相州の、ほぼ週刊、1:1250 Scale 艦船模型ブログ

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

マスト周りのディテイルアップ:リッサ海戦時のオーストリア艦隊の砲艦・通報艦

今回は、このところ本稿で続けている機帆併装期の軍艦のマスト周りのディテイルアップ、そのオーストリアハンガリー海軍(正確にいうとこの時期は複合帝国の成立期より前ですので、オーストリア帝国海軍なのですが)の小型機帆併装軍艦である砲艦と通報艦のご紹介です。

今回ご紹介する艦艇群は、これも本稿では何度かご紹介していることですが、海軍史的に重要な海戦の一つとされる「リッサ海戦」に登場した艦船です。

「リッサ海戦」については本稿でも何度かご紹介しているので、耳にタコ、かもしれませんが、一応再録しておきます。

 

「リッサ海戦」とは

上記のような経緯で本稿ではしばしばすでに触れていますが、再度、「リッサ海戦」について。

リッサ海戦は、1866年に勃発した普墺戦争の一環として戦われた海戦でした。

普墺戦争は、統一ドイツの方向性を定める覇権争いで、産業革命推進の必須条件である一定規模の経済圏の確立範囲をめぐりプロイセン王国(小ドイツ主義=ドイツ民族経済圏)とオーストリア帝国(大ドイツ主義=中央ヨーロッパ経済圏)の間で争われた戦争でした。この戦争に、オーストリア帝国との間に領土問題を抱える統一間もないイタリア王国1861年成立)がプロイセン陣営側に立って参戦したわけです。

イタリア王国の参戦の狙いはイタリア北部に隣接するロンバルディアの支配権獲得と、併せてアドリア海での覇権確立、加えて、あわよくばアドリア海対岸であるダルマシアへの領土拡大でした。

そのアドリア海のほぼ中央にオーストリア帝国によって要塞化されたリッサ島(現クロアチア、ヴィス島)があり、この島の攻略がアドリア海制海権獲得に重要であることは明白であり、この攻略戦の一環として起こった海戦が「リッサ海戦」として後に呼称されるようになります。

 

オーストリア帝国イタリア王国との戦いでは、陸戦でも、この海戦でも勝利を挙げますが、これらの勝利は普墺戦争そのものへの寄与はほとんどなく、ケーニヒグレーツの戦いでプロイセン軍に大敗し、8月23日に休戦条約が結ばれます。結果統一ドイツからオーストリア帝国の影響力は排除され、以降、ドイツはプロイセン中心で統一へと向かうことになります。

「リッサ海戦」の海戦史的な視点からの意義

艦艇の発達史的な側面から見ると、この海戦時期、各国の主力艦はそれまでの帆装軍艦から蒸気機関を搭載した機帆併装軍艦へと移行していきました。

当初、船舶用の蒸気機関は外輪推進が主流であったため、舷側に多くの砲門を有していた戦列艦(当時の主力艦)では大型の外輪が砲門設置を妨げるため馴染まず、蒸気機関の普及は小型軍艦や商船から始まりました。

あわせて運用する海軍軍人側にも、当初の蒸気機関は故障が多く安定せず、また効率の悪さから燃料(石炭)切れによる推進力の喪失を極端に恐れる傾向があり、蒸気船の普及に対する抵抗が根強くあったとか。

しかし、やがてスクリュー推進の実用化が進むと、自立した機動性を有する軍艦に対する優位性の認識は高まり、まず英海軍の既存の帆走74門戦列艦「エイジャックス」が1846年に汽帆走戦列艦に改装されます。これを追う形でフランス海軍も初の蒸気機関搭載の新造艦として90門戦列艦「ナポレオン」を1850年に就役させ、やがて英海軍も1852年に91門蒸気機関戦列艦アガメムノン」を就役させました。これを皮切りに英仏を中心に汽帆走軍艦の建艦競走が始まりました。

