相州の、1:1250スケール艦船模型ブログ 主力艦の変遷を追って

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

大好きな小艦艇特集(二等駆逐艦・水雷艇・掃海艇・駆潜艇)

実は大好きな小艦艇

今回は、本稿前回で「香取級」巡洋艦の関連で紹介した「海防艦」に引き続き、「小艦艇」を少々。

本稿の読者(そんな人いるのかな、と想いつつ)はなんとなく気配を感じてもらっているかもしれませんが、筆者は通商路を巡る海軍のあり方に大変興味があり、その流れで通商路保護の主役である「小艦艇」が大好きなのです。

余談ですが、トム・ハンクス主演の「Grey Hound」という映画の予告編がYoutubeなどで公開されています。

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原作は海洋小説の大御所セシル・スコット・フォレスターの「駆逐艦キーリング」(原題は「The Good Shepherd」:Uボートの群狼作戦に因んで船団(羊)を守る「羊飼い」なんでしょう)。これは期待できそうですね。一点、不満が。予告編を見る限り、「キーリング」は艦隊駆逐艦(DD)の様に見えるのですが、ここは護衛駆逐艦(DE)を使って欲しかった。そう、「眼下の敵」の「バックレイ級」のような。あるいはもっと小さなコルベットでも。まあ原作が「駆逐艦キーリング」なので、そこまでの飛躍はできないでしょうが。

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まあ、今回はそんな情景を頭に浮かべながら読んでいただけると嬉しいかも。ああ、この話を始めると多分止まらなくなるので・・・。

 

でも、とっても楽しみです。そろそろ劇場にも行けそうだし。公開時期が未定、というのが気にはなりますね。

ちょっと脱線ついでに。ダグラス・リーマンの小説もいいですねえ。「大西洋、謎の艦影」なんてよかったなあ。

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今回は、これら筆者の大好きな小艦艇を、主として通商路護衛目的に使用された艦種に絞ってご紹介します。

そういうお話し。

 

二等駆逐艦 

「二等」と付くと、なんとなく派生系・補助系の艦種の様に見えてしまうのですが、実はこちらが駆逐艦の本流だ(であるべきだった、と言うべきでしょうか)と、筆者は思っています。

本稿でも何度か触れてきた事ですが、日本海軍は「艦隊決戦」をその艦隊設計構想の根幹に持ち続けてきました。幸い(?)、日本という国は海外に大規模な植民地を持たず、「艦隊決戦」は常に大洋を押し渡ってくる敵艦隊を想定していれば事足りる、と言う環境ではありました。こうして主力艦隊同士が雌雄を決する「艦隊決戦」の前に、いかに押し寄せる敵艦隊を削り細らせるか、と言う「漸減戦術」が決戦の前哨戦として構想されてゆきます。

並行して、それまであまりパッとしなかった魚雷が急速にその威力・性能を向上させ、これを主要兵器とする駆逐艦が大型化、高速化し、「漸減戦術」の主役として位置付けられる様になります。強力な魚雷を装備した有力な駆逐艦部隊で数次に渡る攻撃をかけ、決戦前に敵艦隊を細らせておこう、と言うわけですね。こうして十分な航洋性を持つ大型で高速な駆逐艦、「一等駆逐艦」という分類が生まれたのです。ある意味、「一等駆逐艦」は艦隊決戦専任艦種、と言っても良いかもしれません。

 
大正期から昭和初期にかけ、駆逐艦設計はそれまでの欧米模倣による模索の時期を終え、日本オリジナルとも言うべき艦型にたどり着きます。それが「峯風級」駆逐艦から「睦月級」駆逐艦に至る本稿では「第一期決定版」と呼んでいるデザインです。

特徴としては航洋性を重視して艦首を超えてくる波から艦橋を守ために艦首楼と艦橋の間にウェルデッキという切り欠き部分が設定されています。さらに操作要員が露出する当時の防楯付き単装砲架の主砲は全て一段高い位置に装備され波浪の影響を少なくする工夫がされています。

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(直上の写真:「日本オリジナル」デザインの一等駆逐艦「神風級」と二等駆逐艦「樅級」:同一のデザインコンセプトを持ち、武装を削減しています)

これらの「日本オリジナル」の艦型を取り入れて設計され、警備や護衛など多種多様な任務に対応する量産性も担保しつつ、大型高性能艦(一等駆逐艦)の補完も併せ持つ「スペックダウン版」の駆逐艦が以下の「樅級」駆逐艦と、それに続く「若竹級」駆逐艦でした。両級あわせて34隻が建造される予定でした。

