相州の、ほぼ週刊、1:1250 Scale 艦船模型ブログ

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

新着モデルのご紹介:リッサ海戦時のオーストリア海軍装甲艦「ドラッヘ級」とその周辺のディテイルアップ

今回は前回でお知らせしたオーストリア海軍の最初の装甲艦「ドラッヘ級」のモデルが到着したので、そちらをご紹介。

そして数回前から帆装軍艦のマスト周りの処理でのお話をしていると思いますが、今回、別のアプローチを試してみたので、そちらのご紹介もしてみたいと思っています。

このアプローチで「ドラッヘ級」装甲艦周辺の(つまりリッサ海戦に登場するオーストリア海軍、イタリア海軍の装甲艦も少し手を入れてみたので、それらのモデルもご紹介したいと考えています。

 

と言うことなのですが、「ドラッヘ級」装甲艦の登場する時代背景と、初期の蒸気装甲艦同士の史上初の戦いと言われるリッサ海戦については、下記の投稿をご覧ください。

fw688i.hatenablog.com

 

「リッサ海戦」のオーストリア帝国艦隊装甲艦

リッサ海戦に投入されたオーストリア艦隊の装甲艦を見ておきましょう。繰り返しになりますが、海戦に投入された装甲艦は7隻、以下にご紹介する3つの艦級から構成されていました。

「ドラッヘ級」装甲艦(1862年就役:同型艦2隻)

ja.wikipedia.org

Drache-class ironclad - Wikipedia

f:id:fw688i:20240824175207j:image

(上の写真は「ドラッヘ級」装甲艦の概観:53mm in 1:1250 by Sextant)

同級は1862年から就役したオーストリア帝国海軍の最初の蒸気装甲艦の艦級です。

木造の船体に装甲をはった2750トンの船体を持ち、搭載した1800馬力の機関から11ノットの速力を発揮できました。18センチ前装式カノン砲10門と15センチ前装式ライフル砲18門を舷側にずらりと並べた、いわゆる舷側砲門形式の装甲艦です。

(「ドラッヘ級」」装甲艦の主王兵装の拡大:舷側に装甲を貼り砲門を並べた舷側砲門形式の装甲艦の特徴が良くわかります)

リッサ海戦には2隻共(「ドラッヘ」「サラマンダー」)装甲艦戦列の一員として参加し、ていました。

(「ドラッヘ級」」装甲艦の艦首部の変遷?上段はモデルの艦首形状で、衝角戦法を意識した(?)特異な形状をしています。下段はWikipediaでは1867年の改装後以降となっていますので、衝角戦法から航洋性へと、用兵側の要請が移行したことが想像できます。モデルが正しければ、ですが。この辺りあまり資料がありません)

リッサ海戦後、1870年代に近代化改装を受け、1885年前後に除籍されています。

 

モデルについて

筆者がebayで落札したモデルは下記の写真のような形態でした。2本マストで、帆装は全廃されているように見えます。近代化改装の最終形でしょうか?

f:id:fw688i:20240811114724j:image

今回ご紹介した上掲のモデルはこの落札品のマスト周りに手を入れたものです。

 

マスト周りのディテイルアップのアプローチ(その2:その1は下の写真の模型用ネット素材の流用)

下の写真は以前本稿でご紹介したイタリア海軍装甲砲艦「パレストロ」のマスト周りのディテイルアップと称した加工のアップです。模型用の樹脂製のネットを使っていて、それなりに気に入っているのですが、一点、実は網目の向きが気になっていました。

f:id:fw688i:20240810190515j:image

同スケールの帆船モデル用には、帆船模型の老舗ブランドLangton Miniatureからエッチングパーツなどが市販されいます(下の写真)。

それなりに高価(送料入れると1500円くらい?)ですし、小さなエッチングパーツということで、サイズに合わせたカットや接着なども難しく、さらに色を塗らねばなりません。この方法は経済的な側面からも、手間的な側面からも、今流行りの「持続可能性」に難あり、と考えました。

以前は建築模型用のネット材なども使ってみたことがあったのですが、基本は透明で塗料で着色して使用しても、塗料は樹脂素材内部には浸透しませんので切断面が白く目立ってしまい、あまり使わなくなりました。

