相州の、ほぼ週刊、1:1250 Scale 艦船模型ブログ

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

日本海軍:大戦期の駆逐艦(補遺)「初春級」駆逐艦 竣工時の制作/実は失敗の巻 

本稿では、前回、前々回の2回に分けて日本海軍の太平洋戦争時の駆逐艦を総覧しました。

fw688i.hatenablog.com

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その中で、ワシントン・ロンドン体制下で設計された「初春級」についても記述したのですが、この艦級は、日本海軍の駆逐艦の中で竣工時の設計に問題があり、就役後、最も大きな改修を必要とした艦級であったにも関わらず、現在、本稿がご紹介している1:1250スケールで市販されているのは改修後のモデルだけで、竣工時のモデルは販売されていません。

今回は現行の改修後モデルをベースに、竣工時をなんとか再現してみようという、セミ・スクラッチの試みのご紹介です。

 

本稿でご紹介した「初春級」を以下の再録しておきます。(前出の 日本海軍:大戦期の駆逐艦(その1)より)

 

 中型(1400トン級)駆逐艦の建造:ロンドン条約の申し子?

「初春級」駆逐艦(6隻)

ワシントン条約に続く ロンドン条約では、それまで制限のなかった補助艦艇にも制限が加えられ、駆逐艦にも保有制限枠が設けられました。特に駆逐艦には1500トンを超える艦は総保有量(合計排水量)の16%以内という項目が加えられました。このため1700トン級(公称)の「吹雪級」駆逐艦をこれ以上建造できなくなり(日本としては財政的な視点から、「吹雪級」の増産を継続するよりも、もう少し安価な艦で数を満たす切実な事情もあったのですが)、次の「初春級」では、1400トン級の船体と「吹雪級」と同等の性能の両立という課題に挑戦することになりました。

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結果として、竣工時の「初春級」駆逐艦は、主砲として、艦首部に「吹雪級」と同じ「50口径3年式12.7cm砲」B型連装砲塔とB型連装砲塔と同じく仰角を75度に改めたA型改1単装砲塔を背負い式に装備し、艦尾にB型連装砲塔を配置しました。さらに「吹雪級」と同じ61cm3連装魚雷発射管を3基(9射線)を装備し、予備魚雷も「吹雪級」と同数を搭載。加えて次発装填装置をも初めて装備し、魚雷発射後の再雷撃までの時間短縮を可能としました。機関には「吹雪級Ⅲ型」と同じ空気予熱器付きの缶3基を搭載し、36.5ノットの速力を発揮することができました。

1400トン級のコンパクトな船体に「吹雪級」とほぼ同等な重武装と機関を搭載し、かつ搭載する強力な主砲と雷装を総覧する艦橋は大型化したことにより、無理を重ねた設計でした。そしてそれは顕著なトップヘビーの傾向として顕在化することになります。

既に公試時の10度程度の進路変更時ですら危険な大傾斜傾向が現れ、バルジの追加等で何とか就役しますが、この設計原案での建造は「初春」と「子の日」の2隻のみのとどめられました。さらにその後の発生した友鶴事件により、設計は復原性改善を目指して全面体に見直されました。

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初春:竣工時の艦型概観(「初春」「子の日」のみ)

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このげ初春:復原性改修後の艦型概観

(上のシルエットは次のサイトからお借りしています

http://www.jam.bx.sakura.ne.jp/dd/dd_class_hatsuharu.html

残念ながら、竣工時の「初春級」については 1:1250スケールのモデルがありません。スクラッチにトライするには、やや手持ちの「初春級」のモデルが足りていません。 いずれはトライする予定ですが、今回はご勘弁を)

 

平たくいうと、軍縮の制限下での駆逐艦保有トン数と戦術的な要求とのせめぎ合いで、無理に無理を重ねた艦級と言えるでしょう。 中型駆逐艦に大型駆逐艦に等しい兵装を搭載しよう、というわけです。

 

さて、今回の「初春級(竣工時)」の制作にあたり、ベースとするのは「初春級(改修後)」のNeptune製のモデルです。

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(直上の写真:復原性改善修復後の「初春級」の概観。88mm in 1:1250 by Neptune)

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(直上の写真:「初春級」の特徴である次発想定装置付きの3連装魚雷発射管(上段)と、艦尾部に背中合わせに配置された単装主砲砲塔と連装砲塔:仰角75度の高角射撃も可能とした砲塔でした。この砲塔は装填機構の問題から装填時に平射位置まで砲身を戻さねばならず、射撃速度が低く対空砲としては実用性に乏しいものでした)

 

セミ・スクラッチのベースにするのは「初春級」の旧モデル(Neptune社製)

本稿でも一度ご紹介したことがあるのですが、実は本稿で扱っている1:1250モデルでも、制作各社でのモデルのリニューアルが行なわれており、次第にディテイルが精緻になり、それはそれで嬉しいことなのですが、一方でコレクターの立場で言うと、これに付き合っていると、理想的にいうと数年に一度、モデルの総入れ替のような事になり、とても付き合いきれないので、どこで思い切るのか、という悩ましい決断を迫られます。

一方で、筆者の場合には手元に一定の旧モデル、つまりコレクション落ちのモデルがある事になり、これが結構パーツ用のストックになっていたりします。

「初春級」でも現在、3隻のストックがあり、そのうちの一隻が旧モデルでしたので、今回の「竣工時」モデルの製作にはこの旧モデルをベースとして使う事にしました。幸か不幸か、旧モデルは乾舷が新モデルに比べやや高く、復原性に大きな課題を抱えていた「初春級(竣工時)」の「腰高な感じ」を出すにはちょうど良かったかもしれません(何でもポジティブに捉えるなあって?おっしゃる通りかも・・・)。

 

「初春級」竣工時と復原性改修後の相違点

「初春級」(竣工時)の再現にあたって、最も肝となるのは、その兵装配置である事は明らかです。

「初春級」(改修後)では、その兵装配置は日本海軍艦隊駆逐艦の標準的なもので、艦首に1番連装主砲塔を搭載し、第一煙突と第二煙突の間に1番魚雷発射管(3連装)、第二煙突直後に2番魚雷発射管(3連装)という配置になります。その後部に魚雷の自発装填装置を組み込んだ後橋、その後ろに2番主砲塔(単装)、3番主砲塔(連装)が背中合わせに配置されています。f:id:fw688i:20200822010836j:plain

 

これに対し「初春級」(竣工時)では、艦首部に1番主砲塔(連装)と2番主砲塔(単装)が背負い式に配置されるという、本級のみに見られる大変ユニークな配置になっています。同時にこの背負式の主砲配置に伴い艦橋部が大型化しています。さらに、第一煙突と第二煙突の間の1番魚雷発射管(3連装)、第二煙突直後の2番魚雷発射管(3連装)に加え、さらにその後ろの後橋部に組み込まれる形で3番発射管(3連装)が少し配置位置を高めにして背負い式のような形で装備され、竣工時には大型駆逐艦並の9射線の魚雷発射能力を誇っていました。そして後橋の後に3番主砲塔(連装)が配置されていました。

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「初春級」(竣工時)のセミ・スクラッチ手順

という事で、今回のセミ・スクラッチは結構大工事になりました。

⑴まず艦橋を切除(これはもちろん後で使うので保管しておきます)。

⑵次にとりあえず魚雷発射管を全て撤去。:こちらは旧モデルではモールドに課題がある(私見ですが、ちょっと厚みがありすぎる?)し、更に言うと竣工時モデルでは3基必要となりますので、本稿でも「吹雪級」で紹介した DAMEYA製の3D Printing modelの発射管を、手持ちのストックから移植する事にしましたので、破棄します。

⑶後橋と2番砲塔(単装)を撤去:2番砲塔は貴重な単装砲塔です。もちろん後で使うので保管します。

⑷撤去後をできるだけ平らにヤスリでゴリゴリ。

⑸1.5mm厚のプラ平板で艦橋下層部と大型化した後橋部をパキパキと制作。艦橋下層部には艦橋上部を乗せ、先端に2番主砲塔(単装)を搭載。後橋部には3番魚雷発射管とブリッジらしく見えるように少しストックから部品を追加。

これらを再度組み上げて、マストを整理して出来上がり、という事になります。

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(直上の写真は、「初春級」竣工時の全体シルエット。武装配置の特徴と腰高感、何となくでてますかねえ?)

 

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(直上の写真は、手を入れた部分のアップ。左上:艦橋部。艦橋部の下層構造を延長し、艦橋の位置をやや後方へ。艦橋部下層構造の前端に2番主砲塔(単装)を、1番主砲塔(連装)と背負い式になるように配置。右上:2番魚雷発射管。下段:後橋部分と2番・3番発射管の配置状況。3番発射管自体は、船体中心線に対し、やや右にオフセットした位置に追加。細かいこだわりですが、一応、3番発射管用の次発装填装置を後橋部の構造建屋の上に設置。2番発射管用の次発装填装置は後橋部建屋の左側の斜め張り出し部に内蔵されています。**追加あるいは改修した部分は下地処理をしてあります)

 

 そして、塗装をして完成

 下の写真が完成形。兵装の過多と、それに伴うトップヘビー感がでていれば一応の成功です。

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復原性修復後のモデルとの比較は以下に。二枚とも、上が「竣工時(今回セミ・スクラッチ製作したモデル)」、下が「復原性修復後」のモデル(Neptune社の現行の市販モデル)。

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「竣工時」の過大な兵装とそれに因る腰高感が表現できているかどうか・・・。できているんじゃないかな(とちょっと自画自賛)。 

 

しかし、よく見ると、ああ、何とも致命的な・・・。

完成した「竣工時」のモデルをよく見ていると、「あれれ・・・」、実は、致命的な欠陥を発見してしまいました。

「初春級」は既述のように日本海軍で初めて魚雷の次発装填装置を搭載した艦級です。

この 次発装填装置は、それまでチェーンと運搬車で作業されていた魚雷の発射管への装填業務を、魚雷発射後わずか20秒程度に短縮する、という画期的な装置ですが、反面、次発装填装置自体を魚雷発射管と同レベルに設置する必要がありました。これは「初春級」の重心上昇の一因ともなったわけですが、1番煙突と2番煙突間に配置された1番発射管用の自発装填装置は、2番煙突左脇に搭載されており、このため2番煙突は艦の中心位置から艦首を上に見てやや右にオフセットされて配置されていました。

ところが今回ベースとして使用したNeptune社の「初春級」の旧モデルは、この1番発射管用の次発装填装置が、あれれ、ないじゃないか!しかも、2番煙突が逆に左にオフセットした位置に配置されてる事に、完成後に気付いてしまいました。上記のように、結構、次発装填装置にはこだわりがあって、上述の工程で説明したように、自作した後橋部の建屋作成では、気にかけて作業をした部分でもあるので、結構びっくり。

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 (左が「初春級」新モデル:1番発射管と2番発射管の間にある2番煙突は、1番発射管の次発装填装置の関係で、船体中心線より選手を上に見てやや右にオフセットした位置に配置されています。これが正解!1番発射管用の次発装填装置は、左写真の中程、2番魚雷発射管の左上に設置されている斜めに設置された構造物です。この箱の中に次発装填用の魚雷が収納されていて、魚雷発射管内の初発魚雷は発射された後に、発射管後部から装填される仕掛けです。装填に要する時間、約20秒! 右の写真は今回使用した「「初春級」級モデルをベースにした竣工時のモデル:2番煙突がやや左にオフセットされています。しかもこだわりの次発装填装置がない!これは気になる、でしょう!?)

 

うう、リサーチ不足だった、と少しがっくり。しかも、これは気がついてしまうと、気になる。

対策は、と考えてみます。手っ取り早く思えるのは2番煙突の位置変更ですが、2番煙突の位置変更は、実は1:1250スケールではちょっと大事です。そっくり2番煙突ブロックを船体から切除して、加工して再移築というような作業が想定されますが、いつもは「手軽さ」となるスケールの小ささが今回は災いして、切除に使用するソー、あるいはニッパの刃が構造を必ず損なう結果になると考えています(筆者の手技不足も、もちろん大きな要因ですが)。結局、検討の結果は、新モデルをベースにもう一回やり直すしかない、かと・・・・。

 

という事で、いずれ新モデルをベースに(もったいないなあ)再作業する事にします。まあこういう事もありますよね。

今回の経験で作業の大体の要領と手順は分かったし、今回手をかけた艦橋部と後橋部の建屋は多分両方転用できそうですので、作業は幾分手軽になるかと。筆者的にはまた楽しみが増えた、という事です。(と、前向きに・・・)

しかも、うまくいけば、以前から気になっている、日本海軍のもう一つの未整備モデルである「千鳥級」水雷艇の竣工時モデル(こちらも今回の「初春級」と同様、ワシントン・ロンドン体制の制約による過大兵備の要求から復原性に大きな問題を発生した艦級で、やはり復原性修復後のモデルしか市販されていません)のセミ・スクラッチも同時に手掛けられるかも(この作業には「初春級」の主砲塔:特に単装主砲塔と、多分、同級の艦橋が必要になってくるのです。結局、「初春級」を2隻潰すのだから、とある意味、怪我の功名かも。課題は「千鳥級」の竣工時の連装魚雷発射管を自作しなくてはならないところ。小さな部品ではありますが、一つの特徴でもあるので、ちょっと慎重に準備しなくてはなりません。・・・と、すっかり同時着手の気になってしまっている!!)。

 

ということで、今回はこの辺りでおしまい。

次回は早速、今回のリメイク、と行きたいところですが、「初春級」の新モデルのストックとの相談もありますので、どうなるか。やるなら上記のように「千鳥級」竣工時モデルも一緒にやっちゃいましょう。新着モデルもいくつかあるし・・・。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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日本海軍:大戦期の駆逐艦(その2)

前回に引き続き、大戦期の日本海軍の駆逐艦のお話です。

 

今回はその2回目。

前回では、ワシントン・ロンドン体制下での、日本海軍の駆逐艦開発の軌跡を追ってきたわけですが、「朝潮級」の開発段階で軍縮体制に見切りをつけた設計に舵を切りました。

今回はその流れを受けて、条約後、つかり無制限時代の駆逐艦設計を辿ります。

そしてその背景には、主力艦隊同士の会戦形式の艦隊決戦から、航空主導と潜水艦等により浸透戦術に基づいた「総力戦」時代の新たな形式の艦隊決戦に、日本海軍がどのように対応を模索したかが、垣間見えます。

 

参考)下表は太平洋戦争に投入された日本海軍の駆逐艦の一覧です。

列1 竣工年次 同型艦 残存数 基準排水量 速度 主砲口径 装備数 魚雷口径 装備数2 魚雷搭載数
峯風級 1920 12 4 1215 39 12 4 53 TTx3 6
峯風級改装:哨戒艇 (1940) 2 0 1215 20 12 2 - - -
峯風級改装:特務艦 (1944) 1 1 1215 ? ? - - -
神風級(II) 1922 9 2 1270 37.3 12 4 53 TTx3 10
睦月級 1926 12 0 1315 37.3 12 4 61 TTTx2 12
吹雪級I型 1928 10 0 1680 37 12.7 6 61 TTTx3 18
吹雪級II型 1930 10 1 1680 38 12.7 6 61 TTTx3 18
吹雪級III型 1932 4 1 1680 38 12.7 6 61 TTTx3 18
初春級(竣工時) 1933 6 - 1400 36.5 12.7 5 61 TTTx3 18
初春級(復原性改修後) (1935) 6 1 1700 33.3 12.7 5 61 TTTx2 12
白露級 1936 10 0 1685 34 12.7 5 61 TTTTx2 16
朝潮 1937 10 0 2000 35 12.7 6 61 TTTTx2 16
陽炎級 1939 19 1 2000 35 12.7 6 61 TTTTx2 16
夕雲級 1941 19 0 2077 35 12.7 6 61 TTTTx2 16
秋月級 1942 13 7 2710 33.58 10 8 61 TTTTx1 8
島風 1943 1 0 2567 40 12.7 6 61 TTTTTx3 15
松級 1944 32 23 1260 27.81 12.7 3 61 TTTTx1 4

 

艦隊決戦駆逐艦の頂点 (甲型陽炎級」「夕雲級」)

甲型駆逐艦は、従来の主力艦艦隊決戦の尖兵としての水雷戦隊の基幹を構成する戦力としての艦隊駆逐艦の完成形と言えるでしょう。

前級「朝潮級」はワシントン・ロンドン体制の終結を見込んで設計された為、それまでの制約を逃れた設計となり、かなりバランスの取れた艦級として仕上がりました。しかし建造途中の第四艦隊事件に始まる一連の強度見直し等の追加要件により、速力・航続距離に課題を残した形となりました。

それらの点を踏まえて、「陽炎級」が設計されます。

 

陽炎級駆逐艦(19隻)

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(直上の写真:「陽炎級」の概観。94mm in 1:1250 by Neptune)

 

陽炎級駆逐艦は、前級「朝潮級」の船体強度改修後をタイプシップとして、設計されました。兵装は「朝潮級」の継承し、2000トン級の船体に、4連装魚雷発射管2基を搭載し8射線を確保、次発装填装置を備え魚雷16本を搭載、主砲には「50口径3年式12.7cm砲」を仰角55度の平射型C型連装砲塔3基6門搭載とされました。

朝潮級」の課題とされた速度と航続距離に関しては、機関や缶の改良により改善はされましたが、特に速力については、以前課題を残したままとなり、推進器形状の改良を待たねばなりませんでした。

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(直上の写真:「陽炎級」では、次発装填装置の配置が変更されました。左列が「朝潮級」、右列が「陽炎級」。「陽炎級」の場合、1番魚雷発射管の前部の次発装填装置に搭載された予備魚雷を、装填する際には発射管をくるりと180°回転させて発射管後部から。魚雷の搭載位置を分散することで、被弾時の誘爆リスクを低減する狙いがありました)

 

太平洋戦争開戦時には、最新鋭の駆逐艦として常に第一線に投入されますが、想定されていた主力艦艦隊の艦隊決戦の機会はなく、その主要な任務は艦隊護衛、船団護衛や輸送任務であり、その目的のためには対空戦闘能力、対潜戦闘能力ともに十分とは言えず、常に悪先駆との末、同型艦19隻中、「雪風」を除く18隻が戦没しました。

 

「夕雲級」駆逐艦(19隻)

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(直上の写真:「夕雲級」の概観。95mm in 1:1250 by Neptune)

 

 「夕雲級」駆逐艦は、「陽炎級」の改良型と言えます。就役は1番艦「夕雲」(1941年12月5日就役)を除いて全て太平洋戦争開戦後で、最終艦「清霜」(1944年5月15日就役)まで、19隻が建造されました。

その特徴としては、前級の速力不足を補うために、船体が延長され、やや艦型は大きくなりますが、所定の35ノットを発揮することができました。兵装は「陽炎級」の搭載兵器を基本的には踏襲しますが、対空戦闘能力の必要性から、主砲は再び仰角75度まで対応可能なD型連装砲塔3基となりました。しかし、装填機構は改修されず、依然、射撃速度は毎分4発程度と、実用性を欠いたままの状態でした。

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(直上の写真:「陽炎級」(上段)と「夕雲級」(下段)の艦橋の構造比較。やや大型化し、基部が台形形状をしています)

 

陽炎級」と同様、就役順に第一線に常に投入されますが、その主要な任務は艦隊護衛、船団護衛や輸送任務であり、その目的のためには対空戦闘能力、対潜戦闘能力ともに十分とは言えず、全て戦没しました。

 

新しい時代の駆逐艦乙型:「秋月級」、丙型:「島風(級)」、丁型「松級」)

艦隊駆逐艦のある種の頂点として「陽炎級」「夕雲級」配置づけられるわけですが、その主眼は艦隊決戦における水雷戦闘に置かれているため、対空戦闘、対潜戦闘等には十分な能力があるわけではなく、日本海軍の駆逐艦設計は、専任業務に特化した特徴を持つ艦級の開発、という新たな展開へと入ってゆくことになります。

それがこの「乙型:艦隊防空」「丙型水雷戦闘」「丁型:船団護衛(対空・対潜汎用)」の各形式の各形式です。

 

最初で最後の防空駆逐艦

「秋月級」駆逐艦(12隻)

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第一次世界大戦以降、本格的な兵器として航空機は急速に発展してゆきます。これに対する対抗手段として、強力な対空砲を多数装備し艦隊防空を主要任務として想定し設計された艦級を各国海軍が開発、あるいは旧式巡洋艦を改装するなどして対応を試みます。日本海軍も当初は「天龍級軽巡洋艦、「5500トン級」軽巡洋艦を改装するなどの構想を持ちますが、これらの艦艇に関しては、いまだに艦隊決戦での水雷戦闘能力の補完艦艇としての位置付けを捨てきれず、結局専任艦種の建造計画に落ち着くことになるわけです。そのような経緯から当初設計案では魚雷の搭載を予定せず、艦種名も「直衛艦」とされ、巡洋艦クラスの大型艦となる設計案もありました。

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(直上の写真:「秋月級」の概観。108mm in 1:1250 by Neptune:艦首が戦時急造のため直線化しているのが、わかるかなあ?)

 

紆余曲折の結果、駆逐艦としての機能も併せ持つ「秋月級」駆逐艦が誕生する事となりました。空母機動部隊等への帯同を想定するために航続距離が必要とされ、艦型は2700トン級の大型艦となり、この船体に、主砲として65口径長10センチ高角砲を連装砲塔で4基搭載し、61cm4連装魚雷発射管1基と予備魚雷4本を自動装填装置付きで装備しました。速力は高速での肉薄雷撃を想定しないため、やや抑えた33ノットとされました。

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(直上の写真:「秋月級」の最大の特徴である65口径長10センチ高角砲の配置と艦橋上部の高射装置)

 

65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)の話

65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)は、日本海軍の最優秀対空砲と言われた高角砲で、18700mの最大射程、13300mの最大射高を持ち、毎分19発の射撃速度を持っていました。これは、戦艦、巡洋艦、空母などの主要な対空兵装であった12.7cm高角砲(八九式十二糎七粍高角砲に比べて射程でも射撃速度でも1.3倍(射撃速度では2倍という数値もあるようです)という高性能で、特に重量が大きく高速機への対応で機動性の不足が顕著になりつつあった12.7cm高角砲の後継として、大きな期待が寄せられていました。

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上記、射撃速度を毎分19発と記述していますが、実は何故か揚弾筒には15発しか搭載できず、従って、15発の連続射撃しかできなかった、ということです。米海軍が、既に1930年台に建造した駆逐艦から、射撃装置まで含めた対空・対艦両用砲を採用していることに比べると、日本海軍の「一点豪華主義」というか「単独スペック主義」というか、運用面が置き去りにされる傾向の一例かと考えています。

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(直上の写真:「秋月級」では、高角機関砲の搭載数が次第に強化されていきます)

 

同級は全艦が太平洋戦争開戦後に就役し、戦時下での建造も継続されたため、次第に戦時急増艦として仕様の簡素化、工程の簡易化が進められました。結果、12隻が就役し終戦時には6隻が残存していました。

 

艦隊決戦の尖兵として、 重雷装艦

島風級」駆逐艦(1隻)

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(直上の写真:「島風」の概観。101mm in 1:1250 by Neptune)

 

島風(級)」駆逐艦水雷戦闘に特化した艦級といえ、ある意味、新駆逐艦の設計体系で、来るべき総力戦・航空主導下での戦闘の変化等を認識しながらも、未だに「主力艦艦隊決戦時での肉薄水雷攻撃」の構想を捨てきれなかった日本海軍の「あだ花」的な存在と言えるのではないでしょうか?しかしその建造中には、太平洋戦争が始まり、そこでの海戦のあり方の変化は明らかで、流石に同艦級の活躍の場を想定することは難しく、当初の計画では16隻が整備さえる予定でしたが、建造は「島風」1隻のみにとどまりました。

2500トンの駆逐艦としては大きな船型を持つ「島風」の特徴は、そのずば抜けた高速性能にあります。計画で39ノット、実際には40ノット超の速力を発揮したと言われています。(「夕雲級」が35.5ノット)更に15射線という重雷装を搭載しており(5連装魚雷発射管3基)、一方で予備魚雷は搭載せず、まさに艦隊決戦での「肉薄一撃」に特化した艦であったと言えると思います。

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(直上の写真:「島風」の特徴である高速性を象徴するクリッパー型艦首:上段。5連装魚雷発射管3基。次発装填装置は装備していません:下段)

 

1943年に就役した時点で、既に戦局はガダルカナルの攻防戦を終えており、「島風」はキスカ島撤退作戦に参加したのち、主として護衛任務につく事になります。レイテ沖海戦には第一遊撃部隊(栗田艦隊)の1隻として参加し、サマール島沖の米護衛空母部隊への追撃戦には、裁可するものの、結局待望の魚雷発射の機会はありませんでした。

海戦後は、第二水雷戦隊旗艦として、レイテ島への増援輸送作戦に従事し、第三次輸送部隊の一員としてオルモック湾に輸送船とともに突入しますが、米軍機の集中攻撃を受け、輸送部隊は駆逐艦朝潮」を除いて護衛艦船、輸送船ともに全滅し、「島風」も失われました。

 

 戦時急造を目指す汎用中型駆逐艦

「松級」駆逐艦(32隻)

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(直上の写真:「松級」の概観。79mm in 1:1250 by Neptune)

 

 「松級」駆逐艦は、日本海軍が1943年から建造した戦時急増量産型駆逐艦です。32隻が建造されていますが、戦時急造の要求に従い急速に建造工程の簡素化、簡易化が進められ、多くのサブグループがあります。

同級の建造の背景として、太平洋戦争開戦後、日本海軍の保有する艦隊駆逐艦は常に第一線に投入されますが、その戦況の悪化に伴い、多くが失われてゆきます。特に、護衛任務・輸送任務等における対空戦闘、対潜戦闘に対する能力不足は顕著で、それらの補完が急務となります。

しかし従来型の駆逐艦級はいずれも建造に手間がかかるため。新たな設計構想と兵装を持った駆逐艦が求められるようになります。

こうして生まれたのが「松級」駆逐艦で、1200トン級の比較的小ぶりな船体に、主砲として40口径12.7cm高角砲(89式)を単装砲と連装砲各1基として対空戦闘能力を高め、併せて対潜戦闘も強化した兵装としました。

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(直上の写真:「松級」の主砲:八九式40口径12.7cm高角砲。艦首部には単装、艦尾部に連装砲が、それぞれ砲架形式で搭載されました(前部は防楯付き)。更に下段の写真では、強化された対潜兵装も。投射基2基と投射軌条2条。爆雷の搭載数は最終的には60個まで増強されました)

 

一方で雷装は軽めとして4連装魚雷発射管1基を搭載し予備魚雷は搭載していません。搭載艇にも配慮が払われ、「小発」(上陸用舟艇)も2隻搭載可能とされ、輸送任務への対応力も高められました。

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(直上の写真:「松級」の搭載艇について。旧モデル(下段)では後方の搭載艇が「小発」に見えなくもないのですが、上段の新モデルでは・・・)

 

トピック:爆雷の搭載数

「松級」の爆雷搭載数は当初36発であったものを「不足」として60発まで搭載数が増やされています。大戦後期に登場した船団護衛専任艦種の「海防艦」の爆雷搭載数が120発でしたので、それでも十分と言えたかどうか。

それでも駆逐艦の中では「松級」は最も搭載数が多く、艦隊駆逐艦の完成形と言われた「朝潮級」「陽炎級」では36発でした。これが艦隊直衛を専任とする「秋月級」で54発と大幅に強化され、更に「松級」では充実する事になります。

この爆雷を2基の投射機(左右に飛ばす装置)と艦尾の2条の軌条(ゴロゴロと艦尾から水中に落とす装置)から、水中に投下する仕掛けでした。

 

「松級」に話に戻しますと、機関の選択には量産性が重視され、更に生存性を高めるためにシフト配置が初めて選択されました。一方で速力は28ノットと抑えられました。

建造工数の簡素化については1番艦の「松」が9ヶ月でしたが、最終的には5ヶ月まで退縮されています(参考:夕雲級1番艦「夕雲」は起工から就役まで18ヶ月。同級最終艦「清霜」は起工から就役まで10ヶ月)。また同艦級は、艦隊決戦的な視点に立てば確かに速力など見劣りのする性能と言えるでしょうが、その適応任務は輸送、護衛、支援と、場面を選ばず、ある種「万能」と言えなくもないと考えています。

32隻が建造され、18隻が終戦時に稼働状態で残存しています。

 

という事で、2回に分けて大戦期の日本海軍の駆逐艦について見てきたわけですが、なんと言っても対空戦闘も対潜戦闘も不得意な艦隊駆逐艦を、輸送任務や護衛任務に投入し続けるしか他に方策を持たなかった、という海軍の現状を改めて振り返ることができた、と思っています。

大戦後期に「秋月級」や「松級」が投入され、あるいは護衛戦専任の海防艦が稼働するわけですが、それまで、満足な対空砲すら持たずに、あるいは十分な数の爆雷すら搭載せずに船団や艦隊の周辺に対空対潜警戒陣をめぐらし戦わねばならなかった駆逐艦乗りたちの苦労を思い、その喪失艦の多さを重ね合わせると、なんという戦いだったのだろう、と思わざるを得ません。

 

というわけで今回はここまで。

 

次回は、続けて米海軍の駆逐艦の総覧をやってしまおうか、それとも新たに到着したモデルの紹介、あるいはちょこっとディテイルアップ、でも・・・。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。

併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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日本海軍:大戦期の駆逐艦(その1)

 

今回は大戦期の日本海軍の駆逐艦のお話です。

 

本稿ではこれまで「艦隊駆逐艦 第1期の決定版」として「峯風級」とその系列の最終形である「睦月級」をご紹介しました。その再録も含め、終戦までの全艦級のご紹介です。

下表は太平洋戦争に投入された日本海軍の駆逐艦の一覧です。

列1 竣工年次 同型艦 残存数 基準排水量 速度 主砲口径 装備数 魚雷口径 装備数2 魚雷搭載数
峯風級 1920 12 4 1215 39 12 4 53 TTx3 6
峯風級改装:哨戒艇 (1940) 2 0 1215 20 12 2 - - -
峯風級改装:特務艦 (1944) 1 1 1215 ? ? - - -
神風級(II) 1922 9 2 1270 37.3 12 4 53 TTx3 10
睦月級 1926 12 0 1315 37.3 12 4 61 TTTx2 12
吹雪級I型 1928 10 0 1680 37 12.7 6 61 TTTx3 18
吹雪級II型 1930 10 1 1680 38 12.7 6 61 TTTx3 18
吹雪級III型 1932 4 1 1680 38 12.7 6 61 TTTx3 18
初春級(竣工時) 1933 6 - 1400 36.5 12.7 5 61 TTTx3 18
初春級(復原性改修後) (1935) 6 1 1700 33.3 12.7 5 61 TTTx2 12
白露級 1936 10 0 1685 34 12.7 5 61 TTTTx2 16
朝潮 1937 10 0 2000 35 12.7 6 61 TTTTx2 16
陽炎級 1939 19 1 2000 35 12.7 6 61 TTTTx2 16
夕雲級 1941 19 0 2077 35 12.7 6 61 TTTTx2 16
秋月級 1942 13 7 2710 33.58 10 8 61 TTTTx1 8
島風 1943 1 0 2567 40 12.7 6 61 TTTTTx3 15
松級 1944 32 23 1260 27.81 12.7 3 61 TTTTx1 4

