相州の、ほぼ週刊、1:1250 Scale 艦船模型ブログ

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

イタリア海軍 第二次世界大戦期の巡洋艦 その2・特設コラム付き

制作週間、まだまだ継続中。

と言うわけで、今回も少し短めに。

今回は前回の続きというわけで、イタリア海軍の第二次世界大戦中の巡洋艦の2回目。

軽巡洋艦、「コンドッティエリ型」という総称で知られる軽巡洋艦の艦級の紹介です。

 

「コンドッティエリ型」軽巡洋艦

少し前回の記述とも重複しますが、そもそも第一次世界大戦後、それまでの仮想敵であったオーストリア=ハンガリー帝国の崩壊により、イタリア海軍が主として東地中海(アドリア海)に受けていた大きな圧力は消滅しました。しかし、今度は西地中海、北アフリカに展開するフランス海軍が新たな仮想敵として浮上します。

ところが、とりわけそれまでの仮想敵であるオーストリア=ハンガリー帝国海軍との想定戦場であるアドリア海に適応して小型高速艦を充実させてきたイタリア海軍の駆逐艦では、西地中海に展開する大洋海軍であるフランス海軍の大型高速駆逐艦には対抗できず、これに対応できる高速軽防御の巡洋艦を建造することとしました。

この建艦思想に基づき建造された5つの艦級の軽巡洋艦を総称して「コンドッティエリ型」軽巡洋艦と呼ぶわけですが、これはこの艦級の軽巡洋艦が、いずれも中世末期から近世にかけてのイタリアの著名な傭兵隊長(コンドッティエリ: condottiere)の名前を艦名に冠しているところに起因しています。

 

 

ジュッサーノ級軽巡洋艦同型艦4隻:アルベリコ・ダ・バリアーノ、アルベルト・ディ・ジュッサーノ、バルトロメオ・コレオーニ、ジョバンニ・デレ・バンテ・ネレ)

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(直上の写真:「ジュッサーノ級」軽巡洋艦の概観:137mm in 1:1250 by Star)

 

本級は上述のように新たな地中海での仮想敵となったフランス海軍の大型駆逐艦の排除を主目的として設計されたイタリア海軍最初の軽巡洋艦です。5000トン級の比較的小型の艦型に仮想敵よりも一回り大きな主砲(53口径15.2センチ砲)を連装砲塔で4基搭載し、目的のためには十分な火力を有していました。36ノットの高速性を得る代わりに駆逐艦からの砲撃に対抗する比較的軽防御の艦となりました。

 

イタリア海軍の艦船の特徴でもあるのですが、航空艤装は艦首部に搭載していました。

小型の艦型に重武装を施したため、復原性に課題があり、凌波性・居住性も良好とは言えませんでした。

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(直上の写真:「ジュッサーノ級」軽巡洋艦の航空艤装の配置。前回でもご紹介しましたが、イタリア艦の一つの特徴として、一時期まで航空艤装を艦首部に装備する傾向がありました。これは一つにはイタリア海軍の活動領域があくまで地中海であり、太陽に比較すると穏やかな海域、という地勢的な要因も働いていると考えています。本級では、艦首部にカタパルトを搭載し(写真上段)、艦橋下部に格納庫を有していました(写真下段)。もう一つ、主砲塔にも注目。前回の重巡洋艦の回でも少し記述しましたが、イタリア海軍の巡洋艦では、主砲塔をコンパクトで軽量なものにするために、砲塔内で同一砲火に搭載するという設計が採用されていました。このため砲身間の位置が近く、斉射時には左右砲身の干渉波により散布界に課題がありました。同級でも同様の設計の主砲塔を搭載していました)

 

4隻が建造され、「バルトロメオ・コレオーニ」は1940年7月クレタ島を巡るスパダ岬沖海戦でが英・豪艦隊との交戦で失われ、「アルベリコ・ダ・バリアーノ」と「アルベルト・ディ・ジュッサーノ」の2隻が1941年12月の北アフリカへの輸送路をめぐるポン岬沖海戦で英艦隊との交戦で失われました。残った1隻「ジョバンニ・デレ・バンテ・ネレ」も、1942年4月英潜水艦の雷撃で沈没しています。

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カルドナ級軽巡洋艦同型艦2隻:ルイージ・カルドナ、アルマンド・ディアス)

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本級はイタリア海軍が設計した軽巡洋艦の第2陣です。基本的な設計、武装配置などは前級「ジュッサーノ級」軽巡洋艦に準じていますが、前級で課題であった復原性を改善するために上部構造の軽量化などが設計に盛り込まれました。

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(直上の写真:航空艤装が艦首部から艦中央部に移動され、艦首部。艦橋基部等が軽量化されました。直下の写真:「ジュッサーノ級」(上段)と「カルドナ級」の環境構造の比較:上述のように航空艤装が艦首部から艦中央部に移動したため、艦橋基部にあった航空機の格納庫がなくなり、艦橋がコンパクトになっています)

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2隻が建造され、「アルマンド・ディアス」が1941年2月輸送支援活動中に英潜水艦の雷撃で失われました。

 

モンテクッコリ級軽巡洋艦同型艦2隻:ライモンド・モンテクッコリ、ムツィオ・アッテンドーロ)

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(直上の写真:「モンテクッコリ級」軽巡洋艦の概観:146mm in 1:1250 by Copy )

 

本級は「コンドッティエリ型」軽巡洋艦の第3陣ですが、設計思想を一新した第二世代と言えるでしょう。その設計上の特徴は、艦型をそれまでの5000トン級から7500トン級に大幅に大型化して主兵装はほぼそのままに、装甲が格段に強化され巡洋艦を相手とした戦闘にも耐えられる設計となっています。一方で37ノットの高速性は引き継がれています。f:id:fw688i:20201220110745j:image

(直上の写真:艦橋はそれまでの支柱構造から塔構造に改められ、航空艤装は艦中央部に搭載されています)

2隻が建造されましたが、「ムツィオ・アッテンドーロ」が1942年空襲で戦没しています。大戦を生き抜いた「ライモンド・モンテクッコリ」は1964年まで就役していました。

 

デュカ・ダオスタ級軽巡洋艦同型艦2隻:エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ、エウジェニオ・ディ・サボイア) 

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(直上の写真:「デュカ・ダオスタ級」軽巡洋艦の概観:148mm in 1:1250 by Neptune)

 

「コンドッティエリ型」軽巡洋艦の第4陣で、前級「モンテクッコリ級」軽巡洋艦の拡大強化型です。兵装はほとんど前級のものを踏襲していますが、艦型が8500トン級に拡大され、装甲がさらに強化されています。f:id:fw688i:20201220110821j:image

(直上の写真:塔構造の艦橋と艦中央部の航空艤装、魚雷発射管などの同級の特徴のアップ)

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(直上の写真:「デュカ・ダオスタ級」(奥)と「ジュッサーノ級」(手前)の艦容の比較。前級の「モンテクッコリ級」以降、採用された新たな設計により、艦は大型化し、艦容がそれまでとは一変しました。以後、同級の設計がイタリア軽巡洋艦の標準的なものになってゆきます)

 

2隻が建造され、2隻ともに大戦を生き抜き、いずれも戦後、賠償艦としてソ連(1959年まで在籍)とギリシア(1964年まで在籍)に引き渡されました。



アブルッチ級軽巡洋艦同型艦2隻:ルイジ・ディ・サボイア・デュカ・デグリ・アブルッチ、ジュゼッペ・ガリバルディ

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(直上の写真:「アブルッチ級」軽巡洋艦の概観:151mm in 1:1250 by Neptune)

「コンドッティエリ型」軽巡洋艦の第5陣で、艦型が前級よりもさらに1000トン拡大され、9000トンを超える大型軽巡洋艦となりました。装甲がさらに強化されたほか、兵装が見直され、55口径15.2センチ砲という新型砲を採用。艦首部、艦尾部にそれぞれ3連装砲塔と連装砲塔の組み合わせで背負式に配置され、それまでの主砲8門から10門に強化されています。さらに砲架構造も、砲身間の干渉波により散布界に課題があるとされた前級までの同一砲架構造を改め単独砲架として砲身の間隔を広げて、散布界の改善を狙っています。

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(直上の写真:「アブルッチ級」の特徴のアップ。55口径の新型砲を3連装砲塔と連装砲塔の背負い式で搭載しています(上段)。艦中央部の航空艤装は強化されています(下段))

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(直上の写真:「アブルッチ級」(奥)と前級「デュカ・ダオスタ級」(手前)の艦型の比較。煙突の配置をはじめとする艦中央部の変更が顕著です。直下の写真:両級の砲塔および艦橋の比較。上段が前級「デュカ・ダオスタ級」下段が「アブルッチ級」。上述のように、それまで散布界に課題があるとされていた同一砲架構造を、単独砲架構造に改める事で砲身の間隔を確保しています)
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同級は2隻が建造され、両艦ともに大戦を生き抜き、それぞれ1961年、1972年までイタリア海軍に在籍していました。

 

新型嚮導巡洋艦

カピターニ・ロマーニ級軽巡洋艦同型艦計画12隻完成4隻:アッティリオ・レゴロ、ポンペオ・マーノ、シビオーネ・アフリカーノ、ジュリオ・ジェルマニコ(完成は大戦後))

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(直上の写真:「カピターニ・ロマーニ級」軽巡洋艦の概観:113mm in 1:1250 by Neptune)

これまでに見てきたように、本来フランス海軍の大型高速駆逐艦対策としてスタートした「コンドッティエリ型」軽巡洋艦の当初設計案は、結果的に9500トンクラスの大型重武装の巡航戦闘艦へと発達を遂げました。

一方で、当初設計への要求がなくなったかというと、そういうわけではなく、新たな大型駆逐艦対策巡洋艦の設計が求められました。本級はそういう要求に応えて建造された新型軽巡洋艦です。

本級は、本来の要求に立ち返り4000トンを切る仮想敵駆逐艦よりも少し大きい程度の艦型を有し、40ノットの高速と駆逐艦の標準的な主砲である5インチ砲をアウトレンジ、あるいは制圧できる13.5センチ砲を主砲として連装砲塔4基を有した設計となりました。量産性を考慮し、艦型をコンパクトにすることに重点を置いたため航空艤装は搭載していませんでした。

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(直上の写真:「カピターニ・ロマーニ級」軽巡洋艦の特徴のアップ。「コンドッティエリ型」軽巡洋艦の原点に立ち返り、駆逐艦対応を主眼として新たに設計された本級は、全体の構造が巡洋艦というよりも拡大された駆逐艦に近い外観をしています。写真ではちょっとわかりニキですが、魚雷発射管なども艦中央部に配置され、両舷方向に射界が確保される駆逐艦形式を採用していました。上段写真では、それまでの塔形状の艦橋が駆逐艦に近いものに改められています。固有の高角砲を持たず、その代わり多数の37mm対空機関砲を搭載しているのも見ていただけると思います。直下の写真では、「デュカ・ダオスタ級」(奥)との大きさや特徴を比較しています)
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同級は12隻の建造が計画されていましたが、結局3隻が建造され、全てが大戦を生き抜き、2隻がフランスへの賠償官として引き渡されましたが、残存した1隻と、戦後完成した1隻の計2隻がイタリア海軍でそれぞれ1971年、1980年まで就役していました。

 

未成巡洋艦

エトナ級軽巡洋艦同型艦2隻:エトナ、ヴェスヴィオ(いずれも未成))

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(直上の写真:「エトナ級」軽巡洋艦の概観:131mm in 1:1250 by Anker)

同級は、イタリアがタイ海軍の発注を受けて建造していた軽巡洋艦です。「タクシン級」という名称の下、4000トンの船体に15.2センチ連装砲3基を搭載し30ノットの速力を有する艦となるはずでした。

1941年にイタリア海軍が取得し、搭載主砲を13.5センチ連装両方砲3基に改め、その他にも対空砲を搭載し、高速輸送艦防空巡洋艦として完成する予定でしたが、建造途中でイタリアの降伏を迎え、完成しませんでした。イタリアの降伏後、ドイツ軍が接収して港湾封鎖目的で自沈処分されました。

 

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(直上の写真:「エトナ級」軽巡洋艦の特徴のアップ。モデルはおそらくタイ海軍の発注した15.2センチ主砲を搭載した原設計案を再現しています。イタリア海軍は同級を取得後、主砲を「カピターニ・ロマーニ級」と同じ13.5センチ砲に改、さらに連装の両用砲塔に搭載し、防空巡洋艦として輸送路護衛等に活用する計画でした。直下の写真では、「デュカ・ダオスタ級」(奥)との大きさや特徴を比較しています)f:id:fw688i:20201220111820j:image

 

前回でも触れましたが、イタリア海軍は戦争中期以降、艦隊保全の傾向が強くなり、活動を控える傾向が強くなり、特に戦闘での戦没艦は前半に集中しています。この傾向は今回紹介した軽巡洋艦でも同様で、力を発揮する場所に巡り合うことすらできずに戦争は終結します。

 

特設コラム:1:1250モデルのメーカー間の差異は?

その1:まずは、大きさ比較
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(直上の写真は、「ジュッサーノ級」軽巡洋艦のStar社製モデルとNeptune社製モデルの比較。奥がStar社、手前がNeptune:Star社の方がやや大ぶりで、特にStar社のモデルの特性として、乾舷の高さが気になる事があります。筆者はあまり気になる場合には、金属用のヤスリでガリガリと削ったりすることもあります。金属粉が飛ぶので、家族区からの「非難轟々」状態になります)

 

実はコレクションの根幹にも関わってくるので、あまり筆者としては触れたくはないのですが、結局避けては通れないので、ちょっとまとめをしておきましょう。

写真でも歴然かと思いますが、メーカーによりかなり解釈が異なり、それがフォルムやサイズに現れます。コレクション本来を考えるとどこか1社に統一すべきだとはもちろん思いますが、お財布事情と、ラインナップ、さらには日本というこのスケールではマイナーなロケーションを考慮すると、そうも言っておれず、という現実的な要因から、メーカー混在のコレクションに甘えているのが実態です。

 

その2:ディテイルの差異について

直下の二枚の写真では、外観的には準同型艦と言える「モンテクッコリ級」(Copy社)と「デュカ・ダオスタ級」(Neptune社)のモデルを比較しています。

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直上の写真では、左列がCopy社の「モンテクッコリ級」、右列がNeptune社の「デュカ・ダオスタ級」。直下の写真では上段が「モンテクッコリ級」、下段が「デュカ・ダオスタ級」。いずれを見てもらっても、両社の差は歴然としています。

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Neptune社で統一したいところではあるのですが・・

これまでにも何度か触れてきていますが、サイズ感。ディテイルのバランス等を考慮するとNeptune社が他社を頭二つ程度リードしているのが実情、という事が言えると思います。しかし、入手の価格等を考慮すると、特に筆者のように中古モデルを中心にコレクションする場合には(1:1250スケールマイナー国の日本では、入手経路が非常に限られています)おそらくNeptune社のモデルは他社の倍はする、と考えていいと思います。これは「コレクション」の充実には、大きな障害、です。

一方でHai社、Delphin社、Hansa社そしてStar社などは、モデル自体の質も決して低いわけではなく、価格もかなり手頃に入手ができますし、さらに加えてモデルの分解がしやすいという特徴があり、筆者は最近コレクションの中に多く加わり始めている3D printingモデルのディテイルアップなどには大変重宝しています。

もう一つ、同じNeptune社のモデルでもヴァージョン(制作年)によってかなり大きな差があります。もちろん後のヴァージョンになるほど、技術的な改善からディテイルの再現度は高くなっていますし、場合によっては新資料によってモデルが変更されていたり、それまでのエラーが修正されていたりする場合もあります。

特に筆者のように主として経済的な理由から(本当は中古モデルに手を入れたりするのが楽しかったりするのですが)中古市場を頼りにすると、当然、中古として放出されるのは旧ヴァージョンの比率が高くなりますので、注意と、何よりどこかで「思い切り」が必要です。そうしないときりがないから・・・。(あれれ、これは以前にも書きましたね)

fw688i.hatenablog.com

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もし、これからこのスケールでコレクションを初めてみようかな、などとお考えの方のご参考になれば。

 

という訳で、今回はここまで。

 

次回は、どうしようか? 年末も近づいてきましたね。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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イタリア海軍 第二次世界大戦期の巡洋艦 その1

制作週間、継続中。

と言うわけで、今回も少し短めに。

前回のアドリア海に少し関連して、今回から2度にわたりイタリア海軍の第二次世界大戦期の巡洋艦のご紹介です。

 

イタリア海軍の巡洋艦は概ね以下の3つの系統に分かれています。

ワシントン・ロンドン体制で制限された戦力として整備された戦闘艦としての条約型重巡洋艦(3艦級:7隻)

嚮導巡洋艦(艦名に中世の傭兵隊長の名がつけられたところから「コンドッティエリ型」巡洋艦と総称されることがあります):駆逐艦部隊を支援して仮想敵であるフランスの大型駆逐艦を撃破する目的で建造された艦種で、いわゆる軽巡洋艦ですね。(5艦級:12隻)

新嚮導巡洋艦:上記の嚮導巡洋艦の艦級は次第に大型化し、重巡洋艦に匹敵する強力な戦闘艦になりました。一方でフランス海軍の新型の高速大型駆逐艦に対抗するため、嚮導巡洋艦本来の建造目的に準じた艦級を設計しました。(1艦級:12隻を建造する計画でしたが、3隻が大戦中に完成し、戦後1隻が完成しました)

 

今回は重巡洋艦の巻。

 

条約型重巡洋艦

第一次世界大戦の結果、イタリアが仮想敵としてきたオーストリア=ハンガリー帝国が解体されます。イタリア海軍にとって最大の仮想敵が消滅したわけですが、この仮想敵との想定主戦場はアドリア海であり、この多くの島嶼部を含んだ海域での活動を想定しイタリア海軍の主戦力は比較的小型に設計されていました。

第一次世界大戦後、西地中海、北アフリカ沿岸に展開するフランス海軍が新たな仮想的となったわけですが、同海軍は大型の高速重武装駆逐艦を揃えており、上述のアドリア海での活動を想定したイタリア海軍の小型駆逐艦では対抗できませんでした。

これらのフランス海軍の重装備駆逐艦に対抗するためにイタリア海軍は一連の高速軽装甲の軽巡洋艦を建造しますが、これらは艦名に中世の著名は傭兵隊長の名がつけられたことにちなみ、「コンドッティエリ(傭兵隊長)型」軽巡洋艦と総称されました。

さらにこの設計思想を強化し、ワシントン軍縮条約で保有制限を受けた主力艦を補完する戦闘艦として一連の重巡洋艦を建造します。

 

トレント重巡洋艦同型艦2隻:トレントトリエステ

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(直上の写真:「トレント級」重巡洋艦の概観:157mm in 1:1250 bu Copy(Neptune))

 

トレント級」重巡洋艦は、イタリア海軍が最初に設計した重巡洋艦の艦級です。

基本的には前述のフランス海軍の高速大型駆逐艦を仮想敵とした「コンドッティエリ型」軽巡洋艦の強化型であり、主砲を8インチ砲としました。しかし、基本設計は高速重武装駆逐艦の排除を目的とした軽巡洋艦の延長上にあり、公称38ノット(実際には35ノット)の高速を有するものの比較的軽装甲でした(舷側70mm:1929年就役)。

この辺りの建造までの経緯は日本海軍の「古鷹級」重巡洋艦(就役1926年)と類似しており、これらの強力な巡洋艦の登場が重巡洋艦(カテゴリーA)、軽巡洋艦(カテゴリーB)の艦種規定を始め、補助艦艇の保有制限を設けるロンドン会議の開催へのきっかけとなったといえるでしょう。

 

1000トン級の船体に、前述のように主砲には8インチ砲を採用し、これを連装主砲塔4基に搭載して艦首部と艦尾部に各2基づつ、バランスよく配置していました。同砲は50口径の長砲身砲で、118kgの砲弾を28000mまで届かせることができました。しかし軽量化を狙いコンパクトな砲塔設計を狙ったため、同砲塔内の左右砲の干渉波によりせっかくの長砲身砲を採用しながら散布界には課題があったようです。

魚雷発射管は船体内に内蔵する形式で搭載されていました。

艦首甲板下に水上偵察機の格納庫を持ち、これを艦首方向に設置した固定カタパルトから射出し運用する方式を採用していました。

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(直上の写真:「トレント級」重巡洋艦の特徴である艦首部の航空艤装(上段):1番砲塔直前の水上偵察機の格納庫と艦首にのびたカタパルトが特徴です。下段写真は特徴的な支柱構造の艦橋部)

 

トレント:就役:1929年 1942年6月:英潜水艦の雷撃によりイオニア海で失われました。

トリエステ:就役:1928年 1943年4月:米軍機の爆撃で沈没。

 

 ザラ級重巡洋艦同型艦4隻:フューメ、ポーラ、ゴリチィア、ザラ)

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(直上の写真:「ザラ級」重巡洋艦の概観:145mm in 1:1250 by Neptune: 戦隊をやや小型化し、速力を抑えた代わり、装甲を強化したため、重量は前級「トレント級」を上回りました)

 

「ザラ級」重巡洋艦は前述の「トレント級」重巡洋艦の改良型で、 「トレント級」重巡洋艦がフランス海軍の重武装高速駆逐艦への対抗策として設計された「コンドッティエリ型」軽巡洋艦の延長線上ににある軽装甲の巡洋艦であったのに対し、速力を少し抑えて重装甲とし、より戦闘艦としての性格を強めた本格的な重巡洋艦として建造されました。

条約制限内に収めるために関係をやや小型化し、装甲重量の増大から武装の削減として雷装を廃止するなどの方策が取られましたが、やや条約制限をオーバーする11800トンとなってしまいました。

主砲は53口径の8インチ砲を採用しています。この砲は125kgの砲弾に対し31500mの射程を有する優秀な砲でしたが、前級同様、重量削減を狙いコンパクトな砲塔に搭載したことから、散布界に課題を抱えたままでした。

航空艤装は、前級同様、艦首部に搭載していました。

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(直上の写真: 航空艤装を前級に倣い艦首部に搭載しています(上段):1番砲塔直前の水上偵察機の格納庫と艦首にのびたカタパルトが特徴です。下段写真は特徴的な支柱構造の艦橋部)

 

ザラ:就役:1931年 1941年3月:マパタン岬沖海戦で英艦隊と交戦。沈没。

フィウメ:就役:1931年 1941年3月:マパタン岬沖海戦で英艦隊と交戦。沈没。

ゴリツィア:就役:1931年 1943年9月:イタリア降伏後、ドイツ軍に接収。1944年6月:国側に立って参戦したイタリア海軍の特殊潜航艇による潜入攻撃で撃沈されました。

ポーラ:就役:1932年 1941年3月:マパタン岬沖海戦で英艦隊と交戦。沈没。

 

マパタン岬沖海戦

1941年2月、枢軸国のギリシア侵攻に備え、イギリス軍はギリシア防衛のために陸軍部隊をギリシアに派遣しようと試みます。この阻止を目的としてイタリア海軍が出撃し、1941年3月、英海軍地中海派遣艦隊との間で海戦が発生します。イタリア海軍は保有する重巡洋艦7隻のうち6隻をこの海域に投入し、さらに新鋭戦艦「ヴィットリオ・ベネト」も投入します。

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(1940-, 41,377t, 30 knot, 15in *3*3, 3 ships, 192mm in 1:1250 by Neptune)

 

一方、英艦隊も軽巡洋艦部隊に加え地中海艦隊の主力である戦艦3隻と空母1隻も投入し、これに対抗しました。

当初は英軽巡洋艦部隊と伊重巡洋艦部隊の間で砲戦)が交わされますが、両軍に損害は出ませんでした。

その後。英空母「フォーミダブル」の艦載機とクレタ島基地から発進した雷撃機の空襲で、伊戦艦「ヴィットリオ・ベネト」重巡洋艦「ポーラ」が損傷し、「ポーラ」の救護に海域に止まった僚艦「ザラ」「フィウメ」を、英戦艦3隻(「ウォースパイト」「ヴァリアント」「バーラム」)がレーダ照準による夜間奇襲砲撃を加えこの3隻を撃沈してしまいました。

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(マパタン岬沖海戦に参加した英海軍の戦艦:上段「バーラム」下段「「ウォースパイト」「バリアント」 いずれも「クイーン・エリザネス級」ですが、近代化改装のレベルがやや異なります。余談ですが、「ウォースパイト」は第1次世界大戦でも活躍したロートルですが、第2次世界大戦でも、数次の損傷を受けながらも、そのほぼ全期間を通じて前線で活動し、挙げた戦果から第2次世界大戦期の最優秀戦艦とも称されています。154mm in 1:1250 by Neptune/Argonaut) 

 

 重巡洋艦ボルツァーノ同型艦なし)

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(直上の写真: 重巡洋艦「ボルツァリーノ」の概観:158mm in 1:1250 by Neptune)

 

前述のように地中海の展開するフランス海軍の大型高速駆逐艦への対抗として、イタリア海軍は「コンドッティエリ型」軽巡洋艦の整備を進めるわけですが、フランス海軍もこれに対抗して新設計の「ラ・ガソニエール級」軽巡洋艦を整備します。

これへの対抗策として、再び高速軽装甲の重巡洋艦整備の必要性が高まり、「トレント級」重巡洋艦を対応シップとして1隻だけ建造されたのが重巡洋艦ボルツァーノ」です。同艦はイタリア海軍が建造した最後の重巡洋艦となりました。

タイプシップとした「トレント級」との相違点は航空艤装の配置。従来、イタリア海軍の巡洋艦は航空艤装を艦首部に配置してきましたが、艦首配置は、搭載機の発艦については艦首の向かい風を利用できる利点があったものの、少しの荒天でも艦首波により搭載機の運用が妨げられるなどの課題があったため、配置を艦中央部へと変更しました。f:id:fw688i:20201213140357j:image

(直上の写真: 本艦では、それまでイタリア巡洋艦の特徴の一つであった艦首部に搭載していた航空艤装を艦中央部に移動しています)

主砲は前級同様、優秀な諸元を持つ53口径の8インチ砲を採用しましたが、コンパクト砲塔への搭載による散布界の課題は同様に引き継がれました。

前級では廃止した雷装を復活し、船体内に内蔵する形式で搭載していました。

 

1933年:就役 イタリア降伏後、ドイツ軍に接収。1944年6月:国側に立って参戦したイタリア海軍の特殊潜航艇による潜入攻撃で撃沈されました。

 

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(直上の写真: イタリア海軍の重巡洋艦3艦級の艦型比較。手前から「トレント級」「ザラ級」「ボルツァリーノ」。設計の重点が、速力、戦闘力・防御力、再び速力、と移って行ったことが、そのまま艦型に現れています)

 

上述のマパタン岬沖海戦で、出撃した6隻の重巡洋艦のうち一気に3隻を失うと言う一方的な損害を被ったイタリア艦隊は重度の艦隊保全主義に陥り、以降、艦隊全体の行動が限定的となり、活躍の場を見いだせず順次失われてしまいました。

 

という訳で、今回はここまで。

 

次回は、今回に引き続きイタリア海軍の第二次世界大戦期の巡洋艦のその2。「コンドッティエリ型」軽巡洋艦の系譜を総覧する予定です。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

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アドリア海編:脇役登場!イタリア空軍、飛行警備艦「オッタビアーノ・アウグスト」

今週も引き続き制作週間、と言う事で、進行中の「アドリア海」編(いつの間に「編:シリーズ化」したのかな)に登場する予定のイタリア空軍(海軍?まだ設定はまだ迷っていますが。空軍のマークつけちゃったしなあ)飛行警備艦「オッタビアーノ・アウグスト」のご紹介です。

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(イタリア軍飛行警備艦「オッタビアーノ・アウグスト」の概観。72mm in 1:1250 by Kaja's Models and Machinations:(右下写真)3機の水上飛行機を腹部のハンガーに懸吊しています。腹部にはイタリア空軍のマークが見えます。「黄金の嘴」の二つ名の由来はご覧の通り)

 

本艦は第一次世界大戦の戦訓を踏まえ、飛行船の機動力と大きなペイロードの注目したイタリア軍が、アドリア海で跳梁する海賊・空賊対策の基幹戦力として、機動力を備えた警備拠点として活用すべく建造した艦級です。

固有の武装としては20センチ連装主砲塔1基と15センチ単装速射砲4門を搭載しています。さらに後方のハンガーに戦闘飛行艇3機を懸吊することができました。

2基のエンジンを搭載し、12ノット程度の飛行速度を出すことができました。

「オッタビアーノ・アウグスト」とローマ帝国初代皇帝の名を冠してはいましたが(日本ではオクタビアヌスの方が通りがいいかも)、「空飛ぶオルカ:Orca volante」あるいは「金の嘴:Becco dorato」の通り名で知られていました。

・・・・と言うような設定、かな?

