相州の、ほぼ週刊、1:1250 Scale 艦船模型ブログ

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

妄想炸裂:大和級戦艦とその発展史(18インチ砲から22インチ砲まで)

GW以降、週末は何かと行事があって、併せて色々と模型をいじりたいのでなかなかブログまで手が回りません。しかも本業が何かと忙しい。(週末はぼんやりしたい)

ということで、今回も再録系プラス最近のアップデートも加味した展開でお茶を濁します。

お題はハズレのないところで「大和級」戦艦とその周辺を。

既にご紹介したモデルばかりですが、お付き合いを。異実で実在するのは「大和」「武蔵」だけ、つまりほとんどが少しの情報から筆者が勝手に膨らませた「妄想」ですので、そこはご容赦ください。

ただし「妄想艦」ばかりなので、ボリューム感はあるかも。

 

その計画

大和級計画案(A-140計画)」から「A-140a」のヴァリエーションを3種

「A-140」計画艦は帝国海軍が140番目に計画した軍艦、という意味であり、aからfまでの枝符号分けがされた上で、さらにそれぞれに機関のバリエーションなどがあり、全部で20数種(23種?)の計画案があったとされています。

そのヴァリエーションは多岐にわたり、例えば排水量では50000トン案から70000トン案、主砲も18インチ砲10門搭載案から16インチ砲9門搭載案等々、種々検討されて、最終案として纏まったのが我々が知る「大和級」ということになります。

 

「A-140a」について

「A-140a」というのは、その枝番が示す通りその最初期の案で、外観的には主砲を全て艦首部に集中配置しており、さらにその特長として計画案の中でオリジナル(A-140)とともに、30ノットを超える速力を有した計画案でした。少し補足すると実際のA-140a計画艦は、実際にはもう少し長い船体を持っていました(今回制作したモデルは、Delphine社製の船体を用いている「筆者事情」から、実在の「大和級」とほぼ同じ長さになっています)。

もう一つ、この20数種の計画案を見て興味深いのは、オリジナル案(A-140)と実在の「大和級」のみがタービン機関搭載艦であるのに対し、他の案は全てタービンとディーゼルの混載艦であったというところだと考えています。つまり日本海軍は機関にディーゼルを採用することにより、なんとか燃料効率を改善し、つまりは搭載燃料に比して長い航続距離を持ち、さらにタービン機関との混載により高速力をも併せ持つ戦艦を作ろうと足掻いた、ということだと思います。このうち高速力という点は比較的早い段階で諦めがついたのか、A-140b案で既に27.5ノットとし、その後、実現案に至るまで30ノットクラスの高速艦の案は提示されませんでした。

しかし残念なことに信頼できるディーゼル機関が間に合わず、実在の「大和級」はタービン機関のみの搭載となっています。

 

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 (A-140a案の資料を示しておきます。諸々、Net上で見つけた資料から)

 

少し裏話

実は「A-140計画艦」についてはHai社から、前出の図面に非常に忠実な1:1250スケールのモデルが出ています。

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しかし、おそらく流通数量が限定されており、従って非常に高価で取引されている傾向があり、なかなか 筆者は入手できずにいます。

そこで、筆者のストックモデルのから他のディテイルの再現はさておき、この「主砲前方集中配置」だけでも再現できないか、というのが筆者のぼんやりとした「想い」だったのですが、今回それを一気に形にすることにした、という事情があります。

 

A-140a1(その1:副砲集中配置案)

実は実際の筆者の作成順とは異なりますが、まずは、上記の図に比較的近い「副砲集中配置」案から。

制作順が1番最後になったのは、副砲の集中配置に対する筆者の違和感から(特に何か具体的な理由があるわけではなく、全く「なんとなく違和感があるなあ」でした)制作を後回しにしただけの話で、出来上がってみると、「なるほどね」という感じでした。

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(A-140a案の副砲艦尾集中配置デザイン:副砲塔の配置位置は原案図面のA-140aに近いものにしてみました。両舷副砲の配置はもう少し後方でも良かったのかも)

 

A-140a2(その2:副砲舷側配置案)

実は筆者が最初に制作したモデルはこちらでした。原案図面の副砲配置に違和感が拭えず、どうせなら実在の「大和級」と同じように、副砲2基を舷側配置(正確には上部構造の両側というべきでしょうか)にしてしまえ、という感じで制作したモデルでした。 

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(A-140a案の副砲両舷配置案の概観:主砲の前部集中配置で防御装甲の配置を効率化し、タービンとディーゼルの混載と共に、日本海軍悲願の高速性と長い航続距離を両立させることを目指しました)

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(直上の写真:「大和」(奥)と「A-140a」の概観比較:「A-140a」がほんの少し小振りで、主砲搭載位置の差異など見ていただけるかと。何故か主砲前部集中配置の方が、機動性が高そうな気がしませんか?写真ではわかりにくいですが、煙突がA-140aの方がやや細く、タービンとディーゼルの混載だから、と無理やり・・・)

