倒的な物量を持つ米国の参戦と航空機の発展に伴うエアカバーエリアの拡大によって、水上艦艇による通商破壊戦はほとんど適応の余地がなくなってしまいます。

更に「巡洋艦」という限定的な視点で見ると、量的にも質的にも全く不十分で、それが用兵面でもしばしば積極性の欠如のような形で現れ、戦局に効果的な役割を果たせなかったと言えると考えています。

どこかで書きましたが「ちょっと残念な」という感じですね。

個人的には、しかし、その優美なデザインは大好きです。本当に美しい。

 

という訳で、今回はここまで。

 

次回は、どうしようか?今回の続き、という訳ではないですが、通商破壊艦、いわゆる仮想巡洋艦のお話でも?筆者の予告編はあまり当てにはなりませんが。

 

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

ブログランキングに参加しました。クリック していただけると励みになります。


艦船ランキング

 

 

 

 

 

 

ちょっとはしゃいだ番外編:水上機母艦「デダロ」改め遊覧飛行母船「アドリア海の真珠」号

このところ、本稿前回でご紹介したスペイン海軍水上機母艦海上移動航空基地)「デダロ」の工作に時間を使っています。その経過をご紹介。まだ途中なんで、これからまだまだ手を入れていく予定ですが。

今回はそんなお話し。

 

まずは「デダロ」のご紹介を改めて。(前回の再録、ここから開始)

スペイン海軍 水上機母艦「デダロ」

既に本稿の購読者の方にはお馴染みのShapewaysで、ちょっと面白い船を発見したので、早速お取り寄せしてみました。(作者は本稿でもお世話になっている C.O.B. Constructs and Miniatures)

www.shapeways.com

「デダロ」はスペイン海軍が第一次世界大戦後にイギリスから購入した商船を改造して建造した水上機母艦です。水上機母艦と書きましたが、実際には飛行船(気球)と水上機を運用することが可能で、スペイン海軍における正式呼称は「海軍移動航空基地(Estación Transportable de Aeronáutica Naval)とされていたようです。リーフ戦争(第3次リーフ戦争 - Wikipedia)で実戦参加しており、スペイン内戦で空襲をを受け沈没しています。

f:id:fw688i:20201024150051j:image

(直上の写真:「デダロ」の概観。とりあえず下地処理をしてあります。103mm in 1:1250 by C.O.B. Constructs and Miniatures)

10000トン級の船体で、最大速度は10ノット程度。(もしかするとこの低速のために、あえて「母艦」という呼称を使わなかったんじゃないかな?と、これは筆者の憶測です)艦首甲板に飛行船の整備格納庫と繋留マストを持ち、艦尾部には12機から20機の水上機を運用可能な収納甲板を持っていました。

dedalod.jpg (12282 bytes)

http://www.revistanaval.com/www-alojados/armada/buques1/dedalo.htm (出典元)

ja.wikipedia.org

(直下の写真:「デダロ」の艦首部と艦尾部の拡大。何と艦首部の格納庫には飛行船が。筆者がこの船に惹かれた理由はまさにこれ!寸法からすると、飛行船としてはかなり小さいのですが、例えば実際に第一次世界大戦時には、飛行船が船団護衛に用いられたケースなどもあるようです。さらに、艦尾の飛行甲板にはエレーベーターも)

f:id:fw688i:20201024150102j:image

こういう艦船は、筆者の想像力を、やたら、かき回します。

ストレートにスペイン海軍の艦船として作るべきだとはわかっていながら、「地中海、水上機・・・それになんだって?飛行船?」と頭のどこかがピクリ。そして「スペイン海軍が民間に払い下げて、その後、地中海で遊覧飛行の拠点になって・・・」などというストーリーが浮かび、大戦間のアドリア海で「表向きは遊覧飛行船の会社なんだけど、実は」なんて話に発展したりして。あるいは「当船のお客様の中には、確かに少しその筋の方々もいらっしゃいますが、皆さん、当船にとっては大切なお客様でして。当船はどなたにも同じサービスをご提供させていただいております。あ、はい、もちろん飛行艇の燃料やお食事などもご提供するサービスには含まれております。え?赤い戦闘飛行艇?最近は見かけませんね」なんてね。

・・・ということで、少し遊んでみましょう。年内には少しストーリー付きで、公開する(かも)。

(再録、ここまで)

 

で、想像をかき回されるままに・・・。

アドリア海遊覧飛行会社所有:遊覧飛行母船「アドリア海の真珠」号(Perla dell'Adriatico)

第一次世界大戦か終了して、ベネチアの資産家がヨーロッパの金持ち相手のアドリア海の遊覧飛行会社を設立します。

折からヨーロッパ各国で大戦終了と共に余剰の兵器の整理が始まり、まず同社はスペイン海軍が保有を計画し、しかしその途上で性能不足に気づいた水上機母艦「デダロ」を、改装計画も丸ごと引き取ります(ちょっと史実とは異なります)。

さらに各国が大戦中に発注し、戦後持て余し気味となっていた飛行船、飛行艇などを入手します。一方で、ベルサイユ体制でオーストリア・ハンガリー帝国が解体され、アドリア海沿岸を中心に職を失った飛行艇パイロットを雇い入れ、あっという間に会社の根幹が整うことになりました。

こうして、遊覧飛行母船「アドリア海の真珠」号を拠点として遊覧事業が起こされるのですが・・・。

・・・・と、こんなカバーストーリーでしょうか?

(直下の写真は、遊覧飛行母船「アドリア海の真珠」号の概観。103mm in 1:1250 by C.O.B. Constructs and Miniatures:搭載しているのはイタリア海軍が放出した水上飛行機とオーストリア海軍が手放した武装を外した戦闘飛行艇(Lohner L型)。黄色い一機は、オーナー家族所有の飛行艇

背景のアドリア海の古い要塞跡の上空に浮かんでいるのは、同社ご自慢の遊覧飛行船「トリエステ号」。同船はアメリカ海軍の最新鋭の飛行船(ZMC 21)の設計をベースに建造された同社オリジナルの飛行船で、ヘリウムを用い安全性と高速、快適さを売り物にしていました(とか?)。

(右下写真)「アドリア海の真珠号」の利用客は、ベネチアから大型の飛行艇アドリア海を遊弋中の同船に送迎され、数日の滞在期間中に小型の飛行艇や水上飛行機、飛行船などでアドリア海の遊覧飛行や観光を楽しむことができました)

f:id:fw688i:20201101143411j:image

( ちょっと模型的な話をすると、実はこの「白い塗装」というのが、意外と難しいのです。ええ?そんなことない?私だけ?)

 

1920年台後半の、時代背景としては・・・ 

さて、呑気に遊覧飛行などを楽しめる「金持ち」とは裏腹に、世の中は実は第一次世界大戦後の深刻な不況の真っ只中で、敗戦国ドイツでは猛烈なインフラの中から、やがてナチスが台頭します。イタリアは先勝国ではありながらこれまた深刻な不況に喘ぎ、ファシスト党の独裁色が深まっていく最中にありました。

国家ファシスト党への投資を銀行で薦められたポルコ・ロッソが「そういう話は、人間同士でしてくれ」といなす、そんな時代ですね。

アドリア海では前述のオーストリア・ハンガリー帝国の崩壊と軍の解体の中で、大量の軍人が国と職を失い、アドリア海を航行する船舶の用心棒稼業=空賊として一世を風靡していました(ほんとかな?)

(直下の写真は、前述のアドリア海遊覧飛行会社の保有する2隻の飛行船。一隻は上で紹介した「トリアステ号」(銀色)。もう一隻(白)はその優雅な空中での姿から「Cara Gina :愛しいジーナ」と呼ばれた飛行船で、前身は英海軍の船団護衛用の対潜飛行船(SSZ 19)でした。あれれ、赤い戦闘飛行艇が・・・)

f:id:fw688i:20201101144841j:image

ということで、今回は筆者の妄想の世界の入り口のご紹介。赤い戦闘飛行艇が現れたということは、もちろんいずれは奴らも・・・(ですね)。

イタリア海軍(空軍?どっちだ?)の空賊警備部隊も登場する予定。

もちろん、船自体ももう少し手を入れる予定です。

 

という訳で、今回はここまで。

ちょっと色々と頭の中で楽しいでいて、あまり物事が進みませんでした。ご容赦を。

 

次回は、どうしようか?今回の続きは、1週間では、ちょっと準備不足になるかも。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

ブログランキングに参加しました。クリック していただけると励みになります。


艦船ランキング

 

 

 

新着モデルのご紹介:「大淀」竣工時、と、ちょっと面白い船、入手

コレクションに欠けていた軽巡洋艦「大淀」の竣工時のモデルが到着しましたので、ご紹介します。併せて、想像力を掻き立てられるちょっと面白い船が入手できたので、それもご紹介。今回はそういうお話。

 

軽巡洋艦「大淀」竣工時のモデル

軽巡洋艦「大淀」は本稿ではこれまでに二度ほど登場しています。

一度は日本海軍の巡洋艦開発小史の下記の回。

fw688i.hatenablog.com

この回では日本海軍が建造した最後の巡洋艦、そして唯一、魚雷装備を持たない巡洋艦という扱いで紹介しています。

 

今一度は下記の回。

fw688i.hatenablog.com

この回ではその設計構想を具現化した同艦の最大の特徴である長大なカタパルトについて、少しだけ紹介しています。

 

しかしこのいずれの回の時点でも筆者の手元には「大淀」竣工時のモデルがなく、先週、ようやく手元に到着しましたので、ご紹介します。

 

f:id:fw688i:20201024151639j:image

(直上の写真:「大淀」竣工時の概観。153mm in 1:1250 by Trident /船体の後部三分の一を締める長大なカタパルトを搭載しています)

 

米海軍を仮想敵とし、艦隊決戦を構想する日本海軍が、両者の物量の差をを勘案した場合、太平洋を渡洋してくる米主力艦部隊に対する漸減邀撃作戦を展開し、ある程度その戦力を削いだ上で主力艦同士の決戦に移行する必要があるという構想を立てていました。

潜水艦はその邀撃の重要な担い手で、その潜水艦部隊を指揮、誘導する旗艦として有力な航空索敵能力を持ち強行偵察が可能な偵察巡洋艦の建造を計画していまいした。その構想の元「大淀」は建造されました。

ja.wikipedia.org

Japanese cruiser Ōyodo - Wikipedia

当初設計案では航空偵察能力に重点がおかれ、主砲も魚雷も搭載しない設計でしたが、その後、強行偵察を考慮し主砲のみ装備することとなりました。

その主装備である航空偵察には、当初、新型の長大な航続距離を持ち、戦闘機も振り切ることができる高速を発揮できる水上偵察機「紫雲」が予定され、その運用のために、「大淀」は艦中央に航空機格納庫を持ち、さらにその後部に呉式2式1号10型という形式の圧縮空気型カタパルトを搭載していました。このカタパルトは6tまでの機体を40秒間隔で射出することができましたが、全長44メートルの巨大なものであり、大淀も当初、艦の後部約3分の1を割いて、このカタパルトを巨大なターンテーブルに搭載していました。

ja.wikipedia.org

しかし1943年の就役時点で、「紫雲」が想定の性能に到達せず、また戦術が航空戦力主導に移行したことから、想定された主力艦部隊同士の決戦とその前段としての潜水艦による漸減邀撃が成立しなくなっており、就役当初は輸送任務、あるいはその支援に従事しました。

筆者は、この呉式2式1号10型という「大淀」竣工時に搭載されていた圧縮空気型カタパルトは、実用実績がないので実効性が検証されていない、というリスクはあるのですが、スペック通りの性能を発揮したとすれば、例えば低速の商船改造の特設空母やあるいは飛行甲板の短い軽空母に搭載し、その戦力化に大いに効果があったのではないかと考えたりするのです。

もっとも、一方で、消耗戦により母艦航空隊の弱体化が進んでおり、力を発揮すべき航空隊自体がなかった、という実態は、如何ともし難い、という状況ではあったのですが。

 

その後「大淀」は航空機格納庫を会議室や通信機器の収納スペースに改造、大型カタパルトを通常のカタパルトに変更するなどの手が加えられ、1944年5月から、指揮専用艦として連合艦隊旗艦となりました。
fw688i.hatenablog.com

f:id:fw688i:20201024151649j:image

(直上の写真:「大淀」竣工時とその後の改造後の艦尾の比較)

竣工時の姿は、上掲の巡洋艦発達小史の方にも反映しておきます。

 

そして「ちょっと面白い船」:

スペイン海軍 水上機母艦「デダロ」

既に本稿の購読者の方にはお馴染みのShapewaysで、ちょっと面白い船を発見したので、早速お取り寄せしてみました。(作者は本稿でもお世話になっている C.O.B. Constructs and Miniatures)

www.shapeways.com

「デダロ」はスペイン海軍が第一次世界大戦後にイギリスから購入した商船を改造して建造した水上機母艦です。水上機母艦と書きましたが、実際には飛行船(気球)と水上機を運用することが可能で、スペイン海軍における正式呼称は「海軍移動航空基地(Estación Transportable de Aeronáutica Naval)とされていたようです。リーフ戦争(第3次リーフ戦争 - Wikipedia)で実戦参加しており、スペイン内戦で空襲をを受け沈没しています。

f:id:fw688i:20201024150051j:image

(直上の写真:「デダロ」の概観。とりあえず下地処理をしてあります。103mm in 1:1250 by C.O.B. Constructs and Miniatures)

10000トン級の船体で、最大速度は10ノット程度。(もしかするとこの低速のために、あえて「母艦」という呼称を使わなかったんじゃないかな?と、これは筆者の憶測です)艦首甲板に飛行船の整備格納庫と繋留マストを持ち、艦尾部には12機から20機の水上機を運用可能な収納甲板を持っていました。

dedalod.jpg (12282 bytes)

http://www.revistanaval.com/www-alojados/armada/buques1/dedalo.htm (出典元)

ja.wikipedia.org

(直下の写真:「デダロ」の艦首部と艦尾部の拡大。何と艦首部の格納庫には飛行船が。筆者がこの船に惹かれた理由はまさにこれ!寸法からすると、飛行船としてはかなり小さいのですが、例えば実際に第一次世界大戦時には、飛行船が船団護衛に用いられたケースなどもあるようです。さらに、艦尾の飛行甲板にはエレーベーターも)

f:id:fw688i:20201024150102j:image

こういう艦船は、筆者の想像力を、やたら、かき回します。

ストレートにスペイン海軍の艦船として作るべきだとはわかっていながら、「地中海、水上機・・・それになんだって?飛行船?」と頭のどこかがピクリ。そして「スペイン海軍が民間に払い下げて、その後、地中海で遊覧飛行の拠点になって・・・」などというストーリーが浮かび、大戦間のアドリア海で「表向きは遊覧飛行船の会社なんだけど、実は」なんて話に発展したりして。あるいは「当船のお客様の中には、確かに少しその筋の方々もいらっしゃいますが、皆さん、当船にとっては大切なお客様でして。当船はどなたにも同じサービスをご提供させていただいております。あ、はい、もちろん飛行艇の燃料やお食事などもご提供するサービスには含まれております。え?赤い戦闘飛行艇?最近は見かけませんね」なんてね。

・・・ということで、少し遊んでみましょう。年内には少しストーリー付きで、公開する(かも)。

 

ということで、取り敢えず今回はここまで。

 次回は、どうしようかな?

日本海軍の航空母艦開発史」、もう少し時間がかかりそう。

前回の「タウン級駆逐艦の話つながりで「英海軍の駆逐艦」の系譜のご紹介かな、と思ったのですが、実は第二次大戦開戦後に建造された艦級に欠落あり、ということが判明してしまいました。あるいは「米海軍の駆逐艦」の系譜?こっちは行けるかも。

そう言えば、実は米海軍も英海軍も巡洋艦の体系的な紹介をしていませんね。そういう意味では「ドイツ海軍の巡洋艦駆逐艦」なども・・・。

テーマはあるけれど、結構どれも重いですね。一回では終わらない感じ。もう暫く少し気楽に行きたいなあ。

 

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

ブログランキングに参加しました。クリック していただけると励みになります。


艦船ランキング

 

 

 

 

「フラワー級」コルベットの話

本当に申し訳なく思うのですが、今回も筆者の大好きな護衛艦(コルベット)の話です。

ちょっと取り止めのない話になりそう。作りたかった、並べたかった、という感じですので。

 

本稿の「映画「グレイハウンド」に登場する艦船」の回で、「フラワー級コルベットについてはご紹介しました。

fw688i.hatenablog.com

その際に上掲の会の最後の方で、1:350のモデルと1:1250のモデルを数隻調達中と書きました。彼女達が到着。今回はそういうお話です。

 

フラワー級コルベット

フラワー級コルベットがどのような船かは、上掲の回でも紹介していますが今一度ご紹介。

ja.wikipedia.org

概要をまとめておくと、英海軍が第二次世界大戦の開戦後、再び大西洋で猛威をふるい始めた独海軍のUボート対策として、導入した艦種で、短期間での量産性を考慮して、捕鯨船を原型として設計されたほぼ対潜水艦専用の護衛艦艇です。タイプシップ捕鯨船であることから、就役当初は「対潜捕鯨船(A/S whaler)」と呼ばれていた時期もあったようです。

捕鯨船をベースとしたことから、商船出身の乗組員でも比較的運用が容易で、乗組員調達等の面からも数を揃えることができました。

兵装としては、1000トン余りの船体に4インチ砲1門と機関砲数門を搭載し、水中聴音機とアズティック、レーダーを標準装備。船尾に爆雷投下軌条2基と舷側への投射機2基、設計時期によっては前方への投射能力も加味してヘッジホッグも搭載した事例もあったようです。初期の搭載爆雷数は40発が定数とされていましたが、のちに72発まで増備されました。

量産性に対する要求から、調達の容易なレシプロ蒸気機関を主機として、16ノット程度の速力を発揮することができました。航続距離は12ノットの巡行速度で3500海里(約6600キロ)でしたが、大西洋を横断する場合を考慮すると、例えばハリファックスリヴァプール間の直線距離が約2400海里(約4500キロ)、これを約8ノット程度の船団速度にあわせ、寄港地を結ぶ迂回航路を取り、さらに回避行動を取りながら船団周辺を警戒しつつ護衛する、と考えると、航続距離には大きな課題があったと言えるでしょう。

かつ、大西洋を横断する船団の航海は、記録から見ると15日から20日程度かかると思われます。おそらくこういった長期航海の場合には、1000トン余りの船に乗組員定数の最大である85名が乗組み、荒れる大西洋を航海したでしょうから、途中数カ所の経由地での補給等があるとはいえ、居住性は劣悪だったろうと想像できます。

1939年から44年までの間に、イギリスで140隻、カナダで123隻が建造され、うち31隻が失われましたが、沈めた敵潜水艦は42隻、という戦果を残しています。まあ、対潜水艦戦の場合、複数艦、場合によっては航空機との共同作戦である場合が多く、戦果認定はかなり難しいのですが、いずれにせよ、英国のシーレーン防御に多大な貢献を残したことは間違いありません。

 

最近の愛読書「三隻の護送艦」

フラワー級コルベットについて書かれた本、ということでご紹介。知る人ぞ知る第二次大戦の海戦小説の名著「非情の海」の作者であるニコラス・モンサラットの「フラワー級コルベット乗組員時代のの乗組メモ、のような本です。まさにメモで、小説のような構成などされておらず、つらつらと日常が書き綴られています。これをベースに「非情の海」(左下)や「マールボロー号の帰港」(右下に収録)などの名作が生み出されたそうです。大変興味深い。こうした本が絶版状態です。

f:id:fw688i:20201018150412j:image

古書は今のところそれほど高価ではなく手に入るのですが、本の状態もちょっと不安なので文庫を出してほしいなあ。特に最近、WFHで出勤時にはPC を持ち歩きます。手荷物が重いので、是非、文庫が欲しい! (「光人」文庫あたりにあってもいいかと、お願いしてみてはいるのですが・・・)

でも、いい本ですよ。船団護衛とか興味のある方にとっては、ね。

 

1:1250スケールのモデル

今回調達したのは、本稿でも既にご紹介済みのThe Last Square製のモデルです。

http://www.lastsquare.com/zen-cart/index.php?main_page=index&cPath=103_146_147&sort=20a&page=3

同社には上のリンクのようにCostal Forcesという名称の第二次世界大戦を扱った小艦艇のシリーズがあり、この中で「フラワー級コルベットのいくつかのヴァージョンが展開されています。まあ大雑把にいうと「初期型」(as built)、「後期型」(II)、「カナダ海軍型」「ヘッジホッグ装備型」(III)という感じでしょうか?1:1250スケールという小さなモデルでもあり、どこまでディテイルを信じていいのか、疑問を持ちだすときりがないのですが、種々のバリエーションがあった、ということでザックリ揃えてみます。(何故か、III型だけは発注しませんでした。自分でも理由がわかりません。それと、塗装は例によって筆者のオリジナルです。「こんな感じだったら、なんかそれっぽいんじゃない?」という感じの塗装なので、資料的な価値は全くありませんのでご注意を。これは、何も、今回に限ったことではないのですが)

f:id:fw688i:20201018154531j:image

(直上の写真:「フラワー級コルベット初期型:1941年までに建造されました。50mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces) 


f:id:fw688i:20201018154520j:image

(直上の写真:「フラワー級コルベット後期型:1942年以降、建造されました)

 

f:id:fw688i:20201018154651j:image

(初期型と後期型の大きな外観上の相違点は艦橋の構造にあります)


f:id:fw688i:20201018154526j:image

(直上は「フラワー級コルベット、カナダ海軍仕様初期型:と言っても筆者の中では、という程度。製造元の側もタイトルは「カナダ海軍仕様」と明記していますが、特徴説明は前出の「英海軍仕様の初期型」と同じ説明文です。単に造船所の違いだけ、案外そんなところかもしれません。何せ、量産を急いだでしょうから)


f:id:fw688i:20201018154529j:image

(直上は「カナダ海軍仕様の後期型」艦橋の構造が変わっているのと、艦中央部の仕様が、前出の「英海軍仕様後期型」とはやや異なっています。繰り返しになりますが、塗装は筆者の好み、分類上のご都合=見分けやすい、なので、あまり参考になりません)


f:id:fw688i:20201018154518j:image

 (カナダ海軍仕様「フラワー級コルベット、前期型・後期型:右の2隻が後期型)

 

ライバル「Uボート」との比較

下の写真はライバルであるドイツ海軍のUボートとの大きさの比較です。

ここでは代表的なUボートを二種ご紹介。

第一次世界大戦でその無制限潜水艦作戦で英国を窒息の一歩手前まで追い詰めたドイツの潜水艦部隊でしたが、敗戦後、潜水艦の保有を禁じられてしまいます。ヒトラー再軍備宣言と英独海軍協定で再保有が認められ、ドイツ海軍は急速にその潜水艦部隊の再建を進めますが、十分な準備に至らないまま第二次世界大戦の海戦を迎えてしまいました。

潜水艦の役割を、艦隊決戦の補助戦力一点張りとして敵艦隊を追尾し襲撃する大型で高性能な潜水艦整備に重きを置いた日本海軍と異なり、ドイツ海軍のUボートは通商破壊戦での運用に主眼を据えて設計されており、多数を配備することにより、常設性が高く、潜水という能力により浸透性に優れるという、総力戦には最適な特徴を兼ね備える潜在脅威の高い存在でした。

f:id:fw688i:20201018155159j:image

写真の1番手前が700隻あまりが建造されドイツ海軍潜水艦の主力を構成したVII型です。800トン、全長67m余りの船体を持ち、魚雷発射管を艦首に4門、艦尾に1門装備しています。予備を含め14本の魚雷を搭載することができました。両側に張り出したサドルタンクが特徴です。優秀なディーゼルターボエンジンを搭載し、水上では17.7ノットの速力を有し、水中ではモーターで7ノットの速力で移動することができました。水中を4ノットで約20時間潜航して移動することができました。深度230mまでの潜航に耐えることができたと言われています。船体内の50m余りの耐圧郭に43名の乗組員が乗り組んでいました。トイレはひとつだったそうです。

大戦を通じて使われ、多くのヴァリエーションが作られています。(51mm in 1:1250 by ???)

ja.wikipedia.org

 

写真中程に写っているのが、長い航続距離を誇るやや大型のIX型で、各型式を合計して280隻余りが建造されました。1100トン、76mの船体を持ち、艦首に4門、艦尾に2門の魚雷発射管を装備、予備を含め22本の魚雷を搭載することができました。ディーゼルエンジンを搭載し水上で18ノットを発揮し、その航続距離は13000海里に及びました。まさに通商破壊戦にはうってつけでしたが、工数が多く、量産という視点では課題がありました。(63mm in 1:1250 by Neptune)

ja.wikipedia.org

Uボートはすべての型式を合わせると1131隻が建造されており、連合国の商船を3000隻余り沈めています。うち849隻が失われ、これはドイツ軍の中で最も損耗率の高い兵種とされています。

 

ちなみに日本海軍は、単艦で見ればいずれも高性能で、中には航空機も搭載するなど高い偵察能力を有する潜水艦も揃えながら、潜水艦が撃沈した連合国商船は戦争を通じて189隻に過ぎませんでした。

 

船団護衛部隊

映画「グレイハウンド」原作版の再現

下の写真は映画「グレイハウンド」の原作、セシル・スコット・フォレスターの「駆逐艦キーリング」での護衛部隊を再現したもの。奥から「グレイハウンド」(米海軍「マハン級」駆逐艦)、「イーグル」はポーランド海軍駆逐艦「ヴィクター」、「ハリー」は英海軍のコルベット「ジェイムズ」、「ディッキー」は、カナダ海軍のコルベット「ドッジ」。

f:id:fw688i:20201018154347j:image

 

米参戦前の護衛艦部隊の一例

さらに下の写真では、アメリカ参戦前の英海軍による典型的な護衛部隊の再現を試みています。

f:id:fw688i:20201018154403j:image

(奥から、「タウン級駆逐艦、英海軍「フラワー級コルベット、カナダ海軍「フラワー級コルベット、英海軍対潜トロール船2隻)

 

タウン級駆逐艦

f:id:fw688i:20201018154413j:image

ja.wikipedia.org

第二次世界大戦の緒戦、ノルウェー戦、英仏海峡での撤退戦で、ドイツ空軍の攻撃で英海軍は多くの艦隊駆逐艦を失います。これを補完するために1940年、米英間で結ばれた駆逐艦・基地協定(Destroyers-for bases deal)に基づき、米海軍は50隻の旧式駆逐艦を英海軍に譲渡します。米海軍の「コールドウェル級」「ウィックス級」「クリムゾン級」の3つの艦級の駆逐艦がこれに当てられますが、いずれも4本煙突で、設計に連続性が高く、つまり小改良の艦級であったため、英海軍ではこれらを一括して「タウン級駆逐艦と呼称しました。「タウン級」という呼称の背景には、英海軍がこれら譲渡された駆逐艦の艦名を「アメリカ・英連邦双方に共通して存在する町の名前とする」と規定していたことによります。

譲渡対象となった前述の米海軍の3艦級の駆逐艦は、概ね1000トン級の船体を持ち、30ノットから35ノットの速力を発揮し、兵装として4インチ砲4基、3インチ砲1基、3連装魚雷発射管4基を搭載する駆逐艦でしたが、英海軍は譲渡を受けた後に魚雷発射管を半減(艦によっては全廃)、搭載砲の数を減らすなどして、対潜装備に換装し、再就役させています。(78mm in 1:1250 by Argonaut)

 

対潜トロール

英海軍は船団護衛に多くの改造トロール漁船を投入しました。

f:id:fw688i:20201018154424j:image

 

少しだけ 1:1350スケールモデルの話

本稿でも少し触れましたが、筆者はかつて1:350スケールの「フラワー級コルベットの模型を保有していました。一時期1:350スケールの「Uボート」にはまっていた時期がありまして、その流れでオークションか、中古模型店(以前はありましたよね、最近はどうなんだろうか?)でかなり格安で入手した輸入のレジンキットだったと記憶します。

ところがそれが行方不明。1:1250スケールのコレクションに移行した時に処分したのか、どこかに仕舞い込んでしまったのか・・・。

しかし、やはりこのクラスの船になると大スケールの模型もトライしたくなるもの、ということで検索すると、おお、あるではないですか。

www.amazon.co.jp

早速手配、と思ったのですが、意外や国内のチャネルで入手するのは意外と高額で、しかも希少のようです。タイプなども諸々考慮の上、結局、e-bayで購入という選択をしました。

f:id:fw688i:20201018141718j:image

早速、色だけ大まかに塗り分けてみます。設計書と照らし合わせながら塗り分けたわけではないので、組み立て始めると「あれ、これこっちの色だったの?」なんてこともありそうですが・・・。どうせ、組み立て後に、色入れは改めてするでしょうし、まあそこはいいかな、と。久々の大スケールモデル(実際には、「フラワー級コルベットは、1:144スケールや、1:72スケールなども出ているので、決して大スケールには一般的には言えないのでしょうが、筆者はいつもは1:1250を扱っているので)。
f:id:fw688i:20201018141715j:image
f:id:fw688i:20201018141713j:image

エッチングの手摺まで付属しています。だから高いのかあ、という感じですが、筆者はイギリスの出品者(多分ストアです)から送料込みで£20強で入手しています。日本円で3000円程度ですから、届くまでの時間さえ気にしなければ(と言っても10日ほどです)、お手頃な感じですね。

 

筆者にとっては久々のいわゆる「プラスティック・モデル」で、少しアウェー感もあり、仕上がりまで、もう少し時間をかけることになるかと思いますが、

仕上がりはこんな感じかなあ、と下記のリンクをご紹介(タイプは違いますが。あれ、エッチング使ってないのね、でもいい感じです。もう少し汚したい感じはしますが)。

www.tapatalk.com

また出来上がったら、ご報告します。(Uボート、作りたくなるんだろうなあ。置くとこないなあ。どうしようかな)

 

取り敢えず今回はここまで。

 

次回は、どうしようかな?