 

モデルの原型は、本稿の読者ならお馴染みのShapewaysの下記の出品。元は少しSF的な(下記のサイトではご本人はSteampunk Airshipに分類されています)飛行船のモデルで、浮揚装置を4基、船体周辺に配置しています。元は1:700スケールでしたが、例によってリクエストして1:1250にスケールダウンしてもらっています。先っちょがとんがった形状がとても魅力的で、どうしても作りたくなってしまった!

www.shapeways.com

上記の説明で確認していただきたいのですが、オリジナルモデルは「グロサリオン浮揚装置」を装備し118ノットの高速を発揮するハイブリッド飛行船、と言う設定です。その肝心の「浮揚装置」をとってしまった。叱られるかも。

 

ちょっと余談ですが、実はこの方のSteam Shipの制作品にはBorodino Class Battleshipがあり、筆者の制作したモデルの写真を作例として使っていただいています。本稿でご紹介した日露戦争戦利艦「石見」はこのモデルを原型として製作しています。

www.shapeways.com

戦艦「石見」の制作記は下記の2回で触れています。興味のある方は是非。

fw688i.hatenablog.com

fw688i.hatenablog.com

 

 

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(上掲の写真は、「オッタビアーノ・アウグストス」の20センチ連装主砲、15センチ単装副砲、飛行艇ハンガーの拡大。基本的に主砲・副砲は、眼下の標的(艦船か建造物)に対する撃ち下ろしが想定されています。眼下の要塞や軍事施設などの固定目標ならなんとか効果のある砲撃ができそうですが、艦船など移動目標に対しては実効性はどうでしょうね?まあ、威嚇射撃で停船させるとか、そんな感じでしょうなね。デカールは1:144スケールのイタリア戦闘機からの転用。迷彩塗装が結構面白い、と思いませんか?とんがった先端は、今のところ何か特殊な武装など、と言う設定は考えていません。何かセンサー類はありかな?ハンガーに懸吊した水上飛行機が、本艦の機動性を拡張しています)

 

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(上の写真は本艦の大きさをイメージしてもらうために、写真上では第一次世界大戦の対潜飛行船との比較。かなり大きいことがわかると思います。下の写真では本稿の前回でご紹介したイタリア海軍の1920年台の大型駆逐艦「レオーネ級」(90mm in 1:1250)との比較。実戦ではこうした水上艦とのコンビで運用されたんでしょうね。「空賊」を海と空中から追い詰める、と言う感じでしょうか:と言っても実存はしませんので、ご注意を)

 

いずれは、本稿でご紹介した遊覧飛行母船「アドリア海の真珠」号などと絡みで「銭形警部」的な役回りを演じてくれるはず。

 

と言うことで、だんだん準備が整ってきましたが、今回はこの辺でおしまい。

 

次回はアドリア海つながりで「イタリア海軍の巡洋艦の系譜」でもやりましょうか

あるいは、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

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新着モデルのご紹介:「アドリア海」編の準備?

今回は、ちょっと手抜き、という訳ではないけれど、制作の方にも週末の時間を使いたくて、サクッと行きます。

そういう時は、お決まりの「最近の新着モデルのご紹介」です。

 

以前、本稿では、Shapewaysで発見したスペイン海軍の「海軍移動航空基地:Estación Transportable de Aeronáutica Naval: デダロ」のご紹介をしています

fw688i.hatenablog.com

「デダロ」を少しおさらいしておくと、第一次世界大戦後スペイン海軍が、飛行船と水上機母艦としてイギリスから購入した商船を改造した、日本海軍風に言うといわゆる「特設水上機母艦」です。

www.shapeways.com

ちょっと面白くて購入したのですが、どんどん想像が膨らんで「アドリア海の遊覧飛行母船」のような仕上げにしてしまいました。民間の遊覧飛行母船だけど、実はアドリア海の空賊連合(あれ、どこかで耳にしたような?)が隠れ蓑に使っている、と言うような・・・。第一次世界大戦後の混乱期で、オーストリア=ハンガリー帝国が解体され、イタリアではムッソリーニファシスト党が台頭してきている、ちょうどそのような時代。

 

1920年台のイタリア海軍駆逐艦水雷艇4種

空賊連合が出てくれば取締りのイタリア海軍も出てくる、と言う訳で、まず最初の新着はイタリア海軍のちょっと古い小艦艇群です。アドリア海の警備に当たっている、と言う想定。時々、遊覧飛行母船「アドリア海の真珠」号の動向にも注意を払っています、と言うような設定でしょうか。

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上の写真:奥から「レオーネ級」駆逐艦(90mm in 1:1250 by Argonaut)、「セラ級」駆逐艦(69mm in 1:1250 by Hai?)、水雷艇「アウダーチェ」(70mm in 1:1250 by Hai?)、「クルタトーネ級」水雷艇(69mm in 1:1250 by Hai?)の順。

 

詳しくご紹介する機会は後々にあるとは思いますので、今回は簡単に。

 

「レオーネ級」駆逐艦 

1920年台に3隻が建造されました。駆逐艦としてはやや大型で、当初は「軽偵察艦」と呼ばれていました。12cm連装速射砲4基とかなり重武装です。1700トン 34ノット

en.wikipedia.org

 

「セラ級」駆逐艦

1920年台後半に建造された駆逐艦で、4隻の同型艦を持っています。12cm連装砲2基と533mm連装魚雷発射管を搭載し、その後のイタリア駆逐艦の雛形となりました。1200トン 35ノット

en.wikipedia.org

 

水雷艇「アウダーチェ」

1910年台後半から就役し、同型艦はありません。日本海軍が英国に発注した「浦風級」駆逐艦の2番艦「江風」をイタリア海軍譲り受けた艦です。当初駆逐艦とされましたが、後に水雷艇に艦首が変更されました。10cm単装砲7基と450mm連装魚雷発射管を各舷に1基づつ搭載していました。900トン 30ノット

en.wikipedia.org

 

クルタトーネ級」水雷艇

1920年台後半から就役した水雷艇で、当初は駆逐艦に分類されていました。同型艦4隻。10cm連装砲2基と450mm3連装魚雷発射管2基を搭載していました。880トン 32ノット

en.wikipedia.org

 

サヴォイアS21試作戦闘飛行艇(1:144)

そして今回の目玉ですが、「アドリア海飛行艇」といえば、やはりこの機体が欲しいなあ。

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 サヴォイアS21試作戦闘飛行艇ですね。1:1250スケールではわずか**mmほどの小さなモデルになってしまいます。もちろん市販モデルなどありませんので、手持ちの艦載飛行艇(イギリスの巡洋艦が時折積んでいます)を改造して製作しています。

とはいえ、もう少しやはり大きいモデルも欲しい、と言うことで収納と、できれば他のコレクションのスケールを考えて1:144スケールのモデルを探していました。しかし、市販のモデルはレジンキット等も併せて、筆者の知る限りでは見当たらず、ついに Shapewaysにアップされていた1:87スケールのモデルの作者にスケールダウンをお願いする事にしました。

www.shapeways.com

お願いの際に色々とやりとりがあって(なんとこの方、おそらくスイス在住の方で、私の英語のリクエストに対し、必ずフランス語でお返事が返ってきます)、下記の写真を頂きました。

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shared by Swiss Models Factory MF-CH

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shared by Swiss Models Factory MF-CH

写真を拝見すると、なんとHOゲージ(=1:87)のジオラマの一部に組み込んでいらっしゃいますね。うらやましい。技術もスペースも。(出来上がったら、写真を送ってね、とちょっとプレッシャーをかけられています)

 

到着したモデルが下の写真。Smooth Fine Detail Plastic素材の素晴らしいディテイルを持ったモデルです。(最初は単純に1:87のデータを縮小処理してくださったようなのですが、Shapeways ではそのまま出力、と言うわけにはいかなかったようで、いくつか手を加えてくださったようです)

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このモデルには飛行時と着水時の二つの形態があり、上が飛行時で、下が着水時。

 

いずれも素晴らしい! しかも、長年求めていた、おそらく世界初の1:144スケールのモデルです。大感激!

お求めはこちらで。

www.shapeways.com

www.shapeways.com

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(直上の写真は下地処理をした状態:上が飛行状態、下が着水時)

 

で、もちろんこのライバルも忘れてはいけません、と言う事で、こちらも入手。

カーチスR3C-0非公然水上戦闘機(1:144)
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こちらの作者の方は1:144スケールのモデルをたくさん作っていらっしゃる方で、「カーチス」はその中のゴールデンエイジ・エア・レーザー(1:144 Golden Age Air Racing)のシリーズにラインナップされていました。

www.shapeways.com素材はWhite Natural Versaitile Plasticで、こちらもなかなかいい感じです。機体とフロートのバランスが、なんともいい感じです。

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(直上の写真は下地処理をした状態)

 

そして最後にご紹介するのは、Shapewaysでの上記のショッピングで偶然見つけたスウェーデン海軍の装甲巡洋艦「フィルギア」。(こちらは「アドリア海」とは関係ないですね)

装甲巡洋艦「フィルギア」スウェーデン海軍
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ja.wikipedia.org

同艦はスウェーデン海軍が沿岸防備のために1907年に就役させた同海軍唯一の装甲巡洋艦で、入手した模型は1944年当時の対空火器を強化したのちの姿を再現したものになっています。

www.shapeways.com

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(直上の写真は下地処理をした状態 93mm in 1:1250 by Brown Water Navy Miniatures)

 スウェーデン海軍、ちょっと心がそそられますね。バルト海がその主な活躍の場、なんでしょうね。知識としてはスターリング機関を搭載した非大気依存型潜水艦の実用化先駆国と言う感じですかね。模型としては海防戦艦軽巡洋艦駆逐艦があったかな、と言う感じです。

もうちょっと調べてみよう。

 

と言う事で、今回はここまで。

冒頭にも述べましたが、ちょっと制作の方に時間を割きたいと思っています。

 

次回は、どうしようか?

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

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ドイツ海軍の第二次世界大戦での通商破壊戦:Uボート総覧

本稿ではこれまで通商路保護のための護衛艦艇を種々紹介してきましたが、今回は前回に引き続き、「通商路破壊」の視点から、ドイツ海軍が大量に投入した潜水艦をご紹介します。

いわゆる「Uボート」ですね。

筆者はこれまで「護衛艦艇が大好き」というお話をしてきましたが、経緯的には「Uボート」好きから転じて護衛艦艇への興味を持った、というのが事実でして、したがって「Uボート」も大好きなのです。

今回はそういうお話。

本稿は基本的に1:1250スケールのモデルを中心に話を進めていくのですが、潜水艦などをご紹介するには、少しスケールが小さいのかな、と考えています、ですので、今回は他のスケールのモデルも併せてご紹介しながら・・・。

 

ドイツ海軍Uボートの復活とその戦果

本稿では何度か触れてきましたが、第一次世界大戦後のベルサイユ条約で、ドイツは大幅な海軍軍備に関する制約を課せられました。潜水艦の保有は禁じられ、海軍は沿岸警備に限定された戦力の保有しか許されませんでした。

しかし、大戦後の混乱の中でナチスが台頭し政権を掌握すると、1935年にヒトラー再軍備を宣言。同年に締結された英独海軍協定で、潜水艦の保有も含め事実上の制限撤廃が行われました。

第一次世界大戦で様相が垣間見られた総力戦の諸相の中でも、特に対英戦略の中で潜水艦を用いた通商路破壊の有効性は顕著で(であるがゆえに潜水艦保有が禁じられたのですが)、ドイツ海軍は潜水艦戦力の再整備を急ぎます。

ドイツ海軍の想定では通商破壊戦でUボートが効果を上げるには、300隻の通商破壊作戦用Uボートが必要とされていましたが、ドイツのポーランド侵攻と共に第二次世界大戦が勃発し、その時点でドイツ海軍が就役させていた潜水艦はわずか57隻、しかも通商路破壊戦に適した航洋型のUボートはそのうち30隻程度にすぎませんでした。

 

その後、ドイツの敗戦まで5年8ヶ月の戦いの中で、1131隻のUボートが就役し、830隻が作戦行動を実施し、連合国船舶約3000隻、約1400万トンを撃沈する戦果を挙げました。これに対し失われたUボートは793隻で、約40000人の将兵が潜水艦戦に身を投じ、戦死約28000名(損耗率70%!)、捕虜となったもの約5000名という大きな犠牲が払われました。

 

Uボートの諸形式

第二次世界大戦で投入されたドイツ海軍のUボートの形式は、以下の通りです。

 

Uボート復活:バランスの取れた航洋型潜水艦。ちょっとサイズが中途半端でしたかね?

I型(同型艦2隻)

航洋型潜水艦として設計された艦級で、700トン級の船体に魚雷発射管を艦首部に4基、艦尾部に2基搭載し、魚雷14本を搭載していました。

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(直上の写真: I型の概観:56mm in 1:1250 by Neptune)

第一次世界大戦に投入されたUBIII型を原型とし、水上で18ノット、水中で8ノットの速力を発揮することができました。12ノットの速度で6300海里の航続距離を持っていました。43名が乗組み、200mまで潜水可能とされていました。

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(U26 I型 1:350スケール モデル)


ja.wikipedia.org

その後、設計の方針が量産性を考慮した中型潜水艦(VII型)と、より長期の作戦行動に適した大型潜水艦(IX型)に定まったため、この形式は2隻しか建造されませんでした、

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(直上の写真: ドイツ海軍が建造した航洋型潜水艦の比較:I型(中央)、手前がVII型、奥がIX型です。I型が中間的なサイズで2隻が建造され、以降はVII型、IX型の量産体制へと移行してゆきます)

 

沿岸警備用、小型潜水艦:みんな最初はこれで訓練したのかな(?)

II型(A〜Dタイプまで、同型艦60隻)

沿岸警備用に設計された小型潜水艦で、250トン級の船体に艦首部に魚雷発射管3基を持ち、魚雷5本を搭載していました。水上速力は13ノット、水中速力は7ノットで圧壊震度150mとされていました。(いずれもIIA型)

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(II型:U9の1:350スケールモデル。下段右の写真は、II型の特徴である艦首の3門の魚雷発射管。(底辺を上にしたような逆三角形配置なんだけど、ちょっと暗くてわかりにくいかな?)私がずいぶん以前に楽しんだUボートのPCゲームでは、II型の艦長からキャリアをスタートしました)

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from uboat.net

小改良を加えながらIIAからIIDまでの3タイプが建造され、同型艦は総数で60隻でした。大戦初期には北海、バルト海等、近海での作戦行動を行いましたが、大西洋等の遠洋に戦場が移ると作戦従事は困難で、主として訓練用と沿岸警備に用いられました。乗組員は25名でした。

ja.wikipedia.org

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(U9:II型とU552:VIIC型の大きさの比較)

 

 

中型航洋潜水艦:通商破壊戦の主役。Uボートといえばコレ!

VII型(VIIA, VIIB, VIIC, VIIC/41、併せて同型艦734隻)

I型の紹介で触れたように、通商破壊戦の主戦力として大量に戦場に投入されることを想定して設計された艦級で、I型よりも少し小ぶりな500トン型(中型)と称して設計されました。

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(直上の写真: VII型の概観:51mm in 1:1250 by Mercator? 両舷にあるサドルタンクが大きな特徴です)

大まかにVIIA、VIIB、VIIC、VIIC後期型(VIIC/41)の4形式があり、VIIAは10隻、VIIBは24隻、VIIC前期型はさらに諸形式に分化しながらも626隻、VIIC後期型(VIIC/41)が74隻、それそれ就役しています。

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(直上の写真: VII型の艦橋のヴァリエーション。米国の参戦以降、連合国の航空機による通商路警戒が活発化するとUボートの兵装も対空兵装へと重点が移ってゆきます)

小差はもちろんありますが基本的な設計は同じで、艦首部に4基、艦尾部に1基の魚雷発射管を備え、魚雷を11本から14本搭載していました。乗組員は44名でうち4名が士官でした。圧壊震度は200mとされていましたが、VIIC後期型では耐圧殻を厚くしたことにより300mとなりました。

いずれも10ノットの巡航速度でVIIA型で6200海里、VIIB型で8700海里、VIIC型で8500海里のそれぞれの航続距離を持ち、大西洋での通商破壊戦の主役を務めました。

ja.wikipedia.org

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(U47 VIIB型 1:350スケールモデル:初期のUボートエース プリーン大尉の乗艦でした。ブリーン大尉の率いる本艦は英海軍の根拠地スカパフロー に侵入し、戦艦「ロイヤル・オーク」を撃沈しています)

 

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(U552 VIIC型 1:350スケールモデル 197,460トンを沈め歴代三位の戦績を誇るエーリヒ・トップの乗艦でした)

 

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(U255 VIIC型 1:350スケールモデル 47,640トンの商船撃沈する戦果を上げています)

 

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(VII型の艦橋のヴァリエーション。特に大戦後期には対空火器が増備され、これら以外にも多彩なヴァリエーションが生まれました) 

 

VII型派生形:機雷敷設潜水艦

VIID型(同型艦6隻)

VIID型はVIIC型をベースに艦橋後方に機雷敷設のための機雷筒ブロックを挿入した機雷敷設潜水艦で、900トン級のやや大きな船体を持ち、魚雷発射管5基と魚雷12本の他に機雷15基を敷設する能力がありました。機雷敷設ブロックの挿入により船体が延長され、燃料搭載量が増えたため、11200海里という長大な航続距離を持っていました。

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(直上の写真: VIID型の概観:61mm in 1:1250 by Neptune: 下段右では艦橋後部の特徴である機雷射出筒がよくわかります)。

 

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(U214: VIID型の1:350スケールモデル。艦橋後部の機雷射出筒が、よりよくわかります)

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(上の二点の写真は、いずれもVIID型とVIIC型の1:1250スケールと1:350スケールでのそれぞれの艦型比較。いずれでもVIID型がVIIC型をベースに艦橋後部に機雷射出筒関連のブロックを挿入して設計されたことがよくわかります)

 

VII型派生形:補給潜水艦:ウルフパックへの補給係

VIIF型(同型艦4隻)

VIIF型はVIIC型をベースに予備魚雷搭載用のブロックを艦橋後方に挿入した魚雷補給用の潜水艦で、、1000トンの船体に、通常のVII型同様、魚雷発射管5基と魚雷14本を搭載した上に予備魚雷21本を搭載し、他のUボートに補給することができました。VIID型と同様に延長された船体により燃料搭載量が増え、14700海里の航続距離を持っていました。大戦後期にはその大きな航続距離と搭載能力を買われ、貨物の輸送任務にも活躍しました。

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(直上の写真: VII F型の概観:60mm in 1:1250 by Mercator?)

 

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(直上の写真: 通常のVII型とVIIF型の比較。VIIF型は通常のVII型の艦橋の後部に補給用魚雷の収納スペースを挿入した船体を持っていました)

 

大型航洋潜水艦:狩場を広げるぞ!

IX型(IXA, IXB, IXC, IXC/40、併せて同型艦 165隻)

IX型はより遠洋での通商破壊戦の展開を意図して設計された潜水艦で、1000トンを超える大きな船体を持ち、水上で18ノット、水中で7.7ノットの速力を発揮し、10ノットの巡航速度でそれぞれIXA型で10500海里、IXB型で12000海里、さらに改良が加えられIXC型で13450海里、IXC/40型で13800海里という長い航続距離を持っていました。

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(直上の写真: IXC型の概観:61mm in 1:1250 by Neptune: IXA,IXB,IXCはほぼ同型でした。VII型と同様に、砲兵装は対空火器に重点が移行してゆきます)

 

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(直上の写真: IXC/40型の概観:61mm in 1:1250 by Neptune) 

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(直上の写真: IXC/40型とIXC型の関係の比較。概観も違うのですが、時期によって砲兵装の配備重点が対空火器に移行してゆきました)

主要武装はいずれの形式もほぼ同等で、艦首部に4基、艦尾部に2基の魚雷発射管を装備し、予備魚雷を含め22本の魚雷を搭載していました。

ja.wikipedia.org


大型航洋潜水艦の完成形

IXD2型(同型艦29隻)

形式名としてはIX型を冠してはいますが、1600トンの大きな船体を持つ全く別形式の潜水艦です。通常の4基のディーゼルエンジンに加え、低速巡航用のディーゼルエンジンを2基搭載し、長距離作戦への適用をいとして設計された潜水艦です。水上では19.2ノットの高速を発揮し、10ノットの巡航速度で31500海里という長大な航続距離を誇っていました。

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(直上の写真: IXD2型の概観:69mm in 1:1250 by Neptune)

 

艦首部に4基、艦尾部に2基の魚雷発射管を備え、予備魚雷を含め24本の魚雷を搭載し、長期の作戦行動を行い南アフリカやインド洋まで進出しました。

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(直上の写真: IXD2型(奥)とIXC/40型(手前)の概観比較。同じIX型の形式表示ながら、全く異なる設計です)

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(U181 IXD2型 1:350スケールモデル 歴代二位の撃沈記録を持つヴォルフガンク・リュート大尉の乗艦。モザンビーク南アフリカに進出し活躍しました。リュートが少佐に進級し司令官として下船すると、インド洋に進出し活躍を続けました。ドイツ降伏後は日本軍が接収して、呂501号潜水艦となりました)

 

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(U181 IXD2型とU 47 VIIB型の大きさの比較)

 

IXD2型派生形:補給潜水艦

IXD1型 (同型艦2隻)

本来は20ノット超えの速力を持つ高速巡洋潜水艦を目指した設計でしたが、搭載したエンジンが期待の性能を発揮せず、主機をVIIC型と同型式として予備燃料を252トン搭載できる補給潜水艦に改造されました。

(ほぼ上掲のIXD2型と同型です)

 

大型機雷敷設潜水艦

X型(同型艦8隻)

1600トン級の船体を持ち、機雷筒30本を搭載した機雷敷設潜水艦です。魚雷発射管2基を艦尾に備え予備も含め15本の魚雷と66基の機雷を搭載していました。

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(直上の写真: X型の概観:70mm in 1:1250 by Mecator?)

 

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(直上の写真: X型の機雷筒の配置状況。写真上:艦首部の機雷筒、写真下:艦尾部に2列に並列配置された機雷筒)

大きな燃料タンクを持ち、10ノットの巡航速度で18450海里の航続距離を持っていましたが、このタンクの燃料は他の作戦展開中の潜水艦への給油にも広く使用され、「Uタンカー」と称されることもありました。

ja.wikipedia.org

 

大型補給潜水艦:「おーい、ミルヒ・クーが来たぜ!野菜、積んでる?」

XIV型(同型艦10隻)

最初から前線で展開する潜水艦への補給用潜水艦として設計されました。1600トンの大きな船体を持ち、補給用燃料432トン、食糧45トン、魚雷4本を搭載することができました。

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from uboat.net

(no photo:残念ながら、模型を保有していません)

 

自艦の兵装としての魚雷発射管は搭載していませんでした。遠隔地で展開するUボートの活動に大きく貢献し、「ミルヒ・クー(乳牛)」の愛称で親しまれました。

ja.wikipedia.org

 

 水中高速攻撃型潜水艦:「可潜艦」から真の「潜水艦」へ

XXI型(同型艦118隻)

米国の参戦に伴い、有力な海軍航空機により空中からの船団護衛やレーダーの発達によって、VII型やIX型など従来型の水上航行を主たる移動手段とする潜水艦の活動は次第に困難になってゆきます。

こうして水中高速潜水艦の構想への要求は高まってゆきます。

一方、ドイツ海軍は非大気依存推進の研究を進め、高濃度過酸化水素を用いた推進機関(ヴァルター機関)の試作潜水艦を既に建造していました。

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(直上の写真: ヴァルター機関の実験艦として試作されたXVII型の概観:22mm in 1:1250 by Mercator? なのですが、この寸法は水上に露呈している部分だけの寸法なのでご注意を。同艦はヴァルター機関を搭載した水中高速艦であり、基本的にほとんどの行動を、現在の潜水艦同様に水中で行う前提で設計されていました。・・・・というか、現在の潜水艦のある意味ご先祖がこの船なのですが)

 

しかし実際の運用面でのヴァルター機関には、水中での低速航行が難しい、過酸化水素自体の取り扱いの難しさ、機関室を密閉せねばならず、過酸化水素の補給等を考えると限定的な運用しか想定できない(実際には従来型の主機の搭載も不可欠)、排出された二酸化炭素が気泡化し、探知されやすくなる、種々の等の課題が明らかになるにつれ、戦局に合わせた早急な実用化は困難という判断がされます。そして、次善の選択肢として、多数の蓄電池の搭載と新開発のモーターの組み合わせによる水中高速潜水艦建造へと、構想を転換しました。これがXXI型で、エレクトロ・ボートとも呼ばれ、従来の潜水艦の概念を覆す画期的なものでした。

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(直上の写真: XXI型の概観:61mm in 1:1250 by Mercator?)

 XXI型はシュノーケルも装備しており、その行動は原則水中で行われ、それまでの「潜水することも出来る」可潜艦とは一線を画する真の「潜水艦」の登場と言っても良いでしょう。

船体の設計は、実用化までの時間短縮のために既に準備されていたヴァルター機関搭載予定のXVIII型のものが使われました。

船体は水中での運行が基本となるために水中抵抗の排除に配慮された流線形を多用したものになり、1600トンの従来のUボートの概念から考えると大型のものとなりました。艦首部に6基の魚雷発射管を備え、23本の魚雷を搭載していました。水中で17.5ノットの速力を発揮することができ(従来型は7ノット程度)、水中5ノットの速度で365海里の航続距離がありました(VIIC/41 では4ノットで80海里)。乗組員は57名でした。

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建造方法にも徹底的なブロック形式での建造が取り組まれ、建造期間を6ヶ月に縮めるなどの量産が目指されました。しかし油圧系統の不具合などから最初の艦の実戦投入はドイツ降伏の前月の1945年4月で、戦局に寄与することはありませんでした。

この時期、既にドイツ海軍はホーミング魚雷を開発していましたので、実際に戦場に投入される機会があれば大きな威力を発揮したでしょうね。

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(直上の写真: XXI型(奥)と従来型航洋潜水艦(IXD型(中央)、VIIC型(手前)の艦型比較。XXI型ではいわゆる甲板的なスペースがほとんど考慮されていないことが良くわかります)

 

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(U2540 XXI型 1:350スケールモデル 敗戦時に自沈しましたが、その後浮揚されドイツ連邦海軍の「ヴィルヘルム・バウアー」として再就役しました。写真下段では、XXI型の各部の特徴をクローズアップしてみました。左:引き込み式の潜舵。中央:艦橋部。環境に組み込まれた対空砲とシュノーケル。右:推進器と潜舵・方向舵)

 

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(U2540  XXI型とU47 VIIB型の大きさと関係の比較)

 

戦後、賠償艦として連合国各国に譲渡され、その後の潜水艦設計の基礎となりました。

 

XXI型の派生形:斜め後方へ6社戦?12射線?船団、丸ごと面倒見ようじゃないか。

XXIB型・XXIC型(計画のみ)

XXI型は艦首部に魚雷発射管を6基搭載していましたが、ブロック建造であったため、バリエーションの設定が可能でした。例えば、前方の魚雷発射管室の後に斜め後方むけの魚雷発射管6基を搭載するブロックを挿入し後方向けの魚雷6射線を持たせる設計案がXXIB型として提出されています。

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(XXIB型の図面。艦首の発射管室の後方に、斜め後方向けに設置された魚雷発射管がわかります。グランドパワー別冊より)

さらにもう1組、斜め後方向けの魚雷発射管室のブロックを挿入し、斜め後方向けに12射線を持たせる案がXXIC型です。これらはいずれも建造されませんでした。

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(XXIC型の図面。斜め後方向けの魚雷発射管がもう1組追加されています。「世界の艦船」より)

XXI型の建造時期には、魚雷の次発装填装置も完成していましたので、短時間で最大36本の魚雷を発射することができました。

ホーミング魚雷と組み合わせれば、船団丸ごと撃破する、なんてことも可能だったかもしれません。

(no photo:残念ながらいずれも模型を保有していません)

 

XXI型の発展型:中型エレクトロ・ボート、VIIC型の後継。これが量産されていればなあ。究極のIF兵器かも?

XXX型(計画のみ)

XXX型はXXI型をやや小ぶりにした1100トン級の船体を持つ設計で、XXI型よりも取り扱い易い艦型でVIIC型の後継として検討されました。兵装の配置は前述のXXIB型に類似して、艦首部に前方向けの魚雷発射管を8基、その直後に斜め後方向けの魚雷発射管を4基の発射室ブロックを保有していました。

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(XXX型の図面。艦首に魚雷発射管8基が装備されています「世界の艦船」より)

 

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(直上の写真: XXX型の概観:44mm in 1:1250 by Mercator? このモデル、もう一つ小型のヴァルター機関搭載の量産型航洋潜水艦XXVI型のものかもしれません。航洋型のエレクトロ・ボートは蓄電池を大量に搭載する必要があるため、ここまで小型化はできなかったかも)

 

ブロック工法が安定し、XXX型が量産されていれば、と、妄想してしまいます。

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(直上の写真: XXI型とXXX型の二つのエレクトロ・ボート。もう少し早ければ・・・)

 

小型水中高速潜水艦:こっそり忍び寄って、侵攻作戦はこれで防げる(?) 

