相州の、1:1250スケール艦船模型ブログ 主力艦の変遷を追って

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

日本海軍巡洋艦開発小史(その3) 5,500トンシリーズ

 前回に引き続き、日本海軍の軽巡洋艦の主軸となった5500トン型のお話です。

今回登場する二つの艦級の軽巡洋艦は、いずれも、太平洋戦争前半は水雷戦隊旗艦などとして大暴れした船ばかりです。

 

日本海軍のワークホース! 

長良級軽巡洋艦 -Nagar class light cruiser-(長良:1922-1944 /五十鈴:1923-1945/名取:1923-1944/由良:1923-1942/鬼怒:1922-1944/阿武隈:1925-1944 )  

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Nagara-class cruiser - Wikipedia

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(直上の写真は、「長良級」軽巡洋艦の概観。119mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs:3D printing modell :写真の姿は太平洋戦争開戦時の姿。航空機による索敵能力を得るために、後の改装で5番砲塔と6番砲塔の間に、水上偵察機射出用の射出機(カタパルト)を搭載しています)

 

本級は5500トン級軽巡洋艦の第2グループとして、1917年計画 1918年計画で各3隻、合計6隻が建造されました。球磨級軽巡洋艦の改良型であり、基本設計は大きく変わりません。前級である球磨級からの変更点は、 魚雷性能と駆逐艦の発展に応じ搭載魚雷の口径を53センチから61センチに拡大したところと、主力艦隊の前衛としての索敵能力の充実のために、設計時から航空機を羅針艦橋下部の格納庫に収納する構造を、前級最終艦「木曽」にならい艦橋構造に組み込んでいたところにあります。格納庫を組み入れたため、艦橋の形状は箱型となりました。

 

航空艤装の話

搭載機には水上偵察機ではなく10年式艦上戦闘機(陸用機)をあて、格納庫前の1番・2番砲の上部に展開された滑走台を用いて発艦させる、という運用方法でした。

前級の「球磨級」では、竣工時には水上偵察機を艦後部の格納庫に収容し、必要都度、水面に降ろして海面から発進させる方式をとったため、その発進の度に艦の航行を停止、あるいは微速まで速力を落とす必要がありました。この運用方法は、平時はさておき、特に戦闘時には軽巡洋艦に求められる高い機動性を阻害するものでした。

そこで、前級「球磨級」最終艦の「木曽」では、羅針艦橋下部に収納庫を設け、そこに搭載した陸用機を滑走台から発艦させる運用を試み、「長良級」はこの形式を踏襲した訳ですが、発進等の即応性には、ある程度目処が立ったものの、運用された陸用機には当然の事ながら母艦への着艦の術がなく、帰投後に母艦周辺に着水して操縦者のみを回収するか、あるいは陸上の基地まで自力で帰還するか、いずれかの方法しか、操縦者が生還する方法がありませんでした。そのため訓練等においても、10式艦上戦闘機の航続距離を考慮した沿岸距離での演習に限られるなど、実用性に乏しく、就役後には航空機は稀にしか搭載されず、ほとんど使用されませんでした。

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(直上の写真は、竣工当時の「長良級」の航空艤装。多分、こんな感じだっただろう、と、WTJのストックモデルの艦橋前を少し整形した後、プラ板とプラロッドでちょっと悪戯してみました。固定式の滑走台を艦橋前に設置。羅針艦橋下の格納庫に収納した陸用機:10年式艦上戦闘機を組み立てて(翼を展張して)発進させる形式でした。実際には発進時には艦橋下の収納庫の扉は開け放たれていたはず。今回は、そこまでは再現できず・・・。ごめんなさい。併せてもう一つ「ごめんなさい」。写真の滑走台上の航空機は10年式艦上戦闘機ではなく、90式艦上戦闘機です。翼に日の丸つけたかったけど、そこまでの技術ないし・・・。1:1250スケールの問題点の一つはその小ささ。魅力でもあるのですが・・・。この90式艦上戦闘機の翼長は約7ミリ。ピンセットで摘むのですが、一度落とすと、探すのが大変です。ちなみにこの90式はSNAFU store製:3D printingモデルです。・・・それにしても、実戦時での即応性を高めるためにこの形式にしたはずなのですが、高速航行時にこんな狭い所で、搭載機の整備(組み立ても?)ができたんでしょうか?まあ、ほとんど実用例がないようですが)

