未成艦・IF艦
本稿には、都合37級の未成艦・IF艦が登場した。
これらを一覧にまとめておく事も、ある種有用ではないかと考え、二回に渡る特集を組んでご紹介する。
未成艦とIF艦の定義だが、正直に言ってそれほど厳密な区分は、筆者は行なっていない。敢えて言うと、「起工され、あるいは少なくとも計画が存在したもの」を未成艦、それ以外をIF艦、と言うよう概ねの定義である。
以下が各国海軍とその未成艦、IF艦のリストである。
オーストリア=ハンガリー帝国海軍:超弩級戦艦(未成艦)1クラス
イタリア海軍:超弩級戦艦(未成艦)1クラス
ドイツ帝国海軍:超弩級戦艦(未成艦)1クラス、超弩級巡洋戦艦(未成艦)2クラス
ナチスドイツ海軍:新戦艦(未成艦:主砲換装計画を含む)2クラス・(IF艦)2クラス
新型通商破壊艦(未成艦)1クラス
フランス海軍:超弩級戦艦(未成艦)2クラス、新戦艦(未成艦)2クラス
イギリス海軍:超弩級戦艦(未成艦)1クラス、超弩級巡洋戦艦(未成艦)1クラス、新戦艦(未成艦)1クラス
ここまでは前回。以下、今回ご紹介する。
アメリカ海軍:超弩級戦艦(未成艦)1クラス、超弩級巡洋戦艦(未成艦)1クラス、新戦艦(未成艦)2クラス・(IF艦)3クラス
日本海軍:弩級巡洋戦艦(IF艦)2クラス、超弩級戦艦(未成艦)2クラス・(IF艦)1クラス、超弩級巡洋戦(未成艦)2クラス・(IF艦)1クラス、新戦艦(未成艦)1クラス・(IF艦)2クラス
その他:海上自衛隊:(IF艦)1クラス3タイプ 地球防衛軍(?):(IF艦) 1クラス
何れにせよ、ここで紹介した軍艦は実在しなかったものばかりである。建造されていたら、どのように活躍したのか、想像を逞しくする一助になればと考える。
第一回では、オーストリア=ハンガリー帝国海軍、イタリア海軍、ドイツ帝国海軍、ナチスドイツ海軍、フランス海軍、イギリス海軍の未成艦・IF艦、全17級が登場した。
今回はその特集の第二弾として、アメリカ海軍、日本海軍を中心にご紹介する。
この両海軍では、これまで可能な限り、その竣工時から近代化改装後のモデルまでを整備するように努めてきた。この両海軍の未成艦、IF艦についても、各級の変遷についてもお楽しみいただければ幸いである。
製作メモも追加しましたので、そちらも併せてご参考に。
未成艦・IF艦の性格について、ちょっとトーク。
時折、IF艦・未成艦を作成するために、コレクションをしているような気さえします。そして、間違いなく、コレクションの醍醐味、最大の喜びと言っていいと思います。
コレクションを続けていくと、設計の流れ、と言うか、装備の流れ、デザインの流れ、と言うようなものがなんとなく見えてくるように思います。その流れの中で、次級はこうなるな、とか、この時期の未成艦はこのようになっているはずじゃないか、などと「流れ」の中で考えてゆきます。
いっぽうで、コレクションを続けてゆくと、部品取りに適したモデル、各社の特徴など、模型視点での情報の把握ができます。私の経験で言うと、Delphin社、Hansa社のモデルは部品取りに適しています。さらにこの両社のモデルは構造がはっきりしており、パーツへの分解が可能です。従って、架空艦、IF艦などのオリジナルモデルを製作するときなどは、ベースとしても、部品としても、重宝します。
前回からご紹介している各モデルも、ほぼ、そのように成り立っています。
アメリカ海軍の未成艦・IF艦
超弩級戦艦 Super-Dreadnought battleship
未成艦:ケンタッキー(サウスダコタ1920)級戦艦 - Wikipedia
前級のコロラド級戦艦は、既述のように日本海軍の長門級が16インチ砲を搭載しているという情報に基づき、本来はテネシー級の改良型として建14インチ砲搭載艦として建造される予定であった。その為、備砲のみ16インチでその防御は16インチ砲に対するものではなかった。
従って、ケンタッキー級は、初めて当初から16インチ砲を搭載することを念頭に設計された戦艦であった。パナマ運河航行を考慮して、艦型に大きな変化を与えず、従来のいわゆる米海軍の標準的戦艦の設計を踏襲した上で、機関、備砲(16インチ12門)と16インチ砲に見合う防御を兼ね備えた艦となった。備砲と防御はもちろん最強であったが、あわせて速力もこれまでの米戦艦を上回るものであった。
とはいえ、日本海軍の同時期の戦艦には大きく劣り、実戦となった場合には、このことは相当の不利に働くことになる。
(42,000t, 23knot, 16in *3*4, 3 ships, 176mm in 1:1250 by Superior)
ケンタッキー級、コンステレーション級の近代化改装モデルの到着
本稿第22回でご紹介した通り、日米両海軍は、太平洋を挟んだ緊張の中で、新戦艦の建造と併せて、保有する既存戦艦各級の近代化改装を、数次にわたって行なった。
既存戦艦としては最も最後に建造されたケンタッキー級(史実ではサウスダコタ1920級として知られている)、コンステレーション級(史実ではレキシントン級として知られている。同級のレキシントンとサラトガは、航空母艦として建造された)についても、同様の対応がとられ、その外観が一変した。
その改装の目的は、他の既存艦に対する改装同様、射撃システムの一新への対応と副砲を廃し対空・対艦両用砲への変更やその他の対空火器の強化、防御力強化等に置かれていた。
これも第22回でご案内した通り、両級は未成艦であるため新造時の模型は製造されていたが、近代化改装後の模型までは存在せず、筆者は、ごく最近になって両級の近代化改装後の3Dプリンティングモデルを発見し、その製作者Tiny Thingajigsに発注をかけ、模型の到着を心待ちにしていた。
直下の写真が到着した未塗装の模型である。
今回、筆者は、比較的柔らかい樹脂であるWhite Natural Versatile Plasticという素材でのプリントアウトを依頼した。柔らかい素材である分、ややフォルムが甘く、もし原型に忠実なシャープな模型を期待する場合には、Smooth Fine Detail Plasticという素材で製作依頼をした方が良いかもしれない。ただし、その場合には、約2.3倍の費用を覚悟する必要があるのでご注意を。
(直上の写真は、到着時の両モデル。上:ケンタッキー級(サウスダコタ1920級)、下:コンステレーション級(レキシントン級)
ケンタッキー級(サウスダコタ1920級)近代化改装後
他級の近代化改装同様、射撃システムの変更、副砲撤去、両用砲を砲塔形式で装備、上部構造物の一新、等々で、艦様は新造時と全く異なる、文字通り近代化された様相となった。
(直上の写真は、ケンタッキー級の新造時(上)と最終改装後(下)の艦様の比較)
(直上の写真は、いずれも近代化改装後の既存戦艦各級の比較。右下から、ネバダ級、テネシー級、ケンタッキー級。上部構造物の配置と、その周辺の対空火器の強化が興味深い。さらに、米海軍としては初めて設計当初から16インチ主砲搭載艦として設計されたケンタッキー級の大きさがよくわかる)
超弩級巡洋戦艦 Super-Dreadnought battlecruiser
未成艦:コンステレーション級(レキシントン級)巡洋戦艦 - Wikipedia
同級のうちレキシントン、サラトガは航空母艦に転用建造され、コンステレーションとコンスティチューションの2隻が建造された。
米海軍はこれまで巡洋戦艦を建造せず、米海軍初の巡洋戦艦となった。
それまで、米海軍の主力艦は21ノットの戦隊速度を頑なに守っており、高速艦で揃えられた日本艦隊、あるいは英海軍のクイーン・エリザベス級、レナウン級、アドミラル級などの高速艦隊に対抗する術を持たなかった。これを補うべく設計された同級であったが、当初の設計では、備砲(16インチ8門)と速力は強力ながら(当初設計では33.3ノット)、その装甲は極めて薄く、ユトランド沖海戦以降に、防御に対策を施した諸列強の高速艦には十分に対抗できるものではなかった。
この為、装甲の強化を中心とした防御力に対する見直しが行われ、代わりに速力を30ノットに抑える、という設計変更が行われた。
(42,000t, 30knot, 16in *2*4, 2 ships, 213mm in 1:1250 by Hai)
同級もケンタッキー級に準じた、射撃システムの変更、副砲撤去、両用砲を砲塔形式で装備、上部構造物の一新、等々の近代化改装を受け、艦様が一変した。
特に、外観上での米海軍主力艦の特徴の一つであった艦上部構造の前後に佇立する篭マストが、塔状の構造物に置き換えられた。
(直上の写真:舷側に迷彩塗装を施してみた)
(直上の写真は、コンステレーション級の新造時(上)と最終改装後(下)の艦用の比較)
この後、「レキシントン級」については、以下のモデル・バリエーションを製作した。
少し文体が違うが、再掲。
(以下は2020年5月31日の投稿)
レキシントン級巡洋戦艦は、ダニエルズプランで建造に着手された、米海軍初の巡洋戦艦の艦級です。元々、米海軍は、戦艦の高速化には淡白で、21ノットを標準速度としてかたくなに固守しつづけ、巡洋戦艦には触手延ばしてきませんでした。
しかし本稿でも既述のとおり、第一次世界大戦の英独両海軍主力艦による「ドッカー・バンク海戦」や「ユトランド沖海戦」の戦訓から、機動性に劣る艦隊は決戦において戦力化することは難しいという情況が露見し、米海軍も遅ればせながら(と敢えて言っておきます)高速艦(巡洋戦艦)の設計に着手した、というわけです。
(背景情報は下記を)
レキシントン級巡洋戦艦の設計当初のオリジナル・デザインでは、34300トンの船体に、当時、米海軍主力艦の標準主砲口径だった14インチ砲を、3連装砲塔と連装砲塔を背負式で艦首部と艦尾部に搭載し、35ノットの速力を発揮する設計でした。
その外観的な特徴は、なんと言ってもその高速力を生み出す巨大な機関から生じる7本煙突という構造でしょう。
モデルは、Masters of Miitaly社製で、White Natural Versatile Plasticでの出力を依頼していました。
(直下の写真は、到着したレキシントン級巡洋戦艦のモデル概観。Masters of Miitaly社製。素材はWhite Natural Versatile Plastic)
本稿で行った「レキシントン級デザイン人気投票」では、「籠マスト+巨大集合煙突デザイン」に継ぎ第二位という結果で、私も大変気になりながらも、14インチ砲搭載艦というところに少し引っかかりがあり(あまりたいした理由はないのですが、この巨体なら16インチ砲だろう、という思いが強く)、なかなか手を出していなかったのですが、この人気投票に背中を押してもらった感じです。ありがたいことです。(なんでも都合よく解釈できる、この性格もありがたい)
と言うわけで、今回はその完成形のご紹介です。
モデルは非常にバランスの取れたスッキリとしたプロポーションを示しています。どこか手を入れるとしたら、当時の米主力艦の特徴である「籠マスト」をもう少しリアルな感じに、かなあ、とは思いますが、今回は手を入れずに仕上げることにしました。
なんかいいアイディアあれば、是非お聞かせください。
上記のように、同級の原案設計の当時には、米海軍の主力艦標準備砲ということで14インチ砲搭載の予定だったのですが、その後、日本の八八艦隊計画が「全て16インチ砲搭載艦で主力艦を揃える」という設計であることを知り、急遽16インチ砲搭載に設計変更した、という経緯があったようです。
こうして同級は、結局16インチ砲搭載の巡洋戦艦として着工されるのですが、その後、ワシントン軍縮条約で制約、整理の対象となり、同級のうち2隻がその高速性と長大な艦形を活かして大型の艦隊空母として完成されました。「レキシントン」と「サラトガ」ですね。
つまり巡洋戦艦としては、同級はいわゆる「未成艦」に分類されるわけですが、その「未成」故に、完成時の姿を想像することは、大変楽しいことです。
筆者もご他聞に漏れず想像の羽を伸ばしたがるタイプですので、今回の「オリジナル・デザイン案」の完成に勢いづいて、筆者の想定するバリエーションの完結を目指してみました。
肝は「煙突」かな?
