相州の、1:1250 Scale の艦船模型ブログ 主力艦の変遷を追って

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

デンマーク海軍の海防戦艦:開発小史

珍しく予告通り、「デンマーク海軍」の海防戦艦のお話です。

 

本稿での「海防戦艦」のお話(おさらい)

本稿ではこれまで「フィンランド海軍」の海防戦艦「イルマリネン級」に端を発し、「海防戦艦の王国」といっていいと筆者が感じている「スウェーデン海軍」の海防戦艦のお話にかなりの投稿をおこなってきました。豊富な艦級についてのご紹介はもちろん、水上機母艦への改造や、計画のみに終わった未成艦の総覧など、かなり詳しく取り上げてきたつもりです。(この辺り興味のある方は、是非、下記の回を見てみてください)

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そして「デンマーク海軍」の海防戦艦

そしてやがてその派生系としてスウェーデン周辺諸国へも筆者の関心は広がっていくのですが、「デンマーク海軍」についてはこれまで「ノルウェー海軍」のご紹介の際に「ついでに」と下記の投稿でご紹介したに留まっていました。

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お題が「第二次世界大戦期の」とあるので(とつい自己弁護基調になるのはお許し下さい)、この中でも当時唯一デンマーク海軍で現役に留まっていた「ヘルルフ・トルフ級」の三番艦「ペダー・スクラム」にわずかに言及した程度でした。

ところが本稿で最近取り上げた橋本若路氏の宝物のような著作「海防戦艦」では、「デンマーク海軍」はまずその筆頭に取り上げられているではないですか。ページ数にしても70ページが割かれ、これは「スウェーデン海軍」に次ぐページ数です。

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「そう言えばこのモデルは確かあったはず」とか「これはないなあ」とか、この本と照らし合わせながら確認をしたわけですが、少し再び自己弁護的に書かせていただくと、この本の中でも著者ご自身が仰っているのですが、「海防戦艦」と言う艦種が正式にはなく、ざっくりというと「前弩級戦艦よりも小さな船体でありながら、一定の装甲と大口径砲を装備した自国沿岸防備を主目的に作られた軍艦」と言うような「感触」を抱かせてくれる軍艦、と言うようなところかと考えています。

この本の著者も「海防戦艦の条件(案)」と題して(ここでも未だ「案」と表記されています。うう、なんかマイナー艦に対するこだわりが垣間見えて・・・わかるなあ)、以下の9項目を上げていらっしゃいます(ちょっと筆者の解釈で文章は端折っています)。

  1. 排水量1万トン未満
  2. 船体が鉄または鋼鉄でできていること
  3. 8インチ以上の後装大口径砲を2門以上搭載し、その1門以上を旋回砲塔形式で搭載し、艦の正艦首尾方向に発砲できること
  4. 舷側装甲帯を有していること
  5. 帆装を有さず機走のみであること
  6. ある程度の航洋性を有すること
  7. 艦隊装甲艦と海防装甲艦の類別のある国においては後者に属すること
  8. 敵国海域に進出しての対艦戦闘や敵国への対置攻撃を目的に建造された船ではないこと
  9. 速力や航続力より攻撃力や防御力を重視した設計であること

この諸要件、全く異議、違和感などはなく「よくおまとめになったなあ」「ああ、文章化するとこうなるんだなあ」と感服するほか無いのですが(特に項目3など)、筆者が「デンマーク海軍」を考えた際におそらく同海軍の海防戦艦の扱いが軽くなった理由は「項目6:航洋性」にあったんだなあ、と考えています。

つまり、これからご紹介する「デンマーク海軍」の海防戦艦は「航洋性」と言う観点から、やや筆者の「海防戦艦」の定義からは外れていた、と言うことなのです。もっと簡単に感覚的に言うと、外見的には乾舷が低く、外洋を航行するには不向きじゃないか、そう言うことです。

しかし、デンマーク地政学的な条件を踏まえればその開発経緯は実に興味深く、かつ筆者の大好物である「試行錯誤」の過程とも言え、一度まとめてみることに、強烈な興味が湧いてしまった、今回はそう言う経緯の「回」なのです。

 

