相州の、ほぼ週刊、1:1250 Scale 艦船模型ブログ

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

(補遺:リトライ)「初春級」駆逐艦竣工時の制作 付録「千鳥級」水雷艇 その他諸々

本稿前回で「初春級」駆逐艦の竣工時モデルが未市販のためセミ・スクラッチでの自作への挑戦をご紹介したわけですが、前回をお読みいただいた方はご承知のように、筆者のリサーチ不足で完成したセミ・スクラッチモデルに欠陥が見つかり、「いずれは再トライ」と前回稿を結んでいました。

それを受けて、早速、再トライしました(気になるとじっとしていられない、と言うか、新しい餌を見つけると、食べずにいられない卑しさ、と言うか。自分でも困ったものです)。

その収録です。従って、ほぼ前回投稿に従って書き直しをしています。ご了承のほどを。

 

但し、これも前回稿で、「しかも、うまくいけば、以前から気になっている、日本海軍のもう一つの未整備モデルである「千鳥級」水雷艇の竣工時モデル(こちらも今回の「初春級」と同様、ワシントン・ロンドン体制の制約による過大兵備の要求から復原性に大きな問題を発生した艦級で、やはり復原性修復後のモデルしか市販されていません)のセミ・スクラッチも同時に手掛けられるかも(この作業には「初春級」の主砲塔:特に単装主砲塔と、多分、同級の艦橋が必要になってくるのです。結局、「初春級」を2隻潰すのだから、とある意味、怪我の功名かも」とも書いており、この時点で既にいくつかプランが思いついていたので、今回、それも併せて実施しています。

さらに嬉しい事に(困った事に)、この両方を実行するために何隻か手持ちのモデルを潰さねばならず、「であればついでに」と言う事でいくつかの手持ちの小艦艇のディテイル・アップの実施しましたので、そちらも少しご紹介します。

今回は、そんなお話です。

 

(以降、「初春級」の竣工時の部分は、前回稿が多用されます。間違い探しみたいに、所々、修正や加筆がありますので、それも楽しんでいただけると、とこれは勝手なお願いです。早速、始まり、始まり・・・)

本稿では、前回、前々回の2回に分けて日本海軍の太平洋戦争時の駆逐艦を総覧しました。
fw688i.hatenablog.com

fw688i.hatenablog.com

その中で、ワシントン・ロンドン体制下で設計された「初春級」についても記述したのですが、この艦級は、日本海軍の駆逐艦の中で竣工時の設計に問題があり、就役後、最も大きな改修を必要とした艦級であったにも関わらず、現在、本稿がご紹介している1:1250スケールで市販されているのは改修後のモデルだけで、竣工時のモデルは販売されていません。

今回は現行の改修後モデルをベースに、竣工時をなんとか再現してみようという、セミ・スクラッチの試みのご紹介です。

 

本稿でご紹介した「初春級」を以下の再録しておきます。(前出の 日本海軍:大戦期の駆逐艦(その1)より)

 

 中型(1400トン級)駆逐艦の建造:ロンドン条約の申し子?

「初春級」駆逐艦(6隻)

ワシントン条約に続く ロンドン条約では、それまで制限のなかった補助艦艇にも制限が加えられ、駆逐艦にも保有制限枠が設けられました。特に駆逐艦には1500トンを超える艦は総保有量(合計排水量)の16%以内という項目が加えられました。このため1700トン級(公称)の「吹雪級」駆逐艦をこれ以上建造できなくなり(日本としては財政的な視点から、「吹雪級」の増産を継続するよりも、もう少し安価な艦で数を満たす切実な事情もあったのですが)、次の「初春級」では、1400トン級の船体と「吹雪級」と同等の性能の両立という課題に挑戦することになりました。

ja.wikipedia.org

結果として、竣工時の「初春級」駆逐艦は、主砲として、艦首部に「吹雪級」と同じ「50口径3年式12.7cm砲」B型連装砲塔とB型連装砲塔と同じく仰角を75度に改めたA型改1単装砲塔を背負い式に装備し、艦尾にB型連装砲塔を配置しました。さらに「吹雪級」と同じ61cm3連装魚雷発射管を3基(9射線)を装備し、予備魚雷も「吹雪級」と同数を搭載。加えて次発装填装置をも初めて装備し、魚雷発射後の再雷撃までの時間短縮を可能としました。機関には「吹雪級Ⅲ型」と同じ空気予熱器付きの缶3基を搭載し、36.5ノットの速力を発揮することができました。