今回は模索の中で黒の網戸用のネットそのものなども試してみましたが、そもそも編まれたネットは小さくカットした時点で縦糸と横糸がほくれてしまい、これはダメ。

そして今回行き着いたのが、網戸の補修用のシールの接着剤を取り除いて使用する、という方法でした。筆者の不明から、補修用シールについてなんの認識もなくその形態だけ見て、「ああ、これ使えるかも」と購入したのですが、「補修用のシート」なのでシート全面にすぐに貼って使えるように接着剤が塗布されています。それも、屋外で風雨の中で使用する網戸ですから、かなり強力な接着力を持っているのです。製品が届いたのち、色付きの樹脂を打ち出し成形したネットで、つまり編まれたネットではないので解れてしますことはなく、これは狙い通りだったのですが、問題はその強力な接着力で、とてもこの接着面を残したままでは小さく切ったり、モデルに使用したりできるものじゃないと、これはすぐに判明し、流用を断念しかけました。しかし「強力接着と書いてあるじゃん」と自分の軽薄さが口惜しくて少し意地になって、この接着剤除去の方法について手元の溶剤系で実験しました。その結果、M r .Colorのシンナーに浸したのち丁寧にブラッシングすればこの接着剤は除去できることがわかりました。こんな使い方をして、メーカーの方には本当に申し訳なく、今は思っています。

出来上がりは・・・。

やはり形態に大きな齟齬はあるという認識はあるのですが、雰囲気は出せてるかも、と思っています(この辺り、その1のネット素材の時も同じですが、自画自賛をするしかないかと)。

 

ということで、今回の「ドラッヘ級」装甲艦の周辺の艦級から、手を入れてゆくことにしました。

 

「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス級」装甲艦(1866年就役:同型艦2隻)

ja.wikipedia.org

Erzherzog Ferdinand Max-class ironclad - Wikipedia

f:id:fw688i:20240824175841j:image

(「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス級」」装甲艦の概観:64mm in 1:1250 by Sextant:マスト周りを真鍮線で作り直して、「ドラッヘ級」と同様の仕上げをしています)

同級はオーストリア帝国海軍が建造した最後の舷側砲門形式の装甲艦の艦級です。

船体は5100トン級に拡大され、12.5ノットの速力を発揮できました。18センチ前装式カノン砲16門を主兵装として、その他中口径砲を装備していました。

f:id:fw688i:20240824175845j:image

(「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス級」」装甲艦の主王兵装の拡大:舷側に装甲を貼り砲門を並べた舷側砲門形式の装甲艦の特徴が良くわかります)

リッサ海戦には同級2隻が参加し、ネームシップの「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス」がテゲトフ提督の旗艦を務めました。海戦では旗艦自らイタリア艦隊の主力艦「レ・ティタリア」に衝角攻撃をかけ見事に撃沈しています。

 

リッサ海戦の後には、1880年代後半から90年代にかけて備砲を新型砲に換装するなど近代化改装を受けましたが、すでに旧式で二線級の戦力とみなされていました。その後補給艦や宿泊艦としての任務を経て1910年代に解体されました。

 

リッサ海戦時のオーストリア艦隊のモデル一覧

f:id:fw688i:20240824182958j:image

(リッサ海戦に参加したオーストリア艦隊の筆者保有モデル一覧:手前から非装甲の「レカ級」砲艦、「ダルマト級」砲艦、「ドラッヘ級」装甲艦、「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス級」」装甲艦の順:非装甲の砲艦については本稿の下記の投稿でご紹介しています

fw688i.hatenablog.com

 

続いて「リッサ海戦」のイタリア艦隊装甲艦

海戦に参加した装甲艦は9隻で、5つの艦級のうち4つを同じ手法でディテイルアップしています。

 

「レ・ディタリア級」装甲艦(1864年就役:同型艦2隻)

ja.wikipedia.org

Re d'Italia-class ironclad - Wikipedia

f:id:fw688i:20240824181436j:image

(「レ・ディタリア級」装甲艦の概観:75mm in 1:1250 by Hai)

同級はイタリア海軍がアメリカから購入した装甲艦の艦級です。

木製鉄皮の構造で、5700トン級の船体に20.3センチライフル単装砲2基、20.3センチ滑空単装砲4基、16.4センチ単装ライフル砲30基を搭載する舷側砲門装甲艦でした。12ノットの速力を発揮することができました

f:id:fw688i:20240824181446j:image

(「レ・ディタリア級」装甲艦の主要兵装の拡大:典型的な舷側砲門艦形でした)

