今回は、表題の通り「自由ポーランド海軍」です。
前回、映画「グレイハウンド」に登場した艦船を紹介しましたが、その時にはたと気づいたこと、「そう言えば、自由ポーランド海軍(ポーランド共和国亡命政権軍)の艦船って、揃ってたんじゃなかったけ」と。
ということで手持ちのコレクションから、「自由ポーランド海軍」の艦艇をご紹介。今回はそういうお話。
ポーランド共和国(第二共和国)は第一次世界大戦後、ヴェルサイユ体制下で独立国家として成立します。その際にポーランド回廊で100kmのバルト海への接続を手に入れ、ここにグディニャという新たな港湾都市を建設しました。
この港湾都市の建設に伴い、1918年にポーランド海軍が創設されました。しかし独立したての国家の海軍戦力はほぼゼロに等しく、当初は旧ドイツ帝国から獲得した水雷艇などを主力とする小さな海軍でした。
1924年、今後14年間で巡洋艦2隻、駆逐艦6隻、水雷艇12隻、潜水艦12隻を整備する海軍整備計画が立てられました。
しかし、フランスとイギリスからそれぞれ2隻の駆逐艦を、フランスから3隻、オランダから2隻の潜水艦を調達した時点で、ドイツ軍のポーランド侵攻により計画は中止せざるを得なくなります。
ペキン作戦と袋作戦
ドイツとの関係が悪化の一途を辿っていた頃のポーランド海軍の保有艦艇は、駆逐艦4隻、潜水艦5隻、掃海艇6隻、機雷敷設艦1隻でした。この勢力ではドイツと開戦となった場合に単独で有効な作戦活動ができないと判断したポーランド海軍首脳部は、現有艦艇の英海軍との合流を試みます。そして開戦のわずか二日前、1939年8月30日に主要艦艇のバルト海からの脱出作戦が実施されます。これが「ペキン作戦」で、駆逐艦3隻が脱出に成功します。
一方、潜水艦部隊はバルト海でのドイツ軍の海上補給路を攻撃する「袋作戦」に従事しますが、大きな戦果を上げることはできませんでした。
自由ポーランド海軍
1939年9月1日、ドイツ軍の越境により始まったポーランド侵攻は、翌月10月上旬には全てのポーランド国内での戦闘が終結します。
大統領による後継指名によってパリに亡命政権が発足すると、「ペキン作戦」で英国に脱出した3隻の駆逐艦は亡命政権の指揮下におかれ、自由ポーランド海軍(亡命共和国海軍)が発足します。
さらにその後、バルト海を脱出してきた潜水艦2隻(「オジェウ」「ウィルク」)がこれに加わります。
(直上の写真:自由ポーランド海軍「ブルザ級」駆逐艦「ブルザ」の概観。84mm in 1:1250 by Neptune)
同級駆逐艦はフランス海軍の「ブーラスク級」駆逐艦(仏海軍の種別では「艦隊水雷艇」)をタイプシップとしています。1500トン級の船体に13センチ砲4門を主砲として、533mm3連装魚雷発射管2基をそれぞれ搭載し、33ノットの速力を出すことができました。
「ブルザ」は「ペキン作戦」により対独戦開戦直前にイギリスに脱出し、その後自由ポーランド海軍の一員として、対空兵装の換装などを行った後、主として船団護衛任務に従事しました。1944年に練習艦となった後、1945年にはポーランド潜水艦の母艦任務に就いています。
大戦終了後、ポーランドに帰国。1955年に再就役し、その後記念艦となりました。
「ヴィヘル」は、バルト海からの脱出には成功せず、1939年9月3日にドイツ空軍の爆撃で大破、自沈しています。
(直上の写真:「グロム級」ポーランド駆逐艦の概観。91mm in 1:1250 by B-Plan: お馴染みShapwaysに出品されている3D printing modelです。モデルは「ブリスカヴィカ」の主砲換装後の姿。イギリスへの脱出後、自由ポーランド海軍の一員として大西洋で主として船団護衛に従事します)
本級は、ポーランド海軍が1935年にイギリスに発注した2000トンクラスの大型駆逐艦で、39ノットの高速を誇っていました。当時、他の列強海軍と異なり大型駆逐艦の設計経験のなかった英海軍にとっては貴重な機会で、意欲的な設計が試みられたと言われています。「グロム」「ブリスカヴィカ」の2隻が建造されました。
