相州の、ほぼ週刊、1:1250 Scale 艦船模型ブログ

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

八八艦隊の近代化:架空艦の妄想上書き

今回は前回からの流れで八八艦隊の戦艦群の近代化モデルのご紹介を。

架空艦の妄想上書き的なお話ですので、サクッと行きましょう。まあ、ツッコミどころ満載だとは思いますが、お手柔らかに。

そういうお話です。

 

・・・と本論の前に、やっぱり今週の「ピカード 」を

ついに8話です。

***(ネタバレがあるかも。嫌な人の自己責任撤退ラインはここ:ネタバレ回避したい人は、次の青い大文字見出しに「engage!」)***

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涙、涙の・・・・

なんという展開だろう。

やっぱりウォーフだったのか。ウォーフの口から「パーソナルスペースの侵害だ」なんて言葉が出るとは。「だが、まだ左肩から振っているな」参ったの一言です。

そしてデータの戦い。彼はいつも、「人」がどうやって「人」たり得るのか、教えてくれます。ヤーがあんな形で出てくるとは。スポットもとても重要な役割を果たしてくれました。しかも(多分誰にとっても)腹落ちがいい。

この二人のユーモアは本当に物語に幅を与えてくれます。

ところでブリッジのあんなところに脱出ハッチがあったっけ?

これで本当にメンバーが揃いました。そして最大の謎が、赤い扉の向こうに・・・。

前回、「後3回しかないぞ」なんて書いちゃったけど、バランスよく終わりそうな予感。長ーいエンディングがあるのかも。苦い結末じゃないといいなあ。

と言うことで、次回を心待ちに。

 

八八艦隊の近代化モデル

本稿前回では八八艦隊の戦艦群(筆者版)の就役時モデルの2023年ヴァージョンをご紹介しましたが、今回はそれらの近代化改装時のモデルがいくつかあるのでそのご紹介を。

八八艦隊計画や、それぞれの就役時のモデルについては本稿前回もご参考に。

fw688i.hatenablog.com

 

長門級」戦艦(同型艦2隻)

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長門級就役時(1920年頃)

同級は世界初の16インチ級(41センチ)主砲搭載戦艦で、同級の建造がワシントン海軍軍縮条約の実現化に大いに影響したとされています。この条約の結果、41センチ級の主砲搭載戦艦は同級の2隻(「長門」「陸奥」)を含め世界に7隻しか存在が認められないことになりました。いわゆる「ビッグ7」と言われる7隻(日本2隻、英国2隻、米国3隻)ですね。

第一次世界大戦ユトランド沖海戦の戦訓を取り入れた所謂「ポスト・ジュットランド」型の戦艦で、前述の大口径砲の装備に加え重防御の戦艦でもありました。加えて26ノット強の速ry狗を発揮できる高い機動性を兼ね備えた、世界標準を一歩先んじた戦艦であったと言っていいと考えています。

長く連合艦隊の旗艦を務めるなど、日本海軍の象徴的な位置にあり続けました。

(「長門級」竣工時のモデル:175mm in 1:1250 by Hai改造)

 

戦艦「陸奥」変体(by ModelFunShipyard)

戦艦「陸奥」は「長門級」戦艦の二番艦ですが、その建造過程でちょうど研究中であった八八艦隊計画の次級「土佐級」の設計案を知った用兵側が、前倒しで「長門級」二番艦にその構想を盛り込み41センチ主砲10門搭載艦として実現できないか、と言う着想をもつに至りました。その構想のもとに強化型「長門級」の計画が動き出しました。これが「陸奥」変体(「変態」じゃないですよ)と呼ばれる設計案でした。

(戦艦「陸奥」変体の概観:173mm in 1:1250 by ModelFunShipyard:)

 

長門級湾曲煙突形態1924年頃)

長門級」戦艦は就役後に排煙の前檣への流入に悩まされ、当初は一番煙突にキャップを装着するなどの対応を試みますが、結局1920年ごろに一番煙突を湾曲形態にあらためています。この形態は長く続き、上述の「ビッグセブン」として国民にも「世界に冠たる日本海軍」の象徴として親しまれました。

(「長門級」湾曲煙突に換装後のモデル:by Hai: 「長門」といえばこの形態、と言うほど有名な形態ですね)

 

長門級」最終形態(1934年頃)

その後も小規模な改造は続けられましたが、1934年からの大改装でボイラーの換装に伴い煙突が一本になり、外観的には最終形態に近くなりました。その後も対空火器の強化や、新たな電探設備の追加等を行い、最終形態となっています。

(上の写真は戦艦「長門」の概観:189mm in 1:1250 by neptun:前檣は射撃管制機構の改良に伴い複雑化し、機関の換装により煙突形状が変化しています)

 

下の写真は「長門級」の就役時(上段)と最終時の比較

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「土佐級」戦艦:同型艦2隻(by ModelFunShipyard)

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「土佐級」就役時(1924年頃)

同級は八八艦隊計画の戦艦の二番目の艦級です。「長門級」戦艦の強化改良型、と言っていいと思います。教科の主眼は主砲塔の追加と集中防御思想をさらに進めたことでした。「土佐」と「加賀」が建造される予定でした。

1921年ワシントン条約の締結で建造が中断された際には、「土佐」「加賀」ともに進水しており、艤装等を加えればおそらく1924年ごろには就役したのではないでしょうか?

