今回は、このところ続けてきた「脇道探索」は、一休みして、溜まっていた懸案のお題を一つこなすことにします。
第一次世界大戦敗戦後、ドイツはベルサイユ条約により海軍軍備に大きな制限を受けます。具体的には、駆逐艦は800トン以下に排水量制限が設けられ予備艦4隻を含め16隻、水雷艇は200トン以下の排水量のものを、やはり予備艦4隻を含め16隻という保有制限でした。加えて艦齢15年を越える場合にのみ代艦建造が認められていました。
こうした厳しい制限下で、ドイツ海軍は、特に大型戦闘艦の分野ではこの制約を逆手に取ったような「ポケット戦艦」などの新機軸の新造艦を建造し始めました。
1923年の建艦計画から、旧式駆逐艦の代艦の建造計画が始動し始めます。この流れは1924年度の建艦計画でも継続し、併せて12隻の駆逐艦の代艦建造が始められました。
1923年型水雷艇(同型艦6隻)・1924年型水雷艇(同型艦6隻)
(「1923年級」水雷艇の概観:70mm in 1:1250 by Hansa?)
両級合わせて12隻が1926年から1929年にかけて就役しました。
就役当初は、前出のベルサイユ条約の制約から駆逐艦に分類されていました。
公称800トン(実際には900トンを少し超えていました)の制限いっぱいの船体を持ち、4インチ砲3基と500mm三連装発射管2基を搭載し、33ノットの速力を発揮することができました。このスペックは例えば本稿前回でご紹介したスウェーデン海軍の「エレンスコルド級」駆逐艦(1927年就役)にほぼ準じるもので、同じクラスの艦級と比較して見劣りするものでありませんでしたが、列強の駆逐艦の標準は1500トンクラスに移行しており、これらと比較すると「格下」の感は否めませんでした。「1924年型」ではこれらに対するせめてもの対策として、主砲口径を4インチから5インチに拡大する設計が盛り込まれたようですが、連合国の反対にあって4インチ砲の実装となりました。
ナチス政権の台頭後、1935年にドイツは再軍備を宣言、同年には英独海軍協定が結ばれ、実質上、ベルサイユ条約の制限下から解き放たれました。この結果建造されることとなった2000トン級の船体を持つ「1934年級」駆逐艦(後述)の誕生とともに、同級は水雷艇に艦種変更されました。同時期に搭載魚雷の口径を21インチに拡大し、対空兵装の増設を行うなど、兵装強化が実行されました。
第二次世界大戦期には、同級に続けて建造された後述する新型「水雷艇」の艦級(800トン級、1200トン級)とともに、護衛任務、機雷戦任務等に、使い勝手の良い汎用艦として活躍しました。
第二次世界大戦前に僚艦との衝突事故で沈没した1隻を除き、残り11隻全てが第二次世界大戦中に失われました。
(「Z1級」駆逐艦の概観:95mm in 1:1250 by Hansa)
同級は前述のドイツ最軍備宣言、英独海軍協定の締結を経て、それまでのベルサイユ条約の制限を脱した艦級として新たに建造されました。
それまでドイツの駆逐艦は800トンの排水量制限を受けていましたが、同級は同時期にフランスやポーランドが整備中であった大型駆逐艦に対抗するため、いきなり2200トン級の大きな船体を与えられています。
搭載兵装は、5インチ単装砲5基と21インチ4連装魚雷発射管2基と標準的で、36ノットの速力を有していました。しかし搭載した新型の高圧ボイラー等の機関の整備が難しいなど、課題が見つかったため、4隻で建造が打ち切られ、改良型の後述の「Z5級」に建造は移行しました。
4隻中3隻が第二次世界大戦で失われ、生き残った一隻は英国に賠償艦として移譲されました。
(「Z5級」駆逐艦の概観:96mm in 1:1250 by Hansa)
前出の「Z1級」駆逐艦の改良型で、12隻が建造されました。
