このところ何かと本業が立て込んでいて、あまり時間が取れていません。
加えて秋のドラマ・クールが始まり、そちらも何かと忙しい。まだ全てのドラマが始まってはいませんが、今のところ、結構レベルの高いクールになりそうな予感がしています。少なくともこれまでのところではハズレがない感じ。
しかも「三体」WOWOW版がオンデマンドで先行配信されています。 WOWOWでの放送は11月以降のようです。先行配信は10月16日まで、と言うサインが出ているので、ちょっとこの週末はそちらで忙しくなりそうです。
NetFlix版が2024年放送予定という情報には触れていて、原作小説を購入しながらまだ1ページも読んでいません。
それに先駆けてWOWWOWでも、しかも全く別制作のドラマ版で登場するとは。
こちらは中国のテンセントが製作しています。
一気に六話くらいまで見ましたが、結構面白い。流石にベストセラー小説のドラマ版、しかもかなり忠実に原作に準じている、ということなので、まあ、面白くないはずがない、ということのなのでしょうが。しかし、筆者がちゃんとドラマについていけているかと言うと、ちょっと自信がありません。六話まで見ながら、話の全貌が見えてこない。筆者の理解力、想像力の問題なのだろうと思いますが、それでも見続けているのだから、魅力に溢れた作品であることは間違いないと思います。しかしこれが中国語字幕版のみ、と言うことで、いわゆる「ながら」で流せない。筆者の場合、通勤の電車の中で見ることが多いので、字幕、と言うのも大きなネックになってきます。
ちょっとサブスク系の話になってきたので、そちらのお話を少し続けると、このところApple TVのオリジナル制作のクオリティの高さを強く感じています。
SF小説のレジェンド、アイザック・アシモフの原作をドラマ化した「ファウンデーション」はもちろん、「インベージョン」「サイロ」「ハイジャック」いずれもなかなかのものです。
とりわけゲイリー・オールドマン主演の「窓際のスパイ」は大のお気に入り。
もうすぐシーズン3(late 2023)が始まるらしいので、楽しみにしています。
と言うようなわけで、あまり時間が取れないので、過去投稿のアップデート版をしばらくは続けたいなあ、と考えています。今回取り上げるのは2021年5月ごろからいくつか連投した「ロイヤル・ネイヴィーの駆逐艦」の発達史を、前回は興味の湧いたところから投稿したので、今度は黎明期から順を追って、アップデート情報など織り込みながら、あらためてご紹介、と考えています。
今回はその第一回。ロイヤル・ネイヴィーの駆逐艦の成立期のお話です。7回程度のミニシリーズになりそうな気がしています。2021年の投稿では、第一次大戦以降の艦級については触れていませんでしたので、おそらく4回以降からは新たにそのあたりで新しいモデルをご紹介する機会があると考えています。しばらくお付き合いを。
そしてその何処かに今整備中の「現用艦船:ロイヤル・ネイヴィーのミサイルフリゲート」を挟ませてただくかも。
と言いつつも、ご存じのように筆者の気まぐれは相当なものですので、あまり当てにはなりませんが、しばらくは「ロイヤル・ネイヴィー」ネタが続くことになりそうです。繰り返しますが、筆者の興味が続けば、ということですので、あまり当てにはなりません。
インド海軍の空母、なんて大物も少し前から気になってきています。
と言うわけで、ここからは今回の本論。まずは駆逐艦という艦種の成立について