 

 

副砲配置案の比較をここで

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(副砲配置の比較です)

筆者が強い違和感を感じていた副砲塔の艦尾部集中配置は、作ってみると意外と違和感がないかも。これはこれでアリかもしれないなと、制作してみて思います。集中防御、考えるなら、設計としての理屈も通りますしね。作った意味があった、ということでしょうかね。どうですか、なかなか「面白い」と思いませんか?作ってみないとわからない!(模型作ってて良かったなあ、と変なところで実感)

 

A-140a3(その3:主砲山形配置案)

そして主砲配置で、日本海軍の場合、いかにもありそうなのが主砲塔の山形配置でしょうね。(妙高級や高雄級重巡洋艦でも実績があります)

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(A-140a案の山形主砲配置デザイン:主砲の配置位置がよりコンパクトになっていることがよくわかります)

この山形配置には、後方への主砲斉射界を広く取ることができると言う点と、主砲弾庫をコンパクトにまとめられる、と言うメリットもあるかも。もしこの後者のメリットがあるとすると、機関に余裕を持たせることができたかもしれません。f:id:fw688i:20210228115632j:image

(直上の写真:主砲配置と副砲配置の拡大カット)

 

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(上の写真は主砲配置案での射角比較:中段は主砲の前方斉射の射角比較。下段は後方斉射の射角比較。かなり両者の斉射射角に差があることがわかります)

「東郷元帥は戦艦の主砲は首尾線の砲力を重視せよ、とおっしゃった」というお言葉が、こういう場合にも影響するのかな?その場合、どちらを選択すべきなんでしょうね?

 

もう一度、模型製作の裏話を 

きっかけは棚の整理。そこで「京商」製の「大和級」のモデルを4隻発見。正確にいうと就役時を再現した、つまり副砲4基搭載時の「武蔵」3隻と対空兵装強化時の「大和」1隻の箱入り在庫を、発見したことでした。実はこの「京商」のモデル、樹脂製でディテイルは素晴らしいのですが、船体の長さが197mmで、いっぽう実艦の長さが263.3mであることから1:1250スケールの場合、210mm程度は欲しいのですが、明らかに小ぶりに再現されています。それに併せて上部構造もやや小さめで、このためNeptune社やDelphin社のモデルと一緒に扱えず「お蔵入り」して、棚の奥にしまっていたのです。

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京商製の「武蔵」立派な台座に乗っています。ディテイルはバッチリです。下段はDelphin社製の船体との大きさ比較。約13mm短い!)

一方で、何度か本稿では触れてきているのですが、Delphin社製の「大和級」は、安価に入手でき部品取り用として大変重宝するため、何隻か船体(ハル)のみストックされています。(ちなみに本稿の表題バックに掲載されている「イージス艦大和」もベースになっているのはこのDelphin社製のモデルです)

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(上の写真:Delphin社製「大和」の船体部分(上段および下段左)と京商製「武蔵」就役時モデルの上部構造と主砲塔(下段右))

これも本稿では何度か触れていることですが、このDelphin 社製のモデルは、構造上パーツの分解が容易で、上部構造を取り払って船体のみを別に使用するなどの用途には大変重宝します。(だから筆者宅のDelphin 社モデルは、たいていバラバラのパーツとして保管されている事が多いのです。ごめんなさい、Delphin社さん)

こうして少し小ぶりな、しかしディテイルのしっかりした「京商」の「大和級」上部構造と、加工のし易いDelphin社製「大和級」ハルの組み合わせで、「主砲前方集中配置案」を作ってみよう、という構想に至ったわけです。

 

大和級」設計案での機関に関する議論

大和級」に至る、つまり「A-140計画艦」の多様な設計案の一つの重要な軸は、主機選択の変遷であったと言ってもいいかもしれません。

資源の乏しい日本にとって、燃料問題は常に重大な課題であり、従って高速力と航続距離を並立させることを考慮すると、燃費に優れるディーゼル機関の導入は重要な目標であったわけです。さらに大型潜水艦用のディーゼル機関の開発の進展など、これを後押しする要素も現れ始めていました。

このため原案はタービン機関のみの搭載案でしたが、その後の案は全てディーゼル機関とタービンの併載案、あるいはディーゼル機関のみの搭載案、でした。

艦隊決戦の想定戦場を、日本海軍はマーシャル諸島辺りとしていたので、航続距離はできるだけ長くしたかった、そういう事ですね。

最終的には、当時のディーゼル機関の故障の多さ、性能不足(潜水艦なら「大型」と言っても2000トン程度、1番大きな潜特型(伊400型)でも3500トン程度だったのですが、10000トン級の潜水母艦「大鯨」のディーゼル機関は所定の性能を発揮できませんでした)から、工期との兼ね合いを考え、結局ダービン機関のみの搭載案が採用されましたが。「大和級」他の戦艦群が大戦中に後方(トラック等)からなかなか前に出れなかった理由の一つは、この辺りにありそうです。