リッサ海戦には同級の2隻はイタリア艦隊の主力として参加しました。同級のネームシップの「レ・ディタリア」はイタリア艦隊の旗艦を務めていましたが、直前に新鋭艦「アフォンダトーレ」に旗艦は変更されました。

海戦では旗艦の「アフォンダトーレ」が縦列外に位置したため、第二梯団の先頭に位置した「レ・ディタリア」は旗艦と誤認されて集中砲火を受け、操舵不能になったところをオーストリア艦隊の旗艦「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス」の衝角攻撃を受けて数分で転覆沈没してしまいました。

同級のもう一隻「レ・ディ・ポルトガッロ」は第三梯団の先頭に位置していましたが、オーストリア艦隊の第二列の非装甲木造艦部隊の標的となり、その旗艦であった「カイザー」の衝角攻撃を受けました。しかし木造艦である「カイザー」の衝角攻撃は装甲艦には効果が少なく、逆に艦首を大破した「カイザー」に「レ・ディ・ポルトガッロ」は近距離から砲撃を加え大損害を与えています。

 

「レジナ・マリア・ピア級」装甲艦(1864年就役:同型艦4隻)

ja.wikipedia.org Regina Maria Pia-class ironclad - Wikipedia

f:id:fw688i:20240824181122j:image

(「レジナ・マリア・ピア級」装甲艦の概観:65mm in 1:1250 by Sextant)

同級はイタリア海軍がフランスに4隻を発注した装甲艦で、4300トン級の船体に20.3センチライフル単装砲4基、16.4センチ単装滑空砲22基を舷側に搭載した舷側砲門艦でした。速力は13ノットを発揮できました。

f:id:fw688i:20240824181136j:image

(「レジナ・マリア・ピア級」装甲艦の主要兵装の拡大:同級は就役当初は舷側砲門艦形態でした)

リッサ海戦には4隻全てが投入され、ネームシップの「レジナ・マリア・ピア」は大火災を起こす損傷を負いましたが、他の3隻には深刻な損害はありませんでした。

リッサ海戦時には左右舷側方向への射撃しかできませんでしたが、その後、艦首尾方向への砲撃もできるように改造を受けました。1890年台には寛容を一変するほどの近代化改造を受け、長く海軍に在籍しました。

 

「パレストロ級」装甲砲艦(1866年就役:同型艦2隻)

ja.wikipedia.org

f:id:fw688i:20240810190507j:image

(「パレストロ級」装甲砲艦の概観:49mm(水線長) in 1:1250 by Sextant:小さなモデルです。Sextantモデルはマストが気になるので真鍮線等で手を入れています。前回投稿から少しトライしているマスト周りのネット仕上げも取り入れてみました:下の写真は同級の細部の拡大:舷側砲門形式の美砲配置など、同級の特徴がわかっていただけるかと)

f:id:fw688i:20240810190515j:image

同級はイタリアがフランスに発注した2隻の装甲砲艦の艦級で、アドリア海での戦闘行動を想定して設計されました。2000トン級の小さな船体ながら20.3センチライフル単装砲2基、20.3センチ滑空砲2基を主要砲兵装とした強力な火力を搭載していました。

リッサ海戦では同級2隻(「パレストロ」「ヴァレーぜ」)は小艦ながら主力部隊に加わり、集中砲撃を受けたイタリア艦隊第二梯団の先頭艦「レ・ディタリア」に後続する位置にいた「パレストロ」はオーストリア艦隊の装甲艦に囲まれる形となり、集中砲撃を受けて撃沈されました。

 

マスト周りのリメイクは効果があるのか?

f:id:fw688i:20240810194901j:image

(上の写真は筆者がマスト周りに手を入れたモデルと市販されているSextant製のオリジナルモデル(下段)の比較;写真は例によってsammelhafen.de,より拝借)

 

装甲艦「アフォンダトーレ」(1866年就役:同型艦なし)

ja.wikipedia.org

Italian ironclad Affondatore - Wikipedia

f:id:fw688i:20240824182446j:image

(装甲艦「アフォンダトーレ」の概観:72mm in 1:1250 by Sextant)