1400トン級のコンパクトな船体に「吹雪級」とほぼ同等な重武装と機関を搭載し、かつ搭載する強力な主砲と雷装を総覧する艦橋は大型化したことにより、無理を重ねた設計でした。そしてそれは顕著なトップヘビーの傾向として顕在化することになります。

既に公試時の10度程度の進路変更時ですら危険な大傾斜傾向が現れ、バルジの追加等で何とか就役しますが、この設計原案での建造は「初春」と「子の日」の2隻のみのとどめられました。さらにその後の発生した友鶴事件により、設計は復原性改善を目指して全面体に見直されました。

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初春:竣工時の艦型概観(「初春」「子の日」のみ)

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このげ初春:復原性改修後の艦型概観

(上のシルエットは次のサイトからお借りしています

http://www.jam.bx.sakura.ne.jp/dd/dd_class_hatsuharu.html

残念ながら、竣工時の「初春級」については 1:1250スケールのモデルがありません。スクラッチにトライするには、やや手持ちの「初春級」のモデルが足りていません。 いずれはトライする予定ですが、今回はご勘弁を)

 

平たくいうと、軍縮の制限下での駆逐艦保有トン数と戦術的な要求とのせめぎ合いで、無理に無理を重ねた艦級と言えるでしょう。 中型駆逐艦に大型駆逐艦に等しい兵装を搭載しよう、というわけです。

 

さて、今回の「初春級(竣工時)」の制作にあたり、ベースとするのは「初春級(改修後)」のNeptune製のモデルです。

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(直上の写真:復原性改善修復後の「初春級」の概観。88mm in 1:1250 by Neptune)

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(直上の写真:「初春級」の特徴である次発想定装置付きの3連装魚雷発射管(上段)と、艦尾部に背中合わせに配置された単装主砲砲塔と連装砲塔:仰角75度の高角射撃も可能とした砲塔でした。この砲塔は装填機構の問題から装填時に平射位置まで砲身を戻さねばならず、射撃速度が低く対空砲としては実用性に乏しいものでした)

 

セミ・スクラッチのベースにするのは「初春級」の旧モデル(Neptune社製)

本稿でも一度ご紹介したことがあるのですが、実は本稿で扱っている1:1250モデルでも、制作各社でのモデルのリニューアルが行なわれており、次第にディテイルが精緻になり、それはそれで嬉しいことなのですが、一方でコレクターの立場で言うと、これに付き合っていると、理想的にいうと数年に一度、モデルの総入れ替のような事になり、とても付き合いきれないので、どこで思い切るのか、という悩ましい決断を迫られます。

一方で、筆者の場合には手元に一定の旧モデル、つまりコレクション落ちのモデルがある事になり、これが結構パーツ用のストックになっていたりします。

「初春級」でも現在、3隻のストックがあり、そのうちの一隻が旧モデルでしたので、今回の「竣工時」モデルの製作にはこの旧モデルをベースとして使う事にしました。幸か不幸か、旧モデルは乾舷が新モデルに比べやや高く、復原性に大きな課題を抱えていた「初春級(竣工時)」の「腰高な感じ」を出すにはちょうど良かったかもしれません(何でもポジティブに捉えるなあって?おっしゃる通りかも・・・)。

 

(追記と編集)と言う事で、Neptune社製の旧モデルをベースに前回は竣工時モデルのセミ・スクラッチに挑戦したわけですが、実はこの旧モデルには大きな落とし穴がありました。以下、はその欠陥部分についての記述。

 

しかし、よく見ると、ああ、何とも致命的な・・・。

完成した「竣工時」のモデルをよく見ていると、「あれれ・・・」、実は、致命的な欠陥を発見してしまいました。

「初春級」は既述のように日本海軍で初めて魚雷の次発装填装置を搭載した艦級です。

この 次発装填装置は、それまでチェーンと運搬車で作業されていた魚雷の発射管への装填業務を、魚雷発射後わずか20秒程度に短縮する、という画期的な装置ですが、反面、次発装填装置自体を魚雷発射管と同レベルに設置する必要がありました。これは「初春級」の重心上昇の一因ともなったわけですが、1番煙突と2番煙突間に配置された1番発射管用の自発装填装置は、2番煙突左脇に搭載されており、このため2番煙突は艦の中心位置から艦首を上に見てやや右にオフセットされて配置されていました。

