相州の、ほぼ週刊、1:1250 Scale 艦船模型ブログ

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

19世紀後半、装甲艦の海戦史 その1:リッサ海戦(蒸気装甲艦と衝角戦法)

本稿では最近、戦艦の揺籃期、つまり「前弩級戦艦以前の主力艦」のご紹介が続いています。

この傾向は当面続く予定ですが、今回は史上初の蒸気装甲艦同士の本格的な海戦として、これまでにも時折登場している「リッサ海戦」(1866年)についてのお話です。

 

蒸気機関の発達と装甲艦の登場

海戦のお話に移る前に、おさらい的に軍艦への蒸気機関の浸透の過程を、簡単にまとめておきます。

世界初の実用蒸気船の誕生は1783年、フランス人:クロード・フランソワ・ドロテ・ジュフロワ・ダバンによる、とされています。(一般的には、1807年アメリカ人フルトンにより建造された蒸気船が乗客を乗せてハドソン川での運行されたため、こちらの印象が強いようですが)

当初、船舶用の蒸気機関は外輪推進が主流であったため、舷側に砲門を並べるそれまでの軍艦では大型の外輪が砲門設置を妨げるため馴染まず、蒸気機関の普及は商船から始まりました。そのような背景でスクリュー推進が実用化するまで軍艦への応用は進みませんでした。

あわせて運用する海軍軍人側にも、当初の蒸気機関は故障が多く安定せず、また効率の悪さから燃料(石炭)切れによる推進力の喪失を極端に恐れる傾向があり、蒸気船の普及に対する抵抗が根強くあったとか。

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(蒸気機関登場以前、ナポレオン期の軍用帆船:いわゆる帆装軍艦ですね。基本構造は木造で、舷側に多くの砲門を設けるために、砲甲板を何層設けるかで、軍艦の用途が自ずと異なりました。上段が砲戦を主要な任務とする戦列艦:舷側に複数層の砲甲板を装備しています。後にいわゆる「戦艦」に発展します。写真の戦列艦は58mm(バウスプリット:船体の先端から突き出している前方に傾斜し突き出している棒を除いた船体の寸法です) 下段は軽快な機動性を持つフリゲートスクーナー(左):後に「巡洋艦」等に発展します。写真のフリゲート(右)は48mm(バウスプリットを除く):写真は筆者保有の1:1200スケールモデル:Langton製)

 

しかし、やがてスクリュー推進の実用化が進むと、自立した機動性を有する軍艦に対する優位性の認識は高まり、英海軍の既存の帆走74門戦列艦「エイジャックス」が1846年に汽帆走戦列艦に改装されます。これを追う形でフランス海軍も初の蒸気機関搭載の新造艦として90門戦列艦「ナポレオン」を1850年に就役させ、やがて英海軍も1852年に91門蒸気機関戦列艦アガメムノン」を就役させました。これを皮切りに英仏を中心に汽帆走軍艦の建艦競走が始まりました。

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(上の写真は英海軍が1852年に就役させた91門搭載蒸気機関戦列艦アガメムノン」の同型艦「ヒーロー」(上段)と、フランス海軍の90門搭載蒸気機関戦列艦「ナポレオン」(1850年就役)。いずれもTriton製モデル:構造的には従来の帆装戦列艦そのままの設計で、舷側に複数層の甲板にずらりと砲門を並べた構造です。写真からはいずれも4層の甲板に砲門を並べていることがわかると思います:写真は例によってsammelhafen.deから拝借しています)

 

海軍軍人の石炭切れへの恐怖感、帆装への郷愁をよそに、蒸気機関の搭載は艦艇の機動性を飛躍的に向上させます。

そして蒸気機関の性能の向上は、帆装のみでは実現できなかった重量物「舷側装甲」の装着を可能にします。こうして木造艦は船の要所に装甲帯を装備する「木造鉄皮」艦へと生まれ変わってゆきます。

こうした軍艦で構成された艦隊同士の初の激突が「リッサ海戦」として具現化したわけです。

 