今回は、その1回目。

 

艦隊駆逐艦 第一期決定版の登場(峯風級・神風級・ 睦月級)

 

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(直上の写真:右から、「峯風級」「野風級:後期峯風級」「神風級」「睦月級」)

 

日本艦隊駆逐艦のオリジナル

「峯風級」駆逐艦「野風級:後期峯風級」駆逐艦(15隻)

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「峯風級」は、それまで主として英海軍の駆逐艦をモデルに設計の模索を続けてきた日本海軍が試行錯誤の末に到達した日本オリジナルのデザインを持った駆逐艦と言っていいでしょう。12cm主砲を単装砲架で4基搭載し、連装魚雷発射管を3基6射線搭載する、という兵装の基本形を作り上げました。1215トン。39ノット。同型艦15隻:下記の「野風級:後期峯風級3隻を含む)

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(直上の写真:「峯風級」駆逐艦の概観 82mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces) 

 

「野風級:後期峯風級」は「峯風級」の諸元をそのままに、魚雷発射管と主砲の配置を改め、主砲や魚雷発射管の統一指揮・給弾の効率を改善したもので、3隻が建造されました。

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(直上の写真:「野風級:後期峯風級」駆逐艦の概観 82mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces)

 

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(直上の写真は、「峯風級」(上段)と「野風級:後期峯風級」(下段)の主砲配置の比較。主砲の給弾、主砲・魚雷発射の統一指揮の視点から、「野風級」の配置が以後の日本海駆逐艦の基本配置となりました)  

 

同艦級は太平洋戦争には既に旧式艦でしたが、12隻が駆逐艦として船団護衛等の任務につき、2隻が陸戦隊支援を主任務とする哨戒艇として、そして1隻は特務艦(標的艦)として臨みました。駆逐艦は12隻中8隻が、哨戒艇は2隻が失われました。

 

「神風級」駆逐艦(9隻) 

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「神風級」は、上記の「野風級:後期峯風級」の武装レイアウトを継承し、これに若干の復原性・安定性の改善をめざし、艦幅を若干拡大(7インチ)した「峯風級」の改良版です。9隻が建造されました。1270トン。37.25ノット。

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(直上の写真:「神風級」駆逐艦の概観 82mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces)

 

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(直上の写真:「峯風級」(上段)と「神風級」の艦橋形状の(ちょっと無理やり)比較。「神風級」では、それまで必要に応じて周囲にキャンバスをはる開放形式だった露天艦橋を、周囲に鋼板を固定したブルワーク形式に改めました。天蓋は「睦月級」まで、必要に応じてキャンバスを展張する形式を踏襲しました)

 

「神風級」は太平洋戦争時は既に旧式艦ではありましたが、主として船団護衛等の任務に9隻が参加し、7隻が失われました。

 

第一次艦隊駆逐艦の決定版

「睦月級」駆逐艦(12隻)

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 「睦月級」駆逐艦は「峯風級」から始まった日本海軍独自のデザインによる一連の艦隊駆逐艦の集大成と言えるでしょう。

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(直上の写真:「睦月級」駆逐艦の概観 83mm in 1:1250 by Neptune) 

艦首形状を凌波性に優れるダブル・カーブドバウに改め、砲兵装の配置は「後期峯風級」「神風級」を踏襲し、魚雷発射管を初めて61cmとして、これを3連装2基搭載しています。太平洋戦争では、本級は既に旧式化していましたが、強力な雷装と優れた航洋性から、広く太平洋の前線に投入され、全ての艦が、1944年までに失われました。1315トン。37..25ノット。同型艦12隻。

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(直上の写真:「睦月級」(下段)と「神風級」(上段)の艦首形状の比較。「睦月級」では、凌波性の高いダブル・カーブドバウに艦首形状が改められました)

 

駆逐艦設計は新次元に:「特型駆逐艦」群の登場(吹雪級I型・II型・Ⅲ型・初春型・白露型・朝潮型)

 

ワシントン海軍軍縮条約の申し子

「吹雪級」駆逐艦(24隻)

 

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 ワシントン軍縮条約の締結により、日本海軍は進行中の八八艦隊計画を断念、さらに主力艦は保有制限が課せられ、制限外の巡洋艦以下の補助艦艇についても仮想敵国である米国との国力差から、保有数よりも個艦性能で凌駕することをより強く意識するようになります。

こうして海軍が提示した前級「睦月級」を上回る高性能駆逐艦の要求にこたえたものが「吹雪級」駆逐艦です。1700トンの船体に、61cm3連装魚雷発射管を3基(9射線:「睦月級」は6射線)、主砲口径をそれまでの12cmから12.7cmにあげて連装砲等3基6門(「睦月級」は12cm砲4門)、速力37ノット(「睦月級」と同等)と、それまでの駆逐艦とは一線を画する高性能艦となりました。

搭載主砲塔、機関形式の違い等から、Ⅰ型、Ⅱ型、Ⅲ型の3形式があり、それぞれ10隻、10隻、4隻、合計24隻が建造されました。

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(直上の写真:「吹雪級」の各形式。右からI型、II型、Ⅲ型の順。下段写真は各形式の主砲塔と缶室吸気口・煙突形状の比較。右からI型、II型、Ⅲ型の順:詳細は各形式で説明します)

 

Ⅰ型(10隻):特徴はA型と呼称される連装主砲塔を採用しています。この主砲塔は、仰角40度までの所謂平射砲塔でした。あわせて、缶室吸気口としてキセル型の吸気口を装備していました。ある程度高さを与え、海水の侵入を防ぐ工夫がされていましたが、十分ではなかったようです。このため10番艦「浦波」では、より海水の浸入防止に配慮された「お椀型」の吸気口が採用されており、このため10番艦は「改Ⅰ型」あるいは「ⅡA型」と呼ばれることもあります。

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(直上の写真:「吹雪級I型」の概観。94mm in 1:1250 by DAMEYA on Shapeways)

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(直上の写真:「吹雪級I型」の特徴。A型連装砲塔:平射用(上段)とキセル型缶室吸気口)

 

戦前に演習中の衝突事故で失われた1隻をのぞく9隻が太平洋戦争にのぞみ、全て戦没しています。

 

Ⅱ型(10隻):概観上の特徴は、連装主砲塔を仰角75度まで上げた対空射撃も可能としたB型としたことと、缶室吸気口を前出の「改Ⅰ型」で採用された、海水浸水のより少ない「お椀型」としたことです。

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(直上の写真:「吹雪級II型」の概観。94mm in 1:1250 by Trident)

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(直上の写真:「吹雪級II型」の特徴。B型連装砲塔:仰角75度まで射撃可能=対空射撃が可能になりました(上段)と、浸水対策を考慮したお椀型缶室吸気口)

10隻全てが太平洋戦争に参加し、「潮」のみが残存しました。

 

Ⅲ型(4隻):概観上の特徴は、新方式の採用により缶の数を減らしたことから生じた煙突形状にあります。「吹雪級」は重量が計画を200トン近く超過し1900トンを超える艦になっており、うち機関関連での重量超過が100トンあまりを占めていました。このため空気予熱器により効率を高めた缶(ボイラー)を採用することで缶の数を減らし重量の軽減が図られました。

缶の位置関係から、一番煙突が二番煙突に比して細い、という顕著な特徴となりました。

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(直上の写真:「吹雪級Ⅲ型」の概観。94mm in 1:1250 by Trident)

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(直上の写真:「吹雪級Ⅲ型」の特徴。B型連装砲塔:仰角75度まで射撃可能=対空射撃が可能になりました(上段)と、浸水対策を考慮したお椀型缶室吸気口と缶室の減少により細くなった1番煙突)

 4隻が太平洋戦争に参加し「響」のみ生き残りました。

 

トピック: 駆逐艦の主砲の話

これまで本稿では数回触れてきているのですが、「吹雪級」以降の駆逐艦で「秋月級」と「松級」以外の艦級では、主砲として「50口径3年式12.7cm砲」が採用されています。

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この砲は基本対艦戦闘を想定した平射砲で、50口径の長砲身から910m/秒の高い初速、18000m超の最大射程、毎分10発の射撃速度を持つ優秀砲で、艦隊戦では有効な兵器と考えられました。当初「吹雪級」に搭載されたA型連装砲塔は、平射砲としての実力を発揮すべく、その仰角は40度とされていました。

その後に対空射撃の要請に対する対応として開発された、前述のB型連装砲塔では仰角を75度まで上げるなどの改良が行われましたが、装填機構が対応できず、つまり装填時には平射位置まで仰角を戻さねばならず、対空射撃時の射撃速度は毎分4発程度で、低空からの侵入機に対する以外は対空砲としては全く効果を有しませんでした。

(直下の写真:日本海軍の駆逐艦が搭載したA型砲塔(上段)とB型砲塔(下段)の資料:軍艦メカニズム図鑑「日本の駆逐艦」より引用しています)

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このように対空兵器としての実用性の乏しさから、次のC型連装砲塔では仰角が55度に戻され、つまり再び対艦射撃に重点が置かれた本来の平射砲へと戻されます。このC型連装砲塔は「白露級」「朝潮級」「陽炎級」に搭載され、太平洋戦争開戦時の艦隊駆逐艦の基準主砲となりました。しかし開戦後、海軍戦力での航空主兵の傾向が顕著になると、再び仰角を75度に上げたD型連装砲塔が「夕雲級」には搭載されますが、やはり装填機構には手をつけないまま、という迷走を続けることとなりました。

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(直上の写真:「50口径3年式12.7cm砲」の連装砲塔の各形式(全て、Neptuneモデル)。(上段)「A型」:仰角40度の平射砲用。(中段)「B型」:仰角75度での高角射撃を可能にしました。しかし装填機構が平射用のままの為、射撃速度は毎分4発程度で、高角砲としての実用性は低いものでした。(下段)「C型」:仰角を再度55度とした平射用です) 

 

同時期の米海軍の駆逐艦は既に全てが5インチ両用砲を搭載し、揚弾機構なしの場合でも毎分12−15発の射撃速度を有しており、これに加えて両用砲用の方位盤などとの組み合わせで、既にシステム化を進めていたのに対し、日本海軍の駆逐艦は上記のような事情で実用的な対空砲を持てず、艦隊防空の任を担わねばならず、多くの駆逐艦が戦争後期には主砲塔を対空機銃座に置き換えて戦いに臨む事となります。

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(直上の写真:「吹雪級II型」では高角射撃可能なB型砲塔を装備していましたが、射撃速度の遅さから高角砲としての実用性が乏しく、二番砲を対空機銃座に換装するなどの方法で、対空戦闘能力を補完せねばなりませんでした。大戦中の駆逐艦の多く艦級で同様の措置が取られました)

 

 中型(1400トン級)駆逐艦の建造:ロンドン条約の申し子?

「初春級」駆逐艦(6隻)

ワシントン条約に続く ロンドン条約では、それまで制限のなかった補助艦艇にも制限が加えられ、駆逐艦にも保有制限枠が設けられました。特に駆逐艦には1500トンを超える艦は総保有量(合計排水量)の16%以内という項目が加えられました。このため1700トン級(公称)の「吹雪級」駆逐艦をこれ以上建造できなくなり(日本としては財政的な視点から、「吹雪級」の増産を継続するよりも、もう少し安価な艦で数を満たす切実な事情もあったのですが)、次の「初春級」では、1400トン級の船体と「吹雪級」と同等の性能の両立という課題に挑戦することになりました。

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結果として、竣工時の「初春級」駆逐艦は、主砲として、艦首部に「吹雪級」と同じ「50口径3年式12.7cm砲」B型連装砲塔とB型連装砲塔と同じく仰角を75度に改めたA型改1単装砲塔を背負い式に装備し、艦尾にB型連装砲塔を配置しました。さらに「吹雪級」と同じ61cm3連装魚雷発射管を3基(9射線)を装備し、予備魚雷も「吹雪級」と同数を搭載。加えて次発装填装置をも初めて装備し、魚雷発射後の再雷撃までの時間短縮を可能としました。機関には「吹雪級Ⅲ型」と同じ空気予熱器付きの缶3基を搭載し、36.5ノットの速力を発揮することができました。

1400トン級のコンパクトな船体に「吹雪級」とほど同等な重武装と機関を搭載し、かつ搭載する強力な主砲と雷装を総覧する艦橋は大型化したことにより、無理を重ねた設計でした。そしてそれは顕著なトップヘビーの傾向として顕在化することになります。

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(直上の写真は「初春級」竣工時の概観:88mm in 1:1250 by Neptuneをベースにセミ・スクラッチ

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(直上の写真は、「初春級」竣工時の特徴のアップ。左上:艦橋部。艦橋部の下層構造を延長し、艦橋の位置をやや後方へ。艦橋部下層構造の前端に2番主砲塔(単装)を、1番主砲塔(連装)と背負い式になるように配置。右上:2番魚雷発射管。下段左と中央:後橋部分と2番・3番発射管の配置状況。3番発射管自体は、船体中心線に対し、やや右にオフセットした位置に追加。細かいこだわりですが、一応、3番発射管用の次発装填装置を後橋部の構造建屋の上に設置。2番発射管用の次発装填装置は後橋部建屋の左側の斜め張り出し部に内蔵されています)

既に公試時の10度程度の進路変更時ですら危険な大傾斜傾向が現れ、バルジの追加等で何とか就役しますが、この設計原案での建造は「初春」と「子の日」の2隻のみのとどめられました。さらにその後の発生した友鶴事件により、設計は復原性改善を目指して全面体に見直されました。

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初春:竣工時の艦型概観(「初春」「子の日」のみ)

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このげ初春:復原性改修後の艦型概観

(上のシルエットは次のサイトからお借りしています

http://www.jam.bx.sakura.ne.jp/dd/dd_class_hatsuharu.html

残念ながら、竣工時の「初春級」については 1:1250スケールのモデルがありません。スクラッチにトライするには、やや手持ちの「初春級」のモデルが足りていません。 いずれはトライする予定ですが、今回はご勘弁を<<<セミ・スクラッチによる竣工時モデルを上記に追加投稿しました)

 

その性能改善工事は、61cm3連装魚雷発射管の3基から2基への削減(併せて搭載魚雷数も3分の2に削減)、主砲塔の配置を艦首に連装砲塔1基、艦尾部に単装砲塔と連装砲塔を各1基の配置と搭載方法を変更し、武装重量の削減とバランスの改善を目指します。さらに艦橋・煙突の高さを下げ、艦底にバラストを追加搭載するなど重心の低下をおこなった結果、艦容を一変するほどのものになりました。その結果、復原性の改善には成功しましたが、船体重量は1800トン近くに増加し速度が36.5ノットから33.3ノットに低下してしまいました。

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(直上の写真:復原性改善修復後の「初春級」の概観。88mm in 1:1250 by Neptune)

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(直上の写真:「初春級」の特徴である次発想定装置付きの3連装魚雷発射管(上段)と、艦尾部に背中合わせに配置された単装主砲砲塔と連装砲塔:仰角75度の高角射撃も可能とした砲塔でした。この砲塔は装填機構の問題から装填次に平射1に戻さねばならず、射撃速度が低く対空砲としては実用性に乏しいものでした)

 

復原性修復後のモデルとの比較は以下に。二枚とも、上が「竣工時(今回セミ・スクラッチ製作したモデル)」、下が「復原性修復後」のモデル(Neptune社の現行の市販モデル)。

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「竣工時」の過大な兵装とそれに因る腰高感が表現できているかどうか・・・。できているんじゃないかな(とちょっと自画自賛)。 

 

当初は12隻が建造される予定でしたが、上記のような不具合から6隻で建造が打ち切られ、「初霜」を除く5隻が太平洋戦争で失われました。

 

 「初春級」改良型中型駆逐艦

「白露級」駆逐艦(10隻)

ja.wikipedia.or

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(直上の写真:「白露級」の概観。88mm in 1:1250 by Neptune)

 

「白露級」は前級「初春級」の復原性改善後の設計をベースに建造された準同型艦です。

改修後の「初春級」では前述のように雷装を設計時の3分の2、6射線に縮小せねばなりませんでした。 また、改修後の重量も1800トン弱と、結局、中型駆逐艦の枠を大きくはみ出す結果となってしまいました。(公称上は「初春級」も「白露級」も1400トンとし、ロンドン条約下での1500トン以下の保有枠内である、とされましたが)

重量が増加するならば、ということで、「白露級」は少し船型を拡大し、4連装魚雷発射管2基を搭載し、射線数を「吹雪級」に近づけたものとすることになりました。次発装填装置を搭載し、魚雷搭載数を当初16本として、雷撃能力を向上させています(当初と記載したのは、実際には搭載魚雷数は14本あるいは12本だったようです)。その他の兵装、艦容はほぼ「初春級」に準じるものとなりました。

主砲は「初春級」と同じ「50口径3年式12.7cm砲」でしたが、この砲をC型連装砲塔、B型単装砲塔に搭載しましたが、これらはいずれも仰角を55度に抑えた平射用の主砲塔でした。

速力は改修後の「初春級」とほぼ同等の34ノットでした。

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(直上の写真:「白露級」の特徴である次発想定装置付きの4連装魚雷発射管(上段)と、艦尾部に背中合わせに配置された単装主砲砲塔と連装砲塔:いずれも仰角55度の平射用砲塔でした)

太平洋戦争には10隻が参加し、全て戦没しました。

 

再び正統派艦隊駆逐艦へ(もうロンドン条約、続けないし・・・)

朝潮級」駆逐艦(10隻)

ja.wikipedia.org

ロンドン条約保有制約から大型駆逐艦保有制限を受けた日本海軍は、「初春級」「白露級」と中型駆逐艦を就役させた日本海軍でしたが、先述の通り、小さな船体に重武装・高性能の意欲的な設計を行ったが故に、無理の多い仕上がりとなり、結果的に期待を満たす性能は得られない結果となりました。

このため、次級の「朝潮級」では「吹雪級」並みの大型駆逐艦の設計を戻されることになりました。設計時期にはまだロンドン条約の制約は生きていましたが、ロンドン条約からの脱退を見込んでいたため、もはや艦型への制限を意識する必要がなくなる、という前提での設計方針の変更でもありました。

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(直上の写真:「朝潮級」の概観。94mm in 1:1250 by Neptune)

 

こうして「朝潮級」は2000トン級の船体に、「白露級」で採用された4連装魚雷発射管2基を搭載し8射線を確保、次発装填装置を備え魚雷16本を搭載、主砲には「50口径3年式12.7cm砲」を仰角55度の平射型C型連装砲塔3基6門搭載したバランスの取れた艦となりました。機関には空気予熱器つきの缶(ボイラー)3基を搭載、35ノットの速力を発揮する設計でした。こうして日本海軍は、ほぼ艦隊駆逐艦の完成形とも言える艦級を手に入れたわけですが、一点、航続距離の点で要求に到達できず、建造は10隻のみとなり、次の「陽炎級」に建造は移行することになりました。

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(直上の写真:「朝潮級」の特徴である次発想定装置付きの4連装魚雷発射管(上段)と、艦尾部に配置された「白露級」と同じC型連装砲塔:仰角55度の平射用砲塔でした)

 

太平洋戦争には10隻が参加し、全て戦没しました。

 

トピック:「特型駆逐艦」の呼称

少し余談になりますが、「特型駆逐艦」の呼称はそれまでの駆逐艦の概念を超えた「吹雪級」駆逐艦の別称とされることが一般的かと思いますが、軍縮条約制約下の高い個艦性能への要求(制限を受けた艦型と高い重武装要求のせめぎ合い、と言っていいと思います)を満たすべく設計・建造された「吹雪級」「初春級」「白露級」「朝潮級」を一纏めに使われる場合もあるようです。

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(直上の写真:「特型駆逐艦」群の艦型比較。上から「吹雪級」、「初春級」復原性改善後、「白露級」「朝潮級」の順)

これに対し、それ以前の駆逐艦群(「峯風級」「神風級」「睦月級」)には、「並型駆逐艦」という表現が使われることもありました。(まるで「特盛り」「並盛り」ですね)

本稿では、これに従って、一纏めの流れとして纏めてみました。

 

ということで、今回はこの辺りでおしまい。

次回は今回の続編を予定しています。

条約制約のなくなった時期から太平洋戦争中の建造されたそれまでの「艦隊決戦」思想の継承に加え、「艦隊決戦」とはやや異なる設計思想の艦級も現れてきます。それらをご紹介する予定です。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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夏休み!工作特集:特設空母「安松丸」的な・・・

今回は、夏休みの工作特集、です。

特設空母「安松丸」 の製作

特設空母「安松丸」と聞いて、ピンと来た方、いろいろな意味で、「かなりなもん」です。

 

特設空母「安松丸」を知っていますか?

特設空母「安松丸」は、元々は日本陸軍が上陸支援母艦とする目的で徴用した7000トン級の高速貨物船「安松丸」で、この船を母体として改装を始めるのですが、飛行甲板を張ったところで、貨物船としては「高速」ながらも、空母としては当時の主力航空機の発着艦に実用性を欠く低速(15ノット)と飛行甲板の短さ(130メートル)、さらに改装に伴う重心の不安定さに改めて課題を感じた陸軍は工事を中断、改装を放棄した状態で長らく埠頭に繋がれていました。

その後、ともかく航空主兵への戦備整備を急ぐ海軍が埠頭に繋がれたままの半完成状態に着目。陸軍から譲渡された後、ともかくも改装工事を完了させ特設空母として完成させました。改装後は、旧式駆逐艦を改装した哨戒艇一隻を随伴し、当時、北アフリカで展開されていたドイツ軍のロンメル・アフリカ軍団のエジプト侵攻作戦を支援するためにインド洋からアフリカ沖に派遣され、通商破壊活動に従事しました。

(直下の写真:特設空母「安松丸」の概観。104mm in 1:1250 by Decapod Models :本艦は哨戒艇を伴い、インド洋方面からアフリカ沖に出撃しました。写真下段:飛行甲板上に小さな飛行指揮所を設置していますが、艦橋は飛行甲板の前端下に設置されています。エレベータを装備していないこの艦では、搭載機の格納甲板への収納は、左舷側2箇所の舷側に突き出した可倒・引き込み式のデリックで行います)

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ざっとそんなお話が、「安松丸物語」として宮崎駿さんの「雑想ノート」の第9話に収録されています。

 

「雑想ノート」

言わずと知れた宮崎駿さんの名著ですね。元々は模型雑誌「モデル・グラフィクス」に連載されていたものと記憶します。

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(上の写真は「雑想ノート」の表紙と「安松丸物語」の一部。実は「安松丸」の全体像が描かれているのはこのカットのみ。ただ、例えばエレベータの装備されていないこの艦での、搭載機の収納手順などは、細かいメモが書き込まれているので・・・)

全部で12話のエピソードが掲載されており、そのどれもが主流になりきれなかった「兵器」へのなんとも言えない「愛おしさ」に満ちた物語になっています。冒頭に「この本に、資料的価値は一切ありません」と明記されているのですが、それでも心を擽られる物語ばかりだと、筆者は感じています。

ちなみに登場する兵器は、以下の通り。

「ユンカース J-38重爆撃機(の派生型)(第一話:ボストニア王国空軍史より-知られざる巨人の末弟)

装甲砲郭艦「モニター」と「メリック」(第二話:甲鉄の意気地)

ボストニア王国陸軍超重戦車「悪役1号」(第三話:多砲塔の出番)

「ポテーズ540双発爆撃機(第四話:農夫の眼)

清国軍艦「鎮遠」と日本海軍「三景艦」(第五話:竜の甲鉄)

「マーチン139W双発爆撃機(第六話:九州上空の重轟炸機

「高射砲塔」(第七話:高射砲塔)

「Q・シップ」(第八話:Q.ship)

特設空母 安松丸」(第九話:安松丸物語)

ツェッペリン・シュターケンRーIV長距離爆撃機(第十話:ロンドン上空1918年)

「特設監視艇」(第十一話:最貧前線

「ポルシェ・ティーガー :VK4501(P)」(第十二話:豚の虎)

何とも曲者揃い、というか、いやはや。

 

この本には、スピンアウト、というかマルティメディア展開というか、ラジオドラマ仕立てのCD音源が発売されています。敢えてアニメーションではなく「ラジオドラマ仕立て」というところが、なんとも・・・。

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(上の写真のコレクション、確か第10巻「農夫の眼・Q .ship」が欠けています)

こちらはなんとも豪華な出演陣(声優陣・俳優陣?)で、その顔ぶれを見ても、さすがスタジオ・ジブリの実力発揮、というか「宮崎駿」の名前なら、少々の無茶はできる、というか、いずれにせよストーリーはもちろんのこと、出演者の顔ぶれでも、どちらでもいいから、機会があれば是非、一度お聞きになることをお薦めします。

ちなみに「特設空母 安松丸物語」の語りは、何と三木のり平さんです。

 

夏休みの工作に、ピッタリ。さあ、作ってみよう!

という訳でもないのですが、以前から特にこの「安松丸物語」のエピソードには強く心惹かれるものがあり、是非一度、立体化をトライしてみたい、と思っていました。

 

Step 1:素材探し

7000トン級の貨物船、ということで、ベースとなる「貨物船」を探します。こういう時は、いつものように困った時のShapewaysですね。船の長さと形態から、第一次大戦型の貨物船Decapod Models製の下記に決定!実は「安松丸」より、さらに全長が10メートルほど短いんですが、まあ、そこは目を瞑りましょう。

www.shapeways.com

早速お取り寄せ。

(直下の写真:EFC=Emargency Fleet Corporation Design 1013の概観。なかなかいいぞ。素材はSFD:Smooth Fine Detail Plasticですので、表面は滑らかですが、硬度が高く、加工(特に切断等)の際には欠損が出ないように、少し気を使う必要はありそうです)

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Step 2: 船体の加工と追加部分の準備

まあ、ご覧の通りです。

 

EverGreen製のサイディング系(甲板の木材感が出ます)のプラシートで飛行甲板部分を準備。その前端にモデルから切り離した艦橋を移設します。煙突他の上部構造の突起物を切除し、甲板と同じくEverGreenのプラビーム(H型)等で特に島型上部構造物の上部を整えます。前部と後部の格納甲板に相当する場所に前出のEverGreenのサイディング系プラシートを床板として貼り平面に。その際に前部・後部の収納用の張り出しも準備します。(写真:上段と下段左)

飛行甲板の裏面には何本かプラビームで横桁を通しておきます。(写真:下段右)
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Step 3:ざっと塗装して仮組みへ

実際にはサーフェサーによる下地処理、そして塗装をそれぞれのパーツに施したのち、仮組みしてみます。(下の写真)

おお、何となく「様」になってきたかも。
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そして完成

飛行甲板裏の横桁に合わせて、縦の支柱を入れていきます(EverGreen プラビーム(H型)を使用しています)さらに右舷側に飛行指揮所と煙突を、手持ちのジャンクパーツから添付。

可倒・引き込み式の航空機収納用デリックを前部・後部の航空機格納口の上面に装着します。デリックは、前部は引き込んだ状態、後部は一応水平に展開した状態にしてみましょう。(この可倒・引き込み式デリック、「雑想ノート」によると、5トンまで吊り上げる能力があり、飛行甲板上の航空機を格納甲板へ移動させる際には、飛行甲板上で甲板方向へ10度ほど倒した状態で収納する航空機を吊り下げ、ゆっくり今度は反対側の海面上へ水平角まで倒し、そのままデリックごと格納庫内へ引き込んで航空機を格納甲板に収容する、という少々面倒臭い使い方をするようです)

アンテナマストを建て、甲板上にデカールを貼って、はい、ほぼ出来上がり、です。

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「安松丸」の搭載機は艦上攻撃機6機のみ、ということになっています。格納庫が小さいため甲板上に2機を繋止し、3機が格納庫収納、1機は保用で分解搭載、と記されています。

さらに搭載する攻撃機は、短い飛行甲板から発艦できる複葉の旧式の96式艦上攻撃機、ということになっています。ja.wikipedia.org

96式艦上攻撃機日本海軍が開発した初めての満足のいく性能の攻撃機と言われています。しかしわずか1年後にさらに高性能な全金属単葉の名機97式艦上攻撃機が正式採用されたために、ほとんど活躍の場を与えられなかった、という不幸な生い立ちを持っている機体でした。f:id:fw688i:20200506120910j:plain

(直上の写真:飛行甲板に並べられた96式艦上攻撃機(上段)。96式艦上攻撃機は格納時には翼を折り畳んで収納されました(下段右)。搭載機の格納甲板への収納は、エレベーターを装備していないために、舷側に可倒・引き込み式の懸垂型のデリックを2基装備し、これにより行いました)

 

「雑想ノート」のオリジナル・ストーリーでは 、「安松丸」の小さな機動部隊はアフリカ沖に進出し、地中海を独伊連合軍に抑えられた英軍が、エジプト侵攻を企てるロンメル・アフリカ軍団に対抗する援軍をはるか希望峰経由で送ってくる航路を脅かします。「安松丸」が搭載するたった6機の搭載機のうち、放たれた索敵機3機のうちの1機が、ソマリア沖に輸送船団を発見、これを残り3機の雷撃隊で襲撃して輸送船を撃沈します。さらに母艦に帰投する攻撃隊は、船団に後続する空母を含む護衛艦隊を発見。日没となったため、夜間雷撃が可能なベテラン乗組のたった1機だけの攻撃隊を発進させ、護衛艦隊の「イラストリアス級」空母にも、魚雷を命中さます。攻撃機が接近する際に、英空母の乗組員は複葉旧式の96式艦上攻撃機を、帰投中の味方の「ソードフィッシュ」と誤認して、全く警戒しなかった、とか・・・。

戦果を報告した攻撃機は、しかし帰投する母艦の位置を見失い、そのまま行方不明に・・・。というような劇的な話が物語られています。(これにはさらに後日談があるのですが・・・)

 

「安松丸」的な・・・水上戦闘機「強風」の搭載

上記のように、宮崎駿さんの「雑想ノート」のオリジナルのストーリーでは、「安松丸」の搭載機は艦上攻撃機6機のみ、ということになっています。

しかしここは筆者の「安松丸的な世界」ということで、ちょっと欲張って、前部格納庫に水上戦闘機を3機、搭載してみました。もちろんこちらは飛行甲板へあげることなく、デリックで水面に下ろして発進させます。搭載機は日本海軍の太平洋の島嶼地域への進出の切り札となることを期待されながら、登場時期が遅れ活躍の場を見出せなかった不運の水上戦闘機(と言いきっていいと思います)「強風」です。

太平洋では、さして活躍の場を見出せなかった「強風」でしたが、インド洋での英輸送船団と、その非力な護衛部隊相手の戦場では、索敵や、鈍重な英空母搭載の艦載機相手に、かなり部の良い戦いができた、・・・とか。

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 (直上の写真は、水上戦闘機「強風」を搭載した前部格納庫のアップ) 

ja.wikipedia.org

「強風」は日本海軍が最初からフロート履きの水上戦闘機として開発した機体です。太平洋での島嶼地域への進出の際にも、進出部隊が航空基地などの整備が整うまでの間にも十分な航空支援を得られるようにと、かなり欲張った仕様でした。設計当時の主力艦上戦闘機であった「零戦11型」よりも速度で勝り、武装は同等、さらに重いフロートを履きながらも小回りが効くようにと、空戦フラップを搭載するなど、新機軸に溢れた意欲的な機体でした。

当然の事ながら、開発は難航し、実用配備される頃には既にソロモン方面での米軍の反抗が始まっており、想定された「進出・展開」などの段階は終了していました。

さらに、特に水上戦闘機でありながら「零戦」に勝る速度、という要求の実現は不可能に近く、大型のエンジンの採用(火星)や、二重反転プロペラの試作機段階での採用などを試みたにも関わらず、要求仕様を100キロ近く下回る結果となりました。

結果、試作機を含めて97機が生産されたにとどまりました。

このうち何と3機が、「安松丸」に搭載され、おそらく唯一、目覚ましい戦果をあげた「部隊」として記録されることになりました(なんてね)。

 

「強風」は水上戦闘機としては、決して成功作とは言えない機体でしたが、その開発努力は、「強風」をベースとして開発された局地戦闘機紫電」とその改良型である「紫電改」に引き継がれ、大戦末期に日本本土防空の戦いの主力となったことは有名です。

(下の写真:「安松丸」の搭載機。上段は、母艦の低速と短い飛行甲板の二重苦から「安松丸」の搭載機体として選択された(他に選択肢がなかった、というべきか)96式艦上攻撃機。複葉布ばりの機体ながら、日本海軍が開発した最初の満足のいく艦上攻撃機と言われています。制式採用の翌年に、さらに高性能な名機97式艦上攻撃機が登場し、太平洋戦争では活躍の場を奪われていました。翼は格納時には折りたたむことができました。「安松丸」がインド洋・アフリカ沖で戦った英海軍の主力艦上攻撃機ソードフィッシュ」もほぼ同様の布張りの複葉機でした。

写真下段は、出航直前に急遽「安松丸」への搭載がが決定した水上戦闘機「強風」。世界の海軍でほぼ唯一「水上戦闘機」として設計された機体でした。水上戦闘機としてはかなりの高性能でしたが、陸上戦闘機・艦上戦闘機のめざましい性能向上からは取り残された形でした。「安松丸」に搭載された3機の「強風」は、英海軍相手の索敵・哨戒、さらには専用艦上戦闘機を持たない英海軍の空母艦載機相手に、活躍しました)

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ということで、今回はこの辺りでおしまい。

さて次はどうしようかな。

何度かお話に出ている日米の艦隊駆逐艦の系譜については、現在、着々と準備中です。もう少し?何せ数が多いので。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

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夏休み:新着モデルの完成:「超甲巡」!

