相州の、ほぼ週刊、1:1250 Scale 艦船模型ブログ

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

日本海軍巡洋艦開発小史(その8) 新型軽巡洋艦の建造 -後半に海防艦もご紹介

このミニ・シリーズでは、 これまで、日本海軍の巡洋艦の建造の推移を見てきましたが、簡単にまとめると、黎明期の日本海軍の主力を構成し、やがては育成された主力艦の補助戦力となった防護巡洋艦の時代。それに続き、魚雷の性能向上と駆逐艦の高速化の流れの中での軽装甲巡洋艦軽巡洋艦)への発展が見られました。そして軽巡洋艦を凌駕しこれを制圧するべく重装備巡洋艦重巡洋艦)が現れ、この高性能化がやがては軍縮条約の条項追加へと結びつき、その制約下で条約型巡洋艦が設計されました。

これらの条約型巡洋艦として生まれた巡洋艦群は、条約の破棄後は重巡洋艦となりました。

今回は、その最終回として、その後、日本海軍の終焉までに建造された巡洋艦をご紹介していきます。

 

最後の水雷戦隊旗艦

阿賀野級巡洋艦 -Agano class cruiser-(阿賀野:1942-1944/能代:1943-1944/矢矧:1943-1945/酒匂:1944-終戦時残存)    

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Agano-class cruiser - Wikipedia

日本海軍では、高速化する駆逐艦と、その搭載する強力な魚雷に大きな期待を寄せ、 水雷戦隊をその中核戦力の一環に組み入れてきました。そしてこの戦隊を統括し指揮する役目を軽巡洋艦に期待してきたわけです。

その趣旨に沿って建造されたのが、一連の「5500トン級」軽巡洋艦でした。この艦級は初期型5隻(1917年から順次就役)、中期型6隻(1922年から順次就役)、後期型3隻(1924年から順次就役)、計14隻が建造されその適応力の高さから種々の改装等を受け適宜近代化に対応してきましたが、1930年代後半に入るとさすがに特に初期型の老朽化は否めず、艦隊の尖兵を構成する部隊の旗艦としては、砲力、索敵能力に課題が見られるようになりました。

 

そこで計画されたのが、「阿賀野級軽巡洋艦でした。

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(直上の写真は、「阿賀野級」の就役時の概観。138mm in 1:1250 by Neptune)

 

阿賀野級」は、それまでの「5500トン級」とは全く異なる設計で、6650トンの船体に、軽巡洋艦としては初となる15.2cm砲を主砲として採用し連装砲塔を3基搭載していました。この砲自体の設計は古く、名称を「41式15.2cm 50口径速射砲」といい、「金剛級巡洋戦艦、「扶桑級」戦艦の副砲として採用された砲でした。

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同砲は、主砲を単装砲架での搭載を予定していた「5500トン級」軽巡洋艦では人力装填となるため日本人には砲弾が重すぎるとして、少し小さな14cm砲が採用されたという、曰く付きの砲でもあります。しかし。列強の軽巡洋艦は全て6インチ砲を採用しており、明らかに砲戦能力での劣後を避けたい日本海軍は、新造の「阿賀野級」では、この砲を新設計の機装式の連装砲塔で搭載することにしました。

同砲は21000メートルの射程を持ち、砲弾重量45.5kg (14cm砲は射程19000メートル、砲弾重量38kg)。連装砲塔では毎分6発の射撃が可能でした。さらに新設計のこの連装砲塔では主砲仰角が55度まで可能で、一応、対空射撃にも対応できる、とされていました。

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(直上の写真は、「阿賀野級」の細部。主砲として採用された41式15.2cm 50口径速射砲の連装砲塔(上段)。高角砲として搭載した長8cm連装高角砲(左下):この砲は最優秀高角砲の呼び声高い長10cm高角砲のダウンサイズですが、口径が小さいため被害範囲が小さく、あまり評価は良くなかったようです。水上偵察機の整備運用甲板とカタパルト(右下))

 

対空兵装としては優秀砲の呼び声の高い長10cm高角砲を小型化した新型の長8cm連装高角砲2基搭載していました。

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雷装としては61cm四連装魚雷発射管2基、艦中央部に縦列に装備し、両舷方向に8射線を確保する設計でした。