「リッサ海戦」とは

ここから今回の本題です。

リッサ海戦は、1866年に勃発した普墺戦争の一環として戦われた海戦でした。

普墺戦争は、統一ドイツの方向性を定める覇権争いで、産業革命推進の必須条件である一定規模の経済圏の確立範囲をめぐりプロイセン王国(小ドイツ主義=ドイツ民族経済圏)とオーストリア帝国(大ドイツ主義=中央ヨーロッパ経済圏)の間で争われた戦争でした。この戦争に、オーストリア帝国との間に領土問題を抱える統一間もないイタリア王国プロイセン陣営側に立って参戦したわけです。

イタリア王国の参戦の狙いはイタリア北部に隣接するロンバルディアの支配権獲得と、併せてアドリア海での覇権確立とイタリア王国にとってアドリア海対岸であるダルマシアへの領土拡大でした。

そのアドリア海のほぼ中央にオーストリア帝国によって要塞化されたリッサ島(現クロアチア、ヴィス島)があり、この島の攻略がアドリア海制海権獲得に重要であることは明白であり、この攻略戦の一環として起こった海戦が「リッサ海戦」として後に呼称されるようになります。

海戦経緯

1866年7月16日夕刻、イタリア艦隊はリッサ島上陸部隊を伴いリッサ島に向かい出撃します。18日にはリッサ島に対する攻撃を開始しますが、断崖絶壁を利用して建設された要塞砲台への有効な砲撃が叶わず、また19日、リッサ湾からの上陸も悪天候などが原因で予定通りには進みませんでした。

19日オーストリア帝国側からはこれを阻止するために艦隊が出撃、20日には両艦隊がリッサ島沖で激突(文字通り=これは後で種明かし)するわけです。

艦隊の構成を見ておくと、イタリア艦隊が装甲艦(木造鉄皮)12隻、木造戦列艦11隻、木造フリゲート艦5隻で、オーストリア艦隊は装甲艦(木造鉄皮)7隻、木造戦列艦7隻、木造フリゲート艦12隻で、海戦での主力戦闘力となるであろう装甲艦・木造戦列艦の数ではイタリアが優勢で、併せて総砲門数でもイタリア艦隊の641門に対しオーストリア艦隊532門と、イタリア艦隊の優位は明らかでした。

しかしテゲトフ提督に率いられたオーストリア艦隊の士気は高く、イタリア人をダルマシアに対する侵略者と見做していたのに対し、イタリア艦隊は艦艇はともかく、乗員や指揮系統は統一間もない国家という背景から、各地方領主から提供された兵員の寄せ集めの感が残されていました。

イタリア艦隊は舷側砲門を有効に生かすべく装甲艦9隻(3隻は要塞攻撃に分派)のみによる単縦陣隊形を取り、3隻づつ3グループに分けてオーストリア艦隊の包囲を目指します。一方のオーストリア艦隊は7隻の装甲艦を第一列に、木造艦を第二列以降に並べた1000メートル間隔の3列からなる楔形陣形をとり、イタリア艦隊の横腹をつく隊形を取りました。

オーストリア艦隊の指揮官テゲトフ提督にはいくつか確信があったようで、前述のように自艦隊の士気の高さに加え、当時の砲撃が、静止目標に対してはともかく、移動目標に対し命中させることが著しく困難であること、併せて命中弾が与える損害がそれほど大きなものではないことなどから、楔形陣形による突撃という戦法を目指す決断をしたようです。

これに加え、以下でも再度記述することになると思いますが、戦闘直前の旗艦変更による隊形と指揮系統の混乱などがイタリア艦隊側に加わり、イタリア艦隊の第一グループと第二グループ以降に大きな間隔が生じてしまい、装甲艦の数の優位性がイタリア艦隊からは失われました。

戦闘は楔形体系で突撃をかけたオーストリア艦隊の装甲艦7隻によるイタリア艦隊の第二グループ3隻への攻撃、イタリア艦隊の装甲艦第三グループ以降(4隻)とオーストリア艦隊の非装甲艦14隻の戦闘という様相を呈し、結果、イタリア艦隊は主力装甲艦「レ・ディタリア」を集中砲火とオーストリア艦隊の旗艦「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス」の衝角攻撃で、装甲砲艦「パレストロ」を衝角攻撃による損傷とその後の集中砲火で失い、オーストリア艦隊には喪失艦はなく、オーストリア艦隊の勝利となりました。