しかし計画半ばで、ワシントン・ロンドン体制の制約により「八八艦隊計画」は中止され、加えて特にロンドン条約により駆逐艦保有数にも制限がかけられます。「艦隊決戦」に重点を置く日本海軍としては、割り当てられた保有枠は「艦隊決戦専任艦種」である「一等駆逐艦」に重点を置かざるを得ず、結局「樅級」は21隻、「若竹級」は8隻で建造が打ち切られ、、以後、「二等駆逐艦」は建造されなくなりました。

 

第一次世界大戦で示された戦争の形態の変化を考慮すると、来るべき戦争は「総力戦」となることは明らかであり、「艦隊決戦」の様な雌雄を決するような戦いが起きることは稀で、「補給」「資源供給能力」の維持に重点をおいた浸透性と常備性の高い戦いにおいては消耗に耐えられるだけの数の装備はどうしても必要になるはずでした。

しかし結局、日本海軍はあくまで「艦隊決戦」に備えた装備計画方針を変えられず、「二等駆逐艦」相当の戦力の不足による「補給」「資源供給能力」への脅威にさらされ続ける事になります。

 (直下の写真:二等駆逐艦「樅級」の概観。68mm in 1:1250 by Hai :「若竹級」も外観的には大差ありません)

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「樅級」駆逐艦ja.wikipedia.org

前述の様に「峯風級」駆逐艦のスペックダウン版で、実際には種々の平時艦隊任務だけでなく主力艦隊護衛や、水雷戦隊の基幹戦力となるなど、建造当時は艦隊の中核戦力を担いました。800トンを切る船体(「峯風級」は1200トン)に、12cm主砲3門(「峯風級」は4門)、連装魚雷発射管2基(「峯風級」は3基)を主要兵装として装備し、36ノット(「峯風級」は39ノット)の速力を発揮することができました。

 

「若竹級」駆逐艦

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「樅級」駆逐艦の改良版で、課題とされていた不足する復原力を艦幅の増加(15センチ)により改善しました。

 

哨戒艇に改装 

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 (直上の写真:二等駆逐艦は太平洋戦争では、両級あわせて10隻が島嶼部での陸戦隊の上陸作戦を想定した哨戒艇に改装されて活躍しました。哨戒艇は20ノット程度に速度を押さえ、大戦中、時期によって武装が異なりますが、基本は雷装を削減、もしくは撤廃し、主砲等も削減し対空砲を強化しています。一部には艦尾に上陸用舟艇の搭載用のスロープを設けた艦もありました。直下の写真は、哨戒艇武装配置)

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太平洋戦争当時には両級共に既に老朽艦で、「樅級」は3隻、「若竹級」は6隻が駆逐艦として、両級あわせて10隻が哨戒艇として参戦し、駆逐艦籍の艦は9隻中7隻が、哨戒艇籍の艦は10隻中9隻が戦没しました。

 

水雷艇

ワシントン・ロンドン体制で、駆逐艦にも保有制限がかかると、日本海軍は制限外の水雷艇に重武装を施し、小型駆逐艦として活用する事に着目します。

 

「千鳥級」水雷艇ja.wikipedia.org  (直下の写真:「千鳥級」水雷艇の復原性改修後の概観。63mm in 1:1250 by Neptune)

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600トンを切る小さな艦体に、当時の主力駆逐艦と同様に50口径5インチ砲(12.7cm砲)を、艦首部に単装砲塔、艦尾部に連装砲塔という配置で3門を搭載し、さらに連装魚雷発射管を2基、予備魚雷も同数装備、30ノットの速力を発揮する高性能艦として誕生します。駆逐艦なみの主砲装備のために射撃管制塔の要請から艦橋も大型化し、設計中から既に重武装に起因する復原力不足は課題として意識されていました。公試時の転舵では大傾斜が生じ、急遽大きなバルジを追加装備する形で対策がとられ竣工しました。

その後、同型艦の「友鶴」で、40度程度の傾斜から転覆してしまうという事故が発生し(設計では90度傾斜でも復原できる事になっていました)、深刻な復原力不足が露呈します。

友鶴事件 - Wikipedia

事件後、設計が見直され、ほぼ別設計の艦として同級は生まれ変わります。その変更点は、艦橋を1層減じ小型化すると共に、バルジを撤去し代わりに艦底にバラストキール(98トン)の装着によるトップヘビー解消。そして武装を再考し、主砲口径を5インチ砲から12センチ砲へと縮小し、搭載形式も砲塔式から防楯付き単装砲架への変更(22トンの重量削減)、あわせて魚雷発射管を連装1基へ削減し予備魚雷も搭載しない(40トンの重量削減)、等により復元力は改善されましたが、速力は28ノットに低下してしまいました。

