本稿前回でご紹介したように、主機をタービンとして高速化を進めたドイツ帝国海軍の小型巡洋艦でしたが、第一次世界大戦緒戦のヘルゴラント海戦で英海軍の軽巡洋艦との交戦により、火力の劣勢が露呈します。ja.wikipedia.org
当時の同海軍の小型巡洋艦の主砲は40口径もしくは45口径の10.5センチ速射砲で、特に新開発の45口径速射砲は12700メートルの射程を有し15キロの弾体を毎分15発の射撃速度で標的に送り込むことができる優秀砲でした。
しかし英海軍では既に45口径6インチ(15.2センチ)速射砲を主砲とした軽巡洋艦が就役し始めており、同砲は有効射程が14400メートルで、45キロの弾体を毎分8発の速度で射出することができました。上掲のヘルゴラント海戦では、この両者の威力差が明らかになりました。
このような経緯でドイツ海軍の次期軽巡洋艦の主砲は45口径15センチ速射砲を標準主砲とすることが決定されました。
同砲は有効射程15800メートル、弾体重量は45キロ、発射速度も毎分7発と、英海軍の6インチ砲とほぼ同等でした。前回投稿でご紹介したように、この砲は以降の新造艦のみならず、既存の10.5センチ砲搭載艦に対しても順次主砲換装が行われ、ドイツ帝国海軍の軽巡洋艦の標準主砲となりました。
今回は、この45口径15センチ速射砲を標準主砲として搭載した新造軽巡洋艦の艦級のご紹介です。
「ヴィースバーデン級:Weisbaden-class」軽巡洋艦(1915年から就役:同型艦2隻)
(「ヴィースバーデン級」小型巡洋艦の概観:117mm in 1:1250 by Navis N:Navis社の新モデル(Nシリーズ)らしい大変細部まで再現度の高いモデルです)
同級は1912年計画で建造された小型巡洋艦で2隻が建造されました。
前級「グラウデンツ級」を拡大した設計で、設計段階から前述の45口径15センチ単装速射砲8基を主砲として搭載していました。船体はやや拡大し6600トン級となり、31000馬力のタービン機関を搭載し27.5ノットの速力を発揮する計画でした。60ミリの舷側装甲を持つ軽巡洋艦(軽装甲巡洋艦)である点は前級と変わりませんでした。
主砲は上述の通り45口径15センチ単装速射砲8基で、艦首部には並列で2基の単装砲が設置されました。他には55口径5.2センチ単装高角砲を4基搭載していましたが、のちに同海軍の標準的な高角砲となる45口径8.8センチ単装高角砲2基に換装されています。雷装は50センチ水中魚雷発射管2基と同水上発射管2基を搭載していました。艦尾に機雷120基の搭載施設と敷設軌条等を有していました。
(上の写真は、「ヴィースバーデン級」の主要兵装の配置拡大:強化された主砲として45口径15センチ単装速射砲が採用され、艦橋前に2基。艦橋脇に2基(写真上段)、後橋脇に2基、艦尾に背負い式で2基(写真下段)が配置され、これは以降の同海軍の小型巡洋艦の主砲の標準的な配置となります。写真中段には魚雷発射管が確認できます。写真下段では後橋の前方に2基の高角砲が。さらに艦尾には機雷敷設用の軌条がモールドされています)
戦歴
第一次世界大戦期には同級は最新鋭の軽巡洋艦として本国艦隊の偵察部隊に配置されました。「ヴィースバーデン」はユトランド海戦に参加し英巡洋戦艦の砲撃で損傷を受け、その後も多数の英艦の砲撃を受けて沈没しました。「フランクフルト」は大戦を生き抜き敗戦後スカパ・フローに抑留されました。スカパ・フローでの大自沈に参加しましたが、自沈に失敗し、のちアメリカに引き渡されました。1921年に爆撃目標の標的として撃沈されました。
「ピラウ級:Pillau-class」防護巡洋艦(1914年から就役:同型艦2隻)
(「ピラウ級」小型巡洋艦の概観:108mm in 1:1250 by Navis N:Navis社の新モデル(Nシリーズ):元々はロシアから発注された艦級で、他のドイツ艦とはやや異なった設計であることがよくわかります。舷側装甲帯を持たない防護巡洋艦で、同時期の他のドイツ帝国海軍の軽巡洋艦に比べると少し細い船体でした)