本稿で前回紹介した「超甲巡」が完成!

今回は「超甲巡」を中心に、「本稿「大好きな小艦艇特集」の回で、未入手だったモデルがいつか届いたので、そちらも地味に紹介します。

fw688i.hatenablog.com

 

超甲巡」(超甲型巡洋艦

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(直上の写真は、「超甲巡」の概観。198mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs:  マストをプラロッドで追加した他は、(珍しく?)ストレートに組み立てました。元々が素晴らしいディテイルで、手をいれるとしたら「65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲):いわゆる長10センチ高角砲」のディテイルアップくらいですが、少し大ごとになりそうなので、そちらはいずれまた)

 

65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)の話

65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)は、日本海軍の最優秀対空砲と言われた高角砲で、18700mの最大射程、13300mの最大射高を持ち、毎分19発の射撃速度を持っていました。これは、戦艦、巡洋艦、空母などの主要な対空兵装であった12.7cm高角砲(八九式十二糎七粍高角砲に比べて射程でも射撃速度でも1.3倍(射撃速度では2倍という数値もあるようです)という高性能で、特に重量が大きく高速機への対応で機動性の不足が顕著になりつつあった12.7cm高角砲の後継として、大きな期待が寄せられていました。

ja.wikipedia.org

上記、射撃速度を毎分19発と記述していますが、実は何故か揚弾筒には15発しか搭載できず、従って、15発の連続射撃しかできなかった、ということです。米海軍が、既に1930年台に建造した駆逐艦から、射撃装置まで含めた対空・対艦両用砲を採用していることに比べると、日本海軍の「一点豪華主義」というか「単独スペック主義」というか、運用面が置き去りにされる傾向の一例かと考えています。

 

モデルのディテイルアップの話に戻すと、正直にいうと、現時点で筆者にとって満足のいくディテイルが再現された「長10センチ高角砲」は、Neptune社製の「秋月級」駆逐艦に搭載されているものくらいしか、思い当たりません。

実はこれまでにも、本稿では「架空防空巡洋艦」の回などで、同砲は「架空防空巡洋艦」の主砲として登場しています。

fw688i.hatenablog.com

同艦は長10センチ高角砲の連装砲塔を12基搭載しており、併せて準同型艦として同回に紹介した「汎用軽巡洋艦」も同連装砲を6基搭載しています。これらも含めディテイルアップのために換装しようとすると、Neptune製の「秋月」を7隻つぶさねばならず、ちょっと現実的な対処法ではない。

既に皆さんもある程度予想がつくと思いますが、筆者の場合、こういう時は「困った時のShapeways 」ということになるのですが、なんと、実は Shapewaysにはちゃんと連装砲塔のセットがあるのです。

www.shapeways.com

16砲塔で1セットですのでこれが2セットあれば、良い、という計算です。

ということで、早速入手してみたのですが、今度はNeptune製「秋月」の砲塔よりかなり小さい。かつ、砲身を自作しなくてはなりません(まあ、砲身の自作の方はプラロッドか真鍮線でチマチマと作れば良いので、時間はかかりますが、なんとかなりそう(楽しいしね)なのですが)。何れにせよ、全砲塔の換装を視野に入れると、少し結論を先延ばし、ということで。

 

超甲巡」の話

行きがかり上とはいえ、話が同艦級の搭載した「長10センチ高角砲」に終始しましたが、そもそも「超甲巡」についても少しご紹介しておきましょう。

超甲巡」とは「超甲型巡洋艦」の略称で、いわゆる「甲型巡洋艦重巡洋艦」を超える性能の「巡洋艦」を意味します。

マル五計画、マル六計画で建造が計画されたいわゆる「If艦」です。一応、設計スケッチは残っているようなので「未成艦」と言っても良いのかもしれません。3万トン級の船体に30センチクラスの主砲を3連装砲塔で3基搭載し、対空砲は長10センチ高角砲を連装砲塔で8基という強力な火力を誇っています。33ノットの速力を発揮する予定だった、ということだから、空母機動部隊の直営としても活躍できたでしょうね。

 

ja.wikipedia.org

そもそもの同艦級の設計構想は、日本海軍の「艦隊決戦」構想の一環として、本稿でも何度も取り上げている「漸減邀撃作戦」での水雷戦隊による夜戦の中核艦とするものでした。

同作戦構想では、敵主力艦隊に対し日本海軍自慢の酸素魚雷を搭載した重巡洋艦部隊、水雷戦隊、総数約80隻を展開し夜戦が展開されます。この際にこれらを総指揮し、あるいは敵主力艦隊の前衛の警戒戦を突破する有力な砲力を有した艦として、当初「金剛級高速戦艦が当られる予定でした。しかし同艦級は、ご承知のように日本海軍の主力艦の中では最も艦齢が古く、優れた基本設計のために数次の改装を経て、なお一線の高速戦艦として有力な存在ではあったものの、25年の艦齢を考慮すると、これに代わる有力艦級の整備は急務でした。

こうして生まれたのが「超甲巡=超甲型巡洋艦」の設計構想で、水雷戦隊に帯同できる高速性と「艦隊決戦」の仮想敵である米艦隊が急速に整備しつつあった大型の重巡洋艦軽巡洋艦を凌駕する砲戦力とこの砲戦に耐えられる防御能力を有した艦となる予定でした。

同時期に各国海軍が建造した「シャルンホルスト級」「ダンケルク級」、とりわけ米海軍が建造した「アラスカ級大型巡洋艦を強く意識したもので、6隻が建造される予定でした。

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(直上の写真:「超甲型巡洋艦超甲巡」の新型31センチ主砲(上段)と65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)

 

その後、海軍戦力の重点が航空優位に移行し、従来の「艦隊決戦」のあり方に変化が現れると、同艦級は「金剛級高速戦艦同様、その高速性から空母機動部隊の直衛戦力としての期待をも担うことになります。

こうして有力な新設計の31センチ主砲(設計上は「金剛級」の36センチ主砲を凌駕する性能だったと。製造されていないので、実力の程はわかりませせんが)と並び、帝国海軍の最優秀対空砲である「長10センチ高角砲」が搭載されました。

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 (直上の写真:巡洋艦の艦型比較。下から「改鈴谷級=伊吹級」重巡洋艦、「蔵王級」重巡洋艦、「超甲型巡洋艦超甲巡」:「超甲巡」の主砲の大きさが目立ちます)

 

佐藤大輔氏の短編集「仮想・太平洋戦史 目標、砲戦距離四万!」に、確か同級の活躍するお話がありましたね。

www.amazon.co.jp

 

米海軍大型巡洋艦アラスカ級

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(直上の写真「アラスカ級大型巡洋艦の概観。194mm in 1:1250 by Hansa)

ja.wikipedia.org

前述の「超甲巡」のライバル、「アラスカ級大型巡洋艦です。30000万トン級の船体に主砲として「1939年式 Mark8型 30.5cm(50口径)砲」を3連装砲塔3基、そして米海軍ではお馴染みの5インチ両用砲の連装砲塔を6基搭載していました。空母機動部隊の直衛を意識して33ノットの高速を有しています。6隻が計画され、2隻が完成しています。

主砲として搭載された「1939年式 Mark8型 30.5cm(50口径)砲」は、12インチの口径ながら、米海軍の戦艦の標準主砲であった14インチ砲と同等の重量の砲弾を発射できるという優秀砲でした。(この辺り、上述の「超甲巡」に搭載予定であった新型31センチ砲と良く似ています)

この両級が、実際に砲火を交えていたら、どんな展開になったんでしょうね。

(直下の写真:上から「シャルンホルスト級」「アラスカ級」「超甲型巡洋艦」の艦型比較。各国が異なる狙いで類似性のある設計をしていたことが興味深いですね) 

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さらに「シャルンホルスト級」と「ダンケルク級」、本稿でのご紹介を以下に再掲しておきます。(まだ、主力艦の発達史をやっていた頃なので、ちょっと文体が違うけど、ご容赦を。併せて皆さんは大丈夫だとは思うのですが、架空の記述など含まれているので、そちらもご注意、ご容赦を)

 

ドイツ再軍備宣言と英独海軍協定、そして新戦艦時代の開幕

ヴェルサイユ体制による重度の賠償責任等により、ドイツ経済は疲弊の極みにあり、その混乱の中で1934年、ヒトラーが首相と大統領の両機能を統合し国家元首に就任し政権を握る。

1935年、ヒトラーヴェルサイユ条約の軍事制限条項を破棄し再軍備を宣言する。

同年、再軍備は受け入れざるを得ないとしながらも、その拡張に歯止めをかけるべく英独海軍協定が結ばれ、総トン数で英海軍の35%、潜水艦保有も英海軍の45 %まで保有が認められた。

これにより戦闘艦の建造制約が名実ともになくなり、ドイッチュラント級装甲艦の強化型として建造される予定で、フランスのダンケルク級戦艦への対抗上から設計を大幅に見直されていたシャルンホルスト級は、30,000トンを超える本格的な戦艦として起工された。

 

シャルンホルスト級戦艦 - Wikipedia

en.wikipedia.org

(1939-, 31.500t, 31.5 knot, 11in *3*3, 3 ships, 191mm in 1:1250 by Hansa)

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シャルンホルスト級戦艦は当初、前述のように、フランス海軍によって建造されたダンケルク級戦艦に対抗するべく誕生した。この為、主砲は、当初15インチ砲の搭載を想定したが、建造時間を考慮しドイッチュラント級と同様の11インチ砲3連装砲塔を1基増やし9門に増強するにとどめた。一方でその装甲はダンケルク級の33センチ砲弾にも耐えられるものとし、ドイツ海軍伝統の防御力に重点を置いた艦となった。

速力は重油燃焼高圧缶と蒸気タービンの組合せにより、31.5ノットの高速を発揮した。

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(シャルンホルスト級3隻:手前からグナイゼナウ、マッケンゼン、シャルンホルスト)手前味噌的な記述になることを恐れずに言うと、本級はバランスのとれた美しい外観をしている、と感じている。

 

15インチ主砲への換装により、本格的戦艦に

のちに、11インチ主砲はビスマルク級戦艦と同様の15インチ連装砲に置き換えられ、攻守にバランスのとれた、加えて31.5ノットの高速力を持つ優秀艦となった。

特に31.5ノットの高速性能は、当時、ヨーロッパにはこれを捕捉できる戦艦がなく、ヨーロッパ諸国の危機感を強く刺激した。

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(主砲を15インチ連装砲塔に換装後のシャルンホルスト級3隻:手前からシャルンホルストグナイゼナウ、マッケンゼン)

出典元はこちら↓。

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仏新造戦艦ダンケルク級による波紋 

ダンケルク級戦艦 - Wikipedia

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本級の建造に当たっては、確かに前述のドイッチュラント級装甲艦への即効性のある対抗策としての側面も強かったが、第一次世界大戦前のプロヴァンス級以来、久々の新造戦艦の建造にあたり、攻撃力、防御力、機動力をどのようにバランスをとりながら具現化するかと言う命題に対する、次期本格主力艦建造への実験艦的な性格が強い。

武装としては、新設計の13インチ(33センチ)砲を、未完に終わったノルマンディー級戦艦以来のフランス海軍悲願の4連装砲塔2基に、艦首部に集中的に搭載し、あわせて発展著しい航空機の脅威に備えて、世界初となる水上戦闘にも対空戦闘にも使用できる13センチ両用砲16門を、連装砲塔2基、4連装砲塔3基の形で搭載した。

艦種名に正式に「高速戦艦」の分類が割り当てられ、公称30ノット、実際には31.5ノットの高速を発揮することができた。機関の搭載にも新基軸が見られ、シフト配置を採用することにより、被弾時の生存性を高めるなど、種々の新機軸への取り組みが見られた。

(1937-, 26,500t, 31.5knot, 13in *4*2, 2ships, 170mm in 1:1250 by Hansa)

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本艦は過渡期的なやや小ぶりの船体を除けば(それでもフランス海軍がそれまでに建造した最大の戦艦である)、高い機動性、集中防御の思想、対空戦闘への対応力、ダメージコントロールへの新たな工夫など、それまでの戦艦の概念を一新するものであり、「新戦艦」の幕開けとなった戦艦であると言っていいであろう。

 

本級の登場は諸国海軍の戦艦整備政策に大きな影響を与え、前回述べたようにドイツ海軍はドイッチュラント級4番艦、5番艦を、30,000トンを超える本格的なシャルンホルスト級戦艦として設計変更の上建造した。

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(直上の写真は、ドイッチュラント級装甲艦、ダンケルク級戦艦、シャルンホルスト級戦艦の艦型比較:手前からドイッチュラント級ダンケルク級シャルンホルスト級

 

出典元はこちら↓。

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小艦艇部門の新着モデル

最近入手した小艦艇モデル2点のご紹介です。

 

まずは「第7号級」掃海艇 

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(直上の写真「第7号級」掃海艇の概観。59mm in 1:1250 by Trident 前部マストをプラロッドに変更)

「友鶴事件」「第四艦隊事件」等を経て、設計された掃海艇です。艦型は復原性・船体強度などの前級が抱えていた問題を考慮して、異なる外観となっています。しかしその任務想定が艦隊の前路開削や、上陸地点の航路掃海等、敵前での業務を想定していたため、船体の大きさに対して大きな砲力を有していました。(630トン、12cm平射砲3門、20ノット)

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(直上の写真:「第7号級」掃海艇と本稿では既出の「第19号級」掃海艇との艦型比較。直下の写真:主砲が「第7号級」掃海艇では平射砲であるのに対し(上段)、「第19号級」ではM型砲架の採用により、仰角が挙げられているのが分かります) 

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第51号級駆潜艇

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直上の写真「第51号級」駆潜艇の概観。44mm in 1:1250 by Trident 前部マストをプラロッドに変更)

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マル二計画(1933年度)で計画された小型駆潜艇です。

150トンの船体に40ミリ機関砲と爆雷18個を搭載し、23ノットのこの艦級としては比較的高速の速力を有していました。主として主要海軍根拠地の防備隊で使用され、同級3隻全てが終戦時に現存していました。

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(直上の写真:駆潜艇の系譜。左から「第1号級」駆潜艇、「第51号級」駆潜艇、「第13号級」駆潜艇

 

ということで、今回はこの辺りでおしまい。

さて次はどうしようかな。

何度かお話に出ている日米の艦隊駆逐艦の系譜については、現在、着々と準備中です。もう少し?何せ数が多いので。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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今週の新着モデル:「超甲巡」でピンときたら。

近況から入って恐縮ですが、ご多分に漏れず、筆者もリモートワークを4月以来続けています。4月・5月は100%、6月後半からは週一回ペースでオフィスに出社する日々です。

自宅からオフィスまでの通勤時間は1時間強、というところですが、改めて通勤時間というのがどれほど大きなウエイトを占めていたのか、考えさせられる毎日です。

一方で、やはり時間のコントロールの難しさも改めて知る日々です。

移動なく仕事ができる反面、週末でもちょっと仕事、という機会が増え、私のように、ある程度自分で仕事の差配ができる立場であれば、それなりに納得づくで進んでやっていることなのですが、若い人達にどのような影響が出ているのかな、など、気になっています。

仕事ってこんなもんか、が、周囲の実情や、働き方のヴァリエーションを一切感じる機会がなく仕事を始められた今年の新卒入社の方達が、いったい仕事をどのように感じているのか、実に気になります。

 

なんかこのままだと、こんな話で終わってしまいそうなので、気持ちを切り替えて「艦船模型」の話です。

今週末は自宅から仕事をしていたので、サクッと新着模型の紹介を。

結構、大物が。

 

まずは下の写真。

航空母艦形態の「信濃です。

本稿では、ご承知の方もいらっしゃるかと思いますが、「信濃」は「大和級」戦艦の3番艦として登場していますので、これまで入手には触手を伸ばさずにいたのですが、ついに入手しました。ご紹介は、また改めて、とは思いますが。一応ご紹介しておきます。

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Trident社製の模型で、やはりなんと言っても幅広の飛行甲板が目立ちます。一方で、その長さはさほどでもない。まあ、これは母体となった「大和級」戦艦が極力コンパクトを目指してデザインされたわけですので、持って産まれた「宿命」と言えば言えるのかも。

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完成時には日本海軍の母艦航空隊が壊滅していましたので、おそらく航空母艦として実戦に臨む機会はなかったのでしょうが、どんなふうに戦ったんだろうなあ、と想像の羽が膨らみます。

 

そして、もうひとつが、超甲巡

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下のモデルは本稿読者なら既にお馴染みの3D Printingモデル。Shapewaysから調達したTiny Thingamajigs製のモデルです。今週、到着したのですが、既に下地処理をした後、船体色だけ一次塗装してあります。f:id:fw688i:20200802180605j:image

マル五計画で建造が計画されたいわゆる「If艦」です。一応、設計スケッチは残っているようなので「未成艦」と言っても良いのかもしれませんが。3万トン級の船体に30センチクラスの主砲を3連装砲塔で3基搭載し、対空砲は長10センチ高角砲を連装砲塔で8基という強力な火力を誇っています。33ノットの速力を発揮する予定だった、ということだから、空母機動部隊の直営としても活躍できたでしょうね。

甲型巡洋艦重巡洋艦」を超える設計の巡洋艦だから「超甲巡」の通り名がつけられたとか。

ドイツ海軍の「シャルンホルスト級」、フランス海軍の「ダンケルク級」さらに米海軍の「アラスカ級」などと比較してみるのも一興ですね。

そう言えば、「シャルンホルスト級巡洋戦艦日本海軍が入手して、というような横山信義さんの仮想戦記がありましたね。

www.amazon.co.jpこの艦級の軍艦は、実用性が高そうで、いろんなストーリーが考えられそうです。

こちらは完成したら、改めてご紹介します。

 

ということで、今回はこの辺りでお茶を濁します。ご容赦を。

実は、今週は、この他にも結構いろんな模型が届いています。例えば、日本海軍の護衛空母「大鷹級」が一隻と、同じく護衛空母「海鷹」が到着。これで日本海軍の護衛空母は勢揃い、とか。

それらはまた機会を見てご紹介します。

 

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

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特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

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日本海軍巡洋艦開発小史(番外編)  未成巡洋艦、架空巡洋艦

今回は日本海軍の巡洋艦小史の番外編、ということで、未成艦・架空艦のご紹介です。

 

日本海軍は、これまでご紹介したように、太平洋戦争には「天龍級」(2隻)、「5500トン級」(14隻)、「夕張」の軽巡洋艦、「古鷹級」(2隻)、「青葉級」(2隻)、「妙高級」(4隻)、「愛宕級」(4隻)、「最上級」(4隻)、「利根級」(2隻)の重巡洋艦、「香取級」(3隻)の練習巡洋艦の陣容で臨みました。大戦中に「阿賀野級」(4隻)、「大淀」の計5隻の軽巡洋艦を就役させました。

これに加えて、重巡洋艦2隻を建造中でしたが、これらはミッドウェー海戦の敗北、主力空母機動部隊の壊滅により、急遽、転用され軽空母として建造されることとなりました。これ艦級は「伊吹級」軽空母として知られています。結局、この軽空母は重巡洋艦からの転用工数がかかりすぎるところから、軽空母としても未成に終わりました。

 

今回、最初のご紹介は、この「伊吹級」が当初の計画のまま重巡洋艦として建造された場合、を再現した物です。

 

未成艦:「伊吹級」重巡洋艦(改鈴谷級重巡洋艦) ー同型艦2隻 (伊吹、鞍馬)

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Ibuki-class cruiser - Wikipedia

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(直上の写真:「改鈴谷級」重巡洋艦の概観:163mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs)

 

史実上、日本海軍が建造に着手した最後の重巡洋艦です。「伊吹級」重巡洋艦と言う呼称の方が通りが良いかもしれません。また、「改鈴谷級」の名称の通り、「鈴谷級」巡洋艦の改良型で、後部マストの位置の違い程度しか外観上の区別はありません。装備上では「鈴谷級」の3連装魚雷発射管4基から4連装魚雷発射管4基に、雷装が強化されています。着工後、航空艤装を排して5連装発射管5基装備にさらに雷装を強化したと言われています。

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(直上の写真:「最上級」(上段)と「改鈴谷級=伊吹級」(下段)の比較。建造期間を短縮するために、「最上級」の設計を踏襲しています。相違点は後部マストの位置と後橋でしょうか?下の写真:「最上級(上)と「改鈴谷級=伊吹級」(下)の艦型比較)

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1番艦は「伊吹」と命名され、1942年4月に起工され、1943年5月に進水、その後、ミッドウェー海戦での機動部隊主力空母の喪失を受けて急遽航空母艦への改造が決定されましたが、既に重巡洋艦として進水を迎えていた本艦の転用改造の工事は工数が多く、工事途中で終戦を迎えています。

wikiwiki.jp

 

今回入手した3D printingモデルは、「改鈴谷級」の原案をモデル化したもので、航空艤装は装備したままの姿を再現したものです。

制作社は、本稿で紹介した艦船では日本海軍の「5500トン級」軽巡洋艦や「レキシントン級巡洋戦艦などでお世話になっているTiny Thingamajigsで、その細部の再現等には信頼を置いています。

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(直上の写真:「改鈴谷級」重巡洋艦の概観:下地処理をした状態です。この後、塗装をし、マストのトップ部分をプラロッドなどで仕上げれば完成、かな?)

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(直上の写真:今回はSmooth Fine Detail PlasticとWhite Natural Versatile Plasticの2素材で出力を依頼しました。2隻共、重巡洋艦仕様で仕上げていこうか(その場合には「伊吹」と「鞍馬」かな?)、あるいは1隻は条約型巡洋艦の名残りという設定で、主砲を3年式60口径15.5cm砲として、軽巡洋艦仕様で仕上げてみましょうか?(その場合には、「川」の名前を考えねば))

www.shapeways.com

 

 架空艦:「九頭竜級」軽巡洋艦ー「改鈴谷級:伊吹級」の軽巡洋艦仕様仕上げ

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(直上の写真:「改鈴谷級=伊吹級」の派生形「九頭竜級」軽巡洋艦の概観:163mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs)

 

前述のように、今回、3D printingモデルを2点入手したため、一つは条約型巡洋艦の延長として「改鈴谷級」を軽巡洋艦仕様で完成させた場合を想定した仕上げにしてみました。

日米間に不穏な空気が漂い始めた頃、艦隊決戦において漸減戦術の一つの要と想定されていた水雷戦隊による魚雷攻撃を率いるべき軽巡洋艦群の多くが既に旧式化しており、旗艦巡洋艦の整備もまた急務だった、というような想定から、「改鈴谷級:伊吹級」重巡洋艦の後続艦を軽巡洋艦仕様で完成させた、というようなカバー・ストーリでしょうか?

主砲は、もちろん「最上級」条約型巡洋艦に搭載されていた3年式60口径15.5cm砲の3連装砲塔とし、これを「最上級」に準じて5基、15門搭載します。さらに雷装は「改鈴谷級」に準じ4連装魚雷発射管4基とします。

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(直上の写真および直下の写真:「改鈴谷級=伊吹級」重巡洋艦(上段)と「九頭竜級」軽巡洋艦(下段)の比較。同一設計の船体に搭載主砲が異なります。下の写真:「改鈴谷級=伊吹級」重巡洋艦(上段)と「九頭竜級」軽巡洋艦(下段))

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ja.wikipedia.org

 

主砲の話:3年式60口径15.5cm砲か3年式50口径20cm砲か

3年式60口径15.5cm砲の諸元は、弾重量:55.9kg、最大射程27,400m、射撃速度毎分5発、これを3連装砲塔5基に搭載していましたので、1分あたりの発射弾重量は約4.2トン。

一方、3年式50口径20cm砲の諸元は、弾重量:125.9kg、最大射程29,400m、射撃速度毎分3発、これを連装砲塔5基に搭載していましたので、1分あたりの発射弾重量は約3.8トン。

両者を比較すると、単位時間あたりの射撃回数、投射弾量、発射弾数共に15.5cm砲の方が上回り、1発当たりの弾重量、つまり命中弾が出た場合の打撃力を除くと15.5cm砲の方が有利とも考えられるわけで、どちらを主砲として採用するかは、用兵者の判断ということになります。

筆者としては「手数」の多いほうを採用するのも面白いと考えるのですが、日本海軍は条約失効時に「最上級」でわざわざ15.5cm砲を20cm砲に換装していますので 、命中弾当たりの打撃効果を取ったということでしょうね。

 

この艦級が旗艦となって水雷戦隊を率い、ソロモン海あたりで夜戦に投入されていたら、どんな活躍をしたのでしょうね?ちょっと見てみたい。

 

ミニ・コラム(その1):艦名の話

日本海軍では巡洋艦の場合、一等巡洋艦大型巡洋艦重巡洋艦)には「山」の名前を、それ以下の巡洋艦には「川」の名前を命名する、という大原則が用いられてきました。

その顰みに倣うと、「改鈴谷級:伊吹級」の3, 4番艦を水雷戦隊旗艦として軽巡洋艦仕様で仕上げた、という想定なら、重巡洋艦らしく「山」系の艦名でも良かったのですが、設計を分けた、というところで、軽巡洋艦らしく「川」系の艦名にしてみました。「九頭竜」「四万十」という感じなんですが、どうでしょうか?あまりにも「架空艦」ぽいかな、と筆者も思っているのですが、「鶴見」「黒部」というのも考えてはみたのですが、いかにもな感じもしまして・・・。

 

ミニ・コラム(その2):排水量の話

艦船の大きさは排水量で語られることが多いのですが、基準排水量、常備排水量、満載排水量など、いくつかの排水量定義があり、ちょっと混乱してしまいます。少しここで整理を。

艦船は、その船体や装備の重量以外に、乗組員の数(定数かそれ以外の状況か)、弾薬の積載量、燃料、食糧、水など、活動に必要な消耗品を積載しています。

まず、「満載排水量」。これはその表現の通り、乗組員定数、弾薬、食糧、水、燃料などをいっぱいに積載した場合の重量を表現しています。近年、多くの海軍が艦船の諸元としてこの数字を公表しているようです。

「常備積載量」。これは満載積載量から、食糧、燃料、水などの消耗品を2/3の状態にした状況での重量で、主として戦場に到着した状態(戦闘直前)を表す数値として使われていました。国によって若干消耗品にかける係数が異なることがあったようです。

そして「基準排水量」。これは主として軍縮条約(ワシントン・ロンドン体制)の制限の定義に用いられた排水量の定義です。上記の満載排水量から燃料・水を差し引いた重量とされています。これは、軍縮条約の制限に「平等性」を付与するために、想定戦場や艦船の活動範囲を広域に想定する(つまり、燃料や予備缶水の量が多い)国の不利を排除するために用いられた定義、と言えます(具体的には英・米の不利防止ですね)。軍縮条約の発効しない状況では、あまり有効な定義とは言えず、現在ではこの定義で使用している国はないようです。日本の海上自衛隊では艦船の諸元の数値として「基準排水量」という名称を使用していますが、この場合の「基準排水量」には乗組員、食糧、弾薬、水、燃料などが全て含まれておらず、いわゆる建造時の艦船の重量、を表現する数値となっています。

  

日本海軍の防空巡洋艦の計画ーマル5計画(あるいは改マル5計画)

防空巡洋艦建造の計画:815号型防空巡洋艦

日本海軍には「815号型軽巡洋艦」という防空巡洋艦の設計案が昭和17年度艦船補充第1期計画(通称マル5計画)において計画されていました。

815号型軽巡洋艦は、主力艦直衛の防空巡洋艦という設計で、5800トンの船体に65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)を連装砲塔で4基搭載するという設計だったようです。

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「マル5計画」自体がミッドウェー海戦の敗北で見直され、この計画は立ち消えになったのですが、その主要な仕様は、「秋月級」駆逐艦へと継承されたと考えられます。

