相州の、ほぼ週刊、1:1250 Scale 艦船模型ブログ

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

日本海軍巡洋艦開発小史(その5) 「平賀デザイン」の重巡洋艦誕生、そしてABDA艦隊

ワシントン・ロンドン両海軍軍縮条約と「平賀デザイン」

1912年に締結されたワシントン海軍軍縮条約では、主力艦(戦艦・巡洋戦艦)および航空母艦には、主砲口径と基準排水量 、そして保有数には総合計排水量で制限がかけられました。

しかし、巡洋艦以下の補助艦艇には、排水量(10000トン)と搭載主砲(8インチ)に上限が設けられましたが、保有数には制限がかけられませんでした。そのために列強各国はこの条約の抜け穴ともいうべき「準主力艦」の建造を競います。

ワシントン体制で「主力艦=戦艦」の保有数に対英米60%の保有制限をかけられた日本海軍は、大正12年度計画(1923年)で、保有制限のない補助艦艇の分野で2種類の巡洋艦の建造計画を始動します。

一つは、本稿の前回(おっと、前々回?)でご紹介した、5500トン級軽巡洋艦を強化した7000トン級の偵察巡洋艦。この船は列強の軽巡洋艦を凌駕すべく、20センチ主砲を搭載した強化型偵察巡洋艦「古鷹級」として完成します。

もう一つが、今回、本稿で取り上げる、「主力艦」を補う役割の「準主力艦」として強力な打撃力を持った重装備巡洋艦妙高級」です。

いずれも造船官平賀譲の主導のコンパクト重装備をコンセプトにおいた設計をベースとし、日本海軍は、用兵側の要求として、兵器としての実用性、有効性に自信を持ちつつあった魚雷に重点をおいた、重雷装をその特徴として付加した巡洋艦シリーズを育て上げてゆくことになります。

 

「飢えた狼」と呼ばれた艦級(フネ) 

妙高重巡洋艦 -Myoko class heavy cruiser-(妙高:1929-終戦時残存 /那智:1928-1944/足柄:1929-1945/羽黒:1929-1945)   

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Myōkō-class cruiser - Wikipedia

妙高級」巡洋艦は、前述のようにワシントン体制の制約の中で、日本海軍初の条約型巡洋艦として設計・建造されました。すなわち、補助艦艇の上限枠である基準排水量10000トン、主砲口径8インチと言う制約をいっぱいに使って計画された巡洋艦であったわけです。

設計は平賀譲が主導しました。これまで本稿で見てきたように、彼は既に軽巡洋艦「夕張」、強化型偵察巡洋艦「古鷹型」でコンパクトな艦体に重武装を施すと言うコンセプトを具現化してきており、ある意味、本級はその「平賀デザイン」の集大成と言ってもいいでしょう。

後に、1930年のロンドン海軍軍縮条約では、それまで保有上限を設けていなかった補助艦艇にも保有数の制約が設けられました。特に巡洋艦については、艦体上限の基準排水量10000トンについては変更されませんでしたが、主砲口径でクラスが設けられ、8インチ以下6.1インチ以上をカテゴリーA(いわゆる重巡洋艦の定義がこうして生まれたわけです)とし、日本海軍は対米6割の保有上限を課せられました。「妙高級」の竣工が1929年である事を考慮に入れると、「古鷹級」「妙高級」などの登場による日本式コンパクト重装備艦に対する警戒感が背景の一つにあったと言ってもいいでしょう。

これにより、本来は上述のように強化型偵察巡洋艦であった「古鷹級」、その改良型である「青葉級」も、「準主力艦」として建造された「妙高級」も、一括りにカテゴリーA(重巡洋艦)と分類され、その総保有数が制限されることになります。

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(直上の写真は、「妙高級」重巡洋艦の竣工時の概観。166mm in 1:1250 by Konishi) 

 

設計と建造

妙高級」は、その設計は、前級である「古鷹級」「青葉級」の拡大型と言えるでしょう。

しかし、強化型偵察巡洋艦として、5500トン級軽巡と同様に時として駆逐艦隊を率いて前哨戦を行う可能性のある「古鷹級」「青葉級」と異なり、強力な攻撃力と防御力を併せ持つ準主力艦を目指す本級では、平賀は、用兵側が強く要求した魚雷装備を廃止し、20センチ連装主砲塔5基を搭載する、当時の諸列強の巡洋艦を砲力で圧倒する設計を提案しました。

