相州の、ほぼ週刊、1:1250 Scale 艦船模型ブログ

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

(補遺6-2)オーストリア=ハンガリー帝国新超弩級戦艦、就役

オーストリア=ハンガリー帝国海軍の未成超弩級戦艦モルナヒ代艦級が就役した。

前回紹介した3Dプリンティングモデルに、プラスティックロッドでマストを追加し、エナメル塗料で塗装を施した。主砲等は、予定通り1:1200スケールのイタリア戦艦アンドレア・ドリア級のものを流用した。

船体は明灰白色(日本軍機の塗装色)を使用。少し明るめに仕上げた。甲板にはデザートイエローと部分的にデッキタン。あとはフラットブラックとメタリックグレーを少々、という組み合わせを行った。

 

モナルヒ代艦級戦艦 - Wikipedia

Ersatz Monarch-class battleship - Wikipedia (projected)

(projected、24,500t, 21knot, 14in *3*2 + 14in *2*2, 4 ships planned)

f:id:fw688i:20181224231125j:plain

オーストリアハンガリー海軍が計画した超弩級戦艦。上記のスペックはオリジナル案である。

前級のテゲトフ級は三連装砲塔の採用で艦型をコンパクトにまとめるなど、先進性が評価されていたが、その一方で、三連装砲塔には実は発砲時の強烈な爆風や、作動不良など、いくつかの課題があったとされている。

そのため、本級ではドイツ弩級戦艦の砲塔配置の採用が検討されていた、とも言われているのである。そうなれば連装砲塔5基を装備したデザインになったいたかもしれない。下の写真は、当時のドイツ戦艦ケーニヒ級の主砲塔配置案を採用した想定でのその別配置案。

f:id:fw688i:20181224231253j:image

いずれにせよ、計画は第一次世界大戦の勃発によりキャンセルされた。

 

号外 Vol.2にも、上記、アップしてあります。

 

模型に関するご質問はお気軽にどうぞ。

 

これまで本稿に登場した各艦の情報を下記に国別にまとめました。

fw688i.hatenadiary.jp

内容は当ブログの内容と同様ですが、詳しい情報をご覧になりたい時などに、辞書がわりに使っていただければ幸いです。

 

もちろんこちらの模型についてのご質問も、お待ちしています。

これから登場する艦船も適宜追加してゆく予定です。

 

次回はいよいよユトランド沖海戦ドイツ帝国海軍の終焉。

 


艦船ランキング


戦史ランキング

 

(補遺6-1)回航中のオーストリア=ハンガリー海軍新戦艦、到着

かねてから発注していた本稿号外Vol. 2で (no photo) 扱いだったオーストリア=ハンガリー帝国海軍初の超弩級戦艦モナルヒ代艦級の1:1250モデルが手元に到着した。

 

本艦は、その名の示す通り(Elsatzはドイツ語で代替:replaceを意味する)、本稿号外 Vol.1: カタログ: 近代戦艦のカタログでご紹介したオーストリア=ハンガリー帝国海軍モナルヒ級海防戦艦の代替えとして計画されたもので、前級に当たるテゲトフ級弩級戦艦を一回り大きくした24,500トンの船体に、これもひとまわり口径の大きい35センチクラスの主砲を、背負い式に三連装砲塔、連装砲塔の組み合わせで、都合10門、艦の前後に振り分けて搭載している。速力は21ノットを予定していた。

前級のテゲトフ級も、三連装砲塔の搭載など、先進性に満ちた設計の強力な戦艦だったが、本級はさらにそれを凌駕する設計で、完成していれば強力な戦艦となったであろう。

エルザッツ・モナルヒ級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Ersatz_Monarch-class_battleship

 

今回は、艦船模型サイトらしく、少し仕上げ過程など交えながら、ご紹介しよう。

f:id:fw688i:20181222120624j:image

写真は、到着したモデルに早速サーフェサーを塗布した状態。

実はこのモデルは下記で求めた3Dプリンティングモデルである。。 

www.shapeways.com

到着時点では上記サイト紹介にあるような、透明なsmooth fine detail plasticで出力された状態で届いた。多くの場合、出力材質を選ぶことができる。材質によって価格が異なる。

本モデルでは、元々は1:1800スケールでの出品だったものを、リクエストして1:1250にコンバートとしてもらった。3Dプリンターモデルの場合、1:1800から1:1250 へのコンバージョンの場合、それほど細部に修正が必要でない場合が多く(あくまで製作者側の判断なので、必ずしもこちらのリクエストが承認されるとは限らないが)、そのようなケースでは、比較的気軽に応じてもらえることが多い。

但し、3Dプリンターモデルの多くは、砲塔も一体成型されている場合が多く、このモデルもサイトの写真でご覧いただけるように、一体成型だった。

もちろん、そのままでも1:1250スケールでは気にならない場合が多く、これから本稿でご紹介する予定の日本海軍八八艦隊の多くが3Dプリンティングモデルであり、そのいくつかはモデルオリジナルの砲塔をそのままにした。

もし手を加える場合、代替をどのように手当てするかが大きな問題で、筆者は、ストックパーツで充当できる場合には、できるだけリプレイスしたいと考えている。

今回は三連装砲塔と連装砲塔の組み合わせという難度の高い条件であったが、幸い1:1200スケールのイタリア戦艦の砲塔が流用できそうだったため、リプレイスを試みることにした。

冒頭の写真は、一体成型された砲塔を切り落とした状態である。(しまった!切り落とし前を撮影するのを失念していた。手を加える前の状態については、やはりサイトの写真を見てください)砲塔基部に開いた穴は、筆者が加工したものである。

 

お目当のイタリア戦艦からの流用予定の砲塔をはめてみる。(下の写真)

 f:id:fw688i:20181222120631j:image

 なかなか、よろしい、のではなかろうか。(ああ、これで1隻アンドレア・ドリア級が廃艦になった)

 

次いで、前級に当たるテゲトフ級戦艦の1:1250スケールモデル(Navis社)と並べてみる。こちらも、なかなか、である。

f:id:fw688i:20181222120705j:image

 

あとは塗装を施し、マスト等を整えるだけ。

塗装には、多くの場合エナメル塗料を用いている。十分に乾燥させれば上塗りが効き、気に入っている。

マストなどには真鍮線か、プラスティックのロッドを用いる。1:1250の場合、マスト類には0.5mm径、もしくは0.3mm径を用いる。

 

遅くとも今年中には、筆者のカタログに写真がアップできるだろう。

 

完成した時点で、再度、補遺にてお知らせする予定である。

 

さて、模型を離れ、実際のモナルヒ代艦級戦艦いついて、少し補足情報を。

計画は第一次大戦の勃発で中止されたが、本級では別の設計案が検討されていた、ともいわれている。

前級のテゲトフ級は三連装砲塔の採用で艦型をコンパクトにまとめるなど、先進性が評価されていたが、三連装砲塔には実は発砲時の強烈な爆風や、作動不良など、いくつかの課題があったとされている。

そのため、本級ではドイツ弩級戦艦の砲塔配置の採用が検討されていた、とも言われているのである。そうなれば連装砲塔5基を装備したデザインになったいたかもしれない。 

ケーニッヒ級の拡大版、のような形状ででもあったろうか?

 

幸い、1:1000スケール(かどうか不確かだが)のドイツ帝国海軍ケーニヒ級戦艦のモデルが手元にあるので、例によって砲塔をストックにある、あまりドイツ色の強く出ない適当なものに置き換えてみた。

f:id:fw688i:20181222145123j:image

 作成中のモデルと並列し大きさを比較してみる。大きさもまずまず同等である。

f:id:fw688i:20181222145139j:image

なるほど、別案はほぼこんな感じか、と・・・。

 

こうした想像は未成艦ならではの楽しみ、と言えるだろう。

 

これまで本稿に登場した各艦の情報を下記に国別にまとめました。

fw688i.hatenadiary.jp

内容は当ブログの内容と同様ですが、詳しい情報をご覧になりたい時などに、辞書がわりに使っていただければ幸いです。

 

 模型についての質問はお気軽にどうぞ。

 


艦船ランキング


戦史ランキング

 

 

 

 

 

 

第12 回 第一次世界大戦の主要海戦と主力艦の活動

第一次世界大戦は、前回でも触れた通り、当時の列強諸国間に時間をかけて醸成された同盟関係が連鎖的、かつ短期間に発動されたため、未曾有の規模の戦争になった。1914年7月28日の開戦から1918年11月11日の終結までに、両陣営で7000万人が動員され、戦闘員900万人以上、非戦闘員700万人以上が死亡したとされている。

短期終結を予想した参戦各国の思惑をよそに、誰もが予想だにしない、文字通り塹壕をはさんでの泥沼のような長期戦になった。

 

一方、海軍艦船については、これまで本稿で見てきたように、戦前から諸列強が競って弩級超弩級戦艦、巡洋戦艦の建艦競争を繰り広げてきた。新たなクラスが登場するごとに、砲力が強化され、あるいは搭載兵器の量が前級を凌駕した。艦は巨大化しながらも機関は次々に新しい技術革新を取り入れ強化の一途をたどり、速力が向上した。当然、整備されたそれらの諸艦が戦場を縦横に行き交い、砲戦を交える図を、誰もが想像した。

が、実際には、主力艦に限って言えば、その活動は極めて限定的で、実際の戦闘行動に関わった主力艦は、ほぼ英独の二国の主力艦に限られ、主力艦による主要海戦といっても、以下の4つを上げれば事足りるであろう。

コロネル沖海戦(1914年11月1日)

フォークランド沖海戦(1914年12月8日)

ドッガー・バンク海戦(1915年1月24日)

ユトランド沖海戦(1916年5月31日ー6月1日)

このうち、最初の二つの海戦は、ドイツ東洋艦隊の本国帰航とその阻止をめぐる一連の戦いであり、あとの二つは英独両主力艦隊の激突であった。

 

コロネル沖海戦(再録)

このうち、コロネル沖海戦については、本稿号外Vol.1.5で、英独装甲巡洋艦同士の戦いとして既述である。

以下、かいつまんで再録する。

 

中国膠州湾の青島に本拠を置くドイツ東洋艦隊(マクシミリアン・フォン・シュペー中将指揮、装甲巡洋艦シャルンホルストグナイゼナウを主力艦とする)は、開戦と共に想定される日本海軍等による行動封鎖を嫌い、当時ドイツ領であったマリアナ諸島パガン島に艦船を集結させ、これらを率いて南米経由で通商破壊線を展開しながら本国への帰航をめざした。

f:id:fw688i:20181111152645j:plain

(ドイツ海軍シュペー艦隊の装甲巡洋艦 シャルンホルスト(手前)、グナイゼナウ

f:id:fw688i:20181111172845j:image

(シュペー艦隊の巡洋艦  左からライプツィヒブレーメン級 89mm in 1:1250)、ニュルンベルクケーニヒスベルク級 94mm in 1:1250)、ドレスデンドレスデン級 95mm in 1:1250):エムデンも同型)

 

一方、イギリス海軍はクラドック少将の指揮下に、装甲巡洋艦グッドホープ、モンマス、前弩級戦艦カノーパスなどからなる捜索艦隊を編成し、これを阻止しようとした。

f:id:fw688i:20181111152613j:image

イギリス海軍クラドック艦隊の装甲巡洋艦 グッドホープ(手前)、モンマス)

f:id:fw688i:20181111172824j:image

 (クラドック艦隊の防護巡洋艦グラスゴー:本艦はコロネル沖海戦を生き抜き、後にフォークランド沖海戦にも参加 110mm in 1:1250)

f:id:fw688i:20181111174535j:plain (クラドック艦隊の前弩級戦艦カノーパス:本艦はコロネル沖海戦には間に合わず、後にフォークランド沖海戦にもその前哨戦に参加 98mm in 1:1250)

 

両艦隊は、11月1日、チリ・コロネル沖で、遭遇し、海戦が発生した。

両艦隊はいずれも装甲巡洋艦をその主戦力としていたが、ドイツ艦隊は準主力艦型の装甲巡洋艦2隻を主力とし、一方イギリス艦隊は強化巡洋艦型の装甲巡洋艦2隻をその主力としていたと言える。両艦隊を砲力で比較すると、ドイツ艦隊は2隻の装甲巡洋艦で、21センチ速射砲を片舷12門、15センチ速射砲片舷6門をそれぞれ指向できるのに対し、イギリス艦隊は同じく2隻の装甲巡洋艦で、23センチ砲2門、15センチ速射砲17門を片舷に指向できた。

速力は双方共に23ノットを発揮でき、遜色はなかった。

英艦隊の前弩級戦艦カノーパスは低速から巡洋艦隊と行動を共にできず別働しており、海戦には間に合わなかった。

このため、海戦は圧倒的に火力に勝るドイツ艦隊の一方的な勝利に終わり、グッドホープ、モンマスは沈没、クラドック少将も戦死した。

シュペー提督の名は、栄光に包まれ、一方、英海軍にとって「コロネル沖」は屈辱の名となる。

 

フォークランド沖海戦

コロネル沖の栄光から約1ヶ月後、本国帰航を目指すシュペー艦隊にスタディー中将の率いる艦隊が立ちはだかる。スタディー艦隊はインヴィンシブル級巡洋戦艦の2隻、インヴィンシブルとインフレキシブルを主力とし、他にモンマス級装甲巡洋艦2隻、デヴォンシャー級装甲巡洋艦1隻などを含んでいた。

f:id:fw688i:20181125111537j:plain

インヴィンシブル級巡洋戦艦(1908年、17,373トン: 30.5cm連装砲4基、25.5ノット)同型艦3隻 (136mm in 1:1250)

 戦艦と同等の砲力と、巡洋艦の速力を兼ね備えた新しい大型装甲巡洋艦として設計され、巡洋戦艦の始祖となった。

 

モンマス級装甲巡洋艦 - Wikipedia

1903年竣工、9,800トン、15.2cm(45口径)連装速射砲2基+同単装速射砲10基、23ノット)10隻

f:id:fw688i:20181111143338j:image

 

デヴォンシャー級装甲巡洋艦 - Wikipedia

(1905年竣工、10,850トン、19.1cm(45口径)単装速射砲4基、22.25ノット)6隻

f:id:fw688i:20181111143401j:image 

12月8日、フォークランド諸島をシュペー艦隊が襲撃。待ち受けていたスタディー艦隊がこれを追撃する形で、戦闘は始められた。

英艦隊に2隻の巡洋戦艦を認めたシュペーは、3隻の防護巡洋艦を逃がすべく分離した後、装甲巡洋艦2隻でこれに対応した。

前回のコロネル海戦にちなみ、両艦隊の主力艦の主砲片舷斉射砲力を比較すると、独東洋艦隊が2隻の装甲巡洋艦で、21センチ砲12門であるのに対し、英スタディー艦隊は2巡洋戦艦だけで、30.5センチ砲16門、と比較にならない。

さらに当時のドイツ帝国マリアナ諸島パガン出港以来、長期の航海で機関に整備を必要としていたドイツ艦隊は、前海戦とは一変して、巡洋戦艦の高い機動性と強力な主砲による自在なアウトレンジ攻撃にさらされることになった。

約3時間の砲戦の末、まず旗艦シャルンホルストが撃沈されシュペー自身も戦死、やがてグナイゼナウも自沈を余儀なくされた。分派された3隻の防護巡洋艦も順次補足され、独東洋艦隊は壊滅した。

 

こうして両海戦を総括すると、ある意味、艦船の設計者(海軍軍政担当者)、あるいは運用当事者(海軍軍令担当者)の企図した通りの結果、物理的に打撃力の高い方が勝者となった、いわば番狂わせ的な要素のない結果であった、と言っていいであろう。

この体験は、以後の海軍の諸活動を見る時、特にドイツ帝国海軍において、潜在的な影響が大きいと言えるかもしれない。

 

ドッガー・バンク海戦

物理的な打撃力、と言う視点で言えば、当時のイギリスは特に海軍力で大戦への参戦各国に対し、相対的に圧倒的な優位にあったと言っていい。

本稿でも触れたが、例えば開戦時の主力艦の保有数をみれば、イギリスは弩級超弩級戦艦を22隻、巡洋戦艦を9隻、前弩級戦艦を40隻保有していたのに対し、ドイツ帝国はこれに次いでそれぞれ14隻、4隻、22隻で、名実ともに当時の雌雄であった。参考までに、これに次ぐのはアメリカ海軍で、それぞれ12隻、0隻(アメリカは何故か、巡洋戦艦に興味を示さなかった)、23隻、さらに、かつての大海軍国フランスは、それぞれ3隻、0隻、17隻に過ぎない。

 

上記のように、ドイツ帝国海軍は英海軍に次ぐ艦隊を保有したとは言え、その差は大きく、かつ、緒戦のいくつかの小規模な海戦の敗北の結果、これまで急ピッチで財貨を投じ整備してきたその主力艦隊(大海艦隊)に大規模な損害が出ることを恐れた皇帝の勅命により、積極的な戦闘行動に出ることができずに、北海に面した根拠地ウィルヘルムスハーフェンに半ば封じ込められていた。

こうしたある種、早くも始まった膠着的な状況に対する反動として、ドッガー・バンク海戦が起こったと言っていいであろう。

その企図は、快速高性能な巡洋戦艦を主力とする偵察艦隊を持って英艦隊を挑発し、その一部の突出を独大海艦隊の主力をもって叩く、と言うものであった。

偵察艦隊は旗艦ザイトリッツ、デアフリンガー、モルトケ、フォン・デア・タンの4隻の弩級巡洋戦艦から編成されており、これをフランツ・リッター・フォン・ヒッパー少将が率いていた。艦隊は1914年11月3日、12月16日に英艦隊への誘引行動として、イギリス沿岸の都市に対して艦砲射撃を行った。

f:id:fw688i:20181216180608j:image

11月3日、12月16日に出撃したヒッパー艦隊の基幹をなす巡洋戦艦(ザイトリッツ:旗艦(上段左)、デアフリンガー(上段右)、モルトケ(下段左)、フォン・デア・タン(下段右))

ザイトリッツ(1913-, 24,988t, 26.5knot, 11in *2*5)(160mm in 1:1250)

アフリンガー(1914-, 26,600t, 26.5knot, 12in *2*4)(167mm in 1:1250)

モルトケ(1910-, 22,979t, 25.5knot, 11in *2*5)(151mm in 1:1250)

フォン・デア・タン(1910-, 19,370t, 24.8knot, 11in *2*4)(136mm in 1:1250)

 

これに対し、特に12月16日の独艦隊の出撃に対してはデイビット・ビーティ中将が率いる第一巡洋戦艦戦隊を出撃させ、これを捕捉しようとしたが、濃霧のため、会敵には至らなかった。ビーティの艦隊は34.5センチ砲装備の超弩級巡洋戦艦3隻(ライオン、プリンセス・ロイヤル、タイガー)と、30.5センチ砲装備のやや旧式で速度の遅い弩級巡洋戦艦2隻(インドミタブル、ニュージーランド)で構成されていた。

f:id:fw688i:20181216175047j:image

ヒッパー艦隊の出撃に対応した英第一巡洋戦艦戦隊(ビーティ中将指揮)の基幹部隊(ライオン:旗艦(上段左):プリンセス・ロイヤルも同型、タイガー(上段右)、インドミタブル:インヴィンシブル級(下段左)、ニュージーランド:インディファティカブル級(下段右))

ライオン、プリンセス・ロイヤル(1912-, 26,270t, 27knot, 13.5in *2*4)(167mm in 1:1250)

 タイガー(1914-, 28,430t, 28.7knot, 13.5in *2*4)(170mm in 1:1250)

ニュージーランド(1911-, 18,500t, 25knot, 12in *2*4)(144mm in 1:1250) 

インドミタブル(1908-, 17,373t, 25.5knot, 12in *2*4)(136mm in 1:1250)

 

年が明けて1915年1月23日、ヒッパー艦隊は3回目の出撃を行う。今度はドッカー・バンクで操業する英漁船団を襲撃する狙いであった。

今回の出撃にあたっては、偵察艦隊のうち巡洋戦艦フォン・デア・タンが機関の整備のために修理中で参加できず、代わりに装甲巡洋艦ブリュッヒャーが艦隊に加わっていた。

f:id:fw688i:20181216180338j:image

1915年1月23日のヒッパー艦隊の基幹部隊(ザイトリッツ:旗艦(上段左)、デアフリンガー(上段右)、モルトケ(下段左)、機関不調のフォン・デア・タンに変わって加わった装甲巡洋艦ブリュッヒャー(下段右))

ザイトリッツ(1913-, 24,988t, 26.5knot, 11in *2*5)(160mm in 1:1250)

アフリンガー(1914-, 26,600t, 26.5knot, 12in *2*4)(167mm in 1:1250)

モルトケ(1910-, 22,979t, 25.5knot, 11in *2*5)(151mm in 1:1250)

ブリュッヒャー(1909-, 15,842t, 25.4knot, 8.27in L44 *2*6)(128mm in 1:1250)

 

1月24日、ドッカーバンク北方の海域で、両艦隊は会敵し、互いに前衛に展開していた護衛の巡洋艦同士の砲戦が開始された。

両艦隊の主砲片舷斉射能力を前例に従い比較しておくと、

ドイツ艦隊:28センチ砲 20門、30.5センチ砲 8門、21センチ砲 8門であるのに対し、イギリス艦隊:34.5センチ砲 24門、30.5センチ砲 16門であった。但し、ドイツ艦隊の備砲は全て速射砲で、ちなみにデアフリンガーの30.5センチ砲の場合、1分間に5−7発を撃つことができた。(英艦隊の34.5センチ砲は1.5発)

会敵後、数に劣り状況不利と判断したヒッパーは退却に向かうが、英艦隊は追撃戦を展開した、特にビーティ艦隊のうち超弩級巡洋戦艦3隻は独艦隊に対し優速で、次第に距離を詰めて18000メートルの距離から34.5センチ砲で砲撃を開始した。これに対し、殿艦であったブリュッヒャーも自慢の長射程の21センチ砲で、これに応射したが、3隻の巡洋戦艦から集中的に命中弾を受けたブリュッヒャーは、戦列から脱落してしまう。