駆逐艦という艦種は19世紀の半ばに誕生します。そもそもは高い破壊力を持つ魚雷を抱いて高速で主力艦に向けて突っ込んでくる「水雷艇」に対し、駆けつけて追い払う=駆逐する艦種、「水雷艇駆逐艦」として成立しました。この目的のために、新たな艦種開発としての模索があったわけで、それは「水雷砲艦(Torpedo gunboat)」や「水雷艇捕捉艦(Torpedo boat catcher)」などの「打ち払う」的な発想の艦種として試行されますが、いずれも速度の面で十分な成果が得られず、結局、「水雷艇」の設計を拡大したある種「大型水雷艇」的な発想の設計に帰結する事になりました。
(各国が装備した水雷艇:ドイツ帝国海軍の小型水雷艇(黒)と、日本海軍の水雷艇(白色の2タイプ))
水雷艇よりも少し大きな船体に高い出力の機関を搭載し、高い運動性の水雷艇に追随できる速射性の高い艦砲を多く搭載する、というわけですね。ならばついでに魚雷も搭載すれば、水雷艇としても使用できるじゃないかということで、やがて大型水雷艇と駆逐艦は、実質的に「駆逐艦」という艦種に統合されてゆきます。船体が大きいので、「水雷艇」よりも航洋性が高く、かつ航続距離も長くでき、主力艦隊への随伴も可能で・・・。と利用目的がどんどん広がってゆく大変便利な汎用軍艦の艦種が誕生したわけです。
(水雷艇と駆逐艦の対比:ドイツ帝国海軍の小型水雷艇(黒)と、日本海軍の水雷艇(白色の2タイプ)と下記で紹介する英海軍の27ノッタータイプの水雷艇駆逐艦(1番奥))
このように護衛にも攻撃にも使え、かつ主力艦などよりははるかに安価なため、数を揃えることができるということもあって、新興海軍(当時の日本海軍など)もこぞってこれを装備してゆきました。
200トン前後の小さな船体で荒天では活動できなくなるような「水雷艇」を巡り、何故こんな騒ぎが起きたかということについて、さらに少し背景を考察すると、当時の主力艦が砲戦だけでは沈めるのが非常に困難だった、ということが挙げられます。
当時列強は(列強以外の国も)、こぞって装甲を持った軍艦をそろえてゆきます。艦型は大型化し、同時に搭載される艦砲も強力なものに発展してゆくのですが、陸上の固定された目標を破壊するならまだしも、航行中の軍艦同士の砲撃戦では、まず砲弾を命中させることが大変難しいのです。さらに十分に装甲防御を施された主力艦を少ない命中弾で行動不能にすることは至難の技で、反面、装甲帯のない船底を狙う魚雷という兵器は大変脅威だったわけです。ただし、魚雷は大変高価、つまりそれほど多い数を搭載できないうえに、射程が艦砲に比べると恐ろしく短いので、射程内に近づくためには防御側の砲弾をかい潜る速度と敏捷性を備えた小型艦艇に搭載して接近し必中を狙う必要がありました。そんな戦術から水雷艇が生まれたわけです。接近のための秘匿性という視点では、やがては潜水艦(潜水可能な水雷艇、といった方がわかりやすいかも:速度は遅くても、見つからずに接近できる)が生み出されます。
少し駆逐艦から離れ、余談になりますが、砲戦で主力艦が沈まない、という事については、その後の海戦史を見ても明らかです。あれだけ各国が凌ぎを削って整備した主力艦は、ほとんど主力艦同士の砲撃戦で沈んでいないのです。
そもそも、主力艦同士の海戦というのが、事例が非常に少ないのです。
そして喪失艦を強いて挙げるならば、日本海海戦(日露戦争)でのボロジノ級3隻、第一次世界大戦のドッカー・バンク海戦、ユトランド沖海戦での英独両海軍の巡洋戦艦の喪失、第二次世界大戦のデンマーク海峡海戦での「フッド」の喪失、北岬海戦での「シャルンホルスト」の喪失、第三次ソロモン海戦での「霧島」の喪失、その辺りでしょうか?
