相州の、ほぼ週刊、1:1250 Scale 艦船模型ブログ

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

宝箱のようなフランス海軍: 新戦艦の系譜

今回は「宝箱のようなフランス海軍」の主力艦ミニ・シリーズの最終回。ワシントン条約の制約下での設計、そして条約以降の新造主力艦、いわゆる「新戦艦」の系譜のお話です。

 

第一次世界大戦終結から「新戦艦」の時代へ

これまでお話ししてきたように、かつて帆船の時代にはイギリスと並ぶ世界の2大海軍国の名をほしいままにしていたフランス海軍だったのですが、19世紀の装甲蒸気船の登場から近代戦艦の開発時期に、遠く極東で起こった日清・日露両戦争等の実戦データをめぐり主力艦のあり方についての議論が起こります。この議論は海軍戦略のあり方、さらには海軍艦艇の整備方針にも及び、激しい議論の末「新生学派」と言われる「主力艦」懐疑派、列強、特に隣国である英独が鎬を削って整備に注力し始めた「大艦巨砲主義」の対局をいく派閥が一時期海軍中枢を握る結果となり、以降、建艦政策において長きにわたり迷走の時代を迎え、主力艦の整備・建造競争から、フランスは脱落してゆきました。

かなり乱暴に整理しているので、もっと本格的に当時の背景が知りたい方は、下のURLを。(素晴らしくまとめてくださっています)

フランス艦艇に興味のある方、必読です。

軍艦たちのベル・エポック(前編)

軍艦たちのベル・エポック(後編)

第一次世界大戦の直前には列強(英独)に準じて、弩級戦艦超弩級戦艦の整備に努めてきましたが、母国が大戦の戦場となり戦禍の当事国となったこともあり、計画は全て中止となり、実際に装備した主力艦は7隻余りでした。

第一次世界大戦ドイツ帝国海軍が消滅し、世界の海軍の趨勢は以降、英米を中心に動いてゆくのですが、戦禍からの復興と戦争の終結による景気の大幅な減退から経済状況の回復に列強の政策重点が移り、ワシントン・ロンドン両条約下での建艦競争の休止期を迎えることになるのです。いわゆる「ネーバル・ホリディ」ですね。

 

こうして軍縮条約の制限下で、列強は膨れ上がった海軍戦備を旧式主力艦を中心に整理する機会を手に入れます。併せて一定の枠組み、秩序めいたの中での勢力均衡を実現するのですが、このある種安定した状況に一石を投じたのが、第一次世界大戦の敗戦の結果、事実上消滅し小さな沿岸警備海軍に姿を変えたはずのドイツ海軍でした。

 

ドイッチュラント級ポケット戦艦の登場

先述の通り、かつて世界の二大海軍であったドイツ帝国海軍は、ドイツ帝国自体の崩壊と第一次世界大戦敗戦により、ヴェルサイユ条約下で厳しく保有戦力を限定されました。その戦力は装甲を持つ軍艦としては旧式の前弩級戦艦6隻(予備艦を入れて8隻)しか保有を許されず、沿岸警備海軍へと転落しました。

(この時期の保有戦力について興味をお持ちの方は、本稿の以下の回を読んでみてください)

fw688i.hatenablog.com

この条約下で保有を許された旧式の前弩級戦艦には、1922年以降、代艦建造年数に到達した艦から順次代艦に置き換えられるという代艦建造規定が付加されており、この規定に則り代艦艦齢に到達した戦艦「プロイセン」(「ブラウンシュヴァイク級」)の代艦として「新生ドイツ海軍は「ドイッチュラント級」装甲艦の一番艦「ドイッチュラント」を建造するわけです。

代艦の建造にももちろん一定の規制があり、装甲を施した艦艇については「基準排水量10000トンを超えず、主砲口径も28センチ以下」というものでした。この規定は代替装甲艦艇を、前弩級戦艦レベルの沿岸警備装甲艦、つまり沿岸防備のための海防戦艦程度の艦艇に止める、という狙いがあったのは明らかですが、新生ドイツ海軍はこの規定を逆手にとった新たな概念の装甲艦「ドイッチュラント級」を建造したわけです。

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(「ドイッチュラント級」装甲艦の概観: 148mm in 1:1250 by Neptun)

同級は、列強が軍縮条約下で競って整備した条約型重巡洋艦並みの1万トン級の船体に、重巡洋艦を圧倒する28センチ砲6門を搭載し、ディーゼル機関の採用により当時の標準的な戦艦には捕捉できない27-28ノットの速力と長大な航続力を保有する画期的な軍艦で、小さな船体に搭載した強力な武装から「ポケット戦艦」の通称で名声を馳せることになりました。「戦艦」の名を受け継ぎながらも、その実情は、可能な限り戦闘艦との戦闘を避け神出鬼没に通商路を襲う、理想的な通商破壊艦を目指したもので、通商路を保護する列強の巡洋艦に対しては巡洋艦の備砲に耐える装甲とアウトレンジで攻撃を加えることのできる大口径砲でこれを駆逐し、一方で敵性主力艦との戦闘は優速で回避するという運用を想定したものでした。 

実際に当時、速力でこれを補足できる主力艦は英海軍の巡洋戦艦3隻(「フッド」「レナウン級」の2隻)と日本海軍の「金剛級巡洋戦艦4隻しかありませんでした。

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(「ドイッチュラント級」装甲艦の総覧:手前から「アドミラル・グラーフ・シュペー」「ドイッチュラント=後にリュッツォに改名」「アドミラル・シェーア」)

この画期的な戦闘艦の建造は、周辺諸国に対し大きな刺激を与えました。特にフランスは、その長大な航続距離に自国の植民地との通商路に対する重大な脅威を覚え、これに対抗するため「ダンケルク級」戦艦を建造するに至ったわけです。

 

「新戦艦」時代の幕を開けた

ダンケルク級高速戦艦(1936年より就役:同型艦2隻)

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(「ダンケルク級」戦艦の概観:170mm in 1:1250 by Hansa)

本級の建造に当たっては、確かに前述の「ドイッチュラント級」装甲艦への即効性のある対抗策としての側面も強く求められてもいたのですが、第一次世界大戦前の「プロヴァンス級」超弩級戦艦以来、久々の新造戦艦の建造にあたり、攻撃力、防御力、機動力をどのようにバランスをとりながら具現化するかと言う命題に対する、フランス海軍の次期本格主力艦建造への実験艦的な性格が強いものでした。

武装としては、新設計の13インチ(33センチ)砲を、未完に終わったノルマンディー級戦艦以来のフランス海軍悲願の4連装砲塔2基に、艦首部に集中的に搭載し、集中防御思想を推進する設計としていました。あわせて発展著しい航空機の脅威に備えて、世界初となる水上戦闘にも対空戦闘にも使用できる13センチ両用砲16門を、連装砲塔2基、4連装砲塔3基の形で搭載していました。

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(「ダンケルク級」戦艦の主要武装:33センチ4連装主砲塔(上段)、13センチ連装両用砲塔(中段)と4連装両用砲塔(下段))

艦種名に正式に「高速戦艦」の分類が割り当てられ、公称30ノット、実際には31.5ノットの、従来のフランス海軍の主力艦群と同一戦列を組むことを想定しない、レベルの異なる高速を発揮することができました。

本艦はこの後に列強が建造する戦艦群に比べると結果的には過渡期的と言ってもいいかもしれないやや小ぶりの船体でありましたが、それを除けば(それでもフランス海軍がそれまでに建造した最大の戦艦なのです)、高い機動性、集中防御の思想、対空戦闘への対応力、ダメージコントロールへの新たな工夫など、それまでの戦艦の概念を一新するものでした。

実は同級がそれ以前の主力艦の基本概念を一新し「新戦艦」嫌韓競争の幕開けとなった戦艦であると言っていい、つまりは第二の「ドレッドノート」的な存在となった艦級であると、筆者は考えています。

 

第二次世界大戦期には、その当初の設計通りドイツ装甲艦(ポケット戦艦)の追撃作戦に参加したり、船団護衛にあたったりしていましたが、独仏休戦協定で実質上フランスが連合国から脱落するとヴィシー政権の指揮下に入りました。ヴィシー政権は同級がドイツの接収を受けることを懸念し、アルジェリアに留め置きましたが、ここで、やはりドイツによる接収、あるいは同盟国側での参戦を懸念する英艦隊の砲撃を受け、損傷しました。損傷回復のために本国に帰港しますが、1942年、ドイツがアントン作戦(全仏の占領)を実施した際に、接収を嫌い両艦はトゥーロン港で自沈しています。自沈による損傷の軽かった「ストラスブール」はイタリア軍に浮揚されますが、連合国の爆撃を受け再度沈没、後に解体されました。

 

ダンケルク級」登場の余波ードイツ海軍の場合

以下、少し余談めいた話になりますが、本級の登場は諸国海軍の戦艦整備政策に大きな影響を与え、ドイツ海軍は「ドイッチュラント級」4番艦、5番艦を、30,000トンを超える本格的な「シャルンホルスト級」戦艦として設計変更することに着手し、結果的にはドイツの再軍備、英独海軍協定等、ドイツ海軍復活への起点となったと考えています。

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(直上の写真は、「ドイッチュラント級」装甲艦、「ダンケルク級」戦艦、「シャルンホルスト級」戦艦の艦型比較:手前から「ドイッチュラント級」、「ダンケルク級」、「シャルンホルスト級」) 

 

ダンケルク級」登場の余波ーイタリア海軍による弩級戦艦の大改装と本格的新戦艦「ヴィットリオ・ヴェネト級」の建造

またイタリア海軍は地中海をめぐる海上覇権をフランスと争うために、「ダンケルク級」変態向上、1915年建造の弩級戦艦「コンテ・ディ・カブール級」、およびその改良型である「アンドレア・ドリア級」の各2隻の大改装に着手しました。

両級とも、その改装は徹底したもので、主砲砲身のボーリングにより30センチから32センチに大口径化し、一方で21.5ノットから28ノットへの高速化のための機関増設のスペース確保のために3番砲塔を撤去しています。さらに副砲の砲塔化、対空兵装の強化などを行ないました。さらに艦種構造の近代化、密閉式艦橋の導入など、艦型も原型をほぼ留めぬほど手を入れられ、直下の写真のように新造戦艦といっても良いほどに異なる外観となりました。

 

「コンテ・ディ・カブール級」戦艦(1937年大改装:同型艦2隻:就役時には同型艦3隻)

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(直上の写真:「コンテ・ディ・カブール級」戦艦の原形を留めぬほどの改装:上段、改装前:140mm in 1:1250 by navis、下段、改装後:下の写真は改装後の概観:150mm in 1:1250 by Neptun)

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アンドレア・ドリア級」戦艦(1937年大改装:同型艦2隻)

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(直上の写真:「アンドレア・ドリア級=カイオ・ドゥイリオ級」戦艦の原形を留めぬほどの改装:上段、改装前:140mm in 1:1250 by navis、下段、改装後:下の写真は改装後の概観:150mm in 1:1250 by Neptun)f:id:fw688i:20220730192053p:image

(両級の近代化改装後の主要部の拡大(左列「コンテ・ディ・カブール級』/右列「アンドレア・ドリア級」:背負式に配置された三連装主砲塔と連装主砲塔(上段左右と下段左右):副砲等と対空砲の配置形式の差異(中段左右))

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ダンケルク級」とイタリア弩級戦艦の大改装の比較

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(直上の写真は、「コンテ・ディ・カブール級」戦艦、「アンドレア・ドリア級」戦艦、「ダンケルク級」戦艦の艦型比較:手前から「コンテ・ディ・カブール級」、「アンドレア・ドリア級」、「ダンケルク級」の順:イタリア艦は弩級戦艦出自ですので、それなりの大きさであることがよくわかります) 

 

上述のように既存艦の大規模な改装で戦力の保持に努めたイタリア海軍でしたが、新造戦艦の設計にも着手します。

「ヴィットリオ・ヴェネト級」戦艦(1940年就役:同型艦4隻)

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(「ヴィットリオ・ヴェネト級」戦艦の概観:192mm in 1:1250 by Neptun)

同級の設計は条約期間中であったため、設計にはワシントン条約の代替戦艦の規制枠であった35000トン級の船体が採用されています。f:id:fw688i:20220730185207p:image

(「ヴィットリオ・ヴェネト級」戦艦の主要部の拡大:15インチ3連装主砲塔(上段)、6インチ3連装副砲塔(中段)、9センチシールド付き単装高角砲塔)

主砲として採用された15インチ砲は50口径の長砲身砲で、高初速を誇り16インチ砲にも劣らない威力の砲でした。副砲にも高初速の55口径の6インチ砲が採用され、これを3連装砲塔4基に収めていました。対空火器としては9センチ高角砲をシールド付きの単装砲で12基装備していました。4軸推進を採用し30ノットの高速を発揮する設計でした。

攻撃力と防御力、機動力を備えた、まさに新設計と言えるバランスの良い艦でした。

こうして「ネーバル・ホリディ」は終焉を迎え、主力艦の最終世代ともいうべき「新戦艦」の時代が本格的に始まったのです。

 

第二次世界大戦期のイタリア海軍戦艦

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(イタリア海軍の第二次世界大戦期の戦艦一覧:下から「コンテ・ディ・カブール級:大改装後」「アンドレア・ドリア級:大改装後」「ヴィットリオ・ヴェネト級」の順)

 

欧州列強の新戦艦

前出のイタリア海軍の新戦艦「ヴィットリオ・ヴェネト級」を皮切りに、ワシントン海軍軍縮条約開けに向けて、各国はそろって新型戦艦を起工しました

起工は条約明け後のではあったですが、ヨーロッパ諸国は条約の継続を深く期待していたため、設計時点では条約の制約を強く意識し、加えて、さらに他国をいたずらに刺激しないようにと、条約の代艦建造条件の枠を意識した数字の上ではやや控えめな設計が揃いました。

一方で、ユトランド沖海戦から得られた、機動性に劣る戦艦は戦場で役に立たないとする戦訓、戦場での生存性を高めるための防御力に対する配慮、さらには高度に発達する航空機等を意識して、いずれも27ノット以上の速力を持ち、多くの対空兵装を装備するなど、共通した設計上の特徴を持っていました。

 

リシュリュー級」戦艦(1940年より就役:同型艦3隻)

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ダンケルク級の建造によりイタリア海軍が15インチ砲装備の高速新型戦艦を建造を開始し、また英独海軍協定によりヴェルサイユ条約の制約から解放されたドイツ海軍も、「シャルンホルスト級」戦艦に続き、やはり15インチ砲搭載の新型戦艦を建造するという情報を得るに至り、フランス海軍も新型戦艦の建造に着手しました。これが「リシュリュー級」戦艦です。

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(「リシュリュー級」戦艦の概観:197mm in 1:1250 by Hansa)

同級は基本形は前級「ダンケルク級」の拡大版であり、主砲口径を列強と同じ15インチに拡大し、これをフランス海軍自慢の4連装砲塔2基に、「ダンケルク級」と同様前甲板に搭載していました。この15インチ砲は非常に優秀な砲で、20,000メートル台の砲戦距離ならば、日本海軍が後日建造する大和級を除くすべての戦艦の装甲を打ち抜くことができたとされている砲です。

前級では対艦・対空の両用砲を搭載しましたが、本級では対空射撃の可能な6インチ砲を副砲として採用し、これを3連装砲等3基に搭載しました。そして副法とは別に高角砲としては10センチ砲を連装砲塔で6基搭載していました。

また本級では煙突と後檣を合体させたMACK構造が採用されており、その特徴的な主砲配置と合わせて非常に近代的なフォルムとなりました。f:id:fw688i:20220730185805p:image

(「リシュリュー級」戦艦の主要部の拡大:優秀砲の呼び声の高い正38センチ4連装主砲塔(上段)、MACK構造を採用した煙突と鋼橋(中段)、6インチ3連装副砲塔(下段))

速力は30ノットを発揮し、4連装砲塔の採用で実現した集中防御設計から、浮いた重量を防御装甲に回すなど、機動性と攻守を兼ね備えた強力艦となりました。

 

同級は1935年から着工されましたが、第二次世界大戦でフランスが独仏休戦協定で脱落した時点で未完成でした。「リシュリュー」と「ジャン・バール」の両艦共に未完成のままヴィシー政権に属し、その状態で当初連合国と交戦し損傷してしまいます。

損傷状態のまま自由フランス海軍に編入され、「リシュリュー」は米国へ回航され完成し、1943年に自由フランス海軍艦艇として連合国側として参戦しました。ノルウェー海域での作戦に参加したのち、英国の東洋艦隊所属となり、インド洋での対日本海軍の作戦等に従事しました。

戦後は第一次インドシナ戦争でアジアへの派遣を経て本国に帰還し、1958年に予備役、1968年に解体されました。

「ジャン・バール」は1942年、北アフリカで「トーチ作戦(連合国の北アフリカへの上陸反抗作戦)」で連合国と交戦し損傷。着底状態のまま第二次世界大戦終了まで放置され、母国フランスの領土回復後、フランスに回航され1949年に就役しています。同艦は史上最後に就役した「戦艦」となりました。就役後は地中海艦隊所属となり、第二次中東戦争アルジェリア戦争等の参加したのち、1967年に解体されています。

三番艦「クレマンソー」は工事進捗10%の状態で工事が中止され、ドイツ軍に接収されブレスト港の閉塞船として使われました。1948年に浮揚されて解体されました。

 

ここからは未成艦をご紹介。

戦艦「ガスコーニュ」(改「リシュリュー級」:未完成)

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(戦艦「ガスコーニュ」の概観:197mm in 1:1250 by Hansa)

同艦は「リシュリュー級」の改良型として一隻のみ建造される予定でした。そのため基本的なスペックは、ほぼ「リシュリュー級」に準じています。大きな変更点としては、主砲塔の配置を「リシュリュー級」の前甲板への集中装備から、上部構造の前後への振り分け配置とした事でした。

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(「ガスコーニュ級」戦艦の主要部の拡大:優秀砲の呼び声の高い正38センチ4連装主砲塔は艦首部と艦尾部に1基づつ配置されています。基本的な配置は「リシュリュー級」に準じているのがよくわかります:このモデルの主砲塔の概観から、同4連装主砲塔が、連装主砲塔を連結したものであることがよくわかると思います。4連装主砲塔は全体での重量軽減には効果がありましたが、単体の重量は重くなるわけで駆動系に大きな負担がかかります。機構の簡略化等、軽量化への工夫が求められるわけです)

この主砲塔の配置の変更については、「リシュリュー級」の着工後に、同級の真艦尾方向への火力不足への懸念が、運用現場から強力に挙げられたことによるとされています。

資材集積中に第二次世界大戦が勃発し、母国が戦争から脱落し起工されることはありませんでした。

 

アルザス級」戦艦(計画のみ:同型艦4隻)

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(「アルザス級」戦艦の概観:214mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs under Shapways)

本級は「リシュリュー級」をタイプシップとして、これを改良・拡大したものであったとされています。計画段階で数案があったとされていますが、そのうちの一案の完成を予想したものです。

45000トン級に拡大された船体を持ち、主砲は「リシュリュー級」と同じ優秀砲の呼び声の高い1935年型正38センチ砲として、これを4連装砲塔3基(艦首部に2基、艦尾部に1基)計12門を搭載する非常に強力な火力を持つ艦となる予定でした。副砲。高角砲についても「リシュリュー級」に準じる計画であったとされています。f:id:fw688i:20220730190507p:image

(「アルザス級」戦艦の主要部の拡大:優秀砲の呼び声の高い正38センチ4連装主砲塔と6インチ3連装副砲塔(上段・下段)、MACK構造を採用した煙突と鋼橋と連装高角砲群(中段))

速力は「リシュリュー級」と同じ30ノットとされています。

その他の構造的な特徴は、ほぼ「リシュリュー級」を踏襲し、近代的で美しいフォルムを持つ艦となる予定でした。4隻が建造される計画でした。

 

フランス海軍:新戦艦の系譜一覧

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(フランス海軍新戦艦の艦型比較:下から、「ダンケルク級」、「リシュリュー級」、「ガスコーニュ級」、「アルザス級」の順。 艦型の大型化の推移と、主砲等の配置の変化が興味深い)

 

ということで「宝箱のようなフランス海軍」の主力艦シリーズ、一旦終了です。過去回はこちら。

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 海軍首脳部での「新生学派」の台頭から始まった主力艦の開発史、まだまだ奥深いものがあります。「サンプル艦隊」と揶揄されるような迷走的なデザイン・ヴァリエーションから始まり、最終的には洗練された機能美を持った強力艦に行き着くあたり(と筆者は感じているのですが)、もっと理解を深めてゆきたいと考えています。

実は、「宝箱のようなフランス海軍」の今回のミニシリーズではほとんど触れられなかった前弩級戦艦以前の、いわば揺籃期の同海軍の艦艇のモデルが手元に到着しつつあります。いずれはこれらもご紹介の機会があると思います。

 

次回は・・・。全く未定です。少し夏休み、という思いもありますが。到着しつつあるモデルも作りたいしなあ、などと考えています。

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

 

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

 

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

 

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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宝箱のようなフランス海軍: 弩級戦艦・超弩級戦艦の系譜

今回は前回に引き続き「宝箱のようなフランス海軍」、その弩級戦艦超弩級戦艦の系譜のご紹介です。

 

おさらいも兼ねて、少し端折って整理しておくと・・・。 

かつてはイギリスと並ぶ世界の2大海軍国の名をほしいままにしていたフランス海軍だったのですが、装甲蒸気船の登場から近代戦艦の開発時期に、遠く極東で起こった日清・日露両戦争等の実戦データをめぐり主力艦のあり方についての議論が起こります。この議論は海軍戦略のあり方、さらには海軍艦艇の整備方針にも及び、激しい議論の末「新生学派」と言われる「主力艦」懐疑派、大艦巨砲主義の対局をいく派閥が一時期海軍中枢を握る結果となりました。以降、建艦政策において長きにわたり迷走の時代を迎え、主力艦の整備・建造競争から、フランスは脱落してゆくわけです。

一方で、その試行錯誤のお陰で(と言っていいともいますが)、「サンプル艦隊」と揶揄されるほどに多様な試作的な設計が世に問われ、筆者のようなコレクターにとっては涎の出るような海軍が現出するわけです。

さらに付け加えるなら、そのデザインのユニークさも、見ているだけで楽しい、と筆者は思ってしまうのです。

 

この辺りの経緯については本稿の下記の回の前半部分をどうぞ。

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もっと本格的に当時の背景が知りたい方は、下のURLを。(素晴らしくまとめてくださっています)

フランス艦艇に興味のある方、必読です。

軍艦たちのベル・エポック(前編)

軍艦たちのベル・エポック(後編)

 

もちろんこのような論争はフランス海軍だけでなく世界中の海軍で同様に沸き起こるのですが、そのような状況の帰結として英海軍の「ドレッドノート」が登場します。大口径主砲を多数搭載し、その斉射による命中率の向上と、タービン機関の性能向上による高機動性を兼ね備えた「弩級戦艦」「超弩級戦艦」の時代が始まり、英独両国をはじめとして列強は大建艦競争を繰り広げるのですが、フランス海軍はこの流れに出遅れ、第一次世界大戦開戦時にはわずかに弩級戦艦1艦級3隻を保有し、 弩級戦艦1隻と超弩級戦艦3隻が建造途上にある、という状況でした。

 

弩級戦艦  Dreadnought battleship

「クールべ級」戦艦(1913年から就役:同型艦4隻)

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(「クールベ級」戦艦の概観:128mm in 1:1250 by Navis)

 同級は1910年度海軍計画で建造が承認されたフランス海軍初の弩級戦艦です。1910年度計画は最終的に弩級戦艦16隻の建造をめざすもので、同級はその最初の艦級となった訳です。基本設計は前級「ダルトン級」準弩級戦艦に準じたものでしたが、「ダントン級」の中間砲(50口径24センチ砲)を廃止し全て大口径砲を45口径30.5センチ砲に統一しました(連装砲塔6基)。主砲塔の配置には背負式配置を艦首部、艦尾部にとるなど、射界を広く取る工夫があり、艦首尾方向に主砲8門、舷側方向に主砲10門を指向することができました。

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(「クールベ級」戦艦の主砲塔配置:あまり目立たないのですが、舷側の副砲の配置に注目してみてください。基本、単装砲3基づつで群が形成されているように見えます。のちにワシントン条約明けのフランス海軍の「新戦艦」では副砲は3連装砲塔で搭載されることが多いのですが、射撃指揮的にもなんらか理論がありそうです)

船体は前級をやや拡大した24000トン級となり、21ノットの速力を出すことができました。

このように同級はフランス海軍嘱望の最初の弩級戦艦だったのですが、竣工時には英海軍では既に主砲口径が36センチ級の超弩級戦艦が就役しつつあり、戦力的な価値は低くなっていたと言わざるを得ませんでした。

第一次世界大戦期には地中海艦隊に配置され、オーストリア=ハンガリー帝国海軍と対峙しましたが、大きな戦闘には遭遇しませんでした。大戦末期のロシア革命に際して地中海から黒海に進出し、赤軍に対する艦砲射撃を行なったりしています。

1922年に4番艦「フランス」が座礁で失われましたが、残りの3艦(「クールべ」「ジャン・バール」「パリ」)は近代化改装を受け、ワシントン条約体制下(いわゆる「ネーバル・ホリディ」期間)のフランス海軍の主力艦であり続けました。近代化改装の際の重油専焼機関への換装で、速力は23ノット強まで向上しています。

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(「クールベ級」戦艦の就役直後(上段)と近代化改装後(下段:モデルは未入手です(写真はArgonaut製モデル:例によって写真はsammelhafen.deから拝借))の比較:近代化改装時の外観的な変更点としては、マスト位置を艦橋背後に移動し三脚マストとしてその上に指揮所を設置しています。機関を重油専焼のものに換装し煙突も統合化されています。兵装面では副砲の一部と魚雷発射管を撤去し、対空砲を搭載しています)

第二次世界大戦にも3隻は参加しています。フランスが独仏休戦協定を結び、事実上の降伏をし、連合国陣営から脱落したのですが、船団護衛で英国に入港していた「パリ」と「クールべ」は自由フランス軍に参加し、防空任務や練習艦任務につきました。1944年のノルマンディ上陸作戦では、「クールべ」は上陸部隊の防波堤として使用され自沈しています。

「オセアン」と改名された「ジャン・バール」(「リシュリュー級」戦艦二番艦に名前を譲るために改名)は、休戦協定調印時点でフランス本国にいたためヴィシー・フランス政府に属していましたが、ドイツ軍による接収を防ぐため、1942年にトゥーロン港で自沈しています。その後、ドイツ軍により浮揚されましたが、航行能力を回復することはありませんでした。連合軍の爆撃で損傷し、再びドイツ軍の手で沈められ、戦後浮揚されスクラップとされました。

「パリ」は第二次世界大戦を生き抜き、1955年に解体されました。

 

超弩級戦艦 Super-Dreadnought battleship

プロヴァンス級」戦艦(1916年から就役:同型艦3隻)

ja.wikipedia.org

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(「プロヴァンス級」戦艦の概観:134mm in 1:1250 by Navis)

同級は弩級戦艦16隻整備を目指しスタートした1910年度海軍計画が、列強の主力艦建造が既に超弩級戦艦整備へと移行していたことに対応して、超弩級戦艦12隻整備に目標を変更したことを受けてフランス海軍が初めて建造した超弩級戦艦です。

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(「プロヴァンス級」戦艦の主砲塔配置:設計段階では、「クールベ級」と同様の主砲塔6基搭載を予定していたとか。重量が過剰になり(まあ当然ですね)最終的には5基搭載としたようです)

設計の経緯を簡単にまとめると、「クールベ級」の船体設計はほぼそのままに、搭載主砲を新設計の45口径34センチに改め、これを連装砲塔5基、全て首尾線上に搭載し手早く列強に対抗できる超弩級戦艦を整備した、そういうことです。従って船体の外寸は前級と同様、24000トン級の船体を持ち、20ノットの速力を発揮することができました。

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(「クールベ級」弩級戦艦(左列)と「プロヴァンス級」超弩級戦艦の比較。マストの位置、煙突と、当然のことながら主砲塔の大きさと配置が異なるのがよくわかります)

フランス海軍としては初の超弩級戦艦だったのですが、就役時には、列強の超弩級戦艦の中には38センチの主砲口径をもつものが建造されており、依然としてフランス海軍の出遅れ感を払拭することはできませんでした。

同級は第一次世界大戦では船団護衛と海峡封鎖等に従事しました。戦後は近代化改装を数次に渡って受け、新たな戦艦の建造を禁じたワシントン・ロンドン体制下のフランス海軍の主力艦として在籍しました。

 

近代化改装

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(「プロヴァンス級」近代化改装後の概観:by Neptun)

近代化改装の要目は前出の「クールべ級」とほぼ同様で、射撃指揮所の新設による三脚構造マストの増設が外見的な差異として目立ちます。第三次改装では主砲の仰角が引き上げられ、主砲射程が26600mに伸びています(改装前:14500m)。第四次改装では機関が重油専焼に改められ出力の向上に伴い速力が23ノット今日に上がっています。

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(上の写真は近代化改装後の「プロヴァンス級」の細部:Neptunのモデルらしく、細部が作り込まれています。下の写真は就役時(左列:Navisモデル)と近代化改装後(右列:Neptunモデル)の比較:NavisとNeptunの再現性の精度の差異が実は一番目立つかな。あまり参考にはならないカットだったかも)

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こうして種々の改装により同級はフランス海軍の主力艦であり続けてきましたが、条約明けに列強がいわゆる「新戦艦」を争って建造し始めると、フランス海軍もこの動向に準じて新設計の「ダンケルク級」の建造に着手し、以降、同級は二線級の戦力として補助的な役割を務めることとなりました。

 

第二次世界大戦ではワシントン条約以降に建造された「新戦艦」は大西洋に配置され、一方、同級は地中海艦隊の主力として枢軸陣営と見做されるイタリア海軍に対峙しました。

フランス本国が独仏休戦協定で事実上の降伏をし、連合国陣営から脱落すると、ドイツ軍によるフランス海軍の接収、或いは同盟国側(ドイツ側)にたっての参戦への懸念から、それまでの盟邦であった英海軍の砲撃を受けることとなりました。この攻撃で「ブルターニュ」は炎上して転覆、「プロヴァンス」は被弾損傷し、沈没を免れるために座礁してしまいました。のちに浮揚されトゥーロン港で修復を受けましたが、ドイツ軍の接収を拒んで、自沈してしまいました。

 

三番艦「ロレーヌ」の近代化改装後

(直下の写真:3番艦「ロレーヌ」のみ、3番主砲塔を水上機用のカタパルトと格納庫に換装しています)

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(下の写真は、近代化改装後の艦中央部の比較:下段が三番艦「ロレーヌ」)

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独仏休戦協定締結時に英領のエジプト、アレキサンドリアに派遣されていた「ロレーヌ」は自由フランス軍に投じ、自由フランス海軍機動部隊の主力として、第二次世界大戦を戦い抜きました。戦後は練習艦、浮き倉庫としての運用の後、1953年に退役しています。

 

Argonaut版「プロヴァンス級」のモデル

ちょっと艦級の説明とは視点が異なりますが、模型のサイトということで少し本論から脱線し、Argonaut版の「プロヴァンス級」のモデルも入手できたので、ご紹介しておきます。

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(下の写真は、Neptun版とArgonaut版(右列)の比較:精度には両者に大差はないかと思います。主砲塔の形状や舷側上甲板に配置された対空砲の形状など、ここまでのレベルになると好みの問題になるかも)f:id:fw688i:20220724093434p:image

 

両級以降の主力艦開発計画

さて、ここからは計画のみで終わった未成艦のご紹介を、簡単に。

プロヴァンス級」で超弩級戦艦を保有したフランス海軍でしたが、同級はその設計経緯で紹介したように弩級戦艦として設計された「クールベ級」の武装強化型の意味合いが強く、同級は3隻でその建造が打ち切られました。(ギリシア海軍が発注した建造中の1隻がありましたが、こちらも第一次世界大戦の勃発で建造中止になりました)

しかし建艦計画上は同級に続く設計が動いていて、本格的な超弩級戦艦として、次にご紹介する「ノルマンディー級」が設計されます。

「ノルマンディー級」戦艦(第一次世界大戦により建造中止:同型艦5隻(起工済み)計画では最終的に同型艦は9隻になる予定でした

ja.wikipedia.org

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(「ノルマンディー級」戦艦の概観:141mm in 1:1250 by Navis)

フランス海軍は1912年に成立した海軍法で決定した1922年までに戦艦・巡洋戦艦を22隻整備する計画の第一弾として、同級を1913年度計画で4隻、1914年度計画で1隻、起工しました。

前述のように「プロヴァンス級」が「クールベ級」弩級戦艦武装強化型改良版であったのに対し、同級は初の4連装主砲塔の搭載を設計に盛り込んだ全く新たな意欲的な設計の艦級でした。

前級よりも一回り大きな25000トン級の船体に、主砲として前級と同じ45口径34センチ砲を採用し、これを4連装砲塔3基12門搭載した設計でした。速力は21ノットを発揮する設計でした。

同級の設計段階では、搭載砲と搭載形式については数案があったようですが、最終的には艦首・艦中央、艦尾に4連装主砲塔各1基づつを配置する案が採用されました。

 

4連装主砲塔の意味

搭載する巨砲を主要な兵器とする主力艦(戦艦)にとって、主砲塔は最大の重量物であり、かつ砲塔とその基部にある弾庫は最も重要な要防御対象でした。フランス海軍は、重量軽減と集中防御の両立に対する一つの解答として、4連装主砲塔の採用に動いたのでした。

まず重量軽減について。フランス海軍の45口径34センチ主砲の連装砲塔の重量は1030トンとされています。これを4連装砲塔とすれば約1500トンに集約することができる、と試算されていました。1基当たり450トン橋の減量が期待できるわけで、さらに主砲12門搭載の戦艦を想定すると連装砲塔では6180トン(1030トン✖️6基:実際にはそんな単純じゃないと思いますが)の重量負荷がかかるのに対し、4連装主砲塔では約4500トン(1500トン✖️3基)に抑えることができるわけです。

ちなみに「ノルマンディー級」の4連装主砲塔は、機構の簡略化と軽量化を考慮して、実際には二つの連装主砲砲架を組み合わせた構造だったようです。つまり砲の俯角・仰角は連装砲架毎に行われ、砲身単独で射角を変えることは出来ませんでした。こちらは当時の斉射法との関連で、プロ・コンを一考する価値がありそうですが、筆者の手には余るので、どなたかにお願いしたいと思います。

さらにこれを首尾線上に配置した場合(この配置であれば主砲を両舷側に対し全門指向できます)、6基と3基では配置全長に大きな差異が生まれそうです。砲塔の基部には自艦にとって最も危険な弾庫があるわけで、これに対する防御装甲の配置も6箇所と3箇所ではかなり集中度合いに差異を見出すことができそうです。

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(「ノルマンディー級」の上部構造の拡大:なんと言っても特徴的な4連装主砲塔の形状と配置がよくわかります。4連装主砲塔が実は連装砲架の組み合わせであることが主砲の砲身の間隔に表れています)

このように書き連ねると良いことばかりの4連装主砲塔に思われ、なぜ列強は採用しないのか、という疑問が出てきますが、実際の課題としては、総重量の合算では軽量化ができるとはいえ、砲塔1基あたりの重量はかなり増加するため、どのように砲塔の駆動動力を工夫するかが挙げられます。後に英海軍がやはり4連装主砲塔搭載艦として建造した「キング・ジョージ5世級」では、砲塔駆動系でのトラブルに見舞われた、という話もありますし、さらに同級の砲塔では軽量化を狙うあまり砲塔内が狭くなりすぎ運用に支障が出た、等の話も出ていました。

「ノルマンディー級」は未成に終わりましたので、これらの問題が発生しなかったのかどうかはわかりませんが、おそらくは完成後に大きな技術的なチャレンジが伴ったんだろうと想像しています。

同級では実現しなかった4連装主砲塔ですが、以降、フランス海軍の建造した主力艦(戦艦)は全て4連装主砲塔を装備しており、同海軍のこの構想に対する意欲が伺えます。

 

同級は5隻が起工されましたが、第一次世界大戦の勃発で全ての防衛産業が陸戦向け兵器に振り向けられたために、進水後工事中止となりました。

戦後、ワシントン・ロンドン体制の軍縮下で、主力艦の建造が禁じられたため、全ての建造計画が正式に破棄され、工事の進捗の最も遅かった5番艦「ベアルン」のみが空母として完成されることとなりました。同艦は1923年に工事が再開され1927年にフランス海軍初の空母として完成しています。

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(オリジナルの「ノルマンディ級」と同級で唯一完成した空母「ベアルン」の概観比較:by Neptun:「ベアルン」のモデルは未入手です。例によって写真はsammelhafen.deから拝借:空母は筆者が一番苦手な分野です、依然として)

 

「リヨン級」戦艦(第一次世界大戦により建造中止:同型艦4隻(計画のみ、いずれも起工せず)

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(「リヨン級」戦艦の概観:155mm in 1:1250 by C.O.B. Construct & Miniatures:モデルは4連装主砲塔の配置が上掲のWikipedia掲載の図面とは異なっています。実に興味深い)

 同級は前出の「ノルマンディー級」の拡大改良型として設計された1912年海軍法シリーズの第二弾です。設計案については紆余曲折があり、1913年に「ノルマンディー級」と同じ45口径34センチ4連装主砲塔4基の搭載案に決定しています。1915年度計画で4隻の建造が決定しましたが、第一次世界大戦の勃発で発注に至りませんでした。

設計案では「ノルマンディー級」を拡大した29000トン級の船体を持ち、タービン2基とレシプロ機関2基の四軸推進で、23ノットの速力を発揮する予定でした。

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(「リヨン級」の主砲塔配置の拡大)

主砲搭載数としては、列強の設計した超弩級戦艦中、最多かも。

(下図はWikipedia掲載の「リヨン級」の図面:4連装主砲塔の背負式配置などはまさに先進的)

(上掲の図面のモデルは、さすがにないですねえ:オーストリアハンガリー海軍の「モナルヒ代艦級」がこれに近いかも:寸法的には「ノルマンディー級」に近いですね。ちょっと寸法が合わないなあ、残念!)

