相州の、ほぼ週刊、1:1250 Scale 艦船模型ブログ

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

再録、架空艦満載:八八艦隊計画(2023年版)と、計画中止後の戦力補完としての「扶桑級」大改造計画

今回は本業の夏季休暇、帰省等があり、あまり時間が取れません。時間をできるだけ模型製作に当てたいという事情もあり、ほぼ過去投稿の再録です。

 

「本稿の原点回帰」ということで、そもそもの本稿の出発点、開始の動機ともなった「八八艦隊」のお話を。

筆者は、そもそも自身のコレクションに「八八艦隊」のモデル群がある程度揃ったことで、その記録のために2018年に本稿をスタートさせました。「八八艦隊」ご紹介のつもりが、であれば、「いっそ八八艦隊に至る道のりも簡単に(当初は本当に数回の投稿のつもりで)まとめておこう」程度の気持ちで始めたのですが、それが実は27回のシリーズに大化けしてしまいました。その結果、いつの間にか足掛け6年に。

という訳で、「本稿の原点回帰」、そもそもの本稿の出発点、開始の動機ともなった「八八艦隊」のお話を。

その間に、筆者の「八八艦隊」も数度のコレクションのリニューアルが行われ、今回ご紹介するのはその最新版、第三版、つまり2023年版のコレクションです。

今回はそういうお話。

 

第一部:「八八艦隊」(2023年版)の各艦級のモデルのご紹介

史実の八八艦隊計画

史実の八八艦隊計画第一次世界大戦後に列強の軍備拡張に倣い日本海軍が実施しようとした大建艦計画で、「長門級」戦艦2隻、「土佐級」戦艦2隻、「紀伊級」4隻のいずれも41センチ主砲を搭載し26ノット以上の速力を発揮する戦艦8隻で構成される高速戦艦群と、30ノット以上の速力を発揮する「天城級巡洋戦艦4隻(41センチ主砲搭載)、「13号級」巡洋戦艦4隻(46センチ主砲搭載)の8隻の巡洋戦艦で構成される強大な艦隊を建造する、という計画でした。これらの諸主力艦の建造は、「長門級」戦艦2隻を除いて、大鑑の建造競争により国家財政の破綻を恐れた列強各国の間で締結されたワシントン軍縮条約により中止されてしまいます。

 

筆者版八八艦隊計画

一方、筆者版の八八艦隊計画では、史実よりも少し制約の緩いワシントン軍縮条約の下で「長門級」戦艦2隻、「土佐級」戦艦2隻はそのまま、「紀伊級」戦艦は2隻のみ建造され、「13号級」巡洋戦艦が「改紀伊級」戦艦として防御構造を強化され、46センチ主砲搭載の戦艦として建造されています(筆者版ワシントン条約でも主砲口径は16インチを最大とする、という制約はありましたので、条約失効を前提として計画された「改紀伊級」戦艦は条約の制約外の46センチ主砲を搭載する戦艦として建造されるのですが、設計段階では未だ条約は有効であったため同級の搭載する46センチ主砲は新開発の「2年式55口径41センチ砲」と実態を偽った正式名称を与えられていました)。こうして揃えた8隻の戦艦と、既に存在した「金剛級巡洋戦艦4隻を可能な限り改装等により延命させ、加えて条約で認められる「金剛級」の耐用艦齢年次における代艦4隻を加え8隻の巡洋戦艦(この頃には巡洋戦艦の概念はほぼ無くなっており、「高速軽戦艦」的な存在でしたが)を揃える、という計画でした。

 

ということで、「八八艦隊」と言いながらも、今回ご紹介するのは戦艦4艦級のモデルです。但し、史実の通りであれば、「紀伊級」戦艦は4隻建造されましたし、「天城級巡洋戦艦は「紀伊級」戦艦とほぼ同型です。さらに「13号級」巡洋戦艦は今回ご紹介する「改紀伊級」戦艦と同型ですので、模型的にはこれで完結していると言っていいかと思います。

長門級」戦艦(同型艦2隻:就役時1920年頃の形態)

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同級は世界初の16インチ級(41センチ)主砲搭載戦艦で、同級の建造がワシントン海軍軍縮条約の実現化に大いに影響したとされています。この条約の結果、41センチ級の主砲搭載戦艦は同級の2隻(「長門」「陸奥」)を含め世界に7隻しか存在が認められないことになりました。いわゆる「ビッグ7」と言われる7隻(日本2隻、英国2隻、米国3隻)ですね。

長く連合艦隊の旗艦を務めるなど、日本海軍の象徴的な位置にあり続けました。

(「長門級」竣工時のモデル:by Hai: Hai製のモデルは前部煙突が「長門級と言えば湾曲煙突」と言うほど有名な湾曲煙突の状態を再現していますが、上掲のモデルでは就役時を再現したかったので、前部煙突を直立のものに交換しています。下の写真は「長門級」竣工時の細部の拡大:Hai製のモデルの前檣もかなり繊細に再現されています)

 

戦艦「陸奥」変体(by ModelFunShipyard:完成していれば1922年頃に就役していた?)

戦艦「陸奥」は「長門級」戦艦の二番艦ですが、その建造過程でちょうど研究中であった八八艦隊計画の次級「土佐級」の設計案を知った用兵側が、前倒しで「長門級」二番艦にその構想を盛り込み41センチ主砲10門搭載艦として実現できないか、と言う着想をもつに至りました。その構想のもとに強化型「長門級」の計画が動き出しました。これが「陸奥」変体(「変態」じゃないですよ)と呼ばれる設計案でした。

舷側に傾斜装甲を用いるなどして浮いた装甲重量を追加主砲塔に当てる、と言うのが構想の根底にあったとされています。

ワシントン条約の締結時点で「就役している」と言う状態でなければ保有が認められず工事を中止せねばならなかったため、結局、「陸奥」は建造時間等を考慮して「長門」とほぼ同設計で完成されますが、この「陸奥」変体が実現していたら、という「架空艦」のモデルのご紹介です。