こうして並べてみると、日本海海戦を除いて、その後の喪失例は「軽防御の主力艦」がその弱点を突かれて撃沈されたと言えるような気がします(ユトランド沖海戦の「リュッツォー」北岬海戦の「シャルンホルスト」の場合は、もう少し事情が複雑かもしれませんが)。
弱点を突かれた、という点では、ボロジノ級も同じかもしれません。日本海海戦の場合は、ボロジノ級の設計に課題があり、せっかくの舷側装甲が健全に防御機能を果たせなかった、ということかと考えています。
これ以外に「ビスマルク」やレイテ沖海戦での「山城」「扶桑」などが挙げられるかもしれませんが、これらは主力艦同士の砲撃戦での戦果としてしまうのは、少し違うのかな、と考えています。
英海軍の駆逐艦整備
上記の駆逐艦黎明期、英海軍の仮想敵国はフランス海軍でした。
少し当時の状況を乱暴にまとめると、当時は装甲を持った外洋航行可能な戦艦(後に前弩級戦艦と呼称されますが、その少し前)のこれまた黎明期でありました。この後に「戦艦」として我々が良く知る艦種は、この時期以降、急速に発展するのですが、機関と燃料(当時はまだ石炭)の積載量、その補給方法(給炭ですね)を考慮すると、いわゆる「戦艦」はまだ行動範囲が大陸沿岸に限られていた、と言っていいと考えています。
+++また余談ですが、こうした時期の最盛期に日露戦争が行われているわけで、こうした背景を考えても、ロシア艦隊の日本への回航は、その悲劇的な結末はさておき、まさに「壮挙」だと改めて思います。
当時フランスでは、防御にせよ攻撃にせよ、沿岸での行動に限定される「装甲軍艦≒戦艦」の有用性について大きな議論があり、議論の末、大鑑巨砲の対局をゆく海軍戦略を掲げる「新生学派(ジューヌ・エコール)」が台頭していました。この学派の台頭により、フランス海軍はその後の「主力艦整備」という視点では英独に大きく遅れを取り、列強が前弩級戦艦、弩級戦艦、超弩級戦艦の整備へと凌ぎを削ってゆく主力艦における海軍軍備競争からは脱落するのですが、一方で、1881年の予算で水雷艇70隻、1886年の予算で100隻、と大量の水雷艇整備を実行し、沿岸海軍活動を充実させてゆく動きを見せていました。
この大量の水雷艇整備計画への英海軍の回答が、「水雷艇駆逐艦」という艦種となって現れてゆくのです。
(前述の「新生学派(ジューヌ・エコール)」とその影響下でのフランス主力艦整備については、下記に少し記述がありますので、もし興味のある方はどうぞ。模型的には、或いはコレクター視点で見ると、なんとも宝箱のような海軍です)
「27ノッター」「30ノッター」の登場
当時の「水雷艇」の標準速度が23ノットであり、概ね100トン程度の船体に速射砲1門、魚雷2発を抱えて敵性軍艦に向けて近距離まで接近し魚雷を放つ、という戦い方でした。
これを捕捉し撃破するのが、「水雷艇駆逐艦」の主任務でしたので、英海軍はこの艦種の速力を「水雷艇」より優速の27ノットと定めます。こうして「27ノッター」と呼ばれる「水雷艇駆逐艦」の艦級が誕生しました。
以下、英海軍の駆逐艦の艦級は「A級」「B級」など、アルファベットで紹介されますが、実はこの呼称は後の航洋型駆逐艦の艦級が整備された後の再種別の際に後付けされたもので、この「駆逐艦黎明期」には、その速度特性から「27ノッター」とその発展形である「30ノッター」の2種に大別されていました。
当時の「水雷艇」は形状の特徴として、敵への肉薄を少しでも容易にするために、低い平甲板型の船体を持ち、「亀甲型」と言われる艦首形状をしていました。結果的に「水雷艇」から発展した「水雷艇駆逐艦」も同様の船体形状をしていました。この形状は穏やかな海面では高速を発揮しかつ敵からの視認性を低減する意味では有効でしたが、一方で凌波性が低く、荒天時には行動できませんでした。「水雷艇駆逐艦」である間は、それでも良かったのでしょうが、機関技術や造船技術、船体に使う鋼板の発展に伴い主力艦が大型化し、「駆逐艦」が随伴すべき主力艦隊の活動が外洋に広がると、航洋性を高める設計へと移行してゆくことになるのです。
(初期の水雷艇駆逐艦の艦首形状=亀甲型(上段)と航洋型駆逐艦:後の紹介する予定の「F級」の艦首形状=船首楼型の対比)
A級駆逐艦:(就役期間:1894−1920: 準同型艦 42隻)
英海軍が初めて整備した駆逐艦の艦級です。
前述のように、整備時点では「A級」の呼称はなく、250トンから350トンの船体に27ノットの速力を発揮できる機関を搭載することから「27ノッター」型とひとまとめにされていました。量産性への意識から、建造は民間造船所に委託され、仕様書のスペックを実現するべく、それぞれの設計に委ねられましたので、機関の形式は多岐にわたり、煙突の数を含め、多様な艦型を含んでおり、まさに模索期の様相を呈しています。
