相州の、ほぼ週刊、1:1250 Scale 艦船模型ブログ

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

新着モデルのご紹介:いよいよ日本海軍 航空母艦に着手?

今回はサクッと(何度もこの表現をしているような気もしますが)、最近の新着モデルのご紹介です。

あわせて、このブログの本題であった「主力艦」開発史に続き、これまで「巡洋艦」「駆逐艦」「各種小艦艇」と展開してきた日本海軍のミニ・シリーズを、いよいよ「航空母艦」に広げるかもしれませんよ、という、予告編。今回はそういうお話です。

 

まずは新着モデルをいくつかご紹介

軽巡洋艦「北上」:回転搭載艦形態

軽巡洋艦「北上」は、僚艦の「大井」とともに1941年に重雷装艦への改装を受けましたが、太平洋戦争開戦後、海軍の主戦力が主力艦から航空戦力主体に移行し、想定された主力艦隊同士の艦隊決戦の場は訪れず、その威力を発揮する戦場には恵まれませんでした。そのため、その大きな魚雷搭載スペースを利用して主として高速輸送艦として、活躍しました。

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そして1944年、「北上」のみ、再び、今度は回天搭載艦への改造を受けました。

この改造により、「北上」は8基の人間魚雷「回天」を艦尾のスロープから海中に発射出来るようになり、本土決戦時の主要兵器である「回天」の輸送と襲撃訓練に従事しました。また、実際の本土決戦においては攻撃を行うことも想定に入れた改造でした。

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(直上の写真は、「北上」回天搭載艦形態の概観。by Trident :上述の通り、軽巡洋艦「北上」の最終形態です)

 

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(直上の写真は、「北上」回天搭載艦形態の特徴のアップ。回天搭載の諸装備(左列)。艦尾の回天発進用のスロープ(上)、整備庫と輸送軌条(下):兵装は対空兵装のみに切り替わっています(右列上下)) 

 

 

本来の軽巡洋艦形態

「北上」は「5500トン級」軽巡洋艦の第一世代に属します。

同級第一世代は、前級「天龍級」の艦型を5500トンに拡大し、併せて主砲を「天龍級」の14センチ単装砲4門から7門に増強しています。雷装としては、53センチ連装魚雷発射管を各舷に2基、都合4基搭載し、両舷に対しそれぞれ4射線を確保する設計となっています。

速力は、同時期の「峯風級」駆逐艦(39ノット)を率いる高速水雷戦隊の旗艦として、機関を強化し36ノットを有する設計となっています。

主力艦隊の前衛で水雷戦隊を直卒する任務をこなすため、高い索敵能力が必要とされ、その具体的な手段として航空艤装にも設計段階から配慮が払われた最初の艦級となり、水上偵察機を分解して搭載していました。しかしこの方式は運用上有効性が低く、「球磨」と「多摩」では、後日、改装時に後橋の前に射出機(カタパルト)を装備し水上機による索敵能力を向上させることになります。

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(直上の写真:球磨級軽巡洋艦:119mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs:3D printing modell :写真の姿は太平洋戦争当時の「球磨」。航空機による索敵能力を得るために、後の改装で5番砲塔と6番砲塔の間に、水上偵察機射出用の射出機(カタパルト)を搭載しています)

 

重雷装艦への改装

1941年に、当時、やや旧式化しつつあった(「球磨級」は53センチ魚雷搭載艦であり、当時の61センチ酸素魚雷を標準装備とする水雷戦隊の旗艦任務は難しくなっていました)「球磨級」気軽巡洋艦の3番艦以降(「北上」「大井」「木曽」)を61センチ4連装魚雷発射管10基(片舷5基)を搭載する重雷装艦への改装が決定され、「北上」「大井」については同年中に改装を完了しました。

(直下の写真は、重雷装艦に改装された「北上」の概観 :by Trident) 

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(直下の写真:重雷装艦形態の「北上」の主要兵装の拡大:艦中央部に61センチ4連装魚雷発射管を片舷5基装備し(上段写真)、主砲兵装は艦首部の艦橋周辺のみとしています(下段写真)) 

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(直下の写真:「北上」と「大井」:太平洋戦争開戦後には、重雷装艦本来の猛威を振るう戦場には恵まれず、魚雷搭載スペースの大きなペイ・ロードを買われて、輸送任務に活躍しました。後に発射管装備を一部降ろすなど、高速輸送艦に改装されています。この形態を再現したいのですが、資料がなかなか見当たりません) 

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空母「赤城」:三段飛行甲板形態

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「赤城」は元々、八八艦隊計画巡洋戦艦天城級」の2番艦としてとして設計されました。しかしその後ワシントン軍副条約により、主力艦保有制限の対象となり、巡洋戦艦としての建造継続ができなくなります。一方で条約により、「天城級巡洋戦艦4隻のうち起工されていた「天城」「赤城」の航空母艦への転用が認められ、日本海保有する最初の大型艦隊空母として建造されました。

モデルはその竣工時の三段飛行甲板形態をあわらしています。

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(直上の写真は、「赤城」竣工時の概観:三段飛行甲板の特徴的な形態をしています。210mm in 1:1250 by Trident)「大井」:by Trident) 

 

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(直上の写真は、「赤城」竣工時の特徴の拡大:(写真上段)三段飛行甲板は艦内の三層の搭載機格納庫に繋がっています。しかしこのうち実は第二甲板は二層目の格納庫に繋がっているものの、ご覧のように20cm連装主砲塔2基があり、さらにこの甲板には艦橋もあり、飛行甲板といてはあまり使用されなかったようです。主として最上甲板が大型機の発艦、および全ての搭載機の着艦に用いられ、最下層の第三甲板は小型機の発艦に用いられました。

(写真下段)「マ」の文字が・・・? ちょっと解説。本来は「赤城:アカギ」の「ア」の文字なのですが、本稿の世界では、史実ではワシントン条約で廃艦となり、関東大震災で重大な損傷を受けた「天城」の代艦として航空母艦として完成された戦艦「加賀」が、戦艦として存在しているので、「天城」が他の建造を中止された艦の資材等を投入されることにより航空母艦として完成しています。ですので、ここは「天城:アマギ」の「マ」になっています。・・・ということは、「赤城:アカギ」の飛行甲板上の表記は「カ」なのです、きっと。「ア」だと両方同じ表記になっちゃうので。もちろん史実ではないので、ご注意を)

 

ついでに「赤城」全通甲板形態

「赤城」は1938年に、当時の航空機の進歩から来る飛行甲板の延長の必要性に対応するために、上述の三段式の飛行甲板形態から、全通式飛行甲板形態への近代改装を受けました。

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(直上の写真は、「天城級航空母艦、全通甲板形態への近代化改装後の概観:210mm in 1:1250 by Ghukek's Miniatures)www.shapeways.com

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(直上の写真は、2隻の「天城級航空母艦:「天城」(上段手前)と「赤城」。前述のような次第で、本稿の世界では「天城」「赤城」両艦が航空母艦として完成しています。甲板の表記も「マ=天城」と「カ=赤城」となっています(下段写真))

 

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(直上の写真は、「天城級航空母艦二形態の比較:三段飛行甲板形態もなかなかだと思いませんか?竣工後の1927年から1938年まで、この三段甲板形態で就役する「赤城」の勇姿が見れたはず)

***ちょっと余談ですが、空母「赤城」 は全通甲板形態となった近代化改装後も、その艦尾部に6門の20cm砲を搭載していました。さらに竣工時には前述のように中飛行甲板に20cm砲の連装砲塔を2基装備しており、重巡洋艦なみの10門の主砲を搭載していたことになります。航空機の航続距離が短かった時期には、砲戦の可能性もあったんでしょうね。それはそれで、なんとなく「万能艦」あるいは「秘密兵器」ぽくて、好きです。

そう言えば、同様の経緯で巡洋戦艦から空母に転用された米海軍の「レキシントン級」空母も竣工時には20cm連想砲塔を4基搭載していましたね。

 

「赤城」については、「航空母艦」特集のところでまたゆっくりと。

 

ということで、「航空母艦」シリーズの予告

え、航空母艦特集?

お気付きの方もいらっしゃるとは思いますが、これまで筆者は本稿ではほとんど航空母艦を題材に取り上げてきませんでした。

もちろん、日本海軍を中心にモデルの収集は「航空母艦」についても続けてきていたのですが、実はあの平べったい艦型が少し苦手で、あまり興味が持てなかった、というのが本音です。特に1:1250スケールという状況では、なかなか手の入れようもなく、と思っていたのですが・・・。

 

とは言え、全く触れてこなかったわけではなく、以下の巡洋艦紹介のシリーズの中で「香取級」軽巡洋艦海上護衛戦に触れる中で海防艦について記述するうちに、あまり興味のなかった日本海軍の商船改造の特設護衛空母に触れる機会があり、新たな興味が湧いてきました。

fw688i.hatenablog.com

 

興味に任せてモデルを検索、という、まあ、筆者にとってはお決まりのパターンで、Shapewaysで3Dモデルを調達し始めました。

fw688i.hatenablog.com

航空母艦「大鷹」

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(直上の写真:航空母艦「大鷹」の概観:下地処理をした状態です)

www.shapeways.com

 

航空母艦「沖鷹」

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(直上の写真:航空母艦「沖鷹」の概観:下地処理をした状態です。上述のように基本的に同型の貨客船をベースとしているため「大鷹」と同型ですが、モデルでは飛行甲板の長さを少し変えた設定になっています)

www.shapeways.com

 

航空母艦「神鷹」

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(直上の写真:航空母艦「神鷹」の概観:下地処理をした状態です。船体両舷のバルジが目立ちますね)

www.shapeways.com

 

その後も「雲鷹」「海鷹」もコレクションに加え、ようやく特設空母5隻が勢揃いしました。f:id:fw688i:20200927152717j:image

(直上の写真は、「大鷹級」護衛空母の勢揃い。左から「雲鷹」「沖鷹」「大鷹」「神鷹」「海鷹」の順。いずれも前C.O.B. Constructs and Miniatures製の3D printing model)

 

ja.wikipedia.org

「大鷹級」護衛空母については、また特集のどこかで詳述するとして、今回は模型だけをご紹介しておきます。

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(直上の写真は:空母「大鷹」の概観。147mm in 1:1250 by C.O.B. Constructs and Miniatures:大戦末期の船団護衛任務従事期の為、迷彩塗装を施しています。迷彩は筆者オリジナル。雰囲気が出れば、という程度の適当です。ご容赦を)

 

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(直上の写真は:空母「沖鷹」の概観。147mm in 1:1250 by C.O.B. Constructs and Miniatures: 「大鷹級」空母は、商船改造空母のため速力が遅く、かつ飛行甲板の長さも十分でないため、艦隊空母としての運用には難がありました。そのため大戦の中期までは、主として航空機の輸送に使用されていました)

 

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(直上の写真は:空母「雲鷹」の概観。147mm in 1:1250 by C.O.B. Constructs and Miniatures:「大鷹」「沖鷹」「雲鷹」はいずれも日本郵船の「新田丸級」貨客船をベースに改造されました)

 

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(直上の写真は:空母「神鷹」の概観。154mm in 1:1250 by C.O.B. Constructs and Miniatures: 本艦は「大鷹級」空母、ということで一括りになっていますが、実は同型艦ではありません。前身はドイツ商船「シャルンホルスト」で、これを海軍が購入し空母に改造したものでした。「大鷹」と同じく、船団護衛任務時の迷彩塗装を施しています

 

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(直上の写真は:空母「海鷹」の概観。135mm in 1:1250 by C.O.B. Constructs and Miniatures: 本艦も前出の「神鷹」同様、同型艦ではなく、「大鷹級」空母の中では最も艦型が小さいものでした。こちらも船団護衛任務時の迷彩塗装を施しています

 

ということで、各艦の詳細は、改めて来るべき「航空母艦」特集の際にでも。

 

そしてこんな「航空母艦」もセミ・スクラッチ

そういえば、この夏には、宮崎駿さんの「雑想ノート」に出て来る「安松丸」をセミ・スクラッチしましたね。

(直下の写真:特設空母「安松丸」の概観。104mm in 1:1250 by Decapod Models :本艦は哨戒艇を伴い、インド洋方面からアフリカ沖に出撃しました。写真下段:飛行甲板上に小さな飛行指揮所を設置していますが、艦橋は飛行甲板の前端下に設置されています。エレベータを装備していないこの艦では、搭載機の格納甲板への収納は、左舷側2箇所の舷側に突き出した可倒・引き込み式のデリックで行います)

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 「安松丸」については以下をご参照ください。

fw688i.hatenablog.com

 

という訳で、だんだんラインアップが整ってきました。欠けているのは空母形態の「千歳級」くらい。それも今、日本に向けて配送されているはずなので、うまくいけばそれらが完成する(であろう)10月後半からは日本海軍の「空母特集」が組めるかも。

 

ということで、今回はこの辺りでおしまい。

 

さて次はどうしようかな。上述の「空母特集」の準備もしなくちゃいけないけど、映画「グレイハウンド」(もう見ましたか?私は4回見ましたよ、と言ってもApple TVなので、すごく手軽に見れちゃいます)絡みで、「大西洋の船団護衛」関連の話もしたいしなあ、と考えています。米海軍の「駆逐艦」も、ほぼ揃ったことでもあるし。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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日本海軍 機雷戦艦艇小史(機雷敷設艦と掃海艇(再録))

本稿では、前回、最近の制作コレクション紹介の流れで、機雷敷設艦厳島」急設網艦「白鷹」が登場しました。

本稿では何度か触れているように筆者はこうした小艦艇が大好きで、これ迄、折を見てこういった模型の収集をしてきたのですが、そもそもがマイナーな艦種で、かつ日本海軍に限定した場合にはなかなか製品が流通しておらず、かなりの部分が入手困難という状態です。

ラインナップの充実に一応の限界を見た、というわけで、この辺りで日本海軍の機雷戦用艦艇(敷設艦・敷設艇・掃海艇)を一覧しておきたいと思います。

(掃海艇の稿は、ほぼ再録です。ご容赦を)

今回はそんなお話です。

 

まずその前に、コレクションのリソースについて

本論に入る前に、筆者が普段どういうリソースでこうしたモデルの収集を行っているかを、少しご紹介。

前回でもご紹介しましたが、そもそもどんなモデルがあるのか、の検索にはsammelhafen.deを1番頼りにしています。

sammelhafen.de

ちなみに、このサイトの検索機能で「minelayer:機雷敷設艦」+『Japan」+「2nd WW:第二次世界大戦」で検索をかけた結果がこちら。

sammelhafen.de - 1250/1200 scale miniature ship models - thousands of photos, lists of almost all producers and more

このリストを見ると、条件該当モデルとして13種が検索され、筆者が求めるモデルはMidwayと Oceanicというレーベルに揃っていることがわかります。

 

こうした情報を入手した上で、次に主な調達先として、以下のようなサイトを検索。これらは個別のショップサイトですが、その中でも中古品のコーナーを主に、筆者は常時サーチしています。

Antics Online Model Shops and Hobby Stores

Ships-and-more - Ships-and-more Homepage Startseite webshop

mikes-modelle.de - Index

Waterline-Ships, A great place to buy 1:1200/1250 waterline ships

The World of Miniature Ships – 1250Ships.com

LaWaLu models

Olivers Welt der Schiffsminiaturen - Schiffsmodelle 1:1250

1/1250 Coastal Forces : The Last Square, Gaming and Hobbying for Two Decades

そしてなんと言っても最も利用頻度が高いのは、こちら。

Electronics, Cars, Fashion, Collectibles & More | eBay

そう、eBayですね。

ちなみに、検索にとっても重宝しているsammelhafen.deは、eBayでもsarge 2012というアカウントで自身のストックを出品されています(実はeBayアカウントはお父さん?)。筆者も結構な頻度でお世話になっています。

eBayで、この分野で筆者が最も頻度高くお世話になっているアカウントがcroschwigです。

今回の一連の機雷敷設艦モデルの検索でも、実は個別にこのアカウントに「実はこうしたモデルを探しているのだが、ストックがあれば教えて欲しい」とコンタクトしました。すぐに返事をいただき、「残念ながら手持ちはないけど、sammelhafen.deは見てみたか?彼のコレクションは膨大でsarge 2012でeBayでもコンタクトできるよ」と教えてくれました。さらに「この問い合わせの件は、彼も在庫は無いそうだ。もう電話で確認したから、直接問い合わせはしなくていいよ。実は来週会うので、在庫があったらもらって来てあげようと思ったんだけど、残念だったね」と実に親切に対応してもらいました。さらに筆者が最も頻繁にお世話になっている二つのアカウント間にコネクションがあったことに、何やら嬉しい感じがしました。

 

さらに、FaceBookには、1:1200-1:3000 SCALE NAVAL BUY, SELL,TRADE & COMMISSION GROUP OF ALL ERASというグループもあり、ここではモデルの情報交換や、実際のモデルストックの売買などが行われています。ここでも同じく「誰かストックない?」などと尋ねてみていますが、今のところ、「**へ行けば、見つかるかも」とコメントが集まるばかりで、やはり早期のさらなるコレクションの充実にはつながる道は簡単には見つかりそうにありません。でも、皆さん大変親切で、すぐに何らか反応がいただけるのは、本当にありがたいですね。

 

という訳で・・・。

 

機雷敷設艦というジャンル

本稿前回でも少し触れましたが、日本海軍はその創設以来、機雷敷設業務には専用艦船を建造せず、旧式の装甲巡洋艦や徴用した商船等を改造し、その役務に配置してきていました。

ようやく八八艦隊計画の時期に、機雷敷設専用艦船の保有に意向を示し、設計を始めました。大まかに設計された艦級は3種類に分類されると言っていいと考えています。

 

第1グループ:強行敷設艦敷設巡洋艦

第一のグループは「八八艦隊計画」に象徴される「艦隊決戦」の補助戦力として、想定決戦海面、あるいは敵前で機雷を敷設する大型の強行敷設艦で、これは目的海面までの長い航続能力を持ち、敵前敷設に対応するための強力な砲力、多数の機雷を搭載できる大型の艦型という特徴を備えています。「厳島」「沖島」「津軽」がこれに該当します。これらの艦は、太平洋戦争開戦後は、本来の機雷敷設任務以外にも、その大きな搭載能力(機雷庫)を買われ、高速輸送艦としても活躍しています。

 

機雷敷設艦厳島」(1929-1944)

掃海艇同様、日本海軍は機雷敷設業務に、旧式の装甲巡洋艦等を当てていましたが、大正期の八八艦隊計画に準じて、初めて本格的な機雷敷設艦の設計に着手しました。それが「厳島」です。
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(直上の写真は、機雷敷設艦厳島」:89mm in 1:1250 by Authenticast)

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2000トン級の艦型に、主機にはディーゼル機関を採用しています。設計当時の艦隊決戦主戦場と想定されていた南洋諸島方面での機雷敷設任務を想定し航続距離と機雷搭載量が重視され、速力は17ノットと少し控えめに設定されています。

日本海軍の常として強行敷設、敵前敷設をも想定したため、2000トンの駆逐艦クラスの艦型の割には比較的強力な砲力をもっています。(14センチ単装砲3基)

2000トンの小ぶりな船体ながら、500個の機雷を上甲板直下の第二甲板の機雷庫に収納する事ができました。上甲板の4条の機雷投下軌条と第二甲板後方の6つの扉を開放する事で、機雷庫から直接機雷敷設ができる仕組みも併せて持っていました。

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(直上の写真:「厳島」主砲配置との特徴的な艦尾形状(下段):艦橋部より後ろの中甲板はほぼ機雷庫になっています。中甲板の機雷庫から直接海面に投下できるよう、投下口を設置した特徴的な艦尾形状になっています)

 

太平洋戦争開戦時にはフィリピン攻略戦を皮切りに南方作戦に従事し、機雷敷設、船団護衛、上陸支援、物資輸送等に大戦を通じて活躍しています。

1944年10月、スラバヤ方面で、オランダ潜水艦の雷撃で撃沈されました。

 

機雷敷設艦沖島」(1936-1942)

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ロンドン海軍軍縮条約の補助艦艇への制限下で生まれた本格的機雷敷設艦

ロンドン条約では補助艦艇の保有に関してもその形状、保有数の両面で制限が課せられるようになりました。機雷敷設艦についても制限が設けられ、新造される敷設艦は5000トンを超えてはならず、最大速力を20ノットとしています。さらに搭載砲の口径をは6インチ(15cm)以下、搭載数を4門までと制限され、さらに魚雷発射管の搭載は認められませんでした。

そもそもロンドン条約では「主砲口径が6.1インチを超え、8インチ以下で、10000トン以下の艦」をカテゴリーA:重巡洋艦とすると言う定義が行われ、この定義は、軽巡洋艦「夕張」、「古鷹級」巡洋艦と、画期的なコンパクト重武装艦を生み出し始めた日本海軍を警戒して列強が定め、「古鷹級」とこれに続く「青葉級」をカテゴリーAの総排水量の中でカウントし、その重巡洋艦保有数に限界を持たせることを狙ったとも言われています。

同様に機雷敷設艦艇に関する制約でも、日本海軍が高速で強力な兵装を持つ、軽巡洋艦或いは重巡洋艦に匹敵するような高速機雷敷設巡洋艦保有することを制限する狙いがあった、と言われています。

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(直上の写真は、上述の機雷敷設艦沖島」の概観:104mm in 1:1250 by semi-scratched based on Neptune)

 

機雷敷設艦沖島」は 4000トン級の船体を持ち、条約制限いっぱいの20ノットの速力を有していました。主砲には、敵前での強行敷設を想定し、軽巡洋艦と同等の14cm主砲を防楯付きの連装砲架形式で2基、保有していました。機雷搭載能力は600発とされ、これを収納できる大きな機雷庫を持っていました。併せてカタパルトを搭載し水上偵察機の運用能力を備え、広域な偵察能力も保有していました。

前述のようにロンドン条約は、機雷敷設艦の名目で日本海軍が軽巡洋艦として運用できる強力な敷設巡洋艦を建造することを予防した、と言われていますが、実際に太平洋戦争では、開戦直後の中部太平洋での島嶼攻略戦での上陸作戦支援やソロモン諸島方面での輸送船団の護衛、巨大な機雷収納庫を利用しての輸送・揚陸任務など、高速を必要とする水雷戦隊旗艦の任務を除けば、他の軽巡洋艦と同等に活躍しています。

1942年5月11日、ソロモン諸島方面で米潜水艦の雷撃で失われています。

 

機雷敷設艦津軽」(1941-1944)
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(直上の写真は、上述の機雷敷設艦津軽」:104mm in 1:1250 by Neptune)

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 「津軽」は前述の「沖島」の準同型艦で、4000トンの船体を持ち、条約制限いっぱいの20ノットの速力を有していました。「沖島」と異なり「津軽」は12.5cm 連装対空砲を2基を主砲として搭載し、より対空戦闘能力に配慮した設計となっています。

沖島」同様、巨大な機雷収納スペースを生かし、太平洋戦争中盤までは、中部太平洋ソロモン諸島方面で輸送船団の護衛や、自ら輸送・揚陸任務などに活躍しています。

大戦後期にはレイテ島方面での機雷敷設を行い、併せて南西方面での輸送任務につく事が多く、1944年6月に米潜水艦の雷撃で失われました。

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(直上の写真は、上述の機雷敷設艦沖島」と津軽」(左上)・「沖島」「津軽」の艦尾部の拡大(左下):機雷は上甲板乗の軌条と艦尾の第二甲板の後方扉からの投下設置が可能でした。・右列は「沖島」(右上)と「津軽」(右下)の主砲比較:右上の「沖島」の主砲は、ストックパーツを加工してして換装しました)

 

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(日本海軍の本格的機雷敷設艦のそろい踏み:本当はここに「八重山」の入れたかったけど・・・。奥から「津軽」「沖島」「厳島」)

 

機雷敷設艦八重山」(1932-1944)

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(「八重山」の概観:74mm in 1:1250 by Tremo)

同艦は、「厳島」に続き二番目に設計された機雷敷設艦です。主力艦隊に先行して行われる想定決戦海面での活動を意識して設計された「厳島」に対し、より近海(前進基地周辺)、浅海域での活動を思慮した設計で、小型・浅喫水の設計となっています。ロンドン条約の制約から補助艦艇に認められた最大速力の20ノットを発揮する設計でした。

1100トン級と、やや小型の艦型を持ち、平時の訓練、戦時には哨戒や船団護衛等の汎用的な目的への対応も考慮して設計されています。兵装は当初から盾付きの12cm単装高角砲を2門搭載していました。小さな艦型ながら185個の機雷を搭載する設計でした。

同艦の大きな特徴は、なんと言っても電気溶接による建艦工程が日本で最初に採用された事で、技術的にも用途的にも実験的な試みの軍艦となっています。同艦で使用された電気溶接の技術は、当然の事ながら未熟で、不具合が多発したようです。併せて復原性に課題があり、大規模な改修工事を受けています。f:id:fw688i:20211205135910p:image

(「八重山」の主砲配置:就役時には盾付きの12.5センチ高角砲を艦首。艦尾に配置していましたが、復原性改善工事の際に艦首のみ盾付きに改められています)

太平洋戦争では開戦時に南方攻略戦に帯同し機雷敷設業務に従事していますが、その後は対空兵装、対潜装備を強化し、護衛艦として船団護衛等に活躍しました。

1944年9月、フィリピン中部で米艦載機による攻撃で沈没しています。

 

第十七戦隊の編成

開戦時、「八重山」は機雷敷設艦厳島」特設敷設艦「辰宮丸」と第十七戦隊を編成し、第三艦隊の指揮下でフィリピン海域で機雷敷設任務についていました。

 

機雷敷設艦厳島」(1929-1944)

すでに前述していますのでここでは割愛します。

 

特設敷設艦「辰宮丸」(1929-1944)

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1941年9月、海軍は民間の12000トン級の貨物船「辰宮丸」を特設敷設艦として徴用しています。同船は1938年に就役した艦齢の若い貨物船で、17ノットの高速を発揮することができました。特設艦船籍に移管後、船倉が機雷庫、居住区に改装され、上甲板には機雷敷設軌条が敷かれました。最大700個の機雷を搭載することが可能で、船尾両舷に投下用の開口部が設けられています。

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(上の写真は特設敷設艦「辰宮丸」の外観と言いたいところですが、流石に「辰宮丸」のモデルまでは市販されていません。従って船体の形状が似ている「東京丸」を「辰宮丸」風に仕立てたものです。実際には水線長が15mmほど長すぎます。下の写真は、「辰宮丸」(風)の主砲配置。12センチ砲4門を主砲として装備していました)
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前述のように1940年9月に第十七戦隊に編入され、開戦時には日本軍の南方作戦展開に対する英東洋艦隊(「プリンス・オブ・ウェールズ」以下の艦隊)の反撃に備え、マレー半島沖での機雷敷設島を実施していました。

その後、特設輸送船へ類別変更され、輸送任務に従事し、1945年舞鶴港で出航準備中に米軍機の空襲で大火災を起こし半没状態で終戦を迎えました。

 

第十七戦隊の概観

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雑談:機雷という兵器

ここまで、機雷敷設艦艇の第1グループを紹介してきたわけですが、そもそも「機雷」というのはどのような兵器なのか、少し説明を試みます。

「機雷」とは、水中に設置され艦船が接触、もしくは接近した際に爆発し艦船に損害を与える兵器です。「機械水雷」を略して「機雷」と言われています。

港湾封鎖、航路封鎖、あるいは逆に港湾・航路への侵入防御等の目的に使用される事が多く、敷設には艦船による海面敷設、航空機による空中投下、あるいは潜水艦による水中敷設等の方法が用いられます。

機雷を設置された海面を機雷原と呼びますが、機雷原の設置には大量の機雷を計画的に設置する事が必要ですが、「機雷」そのものの強度の脆弱さを考慮すると、短時間での大量の機雷敷設には専用敷設装備を持った艦船が必要でした。

第二次世界大戦の後半には空中投下が可能な強度を持った機雷が開発され、日本周辺の海域では米軍爆撃機から空中投下された機雷での海上封鎖が行われました。

「機雷」自体の起爆作動方法は大きく以下の3種類に大別されます。

触発機雷:機雷の触覚、あるいは機雷から延長される水中線などに艦船が接触した際に爆発する機雷で、一般的に最もよく知られているタイプと言えます。

感応機雷:艦船の発生させる磁気、音響、通過時の水圧変化、艦船の機械類が発生させる電流等を感知して爆発するタイプの機雷で、現状はこれらの複数の刺激を併用して攻撃対象の艦船を特定し爆発するこのタイプが主流になっています。

管制機雷:簡単にいうと有線で陸上の管制室等から起爆指示が送られるタイプの機雷です。根拠地の周辺、あるいは要地に設置され、平時には艦船通過等を探知するセンサーから、音響や発生電流等の情報集取も可能です。

太平洋戦争時に日本海軍が保有していたのは触発機雷のみでしたが、同時期に米海軍は感応機雷の運用も開始していました。この背景には日本海軍のレーダー技術や対潜水艦戦用装備、特に水中聴音やソナー関連の電子技術の立ち遅れが大きく影響していたと言わざるを得ません。

現在ではセンサーで条件に合致する(音紋特性・磁気特性等)特定の艦船の通過をした際に起動し、目標を追跡する自走能力を持ったホーミング機雷なども実用されています。

 

以前、本稿で紹介した光岡明氏の「機雷」という小説では、大戦中は海防艦に乗り組んでいた主人公が、終戦後、掃海艇に乗務して日本近海に設置された「機雷」を処理する、という物語なのですが、ここで米海軍が空中投下した「感応機雷」について詳しく語られています。

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音響感知式の「感応機雷」は、「艦船の通過回数を検知し特定回数に達した場合に起爆する」というような記述があったと記憶します。つまり、こうした機雷の場合には除去(掃海)にあたっては、ダミー音源を牽引した掃海艇が何度もその上を通過せねばならず(例えば起爆セットが「通過7回目」だった場合には、ダミーがその上を7回通過しないといけないのです)、それだけ掃海艇そのものも危険に曝される、という訳です。それにも増して気の遠くなるような地道な作業です。まるでテロ。地雷と似ています。

実際に日本はこの米軍が敷設した機雷の除去に、20年の年月を費やしています。

 実はこの小説、私の最も好きな小説の一つです。「海防艦」が冒頭現れるのもその魅力の一つですが、主人公が終戦を挟んで静かに生きてゆく姿に感動します。興味のある方は是非。

 

本稿では「防潜網」という用語も出てきますが、多くの場合、この「防潜網」も一定間隔で機雷を装備しており、「防潜網」に接触した潜水艦に損害を与える仕組みになっています。

 

「機雷」=「触雷」というと、本稿の主題であった「主力艦開発史」の流れで思い出されるのは、やはり日露戦争のロシア太平洋艦隊の司令長官マカロフ提督の遭難と、その直後の「魔の5月15日」でしょうか。

当時、世界的な名将として知られ、新たに旅順要塞の太平洋艦隊の司令長官として着任したマカロフが、1904年4月13日、旗艦「ペトロパブロフスク」に座乗して旅順周辺海域での日本艦隊の追撃戦からの帰還途上で、日本海軍の敷設した機雷に触雷して戦死しました。

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このマカロフの死は、明らかにその後の旅順周辺でのロシア艦隊の活動に大きな影響を与え、例えば旅順要塞自体の不備から、その後、ある意味必然的に発生せざるを得なかったであろう「黄海海戦」などは、おそらく全く異なった展開となっていたと思われます。マカロフはおそらくその出撃の主題を冷静に捉えて、ウラジオストックへの遁走に邁進し艦隊を保全。もしくは積極的な攻勢に転じて損害を出しながらも日本海軍はその主力艦隊をこの海戦で消耗し、その後、極東へ回航されて来るバルティック艦隊の迎撃は叶わなかった、というような結果も想定されます。いずれの場合にも、バルティック艦隊の回航は全く異なる意味を持ち、戦争の帰趨は変わっていたかもしれません。

この直後の5月15日、今度は旅順要塞海域を哨戒中の日本海軍の戦艦「初瀬」と「八島」が、今度はロシア海軍が敷設した機雷に触雷、両艦は轟沈してしまいます。当時、6隻しか保有していなかった戦艦のうち2隻が同時に失われる、という悲劇でした。

 

と、まあ、少し脱線。

 