オリジナルの「長門級」が従来の日本海軍の戦艦群同様の長船首楼型の船型であるのに対し、同館では平甲板型の線形が採用されているため、日本艦としては新鮮な印象があるかもしれません。

(戦艦「陸奥」変体の概観:173mm in 1:1250 by ModelFunShipyard: 下の写真は同モデルの特徴である前檣付近と、艦尾部の山形配置された連装主砲塔群のアップ・全体として大変すっきりとした、しかし細部は繊細に表現されたモデルです)

 

長門級湾曲煙突形態1924年頃)

(「長門級」湾曲煙突に換装後のモデル:by Hai: 「長門」といえばこの形態、と言うほど有名な形態ですね)

長門級」戦艦は就役後に排煙の前檣への流入に悩まされ、藤本造船大佐(当時?)の湾曲煙突導入の提案を平賀造船中将(当時?)は「威容を損ねる」として退け、当初は一番煙突にキャップを装着するなどの対応を試みますが、効果がなく、結局1924年ごろに一番煙突を湾曲形態にあらためています。結果的にこの形態は長く続き、上述の「ビッグセブン」として国民にも「世界に冠たる日本海軍」の象徴として親しまれました。

 

長門級」最終形態(1934年頃)

その後も小規模な改造は続けられましたが、1934年からの大改装でボイラーの換装に伴い煙突が一本になり、外観的には最終形態に近くなりました。その後も対空火器の強化や、新たな電探設備の追加等を行い、最終形態となっています。

(上の写真は戦艦「長門」の概観:189mm in 1:1250 by neptun:前檣は射撃管制機構の改良に伴い複雑化し、機関の換装により煙突形状が変化しています)

 

下の写真は「長門級」の就役時(上段)と最終時の比較

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「土佐級」戦艦:同型艦2隻(by ModelFunShipyard:就役時(1923年頃)を想定した姿)

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同級は八八艦隊計画の戦艦の二番目の艦級です。「長門級」戦艦の強化改良型、と言っていいと思います。「土佐」と「加賀」が建造される予定でした。

上掲の「陸奥」変体同様、平甲板型の船体を持ち、大変スッキリした印象です。

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(「土佐級」戦艦の概観:188mm in 1:1250 by ModelFunShipyard: 下の写真は同モデルの特徴である前檣付近と、艦尾部の山形配置された連装主砲塔群のアップ・上掲の「陸奥」変体とは副砲の配置、後部の連装砲塔3基の配置が異なります全体として大変すっきりとした、しかし細部は繊細に表現されたモデルです)

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戦艦「加賀」:「土佐級」湾曲煙突装備(by ModelFunShipyard)

長門級」の就役後、前檣直後の煙突が煤煙の逆流で課題が出たように、おそらく「土佐級」の煙突も同じような課題が現れたであろう、と言う前提で、湾曲煙突を装備した二番艦「加賀」を製作してみました。これはこれでなかなかいいかも。

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(湾曲煙突装備の「加賀」の概観: by ModelFunShipyard: 下の写真はオリジナル煙突の「土佐」(上段)と湾曲煙突装備の「加賀」の比較。今回このモデルの最大の魅力である(と筆者が思っている)前檣構造がいずれのモデルでもやはりかなりいい感じではないかと、感心しています)

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土佐級」第一次改装時(1930年頃)

「土佐級」も就役後、順次、射撃指揮系統の近代化、防御構造の強化、対空兵装の増強等が行われました。これにより前檣構造が複雑化し、重ねて重油専焼ボイラーへの換装で煙突形態が改められました。

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(「土佐級」一時改装時の外観(上下):ボイラーの換装で形態が変化した煙突の形態と射撃管制系統の変化等で複雑化した前檣:舷側にに大型バルジが追加されるなど、防御も強化されています。対空兵装も変更され強化されています)
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土佐級」最終形態(太平洋戦争時)

上記のような改装を重ねた「土佐級」でしたが、上述のように同級は「長門級」の設計をもとに集中防御設計を強化したものでした。主砲塔、機関等を集中防御設計によりまとめそこに防御装甲を集中したわけですが、このことは特に機関系統への余白スペースにゆとりがあまりないことも意味していました。このため近代化改装による重量の増加はそのまま速度低下に直結しました。このため最終改装では艦尾の延長、艦首形状の改訂等が行われ、艦型が大きく変わっています。それでも同様の改装により「長門級」があまり大きな速度低下を起こさなかったのに対し、同級は比較的大きな速度低下に見舞われ(26ノットから23ノット)、高速化の進む空母機動部隊を中心とした艦隊構成には編入されず、西部方面艦隊(シンガポール)に配置されました。

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(「土佐級」最終時(太平洋戦争時)の概観 194mm in 1:1250:重量の増加への対応で艦首形状、艦尾の延長などが行われました。集中防御設計により、機関の換装に対する対応力が制限され、八八艦隊の戦艦群の中では最も速度低下が顕著でした。このため太平洋戦争時には機動部隊等には組み入れられず、シンガポールの西部方面艦隊の主力となりました)
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下の写真は「土佐級」就役時と最終時の比較

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改装などによる重量の増加に伴う速力低下への対応策として、艦型が見直され、艦首形状、完備の延長などが行われました。しかし機関の換装余力がスペース的に確保できにくい設計だったため、3ノット程度の速力低下に見舞われました。結局、八八艦隊の中では最も速力の低い環球となりました。

 

紀伊級」戦艦:同型艦2隻(計画当初は4隻)(by ModelFunShipyard:就役時(1925年ごろ?)を想定した姿):「天城級巡洋戦艦もほぼ同型

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紀伊級」戦艦は「土佐級」戦艦に続き4隻が建造される予定でした。(「紀伊」「尾張」「駿河(仮称)」「近江(仮称)」)設計は「土佐級」とは一線を画し、建造期間や予算面から巡洋戦艦天城級」設計をベースとして、これに防御強化を図り本格的な高速戦艦としての完成を目指したものでした。そのため速力は「長門級」「土佐級」の26ノット台から29ノット台へと飛躍しています。

