ピカードが完結してしまった。
「・・・しまった」という言葉を思わず書かずにいられない。
終わるのだなあ。
たまらず、オープニングテーマを再録。
たかが(お叱りを承知で、言ってしまおう)TV ドラマである。がこの名残惜しさ(では表し切れないのだが)は、何だろう。
ドラマは常に終わる。その中に気に入ったものがあれば、それは「名残惜しい」。
しかし今のこの気持ちは、もっと癒し難い何物かで、敢えて言うと空疎な「喪失感」に近く、日常の「名残惜しさ」の域とは間違いなく異なるものだと言える。
ストーリーには、いろいろななところで批判がある。そして、そのどれもがもっともで、 そのいくつかには私も半ば同意する部分がある。「都合のいい展開」「解明しきれない謎」「ロミュランの真の動機は?」「古い仲間うちの物語」「あまりにもスター・トレック的」、いずれも、その通りだと頷いている自分がいるのである。
確かにドラマとしての評価は、手放しで高評価か、と聞かれると、「それほどでも」あるいは「スター・トレック見たことありますか?」と首をかしげ、条件など付けている自分がいる。しかし「今、好きなドラマは?」と聞かれると、迷わずその筆頭にあげることは間違いない。
あるいは「ドラマは?」と聞かれても、頭には浮かばないかも知れない。もっと、密かで大切なもの?
これは何だろう?
「懐かしいだけで、ピカード が出てきて嬉しいだけで高評価するのは・・・」と、どなたかがどこかで首を傾げていらっしゃったが、これには「まさにこれだ」と膝をたたいた。
そうだ。「面白い」ではなく「嬉しい」なのだ。おそらくこの一文には、本質への手掛かりがありそうだ。
つまり「嬉しい」のは何故?
ピカードに触れること?
即ち、「ピカード」 とは、(私にとって)何者なのか?
「善き人」という言葉が浮かんでは消える。
決して間違いのない人、という意味ではない。
常により良い「解」を求めて迷う人、というほどの意味だろうか。迷いが物語を紡ぎ、その本質に迷い、そして探す「善き」魂がある。
「成長」という言葉はあまりに教条的かも知れない。では「探索」という言葉ではどうだろう。「私の大切な物、大好きなものの、さらに深層への探索」止む事なくそれを続ける「善き」魂に、私は憧れるのである。
そして、私はそのようでありたい、と。
エンドタイトル。
ともあれこの10週間の、何と豊かだったことか。改めて、この豊かな時間に感謝したい。
ありがとうございました。
しばらくは、「ピカード」のサウンドトラックを聴くのだろうなあ。
少し艦船模型のブログの素顔に戻って・・・。
下の写真のような船が制作途中です。「ああ、これは・・・」「おやおや、またマニアックな」と思われた方、いずれはお目見えしますので、楽しみに。
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