フランス海軍の弩級戦艦超弩級戦艦(未成艦も含む)の総覧

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(下から「クールベ級」「プロヴァンス級」「ノルマンディー級」「リヨン級」の順:「プロヴァンス級」が基本設計を「クールベ級」から継承していたことがよくわかります。「のりマンディー級」で設計が一新されていることも)

 

1913年の巡洋戦艦の計画(少しおまけ)

1913年巡洋戦艦(M.ジル案)

今回これまで本文でも何度か登場している1912年の海軍法による主力艦増備計画により、1913年から1914年にかけて巡洋戦艦の設計案がいくつか議論されたようです。

下の図はその中の「M.ジル案」と呼ばれるもの。造船将校(?)であったピエール・ジルの試案のようです。28000トン、34センチ砲12門、速力28ノットという要目が残っています。

https://naval-encyclopedia.com/ww1/France/french-ww1-battlecruisers.php から拝借しています

(同艦のモデルはどうやら1:1250スケールでは出ていないですね。でもさすが1:700スケールならレジンキットが出ているようです。上の写真は  https://www.worthpoint.com/worthopedia/french-battlecruiser-gille-1913-ihp-114060366 から拝借)

形態的には前出の「リヨン級」が近いようです。が、計画での寸法によれば、「リヨン級」よりも船体が少し長く(10mm) 少し細い(2mm)。「リヨン級」をベースにスクラッチするのがいいのかなあ。ちょっと他に思いつかないですね。

(もう一隻、「リヨン級」の3DPrinting modelが手元にはあることはあるのですが、素材がSmooth Fine Detail Plastic(ディテイルの精度は高いけど少し硬めの素材)なので「削る」という作業にはあまり向いていないですね。さてさて・・・、と、すっかりセミクラッチを考え始めています。下の「リヨン級」のモデルから2番砲塔を除去して煙突と煙突間の上部構造に少し手を入れれば、それらしくなりそうです。問題はやはり艦尾(?)の延長をどう再現するか、でしょうか。でも手がかかりそうだなあ)

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1913年巡洋戦艦(デュラン・ヴィール案)

M.ジル案以外にもデュラン・ヴィール(大将?)による試案がいくつかあるようです。下図はA案と呼ばれるもので、27000トンの船体に34センチ4連装主砲塔2基搭載、27ノットという要目です。

https://naval-encyclopedia.com/ww1/France/french-ww1-battlecruisers.php から拝借しています

 

そして下がB案と呼ばれるものの完成予想図。27000トン級の船体に37センチ4連装主砲塔2基搭載、速力26ノット東洋モクが残っています。

https://naval-encyclopedia.com/ww1/France/french-ww1-battlecruisers.php から拝借しています

作ってみても面白いだろうなあ、と思いますが、あまり現実味が、現時点では持てていません。

ということで、今回はこの辺りで。

 

次回は「宝箱のようなフランス海軍」のいよいよ最終コーナー。ワシントン・ロンドン軍縮条約明けのいわゆる「新戦艦」の艦級のご紹介を予定しています。ベルサイユ条約による軍備制限を巧妙に逆手に取ったドイツ海軍の「ポケット戦艦」の登場。そしてこれに刺激されて、フランス海軍はどう対応したのか。さらに続く「ドイツ再軍備」への対応から生まれた主力艦の艦級のご紹介など。

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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宝箱のようなフランス海軍: 近代巡洋艦の系譜(重巡洋艦・防空巡洋艦)

今回は前回の続き。フランス海軍の第二次世界大戦期(つまり第一次世界大戦以降)の近代巡洋艦の残り、重巡洋艦と大戦後に就役した防空巡洋艦をご紹介します。

 

フランス海軍の巡洋艦開発

少し前回のおさらいにもなりますが、当時のフランス海軍の巡洋艦開発についての概観的な事情を。(基本的には本稿、前回の再録です)

フランス海軍は、多くの海外植民地を抱える状況を背景として、一連の防護巡洋艦、その発展形である装甲巡洋艦の開発にいち早く着手した国でありながら、第一次世界大戦中に、英独のように軽巡洋艦防護巡洋艦からの移行形態としての軽(装甲)巡洋艦)の建造には出遅れた感がありました。国土が戦場となった大戦の直接の被災国としての経済的な疲弊もあり、長らく沈黙を守ったフランス海軍は、前回ご紹介した「デュケイ・トルーアン級」軽巡洋艦で、艦艇開発を再開しました。

この「デュケイ・トルーアン級」の拡大強化型としてワシントン条約に規定されたいわゆる条約型巡洋艦(=重巡洋艦)の開発にも着手しました。

 

「デュケーヌ級」重巡洋艦(1928年-同型艦2隻)

ja.wikipedia.or

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(「デュケーヌ級」重巡洋艦の概観:154mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs)

同級はフランス海軍が建造した初めての重巡洋艦です。「初めての重巡洋艦」と書きましたが実情は前回ご紹介の「デュケイ・トルーアン級」軽巡洋艦の拡大強化型の艦級で、10000トン級の船体に、50口径8インチ連装砲塔4基を主砲とし、3連装魚雷発射管2基、7.5センチ単装高角砲8基を搭載していました。ワシントン条約の規定に照らせば主砲口径が「重巡洋艦」の規定に当てはまる、ということで、「デュケイ・トルーアン級」と同様、速力を重視した軽装甲の「重巡洋艦」でした。

列強に先駆けて機関の缶の交互配置により被弾時の生存性を高めています。高い乾舷を保有し軽装甲から良好な航洋性と33ノット超の高い速力を出すことができました。

高速性から空母に改造される計画もありましたが、実現はしませんでした。

(下の写真はデュケーヌ級」重巡洋艦の兵装配置等の拡大:兵装配置は比較的オーソドックスです。煙突の間隔が広く、列強に先駆けて導入された被弾に対する生存性を高めるための機関と缶の交互配置が想像できます)

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第二次世界大戦では独仏休戦協定(フランスの降伏)を受けてアレクサンドリアで英海軍に拘束されています。その後、自由フランス海軍に参加し大戦終結後もフランス海軍に残り、第一次インドシナ戦争にも参加しています。

「デュケーヌ」は1955年に除籍、解体され、「トゥルーヴィル」は1963年に解体されています。

 

「シュフラン級」重巡洋艦(1930年-同型艦4隻)

ja.wikipedia.org

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(「シュフラン級」重巡洋艦の概観:156mm in 1:1250 by Neptun)

同級は軽装甲に課題があるとされた「デュケーヌ級」の防御力強化型として設計された重巡洋艦です。1925年から1928年まで毎年1隻づつ建造されたため、2隻ごとに防御設備等の改善がおこなわれました。

10000トン級の船体に「デュケーヌ級」と同じ50口型8インチ連装主砲塔4基、7.5センチ単装高角砲8基(「シュフラン」)、「コルベール」と「フォッシュ」は9センチ単装高角砲8基、さらに「デュプレクス」では9センチ高角砲を連装砲架4基と各艦に相違がありました。雷装に至っては「シュフラン」のみ3連装発射管4基を搭載していましたが、他の3隻は3連装発射管2基に減じ、浮いた重量を装甲に当てていました。各艦、前級から装甲を強化したため、速力は31ノットに抑えられていました。

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(上の写真は「シュフラン級」重巡洋艦の兵装配置等の拡大:兵装配置は「デュケーヌ級」を継承して比較的オーソドックスです。煙突の間にカタパルト2基が設置されています。写真のモデルは舷側の魚雷発射管が片舷1基のみで、かつ対空砲を連装砲架で搭載しているので4番艦「デュプレクス」ですね)

 

第二次世界大戦では「シュフラン」が独仏休戦協定の締結(フランスの事実上の降伏)で英海軍にアレキサンドリアで勾留され、その後自由フランス海軍に参加し、大戦終了後もフランス海軍で活躍しています。1974年の解体。

その他の3隻は、ドイツ軍のヴィシー政権下のフランス海軍の艦艇接収計画への反抗として1942年11月にトゥーロン港で自沈しています。「コルベール」はこの自沈で喪失扱いとなりました。「フォッシュ」と「デュプレクス」は1943年にイタリア海軍により浮揚され修復が図られましたが、連合軍の空襲で再び沈没、解体されています。

 

重巡洋艦「アルジェリー(1934年-同型艦なし)

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重巡洋艦「アルジェリー」の概観:145mm in 1:1250 by Neptun)

同艦はフランス海軍が建造した最後の重巡洋艦です。

フランス海軍は前級の4番艦「デュプレクス」をベースにした改良型の重巡洋艦の建造計画を持っていましたが、同時期のイタリア海軍の「ザラ級」重巡洋艦の設計情報が入ると、この設計では「ザラ級」に対抗できないと判断し、新たな強力な重巡洋艦の設計に着手しました。これが本艦「アルジェリー」です。

同艦は、条約を遵守した10000トン級の船体を持ち、速力は「シュフラン級」と同等の31ノットとしています。主砲は砲自体は前級と同様ながら新設計の砲塔に搭載し(連装砲塔4基)、対空兵装を口径10センチの新型連装高角砲6基と増強しています。前級では撤廃された雷装は3連装発射管2基と復活させています。

防御力の強化には配慮が払われ、装甲厚を増しながらも電気溶接を取り入れるなどの軽量化が図られ、速度が維持されました。

艦橋はこれまでの箱形構造と三脚マストの組み合わせから、塔状の構造に改められました。f:id:fw688i:20220716171930p:image

(上の写真は重巡洋艦「アルジェリー」の塔状の艦橋構造物(上段)と前級である「シュフラン級」の三脚マスト構造の艦橋構造の比較)

機関の配置も従来のシフト配置により被弾時の生存性を高める設計から防御区画をコンパクトにする方向へと方針が変更されました。このため煙突は1本となっています。f:id:fw688i:20220716171921p:image

(上の写真は重巡洋艦「アルジェリー」の兵装配置等の拡大:兵装配置が比較的コンパクトコンパクトにまとめられています。機関の交互配置を改めたため煙突が一本に)

条約の制約下で建造された条約型巡洋艦としては攻撃力・防御力・速力がバランス良く実現された優秀艦と評価されています。

 

第二次世界大戦では母国の降伏までの期間はドイツ海軍のポケット戦艦「アドミラル・グラーフ・シュペー」の追撃戦に参加するなどの活動をしていましたが、独仏休戦協定後はトゥーロン軍港を拠点にヴィシー政府下で活動を続けていましたが、1942年のドイツ軍のヴィシー政権下のフランス海軍の艦艇接収計画に対しては、これに抵抗して1942年11月にトゥーロン港で自沈しています。後に他の自沈した巡洋艦同様にイタリア海軍により浮揚されましたが、損傷がひどくそのまま放棄解体されました。

 

防空巡洋艦の開発

第ニ次世界大戦での海軍戦略での航空機の重要性は高まる一方で、これに対応するため、諸海軍は防空巡洋艦の開発に力を入れました。英海軍ではこれが「ダイドー級」「ベローナ級」として実現し、米海軍では「アトランタ級」が建造されました。(日本海軍では同種の艦艇が「秋月級」駆逐艦として建造されました)

第二次世界大戦後、フランス海軍も同様の目的から、第二次世界大戦中の母国の戦線離脱により建造工事が放棄されていた軽巡洋艦をベースに防空巡洋艦を建造しました。これが「ド・グラース」とその準同型艦の「コルベール」でした。

 

防空巡洋艦「ド・グラース」(1956年-同型艦なし)

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防空巡洋艦「ド・グラース」の概観:mm in 1:1250 by Neptun)

同艦の母体となった「ド・グラース級」軽巡洋艦は元々は「ラ・ガリソニエール級」軽巡洋艦の改良型として3隻の建造が計画されていた艦級です。

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(上の写真の上段は当初の「ド・グラース級」軽巡洋艦の完成予想モデル by Hai:モデルは未入手です。下段の「ド・グラース」の実艦と比較すると、同級が元々は改「ラ・ガリソニエール級」軽巡洋艦として設計された、というのが理解できますね。 写真はいつものsammelhafen.deから拝借しています)

第二次世界大戦の勃発で2番艦、3番艦の建造はキャンセルされ、1番艦「ド・グラース」のみが工事中断状態でドイツ軍に接収されました。後に連合国が奪還し、新たな防空巡洋艦として設計を変更して工事を再開し1956年に就役しました。f:id:fw688i:20220716172341p:image

(上の写真は防空巡洋艦「ド・グラース」の兵装配置等の拡大:艦首部と艦尾部に5インチ連装高角砲を各4基、57mm対空機関砲を艦の中央部に配置しています)

9000トン級の船体に、新設計の5インチ両用連装砲塔8基を主砲として搭載、その他57mm連装対空機関砲10基を搭載した設計となっています。速力は33ノットを発揮することができました。

電子装備を搭載して艦隊指揮艦としても運用されました。

 

防空巡洋艦「コルベール」(1959年-同型艦なし)

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防空巡洋艦「コルベール」の概観:模型は未入手です。1:1250スケールではHaiから模型が出ているようです。写真はHai製のモデル:1250ships.comより拝借)

前出の「ド・グラース」の準同型艦、改良型で、艦幅と吃水をました設計として復原性を向上させています。艦尾形状、煙突位置などが微妙に異なります。

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(上の写真はHai製の「コルベール」(上段:1250ships.comより拝借)と「ド・グラース」(こちらもHai製)の比較:ちょっとわかりにくいですが、艦尾形状、煙突位置、マスト構造などが異なります)

その他の兵装配置、速力等はほぼ同じです。艦隊指揮艦、高速輸送艦としても運用され、後にはミサイル巡洋艦としても運用されました。

 

フランス海軍重巡洋艦防空巡洋艦の一覧

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(今回ご紹介したフランス海軍の巡洋艦群の総覧:手前から建造年代順に「デュケーヌ級」重巡洋艦、「シュフラン級」重巡洋艦重巡洋艦「アルジェリー」、防空巡洋艦「ド・グラース」の順)

ということで、ここまでフランス海軍の第二次世界大戦期の重巡洋艦防空巡洋艦等の系譜を見てきました。それぞれの艦級に何かしらの新機軸が取り込まれるなど、やはりフランス海軍の艦艇はユニークですね。

 

ということで、今回はこの辺りで。

二回にわたって第二次世界大戦期のフランス海軍の巡洋艦についてご紹介してきましたが、次回はこの流れでフランス海軍の弩級戦艦超弩級戦艦の系譜を見ていきましょう。

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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宝箱のようなフランス海軍: 近代巡洋艦の系譜(軽巡洋艦その他)

今回は珍しく予告通り「宝箱のような」フランス海軍の第二次世界大戦期の軽巡洋艦敷設巡洋艦、練習巡洋艦などをご紹介します。前回の予告では「同海軍の弩級戦艦以降の開発」についてのお話を良営しています、と述べているのですが、前回、「ジャンヌ・ダルク」のモデルについて触れたこともあり、まずは巡洋艦から、というわけです。今回は、まず軽巡洋艦とその周辺。そういうお話。

 

フランス海軍の巡洋艦開発

フランス海軍は、多くの海外植民地を抱える状況を背景として、一連の防護巡洋艦、その発展形である装甲巡洋艦の開発にいち早く着手した国でありながら、第一次世界大戦中に、英独のように軽巡洋艦防護巡洋艦からの移行形態としての軽(装甲)巡洋艦)の建造には出遅れた感がありました。長らく沈黙を守ったフランス海軍は、「デュケイ・トルーアン級」軽巡洋艦で、艦艇開発を再開しました。

長らくイタリア海軍を仮想敵とした背景もあり、高速性を重視し、防御力には目を瞑った形での設計でスタートしました。併せて機雷敷設能力をも視野に入れた万能艦への指向も見られ、この辺りは第二次世界大戦期のドイツ巡洋艦にも通じるところがあるように感じています。バルト海と地中海という、内海での警備活動を想定した共通点、ということでしょうか。

母国フランスがいち早く第二次世界大戦から離脱してしまったため、戦歴としてはあまり華々しいものはありませんが、一早い砲塔形式での砲装備の搭載や、三連装砲塔の導入等、意欲的な設計への試みは健在だと思っているのですが、筆者の贔屓目でしょうか。

 

「デュゲイ・トルーアン級」軽巡洋艦(1926年-同型艦3隻)

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(「デュケイ・トルーアン級」軽巡洋艦の概観:144mm in 1:1250 by Neptun )

第一次世界大戦の戦禍の直接の被災国という背景もあってか、英独海軍が同大戦中に相次いで投入した軽(装甲)巡洋艦を、同海軍は大戦中には建造していませんでしたので、同級はフランス海軍が建造した初めての軽巡洋艦で、かつ大戦後初めて建造した大型艦船ということになります。

列強が相次いで建造した軽巡洋艦の中で初めて主砲を砲塔形式で搭載した艦級です。7500トン、15.5センチ連装砲4基、55センチ連装魚雷発射管4基を主兵装として搭載していましたが、装甲は軽く速力重視の設計でした。比較的高い乾舷を有し、航洋性の良好な巡洋艦でした。

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(「デュケイ・トルーアン級」軽巡洋艦の兵装の拡大:雷装が重視されていることがよくわかります(中段)。船体には軽装区を施しただけで、高速で軽快な機動を重視した設計でした )

第二次世界大戦では、独仏休戦協定で連合国を離脱した後、2隻が米海軍と交戦し撃沈、あるいは擱座して放棄されています。

 

フランス海軍インドシナ駐留艦隊旗艦 軽巡洋艦「ラモット・ピケ」の戦闘

1940年11月、タイ王国とフランス領インドシナの間に紛争が勃発します。

背景には1940年6月に締結された独仏休戦協定(実質上のナチスドイツに対するフランスの降伏)の成立がありました。この協定でフランスは第二次世界大戦から脱落し、軍事的にも弱体化します。併せて日本によるによるインドシナ進駐の気配なども受けて、タイ王国は19世紀の戦争でフランスに割譲した領土の返還の交渉を開始しました。ヴィシー政権がこれを拒否すると、タイ王国は軍事行動に移り両国間の紛争に発展しました。

この紛争は、当時、両国と友好関係にあった日本が仲介し、東京条約でタイ王国が19世紀にフランスへ割譲した領土のほとんどを回復する形で決着しました。

(この紛争はそのような決着に終わったのですが、ここからは後日談。第二次世界大戦後、フランスはこの領土割譲の無効を主張して、今度はフランスが侵攻する形で再び紛争が起き、タイ王国国際連合に提訴します。しかし常任理事国であるフランスが拒否権を発動する構えを見せたため、紛争の早期解決を図ったタイ王国は提訴を断念し、領土を返還しました。その後、第一次インドシナ戦争でフランスが敗れ、これらの領土は戦争後独立したラオス王国カンボジア王国の一部となりました)

海軍の戦い:コーチャン島沖海戦

この紛争では、陸・海・空で双方の戦闘が発生します。そのうちタイ海軍とインドシナ駐留フランス海軍の間で「コーチャン島沖海戦」が発生しました。

ja.wikipedia.orgこの海戦は2隻の海防戦艦を中心に編成されたタイ王国海軍のうち、海防戦艦1隻と数隻の水雷艇で編成された艦隊(第3戦隊)とと軽巡洋艦1隻と通報艦数隻を中心に編成されたフランス・インドシナ駐留艦隊(臨時第7戦隊)の間で戦われました。その際のフランス艦隊の旗艦が「デュケイ・トルーアン級」軽巡洋艦の二番艦「ラモット・ピケ」でした。

海戦は火力で圧倒的に優位に立つフランス艦隊の「ワンサイド・ゲーム」の様相を呈し、タイ王国海軍の旗艦「トンブリ」(海防戦艦)は行動不能となりやがて横転・擱座し、3隻の水雷艇も撃沈・撃破されてしまいました。フランス艦隊に損害はほとんどありませんでした。

 

「ブーゲンヴィル級」通報艦

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(「ブーゲンヴィル級」通報艦の概観:83mm in 1:1250 by Rhenania )

同級はフランス海軍が海外植民地や保護国の警備や権益確保を担う専任艦種として整備した艦級です。

同海軍は従来は、商船型の船体設計で「通報艦」という艦種を整備してきましたが、同級で初めて船首楼型の軍艦形式の設計を採用しました。2000トン級の船体に駆逐艦を凌駕できる13.8センチ単装砲を3基搭載し(条約で巡洋艦に分類されないように選択した主砲口径でした)、機雷敷設機能も有していました。小型ディーセルエンジンを主機として搭載し速力は少し抑えめの17ノットでしたが、海外植民地までの航海を意識した長い航続距離を有していました。出先での索敵能力を高めるために、水上偵察機を搭載していました。

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(「ブーゲンヴィル級」通報艦の細部拡大:植民地での長期滞在を想定し、プロムナードデッキ形式の船体などに、居住性への配慮が見てとれます。上述のように小型ディーセルエンジンを搭載し、長い航続距離を持っていました。水偵は後部煙突と後橋の間ん搭載されていました(写真下段) )

同級の「デュモン・デュルヴィル」と「アミラル・シャルネ」がインドシナ紛争時のインドシナ駐留艦隊に配置されていて、「コーチャン島沖海戦」でタイ海軍と砲火を交えました。

 

インドシナ駐留艦隊には「アラ級」通報艦も2隻含まれています。(「タウール」「マルヌ」)

「アラ級」通報艦

(「アラ級」通報艦の概観:モデル未入手です。写真はいつものsammelhafen.deから拝借しています。「商船型の船体設計」という言葉の意味がわかるかと)

同級は第一次世界大戦期に30隻余り建造された通報艦の艦級です。650トン級の船体に、13.8センチ単装砲を2基装備し、19ノットの速力を出すことができました。第二次世界大戦にも11隻が参加していました。

 

タイ王国海軍の艦艇紹介

いい機会なので、ほとんど紹介の機会がないタイ王国海軍の艦艇についても紹介しておきましょう。

トンブリ級」海防戦艦(1938- 同型艦2隻)

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(タイ王国海軍海防戦艦トンブリ級」の概観:62mm in 1:1250 by Poseidon:筆者自身もあまり馴染みのないメーカーですが、結構面白い=マニアックなラインナップを持っていそう。軍艦はタイ海軍に集中しています。日本海軍の「氷川丸」モデルも。ああ、これ持っているかも。フォルム的にはこれ「氷川丸」かな?と、ちょっと首を傾げる感じだったかもなあ。でもPoseidon社、面白いぞ、ちょっと注目です)

タイ王国は日本と並びアジア圏でヨーロッパ列強の植民地支配を受けずに独立を保持した数少ない国です。同王国海軍はお隣のインドシナに侵攻し領有したフランス海軍を仮想敵としており、1930年代に海軍の拡張を実施しました。

トンブリ級」海防戦艦はこの拡張計画の「目玉」ともいうべき艦級で、「トンブリ」「スリ・アユタヤ」の2隻が、同じアジア圏の海軍大国であった日本に発注されました。同級は2000トン級の船体を有し、日本海軍の重巡洋艦の標準装備砲であった「50口径3年式20.5センチ砲」を連装砲塔で艦の前後に2基搭載していました。

ja.wikipedia.or

(タイ王国海軍海防戦艦トンブリ級」の主砲と艦橋のアップ:上述のように同艦は日本で建造され、日本海軍の技術の影響を多く受けています。主砲は日本海軍の重巡洋艦の標準装備砲を搭載しています。今回のモデルでは実は主砲塔が破損した状態で到着しました。そのためNeptun社製の「古鷹」級のストックパーツから主砲塔を転用しています。艦橋も「古鷹級」を参考にして設計されたとか)

同級は速力こそ13.5ノットでしたが、インドシナ駐留のフランス海軍の通報艦に対しての自国沿岸警備の任務には十分だと考えられていました。

上述のように1941年にヴィシー政権下のフランス領インドシナとの間に発生した「タイ・フランスインドシナ紛争」ではタイ艦隊の主力艦として軽巡洋艦「ラモット・ピケ」を旗艦とするフランス東洋艦隊(軽巡1、通報艦4基幹)と交戦し(コーチャン島沖海戦)、旗艦「トンブリ」が集中砲火を受け損傷、擱座する損害を受けています。「トンブリ」はその後、依頼を受けた川崎重工によりサルベージされましたが、損傷が激しく係留状態のまま練習艦として使用され、後に解体されています。同型艦の「スリ・アユタヤ」は第二次世界大戦後の内戦(1951年)でタイ陸軍の砲撃で大破沈没。その後サルベージされて解体されています。

(「コーチャン島沖海戦」の主要艦艇:トンブリ」(いうまでもなく手前)と「ブーゲンヴィル級」通報艦(「デュモン・デュルヴィル」「アミラル・シャルネ」)及び軽巡洋艦「ラモット・ピケ」の比較:両者が交戦した「コーチャン島沖海戦」はワンサイドゲームだったようです:すみません、背景手抜きしてしまった)

 

「トラッド級水雷艇(1936年から就役:同型艦9隻)

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(「トラッド級水雷艇の概観:モデル未入手です。こちらもPoseidonモデル製:なかなか目にかかりません。以前入札しましたが落札できませんでした:上掲の写真では連装魚雷発射管2基ではなく、単装魚雷発射管4基を搭載しているように見えますね)
同級はタイ王国海軍がイタリアに発注した近代的な水雷艇です。同時期の「スピカ級」水雷艇を小型にした感じの概観です。300トン級の船体に3インチ単装速射砲3基、45センチ連装魚雷発射管2基と比較的重武装を施しています。31ノットの速度を発揮することができました。(公試では34ノットを発揮したとも)

9隻が発注され、「コーチャン島沖海戦」には同級の「ラヨン」「ソンクラ」「チョンブリ」が海防戦艦トンブリ」と共に参加し、「ソンクラ」「チョンブリ」が撃沈されています。

他の7隻は1975年前後までタイ王国海軍に在籍していました。

(上の写真は「トラッド級水雷艇とおそらく艦型が類似していると思われる600トン級の船体を持つノルウェー海軍の「スレイプニル級」駆逐艦水雷艇):60mm in 1:1250 by Argonaut: 手元での試算によれば「トラッド級」は1:1250スケールでは55mmくらいの大きさになりそうです)

 

ちょっと番外編:タイ王国海軍砲艦「ラタナコシンドラ」級

ちなみに上掲の「トンブリ級」海防戦艦タイ王国海軍砲艦「ラタナコシンドラ」級の拡大強化型として計画されたものでした。「ラタナコシンドラ」級はタイ王国がイギリスに発注した砲艦で、1000トン級の船体に15センチ単装砲塔2基を搭載し12ノットの速力を有していました。

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(一応、模型も出ていますが、落札できなかった。次の機会には是非 :写真はEbayに出品された同級の「スコタイ」by Poseidon:小さな船体、低い乾舷、不釣り合いに大きな砲塔が魅力的)

 

さて、お話が気まぐれに「タイ王国海軍」の艦艇の方にそれてしまいましたが、本筋のフランス海軍の巡洋艦に話を戻しましょう。

敷設巡洋艦「プリュトン」(1931- 同型艦なし)

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敷設巡洋艦「プリュトン」の概観:122mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs)

同艦は高速敷設巡洋艦として1隻のみ建造されました。4700トン級の船体に、敵前での機雷敷設を想定し駆逐艦軽巡洋艦と対峙できる13.8センチ単装砲を4基搭載し、290基の機雷を搭載し、艦尾の4条の投下軌条から敷設することができました。30ノットの速力を出すことができました。

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敷設巡洋艦「プリュトン」の主要部分の拡大:敷設巡洋艦らしく艦尾の敷設軌条が目立ちます(下段)。30ノットの高速性を持ち、主砲・対空砲併せて砲兵装も強力ですので、敵前での強行機雷敷設等も想定されていたのでしょうね

1933年から砲術練習艦として運用されていましたが、施設容積を増やすための改造を1939年から受け、士官候補生の遠洋航海練習艦任務につくために艦名も「ラ・トゥール・ドーヴェルニュ」と改められました。第二次世界大戦開戦後、モロッコ沖での機雷敷設作業中に搭載機雷が爆発し沈没しました。

 

練習巡洋艦ジャンヌ・ダルク」(1931年-同型艦なし)

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(練習巡洋艦ジャンヌ・ダルク」の概観:134mm in 1:1250 by Neptun)

ジャンヌ・ダルク」は従来は旧式の装甲巡洋艦を士官候補生の遠洋航海訓練の練習艦として使用してきた仏海軍が、初めて練習艦として設計した船です。「デュケイ・トルーアン級」軽巡洋艦タイプシップとして、魚雷発射管等を減らし士官候補生用の居住施設や訓練施設を追加しています。練習巡洋艦と言いながらも、その兵装は、主砲には新設計の55口径15.5センチ連装砲を採用し、これを4基搭載、そのほかに7.5センチ単装対空砲を8基搭載するなど、従来の軽巡洋艦に匹敵するものでした。上述のように雷装は減じられましたが、水上偵察機2機と射出用のカタパルトを備えるなど、27ノットに抑えられた速力を除けば、ほぼ軽巡洋艦に匹敵する戦力を有していました。

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(練習巡洋艦ジャンヌ・ダルク」の主要部分の拡大:練習巡洋艦らしく居住性に配慮された設計が舷側のプロムナードデッキ等に表れているように思います。練習巡洋艦といいながらも主砲を4基8門、対空砲も8基、魚雷発射管も搭載しています(ちょっとわかりにくいですが、写真上段の前部煙突の下の下層プロムナードデッキ上に設置されています)。射出用のカタパルトこそ装備していませんが、2機の水偵も搭載していますし速力も27ノット出せるので、植民地警備などの任務であれば最適かと。この辺り日本海軍の「香取級」練習巡洋艦とにているかも)

第二次世界大戦勃発時には大西洋での警戒任務にあたり、独仏休戦協定の締結後(フランスの降伏、戦線離脱後)にはヴィシー政権に従いカリブ海で不稼働状態となりました。1943年に連合国の反攻が始まると自由フランス軍に加わり反攻作戦に参加しています。

 

敷設巡洋艦「エミール・ベルタン」(1934年- 同型艦なし)

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敷設巡洋艦「エミール・ベルタン」の概観:141mm in 1:1250 by Neptun)

同艦は、フランス海軍が設計した2隻目の高速機雷敷設巡洋艦です。当初の計画では前出の「プリュトン」の改良型として建造される予定でしたが、「プリュトン」の船体が小さく、搭載火力が十分でないとして、結果的には全く新しい設計の艦となりました。

7000トン級の船体を持ち、34ノットの速力を発揮することができました(公試では39ノットの速力を記録しています)。懸案の火力については、主砲に26000メートルの大射程を持つ新設計の55口径15.5センチ砲を採用し、これを新設計の三連装砲塔3基に搭載しています。他の武装としては、こちらも新設計の9センチ高角砲を採用し、これを連装砲架2基4門装備した他、55センチ3連装魚雷発射管2基も搭載、さらに水上偵察機2機を搭載し、軽巡洋艦に全く引けを取らないものでした。加えて敷設巡洋艦として艦尾に機雷投下軌条を持ち200基の機雷の搭載能力も併せ持った、万能巡洋艦でした。

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敷設巡洋艦「エミール・ベルダン」の兵装配置の拡大:艦影だけでは軽巡洋艦としか思えないのでは?バランスの取れた兵装配置が見てとれます。艦尾の形状がややそれらしいかと)

第二次世界大戦では当初、金塊輸送やノルウェー派兵の護衛任務等についたのち、休戦協定でカリブ海マルティニーク島で係留状態となりました。その後、戦況の推移に伴い自由フランス軍に参加し、米国で近代化改装を受けた後、南フランス上陸作戦等に参加しています。機雷敷設能力も併せもった万能軽巡洋艦でしたが、実戦では一度も機雷敷設の機会は巡ってきませんでした。

大戦後はインドシナに派遣された後に練習艦となり、1959年に除籍されスクラップとなりました。

 

余談ですが艦名は、日本でも三景艦(防護巡洋艦「松島級」)の設計者として親しまれているルネ=エミール・ベルダンに因んでいます。

 

「ラ・ガリソニエール級」軽巡洋艦(1936年- 同型艦6隻)

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(「ラ・ガリソニエール級」軽巡洋艦の概観:144mm in 1:1250 by Neptun)

同級は前出の敷設巡洋艦「エミール・ベルタン」を本格的な防備を施した軽巡洋艦として拡大改良したもので、船体も7600トン級まで拡大し、これに「エミール・ベルダン」に搭載した大射程の55口径15.5センチ砲の三連装砲塔3基、新設計の9センチ高角砲を連装砲架4基8門、水上偵察機4機(!)を搭載しています。代わりに魚雷発射管は連装2基とし、計画速力も31ノットに抑えていました(公試では35−36ノットを発揮しています)。

攻守に渡り全体にバランスの取れた設計で、高速性、航洋性にも優れた列強の中でも最優秀軽巡洋艦といわれています。

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(「ラ・ガリソニエール級」軽巡洋艦の兵装配置の拡大:低い艦影から安定性の高い良好な航洋性が想像できます。兵装的には雷装を控え、対空砲等に力点を置いた装備ですが、1936年当時にこの形が完成していたとは、先進性に驚きです。モデルはおそらく第二次世界大戦末期の姿だろうと想像しますが、オリジナルでは艦尾部は航空艤装に当てられていました。艦尾主砲塔上にカタパルトが装備され、スターン・バウ形式の艦尾には搭載機回収用にハイン・マット=完備方向にマットを流しその上に着水した艦載機を載せて巻き取る装備、が搭載されていました:筆者の大好きなスウェーデン海軍の航空巡洋艦「ゴトランド」のハイン・マットの解説を見つけたので、下に掲示しておきます。拝借隻はこちら)

S_ink on Twitter: "航空軽巡ゴトランドのハインマットという物が分かったのです。 https://t.co/d1Achph4vv" / Twitter

第二次世界大戦では3隻がドイツ軍のヴィシー政権下のフランス海軍の艦艇接収計画への反抗として1942年11月にトゥーロン港で自沈し、残りの3隻は自由フランス海軍に参加して大戦を生き残った後、1958年から59年まで海軍に在籍していました。

 

フランス海軍軽巡洋艦敷設巡洋艦の一覧

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(今回ご紹介したフランス海軍の巡洋艦群の総覧:手前から建造年代順に「デュケイ・トルーアン」級軽巡洋艦敷設巡洋艦「プリュトン」、練習巡洋艦ジャンヌ・ダルク」、敷設巡洋艦「エミール・ベルタン」、「ラ・ガリソニエール級」軽巡洋艦の順)

ということで、ここまでフランス海軍の第二次世界大戦期の軽巡洋艦敷設巡洋艦等の系譜を見てきました。それぞれの艦級に何かしらの新機軸が取り込まれるなど、やはりフランス海軍の艦艇はユニークですね。

 

ということで、今回はこの辺りで。

次回はこの流れでフランス海軍の重巡洋艦を見ていきましょう

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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新着モデルのご紹介:ドイツ帝国大型巡洋艦、英海軍V-W級駆逐艦改造機雷敷設艦、仏海軍練習巡洋艦 など

本稿で(というよりも筆者が)最近、頻度高く取り上げているモデルメーカーのヴァージョン・アップへの対応、あるいは、モデルメーカー間での精度比較、今回は偶然、そういう視点で語るべきモデルがいくつか手元に到着しましたので、そういうお話を。いつものことですが、予告をあっさり反故にしてしまいました。ごめんなさい。

(ひとつ、混乱を避けるために、もしかすると筆者がミスリードしているかもしれないので。本稿で「新着」という言葉を使っている場合、「筆者の手元へ新たに到着したモデル」を意味しています。世に言う「新着≒新発売」ではありません)

 

まず、モデルメーカーのヴァージョン・アップのお題から。

Navis Nシリーズの新着モデル

本稿で最近よく取り上げているNavis製のモデルのヴァージョン・アップ・シリーズ=Nシリーズ(品番にNの記号が入るので、筆者が勝手に名付けています)の新着モデルを2点、今週入手しました。

これまでこの話題はドイツ帝国海軍の前弩級戦艦装甲巡洋艦、英海軍の装甲巡洋艦などの系統的なヴァージョン・アップ対応の試みのご紹介、ということで下記の回で取り上げてきています。せっかくいったん揃えたモデルがこのヴァージョン・アップで一夜にして旧モデル化してしまう、という筆者にとっては(特にお財布的に)大きな試練でもあります。

fw688i.hatenablog.com

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(どこかで一度書いた気もしますが、「ドレッドノート」の登場(1906年)がそれまで営々と整備されてきた、あるいはその時点でも建造の途上にあった所謂「前弩級戦艦・準弩級戦艦」を、一夜にして「旧世代の主力艦:二線級主力艦」に貶めてしまった、そんな現象を思い描いています。これもどこかで描きましたが、たかがモデルの再現精度なのですが、気になりだすと・・・。一番いいのはNシリーズを入手しないこと。だったんだというのが分かったのですが、入手してから気がついたので)

 

ドイツ帝国海軍大型巡洋艦「ヴィクトリア・ルイーゼ級」(1898年から就役、同型艦5隻)

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 (「ヴィクトリア・ルイーゼ級」大型防護巡洋艦のの概観 89mm in 1:1250by Navis N(=新モデル):下の写真は、同級の上部構造、武装配置の拡大:単装主砲塔、艦橋、舷側の副砲、ボート甲板の細部が丁寧に再現されています )

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同級は舷側装甲を持たない所謂「防護巡洋艦」で、5500トン級の船体に21センチ単装速砲2基と15センチ単走速射砲8基という強力な火力を持っていました。石炭専焼のレシプロ機関から19ノットの速力を発揮できる設計でした。ドイツ帝国海軍では大型巡洋艦と類別され、同艦種は次級以降、舷側装甲を有した装甲巡洋艦「フュルスト・ビスマルク」(1900年就役)「プリンツ・ハインリッヒ」(1902年)へと発展してゆきます。

(両艦については本稿の上掲の回

新着モデルのご紹介:ドイツ海軍装甲巡洋艦のモデル更新状況 - 相州の、1:1250スケール艦船模型ブログ 主力艦の変遷を追って

でご紹介しています)

同時期の帝国海軍の戦艦がバルト海での戦闘を想定した、どちらかというと海防戦艦的な艦容を示していたのに対し、同艦種では高い乾舷を有した長距離航行に適応した航洋性の良好な船体形状を有していました。

後に機関を換装したため煙突数が2本に減少しています。

 (下の写真は「ヴィクトリア・ルイーゼ級」大型防護巡洋艦の機関換装後、つまり二本煙突時期の概観 89mm in 1:1250by Navis (=こちらは旧モデル)

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第一次世界大戦期には、既に旧式艦として第一線を離れ、宿泊艦、練習艦等として利用され、1920年前後に解体されています。

 

新旧モデル比較

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 (上の写真は「ヴィクトリア・ルイーゼ級」大型防護巡洋艦のの概観比較:上段が旧モデルの二本煙突時、下段は就役時(新モデル):下の写真は、旧モデル(左列)と新モデルの細部比較:再現されている時期が異なりますので、ストレートに比較していいものか少し迷いますが、新モデルでは艦橋周りや上部構造、ボート甲板の細部の再現精度が上がっているように思われます )

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英海軍「V-W級」駆逐艦、及び改造:機雷敷設駆逐艦

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「V/W級」駆逐艦第一次世界大戦駆逐艦の決定版

まずは改造のベースとなった「V\W級」駆逐艦についてですが、同級は本稿でも何度かご紹介してきています。

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 (上の写真「V/W級駆逐艦の概観:「アドミラルティV級」だと思われます:75mm in 1:1250by Navis N(=多分新モデル):下の写真は、同級の上部構造、武装配置の拡大 )f:id:fw688i:20220703095645p:image

「V/W級」駆逐艦は、英海軍が第一次世界大戦中に建造した駆逐艦の艦級で、艦名がVまたはWで始まっているところから「V/W級」と総称されています。

同級はドイツ帝国海軍が建造中の大型駆逐艦・大型水雷艇への対抗上から、大型・重武装駆逐艦として設計されました。従来の英駆逐艦の基本装備であった40口径4インチ(10.2cm)砲3門を強化し45口径4インチ(10.2cm)4門とし、さらに連装魚雷発射管2基の標準装備を3連装発射管2基搭載へと、魚雷射線の強化も行われました。(実際には3連装発射管の製造が間に合わず、当初は連装発射管を搭載し就役し、後に三連装に換装されています)

「V/W級」と総称されますが実は大別して下記の5つのサブ・クラス(おお大好きなサブ・クラス!)に分類されます。

アドミラルティV級(28隻:大戦に間に合ったのは25隻)

アドミラルティW級(19隻)

ソーニクロフトV/W級(4隻)

ソーニクロフト改W級(2隻)

アドミラルティ改W級(14隻)

さらに「改W級」では搭載主砲を45口径4インチ(10.2cm)から45口径12センチに強化しています。

 

(「V/W級」駆逐艦(旧モデル)の概観:下の写真は:旧モデル(左列)と新モデルの細部比較。マストの形状の差が目立つ程度で、後はあまり大差ないかと)

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同時期の艦隊駆逐艦としては高い完成度を持ち、比較的余裕のある設計でもあったことから、大戦終結後も長く現役に留まり、第二次世界大戦期には装備を改修するなどの手当てを行い数の不足する輸送船団の護衛駆逐艦として多くが使用されました。(この辺りのお話は、ごく最近では本稿の下記の回でも紹介しています)

fw688i.hatenablog.com

 

機雷敷設駆逐艦への改造

V級」の一部の艦は、魚雷発射管の連装から3連装への換装を行う代わりに、連装発射管1基を撤去し、さらに主砲1基も撤去、艦尾形状を整形すると共に機雷敷設軌条を設置して、60基程度の機雷敷設能力を持つ敷設駆逐艦に改造されています。