史実では4隻が建造される予定でしたが、筆者版では米海軍の新戦艦「サウスダコタ級(1926年版)」が16インチ主砲を12門搭載する設計であることが判明し、「紀伊級」戦艦ではこれに対抗するには「やや心もとない」と評価されたため、建造は「紀伊」「尾張」の2隻で打ち切られ、次の「改紀伊級=相模級」戦艦(18インチ主砲搭載)の建造へと移行してゆきます。

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(「紀伊級」戦艦の概観:200mm in 1:1250 by ModelFunShipyard: 下の写真は同モデルの特徴である前檣付近と、艦中央部から艦尾部にかけて装備された連装主砲塔群のアップ。全体として、やはり前檣が最大のこのモデルの魅力かと思っています)

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紀伊級」戦艦:集合煙突装備案(by ModelFunShipyard)

紀伊級」の設計図面はかなりの数が残されており、その中には前述したように「長門級」で問題となった排煙の逆流問題への対応策として、設計段階から集合煙突を装備したデザイン案がありました。筆者は元々集合煙突が大好きでもあり、こちらのモデルを作成してみました。(というか筆者版の八八艦隊ではこちらが本命です。もう一隻こちらを作成する予定です。煙突も調達済み!)

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(「紀伊級」戦艦・集合煙突デザイン案の概観:200mm in 1:1250 by ModelFunShipyard: 下の写真はオリジナルの二本煙突(上段)と集合煙突案に比較:やはり個人的には集合煙突案の方が圧倒的に好みですね。前檣の少しクラシックなデザインと集合煙突の先進性のアンバランスというか、妙な調和を感じるのですが。やや日本艦離れした感じがするもの好きな点かも)

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紀伊級」第一次改装時(1934年頃)

紀伊級」も就役後、順次、射撃指揮系統の近代化、防御構造の強化、航空艤装の追加、対空兵装の増強等が行われました。これにより前檣構造が複雑化し、後檣の形態も改められました。

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(「紀伊級」一時改装時の外観(上下):射撃管制系統の変化等で複雑化した前檣と後檣の携帯も近代化され、併せて艦尾部に航空艤装も追加されました。舷側にに大型バルジが追加されるなど、防御も強化されています。対空兵装も変更され強化されています)

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紀伊級」最終形態(太平洋戦争時)

紀伊級」はその後も順次小規模な改装が行われましたが、逐次重量が増え、艦尾の延長や艦首形状の改訂などのより対策がとられました。重油専焼缶への換装の際には当初は煙突形状は改められませんでしたが、最終的には一本煙突の形態に改められました。

紀伊級」は新造戦艦の「大和級」が高度に機密扱いとなったため、「大和級」以降の新戦艦の就役後も長く日本海軍の象徴として連合艦隊旗艦の座にあり続け、国民に親しまれました。

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(「紀伊級」最終時(太平洋戦争時)の概観 210mm in 1:1250:重量の増加への対応で艦首形状、艦尾の延長などが行われました。機関も換装され、速度は就役時と同じレベルを維持することができました。次級「改紀伊級」が高度な機密性で守られたため、長く日本海軍の象徴的存在として存在し続けました)f:id:fw688i:20230409095802p:image

 

下の写真は「紀伊級」就役時と最終時の比較

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改装などによる重量の増加に伴う速力低下への対応策として、艦型が見直され、艦首形状、完備の延長などが行われました。この結果、同級では就役時の速力はほぼ維持することができました。

 

「改紀伊級=相模級」戦艦:「13号級」巡洋戦艦の設計をベースとして:同型艦2隻(巡洋戦艦設計では同型艦4隻)(by ModelFunShipyard:就役時(1930年頃?)を想定した姿)

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同級は筆者版八八艦隊計画の戦艦の最終整備艦級で、元々は巡洋戦艦として30ノットを超える速力を持ちながらも「紀伊級」戦艦を凌駕する強力な砲力も併せ持つ設計であった「13号級」巡洋戦艦の設計がベースとされました。主砲にはそれまでの八八艦隊の戦艦の標準装備であった41センチ主砲を上回る46センチ(18インチ)主砲の搭載が採用されました。しかし計画段階では46センチ主砲については開発に相当な時間がかかることが予想されたため、従来の41センチ主砲を三連装砲塔4基搭載する設計案もあったとされています。

今回はもちろん46センチ主砲装備の方を。

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(「改紀伊級=相模級」戦艦の概観:250mm in 1:1250 by ModelFunShipyard: 下の写真は同モデルの特徴である前檣と煙突付近と、巨大な主砲塔の拡大)f:id:fw688i:20230402101840p:image

今回のモデル製作にあたり、「13号級」の図面を見る限り、その大きな特徴である巨大な煙突(米海軍の「レキシントン級巡洋戦艦でも同じような話がありましたが、高速の巡洋戦艦の搭載する巨大な機関を考えると、排煙は大きな課題なのでしょうね)が、筆者にはどうしても違和感があり、「紀伊級」と同じ集合煙突に換装したモデルを製作しています。46センチ主砲搭載艦ですので長大な射程を想定した一際高い前檣を考えると、もう少し高いものにしないと煤煙の前檣への逆流等に悩まされることになるかもしれませんね。実はオリジナルの煙突はモデルよりも約1センチほど全高が高くなっています(オリジナルも作るべきだったかな。これは作製後の独り言)。

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(上の写真は今回製作したモデル(上段)と、製作の際に切除した煙突をモデルに戻してみた際の比較):オリジナルの煙突が1センチほど高い、というのはこんな感じです。このモデルだけ見るとオリジナルのデザインでもあまり違和感はない(むしろ今回の製作案の煙突の低さが気になるかも)のですが、他のモデルと並べると違和感が出てくるのです(と筆者は感じるのです))

余談ですが、この上掲のカット見ていて、前章の抜けの素晴らしさを、再認識しました。やはりこのモデルのクオリティは、凄い!

