相州の、ほぼ週刊、1:1250 Scale 艦船模型ブログ

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

第3回 連合艦隊結成と黄海海戦(その1)

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明治維新は、そもそもアヘン戦争に敗れた清国が列強の蚕食を受けることを間近にした危機感から始まったと言っていい。

当時の清国は確かに国家としての晩年期を迎えていた。体制は弾力を失い、民心を繫ぎ止めるには宮廷も官僚も、その腐敗が過ぎた。列強はこの支配階級の肥大した我欲に付け入り、「眠れる獅子」などと煽て、あるいは半ば本当に恐れながら、眠りを覚まさぬよう注意深く利益を貪り続けた。

維新により、ともかくも自存を保ち得たと自負する日本は、同様の危機感を持って隣の朝鮮をみた。朝鮮は大陸から日本に向けて南に垂れ下がった半島国家であり、その地続きの大陸は今や列強の草刈り場となろうとしている。そのまま列強の南下が進み、この半島に列強のいずれかが拠点を持てば、即、日本の自存が脅かされる。その、ひりつくような危機感に煽られ、日本は朝鮮に、半ば強引に派兵することによって、保護の手をさしのべた。

その、手前勝手で一方的な「好意」を、永く清国を宗主国と仰ぐ朝鮮王国は、当然のことながら好意としては受け取らず、清国に泣きついた。あるいは、儒教国家として成熟した朝鮮には、同じ文化圏にありながら、その東洋的には洗練された習俗を全てをかなぐりすてる様にしてまで、いち早く欧化を遂げた日本に対して、当然その危機感を理解できず、一種の侮蔑感もあったであろう。

この要請に清国は応え、こうして日清両国は、戦端を開くに至った。

 

日清開戦を迎え、日本海軍はそれまでの「常備艦隊」と「警備艦隊」の建制を改め、水上兵力を一元の指揮の下におく「連合艦隊」を編成した。初代連合艦隊司令長官には、常備艦隊司令長官の伊東祐亨中将が就任した。

 

黄海海戦時の連合艦隊

日清両海軍の決戦場となった黄海海戦にあたり、前回に少し触れたが、当時アジア最大、最強を誇る「定遠」「鎮遠」の二大堅艦を中央に横陣をはった清国北洋艦隊に対し、日本海軍は「主隊」「遊撃隊」の二つに艦隊を単縦陣にわけて臨んだ。

「主隊」は、連合艦隊司令長官伊東祐亨中将が直卒し、旗艦松島以下、千代田、厳島、橋立、比叡、扶桑の六隻で編成された。

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このうち比叡と扶桑については、前稿で触れた通り明治海軍初期の主力艦であり、この海戦の時点では既に旧式艦であった。

 

千代田 -Chiyoda :protected cruiser-  (1891-1927)

残りの四隻のうち、「千代田」は、フランスに発注されながら、日本への回航途上で消息を絶った巡洋艦「畝傍」の保険金により調達されたといういわく付きの巡洋艦である。イギリスで建造され、舷側水線部に貼られた装甲帯を持つところから「日本海軍初の装甲巡洋艦」ともいわれることもあるが、2,500トン、主砲は持たず12センチ速射砲を舷側に10門装備した、正確には装甲帯巡洋艦、一般的には防護巡洋艦に分類されるであろう。(75mm in 1:1250)

19ノットの当時としては快速でありながら、重厚な連合艦隊主隊に組み込まれたため(おそらく、その装甲帯のため?)、その快速を発揮する機会は、黄海海戦においてはなかった。

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千代田 (防護巡洋艦) - Wikipedia

 

三景艦:松島級防護巡洋艦 -Matsushima class :protected cruiser- 

(厳島:1891-1925/ 松島:1892-1908/ 橋立:1894-1925 

艦名が日本三景(松島、厳島、橋立)に寄るところから「三景艦」として名高い三艦である。

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フランスの造船家エミール・ベルタンの設計であることはつとに知られている。

清国の当時アジア最強を謳われた定遠級戦艦(砲塔装甲艦)「定遠」、「鎮遠」に対抗する艦として設計された。

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松島型防護巡洋艦 - Wikipedia

 

これらの艦の最大の特徴は、4,000トン強の小さな船体に巨大な38口径32センチ砲を主砲として一門搭載していることで、主砲自体の性能は、射程、口径、弾丸重量ともに、「定遠級」の主砲(20口径30センチ砲)を凌駕することができた。「厳島」と「橋立」はこの主砲を前向きの露砲塔に搭載し、「松島」は後ろ向きに搭載している。「アジア最強の戦艦を上回る強力艦を手に入れた」と国民の少年のような高ぶりが伝わってくるような気がして、ある種微笑ましい。

早速、連合艦隊も「松島」をその旗艦に据えた。(75mm in 1:1250)

 