ところが今回ベースとして使用したNeptune社の「初春級」の旧モデルは、この1番発射管用の次発装填装置が、あれれ、ないじゃないか!しかも、2番煙突が逆に左にオフセットした位置に配置されてる事に、完成後に気付いてしまいました。上記のように、結構、次発装填装置にはこだわりがあって、上述の工程で説明したように、自作した後橋部の建屋作成では、気にかけて作業をした部分でもあるので、結構びっくり。

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 (左が「初春級」新モデル:1番発射管と2番発射管の間にある2番煙突は、1番発射管の次発装填装置の関係で、船体中心線より選手を上に見てやや右にオフセットした位置に配置されています。これが正解!1番発射管用の次発装填装置は、左写真の中程、2番魚雷発射管の左上に設置されている斜めに設置された構造物です。この箱の中に次発装填用の魚雷が収納されていて、魚雷発射管内の初発魚雷は発射された後に、発射管後部から装填される仕掛けです。装填に要する時間、約20秒! 右の写真は今回使用した「「初春級」級モデルをベースにした竣工時のモデル:2番煙突がやや左にオフセットされています。しかもこだわりの次発装填装置がない!これは気になる、でしょう!?)

 

うう、リサーチ不足だった、と少しがっくり。しかも、これは気がついてしまうと、気になる。

対策は、と考えてみます。手っ取り早く思えるのは2番煙突の位置変更ですが、2番煙突の位置変更は、実は1:1250スケールではちょっと大事です。そっくり2番煙突ブロックを船体から切除して、加工して再移築というような作業が想定されますが、いつもは「手軽さ」となるスケールの小ささが今回は災いして、切除に使用するソー、あるいはニッパの刃が構造を必ず損なう結果になると考えています(筆者の手技不足も、もちろん大きな要因ですが)。結局、検討の結果は、新モデルをベースにもう一回やり直すしかない、かと・・・・。

 

(追記と編集)で、今回のやり直しになるわけです。併せて、ちょっと欲張った事も下記のように書いています。

 

という事で、いずれ新モデルをベースに(もったいないなあ)再作業する事にします。まあこういう事もありますよね。

今回の経験で作業の大体の要領と手順は分かったし、今回手をかけた艦橋部と後橋部の建屋は多分両方転用できそうですので、作業は幾分手軽になるかと。筆者的にはまた楽しみが増えた、という事です。(と、前向きに・・・)

しかも、うまくいけば、以前から気になっている、日本海軍のもう一つの未整備モデルである「千鳥級」水雷艇の竣工時モデル(こちらも今回の「初春級」と同様、ワシントン・ロンドン体制の制約による過大兵備の要求から復原性に大きな問題を発生した艦級で、やはり復原性修復後のモデルしか市販されていません)のセミ・スクラッチも同時に手掛けられるかも(この作業には「初春級」の主砲塔:特に単装主砲塔と、多分、同級の艦橋が必要になってくるのです。結局、「初春級」を2隻潰すのだから、とある意味、怪我の功名かも。課題は「千鳥級」の竣工時の連装魚雷発射管を自作しなくてはならないところ。小さな部品ではありますが、一つの特徴でもあるので、ちょっと慎重に準備しなくてはなりません。・・・と、すっかり同時着手の気になってしまっている!!)。

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(早速、同時着手:「千鳥級」(上)と「初春級」(下)いずれもNeptune社製モデルの上部構造物を、必要な箇所をのぞいて切除)

 

で、早速、着手、となるわけですが・・・

「初春級」竣工時と復原性改修後の相違点

「初春級」(竣工時)の再現にあたって、最も肝となるのは、その兵装配置である事は明らかです。

「初春級」(改修後)では、その兵装配置は日本海軍艦隊駆逐艦の標準的なもので、艦首に1番連装主砲塔を搭載し、第一煙突と第二煙突の間に1番魚雷発射管(3連装)、第二煙突直後に2番魚雷発射管(3連装)という配置になります。その後部に魚雷の自発装填装置を組み込んだ後橋、その後ろに2番主砲塔(単装)、3番主砲塔(連装)が背中合わせに配置されています。f:id:fw688i:20200822010836j:plain

 

