相州の、1:1250スケール艦船模型ブログ 主力艦の変遷を追って

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

第二次世界大戦下のドイツ海軍巡洋艦(軽巡洋艦・重巡洋艦)

今回は、前回の陽光あふれるような、ちょとはしゃいだ地中海(アドリア海)から一転して、鈍色のバルト海、北海に視点を移して、どちらかというと本稿の本筋に近い艦船群のご紹介です。

とは言え、アドリア海編も着々と準備が進行中で、前回の主人公であった「アドリア海の真珠号」も少しディテイルアップなど進んでいます。

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(遊覧飛行母船「アドリア海の真珠」号の概観。103mm in 1:1250 by C.O.B. Constructs and Miniatures:下の写真は、少しデリック部分をディテイル・アップ)

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さらに、ほら、飛行艇ダボハゼ」らしきものも・・・。

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(「ダボハゼ」は、ちょっと迷彩を間違ったかも。もう一回やり直しかな?でもまだ尾翼部分は塗装できていないんだな?空賊連合も飛行船、手に入れたのか?)

 

でも「今回は、浮き立つ心を押さえて、少し真面目に」、そんなお話し。

 

本稿でもご紹介しましたが。第一次世界大戦に敗れたドイツ帝国は、大戦前には主力艦の保有数で英国に次いで世界第二位の規模を誇っていた海軍をほぼ失います。

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大戦後のベルサイユ条約で認められた海軍の保有艦艇は日本海軍で言えば日露戦争当時の主力艦であった前弩級戦艦8隻と同時代の旧式の防護巡洋艦8隻、駆逐艦水雷艇魚雷艇が各14隻という規模で、潜水艦・航空母艦保有は認めない、という明らかに沿岸警備の機能しか持たせないことを狙った制限が課せられました。

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条項には保有を許された艦艇については、戦艦と巡洋艦については艦齢20年に達したものについて代艦の建造が認められていましたが、戦艦については排水量10000トン以下、主砲口径28センチ以下に、巡洋艦も6000トン以下という制限が設けられていました。

その制限下で、「ドイッチュラント級」装甲艦の設計構想が生まれ、これを機にヨーロッパでは新たな世代の主力艦とでも言うべき「新戦艦」の時代が到来するのですが、これは既に本稿でも上記の回でご紹介したところです。

 

さて、上記の「ドイッチュラント級」装甲艦の建造に先立ち、巡洋艦について見ると、ドイツ海軍はベルサイユ条約の制限下で保有を許された旧式防護巡洋艦「ニオべ」の代艦として1921年軽巡洋艦「エムデン」を起工します。

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(ベルサイユ条約保有が認められた小型巡洋艦「ニオべ」の概観。81mm in 1:1250 by Navis :1900年頃に10隻が建造された「ガツェレ級」の一隻で、2600トン級の船体に4インチ速射砲を10門搭載していましたが、速力は22ノットで、20年代巡洋艦としてはは第一線の戦力とは言えなくなっていました)

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軽巡洋艦「エムデン」(1921-1945:同型艦なし)

同艦は第一次世界大戦後ドイツ海軍が建造した最初の大型の戦闘艦で、設計は基本的に第一次大戦時のドイツ帝国海軍の軽巡洋艦に準じたもので、兵装配置などはオーソドックスといえ目だった新機軸は用いられない手堅い設計でした。ただし、排水量制限を意識して電気溶接を多用した軽量化が計られ、そうした意味では新世代の艦船群の先頭を切るにふさわしいと言っていいかもしれません。

さらに艦名に第一次大戦で神出鬼没の通商破壊戦で英海軍を翻弄した「エムデン」を冠するあたりなど、新生ドイツ海軍の矜持を垣間見ることができるかもしれません。

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(ベルサイユ条体制下で初めてドイツ海軍が建造した巡洋艦「エムデン」の概観。125mm in 1:1250 by Hansa :5400トンの船体に6インチ単装砲8基を搭載し、30ノットの速力を出すことができました)

 

「エムデン」は第二次世界大戦では、緒戦に機雷敷設作戦に参加、その後ノルウェー侵攻作戦に参加したのちは、主としてバルト海練習艦として運用されました。大戦末期にはソ連軍の侵攻の迫る東部戦線、東プロイセンからの避難・撤収などの従事しました。

1945年4月、キール軍港への空襲で被弾し5月に自沈しています。

 

ケーニヒスベルク級」軽巡洋艦

(「ケーニヒスベルク」1929-40 「カールスルーエ」1929-40 「ケルン」1930-45)