 

「改紀伊級」などと言いながらも

筆者版「八八艦隊」では、「改紀伊級」は前述のようにワシントン条約の失効を前提に設計されていました。実態は全く別物の新設計であったにも関わらず、条約の制約を満たした設計であると宣言せねばならず、そうした意味では「改紀伊級」という名称自体が既に欺瞞だったと言っていいでしょう。ワシントン条約では新造戦艦の主砲口径は16インチ以下と制約されていましたので、46センチ主砲は新開発の「2年式55口径41センチ砲」と呼称されていました(フィクションです。史実ではないのでご注意を)。もちろん全体の大きさに関する制約も大きく超えていました。

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(「改紀伊級=相模級」戦艦と「紀伊級」戦艦の比較:船型の大きさも大きく異なりますし、主砲塔の大きさの差異も一目瞭然です。主砲口径の拡大から想定される砲戦距離の延長に対応して、前檣の高さが大きく異なっています)

 

「改紀伊級」最終形態(1939年頃)

同級は他旧と同様に対空火器の増強や船体重量増に対応するための機関の改装などが行われましたが、一方で初の46センチ主砲搭載艦として、当時、建造が計画されていた本格的な46センチ砲搭載艦「大和級」戦艦に搭載される予定の諸機構が試験的に導入されたりしていました。

例えば前檣はその上部に搭載される予定の射撃指揮装置や塔構造が実験的に導入されました。主砲塔も旋回速度を向上させた新設計の駆動装置が盛り込まれ、性能向上が目指されました。

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(「改紀伊級=相模級」最終時(太平洋戦争時)の概観:同級は建造年次が新しいため、他の艦級に比べ改装程度は軽微でした。しかし、次期新戦艦の基本形態となる予定の「大和級」戦艦への導入技術の試験艦的な位置付けに置かれたため、前檣には塔形状が導入されました。併せて他の艦級同様、対空火器、航空艤装の増強が行われています。舷側には大型のバルジが追加されるなど、防御も強化されていることがわかります)f:id:fw688i:20230409100505p:image

 

下の写真は「改紀伊級=相模級」就役時と最終時の比較

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同級は新設計の「大和級」戦艦への導入技術の試験艦的な位置付けとなりました。

 

今回ご紹介した2023年版「八八艦隊」の戦艦の一覧

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(上の写真は今回ご紹介した「八八艦隊計画」の戦艦の艦級の総覧:「陸奥」変体(左上)、「土佐級オリジナル」(左中)、「加賀:湾曲煙突装備」(左下)、「紀伊級オリジナル」(右上)、「紀伊級:集合煙突案」(右中)、「改紀伊級=相模級」(右下)の順:下の写真は「陸奥」変体から「改紀伊級」までの船型の推移を一覧したもの:手前から「陸奥」変体、「土佐級」「紀伊級」「改紀伊級=相模級」の順)

筆者の当初のプランでは、主砲を別のディテイルの整ったものに換装することも考えていたのですが、今回一連を製作してみて、かえって主砲塔にフォーカスしすぎたモデルになることも想定されるなあ、と別の懸念が出てきました。あと数隻は作成したいとは思っているのですが、主砲のモデル換装までは実行しない、という結論に至りそうです。(これまでの筆者の経験では、多くの1:1250スケールの3D printing modelでは、主砲塔の特に主砲砲身の再現が今ひとつ満足がいかず、別のモデルに置き換えるというようなこともあったのですが、今回のモデルの主砲塔周りの再現は十分に満足のいくものでした)

 

太平洋戦争開戦時の八八艦隊戦艦群

下の写真は八八艦隊の戦艦群の最終形態の一覧です。手前から「長門級」「土佐級」「紀伊級」「改紀伊級=相模級」の順です。艦型の大型化も確認していただけるかも。

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第二部:ワシントン海軍軍縮条約による「八八艦隊計画」の中止と16インチ主砲搭載戦艦の補完としての「扶桑級」改造計画

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ワシントン海軍軍縮条約の締結で、すでに完成していた「長門級」の2隻のみが保有を認められ、残る計画艦は既に進水していた「土佐」「加賀」も含め破棄処分されることになります(処分予定だった「加賀」は、建造工事の途中で関東大震災で被災し工事の継続を断念せざるを得なくなった空母「天城」に代わって空母として完成されることになります)。

こうして16インチ主砲搭載艦で質的な優位に立とうとする日本海軍の目論見は頓挫し、新造戦艦の計画が全て白紙化するわけですが、であれば既存艦の更新で一部でも戦力補完を目指そうとする計画が動き始めます。この動向はワシントン条約の制限対象が新造艦に対するもので、既存艦については制限がないということを前提にしたものでした。史実では既存艦の改造についても制限が設けられたため、この計画は実現しませんでした。

 

その計画の俎上に上げられたのが、就役以来多くの欠陥が露呈し「艦隊に配置されているよりも、ドックに入っている期間の方が長い」と揶揄されるほど、改装に明け暮れていた「扶桑級」戦艦でした。

 

日本海軍初の超弩級戦艦「扶桑級」(1915年就役)

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扶桑級就役時の概観:163mm in 1:1250 by Navis)

扶桑級」戦艦は日本海軍が初めて保有した超弩級戦艦でした。

日露戦争での戦費負担(日露戦争で日本は朝鮮半島中国東北部に関する主導権を手に入れましたが、戦後賠償金は獲得できませんでした)、それに続く戦利艦の補修と艦隊への編入により、日本海軍はそれら返球艦艇の修理と既存艦の整備に多くの予算を割かねばならず、世界の主力艦整備の趨勢(いわゆる新造される弩級戦艦超弩級戦艦の整備)に大きく出遅れてしまいました。「主力艦」と名のつく軍艦の保有数は飛躍的に増えましたが(日露開戦前(1904年頃)の保有主力艦6隻(全て前弩級戦艦)に対し、日露戦後(1910年頃)の保有主力艦17隻(前弩級戦艦9隻、準弩級戦艦4隻、前弩級巡洋戦艦2隻、準弩級巡洋戦艦2隻))、その性能は第一線級と呼べるものは数えるほど、と言う状態でした。旧式艦装備の大海軍、そんな感じだったのではないかと。