日本海軍の航空母艦開発史」はほぼ全ての艦級が揃いました。今、鋭意塗装中。白線が意外と大変なんです、実は。もう少し時間がかかりそう。

タウン級駆逐艦の話つながりで「英海軍の駆逐艦」の系譜のごしょうかな?あるいは「米海軍の駆逐艦」の系譜?

そう言えば、実は米海軍も英海軍も巡洋艦の体系的な紹介をしていませんね。そういう意味では「ドイツ海軍の巡洋艦駆逐艦」なども・・・。

 

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

ブログランキングに参加しました。クリック していただけると励みになります。


艦船ランキング

 

 

 

自由ポーランド海軍の艦船

今回は、表題の通り「自由ポーランド海軍」です。

前回、映画「グレイハウンド」に登場した艦船を紹介しましたが、その時にはたと気づいたこと、「そう言えば、自由ポーランド海軍(ポーランド共和国亡命政権軍)の艦船って、揃ってたんじゃなかったけ」と。

ということで手持ちのコレクションから、「自由ポーランド海軍」の艦艇をご紹介。今回はそういうお話。

 

第一次世界大戦後のポーランド海軍の整備

ポーランド共和国(第二共和国)は第一次世界大戦後、ヴェルサイユ体制下で独立国家として成立します。その際にポーランド回廊で100kmのバルト海への接続を手に入れ、ここにグディニャという新たな港湾都市を建設しました。

この港湾都市の建設に伴い、1918年にポーランド海軍が創設されました。しかし独立したての国家の海軍戦力はほぼゼロに等しく、当初は旧ドイツ帝国から獲得した水雷艇などを主力とする小さな海軍でした。

1924年、今後14年間で巡洋艦2隻、駆逐艦6隻、水雷艇12隻、潜水艦12隻を整備する海軍整備計画が立てられました。

しかし、フランスとイギリスからそれぞれ2隻の駆逐艦を、フランスから3隻、オランダから2隻の潜水艦を調達した時点で、ドイツ軍のポーランド侵攻により計画は中止せざるを得なくなります。

 

ペキン作戦と袋作戦

ドイツとの関係が悪化の一途を辿っていた頃のポーランド海軍の保有艦艇は、駆逐艦4隻、潜水艦5隻、掃海艇6隻、機雷敷設艦1隻でした。この勢力ではドイツと開戦となった場合に単独で有効な作戦活動ができないと判断したポーランド海軍首脳部は、現有艦艇の英海軍との合流を試みます。そして開戦のわずか二日前、1939年8月30日に主要艦艇のバルト海からの脱出作戦が実施されます。これが「ペキン作戦」で、駆逐艦3隻が脱出に成功します。

一方、潜水艦部隊はバルト海でのドイツ軍の海上補給路を攻撃する「袋作戦」に従事しますが、大きな戦果を上げることはできませんでした。

 

自由ポーランド海軍

1939年9月1日、ドイツ軍の越境により始まったポーランド侵攻は、翌月10月上旬には全てのポーランド国内での戦闘が終結します。

大統領による後継指名によってパリに亡命政権が発足すると、「ペキン作戦」で英国に脱出した3隻の駆逐艦亡命政権の指揮下におかれ、自由ポーランド海軍(亡命共和国海軍)が発足します。

さらにその後、バルト海を脱出してきた潜水艦2隻(「オジェウ」「ウィルク」)がこれに加わります。

 

「ブルザ級」駆逐艦(1930-:同型艦2隻)

f:id:fw688i:20201011135040j:image
(直上の写真:自由ポーランド海軍「ブルザ級」駆逐艦「ブルザ」の概観。84mm in 1:1250 by Neptune)

ja.wikipedia.org

同級駆逐艦はフランス海軍の「ブーラスク級」駆逐艦(仏海軍の種別では「艦隊水雷艇」)をタイプシップとしています。1500トン級の船体に13センチ砲4門を主砲として、533mm3連装魚雷発射管2基をそれぞれ搭載し、33ノットの速力を出すことができました。

 

「ブルザ」は「ペキン作戦」により対独戦開戦直前にイギリスに脱出し、その後自由ポーランド海軍の一員として、対空兵装の換装などを行った後、主として船団護衛任務に従事しました。1944年に練習艦となった後、1945年にはポーランド潜水艦の母艦任務に就いています。

大戦終了後、ポーランドに帰国。1955年に再就役し、その後記念艦となりました。

「ヴィヘル」は、バルト海からの脱出には成功せず、1939年9月3日にドイツ空軍の爆撃で大破、自沈しています。

 

「グロム級」駆逐艦(1937-:同型艦2隻)

ja.wikipedia.org

f:id:fw688i:20201004125507j:image

 (直上の写真:「グロム級」ポーランド駆逐艦の概観。91mm in 1:1250 by B-Plan: お馴染みShapwaysに出品されている3D printing modelです。モデルは「ブリスカヴィカ」の主砲換装後の姿。イギリスへの脱出後、自由ポーランド海軍の一員として大西洋で主として船団護衛に従事します

www.shapeways.com

本級は、ポーランド海軍が1935年にイギリスに発注した2000トンクラスの大型駆逐艦で、39ノットの高速を誇っていました。当時、他の列強海軍と異なり大型駆逐艦の設計経験のなかった英海軍にとっては貴重な機会で、意欲的な設計が試みられたと言われています。「グロム」「ブリスカヴィカ」の2隻が建造されました。

当初設計では主砲は12センチ平射砲で連装砲3基と単装砲1基、計7門を搭載、他に53.3cm3連装魚雷発射管2基を主要兵装としていました。バルト海での行動を念頭に設計されていたため、大西洋での運用には復原性に課題があったようです。

第二次世界大戦勃発直前、既述のように「ペキン作戦」が発動され、イギリス海軍との合流を目指して両艦はイギリスへ脱出。イギリス到着後は、亡命政府の下で自由ポーランド海軍の一員として、戦闘を継続しました。

「グロム」は1940年5月、ドイツ軍のノルウェー侵攻の際にナルヴィク沖でドイツ軍機により撃沈されました。

f:id:fw688i:20201012003327j:image
(直上の写真:自由ポーランド海軍、「ペキン作戦」でイギリスに脱出した「グロム級」駆逐艦「グロム」の概観。主砲は5インチ平射砲のまま、2番魚雷発射管を下ろし、対空砲を装備しています)

 

f:id:fw688i:20201011135050j:image

(直上の写真:「グロム」(左列)と「「ブリスカヴィカ」(右列)の主砲、魚雷発射管の配置の差異がよくわかります)

「ブリスカヴィカ」は主砲を4インチ連装対空砲4基に換装し、大西洋での船団護衛に83回従事したという記録が残っています。大戦を生き残り、戦後はポーランド海軍に復帰。1976年からは記念艦となっています。

 

潜水艦「オジェウ」(1939-1941)「オジェウ級」潜水艦(1939-:同型艦2隻)

f:id:fw688i:20201011135048j:image

(直上の写真:自由ポーランド海軍「オジェウ級」潜水艦の概観。65mm in 1:1250 by Hai)

ja.wikipedia.org

同艦はポーランドがオランダに発注した「オジェウ級」潜水艦のネームシップです。1100トンの船体に105mm砲、40mm高角機関砲を各1門、533mm魚雷発射管を8門搭載していました。水中で9ノット、水上で19ノットを発揮することができました。

「オジェウ」は対独戦開戦後、バルト海に出撃しますが、爆雷攻撃で損傷、エストニアの港湾に逃げ込みます。エストニア政府は中立国としてこれを抑留しようとしますが、「オジェウ」は脱出し、1939年10月イギリスに到着しました。

イギリスで損傷を復旧したのち、1940年4月からノルウェー海域での哨戒任務に出撃します。5月に7度目の哨戒任務に出撃し、その後消息を断ってしまいました。

 

潜水艦「ウィルク」(1929-1953) 「ウィルク級」潜水艦 (1929-:同型艦3隻)

en.wikipedia.org

(no photo)

同艦はフランスで建造された機雷敷設潜水艦です。6門の魚雷発射管を持ち、40発の機雷を搭載することができました。バルト海での戦闘で損傷しながらも脱出し、1939年9月20日イギリスの到着しました。その後、9回の哨戒任務に従事したのち1941年9月に老朽化のために練習艦となりました。大戦終了後、ポーランドに回航されましたが、状態が悪く1956年スクラップにされました。

 

脱出できなかった潜水艦3隻

以下の3隻はバルト海からの脱出を断念し、スウェーデンに抑留されました。

ja.wikipedia.org

「センブ」は前出の「オジェウ級」潜水艦の2番艦。スウェーデンに抑留され、大戦後 、ポーランド海軍に復帰し、1969年まで就役しました。

 

en.wikipedia.org

「エレイシュ」(と読むらしい?)は、前出「ウィルク級」。スウェーデンに抑留され、大戦後、ポーランド海軍に復帰。1955年まで就役していました。

 

en.wikipedia.org

「ジク」前出「ウィルク級」。スェーデンに抑留され、大戦後、ポーランド海軍に復帰。1955年まで就役していました。

ちょっと面白いのは直上のリンク内のZbikの写真。機雷射出口(?)がよくわかります。

 

その後のイギリスからの貸与艦

上記のバルト海からの脱出に成功した艦船に加え、イギリスからの貸与艦で、次第にその戦力は充実してゆきます。

 

「ドラゴン級」軽巡洋艦(1943- :同型艦2隻・旧英「ダナイー級」軽巡洋艦f:id:fw688i:20201011135045j:image

(直上の写真:自由ポーランド海軍に貸与された「ドラゴン級」軽巡洋艦の概観。117mm in 1:1250 by B-Plan:)

ja.wikipedia.org

 1943年、イギリスは自由ポーランド海軍からの要請を受け「ダナイー級」軽巡洋艦を2隻貸与します。同艦級は自由ポーランド海軍最大の艦となりました。

貸与された2隻はそれぞれ「ドラゴン」(旧名「ドラゴン」)、「コンラッド」(旧名「ダナイー」)と命名され、雷装を全廃し、対空兵装を強化し、船団護衛等の任務への適性を高める改装を受けました。

f:id:fw688i:20201011144446j:image

(直上の写真:自由ポーランド海軍に貸与された「ドラゴン級」軽巡洋艦の強化された対空装備)

「ドラゴン」は1944年7月に ドイツ海軍の小型潜水艇の雷撃で大破。その後、ノルマンディー上陸作戦で防波堤として自沈しました。

コンラッド」は大戦を生き抜き、1947年にイギリスに返還されています。

 

参考「ダナイー級」軽巡洋艦については以下もご参考に。 

「D級」軽巡洋艦

ja.wikipedia.org

f:id:fw688i:20200621113959j:image

(直上の写真:「D級」軽巡洋艦の概観 117mm in 1:1250 by Navis) 

「C級」軽巡洋艦(後期型:「カレドン級」以降の3サブクラス)をタイプシップとして、その拡大強化版。6インチ主砲を1門増やし、雷装も3連装魚雷発射管4基と強化しています。4970トン。29ノット。同型艦8隻。

(出典はこちら)

fw688i.hatenablog.com

 

その他の貸与艦艇

その他の貸与艦には。元フランス駆逐艦「ウーラガン」(「ブーラスク級」:「ブルザ級」とほぼ同型)、イギリス海軍の「G級」「N級」「M級」駆逐艦各1隻、ハント級護衛駆逐艦3隻などの水上艦艇、旧米海軍の「S級」潜水艦1隻、元イギリス海軍の「U級」潜水艦2隻などがありました。

多くは船団護衛などに活躍しましたが、「N級」駆逐艦「ビオルン」はビスマルク追撃戦等にも参加し、ドイツ戦艦「ビスマルク」と砲火を交わしていることで有名です。

 

駆逐艦「ガルラント」(旧名「ガーラント」)

f:id:fw688i:20201011140332j:image

(直上の写真:自由ポーランド海軍に貸与された「G級」駆逐艦「ガルラント」(旧名「ガーラント」)の概観。79mm in 1:1250 by Neptune)

ja.wikipedia.org

 

駆逐艦「ビオルン」(旧名「ネリッさ」)
f:id:fw688i:20201011140353j:image

(直上の写真:自由ポーランド海軍に貸与された「N級」駆逐艦「ビオルン」(旧名「ネリッサ」の概観。87mm in 1:1250 by Neptune:「ビスマルク追撃戦」に参加し、戦艦「ビスマルク」と砲火を交わしました)

ja.wikipedia.org

 

駆逐艦オルカン」(旧名「ミュルミドン」)

f:id:fw688i:20201011140357j:image

(直上の写真:自由ポーランド海軍に貸与された「G級」駆逐艦オルカン」(旧名「ミュルミドン」)の概観。92mm in 1:1250 by Neptune)

ja.wikipedia.org

 

護衛駆逐艦「シウォンザク」:(旧名「ビデイル」)と「クヤヴァク」:(旧名「オークレイ」)

f:id:fw688i:20201011140347j:image

(直上の写真:自由ポーランド海軍に貸与された「Hunt級I型」護衛駆逐艦「シウォンザク」(旧名「ビデイル」)「クヤヴァク」(旧名「オークレイ」)の概観。68mm in 1:1250 by Neptune)

 

護衛駆逐艦「クラゴヴァク」(旧名:「シルヴァートン」)

f:id:fw688i:20201011163218j:image

(直上の写真:自由ポーランド海軍に貸与された「Hunt級II型」護衛駆逐艦「クラコヴァク」(旧名「シルヴァートン」)の概観。68mm in 1:1250 by Neptune:I型に比べて連装対空砲が1基強化されています)

ja.wikipedia.org

 

潜水艦「ソコル」(旧名「アーキン」)

f:id:fw688i:20201011140341j:image

(直上の写真:自由ポーランド海軍に貸与された「U級II型」潜水艦「ソコル」(旧名「アーキン」)の概観。44mm in 1:1250 by ???)

 

潜水艦「ヂク」(旧名「P-52」)

)f:id:fw688i:20201011140350j:image

(直上の写真:自由ポーランド海軍に貸与された「U級III型」潜水艦「ヂク」(旧名「P-52」の概観。44mm in 1:1250 by ???)

ja.wikipedia.org

 

ということで、今回は前回の「弾み」のままに、「自由ポーランド海軍の艦船」のご紹介でした。「自由ポーランド軍」というと、亡命した政権下でバトル・オブ・ブリテンでも、マーケット・ガーデン作戦でも、常に英軍と肩を並べて第一線で戦い、また「国内軍」は激しいゲリラ活動ののち 「ワルシャワ蜂起」を起こすなど、失われた祖国回復への戦闘に意欲的、という印象があります(悲劇的であったりもするのですが)。

こうしてみると、陸軍・空軍に比べ規模は遥かに小さいながらも、亡命海軍も英軍と堂々のタッグを組み戦っていなのだなあ、と認識を新たにしました。

 

取り敢えず今回はここまで。

 

次回は、どうしようかな?

できればもう少し輸送船団の護衛艦の話なんかしたいなあ。

あるいは「米海軍の駆逐艦」「米海軍の駆逐艦」、そう言えば、実は米海軍も英海軍も巡洋艦の体系的な紹介をしていませんね。そういう意味では「ドイツ海軍の巡洋艦駆逐艦」なども・・・。

 

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

ブログランキングに参加しました。クリック していただけると励みになります。


艦船ランキング

 

 

映画「グレイハウンド」に登場する艦船

映画「グレイハウンド」

「グレイハウンド」ご覧になりましたか?

私は4回ほど見ました。色々と言いたいことはありますが、4回も見たということは、間違いなく面白い映画だと思います。

映画の批評は他の詳しい皆さんにお任せするとして、私は楽しめたと申し上げておきます。

ちょっとトム・ハンクス艦長、全部抱えすぎじゃないの?とか、Uボートってあんなに浮上して戦うんだろうか(「フレッチャー級」でなくとも、駆逐艦護衛艦と浮上して砲戦とか、本当にするのかな)、とか、いろいろと疑問を持ち出すときりがないのですが。

でも、一見の価値あり、だと思います。特に艦船好きの皆さんなら、上述みたいな、ある種マニアックな疑問を持ちながら見ることも、きっと楽しいだろうし。

 

さて、今回は表題通り、登場する艦船と、それにまつわる模型のお話です。

 

一応、映画「グレイハウンド」について

まだご覧になっていな方のために、予告編を再掲しておきます。

www.greyhound.movie

www.youtube.com

この映画、船団を護衛する小艦隊とそれを狩立てるUボートの物語、乱暴に整理してしまうとそう言う事なんだろうと思います。

トム・ハンクスが主演と、自ら脚本にも参加したとのことで、主役である駆逐艦「グレイハウンド」の艦長に目一杯スポットを当てたアングルの映画に仕上がっています。

当初劇場公開される予定でしたがコロナ騒ぎの中、Apple TV+での独占配信に切り替えられました。おかげで、サブスクがまた増えちゃったけど。

 

原作があって、「海の男、ホーンブロワー」シリーズなどで有名な海洋小説の大御所セシル・スコット・フォレスターの「駆逐艦キーリング」。原題は「The Good Shepherd」:Uボートの群狼作戦に因んで船団(羊)を守る「羊飼い」なんでしょう。これも映画で有名になった「アフリカの女王」もこの人の原作がベースですね。「でも「グレイハウンド」は主に兎狩りなどの猟犬ですので、羊のお守りには・・?」とかそう言う話は置いておいて、と、筆者は本稿で以前、呟いたりしています。

 

今回は表題の通り、艦船模型の視点でややこれに近い「ぶつぶつ」、まあ、そういうお話です。

 

登場する駆逐艦の話

さて、いよいよ映画に登場する駆逐艦の話ですが、(ちょっとここからはネタバレが含まれるかもしれないので、「それは困る」という方は、是非、今日は堪えて、ご覧になってから戻ってきてください。この先は、「ネタバレ、気にしない」という方、限定です。ちゃんと断ったからね!)予告編を紹介した際に、筆者は下記のようなコメントを記載しています。「予告編を見ただけであまり全体像を捉えられるような映像がなかったので、本稿前回では、筆者は予告編に映画自体への期待感を募らせながらも、「キーリング」は艦隊駆逐艦(DD)の様に見えるのですが、ここは護衛駆逐艦(DE)を使って欲しかった、などと記しています。船団護衛なら、旧式の第一次大戦型の平甲板型駆逐艦か、護衛駆逐艦(DE)あるいはもっと小さなコルベットのような艦が、個人的にはよかったな、と言う感じです。その後、書棚から「確か、あったはず」と、ほこりを被った原作小説を引っ張り出して確認したところ、原作小説では「駆逐艦キーリング」は「マハン級」駆逐艦とされていました。ああ、艦隊駆逐艦(DD)と言う設定は間違っていなかったんだ、と言うわけです。あわせて「マハン級」と聞いて少し納得」(引用ここまで)

fw688i.hatenablog.com

 

で、本編でははっきりと主人公の乗艦「グレイハウンド」は「フレッチャー級」であることが明言されています。

ですので、主人公が乗っている「フレッチャー級駆逐艦をまずはご紹介。

 

駆逐艦「グレイハウンド」

米艦隊駆逐艦の集大成「フレッチャー級駆逐艦(1942-:同型艦175隻)

米海軍が第一次世界大戦以降開発してきた艦隊駆逐艦の集大成とも言える艦級が、「フレッチャー級駆逐艦です。

ja.wikipedia.org

f:id:fw688i:20201004125517j:image

 (直上の写真:「フレッチャー級駆逐艦の概観。92mm in 1:1250 by Neptun:) 

2100トンの大型駆逐艦で、5インチ両用砲(Mk 12 5インチ砲)を単装砲塔形式で5基装備し、533mm4連装魚雷発射管2基を搭載し、37.8ノットの速力を出せる、まさに艦隊駆逐艦の決定版と言えるバランスの取れた艦で、175隻が建造されました。

高速重武装の万能艦で、第二次世界大戦後は日本も含め14か国に払い下げられ、その中には1990年台後半まで現役にとどまった艦もあるほど、ポテンシャルの高い艦級だったと言えるでしょう。

 

次に、原作で主人公の乗艦になったのが「マハン級」。

「マハン級」駆逐艦(1936-:同型艦18隻)

ja.wikipedia.org

f:id:fw688i:20200705142438j:image

 (直上の写真:「マハン級」駆逐艦の概観。82mm in 1:1250 by Neptun:)

 

「マハン級」駆逐艦アメリカ海軍が第一次世界大戦後建造した3番目の艦隊随伴用の駆逐艦の艦級で、就役年次は1937年ごろ。1500トンの小ぶりな船体を、原型となった「ファラガット級」で課題となった復原性不足に対応してやや幅広の設計としたにもかかわらず、5インチ両用砲5門、533mm4連装魚雷発射管3基を搭載するなど、重武装による、強いトップ・ヘビー傾向と言うこの条約期の駆逐艦の構造的な欠陥を、前級の「ファラガット級」から引き継いでいました。

f:id:fw688i:20200705142441j:image

 (直上の写真:「マハン級」駆逐艦の主砲配置。艦首部は両用砲の単装砲塔形式、艦尾部は単装砲架形式で、主砲を搭載しています)

同級1番艦の艦名は、著名な海軍戦略家アルフレッド・セイヤー・マハンに因んだものです。マハンの著書「海上権力史論」は明治期の海軍士官の必読書と言われ、日本海軍の日露戦争当時の艦隊参謀として有名な秋山真之も、米国留学の際、マハンを訪ねたと言われています。

 

米海軍の先見性

ちょっと映画とは関係ないですが、脱線して「マハン級」に見る米海軍の先見性、という話をします(実はこの件は、本稿の以前の回でも紹介しています)。

同級の前級である「ファラガット級」から、米海軍は駆逐艦の主砲に5インチ両用砲(Mk 12 5インチ砲)を採用しています。同砲は揚弾機構付きで毎分15-22発、揚弾機構なしの場合でも毎分12-15発の射撃が可能で、これとMk 33両用方位盤との組み合わせで、対艦・対空両目的に、飛躍的な射撃能力を得ることができました。

これは既にこの時期に 米海軍が航空機の脅威の増大を既にこの設計時期に予期していた、と言うことを示していると考えられます。

ja.wikipedia.org

この砲はその後建造された駆逐艦だけでなく、戦艦、巡洋艦、空母など米海軍艦艇のほぼ全ての艦級に搭載され、実に1990年まで使用された優秀な砲で、単装砲架から連装砲塔まで、多岐にわたる搭載形式が開発・採用されました。「マハン級」では、艦首部には単装砲塔形式で2基を背負い式に配置し、艦尾部に単装砲架を背負式で2基搭載しました。

 

同時期、日本海軍も駆逐艦に5インチ砲を主砲として採用していたのですが、基本は対艦射撃用として設計された平射砲で、対空射撃の要請に対する対応として、B型砲塔以降では仰角を75度まで上げるなどの改良が行われましたが、装填機構が対応できず、つまり装填時には平射位置まで仰角を戻さねばならず、高角射撃時の射撃速度は毎分4発程度で、低空からの侵入機に対する以外は対空砲としては全く効果を有しませんでした。

ja.wikipedia.org

この砲は、「睦月級」以降の「秋月級」、「松級」以外の全ての駆逐艦に搭載されており、つまり日本海軍は有効な対空砲を持たない駆逐艦の防空円陣で護衛されねばならなかった、と言うことになります。多くの駆逐艦が戦争後期には主砲塔を対空機銃座に置き換えている理由がここにあります。

日本海軍における駆逐艦の役割が如何に主力艦決戦の「一ノ矢」に集約されていたか、つまりその主兵器は強力な魚雷であり、その他の兵装は魚雷射程まで敵主力艦に接近できるための補助兵装だったか、と言うことがここでも明らかになると筆者は考えています。

 

一方で、既にこの「マハン級」の前級である「ファラガット級」の設計(1930年代)から、「砲」そのものはもちろん、装填機構や方位盤などの射撃管制機構との組み合わせで「両用砲」と言う「システム」を駆逐艦に搭載したアメリカ海軍の先進性には、本当に驚かされます。

 

やっぱり映画でも「マハン級」を使って欲しかったなあ、と思うのは筆者だけ? 

アメリカの第二次世界大戦参戦は1941年12月以降、かつ映画は1942年の出来事、と言う想定です。

筆者は本稿で以前、前掲のよう「「キーリング」は艦隊駆逐艦(DD)の様に見えるのですが、ここは護衛駆逐艦(DE)を使って欲しかった。船団護衛なら、旧式の第一次大戦型の平甲板型駆逐艦か、護衛駆逐艦(DE)あるいはもっと小さなコルベットのような艦が、個人的にはよかったな、と言う感じです」などと記しているのですが、米海軍の護衛駆逐艦の原型である「エヴァーツ級」の就役が1943年ですので、この時点では「護衛駆逐艦」はありえず、やはり艦隊駆逐艦から選択された、ということになりますね。これは一重に筆者の不明でした。

また、1942年と言えば、前出の「フレッチャー級駆逐艦の最初のグループがこの年に就役を開始します。ピカピカの就役仕立ての第一線級の艦隊駆逐艦ではなく、ここは原作の通り既にやや旧型艦とみなされていた「マハン級」駆逐艦が船団護衛任務に回されていた、と言う情況の方がリアリティがあるかな、などと思ってしまうのですが、いかがでしょうか?実際には、同級は全て緒戦は太平洋戦線に投入されたはずで、そういう意味では1942年の時点でも「マハン級」は第一線にあり破竹の勢いの日本海軍と対峙していたのですが。

それでは主人公の張り切り具合と今ひとつミスマッチになっちゃうのかな?ちょっと疲れた艦とちょっと疲れたベテラン艦長の様に。

f:id:fw688i:20200805055923j:image

 (直上の写真:「フレッチャー級駆逐艦と「マハン級」駆逐艦の概観比較。「マハン級」の腰高感、復原性に課題ありそう、という感じでてますね)

 

イギリス駆逐艦「イーグル」と「ハリー」 

映画「グレイハウンド」には、船団の護衛部隊として、英駆逐艦「イーグル」と「ハリー」が登場しますが、艦級に関する具体的な説明はありません。

英海軍の常として、駆逐艦の艦級での同型艦は同じ文字を頭にかぶっていることが多いのですが、そうすると「イーグル」はE 級駆逐艦、「ハリー」はH級駆逐艦ということになるのですが、事はそう単純ではありませんでした。

原作小説の記述では「イーグル」「ハリー」はいずれもコールサイン(はあ、じゃあ、なんで「グレイハウンド」だけがコールサインじゃないの?え、もしかするとコールサインなのか?と突っ込みたくなるところですが、まあ、いいや、「グレハウンド」は艦名はさておき艦級ははっきりしたのだから)、「イーグル」はポーランド海軍駆逐艦「ヴィクター」、「ハリー」は英海軍のコルベット「ジェイムズ」であると記載されています。

おお、ポーランド駆逐艦。「ハリー」に至っては駆逐艦ですらない。なんということだ、ということで改めて映画を見直すことにします(こんな見方をするので4回くらいあっという間に・・・)。そうすると、こんなカットが。f:id:fw688i:20201004105733p:plain

(上記のカットはWorld of Warshipから拝借していますhttps://forum.worldofwarships.eu/topic/138544-cgi-błyskawica-complete-pennant-number-h34-douse-camio-in-the-movie-greyhound/

そして下の画像は「イーグル」被弾直後のカットから。f:id:fw688i:20201004105700j:plain

これは確かにポーランド駆逐艦「グロム級」ですね。

 

駆逐艦「ヴィクター」(コールサイン:イーグル)

「グロム級」駆逐艦ポーランド海軍(1937-:同型艦2隻)

ja.wikipedia.org

f:id:fw688i:20201004125507j:image

 (直上の写真:「グロム級」ポーランド駆逐艦の概観。91mm in 1:1250 by B-Plan: お馴染みShapwaysに出品されている3D printing modelです。モデルは「ブリスカヴィカ」の主砲換装後の姿。イギリスへの脱出後、自由ポーランド海軍の一員として大西洋で主として船団護衛に従事します

www.shapeways.com

本級は、ポーランド海軍が1935年にイギリスに発注した2000トンクラスの大型駆逐艦で、39ノットの高速を誇っていました。「グロム」「ブリスカヴィカ」の2隻が建造されました。当初設計では主砲は12センチ平射砲で連装砲3基と単装砲1基、計7門を搭載、他に53.3cm3連装魚雷発射管2基を主要兵装としていました。バルト海での行動を念頭に設計されていたため、大西洋での運用には復原性に課題があったようです。

第二次世界大戦勃発直後、ポーランドがドイツに侵攻されたため、両艦はイギリスへ脱出。イギリスへの亡命政府の下で自由ポーランド海軍の一員として、戦闘を継続するわけですが、「グロム」はドイツ軍のノルウェー侵攻の際にナルヴィク沖でドイツ軍機により撃沈されました。しかし「ブリスカヴィカ」は主砲を4インチ連装対空砲4基に換装し、大西洋での船団護衛に83回従事したという記録が残っています。大戦を生き残り、戦後は記念艦となっています。

 

さて、駆逐艦「ハリー」は・・・

 原作を見るとコルベット「ジェイムズ」となっていますが、映画では駆逐艦として登場しています。f:id:fw688i:20201004105733p:plain

前出のWorld of Warshipから拝借した写真を見ると、二本煙突のシルエットであることがわかります。

そして映画の最終部分、任務を終えて寄港地に向かって回航する3隻の護衛艦のカットからは、真ん中の艦(「ハリー」なんですが)の艦首部には連装砲塔が背負い式に配置されているのがわかります。

f:id:fw688i:20201004105822j:plain


英海軍の駆逐艦で、 二本煙突で背負い式の連装砲塔、というと、「トライバル級駆逐艦、ということになりますが・・・。

 

駆逐艦「ジェイムズ」(コールサイン:ハリー)

トライバル級駆逐艦(1938-:同型艦27隻)

ja.wikipedia.org

f:id:fw688i:20201004125525j:image

 (直上の写真:「トライバル級駆逐艦の概観。91mm in 1:1250 by Neptune

イギリス海軍第一次世界大戦後新たな設計のもとで1920年代以降建造してきた一連の駆逐艦の集大成というべき艦級で、駆逐艦部隊の旗艦として巡洋艦の代替も出来る様に設計された大型駆逐艦です。1900トンクラスの船体を持ち、これに12cm連装砲4基、53.3cm4連装魚雷発射管1基を搭載し、36.5ノットの速力を発揮しました。

 

・・・と言うことで、外見から言うと「トライバル級」以外にはあり得ない、と言うことにはなるのですが、この艦級が船団護衛に適していたかと言うと、疑問が残ると言わざるを得ません。

原作ではコルベット「ジェイムズ」だったのに、何故、敢えて駆逐艦、それも「トライバル級」大型駆逐艦にしてしまったのか?