戦争中は、敵潜水艦に対する速力不足が常に課題とされた「海防艦」と異なり、その優速を生かした理想的な対潜制圧艦と評価され、船団護衛等に活躍しました。

同型艦4隻中3隻が戦没。

 

「鴻級」水雷艇ja.wikipedia.org

 (直下の写真:「鴻級」水雷艇のの概観。72mm in 1:1250 by Neptune)

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「千鳥級」の改良型として設計中に上述の「友鶴事件」続く「第4艦隊事件」等が発生したため、復元性、船体強度が見直され、大幅な設計変更ののち完成しました。

基本設計、武装等は復原性改修後の「千鳥級」に準じ、速度を「千鳥級」が竣工時に発揮していた30ノットに回復しています。当初16隻の建造計画でしたが、ワシントン・ロンドン体制の終了に伴い、8隻で建造が打ち切られました。

改修後の「千鳥級」同様、護衛任務等には最適な艦型と評価が高く、この艦級の戦時急造に向けた工程簡素化等が検討されていれば、その後の日本海軍が陥った深刻な状況に対する早い段階での回答となり得たのかもしれません。

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 (直上の写真:「千鳥級」(上段)と「鴻級」水雷艇(下段)の武装比較。主砲(左列)は同じ12センチ砲ながら、「鴻級」では仰角を55°まであげたM型砲架を搭載しています。魚雷発射管(右列)は「千鳥級」が連装発射管であるのに対し、「鴻級」では3連装発射管に強化しています)

 

掃海艇

掃海艇は本来、その名の通り掃海任務を担当する艦種ですが、日本海軍は「八八艦隊計画」までは旧式の駆逐艦をこの任務に当てていました。「八八艦隊計画」により初めて専任艦艇を設計する事になるのですが、この計画自体が「艦隊決戦」構想に基づく計画であり、日本海軍では主力艦隊の前路開削のための敵艦隊前での掃海任務を想定し、その艦型に比較すると大きな砲力を備えている特徴がありました。

大戦中は掃海装備のための後甲板に対潜装備を搭載し、掃海任務だけでなく、船団護衛等にも活躍しました。

艦級としては以下のクラスがありますが、本稿で扱う1:1250スケールで模型化されているのは

私の知る限り「第13号級」、「第7号級」と「第19号級」の3クラスです。

第一号型掃海艇 - Wikipedia

 

第五号型掃海艇 - Wikipedia

 

第13号級

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 (直下の写真:「第13号級」掃海艇の復原性改修後の概観。58mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces) 

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設計当時の日本海軍の艦艇設計の共通点として、重武装でトップヘビーであり、復原性に課題がある艦級とされていました。上述の「友鶴事件」で改修工事が行われ、艦橋が一段低められ艦底部のバラストキールが装着されるなどの対策が取られました。(690トン、12cm平射砲2門、19ノット:復原性改善工事後)

 

次級の「第17号級」は元々は本級の5番艦、6番艦でしたが、設計段階で上記の改修が反映され、船体が少し小さくなりました。

第十七号型掃海艇 - Wikipedia

 

まずは「第7号級」掃海艇 

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(直上の写真「第7号級」掃海艇の概観。59mm in 1:1250 by Trident 前部マストをプラロッドに変更)

「友鶴事件」「第四艦隊事件」等を経て、設計された掃海艇です。艦型は復原性・船体強度などの前級が抱えていた問題を考慮して、異なる外観となっています。しかしその任務想定が艦隊の前路開削や、上陸地点の航路掃海等、敵前での業務を想定していたため、船体の大きさに対して大きな砲力を有していました。(630トン、12cm平射砲3門、20ノット)

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(直上の写真:「第7号級」掃海艇と本稿では既出の「第19号級」掃海艇との艦型比較。直下の写真:主砲が「第7号級」掃海艇では平射砲であるのに対し(上段)、「第19号級」ではM型砲架の採用により、仰角が挙げられているのが分かります) 

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 (直下の写真:「第19号級」掃海艇の概観。59mm in 1:1250 by Trident: 「鴻級」水雷艇と同様に、主砲は55°の仰角での射撃を可能したM型砲塔を搭載していました。艦種も第25号艇以降は戦時急増のために簡素化した直線的な艦首を採用しています) 

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 同級では主砲が仰角をかけることの出来るM型砲架に改められています。同砲架は55°まで仰角をかけることができましたが、対空戦闘ではなく、対地上砲撃等を想定したとされています。実際に前出の「第13号級」では太平洋戦争の緒戦のボルネオ攻略戦闘で、陸上砲台からの射撃で2隻が失われています。上陸作戦等に伴う前路開削等には、その様な陸上砲撃を行う機会が伴ったのかもしれません。(650トン、12cm3門(M型砲架)、20ノット)

