相州の、ほぼ週刊、1:1250 Scale 艦船模型ブログ

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

(補遺12−1)戦艦石見の製作に再チャレンジ(製作記:前半)

戦艦石見の前身:オリョール(ボロジノ級戦艦3番艦)

日本海軍の前弩級戦艦石見の前身は、ロシア帝国海軍のボロジノ級戦艦3番艦オリョールである。(1904-, 14091t, 18knot, 12in *2*2, 5 ships, 95mm in 1:1250 )

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ボロジノ級戦艦は、ロシア旅順艦隊における最良戦艦と評価の高かったフランス製の戦艦ツェザレヴィッチをタイプシップとしている。ライセンス契約したツェザレヴィッチの基本設計をもとに、いくつかの要求事項を盛り込みロシアで建造された。しかしその設計変更と建造の不手際から実際の排水量が計画排水量を大幅に上回ったこともあって、ベースに比べて復原性に劣り、失敗作といえるものになってしまった。

欠陥があるにせよ、日本海海戦の時点では、ロシア艦隊最新最強の戦艦であることに変わりはなく、その主力として、この4隻で最強の第一戦艦戦隊を編成し、ロジェストウェンスキーが直卒した。

日本海海戦においては主力として奮戦したが、結果、オリョールを除く3隻は浸水の末転覆、沈没した。復原性の欠陥が白日の下に晒された結果となった。 

日本海軍は日本海海戦において、満身創痍の状態で、しかしまだ航行を続けていたオリョールを鹵獲し(1905年5月28日)、1905年7月から1907年11月までの期間をかけて修復、1908年艦隊に編入した。

修復にあたっては、上記の復原性の改善に主眼を置き、乾舷形状の変更や最上甲板の撤去を伴う上部構造物の簡略化、重量のある副砲塔の撤去、20センチ副砲の設置などが実施され、艦型が一変するほどのものとなった。副砲を20センチとしたことで、準弩級戦艦にも匹敵する強力な戦艦として生まれ変わった。

しかし、周知のように既に1906年に英海軍がドレッドノートを就役させており、この時期に就役した他の前弩級戦艦、準弩級戦艦と同様、二線戦力と言わざるを得なかった。

その後、1912年に海防艦の艦種変更され、海防艦籍で第一次世界大戦に参加(青島攻略戦ほか)、シベリア出兵に関連する北方警備などに従事した。

1922年に除籍。

 

戦艦石見の製作

戦艦石見の1:1250スケールの模型は、残念ながら筆者が知る限りでは存在しない。

そこで筆者も、史実同様、ボロジノ級戦艦をベースにこれまで二度製作を試み、二度目の作品をコレクションに加えた。

ベースとしたのはNavis社製のボロジノ級5番艦スラヴァ(ボロジノ級の中で唯一、日本海海戦に参加せず、従ってその後長くロシア帝国艦隊の主力を務めた)で、そのメタル製の船体をガシガシと削り、艦型を整えた。一応の完成を見たのだが、メタルの加工の難しさと筆者の技術の低さが相まって、決して満足のいくものだとは思っていなかった。

(現行のコレクションにあるモデル)

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今回はメタルよりは加工のしやすそうな3Dプリンティングモデルに着目し、既に1:700スケールのモデルを公開していたKaja's Models and Machinationsにスケールダウンをお願いした。

www.shapeways.com

(現在は上記ページで1:1250スケールも公開されています。スケールダウンは、依頼を行ってから2日ほどで対応していただけました。3D プリテンティングの製作者の方々は、こうした依頼に、概ね気持ち良く応えていただけます。多くの場合、少し手直しが必要だろうから、時間がかかるかも、というメッセージが帰ってきますが、今回のケースのように、せいぜい2−3日であることが多いです)

 

昨日、依頼していた3Dプリンティングが到着し、早速、上甲板の撤去、上部構造物の軽量化等の加工を行なった。

以下、作業状況を。

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上の写真は、Kaja's Models and Mechanicalsのオリジナルモデルです。これに主砲塔、副砲塔が別部品で付属しています。(100mm in 1:1250)Navisのモデルより少し大きいかもしれません。 素材はWhite Natural Valsatile Plasticで、やや粘度の高いレジン(?)のようなものです。モデルそのものは、大変よくその特徴を捉えていると思います。

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早速、上部構造等を切除。メタルに比べると格段に作業は楽です。

下はオリジナルとの比較。かなりスッキリした感じだと思いませんか。

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舷側形状をエポキシパテとプラ板で修正。副砲を手持ちのストック部品から、両舷に3基づつ設置。そして、上部構造物を少し簡素化して再設置しました。

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そして再びオリジナル(奥)と比較。

少しは課題のトップヘビーは解消できたかな?(下)

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もう少しだけ手を加え、サーフェサーを塗布して今日の作業は終了です。

 

次回はこの続きを。

 

***模型についてのお問い合わせ、お待ちしています。或いは、**vs++の比較リクエストなどあれば、是非お知らせください。

 

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第14回 第一次世界大戦後の日本海軍の超弩級艦の発展

第一次世界大戦の戦訓

本稿で見てきたように、第一次世界大戦に対する日本海軍の関与は、ほぼ独海軍の展開する通商破壊戦への対応に尽きると言っても過言ではない。

具体的には、開戦当初のシュペー率いるドイツ東洋艦隊への対応、そしてANZAC派遣軍の護衛であり、地中海への駆逐艦で編成された特務艦隊の派遣であった。

ANZAC派遣軍の護衛任務は、ドイツ東洋艦隊の根拠地青島、あるいはマリアナ・カロリン両諸島を失って以降、ドイツ海軍がインド洋、太平洋に拠点を持たなかったため、ほぼ名目的な任務に過ぎなかったが、地中海に派遣された特務艦隊はドイツ、あるいはオーストリアハンガリー海軍の潜水艦を相手に、対潜水艦戦を経験し、損害も出した。

この新しい「潜水艦による通商破壊戦」は、第一次世界大戦で諸国の海軍が初めて経験する形態の戦闘で、手探り、という点では横一線でのスタートと言えた。しかし、これも本稿ですでに触れたことであるが、諸国の対応は鈍く、英国などはその重大な脅威を肌身で実感したはずであったにも関わらず、戦後、その戦訓が明快な形を結ぶことは、なかった。

日本海軍も同様であり、日露戦争およびこの大戦での水雷兵器の発展と、その発射プラットフォームとしての潜水艦に対する水野広徳大佐による優れた先駆的分析がありながら、のちの太平洋戦争が主として南方の資源確保がその主題であったにも関わらず、米潜水艦の跳梁に対し、何ら有効な手段を持ち得なかった。

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写真上段は第二特務艦隊として地中海に派遣された日本海駆逐艦に種、樺型と桃型。

第二特務艦隊には、当初、樺型8隻、増援として桃型4隻が投入された。

樺型駆逐艦:1915− :595トン、30ノット、66mm in 1:1250

樺型駆逐艦 - Wikipedia

桃型駆逐艦:1916–:755トン、31.5ノット、66mm in 1:1250

桃型駆逐艦 - Wikipedia

下段は、第一次世界大戦当時の代表的なドイツ海軍Uボート (U23クラス:水上670トン・水中870トン、水上16.5ノット・水中10ノット、50mm in 1250)

https://en.wikipedia.org/wiki/U-boat#World_War_I_(1914–1918)

 

第一次世界大戦は、諸国が初めて経験する総力戦であった。即ちそれまでの戦争のように数回の主戦力同士の会戦(陸海問わず)によって雌雄が決まる形式の戦争ではなく、補給、資源供給能力を問われる長期戦であり、そこでは海上決戦のような局地的、短期的な戦闘形態は有効ではなくなりつつあった。特に海軍の任務で言えば、通商路の破壊と防御のウエイトがより高まり、そこで求められるのは、より広域に展開され、常設的で、浸透性の高い戦術であったと言えよう。ドイツ帝国海軍は戦争初期に、意識してかどうかはさておき戦術転換を成し遂げ、主力艦の出撃は限定的に抑える一方、無制限潜水艦作戦で具現化した。

諸列強が熱意を込めて整備してきた主力艦の時代の終幕が濃厚に予感された。

 

日本海軍の超弩級戦艦整備状況

第一次大戦開戦当初、日本海軍は、特に弩級戦艦超弩級戦艦の整備で諸列強に大きく出遅れた。

本稿でも触れたが、例えば開戦時の主力艦の保有数をみれば、イギリスは弩級超弩級戦艦を22隻、巡洋戦艦を9隻、前弩級戦艦を40隻保有していたのに対し、ドイツ帝国はこれに次いでそれぞれ14隻、4隻、22隻で、名実ともに当時の雌雄であった。これに次ぐのはアメリカ海軍で、それぞれ12隻、0隻(アメリカは何故か、巡洋戦艦に興味を示さなかった)、23隻、さらに、かつての大海軍国フランスは、それぞれ3隻、0隻、17隻であった。一方、イタリア海軍は3隻、0隻、8隻、オーストリアハンガリー海軍は4隻、0隻、9隻で、地中海で対峙していた。

日本海軍を見ると、弩級戦艦2隻(河内、摂津)、超弩級戦艦なし、巡洋戦艦2隻(金剛、比叡:大戦中に榛名、霧島2隻が就役)、前弩級戦艦17隻で、そのうち第一線級の戦力とみなされるものは、金剛級巡洋戦艦だけであった。超弩級戦艦の整備が切望された。

 

初の超弩級戦艦 扶桑級、その改良型伊勢級の建造

金剛級超弩級巡洋戦艦と対をなす超弩級戦艦として、扶桑級戦艦は建造された。

主砲は金剛級と同じ14インチ砲で、これを連装砲塔6基12門搭載。艦首部と艦尾部は背負い式配置として、残り2基をを罐室を挟んで前後に振り分けた。軍艦史上初めて30,000トンを超える大鑑で、日本海軍の念願の超弩級戦艦は、一番艦の扶桑完成の時点では、世界最大、最強装備の艦と言われた。

艦型全体で見ると、6基の砲塔はバランス良く配置されているように見えるが、実はこれが斉射時に爆風の影響を艦上部構造全体に及ぼすなどの弊害を生じることが完成後にわかった。また罐室を挟んで砲塔が配置されたため、出力向上のための余地を生み出しにくくなっていることもわかった。さらに欧州大戦でのユトランド海戦での長距離砲戦への対策としては、水平防御が不足していることが判明するなど、世界最大最強を歌われながら、一方では生まれながらの欠陥戦艦と言わざるを得なかった。

扶桑型戦艦 - Wikipedia

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(1915年、30,600トン: 35.6cm連装砲6基、22.5ノット) 同型艦2隻 (165mm in 1:1250 by Navis)

 

扶桑級戦艦は完成後、前述のような欠点を持っていることが判明したため、扶桑級の3番艦、4番艦の建造に待ったがかかった。設計が根本から見直され、主砲配置、甲板防御、水雷防御などが一新し、全く異なる艦型の戦艦となった。これが伊勢級戦艦である。設計の見直しに併せて、主砲装填方式の刷新、方位盤の射撃装置の採用なども行われ、より強力な戦艦となって誕生した。

一方で、砲塔の配置転換などにより居住区域が大幅に削減され、乗組員は劣悪な居住性に甘んじなければならなかった。

伊勢型戦艦 - Wikipedia

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(1917年、29,900トン: 35.6cm連装砲6基、23ノット)同型艦2隻 (166mm in 1:1250 by Navis)

 

扶桑級伊勢級の同時代のライバル艦

同時期の列強の戦艦は以下の通りである。

注目すべきは、米海軍においてはペンシルベニア級、ニューメキシコ級、テネシー級ともに日本海軍と同じ14インチ砲ながら、これを3連装砲塔に収め、これにより艦型そのもののコンパクト化を目指し、一方では重点防御への展開が見られた。

他方、英海軍を見ると、クイーン・エリザベス級、リベンジ級ともに15インチ砲を主砲として採用している。併せて速力は扶桑級伊勢級を上回っている。

いずれの列強の新造艦を見ても、さらに強力な戦艦の建造を目指す必要があった。

ペンシルベニア級戦艦 - Wikipedia

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(1916年 31,400t: 35.6cm砲三連装4基 21ノット)同型艦2 隻(147mm in 1:1250 by Navis)