やがてこの砲戦にドイツの3隻の巡洋戦艦が参戦し、英艦隊の先頭艦ライオンに砲火を集中した。ヒッパーの旗艦ザイトリッツは後部砲塔にライオンの34.5センチ主砲弾を被弾し使用不能にされたものの、ドイツ艦隊はその砲術の優秀さを発揮し、英艦隊の旗艦ライオンに18発の命中弾を与え大破させた。英艦隊の旗艦は浸水を生じ、戦列を離れざるを得なくなてしまったため、英艦隊の指揮が乱れた。

ビーティは、ニュージーランドに座乗する次席指揮官のムーア少将に、旗艦に構わず追撃を継続するように指示を出したが、通信機が破壊され信号旗によったため伝わらず、ムーアは既に廃艦同然の装甲巡洋艦ブリュッヒャーに砲火を集中してこれを撃沈したにとどまり、ドイツ艦隊を逃してしまった。

 

こうして海戦は終了し、それぞれドイツ艦隊は装甲巡洋艦ブリュッヒャーを失い、後部砲塔に被弾した旗艦ザイトリッツが大破した。兵員の損害は1,000名を超え、英艦隊は旗艦ライオンが大破し、修理にその後4ヶ月を要したが兵員の損害は15名に過ぎなかった。

一般的には英艦隊の勝利と見ることができるが、英艦隊には、指揮継承のまずさ、通信技術の拙劣さ、砲術の拙劣さなど、課題が山積みであった。

特に砲撃技術の差は顕著で、英艦隊がが22発の命中弾を受けたの対し、ドイツ巡洋戦艦が受けた命中弾は4発に過ぎなかった。

ドイツ側を見ると、艦隊を指揮したヒッパーの状況判断は的確で、劣勢な中、敵艦隊の一部を計画通り誘引し、かつ艦隊主力を連れ帰り、次に備えることができた。

しかし一方で、そもそもの作戦立案時の偵察艦隊の挑発により誘引された英艦隊を叩く、という目的に対しては、本来出撃すべき大海艦隊主力が動いた形跡は見られず、勅命に縛られ動くことのなかった大海艦隊司令長官フリードリヒ・フォン・インゲノール大将は、海戦後、更迭された。

 

本稿の主題にそい、史上初のイギリスの超弩級巡洋戦艦3隻とドイツの弩級巡洋戦艦3隻の対決、という視点で見た場合、戦闘はほぼ痛み分けと言っていいであろう。イギリス海軍の大口径砲は少数の命中弾しか得なかったが、1発の打撃力を思う存分発揮し、ザイトリッツを大破した。一方、ドイツ海軍は高い砲撃精度を示し、多数の命中弾により、英艦隊旗艦ライオンを行動不能に陥れた。

海戦からの学びへの姿勢には、少々差異が出る。ドイツ海軍は、ザイトリッツの後部砲塔への命中弾とその後の火薬庫の誘爆を戦訓として、その後、弾薬庫の防御を改善した。この措置は全ての戦艦、巡洋艦に及び実行され、ユトランド沖海戦にまでには完了し、ドイツ艦の生存性向上に反映した。

 

この海戦後、両海軍の主力艦隊は再び睨み合いに移行する。

 

次回は、第一次大戦最大のユトランド沖海戦とその後の経緯、ドイツ帝国海軍の終焉について。

 

これまで本稿に登場した各艦の情報を下記に国別にまとめました。

fw688i.hatenadiary.jp

内容は当ブログの内容と同様ですが、詳しい情報をご覧になりたい時などに、辞書がわりに使っていただければ幸いです。

 

模型についての質問はお気軽に。

 


艦船ランキング


戦史ランキング

 

(補遺5)回航中の仏・英艦が日本に無事に到着

日本に回航中であった仏前弩級戦艦イエナと、英超弩級戦艦エリンが、無事日本に到着した。

 

イエナ (戦艦) - Wikipedia同型艦なし1:1902-)

https://en.wikipedia.org/wiki/French_battleship_I%C3%A9na

f:id:fw688i:20181215175610j:image

前級シャルルマーニュの改良型として1隻建造された。改良点は副砲と装甲の強化であった。

 

エリン (戦艦) - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/HMS_Erin

f:id:fw688i:20181215175110j:image

(1914年、22,780トン: 34.3cm連装砲5基、21ノット)同型艦なし(126mm in 1:1250)

トルコ海軍が発注した艦を、イギリスが押収し、艦隊に編入した。 キング・ジョージ5世級を基本設計としている。

 

それぞれのページ(号外 Vol.1  号外Vol. 2)に、写真をアップしました。

 


艦船ランキング


戦史ランキング

 

(補遺4)回航中の露・米艦が日本に無事に到着

日本へ回航中であった、ロシア艦、アメリカ艦が到着した。

 

ガングート級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Gangut-class_battleship

f:id:fw688i:20181210220339j:image

(1914年、23,360トン: 30.5cm3連装4基、23ノット)同型艦4隻

ロシア海軍初の弩級戦艦で、バルト海での運用を念頭に設計された。後述のイタリア海軍の弩級戦艦、ダンテ・アリギエリの設計をほぼ踏襲している。23ノットの優速を得るためにやや装甲が抑えられている。

 

ニューヨーク級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/New_York-class_battleship

f:id:fw688i:20181210220350j:image

(1914年 27,000t: 35.6cm砲連装5基 21ノット)同型艦2隻

主砲を35.6センチ砲とした初の超弩級戦艦である。連装砲塔5基10門を搭載している。

 

それぞれのページ(号外 Vol.1)に、写真をアップしました。

 


艦船ランキング


戦史ランキング

第11回 第一次世界大戦の勃発と日本海軍の活動

第一次世界大戦の勃発

1914年6月28日、当時オーストリア=ハンガリー帝国内の共和統治国ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボを訪問中のオーストリア=ハンガリー帝国皇太子フランツ・フェルディナンド大公の車列を、6人のユーゴスラビア民族主義者たちが襲った。

この爆弾テロ自体は失敗に終わったが、この事件による負傷者を病院に見舞った帰路、皇太子夫妻は上記実行犯チーム6人の一人、ガヴリロ・プリンツィプによって射殺された。

世に言う「サラエボ事件」である。

この事件後、大セルビア主義を掲げユーゴスラビア民族主義の黒幕とされるセルビア王国オーストリア=ハンガリー帝国間の緊張が高まり、7月28日両国は開戦に至った。このセルビア王国を支持して、当時バルカン半島の主導権をめぐってオーストリア=ハンガリー帝国に対抗していたロシア帝国が総動員令を発令、次いでオーストリア=ハンガリー帝国と同盟関係(三国同盟)にあったドイツ帝国の参戦、ロシア帝国と協商関係(三国協商)にあったフランス・イギリスの参戦へと、それまでの数十年間で構築された各国間の同盟関係が一気に発動され、数週間で連鎖的に主要列強が参戦する大規模な戦争に発展してゆく。

その期間は、教科書的には1914年7月28日から1918年11月11日とされ、期間中に両陣営で7000万人が動員され、戦闘員900万人以上、非戦闘員700万人以上が死亡したとされている。

イギリス、フランス、ロシアの三国協商を基軸とする陣営を連合国、ドイツ、オーストリア=ハンガリー帝国三国同盟(イタリアは連合国側で参戦)を根幹とする陣営を中央同盟国(枢軸国)と、一般的には呼称される。

 

日本の参戦

日本は結果的には日英同盟に従い連合国側に立って参戦したが、その経緯は実はそれほど単純ではない。

日英同盟には自動参戦条項が付随しておらず、加えてその適応範囲はインドを西端とするアジアに限定されていた。このことは8月1日にイギリス外相から駐英大使に対する覚書(「第一次世界大戦へ参戦する上では、日英同盟は適用されない」)で確認され、当初、日本は中立を宣言した(1914年8月4日)。

背景には、イギリス政府、並びにオーストラリア、ニュージーランドの、日本の中国における権益の一層の強化拡大と、マリアナ諸島カロリン諸島マーシャル諸島など、ドイツ南洋諸島の占領による太平洋への影響力の強化に対する懸念、警戒感があった。

一方、ドイツ東洋艦隊の通商破壊活動への対応など、軍事的な視点からは、特に日本海軍の戦力に対する期待は日増しに大きくなり、ついにイギリスは日本に対し、中国沿岸に活動を限定するなどの条件つき参戦の申し入れを行うに至った。(8月11日)

イギリスの提示した戦域限定について、日本はこれを拒否し、8月15日にドイツに対し最後通牒を行い、23日に宣戦布告を行い、正式に参戦した。

しかしながら主要戦場はもちろんヨーロッパであり、参戦は結果的に限定的なものになった。特に陸軍はヨーロッパへの派兵に消極的で、英、仏、露からの再三の派兵要請を拒否した。

 

日本海軍の活動

ドイツ東洋艦隊の追撃

参戦後、10月には、ドイツ南洋諸島に第一、第二南遣支隊を派遣してこれを占領。さらに11月にはイギリスとの連合軍で、ドイツ東洋艦隊の根拠地であった膠州湾青島の要塞を攻略した。

f:id:fw688i:20181204083555j:image

(膠州湾青島を拠点とするドイツ東洋艦隊主力:装甲巡洋艦シャルンホルストグナイゼナウ(上段)、防護巡洋艦ライプツィヒニュルンベルクドレスデン:エムデンも同型(下段))

 

この攻略戦で、日清戦争当時の海軍主力艦であった巡洋艦「高千穂」が、ドイツ水雷艇の雷撃を受け失われた。

f:id:fw688i:20181207074620j:image

(日清戦争当時の高千穂) 

開戦まで練習艦として就役していた高千穂は、青島攻略戦では封鎖艦隊の一角を担っていた。折から青島からの脱出を試みた独水雷艇S90と遭遇し、その放った魚雷二発が命中、高千穂の搭載していた駆逐艦への補給用の魚雷が誘爆して、轟沈した。生存者は3名のみだった。

高千穂は、日本海軍の軍艦の中で、敵との直接の交戦で撃沈された最初の艦となった。

 

 

ドイツ東洋艦隊は開戦前後、間近な日本海軍等による行動封鎖を嫌い、青島要塞を離れ、当時ドイツ領であったマリアナ諸島パガン島に各所に分散していた諸艦を集結し、本国へ南米経由で帰還することを決意し、出発していた。(1914年8月)

その後、エムデンをインド洋へ分派、あるいは東太平洋で活動中のドレスデンライプツィヒを吸収しながら太平洋で通商破壊戦を展開する。

日本海軍は、この艦隊の追撃のために開戦直前に艦隊に編入した巡洋戦艦「劔」と「蓼科」からなる第11戦隊を太平洋に派遣したが、シュペー艦隊を捕捉するには至らなかった。

f:id:fw688i:20181205124310j:plain高速巡洋戦艦戦隊(第11戦隊):「蓼科」(奥)、巡洋戦艦「劔」

 

ANZAC警備

日本海軍は、オーストラリア、ニュージーランド、インドなど英帝国諸国からの兵団とその補充兵たちがヨーロッパへ輸送されるインド洋横断航路の護衛を担当するため、第一、第三の特務艦隊を編成し派遣した。開戦当初こそドイツ東洋艦隊から分派されたエムデンなどの活動があったが、ドイツ海軍はインド洋に拠点を持たず、その通商破壊活動はきわめて限定的で、実質は名目上の護衛活動であった。

f:id:fw688i:20181205130823j:plain

(第一特務艦隊としてインド洋航路の護衛任務に派遣された巡洋戦艦「伊吹」)

 

第二特務艦隊の地中海派遣

1917年2月、巡洋艦「明石」を旗艦とし、駆逐艦8隻からなる第二特務艦隊が地中海マルタ島に派遣された。この艦隊は連合軍の地中海縦断航路の護衛を担当し、地中海に出没するドイツ海軍、オーストリアハンガリー海軍の潜水艦と対峙し、日本海軍としては不慣れな船団護衛任務を実施した。

船団護衛と言いながら、当初、日本の駆逐艦は対潜水艦戦用の装備を持たず、英海軍から教えられた、掃海具であるパラベーンを流してワイアにUボートを引っ掛け破壊するというような方法で、これを実施したと言う。

駆逐艦の数は最大時で18隻まで増加するが、何れにせよ小規模な艦隊ながら、およそ一年半の派遣期間の間に、70万人の兵員輸送に貢献し、7000人の救出に携わるなど、非常に高い評価を受けた。

期間中に35回、Uボートと戦闘し、駆逐艦一隻が大破され、78名の戦死者をだした。

 

f:id:fw688i:20181205172723j:image

写真上段は第二特務艦隊として地中海に派遣された日本海駆逐艦に種、樺型と桃型。

第二特務艦隊には、当初、樺型8隻、増援として桃型4隻が投入された。

樺型駆逐艦:1915− :595トン、30ノット、66mm in 1:1250

樺型駆逐艦 - Wikipedia

桃型駆逐艦:1916–:755トン、31.5ノット、66mm in 1:1250

桃型駆逐艦 - Wikipedia

下段は、第一次世界大戦当時の代表的なドイツ海軍Uボート (U23クラス:水上670トン・水中870トン、水上16.5ノット・水中10ノット、50mm in 1250)

https://en.wikipedia.org/wiki/U-boat#World_War_I_(1914–1918)

 

上記の樺型駆逐艦タイプシップとして、フランスからの要請でアラブ級駆逐艦12隻が戦時に急増され、輸出された。

 

この他、英海軍より、当時、世界最強をうたわれた金剛級巡洋戦艦4隻からなる日本海軍第4戦隊の貸与要請などをうけるが、海軍はもちろんこれに応じることはなかった。結果的には、青島攻略作戦以降、上記の地中海における護衛任務が、日本海軍の、ほぼ唯一の戦闘活動になった。

f:id:fw688i:20181118183903j:plain

f:id:fw688i:20190316205807j:plain

(英国から貸与要請のあった金剛級巡洋戦艦。第4戦隊は、金剛、比叡、霧島。榛名の同型艦4隻で編成され、大口径の主砲、高速力から、世界最強の戦隊といわれた)

 

本稿では主に海軍主力艦の発展をたどってきているが、第一次世界大戦を通じて、いわゆる主力艦の活動は非常に低調で、英独の二国の主力艦に限られる。

主力艦が関連する海戦は、以下の4回しかなく、しかも全てが大戦前半に行われている。

コロネル沖海戦(1914年11月1日)

フォークランド沖海戦(1914年12月8日)

ドッカー・バンク海戦(1915年1月24日)

ユトランド沖海戦(1916年5月31日ー6月1日)

このうち、最初の二つの海戦は、ドイツ東洋艦隊の本国帰航とその阻止をめぐる一連の戦いであり、あとの二つは英独両主力艦隊の激突であった。

これらの戦いについては、次回で見ていくことになるが、戦史全般の視点に経てば、これら主力艦よりも、より後世に大きな影響を与える潜水艦という兵器、これを用いた新しい形の通商破壊戦術が登場した重要な戦争であったということに気付くであろう。

日本海軍も例外ではなく、この大戦への数少ない具体的な関与が、地中海における対潜水艦戦であった。

 

対潜水艦戦:ドイツ帝国Uボートによる無制限潜水艦作戦の脅威

大戦の開戦当初、戦時国際法の制限から、潜水艦は中立国船舶への攻撃は禁じられ、戦時禁制品を運ぶ等の中立違反行為が確認された場合に拿捕などが許されるだけであった。また沿岸の小航海に用いる船舶や漁業船舶などへの攻撃も許されない建前であった。

すなわち、敵海軍艦艇への攻撃を除き、潜水艦は攻撃前に警告を発し、あるいは臨検を行う必要があり、つまり浮上して姿をあらわす必要があった。

また、当初の潜水艦は、魚雷の搭載数が少なく、かつ魚雷そのものが非常に高価であったため、特に単独航行をする船舶に対しては、砲撃による攻撃が選択された。これに対する対抗策が、有名なQシップである。Qシップはいわゆる偽装商船で、潜水艦の出没する海域を単独航行し、砲撃、あるいは拿捕のために一旦、潜水艦の浮上を誘い、浮上した潜水艦を突如攻撃して撃沈する戦術を取った。

1915年2月、ドイツ帝国は最初の無制限潜水艦作戦を実施する。これは英海軍により実施された北海の機雷封鎖による事実上の無制限攻撃への対抗措置で、イギリス周辺海域での無警告攻撃を宣言した。

さらに、戦争長期化が判明した1917年2月、ドイツ帝国イギリスとフランスの周辺、さらに地中海全域を対象にした、海域内を航行する全船舶を対象とした無警告攻撃の完全な無制限潜水艦作戦の実施を宣言した。

これにより、潜水艦は攻撃時に浮上する必要がなくなり、ドイツ潜水艦による戦果は同年前半、最高潮に達する。

こうした変遷を経て、一方で水中に潜む潜水艦相手の対潜水艦戦の本格的な取り組みが始まるのだが、第一次世界大戦中に実用化された対潜水艦戦兵器は、爆雷(降下機雷)とその投射器(1915年実用化)、水中聴音器(パッシブ・ソナー:1916年艦載型の登場)であった。アクティヴ・ソナーについてもその開発は始まってはいたが、実用化は大戦終了後の1920年代に入ってからであった。

第一次世界大戦において、ドイツ帝国Uボートは、無制限潜水艦作戦の実施とともに、多大な戦果を上げ、一時期は英国の存在自体を脅かすほどだったが、しかしながら、当時の海軍軍人たちの反応はきわめて淡白で、例えば最もその戦術に苦しめられた英国ですら、戦後、対潜水艦戦術に対する深い研究が組織的に行われた形跡は希薄である。

さらに、日本も、英国と同様の島国であることを考慮すれば、より多くの研究をこの分野に割くべきであった、と後世、太平洋戦争における米潜水艦の跳梁を知る我々ならば言えるのだが、それは後知恵、というべきものであろうか。

 

例えば、対潜水艦戦の担当艦艇には、各国が駆逐艦を当てたが、本来、駆逐艦は高速で主力艦に肉薄する水雷艇を「駆逐」する目的で開発された艦種で、水雷艇に劣らぬ高速が持ち味であった。

一方、水中に潜む潜水艦を探知するためには、当時は水中聴音に頼るしかなく、すなわち静音下(8~12ノット以下)での操艦が必須となるが、必ずしも高速での戦闘を想定して設計された駆逐艦の適性が高いとはいえなかった。

このため、やがて各国が対潜水艦戦のための専任艦艇を開発するに至るが、それは第二次世界大戦において再び潜水艦の脅威(ナチスドイツUボート、米潜水艦)に直面してからのことになる。

 

 

という次第で、第一次世界大戦日本海軍を追ううちに、今回は力が尽きた。次回こそは第一次世界大戦の主要海戦における主力艦の動向を追って行きたい。

 

模型についてのご質問はいつでもお気軽にどうぞ。

 

あるいは、前回も申し上げましたが、***と++++の大きさ比較をアップせよ、など「vs」モノのリクエストがあれば、こちらも大歓迎です。

 


艦船ランキング


戦史ランキング

 

 

 

 

 

(補遺3)回航中の仏・伊艦が無事日本に到着

仏・伊回航艦隊の到着

前回の「補遺」に引き続き、日本へ向け回航途上であったフランス近代戦艦(前弩級戦艦シャルルマーニュ級が、フランス海軍が世界に先駆けて登場させた世界初の装甲巡洋艦デュピュイ・ド・ロームを伴い日本に無事到着した。

f:id:fw688i:20181202160609j:image

併せて、イタリア海軍強化型近代戦艦(準弩級戦艦)レジナ・エレナ級が、同海軍サン・ジョルジョ級装甲巡洋艦を護衛に伴い、日本に到着した。

f:id:fw688i:20181202170637j:image

それぞれのページ(号外 Vol.1)に、写真をアップしました。

 

 

それぞれの護衛艦について

フランス装甲巡洋艦デュピュイ・ド・ローム(1895: 6676トン 19.7ノット 同型艦なし 92mm in 1:1250)

デュピュイ・ド・ローム (装甲巡洋艦) - Wikipedia

French cruiser Dupuy de Lôme - Wikipedia

繰り返しになるが、世界初の装甲巡洋艦の栄誉を担う艦である。

f:id:fw688i:20181202171131j:image

フランス海軍は、速射砲の性能向上に伴う戦闘艦の攻撃力の格段の強化に伴い、これに対抗し船団護衛、もしくは通商破壊をその主任務とする巡洋艦に、近接戦闘での戦闘能力を喪失し難い能力を与えるべく、舷側装甲を追加した。これが装甲巡洋艦である。

19.4センチ速射砲2基と16.3センチ速射砲8基を装備し、19.7ノットの速力を出すことができた。

性能もさることながら、そのデザインの何と優美な事か。

 

イタリア装甲巡洋艦サン・ジョルジョ級(1908-: 9832トン 23.2ノット 同型艦2隻 112mm in 1:1250)

サン・ジョルジョ級巡洋艦 - Wikipedia

San Giorgio-class cruiser - Wikipedia

イタリア海軍最後の装甲巡洋艦である。

f:id:fw688i:20181202171145j:image

砲兵装は大変強力で、25.4センチ連装砲を主砲として2基装備し、19センチ連装速射砲4基を副砲として装備している。

サン・ジョルジョはレシプロ機関を搭載し23.4ノット、サン・マルコはイタリア初のタービン推進艦となり、23.7ノットを発揮した。

 

現在も数隻の艦船が日本に向け回航中である。到着次第、順次アップしていきます。

 

余談ながら

艦船模型の観点からのコメントを一つ。

本稿で紹介してきた1:1250スケールの艦船模型の多くは、初回にご案内したようにダイキャスト製の完成品である。ドイツを中心に多くのメーカーがあるが、細部の仕上げにかなり差があり、メーカーの選定はかなり重要である。

筆者のお薦めは、Neptune, Navis, HAI, Albatrosといったところであるが、いずれも新品はかなり高価で、かつ日本では入手ルートが限定されている。あるいは艦種、時代によっては、あまり選択肢がない場合が多い。