 

そんな背景を改めて振り返ると、「京商大和級」の少し小ぶりな上部構造物、特に少し細身の煙突は、念願のディーゼル機関とタービン機関を併載し長い航続距離と高速性を兼ね備えることが実現できた、というようなカバーストーリーにしてみてもいいかもしれません。「しかし就役後、慢性的な機関の不調に悩まされ、期待通りの活躍はできなかった」的なオチなのかもしれませんが。

 

本命の誕生とその派生形の話(ふんだんに妄想を盛り込んで)

大和級」戦艦の誕生

日本海軍は、 その国力を考えると仮想敵である米国には遠く及ばず、従ってその主力艦状況でも物量的に米海軍を凌ぐことは不可能であることは明白でした。

この数の差を埋めるためには、個艦の性能で米艦を圧倒することが求められ、その設計の帰結が大和級戦艦となって具現化したわけです。

大和型戦艦 - Wikipedia

en.wikipedia.org

「圧倒する」を具現化するための一つが主砲の選択でした。米海軍には大西洋と太平洋の双方に艦隊を展開せねばならない、という大きな条件が課せられていました。この二つの大洋を繋ぐ主要な通路であるパナマ運河の幅は、米海軍の艦船設計に大きな制約を課していたわけです。日本海軍はこの幅の制約から、米海軍は16インチ以上の主砲を持つ戦艦を建造できない、と見込みをつけていました。

そこで16インチ砲を凌駕する18インチ砲を主砲に採択し、この新設計の砲をこれも新設計の三連装砲塔に搭載しました。さらにそれまでの米海軍の主力戦艦群の標準速力が21ノットであることから、機動性においてもこれらを凌駕できる27ノットの高速を発揮できることが設計に盛り込まれました。高い機動性と強力な砲力で常に相手に対し優位な位置からのアウトレンジを実施し、相手を圧倒することを実現し、数の劣勢をカバーすることが目指すところであった、ということです。

(1941-: 64,000t, 27 knot, 18in *3*3, 3 ships, 215mm in 1:1250 by Konishi/Neptun)

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大和級の2隻:武蔵(手前)、大和。就役時には、副砲塔を上部構造の前戯左右に4基配置していました)

 

大和級戦艦の改装

大和級戦艦はその新造時の設計では、6インチ三連装副砲塔を4基、上部構造の前後左右に配置した設計でしが、一連の既存戦艦の近代化改装の方針である対空戦闘能力の向上に則り、両舷の副砲塔を撤去し、対空兵装に換装しました。f:id:fw688i:20190428133938j:image

(「大和」の最終改装時の概観)

両艦は1944年に上記の両舷の副砲塔を撤去し、対空兵装を充実し、電探装備を追加する改装を受けました。その際に「大和」は12.7センチ連装高角砲を従来の6基から12基に増強しましたが、「武藏」は高角砲の砲台までは準備できたのですが、高角砲の準備が間に合わず、代わりに25ミリ3連装対空機関砲を増加搭載して、マリアナ沖海戦に臨むことになりました。

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(「武蔵」の最終改装時の概観:「武藏」は高角砲の砲台までは準備できたのですが、高角砲の準備が間に合わず、代わりに25ミリ3連装対空機関砲を増加搭載)

「武藏」は、結局、マリアナ海戦後も連装高角砲の増設を受けることなく、引き続きレイテ沖海戦に向かい、損害担当艦として、目立つ塗装をして臨んだ、と言われていますが、多数の航空機の集中攻撃を受け、シブヤン海に沈みました。

 

(直下の写真は対空兵装増強後の「大和」。両舷の副砲塔が撤去され、12.7センチ連装高角砲が左右両舷に各3基、増強されました。但し、18インチ主砲のブラスト防止用のシールドは下部の砲台にしか装備されていません)

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(直下の写真は対空兵装増強後の「武藏」。両舷の副砲塔は撤去され、高角砲台は設置されたが、12.7 センチ連装高角砲が間に合わず、代わりに25mm三連装対空機関砲が設置されています)

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(直下の写真は、対空兵装増強後の「大和」「武藏」 のそれぞれの上部構造の拡大。上:「大和」、下:「武藏」。連装高角砲の増設の有無がよくわかります)

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大和級戦艦:A-150計画艦:伊予級(伊予・常陸)の建造(計画艦?あるいは部分的には筆者の妄想が入っているので、If艦かも?)