主砲塔を全て三連装とし、12門の主砲をコンパクトに搭載した。この艦以降、機関はタービンとなった。

 

ニューメキシコ級戦艦 - Wikipedia

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(1918〜1919年 32,000t: 35.6cm砲三連装4基 21nノット)同型艦3隻 (152mm in 1:1250 by Navis)

主砲を50口径に強化し、新設計の主砲塔を採用した。艦首の形状をクリッパー形式とした。ニューメキシコ のみ、電気推進式タービンを採用した。 

 

テネシー級戦艦 - Wikipedia

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(1919〜1920年 32,600t: 35.6cm砲三連装4基 21ノット)同型艦2隻 (152mm in 1:1250 by Navis)

ニューメキシコ 級の改良型で、艦橋と射撃指揮装置を拡充した。機関には電気推進式タービンを採用した。 

   

クイーン・エリザベス級戦艦 - Wikipedia

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(1915年、29,150トン: 38.1cm連装砲4基、23ノット)同型艦5隻(154mm in 1:1250 by Navis)

38.1センチ砲を主砲として採用し、砲力の格段の強化を図った。あわせて速力を24ノットとして、高速化を図った。高速戦艦の登場である。

 

 リヴェンジ級戦艦 - Wikipedia

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(1916年、28,000トン: 38.1cm連装砲4基、23ノット)同型艦5隻 (150mm in 1:1250 by Navis)

アイアン・デューク級の船体に38.1センチ砲を搭載する方針で設計された。重油専焼ボイラーを搭載し、速力を23ノットとした。

 

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 (三海軍超弩級戦艦、艦型比較:上から、日本海軍:伊勢級、米海軍:ニューメキシコ級、英海軍:クイーン・エリザベス級)

 

高速戦艦 長門級の誕生

扶桑級伊勢級、ともにその計画は第一次世界大戦前に遡り、一部大戦の戦訓を盛り込んだとはいえ、十分なものではなかった。併せて前述のように競合列強は次々にこれらを凌駕する強力な戦艦を建造しており、日本海軍としては、さらにこれを上回る艦の建造を求めた。 

列強の諸艦に対しては、世界初の16インチ砲を採用しこれを圧倒することとし、この巨砲群の射撃管制のための巨大な望楼構造の前檣を採用し、その最頂部に大型の測距儀を設置した。併せてユトランド沖海戦からの戦訓として、防御力の拡充はもちろん、高速力の獲得も目指された。計画当初は24.5ノットの速力が予定されていただが、ユトランド沖海戦から、機動性に劣る艦は戦場で敵艦をとらえられず、結果、戦力足り得ない、との知見を得て、26.5ノットの高速戦艦に設計変更された。

長門型戦艦 - Wikipedia

en.wikipedia.org

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(竣工時の長門級。当初、前部 煙突は直立型であったが、前檣への排煙の流入に悩まされた。煙突頂部にフードをつけるなど工夫がされが、1924年から1925年にかけて、下の写真のように前部煙突を湾曲型のものに換装した)

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(1920-, 33,800t, 41cm *2*4, 26.5knot, 2 ships: 176mm in 1:1250 by Hai)

(直上の二点の写真は、1925年ごろのもの。1924年から1925年にかけて、前部煙突を湾曲型のものに換装した)

 

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(日本戦艦の発達:下から、扶桑級伊勢級長門級

 

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(日本戦艦の発達:手前から、扶桑級伊勢級長門級

 

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 (三海軍超弩級戦艦、艦型比較:上から、日本海軍:長門級、米海軍:ニューメキシコ級、英海軍:クイーン・エリザベス級)

 

長門級の誕生により、世界の主力艦情勢は新たな局面を迎える。これを機に、列強は軍縮の方向に舵を切り、ワシントン条約によるネイバルホリデーが始まる。七大戦艦が君臨する一種のモラトリアム期間に入るのだが、本稿では、別の形でのネイバルホリデーが描かれることになる。

次回は、その準備段階として七大戦艦と、ワシントン条約について。

 

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第13回 ユトランド沖海戦とドイツ帝国海軍の終焉

海戦の背景と企図

1915年1月のドッガー・バンク海戦は、独帝国海軍が戦前の建艦競争以来続く英海軍の戦力優位を揺るがすべく、高機動を誇るその巡洋戦艦戦隊の挑発で英艦隊の一部を誘引し、大海艦隊主力でこれを叩き、戦力バランスの改善を図るという構想の元に実施された。

ヒッパー中将の巡洋戦艦戦隊の行動により、その当初の目的であった英艦隊の一部(ビーティ中将の第一巡洋戦艦戦隊)誘引は成功したものの、艦隊保全を命じた皇帝勅令に縛られた大海艦隊司令長官インゲノール大将は動かず、英独両海軍の巡洋戦艦同士の海戦という規模で終了した。

 

もちろん戦力バランスには影響はなく、海戦以前の膠着状態が継続した。

 

その後、インゲノールはその消極的姿勢により更迭され、後任にはフーゴ・フォン・ポール大将が就任した。ポールは、英海軍の北海機雷封鎖を事実上の無制限攻撃であるとして、これに対抗すべくイギリス周辺海域での潜水艦による無警告攻撃を宣言し通商破壊戦を強化した。

しかし、5月に発生したルシタニア号事件への対処に苦慮した皇帝の介入により、独海軍は、成功しつつあった無制限潜水艦作戦を、8月に一旦中止せざるを得なくなった。

 

1916年1月、病を得て職を辞したポール大将の後任に、ラインハルト・シェア中将が就任した。2月には、西部戦線でヴェルダンの戦いが始まり、海軍も支援行動が求められた。

シェアは、ヴェルダン支援の要請の下、制限の緩められた裁量権を活用し、再び水上艦隊による作戦を構想した。

作戦目的は。これまでのものを踏襲し、英独のバランス回復とした。

具体的には、ドッガー・バンク海戦同様、高機動性を誇るヒッパー中将指揮の巡洋戦艦戦隊の挑発で、英海軍の一部を引き出し、今度こそ、それを大海艦隊主力が叩く、というものであった。あわせて英主力艦隊への牽制として、同時期に潜水艦部隊によるピケラインを展開するものとした。

しかし、暗号解読等にてその意図を把握していた英艦隊は、ジェリコー大将の指揮の下、その裏をかく作戦を立案した。すなわち、ヒッパーの巡洋戦艦戦隊に対しては、これもドッガー・バンク海戦の再現よろしくビーティ中将の巡洋戦艦戦隊で対応し、誘引されたように装いながら、実はこれを襲撃するために出撃する独艦隊主力を逆に誘引し、これを英艦隊主力をもって撃滅することを計画した。

 

奇しくも、ほぼ同じ戦術システム、技術を持った両海軍が、決戦を意図して全力で出撃する。この三要件が揃った事例は、実は大変珍しいと言って良いであろう。

これまで本稿で見てきた主力艦が関連する海戦では、戦術システム、技術の同等さの点で、いずれも日露戦争における黄海海戦日本海海戦がこれに近いと言えるかもしれない。但し、両海戦とも、ロシア艦隊の目的は、あくまでウラジオストックへの遁入であって、ロシア艦隊側から見れば、決戦意図は希薄で、どちらかというと「できれば避けたかった遭遇戦」と言えるであろう。

 

そして、やはりユトランド沖海戦については、その規模に触れねばならない。

主力艦だけを取り上げても、独艦隊が16隻の弩級戦艦、5隻の弩級巡洋戦艦、そしてその補助として6隻の前弩級戦艦で構成されていたのに対し、英艦隊は10隻の弩級戦艦、18隻の超弩級戦艦、5隻の弩級巡洋戦艦、4隻の超弩級巡洋戦艦でこれを迎え撃つべく準備した。

 

両軍の参加主力艦は以下の通りである

英大艦隊(Grand Fleet)

○戦艦部隊 司令長官:ジョン・ジェリコー大将

戦艦アイアン・デューク(艦隊総旗艦:アイアン・デューク級)

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第4戦艦戦隊

戦艦ベンボウ(戦隊旗艦:アイアン・デューク級)

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テメレーアシュパーブ(ベレロフォン級)

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ヴァンガード(セント・ヴィンセント級)

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ロイアル・オーク(ロイアル・サブリン級)

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第1戦艦戦隊 

戦艦マールバラ(戦隊旗艦:アイアン・デューク級)

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リヴェンジ(ロイアル・サブリン級)

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ハーキュリーズ(コロッサス級)

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 コリンウッドセント・ヴィンセント(セント・ヴィンセント級)、

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ネプチューン

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第2戦艦戦隊 

戦艦キング・ジョージ5世(戦隊旗艦)、エイジャクスセンチュリオン(キング・ジョージ5世級)

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 エリン

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オライオンモナークコンカラーサンダラー(オライオン級

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第3巡洋戦艦戦隊 

巡洋戦艦インヴィンシブル(戦隊旗艦)、インフレキシブルインドミタブルインヴィンシブル級

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巡洋戦艦部隊 司令長官:デイビッド・ビーティー中将

巡洋戦艦ライオン(司令長官直卒旗艦:ライオン級

第1巡洋戦艦戦隊

巡洋戦艦プリンセス・ロイヤル(戦隊旗艦)、クイーン・メリーライオン級

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タイガー

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第2巡洋戦艦戦隊 

巡洋戦艦ニュージーランド(戦隊旗艦)、インディファティガブル(インディファティガブル級)

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第5戦艦戦隊

戦艦バーラム(戦隊旗艦)、ウォースパイトヴァリアントマレーヤ(クイーン・エリザベス級)

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***模型については下記のリンクでお楽しみください。

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独大海艦隊(High Sea Fleet)

司令長官:ラインハルト・シェア中将

戦艦フリードリヒ・デア・グローセ(司令長官直率旗艦:カイザー級)

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○戦艦部隊(シェア中将)

第3戦隊 

戦艦ケーニヒ(戦隊旗艦)、グローサー・クルフュルストマルクグラーフクローンプリンツ・ヴィルヘルム(ケーニヒ級)

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カイザープリンツ・レゲント・ルイトポルトカイザリン(カイザー級)

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第1戦隊 

戦艦オストフリースラント(戦隊旗艦)、チューリンゲンヘルゴラントオルデンブルク(ヘルゴラント級)

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ポーゼンラインラントナッソウヴェストファーレン(ナッサウ級)

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第2戦隊 

戦艦ドイチュラント(戦隊旗艦)、ポンメルンシュレジェンハノーファーシュレスヴィヒ・ホルシュタイン(ドイチュラント級)

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ヘッセンブラウンシュヴァイク級)

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○偵察部隊 司令長官:フランツ・フォン・ヒッパー中将

巡洋戦艦リュッツオウ(艦隊旗艦)、デアフリンガー(デアフリンガー級)

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リュッツォー(手前)とデアフリンガー

ザイドリッツ

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 モルトケ

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 フォン・デア・タン

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***模型については下記のリンクでお楽しみください。

fw688i.hatenadiary.jp

 

ドイツ艦隊に勝機はあったのか

例によって、海戦の詳細は種々の優れた文献に委ねるとして(ユトランド沖海戦 - Wikipedia )、上記の投入予定の戦力を比較すると、両艦隊には大きな戦力差があることは明白である。もっとも、独艦隊の狙いとしてはこの戦力差を、ヒッパー提督の機動艦隊による挑発で部分的に誘引し、その突出部分を削っていくことによって差を縮めていく、というものであったから、戦略としての筋は通っていた。

 

あわせて、独艦隊には両者の備砲の優劣についてもそれなりの計算があったと思われる。

そもそも超弩級戦艦、超弩級巡洋戦艦とは、12インチより大きい口径の主砲を持つ主力艦を意味するのだが、この海戦の時点では、独海軍は、超弩級戦艦を持っていなかった。しかし独海軍の弩級戦艦が装備する12インチ砲は、ヘルゴラント級以降は全て50口径の速射砲で、405kgの砲弾を毎分3発の速度で発射することができたとされる。50口径の長砲身から強装火薬を用い、さらにドッガーバンク海戦以降、主砲の最大仰角をあげるなど、長射程を得る工夫が取られていた。