第2グループ:急設網艦

第二のグループは、主力艦隊に帯同し艦隊の泊地に、第一次世界大戦以来、飛躍的に性能を向上させ水上艦にとって重大な脅威となりつつある潜水艦の侵入、攻撃を防ぐための防潜網(前述のように、多くの場合、この網には機雷が設置されています)を展張する急設網艦のグループで、この艦種は機雷敷設の能力も併せて持っていました。「白鷹」と「初鷹級」の3隻がこのグループに属します。この艦級は、太平洋戦争中盤以降、防潜網の展張装備を対潜兵装に換装し、船団護衛等の任務に活躍しています。

 

急設網艦「白鷹」(1929-1944)

その名の通り、艦隊泊地などに対潜水艦侵入防止用の防潜網を展張する役目を負う艦種ですが、機雷敷設の能力もあるため、正式の艦種分類は日本海軍では機雷敷設艦となっています。

「白鷹」(「ハクタカ」ではなく「シラタカ」と読みます)は日本海軍が建造した最初の「急設網艦」ですが、同時に世界で初めて防潜網敷設艦として設計された船でもあります。

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(直上の写真は、急設網艦「白鷹」:69mm in 1:1250 by Superior?ちょっと怪しい。兵装配置はほぼ最終時点=8cm高角砲2基を主兵装とした時点を再現しているつもりです。もう少し爆雷投射機等があったほうがいいかも)

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就役当初から復原性に大きな課題を抱えており、重装備であった砲兵装が順次改められてゆきました。(1300トン、12cm高角砲3基(竣工時)、のち8cm高角砲2基、速力16ノット)

太平洋戦争開戦時には南方攻略戦に従事、その後主としてインドネシア海域での機雷敷設・防潜網敷設等に活動したのち、他の敷設艦同様、防潜網・機雷の収納庫を活用した輸送任務等に活躍しました。大戦の推移にともない防潜網の展張、機雷敷設の機会の減少に準じ、敷設関係の装備を撤去して代わりに対潜装備を搭載。最終的には船団護衛が任務の主体となりました。す。

 1944年8月、バシー海峡(台湾とフィリピンの間)で米潜水艦の雷撃で失われました。

 

「初鷹級」急設網艦 (1939-:同型艦3隻「若鷹」のみ残存)

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(「初鷹級」急設網艦の概観:76mm in 1:1250 by Oceanic:モデルは8cm高角砲への主砲換装後の姿)

「初鷹級」急設網艦は、「白鷹」以来、約10年ぶりで建造された急設網艦です。基本設計は「白鷹」の改良型で、乾舷を低くして復原性を改善、主機を「白鷹」のレシプロ機関から蒸気タービンとして速力を20ノットに向上させ、併せて航続距離を「白鷹」の1.5倍としています。重量軽減のために主兵装を40mm機関砲としています。その他、復原性の改善のために煙突を低くするなど、全体的に駆逐艦のようなスマートな艦型となりました。

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(日本海軍の急設網艦の比較:「白鷹」(奥)と「初鷹級」(手前)。「初鷹級」が「白鷹」で課題であった復原性に配慮された設計であったことがよくわかります)

 

後に不具合の多い主兵装40mm機関砲を8cm高角砲や25mm機関砲に換装するなど、兵装には変更が加えられました。f:id:fw688i:20210131102927j:image

(本級は船団護衛等の任務につく機会が多く、対空戦闘、対潜戦闘においても40mm機関砲では威力不足が課題とされ、順次8cm高角砲へ、主砲を換装していました)

「初鷹級」は、いずれの艦も太平洋開戦当初から上陸作戦支援や船団護衛につく事が多く、本来の機雷敷設・防潜網敷設任務に従事する機会はあまりありませんでした。特に1944年からは船団護衛が主任務となり、敷設関連の軌条を撤去して対潜装備が配置されています。

1944年9月に「蒼鷹」、1945年5月に「初鷹」がいずれも米潜水艦の雷撃で失われ、「若鷹」のみ終戦時に残存していました。

 

第3グループ:敷設艇

第三のグループは、より小型の基地防御用の敷設艇です。基地周辺の防潜網敷設や、沿海航路保全の機雷敷設などに従事する艦種です。

このグループには「燕級」「夏島級」「側天級」「神島級」の4つの艦級が建造されました。

この艦種は太平洋戦争末期、日本本土決戦構想が具体化するにつれ、必要性が増した艦種でもありました。

 

 「燕級」敷設艇(同型2隻:1929-) 

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(直上の写真は、「燕級」敷設艇の概観:57mm in 1:1250 by Oceanic ?ちょっと怪しい。主兵装のみそれらしく換装したつもりです) 

八八艦隊計画の一環として、港湾防御用に設計された小型艦級です。防潜網・機雷等の敷設のみでなく掃海も対応可能とした一種の万能艇を目指していました。(450トン、19ノット、主兵装:8cm高角砲×1・13mm機銃×1、機雷80基)

太平洋戦争では佐世保防備戦隊の所属し、主として南西諸島方面の船団護衛や機雷敷設に従事していました。

「燕」「鷗」の2隻が建造されましたが、1944年から1945年にかけて、両艇ともに南西諸島近海で失われました。

 

 「夏島級」敷設艇(同型3隻:1933-) 

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(直上の写真は、「夏島級」敷設艇の概観:63mm in 1:1250 by Oceanic ?ちょっと怪しい。主兵装のみそれらしく換装したつもりです) 

「燕級」敷設艇の改良型で「夏島」「那沙美」「猿島」の3隻が建造されました。(450トン、19ノット、主兵装:8cm高角砲×1・13mm機銃×1、機雷120基)

太平洋戦争では各根拠地の防備船体に所属し船団護衛や機雷敷設に従事しましたが、3隻とも1944年に3隻とも相次いで失われました。

 

 「測天級」敷設艇(同型15隻:1938-終戦時4隻残存)  

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それまでの敷設艇を大型化した艦型で、機関をディーゼルとしてより汎用性を高め、太平洋戦争における敷設艇の主力となりました。前級までの復原性不足を解消し、航洋性に優れ活動範囲は日本近海に留まらず広い戦域に進出し活躍しています。(720トン、20ノット、主兵装:40mm連装機関砲×1・13mm連装機銃×1、機雷120基 /6番艦「平島」以降は主兵装:8cm高角砲×1・13mm連装機銃×1)

 

終戦時に「巨済」「石埼」「濟州」「新井埼」の4隻が残存していました。

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(上の写真は「測天級」敷設艇の概観:59mm in 1:1250 by Tremoの水雷艇モデルをベースにしたセミ・スクラッチ:「測天級」は40mm連装機関砲を主兵装としていましたが、同機関砲は特に対潜水艦戦で有効ではなく、6番間以降、8センチ高角砲を主砲として搭載しています。この艦級は「平島級」とされることもありますが、ここでは「測天級」の第二グループとしています)

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さらに改良型の「網代」級が12隻、建造される予定でしたが、1隻のみの打ち切られ、次級の「神島級」へ計画は移行されました。

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下の写真は、「測天級」のディテイルのクローズアップ。特に写真下段では、敷設艇ならではの艦尾形状に注目)

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本稿の「機雷敷設艦艇小史」では文中で「測天級」「神島級」については「Oceanic レーベルでモデルあり、未入手」と記載していましたが、実は誤りでどうやら「測天級」にはモデルがないようです。そこで、という訳でもないのですが、「では作ってしまおうか」という訳です。

幸い、前述の「八重山」のモデルを入手した際に、複数のモデルを落札しています。主には送料負担を軽減する目的で、同一出品者の他の出品物を同時落札する事が多いのです。多くはストックモデルとして保管され、部品取りや今回のようなセミクラッチのベースとして利用することを目的にしています(実際には、そんなに計画的ではないし、スキルが低いのでうまくいかず、バラバラにして捨てることが多いのですが)。

今回、ベースに利用したモデルがこちら。f:id:fw688i:20211205140758p:image

全長68mmの水雷艇のモデルのようです(多分、「鴻」級:にしては少し大きい)。なんとこのモデル、実は落札したモデルではなく、筆者が落札したモデルは「駆潜艇」のモデルだったのですが、出品者からのパッケージが届くと中から「ごめんなさい。落札していただいた「駆潜艇」のモデル、なくなって(売り切れ)ました。代わりにこちらで勘弁してください。もし気に入らなかったら返金します」とお手紙に添えて件の「水雷艇」のモデル2隻と中国海軍の砲艦(多分、「永翔」級(いわゆる「中山艦」?)のモデルが、「八重山」のモデルに同梱されていました。ちょっとびっくり。

元々、落札した「駆潜艇」も送料単価軽減の目的で「ストックモデル入り」と考えていたので「このままでいいですよ。代替モデルいいですね」ということにしたのですが、早速、「八重山」を仕上げながら(ちょっと艦橋をもっと別のモデルからのものに差し替えたりしたので)「何に使おうか」などと考えていて、ここで役に立った訳ですね。

上部構造をほぼ全部取り払って、何よりも水線長をうんと短くして(=切り詰めて)、艦尾形状をやすりで整形して、新たにストックパーツとプラ・ロッド等から上部構造(らしきもの)を組み上げて・・・。つまり結構な「セミ・スクラッチ」だったわけです。でも、これでミッシングリンクの一つが埋まったわけですから、筆者としては大満足です。

(ベースにして完成した自称「測天級」とベースの水雷艇の比較がこちら)f:id:fw688i:20211205140754p:image

実はもう一隻、同型の水雷艇のモデルが残っているので、こちらをベースに「神島級」も作ってしまおうかと思っています。(「神島級」は「測天級」の改良型ではあるのですが、戦時急造艦艇らしく直線的で、つまり海防艦的な構造を多用しているので、「測天級」のセミ・スクラッチから、少し制作の方針を変えねばなりません。どうしようかな、と迷っています。と言っても困っている訳ではなく、セミ・スクラッチの醍醐味、といえばそうなのです。つまり、結構楽しんでいる、そういうことです)

 

 「神島級」敷設艇(同型2隻:1945-終戦時に2隻とも残存) 

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(Oceanicレーベルでモデルあり、モデル未入手)

本土防衛のために「測天級」の簡易版として急遽建造された艦級です。3隻が着工し、1隻が建造中止、「神島」のみ1945年7月に就役しました。「粟島」は艤装中に終戦を迎え、終戦後に復員輸送船として就役しました。(766トン、16.5ノット、主兵装:40mm機関砲×1・25mm機銃×3)

 

日本海軍が初めて設計した敷設艦

敷設艦「勝力」(1917−1944)

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(上の写真は日本海軍が初めて建造した敷設艦「勝力」の概観: 65mm in 1:1250 by Tremo(?): 下の写真は太平洋戦争時の=測量艦時代の「勝力」の主砲配置。「勝力」は就役時には12センチ砲3基を搭載していました。艦首部に2基搭載された12センチ単装砲は並行に配置されていました。その後、8センチ高角砲に換装されましたが、3基装備説と2基装備説:もしかすると時期によって搭載数が変わるのかもしれません:がありはっきりしません。高角砲を狭い全部甲板に2基並行配置、というのはどうも腹落ちがしないので、ここでは2基説を採用しています)

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日本海軍の機雷敷設艦艇の紹介の冒頭で、「日本海軍はその創設以来、機雷敷設業務には専用艦船を建造せず、旧式の装甲巡洋艦や徴用した商船等を改造し、その役務に配置してきていました」と記載していました。

「勝力」は日本海軍が最初に建造した敷設艦(就役当初は「敷設船」と呼ばれていた?)です。敷設艇を大型化した発展形で、商船的な構造をしていました。老朽化のため1935年に測量艦に艦種変更され、太平洋戦争でも測量任務に従事していました。

 

1944年9月、フィリピン海域で米潜水艦により撃沈されています。

 

 

掃海艇について(再録)

掃海艇は本来、その名の通り掃海任務を担当する艦種ですが、日本海軍は「八八艦隊計画」までは旧式の駆逐艦をこの任務に当てていました。「八八艦隊計画」により初めて専任艦艇を設計する事になるのですが、この計画自体が「艦隊決戦」構想に基づく計画であり、日本海軍では主力艦隊の前路開削のための敵艦隊前での掃海任務を想定し、その艦型に比較すると大きな砲力を備えている特徴がありました。

大戦中は掃海装備のための後甲板に対潜装備を搭載し、掃海任務だけでなく、船団護衛等にも活躍しました。

艦級としては以下のクラスがありますが、本稿で扱う1:1250スケールで模型化されているのは

私の知る限り「第13号級」、「第7号級」と「第19号級」の3クラスです。

 

第1号級掃海艇(既存モデル、あった!?)

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(直下の写真:「第1号級」掃海艇の概観。59mm in 1:1250 bt ??? メーカー不明)

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筆者が頼りにしている艦船モデルのデータベースsammelhafen.deで調べても、「第1号級」掃海艇のモデルは登録されていないのですが、筆者のストックモデルでそれらしきものを発見。少しディテイルアップをしてみました。

 

「第1号級」掃海艇は、それまで旧式駆逐艦等を掃海任務に割り当てていた日本海軍が、大正期の八八艦隊計画の一環として初めて「掃海艇」として設計した艦級です。日本海軍の掃海艇の常として、敵前での主力艦隊の前路開削を想定しているため、本級も艦型に比して比較的強力な砲力を搭載していました。(600トン、12cm平射砲2門、20ノット)

同型艦に、本級を改良した「第5号級」掃海艇があります。

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同級も外観的には大差がなく、「第1号級」「第5号級」併せて6隻が建造され、太平洋戦争には、その汎用性を買われて本来の掃海任務の他、船団護衛等にも従事しました。第4号掃海艇を除いて、全てが太平洋戦争で失われました。

 

第13号級掃海艇

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 (直下の写真:「第13号級」掃海艇の復原性改修後の概観。58mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces) 

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設計当時の日本海軍の艦艇設計の共通点として、重武装でトップヘビーであり、復原性に課題がある艦級とされていました。上述の「友鶴事件」で改修工事が行われ、艦橋が一段低められ艦底部のバラストキールが装着されるなどの対策が取られました。(690トン、12cm平射砲2門、19ノット:復原性改善工事後)

 

次級の「第17号級」は元々は本級の5番艦、6番艦でしたが、設計段階で上記の改修が反映され、船体が少し小さくなりました。

第十七号型掃海艇 - Wikipedia

 

第7号級掃海艇 

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(直上の写真「第7号級」掃海艇の概観。59mm in 1:1250 by Trident 前部マストをプラロッドに変更)

「友鶴事件」「第四艦隊事件」等を経て、設計された掃海艇です。艦型は復原性・船体強度などの前級が抱えていた問題を考慮して、異なる外観となっています。しかしその任務想定が艦隊の前路開削や、上陸地点の航路掃海等、敵前での業務を想定していたため、船体の大きさに対して大きな砲力を有していました。(630トン、12cm平射砲3門、20ノット)

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(直上の写真:「第7号級」掃海艇と本稿では既出の「第19号級」掃海艇との艦型比較。直下の写真:主砲が「第7号級」掃海艇では平射砲であるのに対し(上段)、「第19号級」ではM型砲架の採用により、仰角が挙げられているのが分かります) 

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 第19号級掃海艇

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 (直下の写真:「第19号級」掃海艇の概観。59mm in 1:1250 by Trident: 「鴻級」水雷艇と同様に、主砲は55°の仰角での射撃を可能したM型砲塔を搭載していました。艦種も第25号艇以降は戦時急増のために簡素化した直線的な艦首を採用しています) 

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 同級では主砲が仰角をかけることの出来るM型砲架に改められています。同砲架は55°まで仰角をかけることができましたが、対空戦闘ではなく、対地上砲撃等を想定したとされています。実際に前出の「第13号級」では太平洋戦争の緒戦のボルネオ攻略戦闘で、陸上砲台からの射撃で2隻が失われています。上陸作戦等に伴う前路開削等には、その様な陸上砲撃を行う機会が伴ったのかもしれません。(650トン、12cm3門(M型砲架)、20ノット)

また同級の第25号艇以降は、戦時急造適応のため簡易化が行われ、艦首形状が直線化しています。

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 (直上の写真:「第13号級」と「第19号級」掃海艇の概観比較。「第13号級」は設計当時の日本海軍の通弊だった幅広の艦型を持ち喫水が浅く重装備のためにヘビートップの傾向がありました)
 (直下の写真は、「第7号級」掃海艇までが装備していた防楯付き12cm平射砲(上段)と、「第19号級」掃海艇が装備したM型砲架12cm砲(下段):写真はいずれも前出の水雷艇のものですが、掃海艇でも同様の主砲搭載形式の変更があ行われました。M型砲架の採用により55°までの仰角での射撃が可能になりましたが、この変更の目的は対空戦闘よりも対艦・対陸上砲撃への適応を考慮されたものでした)

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上記の6クラスで35隻が建造されましたが、30隻が戦没しています。

 

 

ということで、今回はこの辺りでおしまい。

次回は「グレイハウンド」も何度か観たし、映画「グレイハウンド」関連と、その他の船団護衛小説関連でもやりましょうか。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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(補遺:リトライ)「初春級」駆逐艦竣工時の制作 付録「千鳥級」水雷艇 その他諸々

本稿前回で「初春級」駆逐艦の竣工時モデルが未市販のためセミ・スクラッチでの自作への挑戦をご紹介したわけですが、前回をお読みいただいた方はご承知のように、筆者のリサーチ不足で完成したセミ・スクラッチモデルに欠陥が見つかり、「いずれは再トライ」と前回稿を結んでいました。

それを受けて、早速、再トライしました(気になるとじっとしていられない、と言うか、新しい餌を見つけると、食べずにいられない卑しさ、と言うか。自分でも困ったものです)。

その収録です。従って、ほぼ前回投稿に従って書き直しをしています。ご了承のほどを。

 

但し、これも前回稿で、「しかも、うまくいけば、以前から気になっている、日本海軍のもう一つの未整備モデルである「千鳥級」水雷艇の竣工時モデル(こちらも今回の「初春級」と同様、ワシントン・ロンドン体制の制約による過大兵備の要求から復原性に大きな問題を発生した艦級で、やはり復原性修復後のモデルしか市販されていません)のセミ・スクラッチも同時に手掛けられるかも(この作業には「初春級」の主砲塔:特に単装主砲塔と、多分、同級の艦橋が必要になってくるのです。結局、「初春級」を2隻潰すのだから、とある意味、怪我の功名かも」とも書いており、この時点で既にいくつかプランが思いついていたので、今回、それも併せて実施しています。

さらに嬉しい事に(困った事に)、この両方を実行するために何隻か手持ちのモデルを潰さねばならず、「であればついでに」と言う事でいくつかの手持ちの小艦艇のディテイル・アップの実施しましたので、そちらも少しご紹介します。

今回は、そんなお話です。

 

(以降、「初春級」の竣工時の部分は、前回稿が多用されます。間違い探しみたいに、所々、修正や加筆がありますので、それも楽しんでいただけると、とこれは勝手なお願いです。早速、始まり、始まり・・・)

本稿では、前回、前々回の2回に分けて日本海軍の太平洋戦争時の駆逐艦を総覧しました。
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fw688i.hatenablog.com

その中で、ワシントン・ロンドン体制下で設計された「初春級」についても記述したのですが、この艦級は、日本海軍の駆逐艦の中で竣工時の設計に問題があり、就役後、最も大きな改修を必要とした艦級であったにも関わらず、現在、本稿がご紹介している1:1250スケールで市販されているのは改修後のモデルだけで、竣工時のモデルは販売されていません。

今回は現行の改修後モデルをベースに、竣工時をなんとか再現してみようという、セミ・スクラッチの試みのご紹介です。

 

本稿でご紹介した「初春級」を以下の再録しておきます。(前出の 日本海軍:大戦期の駆逐艦(その1)より)

 

 中型(1400トン級)駆逐艦の建造:ロンドン条約の申し子?

「初春級」駆逐艦(6隻)

ワシントン条約に続く ロンドン条約では、それまで制限のなかった補助艦艇にも制限が加えられ、駆逐艦にも保有制限枠が設けられました。特に駆逐艦には1500トンを超える艦は総保有量(合計排水量)の16%以内という項目が加えられました。このため1700トン級(公称)の「吹雪級」駆逐艦をこれ以上建造できなくなり(日本としては財政的な視点から、「吹雪級」の増産を継続するよりも、もう少し安価な艦で数を満たす切実な事情もあったのですが)、次の「初春級」では、1400トン級の船体と「吹雪級」と同等の性能の両立という課題に挑戦することになりました。

ja.wikipedia.org

結果として、竣工時の「初春級」駆逐艦は、主砲として、艦首部に「吹雪級」と同じ「50口径3年式12.7cm砲」B型連装砲塔とB型連装砲塔と同じく仰角を75度に改めたA型改1単装砲塔を背負い式に装備し、艦尾にB型連装砲塔を配置しました。さらに「吹雪級」と同じ61cm3連装魚雷発射管を3基(9射線)を装備し、予備魚雷も「吹雪級」と同数を搭載。加えて次発装填装置をも初めて装備し、魚雷発射後の再雷撃までの時間短縮を可能としました。機関には「吹雪級Ⅲ型」と同じ空気予熱器付きの缶3基を搭載し、36.5ノットの速力を発揮することができました。

1400トン級のコンパクトな船体に「吹雪級」とほぼ同等な重武装と機関を搭載し、かつ搭載する強力な主砲と雷装を総覧する艦橋は大型化したことにより、無理を重ねた設計でした。そしてそれは顕著なトップヘビーの傾向として顕在化することになります。

既に公試時の10度程度の進路変更時ですら危険な大傾斜傾向が現れ、バルジの追加等で何とか就役しますが、この設計原案での建造は「初春」と「子の日」の2隻のみのとどめられました。さらにその後の発生した友鶴事件により、設計は復原性改善を目指して全面体に見直されました。

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初春:竣工時の艦型概観(「初春」「子の日」のみ)

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このげ初春:復原性改修後の艦型概観

(上のシルエットは次のサイトからお借りしています

http://www.jam.bx.sakura.ne.jp/dd/dd_class_hatsuharu.html

残念ながら、竣工時の「初春級」については 1:1250スケールのモデルがありません。スクラッチにトライするには、やや手持ちの「初春級」のモデルが足りていません。 いずれはトライする予定ですが、今回はご勘弁を)

 

平たくいうと、軍縮の制限下での駆逐艦保有トン数と戦術的な要求とのせめぎ合いで、無理に無理を重ねた艦級と言えるでしょう。 中型駆逐艦に大型駆逐艦に等しい兵装を搭載しよう、というわけです。

 

さて、今回の「初春級(竣工時)」の制作にあたり、ベースとするのは「初春級(改修後)」のNeptune製のモデルです。

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(直上の写真:復原性改善修復後の「初春級」の概観。88mm in 1:1250 by Neptune)

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(直上の写真:「初春級」の特徴である次発想定装置付きの3連装魚雷発射管(上段)と、艦尾部に背中合わせに配置された単装主砲砲塔と連装砲塔:仰角75度の高角射撃も可能とした砲塔でした。この砲塔は装填機構の問題から装填時に平射位置まで砲身を戻さねばならず、射撃速度が低く対空砲としては実用性に乏しいものでした)

 

セミ・スクラッチのベースにするのは「初春級」の旧モデル(Neptune社製)

本稿でも一度ご紹介したことがあるのですが、実は本稿で扱っている1:1250モデルでも、制作各社でのモデルのリニューアルが行なわれており、次第にディテイルが精緻になり、それはそれで嬉しいことなのですが、一方でコレクターの立場で言うと、これに付き合っていると、理想的にいうと数年に一度、モデルの総入れ替のような事になり、とても付き合いきれないので、どこで思い切るのか、という悩ましい決断を迫られます。

一方で、筆者の場合には手元に一定の旧モデル、つまりコレクション落ちのモデルがある事になり、これが結構パーツ用のストックになっていたりします。

「初春級」でも現在、3隻のストックがあり、そのうちの一隻が旧モデルでしたので、今回の「竣工時」モデルの製作にはこの旧モデルをベースとして使う事にしました。幸か不幸か、旧モデルは乾舷が新モデルに比べやや高く、復原性に大きな課題を抱えていた「初春級(竣工時)」の「腰高な感じ」を出すにはちょうど良かったかもしれません(何でもポジティブに捉えるなあって?おっしゃる通りかも・・・)。

 

(追記と編集)と言う事で、Neptune社製の旧モデルをベースに前回は竣工時モデルのセミ・スクラッチに挑戦したわけですが、実はこの旧モデルには大きな落とし穴がありました。以下、はその欠陥部分についての記述。

 

しかし、よく見ると、ああ、何とも致命的な・・・。

完成した「竣工時」のモデルをよく見ていると、「あれれ・・・」、実は、致命的な欠陥を発見してしまいました。

「初春級」は既述のように日本海軍で初めて魚雷の次発装填装置を搭載した艦級です。

この 次発装填装置は、それまでチェーンと運搬車で作業されていた魚雷の発射管への装填業務を、魚雷発射後わずか20秒程度に短縮する、という画期的な装置ですが、反面、次発装填装置自体を魚雷発射管と同レベルに設置する必要がありました。これは「初春級」の重心上昇の一因ともなったわけですが、1番煙突と2番煙突間に配置された1番発射管用の自発装填装置は、2番煙突左脇に搭載されており、このため2番煙突は艦の中心位置から艦首を上に見てやや右にオフセットされて配置されていました。

ところが今回ベースとして使用したNeptune社の「初春級」の旧モデルは、この1番発射管用の次発装填装置が、あれれ、ないじゃないか!しかも、2番煙突が逆に左にオフセットした位置に配置されてる事に、完成後に気付いてしまいました。上記のように、結構、次発装填装置にはこだわりがあって、上述の工程で説明したように、自作した後橋部の建屋作成では、気にかけて作業をした部分でもあるので、結構びっくり。

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 (左が「初春級」新モデル:1番発射管と2番発射管の間にある2番煙突は、1番発射管の次発装填装置の関係で、船体中心線より選手を上に見てやや右にオフセットした位置に配置されています。これが正解!1番発射管用の次発装填装置は、左写真の中程、2番魚雷発射管の左上に設置されている斜めに設置された構造物です。この箱の中に次発装填用の魚雷が収納されていて、魚雷発射管内の初発魚雷は発射された後に、発射管後部から装填される仕掛けです。装填に要する時間、約20秒! 右の写真は今回使用した「「初春級」級モデルをベースにした竣工時のモデル:2番煙突がやや左にオフセットされています。しかもこだわりの次発装填装置がない!これは気になる、でしょう!?)

 

うう、リサーチ不足だった、と少しがっくり。しかも、これは気がついてしまうと、気になる。

対策は、と考えてみます。手っ取り早く思えるのは2番煙突の位置変更ですが、2番煙突の位置変更は、実は1:1250スケールではちょっと大事です。そっくり2番煙突ブロックを船体から切除して、加工して再移築というような作業が想定されますが、いつもは「手軽さ」となるスケールの小ささが今回は災いして、切除に使用するソー、あるいはニッパの刃が構造を必ず損なう結果になると考えています(筆者の手技不足も、もちろん大きな要因ですが)。結局、検討の結果は、新モデルをベースにもう一回やり直すしかない、かと・・・・。

 

(追記と編集)で、今回のやり直しになるわけです。併せて、ちょっと欲張った事も下記のように書いています。

 

という事で、いずれ新モデルをベースに(もったいないなあ)再作業する事にします。まあこういう事もありますよね。

今回の経験で作業の大体の要領と手順は分かったし、今回手をかけた艦橋部と後橋部の建屋は多分両方転用できそうですので、作業は幾分手軽になるかと。筆者的にはまた楽しみが増えた、という事です。(と、前向きに・・・)

しかも、うまくいけば、以前から気になっている、日本海軍のもう一つの未整備モデルである「千鳥級」水雷艇の竣工時モデル(こちらも今回の「初春級」と同様、ワシントン・ロンドン体制の制約による過大兵備の要求から復原性に大きな問題を発生した艦級で、やはり復原性修復後のモデルしか市販されていません)のセミ・スクラッチも同時に手掛けられるかも(この作業には「初春級」の主砲塔:特に単装主砲塔と、多分、同級の艦橋が必要になってくるのです。結局、「初春級」を2隻潰すのだから、とある意味、怪我の功名かも。課題は「千鳥級」の竣工時の連装魚雷発射管を自作しなくてはならないところ。小さな部品ではありますが、一つの特徴でもあるので、ちょっと慎重に準備しなくてはなりません。・・・と、すっかり同時着手の気になってしまっている!!)。

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(早速、同時着手:「千鳥級」(上)と「初春級」(下)いずれもNeptune社製モデルの上部構造物を、必要な箇所をのぞいて切除)

 

で、早速、着手、となるわけですが・・・

「初春級」竣工時と復原性改修後の相違点

「初春級」(竣工時)の再現にあたって、最も肝となるのは、その兵装配置である事は明らかです。

「初春級」(改修後)では、その兵装配置は日本海軍艦隊駆逐艦の標準的なもので、艦首に1番連装主砲塔を搭載し、第一煙突と第二煙突の間に1番魚雷発射管(3連装)、第二煙突直後に2番魚雷発射管(3連装)という配置になります。その後部に魚雷の自発装填装置を組み込んだ後橋、その後ろに2番主砲塔(単装)、3番主砲塔(連装)が背中合わせに配置されています。f:id:fw688i:20200822010836j:plain

 

これに対し「初春級」(竣工時)では、艦首部に1番主砲塔(連装)と2番主砲塔(単装)が背負い式に配置されるという、本級のみに見られる大変ユニークな配置になっています。同時にこの背負式の主砲配置に伴い艦橋部が大型化しています。さらに、第一煙突と第二煙突の間の1番魚雷発射管(3連装)、第二煙突直後の2番魚雷発射管(3連装)に加え、さらにその後ろの後橋部に組み込まれる形で3番発射管(3連装)が少し配置位置を高めにして背負い式のような形で装備され、竣工時には大型駆逐艦並の9射線の魚雷発射能力を誇っていました。そして後橋の後に3番主砲塔(連装)が配置されていました。

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「初春級」(竣工時)のセミ・スクラッチ手順(ここからはリトライ作業ベースのお話に書き換えていきます)

という事で、今回のセミ・スクラッチは結構大工事になりました。

⑴まず艦橋を切除(これはもちろん後で使うので保管しておきます、が、結局は前回作成した旧モデルベースの艦橋を使う事にしました。艦橋が一つストックに。後で出てくるので、忘れないでね)。

⑵次にとりあえず2番魚雷発射管を撤去。:竣工時モデルでは3基必要となりますので、ストックに入っていたTrident社製の「吹雪級」のモデルから魚雷発射管を拝借します。(Trident社製モデルも、パーツ分割が容易で、パーツの精度も高いので、こう言うセミクラッチの際には、大変重宝します)。しかもありがたい事に、Trident社製の発射管はNeptune社製の発射管とディテイルも大きさもほとんど違和感がありません

⑶後橋と2番砲塔(単装)を撤去:2番砲塔は貴重な単装砲塔です。もちろん後で使うので保管します。

⑷撤去後をできるだけ平らにヤスリでゴリゴリ。

⑸前述の2番・3番発射管を拝借したTrident社製「吹雪級」の後橋部分をベースに整形を施し後橋部分を制作。艦橋下層部には艦橋上部を乗せ、先端に2番主砲塔(単装)を搭載。後橋部には3番魚雷発射管とブリッジらしく見えるように少しストックから部品を追加。

これらを再度組み上げて、マストを整理して出来上がり、という事になります。

 

 そして、塗装をして完成

 下の写真が完成形。兵装の過多と、それに伴うトップヘビー感がでていれば一応の成功です。

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(直上の写真は「初春級」竣工時の概観:88mm in 1:1250 by Neptuneをベースにセミ・スクラッチ

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(直上の写真は、「初春級」竣工時の特徴のアップ。左上:艦橋部。艦橋部の下層構造を延長し、艦橋の位置をやや後方へ。艦橋部下層構造の前端に2番主砲塔(単装)を、1番主砲塔(連装)と背負い式になるように配置。右上:2番魚雷発射管。これは全く手をつけず。下段左と中央:後橋部分と2番・3番発射管の配置状況。3番発射管自体は、船体中心線に対し、やや右にオフセットした位置に追加。細かいこだわりですが、一応、3番発射管用の次発装填装置を後橋部の構造建屋の上に設置。2番発射管用の次発装填装置は後橋部建屋の左側の斜め張り出し部に内蔵されています)