筆者は、おおむねEbayなどを通じ、中古品を入手し、これに場合によっては少し塗装を行ったり、あるいは若干の細部の修復、アレンジを行ったりしている。

今回の、仏・伊両回航艦隊のうち、イタリア艦隊は上記のダイキャスト製の完成品に少しマストなどに手を入れたものである。

一方、フランス艦隊は、昨今はやりの3Dプリンターによるもので、したがって未塗装の状態で送られてくる。素材はグレイ、もしくは透明な樹脂であることが多い。

こちらは3Dプリンターでの仕上げのため、比較的安価で入手ができる。(上記ダイキャスト製完成品新品の7分の1程度の価格、と言っておこう)筆者は前弩級艦に関してはWTJ storeを、未成艦についてはShapewaysで検索することが多い。

WTJ Store - WTJ Store

Shapeways - Create Your Product. Build Your Business

ただし、こちらは未だ品揃えに限界があるのでご注意を。また、3Dプリンターの場合、特に1:1250スケールに固執する必要はないかもしれない。

いずれも海外からの発送となるために、送料が発生し、かつ入手まで、少し時間がかかる。

 

次に、私事ながら、ご報告、あるいは予告。

本稿、「号外 Vol.1: カタログ: 近代戦艦(前弩級戦艦・準弩級戦艦)一覧」のフランス海軍の前弩級戦艦等をご紹介した際に、1891年から就役したシャルル・マルテル準級について、触れる機会があった。

そこでも触れたが、この耳慣れない「準級」とは「緩やかなグループ」というほどの意味で、すなわち、同一の設計規定に従った設計コンペのような準同型艦(と言っても外観は全く異なる)を意味していると解釈される。

現在、シャルル・マルテル準級5隻のうち、4隻の3Dプリンターモデルが、日本に向け回航中であり、いずれは特集を組むことになると考えている。もう一隻も1:1250スケールへの対応を交渉中である。

ついに、フランス海軍新生学派の迷宮の扉を開けてしまったかも知れない。

 

 

模型についてのご質問はいつでもお気軽にどうぞ。

 

あるいは、***と++++の大きさ比較をアップせよ、など「vs」モノのリクエストがあれば、こちらも大歓迎です。

 

次回は、第一次世界大戦における主力艦の戦いと、同大戦での日本海軍の動向を中心に。

 


艦船ランキング


戦史ランキング

 

 

(補遺2)回航中の2隻が無事日本に到着

日本へ向け回航途上であったロシア準弩級戦艦インペラトール・パーヴェル1世級、英装甲巡洋艦マイノーター級、無事到着した。それぞれのページ(号外 Vol.1、号外 Vol.1.5)に、写真をアップしました。

f:id:fw688i:20181126135548j:plain

f:id:fw688i:20181126135435j:plain

現在、さらに数隻が日本に向け回航中です。到着次第、順次アップしてゆきます

 


艦船ランキング


戦史ランキング

 

号外 Vol.2: カタログ:第一次世界大戦時の弩級戦艦・超弩級戦艦/巡洋戦艦 一覧/List of Dreadnought, Super-dreadnought

列強の弩級戦艦超弩級戦艦

弩級戦艦の始祖ドレッドノートの登場が1906年、それから第一次世界大戦の開戦までに、主として英独間で弩級戦艦の大建艦競争が繰り広げられた。その途上で、超弩級戦艦が登場する。

本稿は、これから第一次大戦中の海戦に言及しながら、主力艦の発達を見ていこうとしているが、それに先立ち、英独以外の列強も含め、それらがどのように準備されたか、総覧的に見ておくことは、意味があるかと考える。

実は弩級戦艦超弩級戦艦については、ここで取り上げた列強以外にも数カ国、その保有、あるいは保有を計画した国があるが、そのほとんどがここで挙げる列強からの購入艦であり、ここでは取り上げないことにした。ご容赦願いたい。

あわせて、第一次大戦に関連するものとしたため、およそ1920年以前に建造、あるいは計画された船をまとめた。

 

イギリス海軍:Royal Navy

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_dreadnought_battleships_of_the_Royal_Navy#HMS_Dreadnought

この時期、イギリス海軍は世界最大の海軍であり、その装備の他国に対する優位性は、長いイギリス海軍の歴史を通じ、おそらく頂点にあった。

ドレッドノートの母国だけに、列強中、群を抜いて、22隻の弩級戦艦超弩級戦艦を、さらに9隻の弩級超弩級巡洋戦艦を揃えて、第一次世界大戦に臨んだ。更に超弩級戦艦2隻、超弩級巡洋戦艦1隻が建造中であった。

 

弩級戦艦

ドレッドノート (戦艦) - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/HMS_Dreadnought_(1906)

f:id:fw688i:20181103145035j:plain(1906年:クラス一番艦の就役年、18,110トン: 30.5cm連装砲5基、21ノット)同型艦なし (126mm in 1:1250)

言わずと知れた、弩級戦艦の始祖。この艦の登場が、それまでの全ての戦艦を旧式にしてしまった。

 

ベレロフォン級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Bellerophon-class_battleship

f:id:fw688i:20181125105028j:image

(1909年、18,800トン: 30.5cm連装砲5基、21ノット)同型艦3隻 (128mm in 1:1250)

実用量産型ドレッドノート。副砲の口径を強化した。

 

セント・ヴィンセント級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/St_Vincent-class_battleship

f:id:fw688i:20181125105230j:image

(1910年、19,560トン: 30.5cm連装砲5基、21ノット)同型艦3隻 (130mm in 1:1250)

 主砲を50口径に強化し、副砲の数を増やした。既述のように、採用した50口径主砲に不調があり、やがて長砲身砲を諦め、口径を大きく強化する超弩級艦の検討がはじまる。

 

ネプチューン (戦艦) - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/HMS_Neptune_(1909)

f:id:fw688i:20181125105416j:image

(1911年、19,680トン: 30.5cm連装砲5基、22.7ノット)同型艦なし (132mm in 1:1250)

 主砲塔の配置を変更し、全門両舷を指向できるように改善された。

 

コロッサス級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Colossus-class_battleship_(1910)

f:id:fw688i:20181125105628j:image

(1911年、20,225トン: 30.5cm連装砲5基、21ノット)同型艦2隻 (133mm in 1:1250)

 ネプチューンと同一戦隊を構成することを予定して建造された、ネプチューンの準同型艦。始めて2万トンを超えた。

 

エジンコート (戦艦) - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/HMS_Agincourt_(1913)

f:id:fw688i:20181125105838j:image

(1914年、27,500トン: 30.5cm連装砲7基、22ノット)同型艦なし (163mm in 1:1250)

ブラジル海軍の発注し、途中トルコ海軍が買い取った艦を、イギリスが押収した。主砲塔7基14門、副砲20門は、戦艦の搭載数としては最大である。

 

 超弩級戦艦

オライオン級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Orion-class_battleship

f:id:fw688i:20181125110117j:image

(1912年、22,200トン: 34.3cm連装砲5基、21ノット)同型艦4隻 (141mm in 1:1250)

強力な主砲として期待された50口径30.5センチ砲であったが、命数、精度に課題があった。そのため本艦から34.3センチ砲を主砲として採用し、全ての砲塔を首尾線上に配置し両舷への射界を確保した。初の超弩級戦艦 である。

 

キング・ジョージ5世級戦艦 (初代) - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/King_George_V-class_battleship_(1911)

f:id:fw688i:20181125110257j:image

(1912年、23,000トン: 34.3cm連装砲5基、21ノット)同型艦4隻 (145mm in 1:1250)

基本的にはオライオン級の準同型艦である。 主砲が改善され弾量が上げられた。

 

アイアン・デューク級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Iron_Duke-class_battleship

f:id:fw688i:20181125110441j:image

(1914年、25,000トン: 34.3cm連装砲5基、21.25ノット)同型艦4隻 (150mm in 1:1250)

キング・ジョージ5世級の改良型。副砲の口径を15.2センチ砲と強化した。

 

カナダ (戦艦) - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_dreadnought_battleships_of_the_Royal_Navy#HMS_Canada

https://en.wikipedia.org/wiki/Chilean_battleship_Almirante_Latorre

f:id:fw688i:20181125110905j:image

(1915年、イギリスで建造中のチリ戦艦アルミランテ・ラトーレを購入、28,600トン: 35.6cm(45口径)連装砲5基、22.5ノット)同型艦なし (158mm in 1:1250)

チリ海軍の発注艦を、第一次大戦の勃発とともにイギリスが買い取った。35.6センチ砲を主砲として搭載している。 

 

エリン (戦艦) - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/HMS_Erin

f:id:fw688i:20181215175110j:image

(1914年、22,780トン: 34.3cm連装砲5基、21ノット)同型艦なし(126mm in 1:1250)

トルコ海軍が発注した艦を、イギリスが押収し、艦隊に編入した。 キング・ジョージ5世級を基本設計としている。

 

クイーン・エリザベス級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Queen_Elizabeth-class_battleship

f:id:fw688i:20181125111136j:image

(1915年、29,150トン: 38.1cm連装砲4基、23ノット)同型艦5隻(154mm in 1:1250)

38.1センチ砲を主砲として採用し、砲力の格段の強化を図った。あわせて速力を24ノットとして、高速化を図った。高速戦艦の登場である。

 

 リヴェンジ級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Revenge-class_battleship

f:id:fw688i:20181125111340j:image

(1916年、28,000トン: 38.1cm連装砲4基、23ノット)同型艦5隻 (150mm in 1:1250)

アイアン・デューク級の船体に38.1センチ砲を搭載する方針で設計された。重油専焼ボイラーを搭載し、速力を23ノットとした。 

 

 

 

弩級巡洋戦艦

インヴィンシブル級巡洋戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Invincible-class_battlecruiser

f:id:fw688i:20181125111537j:image

(1908年、17,373トン: 30.5cm連装砲4基、25.5ノット)同型艦3隻 (136mm in 1:1250)

 戦艦と同等の砲力と、巡洋艦の速力を兼ね備えた新しい大型装甲巡洋艦として設計され、巡洋戦艦の始祖となった。

 

インディファティガブル級巡洋戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Indefatigable-class_battlecruiser

f:id:fw688i:20181125111737j:image

(1911年、18,500トン: 30.5cm連装砲4基、25ノット)同型艦3隻 (144mm in 1:1250)

 インヴィンシブル級の改良型で、主砲の反対舷への射界を改善した。副砲の搭載数を増やしている。

 

超弩級巡洋戦艦

ライオン級巡洋戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Lion-class_battlecruiser

f:id:fw688i:20181125112055j:image

(1912年、26,270トン: 34.3cm連装砲4基、27ノット、27.5ノット)同型艦3隻 (167mm in 1:1250)

主砲を34.3センチ砲とし、全て首尾線上の配置とした超弩級巡洋戦艦である。 

  

タイガー (巡洋戦艦) - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/HMS_Tiger_(1913)

f:id:fw688i:20181125112237j:image

(1914年、28,430トン: 34.3cm連装砲4基、28ノット、28.7ノット)同型艦なし (170mm in 1:1250)

日本の金剛級の改良型として建造された。機関の配置等に工夫が見られ、射界が改善された。 

 

 

 

ドイツ海軍: German Navy

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_Germany

イギリスに対抗すべく、急速にその海軍を充実させ、開戦時には弩級戦艦14隻、弩級巡洋戦艦4隻を保有し、弩級戦艦3隻、弩級巡洋戦艦2隻が建造中であった。主砲口径は英艦に比べひと回り小さいが、長砲身砲の安定性では英国を上回り、その伝統的に強靭な防御力とあわせ、英国の超弩級戦艦・巡洋戦艦に匹敵する実力を備えていた

大戦中に、38センチ級の主砲を持つ超弩級戦艦を建造し、同様の超弩級巡洋戦艦の建造計画に着手していた。

 

弩級戦艦

ナッサウ級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Nassau-class_battleship

f:id:fw688i:20181012223100j:plain

(1910年、18,000トン: 28.3cm連装砲6基、19ノット)同型艦4隻 (117mm in 1:1250)

ドイツ海軍初の単一口径主砲搭載の戦艦(弩級戦艦)である。速度は低めながら、ドイツ伝統の重厚な防御力を備えていた。

 

ヘルゴラント級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Helgoland-class_battleship

f:id:fw688i:20181012223143j:plain(1911年、22,000トン: 30.5cm連装砲6基、20.5ノット)同型艦4隻 (133mm in 1:1250)

強力な50口径30.5センチ砲を主砲として採用した。 艦型は大型化したが、基本的な配置等は前級の拡大版である。

 

カイザー級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Kaiser-class_battleship

f:id:fw688i:20181012223206j:plain(1912年、25,000トン: 30.5cm砲連装砲5基、21ノット)同型艦5隻 (137mm in 1:1250)

初のタービン搭載戦艦で、主砲等の配置が大幅に変更された。これによって主砲搭載数を減らしながらも 、片舷への斉射能力は改善し強化された。

 

ケーニヒ級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/K%C3%B6nig-class_battleship

f:id:fw688i:20181012223225j:plain(1915年、25,000トン: 30.5cm連装砲5基、21ノット)同型艦4隻 (139mm in 1:1250)

基本設計は前級に準じたものだったが、主砲塔の配置を全て首尾線上においたため、外観上は大きく変化した。 

 

超弩級戦艦

バイエルン級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Bayern-class_battleship

f:id:fw688i:20181012223247j:plain

(1916年、28,000トン: 38.1cm連装砲4基、22ノット)同型艦2隻 2隻未 (143mm in 1:1250)

主砲に38センチ砲を採用した初の超弩級戦艦である。

 

L20e 級戦艦(計画のみ)

https://en.wikipedia.org/wiki/L_20e_α-class_battleship

f:id:fw688i:20181125103643j:image

(計画のみ 43,000ト:42cm連装砲4基、26ノット) (192mm in 1:1250)

主砲に42センチ砲の採用を計画していた。速力も格段に改善され、高速戦艦を目指す設計であった。 

 

弩級巡洋戦艦

フォン・デア・タン (巡洋戦艦) - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/SMS_Von_der_Tann

f:id:fw688i:20181012223309j:plain(1910年、19,000トン: 28.3cm連装砲4基) 同型艦なし (136mm in 1:1250)

巡洋戦艦インヴィンシブルに対抗して設計された。高速を得るためにタービン機関を採用しているが、当時、大型艦用タービンはドイツ国内ではブローム・ウント・フォス社だけしか生できず、同社を巡洋戦艦専用メーカーと定め、戦艦への供給をしばらく見送った。

 

モルトケ級巡洋戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Moltke-class_battlecruiser

f:id:fw688i:20181117132559j:plain(1910年、19,000トン: 28.3cm連装砲5基)同型艦2隻 (151mm in 1:1250)

実験的な性格の強かった前級フォン・デア・タンの改良型で、主砲を50口径に強化し、主砲塔も1基追加して砲力を強化した。 前部乾舷が低く、波をかぶりやすかった。

 

ザイドリッツ (巡洋戦艦) - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/SMS_Seydlitz

f:id:fw688i:20181012223339j:plain(1913年、24,000トン: 28.3cm連装砲5基)同型艦なし (160mm in 1:1250)

モルトケ級の改良型。 前部乾舷を一段上げ凌波性を向上させた。艦型を縦長にし、速力を向上させた。

 

デアフリンガー級巡洋戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Derfflingerclass_battlecruiser

f:id:fw688i:20181012223419j:plain(1914年、26,000トン: 30.5cm連装砲4基)同型艦3隻 (167mm in 1:1250)

主砲を50口径30.5センチ砲とし、4基の砲塔を首尾線上に配置し両舷への射線を確保した。 

 

超弩級巡洋戦艦(未成艦のみ)

マッケンゼン級巡洋戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Mackensen-class_battlecruiser

f:id:fw688i:20181012223441j:plain(未成艦、31,000トン: 35cm連装砲4基、27ノット)同型艦4隻(予定)(178mm in 1:1250)

主砲を50口径35.6センチ砲と強化する予定であった。 

 

ヨルク代艦級巡洋戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Ersatz_Yorck-class_battlecruiser

f:id:fw688i:20181012223506j:plain(未成艦、33,500トン: 38.1cm連装砲4基、27.3ノット)同型艦3隻(予定)(182mm in 1:1250)

基本的にマッケンゼン級の設計を引き継ぎ、加えて主砲を 38.1センチとする予定であった。

 

帝政ロシア海軍/ソビエト連邦海軍:Russian Navy

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_Russia_and_the_Soviet_Union

日露戦争以前は世界三大海軍国の一角を占めていたロシア海軍であったが、日露戦争でほぼ壊滅に近い損害を受けた。開戦時には3隻の弩級戦艦保有し、2隻が建造中であった。

 

弩級戦艦

ガングート級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Gangut-class_battleship

f:id:fw688i:20181210220505j:image

(1914年、23,360トン: 30.5cm3連装4基、23ノット)同型艦4隻

ロシア海軍初の弩級戦艦で、バルト海での運用を念頭に設計された。後述のイタリア海軍の弩級戦艦、ダンテ・アリギエリの設計をほぼ踏襲している。23ノットの優速を得るためにやや装甲が抑えられている。

 

インペラトリッツァ・マリーヤ級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Imperatritsa_Mariya-class_battleship

f:id:fw688i:20190113180541j:plain
(1915年、22,600トン: 30.5cm3連装4基、21ノット)同型艦3隻

ロシア海軍黒海向けに建造した弩級戦艦。前述のガングート級の改良型である。改良点としては、速力をやや抑え、防御力を高めている。

 

 フランス海軍:French Navy

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_France#Dreadnoughts_(1910%E2%80%931920)

かつてはイギリスと並ぶ世界の2大海軍国の名をほしいままにしていたフランスだったが、本稿でも号外vol1で既述のように、列強の近代戦艦の開発時期に「新生学派」と言われる大艦巨砲主義の対局をいく派閥が力を持ち、以降、建艦政策において長きにわたり迷走の時代を迎え、主力艦の建造競争からは脱落した。

開戦時は弩級戦艦3隻を保有し、 1隻が建造中であった。

 

弩級戦艦

クールベ級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Courbet-class_battleship

f:id:fw688i:20181125133323j:image

(1913年、23,000トン: 30.5cm連装砲6基、21ノット)同型艦4隻 (128mm in 1:1250)

フランス初の弩級戦艦。前後に背負い式の砲塔配置を行い、前後方向に8射線、片舷に対し10門の射線を確保している。 

 

超弩級戦艦

プロヴァンス級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Bretagne-class_battleship

(1915年、24,000トン: 34cm連装砲5基、20ノット)同型艦3隻 (134mm in 1:1250)

f:id:fw688i:20190331135555j:image

34センチ主砲を連装砲塔5基に装備し、首尾線上の配置とした超弩級戦艦。上の写真は新造時の写真。

直下の写真は大改装後の外観を示している。

f:id:fw688i:20190106171251j:plain

直下の写真:3番艦ロレーヌのみ、3番主砲塔を水上機用のカタパルトと格納庫に換装した。***「通りすがり」さんからご指摘をいただきました。ありがとうございました。

f:id:fw688i:20181125133835j:plain

 

ノルマンディー級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Normandie-class_battleship

f:id:fw688i:20181125133815j:plain

(未成艦 25,230トン: 34cm4連装砲3基、21ノット)同型艦5隻(予定) (141mm in 1:1250)

主砲塔を4連装 とした先進的な設計である。以降、新造されたフランス戦艦はこの4連装砲塔を継承していくことになる。

 

リヨン級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Lyon-class_battleship 

f:id:fw688i:20181215175158j:image

(未成艦 29,600トン: 34cm4連装砲4基、23ノット)同型艦4隻(予定)(155mm in 1:1250)

 ノルマンディー級の拡大強化版として設計された。4連装砲塔を1基増やし、34センチ主砲を16門搭載した強力な艦になる予定であった。

 

アメリカ海軍:US Navy

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_the_United_States_Navy

米西戦争以降、海軍力の充実に力を入れたアメリカ海軍は、開戦時には弩級戦艦8隻、超弩級戦艦2隻を保有する、英独に次ぐ海軍に成長していた。特にその主砲配置には先進性があり、早い時期から背負い式砲塔の配置などを導入し、首尾線上に主砲塔を配置し、合理的な射線確保を追求していた。

一方、速力に関しては一貫して21ノットを貫いた。

開戦後も超弩級戦艦を次々に建造し、大戦終了時には、英海軍に次ぐ強大な戦力を保有していた。

 

弩級戦艦

サウスカロライナ級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/South_Carolina-class_battleship

f:id:fw688i:20181125112642j:image

(1910年 16,000t: 30.5cm砲連装4基 18.86ノット)同型艦2隻 (113mm in 1:1250)

米海軍初の弩級戦艦。主砲塔は全て首尾線上に配置され、世界に先駆けて背負い式配置を採用し、両舷への射界を確保している。やや低速であった。

 

デラウェア級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Delaware-class_battleship

f:id:fw688i:20181125112859j:image

(1910年 20,380t 30.5cm砲連装5基 21ノット)同型艦2隻 (127mm in 1:1250)

前級より主砲塔を1基増やして、主砲10門の搭載艦とした。速力は21ノットとし、以降、この速力が米戦艦の標準となる。 

 

フロリダ級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Florida-class_battleship

f:id:fw688i:20181125113100j:image

(1911年 21,825t 30.5cm砲連装5基 20.8ノット)同型艦2隻 (125mm in 1:1250)

基本設計は前級に倣い、副砲を2問増やし強化した。後部篭マストと後部煙突の位置を逆転している。 

 

ワイオミング級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Wyoming-class_battleship

f:id:fw688i:20181125113307j:image

(1912年 27,243t: 30.5cm砲連装6基 20.5ノット)同型艦2隻 (137mm in 1:1250)

 連装主砲塔を1基追加し、主砲12門を搭載する艦となった。

 

超弩級戦艦

ニューヨーク級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/New_York-class_battleship

f:id:fw688i:20181210220537j:image

(1914年 27,000t: 35.6cm砲連装5基 21ノット)同型艦2隻

主砲を35.6センチ砲とした初の超弩級戦艦である。連装砲塔5基10門を搭載している。

 

ネバダ級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Nevada-class_battleship

f:id:fw688i:20181125113451j:image

(1916年 27,500t: 35.6cm砲三連装2基 同連装2基 20.5ノット)同型艦2隻 (142mm in 1:1250)