 一方、英海軍の超弩級戦艦の標準的な備砲は45口径13.5インチ砲であり、こちらは635kgの砲弾を発射した。発砲速度は毎分1.5発であったとされている。

これを単艦で比較すると、独戦艦ケーニッヒは、片舷に対し10門の50口径12インチ速射砲を斉射することができ、その一回あたり斉射弾量は405kg×10=4050kg。さらに1分あたりの発射弾量は、12tを超える。一方、英戦艦アイアン・デュークは、片舷10門の13.5インチ砲を斉射することができ、その一回あたりの斉射弾量は6350kgで、同じく1分あたりの発射弾量は10t弱となる。

一斉射あたりでは及ばないものの、単位時間あたりの弾量では、独海軍が優位に立ち得る場面を作り得るという計算があったであろう。 

同様に、これを海戦参加全主力艦規模で比較しておくと、一斉射あたりの弾量では、独艦隊81tに対し英艦隊185tと大差がつくが、これを発砲速度を加味した毎分あたりに直すと独艦隊240tに対し英艦隊278tとそれほどの大差ではない。(いずれも手元での概算。異論があると思いますので、傾向値としてご覧いただき、あまり、数字そのものを鵜呑みにしないでください)

ちなみに、それぞれの口径の砲弾重量を比較しておくと、独11インチ砲弾302kg、12インチ砲弾:405kg、対する英12インチ砲弾:386kg、13.5インチ砲弾:635kg、15インチ砲弾:871kgであった。

この海戦から登場した英海軍のクイーン・エリザベス級戦艦は、その強力な15インチ砲に加え、従来の巡洋戦艦と同等の24ノットの速力を発揮する戦艦で、「高速戦艦」と称してその高速力からビーティ提督の巡洋戦艦部隊に編入され、独艦隊にとって(特にヒッパーの巡洋艦隊にとって)は厄介な存在となった。

 

海戦の経緯と戦果

海戦は、ほぼ両軍の当初の思惑通りに展開してゆく。

すなわち、ヒッパー提督の独巡洋戦艦部隊は、挑発の結果、ビーティ提督指揮下の巡洋戦艦戦隊を誘い出すことに成功した(成功したように見えた)。

逃げるヒッパー艦隊と追うビーティ艦隊の間に、ドッガーバンクの再現のような砲戦が展開され、ヒッパーは英巡洋戦艦部隊に大きな損害を与えつつ誘引することに成功せする。巡洋戦艦クイーン・メリー、インディファディカブル撃沈、ライオン、プリンセス・ロイヤル、タイガー被弾)

この英艦隊の突出部隊を捕捉すべく、シェア提督の指揮下の独大海艦隊主力が出撃し、ビーティ艦隊に攻撃をかけた。

独艦隊の海戦企図を承知しているビーティ艦隊は、シェアの主隊を視認すると、今度は独大海艦隊を英艦隊主力まで誘導すべく退却にかかるが、ビーティ指揮下に加入したばかりの新鋭戦艦クイーンエリザベス級で編成される第5戦艦戦隊は、ヒッパーの巡洋戦艦群を捕捉し、自慢の15インチ砲で砲戦を展開しヒッパー隊に重大な損害を与えていた。(リュッツォー:24発の大口径砲弾を被弾し、航行不能。のち自沈処分。デアフリンガー:17発の大口径砲弾を被弾・大浸水、ザイトリッツ:21発の大口径砲弾を被弾・大浸水、モルトケ:被弾、フォン・デア・タン:ほとんどの主砲を喪失)そのため 反転が遅れ、逆に本当に捕捉されてしまい、損害を被ることになった。(戦艦「バーラム「マレーヤ」「ウォースパイト」が被弾)

その後、このビーティ艦隊を追撃したシェアの率いる独大海艦隊主力は、ジェリコー指揮下の英主力艦隊に包囲される窮地に陥るが、ヒッパー艦隊の奮戦と夜陰により、その重囲から逃れることに成功した。

 

両軍の主力艦の損害は以下の通り。

英艦隊

超弩級巡洋戦艦クイーン・メリー:独ヒッパー艦隊との交戦で火薬庫に被弾・轟沈

弩級巡洋戦艦インディファディカブル:同上

弩級巡洋戦艦インビンシブル:砲塔に被弾・轟沈

損傷

超弩級巡洋戦艦タイガー、ライオン、プリンセス・ロイアル:いずれもヒッパー艦隊との交戦による

超弩級戦艦バーラム、マレーヤ、ウォースパイト:いずれもクイーン・エリザベス級。

 

独艦隊

巡洋戦艦リュッツォー:24発の大口径砲弾を被弾し、航行不能。自沈処分

弩級戦艦ポンメルン:ドイチュラント級、英巡洋戦艦インドミタブルと交戦、のちに英駆逐艦の魚雷攻撃により喪失

損害

巡洋戦艦アフリンガー:17発の大口径砲弾を被弾・大浸水、ザイトリッツ:21発の大口径砲弾を被弾・大浸水、モルトケ、フォン・デア・タン:ほとんどの主砲を喪失

弩級戦艦ヘルゴラント(ヘルゴラント級)、グロッサー・クルフュルスト(ケーニヒ級)、マルクグラフ(ケーニヒ級)、ケーニヒ(ケーニヒ級)、オストフリスラント(ヘルゴラント級)

 

その後への影響

1916年5月31日から6月1日にかけてのこの大海戦は、実は戦局にはほとんど影響を与えなかったと言って良いであろう。

英海軍151隻、独海軍99隻の空前の戦力が投入されたが、いずれかが決定的な成果を得る、ということはなかった。損害だけを見ると英海軍に多いが、海戦後も英海軍の優位は揺るがず、以降、独大海艦隊の主力艦は、第一次大戦の終了までの約2年半、ほとんどその泊地を動くことはなかった。

しかしながら、その戦力は海戦前と変わらず依然保持されており、英艦隊もその警備を解くことはできなかった。両軍ともに、海戦前の状態に戻らざるを得なかった。

敢えて言えば、海戦によりドイツ艦の艦砲の優秀さ、砲撃能力の高さと防御力の優秀さが証明された、という成果があったと言えるかもしれない。

一方で、英艦隊についてはその巡洋戦艦脆弱性が浮き彫りになり、さらに装薬の取り扱いのハード面、ソフト面についての課題も明確となった。

 

戦訓から得た成果としては、水平防御の見直しが挙げられるであろう。これは英海軍の超弩級巡洋戦艦クイーン・メリーが、同海戦中に砲塔天蓋に被弾これが火薬庫に達し轟沈した事例からの学びで、それまで水平に飛来する砲弾を想定し舷側方向に重点的に配置されていた防御装甲を、砲戦距離が飛躍的に伸びたことにより砲弾が上から飛来することにより、水平方向への装甲強化が検討され始め、やがてポスト・ユトランド型戦艦の名で、いくつかの成果となる。

  

第一次世界大戦の終了と、ドイツ帝国艦隊の終焉 

1918年11月11日にフランス、コンピエーニュで締結された休戦協定によって、第一次世界大戦は実質的に終了する。休戦協定には、ドイツ大海艦隊の抑留を謳った項目があり、その処遇が決まるまで大海艦隊はスコットランドスカパ・フローに抑留された。

 大海艦隊は大半が11月25日から27日にかけて、スカパ・フローに移動し、1月9日の戦艦バーデンの合流を持って集結を完了した。総数は74隻にのぼり、その中には超弩級戦艦2隻、弩級戦艦9隻、弩級巡洋戦艦5隻が含まれていた。

抑留はその後半年を超え、艦隊の処遇については、戦勝国間での艦艇の配分を中心に議論が進められた。

そして艦艇接収実行の2日前(1919年6月21日)、抑留艦隊司令官ルートヴィヒ・フォン・ロイター少将の旗艦巡洋艦エムデンに旗旒信号が掲げられた。これは「本日付指令書第11節。執行せよ」を意味するもので、即刻自沈の指令であった。

各艦の維持のために残っていた少数のドイツ人乗組員は、休戦以降掲揚されることの無かった帝国海軍旗を掲げると海水コックや注水バルブを開き、一斉に自沈が実行された。

駆けつけた英海軍により、沈没を免れたのは戦艦バーデンだけだった。(移動して浅瀬に座礁

 

自沈主力艦一覧

巡洋戦艦

アフリンガー級:アフリンガー、ヒンデンブルク   

ザイドリッツ、モルトケ、フォン・デア・タン

戦艦

カイザー級弩級戦艦カイザー、プリンツレゲント・ルイトポルト、カイゼリン、フリードリヒ・デア・グローセ、ケーニヒ・アルベルト

ケーニヒ級弩級戦艦ケーニヒ、グローサー・クルフュルスト、クローンプリンツ・ヴィルヘルム、マルクグラーフ

バイエルン超弩級戦艦:バーデン(座礁)、バイエルン

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こうして、かつては世界第2位の規模を誇ったドイツ帝国海軍は終焉を迎えたのである。

 

*ようやく、ユトランド沖海戦をなんとかクリアしました。

次回からは、第一次世界大戦後の建艦競争の再発の兆候と、その結果現れたネーバルホリデイ 、その間の諸国の主力艦建造予定等に入ってゆく予定です。

再び日本海軍に主軸を戻し、いよいよ八八艦隊計画などにも言及する予定です。

 

模型についてのご質問は、どうぞご遠慮なく。お気軽にどうぞ。

 

これまで本稿に登場した各艦の情報を下記に国別にまとめました。

fw688i.hatenadiary.jp

内容は当ブログの内容と同様ですが、詳しい情報をご覧になりたい時などに、辞書がわりに使っていただければ幸いです。

 


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(補遺11) フランス艦隊の更なる充実:仏装甲巡洋艦の開発系譜 とロシア旧式装甲巡洋艦

装甲巡洋艦 ゲイドン級、エドガー・キーネ級の戦列参加

先週に引き続き、フランス海軍装甲巡洋艦が2クラス新たに戦列に加わったので、ご紹介する。

繰り返しになることを恐れずに言うと、フランスは世界初の装甲巡洋艦を世に送り出した、いわばこの分野の家元である。

その系譜は大雑把に以下の三つに区分できると考える。

すなわち、世界初の装甲巡洋艦の栄誉を担うデピュイ・ド・ローム同型艦なし)、その縮小量産型のアミラル・シャルネ級、その強化版のポテュオ (同型艦なし)が第一期のグループで、速射砲の発達により全盛を極めた防護巡洋艦を凌駕し、通商破壊戦を実施する、あるいは通商破壊戦を防止する目的で建造された。

4,000トンから6,000トン程度の中型艦艇で、いずれも流麗なタンブルホーム形式の船体を持っている。

 

第二期のグループは外洋での通商破壊活動(あるいはその防御)を行えるように大型の船体を持ったグループで、ジャンヌ・ダルク同型艦なし)、その縮小量産型であるゲイドン級、植民地警備に主題をおいて開発されたデュプレクス級、ゲイドン級の改良版として計画されたアミラル・オーブ級がこの群に属している。

通商破壊活動から艦隊直衛まで幅広い任務への適性を模索した時期の艦と言って良いであろう。

魅力的なタンブルホーム形式の船体を廃止し、高い乾舷を持ち、外洋での凌波性の良好さを狙った艦型となった。

 

今回、戦列に加わったのは、このグループに属するゲイドン級である。

ジャンヌ・ダルクタイプシップとしてやや縮小し、汎用装甲巡洋艦として量産したものである。副砲口径を再び6.5インチとした。

ゲイドン級装甲巡洋艦 - Wikipedia

en.wikipedia.org

(1902-, 9,516t, 21.4knot, 7.6in *2 + 6.5in *8, 3 ships、101mm in 1:1250/ Hai社製改造)

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実はこのクラスのネームシップであるゲイドンは第一次大戦後も長く砲術練習艦として、現役にとどまっており、今回入手したのはその砲術練習艦時代のモデルであった。主砲の換装、マストのリファインなどを行い、装甲巡洋艦当時の姿を再現した。(迷彩は例によって私のオリジナルです。ごめんなさい)

 

第三期の装甲巡洋艦のグループは、砲力と防御力を前汎用巡洋艦のグループから格段に強化し、艦隊主力艦を補助する、いわゆるミニ戦艦的な運用を意識したものになった。

このグループには、レオン・ガンベッタ級、ジュール・ミシュレ、エルネスト・ルナン、そして今回戦列に加わったエドガー・キーネ級が入っている。いずれも12,000トンを超える大型艦である。