 

後に射出機(カタパルト)が装備され水上偵察機の実際的な運用が可能になるまで、ライバルの米海軍のオマハ軽巡洋艦が設計当初からカタパルトを搭載していた事も鑑みて、同級の課題として残されたままでした。

カタパルト装備後は、航空艤装が艦後部に移ったことから、羅針艦橋下の航空機格納庫は戦隊旗艦業務に転用されました。

 

ちょっとブレイク:5500トン級のライバル「オマハ級」軽巡洋艦

(直下の写真は、米海軍が建造した「オマハ級」軽巡洋艦。136mm in 1:1250 by Neptune)

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Omaha-class cruiser - Wikipedia

オマハ級」軽巡洋艦(1923- 同型艦10)は、「チェスター級」に次いで米海軍が建造した軽巡洋艦で、7000トンのゆとりのある船体に、6インチ砲(15,2センチ)12門と3インチ高角砲8門と言う強力な火力を有していました。4本煙突の、やや古風な外観ながら、主砲の搭載形態には連装砲塔2基とケースメイト形式の単装砲を各舷4門という混成配置で、両舷に対し8射線(後期型は7射線)を確保すことができる等、新機軸を盛り込んだ意欲的な設計でした。最高速力は35ノットと標準的な速度でしたが、20ノットという高い巡航速度を有していました。また最初からカタパルト2基による高い航空索敵能力をもっていました。

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(直上の写真は、「オマハ級」軽巡洋艦のカタパルト2基を装備し充実した航空艤装(上段)と連装砲塔とケースメートの混成による主砲配置、写真の艦は後期型で、後部のケースメートが2基減じられています)

 

再び「長良級」の話。

「長良級」の主砲は前級と同じ14センチ砲7門を、前級と同じ配置とし、各舷に対して6射線を確保しました。雷装としては、61センチに強化された魚雷を、連装魚雷発射管4基、前級と同様の配置として、両舷に対し4射線を確保していました。

前級と同仕様の機関を搭載し、36ノットの速力を発揮する事が出来ました。 

 

本級を含む5500トン級巡洋艦は、その後、改装、武装の強化などが数次にわたり行われ、戦力維持が図られましたが、太平洋戦争開戦時には、既に就役後20年を経ようとする老朽艦ながら、戦争を通じて第一線で活躍しました。

 

筆者にとって「意外」だった搭載魚雷の話

上記の通り、前級「球磨級」では53センチだった搭載魚雷の口径を61センチに拡大し、61センチ連装魚雷発射管を搭載、ということで、当然酸素魚雷(93式1型)を搭載して太平洋戦争に臨んだのだろうと思い込んでいたのですが、実は、下記の「戦歴」に記述しますが開戦以前に酸素魚雷を運用できたのは、酸素魚雷が射出可能な魚雷発射管を装備していた「阿武隈」のみでした。「川内級」でも、太平洋戦争開戦直前の魚雷発射管の位置移転、換装で「神通」「那珂」は酸素魚雷の運用が可能となりましたが、実は水雷戦隊旗艦を輩出した「長良級」「川内級」のうちで併せてこの3隻のみが、酸素魚雷の運用が可能だった、というのは少々驚きでした。

その後、防空巡洋艦への大改装を受けた「五十鈴」は、「阿武隈」同様の仕様で、酸素魚雷の搭載能力を得ます。「長良」については、魚雷発射管自体の改造により、発射管配置はそのままで、酸素魚雷発射能力を持った、という未確認の情報もあるようです。

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(直上の写真は、魚雷発射管装備の変遷を示したもの。上段の二枚は「長良級」の一般的な魚雷発射管の配置を示し英ます。61センチ連装発射管を艦橋直後と艦後部に片舷2基装備しています。下段の二枚は「長良級」最終艦「阿武隈」の魚雷発射管の装備状況。「阿武隈」では艦橋直後には発射管は装備せず、艦後部に93式魚雷(61センチ酸素魚雷)が射出可能な4連装発射管を片舷1基づつ、装備しています。射線数は変わりませんが、より強力な酸素魚雷の運用が可能となりました。この形式は、防空巡洋艦への大改装を終えた「五十鈴」と、次級「川内級」の、「神通」「那珂」にも採用されています)