 

と言うことで疑問はつきませんが、コルベットにいきましょう。

 

コルベット「ドッジ」(コールサイン:ディッキー)

こちらは非常に明快でコールサイン「ディッキー」は、カナダ海軍のコルベット「ドッジ」です。

f:id:fw688i:20201004105808j:plain

f:id:fw688i:20201005085946j:image

 「フラワー級コルベット(1940-:同型艦263隻)

ja.wikipedia.org

f:id:fw688i:20201004125409j:image

 (直上の写真:「フラワー級コルベットの概観。50mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces) 

 本級は第一次世界大戦でそれまでの戦争の概念を変えた「総力戦」の一つの具現化としてドイツ海軍の「無制限潜水艦作戦」から受けた教訓と、1935年のドイツ再軍備宣言、英独海軍協定から潜水艦による海上封鎖の脅威に対する対抗案の一つとして開発された艦級です。

「総力戦」の特徴はそれまでの会敵機会の限定される「会戦」形式での戦争と異なり、常設性、浸透性に特徴があり、多数のUボートによる海上輸送路への脅威を与え続ける作戦に対抗するには、量産性に優れ数を揃えることが容易で、一定の消耗にも対応可能な船団を護衛する専任艦種が必要でした。

フラワー級コルベットは量産性の確保できるレシプロ蒸気機関を主機として搭載し、多くの造船所で建造に対応でき、16ノットと比較的高速を発揮できる「捕鯨船」をベースに設計されています。1000トン足らずの船体に、主砲として4インチ砲1門に加え、若干の対空火器を備え、40発から70発の爆雷を搭載していました。

 

フラワー級コルベットは筆者の大好きな艦級の一つです。

以前、1:350という筆者としては大スケールのレジンキットを作ったことがあるのですが、同スケールのUボートなどと合わせて、多分どこかに仕舞い込んでしまった様で、手元にありません。ちょっともう一度トライしてみようかな、などと考えています。

 

「グレイハウンド:護衛戦隊:映画オリジナル版

奥からフレッチャー級駆逐艦「グレイハウンド」、トライバル級駆逐艦「ジェイムズ」(コールサイン:ハリー)、自由ポーランド海軍グロム駆逐艦「ヴィクター」(コールサイン:イーグル)、カナダ海軍フラワー級コルベット「ドッジ」(コールサイン:ディッキー)の順です。

f:id:fw688i:20201004125533j:image

 

もう一案、下の写真。原作も織り交ぜて、奥からマハン級駆逐艦「グレイハウンド」、I級駆逐艦「ジェイムズ」(コールサイン:ハリー)、自由ポーランド海軍グロム級駆逐艦「ヴィクター」(コールサイン:イーグル)、カナダ海軍フラワー級コルベット「ドッジ」(コールサイン:ディッキー)の順です。f:id:fw688i:20201004125513j:image

トライバル級「ジェイムズ」とI級「ジェイムズ」の入れ替えは、トライバル級の様な大型駆逐艦では対潜戦闘に不向きだろうということから来る違和感と、フレッチャー級「グレイハウンド」とマハン級「グレイハウンド」と同じ様に、やや旧式化した駆逐艦にした方が「らしい」んじゃないか、という程度の発想です。連装砲塔の駆逐艦は英海軍では「トライバル級」以降の艦級になってしまうので、新鋭艦を避けるという意味ではどうしても単装砲搭載艦になってしまいます。あえて「I 級」でなくても良かったんですが。

 

「I級」駆逐艦(1937-:同型艦9隻)

ja.wikipedia.org

f:id:fw688i:20201004125521j:plain

 (直上の写真:「I級」駆逐艦の概観。77mm in 1:1250 by Neptune) 

 「I級」駆逐艦第一次世界大戦終結後、1925年あたりから再開された駆逐艦建造の一連のシリーズの集大成、とも言うべき艦級です。「トライバル級」も同様な意味での集大成と言えますが「トライバル級」が巡洋艦の代替も可能な駆逐戦隊旗艦的な存在であるのに対し、「I級」はあくまで「A級」からの一般的な艦隊駆逐艦の系譜における最終形と言っていいと思います。

「A級」からの標準的な1400トン級の船体に、12cm砲4門、53.3cm5連装魚雷発射管2基を搭載し、雷装重視の設計となっています。36ノットの速力を発揮しました。

そうか、護衛艦任務ということなら、もっと古い艦級でも良かったのか・・・

 

艦隊駆逐艦と対潜水艦戦

以前にもどこかで少し触れたのですが、私の理解では艦隊駆逐艦というのは本来は高速での艦隊防御、あるいは敵艦隊への肉薄雷撃が主要任務として設計されているため、対潜戦闘の様な敵潜水艦探知のための低速での静粛航行、低速な船団に併せた長期間の伴走などはどちらかというと苦手です。また、爆雷の搭載数も十分とは言えず、映画「グレイハウンド」でも出てきましたが、長期の船団護衛での数次の対潜水艦戦では爆雷を使い果たしてしまいます。一例をあげれば「フラワー級コルベットが初期の爆雷搭載数が40発であったのを後期には70発に搭載数を増やしていますが、おそらく世界史優秀と言ってもいいであろう「フレッチャー級」では映画でも触れられていましたが40発程度(38発?)です。

これは英海軍でも同様で、上記の「I 級」の爆雷搭載数は20発が定数となっています。

日本海軍でも艦隊駆逐艦の最終形態である「夕雲級」の爆雷搭載数は18発が定数でした。

やはり低速の船団に帯同して長期間の護衛任務を行うためには、専任艦種が必要、ということだろうと思います。

原作小説では、護衛部隊の編成は駆逐艦2隻とコルベット2隻となっており、よりリアリティがある気がします。

 

まったくの余談ですが、「フラワー級コルベットを上記の1:350スケールのモデルとともに1:1250スケールでも数隻調達中です。到着した際には、小説版の護衛部隊再現も可能に。

 

ということで、今回はこの辺りでおしまい。

 

さて次はどうしようかな。引き続き「大西洋の船団護衛」関連の話もしたいしなあ、と考えています。米海軍の「駆逐艦」も、ほぼ揃ったことでもあるし。よく考えると英海軍の「駆逐艦」もかなり揃ってきている。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

ブログランキングに参加しました。クリック していただけると励みになります。


艦船ランキング

 

 

 

 

 

 

新着モデルのご紹介:いよいよ日本海軍 航空母艦に着手?

今回はサクッと(何度もこの表現をしているような気もしますが)、最近の新着モデルのご紹介です。

あわせて、このブログの本題であった「主力艦」開発史に続き、これまで「巡洋艦」「駆逐艦」「各種小艦艇」と展開してきた日本海軍のミニ・シリーズを、いよいよ「航空母艦」に広げるかもしれませんよ、という、予告編。今回はそういうお話です。

 

まずは新着モデルをいくつかご紹介

軽巡洋艦「北上」:回転搭載艦形態

軽巡洋艦「北上」は、僚艦の「大井」とともに1941年に重雷装艦への改装を受けましたが、太平洋戦争開戦後、海軍の主戦力が主力艦から航空戦力主体に移行し、想定された主力艦隊同士の艦隊決戦の場は訪れず、その威力を発揮する戦場には恵まれませんでした。そのため、その大きな魚雷搭載スペースを利用して主として高速輸送艦として、活躍しました。

ja.wikipedia.org

 

そして1944年、「北上」のみ、再び、今度は回天搭載艦への改造を受けました。

この改造により、「北上」は8基の人間魚雷「回天」を艦尾のスロープから海中に発射出来るようになり、本土決戦時の主要兵器である「回天」の輸送と襲撃訓練に従事しました。また、実際の本土決戦においては攻撃を行うことも想定に入れた改造でした。

f:id:fw688i:20200927150718j:image

(直上の写真は、「北上」回天搭載艦形態の概観。by Trident :上述の通り、軽巡洋艦「北上」の最終形態です)

 

f:id:fw688i:20200927150716j:image

(直上の写真は、「北上」回天搭載艦形態の特徴のアップ。回天搭載の諸装備(左列)。艦尾の回天発進用のスロープ(上)、整備庫と輸送軌条(下):兵装は対空兵装のみに切り替わっています(右列上下)) 

 

 

本来の軽巡洋艦形態

「北上」は「5500トン級」軽巡洋艦の第一世代に属します。

同級第一世代は、前級「天龍級」の艦型を5500トンに拡大し、併せて主砲を「天龍級」の14センチ単装砲4門から7門に増強しています。雷装としては、53センチ連装魚雷発射管を各舷に2基、都合4基搭載し、両舷に対しそれぞれ4射線を確保する設計となっています。

速力は、同時期の「峯風級」駆逐艦(39ノット)を率いる高速水雷戦隊の旗艦として、機関を強化し36ノットを有する設計となっています。

主力艦隊の前衛で水雷戦隊を直卒する任務をこなすため、高い索敵能力が必要とされ、その具体的な手段として航空艤装にも設計段階から配慮が払われた最初の艦級となり、水上偵察機を分解して搭載していました。しかしこの方式は運用上有効性が低く、「球磨」と「多摩」では、後日、改装時に後橋の前に射出機(カタパルト)を装備し水上機による索敵能力を向上させることになります。

f:id:fw688i:20200405150115j:image

(直上の写真:球磨級軽巡洋艦:119mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs:3D printing modell :写真の姿は太平洋戦争当時の「球磨」。航空機による索敵能力を得るために、後の改装で5番砲塔と6番砲塔の間に、水上偵察機射出用の射出機(カタパルト)を搭載しています)

 

重雷装艦への改装

1941年に、当時、やや旧式化しつつあった(「球磨級」は53センチ魚雷搭載艦であり、当時の61センチ酸素魚雷を標準装備とする水雷戦隊の旗艦任務は難しくなっていました)「球磨級」気軽巡洋艦の3番艦以降(「北上」「大井」「木曽」)を61センチ4連装魚雷発射管10基(片舷5基)を搭載する重雷装艦への改装が決定され、「北上」「大井」については同年中に改装を完了しました。

(直下の写真は、重雷装艦に改装された「北上」の概観 :by Trident) 

f:id:fw688i:20200927150610j:image

(直下の写真:重雷装艦形態の「北上」の主要兵装の拡大:艦中央部に61センチ4連装魚雷発射管を片舷5基装備し(上段写真)、主砲兵装は艦首部の艦橋周辺のみとしています(下段写真)) 

f:id:fw688i:20200927150649j:image

(直下の写真:「北上」と「大井」:太平洋戦争開戦後には、重雷装艦本来の猛威を振るう戦場には恵まれず、魚雷搭載スペースの大きなペイ・ロードを買われて、輸送任務に活躍しました。後に発射管装備を一部降ろすなど、高速輸送艦に改装されています。この形態を再現したいのですが、資料がなかなか見当たりません) 

f:id:fw688i:20200927150653j:image

 

空母「赤城」:三段飛行甲板形態

ja.wikipedia.org

「赤城」は元々、八八艦隊計画巡洋戦艦天城級」の2番艦としてとして設計されました。しかしその後ワシントン軍副条約により、主力艦保有制限の対象となり、巡洋戦艦としての建造継続ができなくなります。一方で条約により、「天城級巡洋戦艦4隻のうち起工されていた「天城」「赤城」の航空母艦への転用が認められ、日本海保有する最初の大型艦隊空母として建造されました。

モデルはその竣工時の三段飛行甲板形態をあわらしています。

f:id:fw688i:20200927151420j:image

(直上の写真は、「赤城」竣工時の概観:三段飛行甲板の特徴的な形態をしています。210mm in 1:1250 by Trident)「大井」:by Trident) 

 

 f:id:fw688i:20200927151423j:image

(直上の写真は、「赤城」竣工時の特徴の拡大:(写真上段)三段飛行甲板は艦内の三層の搭載機格納庫に繋がっています。しかしこのうち実は第二甲板は二層目の格納庫に繋がっているものの、ご覧のように20cm連装主砲塔2基があり、さらにこの甲板には艦橋もあり、飛行甲板といてはあまり使用されなかったようです。主として最上甲板が大型機の発艦、および全ての搭載機の着艦に用いられ、最下層の第三甲板は小型機の発艦に用いられました。

(写真下段)「マ」の文字が・・・? ちょっと解説。本来は「赤城:アカギ」の「ア」の文字なのですが、本稿の世界では、史実ではワシントン条約で廃艦となり、関東大震災で重大な損傷を受けた「天城」の代艦として航空母艦として完成された戦艦「加賀」が、戦艦として存在しているので、「天城」が他の建造を中止された艦の資材等を投入されることにより航空母艦として完成しています。ですので、ここは「天城:アマギ」の「マ」になっています。・・・ということは、「赤城:アカギ」の飛行甲板上の表記は「カ」なのです、きっと。「ア」だと両方同じ表記になっちゃうので。もちろん史実ではないので、ご注意を)

 

ついでに「赤城」全通甲板形態

「赤城」は1938年に、当時の航空機の進歩から来る飛行甲板の延長の必要性に対応するために、上述の三段式の飛行甲板形態から、全通式飛行甲板形態への近代改装を受けました。

f:id:fw688i:20200927151455j:image

(直上の写真は、「天城級航空母艦、全通甲板形態への近代化改装後の概観:210mm in 1:1250 by Ghukek's Miniatures)www.shapeways.com

f:id:fw688i:20200927151458j:image

(直上の写真は、2隻の「天城級航空母艦:「天城」(上段手前)と「赤城」。前述のような次第で、本稿の世界では「天城」「赤城」両艦が航空母艦として完成しています。甲板の表記も「マ=天城」と「カ=赤城」となっています(下段写真))

 

f:id:fw688i:20200927151728j:image

(直上の写真は、「天城級航空母艦二形態の比較:三段飛行甲板形態もなかなかだと思いませんか?竣工後の1927年から1938年まで、この三段甲板形態で就役する「赤城」の勇姿が見れたはず)

***ちょっと余談ですが、空母「赤城」 は全通甲板形態となった近代化改装後も、その艦尾部に6門の20cm砲を搭載していました。さらに竣工時には前述のように中飛行甲板に20cm砲の連装砲塔を2基装備しており、重巡洋艦なみの10門の主砲を搭載していたことになります。航空機の航続距離が短かった時期には、砲戦の可能性もあったんでしょうね。それはそれで、なんとなく「万能艦」あるいは「秘密兵器」ぽくて、好きです。

そう言えば、同様の経緯で巡洋戦艦から空母に転用された米海軍の「レキシントン級」空母も竣工時には20cm連想砲塔を4基搭載していましたね。

 

「赤城」については、「航空母艦」特集のところでまたゆっくりと。

 

ということで、「航空母艦」シリーズの予告

え、航空母艦特集?

お気付きの方もいらっしゃるとは思いますが、これまで筆者は本稿ではほとんど航空母艦を題材に取り上げてきませんでした。

もちろん、日本海軍を中心にモデルの収集は「航空母艦」についても続けてきていたのですが、実はあの平べったい艦型が少し苦手で、あまり興味が持てなかった、というのが本音です。特に1:1250スケールという状況では、なかなか手の入れようもなく、と思っていたのですが・・・。

 

とは言え、全く触れてこなかったわけではなく、以下の巡洋艦紹介のシリーズの中で「香取級」軽巡洋艦海上護衛戦に触れる中で海防艦について記述するうちに、あまり興味のなかった日本海軍の商船改造の特設護衛空母に触れる機会があり、新たな興味が湧いてきました。

fw688i.hatenablog.com

 

興味に任せてモデルを検索、という、まあ、筆者にとってはお決まりのパターンで、Shapewaysで3Dモデルを調達し始めました。

fw688i.hatenablog.com

航空母艦「大鷹」

f:id:fw688i:20200710211222j:image

(直上の写真:航空母艦「大鷹」の概観:下地処理をした状態です)

www.shapeways.com

 

航空母艦「沖鷹」

f:id:fw688i:20200710211213j:image

(直上の写真:航空母艦「沖鷹」の概観:下地処理をした状態です。上述のように基本的に同型の貨客船をベースとしているため「大鷹」と同型ですが、モデルでは飛行甲板の長さを少し変えた設定になっています)

www.shapeways.com

 

航空母艦「神鷹」

f:id:fw688i:20200710211225j:image

(直上の写真:航空母艦「神鷹」の概観:下地処理をした状態です。船体両舷のバルジが目立ちますね)

www.shapeways.com

 

その後も「雲鷹」「海鷹」もコレクションに加え、ようやく特設空母5隻が勢揃いしました。f:id:fw688i:20200927152717j:image

(直上の写真は、「大鷹級」護衛空母の勢揃い。左から「雲鷹」「沖鷹」「大鷹」「神鷹」「海鷹」の順。いずれも前C.O.B. Constructs and Miniatures製の3D printing model)

 

ja.wikipedia.org

「大鷹級」護衛空母については、また特集のどこかで詳述するとして、今回は模型だけをご紹介しておきます。

f:id:fw688i:20200927152708j:image

(直上の写真は:空母「大鷹」の概観。147mm in 1:1250 by C.O.B. Constructs and Miniatures:大戦末期の船団護衛任務従事期の為、迷彩塗装を施しています。迷彩は筆者オリジナル。雰囲気が出れば、という程度の適当です。ご容赦を)

 

f:id:fw688i:20200927152705j:image

(直上の写真は:空母「沖鷹」の概観。147mm in 1:1250 by C.O.B. Constructs and Miniatures: 「大鷹級」空母は、商船改造空母のため速力が遅く、かつ飛行甲板の長さも十分でないため、艦隊空母としての運用には難がありました。そのため大戦の中期までは、主として航空機の輸送に使用されていました)

 

f:id:fw688i:20200927152721j:image

(直上の写真は:空母「雲鷹」の概観。147mm in 1:1250 by C.O.B. Constructs and Miniatures:「大鷹」「沖鷹」「雲鷹」はいずれも日本郵船の「新田丸級」貨客船をベースに改造されました)

 

f:id:fw688i:20200927152715j:image

(直上の写真は:空母「神鷹」の概観。154mm in 1:1250 by C.O.B. Constructs and Miniatures: 本艦は「大鷹級」空母、ということで一括りになっていますが、実は同型艦ではありません。前身はドイツ商船「シャルンホルスト」で、これを海軍が購入し空母に改造したものでした。「大鷹」と同じく、船団護衛任務時の迷彩塗装を施しています

 

f:id:fw688i:20200927152712j:image

(直上の写真は:空母「海鷹」の概観。135mm in 1:1250 by C.O.B. Constructs and Miniatures: 本艦も前出の「神鷹」同様、同型艦ではなく、「大鷹級」空母の中では最も艦型が小さいものでした。こちらも船団護衛任務時の迷彩塗装を施しています

 

ということで、各艦の詳細は、改めて来るべき「航空母艦」特集の際にでも。

 

そしてこんな「航空母艦」もセミ・スクラッチ

そういえば、この夏には、宮崎駿さんの「雑想ノート」に出て来る「安松丸」をセミ・スクラッチしましたね。

(直下の写真:特設空母「安松丸」の概観。104mm in 1:1250 by Decapod Models :本艦は哨戒艇を伴い、インド洋方面からアフリカ沖に出撃しました。写真下段:飛行甲板上に小さな飛行指揮所を設置していますが、艦橋は飛行甲板の前端下に設置されています。エレベータを装備していないこの艦では、搭載機の格納甲板への収納は、左舷側2箇所の舷側に突き出した可倒・引き込み式のデリックで行います)

f:id:fw688i:20200811160353j:image

 「安松丸」については以下をご参照ください。

fw688i.hatenablog.com

 

という訳で、だんだんラインアップが整ってきました。欠けているのは空母形態の「千歳級」くらい。それも今、日本に向けて配送されているはずなので、うまくいけばそれらが完成する(であろう)10月後半からは日本海軍の「空母特集」が組めるかも。

 

ということで、今回はこの辺りでおしまい。

 

さて次はどうしようかな。上述の「空母特集」の準備もしなくちゃいけないけど、映画「グレイハウンド」(もう見ましたか?私は4回見ましたよ、と言ってもApple TVなので、すごく手軽に見れちゃいます)絡みで、「大西洋の船団護衛」関連の話もしたいしなあ、と考えています。米海軍の「駆逐艦」も、ほぼ揃ったことでもあるし。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

ブログランキングに参加しました。クリック していただけると励みになります。


艦船ランキング

 

 

 

 

日本海軍 機雷戦艦艇小史(機雷敷設艦と掃海艇(再録))

本稿では、前回、最近の制作コレクション紹介の流れで、機雷敷設艦厳島」急設網艦「白鷹」が登場しました。

本稿では何度か触れているように筆者はこうした小艦艇が大好きで、これ迄、折を見てこういった模型の収集をしてきたのですが、そもそもがマイナーな艦種で、かつ日本海軍に限定した場合にはなかなか製品が流通しておらず、かなりの部分が入手困難という状態です。

ラインナップの充実に一応の限界を見た、というわけで、この辺りで日本海軍の機雷戦用艦艇(敷設艦・敷設艇・掃海艇)を一覧しておきたいと思います。

(掃海艇の稿は、ほぼ再録です。ご容赦を)

今回はそんなお話です。

 

まずその前に、コレクションのリソースについて

本論に入る前に、筆者が普段どういうリソースでこうしたモデルの収集を行っているかを、少しご紹介。

前回でもご紹介しましたが、そもそもどんなモデルがあるのか、の検索にはsammelhafen.deを1番頼りにしています。

sammelhafen.de

ちなみに、このサイトの検索機能で「minelayer:機雷敷設艦」+『Japan」+「2nd WW:第二次世界大戦」で検索をかけた結果がこちら。

sammelhafen.de - 1250/1200 scale miniature ship models - thousands of photos, lists of almost all producers and more

このリストを見ると、条件該当モデルとして13種が検索され、筆者が求めるモデルはMidwayと Oceanicというレーベルに揃っていることがわかります。

 

こうした情報を入手した上で、次に主な調達先として、以下のようなサイトを検索。これらは個別のショップサイトですが、その中でも中古品のコーナーを主に、筆者は常時サーチしています。

Antics Online Model Shops and Hobby Stores

Ships-and-more - Ships-and-more Homepage Startseite webshop

mikes-modelle.de - Index

Waterline-Ships, A great place to buy 1:1200/1250 waterline ships

The World of Miniature Ships – 1250Ships.com

LaWaLu models

Olivers Welt der Schiffsminiaturen - Schiffsmodelle 1:1250

1/1250 Coastal Forces : The Last Square, Gaming and Hobbying for Two Decades

そしてなんと言っても最も利用頻度が高いのは、こちら。

Electronics, Cars, Fashion, Collectibles & More | eBay

そう、eBayですね。

ちなみに、検索にとっても重宝しているsammelhafen.deは、eBayでもsarge 2012というアカウントで自身のストックを出品されています(実はeBayアカウントはお父さん?)。筆者も結構な頻度でお世話になっています。

eBayで、この分野で筆者が最も頻度高くお世話になっているアカウントがcroschwigです。

今回の一連の機雷敷設艦モデルの検索でも、実は個別にこのアカウントに「実はこうしたモデルを探しているのだが、ストックがあれば教えて欲しい」とコンタクトしました。すぐに返事をいただき、「残念ながら手持ちはないけど、sammelhafen.deは見てみたか?彼のコレクションは膨大でsarge 2012でeBayでもコンタクトできるよ」と教えてくれました。さらに「この問い合わせの件は、彼も在庫は無いそうだ。もう電話で確認したから、直接問い合わせはしなくていいよ。実は来週会うので、在庫があったらもらって来てあげようと思ったんだけど、残念だったね」と実に親切に対応してもらいました。さらに筆者が最も頻繁にお世話になっている二つのアカウント間にコネクションがあったことに、何やら嬉しい感じがしました。

 

さらに、FaceBookには、1:1200-1:3000 SCALE NAVAL BUY, SELL,TRADE & COMMISSION GROUP OF ALL ERASというグループもあり、ここではモデルの情報交換や、実際のモデルストックの売買などが行われています。ここでも同じく「誰かストックない?」などと尋ねてみていますが、今のところ、「**へ行けば、見つかるかも」とコメントが集まるばかりで、やはり早期のさらなるコレクションの充実にはつながる道は簡単には見つかりそうにありません。でも、皆さん大変親切で、すぐに何らか反応がいただけるのは、本当にありがたいですね。

 

という訳で・・・。

 

機雷敷設艦というジャンル

本稿前回でも少し触れましたが、日本海軍はその創設以来、機雷敷設業務には専用艦船を建造せず、旧式の装甲巡洋艦や徴用した商船等を改造し、その役務に配置してきていました。

ようやく八八艦隊計画の時期に、機雷敷設専用艦船の保有に意向を示し、設計を始めました。大まかに設計された艦級は3種類に分類されると言っていいと考えています。

 

第1グループ:強行敷設艦敷設巡洋艦

第一のグループは「八八艦隊計画」に象徴される「艦隊決戦」の補助戦力として、想定決戦海面、あるいは敵前で機雷を敷設する大型の強行敷設艦で、これは目的海面までの長い航続能力を持ち、敵前敷設に対応するための強力な砲力、多数の機雷を搭載できる大型の艦型という特徴を備えています。「厳島」「沖島」「津軽」がこれに該当します。これらの艦は、太平洋戦争開戦後は、本来の機雷敷設任務以外にも、その大きな搭載能力(機雷庫)を買われ、高速輸送艦としても活躍しています。

 

機雷敷設艦厳島」(1929-1944)

掃海艇同様、日本海軍は機雷敷設業務に、旧式の装甲巡洋艦等を当てていましたが、大正期の八八艦隊計画に準じて、初めて本格的な機雷敷設艦の設計に着手しました。それが「厳島」です。
f:id:fw688i:20200913114800j:image

(直上の写真は、機雷敷設艦厳島」:89mm in 1:1250 by Authenticast)

ja.wikipedia.org

2000トン級の艦型に、主機にはディーゼル機関を採用しています。設計当時の艦隊決戦主戦場と想定されていた南洋諸島方面での機雷敷設任務を想定し航続距離と機雷搭載量が重視され、速力は17ノットと少し控えめに設定されています。

日本海軍の常として強行敷設、敵前敷設をも想定したため、2000トンの駆逐艦クラスの艦型の割には比較的強力な砲力をもっています。(14センチ単装砲3基)

2000トンの小ぶりな船体ながら、500個の機雷を上甲板直下の第二甲板の機雷庫に収納する事ができました。上甲板の4条の機雷投下軌条と第二甲板後方の6つの扉を開放する事で、機雷庫から直接機雷敷設ができる仕組みも併せて持っていました。

f:id:fw688i:20211205142238p:image

(直上の写真:「厳島」主砲配置との特徴的な艦尾形状(下段):艦橋部より後ろの中甲板はほぼ機雷庫になっています。中甲板の機雷庫から直接海面に投下できるよう、投下口を設置した特徴的な艦尾形状になっています)

