今回は、このところ筆者が注力している機帆併装期の装甲艦の帆装部分のディテイルアップを中心に、史上初の蒸気装甲艦同士の本格的な海戦として有名な「リッサ海戦」時のオーストリア艦隊の艦艇群のモデルのまとめ、です。
まだまだ未保有のモデルが多く、かつ本稿で何度かご紹介しているSpithead Miniaturesからのモデル調達の経緯もあり(モデルの入手時期等は未確定です)、ちょっと中途半端なまとめではあるのですが。
「リッサ海戦」とは
上記のような経緯で本稿ではしばしばすでに触れていますが、再度、「リッサ海戦」について。
リッサ海戦は、1866年に勃発した普墺戦争の一環として戦われた海戦でした。
普墺戦争は、統一ドイツの方向性を定める覇権争いで、産業革命推進の必須条件である一定規模の経済圏の確立範囲をめぐりプロイセン王国(小ドイツ主義=ドイツ民族経済圏)とオーストリア帝国(大ドイツ主義=中央ヨーロッパ経済圏)の間で争われた戦争でした。この戦争に、オーストリア帝国との間に領土問題を抱える統一間もないイタリア王国(1861年成立)がプロイセン陣営側に立って参戦したわけです。
イタリア王国の参戦の狙いはイタリア北部に隣接するロンバルディアの支配権獲得と、併せてアドリア海での覇権確立、加えて、あわよくばアドリア海対岸であるダルマシアへの領土拡大でした。
そのアドリア海のほぼ中央にオーストリア帝国によって要塞化されたリッサ島(現クロアチア、ヴィス島)があり、この島の攻略がアドリア海の制海権獲得に重要であることは明白であり、この攻略戦の一環として起こった海戦が「リッサ海戦」として後に呼称されるようになります。
オーストリア帝国はイタリア王国との戦いでは、陸戦でも、この海戦でも勝利を挙げますが、これらの勝利は普墺戦争そのものへの寄与はほとんどなく、ケーニヒグレーツの戦いでプロイセン軍に大敗し、8月23日に休戦条約が結ばれます。結果統一ドイツからオーストリア帝国の影響力は排除され、以降、ドイツはプロイセン中心で統一へと向かうことになります。
「リッサ海戦」の意義
艦艇の発達史的な側面から見ると、この海戦時期、各国の主力艦はそれまでの帆装軍艦から蒸気機関を搭載した機帆併装軍艦へと移行していきました。
当初、船舶用の蒸気機関は外輪推進が主流であったため、舷側に多くの砲門を有していた戦列艦(当時の主力艦)では大型の外輪が砲門設置を妨げるため馴染まず、蒸気機関の普及は小型軍艦や商船から始まりました。
あわせて運用する海軍軍人側にも、当初の蒸気機関は故障が多く安定せず、また効率の悪さから燃料(石炭)切れによる推進力の喪失を極端に恐れる傾向があり、蒸気船の普及に対する抵抗が根強くあったとか。
しかし、やがてスクリュー推進の実用化が進むと、自立した機動性を有する軍艦に対する優位性の認識は高まり、まず英海軍の既存の帆走74門戦列艦「エイジャックス」が1846年に汽帆走戦列艦に改装されます。これを追う形でフランス海軍も初の蒸気機関搭載の新造艦として90門戦列艦「ナポレオン」を1850年に就役させ、やがて英海軍も1852年に91門蒸気機関戦列艦「アガメムノン」を就役させました。これを皮切りに英仏を中心に汽帆走軍艦の建艦競走が始まりました。
(上の写真は英海軍が1852年に就役させた91門搭載蒸気機関戦列艦「アガメムノン」の同型艦「ヒーロー」(上段)と、フランス海軍の90門搭載蒸気機関戦列艦「ナポレオン」(1850年就役)。いずれもTriton製モデル:構造的には従来の帆装戦列艦そのままの設計で、複数層の砲甲板を設置し、そこにずらりと砲門を並べた構造です。写真からはいずれも4層の甲板に砲門を並べていることがわかると思います:写真は例によってsammelhafen.deから拝借しています)
そして蒸気機関の性能の向上は、帆装のみでは機動の自立性、帆装のみでは推進力不足から実現できなかった重量物「舷側装甲」の装着を可能にします。こうして木造艦は船の要所に装甲帯を装備する「木造鉄皮」艦へと生まれ変わってゆきます。
こうした新たな構造の軍艦で構成された艦隊同士の初の激突が「リッサ海戦」として具現化したわけです。