 

エドガー・キーネ級装甲巡洋艦 - Wikipedia

フランス海軍が建造した最後の装甲巡洋艦である。建造中に副砲を廃し、搭載砲を全て7.6インチ(19センチ)とし、結果的に主砲14門を搭載する強力な艦となった。このあたりの経緯はドイツ海軍のブリュッヒャーに似ていると言えなくもない。ブリュッヒャー同様に、すでに巡洋戦艦の時代に入っており、位置付けが微妙ではあったが、幸か不幸かフランス海軍は巡洋戦艦の建造予定を持たなかった。 

en.wikipedia.org

(1911-, 13,847t, 23knot, 7.6in *2*2 +7.6in *10, 2 ships. 124mm in 1:1250 3D printing model by Master of Military)

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これらの写真等は、こちらにもアップデートしました。

fw688i.hatenadiary.jp

 

さらに・・・。

下のリンク、フランス海軍の艦船開発史について、大変興味深くまとめていらっしゃいます。

上記の整理についても、大変参考にさせて頂きました。紹介させて頂きます。

フランス艦艇に興味のある方、必読です。

軍艦たちのベル・エポック(前編)

軍艦たちのベル・エポック(後編)

 

ロシア海軍の旧式装甲巡洋艦モノマフ、ドミトリー・ドンスコイ

写真はロシア帝国海軍の旧式装甲巡洋艦、モノマーフとドミトリー・ドンスコイである。この2隻は旧式艦ながら、旅順艦隊の壊滅の報を受けて、急遽バルティック艦隊に追加戦力として加えられ、ネボガトフ指揮下の第三太平洋艦隊麾下の艦として、日本海海戦に参加した。いずれも同海戦で損害を受け自沈した。

装甲巡洋艦という分類になっているが、実際にはより旧式で、例えば日本海軍の「扶桑(初代)」等と同様に装甲コルベット、あるいは装甲フリゲートと呼称した方が、その特徴に近いかもしれない。
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ドミトリードンスコイ(左)とウラジミール・モノマフ(右)

 

ヴラジーミル・モノマフ (装甲巡洋艦) - Wikipedia

en.wikipedia.org

(1883, 5,593t, 15.2knot, 8 in*4 72mm in 1:1250, 3D printling by WTJ)

f:id:fw688i:20190127154529j:image

 

ドミトリー・ドンスコイ (装甲艦) - Wikipedia

en.wikipedia.org

(1885, 5,882t, 16.5knot, 8in * 2, 73mm in 1:1250, 3D printling by WTJ)

f:id:fw688i:20190127154604j:image

両艦とも、帆装の面影を色濃く残しており、スチームパンク的な味わい深いシルエットである(と、筆者は思うのですが)。

 

**************** 

「おい、また補遺かよ」というお叱りの声は、しっかり聞こえています。

このところ新着、新加入の諸艦の紹介に忙しく、なかなかユトランド沖海戦に至らない

・・・とこれは言い訳ですが、その実は、ユトランド沖海戦が、これが筆者にとってなかなかの難物なのです。規模が大きく重要な海戦であるとは思うのですが、つかみどころがなく、なかなか今ひとつ興味が持てず、まとまりません。

が、次回こそは、と一応、(あまり自分でもあてにならないなあ、と思いつつ)申し上げておきます。

もしかすると非常にマイクロな視点で駆け抜けるかも。

 

一方で、新着予定が目白押し、である事も事実なのです。

特に、先般来、多分お気付きだと思いますが、フランス艦艇に重心が偏っており、仏海軍の前弩級戦艦の草分けであるブレニュス、また前回ご紹介したシャルル・マルテル準級5隻のなかで唯一残っているカルノーが、3Dプリンティングメーカーでの1:1250スケールへのコンバートを終え、出力ラインに乗っている(はずです)し、装甲巡洋艦でもアミラル・シャルネ級(こちらも1:1250スケールへのコンバートをリクエストしていました)、ジャンヌ・ダルクも同様に出力ラインに乗っているはずなのです。

さらに装甲巡洋艦ジュール・ミシュレは、こちらは完成モデルとして日本に向かっています。多分、今週着?

 

一方で、少し言い訳に聞こえるかもしれませんが(事実、言い訳です)、ユトランド沖海戦対策が何も取られていないかというと、そうでもないのです。例えば、この海戦のドイツ大海艦隊のヒッパー艦隊の主力であった、巡洋戦艦アフリンガーとリュッツォーのこの海戦向けの写真等を撮影したり(三脚マストから単檣への変更など、少し手を入れてもいます)、一応の準備はしています。

何れにせよ、この「ユトランド沖」を越えないと、その後のネーバルホリディの時代は来ず、従って八八艦隊計画への至れない、ということは重々承知しています。。

 

と、自分への叱咤なのか、言い訳なのか、予告なのか、よくわからない文章を書いてしまいました。要するに、まだ続ける(続けたい)、ということですので、何卒、寛容なお心を持ってお付き合いください。

 

あわせて、模型に関する質問、是非お願いします。

これまでご紹介した時代以外でも、この辺りの時代の模型はないのか、など、ご質問でも結構です。また、模型の入手方法等について、多少のアドバイスなど、差し上げることができるかもしれません。そのようなご質問でも結構です。

お待ちしています

 


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(補遺10)フランス艦隊の充実:シャルル・マルテル準級とその他の艦船

前回(補遺9)の後半でご紹介したフランス艦船がほぼ完成しました。

 

シャルル・マルテル準級 

大鑑巨砲に懐疑的な「新生学派」支配下のフランス海軍は、次世代の主力艦に明確な構想を見出せないままに、主として英海軍への対抗上、建艦計画をスタートさせた。

この流れの中で、シャルル・マルテル準級が建造される。これは、設計の基本スペックを規定し、すなわち排水量(11,500t ±)、搭載砲(30.5cm * 2+27cm *2)、速力(17.5 knot ±)などのスペックを与え、設計者・造船所による一種の競争試作のような様相で建造されたグループである。

シャルル・マルテル、カルノー、ジョーレギベリ、マッセナ、ブーヴェの5隻が属している。いずれも主兵装を菱形配置とし、12インチ(30.5センチ)砲2門を艦の前後に、10.8インチ(27センチ)砲2門を艦の左右に単装砲等で登載している。

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 (シャルル・マルテル:左上段、ジョーレギベリ:右上段、マッセナ:左下段、ブーヴェ:右下段) 

注:それぞれの塗装は筆者のオリジナル塗装です。この様な迷彩(?)塗装の記録はありません。「ふざけるな!」<<<お叱りごもっともです。どうか、ご容赦ください。

それにしても、タンブルホーム万歳!フランス海軍万歳!

***唯一、欠けているカルノーについても、現在、こちらに向けて発送準備中、との知らせが3D Printing Modelの依頼先(WTJ)から入りました。到着次第、製作等、アップしてゆきます。

 

 

ja.wikipedia.org

French battleship Charles Martel - Wikipedia

(1897, 11,639t, 18knot, 12in *2 + 10.8 *2   94mm in 1:1250)  

f:id:fw688i:20190119180852j:image

ブレスト海軍造船所が建造した。美しいタンブルホーム型船体を持つ艦である。 副砲を単装砲塔形式で装備している。

私見ですが、タンブルホームは実は後部が非常に美しかったりします。ですので今回は写真に、後部のショットを追加してみました)

 

 

ジョーレギベリ (戦艦) - Wikipedia

en.wikipedia.org

(1897, 11,818t, 17knot, 12in *2 + 10.8 *2  89mm in 1:1250)  

f:id:fw688i:20190119181158j:image

設計者はアントワーヌ・ジャン・アマブル・ラガヌ、ラ・セーヌ造船所で建造された。本艦のみ副砲を連装砲塔で装備している。連装の副砲は前部艦橋と後部艦橋のそれぞれ脇の上甲板状に配置され、広い射界を与えられた。

設計者のラガヌは、本艦の設計以前にフランス戦艦「マルソー」(菱形主砲配置の先駆的存在)、やスペイン戦艦「ペラーヨ」を手がけたベテランで、この後、我々にも馴染みのあるロシア太平洋艦隊旗艦の「ツェザレヴィッチ」の設計を手がけることになる。

 

マッセナ (戦艦) - Wikipedia

en.wikipedia.org

(1896, 11,735t, 17knot, 12in *2 + 10.8in *2   94mm in 1:1250)  

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設計者はルイス・マリー・アンヌ・ド・ビュシィで、世界初の装甲巡洋艦である「デュピュイ・ド・ローム」の設計者でもある。ロアール造船所で建造された。世界初の3軸推進の戦艦となった。

完成後は、設計に対し重量超過となり、肝心の装甲帯が水中に没し、かつ極端なタンブルホーム形状から、安定性に問題があったとされている。

(個人的には、この船が一番好きかも)

 

ブーヴェ (戦艦) - Wikipedia

(1898, 12,007t, 18knot, 12in *2 + 10.8in *2   96mm in 1:1250)  

f:id:fw688i:20190119181322j:image

シャルル・マルテル準級の最終艦である。ロリアン造船所で建造された。

寸法、排水量とも同準級の他艦を少し上回るサイズとなったが、最新式のハーヴェイ・ニッケル鋼を走行に用いるなど、同準級の中では最もバランスの取れた艦となったとされている。

(ちょっと船体色を変えてみました)

 

さらに、戦艦シュフラン、装甲巡洋艦デュプレクス級、アミラル・オーブ級の完成

シュフラン (戦艦) - Wikipedia

en.wikipedia.org

(1904-, 12432t, 17knot, 12in *2*2   99mm in 1:1250)

 f:id:fw688i:20190119182242j:image

シャルルマーニュ級の更なる改良型として、1隻のみ建造された。 副砲を単装砲塔に収め、両舷に3基づつ配置している。のちのロシア戦艦ツェザレヴィッチの設計にも影響があったのではないかと思われる。

 

フランスの装甲巡洋艦 Armored Cruiser

フランスは世界初の装甲巡洋艦を世に送り出した、いわばこの分野の家元である。

中口径砲の発達に伴い、通商破壊(あるいは通商破壊艦からの商船護衛)を主任務とする巡洋艦の防御力強化の必要性から生まれた艦種で、日本海軍などに代表される、戦艦戦力の補助、いわばミニ戦艦的役割の艦隊決戦戦力としての「装甲巡洋艦」とは、一線を画し、速力と航続力を重視した設計になっている。

巡洋戦艦登場までの約20年間に、11クラス、25隻を建造した。

 

デュプレクス級装甲巡洋艦 - Wikipedia

en.wikipedia.org

(1904-, 7,600t, 20knot, 6.5in *2*4, 3 ships   103mm in 1:1250)

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植民地警備等、遣外任務用に設計されたクラスで、やや小型である。6.5インチ(16センチ)砲を主砲とし、連装砲塔4基として搭載している。

 

アミラル・オーブ級装甲巡洋艦 - Wikipedia

en.wikipedia.org

(1904-, 9,534t, 21knot, 7.6in *2+6.5in *8, 5 ships   113mm in 1:1250)

f:id:fw688i:20190119182420j:image

主として防御能力を向上した。6.5インチ(16センチ)副砲の半数を砲塔形式で装備している。 

 

上記はこちらにもアップデートしました。

fw688i.hatenadiary.jp

 

次回こそは、ユトランド沖海戦ドイツ帝国海軍の終焉を。(と、毎回思ってはいるのですが・・・。ついつい易きに走るというか。)

 

下のリンク、フランス海軍の艦船開発史について、大変興味深くまとめていらっしゃいます。

上記の整理についても、大変参考にさせて頂きました。紹介させて頂きます。

フランス艦艇に興味のある方、必読です。

軍艦たちのベル・エポック(前編)

軍艦たちのベル・エポック(後編)

 


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(補遺9)引き続き、後続艦到着 ドイツ海軍の仮装巡洋艦など

年が明けて、続々と後続感が到着し始めた。

 