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 (上の写真「V級」機雷敷設駆逐艦の概観(新モデル):下の写真は、「機雷敷設駆逐艦」に改装された艦の細部の拡大:艦首部の主砲配置は変わらず、魚雷発射管は連装のまま1基のみ搭載、艦尾部は主砲1基を撤去して艦尾形状を機雷敷設軌条等の張り出しを追加しています))

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新旧モデル比較

 

(上の写真「V級」機雷敷設駆逐艦(旧モデル)の概観:下の写真は、「旧モデル」(左列)と「新モデル」の比較:主砲・魚雷発射管等、兵装の細部の再現性が上がり、艦橋脇の支柱やボート周りも精度が上がっています)

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次に、モデルメーカーの比較を。

仏海軍練習巡洋艦ジャンヌ・ダルク」(Neptun版とTrident版の比較)

今回、Neptun版の「ジャンヌ・ダルク」を入手しました。これまで保有していたTrident版と比較してみましょう。

その前に「ジャンヌ・ダルク」というのはどういう船なのか。

ja.wikipedia.org

ジャンヌ・ダルク」は従来は旧式の装甲巡洋艦を士官候補生の遠洋航海訓練の練習艦として使用してきた仏海軍が、初めて練習艦として設計した船です。「デュケイ・トルーアン級」軽巡洋艦タイプシップとして、魚雷発射管等を減らし士官候補生用の居住施設や訓練施設を追加しています。

練習巡洋艦と言いながらも、その兵装は、主砲には新設計の55口径15.5センチ連装砲を採用し、これを4基搭載し、そのほかに7.5センチ単装対空砲を8基搭載するなど、従来の軽巡洋艦に匹敵するものでした。上述のように雷装は減じられましたが、水上偵察機2機と射出用のカタパルトを備えるなど、27ノットに抑えられた速力を除けば、ほぼ軽巡洋艦に匹敵する戦力を有していました。

第二次世界大戦勃発時には大西洋での警戒任務にあたり、独仏休戦協定の締結後(フランスの降伏、戦線離脱後)にはヴィシー政権に従いカリブ海で不稼働状態となりました。1943年に連合国の反攻が始まると自由フランス軍に加わり反攻作戦に参加しています。

 

モデル比較(Trident版とNeptun版)f:id:fw688i:20220703101517p:image

(直上の写真はTrident版練習巡洋艦ジャンヌ・ダルク」136mm in 1:1250:下の写真はNeptun版「ジャンヌ・ダルク」134mm in 1:1250)

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艦尾の形状がやや異なりますが、概観に大差はありません。Trident版では乾舷が高く表現されており、やや客船的なデザインで練習艦らしさが表現されているようです。一方でNeptun版の方がやや低い姿勢で巡洋艦的な表現が表されている、そんなふうに解釈しましたがいかがでしょうか?そして、これは概ね全てのモデルに言えることだと筆者は考えているのですが、Neptun版では細部が繊細に作り込まれています。

(下の写真はNeptun版練習巡洋艦ジャンヌ・ダルク」(左列)とTrident版の比較:乾舷の高さのわずかな違いで随分艦の印象が変わるものですね。主砲塔の表現もかなり異なります。細部の作り込みはNeptun版に軍配が上がると言わざるを得ないかと)

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同価格であれば迷いなくNeptun版を選ぶのですが、実際にはEbayなどでは2倍から3倍の価格差がつきますので、悩ましい選択をしなくてはなりません。

WW2関連の艦船に関してはNeptunは非常にラインナップが充実していて、WW2の主要な参戦国であればほぼNeptun版で揃えることができます。筆者のような体系的なコレクションを目指すならば、それも一つのポイントになってきます。

 

他社からも「ジャンヌ・ダルク」のモデルが

ちょっとおまけにArgonaut版の「ジャンヌ・ダルク」もしたのご紹介しておきます。こちらは筆者はモデルを保有していません。主砲塔の形状など、少しNeptun版ともTrident版とも異なります。

(下の写真はNeptun版練習巡洋艦ジャンヌ・ダルク」(上段)とArgonaut版(未入手)の比較:両モデルに再現精度の大きな差はないように思われます。どちらを選択するかは、かなり難しい判断になりそうですね)

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Argonaut版のモデルはやはりかなり細部の再現精度が高い製品になっているようです。Neptun版とも引けは取らないかと。

Argonaut社製のモデルについては、実は一昨年(?)製作者が亡くなられた為、以降、新製品、新品の流通は望めなくなっています。Ebay等での中古品を調達するしか入手方法がないような状況だと聞いています。筆者が懇意にしているEbay出品者に聞いたところでは、ある出品者が、製作者が亡くなられたのちの在庫を全て引き取ったとか。そうした事情で、今後希少価値が上がることは間違いなく、一般的に大変高値での取引になっています。

 

ちょっとオマケ

スウェーデン海軍海防戦艦「アラン級」を入手

本稿下記の回で第二次世界大戦期の「スウェーデン海軍の海防戦艦」について、ご紹介しています。同海軍は第二次世界大戦当時8隻の海防戦艦保有していました。

fw688i.hatenablog.com

そして下記の回では「アラン級」海防戦艦の艦首形状の異なる「マンリゲーテン」と対空砲座の形状の異なる「タッパレーテン」を入手し、残るは「ヴァーサ」のみ、というようなお話をしています。fw688i.hatenablog.com

そして「ヴァーサ」のモデルがRhenania社初め各社から出ていないとも。おそらくネームシップの「アラン」と大きな差がないからだろう、と結論づけていたのですが、この度「アラン」のモデルをもう1隻入手することができ、これで「アラン級」の4隻が揃いました。

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(今回入手の「アラン級」海防戦艦近代化改装後のモデル by Rhenania:一応モデルが市販されていない同級の二番艦「ヴァーサ」として入手したものです)

ネームシップ海防戦艦「アラン」の近代化改装後の概観:by Rhenania)

海防戦艦「アラン級」三番艦「タッパレーテン」近代化改装後の概観:by Rhenania)

(「アラン級」4番艦「マンリゲーテン」の近代化改装後の概観:by Rhenania:艦首形状のクリッパー型への変更にと同時にボイラーが新型に換装され、対空火器の配置変更等も行われています)

 

「アラン級」海防戦艦4隻

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(直上の写真:「アラン級」海防戦艦4隻の勢揃い:右から「アラン」「ヴァーサ」「タッパレーテン」「マンリゲーテン」の順(上段):「マンリゲーテン」のクリッパー型艦首形状の拡大(中段左):上部構造の差異の拡大(下段))

 

第二次世界大戦期のスウェーデン海軍の海防戦艦一覧

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(左から「スヴァリイェ級」の近代化改装後の「グスタフV世」「ドロットニング・ヴィクトリア」「スヴァリイェ」、「オスカーII世」(近代化改装後:同型艦はありません)、「アラン級」の近代化改装後の「マンリゲーテン」「タッパレーテン」「ヴァーサ」「アラン」の順:スウェーデン海軍は第二次世界大戦では中立を守り抜きますが、にこの8隻の海防戦艦を中心とした海軍を有していました。これらの艦船は主力艦として海軍の象徴的な存在でしたが、戦力としての存在意義は小さくなっており、大戦以降、同海軍は小型高速艦艇と潜水艦の整備に軸足を置き換えてゆきます)

これで第二次世界大戦期のスウェーデン海軍の海防戦艦は、同海軍が当時保有していた8隻を一応揃えることができたと考えています。

 

その他、最近の新着物

Shapewaysからフランス海軍の戦艦黎明期(前弩級戦艦よりも前)の艦級がいくつか届いています。

写真は下地処理をした状態。さあてこれから色を塗らねば・・・。(お楽しみの始まりです)

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(11000トン級装甲艦「アミラル・デュプレ」(写真上段)と「アミラル・ボーダン級」戦艦(写真下段))

上段の「アミラル・デュプレ」は中央砲塔艦の一種と見ることができるでしょう。そして「アミラル・ボーダン」は仏海軍が初めて船体の中央線上に主砲塔を配置した艦、だとか・・・。いずれにせよ前弩級戦艦(近代戦艦)への主力艦黎明期の模索途上、の設計だと言っていいと思います。

こちらは完成次第またご紹介します。

 

ということで、今回は最近の新着モデルのご紹介を中心にしたお話でした。

今回はここまで。

 

次回は、今度こそフランス海軍艦艇の続きで、同海軍の弩級戦艦以降の開発のお話にしましょうか?

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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ウクライナ海軍の主要艦艇+敷設艇「怒和島」という書籍

いつものことながら、本稿前回で予告した「宝箱のような海軍:フランス海軍の続き」というのをちょっと横に置いておいて、少しモデルが揃ってきたので、今回は「ウクライナ海軍」の艦艇のお話を。

と言っても、現有の主要な戦闘艦艇は3隻程度。接続海面を有する黒海沿岸の沿岸警備隊的な戦力に留まっています。しかし実際にはこれもかなり情報が古く、以下でそれぞれご紹介してゆきますが、これら3隻にしても、その艦齢が結構高く、現在どのような状態なのか・・・。

元々は旧ソビエト連邦黒海艦隊を二分して発足したはずの「ウクライナ海軍」だったはずなのですが、どうしてそのようになったのか、それも併せて少し纏めておきましょう。

 

ウクライナ海軍について

ごく最近では、ロシア海軍ミサイル巡洋艦「モスクワ」のウクライナ紛争での喪失のニュースが伝わってきましたが、これも「ウクライナ海軍」の直接的な戦果というわけではなさそうです。あまり情報が伝わってくない「ウクライナ海軍」について、その海軍事情を少し見ておきましょう。

ja.wikipedia.org

 

旧ソ連黒海艦隊をベースとして発足

ソ連崩壊後、旧ソ連黒海艦隊はロシアとウクライナに二分されることが決まりました。

そのため多くの艦艇を保有してスタートした同海軍でしたが、財政難から保有艦艇の削減に動かざるを得ませんでした。

さらに悪天候で多くの艦艇が損傷するなどの状況も重なり、この削減に拍車がかかります。

 

未完の艦艇群

fw688i.hatenablog.com

本稿の上記の回でご紹介したように、旧ソ連海軍から引き継いだ建造途上の何隻かの大型艦艇群は、主に経済的な理由で完成に至らず、そのまま放置、あるいは他国に売却されています。

ミサイル巡洋艦ウクライナ

先般、今も続いている「ウクライナ戦争」で、撃沈が報じられたロシア海軍のミサイル巡洋艦「モスクワ」の同型艦(4番艦)「ウクライナ=旧名アドミラル・フロタ・ロポフ」は未成のままで工事が見送られた一隻です。他国への売却が計画されていますが、一世代前の設計でもあり、売却の話は宙に浮いたままです。

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(「1164級:スラヴァ級」ミサイル巡洋艦の概観:148mm in 1:1250 by Decapod Model: 艦橋部分から前方に装備された対艦ミサイルが本級の最大の特徴と言っていいでしょう。下の写真は「1163級」の主要兵装の配置:艦首部にAK-130:130mm連装速射砲, RBU-6000対潜ロケットランチャー, P-1000の連装ランチャー、艦中央少し後ろ目にS-300F:対空ミサイルの八連装リボルバー式の垂直発射装置8基、ヘリ格納庫両脇に4K-33短SAMの連装発射機を2基、そしてヘリ発着甲板を備えていました)

 

航空母艦「ヴァリャーグ」(現中国海軍航空母艦遼寧」)

未成で旧ソ連海軍から引き継いだ「グズネツォフ級」航空母艦の2番艦である「ヴァリャーグ」も完成しないまま廃艦となり、後に中国海軍に売却されました(中国海軍「遼寧」として完成されました)。

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(空母「ヴァリャーグ」:257mm in 1:1250 by Bill's Models in Shapeways:モデル自体は未入手です)

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クリミア危機での事実上の消滅

2014年のロシアのクリミア侵攻に付随して、クリミア半島セヴァストポリに拠点を置いていたウクライナ海軍はロシア軍の地上部隊、の侵攻を受け、その保有艦艇のほとんどをロシア軍に接収され、事実上、消滅してしまいました。

実はこの直前に、「ウクライナ海軍」待望の潜水艦「ザポリージャ」が就役していたのですが、同艦もクリミア侵攻でロシア海軍に接収されてしまった1隻でした。

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現有の戦闘艦艇(?マーク付きです)

現有の主要な水上戦闘艦艇としては、たまたま侵攻時に地中海にいたフリゲート艦「ヘーチマン・サハイダーチヌイ」(旧「クリヴァクIII級」フリゲート)やコルベットヴィーンヌィツャ」(旧「グリシャ級」コルベット)、ミサイル艇「プルィルークィ」(旧「マトカ級」水中翼型ミサイル艇)等が挙げられます。


フリゲート艦「ヘーチマン・サハイダーチヌイ」

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(フリゲート艦「ヘーチマン・サハイダーチヌイ」(旧ソ連海軍「1135.1級」国境警備艦NATOネーム「クリヴァクIII級」フリゲート)の概観:102mm in 1:1250 by Delphin)

同艦は旧ソビエト海軍が建造した「1135.1計画ネーレイ級」国境警備艦NATOコードネーム「クリヴァクIII級」国境警備艦)の8番艦「キーロフ」を、「ウクライナ海軍」が取得したものです。「ネーレイ級」国境警備艦は、「1135警備艦」(NATOコードネーム「クリヴァク1級」フリゲートをベースにKGBソ連国家保安委員会)向けに設計された国境警備の専任艦です。

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3700トンの船体に100mm両用砲1基、30mm6砲身機関砲(ロシア式CIWS)2基、対空ミサイル連装ランチャー1基、4連装魚雷発射管2基、12連装対潜ロケット発射機2基を主要兵装として備え、さらに対潜ヘリコプター1機を搭載する、強力な艦です。

ウクライナ海軍」は建造中の同級をもう1隻取得していましたが、こちらは完成しないまま、除籍されています。

「ヘーチマン・サハイダーチヌイ」はどう海軍が保有する唯一の本格的な外洋航行能力を備えた戦闘艦で、かつ唯一のヘリコプター搭載艦でもあることから、常に修理が優先されるなど海軍の「顔」として優遇されてきています。

2022年のロシア軍のウクライナ侵攻の際に、同艦は黒海沿岸のムイコラーイウで修理中でしたが、ロシア側の接収を恐れ同地で自沈しました。引き揚げ復元の予定があるという情報も。

 

参考:原型となった「1135級警備艦」(NATO名「クリヴァク級」フリゲート

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(「1135級」警備艦NATOネーム「クリヴァクI級」フリゲート)の概観:102mm in 1:1250 by Delphin)

同級は中型艦としては初めて対潜ミサイルを搭載した艦級でした。3300トン級の船体に4連装対潜ミサイル発射機1基、対空ミサイル連装ランチャー1基、4連装魚雷発射管2基、12連装対潜ロケット発射機2基を搭載、これに加えて艦尾に76mm連装両用砲または100mm単装両用砲2基を搭載した強力な艦級でした。

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(上の写真は「1135級」(左列)と「1135.1級」の比較等:主砲位置、対潜ミサイルの有無、ヘリ搭載施設の有無が大きな差異となって、全く別の艦容を示しています)

 

コルベット艦「ヴィーンヌィツァ」

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(旧ソ連海軍「1124級」小型対潜艦:NATOネーム「グリシャ級」コルベットの概観:モデルは「I 型」のものです:56mm in 1:1250 by Delphin)

同艦は旧ソ連海軍が沿岸での対潜戦闘を担当する小型駆潜艇として開発した「1124級」小型対潜艦の1隻である「ドニエプル」をウクライナ海軍が取得したものです。武装等のヴァリエーションでいくつかの形式がありますが、「ヴィーンヌィツァ」はII型に属しています。

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(上の写真は艦首部の短SAM連装ランチャーを57mm連装砲に換装した「II型」のもの。ウクライナ海軍のコルベット「ヴィーンヌィツァ」は「II型」に属しています。筆者が知る限り「II型」のモデルは市販されていません)

II型は800トン級の船体に57mm連装砲2基、対潜ロケット砲2基、連装魚雷発射管2基等を搭載し、34ノットの速力を出すことができます。

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(上の写真は、「1124級」小型対潜艦の主要武装の拡大:モデルは短SAM発射機搭載の「I型」ですので、艦首から短SAM発射機格納ハッチ、対潜ロケット発射機(ここまで写真上段)、連装魚雷発射管、57mm連装砲、爆雷投射装置の順。ウクライナ海軍の「ヴィーンヌィツァ」は「II型」ですので、艦首部の短SAM発射機格納ハッチの代わりに57mm連装砲がもう1基装備されています)

2022年のロシア軍のウクライナ侵攻時には、すで2021年に同艦は退役し処分待ちの状態でドネプロバク加工の桟橋に繋がれていたのですが、そこにミサイルを被弾し横転した状態になっているようです。

 

ミサイル艇「プルィルークィ」

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(ミサイル艇「プルィルークィ」(旧ソ連海軍「206MR級」大型ミサイル艇NATOネーム「マトカ級」水中翼型ミサイル艇)概観:32mm in 1:1250 by Trident)

同艇は旧ソ連海軍の「206MR級」大型ミサイル艇の7番艇「エール・ドヴィェースチ・シヂスャード・ドヴァー」をウクライナ海軍が取得したものです。

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「206MR級」大型ミサイル艇は沿岸部での戦闘を想定して旧ソ連海軍が設計した小型戦闘艇で、従来の魚雷艇に代替される構想でした。水中翼形式の船体を持ち42ノットの高速を有していました。

(上の写真は「206MR級」の武装の拡大:「テルミート」対艦ミサイルが勇ましい:下段)

武装の目玉はなんと言っても「テルミート」対艦ミサイル発射機2基で、42kmの射程を有していました。その他には76mm両用砲1基と30mm6砲身機関砲(ロシア式CIWS)2基を装備していました。

就役年次が1979年と古く、2007年には退役するという情報もありましたが、2011年ではまだ現役にありました。

 

ウクライナ海軍の主要水上戦闘艦艇の一覧

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奥から、フリゲート艦「ヘーチマン・サハイダーチヌイ」(旧ソ連海軍「1135.1級」国境警備艦NATOネーム「クリヴァクIII級」フリゲート)、旧ソ連海軍「1124級」小型対潜艦:NATOネーム「グリシャ級」コルベットミサイル艇「プルィルークィ」(旧ソ連海軍「206MR級」大型ミサイル艇NATOネーム「マトカ級」水中翼型ミサイル艇)の順)

今回、整理してみて、現状で活動が確認される艦艇はありませんでした(2隻は今回の戦争で損傷し、着底、実質行動不能。もう1隻は、情報がありません。ちょっと残念!)。

 

 

さて、少し話題が飛びますが、最近入手した一冊の書籍に絡んで、筆者の大好きな小型鑑定のお話を少し。(再録、というか、いくつかに分かれていたものをまとめた感じです)

敷設艇「怒和島」という書籍

本稿の読者の皆さんなら、筆者がいわゆる小型の「護衛艦艇」が大好きなのはご存知かと。

 

https://www.amazon.co.jp/gp/product/4769832591/ref=ppx_yo_dt_b_asin_title_o08_s00?ie=UTF8&psc=1

そんな筆者がこの本を買わないわけがない。こういう書籍には登場する艦種柄、華々しい大作戦やそこでの海戦のお話などはほとんどありません。日常の延長での戦闘が(戦闘の気配や業務としての戦闘が)、しかし、リアルに描かれることが多いのです。こうした話材は、まさに筆者の大好物、ということで、もし同じ指向の方がいらっしゃったら、この本はおすすめです。

 

この本の主人公は表題の通り掃海艇「怒和島」、「測天級」掃海艇の一隻です。

本稿では以前、「怒和島」が属する「測天級」掃海艇をセミクラッチしています。そのお話を再度ご紹介。以下、ほぼ再録です。

「測天級」敷設艇の製作

機雷戦艦艇のうち、敷設艇については「燕級」「夏島級」「測天級」「神島級」の4つの艦級が建造されました。このうち「燕級」と「夏島級」についてはOceanic製のモデルを入手していましたが、「測天級」「神島級」についてはモデル未入手のままでした。

 「測天級」敷設艇(同型15隻:1938-終戦時4隻残存)  

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それまでの敷設艇を大型化した艦型で、機関をディーゼルとしてより汎用性を高め、太平洋戦争における敷設艇の主力となりました。前級までの復原性不足を解消し、航洋性に優れ活動範囲は日本近海に留まらず広い戦域に進出し活躍しています。(720トン、20ノット、主兵装:40mm連装機関砲×1・13mm連装機銃×1、機雷120基 /6番艦「平島」以降は主兵装:8cm高角砲×1・13mm連装機銃×1)

終戦時に「巨済」「石埼」「濟州」「新井埼」の4隻が残存していました。

(上の写真は「測天級」敷設艇の概観:59mm in 1:1250 by Tremoの水雷艇モデルをベースにしたセミ・スクラッチ:「測天級」は40mm連装機関砲を主兵装としていましたが、同機関砲は特に対潜水艦戦で有効ではなく、6番艦以降、8センチ高角砲を主砲として搭載しています。この艦級は「平島級」とされることもありますが、ここでは「測天級」の第二グループとしています)

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さらに改良型の「網代」級が12隻、建造される予定でしたが、1隻のみの建造で打ち切られ、次級の「神島級」へ計画は移行されました。

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下の写真は、「測天級」のディテイルのクローズアップ。特に写真下段では、敷設艇ならではの艦尾形状に注目)

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本稿の「機雷敷設艦艇小史」では文中で「測天級」「神島級」については「Oceanic レーベルでモデルあり、未入手」と記載していましたが、実は誤りでどうやら「測天級」にはモデルがないようです。そこで、「では作ってしまおうか」という訳です。

手持ちのストックモデルの中から適当な水雷艇モデルをピックアップして、「測天級」「神島級」を製作(セミ・スクラッチ)しています。モデル製作のお話は少し後に。

 

 「神島級」敷設艇(同型2隻:1945-終戦時に2隻とも残存) 

「神島級」敷設艇にはOceanic社からモデルが出ている、という情報はあるのですが、これまでお目にかかったことはありません(日本海軍の700トン級の敷設艇ですから、おそらく生産量もごく少数でしょうし、流通もしていない、というのは納得できますね)。ということで、やはりセミ・スクラッチにトライしました。

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(上の写真は「神島級」敷設艇の概観:59mm in 1:1250 by Tremoの水雷艇モデルをベースにしたセミ・スクラッチ:「神島級」はいわゆる戦時急造艦であるため、直線的な艦首形状等、建造工程の簡素化に留意された設計となっています。主兵装は40mm単装機関砲2基でした)

本土防衛のために「測天級」の簡易版として急遽建造された艦級です。計画では9隻の建造が予定されましたが、実際には3隻が着工し、1隻が建造中止、「神島」のみ1945年7月に就役しました。「粟島」は艤装中に終戦を迎え、終戦後に復員輸送船として就役しました。戦時急造艦であったため、海防艦に似た直線的な艦首形状を持ち、機関にも海防艦と共通のディーゼルが採用されています。(766トン、16.5ノット、主兵装:40mm単装機関砲×2・25mm連装機銃×3他)

 

少しだけ制作過程の話

今回改めてご紹介した「測天級」も「神島級」も、同一の水雷艇のモデルをベースにしています。ベースに利用したモデルがこちら。

全長68mmの水雷艇のモデルです。おそらくアメリカのSuperior社製です。Superior社のモデルはスケールが1:1200とされています。従って1:1250のコレクションに混ぜてしまうと少し寸法が大きく見えてしまいますので要注意です。しかし第二次世界大戦期の艦艇を中心にラインナップが充実しており、特に未成艦・計画艦などのいわゆる「IFモデル」が豊富に揃っています。筆者がクオリティで一押ししているNeptun社などヨーロッパの1:1250モデルのほとんどは彩色済みの完成モデルで供給されているのですが、同社のモデルはダイキャストの地色のまま未彩色のモデルで入手することができ、そういう意味では制作する(と言っても彩色がその中心になりますが)楽しみを味わうことができ、実は筆者もコレクションの初期はSuperior社のモデルからのスタートでした。しかも未彩色である分、安い価格で入手できます。

「Superior派」は一大勢力を形成しています。

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少し話がそれましたが、このSuperior社製の水雷艇をベースに、セミ・スクラッチを行います。

まず、船体上部構造物を全て撤去(中段)。次に艦首形状の修正(ベースのモデルはダブルカーブドバウ的な船首形状をしているので、直線的な形状に修正しています)。そして全体の長さの調整と艦首楼を短くする加工を行います(中断写真の墨入れラインが艦尾部のものは全体の長さ調整の目標ライン、艦首楼の墨入れラインが艦首楼長の調整目標のラインです)。全体の長さ調整は単に切断し、艦尾形状を若干調整する比較的単純な作業ですが、艦首楼長の調整は、筆者の場合にはひたすら「ヤスリがけ」を行うのみです。船体は正確な名称がわからないのですが、ホワイトメタル的な比較的柔らかい素材ですので、金属用のやすりで容易に整形ができます。上部構造物の撤去も仕上げはやはり「ヤスリがけ」です。作業自体は単純で難しくはないのですが、長さ70ミリ弱、幅10ミリ程度の小さな物を対象とするので、結構指が疲れる作業です。

で、完成したのが下段の写真。これに新たに設定してゆく上部構造物の位置を墨入れしてゆきます(下段写真は墨入れ後の状態)

あとはこの上部構造物に使えそうなパーツをストックから探し、見当たらないものはプラパーツなどで製作し、最後に彩色をして完成です。

注意点:金属片が飛んだり散らばったりするので、作業スペースを大きめの箱などで区切っておいたほうが良いですね。そうしないと・・・。

というような工程で、「測天級」「神島級」敷設艇の完成です。手順はほぼ一緒、上部構造物の作り込みが異なります。

(下は「測天級」敷設艇と「神島級」敷設艇の『比較:ほぼ同じ大きさの2艦級でしたが、上部構造の配置や艦首の形状が異なっていました。)

ということで、書籍をネタに、大好きな小艦艇モデルの再録でした。

ということで今回はここまで。

 

次回は、今度こそフランス海軍艦艇の続きで、同海軍の弩級戦艦以降の開発のお話にしましょうか?

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

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特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

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小説「女王陛下のユリシーズ号」:第14護衛空母戦隊(the 14th Aircraft Squadron)の話

以前、本稿では、下記の回で英国海軍の防空巡洋艦のご紹介をしています。

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その際にGW期間であったこともあって、表題の「あの防空巡洋艦」、アリステア・マクリーンの海洋小説の名作「女王陛下のユリシーズ号」に登場する架空の防空巡洋艦ユリシーズ」のセミ・スクラッチ・モデルをご紹介しました。

少しかいつまんでこの小説をご紹介しておくと、この作品では、第二次世界大戦中の北大西洋で輸送船団を護衛し、来襲するドイツ空軍・海軍と死闘を繰り広げつつ続けられた第14護衛空母戦隊の航海が、その旗艦「ユリシーズ」を中心に描かれています。

表題の「ユリシーズ」(この小説のある意味主人公と言っていいと思います)については、紆余曲折がありながら、ドンピシャのモデル作成のベースとなりそうな艦級を見いだせないまま、「アリシューザ級」軽巡洋艦をベースに改造しました(この辺りの経緯、紆余曲折も含め、上掲の回でご紹介しています)。

今回は「ユリシーズ」が旗艦として率いた第14護衛空母戦隊の構成艦のモデルがほぼ揃ったので、そのご紹介、そう言うお話です。

 

まず、第14護衛空母戦隊の各艦のご紹介の前に、「ユリシーズ」のおさらいを。

防空巡洋艦ユリシーズ

完成したモデルがこちら。

(直上の写真は、防空巡洋艦ユリシーズ」の概観:123mm in 1:1250 by Neptunモデルをベースにしたセミ・スクラッチ:「アリシューザ級」がベースなので寸法は同じです。そしてユリシーズ」の主要兵装配置の拡大を下の写真でご紹介しています:艦首部に5.25インチ連装両用砲塔2基、艦橋脇に対空機関砲座(写真上段):艦中央部にポンポン砲砲座3基と魚卵発射管(写真中段):艦尾部に5.25インチ連装両用砲塔2基:基本的な主要兵装は「ベローナ級」に準じています)

小説ではあまり建造経緯については詳細に説明されてはいないのですが、設定では同艦は「ダイドー級防空巡洋艦とその改良型である「ベローナ級」防空巡洋艦の間に一隻だけ建造されたことになっていて同型艦がないとされています。本稿ではその建造経緯を以下のように創作してご紹介(「アリシューザ級」に艦型が酷似していることの「こじつけ」をしたかっただけなのですが)しています。

「英海軍は航空機攻撃の脅威に備えるために「アリシューザ級」軽巡洋艦の設計をベースとした「ダイドー級防空巡洋艦11隻の建造に着手しましたが、同時に同種の船団護衛部隊の中核艦の切実な必要性を考慮して、当時建造予定だった「アリシューザ級」軽巡洋艦の5番艦の防空巡洋艦への転用を決定しました。こうして防空巡洋艦ユリシーズ」は同型艦をもたない巡洋艦として1隻だけ誕生しました」(繰り返しですが、「架空艦」のお話ですので、ご注意を)

 

ベースとなった「アリシューザ級」軽巡洋艦

そもそも今回のセミ・スクラッチ制作で「ユリシーズ」のベースとなった「アリシューザ級」軽巡洋艦は、前級「パース級」軽巡洋艦の主砲塔を1基減じて、それに合わせて5000トン級に縮小した船体に、出力を減じた機関を搭載することで経済性を求めた設計となっています。

(「アリシューザ級」軽巡洋艦の概観:123mm in 1:1250 by Neptune

同艦の設計は、艦型の小型化と武装の軽減により、英海軍の重要な任務である広範囲な連邦領・植民地や通商路の警備・保護に必要な軽快な機動性を持つ軽巡洋艦の隻数を揃える試みの一つでした。広大な通商路の警備に必要な巡洋艦の理想的な理論値は一説では70隻と言われていますが、未だに第一次世界大戦の痛手の癒えない財政はとてもこれを賄えるような状況ではなく、一方で大量に保有する第一次世界大戦型の旧式軽巡洋艦(C級、D級)を廃棄処分し、これをいかに置き換えてゆくか、条約の保有枠の制限と、疲弊した経済の両面から、当時の英国の苦悩が現れた艦級の一つと言ってもいいでしょう。

船体の小型化により、生存性はやや低下しましたが、速力は前級と同レベルを維持し、ある程度の戦闘力を持ち高い居住性と航洋性を兼ね備えた、通商路保護の本来の軽巡洋艦の目的に沿った手堅い設計の艦だったと言えるでしょう。

折からやはり軍縮条約の制限を意識した日米海軍は奇しくも制限枠に達しこれ以上新造艦を建造できない重巡洋艦に代わり、重巡洋艦とも対峙できる大型重装備の軽巡洋艦の建造(6インチ砲15門装備)に指向しており、これと対比すると同級の非力さは否めず(6インチ砲6門装備)、平時向けの巡洋艦、という評価も受け入れざるを得ない状況でした。

そもそも艦型縮小により隻数をそろえると言う目的に対しては、同様の試みが英海軍の最後の重巡洋艦となった「ヨーク級」でも行われたのですが、スペックを抑え上記のように生存性をやや低下させながらも期待ほどの経済効果(建造費の圧縮)が得られず、同級も4隻で建造が打ち切られ、建造途上の5番艦の船体は整備が急がれた防空巡洋艦に転用されました。(と、ここで強引に「ユリシーズ」と結びつけている訳です。下の写真は「アリシューザ級」と「ユリシーズ」の差異を比較しています)

セミ・スクラッチ:模型製作の話 1)主砲の換装:これは今回の改造の目玉となる重要な部分です。6インチ連装砲塔3基を撤去し、砲塔基部を活かして5.25インチ連装両用砲塔4基を設置しています。3番砲塔の位置にはもともと砲塔がありませんでしたので、基部らしき造作を加えています。搭載した5.25インチ連装両用砲塔はAtlas社製「プリンス・オブ・ウェールズ」から転用しています。このモデルはプラスティックと金属で構成されているモデルで、価格も手頃でパーツ取りモデルとしては大変優秀だと思い、重宝しています。5.25インチ連装両用砲塔のフォルムは特徴をよく捉えていると思っているのですが、何故か8基ある砲塔の大きさが揃っていません。今回は複数のモデルから大きさの揃っているものをチョイスして搭載しています。(上掲の写真の上段と下段:左が「アリシューザ級」)

2)艦中央部、航空艤装用クレーン・カタパルトの撤去と中央ポンポン砲砲座の設置。基部からパーツをカットし、ヤスリで平坦にして、その上にこれもAtlas社製の「フッド」から基部付きのポンポン砲を転用しています。高さなどは適当に調整してあります。この位置は、ほぼ原作通り(ハヤカワ文庫版「女王陛下のユリシーズ号」にはこの小説の戦闘航海の航路図と「ユリシーズ」の艦内配置図が掲載されています。今回の制作にあたってはこれを参考にさせていただいています)ですが、やや射界に問題はないのかな、などと考えています。砲座が艦の中央構造線上にあるので左右の射界はかなり広いのですが、前後は艦橋と後部煙突等が射界を遮ります。(写真中段:左が「アリシューザ級」)

3)艦後部、「アリシューザ級」が装備していた4インチ連装対空砲4基と後部探照灯台座等を撤去して後部対空砲射撃指揮所の設置及び指揮所両脇に後部ポンポン砲砲座を設置しています。少し後部上構の基部を整形してあります。撤去後はヤスリで平坦に仕上げてその上に対空砲射撃指揮所らしきものをストックパーツから転用しています。(写真下段:左が「アリシューザ級」))

 

原作に登場する「ユリシーズ」との相違点

「アリシューザ級」をベースにし今回筆者が制作した「ユリシーズ」と原作に記載されているスペックの相違点は以下の通りです。

まず、全長が筆者制作版の方が少し短い。原作では前述のように全長510フィート(155.5m)であるのに対し、「アリシューザ級」をベースにした筆者版は506フィート(154.2m)となりました。加えて現作では3基のポンポン砲は艦橋前、艦中央部、3番砲塔前と、間の中央線に沿って配置されていることになっています。(下の艦内配置図(ハヤカワ文庫版掲載)を参照してください)

筆者版では3基と言う装備数は同一ながら、艦橋前は設置スペースが捻出できず、艦中央部(「アリシューザ級」ではカタパルト台の位置)と後橋の両脇の配置となっています。更に、筆者版では艦橋前の近接防空兵装が手薄に思われたので、単装機関砲2基を増設してあります。

(下の写真:筆者版「ユリシーズ」の原作版と異なる武装配置の拡大:2番主砲塔後ろに対空機関砲座を増設(写真上段):後橋周りに配置されたポンポン砲砲座(写真下段)

 

少し長い前置き(おさらい)になりましたが、いよいよ本論の第14護衛空母戦隊(the 14th Aircraft Squadron)のお話を。

 

第14護衛空母戦隊(the 14th Aircraft Squadron)

小説に登場する第14護衛空母戦隊は、護衛空母4隻、防空巡洋艦1隻(ユリシーズ)、旧式軽巡洋艦1隻、艦隊駆逐艦1隻、小型駆逐艦1隻、旧式駆逐艦3隻、フリゲート艦1隻、旧式スループ1隻、艦隊随伴掃海艇1隻、計14隻で構成されている護衛艦部隊で、18隻の輸送船団FR77(貨物船15隻、タンカー3隻)を護衛する任務に出撃します。小説では出撃前の日曜日から目的地に到着した翌週の日曜日までの航海と戦いが描かれています。

同戦隊は月曜日の午後にスカパ・フローを出撃し、水曜日の朝ハリファックスからやってきたFR77船団とアイスランド沖で合流しその護衛任務につくのですが、船団と合流するまでに、すでに6隻が損傷或いは損傷艦の護衛随伴で戦隊を離れ、スカパ・フローに帰投しています。以降も損害を重ね目的地ムルマンスクに辿り着いたのは護衛部隊(第14護衛空母戦隊)では損傷を負った艦隊駆逐艦1隻のみ、FR 77輸送船団では貨物船3隻とタンカー1隻、という惨憺たる結果でした。

小説に登場する第14護衛空母戦隊を以下にご紹介します。

 

防空巡洋艦ユリシーズ

同艦については、もうあまり紹介の必要はないかと。

戦隊旗艦でしたが、小説内では度重なる損傷で満身創痍になり、日曜日の戦いで沈んでしまいます。

防空巡洋艦ユリシーズ」の概観:123mm in 1:1250 by Neptunをベースとしたセミ・スクラッチ

 

軽巡洋艦スターリング」:「シアリーズ級」軽巡洋艦

第一次世界大戦型の旧式軽巡洋艦「シアリーズ級」の一隻とされています。

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(直上の写真:「シアリーズ級」軽巡洋艦の概観 109mm in 1:1250 by Navis) 

同級は第一次世界大戦期に就役した「C級軽巡洋艦」のサブグループで、艦名は全て「C」で始まるはずなのですが・・・(「スターリング」は”Staring"すなわち”S"で始まっています)。

同級のうち3隻は第二次世界大戦前にいち早く主砲を対空砲に換装し防空巡洋艦の「はしり」となった艦級でもありますが、小説に登場するスターリング」は「6インチ単装砲を5基装備」と記述されており、防空巡洋艦への改装を受けていないことがわかります。

小説内ではスターリング」はドイツ空軍の雷撃を受け損傷し、さらに受けた爆撃により日曜日の朝に沈んでいます。

 

「シアリーズ級」の防空巡洋艦への改装

ちなみに「シアリーズ級」軽巡洋艦は前述のように同級のうち3隻が、第二次世界大戦前に、早くも主兵装を高角砲に換装し、防空巡洋艦として参加しています。主砲を全て高角砲に換装し、艦隊防空を担わせる専任艦種を整備する、という構想に、第二次世界大戦まえに発想が至っていた、というのはある種驚きですね。

同級で防空巡洋艦への改装を受けた3隻のうち「コベントリー(Coventry)」と「カーリュー(Curlew)」は4インチ単装高角砲(QF 4 inch Mk V gun)10基をその主兵装として改装されました。

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(上の写真は防空巡洋艦へ改造された「コベントリー」の概観:108mm in 1:1250 by Argonait:下の写真では「コベントリー」の単装対空砲の配置をご覧いただけます。艦首部に2基(写真上段)、艦中央部に4基(写真中段)、艦尾部に4基(写真下段)が配置されていました)

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一方「キュラソー(Curacoa)」は4インチ連装高角砲(QF 4 inch Mk XVI gun)4基を主兵装として改装されました。

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今回はこの「キュラソー」をNavis製のモデルをベースにセミ・スクラッチしたものをご紹介。

f:id:fw688i:20210502143213j:image(上下の写真は、防空巡洋艦に改装後の「キュラソー(Curacoa)」:同級は3隻が防空巡洋艦に改装されていますが、「キュラソー」が改装時期が最も遅く、他の2艦が4インチ単装高角砲(QF 4 inch Mk V gun)10基を搭載していたのに対し、同艦のみ4インチ連装高角砲(QF 4 inch Mk XVI gun)を4基搭載しています。1番砲、3番砲、4番砲、5番砲が連装高角砲に換装されました。2番砲座にはポンポン砲が設置されました)

防空巡洋艦として就役した3隻はいずれも大戦中に失われています。

 

護衛空母ディフェンダー」・「インヴェイダー」・「ブルー・レインジャー」・「レスラー」:「アタッカー級」護衛空母

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(「アタッカー級」=ボーグ級」護衛空母の概観:119mm in 1:1250 by Neptun)

「ボーグ級」護衛空母は英海軍では「アタッカー級」護衛空母と呼ばれました。24機の搭載機を持ち、船団の周辺哨戒の活躍しました。

レンドリース法で米国から貸与された設定ですが、「レスラー」のみ二軸推進とわざわざ記述があります。「アタッカー級」は一軸推進で、二軸推進は次級の「サンガモン級」なのですが、こちらは英国に貸与されていません。

