相州の、ほぼ週刊、1:1250 Scale 艦船模型ブログ

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

ロイヤル・ネイヴィーの駆逐艦(その6):大戦間の駆逐艦(後編)ロンドン軍縮条約の前と後

今回は英国海軍の駆逐艦開発小史の6回目。

前回お話ししたように英海軍は第一次世界大戦後の比較的長い休止期間ののち駆逐艦建造を再開しました。1350トン級の船体に4.7インチ単装砲4基を主砲として8−10門の魚雷発射管を搭載し36ノットの速力を発揮するという基本形の元に小改良を積み重ねました。

今回はロンドン海軍軍縮条約での補助艦の保有に関する制約から生まれた小型艦への回帰と、列強海軍への対抗上から生まれた大型駆逐艦の建造、そこから英海軍の駆逐艦建造は新しい基本設計のフェイズを迎えることになります。

今回はその辺りのお話。

 

ロンドン軍縮条約における英海軍の駆逐艦

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1922年に締結されたワシントン海軍軍縮条約は、主として主力艦の保有に関する制約で、巡洋艦以下の補助艦の建造数については無制限でした。1927年に開催されたジュネーブ海軍軍縮会議ではこの補助艦の建造数にも制限を設けるべく議論が交わされましたが、参加国間(特に英米間)で制限の要目についての合意が見られす、具体化できませんでした。

その後、両国間での予備交渉等の努力が実り、1929年にロンドン海軍軍縮会議が開催され、1930年に締結されたのがロンドン海軍軍縮条約でした。

この条約では駆逐艦の定義が改めて定められました。

備砲は5.1インチ以下とされ、排水量は600トン以上1850トン以下とされました。合計保有トン数にも制限が加えられ、英国は米国と同じく15万トン、日本は10万5500トンとされました。併せて1500トン以上の大型駆逐艦は合計トン数の16%以下とする、という付帯制約も設けられました。最後の制約は特に日本海軍が建造していた「吹雪級」に始まるいわゆる「特型」と総称される大型で強力な主砲を持ち、また重雷装の個艦性能に秀でた艦級の整備に対する制約の性質が色濃い内容でした。

世界に広がる植民地経営を背景に、多数の駆逐艦を揃える必要のある英海軍は、これまで基本形を定め少しづつ改良を加える度に艦型を拡大する傾向のあった方針を一転して、艦型抑制を模索することになるわけです。

こうして生まれたのが「G級」「H級」「I級」の各艦級でした。

 

ロンドン海軍軍縮条約の制約に対応した艦型縮小版

G級駆逐艦(二代)(就役期間:1936-1947  同型艦9隻)

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 (「G級」駆逐艦基本型の概観:79mm in 1:1250 by Neptun:参考までに、前級「E級」基本型はArgonaut製モデルで80mmでした。「F級」との比較でないのは、筆者が「F級」基本型のモデルを保有していないからです。製作者が異なるので、「やや小振になっている」というのがどの程度か、あくまでご参考程度に)

「G級」では、上述のようにロンドン海軍軍縮条約で設けられた補助艦艇の保有制限から、艦型抑制が模索されました。具体的には巡行時の燃費改善を狙い搭載されていた巡行タービンを実用場面が稀少との理由で廃止し機関部が短縮されました。このため速力は前級と同じ36ノットを発揮する事ができましたが、航続距離が5520浬から4800浬に減少してしまいました。

こうして1300トン教のやや小型化に成功した船体を持つ「G級」は1933-34年度計画で9隻が建造されました。同級でも基本型8隻と嚮導型1隻の9席を1セットとする編成は継続されました(嚮導艦「グレンヴィル」を含む9隻)

同級では兵装はほぼ前級のものを踏襲することとなりました。具体的には仰角40度まで射撃可能な両用砲的な性格を持った4.7インチ砲4基、4連装魚雷発射管2基、対空兵装とし12.7mm4連装機銃2基とアズテック、爆雷投射軌条などを搭載していました。前級「F級」に準じて、掃海装備も併載されました。f:id:fw688i:20231119100038p:image

(直上の写真は「G級」駆逐艦基本型の主要武装等の拡大:同級は艦型の小型化を機関部の縮小で実現しましたので、兵装配置は、第一次大戦以降の英海軍の駆逐艦の標準的なものを踏襲しています)

