「西京丸」やっと入手!
本稿は2018年に開始したのですが、上掲の初期の投稿でも記述しているように、黄海海戦(日清戦争:1894年9月)については、日本側の参戦部隊として連合艦隊の主隊、遊撃隊のような戦闘部隊の他に「別働隊」と称される小艦隊がありました。
後世からはちょっと信じがたいことなのですが、海軍の全作戦を総覧すべき軍令部長樺山資紀中将が、「督戦」と称して、日本郵船所有の「西京丸」(2,900トン 14 ノット)に、速射砲等小口径砲数門を搭載し、急造の仮装巡洋艦としてこれに自ら乗り込み、戦場に臨んだのです。軍令部長を裸で出すわけにもいかず、砲艦「赤城」を護衛としてつけ、小艦隊を編成していました。
明治のこの時期、時代は未だにこのような空気の中にあった、ということがなんとなくわかるようなエピソードではあります。
この「西京丸」のモデルが、投稿初期以来、なかなか見つからなかったのです。
いつもお世話になっているsammelhafen.deでも同時期の日本の特設巡洋艦(Armed Merchant Cruiser)として、それらしい名前を探すと「Seiko maru」と言う船(名前が異なるので別の船かもしれません)はHai社から市販されているようなのですが、筆者は見たことがありません。
上掲の投稿の本文中には、別スケール(1:1500)で製品リストに「西京丸:Saikyo maru」の名前のあった3Dプリンティング・モデルの製作者に1:1250スケールへの変更を依頼してみた、と言う記述が既にあります。これが後に筆者のコレクションにおいて、特に20世紀初頭の艦船モデルの充実面で大変お世話になることになるWTJ(War Time Journal)だったのですが、筆者のスケールダウンの依頼に対して「いいよ、すぐやるよ」と言う返事をもらったものの、なかなか進展がなく、やがて彼らがモデルの製作販売から手をひき、データ販売に移行したため、筆者自身は諦めモードに入っていました。
それが最近(と言ってももう2年くらいにはなるかもしれませんが)、WTJのデータをモデル化して販売する製作者が現れ(WTJは彼らのデータのモデル化商業販売のライセンス供給もしているので、合法的なお話です、多分・・・)その業者さんのリストに「Saikio maru」の文字を見つけた、そう言う経緯がありました。
筆者にとっては2018年来の待望のモデル、と言うことなのです。
今回はそう言うお話をサクッと。
特設巡洋艦「西京丸」 (1888年貨客船として就役:1894年海軍に通報艦として徴用)

(特設巡洋艦「西京丸」の概観:84mm in 1:1250 by WTJ : 「西京丸」は全長99メートルの船でしたので、1:1250スケールでの理論値は80mm程度の船という事にになりますので、ややモデルはサイズが大きい、と言うことになります。前甲板部分をもう少し短くしてもいい感じかもしれません)
同艦は前述のように日本郵船所属の貨客船「西京丸」を徴用し改造したものです。2900トンの船体に3200馬力の機関を搭載し14ノットの速力を出すことができました。1894年に海軍に徴用されるまでは上海航路に就航していました。
海軍に通報艦として徴用後、武装され、12センチ速射砲1門(船首)、57mm速射砲1門(船尾)、47mm速射砲2門(ブリッジ前の前甲板)を搭載していました。