英海軍の「ニ軸推進の護衛空母」となると英海軍が独自に商船を改造した「ナイラナ級」もしくは「オーダシティ」「アクティヴィティ」などになります。

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(写真は「アクティヴィティ」(上段)と「ナイラナ級」の3D モデル from Shapeways:「アゥティヴィティ」125mm, 「ナイラナ級」129mm:   モデル未入手です)

第14護衛空母戦隊はその名の通り、4隻の護衛空母とその艦載機という強力な空中哨戒能力を誇る戦隊でした。しかし、4隻の空母のうちまず「インヴェイダー」が月曜日の夜に浮遊機雷に触雷して艦首を大破し戦隊から離脱、続いてディフェンダーが火曜日に酷い波浪で飛行甲板が捲れ上がるほどの損傷を負い、やはりスカパ・フローへの帰途につきました。さらに水曜日の夜には「レスラー」(例の艦級不明のニ軸推進艦です)が操舵装置の故障により座礁し脱落、スカパ・フローに引き返しました。

唯一残っていた「ブルー・レインジャー」でしたが、水曜日の夜、雷撃を受け撃沈されてしまいました。こうして、第14護衛空母戦隊は水曜日の夜には全ての護衛空母を失ってしまったのでした。

 

艦隊駆逐艦「サイラス」:「S級」駆逐艦

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(「S級」駆逐艦とほぼ同一の外観の「Q級駆逐艦の概観:87mm in 1:1250 by Argonaut:艦首、艦橋、単装放課の形状等、「S級」とは異なっています:下の写真は「Q級」の兵装配置等、細部の拡大)

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同級は1940年次の戦時急造予算で建造された英海軍の最新鋭駆逐艦です。ほぼ「Q級駆逐艦の基本スペックを受け継いでおり、8隻が建造されました。1650トン級の船体を持ち、37ノット弱の高速を発揮することができました。英海軍は対空戦闘の必要性を早くから認識しており同級にも両用砲の搭載が検討されましたが、重量増から生じるトップヘビーが懸念され、結局従来の4.7インチ単装砲が主砲として採用されました。しかし砲架を新型のものに変更し、仰角を55度として対空戦闘への対応力を高めています。また、近接対空兵装としては連装40mm機関砲を採用しています。

「サイラス」は潜水艦に雷撃された貨物船の乗組員の救護の途中、この貨物船と衝突し舷側を大きく削られる損傷を受けました。しかしその後も救護活動等を継続し、護衛戦隊中、唯一、目的地ムルマンスクに到着しました。

 

旧式駆逐艦「ヴェクトラ」:第一次大戦型の「V級駆逐艦

旧式駆逐艦ヴァイキング」:第一次大戦型の「W級」駆逐艦の対空・対潜戦闘対応への改良型

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 (「V/W級」駆逐艦の概観:写真は「アドミラルティV級」だと思われます:75mm in 1:1250 by Navis)

「V/W級」駆逐艦は、英海軍が第一次世界大戦中に建造した駆逐艦の艦級で、艦名がVまたはWで始まっているところから「V/W級」と総称されています。

同級はドイツ帝国海軍が建造中の大型駆逐艦・大型水雷艇への対抗上から、大型・重武装駆逐艦として設計されました。従来の英駆逐艦の基本装備であった40口径4インチ(10.2cm)砲3門を強化し45口径4インチ(10.2cm)4門とし、さらに連装魚雷発射管2基の標準装備を3連装発射管2基搭載へと、魚雷射線の強化も行われました。(実際には3連装発射管の製造が間に合わず、当初は連装発射管を搭載し就役し、後に三連装に換装されています)

「V/W級」と総称されますが実は大別して下記の5つのサブ・クラス(おお大好きなサブ・クラス!)に分類されます。

アドミラルティV級(28隻:大戦に間に合ったのは25隻)

アドミラルティW級(19隻)

ソーニクロフトV/W級(4隻)

ソーニクロフト改W級(2隻)

アドミラルティ改W級(14隻)

さらに「改W級」では搭載主砲を45口径4インチ(10.2cm)から45口径12センチに強化しています。

(直上の写真は「V級」の主要武装等の拡大:艦首部・艦尾部に背負い式に主砲(45口径4インチ単装砲)を配置し、3連装魚雷発射管を2基、艦の中央部に搭載しています。艦のほぼ中央部に3インチ対空砲を搭載しています(写真中段))

武装の強化に伴い艦型は大型化(1100トン級)しましたが、機関の見直しは行われなかったため、速力は前級の36ノットから34ノットに低下しています。しかしソーニクロフト社製の「改W級」では機関の強化も併せて行われ36ノットの速力を発揮しています。

就役は1918年からで、この年の11月に第一次世界大戦終結したことから、奇しくも第一次世界大戦型の駆逐艦の最終形となりました。

大戦終結後、英海軍は疲弊した国力と、大戦期中に膨大に膨れ上がった大量の艦船の整理に追われるわけですが、最も艦齢の若い同級は多くが残置され、第二次世界大戦でも活用されました。

機雷敷設駆逐艦への改造

V級」の一部の艦は、魚雷発射管の連装から3連装への換装を行う代わりに、連装発射管1基を撤去し、さらに主砲1基も撤去、艦尾形状を整形すると共に機雷敷設軌条を設置して、60基程度の機雷敷設能力を持つ敷設駆逐艦に改造されています。f:id:fw688i:20210515173543j:image

 (「V級駆逐艦のヴァリエーション機雷敷設駆逐艦の概観 by Navis:下の写真は、「機雷敷設駆逐艦」に改装された艦の細部の拡大:艦首部の主砲配置は変わらず、魚雷発射管は連装のまま1基のみ搭載、艦尾部は主砲1基を撤去して艦尾形状を機雷敷設軌条等の張り出しを追加しています )

 

第二次世界大戦時:護衛駆逐艦」への改造

第一次世界大戦駆逐艦としては最も艦齢が若かった「V/W級」は、一部(4隻?)がオーストラリア海軍に供与された他、本稿でも「巡洋艦」の回に見て来たように航空機や潜水艦の脅威の増大を見越して、通商路保護の役割を担う「護衛駆逐艦」への改装に充当されます。

WAIR改修艦(14隻・15隻?)

本稿前回・前々回で見たように、航空機の脅威に備えて英海軍は「C級」巡洋艦の数隻を防空艦へと改装しました。WAIR改修は、それと同趣旨で「V/W級」駆逐艦に長射程の対空砲を搭載し、併せて対潜兵装も強化して船団護衛の要として活用しようとする狙いでした。

 (「V/W級」WAIR改修型駆逐艦の概観 by Argonaut:下の写真は、WAIR改修型の主要武装の拡大:艦首・艦尾に4インチ連装高角砲(QF 4 inch Mk XVI gun)を各1基搭載。魚雷発射管は全て撤去され、対空火器が強化されています。艦尾部には爆雷投射機と投射軌条が搭載され、対潜能力が強化されています)

改修対象となった艦は全ての主砲・魚雷発射管を撤去し、代わりに4インチ連装高角砲(QF 4 inch Mk XVI gun)2基を搭載、他にも対空機関砲を増設した上で、対潜装備として爆雷投射機、投射軌条を搭載する他、後にはレーダーやソナーなどを装備しています。en.wikipedia.org

主要兵装となった4インチ連装対空砲は、「C級」巡洋艦を改装した防空巡洋艦などにも搭載されていた対空砲で、80度の仰角で11800m、45度の仰角で18000mの範囲をカバすることができました。

***さて、ちょっとこぼれ話。名称の「WAIR」が何に基づくものか、今でははっきりしないようです。「W級」の「対空化(ant-AIRcraft)」ではないか、という説も。

長距離護衛駆逐艦への改装(21隻)

「V/W級」に限らず、「艦隊駆逐艦」は高速をその特徴の一つとするため、実はあまり長い航続距離を持たせる設計にはなっていません。しかし、通商路の保護には経済性を持つ商船で構成される低速の船団の航行に合わせた長い航続距離が必要で、「V/W級」の一部はこれに適応するような改装を受けています。

具体的には機関の一部を撤去し、そのスペースに燃料タンクと居住区画を増設し長い航続距離の獲得と、乗員の居住性を向上させました。当然、速力は落ちましたが、対潜警戒用のソナーの運用等を考慮するとかえって20ノット以上では支障が生じるなどの要件もあり、この目的では25ノット程度の速力があれば十分だったということです。

兵装は主砲を2基減らせて、ヘッジホッグや爆雷投射機・投射軌条を搭載し対潜兵装を充実させ、さらに対空砲・対空機銃等を強化しています。

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(「V/W級」改造長距離護衛駆逐艦の概観 by メーカーは不明:下の写真は、長距離護衛駆逐艦型の主要武装の拡大:艦首1番主砲が撤去されヘッジホッグに換装されています(上段写真)。主砲は45口径4.7インチ(12cm)単装砲を、艦首・艦尾に1基づつ搭載しています。機関搭載数を減らしたため煙突が一本に。魚雷発射管は全て撤去され、4インチ単装高角砲が搭載されています(中段写真)。艦尾部には爆雷投射機と投射軌条が搭載され、対潜能力が強化されています)

「ヴェクトラ」ヴァイキングに関しては、「それぞれV級、W級駆逐艦の改造ニ軸艦で、速力と火力において劣るため、今や老朽の部類に入れられていたが、強靭性と耐久性は無類だった」(早川文庫版村上博基氏訳を引用させていただいています)と言う記述が小説の冒頭部にあります。同級は第一次世界大戦型とは言いながら艦齢が他のクラスよりも若く、多くが第二次世界大戦期にも補助戦力として大いに活用されていました。その多くが艦隊随伴駆逐艦から護衛任務に適性が出るように改造を受けています。上述の「長距離護衛駆逐艦」への改造を受けた21隻は、上述のように機関の一部を撤去し、そのスペースに燃料タンクと居住区画を増設し長い航続距離の獲得と、乗員の居住性を向上させています。主砲も2基をヘッジホッグや爆雷投射機に換装され、船団護衛、対潜戦闘への適性を高めています。

「ヴェクトラ」は土曜日のUボートとの戦闘で砲撃戦のすえUボートを潜航不能に陥れ、浮上した敵潜水艦に体当たりを試みますが、その際に何かが大爆発して、敵潜水艦共に沈んでしまいました。おそらくは体当たりの衝撃でUボートの艦首に搭載された魚雷が爆発し、これに「ヴェクトラ」の艦首の主砲弾薬が誘爆を起こしたのではなかろうか、と記述されています。この一連の戦闘について4.7インチ砲の発射が記述されているので、WAIR改修艦ではなさそうであることがわかります(WAIR改修艦は4インチ連装高角砲を主砲としています)。おそらくは「長距離護衛駆逐艦」への改造艦ではないかと。

ヴァイキングの最後ははっきりとは描かれていません。「告げる生存者がいないから、誰も知らない」と。

 

小型駆逐艦「バリオール」:「ハント級駆逐艦

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(「ハント級駆逐艦の概観:68mm in 1:1250 by Argonaut:モデルは1型です。対空兵装を強化した2型、雷装を搭載した3型など、ヴァリエーションがあります。下の写真は「ハント級」の兵装配置等、細部の拡大)

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同級は戦時急造を想定した1000トン級の小型駆逐艦で魚雷装備は持たず、対空・対潜戦闘に特化した武装をしていました。4インチ連装対空砲を2基乃至3基搭載し、爆雷投射器を装備していました。

27ノット程度の速力を有していました。

「バリオール」は月曜日の夜に触雷して損傷した護衛空母「インヴェイダー」を護衛して、スカパ・フローに帰投し、戦隊を離れています。

 

旧式駆逐艦「ポート・パトリック」:「タウン級駆逐艦

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(「タウン級駆逐艦の概観:77mm in 1:1250 by Argonaut:小説に登場する「ポート・パトリック」の兵装については、記述がありませんので、確証はないのですが、この写真ほどの充実はなかったのではないかと思います)

同級は米国との間で交わされた「駆逐艦・基地協定」に基づきバハマ基地等との引き換えで米海軍より譲渡された旧式駆逐艦です。米海軍の艦級としては「コールドウェル級」「ウィックス級」「クレムソン級」の3艦級を含んでいましたが、英海軍では「タウン級」と言う総称で一括りにされています。「タウン級」と言う名称の由来は、艦名に米国・英連邦の双方に存在する町の名前をつkwtwところから来ています(一部はカナダ海軍に譲渡されましたが、カナダ海軍では米国とカナダの双方にある川の名前を艦名としています)。

1000トン級の船体に4インチ砲3基、3連装魚雷発射管2基を装備し、30ノットの速力を出すことができました。

しかし、既に老朽化が進んでおり、かつ艦型が極端に細長く横揺れが酷かったため居住性は劣悪で、あまり乗組員には好まれませんでした。「女王陛下のユリシーズ号」でも姉妹艦が強風下で転覆した例を挙げ、天候が悪化する都度、転覆が心配されるような艦、と記述されています。

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(上の写真は「タウン級」の船団護衛兵装(対空・対潜)拡充時の兵装配置等、細部の拡大。このモデルは米海軍で護衛・警備任務に改装された姿、です。この兵装なら、本文中ほどの酷い記述はないかと。もう少し原型に近いモデルの方が「頼りなさ」がわかってもらえましたかね)

「ポート・パトリック」悪天候で飛行甲板を損傷した護衛空母ディフェンダー」を護衛して、スカパ・フローに帰投しています。

 

フリゲート「ネイアン」:「リバー級」フリゲート

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(「リバー級」フリゲートの概観:72mm in 1:1250 by Argonaut:他の護衛艦に比べ、量産を想定した民間造船所での建造を意識した商船規格での少しぽっちゃりした艦型がよくわかるかと)

同級は1942年から就役し始めた外洋航行への適性を考慮して設計された船団護衛専任艦で、就役当初は「高速コルベット」「二軸コルベット」と呼ばれていました。民間造船所での建造を想定し商船規格の1300トン級の船体に、4インチ単装砲2基と複数の対空機関砲、ヘッジホッグや爆雷投射器を装備した対空・対潜戦闘に特化した護衛艦でした。142隻が建造されました。

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(上の写真は「リバー級」の兵装配置等、細部の拡大。船団護衛専任艦らしく対潜装備が充実しています)

「ネイアン」は艦首を触雷で損傷した護衛空母「インヴェイダー」を護衛して、前出の「バリオール」と共にスカパ・フローに帰投しています。

 

スループ「ガネット」:「キングフィッシャー級」スループ

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(「キングフィッシャー級」スループの概観:58mm in 1:1250 by Argonaut)

同級はワシントン・ロンドン海軍軍縮体制下で、制約を受けない艦種として整備が期待された沿岸スループという沿岸むけの護衛・警備艦種でした。500トン級の小さな艦体に4インチ単装砲、対空機銃、対潜装備を搭載した艦級で、20ノットの速力を出すことができました。

量産性、航洋性の観点から、戦時急造の護衛艦としては民間でも造船可能な捕鯨船をベースとした「フラワー級コルベットに生産が集中されたため、10隻の建造に留まりました。

「ガネット」は「もっぱら沿岸任務にあたるべき艦」と記載され、「相当な時代物」と紹介されています。悪天候で飛行甲板を損傷した護衛空母ディフェンダー」を「ポート・パトリック」とともに護衛して、スカパ・フローに帰投しています。

 

艦隊掃海艇「イーガー」艦級の明示は小説内ではありません

en.wikipedia.org

f:id:fw688i:20220619101957p:image

(「ハルシオン級」掃海艇の概観:60mm in 1:1250 by Argonaut)

小説中には「艦隊随伴掃海艇」と記述があるだけで、艦級や兵装についての記述は見当たりません。

北極海へ進路をとる輸送船団を想定し、英海軍の艦隊随伴掃海艇の中では大きなものをあげてみました。「ハルシオン級」掃海艇は850トン級の掃海艇としては比較的大きな船体を持ち、16−17ノットの速度を出すことができました。実際に北極圏の多くの船団護衛に帯同し、本来の掃海任務(進路開削)と対潜任務をこなしています。敵前での掃海等を想定したため、比較的強力な兵装を有しています。f:id:fw688i:20220619102005p:image

(上の写真は「ハルシオン級」の兵装配置等、細部の拡大。同級は掃海スループとも呼ばれ、「フラワー級」などの対潜専任艦種が充実する前は、船団護衛任務にはしばしば帯同しています)

「イーガー」護衛空母「レスラー」が操舵装置を故障し座礁した際に、これを護衛して取り残されました。のちに旗艦「ユリシーズ」が「レスラー」の座礁地点に引き返し「イーガー」と共に「レスラー」を曳航し離礁させました。その後、「イーガー」は操舵装置を損傷した「レスラー」を護衛してスカパ・フローに引き返しています。

 

以上14隻。

まとめておくと、

戦闘で失われたもの:護衛空母1隻(ブルー・レインジャー)、防空巡洋艦1隻(ユリシーズ)、旧式軽巡洋艦1隻(スターリング)、旧式艦隊駆逐艦2隻(ヴェクトラ、ヴァイキング

損傷を受け引き返したもの:護衛空母3隻(触雷:インヴェイダー、天候による損傷:ディフェンダー、故障による座礁:レスラー)

損傷艦の護衛として引き返したもの:艦隊随伴掃海艇1隻(イーガー)、小型駆逐艦1隻(バリオール)、旧式駆逐艦1隻(ポート・パトリック)、スループ1隻(ガネット)、フリゲート1隻(ネイアン)

損傷した駆逐艦「サイラス」のみが目的地に辿り着きました。

 

第14護衛空母戦隊の水上戦闘艦の一覧

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(第14護衛空母戦隊の空母以外の艦艇の一覧を。まず上の写真では戦隊の中核をなす2隻の巡洋艦と大きさの比較のために駆逐艦「サイラス」(実際には「Q級駆逐艦ですが)を比較:手前から駆逐艦「サイラス」、軽巡洋艦スターリング」、防空巡洋艦ユリシーズ」の順)


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(上の写真では戦隊の駆逐艦他の艦型・大きさ比較:手前から掃海スループ「イーガー」、スループ「ガネット」、フリゲート「ネイアン」、小型駆逐艦「バリオール」、米国からの譲渡駆逐艦「ポート・パトリック」、旧式駆逐艦改造護衛艦ヴァイキング」、同「ヴェクトラ」、艦隊駆逐艦「サイラス」の順)

こうやって改めて見ると、この戦隊はいわゆる船団直衛の戦力としては、かなり充実していますね。やや対潜装備に偏っているような気はしますが、本来はそこ=対空は4隻の護衛空母が賄うはずだったんでしょうね。4隻で少なく見積もっても80機程度の艦載機は保有していたはずで、そのうち30機程度は護衛戦闘機だったでしょうから。これが早々に失われた(1隻が撃沈され、3隻が損傷で離脱)のが痛かった、ということでしょう。護衛艦艇大好きな筆者としては、今回は大変充実していました。

 

というわけで、今回はここまで。

 

次回はフランス海軍艦艇の続きで、同海軍の弩級戦艦以降の開発のお話にしましょうか?

 もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

 

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新着モデルのご紹介:Navis製モデルのヴァージョン・アップ話の続編:ロイヤル・ネイビーの装甲巡洋艦

本稿では1ヶ月ほど前の投稿で、筆者のコレクションの特に第一次世界大戦期のコレクションの主力を占めるNavis製のモデルのヴァージョン・アップのお話を、何度か、ドイツ帝国海軍(第一次世界大戦期)の前弩級戦艦装甲巡洋艦を例に引いてご紹介してきました。

どういう事か、未読の方のためにかいつまんで言うと、「コレクション時は高品質という認識で集めたモデルも、次のヴァージョンがメーカーから発表されると、まず、「どうしても」新旧ヴァージョンの比較をしたくなってしまう、そして一旦比較したら、その差異は当然歴然としているので(メーカーさんはそのために更新しているわけですし、模型製作の技術やスキルも上がっているのは間違いないですから)全てを新ヴァージョンに置き換えたくなる、いつまで経ってもコレクションが完成しない(この部分については、筆者の懐事情が大きな要因でもあるわけですが)、こうした「困った状況」に直面している」と、まあそう言う一種の「ぼやき」のお話なのです。

そして、その中で、「この新旧ヴァージョン問題はその他の国の艦艇でも同じように惹起しており、ドイツ装甲巡洋艦の次は、そのライバルの英海軍装甲巡洋艦でも、より深刻な形で進行中です。(筆者としては、実はこの英海軍のNavis製モデルの新旧ヴァージョンの方がその差異が大きく、なんとかしたい、と思っていますので、これも近々、ご紹介することになるだろうなあと考えています)」とご紹介していました。

 

と言うわけで、今回は英海軍(ロイヤル・ネイビー)の装甲巡洋艦のNavis新モデルが幾つか揃ってきたので、そのご紹介です。

全ての英海軍の装甲巡洋艦の艦級がアップデートできた訳では無いので、体系的なご紹介はまた後日、と言うことになるのかな、と思っています。

 

ロイヤル・ネイビー装甲巡洋艦

列強海軍の例に漏れず、英海軍も装甲巡洋艦の整備を20世紀の初頭から始めています。

これまで装甲巡洋艦という艦種がどのような艦種なのか、ということを何度かご紹介しているので、少し端折って改めてご紹介すると、装甲巡洋艦の成立は実は2系統あった、と筆者は感じています。一つは前弩級戦艦を主力艦として列強が整備した時期に、装甲巡洋艦を準主力艦、と位置付けて、同種艦数隻で戦列を構成して戦艦部隊とともに行動させる、いわゆる高速主力艦として艦隊決戦の戦力として位置付けた発展の系統で、こちらは海外にあまり多くの植民地を持たず、つまり守るべき通商路をあまり意識しなかった海軍、ドイツ帝国海軍や日本海軍における装甲巡洋艦の在り方でした。

そしてもう一つの系統は、通常の巡洋艦本来の適性国に対する通商破壊や自国の商船護衛、植民地警備といった任務を想定し、長期間の作戦航海への適性や快速性に重点をおき、さらにそれに砲力や防御力を付加した強化型巡洋艦の到達点としての段階が「装甲巡洋艦」だった、という系統で、海外に植民地を多く持つ英海軍やフランス海軍において保有され、発展を遂げました。

少し英海軍独自の問題点を挙げておくと、この強化型巡洋艦の整備については、英海軍は従来の防護巡洋艦の形式を多彩にすることによって(一等、二等、三等等のクラス分け等)ある程度対応していましたので、たとえばフランス海軍などに比べると装甲巡洋艦の整備としてはやや立ち上がりが遅かったように見えます。

 

今回はアップデートモデルがまだ揃っていないので、各艦級についての説明はあまり詳しくせず、モデルのヴァージョン・アップのお話にとどめたいと考えていますが、一応、英海軍が整備した装甲巡洋艦の艦級を整理しておくと、以下の7艦級、ということになります。

クレッシー級装甲巡洋艦(1901年から就役:同型艦6隻、12,000トン、23.4cm(40口径)単装砲2基、21ノット)

ドレイク級装甲巡洋艦(1902年から就役:同型艦4隻、14,150トン、23.4cm(45口径)単装砲2基、23ノット)

モンマス級装甲巡洋艦1903年から就役:同型艦10隻、9,800トン、15.2cm(45口径)連装速射砲2基+同単装速射砲10基、23ノット)

デヴォンシャー級装甲巡洋艦(1905年から就役:同型艦6隻、10,850トン、19.1cm(45口径)単装砲4基、22.25ノット)

デューク・オブ・エジンバラ級装甲巡洋艦1906年から就役:同型艦2隻、13,550トン、23.4cm(45口径)単装砲6基、23.25ノット)

ウォーリア級装甲巡洋艦1906年から就役:同型艦4隻、13,550トン、23.4cm(45口径)単装砲6基、19.1cm(45口径)単装砲4基、23ノット)

マイノーター級装甲巡洋艦(1908年から就役:同型艦3隻、14,600トン、23.4cm(50口径)連装砲2基、19.1cm(50口径)単装砲10基、23ノット)

 

上掲の各艦級の概要を一覧していただくと、およそこのような概ね二段階の発展の概要が見えてくるように考えています。

第一グループ巡洋艦本来の任務である海外植民との通商路警備を主任務として、襲撃してくる敵性巡洋艦を排除できる火力と打ち負けない防御力(舷側装甲)を併せ持った「強化型巡洋艦」として発展を遂げた艦級群で、クレッシー級からデヴォンシー級までの4艦級26隻が建造されています。

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(第一グループ=強化型巡洋艦の関係推移の一覧:手前から「クレッシー級(旧モデル)」「ドレイク級(旧モデル)」「モンマス級」「デヴォンシャー級」の順)

第二グループ:英海軍の仮想敵であるドイツ帝国海軍やフランス海軍で発展を遂げつつあった装甲巡洋艦を意識して、主力艦船体の補助戦力や高速を活かした前衛として格段に火力を強化した「準主力艦」としての艦級群で、デューク・オブ・エジンバラ級からマイノーター級の3艦級9隻がこれに該当すると考えています。

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(第二グループの艦型推移の一覧:手前から「デューク・オブ・エジンバラ級」「ウォーリア級」「マイノーター級」の順)

そしてちょうど第二グループの模索中に、一方の艦隊主力艦では革新的な「ドレッドノート」が就役し、続々とこれに続けて「弩級戦艦」が量産されてゆきます。この主力艦はこれ以弩級戦艦」「超弩級戦艦」へと発展してゆき、「前弩級戦艦」の補助戦力として整備された「装甲巡洋艦」という艦種自体が役目を終え「巡洋戦艦」という艦種がこれに変わり登場してくるのです。

 

装甲巡洋艦のモデル、新旧ヴァージョン比較

今回はまだ全てのモデルの新ヴァージョンが揃っている訳ではないの、各艦級についてはまた後日ご紹介数rとして、今回は新旧モデルの比較のみ、簡単にご紹介したいと考えています。

今回、Navis新モデル(いわゆるNavis Nですね)が入手できているのは上掲の7艦級のうち、「モンマス級」「デヴォンシャー級」「デューク・オブ・エジンバラ級「ウォーリア級」「マイノーター級」の5艦級です。

 

モンマス級装甲巡洋艦1903年から就役:同型艦10隻)

(9,800トン、15.2cm(45口径)連装速射砲2基+同単装速射砲10基、23ノット)

ja.wikipedia.org

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(「モンマス級」装甲巡洋艦の概観:110mm in 1:1250 by Navis N=新モデル)

広範な英国の通商路警備を想定すると隻数を確保する必要があることから、前級「ドレイク級」を縮小したタイプとして10隻が建造されました。従来の主砲は搭載が見送られ、15.2センチ速射砲を新開発の連装砲塔2基と舷側の10基の単装砲の形式で搭載されました。意欲的に開発された連装砲塔でしたが、重量が大きい割に動作が緩慢で、重量対策に舷側装甲を抑えねばならず、結果的に攻撃力・防御力共に満足のいく結果は得られなかったようです。

第一次世界大戦では1隻の戦没艦を出しています。

(下は「モンマス級」のNavis旧モデル:もちろん旧モデルも決して品質が低かった訳ではなく、かなり満足がいっていたのですが、新ヴァージョンと比べてしまうと見劣りは否めません。やはり新モデルはキリッと締まっている、というか・・・

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(上の写真は「モンマス級」の新旧モデル比較:左列が旧モデル:上部構造物やボート類、舷側砲門のモールドなどの精度が上がっているのがわかると思います)

 

デヴォンシャー級装甲巡洋艦(1905年から就役:同型艦6隻)

(10,850トン、19.1cm(45口径)単装速射砲4基、15.2センチ単装速射砲6基、22.25ノット)

ja.wikipedia.org

(「デヴォンシャー級」装甲巡洋艦の概観:125mm in 1:1250by Navis N)

課題の多かった前級の経験に基づき主砲が復活され、19.1センチ単装砲4基が搭載されました。配置は艦首部・艦尾部に加え、艦首方向への火力を重視したため両舷舷側の艦首よりの位置に1基づつ配置されました。舷側装甲もやや強化されています。

第一次世界大戦では1隻が触雷で失われています。

(下は「デヴォンシャー級」のNavis旧モデル)

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(上の写真は「デヴォンシャー級」の新旧モデル比較:左列が旧モデル:艦橋等の丈夫構造物やボート類、舷側砲門のモールドなどの精度が上がっているのがわかると思います)

 

デューク・オブ・エジンバラ級装甲巡洋艦1906年から就役:同型艦2隻)

(13,550トン、23.4cm(45口径)単装砲6基、15.2センチ単装速射砲10基、23.25ノット)

ja.wikipedia.org

(124mm in 1:1250)

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(「デューク・オブ・エジンバラ級装甲巡洋艦の概観:124mm in 1:1250by Navis N) 

英海軍は同級から、装甲巡洋艦の設計を一新しています。これまで通商路警備に重点を置かれた設計であった同海軍の装甲巡洋艦でしたが、特に風雲の怪しいドイツ帝国海軍で整備の進む装甲巡洋艦群を指揮して、同級から艦隊戦での優位を意識した設計へと移行しています。このため主砲の口径が大威力の23.4センチに戻され、単装砲塔で6基(艦首・艦尾・舷側に各2基)が搭載されています。この配置で艦首尾線上には主砲3基、舷側方向には主砲4基の指向が可能となりました。

第一次世界大戦では巡洋戦艦の登場で戦略価値が下がっていましたが、1隻(「ブラック・プリンス」)がユトランド沖海戦で失われています。 

(下は「デューク・オブ・エジンバラ級」のNavis旧モデル)

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(上の写真は「デューク・オブ・エジンバラ級」の新旧モデル比較:左列が旧モデル:艦橋等の上部構造物やボート類、主砲塔のモールドなどの精度が見違えるほど上がっているのがわかると思います)

 

ウォーリア級装甲巡洋艦1906年から就役:同型艦4隻)(13,550トン、23.4cm(45口径)単装砲6基、19.1cm(45口径)単装砲4基、23ノット)

ja.wikipedia.org

f:id:fw688i:20220612104411p:image

(「ウォーリア級」装甲巡洋艦の概観:127mm in 1:1250by Navis N)前級「デューク・オブ・エジンバラ級」でそれまでとは一線を画した新たな装甲巡洋艦像を世に問うた英海軍でしたが、同級ではそれを一歩進め主砲(23.4センチ)に加え19.1センチ砲を中間砲として採用しさらに火力を強化しています。これら主砲・中間砲を全て砲塔形式で搭載し、荒天時でも射撃を可能としています。

第一次世界大戦では事故で2隻を失い、1隻を戦闘で失っています。

(下は「ウォーリア級」のNavis旧モデル)

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(上の写真は「ウォーリア級」の新旧モデル比較:左列が旧モデル:艦橋等の上部構造物やボート類、主砲塔のモールドなどの精度が見違えるほど上がっているのがわかると思います)

 

マイノーター級装甲巡洋艦(1908年から就役:同型艦3隻)

(14,600トン、23.4cm(50口径)連装砲2基、19.1cm(50口径)単装砲10基、23ノット)

ja.wikipedia.org

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(「マイノーター級」装甲巡洋艦の概観:127mm in 1:1250by Navis N)前級「ウォーリア級」で採用した主砲(23.4センチ)と中間砲(19.1センチ)の混載方式による火力強化をさらに進め、主砲(23.4センチ)は艦首尾に連装砲塔で搭載し、舷側には中間砲(19.1センチ)の単装砲塔を各舷5基搭載する、重装備艦でした。しかし既に格段の攻撃力と速力を備えた巡洋戦艦の建造へと移行しつつあり、就役時に既に旧式設計艦として二線級の扱いを受け座絵雨を得ませんでした。同級が英海軍が建造した最後の装甲巡洋艦となりました。

第一次世界大戦では1隻を戦闘で失っています。

(下は「マイノーター級」のNavis旧モデル)

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(上の写真は「マイノーター級」の新旧モデル比較:左列が旧モデル:艦橋等の上部構造物やボート類、主砲塔のモールドなどの精度が見違えるほど上がっているのがわかると思います)

 

新ヴァージョンのモデル未入手の艦級(旧モデルをご紹介)

さて、以下のご紹介するのは、今回モデルのヴァージョン・アップから漏れた2艦級です。結構Navis Nのモデルを探しましたが見つからない、困ったものです。さてどうしたものか、という感じではあるのですが、WTJ(フランス艦船のコレクションで結構お世話になっているメーカーです。3D printing modelの「はしり」と言ってもいいかもしれません)で、カタログに載っているので、Navisモデルのヴァーション・アップ・モデル以外にも考えてみようかな、と考えています。

www.wtj.com

こちらは入手し、完成したらご紹介します。今回は。Navisの旧モデルを再掲しておきます

 

クレッシー級装甲巡洋艦(1901年から就役:同型艦6隻)

(12,000トン、23.4cm(40口径)単装砲2基、15.2センチ単装速射砲12基、21ノット)

ja.wikipedia.org

(「クレッシー級」装甲巡洋艦の概観:114mm in 1:1250by Navis) 

英海軍は多くの海外植民地に至る広範な通商露防護を目的に、敵性通商破壊艦の出没に対抗するため、10000トンを超える大型防護巡洋艦の艦級を整備していました(「パワフル級」「ダイアデム級」)。一方でフランス海軍で建造された舷側装甲を持った巡洋艦の登場に刺激され、これら大型防護巡洋艦に舷側装甲を持たせた同級を建造しました。建造の経済効率に配慮された「ダイアデム級」一等防護巡洋艦タイプシップとして、英国の広範な通商路保護を念頭に置くと数を揃える必要があることから6隻が建造されました。

第一次世界大戦では3隻の戦没艦を出していますが、これらはいずれも潜水艦からの雷撃によるものでした。

 

ドレイク級装甲巡洋艦(1902年から就役:同型艦4隻)

(14,150トン、23.4cm(45口径)単装砲2基、15.2センチ単装速射砲16基、23ノット)

ja.wikipedia.org

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(「ドレイク級」装甲巡洋艦の概観:128mm in 1:1250 by Navis)

「クレッシー級」の拡大改良版で、大型の機関を搭載したため大幅に関係が大型化しています。この機関の搭載で23ノットの速力を発揮することができるようになりました。関係の大型化により搭載火器も強化され、23.4センチと口径は同じながら、砲身長を45口径にすることにより主砲の破壊力は強化されています。副砲(15.2センチ単装速射砲)の搭載数も前級の12基から16基に強化されています。

第一次世界大戦では2隻が戦没していますが、そのうちの1隻(「グッド・ホープ」)はコロネル沖海戦でドイツ帝国が準主力艦として整備した「シャルンホルスト級装甲巡洋艦との砲撃戦で失われています。

 

というわけで、今回はこのところ筆者の大きな関心事となっているNavis新旧モデルのヴァージョン・アップ問題の続き、ということで、ある程度新ヴァージョン・モデルが揃ってきた英海軍の装甲巡洋艦の艦級のご紹介をしました。こうして一通り揃ってくると、やはり関連の英海軍の前弩級戦艦群のモデルのヴァージョン・アップも意識に登ってきます。キリがない。困ったことです。

 

次回はフランス海軍艦艇の続きで、同海軍の弩級戦艦以降の開発のお話にしましょうか?

 もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

 

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宝箱のようなフランス海軍:装甲巡洋艦の系譜

「宝箱のようなフランス海軍」その2回目です。

前回、本稿では奇しくも当時の仮想敵国から「サンプル艦隊」と揶揄された試行錯誤の連続として現れたフランス海軍の主力艦(前弩級戦艦)の系譜を再整理したのですが、この「サンプル艦隊」の実現の背景には、当時急速な発展を遂げ、かつ日清・日露両戦役で行われた史上初の蒸気装甲艦同士の実戦からもたらされたデータや戦訓からあるべき「主力艦」の姿についての議論が沸騰し、蒸気装甲艦(蒸気機関による自前の推力を得た為、装甲を装備できるに至ったわけですが)の建造と運用を巡る主導権争いがあったわけです。

少し乱暴に整理すると、「いろいろと実戦をみてみたが、実戦では戦艦の巨砲は特にその射程をより優位に生かせる遠距離射撃ではめったに当たらない。当たらない巨砲で敵艦を沈めることはなかなかできない。当たっても真っ当に設計された装甲を打ち破るためには、少数の命中弾では難しい。こんな実態の艦種の整備が必要なんだろうか」と、まあこんな主題だったのだろうと推測します。

一方で同時期に世に現れた水雷兵器の威力の大きさも実戦で証明されてきました(日露開戦時の旅順要塞への水雷艇攻撃は沈没艦こそ出ませんでしたが、一定の効果がありましたし、日本海海戦以前に両海軍が失った主力艦(戦艦)は全て機雷によるものでした(「ペトロパブロフスク」「初瀬」「八島」))。砲弾に対し装備された装甲のない船底を抜いて仕舞えばいい、と言うわけですね。しかし当時の水雷兵器は射程が短くかつ高価で、これを運用するには敵艦まで肉薄する必要がありました。これには小型で俊敏な運動性を持つ高速艦艇が向いており、つまり水雷艇が開発され、フランス海軍の艦艇整備の議論は限られた財源を不沈性の高い戦艦か、大量の水雷艇整備か、どちらに振り向けるのか、その辺りの綱引きになってゆくわけです。

こうした背景から一種の戦艦の理想型を見出す試行錯誤の過程として「サンプル艦隊」が生み出されるわけですが、模型コレクターとしては、この期間に実に創意に飛んだ艦級が多く生み出されているので、興味は尽きず、一方でコレクションのためのこれは個人としての財源を気にしながら、と言うまさにうれしい悲鳴をあげながらの取り組みになるわけで、つまりこれが「宝箱のような」と言う言葉になって現れています。

 

長々とした説明になってしまいましたが、今回はその「宝箱のような」前弩級戦艦時代のフランス海軍の主力艦の流れを汲んで、同時期に開発が進んでいたフランス海軍の「装甲巡洋艦」の系譜を改めてご紹介しておこうと考えています。今回はそう言うお話。

 

ちょっとくどいけど、装甲巡洋艦とは

前回ご紹介したように(上掲でも言及していますが)、開発に「迷い」の見られた「戦艦」に比べ、「装甲巡洋艦」についてはそのような迷いは見受けられないように筆者は感じています。おそらくこれは「装甲巡洋艦」の成り立ち、つまりその原型となった「巡洋艦」からこれらの艦種の任務の必要性が明らかで、その必要性に沿った発展を遂げた、と言うことなのだろうと考えています。

すでに何度も何度も本稿では言及しているので「耳にタコ」状態かもしれませんが、あえてできるだけ簡単に再掲すると、「巡洋艦」と言う艦種はそもそもがすぐれた航洋性と高速性を兼ね備え、かつ長い航続距離を持って適性国の通商路・植民地周辺に出没してこれを脅かし、あるいは同様に適性国からの自国通商路、植民地への襲撃からこれを防御することを目的として開発された艦種です。襲撃対象が通商路を航行する商船ですので、元来はそれほど重武装を施す必要はなかったのですが、蒸気機関の出力・効率の向上(高速で大きな火力を搭載し長い距離運べる)と速射性を向上させた中口径砲の開発が、上述の通商破壊(あるいは通商破壊艦からの商船護衛)を主任務とする巡洋艦の防御力強化の必要性を顕在化させていったわけです。こうして船団護衛、もしくは通商破壊戦の展開をその主任務とする巡洋艦(当時は防護巡洋艦が全盛)に、近接戦闘での戦闘能力を喪失し難い能力を与えるべく、舷側装甲を追加した「装甲巡洋艦」という艦種が生まれたわけです。

 

そしてフランス海軍の装甲巡洋艦

フランスはイギリスに次いで、海外に多くの植民地を保有し、当然、それらとの間に守るべき長大な通商路を展開していました。まさに上記の通商路破壊と保護を巡る状況の急速な変化と脅威を肌で感じていたわけで、巡洋艦の防御力強化の必要性から「装甲巡洋艦」の発想に至ります。日本海軍などに代表される、戦艦戦力の補助、いわばミニ戦艦的役割の艦隊決戦戦力としての「装甲巡洋艦」とは、一線を画し、速力と航続力を重視した設計になっています。

この艦種、「強化型巡洋艦」と言う構想は新たな艦級が生まれるごとに大型化し、やがては巡洋戦艦登場によりこれに統合され姿を消すまでの約20年間に、フランス海軍は11クラス、25隻を建造しました。

 

その系譜は大雑把に以下の三つに区分できると考えています。

第一期:防護巡洋艦を凌駕する防御力と戦闘力を持った戦闘艦の開発

第二期:汎用戦闘艦としての発達

第三期:補助主力艦としての発達

 

創設期:防護巡洋艦を凌駕する戦闘艦の開発

フランス海軍は世界初の装甲巡洋艦の栄誉を担う「デピュイ・ド・ローム同型艦なし)」、その縮小量産型の「アミラル・シャルネ級」、その強化版の「ポテュオ (同型艦なし)」を立て続けに送り出しますが、これが第一期のグループで、速射砲の発達により全盛を極めた通商路とそこを航海する商船を保護する任務を帯びた防護巡洋艦を圧倒して通商破壊戦を実施する、あるいは通商破壊戦を防止する目的で建造されました。

4,000トンから6,000トン程度の中型艦艇で、いずれも流麗なタンブルホーム形式の船体を持っていました。

 

世界初の装甲巡洋艦「デュピュイ・ド・ローム(1895年就役:同型艦なし)

(1895: 6,676t 19.7knot, 19.4cm *2 + 16.3cm *8)

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装甲巡洋艦「デュピュイ・ド・ローム」の概観:92mm in 1:1250, WTJ:以後ご紹介するモデルの迷彩塗装は筆者のオリジナルなので、気にしないでください)

1895年、フランスは世界に先駆けて、舷側に装甲帯を施し、かつ従来の防護巡洋艦よりも口径の大きな方を搭載した世界初の装甲巡洋艦を建造します。これが「デュピュイ・ド・ローム」です。

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装甲巡洋艦「デュピュイ・ド・ローム」の砲塔配置:特徴は主砲(19.4センチ速射砲)、副砲(16.3センチ速射砲)全てを単装砲塔で搭載しているところです。実は資料により配置には諸説があるようですが、模型を見ていただければ、主砲である19.4センチ速射砲は舷側、艦のほぼ中央部に各舷1基づつ配置されていることがわかります。艦首部と艦尾部には各3基の副砲塔が配置されていました。:Dupuy de Lôme's main armament consisted of two 45-calibre Canon de 194 mm Modèle 1887guns that were mounted in single gun turrets, one on each broadside amidships. Her secondary armament comprised six 45-calibre Canon de 164 mm Modèle 1887 guns, three each in single gun turrets at the bow and stern. The three turrets at the stern were all on the upper deck and could interfere with each other.(英文版wikipediaより引用 French cruiser Dupuy de Lôme - Wikipedia )

6600トン級の船体に19.4センチ速射砲2基と16.3センチ速射砲8基を装備し、19.7ノットの速力を出すことができました。特徴的な船体の軽量化を狙ったタンブルホーム形式の流麗な船体を持ち、これに高速を発揮するための大型機関を搭載し、三軸推進方式を大型軍艦としてはこれも世界で初めて採用した意欲的な一隻でした。

主砲は艦のほぼ中央部に格言に1基づつ配置されていましたが、艦首尾線上には主砲の全てを思考させることが可能ですが、各舷側方向には最も強力な主砲を一射線しか振り向けられず、以降の搭載配置ではこの形式はとられませんでした。

1920年にベルギーの海運会社に売却され高速貨物船となり1923年に解体されました。

 

「アミラル・シャルネ級」装甲巡洋艦(1895年から就役:同型艦4隻)

(1895, 4,748t, 18knot, 19.4cm *2 + 13.8cm *6, 4 ships

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(「アミラル・シャルネ級」装甲巡洋艦の概観:89mm 9n 1:1250 WTJ)

自国の広範囲にわたる通商路を意識して隻数を確保することを狙い、船体の大きさを前級の6600トン級から4600トン級まで大幅に下げています。小型化に伴い副砲の口径を13.8cmに下げ、二軸推進方式として、速力の若干の低下を甘んじて受け入れています。f:id:fw688i:20220605093842p:image

(主砲:19.4センチ速射砲は同級では艦首と艦尾に1基づつ装備されています)

船体形状は前級を踏襲した流麗なタンブルホーム形式を採用していました。

 

装甲巡洋艦「ポデュオ」(1897年就役:同型艦なし)

(1897, 5,374t, 19knot, 19.4cm*2 + 13.8cm*10)

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装甲巡洋艦「ポデュオ」の概観:93mm in 1:1250, Hai)

前級「アミラル・シャルネ級」の改良型として1隻のみ建造されました。船体をやや大型化し(4600トン級から5400トン級へ)砲塔、艦橋等の防備装甲をやや強化しています。副砲 (13.8cm速射砲)を2基増やしています。f:id:fw688i:20220605094216p:image

(「ポデュオ」の砲兵装の配置)

1919年に対空砲射撃用の練習艦に転用され1929年に解体されています。

筆者としてはやや残念なことに、同艦はフランス海軍の艦船の特徴であった流麗なタンブルホーム形式の船体を採用した最後の装甲巡洋艦となりました。

(下は「装甲巡洋艦創設期」の3艦級の比較:手前から建造年次順に「デュピュイ・ド・ローム」「アミラル・シャルネ」「ポデュオ」の順:いずれも顕著なタンブルホーム形態の船体を持っていて、筆者は大のお気に入りです)

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発展期:汎用戦闘艦への発展

第二期のグループは外洋での通商破壊活動(あるいはその防御)を行えるように大型の高揚製の高い形状の船体を持ったグループで、「ジャンヌ・ダルク同型艦なし)」、その縮小量産型である「ゲイドン級」、植民地警備に主題をおいて開発された「デュプレクス級」、「ゲイドン級」の改良版として計画された「アミラル・オーブ級」がこれに属していると考えています。

通商破壊活動から艦隊直衛まで幅広い任務への適性を持つことを狙った一連の艦級でした。

大好きなタンブルホーム形式の船体は廃止されましたが(実に残念!)、高い乾舷を持ち、外洋での凌波性の良好さを狙った艦型となりました。本稿、前回でご紹介した「前弩級戦艦」の系譜でも、「レピュブリク級」のあたりで同様の変化が起こったと考えています。

 

装甲巡洋艦ジャンヌ・ダルク(1902年就役:同型艦なし)

(1902, 11,445t, 21knot, 19.4c,m*2 + 13.8cm *14)

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装甲巡洋艦ジャンヌ・ダルク」の概観:116mm in 1:1250, WTJ)

 フランス海軍の装甲巡洋艦の設計は、同艦からそれまでのタンブルホーム形式を改め、設計を一新してより航洋性に優れ、より高速を目指しました。大出力の機関(それまでの10000馬力から一気に33000馬力に)を搭載し速力を21ノット超まで向上させたため艦型が10000トンを超える大型になりました。武装は主砲は従来と同様の19.4cm単装速射砲2基でしたが、副砲は口径は前級と同様(13.8cm)ながらの搭載数を14基と増やしています。

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(砲兵装等の拡大:艦型を一気に大型化し、高速と大航続距離を兼ね備えた艦となりました。以降のフランス海軍の装甲巡洋艦の標準的な設計に。タンブルホームではなくなってしまって少し残艶な気がしつつも、やはりフランス艦らしい配置で、これはこれでいい感じ(ではないですか?))

ボイラー室を分離配置するなど、意欲的な試みが盛り込まれた試作艦的な性格の強い鑑でした。

フランス海軍は同感の設計で以降のの装甲巡洋艦の標準を確立したと言っていいでしょう。

 

「ゲイドン級」装甲巡洋艦(1902年から就役:同型艦3隻)

(1902-, 9,516t, 21.4knot, 19.4cm *2 + 16.3cm *8, 3 ships

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(「ゲイドン級」装甲巡洋艦の概観:101mm in 1:1250/ Hai社製改造)

同級は、新世代の装甲巡洋艦を目指した試作鑑的な色合いの濃かった「ジャンヌ・ダルク」を原型として、やや小型化し量産を目指した艦級となりました。機関には初めて石炭・石油の混焼缶を採用しています。艦型は10000トンを少し切るところまで減量され、機関出力は抑えたものになっていますが、減量の結果速力は「ジャンヌ・ダルク」と同等を発揮できる設計でした。

主砲は従来のまま19.4センチ単装速射砲でした。副砲の口径が従来の13.8センチから16.4センチに強化されましたが、搭載数は8基に抑えられています。f:id:fw688i:20220605095502p:image

(「ゲイドン級」装甲巡洋艦の砲兵装等の拡大:モデルの作り(Hai製のメタルモデル)によるところも大きいかもしれませんが、かなり手堅い設計であるように感じます)

第一次世界大戦で同級の「デュプティ・トゥアール」がドイツUボートの雷撃で撃沈されています。

 

デュプレクス級」装甲巡洋艦(1904年から就役:同型艦3隻)

(1904-, 7,600t, 20knot, 16.3cm*2*4, 3 ships )  

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(「デュプレクス級」装甲巡洋艦の概観:103mm in 1:1250, WTJ)

同級は植民地警備等の遣外任務を主目的として想定され設計された艦級で、1897年計画で3隻が建造されました。船体は7400トンクラスと、初期の艦級を除くとフランス海軍の装甲巡洋艦としては最も小型で従来は装甲巡洋艦の副砲として搭載されていた16.3センチ速射砲を主砲として搭載していました。搭載形式は装甲巡洋艦としては初めて採用された連装砲塔形式で艦首尾方向にも舷側方向にも連装砲塔3基が指向できる設計となってました。

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(前出の「ジャンヌ・ダルク」や「ゲイドン級」が強力な砲兵装を搭載した戦闘艦的な色合いが濃い一方で、同級は植民地警備等、遣外任務用に設計されたクラスで、前級よりもやや小型で、やや小さな口径の主砲を連装砲塔で装備するなど軽快で機能的な「巡洋艦」本来の任務を意識して設計されたように感じます)

石炭・石油混焼缶を搭載し、21ノットの速力を発揮し、従来よりも2割程度長い航続距離を備えていました。

 

「アミラル・オーブ級」装甲巡洋艦(1904年から就役:同型艦5隻)

(1904-, 9,534t, 21knot, 19.4cm *2+16.3cm *8, 5 ships)  

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(「アミラル・オーブ級」装甲巡洋艦の概観:113mm in 1:1250, WTJ)

同級は「ゲイドン級」の改良型として設計されました。最大の改良点は副砲(16.3センチ速射砲)の搭載形式で、搭載数は8門と同等ながら、半数を単装砲塔形式で搭載し、広い射界を確保しています。

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(砲兵装配置の拡大:6.5インチ(16センチ)副砲の半数を砲塔形式で装備し、広い射界を確保しています。フランス的な機能美、というと言い過ぎでしょうか?)

5隻が建造されました。

(下は「装甲巡洋艦第二期」の4艦級の比較:手前から建造年次順に「ジャンヌ・ダルク」「ゲイドン級」「デュプレクス級」「アミラル・オーブ級」の順:タンブルホーム形態でなくなってしまって少し残念なのですが、新たな機能美というか、なんとも言えない新たな「フランス艦」らしさが表れています)

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展開期:補助主力艦へ

第三期の装甲巡洋艦のグループは、砲力と防御力を前汎用巡洋艦のグループから格段に強化し、艦隊主力艦を補助する、いわゆるミニ戦艦的な運用を意識したものになったと考えています。

このグループには、「レオン・ガンベッタ級」、「ジュール・ミシュレ」、「エルネスト・ルナン」、そして「エドガー・キーネ級」が含まれています。いずれも12,000トンを超える大型艦でした。英海軍、ドイツ帝国海軍の装甲巡洋艦がそれぞれ開発の系譜は異なるものの巡洋戦艦に吸収統合されていったのに対し、フランス海軍は巡洋戦艦という艦種を結果的には持ちませんでした(計画はあったようですが)。

これも艦隊決戦用の強力な戦艦戦隊を持てなかった(持たなかった?)のと同じ理由でしょうか?英独海軍の激突で戦艦(主力艦)が揚げた戦果を見れば(決定的な戦果はお互いあげていません)、ある種「慧眼」と言えるかもしれません。「新生学派」時代の議論は無駄ではなかった、ということかな?

 

「レオン・ガンベッタ級」装甲巡洋艦1903年から就役:同型艦隻)

(1903, 12,400t, 22.5knot, 19.3cm *2*2 + 16.3cm*2*6 +1*4, 3 ships

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(「レオン・ガンベッタ級」装甲巡洋艦の概観: 115mm in 1:1250, Navis)

同級は「アミラル・オーブ級」の改良型として設計されましたが、艦型が大幅に拡大され、特に火力が強化されました。具体的には主砲には口径は従来と同じ19.4センチ速射砲が採用されていますが、従来の単装砲塔形式を連装砲塔形式に改めてで艦首、艦尾に1基づつが搭載され、2倍とした他、副砲も口径は同じながら前級の8門の搭載数を連装砲塔で6基、単装砲で4基と一気に倍の搭載数と強化しています。

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(「レオン・ガンベッタ級」の砲兵装配置: 主砲・副砲とも連装砲塔での搭載として、火力を格段に強化、砲塔としたことにより、副砲も広い射界を確保しています)

機関も出力を強化されたものを搭載し、22.5ノットを発揮することができました。

3隻が建造されました。

 

装甲巡洋艦「ジュール・ミシュレ1906年就役:同型艦なし)

(1906, 13,105t, 22.5knot, 19.3cm *2*2 +16.3cm*12)

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装甲巡洋艦「ジュール・ミシェル」の概観:115mm in 1:1250, Hai)

「レオン・ガンベッタ級」の改良型として1隻のみ建造されました。主砲に新開発の長砲身の50口径砲を採用し、これを艦首・艦尾に連装砲塔で搭載しています。

新型の機関を搭載して速力を上ていますが、新型主砲と主砲塔の重量増を副砲の数を減じることでカバーし、速力向上を実現させました。

副砲は8基を単装砲塔形式で、残り4基をケースメイト形式で搭載し、広い射界を確保する配置としています。

(下の写真は「ジュール・ミシュレ」の砲兵装配置: 長砲身の主砲を連装砲塔で搭載し、重量増分を副砲の数w歩減少させることでまかなっています。副砲は12基中8基を単装砲塔で装備し、射界を広く確保しています)

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装甲巡洋艦「エルネスト・ルナン」(1909年就役:同型艦なし)

 (1909, 13,644t, 23knot, 19.3cm*2*2 +13.4cm*12)

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装甲巡洋艦「エルネスト・ルナン」の概観:126mm in 1:1250,by Hai)

同艦は前出の「ジュール・ミシェル」同様、「レオン・ガンベッタ級」の改良型として1隻のみ建造されました。主砲、副砲の数、搭載形式は「ジュール・ミシェル」と同様でしたが、速力を上げるために艦を12メートル延長し、新型の機関を搭載して速力を23ノットまで上げることに成功しています(公試時には24ノットを上回る速力を記録しています)。一方で艦型は13000トンを超える大型艦となりました。

(下の写真は「エルネスト・ルナン」の砲兵装配置: 搭載砲、搭載形式などは「ジュール・ミシュレ」に準じています。より強力な機関を搭載したため、煙突の数が6本に増えています。ボイラー室を前後に振り分けたため、煙突の位置は2箇所に離れた配置となりました(これは他の装甲巡洋艦との共通の配置))

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エドガー・キーネ級」装甲巡洋艦(1911年就役:同型艦2隻)

(1911-, 13,847t, 23knot, 7.6in *2*2 +7.6in *10, 2 ships

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(「エドガー・キーネ級」装甲巡洋艦の概観:129mm in 1:1250 3D printing model by Master of Miy)

同級はフランス海軍が建造した最後の装甲巡洋艦で、2隻が建造されました。その最大の特徴は副砲を廃止し、19.3センチ速射砲を連装砲塔で2基、単装砲塔形式で6基(片舷3基)そして船体内にケースメイト方式で四基(片舷2基)搭載しています。この配置により艦首尾方向にはそれぞれ19.3センチ速射砲を6門、舷側方向には9門指向することが出来ました。

(下の写真は「エドガー・キーネ級」の砲兵装配置等:副砲を廃止して主砲(19.3センチ速射砲)のみの搭載としています。大型の機関を搭載したため、煙突のk図は6本に)f:id:fw688i:20220605102203p:image

新型の機関を搭載し24ノットの速力を得ています。

 

(下は「装甲巡洋艦第三期」の4艦級の比較:手前から建造年次順に「レオン・ガンベッタ級」「ジュール・ミシュレ」「エルネスト・ルナン」「エドガー・キーネ級」の順:いずれも大型で高速の戦闘艦として、主力艦部隊を支える役割を果たすべく、建造されました)

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(下は「フランス海軍の装甲巡洋艦」の形態変化を総覧したもの:手前から第一基の代表として「デュピュイ・ド・ローム」第二期から「デュプレクス級」と「あみらる・オーブ級」第三期から「レオン・ガンベッタ級」と最後の装甲巡洋艦エドガー。キーネ級」の順:艦型の大型化を顕著にみることができます。この中でも「デュプレクス級」は大型戦闘艦というよりも、植民地警備など本来の巡洋艦任務に回向製が高い摂家だということがわかります)

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というわけで、前回のフランス海軍の前弩級戦艦の系譜に続いて、同時期の装甲巡洋艦の開発系譜を見ていただいたわけですが、前弩級戦艦のケースほどの迷走は見られず、少し物足りない感じ(?)ではないかと思います。

この2回を振りかっえってみて、「巡洋艦」には通商路保護をめぐる比較的明確な、そして基本的な自国商船の保護という目的があるのに対し、「戦艦」にはそれほど明確な保有目的がないのかな、などと考えさせられました。特にフランス海軍の場合には、艦隊決戦に対するそれほど明確な必要性を感じていなかったんじゃないかと。

この辺りは、もっと時間をかけて、そして他の艦種の開発系譜やその背景なども考えてみると、きっと面白そうです。

というわけで今回はこの辺で。

 

次回はフランス海軍艦艇の続きで、同海軍の弩級戦艦以降の開発のお話にするか、あるいは少し週末を跨ぐプライベートなイベントがあるので、もしかすると最近新着が続いている英海軍の装甲巡洋艦のモデルで、再びモデルメーカー(Navis Nモデル)のヴァージョンアップに関するぼやきなどを聞いていただくかも。どうしようかな。

 もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

 

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宝箱のようなフランス海軍:弩級戦艦登場以前のフランス海軍主力艦の系譜

本稿、前回はドイツ帝国海軍の第一次世界大戦期の装甲巡洋艦のご紹介を、コレクションモデルのヴァージョン・アップのお話を交えてご紹介しましたが、「そもそも装甲巡洋艦とは」というくだりで、「その始祖は実はフランス海軍」というようなお話をしました。

少しそのまま引用すると・・・・。

「少し意外に聞こえるかもしれませんが、この艦種の家元はフランス海軍であると考えています。世界初の装甲巡洋艦デピュイ・ド・ローム同型艦なし)」を1895年に就役させています。

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(1895: 6,676t 19.7knot, 7.6in *2 + 6.4in *6 92mm in 1:1250, WTJ:明細は筆者のオリジナルなので、気にしないでください)

フランス海軍は、速射砲の性能向上に伴う戦闘艦の攻撃力の格段の強化に伴い、これに対抗し船団護衛、もしくは通商破壊戦の展開をその主任務とする巡洋艦(当時は防護巡洋艦が全盛)に、近接戦闘での戦闘能力を喪失し難い能力を与えるべく、舷側装甲を追加しました。こうして「装甲巡洋艦」という艦種が生まれたわけです。

19.4センチ速射砲2基と16.3センチ速射砲8基を装備し、19.7ノットの速力を出すことができました。性能もさることながら、そのデザインの何と優美な事か。」

 

まあ、こんな感じでドイツ帝国海軍の装甲巡洋艦のお話にも関わらず、冒頭、フランス海軍の装甲巡洋艦のご紹介で始めていたわけです。

そんなわけで、ここらで再度、フランス海軍の主力艦の開発系譜などご紹介しておく良い折り合いかな、と思い、今回はそういうお話をしたいと思います。

全部一気に、というのは少し荷が重いので、今回は行けるところまで、という感じで進めますが、筆者のフランス海軍艦艇への関心は特に「弩級戦艦」の登場以前、に集中していますので、今回はその辺りまでなんとか行きたいな、そう思っています。

今回はそういうお話。

(上述のように、再録、的な回ですので(かなり文章は変わると思いますが)、もし出し惜しみせず全部行こうぜ、という方は下記をご覧ください)

fw688i.hatenadiary.jp

 

「宝箱のようなフランス海軍」

弩級戦艦登場以前のフランス海軍の主力艦開発の「迷走」

フランス海軍は、ご承知のように元々は英国と並ぶ海軍の老舗で、近代戦艦(いわゆる後に前弩級戦艦、準弩級戦艦と分類されるわけですが)全盛の時期にも実に多くの設計を世に送り出しています。その形式は12形式に及びますが、建造された近代戦艦(前弩級戦艦・準弩級戦艦)の総数は23隻にすぎません。つまり多くが同型艦を持たぬ、いわば試行錯誤的な艦艇、あるいはタイプシップの改良型であったと言ってもいいかもしれません。

背景には「新生学派」(ジューヌ・エコール)と呼ばれる、ある意味では、いかにも議論の国フランスらしい、「大艦巨砲主義」の対局をゆく海軍戦略を主導しようとする一派の海軍首脳部での台頭がありました。彼らの主導する海軍中枢により、戦艦建造への疑問符から生じる予算制約、建造条件の設定など、いわば戦艦設計における迷走期が長く続いたわけです。

確かにこの時期は、蒸気装甲艦の出現後、初めて日清、日露での実戦が行われ、多くの戦略的、戦術的データがあらわれた時期でもありましたので、その中で多くの仮説が現れ、それに国民的な体質が重なり(本当かな?)、このような現象が発生する必然があったと言えるかもしれません(この時期、史上初と言ってもいい蒸気装甲艦同士の海戦が「日清戦争」で行われ、そこで現れた装甲艦の浮沈性、にも関わらず、大口径砲は命中せず、勝敗は中口径の速射砲が決定した、というような海戦から現れた諸相を見れば、戦艦の存在そのものに疑問符がもたれても、ある意味仕方がない、ということかもしれないと、筆者も感じています)

が、経緯はどうあれ、日本海軍が日清・日露で実戦で体感し実証し、その後、ドイツやイギリス、日本などが、同一口径の戦艦の集中的な運用による艦隊決戦の思想に至り、果ては「弩級戦艦」に行き着く艦艇開発を進めた時期に、フランス海軍で生起したこの議論と試作(あえてこの段落のサブタイトルでは「迷走」と言い切りました)は、フランス海軍を世界の二大海軍の座から脱落させた要因の一つと言っていいように考えています。

 

一方で、このことは艦艇設計的には長い期間、競争試作的な時期が続いたということでもあるわけで、その設計は常にユニークで、例えば他国に先駆けた副砲の砲塔化、あるいは四連装砲塔の実現など、その技術的な発展には見るべきものが多い時期でもあった、と考えています。

 

これらのことを艦船模型的な視点でまとめると、実に多くの試作品がカタログに盛り込まれた「宝箱のような海軍」で、筆者のモデルコレクターの魂を強く揺さぶるのです。

例えば、1891年から就役したシャルル・マルテル準級(準級:聞き慣れませんが、緩やかなグループ、というような意味ですよね、きっと)には5隻の戦艦が属しているとされているのですが、発注時に排水量・備砲・速力などは一定の基準を設けられたものの、デザイナーも造船所も異なり、まさに「競争試作」が、なんと「戦艦」で実際に行われた、というようなことが見て取れるわけです。

既にほぼ同時期に、永年の仮想敵であったイギリス海軍は、同型艦を多数揃え、戦隊での統一指揮下における戦闘運用を構想するという主力艦艦隊(戦隊)の設計思想を確立していました。ドイツ帝国艦隊もこれに追随し、その果てにいずれは「ドレッドノート」という革命的な艦の設計と、その後の両海軍を中心とした大建艦競争が待っているわけですが、そうした統一構想を持たない(むしろ背を向けた?)フランス艦隊を、イギリス海軍は「サンプル艦隊」と揶揄していました。

しかし、まさにこの「サンプル」感覚から、これからご紹介する興味深い、そして優美な(筆者にとっては!?)艦船群が生み出されたということには、本当に感謝したいのです。

 

重ねて感謝

下のリンク、フランス海軍の艦船開発史について、大変興味深くまとめていらっしゃいます。

上記の整理についても、大変参考にさせて頂きました。紹介させて頂きます。

フランス艦艇に興味のある方、必読です。

軍艦たちのベル・エポック(前編)

軍艦たちのベル・エポック(後編)

 

近代戦艦:前弩級戦艦 

フランス海軍は「1890年計画」で、主力艦24隻配備を目標に向こう10年間に10隻の主力艦を建造することを目標として掲げます。以下にご紹介する一連の主力艦はこの計画に沿ったものなのです。(実は最初の「ブレニュス」は少し微妙です。起工は1889年ですので、「1890年計画」以前なのですが、後述のように軍政サイドのゴタゴタで工事が中断し、中断期間中に開発された技術などを取り込んで建造が再開されていますので、この1隻に数えるべきかどうか・・・)

戦艦「ブレニュス」(1895年就役)

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(1891-, 11,190t, 18knot, 340mm *2*1+340mm*1*1)

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(戦艦「ブレニュス」の概観 :97mm in 1:1250 by WTJ )

 同艦は上述のフランス海軍の「新生学派」主導時代(ジュール・エコール)における、最初の戦艦 です。

建造の経緯は少し複雑で、元々は前級「マルソー級」(装甲艦?いずれ改めてご紹介)の4番艦として予算確保されましたが、軍政面でのゴタゴタ(海軍大臣の交代等)で一旦建造中止となり、再度の大臣交代に伴い、全く新しい設計で新造されました。f:id:fw688i:20220529095347p:image

(戦艦「ブレニュス」の砲兵装の配置:艦首部の34センチ連装砲塔(上段)、艦中央部の16センチ単装速射砲。中央砲郭の名残的な配置ですが、一部は単装砲塔?(中断)、艦尾部の単装34センチ砲塔)

34センチ砲を主砲とし、前部に連装砲塔、後部に単装砲塔の形で搭載していました。全周装甲の連装砲塔や、16センチ速射砲を単装砲塔形式で登載、あるいは新型のボイラー採用等、新機軸を多数盛り込んだ意欲的な設計でした。当時の戦艦としては18ノットの高速を発揮することができました。

 

「シャルル・マルテル準級」戦艦(1893年から就役:準同型艦5隻)

大鑑巨砲に懐疑的な「新生学派」支配下のフランス海軍は、次世代の主力艦に明確な構想を見出すことができませんでした。しかし一方で仮想敵である英海軍の海軍軍備整備は進んでおり、主として英海軍への対抗上、建艦計画をスタートさせることとなりました。その辺りの紆余曲折は上記の「ブレニュス」の建造の経緯にも現れているのですが、それとほぼ平行して、シャルル・マルテル準級が建造されることとなりました。これは、設計の基本スペックを規定し、すなわち排水量(11,500t ±)、搭載砲(30.5cm * 2+27cm *2)、速力(17.5 knot ±)などのスペックを与え、設計者・造船所により一種の競争試作を行わせる、というようなものでした。

この競争試作の結果、「シャルル・マルテル」「カルノー」「ジョーレギベリ」「マッセナ」「ブーヴェ」の5隻が建造されました。いずれも主兵装を菱形配置とし、30.5センチ砲2門を艦の前後に、27センチ砲2門を艦の左右に単装砲等で登載しています。

 (「シャルル・マルテル準級」の5隻:「シャルル・マルテル(左上段)」「カーノウ(左下段)」「マッセナ(右上段)」「ブーヴェ(右中段)」「ジョーレギベリ(右下段)」 注:それぞれの塗装は筆者のオリジナル塗装です。この様な迷彩(?)塗装の記録はありません。「ふざけるな!」<<<お叱りごもっともです。ご容赦ください)

 

戦艦「シャルル・マルテル」(1897年就役)

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(1897, 11,639t, 18knot, 30.5cm *1*2+ 27cm *1*2 )  

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(「シャルル・マルテル」の概観:94mm in 1:1250 by WTJ:War Time Jornal)

同艦は「「準級」計画の一環として建造され、ブレスト海軍造船所が建造にあたりました。美しいタンブルホーム型船体を有しています。

艦首部、艦尾部に主砲である30.5センチ砲を単装砲塔で装備し、両舷側に中間砲である27センチ砲をこれも単装砲塔形式で装備していました。併せて14センチ副砲も全て単装砲塔形式で搭載され、広い射界を与えられていました。f:id:fw688i:20220529100716p:image

(「シャルル・マルテル」の砲兵装配置:艦首部から30.5センチ単装主砲塔と両脇の14センチ単装速射砲(上段)、艦中央部の27センチ単装中間砲とその周辺の14センチ単装速射砲、さらに艦尾部の30.5センチ単装主砲塔と周辺の14センチ単装速射砲(下段):「準級」の標準的な砲兵装配置、と言っていいでしょう)

この搭載形式。配置により艦首尾方向に30.5センチ砲1門、27センチ砲2門、14センチ砲4門が、舷側方向には30.5センチ砲2門、27センチ砲1門、14センチ砲4門が、それぞれ指向でき、強力な火力を有していました。

 

戦艦「カルノー」(1897年就役)

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(1897, 11,954t, 17.8knot, 30.5cm *1*2+ 27cm *1*2)  

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(「カルノー」の概観:94mm in 1:1250 by WTJ:War Time Jornal)

同艦はトゥーロン海軍造船所が「準級」計画の一環として建造しました。

「シャルル・マルテル」同様、タンブルホーム型の船体を有し、主砲・中間砲・副砲の搭載形式もほぼ同等で、艦首尾、舷側それぞれの方向に強力な火力を指向することができました。f:id:fw688i:20220529100523p:image

(「カルノー」の砲兵装配置:搭載砲とその配置は上掲の「シャルル・マルテル」に準じた配置になっています。艦首部から30.5センチ単装主砲塔と両脇の14センチ単装速射砲(上段)、艦中央部の27センチ単装中間砲とその周辺の14センチ単装速射砲、さらに艦尾部の30.5センチ単装主砲塔と周辺の14センチ単装速射砲(下段))

同艦が属するこの「準級」計画は 1890年海軍計画の一部で、10年間で10隻の新造戦艦を建造する、という計画の一部でした。「準級」計画の特徴は同じ基本スペックに対する競争試作を行うとするもので、様々な創意を具現化し個艦の性能向上を目指す効果を促進する一方で、同時期に英独海軍が推進していたような同型艦を量産し統制された戦隊行動により強大な破壊力を創出する、というような戦術的な運用に対しては、適性が高いとは言えないものでした。

 

戦艦「ジョーレギベリ」(1897年就役)

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(1897, 11,818t, 17knot, 30.5cm *1*2 + 27cm *1*2 )  

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(「ジョーレギベリ」の概観:89mm in 1:1250 by WTJ:War Time Jornal)

同艦の設計者はアントワーヌ・ジャン・アマブル・ラガヌで、ラ・セーヌ造船所で建造されました。設計者のラガヌは、本艦の設計以前にフランス戦艦「マルソー」(菱形主砲配置の先駆的存在)、やスペイン戦艦「ペラーヨ」を手がけたベテランで、この後、馴染みのあるロシア太平洋艦隊旗艦の「ツェザレヴィッチ」の設計を手がけることになります。

本艦のみ副砲を連装砲塔で装備しています。連装の副砲は前部艦橋と後部艦橋のそれぞれ脇の上甲板状に配置され、広い射界を与えられ、主砲・中間砲の菱形配置と併せて、艦首尾方向、舷側方向それぞれに強力な火力を指向することができる設計でした。f:id:fw688i:20220529101040p:image

(「ジョーレギベリ」の砲兵装配置:同艦のみ副砲は連装砲塔形式で搭載されていました:艦首部から30.5センチ単装主砲塔と両脇の14センチ連装速射砲塔(上段)、艦中央部の27センチ単装中間砲、さらに艦尾部の30.5センチ単装主砲塔と周辺の14センチ連装速射砲塔(下段))

この副砲の連装砲塔での搭載は、のちにロシア海軍向けに設計された「ツェザレヴィッチ」やこれをタイプシップとする「ボロディノ」級戦艦などにも影響を与えたと言っていいでしょう。

 

戦艦「マッセナ」(1898年就役)

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(1896, 11,735t, 17knot, 30.5cm *1*2 + 27cm *1*2 )  

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(「マッセナの概観:94mm in 1:1250 by WTJ:War Time Jornal)

同艦の設計者はルイス・マリー・アンヌ・ド・ビュシィで、世界初の装甲巡洋艦である「デュピュイ・ド・ローム」の設計者として有名です。ロアール造船所で建造されました。「デュピュイ・ド・ローム」との共通点が多く見られ、世界初の3軸推進の戦艦となりました。

主砲・中間砲・副砲などの搭載形式は「準級」の他艦と同様で強力な火力を周囲に向けることが可能でしたが、完成後は、設計に対し重量超過となり、肝心の装甲帯が水中に没し防御力に課題があることが判明しました。また、極端なタンブルホーム形状から、安定性に問題があったとされています。

f:id:fw688i:20220529101344p:image

(「マッセナ」の砲兵装配置:搭載砲とその配置は上掲の「シャルル・マルテル」に準じた配置になっています。艦首部から30.5センチ単装主砲塔と両脇の14センチ単装速射砲(上段)、艦中央部の27センチ単装中間砲とその周辺の14センチ単装速射砲、さらに艦尾部の30.5センチ単装主砲塔と周辺の14センチ単装速射砲(下段):極端なタンブルホーム形式の船体を採用していることがよく分かります。意欲的なことは伝わってきますが、課題の多さもなんとなく予見できますね)

筆者としてはこの「極端なタンブルホーム」というのが大のお気に入りで、この「準級」の中では一番だったので、少しこれらの課題があることは残念です。もう一つ、確かにここまで艦型が多感と異なると戦隊としての行動は運動特性から難しそうですよね。

(下の二点の写真は多くの共通点があるとされる世界初の装甲巡洋艦「デュピュイ・ド・ローム」の概観:再掲と両艦の概観比較)

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戦艦「ブーヴェ」(1898年就役)

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(1898, 12,007t, 18knot, 30.5cm*1*2 + 27cm *1*2)

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(「ブーヴェ」の概観:96mm in 1:1250 by WTJ:War Time Jornal)

同艦は「準級」最終艦としてロリアン造船所で建造されました。

砲装備の配置などは、「準級」の他艦と同様で、全周に対し強力な火力を指向することができました。

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(「ブーヴェ」の砲兵装配置:搭載砲とその配置は上掲の「シャルル・マルテルに準じた配置になっています。艦首部から30.5センチ単装主砲塔と両脇の14センチ単装速射砲(上段)、艦中央部の27センチ単装中間砲とその周辺の14センチ単装速射砲、さらに艦尾部の30.5センチ単装主砲塔と周辺の14センチ単装速射砲(下段):同艦の絞り込みの強いタンブルホーム形式の船体の特徴がよくわかるのでは)

寸法、排水量とも同準級の他艦を少し上回るサイズとなりましたが、最新式のハーヴェイ・ニッケル鋼を装甲に用いるなど、同準級の中では最もバランスの取れた艦となったとされています。同艦も「マッセナ」同様、三軸推進でした。

第一次世界大戦ではガリポリの戦いで触雷し、「準級」の中で唯一の戦没艦となりました。

 

シャルルマーニュ級」戦艦(1899年から就役:同型艦3隻)

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(1899-, 11275t, 18knot, 30.5cm *2*2, 3 ships)

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(「シャルルマーニュ級」戦艦の概観:94mm in 1:1250 by WTJ:War Time Jornal)

「シャルル・マルテル準級」でフランス海軍が主力艦のあるべき姿を瞑想(迷走?)している間に、英海軍は近代戦艦の標準を見い出し、同型艦のセットを揃えてこれを戦隊で運用するという構想を実現しようとしていました。この「量産=同型艦の建造」には、同一口径の巨砲を数多く揃え、これらを統一指揮する戦術運動への指向も併せ持っていたわけです。

ところがフランス海軍ではこれまで見てきたように、いわゆる「サンプル艦隊」としてスペックの共通性はあったものの、個艦の性能向上への指向が設計に色濃く現れており、運動性の統一、戦隊としての運用等には大きく出遅れていることに気付かざるを得なかったわけです。

英海軍に続きドイツ帝国海軍もこれに追随する動きを見せ、これらに対応するために、フランス海軍が建造したのが、「シャルルマーニュ級」からその改良型である「イエナ」「シュフラン」に至る戦艦群でした。

シャルルマーニュ級」ではそれまでフランス戦艦の標準的な搭載砲であった主砲・中間砲・副砲の三種混載を改めて、中間砲を廃止し主砲を連装砲塔2基で艦首・艦尾に配置しています。「シャルル・マルテル準級」では標準化していた感のあった副砲の搭載形式も砲塔から軽量化が可能なケースメイト方式に改め、連装主砲塔2基の搭載による重量増に対応した形としました。

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(「シャルルマーニュ級」戦艦の砲兵装配置:艦首部から30.5センチ連装主砲塔、重量軽減のためにケースメイト形式で搭載された副砲群が艦中央部に続き(上段)、艦尾部の連装主砲塔へと続きます:実験的な要素は影を潜め、標準化(=量産?)を意識した手堅い設計を目指したことが伝わるような・・・)

第一次世界大戦時には既に弩級戦艦の時代を迎えていたため、同級は二線級戦力として後方支援にあたりました。ガリポリの戦いに参加し、同級の「ゴーロア」は陸上からの砲撃を受け損傷しています。

 

戦艦「イエナ」(1902年就役)

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(1902-, 11688t, 18knot, 30.5cm*2*2)

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(戦艦「イエナ」の概観:100mm in 1:1250 by Hai)

WTJ(War Time Journal)製のモデルを入手したので、そちらもこの機会に紹介しておきます。

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(戦艦「イエナ」の概観:98mm in 1:1250 by WTJ;War Time Journal:下の写真はWTJ版「イエナ」のディテイル拡大:迷彩塗装は例によって筆者の創作ですのでご注意を)

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同艦は前級「シャルルマーニュ級」の改良型として1隻建造されました。次級「シュフラン」と併せて、5隻で準同級を構成していると言って良いと思います。前級からの改良点は、副砲を14センチ速射砲から16.4センチ速射砲に強化し、装甲の強化を併せておこなっています。

1907年に当時の火薬の不具合から弾薬庫の爆発事故を起こし、多数の死傷者を出し、以降は標的艦とされました。

 

戦艦「シュフラン」(1904年就役)

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(1904-, 12432t, 17knot, 12in *2*2 )

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(戦艦「シュフラン」の概観:99mm in 1:1250 by WTJ:War Time Jornal)

同艦は前出の「イエナ」同様、「シャルルマーニュ級」の改良型として一隻のみ建造されました。「イエナ」で副砲に採用された16.4センチ速射砲を単装砲塔形式で搭載し、広い射界を確保しています。

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(「シュフラン」の砲兵装配置:艦首部から30.5センチ連装主砲塔、副砲を16.4センチ速射砲として、「イエナ」ではこれをタイプシップの「シャルルマーニュ級」同様メースメイト方式で搭載していましたが、「シュフラン」では単装砲塔形式とケースメイト形式の混載として、射界を広くとる工夫が)

第一次世界大戦では主としてトルコ戦線方面で前弩級戦艦を中心に構成された戦艦戦隊の旗艦を務め活動しましたが、修理のための回航中にドイツUボートの雷撃を受け、弾薬庫が誘爆し轟沈しています。