 

架空艦:「高瀬級」軽巡洋艦防空巡洋艦

さて、今回ご紹介する「防空巡洋艦」は「阿賀野級軽巡洋艦よりはひと回り小ぶりな外観をしており、上記の「815号型軽巡洋艦」では計画に盛り込まれていた水上偵察機2機搭載の航空艤装や魚雷装備が廃止された代わり65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)を連装砲塔で12基も搭載するという、より艦隊直衛に特化した設計になっています。日本海軍が常に拘った雷装が放棄された辺りの割り切りも含め、やはり「架空艦」と言っていいように思います。www.shapeways.com

 

ということで、まずは艦級名の話を。

同級は艦隊防空の専任艦として設計され、**年度艦船補充計画(正史でいけば17年度ですが、本稿のやや後ろ倒しで始まった太平洋戦史に則れば19年度でもいいのかも)で、10隻の建造が決定されました。慣例として二等巡洋艦軽巡洋艦)には、「川」の名前が与えられたとこところから、1番艦には「高瀬」の名が与えられました。以後、同型艦には「鳴瀬」「綾瀬」「早瀬」「平瀬」「嘉瀬」「初瀬」「白瀬」「渡良瀬」「水無瀬」などが予定されていました。

 

ということで、艦級名は「高瀬級」

ここからは「架空艦」ならではの「if」ストーリー。

「高瀬級」軽巡洋艦では、対空砲兵装の充実のために、前述のように航空艤装や雷装が廃止され、他の構造物はできるだけ軽量化が図られ、例えば艦橋構造は、駆逐艦の様な簡素な塔構造とされています。

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(直上の写真は、防空巡洋艦「高瀬級」の概観を示したもの。138mm in 1:1250  C.O.B Constructs and Militarys製 素材はSmooth Fine Detail Plastic)

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(直上の写真は、「高瀬級」と「阿賀野級」の概観比較。「阿賀野級」が一回り大きい。「阿賀野級」141mm in 1:1250 by Neptune :「高瀬級」では、上部構造物が簡素化され、軽量化への工夫が見て取れます)


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(直上の写真は、「高瀬級」と同様の設計思想で建造された「秋月級」防空駆逐艦の概観比較。

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やはり軽巡洋艦だけあって「高瀬級」の大きさが目立ちます。艦橋構造は類似しているのが見ていただけると思います。「秋月級」防空駆逐艦:   117mm in 1:1250 by Neptune)

 

65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)

同級の最大の特徴は、その主砲を、高角砲機能を中心に据えた両用砲としたところにありますが、搭載する65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)は、日本海軍の最優秀対空砲と言われた高角砲で、18700mの最大射程、13300mの最大射高を持ち、毎分19発の射撃速度を持っていました。これは、戦艦、巡洋艦、空母などの主要な対空兵装であった12.7cm高角砲(八九式十二糎七粍高角砲に比べて射程でも射撃速度でも1.3倍(射撃速度では2倍という数値もあるようです)という高性能で、特に重量が大きく高速機への対応で機動性の不足が顕著になりつつあった12.7cm高角砲の後継として、大きな期待が寄せられていました。

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同様の艦隊防空と言うコンセプトで米海軍が建造した「アトランタ級軽巡洋艦の主砲であったMk 12  5インチ両用砲と比較してみると、射程でも射高でもこれを上回り、射撃速度はほぼ同等、しかし口径の差から弾丸状量が長10cm高角砲の13kgに対し、5インチ砲は25kgとほぼ倍で、両用砲搭載艦同士の砲戦となった場合には、射程を利用した最大射程での命中弾を期待するしかなく、不利は否めなかったと言わざるを得ないでしょう。

 

同級の建造と、設計変更

ここからは「架空艦」ならではの「if」ストーリー。f:id:fw688i:20200524120213j:plain

上掲の写真のように、12基の連装対空砲塔を、艦首部に3基、艦中央に6基、艦尾部に3基と、多数配置し対空兵装の充実を目指した「高瀬級」でしたが、しかしどう贔屓目に見ても兵装過多、トップヘビーで、高速で転舵などすると、傾斜が想定以上に大きく、射撃等にも影響が出るなどの事象が発生し、次期改装期には艦首部の1番、および艦尾部の12番砲塔を撤去するなどの対策が検討されていました。未成に終わった5番艦・6番艦では最初から主砲塔を2基減じた設計に変更されていた、とも言われています。

 

更に、戦況が進むにつれ、水雷戦隊旗艦を務めていた「5500トン級」軽巡洋艦の中から戦没艦が生じ始めます。それ以前に「5500トン級」軽巡洋艦は開戦当時すでに旧式化しており、特にその搭載主砲は旧式な単装砲郭式であり、かつ対空戦闘能力も低く、昼間の出撃では「5500トン級」は 戦闘に耐えないとして、旗艦を駆逐艦に変更する戦隊指揮官も現れるほどでした。これを補うのが「阿賀野級軽巡洋艦だったのですが数が揃わず、すでに2隻が完成し、6隻が着工、あるいは起工寸前だった「高瀬級」も、この候補として検討され始めます。

しかし、既述のように、同級の主砲、長10cm高角砲は対水上艦戦闘では非力と言わざるを得ず、また水雷戦隊旗艦としては雷装を保有しないのは適性が低いなど、用兵側から、同級の搭載砲等の兵装に対する見直しが要求されます。こうして、「改高瀬級」汎用軽巡洋艦が設計されることになります。

 

架空艦:「改高瀬級」汎用軽巡洋艦=「渡良瀬級」軽巡洋艦 

同級は船体や機関など「高瀬級」の基本設計はそのままに、高角砲(両用砲)の搭載数を半分にして、水上戦闘にも耐えるように主砲として3年式60口径15.5cm砲を連装砲塔3基に搭載することが計画されました。

この砲は元々はワシントン・ロンドン体制で重巡洋艦保有数を制限された日本海軍が、列強の重巡洋艦の8インチ砲にも対抗できるように「最上級」軽巡洋艦の主砲として開発された砲で、「最上級」が条約切れに伴い8インチ砲に主砲を換装した後は、「大和級」戦艦の副砲に転用されました。27000mという長大な射程を持ち(「阿賀野級」に搭載された50口径四十一年式15センチ砲の最大射程の1.3倍)、また60口径の長砲身から打ち出される弾丸は散布界も小さく、弾丸重量も「阿賀野級」搭載砲の1.2倍と強力で、高い評価の砲でした。「最上級」「大和級」では、これを3連装砲塔で搭載していましたが、「高瀬級」の船体に合わせて、新たな連装砲塔が開発されました。

75度までの仰角が与えられ、一応、対空戦闘にも適応できる、という設計ではありましたが、毎分5発程度の射撃速度では、対空砲としての実用性には限界がありました。

ja.wikipedia.org

 

加えて「5500トン級」軽巡洋艦に代わる水雷戦隊旗艦としての運用に期待を寄せる用兵側の強い要求で、魚雷装備が復活され、61cm4連装魚雷発射管を2基、自発装填装置付で搭載することとなりました。

優れた基本設計で、なんとかこれらの要求には応えたものの、この辺りが限界で、流石に航空艤装の搭載は諦めざるを得ませんでした。f:id:fw688i:20200524115833j:image

(直上の写真は、「改高瀬級=渡良瀬級」軽巡洋艦の概観を示したもの。基本設計は「高瀬級」の設計に準じたものの、射撃管制等により艦橋がやや大型化しているのが分かります。138mm in 1:1250  C.O.B Constructs and Militarys製 素材はWhite Natural Versatile Plastic)

 

設計決定後、同級の建造は最優先となり、「高瀬級」の建造は4隻でいったん休止されます。こうして建造された1番艦には「高瀬級」の艦名予定リストから「渡良瀬」の名が与えられました。

 

「渡良瀬級」と命名

艦名は「渡良瀬」「水無瀬」とされました。

本来の計画では、「高瀬級」は10隻が建造される予定で、うち8隻が着工、4隻が「高瀬」「成瀬」「綾瀬」「早瀬」として就役、最も着工の遅かったの2隻が大掛かりな設計変更の末「改高瀬級=渡良瀬級」として建造を優先的に継続され、「渡良瀬」「水無瀬」として完成されました。

着工済みだった残りの2隻は、「渡良瀬級」に準じて設計を変更するには工事が進みすぎており、中間的な位置付けの設計変更での対応を模索する中、戦況の激化で完成されませんでした。 

 

(直下の写真は、「高瀬級」防空巡洋艦(左列)と「渡良瀬級」軽巡洋艦(右列)の主要箇所比較。上段:艦首部の主砲配置の比較。中段:艦橋構造と中央部の対空砲配置の比較(「渡良瀬級」の艦橋が射撃管制等の必要性から大型化しているのが分かります。下段:艦尾部の比較(「渡良瀬級」では魚雷装備が復活されました。艦中央部の上部構造物内に次発装填機構が組み入れれれています)

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こうして完成された「渡良瀬級」軽巡洋艦は、兵装面だけをみると「阿賀野級」よりもはるかに強力で、これを「阿賀野級」よりもひと回り小さな船体に搭載し、原型である「高瀬級」同様に船体重心を下げるために極限まで簡素化された上部構造を持ったため、その居住性は劣悪だったろうなあ、と想定されます。それでもやはりトップヘビーは避けられず、そのため次期の改装では6基の高角砲のうち2基を機銃座に換装し軽量化を図るなどの対策が検討されていた、とか。

また、現場の運用場面では、夜戦想定の出撃の場合には、高角砲の砲弾を定数の6割程度に抑えて軽量化を図り出撃した、とも。

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(直上の写真では、「渡良瀬級」軽巡洋艦(手前)と「阿賀野級軽巡洋艦の概観を比較。「渡良瀬級」がひとまわり小さいことがよく分かります。

直下の写真では、両級の主要な部分を比較しています。上段:前部主砲塔と艦橋の配置(「渡良瀬級」の搭載主砲の方が新しく強力です。一方、艦橋は「渡良瀬級」では簡素化され、一見、駆逐艦の艦橋構造のようです)中段:艦中央の構造比較(「渡良瀬級」では航空艤装に代えて対空兵装を充実しています)下段:艦尾部の比較(「阿賀野級」では魚雷兵装は搭載水上偵察機の整備甲板の下に設置されています))

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「渡良瀬級」汎用軽巡洋艦の製作

当初から、防空巡洋艦のバリエーション制作の予定で、加工適性の高いWhite Natural Versatile Plastic製のモデルを発注しておきました。f:id:fw688i:20200516145042j:image

(上掲の写真の奥がm加工適性の高いWhite Natural Versatile Plastic製のモデル。下のリンクは)

 

併せて、主砲の換装用に、15.5cm連装砲塔も入手しておきました。

(今回使用した3年式60口径15.5cm砲連装砲塔は左)

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www.shapeways.com

これらの加工工程が以下です。

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まず、上段の写真がオリジナルのモデル。中段では、艦首部と艦尾部の主砲塔群を切除。そして下段では、前後の砲塔群の跡に15.5センチ連装砲塔を搭載、そして小さなパーツをちょこちょこ追加。まあ数時間でこの程度の作業ができちゃうところが、筆者のように時間がない者にとっては(場所もないのですが)、とっても嬉しいところ。(下段写真の少し黄色っぽく見える部分は、砲塔群切除の際にやや削りすぎた上甲板部をパテで補修した跡です)

この後、サーフェサーを塗布し下地処理をした後、塗装しています。まさに「戦時急造艦」ですね。

 

マル6計画での重巡洋艦

通称マル6計画、正式名称第6次海軍軍備充実計画は、昭和19年(1944年)から25年にかけての7ヶ年間の海軍軍備の整備計画で、その中には重巡洋艦8隻の建造が含まれていました。この計画艦については、マル6計画自体が開戦等があり潰れたため、詳細な資料を見つけることができていませんが、World of Warshipsというゲームに登場する日本海軍の重巡洋艦のほぼ最終形態、集大成「蔵王級」重巡洋艦として登場しています。

 

架空艦:「蔵王級」重巡洋艦

wikiwiki.jp

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(直上の写真:「蔵王級」重巡洋艦の概観:178mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs)

 

 World of Warshipsに登場する「蔵王級」重巡洋艦は基準排水量14000トンの大型巡洋艦で、8インチ主砲を3連装砲塔4基、12門搭載し、対空兵装としては長10センチ高角砲の連装砲塔を6基、都合12門搭載、更に雷装としては5連装魚雷発射管を各舷2基、計4基搭載し左右両舷に対し、それぞれ10射線を確保している、という設定です。それまでの日本海軍の重巡洋艦に比べ重装甲を有している設定ですが、速力は34.5ノットを発揮する、という、まさに日本重巡洋艦の集大成として登場しているようです。

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(直上の写真:「高雄級」(上段)と「蔵王級」(下段)重巡洋艦の比較:大型化した船体と、コンパクトな艦橋、艦中央部に配置された強力な対空砲がよくわかります。下の写真:「高雄級」(左)と「蔵王級」(右))

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最後にせっかくなので、日本海軍の重巡洋艦の艦型の比較をしておきましょう。

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(直上の写真:日本海軍の重巡洋艦一覧。下から「古鷹級」「青葉級」「妙高級」「高雄級」「最上級」「利根級」「改鈴谷級=伊吹級」「蔵王級」の順)

 

超甲巡」(超甲型巡洋艦

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(直上の写真は、「超甲巡」の概観。198mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs:  マストをプラロッドで追加した他は、(珍しく?)ストレートに組み立てました。元々が素晴らしいディテイルで、手をいれるとしたら「65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲):いわゆる長10センチ高角砲」のディテイルアップくらいですが、少し大ごとになりそうなので、そちらはいずれまた)

 

65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)の話

65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)は、日本海軍の最優秀対空砲と言われた高角砲で、18700mの最大射程、13300mの最大射高を持ち、毎分19発の射撃速度を持っていました。これは、戦艦、巡洋艦、空母などの主要な対空兵装であった12.7cm高角砲(八九式十二糎七粍高角砲に比べて射程でも射撃速度でも1.3倍(射撃速度では2倍という数値もあるようです)という高性能で、特に重量が大きく高速機への対応で機動性の不足が顕著になりつつあった12.7cm高角砲の後継として、大きな期待が寄せられていました。

ja.wikipedia.org

上記、射撃速度を毎分19発と記述していますが、実は何故か揚弾筒には15発しか搭載できず、従って、15発の連続射撃しかできなかった、ということです。米海軍が、既に1930年台に建造した駆逐艦から、射撃装置まで含めた対空・対艦両用砲を採用していることに比べると、日本海軍の「一点豪華主義」というか「単独スペック主義」というか、運用面が置き去りにされる傾向の一例かと考えています。

 

モデルのディテイルアップの話に戻すと、正直にいうと、現時点で筆者にとって満足のいくディテイルが再現された「長10センチ高角砲」は、Neptune社製の「秋月級」駆逐艦に搭載されているものくらいしか、思い当たりません。

実はこれまでにも、本稿では「架空防空巡洋艦」の回などで、同砲は「架空防空巡洋艦」の主砲として登場しています。

fw688i.hatenablog.com

同艦は長10センチ高角砲の連装砲塔を12基搭載しており、併せて準同型艦として同回に紹介した「汎用軽巡洋艦」も同連装砲を6基搭載しています。これらも含めディテイルアップのために換装しようとすると、Neptune製の「秋月」を7隻つぶさねばならず、ちょっと現実的な対処法ではない。

既に皆さんもある程度予想がつくと思いますが、筆者の場合、こういう時は「困った時のShapeways 」ということになるのですが、なんと、実は Shapewaysにはちゃんと連装砲塔のセットがあるのです。

www.shapeways.com

16砲塔で1セットですのでこれが2セットあれば、良い、という計算です。

ということで、早速入手してみたのですが、今度はNeptune製「秋月」の砲塔よりかなり小さい。かつ、砲身を自作しなくてはなりません(まあ、砲身の自作の方はプラロッドか真鍮線でチマチマと作れば良いので、時間はかかりますが、なんとかなりそう(楽しいしね)なのですが)。何れにせよ、全砲塔の換装を視野に入れると、少し結論を先延ばし、ということで。

 

超甲巡」の話

行きがかり上とはいえ、話が同艦級の搭載した「長10センチ高角砲」に終始しましたが、そもそも「超甲巡」についても少しご紹介しておきましょう。

超甲巡」とは「超甲型巡洋艦」の略称で、いわゆる「甲型巡洋艦重巡洋艦」を超える性能の「巡洋艦」を意味します。

マル五計画、マル六計画で建造が計画されたいわゆる「If艦」です。一応、設計スケッチは残っているようなので「未成艦」と言っても良いのかもしれません。3万トン級の船体に30センチクラスの主砲を3連装砲塔で3基搭載し、対空砲は長10センチ高角砲を連装砲塔で8基という強力な火力を誇っています。33ノットの速力を発揮する予定だった、ということだから、空母機動部隊の直営としても活躍できたでしょうね。

 

ja.wikipedia.org

そもそもの同艦級の設計構想は、日本海軍の「艦隊決戦」構想の一環として、本稿でも何度も取り上げている「漸減邀撃作戦」での水雷戦隊による夜戦の中核艦とするものでした。

同作戦構想では、敵主力艦隊に対し日本海軍自慢の酸素魚雷を搭載した重巡洋艦部隊、水雷戦隊、総数約80隻を展開し夜戦が展開されます。この際にこれらを総指揮し、あるいは敵主力艦隊の前衛の警戒戦を突破する有力な砲力を有した艦として、当初「金剛級高速戦艦が当られる予定でした。しかし同艦級は、ご承知のように日本海軍の主力艦の中では最も艦齢が古く、優れた基本設計のために数次の改装を経て、なお一線の高速戦艦として有力な存在ではあったものの、25年の艦齢を考慮すると、これに代わる有力艦級の整備は急務でした。

こうして生まれたのが「超甲巡=超甲型巡洋艦」の設計構想で、水雷戦隊に帯同できる高速性と「艦隊決戦」の仮想敵である米艦隊が急速に整備しつつあった大型の重巡洋艦軽巡洋艦を凌駕する砲戦力とこの砲戦に耐えられる防御能力を有した艦となる予定でした。

同時期に各国海軍が建造した「シャルンホルスト級」「ダンケルク級」、とりわけ米海軍が建造した「アラスカ級大型巡洋艦絵を強く意識したもので、6隻が建造される予定でした。

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(直上の写真:「超甲型巡洋艦超甲巡」の新型31センチ主砲(上段)と65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)

その後、海軍戦力の重点が航空優位に移行し、従来の「艦隊決戦」のあり方に変化が現れると、同艦級は「金剛級高速戦艦同様、その高速性から空母機動部隊の直衛戦力としての期待をも担うことになります。

こうして有力な新設計の31センチ主砲(設計上は「金剛級」の36センチ主砲を凌駕する性能だったと。製造されていないので、実力の程はわかりませせんが)と並び、帝国海軍の最優秀対空砲である「長10センチ高角砲」が搭載されました。

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 (直上の写真:巡洋艦の艦型比較。下から「改鈴谷級=伊吹級」重巡洋艦、「蔵王級」重巡洋艦、「超甲型巡洋艦超甲巡」:「超甲巡」の主砲の大きさが目立ちます)

 

ということで、取り敢えず今回は、ここまで。 

 

次回は、どうしようかな?

「吹雪級」駆逐艦がほぼ完成したので、日本海軍の駆逐艦の系譜紹介?あるいはそろそろ米海軍の駆逐艦の系譜紹介も可能かも。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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艦船模型メーカーによるグレードアップ

諸々あって、今回は非常に小さな話題で。

これまで1:1250スケールの艦船模型メーカーについて、あれこれ紹介してきましたが、実はコレクターにとって、かなり嬉しくて、しかし少し悩ましい問題が、艦船模型メーカー自身による、モデルのグレードアップなのです。

くどくど説明するより、見ていただいた方が早いと思うので、まずは実例をご紹介。

 

重雷装艦「北上」のケース

今週、EbayでTrident社製の日本海軽巡洋艦「北上」の重雷装艦形態の模型を入手しました。

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(直上の写真は、重雷装艦「北上」の最近のモデル(上段)と従来のモデル(下段)の比較。メーカーはいずれもTrident社)


ご覧のように、特に魚雷発射管のディテイルが、格段に再現度が向上されています。f:id:fw688i:20200719202728j:image

(直上の写真は、重雷装艦「北上」の最近のモデル(左列)と従来のモデル(右列)の細部の比較。上段では魚雷発射管のディテイルの再現度が格段に進歩していることがわかります。さらに下段では艦尾部の再現も随分変更されていることがよくわかります)

 

このように同じメーカーでも、どんどんそれぞれのモデルのディテイルの再現がグレードアップしていて、それはそれで素晴らしい事なのですが、一方で都度、コレクションが確定できない、という悩みにも繋がるわけです。

 

「キング・エドワード7世級」の場合

もう一つ、Navisの「キング・エドワード7世級」の事例が下に。f:id:fw688i:20200719203328j:image

(直上の写真は、「キング・エドワード7世級」戦艦の旧モデル。Navis社製)

 

まず最初がいわゆる旧モデルと前級にあたる「フォーミダブル級」の比較。

(直下の写真は、「キング・エドワード7世級」戦艦(奥)とその前級にあたる「フォーミダブル級」戦艦の比較。いずれもNavis社製)

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「キング・エドワード7世級」戦艦は、近代戦艦としては初めて主砲と副砲の中間の口径の砲、いわゆる中間砲を搭載した艦級として有名です。この艦級をタイプシップとして、準弩級戦艦と言われるクラスの戦艦が列強各国で建造される、その「はしり」となった艦級です。直後に(実際にはほぼ並行して)「ドレッドノート 」が建造されたため、影が薄いですが、実際にはやはり一種のエポックメイキングな重要な艦級です。「フォーミダブル級」と比べれば、搭載された中間砲の搭載位置や変化がよくわかります。

 

次に、「キング・エドワード7世級」のNavis社製の新モデル。

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そして、新旧モデルの比較。ディテイルの再現性が格段に上がっているのがよくわかると思います。

(直下の写真は、「キング・エドワード7世級」の新旧モデルの比較。新モデルが下段)

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(直上の写真は、「キング・エドワード7世級」の新旧モデルの比較。新モデルが左列、旧モデルが右列。ブリッジ周りやボートの細部、主砲塔や煙突などの細部の再現性が向上していることがよくわかると思います) 

 

 当然のことですが、艦船模型のメーカー各社は、自社の模型の品質向上を目指しています。それは新たな資料に基づいた修正や姉妹艦との差異の再現であったり、あるいは、艦級によっては竣工時からの改装を年次を追って再現していく、というようなラインナップの充実であったりします。さらにこれに模型製作側の技術向上や、それに伴う細部の再現等の努力が加わり、新しく市場に登場する模型は、前のものを凌駕した品質になっているわけです。

モデルとしては、明らかに再現性の高い方が優れているのですが、今度は他の艦級の模型との差が気になり、むくむくと、こちらのグレードで揃えたいなあ、という野望(?)が、鎌首を持ち上げてきます、しかし、こちらのグレードでコレクションをやり直すとなると・・・。これは大きな覚悟が要りますよね。

そして、これも間違いなく、おそらくさらに数年後には、再現度の改善された模型が登場する。際限のない「追いかけっこ」に対する、こちらの覚悟が問われるわけです。

「ああ、大変なことになっちゃったなあ」と、(実は少し嬉しい)ため息をつく訳です。困ったなあ、と思いながら、とても「嬉しい」こと、「コレクションの醍醐味」ということなんでしょうね。 

 

にしても、あるモデルの登場で、それまでのコレクションが1日で全て旧式、色あせた物に見えてしまうこともある、というお話です。あれ?なんか「ドレッドノート 」の登場の時の状況になんか似ていやしないか?

 

ということで、取り敢えず今回は、ここまで。 

 

次回は、どうしようかな?

前回ご紹介した3D モデルがいくつか完成しつつあります。そのご紹介?

先だっての「巡洋艦開発小史」の番外編で、未成巡洋艦、If巡洋艦のまとめでも?

あるいは日本海軍の駆逐艦?「吹雪級」が完成すれば、ほぼ準備が整います。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

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新着3D printing モデルのご紹介

もうすっかりお馴染みの Shapeways

今週(う?先週?)、いつもご贔屓の ShapeWaysからいくつか艦船モデルが届きました。

 

本稿では既に何度か紹介しているので、繰り返しになりますが、Shapewaysはオランダにある3D Printingの、おそらく世界最大手の出力センターで、デザイナー、製作者はここのデータベースにデータを預け、筆者のような依頼者からの依頼を受けることになります。その扱い商品は実に多岐にわたっていて、昨今は Corona対策のマスクや、機器のパーツなども扱っているようです。興味がある方は是非こちらを。

www.shapeways.com

1:1250スケールの艦船模型の場合、出力まで(つまりモデルが完成するのに)おおよそ1週間、そしてオランダから日本への配送が、同じく1週間、都合、2週間から3週間で手元に届く、という感じです。

デザイナーによって力を入れている分野が違ったりするので、それを整理しながらいろいろとみて見るのも、大変楽しいですよ。「ああ、この人は、この分野に強いんだなあ」とかね。

 

到着したのは、以下の通り。

「改鈴谷級」重巡洋艦:いわゆる「伊吹級」重巡洋艦ですね。

大鷹級航空母艦:「大鷹」「沖鷹」

航空母艦「神鷹」

「吹雪級」駆逐艦

今回はさくっといくつかご紹介。そういうお話。

 

「改鈴谷級」重巡洋艦:「伊吹級」重巡洋艦

ja.wikipedia.org

日本海軍が建造に着手した最後の重巡洋艦です。「伊吹級」重巡洋艦と言う呼称の方が通りが良いかもしれません。その名称の通り、「鈴谷級」巡洋艦の改良型で、後部マストの位置の違い程度しか外観上の区別はありません。装備上では「鈴谷級」の3連装魚雷発射管4基から4連装魚雷発射管4基に、雷装が強化されています。着工後、航空艤装を排して5連装発射管5基装備にさらに雷装を強化したと言われています。

1番艦は「伊吹」と命名され、1942年4月に起工され、1943年5月に進水、その後、ミッドウェー海戦での機動部隊主力空母の喪失を受けて急遽航空母艦への改造が決定されましたが、既に重巡洋艦として進水を迎えていた本艦の転用改造の工事は工数が多く、工事途中で終戦を迎えています。

 

今回入手した模型は、「改鈴谷級」の原案をモデル化したもので、航空艤装は装備したままの姿を再現したものです。

制作社は、本稿で紹介した艦船では日本海軍の「5500トン級」軽巡洋艦や「レキシントン級巡洋戦艦などでお世話になっているTiny Thingamajigsで、その細部の再現等には信頼を置いています。

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(直上の写真:「改鈴谷級」重巡洋艦の概観:下地処理をした状態です。この後、塗装をし、マストのトップ部分をプラロッドなどで仕上げれば完成、かな?)

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(直上の写真:今回はSmooth Fine Detail PlasticとWhite Natural Versatile Plasticの2素材で出力を依頼しました。2隻共、重巡洋艦仕様で仕上げていこうか(その場合には「伊吹」と「鞍馬」かな?)、あるいは1隻は条約型巡洋艦の名残りという設定で、主砲を3年式60口径15.5cm砲として、軽巡洋艦仕様で仕上げてみましょうか?(その場合には、「川」の名前を考えねば))

www.shapeways.com

 

「大鷹級」航空母艦

ja.wikipedia.org

日本海軍は有事の際の航空母艦への改造転用を前提として、政府助成金を拠出した商船群を持っていました。

太平洋を挟んで、日米間の雲行きが怪しくなると、上記のような経緯で日本郵船の「新田丸級」貨客船を母体として、航空母艦「大鷹」(春日丸)「沖鷹」(新田丸)「雲鷹」(八幡丸)の3隻が転用改造されました。

当初の設計では、これらは艦隊空母の補助戦力として活用される予定でしたが、艦載機の発展(大型化、高速化)に従って、商船改装からくる低速(21ノット)と短い飛行甲板では多数機の発艦に必要な合成風力が作れす、太平洋戦争中期まではでは主として航空機の運搬に使用されました。

戦争末期には、米海軍の潜水艦の跳梁が激化し、これに対抗するために輸送船団に随伴して船団護衛などにも用いられましたが、これは対潜哨戒が主任務で、多数機の同時運用の必要がなく、飛行甲板の全長をやや旧式の重量の比較的軽い少数機で利用できるところから、実現できたものでした。

使用機体は、太平洋戦争末期には既に一世代前の機体となっていた97式艦上攻撃機を用い、これに対潜爆弾や爆雷を搭載していました。12機程度を搭載して一回の哨戒飛行には2機程度をあて、2−3時間の哨戒ローテーションで、船団周囲を警戒する、という運用でした。しかし航空機による対潜哨戒は有効ではあったものの、哨戒機の運用は昼間のみに限られ、同船団護衛任務に投入された「大鷹」と同型艦の「雲鷹」は、共に船団護衛任務中、米潜水艦の夜間雷撃(未明雷撃)で失われました。

余談になりますが、これも既に本稿で触れたことですが、米海軍では「大鷹級」などより一回り小さくより低速な護衛空母を多数就役させており、これらは上陸作戦の支援や対戦哨戒などの任務に最新鋭の艦載機を運用していましたが、これは油圧式のカタパルトを実用化できたことにより可能になったものでした。

航空母艦「大鷹」

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(直上の写真:航空母艦「大鷹」の概観:下地処理をした状態です)

www.shapeways.com

 

航空母艦「沖鷹」

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(直上の写真:航空母艦「沖鷹」の概観:下地処理をした状態です。上述のように基本的に同型の貨客船をベースとしているため「大鷹」と同型ですが、モデルでは飛行甲板の長さを少し変えた設定になっています)

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航空母艦「神鷹」

ja.wikipedia.org

「神鷹」は第二次世界大戦勃発後、ドイツに帰還できなくなり神戸に係留されていたドイツ商船「シャルンホルスト」を日本海軍が買収して航空母艦位改造したものです。

前出の「大鷹級」のベースとなった「新田丸級」と船体構造が類似していたため、改造の要領はほぼ同じだったと言われています。「新田丸級」よりもやや大型の船体ではありましたが、商船ゆえの低速は如何ともし難く、「大鷹級」同様、その用途は限定されたものでした。

船団護衛任務では97式艦上攻撃機14機を搭載して、前出の「大鷹級」と同様の対潜紹介のローテーションを行いました。「神鷹」もやはり米潜水艦の夜間雷撃を受け失われています。

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(直上の写真:航空母艦「神鷹」の概観:下地処理をした状態です。船体両舷のバルジが目立ちますね)

 

www.shapeways.com

 

「吹雪級」駆逐艦

ja.wikipedia.org

「吹雪級」駆逐艦は、太平洋戦争時の日本海軍の駆逐艦の基礎となった艦型で、一般には「特型駆逐艦」という呼称で知られているかもしれません。本稿で、日本海軍の艦隊駆逐艦の第一期決定版として紹介した「睦月級」の次に建造された艦級ですが、艦型も一新し、また搭載兵装が格段に強化されています。

そういう意味では非常に重要な艦級なのですが、実は1:1250スケールでなかなか良いモデルに巡り会えていませんでした。問題は主砲塔で、この「吹雪級」から日本海軍は駆逐艦の主砲を「睦月級」までの12cmから列強海軍なみの5インチ(12.7cm)にグレードアップし、搭載方法もそれまでの単装砲架から連装砲塔形式へと進化させています。

「吹雪級」ではこの5インチ主砲をA型砲塔という平射砲塔に搭載しており、これがこの艦級の大きな特徴となっています。というのも、以降の艦級では5インチ砲の仰角を上げ、対空射撃にも対応できる砲等に改められているからです。

(直下の写真:日本海軍の駆逐艦が搭載したA型砲塔(上段)とB型砲塔(下段)の資料:軍艦メカニズム図鑑「日本の駆逐艦」より引用しています)

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ところがこのA型砲塔を再現したモデルが見当たらず(Neptuneにあるはずなのですが、滅多に見かけません)、Trident製の「吹雪級」のモデルの砲塔を整形加工するか、などと(それはそれで楽しいのですが)考えていたところ、Shapewaysで同モデルを見つけた、という訳です。なんとこのモデル、実は日本製、 DAMEYAさんの作品です。しかも私が知る限り、DAME YAさんはこのモデル以外には1:1250スケールの艦船模型はお造りになられていないので(もし違ったら、一重に私の認識不足です。ゴメンなさい)、何とも嬉しい救いの手であったわけです。

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(直上の写真:「吹雪級」駆逐艦の概観:下地処理をした状態です。マストは付属パーツがあるのですが、切り出し等が難しく、プラロッドで制作しています)

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(直上の写真:問題の「吹雪級」駆逐艦の主砲塔。見事にA型砲塔の特徴が再現されています。こういうの、嬉しい!)
www.shapeways.com

 

この日本海軍の駆逐艦の主砲の話は、本稿、前回で少し触れているのですが、再録しておくと、日本海軍が駆逐艦の主砲として採用した50口径3年式12.7cm砲は基本設計が平射砲で、対空射撃の要請に対する対応として、B型砲塔以降では仰角を75度まで上げるなどの改良が行われましたが、装填機構が対応できず、つまり装填時には平射位置まで仰角を戻さねばならず、高角射撃時の射撃速度は毎分4発程度で、低空からの侵入機に対する以外は対空砲としては全く効果を有しませんでした。

ja.wikipedia.org

同時期の米海軍の駆逐艦は既に全てが5インチ両用砲を搭載し、揚弾機構なしの場合でも毎分12−15発の射撃速度を有しており、これに加えて両用砲用の方位盤などとの組み合わせで、既にシステム化を進めていたのに対し、日本海軍の駆逐艦は上記のような事情で実用的な対空砲を持てず、多くの駆逐艦が戦争後期には主砲塔を対空機銃座に置き換えている理由がここにあります。

駆逐艦については、また改めて・・。

 

 ということで、取り敢えず今回は、ここまで。 

 

次回は、どうしようかな?