 

太平洋戦争開戦時にはフィリピン攻略戦を皮切りに南方作戦に従事し、機雷敷設、船団護衛、上陸支援、物資輸送等に大戦を通じて活躍しています。

1944年10月、スラバヤ方面で、オランダ潜水艦の雷撃で撃沈されました。

 

機雷敷設艦沖島」(1936-1942)

ja.wikipedia.org

 

ロンドン海軍軍縮条約の補助艦艇への制限下で生まれた本格的機雷敷設艦

ロンドン条約では補助艦艇の保有に関してもその形状、保有数の両面で制限が課せられるようになりました。機雷敷設艦についても制限が設けられ、新造される敷設艦は5000トンを超えてはならず、最大速力を20ノットとしています。さらに搭載砲の口径をは6インチ(15cm)以下、搭載数を4門までと制限され、さらに魚雷発射管の搭載は認められませんでした。

そもそもロンドン条約では「主砲口径が6.1インチを超え、8インチ以下で、10000トン以下の艦」をカテゴリーA:重巡洋艦とすると言う定義が行われ、この定義は、軽巡洋艦「夕張」、「古鷹級」巡洋艦と、画期的なコンパクト重武装艦を生み出し始めた日本海軍を警戒して列強が定め、「古鷹級」とこれに続く「青葉級」をカテゴリーAの総排水量の中でカウントし、その重巡洋艦保有数に限界を持たせることを狙ったとも言われています。

同様に機雷敷設艦艇に関する制約でも、日本海軍が高速で強力な兵装を持つ、軽巡洋艦或いは重巡洋艦に匹敵するような高速機雷敷設巡洋艦保有することを制限する狙いがあった、と言われています。

f:id:fw688i:20200920130502j:image

(直上の写真は、上述の機雷敷設艦沖島」の概観:104mm in 1:1250 by semi-scratched based on Neptune)

 

機雷敷設艦沖島」は 4000トン級の船体を持ち、条約制限いっぱいの20ノットの速力を有していました。主砲には、敵前での強行敷設を想定し、軽巡洋艦と同等の14cm主砲を防楯付きの連装砲架形式で2基、保有していました。機雷搭載能力は600発とされ、これを収納できる大きな機雷庫を持っていました。併せてカタパルトを搭載し水上偵察機の運用能力を備え、広域な偵察能力も保有していました。

前述のようにロンドン条約は、機雷敷設艦の名目で日本海軍が軽巡洋艦として運用できる強力な敷設巡洋艦を建造することを予防した、と言われていますが、実際に太平洋戦争では、開戦直後の中部太平洋での島嶼攻略戦での上陸作戦支援やソロモン諸島方面での輸送船団の護衛、巨大な機雷収納庫を利用しての輸送・揚陸任務など、高速を必要とする水雷戦隊旗艦の任務を除けば、他の軽巡洋艦と同等に活躍しています。

1942年5月11日、ソロモン諸島方面で米潜水艦の雷撃で失われています。

 

機雷敷設艦津軽」(1941-1944)
f:id:fw688i:20200419111016j:image

(直上の写真は、上述の機雷敷設艦津軽」:104mm in 1:1250 by Neptune)

ja.wikipedia.org

 「津軽」は前述の「沖島」の準同型艦で、4000トンの船体を持ち、条約制限いっぱいの20ノットの速力を有していました。「沖島」と異なり「津軽」は12.5cm 連装対空砲を2基を主砲として搭載し、より対空戦闘能力に配慮した設計となっています。

沖島」同様、巨大な機雷収納スペースを生かし、太平洋戦争中盤までは、中部太平洋ソロモン諸島方面で輸送船団の護衛や、自ら輸送・揚陸任務などに活躍しています。

大戦後期にはレイテ島方面での機雷敷設を行い、併せて南西方面での輸送任務につく事が多く、1944年6月に米潜水艦の雷撃で失われました。

f:id:fw688i:20200920183143j:image

(直上の写真は、上述の機雷敷設艦沖島」と津軽」(左上)・「沖島」「津軽」の艦尾部の拡大(左下):機雷は上甲板乗の軌条と艦尾の第二甲板の後方扉からの投下設置が可能でした。・右列は「沖島」(右上)と「津軽」(右下)の主砲比較:右上の「沖島」の主砲は、ストックパーツを加工してして換装しました)

 

f:id:fw688i:20200920131003j:plain

(日本海軍の本格的機雷敷設艦のそろい踏み:本当はここに「八重山」の入れたかったけど・・・。奥から「津軽」「沖島」「厳島」)

 

機雷敷設艦八重山」(1932-1944)

ja.wikipedia.org

f:id:fw688i:20211205135906p:image

(「八重山」の概観:74mm in 1:1250 by Tremo)

同艦は、「厳島」に続き二番目に設計された機雷敷設艦です。主力艦隊に先行して行われる想定決戦海面での活動を意識して設計された「厳島」に対し、より近海(前進基地周辺)、浅海域での活動を思慮した設計で、小型・浅喫水の設計となっています。ロンドン条約の制約から補助艦艇に認められた最大速力の20ノットを発揮する設計でした。

1100トン級と、やや小型の艦型を持ち、平時の訓練、戦時には哨戒や船団護衛等の汎用的な目的への対応も考慮して設計されています。兵装は当初から盾付きの12cm単装高角砲を2門搭載していました。小さな艦型ながら185個の機雷を搭載する設計でした。

同艦の大きな特徴は、なんと言っても電気溶接による建艦工程が日本で最初に採用された事で、技術的にも用途的にも実験的な試みの軍艦となっています。同艦で使用された電気溶接の技術は、当然の事ながら未熟で、不具合が多発したようです。併せて復原性に課題があり、大規模な改修工事を受けています。f:id:fw688i:20211205135910p:image

(「八重山」の主砲配置:就役時には盾付きの12.5センチ高角砲を艦首。艦尾に配置していましたが、復原性改善工事の際に艦首のみ盾付きに改められています)

太平洋戦争では開戦時に南方攻略戦に帯同し機雷敷設業務に従事していますが、その後は対空兵装、対潜装備を強化し、護衛艦として船団護衛等に活躍しました。

1944年9月、フィリピン中部で米艦載機による攻撃で沈没しています。

 

第十七戦隊の編成

開戦時、「八重山」は機雷敷設艦厳島」特設敷設艦「辰宮丸」と第十七戦隊を編成し、第三艦隊の指揮下でフィリピン海域で機雷敷設任務についていました。

 

機雷敷設艦厳島」(1929-1944)

すでに前述していますのでここでは割愛します。

 

特設敷設艦「辰宮丸」(1929-1944)

ja.wikipedia.org

1941年9月、海軍は民間の12000トン級の貨物船「辰宮丸」を特設敷設艦として徴用しています。同船は1938年に就役した艦齢の若い貨物船で、17ノットの高速を発揮することができました。特設艦船籍に移管後、船倉が機雷庫、居住区に改装され、上甲板には機雷敷設軌条が敷かれました。最大700個の機雷を搭載することが可能で、船尾両舷に投下用の開口部が設けられています。

f:id:fw688i:20211205140306p:image

(上の写真は特設敷設艦「辰宮丸」の外観と言いたいところですが、流石に「辰宮丸」のモデルまでは市販されていません。従って船体の形状が似ている「東京丸」を「辰宮丸」風に仕立てたものです。実際には水線長が15mmほど長すぎます。下の写真は、「辰宮丸」(風)の主砲配置。12センチ砲4門を主砲として装備していました)
f:id:fw688i:20211205140247p:image

前述のように1940年9月に第十七戦隊に編入され、開戦時には日本軍の南方作戦展開に対する英東洋艦隊(「プリンス・オブ・ウェールズ」以下の艦隊)の反撃に備え、マレー半島沖での機雷敷設島を実施していました。

その後、特設輸送船へ類別変更され、輸送任務に従事し、1945年舞鶴港で出航準備中に米軍機の空襲で大火災を起こし半没状態で終戦を迎えました。

 

第十七戦隊の概観

f:id:fw688i:20211205141954j:image

 

雑談:機雷という兵器

ここまで、機雷敷設艦艇の第1グループを紹介してきたわけですが、そもそも「機雷」というのはどのような兵器なのか、少し説明を試みます。

「機雷」とは、水中に設置され艦船が接触、もしくは接近した際に爆発し艦船に損害を与える兵器です。「機械水雷」を略して「機雷」と言われています。

港湾封鎖、航路封鎖、あるいは逆に港湾・航路への侵入防御等の目的に使用される事が多く、敷設には艦船による海面敷設、航空機による空中投下、あるいは潜水艦による水中敷設等の方法が用いられます。

機雷を設置された海面を機雷原と呼びますが、機雷原の設置には大量の機雷を計画的に設置する事が必要ですが、「機雷」そのものの強度の脆弱さを考慮すると、短時間での大量の機雷敷設には専用敷設装備を持った艦船が必要でした。

第二次世界大戦の後半には空中投下が可能な強度を持った機雷が開発され、日本周辺の海域では米軍爆撃機から空中投下された機雷での海上封鎖が行われました。

「機雷」自体の起爆作動方法は大きく以下の3種類に大別されます。

触発機雷:機雷の触覚、あるいは機雷から延長される水中線などに艦船が接触した際に爆発する機雷で、一般的に最もよく知られているタイプと言えます。

感応機雷:艦船の発生させる磁気、音響、通過時の水圧変化、艦船の機械類が発生させる電流等を感知して爆発するタイプの機雷で、現状はこれらの複数の刺激を併用して攻撃対象の艦船を特定し爆発するこのタイプが主流になっています。

管制機雷:簡単にいうと有線で陸上の管制室等から起爆指示が送られるタイプの機雷です。根拠地の周辺、あるいは要地に設置され、平時には艦船通過等を探知するセンサーから、音響や発生電流等の情報集取も可能です。

太平洋戦争時に日本海軍が保有していたのは触発機雷のみでしたが、同時期に米海軍は感応機雷の運用も開始していました。この背景には日本海軍のレーダー技術や対潜水艦戦用装備、特に水中聴音やソナー関連の電子技術の立ち遅れが大きく影響していたと言わざるを得ません。

現在ではセンサーで条件に合致する(音紋特性・磁気特性等)特定の艦船の通過をした際に起動し、目標を追跡する自走能力を持ったホーミング機雷なども実用されています。

 

以前、本稿で紹介した光岡明氏の「機雷」という小説では、大戦中は海防艦に乗り組んでいた主人公が、終戦後、掃海艇に乗務して日本近海に設置された「機雷」を処理する、という物語なのですが、ここで米海軍が空中投下した「感応機雷」について詳しく語られています。

www.amazon.co.jp

音響感知式の「感応機雷」は、「艦船の通過回数を検知し特定回数に達した場合に起爆する」というような記述があったと記憶します。つまり、こうした機雷の場合には除去(掃海)にあたっては、ダミー音源を牽引した掃海艇が何度もその上を通過せねばならず(例えば起爆セットが「通過7回目」だった場合には、ダミーがその上を7回通過しないといけないのです)、それだけ掃海艇そのものも危険に曝される、という訳です。それにも増して気の遠くなるような地道な作業です。まるでテロ。地雷と似ています。

実際に日本はこの米軍が敷設した機雷の除去に、20年の年月を費やしています。

 実はこの小説、私の最も好きな小説の一つです。「海防艦」が冒頭現れるのもその魅力の一つですが、主人公が終戦を挟んで静かに生きてゆく姿に感動します。興味のある方は是非。

 

本稿では「防潜網」という用語も出てきますが、多くの場合、この「防潜網」も一定間隔で機雷を装備しており、「防潜網」に接触した潜水艦に損害を与える仕組みになっています。

 

「機雷」=「触雷」というと、本稿の主題であった「主力艦開発史」の流れで思い出されるのは、やはり日露戦争のロシア太平洋艦隊の司令長官マカロフ提督の遭難と、その直後の「魔の5月15日」でしょうか。

当時、世界的な名将として知られ、新たに旅順要塞の太平洋艦隊の司令長官として着任したマカロフが、1904年4月13日、旗艦「ペトロパブロフスク」に座乗して旅順周辺海域での日本艦隊の追撃戦からの帰還途上で、日本海軍の敷設した機雷に触雷して戦死しました。

fw688i.hatenablog.com

このマカロフの死は、明らかにその後の旅順周辺でのロシア艦隊の活動に大きな影響を与え、例えば旅順要塞自体の不備から、その後、ある意味必然的に発生せざるを得なかったであろう「黄海海戦」などは、おそらく全く異なった展開となっていたと思われます。マカロフはおそらくその出撃の主題を冷静に捉えて、ウラジオストックへの遁走に邁進し艦隊を保全。もしくは積極的な攻勢に転じて損害を出しながらも日本海軍はその主力艦隊をこの海戦で消耗し、その後、極東へ回航されて来るバルティック艦隊の迎撃は叶わなかった、というような結果も想定されます。いずれの場合にも、バルティック艦隊の回航は全く異なる意味を持ち、戦争の帰趨は変わっていたかもしれません。

この直後の5月15日、今度は旅順要塞海域を哨戒中の日本海軍の戦艦「初瀬」と「八島」が、今度はロシア海軍が敷設した機雷に触雷、両艦は轟沈してしまいます。当時、6隻しか保有していなかった戦艦のうち2隻が同時に失われる、という悲劇でした。

 

と、まあ、少し脱線。

 

第2グループ:急設網艦

第二のグループは、主力艦隊に帯同し艦隊の泊地に、第一次世界大戦以来、飛躍的に性能を向上させ水上艦にとって重大な脅威となりつつある潜水艦の侵入、攻撃を防ぐための防潜網(前述のように、多くの場合、この網には機雷が設置されています)を展張する急設網艦のグループで、この艦種は機雷敷設の能力も併せて持っていました。「白鷹」と「初鷹級」の3隻がこのグループに属します。この艦級は、太平洋戦争中盤以降、防潜網の展張装備を対潜兵装に換装し、船団護衛等の任務に活躍しています。

 

急設網艦「白鷹」(1929-1944)

その名の通り、艦隊泊地などに対潜水艦侵入防止用の防潜網を展張する役目を負う艦種ですが、機雷敷設の能力もあるため、正式の艦種分類は日本海軍では機雷敷設艦となっています。

「白鷹」(「ハクタカ」ではなく「シラタカ」と読みます)は日本海軍が建造した最初の「急設網艦」ですが、同時に世界で初めて防潜網敷設艦として設計された船でもあります。

f:id:fw688i:20200913114741j:image

(直上の写真は、急設網艦「白鷹」:69mm in 1:1250 by Superior?ちょっと怪しい。兵装配置はほぼ最終時点=8cm高角砲2基を主兵装とした時点を再現しているつもりです。もう少し爆雷投射機等があったほうがいいかも)

ja.wikipedia.org

就役当初から復原性に大きな課題を抱えており、重装備であった砲兵装が順次改められてゆきました。(1300トン、12cm高角砲3基(竣工時)、のち8cm高角砲2基、速力16ノット)

太平洋戦争開戦時には南方攻略戦に従事、その後主としてインドネシア海域での機雷敷設・防潜網敷設等に活動したのち、他の敷設艦同様、防潜網・機雷の収納庫を活用した輸送任務等に活躍しました。大戦の推移にともない防潜網の展張、機雷敷設の機会の減少に準じ、敷設関係の装備を撤去して代わりに対潜装備を搭載。最終的には船団護衛が任務の主体となりました。す。

 1944年8月、バシー海峡(台湾とフィリピンの間)で米潜水艦の雷撃で失われました。

 

「初鷹級」急設網艦 (1939-:同型艦3隻「若鷹」のみ残存)

ja.wikipedia.org

f:id:fw688i:20210131102922j:image

(「初鷹級」急設網艦の概観:76mm in 1:1250 by Oceanic:モデルは8cm高角砲への主砲換装後の姿)

「初鷹級」急設網艦は、「白鷹」以来、約10年ぶりで建造された急設網艦です。基本設計は「白鷹」の改良型で、乾舷を低くして復原性を改善、主機を「白鷹」のレシプロ機関から蒸気タービンとして速力を20ノットに向上させ、併せて航続距離を「白鷹」の1.5倍としています。重量軽減のために主兵装を40mm機関砲としています。その他、復原性の改善のために煙突を低くするなど、全体的に駆逐艦のようなスマートな艦型となりました。

f:id:fw688i:20210131102930j:image

(日本海軍の急設網艦の比較:「白鷹」(奥)と「初鷹級」(手前)。「初鷹級」が「白鷹」で課題であった復原性に配慮された設計であったことがよくわかります)

 

後に不具合の多い主兵装40mm機関砲を8cm高角砲や25mm機関砲に換装するなど、兵装には変更が加えられました。f:id:fw688i:20210131102927j:image

(本級は船団護衛等の任務につく機会が多く、対空戦闘、対潜戦闘においても40mm機関砲では威力不足が課題とされ、順次8cm高角砲へ、主砲を換装していました)

「初鷹級」は、いずれの艦も太平洋開戦当初から上陸作戦支援や船団護衛につく事が多く、本来の機雷敷設・防潜網敷設任務に従事する機会はあまりありませんでした。特に1944年からは船団護衛が主任務となり、敷設関連の軌条を撤去して対潜装備が配置されています。

1944年9月に「蒼鷹」、1945年5月に「初鷹」がいずれも米潜水艦の雷撃で失われ、「若鷹」のみ終戦時に残存していました。

 

第3グループ:敷設艇

第三のグループは、より小型の基地防御用の敷設艇です。基地周辺の防潜網敷設や、沿海航路保全の機雷敷設などに従事する艦種です。

このグループには「燕級」「夏島級」「側天級」「神島級」の4つの艦級が建造されました。

この艦種は太平洋戦争末期、日本本土決戦構想が具体化するにつれ、必要性が増した艦種でもありました。

 

 「燕級」敷設艇(同型2隻:1929-) 

ja.wikipedia.org

f:id:fw688i:20200920131036j:image

(直上の写真は、「燕級」敷設艇の概観:57mm in 1:1250 by Oceanic ?ちょっと怪しい。主兵装のみそれらしく換装したつもりです) 

八八艦隊計画の一環として、港湾防御用に設計された小型艦級です。防潜網・機雷等の敷設のみでなく掃海も対応可能とした一種の万能艇を目指していました。(450トン、19ノット、主兵装:8cm高角砲×1・13mm機銃×1、機雷80基)

太平洋戦争では佐世保防備戦隊の所属し、主として南西諸島方面の船団護衛や機雷敷設に従事していました。

「燕」「鷗」の2隻が建造されましたが、1944年から1945年にかけて、両艇ともに南西諸島近海で失われました。

 

 「夏島級」敷設艇(同型3隻:1933-) 

ja.wikipedia.org

f:id:fw688i:20200920131047j:image

(直上の写真は、「夏島級」敷設艇の概観:63mm in 1:1250 by Oceanic ?ちょっと怪しい。主兵装のみそれらしく換装したつもりです) 

「燕級」敷設艇の改良型で「夏島」「那沙美」「猿島」の3隻が建造されました。(450トン、19ノット、主兵装:8cm高角砲×1・13mm機銃×1、機雷120基)

太平洋戦争では各根拠地の防備船体に所属し船団護衛や機雷敷設に従事しましたが、3隻とも1944年に3隻とも相次いで失われました。

 

 「測天級」敷設艇(同型15隻:1938-終戦時4隻残存)  

ja.wikipedia.org

それまでの敷設艇を大型化した艦型で、機関をディーゼルとしてより汎用性を高め、太平洋戦争における敷設艇の主力となりました。前級までの復原性不足を解消し、航洋性に優れ活動範囲は日本近海に留まらず広い戦域に進出し活躍しています。(720トン、20ノット、主兵装:40mm連装機関砲×1・13mm連装機銃×1、機雷120基 /6番艦「平島」以降は主兵装:8cm高角砲×1・13mm連装機銃×1)

 

終戦時に「巨済」「石埼」「濟州」「新井埼」の4隻が残存していました。

f:id:fw688i:20211205144448p:image

(上の写真は「測天級」敷設艇の概観:59mm in 1:1250 by Tremoの水雷艇モデルをベースにしたセミ・スクラッチ:「測天級」は40mm連装機関砲を主兵装としていましたが、同機関砲は特に対潜水艦戦で有効ではなく、6番間以降、8センチ高角砲を主砲として搭載しています。この艦級は「平島級」とされることもありますが、ここでは「測天級」の第二グループとしています)

ja.wikipedia.org

さらに改良型の「網代」級が12隻、建造される予定でしたが、1隻のみの打ち切られ、次級の「神島級」へ計画は移行されました。

ja.wikipedia.org

下の写真は、「測天級」のディテイルのクローズアップ。特に写真下段では、敷設艇ならではの艦尾形状に注目)

f:id:fw688i:20211205141221p:image

本稿の「機雷敷設艦艇小史」では文中で「測天級」「神島級」については「Oceanic レーベルでモデルあり、未入手」と記載していましたが、実は誤りでどうやら「測天級」にはモデルがないようです。そこで、という訳でもないのですが、「では作ってしまおうか」という訳です。

幸い、前述の「八重山」のモデルを入手した際に、複数のモデルを落札しています。主には送料負担を軽減する目的で、同一出品者の他の出品物を同時落札する事が多いのです。多くはストックモデルとして保管され、部品取りや今回のようなセミクラッチのベースとして利用することを目的にしています(実際には、そんなに計画的ではないし、スキルが低いのでうまくいかず、バラバラにして捨てることが多いのですが)。

今回、ベースに利用したモデルがこちら。f:id:fw688i:20211205140758p:image

全長68mmの水雷艇のモデルのようです(多分、「鴻」級:にしては少し大きい)。なんとこのモデル、実は落札したモデルではなく、筆者が落札したモデルは「駆潜艇」のモデルだったのですが、出品者からのパッケージが届くと中から「ごめんなさい。落札していただいた「駆潜艇」のモデル、なくなって(売り切れ)ました。代わりにこちらで勘弁してください。もし気に入らなかったら返金します」とお手紙に添えて件の「水雷艇」のモデル2隻と中国海軍の砲艦(多分、「永翔」級(いわゆる「中山艦」?)のモデルが、「八重山」のモデルに同梱されていました。ちょっとびっくり。

元々、落札した「駆潜艇」も送料単価軽減の目的で「ストックモデル入り」と考えていたので「このままでいいですよ。代替モデルいいですね」ということにしたのですが、早速、「八重山」を仕上げながら(ちょっと艦橋をもっと別のモデルからのものに差し替えたりしたので)「何に使おうか」などと考えていて、ここで役に立った訳ですね。

上部構造をほぼ全部取り払って、何よりも水線長をうんと短くして(=切り詰めて)、艦尾形状をやすりで整形して、新たにストックパーツとプラ・ロッド等から上部構造(らしきもの)を組み上げて・・・。つまり結構な「セミ・スクラッチ」だったわけです。でも、これでミッシングリンクの一つが埋まったわけですから、筆者としては大満足です。

(ベースにして完成した自称「測天級」とベースの水雷艇の比較がこちら)f:id:fw688i:20211205140754p:image

実はもう一隻、同型の水雷艇のモデルが残っているので、こちらをベースに「神島級」も作ってしまおうかと思っています。(「神島級」は「測天級」の改良型ではあるのですが、戦時急造艦艇らしく直線的で、つまり海防艦的な構造を多用しているので、「測天級」のセミ・スクラッチから、少し制作の方針を変えねばなりません。どうしようかな、と迷っています。と言っても困っている訳ではなく、セミ・スクラッチの醍醐味、といえばそうなのです。つまり、結構楽しんでいる、そういうことです)

 

 「神島級」敷設艇(同型2隻:1945-終戦時に2隻とも残存) 

ja.wikipedia.org

(Oceanicレーベルでモデルあり、モデル未入手)

本土防衛のために「測天級」の簡易版として急遽建造された艦級です。3隻が着工し、1隻が建造中止、「神島」のみ1945年7月に就役しました。「粟島」は艤装中に終戦を迎え、終戦後に復員輸送船として就役しました。(766トン、16.5ノット、主兵装:40mm機関砲×1・25mm機銃×3)

 

日本海軍が初めて設計した敷設艦

敷設艦「勝力」(1917−1944)

ja.wikipedia.org

f:id:fw688i:20211205141542p:image

(上の写真は日本海軍が初めて建造した敷設艦「勝力」の概観: 65mm in 1:1250 by Tremo(?): 下の写真は太平洋戦争時の=測量艦時代の「勝力」の主砲配置。「勝力」は就役時には12センチ砲3基を搭載していました。艦首部に2基搭載された12センチ単装砲は並行に配置されていました。その後、8センチ高角砲に換装されましたが、3基装備説と2基装備説:もしかすると時期によって搭載数が変わるのかもしれません:がありはっきりしません。高角砲を狭い全部甲板に2基並行配置、というのはどうも腹落ちがしないので、ここでは2基説を採用しています)

f:id:fw688i:20211205141546p:image

日本海軍の機雷敷設艦艇の紹介の冒頭で、「日本海軍はその創設以来、機雷敷設業務には専用艦船を建造せず、旧式の装甲巡洋艦や徴用した商船等を改造し、その役務に配置してきていました」と記載していました。

「勝力」は日本海軍が最初に建造した敷設艦(就役当初は「敷設船」と呼ばれていた?)です。敷設艇を大型化した発展形で、商船的な構造をしていました。老朽化のため1935年に測量艦に艦種変更され、太平洋戦争でも測量任務に従事していました。

 

1944年9月、フィリピン海域で米潜水艦により撃沈されています。

 

 

掃海艇について(再録)

掃海艇は本来、その名の通り掃海任務を担当する艦種ですが、日本海軍は「八八艦隊計画」までは旧式の駆逐艦をこの任務に当てていました。「八八艦隊計画」により初めて専任艦艇を設計する事になるのですが、この計画自体が「艦隊決戦」構想に基づく計画であり、日本海軍では主力艦隊の前路開削のための敵艦隊前での掃海任務を想定し、その艦型に比較すると大きな砲力を備えている特徴がありました。

大戦中は掃海装備のための後甲板に対潜装備を搭載し、掃海任務だけでなく、船団護衛等にも活躍しました。

艦級としては以下のクラスがありますが、本稿で扱う1:1250スケールで模型化されているのは

私の知る限り「第13号級」、「第7号級」と「第19号級」の3クラスです。

 

第1号級掃海艇(既存モデル、あった!?)

ja.wikipedia.org

(直下の写真:「第1号級」掃海艇の概観。59mm in 1:1250 bt ??? メーカー不明)

f:id:fw688i:20200913104415j:image

筆者が頼りにしている艦船モデルのデータベースsammelhafen.deで調べても、「第1号級」掃海艇のモデルは登録されていないのですが、筆者のストックモデルでそれらしきものを発見。少しディテイルアップをしてみました。

 

「第1号級」掃海艇は、それまで旧式駆逐艦等を掃海任務に割り当てていた日本海軍が、大正期の八八艦隊計画の一環として初めて「掃海艇」として設計した艦級です。日本海軍の掃海艇の常として、敵前での主力艦隊の前路開削を想定しているため、本級も艦型に比して比較的強力な砲力を搭載していました。(600トン、12cm平射砲2門、20ノット)

同型艦に、本級を改良した「第5号級」掃海艇があります。

ja.wikipedia.org

同級も外観的には大差がなく、「第1号級」「第5号級」併せて6隻が建造され、太平洋戦争には、その汎用性を買われて本来の掃海任務の他、船団護衛等にも従事しました。第4号掃海艇を除いて、全てが太平洋戦争で失われました。

 

第13号級掃海艇

ja.wikipedia.org

 (直下の写真:「第13号級」掃海艇の復原性改修後の概観。58mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces) 

f:id:fw688i:20200627182325j:plain

設計当時の日本海軍の艦艇設計の共通点として、重武装でトップヘビーであり、復原性に課題がある艦級とされていました。上述の「友鶴事件」で改修工事が行われ、艦橋が一段低められ艦底部のバラストキールが装着されるなどの対策が取られました。(690トン、12cm平射砲2門、19ノット:復原性改善工事後)

 

次級の「第17号級」は元々は本級の5番艦、6番艦でしたが、設計段階で上記の改修が反映され、船体が少し小さくなりました。

第十七号型掃海艇 - Wikipedia

 

第7号級掃海艇 

ja.wikipedia.org

f:id:fw688i:20200810130955j:image

(直上の写真「第7号級」掃海艇の概観。59mm in 1:1250 by Trident 前部マストをプラロッドに変更)

「友鶴事件」「第四艦隊事件」等を経て、設計された掃海艇です。艦型は復原性・船体強度などの前級が抱えていた問題を考慮して、異なる外観となっています。しかしその任務想定が艦隊の前路開削や、上陸地点の航路掃海等、敵前での業務を想定していたため、船体の大きさに対して大きな砲力を有していました。(630トン、12cm平射砲3門、20ノット)

f:id:fw688i:20200810131032j:image

(直上の写真:「第7号級」掃海艇と本稿では既出の「第19号級」掃海艇との艦型比較。直下の写真:主砲が「第7号級」掃海艇では平射砲であるのに対し(上段)、「第19号級」ではM型砲架の採用により、仰角が挙げられているのが分かります) 

f:id:fw688i:20200810131027j:image

 