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(上の写真は「シュフラン」とタイプシップである「シャルルマーニュ級」の比較:艦型はやや大型に(上段:上が「シュフラン」)。中段と下段では副砲搭載形式の比較(下段が「シュフラン」の副砲搭載:単装砲塔とケースメイトの混載):下の写真は「シャルルマーニュ級」(一番手前)とその改良型である「イエナ」「シュフラン」)

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「レピュブリク級」戦艦(1906年から就役:同型艦2隻)

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(1906-, 14605t, 19knot, 30.5cmi*2*2, 2 ships)

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(「レピュブリク級」戦艦の概観:103mm in 1:1250 by Navis)

同級以前のフランス戦艦には、排水量に制限がかけられていました(これも「新生学派」影響?)。本級ではそれが撤廃され、一気に艦型が大型化されています。設計は日本でも「三景艦」で馴染みのある、エミール・ベルタンで、これまでの戦艦とは異なる外観となり、航洋性が改善されました。連装砲塔に収められた主砲は従来と同様ですが、副砲は従来同様16.4センチ速射砲を採用し、これを連装砲塔6基、単装砲6基、計18門と大幅に装備量を強化しています。

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(「レピュブリク級」の砲兵装配置:艦首・艦尾に30.5センチ連装主砲塔を搭載、副砲を16.4センチ速射砲として、連装砲塔とケースメイトの混載で18門と格段に強化しています)

船体の大型化に伴い機関出力をあげ19ノットを越える速力を発揮することができました。

こうして一段階レベルアップした感のあるフランス近代戦艦が誕生したのですが、就役時には、すでに英海軍のドレッドノートが就役しており、いわゆる生まれながらにして旧式新造艦のラベルを貼られることとなってしまいました。

 

強化型近代戦艦:準弩級戦艦 

リベルテ級」戦艦(1908年から就役:同型艦4隻)

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(1908-, 14860t, 19knot, 30.5cm *2*2 & 19.4cm*1*10, 4 ships )

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(「リベルテ級」戦艦の概観:103mm in 1:1250 by Navis)

同級は1900年計画で建造が認められた6隻の戦艦(フランス海軍では艦隊装甲艦)の第二陣です。第一陣は前出の「レピュブリク級」の2隻で、第二陣である同級は4隻が建造されました。

同級は前級「レピュブリク級」の改良型で、基本設計は前級のものを踏襲し、副砲を装甲巡洋艦の主砲並みの19.4センチ速射砲として、これを単装砲で10基、搭載していました。うち6基は単装砲塔形式で搭載され、広い射界が確保される設計でした。f:id:fw688i:20220529105427p:image

(「リベルタ級」の砲兵装配置:艦首・艦尾に30.5センチ連装主砲塔を搭載、副砲を19.4センチ速射砲として、単装砲塔とケースメイトの混載としています)

こうして大幅な火力強化を狙った同級でしたが、前級同様、就役時には、すでにドレッドノートが就役しており、いわゆる旧式新造艦のラベルをはられる結果となりました。

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(上の写真は「レピュブリク級」と「リベルタ級」の比較:「リベルタ級」は「レピュブリク級」の副砲強化改良型として設計されましたので、基本的な艦型、配置等は同一です(上段):中段、下段では「レピュブリク級」(下段)と「リベルタ級」の最大の差異である副砲の比較:いずれも単装砲塔とケースメイトの混でした)

 

「ダントン級」戦艦(1911年から就役:同型艦6隻)

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(1911-, 18754t 19knot, 30.5cm*2*2 & 24cm *2*6, 6 ships)

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(「ダントン級」戦艦の概観:113mm in 1:1250 by Navis)

前級からさらに艦体を大型化し、副砲口径を前級の19.4センチから、24センチにさらに強化しています。この副砲を連装砲塔6基に収め、広い射界を確保し、火力を強化した設計でした。機関出力をさらに上げ、19ノットを越える速力を発揮することができました。f:id:fw688i:20220529110340p:image

(「ダントン級」の砲兵装配置:艦首・艦尾に30.5センチ連装主砲塔を搭載、副砲を24センチ速射砲として、連装砲塔で6基搭載しています。さらに舷側上甲板直下には、水雷艇対策として7.5センチ速射砲を片舷12門を装備しているのが分かります)

この砲配置により、艦首尾方向には30.5センチ砲2門と24センチ砲8門、舷側方向には30.5センチ砲4門と24センチ砲6門を指向させることができました。

本級も就役時には、イギリスはもちろん、ドイツ、アメリカも弩級戦艦を次々に就役させており、旧式新造艦 として就役せざるを得ませんでした。

第一次世界大戦ではネームシップの「ダントン」が1917年に地中海でドイツUボートの雷撃を受けて失われました。

 

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(上の写真は、フランス海軍の前弩級戦艦と準弩級戦艦の発展を追ったもの:下から最初の前弩級戦艦「ブレニュス」『シャルル・マルテル準級」の代表として「マッセナ」、「シャルルマーニュ球」、「シュフラン」、準弩級戦艦リベルテ級」、「ダントン級」の順:「リベルテ級」はフランス海軍最後の前弩級戦艦である「レピュブリク級」とほぼ同型ですので、「レピュブリク級」以降の艦級で、飛躍的に大型化したことがよく分かります)

 

付録:さらに魅力的な「泥沼」:前弩級戦艦 以前の模索期の装甲艦・海防戦艦(・・・少しだけ)

これまでフランス海軍の前弩級戦艦・準弩級戦艦の開発系譜を見ながら、同海軍の「迷走」に伴う艦級のヴァリエーションを見てきたのですが、実は前弩級戦艦以前にも、同海軍は多様な海防戦艦、艦隊装甲艦(実はフランス海軍には「戦艦」という艦種名称はありません。全て「艦隊装甲艦」と称されています。本稿ではあえて「戦艦」という一般的な総称を使ってきましたが、ここでは「戦艦」と言わないほうがしっくりくるかも。気分的には「いわゆる戦艦とは違う、それ以前のもの」というほどの意味です)を建造しています。とてもこれを体系的にコレクションするところまでは手が回っていないのですが(経済的にも、収集の手段的にも)、いくつか手元のものをご紹介しておきます。

 

装甲艦「オッシュ」(1891年就役)

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(1891-, 6,224t, 16knot, 34cm*1*2+27cm *1*2 )

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(装甲艦「オッシュ」の概観:83mm in 1:1250 by Mercator)

同艦は沿岸防備目的で1隻だけ建造された装甲艦です。海防戦艦と言ってもいいかも。

極めて低い乾舷とその上の大きな上部構造物から安定性に欠くことが容易に想像され、内外から嘲笑の的となった、そんなエピソードがある、ある意味「有名」な艦です。

主砲(34センチ)、中間砲(27センチ)、副砲(14センチ)という後に一時期のフランス戦艦の標準的な搭載砲の構成を見ることができます。f:id:fw688i:20220529104403p:image

(「オッシュ」の砲配置:艦首・艦尾に30,5センチ主砲(上段:下段)、艦中央部両舷に27センチ中間砲が配置されていました)

確かに復原性には重大な課題がありそうで、見るからに沿岸向き、航洋性には課題がある、という形状ですが、それはそれで大変「味」があるデザインだなあ、と思ってしまうのですが、フランス艦船に甘い筆者の贔屓目でしょうか。

 

「ブヴィーヌ級」海防戦艦(1895年から就役:同型艦2隻)

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(1895-, 6,681t, 17knot, 30.5cm*1*2)

f:id:fw688i:20220529104657p:image
(「ブヴィーヌ級」海防戦艦の概観:77mm in 1:1250 by Mercator)

同級は外洋での航洋性にも配慮した高い艦首を持つ海防戦艦の艦級です。45口径の長砲身を持つ30.5センチ砲を主砲として艦首、艦尾に1基づつ単装砲塔で搭載しています。f:id:fw688i:20220529104701p:image

(「ブヴィーヌ級」海防戦艦の主砲配置:艦首・艦尾に大きな30.5センチ主砲塔を装備していました)

上掲の「オッシュ」とは一味違った洗練されたデザインです(おっと、これも贔屓目か?)

 

他にもこの時期のフランス海軍の艦艇はなんとも言えない魅力があります。

上述しましたが、なかなかコレクションに加えるのが難しい。流通量が多くない、従ってオークションなどで見つけても取り合いで、結局高価で落札され、なかなか手が出ない、そんなこんなでなかなか「系譜」としてご紹介できるところへ至らない、というのが実情です。

でもまた何か動きが出た時に。

 

もちろん弩級戦艦以降の同海軍艦艇には、この回でご紹介した諸艦とは一味違った、「洗練性」とでもいうような味わいが感じられる(例えば4連装砲塔など)と筆者は思っているのですが、それはまた改めて。

というわけで今回はこの辺で。

 

次回はフランス海軍艦艇の続きを。弩級戦艦以降にするか、装甲巡洋艦にするか、どうしようかな。

 もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

 

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新着モデルのご紹介:ドイツ海軍装甲巡洋艦のモデル更新状況

今回は原点回帰、つまりこのところ恒例になっていた感のある「ドラマや映画ネタ」はありません。筆者自身が「少し残念な気持ち」があることに気がつき、それはそれで少し複雑なのですが、今回は久々に純粋な艦船模型のみのお話です。

 

本稿ではこのところ艦船模型のヴァージョン・アップをめぐるお話が、比較的高いウエイトを占めています。

かいつまんで言うと、コレクション時は高品質という認識で集めたモデルも、次のヴァージョンがメーカーから発表されると、まず、「どうしても」新旧ヴァージョンの比較をしたくなってしまう、そして一旦比較したら、その差異は当然歴然としているので(メーカーさんはそのために更新しているわけですし、模型製作の技術やスキルも上がっているのは間違いないですから)全てを新ヴァージョンに置き換えたくなる、いつまで経ってもコレクションが完成しない(この部分については、筆者の懐事情が大きな要因でもあるわけですが)、こうした「困った状況」に直面している、そういうお話です。

「困った状況」というのは筆者の経済的な側面で(もちろんこれはこれで筆者のような「素人」には重要なファクターではあるのですが)、このモデルの比較や入手計画を立てるといった過程は実に興味深いことで、コレクションの醍醐味の一つではあると思っています。

もう一つ、この新旧ヴァージョンの問題が顕在化しているのはNeptun/Navisの銘柄で、本稿では何度か紹介しているのですが、この両銘柄は筆者のコレクションの主力と言っていい銘柄です。Neptun銘柄はWW2周辺の艦船を、Navis銘柄はWW1周辺の艦船モデルを主として扱っています。

www.navis-neptun.de

このうちNavis銘柄ではモデルの型番の末尾に「N」の文字を追加して比較的「露骨に」(と書いてしまおう)新モデルへの製造ラインナップの更新が行われています。一方、Neptun銘柄ではこのような型番を変えるような更新は行われていないようですが、体験的に一部の艦船モデル(例えば「大和」などの多分、人気モデル)ではモデルのヴァージョンの更新が不定期に行われているという認識です。

 

下記の投稿では、「ドイツ帝国海軍の前弩級戦艦」のモデルでのヴァージョン・アップが完了したのを機に、新旧ヴァージョン比較も兼ねて「ドイツ帝国海軍の前弩級戦艦」を総覧しています。

fw688i.hatenablog.com

 

さてここからが今回の本題。

上記のような次第で、Navis銘柄モデルの新旧ヴァージョン更新をどの範囲で取り組むのかが目下のところ筆者の大きな課題なのですが、明確な指針、目標のないままに、なし崩し的に更新が進んでしまっているのが実情です。

という流れで、ドイツ帝国海軍装甲巡洋艦のモデル更新がかなり進んできているので(完了はしていないのですが)、今回は「ドイツ帝国海軍の装甲巡洋艦」のモデル新旧比較とその開発系譜のご紹介を。今回はそういうお話です。

 

その前に「装甲巡洋艦」なる艦種について少しおさらいしておきましょう。

装甲巡洋艦とは(おさらい)

二つの発展系

装甲巡洋艦の系譜には、大きく二種類の発展の方向性があったと認識しています。

いわゆる強化型巡洋艦として

一つは、通常の巡洋艦本来の適性国に対する通商破壊や自国の商船護衛、植民地警備といった任務を想定し、長期間の作戦航海への適性や快速性に重点をおき、さらにそれに砲力や防御力を付加した強化型巡洋艦の到達点としての段階が「装甲巡洋艦」として具現化した、と解釈しています。この系譜は守るべき植民地を海外に多く持った英海軍、フランス海軍、海軍の近代化においてフランス海軍の影響を色濃く受けたロシア海軍で発展してゆきました。

少し意外に聞こえるかもしれませんが、この艦種の家元はフランス海軍であると考えています。世界初の装甲巡洋艦デピュイ・ド・ローム同型艦なし)」を1895年に就役させています。

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(1895: 6,676t 19.7knot, 7.6in *2 + 6.4in *6 92mm in 1:1250, WTJ:明細は筆者のオリジナルなので、気にしないでください)

フランス海軍は、速射砲の性能向上に伴う戦闘艦の攻撃力の格段の強化に伴い、これに対抗し船団護衛、もしくは通商破壊戦の展開をその主任務とする巡洋艦(当時は防護巡洋艦が全盛)に、近接戦闘での戦闘能力を喪失し難い能力を与えるべく、舷側装甲を追加しました。こうして「装甲巡洋艦」という艦種が生まれたわけです。

19.4センチ速射砲2基と16.3センチ速射砲8基を装備し、19.7ノットの速力を出すことができました。性能もさることながら、そのデザインの何と優美な事か。

(ああ、フランス艦船の話を始めると、どんどんのめり込んでゆきそうなので、この辺りで。興味のある方は下記へどうぞ.。フランス海軍の装甲巡洋艦の系譜はこちらでご紹介しています。その艦艇群のなんと優美なことか)

fw688i.hatenadiary.jp

 

高機動性を持つ準主力艦として

そしてもう一つの発展の系譜は、装甲巡洋艦を準主力艦、と位置付けて、同種艦数隻で戦列を構成して戦艦部隊とともに行動させる、いわゆる高速主力艦としての位置付けで、植民地をさほど持たず、つまり守るべき長い通商路をさほど意識する必要がなく、常に艦隊を決戦兵力と認識し、比較的短期に集中して海軍を整備し得たドイツ海軍、日本海軍などで発展が見られました。

これらの両タイプ装甲巡洋艦の対決は、まず日露戦役中の「蔚山海戦」において実現しさらに第一次世界大戦でもその劈頭の「コロネル沖海戦」でも再現されました。

当然のことながら、強力な武装を持つ後者の勝利に終わりました。(両海戦については、本稿、下記の回でご紹介しています)

fw688i.hatenablog.com

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こうして艦隊の会戦で主力艦(戦艦)を補佐する一種の高速主力艦としての役割を担い始めた「装甲巡洋艦」だったのですが、一方でこの役割は「戦艦」の高速化から派生した「巡洋戦艦」へと糾合されてゆき、やがて「装甲巡洋艦」はその役割を終え姿を消してゆきます。

 

ドイツ帝国海軍の装甲巡洋艦

上記のような経緯を背景として、ドイツ帝国海軍は以下の6クラス、9隻の装甲巡洋艦を建造しています。

ドイツ帝国海軍は、帝国がそれほど多くの植民地を海外にもたず、つまり守るべき通商路をそれほど意識する必要がなかったところから、装甲巡洋艦は当初から、準主力艦の位置付けに置かれていました。こちらは次第にその機動性の向上(速度と航続力)に戦艦との差異を求め、その側面で特性を伸ばしていくことになります。

 

装甲巡洋艦フュルスト・ビスマルク同型艦なし)

ja.wikipedia.org

新モデル(NM35NT)

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(1900年、10,700トン、24cm(40口径)連装速射砲2基、18.7ノット:100mm in 1:1250 by Navis)

本艦はドイツ帝国海軍が建造した初めての舷側装甲を持つ大型巡洋艦、つまり装甲巡洋艦で、一隻のみ建造されました。 既にその最初の艦である本艦から、当時のドイツ海軍の主力戦艦「カイザー・フリードリヒ3世級」「ヴィッテルスバッハ級」と同等の主砲を装備していました。(40 口径24センチ速射砲)

en.wikipedia.org

弩級戦艦時代の英海軍との大建艦競争に突入する以前のドイツ帝国海軍は、バルト海警備を中心任務とした沿岸警備海軍の域を出ておらず、同艦も航洋性と機動性に優れた補助主力艦として建造された色合いが濃いと考えています。問題海域にいち早く到達し、強力な戦闘力を誇示して周囲を圧倒する、そんな感じですかね。

艦首の形状等に明らかなように外洋巡行性に優れた艦型を有し、速力は戦艦に対して優速を発揮することができました。

就役後は機動性を買われて遠く青島のドイツ帝国東アジア艦隊に派遣されていました。帰国後は練習艦となり、第一次世界大戦当初は巡洋艦籍に復帰したものの、老朽化のため1915年に武装を撤去した上で再び練習艦となって1920年に解体されています。

 

 新旧モデル比較

Navis旧モデル(NM 35 )f:id:fw688i:20220522103125p:image

(上の写真は旧モデルの概観:NM35: 入手当時は1:1250スケールでのNavisのモデルの精度の高さに大満足でした。下の写真は新旧モデル比較:旧モデル(NM35)の細部が左:こうやって比べてしまうとやはり新旧の差異はずいぶん大きいですね。上部構造物の再現性などの差は大変顕著です。一旦気になると、やはりコレクターとしては・・・。困ったことです)

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装甲巡洋艦プリンツ・ハインリヒ(同型艦なし)

ja.wikipedia.o

新モデル(NM34N)

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(1902年、8,890トン、24cm(40口径)単装速射砲2基、19.9ノット:102mm in 1:1250 by Navis)

本艦は前級をやや小型化し戦艦に対する優速性向上を意識した、ある種「巡洋艦」としての機動性をより重視し「戦艦」との差異を明らかにした設計となっています。このためやや砲力を抑え、主砲は戦艦と同等の口径の速射砲ながら連装を単装に改め、副砲数を減らしています。

就役時の構想では優速を活かして主力艦隊の前面でこれを補佐する偵察部隊の主力となることが期待されていました。

第一次世界大戦時にはバルト海で活動しましたが、1916年には老朽化から武装を下ろして司令部施設として利用され、敗戦後1920年に解体されました。

 

 新旧モデル比較

Navis旧モデル(NM34 )f:id:fw688i:20220522103858p:image

(上の写真は旧モデルの概観:NM34: それなりに端正に細部が作られていると思っていました。下の写真は新旧モデル比較:旧モデル(NM34)の細部が左:もうコメントは必要ないかな)

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プリンツ・アーダベルト級装甲巡洋艦同型艦2隻)

ja.wikipedia.org

新モデル(NM33N)

f:id:fw688i:20220522105022p:image
1903年、9,090トン、21cm(40口径)連装速射砲2基、20.4ノット 同型艦2隻:100mm in 1:1250 by Navis)

同級は新開発の40口径21センチ速射砲(21cm SK L/40)を主砲として採用し、これを連装砲塔2基で装備しています。前級よりも少し艦型を大きくし副砲の一部を上甲板に盾付きの単装砲架形式で搭載するなどして射界をを広くとり総合的な砲力を高める設計としています。併せて速力も前級を若干上回る設計とし、機動力をさらに高め、前級のコンセプト「主力艦部隊の前衛偵察部隊の主力と務める」という構想を進めた設計となりました。

主砲に採用された40口径21センチ速射砲は、それまでのドイツ帝国海軍の戦艦、装甲巡洋艦の標準主砲であった40口径24センチ速射砲とほぼ同等の射程距離を持ち(16300メートル)、弾体重量こそ140kgから108kgに減量したものの、発射速度を1.5発/1分から4発/1分にあげることにより単位時間あたりの砲弾発射量を増やすことができ、以降のドイツ帝国海軍の装甲巡洋艦の標準砲となりました。

en.wikipedia.orgこの主砲の採用により、同海軍の装甲巡洋艦の設計が定着した、と言ってもいいかもしれません。

第一次世界大戦の勃発後は両艦ともバルト海での活動に従事しましたが開戦後比較的早い時期に、「フリードリヒ・カール」は触雷で(1914年)「プリンツ・アーダベルト」は英潜水艦の雷撃で(1915年)、それぞれ失われました。

 

旧モデルとの比較

Navis旧モデル(NM 33)f:id:fw688i:20220522105031p:image

(上の写真は旧モデルの概観:NM34::下の写真は新旧モデル比較:旧モデル(NM34)の細部が左)

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ローン級装甲巡洋艦同型艦2隻)

ja.wikipedia.org

Navis旧モデルのまま(NM32):同級の新モデルは未入手です

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(1905年、9,550トン、21cm(40口径)連装速射砲2基、21.1ノット 同型艦2隻:101mm in 1:1250 by Navis)

同級は基本的に前級の特徴を継承し、さらに速度を向上させ、戦艦への優速性を一層充実した、大変バランスの取れた艦となりました。

第一次世界大戦では同型艦2隻はいずれもバルト海で活動しましたが、「ヨルク」は1914年、ヤーデ湾で味方の機雷に触雷して失われ、「ローン」は1916年に退役し、その後水上機母艦に改造されることが決定していましたが、この改造は実施されず、宿泊艦として使用された後、敗戦後に解体されました。

 

水上機母艦への改装計画(計画のみ)

(どこかに図面はないかしら、と探していると、水上機母艦への改造案、一応、想像図(?)発見)出典:Roon Class Seaplane Carrier | CivFanatics Forums

 

(もう一つ、こちらは航空艤装甲板下の構造が想像できるかも。整備格納庫があるんですね、きっと)出典: http://www.shipbucket.com/drawings/6206

作ってみたいなあ。いつかトライしよう。新モデルが入手できれば旧モデルは浮いてきますので、改造にトライするにはいい機会です。

上の二つの図を見る限りでは以前筆者がトライしたスウェーデン海軍の海防戦艦改造の水上機母艦「ドリスへティン」よりは手がかからなそう。

(上の写真はスウェーデン海軍の海防戦艦「ドリスへティン」の水上機母艦への改装後の概観:72mm in 1:1250 by C.O.B. Construvts and Miniature in Shapewaysからのセミ・スクラッチ)f:id:fw688i:20210228113324j:image

 

旧モデルとの比較

Navisの 新モデル未入手です

なかなか手頃なものが見つからない。ちょっと気長に探します。入手したら比較など、アップします。

 

シャルンホルスト級装甲巡洋艦同型艦2隻)

ja.wikipedia.org

Navis新モデル(NM31N)

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(1907年、11,610トン、21cm(40口径)連装速射砲2基+同単装速射砲4基、23.5ノット 同型艦2隻:115mm in 1:1250 by Navis)

前級「ローン級」でドイツ帝国海軍の装甲巡洋艦は一応の完成形を得たと言ってもいいと考えるのですが、同級の建造でさらに一段階上の艦種への展開を目論んだと言ってもいいかもしれません。

それまで同海軍の装甲巡洋艦バルト海での活動に主眼を置き、いわば沿岸警備機能を想定して設計されていたのですが、従来の10000トンを切る艦型を、同級では一気に2000トン余り大型化し、強力な機関を搭載し優速性を一層高めた設計としました(23.5ノット)。あわせて主砲である40口径21センチ速射砲を連装砲塔で艦種・艦尾に各1基配置した従来の装備に加え、両舷側にも各単装砲2基を装備し、主砲を首尾線方向に4門(従来の2倍)、側方へ主砲6門(従来の1.5倍)を指向できる設計として、砲力の格段の強化を狙っています。f:id:fw688i:20220522110434p:image

(上の写真は「シャルんホスト級」の砲配置のアップ:中段写真では艦中央部の2層になった砲郭部分の上段に主砲である21センチ40口径速射砲(21cmSKL40)が単装砲架形式(ケースメート)で配置されていることがわかります。これにより同級は首尾線上に主砲4門、両舷に対し主砲6門を指向でき、砲力が格段とアップしました)

同級の登場により、それまで英海軍の装甲巡洋艦に対し一回り小さくやや非力感の否めなかった、同海軍の装甲巡洋艦はこれらを凌駕する戦闘能力を保有し得たと言っていいと思います。

第一次世界大戦では勃発時から東アジア艦隊の中核を構成していましたが、連合国として参戦した日本海軍による封鎖と接収を逃れるために他の艦隊所属巡洋艦と連携して通商破壊戦を展開しながら帰国を目指すこととなります。

その途上、コロネル沖海戦では英海軍の装甲巡洋艦部隊と交戦しこれを砲力で圧倒して撃沈する栄光を得ますが、その直後、フォークランド沖で英海軍の巡洋戦艦部隊に補足され、両艦とも撃沈されました(1914年)。

 

旧モデルとの比較

Navis旧モデル(NM31 )f:id:fw688i:20220522110446p:image

(上の写真は旧モデルの概観:NM31::下の写真は新旧モデル比較:旧モデル(NM31)の細部が左)

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装甲巡洋艦ブリュッヒャー同型艦なし)

ja.wikipedia.org

Navis旧モデルのまま(NM30a):同級の新モデルは未入手です(現時点では入手計画はなし)

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(1909年、15,840トン、21cm(44口径)連装速射砲6基、25.4ノット 同型艦なし:128mm in 1;1250 by Navis)

前級「シャルンホルスト級」の設計で、新たな設計段階に至った感のあるドイツ帝国海軍の走行巡洋艦でしたが、同艦ではその設計思想が更に深められることになります。

艦型を更に大型化し15000トンを超える大きな艦となり、強力な機関から25ノットを超える速力を発揮することができました。主砲は前級と同口径(21センチ)ですがさらに長砲身(44口径)を採用し(21cm SK L/44)、弩級戦艦並みの射程を得ています。連装砲塔6基12門の主砲数は、従来の装甲巡洋艦の概念を一新するものでした。f:id:fw688i:20220522110845p:image

(上の写真は「ブリュッヒャー」の砲配置のアップ:新設計の44口径21センチ砲をこちらも新設計の連装砲塔6基に装備し配置しています。中段写真ではケースメート式の副砲の配置も見ていただけます)

en.wikipedia.org

しかし既に英海軍はインヴィンシブルを始めとする同時期の戦艦と同口径主砲を装備した[巡洋戦艦]を建造し始めており、完成時点ではやや時代遅れの感が否めなくなっていて、同艦以降、装甲巡洋艦の建造は見送られ、ドイツ帝国海軍も巡洋戦艦の建造へと計画を移行させてゆくことになります。

第一次世界大戦では主砲の長射程と高速を有するがゆえに、巡洋戦艦部隊に組み入れられました。しかし主砲の威力の弩級巡洋戦艦超弩級巡洋戦艦との差は如何ともし難く、また高速とはいえ新設計の巡洋戦艦の速度には及ばず、大変苦戦をすることになりました。1915年のドッカー・バンク海戦にも、ドイツ巡洋戦艦部隊(偵察部隊)の一艦として参加しましたが、速度的にも配置的にも縦列の殿艦となり、英艦隊の砲撃で被弾後更に後落したところを集中砲火を受け、撃沈されました。

(前出の「コロネル沖海戦」「フォークランド沖海戦」そして「ドッカー・バンク海戦」については本稿でも下記の回でご紹介しています。興味があれば是非)

fw688i.hatenablog.com

 

少しモデルのヴァージョンの余談

Navisの 新モデル未入手です。それほど細部に不満がないので(上掲の各艦級のモデルも不満があったわけではないのですが)もしかしたら、懐事情から新モデル入手には動かないかも。入手したら比較など、アップします。しかし旧モデルとしては再現精度が相当高いと考えています。

(参考までに新モデル(NM30N)は下の写真で:こちらいつもモデル検索でお世話になっているsammelhafen.deから拝借:比べちゃうと、気になるかも)

(ちょっと余談ですが、Navisには「ブリュッヒャー」のモデルのヴァージョンがいくつかあるようです。筆者のモデルは「NM30a」とあるように、何らかの改良ヴァージョンだろうと推測できます。下の写真は「NM30」つまり元々のオリジナルヴァージョンとして前のsammelhafen.deに掲載されているモデルです)

(そのほかにNM A-19というモデルも(下の写真):主砲塔のモールドがシャープ? このモデル、筆者のコレクションにストックされているもう一隻の「ブリュッヒャー」かもしれません。少し穿った見方をすると、Navisでも「ブリュッヒャー」のモデルではなかなか満足のいくものができなかったのかな、などと考えてしまいます。或いは次々と新しい資料が見つかったとか? こういう想像をしながらモデルのヴァージョンの写真を見ているのも、楽しみのひとつかもしれません)

 

ドイツ帝国海軍装甲巡洋艦の勢揃い

一応、6艦級のモデルを並べておきましょう。艦型の大きさの推移が興味深い。

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 (艦型比較:手前(下)から、フュスト・ビスマルクプリンツ・ハインリヒ、プリンツ・アーダルベルト級、ローン級、シャルンホルスト級ブリュッヒャー

 

ということで、今回はこのところ筆者の中では大きな問題(特に経済的な問題:このところの円安は更にそれに拍車をかけています)になってきているメーカーの新旧モデル・ヴァーション・アップの話をドイツ帝国海軍の装甲巡洋艦開発の経緯と絡めてご紹介しました。

この新旧ヴァージョン問題はその他の艦艇でも同じように惹起しており、ドイツ装甲巡洋艦の次は、そのライバルの英海軍装甲巡洋艦でも、より深刻な形で進行中です。(筆者としては、実はこの英海軍のNavis製モデルの新旧ヴァージョンの方がその差異が大きく、なんとかしたい、と思っていますので、これも近々、ご紹介することになるだろうなあと考えています)

ということで、今回はここまで。

 

次回はどうしましょうか?そろそろ「空母機動部隊」の話に戻らないと、と思いながら、なかなかそちらに興味が向かいません。

新着モデルの状況次第、というところで、少々行き当たりばったりで、いきたいと思います。

 もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

 

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ワイマール共和国期のドイツ海軍旧式戦艦のモデル更新、そしてシン・ウルトラマン

本稿の読者ならばよくご承知のことと思いますが、先週の金曜日で「スター・トレック ピカード  シーズン2」が終わってしまいました。筆者としては「スター・トレック」ファンのみならず、全ての方に見ていただきたい大変クオリティの高いドラマシリーズで、ドラマとしてのクオリティもさることながら、テーマ自体がわれわれにとって「大切ななにものか」を伝えてくれる、そんな思わず背筋が伸び、見終わると姿勢が良くなっているような、そんなシリーズだったと思っています。

それが終わってしまった、ああ、これから金曜日はどうすればいいんだ、というのが前回のお話の冒頭だったのですが、世の中はよくしたもので(というか筆者が大変幸運に恵まれているのかもしれませんが)、今週末から「シン・ウルトラマン」が公開されています。

今回はそのお話と、本稿の下記の回でご紹介したモデルのアップデート問題に端を発して、さらにその発展系の新着モデルが届きましたので、そのご紹介を。

fw688i.hatenablog.com

上記の回のお話を少しかいつまんでおくと、ドイツ帝国の旧式な前弩級戦艦の艦級コレクションを例に引いて、筆者がこれまで1:1250スケールモデルとしては最も高品質な銘柄の一つと位置付けていたNavis製のモデルですら、新旧のヴァージョンでその品質(ディテイルの再現性など)に大きな差異が見受けられ、知ってしまうと更新せざるを得ない気持ちに駆られ、いつまで経ってもコレクションが完成しない、という悲鳴に近い嗜虐的な「喜び=興味」の話をご紹介したのでした。

そしてそのお話の延長上で、いくつかのより高品質なモデルが入手できたので、そちらをご紹介しておこう、今回はそういうお話です。

 

と言うことなのですが、さていつものように本題の前に、今週の時事ネタ、というか映画「シン・ウルトラマン」のお話を。

映画「シン・ウルトラマン

youtu.be

上掲の予告編でもお分かりのように5月13日公開の映画です。

 

(さてここからは例によってネタバレは大いに予測されます。、もう気にしません。ネタバレ、あります、きっと)

***(ネタバレ嫌な人の自己責任撤退ラインはここ:ネタバレ回避したい人は、次の青い大文字見出しに「engage!」)***

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Star Trek: Picard - Engage! - Episode 3 finale - YouTube

(おお、ピカード 再登場です!)

 

 

この映画は、その表題からも明らかなように「シン・ゴジラ」に続き庵野秀明氏総監修の「空想特撮映画」。早速映画館へ行ってきました(実は2回見ちゃった)。

もう最初のカットから、なんと盛りだくさんな内容の映画だったことか。盛り沢山すぎて、最初はなにやらパロディ的なものを見ているのか、そう思ったほどでした。「シン・ゴジラ」のDNAを受け継いで、もちろん特撮や細部のリアリティ(一見、リアリティ?=ニヤッとするような)には、思わず唸らせられるシーンが散りばめられていますし、凄いテンポで進む物語も「シン・ゴジラ」から受け継がれています。それでいて「子供の頃の」何かを受け取ってしまう、そんな映画でした。もちろん映像のそこここに「エヴァ」の血を受け継ぐカットが。

 

見終わって最初に思ったことは、「何度か見なきゃ」でした。

筆者は家族によく言われるのですが「同じものを、気に入ったら何度も観る」習性があるようです(自覚もしています、ちゃんと)。これもコレクターの性でしょうかね。そして観るたびに発見があるのです、それも驚くほどの(記憶力が弱いだけ、かも。危ない危ない)。それが愉しい。

この映画も見る度に異なる何かを与えてくれる、そんな映画じゃないかな、というのが実は強烈な第一印象、でした。それはいわゆる「胸を揺さぶるような感動」などとは少し異質の、強いて言うなら「新しい何かを見つけた」時の気持ちに近い何か。

 

とにかく「お勧め」です。しかし決して物事をじっくりと考えさせるような、そんな「思索的な深さ」を強要するような物語ではありません。見る側は物語の流れに素直に乗っかってゆけば良い、それでも与えてもらった何かがじっくりと胸の中で成長していくような、そんな映画だと思うのです。

キャストやストーリーのディテイルについて書きたいことは山ほどありますが、これをすると意図的な「ネタバレ」になってしまうので、じっと、しばらくの間は堪えることにします。

(映画のパンフレットには「ネタバレ注意」と言う帯封がされています。何を語ろうとも、ネタバレにはなっちゃうんだろうなあ)

f:id:fw688i:20220515171426p:image

次は「シン・仮面ライダー」だそうです。実は筆者は「仮面ライダー」についてはほとんど思い入れがなく、あまり興味がないなあ、と思っていたのですが、やはりこのシリーズ(なのかな?)であれば、見にいくでしょうね。

 

 

さてここからが今回の本題。

ワイマール共和国期のドイツ海軍主力艦(Neptun社製のモデルを入手)

少しおさらいを。

第一次大戦前には英国に次ぐ世界第2位の規模の大海軍を誇っていたドイツは、敗戦後のヴェルサイユ条約で装甲を持つ軍艦としては旧式の前弩級戦艦6隻(予備艦を入れて8隻)しか保有を許されず、沿岸警備海軍へと転落しました。

その際に保有を許されたのがブラウンシュヴァイク級」戦艦5隻(「ブラウンシュヴァイク」「エルザス」「ヘッセン」そして予備艦として「プロイセン」「ロートリンゲン」)と「ドイッチュラント級」戦艦3隻(「ハノーファー」「シュレージエン」「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」)でした。

上掲の回ではこれらニ艦級に加えドイツ帝国海軍時代からの前弩級戦艦全てのモデルのアップデート等をご紹介したのですが、今回は「シュレージェン」と「シュレスヴィヒ・ホルスタイン」のNeptun社製モデルが入手でき、「ブラウンシュヴァイク級」のNavis社製モデルとあわせてクオリティが揃ったので、そちらをご紹介します。

 

建造年代の古い順に、まずは「ブラウンシュヴァイク級」のご紹介から。(この艦級については、ほぼ上掲でのご紹介のまま。新旧モデルの比較はカットしています

ブラウンシュヴァイク級」戦艦(1904- 同型艦5隻)

ja.wikipedia.org

(1904-, 14394t, 18knots, 11in *2*2, 5 ships)

就役時:Navisモデル(NM 11N)

f:id:fw688i:20220416190833p:plain

(「ブラウンシュヴァイク級」戦艦の概観:102mm in 1:1250 by Navis: ようやく実用化がかなった11インチ速射砲を主砲として採用したため、大型の主砲塔を搭載しています)

同級は英海軍との戦闘、つまりバルト海だけではなく北海での運用を想定して設計された艦級です。最大の特徴は実用化された速射砲としては当時最大口径の新開発11インチ速射砲を主砲として採用したことで、さらに副砲の一部を砲塔形式で搭載し、射界を大きくしています。

第一次世界大戦期には、既に二線級戦力と見做され、主として沿岸防備任務につきました。「ヘッセン」のみは英独の決戦であったユトランド沖海戦に参加しています。1917年に補助艦艇に艦種が変更となりましたが、敗戦後、ベルサイユ条約で同級の「ブラウンシュヴァイク」「エルザース」「ヘッセン」の3隻保有が認められ、ワイマール共和国海軍では主力艦とされました。

 

ヴァリエーション・モデルのご紹介 その1

ワイマール共和国海軍時代:1932年の「ヘッセン」(Navis新モデル(NM 11R))

このお話の発端ともなった新たなNavis社のモデルです。

前述のようにベルサイユ条約で、同級は保有を認められましたが、既に第一次世界大戦期にあっても旧式艦であったので、いずれは沿岸警備艦として近代化改装される計画がありましたが、やがてナチスの台頭と再軍備宣言で新型主力艦の建造に注力されたため、大々的な改装は行われませんでした。

同級のネームシップである「ブラウンシュヴァイク」は1932年に、「エルザース」は1936年にそれぞれ破棄され、第二次世界大戦には参加しませんでした。

下の写真は1932年次にワイマール共和国海軍の主力艦であった当時を再現したモデルで、艦橋構造が変更されているのが分かります。

f:id:fw688i:20220416191316p:image

1905年次モデル(左列)と1932年次モデルの比較

(艦橋と前檣・後檣の構造の差異が目立ちます)

f:id:fw688i:20220416191320p:image

 

ヴァリエーション・モデルのご紹介 その2

標的艦ヘッセン

同級はナチスの台頭と共に再軍備宣言が行われると新型艦の就役に伴い順次退役し1930年代に解体されました。「ヘッセン」のみは標的艦として残され、第二次世界大戦では砕氷船としても運用されました。

標的艦となった「ヘッセン」の概観:by Mercator)

f:id:fw688i:20220416193649p:image

 

ドイッチュラント級」戦艦(1906- 同型艦5隻)

ja.wikipedia.org

(1906-, 13200t, 18.5knots, 11in*2*2, 5 ships)

就役時:Navis新モデル(NM 10N)

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(「ドイッチュラント級」戦艦の概観:106mm inn1:1250 by Navis: ようやく実用化がかなった11インチ速射砲を主砲として採用したため、大型の主砲塔を搭載しています)

同級はドイツ帝国海軍が建造した最後の前弩級戦艦です。前級「ブラウンシュヴァイツ級」と同一戦隊を組むという前提で建造されたため、基本設計は前級に準じた、前級の拡大改良版です。前級が武装過多から安定性に欠けるという課題を指摘されたため、同級では艦橋の簡素化や副砲塔の廃止が行われました。

1906年から1908年にかけて就役し、前弩級戦艦としては最新の艦級でしたが、就役時には既に弩級戦艦の時代が到来して旧式艦と見做されていました。

第一次世界大戦の最大の海戦であったユトランド沖海戦には第二戦艦戦隊として同級の5隻と「ブラウンシュバイク級」の「ヘッセン」が序列され、英戦艦隊の追撃を受け苦戦していたヒッパー指揮のドイツ巡洋戦艦戦隊の救援に出撃しています。この救援戦闘で同級の「ポンメルン」が英艦隊の砲撃で損傷し、その後英駆逐艦の雷撃で撃沈されました。

前級と同様に1917年には戦艦籍から除かれました。ネームシップの「ドイッチュラント」は宿泊艦となり状態不良のまま1922年に解体されました。

残る「ハノーファー」「シュレージエン」「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」が新生ドイツ海軍で保有を許され、その主力艦となったわけですが、1930年代に上部構造や煙突の改修などの近代化改装を受けて、艦容が一変しています。

 

ヴァリエーション・モデルのご紹介 

ワイマール共和国海軍時代の「シュレージエン級」戦艦(Neptun製)

(今回入手したNeptun製の「シュレージエン」(手前、下段右)と「シュレスヴィヒ・ホルスタイン」:NeptunとNavisはいわゆる姉妹銘柄で、原則として第一次世界大戦期周辺のモデルをNavis銘柄で、第二次世界大戦期周辺をNeptun銘柄がカバーしています)

前述のように、同級はヴェルサイユ条約保有を認められ、第一次大戦で戦没した「ポンメルン」と状態不良の「ドイッチュラント」を除く「ハノーファー」「シュレージエン」「シュレスヴィヒ・ホルスタイン」の3隻がワイマール共和国海軍(新生ドイツ海軍)に編入されました。

ネームシップの「ドイッチュラント」が上述のように状態不良により既に除籍されていたため、この3隻を「シュレージエン級」と呼ぶことが多いようです。

その後ヒトラー再軍備を宣言し新造艦艇が就役し始めると同級は練習艦に艦種変更されました。

同級のうち「ハノーファー」は1931年に除籍され無線誘導式の標的艦への改造が計画されましたが実行はされず、爆弾の実験等に使用された後、1944年頃に解体されました。

 

近代化改装後の「シュレージエン」(Neptun製モデル)

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(近代化改装後の「シュレージエン」の概観 by Neptun):

「シュレージエン級:ドイッチュラント級」の残る2隻「シュレージエン」と「シュレスヴィヒ・ホルスタイン」は、第二次世界大戦期には練習艦として就役していて、主としてバルト海方面で主砲を活かした艦砲射撃任務等に従事し、緒戦のドイツ軍のポーランド侵攻では「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」のポーランド軍のヴェステルブラッテ要塞への砲撃が第二次世界大戦開戦の第一撃となったとされています。その後も主砲力を活かした地上砲撃等の任務に運用され、東部戦線での退却戦の支援艦砲射撃等を行っています。大戦末期には「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」は空襲で、「シュレージエン」は触雷でそれぞれ損傷し、自沈処分とされました。

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(上の写真はこれまで本稿でご紹介した際の同艦のHansa製モデル)

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(直上の写真は「シュレージェン」のNeptun製モデルとHansa製モデルの比較)

細部の再現性には両者でかなり差があるようです。Hansa製のモデルももちろん標準以上のディテイルを備えているモデルだとは思いますが、やや骨太に表現されすぎているように思います。Neptun製はそれを凌駕した繊細なディテイルで表現されているように感じます。下に紹介する「シュレスヴィヒ・ホルスタイン」も同様です。

 

近代化改装後の「シュレスヴィヒ・ホルスタイン」(Neptun製モデル)

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(近代化改装後の「シュレスヴィヒ・ホルスタイン」の概観 by Neptun:「シュレージエン」と異なり一番煙突に誘導路が設けられ2番煙突との集合煙突になったことがわかります)f:id:fw688i:20220515091834p:image

(上の写真はこれまで本稿でご紹介した際の同艦のHansa製モデル)

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(直上の写真は「シュレスヴィヒ・ホルスタイン」のNeptun製モデルとHansa製モデルの比較:ディテイルの繊細さではNeptun製モデルに「一日の長」が)

 

標的艦への改装後の「ハノーファー(Neptun製:モデル未入手)

(直下の写真は「ハノーファー」の標的艦仕様のモデルの概観(筆者は保有していません):実際にこの形態になったのかどうかは、不明です。こちらいつもモデル検索でお世話になっているsammelhafen.deから拝借しています。by Neptun:Neptunからモデルが出ているということは、実艦が存在したということかな?)