本編の方が少し滞っているので、本編に近いところから、ご紹介する。

第一次大戦ドイツ帝国海軍の通商破壊艦

第一次大戦ドイツ帝国海軍は、英国相手の通商破壊戦に、多くの仮装巡洋艦を投入した。仮装巡洋艦武装を隠蔽し、中立国の商船などに偽装して、敵国の商船に接近して、不意をついて拿捕、撃沈などするために、未だ、レーダー等の電探技術がなく、通信技術、航空機が未発達のこの時期、一定の効果があった。

第一次大戦が、それまでの正面装備同士の対決で勝敗を決する戦争と異なり、総力戦の様相を呈した段階で、Uボートによる航路封鎖と共に、投入された兵力に比べ、非常に大きな効果をあげた。

 

ゼーアドラー (帆船) - Wikipedia

SMS Seeadler (1888) - Wikipedia

(1,571t, 64mm in 1:1250)

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ゼーアドラーUボートによって拿捕されたアメリカ船籍の三本マストのスクーナーを改造した船である。10.5センチ速射砲2門等を偽装して搭載し、ディーゼルを補助機関として搭載していた。

当時、商船の乗組員には帆船時代に対するノスタルジーが色濃く残っており、帆船の外観だけで、相手の興味を引くことが出来、比較的容易に標的に接近できたとされている。約7カ月あまりの戦闘航海で、15隻を拿捕(うち撃沈14隻、37,254t)という戦績を残した。

 

ゼーアドラー以外にも、ドイツ帝国海軍は多くの偽装商船を通商破壊艦として運用した。

メーヴェ (仮装巡洋艦) - Wikipedia

SMS Möwe (1914) - Wikipedia

(4,788t, 13.4knot, 105mm in 1:1250)

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15センチ速射砲4門、10センチ砲1門、魚雷発射管2基登載。2回の戦闘航海で、40隻約20万トンの連合国側商船を拿捕、あるいは撃沈する戦果を挙げた。

 

ヴォルフ (仮装巡洋艦・2代) - Wikipedia

SMS Wolf (1913) - Wikipedia

(5.809t, 13.5knot, 99mm in 1:1250)

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15センチ速射砲6門、魚雷発射管4、水上機1機登載。35隻約10万トンの戦果を挙げた。

  

ロシア戦艦 ポチョムキン、マリーヤ到着 

ポチョムキン=タヴリーチェスキー公 (戦艦) - Wikipedia

Russian battleship Potemkin - Wikipedia

(1903-, 12480t, 16knot, 12in *2*2, 91mm in 1:1250)

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黒海艦隊の主力艦として建造された。ロシア革命の先駆的な反乱を起こした感として非常に有名である。

 

インペラトリッツァ・マリーヤ級戦艦 - Wikipedia

Imperatritsa Mariya-class battleship - Wikipedia

(1915-, 22,600t, 21knot, 12in *3*4, 3 ships, 135mm in 1:1250) 

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ロシア海軍黒海向けに建造した弩級戦艦。前述のガングート級の改良型である。改良点としては、速力をやや抑え、防御力を高めている。

 

フランス 装甲巡洋艦 ポテュオ到着

ポテュオ (装甲巡洋艦) - Wikipedia

French cruiser Pothuau - Wikipedia

(1897, 5,374t, 19knot, 7.6in*2, 93mm in 1:1250)

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フランス海軍の3クラス目の装甲巡洋艦である。フランス艦の象徴ともいうべきタンブルホーム船体を採用した最後の装甲巡洋艦である。 

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上の写真は装甲巡洋艦の嚆矢と言われるデュピュイ・ド・ロームとの並列である。この間に、アミラル・シャルネ級があるが、この優美なタンブルホームが、以降、姿を消すのは、実に残念である。

 

そして、いよいよ、シャルル・マルテル準級の製作開始

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以前、本稿号外 Vol.1カタログのフランス海軍の前弩級戦艦の項でご紹介したシャルル・マルテル準級5隻のうち、4隻が到着した。

左から、シャルル・マルテル、ジョーレギベリ、マッセナ、ブーヴェの順である。排水量(11,500t ±)、搭載砲(30.5cm * 2+27cm *2)、速力(17.5 knot ±)などのスペックを与え、一種の競争試作のような様相で建造されたグループである。もう1隻、カーノウを加え5隻で準級を構成している。(タンブルホーム全盛、という感じです。なんか嬉しい)


全てWTJ(War Time Journal) の3Dプリンティングによるモデルである。グレーの樹脂製の船体で、ディテイルもしっかり作られている、上の写真はバリなどをざっと取った段階。(湯口が残ってますね)


これにマスト等を加え、グレーのサーフェサーを塗布した状態が下の写真。

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 シャルル・マルテル(左上)、ジョーレギベリ(右上)、マッセナ(左下)、ブーヴェ(右下)

あとは、もう少しマストの上部に手を入れたりして、さて、どんな塗装で仕上げようか?

 

さらに・・・

さらに、同じくWTJから、前弩級戦艦シュフラン、装甲巡洋艦アミラル・オーブ級、装甲巡洋艦デュプレクス級が到着した。

上記のシャルル・マルテル準級と同様、グレーの樹脂製でディテイルまでしっかり作られている。(ああ、装甲巡洋艦、もうタンブルホームではない。なんか残念!)

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戦艦シュフラン(上段)、アミラル・オーブ級(左下)、デュプレクス級(右下)

下の写真は、マストなどを足し、グレーのサーフェサーを塗布した状態。

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戦艦シュフラン(上段)、アミラル・オーブ級(左下)、デュプレクス級(右下)

さて、タンブルホームへの思いを横に置き、気を取り直して、こちらももう少し手を入れて、少し明るめに仕上げていこう。

 

おそらく次回は、上記のフランス艦特集になるのでは?

ああ、本編の「ユトランド沖海戦」が遠い!

 

 

これまで本稿に登場した各艦の情報を下記に国別にまとめました。

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内容は当ブログの内容と同様ですが、詳しい情報をご覧になりたい時などに、辞書がわりに使っていただければ幸いです。

 

 


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(補遺8)フランス戦艦プロヴァンス級のアップデートと年始のご挨拶

新年、明けましておめでとうございます。

昨年中は、お付き合いいただき、心より感謝いたします。今年もよろしくお願いします。

 

すでにご紹介済みのフランス海軍 超弩級戦艦プロヴァンス級ですが、号外Vol. 2カタログで、下記のように紹介していました。

プロヴァンス級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Bretagne-class_battleship

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(1915年、24,000トン: 34cm連装砲5基、20ノット)同型艦3隻 (134mm in 1:1250)

34センチ主砲を連装砲塔5基に装備し、首尾線上の配置とした超弩級戦艦。 (写真は大改装後の外観を示している)

 

上記の注釈にあるように、主砲塔1基を降ろした大改装後、第二次大戦参加時の写真をご紹介していましたが、主砲塔5基装備のモデルが到着しましたので、追加します。

こちらも大改装後であることには変わりはありませんが、ご参考に。

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次回は「ユトランド沖海戦とドイル帝国海軍の終焉」のご紹介を予定しています。

正直言って、どのようなご紹介にするか、切り口に迷いがあり、少々難航しています。

 

模型についてのご質問は、どうぞお気軽に。

以前から予告していたフランス海軍の前弩級戦艦シャルル・マルテル準級5隻のうち4隻の3Dプリンターモデルが出荷された旨、連絡がありました。到着次第、本文と並行して、こちらの作業のご紹介なども順次、展開してゆく予定ですので、楽しみにして下さい(ああ、楽しいのは製作する私だけかもしれませんが)。

 

これまで本稿に登場した各艦の情報を下記に国別にまとめました。

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ともあれ、今年もよろしくお願いいたします。

 


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号外 Vol. 3 公開! 列強主力艦カタログ (国別)

これまで本稿に登場した各艦の情報を下記に国別にまとめました。

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(補遺7)スペイン海軍弩級戦艦、日本に回航

スペイン海軍唯一の弩級戦艦エスパーニャ級が、装甲巡洋艦エンペラドル・カルロス5世を護衛として日本に到着した。

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エスパーニャ級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Espa%C3%B1a-class_battleship

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(1913年、15,452トン: 30.5cm連装砲4基、19.5ノット、設計と重要部品は英国製)同型艦3隻

スペイン海軍初の弩級戦艦である。英海軍の弩級戦艦ネプチューンタイプシップとし、ややコンパクトにまとめた艦である。

 

号外 Vol.2: カタログにも、アップしました。

 

護衛のエンペラドル・カルロス5世は、スペイン国産初の装甲巡洋艦インファンタ・マリア・テレサ級に続いて、スペインで建造された。就役は1898年、前級同様、28センチ砲を露砲塔形式で前後に装備し、19ノットの速力を発揮した。

エンペラドル・カルロス5世 (装甲巡洋艦) - Wikipedia

(1898年、9090トン:28センチ単装砲2基、19ノット、同型艦なし)

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米西戦争でスペインは4隻の装甲巡洋艦を失ったため、戦後、スペイン海軍唯一の装甲巡洋艦となった。

模型についてのご質問はいつでもお気軽にどうぞ。

 

あるいは、***と++++の大きさ比較をアップせよ、など「vs」モノのリクエストがあれば、こちらも大歓迎です。

 

併せて、これまで本稿に登場した各艦の情報を下記に国別にまとめました。

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(補遺6-2)オーストリア=ハンガリー帝国新超弩級戦艦、就役

オーストリア=ハンガリー帝国海軍の未成超弩級戦艦モルナヒ代艦級が就役した。

前回紹介した3Dプリンティングモデルに、プラスティックロッドでマストを追加し、エナメル塗料で塗装を施した。主砲等は、予定通り1:1200スケールのイタリア戦艦アンドレア・ドリア級のものを流用した。

船体は明灰白色(日本軍機の塗装色)を使用。少し明るめに仕上げた。甲板にはデザートイエローと部分的にデッキタン。あとはフラットブラックとメタリックグレーを少々、という組み合わせを行った。

 

モナルヒ代艦級戦艦 - Wikipedia

Ersatz Monarch-class battleship - Wikipedia (projected)

(projected、24,500t, 21knot, 14in *3*2 + 14in *2*2, 4 ships planned)

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オーストリアハンガリー海軍が計画した超弩級戦艦。上記のスペックはオリジナル案である。

前級のテゲトフ級は三連装砲塔の採用で艦型をコンパクトにまとめるなど、先進性が評価されていたが、その一方で、三連装砲塔には実は発砲時の強烈な爆風や、作動不良など、いくつかの課題があったとされている。

そのため、本級ではドイツ弩級戦艦の砲塔配置の採用が検討されていた、とも言われているのである。そうなれば連装砲塔5基を装備したデザインになったいたかもしれない。下の写真は、当時のドイツ戦艦ケーニヒ級の主砲塔配置案を採用した想定でのその別配置案。

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いずれにせよ、計画は第一次世界大戦の勃発によりキャンセルされた。

 

号外 Vol.2にも、上記、アップしてあります。

 

模型に関するご質問はお気軽にどうぞ。

 

これまで本稿に登場した各艦の情報を下記に国別にまとめました。

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内容は当ブログの内容と同様ですが、詳しい情報をご覧になりたい時などに、辞書がわりに使っていただければ幸いです。

 

もちろんこちらの模型についてのご質問も、お待ちしています。

これから登場する艦船も適宜追加してゆく予定です。

 

次回はいよいよユトランド沖海戦ドイツ帝国海軍の終焉。

 


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(補遺6-1)回航中のオーストリア=ハンガリー海軍新戦艦、到着

かねてから発注していた本稿号外Vol. 2で (no photo) 扱いだったオーストリア=ハンガリー帝国海軍初の超弩級戦艦モナルヒ代艦級の1:1250モデルが手元に到着した。

 

本艦は、その名の示す通り(Elsatzはドイツ語で代替:replaceを意味する)、本稿号外 Vol.1: カタログ: 近代戦艦のカタログでご紹介したオーストリア=ハンガリー帝国海軍モナルヒ級海防戦艦の代替えとして計画されたもので、前級に当たるテゲトフ級弩級戦艦を一回り大きくした24,500トンの船体に、これもひとまわり口径の大きい35センチクラスの主砲を、背負い式に三連装砲塔、連装砲塔の組み合わせで、都合10門、艦の前後に振り分けて搭載している。速力は21ノットを予定していた。