デンマークと言う国家と沿岸警備

かなり乱暴に端折りますが、デンマークといえば古くはヴァイキング、近代を少し遡ったっところではノルウェーとの連合王国時代には大海洋国家でした。その名残は北極海の世界最大の島「グリーンランド」がいまだにデンマーク領であることや、艦船ファン的な視点からみると、かのドイツ戦艦「ビスマルク」がその最初で最後の出撃となった「ライン演習作戦」の冒頭、英戦艦「フッド」「プリンス・オブ・ウェールズ」と砲撃を交わし、「フッド」を轟沈させた戦場がグリーンランドアイスランドの間の「デンマーク海峡」であったことなどからも偲ばれます。

しかしそのデンマーク王国ナポレオン戦争の混乱の中で海洋国家としては没落してゆきます。

その海軍もナポレオン時代に中立を掲げたにもかかわらず英海軍から中立を消極的抵抗と断じられ海戦で敗れ艦隊を失い、周辺国からの侵食を受け沿岸海軍に縮小してゆきます。

しかし地政学的にはバルト海から北海、さらに大西洋への出入り口を扼する要衝に位置することから、他国艦船の通行に対する警備・監視の重要性は高まってゆき、特に拡大するドイツ(帝国)海軍を想定した際に装甲蒸気艦時代のあるべき沿岸警備装備として、デンマーク海軍流の「海防戦艦開発」が模索されてゆきます。

その模索の足取りを今回の投稿の発端となった橋本氏の著作「海防戦艦」の目次に従って追っていくと、下記のようにまとめられます。

黎明期の沿岸警備装甲艦群(1860-70年代:橋本氏はこの時期を「砲塔艦・モニター・装甲砲郭艦」として一項立てていらっしゃいます)

海防戦艦「ヘルゴラント」(1879年就役:橋本氏の著作では「ヘルゴラン」と表記されています)

非装甲大口径砲艦=「トルデンスキョル」(1882年就役:橋本氏表記「トアデンスキョル」)

海防戦艦「アイヴェー・ヒュイトフェルト」(1887年就役:橋本氏表記は「イーヴァ・ヴィトフェルト」)

再びモニター=「スキョル(1897年就役)

海防戦艦「ヘルルフ・トロル」(1901年就役:橋本氏表記は橋本氏表記は「ヘアロフ・トロレ」)

中口径砲装甲艦=「ニールス・ユール」(1923年就役:橋本氏表記は橋本氏表記「ニルス・ユール」)

未成海防戦(年計画)

 

黎明期の沿岸警備装甲艦群

実はデンマーク海軍における「海防戦艦=沿岸警備艦艇」の重要性を考える上では、大変重要なパートかもしれません。(すみませんが、ここまではコレクションが及んでいません。情報だけでさらっと)

 

この時期(1860年代)、プロイセンとの間でシュレスヴィヒ・ホルスタイン地方の帰属をめぐり緊張状態にあったデンマーク海軍は、北欧初の航洋型装甲艦艦隊(いずれも3000トン級の舷側砲門艦を3隻:木造鉄皮構造か?)を編成したりしました。

(北欧初の航洋型装甲艦隊の一隻となった「デンマーク」(米国より購入):高い乾舷を持ち航洋性の高さが想像できます。舷側砲門の機帆走船でした:上図はNAVAL ENCYCLOPEDIAから拝借しています https://naval-encyclopedia.com/ww1/danish-navy-ww1.php)

 

しかし議論の末、より領土保全に重点を置き沿岸部での警備行動を意識した艦艇の整備を急ぐべきと言う結論に至ります。

 

装甲砲塔艦「ロルフ・クラーケ」

これを受けて、ヨーロッパ初となる前装滑空砲の装甲砲塔艦(「ロルフ・クラーケ」1330トン)を南北戦争を終えた米国から購入しています(1863年)。

(装甲砲塔艦「ロルフ・クラーケ」(米国より購入):米国の南北戦争向けに建造された浅喫水のモニター艦です。2基の連装装甲砲塔に20.3センチ(60ポンド)前装滑空砲を収めていました。速力は8ノット。当初は3本マストの機帆走船でした。上図はNAVAL ENCYCLOPEDIAから拝借しています https://naval-encyclopedia.com/ww1/danish-navy-ww1.php)

 

装甲砲塔艦「リンドーメン」

さらに「ロルフ・クラーケ」の設計をベースとしやや大型化しより大口径の前装砲を搭載した国産の装甲砲塔艦「リンドーメン」(2072トン:1966年起工)を建造しました。同艦は初めて帆走を全廃した装甲艦でした。