航空偵察能力は「5500トン級」よりも充実し、水上偵察機2機を搭載し射出用のカタパルト1基を装備していました。

最大速力は、水雷戦隊旗艦として駆逐艦と行動を共にできる35ノットを発揮しました。

 

その戦歴

阿賀野」:同艦は1942年11月に空母機動部隊の直衛戦隊である第10戦隊の旗艦となります。

当時はガダルカナル島の攻防戦の最中で、第10戦隊はニューギニア作戦の上空警戒部隊(第2航空戦隊)の直衛として派遣されました。その後、ガダルカナル撤退作戦支援に参加の後、内地での整備を経て第3艦隊(空母機動部隊)の一員としてトラック、ラバウル方面で活動しました。南東方面部隊に編入されブーゲンビル島沖海戦に参加の後、米機動部隊の艦載機によるラバウル空襲で艦尾に魚雷を受け艦尾を失い、損傷修復のためにトラック島へ回航中に今度は米潜水艦の雷撃で避雷、航行不能となりました。「能代」「長良」等による曳航でトラック島に帰投後、工作艦「明石」による応急修理で航行能力を回復し、1944年1月、今度は本格的修理を行うために内地への回航を目指しますが、トラック泊地を出港した直後、米潜水艦の雷撃を受け沈没しました。

 

能代」:1943年7月、第11水雷戦隊の旗艦を一時努めた後、第2水雷戦隊の旗艦に就役、連合艦隊主力を護衛してトラック島に向かいました。第2艦隊に編入されラバウルに進出しますが、米艦載機によるラバウル空襲により第2艦隊主力の多くが損傷しラバウルを引き上げましたが、損傷のなかった「能代」はラバウルに残留しブーゲンビル島への逆上陸作戦に支援隊として出撃しました。

米艦載機が再びラバウル空襲を実施し、残留していた水上部隊はトラックに引き上げます。トラック方面で活動した後、ニューアイルランド島への陸軍増援部隊の輸送任務に出撃しました。同輸送部隊は揚陸完了後に米機動部隊の空襲を受け、「能代」も至近弾5発、直撃弾1発を受け損傷しました。内地で損傷を修理した後、ビアク島救援作戦(渾作戦)に第1戦隊(「大和」「武蔵」)の護衛部隊として参加しましたが、米軍のサイパン来攻で戦局が大きく展開し、作戦は中断され、渾作戦部隊は第1機動艦隊(小沢機動部隊)に合流し、マリアナ沖海戦に参加しました。

1944年10月、レイテ沖海戦に第1遊撃部隊(栗田艦隊)の一員として参加。作戦を通じ対空戦闘や米護衛空母部隊の追撃戦(サマール島沖海戦)などに従事しますが、作戦中止後帰投途上で、米機動部隊の艦載機の攻撃を受け、魚雷1発が命中し航行不能となりました。本隊が退避したため、「能代」は米艦載機の集中攻撃を受け、さらに魚雷1本を受け沈没しました。

 

「矢矧」:1944年10月、竣工と共に第10戦隊に編入され、損傷修復のために内地に回航される途中で米潜水艦尾雷撃で撃沈された同型1番艦「阿賀野」に代わり同戦隊の旗艦となりました。シンガポール及びリンガ泊地周辺で、空母機動部隊主力の第1航空戦隊(空母「大鳳」「瑞鶴」「翔鶴」)と共に訓練の後、マリアナ沖海戦に参加。第1機動艦隊主隊である上記の第1航空戦隊の直衛として戦闘に従事しました。

レイテ沖海戦では、第1遊撃部隊(栗田艦隊)の所属し、シブヤン海海戦で米機動部隊の艦載機の空襲により至近弾を受け艦首に穴が開く損傷を受けますが、その後も戦列に止まり、ついで米護衛空母部隊とのサマール島沖海戦にも参加し、米護衛空母を追撃中に護衛の米駆逐艦の砲弾を被弾するなど、さらに損傷を受けました。海戦からの帰途でも、米艦載機の空襲で至近弾を被弾しています。