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というわけで、今回「シュレージェン」と「シュレスヴィヒ・ホルスタイン」両戦艦(当時は練習艦)のNeptun製モデルの入手を機に、ワイマール共和国期のドイツ海軍が主力艦として保有していた旧式前弩級戦艦の艦級を再度ご紹介しました。

 

ということで、今回はこの辺りで。

 

次回は、今回の流れを受けてもう一度モデルのヴァージョンアップ対応の進捗のお話を、ドイツ帝国装甲巡洋艦と一部の巡洋艦のモデルの状況を中心に、ご紹介したいと思っています。いつものように、筆者の予告編は、あまり当てになりませんが。

 もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

 

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GW:懸案の「あの防空巡洋艦」を製作:そしてピカード ・シーズン2の最終話:終わってしまった

GW、皆さんはゆっくりできましたか?

久々の制限のない大型連休、という事で、これまでやれなかった事、行けなかった場所に行かれた方も多いのでは?筆者はと言うと、取り立てて特別なこれと言った事はなく、静かでゆっくりと自分の時間を持つことができました。これはこれで大収穫。

ご褒美的な出来事としては庭の薔薇が、今年はGWに同時に咲いてくれたこと。

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(上の写真:庭の黄色い薔薇「イルミナーレ」:我が家の庭に来て3年ほどになりますが、実はこんなに一斉に咲いてくれたのは、初めてです)
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(上の写真:我が家の庭の主的な存在である白い薔薇「アイスバーグ」:毎年、この時期は満開に。そして今年は一緒にピンクの薔薇「フューチャー・パヒューム」も一輪だけ花を咲かせてくれました。この子はうちに来て足掛け2年と言うところ(下段中央)。ついでに、と言うと失礼にあたるかもしれませんが、最古参のミニ薔薇君も花をつけてくれています(下段右:こんなに庭が薔薇で賑やかなのは、初めてかも

 

そして、長らく気になっていた英海軍の「あの防空巡洋艦」を形にすることができた、これもささやかな成果、と言っていいでしょう。

この制作についての構想はかなり以前から(本稿でも記述はしていました)持っていて、素材の調達も手順の組み立て(妄想)も終わっていたのですが、GWをきっかけとして手をつけることが出来ました。集めた素材をあらためて広げてみて、設計の最終構想の決定と実際の作業、そして塗装ほか細部の仕上げ、と足掛け3日、7時間ほどの作業でした。これはやはりまとまった時間が取れたから、かと。

今回はその成果のご紹介と、英海軍の防空巡洋艦のおさらいを。

今回はそう言うお話です。

 

・・・と言うことなのですが、本論のその前に、例によって。

スター・トレック ピカード  シーズン2」Episord 10(最終話)

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(ネタバレの禁忌は大いに冒してしまったので、もう気にしません。ネタバレ、あります、今回は特にすごいぞ。この最終話を「ネタバレ無し」で書くなんて、ちょっと無理)

***(ネタバレ嫌な人の自己責任撤退ラインはここ:ネタバレ回避したい人は、次の青い大文字見出しに「engage!」)***

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Star Trek: Picard - Engage! - Episode 3 finale - YouTube

 

ああ、終わってしまった!

散々「こんなことで終われるのか」「シーズン3が制作されているので、そちらに持ち越せば良い」「ゆっくり時間をかけてほしい」、なんて勝手なことを書き散らしてきましたが、終わってみれば、「ああ、これしかないじゃん」という、筆者にとっては、結果、大満足の最終回でした。皆さんはどうでしたか?(見ている前提、でのお話になっています。見てない人、ごめんなさい。でも、とにかく、見たほうがいい)

本稿前回で「パズルのピースは嵌まりつつあるのです。でもわからないのは、全体になんの絵が描かれているのか」と書きましたが、「スター・トレックにふさわしい」こんな絵が描かれていたのだとは、本当に驚きです。

 

ウェスリー・スラッシャーの登場、これもびっくり。(ありゃあ、すっかりオッサンでしたね。シーズン3には出ないとか、ちょっと残念)

スン博士と「カーン計画」(あれほど大切に思っていた「娘」だったはずなのに、なんと気持ちの切り替えの早いことか。あるいは既に構想があったということは、なんか気持ちの散り方が共感できたりします。まあ、レベルの違う話ではありますが)。

 

そして何よりピカード「Q」の対話、これはもう圧巻でしたね。「Q」が「私の友達」と言い、「神々にもお気に入りがいる」と言ってしまうとは。

これを受けてピカード も「独りではない」と「Q」を抱擁するのです。

本稿前回で、この物語の行方が分からず(今となっては、当然でしたね。こんなのわかるはずがなかったし、分からなくて良かった)、それでもあと一回で終わると言う不安に駆られ、つい「ちょっと怖いのは、「Q」がパチンと指を鳴らして「ほら、元通り。楽しんでくれたかな?」なんて展開」と書いたのですが、今回の「指パッチン」なら、これはもう「あり」です。

 

リオスが残る決断をしたのは、個人的には「良かった」。

 

そしてこれも前回書いたのですが、その後現れるジュラティが同化(参画)した(あえて、「同化された」ではなく「同化した」と書きたい)「良きボーグ」と、「暫定的」と謳われた連邦との協力関係の出現。これはなんとも「スター・トレック」的なエンデイングでした。さらにちゃんとシーズン3への脅威も提示されました。

 

最後の「我々は家族だ、そうだろう」のダメ押しは、ちょっと余分な気もしましたが、やがてラリスの元に帰ったピカード の「繰り返したくない瞬間と、戻りたい瞬間」「時間は二度目のチャンスを与えてはくれないが、人にはそれができる」などは、きっとずっと残る名言になるのでしょうね。ラリスとピカード に安らかな時が訪れることを改めて強く願いました。(シーズン3までの短い期間にせよ)

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それにしても、こんな回りくどい口説き文句を使うとは、ピカード 、やるなあ。

 

ともかく全てが第一話に帰納されて、大きな調和が生まれるのを、筆者はただ口を開けて見ていたのでした。魔法のようなひととき、いやあ、凄かった。

ドラマが終わる、この名残惜しい気持ちは、これは全く変わりませんが、見終えた後に残る「喪失感」をはるかに超えた「驚きと充足感」から、大きなものをもらった気がしています。それは「希望」とか「勇気」とか、文字にすれば少し恥ずかしいけどそんなものに近い何か、なんだと思います。

 

とは言え、終わってしまいました。少し落ち着いたら、また見るのでしょうね。

これ以上書くと、思考があらぬ方向へと行ってしまいそうなので、もらった「元気」を大切にしつつ、このお話は今回はこの辺にしておきます。

でも、来週から金曜日、どうしよう。

youtu.be

音楽は、・・・こっちの気分かな?

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さてここからは今回の本題。

GW:「あの防空巡洋艦」の制作

本稿ではほぼ一年前の2021年5月9日の投稿で、英海軍の軽巡洋艦防空巡洋艦のご紹介をしています。

fw688i.hatenablog.com

さらにこの投稿の約1ヶ月後、6月6日の投稿で、さらにこのヴァリエーションを追加しています

fw688i.hatenablog.com

 

ロイアル・ネイビーの防空巡洋艦建造事情

この2回を通じて、英海軍の第二次世界大戦期に建造された防空巡洋艦として「ダイドー級」と「ベローナ級」そして「ダイドー級」の装備砲のヴァリエーション、「ダイドー級4.5インチ対空砲装備型」をご紹介しています。

この両艦級を簡単におさらいしておくと。(この後、各艦級の紹介は、上掲の2回の投稿をベースにしていますので、内容がかなり被ります。ご容赦を)

 

ダイドー級軽巡洋艦同型艦:11隻)

ja.wikipedia.org

(直上の写真:「ダイドー級」の概観。125mm in 1:1250 by Neptun)

 本級は「アリシューザ級」軽巡洋艦の設計をベースにした5500トン級の船体に新開発の5.25インチ両用砲を連装砲塔形式で5基搭載しています。

en.wikipedia.org

本級の主兵装として採用された5.25インチ両用砲は、その名の通り対空戦闘と対艦戦闘の双方に適応することを目的に開発され、砲塔形式の異なるタイプが新型戦艦「キング・ジョージV世級」等にも従来の副砲に代わる兵装として搭載されています。しかし、本級は対空戦闘に重点を置き設計された艦であったにもかかわらず、結果的には対艦戦闘への適応から弾体にある程度の重量が必要で、このことが対空射撃時の発射速度の低下を招き、高速化の著しい航空機に対する対応力を低下させてしまうという結果を招き、必ずしも当初の目的のためには成功作であるとは言えない結果となりました。

(直上の写真:「ダイドー級」の兵装配置の拡大。5.25インチ両用砲塔の配置に注目)

 

ダイドー級4.5インチ対空砲装備型(ダイドー級11隻中の2隻)

ダイドー級の建造にあたっては、その最大の特徴であるはずの5.25インチ連装主砲塔の生産が間に合わず、第1グループとして建造された3隻は5.25インチ連装砲塔4基と4インチ単装対空砲1基の混載で就役せざるを得ませんでした。第2グループ6隻はようやく連装砲塔5基を装備して就役しましたが、定数の砲塔5基を装備できた艦は同級11隻中第2グループのこの6隻にすぎず、第3グループ2隻は、空母「イラストリアス」等で実績のあった4.5インチ対空連装砲を4基搭載して完成されました。

en.wikipedia.org

(「ダイドー級4.5インチ対空砲装備型」の概観:by Argonaut:やはり主砲がやや弱々しく見えませんか?) 

(直上の写真は、「ダイドー級4.5インチ対空砲装備型」(左列)と「ダイドー級5.25インチ両用砲装備型」の対比。武装の違いだけながら、かなり細部の造作が異なることがよくわかりますね。大きくは両用砲が砲塔になっているのに対し、高角砲が防盾仕様になっているところから差異が出てくるのでしょうね)

結局、この両艦「カリブディス(HMS Chrybdis)」「シラ(HMS Scylla)」は、巡洋艦とは言いながら駆逐艦並みの火力で就役せねばならなかったわけです。

大戦では主に地中海方面運用されることが多く、11隻中4隻が戦没しています。 

 

ベローナ級軽巡洋艦同型艦:5隻)

ja.wikipedia.org

(直上の写真:「ベローナ級」の概観。125mm in 1:1250 by Neptun)

本級は「ダイドー級」の改良型で、設計段階から5.25インチ両用連装砲4基として、撤去された3番砲塔(Q砲塔)跡に40mm4連装ポンポン砲を追加して近接防御火器を2基から3基に強化しています。両用砲塔をポンポン砲に置き換えたことで、艦橋構造が一層低くなり、砲塔の撤去と併せて低重心化しています。

また対空火器をレーダー・コントロールとして対空戦闘能力を強化しています。

ダイドー級」ではやや後方に傾斜していた煙突とマストが直立し、上記の上部構造の低重心化と併せて「腰高感」の否めなかった外観が改善されています。f:id:fw688i:20210502145721j:image

(直上の写真:「ベローナ級」の兵装配置の拡大 )

(直上の写真:「ダイドー級」と「ベローナ級」の比較。煙突とマストの角度の違いに注目)

 

有名な架空の防空巡洋艦の存在

また、6月6日の投稿では、これらのご紹介の中で、実はこの両艦級の間に非常に有名な防空巡洋艦が、ある意味「存在している」とも記述しています。

それはアリステア・マクリーンの海洋小説の名作「女王陛下のユリシーズ号」に登場する防空巡洋艦ユリシーズ」で、この6月6日の投稿での「ダイドー級4.5インチ対空砲装備型」の入手の紹介の際も、実はこの「ユリシーズ」の制作を意識して、1隻を「ユリシーズ」へ改造することを目論んで「同モデルを2隻入手した」とも書いています。

つまり「ユリシーズ」制作計画は、今からちょうど一年ほど前に始動していたわけです。

 

防空巡洋艦ユリシーズ

本稿の読者のような多少なりとも艦船に興味にある方ならば、おそらく一般よりも高い比率でお読みになった方がいらっしゃるのではないかと思うのですが、本書「女王陛下のユリシーズ号」は前述の通りアリステア・マクリーンの書いた海洋小説の名作で、第二次世界大戦中の北大西洋で輸送船団を護衛し、来襲するドイツ空軍・海軍と死闘を繰り広げつつ続けられた第14護衛空母戦隊の航海を、その旗艦「ユリシーズ」を中心に描いた作品です。

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登場する「ユリシーズ」は本書に登場する架空の軍艦で、小説の本文中の記述を引用させていただくと「有名なダイドー級改型の5500トン、ブラック・プリンス級の先駆で、この型のものとしてはただ一艦である」(ハヤカワ文庫版:村上博基氏訳56ページより)という一文があり、全長510フィート(155.5m)、5.25インチ連装両用砲4基(前後に2基づつ)、ポンポン砲3基などの搭載火器に関する記述が続きます。

ja.wikipedia.org

スペックで比較すると「ダイドー級」「ベローナ級」(本文では「ブラック・プリンス級」と表記されています)のいずれよりも少し小さく、乱暴にまとめると主要武装は「ベローナ級」と同等、速力はやや早い、そんな感じです。

 

これは巷では言わぬが花だそうですが、タイトルに違和感あり

以前から「女王陛下のユリシーズ号」という邦題には違和感を抱いていました。原題は「H.M.S. Ulysees」で、第二次世界大戦当時の英国は国王ジョージ6世の治下にあり、H.M.S.は当然 His Majesty's Ship=「国王陛下の船」であるべきだと思ってきたのです。艦船ファンとしては原題のまま「H M.S. ユリシーズ号」でも良いのに、と思いながら。同じ早川書房さんの文庫でも、ダグラス・リーマンのこれも名作、やはり第二次世界大戦中の小説ではタイトルは「国王陛下のUボート」になっているのに。(こちらは原題は"Go In and Sink!" で全く似ても似つきませんが)まあ、今となっては名作としてもう定着してしまっているから、改題とかはしないほうがいいのかもしれませんね。

 

防空巡洋艦ユリシーズ」制作計画:「ダイドー級4.5インチ対空砲装備型」からの改造プランの挫折

話を戻すと、当初は、約一年前に入手した「ダイドー級4.5インチ対空砲装備型」をベースに4基の主砲を「4.5インチ連装対空砲」から両級の特徴である「5.25インチ連装両用砲」の手持ちのストックパーツに換装すればいいかと、比較的安易に考えていたのですが、入手後、「4.5インチ対空砲装備型」モデルの砲塔前の波返板などの造作が想像以上に大きく、細部も思いの外4.5インチ対空砲に合わせた仕様に変更になっているので、どうも単に主砲塔の換装だけで終わる、と言うようなことではなさそうだ、と言うことに気づいたわけです。

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(上の写真は当初の改造計画を見直す原因となった4.5インチ対空砲周辺の配置のアップ。予想以上に造作の大きかった波返板(上段2番砲塔前と下段3番砲塔後))

もちろん、この「4.5インチ対空砲装備型」のモデルを見つける以前は、オリジナルの「ダイドー級」から主砲塔1基をポンポン砲に換装すればいい、と言う最もイージーな発想だったのですが、「ダイドー級」は艦首部に主砲塔が三段背負式で装備されていて、艦橋部がやや高すぎる、と言う違和感があり、この艦橋部の工作はやや大仕事になるので、最初から艦橋部には手を入れなくて良さそうな「4.5インチ対空砲装備型」をベースにしよう、と言う計算に行きついて、さらにここで課題が見つかった、と言う次第でした。寸法だって微妙に異なるし、さて、どうしたものか、と・・・。

 

防空巡洋艦ユリシーズ」修正制作計画:「アリシューザ級」改造プランの始動

違和感や作業の大変さを考えると、いっそ、記述されているスペックを全部無視して新しいストーリーに基づいて全くの架空艦(どうせ元々架空艦なんだし)を作ってもいいかな、と思い始めているところ、と言う記述が6月6日の投稿では記されています。

そうすると、「ダイドー級」がそもそも「アリシューザ級」軽巡洋艦をベースに設計された、という背景に乗っかって、「アリシューザ級」の防空艦改造版、というのでも良いかな、という妄想がむくむくと頭をもたげてきます。

(直上の写真は、防空巡洋艦ユリシーズ」への改造母体として検討された「アリシューザ級」軽巡洋艦の概観:123mm in 1:1250 by Neptun)

ユリシーズ」に関する小説中の記述で、「ダイドー級」と「ベローナ級」の間で設計されたにも関わらず、どちらよりも少し小さい、というのも設定としてそもそも違和感があります。ならばいっそ、この種の護衛艦艇の建造の緊急性を考慮して、一方では「経済性を考慮するあまり、ちょっとスペックダウンしすぎたかな」と思われ始めた「アリシューザ級」の建造途中の5番艦が船団護衛の中核艦として防空巡洋艦として完成させられた、というのもなかなか良いストーリーではないかと。(もう全然、小説とは関係なくなるかも、ですが)

ということで今回はこの「アリシューザ級」軽巡洋艦改造プランに乗っかった防空巡洋艦ユリシーズ」をご紹介します。

 

防空巡洋艦ユリシーズ

完成したモデルがこちら。

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(直上の写真は、防空巡洋艦ユリシーズ」の概観:123mm in 1:1250 by Neptun:「アリシューザ級」がベースなので寸法は同じです)

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(直上の写真は「ユリシーズ」の主要兵装配置の拡大:艦首部に5.25インチ連装両用砲塔2基、艦首脇に対空機関砲座(写真上段):艦中央部にポンポン砲砲座3基と魚卵発射管(写真中段):艦尾部に5.25インチ連装両用砲塔2基:基本的な主要兵装は「ベローナ級」に準じています)

英海軍は航空機攻撃の脅威に備えるために「アリシューザ級」軽巡洋艦の設計をベースとした「ダイドー級防空巡洋艦11隻の建造に着手しましたが、同時に同種の船団護衛部隊の中核艦の切実な必要性を考慮して、当時建造予定だった「アリシューザ級」軽巡洋艦の5番艦の防空巡洋艦への転用を決定しました。こうして防空巡洋艦ユリシーズ」は同型艦をもたない巡洋艦として1隻だけ誕生しました。(繰り返しですが、「架空艦」のお話ですので、ご注意を)

 

では改造母体となった「アリシューザ級」軽巡洋艦とはどういう船だったのか。

アリシューザ級軽巡洋艦同型艦:4隻)

ja.wikipedia.org

(直上の写真は、「アリシューザ級」軽巡洋艦の概観:123mm in 1:1250 by Neptune)

そもそも「ユリシーズ」のベースとなった「アリシューザ級」軽巡洋艦は、前級「パース級」の主砲塔を1基減じて、それに合わせて5000トン級に縮小した船体に出力を減じた機関を搭載することで経済性を求めた設計となっています。

同艦の設計は、艦型の小型化と武装の軽減により、英海軍の重要な任務である広範囲な連邦領・植民地や通商路の警備・保護に必要な軽快な機動性を持つ軽巡洋艦の隻数を揃える試みの一つでした。広大な通商路の警備に必要な巡洋艦の理想的な理論値は一説では70隻と言われていますが、未だに第一次世界大戦の痛手の癒えない財政はとてもこれを賄えるような状況ではなく、一方で大量に保有する第一次世界大戦型の旧式軽巡洋艦(C級、D級)を廃棄処分し、これをいかに置き換得てゆくか、条約の保有枠の制限と、疲弊した経済の両面から、当時の英国の苦悩が現れた艦級の一つと言ってもいいでしょう。

船体の小型化により、生存性はやや低下しましたが、速力は前級と同レベルを維持し、ある程度の戦闘力を持ち高い居住性と航洋性を兼ね備えた、通商路保護の本来の軽巡洋艦の目的に沿った手堅い設計の艦だったと言えるでしょう。

隻数をそろえる目的と言う意味では、同様の試みが英海軍の最後の重巡洋艦となった「ヨーク級」でも行われたのですが、スペックを抑え上記のように生存性をやや低下させながらも期待ほどの経済効果が得られず、同級も4隻で建造が打ち切られ、5番艦は整備が急がれた防空巡洋艦に転用されました。(この辺りはもちろん筆者の架空の創作(妄想)ですのでご注意を)

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折からやはり軍縮条約の制限を意識した日米海軍は奇しくも制限枠に達しこれ以上新造艦を建造できない重巡洋艦に代わり、重巡洋艦とも対峙できる大型重装備の軽巡洋艦の建造(6インチ砲15門装備)に指向しており、これと対比すると同級の非力さは否めず(6インチ砲6門装備)、平時向けの巡洋艦、という評価も受け入れざるを得ない状況でした。

 

「アリシューザ級」軽巡洋艦からの改造要目

今回の制作にあたり、ベースとなった「アリシューザ級」軽巡洋艦からの改造要目は、以下の通りです。

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1)主砲の換装:これは今回の改造の目玉となる重要な部分です。6インチ連装砲塔3基を撤去し、砲塔基部を活かして5.25インチ連装両用砲塔4基を設置しています。3番砲塔の位置にはもともと砲塔がありませんでしたので、基部らしき造作を加えています。搭載した5.25インチ連装両用砲塔はAtlas社製「プリンス・オブ・ウェールズ」から転用しています。このモデルはプラスティックと金属で構成されているモデルで、価格も手頃でパーツ取りモデルとしては大変優秀だと思い、重宝しています。5.25インチ連装両用砲塔のフォルムは特徴をよく捉えていると思っているのですが、何故か8基ある砲塔の大きさが揃っていません。今回は複数のモデルから大きさの揃っているものをチョイスして搭載しています。(上掲の写真の上段と下段:左が「アリシューザ級」)

2)艦中央部、航空艤装用クレーン・カタパルトの撤去と中央ポンポン砲砲座の設置。基部からパーツをカットし、ヤスリで平坦にして、その上にこれもAtlas社製の「フッド」から基部付きのポンポン砲を転用しています。高さなどは適当に調整してあります。この位置は、ほぼ原作通り(ハヤカワ文庫版「女王陛下のユリシーズ号」にはこの小説の戦闘航海の航路図と「ユリシーズ」の艦内配置図が掲載されています。今回の制作にあたってはこれを参考にさせていただいています)ですが、やや射界に問題はないのかな、などと考えています。砲座が艦の中央構造線上にあるので左右の射界はかなり広いのですが、前後は艦橋と後部煙突等が射界を遮ります。(写真中段:左が「アリシューザ級」)

3)艦後部、「アリシューザ級」が装備していた4インチ連装対空砲4基と後部探照灯台座等を撤去して後部対空砲射撃指揮所の設置及び指揮所両脇に後部ポンポン砲砲座を設置しています。少し後部上構の基部を整形してあります。撤去後はヤスリで平坦に仕上げてその上に対空砲射撃指揮所らしきものをストックパーツから転用しています。(写真下段:左が「アリシューザ級」)

 

原作に登場する「ユリシーズ」との相違点

「アリシューザ級」をベースにし今回筆者が制作した「ユリシーズ」と原作に記載されているスペックの相違点は以下の通りです。

まず、全長が筆者制作版の方が少し短い。原作では前述のように全長510フィート(155.5m)であるのに対し、「アリシューザ級」をベースにした筆者版は506フィート(154.2m)となりました。加えて現作では3基のポンポン砲は艦橋前、艦中央部、3番砲塔前と、間の中央線に沿って配置されていることになっています。(下の艦内配置図(ハヤカワ文庫版掲載)を参照してください)

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筆者版では3基と言う装備数は同一ながら、艦橋前は設置スペースが捻出できず、艦中央部(「アリシューザ級」ではカタパルト台の位置)と後橋の両脇の配置となっています。更に、筆者版では艦橋前の近接防空兵装が手薄に思われたので、単装機関砲2基を増設してあります。

(下の写真:筆者版「ユリシーズ」の原作版と異なる武装配置の拡大:2番主砲塔後ろに対空機関砲座を増設(写真上段):後橋周りに配置されたポンポン砲砲座(写真下段))

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(下の写真は、参考までに、「ベローナ級」のポンポン砲砲座配置の拡大:艦橋前に1基が配置され(写真上段)、艦中央部に2基が配置されています(写真下段))

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艦尾方向にやや「寸詰まり感」のある「アリシューザ級」をベースとしているため(艦尾の主砲塔が1基とされたため?)、艦の中央部が少し間伸びした感じになっていますが、これはこれで「ダイドー級」等とは出自が異なる「ユリシーズ」(これは筆者独自の設定ですが)の特徴を表している、まあ、そう言うことにしておきます。

結論:なかなかいいんじゃない?

架空艦はやはり楽しいなあ。違和感は違和感として、いろいろと考えさせてくれます。・・・と、自己満足はこのくらいにしておきましょう。

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(上の写真は英海軍の防空巡洋艦の大きさ比較:手前から「ユリシーズ」「ベローナ級」「ダイドー級4.5インチ対空砲装備型」「ダイドー級」の順:筆者が抱いている、今回製作した「ユリシーズ」の艦中央部の間延び(?)=煙突の間隔の広さ、と艦尾の寸詰まり感、わかっていただけますかね)

 

ダイドー級」就役以前の英海軍の防空巡洋艦の整備:既存艦の防空巡洋艦への改造

英海軍は第一次世界大戦後、航空機の発達による脅威の増大を予見して、旧式のC級軽巡洋艦の数隻の主砲を4インチ対空砲に換装し防空巡洋艦に改装します。

(これは、検索した限りどこにもそれらしい資料が見当たらないので、ここだけの筆者による憶測、ということにして頂き、「まあそんなこともるかも」くらいの「聞き流し」でお願いしたいのですが、ロンドン条約では軽巡洋艦の定義を「備砲、5.1インチ以上で6.1インチ以下」としています。主砲を4インチ(対空)砲とすることで軽巡洋艦保有枠の対象外、としたかったのではないかな?前述のように、英国はその広範な連邦領との通商路を保全するためには巡洋艦保有数として70隻必要、と試算していました。ところが条約で認められた保有枠はカテゴリーA(重巡洋艦)、カテゴリーB(軽巡洋艦)併せて34万トン余りで、単純に割り算すると、平均4850トンを切るサイズの船でないと数を賄えないことになってしまいます。さすがにこの時期に5000トン以下の巡洋艦は計画されていませんので、どうしても規定外の通商路保護のための艦船が必要だったのではないかと・・・。一方で前大戦で国力は疲弊しきっていて、既に旧式化していた第一次大戦期の巡洋艦を主砲換装で「軽巡洋艦」の規定枠外で有力な戦力化できる方法があるとすれば、これは検討に値する、くらいのことは考えても良いだろう、などと、妄想したりするのですが。まあ、これはその後の第二次大戦での航空優位の歴史を知る我々の「後知恵」による少々こじつけめいた憶測ですので、あまり他所で話さないでね。どこかにそれらしい資料ないかな?)

 

C級軽巡洋艦防空巡洋艦への改装

C級軽巡洋艦のサブ・クラス「カレドン級」のうち1隻、「シアリーズ級」のうち3隻と「カーライル級」のうち4隻が、第二次世界大戦前には、早くも兵装を高角砲に換装し、防空巡洋艦として参加しています。

主砲を全て高角砲に換装し、艦隊防空を担わせる専任艦種を整備する、という思想に、第二次世界大戦前に発想が至っていた、というのは「慧眼」というか、ある種、驚きですね。

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(上の写真は防空巡洋艦へ3隻が改造された「シアリーズ級」軽巡洋艦の概観:108mm in 1:1250 by Navis)
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(上の写真は改造前の「シアリーズ級」軽巡洋艦の主砲配置:6インチ単装砲5基を主砲として装備していました。次級のやはり防空巡洋艦に改造された第一次世界大戦型の「C級」軽巡洋艦の最終サブクラスである「カーライル級」との相違点は、「カーライル級」では、艦首部の搭載砲への飛沫対策として「トローラー」船首に艦首形状を改めているところです)

 

同級で防空巡洋艦への改装を受けた3隻のうち「コベントリー(Coventry)」と「カーリュー(Curlew)」は4インチ単装高角砲(QF 4 inch Mk V gun)10基をその主兵装として改装されました。

en.wikipedia.org

 

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(上の写真は防空巡洋艦へ3改造された「コベントリー」の概観:108mm in 1:1250 by Argonait:下の写真では「コベントリー」の単装対空砲の配置をご覧いただけます。艦首部に2基(写真上段)、艦中央部に4基(写真中段)、艦尾部に4基(写真下段)が配置されていました)

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一方、「キュラソー(Curacoa)」は4インチ連装高角砲(QF 4 inch Mk XVI gun)4基を主兵装として改装されました。

en.wikipedia.org

キュラソー」をNavis製の「カーディフ(Cardiff) 」のモデルをベースにセミ・スクラッチしています。

(上下の写真は、防空巡洋艦に改装後の「キュラソー(Curacoa)」:同級は3隻が防空巡洋艦に改装されていますが、「キュラソー」が改装時期が最も遅く、他の2艦が4インチ単装高角砲(QF 4 inch Mk V gun)10基を搭載していたのに対し、同艦のみ4インチ連装高角砲(QF 4 inch Mk XVI gun)を4基搭載しています。外見的には同艦が最も防空巡洋艦らしいのではないかな、と筆者は考えています。1番砲、3番砲、4番砲、5番砲が連装高角砲に換装されました。艦橋前の2番砲座にはポンポン砲が設置されました)

防空巡洋艦として就役した3隻はいずれも大戦中に失われています。

 

「カレドン級」防空巡洋艦への改装(架空艦の制作)

「カレドン級」軽巡洋艦第二次世界大戦にも船団護衛等の任務で運用されました。中でもネームシップの「カレドン」は艦容が全く変わってしまうほどの改装を受けるのですが、残念ながらモデルが筆者の知る限りありません。(どこかで製作してみようかな。ちょっと改装範囲が大きいので、しっかり準備が必要です)

同級の他の艦はあまり改装を受けず、原型に近い状態で任務についたのですが、「もし、防空巡洋艦に改装されていたとしたら」と言ういわゆる「if艦」を作成してみました。

(直上の写真:「カリドク(Caradoc)」の防空巡洋艦改装後の姿(下記に記述したように、多分、改装計画のスケッチのみのいわゆる「If艦」で実在しませんのでご注意を。))

(上の写真:同級4番艦「カリドク(Caradoc)」の防空巡洋艦改装案のスケッチはみたことがあるので、手持ちのNavis製「カリプソ(Calypso)」をベースに、スケッチを参考にし、少し兵装過多のような気がしたので、兵装を軽くして製作してみました:艦橋前、1番砲座に4インチ連装高角砲(QF 4 inch Mk XVI gun)を設置(上段)、2番砲座、3番砲座の位置にポンポン砲を設置(中段)、4番砲座と5番砲座に4インチ連装高角砲(QF 4 inch Mk XVI gun)を(下段):スケッチでは2番砲座も連装高角砲に換装、となっていたと記憶します):実は、上で紹介した「キュラソー」のセミ・スクラッチ・モデル同様に、4インチ連装高角砲(QF 4 inch Mk XVI gun)のパーツを再現性の高いものに置き換えてみています。筆者の自己満足。

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この改装に一定の価値を見出した英海軍は、防空専任艦を設計します。これが前述の「ダイドー級防空巡洋艦と「ベローナ級」防空巡洋艦として(そしてもちろん「ユリシーズ」として)結実するわけです。

と言うことで、今回はこの辺りで。

 

実は「ユリシーズ」が旗艦を務めた第14護衛空母戦隊(The 14th Aircraft Squadron)の構成艦艇についてもどこかで纏めたいなあ、と思っているのですが、まだいくつか揃っていない小艦艇があるので、そちらはまたいずれ。

少し前置きしておくとこの戦隊、14隻の戦隊構成艦艇のうちアタッカー級(ボーグ級)護衛空母を4隻も持っています。ちなみに巡洋艦も2隻(1隻は当然のことながら「ユリシーズ」もう1隻は上でご紹介した「シアリーズ級」:原作では「カーディフ級」と表記されていますが同じ艦級です。記述から見ると防空巡洋艦への改装は行われていなさそう)、第一次世界大戦型の旧式艦隊駆逐艦3隻(「V級」「W級」「タウン級:米海軍から貸与された旧式駆逐艦」)、第二次世界大戦期の新型駆逐艦1隻(「S級」)、ハント級小型駆逐艦、リバー級フリゲートキングフィッシャーコルベット、そして艦隊随伴掃海艇(艦級不明)、以上の14隻です。こんな大規模な船団護衛部隊があったのでしょうか?(筆者が知る船団護衛部隊は、せいぜい4−5隻で構成されていることが多いのですが・・・)

この辺りももう少し調べてみたいと思っています。

 

次回はピカード も終了したことでもあり、中断している「空母機動部隊小史」に戻りましょうか?あるいはもう一回、気楽に新着モデルのご紹介でも?

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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GW突入:ピカード もそろそろ終盤、そして時事ネタを少し:ソ連・ロシア海軍のミサイル巡洋艦

GWが始まりました。お仕事にもよると思いますが、工夫すれば「10連休だよ」と言う方もいらっしゃるのではないかと。筆者は、なかなかそうもいかず、前半、後半といわゆる「カレンダー通りです」と言うようなお休みの状況です。(それでもゆっくりできるので、やはり嬉しいですね)

録り溜めている映画の一気見や、読めていない本の整理、庭の手入れ、そしてもちろん模型の手入れと整理など、やること山積みです。それにしても3年ぶりの「制限のない」GWです。今朝もショッピング・モールに買い物に行って来たのですが、駐車場は行列、フードコートも人がいっぱいで、少しコロナ前の日常が戻っているのかな、と言う感触でした。それでも全員がもれなくマスクをしている、そこだけが厳しい日常が続いていることを示している、そんな情景でした。

コロナ前に戻るのはまず短期間では不可能でしょうから、とりあえずはこれが新たな「平常」になっていけばいいなあ、などと思っているのですが、昨夜のニュース番組では「GWは最後の宴」と言う観測もあるようで、これから顕著になるであろう物価上昇と消費マインドの冷え込みを警戒する声を報道していましたし、人の動きの活発化で次の感染拡大も懸念されています。これに慣れていくしかないのでしょうが、せめて気持ちだけは不安要素に負けて萎縮しないように、と思う今日この頃です。

 

と言うわけでもないのですが、その不安要素の一つである「ウクライナ情勢」から、このブログに多少なりとも関心を持ってくださっているような方々ならきっと「おお」と思われただろう大きなニュースが飛び込んできました。

そう「モスクワ」の撃沈です。

今回はそれにちなんでロシア海軍のミサイル巡洋艦「モスクワ」のご紹介を。そこから少し脱線していこう、そう言うお話しです。

 

・・・と言うことなのですが、本論のその前に、例によって。

スター・トレック ピカード  シーズン2」Episord 9

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(ネタバレの禁忌は大いに冒してしまったので、もう気にしません。ネタバレ、あります、きっと)

***(ネタバレ嫌な人の自己責任撤退ラインはここ:ネタバレ回避したい人は、次の青い大文字見出しに「engage!」)***

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Star Trek: Picard - Engage! - Episode 3 finale - YouTube

 

大きな展開がありましたね。

このエピソードでの展開を、ジュラティの参画による「共感」を目指す同化能力のある「良きボーグ」の誕生と見るのか、ボーグの「秩序」の新たな混乱の始まりと見るのか、「ボーグ」の話の続きが気になりますが、それはピカード の話ではない、と言うことなのでしょうか?いずれにせよ宇宙に居場所のない「ボーグ」にとって新たな生存への彷徨が始まった、そう言うことなんでしょうね。

誕生したばかりの「良きボーグ」の棲む世界。このシリーズはしばしば並行宇宙の存在が事も無げに語られるので、これもまたその一つなのでしょうか?

では、ピカード は何を守るのか?スン博士がまともに暮らして(スン博士の「まとも」と言う言葉自体が大きな矛盾を孕んでいて、なんか面白い)データが世に現れる世界を取り戻すのかな。

しかし一方で、彼らは船を失ってしまいました。ええ、戻れないじゃん!

と言うことはもうひと展開ある、そういうことでしょうか?

