相州の、ほぼ週刊、1:1250 Scale 艦船模型ブログ

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

ドイツ帝国海軍小型巡洋艦の開発系譜(その3):海外植民地への派遣巡洋艦:等級巡洋艦の系譜

今回は前回投稿の第二次世界大戦期の小型巡洋艦のお話から遡って、ドイツ帝国海軍の巡洋艦開発史のもう一つの軸、海外植民地警備の目的で設計された巡洋艦の系譜を追ってみたいと思います。

 

ドイツ帝国の海外植民地

1871年ドイツ帝国の成立以降、帝国は1880年代に急速に植民地を獲得します。

1884年にアフリカ西岸に現在のカメルーントーゴナミビアを、1885年にアフリカ東岸に現在のタンザニアルワンダブルンジを植民地化します。さらに同年、太平洋のビスマルク諸島・北部ソロモン諸島マーシャル諸島パラオマリアナ諸島ナウルミクロネシアを植民地として獲得しました。

1895年、日清戦争で勝利した日本の遼東半島獲得に介入し阻止した三国干渉ののち、中国の天津と漢口に租界を得、1899年に膠州湾(青島)の租借地を獲得し、ここを東洋艦隊の根拠地を得ました。

これらの海外植民地警備は海軍に委ねられるわけですが、この任務を担った帆装フリゲート艦の老朽化に伴い、フリゲート艦の設計をベースとした蒸気機関を搭載した巡洋艦が建造されました。

これが以下に紹介する巡洋艦の艦級です。これらのうち「シュヴァルべ級」「ブッサルト級」の8隻は帆装を備えたフリゲート艦・コルベット艦をベースとした設計で、2000トン以下の軽快に警備行動を行う設計で四等巡洋艦と呼ばれる艦級でした。転じて「イレーネ級」「カイゼリン・アウグスタ」「ヴィクトリア・ルイーゼ級」の8隻は設計当初から帆装を廃した設計で、5000トンを超える船体に防護甲板による一定の防備を有し、搭載する火砲の威力も大きく、本国を遠く離れた海外植民地周辺で、他国海軍艦艇に威圧感を与えることもできる設計で二等巡洋艦と区分されました。「ゲフィオン」は両者の中間に位置する4500トン級の三等巡洋艦で、その両方の任務にさらに艦隊偵察や護衛もこなそうとするやや欲張りな設計でした。

 

巡洋艦」という艦種類別の誕生:軽快に行動する四等巡洋艦

「シュヴァルべ級:Schwalbe-class」四等巡洋艦1888年から就役:同型艦2隻)

en.wikipedia.org

(モデルは未保有:どうもモデルは市販されていないようです。モデル検索ではいつも頼りにさせていただいているsammemhafen.deでも見当たりません。試算では50mm程度のモデルになりそうです。以前ならShapewaysでも探すのですが・・・:写真はWikipediaより拝借しています:下のカットは今回筆者が製作したセミクラッチが、どこまでいけているのかを検証するための・・・。舳先の形状と舷側のスポンソンが大きすぎる。かな?)

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1880年代にドイツ帝国悪軍は2種類の小型巡航戦闘艦を建造していました。そのうちAviso(=通報艦)については本稿でも以前の投稿でご紹介しましたが、こちらは主として艦隊に随伴してその連絡・護衛等を務める高速小型艦で雷装を有し時として水雷艇部隊の指揮艦としても活動しました。

そしてもう一方が今回投稿の冒頭で記述した、当時拡大基調にあった海外植民地での警備活動に主眼を置いた艦種で、長い航続距離を持ち有力な火力を有する巡航性に優れた艦が要求されました。従来、こちらは航続距離の確保を念頭に置き帆装での航行に重点を置いたコルベット艦がその任に当たっていましたが、1886−87年度計画で建造された「シュヴァルべ級」は機走を主とし、これに補助帆装を設けた設計で、同海軍で初めて「巡洋艦」という艦種類別を用いられた艦級でした。

同級は1300トン級の船体に1500馬力のレシプロ蒸気機関を搭載し、14ノット強の速力を発揮する設計でした。35口径10.5センチ単装砲8基を主砲として搭載し、他に近接火器として37mm機砲を5基搭載していました。