海戦後、旗艦「能代」を失った第2水雷戦隊に編入され、栗田艦隊の残存主力(「大和」「長門」「金剛」)と共に内地に帰還します。(その途上、米潜水艦の雷撃で「金剛」が失われています)

損傷回復後、1945年4月、「矢矧」以下の第2水雷戦隊は、米軍の沖縄侵攻を受けて天一号作戦に出撃します。この作戦は、いわゆる「大和」以下の沖縄海上特攻作戦で、日本海軍稼働水上艦艇による最後の組織的作戦と言っていいでしょう。「矢矧」は、作戦艦隊旗艦「大和」に次ぐ大型艦であった為、米艦載機の集中攻撃を受け、第一派の空襲で魚雷を2発受けて航行不能となり、「大和」以下の主隊から落伍してしまいました。続く第二波の空襲でさらに命中弾が相次ぎ、最終的には魚雷6本(7本かも)爆弾10発以上を被弾して、沈没しました。

 

「酒匂」:1944年11月に竣工し、第11水雷戦隊旗艦となりました。この戦隊は新造艦の早期戦線投入と兵員の即成を主任務とした部隊でした。

上記「矢矧」が参加した1945年4月の天一号作戦には、「酒匂」も参加する予定でしたが、直前に参加は取り止めとなりました。

以降、既に、戦局は日本海軍の水上艦艇の作戦行動を許す状況ではなく、「酒匂」も空襲の相次ぐ呉から舞鶴に根拠地を移し、同地で終戦を迎えました。

終戦後は武装を撤去し、特別輸送艦に指定され、外地からの復員輸送に従事しました。

その後、戦艦「長門」など共に、米軍の「クロスロード作戦」の標的艦となり、ビキニ環礁での核実験に供され沈没しました。

 

このように、同級は水雷戦隊旗艦として設計されながらも、戦線に投入された時点では航空主導の情勢に戦術が移行しており、そのような水上艦艇による戦闘機会はごく稀で、「阿賀野」のブーゲンビル島沖海戦、「能代」と「矢矧」によるサマール島沖海戦など、数えるほどでした。

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潜水艦隊旗艦のはずが・・・

 軽巡洋艦「大淀」-Oyodo- (1943-終戦時、横転擱座状態で残存)

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Japanese cruiser Ōyodo - Wikipedia

 

設計と戦歴

日本海軍は米海軍を仮想敵とし、艦隊決戦には、両者の物量の差をを勘案した場合、太平洋を渡洋してくる米主力艦部隊に対する漸減邀撃作戦を展開し、ある程度その戦力を削いだ上で主力艦同士の決戦に移行する必要があるという構想を立てていました。

潜水艦はその邀撃の重要な担い手で、その潜水艦部隊を指揮、誘導する旗艦として有力な航空索敵能力を持ち強行偵察が可能な偵察巡洋艦の建造を計画していまいした。その構想の元「大淀」は建造されました。

 

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(直上の写真:「大淀」竣工時の概観。153mm in 1:1250 by Trident /船体の後部三分の一を締める長大なカタパルトを搭載しています)

 

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(直上の写真は、「大淀」の概観。就役時ではなく、連合艦隊旗艦への転用以降の姿を現しています。153mm in 1:1250 by Neptune)

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(直上の写真:「大淀」竣工時とその後の改造後の艦尾の比較)

 

当初設計案では航空偵察能力に重点がおかれ、主砲も魚雷も搭載しない設計でしたが、その後、強行偵察を考慮し主砲のみ装備することとなりました。主砲には、本稿前回でご紹介した「最上級」巡洋艦が竣工当初搭載していた3年式60口径15.5cm砲の3連装砲塔を転用することが決まり、これを2基搭載しました。ja.wikipedia.org

この砲は27000mという長大な射程を持ち(「阿賀野級」に搭載された50口径四十一年式15センチ砲の最大射程の1.3倍)、また60口径の長砲身から打ち出される弾丸は散布界も小さく、弾丸重量も「阿賀野級」搭載砲の1.2倍と強力で、高い評価の砲でした。