 

ああ、何か凄いことが起きたはずなんだけど、この混乱はなんなんだろう。「だから「Q」が出てくると嫌なんだよ」と「Q」のせいにしてみてもスッキリしません(あれ、そう言えば「Q」は今回は登場しなかった?)。

本当にあと一回で終わるのでしょうか?まさかの「夢堕ち」、なんてことは、流石にないと思うので、(ちょっと怖いのは、「Q」がパチンと指を鳴らして「ほら、元通り。楽しんでくれたかな?」なんて展開なんですが) 次回とシーズン3に期待しましょうかね。

 

今回示された4つの共感(相互理解と共感、かな?)、ピカード とタリンの労わり(一方的にピカード がもらっている感じでしたが)、セブンとラフィの信頼、リオスとテレサの・・・これは単に恋に落ちただけか(リオスは戻れなくても良さそう)、そしてもちろんボーグ・クイーンとジュラティの「同化(と、あえてこの言葉を使っておきましょう)」。パズルのピースは嵌まりつつあるのです。でもわからないのは、全体になんの絵が描かれているのか。その鍵はやはり「Q」なのかな?

 

繰り返しますがあと一回で終わるとはとても思えない。急がないでほしい、これはみんなが思っていることでは?

次回を待ちましょう。

 

 

さて、ここからが今回のお題です。

ミサイル巡洋艦「モスクワ」の撃沈

皆さんご存知のように4月14日、ロシア国防省がミサイル巡洋艦「モスクワ」が沈没したと発表しました。当初はどうやら艦内の火災発生のために退去命令が出た、と言うような発表だったようですが、ウクライナ大統領府がウクライナ軍の放った対艦巡航ミサイルネプチューン」による戦果と発表し、これを受けて沈没を追認した、と言う少しドタバタした形となりました。

ウクライナ侵攻作戦の途上で、ウクライナ軍のネプチューンミサイル二発を被弾し炎上、弾薬庫が誘爆し大火災となり沈没した、と言うことのようです

ネプチューンミサイルは旧ソ連製の巡航ミサイルシステムをベースに、これをウクライナ軍が改良した地対艦ミサイルで、最大射程300キロメートルと発表されています。

ja.wikipedia.org

 

「モスクワ」は旧ソ連海軍が1970年代に建造した「スラヴァ級」ミサイル巡洋艦の一番艦です。同級は1982年から順次就役を開始しましたが、ソ連の崩壊後(1988年−91年)、1−3番艦はロシア海軍が、建造途上だった4番艦はウクライナ海軍が引き継ぎました。

 

ミサイル巡洋艦ウクライナ」(ウクライナ海軍が継承)は、1984年着工にも関わらず、いまだに未完成

ちなみにウクライナ海軍が引き継いだ上述の4番艦は、起工時には「コソモレーツ(共産党青年団員)」と言う名前でしたがその後「アドミラル・フロタ・ロポフ」と改名、1988年に進水しましたがその後のソ連崩壊の混乱で1993年に工事が中止されています。ウクライナ海軍による継承が決定されたのち、再び艦名を「ウクライナ」と変更し、2001年就役を目指して工事が再開されたのですが、財政難で完成に至らず、その後2013年に未成のままでのロシアへの売却の話が出て来ました。しかしこの話も2014年の「クリミア危機=ロシアによるクリミアの併合」により頓挫。ウクライナ海軍は売却先を見出せないまま、今日に至っている、と言う曰く付きの艦です。

 

スラヴァ級」ミサイル巡洋艦ソ連ロシア海軍の正式呼称「1164級」ミサイル巡洋艦:1982年から就役:同型艦4隻(うち1隻は未完成))

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(「1164級:スラヴァ級」ミサイル巡洋艦の概観:148mm in 1:1250 by Decapod Model: 艦橋部分から前方に装備された対艦ミサイルが本級の最大の特徴と言っていいでしょう)

スラヴァ級」ミサイル巡洋艦ソ連海軍が「キンダ級」(1962年1番艦就役)、「クレスタI級」(1967年1番艦就役)、「クレスタII級」(1969年1番艦就役)、「カーラ級」(1971年1番艦就役)と続いた、対空・対潜戦闘能力に重点を置いた従来のミサイル巡洋艦の設計を一新して、水上艦攻撃を重視して設計した巡洋艦です。ロシア海軍では、次級の「キーロフ級」を原子力を推進機関として搭載した「重原子力ミサイル巡洋艦」と分類しているため、現時点ではソ連ロシア海軍の建造した最後の巡洋艦となっています。併せてそれ以前の巡洋艦の艦級が全て退役、あるいは他国に売却されているため、唯一の現役巡洋艦の艦級となっています。

前述のようにロシア海軍には同型艦4隻中3隻が就役しており、1番艦は当初ネームシップの「スラヴァ」と命名されていましたが、後に「モスクワ」に改名され黒海艦隊旗艦となりました。2番艦「マーシャル・ウスチーノフ」(当初「アドミラル・フロタ・ロポフ」から1988年に改名)は北方艦隊に所属、3番艦「ヴァリャーク」(当初「チェルボナ・ウクライナ」から1995年に改名)は太平洋艦隊旗艦を務めています。

10000トン級の船体にガスタービンを主機として搭載し32ノットの速力を出すことができます。

その外観的な特徴は、なんと言っても艦橋より前方に搭載された巨大なP-1000対艦ミサイルの連装ランチャーで、8基16発を搭載しています。この対艦ミサイルは1000kmと言う長大な射程を誇っています。(ちなみにハープーンは300km程度)

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他の武装としては、艦隊防空ミサイルとしてS-300Fを八連装リボルバー式の垂直発射装置VLS)8基に搭載しています。

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加えて個艦防空兵装として、130mm連装速射砲1基、4K-33短SAMの連装発射機を2基、A K-630M30mmCIWSを6基搭載し、緊密な防空域を構成することができます。

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これに反して対潜装備はやや手薄で 対潜ミサイルの類は搭載せず、RBU-6000対潜ロケット砲2基、5連装魚雷発射菅2基を装備しています。

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さらに哨戒ヘリ一機を搭載する能力を有しています。f:id:fw688i:20220501141506p:image

(「1163級」の主要兵装の配置:艦首部にAK-130:130mm連装速射砲, RBU-6000対潜ロケットランチャー, P-1000の連装ランチャー、艦中央少し後ろ目にS-300F:対空ミサイルの八連装リボルバー式の垂直発射装置8基、ヘリ格納庫両脇に4K-33短SAMの連装発射機を2基、そしてヘリ発着甲板を備えていました)

以上のように強力な対艦攻撃能力及び艦隊防空能力を兼ね備えた重装備艦と言っていいのですが、既に一番艦の就役後40年を経過しています。2015年以降、レーダーの換装等を中心とした近代化改装が行われ、艦の寿命を10年から15年程度延長する予定でしたが、2022年に「マーシャル・ウスチーノフ」に行なわれたのみです。今回の「モスクワ」の沈没にも設計の古さからくる脆弱さとシステムの対応力不足があったともいわれていますが、ロシア海軍の基幹戦力であることには間違いなく、これから残りの2隻の去就にはますます注目が集まりそうです。

 

ソ連ロシア海軍のミサイル巡洋艦の系譜

この機会にソ連ロシア海軍のミサイル巡洋艦の開発を少しまとめておきましょう。

ソ連ロシア海軍は1960年代から巡洋艦の主要兵装をそれまでの火砲から誘導ミサイルに置き換えてゆきます。これは当初、巡洋艦等の大型水上艦艇による、明らかに圧倒的に整備の進んだ米海軍の空母機動部隊への対抗を意識したもので、射程の長い対艦ミサイルによる水上艦艇に対する打撃力の保持と、同時に米機動部隊艦載機からの艦隊防空の確立を目指した「58級:キンダ級」の設計となって現れます。

しかしその後は一転して対潜水艦戦と防空重点を置いた兵装へと重点が移り、過渡的な存在としての「1134級:クレスタI級」、一応の完成形としての「1134級:クレスタI級」、その発展形としての「1134B級:カーラ級」へと続いてゆきます。

その各艦級の就役年代は以下の通りでした。

「58級:キンダ級」(1962年1番艦就役:同型艦4隻)

「1134級:クレスタI級」(1967年1番艦就役:同型艦4隻)

「1134A級:クレスタII級」(1969年1番艦就役:同型艦10隻)

「1134B級:カーラ級」(1971年1番艦就役:同型艦7隻)

 

「キンダ級」ミサイル巡洋艦ソ連ロシア海軍の正式呼称「58級」ミサイル巡洋艦:1962年1番艦就役:同型艦4隻)

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(「58級:キンダ級」ミサイル巡洋艦の概観:112mm in 1:1250 by Delphin: 艦首部、艦尾部に配置された大きな対艦ミサイルの四連装発射機が特徴です。モデルは就役時の姿を再現しているようで、30mmCIWSはまだ搭載していません)

ソ連ロシア海軍のミサイル巡洋艦は本級から始まります。米機動部隊への対抗が本級建造の目的の一つでもあったため、従来の巡洋艦とは一線を画する長射程のミサイル兵器を主要兵器としています。SM-70四連装発射機を2基装備し、次発装填機構も搭載し250kmの射程を持つ対艦ミサイルP-35、16発の発射が可能でした。f:id:fw688i:20220501141821p:image

(「58級」の主要装備:写真上段:艦首からRBU-3000対潜ロケット、ZIF-101対空ミサイル連装発射機、SM-70 四連装発射機の順:艦尾部には艦尾からヘリ発着ポート(ただし格納庫なし)、76mm連装速射砲2基、SM-70四連装発射機の順)

来襲する敵航空機や敵性ミサイルに対しては、ZIF-101連装ミサイル発射機2基を装備し16発の対空ミサイルの発射が可能でした。

砲兵装としては、自艦防衛のための76mm連装速射砲2基を装備していました。後に近代化改装の際に30mmCIWSが4基、追加装備されました。加えて対潜装備としてRBU-3000対潜ロケット投射機2基と三連装魚雷発射管2基を搭載していました。

船体は4700トン級で、蒸気タービンを主機として34ノットの速力を発揮することができました。

艦尾にヘリコプターの発着艦甲板を設置していましたが、格納設備は有していませんでした。

旧式化のために1990年代から順次退役し、2002年までに4隻全てが除籍されています。

 

 

「クレスタI級」ミサイル巡洋艦ソ連ロシア海軍の正式呼「1134級」ミサイル巡洋艦:1967年1番艦就役:同型艦4隻)

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(「1134級:クレスタI級」ミサイル巡洋艦の概観:122mm in 1:1250 by Delphin: モデルは就役時の姿を再現したもののようで、30mmCIWSを未搭載です

前級の「キンダ級:58級」が対艦攻撃力を重視した設計だったのに対し、対潜能力の充実に重きを置いて開発されたのは同級です。同級の設計は基本的には前級「58級」の拡大型であり、前級では装備できなかった艦尾のヘリコプター格納庫も装備し、対潜能力を向上しています。

設計時点では新設計の対空ミサイルと対潜ミサイルを搭載する予定でしたが、ミサイルの開発が間に合わず、対潜ミサイルの搭載は見送られ前級と同様の対艦ミサイルを装備していました。対空ミサイルは前級と同じものを搭載数を16発から32発に増やし、艦隊防空能力を高めています。

対艦ミサイルは搭載数を減らし連装発射機を艦の両舷に装備しています。

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(「1134級」の主要装備:写真上段:艦首からRBU-6000対潜ロケット、ZIF-102対空ミサイル連装発射機、対艦ミサイル連装発射機の順:艦尾部には艦尾からヘリ発着ポートと格納庫、格納庫脇にRBU-1000対潜ロケット、ZIF-102対空ミサイル連装発射機、57mm連装速射砲2基、5連装魚雷発射管の順)

個艦防空には57mm連装速射砲2基が当てられ、後の近代化改装の際に30mmCIWS4基が追加搭載されました。対潜装備は、本来、同級の目玉兵器となる予定だった新開発の対潜ミサイルが間に合わずこの搭載を見送った代わりに、RBU-6000 12連装対潜ロケット投射機2基とRBU-1000 6連装対戦ロケット投射機2基を搭載し、これに5連装魚雷発射管を加えてかろうじて充実を図っています。

5500トン級の船体を持ち、蒸気タービンを主機として32ノットの速力を発揮することができました。

設計案では10隻が建造される予定でしたが、上述のように新型の対空ミサイル、対潜ミサイルの開発の遅れから4隻で打ち切られ、新型ミサイルを搭載した次級「1134A」級(クレスタII級)へと建造の重点が移されました。1994年までに同型艦の全てが退役しています。

 

「クレスタII級」ミサイル巡洋艦ソ連ロシア海軍の正式呼称「1134A級」ミサイル巡洋艦:1969年1番艦就役:同型艦10隻)

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(「1134A級:クレスタII級」ミサイル巡洋艦の概観:124mm in 1:1250 by Delphin:  同級は「1134級」の武装更新版として設計されたため、基本的なレイアウトは「1134級」に酷似しています)

上述の「1134級」の紹介で触れたように、「1134級」は本来前級「53級」が対艦兵器と対空兵器に重点を置いた設計であったのに対し、対潜兵装に重点を置いた設計となるはずで、そのため新開発の対空ミサイル・対潜ミサイルを搭載する予定でした。しかし、これらの兵器の開発に遅れが生じたため「1134級」は従来の艦載兵器で就役せざるを得なかったのですが、この為10隻の建造計画を4隻で打ち切り、これらの新開発兵器を搭載した「1134A級」の建造へと計画は更新されました。これが「クレスタII級:1134A級」です。

ですので船体等の設計は、基本的に「1134級」のものをやや改良・拡張した形で踏襲しています。

兵装面では「1134級」の主要兵器(計画に反し結果的にそうなってしまった感は否めませんが)であった対艦ミサイルの連装発射機をおろし新開発のKT-100四連装対潜ミサイル発射機を2基搭載しました。

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このミサイルシステムは、基本的に西側諸国の主要な対潜兵器であったアスロックと同じ設計思想で、対潜魚雷をロケットで遠くに投射する形式でしたが、アスロックの射程が9kmほどであったのに対し55kmと長射程を有していました。後にこの射程は85RUでは90kmまで拡張され、あわせて対艦攻撃能力も付与されています。f:id:fw688i:20220501142734p:image

(「1134A級」の主要装備:写真上段:艦首からRBU-6000対潜ロケット、新開発のB-187対空ミサイル連装発射機、新開発のKT-100四連装対潜ミサイル発射機の順:写真中段では30mmCIWS、五連装魚雷発射管、57mm連装速射砲:写真下段では艦尾方向から順にヘリ発着ポート、ヘリ格納庫、格納庫脇にRBU-1000対潜ロケット、B-187対空ミサイル連装発射機がそれぞれ見えています)

対空ミサイルシステムも新開発のB-187が搭載され防空域が拡大されています(M-1の最大射程22kmからM-11の最大射程55kmへ)。

他の兵装については建造当初から30mmCIWS 4基を搭載していることを除いては「1134級」のものを踏襲しています。

(下の写真は、「1134級」(左列)と「1134A級」の比較:このモデル比較では判別できませんが連装対空ミサイル発射機は新型に更新されています。さらに艦橋脇の対艦ミサイル連装発射機は対潜ミサイル四連装発射機に変更されています(写真上段):ヘリの格納庫重心位置への配慮から、エレベーターで半甲板分下げた位置にヘリを格納し整備するよう設置されています(写真下段))

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同型艦10隻が就役しましたが、全て1991年から93年の間に退役しています。

 

「カーラ級」ミサイル巡洋艦ソ連ロシア海軍の正式呼称「1134B級」ミサイル巡洋艦:1971年1番艦就役:同型艦7隻)

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(「1134B級:カーラ級」ミサイル巡洋艦の概観:138mm in 1:1250 by Delphin: 本級は「1134級」の拡大改良版として設計されたため。基本的なレイアウトは「1134級」に準じています

同級は「1134A級」の設計をほぼ踏襲し、機関を蒸気タービンからガスタービンに変更したもので、旧ソ連海軍の巡洋艦としては初のガスタービン艦となりました。船体が「1134A級」の5500トン級から7000トンに拡大し、主要兵装はほぼ「1134A級」のまま、ただし対空ミサイルの搭載弾数が増やされ自動化が進められました。個艦防衛用として速射砲口径が76mmに強化され連装砲2基を搭載しています。合わせて「1134A級」に搭載されていた30mmCIWS4基に加え、短SAMの連装発射機2基が追加され、個艦防空能力も強化されています。f:id:fw688i:20220501143106p:image

(「1134B級」の主要装備:写真上段:艦首からRBU-6000対潜ロケット、B-187対空ミサイル連装発射機、KT-100四連装対潜ミサイル発射機の順:写真中段では76mm連装速射砲、30mmCIWS:写真下段では艦尾方向から順にヘリ発着ポート、ヘリ格納庫、格納庫脇にRBU-1000対潜ロケット、B-187対空ミサイル連装発射機、五連装魚雷発射管がそれぞれ見えています)

同級の設計は今回の冒頭に紹介した「1164級:スラヴァ級」の設計のベースともなっています。

1970年代に7隻が就役しましたが、2000年までに5隻が退役、最後の1隻(黒海艦隊所属の「ケルチ」も2020年に退役し、全て姿を消しています。

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(上の写真はソ連ロシア海軍ミサイル巡洋艦の系譜の一覧:手前から「58級:キンダ級」「1134級:クレスタI級」「1134A級:クレスタII級」「1134B級:カーラ級」「1164級:スラヴァ級」の順)

 

ウクライナ海軍について

今回はロシア海軍ミサイル巡洋艦「モスクワ」のウクライナ紛争での喪失のニュースから始まり、ソ連ロシア海軍のミサイル巡洋艦の開発について見てきたわけですが、紛争のもう一方の当事者であるウクライナの海軍事情についても、少しだけ触れておきましょう。

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旧ソ連黒海艦隊をベースとして発足

ソ連崩壊後、旧ソ連黒海艦隊はロシアとウクライナに二分されることが決まりました。

そのため多くの艦艇を保有してスタートした同海軍でしたが、財政難から保有艦艇の削減に動かざるを得ませんでした。

さらに悪天候で多くの艦艇が損傷するなどの状況も重なり、この削減に拍車がかかります。

本稿でもふれたように、ミサイル巡洋艦ウクライナ」は未成のままで工事が見送られ他国への売却が計画されていますし、これも未成で旧ソ連海軍から引き継いだ「グズネツォフ級」航空母艦の2番艦である「ヴァリャーグ」も完成しないまま廃艦となり、後に中国海軍に売却されました(中国海軍「遼寧」として完成されました)。

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クリミア危機での事実上の消滅

2014年のロシアのクリミア侵攻に付随して、クリミア半島セヴァストポリに拠点を置いていたウクライナ海軍はロシア軍の地上部隊、の侵攻を受け、その保有艦艇のほとんどをロシア軍に接収され、事実上、消滅してしまいました。

現有の主要艦艇としては、たまたま侵攻時に地中海にいたフリゲート艦「ヘーチマン・サハイダーチヌイ」(旧「クリヴァクIII級」フリゲート)やコルベットヴィーンヌィツャ」(旧「グリシャ級」コルベット)、ミサイル艇「プルィルークィ」(旧「マトカ級」水中翼型ミサイル艇)等が挙げられます。

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(ウクライナ海軍フリゲート艦「ヘーチマン・サハイダーチヌイ」(旧「クリヴァクIII級」フリゲート)の概観:102mm in 1:1250 by Delphinl)

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ということで、今回は珍しく(本稿初?)時事ネタを元にしたお話し、でした。

次回はおそらく「ピカード 最終回」のお話が中心になるんじゃないかな?

 

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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近代戦艦ミニ前史:A=H帝国海軍の場合

「空母機動部隊小史」を、多分「ピカード :シーズン2」が終わるまで(?)お休みします、と言う宣言をして、随分、気が楽になりました。どうも自分自身の好奇心がひとところに集中して止まれない、そういうことなんだなあ、と痛感する日々です(とはいえ、全く行き当たりばったりなので、突如「空母機動部隊小史」の一節を挟むかも。そこは何卒、ご容赦を)。

 

と言うわけで、今回は、以前、本稿でA=H帝国海軍の中央砲郭型装甲艦「テゲトフ」をご紹介した際に、19世紀後半から列強海軍が競って整備した近代戦艦(前弩級戦艦、といった方がわかりやすいでしょうか。明治期の日本海軍の本格的な艦艇整備はこの前弩級戦艦の登場の少し前から始まっています)の成立の前過程について少し触れたのですが、今回は新着モデルのご紹介も兼ねて、おさらいしてみたいと思っています。

本稿で紹介した「テゲトフ」の投稿はこちら。興味があれば(でも今回もほぼ同じことを紹介しますので、もしタイ海軍の小さな海防戦艦の話など興味があれば、まあ、覗いてみてください)

fw688i.hatenablog.com

今回はそう言うお話です。

 

・・・と言うことなのですが、本論のその前に、例によって。

スター・トレック ピカード  シーズン2」Episord 8

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(ネタバレの禁忌は大いに冒してしまったので、もう気にしません。ネタバレ、あります、きっと)

***(ネタバレ嫌な人の自己責任撤退ラインはここ:ネタバレ回避したい人は、次の青い大文字見出しに「engage!」)***

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Star Trek: Picard - Engage! - Episode 3 finale - YouTube

 

「起承転結」のまさに「転」の回、でしたね、と言っておきましょう。サイド・エピソードがどんどん放たれて、どれもがメイン・ストーリーに紐づいていることが明確に示され始めています。あの「Q」のエピソードですら(これは驚きでした。「Q」については、もう一回くらいは大転換がありそうな予感もしますが。このまま終わるはずがない、といつの間にか少し「Q]が好きになってきています。驚きです)。

あと2回で全て回収するとしたら、随分乱暴なことになるんじゃないかな、と心配(かなり)ではあるのですが、エピソード7で垣間見たピカード の内面世界とボーグ・クイーンとの対決を軸に集約されていくのでしょうか。「今回のシリーズでは「時間」が重要」まさにそういう話になってきました。

エレノアもちょっと出てきましたが、登場人物は話の展開の中でどんどん魅力的になっていくのは驚きです。

リオス艦長とテレサの話は切ないなあ。うまくいく方法があるのかな。

アダム・スン博士の葛藤がやがてデータという、スタートレックワールドにとって「軸」となるような登場人物を生み出すのか(実際は時間軸的には逆なのですが、それをわかった上で)と感慨深いものがあります(もうちょっと時間をかけて丁寧に、とも思いますが。これも絶対に大転換があるはず)。

そして何よりもやはりこのシリーズはボーグのお話だということが、改めて明らかに(そんなの最初からそうだったじゃないって?やっと筆者が理解できた、遅い!)。

これはボーグにとって二度目の(ファースト・コンタクトに続く)歴史改変への挑戦なのだ、ということがやっと理解できたり、だからこそ、この話(シーズン)がボーグがピカード を呼び出すところからスタートしているのか、と一人で頷いたり、ピカード はボーグの一員でありながら(あったからこそ?)天敵足りうるんだなあ、と今更ながら、ピカード がボーグに同化された出来事とその後の「ウルフ359の戦い」周辺は人類だけでなくボーグにとっても本当に重要な出来事だったんだなあ、と痛感してたりします。

ボーグ・クイーン(=ジュラティ)の行方を追う中で語られるセブンの記憶と、史上初のボーグ部隊の誕生のシーンを見て、何故、同化後のボーグがインプラントだらけなのかやっと納得がいきました(敵味方を分かりやすくするため(だけ)じゃなかったんですね)。

ラリスもタリン(オーラ・ブラディ)も、今回は出てこなかった(ちょっと残念!)。

などなど、例によって想いはつきませんが、今回はこの辺りで。

金曜日、楽しみ!

 

 

さて、ここからが今回のお題です。

近代戦艦誕生前史:A=H 帝国海軍の場合

このお話は「発達史への興味」というよりも、「模型事情」が大きく寄与して発生していると筆者は考えています。

つまりA=H (オーストリアハンガリー)帝国海軍は、みなさんご存知のように帝国自体が第一次世界大戦後解体されてしまったため、第一次世界大戦以降は存在しません。当然、海軍も存在せず、艦艇も然り、です。さらにA=H帝国がアドリア海にわずかな接続海面を持つ基本的に内陸国家であったため、それほど大きな海軍を持ちませんでした。このため模型もそのラインナップが筆者が重点を置いている「日本海軍の成立以降=近代海軍の成立以降」というテーマでは、大変、限定されている、という事情が大きく働いている、そういうことです。

翻ると、A=H帝国海軍に関心を持つ、ということは近代海軍以前に少し手を伸ばさねばならず(「ならない」、なんてことはないんですけどね)、その過程で近代戦艦(前弩級戦艦)以前の主力艦発達についていくつか模型を入手するうちに考える機会を得た、そのまとめを少々。今回はそういうお話です。

 

蒸気機関装甲艦の系譜

すでに本稿でもご紹介したことですが、繰り返しを恐れずに少し列強海軍の装甲艦の型式の発達をまとめておきます。

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(ナポレオン期の軍用帆船:上段が砲戦を主要な任務とする戦列艦:舷側に複数層の砲甲板を装備しています。後にいわゆる「戦艦」に発展します。写真の戦列艦は58mm(バウスプリット:船体の先端から突き出している前方に傾斜し突き出している棒を除いた船体の寸法です・下段は軽快な機動性を持つフリゲートスクーナー(左):後に「巡洋艦」等に発展します。写真のフリゲート(右)は48mm(バウスプリットを除く))

 

蒸気機関の発展に伴い艦艇の機動力が飛躍的に向上します。

風力では不可能だった重砲という重量物を装備して自由に動ける艦艇、という概念が艦艇の発達を飛躍的に加速化する「筋立て」の門を開いた訳です。重砲の搭載で、艦艇の攻撃力が増大します。しかし一方で、原則として破壊力の大きな重い砲弾を飛ばすには、その発砲衝撃に耐えうる重い火砲が必要で、火砲の大型化も加速されてゆく訳です。

艦砲の大型化は艦艇への搭載数に対する制約という新たな課題を生み出します。少数の強大な破壊力を持つ艦砲をどのように搭載するか、という命題が新たに発生するわけです。そしてこれは、強力な火砲から放たれる砲弾をいかにして目標に命中させるのかという射撃法の発達を促し、やがてひとつの答えとして一連の「弩級戦艦」「超弩級戦艦」として結実を迎える訳ですが、その模索の期間が18世紀後半から始まったと考えていいと思います。

一方で、強力な砲弾の打撃力から如何に自艦を守るのか、という防御の思想が芽生え、こちらはこれも蒸気機関の発達により機動力との兼ね合いが可能となったもうひとつの重量物「装甲」を備えた装甲艦という概念となって登場します。

これからご覧いただくのは、破壊力の強大化=搭載砲の大型化、これを如何に有効な兵器として=命中が期待できる兵器として搭載するのか、そして自艦をいかに強大な敵の火力から、あるいは自艦が搭載する砲弾・弾薬の被弾時の誘爆から防御するのか、そのバランスの発達史として見ていただくと面白いのではないかと思うのです。

 

併せて軍艦への蒸気機関の浸透の過程を、簡単にまとめておきます。

世界初の実用蒸気船の誕生:1783年(フランス人:クロード・フランソワ・ドロテ・ジュフロワ・ダバンによる)

当初は外輪推進が主流であったため舷側に砲門を並べるそれまでの軍艦では大型の外輪が砲門設置を妨げるため馴染まず、蒸気機関の普及は商船から始まりました。スクリュー推進が実用化するまで軍艦への応用は進みませんでした。運用側の海軍軍人側にも石炭切れによる推進力の喪失を嫌う傾向があり、蒸気船の普及に対する抵抗が根強くあったとか。

スクリュー推進の実用化に伴い、英海軍の帆走74門戦列艦「エイジャックス」が1846年に汽帆走戦列艦に改装されます。これを追う形でフランス海軍も初の蒸気機関搭載の90門戦列艦「ナポレオン」を1850年に就役させ、やがて英海軍も1852年に91門蒸気機関戦列艦アガメムノン」を就役させました。これを皮切りに英仏間を中心に汽帆走軍艦の建艦競走が始まりました。

 

A=H帝国海軍でも同様の経緯から艦船開発が試みられます。そして上記の搭載火砲の大型化と防御としての装甲の装着の兼ね合いから、概ね以下のような経緯を経ることになるのです。

舷側砲門型装甲艦(1850年代-60年代)

中央砲郭型装甲艦(1870年代から80年代)

中央砲塔型装甲艦(1890年代)

そして近代戦艦(前弩級戦艦)の登場(1900年前後から就役)へと続いてゆくわけです。

 

舷側砲門型装甲艦(1850年代-60年代)

各海軍ごとに時期の前後はあるのですが、今回、対象とするA=H帝國海軍を例にとると1850-60年代(ちょっと乱暴に区切ると)に、まず「舷側砲門艦」が建造されます。これは蒸気機関を搭載し(多くは帆装と機関を併用した機帆船でした)帆船と同様に舷側に主砲をずらりと並べた型式でした。

A=H 帝國海軍はこの形式の装甲艦を2艦級5隻建造しています。

 

エルツヘルツォーク・フェルディナント・マックス級装甲艦(1866年就役:同型艦2隻)

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(「エルツヘルツォーク・フェルディナント・マックス級」装甲艦の概観:67mm in 1:1250 by Sextant: 下の写真はマックス級装甲艦(手前)とナポレオン時代のフリゲートの大きさ比較)

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同級はA=H 帝國海軍が建造した舷側砲門型装甲艦の艦級です。5130トン級の船体に、舷側に砲門を有する48ポンド砲(17.8センチ砲)16門を主砲として搭載していました。砲門は全て舷側に向いていたため、その射界は限定的でした。

石炭専焼の機関を搭載し12.5ノットの速力を出すことができました。

就役直後の1866年のリッサ海戦では最新鋭の装甲艦として艦隊旗艦を務め、イタリア艦隊の「レ・ディタリア」を艦首の衝角攻撃で撃沈しました。ja.wikipedia.org

艦砲は未だ発達が始まったばかりで、射程も威力も十分ではなく、何よりも照準が砲側で行うしかなく、つまり射撃術が成立する以前の当時の状況ではかなり近居距離からの射撃でなくては命中が見込めませんでした。このリッサ海戦で列強が得た戦訓は艦首の衝角による攻撃の有効性、というものでした。このためこの時期以降、第一次世界大戦期まで、列強の主力艦は船首に衝角を持つことが標準となります。

 

中央砲郭型装甲艦(1870年代から80年代)

次いで現れたのが「中央砲郭型装甲艦」という形式。艦載砲が大型化し強力になるにつれてその弾薬庫をいかに防護するかも大きな課題になってきます。つまり自艦が搭載する強力な砲弾を被弾時の誘爆から防御する装甲をどのように配置するかとういう課題に対して向き合う必要が出てきた訳です。重厚な装甲で覆えばいい、のですが限られた機関出力との兼ね合いで装甲をどのように貼れば効率良く機動性を確保できるのか、これに対する一つの解答が「中央砲郭」という考え方でした。A=H帝国海軍はこの型式の装甲艦を8隻建造しています。試行錯誤的で決定版の設計を模索したのでしょうか、同型艦を持たない艦級が5つあります。

  • 7,200トン級装甲艦:リッサ(Lissa) - 1隻
  • 7,800トン級装甲艦:クストーザ(Custoza) - 1隻
  • 6,000トン級装甲艦:エルツェルツォーク・アルプレヒト(Erzherzog Albrecht) - 1隻
  • 5,200トン級装甲艦:カイザー(Kaiser) - 1隻
  • 7,500トン級装甲艦:テゲトフ(Tegetthof) - 1隻
  • カイザー・マックス級 - 3隻

 

装甲艦「リッサ」(1871年就役:同型艦なし)

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(中央砲郭型装甲艦「リッサ」の概観:75mm in 1:1250 by Sextant(バウスプリットを除く寸法): 下の写真は装甲艦「リッサ」の中央砲郭の拡大:中央砲郭は上下二層に別れ、下層は舷側方向への限定された射界をもち、上層のみ広い射界がありました)

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同艦は7000トン級の船体に9インチ砲を12門、片舷6門ずつ搭載し、12.8ノットの速力を出すことができました。片舷6門の9インチ砲は艦中央の喫水のすぐ上の装甲帯部分に5門が配置されていました。この5門の砲は基本的には舷側方向へ向けての射撃のみが可能でした。残る1門は上甲板部分の張り出しに配置され、大きな射界を有していました。

この辺りの配置から、舷側砲門形式からの移行期、模索期の試作艦的な要素が見て取れるかと。艦名は言うまでもなくA=H帝国海軍栄光の「リッサ海戦」に由来しています。


装甲艦「クストーザ」(1875年就役:同型艦なし)

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(中央砲郭型装甲艦「クストーザ」の概観:78mm in 1:1250 by Sextant(バウスプリットを除く寸法): 下の写真は装甲艦「クストーザ」の中央砲郭の拡大:中央砲郭は上下二層に別れ、両層とも片舷2門ずつの10インチ砲を配置していました。ちょっとわかりにくいですが、下層の後部砲のみ射界が舷側方向に限定されています)

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同艦は「リッサ」よりは少し大きな7600トン級の船体を持ち、より強力な22口径後装式の26センチ砲(10インチ砲)8門を主砲として搭載していました。主砲は全て中央の厚い装甲で覆われた砲郭部分に上下二段配置で片舷4門づつ配置され、砲郭部分の前後に船体に切り込みなどを入れることにより、各砲には大きな射界が与えられていました。

しかし砲の射撃方向の変更は人力での砲の移動を伴う作業が必要で、特に戦闘中の射撃方向の変更等は大変な労力を伴う作業だったことでしょう。

同艦は第一次世界大戦期まで練習艦として使用され、その後宿泊船となりました。第一次世界大戦後はイタリアへの賠償艦として譲渡され解体されました。

 

装甲艦「テゲトフ」(1882年就役:同型艦なし)

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(中央砲郭型装甲艦「テゲトフ」の概観:71mm in 1:1250 by Sextant(バウスプリットを除いた寸法): マスト等を失った船体のみのジャンクモデルとして入手したものを、少し修復しています:下の写真は「テゲトフ」の中央砲郭の拡大:11インチ主砲を船体中央の装甲で防護された砲郭に片舷3門、装備しています。それぞれの砲には大きな射角が与えられる配置になっています。主砲装備甲板は1層となり、弾庫がその下層甲板に配備されました)

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同艦は1882年に就役しています。7400トンの船体を持ち、その中央砲郭には「クストーザ」よりも更に強力な後装式の11インチ(28センチ)砲を主砲として6門搭載し、13ノットの速力を発揮することができました。主砲は全てマウントに搭載されており、射撃方向の変更等は、砲の移動を人力で行わねばならない前級よりは格段に楽でした。従来の砲郭艦が砲を上下二段の甲板に配置していたのに対し、同艦では砲甲板は一層にまとめられており、弾庫が各砲の下に配置され、砲郭の装甲で保護されていました。就役当時はA=H帝国海軍最大級、最強の艦船でしたが、アドリア海での運用が主目的であったため、同時期の他の列強の同種の装甲艦に比較すると小振でした。ちなみに艦名は1866年のA=H帝国海軍の栄光の戦いである「リッサ海戦」でA=H帝国海軍を率いた提督の名に由来しています。

 

就役以降、機関の不具合に悩まされ続けて、活動は十分ではなかったようです。ようやく1893年に機関が信頼性の高いものに換装され、同時に兵装も一新され、同艦は主力艦としての活動が可能になったようです。

その後、1897年には艦種が警備艦に改められ、一線を退いています。さらに1912年に艦名が「マーズ」に改められ、「テゲトフ」の名はA=H帝国海軍最新の弩級戦艦ネームシップに引き継がれました。「マーズ」は港湾警備艦練習船として第一次世界大戦中も使用され、戦後、イタリアへの賠償艦として引き渡され1920年に解体されました。

 

中央砲郭のヴァリエーション

下の写真では中央砲郭の在り方自体が模索された様子が伺えます。上段の「リッサ」では舷側砲門型から中央砲郭への移行期(1871年就役)にあることがわかりますし、中段の「クストーザ」では中央砲郭への主砲の集中搭載が試みられています(1875年就役)。そして下段の「テゲトフ」では主砲配置と弾庫の配置についての工夫が行われています(1882年就役)。

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中央砲郭のヴァリエーションに見られる創意・発展はやがて艦砲の更なる巨大化(長砲身化)に対応して、この後、砲塔形式で主砲を搭載する「中央砲塔艦」の形式(1890年代)を経て「前弩級戦艦」(1900年以降)へと発展してゆきます。

 

中央砲塔型装甲艦(1890年代)

上述のように中央砲郭形式での主砲搭載が洗練されるにつれ、より巨大な砲の運用についての技術も洗練されてゆきます。たとえば重量の大きな砲の方向転換を人力から動力を伴うターンテーブルで行うといった運用法や、各方の弾庫を砲の直下に置くなど、上述の「テゲトフ」ですでに実現されていました。

こうして更に巨大な火砲を砲塔形式で搭載するという試みが行われます。これが「中央砲塔型装甲艦」で、A=H帝國海軍は2隻の同形式の装甲艦を建造しました。

 

装甲艦「クローンプリンツ・エルツヘルツォーク・ルドルフ」(1889年就役:同型艦なし)

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(中央砲塔型装甲艦「クローンプリンツ・エルツヘルツォーク・ルドルフ」の概観:75mm in 1:1250 by Sextant: 同艦に至り、かなりすっきりとした外観になってきています:下の写真はクローンプリンツ・エルツヘルツォーク・ルドルフ」の砲塔の拡大:12インチ主砲を船体中央の両舷に砲塔形式(といっても装甲で覆われた装甲砲塔ではなく弾片防御カバー付きの露砲塔ですが)で2基、艦尾部に1基の合計3基を装備しています。それぞれの砲には大きな射角が与えられる配置になっています。思い砲塔を艦の上部構造物に搭載したため、重心の低減に配慮された設計となっているようです)

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同艦は6800トンの船体に35口径の12インチ砲を単装砲形式で3基搭載し、15.5ノットの速力を発揮することができました。12インチの主砲は、中央砲郭内での砲の方向転換のターンテーブルからの発展型(?)であるバーベットに搭載され、艦の上甲板部に設置されることにより、より大きな射界が与えられました(艦中央のバーベットでは180度、艦尾のバーベットでは270度)。バーベットはそのまま砲の下部にある弾庫の装甲を兼ねていました。各砲はカバーで覆われていましたが、おそらく装甲砲塔には至っておらず、弾片防御程度の所謂露砲塔だったと思われます。

第一次世界大戦期にはカタロ湾の警備等に従事しましたが、1918年に発生した反乱事件等に巻き込まれました。戦後はA=H帝國解体後の新興国の海軍に移籍し改名され沿岸防備艦として就役しましたが、翌年解体されました。

 

艦名は和訳すると「皇太子ルドルフ大公」そんな感じでしょうか?オーストリアも含めドイツ圏の爵位、称号等は度々艦名に用いられますが、これが大変長く難しい。泣かされます。

 

A=H帝国海軍の近代戦艦以前の主力艦形式の総覧

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そして前弩級戦艦の時代へ

この後、砲塔形式で主砲を搭載する「モナルヒ級」海防戦艦(1898年から就役:5800トン、9インチ連装砲塔2基)を経て「ハプスブルグ級」前弩級戦艦(1902年から就役:8200トン、9.4インチ連装砲塔1基、同単装砲塔1基)へと発展してゆきます。

(下の写真はA=H帝国海軍の中央砲塔型装甲艦と近代戦艦の比較:手前から中央砲塔型装甲艦「クローンプリンツ・エルツヘルツォーク・ルドルフ」、「モナルヒ級」海防戦艦、「ハプスブルグ級」戦艦の順)

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以降の発展は、本稿の下記の回で。興味のある方は是非。

fw688i.hatenablog.com

 

ということで、今回はA=H 帝國海軍の主力艦を例に引いて、近代戦艦(前弩級戦艦)の成立以前の主力艦形式の模索について、少しまとめてみました。

実はこの模索期は様々な試行錯誤が行われており、艦船模型的な視点に立つと、大変な宝箱なのです。しかし、そのモデル数の多さと、その希少性からなかなかコレクションに加えるのはハードルが高い、という事実もあったりします。

 

ということで、今回はこの辺で。

 

次回は「時事ネタ」かな?

 

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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