(装甲砲塔艦「リンドーメン」:「ロルフ・クラーケ」よりも強力な22.7センチ(90ポンド)前装滑空砲をやはり連装装甲砲塔に収めて搭載していました。速力は12ノット。デンマークが自国で建造した初めての大型軍艦でした。

上図はNAVAL ENCYCLOPEDIAから拝借しています https://naval-encyclopedia.com/ww1/danish-navy-ww1.php)

 

海軍装備の充実を目指したデンマーク海軍だったのですが、しかし第二次シュレスヴィヒ・ホルスタイン戦争(1864年)で敗戦したデンマークは両公国を失い、ユトレヒト半島北部と島嶼部に領土を限定されてしまいます。肥沃な両公国を奪われたデンマークは以降、財政的にも困窮を極めることとなります。

装甲砲塔モニター「ゴーム」

艦艇設計的には、デンマーク海軍は「リンドーメン」の起工以前に、航洋性には目を瞑りより島嶼部での活動に適した浅喫水・低乾舷ながら、より強力な艦砲を搭載したモニター艦の設計を進めていました。同艦はスウェーデンのジョン・エリクソン級モニター艦の設計を基にし、連装装甲砲塔に25.4センチ(120ポンド)前装施条砲を収めていました(「ゴーム」2300トン 1867年起工)。

(装甲砲塔モニター「ゴーム」:強力な25.4センチ(120ポンド)前装施条砲をやはり連装装甲砲塔に収めて搭載していました。島嶼部での行動を想定した浅喫水の設計でした。12.5ノットの速度を出すことができました。極めて低い乾舷を持ち、外洋での活動をそうてした設計ではありませんでした。上の写真はNAVAL ENCYCLOPEDIAから拝借しています https://naval-encyclopedia.com/ww1/danish-navy-ww1.php)

 

中央砲郭装甲艦「オーディン

こうした政治的・財政的な混乱を背景に建造されたのが「オーディン」でした(1874年就役)。「オーディン」は3000トンを超える船体を持ちながら技術的には、前級にあたる「ゴーム」からやや後退した感のある装甲砲塔を持たない中央砲郭艦でした。

(中央砲郭装甲艦「オーディン」:25.4センチ(120ポンド)前装施条単装砲を中央砲郭に4基装備していました。やはり連装装甲砲塔に収めて搭載していました。島嶼部での行動を想定した浅喫水の設計でした。12ノットの最大速度を出すことができました。しかし低い乾舷から、外洋での行動をあまり想定しない設計だったことがよくわかります。上の写真はNAVAL ENCYCLOPEDIAから拝借しています https://naval-encyclopedia.com/ww1/danish-navy-ww1.php )

「中央砲郭」とは、文字通り艦の中央部に砲と弾薬庫を搭載しその区画を重厚な装甲で覆う「砲郭」を形成することで、最も恐ろしい被弾による自艦の弾薬の誘爆から自艦を守る、という設計で、搭載砲には砲郭に穿たれたいくつかの砲眼から射撃をすることによって広い射界を与える工夫がなされていました。

(下の図は「オーディン」の中央砲郭の砲配置等の平面図:砲郭内に砲眼は8箇所あり、それぞれに射界が確保されていました。4基の単装砲は砲郭内の軌条上の砲架に載せられており、砲架ごと移動させることができました:Wikipediaから拝借しています)

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しかしこの運用方法では砲自体の位置を都度移動させねばならず、機動性に課題があり、開発史的な視点で言えば、これを解決する方法として砲塔形式での艦砲の搭載が開発されたと言う経緯があり、前級の装甲砲塔に比べると技術的には後退した設計となっていたと言わざるを得ませんでした。

 

こうした過渡期的な経緯を踏まえて、ようやく「海防戦艦」と言う呼称にふさわしい艦が建造されることになります

 

最初の「海防戦艦

海防戦艦「ヘルゴラント」(1879年就役:同型艦なし)

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(海防戦艦「ヘルゴラント」の概観:63mm in 1:1250 by Hai:概要での行動も配慮して比較的高い乾舷を有していました)
「ヘルゴラント」は外洋での行動を想定しない沿岸防備用の砲艦であった「オーディン」の中央砲郭に、露砲塔を加え、かつバルト海等での活動をある程度想定した航洋性にも留意した設計としていました。