同級は一連の開発系譜で見ると例外的な存在です。同級はロシア海軍向けに設計・建造された機雷敷設能力を有した舷側装甲を持たない防護巡洋艦で「ムラヴィエフ・アムールスキイ」「アドミラル・ネヴェルスコイ」と命名される予定でした。
オリジナルの設計では、5200トン級の船体に30000馬力のタービン機関を搭載し、27.5ノットの速力を発揮する設計でした。主砲としてロシア式の55口径13センチ単装速射砲8基を搭載し、他に55口径6.3センチ単装高角砲4基を搭載する予定でした。
第一次世界大戦の勃発で、ほぼ完成状態にあった同級をドイツ帝国海軍が接収し、「ピラウ」「エルビング」と命名し、武装をドイツ海軍の標準に変更して就役させました。元々の船体設計のまま舷側装甲帯は設置されず、80ミリの防御甲板で船体主要部を保護する、いわゆる防護巡洋艦の設計でした。
同級の兵装には、主砲として、ドイツ帝国海軍の次期軽巡洋艦で主砲に採用されることが決まっていた45口径15センチ単装速射砲が搭載されることが決定されました。配置は艦首部には並列で2基、艦尾の搭載主砲も他級の背負い式配置ではなく並列配置で2基搭載し、両舷側に各2基が配置され、計8基が搭載されました。他には就役時には55口径5.2センチ単装高角砲を4基搭載していましたが、のちに同海軍の標準的な高角砲となる45口径8.8センチ単装高角砲2基に換装されています。雷装は50センチ水上発射管2基を上甲板に、併せて艦尾に機雷120基の搭載施設と敷設軌条等を有していました。
既に船体はほぼ完成していたため、結果的に同級は45口径15センチ速射砲を主砲として、更に水上魚雷発射管を上甲板に設置し就役したドイツ帝国海軍の最初の巡洋艦となりました。
(上の写真は、「ピラウ級」の主要兵装の配置拡大:主砲は艦尾も背負い式ではなく並列配置されていました。敷設巡洋艦としての機能もロシアからの発注では強調されていたことが完備の形状などから推察できます。モデルは就役時のモデルのようで、後橋周辺に5.2センチ単装高角砲4基が設置されています)
戦歴
「エルビング」は「ピラウ」と共にユトランド海戦(1916年)で巡洋戦艦部隊の前衛(第二偵察群)を務めていましたが、帰途で英駆逐艦の魚雷攻撃を避けるために変針した戦艦「ポーゼン」と衝突して航行不能になり、自沈処分されました。
「ピラウ」は大戦を生き抜き、戦後イタリアに引き渡され巡洋艦「バリ」として再就役しています。「バリ」は第二次世界大戦でも植民地警備艦として活動しており、1943年に防空護衛艦に改造、米爆撃機によって撃沈されました。
(上の写真はイタリア海軍の巡洋艦「バリ」(再就役後の「ピラウ」)by Naptun :モデルは1943年ごろを再現したもののようです。筆者はモデル未保有ですので、例によってsammelhafen.deから写真を拝借しています)
「ブルンマー級:Brummer-class」敷設巡洋艦(1916年から就役:同型艦2隻)
(「ブルンマー級」敷設巡洋艦の概観:112mm in 1:1250 by Navis N:Navis社の新モデル(Nシリーズ):北海や英国近海での機雷の敵前敷設を想定したため、艦首形状や全体的な形態が当時の英軽巡洋艦に似せてあることがわかります)
同級は第一次世界勃発後の1914年計画で建造した高速敷設巡洋艦で、イギリス近海やバルト海、北海での強行機雷敷設を可能にするべく2隻が建造されました。
機関には大戦勃発で工事が中断されたロシア向けの巡洋艦のタービンが徴発されて転用され、工期短縮が図られました。高速化を狙い舷側装甲は軽く(15ミリ)、搭載主砲も45口径15センチ単装速射砲4基に抑えられていました。加えて、敵前(英国近海や北海)での機雷敷設を想定し、英海軍の軽巡洋艦に似せた外観を得るために後檣は伸縮できる設計にするなどの工夫が加えられています。機関から発生する煤煙を押さえるために、重油専焼ボイラーの搭載比率を上げるなどの配慮も払われました。