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(上の写真は英海軍が1852年に就役させた91門搭載蒸気機関戦列艦アガメムノン」の同型艦「ヒーロー」(上段)と、フランス海軍の90門搭載蒸気機関戦列艦「ナポレオン」(1850年就役)。いずれもTriton製モデル:構造的には従来の帆装戦列艦そのままの設計で、複数層の砲甲板を設置し、そこにずらりと砲門を並べた構造です。写真からはいずれも4層の甲板に砲門を並べていることがわかると思います:写真は例によってsammelhafen.deから拝借しています)

そして蒸気機関の性能の向上は、帆装のみでは機動の自立性、帆装のみでは推進力不足から実現できなかった重量物「舷側装甲」の装着を可能にします。こうして木造艦は船の要所に装甲帯を装備する「木造鉄皮」艦へと生まれ変わってゆきます。

こうした新たな構造の軍艦で構成された艦隊同士の初の激突が「リッサ海戦」として具現化したわけです。

そして少し先走って海戦後のお話をしてしまうと、海戦の戦訓として、まず、それまで列強が整備してきた木造戦闘艦(主として蒸気機関搭載の戦列艦)は、装甲戦闘艦(と言っても木造鉄皮=木造艦に装甲を貼り付けた戦闘艦)には歯がたたないということが明らかになりました。

併せて、それまでの木造艦の主兵装であったレベルの艦砲では、まず機動している敵艦に当たらず(当たらないというのはその後もずっと続くのですが)、当たっても装甲艦には(木造艦にも?)致命傷が与えられないことも明らかになりました。装甲艦といえども当時の装甲艦が搭載していた砲兵装は木造艦と同じレベルで、そのために逆に見出されたのが衝角戦法の有効さでした。

この戦訓から、以降の艦砲については、より大きな破壊力を目指すということが最大の命題となり、具体的には、初速の速い大口径砲、つまり長砲身を持つ貫徹力の強い艦砲の搭載を目指すことになってゆきます。これは艦砲の大型化と砲の搭載重量の増大を伴い、舷側砲門形式のような多くの砲を舷側に並べる搭載法がかなわなくなってゆくことを意味します。すなわち少数の強力な砲に最大限の射界を与えるための搭載法が工夫されてゆくこととなるわけです。

さらに有効と実証された衝角戦法の実行においては、敵艦を自艦の正面に捉えおくことが求められ、従って艦砲も正面への射界確保が重要となってゆきます。

一方で、搭載砲の大型化は弾薬類の誘爆への防御の重要性をも顕在化させることとなります。こうした射界の確保、防御の強化という視点から、舷側砲門形式は主力艦の主砲搭載形式として終焉を迎え、やがて砲郭・砲塔という形式の艦砲の搭載法が生み出され、中央砲郭艦、中央砲塔艦、そしてやがては航洋型近代戦艦(いわゆる前弩級戦艦)へと発達してゆくのです。この間、およそ25年間(「リッサ海戦」(1866年)から英海軍の「ロイヤル・サブリン級」戦艦の就役(1892年))、その変化の始点となったという意味で、「リッサ海戦」は重要な転換点として位置付けられています。

「リッサ海戦」海戦経緯

1866年7月16日夕刻、イタリア艦隊はリッサ島上陸部隊を伴いリッサ島に向かい出撃します。18日にはリッサ島に対する攻撃を開始しますが、断崖絶壁を利用して建設された要塞砲台への有効な砲撃が叶わず、また19日、リッサ湾からの上陸も悪天候などが原因で予定通りには進みませんでした。

19日オーストリア帝国側からはこれを阻止するために艦隊が出撃、20日には両艦隊がリッサ島沖で激突(文字通り=これは後で種明かし)するわけです。

艦隊の構成を見ておくと、イタリア艦隊が装甲艦(木造鉄皮)12隻、木造戦列艦11隻、木造フリゲート艦5隻で、オーストリア艦隊は装甲艦(木造鉄皮)7隻、木造戦列艦7隻、木造フリゲート艦12隻で、海戦での主力戦闘力となるであろう装甲艦・木造戦列艦の数ではイタリアが優勢で、併せて総砲門数でもイタリア艦隊の641門に対しオーストリア艦隊532門と、イタリア艦隊の優位は明らかでした。