これに対し「初春級」(竣工時)では、艦首部に1番主砲塔(連装)と2番主砲塔(単装)が背負い式に配置されるという、本級のみに見られる大変ユニークな配置になっています。同時にこの背負式の主砲配置に伴い艦橋部が大型化しています。さらに、第一煙突と第二煙突の間の1番魚雷発射管(3連装)、第二煙突直後の2番魚雷発射管(3連装)に加え、さらにその後ろの後橋部に組み込まれる形で3番発射管(3連装)が少し配置位置を高めにして背負い式のような形で装備され、竣工時には大型駆逐艦並の9射線の魚雷発射能力を誇っていました。そして後橋の後に3番主砲塔(連装)が配置されていました。

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「初春級」(竣工時)のセミ・スクラッチ手順(ここからはリトライ作業ベースのお話に書き換えていきます)

という事で、今回のセミ・スクラッチは結構大工事になりました。

⑴まず艦橋を切除(これはもちろん後で使うので保管しておきます、が、結局は前回作成した旧モデルベースの艦橋を使う事にしました。艦橋が一つストックに。後で出てくるので、忘れないでね)。

⑵次にとりあえず2番魚雷発射管を撤去。:竣工時モデルでは3基必要となりますので、ストックに入っていたTrident社製の「吹雪級」のモデルから魚雷発射管を拝借します。(Trident社製モデルも、パーツ分割が容易で、パーツの精度も高いので、こう言うセミクラッチの際には、大変重宝します)。しかもありがたい事に、Trident社製の発射管はNeptune社製の発射管とディテイルも大きさもほとんど違和感がありません

⑶後橋と2番砲塔(単装)を撤去:2番砲塔は貴重な単装砲塔です。もちろん後で使うので保管します。

⑷撤去後をできるだけ平らにヤスリでゴリゴリ。

⑸前述の2番・3番発射管を拝借したTrident社製「吹雪級」の後橋部分をベースに整形を施し後橋部分を制作。艦橋下層部には艦橋上部を乗せ、先端に2番主砲塔(単装)を搭載。後橋部には3番魚雷発射管とブリッジらしく見えるように少しストックから部品を追加。

これらを再度組み上げて、マストを整理して出来上がり、という事になります。

 

 そして、塗装をして完成

 下の写真が完成形。兵装の過多と、それに伴うトップヘビー感がでていれば一応の成功です。

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(直上の写真は「初春級」竣工時の概観:88mm in 1:1250 by Neptuneをベースにセミ・スクラッチ

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(直上の写真は、「初春級」竣工時の特徴のアップ。左上:艦橋部。艦橋部の下層構造を延長し、艦橋の位置をやや後方へ。艦橋部下層構造の前端に2番主砲塔(単装)を、1番主砲塔(連装)と背負い式になるように配置。右上:2番魚雷発射管。これは全く手をつけず。下段左と中央:後橋部分と2番・3番発射管の配置状況。3番発射管自体は、船体中心線に対し、やや右にオフセットした位置に追加。細かいこだわりですが、一応、3番発射管用の次発装填装置を後橋部の構造建屋の上に設置。2番発射管用の次発装填装置は後橋部建屋の左側の斜め張り出し部に内蔵されています)

 

復原性修復後のモデルとの比較は以下に。二枚とも、上が「竣工時(今回セミ・スクラッチ製作したモデル)」、下が「復原性修復後」のモデル(Neptune社の現行の市販モデル)。

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「竣工時」の過大な兵装とそれに因る腰高感が表現できているかどうか・・・。できているんじゃないかな(とちょっと自画自賛)。 

 

と言う事で、「初春級」の竣工時モデルについては、ここまで。

 

さて続いて・・・。

「千鳥級」水雷艇 竣工時モデルの制作

前述の通り、「千鳥級」水雷艇についても既述の「初春級」と同様、ワシントン・ロンドン体制の制約による過大兵備の要求から復原性に大きな問題を発生した艦級で、やはり復原性修復後のモデルしか市販されていませんでした。

そこで、今回の「初春級」リトライをきっかけにこちらにも挑戦。

この同時挑戦についての大きな動機は「初春級」の再制作(Neptune社製新モデルをベースに再製作)に伴い「50口径3年式12.7cm砲」の砲塔セットがもう1組ストック入りした事で、この中には「初春級」の特徴でもある単装砲塔が含まれています。「千鳥級」水雷艇の竣工時モデルの製作にあたっては、この単装砲塔が不可欠で、これが今回の「同時製作」の大きなきっかけになりました。