 

オーストリア帝国イタリア王国との戦いでは臨戦でも、この海戦でも勝利を挙げますが、これらの勝利は戦争そのものへの寄与はほとんどなく、ケーニヒグレーツの戦いでプロイセン軍に大敗し、8月23日に休戦条約が結ばれます。結果統一ドイツからオーストリア帝国の影響力は排除され、以降、ドイツはプロイセン中心で統一へと向かうことになります。

 

「リッサ海戦」のオーストリア帝国艦隊装甲艦

リッサ海戦に投入されたオーストリア艦隊の装甲艦を見ておきましょう。繰り返しになりますが、海戦に投入された装甲艦は7隻、以下にご紹介する3つの艦級から構成されていました。

「ドラッヘ級」装甲艦(1862年就役:同型艦2隻)

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Drache-class ironclad - Wikipedia

(上の写真は「ドラッヘ級」装甲艦の概観:モデルは未保有です。SextantとHaiからモデルあ出ています。上の写真はSextant製モデル:例によってsammelhafen.de,より拝借)

同級は1862年から就役したオーストリア帝国海軍の初の蒸気装甲艦の艦級です。

木造の船体に装甲をはった2750トンの船体を持ち、11ノットの速力を発揮できました。18センチ前装式カノン砲10門と15センチ単装砲18門を舷側にずらりと並べた、いわゆる舷側砲門形式の装甲艦です。

リッサ海戦には2隻共装甲艦戦列の一員として参加していました。

 

「カイザー・マックス級」装甲艦(1863年就役:同型艦3隻)

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Kaiser Max-class ironclad (1862) - Wikipedia

(上の写真は「カイザー・マックス級」装甲艦の概観:モデルは未保有です。SextantとHaiからモデルあ出ています。上の写真はSextant製モデル:例によってsammelhafen.de,より拝借)

同級は「ドラッヘ級」装甲艦の改良型として1863年から就役した装甲艦の艦級です。

3600トン級の船体を持ち11.4節の速力を有していました。前級同様の舷側砲門形式で18センチ前装式カノン砲16門と15センチ単装砲15門を舷側にずらりと並べていました。

リッサ海戦には同型艦3隻全てが参加しオーストリア艦隊装甲艦戦列のの主力を構成していました。

 

「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス級」装甲艦(1866年就役:同型艦2隻)

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Erzherzog Ferdinand Max-class ironclad - Wikipedia

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(「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス級」」装甲艦の概観:64mm in 1:1250 by Sextant)

同級はオーストリア帝国海軍が建造した最後の舷側砲門形式の装甲艦の艦級です。

船体は5100トン級に拡大され、12.5ノットの速力を発揮できました。18センチ前装式カノン砲16門を主兵装として、その他中口径砲を装備していました。f:id:fw688i:20240526133538j:image

(「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス級」」装甲艦の主王兵装の拡大:舷側に装甲を貼り砲門を並べた舷側砲門形式の装甲艦の特徴が良くわかります)

リッサ海戦には同級2隻が参加し、ネームシップの「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス」がテゲトフ提督の旗艦を務めました。海戦では旗艦自らイタリア艦隊の主力艦「レ・ティタリア」に衝角攻撃をかけ撃沈しています。

 

「リッサ海戦」のイタリア艦隊装甲艦

イタリア艦隊の装甲艦も見ておきましょう。

海戦に参加した装甲艦は9隻で、以下にご紹介する5つの艦級で構成されていました。

 

「プリンチペ・ディ・カリニャーノ級」装甲艦(1863年就役:同型艦3隻)

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Principe di Carignano-class ironclad - Wikipedia

(モデル未保有:Hai社からモデルは出ているようですが、筆者はまだ見たことがありません。写真はWikipediaに掲載されているもの)