 

その戦歴

「長良」:開戦劈頭から南方攻略戦に転戦した後、ミッドウェー海戦には空母機動部隊の直衛戦隊(第10戦隊)旗艦の任を務めました。機動部隊旗艦「赤城」の被弾後は、一時的に機動部隊残存部隊の旗艦となりました。その後、新空母機動部隊である第3艦隊に所属して、ソロモン海を転戦した後、主として輸送任務・輸送護衛任務につきました。この間、損傷修理等の間に、5番・7番主砲の撤去と高角砲の装備、対空機銃の増設等の改装を受けています。

その後、中部太平洋、沖縄方面での輸送任務に従事中、1944年8月、熊本県天草沖で米潜水艦の雷撃により失われました。

 

「五十鈴」:開戦時、香港や南方の攻略戦に参加した後、第2水雷戦隊旗艦として南太平洋海戦、第3次ソロモン海戦等に参加しました。その後、米機動部隊の空襲による損傷復旧の際に、全主砲を高角砲に換装するなど、対空兵装を格段に充実・強化した防空巡洋艦に生まれ変わりました。この対空兵装の強化は、既に旧式化した全ての「長良」級巡洋艦に実施される予定でしたが、実現したのは「五十鈴」1艦のみでした。この改装の際に、魚雷発射管の搭載・射出方式を改め、前部連装発射管を撤去、後部発射管を4連装発射管に改め、酸素魚雷の運用能力を持ちました。

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(直上の写真は、「長良級」2番艦「五十鈴」の防空巡洋艦への改装後の概観。本来はこれと同等の改装を、「長良級」の他艦にも実施する予定でした)

(直下の写真は、「五十鈴」の対空兵装の配置を少し詳細に示したもの。すべての主砲を撤去し、艦後部に搭載したカタパルトを撤去し、3基の連装高角砲と多数の対空機銃座を増設しています。この改装の際に、「五十鈴」は前述の魚雷発射管の配置、換装を併せて行いました)

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その後、レイテ沖海戦では、第3艦隊(小沢「囮」機動部隊)に編入され、海戦に参加しました。開戦では監査基の攻撃により損傷。第3艦隊の解散後は輸送任務につき、1945年4月、スンダ列島の陸軍部隊の撤退作戦に従事中、小スンダ列島スンバワ島沖で米潜水艦の雷撃により撃沈されました。

 

「名取」:開戦時、第5水雷戦隊の旗艦として、フィリピン攻略戦、ジャワ攻略戦などを歴戦しました。その後、第16戦隊の旗艦任務、東インド(現インドネシア)方面の警戒任務に従事。空襲による損傷修理時に、5番・7番主砲の撤去と高角砲の装備・対空機銃の増設など、「長良」同様の対空兵装の強化が行われました。

マリアナ沖海戦参加後の輸送任務従事中に、1944年8月、フィリピン諸島サマール島沖で、米潜水艦の雷撃により失われました。

 

「由良」:開戦時には、第5潜水戦隊の旗艦として、マレー攻略戦、ボルネオ攻略戦等に参加しました。第5潜水戦隊旗艦任務を解かれた後も、南方作戦部隊に留まり、その後のジャワ攻略戦にも従事しました。その後、損傷した軽巡洋艦「那珂」と交代して第4水雷戦隊旗艦となり、第2艦隊に所属してミッドウェー海戦、第8艦隊に所属してガダルカナル攻防戦、その後の同島への輸送作戦に従事しました。

1942年10月ガダルカナル島での陸軍部隊の総攻撃に呼応した同島周辺での作戦行動中に、米軍機の空襲により航行不能となり、味方駆逐艦の雷撃で処分されました。軽巡洋艦の戦没第一号となってしまいました。

 