XXIII型(同型艦63隻)

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from boat.net

(no photo:残念ながら、模型を保有していません)

沿岸警備用の小型水中高速潜水艦として、XXI型とほぼ同じ構想で設計、建造された潜水艦です。230トンの小さな船体を持ち、水中で12.5ノットを発揮することができました。艦首部に魚雷発射管2基を装備し、予備魚雷は搭載していませんでした。ドイツの降伏までに63隻が完成しましたが、戦果を上げることはできませんでした。

ja.wikipedia.org

 

ということで、今回はここまで。

ああ、映画の話をしなかった。Uボートエースの話も・・・。

 

次回は、どうしましょうか。準備中は、英海軍巡洋艦、イタリア海軍巡洋艦、英海軍駆逐艦、米海軍駆逐艦・・・。

 

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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ドイツ海軍の第二次世界大戦での通商破壊戦:偽装商船

復活ドイツ海軍のZ計画

第一次世界大戦の敗戦で、ドイツはかつては世界第2位を誇った海軍を失い、さらにベルサイユ条約下の制限で、その保有海軍力に大きな制限を課されることになりました。1万トン以上の排水量の艦を建造することが禁じられ、その建造も代替艦に限定されました。戦勝国側の概ねの主旨は、ドイツ海軍を沿岸警備の軍備以上を持たせず、外洋進出を企図させない、というところだったでしょう。

しかし、戦後賠償等の混乱の中で、ドイツにはナチス政権が成立し、1935年に再軍備を宣言、海軍力についても、同年に締結された英独海軍協定で、事実上の制限撤廃が行われました。

その海軍の再建については大きな二つの柱がありました

一つは通商破壊戦を実施する戦力の整備でした。即ち英国を仮想敵とした場合、通商破壊戦を展開することが有効であることは、第一次世界大戦の戦訓で明らかでしたし、再建に着手したとは言え、英海軍との戦力差を埋める事は事実上不可能で、その意味からも通商破壊戦以外にとりうる戦略がない事は明らかだったと言えるでしょう。

これを潜水艦(Uボート)と装甲艦(ポケット戦艦)のような中型軍艦 、あるいは偽装商船のような艦船で行うにあたり、その前提として、英海軍による北海封鎖を打破することは必須であり、そのためには強力な決戦用の水上戦力が必要でした。従って通商破壊戦の展開の前提を創造するための英海軍主力を打破できる水上戦力の整備が2番目の柱となり、この実現計画はZ計画と呼ばれました。

この決戦用水上戦力の整備にについては、まさに主力艦の整備計画であり、本稿では下記の回で既にご紹介しています。

fw688i.hatenablog.com

この計画は史実では1939年のドイツのポーランド侵攻と共に、英仏がドイツに対し宣戦布告し、第二次世界大戦が始まったため、中止となリましたが、海軍の対英国戦略は他に取るべき選択肢はなく、通商破壊戦の3つの柱(潜水艦による、水上戦闘艦による、偽装商船による)は実行されました。

 

今回は上記のうち偽装商船のご紹介。そういうお話です。

 

偽装商船による通商破壊戦

古くから商船に砲を搭載し補助的な軍艦として使用する例は多くみられました。特に蒸気機関を用いた軍艦の黎明期から日清・日露戦争期までの時期には、軍艦と商船の速力の差が顕著ではなく、高速の商船が補助的な軍艦(仮装巡洋艦)として索敵・護衛などの任務を果たす事は十分に可能だったと言えるでしょう。

その後、特に両者の速度差と武装差が顕著になると、補助戦闘艦としての任務よりも通商破壊戦の担当艦として利用されるようになります。

多くの場合、中立国の民間船舶を装い標的に接近し、十分に接近したのち国籍を明らかにし軍艦旗を掲げ襲撃するなどの戦法がとられました。このため搭載武装などは巧妙に隠蔽されており、乗組員も乗客や民間船員の服装を装うなどの偽装が施されていました。本稿のタイトルがあえて「偽装商船」となっているのは、実はそういう理由があります。

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(偽装商船は、各種の武装を舷側下(上段)や船倉(下段左)に隠蔽していました。時にはキャンバス製ので偽装煙突で、船の外観を変えるようなことまでしていました(下段右))

襲撃と言っても多くの場合には十分に接近してからの停船を求めるための威嚇射撃であり、あるいは搭載する水上偵察機の低空飛行により、標的の無線用の通信線を切断し通報能力を奪った上で接近するなどの戦法がとられたそうです。標的の商船は投降後はいったん拿捕され乗員を捕虜とされた後、爆薬により撃沈、もしくは拿捕船とし母国に回航されるといういずれかの処置を取られました。

ドイツ海軍は第一次世界大戦で既にこの戦法を実施しており、実際の拿捕・撃沈の戦果もさることながら、英海軍は通報を受ける都度、その出現に対応せねばならず、通商路保護への戦力の抽出・分派を強いる効果がありました。

fw688i.hatenablog.com

 

第二次世界大戦のドイツ偽装商船

第二次世界大戦でも、ドイツ海軍は以下にご紹介する9隻の偽装商船を通商破壊戦に送り出しました。

 

「オリオン」(秘匿名:軍艦36号/Shiff 36・英海軍のコードネーム:襲撃艦A/Raider A)

ja.wikipedia.org

Orion (HSK 1)

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(HSK 1「オリオン」の概観:119mm in 1:1250 bu Neptune: 7,021トン、主砲:155mm*6門、魚雷発射管6門、 水偵2機搭載、機雷228個 14ノット)

1930年建造の貨物船を改造し1939年に通商破壊艦1号(Hilfskreuzer 1:HSK 1)として就役しました。1940年4月から1941年8月にかけて通商破壊活動に従事し、その間、共同戦果も含め10隻、約84,000トンの連合国船舶を撃沈しました。

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(「オリオン」の武装は船倉や遮蔽板を多用して隠蔽されていました)

以降は練習艦あるいは輸送艦として運用され、1945年5月に爆撃で沈没しました。

 

アトランティス」(秘匿名:軍艦16号/Shiff 16・英海軍のコードネーム:襲撃艦C/Raider C)

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Atlantis (HSK2)

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(HSK 2「アトランティス」の概観:122mm in 1:1250 by Neptune: 7,862トン、 主砲:155mm*6門、魚雷発射管4門、 水偵2機搭載、機雷92個、16ノット)

1937年竣工の商船を改造し1939年に通商破壊艦2号(HSK 2)として就役しました。1940年3月に出撃、1941年11月に南大西洋で英巡洋艦「デボンシャー」と交戦、撃沈されました。

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(「アトランティス」の武装は舷側下に偽装板を設け隠蔽されていました(写真上段と中段:遮蔽板の開閉)。後甲板には船倉を利用して水偵が収納されていました)

その間、22隻、約145,000トンの連合国商船を撃沈しています。

 

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(「アトランティス」と交戦し撃沈した重巡洋艦「デボンシャー」(「ロンドン級」155mm in 1:1250 by Neptune)

 

アトランティス」の戦闘航海については下記の書籍があります。実に興味深い。

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この本は比較的手に入りやすい!

海の狩人・アトランティス (航空戦史シリーズ) | フランク, ウォルフガング, ローゲ, ベルンハルト, 茂, 杉野 |本 | 通販 | Amazon

 

ウィダー(秘匿名:軍艦21号/Shiff 21・英海軍のコードネーム:襲撃艦D/Raider D)

ja.wikipedia.org

Widder (HSK 3)

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(HSK 3「ウィダー」の概観:122mm in 1:1250 by ???: 7,851トン、 主砲:155mm*6門、魚雷発射管4門、 水偵2機搭載、14ノット) 

1929年建造の客船を改造したもので、1939年に通商破壊館3号(HSK 3)として就役しました。以降、大西洋で通商破壊活動を行い、1940年10月までの間に10隻、約58,000トンの連合国商船を撃沈、もしくは拿捕する戦果をあげました。

戦争を生き残り、戦後、本来の商船として英国船、ドイツ船として運用され、1955年座礁して失われました。

 

「トール」(秘匿名:軍艦45号/Shiff 45・英海軍のコードネーム:襲撃艦E /Raider E)

ja.wikipedia.org

Thor (HSK 4)

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(HSK 4「トール」の概観:98mm in 1:1250 by Delphin?: 3,862トン、主砲:155mm*6門、魚雷発射管4門、 水偵1機搭載、小型魚雷艇1隻搭載、18ノット)

1938年に建造された商船を改造した船で、1940年通商破壊艦4号(HSK 4)として就役しました。1940年4月までに1回目の出撃を行い、更に1941年11月から1942年1月まで2回目の出撃を行いました。その間に22隻、約155,000トンの連合国船舶を拿捕、もしくは撃沈する戦果を上げました。

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(「トール」の主砲や魚雷発射管は舷側下に偽装板を設け隠蔽されていました)

1回目の出撃中には、3隻の英海軍の商船改造の特設巡洋艦との戦闘を行い、1隻を撃沈し2隻を戦闘不能にするという戦果も上げています。

2度目の戦闘航海の最後の襲撃で自艦の位置を通報されたため、航海を切り上げ同盟国日本の横浜に寄港。その地で隣接して停泊中のドイツタンカーの爆発に巻き込まれ沈没しました。(1942年11月)

 

「ピングイン」(秘匿名:軍艦33号/Shiff 33・英海軍のコードネーム:襲撃艦F/Raider F)

www.german-navy.de

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(HSK 5「ピングイン」の概観:125mm in 1:1250 by Sextant: 7,766トン、主砲:155mm*6門、魚雷発射管2門、 水偵2機搭載、機雷300個、17ノット)

 1936年に建造された商船を改造した船で、1940年2月に通商破壊艦5号(HSK 5)として就役しました。1940年6月から1941年5月まで、大西洋からインド洋、南極海にかけて戦闘航海を行い、捕鯨船や鯨油加工船を14隻含む32隻、約155,000トンの連合国船舶を撃沈、また拿捕しました。

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(「ピングイン」の武装は舷側下に偽装板を設け隠蔽されていました。後甲板には船倉を利用して水偵や小型魚雷艇が収納されていました)

同航海では、副次的な任務として、Uボートへの補給も行いました。1941年5月8日、セイシェル諸島付近で英海軍巡洋艦コーンウォール」の襲撃を受け、機雷庫に被弾、爆沈しました。

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(「ピングイン」と交戦し撃沈した重巡洋艦コーンウォール」(「ケント級」)152mm in 1:1250 by Neptune)

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「ピングイン」は、この小説に登場する敵役のモデル?なんで鯨油加工船や捕鯨船なの、と思った方は、是非。

南極海の死闘 (Best sea adventures) | W.R.D. マクロクリン, 力, 尾坂 |本 | 通販 | Amazon

 

「シュティーア」(秘匿名:軍艦23号/Shiff 23・英海軍のコードネーム:襲撃艦J/Raider J)

www.german-navy.de

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(HSK 6「シュティーア」の概観:108mm in 1:1250 by Neptune: 6,376トン、主砲:155mm*6門、魚雷発射管6門、 水偵2機搭載、小型魚雷艇1隻搭載、14ノット)

 1936年建造の商船を改造したもので、1939年11月に通商破壊艦6号(HSK 6)として就役しました。当初バルト海での通商破壊船を展開後、機雷敷設船に改造され英国本土上陸作戦に使用される予定でしたが、同作戦の中止とともに、本来の通商破壊作戦に戻りました。

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(「シュティー」の主砲は船倉(上段写真)や貨物を装って(写真下段)隠蔽されていました)

1942年5月に出撃し、1942年9月に米国貨物船との戦闘で沈没するまでの大西洋での戦闘航海で、4隻、約29,000トンの連合国船舶を撃沈しました。

 

コメート(秘匿名:軍艦45号/Shiff 45・英海軍のコードネーム:襲撃艦B/Raider B)

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Komet (HSK7)

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(HSK 7「コメート」の概観:97mm in 1:1250 by Neptune: 3,287トン、主砲:155mm*6門、魚雷発射管6門、 水偵2機搭載、小型魚雷艇1隻搭載、機雷30個、14.8ノット)

 1937年の建造された商船を改造した船で、1940年2月に通商破壊艦7号(HSK 7)として就役しました。偽装商船としては最小です。

2度の戦闘航海を行い、1度目は1940年7月から1941年1月までの間に北極海から太平洋に進出し、その後、地球を一周してフランスに帰着しました。

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(「コメート」の主砲や魚雷発射管は舷側の遮蔽板内に隠蔽されていました。後甲板部には船倉内に水偵や小型魚雷艇が収納されていました)

2度目は1942年10月ル・アーブルを出航しましたが、出撃の翌日10月14日、駆逐艦部隊と交戦し、被弾、爆沈しました。

8隻、約52,000トンの連合国船舶を拿捕・撃沈しました。

 

「コルモラン」(秘匿名:軍艦41号/Shiff 41・英海軍のコードネーム:襲撃艦G/Raider G)

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Kormoran (HSK 8)

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(HSK 8「コルモラン」の概観:131mm in 1:1250 by Neptune: 8,736トン、主砲:155mm*6門、魚雷発射管6門、 水偵2機搭載、小型魚雷艇1隻搭載、機雷360個、18ノット)

1938年の建造された商船を改造した船で、1940年10月に通商破壊艦8号(HSK 8)tosite就役しました。通商破壊艦としては最大の船で、1940年12月から1941年11月までの戦闘航海で 大西洋、インド洋で11隻、約69,000トンの連合国船舶を拿捕・撃沈しました。

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(「コルモラン」の主砲や魚雷発射管は舷側の遮蔽板内や船倉に隠蔽されていました。後甲板部には船倉内に水偵や小型魚雷艇が収納されていました)

 

1941年11月29日、オーストラリア海軍の巡洋艦シドニー」と遭遇し、オランダ船を偽装して接近した後、近距離砲戦の結果、複数の命中弾を与え、加えて魚雷も命中さるなど「シドニー」を大破(後、沈没。生存者なし)させましたが、自艦も被弾し大火災を起こし乗組員は艦を放棄せざるを得ませんでした。こうして、「コルモラン」はドイツの偽装商船の中で唯一、連合国軍艦を沈める戦果を挙げた艦となりました。

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(「コルモラン」と交戦したオーストラリア海軍軽巡洋艦シドニー」(「パース級」):135mm in 1:1250 by Neptune)

 

「ミヒェル」(秘匿名:軍艦28/Shiff 28・英海軍のコードネーム:襲撃艦H/Raider H)

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Michel (HSK 9)

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(HSK 9「ミヒェル」の概観:106mm in 1:1250 by Neptune: 4,740t, 主砲:155mm*6門、魚雷発射管6門、 水偵2機搭載、小型魚雷艇1隻搭載、16ノット)

1939年のされた商船を改造した船で、1941年9月に通商破壊艦9号(HSK 9)として就役しました。1942年3月に出撃し、大西洋からインド洋で通商破壊活動を行い、1943年3月、同盟国の日本(神戸)に寄港。その後、5月にインド洋から太平洋で通商破壊戦を展開しますが、日本への帰港途上、1943年10月父島沖で米潜水艦の雷撃により撃沈されました。

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(「ミヒェル」の武装は船倉に隠蔽されていました。後甲板部には船倉内に水偵や小型魚雷艇が収納されていました)

上記の戦闘航海を通じ、18隻、約127,000トンの連合国船舶を沈めました。

 

以上のように、ドイツ海軍の通商破壊艦を見てきましたが、その活躍の時期は1942年の初頭までで、つまり有力な海軍航空兵力を備えた米国の参戦後は、ほとんど活動の場を見出せなくなってしまいました。

それはさておき、商船ならではの長い航続距離を活かして神出鬼没を狙い通商路を脅かす偽装商船と、それを追う英艦隊の物語は、実に興味がつきません。しかし実はあまり物語化されておらず、昔はYoutubeで偽装商船の登場する古いモノクロの映画など観れたような記憶があるのですが、著作権から制限がかかったのか今では探すことができません。

ガラガラと舷側の偽装板が降ろされて、ヌッと砲身が現れる、そんな映画だった記憶があるのですが・・。

どなたか、お勧めの書籍(できれば小説がいいかなあ)や、映画があれば教えていただけるとありがたいです。

 

偽装商船というと記憶に新しいところで、こんなのもありましたね。

www.gundam-unicorn.ne

ガンダムUC  ネオ・ジオン軍 偽装貨物船「ガランシェール

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(上記の写真はコスモフリート・コレクションから。ノンスケールモデルですが、全長60mm程のモデルです。おおよそ1:2500かと)

ガランシェール」は固有の武装を持っていません。船倉に4機のモビルスーツを搭載し、これがこの船の主戦力を構成しています。ストーリーの最初から「偽装貨物船」なんて出てくるものだから、あっという間にストーリーに引き込まれてしまいました。もう少し活躍して欲しかったなあ。

 

ということで、今回はここまで。

 

次回は(多分)通商破壊戦つながりで、Uボートのお話をしましょうかね。こっちは映画もたくさんあるし・・・。

 

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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第二次世界大戦下のドイツ海軍巡洋艦(軽巡洋艦・重巡洋艦)

今回は、前回の陽光あふれるような、ちょとはしゃいだ地中海(アドリア海)から一転して、鈍色のバルト海、北海に視点を移して、どちらかというと本稿の本筋に近い艦船群のご紹介です。

とは言え、アドリア海編も着々と準備が進行中で、前回の主人公であった「アドリア海の真珠号」も少しディテイルアップなど進んでいます。

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(遊覧飛行母船「アドリア海の真珠」号の概観。103mm in 1:1250 by C.O.B. Constructs and Miniatures:下の写真は、少しデリック部分をディテイル・アップ)

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さらに、ほら、飛行艇ダボハゼ」らしきものも・・・。

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(「ダボハゼ」は、ちょっと迷彩を間違ったかも。もう一回やり直しかな?でもまだ尾翼部分は塗装できていないんだな?空賊連合も飛行船、手に入れたのか?)

 

でも「今回は、浮き立つ心を押さえて、少し真面目に」、そんなお話し。

 

本稿でもご紹介しましたが。第一次世界大戦に敗れたドイツ帝国は、大戦前には主力艦の保有数で英国に次いで世界第二位の規模を誇っていた海軍をほぼ失います。

fw688i.hatenablog.com

大戦後のベルサイユ条約で認められた海軍の保有艦艇は日本海軍で言えば日露戦争当時の主力艦であった前弩級戦艦8隻と同時代の旧式の防護巡洋艦8隻、駆逐艦水雷艇魚雷艇が各14隻という規模で、潜水艦・航空母艦保有は認めない、という明らかに沿岸警備の機能しか持たせないことを狙った制限が課せられました。

fw688i.hatenablog.com

 

条項には保有を許された艦艇については、戦艦と巡洋艦については艦齢20年に達したものについて代艦の建造が認められていましたが、戦艦については排水量10000トン以下、主砲口径28センチ以下に、巡洋艦も6000トン以下という制限が設けられていました。

その制限下で、「ドイッチュラント級」装甲艦の設計構想が生まれ、これを機にヨーロッパでは新たな世代の主力艦とでも言うべき「新戦艦」の時代が到来するのですが、これは既に本稿でも上記の回でご紹介したところです。

 

さて、上記の「ドイッチュラント級」装甲艦の建造に先立ち、巡洋艦について見ると、ドイツ海軍はベルサイユ条約の制限下で保有を許された旧式防護巡洋艦「ニオべ」の代艦として1921年軽巡洋艦「エムデン」を起工します。

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(ベルサイユ条約保有が認められた小型巡洋艦「ニオべ」の概観。81mm in 1:1250 by Navis :1900年頃に10隻が建造された「ガツェレ級」の一隻で、2600トン級の船体に4インチ速射砲を10門搭載していましたが、速力は22ノットで、20年代巡洋艦としてはは第一線の戦力とは言えなくなっていました)

ja.wikipedia.org

 

軽巡洋艦「エムデン」(1921-1945:同型艦なし)

同艦は第一次世界大戦後ドイツ海軍が建造した最初の大型の戦闘艦で、設計は基本的に第一次大戦時のドイツ帝国海軍の軽巡洋艦に準じたもので、兵装配置などはオーソドックスと言え、目だった新機軸は用いられていない手堅い設計でした。ただし、排水量制限を意識して電気溶接を多用した軽量化が計られ、そうした意味では新世代の艦船群の先頭を切るにふさわしいと言っていいかもしれません。

さらに艦名に第一次大戦で神出鬼没の通商破壊戦で英海軍を翻弄した「エムデン」を冠するあたりなど、新生ドイツ海軍の矜持を垣間見ることができるかもしれません。

ja.wikipedia.org

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(ベルサイユ条体制下で初めてドイツ海軍が建造した巡洋艦「エムデン」の概観。125mm in 1:1250 by Hansa :5400トンの船体に6インチ単装砲8基を搭載し、30ノットの速力を出すことができました)

 

「エムデン」は第二次世界大戦では、緒戦に機雷敷設作戦に参加、その後ノルウェー侵攻作戦に参加したのちは、主としてバルト海練習艦として運用されました。大戦末期にはソ連軍の侵攻の迫る東部戦線、東プロイセンからの避難・撤収などの従事しました。

1945年4月、キール軍港への空襲で被弾し5月に自沈しています。

 

ケーニヒスベルク級」軽巡洋艦

(「ケーニヒスベルク」1929-40 「カールスルーエ」1929-40 「ケルン」1930-45)

上述の「エムデン」に引き続き、ドイツ海軍はべルサイユ条約制限下での6000トン級軽巡洋艦の新たな艦級を建造します。

ja.wikipedia.org

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(「ケーニヒスベルク級」軽巡洋艦の概観。139mm in 1:1250 by Hansa :条約制限一杯の6000トンの船体に6インチ三連装砲塔3基を搭載し、32ノットの速力を出すことができました)

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(「ケーニヒスベルク級」軽巡洋艦の特徴である6インチ三連装砲塔。中段の写真では、艦尾部のオフセット配置がよくわかります。このオフセット配置は、艦首部への砲撃に対応するための工夫でしたが、艦構造の中央部を外した砲塔配置となったため、構造上の欠陥となり、次級の「ライプツィヒ級」では、全て中央線上の配置と改められました。写真下段では、新設計の88mm連装高角砲の配置がよく分かります

 

「エムデン」が従来の第一次大戦型の軽巡洋艦タイプシップとした比較的オーソドックスな設計であったのに対し、同級では「エムデン」で導入した電気溶接の多用に加え、上部構造に軽合金を用いるなど、条約制限の6000トン内でより有力な巡洋艦建造が目指されます。砲兵装では「エムデン」が防楯付きの単装砲架で45口径15センチ主砲を8基装備したのに対し、新設計の60口径15センチ速射砲の3連装主砲塔が導入され、この3連装主砲塔を艦首部に1基、艦尾部に2基搭載していました。艦尾部に搭載された2基の主砲塔は、やや左右にオフセットして配置され、左右両舷の艦首方向に対してもどちらかの砲塔が広い射界を得られるように工夫がありました。

しかし、このオフセット配置は結果的には失敗で、中央線からずらせて配置した艦尾部に主砲塔重量により船体に亀裂を生じるなどの課題が生じ、バルト海と北海以外では活動を制限することとなりました。 

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(「ケーニヒスベルク級」軽巡洋艦の3隻勢揃い。奥から「ケーニヒスベルク」「カールスルーエ」「ケルン」の順)

 

ケーニヒスベルク:第二次大戦開戦後は北海で機雷敷設に従事したのち、1940年のノルウェー侵攻作戦にベルゲン攻略部隊の一員として参加。ベルゲン占領には成功しますが、ノルウェー軍の陸上砲台との交戦で被弾し、その修復中の4月10日に英軍機の空襲を受け被弾、沈没しました。 

カールスルーエ:1936年にはスペイン内戦に対応してスペイン海域に派遣されています。第二次世界大戦では、1940年のノルウェー攻略作戦にクリスチャンサン・アーレンダール攻略部隊として参加し、陸上砲台と砲火を交えながら、攻略戦の成功に貢献しました。

その帰途、4月9日、英潜水艦の雷撃を受け被雷。味方水雷艇の魚雷で自沈処分されました。 

「ケルン」:第二次大戦緒戦、同艦はバルト海で活動し、その後北海およびイギリス沿岸で機雷敷設作戦に従事しました。1940年のノルウェー攻略戦にはベルゲン攻略部隊に参加しています。その後、バルト海東方で戦艦「ティルピッツ」などと共にソ連海軍の出撃警戒などを行ったのち、1942年にはノルウェー北部に移動し、ソ連向けの輸送船団等に対する警戒に当たります。1942年12月に発生したバレンツ海海戦の結果、ヒトラーが海軍に対し大型戦闘艦の退役命令を出し、その結果、「ケルン」はノルウェー海域を離れドイツ本土のキール軍港に回航され退役しました。

その後、退役命令の撤回と共に再就役しますが、進出先のオスロフィヨルドで英軍機の空襲を受け至近弾で損傷、修理のために移ったヴィルヘルムス・ハーフェンで再び爆撃を受け、大破着底の状態で敗戦を迎えました。

 

ライプツィヒ級」軽巡洋艦

(「ライプツィヒ」1931-敗戦時残存 「ニュルンベルク」1935-敗戦時残存)

同級は前出の「ケーニヒスベルク級」軽巡洋艦の改良型で、ドイツ海軍が建造した最後の軽巡洋艦の艦級です。「ケーニヒスベルク級」で構造上の欠陥となった艦尾部の主砲塔のオフセット配置を改め、全てセンター配置としています。さらに構造を強化したためベルサイユ条約の制限排水量を超えていましたが、公式には制限内と公表されていました。

2番艦の「ニュルンベルク」ではさらに艦橋の大型化、対空兵装の強化などが行われ、「ライプツィヒ」の同型艦として扱われながら、実際には艦型がさらに大型になっています。

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ライプツィヒ:第二次大戦緒戦ではポーランド攻略戦に参加、ポーランド海軍艦艇の脱出阻止作戦に従事しましたが、結果的には失敗しています。以下をご参考に。

fw688i.hatenablog.com

その後、北海で機雷敷設を行ったのち、1939年12月、イギリス沿岸で展開中の駆逐艦部隊による機雷敷設作戦に支援部隊として参加しますが、英海軍の潜水艦からの魚雷攻撃で損傷しました。

自力で帰港後にキール軍港で修理されますが、完全に修理されないまま練習艦として再就役します。その後、バルト海方面で活動を続けましたが、1944年10月、重巡洋艦プリンツ・オイゲン」と衝突損傷し、その後完全に修復されることのないまま、東部戦線からの避難民支援、ソ連軍に対する艦砲射撃などに従事、敗戦を迎えています。

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(軽巡洋艦ライプツィヒ」の概観。143mm in 1:1250 by Hansa :「ケーニヒスベルク級」で欠点として発見された船体強度の強化のために艦型を大型化し条約制限を超えたの6300トンの船体に6インチ三連装砲塔3基を搭載し、32ノットの速力を出すことができました。下の写真は、「ライプツィヒ」で中央線上の配置に改められた艦尾部の主砲塔配置:左は「カールスルーエ級」右は「ライプツィヒ」)

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ニュルンベルク第二次世界大戦緒戦は、北海での機雷敷設に従事、その後、上記の「ライプツィヒ」と共にイギリス沿岸での機雷敷設作戦に両艦の「ライプツィヒ」「ケルン」と共に支援部隊を編成し、その旗艦(ギュンター・リュッチェンス少将座乗:後に戦艦「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」を率いて大西洋で通商破壊作戦で成功、さらに戦艦「ビスマルク」を指揮して最初で最後の戦闘航海に出撃し、同艦と運命を共にしました)として出撃しました。この出撃で英潜水艦から2発の魚雷を被雷し損傷しましたが、自力航行で帰港。

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修復後、1940年にノルウェー攻略戦に参加。1941年には練習艦とされ、戦艦「ティルピッツ」など共にバルト海で活動。その後1942年にはノルウェー北部で活動しました。f:id:fw688i:20201108113221j:image

(軽巡洋艦ニュルンベルク」の概観。146mm in 1:1250 by Hansa :「ライプツィヒ」の艦橋部を大型化し、更に船体が大型化しています。8300トンの船体に6インチ三連装砲塔3基を搭載し、32ノットの速力を出すことができました。下の写真は、「ライプツィヒ」と「ニュルンベルク」の艦橋の大きさの比較:奥が「ニュルンベルク」手前は「ライプツィヒ」。艦橋の基部の大きさの違いが分かります)

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バレンツ海海戦後のヒトラーの大型戦闘艦退役命令で1943年に一旦本国に戻りますが、その後再びバルト海で避難民保護、機雷敷設などに従事しました。敗戦時には燃料不足からコペンハーゲンに留まっていました。

敗戦後、賠償艦としてソ連に引き渡され、「アドミラル・マカロフ」として就役しています。(1961年解体)

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(ドイツ海軍が第二次世界大戦に投入した軽巡洋艦4艦級の比較。手前から「エムデン」「ケーニヒスベルク級」「ライプツィヒ」「ニュルンベルク」の順。次第に艦形が大型化しています

 

アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦

(「アドミラル・ヒッパー」1939-45 「ブリュッヒャー」1939-40 「プリンツ・オイゲン」1940-敗戦時残存 他に未成艦2隻「ザイトリッツ」「リュッツォー」)

同級は第一次世界大戦後、ドイツ海軍が建造した唯一の重巡洋艦の艦級です。

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(「アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦の概観。163mm in 1:1250 by Hansa :十分な防御力と有力な砲兵装を有していましたが、ワシントン条約制限を超えたの14000トンの船体となりました(公称は10000トン)。新設計の60口径8インチ連装砲塔4基を搭載し、32ノットの速力を出すことができました)

 

ベルサイユ条約の制限を破棄する再軍備計画の一環として設計され、当初は列強の条約型重巡洋艦と同等の 10000トン級の重巡洋艦として構想されましたが、高速性能と防御力への要求からワシントン・ロンドン条約重巡洋艦の制約を大きく超える14000トン級の艦として設計がまとめられました。(公称は10000トンのまま)

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 英独海軍協定でドイツ海軍の大型艦建造が可能になるとすぐに2隻が起工されましたが、性能上は列強の重巡洋艦に引けを取らないながらも、ドイツ海軍の用兵構想から見ると設計を大型化した割には航続距離などの点で、先行して整備されていた「ドイッチュラント級」装甲艦や「シャルンホルスト級」戦艦などに追随できず、通商破壊戦への適性等の視点からは用途が限られる「やや残念」な艦級となってしまいました。(参考:航続距離:アドミラル・ヒッパー級:20ノットで6800海里、シャルンホルスト級:19ノットで8800海里、ドイッチュラント級:20ノットで10000海里)

しかし個艦としては32ノットの速力を有し、強力な兵装と十分な防御力を兼ね備えた有力な軍艦でした。

特に砲兵装は強力で、主砲としては新設計の60口径20.3センチ砲を連装砲塔で4基搭載していました。同砲は122kgの砲弾を33500m届かせる性能があり、戦艦並みの射程距離があるのですが、実戦ではそれよりも60口径の長砲身により高初速で中近距離での貫徹力が高く、散布界も良好で、中近距離での戦闘に最大の効果を発揮する砲でした。

さらに高角砲を連装砲架で6基搭載しており、同砲は毎分15−18発の射撃速度を有する優秀な砲でした。

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(「アドミラル・ヒッパー」(手前)と「ブリュッヒャー」)

 