前級に倣い35.6センチ主砲を、初めて採用した三連装砲塔2基、連装砲塔2基を、それぞれ艦の前後に 背負式に配置した。以降、この砲塔配置は、アメリカ戦艦の標準的な配置となる。

 

ペンシルベニア級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Pennsylvania-class_battleship

f:id:fw688i:20181125113737j:image

(1916年 31,400t: 35.6cm砲三連装4基 21ノット)同型艦2 隻(147mm in 1:1250)

主砲塔を全て三連装とし、12門の主砲をコンパクトに搭載した。この艦以降、機関はタービンとなった。

 

ニューメキシコ級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/New_Mexico-class_battleship

f:id:fw688i:20181125113936j:image

(1918〜1919年 32,000t: 35.6cm砲三連装4基 21nノット)同型艦3隻 (152mm in 1:1250)

主砲を50口径に強化し、新設計の主砲塔を採用した。艦首の形状をクリッパー形式とした。ニューメキシコ のみ、電気推進式タービンを採用した。 

 

テネシー級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Tennessee-class_battleship

f:id:fw688i:20181125114120j:image 

(1919〜1920年 32,600t: 35.6cm砲三連装4基 21ノット)同型艦2隻 (152mm in 1:1250)

ニューメキシコ 級の改良型で、艦橋と射撃式装置を拡充した。機関には電気推進式タービンを採用した。 

  

 

日本海軍 :Imperial Japanese Navy

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_Japan

日露戦争後の艦隊整備に注力したため、弩級戦艦超弩級戦艦の整備に出遅れた。実戦経験では一級海軍でありながら、旧式装備での開戦に甘んじなければならなかった。

弩級戦艦2隻、ドイツより購入した弩級巡洋戦艦2隻超弩級巡洋戦艦2隻(2隻は建造中、大戦中に就役)で第一次大戦に臨んだが、これらの主力艦は、第一次大戦お主戦場がヨーロッパであったため、ほとんど出番がなかった。

(日本艦についてのコメントは本稿をご覧ください)

 

弩級戦艦

河内型戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Kawachi-class_battleship

f:id:fw688i:20181012223738j:plain1912年、20,800トン: 30.5cm連装砲6基、20ノット)同型艦2隻 (125mm in 1:1250)

 

弩級巡洋戦艦

弩級巡洋戦艦「蓼科」(独装甲巡洋艦ブリュッヒャー2番艦改造)

ブリュッヒャー (装甲巡洋艦) - Wikipedia

f:id:fw688i:20181118164849j:plain

(1912年、16,500トン:30.5cm連装砲3基、単装砲2基、25.4ノット)同型艦なし(127mm in 1:1250)

 

弩級巡洋戦艦「劔」(独弩級巡洋戦艦 フォン・デア・タン2番艦改造)

f:id:fw688i:20181118171948j:plain
(1912年、19,800 トン:50口径30.5cm連装砲塔4基、25.5ノット)同型艦なし (136mm in 1:1250)

 

超弩級戦艦

扶桑型戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Fus%C5%8D-class_battleship 

f:id:fw688i:20181125135251j:plain

(1915年、29,330トン: 35.6cm連装砲6基、22.5ノット) 同型艦2隻 (165mm in 1:1250)

 

 

伊勢型戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Ise-class_battleship

f:id:fw688i:20181125135513j:image

(1917年、29,900トン: 35.6cm連装砲6基、23ノット)同型艦2隻 (166mm in 1:1250)

 

 

超弩級巡洋戦艦

金剛型戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Kong%C5%8D-class_battlecruiser

f:id:fw688i:20181118183903j:plain(1913年、26,330トン: 35.6cm連装砲4基、27.5ノット)同型艦4隻 (173mm in 1:1250) 

 

イタリア海軍:Italian Navy

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_Italy 

開戦時には弩級戦艦3隻を保有し、3隻が建造中であった。大戦中に超弩級戦艦の保有を計画したが、未成に終わった。

 

弩級戦艦

ダンテ・アリギエーリ (戦艦) - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Italian_battleship_Dante_Alighieri

f:id:fw688i:20181125115228j:image 

(1913年、19,500トン: 30.5cm3連装砲4基、23ノット)同型艦なし (135mm in 1:1250)

イタリア海軍初の弩級戦艦。実験艦的な性格が強く、主砲を世界初の三連装砲塔に搭載、機関にタービンを採用し当時の最高速戦艦となるなど、 意欲的な設計であった。

 

コンテ・ディ・カブール級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_Italy#Conte_di_Cavour_class

f:id:fw688i:20181125120218j:image

(1915年、23,100トン: 30.5cm3連装砲3基、同連装砲2基、21.5ノット)同型艦3隻 (140mm in 1:1250)

前級の主砲塔配置を見直し、首尾線方向の射線を強化した。三連装砲塔3基と連装砲塔2基、計13門という主砲数は、カトリックの本家ではやや物議を醸したとか・・・。

 

カイオ・ドゥイリオ級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_Italy#Andrea_Doria_class

f:id:fw688i:20181125120408j:image

(1915年、23,000トン: 30.5cm3連装砲3基、同連装砲2基、21ノット)同型艦2隻 (140mm in 1:1250)

前級の基本設計を引き継ぎ、副砲を15.2センチ砲に強化した。

 

超弩級戦艦(未成艦のみ)

フランチェスコ・カラッチョロ級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Francesco_Caracciolo-class_battleship

f:id:fw688i:20181125114322j:image

(未成艦、34,000トン: 38.1cm(40口径)連装砲4基、28ノット)同型艦4隻(予定) (167mm in 1:1250)

イタリア初の超弩級戦艦として計画された。38センチ主砲をオーソドックスに連装砲塔4基に搭載し、34,000トンの巨体に強力なタービンを搭載し、28ノットを発揮する高速艦を目指した。

 

オーストリア=ハンガリー帝国海軍

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_Austria-Hungary

オーストリア=ハンガリー帝国は、アドリア海に僅かに海を持つ、基本内陸国である。その海軍は、アドリア海の奥深くに配置されていた。開戦時には1クラス4隻の弩級戦艦保有していたが、背負い式の砲塔配置、3連装主砲塔の採用など、設計は大変先進的なものだった。大戦中に超弩級戦艦の保有を計画したが、未成に終わった。

 

弩級戦艦 

テゲトフ級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_Austria-Hungary#Tegetthoff_class

f:id:fw688i:20181012223616j:plain(1912年、21,730トン: 30.5cm3連装砲4基、20.3ノット)同型艦4隻 (126mm in 1:1250)

オーストリアハンガリー海軍初の弩級戦艦である。主砲を三連装砲塔に搭載し、かつ背負式配置を採用して首尾線上に配置している等、先進的な設計である。

 

超弩級戦艦(未成艦のみ)

エルザッツ・モナルヒ級戦艦 - Wikipedia

Ersatz Monarch-class battleship - Wikipedia (projected)

(projected、24,500t, 21knot, 14in *3*2 + 14in *2*2, 4 ships planned)

f:id:fw688i:20181224231125j:plain

オーストリアハンガリー海軍が計画した超弩級戦艦。上記のスペックはオリジナル案である。

前級のテゲトフ級は三連装砲塔の採用で艦型をコンパクトにまとめるなど、先進性が評価されていたが、その一方で、三連装砲塔には実は発砲時の強烈な爆風や、作動不良など、いくつかの課題があったとされている。

そのため、本級ではドイツ弩級戦艦の砲塔配置の採用が検討されていた、とも言われているのである。そうなれば連装砲塔5基を装備したデザインになったいたかもしれない。下の写真は、当時のドイツ戦艦ケーニヒ級の主砲塔配置案を採用した想定でのその別配置案。

f:id:fw688i:20181224231253j:image

いずれにせよ、計画は第一次世界大戦の勃発によりキャンセルされた。

 

 

スペイン海軍: Spain Navy

弩級戦艦

エスパーニャ級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Espa%C3%B1a-class_battleship

f:id:fw688i:20181226150517j:image

(1913年、15,452トン: 30.5cm連装砲4基、19.5ノット、設計と重要部品は英国製)同型艦3隻

スペイン海軍初の弩級戦艦である。英海軍の弩級戦艦ネプチューンタイプシップとし、ややコンパクトにまとめた艦である。

 

次回は、第一次世界大戦の主要海戦における主力艦の動向を追って行きたい。

 

模型についてのご質問等は、どんなことでも遠慮なくどうぞ。

 

***注記:これまで同様、「緑色表記」で記載の艦は未成艦・計画艦、もしくは筆者の創作(妄想)艦ですので、ご注意ください。

 


艦船ランキング


戦史ランキング

第10回 日本海軍の弩級戦艦整備状況(第一次世界大戦前)

初の弩級戦艦河内級の建造

繰り返しを恐れずに記すと、日露戦争で極東における重大な脅威であったロシア艦隊を完勝に近い形で退けた日本海軍は、1911年時点で、数の上では近代戦艦(前弩級戦艦)9隻、強化型近代戦艦(準弩級戦艦)4隻、戦艦に匹敵する砲力を備えた装甲巡洋艦(前弩級巡洋戦艦)4隻、計17隻の主力艦を揃えた大海軍であった。

かつ、日清、日露の戦争を通じ、世界でほぼ唯一の近代艦隊での実戦経験を持つ海軍と言えたであろう。

しかしながら、1906年の英戦艦ドレッドノートの登場によって、これら全ての海軍装備は「旧式」でしかなくなってしまっていた。実戦を経て流された多くの血と、国家財政を傾けるほど注ぎ込まれた財貨で、名実ともに世界の一流海軍の間に割り込んだはずが、たった一隻の軍艦の登場で少なくともその装備上は二流海軍に貶められたと知った時に、海軍首脳は頭を抱えたことだろう。

気がつくと、日本海軍は弩級戦艦の時代に、乗り遅れていた。

 

河内型戦艦 - Wikipedia(125mm in 1:1250)

ドレッドノートの登場から6年後(1912)、日本海軍はようやく最初の弩級戦艦を就役させた。

f:id:fw688i:20181118142028j:plain

前級の薩摩級よりも少し大きな船体に、薩摩級では12門装備していた中間砲を廃止し、全て30.5センチとし、連装砲塔6基を6角形に配置している。この配置により、首尾線方向に6門、両舷方向に8門の主砲を指向できた。機関は前級2番艦「安芸」が搭載し好成績を示したタービン式を採用し、20ノットの速力を発揮することができた。

日本海軍念願の弩級戦艦ではあったが、その主砲には課題があった。艦首尾砲塔の30.5センチ砲が50口径であったのに対し、舷側砲塔は45口径であり、二種類の砲身長、初速の異なる主砲を装備していた。厳密には弩級戦艦の「同一口径の主砲による統一した射撃管制指揮に適している」という要件を満たしていなかった。

実際に、その主砲の斉射にあたっては艦首尾砲塔は弱装火薬を用いることによってこれらの不都合を解消しなくてはならなかった。これでは、50口径の長砲身を持つ意味がなかった。

さらに、河内級が採用した50口径砲自体にも問題があった。この砲は英アームストロング社製で、イギリス海軍の戦艦でも採用されていた。しかし、同社の技術を持ってしても、砲身に大きなしなりが発生し命中精度が下がること、併せて砲身寿命が短いなど、高初速に起因する欠点があり、このことが、英海軍がオライオン級戦艦から34.3センチ砲を採用する動きの一因となった。

この50口径主砲の採用にあたっては、日露戦役の英雄、東郷提督の「首尾線方向への火力は強力にすべきである」という鶴の一声に従ったものである、との説もあるが、その真偽、あるいはもし本当だったとして、その真意、はさておき、これを「都市伝説の一種」とみるか、あるいは官僚の陥りがちな権威への盲目的な追従の始まりとみるべきか。

 

弩級巡洋戦艦の導入−「蓼科」「劔」

河内級戦艦の建造と並んで、「旧式艦ばかりの二流海軍」からの急遽脱却を図るべく、海軍は欧米列強の既成弩級戦艦の購入を模索し始めた。

あわせて、より深刻な要素として、当時、各国の海軍で導入されていた装甲巡洋艦の高速化への対応が、検討されねばならなかった。すなわち、当時の日本海軍が保有する主力艦の中で最も高速を有するのは装甲巡洋艦巡洋戦艦)「伊吹」であったが、その速力は22ノットで、例えば膠州湾青島を本拠とするドイツ東洋艦隊のシャルンホルスト級装甲巡洋艦(23.5ノット)が、日本近海で通商破壊戦を展開した場合、これを捕捉することはできなかった。

これらのことから、特に高速を発揮する弩級巡洋戦艦の導入が急務として検討され、その結果、弩級巡洋戦艦「蓼科」「劔」の購入が決定された。

 

弩級巡洋戦艦「蓼科」(127mm in 1:1250)

ドイツ海軍の装甲巡洋艦ブリュッヒャー」の2番艦を巡洋戦艦に改造、導入したものである。

ブリュッヒャー (装甲巡洋艦) - Wikipedia

ブリュッヒャーは、従来の装甲巡洋艦の概念を一掃するほどの強力艦として建造されたドイツ帝国海軍の装甲巡洋艦である。装甲巡洋艦におけるドレッドノートと言ってもいいかもしれない。主砲は44口径21センチ砲を採用し、戦艦並みの射程距離を有し、搭載数を連装砲塔6基として12門を有し、また速力は25ノットと、当時の近代戦艦(前弩級戦艦)、装甲巡洋艦に対し、圧倒的に優位に立ちうる艦となる予定であった。

しかしながら、同時期にイギリスが建造したインヴィンシブルは、戦艦と同じ、30.5センチ砲を主砲として連装砲塔4基に装備し、速力も25.5ノットと、いずれもブリュッヒャーを凌駕してしまったため、ドイツ海軍は急遽同等の弩級巡洋戦艦建造に着手しなければならず、ブリュッヒャー中途半端な位置づけとなり、後続艦の建造が宙に浮いてしまうこととなった。

日本海軍はこれに目をつけ、この2番艦の建造途中の船体を購入し、「蓼科」と命名、これを巡洋戦艦仕様で仕上げることにした。主な仕様変更としては、主砲をオリジナルの44口径21センチ砲12門から、日本海軍仕様の45口径30.5センチ連装砲塔3基および同単装砲塔2基、として計8門を搭載した。この配置により、首尾線方向には主砲4門、舷側方向には主砲7門の射線を確保した。機関等はブリュッヒャー級のものをそのまま搭載したところから、ドイツで建造した船体をイギリスで仕上げる、といった複雑な工程となった。が、狙い通り就役は「河内級」とほぼ同時期であった。

f:id:fw688i:20181118164849j:plain

速力は25ノットの、当時の日本海軍主力艦としては、最も高速を発揮したが、装甲は装甲巡洋艦ブリュッヒャーと同等の仕様であったため、やや課題が残る仕上がりとなった。

 

弩級巡洋戦艦「劔」(136mm in 1:1250)

弩級巡洋戦艦「蓼科」の保有に成功した日本海軍であったが、上記のように、本来は装甲巡洋艦であったために、その防御力にはやや課題が残った。併せて、河内級のイギリス製の50口径主砲がやはり前述のような課題があったため、日本海軍は当時50口径砲の導入に成功していたドイツを対象に、もう一隻、弩級巡洋戦艦の購入を模索することにした。

白羽の矢が立ったのは、ドイツ海軍初の弩級巡洋戦艦「フォン・デア・タン」の2番艦で、すでにドイツ海軍の上層部の関心が、より強力な次級、あるいはさらにその次のクラスに向いてしまったため、やはり宙に浮いていたものを計画段階で購入することにした。

フォン・デア・タン (巡洋戦艦) - Wikipedia

ブリュッヒャー級2番艦の場合と異なり、今回はその基本設計はそのままとし、主砲のみ、既に戦艦ヘルゴラント級で搭載実績のある1911年型50口径30.5センチ砲に変更し、船体強度などに若干の見直しを行った。同砲では河内級でイギリス製の50口径砲に見られたような問題は発生せず、ドイツの技術力の高さを改めて知ることになる。

f:id:fw688i:20181118171948j:plain

主砲の口径の拡大と、それに伴う構造の変更があったにも関わらず、速力はオリジナル艦と同等の25.5ノットを確保することが出来た。

同艦は1912年に就役し、弩級巡洋戦艦「劔」と命名された。

「劔」「蓼科」は、2 艦で巡洋戦艦戦隊を構成し、この戦隊の発足がシュペー提督のドイツ東洋艦隊の本国回航を決意させた遠因となったとも言われている。

f:id:fw688i:20181118173832j:plain

高速巡洋戦艦戦隊:「蓼科」(奥)、巡洋戦艦「劔」

 

超弩級巡洋戦艦金剛級の建造

日本海軍における弩級戦艦弩級巡洋戦艦の時期は短い。

これは既述のように、日露戦争以降の既存戦力の整備に多くの費用を費やし、新戦力の増強への展開が遅れたことに起因する。

弩級戦艦、準弩級戦艦の整備を終えた時には、既に弩級戦艦の時代を迎えていたし、弩級戦艦の整備に着手した時には、既に超弩級戦艦が登場していた。

あわせて、兵器の国産化は国家の安全保障上、常に非常に重要な目標であり、日本海軍も日露戦争以降、その方向を目指してきた。しかし一方で、弩級艦、超弩級艦等の導入に見るように非常に兵器(特に軍艦)の寿命は短く、搭載兵器も上記の50口径主砲の例に見るように、独自技術を国内に養成する上でも健全な技術導入も並行せねばならないことは明らかであった。

一方で、日清戦争降着手され日露戦争で成果を発揮した、同数の戦艦と装甲巡洋艦巡洋戦艦)で主力艦隊を構成するという根本方針から、河内級の弩級戦艦2隻、「蓼科」「劔」の弩級巡洋戦艦2隻を起点とする新たな六六艦隊構想が模索され始める。

さらに、日清、日露の戦訓から、欧米列強に対し基本的な国力が劣る状況が改善されることは想定しにくく、物量で凌駕できない条件の元でも、機動力において常に仮想敵を上回ることができれば、勝利を見いだせることが確信となった。

これらの背景から、超弩級巡洋戦艦「金剛」級は生まれたと言っていい。

金剛型戦艦 - Wikipedia(173mm in 1:1250) 

上記の海外技術の導入の必要性から、1番艦「金剛」は英ビッカース社で建造された。

2番艦以降は、「比叡」横須賀海軍工廠、「榛名」神戸川崎造船所、「霧島」三菱長崎造船所、と、国内で生産され、特に民間への技術扶植がおこなわれ、ひいては造船技術の底上げが図られた。4隻は1913年「金剛」、14年「比叡、」15年「榛名」「霧島」と相次いで就役する。

f:id:fw688i:20181118183903j:plain

ライオン級巡洋戦艦タイプシップとして、27.5ノットを発揮し、主砲口径は当初は50口径30.5センチ砲連装砲塔5基を予定していたが、前述のようにこの砲には命中精度、砲身寿命に課題があったため、当時としては他に例を見ない45口径35.6センチの巨砲を連装砲塔4基に装備することにした。

強力な砲兵装と機関により、排水量27,000トンを超える巨艦になった。 

第一次大戦当時、金剛級4隻は世界最強の戦隊、と歌われ、諸列強、垂涎の的であった。

 

優れた基本設計を有していたため、以後数度の大規模な改装に耐え、非常に長期間にわたり第一線の主力艦を務めることになるが、これはまた別の機会に紹介することになるであろう。

 

次回は、少し日本を離れ、第一次世界大戦における列強の主力艦事情と主要な海戦を記述する予定である。あるいは、先週、先々週のような「号外」的に弩級超弩級戦艦、巡洋戦艦等のカタログ展開を先に?(少し迷っています。ご意見があれば、是非お聞かせ下さい)

 

模型についてのご質問も、是非お気軽にどうぞ。もっと「どこで買うの?」とか、「どのメーカーがおすすめ?」とか、そのような質問でも結構です。

 

***注記:皆さんは大丈夫だと思うのですが、本文中「緑色表示」の部分は、史実ではなく、筆者の妄想です。ご注意ください。以降、未成艦、計画艦など、このような要素が増えて行く予定です。史実だけでいい、という方がいらっしゃたら、本当に申し訳ありませんが、ご容赦ください。あるいは斜体字箇所を飛ばしていただくとか・・・。

 


艦船ランキング


戦史ランキング

号外 Vol.1.5: カタログ : 装甲巡洋艦抄録 英独の開発史を中心に そして、コロネル沖海戦/ Summary of Armored Cruisers and Battle of Coronel

装甲巡洋艦の終焉

前回の号外で、ドレッドノートという革命的な戦艦の登場により、ほぼその歴史上の役割を終えた近代戦艦(前弩級戦艦、準弩級戦艦)の総覧を行なったが、同様に、装甲巡洋艦という艦種も、その役割を終えようとしている。

これまで見てきたように、装甲巡洋艦の系譜には、大きく二種類の段階がある。

一つは、通常の巡洋艦本来の通商破壊や商船護衛、植民地警備といった任務を想定し、長期間の作戦航海への適性や快速性に重点をおき、さらにそれに砲力や防御力を付加した強化巡洋艦型の到達点としての段階であり、もう一つは、これを準主力艦、と位置付けて、同種艦数隻で戦列を構成して戦艦部隊とともに行動させる、いわゆる高速主力艦としての段階である。

日本海軍を中心に本稿は主力艦の発展を見てきているが、その好敵手であったロシア海軍装甲巡洋艦の多くは前者に属し、日本海軍のそれは全て後者に属すると言っていい。

これはロシア海軍がそもそも長い歴史を持ち、かつ多くの植民地を持つ英仏(特にフランス)の影響下で海軍を発達させたのに対し、日本海軍は、そもそもが植民地を持たず、自国防衛を第一義に、いわゆる「攘夷」(外敵の脅威を打ち払う)の思想から発展したがゆえに、常に艦隊決戦をその海軍の建艦思想に置き、かつその根底にある自存独立への危機感から、国家の体力など無視したように、一時期に集中的に艦艇を整備・保有したからに他ならない。

両者の対決は図らずも日露戦役中の「蔚山海戦」において実現し、当然のことながら、強力な武装を持つ後者の勝利に終わった。(本稿、第七回に記載)f:id:fw688i:20180924122141j:plain