しかしテゲトフ提督に率いられたオーストリア艦隊の士気は高く、イタリア人をダルマシアに対する侵略者と見做していたのに対し、イタリア艦隊は艦艇はともかく、乗員や指揮系統は統一間もない国家という背景から、各地方領主から提供された兵員の寄せ集めの感が残されていました。

イタリア艦隊は舷側砲門を有効に生かすべく装甲艦9隻(3隻は要塞攻撃に分派)のみによる単縦陣隊形を取り、3隻づつ3グループに分けてオーストリア艦隊の包囲を目指します。一方のオーストリア艦隊は7隻の装甲艦を第一列に、木造艦を第二列以降に並べた1000メートル間隔の3列からなる楔形陣形をとり、イタリア艦隊の横腹をつく隊形を取りました。

オーストリア艦隊の指揮官テゲトフ提督にはいくつか確信があったようで、前述のように自艦隊の士気の高さに加え、当時の砲撃が、静止目標に対してはともかく、移動目標に対し命中させることが著しく困難であること、併せて命中弾が与える損害がそれほど大きなものではないことなどから、楔形陣形による突撃という戦法を目指す決断をしたようです。

これに加え、以下でも再度記述することになると思いますが、戦闘直前の旗艦変更による隊形と指揮系統の混乱などがイタリア艦隊側に加わり、イタリア艦隊の第一グループと第二グループ以降に大きな間隔が生じてしまい、装甲艦の数の優位性がイタリア艦隊からは失われました。

戦闘は楔形体系で突撃をかけたオーストリア艦隊の装甲艦7隻によるイタリア艦隊の第二グループ3隻への攻撃、イタリア艦隊の装甲艦第三グループ以降(4隻)とオーストリア艦隊の非装甲艦14隻の戦闘という様相を呈し、結果、イタリア艦隊は主力装甲艦「レ・ディタリア」を集中砲火とオーストリア艦隊の旗艦「エルツヘルツォーク・フェルディナンド・マックス」の衝角攻撃で、装甲砲艦「パレストロ」を衝角攻撃による損傷とその後の集中砲火で失い、オーストリア艦隊には喪失艦はなく、オーストリア艦隊の勝利となりました。

海戦自体はおおよそ上記の様な経緯だったのですが、今回ご紹介するモデルには、実は同海戦で主要な役割を果たした装甲艦は含まれていません。筆者のディテイルアップ方針が、小型艦から、という順序で手をつけてきたので、こういうご紹介の運びになっています。そこはご容赦を。

 

「リッサ海戦」のオーストリア帝国艦隊

海戦時のオーストリア艦隊の編成をまとめておきます。

第一戦隊:装甲艦7隻に通報艦1隻を加えた戦隊。艦隊司令官であるテゲトフ提督が直卒していました。

第二戦隊:非装甲の木造戦列艦・木造フリゲート艦7隻に通報艦1隻を加えた戦隊。自責指揮官であるアントン・フォン・ペッツ准将(Commodore)が指揮をしていました。(残炎ながら、この戦隊の艦船群は、筆者のコレクションに加わっていません)

第三戦隊:小型の非装甲木造砲艦9隻に通報艦1隻を加えた編成で、ルートヴィヒ・エベーレ(Ludwig Eberle) 少佐(Lieutenant-Commander)が指揮していました。

今回ご紹介するモデルはこのうち第一戦隊の通報艦と第三戦隊、いずれも小型の木造艦船です。

(全部見てみたいとおっしゃる方は本稿以前の投稿を。マスト周りは古いディテイルアップのままですので、そこはご容赦を)

fw688i.hatenablog.com

 

ではここからモデルのご紹介。

木造外輪推進通報艦「カイゼリン・エリザベート:Kaiserin Elisabeth」(1854年就役?)

