相州の、ほぼ週刊、1:1250 Scale 艦船模型ブログ

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

英海軍の航洋型装甲艦事情(その2):中央砲塔式装甲艦の模索経緯

今回は英海軍の航洋型装甲艦の開発経緯の2回目。

前回も少し触れましたがこの時期の英海軍も、当時の列強海軍の例に漏れず、蒸気機関搭載の航洋型装甲艦の在り方を模索した時期でした。

前回では、帆装木造戦列艦の流れからの発展形で、舷側砲門式装甲艦(8艦級16隻:1861年から1865年ごろに就役)と艦砲の大口径化を背景とした中央砲郭式装甲艦(13艦級18隻:1864年から1880年ごろに就役)のご紹介をしたわけですが、この大口径砲に十分な防御と社会を与える形式として、砲塔形式が世に問われ、やがて主力艦の主砲搭載形式として、主流となってゆくわけですが、今回はその黎明期のお話です。

 

中央砲塔式装甲艦:Central Turret Ship(6艦級9隻:1871年-1882年頃就役)

従来の木造戦列艦に搭載されていた前装式艦砲が装甲艦にはほぼ無力であるという戦訓から、主砲の大口径化が必須となり、搭載艦砲の重量増から搭載数も限定されてきます。限定された大口径砲に広い射界を与える方法として中央砲郭式の搭載法が試みられましたが、死角が大きく、蒸気機関の出力の増大も合わさって機械式動力による砲塔式の搭載法が模索されるようになります。

今回ご紹介する艦級は、主砲をこの砲塔形式での搭載により広い射界を与えられた艦級群です。

砲塔は前述のように機械式の旋回動力部を備え、かつ主砲弾の装填機構と弾庫を隣接して装備する必要があるため、被弾に対する耐性が求められ、多くの場合には同様の趣旨で開発された中央砲郭のような装甲で重厚に防備された「囲い」内に収められる形で開発が進み、従って砲塔位置はその「装甲囲い(Citadel)」内に限定され、ここに主砲、弾薬等の重量物が集積されたため、必然的に艦の中央に位置することが多く、中央砲塔式(Central Citadel Turret Ship)という形式になってゆくのでした。

英海軍は以下の6艦級9隻を建造しました。

艦級名(完成 or 就役年次)

  排水量(ton)
Devastation-class mastless turret-ship 9,188
  Devastation (1871)   
  Thunderer (1872)   
Neptune (1874) masted turret-ship 8,964
Dreadnought (1875) mastless turret-ship  10,866
Inflexible (1876) central citadel turret-ship  10,880
Ajax-class central citadel turret-ships 8,510
  Agamemnon (1879)   
  Ajax (1880)   
Colossus-class turret-ships 9,150
  Colossus (1882)   
  Edinburgh (1882)  

 

「デヴァステーション級」装甲艦(1871年から就役:同型艦2隻)

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(「デヴァステーション級」装甲艦の概観:83mm in 1:1250 by Hai)

同級は英海軍が自国沿岸防御を主眼に建造した装甲艦で、英海軍としては初めて帆装を全廃した設計でした。

9300トン級の船体の中央部に設けられた装甲郭内に2基の連装砲塔を収め、13.8ノットの速力を出すことができました。しかし当時の重い機関重量、同様に重い動力旋回機構を組み込んだ主砲塔などの構造から、乾舷は低くせざるを得ませんでした。

主砲には30.5センチ前装ライフル砲が採用され、これを周囲に装甲をめぐらせた連装砲塔2基に収められていました(二番艦「サンダラー」は30.5センチ前装ライフル砲の連装砲塔と31.8センチ前装ライフル砲の連装砲塔を各1基搭載していました)。

30.5センチ前装式ライフル砲:前装式主砲の次発装填

同級が搭載していた30.5センチ砲は砲口から次弾を装填する「前装式ライフル砲」(RML:Rifeled Muzzle-loading) でした。

(下の図は同級の主砲の装填機構を図示したものです:Wikipediaより拝借)

上掲の図でも明らかなように、砲弾の装填機構と弾庫は砲塔外に位置していました。装填時には装填口に砲身位置を戻さねばなリませんでした。

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(「デヴァステーション級」装甲艦の主要部の拡大:次発装填は砲塔を回して、ということでしょうか?)