やっぱり完成編?

先だっての「巡洋艦開発小史」の番外編で、未成巡洋艦、If巡洋艦のまとめでも?

あるいは日本海軍の駆逐艦?「吹雪級」が完成すれば、ほぼ準備が整います。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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映画「グレイハウンド」の予告編から米駆逐艦の話

映画「グレイハウンド」予告編(再掲)

前回、本稿では本題に入る前にトム・ハンクス主演で予告編が流れ始めた「グレイハウンド」について、少し触れました。

予告編を再録しておきます

www.youtube.com

この映画、船団を護衛する駆逐艦とそれを駆り立てるUボートの物語、乱暴に整理してしまうとそう言う事なんだろうと思います。

原作があって、「海の男、ホーンブロワー」シリーズなどで有名な海洋小説の大御所セシル・スコット・フォレスターの「駆逐艦キーリング」。原題は「The Good Shepherd」:Uボートの群狼作戦に因んで船団(羊)を守る「羊飼い」なんでしょう。これも映画で有名になった「アフリカの女王」もこの人の原作がベースですね。「でも「グレイハウンド」は主に兎狩りなどの猟犬ですので、羊のお守りには・・?」とかそう言う話は置いておいて、まあ主演がトム・ハンクスでかつ脚本も自分で書いたと言う事なので、かなり公開が楽しみです。

 

・・・と思っていたら、なんと劇場公開は中止!Apple TV+で独占配信、らしい。

eiga.com

しかも7月10日公開ですね。

えええ! Apple TV+は入ってないなあ。どうしよう(と、一応、迷うふり)。

もう一つ、「グレイハウンド」は映画に登場するトム・ハンクスが艦長を務める駆逐艦の名前とのこと。これはこれは、と、実はここも突っ込みどころ満載、な感じです。

 

と言う事で、今回はちょっと力を抜いて、そんなお話をコンパクトに。

模型?もちろん、出てきます!(そのはずです)

 

まず、配信媒体の話

これで間違いなく、また視聴媒体が増えますね。

何やかんやと理由をつけながら、いつの間にかhulu, Netflix, Amazon Primeとアイコンが増え続けています。皆さんはそんな事ないですか?もちろん見ているのは私だけではなく、家族の微妙な利害関係、その時の力関係から現状があるのですが、我が家はケーブルテレビですので、さらにこれに映画専門チャンネルやら海外ドラマ、日本映画専門チャンネル、地上波と・・・。もう収拾がつきません。

そろそろ映画館もいいかなあ、と思っていたのですが。

しかし考えようで、配給側にとっては、公開方法が多様化する、と言うのは良い事かもしれませんね。勝負できるフィールドが増えるわけですので。併せて観るがわの視点で言うと、媒体を意識した試みも面白いものに巡り合える可能性が広がってゆくのかな、と少し期待しています。

 

gokigen-plus.com

月額600円。年払い6000円ですか。月に2-3本程度、見たいものがあれば良いのかも、とか計算しちゃいますね。

 

前出の各サービス、私は今、何を今見ているかと言うと、

hulu: 「The Head」(進行中!なかなか面白い)

www.youtube.com

Netflix: 「攻殻機動隊SAC 2045」(もう見ちゃったけど)

www.youtube.com

アイリッシュマン」は良かった。携帯でこんな贅沢なキャストの映画見て良いのかな、と言う感じでした。

www.youtube.com

 

AmazonPrime: 「Star Trek Picard

(もう終わっちゃいましたが、これも本稿でもご紹介しましたが、至宝のひととき、でした)

www.youtube.com

 

「高い城の男」シリーズ

www.youtube.com

(今は次シーズン待ち状態ですが、フィリップ・K・ディック原作の同名小説を下敷きにしたif世界もの。第二次大戦にナチス大日本帝国が勝利し、アメリカを分割統治している、と言う設定です。なかなかお奨めです)

 

スマホで電車で視聴、と言うケースが多いですが、おかげで本を読まなくなりました。最近はオフィスに行かなくなったので、そう言う意味では利用率が下がってきています。

 

ロバート・デニーロアル・パチーノ、ジョー・ベシ、ハーヴェイ・カイテルという錚々たる重鎮が出演するギャング映画(「アイリッシュマン」のことですよ、当然)を、電車の乗り換えのたびにスマホにポーズをかけながら見るなんて、ものすごくいけないことをしているようで・・・。でも、アメリカでも劇場公開はNetflixでの公開後、しかも限定した劇場で短期間、と言うことだったそうですので、時代が変わる、と言うのはこういうことなんでしょうね。

 

登場する駆逐艦の話

さて、いよいよ映画に登場する駆逐艦の話ですが、予告編を見ただけであまり全体像を捉えられるような映像がなかったので、本稿前回では、筆者は予告編に映画自体への期待感を募らせながらも、「キーリング」は艦隊駆逐艦(DD)の様に見えるのですが、ここは護衛駆逐艦(DE)を使って欲しかった、などと記しています。船団護衛なら、旧式の第一次大戦型の平甲板型駆逐艦か、護衛駆逐艦(DE)あるいはもっと小さなコルベットのような艦が、個人的にはよかったな、と言う感じです。

その後、書棚から「確か、あったはず」と、ほこりを被った原作小説を引っ張り出して確認したところ、原作小説では「駆逐艦キーリング」は「マハン級」駆逐艦とされていました。ああ、艦隊駆逐艦(DD)と言う設定は間違っていなかったんだ、と言うわけです。あわせて「マハン級」と聞いて少し納得。

 

「マハン級」駆逐艦(1936-:同型艦18隻)

ja.wikipedia.org

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 (直上の写真:「マハン級」駆逐艦の概観。82mm in 1:1250 by Neptun:)

 

「マハン級」駆逐艦アメリカ海軍が第一次世界大戦後建造した3番目の艦隊随伴用の駆逐艦の艦級で、就役年次は1937年ごろ。1500トンの小ぶりな船体を、原型となった「ファラガット級」で課題となった復原性不足に対応してやや幅広の設計としたにもかかわらず、5インチ両用砲5門、533mm4連装魚雷発射管3基を搭載するなど、重武装による、強いトップ・ヘビー傾向と言うこの条約期の駆逐艦の構造的な欠陥を、前級の「ファラガット級」から引き継いでいました。

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 (直上の写真:「マハン級」駆逐艦の主砲配置。艦首部は両用砲の単装砲塔形式、艦尾部は単装砲架形式で、主砲を搭載しています)

 

同級1番艦の艦名は、著名な海軍戦略家アルフレッド・セイヤー・マハンに因んだものです。マハンの著書「海上権力史論」は明治期の海軍士官の必読書と言われ、日本海軍の日露戦争当時の艦隊参謀として有名な秋山真之も、米国留学の際、マハンを訪ねたと言われています。

 

アメリカの第二次世界大戦参戦は1941年12月以降、かつ映画は1942年の出来事、と言う想定ですので、既に後続の艦級が就役しており(1942年には、かの有名な「フレッチャー級駆逐艦の最初のグループが就役し始めた年です)、既にやや旧型艦とみなされていた「マハン級」駆逐艦は船団護衛に回されていた、と言う情況はありえるかと納得したわけです。実際には、同級は全て緒戦は太平洋戦線に投入されたはずで、破竹の勢いの日本海軍と対峙していたのですが。

 

原型となった「ファラガット級」駆逐艦(1934-:同型艦8隻)

「マハン級」駆逐艦アメリカ海軍が第一次世界大戦後建造した3番目の艦隊随伴用の駆逐艦、と書きましたが、最初に建造された「ファラガット級」駆逐艦第一次世界大戦で大量に建造された平甲板型駆逐艦保有する米海軍が13年ぶりに設計した駆逐艦で、1500トンの船体に5インチ両用砲を単装砲塔と単装砲架の混載で5門、533mm4連装魚雷発射管を2基搭載し、37ノットの速力を発揮することが出来ました。一方で、これらの強力な兵装の搭載は、1500トンの船体には、過剰で、強いトップ・ヘビーの傾向を持っていました。

ja.wikipedia.org

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 (直上の写真:「ファラガット級」駆逐艦の概観。84mm in 1:1250 by Neptun:)

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 (直上の写真:「ファラガット級」駆逐艦の主砲配置。艦首部は両用砲の単装砲塔形式、艦尾部は単装砲架形式で、主砲を搭載しています)

同級は、それまでの米海軍の主力駆逐艦であった平甲板型に比べ、次元が違うと言っても良い強力な艦として設計されたわけですが、その革新性の最たるものが5インチ両用砲(Mk 12 5インチ砲)の主砲採用で、これは米海軍が航空機の脅威の増大を既にこの設計時期に予期していた、と言うことを示していると考えられます。

ja.wikipedia.org

この砲はその後建造された駆逐艦だけでなく、戦艦、巡洋艦、空母など米海軍艦艇のほぼ全ての艦級に搭載され、実に1990年まで使用された優秀な砲で、単装砲架から連装砲塔まで、多岐にわたる搭載形式が開発・採用されました。「ファラガット級」では、艦首部には単装砲塔形式で2基を背負い式に配置し、艦中央に単装砲架で1基、艦尾部に単装砲架を背負式で2基搭載しました。

同砲は揚弾機構付きで毎分15-22発、揚弾機構なしの場合でも毎分12-15発の射撃が可能で、これとMk 33両用方位盤との組み合わせで、それまで平甲板型駆逐艦に比べ飛躍的な射撃能力を得ることができました。

 

同時期、日本海軍も駆逐艦に5インチ砲を主砲として採用していたのですが、基本は対艦射撃用として設計された平射砲で、対空射撃の要請に対する対応として、B型砲塔以降では仰角を75度まで上げるなどの改良が行われましたが、装填機構が対応できず、つまり装填時には平射位置まで仰角を戻さねばならず、高角射撃時の射撃速度は毎分4発程度で、低空からの侵入機に対する以外は対空砲としては全く効果を有しませんでした。

ja.wikipedia.org

この砲は、「睦月級」以前の駆逐艦と「秋月級」、「松級」以外の全ての駆逐艦に搭載されており、日本海軍は有効な対空砲を持たない駆逐艦の防空円陣で護衛されねばならなかった、と言うことになります。多くの駆逐艦が戦争後期には主砲塔を対空機銃座に置き換えている理由がここにあります。

日本海軍における駆逐艦の役割が如何に主力艦決戦の「一ノ矢」に集約されていたか、つまりその主兵器は強力な魚雷であり、その他の兵装は魚雷射程まで敵主力艦に接近できるための補助兵装だったか、と言うことがここでも明らかになると筆者は考えています。(本当は、この話は別のところできちんとするつもりだったんだけど、まあ、ちょっと「触り」だけ)

 

一方で、既にこの「ファラガット級」の設計(1930年代)から、「砲」そのものはもちろん、装填機構や方位盤などの射撃管制機構との組み合わせで「両用砲」と言う「システム」を駆逐艦に搭載したアメリカ海軍の先進性には、本当に驚かされます。

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 (直上の写真:「ファラガット級」駆逐艦(上段)と「マハン級」駆逐艦の大きさ比較。「マハン級」は「ファラガット級」で課題となった復原性不足に対する対策として、艦幅を拡大しています。下の写真では、「ファラガット級」(上段)と「マハン級」の魚雷発射管の配置を比較しています)

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もう一つ、ちょっと脱線しますが、「ファラガット級」にも、「マハン級」にも強いトップ・ヘビーの傾向がある、と記したわけですが、これは同時期に日本海軍が設計した「初春級」駆逐艦(1933年就役)にも同様に見られる傾向です。

 

「初春級」駆逐艦(1933-:同型艦6隻)

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(直上の写真は「初春級」竣工時の概観:88mm in 1:1250 by Neptuneをベースにセミ・スクラッチ

 

「初春級」はワシントン・ロンドン体制の制約下で駆逐艦の船体を小型化する必要が生じ、その日本海軍の艦隊駆逐艦としてはやや小さな船体に可能な限り強力な兵装を搭載する必要性から設計された艦級で、「ファラガット級」と同様、1500トン級(1400トン)の船体に5インチ砲を5門、加えて「ファラガット級」を凌駕する強力な61cm魚雷発射管を実に9射線有し、さらに予備魚雷を搭載すると言う「離れ業」を具現化した結果、公試時に既に実用性に問題は生じるほどの傾斜、復原性の課題が明らかになり、両舷にバルジを追加するなどの手直しで就役したものの、その後、同様の処置を施した水雷艇での転覆事故(友鶴事件)が発生し、ほぼ再設計と言えるような修復を行わねばなりませんでした。

ja.wikipedia.org

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(直上の写真は、「初春級」竣工時の特徴のアップ。左上:艦橋部。艦橋部の下層構造を延長し、艦橋の位置をやや後方へ。艦橋部下層構造の前端に2番主砲塔(単装)を、1番主砲塔(連装)と背負い式になるように配置。右上:2番魚雷発射管。これは全く手をつけず。下段左と中央:後橋部分と2番・3番発射管の配置状況。3番発射管自体は、船体中心線に対し、やや右にオフセットした位置に追加。細かいこだわりですが、一応、3番発射管用の次発装填装置を後橋部の構造建屋の上に設置。2番発射管用の次発装填装置は後橋部建屋の左側の斜め張り出し部に内蔵されています)

 

そして、復原性改修により一変した艦容

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 (直上の写真:「初春級」駆逐艦の復原性改修後の概観。87mm in 1:1250 by Neptune。下の写真は、「初春級」の主砲配置と魚雷発射管配置。復原性改修後、艦首部に搭載していた単装主砲塔を艦尾部に移動、さらに魚雷発射管の搭載数を1基削減する等、再設計に匹敵するほどの上部構造を軽量化する処置が取られました)

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「ファラガット級」では、トップ・ヘビーの欠陥が指摘されたものの、「初春級」のような修復改善設計をするようなレベルには至りませんでしたが、その後、電波兵器の搭載などによってさらに上部構造物の重量が増加した結果、大戦中に失われた同級の3隻のうち2隻は台風による転覆事故だった、と言う結果を引き起こすに至っています。

軍縮条約制約下で設計された艦級には多少とも見られる同様な傾向といえると考えています。

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 (直上の写真:ほぼ同時期に就役した日米駆逐艦の比較。「ファラガット級」駆逐艦(手前)と「初春級」。いずれも船体の大きさ位に対し大きすぎる兵装を搭載したため、トップ・ヘビーの傾向に苦しみました)

 

 

米艦隊駆逐艦の集大成「フレッチャー級駆逐艦(1942-:同型艦175隻)

前出の「ファラガット級」から始まる米海軍艦隊駆逐艦の集大成とも言える艦級が、「フレッチャー級駆逐艦です。

ja.wikipedia.org

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 (直上の写真:「フレッチャー級駆逐艦の概観。92mm in 1:1250 by Neptun:) 

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2100トンの大型駆逐艦で、5インチ両用砲(Mk 12 5インチ砲)を単装砲塔形式で5基装備し、533mm4連装魚雷発射管2基を搭載し、37.8ノットの速力を出せる、まさに艦隊駆逐艦の決定版と言えるバランスの取れた艦で、175隻が建造されました。

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 (直上の写真:「フレッチャー級駆逐艦と「マハン級」駆逐艦の概観比較。今回の主題。どちらが映画に登場した駆逐艦でしょうか?) 

 今回ご登場いただいたのは、冒頭の映画「グレイハウンド」の予告編に登場する駆逐艦はこの艦級ではなかろうかと思ったからです。もしそうだとすると、艦隊駆逐艦は流石に船団護衛はしないんじゃないかな、と。

どう思われますか?

 

「グレイハウンド」という艦名

もう一つ、米海軍の駆逐艦の名前は、概ね海軍に貢献した人の名前、と言うのが私の理解です。もちろん、これだけの数があれば「誰?」のような人も混じってはいるでしょうが、「グレイハウンド」と言うのはいかがなものか、と。「いやいや、猟犬の発想ではなく、そう言う名前の海軍軍人がいたんだよ」と言うことかもしれません。だとするとご勘弁を。

 

 ということで、取り敢えず今回は、少しコンパクトですが、ここまで。 

 

次回は、どうしようかな?

いっそこの続きで、米海軍の駆逐艦の系譜でもやってしまいましょうか?(日本海軍の駆逐艦、やってないぜ、って。その通りですが、準備中なんです、そっちは)

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大好きな小艦艇特集(二等駆逐艦・水雷艇・掃海艇・駆潜艇)

実は大好きな小艦艇

今回は、本稿前回で「香取級」巡洋艦の関連で紹介した「海防艦」に引き続き、「小艦艇」を少々。

本稿の読者(そんな人いるのかな、と想いつつ)はなんとなく気配を感じてもらっているかもしれませんが、筆者は通商路を巡る海軍のあり方に大変興味があり、その流れで通商路保護の主役である「小艦艇」が大好きなのです。

余談ですが、トム・ハンクス主演の「Grey Hound」という映画の予告編がYoutubeなどで公開されています。

www.youtube.com

原作は海洋小説の大御所セシル・スコット・フォレスターの「駆逐艦キーリング」(原題は「The Good Shepherd」:Uボートの群狼作戦に因んで船団(羊)を守る「羊飼い」なんでしょう)。これは期待できそうですね。一点、不満が。予告編を見る限り、「キーリング」は艦隊駆逐艦(DD)の様に見えるのですが、ここは護衛駆逐艦(DE)を使って欲しかった。そう、「眼下の敵」の「バックレイ級」のような。あるいはもっと小さなコルベットでも。まあ原作が「駆逐艦キーリング」なので、そこまでの飛躍はできないでしょうが。

www.youtube.com

まあ、今回はそんな情景を頭に浮かべながら読んでいただけると嬉しいかも。ああ、この話を始めると多分止まらなくなるので・・・。

 

でも、とっても楽しみです。そろそろ劇場にも行けそうだし。公開時期が未定、というのが気にはなりますね。

ちょっと脱線ついでに。ダグラス・リーマンの小説もいいですねえ。「大西洋、謎の艦影」なんてよかったなあ。

www.amazon.co.jp

  

今回は、これら筆者の大好きな小艦艇を、主として通商路護衛目的に使用された艦種に絞ってご紹介します。

そういうお話し。

 

二等駆逐艦 

「二等」と付くと、なんとなく派生系・補助系の艦種の様に見えてしまうのですが、実はこちらが駆逐艦の本流だ(であるべきだった、と言うべきでしょうか)と、筆者は思っています。

本稿でも何度か触れてきた事ですが、日本海軍は「艦隊決戦」をその艦隊設計構想の根幹に持ち続けてきました。幸い(?)、日本という国は海外に大規模な植民地を持たず、「艦隊決戦」は常に大洋を押し渡ってくる敵艦隊を想定していれば事足りる、と言う環境ではありました。こうして主力艦隊同士が雌雄を決する「艦隊決戦」の前に、いかに押し寄せる敵艦隊を削り細らせるか、と言う「漸減戦術」が決戦の前哨戦として構想されてゆきます。

並行して、それまであまりパッとしなかった魚雷が急速にその威力・性能を向上させ、これを主要兵器とする駆逐艦が大型化、高速化し、「漸減戦術」の主役として位置付けられる様になります。強力な魚雷を装備した有力な駆逐艦部隊で数次に渡る攻撃をかけ、決戦前に敵艦隊を細らせておこう、と言うわけですね。こうして十分な航洋性を持つ大型で高速な駆逐艦、「一等駆逐艦」という分類が生まれたのです。ある意味、「一等駆逐艦」は艦隊決戦専任艦種、と言っても良いかもしれません。

 
大正期から昭和初期にかけ、駆逐艦設計はそれまでの欧米模倣による模索の時期を終え、日本オリジナルとも言うべき艦型にたどり着きます。それが「峯風級」駆逐艦から「睦月級」駆逐艦に至る本稿では「第一期決定版」と呼んでいるデザインです。

特徴としては航洋性を重視して艦首を超えてくる波から艦橋を守ために艦首楼と艦橋の間にウェルデッキという切り欠き部分が設定されています。さらに操作要員が露出する当時の防楯付き単装砲架の主砲は全て一段高い位置に装備され波浪の影響を少なくする工夫がされています。

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(直上の写真:「日本オリジナル」デザインの一等駆逐艦「神風級」と二等駆逐艦「樅級」:同一のデザインコンセプトを持ち、武装を削減しています)

これらの「日本オリジナル」の艦型を取り入れて設計され、警備や護衛など多種多様な任務に対応する量産性も担保しつつ、大型高性能艦(一等駆逐艦)の補完も併せ持つ「スペックダウン版」の駆逐艦が以下の「樅級」駆逐艦と、それに続く「若竹級」駆逐艦でした。両級あわせて34隻が建造される予定でした。

しかし計画半ばで、ワシントン・ロンドン体制の制約により「八八艦隊計画」は中止され、加えて特にロンドン条約により駆逐艦保有数にも制限がかけられます。「艦隊決戦」に重点を置く日本海軍としては、割り当てられた保有枠は「艦隊決戦専任艦種」である「一等駆逐艦」に重点を置かざるを得ず、結局「樅級」は21隻、「若竹級」は8隻で建造が打ち切られ、、以後、「二等駆逐艦」は建造されなくなりました。

 

第一次世界大戦で示された戦争の形態の変化を考慮すると、来るべき戦争は「総力戦」となることは明らかであり、「艦隊決戦」の様な雌雄を決するような戦いが起きることは稀で、「補給」「資源供給能力」の維持に重点をおいた浸透性と常備性の高い戦いにおいては消耗に耐えられるだけの数の装備はどうしても必要になるはずでした。

しかし結局、日本海軍はあくまで「艦隊決戦」に備えた装備計画方針を変えられず、「二等駆逐艦」相当の戦力の不足による「補給」「資源供給能力」への脅威にさらされ続ける事になります。

 (直下の写真:二等駆逐艦「樅級」の概観。68mm in 1:1250 by Hai :「若竹級」も外観的には大差ありません)

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「樅級」駆逐艦ja.wikipedia.org

前述の様に「峯風級」駆逐艦のスペックダウン版で、実際には種々の平時艦隊任務だけでなく主力艦隊護衛や、水雷戦隊の基幹戦力となるなど、建造当時は艦隊の中核戦力を担いました。800トンを切る船体(「峯風級」は1200トン)に、12cm主砲3門(「峯風級」は4門)、連装魚雷発射管2基(「峯風級」は3基)を主要兵装として装備し、36ノット(「峯風級」は39ノット)の速力を発揮することができました。

 

「若竹級」駆逐艦

ja.wikipedia.org

「樅級」駆逐艦の改良版で、課題とされていた不足する復原力を艦幅の増加(15センチ)により改善しました。

 

哨戒艇に改装 

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 (直上の写真:二等駆逐艦は太平洋戦争では、両級あわせて10隻が島嶼部での陸戦隊の上陸作戦を想定した哨戒艇に改装されて活躍しました。哨戒艇は20ノット程度に速度を押さえ、大戦中、時期によって武装が異なりますが、基本は雷装を削減、もしくは撤廃し、主砲等も削減し対空砲を強化しています。一部には艦尾に上陸用舟艇の搭載用のスロープを設けた艦もありました。直下の写真は、哨戒艇武装配置)

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太平洋戦争当時には両級共に既に老朽艦で、「樅級」は3隻、「若竹級」は6隻が駆逐艦として、両級あわせて10隻が哨戒艇として参戦し、駆逐艦籍の艦は9隻中7隻が、哨戒艇籍の艦は10隻中9隻が戦没しました。

 

水雷艇

ワシントン・ロンドン体制で、駆逐艦にも保有制限がかかると、日本海軍は制限外の水雷艇に重武装を施し、小型駆逐艦として活用する事に着目します。

 

「千鳥級」水雷艇

ja.wikipedia.org 600トンを切る小さな艦体に、当時の主力駆逐艦と同様に50口径5インチ砲(12.7cm砲)を、艦首部に単装砲塔、艦尾部に連装砲塔という配置で3門を搭載し、さらに連装魚雷発射管を2基、予備魚雷も同数装備、30ノットの速力を発揮する高性能艦として誕生します。駆逐艦なみの主砲装備のために射撃管制塔の要請から艦橋も大型化し、設計中から既に重武装に起因する復原力不足は課題として意識されていました。

公試時の転舵では大傾斜が生じ、急遽大きなバルジを追加装備する形で対策がとられ竣工しました。

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 (直上の写真:「千鳥級」水雷艇の竣工時の概観。63mm in 1:1250 by Neptuneベースのセミ・スクラッチ)

 

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 (直上の写真:「千鳥級」水雷艇の竣工時の特徴のアップ。上段:艦首部の単装砲塔と背の高い艦橋部。舷側には復原性対策として急遽増設されたバルジを再現してあります。下段左:連装魚雷発射管を2基装備、下段右:艦尾部の連装主砲塔)

 

その後、同型艦の「友鶴」で、40度程度の傾斜から転覆してしまうという事故が発生し(設計では90度傾斜でも復原できる事になっていました)、深刻な復原力不足が露呈します。

友鶴事件 - Wikipedia

事件後、設計が見直され、ほぼ別設計の艦として同級は生まれ変わります。その変更点は、艦橋を1層減じ小型化すると共に、バルジを撤去し代わりに艦底にバラストキール(98トン)の装着によるトップヘビー解消。そして武装を再考し、主砲口径を5インチ砲から12センチ砲へと縮小し、搭載形式も砲塔式から防楯付き単装砲架への変更(22トンの重量削減)、あわせて魚雷発射管を連装1基へ削減し予備魚雷も搭載しない(40トンの重量削減)、等により復元力は改善されましたが、速力は28ノットに低下してしまいました。

 (直下の写真:「千鳥級」水雷艇の復原性改修後の概観。63mm in 1:1250 by Neptune)

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竣工時と復原性改修後の比較は以下に。竣工時のモデルはイタリア海軍の水雷艇によく似ている気がします。海面のおだやかな地中海であればこれで大丈夫なのかもしれませんね。

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戦争中は、敵潜水艦に対する速力不足が常に課題とされた「海防艦」と異なり、その優速を生かした理想的な対潜制圧艦と評価され、船団護衛等に活躍しました。

同型艦4隻中3隻が戦没。

 

「鴻級」水雷艇ja.wikipedia.org

 (直下の写真:「鴻級」水雷艇のの概観。72mm in 1:1250 by Neptune)

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「千鳥級」の改良型として設計中に上述の「友鶴事件」続く「第4艦隊事件」等が発生したため、復元性、船体強度が見直され、大幅な設計変更ののち完成しました。

基本設計、武装等は復原性改修後の「千鳥級」に準じ、速度を「千鳥級」が竣工時に発揮していた30ノットに回復しています。当初16隻の建造計画でしたが、ワシントン・ロンドン体制の終了に伴い、8隻で建造が打ち切られました。

改修後の「千鳥級」同様、護衛任務等には最適な艦型と評価が高く、この艦級の戦時急造に向けた工程簡素化等が検討されていれば、その後の日本海軍が陥った深刻な状況に対する早い段階での回答となり得たのかもしれません。

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 (直上の写真:「千鳥級」(上段)と「鴻級」水雷艇(下段)の武装比較。主砲(左列)は同じ12センチ砲ながら、「鴻級」では仰角を55°まであげたM型砲架を搭載しています。魚雷発射管(右列)は「千鳥級」が連装発射管であるのに対し、「鴻級」では3連装発射管に強化しています)

 

掃海艇

掃海艇は本来、その名の通り掃海任務を担当する艦種ですが、日本海軍は「八八艦隊計画」までは旧式の駆逐艦をこの任務に当てていました。「八八艦隊計画」により初めて専任艦艇を設計する事になるのですが、この計画自体が「艦隊決戦」構想に基づく計画であり、日本海軍では主力艦隊の前路開削のための敵艦隊前での掃海任務を想定し、その艦型に比較すると大きな砲力を備えている特徴がありました。

大戦中は掃海装備のための後甲板に対潜装備を搭載し、掃海任務だけでなく、船団護衛等にも活躍しました。

艦級としては以下のクラスがありますが、本稿で扱う1:1250スケールで模型化されているのは

私の知る限り「第13号級」、「第7号級」と「第19号級」の3クラスです。

 

第1号級(既存モデル、あった!?)

