相州の、ほぼ週刊、1:1250 Scale 艦船模型ブログ

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

イタリア海軍 第二次世界大戦期の巡洋艦 その2・特設コラム付き

制作週間、まだまだ継続中。

と言うわけで、今回も少し短めに。

今回は前回の続きというわけで、イタリア海軍の第二次世界大戦中の巡洋艦の2回目。

軽巡洋艦、「コンドッティエリ型」という総称で知られる軽巡洋艦の艦級の紹介です。

 

「コンドッティエリ型」軽巡洋艦

少し前回の記述とも重複しますが、そもそも第一次世界大戦後、それまでの仮想敵であったオーストリア=ハンガリー帝国の崩壊により、イタリア海軍が主として東地中海(アドリア海)に受けていた大きな圧力は消滅しました。しかし、今度は西地中海、北アフリカに展開するフランス海軍が新たな仮想敵として浮上します。

ところが、とりわけそれまでの仮想敵であるオーストリア=ハンガリー帝国海軍との想定戦場であるアドリア海に適応して小型高速艦を充実させてきたイタリア海軍の駆逐艦では、西地中海に展開する大洋海軍であるフランス海軍の大型高速駆逐艦には対抗できず、これに対応できる高速軽防御の巡洋艦を建造することとしました。

この建艦思想に基づき建造された5つの艦級の軽巡洋艦を総称して「コンドッティエリ型」軽巡洋艦と呼ぶわけですが、これはこの艦級の軽巡洋艦が、いずれも中世末期から近世にかけてのイタリアの著名な傭兵隊長(コンドッティエリ: condottiere)の名前を艦名に冠しているところに起因しています。

 

 

ジュッサーノ級軽巡洋艦同型艦4隻:アルベリコ・ダ・バリアーノ、アルベルト・ディ・ジュッサーノ、バルトロメオ・コレオーニ、ジョバンニ・デレ・バンテ・ネレ)

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(直上の写真:「ジュッサーノ級」軽巡洋艦の概観:137mm in 1:1250 by Star)

 

本級は上述のように新たな地中海での仮想敵となったフランス海軍の大型駆逐艦の排除を主目的として設計されたイタリア海軍最初の軽巡洋艦です。5000トン級の比較的小型の艦型に仮想敵よりも一回り大きな主砲(53口径15.2センチ砲)を連装砲塔で4基搭載し、目的のためには十分な火力を有していました。36ノットの高速性を得る代わりに駆逐艦からの砲撃に対抗する比較的軽防御の艦となりました。

 

イタリア海軍の艦船の特徴でもあるのですが、航空艤装は艦首部に搭載していました。

小型の艦型に重武装を施したため、復原性に課題があり、凌波性・居住性も良好とは言えませんでした。

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(直上の写真:「ジュッサーノ級」軽巡洋艦の航空艤装の配置。前回でもご紹介しましたが、イタリア艦の一つの特徴として、一時期まで航空艤装を艦首部に装備する傾向がありました。これは一つにはイタリア海軍の活動領域があくまで地中海であり、太陽に比較すると穏やかな海域、という地勢的な要因も働いていると考えています。本級では、艦首部にカタパルトを搭載し(写真上段)、艦橋下部に格納庫を有していました(写真下段)。もう一つ、主砲塔にも注目。前回の重巡洋艦の回でも少し記述しましたが、イタリア海軍の巡洋艦では、主砲塔をコンパクトで軽量なものにするために、砲塔内で同一砲火に搭載するという設計が採用されていました。このため砲身間の位置が近く、斉射時には左右砲身の干渉波により散布界に課題がありました。同級でも同様の設計の主砲塔を搭載していました)

 

4隻が建造され、「バルトロメオ・コレオーニ」は1940年7月クレタ島を巡るスパダ岬沖海戦でが英・豪艦隊との交戦で失われ、「アルベリコ・ダ・バリアーノ」と「アルベルト・ディ・ジュッサーノ」の2隻が1941年12月の北アフリカへの輸送路をめぐるポン岬沖海戦で英艦隊との交戦で失われました。残った1隻「ジョバンニ・デレ・バンテ・ネレ」も、1942年4月英潜水艦の雷撃で沈没しています。