機関等の重要部を装甲郭で覆いその両端に主砲塔を配置した点などは、後の近代戦艦の基本形につながるところもあり、近代戦艦のルーツ、と言われることもあります。

 

装甲艦「ドレッドノート」(1875年就役:同型艦なし)

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(装甲艦「ドレッドノート」の概観:by Hai:モデルは未保有です。写真は例によってsammelhafen.deから拝借しています)

同艦は本来は「デヴァステーション級」の三番艦であったものを設計変更した拡大改良型で、船体を10900トン級まで拡大し、主砲には「デヴァステーション級」二番艦の「サンダラー」で採用された31.8センチ前装ライフル砲が採用され、これを連装砲塔2基に分載しています。装甲が強化された他、速度も14.5ノットに向上しています。船体は平甲板型に近く「デヴァステーション級」で課題であった艦首部・艦尾部の乾舷が高められ、航洋性が改善しています。

 

装甲艦「ネプチューン」(1883年就役:同型艦なし)

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(モデルが見当たらず:Hai製のモデルがあるかもしれませんが、見たことはないし、写真も見つけられず:代わりに上のイラストは全体の配置がわかって結構面白い。それにしても、煙突直後以外は帆装が全面展開、ですね)

1881 Year HMS Neptune 5168 Poster 1881 - 1903 | HMS Neptune … | Flickr から拝借しています)

同艦はブラジル海軍向けに建造されていたものを英海軍が完成させたもので、三檣形式・二本煙突の機帆併装艦でした。9100トン級の船体を持ち、14.2ノットの速力を発揮できました。

船体中央部に設けかれた装甲部に主砲塔2基を搭載し、航洋性に配慮した高い艦首楼・艦尾楼が設けられていました。

主砲には31.8センチ前装ライフル砲が採用され、これを連装砲塔形式で艦中央部の装甲部に2基、搭載していました。

(上の図は装甲艦「ネプチューン」の主砲と主要構造物の配置:Wikipediaより拝借)

上掲の図でも明らかなように、主砲塔は両舷側方向への射撃のみが可能で、このため艦首楼には副砲として22.9センチ前装ライフル単装砲が2基収められ、艦首方向への火力を補っていました。

就役後、煙突からの排煙で痛みの激しい中央マストの帆装は廃止され、1886年には中央マスト自体が撤去され、帆装が全廃されました。

閑話休題日本海軍も同艦購入を検討していた(らしい)

同艦は前述のように元々はブラジル海軍向けの装甲艦として建造されたものでした。しかし資金難から工事が進まず、折りからの英海軍の対露戦備として英海軍が購入したのですが、同時期に日本海軍は清国への対抗上の一策として購入を検討していたようです。「高千穂」の艦名が準備されていたとか。

同時期の日本海軍は「扶桑」以外には装甲艦を保有していませんでしたので、もし購入されていれば30センチ級主砲を持つ最大の主力艦として日清戦争に臨んでいたでしょうね。やっぱりモデルが欲しいなあ。どこかにないかな。

 

装甲艦「インフレキシブル」(1876年就役:同型艦なし)

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(装甲艦「インフレキシブル」の概観:85mm in 1:1250 by Brown Navy Miniature in Shapeways)

イタリア海軍が建造した「デュイリオ級」装甲艦に対抗して設計された艦で、艦中央の装甲区間に当時の英海軍としては最大口径の40.6センチ前装ライフル砲を収めた連装砲塔2基を、射界を両舷側方向だけでなく艦首方向、艦尾方向にも確保するためにオフセット配置しているのが特徴でした。

副砲には9.5センチ後装式ライフル砲が採用され、6基搭載されていました。

大型の主砲塔(1基750トン)を搭載したため船体は11800トンを超え、長い艦首楼と艦尾楼を配置することで良好な航洋性を確保し、14.8ノットの速力を発揮する設計でした。