 第19号級掃海艇

ja.wikipedia.org

 (直下の写真:「第19号級」掃海艇の概観。59mm in 1:1250 by Trident: 「鴻級」水雷艇と同様に、主砲は55°の仰角での射撃を可能したM型砲塔を搭載していました。艦種も第25号艇以降は戦時急増のために簡素化した直線的な艦首を採用しています) 

f:id:fw688i:20200627182253j:plain

 同級では主砲が仰角をかけることの出来るM型砲架に改められています。同砲架は55°まで仰角をかけることができましたが、対空戦闘ではなく、対地上砲撃等を想定したとされています。実際に前出の「第13号級」では太平洋戦争の緒戦のボルネオ攻略戦闘で、陸上砲台からの射撃で2隻が失われています。上陸作戦等に伴う前路開削等には、その様な陸上砲撃を行う機会が伴ったのかもしれません。(650トン、12cm3門(M型砲架)、20ノット)

また同級の第25号艇以降は、戦時急造適応のため簡易化が行われ、艦首形状が直線化しています。

f:id:fw688i:20200627182442j:plain

 (直上の写真:「第13号級」と「第19号級」掃海艇の概観比較。「第13号級」は設計当時の日本海軍の通弊だった幅広の艦型を持ち喫水が浅く重装備のためにヘビートップの傾向がありました)
 (直下の写真は、「第7号級」掃海艇までが装備していた防楯付き12cm平射砲(上段)と、「第19号級」掃海艇が装備したM型砲架12cm砲(下段):写真はいずれも前出の水雷艇のものですが、掃海艇でも同様の主砲搭載形式の変更があ行われました。M型砲架の採用により55°までの仰角での射撃が可能になりましたが、この変更の目的は対空戦闘よりも対艦・対陸上砲撃への適応を考慮されたものでした)

f:id:fw688i:20200628001154j:plain

上記の6クラスで35隻が建造されましたが、30隻が戦没しています。

 

 

ということで、今回はこの辺りでおしまい。

次回は「グレイハウンド」も何度か観たし、映画「グレイハウンド」関連と、その他の船団護衛小説関連でもやりましょうか。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

ブログランキングに参加しました。クリック していただけると励みになります。


艦船ランキング

 

 

 

 

 

 

 

 

(補遺:リトライ)「初春級」駆逐艦竣工時の制作 付録「千鳥級」水雷艇 その他諸々

本稿前回で「初春級」駆逐艦の竣工時モデルが未市販のためセミ・スクラッチでの自作への挑戦をご紹介したわけですが、前回をお読みいただいた方はご承知のように、筆者のリサーチ不足で完成したセミ・スクラッチモデルに欠陥が見つかり、「いずれは再トライ」と前回稿を結んでいました。

それを受けて、早速、再トライしました(気になるとじっとしていられない、と言うか、新しい餌を見つけると、食べずにいられない卑しさ、と言うか。自分でも困ったものです)。

その収録です。従って、ほぼ前回投稿に従って書き直しをしています。ご了承のほどを。

 

但し、これも前回稿で、「しかも、うまくいけば、以前から気になっている、日本海軍のもう一つの未整備モデルである「千鳥級」水雷艇の竣工時モデル(こちらも今回の「初春級」と同様、ワシントン・ロンドン体制の制約による過大兵備の要求から復原性に大きな問題を発生した艦級で、やはり復原性修復後のモデルしか市販されていません)のセミ・スクラッチも同時に手掛けられるかも(この作業には「初春級」の主砲塔:特に単装主砲塔と、多分、同級の艦橋が必要になってくるのです。結局、「初春級」を2隻潰すのだから、とある意味、怪我の功名かも」とも書いており、この時点で既にいくつかプランが思いついていたので、今回、それも併せて実施しています。

さらに嬉しい事に(困った事に)、この両方を実行するために何隻か手持ちのモデルを潰さねばならず、「であればついでに」と言う事でいくつかの手持ちの小艦艇のディテイル・アップの実施しましたので、そちらも少しご紹介します。

今回は、そんなお話です。

 

(以降、「初春級」の竣工時の部分は、前回稿が多用されます。間違い探しみたいに、所々、修正や加筆がありますので、それも楽しんでいただけると、とこれは勝手なお願いです。早速、始まり、始まり・・・)

本稿では、前回、前々回の2回に分けて日本海軍の太平洋戦争時の駆逐艦を総覧しました。
fw688i.hatenablog.com

fw688i.hatenablog.com

その中で、ワシントン・ロンドン体制下で設計された「初春級」についても記述したのですが、この艦級は、日本海軍の駆逐艦の中で竣工時の設計に問題があり、就役後、最も大きな改修を必要とした艦級であったにも関わらず、現在、本稿がご紹介している1:1250スケールで市販されているのは改修後のモデルだけで、竣工時のモデルは販売されていません。

今回は現行の改修後モデルをベースに、竣工時をなんとか再現してみようという、セミ・スクラッチの試みのご紹介です。

 

本稿でご紹介した「初春級」を以下の再録しておきます。(前出の 日本海軍:大戦期の駆逐艦(その1)より)

 

 中型(1400トン級)駆逐艦の建造:ロンドン条約の申し子?

「初春級」駆逐艦(6隻)

ワシントン条約に続く ロンドン条約では、それまで制限のなかった補助艦艇にも制限が加えられ、駆逐艦にも保有制限枠が設けられました。特に駆逐艦には1500トンを超える艦は総保有量(合計排水量)の16%以内という項目が加えられました。このため1700トン級(公称)の「吹雪級」駆逐艦をこれ以上建造できなくなり(日本としては財政的な視点から、「吹雪級」の増産を継続するよりも、もう少し安価な艦で数を満たす切実な事情もあったのですが)、次の「初春級」では、1400トン級の船体と「吹雪級」と同等の性能の両立という課題に挑戦することになりました。

ja.wikipedia.org

結果として、竣工時の「初春級」駆逐艦は、主砲として、艦首部に「吹雪級」と同じ「50口径3年式12.7cm砲」B型連装砲塔とB型連装砲塔と同じく仰角を75度に改めたA型改1単装砲塔を背負い式に装備し、艦尾にB型連装砲塔を配置しました。さらに「吹雪級」と同じ61cm3連装魚雷発射管を3基(9射線)を装備し、予備魚雷も「吹雪級」と同数を搭載。加えて次発装填装置をも初めて装備し、魚雷発射後の再雷撃までの時間短縮を可能としました。機関には「吹雪級Ⅲ型」と同じ空気予熱器付きの缶3基を搭載し、36.5ノットの速力を発揮することができました。

1400トン級のコンパクトな船体に「吹雪級」とほぼ同等な重武装と機関を搭載し、かつ搭載する強力な主砲と雷装を総覧する艦橋は大型化したことにより、無理を重ねた設計でした。そしてそれは顕著なトップヘビーの傾向として顕在化することになります。

既に公試時の10度程度の進路変更時ですら危険な大傾斜傾向が現れ、バルジの追加等で何とか就役しますが、この設計原案での建造は「初春」と「子の日」の2隻のみのとどめられました。さらにその後の発生した友鶴事件により、設計は復原性改善を目指して全面体に見直されました。

f:id:fw688i:20200822010727p:plain

初春:竣工時の艦型概観(「初春」「子の日」のみ)

f:id:fw688i:20200822010836j:plain

このげ初春:復原性改修後の艦型概観

(上のシルエットは次のサイトからお借りしています

http://www.jam.bx.sakura.ne.jp/dd/dd_class_hatsuharu.html

残念ながら、竣工時の「初春級」については 1:1250スケールのモデルがありません。スクラッチにトライするには、やや手持ちの「初春級」のモデルが足りていません。 いずれはトライする予定ですが、今回はご勘弁を)

 

平たくいうと、軍縮の制限下での駆逐艦保有トン数と戦術的な要求とのせめぎ合いで、無理に無理を重ねた艦級と言えるでしょう。 中型駆逐艦に大型駆逐艦に等しい兵装を搭載しよう、というわけです。

 

さて、今回の「初春級(竣工時)」の制作にあたり、ベースとするのは「初春級(改修後)」のNeptune製のモデルです。

f:id:fw688i:20200823095038j:image

(直上の写真:復原性改善修復後の「初春級」の概観。88mm in 1:1250 by Neptune)

f:id:fw688i:20200823095050j:image

(直上の写真:「初春級」の特徴である次発想定装置付きの3連装魚雷発射管(上段)と、艦尾部に背中合わせに配置された単装主砲砲塔と連装砲塔:仰角75度の高角射撃も可能とした砲塔でした。この砲塔は装填機構の問題から装填時に平射位置まで砲身を戻さねばならず、射撃速度が低く対空砲としては実用性に乏しいものでした)

 

セミ・スクラッチのベースにするのは「初春級」の旧モデル(Neptune社製)

本稿でも一度ご紹介したことがあるのですが、実は本稿で扱っている1:1250モデルでも、制作各社でのモデルのリニューアルが行なわれており、次第にディテイルが精緻になり、それはそれで嬉しいことなのですが、一方でコレクターの立場で言うと、これに付き合っていると、理想的にいうと数年に一度、モデルの総入れ替のような事になり、とても付き合いきれないので、どこで思い切るのか、という悩ましい決断を迫られます。

一方で、筆者の場合には手元に一定の旧モデル、つまりコレクション落ちのモデルがある事になり、これが結構パーツ用のストックになっていたりします。

「初春級」でも現在、3隻のストックがあり、そのうちの一隻が旧モデルでしたので、今回の「竣工時」モデルの製作にはこの旧モデルをベースとして使う事にしました。幸か不幸か、旧モデルは乾舷が新モデルに比べやや高く、復原性に大きな課題を抱えていた「初春級(竣工時)」の「腰高な感じ」を出すにはちょうど良かったかもしれません(何でもポジティブに捉えるなあって?おっしゃる通りかも・・・)。

 

(追記と編集)と言う事で、Neptune社製の旧モデルをベースに前回は竣工時モデルのセミ・スクラッチに挑戦したわけですが、実はこの旧モデルには大きな落とし穴がありました。以下、はその欠陥部分についての記述。

 

しかし、よく見ると、ああ、何とも致命的な・・・。

完成した「竣工時」のモデルをよく見ていると、「あれれ・・・」、実は、致命的な欠陥を発見してしまいました。

「初春級」は既述のように日本海軍で初めて魚雷の次発装填装置を搭載した艦級です。

この 次発装填装置は、それまでチェーンと運搬車で作業されていた魚雷の発射管への装填業務を、魚雷発射後わずか20秒程度に短縮する、という画期的な装置ですが、反面、次発装填装置自体を魚雷発射管と同レベルに設置する必要がありました。これは「初春級」の重心上昇の一因ともなったわけですが、1番煙突と2番煙突間に配置された1番発射管用の自発装填装置は、2番煙突左脇に搭載されており、このため2番煙突は艦の中心位置から艦首を上に見てやや右にオフセットされて配置されていました。

ところが今回ベースとして使用したNeptune社の「初春級」の旧モデルは、この1番発射管用の次発装填装置が、あれれ、ないじゃないか!しかも、2番煙突が逆に左にオフセットした位置に配置されてる事に、完成後に気付いてしまいました。上記のように、結構、次発装填装置にはこだわりがあって、上述の工程で説明したように、自作した後橋部の建屋作成では、気にかけて作業をした部分でもあるので、結構びっくり。

f:id:fw688i:20200906142541j:image

 (左が「初春級」新モデル:1番発射管と2番発射管の間にある2番煙突は、1番発射管の次発装填装置の関係で、船体中心線より選手を上に見てやや右にオフセットした位置に配置されています。これが正解!1番発射管用の次発装填装置は、左写真の中程、2番魚雷発射管の左上に設置されている斜めに設置された構造物です。この箱の中に次発装填用の魚雷が収納されていて、魚雷発射管内の初発魚雷は発射された後に、発射管後部から装填される仕掛けです。装填に要する時間、約20秒! 右の写真は今回使用した「「初春級」級モデルをベースにした竣工時のモデル:2番煙突がやや左にオフセットされています。しかもこだわりの次発装填装置がない!これは気になる、でしょう!?)

 

うう、リサーチ不足だった、と少しがっくり。しかも、これは気がついてしまうと、気になる。

対策は、と考えてみます。手っ取り早く思えるのは2番煙突の位置変更ですが、2番煙突の位置変更は、実は1:1250スケールではちょっと大事です。そっくり2番煙突ブロックを船体から切除して、加工して再移築というような作業が想定されますが、いつもは「手軽さ」となるスケールの小ささが今回は災いして、切除に使用するソー、あるいはニッパの刃が構造を必ず損なう結果になると考えています(筆者の手技不足も、もちろん大きな要因ですが)。結局、検討の結果は、新モデルをベースにもう一回やり直すしかない、かと・・・・。

 

(追記と編集)で、今回のやり直しになるわけです。併せて、ちょっと欲張った事も下記のように書いています。

 

という事で、いずれ新モデルをベースに(もったいないなあ)再作業する事にします。まあこういう事もありますよね。

今回の経験で作業の大体の要領と手順は分かったし、今回手をかけた艦橋部と後橋部の建屋は多分両方転用できそうですので、作業は幾分手軽になるかと。筆者的にはまた楽しみが増えた、という事です。(と、前向きに・・・)

しかも、うまくいけば、以前から気になっている、日本海軍のもう一つの未整備モデルである「千鳥級」水雷艇の竣工時モデル(こちらも今回の「初春級」と同様、ワシントン・ロンドン体制の制約による過大兵備の要求から復原性に大きな問題を発生した艦級で、やはり復原性修復後のモデルしか市販されていません)のセミ・スクラッチも同時に手掛けられるかも(この作業には「初春級」の主砲塔:特に単装主砲塔と、多分、同級の艦橋が必要になってくるのです。結局、「初春級」を2隻潰すのだから、とある意味、怪我の功名かも。課題は「千鳥級」の竣工時の連装魚雷発射管を自作しなくてはならないところ。小さな部品ではありますが、一つの特徴でもあるので、ちょっと慎重に準備しなくてはなりません。・・・と、すっかり同時着手の気になってしまっている!!)。

f:id:fw688i:20200913114254j:image

(早速、同時着手:「千鳥級」(上)と「初春級」(下)いずれもNeptune社製モデルの上部構造物を、必要な箇所をのぞいて切除)

 

で、早速、着手、となるわけですが・・・

「初春級」竣工時と復原性改修後の相違点

「初春級」(竣工時)の再現にあたって、最も肝となるのは、その兵装配置である事は明らかです。

「初春級」(改修後)では、その兵装配置は日本海軍艦隊駆逐艦の標準的なもので、艦首に1番連装主砲塔を搭載し、第一煙突と第二煙突の間に1番魚雷発射管(3連装)、第二煙突直後に2番魚雷発射管(3連装)という配置になります。その後部に魚雷の自発装填装置を組み込んだ後橋、その後ろに2番主砲塔(単装)、3番主砲塔(連装)が背中合わせに配置されています。f:id:fw688i:20200822010836j:plain

 

これに対し「初春級」(竣工時)では、艦首部に1番主砲塔(連装)と2番主砲塔(単装)が背負い式に配置されるという、本級のみに見られる大変ユニークな配置になっています。同時にこの背負式の主砲配置に伴い艦橋部が大型化しています。さらに、第一煙突と第二煙突の間の1番魚雷発射管(3連装)、第二煙突直後の2番魚雷発射管(3連装)に加え、さらにその後ろの後橋部に組み込まれる形で3番発射管(3連装)が少し配置位置を高めにして背負い式のような形で装備され、竣工時には大型駆逐艦並の9射線の魚雷発射能力を誇っていました。そして後橋の後に3番主砲塔(連装)が配置されていました。

f:id:fw688i:20200822010727p:plain

 

「初春級」(竣工時)のセミ・スクラッチ手順(ここからはリトライ作業ベースのお話に書き換えていきます)

という事で、今回のセミ・スクラッチは結構大工事になりました。

⑴まず艦橋を切除(これはもちろん後で使うので保管しておきます、が、結局は前回作成した旧モデルベースの艦橋を使う事にしました。艦橋が一つストックに。後で出てくるので、忘れないでね)。

⑵次にとりあえず2番魚雷発射管を撤去。:竣工時モデルでは3基必要となりますので、ストックに入っていたTrident社製の「吹雪級」のモデルから魚雷発射管を拝借します。(Trident社製モデルも、パーツ分割が容易で、パーツの精度も高いので、こう言うセミクラッチの際には、大変重宝します)。しかもありがたい事に、Trident社製の発射管はNeptune社製の発射管とディテイルも大きさもほとんど違和感がありません

⑶後橋と2番砲塔(単装)を撤去:2番砲塔は貴重な単装砲塔です。もちろん後で使うので保管します。

⑷撤去後をできるだけ平らにヤスリでゴリゴリ。

⑸前述の2番・3番発射管を拝借したTrident社製「吹雪級」の後橋部分をベースに整形を施し後橋部分を制作。艦橋下層部には艦橋上部を乗せ、先端に2番主砲塔(単装)を搭載。後橋部には3番魚雷発射管とブリッジらしく見えるように少しストックから部品を追加。

これらを再度組み上げて、マストを整理して出来上がり、という事になります。

 

 そして、塗装をして完成

 下の写真が完成形。兵装の過多と、それに伴うトップヘビー感がでていれば一応の成功です。

f:id:fw688i:20200913114732j:image

(直上の写真は「初春級」竣工時の概観:88mm in 1:1250 by Neptuneをベースにセミ・スクラッチ

f:id:fw688i:20200913114738j:image

(直上の写真は、「初春級」竣工時の特徴のアップ。左上:艦橋部。艦橋部の下層構造を延長し、艦橋の位置をやや後方へ。艦橋部下層構造の前端に2番主砲塔(単装)を、1番主砲塔(連装)と背負い式になるように配置。右上:2番魚雷発射管。これは全く手をつけず。下段左と中央:後橋部分と2番・3番発射管の配置状況。3番発射管自体は、船体中心線に対し、やや右にオフセットした位置に追加。細かいこだわりですが、一応、3番発射管用の次発装填装置を後橋部の構造建屋の上に設置。2番発射管用の次発装填装置は後橋部建屋の左側の斜め張り出し部に内蔵されています)

 

復原性修復後のモデルとの比較は以下に。二枚とも、上が「竣工時(今回セミ・スクラッチ製作したモデル)」、下が「復原性修復後」のモデル(Neptune社の現行の市販モデル)。

f:id:fw688i:20200913115631j:image

f:id:fw688i:20200913114735j:image

「竣工時」の過大な兵装とそれに因る腰高感が表現できているかどうか・・・。できているんじゃないかな(とちょっと自画自賛)。 

 

と言う事で、「初春級」の竣工時モデルについては、ここまで。

 

さて続いて・・・。

「千鳥級」水雷艇 竣工時モデルの制作

前述の通り、「千鳥級」水雷艇についても既述の「初春級」と同様、ワシントン・ロンドン体制の制約による過大兵備の要求から復原性に大きな問題を発生した艦級で、やはり復原性修復後のモデルしか市販されていませんでした。

そこで、今回の「初春級」リトライをきっかけにこちらにも挑戦。

この同時挑戦についての大きな動機は「初春級」の再制作(Neptune社製新モデルをベースに再製作)に伴い「50口径3年式12.7cm砲」の砲塔セットがもう1組ストック入りした事で、この中には「初春級」の特徴でもある単装砲塔が含まれています。「千鳥級」水雷艇の竣工時モデルの製作にあたっては、この単装砲塔が不可欠で、これが今回の「同時製作」の大きなきっかけになりました。

 

「千鳥級」水雷艇

ja.wikipedia.org 600トンを切る小さな艦体に、当時の主力駆逐艦と同様に50口径5インチ砲(12.7cm砲)を、艦首部に単装砲塔、艦尾部に連装砲塔という配置で3門を搭載し、さらに連装魚雷発射管を2基、予備魚雷も同数装備、30ノットの速力を発揮する高性能艦として誕生します。駆逐艦なみの主砲装備のために射撃管制塔の要請から艦橋も大型化し、設計中から既に重武装に起因する復原力不足は課題として意識されていました。

公試時の転舵では大傾斜が生じ、急遽大きなバルジを追加装備する形で対策がとられ竣工しました。

f:id:fw688i:20200913104549j:image

 (直上の写真:「千鳥級」水雷艇の竣工時の概観。63mm in 1:1250 by Neptuneベースのセミ・スクラッチ)

 

f:id:fw688i:20200913104617j:image

 (直上の写真:「千鳥級」水雷艇の竣工時の特徴のアップ。上段:艦首部の単装砲塔と背の高い艦橋部。舷側には復原性対策として急遽増設されたバルジを再現してあります。下段左:連装魚雷発射管を2基装備、下段右:艦尾部の連装主砲塔)

 

その後、同型艦の「友鶴」で、40度程度の傾斜から転覆してしまうという事故が発生し(設計では90度傾斜でも復原できる事になっていました)、深刻な復原力不足が露呈します。

友鶴事件 - Wikipedia

事件後、設計が見直され、ほぼ別設計の艦として同級は生まれ変わります。その変更点は、艦橋を1層減じ小型化すると共に、バルジを撤去し代わりに艦底にバラストキール(98トン)の装着によるトップヘビー解消。そして武装を再考し、主砲口径を5インチ砲から12センチ砲へと縮小し、搭載形式も砲塔式から防楯付き単装砲架への変更(22トンの重量削減)、あわせて魚雷発射管を連装1基へ削減し予備魚雷も搭載しない(40トンの重量削減)、等により復元力は改善されましたが、速力は28ノットに低下してしまいました。

 (直下の写真:「千鳥級」水雷艇の復原性改修後の概観。63mm in 1:1250 by Neptune)

f:id:fw688i:20200627182051j:plain

 

竣工時と復原性改修後の比較は以下に。竣工時のモデルはイタリア海軍の水雷艇によく似ている気がします。海面のおだやかな地中海であればこれで大丈夫なのかもしれませんね。

f:id:fw688i:20200913104647j:image

戦争中は、敵潜水艦に対する速力不足が常に課題とされた「海防艦」と異なり、その優速を生かした理想的な対潜制圧艦と評価され、船団護衛等に活躍しました。

同型艦4隻中3隻が戦没。

(この記述は、本稿の「大好きな小艦艇特集(二等駆逐艦水雷艇・掃海艇・駆潜艇)」にも反映されています)


その他のモデル、若干のセミクラッチ

今回の「初春級」竣工時、「千鳥級」竣工時の製作に伴い、ストックパーツの整理、ストックモデルの見直しと分解等の作業を行ったのですが、それに伴い、死蔵していた古いストックモデルにも整理の機会がありました。以下はそのまとめ。

 

「第1号級」掃海艇(既存モデル、あった!?)

ja.wikipedia.org

(直下の写真:「第1号級」掃海艇の概観。59mm in 1:1250 bt ??? メーカー不明)

f:id:fw688i:20200913104415j:image

筆者が頼りにしている艦船モデルのデータベースsammelhafen.deで調べても、「第1号級」掃海艇のモデルは登録されていないのですが、筆者のストックモデルでそれらしきものを発見。少しディテイルアップをしてみました。(↓頼りにしているデータベースはこちら)

sammelhafen.de

 

「第1号級」掃海艇は、それまで旧式駆逐艦等を掃海任務に割り当てていた日本海軍が、大正期の八八艦隊計画の一環として初めて当初から「掃海艇」として設計した艦級です。日本海軍の掃海艇の常として、敵前での主力艦隊の前路開削を想定しているため、本級も艦型に比して比較的強力な砲力を搭載していました。(600トン、12cm平射砲2門、20ノット)

同型艦に、本級を改良した「第5号級」掃海艇があります。

ja.wikipedia.org

「第1号級」も「第5号級」も準同型艦で外観には大差がなく、「第1号級」「第5号級」併せて6隻が建造され、太平洋戦争には、その汎用性を買われて本来の掃海任務の他、船団護衛等にも従事しました。第4号掃海艇を除いて、全てが太平洋戦争で失われました。

(この記述は、本稿の「大好きな小艦艇特集(二等駆逐艦水雷艇・掃海艇・駆潜艇)」にも反映されています)

 

 機雷敷設艦というジャンル

これまで本稿ではこのジャンルについて「日本海巡洋艦開発小史(その4) 平賀デザインの巡洋艦」の回に、同回の主役であった「古鷹級」巡洋艦ロンドン条約の制限に関連する記述でわずかに機雷敷設艦津軽」について、以下のように軽く触れただけでした。

 

ロンドン海軍軍縮条約で生まれた「重巡洋艦」(カテゴリーA)の話

ロンドン条約では「主砲口径が6.1インチを超え、8インチ以下で、10000トン以下の艦」をカテゴリーA:重巡洋艦とすると言う定義が行われることになります。この定義は、「夕張」「古鷹級」と言う画期的なコンパクトな重武装艦を生み出し始めた日本海軍を警戒して列強が定め、「古鷹級」とこれに続く「青葉級」をカテゴリーAの総排水量の中でカウントし、その保有数に限界を持たせることを狙ったとも言われています。

同様の制約は、その他の補助艦艇に対する制約でも現れます。その一つが機雷敷設艦艇での制限で、ここでは新造される機雷敷設艦の最大速力を20ノットと制限することで、日本海軍が高速で強力な兵装を持つ、軽巡洋艦或いは重巡洋艦に匹敵するような高速機雷敷設巡洋艦保有することを制限する狙いがあった、と言われています。これも「夕張」「古鷹級」のもたらした副産物と言えるかもしれません。

 

機雷敷設艦津軽
f:id:fw688i:20200419111016j:image

(直上の写真は、上述の機雷敷設艦津軽」:104mm in 1:1250 by Neptune)

ja.wikipedia.org

 4000トンの船体を持ち、条約制限いっぱいの20ノットの速力を有していました。「津軽」は12.5cm 連装対空砲を2基を主砲として搭載していますが、準同型艦の「沖島」は軽巡洋艦と同等の14cm主砲を連装砲塔形式で2基、保有していました。ロンドン海軍軍縮条約で、機雷敷設艦等の補助艦艇には最高速力を20ノット以下とする、という制限がかかりましたが、これは、「夕張」「古鷹級」等のコンパクト重装備艦の登場を警戒した列強が、機雷敷設艦の名目で日本海軍が軽巡洋艦として運用できる強力な敷設巡洋艦を建造することを予防した、と言われています。実際に太平洋戦争では、中部太平洋ソロモン諸島方面で輸送船団の護衛や、自ら輸送・揚陸任務など、高速を必要とする水雷戦隊旗艦等の任務を除けば、他の軽巡洋艦と同等に活躍しています。

 

機雷敷設艦厳島」「白鷹」

本稿では既述ですので、お読みいただいた方もいらっしゃるとは思いますが、実は筆者はこうした補助小艦艇が大好きです。

今回ストックモデルの整理にあたって、なんとも嬉しい事に「厳島」と「白鷹」の二つのモデルを死蔵していたことを発見。これに手を加える機会がありました。

飽きやすい性格も手伝って、途中からは今回の主役であるべき「初春級」「千鳥級」を押し除けて、週の後半は「機雷敷設艦」のシリーズ展開のことばかり考える始末。

これらは死蔵モデルの発見と、「初春級」「千鳥級」のセミ・スクラッチにともない発生したストックモデルのパーツ(特に今回は駆逐艦の艦橋パーツ)の再利用機会の模索が大きく影響しています。

実は両モデルを死蔵のままにしていた理由は、両オリジナルモデルの艦橋の造作が何かピンときていなかった、つまり「いずれは手を入れようと思っていた」という背景が大きく作用しています。そうした事態が、今回の駆逐艦ストックモデルの分解作業に刺激されて一気に表面化した、という、筆者の内面を分析すると、おそらくそういうことです。

併せて軽く紹介しておきます。

 

機雷敷設艦厳島

掃海艇同様、日本海軍は機雷敷設業務に、旧式の装甲巡洋艦等を当てていましたが、大正期の八八艦隊計画に準じて、初めて本格的な機雷敷設艦の設計に着手しました。それが「厳島」です。
f:id:fw688i:20200913114800j:image

(直上の写真は、機雷敷設艦厳島」:89mm in 1:1250 by Authenticast)

ja.wikipedia.org

2000トン級の艦型に、主機にはディーゼル機関を採用しています。設計当時の艦隊決戦主戦場と想定されていた南洋諸島方面での機雷敷設任務を想定し航続距離と機雷搭載量が重視され、速力は17ノットと少し控えめに設定されています。

日本海軍の常として強行敷設、敵前敷設をも想定したため、2000トンの艦型の割には比較的強力な砲力をもっています。(14センチ砲単装砲3基)

 

急設網艦「白鷹」

その名の通り、艦隊泊地などに対潜水艦侵入防止用の防潜網を展張する役目を負う艦種ですが、機雷敷設の能力もあるため、正式の艦種分類は日本海軍では機雷敷設艦となっています。