ウラジオストック艦隊の3隻の装甲巡洋艦(グロモボイ:上段、ロシア:左下、リューリック:右下)

 

f:id:fw688i:20180924120229j:plain6隻の装甲巡洋艦(八雲:左上、吾妻:右上、出雲級の2隻:出雲、磐手 左右中段、浅間級の2隻:浅間、常磐 左右下段)***日露海戦直前に、さらにこれに「春日」「日進」が加わり、日本海軍は8隻の装甲巡洋艦を整備し、日露戦争に臨んだ

 

さらに、日本海軍がその後建造した「筑波級」「鞍馬級」の装甲巡洋艦では、その武装(主砲)は当時の戦艦と全く同等のものを装備し、ここに「高速主力艦」は装甲巡洋艦の時代を終え、高速戦艦巡洋戦艦)の段階へと発展する。f:id:fw688i:20190608215345j:image

装甲巡洋艦 筑波 生駒 のちに巡洋戦艦に艦種変更)

 

f:id:fw688i:20181028170340j:plain

装甲巡洋艦 鞍馬:手前、伊吹:奥 後に巡洋戦艦に艦種変更)

 

日露に限らず、その趨勢を見ると、英仏海軍の装甲巡洋艦はその海外植民地の多さ、それに伴い規定される海軍の役割に準じ前者に属し、一方、独海軍において、装甲巡洋艦は後者への展開を見ることができる。

今回は、装甲巡洋艦のある種の総括の意味も含め、以下に、英独両海軍の装甲巡洋艦の発達を見て行こう。

 

英独装甲巡洋艦

イギリス海軍装甲巡洋艦

以下の7クラス、36隻が建造された。

各級の変遷を追うと、大変興味深いことに、前述のように、巡洋艦本来の任務への適性に重点を置いた航洋巡洋艦の強化の系譜を辿りながら、次第にその新たな仮想敵となった独海軍の装甲巡洋艦群への対抗上の必要性から、次第に強大な砲力を指向していく傾向が見て取れる。

 

クレッシー級装甲巡洋艦 - Wikipedia

(1901年竣工、12,000トン、23.4cm(40口径)単装砲2基、21ノット)6隻

f:id:fw688i:20181111143314j:image

いかにも伝統あるイギリス海軍巡洋艦、というシルエットである。その後のイギリス装甲巡洋艦の基本形と言える。

(114mm in 1:1250) 

 

ドレイク級装甲巡洋艦 - Wikipedia

(1902年竣工、14,150トン、23.4cm(45口径)単装砲2基、23ノット)4隻

f:id:fw688i:20181111143324j:image

前級より艦型を大型化し、機関を強力にした。結果、23ノットの高速を得た。大型化により、副砲の搭載数を増やしている。

(128mm in 1:1250)

 

モンマス級装甲巡洋艦 - Wikipedia

1903年竣工、9,800トン、15.2cm(45口径)連装速射砲2基+同単装速射砲10基、23ノット)10隻

f:id:fw688i:20181111143338j:image

大型化しすぎた感のあった前級から一転し、軽量化を目指した。備砲は主砲を廃止し前級では副砲であった15センチ砲で備砲を統一した。連装砲塔を前後の上甲板に装備し、舷側砲とあわせて14門を装備した。機関を簡素化しながら23ノットの速力は維持したものの、装甲も軽くしたために、やや不評であった。

(110mm in 1:1250)

 

デヴォンシャー級装甲巡洋艦 - Wikipedia

(1905年竣工、10,850トン、19.1cm(45口径)単装速射砲4基、22.25ノット)6隻

f:id:fw688i:20181111143401j:image

前級の反省から、主砲口径を19センチ級にあげ、これを4門単装砲で装備し、火力を向上させた。防御力も改善され、速力も22ノットを発揮した。

(115mm in 1:1250)

 

デューク・オブ・エジンバラ級装甲巡洋艦 - Wikipedia

1906年竣工、13,550トン、23.4cm(45口径)単装砲6基、23.25ノット)2隻

f:id:fw688i:20181111143419j:image

主砲を23センチ級単装砲6基とし、一層向上させた。速力は23ノットを回復している。

(124mm in 1:1250)

 

ウォーリア級装甲巡洋艦 - Wikipedia

1906年竣工、13,550トン、23.4cm(45口径)単装砲6基、19.1cm(45口径)単装砲4基、23ノット)4隻

(no photo)

副砲口径を19センチ級に上げている。

 

マイノーター級装甲巡洋艦 - Wikipedia

(1908年竣工、14,600トン、23.4cm(50口径)連装砲2基、19.1cm(50口径)単装砲10基、23ノット)2隻

f:id:fw688i:20181126135435j:image

イギリス海軍最後の装甲巡洋艦。19センチ級副砲の搭載数を10門に強化している。

 

f:id:fw688i:20181111144840j:image

 (艦型比較:上から、クレッシー級、ドレイク級、モンマス級、デボンシャー級、デューク・オブ・エジンバラ級

 

ドイツ海軍の装甲巡洋艦

以下の6クラス、9隻が建造された。

後者の系譜、すなわち当初から、準主力艦の位置付けに置かれていた。こちらは次第にその機動性に戦艦との差異を求め、その側面で特性を伸ばしていく。

 

フュルスト・ビスマルク (装甲巡洋艦) - Wikipedia

(1900年、10,700トン、24cm(40口径)連装砲2基、18.7ノット)f:id:fw688i:20181111120042j:image

 ドイツの装甲巡洋艦は、既にその最初の級である本艦から、当時のドイツ海軍の主力戦艦「カイザー・フリードリヒ3世級」「ヴィッテルスバッハ級」と同等の主砲を装備している。外洋巡行性に優れた艦型を有し、速力は戦艦に対し若干の優速であった。

 (100mm in 1:1250)

 

プリンツ・ハインリヒ (装甲巡洋艦) - Wikipedia

(1902年、8,890トン、24cm(40口径)単装速射砲2基、19.9ノット)f:id:fw688i:20181111120109j:image

前級と同様、当時の戦艦と同等の口径の主砲を装備しているが、連装を単装に改め、副砲数を減らし、一方で戦艦に対する優速性を高めている。(100mm in 1:1250)

 

プリンツ・アーダルベルト級装甲巡洋艦 - Wikipedia

1903年、9,090トン、21cm(40口径)連装速射砲2基、20.4ノット)2隻

f:id:fw688i:20181111142554j:image

主砲口径を縮小し、一方で戦艦に対する優速性をさらに高めている。(100mm in 1:1250)

 

ローン級装甲巡洋艦 - Wikipedia

(1905年、9,550トン、21cm(40口径)連装速射砲2基、21.1ノット)2隻

f:id:fw688i:20181111115748j:image

前級の特徴を継承し、戦艦への優速性を一層充実した、大変バランスの取れた艦となった。(101mm in 1:1250)

 

シャルンホルスト級装甲巡洋艦 - Wikipedia

(1907年、11,610トン、21cm(40口径)連装速射砲2基+同単装速射砲4基、23.5ノット)2隻

f:id:fw688i:20181111115654j:image

艦型を大型化し、強力な機関を搭載し優速性を一層高めた。あわせて主砲を舷側にも配置し砲力を大幅に強化した。首尾方向に4門、側方へ主砲6門を指向できた。(114mm in 1:1250)

 

ブリュッヒャー (装甲巡洋艦) - Wikipedia

(1909年、15,840トン、21cm(44口径)連装速射砲6基、25.4ノット)

f:id:fw688i:20181111115555j:image

主砲は前級と同口径(21センチ)であるがさらに長砲身(44口径)を採用し、戦艦並みの射程を得た。連装砲塔6基12門の主砲数は、従来の装甲巡洋艦の概念を一新するものであったが、既に英海軍にはインヴィンシブルを始めとする巡洋戦艦が建造されていた。

その長射程、高速を有するがゆえに、第一次大戦においては巡洋戦艦部隊に組み入れられ、苦戦することになる。 (128mm in 1:1250)

 

f:id:fw688i:20181111144718j:image

 (艦型比較:上から、フュスト・ビスマルクプリンツ・ハインリヒ、プリンツ・アーダルベルト級、ローン級、シャルンホルスト級ブリュッヒャー

 

こうして、双方の系譜、段階での結論は、次代の巡洋戦艦へと引き継がれてゆくが、それは、再開する本編で見てゆくことになる。

 

コロネル沖海戦

時系列からいうと、少しフライングになってしまうのだが、両タイプの装甲巡洋艦の対決例、ということで、第一次大戦コロネル沖海戦に少し触れてみたい。

 

第一次大戦開戦当初、中国膠州湾、青島に、ドイツ東洋艦隊は本拠を置いていた。装甲巡洋艦シャルンホルストグナイゼナウ防護巡洋艦ニュルンベルク、エムデン等がこれに属し、これらをマクシミリアン・フォン・シュペー少将が率いていた。

開戦後、シュペーは当時ドイツ領であったマリアナ諸島パガン島に各所に分散していた諸艦を集結し、間近な日本海軍等による行動封鎖を嫌い、本国へ南米経由で帰還することを決意し、出発した。(1914年8月)

その後、エムデンをインド洋に分派し、一方、防護巡洋艦ドレスデンライプツィヒなどと合流しながら、10月にはイースター島を出発、南米沖を目指した。

一方、イギリス海軍はクラドック少将の指揮下に、装甲巡洋艦グッドホープ、モンマス、防護巡洋艦グラスゴー、前弩級戦艦カノーパスなどからなる捜索艦隊を編成し、シュペー艦隊の捜索に当てていた。クラドック自身、この戦力にやや不安を覚えたらしく、最新式のマイノーター級装甲巡洋艦「ディフェンス」の増援を求めていたが、実現しなかった。

ここまでの本稿の記述に添えば、ドイツ艦隊は準主力艦型の装甲巡洋艦2隻を主力とし、一方イギリス艦隊は強化巡洋艦型の装甲巡洋艦2隻をその主力としていたと言える。両艦隊を砲力で比較すると、ドイツ艦隊は2隻の装甲巡洋艦で、21センチ速射砲を片舷12門、15センチ速射砲片舷6門をそれぞれ指向できるのに対し、イギリス艦隊は同じく2隻の装甲巡洋艦で、23センチ砲2門、15センチ速射砲17門を片舷に指向できた。

速力は双方共に23ノットを発揮でき、遜色はなかった。

f:id:fw688i:20181111152613j:image

イギリス海軍クラドック艦隊の装甲巡洋艦 グッドホープ(手前)、モンマス)

f:id:fw688i:20181111172824j:image

 (クラドック艦隊の防護巡洋艦グラスゴー:本艦はコロネル沖海戦を生き抜き、後にフォークランド沖海戦にも参加 110mm in 1:1250)

グラスゴー (軽巡洋艦・初代) - Wikipedi

f:id:fw688i:20181111174535j:plain (クラドック艦隊の前弩級戦艦カノーパス:本艦はコロネル沖海戦には間に合わず、後にフォークランド沖海戦にもその前哨戦に参加 98mm in 1:1250)

カノーパス級戦艦 - Wikipedia

 

f:id:fw688i:20181111152645j:plain

(ドイツ海軍シュペー艦隊の装甲巡洋艦 シャルンホルスト(手前)、グナイゼナウ

f:id:fw688i:20181111172845j:image

(シュペー艦隊の巡洋艦  左からライプツィヒブレーメン級 89mm in 1:1250)、ニュルンベルクケーニヒスベルク級 94mm in 1:1250)、ドレスデンドレスデン級 95mm in 1:1250):エムデンも同型)

ブレーメン級小型巡洋艦 - Wikipedia

ケーニヒスベルク級小型巡洋艦 (初代) - Wikipedia

ドレスデン級小型巡洋艦 - Wikipedia

 

11月1日、チリ・コロネル沖で、両艦隊は遭遇し、海戦が発生した。

英艦隊の前弩級戦艦カノーパスは低速から別働しており、海戦には間に合わなかった。

このため、海戦は圧倒的に火力に勝るドイツ艦隊の一方的な勝利に終わり、グッドホープ、モンマスは沈没、クラドック少将も戦死した。

シュペー提督の名は、栄光に包まれ、一方、英海軍にとって「コロネル沖」は屈辱の名となる。

 

そしてこの海戦の約1ヶ月後、12月に、シュペーの艦隊はフォークランド沖で、今度は巡洋戦艦2隻を主力とする英艦隊に遭遇し、全く逆の立場となって、火力、速力に圧倒され波間に姿を消すことになるのだが、それはまた別の機会にご紹介することになるであろう。

 

次回は本編に戻って、弩級戦艦から超弩級戦艦の発展と、第一次世界大戦へ。

 

模型についてのご質問は大歓迎です。

実は、この稿を始めて、フランス艦の魅力を再発見しています。実はあまりこのスケールでも既成のモデルが少ないのですが、今後のチャレンジ領域かと、再認識しています。昨今は3Dプリンターなどを用いた業者さんも現れており、比較的気軽に相談ができるようになってきているように思います。

 


艦船ランキング


戦史ランキング

 

号外 Vol.1: カタログ: 近代戦艦(前弩級戦艦・準弩級戦艦)一覧/ List of Pre-dreadnought, Semi-dreadnought

近代戦艦の起点をどこに置くかは、大変難しい問題ではあるが、一般的には1892年に就役したイギリス海軍のロイヤル・ソブリン級がそれに当たるとされている。その要件は、1万2千トン〜5千トン級の船体を持っていること、12インチ級(30センチ級)主砲を旋回可能な形式で4門程度装備していること、航洋性を持ち、(高い乾舷を持ち)、18ノット程度の速力を持っていること、などである。

一方で、その終焉は1906年ドレッドノートの登場、これはあまり異論はないものと考える。

ここでは少し頑なに「近代戦艦」なる用語(多分、あまり耳慣れない)を用いているが、これらの戦艦は、一般的には「前弩級戦艦」「準弩級戦艦」と呼ばれることが多い。が、ドレッドノートの登場以前に「前弩級戦艦」などの呼称がある筈もなく、「近代戦艦」「強化型近代戦艦」の呼称を補助的に使って行きたい。

当ブログでは主として日本海軍の主力艦の発展を追いながら、艦艇の発達を見てきているが、今回は、列強の「近代戦艦」「強化型近代戦艦」を、総覧的に概観する。各級の詳細情報は、リンクに委ねたい。

1892年のロイヤル・ソブリンの就役から、1906年ドレッドノートの登場までのわずか14年間に、 どのような構想でそれぞれが建造されたか、見ていこうと考えている。

 

イギリス海軍:Royal Navy

List of pre-dreadnought battleships of the Royal Navy - Wikipedia

イギリス海軍では、この近代戦艦の時代から、特に戦艦においてはその砲戦距離の伸長に伴う射撃理論の構築等の観点から、戦隊での行動、艦隊運動などに注目が高まる。かつ二国標準といって、同時に二カ国の艦隊を相手取る能力を意識しはじめ、これらが相まって、同型艦をある程度の数そろえる傾向が見られるようになる。

 

近代戦艦:前弩級戦艦 pre-Dreadnought battleship

ロイヤル・サブリン級戦艦 - Wikipedia*(同型7隻:1892-最初の就役艦の就役年次を記載

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_pre-dreadnought_battleships_of_the_Royal_Navy#Royal_Sovereign_class

f:id:fw688i:20181013190414j:plain

近代戦艦の嚆矢とされる記念すべき艦である。 まだ、主砲は露砲塔形式で搭載されている。速力も16.5ノットと、まだ低速に甘んじている。

実は八番艦のフッドでは、全周密閉型の砲塔が導入された。しかしその結果、重量増対策として砲塔甲板を下げざるを得ず、乾舷の低い、外観の異なる艦になってしまった。

 

マジェスティック級戦艦 - Wikipedia*(同型9隻:1895-)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_pre-dreadnought_battleships_of_the_Royal_Navy#Majestic_class

f:id:fw688i:20181001183448j:image

主砲口径をロイヤルソブリン級の34センチから30センチに改め(ただし35口径の長砲身)、初めて砲塔形式で主砲を搭載した。後期の2隻では、どの向きを向いていても装填可能な形式を導入した。また、重油・石炭の混焼型機関が導入され、速力は17ノットに向上している。

二国標準の海軍力整備の思想から、9隻という多くの同型艦が建造された。

 

カノーパス級戦艦 - Wikipedia*(同型6隻:1899-)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_pre-dreadnought_battleships_of_the_Royal_Navy#Canopus_class

f:id:fw688i:20181104151150j:image

マジェスティック級の高速軽量化型として建造され、初めて18ノットの速力を得た。新型機関の採用により煙突位置がそれまでの並立から前後設置に変わった。

 

フォーミダブル級戦艦 - Wikipedia*(同型8隻:1901-)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_pre-dreadnought_battleships_of_the_Royal_Navy#Formidable_class

f:id:fw688i:20181104151215j:image

日本がイギリスに発注した敷島型の高性能に刺激され、マジェスティック級の強化型として建造された。主砲に40口径が採用され、新型鋼板の採用で防御力も向上している。高出力機関の採用により18ノットの速力を出す。前期3隻をフォーミダブル級、さらに防御力を向上させた後期5隻をロンドン級と呼称することもある。

近代戦艦のスタンダード、と呼べる艦級である。

 

ダンカン級戦艦 - Wikipedia *(同型6隻:1903-)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_pre-dreadnought_battleships_of_the_Royal_Navy#Duncan_class

f:id:fw688i:20181104151250j:image

高速軽防御をうたい、19ノットの速力を発揮する。 フォーミダブル級の縮小・高速版である。

 

スウィフトシュア級戦艦 - Wikipedia*(同型2隻:1904-)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_pre-dreadnought_battleships_of_the_Royal_Navy#Swiftsure_class

f:id:fw688i:20181104151306j:image

チリ海軍がアルゼンチン海軍の新型装甲巡洋艦対策として、イギリスに発注した。折から日露開戦の気配が濃厚で、日本海軍が戦争準備のために購入を交渉したが不調に終わり、ロシアの入手を防ぐために、当時日本と同盟関係にあったイギリスが購入した。

ロシア海軍のペレスヴェート級と同様、設計思想には装甲巡洋艦の拡大版の色合いが濃厚で、主砲は10インチとやや小さめの口径が採用され、軽防御、その代わり19.5ノットの高速を有している。

 

強化型近代戦艦:準弩級戦艦 semi-Dreadnought battleship

キング・エドワード7世級戦艦 - Wikipedia*(同型8隻:1905-)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_pre-dreadnought_battleships_of_the_Royal_Navy#King_Edward_VII_class

f:id:fw688i:20181104151804j:image

砲力強化の為、従来の主砲(30.5 センチ砲 4門)に加え、強力な中間砲(23.4センチ砲 4門)を搭載する最初の中間砲搭載艦として設計された。単一巨砲搭載艦(ドレッドノート)への発展途上の設計である。

 

ロード・ネルソン級戦艦 - Wikipedia*(同型2隻:1908-)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_pre-dreadnought_battleships_of_the_Royal_Navy#Lord_Nelson_class

f:id:fw688i:20181104151816j:image

前級で試みられた中間砲を強化し、副砲を廃止した。中間砲には前級と同様、23.4センチ砲を採用し、連装砲塔4基と単装砲2基の形式で計10門、搭載した。

砲力は強大であったが、実際には異なる口径の砲の管制・運用は非常に困難で、加えて就役前には、既に単一巨砲搭載艦のドレッドノートが完成しており、完成時から旧式艦として扱われた。

 

ドイツ海軍: German Navy

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_Germany

近代戦艦:前弩級戦艦  pre Dreadnought battleship

ドイツ海軍の戦艦は、元々がバルト海向けの沿岸用海防戦艦から始まっていることと、キール運河の通行、港湾施設での運用等から、ライバル国のイギリス、フランスに比べひと回り小型であった。近代戦艦の時代に入り、以下の5クラス24隻を建造した。

 

近代戦艦:前弩級戦艦 pre-Dreadnought battleship

ブランデンブルク級戦艦 - Wikipedia*(同型4隻:1894-)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_Germany#Brandenburg_class

f:id:fw688i:20181008170617j:plain

28センチ主砲を、前中後部の3基の連装砲塔に搭載している。しかしこの艦の設計時期には未だ斉射法は導入されておらず、のちの弩級艦的発想からの配置ではなく、さらにその前時代の砲塔艦(ターレット艦)の名残であると言えるであろう。速力は16ノットと、やや遅い。

 

カイザー・フリードリヒ3世級戦艦 - Wikipedia*(同型5隻:1898-)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_Germany#Kaiser_Friedrich_III_class

f:id:fw688i:20181008170700j:plain

前級から、主砲口径を24センチに下げ、連装砲塔2基、4門に数を減少させ、その代わり主砲・副砲ともに速射砲とした。中距離で収束した弾道での射撃弾量を増やすことを念頭に開いた設計である。

 

ヴィッテルスバッハ級戦艦 - Wikipedia*(同型5隻:1902-)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_Germany#Wittelsbach_class

f:id:fw688i:20181008170721j:plain

前級と一個戦隊を構成し、行動を共にすることを念頭に設計されている。基本的には前級の設計を踏襲し、使用鋼材の改良等を行なった。

 

ブラウンシュヴァイク級戦艦 - Wikipedia*(同型5隻:1904-)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_Germany#Braunschweig_class

f:id:fw688i:20181008170743j:plain

本級から、これまでフランス艦隊としてきたその想定戦闘相手をイギリス艦隊とした。28センチ速射砲の完成により、本級から、主砲を前級の24センチから28センチ連装砲塔2基とし、あわせて副砲を17センチ速射砲とし、砲力を格段に強化した。

 

ドイッチュラント級戦艦 - Wikipedia*(同型5隻:1906-)

 https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_Germany#Deutschland_class

f:id:fw688i:20181008170822j:plain

前級と同一戦隊を組んで行動することを想定して建造された。基本的に前級の改良版である。大きな改良点としては、前級では副砲の一部を砲塔形式としていたがこれを全て砲郭形式とし、この軽量化によって浮いた重量を防御に回した。あわせて機関の強化に努め、速力を保持した。

 