バリエーション1:二本煙突シリーズ
竣工時:籠マスト+二本煙突
上記リンクにあるように、実際に16インチ砲搭載巡洋戦艦として起工されたものが、完成していたら、と言う想定ですね。(こちらは本稿でも既にご紹介しています)
起工当時の米主力艦の標準デザインであった籠マストと、さすがに7本煙突という嬉しいほどユニークではあるけれど何かと問題のありそうなデザインは、実現しなかったんだろうなあ、と、その合理性には一定の納得感がありながら、一方では若干の落胆の混じる(かなり正直なところ)デザインですね。(アメリカの兵器は時として、量産性や合理性にともすれば走り、デザインは置き去りになったりします。あくまで筆者の好みですが、「デザイン置き去り」が、「無骨さ」として前に出るときは、言葉にできないような「バランス感の無さ」につながり、それはそれで「大好き」なのですが、正直これは「味気なさ」が先に立つと言うか・・・)
(42,000t, 30knot, 16in *2*4, 2 ships, 213mm in 1:1250 by Delphin :こちらはDelphin社のモデルに少しだけ色を入れた程度です)
最終改装時:塔状艦橋+二本煙突
同級の近代化改装後の姿で、米海軍が主力艦に対し行なった、射撃システムの変更、副砲撤去、両用砲を砲塔形式で装備、上部構造物の一新、等々を実施、と言う想定です。艦様が一変してしまいました。
特に、外観上での米海軍主力艦の特徴の一つであった艦上部構造の前後に佇立する篭マストが、塔状の構造物に置き換えられました。
(直上の写真:舷側に迷彩塗装を施しています。筆者のオリジナルですので、ご容赦を。本級は未成艦であるため新造時の模型は製造されていましたが、近代化改装後の模型までは存在せず、ごく最近になって近代化改装後の3Dプリンティングモデルを発見し、その製作者Tiny Thingajigsに発注をかけ、模型の到着を心待ちにしていました。ベースとなったモデルはこちら)
(直上の写真は、上)と最終改装後(下)の艦様の比較)
バリエーション2:巨大集合煙突シリーズ(こちらは筆者の妄想デザインです)
竣工時:籠マスト+巨大集合煙突
そもそも発端は、ワシントン・ロンドン体制で、巡洋戦艦から空母に転用された「レキシントン」の巨大な煙突からの妄想でした。
この煙突がついている主力艦は、どんな感じだったろうか、作っちゃおうか、という訳です。で、その巨大な煙突の背景には大きな機関があり、元々は7本の煙突が初期の設計段階では予定されていたことを知る訳です。おそらくは転用されたのが「空母」なので、高く排気を誘導する必要があったんでしょうが、まあ、今回はそれはそれで少し置いておきましょう。
完成後に改めて見ると、ああ、半分くらいの高さ、と言うデザインもあったなあ、と。(うう、こんな事に気が付いてしまうと、いつか手を付けるんだろうなあ)
直上の写真は、今回急遽製作した竣工時の「レキシントン級巡洋戦艦」で、籠マストと「レキシントン級」空母譲りの巨大集合煙突が特徴です。
本稿でも以前ご紹介しましたが、本来は下記のTiny Thingajigs製の3D Printing Modelをベースに制作する予定だったのです。
しかしShapeways側のデータ不備とかの理由で入手できず、この計画が頓挫。では、ということで、ebay等で、これも前出のDelphin社製のダイキャストモデルを新たに入手しそれを改造しようかと計画変更。しかし少し古いレアモデルだけに新たに入手が叶わず(ebayで、格好の出品を発見。入札するも、落札できず:ebayは1:1250スケールの艦船モデルの場合、当然ですが多くがヨーロッパの出品者で、終了時間が日本時間の明け方であることが多く、寝るまでは最高入札者だったのに、目が覚めると「ダメだった」というケースが多いのです)、結局、手持ちのDelphinモデルをつぶす事にしました。(つまり、これ↓を潰す事に・・・)
Delphin社のモデルは、こうした改造にはうってつけで、パーツが構造化されており、その構造が比較的把握しやすいのです。従って、少し注意深く作業をすればかなりきれいに分解することができます。今回は上部構造のうち、前後の煙突部と中央のボート甲板を外し、少し整形したのち、Deagostini社の空母「サラトガ」の完成模型(プラスティックとダイキャストのハイブリッドモデル)から拝借した巨大な集合煙突(プラスティック製)を装着する、という作業を行いました。
で、出来上がりがこちら。設計の合理性は爪の先ほども感じませんが、なんかいいなあ、と自画自賛。この巨大な煙突は格好の標的になるでしょうから、まず、この設計案は採用されないでしょうねえ。
或いは、上掲の2本煙突デザインでは、7本煙突からこのデザインへの変更の際には機関そのものの見直しが必須のように思うのですが、それが何らかの要因で困難だった(あまりに時間がかかる、とか、費用が膨れ上がる、或いは新型の機関を搭載するには一から設計し直したほうが早い、とか)というような状況で、ともあれ完成を早めた、というような条件なら、有りかもしれませんね。
(やっぱり、煙突の高さ、半分でも良かったかもしれません。ああ、気になってきた!)