アドミラル・ヒッパー:1940年にノルウェー侵攻作戦に参加。トロンヘイム沖海戦では、英駆逐艦グローウォームと交戦、体当たりにより損傷を負いながらもこれを撃沈しています。

その損傷を修理した後、同艦は1941年の3月まで数度にわたり大西洋での通商破壊戦に従事します。同艦は機関に問題を抱えていたためしばしば帰港し修理を余儀なくされますが、それでも1941年2月にはSLS-64船団を襲撃し同船団の7隻を撃沈する戦果をあげています。

1942年からはノルウェー海域に進出し、装甲艦「ドイッチュラント」「アドミラル・シェーア」戦艦「ティルピッツ」などと共に対ソ連向けの輸送船団PQ船団の襲撃機会を求めますが、水上艦部隊による戦果はなかなか上がりませんでした。(主な戦果は航空機と潜水艦により挙げられました)

1942年12月31日、JW51B船団の襲撃戦にクメッツ艦隊の旗艦として参加。同船団の直衛駆逐艦部隊、これを支援する英巡洋艦部隊と交戦します(バレンツ海海戦)。駆逐艦数隻を撃沈、撃破したものの、船団自体には損害を与えることができず、逆に英巡洋艦の攻撃で「アドミラル・ヒッパー」は被弾し損傷してしまいます。

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同海戦は、ドイツ海軍の水上戦闘艦部隊が臨んだ最後の海戦と言ってよく、しかしこの海戦での戦果に失望したヒトラーは、海軍司令長官レーダー元帥を解任し、大型水上艦艇の退役を命じる(後にこの命令は撤回されますが)というおまけがつきます。

「アドミラル・ヒッパー」も上記の総統命令で一旦退役させられますが、後に復帰し戦争末期にはバルト海での陸上砲撃や避難民の待避支援・輸送等に従事しました。

1945年5月にはキールのドックで空襲により大破着底して敗戦を迎えました。

ブリュッヒャー1940年のノルウェー侵攻作戦に参加し、オスロ攻略部隊の旗艦として参加します。1940年4月4日、オスロフィヨルドに侵入したドイツ艦隊に対しオシカシボルグ要塞の28センチ砲が射撃を開始し、「ブリュッヒャー」は被弾して炎上、さらにカホルム島の魚雷発射管から至近距離で魚雷攻撃を受け、同艦は航行不能に陥り、翌日の早朝、転覆沈没しました。

プリンツ・オイゲン:同艦は「アドミラル・ヒッパー級」の3番艦ではありますが、艦首形状をクリッパー型に変更して設計され、航空艤装にも変更が加えられ、更に艦型が大型化しています。

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(「アドミラル・ヒッパー級」を更に大型化した「プリンツ・オイゲン」の概観:172mm in 1:1250 by Hansa)

就役直後に第二次世界大戦の開戦を迎え、最初の作戦参加は1941年5月の戦艦「ビスマルク」に帯同した「ライン演習」でした。この出撃中にデンマーク海峡で英戦艦「プリンス・オブ・ウエールズ」「フッド」と交戦し、「フッド」を轟沈、「プリンス・オブ・ウェールズ」にも損害を与える砲戦に「プリンツ・オイゲン」も参加し、命中弾を与えました。一方で、「ビスマルク」も命中弾を受け損傷したため、2隻での作戦は中止となり、「ビスマルク」はブレストへの回航を目指し、「プリンツ・オイゲン」は単艦で通商破壊戦を継続することになりました。しかしその後、機関の不調を生じ、6月にブレストに帰還しました。

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1942年2月、英空軍の空襲に晒されるブレスト軍港から戦艦「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」と重巡洋艦プリンツ・オイゲン」をドイツ本国に回航する「ツェルベルス作戦」が発動され、「プリンツ・オイゲン」は無事ドイツに帰還しました。

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その後、ノルウェー海域への移動途上で英潜水艦の雷撃で艦尾を失う大損害を受け、1942年10月までを修復に費やしました。

その後、バルト海練習艦任務に従事した後、バルト海での対ソ連作戦での李k城への支援砲撃任務に従事することになります。

1945年4月にコペンハーゲンに移動し、その地で敗戦を迎えています。

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(「アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦の勢揃い。手前から「アドミラル・ヒッパー」「ブリュッヒャー」「プリンツ・オイゲン」の順)

 

こうして第二次世界大戦を生き残った「プリンツ・オイゲン」でしたが、アメリカ軍のビキニ環礁での原爆実験に日本海軍の戦艦「長門」などと共に供されます。実験後も沈没しなかった同艦はその後クェゼリン環礁に運ばれ、同地で座礁、現在でも同地で残骸を確認することができます。

ザイトリッツ:同艦は1942年8月に80%程度完成した時点で空母への改装が決定されましたが、完成する事はありませんでした。

リュッツオウ:1939年に進水、艤装中に第二次世界大戦の開戦を迎えました。その後、艦橋の基部と1番砲塔、4番砲塔を設置した状態で、当時はドイツと同盟関係にあったソ連に売却され、レニングラードに回航され「ペトロパブロフスク」と改名されました。独ソ戦開戦後は同地でドイツの侵攻部隊に対し砲撃を加えています。

その後「タリン」「ドニエプル」と改名ののち1958年に除籍されました。

 

6インチ砲搭載の軽巡洋艦

1936年どの計画では、同級の設計を基にした6インチ砲搭載の軽巡用艦の建造が計画されていました。

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(「アドミラル・ヒッパー級」の3番艦以降は当初は6インチ砲装備の軽巡洋艦として完成させる計画がありました。170mm in 1:1250 by Hansa :下の写真は、同艦級の特徴。6インチ三連装砲塔の配置と強化された航空艤装。このモデルを見ると通商破壊戦を展開させる際、有力な航空偵察能力を発揮して敵船団を捜索するような用途が推測されます 

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偵察巡洋艦計画 

大西洋での通商破壊戦を海軍戦略の重要な要件の一つとしていたドイツ海軍は、標的となる船団を発見し追跡するt「偵察艦」の建造を計画していました。36ノットの高速を発揮する大型の駆逐艦というような形状の艦で、1943年に計画は中止されています。

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(偵察巡洋艦の概観。122mm in 1:1250 by Hansa:7500トン級の船体に、6インチ連装砲塔3基を搭載し、36ノットの高速を発揮することができました。 

military.sakura.ne.jp

 

 第二次世界大戦におけるドイツ海軍は、なんと言っても再建途上であり、量的には英海軍と正面を切って対決する事はできませんでした。その為、当初から戦略的な重点を置くことが予定されていた通商破壊戦に、より重点を置くことになるわけですが、特に後半、圧倒的な物量を持つ米国の参戦と航空機の発展に伴うエアカバーエリアの拡大によって、水上艦艇による通商破壊戦はほとんど適応の余地がなくなってしまいます。

更に「巡洋艦」という限定的な視点で見ると、量的にも質的にも全く不十分で、それが用兵面でもしばしば積極性の欠如のような形で現れ、戦局に効果的な役割を果たせなかったと言えると考えています。

どこかで書きましたが「ちょっと残念な」という感じですね。

個人的には、しかし、その優美なデザインは大好きです。本当に美しい。

 

という訳で、今回はここまで。

 

次回は、どうしようか?今回の続き、という訳ではないですが、通商破壊艦、いわゆる仮想巡洋艦のお話でも?筆者の予告編はあまり当てにはなりませんが。

 

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

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特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

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ちょっとはしゃいだ番外編:水上機母艦「デダロ」改め遊覧飛行母船「アドリア海の真珠」号

このところ、本稿前回でご紹介したスペイン海軍水上機母艦海上移動航空基地)「デダロ」の工作に時間を使っています。その経過をご紹介。まだ途中なんで、これからまだまだ手を入れていく予定ですが。

今回はそんなお話し。

 

まずは「デダロ」のご紹介を改めて。(前回の再録、ここから開始)

スペイン海軍 水上機母艦「デダロ」

既に本稿の購読者の方にはお馴染みのShapewaysで、ちょっと面白い船を発見したので、早速お取り寄せしてみました。(作者は本稿でもお世話になっている C.O.B. Constructs and Miniatures)

www.shapeways.com

「デダロ」はスペイン海軍が第一次世界大戦後にイギリスから購入した商船を改造して建造した水上機母艦です。水上機母艦と書きましたが、実際には飛行船(気球)と水上機を運用することが可能で、スペイン海軍における正式呼称は「海軍移動航空基地(Estación Transportable de Aeronáutica Naval)とされていたようです。リーフ戦争(第3次リーフ戦争 - Wikipedia)で実戦参加しており、スペイン内戦で空襲をを受け沈没しています。

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(直上の写真:「デダロ」の概観。とりあえず下地処理をしてあります。103mm in 1:1250 by C.O.B. Constructs and Miniatures)

10000トン級の船体で、最大速度は10ノット程度。(もしかするとこの低速のために、あえて「母艦」という呼称を使わなかったんじゃないかな?と、これは筆者の憶測です)艦首甲板に飛行船の整備格納庫と繋留マストを持ち、艦尾部には12機から20機の水上機を運用可能な収納甲板を持っていました。

dedalod.jpg (12282 bytes)

http://www.revistanaval.com/www-alojados/armada/buques1/dedalo.htm (出典元)

ja.wikipedia.org

(直下の写真:「デダロ」の艦首部と艦尾部の拡大。何と艦首部の格納庫には飛行船が。筆者がこの船に惹かれた理由はまさにこれ!寸法からすると、飛行船としてはかなり小さいのですが、例えば実際に第一次世界大戦時には、飛行船が船団護衛に用いられたケースなどもあるようです。さらに、艦尾の飛行甲板にはエレーベーターも)

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こういう艦船は、筆者の想像力を、やたら、かき回します。

ストレートにスペイン海軍の艦船として作るべきだとはわかっていながら、「地中海、水上機・・・それになんだって?飛行船?」と頭のどこかがピクリ。そして「スペイン海軍が民間に払い下げて、その後、地中海で遊覧飛行の拠点になって・・・」などというストーリーが浮かび、大戦間のアドリア海で「表向きは遊覧飛行船の会社なんだけど、実は」なんて話に発展したりして。あるいは「当船のお客様の中には、確かに少しその筋の方々もいらっしゃいますが、皆さん、当船にとっては大切なお客様でして。当船はどなたにも同じサービスをご提供させていただいております。あ、はい、もちろん飛行艇の燃料やお食事などもご提供するサービスには含まれております。え?赤い戦闘飛行艇?最近は見かけませんね」なんてね。

・・・ということで、少し遊んでみましょう。年内には少しストーリー付きで、公開する(かも)。

(再録、ここまで)

 

で、想像をかき回されるままに・・・。

アドリア海遊覧飛行会社所有:遊覧飛行母船「アドリア海の真珠」号(Perla dell'Adriatico)

第一次世界大戦か終了して、ベネチアの資産家がヨーロッパの金持ち相手のアドリア海の遊覧飛行会社を設立します。

折からヨーロッパ各国で大戦終了と共に余剰の兵器の整理が始まり、まず同社はスペイン海軍が保有を計画し、しかしその途上で性能不足に気づいた水上機母艦「デダロ」を、改装計画も丸ごと引き取ります(ちょっと史実とは異なります)。

さらに各国が大戦中に発注し、戦後持て余し気味となっていた飛行船、飛行艇などを入手します。一方で、ベルサイユ体制でオーストリア・ハンガリー帝国が解体され、アドリア海沿岸を中心に職を失った飛行艇パイロットを雇い入れ、あっという間に会社の根幹が整うことになりました。

こうして、遊覧飛行母船「アドリア海の真珠」号を拠点として遊覧事業が起こされるのですが・・・。

・・・・と、こんなカバーストーリーでしょうか?

(直下の写真は、遊覧飛行母船「アドリア海の真珠」号の概観。103mm in 1:1250 by C.O.B. Constructs and Miniatures:搭載しているのはイタリア海軍が放出した水上飛行機とオーストリア海軍が手放した武装を外した戦闘飛行艇(Lohner L型)。黄色い一機は、オーナー家族所有の飛行艇

背景のアドリア海の古い要塞跡の上空に浮かんでいるのは、同社ご自慢の遊覧飛行船「トリエステ号」。同船はアメリカ海軍の最新鋭の飛行船(ZMC 21)の設計をベースに建造された同社オリジナルの飛行船で、ヘリウムを用い安全性と高速、快適さを売り物にしていました(とか?)。

(右下写真)「アドリア海の真珠号」の利用客は、ベネチアから大型の飛行艇アドリア海を遊弋中の同船に送迎され、数日の滞在期間中に小型の飛行艇や水上飛行機、飛行船などでアドリア海の遊覧飛行や観光を楽しむことができました)

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( ちょっと模型的な話をすると、実はこの「白い塗装」というのが、意外と難しいのです。ええ?そんなことない?私だけ?)

 

1920年台後半の、時代背景としては・・・ 

さて、呑気に遊覧飛行などを楽しめる「金持ち」とは裏腹に、世の中は実は第一次世界大戦後の深刻な不況の真っ只中で、敗戦国ドイツでは猛烈なインフラの中から、やがてナチスが台頭します。イタリアは先勝国ではありながらこれまた深刻な不況に喘ぎ、ファシスト党の独裁色が深まっていく最中にありました。

国家ファシスト党への投資を銀行で薦められたポルコ・ロッソが「そういう話は、人間同士でしてくれ」といなす、そんな時代ですね。

アドリア海では前述のオーストリア・ハンガリー帝国の崩壊と軍の解体の中で、大量の軍人が国と職を失い、アドリア海を航行する船舶の用心棒稼業=空賊として一世を風靡していました(ほんとかな?)

(直下の写真は、前述のアドリア海遊覧飛行会社の保有する2隻の飛行船。一隻は上で紹介した「トリアステ号」(銀色)。もう一隻(白)はその優雅な空中での姿から「Cara Gina :愛しいジーナ」と呼ばれた飛行船で、前身は英海軍の船団護衛用の対潜飛行船(SSZ 19)でした。あれれ、赤い戦闘飛行艇が・・・)

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ということで、今回は筆者の妄想の世界の入り口のご紹介。赤い戦闘飛行艇が現れたということは、もちろんいずれは奴らも・・・(ですね)。

イタリア海軍(空軍?どっちだ?)の空賊警備部隊も登場する予定。

もちろん、船自体ももう少し手を入れる予定です。

 

という訳で、今回はここまで。

ちょっと色々と頭の中で楽しいでいて、あまり物事が進みませんでした。ご容赦を。

 

次回は、どうしようか?今回の続きは、1週間では、ちょっと準備不足になるかも。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

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新着モデルのご紹介:「大淀」竣工時、と、ちょっと面白い船、入手

コレクションに欠けていた軽巡洋艦「大淀」の竣工時のモデルが到着しましたので、ご紹介します。併せて、想像力を掻き立てられるちょっと面白い船が入手できたので、それもご紹介。今回はそういうお話。

 

軽巡洋艦「大淀」竣工時のモデル

軽巡洋艦「大淀」は本稿ではこれまでに二度ほど登場しています。

一度は日本海軍の巡洋艦開発小史の下記の回。

fw688i.hatenablog.com

この回では日本海軍が建造した最後の巡洋艦、そして唯一、魚雷装備を持たない巡洋艦という扱いで紹介しています。

 

今一度は下記の回。

fw688i.hatenablog.com

この回ではその設計構想を具現化した同艦の最大の特徴である長大なカタパルトについて、少しだけ紹介しています。

 

しかしこのいずれの回の時点でも筆者の手元には「大淀」竣工時のモデルがなく、先週、ようやく手元に到着しましたので、ご紹介します。

 

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(直上の写真:「大淀」竣工時の概観。153mm in 1:1250 by Trident /船体の後部三分の一を締める長大なカタパルトを搭載しています)

 

米海軍を仮想敵とし、艦隊決戦を構想する日本海軍が、両者の物量の差をを勘案した場合、太平洋を渡洋してくる米主力艦部隊に対する漸減邀撃作戦を展開し、ある程度その戦力を削いだ上で主力艦同士の決戦に移行する必要があるという構想を立てていました。

潜水艦はその邀撃の重要な担い手で、その潜水艦部隊を指揮、誘導する旗艦として有力な航空索敵能力を持ち強行偵察が可能な偵察巡洋艦の建造を計画していまいした。その構想の元「大淀」は建造されました。

ja.wikipedia.org

Japanese cruiser Ōyodo - Wikipedia

当初設計案では航空偵察能力に重点がおかれ、主砲も魚雷も搭載しない設計でしたが、その後、強行偵察を考慮し主砲のみ装備することとなりました。

その主装備である航空偵察には、当初、新型の長大な航続距離を持ち、戦闘機も振り切ることができる高速を発揮できる水上偵察機「紫雲」が予定され、その運用のために、「大淀」は艦中央に航空機格納庫を持ち、さらにその後部に呉式2式1号10型という形式の圧縮空気型カタパルトを搭載していました。このカタパルトは6tまでの機体を40秒間隔で射出することができましたが、全長44メートルの巨大なものであり、大淀も当初、艦の後部約3分の1を割いて、このカタパルトを巨大なターンテーブルに搭載していました。

ja.wikipedia.org

しかし1943年の就役時点で、「紫雲」が想定の性能に到達せず、また戦術が航空戦力主導に移行したことから、想定された主力艦部隊同士の決戦とその前段としての潜水艦による漸減邀撃が成立しなくなっており、就役当初は輸送任務、あるいはその支援に従事しました。

筆者は、この呉式2式1号10型という「大淀」竣工時に搭載されていた圧縮空気型カタパルトは、実用実績がないので実効性が検証されていない、というリスクはあるのですが、スペック通りの性能を発揮したとすれば、例えば低速の商船改造の特設空母やあるいは飛行甲板の短い軽空母に搭載し、その戦力化に大いに効果があったのではないかと考えたりするのです。

もっとも、一方で、消耗戦により母艦航空隊の弱体化が進んでおり、力を発揮すべき航空隊自体がなかった、という実態は、如何ともし難い、という状況ではあったのですが。

 

その後「大淀」は航空機格納庫を会議室や通信機器の収納スペースに改造、大型カタパルトを通常のカタパルトに変更するなどの手が加えられ、1944年5月から、指揮専用艦として連合艦隊旗艦となりました。
fw688i.hatenablog.com

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(直上の写真:「大淀」竣工時とその後の改造後の艦尾の比較)

竣工時の姿は、上掲の巡洋艦発達小史の方にも反映しておきます。

 

そして「ちょっと面白い船」:

スペイン海軍 水上機母艦「デダロ」

既に本稿の購読者の方にはお馴染みのShapewaysで、ちょっと面白い船を発見したので、早速お取り寄せしてみました。(作者は本稿でもお世話になっている C.O.B. Constructs and Miniatures)

www.shapeways.com

「デダロ」はスペイン海軍が第一次世界大戦後にイギリスから購入した商船を改造して建造した水上機母艦です。水上機母艦と書きましたが、実際には飛行船(気球)と水上機を運用することが可能で、スペイン海軍における正式呼称は「海軍移動航空基地(Estación Transportable de Aeronáutica Naval)とされていたようです。リーフ戦争(第3次リーフ戦争 - Wikipedia)で実戦参加しており、スペイン内戦で空襲をを受け沈没しています。

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(直上の写真:「デダロ」の概観。とりあえず下地処理をしてあります。103mm in 1:1250 by C.O.B. Constructs and Miniatures)

10000トン級の船体で、最大速度は10ノット程度。(もしかするとこの低速のために、あえて「母艦」という呼称を使わなかったんじゃないかな?と、これは筆者の憶測です)艦首甲板に飛行船の整備格納庫と繋留マストを持ち、艦尾部には12機から20機の水上機を運用可能な収納甲板を持っていました。

dedalod.jpg (12282 bytes)

http://www.revistanaval.com/www-alojados/armada/buques1/dedalo.htm (出典元)

ja.wikipedia.org

(直下の写真:「デダロ」の艦首部と艦尾部の拡大。何と艦首部の格納庫には飛行船が。筆者がこの船に惹かれた理由はまさにこれ!寸法からすると、飛行船としてはかなり小さいのですが、例えば実際に第一次世界大戦時には、飛行船が船団護衛に用いられたケースなどもあるようです。さらに、艦尾の飛行甲板にはエレーベーターも)

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こういう艦船は、筆者の想像力を、やたら、かき回します。

ストレートにスペイン海軍の艦船として作るべきだとはわかっていながら、「地中海、水上機・・・それになんだって?飛行船?」と頭のどこかがピクリ。そして「スペイン海軍が民間に払い下げて、その後、地中海で遊覧飛行の拠点になって・・・」などというストーリーが浮かび、大戦間のアドリア海で「表向きは遊覧飛行船の会社なんだけど、実は」なんて話に発展したりして。あるいは「当船のお客様の中には、確かに少しその筋の方々もいらっしゃいますが、皆さん、当船にとっては大切なお客様でして。当船はどなたにも同じサービスをご提供させていただいております。あ、はい、もちろん飛行艇の燃料やお食事などもご提供するサービスには含まれております。え?赤い戦闘飛行艇?最近は見かけませんね」なんてね。

・・・ということで、少し遊んでみましょう。年内には少しストーリー付きで、公開する(かも)。

 

ということで、取り敢えず今回はここまで。

 次回は、どうしようかな?

日本海軍の航空母艦開発史」、もう少し時間がかかりそう。

前回の「タウン級駆逐艦の話つながりで「英海軍の駆逐艦」の系譜のご紹介かな、と思ったのですが、実は第二次大戦開戦後に建造された艦級に欠落あり、ということが判明してしまいました。あるいは「米海軍の駆逐艦」の系譜?こっちは行けるかも。

そう言えば、実は米海軍も英海軍も巡洋艦の体系的な紹介をしていませんね。そういう意味では「ドイツ海軍の巡洋艦駆逐艦」なども・・・。

テーマはあるけれど、結構どれも重いですね。一回では終わらない感じ。もう暫く少し気楽に行きたいなあ。

 

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「フラワー級」コルベットの話

本当に申し訳なく思うのですが、今回も筆者の大好きな護衛艦(コルベット)の話です。

ちょっと取り止めのない話になりそう。作りたかった、並べたかった、という感じですので。

 

本稿の「映画「グレイハウンド」に登場する艦船」の回で、「フラワー級コルベットについてはご紹介しました。

fw688i.hatenablog.com

その際に上掲の会の最後の方で、1:350のモデルと1:1250のモデルを数隻調達中と書きました。彼女達が到着。今回はそういうお話です。

 

フラワー級コルベット

フラワー級コルベットがどのような船かは、上掲の回でも紹介していますが今一度ご紹介。

ja.wikipedia.org

概要をまとめておくと、英海軍が第二次世界大戦の開戦後、再び大西洋で猛威をふるい始めた独海軍のUボート対策として、導入した艦種で、短期間での量産性を考慮して、捕鯨船を原型として設計されたほぼ対潜水艦専用の護衛艦艇です。タイプシップ捕鯨船であることから、就役当初は「対潜捕鯨船(A/S whaler)」と呼ばれていた時期もあったようです。

捕鯨船をベースとしたことから、商船出身の乗組員でも比較的運用が容易で、乗組員調達等の面からも数を揃えることができました。

兵装としては、1000トン余りの船体に4インチ砲1門と機関砲数門を搭載し、水中聴音機とアズティック、レーダーを標準装備。船尾に爆雷投下軌条2基と舷側への投射機2基、設計時期によっては前方への投射能力も加味してヘッジホッグも搭載した事例もあったようです。初期の搭載爆雷数は40発が定数とされていましたが、のちに72発まで増備されました。

量産性に対する要求から、調達の容易なレシプロ蒸気機関を主機として、16ノット程度の速力を発揮することができました。航続距離は12ノットの巡行速度で3500海里(約6600キロ)でしたが、大西洋を横断する場合を考慮すると、例えばハリファックスリヴァプール間の直線距離が約2400海里(約4500キロ)、これを約8ノット程度の船団速度にあわせ、寄港地を結ぶ迂回航路を取り、さらに回避行動を取りながら船団周辺を警戒しつつ護衛する、と考えると、航続距離には大きな課題があったと言えるでしょう。

かつ、大西洋を横断する船団の航海は、記録から見ると15日から20日程度かかると思われます。おそらくこういった長期航海の場合には、1000トン余りの船に乗組員定数の最大である85名が乗組み、荒れる大西洋を航海したでしょうから、途中数カ所の経由地での補給等があるとはいえ、居住性は劣悪だったろうと想像できます。

1939年から44年までの間に、イギリスで140隻、カナダで123隻が建造され、うち31隻が失われましたが、沈めた敵潜水艦は42隻、という戦果を残しています。まあ、対潜水艦戦の場合、複数艦、場合によっては航空機との共同作戦である場合が多く、戦果認定はかなり難しいのですが、いずれにせよ、英国のシーレーン防御に多大な貢献を残したことは間違いありません。

 

最近の愛読書「三隻の護送艦」

フラワー級コルベットについて書かれた本、ということでご紹介。知る人ぞ知る第二次大戦の海戦小説の名著「非情の海」の作者であるニコラス・モンサラットの「フラワー級コルベット乗組員時代のの乗組メモ、のような本です。まさにメモで、小説のような構成などされておらず、つらつらと日常が書き綴られています。これをベースに「非情の海」(左下)や「マールボロー号の帰港」(右下に収録)などの名作が生み出されたそうです。大変興味深い。こうした本が絶版状態です。

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古書は今のところそれほど高価ではなく手に入るのですが、本の状態もちょっと不安なので文庫を出してほしいなあ。特に最近、WFHで出勤時にはPC を持ち歩きます。手荷物が重いので、是非、文庫が欲しい! (「光人」文庫あたりにあってもいいかと、お願いしてみてはいるのですが・・・)

でも、いい本ですよ。船団護衛とか興味のある方にとっては、ね。

 

1:1250スケールのモデル

今回調達したのは、本稿でも既にご紹介済みのThe Last Square製のモデルです。

http://www.lastsquare.com/zen-cart/index.php?main_page=index&cPath=103_146_147&sort=20a&page=3

同社には上のリンクのようにCostal Forcesという名称の第二次世界大戦を扱った小艦艇のシリーズがあり、この中で「フラワー級コルベットのいくつかのヴァージョンが展開されています。まあ大雑把にいうと「初期型」(as built)、「後期型」(II)、「カナダ海軍型」「ヘッジホッグ装備型」(III)という感じでしょうか?1:1250スケールという小さなモデルでもあり、どこまでディテイルを信じていいのか、疑問を持ちだすときりがないのですが、種々のバリエーションがあった、ということでザックリ揃えてみます。(何故か、III型だけは発注しませんでした。自分でも理由がわかりません。それと、塗装は例によって筆者のオリジナルです。「こんな感じだったら、なんかそれっぽいんじゃない?」という感じの塗装なので、資料的な価値は全くありませんのでご注意を。これは、何も、今回に限ったことではないのですが)

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(直上の写真:「フラワー級コルベット初期型:1941年までに建造されました。50mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces) 


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(直上の写真:「フラワー級コルベット後期型:1942年以降、建造されました)

 

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(初期型と後期型の大きな外観上の相違点は艦橋の構造にあります)


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(直上は「フラワー級コルベット、カナダ海軍仕様初期型:と言っても筆者の中では、という程度。製造元の側もタイトルは「カナダ海軍仕様」と明記していますが、特徴説明は前出の「英海軍仕様の初期型」と同じ説明文です。単に造船所の違いだけ、案外そんなところかもしれません。何せ、量産を急いだでしょうから)


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(直上は「カナダ海軍仕様の後期型」艦橋の構造が変わっているのと、艦中央部の仕様が、前出の「英海軍仕様後期型」とはやや異なっています。繰り返しになりますが、塗装は筆者の好み、分類上のご都合=見分けやすい、なので、あまり参考になりません)


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 (カナダ海軍仕様「フラワー級コルベット、前期型・後期型:右の2隻が後期型)

 

ライバル「Uボート」との比較

下の写真はライバルであるドイツ海軍のUボートとの大きさの比較です。

ここでは代表的なUボートを二種ご紹介。

第一次世界大戦でその無制限潜水艦作戦で英国を窒息の一歩手前まで追い詰めたドイツの潜水艦部隊でしたが、敗戦後、潜水艦の保有を禁じられてしまいます。ヒトラー再軍備宣言と英独海軍協定で再保有が認められ、ドイツ海軍は急速にその潜水艦部隊の再建を進めますが、十分な準備に至らないまま第二次世界大戦の海戦を迎えてしまいました。

潜水艦の役割を、艦隊決戦の補助戦力一点張りとして敵艦隊を追尾し襲撃する大型で高性能な潜水艦整備に重きを置いた日本海軍と異なり、ドイツ海軍のUボートは通商破壊戦での運用に主眼を据えて設計されており、多数を配備することにより、常設性が高く、潜水という能力により浸透性に優れるという、総力戦には最適な特徴を兼ね備える潜在脅威の高い存在でした。

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写真の1番手前が700隻あまりが建造されドイツ海軍潜水艦の主力を構成したVII型です。800トン、全長67m余りの船体を持ち、魚雷発射管を艦首に4門、艦尾に1門装備しています。予備を含め14本の魚雷を搭載することができました。両側に張り出したサドルタンクが特徴です。優秀なディーゼルターボエンジンを搭載し、水上では17.7ノットの速力を有し、水中ではモーターで7ノットの速力で移動することができました。水中を4ノットで約20時間潜航して移動することができました。深度230mまでの潜航に耐えることができたと言われています。船体内の50m余りの耐圧郭に43名の乗組員が乗り組んでいました。トイレはひとつだったそうです。

大戦を通じて使われ、多くのヴァリエーションが作られています。(51mm in 1:1250 by ???)

ja.wikipedia.org

 

