相州の、ほぼ週刊、1:1250 Scale 艦船模型ブログ

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

ロイアル・ネイヴィー:第二次世界大戦期の巡洋艦・重巡洋艦

本稿の読者ならばご承知のように、このところ筆者の関心は「スウェーデン海軍」の艦艇、と言う非常に狭域にのめり込んでいます。

時折、本稿でもご紹介していますが、収集の過程を通じ、製作者とのコネクションなども生まれ、艦艇のコレクション以外の部分でも、興味が尽きない大変幸せな時間を、その部分では過ごさせていただいています。

というような次第で「スウェーデン海軍」艦艇のモデルのコレクションはかなり充実してきているのですが、体系的にご紹介するにはまだ少し時間がかかりそうです。

そこで今回は少し「本流」的な流れに戻して、積み残してきた「第二次世界大戦期のイギリス海軍巡洋艦」のご紹介を。多分、重巡洋艦軽巡洋艦の2回に分けて、と言うお話です。

  

英海軍の巡洋艦

本稿では、下記のリンクの回で英海軍の巡洋艦の開発の系譜について、触れています。

少し簡単に(乱暴に)おさらいしておくと、巡洋艦と言う艦種は、そもそも列強の海外植民地との通商路を保護、あるいは襲撃するために開発された艦種です。長い後続力と高い機動性・戦闘力を、その設計の根幹に据えられている艦種です。

下記のリンクでも触れていますが、英海軍はいわゆる近代海軍の本家であり、その中で巡洋艦という艦種は、海外植民地を多く保有する英国にとっては、まさに中核を構成する艦種と言っていいと考えています。

巡洋艦」の発達に目を向けると、石炭をその機関の燃料とした時代には、舷側の石炭庫を自艦の防御に利用し、装甲を軽減し軽快性と航続力を確保した「防護巡洋艦」が一世を風靡しますが、燃料が効率の良い重油に移行するに従い、石炭庫に代わり軽い舷側装甲を持った「軽装甲巡洋艦軽巡洋艦」へと発展します。(既に主力艦の補助的な役割の艦種として存在した「装甲巡洋艦巡洋戦艦」に対比した艦種呼称、と言う対比の上での理解がわかりやすいかも)

筆者のコレクションでは長い歴史を持つイギリス海軍巡洋艦を網羅するところまでは及んでいませんが、せめて「軽巡洋艦」以降にトライしよう、と言う試みをある程度まとめた回が、下記のリンクです。

fw688i.hatenablog.com

 

英国海軍が第二次世界大戦期に運用した巡洋艦の艦級は以下のとおりです。

重巡洋艦

ホーキンス級

カウンティ級(ケント級、ロンドン級、ノーフォク級の3つのサブ・クラスがあります)

ヨーク級 

 

軽巡洋艦(下記は若干、筆者独自のグルーピングですので、ご注意を)

条約型軽巡洋艦第一世代:リアンダー級、パース級、アリシューザ級

条約型軽巡洋艦第二世代:タウン級サウザンプトン級、グロスター級、エディンバラ級の3つのサブ・クラスがあります)、クラウン・コロニー級、スイフトシュア級

防空巡洋艦ダイドー級、ベローナ級

これらの艦級に加えて、多くの第一次世界大戦型の軽巡洋艦の多くが主砲を対空砲に換装し、防空巡洋艦として、船団護衛等、巡洋艦本来の通商路保護の任務で運用されました。

 

今回は、まず上記のうち、重巡洋艦をご紹介。

 

ホーキンス級重巡洋艦(1919年より就役:同型艦:5隻)

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長々と前置を書きましたが、実はこの「ホーキンス級重巡洋艦」は、本級以降でご紹介する「重巡洋艦:いわゆる条約型重巡洋艦」の艦級とは一線を画し、「軽装甲巡洋艦軽巡洋艦」の強化型、と言う系譜に続していると言えます。

開発の背景には、第一次世界大戦期に列強が整備した(特に英独両海軍)新型の強力な「軽装甲巡洋艦軽巡洋艦」への対応があり、具体策として当時の「軽装甲巡洋艦」の標準的主砲であった6インチ砲を圧倒できる7.5インチ単装砲を7基搭載した大型「軽装甲巡洋艦」として建造されました。

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(直上の写真は、「ホーキンス級」の概観。147mm in 1:1250 by Argonaut:写真は就役時ではなく航空艤装等を改善したのちの第二次世界大戦期の姿かと(ちょっと確信はありませんが) )

 