主砲には22口径12インチ(30.2センチ)後装砲が採用され、この砲が単装で艦首向けに設置された露砲塔に搭載されていました。この露砲塔は左右120度の射界が与えられていましたが、旋回の動力は人力で、90度の旋回に8名の作業員で150秒用したとされています。。準主砲として22口径10インチ(26センチ)砲が中央砲郭に4基搭載されていました。こちらも後装砲で、同艦はデンマーク海軍が初めて大口径後装施条砲を搭載した艦となりました。同艦は従来のデンマーク海軍の装甲艦をはるかに上回る5400トン級の船体を持ち13.7ノットの最大速度を出すことができました。

(下の写真:同艦の特徴である12インチ主砲塔(波風を凌げる程度のフードを被った露砲塔でした)と中央砲郭の拡大:少しわかりにくいですが砲郭の両端に準主砲(10インチ)が見えています)

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中央砲郭の構造も改められ、搭載された4基の10インチ砲にはそれぞれの単一砲眼から広い射界が与えられる工夫が施されていました。

(下図は中央砲郭と濾胞等の配置図面:八角形の中央砲郭の砲眼から、各砲は広い社会を得ている事がわかります。上掲の「オーディン」の中央砲郭の図と比較すると一目良縁かと:Wikipediaから拝借しています)

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「ヘルゴラント」は就役時にはデンマーク海軍最大の軍艦で、艦隊旗艦、海外での記念式典への訪問などの任務についています。各種の改装を続け海軍の顔であり続けましたが、1907年に退役しオランダの会社に売却され解体されました。

記録上はその後も約120年間、デンマーク海軍が保有した最大の軍艦でありました。

 

大口径砲艦「トルデンスキョル」(1882年就役:同型艦なし)

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(大口径砲艦「トルデンスキョル」の概観:54mm in 1:1250 by Hai:沿岸の近海面での活動を想定し、低い乾舷を有していました)

前出の「ヘルゴラント」建造に平行して、同規模の船体に12インチ連装砲塔2基、5インチ単装砲塔6基を搭載した、小型前弩級戦艦とも言えそうな設計案が提出されていましたが、デンマークの予算はそのような艦の建造を容認できる状況ではなく、予算的には大口径砲1門を装備した舷側装甲を持たない、ある種の一点豪華主義とも言うべき艦が建造されました。

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(上図は「トルデンスキョル」の構造図:上段の図では上甲板から一層下の艦内に防護甲板が貼られているのがわかります(水線付近の太線とその下部の斜線帯:防護甲板は亀甲型に貼られていたようです。下段の平面図では、不釣り合いに大きな主砲とその露砲塔がご覧いただけます。発射時の衝撃は物凄かったでしょうね:Wikipediaから拝借しています)

これが大口径砲艦「トルデンスキョル」でした。同艦は「ヘルゴラント」の半分に満たない2500トン級の船体に、「ヘルゴラント」の搭載した12インチ砲を上回る14インチ(35.5センチ)後装砲1門を露砲塔形式で搭載していました。「ヘルゴラント」と異なり準主砲は持たず、副砲として5インチ単装砲4基が搭載されていました。

いわゆる舷側装甲は持たず上甲板の下層に機関部を防護するための防護甲板を貼った防護巡洋艦的な構造を有した艦でした。最大速度13ノットを発揮する設計でした。

魚雷発射管に加えて小型の水雷艇を2隻搭載していたところから「水雷艦」と呼称されていたようです。

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(同艦の露砲塔(やはり波風除けのフード付き)と搭載されていた小型水雷艇(下段)の拡大:この水雷艇の搭載とし艦内に内蔵された魚雷発射管から「水雷間」という呼称がありました)

前出の「ヘルゴラント」同様、海外での記念式典等に参加することが多く、1908年退役し、売却され解体されました。

 

海防戦艦「アイヴァー・ヒュイトフェルト」(1887年就役:同型艦なし)

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(海防戦艦「アイヴァー・ヒュイトフェルト」の概観:69mm in 1:1250 by Hai:艦首尾に1基づつフード付きの露砲塔が配置され、いわゆる前弩級戦艦と同じような配置になっていま)

1880年の海軍整備計画では装甲艦8隻を含む計画が立てられますが、その中には黎明期の主力艦として紹介した既に前時代の遺物とも言うべき機帆装艦も含まれており、代艦の建造が検討されてゆきます。前出の「ヘルゴラント」をタイプシップとした設計案も作成されその中には35.5センチ砲を艦首尾に単装露砲塔形式で装備した強力艦のアイディアなどもありましたが、主として予算面から実現しませんでした。

