相州の、ほぼ週刊、1:1250 Scale 艦船模型ブログ

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

イタリア海軍 第二次世界大戦期の巡洋艦 その1

制作週間、継続中。

と言うわけで、今回も少し短めに。

前回のアドリア海に少し関連して、今回から2度にわたりイタリア海軍の第二次世界大戦期の巡洋艦のご紹介です。

 

イタリア海軍の巡洋艦は概ね以下の3つの系統に分かれています。

ワシントン・ロンドン体制で制限された戦力として整備された戦闘艦としての条約型重巡洋艦(3艦級:7隻)

嚮導巡洋艦(艦名に中世の傭兵隊長の名がつけられたところから「コンドッティエリ型」巡洋艦と総称されることがあります):駆逐艦部隊を支援して仮想敵であるフランスの大型駆逐艦を撃破する目的で建造された艦種で、いわゆる軽巡洋艦ですね。(5艦級:12隻)

新嚮導巡洋艦:上記の嚮導巡洋艦の艦級は次第に大型化し、重巡洋艦に匹敵する強力な戦闘艦になりました。一方でフランス海軍の新型の高速大型駆逐艦に対抗するため、嚮導巡洋艦本来の建造目的に準じた艦級を設計しました。(1艦級:12隻を建造する計画でしたが、3隻が大戦中に完成し、戦後1隻が完成しました)

 

今回は重巡洋艦の巻。

 

条約型重巡洋艦

第一次世界大戦の結果、イタリアが仮想敵としてきたオーストリア=ハンガリー帝国が解体されます。イタリア海軍にとって最大の仮想敵が消滅したわけですが、この仮想敵との想定主戦場はアドリア海であり、この多くの島嶼部を含んだ海域での活動を想定しイタリア海軍の主戦力は比較的小型に設計されていました。

第一次世界大戦後、西地中海、北アフリカ沿岸に展開するフランス海軍が新たな仮想的となったわけですが、同海軍は大型の高速重武装駆逐艦を揃えており、上述のアドリア海での活動を想定したイタリア海軍の小型駆逐艦では対抗できませんでした。

これらのフランス海軍の重装備駆逐艦に対抗するためにイタリア海軍は一連の高速軽装甲の軽巡洋艦を建造しますが、これらは艦名に中世の著名は傭兵隊長の名がつけられたことにちなみ、「コンドッティエリ(傭兵隊長)型」軽巡洋艦と総称されました。

さらにこの設計思想を強化し、ワシントン軍縮条約で保有制限を受けた主力艦を補完する戦闘艦として一連の重巡洋艦を建造します。

 

トレント重巡洋艦同型艦2隻:トレントトリエステ

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(直上の写真:「トレント級」重巡洋艦の概観:157mm in 1:1250 bu Copy(Neptune))

 

トレント級」重巡洋艦は、イタリア海軍が最初に設計した重巡洋艦の艦級です。

基本的には前述のフランス海軍の高速大型駆逐艦を仮想敵とした「コンドッティエリ型」軽巡洋艦の強化型であり、主砲を8インチ砲としました。しかし、基本設計は高速重武装駆逐艦の排除を目的とした軽巡洋艦の延長上にあり、公称38ノット(実際には35ノット)の高速を有するものの比較的軽装甲でした(舷側70mm:1929年就役)。

この辺りの建造までの経緯は日本海軍の「古鷹級」重巡洋艦(就役1926年)と類似しており、これらの強力な巡洋艦の登場が重巡洋艦(カテゴリーA)、軽巡洋艦(カテゴリーB)の艦種規定を始め、補助艦艇の保有制限を設けるロンドン会議の開催へのきっかけとなったといえるでしょう。

 

1000トン級の船体に、前述のように主砲には8インチ砲を採用し、これを連装主砲塔4基に搭載して艦首部と艦尾部に各2基づつ、バランスよく配置していました。同砲は50口径の長砲身砲で、118kgの砲弾を28000mまで届かせることができました。しかし軽量化を狙いコンパクトな砲塔設計を狙ったため、同砲塔内の左右砲の干渉波によりせっかくの長砲身砲を採用しながら散布界には課題があったようです。

魚雷発射管は船体内に内蔵する形式で搭載されていました。

艦首甲板下に水上偵察機の格納庫を持ち、これを艦首方向に設置した固定カタパルトから射出し運用する方式を採用していました。

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(直上の写真:「トレント級」重巡洋艦の特徴である艦首部の航空艤装(上段):1番砲塔直前の水上偵察機の格納庫と艦首にのびたカタパルトが特徴です。下段写真は特徴的な支柱構造の艦橋部)

 

トレント:就役:1929年 1942年6月:英潜水艦の雷撃によりイオニア海で失われました。

トリエステ:就役:1928年 1943年4月:米軍機の爆撃で沈没。

 

 ザラ級重巡洋艦同型艦4隻:フューメ、ポーラ、ゴリチィア、ザラ)

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(直上の写真:「ザラ級」重巡洋艦の概観:145mm in 1:1250 by Neptune: 戦隊をやや小型化し、速力を抑えた代わり、装甲を強化したため、重量は前級「トレント級」を上回りました)

 

「ザラ級」重巡洋艦は前述の「トレント級」重巡洋艦の改良型で、 「トレント級」重巡洋艦がフランス海軍の重武装高速駆逐艦への対抗策として設計された「コンドッティエリ型」軽巡洋艦の延長線上ににある軽装甲の巡洋艦であったのに対し、速力を少し抑えて重装甲とし、より戦闘艦としての性格を強めた本格的な重巡洋艦として建造されました。

条約制限内に収めるために関係をやや小型化し、装甲重量の増大から武装の削減として雷装を廃止するなどの方策が取られましたが、やや条約制限をオーバーする11800トンとなってしまいました。