(「土佐級」戦艦の概観:188mm in 1:1250 by ModelFunShipyard: 下の写真は同級でも「長門級」同様、前檣直後の煙突が煤煙の逆流で課題が出たであろうと言う想定で、湾曲煙突を装備した二番艦「加賀」を作成してみました。いずれも、ベースとなったモデルの繊細な前檣構造がいい感じかと

 

土佐級」第一次改装時(1930年頃)

「土佐級」も就役後、順次、射撃指揮系統の近代化、防御構造の強化、対空兵装の増強等が行われました。これにより前檣構造が複雑化し、重ねて重油専焼ボイラーへの換装で煙突形態が改められました。

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(「土佐級」一時改装時の外観(上下):ボイラーの換装で形態が変化した煙突の形態と射撃管制系統の変化等で複雑化した前檣:舷側にに大型バルジが追加されるなど、防御も強化されています。対空兵装も変更され強化されています)
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土佐級」最終形態(太平洋戦争時)

上記のような改装を重ねた「土佐級」でしたが、上述のように同級は「長門級」の設計をもとに集中防御設計を強化したものでした。主砲塔、機関等を集中防御設計によりまとめそこに防御装甲を集中したわけですが、このことは特に機関系統への余白スペースにゆとりがあまりないことも意味していました。このため近代化改装による重量の増加はそのまま速度低下に直結しました。このため最終改装では艦尾の延長、艦首形状の改訂等が行われ、艦型が大きく変わっています。それでも同様の改装により「長門級」があまり大きな速度低下を起こさなかったのに対し、同級は比較的大きな速度低下に見舞われ(26ノットから23ノット)、高速化の進む空母機動部隊を中心とした艦隊構成には編入されず、西部方面艦隊(シンガポール)に配置されました。

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(「土佐級」最終時(太平洋戦争時)の概観 194mm in 1:1250:重量の増加への対応で艦首形状、艦尾の延長などが行われました。集中防御設計により、機関の換装に対する対応力が制限され、八八艦隊の戦艦群の中では最も速度低下が顕著でした。このため太平洋戦争時には機動部隊等には組み入れられず、シンガポールの西部方面艦隊の主力となりました)
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下の写真は「土佐級」就役時と最終時の比較

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改装などによる重量の増加に伴う速力低下への対応策として、艦型が見直され、艦首形状、完備の延長などが行われました。しかし機関の換装余力がスペース的に確保できにくい設計だったため、3ノット程度の速力低下に見舞われました。結局、八八艦隊の中では最も速力の低い環球となりました。

 

紀伊級」戦艦:同型艦2隻(計画当初は4隻)(by ModelFunShipyard):「天城級巡洋戦艦もほぼ同型

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紀伊級」就役時(1928年頃)

紀伊級」戦艦は「土佐級」戦艦に続き4隻が建造される予定でした。(「紀伊」「尾張」「駿河(仮称)」「近江(仮称)」)設計は「土佐級」とは一線を画し、巡洋戦艦天城級」設計をベースとして防御強化を図り本格的な高速戦艦としての完成を目指したものでした。そのため速力は「長門級」「土佐級」の26ノット台から29ノット台へと飛躍しています。

米海軍の新戦艦「サウスダコタ級(1926年版)」が16インチ主砲を12門搭載する設計であることが判明し、「紀伊級」戦艦ではこれに対抗するには「やや心もとない」と評価されたため、建造は「紀伊」「尾張」の2隻で打ち切られ、次の「改紀伊級=相模級」戦艦の建造へと移行してゆきます。

(「紀伊級」戦艦の概観:200mm in 1:1250 by ModelFunShipyard: 上の写真は当初設計の二本煙突形態を示しています。同級は条約で建造中止が決定した「天城級巡洋戦艦の船体設計をベースとしていました。同級の設計中に「長門級」「土佐級」で一番煙突からの排煙の前檣への流入問題が明らかとなり、湾曲煙突への換装などが行われたことを踏まえ、「紀伊級」では、設計途中から集合煙突の導入が検討されました。下の写真は集合煙突を導入し就役した「紀伊級」の概観)

 

紀伊級」第一次改装時(1934年頃)

紀伊級」も就役後、順次、射撃指揮系統の近代化、防御構造の強化、航空艤装の追加、対空兵装の増強等が行われました。これにより前檣構造が複雑化し、後檣の形態も改められました。