(上の写真は、「ブルンマー級」の主要兵装の配置拡大:軽快な動きを重視したため、兵装は軽めで主砲は艦首に1基(写真上段)、煙突間に1基(写真中段)、艦尾に背負い式で2基(写真下段)が配置されています。艦尾形状は機雷敷設を想定した形状です。写真中段では、上甲板に配置された魚雷発射管を確認できます)
戦歴
第一次世界大戦中は両艦がそろって多くの機雷敷設作戦に従事しました。特に1917年10月には英国からノルウェー向けの輸送船団に対し、護衛の駆逐艦2隻を含むおおくの輸送船を撃沈する戦果を挙げています。
敗戦後は両艦ともにスカパ・フローで抑留され、後に1919年6月21日の大自沈作戦に参加し自沈しました。後に「ブレムゼ」は引き上げられ1930年に解体されました。
「ケーニヒスベルク級:Konigsberg-class」軽巡洋艦(1916年から就役:同型艦4隻)
(「ケーニヒスベルク級」小型巡洋艦の概観:122mm in 1:1250 by Navis N:Navis社の新モデル(Nシリーズ):細部まで再現されたNシリーズらしいモデルです)
同級は1913年計画で4隻が建造されました。第一次世界大戦の初期に失われた小型巡洋艦の艦名を継承していました。
基本設計は前級「ヴィ―スバーデン級」軽巡洋艦を拡大強化したものになっており、7100トン級の船体に31000馬力の期間を搭載し、28ノットの速度を発揮することができました。舷側装甲は前級と同様60ミリでした。
兵装については主砲は「ヴィ―スバーデン級」と同じ45口径15センチ単装速射砲8基を搭載していました。搭載方法については広い射界の確保をねらって、特に艦橋前に搭載された2基は少し高いデッキを設けて搭載されていました。
(上の写真は、「ケーニヒスベルク級」の主要兵装の配置拡大:ドイツ帝国軽巡洋艦の標準的な兵装配置で、主砲である45口径15センチ単装速射砲は、艦橋前に2基。艦橋脇に2基(写真上段)、後橋脇に2着、艦尾に背負い式で2基(写真下段)配置され、写真中段には魚雷発射管が確認できます。写真下段では後橋の前方に2基の高角砲が見えています)
高角砲については就役当初は45口径8.8センチ単装高角砲を2基装備していましたが、後に3基に増設されたようです。雷装は前級と同じく50センチ水中魚雷発射管2基と同水上発射管2基を搭載し、200基の機雷を搭載することができました。
戦歴
4隻は主にバルト海方面での作戦に参加して第一次世界大戦を生き抜き、「カールスルーエ」「エムデン」「ニュルンベルク」はスカパ・フローに抑留された艦隊に含まれていました。「エムデン」はスカパ・フローに抑留されたドイツ艦隊の総司令官ロイター少将の旗艦で、自沈を命ずる信号旗は同艦のマストに揚げられました。「エムデン」を含め抑留された同級の3隻は自沈を実行しましたが、添乗していた英海軍乗組員の機転で、沈んだのは「カールスルーエ」のみで、残り2隻は座礁して沈没を免れ、英海軍に戦利艦として押収されました。「エムデン」は1926年に解体され、「ニュルンベルク」は1922年に標的として沈められました。「ケーニヒスベルク」は1920年にフランスに引き渡され「メス」と改名されて再就役しました。同艦は1936年に解体されています。
「ケルン級:Coln-class」軽巡洋艦(1918年から就役:同型艦2隻・建造中止8隻)
(「ケルン級」小型巡洋艦の概観:124mm in 1:1250 by Navis :残念ながらNavis社の新モデル(Nシリーズ)ではなく、旧モデルです:モデルは艦首形状の特徴から同級の「ドレスデン」のものです。ネームシップの「ケルン」は新旧を問わずNavis からはモデルは市販されていなさそうです;後ほど詳しく)
第一次世界大戦勃発以降1916年までに、ドイツ帝国海軍は13隻の小型巡洋艦を失いました。この穴を埋めるべく、「ケーニヒスベルク級」軽巡洋艦の設計をベースとした改良型として、戦時下で予算制約が解かれ、同級は10隻が発注されました。