「鬼怒」:開戦時には、第4潜水戦隊旗艦としてマレー攻略戦に従事。その後、旗艦任務を解かれてジャワ方面の攻略戦、ニューギニア西部での作戦に参加しました。

作戦による損傷修復時に、上述の「長良」「名取」などと同様、5番・7番主砲の撤去と高角砲の装備・対空機銃の増設など、対空兵装の強化が行なわれました。

その後、レイテ作戦(捷一号作戦)では、レイテ島への兵員輸送を担当する第16戦隊に参加し、1944年10月、同作戦に従事中に米艦載機(第7艦隊)の空襲により失われました。

 

阿武隈」:「阿武隈」は「長良級」の他艦とはやや異なる外観を有していました。1930年に衝突事故を起こし、艦首の損傷を修復する際に、それまでのスプーン・バウ型から、凌波性に優れたダブル・カーべチュア型に改めました。

1938年には、「長良級」では唯一、太平洋開戦以前に魚雷兵装強化の改装を受け、前部の連装魚雷発射管を撤去して、後部の連装魚雷発射管を4連装魚雷発射管に換装し、強力な酸素魚雷の運用が可能となりました。

この背景には、同艦の建造中に関東大震災があり、工期が長引き就役年次が遅れたため、「長良級」の他艦に比べると艦齢が若く、改装が優先されたという事情があったと、言われています。

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(直上の写真は、「長良級」6番艦「阿武隈」の概観。カタパルトを搭載した太平洋戦争開戦時の姿を示しています)

(直下の写真は、「長良級」の他艦と「阿武隈」の艦首形状の違いを示したもの。「阿武隈」では、衝突事故による艦首の損傷時に凌波性に優れたダブル・カーブドバウに艦首形状を改めていました

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開戦時には、第1水雷戦隊の旗艦として真珠湾作戦に参加、空母機動部隊の護衛を務めました。その後、同機動部隊に帯同してジャワ攻略戦、インド洋作戦に参加した後、北方部隊である第5艦隊に編入されました。アリューシャン攻略戦、アッツ島沖海戦、キスカ撤退作戦に参加した後、同級の「長良」「名取」「鬼怒」と同様、5番・7番主砲の撤去と高角砲の装備・対空機銃の増設など、対空兵装の強化が行なわれました。

その後、レイテ沖海戦には第5艦隊の一員として志摩中将の指揮下で参加し、スリガオ海峡海戦で米魚雷艇群と交戦し被雷。速力が低下したため戦場を離脱後の翌朝、米艦載機、米陸軍機の数次にわたる空襲を受け損傷を重ね、1944年10月、フィリピン諸島ネグロス島沖で沈没しました。

 

八八艦隊計画」の落とし子。重油消費の急増をどうやって抑えようか・・・

川内級軽巡洋艦 -Sendai class light cruiser-(川内:1924-1944 /神通:1925-1943/那珂:1925-1944 ) 

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(直上の写真は、「川内級」軽巡洋艦の概観。119mm in 1:1250 by Neptune:写真の姿は「川内」の太平洋戦争開戦時の姿。復元性向上のために、一番煙突の高さを他の煙突と同じ高さに揃えています。同様の目的のため「艦橋も一段低くした」との記述もありますが、この模型では反映されていないようですね。航空機による索敵能力を得るために、6番砲塔と7番砲塔の間に、水上偵察機射出用の射出機(カタパルト)を搭載しています)

 

「川内」級は5500トン級軽巡洋艦の第3グループにあたります。当初計画では8隻の建造が予定されていました。

球磨級」「長良級」の前2級との相違点は、当時海軍が推進していた大建艦計画「八八艦隊計画」の推進により予測される重油消費量の飛躍的な増加への対策として、重油専焼缶(ボイラー)の数を減らし、重油石炭混焼缶を増やしたことから、煙突の数が増え4本になった事が挙げられます。

他の装備、性能は、ほぼ前2級を踏襲したものになっています。

ワシントン軍縮条約の締結で、同級の建造計画は8隻から3隻に縮小し、「川内」「神通」「那珂」の3隻が建造されました。同級は太平洋開戦時には既に艦齢15年を迎えていましたが、それでも日本海軍の最新の軽巡洋艦であったため、 3隻とも水雷戦隊旗艦として活躍しました。