同級は草創期のイタリア海軍が国産した木造鉄皮の装甲艦の艦級で3隻が建造されました。3500トン級の船体に20.3センチライフル砲16門、16.4センチライフル砲12門を搭載する舷側砲門艦で、11ノットの速力を発揮することができました(2番艦、3番艦は国産鉄製装甲の製造の遅れから、就役までに時間を要し、25.4センチライフル砲を搭載して就役しました)。

上記のように就役に時間がかかったことから、リッサ海戦には1番艦「プリンチペ・ディ・カリニャーノ」のみ参加し、前衛部隊の先頭艦を努めました。しかしオーストリア帝国艦隊がイタリア艦隊の前衛部隊をやり過ごしてから攻撃をかけたため、海戦には寄与できませんでした。

 

「レ・ディタリア級」装甲艦(1864年就役:同型艦2隻)

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Re d'Italia-class ironclad - Wikipedia

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(「レ・ディタリア級」装甲艦の概観:75mm in 1:1250 by Ha:Sextant社からもモデルは出ていますが、筆者は未保有です。下の写真はSextantモデル:Ebay出品中の写真を拝借:Haiのモデルよりも端正な仕上がりになっているような印象があります。落札を狙うには筆者にはちょっと高価です)

同級はイタリア海軍がアメリカから購入した装甲艦の艦級です。

木製鉄皮の構造で、5700トン級の船体に20.3センチライフル単装砲2基、20.3センチ滑空単装砲4基、16.4センチ単装ライフル砲30基を搭載する舷側砲門装甲艦でした。12ノットの速力を発揮することができました。f:id:fw688i:20240526132536j:image

(「レ・ディタリア級」装甲艦の主要兵装の拡大:典型的な舷側砲門艦形でした)

リッサ海戦には同級の2隻はイタリア艦隊の主力として参加しました。同級のネームシップの「レ・ディタリア」はイタリア艦隊の旗艦を務めていましたが、直前に新鋭艦「アフォンダトーレ」に旗艦は変更されました。

海戦では旗艦の「アフォンダトーレ」が縦列外に位置したため、第二梯団の先頭に位置した「レ・ディタリア」は旗艦と誤認されて集中砲火を受け、操舵不能になったところをオーストリア艦隊の旗艦「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス」の衝角攻撃を受けて数分で転覆沈没してしまいました。

同級のもう一隻「レ・ディ・ポルトガッロ」は第三梯団の先頭に位置していましたが、オーストリア艦隊の第二列の非装甲木造艦部隊の標的となり、その旗艦であった「カイザー」の衝角攻撃を受けました。しかし木造艦である「カイザー」の衝角攻撃は装甲艦には効果が少なく、逆に艦首を大破した「カイザー」に「レ・ディ・ポルトガッロ」は近距離から砲撃を加え大損害を与えています。

「レ・ディ・ポルトガッロ」に衝角攻撃をかけたオーストリア艦隊の木造機帆併装戦列艦「カイザー」

SMS Kaiser (1858) - Wikipedia

(木造機帆併装戦列艦「カイザー」の概観(上段):モデルはHai製です。筆者は未保有:写真は。例によってsammelhafen.de,より拝借:5200トン級の木造艦で、砲を92門搭載していました。リッサ海戦には非装甲艦部隊の旗艦をつとめ、「レ・ディ・ポルトガッロ」に衝角攻撃をかけますが、装甲に弾かれ損傷。そこに集中砲火を浴びてしまいます。下段お写真は、リッサ海戦直後の即称した姿:写真はWikipediaより拝借しています)

1869年、装甲艦への大改造を受けた「カイザー」

普墺戦争に敗れたオーストリアは統一ドイツの覇権争いからは脱落し、ハンガリーとの二重帝国を設立し中央ヨーロッパの大国となったものの、産業革命からは一歩遅れを取り、財政難に直面します。新造館の建造は難しいため、既存艦の近代化を図ります。