議論が続く中で、ようやく1883年に本艦「アイヴァー・ヒュイトフェルト」の建造が承認され、1884年に起工されました。

同艦は「ヘルゴラント」よりはやや小振りの3400トン級の船体を持ち、主砲として35口径10インチ(26センチ)後装砲を採用し、これを艦守備に単装露砲塔形式で搭載していました。露砲塔にはフードが被せられましたが、このフードは「ヘルゴラント」では風雨を凌ぐ程度だったものを弾片防御程度まで強化したものになっています。主砲口径は「ヘルゴラント」よりも小さくなりましたが、長砲身砲を採用したため、貫徹力では上回っていました。

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(海防戦艦「アイヴァー・ヒュイトフェルト」の図面:砲装備の配置等がよくわかります:Wikipediaから拝借しています)

艦中央部には5インチ単装砲4基が装備され、併せてたの防御装甲についても配置や素材で新基軸が盛り込まれ、最大速力15ノットとあいまって、小海軍なりのミニ近代戦艦の構想を具現化したものになっていたと言えるでしょう。

海軍を代表し外国を訪問したり王族の護衛等、平時の海軍の顔を務めたのち、1909年には現役を離れています。第一次世界大戦海軍工廠の予備資材として係留されていましたが、1919年に除籍されオランダに売却されました。

 

装甲砲艦「スキョル」(1897年就役:同型艦なし)

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(装甲砲艦「スキョル」の概観:58mm in 1:1250 by Hai)

「アイヴァー・ヒュイトフェルト」の建造以降、デンマーク海軍の関心は一時期、装甲艦から当時列強が競って建造した防護巡洋艦に移ります。もちろん財政的に余裕もなくこうした汎用性の見込める艦船での旧式装甲艦の代替が目論まれたわけです。

1892年にようやく首都コペンハーゲンとその周辺を防衛する目的で装甲艦の建造が承認されますが、当初、考慮された「アイヴァー・ヒュイトフェルト」クラスの3500トン級の装甲艦は財政的に無理があり、結局、2500トン級の装甲砲艦が建造されることとなり 「スキョル」と命名されました。

(装甲砲艦「スキョル」の図面:艦尾部に装備された副砲(12センチ速射砲)の方が同感の特徴と言えるかも:Wikipediaから拝借しています)

同艦は浅い喫水を持つ浅海面向きの砲艦で40口径9インチ(24センチ)後装砲を単装装甲砲塔に収めていました。デンマーク海軍の主力艦が装甲砲塔を装備するのは25年ぶりでした。他に副砲として12センチ速射砲3基が搭載されていました。f:id:fw688i:20220919125840p:image

(「スキョル」の砲配置:このクラスの艦艇では、特に下段の12センチ速射砲が優雨力な戦力でした

水線装甲帯を持ち13.4ノットの速力を出すことができました。

比較的小型で運用費が安いことからバルト海周辺諸国への使節として派遣されたりしていました。第一次世界大戦期にはデンマークは中立を保ちましたが、維持のために戦時警戒体制が敷かれ、「スキョル」は首都コペンハーゲンのあるシュラン島とその西のフェン島の間の大ベルト海峡を警備する艦隊に配置されました。

1918年に戦時警戒体制が解かれると1919年には予備艦となり、その後浮き砲台の役目を務めています。1929年に売却され解体されました。

 

「ヘルルフ・トロル級」海防戦艦(1901年から就役:同型艦3隻)

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(「ヘルルフ・トロル級海防戦艦の概観: 70mm in 1:1250 by C.O.B. Constructs and Miniature: 3D printing modelです。モデルは就役時の姿を再現しています。1939年に近代化改装を受け、対空兵装を強化、併せて前檣が近代化に合わせて大型化されていたようです)  

1892の年の議会では前出の装甲砲艦「スキョル」のみ建造が認められましたが、海軍は3500トン級装甲艦の建造計画を続けていました。

1896年に一番艦の建造が承認されましたが二番艦の承認はその4年後、三番艦の承認はさらにその4年後となりました。

「ヘルルフ・トロル級」海防戦艦は3500トン級の船体に24センチ単装砲2基と15センチ単装砲4基を搭載し、15.6ノットの速力を有していました。非常に低い乾舷を持ち、デンマーク沿岸での運用に重点が置かれた設計でした。 