帝政ロシア海軍:Russian Navy

帝政ロシア海軍の戦艦については、既に多くを本編で記述した。ここでは簡潔に)

 

ナヴァリン (戦艦) - Wikipedia同型艦なし1894-)

https://en.wikipedia.org/wiki/Russian_battleship_Navarin

f:id:fw688i:20181014203823j:plain

バルト海用の戦艦。極めて低乾舷で4本煙突が特徴的。航洋性を疑問視されながらも、バルティック艦隊に加わり、極東へ回航された。

 

シソイ・ヴェリキィー (海防戦艦) - Wikipedia*同型艦なし:1896-)

https://en.wikipedia.org/wiki/Russian_battleship_Sissoi_Veliky

f:id:fw688i:20181014204949j:plain

バルト海用に建造された戦艦。高い乾舷を持ち、航洋性を確保するなど、低速を除くと、海防戦艦ながら近代戦艦の要件をほぼ満たしている。

 

近代戦艦:前弩級戦艦 pre-Dreadnought battleship

ペトロパブロフスク級戦艦 - Wikipedia*(同型3隻:1899-)

https://en.wikipedia.org/wiki/Petropavlovsk-class_battleship

f:id:fw688i:20181001175002j:image

ロシア海軍初の近代戦艦。日本がイギリスに発注した富士級戦艦への対抗上から、最初から太平洋艦隊での就役を想定し設計された。ロシアの持つ、列強と遜色のない設計能力、建艦技術を証明した。唯一、航続距離が短いことが難点であり、のちにこれが大きく災いした。

 

ロスティスラブ (戦艦) - Wikipedia同型艦なし:1893-)

https://en.wikipedia.org/wiki/Russian_battleship_Rostislav

(no photo)

黒海艦隊用に建造された。シソイ・ヴェリキィーの準同型艦である。トルコとの取り決めで、ロシアの黒海艦隊は黒海を出ることができず、行動範囲が限定された。

 

ペレスヴェート級戦艦 - Wikipedia*(同型3隻:1901-)

https://en.wikipedia.org/wiki/Peresvet-class_battleship

f:id:fw688i:20181001175040j:image

ロシア級装甲巡洋艦の強化型の意味合いの強い艦である。その為、主砲口径が小さく、軽装甲であるが、高速を発揮する。

 

ポチョムキン=タヴリーチェスキー公 (戦艦) - Wikipedia同型艦なし:1903-)

https://en.wikipedia.org/wiki/Russian_battleship_Potemkin

f:id:fw688i:20190113180510j:plain



黒海艦隊の主力艦として建造された。ロシア革命の先駆的な反乱を起こした感として非常に有名である。

 

レトヴィザン (戦艦) - Wikipedia*同型艦なし:1901-)

https://en.wikipedia.org/wiki/Russian_battleship_Retvizan

f:id:fw688i:20181001175113j:image

太平洋艦隊向けの戦艦として、アメリカに発注された。アメリカ戦艦メイン級をタイプシップとして設計され、その性能は良好であった。旅順要塞陥落時には旅順港に着底していたが、その後日本海軍に捕獲回収され、日本海軍の戦艦肥前となって就役した。

 

ツェサレーヴィチ (戦艦) - Wikipedia*同型艦なし:1903-)

https://en.wikipedia.org/wiki/Russian_battleship_Tsesarevich

f:id:fw688i:20181006140435j:image

前出のレトヴィザン同様、太平洋艦隊向けの戦艦として、フランスに発注された。流麗なタンブルホームの外観を持つ。おそらく帝政ロシア海軍の戦艦としては最高の性能を持っていた。後のボロジノ級のタイプシップとなった。

 

ボロジノ級戦艦 - Wikipedia*(同型5隻:1904-)

https://en.wikipedia.org/wiki/Borodino-class_battleship

f:id:fw688i:20181008125107j:plain

前出のツェザレヴィッチ をタイプシップとし種々の改良を追加された。ロシアでライセンス生産されたが、その過程で設計のバランスを失い、特に復元性に課題を抱える艦となってしまった。同型艦5隻のうち3隻は日本海海戦で喪失し、1隻は日本海軍に捕獲され、大改修ののち戦艦石見として日本海軍に所属した。大改修は課題の復元性の改善に主眼が置かれ、副砲塔の撤去、上甲板の廃止等が行われ、艦容は大きく変化した。

 

強化型近代戦艦:準弩級戦艦 semi-Dreadnought battleship

エフスターフィイ級戦艦 - Wikipedia*(同型2隻:1910-)

https://en.wikipedia.org/wiki/Evstafi-class_battleship

f:id:fw688i:20181008143559j:plain

黒海艦隊用戦艦。中間砲として20.3センチ単装砲を4門、装備した帝政ロシア海軍初の強化型近代戦艦(準弩級戦艦)である。

 

インペラートル・パーヴェル1世級戦艦 - Wikipedia(同型2隻:1910-)

https://en.wikipedia.org/wiki/Andrei_Pervozvanny-class_battleship#Ships

f:id:fw688i:20181126135548j:image

いわゆる強化型近代戦艦(準弩級戦艦)で、中間砲として20.3センチ砲を連装砲塔4基、単装砲6基として計14門、装備していた。

 

フランス海軍:French Navy

List of battleships of France

近代戦艦:前弩級戦艦  pre Dreadnought battleship

フランス海軍は、実に多くの近代戦艦を建造している。その形式は13級を数えるが建造された戦艦数は24隻にすぎない。多くが同型艦を持たぬ、いわば競争試作であったと言ってもいいかもしれない。

加えて「新生学派」と呼ばれる、ある意味では、いかにも議論の国フランスらしい、「大艦巨砲主義」の対局をゆく海軍戦略の一派の台頭による戦艦建造への予算制約、建造条件の設定など、いわば戦艦にとって「暗黒時代」を経て、迷走の続く時期であったであろう。

確かにこの時期は、蒸気装甲艦の出現後、初めて日清、日露での実戦が行われ、多くの戦略的、戦術的データがあらわれた時期でもあり、その中で多くの仮説の具現化によってこのような現象が発生する必然があったと言えるかもしれない。

が、経緯はどうあれ、日本海軍が日清・日露で実証し、その後、ドイツやイギリス、日本などが目指した同一口径の戦隊による艦隊決戦の思想にはこの現象は不適合の度合いが濃厚で、次第に世界の海軍力の組織的整備の趨勢から、フランスは脱落する。

一方で、その設計は常にユニークで、例えば他国に先駆けた四連装砲塔の実現など、その技術的な発展には見るべきものが、こののちも多い。

 

ここでは、上記のような状況を踏まえ、あまり根拠はないのだが、主砲を連装砲塔複数に装備したものについて、紹介してみたい。

 

一転して、艦船模型的な視点で見ると、実にコレクター魂を揺さぶられる。

例えば、1891年から就役したシャルル・マルテル準級(準級:緩やかなグループ、ということだろうか)には5隻の戦艦が属しているとされるが、排水量・備砲・速力などは似ているものの、デザイナーが異なる、一種の競争試作のような様相を呈している。

シャルル・マルテル (戦艦) - Wikipedia

チャレンジしてみたい、という思いと、迷宮の入り口に立った次の一歩への逡巡の間に揺れている。

 

近代戦艦:前弩級戦艦 pre-Dreadnought battleship

シャルルマーニュ級戦艦 - Wikipedia(同型3隻:1899-)

https://en.wikipedia.org/wiki/Charlemagne-class_battleship

f:id:fw688i:20181202160749j:image

本級の建造直前まで、上記のシャルル・マルテル準級の迷走の中に、フランス海軍はあったが、そのような経緯を断ち切って本級は生まれた。背景には英独の建艦競争による装備充実があったと思われる。

いたって標準的な外観に、標準的な近代戦艦の要件をまとめ上げた、

 

イエナ (戦艦) - Wikipedia同型艦なし1:1902-)

https://en.wikipedia.org/wiki/French_battleship_I%C3%A9na

 f:id:fw688i:20181215175610j:image

前級シャルルマーニュの改良型として1隻建造された。改良点は副砲と装甲の強化であった。

 

シュフラン (戦艦) - Wikipedia同型艦なし:1904-)

https://en.wikipedia.org/wiki/French_battleship_Suffren

f:id:fw688i:20190119182242j:image

 副砲を単装砲塔に収め、両舷に3基づつ配置している。のちのロシア戦艦ツェザレヴィッチの設計にも影響があったのではないかと思われる。

 

レピュブリク級戦艦 - Wikipedia*(同型2隻:1906-)

https://en.wikipedia.org/wiki/R%C3%A9publique-class_battleship

f:id:fw688i:20181104152351j:image

これまでフランス戦艦には、排水量に制限がかけられていたが、本級ではそれが撤廃される。設計は日本でも「三景艦」で馴染みのある、エミール・ベルタンで、これまでの戦艦とは異なる外観をしている。連装砲塔に収められた主砲、一部の副砲も連装砲塔に収めるなど、フランス艦のいくつかの特徴が見られる。

が、就役時には、すでにドレッドノートが就役しており、いわゆる旧式新造艦のラベルを貼られることになった。

 

強化型近代戦艦:準弩級戦艦 semi-Dreadnought battleship

リベルテ級戦艦 - Wikipedia*(同型4隻:1907-)

https://en.wikipedia.org/wiki/Libert%C3%A9-class_battleship

f:id:fw688i:20181104152406j:image

副砲として19.4センチ単装砲を10基保有している、いわゆる強化型近代戦艦(準弩級戦艦)である。外観は、前級とほぼ変わらず副砲の口径、数、配置が変わった。

本級も前級同様、就役時には、すでにドレッドノートが就役しており、いわゆる旧式新造艦であった。

 

ダントン級戦艦 - Wikipedia*(同型6隻:1911-)

https://en.wikipedia.org/wiki/Danton-class_battleship

f:id:fw688i:20181104152422j:image

前級からさらに艦体を大型化し、副砲口径を前級の19.4センチから、24センチの強化した。この副砲を連装砲塔6基に収めている、いわゆる強化型近代戦艦(準弩級戦艦)である。

本級も就役時には、イギリスはもちろん、ドイツ、アメリカも弩級戦艦を次々に就役させており、旧式新造艦 として就役せざるを得なかった。

 

アメリカ海軍:US Navy

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_the_United_States_Navy

大西洋における英独の建艦競争、太平洋における日露の建艦競争、両方の刺激を受けて、アメリカ海軍は多くの戦艦を結果的に建造する。その結果、ドレッドノートの就役時には、世界第2位の海軍力に到達する。

武装と防御力に重点が置かれ、速力はやや抑えられる傾向があった。

 

インディアナ級戦艦 - Wikipedia*(同型3隻:1895-)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_the_United_States_Navy#Indiana-class

f:id:fw688i:20181001174721j:image

アメリカ海軍が建造した初の本格的戦艦であった。

主砲として33センチ砲を連装砲塔2基に収め、副砲として20.3センチ砲をこちらも連装砲塔4基に配置した重武装艦である。一方、速力は15ノットに甘んじ、乾舷が低く、荒天時には主砲は使えない恐れがあった。

 

アイオワ (BB-4) - Wikipedia*同型艦なし1:1897-)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_the_United_States_Navy#USS_Iowa

f:id:fw688i:20180930175250j:plain

前級インディアナ級の改良型。主砲口径を30.3センチに抑え、配置位置を高くし、航洋性を向上させた。速力16ノット。

 

近代戦艦:前弩級戦艦 pre-Dreadnought battleship

キアサージ級戦艦 - Wikipedia*(同型2隻1:1900-)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_the_United_States_Navy#Kearsarge-class

f:id:fw688i:20181008124839j:plain

インディアナ級戦艦と同様、重武装を目指す。33センチ砲を主砲とし副砲をその上部に同様の砲塔形式で搭載すれば、副砲塔の数を減らしながらも両舷への砲力を減殺せずに済む、との発想から、設計された。親子砲塔という特異な形状を持っている。

発想は卓抜であったが、射撃時に主砲・副砲双方の爆風が干渉し、実用面では命中精度の低下など、不具合が生じた。

 

イリノイ級戦艦 - Wikipedia*(同型3隻:1900-)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_the_United_States_Navy#Illinois-class

f:id:fw688i:20181008124901j:plain

33センチ主砲を収めた主砲塔の前面形状に傾斜を持たせ、耐弾性を高めた。親子砲塔を廃止し、船首楼を復活し航洋性を高めた。

 

メイン級戦艦 - Wikipedia*(同型3隻:1902-)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_the_United_States_Navy#Maine-class

f:id:fw688i:20181008124919j:plain

ロシアから受注したレトヴィザンを参考とし、速力を列強と同等の18ノットとし、主砲も列強と同じく40口径30.5センチ砲を採用した。この砲は従来の35口径33センチ方よりも初速が速く、有効射程、命中精度共に高い。同様に副砲も50口径15.2センチ砲が採用され、総合的な砲力が強化された。

 

強化型近代戦艦:準弩級戦艦 semi-Dreadnought battleship

バージニア級戦艦 - Wikipedia*(同型5隻:1906-)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_the_United_States_Navy#Virginia-class

f:id:fw688i:20181008124940j:plain

20.3センチ連装砲4基を中間砲として装備した強化型近代戦艦(準弩級戦艦)である。中間砲の搭載形式として再び親子砲塔を採用した。機関が強化され、速力は19ノットを発揮した。

 

コネチカット級戦艦 - Wikipedia*(同型6隻:1906-)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_the_United_States_Navy#Connecticut-class

f:id:fw688i:20181008125000j:plain

前級ヴァージニア級の改良型で、主砲・中間砲の口径はそのままとし、副砲の口径が15.2センチから17.8センチに強化された。艦型は大型化したが、機関出力を抑え、速力を18ノットで我慢した。

 

ミシシッピ級戦艦 - Wikipedia*(同型2隻:1908-)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_the_United_States_Navy#Mississippi-class

f:id:fw688i:20181008125019j:plain

 艦型を小型化し建造経費を抑える思想で建造された。速力も17ノットに甘んじざるを得ず、あまり評判は芳しくなかった。就役時には既にドレッドノートが就役しており、いわゆる旧式新造艦となってしまった。

 

日本海軍 :Imperial Japanese Navy

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_Japan

日本海軍については本稿を参照されたい)

 

扶桑 (甲鉄艦) - Wikipedia同型艦なし:1879-)

https://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_ironclad_Fus%C5%8D

f:id:fw688i:20181001233136j:plain

 

近代戦艦:前弩級戦艦 pre-Dreadnought battleship

富士型戦艦 - Wikipedia(同型2隻:1897-)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_Japan#Fuji_class

f:id:fw688i:20181001233223j:plain

 

敷島型戦艦 - Wikipedia(同型2隻:1900-)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_Japan#Shikishima_class

f:id:fw688i:20181008184343j:plain

 

朝日 (戦艦) - Wikipedia(同型艦なし:1900)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_Japan#Asahi

f:id:fw688i:20181001233329j:plain

 

三笠 (戦艦) - Wikipedia(同型艦なし:1902-)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_Japan#Mikasa

f:id:fw688i:20181001233359j:plain

 

筑波型巡洋戦艦 - Wikipedia(同型2隻:1907-)

https://en.wikipedia.org/wiki/Tsukuba-class_cruiser

f:id:fw688i:20190608215129j:image

f:id:fw688i:20190608215143j:image

強化型近代戦艦:準弩級戦艦 semi-Dreadnought battleship

香取型戦艦 - Wikipedia(同型2隻:1906-)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_Japan#Katori_class

f:id:fw688i:20181008142622j:plain

 

薩摩型戦艦 - Wikipedia (同型2隻:1910-)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_Japan#Satsuma_class

f:id:fw688i:20181008142837j:plain

 

鞍馬型巡洋戦艦 - Wikipedia(同型2隻:1908-)

https://en.wikipedia.org/wiki/Ibuki-class_armored_cruiser

f:id:fw688i:20181008142700j:plain

 

イタリア海軍:Italian Navy

言うまでもなく、その主要な行動領域は地中海である。

地中海の中央を制する位置にある半島国家、と言う地政学的な意味合いからも、古来、海軍は非常に重要な役割を与えられてきた。惜しむらくは、長らく統一国家を持たず、組織化された軍隊、と言う概念が陸海問わず育ちにくかったことであろう。

上記は一方で、様々な試みが独自に行われる、と言うことでもあり、その視点に経てば、イタリアはフランスと並んで、試行、試作の宝庫とも言える。

艦船技術についても同様で、様々な試みが散見する。

が、上記の通り統一意志のもとに、と言う視点が希薄で、わかりやすく言うと個々の造船所レベル、親方レベルでの取り組みとなって、大きな動きになりにくいと言う恨みがあった。

 

近代戦艦:前弩級戦艦 pre-Dreadnought battleship

レ・ウンベルト級戦艦 - Wikipedia*(同型3隻:1893-)

https://en.wikipedia.org/wiki/Re_Umberto-class_ironclad

f:id:fw688i:20181104152822j:image

イタリア海軍初の近代戦艦である。34.3センチの主砲は、連装露砲塔にまとめられ、簡単なシールドで覆われていた。

イタリア艦の常で、18-20ノットという比較的高速を発揮する。

ボイラー配置に特色があり、3本煙突の外観を有している。

 

エマニュエレ・フィリベルト級戦艦 - Wikipedia(同型2隻:1901-)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_ItalyAmmiraglio_di_Saint_Bon_classf:id:fw688i:20190630135723j:image 

10,000トンを少し下回るほどの小ぶりな船体を持った戦艦である。主砲に40口径25.4センチ砲を採用し、これを新設計の連装式砲塔2基に収め前後に配置している。速力は18ノットを発揮する。

各国海軍から、そのバランスの良さから相次いで購入の申し入れのあった装甲巡洋艦ジュゼッペ・カリバルデイ級は、本級を小型化した艦型を基本設計としている。

 

強化型近代戦艦:準弩級戦艦 semi-Dreadnought battleship

レジナ・マルゲリータ級戦艦 - Wikipedia* (同型2隻:1904-)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_Italy#Regina_Margherita_class

f:id:fw688i:20181104152841j:image

13,000トン級のやや小ぶりな艦体に、主砲には標準的な40 口径30.5センチ砲を前後に連装砲塔形式で搭載し、 中間砲として、45口径20.3センチ速射砲を4基、単装砲で装備した強化型近代戦艦(準弩級戦艦)である。20ノットの速力を有している。

設計の当初段階では、主砲を単装砲2基とし、20.3センチ速射砲を12門搭載する、という設計であったが、設計者で当時の海軍大臣ベネデット・ブリンの死後、上記のような標準的な設計に改められた。ボイラーの配置から、3本煙突の外観を有している。

 

レジナ・エレナ級戦艦 - Wikipedia (同型4隻:1907-)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_Italy#Regina_Elena_class

f:id:fw688i:20181202170757j:image

前級の設計途上で故人となったベネデット・ブリンの設計を具現化した強化型近代戦艦(準弩級戦艦)である。主砲は、30.5センチ砲を単装でそれぞれ艦の前後に配置し、中間砲として20.3センチ砲を連装砲塔 6基に収め、都合12門とした。 防御にも配慮改善が見られ、速力は22ノットの優速を発揮した。

 

オーストリア=ハンガリー帝国海軍

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_Austria-Hungary

19世紀、あるいは20世紀初頭の列強のうち、オーストリア・ハンガリー帝国ほど、我々日本人との関わりが見出しにくい存在はないであろう。この帝国は、基本、内陸の大国であった。その海軍はアドリア海、その延長として地中海での行動を想定して設計されている。

仮想敵は主にイタリア海軍、あるいはトルコ海軍であり、この両大国との境界警備、あるいは境界域での紛争への対処がその主要な任務と考えていい。

その行動領域であるアドリア海には多くの島が連なり、狭水路の多くあるところから、比較的小振りな艦体と、紛争現場でいち早く主導権を取るべく機動性、すなわち速力が求められた。

 

近代戦艦:前弩級戦艦 pre-Dreadnought battleship

モナルヒ級戦艦 - Wikipedia*(同型3隻:1898-)

https://en.wikipedia.org/wiki/Monarch-class_coastal_defense_ship

f:id:fw688i:20181008165130j:plain

5500トンクラスの海防戦艦である。24センチ砲4門を主砲とし、17.5ノットの快速を発揮する。

 

ハプスブルク級戦艦 - Wikipedia*(同型3隻:1902-)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_Austria-Hungary#Habsburg_class

f:id:fw688i:20181008165103j:plain

アドリア海は地中海の奥深く、基本的には静かな海ではあるが、多くの島が点在し、水路が狭い。従ってこの環境に適合した比較的小ぶりな艦型が求められた。本級は8,300トンの船体に、24センチ砲3門を搭載している。(前部連装砲塔、後部単装砲塔)

19,5ノットの当時としては高速を発揮した。

 

エルツヘルツォーク・カール級戦艦 -Wikipedia* (同型3隻:1905-)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_Austria-Hungary#Erzherzog_Karl_class

f:id:fw688i:20181008165044j:plain

前級を拡大し、11,000トン級の船体を持ち、主砲は前級と同じ口径の24センチ砲を踏襲し、一門を増やし連装砲塔2基4門とした。さらに副砲の口径を強化し、19センチとし、12門を単装で舷側に搭載した。速力は20ノットを発揮する高速艦である。

 

強化型近代戦艦:準弩級戦艦 semi-Dreadnought battleship

ラデツキー級戦艦 - Wikipedia*(同型3隻:1910-)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_battleships_of_Austria-Hungary#Radetzky_class

f:id:fw688i:20181008165003j:plain

アドリア海をその主要な行動範囲と想定するために、オーストリア・ハンガリー帝国海軍の戦艦は、高速を有する反面、他の列強の戦艦に比較して艦型が小さく、口径の小さな主砲を有しており、やや非力さを感じさせることは否めなかった。

本級は、それを一新し、諸列強の主力艦と遜色のない15,000トン級の船体に、30.5センチ砲を主砲とし、さらに副砲の口径を24センチに強化、これを連装砲塔4基に収めた強化型近代戦艦(準弩級戦艦)である。さらに速力は、従来の優速を保持する20.5ノットを発揮する実に有力な艦となっている。

 