「カイザー」は5700トン級の装甲艦として生まれ変わり、1902年まで在籍していました。

(大改造で装甲艦となった「カイザー」の概観(上段):モデルはHai製です。筆者は未保有:喫水線以上はほとんど作り替えられ、艦首形状をはじめ艦尾形状までも、全く艦容が一変しています:写真は。例によってsammelhafen.de,より拝借しています)

 

「レジナ・マリア・ピア級」装甲艦(1864年就役:同型艦4隻)

ja.wikipedia.org Regina Maria Pia-class ironclad - Wikipedia

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(「レジナ・マリア・ピア級」装甲艦の概観:65mm in 1:1250 by Sextant)

同級はイタリア海軍がフランスに4隻を発注した装甲艦で、4300トン級の船体に20.3センチライフル単装砲4基、16.4センチ単装滑空砲22基を舷側に搭載した舷側砲門艦でした。速力は13ノットを発揮できました。f:id:fw688i:20240526132212j:image

(「レジナ・マリア・ピア級」装甲艦の主要兵装の拡大:同級は就役当初は舷側砲門艦形態でした)

リッサ海戦には4隻全てが投入され、ネームシップの「レジナ・マリア・ピア」は大火災を起こす損傷を負いましたが、他の3隻には深刻な損害はありませんでした。

リッサ海戦時には左右舷側方向への射撃しかできませんでしたが、その後、艦首尾方向への砲撃もできるように改造を受けました。1890年台には寛容を一変するほどの近代化改造を受け、長く海軍に在籍しました。

 

「パレストロ級」装甲砲艦(1866年就役:同型艦2隻)

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(上の写真は「パレストロ級」装甲砲艦の概観:モデルは未保有です。SextantとHaiからモデルあ出ています。上の写真はSextant製モデル:例によってsammelhafen.de,より拝借)

同級はフランスに2隻が発注された装甲砲艦の艦級で、アドリア海での戦闘行動を想定して設計されました。2000トン級の小さな船体ながら20.3センチライフル単装砲2基、20.3センチ滑空砲2基の強力な火力を搭載していました。

リッサ海戦では小艦ながら主力部隊に加わり、集中砲撃を受けた第二梯団の先頭艦「レ・ディタリア」に後続する位置にいた「パレストロ」はオーストリア艦隊の装甲艦に囲まれる形となり、集中砲撃を受けて撃沈されました。


装甲艦「アフォンダトーレ」(1866年就役:同型艦なし)

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Italian ironclad Affondatore - Wikipedia

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(装甲艦「アフォンダトーレ」の概観:72mm in 1:1250 by Sextant)

同艦はイタリア海軍がイギリスに発注した装甲砲塔艦です。同型艦はありません。

4100トン級の船体を持ち12ノットの速力を出すことができました。イタリア海軍唯一の帆装を備えた砲塔艦でした。2基の砲塔には22センチライフル単装砲が収められ、主砲の他に80mm砲2門を搭載していました。f:id:fw688i:20240526132842j:image

(装甲艦「アフォンダトーレ」の主要兵装の拡大:同艦はそれまで舷側砲門艦のみだったイタリア艦隊で初めて砲塔形式で主砲を搭載した最新鋭艦でした。)

就役からわずか1ヶ月でリッサ海戦に投入されますが、海戦の直前に戦場に到着し、その直後、既述のように旗艦となりました。一説ではこの旗艦変更が隊列に乱れを生じさせ、先頭縦列の3隻と後続部隊に大きな隙間を生じさせ、さらには旗艦変更の通知が自艦隊内にも徹底されず、旗艦からの指令が認識されず、これが敗因の一つでもあったとも言われています。海戦の乱戦で砲撃を受け損傷し、それが遠因となり1ヶ月後の嵐でアンコナ港内で沈没しました。その後浮揚され、3度改装を受け最後は水雷練習艦となり、1907年に除籍されました。

水雷練習艦に改造後の「アフォンダトーレ」:ほとんど原型をとどめていませんね。モデルはHai製;写真は例によってsammelhafen.de,より拝借)

 