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通報艦「カイぜリン・エリザベート:Kaiserin Elisabeth」の概観:51mm(水線長) in 1:1250 by Hai?)

同艦は1470トンの比較的大きな外輪蒸気船で、外輪推進式フリゲート艦として建造されました。リッサ海戦時には装甲艦で構成される第一戦隊に通報艦として帯同していたようです。12ポンド前装滑空砲を4門搭載していました。f:id:fw688i:20250412152532j:image
(「カイぜリン・エリザベート」の主要部分の拡大:外輪推進式の蒸気船は、構造上、船体中央部に大きな外輪を装備するため、それまでの帆装戦闘艦の兵装の主要配備位置であった舷側が使えませんでした。そのため、蒸気機関の軍艦への装備は見送られ、スクリュー推進の発達を待たねばなりませんでした。上の写真ではその意味することがよくわかるのではないかと。同感の主砲は舷側ではなく艦中央に配置されています)

マスト周りは改善されたのか?

これは究極の疑問の様にも思いますが、一応避けては通れないかと。

ということで下の写真は以前のネット素材によるマスト周りのディテイルアップ(写真下段)と、今回のディテイルアップの比較。
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筆者としては満足しているのですが、評価はお任せします。

 

第三戦隊

第三戦隊は小型のスクリュー推進式の砲艦を中心に編成された部隊で、第三列を構成していました。「ダルマト級」木造砲艦3隻、「レカ級」木造砲艦4隻、「ケルカ級」木造砲艦2隻、これに外輪推進式の武装商船「アンドレアス・ホーファー」を通報艦として加えた10隻で編成され、ルートヴィヒ・エベーレ(Ludwig Eberle) 少佐(Lieutenant-Commander)が指揮していました。

本稿ではこれまで何度か記述していますが、オーストリア海軍の主要任務が同帝国が唯一の接続海面を持つアドリア海島嶼地域での警備・治安活動であったことを考えると、こうした小型で取り回しの良さそうな艦種をある程度の数を揃えることは、同海軍の艦隊整備計画にとって重要な検討項目の一つだったと言えると考えています。第三戦隊はこうした艦種で構成された戦隊でした。

 

第三戦隊:

木造スクリュー推進砲艦「ダルマト級:Dalmat class」(1861年ごろ就役:同型艦3隻)

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(「ダルマト級:Dalmat class」砲艦の概観:57mm(水線長) in 1:1250 by Sextant:こちらも同様にマストが気になるので真鍮線等で手を入れています。前回投稿から少しトライしているマスト周りのシュラウドの仕上げも取り入れてみました:下の写真は同級の細部の拡大:備砲の搭載形式など、同級の特徴がわかっていただけるかと)

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同級は1861年ごろに3隻が建造された木造蒸気推進砲艦です。2等砲艦に分類され、869トンの船体に、48ポンド前装滑空砲(SB)2門と24ポンド後装ライフル砲(RBL)2門を船体中央の首尾線上に装備し、11ノット強の速力を発揮する設計でした。

「リッサ海戦」には「ハム:Hum」「ダルマト:Dalmat」「ヴェレビッチ:Velebich」の同型艦3隻全てが投入され、「ハム:Hum」は第三戦隊の旗艦を務めました。

「ダルマト級」でも同様の新旧ディテイルアップの比較を

写真下段が以前おネット素材によるディテイルアップです。もう少しマスト間の索具(リグ)を増やすと良いかもしれません。

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が、筆者としては満足しているのですが、でもずいぶん手間が違います。手を入れれば手を入れるほど良くなるのかも。それを避けていたはずなんですがね。

 

木造スクリュー推進砲艦「レカ級:Reka class」(1861年ごろ就役:同型艦4隻)

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(「レカ級:Reka class」砲艦の概観:45mm(水線長) in 1:1250 by Sextant:Sextantモデルの共通課題だと筆者は考えていますが、マストが気になるので真鍮線等で手を入れています。前回投稿から少しトライしているマスト周りのシュラウドの仕上げも取り入れてみました:下の写真は同級の細部の拡大:備砲の搭載形式など、同級の特徴がわかっていただけるかと)