最終改装時:塔状艦橋+巨大集合煙突
そして、巨大集合煙突のまま、近代化改装が行われます。米海軍が主力艦に対し行なった、射撃システムの変更、副砲撤去、両用砲をこの場合には単装砲架で装備、上部構造物の一新、等々の近代化改装を受けた後の姿、と言う想定です。
この場合でも、やはり篭マストが、塔状の構造物に置き換えられました。煙突の中央に太い縦線が入れられ、2本煙突への偽装が施されています。
こちらは下記の3Dプリンティングモデルをベースとしています。
このモデルの煙突をゴリゴリと除去し、Deagostini社の空母「サラトガ」の完成模型(プラスティックとダイキャストのハイブリッドモデル)から拝借した巨大な集合煙突(プラスティック製)を移植したものが、下の写真です。
この後、下地処理をして、少し手を加え塗装を施し完成です。
(直下の写真は、巨大煙突デザインの竣工時(上)と最終改装時(下)の艦様の比較)
上から・・・もう説明はいいですかね。
こうやって一覧すると、「どれが好きですか?」と聞きたくなるのですが・・・。また、アンケートかよ、という声が聞こえてきそうなので、今回はやめておきます。
(そのうち、もう一回、巨大集合煙突の高さ、ちょっと変えてみました、なんて紹介をするかもしれませんね。きっとするなあ、これは)
ともあれ、合理性はさておき、やはり巨大煙突、いいと思うんですがねえ。
と言うことで、今回はここまで。
以下に、これまで「レキシントン級」関連の投稿回を下記にまとめておきます。関心がある方は、下記も合わせてお楽しみください。
米海軍の新型戦艦
新型戦艦の黎明期
米海軍はワシントン軍縮条約明けに向けて、これまでの標準的なアメリカ海軍の戦艦とは大きく異なる設計思想を持つ新型戦艦を設計した。
これまで、アメリカ海軍は、常に圧倒的な物量を展開することを念頭に、個艦の性能、速度などの優位性よりも、戦艦戦隊の戦闘単位としての威力に重点を置いた艦隊構想を持っていた。
しかし、ユトランド沖海戦の戦訓、さらには発展著しい航空機と新たなその運用戦術となるであろう航空母艦等との連携には、従来の速度では不十分であることが明らかとなり、新型戦艦はこれまでの標準速力を一新する、高速戦艦が俎上にあげられた。
さらに、この新型戦艦の搭載主砲には複数案あり、当初は、それまでの標準型戦艦と同様の14インチ主砲を四連装砲塔3基12門搭載艦の建造が予定された。
ほぼ各国海軍の戦艦開発の定石として、当然のこと、新型戦艦は前級を上回る性能を有することを目指す。「前級を上回る」と言う要件に照らして考えると、主砲は前級と同等あるいはそれよりも口径の大きな砲を装備する、と言うことになるが、ここでは敢えて前級のケンタッキー級の16インチを下回る14インチとした。速度はそれまでの標準戦艦に対し大きく改善されているので、必ずしも一方的な後退、と言うわけではないが、非常に珍しい選択と言えるであろう。
新開発の14インチ砲は長砲身を採用し従来の14インチ砲よりも高初速、直進性を高め、かつ新型砲塔により、より高い速射性を有し、ケンタッキー級の16インチ砲を上回る性能と評された砲だったが、日本海軍が開発中の新型戦艦には新型16インチ砲を搭載する(実際には18インチ砲)、と言う情報に接しては、やはり16インチ砲にその標準装備を切り換えざるを得ないという背景から、その4番艦、5番艦を16インチ主砲装備艦として建造することになった。
史実では、日本海軍が条約明けに建造する艦が16インチ主砲を搭載することがほぼ確定した段階で、16インチ主砲装備艦として建造された。
都合、新型戦艦はメイン級(1938年 14インチ砲搭載) 2隻
改メイン級(1939年 14インチ砲搭載) 1隻
ノースカロライナ級(1941年 16インチ砲搭載) 2隻
サウスダコタ級(1942年 16インチ砲搭載) 4隻
の合計9隻が就役した。
未成艦:メイン級戦艦
新型14インチ主砲搭載の新型戦艦である。米海軍の戦艦として初めて27ノットの高速を発揮できる戦艦として設計された。14インチ主砲を四連装砲塔3基に搭載している。水平防御にも十分な配慮が施された設計となっている。
(1938: 35,500t, 27knot, 14in *4*3, 2ships, 177mm in 1:1250 by Hansa/Semi scratched)
(メイン級戦艦2隻:サウスカロライナ(手前)、メイン)
製作メモ)Hansa社のノースカロライナ級戦艦をベースとし、これに、Atlas製のプリンス・オブ・ウエールズから4連装14インチ主砲塔を転用した。
IF艦:戦艦 バージニア(改メイン級戦艦)
メイン級の改良型として、建造された。メイン級を合理化してより集中防御方式を徹底したコンパクトな上部構造を持つ設計とした。主砲はメイン級と同じ14インチ主砲を四連装砲塔3基に搭載している。設計当初は、日本海軍の新戦艦が16インチ主砲を装備していても、同級の新型14インチ砲で対処できるのではないかという見方もあったが、検討の結果、十分な防御を得られたとは判断されず、1隻のみの建造となった。後に建造されるサウスダコタ級戦艦の基本設計となった。
(1939: 35,500t, 27knot, 14in *4*3, 2ships, 165mm in 1:1250 by Hansa/Semi scratched)
**この後に建造されたノースカロライナ級2隻とサウスダコタ級4隻は、実在する為、今回は紹介しない。
興味のある方は、本稿、第22回を参照されたい。
製作メモ)前級同様、Hansa社のサウスダコタ級をベースとしてこれに、Atlas製のプリンス・オブ・ウエールズから4連装14インチ主砲塔を転用した。
1:1250スケールモデルでは、Hansa社、Delphin社のダイキャストモデルは、細部まで作り込まれている割には、Neptune社に比べて、比較的安価で中古モデルを入手することができる。筆者は架空艦・IF艦の製作の際に、そのベースとして両社のモデルを利用することが多い。
アイオア級以降の新型戦艦
IF艦:改アイオア級(イリノイ級)18インチ搭載艦の建造
アイオア級建造中に、日本海軍の新型戦艦が18インチ砲搭載艦であることが判明し、加えてその前級である相模級戦艦も18インチ砲を搭載していることが判明した。このため、急遽、建造される予定であったアイオア級5番艦、6番艦を18インチ砲搭載艦として建造することが決定し、さらに、2隻を同級に追加し、4隻の18インチ砲搭載艦を建造することとなった。(イリノイ、ネブラスカ、デラウェア、ジョージア)
一方で、パナマ運河の通行を可能とするために、艦幅はアイオア級に準ぜねばならず、33ノットの速力を保持した上で、18インチ砲搭載による重量増加、さらには同砲射撃時の砲撃精度をこの艦幅でどのように担保するか、難しい課題に対する設計見直しが行われた。
結果、上部構造をコンパクトにすることにより浮いた重量分を主砲関係の重量増加と、18インチ砲装備による防御力向上に向けられることとなった。結果、機関対する余裕が前級よりも少なくなり、30ノットの速度に甘んじる結果となった。
(1944, 55,000 t, 30 knot, 18in *3*3, 4 ships, (6 ships planned), ***mm in 1:1250 by Superior)
(イリノイ級:イリノイ、ネブラスカ、デラウェア、ジョージア)
IF艦:改イリノイ級(バーモント級)の建造:16インチ砲への回帰
上述のように艦幅と排水量の上限が課せられた条件で、様々な工夫が盛り込まれたイリノイ級の設計であったが、そもそもが18インチ砲対応の防御力が予定されていないこと(日本海軍の長門級に対応したコロラド級の設計変更、条約明け後のノースカロライナ級の設計変更時にも、主砲口径のアップとその防御力のアンバランスという同様の事象が発生した)、併せて18インチ砲搭載には不十分な艦幅からくる射撃時の精度不足が判明したことから、イリノイ級5番艦(バーモント)・6番艦(ロードアイランド)は、16インチ砲搭載艦として建造することが決定した。
(1945, 55,000 t, 34 knot, 16in *3*3, 2 ships, ***mm in 1:1250 by Superior)
この設計変更は非常に成功で、速度はタイプシップであるアイオア級を上回る34ノットとなったし、その射撃精度も、米国の戦艦史上最高を記録した。
製作メモ)主砲には、Atlas社のニュージャージー級戦艦の主砲塔を転用した。
アイオア級の項で記述したように、米海軍では来るべき日米の艦隊決戦では、空母機動部隊を中心とした前哨戦で制空権を握った後に、主力艦同士の砲撃戦を行う、という構想を持っていた。これも前述のようにアイオア級はその前哨戦を制するべく設計された空母部隊との帯同を想定した高速戦艦として建造されたが、モンタナ級は、前哨戦の後、主力艦同士の砲撃戦を想定して設計、建造されたいわゆる「低速戦艦」であった。低速といっても、28ノットを発揮でき、サウスダコタ級、ノースカロライナ級などとは同等に行動できる。
主力艦同士の砲撃戦を制すべく、アイオア級と同じ、新開発の55口径16インチ砲を三連装砲塔4基12門、搭載する強力な戦艦となった。
(1946, 60,500 t, 28 knot, 16in *3*4, 4 ships, ***mm in 1:1250 by Superior)
モンタナ級が搭載した主砲は、アイオア級以降の戦艦が搭載していたMk.7 50口径16インチ砲であったが、この砲はサウスダコタ級やノースカロライナ級が搭載したMk.6に比較して、発砲初速が速く、長い射程を誇る高性能砲であった。早い初速から風等の影響を受けにくく、散布界(斉射時の砲弾のばらつき)が小さくなり高い射撃精度を得ることができ、遠距離砲戦に適していた。
日本海軍の未成艦・IF艦
弩級巡洋戦艦 Dreadnought battlecruiser
戦争には間に合わなかったが、戦時予算で急造した鹿島級戦艦、筑波級巡洋戦艦などが相次いで就役し、併せて5隻の戦艦、1隻の二等戦艦、2隻の海防戦艦などが戦利艦として編入され、数的視点から見れば戦前の倍の規模の主力艦を擁する陣容となった。
更にその後、巡洋戦艦鞍馬級の就役に続いた薩摩級戦艦は、世界最大の戦艦として就役した。
しかし、同時期に英海軍が就役させたドレッドノートによって、これら全ての主力艦は、一夜にして「旧式艦」となってしまった。
日本海軍としては初の弩級戦艦である河内級戦艦の建造と並んで、「旧式艦ばかりの二流海軍」からの急遽脱却を図るべく、海軍は欧米列強の既成弩級戦艦の購入を模索し始めた。
あわせて、より深刻な要素として、当時、各国の海軍で導入されていた装甲巡洋艦の高速化への対応が、検討されねばならなかった。すなわち、当時の日本海軍が保有する主力艦の中で最も高速を有するのは装甲巡洋艦(巡洋戦艦)「伊吹」であったが、その速力は22ノットで、例えば膠州湾青島を本拠とするドイツ東洋艦隊のシャルンホルスト級装甲巡洋艦(23.5ノット)が、日本近海で通商破壊戦を展開した場合、これを捕捉することはできなかった。
これらのことから、特に高速を発揮する弩級巡洋戦艦の導入が急務として検討され、その結果、弩級巡洋戦艦「蓼科」「劔」の購入が決定された。
「劔」「蓼科」は、2 艦で巡洋戦艦戦隊を構成し、この戦隊の発足がシュペー提督のドイツ東洋艦隊の本国回航を決意させた遠因となったとも言われている。