大和級の建造によって、日本海軍は個艦の性能で米戦艦に凌駕する戦力を保有することに成功したわけですが、米海軍が「アイオア級」あるいはそれを超える「モナタナ級」等、16インチ砲搭載の戦艦を量産することは明らかでした。

この予見される脅威への対抗策が、A-150計画(超大和級などと呼ばれることも)でした。

超大和型戦艦 - Wikipedia

en.wikipedia.org

A-150計画では、米海軍が量産するであろう長砲身16インチ砲搭載艦、あるいは太平洋での運用のみを想定し建造されるかもしれない18インチ砲搭載艦を打ち破るために更なる大口径砲の20インチ(51センチ)砲を搭載することが計画されました。日本海軍は、2インチ毎の口径拡大を目指すのが常でした。12インチ(前/凖弩級戦艦弩級戦艦)、14インチ(超弩級戦艦)、16インチ(八八艦隊)、18インチ(相模級、大和級)、20インチ(伊予級)という感じですね)

設計にあたっては、時勢の展開を考慮して工期の短縮が目指され、前級である大和級の基本設計を踏襲した強化型、発展型として最終的にはまとめられました。

A-150計画の当初、新設計の20インチ砲を大和級同様、三連装砲塔形式で3基9門を搭載する予定だったのですが、その場合、90,000トンを超える巨艦となることが判明し、当時の日本にはこれを建造する施設がありませんでした。さらに言えば、18インチ砲三連装砲塔以上の重量の砲塔を回転させる技術もなく、短期間での完成を目指す日本海軍はこれを諦めざるを得ませんでした。

さらにいくつかのデザイン案の模索の後、20インチ砲を採用して連装砲塔3基搭載であれば、既存の大和級の艦型をほぼそのまま使用し建造期間を短縮できるということが判明し、同案が採用されました。

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(日本海軍のA-150計画艦の概観:217mm in 1:1250 by semi-scratched based on Neptun:下の写真はA-150計画艦の最大の特徴である51センチ連装主砲塔の拡大。兵装配置、基本設計は「大和級」をベースにしたものだと言うことがよくわかります)

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(直上の写真は播磨級戦艦2隻:手前から伊予常陸の順。両艦ともに、当初から対空兵装強化型として建造され、対空砲として当時最優秀対空砲の呼び声の高かった新型の長10センチ連装砲が採用されました)

 

大和級戦艦:駿河の建造(こちらもIf艦の類だと考えてください)

前出の「伊予級:A -150計画艦」は、米海軍が「相模級」「大和級」の登場に刺激されいずれは18インチ(46センチ砲)搭載艦を建造するであろうという予想の元に設計された戦艦で、特に「伊予級」として実現したものは、この51センチ主砲という口径を軸に、早急に建造できる、つまり既存の技術で建造できるという、実現を優先した設計でした。このためその船体の大きさは「大和級」とほぼ同等でなくてはならず、かつ主砲搭載形式も特に砲塔の駆動系の技術的な当時の限界から連装砲塔とされました。このため単艦での射撃で十分な命中精度を得るにはやや心許ない6門という搭載数にとどまらざるを得ませんでした。

この点を改めて検討した上で設計されたのが「改A-150設計艦=駿河」でした。同艦では単艦での行動を想定した際に必要数とされる主砲搭載数8門を設計の主軸に置き、駆動系の改良と軽量化を実現した新設計の51センチ連装砲塔4基の搭載を設計に織り込んでいました。

この軽量化高機動砲塔の実現が、船体の大きさにも好影響として現れ、なんとか当時の造船施設でも建造可能な90000トン級の主砲口径の割にはコンパクトな戦艦として起工されることとなりました。

しかし着工後、新設計の連装砲塔の開発には種々の障害が発生し、結局、当初は「大和級」と同じ3連装46センチ主砲塔4基を搭載する戦艦として完成されました(「伊予級」の51センチ主砲塔は重すぎて搭載できませんでした)。

駿河級は計画では2隻が建造される予定でしたが、日米開戦により1隻、駿河のみ建造されました。

(戦艦「駿河」就役時の概観:220mm in 1:1250 by 3D printing: Tiny Thingajigs:就役時には「駿河」は46センチ主砲12門を搭載していました:下の写真は「駿河」就役時の兵装関連の拡大)

新型51センチ連装主砲塔への換装
一旦は46センチ主砲の搭載数を強化した形で就役した「駿河」でしたが、その就役後も新砲塔の製造は継続され、新型主砲塔の完成後、「駿河」の主砲は51センチ砲に換装されています。

(上の写真は、主砲を新設計の51センチ連装主砲塔に換装した後の戦艦「駿河」就役時の概観:下の写真は、主要兵装の拡大)

新型51センチ連想主砲塔について

下の写真は「駿河」が就役時に搭載していた46センチ三連装主砲塔(「大和級」の主砲等と同じものです)と新開発の51センチ連想主砲塔の比較です。基本設計や構造は「大和級」の46センチ三連装主砲塔をベースにしたものであったことがなんとなく想像できるかと。