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同級は18561年ごろに4隻が建造された木造蒸気推進砲艦です。2等砲艦に区分され、852トンの船体に、48ポンド前装滑空砲(SB)2門と24ポンド後装ライフル砲(RBL)2門を船体中央の首尾線上に装備し、11ノットの速力を発揮する設計でした。

「リッサ海戦」には「レカ:Reka」「ゼーフント:Seehund」「ヴァル:Wall」「ストレイター:Streiter」の同型艦4隻全てが、第3戦隊として参加しました。

 

木造スクリュー推進砲艦「ケルカ級:Kerka class」砲艦1860年ごろ就役:同型艦2隻)

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(「ケルカ級:Kerka class」砲艦の概観:42mm(水線長) in 1:1250 by FK=Friedrich Kermauner:マストが気になるので真鍮線等で手を入れています。マスト周りのシュラウドの仕上げも最近の筆者の標準的なものを施しました。下の写真は同級の細部の拡大)

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同級は501トンの船体を持つ木造砲艦でした。手元の資料では48ポンド前装滑空砲(SB)2門と24ポンド後装ライフル砲2門を装備していた、とありますが、少しこの情報は怪しい気がします。モデルを見ても上甲板状には2門の大砲しか見えません。建造年次は前出の2級よりも1年古く、この「ケルカ級」がベースとなって砲艦の各艦級へと発展したと考える方がしっくりくるのですが。

 

木造外輪推進通報艦アンドレアス・ホーファー:Andreas Hofer 」(1851年就役?)

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通報艦アンドレアス・ホーファ:Andreas Hofer」の概観:44mm(水線長) in 1:1250 by Hai?:リッサ海戦時には小型の木造砲艦で編成された第三戦隊に通報艦として帯同したようです。下述のようにどうやら武装商船と考えた方がよさそうです。下の写真でも上段写真の艦首部に小さな大砲を積んでいるような表現になっているかと(上段写真))

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第三戦隊には通報艦として外輪推進式蒸気船「アンドレアス・ホーファ」が帯同していました。

同艦は770トンの船体に30ポンド前装滑空砲3門を搭載していました。Sextant社のカタログでは客船と分類されていますが、一方、Hai社では武装外輪船(armed paddle wheeler)「元プリンツ・オイゲン」という紹介もあり、前身が同船であれば1851年に建造されたことになります。いずれにせよ、外輪推進式のいわゆる武装商船だったのではないかと思います。この頃の蒸気推進の船は、軍艦・商船に搭載期間や速力等の大差がなく、手頃な商船に武装を搭載して代用軍艦として使用することはそれほど得意な例ではありませんでした。

 

リッサ海戦に参加したオーストリア帝国海軍の小型木造艦の一覧

手前から通報艦アンドレアス・ホーファー」、「ケルカ級」砲艦、「レカ級」砲艦、第三戦隊の旗艦を務めた「ハム」を含む「ダルマト級」砲艦、そして第一戦隊の通報艦「カイゼリン・エリザベート」の順。f:id:fw688i:20250412155454j:image

****これもこれまでに何度か記述しているように記憶するのですが、オーストリア海軍のこれらの艦級についての情報があまり見当たりません。どなたか詳しい方がいらっしゃったら、参考情報のありか、あるいはお持ちの情報をシェアしていただけないでしょうか?

現在、筆者が参考としている資料

https://mateinfo.hu/oldmate/a-navy-lissa.htm

https://military-history.fandom.com/wiki/Battle_of_Lissa_(1866)

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_ships_of_Austria-Hungary

 

ということで、今回は、基本マスト周りのディテイルアップ後のモデルで、再度、「リッサ海戦」時のオーストリア艦隊の小型木造艦のモデルをご紹介しました。

ということで今回はこの辺りで。

次回は今回に引き続き「リッサ海戦」へのイタリア艦隊のディテイルアップモデルのご紹介が出来れば、と考えています。

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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