前級のテゲトフ級も、三連装砲塔の搭載など、先進性に満ちた設計の強力な戦艦だったが、本級はさらにそれを凌駕する設計で、完成していれば強力な戦艦となったであろう。

エルザッツ・モナルヒ級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Ersatz_Monarch-class_battleship

 

今回は、艦船模型サイトらしく、少し仕上げ過程など交えながら、ご紹介しよう。

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写真は、到着したモデルに早速サーフェサーを塗布した状態。

実はこのモデルは下記で求めた3Dプリンティングモデルである。。 

www.shapeways.com

到着時点では上記サイト紹介にあるような、透明なsmooth fine detail plasticで出力された状態で届いた。多くの場合、出力材質を選ぶことができる。材質によって価格が異なる。

本モデルでは、元々は1:1800スケールでの出品だったものを、リクエストして1:1250にコンバートとしてもらった。3Dプリンターモデルの場合、1:1800から1:1250 へのコンバージョンの場合、それほど細部に修正が必要でない場合が多く(あくまで製作者側の判断なので、必ずしもこちらのリクエストが承認されるとは限らないが)、そのようなケースでは、比較的気軽に応じてもらえることが多い。

但し、3Dプリンターモデルの多くは、砲塔も一体成型されている場合が多く、このモデルもサイトの写真でご覧いただけるように、一体成型だった。

もちろん、そのままでも1:1250スケールでは気にならない場合が多く、これから本稿でご紹介する予定の日本海軍八八艦隊の多くが3Dプリンティングモデルであり、そのいくつかはモデルオリジナルの砲塔をそのままにした。

もし手を加える場合、代替をどのように手当てするかが大きな問題で、筆者は、ストックパーツで充当できる場合には、できるだけリプレイスしたいと考えている。

今回は三連装砲塔と連装砲塔の組み合わせという難度の高い条件であったが、幸い1:1200スケールのイタリア戦艦の砲塔が流用できそうだったため、リプレイスを試みることにした。

冒頭の写真は、一体成型された砲塔を切り落とした状態である。(しまった!切り落とし前を撮影するのを失念していた。手を加える前の状態については、やはりサイトの写真を見てください)砲塔基部に開いた穴は、筆者が加工したものである。

 

お目当のイタリア戦艦からの流用予定の砲塔をはめてみる。(下の写真)

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 なかなか、よろしい、のではなかろうか。(ああ、これで1隻アンドレア・ドリア級が廃艦になった)

 

次いで、前級に当たるテゲトフ級戦艦の1:1250スケールモデル(Navis社)と並べてみる。こちらも、なかなか、である。

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あとは塗装を施し、マスト等を整えるだけ。

塗装には、多くの場合エナメル塗料を用いている。十分に乾燥させれば上塗りが効き、気に入っている。

マストなどには真鍮線か、プラスティックのロッドを用いる。1:1250の場合、マスト類には0.5mm径、もしくは0.3mm径を用いる。

 

遅くとも今年中には、筆者のカタログに写真がアップできるだろう。

 

完成した時点で、再度、補遺にてお知らせする予定である。

 

さて、模型を離れ、実際のモナルヒ代艦級戦艦いついて、少し補足情報を。

計画は第一次大戦の勃発で中止されたが、本級では別の設計案が検討されていた、ともいわれている。

前級のテゲトフ級は三連装砲塔の採用で艦型をコンパクトにまとめるなど、先進性が評価されていたが、三連装砲塔には実は発砲時の強烈な爆風や、作動不良など、いくつかの課題があったとされている。

そのため、本級ではドイツ弩級戦艦の砲塔配置の採用が検討されていた、とも言われているのである。そうなれば連装砲塔5基を装備したデザインになったいたかもしれない。 

ケーニッヒ級の拡大版、のような形状ででもあったろうか?

 

幸い、1:1000スケール(かどうか不確かだが)のドイツ帝国海軍ケーニヒ級戦艦のモデルが手元にあるので、例によって砲塔をストックにある、あまりドイツ色の強く出ない適当なものに置き換えてみた。

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 作成中のモデルと並列し大きさを比較してみる。大きさもまずまず同等である。

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なるほど、別案はほぼこんな感じか、と・・・。

 

こうした想像は未成艦ならではの楽しみ、と言えるだろう。

 

これまで本稿に登場した各艦の情報を下記に国別にまとめました。

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 模型についての質問はお気軽にどうぞ。

 


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第12 回 第一次世界大戦の主要海戦と主力艦の活動

第一次世界大戦は、前回でも触れた通り、当時の列強諸国間に時間をかけて醸成された同盟関係が連鎖的、かつ短期間に発動されたため、未曾有の規模の戦争になった。1914年7月28日の開戦から1918年11月11日の終結までに、両陣営で7000万人が動員され、戦闘員900万人以上、非戦闘員700万人以上が死亡したとされている。

短期終結を予想した参戦各国の思惑をよそに、誰もが予想だにしない、文字通り塹壕をはさんでの泥沼のような長期戦になった。

 

一方、海軍艦船については、これまで本稿で見てきたように、戦前から諸列強が競って弩級超弩級戦艦、巡洋戦艦の建艦競争を繰り広げてきた。新たなクラスが登場するごとに、砲力が強化され、あるいは搭載兵器の量が前級を凌駕した。艦は巨大化しながらも機関は次々に新しい技術革新を取り入れ強化の一途をたどり、速力が向上した。当然、整備されたそれらの諸艦が戦場を縦横に行き交い、砲戦を交える図を、誰もが想像した。

が、実際には、主力艦に限って言えば、その活動は極めて限定的で、実際の戦闘行動に関わった主力艦は、ほぼ英独の二国の主力艦に限られ、主力艦による主要海戦といっても、以下の4つを上げれば事足りるであろう。

コロネル沖海戦(1914年11月1日)

フォークランド沖海戦(1914年12月8日)

ドッガー・バンク海戦(1915年1月24日)

ユトランド沖海戦(1916年5月31日ー6月1日)

このうち、最初の二つの海戦は、ドイツ東洋艦隊の本国帰航とその阻止をめぐる一連の戦いであり、あとの二つは英独両主力艦隊の激突であった。

 

コロネル沖海戦(再録)

このうち、コロネル沖海戦については、本稿号外Vol.1.5で、英独装甲巡洋艦同士の戦いとして既述である。

以下、かいつまんで再録する。

 

中国膠州湾の青島に本拠を置くドイツ東洋艦隊(マクシミリアン・フォン・シュペー中将指揮、装甲巡洋艦シャルンホルストグナイゼナウを主力艦とする)は、開戦と共に想定される日本海軍等による行動封鎖を嫌い、当時ドイツ領であったマリアナ諸島パガン島に艦船を集結させ、これらを率いて南米経由で通商破壊線を展開しながら本国への帰航をめざした。

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(ドイツ海軍シュペー艦隊の装甲巡洋艦 シャルンホルスト(手前)、グナイゼナウ

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(シュペー艦隊の巡洋艦  左からライプツィヒブレーメン級 89mm in 1:1250)、ニュルンベルクケーニヒスベルク級 94mm in 1:1250)、ドレスデンドレスデン級 95mm in 1:1250):エムデンも同型)

 

一方、イギリス海軍はクラドック少将の指揮下に、装甲巡洋艦グッドホープ、モンマス、前弩級戦艦カノーパスなどからなる捜索艦隊を編成し、これを阻止しようとした。

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イギリス海軍クラドック艦隊の装甲巡洋艦 グッドホープ(手前)、モンマス)

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 (クラドック艦隊の防護巡洋艦グラスゴー:本艦はコロネル沖海戦を生き抜き、後にフォークランド沖海戦にも参加 110mm in 1:1250)

f:id:fw688i:20181111174535j:plain (クラドック艦隊の前弩級戦艦カノーパス:本艦はコロネル沖海戦には間に合わず、後にフォークランド沖海戦にもその前哨戦に参加 98mm in 1:1250)

 

両艦隊は、11月1日、チリ・コロネル沖で、遭遇し、海戦が発生した。

両艦隊はいずれも装甲巡洋艦をその主戦力としていたが、ドイツ艦隊は準主力艦型の装甲巡洋艦2隻を主力とし、一方イギリス艦隊は強化巡洋艦型の装甲巡洋艦2隻をその主力としていたと言える。両艦隊を砲力で比較すると、ドイツ艦隊は2隻の装甲巡洋艦で、21センチ速射砲を片舷12門、15センチ速射砲片舷6門をそれぞれ指向できるのに対し、イギリス艦隊は同じく2隻の装甲巡洋艦で、23センチ砲2門、15センチ速射砲17門を片舷に指向できた。

速力は双方共に23ノットを発揮でき、遜色はなかった。

英艦隊の前弩級戦艦カノーパスは低速から巡洋艦隊と行動を共にできず別働しており、海戦には間に合わなかった。

このため、海戦は圧倒的に火力に勝るドイツ艦隊の一方的な勝利に終わり、グッドホープ、モンマスは沈没、クラドック少将も戦死した。

シュペー提督の名は、栄光に包まれ、一方、英海軍にとって「コロネル沖」は屈辱の名となる。

 

フォークランド沖海戦

コロネル沖の栄光から約1ヶ月後、本国帰航を目指すシュペー艦隊にスタディー中将の率いる艦隊が立ちはだかる。スタディー艦隊はインヴィンシブル級巡洋戦艦の2隻、インヴィンシブルとインフレキシブルを主力とし、他にモンマス級装甲巡洋艦2隻、デヴォンシャー級装甲巡洋艦1隻などを含んでいた。

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インヴィンシブル級巡洋戦艦(1908年、17,373トン: 30.5cm連装砲4基、25.5ノット)同型艦3隻 (136mm in 1:1250)

 戦艦と同等の砲力と、巡洋艦の速力を兼ね備えた新しい大型装甲巡洋艦として設計され、巡洋戦艦の始祖となった。

 

モンマス級装甲巡洋艦 - Wikipedia

1903年竣工、9,800トン、15.2cm(45口径)連装速射砲2基+同単装速射砲10基、23ノット)10隻

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デヴォンシャー級装甲巡洋艦 - Wikipedia

(1905年竣工、10,850トン、19.1cm(45口径)単装速射砲4基、22.25ノット)6隻

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12月8日、フォークランド諸島をシュペー艦隊が襲撃。待ち受けていたスタディー艦隊がこれを追撃する形で、戦闘は始められた。

英艦隊に2隻の巡洋戦艦を認めたシュペーは、3隻の防護巡洋艦を逃がすべく分離した後、装甲巡洋艦2隻でこれに対応した。

前回のコロネル海戦にちなみ、両艦隊の主力艦の主砲片舷斉射砲力を比較すると、独東洋艦隊が2隻の装甲巡洋艦で、21センチ砲12門であるのに対し、英スタディー艦隊は2巡洋戦艦だけで、30.5センチ砲16門、と比較にならない。

さらに当時のドイツ帝国マリアナ諸島パガン出港以来、長期の航海で機関に整備を必要としていたドイツ艦隊は、前海戦とは一変して、巡洋戦艦の高い機動性と強力な主砲による自在なアウトレンジ攻撃にさらされることになった。

約3時間の砲戦の末、まず旗艦シャルンホルストが撃沈されシュペー自身も戦死、やがてグナイゼナウも自沈を余儀なくされた。分派された3隻の防護巡洋艦も順次補足され、独東洋艦隊は壊滅した。

 

こうして両海戦を総括すると、ある意味、艦船の設計者(海軍軍政担当者)、あるいは運用当事者(海軍軍令担当者)の企図した通りの結果、物理的に打撃力の高い方が勝者となった、いわば番狂わせ的な要素のない結果であった、と言っていいであろう。

この体験は、以後の海軍の諸活動を見る時、特にドイツ帝国海軍において、潜在的な影響が大きいと言えるかもしれない。

 

ドッガー・バンク海戦

物理的な打撃力、と言う視点で言えば、当時のイギリスは特に海軍力で大戦への参戦各国に対し、相対的に圧倒的な優位にあったと言っていい。

本稿でも触れたが、例えば開戦時の主力艦の保有数をみれば、イギリスは弩級超弩級戦艦を22隻、巡洋戦艦を9隻、前弩級戦艦を40隻保有していたのに対し、ドイツ帝国はこれに次いでそれぞれ14隻、4隻、22隻で、名実ともに当時の雌雄であった。参考までに、これに次ぐのはアメリカ海軍で、それぞれ12隻、0隻(アメリカは何故か、巡洋戦艦に興味を示さなかった)、23隻、さらに、かつての大海軍国フランスは、それぞれ3隻、0隻、17隻に過ぎない。