また同級の第25号艇以降は、戦時急造適応のため簡易化が行われ、艦首形状が直線化しています。

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 (直上の写真:「第13号級」と「第19号級」掃海艇の概観比較。「第13号級」は設計当時の日本海軍の通弊だった幅広の艦型を持ち喫水が浅く重装備のためにヘビートップの傾向がありました)
 (直下の写真は、「第7号級」掃海艇までが装備していた防楯付き12cm平射砲(上段)と、「第19号級」掃海艇が装備したM型砲架12cm砲(下段):写真はいずれも前出の水雷艇のものですが、掃海艇でも同様の主砲搭載形式の変更があ行われました。M型砲架の採用により55°までの仰角での射撃が可能になりましたが、この変更の目的は対空戦闘よりも対艦・対陸上砲撃への適応を考慮されたものでした)

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上記の6クラスで35隻が建造されましたが、30隻が戦没しています。

 

駆潜艇

昭和期に入り、日本海軍ではそれまで漁船等を改造した特務駆潜艇の業務としていた沿岸での局地対潜防御活動に専任する艦種として駆潜艇を建造しました。

沿岸防御をその想定戦域としていたために、あまり航洋性には配慮が払われていませんでしたが、太平洋戦争では多くが南方での哨戒任務や船団護衛に従事しています。

艦級は以下の通りです。

 

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 (直下の写真:「第1号級」駆潜艇の概観。52mm in 1:1250 by HB :日本海軍が初めて設計した駆潜艇ですが、その後、「第13号級」が現れるまでの駆潜艇の基本形となりました。**余談異なりますが、このモデルのモデルの供給元であるHB社は日本の小艦艇に強いメーカーです。駆潜艇の主な艦級を揃えています) 

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260トンの船体に40mm連装機関砲を主要装備としていました。24ノットの高速を有していましたが、航洋性は必ずしも良好ではありませんでした。以降の第12号艇までは本級の艦型を基本設計として、「友鶴事件」等の影響で復原性を高めるために艦橋位置や構造を改める等の回収を施しています。

 

第51号級駆潜艇

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直上の写真「第51号級」駆潜艇の概観。44mm in 1:1250 by Trident 前部マストをプラロッドに変更)

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マル二計画(1933年度)で計画された小型駆潜艇です。

150トンの船体に40ミリ機関砲と爆雷18個を搭載し、23ノットのこの艦級としては比較的高速の速力を有していました。主として主要海軍根拠地の防備隊で使用され、同級3隻全てが終戦時に現存していました。

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(直上の写真:駆潜艇の系譜。左から「第1号級」駆潜艇、「第51号級」駆潜艇、「第13号級」駆潜艇

 

第四号型駆潜艇 - Wikipedia

 

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 (直下の写真:「第13号級」駆潜艇の概観。42mm in 1:1250 by HB :日本海軍の駆潜艇の決定版、と言ってもいいでしょう。量産性を意識して機関を商船型のディーゼルとするなど、特徴が見られる設計です。次級の「第28号級」もほぼ外観は変わりません) 

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前級をやや大型化した400トン弱の船体に、高角砲1門、13mm連装機銃等を装備していました。急造性を考慮して商船向けのディーゼルエンジンを搭載しています。主機をディーゼルとしたことで航続距離は伸びましたが、速力は16ノットとなりました。開戦後は適宜対空兵装を強化しています。

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(上下の写真:太平洋戦争後期には、対空機関銃が増設され、対空兵装が強化されました)

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次級の「第28号級」はその改良型です。

 

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「第13号級」の準同型艦。「第13号級」で課題が見つかった保針性改善のために、艦尾形状を直線的に改めました。量産性を高めるために艤装や船体構造の簡易化が図られました。

 

第六十号型駆潜艇 - Wikipedia

「第13号級」の準同型艦で、「第28号級」で取り組まれた戦時急造のための簡易化を一層進めていたと言われています。

 

上記の5クラスで61隻が建造され、41隻が戦没しています。

 

 ということで、取り敢えず今回はここまで。

小艦艇とはいえ、語るべきことは結構ありましたね。本来はこれに加えどの様に戦ったのかをもっと深掘りしてみたかったのですが・・・。もうちょっと勉強が必要です。

 

次回は、どうしようかな?

候補は、日本ではまだまだ入手が難しい1:1250スケールの艦船模型の調達経路の話。

アメリカ海軍やオーストリア=ハンガリー帝国海軍の装甲巡洋艦」のまとめ、あるいは「ナチスドイツの巡洋艦」なんかも、地味だけど・・・。

と言うあたりか、もしくは少しフライング気味のミニシリーズ(になるかどうか、検討中)があるのですが。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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