写真中程に写っているのが、長い航続距離を誇るやや大型のIX型で、各型式を合計して280隻余りが建造されました。1100トン、76mの船体を持ち、艦首に4門、艦尾に2門の魚雷発射管を装備、予備を含め22本の魚雷を搭載することができました。ディーゼルエンジンを搭載し水上で18ノットを発揮し、その航続距離は13000海里に及びました。まさに通商破壊戦にはうってつけでしたが、工数が多く、量産という視点では課題がありました。(63mm in 1:1250 by Neptune)

ja.wikipedia.org

Uボートはすべての型式を合わせると1131隻が建造されており、連合国の商船を3000隻余り沈めています。うち849隻が失われ、これはドイツ軍の中で最も損耗率の高い兵種とされています。

 

ちなみに日本海軍は、単艦で見ればいずれも高性能で、中には航空機も搭載するなど高い偵察能力を有する潜水艦も揃えながら、潜水艦が撃沈した連合国商船は戦争を通じて189隻に過ぎませんでした。

 

船団護衛部隊

映画「グレイハウンド」原作版の再現

下の写真は映画「グレイハウンド」の原作、セシル・スコット・フォレスターの「駆逐艦キーリング」での護衛部隊を再現したもの。奥から「グレイハウンド」(米海軍「マハン級」駆逐艦)、「イーグル」はポーランド海軍駆逐艦「ヴィクター」、「ハリー」は英海軍のコルベット「ジェイムズ」、「ディッキー」は、カナダ海軍のコルベット「ドッジ」。

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米参戦前の護衛艦部隊の一例

さらに下の写真では、アメリカ参戦前の英海軍による典型的な護衛部隊の再現を試みています。

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(奥から、「タウン級駆逐艦、英海軍「フラワー級コルベット、カナダ海軍「フラワー級コルベット、英海軍対潜トロール船2隻)

 

タウン級駆逐艦

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ja.wikipedia.org

第二次世界大戦の緒戦、ノルウェー戦、英仏海峡での撤退戦で、ドイツ空軍の攻撃で英海軍は多くの艦隊駆逐艦を失います。これを補完するために1940年、米英間で結ばれた駆逐艦・基地協定(Destroyers-for bases deal)に基づき、米海軍は50隻の旧式駆逐艦を英海軍に譲渡します。米海軍の「コールドウェル級」「ウィックス級」「クリムゾン級」の3つの艦級の駆逐艦がこれに当てられますが、いずれも4本煙突で、設計に連続性が高く、つまり小改良の艦級であったため、英海軍ではこれらを一括して「タウン級駆逐艦と呼称しました。「タウン級」という呼称の背景には、英海軍がこれら譲渡された駆逐艦の艦名を「アメリカ・英連邦双方に共通して存在する町の名前とする」と規定していたことによります。

譲渡対象となった前述の米海軍の3艦級の駆逐艦は、概ね1000トン級の船体を持ち、30ノットから35ノットの速力を発揮し、兵装として4インチ砲4基、3インチ砲1基、3連装魚雷発射管4基を搭載する駆逐艦でしたが、英海軍は譲渡を受けた後に魚雷発射管を半減(艦によっては全廃)、搭載砲の数を減らすなどして、対潜装備に換装し、再就役させています。(78mm in 1:1250 by Argonaut)

 

対潜トロール

英海軍は船団護衛に多くの改造トロール漁船を投入しました。

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少しだけ 1:1350スケールモデルの話

本稿でも少し触れましたが、筆者はかつて1:350スケールの「フラワー級コルベットの模型を保有していました。一時期1:350スケールの「Uボート」にはまっていた時期がありまして、その流れでオークションか、中古模型店(以前はありましたよね、最近はどうなんだろうか?)でかなり格安で入手した輸入のレジンキットだったと記憶します。

ところがそれが行方不明。1:1250スケールのコレクションに移行した時に処分したのか、どこかに仕舞い込んでしまったのか・・・。

しかし、やはりこのクラスの船になると大スケールの模型もトライしたくなるもの、ということで検索すると、おお、あるではないですか。

www.amazon.co.jp

早速手配、と思ったのですが、意外や国内のチャネルで入手するのは意外と高額で、しかも希少のようです。タイプなども諸々考慮の上、結局、e-bayで購入という選択をしました。

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早速、色だけ大まかに塗り分けてみます。設計書と照らし合わせながら塗り分けたわけではないので、組み立て始めると「あれ、これこっちの色だったの?」なんてこともありそうですが・・・。どうせ、組み立て後に、色入れは改めてするでしょうし、まあそこはいいかな、と。久々の大スケールモデル(実際には、「フラワー級コルベットは、1:144スケールや、1:72スケールなども出ているので、決して大スケールには一般的には言えないのでしょうが、筆者はいつもは1:1250を扱っているので)。
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エッチングの手摺まで付属しています。だから高いのかあ、という感じですが、筆者はイギリスの出品者(多分ストアです)から送料込みで£20強で入手しています。日本円で3000円程度ですから、届くまでの時間さえ気にしなければ(と言っても10日ほどです)、お手頃な感じですね。

 

筆者にとっては久々のいわゆる「プラスティック・モデル」で、少しアウェー感もあり、仕上がりまで、もう少し時間をかけることになるかと思いますが、

仕上がりはこんな感じかなあ、と下記のリンクをご紹介(タイプは違いますが。あれ、エッチング使ってないのね、でもいい感じです。もう少し汚したい感じはしますが)。

www.tapatalk.com

また出来上がったら、ご報告します。(Uボート、作りたくなるんだろうなあ。置くとこないなあ。どうしようかな)

 

取り敢えず今回はここまで。

 

次回は、どうしようかな?

日本海軍の航空母艦開発史」はほぼ全ての艦級が揃いました。今、鋭意塗装中。白線が意外と大変なんです、実は。もう少し時間がかかりそう。

タウン級駆逐艦の話つながりで「英海軍の駆逐艦」の系譜のごしょうかな?あるいは「米海軍の駆逐艦」の系譜?

そう言えば、実は米海軍も英海軍も巡洋艦の体系的な紹介をしていませんね。そういう意味では「ドイツ海軍の巡洋艦駆逐艦」なども・・・。

 

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

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自由ポーランド海軍の艦船

今回は、表題の通り「自由ポーランド海軍」です。

前回、映画「グレイハウンド」に登場した艦船を紹介しましたが、その時にはたと気づいたこと、「そう言えば、自由ポーランド海軍(ポーランド共和国亡命政権軍)の艦船って、揃ってたんじゃなかったけ」と。

ということで手持ちのコレクションから、「自由ポーランド海軍」の艦艇をご紹介。今回はそういうお話。

 

第一次世界大戦後のポーランド海軍の整備

ポーランド共和国(第二共和国)は第一次世界大戦後、ヴェルサイユ体制下で独立国家として成立します。その際にポーランド回廊で100kmのバルト海への接続を手に入れ、ここにグディニャという新たな港湾都市を建設しました。

この港湾都市の建設に伴い、1918年にポーランド海軍が創設されました。しかし独立したての国家の海軍戦力はほぼゼロに等しく、当初は旧ドイツ帝国から獲得した水雷艇などを主力とする小さな海軍でした。

1924年、今後14年間で巡洋艦2隻、駆逐艦6隻、水雷艇12隻、潜水艦12隻を整備する海軍整備計画が立てられました。

しかし、フランスとイギリスからそれぞれ2隻の駆逐艦を、フランスから3隻、オランダから2隻の潜水艦を調達した時点で、ドイツ軍のポーランド侵攻により計画は中止せざるを得なくなります。

 

ペキン作戦と袋作戦

ドイツとの関係が悪化の一途を辿っていた頃のポーランド海軍の保有艦艇は、駆逐艦4隻、潜水艦5隻、掃海艇6隻、機雷敷設艦1隻でした。この勢力ではドイツと開戦となった場合に単独で有効な作戦活動ができないと判断したポーランド海軍首脳部は、現有艦艇の英海軍との合流を試みます。そして開戦のわずか二日前、1939年8月30日に主要艦艇のバルト海からの脱出作戦が実施されます。これが「ペキン作戦」で、駆逐艦3隻が脱出に成功します。

一方、潜水艦部隊はバルト海でのドイツ軍の海上補給路を攻撃する「袋作戦」に従事しますが、大きな戦果を上げることはできませんでした。

 

自由ポーランド海軍

1939年9月1日、ドイツ軍の越境により始まったポーランド侵攻は、翌月10月上旬には全てのポーランド国内での戦闘が終結します。

大統領による後継指名によってパリに亡命政権が発足すると、「ペキン作戦」で英国に脱出した3隻の駆逐艦亡命政権の指揮下におかれ、自由ポーランド海軍(亡命共和国海軍)が発足します。

さらにその後、バルト海を脱出してきた潜水艦2隻(「オジェウ」「ウィルク」)がこれに加わります。

 

「ブルザ級」駆逐艦(1930-:同型艦2隻)

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(直上の写真:自由ポーランド海軍「ブルザ級」駆逐艦「ブルザ」の概観。84mm in 1:1250 by Neptune)

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同級駆逐艦はフランス海軍の「ブーラスク級」駆逐艦(仏海軍の種別では「艦隊水雷艇」)をタイプシップとしています。1500トン級の船体に13センチ砲4門を主砲として、533mm3連装魚雷発射管2基をそれぞれ搭載し、33ノットの速力を出すことができました。

 

「ブルザ」は「ペキン作戦」により対独戦開戦直前にイギリスに脱出し、その後自由ポーランド海軍の一員として、対空兵装の換装などを行った後、主として船団護衛任務に従事しました。1944年に練習艦となった後、1945年にはポーランド潜水艦の母艦任務に就いています。

大戦終了後、ポーランドに帰国。1955年に再就役し、その後記念艦となりました。

「ヴィヘル」は、バルト海からの脱出には成功せず、1939年9月3日にドイツ空軍の爆撃で大破、自沈しています。

 

「グロム級」駆逐艦(1937-:同型艦2隻)

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 (直上の写真:「グロム級」ポーランド駆逐艦の概観。91mm in 1:1250 by B-Plan: お馴染みShapwaysに出品されている3D printing modelです。モデルは「ブリスカヴィカ」の主砲換装後の姿。イギリスへの脱出後、自由ポーランド海軍の一員として大西洋で主として船団護衛に従事します

www.shapeways.com

本級は、ポーランド海軍が1935年にイギリスに発注した2000トンクラスの大型駆逐艦で、39ノットの高速を誇っていました。当時、他の列強海軍と異なり大型駆逐艦の設計経験のなかった英海軍にとっては貴重な機会で、意欲的な設計が試みられたと言われています。「グロム」「ブリスカヴィカ」の2隻が建造されました。

当初設計では主砲は12センチ平射砲で連装砲3基と単装砲1基、計7門を搭載、他に53.3cm3連装魚雷発射管2基を主要兵装としていました。バルト海での行動を念頭に設計されていたため、大西洋での運用には復原性に課題があったようです。

第二次世界大戦勃発直前、既述のように「ペキン作戦」が発動され、イギリス海軍との合流を目指して両艦はイギリスへ脱出。イギリス到着後は、亡命政府の下で自由ポーランド海軍の一員として、戦闘を継続しました。

「グロム」は1940年5月、ドイツ軍のノルウェー侵攻の際にナルヴィク沖でドイツ軍機により撃沈されました。

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(直上の写真:自由ポーランド海軍、「ペキン作戦」でイギリスに脱出した「グロム級」駆逐艦「グロム」の概観。主砲は5インチ平射砲のまま、2番魚雷発射管を下ろし、対空砲を装備しています)

 

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(直上の写真:「グロム」(左列)と「「ブリスカヴィカ」(右列)の主砲、魚雷発射管の配置の差異がよくわかります)

「ブリスカヴィカ」は主砲を4インチ連装対空砲4基に換装し、大西洋での船団護衛に83回従事したという記録が残っています。大戦を生き残り、戦後はポーランド海軍に復帰。1976年からは記念艦となっています。

 

潜水艦「オジェウ」(1939-1941)「オジェウ級」潜水艦(1939-:同型艦2隻)

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(直上の写真:自由ポーランド海軍「オジェウ級」潜水艦の概観。65mm in 1:1250 by Hai)

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同艦はポーランドがオランダに発注した「オジェウ級」潜水艦のネームシップです。1100トンの船体に105mm砲、40mm高角機関砲を各1門、533mm魚雷発射管を8門搭載していました。水中で9ノット、水上で19ノットを発揮することができました。

「オジェウ」は対独戦開戦後、バルト海に出撃しますが、爆雷攻撃で損傷、エストニアの港湾に逃げ込みます。エストニア政府は中立国としてこれを抑留しようとしますが、「オジェウ」は脱出し、1939年10月イギリスに到着しました。

イギリスで損傷を復旧したのち、1940年4月からノルウェー海域での哨戒任務に出撃します。5月に7度目の哨戒任務に出撃し、その後消息を断ってしまいました。

 

潜水艦「ウィルク」(1929-1953) 「ウィルク級」潜水艦 (1929-:同型艦3隻)

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(no photo)

同艦はフランスで建造された機雷敷設潜水艦です。6門の魚雷発射管を持ち、40発の機雷を搭載することができました。バルト海での戦闘で損傷しながらも脱出し、1939年9月20日イギリスの到着しました。その後、9回の哨戒任務に従事したのち1941年9月に老朽化のために練習艦となりました。大戦終了後、ポーランドに回航されましたが、状態が悪く1956年スクラップにされました。

 

脱出できなかった潜水艦3隻

以下の3隻はバルト海からの脱出を断念し、スウェーデンに抑留されました。

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「センブ」は前出の「オジェウ級」潜水艦の2番艦。スウェーデンに抑留され、大戦後 、ポーランド海軍に復帰し、1969年まで就役しました。

 

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「エレイシュ」(と読むらしい?)は、前出「ウィルク級」。スウェーデンに抑留され、大戦後、ポーランド海軍に復帰。1955年まで就役していました。

 

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「ジク」前出「ウィルク級」。スェーデンに抑留され、大戦後、ポーランド海軍に復帰。1955年まで就役していました。

ちょっと面白いのは直上のリンク内のZbikの写真。機雷射出口(?)がよくわかります。

 

その後のイギリスからの貸与艦

上記のバルト海からの脱出に成功した艦船に加え、イギリスからの貸与艦で、次第にその戦力は充実してゆきます。

 

「ドラゴン級」軽巡洋艦(1943- :同型艦2隻・旧英「ダナイー級」軽巡洋艦f:id:fw688i:20201011135045j:image

(直上の写真:自由ポーランド海軍に貸与された「ドラゴン級」軽巡洋艦の概観。117mm in 1:1250 by B-Plan:)

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 1943年、イギリスは自由ポーランド海軍からの要請を受け「ダナイー級」軽巡洋艦を2隻貸与します。同艦級は自由ポーランド海軍最大の艦となりました。

貸与された2隻はそれぞれ「ドラゴン」(旧名「ドラゴン」)、「コンラッド」(旧名「ダナイー」)と命名され、雷装を全廃し、対空兵装を強化し、船団護衛等の任務への適性を高める改装を受けました。

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(直上の写真:自由ポーランド海軍に貸与された「ドラゴン級」軽巡洋艦の強化された対空装備)

「ドラゴン」は1944年7月に ドイツ海軍の小型潜水艇の雷撃で大破。その後、ノルマンディー上陸作戦で防波堤として自沈しました。

コンラッド」は大戦を生き抜き、1947年にイギリスに返還されています。

 

参考「ダナイー級」軽巡洋艦については以下もご参考に。 

「D級」軽巡洋艦

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(直上の写真:「D級」軽巡洋艦の概観 117mm in 1:1250 by Navis) 

「C級」軽巡洋艦(後期型:「カレドン級」以降の3サブクラス)をタイプシップとして、その拡大強化版。6インチ主砲を1門増やし、雷装も3連装魚雷発射管4基と強化しています。4970トン。29ノット。同型艦8隻。

(出典はこちら)

fw688i.hatenablog.com

 

その他の貸与艦艇

その他の貸与艦には。元フランス駆逐艦「ウーラガン」(「ブーラスク級」:「ブルザ級」とほぼ同型)、イギリス海軍の「G級」「N級」「M級」駆逐艦各1隻、ハント級護衛駆逐艦3隻などの水上艦艇、旧米海軍の「S級」潜水艦1隻、元イギリス海軍の「U級」潜水艦2隻などがありました。

多くは船団護衛などに活躍しましたが、「N級」駆逐艦「ビオルン」はビスマルク追撃戦等にも参加し、ドイツ戦艦「ビスマルク」と砲火を交わしていることで有名です。

 

駆逐艦「ガルラント」(旧名「ガーラント」)

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(直上の写真:自由ポーランド海軍に貸与された「G級」駆逐艦「ガルラント」(旧名「ガーラント」)の概観。79mm in 1:1250 by Neptune)

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駆逐艦「ビオルン」(旧名「ネリッさ」)
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(直上の写真:自由ポーランド海軍に貸与された「N級」駆逐艦「ビオルン」(旧名「ネリッサ」の概観。87mm in 1:1250 by Neptune:「ビスマルク追撃戦」に参加し、戦艦「ビスマルク」と砲火を交わしました)

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駆逐艦オルカン」(旧名「ミュルミドン」)

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(直上の写真:自由ポーランド海軍に貸与された「G級」駆逐艦オルカン」(旧名「ミュルミドン」)の概観。92mm in 1:1250 by Neptune)

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護衛駆逐艦「シウォンザク」:(旧名「ビデイル」)と「クヤヴァク」:(旧名「オークレイ」)

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(直上の写真:自由ポーランド海軍に貸与された「Hunt級I型」護衛駆逐艦「シウォンザク」(旧名「ビデイル」)「クヤヴァク」(旧名「オークレイ」)の概観。68mm in 1:1250 by Neptune)

 

護衛駆逐艦「クラゴヴァク」(旧名:「シルヴァートン」)

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(直上の写真:自由ポーランド海軍に貸与された「Hunt級II型」護衛駆逐艦「クラコヴァク」(旧名「シルヴァートン」)の概観。68mm in 1:1250 by Neptune:I型に比べて連装対空砲が1基強化されています)

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潜水艦「ソコル」(旧名「アーキン」)

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(直上の写真:自由ポーランド海軍に貸与された「U級II型」潜水艦「ソコル」(旧名「アーキン」)の概観。44mm in 1:1250 by ???)

 

潜水艦「ヂク」(旧名「P-52」)

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(直上の写真:自由ポーランド海軍に貸与された「U級III型」潜水艦「ヂク」(旧名「P-52」の概観。44mm in 1:1250 by ???)

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ということで、今回は前回の「弾み」のままに、「自由ポーランド海軍の艦船」のご紹介でした。「自由ポーランド軍」というと、亡命した政権下でバトル・オブ・ブリテンでも、マーケット・ガーデン作戦でも、常に英軍と肩を並べて第一線で戦い、また「国内軍」は激しいゲリラ活動ののち 「ワルシャワ蜂起」を起こすなど、失われた祖国回復への戦闘に意欲的、という印象があります(悲劇的であったりもするのですが)。

こうしてみると、陸軍・空軍に比べ規模は遥かに小さいながらも、亡命海軍も英軍と堂々のタッグを組み戦っていなのだなあ、と認識を新たにしました。

 

取り敢えず今回はここまで。

 

次回は、どうしようかな?

できればもう少し輸送船団の護衛艦の話なんかしたいなあ。

あるいは「米海軍の駆逐艦」「米海軍の駆逐艦」、そう言えば、実は米海軍も英海軍も巡洋艦の体系的な紹介をしていませんね。そういう意味では「ドイツ海軍の巡洋艦駆逐艦」なども・・・。

 

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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映画「グレイハウンド」に登場する艦船

映画「グレイハウンド」

「グレイハウンド」ご覧になりましたか?

私は4回ほど見ました。色々と言いたいことはありますが、4回も見たということは、間違いなく面白い映画だと思います。

映画の批評は他の詳しい皆さんにお任せするとして、私は楽しめたと申し上げておきます。

ちょっとトム・ハンクス艦長、全部抱えすぎじゃないの?とか、Uボートってあんなに浮上して戦うんだろうか(「フレッチャー級」でなくとも、駆逐艦護衛艦と浮上して砲戦とか、本当にするのかな)、とか、いろいろと疑問を持ち出すときりがないのですが。

でも、一見の価値あり、だと思います。特に艦船好きの皆さんなら、上述みたいな、ある種マニアックな疑問を持ちながら見ることも、きっと楽しいだろうし。

 

さて、今回は表題通り、登場する艦船と、それにまつわる模型のお話です。

 

一応、映画「グレイハウンド」について

まだご覧になっていな方のために、予告編を再掲しておきます。

www.greyhound.movie

www.youtube.com

この映画、船団を護衛する小艦隊とそれを狩立てるUボートの物語、乱暴に整理してしまうとそう言う事なんだろうと思います。

トム・ハンクスが主演と、自ら脚本にも参加したとのことで、主役である駆逐艦「グレイハウンド」の艦長に目一杯スポットを当てたアングルの映画に仕上がっています。

当初劇場公開される予定でしたがコロナ騒ぎの中、Apple TV+での独占配信に切り替えられました。おかげで、サブスクがまた増えちゃったけど。

 

原作があって、「海の男、ホーンブロワー」シリーズなどで有名な海洋小説の大御所セシル・スコット・フォレスターの「駆逐艦キーリング」。原題は「The Good Shepherd」:Uボートの群狼作戦に因んで船団(羊)を守る「羊飼い」なんでしょう。これも映画で有名になった「アフリカの女王」もこの人の原作がベースですね。「でも「グレイハウンド」は主に兎狩りなどの猟犬ですので、羊のお守りには・・?」とかそう言う話は置いておいて、と、筆者は本稿で以前、呟いたりしています。

 

今回は表題の通り、艦船模型の視点でややこれに近い「ぶつぶつ」、まあ、そういうお話です。

 

登場する駆逐艦の話

さて、いよいよ映画に登場する駆逐艦の話ですが、(ちょっとここからはネタバレが含まれるかもしれないので、「それは困る」という方は、是非、今日は堪えて、ご覧になってから戻ってきてください。この先は、「ネタバレ、気にしない」という方、限定です。ちゃんと断ったからね!)予告編を紹介した際に、筆者は下記のようなコメントを記載しています。「予告編を見ただけであまり全体像を捉えられるような映像がなかったので、本稿前回では、筆者は予告編に映画自体への期待感を募らせながらも、「キーリング」は艦隊駆逐艦(DD)の様に見えるのですが、ここは護衛駆逐艦(DE)を使って欲しかった、などと記しています。船団護衛なら、旧式の第一次大戦型の平甲板型駆逐艦か、護衛駆逐艦(DE)あるいはもっと小さなコルベットのような艦が、個人的にはよかったな、と言う感じです。その後、書棚から「確か、あったはず」と、ほこりを被った原作小説を引っ張り出して確認したところ、原作小説では「駆逐艦キーリング」は「マハン級」駆逐艦とされていました。ああ、艦隊駆逐艦(DD)と言う設定は間違っていなかったんだ、と言うわけです。あわせて「マハン級」と聞いて少し納得」(引用ここまで)

fw688i.hatenablog.com

 

で、本編でははっきりと主人公の乗艦「グレイハウンド」は「フレッチャー級」であることが明言されています。

ですので、主人公が乗っている「フレッチャー級駆逐艦をまずはご紹介。

 

駆逐艦「グレイハウンド」

米艦隊駆逐艦の集大成「フレッチャー級駆逐艦(1942-:同型艦175隻)

米海軍が第一次世界大戦以降開発してきた艦隊駆逐艦の集大成とも言える艦級が、「フレッチャー級駆逐艦です。

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 (直上の写真:「フレッチャー級駆逐艦の概観。92mm in 1:1250 by Neptun:) 

2100トンの大型駆逐艦で、5インチ両用砲(Mk 12 5インチ砲)を単装砲塔形式で5基装備し、533mm4連装魚雷発射管2基を搭載し、37.8ノットの速力を出せる、まさに艦隊駆逐艦の決定版と言えるバランスの取れた艦で、175隻が建造されました。

高速重武装の万能艦で、第二次世界大戦後は日本も含め14か国に払い下げられ、その中には1990年台後半まで現役にとどまった艦もあるほど、ポテンシャルの高い艦級だったと言えるでしょう。

 

次に、原作で主人公の乗艦になったのが「マハン級」。

「マハン級」駆逐艦(1936-:同型艦18隻)

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 (直上の写真:「マハン級」駆逐艦の概観。82mm in 1:1250 by Neptun:)

 

「マハン級」駆逐艦アメリカ海軍が第一次世界大戦後建造した3番目の艦隊随伴用の駆逐艦の艦級で、就役年次は1937年ごろ。1500トンの小ぶりな船体を、原型となった「ファラガット級」で課題となった復原性不足に対応してやや幅広の設計としたにもかかわらず、5インチ両用砲5門、533mm4連装魚雷発射管3基を搭載するなど、重武装による、強いトップ・ヘビー傾向と言うこの条約期の駆逐艦の構造的な欠陥を、前級の「ファラガット級」から引き継いでいました。

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 (直上の写真:「マハン級」駆逐艦の主砲配置。艦首部は両用砲の単装砲塔形式、艦尾部は単装砲架形式で、主砲を搭載しています)

同級1番艦の艦名は、著名な海軍戦略家アルフレッド・セイヤー・マハンに因んだものです。マハンの著書「海上権力史論」は明治期の海軍士官の必読書と言われ、日本海軍の日露戦争当時の艦隊参謀として有名な秋山真之も、米国留学の際、マハンを訪ねたと言われています。

 

米海軍の先見性

ちょっと映画とは関係ないですが、脱線して「マハン級」に見る米海軍の先見性、という話をします(実はこの件は、本稿の以前の回でも紹介しています)。

同級の前級である「ファラガット級」から、米海軍は駆逐艦の主砲に5インチ両用砲(Mk 12 5インチ砲)を採用しています。同砲は揚弾機構付きで毎分15-22発、揚弾機構なしの場合でも毎分12-15発の射撃が可能で、これとMk 33両用方位盤との組み合わせで、対艦・対空両目的に、飛躍的な射撃能力を得ることができました。

これは既にこの時期に 米海軍が航空機の脅威の増大を既にこの設計時期に予期していた、と言うことを示していると考えられます。

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この砲はその後建造された駆逐艦だけでなく、戦艦、巡洋艦、空母など米海軍艦艇のほぼ全ての艦級に搭載され、実に1990年まで使用された優秀な砲で、単装砲架から連装砲塔まで、多岐にわたる搭載形式が開発・採用されました。「マハン級」では、艦首部には単装砲塔形式で2基を背負い式に配置し、艦尾部に単装砲架を背負式で2基搭載しました。

 

同時期、日本海軍も駆逐艦に5インチ砲を主砲として採用していたのですが、基本は対艦射撃用として設計された平射砲で、対空射撃の要請に対する対応として、B型砲塔以降では仰角を75度まで上げるなどの改良が行われましたが、装填機構が対応できず、つまり装填時には平射位置まで仰角を戻さねばならず、高角射撃時の射撃速度は毎分4発程度で、低空からの侵入機に対する以外は対空砲としては全く効果を有しませんでした。

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この砲は、「睦月級」以降の「秋月級」、「松級」以外の全ての駆逐艦に搭載されており、つまり日本海軍は有効な対空砲を持たない駆逐艦の防空円陣で護衛されねばならなかった、と言うことになります。多くの駆逐艦が戦争後期には主砲塔を対空機銃座に置き換えている理由がここにあります。

日本海軍における駆逐艦の役割が如何に主力艦決戦の「一ノ矢」に集約されていたか、つまりその主兵器は強力な魚雷であり、その他の兵装は魚雷射程まで敵主力艦に接近できるための補助兵装だったか、と言うことがここでも明らかになると筆者は考えています。

 

一方で、既にこの「マハン級」の前級である「ファラガット級」の設計(1930年代)から、「砲」そのものはもちろん、装填機構や方位盤などの射撃管制機構との組み合わせで「両用砲」と言う「システム」を駆逐艦に搭載したアメリカ海軍の先進性には、本当に驚かされます。

 

やっぱり映画でも「マハン級」を使って欲しかったなあ、と思うのは筆者だけ? 