 

「千鳥級」水雷艇

ja.wikipedia.org 600トンを切る小さな艦体に、当時の主力駆逐艦と同様に50口径5インチ砲(12.7cm砲)を、艦首部に単装砲塔、艦尾部に連装砲塔という配置で3門を搭載し、さらに連装魚雷発射管を2基、予備魚雷も同数装備、30ノットの速力を発揮する高性能艦として誕生します。駆逐艦なみの主砲装備のために射撃管制塔の要請から艦橋も大型化し、設計中から既に重武装に起因する復原力不足は課題として意識されていました。

公試時の転舵では大傾斜が生じ、急遽大きなバルジを追加装備する形で対策がとられ竣工しました。

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 (直上の写真:「千鳥級」水雷艇の竣工時の概観。63mm in 1:1250 by Neptuneベースのセミ・スクラッチ)

 

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 (直上の写真:「千鳥級」水雷艇の竣工時の特徴のアップ。上段:艦首部の単装砲塔と背の高い艦橋部。舷側には復原性対策として急遽増設されたバルジを再現してあります。下段左:連装魚雷発射管を2基装備、下段右:艦尾部の連装主砲塔)

 

その後、同型艦の「友鶴」で、40度程度の傾斜から転覆してしまうという事故が発生し(設計では90度傾斜でも復原できる事になっていました)、深刻な復原力不足が露呈します。

友鶴事件 - Wikipedia

事件後、設計が見直され、ほぼ別設計の艦として同級は生まれ変わります。その変更点は、艦橋を1層減じ小型化すると共に、バルジを撤去し代わりに艦底にバラストキール(98トン)の装着によるトップヘビー解消。そして武装を再考し、主砲口径を5インチ砲から12センチ砲へと縮小し、搭載形式も砲塔式から防楯付き単装砲架への変更(22トンの重量削減)、あわせて魚雷発射管を連装1基へ削減し予備魚雷も搭載しない(40トンの重量削減)、等により復元力は改善されましたが、速力は28ノットに低下してしまいました。

 (直下の写真:「千鳥級」水雷艇の復原性改修後の概観。63mm in 1:1250 by Neptune)

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竣工時と復原性改修後の比較は以下に。竣工時のモデルはイタリア海軍の水雷艇によく似ている気がします。海面のおだやかな地中海であればこれで大丈夫なのかもしれませんね。

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戦争中は、敵潜水艦に対する速力不足が常に課題とされた「海防艦」と異なり、その優速を生かした理想的な対潜制圧艦と評価され、船団護衛等に活躍しました。

同型艦4隻中3隻が戦没。

(この記述は、本稿の「大好きな小艦艇特集(二等駆逐艦水雷艇・掃海艇・駆潜艇)」にも反映されています)


その他のモデル、若干のセミクラッチ

今回の「初春級」竣工時、「千鳥級」竣工時の製作に伴い、ストックパーツの整理、ストックモデルの見直しと分解等の作業を行ったのですが、それに伴い、死蔵していた古いストックモデルにも整理の機会がありました。以下はそのまとめ。

 

「第1号級」掃海艇(既存モデル、あった!?)

ja.wikipedia.org

(直下の写真:「第1号級」掃海艇の概観。59mm in 1:1250 bt ??? メーカー不明)

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筆者が頼りにしている艦船モデルのデータベースsammelhafen.deで調べても、「第1号級」掃海艇のモデルは登録されていないのですが、筆者のストックモデルでそれらしきものを発見。少しディテイルアップをしてみました。(↓頼りにしているデータベースはこちら)

sammelhafen.de

 

「第1号級」掃海艇は、それまで旧式駆逐艦等を掃海任務に割り当てていた日本海軍が、大正期の八八艦隊計画の一環として初めて当初から「掃海艇」として設計した艦級です。日本海軍の掃海艇の常として、敵前での主力艦隊の前路開削を想定しているため、本級も艦型に比して比較的強力な砲力を搭載していました。(600トン、12cm平射砲2門、20ノット)

同型艦に、本級を改良した「第5号級」掃海艇があります。

ja.wikipedia.org

「第1号級」も「第5号級」も準同型艦で外観には大差がなく、「第1号級」「第5号級」併せて6隻が建造され、太平洋戦争には、その汎用性を買われて本来の掃海任務の他、船団護衛等にも従事しました。第4号掃海艇を除いて、全てが太平洋戦争で失われました。