 

上記のように、ドイツ帝国海軍は英海軍に次ぐ艦隊を保有したとは言え、その差は大きく、かつ、緒戦のいくつかの小規模な海戦の敗北の結果、これまで急ピッチで財貨を投じ整備してきたその主力艦隊(大海艦隊)に大規模な損害が出ることを恐れた皇帝の勅命により、積極的な戦闘行動に出ることができずに、北海に面した根拠地ウィルヘルムスハーフェンに半ば封じ込められていた。

こうしたある種、早くも始まった膠着的な状況に対する反動として、ドッガー・バンク海戦が起こったと言っていいであろう。

その企図は、快速高性能な巡洋戦艦を主力とする偵察艦隊を持って英艦隊を挑発し、その一部の突出を独大海艦隊の主力をもって叩く、と言うものであった。

偵察艦隊は旗艦ザイトリッツ、デアフリンガー、モルトケ、フォン・デア・タンの4隻の弩級巡洋戦艦から編成されており、これをフランツ・リッター・フォン・ヒッパー少将が率いていた。艦隊は1914年11月3日、12月16日に英艦隊への誘引行動として、イギリス沿岸の都市に対して艦砲射撃を行った。

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11月3日、12月16日に出撃したヒッパー艦隊の基幹をなす巡洋戦艦(ザイトリッツ:旗艦(上段左)、デアフリンガー(上段右)、モルトケ(下段左)、フォン・デア・タン(下段右))

ザイトリッツ(1913-, 24,988t, 26.5knot, 11in *2*5)(160mm in 1:1250)

アフリンガー(1914-, 26,600t, 26.5knot, 12in *2*4)(167mm in 1:1250)

モルトケ(1910-, 22,979t, 25.5knot, 11in *2*5)(151mm in 1:1250)

フォン・デア・タン(1910-, 19,370t, 24.8knot, 11in *2*4)(136mm in 1:1250)

 

これに対し、特に12月16日の独艦隊の出撃に対してはデイビット・ビーティ中将が率いる第一巡洋戦艦戦隊を出撃させ、これを捕捉しようとしたが、濃霧のため、会敵には至らなかった。ビーティの艦隊は34.5センチ砲装備の超弩級巡洋戦艦3隻(ライオン、プリンセス・ロイヤル、タイガー)と、30.5センチ砲装備のやや旧式で速度の遅い弩級巡洋戦艦2隻(インドミタブル、ニュージーランド)で構成されていた。

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ヒッパー艦隊の出撃に対応した英第一巡洋戦艦戦隊(ビーティ中将指揮)の基幹部隊(ライオン:旗艦(上段左):プリンセス・ロイヤルも同型、タイガー(上段右)、インドミタブル:インヴィンシブル級(下段左)、ニュージーランド:インディファティカブル級(下段右))

ライオン、プリンセス・ロイヤル(1912-, 26,270t, 27knot, 13.5in *2*4)(167mm in 1:1250)

 タイガー(1914-, 28,430t, 28.7knot, 13.5in *2*4)(170mm in 1:1250)

ニュージーランド(1911-, 18,500t, 25knot, 12in *2*4)(144mm in 1:1250) 

インドミタブル(1908-, 17,373t, 25.5knot, 12in *2*4)(136mm in 1:1250)

 

年が明けて1915年1月23日、ヒッパー艦隊は3回目の出撃を行う。今度はドッカー・バンクで操業する英漁船団を襲撃する狙いであった。

今回の出撃にあたっては、偵察艦隊のうち巡洋戦艦フォン・デア・タンが機関の整備のために修理中で参加できず、代わりに装甲巡洋艦ブリュッヒャーが艦隊に加わっていた。

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1915年1月23日のヒッパー艦隊の基幹部隊(ザイトリッツ:旗艦(上段左)、デアフリンガー(上段右)、モルトケ(下段左)、機関不調のフォン・デア・タンに変わって加わった装甲巡洋艦ブリュッヒャー(下段右))

ザイトリッツ(1913-, 24,988t, 26.5knot, 11in *2*5)(160mm in 1:1250)

アフリンガー(1914-, 26,600t, 26.5knot, 12in *2*4)(167mm in 1:1250)

モルトケ(1910-, 22,979t, 25.5knot, 11in *2*5)(151mm in 1:1250)

ブリュッヒャー(1909-, 15,842t, 25.4knot, 8.27in L44 *2*6)(128mm in 1:1250)

 

1月24日、ドッカーバンク北方の海域で、両艦隊は会敵し、互いに前衛に展開していた護衛の巡洋艦同士の砲戦が開始された。

両艦隊の主砲片舷斉射能力を前例に従い比較しておくと、

ドイツ艦隊:28センチ砲 20門、30.5センチ砲 8門、21センチ砲 8門であるのに対し、イギリス艦隊:34.5センチ砲 24門、30.5センチ砲 16門であった。但し、ドイツ艦隊の備砲は全て速射砲で、ちなみにデアフリンガーの30.5センチ砲の場合、1分間に5−7発を撃つことができた。(英艦隊の34.5センチ砲は1.5発)

会敵後、数に劣り状況不利と判断したヒッパーは退却に向かうが、英艦隊は追撃戦を展開した、特にビーティ艦隊のうち超弩級巡洋戦艦3隻は独艦隊に対し優速で、次第に距離を詰めて18000メートルの距離から34.5センチ砲で砲撃を開始した。これに対し、殿艦であったブリュッヒャーも自慢の長射程の21センチ砲で、これに応射したが、3隻の巡洋戦艦から集中的に命中弾を受けたブリュッヒャーは、戦列から脱落してしまう。

やがてこの砲戦にドイツの3隻の巡洋戦艦が参戦し、英艦隊の先頭艦ライオンに砲火を集中した。ヒッパーの旗艦ザイトリッツは後部砲塔にライオンの34.5センチ主砲弾を被弾し使用不能にされたものの、ドイツ艦隊はその砲術の優秀さを発揮し、英艦隊の旗艦ライオンに18発の命中弾を与え大破させた。英艦隊の旗艦は浸水を生じ、戦列を離れざるを得なくなてしまったため、英艦隊の指揮が乱れた。

ビーティは、ニュージーランドに座乗する次席指揮官のムーア少将に、旗艦に構わず追撃を継続するように指示を出したが、通信機が破壊され信号旗によったため伝わらず、ムーアは既に廃艦同然の装甲巡洋艦ブリュッヒャーに砲火を集中してこれを撃沈したにとどまり、ドイツ艦隊を逃してしまった。

 

こうして海戦は終了し、それぞれドイツ艦隊は装甲巡洋艦ブリュッヒャーを失い、後部砲塔に被弾した旗艦ザイトリッツが大破した。兵員の損害は1,000名を超え、英艦隊は旗艦ライオンが大破し、修理にその後4ヶ月を要したが兵員の損害は15名に過ぎなかった。

一般的には英艦隊の勝利と見ることができるが、英艦隊には、指揮継承のまずさ、通信技術の拙劣さ、砲術の拙劣さなど、課題が山積みであった。

特に砲撃技術の差は顕著で、英艦隊がが22発の命中弾を受けたの対し、ドイツ巡洋戦艦が受けた命中弾は4発に過ぎなかった。

ドイツ側を見ると、艦隊を指揮したヒッパーの状況判断は的確で、劣勢な中、敵艦隊の一部を計画通り誘引し、かつ艦隊主力を連れ帰り、次に備えることができた。

しかし一方で、そもそもの作戦立案時の偵察艦隊の挑発により誘引された英艦隊を叩く、という目的に対しては、本来出撃すべき大海艦隊主力が動いた形跡は見られず、勅命に縛られ動くことのなかった大海艦隊司令長官フリードリヒ・フォン・インゲノール大将は、海戦後、更迭された。

 

本稿の主題にそい、史上初のイギリスの超弩級巡洋戦艦3隻とドイツの弩級巡洋戦艦3隻の対決、という視点で見た場合、戦闘はほぼ痛み分けと言っていいであろう。イギリス海軍の大口径砲は少数の命中弾しか得なかったが、1発の打撃力を思う存分発揮し、ザイトリッツを大破した。一方、ドイツ海軍は高い砲撃精度を示し、多数の命中弾により、英艦隊旗艦ライオンを行動不能に陥れた。

海戦からの学びへの姿勢には、少々差異が出る。ドイツ海軍は、ザイトリッツの後部砲塔への命中弾とその後の火薬庫の誘爆を戦訓として、その後、弾薬庫の防御を改善した。この措置は全ての戦艦、巡洋艦に及び実行され、ユトランド沖海戦にまでには完了し、ドイツ艦の生存性向上に反映した。

 

この海戦後、両海軍の主力艦隊は再び睨み合いに移行する。

 

次回は、第一次大戦最大のユトランド沖海戦とその後の経緯、ドイツ帝国海軍の終焉について。

 

これまで本稿に登場した各艦の情報を下記に国別にまとめました。

fw688i.hatenadiary.jp

内容は当ブログの内容と同様ですが、詳しい情報をご覧になりたい時などに、辞書がわりに使っていただければ幸いです。

 

模型についての質問はお気軽に。

 


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(補遺5)回航中の仏・英艦が日本に無事に到着

日本に回航中であった仏前弩級戦艦イエナと、英超弩級戦艦エリンが、無事日本に到着した。

 

イエナ (戦艦) - Wikipedia同型艦なし1:1902-)

https://en.wikipedia.org/wiki/French_battleship_I%C3%A9na

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前級シャルルマーニュの改良型として1隻建造された。改良点は副砲と装甲の強化であった。

 

エリン (戦艦) - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/HMS_Erin

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(1914年、22,780トン: 34.3cm連装砲5基、21ノット)同型艦なし(126mm in 1:1250)

トルコ海軍が発注した艦を、イギリスが押収し、艦隊に編入した。 キング・ジョージ5世級を基本設計としている。

 

それぞれのページ(号外 Vol.1  号外Vol. 2)に、写真をアップしました。

 


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(補遺4)回航中の露・米艦が日本に無事に到着

日本へ回航中であった、ロシア艦、アメリカ艦が到着した。

 

ガングート級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Gangut-class_battleship

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(1914年、23,360トン: 30.5cm3連装4基、23ノット)同型艦4隻

ロシア海軍初の弩級戦艦で、バルト海での運用を念頭に設計された。後述のイタリア海軍の弩級戦艦、ダンテ・アリギエリの設計をほぼ踏襲している。23ノットの優速を得るためにやや装甲が抑えられている。

 

ニューヨーク級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/New_York-class_battleship

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(1914年 27,000t: 35.6cm砲連装5基 21ノット)同型艦2隻

主砲を35.6センチ砲とした初の超弩級戦艦である。連装砲塔5基10門を搭載している。

 

それぞれのページ(号外 Vol.1)に、写真をアップしました。

 


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第11回 第一次世界大戦の勃発と日本海軍の活動

第一次世界大戦の勃発

1914年6月28日、当時オーストリア=ハンガリー帝国内の共和統治国ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボを訪問中のオーストリア=ハンガリー帝国皇太子フランツ・フェルディナンド大公の車列を、6人のユーゴスラビア民族主義者たちが襲った。

この爆弾テロ自体は失敗に終わったが、この事件による負傷者を病院に見舞った帰路、皇太子夫妻は上記実行犯チーム6人の一人、ガヴリロ・プリンツィプによって射殺された。

世に言う「サラエボ事件」である。

この事件後、大セルビア主義を掲げユーゴスラビア民族主義の黒幕とされるセルビア王国オーストリア=ハンガリー帝国間の緊張が高まり、7月28日両国は開戦に至った。このセルビア王国を支持して、当時バルカン半島の主導権をめぐってオーストリア=ハンガリー帝国に対抗していたロシア帝国が総動員令を発令、次いでオーストリア=ハンガリー帝国と同盟関係(三国同盟)にあったドイツ帝国の参戦、ロシア帝国と協商関係(三国協商)にあったフランス・イギリスの参戦へと、それまでの数十年間で構築された各国間の同盟関係が一気に発動され、数週間で連鎖的に主要列強が参戦する大規模な戦争に発展してゆく。