IF艦:弩級巡洋戦艦「蓼科」(独装甲巡洋艦ブリュッヒャー2番艦改造)
Battlecruiser Tateshina(Fictional: Based on armoerd cuiser SMS Blücher. IJN purchased 2nd ship of her class under cinsruction and remodled to battle cruiser)
(1912-, 16,500t, 25.4knot, 12in *2*3)(127mm in 1:1250 by Navis)
ドイツ海軍の装甲巡洋艦「ブリュッヒャー」の2番艦を巡洋戦艦に改造、導入したものである。
ブリュッヒャーは、従来の装甲巡洋艦の概念を一掃するほどの強力艦として建造されたドイツ帝国海軍の装甲巡洋艦である。装甲巡洋艦におけるドレッドノートと言ってもいいかもしれない。主砲は44口径21センチ砲を採用し、戦艦並みの射程距離を有し、搭載数を連装砲塔6基として12門を有し、また速力は25ノットと、当時の近代戦艦(前弩級戦艦)、装甲巡洋艦に対し、圧倒的に優位に立ちうる艦となる予定であった。
しかしながら、同時期にイギリスが建造したインヴィンシブルは、戦艦と同じ、30.5センチ砲を主砲として連装砲塔4基に装備し、速力も25.5ノットと、いずれもブリュッヒャーを凌駕してしまったため、ドイツ海軍は急遽同等の弩級巡洋戦艦建造に着手しなければならず、ブリュッヒャーは中途半端な位置づけとなり、後続艦の建造が宙に浮いてしまうこととなった。
日本海軍はこれに目をつけ、この2番艦の建造途中の船体を購入し、「蓼科」と命名、これを巡洋戦艦仕様で仕上げることにした。主な仕様変更としては、主砲をオリジナルの44口径21センチ砲12門から、日本海軍仕様の45口径30.5センチ連装砲塔3基および同単装砲塔2基、として計8門を搭載した。この配置により、首尾線方向には主砲4門、舷側方向には主砲7門の射線を確保した。機関等はブリュッヒャー級のものをそのまま搭載したところから、ドイツで建造した船体をイギリスで仕上げる、といった複雑な工程となった。が、狙い通り就役は「河内級」とほぼ同時期であった。
速力は25ノットの、当時の日本海軍主力艦としては、最も高速を発揮したが、装甲は装甲巡洋艦ブリュッヒャーと同等の仕様であったため、やや課題が残る仕上がりとなった。
IF艦:弩級巡洋戦艦「劔」(独弩級巡洋戦艦 フォン・デア・タン2番艦改造)
Battlecruiser Tsurugi (Fictional: Based on battlecruiser SMS Von Derr Tann. IJN purchaed 2nd ship of her class under cinsruction and remodled to battle cruiser with 12in L50 )
(1912-, 19,800t, 25.5knot, 12in L50 *2*4)(136mm in 1:1250 by Navis)
弩級巡洋戦艦「蓼科」の保有に成功した日本海軍であったが、上記のように、本来は装甲巡洋艦であったために、その防御力には課題が残った。併せて、河内級搭載のイギリス製の50口径主砲がやはり前述のような課題(しなりが大きく、精度が出ない。命数が短い)があったため、日本海軍は当時50口径砲の導入に成功していたドイツを対象に、もう一隻、弩級巡洋戦艦の購入を模索することにした。
白羽の矢が立ったのは、ドイツ海軍初の弩級巡洋戦艦「フォン・デア・タン」の2番艦で、すでにドイツ海軍の上層部の関心が、より強力な次級、あるいはさらにその次のクラスに向いてしまったため、やはり宙に浮いていたものを計画段階で購入することにした。
ブリュッヒャー級2番艦の場合と異なり、今回はその基本設計はそのままとし、主砲のみ、既に戦艦ヘルゴラント級で搭載実績のある1911年型50口径30.5センチ砲に変更し、船体強度などに若干の見直しを行った。同砲では河内級でイギリス製の50口径砲に見られたような問題は発生せず、ドイツの技術力の高さを改めて知ることになる。
主砲の口径の拡大と、それに伴う構造の変更があったにも関わらず、速力はオリジナル艦と同等の25.5ノットを確保することが出来た。
第一次大戦への関与の度合いは欧米諸国よりは低かった日本ではあったが、大戦終了後の景気後退等不況の影響は大きく、さらに大戦終了時から行われたシベリア出兵などの出費からくる厭戦気分から、せっかく英米の譲歩を勝ち得た条約下での主力艦建造の継続に対する世論は、必ずしも支持的と言える状況ではなかった。
しかし、これを一変する状況が、日清・日露両戦争、更には第一次世界大戦中、その後のシベリア出兵を通じて、一貫して実質支配権確立に努めてきた満州で発生する。(ちょっと仮想小説的になってきてしまいますが)
満州北部の北満州油田(史実では大慶油田として1959年に発見)、満州南部の遼河油田(史実では同呼称の遼河油田として1973年発見)の発見である。もちろんこれらの油田発見は、即、本格操業というわけには行かないのではあるが、これに既存の鞍山の鉄鉱山を加え、日本は有力な財政的な基盤を得た。
一方で、北満州油田は新生ソ連との国境が近く、その防衛も含め、日本は満州の日本傀儡下での独立を画策していくことになる。
ともあれ、これにより、日本海軍は八八艦隊計画を部分的に維持し、ワシントン海軍軍縮条約締結時にすでに進水していた加賀級戦艦2隻の建造をそのまま継続し、1925年に艦齢10年を迎える扶桑級に代えて紀伊級戦艦の紀伊と尾張を、1927年には伊勢級2隻の代替艦として、改紀伊級戦艦の相模、近江を就役させる計画を立て、これを推進した。
前級長門級戦艦を強化した高速戦艦である。16インチ砲を連装砲塔5基10門とし、搭載主砲数に対応して大型化した艦型を持ちながら、速力は新型機関の採用で長門級と同等の26.5ノットとした。長門級で取り入れられた集中防御方式を一層強化し、さらに傾斜装甲を採用するなど、防御側面の強化でも新機軸が盛り込まれた。
長門級では前檣への煙の流入に悩まされたが、加賀級でも同様の課題が発生し、二番艦土佐では新造時から長門型で一定の成果のあった湾曲煙突が採用された。しかし、長門と異なり新機関採用により前檣と後檣の間隔を短くしたため、今度は後檣への煙の流入が課題となってしまった。結局、大改装時の新型煙突への切り替えまで、加賀・土佐共に煙の流入に悩まされることになった。
(39.979t, 26.5knot, 16in *2*5, 2 ships, 185mm in 1:1250 semi-scratched based on C.O.B. Constructs and Miniatures /3D printing model)
(就役時の加賀級戦艦2隻:加賀(手前)と土佐:土佐は就役時から前檣編煙流入対策として長門級で採用されていた湾曲型煙突を採用していた)
製作メモ)C.O.B. Constructs and Miniatures社製の3D Printing modelをベースとして、前檣をストックのパーツとプラスティックロッド等で、セミスクラッチした。土佐の湾曲煙突は、Superior社製の天城級巡洋戦艦から転用した。
最終改装時(1941年次)の加賀級戦艦
バルジの追加、装甲の強化、艦橋構造の変更に加え、従来から課題とされてきた煤煙の流入対策のために煙突の換装が行われた。これらの重量増加への対応として、機関の換装も行われたが、基本設計に機関の増強等に対する余裕が十分でなく、結果として速度は低下してしまった。
そのため大戦中は、主力艦隊の序列を離れ、主としてシンガポールにあって西方警備の任務に当たった。
(1941: 47,500t, 25 knot, 2 ships, 187mm in 1:1250 semi-scratched based on C.O.B. Constructs and Miniatures /3D printing model)
(直上:改装後の土佐(手前)と加賀(奥))
製作メモ)C.O.B. Constructs and Miniatures社製の3D Printing modelをベースとして、前檣上部をストックのDelphin社製の伊勢級戦艦から転用した。
1925年に艦齢10年を迎える扶桑級戦艦に対する代替艦として建造が進められた。紀伊級の2隻の完成により、扶桑級戦艦2隻は、練習戦艦籍に移され、舷側装甲の撤去、砲塔数の削減等が行われた。
紀伊級戦艦は、防御方式等は前級の加賀級戦艦の経験に沿いながらも、加賀級を上回る高速性を求めたため、その基本設計は条約締結時に計画破棄となった天城型巡洋戦艦に負うところが多い。巨大な機関を搭載し、艦型はそれまでの長門級、加賀級とは異なり長大なものとなった。
主砲としては加賀級と同様、16インチ連装砲塔5基10門を搭載し、29.5ノットという高速を発揮した。当初、同型艦を4隻建造する計画であったが、建造途上で、米海軍の新戦艦サウスダコタ級が、16インチ砲を三連装砲塔4基12門搭載、という強力艦であることが判明し、この設計では紀伊・尾張の2隻にとどめ、建造途中から次級改紀伊級の設計と連動して建造が進められた。
長門級、加賀級で悩まされた煙の前檣、あるいは後檣への流入対策として、本級から集合煙突が採用され、煙対策もさることながら、艦型が整備され、優美さを加えることとなった。
(1926-, 42,600t, 29.5knot, 16in *2*5, 2 ships, 202mm in 1:1250 semi-scratched based on Team Blue Games with funnel by Digital Sprue /3D printing model )
製作メモ)Team Blue Games 社製の3D Printing modelをベースとして、前檣をストックのパーツとプラスティックロッド等で、セミスクラッチした。さらにオリジナルモデルでは二本の煙突を Sprue社製の集合煙突(3D Printing Model)に換装した。
1933年次 第一次改装時の紀伊級戦艦
紀伊級戦艦は、以降に建造された戦艦群が、その高い機密性保持のために表舞台に登場できなかった事情から、連合艦隊の象徴的存在として長門級とともに長く国民に親しまれ、また海外にも紹介された。
このため比較的若い建艦年次から数度にわたる改装を受けた。
第一次改装においては、防御装甲の強化に加え、前檣、後檣の上部構造を近代化し、あわせて対空装備の強化、航空艤装の追加などが行われた。機関の改善も行われたが、速度はやや低下した。
(1933, 46,600t, 27.5knot, 16in *2*5, 2 ships, 202mm in 1:1250 semi-scratched based on Team Blue Games with funnel by Digital Sprue /3D printing model )
製作メモ)前出の竣工時のモデルから、さらに前檣上部と後檣をDelphin社製伊勢級戦艦から転用した。
最終改装時(1941年次)の紀伊級戦艦
1941年次の改装においては、バルジの追加、対空兵装の強化、装甲の強化はもちろん、機関の大換装も行われ、あわせて艦首部の延長、艦尾の延長など、艦型の見直しも行われ、速度を新造時にまで回復することができた。
長く連合艦隊旗艦の任にあって、通信設備、旗艦設備が充実したため、大戦中も旗艦の任を継続した。
