今回は、このところ筆者が注力している新方式のマスト周りのディテイル・アップの流れで、リッサ海戦時(1866年)のオーストリア艦隊の装甲艦のお話です。本稿の前々回で同海軍の砲艦・通報艦についてはすでにディテイル・アップ済み、ご紹介済みですので、そちらの再掲も併せてご紹介します。
「リッサ海戦」(1866年)については、このところ繰り返しお話ししているので、毎回投稿はしつこい気もします。ですので、本稿、前回投稿をご覧ください。
「リッサ海戦」のオーストリア帝国艦隊の装甲艦
同海戦では、オーストリア帝国艦隊は3つの戦隊で構成されていました。各戦隊が楔形隊形を組み、イタリア艦隊の横腹を突く形で同海戦は展開されました。
海戦時のオーストリア艦隊の編成をまとめておきます。
第一戦隊:装甲艦7隻に通報艦1隻を加えた戦隊。艦隊司令官であるテゲトフ提督が直卒していました。今回ご紹介するのはこの戦隊です。
第二戦隊:非装甲の木造戦列艦・木造フリゲート艦7隻に通報艦1隻を加えた戦隊。自責指揮官であるアントン・フォン・ペッツ准将(Commodore)が指揮をしていました。(残炎ながら、この戦隊の艦船群は、筆者のコレクションに加わっていません)
第三戦隊:小型の非装甲木造砲艦9隻に通報艦1隻を加えた編成で、ルートヴィヒ・エベーレ(Ludwig Eberle) 少佐(Lieutenant-Commander)が指揮していました。
装甲艦で揃えた第一戦隊
同戦隊は「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス級」装甲艦」2隻、「カイザー・マックス級」装甲艦3隻、「ドラッヘ級」装甲艦2隻からなる装甲艦7隻に通報艦「カイゼリン・エリザベート」を加えた戦隊で、当時のオーストリア艦隊の艦隊主力としての第一列を構成しました。今回この装甲艦の3つの艦級のマスト周りのディテイル・アップを新方式で実施したのでこちらをご紹介します。
「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス級:Erzherzog Ferdinand Max Class」装甲艦(1866年就役:同型艦2隻)

(「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス級」」装甲艦の概観:64mm in 1:1250 by Sextant:マスト周りを真鍮線で作り直して、新たな方法でディテイル・アップしています)
同級はオーストリア帝国海軍が建造した最後の舷側砲門形式の装甲艦の艦級です。
「リッサ海戦」ではネームシップの「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス」がテゲトフの座乗艦となり旗艦を務めました。
5100トン級の当時のオーストリア艦隊では最大の装甲艦で、12.5ノットの速力を発揮できました。18センチ前装式カノン砲16門を主兵装として、その他中口径砲を装備していました。

(「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス級」」装甲艦の主要兵装の拡大:舷側に装甲を貼り砲門を並べた舷側砲門形式の装甲艦の特徴がよくわかります)
海戦では旗艦自らイタリア艦隊の主力艦「レ・ティタリア」に衝角攻撃をかけ見事に撃沈しています。
リッサ海戦の後には、1880年代後半から90年代にかけて備砲を新型砲に換装するなど近代化改装を受けましたが、すでに旧式で二線級の戦力とみなされていました。その後補給艦や宿泊艦としての任務を経て1910年代に解体されました。
マスト周り再現の比較を:模型的な視点
下の写真の上段が今回の新しいマスト周りの再現の試行です。筆者としては全体的な再現精度が上がっていのではないかと自画自賛しているのですが、シュラウド部分だけは、ネット素材のままでも良かったのでしょうか?いかがでしょうか?

「カイザー・マックス級:Kaiser Max Class」装甲艦(1863年就役:同型艦3隻)
Kaiser Max-class ironclad (1862) - Wikipedia

(「カイザー・マックス級」装甲艦の概観:57mm in 1:1250 by Sextant)
同級は後述の「ドラッヘ級」装甲艦の強化改良型として1863年から就役した装甲艦の艦級です。
3600トン級の船体を持ち11.4ノットの速力を有していました。前級同様の舷側砲門形式で18センチ前装式カノン砲16門と15センチ単装砲15門を舷側にずらりと並べていました。リッサ海戦には同型艦3隻全てが参加しオーストリア艦隊装甲艦戦列のの主力を構成していました。