そして少し先走って海戦後のお話をしてしまうと、海戦の戦訓として、まず、それまで列強が整備してきた木造戦闘艦(主として蒸気機関搭載の戦列艦)は、装甲戦闘艦(と言っても木造鉄皮=木造艦に装甲を貼り付けた戦闘艦)には歯がたたないということが明らかになりました。
併せて、それまでの木造艦の主兵装であったレベルの艦砲では、まず機動している敵艦に当たらず(当たらないというのはその後もずっと続くのですが)、当たっても装甲艦には(木造艦にも?)致命傷が与えられないことも明らかになりました。装甲艦といえども当時の装甲艦が搭載していた砲兵装は木造艦と同じレベルで、そのために逆に見出されたのが衝角戦法の有効さでした。
この戦訓から、以降の艦砲については、より大きな破壊力を目指すということが最大の命題となり、具体的には、初速の速い大口径砲、つまり長砲身を持つ貫徹力の強い艦砲の搭載を目指すことになってゆきます。これは艦砲の大型化と砲の搭載重量の増大を伴い、舷側砲門形式のような多くの砲を舷側に並べる搭載法が敵わなくなってゆくことを意味します。すなわち少数の強力な砲に最大限の射界を与えるための搭載法が工夫されてゆくこととなるわけです。
さらに有効と実証された衝角戦法の実行においては、敵艦を自艦の正面に捉えおくことが求められ、従って艦砲も正面への射界確保が重要となってゆきます。
一方で、搭載砲の大型化は弾薬類の誘爆への防御の重要性をも顕在化させることとなります。こうした射界の確保、防御の強化という視点から、舷側砲門形式は主力艦の主砲搭載形式として終焉を迎え、やがて砲郭・砲塔という形式の艦砲の搭載法が生み出され、中央砲郭艦、中央砲塔艦、そしてやがては航洋型近代戦艦(いわゆる前弩級戦艦)へと発達してゆくのです。この間、およそ25年間(「リッサ海戦」(1866年)から英海軍の「ロイヤル・サブリン級」戦艦の就役(1892年))、その変化の始点となったという意味で、「リッサ海戦」は重要な転換点として位置付けられています。
「リッサ海戦」海戦経緯
1866年7月16日夕刻、イタリア艦隊はリッサ島上陸部隊を伴いリッサ島に向かい出撃します。18日にはリッサ島に対する攻撃を開始しますが、断崖絶壁を利用して建設された要塞砲台への有効な砲撃が叶わず、また19日、リッサ湾からの上陸も悪天候などが原因で予定通りには進みませんでした。
19日オーストリア帝国側からはこれを阻止するために艦隊が出撃、20日には両艦隊がリッサ島沖で激突(文字通り=これは後で種明かし)するわけです。
艦隊の構成を見ておくと、イタリア艦隊が装甲艦(木造鉄皮)12隻、木造戦列艦11隻、木造フリゲート艦5隻で、オーストリア艦隊は装甲艦(木造鉄皮)7隻、木造戦列艦7隻、木造フリゲート艦12隻で、海戦での主力戦闘力となるであろう装甲艦・木造戦列艦の数ではイタリアが優勢で、併せて総砲門数でもイタリア艦隊の641門に対しオーストリア艦隊532門と、イタリア艦隊の優位は明らかでした。
しかしテゲトフ提督に率いられたオーストリア艦隊の士気は高く、イタリア人をダルマシアに対する侵略者と見做していたのに対し、イタリア艦隊は艦艇はともかく、乗員や指揮系統は統一間もない国家という背景から、各地方領主から提供された兵員の寄せ集めの感が残されていました。
イタリア艦隊は舷側砲門を有効に生かすべく装甲艦9隻(3隻は要塞攻撃に分派)のみによる単縦陣隊形を取り、3隻づつ3グループに分けてオーストリア艦隊の包囲を目指します。一方のオーストリア艦隊は7隻の装甲艦を第一列に、木造艦を第二列以降に並べた1000メートル間隔の3列からなる楔形陣形をとり、イタリア艦隊の横腹をつく隊形を取りました。
オーストリア艦隊の指揮官テゲトフ提督にはいくつか確信があったようで、前述のように自艦隊の士気の高さに加え、当時の砲撃が、静止目標に対してはともかく、移動目標に対し命中させることが著しく困難であること、併せて命中弾が与える損害がそれほど大きなものではないことなどから、楔形陣形による突撃という戦法を目指す決断をしたようです。
これに加え、以下でも再度記述することになると思いますが、戦闘直前の旗艦変更による隊形と指揮系統の混乱などがイタリア艦隊側に加わり、イタリア艦隊の第一グループと第二グループ以降に大きな間隔が生じてしまい、装甲艦の数の優位性がイタリア艦隊からは失われました。