当初設計では主砲は12センチ平射砲で連装砲3基と単装砲1基、計7門を搭載、他に53.3cm3連装魚雷発射管2基を主要兵装としていました。バルト海での行動を念頭に設計されていたため、大西洋での運用には復原性に課題があったようです。
第二次世界大戦勃発直前、既述のように「ペキン作戦」が発動され、イギリス海軍との合流を目指して両艦はイギリスへ脱出。イギリス到着後は、亡命政府の下で自由ポーランド海軍の一員として、戦闘を継続しました。
「グロム」は1940年5月、ドイツ軍のノルウェー侵攻の際にナルヴィク沖でドイツ軍機により撃沈されました。
(直上の写真:自由ポーランド海軍、「ペキン作戦」でイギリスに脱出した「グロム級」駆逐艦「グロム」の概観。主砲は5インチ平射砲のまま、2番魚雷発射管を下ろし、対空砲を装備しています)
(直上の写真:「グロム」(左列)と「「ブリスカヴィカ」(右列)の主砲、魚雷発射管の配置の差異がよくわかります)
「ブリスカヴィカ」は主砲を4インチ連装対空砲4基に換装し、大西洋での船団護衛に83回従事したという記録が残っています。大戦を生き残り、戦後はポーランド海軍に復帰。1976年からは記念艦となっています。
潜水艦「オジェウ」(1939-1941)「オジェウ級」潜水艦(1939-:同型艦2隻)
(直上の写真:自由ポーランド海軍「オジェウ級」潜水艦の概観。65mm in 1:1250 by Hai)
同艦はポーランドがオランダに発注した「オジェウ級」潜水艦のネームシップです。1100トンの船体に105mm砲、40mm高角機関砲を各1門、533mm魚雷発射管を8門搭載していました。水中で9ノット、水上で19ノットを発揮することができました。
「オジェウ」は対独戦開戦後、バルト海に出撃しますが、爆雷攻撃で損傷、エストニアの港湾に逃げ込みます。エストニア政府は中立国としてこれを抑留しようとしますが、「オジェウ」は脱出し、1939年10月イギリスに到着しました。
イギリスで損傷を復旧したのち、1940年4月からノルウェー海域での哨戒任務に出撃します。5月に7度目の哨戒任務に出撃し、その後消息を断ってしまいました。
潜水艦「ウィルク」(1929-1953) 「ウィルク級」潜水艦 (1929-:同型艦3隻)
(no photo)
同艦はフランスで建造された機雷敷設潜水艦です。6門の魚雷発射管を持ち、40発の機雷を搭載することができました。バルト海での戦闘で損傷しながらも脱出し、1939年9月20日イギリスの到着しました。その後、9回の哨戒任務に従事したのち1941年9月に老朽化のために練習艦となりました。大戦終了後、ポーランドに回航されましたが、状態が悪く1956年スクラップにされました。
脱出できなかった潜水艦3隻
以下の3隻はバルト海からの脱出を断念し、スウェーデンに抑留されました。
「センブ」は前出の「オジェウ級」潜水艦の2番艦。スウェーデンに抑留され、大戦後 、ポーランド海軍に復帰し、1969年まで就役しました。
「エレイシュ」(と読むらしい?)は、前出「ウィルク級」。スウェーデンに抑留され、大戦後、ポーランド海軍に復帰。1955年まで就役していました。
「ジク」前出「ウィルク級」。スェーデンに抑留され、大戦後、ポーランド海軍に復帰。1955年まで就役していました。
ちょっと面白いのは直上のリンク内のZbikの写真。機雷射出口(?)がよくわかります。
その後のイギリスからの貸与艦
上記のバルト海からの脱出に成功した艦船に加え、イギリスからの貸与艦で、次第にその戦力は充実してゆきます。
「ドラゴン級」軽巡洋艦(1943- :同型艦2隻・旧英「ダナイー級」軽巡洋艦)
(直上の写真:自由ポーランド海軍に貸与された「ドラゴン級」軽巡洋艦の概観。117mm in 1:1250 by B-Plan:)
1943年、イギリスは自由ポーランド海軍からの要請を受け「ダナイー級」軽巡洋艦を2隻貸与します。同艦級は自由ポーランド海軍最大の艦となりました。
貸与された2隻はそれぞれ「ドラゴン」(旧名「ドラゴン」)、「コンラッド」(旧名「ダナイー」)と命名され、雷装を全廃し、対空兵装を強化し、船団護衛等の任務への適性を高める改装を受けました。