その期間は、教科書的には1914年7月28日から1918年11月11日とされ、期間中に両陣営で7000万人が動員され、戦闘員900万人以上、非戦闘員700万人以上が死亡したとされている。

イギリス、フランス、ロシアの三国協商を基軸とする陣営を連合国、ドイツ、オーストリア=ハンガリー帝国三国同盟(イタリアは連合国側で参戦)を根幹とする陣営を中央同盟国(枢軸国)と、一般的には呼称される。

 

日本の参戦

日本は結果的には日英同盟に従い連合国側に立って参戦したが、その経緯は実はそれほど単純ではない。

日英同盟には自動参戦条項が付随しておらず、加えてその適応範囲はインドを西端とするアジアに限定されていた。このことは8月1日にイギリス外相から駐英大使に対する覚書(「第一次世界大戦へ参戦する上では、日英同盟は適用されない」)で確認され、当初、日本は中立を宣言した(1914年8月4日)。

背景には、イギリス政府、並びにオーストラリア、ニュージーランドの、日本の中国における権益の一層の強化拡大と、マリアナ諸島カロリン諸島マーシャル諸島など、ドイツ南洋諸島の占領による太平洋への影響力の強化に対する懸念、警戒感があった。

一方、ドイツ東洋艦隊の通商破壊活動への対応など、軍事的な視点からは、特に日本海軍の戦力に対する期待は日増しに大きくなり、ついにイギリスは日本に対し、中国沿岸に活動を限定するなどの条件つき参戦の申し入れを行うに至った。(8月11日)

イギリスの提示した戦域限定について、日本はこれを拒否し、8月15日にドイツに対し最後通牒を行い、23日に宣戦布告を行い、正式に参戦した。

しかしながら主要戦場はもちろんヨーロッパであり、参戦は結果的に限定的なものになった。特に陸軍はヨーロッパへの派兵に消極的で、英、仏、露からの再三の派兵要請を拒否した。

 

日本海軍の活動

ドイツ東洋艦隊の追撃

参戦後、10月には、ドイツ南洋諸島に第一、第二南遣支隊を派遣してこれを占領。さらに11月にはイギリスとの連合軍で、ドイツ東洋艦隊の根拠地であった膠州湾青島の要塞を攻略した。

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(膠州湾青島を拠点とするドイツ東洋艦隊主力:装甲巡洋艦シャルンホルストグナイゼナウ(上段)、防護巡洋艦ライプツィヒニュルンベルクドレスデン:エムデンも同型(下段))

 

この攻略戦で、日清戦争当時の海軍主力艦であった巡洋艦「高千穂」が、ドイツ水雷艇の雷撃を受け失われた。

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(日清戦争当時の高千穂) 

開戦まで練習艦として就役していた高千穂は、青島攻略戦では封鎖艦隊の一角を担っていた。折から青島からの脱出を試みた独水雷艇S90と遭遇し、その放った魚雷二発が命中、高千穂の搭載していた駆逐艦への補給用の魚雷が誘爆して、轟沈した。生存者は3名のみだった。

高千穂は、日本海軍の軍艦の中で、敵との直接の交戦で撃沈された最初の艦となった。

 

 

ドイツ東洋艦隊は開戦前後、間近な日本海軍等による行動封鎖を嫌い、青島要塞を離れ、当時ドイツ領であったマリアナ諸島パガン島に各所に分散していた諸艦を集結し、本国へ南米経由で帰還することを決意し、出発していた。(1914年8月)

その後、エムデンをインド洋へ分派、あるいは東太平洋で活動中のドレスデンライプツィヒを吸収しながら太平洋で通商破壊戦を展開する。

日本海軍は、この艦隊の追撃のために開戦直前に艦隊に編入した巡洋戦艦「劔」と「蓼科」からなる第11戦隊を太平洋に派遣したが、シュペー艦隊を捕捉するには至らなかった。

f:id:fw688i:20181205124310j:plain高速巡洋戦艦戦隊(第11戦隊):「蓼科」(奥)、巡洋戦艦「劔」

 

ANZAC警備

日本海軍は、オーストラリア、ニュージーランド、インドなど英帝国諸国からの兵団とその補充兵たちがヨーロッパへ輸送されるインド洋横断航路の護衛を担当するため、第一、第三の特務艦隊を編成し派遣した。開戦当初こそドイツ東洋艦隊から分派されたエムデンなどの活動があったが、ドイツ海軍はインド洋に拠点を持たず、その通商破壊活動はきわめて限定的で、実質は名目上の護衛活動であった。

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(第一特務艦隊としてインド洋航路の護衛任務に派遣された巡洋戦艦「伊吹」)

 

第二特務艦隊の地中海派遣

1917年2月、巡洋艦「明石」を旗艦とし、駆逐艦8隻からなる第二特務艦隊が地中海マルタ島に派遣された。この艦隊は連合軍の地中海縦断航路の護衛を担当し、地中海に出没するドイツ海軍、オーストリアハンガリー海軍の潜水艦と対峙し、日本海軍としては不慣れな船団護衛任務を実施した。

船団護衛と言いながら、当初、日本の駆逐艦は対潜水艦戦用の装備を持たず、英海軍から教えられた、掃海具であるパラベーンを流してワイアにUボートを引っ掛け破壊するというような方法で、これを実施したと言う。

駆逐艦の数は最大時で18隻まで増加するが、何れにせよ小規模な艦隊ながら、およそ一年半の派遣期間の間に、70万人の兵員輸送に貢献し、7000人の救出に携わるなど、非常に高い評価を受けた。

期間中に35回、Uボートと戦闘し、駆逐艦一隻が大破され、78名の戦死者をだした。

 

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写真上段は第二特務艦隊として地中海に派遣された日本海駆逐艦に種、樺型と桃型。

第二特務艦隊には、当初、樺型8隻、増援として桃型4隻が投入された。

樺型駆逐艦:1915− :595トン、30ノット、66mm in 1:1250

樺型駆逐艦 - Wikipedia

桃型駆逐艦:1916–:755トン、31.5ノット、66mm in 1:1250

桃型駆逐艦 - Wikipedia

下段は、第一次世界大戦当時の代表的なドイツ海軍Uボート (U23クラス:水上670トン・水中870トン、水上16.5ノット・水中10ノット、50mm in 1250)

https://en.wikipedia.org/wiki/U-boat#World_War_I_(1914–1918)

 

上記の樺型駆逐艦タイプシップとして、フランスからの要請でアラブ級駆逐艦12隻が戦時に急増され、輸出された。

 

この他、英海軍より、当時、世界最強をうたわれた金剛級巡洋戦艦4隻からなる日本海軍第4戦隊の貸与要請などをうけるが、海軍はもちろんこれに応じることはなかった。結果的には、青島攻略作戦以降、上記の地中海における護衛任務が、日本海軍の、ほぼ唯一の戦闘活動になった。

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(英国から貸与要請のあった金剛級巡洋戦艦。第4戦隊は、金剛、比叡、霧島。榛名の同型艦4隻で編成され、大口径の主砲、高速力から、世界最強の戦隊といわれた)

 

本稿では主に海軍主力艦の発展をたどってきているが、第一次世界大戦を通じて、いわゆる主力艦の活動は非常に低調で、英独の二国の主力艦に限られる。

主力艦が関連する海戦は、以下の4回しかなく、しかも全てが大戦前半に行われている。

コロネル沖海戦(1914年11月1日)

フォークランド沖海戦(1914年12月8日)

ドッカー・バンク海戦(1915年1月24日)

ユトランド沖海戦(1916年5月31日ー6月1日)

このうち、最初の二つの海戦は、ドイツ東洋艦隊の本国帰航とその阻止をめぐる一連の戦いであり、あとの二つは英独両主力艦隊の激突であった。

これらの戦いについては、次回で見ていくことになるが、戦史全般の視点に経てば、これら主力艦よりも、より後世に大きな影響を与える潜水艦という兵器、これを用いた新しい形の通商破壊戦術が登場した重要な戦争であったということに気付くであろう。

日本海軍も例外ではなく、この大戦への数少ない具体的な関与が、地中海における対潜水艦戦であった。

 

対潜水艦戦:ドイツ帝国Uボートによる無制限潜水艦作戦の脅威

大戦の開戦当初、戦時国際法の制限から、潜水艦は中立国船舶への攻撃は禁じられ、戦時禁制品を運ぶ等の中立違反行為が確認された場合に拿捕などが許されるだけであった。また沿岸の小航海に用いる船舶や漁業船舶などへの攻撃も許されない建前であった。

すなわち、敵海軍艦艇への攻撃を除き、潜水艦は攻撃前に警告を発し、あるいは臨検を行う必要があり、つまり浮上して姿をあらわす必要があった。

また、当初の潜水艦は、魚雷の搭載数が少なく、かつ魚雷そのものが非常に高価であったため、特に単独航行をする船舶に対しては、砲撃による攻撃が選択された。これに対する対抗策が、有名なQシップである。Qシップはいわゆる偽装商船で、潜水艦の出没する海域を単独航行し、砲撃、あるいは拿捕のために一旦、潜水艦の浮上を誘い、浮上した潜水艦を突如攻撃して撃沈する戦術を取った。

1915年2月、ドイツ帝国は最初の無制限潜水艦作戦を実施する。これは英海軍により実施された北海の機雷封鎖による事実上の無制限攻撃への対抗措置で、イギリス周辺海域での無警告攻撃を宣言した。

さらに、戦争長期化が判明した1917年2月、ドイツ帝国イギリスとフランスの周辺、さらに地中海全域を対象にした、海域内を航行する全船舶を対象とした無警告攻撃の完全な無制限潜水艦作戦の実施を宣言した。

これにより、潜水艦は攻撃時に浮上する必要がなくなり、ドイツ潜水艦による戦果は同年前半、最高潮に達する。

こうした変遷を経て、一方で水中に潜む潜水艦相手の対潜水艦戦の本格的な取り組みが始まるのだが、第一次世界大戦中に実用化された対潜水艦戦兵器は、爆雷(降下機雷)とその投射器(1915年実用化)、水中聴音器(パッシブ・ソナー:1916年艦載型の登場)であった。アクティヴ・ソナーについてもその開発は始まってはいたが、実用化は大戦終了後の1920年代に入ってからであった。

第一次世界大戦において、ドイツ帝国Uボートは、無制限潜水艦作戦の実施とともに、多大な戦果を上げ、一時期は英国の存在自体を脅かすほどだったが、しかしながら、当時の海軍軍人たちの反応はきわめて淡白で、例えば最もその戦術に苦しめられた英国ですら、戦後、対潜水艦戦術に対する深い研究が組織的に行われた形跡は希薄である。

さらに、日本も、英国と同様の島国であることを考慮すれば、より多くの研究をこの分野に割くべきであった、と後世、太平洋戦争における米潜水艦の跳梁を知る我々ならば言えるのだが、それは後知恵、というべきものであろうか。

 

例えば、対潜水艦戦の担当艦艇には、各国が駆逐艦を当てたが、本来、駆逐艦は高速で主力艦に肉薄する水雷艇を「駆逐」する目的で開発された艦種で、水雷艇に劣らぬ高速が持ち味であった。

一方、水中に潜む潜水艦を探知するためには、当時は水中聴音に頼るしかなく、すなわち静音下(8~12ノット以下)での操艦が必須となるが、必ずしも高速での戦闘を想定して設計された駆逐艦の適性が高いとはいえなかった。

このため、やがて各国が対潜水艦戦のための専任艦艇を開発するに至るが、それは第二次世界大戦において再び潜水艦の脅威(ナチスドイツUボート、米潜水艦)に直面してからのことになる。

 

 

という次第で、第一次世界大戦日本海軍を追ううちに、今回は力が尽きた。次回こそは第一次世界大戦の主要海戦における主力艦の動向を追って行きたい。

 

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あるいは、前回も申し上げましたが、***と++++の大きさ比較をアップせよ、など「vs」モノのリクエストがあれば、こちらも大歓迎です。

 


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