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カルドナ級軽巡洋艦同型艦2隻:ルイージ・カルドナ、アルマンド・ディアス)

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本級はイタリア海軍が設計した軽巡洋艦の第2陣です。基本的な設計、武装配置などは前級「ジュッサーノ級」軽巡洋艦に準じていますが、前級で課題であった復原性を改善するために上部構造の軽量化などが設計に盛り込まれました。

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(直上の写真:航空艤装が艦首部から艦中央部に移動され、艦首部。艦橋基部等が軽量化されました。直下の写真:「ジュッサーノ級」(上段)と「カルドナ級」の環境構造の比較:上述のように航空艤装が艦首部から艦中央部に移動したため、艦橋基部にあった航空機の格納庫がなくなり、艦橋がコンパクトになっています)

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2隻が建造され、「アルマンド・ディアス」が1941年2月輸送支援活動中に英潜水艦の雷撃で失われました。

 

モンテクッコリ級軽巡洋艦同型艦2隻:ライモンド・モンテクッコリ、ムツィオ・アッテンドーロ)

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(直上の写真:「モンテクッコリ級」軽巡洋艦の概観:146mm in 1:1250 by Copy )

 

本級は「コンドッティエリ型」軽巡洋艦の第3陣ですが、設計思想を一新した第二世代と言えるでしょう。その設計上の特徴は、艦型をそれまでの5000トン級から7500トン級に大幅に大型化して主兵装はほぼそのままに、装甲が格段に強化され巡洋艦を相手とした戦闘にも耐えられる設計となっています。一方で37ノットの高速性は引き継がれています。f:id:fw688i:20201220110745j:image

(直上の写真:艦橋はそれまでの支柱構造から塔構造に改められ、航空艤装は艦中央部に搭載されています)

2隻が建造されましたが、「ムツィオ・アッテンドーロ」が1942年空襲で戦没しています。大戦を生き抜いた「ライモンド・モンテクッコリ」は1964年まで就役していました。

 

デュカ・ダオスタ級軽巡洋艦同型艦2隻:エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ、エウジェニオ・ディ・サボイア) 

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(直上の写真:「デュカ・ダオスタ級」軽巡洋艦の概観:148mm in 1:1250 by Neptune)

 

「コンドッティエリ型」軽巡洋艦の第4陣で、前級「モンテクッコリ級」軽巡洋艦の拡大強化型です。兵装はほとんど前級のものを踏襲していますが、艦型が8500トン級に拡大され、装甲がさらに強化されています。f:id:fw688i:20201220110821j:image

(直上の写真:塔構造の艦橋と艦中央部の航空艤装、魚雷発射管などの同級の特徴のアップ)

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(直上の写真:「デュカ・ダオスタ級」(奥)と「ジュッサーノ級」(手前)の艦容の比較。前級の「モンテクッコリ級」以降、採用された新たな設計により、艦は大型化し、艦容がそれまでとは一変しました。以後、同級の設計がイタリア軽巡洋艦の標準的なものになってゆきます)

 

2隻が建造され、2隻ともに大戦を生き抜き、いずれも戦後、賠償艦としてソ連(1959年まで在籍)とギリシア(1964年まで在籍)に引き渡されました。



アブルッチ級軽巡洋艦同型艦2隻:ルイジ・ディ・サボイア・デュカ・デグリ・アブルッチ、ジュゼッペ・ガリバルディ

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(直上の写真:「アブルッチ級」軽巡洋艦の概観:151mm in 1:1250 by Neptune)

「コンドッティエリ型」軽巡洋艦の第5陣で、艦型が前級よりもさらに1000トン拡大され、9000トンを超える大型軽巡洋艦となりました。装甲がさらに強化されたほか、兵装が見直され、55口径15.2センチ砲という新型砲を採用。艦首部、艦尾部にそれぞれ3連装砲塔と連装砲塔の組み合わせで背負式に配置され、それまでの主砲8門から10門に強化されています。さらに砲架構造も、砲身間の干渉波により散布界に課題があるとされた前級までの同一砲架構造を改め単独砲架として砲身の間隔を広げて、散布界の改善を狙っています。