前級で課題のあった機関に改良が加えられ、併せて凌波性を改善するために船首楼を若干高くするなど設計に手が入れられ、結果やや船体が大きくなり、速力も38ノットに向上しています。一方兵装とその配置はほぼ前級を踏襲しています。
第二次世界大戦では12隻中7隻が失われ、残りの5隻は賠償艦として連合国に引き渡されました。
(「Z17級」駆逐艦の概観:97mm in 1:1250 by Hansa)
同級は前級「Z5級」の改良型で、若干船体が大きくなっています。外見的には煙突が低くなる、後檣の位置の変更、艦首形状の変更などが見られます。
兵装は前級に準じています。
6隻が建造され、5隻が1940年4月の第二次ナルヴィク海戦で失われました。生き残った一隻は第二次世界大戦を戦い抜き、戦後、賠償艦としてソ連に引き渡されました。
<<ちょっと模型の話>>
下の写真は、「Z17級」のNeptune社製モデルです。ドイツ駆逐艦で唯一筆者が保有するNeptune製モデルです。筆者のコレクションではドイツ艦は基本的にHansa社製で統一するということにしてきましたが、改めて細部等の造作にはかなりの差があることに気がつきました。やっぱりNeptune社製でコレクションをしてみようかな?Hansa社製はしっかりしてはいますし、寸法等に何か大きな誤差があるわけではないのですが、全体に大柄、というか「ゴツイ」印象を受けますね。まあ、上の写真と比べてみてください。皆さん、ご感想はいかがでしょうか?Hansa社の方が手に入りやすんだよねえ。特に金額的に・・・。ちょっと考えどころですね。
さて、ドイツ駆逐艦を語る際に、やはりナルヴィク攻略戦での活躍と悲劇を紹介しないわけにはいかないかな、と。
ナルヴィク攻略戦 :ドイツ駆逐艦の墓場
1940年4月、ドイツはノルウェー侵攻を開始します。(ウェーゼル演習作戦)
ノルウェーの北極圏に位置するナルヴィクはオーフォートフィヨルドの最深部に位置し、北大西洋海流に影響されて冬季でも利用可能な不凍港でした。ドイツは鉄鉱石の多くをスウェーデンから供給されていましたが、そのボスニア海に面した積み出し港が冬季には凍結するため、ナルヴィクはその搬出ルートとして大変重要でした。
侵攻戦の一環として、ドイツはエデュアルト・ディートルの指揮する山岳猟兵連隊を基幹とする精鋭部隊約2000名を、当時22隻しか保有していなかった駆逐艦のうち10隻を割いてナルヴィクに直接送り込みました。
この際に陸兵輸送に使用された駆逐艦は、Z1級1隻、Z5級4隻、Z17級5隻でした。
当時ナルヴィク港にはノルウェー海軍の主力ともいうべきノルゲ級海防戦艦2隻が守備についていて、侵入するドイツ駆逐艦に対し砲撃を加えましたが、両艦共にドイツ駆逐艦の魚雷で撃沈され、ドイツ軍山岳猟兵連隊は無事に上陸を果たし、ナルヴィクを無血占領しました。
ノルゲ級海防戦艦
(ノルウェー海軍「ノルゲ級」海防戦艦の概観:75mm in 1:1250 by C.O.B. Constructs and Miniature: 3D printing modelです)
3500トン級の船体に21cm単装砲2基と15cm単装砲6基を搭載するノルウェー海軍の保有する最大最強の海防戦艦です。ああ、こんなところで「脇道探索」の海防戦艦コレクションが役に立つとは・・・。
第一次ナルヴィク海戦
陸兵を下ろしたドイツ駆逐艦部隊は、帰途につくために燃料補給を行いますが、給油船の手配に齟齬があり、予定より時間を要してしまいました。
その間に、イギリス海軍のH級駆逐艦5隻からなる駆逐艦部隊がオーフォートフィヨルドに侵入し、ドイツ艦隊を奇襲しました。ドイツ駆逐艦もこれに反撃し、双方2隻づつの駆逐艦を失いました。規模としては小さな戦闘でしたが、双方の指揮官が戦死するなど、狭い海面での激戦だったと言えるでしょう(第一次ナルヴィク海戦:1940年4月9日)。