 

復原性修復後のモデルとの比較は以下に。二枚とも、上が「竣工時(今回セミ・スクラッチ製作したモデル)」、下が「復原性修復後」のモデル(Neptune社の現行の市販モデル)。

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「竣工時」の過大な兵装とそれに因る腰高感が表現できているかどうか・・・。できているんじゃないかな(とちょっと自画自賛)。 

 

と言う事で、「初春級」の竣工時モデルについては、ここまで。

 

さて続いて・・・。

「千鳥級」水雷艇 竣工時モデルの制作

前述の通り、「千鳥級」水雷艇についても既述の「初春級」と同様、ワシントン・ロンドン体制の制約による過大兵備の要求から復原性に大きな問題を発生した艦級で、やはり復原性修復後のモデルしか市販されていませんでした。

そこで、今回の「初春級」リトライをきっかけにこちらにも挑戦。

この同時挑戦についての大きな動機は「初春級」の再制作(Neptune社製新モデルをベースに再製作)に伴い「50口径3年式12.7cm砲」の砲塔セットがもう1組ストック入りした事で、この中には「初春級」の特徴でもある単装砲塔が含まれています。「千鳥級」水雷艇の竣工時モデルの製作にあたっては、この単装砲塔が不可欠で、これが今回の「同時製作」の大きなきっかけになりました。

 

「千鳥級」水雷艇

ja.wikipedia.org 600トンを切る小さな艦体に、当時の主力駆逐艦と同様に50口径5インチ砲(12.7cm砲)を、艦首部に単装砲塔、艦尾部に連装砲塔という配置で3門を搭載し、さらに連装魚雷発射管を2基、予備魚雷も同数装備、30ノットの速力を発揮する高性能艦として誕生します。駆逐艦なみの主砲装備のために射撃管制塔の要請から艦橋も大型化し、設計中から既に重武装に起因する復原力不足は課題として意識されていました。

公試時の転舵では大傾斜が生じ、急遽大きなバルジを追加装備する形で対策がとられ竣工しました。

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 (直上の写真:「千鳥級」水雷艇の竣工時の概観。63mm in 1:1250 by Neptuneベースのセミ・スクラッチ)

 

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 (直上の写真:「千鳥級」水雷艇の竣工時の特徴のアップ。上段:艦首部の単装砲塔と背の高い艦橋部。舷側には復原性対策として急遽増設されたバルジを再現してあります。下段左:連装魚雷発射管を2基装備、下段右:艦尾部の連装主砲塔)

 

その後、同型艦の「友鶴」で、40度程度の傾斜から転覆してしまうという事故が発生し(設計では90度傾斜でも復原できる事になっていました)、深刻な復原力不足が露呈します。

友鶴事件 - Wikipedia

事件後、設計が見直され、ほぼ別設計の艦として同級は生まれ変わります。その変更点は、艦橋を1層減じ小型化すると共に、バルジを撤去し代わりに艦底にバラストキール(98トン)の装着によるトップヘビー解消。そして武装を再考し、主砲口径を5インチ砲から12センチ砲へと縮小し、搭載形式も砲塔式から防楯付き単装砲架への変更(22トンの重量削減)、あわせて魚雷発射管を連装1基へ削減し予備魚雷も搭載しない(40トンの重量削減)、等により復元力は改善されましたが、速力は28ノットに低下してしまいました。

 (直下の写真:「千鳥級」水雷艇の復原性改修後の概観。63mm in 1:1250 by Neptune)

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竣工時と復原性改修後の比較は以下に。竣工時のモデルはイタリア海軍の水雷艇によく似ている気がします。海面のおだやかな地中海であればこれで大丈夫なのかもしれませんね。

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戦争中は、敵潜水艦に対する速力不足が常に課題とされた「海防艦」と異なり、その優速を生かした理想的な対潜制圧艦と評価され、船団護衛等に活躍しました。

同型艦4隻中3隻が戦没。

(この記述は、本稿の「大好きな小艦艇特集(二等駆逐艦水雷艇・掃海艇・駆潜艇)」にも反映されています)


その他のモデル、若干のセミクラッチ

今回の「初春級」竣工時、「千鳥級」竣工時の製作に伴い、ストックパーツの整理、ストックモデルの見直しと分解等の作業を行ったのですが、それに伴い、死蔵していた古いストックモデルにも整理の機会がありました。以下はそのまとめ。

 

「第1号級」掃海艇(既存モデル、あった!?)

ja.wikipedia.org

(直下の写真:「第1号級」掃海艇の概観。59mm in 1:1250 bt ??? メーカー不明)

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筆者が頼りにしている艦船モデルのデータベースsammelhafen.deで調べても、「第1号級」掃海艇のモデルは登録されていないのですが、筆者のストックモデルでそれらしきものを発見。少しディテイルアップをしてみました。(↓頼りにしているデータベースはこちら)

sammelhafen.de

 

「第1号級」掃海艇は、それまで旧式駆逐艦等を掃海任務に割り当てていた日本海軍が、大正期の八八艦隊計画の一環として初めて当初から「掃海艇」として設計した艦級です。日本海軍の掃海艇の常として、敵前での主力艦隊の前路開削を想定しているため、本級も艦型に比して比較的強力な砲力を搭載していました。(600トン、12cm平射砲2門、20ノット)

同型艦に、本級を改良した「第5号級」掃海艇があります。

ja.wikipedia.org

「第1号級」も「第5号級」も準同型艦で外観には大差がなく、「第1号級」「第5号級」併せて6隻が建造され、太平洋戦争には、その汎用性を買われて本来の掃海任務の他、船団護衛等にも従事しました。第4号掃海艇を除いて、全てが太平洋戦争で失われました。

(この記述は、本稿の「大好きな小艦艇特集(二等駆逐艦水雷艇・掃海艇・駆潜艇)」にも反映されています)

 

 機雷敷設艦というジャンル

これまで本稿ではこのジャンルについて「日本海巡洋艦開発小史(その4) 平賀デザインの巡洋艦」の回に、同回の主役であった「古鷹級」巡洋艦ロンドン条約の制限に関連する記述でわずかに機雷敷設艦津軽」について、以下のように軽く触れただけでした。

 

ロンドン海軍軍縮条約で生まれた「重巡洋艦」(カテゴリーA)の話

ロンドン条約では「主砲口径が6.1インチを超え、8インチ以下で、10000トン以下の艦」をカテゴリーA:重巡洋艦とすると言う定義が行われることになります。この定義は、「夕張」「古鷹級」と言う画期的なコンパクトな重武装艦を生み出し始めた日本海軍を警戒して列強が定め、「古鷹級」とこれに続く「青葉級」をカテゴリーAの総排水量の中でカウントし、その保有数に限界を持たせることを狙ったとも言われています。

同様の制約は、その他の補助艦艇に対する制約でも現れます。その一つが機雷敷設艦艇での制限で、ここでは新造される機雷敷設艦の最大速力を20ノットと制限することで、日本海軍が高速で強力な兵装を持つ、軽巡洋艦或いは重巡洋艦に匹敵するような高速機雷敷設巡洋艦保有することを制限する狙いがあった、と言われています。これも「夕張」「古鷹級」のもたらした副産物と言えるかもしれません。

 

機雷敷設艦津軽
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(直上の写真は、上述の機雷敷設艦津軽」:104mm in 1:1250 by Neptune)

ja.wikipedia.org

 4000トンの船体を持ち、条約制限いっぱいの20ノットの速力を有していました。「津軽」は12.5cm 連装対空砲を2基を主砲として搭載していますが、準同型艦の「沖島」は軽巡洋艦と同等の14cm主砲を連装砲塔形式で2基、保有していました。ロンドン海軍軍縮条約で、機雷敷設艦等の補助艦艇には最高速力を20ノット以下とする、という制限がかかりましたが、これは、「夕張」「古鷹級」等のコンパクト重装備艦の登場を警戒した列強が、機雷敷設艦の名目で日本海軍が軽巡洋艦として運用できる強力な敷設巡洋艦を建造することを予防した、と言われています。実際に太平洋戦争では、中部太平洋ソロモン諸島方面で輸送船団の護衛や、自ら輸送・揚陸任務など、高速を必要とする水雷戦隊旗艦等の任務を除けば、他の軽巡洋艦と同等に活躍しています。

 

機雷敷設艦厳島」「白鷹」

本稿では既述ですので、お読みいただいた方もいらっしゃるとは思いますが、実は筆者はこうした補助小艦艇が大好きです。

今回ストックモデルの整理にあたって、なんとも嬉しい事に「厳島」と「白鷹」の二つのモデルを死蔵していたことを発見。これに手を加える機会がありました。

飽きやすい性格も手伝って、途中からは今回の主役であるべき「初春級」「千鳥級」を押し除けて、週の後半は「機雷敷設艦」のシリーズ展開のことばかり考える始末。

これらは死蔵モデルの発見と、「初春級」「千鳥級」のセミ・スクラッチにともない発生したストックモデルのパーツ(特に今回は駆逐艦の艦橋パーツ)の再利用機会の模索が大きく影響しています。

実は両モデルを死蔵のままにしていた理由は、両オリジナルモデルの艦橋の造作が何かピンときていなかった、つまり「いずれは手を入れようと思っていた」という背景が大きく作用しています。そうした事態が、今回の駆逐艦ストックモデルの分解作業に刺激されて一気に表面化した、という、筆者の内面を分析すると、おそらくそういうことです。

併せて軽く紹介しておきます。

 

機雷敷設艦厳島

掃海艇同様、日本海軍は機雷敷設業務に、旧式の装甲巡洋艦等を当てていましたが、大正期の八八艦隊計画に準じて、初めて本格的な機雷敷設艦の設計に着手しました。それが「厳島」です。
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(直上の写真は、機雷敷設艦厳島」:89mm in 1:1250 by Authenticast)

ja.wikipedia.org

2000トン級の艦型に、主機にはディーゼル機関を採用しています。設計当時の艦隊決戦主戦場と想定されていた南洋諸島方面での機雷敷設任務を想定し航続距離と機雷搭載量が重視され、速力は17ノットと少し控えめに設定されています。

日本海軍の常として強行敷設、敵前敷設をも想定したため、2000トンの艦型の割には比較的強力な砲力をもっています。(14センチ砲単装砲3基)

 

急設網艦「白鷹」

その名の通り、艦隊泊地などに対潜水艦侵入防止用の防潜網を展張する役目を負う艦種ですが、機雷敷設の能力もあるため、正式の艦種分類は日本海軍では機雷敷設艦となっています。

「白鷹」(「ハクタカ」ではなく「シラタカ」と読みます)は日本海軍が建造した最初の「急設網艦」ですが、同時に世界で初めて防潜網敷設艦として設計された船でもあります。

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(直上の写真は、急設網艦「白鷹」:69mm in 1:1250 by Superior?ちょっと怪しい。兵装配置はほぼ最終時点=8cm高角砲2基を主兵装とした時点を再現しているつもりです。もう少し爆雷投射機等があったほうがいいかも)

ja.wikipedia.org

就役当初から復原性に大きな課題を抱えており、重装備であった砲兵装が順次改められてゆきました。また大戦の推移にともない防潜網の展張、機雷敷設の機会の減少に準じ、敷設関係の装備を撤去して代わりに対潜装備を搭載。最終的には船団護衛に従事したと言われています。

(1300トン、12cm高角砲3基(竣工時)、のち8cm高角砲2基、速力16ノット)

 

機雷敷設艦厳島」と急設網艦「白鷹」

 両艦の大きさの比較は以下の通りです。両艦ともに就役後復原性の不足に苦しみ、数度の改装を受けています。

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なんか、こういうマイナーなモデルに手を入れて、なんとなく「らしい」と思えるモデルに「できた」と思える時、「ああ、やっててよかったなあ」と思えるんですよね。<<<全くの自己満足発言であることは自覚しています。

 

今回は、いずれも艦のフォルムそのものは手を入れず、両艦とも艦橋を駆逐艦のストックパーツに入れ替えています(実は「白鷹」の艦橋には、冒頭ご紹介した「初春級」竣工時モデルの箇所で紹介したNeptune社「初春」の新モデルの切除された艦橋の上部が転用されています。ね、出てきたでしょ)。

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(「厳島」(上)と「白鷹」(下)のそれぞれのオリジナルモデル。どちらも艦橋が、なんかねえ、と思いません?)

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併せて武装パーツをストック中からもう少しモールドのシャープなもの、あるいは他のスケールのストックパーツから転用できそうなもの(例えば1:700スケールの機銃を高角砲にとか)に換装したりしています。

 

こうして、「機雷敷設艦」のジャンルについては、大どころが揃ってきました。大きなところで欠けているのは「沖島」と「八重山」、そして急設網館「初鷹級」でしょうか。

沖島」は準同型艦津軽」からのセミ・スクラッチが完了しているので、あとは「八重山」と「初鷹級」ですが、これがどうにも手に入りません。「八重山」については、製造元(Midwayという会社だったのですが)が既に廃業していることがUSのコレクターからの情報でわかりました。「他にはちょっと知らないなあ。中古モデルを気長に探すしかなさそうだよ」というコメントでした。

 

ということで、次回は、「機雷敷設艦」を、今あるところまでで、一旦おさらいしておきましょうかね。

 

おまけ:測量艦「筑紫」らしき・・・

小艦艇の死蔵モデルの中には「艦級名」すらわからないものも、多数含まれています。

「何だろうこれは?」ということで、少々無理やり寸法の似ている測量艦「筑紫」に似せて仕上げてしまおう。(実は「筑紫」と言い切るには船首楼が長すぎるのです。乾舷も低すぎるかも)
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(直上の写真は、測量艦「筑紫」らしき・・・:69mm in 1:1250 by ??? 不明)

ja.wikipedia.org

 

ということで、今回はこの辺りでおしまい。

次回は前述のように「機雷敷設艦」関連で、一度まとめをしておきましょうか。「グレイハウンド」も何度か観たし。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

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日本海軍:大戦期の駆逐艦(補遺)「初春級」駆逐艦 竣工時の制作/実は失敗の巻 

本稿では、前回、前々回の2回に分けて日本海軍の太平洋戦争時の駆逐艦を総覧しました。

fw688i.hatenablog.com

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その中で、ワシントン・ロンドン体制下で設計された「初春級」についても記述したのですが、この艦級は、日本海軍の駆逐艦の中で竣工時の設計に問題があり、就役後、最も大きな改修を必要とした艦級であったにも関わらず、現在、本稿がご紹介している1:1250スケールで市販されているのは改修後のモデルだけで、竣工時のモデルは販売されていません。

今回は現行の改修後モデルをベースに、竣工時をなんとか再現してみようという、セミ・スクラッチの試みのご紹介です。

 

本稿でご紹介した「初春級」を以下の再録しておきます。(前出の 日本海軍:大戦期の駆逐艦(その1)より)

 

 中型(1400トン級)駆逐艦の建造:ロンドン条約の申し子?

「初春級」駆逐艦(6隻)

ワシントン条約に続く ロンドン条約では、それまで制限のなかった補助艦艇にも制限が加えられ、駆逐艦にも保有制限枠が設けられました。特に駆逐艦には1500トンを超える艦は総保有量(合計排水量)の16%以内という項目が加えられました。このため1700トン級(公称)の「吹雪級」駆逐艦をこれ以上建造できなくなり(日本としては財政的な視点から、「吹雪級」の増産を継続するよりも、もう少し安価な艦で数を満たす切実な事情もあったのですが)、次の「初春級」では、1400トン級の船体と「吹雪級」と同等の性能の両立という課題に挑戦することになりました。

ja.wikipedia.org

結果として、竣工時の「初春級」駆逐艦は、主砲として、艦首部に「吹雪級」と同じ「50口径3年式12.7cm砲」B型連装砲塔とB型連装砲塔と同じく仰角を75度に改めたA型改1単装砲塔を背負い式に装備し、艦尾にB型連装砲塔を配置しました。さらに「吹雪級」と同じ61cm3連装魚雷発射管を3基(9射線)を装備し、予備魚雷も「吹雪級」と同数を搭載。加えて次発装填装置をも初めて装備し、魚雷発射後の再雷撃までの時間短縮を可能としました。機関には「吹雪級Ⅲ型」と同じ空気予熱器付きの缶3基を搭載し、36.5ノットの速力を発揮することができました。

1400トン級のコンパクトな船体に「吹雪級」とほぼ同等な重武装と機関を搭載し、かつ搭載する強力な主砲と雷装を総覧する艦橋は大型化したことにより、無理を重ねた設計でした。そしてそれは顕著なトップヘビーの傾向として顕在化することになります。

既に公試時の10度程度の進路変更時ですら危険な大傾斜傾向が現れ、バルジの追加等で何とか就役しますが、この設計原案での建造は「初春」と「子の日」の2隻のみのとどめられました。さらにその後の発生した友鶴事件により、設計は復原性改善を目指して全面体に見直されました。

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初春:竣工時の艦型概観(「初春」「子の日」のみ)

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このげ初春:復原性改修後の艦型概観

(上のシルエットは次のサイトからお借りしています

http://www.jam.bx.sakura.ne.jp/dd/dd_class_hatsuharu.html

残念ながら、竣工時の「初春級」については 1:1250スケールのモデルがありません。スクラッチにトライするには、やや手持ちの「初春級」のモデルが足りていません。 いずれはトライする予定ですが、今回はご勘弁を)

 

平たくいうと、軍縮の制限下での駆逐艦保有トン数と戦術的な要求とのせめぎ合いで、無理に無理を重ねた艦級と言えるでしょう。 中型駆逐艦に大型駆逐艦に等しい兵装を搭載しよう、というわけです。

 

さて、今回の「初春級(竣工時)」の制作にあたり、ベースとするのは「初春級(改修後)」のNeptune製のモデルです。

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(直上の写真:復原性改善修復後の「初春級」の概観。88mm in 1:1250 by Neptune)

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(直上の写真:「初春級」の特徴である次発想定装置付きの3連装魚雷発射管(上段)と、艦尾部に背中合わせに配置された単装主砲砲塔と連装砲塔:仰角75度の高角射撃も可能とした砲塔でした。この砲塔は装填機構の問題から装填時に平射位置まで砲身を戻さねばならず、射撃速度が低く対空砲としては実用性に乏しいものでした)

 

セミ・スクラッチのベースにするのは「初春級」の旧モデル(Neptune社製)

本稿でも一度ご紹介したことがあるのですが、実は本稿で扱っている1:1250モデルでも、制作各社でのモデルのリニューアルが行なわれており、次第にディテイルが精緻になり、それはそれで嬉しいことなのですが、一方でコレクターの立場で言うと、これに付き合っていると、理想的にいうと数年に一度、モデルの総入れ替のような事になり、とても付き合いきれないので、どこで思い切るのか、という悩ましい決断を迫られます。

一方で、筆者の場合には手元に一定の旧モデル、つまりコレクション落ちのモデルがある事になり、これが結構パーツ用のストックになっていたりします。

「初春級」でも現在、3隻のストックがあり、そのうちの一隻が旧モデルでしたので、今回の「竣工時」モデルの製作にはこの旧モデルをベースとして使う事にしました。幸か不幸か、旧モデルは乾舷が新モデルに比べやや高く、復原性に大きな課題を抱えていた「初春級(竣工時)」の「腰高な感じ」を出すにはちょうど良かったかもしれません(何でもポジティブに捉えるなあって?おっしゃる通りかも・・・)。

 

「初春級」竣工時と復原性改修後の相違点

「初春級」(竣工時)の再現にあたって、最も肝となるのは、その兵装配置である事は明らかです。

「初春級」(改修後)では、その兵装配置は日本海軍艦隊駆逐艦の標準的なもので、艦首に1番連装主砲塔を搭載し、第一煙突と第二煙突の間に1番魚雷発射管(3連装)、第二煙突直後に2番魚雷発射管(3連装)という配置になります。その後部に魚雷の自発装填装置を組み込んだ後橋、その後ろに2番主砲塔(単装)、3番主砲塔(連装)が背中合わせに配置されています。f:id:fw688i:20200822010836j:plain

 

これに対し「初春級」(竣工時)では、艦首部に1番主砲塔(連装)と2番主砲塔(単装)が背負い式に配置されるという、本級のみに見られる大変ユニークな配置になっています。同時にこの背負式の主砲配置に伴い艦橋部が大型化しています。さらに、第一煙突と第二煙突の間の1番魚雷発射管(3連装)、第二煙突直後の2番魚雷発射管(3連装)に加え、さらにその後ろの後橋部に組み込まれる形で3番発射管(3連装)が少し配置位置を高めにして背負い式のような形で装備され、竣工時には大型駆逐艦並の9射線の魚雷発射能力を誇っていました。そして後橋の後に3番主砲塔(連装)が配置されていました。

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「初春級」(竣工時)のセミ・スクラッチ手順

という事で、今回のセミ・スクラッチは結構大工事になりました。

⑴まず艦橋を切除(これはもちろん後で使うので保管しておきます)。

⑵次にとりあえず魚雷発射管を全て撤去。:こちらは旧モデルではモールドに課題がある(私見ですが、ちょっと厚みがありすぎる?)し、更に言うと竣工時モデルでは3基必要となりますので、本稿でも「吹雪級」で紹介した DAMEYA製の3D Printing modelの発射管を、手持ちのストックから移植する事にしましたので、破棄します。

⑶後橋と2番砲塔(単装)を撤去:2番砲塔は貴重な単装砲塔です。もちろん後で使うので保管します。

⑷撤去後をできるだけ平らにヤスリでゴリゴリ。

⑸1.5mm厚のプラ平板で艦橋下層部と大型化した後橋部をパキパキと制作。艦橋下層部には艦橋上部を乗せ、先端に2番主砲塔(単装)を搭載。後橋部には3番魚雷発射管とブリッジらしく見えるように少しストックから部品を追加。

これらを再度組み上げて、マストを整理して出来上がり、という事になります。

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(直上の写真は、「初春級」竣工時の全体シルエット。武装配置の特徴と腰高感、何となくでてますかねえ?)

 

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(直上の写真は、手を入れた部分のアップ。左上:艦橋部。艦橋部の下層構造を延長し、艦橋の位置をやや後方へ。艦橋部下層構造の前端に2番主砲塔(単装)を、1番主砲塔(連装)と背負い式になるように配置。右上:2番魚雷発射管。下段:後橋部分と2番・3番発射管の配置状況。3番発射管自体は、船体中心線に対し、やや右にオフセットした位置に追加。細かいこだわりですが、一応、3番発射管用の次発装填装置を後橋部の構造建屋の上に設置。2番発射管用の次発装填装置は後橋部建屋の左側の斜め張り出し部に内蔵されています。**追加あるいは改修した部分は下地処理をしてあります)

 

 そして、塗装をして完成

 下の写真が完成形。兵装の過多と、それに伴うトップヘビー感がでていれば一応の成功です。

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復原性修復後のモデルとの比較は以下に。二枚とも、上が「竣工時(今回セミ・スクラッチ製作したモデル)」、下が「復原性修復後」のモデル(Neptune社の現行の市販モデル)。

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「竣工時」の過大な兵装とそれに因る腰高感が表現できているかどうか・・・。できているんじゃないかな(とちょっと自画自賛)。 

 

しかし、よく見ると、ああ、何とも致命的な・・・。

完成した「竣工時」のモデルをよく見ていると、「あれれ・・・」、実は、致命的な欠陥を発見してしまいました。

「初春級」は既述のように日本海軍で初めて魚雷の次発装填装置を搭載した艦級です。

この 次発装填装置は、それまでチェーンと運搬車で作業されていた魚雷の発射管への装填業務を、魚雷発射後わずか20秒程度に短縮する、という画期的な装置ですが、反面、次発装填装置自体を魚雷発射管と同レベルに設置する必要がありました。これは「初春級」の重心上昇の一因ともなったわけですが、1番煙突と2番煙突間に配置された1番発射管用の自発装填装置は、2番煙突左脇に搭載されており、このため2番煙突は艦の中心位置から艦首を上に見てやや右にオフセットされて配置されていました。

ところが今回ベースとして使用したNeptune社の「初春級」の旧モデルは、この1番発射管用の次発装填装置が、あれれ、ないじゃないか!しかも、2番煙突が逆に左にオフセットした位置に配置されてる事に、完成後に気付いてしまいました。上記のように、結構、次発装填装置にはこだわりがあって、上述の工程で説明したように、自作した後橋部の建屋作成では、気にかけて作業をした部分でもあるので、結構びっくり。

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 (左が「初春級」新モデル:1番発射管と2番発射管の間にある2番煙突は、1番発射管の次発装填装置の関係で、船体中心線より選手を上に見てやや右にオフセットした位置に配置されています。これが正解!1番発射管用の次発装填装置は、左写真の中程、2番魚雷発射管の左上に設置されている斜めに設置された構造物です。この箱の中に次発装填用の魚雷が収納されていて、魚雷発射管内の初発魚雷は発射された後に、発射管後部から装填される仕掛けです。装填に要する時間、約20秒! 右の写真は今回使用した「「初春級」級モデルをベースにした竣工時のモデル:2番煙突がやや左にオフセットされています。しかもこだわりの次発装填装置がない!これは気になる、でしょう!?)

 

うう、リサーチ不足だった、と少しがっくり。しかも、これは気がついてしまうと、気になる。

対策は、と考えてみます。手っ取り早く思えるのは2番煙突の位置変更ですが、2番煙突の位置変更は、実は1:1250スケールではちょっと大事です。そっくり2番煙突ブロックを船体から切除して、加工して再移築というような作業が想定されますが、いつもは「手軽さ」となるスケールの小ささが今回は災いして、切除に使用するソー、あるいはニッパの刃が構造を必ず損なう結果になると考えています(筆者の手技不足も、もちろん大きな要因ですが)。結局、検討の結果は、新モデルをベースにもう一回やり直すしかない、かと・・・・。

 

という事で、いずれ新モデルをベースに(もったいないなあ)再作業する事にします。まあこういう事もありますよね。

今回の経験で作業の大体の要領と手順は分かったし、今回手をかけた艦橋部と後橋部の建屋は多分両方転用できそうですので、作業は幾分手軽になるかと。筆者的にはまた楽しみが増えた、という事です。(と、前向きに・・・)

しかも、うまくいけば、以前から気になっている、日本海軍のもう一つの未整備モデルである「千鳥級」水雷艇の竣工時モデル(こちらも今回の「初春級」と同様、ワシントン・ロンドン体制の制約による過大兵備の要求から復原性に大きな問題を発生した艦級で、やはり復原性修復後のモデルしか市販されていません)のセミ・スクラッチも同時に手掛けられるかも(この作業には「初春級」の主砲塔:特に単装主砲塔と、多分、同級の艦橋が必要になってくるのです。結局、「初春級」を2隻潰すのだから、とある意味、怪我の功名かも。課題は「千鳥級」の竣工時の連装魚雷発射管を自作しなくてはならないところ。小さな部品ではありますが、一つの特徴でもあるので、ちょっと慎重に準備しなくてはなりません。・・・と、すっかり同時着手の気になってしまっている!!)。

 

ということで、今回はこの辺りでおしまい。

次回は早速、今回のリメイク、と行きたいところですが、「初春級」の新モデルのストックとの相談もありますので、どうなるか。やるなら上記のように「千鳥級」竣工時モデルも一緒にやっちゃいましょう。新着モデルもいくつかあるし・・・。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

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日本海軍:大戦期の駆逐艦(その2)

前回に引き続き、大戦期の日本海軍の駆逐艦のお話です。

 

今回はその2回目。

前回では、ワシントン・ロンドン体制下での、日本海軍の駆逐艦開発の軌跡を追ってきたわけですが、「朝潮級」の開発段階で軍縮体制に見切りをつけた設計に舵を切りました。

今回はその流れを受けて、条約後、つかり無制限時代の駆逐艦設計を辿ります。

そしてその背景には、主力艦隊同士の会戦形式の艦隊決戦から、航空主導と潜水艦等により浸透戦術に基づいた「総力戦」時代の新たな形式の艦隊決戦に、日本海軍がどのように対応を模索したかが、垣間見えます。

 

参考)下表は太平洋戦争に投入された日本海軍の駆逐艦の一覧です。

列1 竣工年次 同型艦 残存数 基準排水量 速度 主砲口径 装備数 魚雷口径 装備数2 魚雷搭載数
峯風級 1920 12 4 1215 39 12 4 53 TTx3 6
峯風級改装:哨戒艇 (1940) 2 0 1215 20 12 2 - - -
峯風級改装:特務艦 (1944) 1 1 1215 ? ? - - -
神風級(II) 1922 9 2 1270 37.3 12 4 53 TTx3 10
睦月級 1926 12 0 1315 37.3 12 4 61 TTTx2 12
吹雪級I型 1928 10 0 1680 37 12.7 6 61 TTTx3 18
吹雪級II型 1930 10 1 1680 38 12.7 6 61 TTTx3 18
吹雪級III型 1932 4 1 1680 38 12.7 6 61 TTTx3 18
初春級(竣工時) 1933 6 - 1400 36.5 12.7 5 61 TTTx3 18
初春級(復原性改修後) (1935) 6 1 1700 33.3 12.7 5 61 TTTx2 12
白露級 1936 10 0 1685 34 12.7 5 61 TTTTx2 16
朝潮 1937 10 0 2000 35 12.7 6 61 TTTTx2 16
陽炎級 1939 19 1 2000 35 12.7 6 61 TTTTx2 16
夕雲級 1941 19 0 2077 35 12.7 6 61 TTTTx2 16
秋月級 1942 13 7 2710 33.58 10 8 61 TTTTx1 8
島風 1943 1 0 2567 40 12.7 6 61 TTTTTx3 15
松級 1944 32 23 1260 27.81 12.7 3 61 TTTTx1 4

 

艦隊決戦駆逐艦の頂点 (甲型陽炎級」「夕雲級」)

甲型駆逐艦は、従来の主力艦艦隊決戦の尖兵としての水雷戦隊の基幹を構成する戦力としての艦隊駆逐艦の完成形と言えるでしょう。

前級「朝潮級」はワシントン・ロンドン体制の終結を見込んで設計された為、それまでの制約を逃れた設計となり、かなりバランスの取れた艦級として仕上がりました。しかし建造途中の第四艦隊事件に始まる一連の強度見直し等の追加要件により、速力・航続距離に課題を残した形となりました。

それらの点を踏まえて、「陽炎級」が設計されます。

 

陽炎級駆逐艦(19隻)

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(直上の写真:「陽炎級」の概観。94mm in 1:1250 by Neptune)

 

陽炎級駆逐艦は、前級「朝潮級」の船体強度改修後をタイプシップとして、設計されました。兵装は「朝潮級」の継承し、2000トン級の船体に、4連装魚雷発射管2基を搭載し8射線を確保、次発装填装置を備え魚雷16本を搭載、主砲には「50口径3年式12.7cm砲」を仰角55度の平射型C型連装砲塔3基6門搭載とされました。

朝潮級」の課題とされた速度と航続距離に関しては、機関や缶の改良により改善はされましたが、特に速力については、以前課題を残したままとなり、推進器形状の改良を待たねばなりませんでした。

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(直上の写真:「陽炎級」では、次発装填装置の配置が変更されました。左列が「朝潮級」、右列が「陽炎級」。「陽炎級」の場合、1番魚雷発射管の前部の次発装填装置に搭載された予備魚雷を、装填する際には発射管をくるりと180°回転させて発射管後部から。魚雷の搭載位置を分散することで、被弾時の誘爆リスクを低減する狙いがありました)

 

太平洋戦争開戦時には、最新鋭の駆逐艦として常に第一線に投入されますが、想定されていた主力艦艦隊の艦隊決戦の機会はなく、その主要な任務は艦隊護衛、船団護衛や輸送任務であり、その目的のためには対空戦闘能力、対潜戦闘能力ともに十分とは言えず、常に悪先駆との末、同型艦19隻中、「雪風」を除く18隻が戦没しました。

 

「夕雲級」駆逐艦(19隻)

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(直上の写真:「夕雲級」の概観。95mm in 1:1250 by Neptune)

 

 「夕雲級」駆逐艦は、「陽炎級」の改良型と言えます。就役は1番艦「夕雲」(1941年12月5日就役)を除いて全て太平洋戦争開戦後で、最終艦「清霜」(1944年5月15日就役)まで、19隻が建造されました。

その特徴としては、前級の速力不足を補うために、船体が延長され、やや艦型は大きくなりますが、所定の35ノットを発揮することができました。兵装は「陽炎級」の搭載兵器を基本的には踏襲しますが、対空戦闘能力の必要性から、主砲は再び仰角75度まで対応可能なD型連装砲塔3基となりました。しかし、装填機構は改修されず、依然、射撃速度は毎分4発程度と、実用性を欠いたままの状態でした。

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(直上の写真:「陽炎級」(上段)と「夕雲級」(下段)の艦橋の構造比較。やや大型化し、基部が台形形状をしています)

 

陽炎級」と同様、就役順に第一線に常に投入されますが、その主要な任務は艦隊護衛、船団護衛や輸送任務であり、その目的のためには対空戦闘能力、対潜戦闘能力ともに十分とは言えず、全て戦没しました。

 

新しい時代の駆逐艦乙型:「秋月級」、丙型:「島風(級)」、丁型「松級」)

艦隊駆逐艦のある種の頂点として「陽炎級」「夕雲級」配置づけられるわけですが、その主眼は艦隊決戦における水雷戦闘に置かれているため、対空戦闘、対潜戦闘等には十分な能力があるわけではなく、日本海軍の駆逐艦設計は、専任業務に特化した特徴を持つ艦級の開発、という新たな展開へと入ってゆくことになります。

それがこの「乙型:艦隊防空」「丙型水雷戦闘」「丁型:船団護衛(対空・対潜汎用)」の各形式の各形式です。

 

最初で最後の防空駆逐艦

「秋月級」駆逐艦(12隻)

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第一次世界大戦以降、本格的な兵器として航空機は急速に発展してゆきます。これに対する対抗手段として、強力な対空砲を多数装備し艦隊防空を主要任務として想定し設計された艦級を各国海軍が開発、あるいは旧式巡洋艦を改装するなどして対応を試みます。日本海軍も当初は「天龍級軽巡洋艦、「5500トン級」軽巡洋艦を改装するなどの構想を持ちますが、これらの艦艇に関しては、いまだに艦隊決戦での水雷戦闘能力の補完艦艇としての位置付けを捨てきれず、結局専任艦種の建造計画に落ち着くことになるわけです。そのような経緯から当初設計案では魚雷の搭載を予定せず、艦種名も「直衛艦」とされ、巡洋艦クラスの大型艦となる設計案もありました。

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(直上の写真:「秋月級」の概観。108mm in 1:1250 by Neptune:艦首が戦時急造のため直線化しているのが、わかるかなあ?)