(上の写真は「カイザー・マックス級」装甲艦の拡大:舷側砲門艦の特徴がよくわかるかと)
後述しますが同級は備砲の更新など近代化改装を受けますが、オーストリア=ハンガリー帝国は中央ヨーロッパの内陸国であり、全てに陸軍が優先され海軍予算には大きく制約されていました。このため艦艇の更新は思うに任せず、1870年代後半には、同級の近代化改装が承認されましたが、この近代化予算を用いて新たな艦艇を建造するという海軍ぐるみの詐術が行われました。新たに建造された艦艇にはもちろん艦名もそのまま継承されましたが、加えてその建造の際に同級の備砲、機関、装甲などが転用されたため、同級は全てスクラップとされました。
しかし、特にこの時期は装甲艦の模索期であり、新造艦艇に盛り込まれるべき技術は日進月歩でしたので、中途半端な予算流用、古い技術に基づいた部材転用などによって生まれた新たな艦艇は平凡なものにならざるを得ませんでした。このお話は後述の「カイザー・マックス級(1875)」の項でもまたご紹介します。
オーストリア=ハンガリー帝国には、1876年ごろに同名の3隻の装甲艦が就役しますが、これは財政難の中、同海軍が旧式艦の近代化の名目で議会から予算を獲得し、実態は全く新しい装甲艦3隻を全くの同名で建造するという一種の偽装が行われたためで、実態は全く別の艦級でした。この新たな「カイザー・マックス級」3隻には、旧「カイザー・マックス級」(今回ご紹介している艦級のことです)から、機関、装甲。その他装備の転用が行われました。
マスト周り再現の比較を:模型的な視点
下の写真の上段が今回の新しいマスト周りの再現の試行です。この比較を見るとシュラウド周りも新しい方式の方が良い様な気もしますが。

「ドラッヘ級:Drache Class」装甲艦(1862年就役:同型艦2隻)
Drache-class ironclad - Wikipedia

(上の写真は「ドラッヘ級」装甲艦の概観:53mm in 1:1250 by Sextant)
同級は1862年から就役したオーストリア帝国海軍の最初の蒸気装甲艦の艦級です。
木造の船体に装甲をはった2750トンの船体を持ち、搭載した1800馬力の機関から11ノットの速力を発揮できました。18センチ前装式カノン砲10門と15センチ前装式ライフル砲18門を舷側にずらりと並べた、いわゆる舷側砲門形式の装甲艦です。

(「ドラッヘ級」」装甲艦の主要兵装の拡大:舷側に装甲を貼り砲門を並べた舷側砲門形式の装甲艦の特徴がよくわかります)
リッサ海戦には2隻共(「ドラッヘ」「サラマンダー」)装甲艦戦列の一員として参加し、ていました。

(「ドラッヘ級」」装甲艦の艦首部の変遷?上段はモデルの艦首形状で、衝角戦法を意識した(?)特異な形状をしています。下段はWikipediaでは1867年の改装後以降となっていますので、衝角戦法から航洋性へと、用兵側の要請が移行したことが想像できます。モデルが正しければ、ですが。この辺りあまり資料がありません)
リッサ海戦後、1870年代に近代化改装を受け、1885年前後に除籍されています。
マスト周り再現の比較を:模型的な視点
下の写真の上段が今回の新しいマスト周りの再現の試行です。索具(リグ)の貼り方をもう少し精緻にするともっと良くなりそうです。

木造外輪推進通報艦「カイゼリン・エリザベート:Kaiserin Elisabeth」(1854年就役?)

(通報艦「カイぜリン・エリザベート:Kaiserin Elisabeth」の概観:51mm(水線長) in 1:1250 by Hai?)
同艦は1470トンの比較的大きな外輪推進式の蒸気船で、フリゲート艦として建造されました。リッサ海戦時には装甲艦で構成される第一戦隊に通報艦として帯同していたようです。12ポンド前装滑空砲を4門搭載していました。
(「カイぜリン・エリザベート」の主要部分の拡大:外輪推進式の蒸気船は、構造上、船体中央部に大きな外輪を装備するため、それまでの帆装戦闘艦の兵装の主要配備位置であった舷側が使えませんでした。そのため、蒸気機関の軍艦への装備は見送られ、スクリュー推進の発達を待たねばなりませんでした。上の写真ではその意味することがよくわかるのではないかと。同感の主砲は舷側ではなく艦中央に配置されています)
第一戦隊の一覧
左から第一戦隊の旗艦を務めた「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス級」装甲艦、「カイザー・マックス級」装甲艦、「ドラッヘ級」装甲艦、通報艦「カイぜリン・エリザベート」の順。同戦隊は「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス級」装甲艦2隻、「カイザー・マックス級」装甲艦3隻、「ドラッヘ級」装甲艦2隻、これに通報艦「カイぜリン・エリザベート」が帯同していました。