(この記述は、本稿の「大好きな小艦艇特集(二等駆逐艦水雷艇・掃海艇・駆潜艇)」にも反映されています)

 

 機雷敷設艦というジャンル

これまで本稿ではこのジャンルについて「日本海巡洋艦開発小史(その4) 平賀デザインの巡洋艦」の回に、同回の主役であった「古鷹級」巡洋艦ロンドン条約の制限に関連する記述でわずかに機雷敷設艦津軽」について、以下のように軽く触れただけでした。

 

ロンドン海軍軍縮条約で生まれた「重巡洋艦」(カテゴリーA)の話

ロンドン条約では「主砲口径が6.1インチを超え、8インチ以下で、10000トン以下の艦」をカテゴリーA:重巡洋艦とすると言う定義が行われることになります。この定義は、「夕張」「古鷹級」と言う画期的なコンパクトな重武装艦を生み出し始めた日本海軍を警戒して列強が定め、「古鷹級」とこれに続く「青葉級」をカテゴリーAの総排水量の中でカウントし、その保有数に限界を持たせることを狙ったとも言われています。

同様の制約は、その他の補助艦艇に対する制約でも現れます。その一つが機雷敷設艦艇での制限で、ここでは新造される機雷敷設艦の最大速力を20ノットと制限することで、日本海軍が高速で強力な兵装を持つ、軽巡洋艦或いは重巡洋艦に匹敵するような高速機雷敷設巡洋艦保有することを制限する狙いがあった、と言われています。これも「夕張」「古鷹級」のもたらした副産物と言えるかもしれません。

 

機雷敷設艦津軽
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(直上の写真は、上述の機雷敷設艦津軽」:104mm in 1:1250 by Neptune)

ja.wikipedia.org

 4000トンの船体を持ち、条約制限いっぱいの20ノットの速力を有していました。「津軽」は12.5cm 連装対空砲を2基を主砲として搭載していますが、準同型艦の「沖島」は軽巡洋艦と同等の14cm主砲を連装砲塔形式で2基、保有していました。ロンドン海軍軍縮条約で、機雷敷設艦等の補助艦艇には最高速力を20ノット以下とする、という制限がかかりましたが、これは、「夕張」「古鷹級」等のコンパクト重装備艦の登場を警戒した列強が、機雷敷設艦の名目で日本海軍が軽巡洋艦として運用できる強力な敷設巡洋艦を建造することを予防した、と言われています。実際に太平洋戦争では、中部太平洋ソロモン諸島方面で輸送船団の護衛や、自ら輸送・揚陸任務など、高速を必要とする水雷戦隊旗艦等の任務を除けば、他の軽巡洋艦と同等に活躍しています。

 

機雷敷設艦厳島」「白鷹」

本稿では既述ですので、お読みいただいた方もいらっしゃるとは思いますが、実は筆者はこうした補助小艦艇が大好きです。

今回ストックモデルの整理にあたって、なんとも嬉しい事に「厳島」と「白鷹」の二つのモデルを死蔵していたことを発見。これに手を加える機会がありました。

飽きやすい性格も手伝って、途中からは今回の主役であるべき「初春級」「千鳥級」を押し除けて、週の後半は「機雷敷設艦」のシリーズ展開のことばかり考える始末。

これらは死蔵モデルの発見と、「初春級」「千鳥級」のセミ・スクラッチにともない発生したストックモデルのパーツ(特に今回は駆逐艦の艦橋パーツ)の再利用機会の模索が大きく影響しています。

実は両モデルを死蔵のままにしていた理由は、両オリジナルモデルの艦橋の造作が何かピンときていなかった、つまり「いずれは手を入れようと思っていた」という背景が大きく作用しています。そうした事態が、今回の駆逐艦ストックモデルの分解作業に刺激されて一気に表面化した、という、筆者の内面を分析すると、おそらくそういうことです。

併せて軽く紹介しておきます。

 