 

紆余曲折の結果、駆逐艦としての機能も併せ持つ「秋月級」駆逐艦が誕生する事となりました。空母機動部隊等への帯同を想定するために航続距離が必要とされ、艦型は2700トン級の大型艦となり、この船体に、主砲として65口径長10センチ高角砲を連装砲塔で4基搭載し、61cm4連装魚雷発射管1基と予備魚雷4本を自動装填装置付きで装備しました。速力は高速での肉薄雷撃を想定しないため、やや抑えた33ノットとされました。

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(直上の写真:「秋月級」の最大の特徴である65口径長10センチ高角砲の配置と艦橋上部の高射装置)

 

65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)の話

65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)は、日本海軍の最優秀対空砲と言われた高角砲で、18700mの最大射程、13300mの最大射高を持ち、毎分19発の射撃速度を持っていました。これは、戦艦、巡洋艦、空母などの主要な対空兵装であった12.7cm高角砲(八九式十二糎七粍高角砲に比べて射程でも射撃速度でも1.3倍(射撃速度では2倍という数値もあるようです)という高性能で、特に重量が大きく高速機への対応で機動性の不足が顕著になりつつあった12.7cm高角砲の後継として、大きな期待が寄せられていました。

ja.wikipedia.org

上記、射撃速度を毎分19発と記述していますが、実は何故か揚弾筒には15発しか搭載できず、従って、15発の連続射撃しかできなかった、ということです。米海軍が、既に1930年台に建造した駆逐艦から、射撃装置まで含めた対空・対艦両用砲を採用していることに比べると、日本海軍の「一点豪華主義」というか「単独スペック主義」というか、運用面が置き去りにされる傾向の一例かと考えています。

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(直上の写真:「秋月級」では、高角機関砲の搭載数が次第に強化されていきます)

 

同級は全艦が太平洋戦争開戦後に就役し、戦時下での建造も継続されたため、次第に戦時急増艦として仕様の簡素化、工程の簡易化が進められました。結果、12隻が就役し終戦時には6隻が残存していました。

 

艦隊決戦の尖兵として、 重雷装艦

島風級」駆逐艦(1隻)

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(直上の写真:「島風」の概観。101mm in 1:1250 by Neptune)

 

島風(級)」駆逐艦水雷戦闘に特化した艦級といえ、ある意味、新駆逐艦の設計体系で、来るべき総力戦・航空主導下での戦闘の変化等を認識しながらも、未だに「主力艦艦隊決戦時での肉薄水雷攻撃」の構想を捨てきれなかった日本海軍の「あだ花」的な存在と言えるのではないでしょうか?しかしその建造中には、太平洋戦争が始まり、そこでの海戦のあり方の変化は明らかで、流石に同艦級の活躍の場を想定することは難しく、当初の計画では16隻が整備さえる予定でしたが、建造は「島風」1隻のみにとどまりました。

2500トンの駆逐艦としては大きな船型を持つ「島風」の特徴は、そのずば抜けた高速性能にあります。計画で39ノット、実際には40ノット超の速力を発揮したと言われています。(「夕雲級」が35.5ノット)更に15射線という重雷装を搭載しており(5連装魚雷発射管3基)、一方で予備魚雷は搭載せず、まさに艦隊決戦での「肉薄一撃」に特化した艦であったと言えると思います。

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(直上の写真:「島風」の特徴である高速性を象徴するクリッパー型艦首:上段。5連装魚雷発射管3基。次発装填装置は装備していません:下段)

 

1943年に就役した時点で、既に戦局はガダルカナルの攻防戦を終えており、「島風」はキスカ島撤退作戦に参加したのち、主として護衛任務につく事になります。レイテ沖海戦には第一遊撃部隊(栗田艦隊)の1隻として参加し、サマール島沖の米護衛空母部隊への追撃戦には、裁可するものの、結局待望の魚雷発射の機会はありませんでした。

海戦後は、第二水雷戦隊旗艦として、レイテ島への増援輸送作戦に従事し、第三次輸送部隊の一員としてオルモック湾に輸送船とともに突入しますが、米軍機の集中攻撃を受け、輸送部隊は駆逐艦朝潮」を除いて護衛艦船、輸送船ともに全滅し、「島風」も失われました。

 

 戦時急造を目指す汎用中型駆逐艦

「松級」駆逐艦(32隻)

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(直上の写真:「松級」の概観。79mm in 1:1250 by Neptune)

 

 「松級」駆逐艦は、日本海軍が1943年から建造した戦時急増量産型駆逐艦です。32隻が建造されていますが、戦時急造の要求に従い急速に建造工程の簡素化、簡易化が進められ、多くのサブグループがあります。

同級の建造の背景として、太平洋戦争開戦後、日本海軍の保有する艦隊駆逐艦は常に第一線に投入されますが、その戦況の悪化に伴い、多くが失われてゆきます。特に、護衛任務・輸送任務等における対空戦闘、対潜戦闘に対する能力不足は顕著で、それらの補完が急務となります。

しかし従来型の駆逐艦級はいずれも建造に手間がかかるため。新たな設計構想と兵装を持った駆逐艦が求められるようになります。

こうして生まれたのが「松級」駆逐艦で、1200トン級の比較的小ぶりな船体に、主砲として40口径12.7cm高角砲(89式)を単装砲と連装砲各1基として対空戦闘能力を高め、併せて対潜戦闘も強化した兵装としました。

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(直上の写真:「松級」の主砲:八九式40口径12.7cm高角砲。艦首部には単装、艦尾部に連装砲が、それぞれ砲架形式で搭載されました(前部は防楯付き)。更に下段の写真では、強化された対潜兵装も。投射基2基と投射軌条2条。爆雷の搭載数は最終的には60個まで増強されました)

 

一方で雷装は軽めとして4連装魚雷発射管1基を搭載し予備魚雷は搭載していません。搭載艇にも配慮が払われ、「小発」(上陸用舟艇)も2隻搭載可能とされ、輸送任務への対応力も高められました。

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(直上の写真:「松級」の搭載艇について。旧モデル(下段)では後方の搭載艇が「小発」に見えなくもないのですが、上段の新モデルでは・・・)

 

トピック:爆雷の搭載数

「松級」の爆雷搭載数は当初36発であったものを「不足」として60発まで搭載数が増やされています。大戦後期に登場した船団護衛専任艦種の「海防艦」の爆雷搭載数が120発でしたので、それでも十分と言えたかどうか。

それでも駆逐艦の中では「松級」は最も搭載数が多く、艦隊駆逐艦の完成形と言われた「朝潮級」「陽炎級」では36発でした。これが艦隊直衛を専任とする「秋月級」で54発と大幅に強化され、更に「松級」では充実する事になります。

この爆雷を2基の投射機(左右に飛ばす装置)と艦尾の2条の軌条(ゴロゴロと艦尾から水中に落とす装置)から、水中に投下する仕掛けでした。

 

「松級」に話に戻しますと、機関の選択には量産性が重視され、更に生存性を高めるためにシフト配置が初めて選択されました。一方で速力は28ノットと抑えられました。

建造工数の簡素化については1番艦の「松」が9ヶ月でしたが、最終的には5ヶ月まで退縮されています(参考:夕雲級1番艦「夕雲」は起工から就役まで18ヶ月。同級最終艦「清霜」は起工から就役まで10ヶ月)。また同艦級は、艦隊決戦的な視点に立てば確かに速力など見劣りのする性能と言えるでしょうが、その適応任務は輸送、護衛、支援と、場面を選ばず、ある種「万能」と言えなくもないと考えています。

32隻が建造され、18隻が終戦時に稼働状態で残存しています。

 

という事で、2回に分けて大戦期の日本海軍の駆逐艦について見てきたわけですが、なんと言っても対空戦闘も対潜戦闘も不得意な艦隊駆逐艦を、輸送任務や護衛任務に投入し続けるしか他に方策を持たなかった、という海軍の現状を改めて振り返ることができた、と思っています。

大戦後期に「秋月級」や「松級」が投入され、あるいは護衛戦専任の海防艦が稼働するわけですが、それまで、満足な対空砲すら持たずに、あるいは十分な数の爆雷すら搭載せずに船団や艦隊の周辺に対空対潜警戒陣をめぐらし戦わねばならなかった駆逐艦乗りたちの苦労を思い、その喪失艦の多さを重ね合わせると、なんという戦いだったのだろう、と思わざるを得ません。

 

というわけで今回はここまで。

 

次回は、続けて米海軍の駆逐艦の総覧をやってしまおうか、それとも新たに到着したモデルの紹介、あるいはちょこっとディテイルアップ、でも・・・。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。

併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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日本海軍:大戦期の駆逐艦(その1)

 

今回は大戦期の日本海軍の駆逐艦のお話です。

 

本稿ではこれまで「艦隊駆逐艦 第1期の決定版」として「峯風級」とその系列の最終形である「睦月級」をご紹介しました。その再録も含め、終戦までの全艦級のご紹介です。

下表は太平洋戦争に投入された日本海軍の駆逐艦の一覧です。

列1 竣工年次 同型艦 残存数 基準排水量 速度 主砲口径 装備数 魚雷口径 装備数2 魚雷搭載数
峯風級 1920 12 4 1215 39 12 4 53 TTx3 6
峯風級改装:哨戒艇 (1940) 2 0 1215 20 12 2 - - -
峯風級改装:特務艦 (1944) 1 1 1215 ? ? - - -
神風級(II) 1922 9 2 1270 37.3 12 4 53 TTx3 10
睦月級 1926 12 0 1315 37.3 12 4 61 TTTx2 12
吹雪級I型 1928 10 0 1680 37 12.7 6 61 TTTx3 18
吹雪級II型 1930 10 1 1680 38 12.7 6 61 TTTx3 18
吹雪級III型 1932 4 1 1680 38 12.7 6 61 TTTx3 18
初春級(竣工時) 1933 6 - 1400 36.5 12.7 5 61 TTTx3 18
初春級(復原性改修後) (1935) 6 1 1700 33.3 12.7 5 61 TTTx2 12
白露級 1936 10 0 1685 34 12.7 5 61 TTTTx2 16
朝潮 1937 10 0 2000 35 12.7 6 61 TTTTx2 16
陽炎級 1939 19 1 2000 35 12.7 6 61 TTTTx2 16
夕雲級 1941 19 0 2077 35 12.7 6 61 TTTTx2 16
秋月級 1942 13 7 2710 33.58 10 8 61 TTTTx1 8
島風 1943 1 0 2567 40 12.7 6 61 TTTTTx3 15
松級 1944 32 23 1260 27.81 12.7 3 61 TTTTx1 4

今回は、その1回目。

 

艦隊駆逐艦 第一期決定版の登場(峯風級・神風級・ 睦月級)

 

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(直上の写真:右から、「峯風級」「野風級:後期峯風級」「神風級」「睦月級」)

 

日本艦隊駆逐艦のオリジナル

「峯風級」駆逐艦「野風級:後期峯風級」駆逐艦(15隻)

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「峯風級」は、それまで主として英海軍の駆逐艦をモデルに設計の模索を続けてきた日本海軍が試行錯誤の末に到達した日本オリジナルのデザインを持った駆逐艦と言っていいでしょう。12cm主砲を単装砲架で4基搭載し、連装魚雷発射管を3基6射線搭載する、という兵装の基本形を作り上げました。1215トン。39ノット。同型艦15隻:下記の「野風級:後期峯風級3隻を含む)

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(直上の写真:「峯風級」駆逐艦の概観 82mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces) 

 

「野風級:後期峯風級」は「峯風級」の諸元をそのままに、魚雷発射管と主砲の配置を改め、主砲や魚雷発射管の統一指揮・給弾の効率を改善したもので、3隻が建造されました。

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(直上の写真:「野風級:後期峯風級」駆逐艦の概観 82mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces)

 

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(直上の写真は、「峯風級」(上段)と「野風級:後期峯風級」(下段)の主砲配置の比較。主砲の給弾、主砲・魚雷発射の統一指揮の視点から、「野風級」の配置が以後の日本海駆逐艦の基本配置となりました)  

 

同艦級は太平洋戦争には既に旧式艦でしたが、12隻が駆逐艦として船団護衛等の任務につき、2隻が陸戦隊支援を主任務とする哨戒艇として、そして1隻は特務艦(標的艦)として臨みました。駆逐艦は12隻中8隻が、哨戒艇は2隻が失われました。

 

「神風級」駆逐艦(9隻) 

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「神風級」は、上記の「野風級:後期峯風級」の武装レイアウトを継承し、これに若干の復原性・安定性の改善をめざし、艦幅を若干拡大(7インチ)した「峯風級」の改良版です。9隻が建造されました。1270トン。37.25ノット。

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(直上の写真:「神風級」駆逐艦の概観 82mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces)

 

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(直上の写真:「峯風級」(上段)と「神風級」の艦橋形状の(ちょっと無理やり)比較。「神風級」では、それまで必要に応じて周囲にキャンバスをはる開放形式だった露天艦橋を、周囲に鋼板を固定したブルワーク形式に改めました。天蓋は「睦月級」まで、必要に応じてキャンバスを展張する形式を踏襲しました)

 

「神風級」は太平洋戦争時は既に旧式艦ではありましたが、主として船団護衛等の任務に9隻が参加し、7隻が失われました。

 

第一次艦隊駆逐艦の決定版

「睦月級」駆逐艦(12隻)

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 「睦月級」駆逐艦は「峯風級」から始まった日本海軍独自のデザインによる一連の艦隊駆逐艦の集大成と言えるでしょう。

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(直上の写真:「睦月級」駆逐艦の概観 83mm in 1:1250 by Neptune) 

艦首形状を凌波性に優れるダブル・カーブドバウに改め、砲兵装の配置は「後期峯風級」「神風級」を踏襲し、魚雷発射管を初めて61cmとして、これを3連装2基搭載しています。太平洋戦争では、本級は既に旧式化していましたが、強力な雷装と優れた航洋性から、広く太平洋の前線に投入され、全ての艦が、1944年までに失われました。1315トン。37..25ノット。同型艦12隻。

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(直上の写真:「睦月級」(下段)と「神風級」(上段)の艦首形状の比較。「睦月級」では、凌波性の高いダブル・カーブドバウに艦首形状が改められました)

 

駆逐艦設計は新次元に:「特型駆逐艦」群の登場(吹雪級I型・II型・Ⅲ型・初春型・白露型・朝潮型)

 

ワシントン海軍軍縮条約の申し子

「吹雪級」駆逐艦(24隻)

 

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 ワシントン軍縮条約の締結により、日本海軍は進行中の八八艦隊計画を断念、さらに主力艦は保有制限が課せられ、制限外の巡洋艦以下の補助艦艇についても仮想敵国である米国との国力差から、保有数よりも個艦性能で凌駕することをより強く意識するようになります。

こうして海軍が提示した前級「睦月級」を上回る高性能駆逐艦の要求にこたえたものが「吹雪級」駆逐艦です。1700トンの船体に、61cm3連装魚雷発射管を3基(9射線:「睦月級」は6射線)、主砲口径をそれまでの12cmから12.7cmにあげて連装砲等3基6門(「睦月級」は12cm砲4門)、速力37ノット(「睦月級」と同等)と、それまでの駆逐艦とは一線を画する高性能艦となりました。

搭載主砲塔、機関形式の違い等から、Ⅰ型、Ⅱ型、Ⅲ型の3形式があり、それぞれ10隻、10隻、4隻、合計24隻が建造されました。

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(直上の写真:「吹雪級」の各形式。右からI型、II型、Ⅲ型の順。下段写真は各形式の主砲塔と缶室吸気口・煙突形状の比較。右からI型、II型、Ⅲ型の順:詳細は各形式で説明します)

 

Ⅰ型(10隻):特徴はA型と呼称される連装主砲塔を採用しています。この主砲塔は、仰角40度までの所謂平射砲塔でした。あわせて、缶室吸気口としてキセル型の吸気口を装備していました。ある程度高さを与え、海水の侵入を防ぐ工夫がされていましたが、十分ではなかったようです。このため10番艦「浦波」では、より海水の浸入防止に配慮された「お椀型」の吸気口が採用されており、このため10番艦は「改Ⅰ型」あるいは「ⅡA型」と呼ばれることもあります。

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(直上の写真:「吹雪級I型」の概観。94mm in 1:1250 by DAMEYA on Shapeways)

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(直上の写真:「吹雪級I型」の特徴。A型連装砲塔:平射用(上段)とキセル型缶室吸気口)

 

戦前に演習中の衝突事故で失われた1隻をのぞく9隻が太平洋戦争にのぞみ、全て戦没しています。

 

Ⅱ型(10隻):概観上の特徴は、連装主砲塔を仰角75度まで上げた対空射撃も可能としたB型としたことと、缶室吸気口を前出の「改Ⅰ型」で採用された、海水浸水のより少ない「お椀型」としたことです。

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(直上の写真:「吹雪級II型」の概観。94mm in 1:1250 by Trident)

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(直上の写真:「吹雪級II型」の特徴。B型連装砲塔:仰角75度まで射撃可能=対空射撃が可能になりました(上段)と、浸水対策を考慮したお椀型缶室吸気口)

10隻全てが太平洋戦争に参加し、「潮」のみが残存しました。

 

Ⅲ型(4隻):概観上の特徴は、新方式の採用により缶の数を減らしたことから生じた煙突形状にあります。「吹雪級」は重量が計画を200トン近く超過し1900トンを超える艦になっており、うち機関関連での重量超過が100トンあまりを占めていました。このため空気予熱器により効率を高めた缶(ボイラー)を採用することで缶の数を減らし重量の軽減が図られました。

缶の位置関係から、一番煙突が二番煙突に比して細い、という顕著な特徴となりました。

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(直上の写真:「吹雪級Ⅲ型」の概観。94mm in 1:1250 by Trident)

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(直上の写真:「吹雪級Ⅲ型」の特徴。B型連装砲塔:仰角75度まで射撃可能=対空射撃が可能になりました(上段)と、浸水対策を考慮したお椀型缶室吸気口と缶室の減少により細くなった1番煙突)

 4隻が太平洋戦争に参加し「響」のみ生き残りました。

 

トピック: 駆逐艦の主砲の話

これまで本稿では数回触れてきているのですが、「吹雪級」以降の駆逐艦で「秋月級」と「松級」以外の艦級では、主砲として「50口径3年式12.7cm砲」が採用されています。

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この砲は基本対艦戦闘を想定した平射砲で、50口径の長砲身から910m/秒の高い初速、18000m超の最大射程、毎分10発の射撃速度を持つ優秀砲で、艦隊戦では有効な兵器と考えられました。当初「吹雪級」に搭載されたA型連装砲塔は、平射砲としての実力を発揮すべく、その仰角は40度とされていました。

その後に対空射撃の要請に対する対応として開発された、前述のB型連装砲塔では仰角を75度まで上げるなどの改良が行われましたが、装填機構が対応できず、つまり装填時には平射位置まで仰角を戻さねばならず、対空射撃時の射撃速度は毎分4発程度で、低空からの侵入機に対する以外は対空砲としては全く効果を有しませんでした。

(直下の写真:日本海軍の駆逐艦が搭載したA型砲塔(上段)とB型砲塔(下段)の資料:軍艦メカニズム図鑑「日本の駆逐艦」より引用しています)

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このように対空兵器としての実用性の乏しさから、次のC型連装砲塔では仰角が55度に戻され、つまり再び対艦射撃に重点が置かれた本来の平射砲へと戻されます。このC型連装砲塔は「白露級」「朝潮級」「陽炎級」に搭載され、太平洋戦争開戦時の艦隊駆逐艦の基準主砲となりました。しかし開戦後、海軍戦力での航空主兵の傾向が顕著になると、再び仰角を75度に上げたD型連装砲塔が「夕雲級」には搭載されますが、やはり装填機構には手をつけないまま、という迷走を続けることとなりました。

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(直上の写真:「50口径3年式12.7cm砲」の連装砲塔の各形式(全て、Neptuneモデル)。(上段)「A型」:仰角40度の平射砲用。(中段)「B型」:仰角75度での高角射撃を可能にしました。しかし装填機構が平射用のままの為、射撃速度は毎分4発程度で、高角砲としての実用性は低いものでした。(下段)「C型」:仰角を再度55度とした平射用です) 

 

同時期の米海軍の駆逐艦は既に全てが5インチ両用砲を搭載し、揚弾機構なしの場合でも毎分12−15発の射撃速度を有しており、これに加えて両用砲用の方位盤などとの組み合わせで、既にシステム化を進めていたのに対し、日本海軍の駆逐艦は上記のような事情で実用的な対空砲を持てず、艦隊防空の任を担わねばならず、多くの駆逐艦が戦争後期には主砲塔を対空機銃座に置き換えて戦いに臨む事となります。

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(直上の写真:「吹雪級II型」では高角射撃可能なB型砲塔を装備していましたが、射撃速度の遅さから高角砲としての実用性が乏しく、二番砲を対空機銃座に換装するなどの方法で、対空戦闘能力を補完せねばなりませんでした。大戦中の駆逐艦の多く艦級で同様の措置が取られました)

 

 中型(1400トン級)駆逐艦の建造:ロンドン条約の申し子?

「初春級」駆逐艦(6隻)

ワシントン条約に続く ロンドン条約では、それまで制限のなかった補助艦艇にも制限が加えられ、駆逐艦にも保有制限枠が設けられました。特に駆逐艦には1500トンを超える艦は総保有量(合計排水量)の16%以内という項目が加えられました。このため1700トン級(公称)の「吹雪級」駆逐艦をこれ以上建造できなくなり(日本としては財政的な視点から、「吹雪級」の増産を継続するよりも、もう少し安価な艦で数を満たす切実な事情もあったのですが)、次の「初春級」では、1400トン級の船体と「吹雪級」と同等の性能の両立という課題に挑戦することになりました。

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結果として、竣工時の「初春級」駆逐艦は、主砲として、艦首部に「吹雪級」と同じ「50口径3年式12.7cm砲」B型連装砲塔とB型連装砲塔と同じく仰角を75度に改めたA型改1単装砲塔を背負い式に装備し、艦尾にB型連装砲塔を配置しました。さらに「吹雪級」と同じ61cm3連装魚雷発射管を3基(9射線)を装備し、予備魚雷も「吹雪級」と同数を搭載。加えて次発装填装置をも初めて装備し、魚雷発射後の再雷撃までの時間短縮を可能としました。機関には「吹雪級Ⅲ型」と同じ空気予熱器付きの缶3基を搭載し、36.5ノットの速力を発揮することができました。

1400トン級のコンパクトな船体に「吹雪級」とほど同等な重武装と機関を搭載し、かつ搭載する強力な主砲と雷装を総覧する艦橋は大型化したことにより、無理を重ねた設計でした。そしてそれは顕著なトップヘビーの傾向として顕在化することになります。

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(直上の写真は「初春級」竣工時の概観:88mm in 1:1250 by Neptuneをベースにセミ・スクラッチ

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(直上の写真は、「初春級」竣工時の特徴のアップ。左上:艦橋部。艦橋部の下層構造を延長し、艦橋の位置をやや後方へ。艦橋部下層構造の前端に2番主砲塔(単装)を、1番主砲塔(連装)と背負い式になるように配置。右上:2番魚雷発射管。下段左と中央:後橋部分と2番・3番発射管の配置状況。3番発射管自体は、船体中心線に対し、やや右にオフセットした位置に追加。細かいこだわりですが、一応、3番発射管用の次発装填装置を後橋部の構造建屋の上に設置。2番発射管用の次発装填装置は後橋部建屋の左側の斜め張り出し部に内蔵されています)

既に公試時の10度程度の進路変更時ですら危険な大傾斜傾向が現れ、バルジの追加等で何とか就役しますが、この設計原案での建造は「初春」と「子の日」の2隻のみのとどめられました。さらにその後の発生した友鶴事件により、設計は復原性改善を目指して全面体に見直されました。

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初春:竣工時の艦型概観(「初春」「子の日」のみ)

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このげ初春:復原性改修後の艦型概観

(上のシルエットは次のサイトからお借りしています

http://www.jam.bx.sakura.ne.jp/dd/dd_class_hatsuharu.html

残念ながら、竣工時の「初春級」については 1:1250スケールのモデルがありません。スクラッチにトライするには、やや手持ちの「初春級」のモデルが足りていません。 いずれはトライする予定ですが、今回はご勘弁を<<<セミ・スクラッチによる竣工時モデルを上記に追加投稿しました)

 

その性能改善工事は、61cm3連装魚雷発射管の3基から2基への削減(併せて搭載魚雷数も3分の2に削減)、主砲塔の配置を艦首に連装砲塔1基、艦尾部に単装砲塔と連装砲塔を各1基の配置と搭載方法を変更し、武装重量の削減とバランスの改善を目指します。さらに艦橋・煙突の高さを下げ、艦底にバラストを追加搭載するなど重心の低下をおこなった結果、艦容を一変するほどのものになりました。その結果、復原性の改善には成功しましたが、船体重量は1800トン近くに増加し速度が36.5ノットから33.3ノットに低下してしまいました。

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(直上の写真:復原性改善修復後の「初春級」の概観。88mm in 1:1250 by Neptune)

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(直上の写真:「初春級」の特徴である次発想定装置付きの3連装魚雷発射管(上段)と、艦尾部に背中合わせに配置された単装主砲砲塔と連装砲塔:仰角75度の高角射撃も可能とした砲塔でした。この砲塔は装填機構の問題から装填次に平射1に戻さねばならず、射撃速度が低く対空砲としては実用性に乏しいものでした)

 

復原性修復後のモデルとの比較は以下に。二枚とも、上が「竣工時(今回セミ・スクラッチ製作したモデル)」、下が「復原性修復後」のモデル(Neptune社の現行の市販モデル)。

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「竣工時」の過大な兵装とそれに因る腰高感が表現できているかどうか・・・。できているんじゃないかな(とちょっと自画自賛)。 

 

当初は12隻が建造される予定でしたが、上記のような不具合から6隻で建造が打ち切られ、「初霜」を除く5隻が太平洋戦争で失われました。

 

 「初春級」改良型中型駆逐艦

「白露級」駆逐艦(10隻)

ja.wikipedia.or

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(直上の写真:「白露級」の概観。88mm in 1:1250 by Neptune)

 

「白露級」は前級「初春級」の復原性改善後の設計をベースに建造された準同型艦です。

改修後の「初春級」では前述のように雷装を設計時の3分の2、6射線に縮小せねばなりませんでした。 また、改修後の重量も1800トン弱と、結局、中型駆逐艦の枠を大きくはみ出す結果となってしまいました。(公称上は「初春級」も「白露級」も1400トンとし、ロンドン条約下での1500トン以下の保有枠内である、とされましたが)

重量が増加するならば、ということで、「白露級」は少し船型を拡大し、4連装魚雷発射管2基を搭載し、射線数を「吹雪級」に近づけたものとすることになりました。次発装填装置を搭載し、魚雷搭載数を当初16本として、雷撃能力を向上させています(当初と記載したのは、実際には搭載魚雷数は14本あるいは12本だったようです)。その他の兵装、艦容はほぼ「初春級」に準じるものとなりました。

主砲は「初春級」と同じ「50口径3年式12.7cm砲」でしたが、この砲をC型連装砲塔、B型単装砲塔に搭載しましたが、これらはいずれも仰角を55度に抑えた平射用の主砲塔でした。

速力は改修後の「初春級」とほぼ同等の34ノットでした。

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(直上の写真:「白露級」の特徴である次発想定装置付きの4連装魚雷発射管(上段)と、艦尾部に背中合わせに配置された単装主砲砲塔と連装砲塔:いずれも仰角55度の平射用砲塔でした)

太平洋戦争には10隻が参加し、全て戦没しました。

 

再び正統派艦隊駆逐艦へ(もうロンドン条約、続けないし・・・)

朝潮級」駆逐艦(10隻)

ja.wikipedia.org

ロンドン条約保有制約から大型駆逐艦保有制限を受けた日本海軍は、「初春級」「白露級」と中型駆逐艦を就役させた日本海軍でしたが、先述の通り、小さな船体に重武装・高性能の意欲的な設計を行ったが故に、無理の多い仕上がりとなり、結果的に期待を満たす性能は得られない結果となりました。

このため、次級の「朝潮級」では「吹雪級」並みの大型駆逐艦の設計を戻されることになりました。設計時期にはまだロンドン条約の制約は生きていましたが、ロンドン条約からの脱退を見込んでいたため、もはや艦型への制限を意識する必要がなくなる、という前提での設計方針の変更でもありました。

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(直上の写真:「朝潮級」の概観。94mm in 1:1250 by Neptune)

 

こうして「朝潮級」は2000トン級の船体に、「白露級」で採用された4連装魚雷発射管2基を搭載し8射線を確保、次発装填装置を備え魚雷16本を搭載、主砲には「50口径3年式12.7cm砲」を仰角55度の平射型C型連装砲塔3基6門搭載したバランスの取れた艦となりました。機関には空気予熱器つきの缶(ボイラー)3基を搭載、35ノットの速力を発揮する設計でした。こうして日本海軍は、ほぼ艦隊駆逐艦の完成形とも言える艦級を手に入れたわけですが、一点、航続距離の点で要求に到達できず、建造は10隻のみとなり、次の「陽炎級」に建造は移行することになりました。

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(直上の写真:「朝潮級」の特徴である次発想定装置付きの4連装魚雷発射管(上段)と、艦尾部に配置された「白露級」と同じC型連装砲塔:仰角55度の平射用砲塔でした)

 

太平洋戦争には10隻が参加し、全て戦没しました。

 

トピック:「特型駆逐艦」の呼称

少し余談になりますが、「特型駆逐艦」の呼称はそれまでの駆逐艦の概念を超えた「吹雪級」駆逐艦の別称とされることが一般的かと思いますが、軍縮条約制約下の高い個艦性能への要求(制限を受けた艦型と高い重武装要求のせめぎ合い、と言っていいと思います)を満たすべく設計・建造された「吹雪級」「初春級」「白露級」「朝潮級」を一纏めに使われる場合もあるようです。

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(直上の写真:「特型駆逐艦」群の艦型比較。上から「吹雪級」、「初春級」復原性改善後、「白露級」「朝潮級」の順)

これに対し、それ以前の駆逐艦群(「峯風級」「神風級」「睦月級」)には、「並型駆逐艦」という表現が使われることもありました。(まるで「特盛り」「並盛り」ですね)

本稿では、これに従って、一纏めの流れとして纏めてみました。

 

ということで、今回はこの辺りでおしまい。

次回は今回の続編を予定しています。

条約制約のなくなった時期から太平洋戦争中の建造されたそれまでの「艦隊決戦」思想の継承に加え、「艦隊決戦」とはやや異なる設計思想の艦級も現れてきます。それらをご紹介する予定です。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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夏休み!工作特集:特設空母「安松丸」的な・・・

今回は、夏休みの工作特集、です。

特設空母「安松丸」 の製作

特設空母「安松丸」と聞いて、ピンと来た方、いろいろな意味で、「かなりなもん」です。

 

特設空母「安松丸」を知っていますか?