上述の「エムデン」に引き続き、ドイツ海軍はべルサイユ条約制限下での6000トン級軽巡洋艦の新たな艦級を建造します。

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(「ケーニヒスベルク級」軽巡洋艦の概観。139mm in 1:1250 by Hansa :条約制限一杯の6000トンの船体に6インチ三連装砲塔3基を搭載し、32ノットの速力を出すことができました)

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(「ケーニヒスベルク級」軽巡洋艦の特徴である6インチ三連装砲塔。中段の写真では、艦尾部のオフセット配置がよくわかります。このオフセット配置は、艦首部への砲撃に対応するための工夫でしたが、艦構造の中央部を外した砲塔配置となったため、構造上の欠陥となり、次級の「ライプツィヒ級」では、全て中央線上の配置と改められました。写真下段では、新設計の88mm連装高角砲の配置がよく分かります

 

「エムデン」が従来の第一次大戦型の軽巡洋艦タイプシップとした比較的オーソドックスな設計であったのに対し、同級では「エムデン」で導入した電気溶接の多用に加え、上部構造に軽合金を用いるなど、条約制限の6000トン内でより有力な巡洋艦建造が目指されます。砲兵装では「エムデン」が防楯付きの単装砲架で45口径15センチ主砲を8基装備したのに対し、新設計の60口径15センチ速射砲の3連装主砲塔が導入され、この3連装主砲塔を艦首部に1基、艦尾部に2基搭載していました。艦尾部に搭載された2基の主砲塔は、やや左右にオフセットして配置され、左右両舷の艦首方向に対してもどちらかの砲塔が広い射界を得られるように工夫がありました。

しかし、このオフセット配置は結果的には失敗で、中央線からずらせて配置した艦尾部の主砲塔重量により船体に亀裂を生じるなどの課題が生じ、バルト海と北海以外では活動を制限することとなりました。 

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(「ケーニヒスベルク級」軽巡洋艦の3隻勢揃い。奥から「ケーニヒスベルク」「カールスルーエ」「ケルン」の順)

 

ケーニヒスベルク:第二次大戦開戦後は北海で機雷敷設に従事したのち、1940年のノルウェー侵攻作戦にベルゲン攻略部隊の一員として参加。ベルゲン占領には成功しますが、ノルウェー軍の陸上砲台との交戦で被弾し、その修復中の4月10日に英軍機の空襲を受け被弾、沈没しました。 

カールスルーエ:1936年にはスペイン内戦に準じて酢終えイン海域に派遣されています。第二次世界大戦では、1940年のノルウェー攻略作戦にクリスチャンサン・アーレンダール抗力部隊として参加し、陸上砲台と砲火を交えながら、攻略戦の成功に貢献しました。

その帰途、4月9日、英潜水艦の雷撃を受け被雷。味方水雷艇の魚雷で自沈処分されました。 

「ケルン」:第二次大戦緒戦、同艦はバルト海で活動し、その後北海およびイギリス沿岸で機雷敷設作戦に従事しました。1940年のノルウェー攻略戦にはベルゲン攻略部隊に参加しています。その後、バルト海東方で戦艦「ティルピッツ」などと共にソ連海軍の出撃警戒などを行ったのち、1942年にはノルウェー北部に移動し、ソ連向けの輸送船団等に対する警戒に当たります。1942年12月に発生したバレンツ海海戦の結果、ヒトラーが海軍に対し大型戦闘艦の退役命令を出し、その結果、「ケルン」はノルウェー海域を離れドイツ本土のキール軍港に回航され退役しました。

その後、退役命令の撤回と共に再就役しますが、進出先のオスロフィヨルドで英軍基の空襲を受け至近弾で損傷、修理のために移ったヴィルヘルムス・ハーフェンで再び爆撃を受け、大破着底の状態で敗戦を迎えました。

 

ライプツィヒ級」軽巡洋艦

(「ライプツィヒ」1931-敗戦時残存 「ニュルンベルク」1935-敗戦時残存)

同級は前出の「ケーニヒスベルク級」軽巡洋艦お改良型で、ドイツ海軍が建造した最後の軽巡洋艦の艦級です。「ケーニヒスベルク級」で構造上の欠陥となった艦尾部の主砲塔のオフセット配置を改め、全てセンター配置としています。さらに構図を強化したためベルサイユ条約の制限排水量を超えていましたが、公式には制限内と公表されていました。

2番艦の「ニュルンベルク」ではさらに艦橋の大型化、対空兵装の強化などが行われ、「ライプツィヒ」の同型艦として扱われながら、実際には艦型がさらに大型になっています。