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(直上の写真:「アブルッチ級」の特徴のアップ。55口径の新型砲を3連装砲塔と連装砲塔の背負い式で搭載しています(上段)。艦中央部の航空艤装は強化されています(下段))

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(直上の写真:「アブルッチ級」(奥)と前級「デュカ・ダオスタ級」(手前)の艦型の比較。煙突の配置をはじめとする艦中央部の変更が顕著です。直下の写真:両級の砲塔および艦橋の比較。上段が前級「デュカ・ダオスタ級」下段が「アブルッチ級」。上述のように、それまで散布界に課題があるとされていた同一砲架構造を、単独砲架構造に改める事で砲身の間隔を確保しています)
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同級は2隻が建造され、両艦ともに大戦を生き抜き、それぞれ1961年、1972年までイタリア海軍に在籍していました。

 

新型嚮導巡洋艦

カピターニ・ロマーニ級軽巡洋艦同型艦計画12隻完成4隻:アッティリオ・レゴロ、ポンペオ・マーノ、シビオーネ・アフリカーノ、ジュリオ・ジェルマニコ(完成は大戦後))

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(直上の写真:「カピターニ・ロマーニ級」軽巡洋艦の概観:113mm in 1:1250 by Neptune)

これまでに見てきたように、本来フランス海軍の大型高速駆逐艦対策としてスタートした「コンドッティエリ型」軽巡洋艦の当初設計案は、結果的に9500トンクラスの大型重武装の巡航戦闘艦へと発達を遂げました。

一方で、当初設計への要求がなくなったかというと、そういうわけではなく、新たな大型駆逐艦対策巡洋艦の設計が求められました。本級はそういう要求に応えて建造された新型軽巡洋艦です。

本級は、本来の要求に立ち返り4000トンを切る仮想敵駆逐艦よりも少し大きい程度の艦型を有し、40ノットの高速と駆逐艦の標準的な主砲である5インチ砲をアウトレンジ、あるいは制圧できる13.5センチ砲を主砲として連装砲塔4基を有した設計となりました。量産性を考慮し、艦型をコンパクトにすることに重点を置いたため航空艤装は搭載していませんでした。

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(直上の写真:「カピターニ・ロマーニ級」軽巡洋艦の特徴のアップ。「コンドッティエリ型」軽巡洋艦の原点に立ち返り、駆逐艦対応を主眼として新たに設計された本級は、全体の構造が巡洋艦というよりも拡大された駆逐艦に近い外観をしています。写真ではちょっとわかりニキですが、魚雷発射管なども艦中央部に配置され、両舷方向に射界が確保される駆逐艦形式を採用していました。上段写真では、それまでの塔形状の艦橋が駆逐艦に近いものに改められています。固有の高角砲を持たず、その代わり多数の37mm対空機関砲を搭載しているのも見ていただけると思います。直下の写真では、「デュカ・ダオスタ級」(奥)との大きさや特徴を比較しています)
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同級は12隻の建造が計画されていましたが、結局3隻が建造され、全てが大戦を生き抜き、2隻がフランスへの賠償官として引き渡されましたが、残存した1隻と、戦後完成した1隻の計2隻がイタリア海軍でそれぞれ1971年、1980年まで就役していました。

 

未成巡洋艦

エトナ級軽巡洋艦同型艦2隻:エトナ、ヴェスヴィオ(いずれも未成))

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(直上の写真:「エトナ級」軽巡洋艦の概観:131mm in 1:1250 by Anker)

同級は、イタリアがタイ海軍の発注を受けて建造していた軽巡洋艦です。「タクシン級」という名称の下、4000トンの船体に15.2センチ連装砲3基を搭載し30ノットの速力を有する艦となるはずでした。

1941年にイタリア海軍が取得し、搭載主砲を13.5センチ連装両方砲3基に改め、その他にも対空砲を搭載し、高速輸送艦防空巡洋艦として完成する予定でしたが、建造途中でイタリアの降伏を迎え、完成しませんでした。イタリアの降伏後、ドイツ軍が接収して港湾封鎖目的で自沈処分されました。

 