主砲は53口径の8インチ砲を採用しています。この砲は125kgの砲弾に対し31500mの射程を有する優秀な砲でしたが、前級同様、重量削減を狙いコンパクトな砲塔に搭載したことから、散布界に課題を抱えたままでした。

航空艤装は、前級同様、艦首部に搭載していました。

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(直上の写真: 航空艤装を前級に倣い艦首部に搭載しています(上段):1番砲塔直前の水上偵察機の格納庫と艦首にのびたカタパルトが特徴です。下段写真は特徴的な支柱構造の艦橋部)

 

ザラ:就役:1931年 1941年3月:マパタン岬沖海戦で英艦隊と交戦。沈没。

フィウメ:就役:1931年 1941年3月:マパタン岬沖海戦で英艦隊と交戦。沈没。

ゴリツィア:就役:1931年 1943年9月:イタリア降伏後、ドイツ軍に接収。1944年6月:国側に立って参戦したイタリア海軍の特殊潜航艇による潜入攻撃で撃沈されました。

ポーラ:就役:1932年 1941年3月:マパタン岬沖海戦で英艦隊と交戦。沈没。

 

マパタン岬沖海戦

1941年2月、枢軸国のギリシア侵攻に備え、イギリス軍はギリシア防衛のために陸軍部隊をギリシアに派遣しようと試みます。この阻止を目的としてイタリア海軍が出撃し、1941年3月、英海軍地中海派遣艦隊との間で海戦が発生します。イタリア海軍は保有する重巡洋艦7隻のうち6隻をこの海域に投入し、さらに新鋭戦艦「ヴィットリオ・ベネト」も投入します。

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(1940-, 41,377t, 30 knot, 15in *3*3, 3 ships, 192mm in 1:1250 by Neptune)

 

一方、英艦隊も軽巡洋艦部隊に加え地中海艦隊の主力である戦艦3隻と空母1隻も投入し、これに対抗しました。

当初は英軽巡洋艦部隊と伊重巡洋艦部隊の間で砲戦)が交わされますが、両軍に損害は出ませんでした。

その後。英空母「フォーミダブル」の艦載機とクレタ島基地から発進した雷撃機の空襲で、伊戦艦「ヴィットリオ・ベネト」重巡洋艦「ポーラ」が損傷し、「ポーラ」の救護に海域に止まった僚艦「ザラ」「フィウメ」を、英戦艦3隻(「ウォースパイト」「ヴァリアント」「バーラム」)がレーダ照準による夜間奇襲砲撃を加えこの3隻を撃沈してしまいました。

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(マパタン岬沖海戦に参加した英海軍の戦艦:上段「バーラム」下段「「ウォースパイト」「バリアント」 いずれも「クイーン・エリザネス級」ですが、近代化改装のレベルがやや異なります。余談ですが、「ウォースパイト」は第1次世界大戦でも活躍したロートルですが、第2次世界大戦でも、数次の損傷を受けながらも、そのほぼ全期間を通じて前線で活動し、挙げた戦果から第2次世界大戦期の最優秀戦艦とも称されています。154mm in 1:1250 by Neptune/Argonaut) 

 

 重巡洋艦ボルツァーノ同型艦なし)

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(直上の写真: 重巡洋艦「ボルツァリーノ」の概観:158mm in 1:1250 by Neptune)

 

前述のように地中海の展開するフランス海軍の大型高速駆逐艦への対抗として、イタリア海軍は「コンドッティエリ型」軽巡洋艦の整備を進めるわけですが、フランス海軍もこれに対抗して新設計の「ラ・ガソニエール級」軽巡洋艦を整備します。

これへの対抗策として、再び高速軽装甲の重巡洋艦整備の必要性が高まり、「トレント級」重巡洋艦を対応シップとして1隻だけ建造されたのが重巡洋艦ボルツァーノ」です。同艦はイタリア海軍が建造した最後の重巡洋艦となりました。

タイプシップとした「トレント級」との相違点は航空艤装の配置。従来、イタリア海軍の巡洋艦は航空艤装を艦首部に配置してきましたが、艦首配置は、搭載機の発艦については艦首の向かい風を利用できる利点があったものの、少しの荒天でも艦首波により搭載機の運用が妨げられるなどの課題があったため、配置を艦中央部へと変更しました。f:id:fw688i:20201213140357j:image

(直上の写真: 本艦では、それまでイタリア巡洋艦の特徴の一つであった艦首部に搭載していた航空艤装を艦中央部に移動しています)

主砲は前級同様、優秀な諸元を持つ53口径の8インチ砲を採用しましたが、コンパクト砲塔への搭載による散布界の課題は同様に引き継がれました。

前級では廃止した雷装を復活し、船体内に内蔵する形式で搭載していました。

 

1933年:就役 イタリア降伏後、ドイツ軍に接収。1944年6月:国側に立って参戦したイタリア海軍の特殊潜航艇による潜入攻撃で撃沈されました。

 

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(直上の写真: イタリア海軍の重巡洋艦3艦級の艦型比較。手前から「トレント級」「ザラ級」「ボルツァリーノ」。設計の重点が、速力、戦闘力・防御力、再び速力、と移って行ったことが、そのまま艦型に現れています)

 

上述のマパタン岬沖海戦で、出撃した6隻の重巡洋艦のうち一気に3隻を失うと言う一方的な損害を被ったイタリア艦隊は重度の艦隊保全主義に陥り、以降、艦隊全体の行動が限定的となり、活躍の場を見いだせず順次失われてしまいました。

 

という訳で、今回はここまで。

 

次回は、今回に引き続きイタリア海軍の第二次世界大戦期の巡洋艦のその2。「コンドッティエリ型」軽巡洋艦の系譜を総覧する予定です。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

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