(特設巡洋艦「西京丸」の主要兵装配置:船首楼に12センチ速射砲、ブリッジ前前甲板両舷に47mm速射砲各1門、船尾に57mm速射砲、という配置です)
当時の日本海軍の巡洋艦の速力が遊撃隊の旗艦「吉野」が最も高速で23ノット、「浪速」が18ノット、主力部隊の旗艦「松島」が15ノット弱、装甲艦「扶桑」は13ノットと言う時代でしたし、舷側に装甲を持たない防護巡洋艦の全盛時代でもあり、備砲を除くと、それほど遜色なく戦場で動ける、そんな感じだったのかもしれません。この海戦以降、海軍装備は前弩級戦艦、装甲巡洋艦全盛の時代に移行して行きますので、特設巡洋艦が海戦に参加できる最後の時代だったと言って良いかと。
黄海海戦時の行動とその後
黄海海戦時には、既述のように軍令部長樺山中将(1895年大将に昇進)の座乗艦として出撃しています。この樺山資紀という人物は、1837年薩摩藩士の三男として生まれ、薩英戦争・戊辰戦争、さらに西南戦争には陸軍軍人として従軍し陸軍少将まで進級しています。
1880年代に海軍大臣西郷従道の引で(この辺りが時代の空気を感じるのですが)海軍に移籍し海軍大臣を務めたのち、日清戦争直前に軍令部長に就任しています。日清戦争後には初代台湾総督、その後内務大臣、文部大臣などを歴任しています。海軍大臣時代に第二回帝国会議で藩閥政府の腐敗を指摘され軍艦建造予算が不成立になった際に、「今の世の中の平安を考えると藩閥政府の何が悪い」的な発言を行ったりしています。まさに良きにつけ悪しきにつけ薩長藩閥を象徴するような人物でした。
海戦時には伊東司令長官から戦場からの離脱要請が出ていますが、離脱しきれず(意図的かとも思ってしまいます)、敵中孤立の状況になり30センチ砲弾4発を含む12発の被弾があったとされています。
日清戦争後は「西京丸」は再び上海航路に戻りますが、日露戦争で再び、今度は病院船として海軍に徴用されています。
戦後は上海・大連航路に復帰。1927年に解体されました。
「西京丸」の塗装について
実は黄海海戦時の「西京丸」の塗装については、筆者は確たる情報を見つけられずにいます。通説では当時の同船のオーナーであった日本郵船の標準塗装だったのではないか、という説が一般的なようです。

であれば上掲の写真のように、黒い船体と白い上部構造を基調とし、赤い煙突、金色の窓枠と言う塗装だったと考えられます。海軍の徴用が8月11日、軍令部長の乗艦が9月6日、海戦が9月17日ですので、確かに前述の日本郵船の標準塗装で戦場に臨んだとしても不思議はないですね。
・・・と言いつつも、今回のモデルは軍艦と同じような塗装にしたら、と言う想定で塗装してみました。模型では実は「白」の扱いがやや厄介なので、スカイグレーのような薄めのグレーかデッキタンのような薄いベージュ系で表現することも考えたのですが、「軍令部長が乗るんだぞ」と言うことで今回は軍艦系の塗装ということにしました。
「西京丸」と同時期の軍艦の概観比較
ちょっと心象的なカットになりますが、当時の軍艦と比較しておきます。
「西京丸」と連合艦隊旗艦「松島」

(「西京丸」と連合艦隊旗艦「松島」の概観比較:「西京丸」の商船としての特徴がよくわかるかと)

(「西京丸」と連合艦隊の最新鋭防護巡洋艦「高砂=吉野の同型艦」の概観比較:快速巡洋艦として勇名をはせた「吉野」の精悍な外観がよくわかるかと)
随伴艦となった砲艦「赤城」
「摩耶級」砲艦 (1883年から就役:同型艦4隻:モデルは「鳥海」)

(砲艦「鳥海」の概観:43mm in 1:1250 by Hai: Hai製のこのモデルはディテイルも作り込まれており良いモデルなのですが、実艦の水線長が47mであることを考慮すると、同モデルの理論値上の長さは37mmで、モデルは少し長すぎます)
同級は1833年から就役の始まった砲艦の艦級で、650トン級の船体に700馬力程度の機関を搭載し10ノットの速力を出すことができました。
同型艦ながら船体素材が木製から鋼鉄製へと移行する時期であったため、「摩耶」「鳥海」は鉄製、「愛宕」は鋼骨木皮、「赤城」は鋼製の船体を持っていました。備砲も各艦異なり、「摩耶」はクルップ社製15センチ砲2門、「愛宕」「鳥海」はクルップ社製21センチ砲1門とクルップ社製12センチ砲1門、「赤城」はフランス・フィブリール社製12センチ速射砲4門でした。