この戦闘の結果、ドイツ駆逐艦部隊は2隻の損失の他4隻が損傷を受け、損傷のない4隻は給油を受けていない状況で帰途につける状態ではありませんでした。
「H級」駆逐艦
(「H級」駆逐艦とほぼ同等の外観を持つ「G級」駆逐艦の概観:79mm in 1:1250 by Neptune: そして直下の写真は、「G級」と「I級」駆逐艦の艦橋のアップ。「H級」の艦橋は下の「I級」の方が近い形状をしているかもしれません。こうして整理するまで、実は「H級」のモデルが手元にないことに気がつきませんでした。やれやれ)
第二次ナルヴィク海戦
4月13日、戦艦「ウォースパイト」と「トライバル級」駆逐艦を中心に9隻の駆逐艦で構成された英艦隊がオーフォートフィヨルドに再び侵入し、ドイツ駆逐艦部隊と交戦しました。
戦艦「ウォースパイト」
(「クイーン・エリザベス級」戦艦の1942近代化改装後: 32,930t, 23knot, 15in *2*4, 5 ships,154mm in 1:1250: 戦艦「ウォースパイト」は第一次世界大戦中に建造された「クイーン・エリザベス」級の一隻で、数次改装を経たとは言え、第二次世界大戦期にはすでにロートル艦と言っても良い艦齢でした。しかし大戦中には八面六臂ともいえる活躍をし、多くの識者から「大戦中の最優秀戦歴戦艦」の呼び声が高い船ですね。 日本海軍でも最も活躍した「金剛級」の4隻もやはり主力艦中の最旧式艦であり、旧式艦ならでは、物惜しみされずいろいろな戦場に投入される、ということなのかもしれません。
ナルヴィクでの戦闘でもフィヨルド外まで「ウォースパイト」と同行していた「レナウン」は、その稀な高速性からオーフォートフィヨルドの狭い海面での戦闘での不測の事態を懸念して温存方針が出され、フィヨルド侵入戦に投入されませんでした。
(直上の写真:「トライバル級」駆逐艦の概観。91mm in 1:1250 by Neptune)
イギリス海軍が第一次世界大戦後新たな設計のもとで1920年代以降建造してきた一連の駆逐艦の集大成というべき艦級で、駆逐艦部隊の旗艦として巡洋艦の代替も出来る様に設計された大型駆逐艦です。1900トンクラスの船体を持ち、これに12cm連装砲4基、53.3cm4連装魚雷発射管1基を搭載し、36.5ノットの速力を発揮しました。
4隻の損傷艦と初期の侵攻戦と第一次海戦で弾薬の欠乏したドイツ駆逐艦部隊は次第に追いつめられ、最終的には10隻全てが失われました。英艦隊は駆逐艦3隻が損傷しました。
冒頭にも記述しましたが、当時ドイツ海軍は駆逐艦を22隻しか保有しておらず、そのうち10隻が一気に失われたことは大打撃でした。
(直上の写真は、ドイツ海軍の「Z17級」駆逐艦(左)と英海軍の「トライバル級」(中央)、「G級」(右)の大きさ比較。かなりドイツの駆逐艦が大きいことがわかります。Neptune社製モデル同士の比較なので、ほぼ見た目通りと思っていただければ)
その後、ナルヴィクを巡ってはノルウェー軍とそれを支援するイギリス軍、フランス軍、ポーランド軍部隊により、5月ナルヴィクは奪還され、ドイツ陸軍の山岳猟兵部隊は周辺の山地に追いやられましたが、結局、フランスでの英仏軍の敗北により、連合軍は撤退を決定し、ドイツ軍が再度占領することとなりました。
「Z 23級:1936A級」駆逐艦(同型艦前後期型あわせて15隻)
(「Z23級」駆逐艦の概観:101mm in 1:1250 by Hansa)
(直上の写真:「Z23級」の特徴である150mm砲の配置のアップ。艦首部に単装砲1基と艦尾部に3基の配置)