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(写真は市販モデルが見当たらないという情報を背景として、筆者が制作した「シュヴァルべ級」らしき艦の概観:50mm in 1:1250 by semi-scratched based on WTJ : WTJ製のロシア海軍の砲艦「コレーツ」のモデル(今はカタログ落ちしているようです)をベースにしています。今回はこのモデルのシュラウドと索具を、新方式で再現してみました:下は同モデルの旧来手法でのシュラウド再現をしたものの写真を再掲)

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同級は就役後ほとんどの時期を海外派遣任務に従事し、1890年には東アフリカでの反乱鎮圧、1900年には清国の義和団の乱に対応した八カ国同盟軍に参加しています。1911年までに巡洋艦籍からは外れましたが、その後も練習艦標的艦、砲艦等の役割を担い、第一次世界大戦後に売却され1922年に解体されています。

 

「ブッサルト級:Bussard-class」四等巡洋艦(1890年から就役:同型艦6隻)

en.wikipedia.org

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(「ブッサルト級」四等巡洋艦の概観:64mm in 1:1250 by Mercator:Mercator社の新モデル。帆装を展開した状態を再現しています。兵装の配置などもしっかり表現されているように思います。さらに筆者のいわゆる「新方式」でシュラウドや索具(リグ)の造作を加えてみました)

同級は「シュヴァルべ級」の拡大改良型として1888年計画で6隻が建造されました。

前級から拡大した1800トン級の船体を持ち、2800馬力のレシプロ蒸気機関を搭載し、16ノット前後の速力を出すことができました。備砲は前級と同じく35口径10.5センチ単装砲8基でしたがたが、二番艦以降は同口径の新型速射砲に改められ火力が強化されています。他には近接火器として37mm機砲5基を搭載し、加えて魚雷発射管2基も装備していました。

(下の写真は、「ブッサルト級」の主要兵装の配置拡大:35口径10.5センチ速射砲は舷側のスポンソンに配置されています)

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同級はドイツ帝国海軍で帆装を設計に組み混んだ最後の艦級となりました。

Marcatorの新モデルについて

新旧を比較するとモデル全体のフォルムについて全面的な見直しが行われた様に感じます。

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(上の写真は本稿で前回ご紹介したMercator製の旧モデルです(シュラウドの再現は旧来のネット素材利用のままです)。新モデルの写真と日買うしていただくと、ディテイルの再現性が新モデルではかなり充実していることがわかるかと。これまで筆者のコレクションではNavis製モデルのヴァージョン・アップの話は再々してきていますが、ここにきて他社でも同様の状況が発生してくるとは・・・)

寸法には大きな差異はないものの、旧モデルに比べ細っそりとした巡洋艦らしさが表現されている様に思います。もちろん新モデルの方が「それらしさ」は再現できている様に思います。あまりこれまでNavis・Neptun製モデル以外でヴァージョンアップを意識したことはなかったのですが、今後は少し気をつけてみることにします。

 

近代化改装(1895〜1909年)

同級は就役後種々の金譜代か改装を受けましたが、「コンドル」と「ファルケ」を除く4隻は補助帆装の形式をさらに軽くして2檣のトプスル・スクーナ形式に改められました。

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(「ブッサルト級」四等巡洋艦6番艦「ガイアー」の近代化改装後のモデル by Mercator(新モデルです):下では就役時と改装後(下段)の比較:改装後も帆装を展開している姿が必要だったんでしょうか?モデルとしては格好良いので何の文句もありませんが)

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モデルについての解説: 補助帆装をさらに軽く2檣形式にした状態です。一見、マストの数の変更だけを再現しているように見えますが、マストの位置を微妙に変更し、関連する上部構造物にも差異が認められます。よくわかるのは艦橋の形状と主砲用の舷側のスポンソンが設定されていないところでしょうか。これは近代化で廃止されたわけではなく、「ガイアー」では舷側のスポンソンは最初から設定されていませんでした。

(下の写真は「コルモラン級」の就役時と近代化改装後(下段の2カット)のモデルの比較:

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同級は就役後は、当初の設計通り海外植民地で広範囲で活動しています。「ゼーアドラー」は1900年の義和団の乱の鎮圧に、「コンドル」「コルモラン」は1911年のカロリン諸島での反乱鎮圧などに貢献しました。「ブッサルト」と「ファルケ」は比較的早い時期に退役し1912年に解体されていますが、残りの艦は砲艦籍に移籍し、海軍で活動を継続しました。「コルモラン」と「ガイヤー」は第一次世界大戦勃発時には太平洋にあって、「コルモラン」は機関が不調のため青島で自沈し、「ガイヤー」は太平洋で通商破壊戦を展開したのち、シュペー提督の東洋艦隊との合流を目指しましたが、燃料切れでハワイ(米国)に入港し、そこで抑留され、アメリカ軍艦「シュルツ」として再就役しました。1918年に貨物船と衝突し沈没しています。「ゼーアドラー」は第一次世界大戦中に爆発事故で失われ、唯一「コンドル」は大戦を生き延び1921年に解体されました。

Mercator製モデル vs Helge Fuscher製モデル(下段)

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写真はMercator製の「ガイヤー」とHelge Fischer製の「コルモラン」を比較すると、上述のとおり舷側のスポンソン以外は大変よく似た概観かと。少し穿った見方をすると、Helge Fischer製モデルがMercator製モデルの見直しのきっかけになったのかも、などと考えてしまいます。

 

武装・重防御の海外植民地の押さえ:二等巡洋艦

「イレーネ級:Irene-class」二等巡洋艦(1887年から就役:同型艦2隻)

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(「イレーネ級」二等巡洋艦の概観:83mm(推計) in 1:1250 by Yorck: モデルは未保有です。見たことがないですね。写真は例によってsammelhfen.deより拝借しています。下の写真はSpydernavy社製のモデルの概観:こちらはEbayで入手できそうではありますが、なかなかいい値段がついています:6900円?)

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同級はドイツ帝国海軍初の防護巡洋艦で、前出の各級の海外植民地警備に加えて通商路保護(その逆として通商破壊戦)も主任務として想定されたある種の多目的艦で、1885−86年計画で2隻が建造されました。ドイツ邸孤高海軍としては初めて帆装を全廃した艦級でもありました。

航洋性、さらに戦闘力も考慮したその船型は大幅に大型化し、5000トン級の船体に8000馬力の大型機関を搭載して18ノットの速力を発揮する設計でした。75mm厚の防護甲板で機関および弾薬庫等を保護する防護巡洋艦の形態を有し、兵装は30口径15センチ単装砲4基をスポンソンに設置して広い射界をを確保し、他に22口径15センチ単装砲5門を各舷側に搭載していました(両舷で10門)。近接火器として37mm機砲を5基、さらに魚雷発射管を水中に1基、水上に2基装備し、かなりの重装備艦と言っていいと思います。

両艦は主として東洋艦隊に派遣され、「プリンセス・ヴィルヘルム」は中国膠州湾での租借地獲得に大きな役割を果たし、1898年にアメリカ、スペイン間で発生した米西戦争では「イレーネ」がマニラ方面に派遣され、同地でのドイツ帝国の利権保護に活躍しました。

20世紀初頭には両艦は本国に戻り、1914年に巡洋艦籍から外れました。その後も「イレーネ」は潜水母艦として、「プリンセス・ヴィルヘルム」は敷設隊の浮き倉庫として活用され、1922年に解体されました。

 

防護巡洋艦について

本稿ではこれまで何度も触れてきたので、「またか」の感はあるかとは思いますが、少しおさらいを。防護巡洋艦は基本、舷側装甲を持たず、機関部を覆う防護甲板により艦の重要部分を防御し、舷側の防御は石炭庫の配置に委ねるという設計構想を持った艦種で、舷側装甲を持たないため艦の重量を大幅に軽減し高速と長い航続距離を両立させることができました。

一般に巡洋艦の主たる使命を、仮想敵の通商路破壊と自国通報路の防御においた欧州各国にとっては、商船に勝る速力と通商路全般をカバーする長い航続性能を保つ非常に有用な艦種と言え、18世紀後半から20世紀初頭の一時期の巡洋艦設計の主流となりました。