(上掲の写真は「鳥海」の兵装配置の拡大:艦首に21センチ砲(上段)、艦尾に12センチ砲(下段)、舷側に25mm4連装機砲を各1基搭載しているところが再現されています。上述のように同級は各艦で兵装が異なるため、同型艦4隻を揃えたいところです。「赤城」のモデルはカタログ上は上梓されている様ですから、是非入手したいところです。「赤城」の兵装配置は、艦首、ブリッジ前、煙突の後方:写真では機関砲座のあたり、艦尾にそれぞれ12センチ速射砲が設置されていたようです)
黄海海戦に出撃した4番艦「赤城」
上記のように同級の4番艦「赤城」は、建造年次も兵装も最も新しく、鋼製の船体を持ち、フランス製の速射砲4門を装備していました。
「赤城」は黄海海戦では軍令部長の座乗する「西京丸」の護衛にあたり、「西京丸」の戦場離脱が遅れたため、一時は一緒に敵前孤立状態となり、集中砲火を浴びる事になります。沈没にこそ至りませんでしたが、被弾数は30発を数え、戦闘中に、艦長戦死、航海長負傷というほどの損害を受けました。
日露戦争にも旅順攻略作戦等に参加し、1911年に除籍。その後民間に払い下げられ、貨物船「赤城丸」に転身を遂げています。台風・触雷と2度の沈没を経ながらも都度浮揚され、驚くほど長命な船となりました。そして最後は老朽化のため1953年に解体されました。
(Hai製のモデルがカタログ上はある様なのですが、筆者は見たことがありません。また写真も見つかりません。今回改めてドイツ在住の筆者の調達元に、在庫や中古品の流通状況など訊いてみたのですが、「赤城」だけでなく「鳥海」もレア・モデルだからちょっと難しいねえ、という返事でした。「sammelhafen.deで写真掲載のないモデルは、あまり流通していないってことさ」と言うコメントをもらいました。うすうすそうかなあ、とは思っていましたが、これは筆者にとっても新しい情報です)
「摩耶級」砲艦その後
「摩耶級」砲艦の他の3隻は、まず「愛宕」が日露戦争中(1904年)に座礁で失われました。「鳥海」は日露戦争への参戦を経て1908年に除籍され、その後、機関練習船として佐世保海兵団所属となりました。1911年に廃船されています。「摩耶」は「鳥海」同様、1908年に除籍され横須賀海兵団所属の練習船となりました。1911年に廃船とされましたが、内務省に移管され、兵庫県港湾部検疫番艦としての任務を経たのち1918年に民間に払い下げられ「摩耶丸」と改名しています。1935年頃に解体されました。
別働隊概観

(「西京丸」と「鳥海=赤城の代理」で編成された軍令部長直卒小艦隊の概観:この二隻が清国北洋艦隊の砲火で袋叩きになりながら、戦場をくるくると動いていたんだなあ)
ということで今回はここまで。
数回に渡り予告的にお伝えしている旧ソ連・ロシア海軍の小型艦艇群は、順調に手元に集結中です。
そろそろ順次グループ分けしてご紹介できそうです。次回あたりから?

(写真は、今回ご紹介した「西京丸」と一緒に手元に届いた「ボラ級」ホバークラフトミサイルコルベット 52 mm in 1:1250 :「筆者妄想モード」で塗装してあります:「ボラ級」は、改めてご紹介することになりますが、珍しい双胴の船体を持ちホバークラフト形態で推進される船で、1000トンを超える大型の戦闘艦艇でありながら55ノットの高速を発揮するようです。1980年代に建造され、黒海艦隊に配置、現在でも沿岸防備等に従事しているようです)
もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。
模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。
特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。
もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。
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