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ケーニヒスベルク級」で構造上の欠陥となった艦尾部の主砲塔のオフセット配置を改め、全てセンター配置としています。さらに構図を強化したためベルサイユ条約の制限排水量を超えていましたが、公式には制限内と公表されていました。

2番艦の「ニュルンベルク」ではさらに艦橋の大型化、対空兵装の強化などが行われ、漬けいかんとして扱われながら、実際には艦型がさらに大型になっています。

 

ライプツィヒ:第二次大戦緒戦ではポーランド攻略戦に参加、ポーランド海軍艦艇の脱出阻止作戦に従事しましたが、結果的には失敗しています。以下をご参考に。

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その後、北海で機雷敷設を行ったのち、1939年12月、イギリス沿岸で展開中の駆逐艦部隊による機雷敷設作戦に支援部隊として参加しますが、英海軍の潜水艦からの魚雷攻撃で損傷しました。

自力で帰港後にキール軍港で修理されますが、完全に修理されないまま練習艦として再就役します。その後、バルト海方面で活動を続けましたが、1944年10月、重巡洋艦プリンツ・オイゲン」と衝突損傷し、その後完全に修復されることのないまま、東部戦線からの避難民支援、ソ連軍に対する艦砲射撃などに従事、敗戦を迎えています。

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(軽巡洋艦ライプツィヒ」の概観。143mm in 1:1250 by Hansa :「ケーニヒスベルク級」で欠点として発見された船体強度の強化のために艦型を大型化し条約制限を超えたの6300トンの船体に6インチ三連装砲塔3基を搭載し、32ノットの速力を出すことができました。下の写真は、「ライプツィヒ」で中央線上の配置に改められた艦尾部の主砲塔配置:左は「カールスルーエ級」右は「ライプツィヒ」)

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ニュルンベルク第二次世界大戦緒戦は、北海での機雷敷設に従事、その後、上記の「ライプツィヒ」と共にイギリス沿岸での機雷敷設作戦に両艦の「ライプツィヒ」「ケルン」と共に支援部隊を編成し、その旗艦(ギュンター・リュッチェンス少将座乗:後に戦艦「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」を率いて大西洋で通商破壊作戦で成功、さらに戦艦「ビスマルク」を指揮して最初で最後の戦闘航海に出撃し、同艦と運命を共にしました)として出撃しました。この出撃で英潜水艦から2発の魚雷を被雷し損傷しましたが、自力航行で帰港。

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修復後、1940年にノルウェー攻略戦に参加。1941年には練習艦とされ、戦艦「ティルピッツ」など共にバルト海で活動。その後1942年にはノルウェー北部で活動しました。f:id:fw688i:20201108113221j:image

(軽巡洋艦ニュルンベルク」の概観。146mm in 1:1250 by Hansa :「ライプツィヒ」の艦橋部を大型化し、更に船体が大型化しています。8300トンの船体に6インチ三連装砲塔3基を搭載し、32ノットの速力を出すことができました。下の写真は、「ライプツィヒ」と「ニュルンベルク」の艦橋の大きさの比較:奥が「ニュルンベルク」手前は「ライプツィヒ」。艦橋の基部の大きさの違いが分かります)

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バレンツ海海戦後のヒトラーの大型戦闘艦退役命令で1943年に一旦本国に戻りますが、その後再びバルト海で避難民保護、機雷敷設などに従事しました。敗戦時には燃料不足からコペンハーゲンに留まっていました。

敗戦後、賠償艦としてソ連に引き渡され、「アドミラル・マカロフ」として就役しています。(1961年解体)

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(ドイツ海軍が第二次世界大戦に投入した軽巡洋艦4艦級の比較。手前から「エムデン」「ケーニヒスベルク級」「ライプツィヒ」「ニュルンベルク」の順。次第に関係が大型化しています

 

アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦

(「アドミラル・ヒッパー」1939-45 「ブリュッヒャー」1939-40 「プリンツ・オイゲン」1940-敗戦時残存 他に未成艦2隻「ザイトリッツ」「リュッツォー」)

同級は第一次世界大戦後、ドイツ海軍が建造した唯一の重巡洋艦の艦級です。

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(「アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦の概観。163mm in 1:1250 by Hansa :十分な防御力と有力な砲兵装を有していましたが、ワシントン条約制限を超えたの14000トンの船体となりました(公称は10000トン)。新設計の60口径8インチ連装砲塔4基を搭載し、32ノットの速力を出すことができました)

 