そして次の写真は「伊予級」に搭載されていた51センチ連装主砲塔と新砲塔の比較。「伊予級」の砲塔が開発を急いだため旧来の連装主砲塔の拡大型であったことがよくわかります。防御力を向上させながら軽量化を目指し、結果、高機動性を獲得した新砲塔の完成で、「駿河」の船体は「大和級」「伊予級」をわずかに拡大した程度のコンパクトなサイズに収まり、51センチ砲は格段の威力を発揮するわけです。

 

大事件:ナチス・ドイツ海軍20インチ主砲搭載艦の登場

これまでに見てきたように日本海軍の20インチ主砲搭載艦の建造目的は主として米海軍の18インチ(46センチ)級主砲搭載艦の登場に対する対抗策でした。

しかし一方で第一次世界大戦の敗北で一時は沿岸警備海軍の規模に縮小していたドイツ海軍が、ナチスの台頭と共に再軍備を宣言し、特に海軍は英独海軍協定の締結と共に「Z計画」と言われる大建艦計画を実現しつつありました。

その主力艦群は40000トン級の「ビスマルク」級(40000トン級:38センチ主砲搭載)の建造にはじまり、「H39型」(55000トン級:41センチ主砲搭載)、「H41型」(68000トン級:42センチ主砲搭載)と次々と巨艦を建造し、ついに130000トン級の「H44型」に至りました。

「H44型」

(「H44型」の概観:293mm in 1:1250 by Albert: 破格の大きさで、いつも筆者が使っている海面背景には収まりません。仕方なくやや味気のない背景で。下の写真は「H44型」の兵装配置を主とした拡大カット:巨大な20インチ連装主砲塔(上段)から艦中央部には比較的見慣れた副砲塔や高角砲塔群が比較的オーソドックスな配置で(中段)。そして再び艦尾部の巨大な20インチ連装主砲塔へ(下段))

ビスマルク級」から「H44型」までの、いわゆるZ計画の開発系譜一覧

下の写真は、再生ドイツ海軍の「Z計画」での主力艦整備計画の総覧的なカットです。下から「ビスマルク級(40000トン級:38センチ主砲)、「H39型」(55000トン級:40.6センチ主砲)、「H41型」(64000トン級:42センチ主砲)そして「H44型」(130000トン級:50.6センチ主砲)の順です。

 

そして「H44型」の脅威

「H44型」は上述の日本海軍の「伊予級」「駿河」等と同じ20インチ(51センチ)主砲搭載艦でしたが、日本海軍の20インチ砲が45口径であるのに対し52口径の長砲身で、長射程、高初速、高射撃精度を持つ格段に強力な主砲でした。

つまり日本海軍の「伊予級」や「駿河」が「H44型」と砲戦を交わした場合、アウトレンジからの射撃を受けたり、同砲に装甲を貫通されたりする恐れがありました。「伊予級」「駿河」は共に上述のように米海軍の新戦艦の登場編対抗策として建造を急いだがゆえに18インチ(46センチ)砲搭載の「大和級」をベースにした設計で、防御を強化したとはいえ、その砲戦の結果にはかなり危惧を抱かざるを得ない状況でした。

(本文で既述のように、同じ51センチ主砲搭載艦といいながらも、「H44型」は52口径の長砲身砲で、45口径の「駿河」に対し格段に強力な打撃力を持っていました。船体の大きさも格段に異なり、射撃時の安定性にもかなり差が出たかもしれません)

こうした経緯から、日本海軍の22インチ(56センチ)主砲搭載艦の建造が急がれたわけです。

 

22インチ(56センチ)主砲搭載戦艦「播磨」の誕生

以上のような背景で「播磨」は誕生しました。

(「播磨」の概観:262mm in 1:1250 by semi-scratched modek based on 1:1000 scale Yamato, Gunze-sangyo : 下の写真は「播磨」の細部。副砲としては新型3連装砲塔5基に搭載された長砲身の15センチ砲を採用し、広角砲等は「大和級」に準じています。上甲板に設置された機関砲座は、主砲斉射時の強烈な爆風から砲座の要員を守るため、全周防御の砲塔になっています)

全体的な構造、配置等は「大和級」に準じるような設計となっていることがわかっていただけるかと思います。特に次に掲げる写真をご覧いただけると、よりその理解が進むかも。それが良いことか、悪いことかは、さておき。

 

大和級」から「播磨」まで:いわゆる日本海軍の「新戦艦」の開発系譜一覧

下の写真は、日本海軍の条約開け後の「新戦艦」の総覧的なカットです。下から「大和級(64000トン級:46センチ主砲)、「伊予級」(80000トン級:51センチ主砲)、「駿河(90000トン級:51センチ主砲)、そして「播磨」(120000トン級:56センチ主砲)の順。

ライバル対比:「H44型」と「播磨」

下の写真は「播磨」建造のトリガーとなった「H44型」との対比。

ドイツ海軍の「H44型」が旧来のオーソドックスな兵装配置や上部構造物の設計を色濃く継承している感があるのに対し、「播磨」は船体のみならず上部構造も「大和級」以来受け継がれた設計思想によりコンパクトに仕上げられており、このあたりに、第一次世界大戦の敗戦で一旦主力艦建造の技術に中断期があるドイツ海軍と、主力艦建造を継続できた日本海軍の蓄積技術の差が現れているように思われます。

 

さて対決の結果は?