嚮導艦「グレンヴィル」

(嚮導艦「グレンヴィル」の概観:by Neptun(モデルは未保有):これまで同様、同級でも嚮導艦は主砲が1基多く、約150トン船体が大きくなっていました。写真は例によってsammelhafen.deより拝借しています)

大戦中に護衛駆逐艦仕様に改装

第二次世界大戦時には、本稿前回でご紹介した艦級同様に、主砲・魚雷発射管から対空兵装、対潜兵装への切り替えによる護衛駆逐艦仕様への改装が実施され船団護衛等に活躍しました。大戦中に6隻が失われ、1隻が損傷を受け閉塞艦として自沈処分されました。

(上掲の写真は現在(2023.Nov.19)入札中の「G級」基本型の就役時(手前)と護衛駆逐艦仕様への改修時(奥)のモデル。両方ともMountford製:Ebayより拝借:ちょっと分かりにくいですが、後方の魚雷発射管を対空砲に換装、併せて艦尾の主砲をおろし対潜装備に変更しています:まあ護衛駆逐艦仕様というのがどんな感じか、見ていただきたく:結局落札には失敗しました

 

G級の改良型

H級駆逐艦(二代)(就役期間:1936-1947  同型艦9隻:準同型艦「ハヴァント級」6隻)

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 (「H級」駆逐艦基本型の概観は前掲の「G級」とほぼ変わりません。基本的な兵装配置も同様です:Neptun社からもG-H級モデルとして発売されています。写真は前出の「G級」基本型のものを再掲しています)

同級は1934−35年計画で建造された艦級で9隻が建造されました(嚮導艦「ハーディ」を含む)。「G級」の搭載兵装を踏襲し、外観は差異はありません。

嚮導艦「ハーディ」

(嚮導艦「ハーディ」の概観:by Neptun:同級も嚮導艦は主砲が1基多く、約150トン船体が大きくなっていました。写真は例によってsammelhafen.deより拝借しています)

第二次世界大戦中にはこれまでご紹介した他級と同様に、主砲と魚雷発射管に換えて対空火器と対潜装備を搭載した護衛駆逐艦に改造されました。大戦中に7隻が失われました。

 

「H級」の準同型艦:ブラジル向け駆逐艦「ハヴァント級」の取得(同型艦 6隻)

ブラジル海軍は「H級」の設計を基にした「ジュルアー級」駆逐艦を6隻、英国に発注し、1936年に同級は起工されました。

1939年にドイツ軍のポーランド侵攻第二次世界大戦が始まると、英国は第一次世界大戦開戦時と同じように、同級を買い上げて自国海軍に編入しました。同級は「ハヴァント級」として1939年から就役を開始しました。

同級は基本型を「H級」としながらも、兵装は4.7インチ主砲を1基減じて対潜装備を大幅に充実させる等の変更が見られています。

大戦中に3隻が戦没しましたが、残存した3隻もブラジル海軍に復帰することはなく、処分解体されています。

 

H級の水雷兵装強化版

I級駆逐艦(二代)(就役期間:1937-1947  同型艦9隻:準同型艦「デミルヒサル級」2隻:2隻は最初からトルコ海軍に)

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 (「I級」駆逐艦基本型の概観:78mm in 1:1250 by Neptun:実艦も『G級」「H級」に比べ少し短くなっています)

同級は魚雷発射管を「G級」「H級」の4連装から5連装に変更した「H級」の雷装強化型で、1935−36年計画で9隻が建造されました(嚮導艦「インゲルフィールド」を含む)。f:id:fw688i:20231119100621p:image

(直上の写真は「I級」駆逐艦基本型の主要武装等の拡大:同級の兵装配置は「G級」「H級」同様、第一次大戦以降の英海軍の駆逐艦の標準的なものを踏襲しています:下の写真は「I級」の最大の特徴である魚雷発射管の強化を見たもの:「G級」「H級」(上段)が4連装発射管を搭載してのに対し、「I級」(下段)では5連装に強化されています)