(直上の写真:自由ポーランド海軍に貸与された「ドラゴン級」軽巡洋艦の強化された対空装備)
「ドラゴン」は1944年7月に ドイツ海軍の小型潜水艇の雷撃で大破。その後、ノルマンディー上陸作戦で防波堤として自沈しました。
「コンラッド」は大戦を生き抜き、1947年にイギリスに返還されています。
参考「ダナイー級」軽巡洋艦については以下もご参考に。
「D級」軽巡洋艦
(直上の写真:「D級」軽巡洋艦の概観 117mm in 1:1250 by Navis)
「C級」軽巡洋艦(後期型:「カレドン級」以降の3サブクラス)をタイプシップとして、その拡大強化版。6インチ主砲を1門増やし、雷装も3連装魚雷発射管4基と強化しています。4970トン。29ノット。同型艦8隻。
(出典はこちら)
その他の貸与艦艇
その他の貸与艦には。元フランス駆逐艦「ウーラガン」(「ブーラスク級」:「ブルザ級」とほぼ同型)、イギリス海軍の「G級」「N級」「M級」駆逐艦各1隻、ハント級護衛駆逐艦3隻などの水上艦艇、旧米海軍の「S級」潜水艦1隻、元イギリス海軍の「U級」潜水艦2隻などがありました。
多くは船団護衛などに活躍しましたが、「N級」駆逐艦「ビオルン」はビスマルク追撃戦等にも参加し、ドイツ戦艦「ビスマルク」と砲火を交わしていることで有名です。
(直上の写真:自由ポーランド海軍に貸与された「G級」駆逐艦「ガルラント」(旧名「ガーラント」)の概観。79mm in 1:1250 by Neptune)
駆逐艦「ビオルン」(旧名「ネリッさ」)
(直上の写真:自由ポーランド海軍に貸与された「N級」駆逐艦「ビオルン」(旧名「ネリッサ」の概観。87mm in 1:1250 by Neptune:「ビスマルク追撃戦」に参加し、戦艦「ビスマルク」と砲火を交わしました)
(直上の写真:自由ポーランド海軍に貸与された「G級」駆逐艦「オルカン」(旧名「ミュルミドン」)の概観。92mm in 1:1250 by Neptune)
護衛駆逐艦「シウォンザク」:(旧名「ビデイル」)と「クヤヴァク」:(旧名「オークレイ」)
(直上の写真:自由ポーランド海軍に貸与された「Hunt級I型」護衛駆逐艦「シウォンザク」(旧名「ビデイル」)「クヤヴァク」(旧名「オークレイ」)の概観。68mm in 1:1250 by Neptune)
護衛駆逐艦「クラゴヴァク」(旧名:「シルヴァートン」)
(直上の写真:自由ポーランド海軍に貸与された「Hunt級II型」護衛駆逐艦「クラコヴァク」(旧名「シルヴァートン」)の概観。68mm in 1:1250 by Neptune:I型に比べて連装対空砲が1基強化されています)
潜水艦「ソコル」(旧名「アーキン」)
(直上の写真:自由ポーランド海軍に貸与された「U級II型」潜水艦「ソコル」(旧名「アーキン」)の概観。44mm in 1:1250 by ???)
潜水艦「ヂク」(旧名「P-52」)
)
(直上の写真:自由ポーランド海軍に貸与された「U級III型」潜水艦「ヂク」(旧名「P-52」の概観。44mm in 1:1250 by ???)
ということで、今回は前回の「弾み」のままに、「自由ポーランド海軍の艦船」のご紹介でした。「自由ポーランド軍」というと、亡命した政権下でバトル・オブ・ブリテンでも、マーケット・ガーデン作戦でも、常に英軍と肩を並べて第一線で戦い、また「国内軍」は激しいゲリラ活動ののち 「ワルシャワ蜂起」を起こすなど、失われた祖国回復への戦闘に意欲的、という印象があります(悲劇的であったりもするのですが)。
こうしてみると、陸軍・空軍に比べ規模は遥かに小さいながらも、亡命海軍も英軍と堂々のタッグを組み戦っていなのだなあ、と認識を新たにしました。
取り敢えず今回はここまで。
次回は、どうしようかな?
できればもう少し輸送船団の護衛艦の話なんかしたいなあ。
あるいは「米海軍の駆逐艦」「米海軍の駆逐艦」、そう言えば、実は米海軍も英海軍も巡洋艦の体系的な紹介をしていませんね。そういう意味では「ドイツ海軍の巡洋艦・駆逐艦」なども・・・。
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