スペイン海軍: Spanish Navy

近代戦艦:前弩級戦艦 pre-Dreadnought battleship

ペラヨ (戦艦) - Wikipedia*同型艦なし:1888-)

https://en.wikipedia.org/wiki/Spanish_battleship_Pelayo

f:id:fw688i:20181001174850j:image

 スペイン海軍唯一の近代戦艦で、フランスに発注された。

フランスのマルソー級戦艦をタイプシップとし、タンブルホームなどフランス戦艦の特徴を受け継いでいる。主砲には32センチ砲を単装露砲塔形式で前後に搭載し、舷側にこれも単装露砲塔形式で28センチ砲を一門づつ搭載するという、これもフランス艦の影響を色濃く受け継いだ武装配置を採った。

姉妹艦を建造し戦隊を構成する予定であったが、海外植民地に派遣できる航続距離が長く航洋性に優れた装甲巡洋艦を建造することになったため、同型艦は現れなかった。

 

次回はいよいよ弩級戦艦の時代へ。

 

模型についてのご質問は、お気軽に。

 


艦船ランキング


戦史ランキング

第9回 日露戦以降の日本の主力艦事情 或いは空前の危機

ポーツマス講和会議

1905年8月、ポーツマスでの講和会議で、日露間の戦争が終結した。

日本海軍はロシアの、いずれもほぼ連合艦隊に匹敵する戦力を持つ二つの主力艦隊を壊滅させ、ほぼ完勝に近い結果を得た。当時、世界の三大海軍の一角を占めていたロシア海軍は、消滅した。

陸軍も、旅順要塞を、投入した部隊が瞬時に消滅すると言うような惨禍の繰り返しの末、攻略し、あわせて満州南部から中部にかけての全ての会戦で、常に自軍を大きく上回る規模で展開するロシアの大軍を退けた。

日本国民の誰もが、勝利者は自分だと確信していた。講和会議開催が報じられると同時に、30億円、50億円という、戦後賠償金の金額だけが一人歩きし、勝利の果実をどのように享受するかに、世論は湧いた。

が、その実情はとてもそのような楽観的なものではなく、これ以上の継戦は不可能、という認識で、政府、軍上層部ともに一致していた。開戦以来わずか1年で、動員兵数は180万人に上り、すでに死傷者は20万人を超えていた。戦費は4年分の国家予算に相当する20億円に達していた。

陸軍において、その傾向は特に顕著であった。

これまでも陸軍は、日本が初めて経験する近代戦が、如何に日清戦争と異なるものかを文字通り身をもって知らされていた。会戦の都度、ほぼ日清戦役全体を通して消費されたに等しい量の弾薬が、数日、あるいは1日で消費された。砲弾の補給はもちろん、生産の間に合うはずもなく、常に弾薬箱の底板を見ながら、戦わねばならなかった。

あわせて、特に前線の先頭に立ち勇敢に部隊を率いる下級将校クラスの損耗が激しく、部隊運用に弾力が失われつつあった。その育成には当然のこと、時間を要する。奉天が北進の限界、これが陸軍上層部、特に満州総軍の結論だった

 

一方、ロシアは、表面上は「満州では局地戦の末、後退したが、いずれも戦略的後退で、現在でも更に充実した陸戦戦力が満州鉄山付近に蓄えられつつある」とし、継戦への意欲を示してはいた。が、実情は国内、および周辺の属国における政治情勢に不安定さが増し、戦争継続に困難が生じつつあった。

講和会議の主催国であるアメリカは、日露いずれかの中国に対する影響力が、これ以上強化されることを好まず、ドイツ・フランスなどのロシア友好国は、ロシアの政情不安が、自国に波及することを恐れた。

 

こうして講和条約が締結された。

ロシアは満州・朝鮮から撤兵し、樺太南部を日本に割譲した。これにより日本は、念願の朝鮮半島における指導権の確立、満州南部の租借権および鉄道に関連する権益を獲得し、ロシアに代わり実質的な中国東北部の支配権を得たが、世論が熱望した戦争賠償金は支払われなかった。このため戦費捻出のための増税による耐乏生活に疲弊した世論は暴発し、国内では日比谷焼打事件などを惹起した。

 

ともかくも、こうして日本の独立自存を目指す明治初年から、その自存確立のために日清、日露の両戦役を通じて確保しようとした朝鮮半島への支配的影響力を手に入れることができた。

が、この辺りから「満州は日本の生命線」に連なるような言葉が見え隠れし始める。或いは、日本的帝国主義の萌芽、ともいえる。

 

主力艦動向 –間に合わなかった主力艦 香取級戦艦・筑波級装甲巡洋艦巡洋戦艦)

 

香取級戦艦

1904年、日本は迫り来る日露間の戦争に備え、香取、鹿島の両戦艦をイギリスのビッカース社とアームストロング社に発注し、起工した。2艦はイギリス戦艦キング・エドワード7世級をタイプシップとし、それまでの日本の近代型戦艦の標準主砲であった45口径30.5センチ級主砲4門に加え、45口径25.4センチ中間砲4門を装備する強力な艦で、のちに準弩級戦艦に分類される艦であった。竣工までの時期を短縮する目的で、造船所を2社に分けたにも関わらず、就役は日露戦争終結後であった。

両艦には、煙突位置に小異がある。

香取:1906-1923 (15,950t 18.5knot)(110mm in 1:1250)

鹿島:1906-1923 (16,400t 18.5knot)(110mm in 1:1250)

香取型戦艦 - Wikipedia battleship Katori class

f:id:fw688i:20181028134240j:plain

f:id:fw688i:20181028134308j:plain

 (香取:手前、鹿島:奥)

 

筑波級装甲巡洋艦(巡洋戦艦)

本稿でも、何度か触れたが、1904年5月15日は日本海軍にとって災厄の日であった。

この日、旅順沖を哨戒航行中の戦艦「初瀬」ならびに戦艦「八島」の2隻がほぼ同時に触雷、沈没してしまった。当時、日本には戦艦は6隻しかなく、一瞬で、海軍はその主戦力の3分の1を失った。

この喪失を補充するために1904年度臨時軍事費で、急造の下命が降ったのが、筑波級装甲巡洋艦であった。

その特徴は、何と言っても、装甲巡洋艦でありながら、当時の戦艦と同じ45口径30.5センチ砲4門を主砲として装備していたことである。後に巡洋戦艦に区分されるが、主砲は前述のように戦艦と同等、速力は当時の装甲巡洋艦と同じ20.5ノットを発揮し、装甲は戦艦と同等、という、いわゆる高速戦艦の奔り、とでもいうべき優れた艦であった。

日本海軍は、本級から、艦首の衝角を廃止している。

急造の命の下、起工から就役まで2年という短期間で建造が不休で行なわれたが、就役は日露戦争後の1907年であった。

筑波:1907-1917 (13.750t 20.5knot)(119mm in 1:1250) 

生駒:1908-1923 (13.750t 20.5knot)(119mm in 1:1250)

筑波型巡洋戦艦 - Wikipedia battle cruiser Tsukuba class

f:id:fw688i:20190608214945j:image

f:id:fw688i:20190608214931j:image

 

戦利艦の修復と再就役 

これまでの稿でも都度触れてきたが、日露戦争の経緯で、日本海軍は以下のロシア戦艦を捕獲し、再就役させた。

戦艦丹後:旧名ポルタワ(ペトロパブロフスク級)(1905-1916:日本海軍在籍期間)

戦艦相模:旧名ペレスヴェート(ペレスヴェート級)(1905-1916:日本海軍在籍期間)修復完了1908

戦艦周防:旧名ポペーダ(ペレスヴェート級)(1905-1922:日本海軍在籍期間)修復完了1908

戦艦肥前:旧名レトヴィザン(1905-1923:日本海軍在籍期間)修復完了1908

戦艦石見:旧名オリョール(ボロジノ級)(1905-1922:日本海軍在籍期間) 修復完了1908

建造時から課題とされた復元性の改善のため、副砲塔の撤去、さらに上甲板を一層削減するなど、大規模な修復、改造が行われ、艦容が一変した。

二等戦艦壱岐:旧名ニコライ1世(1905-1915:日本海軍在籍期間)

f:id:fw688i:20191003003003j:image

 (丹後:上段左、相模:中段左、周防:下段左、肥前:上段右、石見:中段右、壱岐:下段右)

 

日露戦後の新造艦 鞍馬型装甲巡洋艦、薩摩型戦艦

鞍馬型巡洋戦艦 -  Wikipedia battle cruiser Kurama class

鞍馬:1911-1923 (14,600t 21knot)(119mm in 1:1250)

伊吹:1908-1923 (14,600t 22knot)(119mm in 1:1250)

本級は、前述の筑波級装甲巡洋艦の改良型として、またこれも前述の香取級戦艦に匹敵する強力な砲力を有する高速主力艦として設計された。主砲は、筑波級と同じ日本海軍の戦艦の標準砲である45口径30.5センチ砲4門を装備し、副砲に45口径20.3センチ砲を起用し、これを連装砲塔4基に収めた。

鞍馬は従来型のレシプロ機関を搭載したが、伊吹は、後述の戦艦安芸に搭載予定のタービン搭載試験艦となり、このため建造が急がれ、就役がネームシップの鞍馬より先行した。

一方、就役に余裕があったため、鞍馬は当時最先端の三脚前後マストを採用している。

 

f:id:fw688i:20181028170308j:plain

f:id:fw688i:20181028170340j:plain

(鞍馬:手前、伊吹:奥)

 

薩摩型戦艦 - Wikipedia battleship Satsuma class

薩摩:1910-1923 (19,400t 18.25knot)(122mm in 1:1250)

安芸:1911-1923 (20,100t 20knot)(122mm in 1:1250)

初の国産戦艦である。

前級の香取級に対し、砲力を格段に強化し、従来の主砲 45口径30.5センチ砲4門に加え、香取級で初めて導入した中間砲(45口径25.4センチ砲)を連装砲塔6基12門とした。

あわせて安芸には、前述の装甲巡洋艦「伊吹」でテストされたタービンを搭載しており、20ノットの優速を発揮した。機関の差、ボイラー配置の差から、外観に差異が生じ、薩摩が2本煙突であるのに対し、安芸は3本煙突である。

f:id:fw688i:20181028152545j:plain

f:id:fw688i:20181028152608j:plain

 (安芸:手前、薩摩:奥)

 

 1911年の主力艦構成

こうして、日本海海戦当時にはわずか戦艦4隻に過ぎなかった日本海軍の主力艦は、1911年時点では、戦艦13隻(日露参戦艦4隻、新造戦艦4隻、戦利艦5隻)、戦艦にほぼ匹敵する高速装甲巡洋艦筑波級、鞍馬級)4隻という強力なものになっていた。

が、実はここに「空前の危機」が潜んでいた。

本稿でも以前少し紹介したが、日露間の黄海海戦(1904年8月)を戦訓として、1906年、 イギリスで一隻の革命的な戦艦が就役した。戦艦ドレッドノートである。

ドレッドノートは、多数の同一口径砲での『斉射』の有効性の確信の下に、第一海軍卿に就任したジョン・アーバスノット・フィッシャー提督により、『長距離砲戦に圧倒的に優位な』戦艦として設計、導入された。この艦の就役が、それまでの近代戦艦全てを一日のうちに全て前時代の旧式兵器としてしまった。

上記の日本海軍が多額の費用を掛けた新造艦、あるいは修復した戦利艦などは、全て「旧式艦」として一括りにされてしまった。その中には就役したての、当時「世界最大の戦艦」と謳われた戦艦「安芸」、装甲巡洋艦「鞍馬」なども含まれてしまう。

f:id:fw688i:20181028154931j:plain

ドレッドノート (戦艦) - Wikipedia  battleship Dreadnought (1906-1919)

(18,110t  21knot) (126mm in 1:1250)

 

いわゆる、弩級戦艦の時代がすでに始まっていた。

弩級戦艦の要件は、概ね以下のようにまとめられるだろう。主砲斉射能力が、片舷8門以上あること。速力が21ノット以上であること。(弩級巡洋戦艦では、速力は24ノット以上)つまり、弩級戦艦は、砲力において、近代戦艦(前弩級戦艦)の2倍以上あり、速力においては3ノット以上の優速を発揮しうる、ということになる。

すでに弩級戦艦の家元であるイギリス海軍では、実験艦的な性格が強いドレッドノートに続き、インヴィンシブル級巡洋戦艦(3隻:主砲8門、24.5ノット)、べレロフォン級(3隻)、セント・ヴィンセント級(3隻)、ネプチューン、コロッサス級(2隻)、インディファティカブル級巡洋戦艦(3隻)が就役、あるいは就役間近であった。

f:id:fw688i:20181028175555j:plain

 (ドレッドノート (戦艦) - Wikipedia  Dreadnought上段左:126mm  **右端の数字は1:1250スケールでの寸法を示す

ベレロフォン級戦艦 - Wikipedia  Bellerophone class 上段右:128mm、

セント・ヴィンセント級戦艦 - Wikipedia   St. Vincent class中段左:130mm、

ネプチューン (戦艦) - Wikipedia  Neptune 右2段目:132mm、

コロッサス級戦艦 - Wikipedia Colossus class battleship右3段目:133mm

インヴィンシブル級巡洋戦艦 - Wikipedia Invincible class下段左:136mm、

インディファティガブル級巡洋戦艦 - Wikipedia Indefatigable class 下段右:144mm)

f:id:fw688i:20181028193315j:image

(イギリス海軍弩級戦艦の配置比較 右からドレッドノート、べレロフォン級、セント・ヴィンセント級、ネプチューン、コロッサス級)

 

これに刺激されて、俄かに弩級艦建艦競争が惹起した。

ドイツ海軍では、ナッソウ級(4隻)、巡洋戦艦フォン・デア・タン、ヘルゴランド級(4隻)、モルトケ巡洋戦艦(2隻)が、アメリカ海軍でもサウスカロライナ級(2隻)、デラウエア級(2隻)、フロリダ級(2隻)が就役済み、もしくは就役間近で船台に乗っていた。

(ドイツ海軍 弩級艦)

f:id:fw688i:20181028222222j:image

(ナッサウ級戦艦 - Wikipedia  Nassau class左上段:117mm、

ヘルゴラント級戦艦 - Wikipedia   Helgoland class左下段:133mm、

フォン・デア・タン (巡洋戦艦) - Wikipedia   Von der Tann右上段:137mm、

モルトケ級巡洋戦艦 - Wikipedia  Moltke class右下段:151mm)

f:id:fw688i:20181028222300j:image

(ドイツ海軍の弩級戦艦弩級巡洋戦艦の配置比較:左から、ナッサウ級、ヘルゴランド級、フォン・デア・タン、モルトケ級) 

 

アメリカ海軍 弩級戦艦

f:id:fw688i:20181028222429j:image

(サウスカロライナ級戦艦 - Wikipedia  South Carolina class上段:113mm、

デラウェア級戦艦 - Wikipedia  Delaware class下段左:124mm、

フロリダ級戦艦 - Wikipedia  Florida class下段右:124mm)

f:id:fw688i:20181028232305j:image

アメリ弩級戦艦の配置比較:左から、サウスカロライナ級、デラウエア級、フロリダ級)

 

さらに、イギリス海軍では、コロッサス級をもって一連の弩級艦の建造を終え、主砲口径を大きくしたオリオン級、ライオン級巡洋戦艦を起工しており、このクラスの就役が、次の超弩級艦の時代の幕開けとなるであろう。

 

日本海軍も、次期主力艦である摂津級の設計に弩級艦の性格を盛り込んでいたし、イギリスに超弩級巡洋戦艦「金剛」を発注してもいたが、その出遅れ感は、否めなかった。

 

次回は、号外編として、ついに今回(1911年)で終わりを告げた近代戦艦の時代を振り返り、列強各国の前弩級戦艦、準弩級戦艦のカタログをご覧いただくことを予定している。

 

さらにその次からは、迫り来る欧州大戦(第一次世界大戦)に向けて、弩級艦・超弩級艦の発展をもう少し丁寧に。あわせて、この辺りから日本海軍を中心に「if艦」なども交えながら。

 

模型に関する質問、お問い合わせは、お気軽にどうぞ。大歓迎です。

 


艦船ランキング


戦史ランキング

 

 

 

第8回 バルティック艦隊回航と海戦

バルティック艦隊の極東回航

「壮図」、という言葉にふさわしい。

バルティック艦隊の本拠リバウ軍港から、旅順、あるいはウラジオストックまでの距離、約18,000浬、30,000キロ。計画の当初40隻を超える艦艇がこの遠征に参加する予定で、最終的には50隻を超えた。最短でも4ヶ月はかかる見込みで、実際には7ヶ月余りの航海になった。距離的にはマゼランの航海には及ばぬものの、その艦隊の規模、兵員数、戦闘力、さらには、石炭の補給をはじめとする計画的な兵站の確保を考慮すると、まぎれもない「空前の壮挙」であった。

f:id:fw688i:20181014182942j:plain

(第二太平洋艦隊主力の第一戦艦戦隊:最新鋭のボロジノ級戦艦4隻 スヴィーロフ・アレクサンドル3世・ボロジノ・オリョール)

f:id:fw688i:20181014205022j:plain

(第二戦艦戦隊:オスリャービャ(上段)、シソイ・ウォーリキー(下段左)、ナヴァリン(下段右))

 

回航により彼らが得ようとしたもの、その企図は雄大そのものと言わねばならない。

当時、極東には、ほぼ日本海軍に匹敵する規模の太平洋艦隊(第一)が旅順とウラジオストックを基地として展開していた。これに、ほぼ同規模の艦隊(第二)を本国から派遣し、二つの艦隊を合わせて、すなわち日本海軍の二倍の規模で圧倒してしまおう、というものであった。その海軍を撃滅し、制海権を握り補給を断つならば、満州に展開する日本陸軍など、ただ待っているだけでも消滅してしまう。

必勝の図式に裏打ちされた、見事な戦略と言えるであろう。

瑕疵があるとすれば、回航作戦の決定時期そのものの遅さ、およびその後、決定から発動まで、5ヶ月の時間がかかっていることであろう。(決定:5月20日 出港:10月15日)

前稿でも何度か触れたが、これらはこの戦争全般に見られる準備努力の不足、および「開戦時期の決定権はロシアにある」という大国ならではの思い上がりに似た見通しに起因しているように思われる。

 

一方、5月のロシア本国艦隊回航決定の報に触れ、日本は陸海軍をあげて、8月に当初その戦争計画になかった旅順要塞の攻略戦を開始した。両艦隊の合流は、日本の死命を制することは明らかであるために、日本にとって、一転して「旅順」は国運をかけた戦場となった。

この結果、「旅順」は、本国艦隊回航までの間、太平洋艦隊を温存するには安全な地ではなくなり、旅順艦隊はウラジオストックへの移動を企図する。その移動を巡って、同月には、旅順艦隊と日本艦隊の間に黄海海戦が行われた。膠州湾に逃げ込み武装解除された一隻をのぞいて、旅順に戻った5隻の戦艦であったが、海戦で受けた損傷を修復することが旅順ではできず、海上戦力としての旅順艦隊は消滅した。

冷静に考えれば、巨大な陸軍を陸路満州に送り込む能力を持つロシアにしてみれば、この時点、すなわち既に両艦隊の合流という海軍力による戦争の勝利の見通しの失われた今、本国艦隊の回航を中止する判断があってもよかった。

 

が、その判断は下されず、艦隊は、1904年10月15日に、リバウ軍港を出発した。

出発にあたり、バルティック艦隊は第二太平洋艦隊と名を改めた。司令長官には軍令部長のロジェストヴェンスキィが就任し、中将に昇進した。

彼はその将旗をボロジノ級戦艦、スヴォーロフに掲げた。

 

ボロジノ級戦艦 - WikipediaBorodino-class battleships

ボロジノ(1904-1905)

アレクサンドル3世(1903-1905)

オリョール(1904-1922 :1905年以降、日本海軍に在籍 戦艦「石見」)

スヴォーロフ(1904-1905)

f:id:fw688i:20181014230502j:plain

旅順艦隊所属にして、おそらく最良の戦艦「ツェザレヴィッチ」をタイプシップとして、ロシア国内で設計変更されライセンス生産された。タンブルホーム、連装砲塔式の副砲など、いくつかの特徴を受け継ぎながら、やや大型化している。

最良艦をベースにしているにも関わらず、ロシアでの改設計、併せて建造技術などの問題から、最終的には復元性に課題のある艦となってしまった。

欠陥があるにせよ、旅順艦隊が動けない状況で、ボロジノ級の4隻は、ロシア艦隊最強の戦艦であることに変わりはなく、その主力として、この4隻で最強の第一戦艦戦隊を編成し、ロジェストウェンスキーが直卒した。

(13,500t 17.8knot) (95mm in 1:1250)

 

オスリャービャ (戦艦) - Wikipedia(1901-1905)

f:id:fw688i:20181014232618j:plain

ペレスヴェート級の二番艦。元々は、太平洋艦隊に配属される予定であったが、旅順への回航途中に日露開戦となり、本国に戻った。今回の本国艦隊の極東回航にあたり、第二戦艦戦隊の旗艦を務めた。(フェルケルザム少将座乗)

ロシア級装甲巡洋艦の拡大的要素が強く、航洋性能と速度を重視し、武装と装甲を少し抑えた、後の巡洋戦艦的な性格を持つ。その為、主砲は少し小さめの口径の25.4センチ連装砲を、前後の砲塔に収めている。

(12,674t 18knot) (104mm in 1:1250)

 

今回の極東回航にあたっては、フェルケルザムの率いる第二戦艦戦隊主力は、オスリャービャと以下の紹介する一世代前のバルト海向けに建造された戦艦2隻、加えてやや旧式の装甲巡洋艦で構成された。旗艦オスリャービャは、前述のように言わば強化型の装甲巡洋艦的な性格でその主砲口径が小さく、その他の2戦艦はそもそもがバルト海用の海防戦艦であり、特に航続距離、速度が最新戦艦に劣った。一方で、バルト海向けの海防戦艦であるために喫水が浅く、地中海、スエズ運河経由の航路を選択することができ、オスリャービャを除いて短縮ルートに別働した。

 