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嚮導艦「インゲルフィールド」

(写真は「I級」の嚮導艦「インゲルフィールド」の概観:by Neptun:同級も嚮導艦は主砲が1基多く、約150トン船体が大きくなっていました。写真は例によってsammelhafen.deより拝借しています)

大戦中には、これまでご紹介してきた艦級と同じように主砲と魚雷発射管に換えて対空火器と対潜装備を搭載した護衛駆逐艦に改造されました。大戦中に6隻が失われました。

同時期の日本海軍の特型駆逐艦との艦型比較

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(上の写真は「I級」と同時期に日本海軍が鋭意整備していた特型駆逐艦(写真奥)との比較:列強海軍が大型駆逐艦の整備に向かっている際に、英海軍は1300トン級の駆逐艦を整備しており、そこに懸念がないわけではありませんでした。この辺りの危機感が、次に紹介する「トライバル級」以降の設計に大いに反映されていくことになります)

 

「I級」の準同型艦:トルコ向け駆逐艦「デミルヒサル級」の取得(同型艦 4隻中2隻を購入)

前述の「ハヴァント級」と同じ経緯で、第二次世界大戦の勃発に伴い、英海軍はトルコ海軍向けに建造中だった「デミルヒサル級」駆逐艦4隻のうちの2隻をトルコより購入し自国海軍に編入しました。

同級は魚雷発射管を「H級」と同じ4連装2基とした以外は「I級」準じています。

第二次大戦中に1隻が戦没しましたが、残存した1隻は大戦後トルコ海軍に引き渡され、英海軍が購入せすトルコ海軍に引き渡された2隻に加わり、1960年代までトルコ海軍に留まりました。

 

条約開けに伴う大型駆逐艦の建造

トライバル級駆逐艦(二代)(就役期間:1938-1949  同型艦16隻 準同型艦11隻)

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 (「トライバル級駆逐艦の概観:91mm in 1:1250 by Neptun)

これまで見てきたように、英海軍の駆逐艦第一次世界大戦以降、1350~1400トン級の駆逐艦をベースに小改良を積み重ねて発展してきました。一方、列強海軍の駆逐艦開発を見ると、強力な火力を搭載した大型駆逐艦の建造が相次いでおり、英海軍も1930年代の前半から大型駆逐艦の開発についての検討を始めていました。

これにロンドン海軍軍縮条約での制限が加わり、大型駆逐艦の建造が具体化したのは1935年度計画においてでした。

トライバル級」は上記のような経緯で開発された英海軍初の大型駆逐艦で、1935年度計画で7隻、1936年度計画で9隻が建造されました。従来の英海軍の駆逐艦と一線を画した設計で、1900トン級の船体に、新開発の45口径4.7インチ連装砲4基8門と従来の駆逐艦に比べると倍の格段に強力な火力を搭載していました。反面、雷装に関しては4連装魚雷発射管1基の搭載に留まり、第一次世界大戦後に建造された駆逐艦が6射線から10射線の魚雷射線を装備したのに比べれば、やや後退した装備で同級が砲戦重視であった事がわかると思います。

対空兵装としては、当初設計では40mmポンポン砲1基と12.7mm4連装機銃2基が搭載され、中距離と近接防空に対応していました。大型の船体には44000馬力の強力な機関が搭載され36ノットの速力を発揮する事ができました。f:id:fw688i:20231119101149p:image

(直上の写真は「トライバル級駆逐艦の主要武装等の拡大:同級は主砲の連装化により一気に従来の駆逐艦の倍の火力を有する強力な駆逐艦となりました。一方で魚雷発射管は1基に抑えられていました)

英海軍の駆逐艦の各艦級は従来は8隻の原型艦と1隻の主砲を増強し船体を大幅に拡大した嚮導艦の9隻編成が基本でしたが、「J級」以降、嚮導艦1隻を含む8隻編成となりました。嚮導艦として指定された艦も兵装・船体の大きさに大差はなく、指令所関連の設備が追加された程度でした。

同時期の日本海軍の特型駆逐艦との艦型比較

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(上の写真は「トライバル級」と同時期に日本海軍が鋭意整備していた特型駆逐艦(写真奥)との比較:「トライバル級」の登場で英海軍は列強と同様の大型駆逐艦保有することになりましたが、同じ大型駆逐艦と言っても、上掲の日本海軍が特型駆逐艦を重雷装の水雷戦隊主力とし、雷撃距離への接近のために強力な備砲を搭載したのに対し、「トライバル級」は主力部隊の護衛、あるいは雷撃する駆逐艦部隊を援護するために火力を強化したなど、役割の特徴が現れてきます)