平賀のこの設計の背景には、竣工当時の魚雷に、上甲板からの投射に耐えるだけの強度がなく、一段低い船内に魚雷発射管を設置せねばならなかったと言う事情が強く働いていたようです。平賀は艦体の設計上、被弾時の魚雷の誘爆に対する懸念から、船内への搭載に強く抵抗し、「妙高級」では用兵側の要求であった20センチ砲8門搭載を10門に増強することにより、雷装を廃止した設計を行い、用兵側の反対を受け入れず押し切ったと言われています。 

平賀にすれば、同級は20センチ砲10門に加えて、12センチ高角砲を単装砲架で6基搭載しており、「水雷戦隊を率いる可能性のある偵察巡洋艦ならまだしも、準主力艦である本級にはすでに十分強力な砲兵装が施されており、誘爆が大損害に直結する船体魚雷発射管の装備は見送るべき」と言うわけですね。

この提案は一旦は承認されましたが、軍令部は平賀の外遊中に留守番の藤本造船官に、魚雷発射管を船体内に装備するよう、設計変更を命じました。この時同時に、「青葉級」の主砲搭載形式でも、軍令部の連装砲塔搭載の要望に対し、船体強度の観点から「古鷹級」で採用した単装砲架形式を主張して譲らない平賀の設計を、やはり軍令部は藤本に命じて設計変更をさせています。用兵当事者から見れば、平賀は自説に固執し議論すらできない、融通の効かない設計官と写っており、この後、平賀は海軍の艦艇設計の中枢を追われることになります。

結局、建造された「妙高級」は、正20センチ主砲を連装砲塔で5基、12センチ高角砲を単装砲架で6基、61センチ3連装魚雷発射管を各舷2基、計4基を搭載する強力な軍艦となりました。

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(直上の写真は、「妙高級」重巡洋艦の竣工時の主砲配置と単装高角砲の配置。かなり砲兵装に力を入れた装備ですね)

 

さらに、航空艤装としては水上偵察機を2機収納できる格納庫を艦中央部に設置し、当初から射出用のカタパルトを搭載していました。 

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(直上の写真は、「妙高級」重巡洋艦の竣工時の魚雷発射管。「古鷹級」と同様、当時の魚雷の強度を考慮し、船体内に搭載されています。;上段写真/ 下段写真は航空艤装。当初からカタパルトを装備していました。水上偵察機を2機収納できる格納庫はカタパルトの手前の構造物) 

 

数値的には列強の同時期の条約型重巡洋艦よりも厚い装甲を持ち、重油専焼缶12機とタービン4基から35.5ノットの最高速度を発揮する設計でした。

すでにこの時期には平賀は海軍建艦の中枢にはいませんでしたが、ある意味「平賀デザイン」の集大成であり、ロンドン軍縮条約の制約項目まで影響を与えるほど、列強から「コンパクト強武装艦」として警戒感を持って迎えられた「妙高級」ではあったわけですが、やはり実現にはいくつかの点で無理が生じていました。一つは制限の10000トンを大きく超えた排水量となったことであり、設計と建造技術の乖離が顕在化する結果となりました。併せて、連装砲塔5基に搭載した主砲だったわけですが、その散布界(着弾範囲=命中精度)が大きく、主砲を6門、同じ連装砲塔形式で搭載した前級「青葉級」よりも低い命中精度しか得られないと言う結果となりました。さらに、上記の経緯で無理をして魚雷発射管を船体内に搭載したため、居住スペースが縮小され、居住性を劣化させることになりました。

こうしたその強兵装に対する畏怖と、一方で、あらゆる兵装を詰め込んだことから生じる劣悪な居住性などへの疑問(嘲笑)から、同級を訪れた外国海軍将校から「飢えた狼」と言う呼称をもらったことは有名な逸話となっています。

 

その大改装

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(直上の写真は、「妙高級」重巡洋艦の大改装後の概観。166mm in 1:1250 by Neptune) 

 

1932年からの第一次改装と1938年の第二次改装で、同級は、主砲口径を正20センチから8インチ8(20.3センチ)に拡大しました。これにより、主砲弾重量が110kgから125kgに強化されました。また高角砲を単装砲架6基から連装砲4基へと強化、さらに懸案の魚雷発射管を船内に搭載した3連装発射管4基から、上甲板上に搭載する4連装魚雷発射管4基として、各舷への射線を増やすとともに、より強力な酸素魚雷に対応できるよになりました。