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(直下の写真:「第1号級」掃海艇の概観。59mm in 1:1250 bt ??? メーカー不明)

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筆者が頼りにしている艦船モデルのデータベースsammelhafen.deで調べても、「第1号級」掃海艇のモデルは登録されていないのですが、筆者のストックモデルでそれらしきものを発見。少しディテイルアップをしてみました。

 

「第1号級」掃海艇は、それまで旧式駆逐艦等を掃海任務に割り当てていた日本海軍が、大正期の八八艦隊計画の一環として初めて「掃海艇」として設計した艦級です。日本海軍の掃海艇の常として、敵前での主力艦隊の前路開削を想定しているため、本級も艦型に比して比較的強力な砲力を搭載していました。(600トン、12cm平射砲2門、20ノット)

同型艦に、本級を改良した「第5号級」掃海艇があります。

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同級も外観的には大差がなく、「第1号級」「第5号級」併せて6隻が建造され、太平洋戦争には、その汎用性を買われて本来の掃海任務の他、船団護衛等にも従事しました。第4号掃海艇を除いて、全てが太平洋戦争で失われました。

 

第13号級

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 (直下の写真:「第13号級」掃海艇の復原性改修後の概観。58mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces) 

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設計当時の日本海軍の艦艇設計の共通点として、重武装でトップヘビーであり、復原性に課題がある艦級とされていました。上述の「友鶴事件」で改修工事が行われ、艦橋が一段低められ艦底部のバラストキールが装着されるなどの対策が取られました。(690トン、12cm平射砲2門、19ノット:復原性改善工事後)

 

次級の「第17号級」は元々は本級の5番艦、6番艦でしたが、設計段階で上記の改修が反映され、船体が少し小さくなりました。

第十七号型掃海艇 - Wikipedia

 

まずは「第7号級」掃海艇 

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(直上の写真「第7号級」掃海艇の概観。59mm in 1:1250 by Trident 前部マストをプラロッドに変更)

「友鶴事件」「第四艦隊事件」等を経て、設計された掃海艇です。艦型は復原性・船体強度などの前級が抱えていた問題を考慮して、異なる外観となっています。しかしその任務想定が艦隊の前路開削や、上陸地点の航路掃海等、敵前での業務を想定していたため、船体の大きさに対して大きな砲力を有していました。(630トン、12cm平射砲3門、20ノット)

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(直上の写真:「第7号級」掃海艇と本稿では既出の「第19号級」掃海艇との艦型比較。直下の写真:主砲が「第7号級」掃海艇では平射砲であるのに対し(上段)、「第19号級」ではM型砲架の採用により、仰角が挙げられているのが分かります) 

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 (直下の写真:「第19号級」掃海艇の概観。59mm in 1:1250 by Trident: 「鴻級」水雷艇と同様に、主砲は55°の仰角での射撃を可能したM型砲塔を搭載していました。艦種も第25号艇以降は戦時急増のために簡素化した直線的な艦首を採用しています) 

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 同級では主砲が仰角をかけることの出来るM型砲架に改められています。同砲架は55°まで仰角をかけることができましたが、対空戦闘ではなく、対地上砲撃等を想定したとされています。実際に前出の「第13号級」では太平洋戦争の緒戦のボルネオ攻略戦闘で、陸上砲台からの射撃で2隻が失われています。上陸作戦等に伴う前路開削等には、その様な陸上砲撃を行う機会が伴ったのかもしれません。(650トン、12cm3門(M型砲架)、20ノット)

また同級の第25号艇以降は、戦時急造適応のため簡易化が行われ、艦首形状が直線化しています。

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 (直上の写真:「第13号級」と「第19号級」掃海艇の概観比較。「第13号級」は設計当時の日本海軍の通弊だった幅広の艦型を持ち喫水が浅く重装備のためにヘビートップの傾向がありました)
 (直下の写真は、「第7号級」掃海艇までが装備していた防楯付き12cm平射砲(上段)と、「第19号級」掃海艇が装備したM型砲架12cm砲(下段):写真はいずれも前出の水雷艇のものですが、掃海艇でも同様の主砲搭載形式の変更があ行われました。M型砲架の採用により55°までの仰角での射撃が可能になりましたが、この変更の目的は対空戦闘よりも対艦・対陸上砲撃への適応を考慮されたものでした)

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上記の6クラスで35隻が建造されましたが、30隻が戦没しています。

 

駆潜艇

昭和期に入り、日本海軍ではそれまで漁船等を改造した特務駆潜艇の業務としていた沿岸での局地対潜防御活動に専任する艦種として駆潜艇を建造しました。

沿岸防御をその想定戦域としていたために、あまり航洋性には配慮が払われていませんでしたが、太平洋戦争では多くが南方での哨戒任務や船団護衛に従事しています。

艦級は以下の通りです。

 

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 (直下の写真:「第1号級」駆潜艇の概観。52mm in 1:1250 by HB :日本海軍が初めて設計した駆潜艇ですが、その後、「第13号級」が現れるまでの駆潜艇の基本形となりました。**余談異なりますが、このモデルのモデルの供給元であるHB社は日本の小艦艇に強いメーカーです。駆潜艇の主な艦級を揃えています) 

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260トンの船体に40mm連装機関砲を主要装備としていました。24ノットの高速を有していましたが、航洋性は必ずしも良好ではありませんでした。以降の第12号艇までは本級の艦型を基本設計として、「友鶴事件」等の影響で復原性を高めるために艦橋位置や構造を改める等の回収を施しています。

 

第51号級駆潜艇

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直上の写真「第51号級」駆潜艇の概観。44mm in 1:1250 by Trident 前部マストをプラロッドに変更)

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マル二計画(1933年度)で計画された小型駆潜艇です。

150トンの船体に40ミリ機関砲と爆雷18個を搭載し、23ノットのこの艦級としては比較的高速の速力を有していました。主として主要海軍根拠地の防備隊で使用され、同級3隻全てが終戦時に現存していました。

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(直上の写真:駆潜艇の系譜。左から「第1号級」駆潜艇、「第51号級」駆潜艇、「第13号級」駆潜艇)

 

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 (直下の写真:「第13号級」駆潜艇の概観。42mm in 1:1250 by HB :日本海軍の駆潜艇の決定版、と言ってもいいでしょう。量産性を意識して機関を商船型のディーゼルとするなど、特徴が見られる設計です。次級の「第28号級」もほぼ外観は変わりません) 

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前級をやや大型化した400トン弱の船体に、高角砲1門、13mm連装機銃等を装備していました。急造性を考慮して商船向けのディーゼルエンジンを搭載しています。主機をディーゼルとしたことで航続距離は伸びましたが、速力は16ノットとなりました。開戦後は適宜対空兵装を強化しています。

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(上下の写真:太平洋戦争後期には、対空機関銃が増設され、対空兵装が強化されました)

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次級の「第28号級」はその改良型です。

 

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「第13号級」の準同型艦。「第13号級」で課題が見つかった保針性改善のために、艦尾形状を直線的に改めました。量産性を高めるために艤装や船体構造の簡易化が図られました。

 

第六十号型駆潜艇 - Wikipedia

「第13号級」の準同型艦で、「第28号級」で取り組まれた戦時急造のための簡易化を一層進めていたと言われています。

 

上記の5クラスで61隻が建造され、41隻が戦没しています。

 

 ということで、取り敢えず今回はここまで。

小艦艇とはいえ、語るべきことは結構ありましたね。本来はこれに加えどの様に戦ったのかをもっと深掘りしてみたかったのですが・・・。もうちょっと勉強が必要です。

 

次回は、どうしようかな?

候補は、日本ではまだまだ入手が難しい1:1250スケールの艦船模型の調達経路の話。

アメリカ海軍やオーストリア=ハンガリー帝国海軍の装甲巡洋艦」のまとめ、あるいは「ナチスドイツの巡洋艦」なんかも、地味だけど・・・。

と言うあたりか、もしくは少しフライング気味のミニシリーズ(になるかどうか、検討中)があるのですが。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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新着モデルのご紹介:ミッシングリングの補填と、新たな興味領域(第一次大戦型英軽巡洋艦)

 今回は、ちょっと息抜き。最近の新着モデルのご紹介です。

 

まずは、最近、展開してきた(一応、「既成艦」については前回でめでたく終了しましたが)ミニ・シリーズ「日本海巡洋艦発達小史」で欠けていたいくつかの艦の補填から。

 

日本海巡洋艦発達小史(その2):軽巡洋艦の誕生」から

日本海巡洋艦発達小史(その2):軽巡洋艦の誕生」では、特に日本海軍の場合、軽巡洋艦の誕生の背景には駆逐艦と魚雷の著しい発達がある、と言うお話をしました。その駆逐艦の発展のご紹介の際に、「艦隊駆逐艦 第1期の決定版」として「峯風級」とその系列の最終形である「睦月級」をご紹介しましたが、その間の「野風級:後期峯風級」とその拡大型である「神風級」が欠けていました。

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(直上の写真:右から、「峯風級」「野風級:後期峯風級」「神風級」「睦月級」)

 

艦隊駆逐艦の第一次決定版:

「峯風級」駆逐艦「野風級:後期峯風級」駆逐艦

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峯風級」は、それまで主として英海軍の駆逐艦をモデルに設計の模索を続けてきた日本海軍が試行錯誤の末に到達した日本オリジナルのデザインを持った駆逐艦と言っていいでしょう。12cm主砲を単装砲架で4基搭載し、連装魚雷発射管を3基6射線搭載する、という兵装の基本形を作り上げました。1215トン。39ノット。同型艦15隻:下記の「野風級:後期峯風級3隻を含む)

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(直上の写真:「峯風級」駆逐艦の概観 82mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces) 

 

「野風級:後期峯風級」は「峯風級」の諸元をそのままに、魚雷発射管と主砲の配置を改め、主砲や魚雷発射管の統一指揮・給弾の効率を改善したもので、3隻が建造されました。

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(直上の写真:「野風級:後期峯風級」駆逐艦の概観 82mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces)

 

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(直上の写真は、「峯風級」(上段)と「野風級:後期峯風級」(下段)の主砲配置の比較。主砲の給弾、主砲・魚雷発射の統一指揮の視点から、「野風級」の配置が以後の日本海駆逐艦の基本配置となりました)  

 

「神風級」駆逐艦 

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「神風級」は、上記の「野風級:後期峯風級」の武装レイアウトを継承し、これに若干の復原性・安定性の改善をめざし、艦幅を若干拡大(7インチ)した「峯風級」の改良版です。9隻が建造されました。1270トン。37.25ノット。

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(直上の写真:「神風級」駆逐艦の概観 82mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces)

 

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(直上の写真:「峯風級」(上段)と「神風級」の艦橋形状の(ちょっと無理やり)比較。「神風級」では、それまで必要に応じて周囲にキャンバスをはる開放形式だった露天艦橋を、周囲に鋼板を固定したブルワーク形式に改めました。天蓋は「睦月級」まで、必要に応じてキャンバスを展張する形式を踏襲しました)

 

***今回ご紹介したモデルは、あまりこれまでご紹介してこなかったThe Last Square製のホワイトメタルモデルです。同社は、1:1250 Costal Forcesというタイトルのシリーズで、タイトル通り第二次世界大戦当時の主要国海軍(日・米・英・独・伊)の沿岸輸送、或いは通商路護衛の艦船、駆逐艦護衛駆逐艦駆潜艇魚雷艇などの小艦艇のモデルや護衛される側の商船などを主要なラインナップとして揃えています。

http://www.lastsquare.com/zen-cart/index.php?main_page=index&cPath=103_146

:直下の写真は同社の米海軍護衛空母「ボーグ」の未塗装モデル:これから色を塗ろうっと。このモデルは、エレベーターが別パーツになっていたり、結構面白いのですが、少し小ぶりに仕上がり過ぎているかもしれません。

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そして「睦月級」駆逐艦

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 「睦月級」駆逐艦は「峯風級」から始まった日本海軍独自のデザインによる一連の艦隊駆逐艦の集大成と言えるでしょう。

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(直上の写真:「睦月級」駆逐艦の概観 83mm in 1:1250 by Neptune) 

艦首形状を凌波性に優れるダブル・カーブドバウに改め、砲兵装の配置は「後期峯風級」「神風級」を踏襲し、魚雷発射管を初めて61cmとして、これを3連装2基搭載しています。太平洋戦争では、本級は既に旧式化していましたが、強力な雷装と優れた航洋性から、広く太平洋の前線に投入され、全ての艦が、1944年までに失われました。1315トン。37..25ノット。同型艦12隻。

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(直上の写真:「睦月級」(下段)と「神風級」(上段)の艦首形状の比較。「睦月級」では、凌波性の高いダブル・カーブドバウに艦首形状が改められました)

 

日本海巡洋艦開発小史(その5) :「平賀デザイン」の重巡洋艦誕生、そしてABDA艦隊」から 

オランダ軽巡洋艦「デ・ロイテル」のリファイン版

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(直上の写真:オランダ海軍軽巡洋艦「デ・ロイテル」の概観 137mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs)

 

本稿の「日本海巡洋艦開発小史(その5) 「平賀デザイン」の重巡洋艦誕生、そしてABDA艦隊」の回で、ABDA艦隊旗艦であるオランダ海軍軽巡洋艦「デ・ロイテル」をご紹介した際に、ご紹介した模型に対し「実は、このモデル、やや重厚に過ぎるようにずっと思っています。ずっと適当なモデルを探してはいるのですが・・・」という様なコメントをしています。当時求めていたのはRhenania社製の模型でしたが、この模型が大変希少なため、なかなか入手できません。そこで、ということで、今回、最近何かとお世話にないっている3Dプリンティングモデル(Tiny Thingamajigs社製)を入手し完成させました。

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(直上の写真は、ABDA艦隊の基幹部隊となったオランダ艦隊の軽巡洋艦「デ・ロイテル」と軽巡洋艦「ジャワ」「デ・ロイテル」はかなりスリムになったのですが、今度は「ジャワ」(Star社製)の乾舷の高さが気になりだしました。Star社のモデルは端正なフォルムで、概ね気に入っているのですが、時折、乾舷が高過ぎる傾向があります。ゴリゴリ削ってみましょうか?まあ、それはいずれまた。今回は大満足!)

 

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(直上写真は新着のTiny Thingamajigs社製モデル(左)と、従来のモデルの比較。そして直下の写真は、両モデルの艦首形状の比較:下段が今回新着のTiny Thingamajigs社製モデル。従来モデルで気になっていたモデルの「大柄さ」は改善されている様に思います。満足!)

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日本海巡洋艦開発小史(その7) :条約型巡洋艦の建造」 から 

この稿では、日本海軍の条約型巡洋艦として「最上級」「利根級」が、設計当初は一杯になったワシントン・ロンドン体制での重巡洋艦の建造枠を補強するための重武装・重防御の軽巡洋艦として計画され「最上級」は一旦その設計の姿で建造された、という様なお話をしたのですが、その際に米・英両海軍の同様の設計思想で建造された条約型巡洋艦があった、というご紹介をしています。

その際、英海軍の「タウン級軽巡洋艦がコレクションからは欠けており、ご紹介できていませんでした。

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(直上写真は新着の「グロースター級」軽巡洋艦と「コロニー・クラウン級」軽巡洋艦の形状比較。両艦級は、英海軍の条約型巡洋艦です。「コロニー・クラウン級」が「タウン級」の小型化であることがよくわかります)

 

タウン級軽巡洋艦の3つのサブクラス

タウン級軽巡洋艦は、実は以下の3つのサブクラスを持っています。

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グロスター級」軽巡洋艦

今回ご紹介するのは「マンチェスター」。第二グループの「グロスター級」の一隻です。

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(直上の写真:「グロースター級」軽巡洋艦の概観 144mm in 1:1250 by Neptune) 

グロスター級」はこの艦級の第一グループである「サウサンプトン級」の装甲強化型であり、この強化に伴い、機関も見直されています。

現在、他の2サブクラスについても調達中で、機会があればご紹介します。

 

新たな興味領域:第一次大戦型英海軍軽巡洋艦

さて、コレクターの哀しい(愉しいというべきか)性として、上記の様なサブクラスのお話はよだれが出るほど大好きなのです。(前出の「峯風級」「野風級:後期峯風級」「神風級」もそれに類する話ですね)

さらに筆者には、サケやアユの仲間の様に「系統・系譜」という「流れ=川」を見ると遡上する習性がある様で、現時点では英海軍の巡洋艦の「系譜」を遡上しています。

第二次世界大戦で活躍した「リアンダー級」以降は、上記の整理中の一群も含めて、ほぼ系統的に手がついていたのですが、「リアンダー級」以前の第一次世界大戦型の軽巡洋艦の流れを見つけてしまった、というお話です。

すでに「日本海巡洋艦発達小史」で触れてきた様に、少し乱暴に整理すると、「軽巡洋艦」という艦種は艦船の燃料の重油化により防護巡洋艦から派生した艦種、と言えると考えています。英海軍は世界最初の近代海軍の保有国であり、その長い歴史に登場する艦級を網羅することは、相当な覚悟がいるので、どこかで遡上の線引きをすることになるのですが、その発生以降、以下の様に発展形態を辿ることができます。

ダウン級軽巡洋艦(初代)

アリシューザ級軽巡洋艦(初代)

C級軽巡洋艦

ダナイー級(D級)軽巡洋艦

エメラルド級(E級)軽巡洋艦

 

このうち1番最初の「タウン級(初代)」には5つのサブクラスがあり、そのうち最初の二つは防護巡洋艦に分類されているので、とりあえず手を出さないことにします(いずれは手を出すんだろうなあ。確か「ブリストル」は手元にあったはず、と既に算段をはじめている・・・)。

ということで、今回はそれぞれのクラスの解説は置いておいて、模型の紹介のみ簡単に。

 

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このクラスは上記の様な筆者の都合で後回し。

 

「アリシューザ級」軽巡洋艦 

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(直上の写真:「アリシューザ級」軽巡洋艦の概観  105mm in 1:1250 by Navis)  

 艦隊巡洋艦の高速化を主眼に置き、速度を重視して、本級は設計されました。駆逐艦で使用されていた機関を使用し、燃料は重油のみとなっています。それまでの巡洋艦の速力が25ノット代であったのに対し、28ノットの速力を出すことができました。3750トンの船体に、6インチ砲2門、4インチ砲6門を装備し、連装魚雷発射管2基を装備していました。

 

「C級」軽巡洋艦 

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「C級」軽巡洋艦は、艦名が「C」で始まる軽巡洋艦群で、サブクラスが7クラスあり、北海での行動を想定して設計されました。

ああ、なんとサブクラスが7つもあるではないですか。しかも、全て、模型があるわけではなさそうです。いくつかは、どれかをベースにしてサブスクラッチでもしますかね。

 

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(直上の写真:「アリシューザ級」と「C級」の形状比較:大型化されていることがわかります)

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(直上の写真は、「C級」軽巡洋艦の7つのサブクラスの一覧。右から、「カロライン級」「カライアビ級」「カンブリアン級」「セントー級」「カレドン級」「シアリーズ級」「カーライル級」の順)

 

 カロライン級

「アリシューザ級」の拡大改良型で、武装を強化しています(「6インチ砲2門、4インチ砲8問、連装魚雷発射管2基 4219トン 28.5ノット 同型艦6隻)

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(直上の写真:「カロライン級」軽巡洋艦の概観 108mm in 1:1250 by Navis) 

 

カライアビ級

「カロライン級」の機関を改良した艦級で、缶数の現象から煙突が2本に減りました。29ノットその速度を発揮し、武装は「カロライン級」を継承しています。4228トン。同型艦2隻。

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(直上の写真:「カライアビ級」軽巡洋艦の概観 108mm in 1:1250 by Navis) 

 

カンブリアン級

1914-1915年次に建造された「カライアビ級」のほぼ同型艦です。建造後、武装の強化などが行われています。4320トン。28.5ノット。同型艦4隻。

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(直上の写真:「カンブリアン級」軽巡洋艦の概観: 艦首部の主砲を4インチ砲から6インチ砲に換装した後の姿 108mm in 1:1250 by Navis) 

  

セントー級

「カンブリアン級」とほぼ同型の船体を持ち、4インチ砲との混載をやめ、武装を6インチ砲5門に統一しています。4165トン。29ノット。同型艦2隻。

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(直上の写真:「セントー級」軽巡洋艦の概観 108mm in 1:1250 : 本艦級は既成の模型がありません。そこでNavis社の「カレドン級」をベースに艦首形状を修正しています。サブスクラッチで再現を目指したつもりだったのですが、実はこの艦級は、水中魚雷発射管を艦内に装備していた事に気がつきました。ベースとして使用した「カレドン級」では魚雷発射管が水上発射管係式になっています。ちょっと失敗かも

 

カレドン級

第一次世界大戦勃発に対応し急造された艦級です。「セントー級」の武装を継承し、6インチ砲5門を搭載し、魚雷発射管をそれまでの水中発射管から甲板上に上げ、連装魚雷発射管4基と強化しています。艦首形状を、直線的な形状に改めています。4120トン。29ノット。同型艦4隻。

第一次世界大戦で失われた「カサンドラ」を除き、第二次世界大戦に参加しています。

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(直上の写真:「カレドン級」軽巡洋艦の概観 109mm in 1:1250 by Navis) 

 

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(直上の写真:「セントー級」(上段)と「カレドン級」軽巡洋艦の艦首形状の比較。「カレドン級」から艦首形状が変わりました)

 

シアリーズ級

「カレドン級」の改良型。搭載砲の数は変わりませんが、それまで艦橋を挟んで前後に配置されていた6インチ砲を、艦橋前に背負式に搭載する形式に改め、艦首方向の方力を強化しています。4190トン。29ノット・同型艦5隻。

第二次世界大戦には、兵装を高角砲に換装し、防空巡洋艦として参加しています。

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(直上の写真:「シアリーズ級」軽巡洋艦の概観 109mm in 1:1250 by Navis) 

 

カーライル級

「シアリーズ級」の改良型。前級で課題であった艦首部の搭載砲への飛沫対策として「トローラー」船首に形状を改めています。4290トン・29ノット。同型艦5隻。

第二次世界大戦には、改造が間に合わなかった「ケープタウン」をのぞき、主砲を高角砲に換装し防空巡洋艦として参加しています。

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(直上の写真:「カーライル級」軽巡洋艦の概観 109mm in 1:1250 :この艦級は、Navisからは模型が出ていません。そこで入手できたCopy製のモデルをディテイル・アップする事にしました。武装や艦橋の上部構造をNavisの他の模型や他のパーツのストックから転用して、仕上げてみました) 

 

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(直上の写真:「シアリーズ級」(上段)と「カーライル級」軽巡洋艦の艦首形状の比較。課題だった艦首主砲への飛沫対策が「トローラー・バウ」形式と呼ばれる艦首形状の変更となって現れました。以後、この艦首形状は英海軍巡洋艦の標準仕様となってゆきます)

 

「D級」軽巡洋艦

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(直上の写真:「D級」軽巡洋艦の概観 117mm in 1:1250 by Navis) 

「C級」軽巡洋艦(後期型:「カレドン級」以降の3サブクラス)をタイプシップとして、その拡大強化版。6インチ主砲を1門増やし、雷装も3連装魚雷発射管4基と強化しています。4970トン。29ノット。同型艦8隻。

 

『E級」軽巡洋艦

ja.wikipedia.org

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(直上の写真:「E級」軽巡洋艦の概観 138mm in 1:1250 by  Argonaut) 

 「E級」軽巡洋艦は、敵性巡洋艦の排除を目的として、速力を重視して設計されました。大きな機関を搭載するため、艦型は大型化しています。兵装は「D級」よりも6インチ砲を1門増やし、さらに対空兵装を格段に強化しています。7550トン。33ノット。同型艦2隻。

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(直上の写真は、「E級」軽巡洋艦の主砲配置を表したもの)

『E級」軽巡洋艦は、「エメラルド」と「エンタープライズ」の2隻が建造されましたが、主砲の装備形態が「エメラルド」は全て単装砲架で搭載していますが、「エメラルド」では艦首部に背負式に搭載されている単装砲架を、「エンタープライズ」は連装砲塔で搭載しています。「エンタープライズ」は現在、手元のモデルを整備中(あるいは仕上げが思うに任せない時には、新たに調達、ということになるかもしれません)ですので、今回は「エメラルド」のみご覧いただきます。

 

ということで、今回は、これまで本稿で扱った関連テーマで欠けていたモデルのうち、最近到着したものを中心にご紹介しました。加えて、その過程で派生した新たな興味領域(第一次大戦型英軽巡洋艦)についても。実は、この「興味領域の派生」についてはもう一つ、「英海軍の駆逐艦」(巡洋艦からの単純な興味の展開)というこれまた多種の艦級に及ぶ領域があり、既にコレクションがかなり充実してきています。それはまた折を見て。

取り敢えず今回はここまで。

 

次回は、どうしようかな?

少し目先を変えて、日本ではまだまだ入手が難しい1:1250スケールの艦船模型の調達経路の話でもしましょうか?

それとも、真面目路線で少し時間を遡って「アメリカ海軍やオーストリア=ハンガリー帝国海軍の装甲巡洋艦」のまとめでもやりましょうか?そう言えば日本海軍の空母、一切、まだ触れてませんねえ。ナチスドイツの巡洋艦なんかも、地味だけど・・・。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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日本海軍巡洋艦開発小史(その8) 新型軽巡洋艦の建造 -後半に海防艦もご紹介

このミニ・シリーズでは、 これまで、日本海軍の巡洋艦の建造の推移を見てきましたが、簡単にまとめると、黎明期の日本海軍の主力を構成し、やがては育成された主力艦の補助戦力となった防護巡洋艦の時代。それに続き、魚雷の性能向上と駆逐艦の高速化の流れの中での軽装甲巡洋艦軽巡洋艦)への発展が見られました。そして軽巡洋艦を凌駕しこれを制圧するべく重装備巡洋艦重巡洋艦)が現れ、この高性能化がやがては軍縮条約の条項追加へと結びつき、その制約下で条約型巡洋艦が設計されました。

これらの条約型巡洋艦として生まれた巡洋艦群は、条約の破棄後は重巡洋艦となりました。

今回は、その最終回として、その後、日本海軍の終焉までに建造された巡洋艦をご紹介していきます。

 

最後の水雷戦隊旗艦

阿賀野級巡洋艦 -Agano class cruiser-(阿賀野:1942-1944/能代:1943-1944/矢矧:1943-1945/酒匂:1944-終戦時残存)    

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Agano-class cruiser - Wikipedia

日本海軍では、高速化する駆逐艦と、その搭載する強力な魚雷に大きな期待を寄せ、 水雷戦隊をその中核戦力の一環に組み入れてきました。そしてこの戦隊を統括し指揮する役目を軽巡洋艦に期待してきたわけです。

その趣旨に沿って建造されたのが、一連の「5500トン級」軽巡洋艦でした。この艦級は初期型5隻(1917年から順次就役)、中期型6隻(1922年から順次就役)、後期型3隻(1924年から順次就役)、計14隻が建造されその適応力の高さから種々の改装等を受け適宜近代化に対応してきましたが、1930年代後半に入るとさすがに特に初期型の老朽化は否めず、艦隊の尖兵を構成する部隊の旗艦としては、砲力、索敵能力に課題が見られるようになりました。

 

そこで計画されたのが、「阿賀野級軽巡洋艦でした。

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(直上の写真は、「阿賀野級」の就役時の概観。138mm in 1:1250 by Neptune)

 

阿賀野級」は、それまでの「5500トン級」とは全く異なる設計で、6650トンの船体に、軽巡洋艦としては初となる15.2cm砲を主砲として採用し連装砲塔を3基搭載していました。この砲自体の設計は古く、名称を「41式15.2cm 50口径速射砲」といい、「金剛級巡洋戦艦、「扶桑級」戦艦の副砲として採用された砲でした。

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同砲は、主砲を単装砲架での搭載を予定していた「5500トン級」軽巡洋艦では人力装填となるため日本人には砲弾が重すぎるとして、少し小さな14cm砲が採用されたという、曰く付きの砲でもあります。しかし。列強の軽巡洋艦は全て6インチ砲を採用しており、明らかに砲戦能力での劣後を避けたい日本海軍は、新造の「阿賀野級」では、この砲を新設計の機装式の連装砲塔で搭載することにしました。

同砲は21000メートルの射程を持ち、砲弾重量45.5kg (14cm砲は射程19000メートル、砲弾重量38kg)。連装砲塔では毎分6発の射撃が可能でした。さらに新設計のこの連装砲塔では主砲仰角が55度まで可能で、一応、対空射撃にも対応できる、とされていました。

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(直上の写真は、「阿賀野級」の細部。主砲として採用された41式15.2cm 50口径速射砲の連装砲塔(上段)。高角砲として搭載した長8cm連装高角砲(左下):この砲は最優秀高角砲の呼び声高い長10cm高角砲のダウンサイズですが、口径が小さいため被害範囲が小さく、あまり評価は良くなかったようです。水上偵察機の整備運用甲板とカタパルト(右下))

 

対空兵装としては優秀砲の呼び声の高い長10cm高角砲を小型化した新型の長8cm連装高角砲2基搭載していました。

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雷装としては61cm四連装魚雷発射管2基、艦中央部に縦列に装備し、両舷方向に8射線を確保する設計でした。

航空偵察能力は「5500トン級」よりも充実し、水上偵察機2機を搭載し射出用のカタパルト1基を装備していました。

最大速力は、水雷戦隊旗艦として駆逐艦と行動を共にできる35ノットを発揮しました。

 

その戦歴

阿賀野」:同艦は1942年11月に空母機動部隊の直衛戦隊である第10戦隊の旗艦となります。

当時はガダルカナル島の攻防戦の最中で、第10戦隊はニューギニア作戦の上空警戒部隊(第2航空戦隊)の直衛として派遣されました。その後、ガダルカナル撤退作戦支援に参加の後、内地での整備を経て第3艦隊(空母機動部隊)の一員としてトラック、ラバウル方面で活動しました。南東方面部隊に編入されブーゲンビル島沖海戦に参加の後、米機動部隊の艦載機によるラバウル空襲で艦尾に魚雷を受け艦尾を失い、損傷修復のためにトラック島へ回航中に今度は米潜水艦の雷撃で避雷、航行不能となりました。「能代」「長良」等による曳航でトラック島に帰投後、工作艦「明石」による応急修理で航行能力を回復し、1944年1月、今度は本格的修理を行うために内地への回航を目指しますが、トラック泊地を出港した直後、米潜水艦の雷撃を受け沈没しました。

 