75度までの仰角が与えられ、一応、対空戦闘にも適応できる、という設計ではありました。

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(直上の写真は、「大淀」の主要部。主砲:「最上級より転用された3年式60口径15.5cm砲の3連装砲塔(上段)。高角砲として搭載された長 10cm高角砲(左下)。艦後部の航空艤装:就役時には、高速水上偵察機「紫雲:の射出用に、艦後部の航空艤装甲板に甲板のほぼ全長に匹敵する長大なカタパルトを装備していました(右下))

 

併せて対空砲として、日本海軍最優秀対空砲として評価の高い長10センチ高角砲を盾付きの連装砲架で4基、巡洋艦として唯一搭載していました。

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その主装備である航空偵察には、当初、新型の長大な航続距離を持ち、戦闘機も振り切ることができる高速を発揮できる水上偵察機「紫雲」が予定され、その運用のために、「大淀」は艦中央に航空機格納庫を持ち、さらにその後部に呉式2式1号10型という形式の圧縮空気型カタパルトを搭載していました。このカタパルトは6tまでの機体を40秒間隔で射出することができましたが、全長44メートルの巨大なものであり、大淀も当初、艦の後部約3分の1を割いて、このカタパルトを巨大なターンテーブルに搭載していました。

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しかし1943年の就役時点で、「紫雲」が想定の性能に到達せず、また戦術が航空戦力主導に移行したことから、想定された主力艦部隊同士の決戦とその前段としての潜水艦による漸減邀撃が成立しなくなっており、就役当初は輸送任務、あるいはその支援に従事しました。

その後「大淀」は航空機格納庫を会議室や通信機器の収納スペースに改造、大型カタパルトを通常のカタパルトに変更するなどの手が加えられ、1944年5月から、指揮専用艦として連合艦隊旗艦となりました。

しかし連合艦隊の指揮専用艦としては、司令部施設が狭く、1944年9月、連合艦隊司令部が陸上に移ると、「大淀」は第3艦隊(空母機動部隊:小沢艦隊)に編入され、レイテ沖海戦に参加します。「大淀」は当初、小沢機動部隊の艦隊旗艦を予定されていましたが、小沢長官の「空母機動部隊の指揮は空母で」という希望で旗艦は「瑞鶴」となりました。

米艦載機との交戦で、「大淀」は小型爆弾などを被弾しますが、大きな損害はなく、主砲・高角砲を動員して対空戦闘に持ち前の高い対空戦闘能力を発揮して活躍しました。やがて旗艦「瑞鶴」が被弾傾斜し指揮が困難になると、小沢長官は「大淀」に移乗し、指揮を続けました。

海戦後、奄美大島に帰着し艦隊が解隊された後、「大淀」はフィリピン方面に進出します。途中、砲弾補給などを受けながらリンガ泊地に移動。次いで第2水雷戦隊旗艦となり、ミンドロ島での戦闘支援のための礼号作戦に参加します。この際、米軍機の夜間爆撃で爆弾2発を被弾しますがいずれも不発弾でした。この作戦は第5艦隊(志摩中将)隷下の第2水雷戦隊司令官木村昌福少将(キスカ島撤退作戦に指揮など、最近になって、評価の高い指揮官ですね)の指揮により実施されましたが、木村司令官は作戦直前に旗艦を駆逐艦「霞」に変更しています。水雷戦隊に新加入の「大淀」より水雷戦隊時代から馴染みのある艦を選んだ、と言われていますが、いずれにせよ、投入された部隊は残存艦艇の寄せ集め、でした。「帝国海軍の組織的戦闘における最後の勝利」とも言われますが、実際の戦果はそれほど大きくはなく、さらに既に局地戦での「勝利」が、戦況に大きな影響を与えられる状況ではありませでした。

その後、北号作戦(南西方面に残置された残存稼働艦艇による本土への物資輸送作戦)に参加して内地に帰還しました。

1945年3月から7月までの数次の米艦載機による呉空襲で、当初は対空戦闘を実施したものの、複数弾を被弾し、最後は横転着底した姿で、終戦を迎えています。

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(「大淀級」は計画当初は2隻建造される予定でした。2番艦は「仁淀」に艦名も決まっていたようです。上の写真は「大淀級」の2隻)・・・・まあ、これも模型の世界ならではの楽しみ、と言うことで・・・。