佐藤大輔氏の「レッドサン・ブラッククロス」の外伝に収録された「戦艦ヒンデンブルク号の最期」でも読んでみてください。

ja.wikipedia.org

それ以外にもそれぞれが空想を逞しくしていただくのも一興かと。筆者としては、対決など永遠に訪れず、お互い睨み合っていると言う状況が「最も心地よい」かもしれません。

 

ここからは「大和級」戦艦からの派生系の妄想モデルを

富士級高速戦艦:富士・劔の建造(こちらは完全に筆者オリジナルのIf艦です)

大和級の建造と併せて、この18インチ砲搭載戦艦の時代にふさわしい前衛支援艦が必要と考えられました。高速で展開するこの前衛艦は、後続する主力艦隊に敵艦隊の速度、運動等の詳細なデータを送信し、射撃管制を高める役割が期待されたわけです。

当初、大和級と同じく18インチ砲を搭載する八八艦隊計画艦の相模級の2隻をこれにあてる予定だったのですが、やはり前衛には敵艦隊に肉薄、あるいは捕捉から逃れる高速力が必要とされることが明らかとなり、この目的のためには相模級を上回る速度を保有し、これに専任する艦が新たに設計されることとなりました。

 

建造期間を短縮するために、ここでも装備類は大和級から流用されることが予め決定されていました。機関には大和級と同じものが使用されることが決められ、33ノットの速力が期待されるところから、船体の大きさが逆算されました。また、同級は大和級と行動を共にすることが想定されるところから、主砲には同じく18インチ三連装砲塔の搭載が決定されました。

これらの要件を満たすために、これまでの主力艦とは一線を画する特異な設計となったわけですが、この際にA-140計画の際の検討材料、特にA-140aのデザイン案が参考とされた、と言われています。(<<<筆者の作った妄想ストーリーですから注意してくださいね)

最終的にまとめられた艦型は、艦前部に主砲塔を集中装備し、その後方に機関を配置、後部には副砲塔等と航空装備、というA-140a案に類似したものとなりました。搭載機関、主砲塔等から、奇しくも仏海軍のリシュリュー級に酷似する艦型、装備配置となりました。さらに射撃管制機器、上部構造等を大和級と共通化したために、遠距離からの視認では、大和級に実に似通った外観を示しています。

(1945-: 38,000t, 33 knot, 18in *3*2, 2 ships, 197mm in 1:1250 by semi-scratched based on Hansa) 

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(直上の写真では、船体後部に航空兵装、副砲塔等が集中しているのがよくわかります)

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(直上の写真は富士級高速戦艦2隻:手前から「劔」、「富士」の順。両艦は対空兵装で異なる装備を有していました。2番艦の「劔」は、建造時期がジェット航空機の発展期に当たったため、当初から対空兵装強化型として実験的に自動砲を採用していました)

こうして本来は艦隊決戦において日本海軍が誇る18インチ砲戦艦群の露払い的な役割を期待されて 誕生した「富士級」高速戦艦でしたが、ご他聞に漏れず、もはやそのような主力艦同士の艦隊決戦の場はあろうはずがなく、しかしその高速性、強力な対艦戦闘、対空戦闘能力は、空母機動部隊、巡洋艦機動部隊において、その威力を十分に発揮できたと言われています(とか・・これも妄想)。
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(直上の写真は大和級 18インチ砲搭載艦の系譜:左から富士級高速戦艦大和級、播磨級、駿河の順。大和級の系譜は、18インチ砲の強烈な反動を受け止めるため艦幅を広く取っています。一方で水線長を抑え、装甲を効果的に配置するなど、全体的にコンパクト化に成功していると言っていいでしょう)

 

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(直上の写真は日本海軍の高速戦艦巡洋戦艦)の系譜。:左から、金剛級(比叡)、畝傍級、高千穂級、富士級の順。高速化への模索の取り組みとして、艦幅と水線長の工夫が興味深いものがあります。さらにいうと富士級戦艦の主砲塔はやはり大きい)

 