戦闘は楔形体系で突撃をかけたオーストリア艦隊の装甲艦7隻によるイタリア艦隊の第二グループ3隻への攻撃、イタリア艦隊の装甲艦第三グループ以降(4隻)とオーストリア艦隊の非装甲艦14隻の戦闘という様相を呈し、結果、イタリア艦隊は主力装甲艦「レ・ディタリア」を集中砲火とオーストリア艦隊の旗艦「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス」の衝角攻撃で、装甲砲艦「パレストロ」を衝角攻撃による損傷とその後の集中砲火で失い、オーストリア艦隊には喪失艦はなく、オーストリア艦隊の勝利となりました。
「リッサ海戦」のオーストリア帝国艦隊
上記に従って、海戦時のオーストリア艦隊の編成をまとめておきます。
第一戦隊
「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス級」装甲艦」2隻、「カイザー・マックス級」装甲艦3隻、「ドラッヘ級」装甲艦2隻からなる装甲艦7隻に通報艦「カイゼリン・エリザベート」を加えた戦隊で、当時のオーストリア艦隊の艦隊主力としての第一列を構成しました。テゲトフ提督が直卒していました。
「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス級:Erzherzog Ferdinand Max Class」装甲艦(1866年就役:同型艦2隻)
(「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス級」」装甲艦の概観:64mm in 1:1250 by Sextant:マスト周りを真鍮線で作り直して、「ドラッヘ級」と同様の仕上げをしています)
同級はオーストリア帝国海軍が建造した最後の舷側砲門形式の装甲艦の艦級です。
「リッサ海戦」ではネームシップの「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス」がテゲトフの座乗艦となり旗艦を務めました。
5100トン級の当時のオーストリア艦隊では最大の装甲艦で、12.5ノットの速力を発揮できました。18センチ前装式カノン砲16門を主兵装として、その他中口径砲を装備していました。
(「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス級」」装甲艦の主要兵装の拡大:舷側に装甲を貼り砲門を並べた舷側砲門形式の装甲艦の特徴がよくわかります)
海戦では旗艦自らイタリア艦隊の主力艦「レ・ティタリア」に衝角攻撃をかけ見事に撃沈しています。
リッサ海戦の後には、1880年代後半から90年代にかけて備砲を新型砲に換装するなど近代化改装を受けましたが、すでに旧式で二線級の戦力とみなされていました。その後補給艦や宿泊艦としての任務を経て1910年代に解体されました。
「カイザー・マックス級:Kaiser Max Class」装甲艦(1863年就役:同型艦3隻)
Kaiser Max-class ironclad (1862) - Wikipedia
(「カイザー・マックス級」装甲艦の概観:57mm in 1:1250 by Sextant)
同級は後述の「ドラッヘ級」装甲艦の強化改良型として1863年から就役した装甲艦の艦級です。
3600トン級の船体を持ち11.4ノットの速力を有していました。前級同様の舷側砲門形式で18センチ前装式カノン砲16門と15センチ単装砲15門を舷側にずらりと並べていました。リッサ海戦には同型艦3隻全てが参加しオーストリア艦隊装甲艦戦列のの主力を構成していました。
(上の写真は「カイザー・マックス級」装甲艦の拡大:舷側砲門艦の特徴がよくわかるかと)
後述しますが同級は備砲の更新など近代化改装を受けますが、オーストリア=ハンガリー帝国は中央ヨーロッパの内陸国であり、全てに陸軍が優先され海軍予算には大きく制約されていました。このため艦艇の更新は思うに任せず、1870年代後半には、同級の近代化改装が承認されましたが、この近代化予算を用いて新たな艦艇を建造するという海軍ぐるみの詐術が行われました。新たに建造された艦艇にはもちろん艦名もそのまま継承されましたが、加えてその建造の際に同級の備砲、機関、装甲などが転用されたため、同級は全てスクラップとされました。