 

「香取級」練習巡洋艦 -Katori Class Cruiser-  (香取 :1940-1944/鹿島 :1940-終戦時残存/香椎 :1940-1945)

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Katori-class cruiser - Wikipedia

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(直上の写真は、「香取級」の就役時の概観。103mm in 1:1250 by Neptun)

 

「香取級」練習巡洋艦は、それまで日露戦争時代の装甲巡洋艦練習艦任務に用いていた日本海軍が、初めて設計した練習艦任務に特化した巡洋艦です。350名の少尉候補生を収容できるよう、商船形式の船体を採用することにより居住性に配慮された広い空間を有していました。反面、武装、速度は控えめで、14センチ連装砲2基と12.7センチ連装高角砲1基、連装魚雷発射管2基、それに加え水上偵察機射出用のカタパルト1基を有し、最高速力は18ノットでした。

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(直上の写真は、「香取級」の細部。主砲として14cm砲の連装砲塔を搭載(上段)艦橋前にはおそらく5cm礼砲が再現されています。連装魚雷発射管(左下)。艦尾の高角砲と主砲(右下))

 

同級3隻のうち、実際に練習艦任務に従事する機会があったのは「香取」「鹿島」の2隻で、両艦は練習艦隊を組み1935年に一度だけ練習航海を行いました(昭和15年度練習航海)。

太平洋戦争開戦以降は、その広い船内と高い居住性から、方面警備艦隊旗艦、潜水戦隊旗艦などに用いられました。

 

その戦歴

「香取」:太平洋戦争開戦時には、「香取」は潜水艦戦を総覧する第6艦隊旗艦を務めてマーシャル諸島クェゼリン環礁に進出し、そこから真珠湾作戦に参加した配下の潜水艦の指揮を取りました。同環礁に停泊中に、米空母部隊(「エンタープライズ」「ヨークタウン」)の空襲を受け、至近弾数発を受け損傷、艦載機の機銃掃射で第6艦隊司令長官(清水光美中将)が負傷しています。内地での損傷修復後、トラック島に進出し、そこから潜水艦戦の指揮を取りました。その後もトラック島、クェゼリン環礁、ルオット島などに泊地を変えながら、一貫して第6艦隊旗艦を務めました。

1944年2月、第6艦隊旗艦の任を解かれ、海上護衛総隊編入され、トラック島から内地に向かおうと準備する最中、米機動部隊のトラック空襲に遭遇。多数の爆弾と魚雷を受け、大火災を起こしたところを、米水上艦艇の砲撃で沈没させられました。

 

「鹿島」:太平洋戦争開戦時には、内南洋警備を担当する第4艦隊(井上成美中将)の旗艦を務め、トラック島からギルバート諸島攻略、ウェーク島攻略、ラバウル占領などの諸作戦を指揮しています。

その後、第4艦隊旗艦としてラバウルに進出し、珊瑚海海戦を指揮、海戦後再びトラック島に戻りガダルカナル島での飛行場建設などの指揮を取りました。その後、ニューギニア・ソロモン方面を担当する第8艦隊の新設により、第4艦隊は本来の中部太平洋警備の任務に戻り、「鹿島」はトラック泊地、クェゼリン環礁を移動しながら、輸送支援任務等に当たりました。

第4艦隊旗艦を軽巡洋艦「長良」に譲った後、「鹿島」は練習戦隊に一旦編入され輸送任務や練習任務にあたりました。

1945年、新編の第1護衛艦隊第102戦隊の旗艦となり、対潜掃討艦として対空・対潜兵装を強化し、海上輸送の護衛任務に従事し、終戦を迎えました。

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(「鹿島」と「香椎」は対潜掃討艦への改造を受けました。直上の写真は対潜掃討艦としての「鹿島」の概観 by Delphin)

(直下の写真は「鹿島」の主要改造部:艦橋周り:対空機関砲を追加(上段)。魚雷発射管を撤去し、高角砲を設置(左下)。艦尾には対潜戦闘用の爆雷戦装備を搭載(右下))