特設空母「安松丸」は、元々は日本陸軍が上陸支援母艦とする目的で徴用した7000トン級の高速貨物船「安松丸」で、この船を母体として改装を始めるのですが、飛行甲板を張ったところで、貨物船としては「高速」ながらも、空母としては当時の主力航空機の発着艦に実用性を欠く低速(15ノット)と飛行甲板の短さ(130メートル)、さらに改装に伴う重心の不安定さに改めて課題を感じた陸軍は工事を中断、改装を放棄した状態で長らく埠頭に繋がれていました。

その後、ともかく航空主兵への戦備整備を急ぐ海軍が埠頭に繋がれたままの半完成状態に着目。陸軍から譲渡された後、ともかくも改装工事を完了させ特設空母として完成させました。改装後は、旧式駆逐艦を改装した哨戒艇一隻を随伴し、当時、北アフリカで展開されていたドイツ軍のロンメル・アフリカ軍団のエジプト侵攻作戦を支援するためにインド洋からアフリカ沖に派遣され、通商破壊活動に従事しました。

(直下の写真:特設空母「安松丸」の概観。104mm in 1:1250 by Decapod Models :本艦は哨戒艇を伴い、インド洋方面からアフリカ沖に出撃しました。写真下段:飛行甲板上に小さな飛行指揮所を設置していますが、艦橋は飛行甲板の前端下に設置されています。エレベータを装備していないこの艦では、搭載機の格納甲板への収納は、左舷側2箇所の舷側に突き出した可倒・引き込み式のデリックで行います)

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ざっとそんなお話が、「安松丸物語」として宮崎駿さんの「雑想ノート」の第9話に収録されています。

 

「雑想ノート」

言わずと知れた宮崎駿さんの名著ですね。元々は模型雑誌「モデル・グラフィクス」に連載されていたものと記憶します。

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(上の写真は「雑想ノート」の表紙と「安松丸物語」の一部。実は「安松丸」の全体像が描かれているのはこのカットのみ。ただ、例えばエレベータの装備されていないこの艦での、搭載機の収納手順などは、細かいメモが書き込まれているので・・・)

全部で12話のエピソードが掲載されており、そのどれもが主流になりきれなかった「兵器」へのなんとも言えない「愛おしさ」に満ちた物語になっています。冒頭に「この本に、資料的価値は一切ありません」と明記されているのですが、それでも心を擽られる物語ばかりだと、筆者は感じています。

ちなみに登場する兵器は、以下の通り。

「ユンカース J-38重爆撃機(の派生型)(第一話:ボストニア王国空軍史より-知られざる巨人の末弟)

装甲砲郭艦「モニター」と「メリック」(第二話:甲鉄の意気地)

ボストニア王国陸軍超重戦車「悪役1号」(第三話:多砲塔の出番)

「ポテーズ540双発爆撃機(第四話:農夫の眼)

清国軍艦「鎮遠」と日本海軍「三景艦」(第五話:竜の甲鉄)

「マーチン139W双発爆撃機(第六話:九州上空の重轟炸機

「高射砲塔」(第七話:高射砲塔)

「Q・シップ」(第八話:Q.ship)

特設空母 安松丸」(第九話:安松丸物語)

ツェッペリン・シュターケンRーIV長距離爆撃機(第十話:ロンドン上空1918年)

「特設監視艇」(第十一話:最貧前線

「ポルシェ・ティーガー :VK4501(P)」(第十二話:豚の虎)

何とも曲者揃い、というか、いやはや。

 

この本には、スピンアウト、というかマルティメディア展開というか、ラジオドラマ仕立てのCD音源が発売されています。敢えてアニメーションではなく「ラジオドラマ仕立て」というところが、なんとも・・・。

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(上の写真のコレクション、確か第10巻「農夫の眼・Q .ship」が欠けています)

こちらはなんとも豪華な出演陣(声優陣・俳優陣?)で、その顔ぶれを見ても、さすがスタジオ・ジブリの実力発揮、というか「宮崎駿」の名前なら、少々の無茶はできる、というか、いずれにせよストーリーはもちろんのこと、出演者の顔ぶれでも、どちらでもいいから、機会があれば是非、一度お聞きになることをお薦めします。

ちなみに「特設空母 安松丸物語」の語りは、何と三木のり平さんです。

 

夏休みの工作に、ピッタリ。さあ、作ってみよう!

という訳でもないのですが、以前から特にこの「安松丸物語」のエピソードには強く心惹かれるものがあり、是非一度、立体化をトライしてみたい、と思っていました。

 

Step 1:素材探し

7000トン級の貨物船、ということで、ベースとなる「貨物船」を探します。こういう時は、いつものように困った時のShapewaysですね。船の長さと形態から、第一次大戦型の貨物船Decapod Models製の下記に決定!実は「安松丸」より、さらに全長が10メートルほど短いんですが、まあ、そこは目を瞑りましょう。

www.shapeways.com

早速お取り寄せ。

(直下の写真:EFC=Emargency Fleet Corporation Design 1013の概観。なかなかいいぞ。素材はSFD:Smooth Fine Detail Plasticですので、表面は滑らかですが、硬度が高く、加工(特に切断等)の際には欠損が出ないように、少し気を使う必要はありそうです)

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Step 2: 船体の加工と追加部分の準備

まあ、ご覧の通りです。

 

EverGreen製のサイディング系(甲板の木材感が出ます)のプラシートで飛行甲板部分を準備。その前端にモデルから切り離した艦橋を移設します。煙突他の上部構造の突起物を切除し、甲板と同じくEverGreenのプラビーム(H型)等で特に島型上部構造物の上部を整えます。前部と後部の格納甲板に相当する場所に前出のEverGreenのサイディング系プラシートを床板として貼り平面に。その際に前部・後部の収納用の張り出しも準備します。(写真:上段と下段左)

飛行甲板の裏面には何本かプラビームで横桁を通しておきます。(写真:下段右)
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Step 3:ざっと塗装して仮組みへ

実際にはサーフェサーによる下地処理、そして塗装をそれぞれのパーツに施したのち、仮組みしてみます。(下の写真)

おお、何となく「様」になってきたかも。
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そして完成

飛行甲板裏の横桁に合わせて、縦の支柱を入れていきます(EverGreen プラビーム(H型)を使用しています)さらに右舷側に飛行指揮所と煙突を、手持ちのジャンクパーツから添付。

可倒・引き込み式の航空機収納用デリックを前部・後部の航空機格納口の上面に装着します。デリックは、前部は引き込んだ状態、後部は一応水平に展開した状態にしてみましょう。(この可倒・引き込み式デリック、「雑想ノート」によると、5トンまで吊り上げる能力があり、飛行甲板上の航空機を格納甲板へ移動させる際には、飛行甲板上で甲板方向へ10度ほど倒した状態で収納する航空機を吊り下げ、ゆっくり今度は反対側の海面上へ水平角まで倒し、そのままデリックごと格納庫内へ引き込んで航空機を格納甲板に収容する、という少々面倒臭い使い方をするようです)

アンテナマストを建て、甲板上にデカールを貼って、はい、ほぼ出来上がり、です。

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「安松丸」の搭載機は艦上攻撃機6機のみ、ということになっています。格納庫が小さいため甲板上に2機を繋止し、3機が格納庫収納、1機は保用で分解搭載、と記されています。

さらに搭載する攻撃機は、短い飛行甲板から発艦できる複葉の旧式の96式艦上攻撃機、ということになっています。ja.wikipedia.org

96式艦上攻撃機日本海軍が開発した初めての満足のいく性能の攻撃機と言われています。しかしわずか1年後にさらに高性能な全金属単葉の名機97式艦上攻撃機が正式採用されたために、ほとんど活躍の場を与えられなかった、という不幸な生い立ちを持っている機体でした。f:id:fw688i:20200506120910j:plain

(直上の写真:飛行甲板に並べられた96式艦上攻撃機(上段)。96式艦上攻撃機は格納時には翼を折り畳んで収納されました(下段右)。搭載機の格納甲板への収納は、エレベーターを装備していないために、舷側に可倒・引き込み式の懸垂型のデリックを2基装備し、これにより行いました)

 

「雑想ノート」のオリジナル・ストーリーでは 、「安松丸」の小さな機動部隊はアフリカ沖に進出し、地中海を独伊連合軍に抑えられた英軍が、エジプト侵攻を企てるロンメル・アフリカ軍団に対抗する援軍をはるか希望峰経由で送ってくる航路を脅かします。「安松丸」が搭載するたった6機の搭載機のうち、放たれた索敵機3機のうちの1機が、ソマリア沖に輸送船団を発見、これを残り3機の雷撃隊で襲撃して輸送船を撃沈します。さらに母艦に帰投する攻撃隊は、船団に後続する空母を含む護衛艦隊を発見。日没となったため、夜間雷撃が可能なベテラン乗組のたった1機だけの攻撃隊を発進させ、護衛艦隊の「イラストリアス級」空母にも、魚雷を命中さます。攻撃機が接近する際に、英空母の乗組員は複葉旧式の96式艦上攻撃機を、帰投中の味方の「ソードフィッシュ」と誤認して、全く警戒しなかった、とか・・・。

戦果を報告した攻撃機は、しかし帰投する母艦の位置を見失い、そのまま行方不明に・・・。というような劇的な話が物語られています。(これにはさらに後日談があるのですが・・・)

 

「安松丸」的な・・・水上戦闘機「強風」の搭載

上記のように、宮崎駿さんの「雑想ノート」のオリジナルのストーリーでは、「安松丸」の搭載機は艦上攻撃機6機のみ、ということになっています。

しかしここは筆者の「安松丸的な世界」ということで、ちょっと欲張って、前部格納庫に水上戦闘機を3機、搭載してみました。もちろんこちらは飛行甲板へあげることなく、デリックで水面に下ろして発進させます。搭載機は日本海軍の太平洋の島嶼地域への進出の切り札となることを期待されながら、登場時期が遅れ活躍の場を見出せなかった不運の水上戦闘機(と言いきっていいと思います)「強風」です。

太平洋では、さして活躍の場を見出せなかった「強風」でしたが、インド洋での英輸送船団と、その非力な護衛部隊相手の戦場では、索敵や、鈍重な英空母搭載の艦載機相手に、かなり部の良い戦いができた、・・・とか。

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 (直上の写真は、水上戦闘機「強風」を搭載した前部格納庫のアップ) 

ja.wikipedia.org

「強風」は日本海軍が最初からフロート履きの水上戦闘機として開発した機体です。太平洋での島嶼地域への進出の際にも、進出部隊が航空基地などの整備が整うまでの間にも十分な航空支援を得られるようにと、かなり欲張った仕様でした。設計当時の主力艦上戦闘機であった「零戦11型」よりも速度で勝り、武装は同等、さらに重いフロートを履きながらも小回りが効くようにと、空戦フラップを搭載するなど、新機軸に溢れた意欲的な機体でした。

当然の事ながら、開発は難航し、実用配備される頃には既にソロモン方面での米軍の反抗が始まっており、想定された「進出・展開」などの段階は終了していました。

さらに、特に水上戦闘機でありながら「零戦」に勝る速度、という要求の実現は不可能に近く、大型のエンジンの採用(火星)や、二重反転プロペラの試作機段階での採用などを試みたにも関わらず、要求仕様を100キロ近く下回る結果となりました。

結果、試作機を含めて97機が生産されたにとどまりました。

このうち何と3機が、「安松丸」に搭載され、おそらく唯一、目覚ましい戦果をあげた「部隊」として記録されることになりました(なんてね)。

 

「強風」は水上戦闘機としては、決して成功作とは言えない機体でしたが、その開発努力は、「強風」をベースとして開発された局地戦闘機紫電」とその改良型である「紫電改」に引き継がれ、大戦末期に日本本土防空の戦いの主力となったことは有名です。

(下の写真:「安松丸」の搭載機。上段は、母艦の低速と短い飛行甲板の二重苦から「安松丸」の搭載機体として選択された(他に選択肢がなかった、というべきか)96式艦上攻撃機。複葉布ばりの機体ながら、日本海軍が開発した最初の満足のいく艦上攻撃機と言われています。制式採用の翌年に、さらに高性能な名機97式艦上攻撃機が登場し、太平洋戦争では活躍の場を奪われていました。翼は格納時には折りたたむことができました。「安松丸」がインド洋・アフリカ沖で戦った英海軍の主力艦上攻撃機ソードフィッシュ」もほぼ同様の布張りの複葉機でした。

写真下段は、出航直前に急遽「安松丸」への搭載がが決定した水上戦闘機「強風」。世界の海軍でほぼ唯一「水上戦闘機」として設計された機体でした。水上戦闘機としてはかなりの高性能でしたが、陸上戦闘機・艦上戦闘機のめざましい性能向上からは取り残された形でした。「安松丸」に搭載された3機の「強風」は、英海軍相手の索敵・哨戒、さらには専用艦上戦闘機を持たない英海軍の空母艦載機相手に、活躍しました)

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ということで、今回はこの辺りでおしまい。

さて次はどうしようかな。

何度かお話に出ている日米の艦隊駆逐艦の系譜については、現在、着々と準備中です。もう少し?何せ数が多いので。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

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夏休み:新着モデルの完成:「超甲巡」!

本稿で前回紹介した「超甲巡」が完成!

今回は「超甲巡」を中心に、「本稿「大好きな小艦艇特集」の回で、未入手だったモデルがいつか届いたので、そちらも地味に紹介します。

fw688i.hatenablog.com

 

超甲巡」(超甲型巡洋艦

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(直上の写真は、「超甲巡」の概観。198mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs:  マストをプラロッドで追加した他は、(珍しく?)ストレートに組み立てました。元々が素晴らしいディテイルで、手をいれるとしたら「65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲):いわゆる長10センチ高角砲」のディテイルアップくらいですが、少し大ごとになりそうなので、そちらはいずれまた)

 

65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)の話

65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)は、日本海軍の最優秀対空砲と言われた高角砲で、18700mの最大射程、13300mの最大射高を持ち、毎分19発の射撃速度を持っていました。これは、戦艦、巡洋艦、空母などの主要な対空兵装であった12.7cm高角砲(八九式十二糎七粍高角砲に比べて射程でも射撃速度でも1.3倍(射撃速度では2倍という数値もあるようです)という高性能で、特に重量が大きく高速機への対応で機動性の不足が顕著になりつつあった12.7cm高角砲の後継として、大きな期待が寄せられていました。

ja.wikipedia.org

上記、射撃速度を毎分19発と記述していますが、実は何故か揚弾筒には15発しか搭載できず、従って、15発の連続射撃しかできなかった、ということです。米海軍が、既に1930年台に建造した駆逐艦から、射撃装置まで含めた対空・対艦両用砲を採用していることに比べると、日本海軍の「一点豪華主義」というか「単独スペック主義」というか、運用面が置き去りにされる傾向の一例かと考えています。

 

モデルのディテイルアップの話に戻すと、正直にいうと、現時点で筆者にとって満足のいくディテイルが再現された「長10センチ高角砲」は、Neptune社製の「秋月級」駆逐艦に搭載されているものくらいしか、思い当たりません。

実はこれまでにも、本稿では「架空防空巡洋艦」の回などで、同砲は「架空防空巡洋艦」の主砲として登場しています。

fw688i.hatenablog.com

同艦は長10センチ高角砲の連装砲塔を12基搭載しており、併せて準同型艦として同回に紹介した「汎用軽巡洋艦」も同連装砲を6基搭載しています。これらも含めディテイルアップのために換装しようとすると、Neptune製の「秋月」を7隻つぶさねばならず、ちょっと現実的な対処法ではない。

既に皆さんもある程度予想がつくと思いますが、筆者の場合、こういう時は「困った時のShapeways 」ということになるのですが、なんと、実は Shapewaysにはちゃんと連装砲塔のセットがあるのです。

www.shapeways.com

16砲塔で1セットですのでこれが2セットあれば、良い、という計算です。

ということで、早速入手してみたのですが、今度はNeptune製「秋月」の砲塔よりかなり小さい。かつ、砲身を自作しなくてはなりません(まあ、砲身の自作の方はプラロッドか真鍮線でチマチマと作れば良いので、時間はかかりますが、なんとかなりそう(楽しいしね)なのですが)。何れにせよ、全砲塔の換装を視野に入れると、少し結論を先延ばし、ということで。

 

超甲巡」の話

行きがかり上とはいえ、話が同艦級の搭載した「長10センチ高角砲」に終始しましたが、そもそも「超甲巡」についても少しご紹介しておきましょう。

超甲巡」とは「超甲型巡洋艦」の略称で、いわゆる「甲型巡洋艦重巡洋艦」を超える性能の「巡洋艦」を意味します。

マル五計画、マル六計画で建造が計画されたいわゆる「If艦」です。一応、設計スケッチは残っているようなので「未成艦」と言っても良いのかもしれません。3万トン級の船体に30センチクラスの主砲を3連装砲塔で3基搭載し、対空砲は長10センチ高角砲を連装砲塔で8基という強力な火力を誇っています。33ノットの速力を発揮する予定だった、ということだから、空母機動部隊の直営としても活躍できたでしょうね。

 

ja.wikipedia.org

そもそもの同艦級の設計構想は、日本海軍の「艦隊決戦」構想の一環として、本稿でも何度も取り上げている「漸減邀撃作戦」での水雷戦隊による夜戦の中核艦とするものでした。

同作戦構想では、敵主力艦隊に対し日本海軍自慢の酸素魚雷を搭載した重巡洋艦部隊、水雷戦隊、総数約80隻を展開し夜戦が展開されます。この際にこれらを総指揮し、あるいは敵主力艦隊の前衛の警戒戦を突破する有力な砲力を有した艦として、当初「金剛級高速戦艦が当られる予定でした。しかし同艦級は、ご承知のように日本海軍の主力艦の中では最も艦齢が古く、優れた基本設計のために数次の改装を経て、なお一線の高速戦艦として有力な存在ではあったものの、25年の艦齢を考慮すると、これに代わる有力艦級の整備は急務でした。

こうして生まれたのが「超甲巡=超甲型巡洋艦」の設計構想で、水雷戦隊に帯同できる高速性と「艦隊決戦」の仮想敵である米艦隊が急速に整備しつつあった大型の重巡洋艦軽巡洋艦を凌駕する砲戦力とこの砲戦に耐えられる防御能力を有した艦となる予定でした。

同時期に各国海軍が建造した「シャルンホルスト級」「ダンケルク級」、とりわけ米海軍が建造した「アラスカ級大型巡洋艦を強く意識したもので、6隻が建造される予定でした。

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(直上の写真:「超甲型巡洋艦超甲巡」の新型31センチ主砲(上段)と65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)

 

その後、海軍戦力の重点が航空優位に移行し、従来の「艦隊決戦」のあり方に変化が現れると、同艦級は「金剛級高速戦艦同様、その高速性から空母機動部隊の直衛戦力としての期待をも担うことになります。

こうして有力な新設計の31センチ主砲(設計上は「金剛級」の36センチ主砲を凌駕する性能だったと。製造されていないので、実力の程はわかりませせんが)と並び、帝国海軍の最優秀対空砲である「長10センチ高角砲」が搭載されました。

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 (直上の写真:巡洋艦の艦型比較。下から「改鈴谷級=伊吹級」重巡洋艦、「蔵王級」重巡洋艦、「超甲型巡洋艦超甲巡」:「超甲巡」の主砲の大きさが目立ちます)

 

佐藤大輔氏の短編集「仮想・太平洋戦史 目標、砲戦距離四万!」に、確か同級の活躍するお話がありましたね。

www.amazon.co.jp

 

米海軍大型巡洋艦アラスカ級

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(直上の写真「アラスカ級大型巡洋艦の概観。194mm in 1:1250 by Hansa)

ja.wikipedia.org

前述の「超甲巡」のライバル、「アラスカ級大型巡洋艦です。30000万トン級の船体に主砲として「1939年式 Mark8型 30.5cm(50口径)砲」を3連装砲塔3基、そして米海軍ではお馴染みの5インチ両用砲の連装砲塔を6基搭載していました。空母機動部隊の直衛を意識して33ノットの高速を有しています。6隻が計画され、2隻が完成しています。

主砲として搭載された「1939年式 Mark8型 30.5cm(50口径)砲」は、12インチの口径ながら、米海軍の戦艦の標準主砲であった14インチ砲と同等の重量の砲弾を発射できるという優秀砲でした。(この辺り、上述の「超甲巡」に搭載予定であった新型31センチ砲と良く似ています)

この両級が、実際に砲火を交えていたら、どんな展開になったんでしょうね。

(直下の写真:上から「シャルンホルスト級」「アラスカ級」「超甲型巡洋艦」の艦型比較。各国が異なる狙いで類似性のある設計をしていたことが興味深いですね) 

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さらに「シャルンホルスト級」と「ダンケルク級」、本稿でのご紹介を以下に再掲しておきます。(まだ、主力艦の発達史をやっていた頃なので、ちょっと文体が違うけど、ご容赦を。併せて皆さんは大丈夫だとは思うのですが、架空の記述など含まれているので、そちらもご注意、ご容赦を)

 

ドイツ再軍備宣言と英独海軍協定、そして新戦艦時代の開幕

ヴェルサイユ体制による重度の賠償責任等により、ドイツ経済は疲弊の極みにあり、その混乱の中で1934年、ヒトラーが首相と大統領の両機能を統合し国家元首に就任し政権を握る。

1935年、ヒトラーヴェルサイユ条約の軍事制限条項を破棄し再軍備を宣言する。

同年、再軍備は受け入れざるを得ないとしながらも、その拡張に歯止めをかけるべく英独海軍協定が結ばれ、総トン数で英海軍の35%、潜水艦保有も英海軍の45 %まで保有が認められた。

これにより戦闘艦の建造制約が名実ともになくなり、ドイッチュラント級装甲艦の強化型として建造される予定で、フランスのダンケルク級戦艦への対抗上から設計を大幅に見直されていたシャルンホルスト級は、30,000トンを超える本格的な戦艦として起工された。

 

シャルンホルスト級戦艦 - Wikipedia

en.wikipedia.org

(1939-, 31.500t, 31.5 knot, 11in *3*3, 3 ships, 191mm in 1:1250 by Hansa)

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シャルンホルスト級戦艦は当初、前述のように、フランス海軍によって建造されたダンケルク級戦艦に対抗するべく誕生した。この為、主砲は、当初15インチ砲の搭載を想定したが、建造時間を考慮しドイッチュラント級と同様の11インチ砲3連装砲塔を1基増やし9門に増強するにとどめた。一方でその装甲はダンケルク級の33センチ砲弾にも耐えられるものとし、ドイツ海軍伝統の防御力に重点を置いた艦となった。

速力は重油燃焼高圧缶と蒸気タービンの組合せにより、31.5ノットの高速を発揮した。

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(シャルンホルスト級3隻:手前からグナイゼナウ、マッケンゼン、シャルンホルスト)手前味噌的な記述になることを恐れずに言うと、本級はバランスのとれた美しい外観をしている、と感じている。

 

15インチ主砲への換装により、本格的戦艦に

のちに、11インチ主砲はビスマルク級戦艦と同様の15インチ連装砲に置き換えられ、攻守にバランスのとれた、加えて31.5ノットの高速力を持つ優秀艦となった。

特に31.5ノットの高速性能は、当時、ヨーロッパにはこれを捕捉できる戦艦がなく、ヨーロッパ諸国の危機感を強く刺激した。

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(主砲を15インチ連装砲塔に換装後のシャルンホルスト級3隻:手前からシャルンホルストグナイゼナウ、マッケンゼン)

出典元はこちら↓。

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仏新造戦艦ダンケルク級による波紋 

ダンケルク級戦艦 - Wikipedia

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本級の建造に当たっては、確かに前述のドイッチュラント級装甲艦への即効性のある対抗策としての側面も強かったが、第一次世界大戦前のプロヴァンス級以来、久々の新造戦艦の建造にあたり、攻撃力、防御力、機動力をどのようにバランスをとりながら具現化するかと言う命題に対する、次期本格主力艦建造への実験艦的な性格が強い。

武装としては、新設計の13インチ(33センチ)砲を、未完に終わったノルマンディー級戦艦以来のフランス海軍悲願の4連装砲塔2基に、艦首部に集中的に搭載し、あわせて発展著しい航空機の脅威に備えて、世界初となる水上戦闘にも対空戦闘にも使用できる13センチ両用砲16門を、連装砲塔2基、4連装砲塔3基の形で搭載した。

艦種名に正式に「高速戦艦」の分類が割り当てられ、公称30ノット、実際には31.5ノットの高速を発揮することができた。機関の搭載にも新基軸が見られ、シフト配置を採用することにより、被弾時の生存性を高めるなど、種々の新機軸への取り組みが見られた。

(1937-, 26,500t, 31.5knot, 13in *4*2, 2ships, 170mm in 1:1250 by Hansa)

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本艦は過渡期的なやや小ぶりの船体を除けば(それでもフランス海軍がそれまでに建造した最大の戦艦である)、高い機動性、集中防御の思想、対空戦闘への対応力、ダメージコントロールへの新たな工夫など、それまでの戦艦の概念を一新するものであり、「新戦艦」の幕開けとなった戦艦であると言っていいであろう。

 

本級の登場は諸国海軍の戦艦整備政策に大きな影響を与え、前回述べたようにドイツ海軍はドイッチュラント級4番艦、5番艦を、30,000トンを超える本格的なシャルンホルスト級戦艦として設計変更の上建造した。

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(直上の写真は、ドイッチュラント級装甲艦、ダンケルク級戦艦、シャルンホルスト級戦艦の艦型比較:手前からドイッチュラント級ダンケルク級シャルンホルスト級

 

出典元はこちら↓。

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小艦艇部門の新着モデル

最近入手した小艦艇モデル2点のご紹介です。

 

まずは「第7号級」掃海艇 

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(直上の写真「第7号級」掃海艇の概観。59mm in 1:1250 by Trident 前部マストをプラロッドに変更)

「友鶴事件」「第四艦隊事件」等を経て、設計された掃海艇です。艦型は復原性・船体強度などの前級が抱えていた問題を考慮して、異なる外観となっています。しかしその任務想定が艦隊の前路開削や、上陸地点の航路掃海等、敵前での業務を想定していたため、船体の大きさに対して大きな砲力を有していました。(630トン、12cm平射砲3門、20ノット)

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(直上の写真:「第7号級」掃海艇と本稿では既出の「第19号級」掃海艇との艦型比較。直下の写真:主砲が「第7号級」掃海艇では平射砲であるのに対し(上段)、「第19号級」ではM型砲架の採用により、仰角が挙げられているのが分かります) 

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第51号級駆潜艇

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直上の写真「第51号級」駆潜艇の概観。44mm in 1:1250 by Trident 前部マストをプラロッドに変更)

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マル二計画(1933年度)で計画された小型駆潜艇です。

150トンの船体に40ミリ機関砲と爆雷18個を搭載し、23ノットのこの艦級としては比較的高速の速力を有していました。主として主要海軍根拠地の防備隊で使用され、同級3隻全てが終戦時に現存していました。

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(直上の写真:駆潜艇の系譜。左から「第1号級」駆潜艇、「第51号級」駆潜艇、「第13号級」駆潜艇

 

ということで、今回はこの辺りでおしまい。

さて次はどうしようかな。

何度かお話に出ている日米の艦隊駆逐艦の系譜については、現在、着々と準備中です。もう少し?何せ数が多いので。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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今週の新着モデル:「超甲巡」でピンときたら。

近況から入って恐縮ですが、ご多分に漏れず、筆者もリモートワークを4月以来続けています。4月・5月は100%、6月後半からは週一回ペースでオフィスに出社する日々です。

自宅からオフィスまでの通勤時間は1時間強、というところですが、改めて通勤時間というのがどれほど大きなウエイトを占めていたのか、考えさせられる毎日です。

一方で、やはり時間のコントロールの難しさも改めて知る日々です。

移動なく仕事ができる反面、週末でもちょっと仕事、という機会が増え、私のように、ある程度自分で仕事の差配ができる立場であれば、それなりに納得づくで進んでやっていることなのですが、若い人達にどのような影響が出ているのかな、など、気になっています。

仕事ってこんなもんか、が、周囲の実情や、働き方のヴァリエーションを一切感じる機会がなく仕事を始められた今年の新卒入社の方達が、いったい仕事をどのように感じているのか、実に気になります。

 

なんかこのままだと、こんな話で終わってしまいそうなので、気持ちを切り替えて「艦船模型」の話です。

今週末は自宅から仕事をしていたので、サクッと新着模型の紹介を。

結構、大物が。

 

まずは下の写真。

航空母艦形態の「信濃です。

本稿では、ご承知の方もいらっしゃるかと思いますが、「信濃」は「大和級」戦艦の3番艦として登場していますので、これまで入手には触手を伸ばさずにいたのですが、ついに入手しました。ご紹介は、また改めて、とは思いますが。一応ご紹介しておきます。

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Trident社製の模型で、やはりなんと言っても幅広の飛行甲板が目立ちます。一方で、その長さはさほどでもない。まあ、これは母体となった「大和級」戦艦が極力コンパクトを目指してデザインされたわけですので、持って産まれた「宿命」と言えば言えるのかも。

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完成時には日本海軍の母艦航空隊が壊滅していましたので、おそらく航空母艦として実戦に臨む機会はなかったのでしょうが、どんなふうに戦ったんだろうなあ、と想像の羽が膨らみます。

 

そして、もうひとつが、超甲巡

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下のモデルは本稿読者なら既にお馴染みの3D Printingモデル。Shapewaysから調達したTiny Thingamajigs製のモデルです。今週、到着したのですが、既に下地処理をした後、船体色だけ一次塗装してあります。f:id:fw688i:20200802180605j:image

マル五計画で建造が計画されたいわゆる「If艦」です。一応、設計スケッチは残っているようなので「未成艦」と言っても良いのかもしれませんが。3万トン級の船体に30センチクラスの主砲を3連装砲塔で3基搭載し、対空砲は長10センチ高角砲を連装砲塔で8基という強力な火力を誇っています。33ノットの速力を発揮する予定だった、ということだから、空母機動部隊の直営としても活躍できたでしょうね。

甲型巡洋艦重巡洋艦」を超える設計の巡洋艦だから「超甲巡」の通り名がつけられたとか。

ドイツ海軍の「シャルンホルスト級」、フランス海軍の「ダンケルク級」さらに米海軍の「アラスカ級」などと比較してみるのも一興ですね。

そう言えば、「シャルンホルスト級巡洋戦艦日本海軍が入手して、というような横山信義さんの仮想戦記がありましたね。

www.amazon.co.jpこの艦級の軍艦は、実用性が高そうで、いろんなストーリーが考えられそうです。

こちらは完成したら、改めてご紹介します。

 

ということで、今回はこの辺りでお茶を濁します。ご容赦を。

実は、今週は、この他にも結構いろんな模型が届いています。例えば、日本海軍の護衛空母「大鷹級」が一隻と、同じく護衛空母「海鷹」が到着。これで日本海軍の護衛空母は勢揃い、とか。

それらはまた機会を見てご紹介します。

 

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

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特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

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日本海軍巡洋艦開発小史(番外編)  未成巡洋艦、架空巡洋艦

今回は日本海軍の巡洋艦小史の番外編、ということで、未成艦・架空艦のご紹介です。

 

日本海軍は、これまでご紹介したように、太平洋戦争には「天龍級」(2隻)、「5500トン級」(14隻)、「夕張」の軽巡洋艦、「古鷹級」(2隻)、「青葉級」(2隻)、「妙高級」(4隻)、「愛宕級」(4隻)、「最上級」(4隻)、「利根級」(2隻)の重巡洋艦、「香取級」(3隻)の練習巡洋艦の陣容で臨みました。大戦中に「阿賀野級」(4隻)、「大淀」の計5隻の軽巡洋艦を就役させました。

これに加えて、重巡洋艦2隻を建造中でしたが、これらはミッドウェー海戦の敗北、主力空母機動部隊の壊滅により、急遽、転用され軽空母として建造されることとなりました。これ艦級は「伊吹級」軽空母として知られています。結局、この軽空母は重巡洋艦からの転用工数がかかりすぎるところから、軽空母としても未成に終わりました。

 

今回、最初のご紹介は、この「伊吹級」が当初の計画のまま重巡洋艦として建造された場合、を再現した物です。

 

未成艦:「伊吹級」重巡洋艦(改鈴谷級重巡洋艦) ー同型艦2隻 (伊吹、鞍馬)

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Ibuki-class cruiser - Wikipedia

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(直上の写真:「改鈴谷級」重巡洋艦の概観:163mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs)

 

史実上、日本海軍が建造に着手した最後の重巡洋艦です。「伊吹級」重巡洋艦と言う呼称の方が通りが良いかもしれません。また、「改鈴谷級」の名称の通り、「鈴谷級」巡洋艦の改良型で、後部マストの位置の違い程度しか外観上の区別はありません。装備上では「鈴谷級」の3連装魚雷発射管4基から4連装魚雷発射管4基に、雷装が強化されています。着工後、航空艤装を排して5連装発射管5基装備にさらに雷装を強化したと言われています。

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(直上の写真:「最上級」(上段)と「改鈴谷級=伊吹級」(下段)の比較。建造期間を短縮するために、「最上級」の設計を踏襲しています。相違点は後部マストの位置と後橋でしょうか?下の写真:「最上級(上)と「改鈴谷級=伊吹級」(下)の艦型比較)

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1番艦は「伊吹」と命名され、1942年4月に起工され、1943年5月に進水、その後、ミッドウェー海戦での機動部隊主力空母の喪失を受けて急遽航空母艦への改造が決定されましたが、既に重巡洋艦として進水を迎えていた本艦の転用改造の工事は工数が多く、工事途中で終戦を迎えています。

wikiwiki.jp

 

今回入手した3D printingモデルは、「改鈴谷級」の原案をモデル化したもので、航空艤装は装備したままの姿を再現したものです。

制作社は、本稿で紹介した艦船では日本海軍の「5500トン級」軽巡洋艦や「レキシントン級巡洋戦艦などでお世話になっているTiny Thingamajigsで、その細部の再現等には信頼を置いています。

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(直上の写真:「改鈴谷級」重巡洋艦の概観:下地処理をした状態です。この後、塗装をし、マストのトップ部分をプラロッドなどで仕上げれば完成、かな?)