今回のディテイル・アップ・モデルはここまでですが、一応他の戦隊もご紹介しておきましょう。(ここからはほぼ過去投稿の再掲です。ご容赦を)
第二戦隊
蒸気推進木造戦列艦「カイザー」、スクリュー推進木造フリゲート「ノヴァーラ」、同「シュバルツェンベルグ」、「ラデツキー級」スクリュー推進木造フリゲート3隻、スクリュー推進木造コルベット「エルツヘルツォーク・フリードリヒ」の7隻で構成された舷側に装甲帯を持たない木造非装甲軍艦7隻で構成された戦隊で、第二列を構成し、アントン・フォン・ペッツ准将(Commodore)が指揮をしていました。
実は筆者はこの戦隊のモデルを保有していません。Ebayでは時折見かけるのですが、希少ですので、価格が高価で手が出ません。
スクリュー推進戦列艦「カイザー:Kaiser」(1859年就役:同型艦なし)

(木造機帆併装戦列艦「カイザー」の概観(上段):モデルはHai製です。筆者は未保有:写真は。例によってsammelhafen.de,より拝借)
5200トン級の木造艦で、二段の砲甲板に60ポンド砲16門、30ポンド砲74門、24ポンド砲2門、計92門搭載するいわゆる蒸気推進式戦列艦でした。リッサ海戦にはアントン・フォン・ペッツ代将の座乗する第二戦隊(非装甲艦部隊)の旗艦を務めました。
同艦はテゲトフ提督の戦闘方針に倣いイタリア海軍装甲艦「レ・ディ・ポルトガッロ」に衝角攻撃をかけますが、装甲に弾かれ損傷。そこに集中砲火を浴びてしまいます。
上掲の写真下段は、リッサ海戦直後の損傷した姿(写真はWikipediaより拝借しています)です。
1869年、装甲艦への大改造を受けた「カイザー」
普墺戦争に敗れたオーストリアは統一ドイツの覇権争いからは脱落し、ハンガリーとの二重帝国を設立し中央ヨーロッパの大国となったものの、産業革命からは一歩遅れを取り、財政難に直面します。新造艦の建造は難しいため、既存艦の近代化を図ります。
「カイザー」は5700トン級の装甲艦として生まれ変わり、1902年まで在籍していました。

(中央砲郭型装甲艦「カイザー」の概観:67mm in 1:1250 by Sextant:モデルは元々木造蒸気推進の戦列艦であった同艦を、リッサ海戦での大損傷からの修復の際に装甲艦への大改造をおこなったのちの姿です:下の写真は改造後の装甲艦「カイザー」の中央砲郭部分の拡大:前出の「リッサ」の配置の影響が色濃く見えるかと)

前述のように1866年のリッサ海戦には大型木造艦で編成された第二戦隊の旗艦を務めましたが、イタリア艦隊の装甲艦との戦闘で大損害を受けてしまいました。その修復にあたって大規模な近代化が計画され、装甲艦として生まれ変わることとなりました。しかしその後の帝国自体の財政難から改造はなかなか進まず、完成し艦隊に復帰したのは1873年でした。
水線部分には装甲が装備され、機関と砲郭は特に暑い走行で保護される設計でした。備砲も一新されましたが、他艦が後装砲装備であったのに対し、9インチの前装砲10門を2層の中央砲郭に収め、他に8インチ前装ライフル砲6門を副砲として搭載しました。

(装甲艦「カイザー」の主要兵装の拡大:前述のように装甲艦「リッサ」の影響が色濃く伺える配置です)
しかしこの時期には装甲艦設計の主流は砲塔艦へと移行してしまっており、1875年には同艦は予備艦となりました。しかしその後もスクリューの交換やボイラーの更新などが行われ、性能が向上しています。
老朽化の進んだ1901年からボイラーなどを撤去する工事を受け、兵舎艦に改造され第一次世界大戦まで使用されました。その後、戦利艦としてイタリアに接収されました。
スクリュー推進フリゲート「ノヴァーラ:Novara」(1850年就役)