能代」:1943年7月、第11水雷戦隊の旗艦を一時努めた後、第2水雷戦隊の旗艦に就役、連合艦隊主力を護衛してトラック島に向かいました。第2艦隊に編入されラバウルに進出しますが、米艦載機によるラバウル空襲により第2艦隊主力の多くが損傷しラバウルを引き上げましたが、損傷のなかった「能代」はラバウルに残留しブーゲンビル島への逆上陸作戦に支援隊として出撃しました。

米艦載機が再びラバウル空襲を実施し、残留していた水上部隊はトラックに引き上げます。トラック方面で活動した後、ニューアイルランド島への陸軍増援部隊の輸送任務に出撃しました。同輸送部隊は揚陸完了後に米機動部隊の空襲を受け、「能代」も至近弾5発、直撃弾1発を受け損傷しました。内地で損傷を修理した後、ビアク島救援作戦(渾作戦)に第1戦隊(「大和」「武蔵」)の護衛部隊として参加しましたが、米軍のサイパン来攻で戦局が大きく展開し、作戦は中断され、渾作戦部隊は第1機動艦隊(小沢機動部隊)に合流し、マリアナ沖海戦に参加しました。

1944年10月、レイテ沖海戦に第1遊撃部隊(栗田艦隊)の一員として参加。作戦を通じ対空戦闘や米護衛空母部隊の追撃戦(サマール島沖海戦)などに従事しますが、作戦中止後帰投途上で、米機動部隊の艦載機の攻撃を受け、魚雷1発が命中し航行不能となりました。本隊が退避したため、「能代」は米艦載機の集中攻撃を受け、さらに魚雷1本を受け沈没しました。

 

「矢矧」:1944年10月、竣工と共に第10戦隊に編入され、損傷修復のために内地に回航される途中で米潜水艦尾雷撃で撃沈された同型1番艦「阿賀野」に代わり同戦隊の旗艦となりました。シンガポール及びリンガ泊地周辺で、空母機動部隊主力の第1航空戦隊(空母「大鳳」「瑞鶴」「翔鶴」)と共に訓練の後、マリアナ沖海戦に参加。第1機動艦隊主隊である上記の第1航空戦隊の直衛として戦闘に従事しました。

レイテ沖海戦では、第1遊撃部隊(栗田艦隊)の所属し、シブヤン海海戦で米機動部隊の艦載機の空襲により至近弾を受け艦首に穴が開く損傷を受けますが、その後も戦列に止まり、ついで米護衛空母部隊とのサマール島沖海戦にも参加し、米護衛空母を追撃中に護衛の米駆逐艦の砲弾を被弾するなど、さらに損傷を受けました。海戦からの帰途でも、米艦載機の空襲で至近弾を被弾しています。

海戦後、旗艦「能代」を失った第2水雷戦隊に編入され、栗田艦隊の残存主力(「大和」「長門」「金剛」)と共に内地に帰還します。(その途上、米潜水艦の雷撃で「金剛」が失われています)

損傷回復後、1945年4月、「矢矧」以下の第2水雷戦隊は、米軍の沖縄侵攻を受けて天一号作戦に出撃します。この作戦は、いわゆる「大和」以下の沖縄海上特攻作戦で、日本海軍稼働水上艦艇による最後の組織的作戦と言っていいでしょう。「矢矧」は、作戦艦隊旗艦「大和」に次ぐ大型艦であった為、米艦載機の集中攻撃を受け、第一派の空襲で魚雷を2発受けて航行不能となり、「大和」以下の主隊から落伍してしまいました。続く第二波の空襲でさらに命中弾が相次ぎ、最終的には魚雷6本(7本かも)爆弾10発以上を被弾して、沈没しました。

 

「酒匂」:1944年11月に竣工し、第11水雷戦隊旗艦となりました。この戦隊は新造艦の早期戦線投入と兵員の即成を主任務とした部隊でした。

上記「矢矧」が参加した1945年4月の天一号作戦には、「酒匂」も参加する予定でしたが、直前に参加は取り止めとなりました。

以降、既に、戦局は日本海軍の水上艦艇の作戦行動を許す状況ではなく、「酒匂」も空襲の相次ぐ呉から舞鶴に根拠地を移し、同地で終戦を迎えました。

終戦後は武装を撤去し、特別輸送艦に指定され、外地からの復員輸送に従事しました。

その後、戦艦「長門」など共に、米軍の「クロスロード作戦」の標的艦となり、ビキニ環礁での核実験に供され沈没しました。

 

このように、同級は水雷戦隊旗艦として設計されながらも、戦線に投入された時点では航空主導の情勢に戦術が移行しており、そのような水上艦艇による戦闘機会はごく稀で、「阿賀野」のブーゲンビル島沖海戦、「能代」と「矢矧」によるサマール島沖海戦など、数えるほどでした。

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潜水艦隊旗艦のはずが・・・

 軽巡洋艦「大淀」-Oyodo- (1943-終戦時、横転擱座状態で残存)

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Japanese cruiser Ōyodo - Wikipedia

 

設計と戦歴

日本海軍は米海軍を仮想敵とし、艦隊決戦には、両者の物量の差をを勘案した場合、太平洋を渡洋してくる米主力艦部隊に対する漸減邀撃作戦を展開し、ある程度その戦力を削いだ上で主力艦同士の決戦に移行する必要があるという構想を立てていました。

潜水艦はその邀撃の重要な担い手で、その潜水艦部隊を指揮、誘導する旗艦として有力な航空索敵能力を持ち強行偵察が可能な偵察巡洋艦の建造を計画していまいした。その構想の元「大淀」は建造されました。

 

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(直上の写真:「大淀」竣工時の概観。153mm in 1:1250 by Trident /船体の後部三分の一を締める長大なカタパルトを搭載しています)

 

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(直上の写真は、「大淀」の概観。就役時ではなく、連合艦隊旗艦への転用以降の姿を現しています。153mm in 1:1250 by Neptune)

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(直上の写真:「大淀」竣工時とその後の改造後の艦尾の比較)

 

当初設計案では航空偵察能力に重点がおかれ、主砲も魚雷も搭載しない設計でしたが、その後、強行偵察を考慮し主砲のみ装備することとなりました。主砲には、本稿前回でご紹介した「最上級」巡洋艦が竣工当初搭載していた3年式60口径15.5cm砲の3連装砲塔を転用することが決まり、これを2基搭載しました。ja.wikipedia.org

この砲は27000mという長大な射程を持ち(「阿賀野級」に搭載された50口径四十一年式15センチ砲の最大射程の1.3倍)、また60口径の長砲身から打ち出される弾丸は散布界も小さく、弾丸重量も「阿賀野級」搭載砲の1.2倍と強力で、高い評価の砲でした。

75度までの仰角が与えられ、一応、対空戦闘にも適応できる、という設計ではありました。

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(直上の写真は、「大淀」の主要部。主砲:「最上級より転用された3年式60口径15.5cm砲の3連装砲塔(上段)。高角砲として搭載された長 10cm高角砲(左下)。艦後部の航空艤装:就役時には、高速水上偵察機「紫雲:の射出用に、艦後部の航空艤装甲板に甲板のほぼ全長に匹敵する長大なカタパルトを装備していました(右下))

 

併せて対空砲として、日本海軍最優秀対空砲として評価の高い長10センチ高角砲を盾付きの連装砲架で4基、巡洋艦として唯一搭載していました。

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その主装備である航空偵察には、当初、新型の長大な航続距離を持ち、戦闘機も振り切ることができる高速を発揮できる水上偵察機「紫雲」が予定され、その運用のために、「大淀」は艦中央に航空機格納庫を持ち、さらにその後部に呉式2式1号10型という形式の圧縮空気型カタパルトを搭載していました。このカタパルトは6tまでの機体を40秒間隔で射出することができましたが、全長44メートルの巨大なものであり、大淀も当初、艦の後部約3分の1を割いて、このカタパルトを巨大なターンテーブルに搭載していました。

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しかし1943年の就役時点で、「紫雲」が想定の性能に到達せず、また戦術が航空戦力主導に移行したことから、想定された主力艦部隊同士の決戦とその前段としての潜水艦による漸減邀撃が成立しなくなっており、就役当初は輸送任務、あるいはその支援に従事しました。

その後「大淀」は航空機格納庫を会議室や通信機器の収納スペースに改造、大型カタパルトを通常のカタパルトに変更するなどの手が加えられ、1944年5月から、指揮専用艦として連合艦隊旗艦となりました。

しかし連合艦隊の指揮専用艦としては、司令部施設が狭く、1944年9月、連合艦隊司令部が陸上に移ると、「大淀」は第3艦隊(空母機動部隊:小沢艦隊)に編入され、レイテ沖海戦に参加します。「大淀」は当初、小沢機動部隊の艦隊旗艦を予定されていましたが、小沢長官の「空母機動部隊の指揮は空母で」という希望で旗艦は「瑞鶴」となりました。

米艦載機との交戦で、「大淀」は小型爆弾などを被弾しますが、大きな損害はなく、主砲・高角砲を動員して対空戦闘に持ち前の高い対空戦闘能力を発揮して活躍しました。やがて旗艦「瑞鶴」が被弾傾斜し指揮が困難になると、小沢長官は「大淀」に移乗し、指揮を続けました。

海戦後、奄美大島に帰着し艦隊が解隊された後、「大淀」はフィリピン方面に進出します。途中、砲弾補給などを受けながらリンガ泊地に移動。次いで第2水雷戦隊旗艦となり、ミンドロ島での戦闘支援のための礼号作戦に参加します。この際、米軍機の夜間爆撃で爆弾2発を被弾しますがいずれも不発弾でした。この作戦は第5艦隊(志摩中将)隷下の第2水雷戦隊司令官木村昌福少将(キスカ島撤退作戦に指揮など、最近になって、評価の高い指揮官ですね)の指揮により実施されましたが、木村司令官は作戦直前に旗艦を駆逐艦「霞」に変更しています。水雷戦隊に新加入の「大淀」より水雷戦隊時代から馴染みのある艦を選んだ、と言われていますが、いずれにせよ、投入された部隊は残存艦艇の寄せ集め、でした。「帝国海軍の組織的戦闘における最後の勝利」とも言われますが、実際の戦果はそれほど大きくはなく、さらに既に局地戦での「勝利」が、戦況に大きな影響を与えられる状況ではありませでした。

その後、北号作戦(南西方面に残置された残存稼働艦艇による本土への物資輸送作戦)に参加して内地に帰還しました。

1945年3月から7月までの数次の米艦載機による呉空襲で、当初は対空戦闘を実施したものの、複数弾を被弾し、最後は横転着底した姿で、終戦を迎えています。

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(「大淀級」は計画当初は2隻建造される予定でした。2番艦は「仁淀」に艦名も決まっていたようです。上の写真は「大淀級」の2隻)・・・・まあ、これも模型の世界ならではの楽しみ、と言うことで・・・。

 

「香取級」練習巡洋艦 -Katori Class Cruiser-  (香取 :1940-1944/鹿島 :1940-終戦時残存/香椎 :1940-1945)

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Katori-class cruiser - Wikipedia

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(直上の写真は、「香取級」の就役時の概観。103mm in 1:1250 by Neptun)

 

「香取級」練習巡洋艦は、それまで日露戦争時代の装甲巡洋艦練習艦任務に用いていた日本海軍が、初めて設計した練習艦任務に特化した巡洋艦です。350名の少尉候補生を収容できるよう、商船形式の船体を採用することにより居住性に配慮された広い空間を有していました。反面、武装、速度は控えめで、14センチ連装砲2基と12.7センチ連装高角砲1基、連装魚雷発射管2基、それに加え水上偵察機射出用のカタパルト1基を有し、最高速力は18ノットでした。

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(直上の写真は、「香取級」の細部。主砲として14cm砲の連装砲塔を搭載(上段)艦橋前にはおそらく5cm礼砲が再現されています。連装魚雷発射管(左下)。艦尾の高角砲と主砲(右下))

 

同級3隻のうち、実際に練習艦任務に従事する機会があったのは「香取」「鹿島」の2隻で、両艦は練習艦隊を組み1935年に一度だけ練習航海を行いました(昭和15年度練習航海)。

太平洋戦争開戦以降は、その広い船内と高い居住性から、方面警備艦隊旗艦、潜水戦隊旗艦などに用いられました。

 

その戦歴

「香取」:太平洋戦争開戦時には、「香取」は潜水艦戦を総覧する第6艦隊旗艦を務めてマーシャル諸島クェゼリン環礁に進出し、そこから真珠湾作戦に参加した配下の潜水艦の指揮を取りました。同環礁に停泊中に、米空母部隊(「エンタープライズ」「ヨークタウン」)の空襲を受け、至近弾数発を受け損傷、艦載機の機銃掃射で第6艦隊司令長官(清水光美中将)が負傷しています。内地での損傷修復後、トラック島に進出し、そこから潜水艦戦の指揮を取りました。その後もトラック島、クェゼリン環礁、ルオット島などに泊地を変えながら、一貫して第6艦隊旗艦を務めました。

1944年2月、第6艦隊旗艦の任を解かれ、海上護衛総隊編入され、トラック島から内地に向かおうと準備する最中、米機動部隊のトラック空襲に遭遇。多数の爆弾と魚雷を受け、大火災を起こしたところを、米水上艦艇の砲撃で沈没させられました。

 

「鹿島」:太平洋戦争開戦時には、内南洋警備を担当する第4艦隊(井上成美中将)の旗艦を務め、トラック島からギルバート諸島攻略、ウェーク島攻略、ラバウル占領などの諸作戦を指揮しています。

その後、第4艦隊旗艦としてラバウルに進出し、珊瑚海海戦を指揮、海戦後再びトラック島に戻りガダルカナル島での飛行場建設などの指揮を取りました。その後、ニューギニア・ソロモン方面を担当する第8艦隊の新設により、第4艦隊は本来の中部太平洋警備の任務に戻り、「鹿島」はトラック泊地、クェゼリン環礁を移動しながら、輸送支援任務等に当たりました。

第4艦隊旗艦を軽巡洋艦「長良」に譲った後、「鹿島」は練習戦隊に一旦編入され輸送任務や練習任務にあたりました。

1945年、新編の第1護衛艦隊第102戦隊の旗艦となり、対潜掃討艦として対空・対潜兵装を強化し、海上輸送の護衛任務に従事し、終戦を迎えました。

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(「鹿島」と「香椎」は対潜掃討艦への改造を受けました。直上の写真は対潜掃討艦としての「鹿島」の概観 by Delphin)

(直下の写真は「鹿島」の主要改造部:艦橋周り:対空機関砲を追加(上段)。魚雷発射管を撤去し、高角砲を設置(左下)。艦尾には対潜戦闘用の爆雷戦装備を搭載(右下))

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戦後は、武装を撤去し、便乗者用の仮設居住施設を設置するなどの改装を施し、12回の復員者輸送に活躍しました。

 

「香椎」:「香椎」は「香取級」練習巡洋艦の中で唯一就役後一度も練習任務につくことなく、実戦に投入されています。太平洋戦争開戦時は南遣艦隊(小沢治三郎中将)旗艦としてサイゴンにありました。開戦後、同艦隊旗艦は重巡洋艦「鳥海」に変更されましたが、「香椎」は同艦隊に留められ、上陸支援、輸送支援、警備活動などに従事しました。

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(対潜掃討艦となった「鹿島」と「香椎」)

一連の南方作戦終了後、「香椎」は第1南遣艦隊の旗艦に復帰し、シンガポールにあって同方面の輸送支援や警備に従事しました。

一旦内地に帰還し整備後、「香椎」は海上護衛総司令部部隊に編入され、前出の「鹿島」同様、対潜掃討艦への改造を受け、対空・対潜戦闘能力を強化しました。この改造は魚雷発射管を撤去し、対空砲を設置、艦尾の司令官室の爆雷庫への改造、などでした。

この改造後、「香椎」は第一海上護衛隊に編入され、主として内地とシンガポール間の航路を往復し輸送船団の護衛任務につきました。これらの護衛任務は各艦が船団司令部につど編入されるという形式で運用されており、その編成は流動的なものでした。

やがて固定編成の第101戦隊が編成されると「香椎」はその旗艦となり、内地とシンガポール間の輸送護衛を担当します。1945年1月仏印サン・ジャックから内地に向かうヒ86船団を護衛中に南シナ海に侵入していた米機動部隊の艦載機の空襲を受け「香椎」は爆弾5発、魚雷2本を受け沈没しました。

(直下の写真は、ヒ86船団護衛についた第101戦隊(上段):「香椎」を旗艦とし、海防艦「鵜来:鵜来型海防艦」「大東:日振型海防艦」「海防艦27号」「海防艦23号」「海防艦51号」(いずれも丙型海防艦)で構成されていました。下段は、日振型海防艦(奥)と丙型海防艦(手前)を比較したもの:海防艦は、その量産性を求められたため、建造時期が後になるほど次第に艦型が小型化、直線化し簡素化してゆきます)

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余談ですが、光岡明さんの「機雷」という小説は、冒頭、このヒ86船団の話から始まります。主人公は海防艦に乗り組む中尉(だったかな)であり、彼は「香椎」の沈没を目の当たりにします。

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 実はこの小説、私の最も好きな小説の一つです。「海防艦」が冒頭現れるのもその魅力の一つですが、主人公が終戦を挟んで静かに生きてゆく姿に感動します。興味のある方は是非。

 

海防艦という艦種

海防艦(新海防艦と言った方がいいでしょうか)は、実は筆者が最も好きな艦種の一つです。華々しい活躍こそありませんが、来る日も来る日も船団に寄り添って、目を真っ赤にしながら海面や空を通る黒点に目を凝らす、その様な正に海軍のワークホースとでも言うべき姿に、いつも胸が熱くなるのです。

本稿でも、下記の回に少しだけ登場してもらいました。本稿は八八艦隊計画を具体化した辺りから、少し架空戦記っぽい手触りになってゆくのですが、下記もその体現化と受け止めて楽しんでいただければ、と思います。

fw688i.hatenablog.com

今回は、初稿では、海防艦はもっと小さな扱いだったのですが、やはり思いが募って、結局、新海防艦のご紹介的なミニコーナーにしてしまいました。

 

甲型海防艦(「占守型:同型4隻」択捉型:同型14隻」)

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(直上の写真は、甲型海防艦:「占守型」(手前)と「択捉型」(奥))


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(直上の写真は、甲型海防艦「占守型」の概観。64mm in 1:1250 by Neptune: 平射砲を主砲とし、なんとなく平時の警備艦の趣があると思いませんか?)

 

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(直上の写真は、甲型海防艦「択捉型」の概観。64mm in 1:1250 by Neptune: 「占守型」と外観位は大差はありません。南方航路の警備・護衛を想定し、爆雷の搭載数が定数では「占守型」の倍になっています)

 

当初、海防艦は、北方で頻発していた漁業紛争への対応を目的として整備されました。漁業保護、紛争解決に主眼が置かれたため、武装は控えめで、高速性も求められないかわり、経済性が高く長い航続力を有していました。こうした経済性と長い航続力は、船団護衛には最適で、ほぼ北方専用に設計された「占守型」の設計を引き継いで、南方での運用も視野に入れた「択捉型」が建造されました。国境での紛争解決等を想定したため、主砲は平射砲を装備し、南方の通商路警備をもその用途に含めたため若干の対潜装備を保有していました。870トンの船体にディーゼルエンジン2基を主機として搭載し、19.7,ノットの速度を出すことができました。

 

乙型海防艦甲型海防艦(「御蔵型:同型8隻」「日振型:同型9隻」「鵜来型:同型20隻」)**実は設計時には「乙型」と言う分類でしたが、完成時には「甲型」に分類されました。従って、乙型海防艦は記録上は存在していないかもしれません。しかし明らかに設計の主目的等が変更されているので、なぜ、同分類としたものか疑問です。どなたか、理由をご存知の方がいらっしゃったら、ぜひ教えてください。とりあえず、便宜的に「甲型改」とでも呼んでおきましょうか。「甲型改」は正式名称ではないので、ご注意を。

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(直上の写真は、甲型改(乙型海防艦:「御蔵型」(手前)と「日振型」(奥):「日振型」には建造工程を簡素化した準同型艦の「鵜来型」がありました)

 

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(直上の写真は、甲型改(乙型海防艦「御蔵型」の概観。63mm in 1:1250 by Neptune: 主砲が高角砲となり、艦尾部の対戦兵器が充実しています。この艦級のあたりから、船団護衛の専任担当艦の色合いが濃くなってゆきます)

 

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(直上の写真は、甲型改(乙型海防艦「日振型」の概観。63mm in 1:1250 by Neptune.:基本的な外観は「御蔵型」と変わりませんが、建造工数の簡素化が図られ、工数が57000から30000へと大幅に減少、工期が9ヶ月から4ヶ月に短縮したと言われています)

 

戦争が深まるにつれ、南方の通商路での船舶の戦没が相次ぎ、航路護衛には潜水艦、航空機に対する戦闘力を求められるようになり、主砲を高角砲に変更、あわせて対潜装備が充実してゆきます(乙型海防艦甲型海防艦「御蔵型:同型8」「日振型:同型9」「鵜来型:同型20」)。あわせて、数を急速に揃える要求から、艦型は次第に小型化し、建造工程の簡素化が模索されます。写真を掲げた「日振型海防艦」は、940トンの船体に、12cm高角砲を艦首に単装砲架で、艦尾に連装砲架で装備し、加えて25mm3連装機銃を2基、艦尾に爆雷投下用の軌条を二本、爆雷投射機を2基搭載し、爆雷120個を搭載していました。ディーゼルエンジン2基を主機として、19.5ノットの速度を出すことができました。ヒ86船団の護衛隊には「大東」が参加しており、「鵜来型」のネームシップである「鵜来」は準同型艦でした)

 

丙型海防艦:同型56隻

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(直上の写真は、「丙型海防艦」の概要。54mm in 1:1250 by Neptune:簡素化はさらに進み、艦型が直線的になっています。船体は小型になり、武装は高角砲が1門減りましたが、対潜装備は投射機など充実しています

戦争後半、米潜水艦の跳梁は激化し、海防艦の量産性はより重視されるようになります。「丙型海防艦」では艦型の小型化、簡素化がさらに進み、艦型もより直線を多用したものになってゆきます。エンジンも量産性を重視して選択され、「日振型」同様ディーゼルエンジン2基の仕様ながら、速力は16.5ノットに甘んじました。甲型乙型よりも一回り小さな745トンの船体を持ち、武装は12cm高角砲を単装砲架で艦首、艦尾に各1基、25mm3連装機銃を2基を対空兵装として搭載し、爆雷投射機を12基、投下軌条を一本装備して、爆雷120個を搭載していました。同型艦は56隻が建造されています。艦名はそれまでの様に日本の島嶼名ではなく、番号に改められました。「丙型海防艦」は全て奇数の艦番号が割り当てられました。ヒ86船団の護衛隊には「23号艦」「27号艦」「51号艦」がが参加していました。

 

丁型海防艦:同型67隻

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(直上の写真は、「丁型海防艦」の概要。56mm in 1:1250 by Neptune:「丙型」と武装等は変わりませんが、主機が変更になり、煙突の位置、形状が変わっています。排水量は変わりませんが、やや全長が長くなっています) 

再三記述していますが、海防艦には量産性が求められましたが、一方でディーセルエンジンの生産能力にも限界があることから、上掲の「丙型海防艦」と並行して蒸気タービンを機関として搭載した「丁型海防艦」も建造され、こちらは偶数番号が割り当てられました。同型艦は67隻。船体の大きさ、武装には「丙型」「丁型」で大差はありませんが、主機の違いから、速力は「丙型」よりも早い17.5ノットでしたが、ディーゼルに比べると燃費が悪く、「丙型」のほぼ倍の燃料を搭載しながら、航続距離が2/3程度に下がってしまいました。

 

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(直上の写真は、「海防艦」の艦級瀬揃い。手前から「占守型」「択捉型」「御蔵型」「日振型」「丙型」「丁型」:実際には「日振型」の準同型「鵜来型」がありました)

 

海防艦は171隻が建造され、71隻が失われました。

 

再び、「香取級」練習巡洋艦と若干模型の話

「香取級」は、時局柄、本来の建造目的であった練習艦としての平時業務はほとんど従事できなかった不幸な艦級と言えるでしょう。

しかし、戦時にはその低速から、確かに水上戦闘艦としての華々しい任務には不向きでしたが、その余裕のある船型を生かした後方司令部としての任務や、低速な輸送船団に寄り添う護衛任務などに活躍しました。

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(もう一つ余談。どうかお付き合いを。 直上の写真は、「香取級」の就役時(左列:by Neptune) と対潜掃討艦への改造時(右列:by Delphin)。ここでお伝えしたいのは、同スケールと言えどもメーカーが異なると、かなり差異が生じる、という見本ととなれば、と。外観の仕上げは、おそらく明らかにNeptune社の方が優っています。その分、価格も高価です(ほぼ倍?)。しかし、では手放しでNeptuneが優っているかというと、そうでもないかと思います。下段の写真ではその裏面を示しています。右列の裏面写真(Delphinのモデルの裏面)に左列では認められないパーツの接合穴が見ていただけると思います。つまりDelphin社のモデルは、パーツへの分割が行いやすく、パーツ取り、改造等には向いていると考えています。筆者も何かを制作したい、改造したい、などの際には、必ずDelphin社製の近しいモデルが入手できそうかを検討します。上記のように価格も手頃なので、大変ありがたい。つまり、純粋に1:1250スケールの艦船コレクションを楽しみたい方には、可能な限りNeptune(系列のNavis社も含めて)で統一されることをお勧めします。しかし、仕上がりももちろん大事だけど、ちょっと色々と手を加えたりして遊びたい方(筆者がそうなのですが)には、そのベースとしてDelphin社のモデルはとてもありがたい相棒になりうる、と考えています、ご参考になれば。*今回、本当に書きたかったのは、これかも)

 

一応、今回で日本海軍の「既成の」巡洋艦についてのミニ・シリーズは終了です。

「既成の」という微妙は表現した理由は、数回前にご紹介した防空巡洋艦のような架空艦や、マル六計画での計画艦のストックや建造途上モデルがいくつかあるので、「それらをまとめて」の番外編を設けてもいいかな、と考えているからです。そちらは、また準備が整い次第、随時ということで。

 

 

次回は、どうしようかな?

うんと遊んだ企画にしようか、それとも真面目路線で少し時間を遡って「アメリカ海軍やオーストリア=ハンガリー帝国海軍の装甲巡洋艦」のまとめでもやりましょうか?そう言えば日本海軍の空母、一切、まだ触れてませんねえ。ナチスドイツの巡洋艦なんかも、地味だけど・・・。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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日本海軍巡洋艦開発小史(その7) 条約型巡洋艦の建造

条約下の巡洋艦

本稿では、このシリーズの前回で触れたように、ワシントン・ロンドン体制で定められたカテゴリーA(=重巡洋艦)の保有枠を、日本海軍は「高雄級」4隻の建造で、使い切ってしまいました。このため、日本海軍が以後建造する巡洋艦は、全てカテゴリーB(=軽巡洋艦:主砲口径6.1インチ以下、排水量10000トン以下)として設計されることになります。

この時点で、日本海軍の持っていたカテゴリーBの保有枠は51000トン弱だったため、8500トンのカテゴリーB(軽巡)6隻の建造が計画されました。

具体的には、今回ご紹介する「最上級」「利根級」の2つの艦級は、15.5cm(6.1インチ)砲を機装式3連装砲塔に搭載し、一方で軽快に駆逐艦隊を率いるそれまでの軽巡洋艦とは異なり、8500トン級の大きな十分な防御力を有する船体をもち、攻撃力でも条約型の重巡洋艦と打ち負けない砲力を有する設計でした。

日本海軍の軽巡洋艦の常として、この両艦級は重巡洋艦に付けられた「山」の名前ではなく、いずれも軽巡洋艦の艦名である「川」の名前を艦名として与えられました。

  

条約の申し子

最上級巡洋艦 -Mogami class cruiser-(最上:1935-1944/三隈:1935-1942/鈴谷:1937-1944/熊野:1937-1944)    

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Mogami-class cruiser - Wikipedia

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(直上の写真は、「最上級」の就役時の概観。163mm in 1:1250 by Konishi)

 

「最上級」軽巡洋艦は、上記のような背景で設計された、将に「条約の申し子」とでもいうべき巡洋艦です。

繰り返しになりますが、同級はそれまでの日本海軍の軽巡洋艦とは異なり、37ノットのずば抜けた機動性に加え、十分な防御力を備えた大型の船体を持ち、これにそれまでの軽巡洋艦の倍以上の火力を搭載して敵を圧倒する、と言う設計思想で建造されました。

 

採用された主砲は、3年式60口径15.5cm砲で、この砲をを3連装砲塔5基に搭載することが計画されました。

(直下の写真:竣工時に搭載していた3年式60口径15.5cm砲の3連装砲塔郡の配置)

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この砲は27000mという長大な射程を持ち(「阿賀野級」に搭載された50口径四十一年式15センチ砲の最大射程の1.3倍)、また60口径の長砲身から打ち出される弾丸は散布界も小さく、弾丸重量も「阿賀野級」搭載砲の1.2倍と強力で、高い評価の砲でした。

75度までの仰角が与えられ、一応、対空戦闘にも適応できる、という設計ではありましたが、毎分5発程度の射撃速度では、対空砲としての実用性には限界がありました。

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 列強の条約型巡洋艦

同様の経緯で、米海軍、英海軍ともに同様の条約型巡洋艦を建造しています。

米海軍の条約型軽巡洋艦

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Brooklyn-class cruiser - Wikipedia

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(直上の写真:「ブルックリン級」の概観。157mm in 1:1250 by Neptune )

ほぼ「最上級」と同じ設計思想で作られた米海軍の軽巡洋艦です。条約開け後も主砲は換装されることはありませんでした。

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(直上の写真は、速射性の高Mark 16 15.2cm(47口径)速射砲の3連装砲塔を5基搭載しています。対空砲として5インチ両用砲を8門搭載していますが、後期の2隻はこれを連装砲塔形式で搭載していました。このため後期型の2隻を分類して「セントルイス級」と呼ぶこともあります)

 

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Cleveland-class cruiser - Wikipedia

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(直上の写真:「クリーブランド級」の概観。157mm in 1:1250 by Neptune。主砲塔を1基減らし、対空兵装として、連装5インチ両用砲を6基に増やしし、対空戦闘能力を高めています )

上掲の「ブルックリン級」の対空兵装強化版。対空兵装を倍にする代わりに、主砲を1基減らしています。

 

英海軍の条約型軽巡洋艦

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Town-class cruiser (1936) - Wikipedia

タウン級軽巡洋艦は、実は以下の3つのサブクラスを持っています。

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グロスター級」軽巡洋艦

 今回ご紹介するのは「マンチェスター」。第二グループの「グロスター級」の一隻です。

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(直上の写真:「グロースター級」軽巡洋艦の概観 144mm in 1:1250 by Neptune) 

グロスター級」はこの艦級の第一グループである「サウサンプトン級」の装甲強化型であり、この強化に伴い、機関も見直されています。

 

英海軍が軍縮条約の制限に準じて建造した軽巡洋艦です。設計の背景は日本海軍の「最上級」、米海軍の「ブルックリン級」とほぼ同じです。英海軍は、歴史的に海外植民地との間の長大な通商路の警備、保護を巡洋艦の主要任務としているため、長期間の航海に耐えられるよう、武装を若干押さえつつ居住性に配慮した設計になっています。

 

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Fiji-class cruiser - Wikipedia

前傾の「タウン級軽巡洋艦タイプシップとして、数を揃えるためにやや小型化した軽量版です。

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(直上の写真:「クラウン・コロニー級」の概観。145mm in 1:1250 by Neptune )

(直下の写真は、速射性の高いMk XXIII 15.2cm(50口径)速射砲の3連装砲塔を4基搭載しています。)

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主砲の換装、そして名実ともに重巡洋艦

ワシントン・ロンドン体制は、1936年に失効し、保有制限がなくなったこの機会に「最上級」各艦は主砲を50口径20.3cm連装砲に換装しました。こうして重巡洋艦を越えるべく建造された「最上級」は、名実共に重巡洋艦となりました。

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(直上の写真:主砲を20.3cm連装主砲塔に換装した「最上級」の外観:by Neptune)

 

 主砲換装の是非

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(直上の写真:竣工時に搭載していた3年式60口径15.5cm砲の3連装砲塔(上段)と20.3cm連装砲塔への換装後(下段)の比較。換装後の2番砲塔の砲身は、1番砲塔と干渉するため、正正面で繋止する際には一定の仰角をかける必要がありました(下段))

 

本来、「最上級」に搭載されていた3年式60口径15.5cm砲は、重巡洋艦との砲戦でも撃ち負けない様に設計されただけに、射程も重巡洋艦が搭載する20.3cm砲に遜色はなく、砲弾一発当たりの威力では劣るものの、「最上級」はこれを3連装砲塔5基、15門搭載し、その高い速射性も相まって、1分あたりの投射弾量の総量では、20.3cm連装砲塔5基を上回っていました。さらに60口径の長砲身を持ち散布界が小さい射撃精度の高い砲として、用兵側には高い評価を得ていました。

これを本当に換装する必要があったのかどうか、やや疑問です。

筆者の漁った限りの情報では、貫徹力でどうしても劣る、というのが主な換装理由ですが、その後のソロモン周辺での戦闘を見ると、あるいはこれまでの日本海軍の戦歴を見ると、速射性の高い砲での薙射で上部構造を破壊し戦闘不能に陥れる、という戦い方も十分にあり得たのではないかな、と。

あるいは、米海軍を仮想敵として想定した場合に、その艦艇の生存性の高さ、あるいは後方の修復能力の段違いの高さから、必殺性が求められた、ということでしょうか?(日本海軍の場合、損傷艦の自沈、あるいは海没処分、というのが目立つのですが、米海軍では、そのような例はあまり見かけません)

また、前述の様に米海軍も英海軍も同様の設計の巡洋艦を建造していますが、いずれも換装した例はありません。

 

主砲換装は計画されていたのか?