 

戦時改修

第二次世界大戦中には、同級が搭載する4.7インチ連装砲が従来の仰角40度の対空射撃も可能な「両用砲的な運用も意識した」平射砲であったため、ドイツ空軍の急降下爆撃機には対応できず対空能力は限定的であるところが課題とされたため、3番主砲を4インチ連装対空砲に、その他の機銃類も20mm機関砲に改められました。その他、レーダーの搭載や更新、対潜能力強化のために搭載爆雷数の増加等が行われました。

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 (「トライバル級駆逐艦戦時改修後の概観:91mm in 1:1250 by Neptun:下の写真は細部の比較(左列が就役時、右が戦時改修後):改修後には艦橋に対空機関砲が、3番砲塔が4インチ連装対空砲に置き換えられています)

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大戦中、高性能ゆえに酷使され16隻中12隻が失われました。

 

英連邦海軍向けの同型艦

同級は英連邦のカナダ海軍、オーストラリア海軍向けにそれぞれ8隻、3隻が建造されましたが、大戦勃発後の建造開始であったため、就役時期がいずれも遅く、戦没艦は1隻に留まりました。

 

従来型駆逐艦建造の継続

J・K・N級駆逐艦(二代)(就役期間:1939-1956  同型艦J級8隻、K級8隻、N級8隻)

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 (「J・K・N級」駆逐艦の概観:86mm in 1:1250 by Neptun)

前述の「トライバル級」が砲戦重視の大型駆逐艦であったのに並行して、従来型の駆逐艦の設計の延長上にあるのが1936年度計画の「J級」、1937年度計画の「K級」そして1939年度計画の「N級」で、各8隻が建造されました。

船型は従来の駆逐艦を強化した1700トン級で、初期設計の「J級」「K級」では「トラバル級」と同じ4.7インチ連装平射砲を3基搭載し、一方、「トライバル級」で少し後退した感のあった雷装を5連装魚雷発射管2基10射線に強化しています。対空兵装は「トライバル級」と同じく中・近距離防空に重点を置いた40mmポンポン砲1基と12.7mm4連装機銃2基を搭載していました。

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(直上の写真は「J・K・N級」駆逐艦の主要武装等の拡大:同級は以前の汎用型の駆逐艦への回帰を目指しながらも主砲の連装化により一気に従来の駆逐艦の倍の火力を有する強力な駆逐艦となりました。一方で魚雷発射管も5連装を2基搭載し10射線の雷撃が可能でした。併せて「トライバル級」と同じ近接対空火器を備えていました。さらに搭載爆雷数を増やすなど、対潜装備も強化されていました)

 

嚮導艦はあるのだが

英海軍の駆逐艦の各艦級は従来は8隻の原型艦と1隻の主砲を増強し船体を大幅に拡大した嚮導艦の9隻編成で建造されることが基本でしたが、「J級」以降、嚮導艦1隻を含む8隻編成となりました。嚮導艦として指定された艦も兵装・船体の大きさに大差はなく(15トン程度の差です)、指令所関連の設備が追加された程度でした。

 

「N級」の兵装と「J級」「K級」の戦時改装

トライバル級」で記述した通り、同級の主砲は「トライバル級」と同じ対空射撃の可能な平射砲で、対空火力の不足が大戦勃発後露呈したため1939年度計画の「N級」では兵装の改正が加えられました。

4.7インチ連装主砲は3基のまま、5連装魚雷発射管は1基に抑えられ、代わりに4インチ対空砲が搭載されました。近接防空火器も20mm機関砲4基を追加して増強されました。レーダーの搭載・更新も行われ、搭載爆雷数を増やして対潜能力も強化されました。

就役済みの「J級」「K級」についても順次「N級」の装備に準じた戦時改修が行われました。

(「N級」と「J級」「K級」の戦時改修後の概観:魚雷発射管を4インチ高角砲に換装。20mm機関砲4基を追加。モデルは未保有です:写真は例によってsammelhafen.deより拝借しています。直下の写真は就役時と改修後の比較:上段と中段では概観比較:下段左と下段右では5連装魚雷発射管を4インチ対空砲に置き換えてい流ことがわかります)