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(直上の写真は、「妙高級」重巡洋艦の竣工時と大改装後の主要な相違点。左列は魚雷発射管の装備位置:大改装後、発射管は上甲板上に装備されました。右列は水上偵察機の搭載位置の変化:大改装後にはカタパルトが2機に増設され、整備甲板が設置されました)

 

上甲板上の魚雷発射管を覆う形状で水上偵察機の整備甲板を設置し、カタパルトを増設、搭載水上偵察機数も増やしています。

この大改装で、排水量が増加し、速力が33ノットに低下しています。

 

その戦歴

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(直上の写真は、「妙高級」重巡洋艦の勢揃い)

 

妙高」:太平洋戦争開戦時、「妙高級」4隻は第5戦隊を編成し、「妙高」は同戦隊の旗艦でした。第5戦隊は第3艦隊に所属し、フィリピン攻略戦に従事しました。その後、同戦隊はジャワ攻略戦に転戦するためにダバオに集結。そこで米軍機の空襲を受け、「妙高」は修理に2ヶ月を要する損傷を受けました。これは太平洋戦争での、大型軍艦としては最初に損傷を受けた艦となってしまいました。

損傷修復後には、スラバヤ沖海戦の最終海戦に参加。その後、珊瑚海海戦には空母機動部隊の直衛部隊の旗艦を務めます。

ミッドウェー海戦、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦などに参加したのち、ブーゲンビル島沖海戦では、来攻する米軍を迎え撃つ襲撃艦隊を率いて戦いました。

マリアナ海戦を経て、1944年10月レイテ沖海戦には、第2艦隊(栗田艦隊)第5戦隊の旗艦として僚艦「羽黒」を率いて参加しますが、シブヤン海で米機動部隊の空襲で避雷し、艦隊から落伍してしまいました。海戦後、損傷修理のために内地への回航中に米潜水艦の雷撃により、艦尾部を切断、内地回航を諦めシンガポールに曳航され、航行不能状態のまま同地で防空艦として終戦を迎えました。

 

那智」:太平洋戦争開戦時、第5戦隊の一員としてフィリピン攻略戦に参加。損傷した「妙高」に代わり第5戦隊旗艦となり、その後のジャワ方面の攻略戦に参加します。スラバヤ沖海戦(後述します)で、連合国艦隊(いわゆるABDA艦隊)に勝利したのち、一転して北方部隊に編入され、北方部隊の基幹部隊である第5艦隊旗艦となります。

第5艦隊旗艦としてミッドウェー作戦と並行して実施されたアリューシャン作戦に参加。アッツ沖海戦、キスカ撤退作戦に参加した後、戦局の悪化に伴い、第5艦隊は北方警備から転じて、本州南部の警備に従事し、台湾沖航空戦での残敵掃討(実は米艦隊はほとんど損傷していなかったので幻の「残敵」を追うことになったわけですが)に出撃しますが、もとより残敵に遭遇することなく南西諸島・台湾方面に待機することになりました。

1944年10月のレイテ沖海戦には、第2遊撃部隊(第5艦隊、志摩部隊)旗艦として、第1遊撃部隊別働隊の西村艦隊(第2戦隊基幹)の後を追って、スリガオ海峡に突入します。が、先行した西村艦隊の壊滅時の混乱に巻き込まれ損傷して退避中の西村艦隊の重巡「最上」と衝突、指揮官の志摩中将は突入を断念し、戦場から退避を下令します。(余談ですが、この志摩中将の判断は、欧米の戦史研究では、「同海戦での、日本海軍首脳のほぼ唯一の理性的な判断」と評価が高いようです。一見、華々しい「勇戦」(=同海戦ではこの「勇戦」は艦隊をすり潰すことにほぼ等しいのですが)よりも、戦いの粘り強さ、のようなものを評価視点にするのは、文化的な差異でしょうか?それとも、「合目的性」に対する適合性という視点でしょうか?)