ベルサイユ条約の制限を破棄する再軍備計画の一環として設計され、当初は列強の条約型重巡洋艦と同等の 10000トン級の重巡洋艦として構想されましたが、高速性能と防御力への要求からワシントン・ロンドン条約重巡洋艦の制約を大きく超える14000トン級の艦として設計がまとめられました。(公称は10000トンのまま)

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 英独海軍協定でドイツ海軍の大型艦建造が可能になるとすぐに2隻が起工されましたが、性能上は列強の重巡洋艦に引けを取らないながらも、ドイツ海軍の用兵構想から見ると設計を大型化した割には航続距離などの点で、先行して整備されていた「ドイッチュラント級」装甲艦や「シャルンホルスト級」戦艦などに追随できず、通商破壊戦への適性等の視点からは用途が限られる「やや残念」な艦級となってしまいました。(参考:航続距離:アドミラル・ヒッパー級:20ノットで6800海里、シャルンホルスト級:19ノットで8800海里、ドイッチュラント級:20ノットで10000海里)

しかし個艦としては有力は32ノットの速力を有し、強力な兵装と十分な防御力を兼ね備えた有力な軍艦でした。

特に砲兵装は強力で、主砲としては新設計の60口径20.3センチ砲を連装砲塔で4基搭載していました。同砲は122kgの砲弾を33500m届かせる性能があり、戦艦並みの射程距離があるのですが、実戦ではそれよりも60口径の長砲身により高初速で中近距離での貫徹力が高く、散布界も良好で、中近距離での戦闘に最大の効果を発揮する砲でした。

さらに高角砲を連装砲架で6基搭載しており、同砲は毎分15−18発の射撃速度を有する優秀な砲でした。

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(「アドミラル・ヒッパー」(手前)と「ブリュッヒャー」)

 

アドミラル・ヒッパー:1940年にノルウェー侵攻作戦に参加。トロンヘイム沖海戦では、英駆逐艦グローウォームと交戦、体当たりにより損傷を負いながらもこれを撃沈しています。

その損傷を修理した後、同艦は1941年の3月まで数度にわたり大西洋での通商破壊戦に従事します。同艦は機関に問題を抱えていたためしばしば帰港し修理を余儀なくされますが、それでも1941年2月にはSLS-64船団を襲撃し同船団の7隻を撃沈する戦果をあげています。

1942年からはノルウェー海域に進出し、装甲艦「ドイッチュラント」「アドミラル・シェーア」戦艦「ティルピッツ」などと共に対ソ連向けの輸送船団PQ船団の襲撃機会を求めますが、水上艦部隊による戦果はなかなか上がりませんでした。(主な戦果は航空機と潜水艦により挙げられました)

1942年12月31日、JW51B船団の襲撃戦にクメッツ艦隊の旗艦として参加。同船団の直衛駆逐艦部隊、これを支援する英巡洋艦部隊と交戦します(バレンツ海海戦)。駆逐艦数隻を撃沈、撃破したものの、船団自体には損害を与えることができず、逆に英巡洋艦の攻撃で「アドミラル・ヒッパー」は被弾し損傷してしまいます。

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同海戦は、ドイツ海軍の水上戦闘艦部隊が臨んだ最後の海戦と言ってよく、しかしこの海戦での戦果に失望したヒトラーは、海軍司令長官レーダー元帥を解任し、大型水上艦艇の退役を命じる(後にこの命令は撤回されますが)というおまけがつきます。

「アドミラル・ヒッパー」も上記の総統命令で一旦退役させられますが、後に復帰し戦争末期にはバルト海での陸上砲撃や避難民の待避支援・輸送等に従事しました。

1945年5月にはキールのドックで空襲により大破着底して敗戦を迎えました。

ブリュッヒャー1940年のノルウェー侵攻作戦に参加し、オスロ攻略部隊の旗艦として参加します。1940年4月4日、オスロフィヨルドに侵入したドイツ艦隊に対しオシカシボルグ要塞の28センチ砲が射撃を開始し、「ブリュッヒャー」は被弾して炎上、さらにカホルム島の魚雷発射管から至近距離で魚雷攻撃を受け、同艦は航行不能に陥り、翌日の早朝、転覆沈没しました。

プリンツ・オイゲン:同艦は「アドミラル・ヒッパー級」の3番艦ではありますが、艦首形状をクリッパー型に変更して設計され、航空艤装にも変更が加えられ、更に艦型が大型化しています。

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(「アドミラル・ヒッパー級」を更に大型化した「プリンツ・オイゲン」の概観:172mm in 1:1250 by Hansa)