後にロンドン条約により「重巡洋艦:Category A」「軽巡洋艦:Category B」の定義が設定され、本級は「重巡洋艦」に分類されますが、保有枠制限の関係で、順次武装等を変更し、艦種変更(練習艦等)、あるいは1936年までに退役する予定でした。しかしその後の、条約制限の撤廃、周辺事情の緊張から再び巡洋艦、あるいは大きな艦型を活かした水上機母艦として再就役し、主として船団護衛等の任務に就ています。

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(直上の写真:「ホーキンス級」のディテイルのアップ:(上段・中段)7.5インチ主砲の配置。(下段)近代化改装後、後甲板部の3基の主砲のうち2基が撤去され、航空艤装に置き換わっています)

近代化改装後のエフィンガムは6インチ単装砲9基を搭載しています。

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(直上の写真は、「ホーキンス級」の「エフィンガム」の近代化改装後の概観。147mm in 1:1250 by Argonaut:下の写真と合わせて、7.5インチ主砲は全て6インチ砲に置き換えられ、航空艤装や対空砲が強化されています。機関の換装により煙突の数も1本に)

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第二次世界大戦には1922年に座礁で失われた1隻を除き5隻中4隻が参加し、座礁により1隻が失われましたが、戦没艦はありませんでした。

 

カウンティ級重巡洋艦

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英海軍の建造した「条約型重巡洋艦」です。

以下の紹介する「ケント級」「ロンドン級」「ノーフォーク級」の3つのサブ・クラスに分類されます。3つのサブ・クラスの艦名が全て英国の行政区画名(州:カウンティ)に由来するところから「カウンティ級」と総称されます。

 

ケント級重巡洋艦同型艦:7隻)

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(直上の写真は、「ケント級」の概観。152mm in 1:1250 by Neptune )

 

「ケント級」重巡洋艦は、英海軍が建造した条約型重巡洋艦カウンティ級の第一グループで、条約制限内での建造の条件を満たし、かつ英海軍の巡洋艦本来の通商路保護の主要任務に就く為、防御と速力には目を瞑り火力と航続力に重点を置いた設計としています。10000トンをやや切る船体に8インチ砲8門を装備し、31.5ノットを発揮しました。

日本海軍の「高雄級」の主砲と同様に、本級でも主砲の仰角をあげ高角砲との兼用についての試みが行われましたが、航空機の高速化が進み射撃速度が追いつかなくなり実用的ではありませんでした。

魚雷は53.3cm魚雷を上甲板に搭載した発射管から射出する形式でしたが、就役当時の魚雷には投射の衝撃に対する耐性がなく、新型魚雷の開発まで、実装は待たねばなりませんでした。

7隻が建造され、そのうち「オーストラリア」と「キャンベラ」の2隻が、オーストラリア海軍に供与されました。

 

1942年4月「コーンウォール」がセイロン沖で日本海軍の空母機動部隊の空襲で、「キャンベラ」は1942年8月の第一次ソロモン海戦日本海軍の巡洋艦部隊と交戦し失われました。

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ロンドン級重巡洋艦同型艦:4隻)

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(直上の写真は、「ロンドン級」の概観。152mm in 1:1250 by Neptune )

 

 

同級は英海軍の条約型重巡洋艦カウンティ級」の第2グループで、4隻が建造されました。基本的な設計は第1グループの「ケント級」に準じていますが、速力向上のため舷側のバルジを廃止したため、防御力が低下しています。(速力は 31.5ノットから32.5ノットに向上)

その他、兵装等は基本的に前級を継承しています。

外見的には搭載機の格納庫が小型化しています。

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(直上の写真は、「ケント級」と「ロンドン級」の中央部の比較。航空艤装が変更され、格納庫が小型化しています)

 

第二次世界大戦では戦没艦はありませんでした。

 

 ノーフォーク重巡洋艦同型艦:2隻)

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(直上の写真は、「ノーフォーク級」の概観。152mm in 1:1250 by Neptune )

 

同級は「カウンティ級重巡洋艦の第3グループで、2隻が建造されました。前級まで課題のあった弾薬装填装置の軽量化改良が同級の目玉でしたが、実際には軽量化にはいたりませんでした。しかし、弾薬庫防御等の付随的な改善には成功しています。

外見的には前級「ロンドン級」と大差はありませんが、艦橋の構造が変更されています。

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(直上の写真は、「ロンドン級」と「ノーフォーク級」の艦橋の比較)

 

同級の「ドーセットシャー」が、1942年4月、日本海軍の空母機動部隊のインド洋作戦で撃沈されています。

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ヨーク級重巡洋艦同型艦:2隻)

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York-class cruiser - Wikipedia

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(直上の写真は、「ヨーク級」の2番艦、重巡洋艦エクセター」の概観。138mm in 1:1250 by Neptune) 

 