海戦敗北後、同艦はマニラ周辺での輸送任務に従事しますが、1944年11月初旬の米艦載機のマニラ湾空襲で爆弾と魚雷を多数受け、沈没しました。

 

「足柄」:太平洋戦争開戦時には、第5戦隊の序列を離れフィリピン侵攻作戦の主隊である第16戦隊旗艦となり、同戦隊の所属する第3艦隊の旗艦も併せて務めます。同戦隊はフィリピン攻略戦、ジャワ方面攻略戦に転戦しました。

ついで第2南遣艦隊旗艦となり、シンガポール方面の警備等に従事しました。その後、第5艦隊に所属し北方警備に従事した後、第5艦隊所属のまま、台湾沖航空戦での「残敵掃討」任務(実際には米艦隊にはほとんど損害がなかったため「残敵」などなく、空振りの出撃となりましたが)に出撃し、台湾方面に遊弋中に、志摩艦隊の一員として僚艦「那智」とともにレイテ沖海戦に参加しました。

海戦敗北後、南西方面艦隊所属となり、「日本海軍の最後の組織的戦闘での勝利」と言われる「礼号作戦」に参加した後、南方に分断された艦艇で編成された第10方面艦隊に所属しました。1945年6月、単艦で陸軍部隊の輸送任務中に英潜水艦の雷撃を受け、沈没しました。

 

「羽黒」:太平洋開戦時には、僚艦とともに第5戦隊に所属し、フィリピン作戦、ジャワ方面での作戦に参加しました。その後、第5航空戦隊の直衛として珊瑚海海戦に参加、ミッドウェー海戦を経て、ソロモン方面に進出して第二次ソロモン海戦ブーゲンビル島沖海戦等に参加しています。その後、マリアナ沖海戦では、米潜水艦の雷撃で撃沈された第1機動艦隊旗艦の「大鳳」から、小沢司令部を一時的に収容しました。

続くレイテ沖海戦では、第一遊撃部隊(第2艦隊主隊:栗田艦隊)に編入され、米艦載機の爆撃で損傷を負いながらサマール沖海戦で米護衛空母艦隊を追撃するなど活躍しました。

その後は 南西方面艦隊に所属し、シンガポール方面での輸送任務についていましたが、1945年5月、輸送任務中に英海軍機の攻撃で被弾損傷、その後、英駆逐艦隊と交戦し英駆逐艦の雷撃で沈没しました。

 

以上のように、「妙高級」はそのネームシップである「妙高」を除いて、全てレイテ沖海戦後に失われました。

 

スラバヤ沖海戦

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この海戦は、「妙高級」4隻が揃って参加した海戦です。

第3艦隊によるジャワ方面の攻略戦支援艦隊と、これを阻止しようとした連合国艦隊の間の戦いです。連合国艦隊はイギリス、アメリカ、オランダ、オーストラリアの4カ国の巡洋艦駆逐艦で構成されていました。このABDA(America, British, Dutch, Australia)艦隊は巡洋艦5隻と駆逐艦9隻で編成されていましたが、その実態は、シンガポール、フィリピン等の失陥に伴って、拠点を失った各国海軍が周辺から行動可能な艦を寄せ集めて編成したもので、これをオランダ海軍のドールマン少将が指揮しました。

 

ABDA艦隊の編成

軽巡洋艦 デ・ロイテル (オランダ)

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HNLMS De Ruyter (1935) - Wikipedia

同艦はオランダ海軍が植民地警備のために1隻のみ建造した軽巡洋艦です。6642トンの船体に15センチ速射砲(大仰角を取ることが可能で、高角砲としても機能できる)の連装砲塔3基と単装砲1基(砲架形式)、計7門を装備し、32ノットの速力を出すことができました。

大戦直前に東インド植民地艦隊の旗艦の任につきました。 

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(直上の写真は、軽巡洋艦「デ・ロイテル」の概観。142mm in 1:1250 by ??? どこのモデルだったっけ?そびえ立つ塔構造の艦橋が、全体の印象を軽巡洋艦らしからぬ重厚さを醸しています。植民地警備に特化した本艦ならではの外観、と言っていいのではないでしょうか?実は、このモデル、やや重厚に過ぎるようにずっと思っています。ずっと適当なモデルを探してはいるのですが・・・。実はお勧めはRhenania社製の下の写真のモデル。

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ebayなどでは何度か見かけているのですが、なかなか入手できていません。写真はantics onlineから拝借しました。うーん、56£(7300円?)、しかもいつ見てもSold Out。Rhenania 1/1250 De Ruyter, Dutch cruiser, WW2 Rhe77