その後の燃料の重油化、それに伴う機関の効率向上、さらに鋼板の品質向上、艦砲の威力強化等の要因により軽装甲巡洋艦(いわゆる軽巡洋艦)へと、設計は移行してゆきます。

 

二等巡洋艦「カイゼリン・アウグスタ:Kaiserin Augusta」(1892年就役:同型艦なし)

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(二等巡洋艦「カイゼリン・アウグスタ」の概観:97mm in 1:1250 by Navis N :Navis社の新モデル(Nシリーズ)ですので、細部まで再現された素晴らしいモデルです:モデルは1905年という表記がありますので、主砲の換装後を再現したもののようです)

同艦は1887−89年計画で建造された海外派遣用巡洋艦で、同型艦はありません。

「イレーネ級」二等巡洋艦の拡大強化型と言っていいと考えています。6300トンの船体に14000馬力の大型機関を搭載し三軸推進で21ノットの速力を発揮できました。50ミリ厚の防御甲板を貼った防護巡洋艦の形式を持った設計で、就役時には30口径15センチ単装砲4基を主砲とし、副砲として35口径10.5センチ単走速射砲8基を搭載していましたが、1896年に新型の35口径15センチ単装速射砲12基に改められ、火力がさらに強化されました。これ以外にも30口径8.8センチ単装速射砲8基、魚雷発射管5基(水中1基、水上4基)を装備した重装備艦でした。

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(上の写真は、二等巡洋艦「カイゼリン・アウグスタ」の主要兵装の拡大:15センチ単装速射砲は艦首楼内、艦尾楼内にそれぞれ2基、両舷側のスポンソン4箇所に搭載されています。8.8センチ単装速射砲も船首楼・船尾楼上部と舷側のスポンソンに装備されていることがよくわかります)

同艦は就役後、東洋艦隊に所属し1900年には中国海域にいて義和団の乱の鎮圧等に活躍しました。1902年に本国に帰還し1907年までオーバーホールを受けた後、予備艦となりました。第一次世界大戦期には砲術練習艦として再就役し1920年のに解体されました。

 

「ヴィクトリア・ルイーゼ級:Victoria Louise-class」二等巡洋艦(1898年から就役:同型艦5隻)

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(「ヴィクトリア・ルイーゼ級」二等巡洋艦の概観:89mm in 1:1250 by Navis N :Navis社の新モデル(Nシリーズ)ですので、細部まで再現された素晴らしいモデルです:モデルは1899年という表記がありますので、就役直後の姿を再現したものです)

同級は1893-95年計画で建造された植民地警備や海上通商路防護(通商破壊)を主任務よして想定された防護巡洋艦で、5隻が建造されました。6500トン級の船体に10500馬力の機関を搭載し19ノットの速力を発揮する設計でした。凌波性に優れたクリッパーと水面下の衝角を組み合わせた艦首形状やブロック形式の側面形状など、以降のドイツ帝国海軍の大型巡洋艦の標準形となったと言っていいと思います。

同級では将来の帝国海軍のボイラーの標準化のために各艦毎に別形式のボイラーを搭載して比較しました。の選定を目的として

火力は強化され、40口径21センチ単装速射砲2基を砲塔形式で艦首・艦尾に搭載し、40口径15センチ単装速射砲8基を副砲として装備していました。他には30口径8.8センチ単装速射砲10基、37ミリ機砲10基、水中魚雷発射管3基を搭載した重装備艦でした。防御は40ミリの防御甲板で主要部を保護し、砲塔・司令塔にも装甲が施されていました。

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(上の写真は、「ヴィクトリア・ルイーゼ級」二等巡洋艦の主要兵装の拡大:艦首と艦尾に21センチ速射砲の単装砲塔が配置され、15センチ単装速射砲はブロック状の舷側にケースメート形式で、さらに舷側のスポンソンにはさらに小口径の速射砲が搭載されているのがわかります)

同級は就役後、アメリカ方面、東洋艦隊、本国艦隊に配置され、東洋艦隊に属した「ヘルタ」と「ハンザ」は1900年の義和団の乱の鎮圧に、「ヴィネタ」は南米ベネズエラ危機に投入されました。