前級よりやや拡大された7400トン級の船体を持ち、これに31000馬力の機関を搭載して27.5ノットの速力を発揮する設計でした。主要兵装はほぼ前級を踏襲していましたが、対空砲は1基増設され、併せて雷装はより強力な口径60センチの魚雷発射管4基を搭載していました。
(上の写真は、「ケルン級」の主要兵装の配置拡大:主砲は標準的な配置ですが、後橋周辺に単装高角砲が1基増設されていることがわかります。写真中段では上甲板上に設置された単装魚雷発射管2基を認めることができます。同級ではそれまでの艦級では艦橋と別の独立した構造物であった装甲司令塔が艦橋に組み入れられているように見えます)
10隻が発注されましたが完成したのは「ケルン」と「ドレスデン」のみで、5隻は進水まで、3隻は船台に龍骨が乗せられた段階で工事が中止されました。
戦歴
両艦は完成時期が遅く、目立った戦歴は残していません。両艦とも本国艦隊に在籍し、北海方面で英国からノルウェー向けの船団攻撃などに参加しています。
敗戦後は他艦と同様にスカパ・フローに抑留され、1919年6月21日の大自沈に参加し沈没しました。
「ケルン級」Navis Nシリーズのモデルについて
「ケルン級」についてはNavis Nシリーズで「ドレスデンII(二代目ドレスデン)」のモデルが市販されています(下の写真:写真は例によってsammelhafen.deから拝借しています)。筆者は多分、まだ見たこともなく、もちろん未保有です。
直上の写真では筆者が保有する「ドレスデン」のNavis旧モデルと新モデルの比較をしたものです。細部の表現など、旧モデルとはかなりアップグレードしているようですので、Ebay等に注意して、機会があれば入手したいと考えています。
1916年次計画 艦隊随伴軽巡洋艦:1916 Entwulf Fleet Cruiser(未成)
前述のように第一次世界大戦の勃発後、1916年までにドイツ帝国海軍は13隻の小型巡洋艦を失いました。この損害への補完の一環として、上述の1916年次計画には新型巡洋艦の建造が盛り込まれていました。
記録上は「艦隊随伴巡洋艦(Flottenkre
基本的には「ケルン級」を上回る32ノットから33ノットの高速を発揮する設計であることは共通ですが、複数案が検討されたようで、火力を抑え軽快に行動する偵察巡洋艦としての特徴を強調した「FK 1」「 FK 1a」「FK 2」の設計案と、高速性に「ケルン級」と同等の火力を有する戦闘艦としての性格も兼ね備えた「ケルン級」の高速強化型の軽巡洋艦(「FK 3」「FK 4」)の設計案に大別されると考えています。
設計案「FK 1」「FK 1a」「FK 2」
前者(「FK 1」「 FK 1a」「FK 2」)の設計では、それぞれ「FK 1」3800トン、「FK 2」4800トン、「FK 3」5400トンの船体に、効率の良い石油専焼ボイラーとタービンを組み合わせた新型の機関を搭載し、33ノットの速力を発揮する設計でした。武装はやや軽めで45口径15センチ単装速射砲5基、45口径8.8センチ単装高角砲2基、60センチ魚雷発射管4基を搭載し、「FK 1a」では機雷100基も搭載できる敷設能力を持った設計でした(おそらく「FK 2」も機雷敷設能力を持っていただろうと推測します)。
艦型については皇帝ヴィルヘルム2世の要請で、英海軍のC級軽巡洋艦に似た2本煙突形態となったようです。
(「FK級」軽巡洋艦」の概観:108mm in 1:1250 by Navis :残念ながらNavis社の新モデル(Nシリーズ)ではありません。Nシリーズではこのクラスはモデルが出ていないかも:「FK 1a」のモデルかとは思うのですが(艦底部分に刻印されたモデル名も、そう明記されていますが)、手元で当たれる資料でのスペックに対しては少し大きいように思います。上述のように皇帝の示唆でに従って英海軍のC級軽巡洋艦に準じたデザインで、煙突は2本で再現されており、それまでの艦級に比べすっきりとしたいかにも偵察巡洋艦らしい艦型に再現されています。下の写真は、「FK級」軽巡洋艦の主要兵装の配置拡大:主砲は艦首に1基、艦橋脇に2基(写真上段)、艦尾に背負い式で2基(写真下段)が配置され、中段写真では艦の中央部に配置された各舷2基の魚雷発射管と単装高角砲2基がよくわかります)