(直下の写真は、「デ・ロイテル」の特徴的な主砲配置。艦首部に連装砲塔と単装砲架を背負式に、艦尾部には連装砲塔を背負式に配置しています) 

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オランダ軽巡洋艦「デ・ロイテル」のリファイン版

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(直上の写真:オランダ海軍軽巡洋艦「デ・ロイテル」の概観 137mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs)

 

上記の様に求めているのはRhenania社製の模型でしたが、この模型が大変希少なため、なかなか入手できません。そこで、ということで、今回、最近何かとお世話にないっている3Dプリンティングモデル(Tiny Thingamajigs社製)を入手し完成させました。

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(直上の写真は、ABDA艦隊の基幹部隊となったオランダ艦隊の軽巡洋艦「デ・ロイテル」と軽巡洋艦「ジャワ」「デ・ロイテル」はかなりスリムになったのですが、今度は「ジャワ」(Star社製)の乾舷の高さが気になりだしました。Star社のモデルは端正なフォルムで、概ね気に入っているのですが、時折、乾舷が高過ぎる傾向があります。ゴリゴリ削ってみましょうか?まあ、それはいずれまた。今回は大満足!)

 

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(直上写真は新着のTiny Thingamajigs社製モデル(左)と、従来のモデルの比較。そして直下の写真は、両モデルの艦首形状の比較:下段が今回新着のTiny Thingamajigs社製モデル。従来モデルで気になっていたモデルの「大柄さ」は改善されている様に思います。満足!)

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軽巡洋艦 ジャワ(オランダ)

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Java-class cruiser - Wikipedia

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(直上の写真は、「ジャワ級」軽巡洋艦の概観。125mm in 1:1250 by Star) 

 

軽巡洋艦「ジャワ」はオランダ海軍が第一次世界大戦後、植民地警備の目的で建造した軽巡洋艦です。5185トンの船体に、15センチ速射砲10門を装備し、30ノットの速力を有していました。魚雷は装備していませんでした。

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(直上の写真は、「ジャワ級」軽巡洋艦の兵装配置。単装砲架を10基搭載し、両舷に対し7射線を確保しています。軽巡洋艦としては強力な砲兵装を有しています。魚雷は搭載していませんでしたが、艦尾部にはかなり大規模な機雷敷設設備を保有しています。植民地警備に特化した本級ならではの特徴と言っていいのではないでしょうか?「ジャワ」はスラバヤ沖海戦で、艦尾に日本海軍の魚雷を受けて轟沈するのですが、これは艦尾の機雷庫の誘爆では?)

 

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(直上の写真は、スラバヤ沖海戦に参加した艦艇。「デ・ロイテル」「ジャワ」の2軽巡に加えて、アドミラル級駆逐艦「コルテノール」「ヴィデ・デ・ヴィット」)

 

重巡洋艦 エクセター(イギリス)

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York-class cruiser - Wikipedia

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(直上の写真は、重巡洋艦エクセター」の概観。138mm in 1:1250 by Neptune) 

 

エクセター」は「ヨーク級重巡洋艦の2番艦として建造されました。「ヨーク級」は、いわゆる条約型巡洋艦の一連のシリーズに属し、英国の通商航路保護の要求によって隻数を揃えるために、前級「カウンティ級」よりも装甲が強化された代わりに、連装砲塔を1基減じて、排水量を抑え、建造費用を安価にした設計でした。「エクセター」は8390トンの船体に8インチ砲6門を搭載し、53.3cm3連装魚雷発射管を2基、装備していました。速力は32ノットを発揮。

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(直上の写真は、「エクセター」の主砲配置と航空艤装。魚雷発射管の搭載位置:下段写真)

エクセター」は、第二次世界大戦開戦後、大西洋で大暴れしたドイツが放った通商破壊艦(ポケット戦艦)「グラーフ・シュペー」の追跡戦で活躍し、「グラーフ・シュペー」の11インチ砲によって大損害を受けながらも、ラプラタ河口で自沈に追い込んだことで有名になりました。

 

軽巡洋艦 パース(オーストラリア)