同級では搭載主砲の大口径化が行われています。具体的にはそれまでの5インチ単装砲5基搭載という標準的な駆逐艦の主砲兵装を、軽巡洋艦並の150mm単装砲4基に搭載口径を強化し、それに伴い船体がさらに大型化しました。前期型・後期型(「Z31級」とされる場合もあります)併せて15隻が建造されました。
主砲搭載の形式については、設計当初では艦首部に150mm連装砲塔を搭載し、後檣周辺に単装砲3基、計5門の搭載とする予定でしたが、連装砲塔の製造が間に合わず、初期型の8隻は単装砲4基搭載で建造され、後に4隻が連装砲塔に換装しています。
後期型7隻は建造時から艦首には連装砲塔を搭載していました。
(「Z 23級後期型=Z31級」駆逐艦の概観:101mm in 1:1250 by Hansa: 直下の写真は、「後期型」の最大の特徴である艦首部の連装砲塔)
第二次世界大戦で前期型・後期型併せて15隻中6隻が先頭で失われ、残り9隻は賠償艦として連合国に引き渡されました。
150mm砲の話
砲力強化を狙い採用された150mm主砲でしたが、小型の駆逐艦には負担が大きく、連装砲塔の重量(単装砲の3倍:60トン)による艦首浮力の低下と凌波性の悪化、砲弾重量の増加に伴う射撃速度の低下(装弾等は人力で行われたようです)と主戦場の北海等の荒れる海での運用の困難さ等から、主砲口径の大きさの有利さを活かすことができず、次級では再び5インチ主砲に戻されました。
駆逐艦の艦名の話
同級から駆逐艦の艦名はZ(Zerstorer)の「駆逐艦艦種記号」と番号の組み合わせのみで表記されることとなりました。ちなみに同級以前の駆逐艦には第一次世界大戦で戦死したドイツ帝国海軍軍人の名前が与えられていました。
「Z 35級:1936B級」駆逐艦(同型艦3隻 建造途中2隻)
(「Z35級」駆逐艦の概観:102mm in 1:1250 by Hansa: 直下の写真、「Z35級」では不評だった前級の150mm主砲を再び4インチ砲に変更しています)
前級で採用した150mm主砲が、課題のみ多く、大口径の有利さを発揮できないことが明確になったため、主砲は同級では5インチ砲に戻されています。
主砲口径を除いては、基本的には前級「Z23級」を継承しており、5隻の建造が計画されていましたが、うち3隻が就役、残りの2隻は敗戦のためそのままスクラップにされました。
就役した3隻は2隻が自軍機雷で失われ、残る1隻も敗戦時に自沈しています。
新水雷艇
「T1級:1935級」「T13級:1937級」水雷艇(同型艦21隻)
同級は前級にあたる「1923年級」水雷艇が、前述のように本来はベルサイユ条約の制限下での代艦駆逐艦として設計されたのに対し、ロンドン条約での駆逐艦の定義から逃れるために制限外の600トン級の船体の「水雷艇」として設計されました。結果両者は、最終的には同じような大きさとなりましたが、そのため全く異なる外観を持つ艦級となりました。
(「T1級」水雷艇の概観:66mm in 1:1250 by Neptune)
(直上の写真は、「T1級」から始まる新水雷艇のシリーズの特徴的な兵装配置。主砲は艦尾に4インチ砲を1基のみ搭載し、主兵装が魚雷であることがよくわかります。後々、この砲兵装の弱さは課題となってゆきます。しかし意欲的な設計であることは伝わってきますよね)
(「T13級」水雷艇の概観:68mm in 1:1250 by Neptune: 艦首部にバウチェイサーと言われる機関砲を搭載し砲力を少し強化しています)
同級の主兵装は21インチ三連装魚雷発射管2基で、砲兵装は艦尾に4インチ単装砲1基を搭載するのみで、他には機関砲しか搭載しておらず、このクラスの艦種に期待される警備活動や、船団護衛、機雷戦等の用途には少し物足りない結果となりました。
800トン級の船体を持ち、35ノットの速力を発揮することができました。