しかし、特にこの時期は装甲艦の模索期であり、新造艦艇に盛り込まれるべき技術は日進月歩でしたので、中途半端な予算流用、古い技術に基づいた部材転用などによって生まれた新たな艦艇は平凡なものにならざるを得ませんでした。このお話は後述の「カイザー・マックス級(1875)」の項でもまたご紹介します。
オーストリア=ハンガリー帝国には、1876年ごろに同名の3隻の装甲艦が就役しますが、これは財政難の中、同海軍が旧式艦の近代化の名目で議会から予算を獲得し、実態は全く新しい装甲艦3隻を全くの同名で建造するという一種の偽装が行われたためで、実態は全く別の艦級でした。この新たな「カイザー・マックス級」3隻には、旧「カイザー・マックス級」(今回ご紹介している艦級のことです)から、機関、装甲。その他装備の転用が行われました。
「ドラッヘ級:Drache Class」装甲艦(1862年就役:同型艦2隻)
Drache-class ironclad - Wikipedia
(上の写真は「ドラッヘ級」装甲艦の概観:53mm in 1:1250 by Sextant)
同級は1862年から就役したオーストリア帝国海軍の最初の蒸気装甲艦の艦級です。
木造の船体に装甲をはった2750トンの船体を持ち、搭載した1800馬力の機関から11ノットの速力を発揮できました。18センチ前装式カノン砲10門と15センチ前装式ライフル砲18門を舷側にずらりと並べた、いわゆる舷側砲門形式の装甲艦です。
(「ドラッヘ級」」装甲艦の主要兵装の拡大:舷側に装甲を貼り砲門を並べた舷側砲門形式の装甲艦の特徴がよくわかります)
リッサ海戦には2隻共(「ドラッヘ」「サラマンダー」)装甲艦戦列の一員として参加し、ていました。
(「ドラッヘ級」」装甲艦の艦首部の変遷?上段はモデルの艦首形状で、衝角戦法を意識した(?)特異な形状をしています。下段はWikipediaでは1867年の改装後以降となっていますので、衝角戦法から航洋性へと、用兵側の要請が移行したことが想像できます。モデルが正しければ、ですが。この辺りあまり資料がありません)
リッサ海戦後、1870年代に近代化改装を受け、1885年前後に除籍されています。
通報艦「カイゼリン・エリザベート:Kaiserin Elisabeth」(1854年就役?)
(通報艦「カイぜリン・エリザベート:Kaiserin Elisabeth」の概観:51mm(水線長) in 1:1250 by Hai?)
同艦は1470トンの比較的大きな外輪蒸気船で、外輪推進式フリゲート艦として建造されました。リッサ海戦時には装甲艦で構成される第一戦隊に通報艦として帯同していたようです。12ポンド前装滑空砲を4門搭載していました。
(「カイぜリン・エリザベート」の主要部分の拡大:外輪推進式の蒸気船は、構造上、船体中央部に大きな外輪を装備するため、それまでの帆装戦闘艦の兵装の主要配備位置であった舷側が使えませんでした。そのため、蒸気機関の軍艦への装備は見送られ、スクリュー推進の発達を待たねばなりませんでした。上の写真ではその意味することがよくわかるのではないかと。同感の主砲は舷側ではなく艦中央に配置されています)
第一戦隊の一覧
手前から第一戦隊の旗艦を務めた「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス級」装甲艦、「ドラッヘ級」装甲艦、通報艦「カイぜリン・エリザベート」の順。同戦隊は「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス級」装甲艦2隻、「ドラッヘ級」装甲艦2隻に加え「カイザー・マックス級」装甲艦3隻、これに通報艦「カイぜリン・エリザベート」が帯同していました。
第二戦隊
蒸気推進戦列艦「カイザー」、スクリュー推進フリゲート「ノヴァーラ」、同「シュバルツェンベルグ」、「ラデツキー級」スクリュー推進フリゲート3隻、スクリュー推進コルベット「エルツヘルツォーク・フリードリヒ」の7隻で構成された舷側に装甲帯を持たない木造非装甲軍艦7隻で構成された戦隊で、第二列を構成し、アントン・フォン・ペッツ准将(Commodore)が指揮をしていました。