機雷敷設艦厳島

掃海艇同様、日本海軍は機雷敷設業務に、旧式の装甲巡洋艦等を当てていましたが、大正期の八八艦隊計画に準じて、初めて本格的な機雷敷設艦の設計に着手しました。それが「厳島」です。
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(直上の写真は、機雷敷設艦厳島」:89mm in 1:1250 by Authenticast)

ja.wikipedia.org

2000トン級の艦型に、主機にはディーゼル機関を採用しています。設計当時の艦隊決戦主戦場と想定されていた南洋諸島方面での機雷敷設任務を想定し航続距離と機雷搭載量が重視され、速力は17ノットと少し控えめに設定されています。

日本海軍の常として強行敷設、敵前敷設をも想定したため、2000トンの艦型の割には比較的強力な砲力をもっています。(14センチ砲単装砲3基)

 

急設網艦「白鷹」

その名の通り、艦隊泊地などに対潜水艦侵入防止用の防潜網を展張する役目を負う艦種ですが、機雷敷設の能力もあるため、正式の艦種分類は日本海軍では機雷敷設艦となっています。

「白鷹」(「ハクタカ」ではなく「シラタカ」と読みます)は日本海軍が建造した最初の「急設網艦」ですが、同時に世界で初めて防潜網敷設艦として設計された船でもあります。

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(直上の写真は、急設網艦「白鷹」:69mm in 1:1250 by Superior?ちょっと怪しい。兵装配置はほぼ最終時点=8cm高角砲2基を主兵装とした時点を再現しているつもりです。もう少し爆雷投射機等があったほうがいいかも)

ja.wikipedia.org

就役当初から復原性に大きな課題を抱えており、重装備であった砲兵装が順次改められてゆきました。また大戦の推移にともない防潜網の展張、機雷敷設の機会の減少に準じ、敷設関係の装備を撤去して代わりに対潜装備を搭載。最終的には船団護衛に従事したと言われています。

(1300トン、12cm高角砲3基(竣工時)、のち8cm高角砲2基、速力16ノット)

 

機雷敷設艦厳島」と急設網艦「白鷹」

 両艦の大きさの比較は以下の通りです。両艦ともに就役後復原性の不足に苦しみ、数度の改装を受けています。

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なんか、こういうマイナーなモデルに手を入れて、なんとなく「らしい」と思えるモデルに「できた」と思える時、「ああ、やっててよかったなあ」と思えるんですよね。<<<全くの自己満足発言であることは自覚しています。

 

今回は、いずれも艦のフォルムそのものは手を入れず、両艦とも艦橋を駆逐艦のストックパーツに入れ替えています(実は「白鷹」の艦橋には、冒頭ご紹介した「初春級」竣工時モデルの箇所で紹介したNeptune社「初春」の新モデルの切除された艦橋の上部が転用されています。ね、出てきたでしょ)。

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(「厳島」(上)と「白鷹」(下)のそれぞれのオリジナルモデル。どちらも艦橋が、なんかねえ、と思いません?)

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併せて武装パーツをストック中からもう少しモールドのシャープなもの、あるいは他のスケールのストックパーツから転用できそうなもの(例えば1:700スケールの機銃を高角砲にとか)に換装したりしています。

 

こうして、「機雷敷設艦」のジャンルについては、大どころが揃ってきました。大きなところで欠けているのは「沖島」と「八重山」、そして急設網館「初鷹級」でしょうか。

沖島」は準同型艦津軽」からのセミ・スクラッチが完了しているので、あとは「八重山」と「初鷹級」ですが、これがどうにも手に入りません。「八重山」については、製造元(Midwayという会社だったのですが)が既に廃業していることがUSのコレクターからの情報でわかりました。「他にはちょっと知らないなあ。中古モデルを気長に探すしかなさそうだよ」というコメントでした。

 

ということで、次回は、「機雷敷設艦」を、今あるところまでで、一旦おさらいしておきましょうかね。

 

おまけ:測量艦「筑紫」らしき・・・

小艦艇の死蔵モデルの中には「艦級名」すらわからないものも、多数含まれています。

「何だろうこれは?」ということで、少々無理やり寸法の似ている測量艦「筑紫」に似せて仕上げてしまおう。(実は「筑紫」と言い切るには船首楼が長すぎるのです。乾舷も低すぎるかも)
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(直上の写真は、測量艦「筑紫」らしき・・・:69mm in 1:1250 by ??? 不明)

ja.wikipedia.org

 

ということで、今回はこの辺りでおしまい。

次回は前述のように「機雷敷設艦」関連で、一度まとめをしておきましょうか。「グレイハウンド」も何度か観たし。

 

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特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

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