同艦はイタリア海軍がイギリスに発注した装甲砲塔艦です。同型艦はありません。

4100トン級の船体を持ち12ノットの速力を出すことができました。イタリア海軍唯一の帆装を備えた砲塔艦でした。2基の砲塔には22センチライフル単装砲が収められ、主砲の他に80mm砲2門を搭載していました。

f:id:fw688i:20240824182455j:image

(装甲艦「アフォンダトーレ」の主要兵装の拡大:同艦はそれまで舷側砲門艦のみだったイタリア艦隊で初めて砲塔形式で主砲を搭載した最新鋭艦でした。)

就役からわずか1ヶ月でリッサ海戦に投入されますが、海戦の直前に戦場に到着し、その直後、既述のように旗艦となりました。一説ではこの旗艦変更が隊列に乱れを生じさせ、先頭縦列の3隻と後続部隊に大きな隙間を生じさせ、さらには旗艦変更の通知が自艦隊内にも徹底されず、旗艦からの指令が認識されず、これが敗因の一つでもあったとも言われています。海戦の乱戦で砲撃を受け損傷し、それが遠因となり1ヶ月後の嵐でアンコナ港内で沈没しました。その後浮揚され、3度改装を受け最後は水雷練習艦となり、1907年に除籍されました。

水雷練習艦に改造後の「アフォンダトーレ」:ほとんど原型をとどめていませんね。モデルはHai製;写真は例によってsammelhafen.de,より拝借)

 

リッサ海戦に参加したイタリア海軍装甲艦

f:id:fw688i:20240824182731j:image

(リッサ海戦に投入されたイタリア艦隊の装甲艦3艦級:手前から「パレストロ級」装甲砲艦、装甲艦「アフォンダトーレ」、「レジナ・マリア・ピア級」装甲艦、「レ・ディタリア級」装甲艦の順)

 

オーストリア=ハンガリー帝国海軍の装甲艦

ついでに、というわけではないですが、リッサ海戦以降のオーストリア=ハンガリー帝国海軍の装甲艦群も同様にアップデートしてみました。

ちなみにリッサ海戦には勝利したオーストリア帝孤高でしたが、普墺戦争そのものはプロシアの勝利に終わり、移行、オーストリア帝国はドイツの覇権争いから脱落し、ハンガリーとの二重帝国形態へと移行します。一見、大帝国の出現に見えるかもしれませんが、実態はポテンシャルの高いドイツ経済圏からの「締め出し」に近く、かつ統治の難しい多民族国家でもあり、多くの課題が、以降顕在化してゆくことになります。

 

装甲艦「リッサ」(1871年就役:同型艦なし)

en.wikipedia.org

f:id:fw688i:20240824183321j:image

(中央砲郭型装甲艦「リッサ」の概観:75mm in 1:1250 by Sextant(バウスプリットを除く寸法): 下の写真は装甲艦「リッサ」の中央砲郭の拡大:中央砲郭は上下二層に別れ、下層は舷側方向への限定された射界をもち、上層のみ広い射界がありました)

f:id:fw688i:20240824183446j:image

同艦は7000トン級の船体に9インチ砲を12門、片舷6門ずつ搭載し、12.8ノットの速力を出すことができました。片舷6門の9インチ砲は艦中央の喫水のすぐ上の装甲帯部分に5門が配置されていました。この5門の砲は基本的には舷側方向へ向けての射撃のみが可能でした。残る1門は上甲板部分の張り出しに配置され、大きな射界を有していました。

この辺りの配置から、舷側砲門形式からの移行期、模索期の試作艦的な要素が見て取れるかと。艦名は言うまでもなくA=H帝国海軍栄光の「リッサ海戦」に由来しています。

 

装甲艦「クストーザ」(1875年就役:同型艦なし)

en.wikipedia.org

f:id:fw688i:20240824183748j:image

(中央砲郭型装甲艦「クストーザ」の概観:78mm in 1:1250 by Sextant(バウスプリットを除く寸法): 下の写真は装甲艦「クストーザ」の中央砲郭の拡大:中央砲郭は上下二層に別れ、両層とも片舷2門ずつの10インチ砲を配置していました。ちょっとわかりにくいですが、下層の後部砲のみ射界が舷側方向に限定されています)

f:id:fw688i:20240824183758j:image

同艦は「リッサ」よりは少し大きな7600トン級の船体を持ち、より強力な22口径後装式の26センチ砲(10インチ砲)8門を主砲として搭載していました。主砲は全て中央の厚い装甲で覆われた砲郭部分に上下二段配置で片舷4門づつ配置され、砲郭部分の前後に船体に切り込みなどを入れることにより、各砲には大きな射界が与えられていました。