(1933, 50,600t, 29.5knot, 16in *2*5, 2 ships, 208mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs /3D printing model )
未成艦 or IF艦:改紀伊型・相模型戦艦(参考:十三号型巡洋戦艦) - Wikipedia
1927年に艦齢10年を迎える伊勢級戦艦に対する代替艦として建造が進められた。相模級の2隻の完成により、伊勢級戦艦2隻は、扶桑級と同様の措置の後、練習戦艦籍に移された。
相模級戦艦は、前述のように本来は紀伊級の同型3番艦、4番艦として建造されるはずであったが、米海軍が建造中のケンタッキー級(サウスダコタ級1920)戦艦が16インチ砲12門搭載の強力艦である事が判明したため、改紀伊級として設計が見直された。
まずは備砲が見直され、三連装砲塔開発案、連装砲塔6基搭載案、連装砲塔複合による4連装砲塔の新開発など、種々の案が検討されたが、いずれもケンタッキー級を凌駕する案とはなり得ず、最終的には新開発の2年式55口径41センチ(16インチ)砲と称する新型砲を連装砲塔で4基搭載する、という案が採択された。(それまでの16インチ砲は45口径であった)
この新砲搭載と、これまでの高速性を維持するため、艦型は紀伊型を上回り大型化し、実質は条約制限を上回る44,000トンとなったが、これを公称42,000トンとして建造した。
本級は最高軍事機密として厳重に秘匿され、さらに長く建造中と称して完成(1929年)が伏せられ、その完成が公表されたのは条約切れの後(1932年)であった。
ここには日本海軍の詐術が潜んでいた。2年式55口径41センチ砲は、実は18インチ砲であった。他の条約加盟国は、このクラスの建造(特に主砲口径)に強い疑惑を抱いており、これも条約更新が行われなかった要因の一つとなったと言われている。
(1932-, 44,000t(公称 42,000t), 28.5knot, 18in *2*4, 2 ships, 219mm in 1:1250 semi-scratched based onTeam Blue Games with funnel by Digital Sprue /3D printing model)
(就役時の改紀伊級・相模級戦艦2隻:相模(手前)と近江)
製作メモ)Team Blue Games 社製の13号型巡洋戦艦の3D Printing modelをベースとして、前檣をストックのパーツとプラスティックロッド等で、セミスクラッチした。さらにオリジナルモデルでは13号型巡洋戦艦の特徴の一つである巨大な煙突を、 Sprue社製の集合煙突(3D Printing Model)に換装した。
最終改装時(1941年次)の相模級戦艦
初の18インチ主砲装備艦として、最終改装時には、その艦橋構造を行動を共にするであろう同じ18インチ主砲を装備した大和級に準じたものに換装し、バルジの追加、垂直装甲の強化、 対空火器の強化、機関の換装が行われた。
(1932-, 53,200t), 28.5knot, 18in *2*4, 2 ships, 219mm in 1:1250 semi-scratched based onTeam Blue Games with funnel by Digital Sprue /3D printing model)
(最終大改装時の相模級戦艦2隻:相模(手前)と近江)
製作メモ)前出の竣工時のモデルをベースに、さらに前檣上部をAtlas社製の大和級戦艦から転用した。主砲塔を3D Printing modelの18インチ連装砲塔に換装した。
奇しくも、ようやく八八艦隊のうちの戦艦8隻の装備が完了し、日本海軍はこれに第一線戦力として、旧式ながら高速の金剛型巡洋戦艦4隻を加えた、高速艦による八四艦隊を完成させた。
未成艦: 金剛代艦計画
ワシントン軍縮条約下で、日本海軍は英米海軍に対し数的な優位には立てないことが確定した。このため高い機動力による戦場での優位性を獲得するために、条約制約下で速力に劣る扶桑級、伊勢級の4戦艦を破棄し、最も古い金剛級巡洋戦艦を残すという選択をしなくてはならなかった。
金剛級巡洋戦艦は、その優速性ゆえ貴重で、その後数次の改装により、防御力の向上等、近代高速戦艦として生まれ変わっていくが、如何せんその艦齢が古く、いずれは代替される必要があった。
こうして金剛代艦計画が進められることになる。
この計画には、文字通り海軍艦政の中枢を担う艦政本部案と、当時、海軍技術研究所造船研究部長の閑職にあった平賀中将の案が提出された。
未成艦:平賀案:畝傍級巡洋戦艦
海軍技術研究所造船研究部長平賀中将の設計案で、40,000トンの船体に16インチ砲を10門搭載、30ノットを発揮する高速戦艦として設計された。(ちょっと史実とは異なります)副砲を砲塔形式とケースメイト形式で混載。集中防御方式を徹底した設計となった。
畝傍級巡洋戦艦(高速戦艦)として採用され、当初4隻が建造される予定であったが、設計変更が発生し、「畝傍」「筑波」の2隻のみ建造された。
(1936-, 40,000t, 30knot, 16in *3*2+16in *2*2, 2 ships, 185mm in 1:1250 semi-scratched based on C.O.B.Constructs and Miniatures /3D printing model)
徹底した集中防御方式を意識したため、上部構造を中央に集中した艦型となった。初めて艦橋を新造時より塔構造とし、その塔構造艦橋の中層に高角砲を集中配置するなど新機軸が取り込まれ、その結果、やや重心が高くなってしまった。
結果、操艦と射撃精度にやや課題が発生した。
そのため当初4隻の建造予定が見直され、2番艦までで建造を打ち切りとし、3番艦・4番艦に対しては設計変更が行われた。これらは高千穂級巡洋戦艦として建造された。
製作メモ)C.O.B.Constructs and Miniatures 社製の平賀案の最大特徴である素晴らしいモールドの湾曲煙突を持つ3D Printing modelをベースとして、前檣上部をストックのNeptune社製大和級戦艦初期型に換装した。
未成艦:艦政本部案 巡洋戦艦 信貴
海軍艦政本部藤本少将が中心となって設計した。このため藤本案と呼ばれることもある。40,000トン、30ノット等、設計の基本要目はもちろん平賀案と同様である。
平賀案と異なり、比較的広い範囲をカバーする防御構造を持ち、主砲は3連装砲塔3基9門、副砲はすべて砲塔形式とした。
「信貴」1隻が試作発注され、同型艦はない。兵装・機関配置等、後に大和級戦艦の設計に影響があったとされている。
(1936-, 40,000t, 30knot, 16in *3*3, 190mm in 1:1250 semi-scratched based on C.O.B.Constructs and Miniatures /3D printing model)
製作メモ)C.O.B.Constructs and Miniatures 社製のモデルをベースに、前檣上部と煙突をAtlas社製大和級戦艦の両者に換装した。
畝傍級には、上述のような課題が発見され、 特に上部構造の改修に力点が置かれた設計の見直しが行われた。
こうして、畝傍級3•4番艦は高千穂級として建造された。両艦は「高千穂」「白根」と命名された。
主要な設計要目は畝傍級と同じで、40,000トンの船体に16インチ砲を10門搭載し、船体配置の若干の見直しにより、より大型の機関を搭載することができ、速力は32ノットを発揮することができた。副砲は畝傍級同様、砲塔形式とケースメイト形式の混載としたが、後に対空兵装の必要性が高まるにつれ、対空兵装への置き換えが行われた。
(1939-, 40,000t, 32knot, 16in *3*2+16in *2*2, 2 ships,, 193mm in 1:1250 semi-scratched based on Superior)
(直上:新造時の高千穂級)
(直上:改装後の高千穂級:副砲塔を撤去し、対空兵装を集中装備した)
(高千穂級高速戦艦2隻:白根(手前:対空兵装強化後の姿、高千穂(奥:新造時))
製作メモ)Superior社製のモデルをベースに、竣工時のモデルには前檣上部をDelphin社製大和級のものに、副砲塔をAtlas社製大和級戦艦の副砲塔に換装した。改装後のモデルについては、上部構造全体をAtlas社製大和級の上部構造に換装した。
こうして金剛級代艦は都合5隻が建造された。
IF艦?:A-140号計画艦:「大和級」計画時のヴァリエーションより
(随分、後に追加した稿ですので、かなり文体が違います。ご容赦ください)
まず、A-140計画艦のお話です。
「A-140計画艦」には20数種のデザイン案があると言われています。これはその中でも最初期の案とされる「A-140a」をベースにし、これに「大和級」建造の実現技術を反映した形としています。副砲の配置も、「大和級」の配置案に準じています。
(A-140a案の資料を示しておきます。諸々、Net上で見つけた資料から)
「大和級」設計案での機関に関する議論
「大和級」の多様な設計案の一つの重要な軸は、主機選択の変遷であったと言ってもいいかもしれません。
資源の乏しい日本にとって、燃料問題は常に重大な課題であり、従って高速力と航続距離を並立させることを考慮すると、燃費に優れるディーゼル機関の導入は重要な目標であったわけです。さらに大型潜水艦用のディーゼル機関の開発の進展など、これを後押しする要素も現れ始めていました。
このため原案はタービン機関のみの搭載案でしたが、その後の案は全てディーゼル機関とタービンの併載案、あるいはディーゼル機関のみの搭載案、でした。
艦隊決戦の想定戦場を、日本海軍はマーシャル諸島辺りとしていたので、航続距離はできるだけ長くしたかった、そういう事ですね。
最終的には、当時のディーゼル機関の故障の多さ、性能不足(潜水艦なら「大型」と言っても2000トン程度、1番大きな潜特型(伊400型)でも3500トン程度だったのですが、10000トン級の潜水母艦「大鯨」のディーゼル機関は所定の性能を発揮できませんでした)から、工期との兼ね合いを考え、結局ダービン機関のみの搭載案が採用されましたが。「大和級」他の戦艦群が大戦中に後方(トラック等)からなかなか前に出れなかった理由の一つは、この辺りにありそうです。
そして制作へ
発端は京商製「大和」「武蔵」の1:1250モデルのストックを棚の奥から発見したこと。京商製のこのモデルは、樹脂製のパーツで構成されており、下の写真にあるように非常にバランスが良く、かつディテイルもかなりしっかり作られています。
ただ、大変惜しいことに、船体の長さが197mmで、一般に知られている「大和級」の船体長263.3mの1:1250モデルとしては、やや船体長が短いのです(Neptune社製のモデルは約210mm)。このため筆者の1:1250コレクションには加われず、長い時間、デッドストックとして棚の奥に眠っていました。これが4隻発見された(単に筆者が忘れてただけなんですが)わけです。(就役時=副砲塔4基搭載を再現した「武蔵」が3隻と、対空兵装強化後の「大和」が1隻)
(京商製の「武蔵」立派な台座に乗っています。ディテイルはバッチリです。下段はDelphin社製の船体との大きさ比較。約13mm短い!)