そのような状態の日本海軍が起死回生を狙って建造したのが「金剛級巡洋戦艦4隻と「扶桑級」戦艦2隻でした。「扶桑級」の一番艦「扶桑」の就役当時は世界で初めて30000トンを超える大鑑で、世界最大・最強の呼び声の高い日本海軍嘱望の艦でした。

しかし、同級には完成後、多くの課題が現れてきます。

例えば、一見バランス良く艦全体の首尾線上に配置されているように見える6基の砲塔は、同時に艦の弱点ともなる弾庫の配置が広範囲にわたることを意味し、これを防御するには広範囲に防御装甲を装備せねばならず、集中防御とは相反するものでした。また、斉射時に爆風の影響が艦上部構造全体に及び、重大な弊害を生じることがわかりました。さらに罐室を挟んで砲塔が配置されたため、出力向上のための機関部改修等に余地を生み出しにくいことも、機関・機器類の進歩への対応力の低さとして現れました。

加えて第一次世界大戦ユトランド海戦で行われた長距離砲戦(砲戦距離が長くなればなるほど、主砲の仰角が上がり、結果垂直に砲弾が落下する弾道が描かれ、垂直防御の重要性がクローズアップされます)への対策としては、艦全体に配置された装甲の重量の割には水平防御が不足していることが判明するなど、一時は世界最大最強を歌われながら、一方では生まれながらの欠陥戦艦と言わざるを得ない状況でした。

こうして露見された種々の課題の結果、「扶桑級」戦艦の建造は2隻で打ち切られ、3番艦、4番艦となる予定であった「伊勢」「日向」は新たな設計により生まれることとなりました。

 

平賀造船中将の「扶桑級」改装計画

改装を重ね、なお、なかなか戦力化の目処をつけられない「扶桑級」戦艦を、一気に戦力化してしまおうと言う改造計画が平賀造船中将から提出されました。これはワシントン条約により頓挫した新造戦艦の建造による海軍軍備の増強を、課題満載の「扶桑級」改造により幾分かでも補完しようというものでした。

具体的には同級の課題の元凶ともいうべき主砲塔配置に大きな変更を加え、併せて機関の配置等についても余裕を持たせ、速力不足・機動性不足等についても一気に解決してしまおう、という意欲的な案でした。

(下の写真は刊「丸」2013年8月号の掲載されている「扶桑級」改装案の図面。平賀案を元に作成されたもの?) 

平賀中将の残したメモによるとこの改装案の眼目は、前述のように課題の元凶であるとされる6基の36センチ主砲塔を全て当時最大口径であった41センチ砲に置き換え、代わりに主砲塔の数は削減し、再配置により改装前よりも弊害を軽減、かつ新たに確保できる艦内スペースを機関等に充てることにより、機動性も高める、いうものでした。これは同時に八八艦隊計画が中止になった場合に、「長門級」の2隻のみとなることが予想された41センチ主砲装備艦を補完することも目的としていました。この改造により「長門級」と同等の機動性を持つ高速戦艦として、「欠陥戦艦」のレッテルの貼られた「扶桑級」を再生しようとするものでした(随所に筆者の妄想的な解釈がかなり入っていることは、ご容赦を。以降はこう言う言い訳めいた注釈はしないので、そこは皆さんの良識でご判断を)。

(上の写真は「改扶桑級」平賀原案完成時の概観:163mm in 1:1250 by semi-scratchied besed on C. O. B. Constracts and Miniatures:下は前檣と41センチ主砲塔。艦首部は連装砲塔2基の背負式配置、前檣直後に三連装砲塔を1基、さらに艦尾部に1基配置した姿:模型ならではの「架空艦」です:でも一応計画はありました。比較的図面に忠実に再現してみたもの。前檣は前出のModelFunShipyard製の「陸奥」変体からいただきました)

条約締結に間に合わせるために、完成したものは・・・「改扶桑級」戦艦の誕生(1922年)

平賀中将の設計案の常として、「コンパクトな船体に最大の攻撃力」とでもいうべき傾向が見られ、結果的にどこかに無理を包含した設計となることが散見されます。残されたメモを見る限り「扶桑級」主砲換装案もこれに違わず、世界初の41センチ主砲搭載艦である「長門級」戦艦が41センチ連装主砲塔4基搭載の設計であるのに対し、より船体の小さな「扶桑級」に連装砲塔と三連装砲塔の混載で、41センチ砲を10門搭載する案となっていました。

この実現のためには、それまで日本海軍には経験のない大口径砲の三連装砲塔を新たに設計せねばならず、特に砲塔の駆動系等の開発や連装砲塔と三連装砲塔の旋回同期の機構を考えると、設計開発にはいくつもの試行が必要で、実装までには相当な時間を要することが予想されました。

一方で、条約締結までに完成していることが保有の前提条件であること(史実では既存艦の大規模な改造は認められず、特に条約の発端ともなった41センチ(16インチ)主砲装備艦については、保有制約が厳しく、いわゆるビッグ7と呼ばれる7隻しか保有が認められませんでした)も明らかになりつつある状況を踏まえ、結局、新たな大規模な開発を伴う三連装主砲塔の搭載は見送られ、「扶桑級」は「長門級」で既に実績のある41センチ連装主砲塔4基の装備艦として大改装を受けることとなりました。

この決断に平賀造船中将は関与せず、後に通知された際に激怒したと言われますが、条約下での保有を認めさせるには、必要な措置でした(全部フィクションですよ)。

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(上の写真は「改扶桑級」完成時の概観:163mm in 1:1250 by semi-scratchied besed on C. O. B. Constracts and Miniatures:下は最終的に連装主砲塔4基搭載でまとまった主砲配置:上記のような経緯で、ワシントン条約締結時に就役していることが保有の大きな条件となるため、開発に研究の必要な平賀原案の三連装砲塔と連装砲塔の混載を諦め、先行する「長門級」建造で実績のある連装砲塔で統一しました。平賀さんは怒っただろうなあ。しかしこの決定で砲塔周りの機構は間違いなく簡略化され、すっきりした外観となるとともに、艦の航洋性も改善されました・・・ということにしておきましょう)