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戦後は、武装を撤去し、便乗者用の仮設居住施設を設置するなどの改装を施し、12回の復員者輸送に活躍しました。

 

「香椎」:「香椎」は「香取級」練習巡洋艦の中で唯一就役後一度も練習任務につくことなく、実戦に投入されています。太平洋戦争開戦時は南遣艦隊(小沢治三郎中将)旗艦としてサイゴンにありました。開戦後、同艦隊旗艦は重巡洋艦「鳥海」に変更されましたが、「香椎」は同艦隊に留められ、上陸支援、輸送支援、警備活動などに従事しました。

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(対潜掃討艦となった「鹿島」と「香椎」)

一連の南方作戦終了後、「香椎」は第1南遣艦隊の旗艦に復帰し、シンガポールにあって同方面の輸送支援や警備に従事しました。

一旦内地に帰還し整備後、「香椎」は海上護衛総司令部部隊に編入され、前出の「鹿島」同様、対潜掃討艦への改造を受け、対空・対潜戦闘能力を強化しました。この改造は魚雷発射管を撤去し、対空砲を設置、艦尾の司令官室の爆雷庫への改造、などでした。

この改造後、「香椎」は第一海上護衛隊に編入され、主として内地とシンガポール間の航路を往復し輸送船団の護衛任務につきました。これらの護衛任務は各艦が船団司令部につど編入されるという形式で運用されており、その編成は流動的なものでした。

やがて固定編成の第101戦隊が編成されると「香椎」はその旗艦となり、内地とシンガポール間の輸送護衛を担当します。1945年1月仏印サン・ジャックから内地に向かうヒ86船団を護衛中に南シナ海に侵入していた米機動部隊の艦載機の空襲を受け「香椎」は爆弾5発、魚雷2本を受け沈没しました。

(直下の写真は、ヒ86船団護衛についた第101戦隊(上段):「香椎」を旗艦とし、海防艦「鵜来:鵜来型海防艦」「大東:日振型海防艦」「海防艦27号」「海防艦23号」「海防艦51号」(いずれも丙型海防艦)で構成されていました。下段は、日振型海防艦(奥)と丙型海防艦(手前)を比較したもの:海防艦は、その量産性を求められたため、建造時期が後になるほど次第に艦型が小型化、直線化し簡素化してゆきます)

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余談ですが、光岡明さんの「機雷」という小説は、冒頭、このヒ86船団の話から始まります。主人公は海防艦に乗り組む中尉(だったかな)であり、彼は「香椎」の沈没を目の当たりにします。

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 実はこの小説、私の最も好きな小説の一つです。「海防艦」が冒頭現れるのもその魅力の一つですが、主人公が終戦を挟んで静かに生きてゆく姿に感動します。興味のある方は是非。

 

海防艦という艦種

海防艦(新海防艦と言った方がいいでしょうか)は、実は筆者が最も好きな艦種の一つです。華々しい活躍こそありませんが、来る日も来る日も船団に寄り添って、目を真っ赤にしながら海面や空を通る黒点に目を凝らす、その様な正に海軍のワークホースとでも言うべき姿に、いつも胸が熱くなるのです。

本稿でも、下記の回に少しだけ登場してもらいました。本稿は八八艦隊計画を具体化した辺りから、少し架空戦記っぽい手触りになってゆくのですが、下記もその体現化と受け止めて楽しんでいただければ、と思います。

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今回は、初稿では、海防艦はもっと小さな扱いだったのですが、やはり思いが募って、結局、新海防艦のご紹介的なミニコーナーにしてしまいました。

 

甲型海防艦(「占守型:同型4隻」択捉型:同型14隻」)

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(直上の写真は、甲型海防艦:「占守型」(手前)と「択捉型」(奥))


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(直上の写真は、甲型海防艦「占守型」の概観。64mm in 1:1250 by Neptune: 平射砲を主砲とし、なんとなく平時の警備艦の趣があると思いませんか?)