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(直上の写真:今回はSmooth Fine Detail PlasticとWhite Natural Versatile Plasticの2素材で出力を依頼しました。2隻共、重巡洋艦仕様で仕上げていこうか(その場合には「伊吹」と「鞍馬」かな?)、あるいは1隻は条約型巡洋艦の名残りという設定で、主砲を3年式60口径15.5cm砲として、軽巡洋艦仕様で仕上げてみましょうか?(その場合には、「川」の名前を考えねば))

www.shapeways.com

 

 架空艦:「九頭竜級」軽巡洋艦ー「改鈴谷級:伊吹級」の軽巡洋艦仕様仕上げ

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(直上の写真:「改鈴谷級=伊吹級」の派生形「九頭竜級」軽巡洋艦の概観:163mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs)

 

前述のように、今回、3D printingモデルを2点入手したため、一つは条約型巡洋艦の延長として「改鈴谷級」を軽巡洋艦仕様で完成させた場合を想定した仕上げにしてみました。

日米間に不穏な空気が漂い始めた頃、艦隊決戦において漸減戦術の一つの要と想定されていた水雷戦隊による魚雷攻撃を率いるべき軽巡洋艦群の多くが既に旧式化しており、旗艦巡洋艦の整備もまた急務だった、というような想定から、「改鈴谷級:伊吹級」重巡洋艦の後続艦を軽巡洋艦仕様で完成させた、というようなカバー・ストーリでしょうか?

主砲は、もちろん「最上級」条約型巡洋艦に搭載されていた3年式60口径15.5cm砲の3連装砲塔とし、これを「最上級」に準じて5基、15門搭載します。さらに雷装は「改鈴谷級」に準じ4連装魚雷発射管4基とします。

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(直上の写真および直下の写真:「改鈴谷級=伊吹級」重巡洋艦(上段)と「九頭竜級」軽巡洋艦(下段)の比較。同一設計の船体に搭載主砲が異なります。下の写真:「改鈴谷級=伊吹級」重巡洋艦(上段)と「九頭竜級」軽巡洋艦(下段))

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ja.wikipedia.org

 

主砲の話:3年式60口径15.5cm砲か3年式50口径20cm砲か

3年式60口径15.5cm砲の諸元は、弾重量:55.9kg、最大射程27,400m、射撃速度毎分5発、これを3連装砲塔5基に搭載していましたので、1分あたりの発射弾重量は約4.2トン。

一方、3年式50口径20cm砲の諸元は、弾重量:125.9kg、最大射程29,400m、射撃速度毎分3発、これを連装砲塔5基に搭載していましたので、1分あたりの発射弾重量は約3.8トン。

両者を比較すると、単位時間あたりの射撃回数、投射弾量、発射弾数共に15.5cm砲の方が上回り、1発当たりの弾重量、つまり命中弾が出た場合の打撃力を除くと15.5cm砲の方が有利とも考えられるわけで、どちらを主砲として採用するかは、用兵者の判断ということになります。

筆者としては「手数」の多いほうを採用するのも面白いと考えるのですが、日本海軍は条約失効時に「最上級」でわざわざ15.5cm砲を20cm砲に換装していますので 、命中弾当たりの打撃効果を取ったということでしょうね。

 

この艦級が旗艦となって水雷戦隊を率い、ソロモン海あたりで夜戦に投入されていたら、どんな活躍をしたのでしょうね?ちょっと見てみたい。

 

ミニ・コラム(その1):艦名の話

日本海軍では巡洋艦の場合、一等巡洋艦大型巡洋艦重巡洋艦)には「山」の名前を、それ以下の巡洋艦には「川」の名前を命名する、という大原則が用いられてきました。

その顰みに倣うと、「改鈴谷級:伊吹級」の3, 4番艦を水雷戦隊旗艦として軽巡洋艦仕様で仕上げた、という想定なら、重巡洋艦らしく「山」系の艦名でも良かったのですが、設計を分けた、というところで、軽巡洋艦らしく「川」系の艦名にしてみました。「九頭竜」「四万十」という感じなんですが、どうでしょうか?あまりにも「架空艦」ぽいかな、と筆者も思っているのですが、「鶴見」「黒部」というのも考えてはみたのですが、いかにもな感じもしまして・・・。

 

ミニ・コラム(その2):排水量の話

艦船の大きさは排水量で語られることが多いのですが、基準排水量、常備排水量、満載排水量など、いくつかの排水量定義があり、ちょっと混乱してしまいます。少しここで整理を。

艦船は、その船体や装備の重量以外に、乗組員の数(定数かそれ以外の状況か)、弾薬の積載量、燃料、食糧、水など、活動に必要な消耗品を積載しています。

まず、「満載排水量」。これはその表現の通り、乗組員定数、弾薬、食糧、水、燃料などをいっぱいに積載した場合の重量を表現しています。近年、多くの海軍が艦船の諸元としてこの数字を公表しているようです。

「常備積載量」。これは満載積載量から、食糧、燃料、水などの消耗品を2/3の状態にした状況での重量で、主として戦場に到着した状態(戦闘直前)を表す数値として使われていました。国によって若干消耗品にかける係数が異なることがあったようです。

そして「基準排水量」。これは主として軍縮条約(ワシントン・ロンドン体制)の制限の定義に用いられた排水量の定義です。上記の満載排水量から燃料・水を差し引いた重量とされています。これは、軍縮条約の制限に「平等性」を付与するために、想定戦場や艦船の活動範囲を広域に想定する(つまり、燃料や予備缶水の量が多い)国の不利を排除するために用いられた定義、と言えます(具体的には英・米の不利防止ですね)。軍縮条約の発効しない状況では、あまり有効な定義とは言えず、現在ではこの定義で使用している国はないようです。日本の海上自衛隊では艦船の諸元の数値として「基準排水量」という名称を使用していますが、この場合の「基準排水量」には乗組員、食糧、弾薬、水、燃料などが全て含まれておらず、いわゆる建造時の艦船の重量、を表現する数値となっています。

  

日本海軍の防空巡洋艦の計画ーマル5計画(あるいは改マル5計画)

防空巡洋艦建造の計画:815号型防空巡洋艦

日本海軍には「815号型軽巡洋艦」という防空巡洋艦の設計案が昭和17年度艦船補充第1期計画(通称マル5計画)において計画されていました。

815号型軽巡洋艦は、主力艦直衛の防空巡洋艦という設計で、5800トンの船体に65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)を連装砲塔で4基搭載するという設計だったようです。

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「マル5計画」自体がミッドウェー海戦の敗北で見直され、この計画は立ち消えになったのですが、その主要な仕様は、「秋月級」駆逐艦へと継承されたと考えられます。

 

架空艦:「高瀬級」軽巡洋艦防空巡洋艦

さて、今回ご紹介する「防空巡洋艦」は「阿賀野級軽巡洋艦よりはひと回り小ぶりな外観をしており、上記の「815号型軽巡洋艦」では計画に盛り込まれていた水上偵察機2機搭載の航空艤装や魚雷装備が廃止された代わり65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)を連装砲塔で12基も搭載するという、より艦隊直衛に特化した設計になっています。日本海軍が常に拘った雷装が放棄された辺りの割り切りも含め、やはり「架空艦」と言っていいように思います。www.shapeways.com

 

ということで、まずは艦級名の話を。

同級は艦隊防空の専任艦として設計され、**年度艦船補充計画(正史でいけば17年度ですが、本稿のやや後ろ倒しで始まった太平洋戦史に則れば19年度でもいいのかも)で、10隻の建造が決定されました。慣例として二等巡洋艦軽巡洋艦)には、「川」の名前が与えられたとこところから、1番艦には「高瀬」の名が与えられました。以後、同型艦には「鳴瀬」「綾瀬」「早瀬」「平瀬」「嘉瀬」「初瀬」「白瀬」「渡良瀬」「水無瀬」などが予定されていました。

 

ということで、艦級名は「高瀬級」

ここからは「架空艦」ならではの「if」ストーリー。

「高瀬級」軽巡洋艦では、対空砲兵装の充実のために、前述のように航空艤装や雷装が廃止され、他の構造物はできるだけ軽量化が図られ、例えば艦橋構造は、駆逐艦の様な簡素な塔構造とされています。

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(直上の写真は、防空巡洋艦「高瀬級」の概観を示したもの。138mm in 1:1250  C.O.B Constructs and Militarys製 素材はSmooth Fine Detail Plastic)

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(直上の写真は、「高瀬級」と「阿賀野級」の概観比較。「阿賀野級」が一回り大きい。「阿賀野級」141mm in 1:1250 by Neptune :「高瀬級」では、上部構造物が簡素化され、軽量化への工夫が見て取れます)


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(直上の写真は、「高瀬級」と同様の設計思想で建造された「秋月級」防空駆逐艦の概観比較。

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やはり軽巡洋艦だけあって「高瀬級」の大きさが目立ちます。艦橋構造は類似しているのが見ていただけると思います。「秋月級」防空駆逐艦:   117mm in 1:1250 by Neptune)

 

65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)

同級の最大の特徴は、その主砲を、高角砲機能を中心に据えた両用砲としたところにありますが、搭載する65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)は、日本海軍の最優秀対空砲と言われた高角砲で、18700mの最大射程、13300mの最大射高を持ち、毎分19発の射撃速度を持っていました。これは、戦艦、巡洋艦、空母などの主要な対空兵装であった12.7cm高角砲(八九式十二糎七粍高角砲に比べて射程でも射撃速度でも1.3倍(射撃速度では2倍という数値もあるようです)という高性能で、特に重量が大きく高速機への対応で機動性の不足が顕著になりつつあった12.7cm高角砲の後継として、大きな期待が寄せられていました。

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同様の艦隊防空と言うコンセプトで米海軍が建造した「アトランタ級軽巡洋艦の主砲であったMk 12  5インチ両用砲と比較してみると、射程でも射高でもこれを上回り、射撃速度はほぼ同等、しかし口径の差から弾丸状量が長10cm高角砲の13kgに対し、5インチ砲は25kgとほぼ倍で、両用砲搭載艦同士の砲戦となった場合には、射程を利用した最大射程での命中弾を期待するしかなく、不利は否めなかったと言わざるを得ないでしょう。

 

同級の建造と、設計変更

ここからは「架空艦」ならではの「if」ストーリー。f:id:fw688i:20200524120213j:plain

上掲の写真のように、12基の連装対空砲塔を、艦首部に3基、艦中央に6基、艦尾部に3基と、多数配置し対空兵装の充実を目指した「高瀬級」でしたが、しかしどう贔屓目に見ても兵装過多、トップヘビーで、高速で転舵などすると、傾斜が想定以上に大きく、射撃等にも影響が出るなどの事象が発生し、次期改装期には艦首部の1番、および艦尾部の12番砲塔を撤去するなどの対策が検討されていました。未成に終わった5番艦・6番艦では最初から主砲塔を2基減じた設計に変更されていた、とも言われています。

 

更に、戦況が進むにつれ、水雷戦隊旗艦を務めていた「5500トン級」軽巡洋艦の中から戦没艦が生じ始めます。それ以前に「5500トン級」軽巡洋艦は開戦当時すでに旧式化しており、特にその搭載主砲は旧式な単装砲郭式であり、かつ対空戦闘能力も低く、昼間の出撃では「5500トン級」は 戦闘に耐えないとして、旗艦を駆逐艦に変更する戦隊指揮官も現れるほどでした。これを補うのが「阿賀野級軽巡洋艦だったのですが数が揃わず、すでに2隻が完成し、6隻が着工、あるいは起工寸前だった「高瀬級」も、この候補として検討され始めます。

しかし、既述のように、同級の主砲、長10cm高角砲は対水上艦戦闘では非力と言わざるを得ず、また水雷戦隊旗艦としては雷装を保有しないのは適性が低いなど、用兵側から、同級の搭載砲等の兵装に対する見直しが要求されます。こうして、「改高瀬級」汎用軽巡洋艦が設計されることになります。

 

架空艦:「改高瀬級」汎用軽巡洋艦=「渡良瀬級」軽巡洋艦 

同級は船体や機関など「高瀬級」の基本設計はそのままに、高角砲(両用砲)の搭載数を半分にして、水上戦闘にも耐えるように主砲として3年式60口径15.5cm砲を連装砲塔3基に搭載することが計画されました。

この砲は元々はワシントン・ロンドン体制で重巡洋艦保有数を制限された日本海軍が、列強の重巡洋艦の8インチ砲にも対抗できるように「最上級」軽巡洋艦の主砲として開発された砲で、「最上級」が条約切れに伴い8インチ砲に主砲を換装した後は、「大和級」戦艦の副砲に転用されました。27000mという長大な射程を持ち(「阿賀野級」に搭載された50口径四十一年式15センチ砲の最大射程の1.3倍)、また60口径の長砲身から打ち出される弾丸は散布界も小さく、弾丸重量も「阿賀野級」搭載砲の1.2倍と強力で、高い評価の砲でした。「最上級」「大和級」では、これを3連装砲塔で搭載していましたが、「高瀬級」の船体に合わせて、新たな連装砲塔が開発されました。

75度までの仰角が与えられ、一応、対空戦闘にも適応できる、という設計ではありましたが、毎分5発程度の射撃速度では、対空砲としての実用性には限界がありました。

ja.wikipedia.org

 

加えて「5500トン級」軽巡洋艦に代わる水雷戦隊旗艦としての運用に期待を寄せる用兵側の強い要求で、魚雷装備が復活され、61cm4連装魚雷発射管を2基、自発装填装置付で搭載することとなりました。

優れた基本設計で、なんとかこれらの要求には応えたものの、この辺りが限界で、流石に航空艤装の搭載は諦めざるを得ませんでした。f:id:fw688i:20200524115833j:image

(直上の写真は、「改高瀬級=渡良瀬級」軽巡洋艦の概観を示したもの。基本設計は「高瀬級」の設計に準じたものの、射撃管制等により艦橋がやや大型化しているのが分かります。138mm in 1:1250  C.O.B Constructs and Militarys製 素材はWhite Natural Versatile Plastic)

 

設計決定後、同級の建造は最優先となり、「高瀬級」の建造は4隻でいったん休止されます。こうして建造された1番艦には「高瀬級」の艦名予定リストから「渡良瀬」の名が与えられました。

 

「渡良瀬級」と命名

艦名は「渡良瀬」「水無瀬」とされました。

本来の計画では、「高瀬級」は10隻が建造される予定で、うち8隻が着工、4隻が「高瀬」「成瀬」「綾瀬」「早瀬」として就役、最も着工の遅かったの2隻が大掛かりな設計変更の末「改高瀬級=渡良瀬級」として建造を優先的に継続され、「渡良瀬」「水無瀬」として完成されました。

着工済みだった残りの2隻は、「渡良瀬級」に準じて設計を変更するには工事が進みすぎており、中間的な位置付けの設計変更での対応を模索する中、戦況の激化で完成されませんでした。 

 

(直下の写真は、「高瀬級」防空巡洋艦(左列)と「渡良瀬級」軽巡洋艦(右列)の主要箇所比較。上段:艦首部の主砲配置の比較。中段:艦橋構造と中央部の対空砲配置の比較(「渡良瀬級」の艦橋が射撃管制等の必要性から大型化しているのが分かります。下段:艦尾部の比較(「渡良瀬級」では魚雷装備が復活されました。艦中央部の上部構造物内に次発装填機構が組み入れれれています)

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こうして完成された「渡良瀬級」軽巡洋艦は、兵装面だけをみると「阿賀野級」よりもはるかに強力で、これを「阿賀野級」よりもひと回り小さな船体に搭載し、原型である「高瀬級」同様に船体重心を下げるために極限まで簡素化された上部構造を持ったため、その居住性は劣悪だったろうなあ、と想定されます。それでもやはりトップヘビーは避けられず、そのため次期の改装では6基の高角砲のうち2基を機銃座に換装し軽量化を図るなどの対策が検討されていた、とか。

また、現場の運用場面では、夜戦想定の出撃の場合には、高角砲の砲弾を定数の6割程度に抑えて軽量化を図り出撃した、とも。

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(直上の写真では、「渡良瀬級」軽巡洋艦(手前)と「阿賀野級軽巡洋艦の概観を比較。「渡良瀬級」がひとまわり小さいことがよく分かります。

直下の写真では、両級の主要な部分を比較しています。上段:前部主砲塔と艦橋の配置(「渡良瀬級」の搭載主砲の方が新しく強力です。一方、艦橋は「渡良瀬級」では簡素化され、一見、駆逐艦の艦橋構造のようです)中段:艦中央の構造比較(「渡良瀬級」では航空艤装に代えて対空兵装を充実しています)下段:艦尾部の比較(「阿賀野級」では魚雷兵装は搭載水上偵察機の整備甲板の下に設置されています))

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「渡良瀬級」汎用軽巡洋艦の製作

当初から、防空巡洋艦のバリエーション制作の予定で、加工適性の高いWhite Natural Versatile Plastic製のモデルを発注しておきました。f:id:fw688i:20200516145042j:image

(上掲の写真の奥がm加工適性の高いWhite Natural Versatile Plastic製のモデル。下のリンクは)

 

併せて、主砲の換装用に、15.5cm連装砲塔も入手しておきました。

(今回使用した3年式60口径15.5cm砲連装砲塔は左)

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www.shapeways.com

これらの加工工程が以下です。

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まず、上段の写真がオリジナルのモデル。中段では、艦首部と艦尾部の主砲塔群を切除。そして下段では、前後の砲塔群の跡に15.5センチ連装砲塔を搭載、そして小さなパーツをちょこちょこ追加。まあ数時間でこの程度の作業ができちゃうところが、筆者のように時間がない者にとっては(場所もないのですが)、とっても嬉しいところ。(下段写真の少し黄色っぽく見える部分は、砲塔群切除の際にやや削りすぎた上甲板部をパテで補修した跡です)

この後、サーフェサーを塗布し下地処理をした後、塗装しています。まさに「戦時急造艦」ですね。

 

マル6計画での重巡洋艦

通称マル6計画、正式名称第6次海軍軍備充実計画は、昭和19年(1944年)から25年にかけての7ヶ年間の海軍軍備の整備計画で、その中には重巡洋艦8隻の建造が含まれていました。この計画艦については、マル6計画自体が開戦等があり潰れたため、詳細な資料を見つけることができていませんが、World of Warshipsというゲームに登場する日本海軍の重巡洋艦のほぼ最終形態、集大成「蔵王級」重巡洋艦として登場しています。

 

架空艦:「蔵王級」重巡洋艦

wikiwiki.jp

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(直上の写真:「蔵王級」重巡洋艦の概観:178mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs)

 

 World of Warshipsに登場する「蔵王級」重巡洋艦は基準排水量14000トンの大型巡洋艦で、8インチ主砲を3連装砲塔4基、12門搭載し、対空兵装としては長10センチ高角砲の連装砲塔を6基、都合12門搭載、更に雷装としては5連装魚雷発射管を各舷2基、計4基搭載し左右両舷に対し、それぞれ10射線を確保している、という設定です。それまでの日本海軍の重巡洋艦に比べ重装甲を有している設定ですが、速力は34.5ノットを発揮する、という、まさに日本重巡洋艦の集大成として登場しているようです。

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(直上の写真:「高雄級」(上段)と「蔵王級」(下段)重巡洋艦の比較:大型化した船体と、コンパクトな艦橋、艦中央部に配置された強力な対空砲がよくわかります。下の写真:「高雄級」(左)と「蔵王級」(右))

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最後にせっかくなので、日本海軍の重巡洋艦の艦型の比較をしておきましょう。

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(直上の写真:日本海軍の重巡洋艦一覧。下から「古鷹級」「青葉級」「妙高級」「高雄級」「最上級」「利根級」「改鈴谷級=伊吹級」「蔵王級」の順)

 

超甲巡」(超甲型巡洋艦

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(直上の写真は、「超甲巡」の概観。198mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs:  マストをプラロッドで追加した他は、(珍しく?)ストレートに組み立てました。元々が素晴らしいディテイルで、手をいれるとしたら「65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲):いわゆる長10センチ高角砲」のディテイルアップくらいですが、少し大ごとになりそうなので、そちらはいずれまた)

 

65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)の話

65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)は、日本海軍の最優秀対空砲と言われた高角砲で、18700mの最大射程、13300mの最大射高を持ち、毎分19発の射撃速度を持っていました。これは、戦艦、巡洋艦、空母などの主要な対空兵装であった12.7cm高角砲(八九式十二糎七粍高角砲に比べて射程でも射撃速度でも1.3倍(射撃速度では2倍という数値もあるようです)という高性能で、特に重量が大きく高速機への対応で機動性の不足が顕著になりつつあった12.7cm高角砲の後継として、大きな期待が寄せられていました。

ja.wikipedia.org

上記、射撃速度を毎分19発と記述していますが、実は何故か揚弾筒には15発しか搭載できず、従って、15発の連続射撃しかできなかった、ということです。米海軍が、既に1930年台に建造した駆逐艦から、射撃装置まで含めた対空・対艦両用砲を採用していることに比べると、日本海軍の「一点豪華主義」というか「単独スペック主義」というか、運用面が置き去りにされる傾向の一例かと考えています。

 

モデルのディテイルアップの話に戻すと、正直にいうと、現時点で筆者にとって満足のいくディテイルが再現された「長10センチ高角砲」は、Neptune社製の「秋月級」駆逐艦に搭載されているものくらいしか、思い当たりません。

実はこれまでにも、本稿では「架空防空巡洋艦」の回などで、同砲は「架空防空巡洋艦」の主砲として登場しています。

fw688i.hatenablog.com

同艦は長10センチ高角砲の連装砲塔を12基搭載しており、併せて準同型艦として同回に紹介した「汎用軽巡洋艦」も同連装砲を6基搭載しています。これらも含めディテイルアップのために換装しようとすると、Neptune製の「秋月」を7隻つぶさねばならず、ちょっと現実的な対処法ではない。

既に皆さんもある程度予想がつくと思いますが、筆者の場合、こういう時は「困った時のShapeways 」ということになるのですが、なんと、実は Shapewaysにはちゃんと連装砲塔のセットがあるのです。

www.shapeways.com

16砲塔で1セットですのでこれが2セットあれば、良い、という計算です。

ということで、早速入手してみたのですが、今度はNeptune製「秋月」の砲塔よりかなり小さい。かつ、砲身を自作しなくてはなりません(まあ、砲身の自作の方はプラロッドか真鍮線でチマチマと作れば良いので、時間はかかりますが、なんとかなりそう(楽しいしね)なのですが)。何れにせよ、全砲塔の換装を視野に入れると、少し結論を先延ばし、ということで。

 

超甲巡」の話

行きがかり上とはいえ、話が同艦級の搭載した「長10センチ高角砲」に終始しましたが、そもそも「超甲巡」についても少しご紹介しておきましょう。

超甲巡」とは「超甲型巡洋艦」の略称で、いわゆる「甲型巡洋艦重巡洋艦」を超える性能の「巡洋艦」を意味します。

マル五計画、マル六計画で建造が計画されたいわゆる「If艦」です。一応、設計スケッチは残っているようなので「未成艦」と言っても良いのかもしれません。3万トン級の船体に30センチクラスの主砲を3連装砲塔で3基搭載し、対空砲は長10センチ高角砲を連装砲塔で8基という強力な火力を誇っています。33ノットの速力を発揮する予定だった、ということだから、空母機動部隊の直営としても活躍できたでしょうね。

 

ja.wikipedia.org

そもそもの同艦級の設計構想は、日本海軍の「艦隊決戦」構想の一環として、本稿でも何度も取り上げている「漸減邀撃作戦」での水雷戦隊による夜戦の中核艦とするものでした。

同作戦構想では、敵主力艦隊に対し日本海軍自慢の酸素魚雷を搭載した重巡洋艦部隊、水雷戦隊、総数約80隻を展開し夜戦が展開されます。この際にこれらを総指揮し、あるいは敵主力艦隊の前衛の警戒戦を突破する有力な砲力を有した艦として、当初「金剛級高速戦艦が当られる予定でした。しかし同艦級は、ご承知のように日本海軍の主力艦の中では最も艦齢が古く、優れた基本設計のために数次の改装を経て、なお一線の高速戦艦として有力な存在ではあったものの、25年の艦齢を考慮すると、これに代わる有力艦級の整備は急務でした。

こうして生まれたのが「超甲巡=超甲型巡洋艦」の設計構想で、水雷戦隊に帯同できる高速性と「艦隊決戦」の仮想敵である米艦隊が急速に整備しつつあった大型の重巡洋艦軽巡洋艦を凌駕する砲戦力とこの砲戦に耐えられる防御能力を有した艦となる予定でした。

同時期に各国海軍が建造した「シャルンホルスト級」「ダンケルク級」、とりわけ米海軍が建造した「アラスカ級大型巡洋艦絵を強く意識したもので、6隻が建造される予定でした。

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(直上の写真:「超甲型巡洋艦超甲巡」の新型31センチ主砲(上段)と65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)

その後、海軍戦力の重点が航空優位に移行し、従来の「艦隊決戦」のあり方に変化が現れると、同艦級は「金剛級高速戦艦同様、その高速性から空母機動部隊の直衛戦力としての期待をも担うことになります。

こうして有力な新設計の31センチ主砲(設計上は「金剛級」の36センチ主砲を凌駕する性能だったと。製造されていないので、実力の程はわかりませせんが)と並び、帝国海軍の最優秀対空砲である「長10センチ高角砲」が搭載されました。

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 (直上の写真:巡洋艦の艦型比較。下から「改鈴谷級=伊吹級」重巡洋艦、「蔵王級」重巡洋艦、「超甲型巡洋艦超甲巡」:「超甲巡」の主砲の大きさが目立ちます)

 

ということで、取り敢えず今回は、ここまで。 

 

次回は、どうしようかな?

「吹雪級」駆逐艦がほぼ完成したので、日本海軍の駆逐艦の系譜紹介?あるいはそろそろ米海軍の駆逐艦の系譜紹介も可能かも。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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艦船模型メーカーによるグレードアップ

諸々あって、今回は非常に小さな話題で。

これまで1:1250スケールの艦船模型メーカーについて、あれこれ紹介してきましたが、実はコレクターにとって、かなり嬉しくて、しかし少し悩ましい問題が、艦船模型メーカー自身による、モデルのグレードアップなのです。

くどくど説明するより、見ていただいた方が早いと思うので、まずは実例をご紹介。

 

重雷装艦「北上」のケース

今週、EbayでTrident社製の日本海軽巡洋艦「北上」の重雷装艦形態の模型を入手しました。

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(直上の写真は、重雷装艦「北上」の最近のモデル(上段)と従来のモデル(下段)の比較。メーカーはいずれもTrident社)


ご覧のように、特に魚雷発射管のディテイルが、格段に再現度が向上されています。f:id:fw688i:20200719202728j:image

(直上の写真は、重雷装艦「北上」の最近のモデル(左列)と従来のモデル(右列)の細部の比較。上段では魚雷発射管のディテイルの再現度が格段に進歩していることがわかります。さらに下段では艦尾部の再現も随分変更されていることがよくわかります)

 

このように同じメーカーでも、どんどんそれぞれのモデルのディテイルの再現がグレードアップしていて、それはそれで素晴らしい事なのですが、一方で都度、コレクションが確定できない、という悩みにも繋がるわけです。

 

「キング・エドワード7世級」の場合

もう一つ、Navisの「キング・エドワード7世級」の事例が下に。f:id:fw688i:20200719203328j:image

(直上の写真は、「キング・エドワード7世級」戦艦の旧モデル。Navis社製)

 

まず最初がいわゆる旧モデルと前級にあたる「フォーミダブル級」の比較。

(直下の写真は、「キング・エドワード7世級」戦艦(奥)とその前級にあたる「フォーミダブル級」戦艦の比較。いずれもNavis社製)

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「キング・エドワード7世級」戦艦は、近代戦艦としては初めて主砲と副砲の中間の口径の砲、いわゆる中間砲を搭載した艦級として有名です。この艦級をタイプシップとして、準弩級戦艦と言われるクラスの戦艦が列強各国で建造される、その「はしり」となった艦級です。直後に(実際にはほぼ並行して)「ドレッドノート 」が建造されたため、影が薄いですが、実際にはやはり一種のエポックメイキングな重要な艦級です。「フォーミダブル級」と比べれば、搭載された中間砲の搭載位置や変化がよくわかります。

 

次に、「キング・エドワード7世級」のNavis社製の新モデル。

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そして、新旧モデルの比較。ディテイルの再現性が格段に上がっているのがよくわかると思います。

(直下の写真は、「キング・エドワード7世級」の新旧モデルの比較。新モデルが下段)

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(直上の写真は、「キング・エドワード7世級」の新旧モデルの比較。新モデルが左列、旧モデルが右列。ブリッジ周りやボートの細部、主砲塔や煙突などの細部の再現性が向上していることがよくわかると思います) 

 

 当然のことですが、艦船模型のメーカー各社は、自社の模型の品質向上を目指しています。それは新たな資料に基づいた修正や姉妹艦との差異の再現であったり、あるいは、艦級によっては竣工時からの改装を年次を追って再現していく、というようなラインナップの充実であったりします。さらにこれに模型製作側の技術向上や、それに伴う細部の再現等の努力が加わり、新しく市場に登場する模型は、前のものを凌駕した品質になっているわけです。

モデルとしては、明らかに再現性の高い方が優れているのですが、今度は他の艦級の模型との差が気になり、むくむくと、こちらのグレードで揃えたいなあ、という野望(?)が、鎌首を持ち上げてきます、しかし、こちらのグレードでコレクションをやり直すとなると・・・。これは大きな覚悟が要りますよね。

そして、これも間違いなく、おそらくさらに数年後には、再現度の改善された模型が登場する。際限のない「追いかけっこ」に対する、こちらの覚悟が問われるわけです。

「ああ、大変なことになっちゃったなあ」と、(実は少し嬉しい)ため息をつく訳です。困ったなあ、と思いながら、とても「嬉しい」こと、「コレクションの醍醐味」ということなんでしょうね。 

 

にしても、あるモデルの登場で、それまでのコレクションが1日で全て旧式、色あせた物に見えてしまうこともある、というお話です。あれ?なんか「ドレッドノート 」の登場の時の状況になんか似ていやしないか?