ヨーク級」は、いわゆる条約型巡洋艦の一連のシリーズに属し、英国の通商航路保護の要求によって隻数を揃えるために、前級「カウンティ級」よりも装甲が強化された代わりに、連装砲塔を1基減じて、排水量を抑え、建造費用を安価にした設計でした。

結果的にはサイズダウンにチャレンジした割には建造コストの削減効果は低く、以降、条約型の「軽巡洋艦」に建造の主力が移行してゆきます。結果、英海軍が建造した最後の「重巡洋艦」となりました。

「ヨーク」と「エクセター」の2隻が建造されましたが、細部には差異が見られ、準同型艦と見るべきかもしれません、外観的には大きく艦橋構造が異なっています。

同級は8300トン級の船体に8インチ砲6門を搭載し、53.3cm3連装魚雷発射管を2基、装備していました。速力は32ノットを発揮。

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(直上の写真は、「エクセター」の主砲配置と航空艤装。魚雷発射管の搭載位置:下段写真)

 

エクセター」は、第二次世界大戦開戦後、大西洋で大暴れしたドイツが放った通商破壊艦(ポケット戦艦)「グラーフ・シュペー」の追跡戦で活躍し、「グラーフ・シュペー」の11インチ砲によって大損害を受けながらも、ラプラタ河口で自沈に追い込んだことで有名になりました。

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(直上の写真はドイツ海軍装甲艦(ポケット戦艦)「アドミラル・グラーフ・シュペー」の概観:148mm in 1:1250 by Hansa: 下の写真では、その細部を拡大。「装甲艦」という実態は通商破壊専任の巡洋艦ながら「ポケット戦艦」の二つ名の由来となった11インチ主砲と重厚な装甲司令塔(上段・下段)、6インチ副砲の配置など(中段)がよくわかります)

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ベルサイユ条約で課せられた大型艦の代艦建造の際の「排水量上限1万トン、主砲の上限11インチ」(これは、第一次世界大戦前の前弩級戦艦以上の戦力をドイツ海軍に持たせない、という意図)を逆手とり、革新的な通商破壊艦として建造された「ドイッチュラント級」装甲艦3隻の一隻として建造されました。3隻の中では装甲司令塔(風)の艦橋部を持ち、最も重厚な外観を示しています。

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航続力に優れるディーゼル機関を搭載し、その発揮する26ノットの速力は、英海軍の戦艦では追いつけず(「フッド」「レナウン級」の巡洋戦艦のみ、これを補足することができました)、活動阻止にあたることが想定される英巡洋艦に対しては11インチ主砲で圧倒する、という非常に厄介な存在でした。

第二次世界大戦初頭の1939年8月の出撃以降、12月までの4ヶ月間で南大西洋、インド洋で50000トンほどの戦果を上げ、次の作戦領域と定めたラプラタ河方面に向かいました。英海軍はこの阻止のために5つの部隊を派遣し、12月にその一つハーウッド准将の率いるG部隊と遭遇し、海戦に入ります。

ラプラタ沖海戦では、英海軍G部隊の重巡洋艦エクセター」と「リアンダー級」軽巡洋艦の「エイジャックス」「アキリーズ」が「グラーフ・シュペー」の追撃戦に参加します。約1時間の砲撃戦の結果「エクセター」は大破、「エイジャックス」も主砲塔2基が使用不能になるなど、英艦隊は大きな損害を受けますが、「グラーフ・シュペー」も被弾し中立港であるモンテビデオに逃げ込みます。その後、中立国ウルグアイと損傷修理等の交渉を行いますが、英国の外交の効果で、これは叶わず、併せて英艦隊終結等の欺瞞情報により、「グラーフ・シュペー」はラプラタ河口で自沈しました。

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(直上の写真はドイツ海軍装甲艦(ポケット戦艦)「アドミラル・グラーフ・シュペー」(下段)とその阻止に当たった英海軍G部隊の対比(上段:「リアンダー級」軽巡洋艦(手前:「エイジャックス」と「アキリーズ」はこのクラスでした)と「エクセター」)。下の写真では、「エクセター」と「グラーフ・シュペー」の大きさ比較:「グラーフ・シュペー」の主砲塔の大きさが目立ちます) 

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エクセター」はその後、東洋艦隊所属となり、ABDA艦隊の一員としてジャワ島の攻防をめぐり発生したスラバヤ沖海戦に参加し、1942年3月、日本艦隊との戦闘で失われました。

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上記の「エクセター」の喪失に先立ち、「ヨーク」は地中海で作戦活動を行い、1941年5月、クレタ島攻防戦で損傷し行動不能となり放棄されました。 

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ということで、今回は、ここまで。次回は今回に引き続き「軽巡洋艦」の系譜をご紹介する予定です。

 もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

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