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(「紀伊級」一時改装時の外観(上下):射撃管制系統の変化等で複雑化した前檣と後檣の携帯も近代化され、併せて艦尾部に航空艤装も追加されました。舷側にに大型バルジが追加されるなど、防御も強化されています。対空兵装も変更され強化されています)

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紀伊級」最終形態(太平洋戦争時)

紀伊級」はその後も順次小規模な改装が行われましたが、逐次重量が増え、艦尾の延長や艦首形状の改訂などのより対策がとられました。重油専焼缶への換装の際には当初は煙突形状は改められませんでしたが、最終的には一本煙突の形態に改められました。

紀伊級」は新造戦艦の「大和級」が高度に機密扱いとなったため、「大和級」以降の新戦艦の就役後も長く日本海軍の象徴として連合艦隊旗艦の座にあり続け、国民に親しまれました。

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(「紀伊級」最終時(太平洋戦争時)の概観 210mm in 1:1250:重量の増加への対応で艦首形状、艦尾の延長などが行われました。機関も換装され、速度は就役時と同じレベルを維持することができました。次級「改紀伊級」が高度な機密性で守られたため、長く日本海軍の象徴的存在として存在し続けました)f:id:fw688i:20230409095802p:image

 

下の写真は「紀伊級」就役時と最終時の比較

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改装などによる重量の増加に伴う速力低下への対応策として、艦型が見直され、艦首形状、完備の延長などが行われました。この結果、同級では就役時の速力はほぼ維持することができました。

 

「改紀伊級=相模級」戦艦:「13号級」巡洋戦艦の設計をベースとして:同型艦2隻(巡洋戦艦設計時期には同型艦4隻)(by ModelFunShipyard)

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「改紀伊級」就役時(1932年頃)

同級は筆者版八八艦隊計画の戦艦の最終整備艦級で、元々は巡洋戦艦として30ノットを超える速力を持ちながらも「紀伊級」戦艦を凌駕する強力な砲力も併せ持つ設計であった「13号級」巡洋戦艦の設計がベースとされました。主砲にはそれまでの八八艦隊の戦艦の標準装備であった41センチ主砲を上回る46センチ主砲の搭載が採用されました。

背景には、前掲の「紀伊級」戦艦の建造が当初の4隻の予定からが2隻で打ち切られた原因となった、米海軍の新造戦艦「サウスダコタ級(1926年版)」が16インチ主砲12門を搭載する「紀伊級」を凌駕する火力を備えていることがありました。併せて、更新される次期のワシントン条約に日本が批准しないだろうとの観測があり、その失効が前提として設計に色濃く反映されていました。

しかし設計期間中は未だ条約は有効で、批准国としては新設計を欺瞞する必要があり、実態は全く別物の新設計であったにも関わらず、「改紀伊級」という名称で扱われることになりました。ワシントン条約では主砲口径は16インチ以下と制約されていましたので、46センチ主砲自体、新開発の「2年式55口径41センチ砲」と呼称されていました(フィクションです。史実ではないのでご注意を)。もちろん全体の大きさに関する制約も、これを大きく超えていました。

(「改紀伊級=相模級」戦艦の概観:250mm in 1:1250 by ModelFunShipyard:)

 

「改紀伊級」最終形態(1939年頃)

同級は他旧と同様に対空火器の増強や船体重量増に対応するための機関の改装などが行われましたが、一方で初の46センチ主砲搭載艦として、当時、建造が計画されていた本格的な46センチ砲搭載艦「大和級」戦艦に搭載される予定の諸機構が試験的に導入されたりしていました。

例えば前檣はその上部に搭載される予定の射撃指揮装置や塔構造が実験的に導入されました。主砲塔も旋回速度を向上させた新設計の駆動装置が盛り込まれ、性能向上が目指されました。

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(「改紀伊級=相模級」最終時(太平洋戦争時)の概観:同級は建造年次が新しいため、他の艦級に比べ改装程度は軽微でした。しかし、次期新戦艦の基本形態となる予定の「大和級」戦艦への導入技術の試験艦的な位置付けに置かれたため、前檣には塔形状が導入されました。併せて他の艦級同様、対空火器、航空艤装の増強が行われています。舷側には大型のバルジが追加されるなど、防御も強化されていることがわかります)f:id:fw688i:20230409100505p:image

 

下の写真は「改紀伊級=相模級」就役時と最終時の比較

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同級は新設計の「大和級」戦艦への導入技術の試験艦的な位置付けとなりました。

 

太平洋戦争開戦時の八八艦隊戦艦群

下の写真は八八艦隊の戦艦群の最終形態の一覧です。手前から「長門級」「土佐級」「紀伊級」「改紀伊級=相模級」の順です。艦型の大型化も確認していただけるかも。

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ということで今回はここまで。

次回は、新着モデルのご紹介を中心に、と考えています。

もちろん「ピカード ・シーズン3」のお話も。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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