就役直後に第二次世界大戦の開戦を迎え、最初の作戦参加は1941年5月の戦艦「ビスマルク」に帯同した「ライン演習」でした。この出撃中にデンマーク海峡で英戦艦「プリンス・オブ・ウエールズ」「フッド」と交戦し、「フッド」を轟沈、「プリンス・オブ・ウェールズ」にも損害を与える砲戦に「プリンツ・オイゲン」も参加し、命中弾を与えました。一方で、「ビスマルク」も命中弾を受け損傷したため、2隻での作戦は中止となり、「ビスマルク」はブレストへの回航を目指し、「プリンツ・オイゲン」は単艦で通商破壊戦を継続することになりました。しかしその後、機関の不調を生じ、6月にブレストに帰還しました。

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1942年2月、英空軍の空襲に晒されるブレスト軍港から戦艦「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」と重巡洋艦プリンツ・オイゲン」をドイツ本国に回航する「ツェルベルス作戦」が発動され、「プリンツ・オイゲン」は無事ドイツに帰還しました。

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その後、ノルウェー海域への移動途上で英潜水艦の雷撃で艦尾を失う大損害を受け、1942年10月までを修復に費やしました。

その後、バルト海練習艦任務に従事した後、バルト海での対ソ連作戦での李k城への支援砲撃任務に従事することになります。

1945年4月にコペンハーゲンに移動し、その地で敗戦を迎えています。

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(「アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦の勢揃い。手前から「アドミラル・ヒッパー」「ブリュッヒャー」「プリンツ・オイゲン」の順)

 

こうして第二次世界大戦を生き残った「プリンツ・オイゲン」でしたが、アメリカ軍のビキニ環礁での原爆実験に日本海軍の戦艦「長門」などと共に供されます。実験後も沈没しなかった同艦はその後クェゼリン環礁に運ばれ、同地で座礁、現在でも同地で残骸を確認することができます。

ザイトリッツ:同艦は1942年8月に80%程度完成した時点で空母への改装が決定されましたが、完成する事はありませんでした。

リュッツオウ:1939年に進水、艤装中に第二次世界大戦の海戦を迎えました。その後、艦橋の基部と1番砲塔、4番砲塔を設置した状態で、当時はドイツと同盟関係にあったソ連に売却され、レニングラードに回航され「ペトロパブロフスク」と改名されました。独ソ戦開戦後は同地でドイツの侵攻部隊に対し砲撃を加えています。

その後「タリン」「ドニエプル」と改名ののち1958年に除籍されました。

 

6インチ砲搭載の軽巡洋艦

1936年どの計画では、同級の設計を基にした6インチ砲搭載の軽巡用艦の建造が計画されていました。

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(「アドミラル・ヒッパー級」の3番艦以降は当初は6インチ砲装備の軽巡洋艦として完成させる計画がありました。170mm in 1:1250 by Hansa :下の写真は、同艦級の特徴。6インチ三連装砲塔の配置と強化された航空艤装。このモデルを見ると通商破壊戦を展開させる際、有力な航空偵察能力を発揮して敵船団を捜索するような用途が推測されます 

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偵察巡洋艦計画 

大西洋での通商破壊戦を海軍戦略の重要な要件の一つとしていたドイツ海軍は、標的となる船団を発見し追跡するt「偵察艦」の建造を計画していました。36ノットの高速を発揮する大型の駆逐艦というような形状の艦で、1943年に計画は中止されています。

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(偵察巡洋艦の概観。122mm in 1:1250 by Hansa:7500トン級の船体に、6インチ連装砲塔3基を搭載し、36ノットの高速を発揮することができました。 

military.sakura.ne.jp

 

 第二次世界大戦におけるドイツ海軍は、なんと言っても再建途上であり、量的には英海軍と正面を切って対決する事はできませんでした。その為、当初から戦略的な重点を置くことが予定されていた通商破壊戦に、より重点を置くことになるわけですが、特に後半、圧倒的な物量を持つ米国の参戦と航空機の発展に伴うエアカバーエリアの拡大によって、水上艦艇による通商破壊戦はほとんど適応の余地がなくなってしまいます。

更に「巡洋艦」という限定的な視点で見ると、量的にも質的にも全く不十分で、それが用兵面でもしばしば積極性の欠如のような形で現れ、戦局に効果的な役割を果たせなかったと言えると考えています。

どこかで書きましたが「ちょっと残念な」という感じですね。

個人的には、しかし、その優美なデザインは大好きです。本当に美しい。

 

という訳で、今回はここまで。

 

次回は、どうしようか?今回の続き、という訳ではないですが、通商破壊艦、いわゆる仮想巡洋艦のお話でも?筆者の予告編はあまり当てにはなりませんが。

 

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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