(「ヘルルフ・トロル級」海防戦艦の図面:なんとなく見慣れた8ある意味洗練された?)ミニ戦艦の佇まいをしています:Wikipediaから拝借しています)

平時には他の大型艦と同様に海外使節等で周辺国を訪問したりしていましたが、第一次世界大戦期には中立国デンマークと言えども戦時警戒体制が敷かれ、「ヘルルフ・トロル」はデンマークスウェーデンの間のウーアソン海峡を警戒する第一艦隊の旗艦、「オルフィアツ・フィッシャー」は大ベルト海峡警備を担当する第二艦隊の旗艦となりました。三番艦「ぺだー・スクラム」は第一艦隊に配属されています。

大戦後も一時期艦隊旗艦を務めるなどののち、「ヘルルフ・トロフ」は1922年に予備艦とされ、「オルフィアツ・フィッシャー」は1926年に練習艦とされました。その後、ともに1932年に解体されました。

3番艦「ペダー・スクラム

「ヘルルフ・トロル級」の3番艦「ペダー・スクラム」は、同級の他の2隻が除籍された後も、唯一就役していました。1939年に対空兵装の強化と前檣の大型化などの近代化改装を受けました、

1940年のデンマークの降伏後、1943年にドイツ軍による接収をきらい自沈しています。本艦は最終的にはドイツ海軍により引き揚げられ、練習艦アドラー」となりました。後に防空艦への改装の計画があったようですが、実現はしなかったようです。

1945年4月に連合軍の空襲で撃沈されましたが、背の浮揚されデンマークに返還されました。しかし再び就役することはなく、スクラップにされました。 

(下のURLで詳しいお話が。「IF]艦などについての、大変面白いサイトです。他のお話も退園楽しめますよ)

web.archive.org

 

海防戦艦「ニールス・ユール」(1923年就役:同型艦なし)

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(海防戦艦「ニールス・ユール」の概観:74mm in 1:1250 by Hai:艤装途中で搭載砲が変更され甲板を一掃追加したため、乾舷が他のデンマーク海軍の海防戦艦よりも高くなっています)

前出の「ヘルルフ・トロル」級の整備旗艦中の周辺諸国の海軍軍備を見ると、ドイツ帝国の大艦隊増設は言うに及ばず、スウェーデンバルト海での航洋性を考慮した海防戦艦12隻体制を確立しており、同海軍はさらに艦齢の古い艦から代艦を建造する状況で、7000トン級の「スヴェリイエ」級3隻の建造計画に着手していました。ノルウェー海軍は新興海軍ではありましたが、すでにある程度の航洋性を備えた海防戦艦4隻を保有し、さらに2隻の新造海防戦艦の計画が始動している状況でした。

一方、デンマーク海軍はこれまで見てきたように財政的な課題と建造目的の試行錯誤(この両者は根っこは同じなのですが)から、単艦での建造が続き、ようやく「ヘルルフ・トロル」級に至って同型艦3隻を建造することが決定されました。この3隻に「アイヴァー・ヒュイトフェルト」を加え、デンマーク流のミニ戦艦4隻体制を整えつつありました。

周辺の状況も踏まえ「ヘルルフ・トロフ」級を拡大改良した新たな海防戦艦の建造計画が持ち上がり、諸案を検討した結果、最終的に3800トン級の船体に12インチ(30.5センチ)単装砲2基を搭載する装甲艦の建造が決定されました。同艦はデンマークが水圧方式での主砲塔製造に関する経験を持っていなかったため、主砲周辺についてはドイツのクルップ社に発注されることになりました。

しかし契約締結直前に第一次世界大戦が勃発し、平時になるまで主砲関連の引き渡しができないとの通告がクルップ社から発せられて、主砲塔関連装備の入手が困難になります。船体の建造は継続されましたが、デンマーク自体は中立でありながらも戦時警戒体制をとっていたため現行艦艇の整備が優先され、新造海防戦艦の建造は遅々として進みませんでした。

ようやく1918年に進水を迎えるのですが、戦後、特にドイツ帝国の脅威が消えた時点で、大口径主砲への要求は低まり、予算面からも当初の仕様が見直され、結局同艦は15センチ10門を搭載した中口径砲搭載装甲艦として完成しました。