武装は45センチ単装魚雷発射管を2基、7.6センチ単装砲1基、5.7センチ単装砲3〜5基を搭載していました。
1本煙突型(就役期間:1900-1920: 同型艦:2隻)
(残念ながらモデルを保有していません:モデルがないかも)
ハンナ・ドナルド&ウィルソン社が建造を担当しました。
2本煙突型(就役期間:1894−1918:同型艦:10隻)
(「27ノッター型:A級2本煙突型の概観:47mm in 1:1250 by Oceanic-TV)
ヤーロウ社、ソーニクロフト社、フェアフィールド社が建造しました。初期型は水雷艇襲撃任務の際には魚雷発射管を57mm砲に換装して出撃することも想定されていたようです。が、この装備換装の造作は初期型のみで廃止されました。
3本煙突型(就役期間:1895-1920:同型艦:23隻)
(「27ノッター型:A級3本煙突型の概観:47mm in 1:1250 by Oceanic-TV)
ヤーロウ社をはじめ9社が建造を担当しました。
4本煙突型(就役期間:1895-1912:同型艦:7隻)
(「27ノッター型:A級4本煙突型の概観:54mm in 1:1250 by Oceanic-TV)
キャメル・レアード社とアール社が建造を担当しています。
(「27ノッター型:A級」の勢揃い)
30ノッター型(B級・C級・D級:就役期間:1897-1921:準同型艦:74隻)
「27ノッター」型で一応の成功を収めた英海軍は、より機関を強化した駆逐艦のグループを「30ノッター」型と称し、量産に入りました。
標準武装は「27ノッター」型に準じました。(45センチ単装魚雷発射管を2基、7.6センチ単装砲1基、5.7センチ単装砲5基)
機関の強化に伴い艦型も400トン前後に拡大しています。一方で蒸気レシプロ機関では出力の限界が見えたため、蒸気タービンの導入など新たな試みが行われ始め、何隻かに試験的に搭載されました。
B級駆逐艦:(就役期間:1897-1920:同型艦 24隻)
(「30ノッター型:4本煙突型=B級の概観:57mm in 1:1250 by Oceanic-TV)
「30ノッター」型のうち4本煙突の形式がのちに「B級」と呼称されました。同級から、57mm砲の搭載数が5基とされました。
さらに高速化への模索として、一部の艦はレシプロ蒸気機関に変えて、タービンが試験搭載されました。
日本海軍の「雷級」駆逐艦は同級をプロトタイプとして建造されています。
C級駆逐艦:(就役期間:1897-1920:同型艦 40隻)
(「30ノッター型:3本煙突型=C級の概観:54mm in 1:1250 by Navis)
「30ノッター」型の3本煙突の外観を持つループが後に「C級」と再種別されました。「30ノッター」型の中では最も多い40隻が9社の民間造船所で建造されました。
D級駆逐艦:(就役期間:1897-1921:同型艦 10隻)
(「30ノッター型:2本煙突型=D級の概観:54mm in 1:1250 by Hai)
「30ノッター」型の2本煙突の外観を持つループが後に「D級」と再種別されました。2本煙突型「30ノッター」はは全てソーニクロフト社で建造され、他の形式に比べ艦型は統一されていました。機関と煙突の関係が整理され、艦型はややコンパクトにまとめられています。(350トン)
(「30ノッター型:B級, C級, D級」の勢揃い)
今回は、英海軍の「駆逐艦」の黎明期とそこで運用された艦級を見てきましたが、前述のようにその随伴し護衛すべき「主力艦」の行動範囲が 広がると、その護衛を重要な任務とする「駆逐艦」にも長い航続力と外洋での高い航洋性が求められるようになります。こうして、黎明期の「水雷艇駆逐艦」の時代は終わり、「航洋型駆逐艦」の模索が始まるのです。
ということで今回はここまで。
次回は、「航洋型駆逐艦」の模索期のお話を。
もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。
模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。
特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。
もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。
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