 

ということで、取り敢えず今回は、ここまで。 

 

次回は、どうしようかな?

前回ご紹介した3D モデルがいくつか完成しつつあります。そのご紹介?

先だっての「巡洋艦開発小史」の番外編で、未成巡洋艦、If巡洋艦のまとめでも?

あるいは日本海軍の駆逐艦?「吹雪級」が完成すれば、ほぼ準備が整います。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

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新着3D printing モデルのご紹介

もうすっかりお馴染みの Shapeways

今週(う?先週?)、いつもご贔屓の ShapeWaysからいくつか艦船モデルが届きました。

 

本稿では既に何度か紹介しているので、繰り返しになりますが、Shapewaysはオランダにある3D Printingの、おそらく世界最大手の出力センターで、デザイナー、製作者はここのデータベースにデータを預け、筆者のような依頼者からの依頼を受けることになります。その扱い商品は実に多岐にわたっていて、昨今は Corona対策のマスクや、機器のパーツなども扱っているようです。興味がある方は是非こちらを。

www.shapeways.com

1:1250スケールの艦船模型の場合、出力まで(つまりモデルが完成するのに)おおよそ1週間、そしてオランダから日本への配送が、同じく1週間、都合、2週間から3週間で手元に届く、という感じです。

デザイナーによって力を入れている分野が違ったりするので、それを整理しながらいろいろとみて見るのも、大変楽しいですよ。「ああ、この人は、この分野に強いんだなあ」とかね。

 

到着したのは、以下の通り。

「改鈴谷級」重巡洋艦:いわゆる「伊吹級」重巡洋艦ですね。

大鷹級航空母艦:「大鷹」「沖鷹」

航空母艦「神鷹」

「吹雪級」駆逐艦

今回はさくっといくつかご紹介。そういうお話。

 

「改鈴谷級」重巡洋艦:「伊吹級」重巡洋艦

ja.wikipedia.org

日本海軍が建造に着手した最後の重巡洋艦です。「伊吹級」重巡洋艦と言う呼称の方が通りが良いかもしれません。その名称の通り、「鈴谷級」巡洋艦の改良型で、後部マストの位置の違い程度しか外観上の区別はありません。装備上では「鈴谷級」の3連装魚雷発射管4基から4連装魚雷発射管4基に、雷装が強化されています。着工後、航空艤装を排して5連装発射管5基装備にさらに雷装を強化したと言われています。

1番艦は「伊吹」と命名され、1942年4月に起工され、1943年5月に進水、その後、ミッドウェー海戦での機動部隊主力空母の喪失を受けて急遽航空母艦への改造が決定されましたが、既に重巡洋艦として進水を迎えていた本艦の転用改造の工事は工数が多く、工事途中で終戦を迎えています。

 

今回入手した模型は、「改鈴谷級」の原案をモデル化したもので、航空艤装は装備したままの姿を再現したものです。

制作社は、本稿で紹介した艦船では日本海軍の「5500トン級」軽巡洋艦や「レキシントン級巡洋戦艦などでお世話になっているTiny Thingamajigsで、その細部の再現等には信頼を置いています。

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(直上の写真:「改鈴谷級」重巡洋艦の概観:下地処理をした状態です。この後、塗装をし、マストのトップ部分をプラロッドなどで仕上げれば完成、かな?)

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(直上の写真:今回はSmooth Fine Detail PlasticとWhite Natural Versatile Plasticの2素材で出力を依頼しました。2隻共、重巡洋艦仕様で仕上げていこうか(その場合には「伊吹」と「鞍馬」かな?)、あるいは1隻は条約型巡洋艦の名残りという設定で、主砲を3年式60口径15.5cm砲として、軽巡洋艦仕様で仕上げてみましょうか?(その場合には、「川」の名前を考えねば))

www.shapeways.com

 

「大鷹級」航空母艦

ja.wikipedia.org

日本海軍は有事の際の航空母艦への改造転用を前提として、政府助成金を拠出した商船群を持っていました。

太平洋を挟んで、日米間の雲行きが怪しくなると、上記のような経緯で日本郵船の「新田丸級」貨客船を母体として、航空母艦「大鷹」(春日丸)「沖鷹」(新田丸)「雲鷹」(八幡丸)の3隻が転用改造されました。

当初の設計では、これらは艦隊空母の補助戦力として活用される予定でしたが、艦載機の発展(大型化、高速化)に従って、商船改装からくる低速(21ノット)と短い飛行甲板では多数機の発艦に必要な合成風力が作れす、太平洋戦争中期まではでは主として航空機の運搬に使用されました。

戦争末期には、米海軍の潜水艦の跳梁が激化し、これに対抗するために輸送船団に随伴して船団護衛などにも用いられましたが、これは対潜哨戒が主任務で、多数機の同時運用の必要がなく、飛行甲板の全長をやや旧式の重量の比較的軽い少数機で利用できるところから、実現できたものでした。

使用機体は、太平洋戦争末期には既に一世代前の機体となっていた97式艦上攻撃機を用い、これに対潜爆弾や爆雷を搭載していました。12機程度を搭載して一回の哨戒飛行には2機程度をあて、2−3時間の哨戒ローテーションで、船団周囲を警戒する、という運用でした。しかし航空機による対潜哨戒は有効ではあったものの、哨戒機の運用は昼間のみに限られ、同船団護衛任務に投入された「大鷹」と同型艦の「雲鷹」は、共に船団護衛任務中、米潜水艦の夜間雷撃(未明雷撃)で失われました。

余談になりますが、これも既に本稿で触れたことですが、米海軍では「大鷹級」などより一回り小さくより低速な護衛空母を多数就役させており、これらは上陸作戦の支援や対戦哨戒などの任務に最新鋭の艦載機を運用していましたが、これは油圧式のカタパルトを実用化できたことにより可能になったものでした。

航空母艦「大鷹」

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(直上の写真:航空母艦「大鷹」の概観:下地処理をした状態です)

www.shapeways.com

 

航空母艦「沖鷹」

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(直上の写真:航空母艦「沖鷹」の概観:下地処理をした状態です。上述のように基本的に同型の貨客船をベースとしているため「大鷹」と同型ですが、モデルでは飛行甲板の長さを少し変えた設定になっています)

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航空母艦「神鷹」

ja.wikipedia.org

「神鷹」は第二次世界大戦勃発後、ドイツに帰還できなくなり神戸に係留されていたドイツ商船「シャルンホルスト」を日本海軍が買収して航空母艦位改造したものです。

前出の「大鷹級」のベースとなった「新田丸級」と船体構造が類似していたため、改造の要領はほぼ同じだったと言われています。「新田丸級」よりもやや大型の船体ではありましたが、商船ゆえの低速は如何ともし難く、「大鷹級」同様、その用途は限定されたものでした。

船団護衛任務では97式艦上攻撃機14機を搭載して、前出の「大鷹級」と同様の対潜紹介のローテーションを行いました。「神鷹」もやはり米潜水艦の夜間雷撃を受け失われています。

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(直上の写真:航空母艦「神鷹」の概観:下地処理をした状態です。船体両舷のバルジが目立ちますね)

 

www.shapeways.com

 

「吹雪級」駆逐艦

ja.wikipedia.org

「吹雪級」駆逐艦は、太平洋戦争時の日本海軍の駆逐艦の基礎となった艦型で、一般には「特型駆逐艦」という呼称で知られているかもしれません。本稿で、日本海軍の艦隊駆逐艦の第一期決定版として紹介した「睦月級」の次に建造された艦級ですが、艦型も一新し、また搭載兵装が格段に強化されています。

そういう意味では非常に重要な艦級なのですが、実は1:1250スケールでなかなか良いモデルに巡り会えていませんでした。問題は主砲塔で、この「吹雪級」から日本海軍は駆逐艦の主砲を「睦月級」までの12cmから列強海軍なみの5インチ(12.7cm)にグレードアップし、搭載方法もそれまでの単装砲架から連装砲塔形式へと進化させています。

「吹雪級」ではこの5インチ主砲をA型砲塔という平射砲塔に搭載しており、これがこの艦級の大きな特徴となっています。というのも、以降の艦級では5インチ砲の仰角を上げ、対空射撃にも対応できる砲等に改められているからです。

(直下の写真:日本海軍の駆逐艦が搭載したA型砲塔(上段)とB型砲塔(下段)の資料:軍艦メカニズム図鑑「日本の駆逐艦」より引用しています)

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ところがこのA型砲塔を再現したモデルが見当たらず(Neptuneにあるはずなのですが、滅多に見かけません)、Trident製の「吹雪級」のモデルの砲塔を整形加工するか、などと(それはそれで楽しいのですが)考えていたところ、Shapewaysで同モデルを見つけた、という訳です。なんとこのモデル、実は日本製、 DAMEYAさんの作品です。しかも私が知る限り、DAME YAさんはこのモデル以外には1:1250スケールの艦船模型はお造りになられていないので(もし違ったら、一重に私の認識不足です。ゴメンなさい)、何とも嬉しい救いの手であったわけです。

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(直上の写真:「吹雪級」駆逐艦の概観:下地処理をした状態です。マストは付属パーツがあるのですが、切り出し等が難しく、プラロッドで制作しています)

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(直上の写真:問題の「吹雪級」駆逐艦の主砲塔。見事にA型砲塔の特徴が再現されています。こういうの、嬉しい!)
www.shapeways.com

 

この日本海軍の駆逐艦の主砲の話は、本稿、前回で少し触れているのですが、再録しておくと、日本海軍が駆逐艦の主砲として採用した50口径3年式12.7cm砲は基本設計が平射砲で、対空射撃の要請に対する対応として、B型砲塔以降では仰角を75度まで上げるなどの改良が行われましたが、装填機構が対応できず、つまり装填時には平射位置まで仰角を戻さねばならず、高角射撃時の射撃速度は毎分4発程度で、低空からの侵入機に対する以外は対空砲としては全く効果を有しませんでした。

ja.wikipedia.org

同時期の米海軍の駆逐艦は既に全てが5インチ両用砲を搭載し、揚弾機構なしの場合でも毎分12−15発の射撃速度を有しており、これに加えて両用砲用の方位盤などとの組み合わせで、既にシステム化を進めていたのに対し、日本海軍の駆逐艦は上記のような事情で実用的な対空砲を持てず、多くの駆逐艦が戦争後期には主砲塔を対空機銃座に置き換えている理由がここにあります。

駆逐艦については、また改めて・・。

 

 ということで、取り敢えず今回は、ここまで。 

 

次回は、どうしようかな?

やっぱり完成編?

先だっての「巡洋艦開発小史」の番外編で、未成巡洋艦、If巡洋艦のまとめでも?

あるいは日本海軍の駆逐艦?「吹雪級」が完成すれば、ほぼ準備が整います。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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映画「グレイハウンド」の予告編から米駆逐艦の話

映画「グレイハウンド」予告編(再掲)

前回、本稿では本題に入る前にトム・ハンクス主演で予告編が流れ始めた「グレイハウンド」について、少し触れました。

予告編を再録しておきます

www.youtube.com

この映画、船団を護衛する駆逐艦とそれを駆り立てるUボートの物語、乱暴に整理してしまうとそう言う事なんだろうと思います。

原作があって、「海の男、ホーンブロワー」シリーズなどで有名な海洋小説の大御所セシル・スコット・フォレスターの「駆逐艦キーリング」。原題は「The Good Shepherd」:Uボートの群狼作戦に因んで船団(羊)を守る「羊飼い」なんでしょう。これも映画で有名になった「アフリカの女王」もこの人の原作がベースですね。「でも「グレイハウンド」は主に兎狩りなどの猟犬ですので、羊のお守りには・・?」とかそう言う話は置いておいて、まあ主演がトム・ハンクスでかつ脚本も自分で書いたと言う事なので、かなり公開が楽しみです。

 

・・・と思っていたら、なんと劇場公開は中止!Apple TV+で独占配信、らしい。

eiga.com

しかも7月10日公開ですね。

えええ! Apple TV+は入ってないなあ。どうしよう(と、一応、迷うふり)。

もう一つ、「グレイハウンド」は映画に登場するトム・ハンクスが艦長を務める駆逐艦の名前とのこと。これはこれは、と、実はここも突っ込みどころ満載、な感じです。

 

と言う事で、今回はちょっと力を抜いて、そんなお話をコンパクトに。

模型?もちろん、出てきます!(そのはずです)

 

まず、配信媒体の話

これで間違いなく、また視聴媒体が増えますね。

何やかんやと理由をつけながら、いつの間にかhulu, Netflix, Amazon Primeとアイコンが増え続けています。皆さんはそんな事ないですか?もちろん見ているのは私だけではなく、家族の微妙な利害関係、その時の力関係から現状があるのですが、我が家はケーブルテレビですので、さらにこれに映画専門チャンネルやら海外ドラマ、日本映画専門チャンネル、地上波と・・・。もう収拾がつきません。

そろそろ映画館もいいかなあ、と思っていたのですが。

しかし考えようで、配給側にとっては、公開方法が多様化する、と言うのは良い事かもしれませんね。勝負できるフィールドが増えるわけですので。併せて観るがわの視点で言うと、媒体を意識した試みも面白いものに巡り合える可能性が広がってゆくのかな、と少し期待しています。

 

gokigen-plus.com

月額600円。年払い6000円ですか。月に2-3本程度、見たいものがあれば良いのかも、とか計算しちゃいますね。

 

前出の各サービス、私は今、何を今見ているかと言うと、

hulu: 「The Head」(進行中!なかなか面白い)

www.youtube.com

Netflix: 「攻殻機動隊SAC 2045」(もう見ちゃったけど)

www.youtube.com

アイリッシュマン」は良かった。携帯でこんな贅沢なキャストの映画見て良いのかな、と言う感じでした。

www.youtube.com

 

AmazonPrime: 「Star Trek Picard

(もう終わっちゃいましたが、これも本稿でもご紹介しましたが、至宝のひととき、でした)

www.youtube.com

 

「高い城の男」シリーズ

www.youtube.com

(今は次シーズン待ち状態ですが、フィリップ・K・ディック原作の同名小説を下敷きにしたif世界もの。第二次大戦にナチス大日本帝国が勝利し、アメリカを分割統治している、と言う設定です。なかなかお奨めです)

 

スマホで電車で視聴、と言うケースが多いですが、おかげで本を読まなくなりました。最近はオフィスに行かなくなったので、そう言う意味では利用率が下がってきています。

 

ロバート・デニーロアル・パチーノ、ジョー・ベシ、ハーヴェイ・カイテルという錚々たる重鎮が出演するギャング映画(「アイリッシュマン」のことですよ、当然)を、電車の乗り換えのたびにスマホにポーズをかけながら見るなんて、ものすごくいけないことをしているようで・・・。でも、アメリカでも劇場公開はNetflixでの公開後、しかも限定した劇場で短期間、と言うことだったそうですので、時代が変わる、と言うのはこういうことなんでしょうね。

 

登場する駆逐艦の話

さて、いよいよ映画に登場する駆逐艦の話ですが、予告編を見ただけであまり全体像を捉えられるような映像がなかったので、本稿前回では、筆者は予告編に映画自体への期待感を募らせながらも、「キーリング」は艦隊駆逐艦(DD)の様に見えるのですが、ここは護衛駆逐艦(DE)を使って欲しかった、などと記しています。船団護衛なら、旧式の第一次大戦型の平甲板型駆逐艦か、護衛駆逐艦(DE)あるいはもっと小さなコルベットのような艦が、個人的にはよかったな、と言う感じです。

その後、書棚から「確か、あったはず」と、ほこりを被った原作小説を引っ張り出して確認したところ、原作小説では「駆逐艦キーリング」は「マハン級」駆逐艦とされていました。ああ、艦隊駆逐艦(DD)と言う設定は間違っていなかったんだ、と言うわけです。あわせて「マハン級」と聞いて少し納得。

 

「マハン級」駆逐艦(1936-:同型艦18隻)

ja.wikipedia.org

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 (直上の写真:「マハン級」駆逐艦の概観。82mm in 1:1250 by Neptun:)

 

「マハン級」駆逐艦アメリカ海軍が第一次世界大戦後建造した3番目の艦隊随伴用の駆逐艦の艦級で、就役年次は1937年ごろ。1500トンの小ぶりな船体を、原型となった「ファラガット級」で課題となった復原性不足に対応してやや幅広の設計としたにもかかわらず、5インチ両用砲5門、533mm4連装魚雷発射管3基を搭載するなど、重武装による、強いトップ・ヘビー傾向と言うこの条約期の駆逐艦の構造的な欠陥を、前級の「ファラガット級」から引き継いでいました。

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 (直上の写真:「マハン級」駆逐艦の主砲配置。艦首部は両用砲の単装砲塔形式、艦尾部は単装砲架形式で、主砲を搭載しています)

 

同級1番艦の艦名は、著名な海軍戦略家アルフレッド・セイヤー・マハンに因んだものです。マハンの著書「海上権力史論」は明治期の海軍士官の必読書と言われ、日本海軍の日露戦争当時の艦隊参謀として有名な秋山真之も、米国留学の際、マハンを訪ねたと言われています。

 

アメリカの第二次世界大戦参戦は1941年12月以降、かつ映画は1942年の出来事、と言う想定ですので、既に後続の艦級が就役しており(1942年には、かの有名な「フレッチャー級駆逐艦の最初のグループが就役し始めた年です)、既にやや旧型艦とみなされていた「マハン級」駆逐艦は船団護衛に回されていた、と言う情況はありえるかと納得したわけです。実際には、同級は全て緒戦は太平洋戦線に投入されたはずで、破竹の勢いの日本海軍と対峙していたのですが。

 

原型となった「ファラガット級」駆逐艦(1934-:同型艦8隻)

「マハン級」駆逐艦アメリカ海軍が第一次世界大戦後建造した3番目の艦隊随伴用の駆逐艦、と書きましたが、最初に建造された「ファラガット級」駆逐艦第一次世界大戦で大量に建造された平甲板型駆逐艦保有する米海軍が13年ぶりに設計した駆逐艦で、1500トンの船体に5インチ両用砲を単装砲塔と単装砲架の混載で5門、533mm4連装魚雷発射管を2基搭載し、37ノットの速力を発揮することが出来ました。一方で、これらの強力な兵装の搭載は、1500トンの船体には、過剰で、強いトップ・ヘビーの傾向を持っていました。

ja.wikipedia.org

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 (直上の写真:「ファラガット級」駆逐艦の概観。84mm in 1:1250 by Neptun:)

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 (直上の写真:「ファラガット級」駆逐艦の主砲配置。艦首部は両用砲の単装砲塔形式、艦尾部は単装砲架形式で、主砲を搭載しています)

同級は、それまでの米海軍の主力駆逐艦であった平甲板型に比べ、次元が違うと言っても良い強力な艦として設計されたわけですが、その革新性の最たるものが5インチ両用砲(Mk 12 5インチ砲)の主砲採用で、これは米海軍が航空機の脅威の増大を既にこの設計時期に予期していた、と言うことを示していると考えられます。

ja.wikipedia.org

この砲はその後建造された駆逐艦だけでなく、戦艦、巡洋艦、空母など米海軍艦艇のほぼ全ての艦級に搭載され、実に1990年まで使用された優秀な砲で、単装砲架から連装砲塔まで、多岐にわたる搭載形式が開発・採用されました。「ファラガット級」では、艦首部には単装砲塔形式で2基を背負い式に配置し、艦中央に単装砲架で1基、艦尾部に単装砲架を背負式で2基搭載しました。

同砲は揚弾機構付きで毎分15-22発、揚弾機構なしの場合でも毎分12-15発の射撃が可能で、これとMk 33両用方位盤との組み合わせで、それまで平甲板型駆逐艦に比べ飛躍的な射撃能力を得ることができました。

 

同時期、日本海軍も駆逐艦に5インチ砲を主砲として採用していたのですが、基本は対艦射撃用として設計された平射砲で、対空射撃の要請に対する対応として、B型砲塔以降では仰角を75度まで上げるなどの改良が行われましたが、装填機構が対応できず、つまり装填時には平射位置まで仰角を戻さねばならず、高角射撃時の射撃速度は毎分4発程度で、低空からの侵入機に対する以外は対空砲としては全く効果を有しませんでした。

ja.wikipedia.org

この砲は、「睦月級」以前の駆逐艦と「秋月級」、「松級」以外の全ての駆逐艦に搭載されており、日本海軍は有効な対空砲を持たない駆逐艦の防空円陣で護衛されねばならなかった、と言うことになります。多くの駆逐艦が戦争後期には主砲塔を対空機銃座に置き換えている理由がここにあります。

日本海軍における駆逐艦の役割が如何に主力艦決戦の「一ノ矢」に集約されていたか、つまりその主兵器は強力な魚雷であり、その他の兵装は魚雷射程まで敵主力艦に接近できるための補助兵装だったか、と言うことがここでも明らかになると筆者は考えています。(本当は、この話は別のところできちんとするつもりだったんだけど、まあ、ちょっと「触り」だけ)

 

一方で、既にこの「ファラガット級」の設計(1930年代)から、「砲」そのものはもちろん、装填機構や方位盤などの射撃管制機構との組み合わせで「両用砲」と言う「システム」を駆逐艦に搭載したアメリカ海軍の先進性には、本当に驚かされます。

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 (直上の写真:「ファラガット級」駆逐艦(上段)と「マハン級」駆逐艦の大きさ比較。「マハン級」は「ファラガット級」で課題となった復原性不足に対する対策として、艦幅を拡大しています。下の写真では、「ファラガット級」(上段)と「マハン級」の魚雷発射管の配置を比較しています)

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もう一つ、ちょっと脱線しますが、「ファラガット級」にも、「マハン級」にも強いトップ・ヘビーの傾向がある、と記したわけですが、これは同時期に日本海軍が設計した「初春級」駆逐艦(1933年就役)にも同様に見られる傾向です。

 

「初春級」駆逐艦(1933-:同型艦6隻)

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(直上の写真は「初春級」竣工時の概観:88mm in 1:1250 by Neptuneをベースにセミ・スクラッチ

 

「初春級」はワシントン・ロンドン体制の制約下で駆逐艦の船体を小型化する必要が生じ、その日本海軍の艦隊駆逐艦としてはやや小さな船体に可能な限り強力な兵装を搭載する必要性から設計された艦級で、「ファラガット級」と同様、1500トン級(1400トン)の船体に5インチ砲を5門、加えて「ファラガット級」を凌駕する強力な61cm魚雷発射管を実に9射線有し、さらに予備魚雷を搭載すると言う「離れ業」を具現化した結果、公試時に既に実用性に問題は生じるほどの傾斜、復原性の課題が明らかになり、両舷にバルジを追加するなどの手直しで就役したものの、その後、同様の処置を施した水雷艇での転覆事故(友鶴事件)が発生し、ほぼ再設計と言えるような修復を行わねばなりませんでした。

ja.wikipedia.org

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(直上の写真は、「初春級」竣工時の特徴のアップ。左上:艦橋部。艦橋部の下層構造を延長し、艦橋の位置をやや後方へ。艦橋部下層構造の前端に2番主砲塔(単装)を、1番主砲塔(連装)と背負い式になるように配置。右上:2番魚雷発射管。これは全く手をつけず。下段左と中央:後橋部分と2番・3番発射管の配置状況。3番発射管自体は、船体中心線に対し、やや右にオフセットした位置に追加。細かいこだわりですが、一応、3番発射管用の次発装填装置を後橋部の構造建屋の上に設置。2番発射管用の次発装填装置は後橋部建屋の左側の斜め張り出し部に内蔵されています)

 

そして、復原性改修により一変した艦容

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 (直上の写真:「初春級」駆逐艦の復原性改修後の概観。87mm in 1:1250 by Neptune。下の写真は、「初春級」の主砲配置と魚雷発射管配置。復原性改修後、艦首部に搭載していた単装主砲塔を艦尾部に移動、さらに魚雷発射管の搭載数を1基削減する等、再設計に匹敵するほどの上部構造を軽量化する処置が取られました)

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「ファラガット級」では、トップ・ヘビーの欠陥が指摘されたものの、「初春級」のような修復改善設計をするようなレベルには至りませんでしたが、その後、電波兵器の搭載などによってさらに上部構造物の重量が増加した結果、大戦中に失われた同級の3隻のうち2隻は台風による転覆事故だった、と言う結果を引き起こすに至っています。

軍縮条約制約下で設計された艦級には多少とも見られる同様な傾向といえると考えています。

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 (直上の写真:ほぼ同時期に就役した日米駆逐艦の比較。「ファラガット級」駆逐艦(手前)と「初春級」。いずれも船体の大きさ位に対し大きすぎる兵装を搭載したため、トップ・ヘビーの傾向に苦しみました)

 

 

米艦隊駆逐艦の集大成「フレッチャー級駆逐艦(1942-:同型艦175隻)

前出の「ファラガット級」から始まる米海軍艦隊駆逐艦の集大成とも言える艦級が、「フレッチャー級駆逐艦です。

ja.wikipedia.org

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 (直上の写真:「フレッチャー級駆逐艦の概観。92mm in 1:1250 by Neptun:) 

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2100トンの大型駆逐艦で、5インチ両用砲(Mk 12 5インチ砲)を単装砲塔形式で5基装備し、533mm4連装魚雷発射管2基を搭載し、37.8ノットの速力を出せる、まさに艦隊駆逐艦の決定版と言えるバランスの取れた艦で、175隻が建造されました。

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 (直上の写真:「フレッチャー級駆逐艦と「マハン級」駆逐艦の概観比較。今回の主題。どちらが映画に登場した駆逐艦でしょうか?) 

 今回ご登場いただいたのは、冒頭の映画「グレイハウンド」の予告編に登場する駆逐艦はこの艦級ではなかろうかと思ったからです。もしそうだとすると、艦隊駆逐艦は流石に船団護衛はしないんじゃないかな、と。

どう思われますか?

 

「グレイハウンド」という艦名

もう一つ、米海軍の駆逐艦の名前は、概ね海軍に貢献した人の名前、と言うのが私の理解です。もちろん、これだけの数があれば「誰?」のような人も混じってはいるでしょうが、「グレイハウンド」と言うのはいかがなものか、と。「いやいや、猟犬の発想ではなく、そう言う名前の海軍軍人がいたんだよ」と言うことかもしれません。だとするとご勘弁を。

 

 ということで、取り敢えず今回は、少しコンパクトですが、ここまで。 

 

次回は、どうしようかな?

いっそこの続きで、米海軍の駆逐艦の系譜でもやってしまいましょうか?(日本海軍の駆逐艦、やってないぜ、って。その通りですが、準備中なんです、そっちは)

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大好きな小艦艇特集(二等駆逐艦・水雷艇・掃海艇・駆潜艇)

実は大好きな小艦艇

今回は、本稿前回で「香取級」巡洋艦の関連で紹介した「海防艦」に引き続き、「小艦艇」を少々。

本稿の読者(そんな人いるのかな、と想いつつ)はなんとなく気配を感じてもらっているかもしれませんが、筆者は通商路を巡る海軍のあり方に大変興味があり、その流れで通商路保護の主役である「小艦艇」が大好きなのです。

余談ですが、トム・ハンクス主演の「Grey Hound」という映画の予告編がYoutubeなどで公開されています。

www.youtube.com

原作は海洋小説の大御所セシル・スコット・フォレスターの「駆逐艦キーリング」(原題は「The Good Shepherd」:Uボートの群狼作戦に因んで船団(羊)を守る「羊飼い」なんでしょう)。これは期待できそうですね。一点、不満が。予告編を見る限り、「キーリング」は艦隊駆逐艦(DD)の様に見えるのですが、ここは護衛駆逐艦(DE)を使って欲しかった。そう、「眼下の敵」の「バックレイ級」のような。あるいはもっと小さなコルベットでも。まあ原作が「駆逐艦キーリング」なので、そこまでの飛躍はできないでしょうが。

www.youtube.com

まあ、今回はそんな情景を頭に浮かべながら読んでいただけると嬉しいかも。ああ、この話を始めると多分止まらなくなるので・・・。

 

でも、とっても楽しみです。そろそろ劇場にも行けそうだし。公開時期が未定、というのが気にはなりますね。

ちょっと脱線ついでに。ダグラス・リーマンの小説もいいですねえ。「大西洋、謎の艦影」なんてよかったなあ。

www.amazon.co.jp

  

今回は、これら筆者の大好きな小艦艇を、主として通商路護衛目的に使用された艦種に絞ってご紹介します。

そういうお話し。

 

二等駆逐艦 

「二等」と付くと、なんとなく派生系・補助系の艦種の様に見えてしまうのですが、実はこちらが駆逐艦の本流だ(であるべきだった、と言うべきでしょうか)と、筆者は思っています。

本稿でも何度か触れてきた事ですが、日本海軍は「艦隊決戦」をその艦隊設計構想の根幹に持ち続けてきました。幸い(?)、日本という国は海外に大規模な植民地を持たず、「艦隊決戦」は常に大洋を押し渡ってくる敵艦隊を想定していれば事足りる、と言う環境ではありました。こうして主力艦隊同士が雌雄を決する「艦隊決戦」の前に、いかに押し寄せる敵艦隊を削り細らせるか、と言う「漸減戦術」が決戦の前哨戦として構想されてゆきます。

並行して、それまであまりパッとしなかった魚雷が急速にその威力・性能を向上させ、これを主要兵器とする駆逐艦が大型化、高速化し、「漸減戦術」の主役として位置付けられる様になります。強力な魚雷を装備した有力な駆逐艦部隊で数次に渡る攻撃をかけ、決戦前に敵艦隊を細らせておこう、と言うわけですね。こうして十分な航洋性を持つ大型で高速な駆逐艦、「一等駆逐艦」という分類が生まれたのです。ある意味、「一等駆逐艦」は艦隊決戦専任艦種、と言っても良いかもしれません。

 
大正期から昭和初期にかけ、駆逐艦設計はそれまでの欧米模倣による模索の時期を終え、日本オリジナルとも言うべき艦型にたどり着きます。それが「峯風級」駆逐艦から「睦月級」駆逐艦に至る本稿では「第一期決定版」と呼んでいるデザインです。

特徴としては航洋性を重視して艦首を超えてくる波から艦橋を守ために艦首楼と艦橋の間にウェルデッキという切り欠き部分が設定されています。さらに操作要員が露出する当時の防楯付き単装砲架の主砲は全て一段高い位置に装備され波浪の影響を少なくする工夫がされています。

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(直上の写真:「日本オリジナル」デザインの一等駆逐艦「神風級」と二等駆逐艦「樅級」:同一のデザインコンセプトを持ち、武装を削減しています)

これらの「日本オリジナル」の艦型を取り入れて設計され、警備や護衛など多種多様な任務に対応する量産性も担保しつつ、大型高性能艦(一等駆逐艦)の補完も併せ持つ「スペックダウン版」の駆逐艦が以下の「樅級」駆逐艦と、それに続く「若竹級」駆逐艦でした。両級あわせて34隻が建造される予定でした。

しかし計画半ばで、ワシントン・ロンドン体制の制約により「八八艦隊計画」は中止され、加えて特にロンドン条約により駆逐艦保有数にも制限がかけられます。「艦隊決戦」に重点を置く日本海軍としては、割り当てられた保有枠は「艦隊決戦専任艦種」である「一等駆逐艦」に重点を置かざるを得ず、結局「樅級」は21隻、「若竹級」は8隻で建造が打ち切られ、、以後、「二等駆逐艦」は建造されなくなりました。