 

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(直上の写真は、甲型海防艦「択捉型」の概観。64mm in 1:1250 by Neptune: 「占守型」と外観位は大差はありません。南方航路の警備・護衛を想定し、爆雷の搭載数が定数では「占守型」の倍になっています)

 

当初、海防艦は、北方で頻発していた漁業紛争への対応を目的として整備されました。漁業保護、紛争解決に主眼が置かれたため、武装は控えめで、高速性も求められないかわり、経済性が高く長い航続力を有していました。こうした経済性と長い航続力は、船団護衛には最適で、ほぼ北方専用に設計された「占守型」の設計を引き継いで、南方での運用も視野に入れた「択捉型」が建造されました。国境での紛争解決等を想定したため、主砲は平射砲を装備し、南方の通商路警備をもその用途に含めたため若干の対潜装備を保有していました。870トンの船体にディーゼルエンジン2基を主機として搭載し、19.7,ノットの速度を出すことができました。

 

乙型海防艦甲型海防艦(「御蔵型:同型8隻」「日振型:同型9隻」「鵜来型:同型20隻」)**実は設計時には「乙型」と言う分類でしたが、完成時には「甲型」に分類されました。従って、乙型海防艦は記録上は存在していないかもしれません。しかし明らかに設計の主目的等が変更されているので、なぜ、同分類としたものか疑問です。どなたか、理由をご存知の方がいらっしゃったら、ぜひ教えてください。とりあえず、便宜的に「甲型改」とでも呼んでおきましょうか。「甲型改」は正式名称ではないので、ご注意を。

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(直上の写真は、甲型改(乙型海防艦:「御蔵型」(手前)と「日振型」(奥):「日振型」には建造工程を簡素化した準同型艦の「鵜来型」がありました)

 

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(直上の写真は、甲型改(乙型海防艦「御蔵型」の概観。63mm in 1:1250 by Neptune: 主砲が高角砲となり、艦尾部の対戦兵器が充実しています。この艦級のあたりから、船団護衛の専任担当艦の色合いが濃くなってゆきます)

 

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(直上の写真は、甲型改(乙型海防艦「日振型」の概観。63mm in 1:1250 by Neptune.:基本的な外観は「御蔵型」と変わりませんが、建造工数の簡素化が図られ、工数が57000から30000へと大幅に減少、工期が9ヶ月から4ヶ月に短縮したと言われています)

 

戦争が深まるにつれ、南方の通商路での船舶の戦没が相次ぎ、航路護衛には潜水艦、航空機に対する戦闘力を求められるようになり、主砲を高角砲に変更、あわせて対潜装備が充実してゆきます(乙型海防艦甲型海防艦「御蔵型:同型8」「日振型:同型9」「鵜来型:同型20」)。あわせて、数を急速に揃える要求から、艦型は次第に小型化し、建造工程の簡素化が模索されます。写真を掲げた「日振型海防艦」は、940トンの船体に、12cm高角砲を艦首に単装砲架で、艦尾に連装砲架で装備し、加えて25mm3連装機銃を2基、艦尾に爆雷投下用の軌条を二本、爆雷投射機を2基搭載し、爆雷120個を搭載していました。ディーゼルエンジン2基を主機として、19.5ノットの速度を出すことができました。ヒ86船団の護衛隊には「大東」が参加しており、「鵜来型」のネームシップである「鵜来」は準同型艦でした)

 

丙型海防艦:同型56隻

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(直上の写真は、「丙型海防艦」の概要。54mm in 1:1250 by Neptune:簡素化はさらに進み、艦型が直線的になっています。船体は小型になり、武装は高角砲が1門減りましたが、対潜装備は投射機など充実しています

戦争後半、米潜水艦の跳梁は激化し、海防艦の量産性はより重視されるようになります。「丙型海防艦」では艦型の小型化、簡素化がさらに進み、艦型もより直線を多用したものになってゆきます。エンジンも量産性を重視して選択され、「日振型」同様ディーゼルエンジン2基の仕様ながら、速力は16.5ノットに甘んじました。甲型乙型よりも一回り小さな745トンの船体を持ち、武装は12cm高角砲を単装砲架で艦首、艦尾に各1基、25mm3連装機銃を2基を対空兵装として搭載し、爆雷投射機を12基、投下軌条を一本装備して、爆雷120個を搭載していました。同型艦は56隻が建造されています。艦名はそれまでの様に日本の島嶼名ではなく、番号に改められました。「丙型海防艦」は全て奇数の艦番号が割り当てられました。ヒ86船団の護衛隊には「23号艦」「27号艦」「51号艦」がが参加していました。