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(直上の写真:「エトナ級」軽巡洋艦の特徴のアップ。モデルはおそらくタイ海軍の発注した15.2センチ主砲を搭載した原設計案を再現しています。イタリア海軍は同級を取得後、主砲を「カピターニ・ロマーニ級」と同じ13.5センチ砲に改、さらに連装の両用砲塔に搭載し、防空巡洋艦として輸送路護衛等に活用する計画でした。直下の写真では、「デュカ・ダオスタ級」(奥)との大きさや特徴を比較しています)f:id:fw688i:20201220111820j:image

 

前回でも触れましたが、イタリア海軍は戦争中期以降、艦隊保全の傾向が強くなり、活動を控える傾向が強くなり、特に戦闘での戦没艦は前半に集中しています。この傾向は今回紹介した軽巡洋艦でも同様で、力を発揮する場所に巡り合うことすらできずに戦争は終結します。

 

特設コラム:1:1250モデルのメーカー間の差異は?

その1:まずは、大きさ比較
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(直上の写真は、「ジュッサーノ級」軽巡洋艦のStar社製モデルとNeptune社製モデルの比較。奥がStar社、手前がNeptune:Star社の方がやや大ぶりで、特にStar社のモデルの特性として、乾舷の高さが気になる事があります。筆者はあまり気になる場合には、金属用のヤスリでガリガリと削ったりすることもあります。金属粉が飛ぶので、家族区からの「非難轟々」状態になります)

 

実はコレクションの根幹にも関わってくるので、あまり筆者としては触れたくはないのですが、結局避けては通れないので、ちょっとまとめをしておきましょう。

写真でも歴然かと思いますが、メーカーによりかなり解釈が異なり、それがフォルムやサイズに現れます。コレクション本来を考えるとどこか1社に統一すべきだとはもちろん思いますが、お財布事情と、ラインナップ、さらには日本というこのスケールではマイナーなロケーションを考慮すると、そうも言っておれず、という現実的な要因から、メーカー混在のコレクションに甘えているのが実態です。

 

その2:ディテイルの差異について

直下の二枚の写真では、外観的には準同型艦と言える「モンテクッコリ級」(Copy社)と「デュカ・ダオスタ級」(Neptune社)のモデルを比較しています。

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直上の写真では、左列がCopy社の「モンテクッコリ級」、右列がNeptune社の「デュカ・ダオスタ級」。直下の写真では上段が「モンテクッコリ級」、下段が「デュカ・ダオスタ級」。いずれを見てもらっても、両社の差は歴然としています。

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Neptune社で統一したいところではあるのですが・・

これまでにも何度か触れてきていますが、サイズ感。ディテイルのバランス等を考慮するとNeptune社が他社を頭二つ程度リードしているのが実情、という事が言えると思います。しかし、入手の価格等を考慮すると、特に筆者のように中古モデルを中心にコレクションする場合には(1:1250スケールマイナー国の日本では、入手経路が非常に限られています)おそらくNeptune社のモデルは他社の倍はする、と考えていいと思います。これは「コレクション」の充実には、大きな障害、です。

一方でHai社、Delphin社、Hansa社そしてStar社などは、モデル自体の質も決して低いわけではなく、価格もかなり手頃に入手ができますし、さらに加えてモデルの分解がしやすいという特徴があり、筆者は最近コレクションの中に多く加わり始めている3D printingモデルのディテイルアップなどには大変重宝しています。

もう一つ、同じNeptune社のモデルでもヴァージョン(制作年)によってかなり大きな差があります。もちろん後のヴァージョンになるほど、技術的な改善からディテイルの再現度は高くなっていますし、場合によっては新資料によってモデルが変更されていたり、それまでのエラーが修正されていたりする場合もあります。

特に筆者のように主として経済的な理由から(本当は中古モデルに手を入れたりするのが楽しかったりするのですが)中古市場を頼りにすると、当然、中古として放出されるのは旧ヴァージョンの比率が高くなりますので、注意と、何よりどこかで「思い切り」が必要です。そうしないときりがないから・・・。(あれれ、これは以前にも書きましたね)

fw688i.hatenablog.com

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もし、これからこのスケールでコレクションを初めてみようかな、などとお考えの方のご参考になれば。

 

という訳で、今回はここまで。

 

次回は、どうしようか? 年末も近づいてきましたね。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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