 

外観の差異の話

3隻には外観に差異があり、「川内」は復元性改善工事により四本の煙突の高さが同じになり、艦橋の高さも一段低くなっています。一方、「那珂」は建造中に関東大震災で大きく損傷を受け、艦首を凌波性に優れたダブル・カーブドバウ形式に変更して竣工しています。「神通」は1927年の美保関事件(第8回基本演習:夜間無灯火演習中に発生した艦艇衝突事故)で艦首を損傷し、その修復の際に従来のスプーン・バウ形式から「那珂」と同様のダブル・カーブドバウ形式に艦首形状を変更しています。

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(直上の写真は、「川内級」軽巡洋艦の外観を比較したもの。上段が「川内級」のネームシップ「川内」の外観。下段は「神通」「那珂」の外観を示しています。艦首形状が「川内」はスプーン・バウ、「神通」「那珂」はダブル・カーブドバウ(写真左列)。煙突形状が異なり、上段の「川内」は煙突の高さを揃えたのに対し、「神通」「那珂」では一番煙突が他の煙突よりも高い竣工時の姿を残しています。本当は艦橋の高さに差があるはずなのですが、このモデルでは再現されていないようです)

 

航空艤装と搭載魚雷の話

航空索敵については、ほぼ前級「長良級」と同様の形式を踏襲しています。つまり、竣工時には、陸用機を滑走台から発艦させる形式をとっていましたが、前述のようにこの形式は実用性に課題があったため、カタパルト搭載へ、順次改装されました。

(直下の写真は、「長良級」と「川内級」のカタパルト配置位置の相違を示したもの。「長良級」(上段)ではカタパルトは、5番砲と6番砲の間に装備されていますが、「川内級」(下段)では装備位置が6番砲と7番砲の間になっています)

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搭載魚雷については、太平洋開戦直前の改装で「神通」「那珂」については、前述の「阿武隈」同様、前部連装発射管を撤去、後部発射管を4連総発射管に改め、酸素魚雷の運用能力を持ちました。(写真掲載のNeptuneのモデルでは、「神通」「那珂」も「川内」と魚雷発射管の装備位置には差異が見られず、上記の「改装」より以前の姿を再現していると考えられます)

 

その戦歴

「川内」:開戦時には第3水雷戦隊の旗艦を務め、南遣艦隊に所属し、南方作戦でマレー方面、スマトラ方面を転戦しました。

ミッドウェー海戦では第3水雷戦隊は主力艦隊(戦艦部隊)に帯同しました。同作戦の失敗後、同水雷戦隊は南西方面艦隊に転籍し、インド洋作戦に参加する予定でしたが、ガダルカナル戦の展開により同作戦が中止され、ソロモン方面に進出しました。

1942年8月から1943年8月のほぼ1年間、ガダルカナル攻防戦、その後の中部ソロモン諸島を巡る諸海戦のほぼ全てに第3水雷戦隊は活躍しますが、「川内」は常に第一線で活躍してきたため対空兵装の強化改装を受けられず、やがて水雷戦隊の昼間の行動時には戦隊司令官が旗艦を駆逐艦に変更するなど、不都合が派生していたとわれています。

 

1943年11月、「川内」は米軍のブーゲンビル島侵攻を阻止すべく発生したブーゲンビル島沖海戦に参加します。日米ほぼ同数の巡洋艦駆逐艦の混成艦隊同士(日:重巡2、軽巡2、駆逐艦6・米:軽巡4、駆逐艦8)の夜戦となりましたが、レーダーで日本艦隊の接近を察知した米艦隊に対し、最も近い位置にいた川内は開始とほぼ同時に集中砲火を浴び主機が停止し舵が故障、航行不能となってしまいました。

日本艦隊主体が撤退したため、取り残された「川内」に米駆逐艦が攻撃を集中し、「川内」は魚雷2本を被雷し沈没しました。

 

「神通」 :第2水雷戦隊旗艦として太平洋戦争の開戦を迎えました。開戦劈頭、フィリピン攻略戦に参加。その後参加したジャワ攻略戦では、スラバヤ沖海戦に参加しています。