装甲区画以外は無装甲とする集中防御方式や、魚雷発射管を水上・水中に2基づつ設置したり、当時流行りであった艦載水雷艇を搭載するなどの、新基軸が取り入れられていました。f:id:fw688i:20240630120301j:image

(装甲艦「インフレキシブル」の主要部の拡大:次発装填は写真では砲塔の右に見えている二つのハッチから、でしょうか?:あわせて写真下段では艦尾楼上に艦載水雷艇が搭載されています)

就役時は平時には帆装も用いる設計でしたが、1885年には帆装は全廃され、副砲は随時強力な砲に換装されるなど近代化が施され、1893年まで現役にあり1903年に解体されました。

 

「エイジャックス級」装甲艦(1879年から就役:同型艦2隻)

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(「エイジャックス級」装甲艦の概観:by Hai:モデルは未保有です。写真は例によってsammelhafen.deから拝借しています)

「インフレキシブル」の高評価に伴い、同艦の設計を浅吃水の要求されるバルト海黒海での対露作戦活動向けにやや縮小した設計としたのが同級です。

8500トン級の船体に31.8センチ前装ライフル砲の連装砲塔2基を搭載した設計でした。各部の配置は「インフレキシブル」の設計を踏襲しましたが、帆装は設計時点から廃止されていました。防御方式は「インフレキシブル」に準じて集中防御方式を採用し、装甲部や主砲塔の装甲配置等は同じ要領でしたが、非装甲部に被弾した場合、装甲部の浮力だけでは浮いていられず、装甲艦としては失敗作だったと言われています。

 

中央砲塔式装甲艦(後装式主砲搭載)

「コロッサス級」装甲艦(1882年から就役:同型艦2隻)

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(「エイジャックス級」装甲艦の概観:79mm in 1:1250 by Brown Navy Miniature in Shapeways)

同級は「エイジャックス級」装甲艦の拡大改良型として設計された装甲艦の艦級で、速力と航続距離の向上、副砲の強化、航洋性の改善などが図られました。

船体は9400トン級に拡大され、16.5ノットの速力を発揮することができました。

船体は全て鋼製となり、主砲塔、船体の装甲部には複合装甲版が取り入れられ対弾性が高められるなど、技術進歩が随所に取り入れられました。

主砲も同様で、同級の主砲には30.5センチ後装砲が英海軍の装甲艦としては初めて採用されました。

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(「エイジャックス級」装甲艦の主要部の拡大:79mm in 1:1250 by Brown Navy Miniature in Shapeways)

同級は後装砲を主砲として採用した最初の艦級でしたが、後装砲の場合、砲塔内の砲尾から装填を行います。その際に発射の熱気、ガスなどが砲塔内に溜まるので、これに対する対策が必要だったはずです。同級ではどうしたんでしょうか?砲塔天井に換気口らしきものは見えますが。

この当時の装甲砲塔は照準が基本、砲側照準であったこともあって、長い射程での砲戦は想定されていませんでした。想定される弾道が低いために相当側面には厚い装甲が張り巡らされていましたが、天蓋部分は通常の天井で相応があったとしても薄いものがある程度でした。

日清戦争当時の清国北洋艦隊の主力艦「定遠級」装甲艦の主砲は波浪・破片対策にフードをかぶせただけの露砲塔で、特に戦闘中は主砲発射のガス・熱気対策でフードは外されていたようです。

両艦は1900年前後に砲術学校の母艦となり、1910年ごろに解体されています。

「インフレキシブル」以降、同級まで建造されてきた中央砲塔艦は沿岸用の砲塔式砲艦の基本配置から発展した形態で、主砲塔の射界には限界があり、英海軍では同級がこの形態の最後の艦級となりました。

 

ということで、今回は英海軍の航洋型装甲艦の型式の変遷を保有するモデルをなぞって見てきましたが、これに続く砲塔式装甲艦については、そう遠くない時期にある程度網羅的にモデルのご紹介をしたいと思っています。

 

次回は英海軍の「装甲艦小史」の最終回、つまり舷側砲門式装甲艦、中央砲郭式装甲艦から中央砲塔式装甲艦と模索の続く装甲艦から近代戦艦への最後の橋渡しとなったいくつかの艦級のご紹介を予定しています。

 

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