アメリカの第二次世界大戦参戦は1941年12月以降、かつ映画は1942年の出来事、と言う想定です。

筆者は本稿で以前、前掲のよう「「キーリング」は艦隊駆逐艦(DD)の様に見えるのですが、ここは護衛駆逐艦(DE)を使って欲しかった。船団護衛なら、旧式の第一次大戦型の平甲板型駆逐艦か、護衛駆逐艦(DE)あるいはもっと小さなコルベットのような艦が、個人的にはよかったな、と言う感じです」などと記しているのですが、米海軍の護衛駆逐艦の原型である「エヴァーツ級」の就役が1943年ですので、この時点では「護衛駆逐艦」はありえず、やはり艦隊駆逐艦から選択された、ということになりますね。これは一重に筆者の不明でした。

また、1942年と言えば、前出の「フレッチャー級駆逐艦の最初のグループがこの年に就役を開始します。ピカピカの就役仕立ての第一線級の艦隊駆逐艦ではなく、ここは原作の通り既にやや旧型艦とみなされていた「マハン級」駆逐艦が船団護衛任務に回されていた、と言う情況の方がリアリティがあるかな、などと思ってしまうのですが、いかがでしょうか?実際には、同級は全て緒戦は太平洋戦線に投入されたはずで、そういう意味では1942年の時点でも「マハン級」は第一線にあり破竹の勢いの日本海軍と対峙していたのですが。

それでは主人公の張り切り具合と今ひとつミスマッチになっちゃうのかな?ちょっと疲れた艦とちょっと疲れたベテラン艦長の様に。

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 (直上の写真:「フレッチャー級駆逐艦と「マハン級」駆逐艦の概観比較。「マハン級」の腰高感、復原性に課題ありそう、という感じでてますね)

 

イギリス駆逐艦「イーグル」と「ハリー」 

映画「グレイハウンド」には、船団の護衛部隊として、英駆逐艦「イーグル」と「ハリー」が登場しますが、艦級に関する具体的な説明はありません。

英海軍の常として、駆逐艦の艦級での同型艦は同じ文字を頭にかぶっていることが多いのですが、そうすると「イーグル」はE 級駆逐艦、「ハリー」はH級駆逐艦ということになるのですが、事はそう単純ではありませんでした。

原作小説の記述では「イーグル」「ハリー」はいずれもコールサイン(はあ、じゃあ、なんで「グレイハウンド」だけがコールサインじゃないの?え、もしかするとコールサインなのか?と突っ込みたくなるところですが、まあ、いいや、「グレハウンド」は艦名はさておき艦級ははっきりしたのだから)、「イーグル」はポーランド海軍駆逐艦「ヴィクター」、「ハリー」は英海軍のコルベット「ジェイムズ」であると記載されています。

おお、ポーランド駆逐艦。「ハリー」に至っては駆逐艦ですらない。なんということだ、ということで改めて映画を見直すことにします(こんな見方をするので4回くらいあっという間に・・・)。そうすると、こんなカットが。f:id:fw688i:20201004105733p:plain

(上記のカットはWorld of Warshipから拝借していますhttps://forum.worldofwarships.eu/topic/138544-cgi-błyskawica-complete-pennant-number-h34-douse-camio-in-the-movie-greyhound/

そして下の画像は「イーグル」被弾直後のカットから。f:id:fw688i:20201004105700j:plain

これは確かにポーランド駆逐艦「グロム級」ですね。

 

駆逐艦「ヴィクター」(コールサイン:イーグル)

「グロム級」駆逐艦ポーランド海軍(1937-:同型艦2隻)

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 (直上の写真:「グロム級」ポーランド駆逐艦の概観。91mm in 1:1250 by B-Plan: お馴染みShapwaysに出品されている3D printing modelです。モデルは「ブリスカヴィカ」の主砲換装後の姿。イギリスへの脱出後、自由ポーランド海軍の一員として大西洋で主として船団護衛に従事します

www.shapeways.com

本級は、ポーランド海軍が1935年にイギリスに発注した2000トンクラスの大型駆逐艦で、39ノットの高速を誇っていました。「グロム」「ブリスカヴィカ」の2隻が建造されました。当初設計では主砲は12センチ平射砲で連装砲3基と単装砲1基、計7門を搭載、他に53.3cm3連装魚雷発射管2基を主要兵装としていました。バルト海での行動を念頭に設計されていたため、大西洋での運用には復原性に課題があったようです。

第二次世界大戦勃発直後、ポーランドがドイツに侵攻されたため、両艦はイギリスへ脱出。イギリスへの亡命政府の下で自由ポーランド海軍の一員として、戦闘を継続するわけですが、「グロム」はドイツ軍のノルウェー侵攻の際にナルヴィク沖でドイツ軍機により撃沈されました。しかし「ブリスカヴィカ」は主砲を4インチ連装対空砲4基に換装し、大西洋での船団護衛に83回従事したという記録が残っています。大戦を生き残り、戦後は記念艦となっています。

 

さて、駆逐艦「ハリー」は・・・

 原作を見るとコルベット「ジェイムズ」となっていますが、映画では駆逐艦として登場しています。f:id:fw688i:20201004105733p:plain

前出のWorld of Warshipから拝借した写真を見ると、二本煙突のシルエットであることがわかります。

そして映画の最終部分、任務を終えて寄港地に向かって回航する3隻の護衛艦のカットからは、真ん中の艦(「ハリー」なんですが)の艦首部には連装砲塔が背負い式に配置されているのがわかります。

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英海軍の駆逐艦で、 二本煙突で背負い式の連装砲塔、というと、「トライバル級駆逐艦、ということになりますが・・・。

 

駆逐艦「ジェイムズ」(コールサイン:ハリー)

トライバル級駆逐艦(1938-:同型艦27隻)

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 (直上の写真:「トライバル級駆逐艦の概観。91mm in 1:1250 by Neptune

イギリス海軍第一次世界大戦後新たな設計のもとで1920年代以降建造してきた一連の駆逐艦の集大成というべき艦級で、駆逐艦部隊の旗艦として巡洋艦の代替も出来る様に設計された大型駆逐艦です。1900トンクラスの船体を持ち、これに12cm連装砲4基、53.3cm4連装魚雷発射管1基を搭載し、36.5ノットの速力を発揮しました。

 

・・・と言うことで、外見から言うと「トライバル級」以外にはあり得ない、と言うことにはなるのですが、この艦級が船団護衛に適していたかと言うと、疑問が残ると言わざるを得ません。

原作ではコルベット「ジェイムズ」だったのに、何故、敢えて駆逐艦、それも「トライバル級」大型駆逐艦にしてしまったのか?

 

と言うことで疑問はつきませんが、コルベットにいきましょう。

 

コルベット「ドッジ」(コールサイン:ディッキー)

こちらは非常に明快でコールサイン「ディッキー」は、カナダ海軍のコルベット「ドッジ」です。

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 「フラワー級コルベット(1940-:同型艦263隻)

ja.wikipedia.org

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 (直上の写真:「フラワー級コルベットの概観。50mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces) 

 本級は第一次世界大戦でそれまでの戦争の概念を変えた「総力戦」の一つの具現化としてドイツ海軍の「無制限潜水艦作戦」から受けた教訓と、1935年のドイツ再軍備宣言、英独海軍協定から潜水艦による海上封鎖の脅威に対する対抗案の一つとして開発された艦級です。

「総力戦」の特徴はそれまでの会敵機会の限定される「会戦」形式での戦争と異なり、常設性、浸透性に特徴があり、多数のUボートによる海上輸送路への脅威を与え続ける作戦に対抗するには、量産性に優れ数を揃えることが容易で、一定の消耗にも対応可能な船団を護衛する専任艦種が必要でした。

フラワー級コルベットは量産性の確保できるレシプロ蒸気機関を主機として搭載し、多くの造船所で建造に対応でき、16ノットと比較的高速を発揮できる「捕鯨船」をベースに設計されています。1000トン足らずの船体に、主砲として4インチ砲1門に加え、若干の対空火器を備え、40発から70発の爆雷を搭載していました。

 

フラワー級コルベットは筆者の大好きな艦級の一つです。

以前、1:350という筆者としては大スケールのレジンキットを作ったことがあるのですが、同スケールのUボートなどと合わせて、多分どこかに仕舞い込んでしまった様で、手元にありません。ちょっともう一度トライしてみようかな、などと考えています。

 

「グレイハウンド:護衛戦隊:映画オリジナル版

奥からフレッチャー級駆逐艦「グレイハウンド」、トライバル級駆逐艦「ジェイムズ」(コールサイン:ハリー)、自由ポーランド海軍グロム駆逐艦「ヴィクター」(コールサイン:イーグル)、カナダ海軍フラワー級コルベット「ドッジ」(コールサイン:ディッキー)の順です。

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もう一案、下の写真。原作も織り交ぜて、奥からマハン級駆逐艦「グレイハウンド」、I級駆逐艦「ジェイムズ」(コールサイン:ハリー)、自由ポーランド海軍グロム級駆逐艦「ヴィクター」(コールサイン:イーグル)、カナダ海軍フラワー級コルベット「ドッジ」(コールサイン:ディッキー)の順です。f:id:fw688i:20201004125513j:image

トライバル級「ジェイムズ」とI級「ジェイムズ」の入れ替えは、トライバル級の様な大型駆逐艦では対潜戦闘に不向きだろうということから来る違和感と、フレッチャー級「グレイハウンド」とマハン級「グレイハウンド」と同じ様に、やや旧式化した駆逐艦にした方が「らしい」んじゃないか、という程度の発想です。連装砲塔の駆逐艦は英海軍では「トライバル級」以降の艦級になってしまうので、新鋭艦を避けるという意味ではどうしても単装砲搭載艦になってしまいます。あえて「I 級」でなくても良かったんですが。

 

「I級」駆逐艦(1937-:同型艦9隻)

ja.wikipedia.org

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 (直上の写真:「I級」駆逐艦の概観。77mm in 1:1250 by Neptune) 

 「I級」駆逐艦第一次世界大戦終結後、1925年あたりから再開された駆逐艦建造の一連のシリーズの集大成、とも言うべき艦級です。「トライバル級」も同様な意味での集大成と言えますが「トライバル級」が巡洋艦の代替も可能な駆逐戦隊旗艦的な存在であるのに対し、「I級」はあくまで「A級」からの一般的な艦隊駆逐艦の系譜における最終形と言っていいと思います。

「A級」からの標準的な1400トン級の船体に、12cm砲4門、53.3cm5連装魚雷発射管2基を搭載し、雷装重視の設計となっています。36ノットの速力を発揮しました。

そうか、護衛艦任務ということなら、もっと古い艦級でも良かったのか・・・

 

艦隊駆逐艦と対潜水艦戦

以前にもどこかで少し触れたのですが、私の理解では艦隊駆逐艦というのは本来は高速での艦隊防御、あるいは敵艦隊への肉薄雷撃が主要任務として設計されているため、対潜戦闘の様な敵潜水艦探知のための低速での静粛航行、低速な船団に併せた長期間の伴走などはどちらかというと苦手です。また、爆雷の搭載数も十分とは言えず、映画「グレイハウンド」でも出てきましたが、長期の船団護衛での数次の対潜水艦戦では爆雷を使い果たしてしまいます。一例をあげれば「フラワー級コルベットが初期の爆雷搭載数が40発であったのを後期には70発に搭載数を増やしていますが、おそらく世界史優秀と言ってもいいであろう「フレッチャー級」では映画でも触れられていましたが40発程度(38発?)です。

これは英海軍でも同様で、上記の「I 級」の爆雷搭載数は20発が定数となっています。

日本海軍でも艦隊駆逐艦の最終形態である「夕雲級」の爆雷搭載数は18発が定数でした。

やはり低速の船団に帯同して長期間の護衛任務を行うためには、専任艦種が必要、ということだろうと思います。

原作小説では、護衛部隊の編成は駆逐艦2隻とコルベット2隻となっており、よりリアリティがある気がします。

 

まったくの余談ですが、「フラワー級コルベットを上記の1:350スケールのモデルとともに1:1250スケールでも数隻調達中です。到着した際には、小説版の護衛部隊再現も可能に。

 

ということで、今回はこの辺りでおしまい。

 

さて次はどうしようかな。引き続き「大西洋の船団護衛」関連の話もしたいしなあ、と考えています。米海軍の「駆逐艦」も、ほぼ揃ったことでもあるし。よく考えると英海軍の「駆逐艦」もかなり揃ってきている。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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新着モデルのご紹介:いよいよ日本海軍 航空母艦に着手?

今回はサクッと(何度もこの表現をしているような気もしますが)、最近の新着モデルのご紹介です。

あわせて、このブログの本題であった「主力艦」開発史に続き、これまで「巡洋艦」「駆逐艦」「各種小艦艇」と展開してきた日本海軍のミニ・シリーズを、いよいよ「航空母艦」に広げるかもしれませんよ、という、予告編。今回はそういうお話です。

 

まずは新着モデルをいくつかご紹介

軽巡洋艦「北上」:回転搭載艦形態

軽巡洋艦「北上」は、僚艦の「大井」とともに1941年に重雷装艦への改装を受けましたが、太平洋戦争開戦後、海軍の主戦力が主力艦から航空戦力主体に移行し、想定された主力艦隊同士の艦隊決戦の場は訪れず、その威力を発揮する戦場には恵まれませんでした。そのため、その大きな魚雷搭載スペースを利用して主として高速輸送艦として、活躍しました。

ja.wikipedia.org

 

そして1944年、「北上」のみ、再び、今度は回天搭載艦への改造を受けました。

この改造により、「北上」は8基の人間魚雷「回天」を艦尾のスロープから海中に発射出来るようになり、本土決戦時の主要兵器である「回天」の輸送と襲撃訓練に従事しました。また、実際の本土決戦においては攻撃を行うことも想定に入れた改造でした。

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(直上の写真は、「北上」回天搭載艦形態の概観。by Trident :上述の通り、軽巡洋艦「北上」の最終形態です)

 

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(直上の写真は、「北上」回天搭載艦形態の特徴のアップ。回天搭載の諸装備(左列)。艦尾の回天発進用のスロープ(上)、整備庫と輸送軌条(下):兵装は対空兵装のみに切り替わっています(右列上下)) 

 

 

本来の軽巡洋艦形態

「北上」は「5500トン級」軽巡洋艦の第一世代に属します。

同級第一世代は、前級「天龍級」の艦型を5500トンに拡大し、併せて主砲を「天龍級」の14センチ単装砲4門から7門に増強しています。雷装としては、53センチ連装魚雷発射管を各舷に2基、都合4基搭載し、両舷に対しそれぞれ4射線を確保する設計となっています。

速力は、同時期の「峯風級」駆逐艦(39ノット)を率いる高速水雷戦隊の旗艦として、機関を強化し36ノットを有する設計となっています。

主力艦隊の前衛で水雷戦隊を直卒する任務をこなすため、高い索敵能力が必要とされ、その具体的な手段として航空艤装にも設計段階から配慮が払われた最初の艦級となり、水上偵察機を分解して搭載していました。しかしこの方式は運用上有効性が低く、「球磨」と「多摩」では、後日、改装時に後橋の前に射出機(カタパルト)を装備し水上機による索敵能力を向上させることになります。

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(直上の写真:球磨級軽巡洋艦:119mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs:3D printing modell :写真の姿は太平洋戦争当時の「球磨」。航空機による索敵能力を得るために、後の改装で5番砲塔と6番砲塔の間に、水上偵察機射出用の射出機(カタパルト)を搭載しています)

 

重雷装艦への改装

1941年に、当時、やや旧式化しつつあった(「球磨級」は53センチ魚雷搭載艦であり、当時の61センチ酸素魚雷を標準装備とする水雷戦隊の旗艦任務は難しくなっていました)「球磨級」気軽巡洋艦の3番艦以降(「北上」「大井」「木曽」)を61センチ4連装魚雷発射管10基(片舷5基)を搭載する重雷装艦への改装が決定され、「北上」「大井」については同年中に改装を完了しました。

(直下の写真は、重雷装艦に改装された「北上」の概観 :by Trident) 

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(直下の写真:重雷装艦形態の「北上」の主要兵装の拡大:艦中央部に61センチ4連装魚雷発射管を片舷5基装備し(上段写真)、主砲兵装は艦首部の艦橋周辺のみとしています(下段写真)) 

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(直下の写真:「北上」と「大井」:太平洋戦争開戦後には、重雷装艦本来の猛威を振るう戦場には恵まれず、魚雷搭載スペースの大きなペイ・ロードを買われて、輸送任務に活躍しました。後に発射管装備を一部降ろすなど、高速輸送艦に改装されています。この形態を再現したいのですが、資料がなかなか見当たりません) 

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空母「赤城」:三段飛行甲板形態

ja.wikipedia.org

「赤城」は元々、八八艦隊計画巡洋戦艦天城級」の2番艦としてとして設計されました。しかしその後ワシントン軍副条約により、主力艦保有制限の対象となり、巡洋戦艦としての建造継続ができなくなります。一方で条約により、「天城級巡洋戦艦4隻のうち起工されていた「天城」「赤城」の航空母艦への転用が認められ、日本海保有する最初の大型艦隊空母として建造されました。

モデルはその竣工時の三段飛行甲板形態をあわらしています。

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(直上の写真は、「赤城」竣工時の概観:三段飛行甲板の特徴的な形態をしています。210mm in 1:1250 by Trident)「大井」:by Trident) 

 

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(直上の写真は、「赤城」竣工時の特徴の拡大:(写真上段)三段飛行甲板は艦内の三層の搭載機格納庫に繋がっています。しかしこのうち実は第二甲板は二層目の格納庫に繋がっているものの、ご覧のように20cm連装主砲塔2基があり、さらにこの甲板には艦橋もあり、飛行甲板といてはあまり使用されなかったようです。主として最上甲板が大型機の発艦、および全ての搭載機の着艦に用いられ、最下層の第三甲板は小型機の発艦に用いられました。

(写真下段)「マ」の文字が・・・? ちょっと解説。本来は「赤城:アカギ」の「ア」の文字なのですが、本稿の世界では、史実ではワシントン条約で廃艦となり、関東大震災で重大な損傷を受けた「天城」の代艦として航空母艦として完成された戦艦「加賀」が、戦艦として存在しているので、「天城」が他の建造を中止された艦の資材等を投入されることにより航空母艦として完成しています。ですので、ここは「天城:アマギ」の「マ」になっています。・・・ということは、「赤城:アカギ」の飛行甲板上の表記は「カ」なのです、きっと。「ア」だと両方同じ表記になっちゃうので。もちろん史実ではないので、ご注意を)

 

ついでに「赤城」全通甲板形態

「赤城」は1938年に、当時の航空機の進歩から来る飛行甲板の延長の必要性に対応するために、上述の三段式の飛行甲板形態から、全通式飛行甲板形態への近代改装を受けました。

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(直上の写真は、「天城級航空母艦、全通甲板形態への近代化改装後の概観:210mm in 1:1250 by Ghukek's Miniatures)www.shapeways.com

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(直上の写真は、2隻の「天城級航空母艦:「天城」(上段手前)と「赤城」。前述のような次第で、本稿の世界では「天城」「赤城」両艦が航空母艦として完成しています。甲板の表記も「マ=天城」と「カ=赤城」となっています(下段写真))

 

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(直上の写真は、「天城級航空母艦二形態の比較:三段飛行甲板形態もなかなかだと思いませんか?竣工後の1927年から1938年まで、この三段甲板形態で就役する「赤城」の勇姿が見れたはず)

***ちょっと余談ですが、空母「赤城」 は全通甲板形態となった近代化改装後も、その艦尾部に6門の20cm砲を搭載していました。さらに竣工時には前述のように中飛行甲板に20cm砲の連装砲塔を2基装備しており、重巡洋艦なみの10門の主砲を搭載していたことになります。航空機の航続距離が短かった時期には、砲戦の可能性もあったんでしょうね。それはそれで、なんとなく「万能艦」あるいは「秘密兵器」ぽくて、好きです。

そう言えば、同様の経緯で巡洋戦艦から空母に転用された米海軍の「レキシントン級」空母も竣工時には20cm連想砲塔を4基搭載していましたね。

 

「赤城」については、「航空母艦」特集のところでまたゆっくりと。

 

ということで、「航空母艦」シリーズの予告

え、航空母艦特集?

お気付きの方もいらっしゃるとは思いますが、これまで筆者は本稿ではほとんど航空母艦を題材に取り上げてきませんでした。

もちろん、日本海軍を中心にモデルの収集は「航空母艦」についても続けてきていたのですが、実はあの平べったい艦型が少し苦手で、あまり興味が持てなかった、というのが本音です。特に1:1250スケールという状況では、なかなか手の入れようもなく、と思っていたのですが・・・。

 

とは言え、全く触れてこなかったわけではなく、以下の巡洋艦紹介のシリーズの中で「香取級」軽巡洋艦海上護衛戦に触れる中で海防艦について記述するうちに、あまり興味のなかった日本海軍の商船改造の特設護衛空母に触れる機会があり、新たな興味が湧いてきました。

fw688i.hatenablog.com

 

興味に任せてモデルを検索、という、まあ、筆者にとってはお決まりのパターンで、Shapewaysで3Dモデルを調達し始めました。

fw688i.hatenablog.com

航空母艦「大鷹」

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(直上の写真:航空母艦「大鷹」の概観:下地処理をした状態です)

www.shapeways.com

 

航空母艦「沖鷹」

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(直上の写真:航空母艦「沖鷹」の概観:下地処理をした状態です。上述のように基本的に同型の貨客船をベースとしているため「大鷹」と同型ですが、モデルでは飛行甲板の長さを少し変えた設定になっています)

www.shapeways.com

 

航空母艦「神鷹」

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(直上の写真:航空母艦「神鷹」の概観:下地処理をした状態です。船体両舷のバルジが目立ちますね)

www.shapeways.com

 

その後も「雲鷹」「海鷹」もコレクションに加え、ようやく特設空母5隻が勢揃いしました。f:id:fw688i:20200927152717j:image

(直上の写真は、「大鷹級」護衛空母の勢揃い。左から「雲鷹」「沖鷹」「大鷹」「神鷹」「海鷹」の順。いずれも前C.O.B. Constructs and Miniatures製の3D printing model)

 

ja.wikipedia.org

「大鷹級」護衛空母については、また特集のどこかで詳述するとして、今回は模型だけをご紹介しておきます。

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(直上の写真は:空母「大鷹」の概観。147mm in 1:1250 by C.O.B. Constructs and Miniatures:大戦末期の船団護衛任務従事期の為、迷彩塗装を施しています。迷彩は筆者オリジナル。雰囲気が出れば、という程度の適当です。ご容赦を)

 

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(直上の写真は:空母「沖鷹」の概観。147mm in 1:1250 by C.O.B. Constructs and Miniatures: 「大鷹級」空母は、商船改造空母のため速力が遅く、かつ飛行甲板の長さも十分でないため、艦隊空母としての運用には難がありました。そのため大戦の中期までは、主として航空機の輸送に使用されていました)

 

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(直上の写真は:空母「雲鷹」の概観。147mm in 1:1250 by C.O.B. Constructs and Miniatures:「大鷹」「沖鷹」「雲鷹」はいずれも日本郵船の「新田丸級」貨客船をベースに改造されました)

 

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(直上の写真は:空母「神鷹」の概観。154mm in 1:1250 by C.O.B. Constructs and Miniatures: 本艦は「大鷹級」空母、ということで一括りになっていますが、実は同型艦ではありません。前身はドイツ商船「シャルンホルスト」で、これを海軍が購入し空母に改造したものでした。「大鷹」と同じく、船団護衛任務時の迷彩塗装を施しています

 

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(直上の写真は:空母「海鷹」の概観。135mm in 1:1250 by C.O.B. Constructs and Miniatures: 本艦も前出の「神鷹」同様、同型艦ではなく、「大鷹級」空母の中では最も艦型が小さいものでした。こちらも船団護衛任務時の迷彩塗装を施しています

 

ということで、各艦の詳細は、改めて来るべき「航空母艦」特集の際にでも。

 

そしてこんな「航空母艦」もセミ・スクラッチ

そういえば、この夏には、宮崎駿さんの「雑想ノート」に出て来る「安松丸」をセミ・スクラッチしましたね。

(直下の写真:特設空母「安松丸」の概観。104mm in 1:1250 by Decapod Models :本艦は哨戒艇を伴い、インド洋方面からアフリカ沖に出撃しました。写真下段:飛行甲板上に小さな飛行指揮所を設置していますが、艦橋は飛行甲板の前端下に設置されています。エレベータを装備していないこの艦では、搭載機の格納甲板への収納は、左舷側2箇所の舷側に突き出した可倒・引き込み式のデリックで行います)

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 「安松丸」については以下をご参照ください。

fw688i.hatenablog.com

 

という訳で、だんだんラインアップが整ってきました。欠けているのは空母形態の「千歳級」くらい。それも今、日本に向けて配送されているはずなので、うまくいけばそれらが完成する(であろう)10月後半からは日本海軍の「空母特集」が組めるかも。

 

ということで、今回はこの辺りでおしまい。

 

さて次はどうしようかな。上述の「空母特集」の準備もしなくちゃいけないけど、映画「グレイハウンド」(もう見ましたか?私は4回見ましたよ、と言ってもApple TVなので、すごく手軽に見れちゃいます)絡みで、「大西洋の船団護衛」関連の話もしたいしなあ、と考えています。米海軍の「駆逐艦」も、ほぼ揃ったことでもあるし。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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日本海軍 機雷戦艦艇小史(機雷敷設艦と掃海艇(再録))

本稿では、前回、最近の制作コレクション紹介の流れで、機雷敷設艦厳島」急設網艦「白鷹」が登場しました。

本稿では何度か触れているように筆者はこうした小艦艇が大好きで、これ迄、折を見てこういった模型の収集をしてきたのですが、そもそもがマイナーな艦種で、かつ日本海軍に限定した場合にはなかなか製品が流通しておらず、かなりの部分が入手困難という状態です。

ラインナップの充実に一応の限界を見た、というわけで、この辺りで日本海軍の機雷戦用艦艇(敷設艦・敷設艇・掃海艇)を一覧しておきたいと思います。

(掃海艇の稿は、ほぼ再録です。ご容赦を)

今回はそんなお話です。

 

まずその前に、コレクションのリソースについて

本論に入る前に、筆者が普段どういうリソースでこうしたモデルの収集を行っているかを、少しご紹介。

前回でもご紹介しましたが、そもそもどんなモデルがあるのか、の検索にはsammelhafen.deを1番頼りにしています。

sammelhafen.de

ちなみに、このサイトの検索機能で「minelayer:機雷敷設艦」+『Japan」+「2nd WW:第二次世界大戦」で検索をかけた結果がこちら。

sammelhafen.de - 1250/1200 scale miniature ship models - thousands of photos, lists of almost all producers and more

このリストを見ると、条件該当モデルとして13種が検索され、筆者が求めるモデルはMidwayと Oceanicというレーベルに揃っていることがわかります。

 

こうした情報を入手した上で、次に主な調達先として、以下のようなサイトを検索。これらは個別のショップサイトですが、その中でも中古品のコーナーを主に、筆者は常時サーチしています。

Antics Online Model Shops and Hobby Stores

Ships-and-more - Ships-and-more Homepage Startseite webshop

mikes-modelle.de - Index

Waterline-Ships, A great place to buy 1:1200/1250 waterline ships

The World of Miniature Ships – 1250Ships.com

LaWaLu models

Olivers Welt der Schiffsminiaturen - Schiffsmodelle 1:1250

1/1250 Coastal Forces : The Last Square, Gaming and Hobbying for Two Decades

そしてなんと言っても最も利用頻度が高いのは、こちら。

Electronics, Cars, Fashion, Collectibles & More | eBay

そう、eBayですね。

ちなみに、検索にとっても重宝しているsammelhafen.deは、eBayでもsarge 2012というアカウントで自身のストックを出品されています(実はeBayアカウントはお父さん?)。筆者も結構な頻度でお世話になっています。

eBayで、この分野で筆者が最も頻度高くお世話になっているアカウントがcroschwigです。

今回の一連の機雷敷設艦モデルの検索でも、実は個別にこのアカウントに「実はこうしたモデルを探しているのだが、ストックがあれば教えて欲しい」とコンタクトしました。すぐに返事をいただき、「残念ながら手持ちはないけど、sammelhafen.deは見てみたか?彼のコレクションは膨大でsarge 2012でeBayでもコンタクトできるよ」と教えてくれました。さらに「この問い合わせの件は、彼も在庫は無いそうだ。もう電話で確認したから、直接問い合わせはしなくていいよ。実は来週会うので、在庫があったらもらって来てあげようと思ったんだけど、残念だったね」と実に親切に対応してもらいました。さらに筆者が最も頻繁にお世話になっている二つのアカウント間にコネクションがあったことに、何やら嬉しい感じがしました。

 

さらに、FaceBookには、1:1200-1:3000 SCALE NAVAL BUY, SELL,TRADE & COMMISSION GROUP OF ALL ERASというグループもあり、ここではモデルの情報交換や、実際のモデルストックの売買などが行われています。ここでも同じく「誰かストックない?」などと尋ねてみていますが、今のところ、「**へ行けば、見つかるかも」とコメントが集まるばかりで、やはり早期のさらなるコレクションの充実にはつながる道は簡単には見つかりそうにありません。でも、皆さん大変親切で、すぐに何らか反応がいただけるのは、本当にありがたいですね。

 

という訳で・・・。

 

機雷敷設艦というジャンル

本稿前回でも少し触れましたが、日本海軍はその創設以来、機雷敷設業務には専用艦船を建造せず、旧式の装甲巡洋艦や徴用した商船等を改造し、その役務に配置してきていました。

ようやく八八艦隊計画の時期に、機雷敷設専用艦船の保有に意向を示し、設計を始めました。大まかに設計された艦級は3種類に分類されると言っていいと考えています。

 

第1グループ:強行敷設艦敷設巡洋艦

第一のグループは「八八艦隊計画」に象徴される「艦隊決戦」の補助戦力として、想定決戦海面、あるいは敵前で機雷を敷設する大型の強行敷設艦で、これは目的海面までの長い航続能力を持ち、敵前敷設に対応するための強力な砲力、多数の機雷を搭載できる大型の艦型という特徴を備えています。「厳島」「沖島」「津軽」がこれに該当します。これらの艦は、太平洋戦争開戦後は、本来の機雷敷設任務以外にも、その大きな搭載能力(機雷庫)を買われ、高速輸送艦としても活躍しています。

 

機雷敷設艦厳島」(1929-1944)

掃海艇同様、日本海軍は機雷敷設業務に、旧式の装甲巡洋艦等を当てていましたが、大正期の八八艦隊計画に準じて、初めて本格的な機雷敷設艦の設計に着手しました。それが「厳島」です。
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(直上の写真は、機雷敷設艦厳島」:89mm in 1:1250 by Authenticast)

ja.wikipedia.org

2000トン級の艦型に、主機にはディーゼル機関を採用しています。設計当時の艦隊決戦主戦場と想定されていた南洋諸島方面での機雷敷設任務を想定し航続距離と機雷搭載量が重視され、速力は17ノットと少し控えめに設定されています。

日本海軍の常として強行敷設、敵前敷設をも想定したため、2000トンの駆逐艦クラスの艦型の割には比較的強力な砲力をもっています。(14センチ単装砲3基)

2000トンの小ぶりな船体ながら、500個の機雷を上甲板直下の第二甲板の機雷庫に収納する事ができました。上甲板の4条の機雷投下軌条と第二甲板後方の6つの扉を開放する事で、機雷庫から直接機雷敷設ができる仕組みも併せて持っていました。