リッサ海戦に参加したイタリア海軍装甲艦

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(リッサ海戦に投入されたイタリア艦隊の装甲艦3艦級:手前から装甲艦「アフォンダトーレ」、「レジナ・マリア・ピア級」装甲艦、「レ・ディタリア級」装甲艦の順)

 

分派され海戦に参加しなかった装甲艦

リッサ島攻略戦には、当時イタリア海軍が保有していた装甲艦の大半が参加していました。攻略戦に参加しながらも、リッサ島方面に分派されあるいは要塞との砲撃戦での損傷により海戦に参加しなかった3隻は、「フォルミダビーレ級」装甲艦の2隻と「パレストロ級」装甲砲艦の1隻「ヴァーレーぜ」でした。

「フォルミダビーレ級」装甲艦(1861年就役:同型艦2隻)

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Formidabile-class ironclad - Wikipedia

(「フォルミダビーレ級」装甲艦の概観:「フォルミダビーレ」と「テリビーレ」:モデルはHai製:筆者は未保有です。写真は例によってsammelhafen.de,より拝借)

同級はフランスに発注されたイタリア海軍初の航洋型装甲艦の艦級です。フランス海軍が建造した世界初の装甲艦「グロアール」に刺激を受けています。

2700トン級の船体に20.3センチ砲4門と16.4センチ前装ライフル砲16門を搭載し、10ノットの速力を発揮できる設計でした。

「フォルミダビーレ」はリッサ島要塞との砲撃戦で損傷しており、僚艦「テリビーレ」は上陸作戦に備えてリッサ島周辺に留まっていたため、海戦には参加していません。

 

「リッサ海戦」が残したもの

既述のようにこの海戦は蒸気機関搭載の装甲艦同志の初めての本格的な海戦だったと言われています。

戦訓としては、まず、それまで列強が整備してきた木造戦闘艦は、装甲戦闘艦(と言っても木造鉄皮=木造艦に装甲を貼り付けた戦闘艦)には歯がたたないということが明らかになりました。

併せて、それまでの木造艦の主兵装であったレベルの艦砲では、まず当たらず、当たっても装甲艦に(木造艦にも?)致命傷が与えられないことも明らかになりました。装甲艦といえども当時の装甲艦が搭載していた砲兵装は木造艦と同じレベルで、そのために逆に見出されたのが衝角戦法の有効さでした。

この戦訓から、以降の艦砲については、より大きな破壊力を目指すということが最大の命題となり、具体的には、初速の速い大口径砲、つまり長砲身を持つ貫徹力の強い艦砲の搭載を目指すことになってゆきます。これは艦砲の大型化と砲の搭載重量の増大を伴い、舷側砲門形式のような多くの砲を舷側に並べる搭載法が敵わなくなってゆくことを意味します。すなわち少数の強力な砲に最大限の射界を与えるための搭載法が工夫されてゆくこととなるわけです。

さらに有効と実証された衝角戦法の実行においては、敵艦を自艦の正面に捉えおくことが求められ、従って艦砲も正面への射界確保が重要となってゆきます。

搭載砲の大型化は弾薬類の誘爆への防御の重要性をも顕在化させることとなります。こうした射界の確保、防御の強化という視点から、舷側砲門形式は主力艦の主砲搭載形式として終焉を迎え、やがて砲郭・砲塔という形式の艦砲の搭載法が生み出され、中央砲郭艦、中央砲塔艦などが世に問われることとなるのですが、これはまた別の機会に。

・・・と言いつつ、オーストリア海軍(実は普墺戦争の敗戦後、統一ドイツの盟主への道を断念したオーストリア帝国ハンガリーと統合しオーストリア=ハンガリー帝国となり中央ヨーロッパに帝国圏を苦づくのですが)、改めオーストリア=ハンガリー帝国の主力艦については以下の回でご紹介しています。

fw688i.hatenablog.com

また、一方のイタリア王国海軍についてはごく最近、以下の投稿でモデルをご紹介しています。

fw688i.hatenablog.com

ということで、今回はこの辺で。

 

次回は製作中のモデルの完成形のご紹介ができるかな?

 

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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