シソイ・ヴェリキィー (海防戦艦) - Wikipedia (1896-1905)

f:id:fw688i:20181014234307j:plain

バルト海向けに建造された海防戦艦である。乾舷をやや高くし航洋性を向上させるなど、形式はほぼ近代戦艦の要件を満たしているが、速力が15.6ノットと遅かった。また石炭の積載量も1000tと少なく、一回の給炭での航続距離が短い。(10,499t 15.6knot) (81mm in 1:1259)

 

ナヴァリン (戦艦) - Wikipedia(1895-1905)

f:id:fw688i:20181014235348j:plain

四角に配置された4本の煙突を持つ、極めて特徴的な外観をしている。近代戦艦以前のバルト艦隊向けに開発された装甲砲塔艦的な設計の艦で、極めて低い乾舷を有していた。前掲のシソイ・ヴェリキー同様、航続距離が短い。10.200t 15.8knot) (83mm in 1:1250)

 

航海は難渋を極めた。

それは、給炭と補給地を求める航海であったと言っていい。

元々、航路上の大半は、日英同盟を結ぶイギリス領であり、この港湾に立ち寄ることはもとより計画に入れることはできなかった。もし寄港などすれば、たちまち拘束されてしまうであろう。従って、当初から寄港地は、長年の同盟国であったフランス領に設定された。アフリカの西岸、東岸ともにフランス領は多く、その港湾を飛び石伝いに辿っていけば、十分な補給と休養がえられる筈であった。

ところが、イギリスの老練な外交手腕により、本来は長年の同盟国であったはずのフランスの態度が時を追うにつれ、冷たくなった。

フランスにも事情がある。前述のようにフランスは長年にわたりロシアを同盟国としてきている。この同盟により、フランスはイギリス、加えて殊に長年の潜在的仮想敵国であるドイツとの外交における自国の地位を保ってきている。ところが日露戦争により、ロシアはその強力な陸軍の主力を極東に割かねばならなくなった。ドイツ東方国境にかかっていた重圧が減衰した。相対的に、同盟国であるフランスのヨーロッパにおける地位が弱まった。

さらに、今回の艦隊回航により、ロシアの海上勢力はヨーロッパを空にするように、極東に向けられてしまう。潜在的にドイツを仮想敵国とするフランスとしては、この崩れたバランスを補うために、イギリスに冷淡な態度をとることが難しくなった。

フランスの態度の変化の背景にはそういう事情が働いている。

同盟国の態度の変化はともかく、遠征を行う艦隊にとって、フランス領への寄港、そこでの補給は不可欠で、艦隊は不慣れな外交交渉に苦しみながらも、半ば強引に居座るようにフランス領の港湾を使用せねばならなかった。

 

その本隊の航路を辿ると、リバウ出発後、11月6日前後に、地中海ルートをとるフェルケルザム戦隊を分離、11月16日、アフリカ西岸のダカールに寄港。その約1ヶ月後の12月16日、ドイツ領アンゴラに寄港後、19日に喜望峰沖を通過している。

当時の通信事情で、艦隊は知る由もなかったが、実はこの間、12月5日に旅順要塞外郭の203高地日本陸軍の手に落ち、その高地を観測点にした有名な28センチ榴弾砲の砲撃で、翌12月6日には、旅順艦隊の残存する5隻の戦艦のうち、レトヴィザン、ペレスヴェート、ポペーダ、ポルタワが大破、着底してしまっていた。さらに、1月1日には要塞そのものが日本軍に降伏し、戦艦のうち1隻だけ残っていたセヴァストポリも港外で自沈してしまっていた。

 

航海を続ける艦隊は、12月29日にはマダガスカル周辺に到着し、マダガスカル西岸のノシベに、1月9日に入港。ここでスエズルートを取ったフェルケルザムの別働戦隊と合流した。艦隊はこのノシべで上記の旅順艦隊の消滅を知らされた。

後世のこの遠征の結果を知る我々からみれば、この遠征の目的、遠征の末の勝利の図式が失われた時点で、艦隊の回航中止は、ほぼ唯一の理性的な、あるいは十分に検討価値のある選択肢として映るかもしれない。

しかし、戦争当事者にとっては、戦争がそもそも国家の威信そのものを賭けた政治行為であるとすれば、この段階での遠征中止はありえなかったであろう。この時点で、皇帝個人への敬意はさておき、少なくとも帝国政府・中枢の官僚、ひいては体制への疑問が無視できぬほどくすぶりつつある国内事情をみれば、政権の中心にいる者たちにとっては、この遠征を竜頭蛇尾に終えることは、それが今後の国家維持のためにどれほど賢明な選択であったとしても、出来ない相談であった。それは例えば10年後の政権のためにはなっても、今日の政権の権威にとってはなんら利するところはない。これは皇帝ニコライ2世周辺において、最も濃厚であった。

一方、艦隊を率いるロジェストヴェンスキィ提督にしても、同様に、あるいは全く異なる理由から、中止は考慮もしなかったであろう。

栄光あるロシア海軍の軍人として(或いは、国籍を問はず軍人の常として)、彼は勝つことのみを考える。そして彼にとって、この状況下で勝利の確率を最も高める最良の方法は、すぐに極東に向けて出発することであったし、実際にそのようにモスクワに上申している。

日本艦隊はようやく旅順警備の重圧から解放されたとはいえ、長期間の洋上待機状態で艦も兵も疲弊しきっているはずである。多くの艦は、多少なりとも戦闘での損傷箇所があり、あるいは不調箇所があるはずであった。おそらく、強力な旅順艦隊に対峙してきた日本艦隊においては、主力艦において、その必要の度合いは高いであろう。これを急いで修理、休養させねばならないが、当時の日本の修理施設には限界があり、短時間での回復は望めない。ロシア艦隊としては、この状況を自軍に有利な材料として利用するには、その整備の整わぬうちに、少しでも早い極東への到着を目指すべきであった。

が、ロジェストヴェンスキィの焦慮をよそに、この後、艦隊はこのノシベに約2ヶ月滞在することになる。すなわち、モスクワは、彼の上申を承認しなかった。

モスクワの懸念は別のところにあった。元々、開戦当初、太平洋艦隊(旅順・ウラジオストック艦隊)には、ロシア海軍における当時の最新最良の艦船、兵員が優先的に配置されていた。これをロシア海軍始まって以来の名将マカロフに指揮させて日本に勝つ、というのがモスクワの描いた構想だった。

今回の遠征艦隊は、開戦以降就役した最新鋭の戦艦を5隻揃えているとは言え、その兵員は旅順の部隊に比べれば未熟であり、このまま戦場に赴かせるのは不安であった。このため、新たに二つの小艦隊を増援として、送り出すので、これを合流して極東を目指せ、と指令した。

一つは快速巡洋艦数隻からなる部隊であり、もう一つは二世代前の旧式戦艦と旧式の装甲巡洋艦バルト海の沿岸警備用の装甲海防艦(小戦艦)3隻を中心とした艦隊で、物々しく、第三太平洋艦隊の名を冠し、これをネボガトフ少将に預けた。

ロジェストヴェンスキィにすれば、これらの艦は全て、今回の遠征艦隊を編成するにあたって、戦力としては期待できないとして、外した艦ばかりであったから、すぐに反対意見を上申し、一刻も早いノシべ出発を許可するよう懇願した。が、モスクワは聞き届けなかった。

このモスクワの対応に強い苛立ちを覚えつつも、一方で、彼は皇帝ニコライ2世侍従長軍令部長であり、誰よりも皇帝の意思には忠実な自分でなくてはならなかった。

彼が行なった精一杯の反抗は、ネボガトフとは、ノシべではなく、回航途上の仏領カムラン湾で合流する、とモスクワに告げたことだった。こうした経緯の後、ようやく3月16日、艦隊はノシべを出港した。

 

f:id:fw688i:20181020215813j:plain

 (第三太平洋艦隊:戦艦ニコライ1世(上段左)装甲海防艦セニャーウィン(上段右) 同ウシャコフ(下段左) 同アプラクシン(下段右))  

 

 第三太平洋艦隊はネボガトフ少将を指揮官とし、旧式戦艦1、装甲海防艦3、旧式装甲巡洋艦1、これに工作船、補給船、病院船など7隻が付随した。2月16日リバウ軍港を出港、地中海・スエズ航路を経て、仏領カムラン湾での第二太平洋艦隊との合流を目指した。

インペラートル・ニコライ1世 (戦艦・初代) - Wikipedia(1891-1915:1905年以降、日本海軍に在籍 二等戦艦「壱岐」)

f:id:fw688i:20181020222038j:plain

バルト海での運用を想定して設計され、 ロシア海軍として初めて主砲に連装砲塔構造を採用した。その主砲は前部に一基のみ搭載され、やや小型の海防戦艦的な性格の艦である。(9,500t 15.3knot)(84mm in 1:1250)

 

アドミラル・ウシャコフ級海防戦艦 - Wikipedia

ウシャコフ(1895-1905)

セニャーウィン(1896-1935:1905年以降、日本海軍に在籍 二等海防艦「見島」)

f:id:fw688i:20181020235321j:image

バルト海沿岸防御用に建造された小型海防戦艦である。小さな船体ながら、25.4センチ砲を連装砲塔2基に収納している。沿岸防御を主任務と想定しているため、浅吃水が条件づけられ、大洋での行動には不向きとされていた。

 

アプラクシン(1899-1922:1905年以降、日本海軍に在籍 二等海防艦沖島」) 

f:id:fw688i:20181020235338j:image

アプラクシンのみ、後部に単装砲塔を装備し、主砲は3門である。

(4,971t 16knot)(69mm in 1:1250)

 

ノシべを発した第二太平洋艦隊の次の寄港地は、インドシナ半島カムラン湾であった。この間、全てイギリス領であり、洋上給炭などに苦しみながら、艦隊は、航海を続けなくてはならなかった。ロジェストヴェンスキーはシンガポール沖で、ネボガトフの艦隊がジプチに到着したことを通報された。おそらく数週間後には、仏領カムラン湾で会同するであろう。

そして艦隊は、4月上旬、その会同地点、仏領カムラン湾沖に到着する。

到着後、ロジェストヴェンスキィは、全艦隊に給炭の指示を出した。実はこの時点で、彼には、ネボガトフを待たず、カムラン湾を素通りする意思があった。

東郷は、当然、ネボガトフの艦隊の発進を知っている。従ってその現在位置の情報を集め、ロシア艦隊の合流日時、さらには日本近郊到着の日時を予測しているであろう。カムラン湾を素通りし、そのままウラジオストックを目指せば、この予測の裏をかくことが出来、その混乱に乗じて、ウラジオストックへ到着する確率を高めることができる。これがロジェストヴェンスキィの目論見だった。

後発の老朽艦隊の回航情報を囮に使った、見事な作戦と言えるであろう。

が、この目論見は、簡単に崩れてしまう。艦隊主力、ボロジノ級2番艦、これまで艦隊最優秀艦と目されていたアレクサンドル3世が、これまでの給炭量をごまかして報告しており、現在の積載石炭では、ウラジオストックに到達できないことが判明したためであった。給炭量のごまかしの動機は、給炭時間を短く見せることにより最優秀艦の評価を維持するため、という呆れるようなものだった。

積載量を満たすためには、、新たに給炭船を呼び戻さねばならず、これにより彼の計画は実施できなくなった。

 

5月9日、第二、第三、両太平洋艦隊は仏領カムラン湾で合流し、5月14日、ウラジオストックに向けて出発した。

 

海戦、敵前大回頭の意味

いよいよ日本海海戦に至るわけだが、海戦の経緯については非常に多くの資料、優れた書籍に任せるとして、本稿では、有名な敵前大回頭(東郷ターン)について少し触れてみたい。

 

旅順艦隊の消滅によって、日本海軍の背負う主題はかなり軽くなったと言えるのだが、しかしながら、制海権を守るためには必ず勝利を収めねばならないことには変わりはなく、可能な限り特にロシア艦隊の主力艦(戦艦)をこの海戦で沈めてしまいたかった。

一方、ロシア艦隊はその主力艦、特に戦艦に区分される艦種において、数で日本艦隊を依然圧倒していた。主力艦の数、すなわち射程の長い巨砲の数、といってもいい。この巨砲群を持って、日本艦隊を撃ち払い、ウラジオストックに逃げ込めれば、その後の戦局に大きな影響力を維持し得ることは間違いない。

或いは、出撃せずともウラジオストックの港内で、その機関のあげる煤煙を高くするだけでも、日本の補給路に緊張を与えることが可能であろう。

 

来攻するロシア艦隊の戦艦は、数だけでいえば8隻に及ぶ。もちろんこれまでに何度か触れたように、その建造年代は多岐に渡り、すなわち旧式に分類される艦も含まれてはいる。これもこれまでに見てきたように、この時期の(あるいは軍事技術というのはいつもそうであるのかも知れないが)数年の差は、実に大きな意味を持つ。そうした意味で言えば、ロシア艦隊の主力を務めるボロジノ級戦艦は、日本艦隊の主力艦である三笠、朝日、敷島の3隻の戦艦よりも新しい。オスリャービャは、ほぼ三笠以下3隻と同年代の戦艦であり、日本の「富士」とロシアの残りの3隻の戦艦は三笠よりも前の世代に属していた。

30センチ級の主砲の数で言えば、日本艦隊が16門であるのに対し、ロシア艦隊は26門、一回り小さな25センチ級の砲は、日本艦隊は1門(春日)であるのに対し、ロシア艦隊は15門(3隻の装甲海防艦を含む)であった。

一方、装甲巡洋艦の数では日本艦隊はロシア艦隊を圧倒していた。日本艦隊8隻に対し、ロシア艦隊3隻、装甲巡洋艦の主砲である20センチ級の砲数は、30対16 であった。また、日本の装甲巡洋艦は全て同年代に艦隊決戦用に作られたいわばミニ戦艦で、全ての砲を砲塔に装備しているのに対し、ロシア艦隊の装甲巡洋艦は全て旧式で、うち2隻は主砲を舷側装備していた。

すなわち、日本艦隊が勝利を収めるためには砲戦の距離を詰める必要があり、一方、ロシア艦隊は長距離での砲戦を維持すればするほど、ウラジオストック到着というその目的を達成する可能性を高めることができた。

 

 

両艦隊が激突する。

ロシア艦隊は本稿の冒頭に示したように、ボロジノ級を中心とした第一戦艦戦隊、オスリャービャを先頭に旧式戦艦2隻、装甲巡洋艦を従えた第二戦艦戦隊、そしてニコライ1世を旗艦とするネボガトフの第三太平洋艦隊の3郡が緩やかな縦陣を組んで北東方向へ進路を取っている。

一方、日本艦隊は三笠以下第一戦隊の戦艦4、装甲巡洋艦2、出雲以下第二戦隊の装甲巡洋艦6隻の順でこちらも単縦陣で南下してきている。

 

f:id:fw688i:20181021152040j:plain

 (第一戦隊:三笠(上段左)、朝日(上段右)、敷島(中段左)、富士(中段右)、装甲巡洋艦春日(下段左)、装甲巡洋艦日進(下段右))

 

f:id:fw688i:20180924120229j:plain

第二戦隊の装甲巡洋艦(八雲(上段左)、吾妻(上段右)、出雲(中段左)、磐手(中段右)、浅間(下段左)、常磐(下段右))

 

遠くロシア艦隊を視認した日本艦隊は、一旦進路を北西にとりロシア艦隊の予定進路を横断し自らの左舷方向に敵艦隊をみる位置どりに移行したのち、再び進路を南西に戻し、反航進路を進んでいく。距離12,000メートルで旗艦三笠には、有名なZ旗が掲げられた。Z旗は「皇国の興廃、この一戦にあり。各員、一層奮励努力せよ」の文字が割り当てられていることで有名であるが、Zはアルファベットの最終文字であることから「もう後がない」を意味してもいた。

 

日本艦隊が勝利を目指すには、以下のいくつかの条件を検討し、艦隊を運動させねばならない。

北上してくるロシア艦隊と待ち受ける日本艦隊の位置どりを考えると、おそらく最初の会合は反航航路の形態を取るであろう。

一方、黄海海戦の苦戦の教訓から、反航戦を継続して行った場合、一度後落するとその距離を詰めるには多くの時間を要する。今回の海戦では、ロシア艦隊主力(特に高速を出しうるボロジノ級を始めとるする数隻)の遁走が最も恐れなくてはならない結果であり、それを防ぐためには、早い時期に同航戦に移行する必要があった。

備砲の差。長距離射程を有する大口径砲においては、ロシア艦隊に圧倒的な優位がある。日本艦隊としては、数的に優位な中口径砲を活用せねばならない。そのためには距離を詰める必要がある。

整備、速度における優位。長距離を回航してくるロシア艦隊は整備が十分ではなく、かつ建造年代にばらつきがあり、艦隊運動を高速で行うことは望めない。一方、日本艦隊は整備が完了しており、かつその主力艦はほぼ同世代であり、これらを考慮すると、海戦は味方の優速で行うことが期待できる。

 

実際には、日本艦隊は距離10,000メートルで17ノットに増速し、まず敵艦隊に対する優速を確保した。ロシア艦隊はこの辺りで発砲を開始する。ロシア艦隊も、自軍の優位性(大口径砲の数)を理解し、その論理に忠実な長距離での戦闘を行おうとした節がある。さらに両艦隊の距離8,000メートルのあたりで、三笠は150度の敵前大回頭(東郷ターン)を行い、ロシア艦隊との距離を一気に詰めるコースに乗った。

一般に大回頭の危うさを問う記述は多い。確かに、回頭地点に砲弾を集中されれば、高い被弾率を覚悟せねばならない。が、それは回頭点とその後の進路が特定された後の、後続艦におけるリスクであり、先頭艦は、回頭後の進路予測が難しく、この時点での被弾はそれほど気にする必要はなかった。併せて、両艦隊ともにかなりの速度で運動中であり、加えて、秋山の出撃時の軍令部宛の電文にあるように「波高し」の気象条件である。実際には、日本海海戦当時には、特定地点に大口径砲弾を正確に送り込み続ける、というのは大きな困難を伴ったであろう。

三笠への砲弾の集中は、先頭艦としての宿命であり、かつ新進路で敵との距離を詰めるコースに乗ったことにより生じたものので、回頭のいかんに関わらず、先頭の旗艦としては、甘んじて受け入れざるを得ない危険であった。

後続艦も逐次、回頭しこの新進路に乗る。この回頭により日本艦隊はロシア艦隊に対し「T字」を切ることが出来た、という表現があるが、どちらかというと「イ」の字に近い進路をとり、その砲戦距離を自軍に有利な中口径砲向きに詰めた同航戦を行った、と解釈する方が実際に近いような気がしている。

加えて、17ノットの優速をもってすれば、常に距離を開く方向へ運動しようとするロシア艦隊の鼻先を抑えるような機動が可能であり得たであろう。

 

こうして海戦は始まり、翌日までに、東郷の艦隊は歴史的な勝利を収めた。艦隊の目的地ウラジオストックにたどり着いたのは、巡洋艦1隻、駆逐艦2隻にすぎず、戦艦8隻のうち6隻が撃沈され、2隻が日本海軍に捕獲された。

 

一方で、結末は悲惨なものであったが、やはり冒頭に述べたように30,000キロに及ぶこの規模の大艦隊による航海は、やはりそれだけで讃えられるべきものであると考える。種々の悪条件、さらに悪化する極東の戦況の中、大きな事故なく航海を成し遂げ、しかも戦う意欲を持続させた事実は、偉大であり、ロジェストヴェンスキィの統率力は眼を見張るものがある。あるいは、劣勢を知りながらこれに付き従い戦ったロシアの兵士たちの忠良さを、なんと賞賛すべきであろうか。

 

ともあれ、海上の覇権をめぐる争いとしての日露戦争は終わった。

 

次回は、日露戦争以降の日本海軍に訪れた空前の危機、について。

 

模型についての質問はお気軽にどうぞ。あるいは質問をするにせよ、情報が十分でない、「こういう情報が欲しい」などのご意見も、ぜひ、お願いします。

 


艦船ランキング


戦史ランキング

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第4回(補遺1) 畝傍 ついに日本に回航

幻の防護巡洋艦「畝傍」-Unebi :protected cruiser-

ついに「畝傍」が、本日(2018.10.13)、水雷艇2隻と日本に回航されてきた。

今回は少し息抜き。

f:id:fw688i:20181013214537j:plain

水雷艇「小鷹」「白鷹」とともに、ようやく日本へ到着。

畝傍 (防護巡洋艦) - Wikipedia

 

f:id:fw688i:20181013214613j:plain

f:id:fw688i:20181013214745j:plainすでに記載したように、日本海軍は明治16年度の艦艇拡張計画で3隻の防護巡洋艦を英仏2国に発注した。イギリスに発注された2隻が、浪速級防護巡洋艦「浪速」「高千穂」、一方、フランスに発注された1隻が「畝傍」であった。

3,600トンの船体に、舷側4箇所の張り出し砲座に設置された24センチ砲、15センチ砲7門などを搭載し、18.5 ノットの速力を発揮する艦である。

同時期に発注されたにも関わらず、「浪速」級とは、上の写真のように、全く異なる艦容を示している。「浪速」に同等なスペックを持ち最新式の防護巡洋艦であるはずなのだが、その外観は、流麗でやや古めかしい三檣バーク形式である。その喪失については、未だに謎のままである。

浪速級と比較すると、やや低めの乾舷と、舷側の4箇所の砲座に搭載された24センチの主砲が、ややバランスの悪さを感じさせる。フランス艦には時に復元性能に問題がある場合があり、回航途上に暴風雨などに遭遇しその弱点が瞬時の転覆など、もたらしたかもしれない。

しかしその流麗な艦容で高速を発揮し敵に肉薄する姿など、期待を持たせる外観である。

 

西京丸 に似た船(その2)

f:id:fw688i:20181013220348j:plain

f:id:fw688i:20181013220414j:plain

西京丸ではないので、ご注意を。しかし艦首部がもう少し垂直であれば、ほぼ、西京丸。

 

次回は、いよいよ日本海海戦、つまり近代戦艦・装甲巡洋艦の終焉。

模型についてのご質問をお待ちしています。

 


艦船ランキング


戦史ランキング