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「パース」は、「リアンダー級」軽巡洋艦の改良型として建造された「パース級」軽巡洋艦ネームシップです。「リアンダー級」からの改正点は、機関の配置で、これに伴い、前級「リアンダー級」が船体中央に大きな集合煙突を持ったいたのに対し、本級では二本煙突と、外観に差異が生じています。

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(直上の写真は、オーストラリア海軍「パース級」軽巡洋艦の概観。同級は、英海軍「アンフィオン級」軽巡洋艦として3隻建造され、3隻とも後にオーストラリア海軍に供与されました。135mm in 1:1250 by Neptune)

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(直上の写真は、「パース級」軽巡洋艦の前級(準同型艦)である「リアンダー級」軽巡洋艦の概観。 参考値:「リアンダー級」135mm in 1:1250 by Neptune) 

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直上の写真は、「リアンダー級」軽巡洋艦(上段)と「パース級」軽巡洋艦の概観比較。「パース級」との外観上の相違点は煙突の形式。「リアンダー級」は集合煙突形式ですが、「パース級」は機関配置を変更したため、二本煙突になっています)

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(直上の写真は、「パース級」軽巡洋艦の主砲配置(上段・下段)と艦中央部(中段)。1941年の短期間、「パース」は航空艤装を撤去している。モデルはカタパルトを装備していいないところから、その時期を再現したものかも。魚雷発射管の搭載位置は高角砲搭載甲板の下(下段))

 

同級は3隻が建造され、建造当初は英海軍に属し「アンフィオン」「アポロ」「フェートン」と言う名前で就役しました。後に3隻ともオーストラリア海軍に供与され、それぞれ「パース」「ホバート」「シドニー」と改名されました。

7000トン弱の船体に、6インチ連装速射砲4基、53.3cm4連装魚雷発射管2基を搭載していました。

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(直上の写真は、ABDA艦隊に参加した「エクセター」と「パース」の外観。「エクセター」が重巡洋艦としては、比較的小ぶりであることがわかります。英連邦艦隊はABDA艦隊にスラバヤ沖海戦には2隻の巡洋艦と3隻の駆逐艦で参加しました) 

 

重巡洋艦 ヒューストン(アメリカ)

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Northampton-class cruiser - Wikipedia

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(直上の写真は、「ノーザンプトン級」重巡洋艦の概観。146mm in 1:1250 by Neptune) 

「ヒューストン」は米海軍が建造した条約型重巡洋艦の第2グループ「ノーザンプトン級」の5番艦です。前級「ペンサコーラ級」から8インチ主砲を1門減じて、3連装砲塔3基の形式で搭載しました。砲塔が減った事により浮いた重量を装甲に転換し、防御力を高め、艦首楼形式の船体を用いることにより、凌波性を高めることができました。9000トンの船体に8インチ主砲9門、53.3cm3連装魚雷発射管を2基搭載し、32ノットの速力を発揮しました。

航空艤装には力を入れた設計で、水上偵察機を5機搭載し、射出用のカタパルトを2基、さらに整備用の大きな格納庫を有していました。

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(直上の写真は、「ノーザンプトン級」重巡洋艦の主砲配置と航空艤装の概観。水上偵察機の格納庫はかなり本格的に見えます(中段)。同級は竣工時には魚雷を搭載していたはずですが、既にこの時点では対空兵装を強化し、魚雷発射管は見当りません) 

 

同型艦は6隻が建造されましたが、そのうち「ヒューストン」を含め3隻が、太平洋戦争で失われました。

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(直上の写真は、ABDA艦隊参加時:スラバヤ沖海戦時のアメリカ艦隊。重巡洋艦「ヒューストン」と「クリムゾン級」駆逐艦4隻:「ジョン・D・エドワーズ」「ポール・ジョーンズ」「ジョン・D・フォード」「オールルデン」「ポープ」が参加しました) 

 

海戦の詳細は例によって他に譲るとして、この46時間の長時間にわたる海戦は、数段階に分けて行われ、その海戦前半はは第5戦隊主隊の戦隊旗艦「那智」と「羽黒」が、そして海戦後半では前半で砲弾も魚雷もほとんどを使い果たした両艦に代わり、第3艦隊旗艦として作戦全般を指揮していた「足柄」と、爆撃による損傷の修理を終えた「妙高」が参加しました。

 

(雑感:酸素魚雷のこと)