よく見ると、船体長こそ短いものの、その他の主砲、副砲、上部構造等はそれほど小さいわけではなく(まあ、誤差程度、小振りではありますが)、 ムクムクとこれを何かに生かせないだろうか、とイタズラ心が蠢き始めました。
「大和級」で残っているものと言えば・・・
そもそもこのブログは、実は筆者が「大和級」のバリエーションとして海上自衛隊のイージス護衛艦「やまと 」を制作したところからスタートしています。かつ、筆者の制作していた「八八艦隊」の戦艦群バリエーションの完成と、超「大和」、スーパー「大和」などのコレクションを備忘録的にまとめておきたい、という想いからスタートしています。
(以下のリンクは、上記に関連しそうな回を総覧したもの。ちょっと手前味噌な宣伝ぽくて申し訳ないですが。よろしければお楽しみください)
というようなわけで、今回発見された京商製のモデル以外にも、これら「大和級」のバリエーション制作過程で、お蔵入りした試作品、あるいは制作のための部品取りで入手したモデルのストックなどがいくつか眠っているのです。
(上の写真:眠っていたDelphin社製「大和」の船体部分(上段および下段左)と、京商製「武蔵」就役時モデルの上部構造と主砲塔(下段右))
これらを組み合わせて、比較的大きなモデル改造を伴う「A-140計画艦」のうち「主砲前部集中搭載案」を実現してみます。
「大和級計画案(A-140計画)」から、戦艦「甲斐」(仮称)の制作
「大和級」の建造にあたっては、その設計案が20数案あったことはよく知られています。
そのヴァリエーションは多岐にわたり、例えば排水量では50000トン案から70000トン案、主砲も18インチ砲10門搭載案から16インチ砲9門搭載案等々、種々検討されて、最終案として纏まったのが我々が知る「大和級」ということになります。
その概観も種々あり、その中でも筆者が気になっていたのは原案の当初から数案に展開され続けた「主砲前方集中配置案」とでも呼ぶべき形状でした。
他のディテイルの再現はさておき、この「主砲前方集中配置」だけでも再現できないか、というのが筆者のぼんやりとした「想い」だったのですが、今回それを一気に形にすることに。
(戦艦「甲斐」(=「大和級」というより「A-140計画艦」というべきか。主砲前部集中搭載案から)の概観:主砲の前部集中配置で防御装甲の配置を効率化し、タービンとディーゼルの混載と共に、日本海軍悲願の高速性と長い航続距離を両立させることを目指しました)
(直上の写真:「大和」(奥)と「甲斐」の概観比較:「甲斐」がほんの少し小振りで、主砲搭載位置の差異など見ていただけるかと。何故か主砲前部集中配置の方が、機動性が高そうな気がしませんか?写真ではわかりにくいですが、煙突が「甲斐」の方がやや細く、タービンとディーゼルの混載だから、と無理やり・・・)
『A-140a号計画艦」主砲塔山形配置案の制作
(戦艦「美濃」A-140a案の山形主砲配置デザイン:主砲の配置位置がよりコンパクトになっていることがよくわかります。主砲配置以外は上掲の「甲斐」と同じスペックです)
そして次に制作したのは、主砲の山形配置案(重巡「那智級」などでお馴染みの配置)です。後方への主砲斉射界を広く取ることができると言う点と、主砲弾庫をコンパクトにまとめられる、と言うメリットもあるかも。もしこのメリットがあるとすると、機関に余裕を持たせることができたかもしれませんね。
(直上の写真:主砲配置と副砲配置の拡大カット)
(下の写真は「甲斐」と「美濃」のレイアウト比較:中段は主砲の前方斉射の射角比較。下段は後方斉射の射角比較。かなり両者の斉射射角に差があることがわかります)
「東郷元帥は戦艦の主砲は首尾線の砲力を重視せよ、とおっしゃった」というお言葉が、こういう場合にも影響するのかな?
残り1隻分のストックをどう使おうか
こうして2隻を製作した後、残り1隻分のストックで、対空兵装の強化改装後を制作するか、副砲を「A-140a」案に準じて艦尾部に集中配置する艦を作成するか、迷っていました。副砲の集中配置案がいまいち筆者の感覚にしっくりこなかった、というところに迷いの源泉がありました。
「A-140号計画艦」副砲集中配置案の制作
上記にうだうだと書いていますが、結局製作したのは「副砲集中配置案」でした。
(A-140a案の副砲艦尾集中配置デザイン:副砲塔の配置位置は原案のA-140aに近いものにしてみました。両舷副砲の配置はもう少し後方でも良かったのかも。副砲塔の配置以外は上掲の「甲斐」と同じスペックです)
この副砲の集中配置は「感覚的に好きじゃない」とか書いていましたが、結局、「模型的に面白い」方を取ってしまった、という感じです。
(前々回でご紹介した戦艦「甲斐」とのレイアウト比較)。
副砲塔の配置は意外と違和感がないかも。これはこれでアリかもしれないなと、制作してみて思います。作った意味があった、ということでしょうかね。どうですか、なかなか「面白い」と思いませんか?作ってみないとわからない!(模型作ってて良かったなあ)
ちょっと未練がましく:対空火器強化案の再現にもトライしてみます
せっかくなので、対空火器強化案の制作用に準備しておいた両舷の対空砲座増設パーツを仮置きしてみます。(マスキングテープでそっと固定して設置してみました)
なんとなく「大和級」で見慣れた配置なので、違和感はありません。しかし実際にはかなりの重量増になるでしょうね。速力低下や復元性に課題が間違いなく出たでしょう。
しかも下の比較カットでわかるように、両舷の副砲塔の射界は大きく制限されてしまいます。やはり対空火器強化の際には実用性と重量を考慮すると、両舷の副砲塔は撤去されるべきだ、ということでしょうね。もしかすると副砲は全て撤去、でも良いのかもしれません。
「A-140a号計画艦」デザインバリエーションの一覧
この船は横からのシルエットではあまり違いが出ないですね。もっと言うと、デザインヴァリエーションの幅が狭いのかも。
まあ、お決まりの質問ですが、どれが好きですかね?