(写真はフリゲート艦「ノヴァーラ」の概観: FK=Friedrich Kermauner製と記載されています。筆者未保有なので、ebay出品中のものの写真を拝借しています)
同艦は2615トンの船体を持つ1850年に就役した非装甲の木造艦で、1等フリゲート艦に分類されていました。12ノットの速力を発揮することができました。4門の60ポンド砲、30ポンド前装滑空砲28門、2門の24ポンド後装ライフル砲を装備していました。
スクリュー推進フリゲート「シュバルツェンベルク:Schwarzenberg」(1853年就役)

(モデルはHai製:筆者未保有につき、写真は、例によってsammelhafen.de,より拝借しています)
同艦は2614トンの船体を持つ1853年に就役した非装甲の木造艦で、1等フリゲート艦に分類されていました。11ノットの速力を発揮することができました。6門の60ポンド砲、30ポンド前装滑空砲40門(2種搭載していたかも)、4門の24ポンド後装ライフル砲を装備していました。
「ラデツキー級:Radetzky Class」スクリュー推進フリゲート(1854年ごろから就役:同型艦3隻?)

(「ラデツキー級」2等フリゲート艦の概観: FK=Friedrich Kermauner製と記載されています。筆者未保有なので、ebay出品中のものの写真を拝借しています)
同級は1854年から56年にかけて建造された2等フリゲートです。2165トン級の船体を持ち、9ノットの速力を発揮する設計でした。6門の60ポンド砲、24ポンド前装滑空砲40門、4門の24ポンド後装ライフル砲を装備していました。
「リッサ海戦」には3隻の同型艦(「ラデツキー」「ドナウ」「アドリア」)の全てが参加しています。
スクリュー推進コルベット「エルツヘルツォーク・フリードリヒ:Erzherzog Friedrich」(1857年就役)
(写真はコルベット艦「エルツヘルツォーク・フリードリヒ」の概観: FK=Friedrich Kermauner製と記載されています。筆者未保有なので、ebay出品中のものの写真を拝借しています)
同艦は1857年に就役したスクリュー推進コルベットで、1697トンの船体を持ち9ノットの速力を発揮する設計でした。備砲としては4門の60ポンド砲と16門の30ポンド前装滑空砲、24ポンド後装ライフル砲2門を装備していました。
通報艦「グライフ:Greif」(就役年次不明)

(写真は通報艦「グライフ」の概観: FK=Friedrich Kermauner製と記載されています。筆者未保有なので、ebay出品中のものの写真を拝借しています)
同艦は1260トンの船体を持つ外輪推進式蒸気船で、「リッサ海戦」時には第二戦隊に通報艦として帯同していました。12ポンド前装滑空砲2門を搭載していました。
第三戦隊
第三戦隊は小型のスクリュー推進式の砲艦を中心に編成された部隊で、第三列を構成していました。「ダルマト級」木造砲艦3隻、「レカ級」木造砲艦4隻、「ケルカ級」木造砲艦2隻、これに外輪推進式の武装商船「アンドレアス・ホーファー」を通報艦として加えた10隻で編成され、ルートヴィヒ・エベーレ(Ludwig Eberle) 少佐(Lieutenant-Commander)が指揮していました。
本稿ではこれまで何度か記述していますが、オーストリア海軍の主要任務が同帝国が唯一の接続海面を持つアドリア海の島嶼地域での警備・治安活動であったことを考えると、こうした小型で取り回しの良さそうな艦種をある程度の数を揃えることは、同海軍の艦隊整備計画にとって重要な検討項目の一つだったと言えると考えています。第三戦隊はこうした艦種で構成された戦隊でした。
第三戦隊:
木造スクリュー推進砲艦「ダルマト級:Dalmat class」(1861年ごろ就役:同型艦3隻)

(「ダルマト級:Dalmat class」砲艦の概観:57mm(水線長) in 1:1250 by Sextant:こちらも同様にマストが気になるので真鍮線等で手を入れています。前回投稿から少しトライしているマスト周りのシュラウドの仕上げも取り入れてみました:下の写真は同級の細部の拡大:備砲の搭載形式など、同級の特徴がわかっていただけるかと)

同級は1861年ごろに3隻が建造された木造蒸気推進砲艦です。2等砲艦に分類され、869トンの船体に、48ポンド前装滑空砲(SB)2門と24ポンド後装ライフル砲(RBL)2門を船体中央の首尾線上に装備し、11ノット強の速力を発揮する設計でした。
「リッサ海戦」には「ハム:Hum」「ダルマト:Dalmat」「ヴェレビッチ:Velebich」の同型艦3隻全てが投入され、「ハム:Hum」は第三戦隊の旗艦を務めました。
木造スクリュー推進砲艦「レカ級:Reka class」(1861年ごろ就役:同型艦4隻)