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またこの決定で上部構造の重量が軽減され、かつ砲撃時の反動も軽減されたため(こちらも「長門級」で既にデータが取られていたため、強度の再計算等も容易でした)、艦自体の強度も高められ、かつ航行性、直進性等は、36センチ主砲塔搭載時よりも良好となったと言われています。さらに浮いた重量を機関部整備等にあてられたため、機動性をさらに改善することができたとされています。

模型的には「原案」と「完成案」の2隻を作りたいところでしたが、そこまで手が回っていません。ですので、現時点では「原案」を作成した後「完成案」仕上げています。

 

「改扶桑級」戦艦の近代化改装と太平洋戦争開戦(1935年ー1941年)

「改扶桑級」戦艦の二隻も1930年代に入ると他の主力艦と同様、数次の改装を受け、太平洋戦争開戦時は下の写真のような姿になっていました。

(「改扶桑級」近代化改装後形態:上の写真は戦艦「(改)扶桑」近代化改装後形態の概観:戦艦「(改)扶桑」は近代化改装の際に史実のように三番主砲塔の係止位置を正艦首方向としたため、前檣の構造がかなり特異な物になりました(模型製作的な実情はこの特異な艦橋を再現するために主砲塔の向きを変えたわけですが)。下は「(改)山城」近代化改装後形態の概観:「(改)山城」は近代化改装の際にも主砲塔の係止位置の補正(変更?)を行いませんでした:まさに「架空艦」を筆者の妄想で上書きした、「模型の醍醐味(だと筆者は思うんですが)」のようなモデルです)

 

そしてここからは、架空戦記の類

 

太平洋戦争緒戦:南方部隊(第二艦隊)に配置

(太平洋戦争緒戦では「扶桑」(奥)と「山城」は第一戦隊第二小隊として、南方攻略戦の主力部隊である第二艦隊に派出されました)

「扶桑」と「山城」は英海軍が開戦直前にシンガポールに配置した「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」への対抗戦力として、これらに対峙する南方攻略部隊主力である第二艦隊に派出されました。第二艦隊は南方の資源地域を短期に攻略することを目的として南遣艦隊、第三艦隊等を配下に入れて攻略戦全般を指揮する役割にあたっていましたが、具体的な戦力としては巡洋戦艦出自の高速戦艦「金剛」「榛名」の他は巡洋艦で構成された部隊で、上述の英海軍が配置した「新戦艦」に直接対峙できる艦船を保有していませんでした。

シンガポールに配置された英東洋艦隊の2戦艦:上「プリンス・オブ・ウェールズ」と下の上段「レパルス」(下の写真の下段は「レパルス」の同型艦「リナウン」(近代化改装が進められ、英新戦艦のような艦橋を有していました))

このためこれを危惧した連合艦隊司令部は41センチ主砲装備の戦艦4隻(「長門」「陸奥」「扶桑」「山城」)で構成される第一戦隊から第二小隊の「扶桑」と「山城」を第二艦隊に応援として派出することとしました(「長門」「陸奥」は連合艦隊旗艦とその僚艦として動けませんでした)。

英海軍の主力艦2隻は、海軍基地航空隊の航空攻撃で撃沈されたため(有名なマレー沖海戦ですね)、「扶桑」「山城」が「プリンス・オブ・ウェールズ」「レパルス」と砲火を交わすことはありませんでしたが、「扶桑」「山城」は両英戦艦の撃沈後もそのまま第二艦隊に留まり、南方攻略戦に従事しました。

 

ミッドウェー海戦後、新編成の第二戦隊に移籍(1942年)

新造戦艦「大和」が就役し、第一戦隊に配置されると、「大和級」二番艦「武蔵」の就役も具体化し、第一戦隊がやや大世帯になります。あわせてミッドウェーでの艦隊空母4隻の喪失を受けて、「伊勢級」戦艦の航空戦艦への改造が決定されると、空席となった第二戦隊を「扶桑」「山城」の2隻で構成することとなりました。

両艦はその機動性を評価され、上述のように開戦以来、長く第二艦隊に帯同してきましたが、

この新第二戦隊編成を機に正式に第二艦隊に編入されました。第二艦隊の主戦場がガダルカナル島等を含むソロモン海域に移ると、第二戦隊もこれに帯同し、ソロモン海の戦場に姿を表します。

第二戦隊は41センチ砲を持って夜間のガダルカナル島ヘンダーソン基地への砲撃を数次に渡り展開し、基地に大きな損害を与えました。

 

第三次ソロモン海戦での戦果(1942年11月)

1942年11月、ガダルカナル島奪還に向けて、次期攻撃の主力となる陸軍第38師団の輸送に先立ち、米航空基地の無力化を目的に、第十一戦隊(「比叡」「霧島」)、第二戦隊(「扶桑」「山城」)を主隊とする挺身砲撃作戦が敢行されます。

12日の第一次夜戦では、先行する第十一戦隊とガダルカナル島警備の米巡洋艦部隊との間に遭遇戦が発生し、双方混乱の中で乱戦となり、米巡洋艦2隻を撃沈し、指揮官と次席指揮官を戦死させるなどの戦果を上げながらも、自軍も「比叡」が行動の自由を失い自沈せざるを得なくなるなどの損害を受けます。この結果、基地砲撃は叶いませんでした。第二戦隊は先行する第十一戦隊に続行して、時間差で海域に到達し砲撃の仕上げを自慢の41センチ砲で行う予定でしたので、砲撃の機会を失いました。

15日には再度基地砲撃を期して、第十一戦隊の残存艦「霧島」に同行して、第二戦隊も挺身砲撃に参加することとなりました。

一方で巡洋艦部隊に大損害を出していた米海軍も新鋭の16インチ主砲搭載戦艦2隻(「ワシントン」「サウスダコタ」)を主力とする第64任務部隊を投入して、これに対抗しました。