しかし砲の射撃方向の変更は人力での砲の移動を伴う作業が必要で、特に戦闘中の射撃方向の変更等は大変な労力を伴う作業だったことでしょう。

同艦は第一次世界大戦期まで練習艦として使用され、その後宿泊船となりました。第一次世界大戦後はイタリアへの賠償艦として譲渡され解体されました。

 

装甲艦「テゲトフ」(1882年就役:同型艦なし)

en.wikipedia.org

f:id:fw688i:20240824184021j:image

(中央砲郭型装甲艦「テゲトフ」の概観:71mm in 1:1250 by Sextant(バウスプリットを除いた寸法): マスト等を失った船体のみのジャンクモデルとして入手したものを、少し修復しています:下の写真は「テゲトフ」の中央砲郭の拡大:11インチ主砲を船体中央の装甲で防護された砲郭に片舷3門、装備しています。それぞれの砲には大きな射角が与えられる配置になっています。主砲装備甲板は1層となり、弾庫がその下層甲板に配備されました)

f:id:fw688i:20240824184220j:image

同艦は1882年に就役しています。7400トンの船体を持ち、その中央砲郭には「クストーザ」よりも更に強力な後装式の11インチ(28センチ)砲を主砲として6門搭載し、13ノットの速力を発揮することができました。主砲は全てマウントに搭載されており、射撃方向の変更等は、砲の移動を人力で行わねばならない前級よりは格段に楽でした。従来の砲郭艦が砲を上下二段の甲板に配置していたのに対し、同艦では砲甲板は一層にまとめられており、弾庫が各砲の下に配置され、砲郭の装甲で保護されていました。就役当時はA=H帝国海軍最大級、最強の艦船でしたが、アドリア海での運用が主目的であったため、同時期の他の列強の同種の装甲艦に比較すると小振でした。ちなみに艦名は1866年のA=H帝国海軍の栄光の戦いである「リッサ海戦」でA=H帝国海軍を率いた提督の名に由来しています。

 

就役以降、機関の不具合に悩まされ続けて、活動は十分ではなかったようです。ようやく1893年に機関が信頼性の高いものに換装され、同時に兵装も一新され、同艦は主力艦としての活動が可能になったようです。

その後、1897年には艦種が警備艦に改められ、一線を退いています。さらに1912年に艦名が「マーズ」に改められ、「テゲトフ」の名はA=H帝国海軍最新の弩級戦艦ネームシップに引き継がれました。「マーズ」は港湾警備艦練習船として第一次世界大戦中も使用され、戦後、イタリアへの賠償艦として引き渡され1920年に解体されました。

 

中央砲郭のヴァリエーション

最初のブロックでご紹介したのは舷側砲門艦でしたが、直上で紹介したのはいずれも中央砲郭艦という形式に分類される艦級で、いずれも1隻づつ建造されたことからも、中央砲郭の在り方自体が模索された様子が伺えます。「リッサ」では舷側砲門型から中央砲郭への移行期(1871年就役)にあることがわかりますし、次の「クストーザ」では中央砲郭への主砲の集中搭載が試みられています(1875年就役)。そして最後の「テゲトフ」では主砲配置と弾庫の配置についての工夫が行われています(1882年就役)。

オーストリア海軍の装甲艦保有モデルの一覧

f:id:fw688i:20240824184629j:image

オーストリア艦隊の装甲艦保有モデル5艦級一覧:手前から「ドレッサ級」装甲艦、「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス級」」装甲艦(ここまでは舷側砲門艦)。装甲艦「リッサ」、装甲艦「クストーザ」、装甲艦「テゲトフ」(この3隻は中央砲郭艦:1隻づつ剣ぞされたのは、試行錯誤的な要素の強い艦種だから?))

f:id:fw688i:20240824184507j:image

中央砲郭のヴァリエーションに見られる創意・発展はやがて艦砲の更なる巨大化(長砲身化)に対応して、この後、砲塔形式で主砲を搭載する「中央砲塔艦」の形式(1890年代)を経て「前弩級戦艦」(1900年以降)へと発展してゆきます。

 

ということで、今回はこの辺で。

 

次回も、もう少し今回と同様に機帆兵装の時期の装甲艦等のモデルのアップデートなどを。

 

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

ブログランキングに参加しました。クリック していただけると励みになります。


艦船ランキング