ここからは、さらに深い妄想の世界へ

海上自衛隊 護衛艦「やまと」 Battleship "YAMATO" in JMSDF

海上自衛隊の発足と自衛艦「やまと」の誕生

太平洋戦争降伏に引き続き、日本は戦争放棄と戦力不保持、交戦権の否認を憲法に掲げる国家となりました。

しかし欧州における米英とソ連の対立に関連する不安定な周辺情勢、殊に日本の共産化を防ぎ、アジア全体の共産化阻止の拠点としたい米英(特に米国)の思惑から、様々は注釈に彩られた憲法解釈が行われ、やがて朝鮮戦争の勃発とともに自衛隊の前身である警察予備隊が発足し(1950年)、日本は再び戦力を保持することとなりました。

 

同時期に旧海軍残存部隊は海上警備隊として組織され、1954年自衛隊法施行とともに海上自衛隊と名称変更されました。

上述のようにその発足時には国共内戦朝鮮戦争等で、米英とソ連のある種代理戦争が極東地域では展開されていたわけで、これら共産勢力、あるいはソ連自身の日本への侵攻に対する抑止力として、当時、武装解除の上で海外に展開していた旧日本軍の復員輸送の従事していた残存する行動可能な主力艦を、再武装の上で戦力に組み入れてはどうかという議論が主として英米間で行われました。

当時、主力艦で行動可能だったものは、「大和」「紀伊」「加賀」「土佐」「長門」でしたが、これらすべてを戦力化することについては強大すぎ旧軍の復活につながるとの懸念があり、さらに「紀伊級」以前の戦艦は近代化改装を施されたとは言え、いわゆる八八艦隊計画の世代の旧式艦で、抑止力としてのプレゼンス、整備のコストという視点から「大和」一隻のみを自衛艦「やまと」として再武装し、自衛艦隊に編入することが決定されました。

 

海上自衛隊黎明期の自衛艦「やまと」

海上自衛隊編入された「やまと」は、艦隊防空艦としての役割を負うべく、再武装と改装を受けました。

 

再武装にあたっては、主砲は従来のままとし、自衛艦隊の艦隊防空艦としての役割期待が大きいところから、対空火器とレーダー装備が一新されました。主要な対空火器として米海軍の38口径Mk 12, 5インチ両用砲を連装砲塔に装備し、14基28門を搭載しました。

この砲は、米海軍の戦艦、巡洋艦に広く採用されている砲で、最大射程21キロ、最大射高11キロ、発射速度15-22発/分とされていました。これに加えて毎分45発の発射速度をもつラピッド・ファイア型のMk 33, 3インチ砲を連装で8基、さらに個艦防衛用に40mm機関砲を装備し、もちろんこれらは全てVT信管を標準仕様としていたため、その対空能力は、旧海軍時代から格段に強化されたものとなりました。

(直下の写真は、自衛艦「やまと」:外観的には、多数の対空機銃が徹去されたことを除けば、旧海軍時代とそれほど大きな違いは見られません。この時期、水上偵察機、観測機等の航空兵装の搭載は廃止されていますが、後部の航空機用の運用装備はそのまま残されています)

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模型視点でのコメントを少し:こちらのモデルも、前出のDelphin社製の「大和」をベースとし、前部艦橋と通信アンテナ、主砲砲塔を換装しています。さらに3D printing makerのSNAFU store製のWeapopn setから、いくつか武装を選択し搭載しています)

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(直上の写真は自衛艦「やまと」の対空兵装:艦の上部構造物周辺にMk 12, 5インチ連装砲塔を配置しています。下段の写真はいずれもMk 33, 3インチ連装砲塔(ラピッド・ファイア)の配置状況。すこし分かりにくいですが上部構造周辺にも、同砲が防楯なしの露出砲架で配置されています)

 

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(直上の写真は自衛艦「やまと」とその僚艦:奥から護衛艦「あきづき(初代)」「やまと」「はるかぜ」「あやなみ」の順。いずれも国産の護衛艦第一世代に属します。この時期の自衛隊は、こうした国産の護衛艦に加え、米海軍からの貸与艦で構成されていました)

 

DDHとDDG時代の護衛艦「やまと」 

海上自衛隊は、領海警備とシーレーン保護がその主要任務であり、従って、対潜戦闘能力を中心に、その活動保護のための艦隊防空を、両軸で発展させてきました。

1970年代に入ると、対潜ヘリを搭載したヘリ搭載型護衛艦(DDH)を中心に、汎用護衛艦を複数配置し、この艦隊の艦隊防空を担う防空ミサイル護衛艦(DDG)から構成される護衛隊群、という構成をその艦隊編成の基幹として設置するようになりました。

海上自衛隊の発足時から艦隊防空をその主任務としてになってきた「やまと」もこの構想に従い、防空ミサイルシステムを搭載することになりました。

主要艦隊防空兵装としてはスタンダードSM-1を2基搭載し、艦隊の周囲30-40キロをその防空圏としました。他の防空兵装としてはMk 42 54口径5インチ砲を6基搭載しています。この砲は23キロの最大射程を持ち、毎分40発の発射ができました。個艦防空兵装としては、上記の他にCIWS3基を搭載しています。