「白鷹」(「ハクタカ」ではなく「シラタカ」と読みます)は日本海軍が建造した最初の「急設網艦」ですが、同時に世界で初めて防潜網敷設艦として設計された船でもあります。

f:id:fw688i:20200913114741j:image

(直上の写真は、急設網艦「白鷹」:69mm in 1:1250 by Superior?ちょっと怪しい。兵装配置はほぼ最終時点=8cm高角砲2基を主兵装とした時点を再現しているつもりです。もう少し爆雷投射機等があったほうがいいかも)

ja.wikipedia.org

就役当初から復原性に大きな課題を抱えており、重装備であった砲兵装が順次改められてゆきました。また大戦の推移にともない防潜網の展張、機雷敷設の機会の減少に準じ、敷設関係の装備を撤去して代わりに対潜装備を搭載。最終的には船団護衛に従事したと言われています。

(1300トン、12cm高角砲3基(竣工時)、のち8cm高角砲2基、速力16ノット)

 

機雷敷設艦厳島」と急設網艦「白鷹」

 両艦の大きさの比較は以下の通りです。両艦ともに就役後復原性の不足に苦しみ、数度の改装を受けています。

f:id:fw688i:20200913114749j:image

なんか、こういうマイナーなモデルに手を入れて、なんとなく「らしい」と思えるモデルに「できた」と思える時、「ああ、やっててよかったなあ」と思えるんですよね。<<<全くの自己満足発言であることは自覚しています。

 

今回は、いずれも艦のフォルムそのものは手を入れず、両艦とも艦橋を駆逐艦のストックパーツに入れ替えています(実は「白鷹」の艦橋には、冒頭ご紹介した「初春級」竣工時モデルの箇所で紹介したNeptune社「初春」の新モデルの切除された艦橋の上部が転用されています。ね、出てきたでしょ)。

f:id:fw688i:20200913151606p:plain

(「厳島」(上)と「白鷹」(下)のそれぞれのオリジナルモデル。どちらも艦橋が、なんかねえ、と思いません?)

f:id:fw688i:20200913152043p:plain

併せて武装パーツをストック中からもう少しモールドのシャープなもの、あるいは他のスケールのストックパーツから転用できそうなもの(例えば1:700スケールの機銃を高角砲にとか)に換装したりしています。

 

こうして、「機雷敷設艦」のジャンルについては、大どころが揃ってきました。大きなところで欠けているのは「沖島」と「八重山」、そして急設網館「初鷹級」でしょうか。

沖島」は準同型艦津軽」からのセミ・スクラッチが完了しているので、あとは「八重山」と「初鷹級」ですが、これがどうにも手に入りません。「八重山」については、製造元(Midwayという会社だったのですが)が既に廃業していることがUSのコレクターからの情報でわかりました。「他にはちょっと知らないなあ。中古モデルを気長に探すしかなさそうだよ」というコメントでした。

 

ということで、次回は、「機雷敷設艦」を、今あるところまでで、一旦おさらいしておきましょうかね。

 

おまけ:測量艦「筑紫」らしき・・・

小艦艇の死蔵モデルの中には「艦級名」すらわからないものも、多数含まれています。

「何だろうこれは?」ということで、少々無理やり寸法の似ている測量艦「筑紫」に似せて仕上げてしまおう。(実は「筑紫」と言い切るには船首楼が長すぎるのです。乾舷も低すぎるかも)
f:id:fw688i:20200913114727j:image

(直上の写真は、測量艦「筑紫」らしき・・・:69mm in 1:1250 by ??? 不明)

ja.wikipedia.org

 

ということで、今回はこの辺りでおしまい。

次回は前述のように「機雷敷設艦」関連で、一度まとめをしておきましょうか。「グレイハウンド」も何度か観たし。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

ブログランキングに参加しました。クリック していただけると励みになります。


艦船ランキング

 

 

 

 

 

 

 

 

日本海軍:大戦期の駆逐艦(補遺)「初春級」駆逐艦 竣工時の制作/実は失敗の巻 

本稿では、前回、前々回の2回に分けて日本海軍の太平洋戦争時の駆逐艦を総覧しました。

fw688i.hatenablog.com

fw688i.hatenablog.com

その中で、ワシントン・ロンドン体制下で設計された「初春級」についても記述したのですが、この艦級は、日本海軍の駆逐艦の中で竣工時の設計に問題があり、就役後、最も大きな改修を必要とした艦級であったにも関わらず、現在、本稿がご紹介している1:1250スケールで市販されているのは改修後のモデルだけで、竣工時のモデルは販売されていません。

今回は現行の改修後モデルをベースに、竣工時をなんとか再現してみようという、セミ・スクラッチの試みのご紹介です。

 

本稿でご紹介した「初春級」を以下の再録しておきます。(前出の 日本海軍:大戦期の駆逐艦(その1)より)

 

 中型(1400トン級)駆逐艦の建造:ロンドン条約の申し子?

「初春級」駆逐艦(6隻)

ワシントン条約に続く ロンドン条約では、それまで制限のなかった補助艦艇にも制限が加えられ、駆逐艦にも保有制限枠が設けられました。特に駆逐艦には1500トンを超える艦は総保有量(合計排水量)の16%以内という項目が加えられました。このため1700トン級(公称)の「吹雪級」駆逐艦をこれ以上建造できなくなり(日本としては財政的な視点から、「吹雪級」の増産を継続するよりも、もう少し安価な艦で数を満たす切実な事情もあったのですが)、次の「初春級」では、1400トン級の船体と「吹雪級」と同等の性能の両立という課題に挑戦することになりました。

ja.wikipedia.org

結果として、竣工時の「初春級」駆逐艦は、主砲として、艦首部に「吹雪級」と同じ「50口径3年式12.7cm砲」B型連装砲塔とB型連装砲塔と同じく仰角を75度に改めたA型改1単装砲塔を背負い式に装備し、艦尾にB型連装砲塔を配置しました。さらに「吹雪級」と同じ61cm3連装魚雷発射管を3基(9射線)を装備し、予備魚雷も「吹雪級」と同数を搭載。加えて次発装填装置をも初めて装備し、魚雷発射後の再雷撃までの時間短縮を可能としました。機関には「吹雪級Ⅲ型」と同じ空気予熱器付きの缶3基を搭載し、36.5ノットの速力を発揮することができました。

1400トン級のコンパクトな船体に「吹雪級」とほぼ同等な重武装と機関を搭載し、かつ搭載する強力な主砲と雷装を総覧する艦橋は大型化したことにより、無理を重ねた設計でした。そしてそれは顕著なトップヘビーの傾向として顕在化することになります。

既に公試時の10度程度の進路変更時ですら危険な大傾斜傾向が現れ、バルジの追加等で何とか就役しますが、この設計原案での建造は「初春」と「子の日」の2隻のみのとどめられました。さらにその後の発生した友鶴事件により、設計は復原性改善を目指して全面体に見直されました。

f:id:fw688i:20200822010727p:plain

初春:竣工時の艦型概観(「初春」「子の日」のみ)

f:id:fw688i:20200822010836j:plain

このげ初春:復原性改修後の艦型概観

(上のシルエットは次のサイトからお借りしています

http://www.jam.bx.sakura.ne.jp/dd/dd_class_hatsuharu.html

残念ながら、竣工時の「初春級」については 1:1250スケールのモデルがありません。スクラッチにトライするには、やや手持ちの「初春級」のモデルが足りていません。 いずれはトライする予定ですが、今回はご勘弁を)

 

平たくいうと、軍縮の制限下での駆逐艦保有トン数と戦術的な要求とのせめぎ合いで、無理に無理を重ねた艦級と言えるでしょう。 中型駆逐艦に大型駆逐艦に等しい兵装を搭載しよう、というわけです。

 

さて、今回の「初春級(竣工時)」の制作にあたり、ベースとするのは「初春級(改修後)」のNeptune製のモデルです。

f:id:fw688i:20200823095038j:image

(直上の写真:復原性改善修復後の「初春級」の概観。88mm in 1:1250 by Neptune)

f:id:fw688i:20200823095050j:image

(直上の写真:「初春級」の特徴である次発想定装置付きの3連装魚雷発射管(上段)と、艦尾部に背中合わせに配置された単装主砲砲塔と連装砲塔:仰角75度の高角射撃も可能とした砲塔でした。この砲塔は装填機構の問題から装填時に平射位置まで砲身を戻さねばならず、射撃速度が低く対空砲としては実用性に乏しいものでした)

 

セミ・スクラッチのベースにするのは「初春級」の旧モデル(Neptune社製)

本稿でも一度ご紹介したことがあるのですが、実は本稿で扱っている1:1250モデルでも、制作各社でのモデルのリニューアルが行なわれており、次第にディテイルが精緻になり、それはそれで嬉しいことなのですが、一方でコレクターの立場で言うと、これに付き合っていると、理想的にいうと数年に一度、モデルの総入れ替のような事になり、とても付き合いきれないので、どこで思い切るのか、という悩ましい決断を迫られます。

一方で、筆者の場合には手元に一定の旧モデル、つまりコレクション落ちのモデルがある事になり、これが結構パーツ用のストックになっていたりします。

「初春級」でも現在、3隻のストックがあり、そのうちの一隻が旧モデルでしたので、今回の「竣工時」モデルの製作にはこの旧モデルをベースとして使う事にしました。幸か不幸か、旧モデルは乾舷が新モデルに比べやや高く、復原性に大きな課題を抱えていた「初春級(竣工時)」の「腰高な感じ」を出すにはちょうど良かったかもしれません(何でもポジティブに捉えるなあって?おっしゃる通りかも・・・)。

 

「初春級」竣工時と復原性改修後の相違点

「初春級」(竣工時)の再現にあたって、最も肝となるのは、その兵装配置である事は明らかです。

「初春級」(改修後)では、その兵装配置は日本海軍艦隊駆逐艦の標準的なもので、艦首に1番連装主砲塔を搭載し、第一煙突と第二煙突の間に1番魚雷発射管(3連装)、第二煙突直後に2番魚雷発射管(3連装)という配置になります。その後部に魚雷の自発装填装置を組み込んだ後橋、その後ろに2番主砲塔(単装)、3番主砲塔(連装)が背中合わせに配置されています。f:id:fw688i:20200822010836j:plain

 

これに対し「初春級」(竣工時)では、艦首部に1番主砲塔(連装)と2番主砲塔(単装)が背負い式に配置されるという、本級のみに見られる大変ユニークな配置になっています。同時にこの背負式の主砲配置に伴い艦橋部が大型化しています。さらに、第一煙突と第二煙突の間の1番魚雷発射管(3連装)、第二煙突直後の2番魚雷発射管(3連装)に加え、さらにその後ろの後橋部に組み込まれる形で3番発射管(3連装)が少し配置位置を高めにして背負い式のような形で装備され、竣工時には大型駆逐艦並の9射線の魚雷発射能力を誇っていました。そして後橋の後に3番主砲塔(連装)が配置されていました。

f:id:fw688i:20200822010727p:plain

 

「初春級」(竣工時)のセミ・スクラッチ手順

という事で、今回のセミ・スクラッチは結構大工事になりました。

⑴まず艦橋を切除(これはもちろん後で使うので保管しておきます)。

⑵次にとりあえず魚雷発射管を全て撤去。:こちらは旧モデルではモールドに課題がある(私見ですが、ちょっと厚みがありすぎる?)し、更に言うと竣工時モデルでは3基必要となりますので、本稿でも「吹雪級」で紹介した DAMEYA製の3D Printing modelの発射管を、手持ちのストックから移植する事にしましたので、破棄します。

⑶後橋と2番砲塔(単装)を撤去:2番砲塔は貴重な単装砲塔です。もちろん後で使うので保管します。

⑷撤去後をできるだけ平らにヤスリでゴリゴリ。

⑸1.5mm厚のプラ平板で艦橋下層部と大型化した後橋部をパキパキと制作。艦橋下層部には艦橋上部を乗せ、先端に2番主砲塔(単装)を搭載。後橋部には3番魚雷発射管とブリッジらしく見えるように少しストックから部品を追加。

これらを再度組み上げて、マストを整理して出来上がり、という事になります。

f:id:fw688i:20200905164646j:image

(直上の写真は、「初春級」竣工時の全体シルエット。武装配置の特徴と腰高感、何となくでてますかねえ?)

 

f:id:fw688i:20200905164657j:image

(直上の写真は、手を入れた部分のアップ。左上:艦橋部。艦橋部の下層構造を延長し、艦橋の位置をやや後方へ。艦橋部下層構造の前端に2番主砲塔(単装)を、1番主砲塔(連装)と背負い式になるように配置。右上:2番魚雷発射管。下段:後橋部分と2番・3番発射管の配置状況。3番発射管自体は、船体中心線に対し、やや右にオフセットした位置に追加。細かいこだわりですが、一応、3番発射管用の次発装填装置を後橋部の構造建屋の上に設置。2番発射管用の次発装填装置は後橋部建屋の左側の斜め張り出し部に内蔵されています。**追加あるいは改修した部分は下地処理をしてあります)

 

 そして、塗装をして完成

 下の写真が完成形。兵装の過多と、それに伴うトップヘビー感がでていれば一応の成功です。

f:id:fw688i:20200906142443j:image

復原性修復後のモデルとの比較は以下に。二枚とも、上が「竣工時(今回セミ・スクラッチ製作したモデル)」、下が「復原性修復後」のモデル(Neptune社の現行の市販モデル)。

f:id:fw688i:20200906142707j:image

f:id:fw688i:20200906142455j:image

「竣工時」の過大な兵装とそれに因る腰高感が表現できているかどうか・・・。できているんじゃないかな(とちょっと自画自賛)。 

 

しかし、よく見ると、ああ、何とも致命的な・・・。

完成した「竣工時」のモデルをよく見ていると、「あれれ・・・」、実は、致命的な欠陥を発見してしまいました。

「初春級」は既述のように日本海軍で初めて魚雷の次発装填装置を搭載した艦級です。

この 次発装填装置は、それまでチェーンと運搬車で作業されていた魚雷の発射管への装填業務を、魚雷発射後わずか20秒程度に短縮する、という画期的な装置ですが、反面、次発装填装置自体を魚雷発射管と同レベルに設置する必要がありました。これは「初春級」の重心上昇の一因ともなったわけですが、1番煙突と2番煙突間に配置された1番発射管用の自発装填装置は、2番煙突左脇に搭載されており、このため2番煙突は艦の中心位置から艦首を上に見てやや右にオフセットされて配置されていました。

ところが今回ベースとして使用したNeptune社の「初春級」の旧モデルは、この1番発射管用の次発装填装置が、あれれ、ないじゃないか!しかも、2番煙突が逆に左にオフセットした位置に配置されてる事に、完成後に気付いてしまいました。上記のように、結構、次発装填装置にはこだわりがあって、上述の工程で説明したように、自作した後橋部の建屋作成では、気にかけて作業をした部分でもあるので、結構びっくり。

f:id:fw688i:20200906142541j:image

 (左が「初春級」新モデル:1番発射管と2番発射管の間にある2番煙突は、1番発射管の次発装填装置の関係で、船体中心線より選手を上に見てやや右にオフセットした位置に配置されています。これが正解!1番発射管用の次発装填装置は、左写真の中程、2番魚雷発射管の左上に設置されている斜めに設置された構造物です。この箱の中に次発装填用の魚雷が収納されていて、魚雷発射管内の初発魚雷は発射された後に、発射管後部から装填される仕掛けです。装填に要する時間、約20秒! 右の写真は今回使用した「「初春級」級モデルをベースにした竣工時のモデル:2番煙突がやや左にオフセットされています。しかもこだわりの次発装填装置がない!これは気になる、でしょう!?)

 

うう、リサーチ不足だった、と少しがっくり。しかも、これは気がついてしまうと、気になる。

対策は、と考えてみます。手っ取り早く思えるのは2番煙突の位置変更ですが、2番煙突の位置変更は、実は1:1250スケールではちょっと大事です。そっくり2番煙突ブロックを船体から切除して、加工して再移築というような作業が想定されますが、いつもは「手軽さ」となるスケールの小ささが今回は災いして、切除に使用するソー、あるいはニッパの刃が構造を必ず損なう結果になると考えています(筆者の手技不足も、もちろん大きな要因ですが)。結局、検討の結果は、新モデルをベースにもう一回やり直すしかない、かと・・・・。

 

という事で、いずれ新モデルをベースに(もったいないなあ)再作業する事にします。まあこういう事もありますよね。

今回の経験で作業の大体の要領と手順は分かったし、今回手をかけた艦橋部と後橋部の建屋は多分両方転用できそうですので、作業は幾分手軽になるかと。筆者的にはまた楽しみが増えた、という事です。(と、前向きに・・・)

しかも、うまくいけば、以前から気になっている、日本海軍のもう一つの未整備モデルである「千鳥級」水雷艇の竣工時モデル(こちらも今回の「初春級」と同様、ワシントン・ロンドン体制の制約による過大兵備の要求から復原性に大きな問題を発生した艦級で、やはり復原性修復後のモデルしか市販されていません)のセミ・スクラッチも同時に手掛けられるかも(この作業には「初春級」の主砲塔:特に単装主砲塔と、多分、同級の艦橋が必要になってくるのです。結局、「初春級」を2隻潰すのだから、とある意味、怪我の功名かも。課題は「千鳥級」の竣工時の連装魚雷発射管を自作しなくてはならないところ。小さな部品ではありますが、一つの特徴でもあるので、ちょっと慎重に準備しなくてはなりません。・・・と、すっかり同時着手の気になってしまっている!!)。

 

ということで、今回はこの辺りでおしまい。

次回は早速、今回のリメイク、と行きたいところですが、「初春級」の新モデルのストックとの相談もありますので、どうなるか。やるなら上記のように「千鳥級」竣工時モデルも一緒にやっちゃいましょう。新着モデルもいくつかあるし・・・。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

ブログランキングに参加しました。クリック していただけると励みになります。


艦船ランキング

 

 

 

 

 

 

 

 

日本海軍:大戦期の駆逐艦(その2)

前回に引き続き、大戦期の日本海軍の駆逐艦のお話です。

 

今回はその2回目。

前回では、ワシントン・ロンドン体制下での、日本海軍の駆逐艦開発の軌跡を追ってきたわけですが、「朝潮級」の開発段階で軍縮体制に見切りをつけた設計に舵を切りました。

今回はその流れを受けて、条約後、つかり無制限時代の駆逐艦設計を辿ります。

そしてその背景には、主力艦隊同士の会戦形式の艦隊決戦から、航空主導と潜水艦等により浸透戦術に基づいた「総力戦」時代の新たな形式の艦隊決戦に、日本海軍がどのように対応を模索したかが、垣間見えます。

 

参考)下表は太平洋戦争に投入された日本海軍の駆逐艦の一覧です。

列1 竣工年次 同型艦 残存数 基準排水量 速度 主砲口径 装備数 魚雷口径 装備数2 魚雷搭載数
峯風級 1920 12 4 1215 39 12 4 53 TTx3 6
峯風級改装:哨戒艇 (1940) 2 0 1215 20 12 2 - - -
峯風級改装:特務艦 (1944) 1 1 1215 ? ? - - -
神風級(II) 1922 9 2 1270 37.3 12 4 53 TTx3 10
睦月級 1926 12 0 1315 37.3 12 4 61 TTTx2 12
吹雪級I型 1928 10 0 1680 37 12.7 6 61 TTTx3 18
吹雪級II型 1930 10 1 1680 38 12.7 6 61 TTTx3 18
吹雪級III型 1932 4 1 1680 38 12.7 6 61 TTTx3 18
初春級(竣工時) 1933 6 - 1400 36.5 12.7 5 61 TTTx3 18
初春級(復原性改修後) (1935) 6 1 1700 33.3 12.7 5 61 TTTx2 12
白露級 1936 10 0 1685 34 12.7 5 61 TTTTx2 16
朝潮 1937 10 0 2000 35 12.7 6 61 TTTTx2 16
陽炎級 1939 19 1 2000 35 12.7 6 61 TTTTx2 16
夕雲級 1941 19 0 2077 35 12.7 6 61 TTTTx2 16
秋月級 1942 13 7 2710 33.58 10 8 61 TTTTx1 8
島風 1943 1 0 2567 40 12.7 6 61 TTTTTx3 15
松級 1944 32 23 1260 27.81 12.7 3 61 TTTTx1 4

 

艦隊決戦駆逐艦の頂点 (甲型陽炎級」「夕雲級」)

甲型駆逐艦は、従来の主力艦艦隊決戦の尖兵としての水雷戦隊の基幹を構成する戦力としての艦隊駆逐艦の完成形と言えるでしょう。

前級「朝潮級」はワシントン・ロンドン体制の終結を見込んで設計された為、それまでの制約を逃れた設計となり、かなりバランスの取れた艦級として仕上がりました。しかし建造途中の第四艦隊事件に始まる一連の強度見直し等の追加要件により、速力・航続距離に課題を残した形となりました。

それらの点を踏まえて、「陽炎級」が設計されます。

 

陽炎級駆逐艦(19隻)

ja.wikipedia.or

f:id:fw688i:20200830111558j:image

(直上の写真:「陽炎級」の概観。94mm in 1:1250 by Neptune)

 

陽炎級駆逐艦は、前級「朝潮級」の船体強度改修後をタイプシップとして、設計されました。兵装は「朝潮級」の継承し、2000トン級の船体に、4連装魚雷発射管2基を搭載し8射線を確保、次発装填装置を備え魚雷16本を搭載、主砲には「50口径3年式12.7cm砲」を仰角55度の平射型C型連装砲塔3基6門搭載とされました。

朝潮級」の課題とされた速度と航続距離に関しては、機関や缶の改良により改善はされましたが、特に速力については、以前課題を残したままとなり、推進器形状の改良を待たねばなりませんでした。

f:id:fw688i:20200830111035j:image

(直上の写真:「陽炎級」では、次発装填装置の配置が変更されました。左列が「朝潮級」、右列が「陽炎級」。「陽炎級」の場合、1番魚雷発射管の前部の次発装填装置に搭載された予備魚雷を、装填する際には発射管をくるりと180°回転させて発射管後部から。魚雷の搭載位置を分散することで、被弾時の誘爆リスクを低減する狙いがありました)

 

太平洋戦争開戦時には、最新鋭の駆逐艦として常に第一線に投入されますが、想定されていた主力艦艦隊の艦隊決戦の機会はなく、その主要な任務は艦隊護衛、船団護衛や輸送任務であり、その目的のためには対空戦闘能力、対潜戦闘能力ともに十分とは言えず、常に悪先駆との末、同型艦19隻中、「雪風」を除く18隻が戦没しました。

 

「夕雲級」駆逐艦(19隻)

ja.wikipedia.or

f:id:fw688i:20200830111012j:image

(直上の写真:「夕雲級」の概観。95mm in 1:1250 by Neptune)

 

 「夕雲級」駆逐艦は、「陽炎級」の改良型と言えます。就役は1番艦「夕雲」(1941年12月5日就役)を除いて全て太平洋戦争開戦後で、最終艦「清霜」(1944年5月15日就役)まで、19隻が建造されました。

その特徴としては、前級の速力不足を補うために、船体が延長され、やや艦型は大きくなりますが、所定の35ノットを発揮することができました。兵装は「陽炎級」の搭載兵器を基本的には踏襲しますが、対空戦闘能力の必要性から、主砲は再び仰角75度まで対応可能なD型連装砲塔3基となりました。しかし、装填機構は改修されず、依然、射撃速度は毎分4発程度と、実用性を欠いたままの状態でした。

f:id:fw688i:20200830111531j:image

(直上の写真:「陽炎級」(上段)と「夕雲級」(下段)の艦橋の構造比較。やや大型化し、基部が台形形状をしています)

 

陽炎級」と同様、就役順に第一線に常に投入されますが、その主要な任務は艦隊護衛、船団護衛や輸送任務であり、その目的のためには対空戦闘能力、対潜戦闘能力ともに十分とは言えず、全て戦没しました。

 

新しい時代の駆逐艦乙型:「秋月級」、丙型:「島風(級)」、丁型「松級」)

艦隊駆逐艦のある種の頂点として「陽炎級」「夕雲級」配置づけられるわけですが、その主眼は艦隊決戦における水雷戦闘に置かれているため、対空戦闘、対潜戦闘等には十分な能力があるわけではなく、日本海軍の駆逐艦設計は、専任業務に特化した特徴を持つ艦級の開発、という新たな展開へと入ってゆくことになります。

それがこの「乙型:艦隊防空」「丙型水雷戦闘」「丁型:船団護衛(対空・対潜汎用)」の各形式の各形式です。

 

最初で最後の防空駆逐艦

「秋月級」駆逐艦(12隻)

ja.wikipedia.or

 

第一次世界大戦以降、本格的な兵器として航空機は急速に発展してゆきます。これに対する対抗手段として、強力な対空砲を多数装備し艦隊防空を主要任務として想定し設計された艦級を各国海軍が開発、あるいは旧式巡洋艦を改装するなどして対応を試みます。日本海軍も当初は「天龍級軽巡洋艦、「5500トン級」軽巡洋艦を改装するなどの構想を持ちますが、これらの艦艇に関しては、いまだに艦隊決戦での水雷戦闘能力の補完艦艇としての位置付けを捨てきれず、結局専任艦種の建造計画に落ち着くことになるわけです。そのような経緯から当初設計案では魚雷の搭載を予定せず、艦種名も「直衛艦」とされ、巡洋艦クラスの大型艦となる設計案もありました。

f:id:fw688i:20200830112525j:image

(直上の写真:「秋月級」の概観。108mm in 1:1250 by Neptune:艦首が戦時急造のため直線化しているのが、わかるかなあ?)