 

丁型海防艦:同型67隻

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(直上の写真は、「丁型海防艦」の概要。56mm in 1:1250 by Neptune:「丙型」と武装等は変わりませんが、主機が変更になり、煙突の位置、形状が変わっています。排水量は変わりませんが、やや全長が長くなっています) 

再三記述していますが、海防艦には量産性が求められましたが、一方でディーセルエンジンの生産能力にも限界があることから、上掲の「丙型海防艦」と並行して蒸気タービンを機関として搭載した「丁型海防艦」も建造され、こちらは偶数番号が割り当てられました。同型艦は67隻。船体の大きさ、武装には「丙型」「丁型」で大差はありませんが、主機の違いから、速力は「丙型」よりも早い17.5ノットでしたが、ディーゼルに比べると燃費が悪く、「丙型」のほぼ倍の燃料を搭載しながら、航続距離が2/3程度に下がってしまいました。

 

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(直上の写真は、「海防艦」の艦級瀬揃い。手前から「占守型」「択捉型」「御蔵型」「日振型」「丙型」「丁型」:実際には「日振型」の準同型「鵜来型」がありました)

 

海防艦は171隻が建造され、71隻が失われました。

 

再び、「香取級」練習巡洋艦と若干模型の話

「香取級」は、時局柄、本来の建造目的であった練習艦としての平時業務はほとんど従事できなかった不幸な艦級と言えるでしょう。

しかし、戦時にはその低速から、確かに水上戦闘艦としての華々しい任務には不向きでしたが、その余裕のある船型を生かした後方司令部としての任務や、低速な輸送船団に寄り添う護衛任務などに活躍しました。

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(もう一つ余談。どうかお付き合いを。 直上の写真は、「香取級」の就役時(左列:by Neptune) と対潜掃討艦への改造時(右列:by Delphin)。ここでお伝えしたいのは、同スケールと言えどもメーカーが異なると、かなり差異が生じる、という見本ととなれば、と。外観の仕上げは、おそらく明らかにNeptune社の方が優っています。その分、価格も高価です(ほぼ倍?)。しかし、では手放しでNeptuneが優っているかというと、そうでもないかと思います。下段の写真ではその裏面を示しています。右列の裏面写真(Delphinのモデルの裏面)に左列では認められないパーツの接合穴が見ていただけると思います。つまりDelphin社のモデルは、パーツへの分割が行いやすく、パーツ取り、改造等には向いていると考えています。筆者も何かを制作したい、改造したい、などの際には、必ずDelphin社製の近しいモデルが入手できそうかを検討します。上記のように価格も手頃なので、大変ありがたい。つまり、純粋に1:1250スケールの艦船コレクションを楽しみたい方には、可能な限りNeptune(系列のNavis社も含めて)で統一されることをお勧めします。しかし、仕上がりももちろん大事だけど、ちょっと色々と手を加えたりして遊びたい方(筆者がそうなのですが)には、そのベースとしてDelphin社のモデルはとてもありがたい相棒になりうる、と考えています、ご参考になれば。*今回、本当に書きたかったのは、これかも)

 

一応、今回で日本海軍の「既成の」巡洋艦についてのミニ・シリーズは終了です。

「既成の」という微妙は表現した理由は、数回前にご紹介した防空巡洋艦のような架空艦や、マル六計画での計画艦のストックや建造途上モデルがいくつかあるので、「それらをまとめて」の番外編を設けてもいいかな、と考えているからです。そちらは、また準備が整い次第、随時ということで。

 

 

次回は、どうしようかな?

うんと遊んだ企画にしようか、それとも真面目路線で少し時間を遡って「アメリカ海軍やオーストリア=ハンガリー帝国海軍の装甲巡洋艦」のまとめでもやりましょうか?そう言えば日本海軍の空母、一切、まだ触れてませんねえ。ナチスドイツの巡洋艦なんかも、地味だけど・・・。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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