同級は最適なボイラー選定を目的として、各艦が異なるボイラーを搭載して建造され、実地でのテストが行われました。1905年から11年の間に同級の5隻は全て近代化改装された際に、ボイラーはシュルツ・ソーニクロフト型、もしくはマリン型に換装され、外観も二本煙突形状に変わりました。

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(上の写真は、「ヴィクトリア・ルイーゼ級」二等巡洋艦の近代化改装後、ボイラーの換装に伴う2本煙突形状の外見への変更後の姿:by Navis: 残念ながら筆者が保有するモデルはNavis社の旧モデルですので、Navis 社の新モデルの写真も以下に掲載しておきます。例によって写真はsammenhafen.deから拝借しています)

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同級は近代化改装後、士官候補生の練習艦となりました。第一次世界大戦の勃発により、第一線に復帰し偵察部隊に編入されましたが、程なく第一線を退き、艦隊の宿泊艦などの補助的な任務に就きました。大戦後、「ヴィクトリア・ルイーゼ」は商船に改造されましたが1923年に解体され、残る4隻はいずれも大戦後1920年1921年に解体されました。

 

三等巡洋艦「ゲフィオン:Gefion」(1894年就役:同型艦なし)

en.wikipedia.org

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(三等巡洋艦「ゲフィオン」の概観:88mm in 1:1250 by Yorck  :前回投稿ではSpidernavyの未保有モデルの写真を掲載していましたが、Yorck製のモデルを入手しました。ややディテイルの再現は異なりますが、細部まで行き届いたモデルだと思っています。前檣と後檣をコンバットマスト風に少し手を入れてあります)

同艦は1891年計画で建造された「イレーネ級」に続く防護巡洋艦で、同型艦はありません。限定的な予算から、同艦の設計時に、ドイツ帝国海軍がのちに「ガツェレ」級小型巡洋艦で具現化できた艦隊随伴偵察艦と植民地警備艦の両機能を期待した設計にしたために、やや中途半端な仕上がりとなったと言っていいと思います。

船体は「イレーネ級」をやや小型化した4500トン級として、これに9800馬力の強力な機関を搭載し20ノット強の速力を発揮できました。

「イレーネ級」に続き船内に40mm厚の防御甲板を貼り機関・弾薬庫等の主要部を防御する防護巡洋艦の形式を踏襲し、砲兵装としては設計当初は15センチ単装砲6基を装備する予定でしたが、最終的には新型の35口径10.5センチ単装速射砲10基、40口径5センチ単装速射砲6基、加えて魚雷発射管2基(水上)を装備していました。

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(三等巡洋艦「ゲフィオン」の主要兵装等の配置拡大:その後の一連の同海軍の小型巡洋艦の標準的な兵装配置がおおよそ形作られつつあるのがわかるかと:写真中段のカットでほぼ中央におそらく水上魚雷発射管が写っています)

同艦は1897年に東洋艦隊に配属され、義和団の乱鎮圧戦に参加しています。1901年には本国に戻り近代化改修ののち予備艦となりました。第一次世界大戦勃発後、再就役の予定がありながらも長く兵舎船として使われました。大戦後、1920年に売却され民間の貨物船に改造されましたが、あまり好評価ではなく、1923年に解体されました。

 

ということで、今回は1880年台から急速に拡大したドイツ帝国の海外植民地警備を主目的として建造された等級巡洋艦の開発経緯を見てきました。巡洋艦に課せられた任務の大枠が、特に海外植民地においては、プレゼンスを示すことで植民地における治安維持や権益保持に寄与する役割(さらに艦隊に随伴し偵察や連絡、主力艦の護衛等の任務を加え)の軽快な小型巡洋艦と、派遣域での事態に対処するために実力を示すことを求められる強力な戦闘力を持った大型巡洋艦(やがて装甲巡洋艦から巡洋戦艦へ)の二つの分類に集約されてゆくことが見えてきたように考えています。

ということで、今回はここまで。

次回は第一次世界大戦期の小型巡洋艦の、高速を目指す更なる進化のお話を予定しています。

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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