 

紆余曲折の結果、駆逐艦としての機能も併せ持つ「秋月級」駆逐艦が誕生する事となりました。空母機動部隊等への帯同を想定するために航続距離が必要とされ、艦型は2700トン級の大型艦となり、この船体に、主砲として65口径長10センチ高角砲を連装砲塔で4基搭載し、61cm4連装魚雷発射管1基と予備魚雷4本を自動装填装置付きで装備しました。速力は高速での肉薄雷撃を想定しないため、やや抑えた33ノットとされました。

f:id:fw688i:20200830112814j:image

(直上の写真:「秋月級」の最大の特徴である65口径長10センチ高角砲の配置と艦橋上部の高射装置)

 

65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)の話

65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)は、日本海軍の最優秀対空砲と言われた高角砲で、18700mの最大射程、13300mの最大射高を持ち、毎分19発の射撃速度を持っていました。これは、戦艦、巡洋艦、空母などの主要な対空兵装であった12.7cm高角砲(八九式十二糎七粍高角砲に比べて射程でも射撃速度でも1.3倍(射撃速度では2倍という数値もあるようです)という高性能で、特に重量が大きく高速機への対応で機動性の不足が顕著になりつつあった12.7cm高角砲の後継として、大きな期待が寄せられていました。

ja.wikipedia.org

上記、射撃速度を毎分19発と記述していますが、実は何故か揚弾筒には15発しか搭載できず、従って、15発の連続射撃しかできなかった、ということです。米海軍が、既に1930年台に建造した駆逐艦から、射撃装置まで含めた対空・対艦両用砲を採用していることに比べると、日本海軍の「一点豪華主義」というか「単独スペック主義」というか、運用面が置き去りにされる傾向の一例かと考えています。

f:id:fw688i:20200830112614j:image

(直上の写真:「秋月級」では、高角機関砲の搭載数が次第に強化されていきます)

 

同級は全艦が太平洋戦争開戦後に就役し、戦時下での建造も継続されたため、次第に戦時急増艦として仕様の簡素化、工程の簡易化が進められました。結果、12隻が就役し終戦時には6隻が残存していました。

 

艦隊決戦の尖兵として、 重雷装艦

島風級」駆逐艦(1隻)

ja.wikipedia.org

f:id:fw688i:20200830113120j:image

(直上の写真:「島風」の概観。101mm in 1:1250 by Neptune)

 

島風(級)」駆逐艦水雷戦闘に特化した艦級といえ、ある意味、新駆逐艦の設計体系で、来るべき総力戦・航空主導下での戦闘の変化等を認識しながらも、未だに「主力艦艦隊決戦時での肉薄水雷攻撃」の構想を捨てきれなかった日本海軍の「あだ花」的な存在と言えるのではないでしょうか?しかしその建造中には、太平洋戦争が始まり、そこでの海戦のあり方の変化は明らかで、流石に同艦級の活躍の場を想定することは難しく、当初の計画では16隻が整備さえる予定でしたが、建造は「島風」1隻のみにとどまりました。

2500トンの駆逐艦としては大きな船型を持つ「島風」の特徴は、そのずば抜けた高速性能にあります。計画で39ノット、実際には40ノット超の速力を発揮したと言われています。(「夕雲級」が35.5ノット)更に15射線という重雷装を搭載しており(5連装魚雷発射管3基)、一方で予備魚雷は搭載せず、まさに艦隊決戦での「肉薄一撃」に特化した艦であったと言えると思います。

f:id:fw688i:20200830113140j:image

(直上の写真:「島風」の特徴である高速性を象徴するクリッパー型艦首:上段。5連装魚雷発射管3基。次発装填装置は装備していません:下段)

 

1943年に就役した時点で、既に戦局はガダルカナルの攻防戦を終えており、「島風」はキスカ島撤退作戦に参加したのち、主として護衛任務につく事になります。レイテ沖海戦には第一遊撃部隊(栗田艦隊)の1隻として参加し、サマール島沖の米護衛空母部隊への追撃戦には、裁可するものの、結局待望の魚雷発射の機会はありませんでした。

海戦後は、第二水雷戦隊旗艦として、レイテ島への増援輸送作戦に従事し、第三次輸送部隊の一員としてオルモック湾に輸送船とともに突入しますが、米軍機の集中攻撃を受け、輸送部隊は駆逐艦朝潮」を除いて護衛艦船、輸送船ともに全滅し、「島風」も失われました。

 

 戦時急造を目指す汎用中型駆逐艦

「松級」駆逐艦(32隻)

ja.wikipedia.org

f:id:fw688i:20200830113515j:image

(直上の写真:「松級」の概観。79mm in 1:1250 by Neptune)

 

 「松級」駆逐艦は、日本海軍が1943年から建造した戦時急増量産型駆逐艦です。32隻が建造されていますが、戦時急造の要求に従い急速に建造工程の簡素化、簡易化が進められ、多くのサブグループがあります。

同級の建造の背景として、太平洋戦争開戦後、日本海軍の保有する艦隊駆逐艦は常に第一線に投入されますが、その戦況の悪化に伴い、多くが失われてゆきます。特に、護衛任務・輸送任務等における対空戦闘、対潜戦闘に対する能力不足は顕著で、それらの補完が急務となります。

しかし従来型の駆逐艦級はいずれも建造に手間がかかるため。新たな設計構想と兵装を持った駆逐艦が求められるようになります。

こうして生まれたのが「松級」駆逐艦で、1200トン級の比較的小ぶりな船体に、主砲として40口径12.7cm高角砲(89式)を単装砲と連装砲各1基として対空戦闘能力を高め、併せて対潜戦闘も強化した兵装としました。

f:id:fw688i:20200830122458j:image

(直上の写真:「松級」の主砲:八九式40口径12.7cm高角砲。艦首部には単装、艦尾部に連装砲が、それぞれ砲架形式で搭載されました(前部は防楯付き)。更に下段の写真では、強化された対潜兵装も。投射基2基と投射軌条2条。爆雷の搭載数は最終的には60個まで増強されました)

 

一方で雷装は軽めとして4連装魚雷発射管1基を搭載し予備魚雷は搭載していません。搭載艇にも配慮が払われ、「小発」(上陸用舟艇)も2隻搭載可能とされ、輸送任務への対応力も高められました。

f:id:fw688i:20200830113550j:image

(直上の写真:「松級」の搭載艇について。旧モデル(下段)では後方の搭載艇が「小発」に見えなくもないのですが、上段の新モデルでは・・・)

 

トピック:爆雷の搭載数

「松級」の爆雷搭載数は当初36発であったものを「不足」として60発まで搭載数が増やされています。大戦後期に登場した船団護衛専任艦種の「海防艦」の爆雷搭載数が120発でしたので、それでも十分と言えたかどうか。

それでも駆逐艦の中では「松級」は最も搭載数が多く、艦隊駆逐艦の完成形と言われた「朝潮級」「陽炎級」では36発でした。これが艦隊直衛を専任とする「秋月級」で54発と大幅に強化され、更に「松級」では充実する事になります。

この爆雷を2基の投射機(左右に飛ばす装置)と艦尾の2条の軌条(ゴロゴロと艦尾から水中に落とす装置)から、水中に投下する仕掛けでした。

 

「松級」に話に戻しますと、機関の選択には量産性が重視され、更に生存性を高めるためにシフト配置が初めて選択されました。一方で速力は28ノットと抑えられました。

建造工数の簡素化については1番艦の「松」が9ヶ月でしたが、最終的には5ヶ月まで退縮されています(参考:夕雲級1番艦「夕雲」は起工から就役まで18ヶ月。同級最終艦「清霜」は起工から就役まで10ヶ月)。また同艦級は、艦隊決戦的な視点に立てば確かに速力など見劣りのする性能と言えるでしょうが、その適応任務は輸送、護衛、支援と、場面を選ばず、ある種「万能」と言えなくもないと考えています。

32隻が建造され、18隻が終戦時に稼働状態で残存しています。

 

という事で、2回に分けて大戦期の日本海軍の駆逐艦について見てきたわけですが、なんと言っても対空戦闘も対潜戦闘も不得意な艦隊駆逐艦を、輸送任務や護衛任務に投入し続けるしか他に方策を持たなかった、という海軍の現状を改めて振り返ることができた、と思っています。

大戦後期に「秋月級」や「松級」が投入され、あるいは護衛戦専任の海防艦が稼働するわけですが、それまで、満足な対空砲すら持たずに、あるいは十分な数の爆雷すら搭載せずに船団や艦隊の周辺に対空対潜警戒陣をめぐらし戦わねばならなかった駆逐艦乗りたちの苦労を思い、その喪失艦の多さを重ね合わせると、なんという戦いだったのだろう、と思わざるを得ません。

 

というわけで今回はここまで。

 

次回は、続けて米海軍の駆逐艦の総覧をやってしまおうか、それとも新たに到着したモデルの紹介、あるいはちょこっとディテイルアップ、でも・・・。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。

併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

ブログランキングに参加しました。クリック していただけると励みになります。


艦船ランキング

 

 

 

 

 

日本海軍:大戦期の駆逐艦(その1)

 

今回は大戦期の日本海軍の駆逐艦のお話です。

 

本稿ではこれまで「艦隊駆逐艦 第1期の決定版」として「峯風級」とその系列の最終形である「睦月級」をご紹介しました。その再録も含め、終戦までの全艦級のご紹介です。

下表は太平洋戦争に投入された日本海軍の駆逐艦の一覧です。

列1 竣工年次 同型艦 残存数 基準排水量 速度 主砲口径 装備数 魚雷口径 装備数2 魚雷搭載数
峯風級 1920 12 4 1215 39 12 4 53 TTx3 6
峯風級改装:哨戒艇 (1940) 2 0 1215 20 12 2 - - -
峯風級改装:特務艦 (1944) 1 1 1215 ? ? - - -
神風級(II) 1922 9 2 1270 37.3 12 4 53 TTx3 10
睦月級 1926 12 0 1315 37.3 12 4 61 TTTx2 12
吹雪級I型 1928 10 0 1680 37 12.7 6 61 TTTx3 18
吹雪級II型 1930 10 1 1680 38 12.7 6 61 TTTx3 18
吹雪級III型 1932 4 1 1680 38 12.7 6 61 TTTx3 18
初春級(竣工時) 1933 6 - 1400 36.5 12.7 5 61 TTTx3 18
初春級(復原性改修後) (1935) 6 1 1700 33.3 12.7 5 61 TTTx2 12
白露級 1936 10 0 1685 34 12.7 5 61 TTTTx2 16
朝潮 1937 10 0 2000 35 12.7 6 61 TTTTx2 16
陽炎級 1939 19 1 2000 35 12.7 6 61 TTTTx2 16
夕雲級 1941 19 0 2077 35 12.7 6 61 TTTTx2 16
秋月級 1942 13 7 2710 33.58 10 8 61 TTTTx1 8
島風 1943 1 0 2567 40 12.7 6 61 TTTTTx3 15
松級 1944 32 23 1260 27.81 12.7 3 61 TTTTx1 4

今回は、その1回目。

 

艦隊駆逐艦 第一期決定版の登場(峯風級・神風級・ 睦月級)

 

f:id:fw688i:20200621110755j:image

(直上の写真:右から、「峯風級」「野風級:後期峯風級」「神風級」「睦月級」)

 

日本艦隊駆逐艦のオリジナル

「峯風級」駆逐艦「野風級:後期峯風級」駆逐艦(15隻)

ja.wikipedia.org

「峯風級」は、それまで主として英海軍の駆逐艦をモデルに設計の模索を続けてきた日本海軍が試行錯誤の末に到達した日本オリジナルのデザインを持った駆逐艦と言っていいでしょう。12cm主砲を単装砲架で4基搭載し、連装魚雷発射管を3基6射線搭載する、という兵装の基本形を作り上げました。1215トン。39ノット。同型艦15隻:下記の「野風級:後期峯風級3隻を含む)

f:id:fw688i:20200621110548j:image

(直上の写真:「峯風級」駆逐艦の概観 82mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces) 

 

「野風級:後期峯風級」は「峯風級」の諸元をそのままに、魚雷発射管と主砲の配置を改め、主砲や魚雷発射管の統一指揮・給弾の効率を改善したもので、3隻が建造されました。

f:id:fw688i:20200621110605j:image

(直上の写真:「野風級:後期峯風級」駆逐艦の概観 82mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces)

 

f:id:fw688i:20200621110619j:image

(直上の写真は、「峯風級」(上段)と「野風級:後期峯風級」(下段)の主砲配置の比較。主砲の給弾、主砲・魚雷発射の統一指揮の視点から、「野風級」の配置が以後の日本海駆逐艦の基本配置となりました)  

 

同艦級は太平洋戦争には既に旧式艦でしたが、12隻が駆逐艦として船団護衛等の任務につき、2隻が陸戦隊支援を主任務とする哨戒艇として、そして1隻は特務艦(標的艦)として臨みました。駆逐艦は12隻中8隻が、哨戒艇は2隻が失われました。

 

「神風級」駆逐艦(9隻) 

ja.wikipedia.org

「神風級」は、上記の「野風級:後期峯風級」の武装レイアウトを継承し、これに若干の復原性・安定性の改善をめざし、艦幅を若干拡大(7インチ)した「峯風級」の改良版です。9隻が建造されました。1270トン。37.25ノット。

f:id:fw688i:20200621110642j:image

(直上の写真:「神風級」駆逐艦の概観 82mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces)

 

f:id:fw688i:20200621110649j:image

(直上の写真:「峯風級」(上段)と「神風級」の艦橋形状の(ちょっと無理やり)比較。「神風級」では、それまで必要に応じて周囲にキャンバスをはる開放形式だった露天艦橋を、周囲に鋼板を固定したブルワーク形式に改めました。天蓋は「睦月級」まで、必要に応じてキャンバスを展張する形式を踏襲しました)

 

「神風級」は太平洋戦争時は既に旧式艦ではありましたが、主として船団護衛等の任務に9隻が参加し、7隻が失われました。

 

第一次艦隊駆逐艦の決定版

「睦月級」駆逐艦(12隻)

ja.wikipedia.org

 「睦月級」駆逐艦は「峯風級」から始まった日本海軍独自のデザインによる一連の艦隊駆逐艦の集大成と言えるでしょう。

f:id:fw688i:20200621110724j:image

(直上の写真:「睦月級」駆逐艦の概観 83mm in 1:1250 by Neptune) 

艦首形状を凌波性に優れるダブル・カーブドバウに改め、砲兵装の配置は「後期峯風級」「神風級」を踏襲し、魚雷発射管を初めて61cmとして、これを3連装2基搭載しています。太平洋戦争では、本級は既に旧式化していましたが、強力な雷装と優れた航洋性から、広く太平洋の前線に投入され、全ての艦が、1944年までに失われました。1315トン。37..25ノット。同型艦12隻。

f:id:fw688i:20200621110735j:image

(直上の写真:「睦月級」(下段)と「神風級」(上段)の艦首形状の比較。「睦月級」では、凌波性の高いダブル・カーブドバウに艦首形状が改められました)

 

駆逐艦設計は新次元に:「特型駆逐艦」群の登場(吹雪級I型・II型・Ⅲ型・初春型・白露型・朝潮型)

 

ワシントン海軍軍縮条約の申し子

「吹雪級」駆逐艦(24隻)

 

ja.wikipedia.org

 ワシントン軍縮条約の締結により、日本海軍は進行中の八八艦隊計画を断念、さらに主力艦は保有制限が課せられ、制限外の巡洋艦以下の補助艦艇についても仮想敵国である米国との国力差から、保有数よりも個艦性能で凌駕することをより強く意識するようになります。

こうして海軍が提示した前級「睦月級」を上回る高性能駆逐艦の要求にこたえたものが「吹雪級」駆逐艦です。1700トンの船体に、61cm3連装魚雷発射管を3基(9射線:「睦月級」は6射線)、主砲口径をそれまでの12cmから12.7cmにあげて連装砲等3基6門(「睦月級」は12cm砲4門)、速力37ノット(「睦月級」と同等)と、それまでの駆逐艦とは一線を画する高性能艦となりました。

搭載主砲塔、機関形式の違い等から、Ⅰ型、Ⅱ型、Ⅲ型の3形式があり、それぞれ10隻、10隻、4隻、合計24隻が建造されました。

f:id:fw688i:20200823093939j:image

(直上の写真:「吹雪級」の各形式。右からI型、II型、Ⅲ型の順。下段写真は各形式の主砲塔と缶室吸気口・煙突形状の比較。右からI型、II型、Ⅲ型の順:詳細は各形式で説明します)

 

Ⅰ型(10隻):特徴はA型と呼称される連装主砲塔を採用しています。この主砲塔は、仰角40度までの所謂平射砲塔でした。あわせて、缶室吸気口としてキセル型の吸気口を装備していました。ある程度高さを与え、海水の侵入を防ぐ工夫がされていましたが、十分ではなかったようです。このため10番艦「浦波」では、より海水の浸入防止に配慮された「お椀型」の吸気口が採用されており、このため10番艦は「改Ⅰ型」あるいは「ⅡA型」と呼ばれることもあります。

f:id:fw688i:20200823092750j:image

(直上の写真:「吹雪級I型」の概観。94mm in 1:1250 by DAMEYA on Shapeways)

f:id:fw688i:20200823092758j:image

(直上の写真:「吹雪級I型」の特徴。A型連装砲塔:平射用(上段)とキセル型缶室吸気口)

 

戦前に演習中の衝突事故で失われた1隻をのぞく9隻が太平洋戦争にのぞみ、全て戦没しています。

 

Ⅱ型(10隻):概観上の特徴は、連装主砲塔を仰角75度まで上げた対空射撃も可能としたB型としたことと、缶室吸気口を前出の「改Ⅰ型」で採用された、海水浸水のより少ない「お椀型」としたことです。

f:id:fw688i:20200823093231j:image

(直上の写真:「吹雪級II型」の概観。94mm in 1:1250 by Trident)

f:id:fw688i:20200823093241j:plain

(直上の写真:「吹雪級II型」の特徴。B型連装砲塔:仰角75度まで射撃可能=対空射撃が可能になりました(上段)と、浸水対策を考慮したお椀型缶室吸気口)

10隻全てが太平洋戦争に参加し、「潮」のみが残存しました。

 

Ⅲ型(4隻):概観上の特徴は、新方式の採用により缶の数を減らしたことから生じた煙突形状にあります。「吹雪級」は重量が計画を200トン近く超過し1900トンを超える艦になっており、うち機関関連での重量超過が100トンあまりを占めていました。このため空気予熱器により効率を高めた缶(ボイラー)を採用することで缶の数を減らし重量の軽減が図られました。

缶の位置関係から、一番煙突が二番煙突に比して細い、という顕著な特徴となりました。

f:id:fw688i:20200823093512j:image

(直上の写真:「吹雪級Ⅲ型」の概観。94mm in 1:1250 by Trident)

f:id:fw688i:20200823093520j:image

(直上の写真:「吹雪級Ⅲ型」の特徴。B型連装砲塔:仰角75度まで射撃可能=対空射撃が可能になりました(上段)と、浸水対策を考慮したお椀型缶室吸気口と缶室の減少により細くなった1番煙突)

 4隻が太平洋戦争に参加し「響」のみ生き残りました。

 

トピック: 駆逐艦の主砲の話

これまで本稿では数回触れてきているのですが、「吹雪級」以降の駆逐艦で「秋月級」と「松級」以外の艦級では、主砲として「50口径3年式12.7cm砲」が採用されています。

ja.wikipedia.org

この砲は基本対艦戦闘を想定した平射砲で、50口径の長砲身から910m/秒の高い初速、18000m超の最大射程、毎分10発の射撃速度を持つ優秀砲で、艦隊戦では有効な兵器と考えられました。当初「吹雪級」に搭載されたA型連装砲塔は、平射砲としての実力を発揮すべく、その仰角は40度とされていました。

その後に対空射撃の要請に対する対応として開発された、前述のB型連装砲塔では仰角を75度まで上げるなどの改良が行われましたが、装填機構が対応できず、つまり装填時には平射位置まで仰角を戻さねばならず、対空射撃時の射撃速度は毎分4発程度で、低空からの侵入機に対する以外は対空砲としては全く効果を有しませんでした。

(直下の写真:日本海軍の駆逐艦が搭載したA型砲塔(上段)とB型砲塔(下段)の資料:軍艦メカニズム図鑑「日本の駆逐艦」より引用しています)

f:id:fw688i:20200711195027j:image

このように対空兵器としての実用性の乏しさから、次のC型連装砲塔では仰角が55度に戻され、つまり再び対艦射撃に重点が置かれた本来の平射砲へと戻されます。このC型連装砲塔は「白露級」「朝潮級」「陽炎級」に搭載され、太平洋戦争開戦時の艦隊駆逐艦の基準主砲となりました。しかし開戦後、海軍戦力での航空主兵の傾向が顕著になると、再び仰角を75度に上げたD型連装砲塔が「夕雲級」には搭載されますが、やはり装填機構には手をつけないまま、という迷走を続けることとなりました。

f:id:fw688i:20200823100541j:image

(直上の写真:「50口径3年式12.7cm砲」の連装砲塔の各形式(全て、Neptuneモデル)。(上段)「A型」:仰角40度の平射砲用。(中段)「B型」:仰角75度での高角射撃を可能にしました。しかし装填機構が平射用のままの為、射撃速度は毎分4発程度で、高角砲としての実用性は低いものでした。(下段)「C型」:仰角を再度55度とした平射用です) 

 

同時期の米海軍の駆逐艦は既に全てが5インチ両用砲を搭載し、揚弾機構なしの場合でも毎分12−15発の射撃速度を有しており、これに加えて両用砲用の方位盤などとの組み合わせで、既にシステム化を進めていたのに対し、日本海軍の駆逐艦は上記のような事情で実用的な対空砲を持てず、艦隊防空の任を担わねばならず、多くの駆逐艦が戦争後期には主砲塔を対空機銃座に置き換えて戦いに臨む事となります。

f:id:fw688i:20200823101708j:image

(直上の写真:「吹雪級II型」では高角射撃可能なB型砲塔を装備していましたが、射撃速度の遅さから高角砲としての実用性が乏しく、二番砲を対空機銃座に換装するなどの方法で、対空戦闘能力を補完せねばなりませんでした。大戦中の駆逐艦の多く艦級で同様の措置が取られました)

 

 中型(1400トン級)駆逐艦の建造:ロンドン条約の申し子?

「初春級」駆逐艦(6隻)

ワシントン条約に続く ロンドン条約では、それまで制限のなかった補助艦艇にも制限が加えられ、駆逐艦にも保有制限枠が設けられました。特に駆逐艦には1500トンを超える艦は総保有量(合計排水量)の16%以内という項目が加えられました。このため1700トン級(公称)の「吹雪級」駆逐艦をこれ以上建造できなくなり(日本としては財政的な視点から、「吹雪級」の増産を継続するよりも、もう少し安価な艦で数を満たす切実な事情もあったのですが)、次の「初春級」では、1400トン級の船体と「吹雪級」と同等の性能の両立という課題に挑戦することになりました。

ja.wikipedia.org

結果として、竣工時の「初春級」駆逐艦は、主砲として、艦首部に「吹雪級」と同じ「50口径3年式12.7cm砲」B型連装砲塔とB型連装砲塔と同じく仰角を75度に改めたA型改1単装砲塔を背負い式に装備し、艦尾にB型連装砲塔を配置しました。さらに「吹雪級」と同じ61cm3連装魚雷発射管を3基(9射線)を装備し、予備魚雷も「吹雪級」と同数を搭載。加えて次発装填装置をも初めて装備し、魚雷発射後の再雷撃までの時間短縮を可能としました。機関には「吹雪級Ⅲ型」と同じ空気予熱器付きの缶3基を搭載し、36.5ノットの速力を発揮することができました。

1400トン級のコンパクトな船体に「吹雪級」とほど同等な重武装と機関を搭載し、かつ搭載する強力な主砲と雷装を総覧する艦橋は大型化したことにより、無理を重ねた設計でした。そしてそれは顕著なトップヘビーの傾向として顕在化することになります。

f:id:fw688i:20200913114732j:image

(直上の写真は「初春級」竣工時の概観:88mm in 1:1250 by Neptuneをベースにセミ・スクラッチ

f:id:fw688i:20200913114738j:image

(直上の写真は、「初春級」竣工時の特徴のアップ。左上:艦橋部。艦橋部の下層構造を延長し、艦橋の位置をやや後方へ。艦橋部下層構造の前端に2番主砲塔(単装)を、1番主砲塔(連装)と背負い式になるように配置。右上:2番魚雷発射管。下段左と中央:後橋部分と2番・3番発射管の配置状況。3番発射管自体は、船体中心線に対し、やや右にオフセットした位置に追加。細かいこだわりですが、一応、3番発射管用の次発装填装置を後橋部の構造建屋の上に設置。2番発射管用の次発装填装置は後橋部建屋の左側の斜め張り出し部に内蔵されています)

既に公試時の10度程度の進路変更時ですら危険な大傾斜傾向が現れ、バルジの追加等で何とか就役しますが、この設計原案での建造は「初春」と「子の日」の2隻のみのとどめられました。さらにその後の発生した友鶴事件により、設計は復原性改善を目指して全面体に見直されました。

f:id:fw688i:20200822010727p:plain

初春:竣工時の艦型概観(「初春」「子の日」のみ)

f:id:fw688i:20200822010836j:plain

このげ初春:復原性改修後の艦型概観

(上のシルエットは次のサイトからお借りしています

http://www.jam.bx.sakura.ne.jp/dd/dd_class_hatsuharu.html

残念ながら、竣工時の「初春級」については 1:1250スケールのモデルがありません。スクラッチにトライするには、やや手持ちの「初春級」のモデルが足りていません。 いずれはトライする予定ですが、今回はご勘弁を<<<セミ・スクラッチによる竣工時モデルを上記に追加投稿しました)

 

その性能改善工事は、61cm3連装魚雷発射管の3基から2基への削減(併せて搭載魚雷数も3分の2に削減)、主砲塔の配置を艦首に連装砲塔1基、艦尾部に単装砲塔と連装砲塔を各1基の配置と搭載方法を変更し、武装重量の削減とバランスの改善を目指します。さらに艦橋・煙突の高さを下げ、艦底にバラストを追加搭載するなど重心の低下をおこなった結果、艦容を一変するほどのものになりました。その結果、復原性の改善には成功しましたが、船体重量は1800トン近くに増加し速度が36.5ノットから33.3ノットに低下してしまいました。

f:id:fw688i:20200823095038j:image

(直上の写真:復原性改善修復後の「初春級」の概観。88mm in 1:1250 by Neptune)

f:id:fw688i:20200823095050j:image

(直上の写真:「初春級」の特徴である次発想定装置付きの3連装魚雷発射管(上段)と、艦尾部に背中合わせに配置された単装主砲砲塔と連装砲塔:仰角75度の高角射撃も可能とした砲塔でした。この砲塔は装填機構の問題から装填次に平射1に戻さねばならず、射撃速度が低く対空砲としては実用性に乏しいものでした)

 

復原性修復後のモデルとの比較は以下に。二枚とも、上が「竣工時(今回セミ・スクラッチ製作したモデル)」、下が「復原性修復後」のモデル(Neptune社の現行の市販モデル)。

f:id:fw688i:20200913115631j:image

f:id:fw688i:20200913114735j:image

「竣工時」の過大な兵装とそれに因る腰高感が表現できているかどうか・・・。できているんじゃないかな(とちょっと自画自賛)。 

 

当初は12隻が建造される予定でしたが、上記のような不具合から6隻で建造が打ち切られ、「初霜」を除く5隻が太平洋戦争で失われました。

 

 「初春級」改良型中型駆逐艦

「白露級」駆逐艦(10隻)

ja.wikipedia.or

f:id:fw688i:20200823095323j:image

(直上の写真:「白露級」の概観。88mm in 1:1250 by Neptune)

 

「白露級」は前級「初春級」の復原性改善後の設計をベースに建造された準同型艦です。

改修後の「初春級」では前述のように雷装を設計時の3分の2、6射線に縮小せねばなりませんでした。 また、改修後の重量も1800トン弱と、結局、中型駆逐艦の枠を大きくはみ出す結果となってしまいました。(公称上は「初春級」も「白露級」も1400トンとし、ロンドン条約下での1500トン以下の保有枠内である、とされましたが)

重量が増加するならば、ということで、「白露級」は少し船型を拡大し、4連装魚雷発射管2基を搭載し、射線数を「吹雪級」に近づけたものとすることになりました。次発装填装置を搭載し、魚雷搭載数を当初16本として、雷撃能力を向上させています(当初と記載したのは、実際には搭載魚雷数は14本あるいは12本だったようです)。その他の兵装、艦容はほぼ「初春級」に準じるものとなりました。

主砲は「初春級」と同じ「50口径3年式12.7cm砲」でしたが、この砲をC型連装砲塔、B型単装砲塔に搭載しましたが、これらはいずれも仰角を55度に抑えた平射用の主砲塔でした。

速力は改修後の「初春級」とほぼ同等の34ノットでした。

f:id:fw688i:20200823095334j:image

(直上の写真:「白露級」の特徴である次発想定装置付きの4連装魚雷発射管(上段)と、艦尾部に背中合わせに配置された単装主砲砲塔と連装砲塔:いずれも仰角55度の平射用砲塔でした)

太平洋戦争には10隻が参加し、全て戦没しました。

 

再び正統派艦隊駆逐艦へ(もうロンドン条約、続けないし・・・)

朝潮級」駆逐艦(10隻)

ja.wikipedia.org

ロンドン条約保有制約から大型駆逐艦保有制限を受けた日本海軍は、「初春級」「白露級」と中型駆逐艦を就役させた日本海軍でしたが、先述の通り、小さな船体に重武装・高性能の意欲的な設計を行ったが故に、無理の多い仕上がりとなり、結果的に期待を満たす性能は得られない結果となりました。

このため、次級の「朝潮級」では「吹雪級」並みの大型駆逐艦の設計を戻されることになりました。設計時期にはまだロンドン条約の制約は生きていましたが、ロンドン条約からの脱退を見込んでいたため、もはや艦型への制限を意識する必要がなくなる、という前提での設計方針の変更でもありました。

f:id:fw688i:20200823095900j:image

(直上の写真:「朝潮級」の概観。94mm in 1:1250 by Neptune)

 

こうして「朝潮級」は2000トン級の船体に、「白露級」で採用された4連装魚雷発射管2基を搭載し8射線を確保、次発装填装置を備え魚雷16本を搭載、主砲には「50口径3年式12.7cm砲」を仰角55度の平射型C型連装砲塔3基6門搭載したバランスの取れた艦となりました。機関には空気予熱器つきの缶(ボイラー)3基を搭載、35ノットの速力を発揮する設計でした。こうして日本海軍は、ほぼ艦隊駆逐艦の完成形とも言える艦級を手に入れたわけですが、一点、航続距離の点で要求に到達できず、建造は10隻のみとなり、次の「陽炎級」に建造は移行することになりました。

f:id:fw688i:20200823095912j:image

(直上の写真:「朝潮級」の特徴である次発想定装置付きの4連装魚雷発射管(上段)と、艦尾部に配置された「白露級」と同じC型連装砲塔:仰角55度の平射用砲塔でした)

 

太平洋戦争には10隻が参加し、全て戦没しました。

 

トピック:「特型駆逐艦」の呼称

少し余談になりますが、「特型駆逐艦」の呼称はそれまでの駆逐艦の概念を超えた「吹雪級」駆逐艦の別称とされることが一般的かと思いますが、軍縮条約制約下の高い個艦性能への要求(制限を受けた艦型と高い重武装要求のせめぎ合い、と言っていいと思います)を満たすべく設計・建造された「吹雪級」「初春級」「白露級」「朝潮級」を一纏めに使われる場合もあるようです。

f:id:fw688i:20200823101933j:image

(直上の写真:「特型駆逐艦」群の艦型比較。上から「吹雪級」、「初春級」復原性改善後、「白露級」「朝潮級」の順)

これに対し、それ以前の駆逐艦群(「峯風級」「神風級」「睦月級」)には、「並型駆逐艦」という表現が使われることもありました。(まるで「特盛り」「並盛り」ですね)

本稿では、これに従って、一纏めの流れとして纏めてみました。

 

ということで、今回はこの辺りでおしまい。

次回は今回の続編を予定しています。

条約制約のなくなった時期から太平洋戦争中の建造されたそれまでの「艦隊決戦」思想の継承に加え、「艦隊決戦」とはやや異なる設計思想の艦級も現れてきます。それらをご紹介する予定です。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

ブログランキングに参加しました。クリック していただけると励みになります。


艦船ランキング

 

 

 

 

夏休み!工作特集:特設空母「安松丸」的な・・・

今回は、夏休みの工作特集、です。

特設空母「安松丸」 の製作

特設空母「安松丸」と聞いて、ピンと来た方、いろいろな意味で、「かなりなもん」です。

 

特設空母「安松丸」を知っていますか?