 

第一次世界大戦で示された戦争の形態の変化を考慮すると、来るべき戦争は「総力戦」となることは明らかであり、「艦隊決戦」の様な雌雄を決するような戦いが起きることは稀で、「補給」「資源供給能力」の維持に重点をおいた浸透性と常備性の高い戦いにおいては消耗に耐えられるだけの数の装備はどうしても必要になるはずでした。

しかし結局、日本海軍はあくまで「艦隊決戦」に備えた装備計画方針を変えられず、「二等駆逐艦」相当の戦力の不足による「補給」「資源供給能力」への脅威にさらされ続ける事になります。

 (直下の写真:二等駆逐艦「樅級」の概観。68mm in 1:1250 by Hai :「若竹級」も外観的には大差ありません)

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「樅級」駆逐艦ja.wikipedia.org

前述の様に「峯風級」駆逐艦のスペックダウン版で、実際には種々の平時艦隊任務だけでなく主力艦隊護衛や、水雷戦隊の基幹戦力となるなど、建造当時は艦隊の中核戦力を担いました。800トンを切る船体(「峯風級」は1200トン)に、12cm主砲3門(「峯風級」は4門)、連装魚雷発射管2基(「峯風級」は3基)を主要兵装として装備し、36ノット(「峯風級」は39ノット)の速力を発揮することができました。

 

「若竹級」駆逐艦

ja.wikipedia.org

「樅級」駆逐艦の改良版で、課題とされていた不足する復原力を艦幅の増加(15センチ)により改善しました。

 

哨戒艇に改装 

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 (直上の写真:二等駆逐艦は太平洋戦争では、両級あわせて10隻が島嶼部での陸戦隊の上陸作戦を想定した哨戒艇に改装されて活躍しました。哨戒艇は20ノット程度に速度を押さえ、大戦中、時期によって武装が異なりますが、基本は雷装を削減、もしくは撤廃し、主砲等も削減し対空砲を強化しています。一部には艦尾に上陸用舟艇の搭載用のスロープを設けた艦もありました。直下の写真は、哨戒艇武装配置)

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太平洋戦争当時には両級共に既に老朽艦で、「樅級」は3隻、「若竹級」は6隻が駆逐艦として、両級あわせて10隻が哨戒艇として参戦し、駆逐艦籍の艦は9隻中7隻が、哨戒艇籍の艦は10隻中9隻が戦没しました。

 

水雷艇

ワシントン・ロンドン体制で、駆逐艦にも保有制限がかかると、日本海軍は制限外の水雷艇に重武装を施し、小型駆逐艦として活用する事に着目します。

 

「千鳥級」水雷艇

ja.wikipedia.org 600トンを切る小さな艦体に、当時の主力駆逐艦と同様に50口径5インチ砲(12.7cm砲)を、艦首部に単装砲塔、艦尾部に連装砲塔という配置で3門を搭載し、さらに連装魚雷発射管を2基、予備魚雷も同数装備、30ノットの速力を発揮する高性能艦として誕生します。駆逐艦なみの主砲装備のために射撃管制塔の要請から艦橋も大型化し、設計中から既に重武装に起因する復原力不足は課題として意識されていました。

公試時の転舵では大傾斜が生じ、急遽大きなバルジを追加装備する形で対策がとられ竣工しました。

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 (直上の写真:「千鳥級」水雷艇の竣工時の概観。63mm in 1:1250 by Neptuneベースのセミ・スクラッチ)

 

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 (直上の写真:「千鳥級」水雷艇の竣工時の特徴のアップ。上段:艦首部の単装砲塔と背の高い艦橋部。舷側には復原性対策として急遽増設されたバルジを再現してあります。下段左:連装魚雷発射管を2基装備、下段右:艦尾部の連装主砲塔)

 

その後、同型艦の「友鶴」で、40度程度の傾斜から転覆してしまうという事故が発生し(設計では90度傾斜でも復原できる事になっていました)、深刻な復原力不足が露呈します。

友鶴事件 - Wikipedia

事件後、設計が見直され、ほぼ別設計の艦として同級は生まれ変わります。その変更点は、艦橋を1層減じ小型化すると共に、バルジを撤去し代わりに艦底にバラストキール(98トン)の装着によるトップヘビー解消。そして武装を再考し、主砲口径を5インチ砲から12センチ砲へと縮小し、搭載形式も砲塔式から防楯付き単装砲架への変更(22トンの重量削減)、あわせて魚雷発射管を連装1基へ削減し予備魚雷も搭載しない(40トンの重量削減)、等により復元力は改善されましたが、速力は28ノットに低下してしまいました。

 (直下の写真:「千鳥級」水雷艇の復原性改修後の概観。63mm in 1:1250 by Neptune)

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竣工時と復原性改修後の比較は以下に。竣工時のモデルはイタリア海軍の水雷艇によく似ている気がします。海面のおだやかな地中海であればこれで大丈夫なのかもしれませんね。

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戦争中は、敵潜水艦に対する速力不足が常に課題とされた「海防艦」と異なり、その優速を生かした理想的な対潜制圧艦と評価され、船団護衛等に活躍しました。

同型艦4隻中3隻が戦没。

 

「鴻級」水雷艇ja.wikipedia.org

 (直下の写真:「鴻級」水雷艇のの概観。72mm in 1:1250 by Neptune)

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「千鳥級」の改良型として設計中に上述の「友鶴事件」続く「第4艦隊事件」等が発生したため、復元性、船体強度が見直され、大幅な設計変更ののち完成しました。

基本設計、武装等は復原性改修後の「千鳥級」に準じ、速度を「千鳥級」が竣工時に発揮していた30ノットに回復しています。当初16隻の建造計画でしたが、ワシントン・ロンドン体制の終了に伴い、8隻で建造が打ち切られました。

改修後の「千鳥級」同様、護衛任務等には最適な艦型と評価が高く、この艦級の戦時急造に向けた工程簡素化等が検討されていれば、その後の日本海軍が陥った深刻な状況に対する早い段階での回答となり得たのかもしれません。

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 (直上の写真:「千鳥級」(上段)と「鴻級」水雷艇(下段)の武装比較。主砲(左列)は同じ12センチ砲ながら、「鴻級」では仰角を55°まであげたM型砲架を搭載しています。魚雷発射管(右列)は「千鳥級」が連装発射管であるのに対し、「鴻級」では3連装発射管に強化しています)

 

掃海艇

掃海艇は本来、その名の通り掃海任務を担当する艦種ですが、日本海軍は「八八艦隊計画」までは旧式の駆逐艦をこの任務に当てていました。「八八艦隊計画」により初めて専任艦艇を設計する事になるのですが、この計画自体が「艦隊決戦」構想に基づく計画であり、日本海軍では主力艦隊の前路開削のための敵艦隊前での掃海任務を想定し、その艦型に比較すると大きな砲力を備えている特徴がありました。

大戦中は掃海装備のための後甲板に対潜装備を搭載し、掃海任務だけでなく、船団護衛等にも活躍しました。

艦級としては以下のクラスがありますが、本稿で扱う1:1250スケールで模型化されているのは

私の知る限り「第13号級」、「第7号級」と「第19号級」の3クラスです。

 

第1号級(既存モデル、あった!?)

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(直下の写真:「第1号級」掃海艇の概観。59mm in 1:1250 bt ??? メーカー不明)

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筆者が頼りにしている艦船モデルのデータベースsammelhafen.deで調べても、「第1号級」掃海艇のモデルは登録されていないのですが、筆者のストックモデルでそれらしきものを発見。少しディテイルアップをしてみました。

 

「第1号級」掃海艇は、それまで旧式駆逐艦等を掃海任務に割り当てていた日本海軍が、大正期の八八艦隊計画の一環として初めて「掃海艇」として設計した艦級です。日本海軍の掃海艇の常として、敵前での主力艦隊の前路開削を想定しているため、本級も艦型に比して比較的強力な砲力を搭載していました。(600トン、12cm平射砲2門、20ノット)

同型艦に、本級を改良した「第5号級」掃海艇があります。

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同級も外観的には大差がなく、「第1号級」「第5号級」併せて6隻が建造され、太平洋戦争には、その汎用性を買われて本来の掃海任務の他、船団護衛等にも従事しました。第4号掃海艇を除いて、全てが太平洋戦争で失われました。

 

第13号級

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 (直下の写真:「第13号級」掃海艇の復原性改修後の概観。58mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces) 

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設計当時の日本海軍の艦艇設計の共通点として、重武装でトップヘビーであり、復原性に課題がある艦級とされていました。上述の「友鶴事件」で改修工事が行われ、艦橋が一段低められ艦底部のバラストキールが装着されるなどの対策が取られました。(690トン、12cm平射砲2門、19ノット:復原性改善工事後)

 

次級の「第17号級」は元々は本級の5番艦、6番艦でしたが、設計段階で上記の改修が反映され、船体が少し小さくなりました。

第十七号型掃海艇 - Wikipedia

 

まずは「第7号級」掃海艇 

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(直上の写真「第7号級」掃海艇の概観。59mm in 1:1250 by Trident 前部マストをプラロッドに変更)

「友鶴事件」「第四艦隊事件」等を経て、設計された掃海艇です。艦型は復原性・船体強度などの前級が抱えていた問題を考慮して、異なる外観となっています。しかしその任務想定が艦隊の前路開削や、上陸地点の航路掃海等、敵前での業務を想定していたため、船体の大きさに対して大きな砲力を有していました。(630トン、12cm平射砲3門、20ノット)

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(直上の写真:「第7号級」掃海艇と本稿では既出の「第19号級」掃海艇との艦型比較。直下の写真:主砲が「第7号級」掃海艇では平射砲であるのに対し(上段)、「第19号級」ではM型砲架の採用により、仰角が挙げられているのが分かります) 

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 (直下の写真:「第19号級」掃海艇の概観。59mm in 1:1250 by Trident: 「鴻級」水雷艇と同様に、主砲は55°の仰角での射撃を可能したM型砲塔を搭載していました。艦種も第25号艇以降は戦時急増のために簡素化した直線的な艦首を採用しています) 

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 同級では主砲が仰角をかけることの出来るM型砲架に改められています。同砲架は55°まで仰角をかけることができましたが、対空戦闘ではなく、対地上砲撃等を想定したとされています。実際に前出の「第13号級」では太平洋戦争の緒戦のボルネオ攻略戦闘で、陸上砲台からの射撃で2隻が失われています。上陸作戦等に伴う前路開削等には、その様な陸上砲撃を行う機会が伴ったのかもしれません。(650トン、12cm3門(M型砲架)、20ノット)

また同級の第25号艇以降は、戦時急造適応のため簡易化が行われ、艦首形状が直線化しています。

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 (直上の写真:「第13号級」と「第19号級」掃海艇の概観比較。「第13号級」は設計当時の日本海軍の通弊だった幅広の艦型を持ち喫水が浅く重装備のためにヘビートップの傾向がありました)
 (直下の写真は、「第7号級」掃海艇までが装備していた防楯付き12cm平射砲(上段)と、「第19号級」掃海艇が装備したM型砲架12cm砲(下段):写真はいずれも前出の水雷艇のものですが、掃海艇でも同様の主砲搭載形式の変更があ行われました。M型砲架の採用により55°までの仰角での射撃が可能になりましたが、この変更の目的は対空戦闘よりも対艦・対陸上砲撃への適応を考慮されたものでした)

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上記の6クラスで35隻が建造されましたが、30隻が戦没しています。

 

駆潜艇

昭和期に入り、日本海軍ではそれまで漁船等を改造した特務駆潜艇の業務としていた沿岸での局地対潜防御活動に専任する艦種として駆潜艇を建造しました。

沿岸防御をその想定戦域としていたために、あまり航洋性には配慮が払われていませんでしたが、太平洋戦争では多くが南方での哨戒任務や船団護衛に従事しています。

艦級は以下の通りです。

 

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 (直下の写真:「第1号級」駆潜艇の概観。52mm in 1:1250 by HB :日本海軍が初めて設計した駆潜艇ですが、その後、「第13号級」が現れるまでの駆潜艇の基本形となりました。**余談異なりますが、このモデルのモデルの供給元であるHB社は日本の小艦艇に強いメーカーです。駆潜艇の主な艦級を揃えています) 

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260トンの船体に40mm連装機関砲を主要装備としていました。24ノットの高速を有していましたが、航洋性は必ずしも良好ではありませんでした。以降の第12号艇までは本級の艦型を基本設計として、「友鶴事件」等の影響で復原性を高めるために艦橋位置や構造を改める等の回収を施しています。

 

第51号級駆潜艇

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直上の写真「第51号級」駆潜艇の概観。44mm in 1:1250 by Trident 前部マストをプラロッドに変更)

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マル二計画(1933年度)で計画された小型駆潜艇です。

150トンの船体に40ミリ機関砲と爆雷18個を搭載し、23ノットのこの艦級としては比較的高速の速力を有していました。主として主要海軍根拠地の防備隊で使用され、同級3隻全てが終戦時に現存していました。

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(直上の写真:駆潜艇の系譜。左から「第1号級」駆潜艇、「第51号級」駆潜艇、「第13号級」駆潜艇)

 

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 (直下の写真:「第13号級」駆潜艇の概観。42mm in 1:1250 by HB :日本海軍の駆潜艇の決定版、と言ってもいいでしょう。量産性を意識して機関を商船型のディーゼルとするなど、特徴が見られる設計です。次級の「第28号級」もほぼ外観は変わりません) 

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前級をやや大型化した400トン弱の船体に、高角砲1門、13mm連装機銃等を装備していました。急造性を考慮して商船向けのディーゼルエンジンを搭載しています。主機をディーゼルとしたことで航続距離は伸びましたが、速力は16ノットとなりました。開戦後は適宜対空兵装を強化しています。

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(上下の写真:太平洋戦争後期には、対空機関銃が増設され、対空兵装が強化されました)

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次級の「第28号級」はその改良型です。

 

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「第13号級」の準同型艦。「第13号級」で課題が見つかった保針性改善のために、艦尾形状を直線的に改めました。量産性を高めるために艤装や船体構造の簡易化が図られました。

 

第六十号型駆潜艇 - Wikipedia

「第13号級」の準同型艦で、「第28号級」で取り組まれた戦時急造のための簡易化を一層進めていたと言われています。

 

上記の5クラスで61隻が建造され、41隻が戦没しています。

 

 ということで、取り敢えず今回はここまで。

小艦艇とはいえ、語るべきことは結構ありましたね。本来はこれに加えどの様に戦ったのかをもっと深掘りしてみたかったのですが・・・。もうちょっと勉強が必要です。

 

次回は、どうしようかな?

候補は、日本ではまだまだ入手が難しい1:1250スケールの艦船模型の調達経路の話。

アメリカ海軍やオーストリア=ハンガリー帝国海軍の装甲巡洋艦」のまとめ、あるいは「ナチスドイツの巡洋艦」なんかも、地味だけど・・・。

と言うあたりか、もしくは少しフライング気味のミニシリーズ(になるかどうか、検討中)があるのですが。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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新着モデルのご紹介:ミッシングリングの補填と、新たな興味領域(第一次大戦型英軽巡洋艦)

 今回は、ちょっと息抜き。最近の新着モデルのご紹介です。

 

まずは、最近、展開してきた(一応、「既成艦」については前回でめでたく終了しましたが)ミニ・シリーズ「日本海巡洋艦発達小史」で欠けていたいくつかの艦の補填から。

 

日本海巡洋艦発達小史(その2):軽巡洋艦の誕生」から

日本海巡洋艦発達小史(その2):軽巡洋艦の誕生」では、特に日本海軍の場合、軽巡洋艦の誕生の背景には駆逐艦と魚雷の著しい発達がある、と言うお話をしました。その駆逐艦の発展のご紹介の際に、「艦隊駆逐艦 第1期の決定版」として「峯風級」とその系列の最終形である「睦月級」をご紹介しましたが、その間の「野風級:後期峯風級」とその拡大型である「神風級」が欠けていました。

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(直上の写真:右から、「峯風級」「野風級:後期峯風級」「神風級」「睦月級」)

 

艦隊駆逐艦の第一次決定版:

「峯風級」駆逐艦「野風級:後期峯風級」駆逐艦

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峯風級」は、それまで主として英海軍の駆逐艦をモデルに設計の模索を続けてきた日本海軍が試行錯誤の末に到達した日本オリジナルのデザインを持った駆逐艦と言っていいでしょう。12cm主砲を単装砲架で4基搭載し、連装魚雷発射管を3基6射線搭載する、という兵装の基本形を作り上げました。1215トン。39ノット。同型艦15隻:下記の「野風級:後期峯風級3隻を含む)

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(直上の写真:「峯風級」駆逐艦の概観 82mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces) 

 

「野風級:後期峯風級」は「峯風級」の諸元をそのままに、魚雷発射管と主砲の配置を改め、主砲や魚雷発射管の統一指揮・給弾の効率を改善したもので、3隻が建造されました。

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(直上の写真:「野風級:後期峯風級」駆逐艦の概観 82mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces)

 

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(直上の写真は、「峯風級」(上段)と「野風級:後期峯風級」(下段)の主砲配置の比較。主砲の給弾、主砲・魚雷発射の統一指揮の視点から、「野風級」の配置が以後の日本海駆逐艦の基本配置となりました)  

 

「神風級」駆逐艦 

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「神風級」は、上記の「野風級:後期峯風級」の武装レイアウトを継承し、これに若干の復原性・安定性の改善をめざし、艦幅を若干拡大(7インチ)した「峯風級」の改良版です。9隻が建造されました。1270トン。37.25ノット。

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(直上の写真:「神風級」駆逐艦の概観 82mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces)

 

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(直上の写真:「峯風級」(上段)と「神風級」の艦橋形状の(ちょっと無理やり)比較。「神風級」では、それまで必要に応じて周囲にキャンバスをはる開放形式だった露天艦橋を、周囲に鋼板を固定したブルワーク形式に改めました。天蓋は「睦月級」まで、必要に応じてキャンバスを展張する形式を踏襲しました)

 

***今回ご紹介したモデルは、あまりこれまでご紹介してこなかったThe Last Square製のホワイトメタルモデルです。同社は、1:1250 Costal Forcesというタイトルのシリーズで、タイトル通り第二次世界大戦当時の主要国海軍(日・米・英・独・伊)の沿岸輸送、或いは通商路護衛の艦船、駆逐艦護衛駆逐艦駆潜艇魚雷艇などの小艦艇のモデルや護衛される側の商船などを主要なラインナップとして揃えています。

http://www.lastsquare.com/zen-cart/index.php?main_page=index&cPath=103_146

:直下の写真は同社の米海軍護衛空母「ボーグ」の未塗装モデル:これから色を塗ろうっと。このモデルは、エレベーターが別パーツになっていたり、結構面白いのですが、少し小ぶりに仕上がり過ぎているかもしれません。

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そして「睦月級」駆逐艦

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 「睦月級」駆逐艦は「峯風級」から始まった日本海軍独自のデザインによる一連の艦隊駆逐艦の集大成と言えるでしょう。

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(直上の写真:「睦月級」駆逐艦の概観 83mm in 1:1250 by Neptune) 

艦首形状を凌波性に優れるダブル・カーブドバウに改め、砲兵装の配置は「後期峯風級」「神風級」を踏襲し、魚雷発射管を初めて61cmとして、これを3連装2基搭載しています。太平洋戦争では、本級は既に旧式化していましたが、強力な雷装と優れた航洋性から、広く太平洋の前線に投入され、全ての艦が、1944年までに失われました。1315トン。37..25ノット。同型艦12隻。

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(直上の写真:「睦月級」(下段)と「神風級」(上段)の艦首形状の比較。「睦月級」では、凌波性の高いダブル・カーブドバウに艦首形状が改められました)

 

日本海巡洋艦開発小史(その5) :「平賀デザイン」の重巡洋艦誕生、そしてABDA艦隊」から 

オランダ軽巡洋艦「デ・ロイテル」のリファイン版

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(直上の写真:オランダ海軍軽巡洋艦「デ・ロイテル」の概観 137mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs)

 

本稿の「日本海巡洋艦開発小史(その5) 「平賀デザイン」の重巡洋艦誕生、そしてABDA艦隊」の回で、ABDA艦隊旗艦であるオランダ海軍軽巡洋艦「デ・ロイテル」をご紹介した際に、ご紹介した模型に対し「実は、このモデル、やや重厚に過ぎるようにずっと思っています。ずっと適当なモデルを探してはいるのですが・・・」という様なコメントをしています。当時求めていたのはRhenania社製の模型でしたが、この模型が大変希少なため、なかなか入手できません。そこで、ということで、今回、最近何かとお世話にないっている3Dプリンティングモデル(Tiny Thingamajigs社製)を入手し完成させました。

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(直上の写真は、ABDA艦隊の基幹部隊となったオランダ艦隊の軽巡洋艦「デ・ロイテル」と軽巡洋艦「ジャワ」「デ・ロイテル」はかなりスリムになったのですが、今度は「ジャワ」(Star社製)の乾舷の高さが気になりだしました。Star社のモデルは端正なフォルムで、概ね気に入っているのですが、時折、乾舷が高過ぎる傾向があります。ゴリゴリ削ってみましょうか?まあ、それはいずれまた。今回は大満足!)

 

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(直上写真は新着のTiny Thingamajigs社製モデル(左)と、従来のモデルの比較。そして直下の写真は、両モデルの艦首形状の比較:下段が今回新着のTiny Thingamajigs社製モデル。従来モデルで気になっていたモデルの「大柄さ」は改善されている様に思います。満足!)

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日本海巡洋艦開発小史(その7) :条約型巡洋艦の建造」 から 

この稿では、日本海軍の条約型巡洋艦として「最上級」「利根級」が、設計当初は一杯になったワシントン・ロンドン体制での重巡洋艦の建造枠を補強するための重武装・重防御の軽巡洋艦として計画され「最上級」は一旦その設計の姿で建造された、という様なお話をしたのですが、その際に米・英両海軍の同様の設計思想で建造された条約型巡洋艦があった、というご紹介をしています。

その際、英海軍の「タウン級軽巡洋艦がコレクションからは欠けており、ご紹介できていませんでした。

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(直上写真は新着の「グロースター級」軽巡洋艦と「コロニー・クラウン級」軽巡洋艦の形状比較。両艦級は、英海軍の条約型巡洋艦です。「コロニー・クラウン級」が「タウン級」の小型化であることがよくわかります)

 

タウン級軽巡洋艦の3つのサブクラス

タウン級軽巡洋艦は、実は以下の3つのサブクラスを持っています。

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グロスター級」軽巡洋艦

今回ご紹介するのは「マンチェスター」。第二グループの「グロスター級」の一隻です。

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(直上の写真:「グロースター級」軽巡洋艦の概観 144mm in 1:1250 by Neptune) 

グロスター級」はこの艦級の第一グループである「サウサンプトン級」の装甲強化型であり、この強化に伴い、機関も見直されています。

現在、他の2サブクラスについても調達中で、機会があればご紹介します。

 

新たな興味領域:第一次大戦型英海軍軽巡洋艦

さて、コレクターの哀しい(愉しいというべきか)性として、上記の様なサブクラスのお話はよだれが出るほど大好きなのです。(前出の「峯風級」「野風級:後期峯風級」「神風級」もそれに類する話ですね)

さらに筆者には、サケやアユの仲間の様に「系統・系譜」という「流れ=川」を見ると遡上する習性がある様で、現時点では英海軍の巡洋艦の「系譜」を遡上しています。

第二次世界大戦で活躍した「リアンダー級」以降は、上記の整理中の一群も含めて、ほぼ系統的に手がついていたのですが、「リアンダー級」以前の第一次世界大戦型の軽巡洋艦の流れを見つけてしまった、というお話です。

すでに「日本海巡洋艦発達小史」で触れてきた様に、少し乱暴に整理すると、「軽巡洋艦」という艦種は艦船の燃料の重油化により防護巡洋艦から派生した艦種、と言えると考えています。英海軍は世界最初の近代海軍の保有国であり、その長い歴史に登場する艦級を網羅することは、相当な覚悟がいるので、どこかで遡上の線引きをすることになるのですが、その発生以降、以下の様に発展形態を辿ることができます。

ダウン級軽巡洋艦(初代)

アリシューザ級軽巡洋艦(初代)

C級軽巡洋艦

ダナイー級(D級)軽巡洋艦

エメラルド級(E級)軽巡洋艦

 

このうち1番最初の「タウン級(初代)」には5つのサブクラスがあり、そのうち最初の二つは防護巡洋艦に分類されているので、とりあえず手を出さないことにします(いずれは手を出すんだろうなあ。確か「ブリストル」は手元にあったはず、と既に算段をはじめている・・・)。

ということで、今回はそれぞれのクラスの解説は置いておいて、模型の紹介のみ簡単に。

 

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このクラスは上記の様な筆者の都合で後回し。

 

「アリシューザ級」軽巡洋艦 

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(直上の写真:「アリシューザ級」軽巡洋艦の概観  105mm in 1:1250 by Navis)  

 艦隊巡洋艦の高速化を主眼に置き、速度を重視して、本級は設計されました。駆逐艦で使用されていた機関を使用し、燃料は重油のみとなっています。それまでの巡洋艦の速力が25ノット代であったのに対し、28ノットの速力を出すことができました。3750トンの船体に、6インチ砲2門、4インチ砲6門を装備し、連装魚雷発射管2基を装備していました。

 

「C級」軽巡洋艦 

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「C級」軽巡洋艦は、艦名が「C」で始まる軽巡洋艦群で、サブクラスが7クラスあり、北海での行動を想定して設計されました。

ああ、なんとサブクラスが7つもあるではないですか。しかも、全て、模型があるわけではなさそうです。いくつかは、どれかをベースにしてサブスクラッチでもしますかね。

 

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(直上の写真:「アリシューザ級」と「C級」の形状比較:大型化されていることがわかります)

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(直上の写真は、「C級」軽巡洋艦の7つのサブクラスの一覧。右から、「カロライン級」「カライアビ級」「カンブリアン級」「セントー級」「カレドン級」「シアリーズ級」「カーライル級」の順)

 

 カロライン級

「アリシューザ級」の拡大改良型で、武装を強化しています(「6インチ砲2門、4インチ砲8問、連装魚雷発射管2基 4219トン 28.5ノット 同型艦6隻)

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(直上の写真:「カロライン級」軽巡洋艦の概観 108mm in 1:1250 by Navis) 

 

カライアビ級

「カロライン級」の機関を改良した艦級で、缶数の現象から煙突が2本に減りました。29ノットその速度を発揮し、武装は「カロライン級」を継承しています。4228トン。同型艦2隻。

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(直上の写真:「カライアビ級」軽巡洋艦の概観 108mm in 1:1250 by Navis) 

 

カンブリアン級

1914-1915年次に建造された「カライアビ級」のほぼ同型艦です。建造後、武装の強化などが行われています。4320トン。28.5ノット。同型艦4隻。

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(直上の写真:「カンブリアン級」軽巡洋艦の概観: 艦首部の主砲を4インチ砲から6インチ砲に換装した後の姿 108mm in 1:1250 by Navis) 

  

セントー級

「カンブリアン級」とほぼ同型の船体を持ち、4インチ砲との混載をやめ、武装を6インチ砲5門に統一しています。4165トン。29ノット。同型艦2隻。

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(直上の写真:「セントー級」軽巡洋艦の概観 108mm in 1:1250 : 本艦級は既成の模型がありません。そこでNavis社の「カレドン級」をベースに艦首形状を修正しています。サブスクラッチで再現を目指したつもりだったのですが、実はこの艦級は、水中魚雷発射管を艦内に装備していた事に気がつきました。ベースとして使用した「カレドン級」では魚雷発射管が水上発射管係式になっています。ちょっと失敗かも

 

カレドン級

第一次世界大戦勃発に対応し急造された艦級です。「セントー級」の武装を継承し、6インチ砲5門を搭載し、魚雷発射管をそれまでの水中発射管から甲板上に上げ、連装魚雷発射管4基と強化しています。艦首形状を、直線的な形状に改めています。4120トン。29ノット。同型艦4隻。

第一次世界大戦で失われた「カサンドラ」を除き、第二次世界大戦に参加しています。

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(直上の写真:「カレドン級」軽巡洋艦の概観 109mm in 1:1250 by Navis) 

 

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(直上の写真:「セントー級」(上段)と「カレドン級」軽巡洋艦の艦首形状の比較。「カレドン級」から艦首形状が変わりました)

 

シアリーズ級

「カレドン級」の改良型。搭載砲の数は変わりませんが、それまで艦橋を挟んで前後に配置されていた6インチ砲を、艦橋前に背負式に搭載する形式に改め、艦首方向の方力を強化しています。4190トン。29ノット・同型艦5隻。

第二次世界大戦には、兵装を高角砲に換装し、防空巡洋艦として参加しています。

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(直上の写真:「シアリーズ級」軽巡洋艦の概観 109mm in 1:1250 by Navis) 

 

カーライル級

「シアリーズ級」の改良型。前級で課題であった艦首部の搭載砲への飛沫対策として「トローラー」船首に形状を改めています。4290トン・29ノット。同型艦5隻。

第二次世界大戦には、改造が間に合わなかった「ケープタウン」をのぞき、主砲を高角砲に換装し防空巡洋艦として参加しています。

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(直上の写真:「カーライル級」軽巡洋艦の概観 109mm in 1:1250 :この艦級は、Navisからは模型が出ていません。そこで入手できたCopy製のモデルをディテイル・アップする事にしました。武装や艦橋の上部構造をNavisの他の模型や他のパーツのストックから転用して、仕上げてみました) 

 

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(直上の写真:「シアリーズ級」(上段)と「カーライル級」軽巡洋艦の艦首形状の比較。課題だった艦首主砲への飛沫対策が「トローラー・バウ」形式と呼ばれる艦首形状の変更となって現れました。以後、この艦首形状は英海軍巡洋艦の標準仕様となってゆきます)

 

「D級」軽巡洋艦

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(直上の写真:「D級」軽巡洋艦の概観 117mm in 1:1250 by Navis) 

「C級」軽巡洋艦(後期型:「カレドン級」以降の3サブクラス)をタイプシップとして、その拡大強化版。6インチ主砲を1門増やし、雷装も3連装魚雷発射管4基と強化しています。4970トン。29ノット。同型艦8隻。

 

『E級」軽巡洋艦

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(直上の写真:「E級」軽巡洋艦の概観 138mm in 1:1250 by  Argonaut) 

 「E級」軽巡洋艦は、敵性巡洋艦の排除を目的として、速力を重視して設計されました。大きな機関を搭載するため、艦型は大型化しています。兵装は「D級」よりも6インチ砲を1門増やし、さらに対空兵装を格段に強化しています。7550トン。33ノット。同型艦2隻。

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(直上の写真は、「E級」軽巡洋艦の主砲配置を表したもの)

『E級」軽巡洋艦は、「エメラルド」と「エンタープライズ」の2隻が建造されましたが、主砲の装備形態が「エメラルド」は全て単装砲架で搭載していますが、「エメラルド」では艦首部に背負式に搭載されている単装砲架を、「エンタープライズ」は連装砲塔で搭載しています。「エンタープライズ」は現在、手元のモデルを整備中(あるいは仕上げが思うに任せない時には、新たに調達、ということになるかもしれません)ですので、今回は「エメラルド」のみご覧いただきます。

 

ということで、今回は、これまで本稿で扱った関連テーマで欠けていたモデルのうち、最近到着したものを中心にご紹介しました。加えて、その過程で派生した新たな興味領域(第一次大戦型英軽巡洋艦)についても。実は、この「興味領域の派生」についてはもう一つ、「英海軍の駆逐艦」(巡洋艦からの単純な興味の展開)というこれまた多種の艦級に及ぶ領域があり、既にコレクションがかなり充実してきています。それはまた折を見て。

取り敢えず今回はここまで。

 

次回は、どうしようかな?

少し目先を変えて、日本ではまだまだ入手が難しい1:1250スケールの艦船模型の調達経路の話でもしましょうか?

それとも、真面目路線で少し時間を遡って「アメリカ海軍やオーストリア=ハンガリー帝国海軍の装甲巡洋艦」のまとめでもやりましょうか?そう言えば日本海軍の空母、一切、まだ触れてませんねえ。ナチスドイツの巡洋艦なんかも、地味だけど・・・。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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