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第二次世界大戦中に「J級」では8隻中6隻が、「K級」では6隻が戦没しています。「N級」は8隻全て、オーストラリア海軍に5隻、あるいは戦時中の亡命政府海軍(オランダ海軍2隻、ポーランド海軍1隻)に貸与され、1隻が戦没しました。

 

新型連装砲搭載の大型駆逐艦

L・M級駆逐艦(二代)(L級:就役期間:1941-1948  同型艦8隻/ M級:就役期間:1942-1959  同型艦8隻)

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 (「L級」「M級」駆逐艦の概観:87mm in 1:1250 by Neptun)

英海軍は「トライバル級」以降、主砲を連装化して搭載していますが、「トライバル級」とそれに続く「J級」「K級」「N級」に搭載された連装砲は仰角40度までの対空射撃可能な平射砲で、かつ左右の砲は同じ砲鞍に搭載されていたため単独に俯仰させることはできませんでした。併せてこの連装砲は砲盾形式で後方は解放されていました。

「L・M級」では主砲はより長砲身の新開発の50口径4.7インチ砲が採用され、50度の最大仰角での左右単独での俯仰での射撃が可能な、より両用砲的な性格を持たされ、かつ砲塔形式で搭載されていました。

砲塔形式の採用により重量が増加し、船体を大型化する必要がありました。

そのような経緯で「L・M級」は2000トン弱の「トライバル級」を上回る大きな船体を持ち、より強力な機関を搭載し36ノットの速力を発揮できました。

対空火器としては両用砲化の性格を従来よりも濃厚にした上述の4.7インチ連装砲塔3基に加え、4インチ対空砲を搭載していました。さらに近接対空兵装としては、「トライバル級」「J級」等の対空火器強化型と同じで40mmポンポン砲1基、20mm機関砲4基と12.7mm4連装機銃2基を搭載していました。

水雷兵装は4連装魚雷発射管1基を搭載し、搭載爆雷数を従来の駆逐艦よりも多く設定されていました。

就役時からレーダーも装備していました。

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 (直上の写真は「L級」「M級」駆逐艦の主要兵装の拡大:連装砲は全周を覆った砲塔化され、50度までの仰角での射撃が可能なより両用砲化を意識した設計になっています。かつ左右の砲は別個に仰角を変更できることができました。魚雷発射管は1基に抑えられた一方で、近接対空火器に加え4インチ対空砲が搭載されていました:下の写真は前級の「J ・K・N級」(左列)と「L級」「M級」(右列)の連装砲の比較:左列は仰角40度の防盾付の平射砲で、後方は解放されており、また別個に砲の仰角を変えることはできませんでしたが、右列は全周を閉鎖された砲塔形式で50度の暁角での射撃が可能、かつ左右の砲は別の仰角での射撃が可能な、より両用砲的な運用を意識した砲でした)

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「L級」初期型

(「L級」駆逐艦原型の概観:原型では魚雷発射管2基を搭載する設計でした。しかし、実際にこの形式で=4.7インチ連装砲塔3基と魚雷発射管2基搭載の形式で完成した艦はなかったのかも。モデルは未保有:写真は例によってsammelhafen.deより拝借しています)

「L級」の初期建造艦4隻は、4.7インチ連装砲塔の生産が機構の複雑さ等の要因で遅延したため、4インチ連装対空砲4基を搭載して完成しました。初期型は魚雷発射管2基を搭載していました。

「L級」後期型は魚雷発射管1基を4インチ対空砲に置き換えて完成しています。

「M級」は最初か「L級」後期型と同じ仕様で完成しています。

 

第二次世界大戦では、「L級」初期型は4隻全て、後期型は4隻中3隻が失われ、「M級」は8隻中3隻が失われました。

 

というわけで、今回はロンドン海軍軍縮条約の制約をきっかけに新たな設計のフェイズに入った英海軍の駆逐艦について見てきました。次回は第二次世界大戦の勃発に伴い始まった戦時急造艦の建造のお話を。

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

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