**この主砲仕様の変更については、クルップ社が敗戦国ドイツの企業であることも大いに影響して、国際情勢を踏まえた大変興味深い経緯があったようです。大変長い話になるので、乱暴にまとめるとクルップ社へ発注された30.5センチ方が、最終的には主要部はクルップ社製の15センチ砲と変更されボフォース社から調達する、こんな商談になったのです。実に興味深い。

重い主砲塔搭載を見送り中口径単装砲を搭載することになったため、船体構造も見直され、全通甲板を一層追加することとなりました。

(デンマーク海軍最後の海防戦艦「ニールス・ユール」海防戦艦の図面:中口径砲搭載艦となり、一層甲板を追加したため、デンマーク海軍の装甲艦としては異例の乾舷の高さであることが見て取れます:Wikipediaから拝借しています)

こうした経緯の後、1923年同艦「ニールス・ユール」は就役しました。最終的には3800トン、15センチ単装砲を10基搭載(6期はケースメイト、4基は盾付きの単装砲架)、速力16ノットという仕様でした。f:id:fw688i:20220919130441p:image

(「ニールス・ユール」の砲配置の拡大)

就役後は平時での就役ということもあって練習艦隊の旗艦を務めた記録が多く見られます。1935年から36年にかけて近代化改装が行われ主として指揮装置の増設、近接火器の変更等が行われました。

第二次世界大戦とドイツ軍による接収

第二次世界大戦が勃発し、1940年デンマークはドイツに占領されますが、ほぼ無血占領であった為、当初デンマーク軍はそのまま存続することが認められ、同艦もそのまま任務を継続しました。

しかし戦争協力のレベルアップをデンマーク政府が拒否すると、ドイツはデンマークの直接統治へと方針を変更し、デンマーク海軍はドイツ軍による接収を嫌い海軍司令部から脱出が命じられます。「ニールス・ユール」もスウェーデンへの脱出を試みますが最終的には断念して自ら座礁。その後自爆を計りますが自爆は果たせず、弾薬庫・機関室に注水し、運べ出せる機器類は海中に投棄され、内部の機器類は破壊されました。

当時デンマーク海軍の艦艇は52隻が就役していましたが、接収回避命令により、自沈するもの28隻、スウェーデン等へ脱出したもの12隻、捕獲されたものは7隻、という結果でした。

ドイツ海軍砲術練習艦「ノルトラント」

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(ドイツ海軍が浮揚し修理・改装して再就役させた砲術練習艦「ノルトラント」の概観:by ???: モデルは未入手ですので、写真はe-bayへ出品中のものから拝借しています)

1943年にドイツ軍は同艦を浮揚して修理・改装を行い、砲術練習艦「ノルトラント」として就役させました。最終的には連合国の爆撃で大破。沈没しています。

デンマーク海軍の「海防戦艦」一覧

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デンマーク海軍の「海防戦艦」:手前から「ヘルゴラント」「トルデンスキョル」「アイヴァー・ヒュイトフェルト」「スキョル」「ヘルルフ・トロル」「ニールス・ユール」の順)

 

ということで最近筆者注目の橋本氏の著作「海防戦艦」に大いに刺激されて。デンマーク海軍の海防戦艦を総覧してきました。小国の財政的な条件と、自国の地政的な難しさを反映した試行錯誤ぶりがよく伺えると思います。

実はこの他に未成海防戦艦もあるのですが、こちらはモデルが見当たらず。図面のみ。

デンマーク海軍の未成海防戦艦の一案:主砲として10インチ連装砲を2基、副砲として15センチ連装砲塔3基を搭載する案の図面のようです。:NAVALEN CYCLOPEDIAより拝借しています。https://naval-encyclopedia.com/ww2/danish-fleet.php

(完成していればこんな感じ?写真はスウェーデン海軍の未成海防戦艦デンマーク海軍の未成艦はこれよりも一回り地位会感じだったでしょうね)
5000トン級の船体に8インチから11インチの連装砲塔2基を搭載し20ノット程度の速力を出せるような仕様で、いくつかの試案が提出されていたようです。

 

という訳で今回はこの辺りで。

 

次回は2022年シルバーウィーク後半ということで、最近、いわゆる筆者の悩みであるNavisモデrのヴァージョンアップが進んできているドイツ帝国海軍の弩級巡洋戦艦のお話、か、もしくは模型工作ウィークにしたいので一回スキップ、ということにするかも。

 

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。「以前に少し話が出ていた、アレはどうなったの?」というようなリマインダーもいただければ。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

 

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

 

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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