設計案「FK 3」「FK 4」
一方、後者(「FK 3」「FK 4」)の設計では基本的に「ケルン級」軽巡洋艦の高速化が目指され、「FK 3」は「ケルン級」よりやや小ぶりな6900トンの船体に重油と石炭のボイラーを13基混載して3系列のタービンを搭載した三軸推進で32ノットの速力を発揮する設計だったと思われます。この船体に45口径15センチ単装速射砲7基、45口径8.8センチ単装高角砲3基、60センチ魚雷発射管4基を搭載し、そしておそらく機雷200基の敷設能力もあったであろうと考えています。
最終案「FK 4」では8000トンを超える船体にボイラー15基と3系列のタービンを搭載し、32ノットを発揮する設計だったと推測されます。武装は「ケルン級」と同等で、45口径15センチ単装速射砲8基、45口径8.8センチ単装高角砲3基、60センチ魚雷発射管4基、さらに機雷敷設能力(200基搭載)も兼ね備えていただろうと思われます(「FK 3」「FK 4」についてはモデルはなさそうです)。
いずれにせよ、これらの設計はすべて実現されず、大戦後期のドイツ帝国海軍はその艦船建造能力を大型艦の建造から潜水艦(Uボート)建造にシフトし集中させてゆくことになるのでした。
ということで数回に渡りドイツ帝国海軍の小型巡洋艦の開発系譜を見てきたわけですが、「その1」「その3」はいわゆる前史にあたる部分で、「その2」「その4−1」そして今回の3回の投稿でご紹介した艦級が、いわゆる「小型巡洋艦」の系列として考えられると思っています。
これらをまとめておくと防護巡洋艦形式の艦級が5艦級、27隻、その後の軽装甲巡洋艦(=軽巡洋艦)形式の艦級が8艦級、20隻、合計13艦級、47隻が建造され、第一次世界大戦での戦没17隻、大戦後のスカパ・フローでの自沈5隻、戦利艦として他国に引き渡されたもの9隻、ワイマール共和国海軍に継承されたもの8隻という結果でした。
ご承知のように、第一次世界大戦前には世界第2位の規模を誇ったドイツ帝国海軍も帝国自体の崩壊と同時に消滅します。その主要な艦艇群は「スカパ・フローでの大自沈」作戦で文字通り水中に自ら姿を消し、残された旧式艦艇を中心に帝国の後継として成立したワイマール共和国海軍が編成されます。しかし同海軍は戦勝国によって強い薔薇制限下に置かれ、ドイツ周辺海域の沿岸警備海軍の規模に抑えられたもので、保有を許された艦艇は、第一次世界大戦期ですら、二線級と見做された旧式なものばかりでした。が、ともかくもドイツ海軍は再生し、やがてナチスの台頭による再軍備に進み、次の戦乱期を迎えてゆくのです。
そのあたりのお話は本稿でも下記の回などでご紹介していますので、興味があればぜひご覧になってみて下さい。
ということで今回はこの辺りで。
次回は行事が立て続けで、一回お休み、もしくは過去投稿の再掲とさせていただき、その次に一連のドイツ小型巡洋艦周りで新着モデルが届きつつあるので、そのアップデートをさせていただきたい、と考えています。
もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。
模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。
特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。
もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。
お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。
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