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(直上の写真:「厳島」主砲配置との特徴的な艦尾形状(下段):艦橋部より後ろの中甲板はほぼ機雷庫になっています。中甲板の機雷庫から直接海面に投下できるよう、投下口を設置した特徴的な艦尾形状になっています)

 

太平洋戦争開戦時にはフィリピン攻略戦を皮切りに南方作戦に従事し、機雷敷設、船団護衛、上陸支援、物資輸送等に大戦を通じて活躍しています。

1944年10月、スラバヤ方面で、オランダ潜水艦の雷撃で撃沈されました。

 

機雷敷設艦沖島」(1936-1942)

ja.wikipedia.org

 

ロンドン海軍軍縮条約の補助艦艇への制限下で生まれた本格的機雷敷設艦

ロンドン条約では補助艦艇の保有に関してもその形状、保有数の両面で制限が課せられるようになりました。機雷敷設艦についても制限が設けられ、新造される敷設艦は5000トンを超えてはならず、最大速力を20ノットとしています。さらに搭載砲の口径をは6インチ(15cm)以下、搭載数を4門までと制限され、さらに魚雷発射管の搭載は認められませんでした。

そもそもロンドン条約では「主砲口径が6.1インチを超え、8インチ以下で、10000トン以下の艦」をカテゴリーA:重巡洋艦とすると言う定義が行われ、この定義は、軽巡洋艦「夕張」、「古鷹級」巡洋艦と、画期的なコンパクト重武装艦を生み出し始めた日本海軍を警戒して列強が定め、「古鷹級」とこれに続く「青葉級」をカテゴリーAの総排水量の中でカウントし、その重巡洋艦保有数に限界を持たせることを狙ったとも言われています。

同様に機雷敷設艦艇に関する制約でも、日本海軍が高速で強力な兵装を持つ、軽巡洋艦或いは重巡洋艦に匹敵するような高速機雷敷設巡洋艦保有することを制限する狙いがあった、と言われています。

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(直上の写真は、上述の機雷敷設艦沖島」の概観:104mm in 1:1250 by semi-scratched based on Neptune)

 

機雷敷設艦沖島」は 4000トン級の船体を持ち、条約制限いっぱいの20ノットの速力を有していました。主砲には、敵前での強行敷設を想定し、軽巡洋艦と同等の14cm主砲を防楯付きの連装砲架形式で2基、保有していました。機雷搭載能力は600発とされ、これを収納できる大きな機雷庫を持っていました。併せてカタパルトを搭載し水上偵察機の運用能力を備え、広域な偵察能力も保有していました。

前述のようにロンドン条約は、機雷敷設艦の名目で日本海軍が軽巡洋艦として運用できる強力な敷設巡洋艦を建造することを予防した、と言われていますが、実際に太平洋戦争では、開戦直後の中部太平洋での島嶼攻略戦での上陸作戦支援やソロモン諸島方面での輸送船団の護衛、巨大な機雷収納庫を利用しての輸送・揚陸任務など、高速を必要とする水雷戦隊旗艦の任務を除けば、他の軽巡洋艦と同等に活躍しています。

1942年5月11日、ソロモン諸島方面で米潜水艦の雷撃で失われています。

 

機雷敷設艦津軽」(1941-1944)
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(直上の写真は、上述の機雷敷設艦津軽」:104mm in 1:1250 by Neptune)

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 「津軽」は前述の「沖島」の準同型艦で、4000トンの船体を持ち、条約制限いっぱいの20ノットの速力を有していました。「沖島」と異なり「津軽」は12.5cm 連装対空砲を2基を主砲として搭載し、より対空戦闘能力に配慮した設計となっています。

沖島」同様、巨大な機雷収納スペースを生かし、太平洋戦争中盤までは、中部太平洋ソロモン諸島方面で輸送船団の護衛や、自ら輸送・揚陸任務などに活躍しています。

大戦後期にはレイテ島方面での機雷敷設を行い、併せて南西方面での輸送任務につく事が多く、1944年6月に米潜水艦の雷撃で失われました。

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(直上の写真は、上述の機雷敷設艦沖島」と津軽」(左上)・「沖島」「津軽」の艦尾部の拡大(左下):機雷は上甲板乗の軌条と艦尾の第二甲板の後方扉からの投下設置が可能でした。・右列は「沖島」(右上)と「津軽」(右下)の主砲比較:右上の「沖島」の主砲は、ストックパーツを加工してして換装しました)

 

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(日本海軍の本格的機雷敷設艦のそろい踏み:本当はここに「八重山」の入れたかったけど・・・。奥から「津軽」「沖島」「厳島」)

 

機雷敷設艦八重山」(1932-1944)

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(「八重山」の概観:74mm in 1:1250 by Tremo)

同艦は、「厳島」に続き二番目に設計された機雷敷設艦です。主力艦隊に先行して行われる想定決戦海面での活動を意識して設計された「厳島」に対し、より近海(前進基地周辺)、浅海域での活動を思慮した設計で、小型・浅喫水の設計となっています。ロンドン条約の制約から補助艦艇に認められた最大速力の20ノットを発揮する設計でした。

1100トン級と、やや小型の艦型を持ち、平時の訓練、戦時には哨戒や船団護衛等の汎用的な目的への対応も考慮して設計されています。兵装は当初から盾付きの12cm単装高角砲を2門搭載していました。小さな艦型ながら185個の機雷を搭載する設計でした。

同艦の大きな特徴は、なんと言っても電気溶接による建艦工程が日本で最初に採用された事で、技術的にも用途的にも実験的な試みの軍艦となっています。同艦で使用された電気溶接の技術は、当然の事ながら未熟で、不具合が多発したようです。併せて復原性に課題があり、大規模な改修工事を受けています。f:id:fw688i:20211205135910p:image

(「八重山」の主砲配置:就役時には盾付きの12.5センチ高角砲を艦首。艦尾に配置していましたが、復原性改善工事の際に艦首のみ盾付きに改められています)

太平洋戦争では開戦時に南方攻略戦に帯同し機雷敷設業務に従事していますが、その後は対空兵装、対潜装備を強化し、護衛艦として船団護衛等に活躍しました。

1944年9月、フィリピン中部で米艦載機による攻撃で沈没しています。

 

第十七戦隊の編成

開戦時、「八重山」は機雷敷設艦厳島」特設敷設艦「辰宮丸」と第十七戦隊を編成し、第三艦隊の指揮下でフィリピン海域で機雷敷設任務についていました。

 

機雷敷設艦厳島」(1929-1944)

すでに前述していますのでここでは割愛します。

 

特設敷設艦「辰宮丸」(1929-1944)

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1941年9月、海軍は民間の12000トン級の貨物船「辰宮丸」を特設敷設艦として徴用しています。同船は1938年に就役した艦齢の若い貨物船で、17ノットの高速を発揮することができました。特設艦船籍に移管後、船倉が機雷庫、居住区に改装され、上甲板には機雷敷設軌条が敷かれました。最大700個の機雷を搭載することが可能で、船尾両舷に投下用の開口部が設けられています。

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(上の写真は特設敷設艦「辰宮丸」の外観と言いたいところですが、流石に「辰宮丸」のモデルまでは市販されていません。従って船体の形状が似ている「東京丸」を「辰宮丸」風に仕立てたものです。実際には水線長が15mmほど長すぎます。下の写真は、「辰宮丸」(風)の主砲配置。12センチ砲4門を主砲として装備していました)
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前述のように1940年9月に第十七戦隊に編入され、開戦時には日本軍の南方作戦展開に対する英東洋艦隊(「プリンス・オブ・ウェールズ」以下の艦隊)の反撃に備え、マレー半島沖での機雷敷設島を実施していました。

その後、特設輸送船へ類別変更され、輸送任務に従事し、1945年舞鶴港で出航準備中に米軍機の空襲で大火災を起こし半没状態で終戦を迎えました。

 

第十七戦隊の概観

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雑談:機雷という兵器

ここまで、機雷敷設艦艇の第1グループを紹介してきたわけですが、そもそも「機雷」というのはどのような兵器なのか、少し説明を試みます。

「機雷」とは、水中に設置され艦船が接触、もしくは接近した際に爆発し艦船に損害を与える兵器です。「機械水雷」を略して「機雷」と言われています。

港湾封鎖、航路封鎖、あるいは逆に港湾・航路への侵入防御等の目的に使用される事が多く、敷設には艦船による海面敷設、航空機による空中投下、あるいは潜水艦による水中敷設等の方法が用いられます。

機雷を設置された海面を機雷原と呼びますが、機雷原の設置には大量の機雷を計画的に設置する事が必要ですが、「機雷」そのものの強度の脆弱さを考慮すると、短時間での大量の機雷敷設には専用敷設装備を持った艦船が必要でした。

第二次世界大戦の後半には空中投下が可能な強度を持った機雷が開発され、日本周辺の海域では米軍爆撃機から空中投下された機雷での海上封鎖が行われました。

「機雷」自体の起爆作動方法は大きく以下の3種類に大別されます。

触発機雷:機雷の触覚、あるいは機雷から延長される水中線などに艦船が接触した際に爆発する機雷で、一般的に最もよく知られているタイプと言えます。

感応機雷:艦船の発生させる磁気、音響、通過時の水圧変化、艦船の機械類が発生させる電流等を感知して爆発するタイプの機雷で、現状はこれらの複数の刺激を併用して攻撃対象の艦船を特定し爆発するこのタイプが主流になっています。

管制機雷:簡単にいうと有線で陸上の管制室等から起爆指示が送られるタイプの機雷です。根拠地の周辺、あるいは要地に設置され、平時には艦船通過等を探知するセンサーから、音響や発生電流等の情報集取も可能です。

太平洋戦争時に日本海軍が保有していたのは触発機雷のみでしたが、同時期に米海軍は感応機雷の運用も開始していました。この背景には日本海軍のレーダー技術や対潜水艦戦用装備、特に水中聴音やソナー関連の電子技術の立ち遅れが大きく影響していたと言わざるを得ません。

現在ではセンサーで条件に合致する(音紋特性・磁気特性等)特定の艦船の通過をした際に起動し、目標を追跡する自走能力を持ったホーミング機雷なども実用されています。

 

以前、本稿で紹介した光岡明氏の「機雷」という小説では、大戦中は海防艦に乗り組んでいた主人公が、終戦後、掃海艇に乗務して日本近海に設置された「機雷」を処理する、という物語なのですが、ここで米海軍が空中投下した「感応機雷」について詳しく語られています。

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音響感知式の「感応機雷」は、「艦船の通過回数を検知し特定回数に達した場合に起爆する」というような記述があったと記憶します。つまり、こうした機雷の場合には除去(掃海)にあたっては、ダミー音源を牽引した掃海艇が何度もその上を通過せねばならず(例えば起爆セットが「通過7回目」だった場合には、ダミーがその上を7回通過しないといけないのです)、それだけ掃海艇そのものも危険に曝される、という訳です。それにも増して気の遠くなるような地道な作業です。まるでテロ。地雷と似ています。

実際に日本はこの米軍が敷設した機雷の除去に、20年の年月を費やしています。

 実はこの小説、私の最も好きな小説の一つです。「海防艦」が冒頭現れるのもその魅力の一つですが、主人公が終戦を挟んで静かに生きてゆく姿に感動します。興味のある方は是非。

 

本稿では「防潜網」という用語も出てきますが、多くの場合、この「防潜網」も一定間隔で機雷を装備しており、「防潜網」に接触した潜水艦に損害を与える仕組みになっています。

 

「機雷」=「触雷」というと、本稿の主題であった「主力艦開発史」の流れで思い出されるのは、やはり日露戦争のロシア太平洋艦隊の司令長官マカロフ提督の遭難と、その直後の「魔の5月15日」でしょうか。

当時、世界的な名将として知られ、新たに旅順要塞の太平洋艦隊の司令長官として着任したマカロフが、1904年4月13日、旗艦「ペトロパブロフスク」に座乗して旅順周辺海域での日本艦隊の追撃戦からの帰還途上で、日本海軍の敷設した機雷に触雷して戦死しました。

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このマカロフの死は、明らかにその後の旅順周辺でのロシア艦隊の活動に大きな影響を与え、例えば旅順要塞自体の不備から、その後、ある意味必然的に発生せざるを得なかったであろう「黄海海戦」などは、おそらく全く異なった展開となっていたと思われます。マカロフはおそらくその出撃の主題を冷静に捉えて、ウラジオストックへの遁走に邁進し艦隊を保全。もしくは積極的な攻勢に転じて損害を出しながらも日本海軍はその主力艦隊をこの海戦で消耗し、その後、極東へ回航されて来るバルティック艦隊の迎撃は叶わなかった、というような結果も想定されます。いずれの場合にも、バルティック艦隊の回航は全く異なる意味を持ち、戦争の帰趨は変わっていたかもしれません。

この直後の5月15日、今度は旅順要塞海域を哨戒中の日本海軍の戦艦「初瀬」と「八島」が、今度はロシア海軍が敷設した機雷に触雷、両艦は轟沈してしまいます。当時、6隻しか保有していなかった戦艦のうち2隻が同時に失われる、という悲劇でした。

 

と、まあ、少し脱線。

 

第2グループ:急設網艦

第二のグループは、主力艦隊に帯同し艦隊の泊地に、第一次世界大戦以来、飛躍的に性能を向上させ水上艦にとって重大な脅威となりつつある潜水艦の侵入、攻撃を防ぐための防潜網(前述のように、多くの場合、この網には機雷が設置されています)を展張する急設網艦のグループで、この艦種は機雷敷設の能力も併せて持っていました。「白鷹」と「初鷹級」の3隻がこのグループに属します。この艦級は、太平洋戦争中盤以降、防潜網の展張装備を対潜兵装に換装し、船団護衛等の任務に活躍しています。

 

急設網艦「白鷹」(1929-1944)

その名の通り、艦隊泊地などに対潜水艦侵入防止用の防潜網を展張する役目を負う艦種ですが、機雷敷設の能力もあるため、正式の艦種分類は日本海軍では機雷敷設艦となっています。

「白鷹」(「ハクタカ」ではなく「シラタカ」と読みます)は日本海軍が建造した最初の「急設網艦」ですが、同時に世界で初めて防潜網敷設艦として設計された船でもあります。

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(直上の写真は、急設網艦「白鷹」:69mm in 1:1250 by Superior?ちょっと怪しい。兵装配置はほぼ最終時点=8cm高角砲2基を主兵装とした時点を再現しているつもりです。もう少し爆雷投射機等があったほうがいいかも)

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就役当初から復原性に大きな課題を抱えており、重装備であった砲兵装が順次改められてゆきました。(1300トン、12cm高角砲3基(竣工時)、のち8cm高角砲2基、速力16ノット)

太平洋戦争開戦時には南方攻略戦に従事、その後主としてインドネシア海域での機雷敷設・防潜網敷設等に活動したのち、他の敷設艦同様、防潜網・機雷の収納庫を活用した輸送任務等に活躍しました。大戦の推移にともない防潜網の展張、機雷敷設の機会の減少に準じ、敷設関係の装備を撤去して代わりに対潜装備を搭載。最終的には船団護衛が任務の主体となりました。す。

 1944年8月、バシー海峡(台湾とフィリピンの間)で米潜水艦の雷撃で失われました。

 

「初鷹級」急設網艦 (1939-:同型艦3隻「若鷹」のみ残存)

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(「初鷹級」急設網艦の概観:76mm in 1:1250 by Oceanic:モデルは8cm高角砲への主砲換装後の姿)

「初鷹級」急設網艦は、「白鷹」以来、約10年ぶりで建造された急設網艦です。基本設計は「白鷹」の改良型で、乾舷を低くして復原性を改善、主機を「白鷹」のレシプロ機関から蒸気タービンとして速力を20ノットに向上させ、併せて航続距離を「白鷹」の1.5倍としています。重量軽減のために主兵装を40mm機関砲としています。その他、復原性の改善のために煙突を低くするなど、全体的に駆逐艦のようなスマートな艦型となりました。

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(日本海軍の急設網艦の比較:「白鷹」(奥)と「初鷹級」(手前)。「初鷹級」が「白鷹」で課題であった復原性に配慮された設計であったことがよくわかります)

 

後に不具合の多い主兵装40mm機関砲を8cm高角砲や25mm機関砲に換装するなど、兵装には変更が加えられました。f:id:fw688i:20210131102927j:image

(本級は船団護衛等の任務につく機会が多く、対空戦闘、対潜戦闘においても40mm機関砲では威力不足が課題とされ、順次8cm高角砲へ、主砲を換装していました)

「初鷹級」は、いずれの艦も太平洋開戦当初から上陸作戦支援や船団護衛につく事が多く、本来の機雷敷設・防潜網敷設任務に従事する機会はあまりありませんでした。特に1944年からは船団護衛が主任務となり、敷設関連の軌条を撤去して対潜装備が配置されています。

1944年9月に「蒼鷹」、1945年5月に「初鷹」がいずれも米潜水艦の雷撃で失われ、「若鷹」のみ終戦時に残存していました。

 

第3グループ:敷設艇

第三のグループは、より小型の基地防御用の敷設艇です。基地周辺の防潜網敷設や、沿海航路保全の機雷敷設などに従事する艦種です。

このグループには「燕級」「夏島級」「側天級」「神島級」の4つの艦級が建造されました。

この艦種は太平洋戦争末期、日本本土決戦構想が具体化するにつれ、必要性が増した艦種でもありました。

 

 「燕級」敷設艇(同型2隻:1929-) 

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(直上の写真は、「燕級」敷設艇の概観:57mm in 1:1250 by Oceanic ?ちょっと怪しい。主兵装のみそれらしく換装したつもりです) 

八八艦隊計画の一環として、港湾防御用に設計された小型艦級です。防潜網・機雷等の敷設のみでなく掃海も対応可能とした一種の万能艇を目指していました。(450トン、19ノット、主兵装:8cm高角砲×1・13mm機銃×1、機雷80基)

太平洋戦争では佐世保防備戦隊の所属し、主として南西諸島方面の船団護衛や機雷敷設に従事していました。

「燕」「鷗」の2隻が建造されましたが、1944年から1945年にかけて、両艇ともに南西諸島近海で失われました。

 

 「夏島級」敷設艇(同型3隻:1933-) 

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(直上の写真は、「夏島級」敷設艇の概観:63mm in 1:1250 by Oceanic ?ちょっと怪しい。主兵装のみそれらしく換装したつもりです) 

「燕級」敷設艇の改良型で「夏島」「那沙美」「猿島」の3隻が建造されました。(450トン、19ノット、主兵装:8cm高角砲×1・13mm機銃×1、機雷120基)

太平洋戦争では各根拠地の防備船体に所属し船団護衛や機雷敷設に従事しましたが、3隻とも1944年に3隻とも相次いで失われました。

 

 「測天級」敷設艇(同型15隻:1938-終戦時4隻残存)  

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それまでの敷設艇を大型化した艦型で、機関をディーゼルとしてより汎用性を高め、太平洋戦争における敷設艇の主力となりました。前級までの復原性不足を解消し、航洋性に優れ活動範囲は日本近海に留まらず広い戦域に進出し活躍しています。(720トン、20ノット、主兵装:40mm連装機関砲×1・13mm連装機銃×1、機雷120基 /6番艦「平島」以降は主兵装:8cm高角砲×1・13mm連装機銃×1)

 

終戦時に「巨済」「石埼」「濟州」「新井埼」の4隻が残存していました。

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(上の写真は「測天級」敷設艇の概観:59mm in 1:1250 by Tremoの水雷艇モデルをベースにしたセミ・スクラッチ:「測天級」は40mm連装機関砲を主兵装としていましたが、同機関砲は特に対潜水艦戦で有効ではなく、6番間以降、8センチ高角砲を主砲として搭載しています。この艦級は「平島級」とされることもありますが、ここでは「測天級」の第二グループとしています)

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さらに改良型の「網代」級が12隻、建造される予定でしたが、1隻のみの打ち切られ、次級の「神島級」へ計画は移行されました。

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下の写真は、「測天級」のディテイルのクローズアップ。特に写真下段では、敷設艇ならではの艦尾形状に注目)

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本稿の「機雷敷設艦艇小史」では文中で「測天級」「神島級」については「Oceanic レーベルでモデルあり、未入手」と記載していましたが、実は誤りでどうやら「測天級」にはモデルがないようです。そこで、という訳でもないのですが、「では作ってしまおうか」という訳です。

幸い、前述の「八重山」のモデルを入手した際に、複数のモデルを落札しています。主には送料負担を軽減する目的で、同一出品者の他の出品物を同時落札する事が多いのです。多くはストックモデルとして保管され、部品取りや今回のようなセミクラッチのベースとして利用することを目的にしています(実際には、そんなに計画的ではないし、スキルが低いのでうまくいかず、バラバラにして捨てることが多いのですが)。

今回、ベースに利用したモデルがこちら。f:id:fw688i:20211205140758p:image

全長68mmの水雷艇のモデルのようです(多分、「鴻」級:にしては少し大きい)。なんとこのモデル、実は落札したモデルではなく、筆者が落札したモデルは「駆潜艇」のモデルだったのですが、出品者からのパッケージが届くと中から「ごめんなさい。落札していただいた「駆潜艇」のモデル、なくなって(売り切れ)ました。代わりにこちらで勘弁してください。もし気に入らなかったら返金します」とお手紙に添えて件の「水雷艇」のモデル2隻と中国海軍の砲艦(多分、「永翔」級(いわゆる「中山艦」?)のモデルが、「八重山」のモデルに同梱されていました。ちょっとびっくり。

元々、落札した「駆潜艇」も送料単価軽減の目的で「ストックモデル入り」と考えていたので「このままでいいですよ。代替モデルいいですね」ということにしたのですが、早速、「八重山」を仕上げながら(ちょっと艦橋をもっと別のモデルからのものに差し替えたりしたので)「何に使おうか」などと考えていて、ここで役に立った訳ですね。

上部構造をほぼ全部取り払って、何よりも水線長をうんと短くして(=切り詰めて)、艦尾形状をやすりで整形して、新たにストックパーツとプラ・ロッド等から上部構造(らしきもの)を組み上げて・・・。つまり結構な「セミ・スクラッチ」だったわけです。でも、これでミッシングリンクの一つが埋まったわけですから、筆者としては大満足です。

(ベースにして完成した自称「測天級」とベースの水雷艇の比較がこちら)f:id:fw688i:20211205140754p:image

実はもう一隻、同型の水雷艇のモデルが残っているので、こちらをベースに「神島級」も作ってしまおうかと思っています。(「神島級」は「測天級」の改良型ではあるのですが、戦時急造艦艇らしく直線的で、つまり海防艦的な構造を多用しているので、「測天級」のセミ・スクラッチから、少し制作の方針を変えねばなりません。どうしようかな、と迷っています。と言っても困っている訳ではなく、セミ・スクラッチの醍醐味、といえばそうなのです。つまり、結構楽しんでいる、そういうことです)

 

 「神島級」敷設艇(同型2隻:1945-終戦時に2隻とも残存) 

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(Oceanicレーベルでモデルあり、モデル未入手)

本土防衛のために「測天級」の簡易版として急遽建造された艦級です。3隻が着工し、1隻が建造中止、「神島」のみ1945年7月に就役しました。「粟島」は艤装中に終戦を迎え、終戦後に復員輸送船として就役しました。(766トン、16.5ノット、主兵装:40mm機関砲×1・25mm機銃×3)

 

日本海軍が初めて設計した敷設艦

敷設艦「勝力」(1917−1944)

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(上の写真は日本海軍が初めて建造した敷設艦「勝力」の概観: 65mm in 1:1250 by Tremo(?): 下の写真は太平洋戦争時の=測量艦時代の「勝力」の主砲配置。「勝力」は就役時には12センチ砲3基を搭載していました。艦首部に2基搭載された12センチ単装砲は並行に配置されていました。その後、8センチ高角砲に換装されましたが、3基装備説と2基装備説:もしかすると時期によって搭載数が変わるのかもしれません:がありはっきりしません。高角砲を狭い全部甲板に2基並行配置、というのはどうも腹落ちがしないので、ここでは2基説を採用しています)

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日本海軍の機雷敷設艦艇の紹介の冒頭で、「日本海軍はその創設以来、機雷敷設業務には専用艦船を建造せず、旧式の装甲巡洋艦や徴用した商船等を改造し、その役務に配置してきていました」と記載していました。

「勝力」は日本海軍が最初に建造した敷設艦(就役当初は「敷設船」と呼ばれていた?)です。敷設艇を大型化した発展形で、商船的な構造をしていました。老朽化のため1935年に測量艦に艦種変更され、太平洋戦争でも測量任務に従事していました。

 

1944年9月、フィリピン海域で米潜水艦により撃沈されています。

 

 

掃海艇について(再録)

掃海艇は本来、その名の通り掃海任務を担当する艦種ですが、日本海軍は「八八艦隊計画」までは旧式の駆逐艦をこの任務に当てていました。「八八艦隊計画」により初めて専任艦艇を設計する事になるのですが、この計画自体が「艦隊決戦」構想に基づく計画であり、日本海軍では主力艦隊の前路開削のための敵艦隊前での掃海任務を想定し、その艦型に比較すると大きな砲力を備えている特徴がありました。

大戦中は掃海装備のための後甲板に対潜装備を搭載し、掃海任務だけでなく、船団護衛等にも活躍しました。

艦級としては以下のクラスがありますが、本稿で扱う1:1250スケールで模型化されているのは

私の知る限り「第13号級」、「第7号級」と「第19号級」の3クラスです。

 

第1号級掃海艇(既存モデル、あった!?)

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(直下の写真:「第1号級」掃海艇の概観。59mm in 1:1250 bt ??? メーカー不明)

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筆者が頼りにしている艦船モデルのデータベースsammelhafen.deで調べても、「第1号級」掃海艇のモデルは登録されていないのですが、筆者のストックモデルでそれらしきものを発見。少しディテイルアップをしてみました。

 

「第1号級」掃海艇は、それまで旧式駆逐艦等を掃海任務に割り当てていた日本海軍が、大正期の八八艦隊計画の一環として初めて「掃海艇」として設計した艦級です。日本海軍の掃海艇の常として、敵前での主力艦隊の前路開削を想定しているため、本級も艦型に比して比較的強力な砲力を搭載していました。(600トン、12cm平射砲2門、20ノット)

同型艦に、本級を改良した「第5号級」掃海艇があります。

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同級も外観的には大差がなく、「第1号級」「第5号級」併せて6隻が建造され、太平洋戦争には、その汎用性を買われて本来の掃海任務の他、船団護衛等にも従事しました。第4号掃海艇を除いて、全てが太平洋戦争で失われました。

 

第13号級掃海艇

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 (直下の写真:「第13号級」掃海艇の復原性改修後の概観。58mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces) 

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設計当時の日本海軍の艦艇設計の共通点として、重武装でトップヘビーであり、復原性に課題がある艦級とされていました。上述の「友鶴事件」で改修工事が行われ、艦橋が一段低められ艦底部のバラストキールが装着されるなどの対策が取られました。(690トン、12cm平射砲2門、19ノット:復原性改善工事後)

 

次級の「第17号級」は元々は本級の5番艦、6番艦でしたが、設計段階で上記の改修が反映され、船体が少し小さくなりました。

第十七号型掃海艇 - Wikipedia

 

第7号級掃海艇 

ja.wikipedia.org

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(直上の写真「第7号級」掃海艇の概観。59mm in 1:1250 by Trident 前部マストをプラロッドに変更)

「友鶴事件」「第四艦隊事件」等を経て、設計された掃海艇です。艦型は復原性・船体強度などの前級が抱えていた問題を考慮して、異なる外観となっています。しかしその任務想定が艦隊の前路開削や、上陸地点の航路掃海等、敵前での業務を想定していたため、船体の大きさに対して大きな砲力を有していました。(630トン、12cm平射砲3門、20ノット)

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(直上の写真:「第7号級」掃海艇と本稿では既出の「第19号級」掃海艇との艦型比較。直下の写真:主砲が「第7号級」掃海艇では平射砲であるのに対し(上段)、「第19号級」ではM型砲架の採用により、仰角が挙げられているのが分かります) 

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 第19号級掃海艇

ja.wikipedia.org

 (直下の写真:「第19号級」掃海艇の概観。59mm in 1:1250 by Trident: 「鴻級」水雷艇と同様に、主砲は55°の仰角での射撃を可能したM型砲塔を搭載していました。艦種も第25号艇以降は戦時急増のために簡素化した直線的な艦首を採用しています) 

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 同級では主砲が仰角をかけることの出来るM型砲架に改められています。同砲架は55°まで仰角をかけることができましたが、対空戦闘ではなく、対地上砲撃等を想定したとされています。実際に前出の「第13号級」では太平洋戦争の緒戦のボルネオ攻略戦闘で、陸上砲台からの射撃で2隻が失われています。上陸作戦等に伴う前路開削等には、その様な陸上砲撃を行う機会が伴ったのかもしれません。(650トン、12cm3門(M型砲架)、20ノット)

また同級の第25号艇以降は、戦時急造適応のため簡易化が行われ、艦首形状が直線化しています。

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 (直上の写真:「第13号級」と「第19号級」掃海艇の概観比較。「第13号級」は設計当時の日本海軍の通弊だった幅広の艦型を持ち喫水が浅く重装備のためにヘビートップの傾向がありました)
 (直下の写真は、「第7号級」掃海艇までが装備していた防楯付き12cm平射砲(上段)と、「第19号級」掃海艇が装備したM型砲架12cm砲(下段):写真はいずれも前出の水雷艇のものですが、掃海艇でも同様の主砲搭載形式の変更があ行われました。M型砲架の採用により55°までの仰角での射撃が可能になりましたが、この変更の目的は対空戦闘よりも対艦・対陸上砲撃への適応を考慮されたものでした)

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上記の6クラスで35隻が建造されましたが、30隻が戦没しています。

 

 

ということで、今回はこの辺りでおしまい。

次回は「グレイハウンド」も何度か観たし、映画「グレイハウンド」関連と、その他の船団護衛小説関連でもやりましょうか。

 

模型に関するご質問等は、いつでも大歓迎です。

特に「if艦」のアイディアなど、大歓迎です。作れるかどうかは保証しませんが。併せて「if艦」については、皆さんのストーリー案などお聞かせいただくと、もしかすると関連する艦船模型なども交えてご紹介できるかも。

もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

もちろん本稿でとりあげた艦船模型以外のことでも、大歓迎です。

お気軽にお問い合わせ、修正情報、追加情報などお知らせください。

 

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(補遺:リトライ)「初春級」駆逐艦竣工時の制作 付録「千鳥級」水雷艇 その他諸々

本稿前回で「初春級」駆逐艦の竣工時モデルが未市販のためセミ・スクラッチでの自作への挑戦をご紹介したわけですが、前回をお読みいただいた方はご承知のように、筆者のリサーチ不足で完成したセミ・スクラッチモデルに欠陥が見つかり、「いずれは再トライ」と前回稿を結んでいました。

それを受けて、早速、再トライしました(気になるとじっとしていられない、と言うか、新しい餌を見つけると、食べずにいられない卑しさ、と言うか。自分でも困ったものです)。

その収録です。従って、ほぼ前回投稿に従って書き直しをしています。ご了承のほどを。

 

但し、これも前回稿で、「しかも、うまくいけば、以前から気になっている、日本海軍のもう一つの未整備モデルである「千鳥級」水雷艇の竣工時モデル(こちらも今回の「初春級」と同様、ワシントン・ロンドン体制の制約による過大兵備の要求から復原性に大きな問題を発生した艦級で、やはり復原性修復後のモデルしか市販されていません)のセミ・スクラッチも同時に手掛けられるかも(この作業には「初春級」の主砲塔:特に単装主砲塔と、多分、同級の艦橋が必要になってくるのです。結局、「初春級」を2隻潰すのだから、とある意味、怪我の功名かも」とも書いており、この時点で既にいくつかプランが思いついていたので、今回、それも併せて実施しています。

さらに嬉しい事に(困った事に)、この両方を実行するために何隻か手持ちのモデルを潰さねばならず、「であればついでに」と言う事でいくつかの手持ちの小艦艇のディテイル・アップの実施しましたので、そちらも少しご紹介します。

今回は、そんなお話です。

 

(以降、「初春級」の竣工時の部分は、前回稿が多用されます。間違い探しみたいに、所々、修正や加筆がありますので、それも楽しんでいただけると、とこれは勝手なお願いです。早速、始まり、始まり・・・)

本稿では、前回、前々回の2回に分けて日本海軍の太平洋戦争時の駆逐艦を総覧しました。
fw688i.hatenablog.com

fw688i.hatenablog.com

その中で、ワシントン・ロンドン体制下で設計された「初春級」についても記述したのですが、この艦級は、日本海軍の駆逐艦の中で竣工時の設計に問題があり、就役後、最も大きな改修を必要とした艦級であったにも関わらず、現在、本稿がご紹介している1:1250スケールで市販されているのは改修後のモデルだけで、竣工時のモデルは販売されていません。

今回は現行の改修後モデルをベースに、竣工時をなんとか再現してみようという、セミ・スクラッチの試みのご紹介です。

 

本稿でご紹介した「初春級」を以下の再録しておきます。(前出の 日本海軍:大戦期の駆逐艦(その1)より)

 

 中型(1400トン級)駆逐艦の建造:ロンドン条約の申し子?