(「レカ級:Reka class」砲艦の概観:45mm(水線長) in 1:1250 by Sextant:Sextantモデルの共通課題だと筆者は考えていますが、マストが気になるので真鍮線等で手を入れています。前回投稿から少しトライしているマスト周りのシュラウドの仕上げも取り入れてみました:下の写真は同級の細部の拡大:備砲の搭載形式など、同級の特徴がわかっていただけるかと)
同級は18561年ごろに4隻が建造された木造蒸気推進砲艦です。2等砲艦に区分され、852トンの船体に、48ポンド前装滑空砲(SB)2門と24ポンド後装ライフル砲(RBL)2門を船体中央の首尾線上に装備し、11ノットの速力を発揮する設計でした。
「リッサ海戦」には「レカ:Reka」「ゼーフント:Seehund」「ヴァル:Wall」「ストレイター:Streiter」の同型艦4隻全てが、第3戦隊として参加しました。
木造スクリュー推進砲艦「ケルカ級:Kerka class」砲艦(1860年ごろ就役:同型艦2隻)

(「ケルカ級:Kerka class」砲艦の概観:42mm(水線長) in 1:1250 by FK=Friedrich Kermauner:マストが気になるので真鍮線等で手を入れています。マスト周りのシュラウドの仕上げも最近の筆者の標準的なものを施しました。下の写真は同級の細部の拡大)

同級は501トンの船体を持つ木造砲艦でした。手元の資料では48ポンド前装滑空砲(SB)2門と24ポンド後装ライフル砲2門を装備していた、とありますが、少しこの情報は怪しい気がします。モデルを見ても上甲板状には2門の大砲しか見えません。建造年次は前出の2級よりも1年古く、この「ケルカ級」がベースとなって砲艦の各艦級へと発展したと考える方がしっくりくるのですが。
木造外輪推進通報艦「アンドレアス・ホーファー:Andreas Hofer 」(1851年就役?)

(通報艦「アンドレアス・ホーファ:Andreas Hofer」の概観:44mm(水線長) in 1:1250 by Hai?:リッサ海戦時には小型の木造砲艦で編成された第三戦隊に通報艦として帯同したようです。下述のようにどうやら武装商船と考えた方がよさそうです。下の写真でも上段写真の艦首部に小さな大砲を積んでいるような表現になっているかと(上段写真))

第三戦隊には通報艦として外輪推進式蒸気船「アンドレアス・ホーファ」が帯同していました。
同艦は770トンの船体に30ポンド前装滑空砲3門を搭載していました。Sextant社のカタログでは客船と分類されていますが、一方、Hai社では武装外輪船(armed paddle wheeler)「元プリンツ・オイゲン」という紹介もあり、前身が同船であれば1851年に建造されたことになります。いずれにせよ、外輪推進式のいわゆる武装商船だったのではないかと思います。この頃の蒸気推進の船は、軍艦・商船に搭載期間や速力等の大差がなく、手頃な商船に武装を搭載して代用軍艦として使用することはそれほど得意な例ではありませんでした。
****これもこれまでに何度か記述しているように記憶するのですが、オーストリア海軍のこれらの艦級についての情報があまり見当たりません。どなたか詳しい方がいらっしゃったら、参考情報のありか、あるいはお持ちの情報をシェアしていただけないでしょうか?
現在、筆者が参考としている資料
https://mateinfo.hu/oldmate/a-navy-lissa.htm
https://military-history.fandom.com/wiki/Battle_of_Lissa_(1866)
https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_ships_of_Austria-Hungary
今回は、マスト周りのディテイル・アップ後のモデルで、再度、「リッサ海戦」時のオーストリア帝国艦隊の艦船の保有モデルをご紹介しました。
ということで今回はこの辺りで。
次回は今まさにゴルデンウィーク中でもあり、マスト周りのディテイル・アップは少し控えめにして(あとリッサ海戦後のオーストリア=ハンガリー帝国海軍おが整備した装甲艦群、およびフランス海軍の装甲艦群が残っています)、日本帝国海軍の八八艦隊計画から、「紀伊級」「13号級」の2艦級の未完成モデルを仕上げ、ご紹介したいと思っています。
もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。
模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。
特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。
もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。
お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。
ブログランキングに参加しました。クリック していただけると励みになります。