ミッドウェー海戦では、第2水雷戦隊はミッドウェー島上陸部隊の護衛隊として参加しましたが、機動部隊の敗北により上陸戦には至らずに帰投しています。

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(直上の写真は、「神通」「那珂」の概観を示したもの。ダブル・カーブドバウの艦首形状、一番煙突が他煙突よりも高くなっている、など、特徴がよくわかります)

 

1942年にガダルカナル攻防戦が始まると、「神通」は第2水雷戦隊を率いてガダルカナルへの輸送任務、輸送船団護衛任務に活躍しました。第2次ソロモン海戦では米軍機の爆撃で損傷を負います。

損傷修復後、ガダルカナル撤退作戦には支援部隊として参加、その後、中部ソロモン諸島での攻防戦に転戦してゆくことになります。

 

1943年7月、中部ソロモン諸島コロンバンガラ島への陸軍増援部隊の増援輸送を巡り、「神通」を旗艦とする増援部隊の護衛部隊(第2水雷戦隊:軽巡1、駆逐艦5)と、増援阻止を狙う米艦隊(軽巡3、駆逐艦10)の間に夜戦が発生します。

「神通」は米艦隊発見後、探照灯でこれを照射し、魚雷戦、砲戦を麾下の部隊に下命します。一方、米艦隊の軽巡3隻はレーダー射撃を「神通」に集中し、艦橋への被弾で「神通」に座乗していた伊崎少将以下第2水雷隊司令部が全滅、「神通」も航行不能となりました。

米艦隊の砲撃が「神通」に集中する中、麾下の駆逐艦は砲雷戦を展開し、米軽巡洋艦3隻に損傷を負わせました。

航行不能となった「神通」は米艦隊からさらに2発の魚雷を受け、爆沈しました。

 

「那珂」:開戦時には、第4水雷戦隊の旗艦として、フィリピン攻略戦、ジャワ攻略戦、スラバヤ沖開戦、クリスマス島攻略作戦等に活躍しました。クリスマス島作戦中に、米潜水艦の魚雷攻撃を受け被雷損傷し、内地に回航され修理を受けました。この修復の際に、5番主砲を撤去し連装高角砲に換装、積載小艇の変更など、その後の輸送、輸送護衛任務への適応力を硬化する改装が併せて行われました。

損傷の修復後は、内南洋警備担当の第4艦隊第14戦隊に編入され、主として担当海域である中部太平洋方面での輸送任務、輸送護衛任務に従事しました。

1944年2月、米潜水艦の雷撃で航行不能となった軽巡洋艦阿賀野」救援のためにトラック島周辺で活動中に、米機動部隊のトラック島空襲に遭遇。機動部隊艦載機の反復攻撃を受け、爆弾、魚雷を被弾、沈没しました。

 

こうして両級の戦歴を見ていきますと、長い艦暦の中での数次の改装に耐えられる程度の余裕のある艦級だったのだろうなと改めて実感するわけです。その一方で、それがある意味災いして特に太平洋戦争の開戦時には、既に旧式艦の部類ながら更に続けて第一線での奮闘を求められる過酷な実情が浮かんでも来ます。

そして、次第に任務の重点が、設計本来の水雷戦の要(太平洋戦争緒戦では、まだいくつか、艦隊同士の海戦が行われます)、から輸送・輸送護衛などの任務への役割のシフト、いわゆる「艦隊決戦」的な視点から兵站重視の「総力戦」的視点への海軍設計そのものの重点のシフトへの対応を求められた、ある意味、象徴的な艦級であるとも言えるかと思います。

そして、両級の全ての艦が、失われてしまいました。

5500トン型全体を見ても、終戦時に残存していたのは「北上」1艦のみで、残りの13隻は戦没してしまいました。

 

というわけで、今回はここまで。

このミニ・シリーズ、次回は「平賀デザインの巡洋艦」にスポットを当ててお届けする予定です。(「夕張」を忘れているわけではないので、ご安心を)

 

引き続き、模型に関するご質問等は、大歓迎です。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

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