「初春級」駆逐艦(6隻)

ワシントン条約に続く ロンドン条約では、それまで制限のなかった補助艦艇にも制限が加えられ、駆逐艦にも保有制限枠が設けられました。特に駆逐艦には1500トンを超える艦は総保有量(合計排水量)の16%以内という項目が加えられました。このため1700トン級(公称)の「吹雪級」駆逐艦をこれ以上建造できなくなり(日本としては財政的な視点から、「吹雪級」の増産を継続するよりも、もう少し安価な艦で数を満たす切実な事情もあったのですが)、次の「初春級」では、1400トン級の船体と「吹雪級」と同等の性能の両立という課題に挑戦することになりました。

ja.wikipedia.org

結果として、竣工時の「初春級」駆逐艦は、主砲として、艦首部に「吹雪級」と同じ「50口径3年式12.7cm砲」B型連装砲塔とB型連装砲塔と同じく仰角を75度に改めたA型改1単装砲塔を背負い式に装備し、艦尾にB型連装砲塔を配置しました。さらに「吹雪級」と同じ61cm3連装魚雷発射管を3基(9射線)を装備し、予備魚雷も「吹雪級」と同数を搭載。加えて次発装填装置をも初めて装備し、魚雷発射後の再雷撃までの時間短縮を可能としました。機関には「吹雪級Ⅲ型」と同じ空気予熱器付きの缶3基を搭載し、36.5ノットの速力を発揮することができました。

1400トン級のコンパクトな船体に「吹雪級」とほぼ同等な重武装と機関を搭載し、かつ搭載する強力な主砲と雷装を総覧する艦橋は大型化したことにより、無理を重ねた設計でした。そしてそれは顕著なトップヘビーの傾向として顕在化することになります。

既に公試時の10度程度の進路変更時ですら危険な大傾斜傾向が現れ、バルジの追加等で何とか就役しますが、この設計原案での建造は「初春」と「子の日」の2隻のみのとどめられました。さらにその後の発生した友鶴事件により、設計は復原性改善を目指して全面体に見直されました。

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初春:竣工時の艦型概観(「初春」「子の日」のみ)

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このげ初春:復原性改修後の艦型概観

(上のシルエットは次のサイトからお借りしています

http://www.jam.bx.sakura.ne.jp/dd/dd_class_hatsuharu.html

残念ながら、竣工時の「初春級」については 1:1250スケールのモデルがありません。スクラッチにトライするには、やや手持ちの「初春級」のモデルが足りていません。 いずれはトライする予定ですが、今回はご勘弁を)

 

平たくいうと、軍縮の制限下での駆逐艦保有トン数と戦術的な要求とのせめぎ合いで、無理に無理を重ねた艦級と言えるでしょう。 中型駆逐艦に大型駆逐艦に等しい兵装を搭載しよう、というわけです。

 

さて、今回の「初春級(竣工時)」の制作にあたり、ベースとするのは「初春級(改修後)」のNeptune製のモデルです。

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(直上の写真:復原性改善修復後の「初春級」の概観。88mm in 1:1250 by Neptune)

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(直上の写真:「初春級」の特徴である次発想定装置付きの3連装魚雷発射管(上段)と、艦尾部に背中合わせに配置された単装主砲砲塔と連装砲塔:仰角75度の高角射撃も可能とした砲塔でした。この砲塔は装填機構の問題から装填時に平射位置まで砲身を戻さねばならず、射撃速度が低く対空砲としては実用性に乏しいものでした)

 

セミ・スクラッチのベースにするのは「初春級」の旧モデル(Neptune社製)

本稿でも一度ご紹介したことがあるのですが、実は本稿で扱っている1:1250モデルでも、制作各社でのモデルのリニューアルが行なわれており、次第にディテイルが精緻になり、それはそれで嬉しいことなのですが、一方でコレクターの立場で言うと、これに付き合っていると、理想的にいうと数年に一度、モデルの総入れ替のような事になり、とても付き合いきれないので、どこで思い切るのか、という悩ましい決断を迫られます。

一方で、筆者の場合には手元に一定の旧モデル、つまりコレクション落ちのモデルがある事になり、これが結構パーツ用のストックになっていたりします。

「初春級」でも現在、3隻のストックがあり、そのうちの一隻が旧モデルでしたので、今回の「竣工時」モデルの製作にはこの旧モデルをベースとして使う事にしました。幸か不幸か、旧モデルは乾舷が新モデルに比べやや高く、復原性に大きな課題を抱えていた「初春級(竣工時)」の「腰高な感じ」を出すにはちょうど良かったかもしれません(何でもポジティブに捉えるなあって?おっしゃる通りかも・・・)。

 

(追記と編集)と言う事で、Neptune社製の旧モデルをベースに前回は竣工時モデルのセミ・スクラッチに挑戦したわけですが、実はこの旧モデルには大きな落とし穴がありました。以下、はその欠陥部分についての記述。

 

しかし、よく見ると、ああ、何とも致命的な・・・。

完成した「竣工時」のモデルをよく見ていると、「あれれ・・・」、実は、致命的な欠陥を発見してしまいました。

「初春級」は既述のように日本海軍で初めて魚雷の次発装填装置を搭載した艦級です。

この 次発装填装置は、それまでチェーンと運搬車で作業されていた魚雷の発射管への装填業務を、魚雷発射後わずか20秒程度に短縮する、という画期的な装置ですが、反面、次発装填装置自体を魚雷発射管と同レベルに設置する必要がありました。これは「初春級」の重心上昇の一因ともなったわけですが、1番煙突と2番煙突間に配置された1番発射管用の自発装填装置は、2番煙突左脇に搭載されており、このため2番煙突は艦の中心位置から艦首を上に見てやや右にオフセットされて配置されていました。

ところが今回ベースとして使用したNeptune社の「初春級」の旧モデルは、この1番発射管用の次発装填装置が、あれれ、ないじゃないか!しかも、2番煙突が逆に左にオフセットした位置に配置されてる事に、完成後に気付いてしまいました。上記のように、結構、次発装填装置にはこだわりがあって、上述の工程で説明したように、自作した後橋部の建屋作成では、気にかけて作業をした部分でもあるので、結構びっくり。

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 (左が「初春級」新モデル:1番発射管と2番発射管の間にある2番煙突は、1番発射管の次発装填装置の関係で、船体中心線より選手を上に見てやや右にオフセットした位置に配置されています。これが正解!1番発射管用の次発装填装置は、左写真の中程、2番魚雷発射管の左上に設置されている斜めに設置された構造物です。この箱の中に次発装填用の魚雷が収納されていて、魚雷発射管内の初発魚雷は発射された後に、発射管後部から装填される仕掛けです。装填に要する時間、約20秒! 右の写真は今回使用した「「初春級」級モデルをベースにした竣工時のモデル:2番煙突がやや左にオフセットされています。しかもこだわりの次発装填装置がない!これは気になる、でしょう!?)

 

うう、リサーチ不足だった、と少しがっくり。しかも、これは気がついてしまうと、気になる。

対策は、と考えてみます。手っ取り早く思えるのは2番煙突の位置変更ですが、2番煙突の位置変更は、実は1:1250スケールではちょっと大事です。そっくり2番煙突ブロックを船体から切除して、加工して再移築というような作業が想定されますが、いつもは「手軽さ」となるスケールの小ささが今回は災いして、切除に使用するソー、あるいはニッパの刃が構造を必ず損なう結果になると考えています(筆者の手技不足も、もちろん大きな要因ですが)。結局、検討の結果は、新モデルをベースにもう一回やり直すしかない、かと・・・・。

 

(追記と編集)で、今回のやり直しになるわけです。併せて、ちょっと欲張った事も下記のように書いています。

 

という事で、いずれ新モデルをベースに(もったいないなあ)再作業する事にします。まあこういう事もありますよね。

今回の経験で作業の大体の要領と手順は分かったし、今回手をかけた艦橋部と後橋部の建屋は多分両方転用できそうですので、作業は幾分手軽になるかと。筆者的にはまた楽しみが増えた、という事です。(と、前向きに・・・)

しかも、うまくいけば、以前から気になっている、日本海軍のもう一つの未整備モデルである「千鳥級」水雷艇の竣工時モデル(こちらも今回の「初春級」と同様、ワシントン・ロンドン体制の制約による過大兵備の要求から復原性に大きな問題を発生した艦級で、やはり復原性修復後のモデルしか市販されていません)のセミ・スクラッチも同時に手掛けられるかも(この作業には「初春級」の主砲塔:特に単装主砲塔と、多分、同級の艦橋が必要になってくるのです。結局、「初春級」を2隻潰すのだから、とある意味、怪我の功名かも。課題は「千鳥級」の竣工時の連装魚雷発射管を自作しなくてはならないところ。小さな部品ではありますが、一つの特徴でもあるので、ちょっと慎重に準備しなくてはなりません。・・・と、すっかり同時着手の気になってしまっている!!)。

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(早速、同時着手:「千鳥級」(上)と「初春級」(下)いずれもNeptune社製モデルの上部構造物を、必要な箇所をのぞいて切除)

 

で、早速、着手、となるわけですが・・・

「初春級」竣工時と復原性改修後の相違点

「初春級」(竣工時)の再現にあたって、最も肝となるのは、その兵装配置である事は明らかです。

「初春級」(改修後)では、その兵装配置は日本海軍艦隊駆逐艦の標準的なもので、艦首に1番連装主砲塔を搭載し、第一煙突と第二煙突の間に1番魚雷発射管(3連装)、第二煙突直後に2番魚雷発射管(3連装)という配置になります。その後部に魚雷の自発装填装置を組み込んだ後橋、その後ろに2番主砲塔(単装)、3番主砲塔(連装)が背中合わせに配置されています。f:id:fw688i:20200822010836j:plain

 

これに対し「初春級」(竣工時)では、艦首部に1番主砲塔(連装)と2番主砲塔(単装)が背負い式に配置されるという、本級のみに見られる大変ユニークな配置になっています。同時にこの背負式の主砲配置に伴い艦橋部が大型化しています。さらに、第一煙突と第二煙突の間の1番魚雷発射管(3連装)、第二煙突直後の2番魚雷発射管(3連装)に加え、さらにその後ろの後橋部に組み込まれる形で3番発射管(3連装)が少し配置位置を高めにして背負い式のような形で装備され、竣工時には大型駆逐艦並の9射線の魚雷発射能力を誇っていました。そして後橋の後に3番主砲塔(連装)が配置されていました。

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「初春級」(竣工時)のセミ・スクラッチ手順(ここからはリトライ作業ベースのお話に書き換えていきます)

という事で、今回のセミ・スクラッチは結構大工事になりました。

⑴まず艦橋を切除(これはもちろん後で使うので保管しておきます、が、結局は前回作成した旧モデルベースの艦橋を使う事にしました。艦橋が一つストックに。後で出てくるので、忘れないでね)。

⑵次にとりあえず2番魚雷発射管を撤去。:竣工時モデルでは3基必要となりますので、ストックに入っていたTrident社製の「吹雪級」のモデルから魚雷発射管を拝借します。(Trident社製モデルも、パーツ分割が容易で、パーツの精度も高いので、こう言うセミクラッチの際には、大変重宝します)。しかもありがたい事に、Trident社製の発射管はNeptune社製の発射管とディテイルも大きさもほとんど違和感がありません

⑶後橋と2番砲塔(単装)を撤去:2番砲塔は貴重な単装砲塔です。もちろん後で使うので保管します。

⑷撤去後をできるだけ平らにヤスリでゴリゴリ。

⑸前述の2番・3番発射管を拝借したTrident社製「吹雪級」の後橋部分をベースに整形を施し後橋部分を制作。艦橋下層部には艦橋上部を乗せ、先端に2番主砲塔(単装)を搭載。後橋部には3番魚雷発射管とブリッジらしく見えるように少しストックから部品を追加。

これらを再度組み上げて、マストを整理して出来上がり、という事になります。

 

 そして、塗装をして完成

 下の写真が完成形。兵装の過多と、それに伴うトップヘビー感がでていれば一応の成功です。

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(直上の写真は「初春級」竣工時の概観:88mm in 1:1250 by Neptuneをベースにセミ・スクラッチ

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(直上の写真は、「初春級」竣工時の特徴のアップ。左上:艦橋部。艦橋部の下層構造を延長し、艦橋の位置をやや後方へ。艦橋部下層構造の前端に2番主砲塔(単装)を、1番主砲塔(連装)と背負い式になるように配置。右上:2番魚雷発射管。これは全く手をつけず。下段左と中央:後橋部分と2番・3番発射管の配置状況。3番発射管自体は、船体中心線に対し、やや右にオフセットした位置に追加。細かいこだわりですが、一応、3番発射管用の次発装填装置を後橋部の構造建屋の上に設置。2番発射管用の次発装填装置は後橋部建屋の左側の斜め張り出し部に内蔵されています)

 

復原性修復後のモデルとの比較は以下に。二枚とも、上が「竣工時(今回セミ・スクラッチ製作したモデル)」、下が「復原性修復後」のモデル(Neptune社の現行の市販モデル)。

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「竣工時」の過大な兵装とそれに因る腰高感が表現できているかどうか・・・。できているんじゃないかな(とちょっと自画自賛)。 

 

と言う事で、「初春級」の竣工時モデルについては、ここまで。

 

さて続いて・・・。

「千鳥級」水雷艇 竣工時モデルの制作

前述の通り、「千鳥級」水雷艇についても既述の「初春級」と同様、ワシントン・ロンドン体制の制約による過大兵備の要求から復原性に大きな問題を発生した艦級で、やはり復原性修復後のモデルしか市販されていませんでした。

そこで、今回の「初春級」リトライをきっかけにこちらにも挑戦。

この同時挑戦についての大きな動機は「初春級」の再制作(Neptune社製新モデルをベースに再製作)に伴い「50口径3年式12.7cm砲」の砲塔セットがもう1組ストック入りした事で、この中には「初春級」の特徴でもある単装砲塔が含まれています。「千鳥級」水雷艇の竣工時モデルの製作にあたっては、この単装砲塔が不可欠で、これが今回の「同時製作」の大きなきっかけになりました。

 

「千鳥級」水雷艇

ja.wikipedia.org 600トンを切る小さな艦体に、当時の主力駆逐艦と同様に50口径5インチ砲(12.7cm砲)を、艦首部に単装砲塔、艦尾部に連装砲塔という配置で3門を搭載し、さらに連装魚雷発射管を2基、予備魚雷も同数装備、30ノットの速力を発揮する高性能艦として誕生します。駆逐艦なみの主砲装備のために射撃管制塔の要請から艦橋も大型化し、設計中から既に重武装に起因する復原力不足は課題として意識されていました。

公試時の転舵では大傾斜が生じ、急遽大きなバルジを追加装備する形で対策がとられ竣工しました。

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 (直上の写真:「千鳥級」水雷艇の竣工時の概観。63mm in 1:1250 by Neptuneベースのセミ・スクラッチ)

 

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 (直上の写真:「千鳥級」水雷艇の竣工時の特徴のアップ。上段:艦首部の単装砲塔と背の高い艦橋部。舷側には復原性対策として急遽増設されたバルジを再現してあります。下段左:連装魚雷発射管を2基装備、下段右:艦尾部の連装主砲塔)

 

その後、同型艦の「友鶴」で、40度程度の傾斜から転覆してしまうという事故が発生し(設計では90度傾斜でも復原できる事になっていました)、深刻な復原力不足が露呈します。

友鶴事件 - Wikipedia

事件後、設計が見直され、ほぼ別設計の艦として同級は生まれ変わります。その変更点は、艦橋を1層減じ小型化すると共に、バルジを撤去し代わりに艦底にバラストキール(98トン)の装着によるトップヘビー解消。そして武装を再考し、主砲口径を5インチ砲から12センチ砲へと縮小し、搭載形式も砲塔式から防楯付き単装砲架への変更(22トンの重量削減)、あわせて魚雷発射管を連装1基へ削減し予備魚雷も搭載しない(40トンの重量削減)、等により復元力は改善されましたが、速力は28ノットに低下してしまいました。

 (直下の写真:「千鳥級」水雷艇の復原性改修後の概観。63mm in 1:1250 by Neptune)

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竣工時と復原性改修後の比較は以下に。竣工時のモデルはイタリア海軍の水雷艇によく似ている気がします。海面のおだやかな地中海であればこれで大丈夫なのかもしれませんね。

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戦争中は、敵潜水艦に対する速力不足が常に課題とされた「海防艦」と異なり、その優速を生かした理想的な対潜制圧艦と評価され、船団護衛等に活躍しました。

同型艦4隻中3隻が戦没。

(この記述は、本稿の「大好きな小艦艇特集(二等駆逐艦水雷艇・掃海艇・駆潜艇)」にも反映されています)


その他のモデル、若干のセミクラッチ

今回の「初春級」竣工時、「千鳥級」竣工時の製作に伴い、ストックパーツの整理、ストックモデルの見直しと分解等の作業を行ったのですが、それに伴い、死蔵していた古いストックモデルにも整理の機会がありました。以下はそのまとめ。

 

「第1号級」掃海艇(既存モデル、あった!?)

ja.wikipedia.org

(直下の写真:「第1号級」掃海艇の概観。59mm in 1:1250 bt ??? メーカー不明)

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筆者が頼りにしている艦船モデルのデータベースsammelhafen.deで調べても、「第1号級」掃海艇のモデルは登録されていないのですが、筆者のストックモデルでそれらしきものを発見。少しディテイルアップをしてみました。(↓頼りにしているデータベースはこちら)

sammelhafen.de

 

「第1号級」掃海艇は、それまで旧式駆逐艦等を掃海任務に割り当てていた日本海軍が、大正期の八八艦隊計画の一環として初めて当初から「掃海艇」として設計した艦級です。日本海軍の掃海艇の常として、敵前での主力艦隊の前路開削を想定しているため、本級も艦型に比して比較的強力な砲力を搭載していました。(600トン、12cm平射砲2門、20ノット)

同型艦に、本級を改良した「第5号級」掃海艇があります。

ja.wikipedia.org

「第1号級」も「第5号級」も準同型艦で外観には大差がなく、「第1号級」「第5号級」併せて6隻が建造され、太平洋戦争には、その汎用性を買われて本来の掃海任務の他、船団護衛等にも従事しました。第4号掃海艇を除いて、全てが太平洋戦争で失われました。

(この記述は、本稿の「大好きな小艦艇特集(二等駆逐艦水雷艇・掃海艇・駆潜艇)」にも反映されています)

 

 機雷敷設艦というジャンル

これまで本稿ではこのジャンルについて「日本海巡洋艦開発小史(その4) 平賀デザインの巡洋艦」の回に、同回の主役であった「古鷹級」巡洋艦ロンドン条約の制限に関連する記述でわずかに機雷敷設艦津軽」について、以下のように軽く触れただけでした。

 

ロンドン海軍軍縮条約で生まれた「重巡洋艦」(カテゴリーA)の話

ロンドン条約では「主砲口径が6.1インチを超え、8インチ以下で、10000トン以下の艦」をカテゴリーA:重巡洋艦とすると言う定義が行われることになります。この定義は、「夕張」「古鷹級」と言う画期的なコンパクトな重武装艦を生み出し始めた日本海軍を警戒して列強が定め、「古鷹級」とこれに続く「青葉級」をカテゴリーAの総排水量の中でカウントし、その保有数に限界を持たせることを狙ったとも言われています。

同様の制約は、その他の補助艦艇に対する制約でも現れます。その一つが機雷敷設艦艇での制限で、ここでは新造される機雷敷設艦の最大速力を20ノットと制限することで、日本海軍が高速で強力な兵装を持つ、軽巡洋艦或いは重巡洋艦に匹敵するような高速機雷敷設巡洋艦保有することを制限する狙いがあった、と言われています。これも「夕張」「古鷹級」のもたらした副産物と言えるかもしれません。

 

機雷敷設艦津軽
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(直上の写真は、上述の機雷敷設艦津軽」:104mm in 1:1250 by Neptune)

ja.wikipedia.org

 4000トンの船体を持ち、条約制限いっぱいの20ノットの速力を有していました。「津軽」は12.5cm 連装対空砲を2基を主砲として搭載していますが、準同型艦の「沖島」は軽巡洋艦と同等の14cm主砲を連装砲塔形式で2基、保有していました。ロンドン海軍軍縮条約で、機雷敷設艦等の補助艦艇には最高速力を20ノット以下とする、という制限がかかりましたが、これは、「夕張」「古鷹級」等のコンパクト重装備艦の登場を警戒した列強が、機雷敷設艦の名目で日本海軍が軽巡洋艦として運用できる強力な敷設巡洋艦を建造することを予防した、と言われています。実際に太平洋戦争では、中部太平洋ソロモン諸島方面で輸送船団の護衛や、自ら輸送・揚陸任務など、高速を必要とする水雷戦隊旗艦等の任務を除けば、他の軽巡洋艦と同等に活躍しています。

 

機雷敷設艦厳島」「白鷹」

本稿では既述ですので、お読みいただいた方もいらっしゃるとは思いますが、実は筆者はこうした補助小艦艇が大好きです。

今回ストックモデルの整理にあたって、なんとも嬉しい事に「厳島」と「白鷹」の二つのモデルを死蔵していたことを発見。これに手を加える機会がありました。

飽きやすい性格も手伝って、途中からは今回の主役であるべき「初春級」「千鳥級」を押し除けて、週の後半は「機雷敷設艦」のシリーズ展開のことばかり考える始末。

これらは死蔵モデルの発見と、「初春級」「千鳥級」のセミ・スクラッチにともない発生したストックモデルのパーツ(特に今回は駆逐艦の艦橋パーツ)の再利用機会の模索が大きく影響しています。

実は両モデルを死蔵のままにしていた理由は、両オリジナルモデルの艦橋の造作が何かピンときていなかった、つまり「いずれは手を入れようと思っていた」という背景が大きく作用しています。そうした事態が、今回の駆逐艦ストックモデルの分解作業に刺激されて一気に表面化した、という、筆者の内面を分析すると、おそらくそういうことです。

併せて軽く紹介しておきます。

 

機雷敷設艦厳島

掃海艇同様、日本海軍は機雷敷設業務に、旧式の装甲巡洋艦等を当てていましたが、大正期の八八艦隊計画に準じて、初めて本格的な機雷敷設艦の設計に着手しました。それが「厳島」です。
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(直上の写真は、機雷敷設艦厳島」:89mm in 1:1250 by Authenticast)

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2000トン級の艦型に、主機にはディーゼル機関を採用しています。設計当時の艦隊決戦主戦場と想定されていた南洋諸島方面での機雷敷設任務を想定し航続距離と機雷搭載量が重視され、速力は17ノットと少し控えめに設定されています。

日本海軍の常として強行敷設、敵前敷設をも想定したため、2000トンの艦型の割には比較的強力な砲力をもっています。(14センチ砲単装砲3基)

 

急設網艦「白鷹」

その名の通り、艦隊泊地などに対潜水艦侵入防止用の防潜網を展張する役目を負う艦種ですが、機雷敷設の能力もあるため、正式の艦種分類は日本海軍では機雷敷設艦となっています。

「白鷹」(「ハクタカ」ではなく「シラタカ」と読みます)は日本海軍が建造した最初の「急設網艦」ですが、同時に世界で初めて防潜網敷設艦として設計された船でもあります。

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(直上の写真は、急設網艦「白鷹」:69mm in 1:1250 by Superior?ちょっと怪しい。兵装配置はほぼ最終時点=8cm高角砲2基を主兵装とした時点を再現しているつもりです。もう少し爆雷投射機等があったほうがいいかも)

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就役当初から復原性に大きな課題を抱えており、重装備であった砲兵装が順次改められてゆきました。また大戦の推移にともない防潜網の展張、機雷敷設の機会の減少に準じ、敷設関係の装備を撤去して代わりに対潜装備を搭載。最終的には船団護衛に従事したと言われています。

(1300トン、12cm高角砲3基(竣工時)、のち8cm高角砲2基、速力16ノット)

 

機雷敷設艦厳島」と急設網艦「白鷹」

 両艦の大きさの比較は以下の通りです。両艦ともに就役後復原性の不足に苦しみ、数度の改装を受けています。

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なんか、こういうマイナーなモデルに手を入れて、なんとなく「らしい」と思えるモデルに「できた」と思える時、「ああ、やっててよかったなあ」と思えるんですよね。<<<全くの自己満足発言であることは自覚しています。

 

今回は、いずれも艦のフォルムそのものは手を入れず、両艦とも艦橋を駆逐艦のストックパーツに入れ替えています(実は「白鷹」の艦橋には、冒頭ご紹介した「初春級」竣工時モデルの箇所で紹介したNeptune社「初春」の新モデルの切除された艦橋の上部が転用されています。ね、出てきたでしょ)。

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(「厳島」(上)と「白鷹」(下)のそれぞれのオリジナルモデル。どちらも艦橋が、なんかねえ、と思いません?)

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併せて武装パーツをストック中からもう少しモールドのシャープなもの、あるいは他のスケールのストックパーツから転用できそうなもの(例えば1:700スケールの機銃を高角砲にとか)に換装したりしています。

 

こうして、「機雷敷設艦」のジャンルについては、大どころが揃ってきました。大きなところで欠けているのは「沖島」と「八重山」、そして急設網館「初鷹級」でしょうか。

沖島」は準同型艦津軽」からのセミ・スクラッチが完了しているので、あとは「八重山」と「初鷹級」ですが、これがどうにも手に入りません。「八重山」については、製造元(Midwayという会社だったのですが)が既に廃業していることがUSのコレクターからの情報でわかりました。「他にはちょっと知らないなあ。中古モデルを気長に探すしかなさそうだよ」というコメントでした。

 

ということで、次回は、「機雷敷設艦」を、今あるところまでで、一旦おさらいしておきましょうかね。

 

おまけ:測量艦「筑紫」らしき・・・

小艦艇の死蔵モデルの中には「艦級名」すらわからないものも、多数含まれています。

「何だろうこれは?」ということで、少々無理やり寸法の似ている測量艦「筑紫」に似せて仕上げてしまおう。(実は「筑紫」と言い切るには船首楼が長すぎるのです。乾舷も低すぎるかも)
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(直上の写真は、測量艦「筑紫」らしき・・・:69mm in 1:1250 by ??? 不明)

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ということで、今回はこの辺りでおしまい。

次回は前述のように「機雷敷設艦」関連で、一度まとめをしておきましょうか。「グレイハウンド」も何度か観たし。

 

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