(第64任務部隊の2戦艦:上は「サウスダコタ」下は「ワシントン」)

双方2隻づつ16インチ級の主砲を持つ戦艦を投入しながらも、戦闘は双方の発見の遅れもあって10000メートル程度の距離での砲撃戦となり、先頭の「霧島」は米艦隊の「サウスダコタ」に砲撃を開始しました。「霧島」は数発の36センチ砲弾を命中させますが、飛行場砲撃目的の出撃であったため、当初砲塔に装弾されていた砲弾は徹甲弾ではありませんでした。このために近距離での砲戦ながら、「サウスダコタ」の上部構造に大損害を与えるに留まりました。そのうちに「ワシントン」が「霧島」に砲撃を開始し「霧島」は16インチ砲弾の命中弾を連続的に受け戦闘不能の大破(のち自沈)、後続の「扶桑」は当初炎上が認められた「サウスダコタ」に砲撃を加えていましたが、やがて目標を変更した「ワシントン」の標的となり、16インチ砲の命中弾を数発受け中破し、戦線を離脱しました。「扶桑」の被弾を見ていた「山城」は主砲塔に装弾されていた飛行場攻撃用の砲弾を早々に斉射し尽くし、徹甲弾に切り替えて「ワシントン」に砲撃を開始し、数発の命中弾を与え同艦を大破、行動不能とさせました(戦場を離脱中に浸水沈没)。

こうして15日の第二夜戦の終了後、戦場には「山城」だけが戦闘を続行できる状態で止まっていましたが、僚艦「扶桑」の離脱を考慮すると、夜戦終了後の「山城」単艦での基地砲撃は効果が想定できず(作戦当初の3戦艦での砲撃の戦果は期待し難い)、夜明け後の航空攻撃を受ける危険性が高く、「霧島」の自沈、「扶桑」の中破に加えてこの上「山城」の喪失は受け入れ難いとして、結局作戦は中止されてしまいました。

 

長門」の第二戦隊編入(1943年7月)とトラック泊地での待機、そしてマリアナ沖海戦(1944年6月)

1943年6月に「長門級」戦艦の二番艦「陸奥」が広島柱島泊地で謎の爆沈を遂げます。僚艦を失った「長門」は第三次ソロモン海戦での損傷を回復した第二戦隊に編入され、第二戦隊は41センチ主砲装備戦艦3隻で編成された部隊となります。

(上の写真は戦艦「長門」の概観:189mm in 1:1250 by neptun: おそらく同艦が「幻の第二戦隊」の旗艦を務めていたでしょうね。下の写真は「幻の第二戦隊」基幹部隊の勢揃い:奥から「長門」「(改)扶桑」「(改)山城」の準)

ガダルカナル島から撤退ののち、中部ソロモンでの戦闘に敗れた日本海軍にとって、次の戦場は中部太平洋であることは間違いなく、長く日本海軍が前線に向けての待機根拠地としていたトラック泊地が、最前線として攻撃にさらされることとなります(1944年2月:トラック等空襲)。

日本海軍は根拠地をリンガ泊地に下げて戦力の充実を計っていましたが、米軍のマリアナ諸島来攻に対抗して「あ号」作戦を発動し、ほぼ全ての艦隊をこの作戦に投入します。

第二戦隊は、第二艦隊と第三艦隊を統合指揮する第一機動艦隊の乙部隊に組み入れられました。この部隊は2隻の中型商船改造空母(「隼鷹」「飛鷹」)と潜水母艦改造の軽空母1隻(「竜鳳」)で編成された第二航空戦隊を基幹とした部隊で、搭載機144機を有している部隊でした。第二戦隊の戦艦3隻はこれらの母艦の護衛に、航空巡洋艦「最上」と駆逐艦9隻とともに当たることとなっていました。

「あ号」作戦は日本海軍の艦載機の長い航続距離を生かした「アウトレンジ作戦」、つまり米機動部隊の空母搭載機の行動圏外から攻撃を加える作戦でしたが、それまでのソロモン方面での消耗戦で大きな損害を出していた母艦航空隊を急錬成により数だけは揃えた、と言うのが実情で、搭乗員練度の低下と、圧倒的な数を誇る米機動部隊の迎撃戦闘機の壁、および機動部隊自体の対空砲網を越えられず、ほぼ1日で大半の航空機を失い、作戦は失敗します。

併せて機動部隊主力である甲部隊の基幹部隊である第一航空戦隊(「大鳳」「瑞鶴」「翔鶴」)の3隻の大型艦隊空母(当時日本海軍が保有する全ての艦隊空母)のうち2隻が、潜水艦の雷撃により失われてしまいました。

第二戦隊が参加していた乙部隊については、作戦初日(6月19日)に出撃した搭載機部隊に大きな損害を受け、翌20日にはようやく日本艦隊を発見し夕刻に来襲した米機動部隊艦載機の攻撃で「飛鷹」が撃沈され、「隼鷹」は命中弾を受け中破、「竜鳳」も小破しています。

第二戦隊は第二航空戦隊の母艦を守って対空戦闘を実施しましたが、3隻の戦艦に重大な損害はありませんでした。

 

この「あ号」作戦で日本海軍は空母の艦載機部隊・基地航空部隊の双方に壊滅的な打撃を受け、空母機動部隊は戦力として以降、終戦まで再生することはありませんでした。

第二航空戦隊も残った2隻の空母は損害を回復しますが、その搭載機部隊が再生することはなく、両空母ともその後、出撃の機会はありませんでした。

 

第二戦隊の第五艦隊編入(1944年9月)とレイテ沖海戦(1944年10月)

レイテ沖海戦については本稿でもかなりの回数を割いて記述していますので、史実については、もし興味があればそちらを読んでみてください。

レイテ沖海戦:小沢艦隊(第三艦隊:空母機動部隊)日本海軍、空母機動部隊の終焉(その1) - 相州の、1:1250 Scale の艦船模型ブログ 主力艦の変遷を追って

レイテ沖海戦:小沢艦隊(第三艦隊:空母機動部隊)日本海軍、空母機動部隊の終焉(その2) - 相州の、1:1250 Scale の艦船模型ブログ 主力艦の変遷を追って