「最上級」の主砲塔配置は、それまでの「妙高級」「高雄級」重巡洋艦の砲塔配置とは少し異なっています。「妙高級」「高雄級」では艦首部の3砲塔を中央が高い「ピラミッド型の配置としていました。これは砲塔間の間隔を短くし弾庫の防御装甲範囲を小さくし重量を削減するのに有効でしたが、一方で3番砲塔の射角が左右方向のみに大きく制限されました。

「最上級」の主砲塔配置は、砲身の短い15.5cm砲に合わせた設計になっており、20.3cm砲に換装した際に2番砲塔の砲身が1番砲塔に干渉してしまい、正正面で固定する場合、砲身に一定の仰角をかける必要がありました。このことから、従来定説であった条約失効後の換装計画が設計当初から決定されていたか、と少し疑問に思ってしまいます。

一方で、15.5cm3連装主砲塔の重量は、20.3cm連装主砲塔よりも重く、第4艦隊事件などで、重武装を目指すあまりに全般にトップヘビーの傾向が見られた艦船設計に対する改善策としては、理にかなった選択だった、とも言えるのではないでしょうか?

  

 その戦歴

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(直上の写真:第7戦隊の勢揃い。手前から、「最上」「熊野」「鈴谷」「三隈』)

 

「最上」:太平洋戦争海戦時には、同級の僚艦とともに、第7戦隊を編成し、南遣艦隊の基幹部隊として南方作戦に従事しました。マレー作戦、欄印作戦で活躍しました。バタビア沖海戦では、米重巡洋艦「ヒューストン」オーストラリア軽巡洋艦「パース」などの撃沈に参加しています。

ミッドウェー海戦には、ミッドウェー攻略部隊の第2艦隊の前衛支援部隊(第7戦隊基幹)として参加。機動部隊(空母機動部隊)の壊滅後も、機動部隊の残存兵力(水上戦闘艦艇)や、主隊による米艦隊との夜戦の機会を求めて、その支援のため、第7戦隊にはミッドウェー島の飛行場砲撃の任務が与えれました。このため第7戦隊は進撃を継続しましたが、結局、夜戦の戦機なしとの判断から、連合艦隊司令部からの撤収命令に従い反転しました。撤収中に、米潜水艦による接触を受け、回避行動中に僚艦「三隅」と衝突し艦首が圧壊し一時行動不能に陥りました。応急処置により、同じく損傷した「三隅」とともにトラック島へむけての退避航行を開始したものの、翌日、米軍の基地航空機、空母艦載機の空襲により、僚艦「三隅」は沈没、「最上」も5発の爆弾を被弾し、後部の4番・5番両砲塔に大損害を受けました。

なんとか第2艦隊に合流し、内地に帰還後、「最上」はその修復の際に、大損害を受けた艦後部の4・5番砲塔を撤去し、艦後部を全て航空甲板とするという大規模な改造を受け、11機の水上偵察機を搭載可能な航空巡洋艦として生まれ変わりました。

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(直上の写真:ミッドウェー海戦での損傷修復後、航空巡洋艦となった「最上」:by Konishi。艦後部に11機の水上偵察機の繋留ができる航空甲板を設置しました)

 

第7戦隊に復帰後、主として中部太平洋で行動しますが、ラバウルに進出した際に、ラバウル空襲に遭遇し、再び被弾してしまいます。

損傷回復後、マリアナ沖海戦への参加を経て、1944年10月レイテ沖海戦では、第一遊撃部隊の第3部隊(西村艦隊)の一員として戦闘に参加しました。西村艦隊はスリガオ海峡へ突入しますが、米艦隊の砲撃で「最上」は炎上、更に後続の第二遊撃艦隊(志摩艦隊)の旗艦「那智」と衝突し損傷を大きくしてしまいました。

翌朝、米軍機の空襲をうけ、味方駆逐艦の魚雷で処分されました。

 

「三隅」:前掲の「最上」同様、太平洋戦争緒戦では、第7戦隊の一員として、マレー作戦、欄印攻略戦で活躍しました。

その後参加したミッドウェー海戦では、これも前掲のように機動部隊壊滅後の夜戦支援のためのミッドウェー島砲撃任務からの反転中に僚艦「最上」と衝突しました。この時点では、損傷は「最上」が大きく、「三隅」は軽微でした。第7戦隊司令部は、両艦にトラック島に退避するように指示を出しましたが、翌日、相次ぐ空襲を受け一説には被弾20発と言う大損害を受け、最後には魚雷が誘爆し失われました。

同艦は太平洋戦争で失われた最初の重巡洋艦となりました。

 

「鈴谷」:太平洋戦争開戦からミッドウェー海戦まで、第7戦隊の一員として、寮艦とほど同様の戦歴を辿りました。

ミッドウェー後は、僚艦「熊野」とともに インド洋での通商破壊戦に従事した後に、ソロモン諸島方面での作戦に投入されます。

第7戦隊は第3艦隊(新編空母機動部隊)に編入され、第2次ソロモン海戦、南太平洋海戦に機動部隊として参加した後、ソロモン方面での作戦を担当する第8艦隊に編入されてガダルカナル方面への輸送作戦、支援作戦(ヘンダーソン飛行場砲撃)などに従事します。

ラバウル空襲で大損害を受けた新編第2艦隊のトラック後退し、中部太平洋での活動を行った後、マリアナ沖海戦に参加。

そして1944年10月、レイテ沖海戦に第1遊撃部隊(栗田艦隊)の一員として参加しました。サマール島沖海戦で、米護衛空母部隊と交戦し、どう空母部隊艦載機の爆撃を受け至近弾により魚雷が誘爆し航行不能となってしまいます。その後も火災が収まらず、さらに魚雷と高角砲弾の湯爆も始まり、やがて沈没してしまいました。

 

「熊野」:太平洋戦争緒戦から、「最上級」4隻で構成される第7戦隊の旗艦を務めました。前掲の通りマレー作戦、蘭印作戦、ミッドウェー海戦、インド洋での通商破壊戦等を転戦した後、第3艦隊に編入されますが、当時、機関の故障が続出し、第7戦隊旗艦を「鈴谷」に譲り、第7戦隊の序列を外れました。第2次ソロモン海戦への参加を経て、南太平洋海戦では機動部隊本隊の直衛を務めましたが、米艦載機の爆撃で至近弾を被弾し損傷。内地で損傷を復旧した後、再びソロモン方面での戦闘に従事しました。

ガダルカナルからの撤退以降、戦場は中部ソロモンに移っていましたが、「熊野」は再び第7戦隊の旗艦を務めます。当時の主戦場であったニュージョージアコロンバンガラ方面での夜戦で、夜間空襲を試みた米海軍機の雷撃で避雷し、再び内地で修理を受けました。

復帰後、第2艦隊に編入されマリアナ沖海戦への参加を経て、1944年10月レイテ沖海戦に参加します。

レイテ沖海戦では第1遊撃部隊(栗田艦隊)の第7戦隊の旗艦を務めました。

シブヤン海では米機動部隊の艦載機の空襲を受け、艦隊は戦艦「武蔵」を失うほどの損害を受けました。「熊野」も被弾しますが、幸いにも不発弾で、その後も作戦参加を続行しました。その後の米護衛空母部隊と交戦したサマール島沖海戦では、空母部隊直衛の駆逐艦から雷撃を艦首に受け、艦首を喪失して戦列から脱落しています。

マニラ帰着後、11月に損傷の修復のため本土帰還を目指したが、度重なる空爆で失われた。

 

こうして「最上級」重巡洋艦は1944年11月までにすべて失われました。

  

最優秀巡洋艦の呼び声 

利根級重巡洋艦 -Tone class heavy cruiser-(利根:1938-終戦時残存/筑摩:1939-1944)    

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Tone-class cruiser - Wikipedia

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(直上の写真は、「利根級」の概観。162mm in 1:1250 by Konishi)

 

日本海軍は早くから航空機による索敵に注目していました。すでに5500トン級軽巡洋艦から、航空索敵の能力付与についての模索は始まっていました。

しかし、具現化については米海軍が常に一歩先をゆき、例えば5500トン級と同時代の「オマハ級」軽巡洋艦はすでにカタパルトを2基搭載し、水上偵察機も2機搭載していました。その後も米海軍お優位は続き、米海軍の条約型重巡洋艦は4機の水上偵察機搭載を標準としていたのに対し、日本海軍の重巡洋艦は2機乃至3機の搭載に甘んじていました。

一方で、常に劣勢に置かれる主力艦事情を覆すべく構想された空母の集中運用、いわゆる空母機動部隊の構想においては、航空索敵の必要性はさらに高まり、「利根級巡洋艦は、それを具現すべく設計された、と言って良いと思います。

利根級巡洋艦は今回の冒頭でも触れた様に、設計時点では、ワシントン・ロンドン体制の制限下で、すでにカテゴリーA(重巡洋艦)の保有枠を使い切っており、8500トンの船体をもち、15.5cm砲を主砲として搭載したカテゴリーB(軽巡洋艦)として計画され、艦名も「川」の名前を与えられていました。

その艦型は大変ユニークで、「最上級」と同じ3年式60口径15.5cm砲を主砲としてその3連装砲塔を「最上級」よりも1基減らして4基、12門をすべて艦首部に搭載し、艦尾部は水上偵察機の発艦・整備甲板として開放されていました。水上偵察機を6機搭載する能力を持ち、日本海軍は念願の空母機動部隊の目として運用することになります。

(直下の写真は、「利根級」の特徴のクローズアップ。前部主砲塔群(上段)と艦後部の水上偵察機の発艦・整備甲板)) 

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着工後の1936年に軍縮条約が失効したことを受けて、建造途中から主砲を重巡洋艦の標準主砲であった50口径3年式20.3cm砲に変更、完成時には重巡洋艦として就役しました。

主砲塔をすべて艦首部に集中したことで、集中防御の範囲を狭め十分な装甲を施すことができ、また航続力も巡洋艦の中で最長で、高い航空索敵能力も併せて、最優秀巡洋艦の評価も聞かれたようです。

 

もっとも、速度の遅い水上偵察機による敵機動部隊索敵は、比較的早い時期に効果に疑問がもたれ、米海軍などは一部の艦上爆撃機を索敵機として部署し運用し始めていました。

 

その戦歴

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(直上の写真は、第8戦隊の「利根」(手前)「筑摩」:by Neptune

「利根」:太平洋戦争開戦時、「利根」は僚艦「筑摩」と共に、第8戦隊を編成し、空母部隊である第1航空艦隊の直衛として第1特別講堂部隊(南雲機動部隊)に編入され、真珠湾奇襲に参加します。「利根」搭載の索敵機はいわゆる「真珠湾奇襲」の1時間前に真珠湾を偵察、気象状況や湾内の様子などを伝えたと言われています。

続いてウェーク島攻略戦、ラバウル攻略戦、ポート・ダーウィン空襲、インド洋作戦に南雲機動部隊に帯同して参加した後、内地に帰還しました。

ミッドウェー海戦でも南雲機動部隊に参加、「利根」の搭載機はここでも機動部隊の目として航空索敵を担いますが、有名な「利根4号機」の不調が、米空母部隊の発見を遅らせ、敗北の一因となったと言われています。(一方で、発進の遅れが、「米機動部隊の発見」に繋がった、とする見方もあるようです)

ミッドウェーの敗北後、いったん内地で修理、整備を行なった後、第8戦隊は新編成の空母機動部隊である第3艦隊に編入され、第2次ソロモン海戦、南太平洋海戦などに参加、常に前衛にあって索敵、対空戦闘等に従事しました。

その後も概ね空母機動部隊の側にあってその行動を支援しました。

1944年に入ると、第8戦隊は解体され「利根」は僚艦「筑摩」と共に第7戦隊に編入されました。一時期はインド洋で通商破壊戦に従事しました。この際に、この作戦指揮を執っていた南西方面艦隊から穂陵の処刑指示が発令され、「利根」では通商破壊戦によって得た捕虜約80名に対する処刑が行われました。

この後、マリアナ沖海戦への参加を経て、1944年10月、レイテ沖海戦に第一遊撃部隊(栗田艦隊)の一員として参加。サマール沖海戦では米護衛空母を追撃し、砲撃で一隻を撃沈しています。一方で、米護衛空母の艦載機の反撃で艦後部に被弾し損傷しました。

作戦終了後、ブルネイに一旦退避後、輸送任務と修理のために内地に帰還。海軍兵学校練習艦として呉に停泊中に空襲により被弾損傷。さらに数次にわたる空襲で被弾が相次ぎ、大破着底状態で終戦を迎えました。

 

「筑摩」:太平洋戦争緒戦、「筑摩」は僚艦「利根」と共に第8戦隊を編成し、その戦歴はほぼ「利根」に準じています。

ミッドウェー海戦にも、「利根」と同じく南雲機動部隊の一員として参加。米機動部隊の索敵に「筑摩」からは2基の水上偵察機が参加しますが、このうち「筑摩1号機」は米機動部隊の上空を通過しながらも雲に阻まれて発見できず、また、米艦載機と接触したにも関わらず報告をせず、海戦敗北の一因となった、と言われています。

米機動部隊の一部は前出の「利根4号機」によって発見されますが、「筑摩5号機」が「利根4号機」を引き継いで米機動部隊との接触を継続し、南雲機動部隊の主力空母被弾後、一隻だけ残った「飛龍」が放ったの攻撃隊を米機動部隊に誘導した後、未帰還となっています。

海戦後、内地で修理・整備の後、「筑摩」は第8戦隊の一員として、新編成の空母機動部隊(第3艦隊)の編入されました。第2次ソロモン海戦、南太平洋海戦に参加し、南太平洋海戦では米艦載機による攻撃で艦橋付近に命中弾、至近弾による浸水、さらには魚雷発射管付近への命中弾を受けるなどして、一時は戦闘不能状態となりました。

 内地で損傷箇所の修理後、中部ソロモンでの作戦活動に復帰、機関の不調を内地で修理するため戦列を離れた「利根」に代わり第8戦隊旗艦となり第2艦隊を期間に編成された水上打撃部隊(遊撃艦隊:第2艦隊司令長官栗田中将指揮)に編入され、ラバウルに進出した直後、米機動部隊のラバウル空襲により損傷。比較的損傷の軽かった「筑摩」はトラック泊地に退避後、内南洋(トラック諸島周辺)に留まり周辺での作戦行動を続けました。

その後、いったん内地で損傷修理、整備を行った後、「筑摩」は僚艦「利根」と共に南西方面艦隊に編入され、インド洋での通商破壊作戦に従事しました。

マリアナ沖海戦参加を経て、1944年10月、レイテ沖海戦に、第一遊撃部隊(栗田艦隊)第7戦隊(旗艦「熊野」)の一員として参加します。

サマール島沖海戦では米護衛空部部隊を追撃し砲撃を加えますが、護衛空母艦載機の雷撃攻撃で艦尾に避雷し、舵故障と速度低下で部隊から落伍してしまいました。その後、再度米軍機の空襲を受け、艦中央部に複数の命中弾を受け、味方駆逐艦「野分」により雷撃処分されました。

「筑摩」乗組員は雷撃処分に当たった駆逐艦「野分」に収容されましたが、「野分」も後に米艦隊に撃沈され、生存者は海戦時には索敵発進し、そのまま地上基地に向かった水上偵察機の搭乗員を除くと、「野分」に救助されず、米艦隊に救助された1名と撃沈された「野分」から救助された「野分」「筑摩」の生き残り1名、計2名と言われています。

 

 

こうして、軍縮条約の制約から、本来は軽巡洋艦として生まれながら(あるいは「生まれる予定」ながら )条約終了後、重巡洋艦として就役した「条約の落し子」巡洋艦を今回は紹介してきたわけですが、彼女等は、航空機の発達に伴う海戦様式の変更から、なかなか本来の重巡洋艦としての打撃力を生かした活躍の場を見出せなかった、と言っても良いのではないでしょうか?しかし「利根級」はその設計の先見性から、その砲装備以外のところで、空母時代に適応した一定の活躍をした、と言えるでしょう。

重巡洋艦にならず、つまり主砲を換装せず、軽巡洋艦として圧倒的な火力を保持した新時代の水雷戦隊の中核としてソロモン諸島での夜戦に活躍する「最上級」や「利根級」の姿も見てみたかったなあ、と思ってしまいます。

 

というわけで、今回はここまで。

このシリーズの次回は、・・・・もう少し残っている巡洋艦群をご紹介する予定です。

 

模型に関するご質問等は、大歓迎です。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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新着モデル(完成編:その2):レキシントン級巡洋戦艦 デザインバリエーション一覧

本稿、前々回、レキシントン級巡洋戦艦のオリジナルデザイン案モデルを入手したことをお知らせしました。今回はその完成のご報告と、その勢いで懸案だった「レキシントン級:籠マスト+巨大集合煙突デザイン」も作ってしまったので、そちらも併せてご紹介。

これで、一応、筆者の計画していた「レキシントン級」デザインバリエーションは、一応の完結をみましたので、それをおさらい含め、ご紹介。所謂「レキシントン級祭り」です。

今回はそういうお話。

ということで、予告どおり、「巡洋艦発達小史」シリーズは今回もお休みです。

 

レキシントン級巡洋戦艦(オリジナルデザイン)

 

レキシントン級巡洋戦艦について、少し基礎知識のおさらいを。

レキシントン級巡洋戦艦は、ダニエルズプランで建造に着手された、米海軍初の巡洋戦艦の艦級です。元々、米海軍は、戦艦の高速化には淡白で、21ノットを標準速度としてかたくなに固守しつづけ、巡洋戦艦には触手延ばしてきませんでした。

しかし本稿でも既述のとおり、第一次世界大戦の英独両海軍主力艦による「ドッカー・バンク海戦」や「ユトランド沖海戦」の戦訓から、機動性に劣る艦隊は決戦において戦力化することは難しいという情況が露見し、米海軍も遅ればせながら(と敢えて言っておきます)高速艦(巡洋戦艦)の設計に着手した、というわけです。

(背景情報は下記を)

fw688i.hatenablog.com

 

レキシントン級巡洋戦艦の設計当初のオリジナル・デザインでは、34300トンの船体に、当時、米海軍主力艦の標準主砲口径だった14インチ砲を、3連装砲塔と連装砲塔を背負式で艦首部と艦尾部に搭載し、35ノットの速力を発揮する設計でした。

その外観的な特徴は、なんと言ってもその高速力を生み出す巨大な機関から生じる7本煙突という構造でしょう。

モデルは、Masters of Miitaly社製で、White Natural Versatile Plasticでの出力を依頼していました。

(直下の写真は、到着したレキシントン級巡洋戦艦のモデル概観。Masters of Miitaly社製。素材はWhite Natural Versatile Plastic)

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本稿で行った「レキシントン級デザイン人気投票」では、「籠マスト+巨大集合煙突デザイン」に継ぎ第二位という結果で、私も大変気になりながらも、14インチ砲搭載艦というところに少し引っかかりがあり(あまりたいした理由はないのですが、この巨体なら16インチ砲だろう、という思いが強く)、なかなか手を出していなかったのですが、この人気投票に背中を押してもらった感じです。ありがたいことです。(なんでも都合よく解釈できる、この性格もありがたい)

www.shapeways.com

 

と言うわけで、今回はその完成形のご紹介です。

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モデルは非常にバランスの取れたスッキリとしたプロポーションを示しています。どこか手を入れるとしたら、当時の米主力艦の特徴である「籠マスト」をもう少しリアルな感じに、かなあ、とは思いますが、今回は手を入れずに仕上げることにしました。

なんかいいアイディアあれば、是非お聞かせください。

 

レキシントン級巡洋戦艦(デザインバリエーション)

上記のように、同級の原案設計の当時には、米海軍の主力艦標準備砲ということで14インチ砲搭載の予定だったのですが、その後、日本の八八艦隊計画が「全て16インチ砲搭載艦で主力艦を揃える」という設計であることを知り、急遽16インチ砲搭載に設計変更した、という経緯があったようです。

こうして同級は、結局16インチ砲搭載の巡洋戦艦として着工されるのですが、その後、ワシントン軍縮条約で制約、整理の対象となり、同級のうち2隻がその高速性と長大な艦形を活かして大型の艦隊空母として完成されました。「レキシントン」と「サラトガ」ですね。

つまり巡洋戦艦としては、同級はいわゆる「未成艦」に分類されるわけですが、その「未成」故に、完成時の姿を想像することは、大変楽しいことです。

 

筆者もご他聞に漏れず想像の羽を伸ばしたがるタイプですので、今回の「オリジナル・デザイン案」の完成に勢いづいて、筆者の想定するバリエーションの完結を目指してみました。

肝は「煙突」かな?

 

バリエーション1:二本煙突シリーズ

竣工時:籠マスト+二本煙突

en.wikipedia.org

上記リンクにあるように、実際に16インチ砲搭載巡洋戦艦として起工されたものが、完成していたら、と言う想定ですね。(こちらは本稿でも既にご紹介しています)

起工当時の米主力艦の標準デザインであった籠マストと、さすがに7本煙突という嬉しいほどユニークではあるけれど何かと問題のありそうなデザインは、実現しなかったんだろうなあ、と、その合理性には一定の納得感がありながら、一方では若干の落胆の混じる(かなり正直なところ)デザインですね。アメリカの兵器は時として、量産性や合理性にともすれば走り、デザインは置き去りになったりします。あくまで筆者の好みですが、「デザイン置き去り」が、「無骨さ」として前に出るときは、言葉にできないような「バランス感の無さ」につながり、それはそれで「大好き」なのですが(M3グラント戦車、M4シャーマン、F4Fワイルドキャット、ニューオーリンズ重巡洋艦等がこれに当たるかなあ)、正直今回の「レキシントン・二本煙突デザイン」これは「味気なさ」が先に立つと言うか・・・)
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(42,000t, 30knot, 16in *2*4, 2 ships, 213mm in 1:1250 by Delphin :こちらはDelphin社のモデルに少しだけ色を入れた程度です)

 

最終改装時:塔状艦橋+二本煙突

同級の近代化改装後の姿で、米海軍が主力艦に対し行なった、射撃システムの変更、副砲撤去、両用砲を砲塔形式で装備、上部構造物の一新、等々を実施、と言う想定です。艦様が一変してしまいました。

特に、外観上での米海軍主力艦の特徴の一つであった艦上部構造の前後に佇立する篭マストが、塔状の構造物に置き換えられました。

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(直上の写真:舷側に迷彩塗装を施しています。筆者のオリジナルですので、ご容赦を。本級は未成艦であるため新造時の模型は製造されていましたが、近代化改装後の模型までは存在せず、ごく最近になって近代化改装後の3Dプリンティングモデルを発見し、その製作者Tiny Thingajigsに発注をかけ、模型の到着を心待ちにしていました。ベースとなったモデルはこちら)

www.shapeways.com

 

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(直上の写真は、上)と最終改装後(下)の艦様の比較)

 

バリエーション2:巨大集合煙突シリーズ(こちらは筆者の妄想デザインです)

竣工時:籠マスト+巨大集合煙突

そもそも発端は、ワシントン・ロンドン体制で、巡洋戦艦から空母に転用された「レキシントン」の巨大な煙突からの妄想でした。

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この煙突がついている主力艦は、どんな感じだったろうか、作っちゃおうか、という訳です。で、その巨大な煙突の背景には大きな機関があり、元々は7本の煙突が初期の設計段階では予定されていたことを知る訳です。おそらくは転用されたのが「空母」なので、高く排気を誘導する必要があったんでしょうが、まあ、今回はそれはそれで少し置いておきましょう。

完成後に改めて見ると、ああ、半分くらいの高さ、と言うデザインもあったなあ、と。(うう、こんな事に気が付いてしまうと、いつか手を付けるんだろうなあ)

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 直上の写真は、今回急遽製作した竣工時の「レキシントン級巡洋戦艦」で、籠マストと「レキシントン級」空母譲りの巨大集合煙突が特徴です。

本稿でも以前ご紹介しましたが、本来は下記のTiny Thingajigs製の3D Printing Modelをベースに制作する予定だったのです。

www.shapeways.com

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しかしShapeways側のデータ不備とかの理由で入手できず、この計画が頓挫。では、ということで、ebay等で、これも前出のDelphin社製のダイキャストモデルを新たに入手しそれを改造しようかと計画変更。しかし少し古いレアモデルだけに新たに入手が叶わず(ebayで、格好の出品を発見。入札するも、落札できず:ebayは1:1250スケールの艦船モデルの場合、当然ですが多くがヨーロッパの出品者で、終了時間が日本時間の明け方であることが多く、寝るまでは最高入札者だったのに、目が覚めると「ダメだった」というケースが多いのです)、結局、手持ちのDelphinモデルをつぶす事にしました。(つまり、これ↓を潰す事に・・・)f:id:fw688i:20190310173715j:image

Delphin社のモデルは、こうした改造にはうってつけで、パーツが構造化されており、その構造が比較的把握しやすいのです。従って、少し注意深く作業をすればかなりきれいに分解することができます。今回は上部構造のうち、前後の煙突部と中央のボート甲板を外し、少し整形したのち、Deagostini社の空母「サラトガ」の完成模型(プラスティックとダイキャストのハイブリッドモデル)から拝借した巨大な集合煙突(プラスティック製)を装着する、という作業を行いました。

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で、出来上がりがこちら。設計の合理性は爪の先ほども感じませんが、なんかいいなあ、と自画自賛。この巨大な煙突は格好の標的になるでしょうから、まず、この設計案は採用されないでしょうねえ。

或いは、上掲の2本煙突デザインでは、7本煙突からこのデザインへの変更の際には機関そのものの見直しが必須のように思うのですが、それが何らかの要因で困難だった(あまりに時間がかかる、とか、費用が膨れ上がる、或いは新型の機関を搭載するには一から設計し直したほうが早い、とか)というような状況で、ともあれ完成を早めた、というような条件なら、有りかもしれませんね。

(やっぱり、煙突の高さ、半分でも良かったかもしれません。ああ、気になってきた!

 

最終改装時:塔状艦橋+巨大集合煙突

そして、巨大集合煙突のまま、近代化改装が行われます。米海軍が主力艦に対し行なった、射撃システムの変更、副砲撤去、両用砲をこの場合には単装砲架で装備、上部構造物の一新、等々の近代化改装を受けた後の姿、と言う想定です。

この場合でも、やはり篭マストが、塔状の構造物に置き換えられました。煙突の中央に太い縦線が入れられ、2本煙突への偽装が施されています。

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こちらは下記の3Dプリンティングモデルをベースとしています。

www.shapeways.com

このモデルの煙突をゴリゴリと除去し、Deagostini社の空母「サラトガ」の完成模型(プラスティックとダイキャストのハイブリッドモデル)から拝借した巨大な集合煙突(プラスティック製)を移植したものが、下の写真です。f:id:fw688i:20200328161044j:image

 この後、下地処理をして、少し手を加え塗装を施し完成です。

 

 (直下の写真は、巨大煙突デザインの竣工時(上)と最終改装時(下)の艦様の比較)

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レキシントン級巡洋戦艦」デザインバリエーションの一覧

上から・・・もう説明はいいですかね。

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こうやって一覧すると、「どれが好きですか?」と聞きたくなるのですが・・・。また、アンケートかよ、という声が聞こえてきそうなので、今回はやめておきます。

(そのうち、もう一回、巨大集合煙突の高さ、ちょっと変えてみました、なんて紹介をするかもしれませんね。きっとするなあ、これは)

 

ともあれ、合理性はさておき、やはり巨大煙突、いいと思うんですがねえ。

 

と言うことで、今回はここまで。

 

以下に、これまで「レキシントン級」関連の投稿回を下記にまとめておきます。関心がある方は、下記も合わせてお楽しみください。

fw688i.hatenablog.com

fw688i.hatenablog.com

fw688i.hatenablog.com

 

次回は、「巡洋艦発達史」に戻りたいなあと、考えています。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」については、お付き合いいただいている皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

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