スクリュー推進戦列艦「カイザー:Kaiser」(1859年就役:同型艦なし)
(木造機帆併装戦列艦「カイザー」の概観(上段):モデルはHai製です。筆者は未保有:写真は。例によってsammelhafen.de,より拝借)
5200トン級の木造艦で、二段の砲甲板に60ポンド砲16門、30ポンド砲74門、24ポンド砲2門、計92門搭載するいわゆる蒸気推進式戦列艦でした。リッサ海戦にはアントン・フォン・ペッツ代将の座乗する第二戦隊(非装甲艦部隊)の旗艦を務めました。
同艦はテゲトフ提督の戦闘方針に倣いイタリア海軍装甲艦「レ・ディ・ポルトガッロ」に衝角攻撃をかけますが、装甲に弾かれ損傷。そこに集中砲火を浴びてしまいます。
上掲の写真下段は、リッサ海戦直後の損傷した姿(写真はWikipediaより拝借しています)です。
1869年、装甲艦への大改造を受けた「カイザー」
普墺戦争に敗れたオーストリアは統一ドイツの覇権争いからは脱落し、ハンガリーとの二重帝国を設立し中央ヨーロッパの大国となったものの、産業革命からは一歩遅れを取り、財政難に直面します。新造艦の建造は難しいため、既存艦の近代化を図ります。
「カイザー」は5700トン級の装甲艦として生まれ変わり、1902年まで在籍していました。
(中央砲郭型装甲艦「カイザー」の概観:67mm in 1:1250 by Sextant:モデルは元々木造蒸気推進の戦列艦であった同艦を、リッサ海戦での大損傷からの修復の際に装甲艦への大改造をおこなったのちの姿です:下の写真は改造後の装甲艦「カイザー」の中央砲郭部分の拡大:前出の「リッサ」の配置の影響が色濃く見えるかと)
前述のように1866年のリッサ海戦には大型木造艦で編成された第二戦隊の旗艦を務めましたが、イタリア艦隊の装甲艦との戦闘で大損害を受けてしまいました。その修復にあたって大規模な近代化が計画され、装甲艦として生まれ変わることとなりました。しかしその後の帝国自体の財政難から改造はなかなか進まず、完成し艦隊に復帰したのは1873年でした。
水線部分には装甲が装備され、機関と砲郭は特に暑い走行で保護される設計でした。備砲も一新されましたが、他艦が後装砲装備であったのに対し、9インチの前装砲10門を2層の中央砲郭に収め、他に8インチ前装ライフル砲6門を副砲として搭載しました。
(装甲艦「カイザー」の主要兵装の拡大:前述のように装甲艦「リッサ」の影響が色濃く伺える配置です)
しかしこの時期には装甲艦設計の主流は砲塔艦へと移行してしまっており、1875年には同艦は予備艦となりました。しかしその後もスクリューの交換やボイラーの更新などが行われ、性能が向上しています。
老朽化の進んだ1901年からボイラーなどを撤去する工事を受け、兵舎艦に改造され第一次世界大戦まで使用されました。その後、戦利艦としてイタリアに接収されました。
スクリュー推進フリゲート「ノヴァーラ:Novara」(1850年就役)
(写真はフリゲート艦「ノヴァーラ」の概観: FK=Friedrich Kermauner製と記載されています。筆者未保有なので、ebay出品中のものの写真を拝借しています)
同艦は2615トンの船体を持つ1850年に就役した非装甲の木造艦で、1等フリゲート艦に分類されていました。12ノットの速力を発揮することができました。4門の60ポンド砲、30ポンド前装滑空砲28門、2門の24ポンド後装ライフル砲を装備していました。
スクリュー推進フリゲート「シュバルツェンベルク:Schwarzenberg」(1853年就役)
(モデルはHai製:筆者未保有につき、写真は、例によってsammelhafen.de,より拝借しています)
同艦は2614トンの船体を持つ1853年に就役した非装甲の木造艦で、1等フリゲート艦に分類されていました。11ノットの速力を発揮することができました。6門の60ポンド砲、30ポンド前装滑空砲40門(2種搭載していたかも)、4門の24ポンド後装ライフル砲を装備していました。
「ラデツキー級:Radetzky Class」スクリュー推進フリゲート(1854年ごろから就役:同型艦3隻?)