レイテ沖海戦:栗田艦隊(その1):第二艦隊(第一遊撃部隊 第一部隊) - 相州の、1:1250 Scale の艦船模型ブログ 主力艦の変遷を追って

レイテ沖海戦:栗田艦隊(その2):第一遊撃部隊 第二部隊とレイテ沖海戦の概要(経緯) - 相州の、1:1250 Scale の艦船模型ブログ 主力艦の変遷を追って

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史実では第二戦隊に「長門」が編入されることは、計画のみで実施には至らず(もちろん、「扶桑級」が41センチ主砲に換装されることなどなく)、第二戦隊が第五艦隊に編入されることも、計画のみで実現はせず、西村中将に率いられてわずか7隻の小部隊として「第二戦隊」はレイテ湾に突入しそこで壊滅します。

しかし、ここで紹介している「改扶桑級」は、主砲を41センチに換装し、機関を換装し機動性を高めた高速戦艦として、太平洋戦争を通じて第一線で活躍してきています。

一方、第五艦隊は開戦以来、北方警備の専従部隊であったのですが、敗色濃厚となった時点で機動艦隊の直掩戦力として配置転換が計画されます。さらにマリアナ沖海戦で機動艦隊の基幹戦力である空母部隊が崩壊し再建の目処すら失うと、海軍はそれまでの「空母機動部隊」を中核戦力とした艦隊決戦構想を、水上戦闘艦隊を中心とした侵攻部隊(上陸軍)撃滅に転換せざるを得ず、第五艦隊はその侵攻部隊撃滅戦の一勢力として戦力の充実を図られることになってゆくわけです。(史実では、この構想の表れが、第二戦隊への「長門編入による強化であったり、それまで巡洋艦を基幹とした戦闘部隊であった第五艦隊への戦艦の編入(第二戦隊の編入)と言う計画となったと考えています。いずれも計画のみで実現はされませんでしたが)

 

しかし今回の「改扶桑級」戦艦の実現した世界では、これらは全て実現されます。

これによりレイテ沖海戦における第二遊撃部隊は、41センチ主砲装備の高速戦艦3隻(「長門」「山城」「扶桑」)、重巡洋艦3隻(「那智」「足柄」「青葉」)、航空巡洋艦1隻(「最上」)、軽巡洋艦2隻(「阿武隈」「鬼怒」)、駆逐艦12隻という強力な艦隊としてレイテ湾を目指すことになります。栗田艦隊との連携を目指すために、おそらくその進路は史実で西村部隊、志摩部隊がたどったものと同じスリガオ海峡を経て南からレイテ湾に突入するコースをとったことでしょう(これにより日本海軍の水上戦闘部隊は南から(第二遊撃部隊:志摩艦隊)と東から(第一遊撃部隊:栗田艦隊)、それぞれが互いを陽動部隊としながら突入することが可能になります)。どちらが先に突入することになっても(あるいは同時に突入することになっても)レイテ侵攻部隊(マッカーサー上陸軍)を護衛する米第七艦隊の水上戦闘の基幹戦力である第77任務部隊第2群(Task Group 77.2 ;オルデンドルフ部隊)は、相当苦戦することになったことでしょう。

オルデンドルフ部隊については下記で。

fw688i.hatenablog.com

もしかすると、オルデンドルフ艦隊は先に突入してきた部隊との交戦で戦力を消耗し、後から突入する日本艦隊によってレイテ侵攻部隊(上陸軍)すら相当の損害を出したかもしれません。侵攻継続に必須な兵站拠点等を破壊されていたら、侵攻そのものが一旦破綻したかもしれません。しかしその代償として、おそらく突入した日本海軍の水上戦闘部隊は、その大半がいずれは駆けつけた(あるいは日本艦隊の脱出中に追撃してきた)ハルゼー機動部隊によって壊滅させられたでしょうが。

 

先に突入するのが第二遊撃部隊だったとしたら、そのような中で41センチ主砲を装備した「山城」「扶桑」がどんな戦いをするのかは、もはや小説の世界になってゆきますので、どなたかに委ねたいと思います。

41センチ主砲24門(「長門」「扶桑」「山城」)対16インチ砲16門(「メリーランド」「ウエスト・ヴァージニア」)プラス14インチ砲48門(「ニューメキシコ」「テネシー」「カリフォルニア」「ペンシルバニア」)、これはどんな戦いになるんでしょうねえ。オルデンドルフ艦隊は展開した6隻の戦艦のうち2隻を失い3隻が損傷、一方の第二遊撃部隊の3戦艦は2隻がレイテ湾内で行動不能に陥り沈没、かろうじて1隻が自力脱出に成功、そんな感じででしょうか?後続して突入した第一遊撃部隊(栗田艦隊)によって残存艦は撃破され、上陸軍も砲撃を受ける・・・。

その時、「武蔵」はやはり沈んでしまっているんだろうか、サマール沖での護衛空母群との遭遇戦がなかったら、栗田艦隊は突入したんだろうか、そもそもこの作戦の何を変えれば破綻しなかったんだろうか、等々、興味は尽きませんが、まあ今回はこの辺りで。

 

ということで今回はここまで。

なのですが、実はここでご紹介したモデルは、例のShapewaysの破産問題で、今のところ再度入手する術がありません。手元に2隻のストックがあるので、もしかすると大変貴重なストックになるかもしれません。

Shapewaysについては生産拠点であったオランダの子会社Shapeways BVのスタッフが資産を買い取りManuevoという新会社として再スタートを切った、というニュースが入ってきています。同社は8月5日からサービスウィ開始した、とのことなのですが、まずは産業向けの業務に焦点を当てるとのことのようで、以前のようなサービスに向かうのかどうか、まだ不透明です。

idarts.co.jp

さて、次回は、現在制作中のモデルのいくつかをご紹介できるかと。このところ連投が続く装甲艦、あるいは非装甲蒸気艦も交えてのご紹介になるかと思います。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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