「T13級」はやや船体を大型化して航続距離等を伸ばしていますが、基本的な兵装等には大きな差異はありませんでした。
(「T1級」(手前)と「T13級」の比較:直下の写真では艦首形状の違いやボートダビッドの形状の違いなどをみていただければ。上が「T1級」)
「T1級」「T13級」あわせて21隻が建造されましたが、12隻が戦没しています。
(「T22級」水雷艇の概観:81mm in 1:1250 by Neptune: 直下の写真では、「T22級」の特徴的な主砲配置。前級で課題であった砲兵装の弱点を各段に強化し、汎用性の高い小型駆逐艦を実現しました)
「同級」は前級「T1級・T13 級」が砲兵装に課題があったことを踏まえ、砲兵装を著しく強化した設計となりました。1200トン級の船体を持ち32.5ノットの速力を発揮しました。前級から飛躍的に大きくなった船体に4インチ単装砲を4基搭載し、21インチ三連装魚雷発射管2基を搭載しています。大型化した船体に各種の機関砲等も搭載し火力が強化され、小型駆逐艦としての汎用性が向上しています。
15隻が建造され、11隻が戦没しています。
ちょっとおまけで、
Sボート:高速戦闘艇
(直上の写真:「Sボート」前期型(左:26mm)中期型(中央:28mm)後期型(右: 29mm)の概観比較: 下の写真では概観の最大の違いである魚雷発射管の装備形態の比較:上から前期型、中期型、後期型の順)
ドイツ海軍は「Sボート」の呼称で知られる高速戦闘艇を多数戦闘に投入しています。2基の魚雷発射管を搭載し、予備魚雷も含め4本程度(一部は予備魚雷なし)の魚雷を搭載しこれを主兵器としているところから、魚雷艇と分類されています。主兵装の魚雷以外に複数の機関砲を搭載しており、後期型になる程、重武装化が進んでゆきます。
連合国の魚雷艇に比べ、船体が100トン程度と概ね大きく(連合国の代表的なPTボート「エルコ80フィート級」は51トン)、40ノット程度の速力を出すことができました。特に後期型は魚雷発射管が船首楼内に格納され、凌波性、航洋性が優れていました。
形式には各種ありますが、外見的には艦首の魚雷発射管を露出している前期型と、魚雷発射管を船首楼に格納した中期型(S-30型)、船体を延長して機関砲を増強した後期型( S-26型、S-100型)に大分類ができるでしょう。
「Sボート」は247隻(?)が建造され、沿岸哨戒や警備活動のほか、船団護衛、あるいは通商破壊戦、 機雷敷設など幅広い目的で運用され、第二次世界大戦期間中を通じ、水上戦闘による戦果21万トン、機雷戦による戦果15万トン、計36万トンの戦果をあげました
ということで今回は第二次世界大戦期のドイツ海軍艦艇で紹介できていなかった「駆逐艦・水雷艇」そしておまけで「Sボート」をご紹介しました。
今回はここまで。
来週末は、多分、「本業対応」で一回スキップ、あるいは新着モデルがあればサクッとその辺りをご紹介、ということで。
もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。
模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。
特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。
もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。
お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。
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