IF艦(未成艦):超大和級戦艦:播磨級(播磨・伊予)の建造
大和級の建造によって、日本海軍は個艦の性能で米戦艦に凌駕する戦力を保有することに成功したが、いずれは米海軍が18インチ砲搭載艦を建造することは明白であった。事実、既述のようにアイオア級の5番艦以降、改アイオア級(イリノイ級)で米海軍の18インチ砲搭載艦は実現する。
この予見される脅威への対抗策が、A-150計画であった。
A-150計画では、米海軍が建造するであろう18インチ砲搭載艦を打ち破るために更なる大口径砲の20インチ(51センチ)砲を搭載することが計画された。(日本海軍は、2インチ毎の口径拡大を目指すのが常であった。12インチ(前/凖弩級戦艦、弩級戦艦)、14インチ(超弩級戦艦)、16インチ(八八艦隊)、18インチ(相模級、大和級)、20インチ(播磨級))
艦型は時勢の展開を考慮して短縮を目指し、前級である大和級の基本設計を踏襲した強化型、発展型として計画が進められた。
当初、新設計の20インチ砲を大和級同様、三連装砲塔形式で3基9門を搭載する予定であったが、その場合、90,000トンを超える巨艦となることが判明し、当時の日本にはこれを建造する施設がなかった。さらに言えば、18インチ砲三連装砲塔以上の重量の砲塔を回転させる技術もなく、短期間での完成を目指す日本海軍はこれを諦めた。
さらにいくつかのデザイン案の模索の後、20インチ砲を採用して連装砲塔3基搭載であれば、既存の大和級の艦型をほぼそのまま使用し建造期間を短縮できるということが判明し、同案が採用された。
(1943-: 66,000t, 27 knot, 20in *2*3, 2 ships, 217mm in 1:1250 by semi-scratched based on Neptune)
(直上の写真は播磨級戦艦2隻:手前から伊予、播磨の順。両艦ともに、当初から対空兵装強化型として建造され、対空砲として新型の長10センチ連装砲を採用していた)
製作メモ)Neptune社製大和級戦艦の初期型をベースに、前檣上部をAtlas社製大和級のものに換装、主砲等は1:700スケールの山城級戦艦のものを利用している。さらに高角砲の半数を長10センチとするために、1:2000の愛宕級重巡洋艦の主砲を転送した。
前級播磨級において、日本海軍は念願の20インチ砲搭載戦艦を建造したが、その設計過程には無理が多く、結局、時勢の流動への対応から、大和級の船体を流用し、建造を急いだことから、主砲射撃時の散布界が大きく、さらには搭載数が6門では 単艦での運用では十分な射撃精度が得られないことが判明した。
このため米海軍が建造する18インチ砲搭載艦への対応に、大和級の設計をベースとして、18インチ主砲の搭載数を増加させる案が検討された。
駿河級は計画では2隻が建造される予定であったが、日米開戦により1隻、駿河のみ建造された。
18インチ主砲を大和級と同様、三連装砲塔に装備し、大和級よりも1基増やし、4基12門搭載とした。砲塔の増設によって船体は大型化し排水量も大幅に増加したが、機関を強化し、大和級と同速の27ノットを確保した。射撃管制システムも新型が搭載され、改良された装填機構の採用などにより、発射速度を大和級よりも早めることができた。射撃試験の結果、良好な散布界を得ることなどが検証され、日本海軍の最強艦となった。
(1945-: 71,000t, 27 knot, 18in *3*4, 220mm in 1:1250 by 3D printing: Tiny Thingajigs)
製作メモ)Tiny Thingajigs社製の3D printing modelをベースに、前檣をAtlas社製の大和級戦艦の艦橋、アンテナ、主砲塔を流用した。
IF艦:富士級高速戦艦:富士・劔の建造
大和級の建造と併せて、この18インチ砲搭載戦艦の時代にふさわしい前衛支援艦が必要と考えられた。高速で展開するこの前衛艦は、後続する主力艦隊に敵艦隊の速度、運動等の詳細なデータを送信し、射撃管制を高める役割が期待された。
当初、大和級と同じく18インチ砲を搭載する相模級の2隻をこれにあてる予定であったが、やはり前衛には敵艦隊に肉薄、あるいは捕捉から逃れる高速力が必要とされることが明らかとなり、この目的のためには相模級を上回る速度を保有するこれに専任する艦が新たに設計された。
建造期間を短縮するために、ここでも装備類は大和級から流用されることが求められた。機関には大和級と同じものが使用されることが決められ、33ノットの速力が期待されるところから、船体の大きさが逆算された。また、同級は大和級と行動を共にすることが想定されるところから、主砲には同じく18インチ三連装砲塔の搭載が決定された。
これらの要件を満たすために、これまでの主力艦とは一線を画する特異な設計となった。艦前部に主砲塔を集中装備し、その後方に機関を配置、後部には副砲塔等と航空装備、という奇しくも仏海軍のリシュリュー級に似た配置となった。射撃管制機器、上部構造等を大和級と共通化したために、遠距離からの視認では、大和級に実に似通った外観を示している。
(1945-: 38,000t, 33 knot, 18in *3*2, 2 ships, 197mm in 1:1250 by semi-scratched based on Hansa)
(直上の写真では、船体後部に航空兵装、副砲塔等が集中しているのがよくわかる)
(直上の写真は富士級高速戦艦2隻:手前から「劔」、「富士」の順。両艦は対空兵装で異なる装備を有していた。2番艦の「劔」は、建造時期がジェット航空機の発展期に当たったため、当初から対空兵装強化型として実験的に自動砲を採用していた)
製作メモ)Delphin社製のリシュリュー級戦艦をベースに、主砲塔、艦橋、煙突、アンテナ、副砲塔を、Atlas社製大和級戦艦から転用した。
本級は本稿のオリジナルと言っていいと思う。史実でもこのような計画があったと聞いたことはないし、資料も見たことはない。ニーズもあったかどうか、すこぶる怪しい、と言うことでもあるのだが。
製作のきっかけは、全く偶然にDelphin社製のリシュリュー級戦艦の主砲塔基部の直径と、Atlas社製大和級の主砲塔の直径がぴったり一致することに気づいたことであった。ここから大和級戦艦の前衛を務める高速戦艦、と言う構想に発展した。
こうした「気づき」の積み重ねが、今回冒頭でつらつら述べたコレクションの醍醐味であり、こうした成果は、その出来は別として、至福の時、と言っていいと思う。
(直上の写真は大和級 18インチ砲搭載艦の系譜:左から富士級高速戦艦、大和級、播磨級、駿河の順。大和級の系譜は、18インチ砲の強烈な反動を受け止めるため艦幅を広く取っている。一方で水線長を抑え、装甲を効果的に配置するなど、全体的にコンパクト化に成功していると言っていいだろう)
(直上の写真は日本海軍の高速戦艦(巡洋戦艦)の系譜。:左から、金剛級(比叡)、畝傍級、高千穂級、富士級の順。高速化への模索の取り組みとして、艦幅と水線長の工夫が興味深い)
海上自衛隊 護衛艦「やまと」 Battleship "YAMATO" in JMSDF
太平洋戦争降伏に引き続き、日本は戦争放棄と戦力不保持、交戦権の否認を憲法に掲げる国家となった。
しかし欧州における米英とソ連の対立に関連すす不安定な周辺情勢、殊に日本の共産化を防ぎ、アジア全体の共産化阻止の拠点としたい米英(特に米国)の思惑から、様々は注釈に彩られた憲法解釈が行われ、やがて朝鮮戦争の勃発とともに自衛隊の前身である警察予備隊が発足し(1950年)、日本は再び戦力を保持することとなった。
同時期に旧海軍残存部隊は海上警備隊として組織され、1954年自衛隊法施行とともに海上自衛隊と名称変更された。
上述のようにその発足時には国共内戦、朝鮮戦争等で、米英とソ連のある種代理戦争が極東地域では展開されていた。これら共産勢力、あるいはソ連自身の日本への侵攻に対する抑止力として、当時、武装解除の上で海外に展開していた旧日本軍の復員輸送の従事していた残存する行動可能な主力艦を、再武装の上で戦力に組み入れてはどうかという議論が主として英米間で行われた。
当時、主力艦で行動可能だったものは、「大和」「紀伊」「加賀」「土佐」「長門」であったが、これらすべてを戦力化することについては強大すぎ旧軍の復活につながるとの懸念があり、抑止力としてのプレゼンス、という視点から「大和」一隻のみを自衛艦「やまと」として再武装し、自衛艦隊に編入することが決定された。
海上自衛隊に編入された「やまと」は、艦隊防空艦としての役割を負うべく、再武装と改装を受けた。
再武装にあたっては、主砲は従来のままとし、自衛艦隊の艦隊防空艦としての役割期待が大きいところから、対空火器とレーダー装備が一新された。主要な対空火器としては、旧海軍の最も成功した対空砲と言われた長10センチ高角砲を自動化した単装砲を多数搭載している。この砲は最大射程18キロ、最大射高13キロ、毎分19発の発射速度を持つとされ、旧日本海軍では、この対空砲にVT信管を組み合わて運用したが、日本製のVT信管そのものの信頼性が低く、その能力を十分に発揮できたとは言い難かった。
それでも旧海軍では「格段の命中率」「抜群の効果」と賞賛され、その実績以上に士気向上に効果があった。
今回の装備にあたっては米海軍のVT信管技術の導入し、さらに砲塔に自動化機構を組み入れてその信頼性と発射速度を高めた。
一方、個艦防衛用兵装として、多数の機関砲を搭載しているが、これらの小口径砲についてはVT信管には対応しておらず、実戦で効果が期待できないことは、大戦で実証済みであった。
(直上の写真は自衛艦「やまと」:外観は大戦時のそれとほとんど変わらない。艦隊防空用の兵装として自動長10センチ高角砲を16基、個艦防衛用の兵装として、多数の機関砲を搭載している)