(「ラデツキー級」2等フリゲート艦の概観: FK=Friedrich Kermauner製と記載されています。筆者未保有なので、ebay出品中のものの写真を拝借しています)
同級は1854年から56年にかけて建造された2等フリゲートです。2165トン級の船体を持ち、9ノットの速力を発揮する設計でした。6門の60ポンド砲、24ポンド前装滑空砲40門、4門の24ポンド後装ライフル砲を装備していました。
「リッサ海戦」には3隻の同型艦(「ラデツキー」「ドナウ」「アドリア」)の全てが参加しています。
スクリュー推進コルベット「エルツヘルツォーク・フリードリヒ:Erzherzog Friedrich」(1857年就役)
(写真はコルベット艦「エルツヘルツォーク・フリードリヒ」の概観: FK=Friedrich Kermauner製と記載されています。筆者未保有なので、ebay出品中のものの写真を拝借しています)
同艦は1857年に就役したスクリュー推進コルベットで、1697トンの船体を持ち9ノットの速力を発揮する設計でした。備砲としては4門の60ポンド砲と16門の30ポンド前装滑空砲、24ポンド後装ライフル砲2門を装備していました。
通報艦「グライフ:Greif」(就役年次不明)
(写真は通報艦「グライフ」の概観: FK=Friedrich Kermauner製と記載されています。筆者未保有なので、ebay出品中のものの写真を拝借しています)
同艦は1260トンの船体を持つ外輪推進式蒸気船で、「リッサ海戦」時には第二戦隊に通報艦として帯同していました。12ポンド前装滑空砲2門を搭載していました。
第三戦隊
第三戦隊は小型のスクリュー推進式の砲艦を中心に編成された部隊で、第三列を構成していました。「ダルマト級」木造砲艦3隻、「レカ級」木造砲艦4隻、「ケルカ級」木造砲艦2隻、これに外輪推進式の武装商船「アンドレアス・ホーファー」を通報艦として加えた10隻で編成され、ルートヴィヒ・エベーレ(Ludwig Eberle) 少佐(Lieutenant-Commander)が指揮していました。
本稿ではこれまで何度か記述していますが、オーストリア海軍の主要任務が同帝国が唯一の接続海面を持つアドリア海の島嶼地域での警備・治安活動であったことを考えると、こうした小型で取り回しの良さそうな艦種をある程度の数を揃えることは、同海軍の艦隊整備計画にとって重要な検討項目の一つだったと言えると考えています。第三戦隊はこうした艦種で構成された戦隊でした。
「ダルマト級:Dalmat class」砲艦(1861年ごろ就役:同型艦3隻)
(「ダルマト級:Dalmat class」砲艦の概観:57mm(水線長) in 1:1250 by Sextant:こちらも同様にマストが気になるので真鍮線等で手を入れています。前回投稿から少しトライしているマスト周りのシュラウドの仕上げも取り入れてみました:下の写真は同級の細部の拡大:備砲の搭載形式など、同級の特徴がわかっていただけるかと)
同級は1861年ごろに3隻が建造された木造蒸気推進砲艦です。2等砲艦に分類され、869トンの船体に、48ポンド前装滑空砲(SB)2門と24ポンド後装ライフル砲(RBL)2門を船体中央の首尾線上に装備し、11ノット強の速力を発揮する設計でした。
「リッサ海戦」には「ハム:Hum」「ダルマト:Dalmat」「ヴェレビッチ:Velebich」の同型艦3隻全てが投入され、「ハム:Hum」は第三戦隊の旗艦を務めました。
「レカ級:Reka class」砲艦(1861年ごろ就役:同型艦4隻)
(「レカ級:Reka class」砲艦の概観:45mm(水線長) in 1:1250 by Sextant:Sextantモデルの共通課題だと筆者は考えていますが、マストが気になるので真鍮線等で手を入れています。前回投稿から少しトライしているマスト周りのシュラウドの仕上げも取り入れてみました:下の写真は同級の細部の拡大:備砲の搭載形式など、同級の特徴がわかっていただけるかと)
同級は18561年ごろに4隻が建造された木造蒸気推進砲艦です。2等砲艦に区分され、852トンの船体に、48ポンド前装滑空砲(SB)2門と24ポンド後装ライフル砲(RBL)2門を船体中央の首尾線上に装備し、11ノットの速力を発揮する設計でした。
「リッサ海戦」には「レカ:Reka」「ゼーフント:Seehund」「ヴァル:Wall」「ストレイター:Streiter」の同型艦4隻全てが、第3戦隊として参加しました。
「ケルカ級:Kerka class」砲艦(1860年ごろ就役:同型艦2隻)