さらに対艦兵器として、主砲の他、ハープーン四連装発射筒を2基、搭載していました。

水上機の運用設備を全廃し、ヘリコプターの発着設備を新設しましたが、固有のヘリの搭載能力は付与されませんでした。

改修時には、米海軍から巡航ミサイルの搭載能力も検討するよう要請があったようですが、専守防衛を掲げ、その要求を受け入れなかった、と言われています。

(直下の写真は、1970年代の護衛艦「やまと」(DDG):外観的には、旧海軍の「大和」の上部構造を大幅に改修し、艦容が一新されました。多くのシステムを米海軍と共用し、アイオア級の戦艦等と似た上部構造物となったため旧海軍時代の外観をほとんど残していません)f:id:fw688i:20190609190556j:image

 模型視点でのコメントを少し:こちらのモデルも、前出のDelphin社製の「大和」をベースとし、その船体を利用し主砲塔を換装しています。上部構造は同じくDelphin社製のSouth Dakotaの上構を転用しています。さらに3D printing makerのSNAFU store製のWeapopn setから、いくつか武装を選択し搭載しました)

 

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(直上の写真は70年代DDG「やまと」の対空兵装:艦の上部構造物前後にSM-1の単装ランチャーを2基搭載し、上部構造周辺にMk 42, 54口径5インチ砲を配置しています。近接防空兵器として、上部構造の前部と左右に CIWSを搭載しました。後橋脇にハープーン発射筒が搭載されています。専守防衛を掲げ搭載を拒んだ巡航ミサイルは、下段写真の前部CIWSとMk 42 5インチ砲の間あたりに装甲ボックスランチャー(ABL)形式での搭載を検討するよう要請された、とされています

 
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(直上の写真はDDG「やまと」とその僚艦:奥からヘリ搭載型護衛艦(DDH)「しらね」対潜護衛艦「やまぐも」「やまと」ミサイル護衛艦(DDG)「さわかぜ」の順)

 

イージス時代の護衛艦「やまと」

2000年代に入り、海上自衛隊の艦隊防空システムがイージスシステムとなりました。

同時に長らく海上自衛隊の艦隊防空を担当してきたDDG「やまと」も、イージス艦として生まれ変わります。

艦の上部構造はイージスシステム搭載に対応する巨大なものに改装され、艦の前後左右に全体で240セルのMk 41 VLS(スタンダードSAM、アスロックSUM、シー・スパロー短SAM用)を搭載しました。

その他、近接防空用兵装として23キロの最大射程、毎分45発の発射速度を持つオート・メララ54口径5インチ速射砲4基、CIWS4基を搭載しています。
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 模型視点でのコメントを少し:こちらのモデルも、前出のDelphin社製の「大和」をベースとし、その船体を利用し、あわせて主砲塔を換装しています。上部構造はF-toy社製の現用艦船シリーズからストックしていた何隻かの上構をあわせて転用しています。さらに同じく現用艦船シリーズのストックから、武装を選択して搭載しました。

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(直上の写真はイージス護衛艦「やまと」の上部構造:左右にMk 41 VLS、5インチ速射砲、CIWSなどを搭載しています


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(直上の写真はイージス護衛艦「やまと」とその僚艦:奥から汎用護衛艦(DD)「あきづき」、「やまと」、イージス護衛艦(DDG)「あたご」の順)

 
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 海上自衛隊は初の航空機搭載型護衛艦(DDV)を導入し「いぶき」と名付けました。専守防衛の建前から、あくまで護衛艦と称していますが、空母「いぶき」の通称で通っています。F-35B15機を基幹航空部隊として搭載し、その他、無人機、救難ヘリ等を搭載しています。

このDDV「いぶき」を中心に、第五護衛隊群が編成されるのですが、第五護衛隊群はその機動性から紛争地域周辺に展開されることが多く、イージス艦「やまと」も、持ち前のその戦闘力から、この護衛隊群に組み入れられることが多くなってゆくのです。

 

史実では、わずか2隻が建造されたのみ(空母として完成された「信濃」を含めても3隻です)、しかも設計時のような運用は一切されず、その圧倒的な威力を誇る主砲はほとんど発砲の機会さえ与えられませんでした。にも関わらず(と敢えて言わせてください)結果的には「無用の長物」などと言われながらも、その存在感は依然、圧倒的だ、と思うのは筆者だけでしょうか?

そうした想いが、掘り下げてゆくと「随分広く深いんだなあ」と、今回まとめ直して改めて実感しました。

 

ということで、今回は2011年8月の投稿をベースに、その後の22インチ砲搭載艦なども加えて少しアレンジしたものを、基本は「再録」させていただきました。

 

次回はGW中に読んだ「空母いぶき Great Game」から適性艦隊として登場する艦船のご紹介など。モデルがいくつか整備中ですので、それらのご紹介を中心に、と一応、予定しています。

 

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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