模型視点でのコメントを少し:上記の模型は、Delphin社製の「大和」をベースとし前部艦橋と通信アンテナ、主砲砲塔を換装している。更にその主対空砲とした自動長10センチ高角砲として、イタリア戦艦「ヴィットリオ・ベネト」の対空砲を流用した。
(直上の写真は自衛艦「やまと」とその僚艦:奥から護衛艦「あきづき(初代)」「むらさめ(初代)」、「やまと」「あやなみ」の順。いずれも国産の護衛艦第一世代に属する。この時期の自衛隊は、こうした国産の護衛艦に加え、米海軍からの貸与艦で構成されていた)
***予告)登場する護衛艦いついては、近々、別途「開発史」的なシリーズを展開する予定です。お付き合いください。
上記は、本稿前回で紹介した自衛艦「やまと」であったが、もう一案「B案」を作成してみた。
IF艦:自衛艦「やまと」B案
「やまと」は、艦隊防空艦としての役割を負うべく、再武装と改装を受けた。
再武装にあたっては、主砲は従来のままとし、自衛艦隊の艦隊防空艦としての役割期待が大きいところから、対空火器とレーダー装備が一新された。主要な対空火器として米海軍の38口径Mk 12, 5インチ両用砲を連装砲塔に装備し、14基28門を搭載した。
この砲は、米海軍の戦艦、巡洋艦に広く採用されている砲で、最大射程21キロ、最大射高11キロ、発射速度15-22発/分とされていた。これに加えて毎分45発の発射速度をもつラピッド・ファイア型のMk 33, 3インチ砲を連装で8基、さらに個艦防衛用に40mm機関砲を装備し、もちろんこれらは全てVT信管を標準仕様としていたため、その対空能力は、旧海軍時代から格段に強化された。
(直下の写真は、自衛艦「やまと」:外観的には、多数の対空機銃が徹去されたことを除けば、旧海軍時代とそれほど大きな違いはない。この時期、水上偵察機、観測機等の航空兵装の搭載は廃止されているが、後部の航空機用の運用装備はそのまま残されている)
模型視点でのコメントを少し:こちらのモデルも、前出のDelphin社製の「大和」をベースとし、前部艦橋と通信アンテナ、主砲砲塔を換装している。さらに3D printing makerのSNAFU store製のWeapopn setから、いくつか武装を選択し搭載している。
(直上の写真は自衛艦「やまと」の対空兵装:艦の上部構造物周辺にMk 12, 5インチ連装砲塔を配置している。下段お写真はいずれもMk 33, 3インチ連装砲塔(ラピッド・ファイア)の配置状況。すこし分かりにくいが上部構造周辺にも、同砲が防楯なしの露出砲架で配置されている)
(直上の写真は自衛艦「やまと」とその僚艦:奥から護衛艦「あきづき(初代)」「やまと」「はるかぜ」「あやなみ」の順。いずれも国産の護衛艦第一世代に属する。この時期の自衛隊は、こうした国産の護衛艦に加え、米海軍からの貸与艦で構成されていた)
(質問)どちらの方が、自衛艦「やまと」にフィットするとお考えになりますか?感想など伺えれば、幸いかと。
もちろん他のアイディアもあるかと思います。
幸い、まだ数隻の「やまと」のストックがありますので、私が実現可能なアイディアは模型に落とせるかもしれません。ぜひお知らせください。
これも、If艦ならではの楽しみ方かと。
お待ちしています。私のスキルの問題で「実現不可能」も十分ありえますので、その際には平にご容赦を。
IF艦:DDHとDDG時代の護衛艦「やまと」
海上自衛隊は、領海警備とシーレーン保護がその主要任務であり、従って、対潜戦闘能力を中心に、その活動保護のための艦隊防空を、両軸で発展させてきた。
1970年代に入ると、対潜ヘリを搭載したヘリ搭載型護衛艦(DDH)を中心に、汎用護衛艦を複数配置し、この艦隊の艦隊防空を担う防空ミサイル護衛艦(DDG)から構成される護衛隊群、という構成をその艦隊編成の基幹として設置するようになった。
海上自衛隊の発足時から艦隊防空をその主任務としてになってきた「やまと」もこの構想に従い、防空ミサイルシステムを搭載する。
主要艦隊防空兵装としてはスタンダードSM-1を2基搭載し、艦隊の周囲30-40キロをその防空圏とした。他の防空兵装としてはMk 42 54口径5インチ砲を6基搭載している。この砲は23キロの最大射程を持ち、毎分40発の発射できた。個艦防空兵装としては、上記の他にCIWS3基を搭載している。
水上機の運用設備を全廃し、ヘリコプターの発着設備を新設した。ヘリの搭載能力はない。
改修時には、米海軍から巡航ミサイルの搭載能力も検討するよう要請があったが、専守防衛を掲げ、その要求を受け入れなかった、と言われている。
(直下の写真は、1970年代の護衛艦「やまと」(DDG):外観的には、旧海軍の「大和」の上部構造を大幅に改修した。多くのシステムを米海軍と共用し、アイオア級の戦艦等と似た上部構造物となったため旧海軍時代の外観をほとんど残していない)
模型視点でのコメントを少し:こちらのモデルも、前出のDelphin社製の「大和」をベースとし、その船体を利用し主砲塔を換装している。上部構造は同じくDelphin社製のSouth Dakotaの上構を転用している。さらに3D printing makerのSNAFU store製のWeapopn setから、いくつか武装を選択し搭載した。
(直上の写真は70年代DDG「やまと」の対空兵装:艦の上部構造物前後にSM-1の単装ランチャーを2基搭載し、上部構造周辺にMk 42, 54口径5インチ砲を配置している。近接防空兵器として、上部構造の前部と左右に CIWSを搭載している。専守防衛を掲げ搭載を拒んだ巡航ミサイルは、下段写真の前部CIWSとMk 42 5インチ砲の間あたりに搭載される構想であったとされている)
(直上の写真はDDG「やまと」とその僚艦:奥からヘリ搭載型護衛艦(DDH)「しらね」対潜護衛艦「やまぐも」「やまと」ミサイル護衛艦(DDG)「さわかぜ」の順)
IF艦:イージス時代の護衛艦「やまと」
2000年代に入り、海上自衛隊の艦隊防空システムがイージスシステムとなった。
同時に長らく海上自衛隊の艦隊防空を担当してきたDDG「やまと」も、イージス艦として生まれ変わった。
艦の上部構造はイージスシステム搭載に対応する巨大なものに改装され、艦の前後左右に全体で240セルのMk 41 VLS(スタンダードSAM、アスロックSUM、シー・スパロー短SAM用)を搭載した。
その他、近接防空用兵装として23キロの最大射程、毎分45発の発射速度を持つオート・メララ54口径5インチ速射砲4基、CIWS4基を搭載している。
模型視点でのコメントを少し:こちらのモデルも、前出のDelphin社製の「大和」をベースとし、その船体を利用し、あわせて主砲塔を換装している。上部構造はF-toy社製の現用艦船シリーズからストックしていた何隻かの上構をあわせて転用している。さらに同じく現用艦船シリーズのストックから、武装を選択して搭載している。
(直上の写真はイージス護衛艦「やまと」の上部構造:左右にMk 41 VLS、5インチ速射砲、CIWSなどを搭載している)
(直上の写真はイージス護衛艦「やまと」とその僚艦:奥から汎用護衛艦(DD)「あきづき」、「やまと」、イージス護衛艦(DDG)「あたご」の順)
海上自衛隊は初の航空機搭載型護衛艦(DDV)を導入し「いぶき」と名付けた。専守防衛の建前から、あくまで護衛艦と称しているが、空母「いぶき」の通称で通っている。F-35B15機を基幹航空部隊として搭載し、その為、無人機、救難ヘリ等を搭載している。
このDDV「いぶき」を中心に、第五護衛隊群が編成される。第五護衛隊群はその機動性から紛争地域周辺に展開されることが多く、イージス艦「やまと」も、持ち前のその戦闘力から、この護衛隊群に組み入れられることが多かった。
IF艦というよりSF艦:宇宙戦艦「ヤマト」 Space Battleship "YAMATO"
その後の「ヤマト」と言えば・・・(おまけ!)
最終的には「やまと」は「ヤマト」となり、もちろんご存知の通り、宇宙へ飛び出すのである。
タイトルには「2199」や「2202」の文字が散見するので、さらに150年以上後の話である。艦首に波動砲という途轍もない兵器を搭載している。「大和」は常に「何か」を他に凌駕することを宿命づけられている、と言うことだろうか。
写真は1:1000の「ヤマト」。最終的には、オリジナルのデザインに比較的近いところへ回帰することが興味深い。まあ、「ヤマト」は坊ノ岬沖で沈んでいたものに作り込まれた訳なので、当たり前か。
直上の写真は、「ヤマト」僚艦と共に:奥から金剛型宇宙戦艦「キリシマ」、「ヤマト」、磯風型突撃宇宙駆逐艦「ユキカゼ」。
こちらは1:2000スケールの「ヤマト」を中心に。他はノンスケール?(こちらも本格的に展開するなら、星空バックが必須!まあ、その予定は、今のところはないが)
「キリシマ」は、後に「ヤマト」の艦長となる沖田が、「ヤマト」誕生以前に乗艦し艦隊指揮をとった旗艦である。もう一つ「ユキカゼ」は、「ヤマト」に乗組み大活躍をした古代の兄が艦長を務めた艦である。この両艦はガミランの侵攻艦隊との戦闘で、「キリシマ」は大破し、「ユキカゼ」は「キリシマ」の撤退を援護して沈められた。「ヤマト」が姿を現すのはこの戦闘の後であり、従って、この写真の組み合わせは、ありえない、と言うことになる。
それにしても、「突撃宇宙駆逐艦」とは、なんという名称だろうか。勇ましいことこの上ないが、なんとなく悲惨な響きが気にはなる。
「ヤマト」は任務を果たし、還ってくる。何度でも。
さて、次回(いつになるかわかりませんが)は、映画「アルキメデスの大戦」公開記念として、「大和級」について少しアップデート情報があるので、そちらを、と考えています。
***模型についてのお問い合わせ、お待ちしています。或いは、**vs++の比較リクエストなどあれば、是非お知らせください。
これまで本稿に登場した各艦の情報を下記に国別にまとめました。
内容は当ブログの内容と同様ですが、詳しい情報をご覧になりたい時などに、辞書がわりに使っていただければ幸いです。