こうして改めてその装備を見ると、この時点で、やはり日本海軍の魚雷装備が連合国の装備を凌駕していたことが、かなりはっきりと分かります。日本海軍が61cmの魚雷発射管を全ての重巡洋艦軽巡洋艦駆逐艦が装備していたのに対し、 連合国の雷装は全て53.3cmです。さらにこの時期、日本海軍は酸素魚雷を実装していましたので、その射程、威力には格段の差があったわけです。

海戦の経緯を見ると、日本艦隊はアウトレンジにこだわった戦い方をしたように見えます。これは、緒戦での軍艦に対する極度の損害恐怖症(物量で優位には立てない日本海軍は宿命的にこの損害に対する恐怖感を持っているように感じます。総力戦は、ある程度の損害は盛り込んでおかねばならないのですが、この恐怖感の為、常にどこか一歩踏み込めず、勝利を拡大する機会を失い、あるいは劣勢に対し粘りがなく、淡白になっているような気がするのですが)から来るものか、あるいは圧倒的に優位に立っている酸素魚雷の長大な射程に大きな期待を持った為か、その両者があいまった結果のような気がします。

参考までに、日本海軍の酸素魚雷(93式1型)と米海軍のMk-15(標準的な水上艦用の魚雷)の諸元を比較しておきます。

93式1型(酸素魚雷):直径61cm /炸薬量492kg /雷速40knotで射程32000m, 雷速48knotで射程22000m

Mk-15(空気式):直径53.3cm /炸薬量374kg /雷速26.5knotで射程13700m, 雷速45knotで射程5480m

炸薬の量も、射程も、圧倒的!まあ、このデータを見ると、使って威力を見てみたい、と言うのもなんとなく頷けますね。

確かにABDA艦隊の5隻の巡洋艦のうち、「デ・ロイテル」「ジャワ」の2隻は、夜戦での長距離砲戦では大した損害を受けなかったにも関わらず、明らかに遠距離から日本艦隊の放った魚雷が1本づつ命中し、行き足が止まり撃沈されています。

 

もう一つ、この海戦では上記のように酸素魚雷は大きな戦果をあげているのですが、実は同海戦の前半戦では水中から飛び出したり、自爆したりと言う不備が続発していたようです。これは一つには爆発栓(魚雷を命中と同時に起爆させる装置)の感度設定が高過ぎ、波浪で爆発してしまったことと、投射時の衝撃への耐性が想定より低かった、と言う事が原因として海戦後に解明されたそうです。

妙高級」の竣工時には魚雷の強度が不足する為に、魚雷発射管を上甲板上に設置できず、一段低い船体内に発射管を設置せねばならなかったのですが、大改装の際に、魚雷の強度が向上し上甲板の旋回式の魚雷発射管での装備に変更し、被弾時の魚雷の誘爆対策としたわけです。しかし、実戦ではやはり高速航行での発射など、まだ強度が不足する場面が生じた、と言うことでしょうか。

 

その後の、日本海軍が修めたいくつかの海戦での勝利を見ると(その全てが、巡洋艦駆逐艦主体の小艦隊同士の海戦だったと言っていいと思うのですが)、その殆どが魚雷戦での勝利であるように思われます。やはり、酸素魚雷の長射程、大炸薬量は効果的だった、と言うことかもしれません。

しかし、戦局を大きく左右する戦闘は、圧倒的な戦力を誇る米空母機動部隊の制するところであり、そのような海空戦では、魚雷の出番などあるはずもなく、日本海軍は勝利から遠のいて行くことになります。

戦局へ魚雷が大きな影響を与える事ができる可能性は、実は潜水艦戦にはあったと考えるのですが、優秀な潜水艦部隊を持ちながら、彼らが戦局を左右するような戦果を上げる事はありませんでした。

それでも、輸送船団相手の通商破壊戦での可能性で、日本海軍が構想していた艦隊決戦の前哨戦、と言う位置づけでは、ドイツのUボートが戦争中盤以降、船団相手ですらあれだけ封殺されたことを考えると、空母機動部隊相手では、20000m程度の射程では、やはりあまり効果を上げる機会はなかったかもしれませんね。

  

と言うことで、今回はここまで。

 

このミニ・シリーズ、次回は条約型巡洋艦の集大成ともう言うべき「高雄級」にスポットを当ててお届けする予定です。(その前に、何か挟まるかも・・)

 

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