防護巡洋艦である、と言うこと。あるいはその主砲

三景艦はいずれも舷側装甲を持たない、いわゆる防護巡洋艦である。

防護巡洋艦は、艦内に貼られた防護甲板により、艦の生命線である機関を防御する構造を持ち、舷側装甲を持たないが故に軽快で、限られた出力の機関から高速を得ることができる。また、日本海軍をおそらくほぼ唯一の例外として(日本海軍は、全ての艦種において、常に艦隊決戦をその主任務として意識した)、世界の列強海軍においては、巡洋艦に想定される最も重要な任務は通商破壊、あるいはその防止であり、長い航続距離、商船に対する優速性等を備えていることが期待された。そうした任務に向けては、防護巡洋艦は最適な艦種であったと言え、世界の海軍でこの時期、もてはやされた。

一方、松島級は、舷側装甲こそ持たないが、清国主力艦との決戦を想定し艦型の大きさに対し不相応と言っていい巨砲を搭載する、という宿命を背負って生まれた。そのため速力は16ノットに甘んじた。

それぞれ艦首尾方向に向けて搭載された32センチ主砲は、いずれも左右140度の旋回が可能である。主砲以外には舷側に12センチ速射砲を11-12(松島)門装備している。

この時代、中央で制御された砲撃術は未成立で、砲側照準の独立撃ち方が基本であり、したがって有効射程距離は2000−3000mであった。しかも前稿でも示したように巨砲の発射速度は1時間に2−3発で、従って余程のことがない限り当たらない。松島級の主砲では、発射速度は5分に1発程度と改善されているが、砲撃術が未成立である以上、長距離での命中は期待できないことに変わりはない。

例えば、これも前稿に記載したことの繰り返しになるが、清国主力艦の定遠級の設計思想は、基本全主砲を艦首方向に向け、敵艦に向けて突進し、艦首の衝角での打突と併せてほぼゼロ距離で発射し敵艦の腹部をえぐる、という巨砲によるアウトレンジを意識しない、ある種ボクシングのような戦法であった。

松島級が搭載した32センチ砲は、砲の性能上の射程距離が8,500メートルといわれているが、その距離での命中は、上記の射撃法の未発達の状況では偶然以外にはあり得なかった。松島級の本領は、本来の防護巡洋艦らしく優速を生かした機動性と、舷側の速射砲による敵艦上部構造物と乗組員の破壊にあったと言え、実際にそのように戦い、勝利した。

いま少し、主砲の話を続ける。

上記の通り、防護巡洋艦本来の戦い方として舷側速射砲を有効に機能させるには、同航戦か反航戦、あるいはT字戦を行わねばならない。いずれにせよ舷側を敵に向けねばならならない。その際に、主砲もまた射撃を行うとすれば砲身を舷側方向に向けねばならないが、実は松島級は、予算及び当時の日本の港湾施設の大型艦運用能力の不足からベルタンの提唱よりもさらに小型艦にせざるを得ず、側方射撃の場合、そのこともあり設計時では想定されなかった、主砲の重量と射撃時の反動により、設計以上に艦の傾斜、進行方向、速度等に影響が出るなどの不都合が生じたとされている。

黄海海戦での約5時間の戦闘中、主砲発射数は三艦合計してわずか13発にすぎなかった。

 

筆者は、常々疑問に思っている。「厳島」「橋立」の前向きの主砲は、会敵時のアウトレンジでの発射など、命中は期待せねまでも、敵を牽制し行動を乱させるなど、一定の利用法があると考える。が、「松島」の後ろ向きの主砲はどうだろう、と。反航戦でのすれ違い後の追い撃ち、あるいは強力な敵からの「離脱時」だろうか?その「松島」を旗艦とし、主隊単縦陣の先頭に据えた日本海軍の戦い方とは、どのようなものであったのだろうか、と。

 

四景艦

実は松島級は、ベルタンの構想では4隻で1セットだったという。本来は「四景艦」だった。「松島」と同一設計の主砲を後ろ向きに搭載した艦がもう一隻計画されており、艦名は「秋津洲」が予定されてた、という。

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この計画は、主砲運用の課題に気づいた海軍により、三隻で打ち切りになり、これを告げられた際に、国内での3番艦、4番艦の建造に立ち会うために来日していたベルタンが、激怒して帰国してしまう、というおまけがついた。

四景艦として置いてみる。艦首向き主砲艦、艦尾向き主砲艦の組み合わせで、1セットだと言われている。やはり艦尾向きの主砲はどの様に用いるのだろうか。

 

 

それにしても、「三景艦」とは、なんと雅な命名であろうか。

その実効性はさておき、その「主砲」にこめられた無邪気とも言うべき国民の誇り、憧れ、期待もあわせて、その名と共にシルエットは美しい。

そして、この「一点豪華」に対する憧れは、日本の主力艦の系譜に脈々と受け継がれて行くように思われる。

 

次回は、黄海海戦の「遊撃隊」とその他。

 


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