(「ケルカ級:Kerka class」砲艦の概観:42mm(水線長) in 1:1250 by FK=Friedrich Kermauner:マストが気になるので真鍮線等で手を入れています。マスト周りのシュラウドの仕上げも最近の筆者の標準的なものを施しました。下の写真は同級の細部の拡大)
同級は501トンの船体を持つ木造砲艦でした。手元の資料では48ポンド前装滑空砲(SB)2門と24ポンド後装ライフル砲2門を装備していた、とありますが、少しこの情報は怪しい気がします。モデルを見ても上甲板状には2門の大砲しか見えません。建造年次は前出の2級よりも1年古く、この「ケルカ級」がベースとなって砲艦の各艦級へと発展したと考える方がしっくりくるのですが。
通報艦「アンドレアス・ホーファー:Andreas Hofer 」(1851年就役?)
(通報艦「アンドレアス・ホーファ:Andreas Hofer」の概観:44mm(水線長) in 1:1250 by Hai?:リッサ海戦時には小型の木造砲艦で編成された第三戦隊に通報艦として帯同したようです。下述のようにどうやら武装商船と考えた方がよさそうです。上掲の写真でも上段写真の艦首部に小さな大砲を積んでいるような表現になっているかと)
第三戦隊には通報艦として外輪推進式蒸気船「アンドレアス・ホーファ」が帯同していました。
同艦は770トンの船体に30ポンド前装滑空砲3門を搭載していました。Sextant社のカタログでは客船と分類されていますが、一方、Hai社では武装外輪船(armed paddle wheeler)「元プリンツ・オイゲン」という紹介もあり、前身が同船であれば1851年に建造されたことになります。いずれにせよ、外輪推進式のいわゆる武装商船だったのではないかと思います。この頃の蒸気推進の船は、軍艦・商船に搭載期間や速力等の大差がなく、手頃な商船に武装を搭載して代用軍艦として使用することはそれほど得意な例ではありませんでした。
第三戦隊の一覧
手前から第三戦隊の旗艦を務めた「ハム」を含む「ダルマト級」砲艦、「レカ級」砲艦、「ケルカ級」砲艦、通報艦「アンドレアス・ホーファー」の順。同戦隊は「ダルマト級」砲艦3隻、「レカ級」砲艦4隻、「ケルカ級」砲艦2隻、通報艦「アンドレアス・ホーファー」が帯同していました。
****これもこれまでに何度か記述しているように記憶するのですが、オーストリア海軍のこれらの艦級についての情報があまり見当たりません。どなたか詳しい方がいらっしゃったら、参考情報のありか、あるいはお持ちの情報をシェアしていただけないでしょうか?
現在、筆者が参考としている資料
https://mateinfo.hu/oldmate/a-navy-lissa.htm
https://military-history.fandom.com/wiki/Battle_of_Lissa_(1866)
https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_ships_of_Austria-Hungary
ということで、今回は、基本マスト周りのディテイルアップ後のモデルで、再度、「リッサ海戦」時のオーストリア艦隊を総覧してみました。本稿では何度か触れていますが、このリッサ海戦をテーマにした艦艇群(イタリア艦隊も含め52隻!)をSpithead Miniaturesに発注しています。今回ご紹介している艦艇群も全て含まれています。上掲の特に第二戦隊のフリゲート艦のモデル群が現時点でebayに出品されていますので、通常ならば落札に動くのですが、このSpithead Miniaturesへの発注とダブルので、どうしたものか、思案中です。
ということで今回はこの辺りで。
次回は今回に引き続き「リッサ海戦」へのイタリア艦隊の参加鑑定のお話をと考えています。
もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。
模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。
特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。
もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。
お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。
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