特設空母「安松丸」は、元々は日本陸軍が上陸支援母艦とする目的で徴用した7000トン級の高速貨物船「安松丸」で、この船を母体として改装を始めるのですが、飛行甲板を張ったところで、貨物船としては「高速」ながらも、空母としては当時の主力航空機の発着艦に実用性を欠く低速(15ノット)と飛行甲板の短さ(130メートル)、さらに改装に伴う重心の不安定さに改めて課題を感じた陸軍は工事を中断、改装を放棄した状態で長らく埠頭に繋がれていました。

その後、ともかく航空主兵への戦備整備を急ぐ海軍が埠頭に繋がれたままの半完成状態に着目。陸軍から譲渡された後、ともかくも改装工事を完了させ特設空母として完成させました。改装後は、旧式駆逐艦を改装した哨戒艇一隻を随伴し、当時、北アフリカで展開されていたドイツ軍のロンメル・アフリカ軍団のエジプト侵攻作戦を支援するためにインド洋からアフリカ沖に派遣され、通商破壊活動に従事しました。

(直下の写真:特設空母「安松丸」の概観。104mm in 1:1250 by Decapod Models :本艦は哨戒艇を伴い、インド洋方面からアフリカ沖に出撃しました。写真下段:飛行甲板上に小さな飛行指揮所を設置していますが、艦橋は飛行甲板の前端下に設置されています。エレベータを装備していないこの艦では、搭載機の格納甲板への収納は、左舷側2箇所の舷側に突き出した可倒・引き込み式のデリックで行います)

f:id:fw688i:20200811160353j:image

ざっとそんなお話が、「安松丸物語」として宮崎駿さんの「雑想ノート」の第9話に収録されています。

 

「雑想ノート」

言わずと知れた宮崎駿さんの名著ですね。元々は模型雑誌「モデル・グラフィクス」に連載されていたものと記憶します。

f:id:fw688i:20200811144711j:image

(上の写真は「雑想ノート」の表紙と「安松丸物語」の一部。実は「安松丸」の全体像が描かれているのはこのカットのみ。ただ、例えばエレベータの装備されていないこの艦での、搭載機の収納手順などは、細かいメモが書き込まれているので・・・)

全部で12話のエピソードが掲載されており、そのどれもが主流になりきれなかった「兵器」へのなんとも言えない「愛おしさ」に満ちた物語になっています。冒頭に「この本に、資料的価値は一切ありません」と明記されているのですが、それでも心を擽られる物語ばかりだと、筆者は感じています。

ちなみに登場する兵器は、以下の通り。

「ユンカース J-38重爆撃機(の派生型)(第一話:ボストニア王国空軍史より-知られざる巨人の末弟)

装甲砲郭艦「モニター」と「メリック」(第二話:甲鉄の意気地)

ボストニア王国陸軍超重戦車「悪役1号」(第三話:多砲塔の出番)

「ポテーズ540双発爆撃機(第四話:農夫の眼)

清国軍艦「鎮遠」と日本海軍「三景艦」(第五話:竜の甲鉄)

「マーチン139W双発爆撃機(第六話:九州上空の重轟炸機

「高射砲塔」(第七話:高射砲塔)

「Q・シップ」(第八話:Q.ship)

特設空母 安松丸」(第九話:安松丸物語)

ツェッペリン・シュターケンRーIV長距離爆撃機(第十話:ロンドン上空1918年)

「特設監視艇」(第十一話:最貧前線

「ポルシェ・ティーガー :VK4501(P)」(第十二話:豚の虎)

何とも曲者揃い、というか、いやはや。

 

この本には、スピンアウト、というかマルティメディア展開というか、ラジオドラマ仕立てのCD音源が発売されています。敢えてアニメーションではなく「ラジオドラマ仕立て」というところが、なんとも・・・。

f:id:fw688i:20200811144722j:image

(上の写真のコレクション、確か第10巻「農夫の眼・Q .ship」が欠けています)

こちらはなんとも豪華な出演陣(声優陣・俳優陣?)で、その顔ぶれを見ても、さすがスタジオ・ジブリの実力発揮、というか「宮崎駿」の名前なら、少々の無茶はできる、というか、いずれにせよストーリーはもちろんのこと、出演者の顔ぶれでも、どちらでもいいから、機会があれば是非、一度お聞きになることをお薦めします。

ちなみに「特設空母 安松丸物語」の語りは、何と三木のり平さんです。

 

夏休みの工作に、ピッタリ。さあ、作ってみよう!

という訳でもないのですが、以前から特にこの「安松丸物語」のエピソードには強く心惹かれるものがあり、是非一度、立体化をトライしてみたい、と思っていました。

 

Step 1:素材探し

7000トン級の貨物船、ということで、ベースとなる「貨物船」を探します。こういう時は、いつものように困った時のShapewaysですね。船の長さと形態から、第一次大戦型の貨物船Decapod Models製の下記に決定!実は「安松丸」より、さらに全長が10メートルほど短いんですが、まあ、そこは目を瞑りましょう。

www.shapeways.com

早速お取り寄せ。

(直下の写真:EFC=Emargency Fleet Corporation Design 1013の概観。なかなかいいぞ。素材はSFD:Smooth Fine Detail Plasticですので、表面は滑らかですが、硬度が高く、加工(特に切断等)の際には欠損が出ないように、少し気を使う必要はありそうです)

f:id:fw688i:20200506121034j:image

 

Step 2: 船体の加工と追加部分の準備

まあ、ご覧の通りです。

 

EverGreen製のサイディング系(甲板の木材感が出ます)のプラシートで飛行甲板部分を準備。その前端にモデルから切り離した艦橋を移設します。煙突他の上部構造の突起物を切除し、甲板と同じくEverGreenのプラビーム(H型)等で特に島型上部構造物の上部を整えます。前部と後部の格納甲板に相当する場所に前出のEverGreenのサイディング系プラシートを床板として貼り平面に。その際に前部・後部の収納用の張り出しも準備します。(写真:上段と下段左)

飛行甲板の裏面には何本かプラビームで横桁を通しておきます。(写真:下段右)
f:id:fw688i:20200506121031j:image

 

Step 3:ざっと塗装して仮組みへ

実際にはサーフェサーによる下地処理、そして塗装をそれぞれのパーツに施したのち、仮組みしてみます。(下の写真)

おお、何となく「様」になってきたかも。
f:id:fw688i:20200506121039j:image

 

そして完成

飛行甲板裏の横桁に合わせて、縦の支柱を入れていきます(EverGreen プラビーム(H型)を使用しています)さらに右舷側に飛行指揮所と煙突を、手持ちのジャンクパーツから添付。

可倒・引き込み式の航空機収納用デリックを前部・後部の航空機格納口の上面に装着します。デリックは、前部は引き込んだ状態、後部は一応水平に展開した状態にしてみましょう。(この可倒・引き込み式デリック、「雑想ノート」によると、5トンまで吊り上げる能力があり、飛行甲板上の航空機を格納甲板へ移動させる際には、飛行甲板上で甲板方向へ10度ほど倒した状態で収納する航空機を吊り下げ、ゆっくり今度は反対側の海面上へ水平角まで倒し、そのままデリックごと格納庫内へ引き込んで航空機を格納甲板に収容する、という少々面倒臭い使い方をするようです)

アンテナマストを建て、甲板上にデカールを貼って、はい、ほぼ出来上がり、です。

f:id:fw688i:20200506120826j:image

「安松丸」の搭載機は艦上攻撃機6機のみ、ということになっています。格納庫が小さいため甲板上に2機を繋止し、3機が格納庫収納、1機は保用で分解搭載、と記されています。

さらに搭載する攻撃機は、短い飛行甲板から発艦できる複葉の旧式の96式艦上攻撃機、ということになっています。ja.wikipedia.org

96式艦上攻撃機日本海軍が開発した初めての満足のいく性能の攻撃機と言われています。しかしわずか1年後にさらに高性能な全金属単葉の名機97式艦上攻撃機が正式採用されたために、ほとんど活躍の場を与えられなかった、という不幸な生い立ちを持っている機体でした。f:id:fw688i:20200506120910j:plain

(直上の写真:飛行甲板に並べられた96式艦上攻撃機(上段)。96式艦上攻撃機は格納時には翼を折り畳んで収納されました(下段右)。搭載機の格納甲板への収納は、エレベーターを装備していないために、舷側に可倒・引き込み式の懸垂型のデリックを2基装備し、これにより行いました)

 

「雑想ノート」のオリジナル・ストーリーでは 、「安松丸」の小さな機動部隊はアフリカ沖に進出し、地中海を独伊連合軍に抑えられた英軍が、エジプト侵攻を企てるロンメル・アフリカ軍団に対抗する援軍をはるか希望峰経由で送ってくる航路を脅かします。「安松丸」が搭載するたった6機の搭載機のうち、放たれた索敵機3機のうちの1機が、ソマリア沖に輸送船団を発見、これを残り3機の雷撃隊で襲撃して輸送船を撃沈します。さらに母艦に帰投する攻撃隊は、船団に後続する空母を含む護衛艦隊を発見。日没となったため、夜間雷撃が可能なベテラン乗組のたった1機だけの攻撃隊を発進させ、護衛艦隊の「イラストリアス級」空母にも、魚雷を命中さます。攻撃機が接近する際に、英空母の乗組員は複葉旧式の96式艦上攻撃機を、帰投中の味方の「ソードフィッシュ」と誤認して、全く警戒しなかった、とか・・・。

戦果を報告した攻撃機は、しかし帰投する母艦の位置を見失い、そのまま行方不明に・・・。というような劇的な話が物語られています。(これにはさらに後日談があるのですが・・・)

 

「安松丸」的な・・・水上戦闘機「強風」の搭載

上記のように、宮崎駿さんの「雑想ノート」のオリジナルのストーリーでは、「安松丸」の搭載機は艦上攻撃機6機のみ、ということになっています。

しかしここは筆者の「安松丸的な世界」ということで、ちょっと欲張って、前部格納庫に水上戦闘機を3機、搭載してみました。もちろんこちらは飛行甲板へあげることなく、デリックで水面に下ろして発進させます。搭載機は日本海軍の太平洋の島嶼地域への進出の切り札となることを期待されながら、登場時期が遅れ活躍の場を見出せなかった不運の水上戦闘機(と言いきっていいと思います)「強風」です。

太平洋では、さして活躍の場を見出せなかった「強風」でしたが、インド洋での英輸送船団と、その非力な護衛部隊相手の戦場では、索敵や、鈍重な英空母搭載の艦載機相手に、かなり部の良い戦いができた、・・・とか。

f:id:fw688i:20200506120907j:image

 (直上の写真は、水上戦闘機「強風」を搭載した前部格納庫のアップ) 

ja.wikipedia.org

「強風」は日本海軍が最初からフロート履きの水上戦闘機として開発した機体です。太平洋での島嶼地域への進出の際にも、進出部隊が航空基地などの整備が整うまでの間にも十分な航空支援を得られるようにと、かなり欲張った仕様でした。設計当時の主力艦上戦闘機であった「零戦11型」よりも速度で勝り、武装は同等、さらに重いフロートを履きながらも小回りが効くようにと、空戦フラップを搭載するなど、新機軸に溢れた意欲的な機体でした。

当然の事ながら、開発は難航し、実用配備される頃には既にソロモン方面での米軍の反抗が始まっており、想定された「進出・展開」などの段階は終了していました。

さらに、特に水上戦闘機でありながら「零戦」に勝る速度、という要求の実現は不可能に近く、大型のエンジンの採用(火星)や、二重反転プロペラの試作機段階での採用などを試みたにも関わらず、要求仕様を100キロ近く下回る結果となりました。

結果、試作機を含めて97機が生産されたにとどまりました。

このうち何と3機が、「安松丸」に搭載され、おそらく唯一、目覚ましい戦果をあげた「部隊」として記録されることになりました(なんてね)。

 

「強風」は水上戦闘機としては、決して成功作とは言えない機体でしたが、その開発努力は、「強風」をベースとして開発された局地戦闘機紫電」とその改良型である「紫電改」に引き継がれ、大戦末期に日本本土防空の戦いの主力となったことは有名です。

(下の写真:「安松丸」の搭載機。上段は、母艦の低速と短い飛行甲板の二重苦から「安松丸」の搭載機体として選択された(他に選択肢がなかった、というべきか)96式艦上攻撃機。複葉布ばりの機体ながら、日本海軍が開発した最初の満足のいく艦上攻撃機と言われています。制式採用の翌年に、さらに高性能な名機97式艦上攻撃機が登場し、太平洋戦争では活躍の場を奪われていました。翼は格納時には折りたたむことができました。「安松丸」がインド洋・アフリカ沖で戦った英海軍の主力艦上攻撃機ソードフィッシュ」もほぼ同様の布張りの複葉機でした。

写真下段は、出航直前に急遽「安松丸」への搭載がが決定した水上戦闘機「強風」。世界の海軍でほぼ唯一「水上戦闘機」として設計された機体でした。水上戦闘機としてはかなりの高性能でしたが、陸上戦闘機・艦上戦闘機のめざましい性能向上からは取り残された形でした。「安松丸」に搭載された3機の「強風」は、英海軍相手の索敵・哨戒、さらには専用艦上戦闘機を持たない英海軍の空母艦載機相手に、活躍しました)

f:id:fw688i:20200816181529j:image

  

ということで、今回はこの辺りでおしまい。

さて次はどうしようかな。

何度かお話に出ている日米の艦隊駆逐艦の系譜については、現在、着々と準備中です。もう少し?何せ数が多いので。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

ブログランキングに参加しました。クリック していただけると励みになります。


艦船ランキング

 

 

 

夏休み:新着モデルの完成:「超甲巡」!

本稿で前回紹介した「超甲巡」が完成!

今回は「超甲巡」を中心に、「本稿「大好きな小艦艇特集」の回で、未入手だったモデルがいつか届いたので、そちらも地味に紹介します。

fw688i.hatenablog.com

 

超甲巡」(超甲型巡洋艦

f:id:fw688i:20200810130538j:image

(直上の写真は、「超甲巡」の概観。198mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs:  マストをプラロッドで追加した他は、(珍しく?)ストレートに組み立てました。元々が素晴らしいディテイルで、手をいれるとしたら「65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲):いわゆる長10センチ高角砲」のディテイルアップくらいですが、少し大ごとになりそうなので、そちらはいずれまた)

 

65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)の話

65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)は、日本海軍の最優秀対空砲と言われた高角砲で、18700mの最大射程、13300mの最大射高を持ち、毎分19発の射撃速度を持っていました。これは、戦艦、巡洋艦、空母などの主要な対空兵装であった12.7cm高角砲(八九式十二糎七粍高角砲に比べて射程でも射撃速度でも1.3倍(射撃速度では2倍という数値もあるようです)という高性能で、特に重量が大きく高速機への対応で機動性の不足が顕著になりつつあった12.7cm高角砲の後継として、大きな期待が寄せられていました。

ja.wikipedia.org

上記、射撃速度を毎分19発と記述していますが、実は何故か揚弾筒には15発しか搭載できず、従って、15発の連続射撃しかできなかった、ということです。米海軍が、既に1930年台に建造した駆逐艦から、射撃装置まで含めた対空・対艦両用砲を採用していることに比べると、日本海軍の「一点豪華主義」というか「単独スペック主義」というか、運用面が置き去りにされる傾向の一例かと考えています。

 

モデルのディテイルアップの話に戻すと、正直にいうと、現時点で筆者にとって満足のいくディテイルが再現された「長10センチ高角砲」は、Neptune社製の「秋月級」駆逐艦に搭載されているものくらいしか、思い当たりません。

実はこれまでにも、本稿では「架空防空巡洋艦」の回などで、同砲は「架空防空巡洋艦」の主砲として登場しています。

fw688i.hatenablog.com

同艦は長10センチ高角砲の連装砲塔を12基搭載しており、併せて準同型艦として同回に紹介した「汎用軽巡洋艦」も同連装砲を6基搭載しています。これらも含めディテイルアップのために換装しようとすると、Neptune製の「秋月」を7隻つぶさねばならず、ちょっと現実的な対処法ではない。

既に皆さんもある程度予想がつくと思いますが、筆者の場合、こういう時は「困った時のShapeways 」ということになるのですが、なんと、実は Shapewaysにはちゃんと連装砲塔のセットがあるのです。

www.shapeways.com

16砲塔で1セットですのでこれが2セットあれば、良い、という計算です。

ということで、早速入手してみたのですが、今度はNeptune製「秋月」の砲塔よりかなり小さい。かつ、砲身を自作しなくてはなりません(まあ、砲身の自作の方はプラロッドか真鍮線でチマチマと作れば良いので、時間はかかりますが、なんとかなりそう(楽しいしね)なのですが)。何れにせよ、全砲塔の換装を視野に入れると、少し結論を先延ばし、ということで。

 

超甲巡」の話

行きがかり上とはいえ、話が同艦級の搭載した「長10センチ高角砲」に終始しましたが、そもそも「超甲巡」についても少しご紹介しておきましょう。

超甲巡」とは「超甲型巡洋艦」の略称で、いわゆる「甲型巡洋艦重巡洋艦」を超える性能の「巡洋艦」を意味します。

マル五計画、マル六計画で建造が計画されたいわゆる「If艦」です。一応、設計スケッチは残っているようなので「未成艦」と言っても良いのかもしれません。3万トン級の船体に30センチクラスの主砲を3連装砲塔で3基搭載し、対空砲は長10センチ高角砲を連装砲塔で8基という強力な火力を誇っています。33ノットの速力を発揮する予定だった、ということだから、空母機動部隊の直営としても活躍できたでしょうね。

 

ja.wikipedia.org

そもそもの同艦級の設計構想は、日本海軍の「艦隊決戦」構想の一環として、本稿でも何度も取り上げている「漸減邀撃作戦」での水雷戦隊による夜戦の中核艦とするものでした。

同作戦構想では、敵主力艦隊に対し日本海軍自慢の酸素魚雷を搭載した重巡洋艦部隊、水雷戦隊、総数約80隻を展開し夜戦が展開されます。この際にこれらを総指揮し、あるいは敵主力艦隊の前衛の警戒戦を突破する有力な砲力を有した艦として、当初「金剛級高速戦艦が当られる予定でした。しかし同艦級は、ご承知のように日本海軍の主力艦の中では最も艦齢が古く、優れた基本設計のために数次の改装を経て、なお一線の高速戦艦として有力な存在ではあったものの、25年の艦齢を考慮すると、これに代わる有力艦級の整備は急務でした。

こうして生まれたのが「超甲巡=超甲型巡洋艦」の設計構想で、水雷戦隊に帯同できる高速性と「艦隊決戦」の仮想敵である米艦隊が急速に整備しつつあった大型の重巡洋艦軽巡洋艦を凌駕する砲戦力とこの砲戦に耐えられる防御能力を有した艦となる予定でした。

同時期に各国海軍が建造した「シャルンホルスト級」「ダンケルク級」、とりわけ米海軍が建造した「アラスカ級大型巡洋艦を強く意識したもので、6隻が建造される予定でした。

f:id:fw688i:20200810130634j:image

(直上の写真:「超甲型巡洋艦超甲巡」の新型31センチ主砲(上段)と65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)

 

その後、海軍戦力の重点が航空優位に移行し、従来の「艦隊決戦」のあり方に変化が現れると、同艦級は「金剛級高速戦艦同様、その高速性から空母機動部隊の直衛戦力としての期待をも担うことになります。

こうして有力な新設計の31センチ主砲(設計上は「金剛級」の36センチ主砲を凌駕する性能だったと。製造されていないので、実力の程はわかりませせんが)と並び、帝国海軍の最優秀対空砲である「長10センチ高角砲」が搭載されました。

f:id:fw688i:20200810134258j:image

 (直上の写真:巡洋艦の艦型比較。下から「改鈴谷級=伊吹級」重巡洋艦、「蔵王級」重巡洋艦、「超甲型巡洋艦超甲巡」:「超甲巡」の主砲の大きさが目立ちます)

 

佐藤大輔氏の短編集「仮想・太平洋戦史 目標、砲戦距離四万!」に、確か同級の活躍するお話がありましたね。

www.amazon.co.jp

 

米海軍大型巡洋艦アラスカ級

f:id:fw688i:20200810132028j:image

(直上の写真「アラスカ級大型巡洋艦の概観。194mm in 1:1250 by Hansa)

ja.wikipedia.org

前述の「超甲巡」のライバル、「アラスカ級大型巡洋艦です。30000万トン級の船体に主砲として「1939年式 Mark8型 30.5cm(50口径)砲」を3連装砲塔3基、そして米海軍ではお馴染みの5インチ両用砲の連装砲塔を6基搭載していました。空母機動部隊の直衛を意識して33ノットの高速を有しています。6隻が計画され、2隻が完成しています。

主砲として搭載された「1939年式 Mark8型 30.5cm(50口径)砲」は、12インチの口径ながら、米海軍の戦艦の標準主砲であった14インチ砲と同等の重量の砲弾を発射できるという優秀砲でした。(この辺り、上述の「超甲巡」に搭載予定であった新型31センチ砲と良く似ています)

この両級が、実際に砲火を交えていたら、どんな展開になったんでしょうね。

(直下の写真:上から「シャルンホルスト級」「アラスカ級」「超甲型巡洋艦」の艦型比較。各国が異なる狙いで類似性のある設計をしていたことが興味深いですね) 

f:id:fw688i:20200810132037j:image

 

さらに「シャルンホルスト級」と「ダンケルク級」、本稿でのご紹介を以下に再掲しておきます。(まだ、主力艦の発達史をやっていた頃なので、ちょっと文体が違うけど、ご容赦を。併せて皆さんは大丈夫だとは思うのですが、架空の記述など含まれているので、そちらもご注意、ご容赦を)

 

ドイツ再軍備宣言と英独海軍協定、そして新戦艦時代の開幕

ヴェルサイユ体制による重度の賠償責任等により、ドイツ経済は疲弊の極みにあり、その混乱の中で1934年、ヒトラーが首相と大統領の両機能を統合し国家元首に就任し政権を握る。

1935年、ヒトラーヴェルサイユ条約の軍事制限条項を破棄し再軍備を宣言する。

同年、再軍備は受け入れざるを得ないとしながらも、その拡張に歯止めをかけるべく英独海軍協定が結ばれ、総トン数で英海軍の35%、潜水艦保有も英海軍の45 %まで保有が認められた。

これにより戦闘艦の建造制約が名実ともになくなり、ドイッチュラント級装甲艦の強化型として建造される予定で、フランスのダンケルク級戦艦への対抗上から設計を大幅に見直されていたシャルンホルスト級は、30,000トンを超える本格的な戦艦として起工された。

 

シャルンホルスト級戦艦 - Wikipedia

en.wikipedia.org

(1939-, 31.500t, 31.5 knot, 11in *3*3, 3 ships, 191mm in 1:1250 by Hansa)

f:id:fw688i:20190324155942j:image

シャルンホルスト級戦艦は当初、前述のように、フランス海軍によって建造されたダンケルク級戦艦に対抗するべく誕生した。この為、主砲は、当初15インチ砲の搭載を想定したが、建造時間を考慮しドイッチュラント級と同様の11インチ砲3連装砲塔を1基増やし9門に増強するにとどめた。一方でその装甲はダンケルク級の33センチ砲弾にも耐えられるものとし、ドイツ海軍伝統の防御力に重点を置いた艦となった。

速力は重油燃焼高圧缶と蒸気タービンの組合せにより、31.5ノットの高速を発揮した。

f:id:fw688i:20190324172255j:image

(シャルンホルスト級3隻:手前からグナイゼナウ、マッケンゼン、シャルンホルスト)手前味噌的な記述になることを恐れずに言うと、本級はバランスのとれた美しい外観をしている、と感じている。

 

15インチ主砲への換装により、本格的戦艦に

のちに、11インチ主砲はビスマルク級戦艦と同様の15インチ連装砲に置き換えられ、攻守にバランスのとれた、加えて31.5ノットの高速力を持つ優秀艦となった。

特に31.5ノットの高速性能は、当時、ヨーロッパにはこれを捕捉できる戦艦がなく、ヨーロッパ諸国の危機感を強く刺激した。

f:id:fw688i:20190324172430j:image

f:id:fw688i:20190324172414j:image

(主砲を15インチ連装砲塔に換装後のシャルンホルスト級3隻:手前からシャルンホルストグナイゼナウ、マッケンゼン)

出典元はこちら↓。

fw688i.hatenablog.com

 

仏新造戦艦ダンケルク級による波紋 

ダンケルク級戦艦 - Wikipedia

en.wikipedia.org

本級の建造に当たっては、確かに前述のドイッチュラント級装甲艦への即効性のある対抗策としての側面も強かったが、第一次世界大戦前のプロヴァンス級以来、久々の新造戦艦の建造にあたり、攻撃力、防御力、機動力をどのようにバランスをとりながら具現化するかと言う命題に対する、次期本格主力艦建造への実験艦的な性格が強い。

武装としては、新設計の13インチ(33センチ)砲を、未完に終わったノルマンディー級戦艦以来のフランス海軍悲願の4連装砲塔2基に、艦首部に集中的に搭載し、あわせて発展著しい航空機の脅威に備えて、世界初となる水上戦闘にも対空戦闘にも使用できる13センチ両用砲16門を、連装砲塔2基、4連装砲塔3基の形で搭載した。

艦種名に正式に「高速戦艦」の分類が割り当てられ、公称30ノット、実際には31.5ノットの高速を発揮することができた。機関の搭載にも新基軸が見られ、シフト配置を採用することにより、被弾時の生存性を高めるなど、種々の新機軸への取り組みが見られた。

(1937-, 26,500t, 31.5knot, 13in *4*2, 2ships, 170mm in 1:1250 by Hansa)

f:id:fw688i:20190331143620j:image

本艦は過渡期的なやや小ぶりの船体を除けば(それでもフランス海軍がそれまでに建造した最大の戦艦である)、高い機動性、集中防御の思想、対空戦闘への対応力、ダメージコントロールへの新たな工夫など、それまでの戦艦の概念を一新するものであり、「新戦艦」の幕開けとなった戦艦であると言っていいであろう。

 

本級の登場は諸国海軍の戦艦整備政策に大きな影響を与え、前回述べたようにドイツ海軍はドイッチュラント級4番艦、5番艦を、30,000トンを超える本格的なシャルンホルスト級戦艦として設計変更の上建造した。

f:id:fw688i:20190331143637j:image

(直上の写真は、ドイッチュラント級装甲艦、ダンケルク級戦艦、シャルンホルスト級戦艦の艦型比較:手前からドイッチュラント級ダンケルク級シャルンホルスト級

 

出典元はこちら↓。

fw688i.hatenablog.com

 

小艦艇部門の新着モデル

最近入手した小艦艇モデル2点のご紹介です。

 

まずは「第7号級」掃海艇 

ja.wikipedia.org

f:id:fw688i:20200810130955j:image

(直上の写真「第7号級」掃海艇の概観。59mm in 1:1250 by Trident 前部マストをプラロッドに変更)

「友鶴事件」「第四艦隊事件」等を経て、設計された掃海艇です。艦型は復原性・船体強度などの前級が抱えていた問題を考慮して、異なる外観となっています。しかしその任務想定が艦隊の前路開削や、上陸地点の航路掃海等、敵前での業務を想定していたため、船体の大きさに対して大きな砲力を有していました。(630トン、12cm平射砲3門、20ノット)

f:id:fw688i:20200810131032j:image

(直上の写真:「第7号級」掃海艇と本稿では既出の「第19号級」掃海艇との艦型比較。直下の写真:主砲が「第7号級」掃海艇では平射砲であるのに対し(上段)、「第19号級」ではM型砲架の採用により、仰角が挙げられているのが分かります) 

f:id:fw688i:20200810131027j:image

 

 

第51号級駆潜艇

f:id:fw688i:20200810130737j:image

直上の写真「第51号級」駆潜艇の概観。44mm in 1:1250 by Trident 前部マストをプラロッドに変更)

ja.wikipedia.org

マル二計画(1933年度)で計画された小型駆潜艇です。

150トンの船体に40ミリ機関砲と爆雷18個を搭載し、23ノットのこの艦級としては比較的高速の速力を有していました。主として主要海軍根拠地の防備隊で使用され、同級3隻全てが終戦時に現存していました。

f:id:fw688i:20200810132110j:image

(直上の写真:駆潜艇の系譜。左から「第1号級」駆潜艇、「第51号級」駆潜艇、「第13号級」駆潜艇

 

ということで、今回はこの辺りでおしまい。

さて次はどうしようかな。

何度かお話に出ている日米の艦隊駆逐艦の系譜については、現在、着々と準備中です。もう少し?何せ数が多いので。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

ブログランキングに参加しました。クリック していただけると励みになります。


艦船ランキング